.

日記
2026年・2月

  14日





  -継承(パラレル)





   さて……今日の兎は、どうするか。
   たまには、塩を振って焼いてみるのも良いか……だけど矢っ張り、鍋が一番かな。


   ……ふぅ。


   野菜との物々交換とは言え、こうも毎日……いや、確かに有り難いが。
   肉があればちびも喜ぶ、亜美さんにも精を付けてやれる……だけど、出来ればあたしが獲った獲物を食べさせて、いや、其れはただの贅沢だな。
   此の時期に毎日、肉や魚が食える……こんなこと、滅多にない。亜美さんも感謝しないといけないと言っていたし、素直に感謝しておくべきだ。


   また少し、強くなってきたわ……明日も、雪掻きをしないと。


   一昨日は猪、昨日は魚、今日は兎、此の調子だと明日は山鳥か、鳥も食いたいと言っていたし……然し、毎日楽しんでいるな。
   辞めたら、狩りやら釣りやらをしながらふたりでのんびり暮らすつもりだ、とか、言っていたような気もするが、まさに其の通りの暮らしをしているのかも知れない。
   あの頃は興味がなかったから、ほぼ聞き流していたが……ふたりとは、然ういうことだったんだよな。だけど、まさか亜美さんの……世間は狭いと言うが。


   けれど、今は心強いひとが居て呉れるから……まことさんに掛かる負担も軽減される筈。


   其れにしても、良く獲ってくる……曰く、野生の勘とやらが、今でも鈍ることなく、良く働いているんだろうな。
   村の皆も屹度、喜んでいるだろう……毎日のように、獲物を狩ってくるのだから。今季ほど、肉を食える冬はないかも知れない、いや、ないな。


   ……家の中に入る前に、雪をちゃんと払わないと。


   村にもあっさりと馴染んで……雪掻きも誰よりもしているようだし、亜美さん曰く、美奈とも上手くやっているようだ。
   あの頃から妙に懐こいところがあったと、亜美さんは言っていたが……屹度、こういうことなんだろう。
   今思えば、隊がまとまっていたのは其の……いや、其れはないな。懐こさよりも、力で上手く従わせていた。
   懐こいのは、医生に対してだけだったのだろう……亜美さんが言うのだから、間違いない。


   ……此処までありがとう、ちび。


   然し、辞めて数年は経つだろうに……本当に変わらないものだ。いや、幾らなんでも変わらなすぎる。
   歳の頃を考えれば、初老は疾うに過ぎているというのに……体力の衰えなんて、全くなさそうだ。
   ひとをひとり背負って、雪夜の山道を越えて来るあたり……今でも屹度、鍛練は欠かさずにしているんだろう。
   思えば、あの頃もひとりで鍛練……いや、稽古をつけてやるとかなんとか言って、何度も付き合わされたな。


   お夕飯が出来るまで……。


   ん。


   ……其れまで、ゆっくり休んでいてね。


   亜美さん。


   ……あ。


   お帰り、亜美さん。


   はい……ただいま帰りました、まことさん。


   さぁさ、家の中へ。


   今、其方に行きますので、まことさんは


   今日も寒かったろう?
   さぁ、早く中へ。


   寒かったですが……まことさんの方が寒そうです。


   あたしは平気だ、問題ない。


   先に入っていて下さい、私も直ぐに行きますので。


   鞄を持とう。


   ありがとうございます、ではお願いしますね。


   お湯の支度も出来ているよ、まずは冷えた足をじっくりと温めて欲しい。


   はい、ありがとうございます。


   ちび、亜美さんの送り迎え、ありがとうな。夕飯の支度が終わるまで、ゆっくりしていて呉れ。
   だけど、家に近付く者が居たら、ちゃんと知らせるんだぞ。まぁ、お前のことだから分かっていると思うが。


   あの、まことさん。


   ん、なんだい?


   足の具合は如何ですか。


   家のことをするだけならば、問題ないよ。


   ……然うですか。


   雪の降り、また強くなってきたみたいだな。


   ……然うなんです。


   良かった、今日も亜美さんが無事に帰って来て呉れて。


   ……私は、ちゃんと帰って来ますよ。


   うん。


   ……今日のお肉は、なんですか?


   今日は……兎、だよ。


   兎ですか……ふふ、良いですね。


   然うだねぇ……。


   ……今日もお大根と交換したんですか?


   ん、今日は芋が良いと。


   あぁ、お芋ですか。


   其れから、出来れば大根の葉も欲しいと言われた。
   だから今日は、芋と大根の葉で交換したんだ。


   お大根の葉、ですか。


   どうやら、緑ものも欲しかったらしい。


   緑もの……確かに欲しくなるかも知れません。


   然うかい?


   緑のものは今の時期、なかなか食べることが出来ませんから。


   あぁ、其れは確かに。


   まことさんのお大根は葉まで美味しいですから、屹度、重宝されると思います。


   ふふ、然うだと良いな。


   勿論、お芋も美味しいですよ。


   うん、ありがとう。


   ……。


   亜美さん、足が温まったら熱いお茶を淹れよう。


   ……はい、お願いします。


   ん。


   ……お待たせしました、中に入りましょう。


   あぁ、入ろう。


   ……。


   ん……亜美さん?


   ……冷たくなってしまいました。


   大丈夫だ、直ぐに温かくなる。


   ……もぅ。


   はは。


   ……子供ではないのですから。


   待っていたかったんだ、迎えに行くことが出来ないから。


   ……だからって。


   ……。


   ……まことさん。


   後で、今日の話を聞かせて欲しい……。


   ……私も、まことさんに聞いて欲しいと思っています。


   ん……。


   ……。


   鞄は此処で良いかい?


   ……はい、大丈夫です。


   座っていて、今、お湯を持って行くから。


   ……では、お言葉に甘えて。


   ん。


   ……まことさんは、お夕飯の支度をしていたのですよね。


   うん、然うなんだ。


   今日は……。


   いつものように鍋にするか、其れともたまには他のものにするか。
   そんなことを考えていたら、亜美さんが帰って来て呉れたんだ。


   お鍋の他に、何を考えていたのですか。


   たまには、焼いてみようかなと。
   塩を振って焼いても、美味しいからさ。


   ……あぁ。


   亜美さん、足を。


   ん……ありがとうございます。


   湯加減はどうだろう。


   ……。


   ……どうだい?


   ん、丁度良いです……。


   ……温くはない?


   はい……少し熱めで、気持ちが良いです。


   じゃあ、ゆっくりと。


   ……はい、然うします。


   ……。


   はぁ……気持ち良い。


   ……うん、良かった。


   ……。


   其れで……亜美さんは、何が良い?


   然うですね……私は、どちらかと言うと、お鍋が良いです。


   鍋か……じゃあ、今日も鍋にしよう。


   でも、焼いても良いと思います……焼いても、美味しいですから。


   ううん、鍋にするよ。
   味は何が良い?


   味は……お味噌が良いです。


   ん、分かった。


   ……いつも通りで、ごめんなさい。


   謝る必要なんかないさ、食べたいものを食べよう。


   まことさんは、お鍋でも良いのですか。


   あぁ、鍋で良い。


   ……。


   実はね、あたしも鍋が良いかなと思っていたんだ。
   今日も寒いし、躰が温まるものの方が良いだろうって。


   ……然うなんですよね。


   鍋を食べると熱い旨味が腹に染み渡って、躰の中から温まるんだ。


   ……此の村に来て、


   ん?


   ……私は、冬のお鍋のありがたみを知ったんです。


   ふふ、然うか。


   ……あなたが、教えて呉れたの。


   うん……。


   ……お塩のお鍋も良いですよね。


   塩も良いね……明日は、塩にしようかな。


   ……お肉にもよりますが。


   明日は、山鳥だと思うんだ。


   山鳥……若しかして、鳥のお肉が食べたいのでしょうか。


   ん、然うみたいだ。
   分かりやすいだろう?


   ふふ……獲れたら、良いですね。


   ……。


   まことさん?


   ……あたしも、狩りに行こうかな。


   まことさんもですか?


   ……別に、張り合いたいわけではないんだけど。


   ……。


   躰が、鈍ってしまうし……。


   まことさん。


   ……駄目、かい?


   足の傷が治るまで、駄目です。


   ……だけど、大分治って。


   駄目です、ちゃんと治るまで無理はいけません。


   痛みも……家の中でなら、問題なく動けるし。


   ……。


   はい……家で大人しく養生します。


   後で診せて下さいね。


   ……勿論です。


   ……。


   ……早く、治らないかな。


   屹度、もう直ぐ治りますよ……まことさんは、治りが早いですから。


   ……もう直ぐ?


   山へ狩りに行ったり、川へ魚を獲りに行ったり……そんな無理をしなければ、ですが。


   ……。


   狩りに行きたいと思っているのならば……今は兎に角、無理をしないように。


   ……うん。


   ふぅ……。


   ……気持ち良さそうだ。


   はい……とても。


   ……風邪を引かないように。


   お互いに……。


   ……あぁ、お互いに。


   ……。


   ……さて、鍋の支度をしようかな。


   まことさん。


   ……ん?


   支度をしながらでも構いませんので、話を聞いて呉れますか。


   あぁ、聞くよ。


   ……。


   どうだった?


   ……反応を見る限り、大丈夫だと。


   学姐は、なんて。


   ……問題ないだろう、と。


   ということは……使っても良いということかい?


   ……私達は、然う判断しました。


   然うか……!


   勿論、様子を見ながらになりますが。


   いや、其れでも良かった。
   ひとつ、前に進んだのだから。


   ……。


   学姐にも診てもらうのかい?


   はい、其のつもりです……と、言いたいところですが。


   ん、難しいのか。


   私が言わなくても、診る気でいたようで。
   此処まで来て診ないわけがないと、然う言われてしまいました。


   あぁ……はは、然うか。


   ……其れと、もうひとつ。


   ……。


   学姐の見立てでも……矢張り、かなり難しいと。


   其れは、薬があったとしても……見込みは、ないと。


   ……仮に時間を伸ばせたとしても、僅かだと。


   僅か……春までは。


   ……。


   然う、か……。


   ……其方も、診て呉れるつもりでいるようです。


   ならば……交代で、診られるね。


   ……然うですね。


   ……。


   学姐が来て呉れたことで……こんなことは、決して口にしてはいけないのですが。


   ……此処には、あたししか居ない。


   ……。


   ……。


   ……少しだけ、気が楽になったんです。


   良いと、思う。


   ……まことさん。


   より良い方向に進むと思うんだ。
   ずっと気が張っている状態よりも、屹度。


   ……学姐は。


   うん。


   正式な医生ではありませんが……其れでも其れと同等、いいえ、其れ以上の知識と目、腕を持っているんです。


   学姐は何故、医生にならなかったんだい……?


   医生特有の柵に捕らわれるのが、心の底から嫌だったそうで……今思えば、とても学姐らしいと。


   ……。


   医生にはならずに、薬師……其れも、新たな薬を開発する道を選びました。
   其の道は、学姐にとても合っていたようで……西方の薬さえも、学姐の手ならば。


   ……其れで、瘡毒の薬も。


   悔しかったようです。


   ……悔しい?


   先を越されたと……学姐曰く、あともう少しだったそうで。


   ……。


   私としては、まさか、黴から瘡毒の薬が見つかるだなんて……実際は、まさかでもなんでもないのですか。
   万物のものが薬、或いは毒に成り得ると……然う、言われているのですから。


   万物のもの……すごいな。


   話は逸れますが、黴は薬の天敵なんです。
   薬は基本、天然物を素材としているので。


   あぁ……黴が生えてしまったら使えないと、常に言っているものな。


   ですから、乾燥している方が良いんですよね。


   ならば、此の場所は良いかも知れない。
   どの季節を取っても、湿気が強い頃はあまりないから。


   ふふ……然うなんです。


   ……矢っ張り、亜美さんが此の村に来ることは必然だった。


   あなたも、居ましたから。


   ……。


   ……其れが、一番だと。


   亜美さん。


   ……はい、なんでしょうか。


   其の……抱き締めたい。


   ……駄目です。


   ならば……後で。


   ……。


   後で、なら……。


   ……考えておきます。


   うん……。


   ……。


   ……冷めて、きているだろうから。


   ありがとうございます……。


   ……どういたしまして。


   あなたのおかげで、大分温まりました……。


   ……あたしも、してもらっているから。


   ……。


   ……。


   ……学姐は薬師として、今でも、多くのひとのこを救っています。


   ……。


   並外れた才能と、知識欲と、弛まぬ努力と……才能という言葉を使うと、機嫌を損ねてしまうのですが。


   ……亜美さんと、同じだ。


   ……。


   数は及ばないかも知れないけれど……ひとのこを救っていることに、違いはない。


   ……私は。


   一度救えば、其れで終わりではないだろう……?


   ……。


   年少者も年長者も、ひとのこは冬になると風邪を引く……ぶり返すことだって、ある。


   ……。


   そんな時に亜美さんが居て呉れる……どれだけ、心強いことか。


   ……ありがとう、まことさん。


   本当のことさ……。


   ……あなたはいつだって、私の心を支えて呉れる。


   お互い様、だ……。


   ……ん。


   そろそろ、お茶の支度をしても良いかい……?


   はい……お願いします。


  13日





   ……う、はぁ。


   変な声を出さないで、気持ち悪いから。


   や、だって……はぁ。


   ……今からでも、薬茶を煎れてあげても良いのだけれど。


   此れが終わったら、飲むよ……一滴も、残さずに。


   ……此れを止めて、薬茶に切り替える。


   ……。


   ……私としては、其方の方が楽で良いのよね。


   出来るだけ、我慢する……。


   ……。


   ……けど。


   けど……何。


   少しだけなら、許して欲しい……どうしても、漏れてしまうと思うから。


   ……。


   其れだけ、気持ちが良いんだ……。


   ……声量を、抑えて。


   ん、分かった……。


   ……。


   あぁ……矢っ張り、マーキュリーの手は気持ちが良いなぁ。
   気持ちが良くて、其のうち、眠く……いや、でも、寝ない。


   ……寝て呉れても良いわよ、其の方が静かだから。


   あたしは、寝ない……どんなに、眠たくなっても……マーキュリーに、してもらっているのに……う。


   ……思った通り、躰が少し硬くなっているわね。


   え、と……結構、硬い?


   ……今はまだ大したことはないけれど、放っておけばより硬くなる。


   躰は毎日、動かしているんだけどなぁ……ちびと遊んだり、畑仕事をしたり、ちび達と遊んだり。


   ……鍛練は?


   勿論、しているよ……少しでも欠かすと、躰が鈍って重くなってしまうからさ。


   ……。


   う……っ。


   ……単純に、疲労が躰に蓄積している。


   疲労……。


   ……不定期でも良いから、休息日を設けた方が良いわ。


   休息日か……。


   ……休みは大事、さんざ言われて来た。


   然うなんだけど……ちびの世話に、休みはないからなぁ。
   ごはんも、食わせてやらないといけないし……夜泣きもさ、まだ、落ち着きそうにないんだ。


   ……此処に居るのは、あなただけではないでしょう。


   ん……。


   ……馬にはなれないけれど。


   馬は、止めておいた方が良い……お前の躰に、負担を掛けさせたくない。


   ……言われなくても、やらないわ。


   あぁ、でも……ちびは、お前の背中には乗らないかも知れないな。


   ……何故。


   お前は、馬ではないからだよ……。


   ……あなたは、馬なのね。


   うまー……。


   ……何其れ。


   馬の、鳴き声……?


   ……は。


   確か、馬も鳴いたよな……?


   だからって……そんな鳴き声なわけ、ないでしょう。


   だよな……あたしも、然うだと思ったんだ。


   ……幾らなんでも、其れはないわ。


   ははは……。


   ……思い出せないの。


   ん……ちびの鳴き声はどんなだったか、思い出したいんだけど。


   ……。


   なぁ、マーキュリー……ちびの鳴き声って、どんなだったっけ。


   ……鳴き声の真似までするつもり?


   然うしたらもっと、喜ぶだろう……ぅ。


   ……其処までは、しなくて良い。


   だけど……面白いかなって、思ったんだ。


   ……どうしてもしたいのなら、自力で思い出して。


   あー……。


   ……。


   ……じゃあ、良いか。


   若しも。


   ……う、ぁ。


   いい加減な鳴き声を聞かせようと思っているのならば、止めて。


   ……どう、して。


   あなたのことだから、やりかねない。


   ……。


   間違って、憶えてしまうから。


   ……間違って?


   うちの子は、問題ない……けれど、あなたの子は。


   憶えたとしても、其の時だけで……時間が経てば、忘れてしまうさ。
   ちびはあたしと同じで、忘れやすいみたいだから……ずっとは、記憶に留めておけない。


   だとしても……記憶の片隅に残ってしまう可能性は、零じゃない。


   ん……然うかな。


   ……。


   間違って憶えたとしても、お前とお前のちびが……正して、呉れるだろう。
   ふたりに教われば、ちびは……ちゃんとした鳴き声を、憶えて呉れる筈だ……仮令、忘れてしまうとしても。


   ……一時的とは言え、間違って憶えてしまうことには変わりない。


   ……。


   ……だから。


   分かった……鳴き声の真似は、しないよ。


   ……。


   ちびの声……どんなだったかな。


   ……どうしても、思い出せないの。


   あぁ……思い出せない。


   ……馬の鳴き声は。


   其れは、なんとなく……。


   ……鳴かないで良いわ。


   ん……鳴かない。


   ……。


   然し……うまーは、ないよな。


   ……ないわ。


   犬は……わん、だったか。


   ……猫は?


   ねこ……猫は、ひとのこの言葉を喋るんだよな。


   ……青い星の猫は喋らない、そもそも此の地に居るのは猫じゃないわ。


   あー……どっかの星の者なんだっけ。
   何処だったかな……まぁ、何処でも良いけど。


   ……いちいち口煩いのよ、あれらは。


   マーキュリーは、好きじゃないよな……あいつらのこと。


   ……あなたは、好きなの?


   いや、口煩いからなぁ……どちらかと言えば、苦手だ。


   ……口煩い上に、見下してくる。


   然う然う、然うだった……あいつら、なんであんなに偉そうなんだろう。


   ……自分達の方が上だと思っているからでしょう。


   上……何処ら辺が上なのか、分からないな。
   大した力もないのに……強いて言えば、傍に仕えているぐらいだ。


   ……知性が、感じられない。


   小難しいことは、言ってくるけどな……こっちを莫迦だと決め付けて、其れはもうべらべらと話すんだ。


   ……知識があったとしても、知性がなければ。


   まともに、話すことも出来ない……まさに、其れだったよ。


   ……青い星の猫は、無駄に喋らないから良かったわ。


   青い星の猫……あ、思い出した。


   ……忘れて良いわ。


   ん、なんでだ……折角、思い出したのに。


   ……ろくでもなさそうだからよ。


   そんなことは、ないと思うが……お前、青い星の猫に、ぐ。


   今直ぐ、忘れて呉れて結構。


   ……懐かれていたよな、て。


   懐かれてはいないわ。


   其れは……ろくでもない、か?


   ……どうでも良い。


   ……。


   どうせ思い出すのなら……自分が猫に、引っ掛かれた時のことを思い出せば良い。


   引っ掛かれた……。


   ……爪で、左頬を。


   左頬……そんなことも、あったような。


   ……とても間抜けだったわ。


   結構、痛かったような気がする……。


   ……実際に、痛がっていたもの。


   どうして、引っ掛かれたんだっけ……飯を喰ってる時に、余計なことでもしたか。


   ……あなたは、いつも然う。


   いや、あの時は違う……。


   ……。


   マーキュリーの太腿の上でずっと、気持ち良さそうに寝ていたから……あたしは、面白くなくて。


   ……本当、間抜けな話だわ。


   そっと、退かそうと思ったんだ……然うしたら、爪で。
   然うだ……一瞬のことで、避けようがなかったんだ。


   ……結局、猫は逃げてしまって。


   ずっとでなければ、良かったんだ……其れなのに、いつまでも退けなかったから。


   ……たかが猫に、莫迦よね。


   だって……あたしの、マーキュリーなんだ。
   いつまでも、猫に取られていたくはなかった……。


   ……私は今でも、あなたのものではないわ。


   でも、今思えば……悪いことをしたかも、知れない。


   ……へぇ?


   もう少しだけなら、放って……いや、矢っ張りだめだ。
   放っておいたら、多分、いつまでも退けない。


   ……莫迦ね、そんなわけないでしょう。


   青い星の猫が、あいつらに似ていなければ……また、違ったかも知れない。


   ……似ているのは形だけ、言葉も話せないわ。


   然うだけど……黒い猫だったろう。


   ……其処まで思い出したの。


   月の口煩いのに、良く似ていて……余計に、面白くなかった。


   ……。


   ……猫は、好きではないかも知れない。


   あなたに懐いている子も居たわよ……。


   ……あたしに?


   三毛の子。


   ……みけ。


   珍しく、ちびではなかったわね。


   ……呼び名?


   其の子は……みけ、だった。


   ……其のままだ。


   本当に分かりやすいわ。


   ……みけ、か。


   其れは、思い出せないのね……。


   ……結び付かなかったみたいだ。


   然う……まぁ、良いけれど。


   ……なぁ、マーキュリー。


   足は、貸さないわよ。


   ……ふともも。


   貸すわけない。


   ……気持ち良いんだ、あれも。


   貸さないと言っているでしょう。


   ……気が向いたら、で、良いんだ。


   今のところ、向く予定はないわ。


   ……いつか。


   期待はしないで。


   ……うん。


   はぁ……。


   ……ん、疲れたか。


   もう少し、小さくなって呉れると良いのだけれど……。


   ……ごめん、無理だ。


   あの子も、あなたと同じように大きくなるのかしら……。


   ……なって呉れなきゃ、守れるものも守れない。


   其れは……。


   ……守りたいものは、たったひとつだけだ。


   あなたと同じとは限らないわ……。


   ……あたしは、同じだと思っている。


   勝手ね……。


   ……あぁ、勝手だ。


   ……。


   ありがとう、マーキュリー……お前のおかげで、大分解れたと思う。


   ……。


   だからもう、おしまいで……。


   ……ひび。


   ん……。


   ……。


   どれくらい、広がってる……?


   ……思ったほどでは、ないわ。


   然うか……良かったよ。


   ……だけれど。


   確実に広がっている……だろ。


   ……薬茶、矢張り飲んでもらうわ。


   応……。


   ……。


   ……はぁ、楽になった。


   馬……するのなら、四半刻まで。


   四半刻、だな……うん、覚えておく。


   ……うちの子にも、言っておくわ。


   其れは、助かる……ちびは、お前んとこのちびの言うことなら、ちゃんと聞くから。


   ……。


   お礼は、何が良い……?


   ……お礼なんて、要らないわ。


   明日の朝ごはんは、どうだろう……?


   ……どうせ、作って呉れるでしょう。


   あぁ、然うしたらお礼にならないな……。


   ……躰が冷えてしまう前に、上衣を着て。


   うん……直ぐに。


   ……。


   お礼、何が良いかな……。


   ……だから、要らないと。


   ん、なんだ……?


   ……。


   通信、か……?


   ……其のようね。


   何の用だ。


   ……さぁ。


   応じないのか……?


   ……あなただったら、どうする?


