日記
2025年・11月
30日
……。
……ん、マーキュリー?
……。
どうした……?
……やっぱり、目が覚めるのね。
え、と……覚めない方が、良かった?
……直ぐに目が覚めるということは、眠りが浅いのではないの。
や、別に浅くはないよ……目が覚めるまで、ちゃんと眠っていたし。
……本当に良く眠れていたの。
うん、本当に良く眠れていたよ。
……ひとりの方が。
マーキュリーと一緒の方が、ひとりよりもずっと、良く眠れるんだ。
……深く眠れていたのなら、こんな些末なことで目を覚ますことはなかったと思うわ。
然うかなぁ……。
……然うよ。
夜中に目が覚めるのは、ひとり寝の方が多いけどな……。
……。
マーキュリー、若しかしてお腹が痛い?
……痛くない。
だけど、さすって……ん。
……多いって、どれくらい?
え……。
どれくらいの頻度で目が覚めているの。
……。
毎日ではないのでしょう?
うん……毎日ではないけど。
どれくらい?
んー……二日に一度くらい、かな。
……其れは、いつから?
ここ最近……。
……最近?
遠征から戻ってきて、未だそんなに経っていないだろう?
……一ヶ月。
だからだと思う。
……遠征中の癖が、未だ残っているの。
ん……今回は未だ、残ってる。
……どうして言わなかったの。
いつものことだし……其のうち、元に戻るかなって。
……。
遠征中は深く眠ることがないから……どうしても、ね。
……其れは知ってる。
まぁ、いつものことだしさ……今回も。
……ジュピター。
う……。
……未だ、躰の緊張状態が解けていないのね。
うん……未だ、解けていないみたいだ。
……。
な、なんでかな……好い加減、解けていても良い筈なのに。
……寝付きは。
悪くはないよ……だけど、眠りが浅い。
……夢は。
夢は、見ていないと思うけど……分からない。
……浅い眠りだと、夢を見やすいわ。
見ているかも知れないけど、憶えていないんだ。
……。
今夜はマーキュリーと一緒だし、久しぶりに良く……む。
……眠れない時は、薬茶を煎れるわ。
いや、薬茶は必要ないかなぁ……浅いとは言え、一応は眠れているし。
其れよりも、マーキュリーと一緒に眠った方が……。
……疲れは?
疲れは、取れないわけでもない。
……。
緊張が解れれば、また深く眠れるようにな……むぅ。
……今夜は、緊張しているの。
してない、よ……マーキュリーと一緒で、するわけない。
……。
マーキュリー、あたしのことよりも……。
……私はなんでもないから、寝て。
でも……。
……ふと、目が覚めただけだから。
……。
……夜中に目が覚めたくらいで、心配しないで。
なんでもないのなら、良いのだけれど……本当になんでもない?
……ないわよ。
……。
……私のことが信用出来ないの?
出来るし……しているけど。
……どうしても、聞き出したいのね。
あ、いや、話したくないのなら良いんだ……ごめん。
……。
改めて、おやすみ。
……ええ、おやすみなさい。
……。
……。
……え。
何。
其の……マーキュリーは、寝ないの?
……寝るわよ。
何処に……。
……安心して、部屋から出る気はないから。
……。
ジュピター。
……あたしも。
あなたは、
あたしも。
……はぁ。
喉が乾いたのなら、何か用意する。
……別に、喉が乾いたわけではないの。
何か羽織らなければ、躰が冷えてしまう。
……部屋の中は適温に保たれているわ。
……。
本当になんでもないの。
……ただ、起きるだけ?
まぁ、そんなところ。
……。
……其れでも、起きるの?
マーキュリーが起きるのなら、あたしも起きる。
……。
……駄目だと、言われても。
どうせだし、白湯でも作って。
……白湯?
然う、白湯。
作って呉れる?
ん、分かった。
……。
直ぐに作るから、マーキュリーは上衣を羽織って……う。
あなたも、ね。
……あたしは、平気だよ。
羽織って。
……はい。
……。
座って、待っていて。
……ん。
……。
……。
仕事は、しては駄目だよ。
……しないわよ。
端末に触れるのも駄目だ。
……触れない。
此処のも。
信用、ないわね。
……。
しないから。
……うん。
……。
んー……。
……小腹でも空いた?
……。
良いわよ、何か食べても。
……マーキュリーは。
私は遠慮しておくわ。
白湯だけで十分。
……なら、あたしも。
良いと言ったでしょう?
……じゃあ、少しだけ。
ええ、どうぞ。
……。
……。
……お腹、大丈夫かい?
痛くないと言った筈だけれど……どうして、また聞くのかしら。
……なんとなく、気にしているように見えて。
気にしてなど、いないわ。
……ん、そっか。
……。
……若しかして、だけど。
お腹の違和感で目が覚めた。
……やっぱり。
だけど、本当になんでもないの。
いいえ、なかったの。
……なかった?
……。
マーキュリー……。
……眠る前に、子供の話をしたからかも知れないわ。
子供……?
……兎に角、気にしないで。
……。
……なに。
触ってみても、
嫌。
……。
触ったところで、何も変わらないわ。
……然う、だけど。
どうしても触りたいの?
……触らせて、貰えたら。
……。
ただ、触るだけで……其れ以上のことは、しないから。
……したら、追い出す。
う、うん……。
……。
……マーキュリー。
どうしても、なのね。
……。
はぁ……仕方ない。
……良い?
少しだけよ。
うん、少しだけ。
……どうぞ。
ありがとう。
……。
……ん。
満足……?
……あったかい。
冷たくはない?
……冷たくない、マーキュリーの穏やかな体温を感じる。
然う……。
……。
……撫でないでね。
え。
……あくまでも、触るだけ。
……。
……もう、良い?
もう、少しだけ……。
……。
良かった……。
……何が。
なんでもないみたいで。
……だから、然う言ったでしょう。
うん……言われた。
……ジュピター、もう。
あの日の夜も、マーキュリーのお腹を撫でた。
……どの日。
災禍に遭った日の夜。
……。
夜の海を眺めながら……。
……と言うより、賊の警戒をしながら。
うん、其れもしてた……。
……。
……何人か、掛かったんだ。
……。
確認は、しなかったけど。
……目視ではね。
村の者達は、転がっている賊を見つけたかな。
……見つけたかも知れないわ。
見つけたとして、どうしただろう。
……情けを掛けても、ろくなことにはならない。
情けはひとの為ならず、とは言うけれど。
……恩を仇で返す、良くある話。
……。
自分達を襲いに来たであろう者達を、見逃せるかどうか。
……難しいだろうなぁ。
見逃して、仲間を連れて戻ってこないとは限らない。
心を改める機会になる、ということは。
ないとは言えないけれど……其れを信じられる者は、あまり居ない。
中には命乞いをする者も居たかも知れない。
意識が戻ったとしても、躰は痺れて、思うように動かすことは出来ないから。
居たかも知れないわね。
口も満足に回らないだろうから、其の様は酷く無様だと思う。
……其の様を見て、赦せるかどうか。
……。
どんなに無様であろうとも、誰かの命を奪って掠奪してきた者を信じ切るのは難しいわ。
信用どころか、情けも得られないか。
底なしのお人好しか……或いは、ただの愚か者か。
まぁ、後の憂いを考えるのならば、潰しておいた方が良い。
……。
ん?
……今になって、情けを掛けたのかと思ったのだけれど。
そんなものがあるのならば、初めから三重には張らないよ。
……ふ。
あたし達に狙いを定めた以上、二度と太陽が見られなくなることは必然だったんだ。
……やっぱり、あなたはあなただったわ。
然うだよ……あたしは、あたしだ。
……。
……ありがとう、マーキュリー。
少しではなかったわね。
ん……ごめん。
……白湯は?
然うだった……。
……。
……ん、沸いてる。
……。
どうぞ、マーキュリー。
……もう少し冷めてからでないと、熱くて飲めないわ。
冷めるまで、ふたりで話を。
……特にないけれど。
じゃあ、ぼんやりしていようか。
……あなたではないのだから。
仕事は駄目だよ。
しないと言った。
……。
……今度は、手?