   あたしだったら……応じたくないから、応じないな。


   ……。


   ……誰からだ。


   火星。


   ……あぁ。


   ……。


   ……ん。


   音声では応じないと分かって、文章に切り替えた。


   ……なかなかだ。


   ……。


   ……なんて書いてある。


   ろくでもないわ。


   ……。


   ……また、闇のこと。


   あぁ……其れは、ろくでもないな。


   ……。


   ……此処のところ、また殖えてきているんだったか。


   居なくなることはないわ……。


   ……油虫、だからな。


   潰しても、潰しても……其れは、絶えることはない。


   ……光がある限り、だろ?


   ……。


   ……マーキュリー。


   はぁ……。


   ……水星の民に、何かあったか。


   連絡が、途絶えたと……。


   ……。


   ……木星の民を、付けていたのに。


   少し、厄介そうだな……。


   ……本当、ろくでもない。


   マーキュリー……若しも応じるのなら、あたしも行こう。


   いいえ……今回は、火星が対処する。


   火星が……其れは、珍しいな。


   ……青い星での経験を積む為に、丁度良いわ。


   確かに、経験値を得るには良い機会だ……。


   ……なんにせよ、あの子達だけを残してはいけない。


   ん……。


   ……無理でしょう、まだ。


   あぁ、無視だ……。


   ……目がない間に、何をされるか。


   ろくでもないことに、決まっている……。


   ……猫もどきでも送られた暁には、滅茶苦茶にされるでしょうね。


   気に入らないじゃ、済まない。


   ……ええ、済まさないわ。


   其れで……あたし達には、何を。


   ……あなたは、待機。


   マーキュリーは……。


   ……記録を。


   記録……?


   ……水星の民が、曰く、「殉壊」した時の記録。


   ……。


   良いわ……幾らでも、送ってあげましょう。


   ……そんなの、月宮でも確認出来るだろうに。


   大方……。


   ……。


   ……歪んでいる者からの指示でしょうね。


   は……。


   ……。


   ……マーキュリー。


   今夜は……先に、休んで。


   ……いや、傍に居よう。


   良いわ……居なくても。


   ……ちびが、今夜も夜泣きをするかも知れない。


   だったら……。


   ……此処からでも、聞こえる。


   ……。


   だから、居るよ……お前の傍に。


   ……好きにすれば良いわ。


  12日





   はぁ……やっと寝て呉れた。


   ……。


   こてんと転がったら、いつもなら、直ぐにすやっと寝るのに……今日は暫くの間ころころしていてさ、なかなか寝ようとしないんだよ。


   ……うちの子が居るからでしょう。


   お前んとこのちびと一緒だとやたらに元気なんだ……良いから、大人しく寝て呉れ。


   ……あなたに似て、分かりやすいわね。


   ちびが落ち着かなかったら、お前んとこのちびが眠れないだろう……?


   ……眠れなければ、お勉強をさせれば良いだけ。


   いや、昼寝は大事だ。でかくなる為には良く食べて、良く遊んで、良く寝る。
   ちびのうちにちゃんとしておかないと、中途半端になってしまうかも知れない。


   ……お昼寝をしなければ其の分、夜に眠って呉れると思うけれど。


   ごはんを食いながら寝られたら困る。
   いつだったか、出来立てのごはんに顔から思い切り突っ込んで大変だったんだ。
   挙句、お茶まで零して。一言で言えば、大惨事だった。


   ……一昨日の話ね。


   片付けよりも先に顔を拭いてやったら、今度はごはんもお茶も自分の分がないって、うーうー文句を言ってきたんだ。
   お前がたった今、全部台無しにしたんだよって言っても、聞きやしない。仕方ないから、あたしのお代わり分をやってさ。


   ……相変わらず、楽しそうな日々ね。


   まだ喋れないくせに、文句だけはいっちょ前なんだ……なんでだ、あれ。


   ……あなたの卵だからでしょう。


   あたしは、ちびよりはずっと素直だったぞ。


   だからあの子も、素直に、あなたに文句を言うのでしょう。


   あぁ、然うか。


   ええ、然うよ。
   とても素直で良い子だわ。


   良い子か?


   良い子よ?


   あたしに良く似て?


   其処は似ていない。


   然うか、良く似てるか。
   まぁ、然うだよな。


   ……折角だから。


   ん?


   あなたも一緒に寝たらどう?


   あたしは寝なくても大丈夫だ、もう十分にでかいからな。


   相手をしていて、疲れたでしょう?


   昼寝をするほどではないさ。


   ……一緒に寝て呉れた方が、私としては都合が良いのだけれど。


   其れよりも、マーキュリー。


   ……。


   此処からはお前とあたし、ふたりだけの時間だ。
   だから、寝ない。寝たくない。でも、お前が寝るのなら一緒に寝ても良い。


   ……取り敢えず。


   寝ないだろ?
   だから、あたしも寝ない。


   ……何を持って来て呉れたの。


   豆乳茶だ。


   ……へぇ。


   久しぶりに淹れてみたんだ、飲むだろう?


   ……砂糖で。


   塩でなくて良いのか?


   ……くだらない冗談を言うようならば、


   然うだよな、豆乳茶には矢っ張り、砂糖だよな。


   ……塩が良いのなら、勝手にどうぞ。


   あたしも砂糖にするよ、今は疲れているから甘いのが飲みたいんだ。


   疲れているのならば、あの子達と


   昼寝よりも、お前との時間を大事にしたい。


   ……頭を使ったわけじゃないのに、疲れているのね。


   頭は使っていないが、躰は使った。


   ……少しは頭も使って欲しいところ。


   全く使っていないわけじゃないぞ。


   ……然うかしら。


   今日は一緒に数を数えたんだ。


   ……二十まで?


   十まで、だ。


   ……足の指も入れて欲しいわ。


   次は、然うするつもりだよ。


   ……其れまで、忘れていなければ良いけれど。


   其れについては、大丈夫だろう。


   ……何故?


   ふたり、だからな。


   ……。


   ひとりが確りしている、だから、大丈夫だ。


   ……ふ。


   お茶に、砂糖はどれくらい入れる?


   ……甘めで。


   応、分かった。


   ……。


   なぁ、お前も少し休憩しないか?


   ……するつもりはないの。


   ん、然うか。


   ……。


   どうぞ、マーキュリー。


   ……ありがとう。


   砂糖、もう少し入れた方が良いか?


   ……此れから飲むから、まだ分からない。


   物足りなかったら、直ぐに言って呉れ。


   ……物足りなかったら、ね。


   うん。


   ……。


   な、今夜の飯は何が良い?


   ……食べられれば、其れで良い。


   久しぶりに麺でも作るか。
   細かくすれば、ちび達でも食べられるし。


   ……野菜は三種類までで。


   今なら芋と、白根と、何が良いかなぁ。


   ……白根の葉で良いんじゃない。


   白根の葉か、うん、悪くないな。
   刻んでやれば、ちび達も食べやすいだろう。


   ……油は、控え目に。


   あぁ、分かっている。
   お前んとこのちびも油が苦手みたいだしな。


   ……はぁ。


   ん?


   ……。


   休憩、するか?


   ……するつもりは、なかったのだけれど。


   休憩は大事だ。


   ……ところで。


   ん?


   ……用意したのは、豆乳茶だけ?


   あと、久しぶりに蓬包を。


   ……勿体ぶって。


   はは。


   ……あの子達には。


   ちび達には甘芋入りの麦包を作った、喜んで食べて呉れたよ。


   ……甘芋。


   蒸かし甘芋を潰して入れても、結構美味しいよな。


   ……ジュピター。


   なんだい、マーキュリー。


   ……其れは、ないの。


   勿論、マーキュリーの分もある。


   ……無駄に勿体ぶって。


   たまには、良いかなと。


   ……。


   直ぐに出します。


   ……蓬包の中身は?


   豆の甘煮だ。


   ……然う。


   他のものが良かったか?


   ……別に、其れで良いわ。


   然うか、良かった。
   疲れている時は甘いものに、更に甘いものだ。


   ……。


   大丈夫か、マーキュリー。


   ……何が?


   大丈夫なら、良いんだ。


   ……あなたこそ、どうなの。


   あたしは見た通り、大丈夫だ。
   お前とふたりだけの時間が取れるのならば、疲れなんて幾らでも吹き飛ばせる。


   ……あなたは良いわね。


   だから……何かあったら、直ぐに言って欲しい。


   ……何が、だから、なの?


   ん……使い方、間違ったか。


   ……。


   マーキュリー?


   ……ふ。


   可笑しかったか?


   ……あなたはいつだって可笑しいわ。


   ふふ、然うか。


   あったら……ね。


   あぁ、あったら。


   ……ふぅ。


   ん、まだ熱いか。


   ……。


   お……。


   ……まぁまぁ、ね。


   追加の砂糖は、どうだ?


   ……要らないわ。


   ん。


   ……あなたも、飲んだら?


   うん、飲む。


   ……。


   ……うん、甘いな。


   塩ではなかったの……?


   砂糖にしたよ、あたしも。


   ……然う、残念。


   ……。


   ……。


   うん……豆乳茶には矢っ張り、砂糖だ。


   ……私が、塩が良いと言ったら。


   決まってる、其の時は塩を入れるよ。


   ……次は蓬茶を淹れて。


   蓬茶だな……甘いのが良いか?


   ……決まっているでしょう?


   ふふ、然うだな……決まってるな。


   ……今日はどんな風に遊んだの。


   ん、聞いて呉れるのか。


   ……聞いてあげても良いから、問うたの。


   今日は、馬になった。


   ……馬に?


   ちびふたりを背中に乗せて。
   お前んとこのちびは、遠慮していたが。


   ……走ったの?


   いや、本物の馬のようには走れなかった。
   あたしには腕があるけれど、前脚はないから。


   ……。


   腕と足の長さって、当たり前だけれど違うだろう?
   膝を曲げずに其のまま伸ばしてしまうと、腕の長さと釣り合わなくて、躰が前に傾いてしまう。
   其の態勢でも走る真似事ぐらいならば出来なくはないが、ちび達を落としてしまうと思ったんだ。


   ……確実に落としてしまうでしょうね。


   膝を曲げれば、腕と長さは同じくらいになるが、然うすると今度は走れない。
   地を、のたのたと……あれは、なんて言えば良いんだ。歩くとは違うよな。


   這う……或いは、四足歩行。


   あぁ、其れで良いのか。


   ……二足歩行よりも、格段に遅い。


   然うなんだ、其のうち膝も痛くなってくるしな。


   ……背中に乗せただけ?


   乗せて前進、或いは、後進ぐらいはしたよ。


   ……其れで、喜ばれたの?


   んー、頭をぴしぴしとされたから、喜んでいたんじゃないかな。
   降ろそうと思っても、背中にしがみついて、降りようとしなかったし。


   ……。


   お前んとこのちびはすんなりと降りて呉れたけど、うちのちびがなぁ。
   一度しがみついてしまうと、なかなか、手を離そうとしないんだよ。


   ……良かったわね。


   まぁ、喜ばれないよりは


   暫くの間、強請られることになるわよ。


   強請る……何を?


   肩の次は背中、或いは、其の両方。


   ……。


   馬に乗るのは楽しいものね。


   出来れば、肩の方が良いな……肩なら普通に歩けるし、走れるから。


   馬になるのは、嫌なの?


   嫌ではないが、結構、疲れるんだ。


   あなたでも疲れるのね。


   同じことをひたすら強請られるだろう? 其れがまた、結構な負担になるんだ。
   間に違う動きを挟むことが出来れば然うでもないんだけど、ちびは一度気に入るとずっと其れをやれと強請ってくるから。


   ……うちの子は?


   お前んとこのちびは、然うでもないよ。
   なんだったら、うちのちびをそっと止めて呉れようとする。


   ……。


   ん、どうした?


   ……腰、どうしたの。


   腰?


   ……手を当てているようだけれど。


   あ、いや、なんだか疲れが溜まっているみたいで。


   疲れ……痛みは?


   大丈夫だ、痛みはない。
   少しだけ、張っているような気がするだけだよ。


   ……背中は?


   背中は……まぁ、大丈夫だろう。


   ……だろう?


   ん……少し、張っているかも知れない。


   どれくらい、馬になっていたの。


   え、と……半刻、くらいか?


   やりすぎよ、莫迦ね。


   いや、だって、ちびが……もっとと言わんばかりに、頭をぴしぴししてくるものだから。


   ……本当に甘いわね、あなたは。


   あ、甘いか……?


   甘いわ、此の砂糖よりも。


   ……。


   いつかのあなたが言った言葉。


   ……ん、然うだったか。


   でなければ、言わない。


   ……だよな。


   ……。


   あの、マーキュリー……腰の張りが、若しも、酷くなるようだったら。


   ……腰の張りに効く。


   う、うん……。


   ……薬茶で良いのなら、後で煎れてあげるわ。


   薬茶……。


   ……要らないのなら、煎れてあげない。


   薬茶よりも、お前の……其の、手の方が良いな。


   嫌よ。


   あ、うん……然うだよな。


   ……あなたの躰を解すのって、疲れるんだもの。


   ……。


   ……なに。


   いや……ちょっとだけで良いから、して欲しいなと。


   嫌だと言った。


   ほんの少し……触るだけでも。


   触るだけならば意味がないでしょう、莫迦なの。


   ……触って、欲しくて。


   嫌。


   ……はい。


   血行が良くなる薬茶を煎れてあげるから、一滴も残さずに飲んで。


   ……其れは、苦いのか?


   苦くて、渋いわ。


   ……。


   一滴も残さずに、飲んで呉れるわよね。


   うん……一滴も残さずに、飲み干すよ。


   宜しい。


   ……出来れば、其の手で解して欲しかった。


   何か?


   いや、何も。


   ……。


   どっちから、食べる?


   ……どちらからでも、良いでしょう?


   うん、マーキュリーの食べたい方から食べて呉れ。


   ……。


   ……。


   ……程良く、甘いわね。


   芋の方は、芋本来の甘さにしたんだ。


   ……悪くはないわ。


   ん。


   ……。


   ……。


   ……まぁまぁね。


   豆の方はもう少し、甘い方が良かったかい?


   ……此れは此れで、構わないわ。


   然うか……ふぅ、良かった。


   ……。


   ……ん、なんだ。


   背中。


   え……あぁ、うん、分かった。


   ……。


   ……どうだ。


   其れは、今から。


   ……応。


   ……。


   ……ん。


   成程……。


   ……どうだ?


   あなたの言う通り、少し張っているようね。


   ……マーキュリーが言うんじゃ、間違いないな。


   いつから?


   ん……。


   ……今日から、ではないでしょう。


   えと……ゆうべから、かな。


   ……ゆうべから、ね。


   大丈夫だ……此れくらいならば、まだ。


   ……今夜は、どうするの。


   今夜は……。


   ……帰るの。


   帰らないで、良いのなら。


   ……本音は、帰って欲しいのだけれど。


   良いか……帰らなくても。


   ……。


   ……だめか。


   あの子の様子を見たい。


   ……ちびの?


   他に居るの。


   居ない、な。


   其のついでに、あなたも診てあげるわ。


   本当か。


   嘘で良いのなら、


   本当が良い。


   ……あくまでも、ついでよ。


   あぁ、ついででも良いさ。


   ……。


   ……う。


   広がっては、いないわね。


   あたしの目では……だから、お前の目で確認して欲しい。


   ……其のつもりよ。


   うん……。


   ……。


   ……。


   ……ちび達が寝ていると、静かだな。


   あなたの口が動いているから、静かではないわ。


   ……少しの間、静かにしているよ。


   ……。


   ……。


   ……ジュピター。


   動かした方が良いか……?


   ……静かな方が良い。


   ん、然うか……。


   ……でも、どうしてもと言うのなら、許してあげても良い。


   ……。


   ……。


   ……ちびを、思い出したんだ。


   どのちび……?


   ……小さい馬の、ちび。


   ……。


   ……もう、居ないよな。


   ええ……もう、疾うの昔に居ないわ。


   ……子孫は、居るかな。


   どうかしらね……若しかしたら、居るかも知れないけれど。


   ……居たら、良い。


   ……。


   ……見たいわけでは、ないんだ。


   若しも、見られるのなら……?


   ……其の時は、見たいかな。


   ……。


   マーキュリーとふたりで。


   ……でしょうね。


   まさか、自分が馬になって思い出すなんてなぁ……。


   ……だから、思い出したのでしょう。


   ……。


   ……あなたは、食べないの?


   ん……食べる。


   ……次は、白包が食べたいわね。


   白包だな……分かった、今度作ろう。


   ……期待、しておいてあげるわ。


   はは……うん、しておいて呉れ。


   ……


   メル……。


   ……今は、違うわ。


  11日





   ふぅ、此の中は暖かいな。


   ……。


   戻ったよ。


   ……見れば分かる。


   ただいま。


   ……お帰りなさい。


   うん。


   ……ちび達は。


   喰い終わって、今は休んでいる。


   寝床の具合は?


   暫く様子を眺めていたが、悪くはなさそうだ。
   おかげで、ゆっくりと休ませてやれそうだよ。


   ……然う、其れは何より。


   ん、其れは何だ?


   ……見て分からないの?


   若しかして、作って呉れたのか。


   ……分かっていて、言っているの?


   あたしは、お前が作って呉れたのかと思って。


   まさか……私が作るわけない。


   じゃあ、どうしたんだい?


   分けてもらったの……お金で。


   あぁ、然うか。


   ……お金が使えて良かったわ。


   ん、然うだな。


   ……元々は、物々交換だったらしいの。


   物々交換?


   ……だけど、いつの間にか生活に入り込んでいたみたい。


   然うか……。


   ……矢っ張り、幾らかは持っていた方が良いわね。


   ところで、此れはなんて食べ物なんだ?


   ……。


   細長いのは、麺か?
   麺の他には……肉か、此れ。


   ……文句があるのならば、食べないで良いわよ。


   文句なんてあるわけない、とても有り難い。
   其れで、此の肉はなんの肉だ? 豚か? 牛か? 其れとも


   馬。


   ……。


   食べたくないのなら。


   ……食べる。


   然う、ならば遠慮せずに沢山食べて。


   ……うん、沢山食べるよ。


   ……。


   ……生肉じゃないし、問題ない。


   本当は、羊。


   ……え。


   羊のお肉。
   あなた、わりと好きでしょう?


   ……羊?


   然う、羊。


   然うか、羊か。
   羊も美味いよな、結構好きだ。


   分かりやすいわね。


   他は、芋と、赤根と、なんだ此れ。


   玉葱(たまき)。


   あぁ、玉葱を切ったやつか。


   此の辺りの伝統料理で、お腹を満たしたい時には此れを良く食べるらしいわ。


   へぇ、然うなのか。確かに量はなかなかだ。
   腹にも溜まりそうだし、何より、美味そうだし。


   お腹は?


   丁度、減っているところだ。
   な、こっちのきゅっと搾ったような丸っこいのには何が入ってるんだ?


   羊肉と玉葱。


   おぉ。


   若しかしたら、麺だけでは足りないかも知れないと思ったのだけれど。


   麺だけでも足らすことは出来るが、此の丸っこいのがあるとより足らすことが出来る。


   羊の乾酪もあるわよ、まぁ少しだけれど。


   おぉぉ。


   飲み物は牛乳茶。


   乾酪に、牛乳茶……うん、まさにご馳走だ。ご馳走以外の何者でもない。
   や、青い星でこんなご馳走、いつ以来だろう。もう、思い出せないな。


   満足?


   応、とても満足だ。


   然う、ならば分けてもらった甲斐があるわ。


   ありがとう、マ


   ユゥ。


   ありがとう、メル。


   どういたしまして。


   早速、食べよう。


   手は洗ってきたのよね。


   あぁ、勿論だ。


   なら、良いけれど。


   へへ。


   ……。


   此処のひとのこは、穏やかで良いな。


   ええ、然うね……おかげで、ひとりで出歩けるわ。


   ……。


   何。


   ……今更だけど、ひとりで大丈夫だったか?


   大丈夫だったから、此処に居るのでしょう?
   久しぶりにひとりで動けたから、心的負担を発散することが出来て良かったわ。


   ん、然うか……其れは、何よりだ。


   明日は


   付いて行っても良いか?


   ……仕方ないわね。


   やった。


   ……ふ。


   さぁ、食べよう。


   どうぞ、食べて。


   ん、メルは食べないのか?


   食べるけれど。


   けれど?


   此処に並んでいるもの、其のほとんどがあなたのお腹に収まると思うから。


   あんまり食べられそうにないのか……?


   心配しないで、いつもどおりだから。


   ……いつもどおり?


   然う、いつもどおり。
   だから、さっさと食べて。


   ……ん、分かった。


   ……。


   いただきます、メル。


   どうぞ……召し上がれ、ユゥ。


   応。


   ……ま、私が作ったわけではないのだけれど。


   ……。


   ……。


   ……んっ。


   話すのは、口の中のものを全て飲み込んでから。


   此の麺、とても美味い!
   味は塩か? 多分、塩だよな?


   ……。


   メル、此れとても美味いよ。
   メルも早く食べてみて。


   ……言われなくても、食べるわよ。


   ん。


   ……いただきます。


   召し上がれ、メル。


   あなたが作ったわけじゃないでしょう?


   ん、然うだった。


   ……。


   どうだ、美味いだろ?


   ……まぁまぁね。


   流石メル、見る目がある。


   ……何の見る目?


   飯の見る目。


   ……ないわよ、そんなもの。


   いや、あるさ。
   だって、こんなに美味いんだから。


   ……他のものは、美味しくないかも知れないわ。


   いや、美味いと思う。


   ……だと、良いけれど。


   此の丸っこいの、食べてみようかな。


   気を付けて。


   ん、何を?


   汁がとても熱いそうだから。


   汁?


   肉汁がお勧めらしいわよ。


   然うか……良し、気を付けよう。


   ……然うは、言うけれど。


   ……っ、あっつ……っ。


   然うなるのよね、とても分かりやすいわ。


   いや、本当に熱いな、吃驚した。


   お水、あるわよ。


   もらう、ありがとう。


   舌は、火傷した?


   大丈夫だと思うけど、念の為、冷やしておく。


   然うして。


   ……メル。


   何。


   ……熱いけど、美味いぞ。


   気を付けて食べるわ。


   ん……然うして呉れ。


   ……。


   ……お。


   本当は、其のまま食べた方が良いらしいのだけれど。


   流石はメル……賢いな。


   誰でも思い付くと思うわ、此れくらい。


   ……。


   どう、冷えた?


   ……ん、冷えた。


   次に食べる時は、せいぜい、気を付けて。


   応、気を付ける。


   ……。


   牛乳茶は、どうだ?


   ……。


   メル……どうした?


   ……塩が入ってる。


   塩?


   ……少しだけれど、塩気を感じるわ。


   お茶に、塩気か……其れは面白いな。


   ……言うと思った。


   飲めなそうかい?


   ……いいえ、飲めなくはないわ。


   不味くはない?


   ……其処までではない、寧ろ乳の味が引き締まって良いのかも知れない。


   塩で、乳の味を引き締める……試してみたいが、牛は居ないからなぁ。


   ……取り敢えず、飲んでみたら?


   うん、然うする。


   ……。


   ……んん?


   どう?


   確かに、塩気を感じる……なんだ此れ、面白い味だ。


   ……気に入った?


   うん、悪くない。


   ……然う。


   なぁメル、月に……。


   ……。


   じゃなくて、あたし達の家に帰ったら、豆乳で作ってみようか。


   ……作ってみたいのなら、作ってみれば。


   メルも飲むかい?


   ……私は塩よりも、砂糖が良い。


   砂糖か……まぁ、砂糖の方が美味しいかな。


   ……私は頭を使うから、砂糖の方が良いわ。


   なぁ、メル。


   今度は、何。


   此れ、塩が入っていないのを分けてもらえないかな。


   お金を出せば、分けてもらえると思うけど。


   此れに砂糖を入れて飲もう。


   ……。


   駄目かい?