うん……きれいだなって。
……もう、何度も言われた。
何度だって、言う……。
……そんなにきれいな手ではないわ。
ううん……きれいだよ。
……。
……。
……子を産む夢を見たわ。
そっか……。
……ちゃんと聞いている?
聞いているよ……子を産む夢を見たんだろう?
……。
……なんとなく、そんな気がしたんだ。
あぁ、然う……。
……意外だった?
別に……。
……其の子は、あたしの子なのだろう?
違うわ。
……そっか、違うのか。
……。
……え、違うの。
ええ、違うわ。
……いや、待って。
待たない。
あたしの子ではないのなら……其の子は、誰の。
……知らない。
し、知らない?
……。
マーキュリー……マーキュリーに子が出来るなら、あたしの子だって。
……憶えていたの?
お、憶えている……と言うより、然ういうものだと。
……は。
……。
……大丈夫?
大丈夫……じゃ、ない。
……まぁ、然うよね。
……。
所詮は、夢よ。
……夢でも、嫌だ。
……。
……嫌だ、絶対に。
ふぅ……。
……未だ、熱いよ。
……。
……。
……ねぇ、ユゥ。
なに……メル。
……。
ん……。
……大きな手ね。
メルの手は小さい……可愛い。
……。
……うん?
ばかね……夢なんか、気にして。
……だって。
……。
こそばゆい……。
……心配しなくても、あなたの子よ。
……。
多分……ね。
……多分。
然う……多分。
……。
……。
……あたしであって欲しい。
夢の私は、私ではないのかも知れない。
……。
だって、私の躰は子を宿せないから。
……其れは、然うだけれど。
あなたに似ている誰かと、私に似ている誰か……。
……。
……お腹の感触は、其の誰かが感じていたもの。
そんな夢、ある……?
……ないとは、言えない。
……。
……飲んだら、寝台に戻るわ。
うん……。
……。
……ん。
ねぇ……。
……未だ、熱い?
……。
マーキュリー……?
……鈍感。
あ……ん。
……。
……未だ、飲んでいないけど。
折角、作って呉れたのにね……。
其れは……別に、構わない。
……飲みたいのなら。
明日で、良い……いや、後で良い。
……後で、ね。
マーキュリー。
……其の時は、冷めてしまっているわ。
また、作れば良い……。
……。
……良いかい?
聞くの……?
……大切なことだから。
連れて行って。
……。
……寝台に。
連れて行く……。
……と言っても、直ぐだけれど。
しっかり、掴まっていて……。
……ええ。
……。
……軽々と。
久しぶりだ……。
……然うでもない。
一週間ぶり……。
……其れは、久しぶりだとは言わない。
あたしには……ん。
……しぃ。
……。
……ユゥ。
……。
……ん。
メル……。
……良く、眠れるように。
メルも……。
……。
……。
29日
……。
……メル。
ん……。
……。
ユゥ……どうしたの?
……今、良いだろうか。
あぁ……。
……駄目ならば。
ううん……だめでは、ないわ。
……居ても。
いて……?
……ん。
……。
え、と……。
なぁに……?
いや、其の……ありがとう。
なにが……?
……頑張って、呉れて。
がんばる……。
ん……違うか。
……。
此の場合、なんと言えば良いのだろうか……。
……べつに、ふだんどおりでいいわよ。
いや、普段通りとは……。
……いかない?
どう考えても、普段とは状況が異なるだろう……?
……そう、かしら。
何か、良い言葉はないものか……ずっと、考えていた筈なんだ。
其れなのに、なにひとつ出てこない……此れは、どうしたものか。
……そんなよゆう、あったの?
余裕……?
……なさそう、だけれど。
……。
わたしにかけることばを、かんがえているよゆうなんて……ほんとうに、あった?
……正直なことを言えば、全く無かった。
ふふ……だと、おもった。
心配で、気が気でなくて、心静かに座っていることなど、全く出来なくて。
……うろうろ、していたの?
してた……。
……めにうかぶようだわ。
仕舞いには、此の時が永遠のように思えてきてな……。
……おおげさ。
叶うのなら、今直ぐ傍に行きたいと……傍で、守りたいと。
……まもるって、なにを?