   ……駄目ではないわ。


   ん、じゃあ然うしよう。


   ……良く思い付く。


   メルだって、砂糖で飲みたいと思っただろう?


   ……思わなくもない。


   あはっ。


   ……はしゃいでいないで、食べて。


   うん。


   ……全く。


   今のあたしは、ユゥだから。


   ……。


   だから、さ。


   だから、さ……じゃあ、ない。


   はい、ごめんなさい。


   ……。


   ……ん、乾酪も美味いなぁ。


   どれも美味しくて、良かったわね。


   ん、しあわせだ。


   ……しあわせ?


   メルとふたりで、こんなに美味しいものが食べられて。


   ……いつも、食べているけれど。


   うん?


   ……あなたは自分で作った料理を美味しいとは思っていないのかしら。


   いや、思っているよ。
   失敗さえしなければ、どれも美味しいと思っている。


   ……ならば。


   だけどね、メル。
   青い星の美味いごはんは、青い星でしか食べられないだろう?


   ……当たり前。


   青い星で感じるしあわせは、青い星でしか感じることが出来ない。
   しかも、メルとふたりで。つまり、とても限られているんだ。


   ……呼び名が違うだけで、単純。


   メルも、然うだろう?


   ……私はあなたとは違うの、一緒にしないで。


   ……。


   ……なに。


   こういうしあわせを……続けるには、どうしたら良いんだろう。


   ……さぁ、知らないわ。


   今が、嫌なわけじゃない……だけど。


   ……ひとつだけ分かっていることは、今を続けていくしかないということ。


   今を……?


   ……続けていれば、いつかまた、こんな機会があるかも知れない。


   ……。


   続けなければ……終わってしまったら、もう二度と、そんな機会は訪れない。


   ……あぁ、然うか。


   一瞬かも知れないけれど……其の一瞬を生きる目的のひとつとして、あなたは今を続けていけば良い。


   ……メルは。


   私は……別に。


   あたしと、一緒に。


   ……。


   ただの、メルとして。


   ……ただのメルって。


   其れならば、良いだろう?


   ……。


   お願いだ……メル。


   ……はぁ。


   だめ、かい……。


   ……折角のご馳走だというのに、落ち着いて食べられないわ。


   ごめん……だけど。


   ……良いわ。


   ん。


   ……だから、食事をさせて。


   うん、分かった。


   ……。


   メル……。


   ……あなたって、本当に子供みたい。


   今だけだ……ユゥの時だけ。


   ……然うでなければ、一緒には居られない。


   分かってる……。


   ……あなたの耳には、聞こえてきたかしら。


   ん、何がだい……?


   ……届いていないのなら、良いわ。


   聞かせて欲しい。


   ……嫌よ、面倒なことになりそうだから。


   聞かせて呉れ、メル。


   ……嫌。


   どうしても。


   ……どうしても。


   ……。


   ……早く食べないと、冷めてしまうわよ。


   うん……。


   ……此の麺、麦粉と水だけで作られているらしいわ。


   麦粉と水か……作れなくはないな。


   ……実際、作っているでしょう。


   また作ったら、食べて呉れるかい……?


   ……作るのなら、食べてあげても良い。


   じゃあ、また作ろう……具は、野菜だけだけど。


   ……十分よ。


   色んな野菜で作る……。


   ……多くても、三種類にして。


   ん……多くても、三種類にしておく。


   ……。


   此れ……味付けは、塩だよな。


   ええ……油も使われているようだけれど、其処まで強くないから食べやすいわ。


   うん……メルが好みそうだ。


   ……でも、あまり多くは食べられない。


   程々で良い……だろ?


   ……ええ、然うよ。


   ……。


   だから……あとは、あなたが。


   ……もう、良いのかい?


   ええ……もう、十分。


   ……然うか。


   若しも、残ったら……また、後で食べれば良い。


   うん、然うするよ。


   ……あなたなら、食べてしまいそうだけれど。


   あはは……。


   ……ふ。


   ……。


   ……ユゥ。


   なに……。


   ……ちび達のことだけれど。


   うん……どうだった。


   ……良かったら、引き取っても良いと。


   本当かい……?


   ……良い馬だと、言っていたわ。


   食糧には……。


   ……先のことまでは、分からない。


   ……。


   だけど……馬をとても大事にしているみたいだから。


   ……然う、か。


   どうする……?


   どうするって……大事にしてもらえるのなら、其れで良い。


   然う……ならば、話を進めるわ。


   ……あたしも。


   良いわ……傍で聞いていて。


   ……ん。


   ……。


   ……此処で生きるひとのこは、あの拠点に居た者共と全然違う。


   同じだったら……ちび達を、渡さないでしょう。


   ……渡したくない。


   ふ……。


   ……大事にされて、生を全うして欲しいと思う。


   ……。


   ……莫迦、かな。


   ええ……とてもね。


   ……忘れてしまうと思う?


   恐らくは……其れが、あなたの特性だから。


   ……。


   でも……あなたは、其れで良い。


   ……分かってる。


   代わりに……私が、憶えておいてあげるわ。


   ……メルが?


   然う、私が……余計なお世話ならば、忘れる努力をするけれど。


   ……邪魔でなければ、憶えておいて欲しい。


   ……。


   ……頼んで、良いかい。


   良いわ……頼まれてあげる。


   ……ありがとう。


   ……。


   ん……メル。


   ……憶えている痛み、忘れてしまう痛み。


   ……。


   どちらが良いのかしらね……。


   ……選べるとしたら、メルは。


   私は……憶えているわ。


   ……。


   ……あなたが居れば、憶えていられるの。


   メル……。


   ……なんて、言うと思う?


   うん……思う。


   ……あなたはまだ、食事中。


   あとで、また……。


   ……だめよ、ちゃんと食べて。


   メルを……ん。


   ……ばかね。


   ……。


   ……ほら、ユゥ。


   うん……メル。


   ……。


   此の家……布で出来ているわりには、暖かいね。


   ……知性を感じるわ。


   知性……?


   ……此の地で生きてゆく為の、ね。


  10日





   ……。


   ……。


   マーキュリー……。


   ……い。


   ん……なに。


   ……きもち、わるい。


   ……。


   ……気持ち悪い。


   ごめん……。


   ……どうして、謝るの。


   あたしが……約束を、破ったから。


   ……。


   ……月に、戻るまでは。


   良いわね……あなたは。


   ……え。


   直ぐに、忘れることが出来て……本当に、羨ましいわ。


   ……。


   ……はぁ。


   少し、躰を起こすかい……?


   ……触らないで。


   ん。


   ……触らないで、私に。


   気持ち、悪いから……?


   ……然うよ。


   分かった……なら、もう触らない。


   ……。


   ……寝床も、別に。


   心底、嫌になる……。


   ……。


   自分が……嫌で、堪らない。


   ……悪いのはあたしだ、マーキュリーは何も悪くないよ。


   止めて。


   ……。


   ……止めて、私を甘やかすのは。


   甘やかしているわけでは……。


   ……分かっているのでしょう、何もかも。


   何もかもなんて、分かっていないよ……。


   ……嘘吐き。


   嘘じゃない……本当に、分かってなんかいないんだ。


   ……あなたなんか。


   嫌い、かい……?


   ……。


   ごめん……ごめんよ、マーキュリー。


   ……いや、触らないで。


   あ……。


   ……触らないでと、言ったじゃない。


   ご、ごめん……。


   ……本当に、気持ち悪い。


   ……。


   ……どこへ、行くの。


   外に……あたしは、居ない方が良いと思うから。


   ……どうして然う思うの。


   どうしてって、言われても……然う、思ったからだよ。


   ……ちび達のところに行くの。


   いや、ちび達のところには行かない……あたしが行ったら、邪魔になってしまうと思うから。


   ……ひとりでは、凍えてしまうわよ。


   大丈夫だ……あたしの中には、雷気が在る。


   ……。


   ……じゃあ、また明日。


   勝手に決めないで、誰が居ない方が良いと言ったの。


   ……だけど。


   私が言ったのは、触らないで、だけよ。
   出て行けなんて、一言も言っていない。勝手に思い込まないで。


   じゃあ……あたしは、何処に。


   何処に、ですって……?


   ……あたしは、どうすれば良いんだ。


   そんなの……。


   ……ごめん、あたしは頭が悪いから。


   ……っ。


   直ぐに、忘れてしまうし……マーキュリーが嫌がることだって、かなりしていると思う。


   ……今更、何を言っているの。


   今夜だって……。


   ……。


   マーキュリー……?


   ……うんざりする。


   ……。


   ……ねぇ、ジュピター。


   なんだい……マーキュリー。


   ……私を、消して。


   其れは、出来ない。


   物理的に出来ないのなら、あなたの頭の中から……あなたは、忘れることが出来るのだから。


   忘れないこと、忘れられないこともあるよ……。


   ……忘れようと思えば、出来るでしょう。


   忘れようと、思えない……。


   ……今直ぐ、思って。


   思えたところで、マーキュリーのことは忘れない……頭の中から消すなんて、そんなことはあたしには出来ない。


   ……消して、今直ぐ。


   ごめん……マーキュリー。


   ……どうしてよ、私の言うことなら何でもして呉れるんじゃないの。


   出来ないことも、あるんだ……。


   ……。


   あたしは、此処に居る……居るから、マーキュリーは休んで。


   ……休める、わけ。


   躰を、横にしているだけで良い……其れだけでも違うと、マーキュリーが教えて呉れたんだ。


   ……。


   あたしの中には、マーキュリーが沢山居る……だから、忘れることも、消すことも、出来ないんだ。


   ……あぁ。


   マーキュリー……。


   ……どうして、あなただったの。


   ……。


   ……どうして。


   「ジュピター」が、あたしでなければ……お前は。


   ……あなたで、なければ。


   ……。


   ……若しかしたら、今でも。


   マーキュリーは、ひとりで居られたかも知れない。


   ……。


   ごめん……あたしが、ジュピターで。


   ……いまさら。


   あぁ、でも、どうだろう……。


   ……なにが。


   ジュピターがあたしでなくても、マーキュリーはひとりにはなれなかったかも知れない。
   そもそも、「ジュピター」が独りでは居られないと思うんだ……「マーキュリー」が、傍に居て呉れないと。


   ……「マーキュリー」で、なくたって。


   先代が必要としたのは、マーキュリーだった。


   ……。


   先々代も、其の前も、もっと前も……其の日記の中で大事そうに記されているのは、マーキュリーだけだ。


   ……どう、して。


   あたしは、あたし以外の「ジュピター」の心は分からない……だけど、「マーキュリー」を求める気持ちは分からなくもないんだ。


   ……どうして、求めるの。


   愛して、いるから……。


   ……其れは、答えにならない。


   ん……ならない、かな。


   ……ならばどうして、愛するの。


   え、えと……あたしの場合は、意識を持った其の時から、あたしの中にマーキュリーが居たんだ。


   ……。


   其れで、探して……探して、探して、マーキュリーを見つけた。
   其の瞬間に、あたしの中のマーキュリーは形になった、本物になった。


   ……。


   あたしは、然うだった……。


   ……相変わらず、意味が分からない。


   うん……然うだよな。


   ……。


   若しかしたら、次のジュピターは違うかも知れない……。


   ……違うって。


   マーキュリー以外の者を……求めるかも、知れない。


   ……例えば、誰。


   例えば、誰だろう……兎に角、マーキュリー以外の誰か。


   ……そんなの、許さない。


   え……。


   ……許さないわ。


   ゆ、許さないって……どうして。


   ……勝手に私を選んでおいて、次のジュピターはマーキュリーを選ばないだなんて。


   いや、でも……。


   ……次のマーキュリーにも、ジュピターの鬱陶しさを。


   う、鬱陶しい……。


   ……許さない。


   あ、あー……。


   ……。


   あの、マーキュリー……次のジュピターも、矢っ張り、マーキュリーだと思うよ。


   ……つい先刻、マーキュリー以外の者を求めるかも知れないと言ったじゃない。


   い、言ったけど。


   ……もう、忘れたの。


   わ、忘れてない……先刻のは、可能性は零ではないという意味で。


   だから、許さない。


   お、応……。


   ……。


   何事も、可能性は零ではない……だけど、ジュピターがマーキュリー以外の者を求めるのは、限りなく零に近いと思うんだ。


   ……根拠は。


   こ、根拠は……歴代の日記かな。


   ……。


   どの日記にも、誰が書いた日記にも……必ず、マーキュリーのことが書かれていたから。


   ……書かれているだけで、


   中には、マーキュリーの絵も添えられていて……然う、其の絵の直ぐ傍にさ、多分、マーキュリーの字だと思うんだけど、下手って書いてあるんだ。


   ……其れが、何。


   あたしさ、其れがなんとなく羨ましくて……あたしも、マーキュリーの絵を描いてみようかなって。


   ……私に見せるつもりなの。


   見せて……良かったら、何か一言もらえたらなぁって。


   ……勝手に描かないで。


   なら……描いてみても、良いかい?


   ……だめ。


   どうしても、だめかい……?


   ……あなたが描いた絵なんて、下手に決まっているもの。


   うん……下手だと、思う。


   ……下手な絵で、私なんかを。


   だ、だけど、丁寧に描くよ……。


   ……丁寧に描こうが、下手なものは下手よ。


   其れは、然うなんだけど……雑に描くよりは。


   ……あなたは私を、雑に描けると言うの。


   か、描けない……雑になんて、描けるわけない。


   ……兎に角、描かないで。


   わ、分かった……描かないよ、絶対に。


   ……いびつな、わたしなんて。


   え、なに……。


   ……。


   えと……然うだ。
   マーキュリー、気分転換に何か飲む?


   ……何かって、何。


   白湯か蓬茶か、どちらかしかないんだけど……其れでも、良かったら。


   ……どちらも飲みたくない。


   じゃあ……砂糖湯、砂糖湯はどうだろう?


   ……白湯か蓬茶のどちらかしかないって、たった今言ったじゃない。


   い、言ったけど……考えてみたら、砂糖があったなと思って。


   ……考えてみなくてもあったわ、また忘れていたの。


   蓬茶にも入れていたし、忘れていたわけじゃないんだ……ただ、砂糖湯をうっかり忘れてて。


   ……忘れてたんじゃない。


   ど、どうだろう……砂糖湯も、飲みたくないかな。


   ……甘過ぎるのは要らない。


   ほんのり甘いのは……?


   ……甘くないのも嫌。


   仄かに甘い砂糖湯……。


   ……。


   い、要らない……?


   ……早く作って。


   お、応、分かった。
   直ぐに作るよ。


   ……。


   まずは、火を熾して……。


   ……其の前に、何か羽織って。


   え?


   ……上衣。


   あ、あー。


   ……まさかとは思うけれど、其のまま外に出るつもりだったわけじゃないわよね。


   い、いやぁ、其れはないかな……うん、ない。


   ……ばかジュピター。


   うん……莫迦だな。


   ……。


   マーキュリー。


   ……なに。


   なんでもない。


   ……なんでもないのなら、呼ばないで。


   うん、済まない。


   ……どうせ、名前を呼びたかっただけなんでしょう。


   え、どうして分かったんだ?


   ……。


   寒くはないか?


   ……。


   夜明けまで、まだ時間はある……飲んだら、ゆっくり休もう。


   ……分かりたくないのに、なんとなく分かるの。


   ん、然うか……嬉しいな。


   ……私は、嬉しくない。


   然うだな、マーキュリーは嬉しくないよな。


   ……莫迦にしているの。


   あたしがマーキュリーを莫迦にするわけない。


   ……。


   明日は、ちび達を放しに行くんだったよな。
   何処まで行けば、雪が少ないところに辿り着けるかな。


   ……此処から、南東。


   南東?


   ……遊牧民が冬越えをする地域がある。


   遊牧民……遊牧をしている民だな。


   ……分かっているの。


   遊牧をしている民……。


   ……遊牧って、なに。


   遊牧は……遊牧。


   ……。


   ごめんなさい……教えて下さい。


   ……知ったかぶりをしたから、嫌よ。


   こう、なんとなくは分かるんだ……確か、移動している民だったような。


   ……分かっていることを、素直に言えば良いじゃない。


   言えば良かった……。


   ……ばかね。


   うん……本当に莫迦だ。


   ……。


   ……ん、起きるのか?


   起きたら、悪いの。


   悪くない……躰を冷やしてしまわないように、何か羽織るものを。


   あなたと一緒にしないで。


   ん。


   ……。


   ……良かった。


   何が良かったの。


   ……顔色が、少し良くなったと思うんだ。


   大して、変わっていないわ。


   ん……そっか。


   ……。


   ……お。


   なに。


   ……いや、なんでも。


   ……。


   あたしは、触らない。


   ……余計。


   はは。


   ……面白くない。


   湯が沸くまで、もう少し掛かりそうだ。


   ……見れば分かる。


   砂糖湯、あたしも飲もうかなぁ。


   ……いちいち言わないで、どうせ飲むのだから。


   砂糖も持って来て良かった。


   ……。


   マーキュリー、腹は減ってないか?


   ……減ってない。


   明日の朝は、今夜の残りだ。


   ……別に良い。


   そろそろ、薄麦餅が食べたくはないか。


   ……月に帰還したら、食べられるから。


   挟むのは何が良い?


   ……なんでも良い。


   良かったら、考えておいて呉れ。
   出来るだけ、希望に応えるつもりだからさ。


   ……気が向いたら。


   あぁ、十分だ。


   ……。


   外は、相変わらず雪かな。


   ……止んでいたらどうしたいの。


   晴れていたら、あたしの星が見たい。


   ……あなたの星は、月からでも見えるわ。


   月からでも見えるけど……青い星からも、見たい。


   ……私とふたりで?


   ん、どうして分かるんだ?


   ……どうしてかしらね。


   ……。


   何、その手。


   あー……なんでもない


   ……。


   ……なぁ、マーキュリー。


   なに……。


   ……済まなかった。


   なにが……。


   ……上手く、出来なかったから。


   ……。


   なかなか、難しいものなんだな……。


   ……彼女のようにやれとは、言っていない。


   ……。


   送ることは、彼女の務め……。


   ……。


   ……あなたは、然うじゃない。


   うん……。


   ……あれで、十分よ。


   ちゃんと、送れただろうか……。


   ……其の為に、ふたりでしたの。


   ……。


   雷と水……私の代ではあの子だけよ、そんなので送られたのは。


   ……思いも、しなかっただろうな。


   そもそも、最初から想定していないもの……。


   ……。


   ……自分が、きちんと送られることなんて。


   大変な務め、だよな……。


   ……。


   あ……ごめん。


   ……最期に、何を伝えたかったのか。


   ……。


   何も、なかったかも知れないけど……。


   ……状況的に。


   ……。


   マーキュリーの「子」は……内通者ではないと、あたしは考える。


   ……何故。


   内通者であるならば……あんな風には、壊されないだろう。


   ……用済みになった可能性はあるわ。


   探りたかったんじゃないかな……マーキュリーに、少しでも情報を届ける為に。


   ……ひとりで侵入しろなんて、私は一言も命じていない。


   然うだ……だから、あの「子」は内通者ではない。


   ……甘いわね。


   砂糖のように……か?


   ……。


   あー……済まない。


   ……お湯、沸いたわよ。


   お、やっと沸いたか。


   ……。


   ……此れに、砂糖を。


   ……。


   ん……此れくらいかな。


   ……もう少し、入れて。


   もう少しだな、良し。


   ……。


   此れくらいで、どうだい?


   ……良いわ。


   ん。


   ……。


   其れじゃあ、どうぞ。
   あ、や、熱いから此処に置くよ。


   ……ええ。


   あたしも、同じくらい……。


   ……私と同じにするのが好きね。


   うん、好きだ。
   同じのが飲みたいんだ。


   ……共有する為に。


   うん。


   ……。


   ……。


   ……ジュピター。


   ん……。


   ……謝らない。


   あぁ……うん、良いさ。


   ……どうして嫌にならないのよ。


   ならないんだ、全然。


   ……矢っ張り、壊れているんだわ。


   あたしは……欠陥品、だからな。


   ……。


   ……マーキュリー。


   良いわ。


   ……え。


   分からないのなら……良い。


   ……。


   ……。


   ……違ったら、離す。


   ……。


   違わないのなら……此のままで。


   ……熱いわね。


   ん、沸き立てだからな……。


   ……。


   ……。


   ……ユゥ。


   なんだい……メル。


   ……なんでも、ないわ。


  9日





   どうだ、美味いかい?


   ……。


   ん、然うか然うか、美味いか、其れは良かった。
   よしよし、遠慮せず食べろよ。はは、する気はないか。


   ……。


   あたし達を乗せて、今日は良く走って呉れたな。
   ゆっくり食べて、ゆっくり休……むのは、もう少し待って呉れ。


   ……完全に情が移ってしまっている。


   お前達が無事で、本当に良かったよ。
   マーキュリーが念の為にと、水の加護を授けて呉れたから……でなければ、見つかっていたかも知れない。


   ……自分だって、周囲に雷気を張ったくせに。


   マーキュリー。


   ……なに。


   マーキュリーも一緒にやらないか?
   結構、面白いぞ。


   ……やらない。


   ん、然うか。


   ……別にないでしょう、やることなんか。


   そんなことないさ。


   ……食べている時に手を出したら、齧られるわよ。


   だから、手は出さない。
   近くで、声を掛けてやるだけだ。


   ……食べている時に声を掛けられたら、鬱陶しいと思うけど。


   ん、鬱陶しいか。


   ……食事中は静かにして欲しいと思っているかも知れないわ。


   然うなのか、ちび?
   ん、然うか。なら、静かにしよう。


   ……私は此処から、見ているだけで良い。


   然うか……まぁ、見ているだけでも楽しいもんな。


   ……あなたは青い星のもの、こと、なんでも面白がるわね。


   月にないものはみんな、面白く感じるんだ。


   ……空や雪、風、そして馬も。


   どれも、月にはない。


   ……ふ。


   はは。


   ……手慣れているわね。


   ん、何が?


   ……馬のお世話。


   然うかな、あたしは思った通りにしているだけなんだけど。


   ……躰が覚えているのかも知れないわ。


   躰?


   ……あの時も面白がって。


   あぁ、前もしたことがあるのか。
   どうりで、躰が動くわけだ。


   ……頭は憶えていないのに。


   頭で考えるよりも先に躰が動くんだ。
   何をすれば良いか、躰が分かっているみたいにさ。


   ……あの時の馬は、ちび達よりも大きかった。


   大きさが違うということは、種が違うのか。


   ……其の馬は其の地域の言葉で「黄金の馬」と呼ばれていて、まるで宝物のように扱われていたわ。


   黄金の馬か、ということは毛の色が金だったのかな。
   黄金って確か、金のことだったろ?


   ……然うね。


   なんて、そんなわけないか。
   毛の色で


   然うよ。


   え。


   ……「黄金の馬」の毛の色は光沢のある金、と、彼らは言っていたわ。


   だから、「黄金の馬」?


   ……らしいわよ。


   本当に然うなのか、宝物のように扱われていたからじゃないのか?


   ……毛の色が金だったから、宝物のように扱われていたのかも知れない。


   あー……然ういうことか。


   ……あなたは、毛の色は関係ないと思ったのね。


   だって、たかが毛の色じゃないか。


   ……けれど、彼らにとっては毛の色も重要な要素なのよ。


   そんなものか……あたしには、良く分からないな。
   他の馬よりも能力が特別に高い、ということなら、分からなくもないけれど。


   ……能力も勿論、関係あるわ。


   ん。


   ……けれど、能力が幾ら高くても、毛の色が金でないと「黄金の馬」とは呼ばれない。


   ふぅん……矢っ張り、理解出来ないな。


   ……別に良いわよ、理解出来なくても。


   然ういうものだと思っておけば良い?


   ……然う、其れで良いの。


   ん、分かった。


   ……。


   其の種には、金の他にどんな色があるんだい?


   ……茶褐色、黒色、黄褐色、薄黄色。


   結構、色んな色が居るんだな。


   ……其の中で光沢のある金色は、一際目立つのでしょうね。


   だけど、どれも同じ種の馬だ。


   ……あなたにしてみれば然うであっても、彼らは然う考えない。


   然ういうもの、か……と。なんだちび、もっと喰いたいのか?
   ちょっと待ってろ。今、


   ジュピター。


   ん?


   今は、あまりやらないで。


   あぁ、然うだった。
   明日の分もあるしな。


   ……二束だけ積んで、戻ってからまた食べさせる。


   良いのかい?


   ……二束くらいなら、構わないわ。


   うん、分かった。


   ……。


   だってさ、良かったな。


   ……背中は筋肉質で、強くて丈夫な脚を持っている。


   ん、ちび達のことか?


   ……「黄金の馬」も。


   あぁ……なら、良い足になって呉れそうだな。


   ……故に、戦でも使われている。


   戦?


   ……戦に駆り出された馬達は、ひとのこによって、殺される。


   ……。


   ……勿論、ひとのこを殺す手助けにもなっているけれど。


   だけど、馬が直接ひとのこを殺すことは……なくも、ないか。


   ……落馬した者、地に這っている者、其れらを容赦なく踏み潰す。


   強くて丈夫な後ろ脚で蹴り上げられたら……一溜まりもなさそうだ。


   ……戦が終わった場所ではひとのこだけでなく、馬の骸も転がっているの。


   ……。


   馬の骸には……獣だけでなく、餓えたひとのこ達も群がることがあるそうよ。


   ……無駄が、ないな。


   命の使い方は、無駄だけれど……ね。


   ……然うやって、命の数を調整をしている。


   他の獣と違って、放っておくと際限なく殖えていく恐れがある……なんせ、季節関係なくいつでも発情出来るから。


   ……実際、先代の頃よりも殖えているよな。


   増殖傾向であることには違いないわ。


   此れからも、殖えていくんだろう。


   ……とは言え、食糧供給が安定していなければ、爆発的に殖えることはないのだけれど。


   緩やかには、殖える……?


   ……全体の数を見れば、然うなっている。


   安定していれば、爆発的に殖える可能性があるんだな。


   ……実際に、然うだった。


   殖えれば、食い物の取り分は減る。


   ……ええ、当然減るわ。


   だからひとのこは戦をする、持っている者から奪う為に。
   自分達を殖やす為に、同じひとのこを殺す。


   今、其処にあるものだけで満足していれば良いのだけれど……どうしても、欲が深いから。


   ……でも食い物があれば殖えるのはひとのこだけじゃない、然うだろう?


   けれど、ひとのこのように……己の欲の為だけに、他の種を絶滅に追い込んだりはしないわ。


   ……絶滅。


   絶対ではないとは言え……ひとのこほど、顕著ではない。


   昔は、今よりもでかい生き物がごろごろ居たんだろう……?


   ……昔?


   然う、ずっと昔。
   ひとのこがまだ、洞穴かなんかに棲んでいた頃。


   ……でかいだけの生物ならば、幾らでも居たわ。


   んー……なんだっけな。


   ……。


   然うだ、鼻が長い奴。今でも居るだろう?
   確か……名前は、なんて言ったか。


   ……あれは、食べ甲斐があるでしょうね。


   あると思う、なんせ牛よりもでかいし。
   ところで、名前は


   ……象。


   然う、象。


   ……あなたが言いたいのは、象の遠い祖先のことかしら。


   然うなんだ、其れも今じゃ絶滅しているんだろ?


   ……まぁ、然うね。


   其れをひとつ狩ることが出来れば、暫くの間は食えただろうと思うんだ。


   ……ひとのこの数にもよる、数が多ければ其れだけ早く食べ尽くしてしまうわ。


   其れは……まぁ、然うだけど。


   食べ尽くせば、新しい獣を狩りに行く……命がある限り、何度でも。


   そして、象の遠い祖先を絶滅に追い込んだ。


   ……ひとのこの欲が、ひとつの種を終わらせるのよ。


   其の繰り返し、だな。


   家畜飼育を覚えてからは、幾らかは変わったかも知れないけれど……本質は、変わっていない。


   ……本質。


   其れこそ、宝物のように扱っている「黄金の馬」さえも。


   ……餓えに勝るものはない、だ。


   飢餓状態のひとのこは……同じひとのこでさえも、喰ってしまうのだから。


   ……。


   すっかり忘れているようだけれど……私達も食べたこと、あるわよ。


   ……え。


   ひとのこではなく、馬。


   あ、あぁ、馬か……食ったこと、あったか?


   あなたの口にはあまり合わなかったようだけれど……なんせ、生肉だったから。


   ……出来ればもう、食べたくないな。


   然うは言っても、食べなければいけない時もあるわ。


   ……。


   其れに……特定の獣だけ食べたくないというのは、ある意味、傲慢とも取れる。


   ……傲慢。


   命を無駄にしてはいけないのでしょう……?


   ……あぁ、然うだ。


   ちび達だって……。


   ……。


   ……残された彼女達の、生きる糧に。


   分からなくは、ないんだ。


   ……。


   分からなくはないが……感情が、追い付かない。


   ……難儀ね。


   マーキュリーも……だろう?


   ……あなたと同じにしないで。


   ん。


   ……あなたの場合は、忘れることが出来るでしょう。


   ……。


   だから、忘れてしまえば良い……。


   ……多分、忘れるよ。


   ……。


   ちび達のことも……月に帰還して、暫くすれば。


   ……暫くは掛かりそうなのね。


   なんだかな……可愛いんだ。


   ……名前なんか、付けるからよ。


   名前?
   名前なんて


   ちび。


   ……。


   其れも、名前のひとつだと思う。


   ……然うか、然うなるか。


   あなたは自分よりも「小さき者」を「ちび」と呼ぶ癖があるのよ。
   部屋の緑も、私の部屋に勝手に置いた緑も、緑の部屋の緑も、挙句の果てには、畑の作物まで。


   ……つい、然う呼んでしまうんだ。


   ただの声掛け、なのでしょうけど……青い星のものには、然うするべきではないわ。
   呼び名を付けることで、情が湧いてしまうから。


   ……前の馬には。


   あなたと同じくらいだったから。


   其れは……「ちび」ではないな。


   ……だけど、別れる時は名残惜しそうだった。


   ん……。


   あなたには、情が湧く特性があるの……だからこそ、呼び名は付けるべきではない。


   ……此れからは、気を付ける。


   出来るのなら、然うして。


   ……うん。


   恐らく、無理でしょうけど……。


   ……。


   ……すっかり、食べ終わったみたいね。


   マーキュリー……。


   ……ただの気紛れよ。


   然うか……。


   ……良く見れば、可愛い目をしているわね。


   あぁ……可愛いよな。


   ……だけど、月には連れて帰れない。


   分かってる……だから、今だけだ。


   ……。


   マーキュリー?


   ……此の子達の、寝床のことなのだけれど。


   あぁ……其れは、あたしも考えていた。


   ……狭くても良いのなら。


   小屋の中に入れるか?


   ……其の代わり、あなたが外で眠ることになるけれど。


   う。


   ……良いの?


   他に、ないのならば……。


   ……一応、あるわよ。


   え、あるの。


   ……此の子達には、少し狭いだろうけれど。


   其れは何だ、何処にあるんだ?


   ……薪置き場。


   まきおきば……。


   ……だったと思われるところ。


   ……。


   ……小屋の傍に、其れらしきものがあるでしょう。


   小屋の傍……あぁ、あれか。


   然う……あれ。


   確かにあれなら……少し狭いが、雪除けにはなるな。


   ……此の子達が気に入らなければ、他の場所を考えないといけないけれど。


   取り合えず、連れて行ってみよう。


   ……。


   どうした?


   ……いいえ、なんでもないわ。


   然うか……なら、良いが。


   ……。


   ……矢っ張り、何かあるのか。


   結局、潰した。


   ……。


   ……ただ、其れだけ。


   跡を残すわけにはいかない……だろう。


   ……ええ、然うよ。


   闇に魅入られてしまったのなら……尚の事、だ。


   ……。


   ……。


   ……まさか、残っていた馬達が全て潰されているとは思わなかったわ。


   あぁ……あたしも驚いたよ。


   ……正気など、一欠片も残っていなかったのでしょうね。


   教団の教えの影響だろう……。


   ……闇の深みに、嵌まってしまったが故に。


   ……。


   ……戻りましょう、小屋に。


   うん、然うしよう……直ぐに、餌を積んでしまうよ。


   ……手早くね。


   応。


   ……。


   手を、齧られたと言えば。


   ……なに。


   いつだったか、咬み付かれそうになったことがあったな。
   あれは、なんだったっけか。


   ……犬。


   いぬ……。


   ……尻尾を振りながら寄ってきたからって、油断して。


   尻尾を振っていたら懐いている証だと、聞いたような気がしたんだ。


   ……犬による。


   あー……。


   ……そんなの、一度や二度ではないわ。


   そんなに?


   ……あなたは獣に対して、いつだって不用意なの。


   ひとのこの傍に居る獣に対してだけだ、其処ら辺に居る獣には手を出さない。


   ……だとしても、あなたには懐いていないのだから。


   月に居ないから……つい。


   ……本当にばかなんだから。


   ん、済まない……。


   ……。


   ……マーキュリー。


   雪……。


   ……相変わらず、降り止まないな。


   いつかは、止むわ……。


   ……春になれば、か。


   ……。


   ……。


   ……戻ったら、今日のことをまとめるから。


   あたしは……飯の支度を。


   ……夜は、何。


   夜は……茸と山菜の汁物、味付けは豆を発酵させたものだ。


   然う……悪くはないわね。


   其れから、熱いお茶も淹れよう。


   ええ……お願い。


  8日





   うーん、生きている者の気配がひとつもしない。


   ……。


   何処を見ても、蛻の殻だな。いや、蛻の殻とは言えないか。何処へ行っても、幾つか転がっているし。
   まぁ、誰も居なければ居ないで、あたしとしては手間が省けて良いが。


   ……良くないわ。


   誰も居ないと話が聞けない、よな。


   ……挙句、目ぼしいものも残されていない。


   状況的に、此れは内輪で揉めたか?
   奴隷の姿は無惨なものだし、色々荒らされているようにも見える。


   ……無惨なものは、奴隷だけではないわ。


   外の馬達もだな、貴重な足を潰して逃げ道を塞ぎたかったんだろうか。


   ……其れはあるでしょうね。


   ちび達を離れた場所に置いてきて良かった。


   ……教団組織に、内輪揉めは良くあること。


   あるよな、どうしてだろうな。


   ……欲の闇が深いと、疑心暗鬼にもなりやすいからよ。


   ぎしんあんき……。


   ……或いは、下剋上。


   下が力尽くで上を討ち取って、まんまと為り変るやつだな。
   下に不満やら何やらが溜まっていると、特に起こりやすいんだったか。


   ……其れだけではないけれど。


   つまるところ、其れも欲だな。


   ……。


   今回は、どちらだろう?


   ……どちらでも良いわ、どちらも壊滅しているのだから。


   然うなんだよな、どっちも壊滅しているんだよなぁ。馬と奴隷を巻き込んで。
   逃げた奴は恐らく数人は居るだろうが、其れらは此処に戻って来るだろうか。


   ……数人も居るかどうか。


   うん?


   ……外にも転がっていたでしょう。


   あぁ、然ういえば二三、転がっていたな。中にはそこそこ離れた所に転がっているものもあった。
   見張りかと思ったが、其のわりには状況が不自然で。其れで、マーキュリーは計画を若干変えたんだ。


   ……逃げる者を、わざわざ追い掛けて殺したの。


   余程、都合が悪かったんだろうな。
   若しくは、ただの狩りか。


   ……生きていたら、口が利けるから。


   大した事情は知らないとしても、念の為、消しておく。
   其の方が手っ取り早いし、妥当と言えば妥当だ。


   ……全員が同じ方向に向かって逃げたとは思えない。


   逃げている間に散り散りになるか、初めから散り散りになって逃げるか。


   ……此度の場合は後者だと、私は考える。


   ん、あたしもだ。


   ……故に、拠点の周り、至るところに転がっている可能性はある。


   でも奴隷は逃げられそうにないな、足を鎖で繋がれていたから。


   ……おまけに、手鎖付き。


   此処は昨日の拠点よりも、奴隷の「躾」にやかましかったみたいだ。
   押し込められて、必要な時にだけ外に出されていたのだろう。


   ……奴隷の中には、殴り殺された者も居たわね。


   性質の悪いことに、奴隷同士の足を前後で繋いでいたからな。足手纏いになった方は、漏れなく悲惨なことになるだろう。
   そんなことをしたところで、自由に動けるようになるわけではないのに。其れこそ、繋がられた足を切り落とさない限り、さ。


   ……どのみち、荷物になってしまうだけ。


   そして、結局は殺される、殺された。
   どうしようもない。


   ……。


   思うに。


   ……聞くわ。


   此れは単純な内輪揉めではないのかも知れない。
   内輪だけの争いならば、足となる筈の馬を食糧目的以外で潰すわけがないから。


   ……然う考えるのが、妥当。


   ……。


   ……仮に生き残っている者が居たとして、あなたは戻って来ると思う?


   戻っては来ないかな……逃げられるところまで逃げて、追い付かれて、何処かで殺されていそうだ。


   ……。


   マーキュリー。


   ……此の拠点内で起こったであろう揉め事には、あまり興味がないわ。


   ただの内輪揉めならば、然うだろう。


   ……けれど、外が絡んでいるのなら。


   話が、変わってくる……。


   ……此処に、何があったというの。


   何か、ひとつでも良いから残っていたら良いんだけど……矢っ張り、駄目そうかい?


   ……今のところ、どうでも良いものばかりよ。


   金や玉石も、ほぼ手付かずで残っているんだろう?


   ……恐らく、興味がなかったのでしょうね。


   金や玉石の為に、ひとのこを浚って来るだろうに……。


   ……組織の本当の目的は、多くの金や玉石を得ることではないのよ。


   ひとのこに、闇の教えを広める……。


   ……其の過程で、富に強欲な者共がひとのこを売り飛ばして金に替える。


   売り飛ばしたら、教えを広められないな……となると、教団の目的に反しないか?
   奴隷が売られた先で教えを広められるとは、あたしには到底思えない。


   ……反するけれど、黙認している。


   ん……。


   ……闇をより深める為に、欲は欠かせない要素だもの。


   教えを広めながら、欲を満たす……器用だな。


   ……下層部は、欲を満たすことに走りやすい。


   上層部も、然うだと思うな……。


   程度の差……或いは、ひとのこのさが。


   然ういえば、此処は昨日潰した拠点よりも金や玉石が多い気がする。


   ……調子に乗って、富の欲に溺れ過ぎたのかも知れないわ。


   なんて言ったかな……えと、げんしゅく?


   ……粛清、掠りもしない。


   其れかな。


   ……其れも考えられる。


   んー……。


   此処にあったものが余程のものだったのか……若しくは、欲に溺れた者への粛清か。


   或いは、ただの気紛れか。


   ……気紛れ。


   ないわけではないと思うんだ。
   ひとのこはひとのこを玩具にするから。


   ……あなたの言う通り、ないわけではないわ。


   ん。


   ……此の場所は、暫くの間は使われないかも知れない。


   其れは、どうして?


   ……ただの勘よ。


   ん、然うか。
   マーキュリーの勘なら、当たるな。


   ……使われないまま、朽ちてゆく。


   そして忘れられた頃に、また、使われるんだろう?


   ……ええ、然うよ。


   ……。


   何か気になるものでも?


   いや、ないよ。


   然う……少し、期待したのだけれど。


   済まない、期待に応えられなくて。


   別に構わないわ。


   ……。


   ……ジュピター。


   此処が潰されたのは、状況的に、あたし達が此の地に来る前だと言っていたよな。


   ……前後よ。


   前……後……。


   関係がない……とは、言い切れない。


   ……此方の動きが読まれた可能性もあるのか。


   零ではないわ。


   ……。


   そして、其れほどの者が居るとしたら……厄介でしかない。


   ……もうひとつ、此れは考えたくはないが。


   内通者を疑わないわけにはいかない。


   ……マーキュリー。


   仕方がないわ。


   ……だけど。


   仕方がないの。


   ……あたしに、何か出来ることがあったら。


   残念だけど……此れに関しては、何もないわ。


   ……其れでも。


   ……。


   ……。


   ……そんな顔しないで、気が滅入るから。


   ごめん……。


   ……。


   もう少し、調べるか?


   ……いえ、もう良いわ。


   然うか……ならば、帰ろうか。


   ……ええ。


   然し、死臭が酷いな……マーキュリーの水気がなかったら、あたしでも鼻が曲がっていたかも知れない。


   ……躯の腐臭がないだけ、まだましよ。


   ふしゅう……あぁ。


   ……今はまだ、気温が低いから。


   良かった、気温が低くて。


   ……春になれば、冬の眠りから覚めた獣が喰うかも知れない。


   其れは、大いにあり得る。


   ……春になる前に雪猪が喰らってしまう可能性もあるわね、彼らは雑食だから。


   ひとのこも所詮、自然の一部でしかないからな。


   ……どのみち、完全に消えるには時間が必要。


   まだまだ、掛かりそうだ。


   ……はぁ。


   疲れたか。


   ……聞かないで。


   早く離れよう、マーキュリー。


   ……言われなくても、


   ちび達、大人しく待っているかな。


   ……。


   餌があれば喰わせてやろうと思っていたんだけど、こんな状態では……ん、マーキュリー?


   ……。


   どうした?


   ……。


   何処へ行くんだ、マーキュリー。
   そっちは、出口ではないぞ。


   ……。


   マーキュリー。


   ……。


   何か見つけたのか。


   ……此れ。


   うん?


   ……これ。


   此れは……。


   ……わからない?


   ちょっと、待て……。


   ……。


   どうして……此処に。


   ……さぁ、どうしてかしらね。


   だって、此れは……お前の。


   ……近付き過ぎたのか、其れとも此れが内通者だったのか。


   マーキュリー……。


   ……どのみち、確かめることはもう出来ない。


   へまをしたとは、思えない……。


   ……此処に在るのだから、しくじったことには違いないわ。


   ……。


   ……行きましょう、ジュピター。


   良いのか。


   ……何が。


   此のままにしておいて。


   ……私にどうしろと言うの。


   月に棲まう者の遺骸が、此処に在るのはまずいだろう?
   寧ろ、良く残っていたと……教団の者共に勘付かれたら、利用されかねない。


   ……。


   なぁ然うだろう、マーキュリー。


   ……然うだったわね。


   どうにか、外に運び出して。


   ……どうやって、運び出すの。


   其れは……あたしが、持ち出すよ。


   ……。


   其れか、此処から強制的に


   駄目よ。


   ……でも。


   誰も残っていないかも知れないし、誰も戻って来ないかも知れない……だからと言って、跡を残すことは出来ないの。


   ……跡。


   私達が此処に居たこと……少しであろうとも、残すわけにはいかない。


   じゃあ、此れは……。


   ……どうしたら、良いかしら。


   ……。


   ……こんなこと、初めてではないのに。


   矢っ張り、あたしが……連れ出そう。


   ……でも、足りていない。


   足りていなくても……此処に、在るだけでも。


   ……集めなくてはいけないわ、無駄に時間を使ってしまう。


   無駄ではないよ。


   ……いいえ、無駄だわ。


   跡を残すことは出来ないのだろう?
   であるならば、無駄な時間ではない。


   ……。


   マーキュリーは探して呉れ。
   あたしでは、分からないから。


   ……。


   マーキュリー。


   ……水気よ。


   マーキュリー、何を。


   弔いを。


   とむらい……。


   ……水星の長として、せめてもの。


   ……。


   水の流れよ……彼の者を、包(くる)め。


   ……あ。


   ジュピター……。


   ……。


   ……早く。


   うん、分かった。


   ……小さな欠片は、どうしようもない。


   大きなものだけを……。


   ……。


   ……。


   ……出来れば、早く。


   あぁ……。


   ……。


   ……マーキュリー、もう大丈夫だ。


   はぁ……。


   ……行こう。


   ……。


   と……。


   ……大丈夫、問題ないわ。


   ……。


   ……私のことは良いから、あなたは私の「子」を。


   うん……。


   ……あと。


   うん……?


   ……出るまでに、考えておく。


   そんなに……いや、分かった。


   ……。


   ……ちび達が、待っているよ。


   あなたは、余程気に入ったのね……。


   ……マーキュリーも、だろう?


   私は……あなたほどでは、ないわ。


   ……うん、知ってる。


   ……。


   足元、気を付けて。


   ……言われなくても、分かっているわ。


   ……。


   ……ぁ。


   マーキュリー……!


   ……ふ。


   大丈夫か。


   ……ふふ。


   マ、マーキュリー?


   ……今更よ。


   ん……。


   ……恐らく、もう利用されている。


   え……?


   ……だから、此の星に置いていくわ。


   な……。


   ……ジュピター、あなたの雷気で。


   あたしの……。


   ……其の後に、私が。


   ……。


   ……あなたしか、居ないの。


   本当に……。


   ……マーズならば、応えて呉れるわ。


   く……。


   ……ごめんなさいね。


   ……。


   ……ごめんなさい、ユゥ。


   良いんだ。


   ……。


   謝らなくても、良いんだ……メル。


   然う……なら、謝らないわ。


   うん、其れで良い。


   ……。


   一片たりとも、残さない……其れで、良いかい。


   ……ええ、其れで良いわ。


  7日





   よしよし、良い子だな。


   すっかり、懐かれたようね。


   応、とても懐こくて賢い子だ。


   初めは、齧られそうになっていたけれど。


   うっかり、左手を喰われるところだった。


   あなたが不用意に手を出したりするからよ。
   しかも口元に。


   まさか、餌だと思われた?


   ばかね。口元に慣れぬ者が手を差し伸べてきたら、警戒するに決まっているでしょう。
   後ろ足で蹴られなかっただけ、ましだと思って。


   気性が大人しそうだったから、油断した。
   大人しくても、警戒くらいはするよな。


   当たり前。


   でも、あたしは敵じゃないと諭したら分かって呉れた。
   あたしの良さが分かるあたり、なかなか目も良い。いや、鼻か?


   其の子は、あなたよりも賢いかも知れないわ。
   月に帰還する時は、あなたとではなく、其の子と帰ろうかしら。


   ん、馬を連れ帰っても良いのか?


   新しいジュピターだと言って、連れ帰るわ。


   いや、流石に違いすぎるだろう?
   少なくとも、あたしは四つ足ではないぞ?


   似たようなものでしょう。


   一応、足はふたつだ。


   違いは足の数だけ?


   他も違う。
   例えば、


   此の子も大丈夫そうね。
   記録通り、賢い種だわ。


   マーキュリーに懐いたか?


   取り敢えず、言うことは聞いて呉れるでしょう。
   此の子も屹度、あなたより賢いだろうから。


   ひょっとしたら、今日潰しに行く拠点の場所を覚えているかも知れないな。
   互いの拠点を行き来することぐらいは、若しかしたら、あったかも知れないし。


   へぇ。


   ん、なんだ?