メル、を……。
……きもちは、うれしいけれど。
分かっている……私が傍に居たところで、何も出来ないことは。
出来ることと言えば、ただ……メルと、生まれてくる子の無事を、ひたすらに祈るだけ。
……いのってくれるだけで、じゅうぶん。
メル……。
だから……とくべつなことばなんて、いらないの。
だが……。
……ねぇ、ユゥ。
なんだい……。
……わらって?
笑う……?
……あなたのえがおを、みせてあげて。
笑顔……。
……なみだは、ふいて。
……。
ううん……うれしなみだも、いいかもしれないわね。
……嬉し涙。
しらない……?
……教えて欲しい。
ひとのこってね……うれしくても、なみだがでるものなんですって。
……あぁ。
あなたが、おしえてくれたことよ……。
……然う、だったか。
わたしは、しらなかった……あなたに、おしえてもらうまで。
……私でも、教えられるものがあったのだな。
ふふ……そんなの、あたりまえでしょう?
……当たり前、か。
わたしは、あなたに、おそわってばかりよ……。
え……。
……どんかん、なのだから。
いや、でも……私は、どうにも頭が鈍く。
……あなたのあたまは、にぶくなんて、ないわ。
そ、然うだろうか……。
……ただ、どんかんなだけ。
あ、あー……。
……あなたは、とてもかしこい、さいせいのおうさま。
力には、自信があるが……。
……あたまにも、じしんをもって?
メルが、然う言って呉れるなら……。
……これからも、どうぞ、わたしにおしえてね。
私に教えられるものが、未だ、あるのなら……。
……でも、いしきは、しないで。
うん……?
そのほうが……あなたのばあいは、いいとおもうの。
……。
……いしきしていると、ふしぜんになってしまうだろうから。
た、確かに……。
だから、ね……しぜんたいで、いて?
わ、分かった……此れからも、自然体で居よう。
……いっているそばから、いしきしているわ。
む……。
ふふ……まぁ、いまはね。
……メル。
ん……。
……メルクリウス。
ユピテル……。
……ありがとう。
あ……。
……ありがとう、メル。
おれい、なんて……。
……言わせて欲しい。
……。
要らない、か……?
……ううん、うけとるわ。
然うか……良かった。
……はぁ。
済まない……疲れているのに。
……ううん、いいの。
……。
あなたのかおを、みて……あんしん、したから。
……私の顔で良いのなら、幾らでも。
ふふ……ありがとう、ユゥ。
……お礼など、
いらない……?
……いや、受け取る。
ん……よかった。
……。
……みて。
あぁ……。
……あなたに、にているかしら。
どうだろう……私よりも、メルに似ているような気がするが。
……わたし、こんなかお?
いや……あまり、似ていないか。
ふふふ……きっと、どちらにもにているのだわ。
……どちらにも?
だって……あなたとわたし、ふたりのこだもの。
……メルと、私の。
そう……ふたりの、こども。
……ならば、
たして、にで、わったような……。
……割るのか?
うーん……たとえが、ちがうかしら。
違わないとは思うが……何処か、可笑しいな。
……おかしい?
あぁ……可笑しい。
……わらった。
ん……?
……あなたが。
笑ったか……?
……ええ、わらっているわ。
だとするのなら……メルが、笑わせて呉れたんだ。
……そんなつもり、なかったのに。
はは……。
……なまえ。
名前……?
……かんがえて、いるのでしょう?
私だけではない……ふたりで、考えた。
……かんがえているとき、いつも、わたしのおなかをなでて。
撫でていると……良い名が浮かぶのではないかと。
そんなこと、いって……ただ、なでたかっただけなのでしょう?
……撫でたい気持ちは、確かにあった。
はんのうするように……おなかのこが、うごいて。
……たまに、だったが。
きょうみ、ぶかかったわ……。
……メルは然ういう時でも、興味が尽きないんだな。
ええ、そうなの……おかしいでしょう?
可笑しくて……愛おしい。
……あ。
愛おしいよ……メル。
……ユゥ。
無事で……ふたりとも、無事で……本当に、良かった。
……あぁ、また。
また……?