   別に、なんでも。


   お前も然う考えたんだろう?


   其処までの期待はしていないわ。
   足になって呉れれば、其れで良い。


   雪道はどうにも歩き辛くて、いつもより速度が出ないからな。
   雪に慣れた馬の脚があれば、あたしとしても有り難い。


   あなたは特段、歩き辛そうに見えないのだけれど。


   いや、此れでも歩き辛いんだよ。体力も、雪のない道を歩くよりも使うしな。
   だけど、然う見えないのなら、お前が作って呉れた此の雪靴のおかげだ。
   此れがなかったら一歩踏み出すごとに雪に埋まってしまって、まともに歩くことも出来なかった。


   ……。


   うん、聞いていないな。


   ……此の種の体力ならば、問題ないと思うけれど。


   餌は喰わせておかないで良いのか?
   途中で腹が減って動かなくなったら、目も当てられないぞ。


   ……粗食でも耐えられるようだけれど、全く食べないのは無理よね。


   ちび達の餌は、何処にあるんだろう。
   其処ら辺にあるかな。


   ジュピター。


   ん、分かるか?


   奴隷達に。


   あぁ。


   恐らく、此の子達の世話をしていたのは彼女達だろうから。


   然うだな、聞いてみよう。


   ……。


   ちょっと待ってて呉れな、ちび。


   ……春までの餌があれば良い。


   ん?


   ……何。


   向こうから来たぞ。


   ……。


   丁度良かった、聞きたいことがあるんだ。
   此のちび達の餌は


   気を付けて、ジュピター。


   ん、何を。


   ……刃を持っているわ。


   刃……。


   短刃……あれならば、女でも使える。


   ちょっと待て、どうしてあたし達を攻撃対象と見做しているんだ。


   ……。


   マーキュリー。


   ……私達は、仇なのよ。


   仇?
   なんの?


   彼女達の、奴隷主の。


   は、なんで。


   ただの心理的現象。


   しんり……。


   恐らく、刃には毒が仕込まれているわ。


   毒……本気か。


   ……恐らくは、本気。


   おい、待て。お前達は解放されたんだぞ。
   あたし達を攻撃する必要なんてないんだ、此れからは好きに生きれば良い。


   其れが出来たら、苦労しない。


   春になれば、雪は融けるのだろう。
   其れまで待って、融けたら何処にでも行けば良い。


   ……結局、教団の教えからは逃れられないんだわ。


   けど、此処に連れて来られるまでは……と。


   ……洗脳。


   弓まで使うか、まぁ力はないし当たりそうにはないが……。


   とは言え、油断は出来ない。
   鏃にも、毒が塗り込められているであろうから。


   刃に仕込まれていたら鏃にも、と考えるのが妥当だな。


   私は馬達を守るわ。


   うん、頼む。
   今、足を失うわけにはいかないからな。


   ……向こうは、五人。


   短刃を持つ者が三人、弓が一人、もう一人は……。


   まだ、子供……躰に、火薬か何かを巻き付けているように見える。


   火薬……自爆か。


   ……十中八九、然うでしょうね。


   まだ、ちびだぞ?
   自爆なんて、何を考えているんだ。


   私達を、確実に殺すこと。


   ん。


   ……然うするように、仕込まれているのよ。


   もう、油虫共は居ないのにか……。


   ……油虫に成り下がってしまった、或いは、既に成っていたか。


   ……。


   けれど幸い、全ての奴隷が集まっているわけじゃない……正気の者も、残っている筈よ。


   ……油虫の生き残りに、殺されていなければな。


   ……。


   あの状態を見るに、やりかねないだろう……?


   ……ええ、然うね。


   もう、残っていないかも知れないな……。


   ……だとしても、どうしようもないわ。


   あぁ、然うだな……あたし達には、どうしようもなかった。


   ……構っている時間も、私達にはないの。


   となると……仕方ない、な。


   ……動きは拙い、所詮は奴隷に過ぎない。


   あぁ……直ぐに終わらせるよ。


   ……油断だけは、しないで。


   分かっている……絶対に、しない。


   ……。


   雷気よ。


   ……水気よ。


   爆ぜよ。


   ……水の加護を。


   ……。


   ……。


   ……マーキュリーの見立て通り、火薬だったな。


   ええ……火力は、然程ではなかったけれど。


   だけど、二人は倒れた。


   ……あと、三人。


   ……。


   ……命までは、取らないさ。


   甘いわね……。


   ……動けなくなれば、其れで良いだろう。


   火薬を躰に巻かれた子供は……死んだわ。


   ……其れは、どうしようもない。


   ……。


   恨むのなら……油虫を、恨め。


   ……来るわ。


   半狂乱になりながら、な。


   ……。


   雷気よ……。


   ……哀れね。


   弾け散れ。


   ……。


   ……仕舞いだ。


   行きましょう。


   良いのか……ちび達の餌は。


   もう、そんなことも言ってられないようだから。


   ……。


   ……拠点から、此方を見ている。


   はぁ……。


   ……私達に、浄化の力はない。


   ああは、なりたくないな……。


   ……奇遇ね、私もよ。


   行こうか……マーキュリー。


   ……ええ、行きましょう。


   然ういうわけだ、ちび……どうか、宜しくな。


   ……あなた達の足を、どうか私達に貸してね。


   ……。


   ……なに。


   言い方が、優しいなって。


   ……悪いの。


   悪くない、全く。


   ……。


   マーキュリー、ひとりで乗れるかい?


   小柄な馬だから、問題ないわ。


   ん、然うか。


   ……。


   あっさりと。


   あなたも早く乗って。


   ん、分かった。
   良し、乗るぞ……良いな?


   ……。


   お、おい、だめなのか。


   ……懐いたように、見えただけだったのかしら。


   えー……。


   ……仕方ないわね、あなたは走って


   お。


   ……。


   矢っ張り乗せて呉れるのか、然うか。
   若しかしてお前は、なかなかの気紛れなのか。


   乗れるようだったら、さっさと乗って。
   残りの油虫が、わらわらと拠点から出てきているから。


   ……得物は。


   届かないと雖も、弓が厄介。


   ……あぁ、くそう。


   ……。


   頼むぞ、ちび。
   あたしをお前の背に乗せて呉れ。


   ……念の為、弓だけでも。


   良し、乗れた。
   乗せて呉れてありがとうな、ちび。


   愚図愚図しないで、ジュピター。


   応、マーキュリー。


   行け。


   マーキュリーに続け、ちび。


   水気よ。


   ん?


   彼の者共の目を晦ませ。


   お……。


   ……はぁ。


   雪だ。


   ……あなたが見たいものとは、違うけれどね。


   いや、十分だよ。


   ……。


   雷気よ、彼の者共の足を止めよ。


   ……ジュピター。


   念の為だ、命までは取らない。


   ……。


   ……残りは、もう居ないか。


   さぁ……。


   ……お前なら、数を。


   数えている暇なんて、なかったから。


   ……。


   然うでしょう、ジュピター。


   あぁ……然うだな。


   ……。


   ちび達はどうするか。
   あの拠点に返しに戻るのは、少し難しくなったと思うんだ。


   ……。


   用が済んだら、放っておくか。
   けど、其れは少し可哀想な


   戻したところで、恐らく、油虫共に喰われる。


   ……え?


   潰して……食用の肉にされてしまうと思うわ。
   馬を一頭潰せば……食べ過ぎなければ、数日は持つと思うから。


   いや、肉って……ちび達は、貴重な足だろう?


   ……足であろうとも、餓えに勝るものはないわ。


   じゃあ、戻せたところでちび達は……。


   ……遅かれ早かれ、命を落とすことになるでしょうね。


   ……。


   何を考えているの、ジュピター。


   ……腹を空かせるのは辛い、其れは痛いほど良く分かる。


   ……。


   ……マーキュリー。


   私達では、どうにも出来ない。


   ……然う、だよな。


   ……。


   ……此れから行く拠点には。


   奴隷が居なかったことなんて、一度でもあった……?


   ……憶えている限り、なかった。


   油虫に堕ちていないことを、せいぜい祈るしかないわね。


   ……堕ちていなければ、ちび達のことを。


   任せることは出来るかも知れない……ただ、食糧事情が厳しければ結果は同じことになると思うわ。


   ……。


   随分と情が湧いてしまったみたいね。


   ……うん、どうしてだろう。


   さぁ、知らないわ……あなたが分からないのに、私が分かるわけがない。


   ……マーキュリーは、どう?


   私は……別に。


   ……そっか。


   ……。


   ……ちび、ごめんな。


   止めなさい、ジュピター。


   ……ん。


   然ういうのは……止めて。


   ……ごめんよ、マーキュリー。


   ……。


   ……餌、結局喰わせてやれなかったな。


   此の子達の種は、粗食でも耐え抜いて来たから……。


   ……でも、腹は減るだろう。


   ……。


   ……。


   ……はぁ。


   マーキュリー……?


   ……事が終わったら、一度、小屋に連れて帰るわ。


   え……。


   ……帰還するまでに、どうするか考える。


   か、考えて呉れるのか……?


   ……何よ、悪いの。


   わ、悪くない……悪くはないが。


   ……此れから行く拠点で得られる成果によっては、潜伏期間が更に伸びるかも知れない。


   あぁ、其れは構わない。


   ……早く帰りたいと、言っていなかった?


   言ったし、今でも其の気持ちはある。


   ……でも、構わないのね。


   あぁ、構わないんだ。


   ……私と。


   待つのは、得意なんだ。


   ……嘘吐き。


   ……。


   ……。


   なぁ、マーキュリー。


   ……なに。


   此の時期でなかったら、気持ち良いのかな。


   ……何が。


   風。


   ……以前にも乗ったことがあるでしょう。


   あるけど……楽しむ為に乗ったことは、一度もないと思うから。


   楽しみたいの?


   うん、マーキュリーと。


   ……。


   いつか行った、草が広がる大地……草原、だったか。
   あんな場所で、ちび達に乗って……マーキュリーと、風を楽しみたい。


   ……いつからそんなに風が好きになったのかしら。


   青い星は面白い場所だ。


   ……空があるから?


   其れから、風もある。


   ……。


   熱い風、暖かい風、温い風、湿った風、乾いた風、冷たい風、緑の匂いがする風、爽やかで気持ち良い風……どれも、月にはないものだ。


   ……身を切るような冷たい風なら、たった今、感じているわ。


   もう少し、暖かい方が良いな。


   ……躰が温まれば、気持ち良くなるわ。


   此処から、どれくらい掛かる?


   ……此の調子ならば、予定よりも早く着くかも知れない。


   予定よりも早く着いても良いのか。


   ……何処かで一旦、身を潜める。


   うん、然うだよな。


   ……其れまでには屹度、躰も温まる。


   馬に乗るのも全身運動、だったよな。


   ……ええ、然うよ。


   はは。


   ……楽しくなってきた?


   然うかも知れない。


   ……此れから拠点をひとつ潰しに行くというのに、気楽なものね。


   大丈夫だ、気は抜いていない。


   ……当たり前。


   応。


   ……はぁ。


   マーキュリー?


   ……なんでもないわ。


   疲れたのなら、何処かで休もう。


   ……疲れたらね。


   拠点をひとつ潰しに行くんだ、万全の方が良い。


   ……分かっているわ。


   ……。


   ……急に黙るのね。


   ん……いや。


   ……言いたいことがあるなら。


   ちび達を、月に連れて帰ることが出来たなら。


   無理よ。


   ……畑の傍にちび達の小屋を作って、マーキュリーと可愛がりたかった。


   私もなの。


   ……だって、可愛いだろう?


   あなた、どれだけ……。


   なんでだろうな……自分でも、良く分からないや。


   ……。


   ……ごめん。


   今だけ。


   ……ん。


   今だけよ……ユゥ。


   ……うん、メル。


   ……。


   ……。


   方角を……北寄りに。


   うん……分かった。


   ……。


   ……何処まで行っても、雪ばかりだ。


   けれど、ずっとは続かない。


   ……。


   ……其処で、放してあげれば。


   自由に……する?


   ……此の子達の祖先は、ひとのこに放置されたの。


   放置……?


   ……然うして厳しい冬、粗食に耐える馬だけが生き残った。


   ……。


   荷物運搬用などの為に……此の子達の祖先は、他の地域から雪深い場所に連れて来られたのよ。


   ……ひとのこは、何処に。


   此処よりは、暖かい場所に。


   ……。


   然ういうものなのよ……ひとのこって。


   ……勝手だな。


   私達も、言えないわ。


   ……然うだった。


   ……。


   ん……良い脚だ。


   ……良かったわね、振り落とされなくて。


   うん、本当に。


   ……。


   良し。


   ……。


   マーキュリー。


   ……もう良いの。


   あぁ、もう良い。


   ……然う、良かったわ。


  6日





   夜中にもう一度、様子を見るか。恐らく大丈夫だとは思うが、警戒しておくに越したことはないしな。
   気が付いたら雪に押し潰されていた、なんてことだけは避けたい。まぁ、然うなってもマーキュリーは守るけど。


   ……。


   んー……相変わらず、空には星が見えないな。
   曰く、此の時期ならばあたしの星が見える筈なんだけど、見渡す限り雲ばかりだ。


   ……。


   青い星は、いつ来ても面白い場所だ。まず、空というものが面白い。晴天、曇天、雨天、そして雪天……どれも月にはないものだ。
   強いて言えば、晴天か……けれど、決して青くはない。上に広がるものは、ひたすらに暗い宙だ。


   ……。


   月には青い星のような大気がないから、光が反射したり散乱することはない、故に宙が青くなることもない。
   水蒸気はあるにはあるが雲を作るほどの量はない、故に其れが宙を覆うこともない。雲がないから、雨や雪が降ることもない。


   ……。


   雨は定期的に降れば面白いだろうし、雪もたまになら悪くないな。マーキュリーと畑から眺めるのも楽しそうだ。
   雪が積もれば、マーキュリーの頭くらいの雪玉と其れよりも一回り小さい雪玉を作って、重ねて遊んでみたい。
   雪玉重ね、いつか何処かのちび達が作っていたんだよなぁ。あれは、何処で見たんだっけか。


   ……大分前の話だわ。


   あぁ、青い空も良いが、橙に染まった空も悪くないな。時に、赤や紫にもなる。夜を告げる深い青と黄昏時の橙が残る空も趣深い。
   暇さえあれば、日がな一日、眺めていても良いくらいだ……出来れば、隣にマーキュリーを置いて。屹度、時間の無駄だと言われてしまうだろうが。
   だけど若しもそんな時間を作れたら、美味いお茶と……マーキュリーの好きな甘味を用意して、ふたりで眺めていたいな。
   其れで、躰を寄せて呉れたら……とても嬉しい。


   ……。


   変化があれば、月の宙も少しは面白いものになるだろうに……マーキュリーと星を眺めるのは悪くないが、青い星でも夜になれば見られる。
   明るい空なのにも関わらず、月が見えたことは奇妙だったが……マーキュリー曰く、其れだけ月の輝きが強いから、なんだよな。
   正直、何処に居ても見られているようで気分は良くない……まぁ、屋根の下に入ってしまえば、此方からは見えなくなるから良いけれど。


   ……見えなくなるだけで、解決はしていない。


   ん、矢っ張り冷たいな……けど、掬った量が少ないと、直ぐに融けてしまう。小さい氷もわりと直ぐに融けてしまうけど、雪は其れよりも速い。
   マーキュリーには当たり前と言われそうだけど、なんとなく興味深い。氷とは違う融け方をして……手の平の上で、じゅわっと融けるような。


   ……。


   雪は、水で出来ている……何も混じっていない水は透明だけれど、雪は白い。水が凍った氷もまた、透明で……だけれど、雪は白い。
   水も氷も透明であるのに、雪が白く見えるのは……雪は無数の細かな結晶から出来ているが為に光が乱反射し、沢山の色が混じり合うから。
   混じり合った色は、白く見える性質がある……故に、雪は白く見える……だったかな。


   ……はぁ。


   さぁて、躰が冷え切ってしまう前に小屋の中に入るとしよう。
   あまり冷たくなってしまうと、マーキュリーを温めてやることが出来ないし。


   ジュピター。


   ん?


   何をしているの。


   マーキュリー、どうした?


   別にどうもしないわ、外の空気が吸いたかっただけよ。


   外の空気は冷たいぞ、肺に良くない。


   今更。


   昼はまだしも、夜の


   其れに私、冷たい空気は得意なの。


   ん、然うだった。
   だけど寝る前だから、成る可く冷やさない方が良いと思うんだ。


   あなたは、何をしているの。


   雪下ろしが終わって、今、下りようとしていたところだよ。


   あぁ、然う。


   若しかしてあたしがなかなか戻って来ないから、心配して様子を見に来て呉れたのか?


   すると思うの。


   うん、思う。


   おめでたいわね。


   今直ぐ、下りるよ。


   其処で夜を明かしたいのなら、どうぞ好きにして。


   いや、此処よりも暖かい寝床の方が良いな。


   心行(ゆ)くまで、夜の雪天を見ていれば良い。
   好きでしょう、雪が舞い降りてくるのを眺めているのは。


   今夜の空はもう、十分に見たよ。


   然うかしら、まだ見足りなさそうだけれど。


   其れに、此処に来てからさんざ見ているからさ。


   月に帰還したら、また暫くの間、見られなくなる。
   月には、天気というものがないから。


   明日もまだ、此処に居るだろう?
   だから、今夜はもう良いんだ。


   あぁ、然う。


   よっと。


   ……。


   ただいま、マーキュリー。


   戻って来たの。


   ん、戻って来た。
   思っていたよりかは積もっていなかったけど、きれいにしておいた。


   然う、其れはご苦労様。


   応。


   中に入るの?


   入る、マーキュリーも入ろう。


   私は、もう少し。


   ならば、あたしも


   入る。


   あー。


   ……。


   お、あったかい。


   当たり前でしょう。


   マーキュリーはもう、寝る支度は出来ているのか?
   若しも出来ているのなら先に、う。


   冷たい。


   ……然うか、じゃあ直ぐに温めよう。


   あなたが、冷たい。


   そんなに冷たいか?
   あたしは、然うは感じないけど。


   寒気に弱いくせに。


   弱いけど……躰を動かし始めると、あまり感じなくなるんだ。


   其れで、寒空を眺めていたの。


   ……矢っ張り、見に来て呉れたのか。


   言ったでしょう、外の空気を吸いたくなっただけだと。


   其れは……口実で。


   そんなことよりも、火の前に。
   あなたならどうせ、直ぐに温まるだろうから。


   ……でも、眠るのが遅くなってしまうぞ。


   あなたがのんびり雪天なんか眺めていたからでしょう。


   矢っ張り、見ていて呉れたんだな。


   見ていなくても、あなたが考えていることぐらい分かる。


   ……。


   何。


   言葉を交わさなくても


   さっさと、温めて。
   でないと、一緒に眠らないわよ。


   あ、はい、直ぐに。


   ……。


   なぁ、何か飲むか?


   寧ろ、あなたが飲めば良い。


   あたしか……さて、どうしようかな。


   ……。


   白湯にするかなぁ、自分の分だけお茶を淹れるのは少し億劫だ。


   ……お湯ならば、沸いているわ。


   沸かしておくと、こういう時に良いよな。


   ……。


   お前の水は、


   黙って、飲んで。


   ……応。


   ……。


   良かったら、隣に


   行かない。


   ん、然うか……まぁ、今のあたしは冷たいしな。
   火と白湯で温まったら、温めてやるからな。


   ……。


   お前は、明日の計画を練っていたのか?


   ……然うよ。


   今日のまとめは、もう。


   ……疾うに終わらせた。


   流石に早いな。


   ……あなたも知っての通り、大した成果もなかったから。


   もう少し、あると思ったんだけどなぁ。


   ……拠点をひとつ潰した、今は其れで良しとしておくわ。


   あぁ、然うだな。


   ……。


   ん……未だ熱い。


   ……明日潰す予定の拠点は、今日潰したものほどではないわ。


   となると……大した規模ではないな。


   ……けれど、油断はしないで。


   あぁ、分かっているよ……何をして来るか、分からないもんな。


   ……。


   ん……。


   ……冷たい?


   うん……少し、冷たいな。


   ……少しではないでしょう。


   雪ほどでは、ないよ……。


   ……。


   マーキュリー、どうした……?


   ……此の辺りで採取出来る毒草は、命に係わるような強力なものが多い。


   あぁ……うん、ちゃんと覚えているよ。


   ……故に、毒を使われる可能性は大いにある。


   刃に塗り込めて……だな。


   ……現に潰した拠点にも、毒刃と毒矢がないわけではなかった。


   みたいだな……。


   毒に中てられれば、短い時間と雖も動きは止められる……其れは、分かっているわよね。


   ん、分かっている……だから、周りに雷気を張ることも忘れない。


   ……。


   水の加護を……明日も、頼む。


   ……言われなくてもしてあげるわ、あなたほど使い勝手の良い便利な駒は居ないのだから。


   お前が持っている駒の中で、一番使い勝手が良いだろう……?


   ……自惚れないで。


   ん……今一度、気を引き締めよう。


   ……そろそろ、飲めると思うわ。


   あたしも、然う思ったところだ……。


   ……。


   ……躰の傷、大したことなかったろう?


   診た時に、然う言った筈だけれど……。


   ……痛いところも、特段ない。


   何が言いたいの……?


   ……なんとなく、言いたかっただけだ。


   なんとなくならば、言わないで良いわ……。


   ……聞いて欲しかったんだ。


   なんとなくなのに……?


   ……其れは、なんとなくじゃない。


   勝手ね……。


   ……済まない。


   ……。


   ……ん、矢っ張り美味いな。


   ただの白湯でしょう……。


   ……あたしにとっては、ただの白湯ではないんだ。


   私にとっては……ただの白湯よ。


   ……なぁ、マーキュリー。


   なに……ジュピター。


   お前の水気は、雪になるか……?


   ……出来なくはない。


   然うか……。


   ……何度か、見せたことがあるでしょう。


   戦の技としてならば……。


   ……つまり、あなたが見たいのは空から降ってくるような雪というわけね。


   ならないかな……。


   ……雪は細かな結晶の集まり、其れは覚えているわよね。


   お前に教わったからな……ちゃんと覚えているよ。


   ……雪の結晶は、氷晶を核にして、周囲にある水蒸気を取り込んで成長したもの。


   ひょうしょう……。


   ……氷の結晶のこと、其れは雪の結晶よりも小さいわ。


   あぁ……うん、思い出した。


   ……雪を作り出すことは、氷を作り出すことと大いに異なる。


   だから……出来なくはない、か。


   ……あなたが望むような雪を作り出す為には、水気の細かな調節が必要になる。


   我儘を言ったら、お前の負担になってしまうな……。


   ……けれど、出来なくはないわ。


   うん、分かった……其れで十分だ。


   ……。


   ……ふぅ、あったまった。


   ……。


   マーキュリー、ちょっと触って確かめて呉れ。


   ……嫌よ。


   自分じゃ、分からないんだ。


   ……温まったと言ったけれど。


   お前にとって、適温か。
   あたしには、分からない。


   ……分かっているくせに。


   マーキュリー、手を。


   ……冷たいわよ。


   あぁ、良く知っているよ……。


   ……癪。


   はは……。


   ……。


   ……どうだ?


   冷たくはないわね。


   ……此れで、十分か?


   いいえ……まだ、不十分よ。


   ん、然うか……ならば、もう少し火に当たっていよう。


   ……。


   ……静かだなぁ。


   苦手なのよね……あなたは。


   ……だから、口が良く動いてしまうのかも知れない。


   ……。


   雷気は……念の為、三重に張った。


   ……然う。


   何人(なんぴと)たりとも、此の小屋には近付けない筈だ。


   ……若しも、近付く者が居たら?


   二度と、口が利けなくなる……ただ、其れだけだよ。


   ……今夜も良く眠れそうね。


   うん……良く眠って欲しい。


   ……。


   ……。


   ……ジュピター。


   なんだい……マーキュリー。


   ……寝床を、暖めて。


   あぁ、任せろ……。


   ……。


   ……なぁ。


   なに……。


   ……闇は、何処から生まれてくるんだろうな。


   光がある限り、闇は生まれるわ……。


   ……。


   今の青い星には……其れを祓う力がない。


   ……ひとのこはどうして、闇に魅入られるんだろうな。


   欲があるから。


   ……。


   欲には、底がない……闇に魅入られる者は大抵、何処までも、堕ちていく。


   ……欲なら、あたしにもある。


   然うね……。


   ……だけど、あたしは。


   だから……闇を抱えていないひとなんて、屹度何処にも居ないのよ。
   流されて堕ちるか、流されないように踏み止まるか……違いは、其れだけ。


   ……マーキュリーも。


   私のお腹の中は……曰く、真っ黒だから。


   ……真っ黒ではないよ。


   どのみち、黒いには変わりないわ。


   ……黒くないけどな。


   あなただけ……そんなことを思っているのは。


   ……。


   ……触って良いなんて、言っていないわ。


   うん……言われてない。


   ……其れなのに。


   まだ、冷たいか……。


   ……冷たくはないと言ったわ。


   ……。


   ん……ジュピター。


   ……月に帰るまで、我慢する。


   月に帰っても……よ。


   ……唇に、触れるぐらいなら。


   其れは……ゆうべも、したわ。


   ……今夜も。


   ……。


   其れ以上のことは……ちゃんと、我慢する。


   ……ちゃんと、ね。


   明日も、忙しくなりそうだからな……疲れが残っては、いけない。


   ……若しも、我慢出来なかったら。


   其の時は……済まないが、力尽くで。


   ……無駄に消耗したくないのだけれど。


   ……。


   ……月に帰るまで、我慢して。


   ん……必ず。


   ……けれど、想いが叶うとは言わないわ。


   気長に待つさ……待つのは、得意なんだ。


   ……嘘吐き。


   マーキュリー……。


   ……そろそろ、温めて。


  5日





   雪は、降り止みそうにないな。


   ……此の辺りは雪深い地域だから。


   其の上、今年は厳冬という奴で、いつもよりも雪が多いんだろう?


   ……ええ、ついていないわね。


   だからこそ、お前は今を選んだ。
   なんせ、身を潜めるには丁度良いからな。


   ……。


   雪が多ければ尚の事、都合が良い。雪に覆われてしまえば、身動きが取り辛くなってしまうだろうから。
   馬の足は使えなくもないのだろうが、此れだけ降って積もっているとどうだかな。少なくとも、襲歩は厳しいだろう。


   ……雪に強い種も居るわ。


   あの中に居たか?


   ……小柄な馬が居たでしょう。


   ん、居たか?


   ……あれは登坂能力や駄載能力が優秀なの。


   とはん……。


   ……斜面を登る能力と、荷物を背に乗せて運搬する能力。


   小さい馬……。


   ……無理に思い出そうとしなくても良いわよ、どうせ明日見ることになるから。


   使うのか?


   ……ええ、使うわ。


   然うか、馬に乗るのは久しぶりだ。
   其のちっこい馬は、あたしでも乗れるかな。


   ……乗れなかったら、走って着いてきて。


   応、分かった。


   ……。


   なぁ、雪に強い種も足が速いのか?


   ……小柄な馬は、駿馬と比べると、然程速くはない。


   が、遅くもないか。


   ……賢くて温厚な気性らしいから、扱いやすいと思う。


   うん、其れならば乗れそうだ。


   ……他にも、重い橇を引く力はあるけれど、足は遅い種も居るわ。


   ん、他にも居るのか。


   ……其の馬はとても躰が大きい、なんせ重い橇を引くのだから。


   あの中に、


   居なかった。


   然うだよな、そんなにでかい馬は居なかったな。


   ……小柄な馬でも、ひとのこを浚えなくもないだろうけれど、基本的には荷物を乗せて運ぶ駄馬だから。


   でも、使えなくもない、か。


   ……折角浚っても、連れ帰る途中で息絶えてしまうかも知れない。


   ん、どうしてだい?


   ……此れだけ、寒いと。


   あぁ、確かに。
   粗雑に扱いそうだもんな。


   ……骨折り損の草伏れ儲け。


   うん、なんだ其れ?


   ……自分で調べて。


   分かった、どれで調べれば良い?


   ……苦労した果てになんの利益にもならず、疲労だけが残ったという例え。


   あ?


   ……面倒だから。


   もう一度言って呉れ。


   ……聞いてなかったの。


   調べようと思っていたからな。


   ……草臥れるだけで、なんの利益にもならないわ。


   然うか、然ういう意味か。


   ……。


   ほねおりぞんのもうけ、だな。
   うん、覚えた。


   ……わざとなの?


   え、何が?


   ……まぁ、良いけれど。


   ほねおって、もうかるんだろ?


   ……いっそ、忘れて。


   分かった、忘れる。


   ……然うなると、労力ばかりで採算が取れない。


   さいさん?


   ……故に、拠点でじっとしていることが多くなる。


   え、と。


   ……どんなに良い商品だったとしても、帰る途中で死んでしまったら、労力の無駄でしょう。


   然うだな、然うなるとまさにほねおりぞんのくたびれもうけだな。


   ……本当に、わざとなの。


   ん、何が?


   ……忘れてと言った筈よ。


   ごめん、覚えてしまったみたいだ。


   ……月に帰還するまで、覚えていれば良いけれど。


   んー、其れは分からないな。


   ……いっそのこと、寒さで自滅して呉れても良かったのだけれど。


   馬?


   ……油虫の方。


   くたばった者は口が利けない。


   ……。


   なんだっけ、なんとかになんとか。


   ……全く、掠りもしないわね。


   くたばると、話せない……あー。


   ……死人に口無し。


   然う、其れだ。
   「に」だけ、合っていたな。


   ……意味は分かっているの?


   くたばった者は口が利けない、つまり、話せない、だ。


   ……良いわ、其れで。


   調べた方が良いか?


   ……其れで良いと言ったでしょう。


   マーキュリー。


   ……はぁ。


   ……。


   ……死んでしまったひとは証言も弁明も出来ない、故に、責めてはいけない。


   然うか、成程な。


   ……直ぐに忘れるでしょう、どうせ。


   いや、意外と覚えているかも知れないぞ?


   ……折角生かしてあげたのに、何も聞けなかったわ。


   うん?


   ……頭目のくせに。


   其れは……責めてる、か?


   ……役に立たなかったと言っているだけよ。


   うん、役には立たなかったな。
   折角、マーキュリーが生かしてやったのに。


   ……。


   あいつ、見るからに詳しいことは知らなそうな顔をしていたからなぁ。
   口が利けたところで、お前が知りたいことはひとつも聞けなかったんじゃないか。
   でもま、ひとつ潰せたから良しとしよう。他の拠点の存在についても知ることが出来たし。
   あ、けど、やらなきゃいけないことが増えたな。早く帰って、お前とゆっくりしたいのに。其処はあまり良くないな。


   ……先刻から、良く動く口ね。


   飯が出来るまで、な。
   あともう少しで出来るぞ。


   然う……其れは良かったわ。


   豆を発酵したので味付けしているから、美味い上に躰が温まる筈だ。


   ……わざわざ、持って来たのよね。


   雪深くて寒い場所と言っていたからさ、ならば、塩よりもこっちの方が良いだろうと思ったんだ。


   ……ま、悪くない選択だわ。


   へへ、然うだろう?


   ……猪。


   マーキュリーも好きだよな。


   ……あなたほどじゃない。


   然し火は良いなぁ、あったかくて。


   ……今からでも、マーズにすれば?


   マーズに?
   何を?


   ……私ではなく。


   うん、其れは絶対にないな。


   ……絶対なのね。


   応、絶対だ。


   ……近付き過ぎると、火傷するわよ。


   はは。


   ……何が面白いのかしら。


   マーキュリー、味見をしてみるかい?


   良い……お茶を飲んでいるから。


   然うか、ならあたしが。


   ……。


   んー……もう少し、か。


   ……あまり味が濃いのは嫌よ。


   分かってるよ、あまり濃くはしないさ。


   ……。


   ほら、マーキュリー。


   ……お茶を飲んでいると言った筈だけれど。


   お前の舌の率直な意見を聞きたい。


   ……。


   頼む。


   ……仕方ないわね。


   はは、ありがとう。


   ……だから、何が面白いの。


   お前とふたりで居れば、あたしはいつだって、楽しい。


   ……こんな面倒な調査でも。


   応、こんな面倒な調査でも、だ。


   ……良いわね、頭がおめでたくて。


   ははっ。


   ……流石に鬱陶しいわ。


   ん。


   ……。


   ……どうだ?


   もう少し……ね。


   ん、分かった。


   ……。


   猪はちっこいのを狩ったから、そんなに脂っこくない筈だ。


   ……猪なんて、本来は居ない筈なのだけれど。


   ん、然うなのか?


   ……雪深い地域では生きていけない。


   へぇ、然うなのか。


   ……此の地域の猪は大分変わっているわ。


   ならば、雪猪というところだな。


   ……雪猪?


   雪深い地域に棲んでいるから、雪猪。


   ……其のまま、安直。


   だけど、分かりやすい。


   ……あなたの頭には丁度良いかもね。


   だろ?


   ……仕方ないから、覚えておいてあげるわ。


   ん、ありがとう。


   ……。


   柔らかくて、美味いぞ。


   ……ええ、知っているわ。


   ふふ、然うか。


   ……。


   然ういえば、思っていたよりも暖かったな。


   ……暖を取る為の火があったから。


   意外と立派なのがあった。


   ……でないと、生活なんて出来やしないわ。


   此れだけ寒いとなぁ、無理だな。


   ……けれど、自分達と高く売れるであろう商品の部屋だけで、奴隷達にはなけなしの火しかなかった。


   小さい火だったな、あれじゃどうにも足らない。
   せいぜい、灯りぐらいだろう。灯りにしても、か弱いが。


   ……奴隷はひとのこではないから、同等の扱いなんてしない。


   駒である奴隷が居なくなったら、不便だろうに。


   ……また浚って来れば良いだけだもの。


   浚い切ってしまって、此の辺りにはもう手頃なひとのこは居ないということはないのか?


   ……いいえ、まだ残っているわ。


   まだ居るのか、ひとのこというのはしぶといな。


   ……此の冬の間に種を胎に仕込んで、暖かくなった頃に生まれる。


   ……。


   ……然うやって、命を繋いできたのだと。


   そして、浚われる?


   ……無事に育つ者も居るんじゃない。


   然うか、育つと良いな。


   ……どうでも良いくせに、そんなことを言って。


   いや、本当に然う思っているよ。


   ……何故?


   なんとなく、だ。


   ……矢っ張り、どうでも良いのね。


   其れが、然うでもないんだよなぁ。


   ……どうだか。


   ひとのこって、全滅する時はあっさりするだろう?
   戦……よりも、病が多いか。


   ……あと、餓え。


   だから、育てば良いと思う。


   ……だから?


   応、だから。


   ……月に帰ったら、忘れてそうね。


   多分、忘れる。


   ……。


   ん、此れで良いか。
   マーキュリー、もう一回頼む。


   ……はぁ、仕方ないわね。


   済まない。


   ……全くだわ。


   ははは。


   ……。


   ……今度は、どうだい?


   ……。


   いまいち、か?


   ……ま、悪くはないわ。


   然うか、ならば、あともう少しだ。


   ……まだ煮込むの?


   あぁ、其の方が美味いんだ。


   ……産めよ、殖やせよ。


   地に満ちよ。


   ……。


   覚えてるぞ。


   ……其れくらいで、胸を張らないで。


   殖えるのも、減るのも、あっさりだけどなぁ。


   ……ひとのこは、此の星に満ちている。


   ……。


   けれど……まだ、足りないと言わんばかりに。


   足りないんだろうな、多分。


   ……欲深い生き物だわ。


   欲深いところは、あたし達も大して変わらないさ。


   ……。


   あたしも、マーキュリーに対しては欲深だからな。


   ……あなたと一緒にしないで。


   ん、此れで良いか。


   ……出来たの。


   応、出来た。
   今、よそろう。


   ……椀の半分で良いわ。


   取り敢えず、だな。


   ……。


   足りなかったら、遠慮なくお代わりして呉れ。
   明日はまた潰しに行くんだ、確りと食べておいた方が良い。


   ……。


   ん、どうした?


   ……なんでもないわ。


   雪が気になるのか。


   ……どうして?


   ただの勘だ。


   ……。


   なんでもないのなら、良いんだ。


   ……此の静けさが月にもあれば良いと思っただけ。


   月も、静かだとは思うが。


   ……雪のように、音を吸収するものが月にはない。


   音を吸収……。


   ……あなたは何処に居たって、五月蠅いけれど。


   食い終わったら、静かにする。


   ……今夜は、先に眠っていても良いわよ。


   横になって、待っているよ。


   ……待たなくて良い。


   マーキュリー、待たせたな。
   熱いから、くれぐれも気を付けて呉れ。


   ……。


   次にあたしの分を、と。


   ……。


   ……冷ましてやろうか?


   要らない。


   ふふ……然うか。


   ……。


   なぁ、マーキュリー。


   ……なに。


   戻ってきた時に屋根の雪下ろしはしたが、明日の朝まで持って呉れると思うか。


   ……眠る支度として、もう一度すれば良い。


   応、然うするか。


   ……。


   明日は何時時分(いつじぶん)に出るんだい?


   ……日が沈む頃までには到着するつもり。


   と、なると……何時だ?
   朝は早いのか。


   ……昼前に出る。


   昼前か……朝飯は軽い方が良いな。


   ……。


   然ういえば、蓬茶はどうだい?


   ……悪くはない。


   蓬は躰を温めるからな、こんな場所で飲むには最適だ。


   ……わざわざ、持って来て呉れて。


   良し、食うか。


   ……いちいち言わないで良い。


   いただきます。


   ……。


   ん、熱い。


   ……自分で言っておいて。


   ふぅ……。


   ……。


   ……ん、美味いな。


   然う……良かったわね。


   山鳥や兎も美味いが、猪も美味い。


   ……あなた、熊も好きでしょう。


   あれも、美味いな。


   ……鹿も。


   其れも美味い。


   ……良いわね、なんでも美味しくて。


   其の中でも、猪が一番美味いと思う。


   ……豚は?


   あぁ、豚も良いな。
   あと、牛。


   ……良いわね、単純で。


   マーキュリー、そろそろ食えると思うぞ。


   ……言われなくても。


   ん。


   ……。


   どうだ、柔らかいか?


   ……まぁまぁ。


   ん、十分だな。


   ……。


   ……。


   ……。


   ……本当に静かだな。


   あなたが喋っていなければ……ね。


   ……。


   ……。


   ……お前と居るから、此処に居られる。


   は……?


   ……あたしは苦手だ、なんか吸い込まれそうな気がする。


   吸い込まれるって……そんなわけ、ないでしょう。


   ……然うなんだけどな。


   ……。


   あと……雪のこすれる音も、少し苦手だ。


   ……。


   気のせいかも知れないけど。


   ……気のせいではないわ。


   ……。


   ……私にも聞こえるもの。


   なら……気のせいではないな。


   ……。


   ……あたしは、ひとりでは無理だ。


   あぁ、然う……残念だわ。


   ……心に、積もる。


   ……?


   ひんやりとした寂しさに……何処か、似ているように感じる。


   ……随分と感傷的ね。


   ん、なんでだろうな……なんとなく、然う思ったんだ。


   ……然う。


   春が来るまで、融けない……。


   ……心に、雪は降らないわ。


   ……。


   ……降ったとして、躰内の雷気で。


   雷気では、融けない……お前の温もりでないと。


   ……マーズの炎なら。


   其れでも、融けない……マーズの炎の熱は、あたしの心までは届かないから。


   ……。


   ……猪の子、美味いな。


   悪くはないわ……多くは、食べられないけれど。


   ……もう、半分。


   食べられそうだったら……ね。


   ……うん。


   ……。


   ……なぁ、マーキュリー。


   だから。


   ……え。


   一緒に眠って欲しいなんて、言わないで欲しいのだけれど。


   ……。


   ……だけど、まぁ、良いわ。


   良いのか?


   ……良いと言っている。


   やった……。


   ……今夜は、早めに休むわ。


   ん、然うしよう……。


   ……。


   ……はぁ、矢っ張り猪は美味い。


   良かったわね……猪が食べられて。   


  4日





  -Sweet Child O’ Mine(先代+ちび)





   残りはもう居ないな。
   良し、仕舞いだ。


   ……。


   さて、マーキュリーは何処へ行ったかな。あいつのことだから、其処ら辺で……うん、見当たらないな。
   仕方ない、探しに行くか。何処かで転んで、足を捻って動けなくなって、あたしの助けを待っているかも知れない。


   莫迦なの。


   お、マーキュリー。
   丁度良かった、今からお前を探しに


   ……。


   ん、何処へ行くんだ?


   調査をしに。


   直ぐにか、少し休んだ方が良いんじゃないか。


   あなたは休んでいて、草臥れているだろうから。


   草臥れてはいない、お前が行くのならあたしも行く。
   あたし達は常に、ふたりで


   鬱陶しいから、其処で見張っていて。


   見張っていても良いが、もう残っていないだろう?


   命からがら、逃げ出した者が数名居る。
   其れらが戻って来るかも知れない。


   来るかな、あたしとしては勧めないが。


   あなたのお勧めなんて、誰も聞きやしないわ。


   其れは然うだな。


   と言うわけだから、


   お前をひとりにするわけにいかない。


   私なら、ひとりでも問題ないわ。


   問題ないかも知れないが、万が一ということがある。


   ない。


   何事も可能性は零ではない、だろう?


   あなたが居るのだから、零にして。


   成る可く、零に近付けるように尽力する。


   であるならば、


   あたしは、お前から離れるべきではない。


   食い下がるわね。


   応、あたしは食い下がるぞ。


   ……。


   ん。


   ……少し、汚れているわね。


   あぁ、此れか。
   心配は要らない、あたしの血ではないから。


   後で、水浴びでもした方が良さそうだわ。


   水浴び……。


   まさか、そんな薄汚れたままで私の傍に居ると言うの?
   調査中ならば致し方ないとしてあげても良いけれど、眠る時は許さないわ。
   今夜は、小屋の外で


   雪、だったか。


   雪が、何か。


   あれ、冷たいよな。


   雪に温かいものなんてないわね。
   そもそも、雪になりようがないから。


   其れが降っている中で、水浴びをするのは……流石のあたしでも、心臓が止まってしまいそうだ。


   あなたの場合、止まってもまた動き出しそうだわ。


   動き出すかも知れないが、出来れば、止めたくはない。


   動き出すのなら良いでしょう、一時期的に停止しても。


   そもそも、止まってしまったら躰を洗えない。
   心臓が止まれば、躰も止まるから。


   あなたなら、


   痙攣くらいはするかも知れないが、意思を持って躰を洗うのは、あたしでも無理だよ。


   然うかしら。


   然うなんだ、期待に添えなくて済まない。


   躰を綺麗に出来ないのであれば、今夜は一緒に


   小屋の中で、綺麗にする。


   水で?


   水を、温めて。


   わざわざ、沸かすというの?


   応、お前も使うだろうし。


   私は使うわ。


   だろう?
   だから、一緒に。


   あなたって。


   あたしって?


   頑丈なくせに、低温は駄目なのよね。


   寒すぎるのは、流石に無理だ。


   雷気が熱を発していても?


   其の間は感じないが、大人しくなったらもう駄目だ。あっという間に凍えてしまう。
   然うなってしまったら、マーキュリーの温もりでないと……?


   ……。


   待って呉れ、マーキュリー。


   待たないわ、ジュピター。


   然うか、ならば追い付けば良いんだな。


   追い付いて呉れなくても、良い。


   直ぐに追い付く……うん、追い付いた。


   鬱陶しいわね。


   然うだ。


   何。


   後方支援、ありがとう。
   おかげで上手く動けた。


   あぁ、然う。
   其れは良かったわ。


   あたしは矢っ張り、お前が居て呉れた方が思うように動ける。


   他の者でも、動けるようになるべき。


   他の者でも、動けなくはない。
   だだ、お前が一番なだけなんだ。


   迷惑な話。


   お前が無事で良かった。


   当たり前でしょう。


   応、当たり前だ。
   あたしが居るのだからな。


   ……。


   マーキュリー?


   ジュピター。


   ん、なんだ?


   此処から空気の流れを感じる、壊して。


   応、分かった。


   くれぐれも、他を崩さないように。


   分かってる。


   ……。


   ふぅ……雷気よ。


   ……。


   ……此れで、どうだ?


   まぁ、良いわ。


   隠し部屋……隠し通路か。


   小賢しい。


   マーキュリー。


   ……何。


   あたしが先に。


   あなたは後ろに。


   後ろよりも、


   水気よ。


   お。


   凍て付け。


   ……。


   此れで良いわ。


   此れは、凍て付いたなぁ。


   誤って、足を滑らせて頭を打って呉れても良いわよ。


   ん、滑らないように気を付ける。


   別に良いのに、気を付けなくても。


   あたし、わりと得意かも知れない。


   どうでも良いわ。


   氷の上を滑ると、意外と楽しいんだ。


   滑って転んで頭を打ったら、其の時は置いていくから。


   応、気を付ける。


   ……。


   結構、深いか。


   然うでもないわ。


   ん。


   ……。


   ……凍っているな。


   聞きたいことがあるから、もう少しだけ、生かしておきたいのだけれど。


   此のままだと、心臓が止まるんじゃないか。


   どれくらい持つかしら。


   思うほど、持たないかも知れないぞ。


   話を聞くことが出来れば、其れで良いの。


   顔だけ融かしてみたらどうだ?


   喚かれたら、五月蠅いのよね。


   其の時はあたしが黙らすさ。


   力の加減を間違えたら、躰ごと砕けてしまうかも知れないわ。


   頭が残っていれば、話せたりはしないか。


   無理ね、あなたならば可能かも知れないけれど。


   うん、あたしでも無理だな。


   マーズの力があれば、聞けるかも知れない。


   生憎、マーズは月だ。
   其れとも、今から呼ぶか?


   呼ばない。


   手間だもんな。


   ……。


   此れ、頭目か?


   だと、思われる。


   ひとりでこんなところに隠れていたのか、情けない奴だな。


   ……水気よ。


   ん。


   ……。


   ……お、顔が出てきた。


   聞かせてもらうわ。


   聞かせてもらおうか。


   まずは、あなたと教団の関係について。
   立場としては、限りなく下であることは分かっているわ。
   だから、知っていることだけで良い。全部、洗いざらい、吐いて。


   素直に吐いた方が身の為だ。


   終わったら、捨てるわよ。


   まぁ、然うだな。


   ……。


   マーキュリー、なんだか言っているようだが全然分からないぞ。
   あーだの、うーだの、そんなことしか言ってないように聞こえる。


   実際に、其れしか言っていないわ。


   話せないのか。


   此れは駄目ね、使えない。


   どうするんだ?