……なみだが。
あぁ……つい、な。
……あなたは、いがいに、なみだもろいの。
だが、メルにしか見せない……。
……しってる。
私は、歳星の王……メル以外の者には、涙など、決して見せられぬ。
心弱き王と、思われる故……。
……それもまた、たいへんなことだとおもうの。
私にとって、其れは当たり前のことで……慣れ切っていたからな。
……わたしのまえでは、きにしないでね。
あぁ……もう、気にしていないよ。
……。
メルは……私の涙も、優しく受け入れて呉れたから。
……やさしくうけいれてくれたのは、あなたもおなじ。
私もか……?
……わたしも、ないたことなんて、なかったから。
……。
なみだを、こぼすはずの、こころは……。
……泣きたくなったら、いつでも、泣いて欲しい。
いつでも……?
あぁ……いつでも。
……うーん、そうねぇ。
出来れば、泣いて欲しくはないが……然うは言っても、抑えられない時はあるだろうから。
……たまに、あなたになかされているわ。
わ、私にか……?
……そう、あなたに。
し、知らんかった……。
……しらん、かった?
す、済まない、メル。
己が仕出かしていたことに、今の今まで、気付いていなかった。
……。
ゆ、許して欲しい……。
……なにをしでかしたのか、わかっているの?
……。
わかっていないのに、あやまるなんて……よくないわ。
……申し訳ない。
……。
其の……私は、何を仕出かしてしまったんだろうか。
……じぶんのむねに、てをあてて。
こ、こうか……?
……かんがえてみても、おもいあたらないだろうから。
……。
すこしだけ……ね。
……頼む。
よる。
……よる?
たまに……あさと、ひる。
……あさと、ひる。
……。
よる……夜?
……こころあたり、ある?
……。
……それとも、ない?
あ、ある……。
……つまり、そういうこと。
あ、あぁ……。
……。
……あの、メル。
あやまることは、ないわ……。
……でも。
いいの……。
……はい。
……。
……そろそろ、休むかい。
そう、ね……すこし、おやすみしたいかも。
そ、然うだよな……分かった。
……ユゥ?
また、来るよ……。
……どこへ?
外へ……ひとりの方が、休めるだろうし。
……。
何かあれば、直ぐに呼んで欲しい……必ず、駆け付けよう。
……もぅ。
では、また……。
……にぶい。
え……。
……ばか。
あ。
……。
……そ、傍に。
そばに……?
……居ても、良いだろうか。
どうして、きくの……?
……。
……いわれないと、わからない?
わ、分からぬ……。
……。
我儘に……なって、しまいそうで。
……わがまま?
傍に、居たいだなんて……。
……しかたないわね。
ごめん……。
……そばに、いて?
……っ。
わたしと……このこの、そばに。
……あぁ、居るよ。
ん……。
……傍に、居る。
ねぇ、ユゥ……。
……なんだい、メル。
このこは、つれていかれてしまう……?
……どうして、然う思うんだい。
めのと……。
……いや、ふたりで育てよう。
でも……。
……心配しないで良い、此の子は誰にも連れて行かせはしない。
ほんとう……?
あぁ、本当だ……。
……。
……約束する。
うん……。
……。
……だめ。
む……。
……くちづけは、まだ。
したい……な。
……だーめ。
はい……。
……。
……何かして欲しいことがあったら、直ぐに言って欲しい。
いまは、ただ……そばに、いて。
……ずっと、居よう。
……。
……?
メル……?
……ごめん、なさい。
どうした、メル……?
……。
メル、メルクリウス?
……。
誰か、誰か……。
……よばない、で。
だが……。
……ねむい、だけ、だから。
ね、ねむ……?