   どうもこうもない、あなたなら生かす?


   生かさないな、生かしておいてもろくなことをしないだろうから。


   然ういうこと。


   顔を左右に振っているな。


   教えて。あなたが殺したひとのこの数は、幾つ?
   あなたが売り飛ばした数と、どちらが多い?


   あの中に、お前の子も居るんだよな?
   居ない子は売ったんだろう? 良い金になったか?


   あなたのたったひとつの命では、到底、償えないと思うの。
   だからと言って、あなたを生かしたところで、償えるとも思えない。


   生かしたら、お前はまた、ひとのこを浚って、犯して、売り飛ばして、殺すだろう。
   教団の教えとやらに、則って。本当は、己の欲のままに動いているだけにも関わらず、な。


   命乞い、どれ程の数のひとのこがあなたの前でしてきたの?
   あなたは其の声に耳を傾けたことが、一度だって、あるの? 恐らくは、ないわよね?


   あるとは、思えないな。
   なぁ、然うだろう?


   まぁ、然ういうわけだから、あなたは此のままで居て頂戴。
   残念ながら此処は寒冷地だから、其の氷は春が来るまで融けることはないわ。


   暖かい春が来て呉れると良いな。


   とは言え、私の意思で融かすことも出来るのだけれど。


   暖かい春が来ても、なかなか融けなさそうだ。


   ジュピター。


   応。


   其れを見ていて。


   見るのなら、お前が良い。


   五月蠅い。


   なぁ、マーキュリー。


   何。


   此れ、もう力尽きているぞ。


   もう?


   息をしていない。


   ……。


   な?


   全く、役に立たなかったわ。
   其れなりの規模だったから、期待していたのに。


   然うは、全く見えなかったが。


   何か言ったかしら。


   此処に、何か手掛かりはありそうか?


   あれば良いわね。


   あたしは……手を出さない方が良さそうだな。


   あなたは、其れを。


   此のままで良いんじゃないか、此れの居場所は此処だろうしさ。


   目障りだから、出来るだけ脇に退けておいて。


   ん、分かった。


   ……。


   話せば、分かるか。


   分からないわね、知性を持たない者と話したところで何も分からない。
   時間の無駄でしかないわ。


   話しても、会話が成り立たないもんなぁ。


   あなたもよ、ジュピター。


   あたし達は、言葉を交わさなくても、通じ合っているからな。


   は。


   此れで、視界から消えたか。


   今はね。


   ん、其れは良かった。
   然し、ひんやりしたな。


   ……。


   何かあったか?


   こんなもの、隠し持っていたところで何かの役に立つものかしら。


   礫として、指で弾き出すことは出来るんじゃないか。
   頭を打てば脳を揺らすことが出来るし、目を打てば潰せる、喉を打てば息を止められるし、


   ただのひとのこでは無理。


   ん、然うか。


   ただただ、欲を満たすことだけに。


   ひとのこを売り飛ばすと、金だけでなく、此の石にも替えることが出来るんだろう?


   金で買うことも出来るわよ。


   こういう石、なんて言ったか。


   玉石。


   然うだ、玉石。
   マーキュリーは欲しいかい?


   然うね、欲しいわ。


   然うか、其れなら


   何かしらの実験に使えそうだから。


   うん、良いな。


   でも、此処にあるものは要らないわ。


   あたしが贈ったものでないと要らないか。


   別に、贈って呉れなくても良い。


   帰還する前に、ひとつくらい。


   考えてみれば、実験にも使えなそうだから。


   お前には……青が似合いそうだ。


   要らないわよ。


   帰還する前に言って呉れ、忘れてしまうかも知れないから。


   都合の良い頭ね。


   はは。


   ……ん。


   ん、何かあったか。


   ……。


   マーキュリー……?


   ……あったわ。


   おー。


   ……ねぇ、ジュピター。


   なんだい、マーキュリー。


   お願いがあるのだけれど。


   応、言って呉れ。


   もうひとつ、潰して。


   分かった、任せろ。


   ……。


   もう、良いのか。


   ええ、もう良いわ。


   良し、其れじゃあ出ようか。


   ……。


   もうひとつは、此処から近いのか。


   ……近くはないけれど、遠くもないわ。


   然うか。


   ……。


   潰すのは、明日の夜か。


   ……然うね、だから今夜はゆっくり休んで。


   お前と?


   勿論、ひとりで。


   やった。


   ひ、と、り、で。


   お前と一緒なら、ゆっくりと休める。


   ……。


   ん、どうした?


   ……目を覚ました者が居る。


   どれ……お、本当だ。


   ……状況が分かっていないようね。


   まぁ、分からないだろうな……目を覚ましたばかりでは、意識もぼんやりとしているだろうし。


   ……。


   手の甲に。


   ……印が刻まれていたわね。


   あれ、教団の印だろう?


   ……ええ、然うよ。


   此れから、どうするかな。


   どうしようとも、私達には関係ないわ。


   ま、然うだ。


   ……。


   然し、青い星の民は殖えるのが速いな。


   生まれて十数年で次を産むことが出来るんだもの、当たり前よ。


   けれど、減るのも速い。


   減らす、が、正しいわね。


   ん、然うか。


   まるで油虫のようだわ。


   あぶらむし?


   潰しても潰しても、湧いてくる者の例え。


   ……。


   潰しても屹度、新しい者がまた湧いてくるわ。


   ……然うだろうな。


   ……。


   此れで、何度目だっけか。


   知りたい?


   いや、矢っ張り良いや。


   何度でも、やらなければならない。


   面倒だな、青い星でどうにかして呉れないものなのか。


   潰してはいるようだけれど、間に合っていない。
   なんせ、次から次へと湧いてくるんだもの。


   ……其の切っ掛けを作っているのもまた、ひとのこか。


   ……。


   ん……なんだ?


   ジュピターのくせに。


   お、褒められた。


   褒めてはいない、出るわよ。


   小屋に戻ったら、躰をきれいにしよう。飯は、其れからだ。
   そうそう、今夜は猪だから楽しみにしてて呉れ。


   其の前に、美味しいお茶を淹れて欲しいわね。


  3日





   ……うん。


   どう?


   とても元気そうだ。


   然う、良かったわ。
   ならば、此の子も


   此の子は此のまま、マーキュリーの部屋に置いて呉れないかな。


   私の部屋に?


   うん、だめかな。


   ……理由を聞いても良いかしら。


   此の子、どうやらマーキュリーの部屋が気に入ったみたいなんだ。


   其の子が然う言っているの?


   うん、言ってる。


   ……私の部屋にはもう、あなたから贈られた子の子孫が居るわ。


   出来れば、一緒に並べてあげて欲しい。
   此の子は、其の子達とも仲良くしたいみたいなんだ。


   ……本当に然う言っているのね?


   うん、本当に然う言ってる。


   ……。


   だめかい。


   ……良いわ、置いてあげる。


   はは、やった。
   良かったな、マーキュリーの部屋に此れからも居られるぞ。


   ……ふ。


   と言うわけで、末永く宜しくお願いします。


   末永く?


   あたしと共に。


   ……矢っ張り、考え直そうかしら。


   そんなこと、言わないで。


   ……。


   お願いだ、マーキュリー。


   ……ふ、分かったわ。


   ん、決まりだ。


   だけど、あなたも見てあげてね。


   うん、勿論だよ。
   定期的に様子を見にくる。


   ……。


   ん?


   新しい口実が出来て、良かったわね?


   へへ。


   全く。


   ねぇ、マーキュリー。


   なぁに?


   良かったら、此の子に名前を付けてあげて。


   名前?


   マーキュリーに名前を付けて欲しいみたいなんだ。


   ……どうして?


   マーキュリーに呼んで欲しいんだって。


   ……そんなこと、本当に其の子が言っているの?


   ん、言ってる。


   ……。


   マーキュリーも、耳を澄ませて……。


   ……残念ながら、私には聞こえないわ。


   おかしいな、若しかしたら照れているのかも知れないな。


   緑の声は、あなたにしか聞こえないの。
   幾ら耳を澄ましたところで、私には何も聞こえない。


   いつか、マーキュリーにも。


   あなたには然う言われて来たけれど、未だに聞こえそうな気配すらないわ。


   だけど、今はもう、大分分かるようになった……だろう?


   何を。


   緑の状態。
   元気か、元気じゃないか。


   其れは……ある程度なら、分かるわ。


   其れもまた、声を聞くことだと思うんだ。


   ……。


   似たようなこと、子供の頃に言わなかったっけ?


   ……言われたかも知れないけれど。


   じゃあ、改めて言おう。


   良いわ、子供の頃に言われたみたいだから。


   言わなくて良い?


   確かに言って呉れたのでしょう?


   マーキュリーが憶えていないと……少し、不安になる。


   あなたが然う記憶しているのなら、屹度然うなのでしょう。


   ……其れで、良いのかい?


   私に関しての記憶は、信用出来るもの。


   ……マーキュリー。


   其れに……記憶の海から零れ落ちてしまったものも、あるから。


   ……あ。


   折角、あなたが掬って呉れたのにね。


   ……ごめん、全部掬えなくて。


   良いの、零れ落ちたと言っても僅かだと思うから。


   ……うん、僅かだと思う。


   ……。


   ……。


   ……ジュピター。


   ん。


   ……誰が触っても良いと言ったの?


   うん……ごめん。


   其れにしても、緑に名前ね……。


   ……だめかな。


   名前と言われても……緑に名付けたことなんて、一度もないし。


   あたしもない。


   ……あなたね。


   だけど、此の子には何か良い名前を……と、思うんだ。


   理由は?


   分からない。


   ……。


   今直ぐでなくても良いよ。
   何か良い名が思い付いたら、其の時に名付けてあげて欲しい。


   ……何も思い付かないかも知れないわ。


   其れなら、其れで。


   ……無理に名付ける必要はないと。


   うん。


   ……。


   皆、葉の状態が良い……マーキュリーに大事にされているのが良く分かる。


   ……あなたも、大事にしていたわ。


   うん……今でもしているよ。


   ……ならば。


   ならば?


   私だけでなく、ふたりで考えるのはどうかしら。


   ふたりで?


   然う、ふたりで。
   其れならば、良い名が思い付くかも知れない。


   うーん……其れも、良いかな。


   其れで、


   ねぇ、其れでも良いかい?


   ……ちゃんと確認して呉れるのね。


   其れは、勿論。


   ……で、返答は。


   其れでも良いって。


   ……あぁ、然う。


   うん。


   ……ねぇ、ジュピター。


   なんだい?


   此の子にだけ名前を付けたら、此の子は特別ということになるわ。


   特別?


   つまり、他の子達とは違う存在になってしまうけれど、あなたは其れをちゃんと分かっている?


   んー……。


   ……分かっていないの。


   ならば、皆に付けよう。


   ……。


   其れならば、此の子だけが違う存在になってしまうことはないだろう?
   言われてみれば、自分だけ他とは違う存在になってしまうのは淋しいかも知れない。


   ……特別な存在になりたがる者も、居るけれど。


   時間を掛けて、ふたりで皆に名前を付けてあげよう。
   先ずは、此の子から……いや、思い付いた順でも良いかも知れないな。


   ……そんなに思い付くかしら。


   意外と、思い付くんじゃないかな。


   ……楽観的ね。


   はは。


   ……。


   早速、何か思い付きそう?


   そんなに直ぐには思い付かない。


   あ、はい。


   ……。


   ……マーキュリーは、何か思い付きそうな顔をしている。


   どんな顔?


   ……こんな顔?


   何よ、それ。


   ははは。


   ……シュイ。


   ん、なに?


   此の子の名前。


   ごめん、もう一度良いかな。


   聞いてなかったの?


   そんな直ぐには思い付かないと言っていたから。


   思い付きそうな顔をしていると言ったのは、だぁれ?


   はい、あたしです。


   ……。


   此の子の名前は、シュイ?


   ……気に入らなければ、また考えるけど。


   いや、良いと思う。


   ……そんなあっさりと。


   一応、由来を聞いても良いかい?


   由来なんて大層なものはないわ。


   ん、然うなの?


   強いて言えば。


   言えば?


   青い星の、とある地域の言語から。


   意味は?


   水。


   水……シュイ。


   と、なれば……此方は、レェイかしら。


   レェイ?


   雷という意味。


   シュイとレェイ……うん、とても良いな。
   まるで、あたし達の子供のようだ。


   どうして然うなるの?


   水と雷だから。


   単純ね。


   ね、今日から新しく加わる此の子の名はどうしようか。


   其の子の名前は、まだ。


   ん、そっか。


   ふたりで考えると言ったでしょう?


   ふふ、然うだった。
   だけど、思っていたよりもあっさりと思い付いたね。


   あなたの小憎らしい顔を見ていたら、急に思い浮かんだの。


   青い星の言語が?


   然う。


   流石、マーキュリー。


   別に、流石ではないけれど。


   ふふ。


   三文字ならば、と言っても実質二文字みたいなものだけれど、短いし、あなたでも憶えていられると思うの。
   あまり長いと忘れるか、頭の中でこんがらがりそうだから。


   あたしのことだから、なりそうだなぁ。


   ひとではなく緑だから、憶えていそうではあるけれど。


   ひとの名前は三文字でも忘れる自信がある。


   胸を張って言うことではないわ。


   ……。


   ん、なに。


   ……師匠は、顔も憶えられなかったんだよなぁって。


   其れは……あなたも、でしょう。


   ん、あたしもなんだけど……一応、顔は見えるんだ。
   ただ、似たり寄ったりに見えるだけで……化粧をしていると、余計に。


   ……だから、憶えられない。


   特徴があれば、記憶の片隅に少しは引っ掛かる可能性があるんだけど。


   特徴があればね……あと、興味。


   師匠の場合は特徴があっても、あたし達以外のひとの顔が分からなかった。


   ……。


   あたし達を引き取るまでは、先生の顔しか見えなかったんだ。


   ……故に、不良品若しくは欠陥品と言われた。


   ん……師匠は気にしてなかったみたいだけどね。


   ……だけど、どうしてそんなことを?


   なんとなく、思い出した。


   ……脈絡がありそうで、ないけれど。


   はは……。


   ……お師匠さんは。


   ん?


   ……緑に名前なんて、付けていなかったのかしら。


   聞いたこと、ないけど……あぁ、でも。


   何?


   緑や畑の作物のことを、たまにちびって呼んでいたような気がする。


   ……ちび?


   然う、ちび。
   本当にたまにだけどね。


   ……あなたのことも、ちびと呼んでいたわ。


   師匠にとって、自分よりも小さきものはちびなんだ。


   ……。


   憶えやすいだろう、ちびって。
   たったの二文字だし。


   ……お師匠さんにとって、守るべきものだったのかも知れない。


   守る……?


   ……或いは、大切なもの。


   大切……然うなのかな。


   ……分からないけれど。


   ……。


   私も、一度で良いから……。


   ……メルのことも、呼んでいたよ。


   え……。


   ……先生と、ふたりの時にね。


   どうして、あなたが知っているの……?


   ん……夜中に、ふたりが話しているのを聞いたんだ。


   ……教えて呉れれば、良かったのに。


   寝たら、忘れちゃって……今まで、思い出さなかったんだ。


   ……。


   ……ごめんよ、思い出すのが遅くなってしまって。


   良いわ……だって、あなただもの。


   ……ん。


   ……。


   ……緑の部屋の子達も、ちびかも知れないな。


   屹度、然う……。


   ……皆、同じ名前だ。


   名前は同じでも、お師匠さんにとっては……どの子も、特別に違いないのだろうから。


   ……ちびで、良いかな。


   あなたが良ければ、私は構わないけれど。


   ……いや、矢っ張りマーキュリーと考えたい。


   然う……分かったわ。


   ……薄紅色の花、根付いたんだ。


   其れは良かった。


   ……マーキュリーが、装置を直して呉れたおかげだ。


   然ういえば、装置の調子はどう……?


   ん、とても調子が良いよ。


   何かあったら、直ぐに言って。


   うん、直ぐに言う。


   ……。


   ふたつの子の名前と、此の子の居場所が決まったところで……お茶にしようか。


   ……然ういう流れ?


   うん、然ういう流れ。


   其れならば……美味しいお茶が飲みたいわ。


   任せて、美味しく淹れるよ。


   ……。


   麦包、結局みっつ全部食べてしまった。
   マーズに知れたら、怒られるかも知れないな。


   ……プリンセス?


   然う、プリンセス。


   ……あなたも怒られると思うわ。


   え、あたしも?


   食べさせた張本人だもの。


   だけど、マーキュリーも


   私が、なに?


   ……マーズからは、まだ何も聞いていないし。


   其の時に言うんじゃない?


   んー……其れは少し、理不尽かな。


   わりと理不尽なところもあるでしょう、マーズって。


   ……然うなんだよな。


   仕方ないから、一緒に怒られてあげるわ。


   ありがとう。


   ……。


   マーキュリー?


   ……ねぇ。


   あの、一緒に怒られるのが嫌なら……。


   ……そんなの、大したことではないわ。


   ……。


   ……プリンセス、嬉しそうに食べていたわね。


   ん、然うだね。
   てっきり何か言われると思っていたから、少し拍子抜けしてしまったけれど、食べて呉れて良かったよ。


   ……。


   さて、今回のお茶は、あたしの好きな……。


   ……ねぇ、ジュピター。


   うん、なんだい?


   プリンセスはあなたに、今でも我儘を言っているのよね。


   うん、言っているよ。
   特に鍛練の時は……?


   ……。


   何か、気になることでもあるのかい?


   ……プリンセスのあなたへの態度が、以前とは少し変わったような気がするの。


   え、然うかな。


   あなたは何も感じていない?


   んー……相変わらず、我儘は言うしなぁ。


   ……甘味について、我儘を言われることは?


   甘味について?


   ……以前と比べて、どう?


   然ういえば……あまり、言われないかも。


   ……。


   だけど、たまたまじゃないかなぁ。
   何が食べたいと、希望は言うし。


   ……作る前に?


   うん、最近は作る前に言われることが多いかな。


   ……我儘なところは、変わっていない。


   と、思うけど……。


   ……だけれど、態度は変わったように思える。


   態度……。


   ……以前は、あなたにもっと甘えていたような。


   ……。


   だけど、然うね……変わっていないのなら、良いの。


   言われてみれば……最近は、あまり。


   ……ない?


   鍛練の時、泣き言は言うけれど、前よりは甘えてこない……ような気がする。


   ……。


   あたしとしては、やりやすいから良いんだけれど……マーキュリーは、気になるんだね。


   ……ええ、少しね。


   何か問題があるなら、あたしも考えるけど……どうだろう。


   ……問題は、寧ろ、ない。


   ない……?


   ……。


   マーキュリー……。


   あぁ……若しかしたら。


   なに……?


   プリンセスは、あなたに……恋心を、もう、抱いていないのかも知れない。


   え。


   あなたを見る瞳の色が……以前とは、違うような気がする。
   以前はもっと、甘えを含んだ……然う、自分だけを見て欲しいような……そんな欲が、分かりやすく滲んでいた。


   もう、滲んでいない……?


   ……改めて、確認してみるつもりだけれど。


   欲の色……あたしには分からないな。


   あなたには……あぁ。


   今度は、なに。


   今日、感じた違和感……其の正体は、此れだわ。


   え、違和感なんて感じていたの?


   ……ええ、然うよ。


   言われなかったけど……。


   ……だから今、言ったわ。


   違和感は、えと……プリンセスの瞳の変化?


   ……私への態度も、変わっていたの。


   ……。


   避けられるようなことも……疎ましそうに見られることも、なかった。


   ……分かって呉れたのかな。


   と言うより……あなたを恋慕う心と同じように、私への複雑な感情もなくなったように思える。


   ……。


   諦めた……いえ、其れとは何処か違うような気がする。


   ……浄化された?


   ……。


   気持ちも、一緒に。


   ……あ。


   ち、違うか。


   ……違うとは、言い切れない。


   ……。


   記憶と一緒に、気持ちも……ないとは、言えない。


   ……気持ち悪いな。


   ジュピター……?


   今回のことは……色々、気持ちが悪い。


   ……。


   使者への持て成しだけだ……すっきりしているのは。


   ヴィーナスのおかげ、ね……。


   ……あぁ。


   ……。


   ……暫く、様子を見てみるよ。


   うん……私も見てみるわ。 


  2日





   ……。


   ……


   ……。


   ……ジュピ、ター。


   目が覚めたかい……マーキュリー。


   ……おはよう。


   うん……おはよう。
   ゆうべは、良く眠れた……?


   ……あなたのおかげで。


   ん……良かった。


   ……はぁ。


   まだ、寝足りない……?


   ……ううん、もう十分。


   もう少しだけだったら……時間、あるよ。


   ……此れ以上眠ったら、かえって、頭の中がぼやけてしまうから。


   ん、そっか……まぁ、寝過ぎも良くないよね。


   ……ええ。


   ……。


   ……だけど、本当に疲れたわ。


   えと……矢っ張り、もう少しだけ眠った方が。


   心配しないで……今は、ゆうべよりはすっきりしているから。


   疲れ……幾らかは取れた?


   ……大分、取れたわ。


   そっか……。


   ……疲れって、どうしてどっと出るのかしらね。


   気が張っている時は感じない、と言うより、気が付き難いのだと思う。
   だから、気が緩んだ瞬間にどっと出る……ように、感じるんじゃないかな。


   ……。


   む……。


   ……ジュピターのくせに。


   あたしも、経験あるからさ……。


   ……知ってるけど、なんとなく癪。


   はは……。


   ……ふふ。


   あのさ、寝過ぎても疲れるよね……。


   然う……だから、起きないと。


   だけどもう少しだけなら、横になっていても良いと思うんだけどな……。


   ……湯浴みがしたいの。


   湯浴み……一緒に?


   ……ひとりで、ゆっくりとしたいのだけれど?


   邪魔はしない……隣に、居るだけ。


   隣、ね……どうしようかしら。


   帰って来て、まだ一度も一緒にしていないから……。


   ……お互い、忙しかったからね。


   ゆっくり、お茶も飲めていない……。


   ゆうべ……眠る前に、ゆっくりしようと思っていたのに。


   ……待ち切れなかったんだ。


   ばかね……。


   ……ん、ごめん。


   ……。


   マーキュリー……?


   ……緑、元気になったようで良かったわ。


   うん……まだ少し元気がない子も居るけれど、大分、良くなった。


   ……一週間も、帰れなかったから。


   水の加護のおかげだ……。


   ……気休め程度だったのに。


   そんなことない……水の加護がなかったら、きっと、皆は。


   ……基本的に、緑は逞しいわ。


   逞しい……?


   ……然う、あなたのようにね。


   ん……。


   ……起きるまで、話をしましょうか。


   話……うん、良いよ。
   何を、話そうか……。


   ……然うね。


   うん……。


   ……其方は、どう?


   其方……?


   ……鍛練の状況。


   あぁ……相も変わらず、だ。


   ……少しも、改善されていない?


   以前と比べる必要がないくらいに、変わっていない……昨日も、ぶつぶつと泣き言を言っていたよ。


   ……然う。


   其方はどうだい……?


   此方は……此方も、大して変わっていないわ。相変わらず、居眠りをしていて……起こしても、上の空。
   ひたすら、退屈そうにしている……講義の半分、いいえ、三分の一も聞いていない。


   あー……変わってないね。


   分からないことを分からないままにしてしまうから、なかなか次へ進めないの。


   挙句、分からないことが分からない……だろう?