……おきても、そばに、いてね。
……。
……ユ、ゥ。
あぁ……居るよ、メル。
ふふ……よかった。
……おやすみ、メル。
ん……。
……本当に、ありがとう。
……。
遅くなったが……お前も、良く生まれてきて呉れた。
お前がメルのお腹に宿って呉れたと分かった日から、ずっと、私達はお前のことを待っていたんだ。
……。
落ち着いたら、お前に名を贈ろう……ふたりで考えた名だ、どうか受け取って欲しい。
……。
ジュピターも、お前のことを待っていた……屹度、祝福して呉れるだろう。
いずれ、其の背にも……初めは、三人で乗ろうか。ジュピターも、許して呉れる。
……。
お前に、此の星を見せよう……お前が生まれ、生きてゆく此の星を。
其の日が来ることを、今から楽しみにしているよ……。
……。
然し、話には聞いていたが……赤子とは、小さきものだな。
こんなにも小さいというのに、ちゃんと息をしている……命が、ある。
……。
どうか、躰、健やかに……心、穏やかに。
……。
大丈夫……私達が、お前を守る。
……。
メルと、お前を……私は、必ず守る。
……。
……産後は、何が良いのだろうか。
……。
体力が戻るよう、精の付くものが良いと思うのだが……恐らく、良い悪いがあるだろう。
下手なものは、食べさせることは出来ぬ……出来るだけ、食欲を刺激し、躰に良いものを。
……。
ふむ……少し、調べてみるか。
ふふ……。
……ん?
もう、ユゥは……。
す、済まない、五月蠅かったか……。
……。
む……?
……。
……寝言、か。
では、ないわ……。
……。
……。
……静かにする。
すこしくらいなら、かまわない……。
……良いのか?
あなたの、ひくいおとが、ここちよいから……。
……手を、握っていても良いだろうか。
……。
……駄目、か。
ううん、だめではないわ……。
……。
……にぎって、いて。
うん……メル。
……。
……。
……ねかせて、ね?
……うん。
28日
……ふぅ。
マーキュリー。
……。
お疲れ様、そろそろ夕ごはんにしないかい?
……部屋に戻らなかったの。
一度、戻ったよ。
……戻ってこなくても良かったのだけれど。
今夜はマーキュリーと一緒に、と思っていたから。
……私は、思っていない。
食べ終わったら、一緒に湯浴みしよう。
……しない。
お腹は空いているかい?
……さぁ、どうかしら。
薄麦餅と豆の辛煮、其れから生姜と茄子のとろみ汁を作ったんだ。
……お豆は、辛く煮たものだけ?
勿論、甘く煮たものもあるよ。
……然う。
食べるだろう?
……食べてあげても良いわ。
ん。
……はぁ。
お茶は何が良い?
……あなたが好きなもので。
マーキュリーが好きなものではなくて?
……然ういう気分なの。
気分?
……悪い?
ううん、悪くない。
じゃあ、あたしが好きなお茶を淹れるね。
……美味しく淹れて。
うん、美味しく淹れる。
……ねぇ。
ん、やっぱりマーキュリーが好きなお茶の方が良い?
……いいえ。
なんだい?
……今夜の汁物は、生姜なのね。
嫌だった?
……別に、嫌ではないわ。
茄子が沢山生ったから、生姜と汁物にしてみようと思って。
……茄子は、豆とも?
うん、辛い方に。
豆肉も入っているよ。
……其れは、食が進みそうね。
あはっ、其れは良かった。
……沢山は食べられないけれど。
其れでも良いよ、食べて呉れるなら。
……生姜は、未だあるの。
うん、未だある。
……。
生姜茶にするかい?
……しない。
ふふ、そっか。
……眠る前に淹れて。
眠る前だね、分かった。
……。
生姜は刻む?
其れとも、絞る?
……絞って。
甘みは?
……程良く。
生姜は絞る、甘みは程良く。
……気分が変わるかも知れないわ。
其の時は言って欲しいな。
……良いわよ。
ん。
……んん。
目も疲れていそうだね。
……いつものことだから。
そんなマーキュリーの為に。
……青い実?
どうだろう?
……甘い?
甘い。
……一緒に出して。
ん、分かった。
……。
仕事は未だ、終わらない?
……私の仕事に終わりはないわ。
区切りは付けられそう?
……付ける。
一緒に眠っても良い?
……湯浴みが済んだら、自分の部屋に戻って。
湯浴みは一緒でも?
……ひとりの方が良いのだけれど。
湯浴み中にうっかり眠ってしまったら大変だと思うんだ。
……そんなことは、しない。
やっぱり、一緒に眠った方が。
……どうして然うなるの?