   兎に角、考えることをしないのよ……思考を放棄していると言っても、過言ではないわ。


   そして……其れで良いと、思っている。


   分からないままでも、別に構わない……分からなくても、困ることはないと。
   自分の置かれている立場が、丸きり分かっていない……。


   ……困るのは、主に下々の者達だ。


   関係がないのでしょう……其れすらも、知ろうとしないのだから。


   ……困ったものだな。


   知識に対して好奇心を抱くことが全くないのよね……其れこそ、自分の興味のあることにしか動かない。


   と言うより、動きたくない。


   ……知識を重ねていくことほど、楽しいことはないのに。


   マーキュリーにとっては、然うでも……プリンセスにとっては、然うじゃないんだ。


   けれど……楽しくなかろうが、積み重ねていかなければならない。


   ……鍛練も、然うだ。


   ……。


   楽しくなかろうが、体力はちゃんと付けてもらわないと。
   直ぐに疲れてしまっては、何も出来ないから。


   ……食べることと眠ることは、出来るわね。


   どちらも、プリンセスの好きなことだな……。


   ……ええ、とても。


   ……。


   ジュピター……?


   ……最近、どうやら気にし始めたみたいなんだ。


   何を……?


   ……自分の躰が、他のひとよりもまぁるいこと。


   然うなの……?


   聞くところによると、ヴィーナスに揶揄われたらしい……其のままだと、顔だけでなく、躰までまん丸になってしまうと。


   ……あぁ。


   言われた時は、意味が分からなかったみたいなんだけど……言われ続けているうちに、まぁるいことは恥ずかしいことなのだと、思い始めたみたいで。


   ……言い続けたのね。


   うん……然うみたいだ。


   ……マーズには、諫められなかったのかしら。


   多分、マーズは諫めたと思う……だけどヴィーナスがやめなかったということは、半ば、黙認していたのかも知れない。
   マーズとしても、まぁるいプリンセスは日頃の節制が出来ていない証拠だと、快く思っていなかったのだろう。
   丸かろうが、少しでも鍛練していれば、また違ったのかも知れないけど。


   ……食事の量を制限して、鍛練を真面目にしていれば、いずれ解消されるわ。


   講義を真面目に受けて、頭をうんと働かせることも、効果があると思う。


   ……だけど。


   苦しいことは、嫌がるだろうしな……。


   ……時間を掛けて、改善していくしかないわね。


   やる気を出して呉れれば、なぁ……。


   ……近いうちに、何かしらマーズに言われるかも知れないわ。


   あぁ、言われそうだ……。


   ……マーズはもう、厳しくしているのだろうし。


   食事の制限……?


   ……急激には減らさず、気付かれない程度に。


   うん……やってそうだ。


   ……ヴィーナスが間食を与えようものなら。


   怒るだろうな……。


   ……。


   ……食べ物、か。


   プリンセスにとって、食べることも楽しみのひとつなのよね……。


   ……マーキュリーも、今なら分かるだろう?


   分からなくはないわ……あなたが居れば、だけれど。


   ……ん、其れでも良い。


   ……。


   ……ねぇ、マーキュリー。


   うん……?


   プリンセスに一度、青い星の映像を見せたことがあったろう?


   ……突然、何。


   食べ物で、思い出して。


   ……良く、忘れなかったわね。


   うん、マーキュリーに誘われたことだから。


   ……あなたが勝手に付いて来ただけよ。


   誘って呉れて、嬉しかったな。


   私は、話しただけ……誘ってはいない。


   ……嬉しくて、マーキュリーの好きなお茶の用意をしたんだ。


   上映会ではなく、あくまでも講義の一環だったのだけれど……。


   ……プリンセスは、お茶と甘味があった方が大人しく見て呉れると思ったんだ。


   お茶と甘味に、まんまと興味を奪われてしまったけれどね……。


   ……其れでも、寝ないで見ていただろう?


   見ては、いたけれど……映像に関する感想文がお茶と甘味のことで半分以上埋まっていたわ。


   見せてもらったけど……誤字脱字が多かったなぁ。


   ……せめて、もう少しまともな文章が書けるようになって欲しい。


   マーキュリーが頭を抱えている理由、改めて分かったっけ。


   ……ん。


   取り敢えず、文字は覚えているんだろう……?


   ……完璧に、ではないわ。


   今でも……。


   ……今でも。


   あー……其れは、大変だ。


   ……計算もまだ、一桁の和差算。


   そろそろ、二桁に……。


   ……二十までならば出来なくはないけれど、指で数える癖が抜けないのよ。


   全部合わせても、二十本しかないから……二十一以上の計算は出来ないな。


   ……指を使うものだから、ひとつの問いを解くのに時間が掛かる。


   挙句、途中で寝る……?


   ……数えていると、眠くなるそうよ。


   本当に嫌いなんだな……。


   ……鍛練中は、寝ないわよね。


   寝ないけど……くたびれると、全く動かなくなる。


   ……最早、寝ているようなものね。


   然うなってしまうと、休憩時間ばかり長くなってしまって。


   ……あれ以来、幾らかは厳しくしているの。


   うん……前よりは、厳しくしているよ。
   泣き言を言っても、余程のことがない限り、決めた時間までは休ませないようにしている。
   泣き言を言えるということは、まだ、体力が残っている証だから。


   ……計画通りには。


   行ってない、かな……環境の順応鍛練も少しずつ進めていきたいと思っているのだけれど。
   あれは、時間が掛かるだろう? プリンセスだと……多分、あたし達の倍は掛かると思うんだ。


   ……やる気さえ、出して呉れれば違うのだけれど。


   難しいんじゃないかな……特に環境の順応鍛練は、体力を付ける鍛練よりも厳しいから。


   ……先は長いわね。


   お互いにね……。


   ……ところで。


   うん……?


   ……プリンセスに見せた青い星の映像が何だというの。


   あぁ……あの映像にほんの少しだけれど、流れのひとらが映っていただろう。


   ……ええ、映っていたわ。


   皆、着の身着のままで……小綺麗な者はひとりも居らず、頭から足の指の先まで薄汚れていて。


   ……戦から逃れてきたひと達だから。


   彼らを見てプリンセスはこう言ったんだ、どうして此のひとのこ達は汚れた衣を着ているの。
   もっと、綺麗な衣を着れば良いのに……って、さ。


   ……。


   彼らの置かれた状況について、マーキュリーが詳しく解説したのにも関わらず、そんな感想しか出てこないプリンセスに驚いた。
   彼らは皆、好きで薄汚れた衣を着ているわけではないのかも知れない……戦から逃れることだけで精一杯、身なりを整えている余裕なんてないのかも知れない。


   ……。


   マーキュリーの講義を確りと聞いて、自分の頭で考える力が備わっていれば……もう少し違った感想が、口から出てくる筈なのに。


   ……あの時、可哀想とも言ったわ。


   ……。


   同情なのか、憐れみなのか……其れとも傲慢さ故なのか、其の時の私には判断出来なかった。


   けれど、彼らを見ながら、無邪気にお茶を飲んで甘味を食べていたプリンセスに……月の傲慢さを、感じないわけではなかったよ。


   ……ええ、然うね。


   あの映像……今だったら、どうだろう。


   ……今?


   今、見せたら……感想は、変わるだろうか。


   ……どうかしら。


   あの時の経験は……恐らく、プリンセスの中には残っていない。


   ……浄化された時に、消されてしまったから。


   其れでも、何かしら残っていないかな。


   ……心的外傷。


   心的……?


   ……其れを呼び起こしてしまうと、まずいことになる。


   あぁ、然うか……。


   ……私達が居なかった一週間のこと、マーズから聞いているでしょう。


   あと、ヴィーナスからも……口が利けなくなっている上に、食事もまともに出来なかったと。


   不用意に近付こうとすると、言葉にならない声で泣き喚きながら暴れて……宥めるのに、かなり骨が折れたと。


   ……見せない方が良いな。


   今は、まだ……見せるのならば、時間が経ってからにするわ。


   ……様子を見ながら、だな。


   どのみち、知っておかなければいけないことだから……然う、戦のことも。


   ……。


   浄化されているから、呼び起こされる可能性は限りなく低いけれど……。


   ……零では、ない。


   ……。


   ……今日は、走り込みをする予定なんだ。


   講義は……文章の書き取りをする予定。


   ……ねぇ、マーキュリー。


   なに……。


   ……講義と鍛練が終わったら、お茶でも飲もうか。


   プリンセスも、一緒に……?


   ……今日は、麦包を作るつもりなんだ。


   麦包……甘いお茶と?


   然う……甘いお茶と。


   ……。


   プリンセスは、嫌がるかな……麦包よりも、違うものが良いって。


   ……若しも我儘を言われたら、どうするの。


   其の時は……プリンセスだけ、甘味はなしだ。


   ……そんなことを言って、何か別のものを用意しておくのではないの。


   ううん……今回は麦包以外、作らない。
   プリンセスは、麦包も白包も嫌いなわけではないんだ。ただ、我儘なだけで。


   ……。


   だから、プリンセスが食べなかったら……後で、マーキュリーとあたしではんぶんこにしよう。


   ……然う、分かったわ。


   マーキュリーはどう思う?
   他の甘味も作った方が良いと思うかい?


   あなたが他のものを作らないと決めたのなら……其れで良いと思うわ。


   ……マーキュリーは、作らなくても良いと。


   私は……私も作らないで良いと考える。


   ……其れは、どうして。


   我儘を言えば、己の望みは叶う……そんなことを、ずっと許しておいてはいけない。


   ……。


   同じことを繰り返すとは限らない。


   ……少しずつでも、我儘を堪える力を。


   此の世界は……月の王族だけで、構築されているわけではないのだから。


   ……麦包、幾つ作ろうか。


   然うね……私はひとつで良いわ。


   マーキュリーは、ひとつ……あたしもひとつかな。


   プリンセスは……プリンセスもひとつかしら。


   ひとつで、足りるかな。


   ……まぁるいことを、気にしているのなら。


   あー……なら、ひとつだな。


   ……だけど。


   だけど……?


   ……念の為、みっつくらい作っておくのも良いと思う。


   ……。


   ……足りなかったら、強請って来ると思うから。


   うん……其れじゃあ、みっつぐらい作っておこう。


   若しも、ひとつで足りたなら……其の時は。


   後で、ふたりで食べよう、
   プリンセスに渡したら、マーズに怒られそうだ。


   ……違いないわね。


   ……。


   ……。


   ……そろそろ、起きるかい。


   ん……。


   ……お。


   もう少し、だけ……。


   ……喜んで。


   ……。


   ……。


   ……プリンセスの、躰のことなんだけど。


   何か、異常は見られた……?


   ……此れと言って、何も。


   穢れは……。


   ……。


   ……然うか。


   強い薬は、何も意味をなさなかった。


   ……。


   ……何ひとつ。


   真相も結局、分からないままだ……。


   ……何の為に。


   ……。


   ……闇の教団と、何か関係が。


   あるのかも知れないけれど……考えてみても、分からない。


   ……。


   ん……マーキュリー。


   ……今夜、また。


   え……。


   ……躰が、まだ。


   分かった、迎えに行くよ。


   ……そんな余裕があれば、だけれど。


   作ろう。


   ……。


   ……作るから。


   うん……。


   だから……迎えに、行っても。


   ……いつもの場所で、待っているわ。


  1日





   マーキュリー。


   ……ん。


   どうだい?


   ん……まぁまぁ。


   然うか。


   ……今夜の食事は。


   今夜は、兎と茸の汁物だ。


   ……然う、悪くはないわね。


   物足りなくはないかい?


   ……平気よ。


   同じものばかりが続いてごめんよ。


   別に構わないわ……今朝は、山菜と山鳥だったし。


   食べられれば?


   ……其れで、良い。


   明日こそ、違う獣を狩りたいと思っているんだ。


   ……寧ろ、あなたが物足りないのね。


   兎と山鳥も美味しいから悪くはないんだけど、出来れば猪が食べたい。
   猪の肉は甘みがあって、兎とは異なる美味しさがあるから。


   ……兎はさっぱりしていて、食べやすい。


   マーキュリーは、兎の方が良い?


   ……たまになら、猪でも構わないわ。


   ん、なら明日に。
   やっと、群れを見つけたんだ。


   ……足跡はあるのに、ずっと見つからなかったのよね。


   然うなんだ……まるで、避けられているみたいで。


   ……然うなのかも知れないわ。


   矢っ張り、然うか。


   ……子供の猪は、脂身が少なくて食べやすいのよね。


   子供の猪……小さいのも、何頭か居たような気がするな。


   ……出来れば、其れが良いわ。


   ならば小さいの二頭、狩ってこよう。
   あたしとマーキュリーの分。


   ……一頭で十分よ。


   残ったら、干しておけば良いさ。


   ……兎は小さいから、余らないけれど。


   もう少し大きくても良いな。
   何処かの兎は、そこそこ大きくて、食いでがあった。


   ……猪は干し肉にしても、余ってしまうかも知れない。


   余ったら、他の獣にあげるつもりだ。


   ……他の獣が、食べなかったら?


   獣が喰わなかったら、大地に帰せば良い。
   大地に帰せば糧になる、無駄にはならない。


   ……然う、あなたらしいわね。


   うん。


   ……まぁ、狼が食べてしまうとは思うけれど。


   食べるかな。


   ……狼は猪の天敵とされているから。


   つまり、喰う?


   ……喰うわ、だって捕食者だもの。


   捕食者……うん、なら無駄にはならないな。


   ……どのみち、無駄にはならないのでしょう。


   うん、然うなんだ。


   ……此の辺りでも、香草が採取出来て良かったわ。


   とても有り難いと思っている。
   香草は其の名の通り、臭い消しにもなるからさ。


   ……まぁ、此れだけ緑が溢れていれば、香草のひとつやふたつ、生えていてもおかしくはないけど。


   此の山は色んな緑が生きているから、眺めているだけでも楽しいよ。


   ……でしょうね。


   帰る時、マーキュリーと薄紅色の花が見たい。


   ……帰る時ならば、良いわ。


   やった。


   ……持ち帰っても良いわよ。


   本当かい?


   ……持ち帰って、緑の部屋の仲間にしてあげれば良いわ。


   うん、然うする。


   ……。


   猪には、どんな香草が合うかな。


   ……強めの香草が良いと思うわ。


   矢っ張り、然うだよね。


   ……でないと、獣臭さが残ってしまうだろうから。


   兎より、臭いが強いもんなぁ。


   ……香草は、獣のお肉を食べる時には欠かせないわ。


   あとは、此の塩。


   ……。


   此れがあれば、大抵の味付けはなんとかなる。


   ……こういう環境に置かれていると、塩の美味しさが改めて分かるわね。


   味がしなくても食べられなくはないけれど、味がした方が美味しい。


   ……当たり前だけれど、塩分の補給も出来る。


   あたし達の躰にも、塩分は必要だから。


   ……いざとなったら、獣の血液で賄えるけれど。


   其れは、出来れば避けたい。


   ……生臭いの。


   どうにも、美味そうに見えない。


   ……。


   ん?


   ……あなたらしい。


   はは。


   ……塩、持ち歩いている甲斐があったわね。


   こういうことがないとは、限らないからさ。


   ……今回みたいなことは、此れきりにして欲しいわ。


   其れには、あたしも同意する。
   かくれんぼをしたいのなら、月宮内が良い。


   ……はぁ。


   ごめん、もう静かにするよ。


   ……ジュピター。


   なんだい?


   ……喉が渇いたの、何か飲みたいわ。


   草茶と白湯、どちらが良い?


   ……今は、白湯。


   ん、分かった。
   直ぐに用意するよ。


   ……ありがとう、お願いね。


   あぁ。


   ……あと。


   ん?


   ……頭の中をまとめる為に、私と会話を。


   あぁ、勿論だ。


   ……。


   ……。


   ……ねぇ、ジュピター。


   なんだい、マーキュリー。


   ……帰ったら、甘いお茶が飲みたいわ。


   うん……帰ったら、ふたりで飲もう。
   マーキュリーのお気に入りの茶葉で淹れるよ。


   ……あなたのお気に入りでも良いわ。


   じゃあ、順番に飲もう。


   ん……其れも、良いわね。


   お茶を飲む時は、お茶請けも用意しようと思っている。


   ……麦包が良いわ。


   甘いお茶に?


   ……今はひたすら、甘いものが欲しいの。


   そっか……。


   ……砂糖も、持ち歩いて呉れていたら良かったのに。


   今回は持ち歩いてなかった……次からは忘れずに持ち歩くことにするよ。


   ……ええ、然うして。


   草茶に砂糖を入れたら、どうだろう。


   ……蓬ならば、悪くはないわ。


   蓬……然ういえば、先生がたまに甘い蓬茶を飲んでいたっけ。


   ……お師匠さんもね。


   師匠にとっては、薬茶の扱いだったけど。


   ……すっきりするらしいわ。


   マーキュリーも好きかい?


   ……嫌いではない。


   ふふ、そっか。


   ……笑わないで。


   ん、もう笑わないよ。


   ……。


   どうぞ、マーキュリー。


   ……早いわね。


   うん、丁度沸かしていたところだから。


   ……あなたは本当に気が付く。


   まだ少し、熱いかも知れない。


   ……構わないわ、放っておけば冷めるから。


   あたしも飲もう。


   ……言わなくて良い、知っているから。


   ん。


   ……。


   鍋やら、なんやら……道具だけ、拝借してきたけど。


   ……良く洗ったのでしょう。


   うん、良く洗った。


   ……なら、気にしない方が良い。


   ……。


   ……確認したのでしょう、煮炊きで使われていたものだって。


   うん……確認した。


   ……背に腹は代えられないから。


   ねぇ、マーキュリー。


   ……なに。


   あのひと達はあのまま、あの洞窟に留まるつもりなのだろうか。


   ……他に行く場所がないのなら、あのまま定住するかも知れない。


   また、良からぬ輩が集まって来るかも知れない。


   ……けれど、住処としては使えるから。


   ……。


   彼女達には、住める土地がない……他の場所に流れても、不当な扱いを受ける可能性がある。


   ……同じひとのこなのにな。


   同じひとのこであっても……種が違うと、差別の対象になるから。


   ……差別。


   私達と、同じ……。


   ……。


   彼女達の中には、男の子供も居た……であるならば、暫くの間は繁殖も出来るでしょう。
   いずれ、血は濃くなってしまうでしょうけれど……然うなったら、新しい場所を目指すかも知れないわ。
   特に男は、曰く、新天地を目指す傾向にあるようだから……勿論、全てではないけれど。


   ……戦からの、流れびと。


   戦から逃れたところで、盗賊に捕らえられて……昔から住まう土地を失うと、途端に、保護を失ったような状態に陥る。


   ……失うのは土地だけではないよ。


   ……。


   ……其処に住まう者達も、だ。


   寧ろ、其方の方が大きいのかも知れないわね……。


   歴史、価値観、味覚、倫理、常識……同じ土地に住んでいても、誰しもが同じものを持ってるわけではない、寧ろ、別々なことが多いけれど。


   其れでも……共有出来る者を失うことは、とても大きい。


   ……言葉すら、失ってしまうんだろう。


   ええ……絶滅してしまうわ。


   ……あたし達にはまだ、民達が居る。


   だからこそ……身動きが取れない。


   ……けれど、居ないよりは良いだろう?


   然うね……全く居ないよりは、良いわ。


   ……まぁ、あたしにはマーキュリーが居て呉れるけど。


   天秤に掛けるものではないわ……。


   ……分かってる、言ってみただけだ。


   ……。


   ……マーキュリー。


   私には、あなたが居る……。


   ……ずっと、居るよ。


   あなたが、居て呉れる……だから。


   ……ふたりなら、生きていける。


   民達のことも、忘れないでね……。


   ……あぁ、忘れないよ。


   ……。


   マーキュリー、ごはんが食べたくなったら言ってね。


   ……ごはん。


   今日は、朝しか食べていないだろう?
   そろそろ、お腹の限界が来ると思うんだ。


   ……食べる。


   うん?


   ……ごはんが、食べたいわ。


   じゃあ、ごはんにしよう。


   ……ふぅ。


   お疲れ様、マーキュリー。


   ……まだ、終わったわけではないけれど。


   休息は大事だから。


   ……白湯が、お腹を刺激したみたい。


   ふふ、良いことだ。


   ……。


   どれくらい、よそろうか。


   ……椀の、半分くらい。


   半分くらい……足りなかったら、お代わりして欲しいな。


   ……様子を見ながら、食べるつもりだから。


   そっか……其れじゃあ、マーキュリーのお代わり分はちゃんと取っておかないとだ。


   ……食べて呉れても、別に良いわよ。


   そんなわけには、いかない……マーキュリーには、ちゃんと食べて欲しいんだ。


   ……ん。


   あたし以上に、頭を使っているのだから。


   ……あなたは、私以上に躰を使っているけれど。


   だから、ふたりでちゃんと食べよう。


   ……もぅ。


   うん、なに?


   ……どさくさに紛れて、触らないで。


   あ。


   あ、じゃない……わざとらしい。


   へへ。


   ……早く、よそって。


   ん、直ぐに。


   ……。


   ……はい、お待たせ。


   ありがとう。


   あたしの分も。


   ……。


   ん、此れで良し。


   ……結局。


   ん?


   ……洞穴を、使っているわ。


   ごめん。


   責めているわけではないの……確かに、存在しているものを使った方が合理的ではあるから。


   此の洞穴は、ひとのこのにおいが残ってなかったんだ。
   此処は奥行きがないから、多分、使い道がなかったのだと思う。


   ……だから、此処ならば良いと判断した。


   ひとのこのにおいが残っていたら、使っていなかった。


   ……あなたの鼻は、まるで獣のようね。


   頼りになるかい?


   ……ええ、とても。


   ん。


   ……本当、頼りになるひと。


   マーキュリー……。


   ……思っていたよりも、長くなってしまった。


   長く……?


   ……明日で、一週間。


   あぁ……。


   ……考えていた以上に、あの洞窟には残されていたから。


   余程、都合が良かったんだろう……。


   ……女達にも、其の象徴が刻まれていて。


   手の甲に、直接ね……あれは、痛々しかったな。


   ……あれは恐らく、所有物である印。


   子供には刻まれていなかった。


   ……商品になるような子供には刻まないのでしょう。


   ……。


   闇の教団……其の勢力は再び、広がりつつある。


   ……滅ぼされても、忘れた頃に出て来るのだろう?


   ええ……。


   ……闇はひとのこを容易く魅了する、先生が言っていた言葉だ。


   どうしたって、欲と繋がりやすい……此れは、お師匠さんの言葉。


   ん……そんなこと、言ってた。


   ……。


   ……ジュピター。


   味……いまいちかい。


   ……味は、悪くない。


   ……。


   ……明日の朝には、帰還するわ。


   明日……?


   ……本日を以って、調査を打ち切る。


   え……。


   闇が深い……此れ以上は、此処に居るべきではない。


   でも、良いのかい……?


   ……ええ、ある程度の調査は終わっているから。


   然うか……じゃあ、明日には帰ろう。


   ……ごめんなさい。


   ん、何が……。


   ……猪は、食べられそうにないわ。


   良いさ……猪はまた、今度にしよう。


   ……。


   ……顔色が良くない、今夜は早めに休もう。


   お願いがあるの……。


   ……なんでも。


   温もりを。


   ……。


   ……あなたの温もりを、与えて。


   うん……幾らでも。


   ……今更、今夜だけではないのにね。


   言葉にして呉れたのが、嬉しい。


   ……。


   ……安心して、眠って。


   うん……ジュピター。