眠りたい。
……。
ふたりで、ゆっくりと。
……眠るだけだからね。
やった。
……全く。
お茶、淹れたよ。
……其方に行くわ。
ん、待ってる。
……。
マーキュリー。
……大丈夫よ、なんてことはないわ。
無理はしないでね。
……ありがとう。
……。
……何。
ううん、なんでもない。
……生姜の香りがするわね。
良い香りかい?
……まぁ、悪くはないわ。
うん。
……美味しそうね。
本当?
……本当。
ふふ、良かった。
……お茶も、良い香り。
明日の朝は、マーキュリーの好きなお茶にしようか。
……気分次第。
ん、遠慮なく言って。
……。
どうぞ、召し上がれ。
……いただきます。
あたしも、いただきます。
……。
……。
……ん、美味しい。
最近のお気に入りなんだ。
……知ってる。
ん。
……此れと言った癖がないわよね。
夜は特に飲みやすいと思うんだ。
……ええ、飲みやすいわ。
豆は、どっちから?
……辛い方から。
どうぞ。
……良いわよ、お世話を焼いて呉れなくても。
然う?
……勝手に食べるから。
そっか。
……。
少し、辛めかも。
……少し?
うん、少し。
……。
……。
……ん。
どう?
……少し、辛いわね。
食べられない?
……此れくらいならば、平気。
良かった。
……なんなら、後を引く味かも知れないわ。
甘いのと交互に食べても良いかも知れないよ。
……然うする。
ふふ、うん。
……。
汁は薄めにしたんだ。
……生姜の味がするから、丁度良い。
茄子に染みてる?
……染みてる。
……。
……今日の夕食も、美味しいわ。
ん……。
……。
……。
……聞いているかも知れないけれど。
なに……?
……三日後、青い星へ行くわ。
三日後……調査?
……付いて来るのでしょう。
明日、マーズに許可を
……もう、取ってある。
え。
……都合が悪いのなら、取り消して貰うけれど。
悪くない、全く。
……なら、仕事は溜めないでおいて。
ん、分かった。
色々と片付けておく。
……調査期間は、青い星の時間で一週間。
一週間か……まぁ、いつも通りだね。
……ええ、然うね。
今回は何処へ行くんだい?
……。
北? 南?
其れとも、東? 西?
……相変わらず、単純で良いわね。
はは。
……あなたも知っている場所よ。
あたしが?
……憶えていれば、だけれど。
んー……何処だろう。
……。
マーキュリー?
……災禍。
さいか……。
……地震と、津波。
……。
……然う、あなたは忘れてしまったのね。
生姜。
……。
生姜を貰った、漁村。
……改めて、調査に行く。
分かった。
……。
マーキュリー。
……何。
あれから、どれくらい経った?
……青い星の時間で、三十年程。
三十年……もう、生きてはいないか。
……あの頃に子供だった者は、未だ、生きているかも知れないわ。
子供……。
……例えば、十に満たない子供が居たでしょう。
十……。
……歯がない。
歯……あ、居たな。
……子供を産んで、親になっている可能性もあるわ。
子供……。
……言っておくけれど、あの子は女の子だったわよ。
え、女の子?
……あなたも、ひとのこと言えないわね。
子供は、子供だから……あまり、考えてなかった。
……あなたらしいと言えば、其れまでだけれど。
然うか、あの子は女の子だったのか。
あれから、歯は生えたかな。歯がないと食べ辛いだろうから。
……余程のことがなければ。
じゃ、大丈夫だ。
……因みに、抜けるのは前歯だけではないわよ。
え、然うなの?
……乳歯は全て抜けるわ。
全て……奥歯も?
……言っておくけれど、あなたの乳歯も全て抜けたわよ。
え、あたしも?
……先刻から、驚き過ぎ。
あたしの歯が抜けたということは、マーキュリーの歯も……。
……私の上の前歯が抜けた時、あなたは大騒ぎをしたわよね。
思い出した。
……。
然うだ、メルの歯がぽろっと口から落ちて……あまりのことに、あたしは。
メルが壊れてしまうって言いながら、慌てて先代ふたりを呼びに行ったの。
自分だって、何本か抜けていたのに。
だって、口から落ちるなんて思っていなかったから……。
……余程、衝撃的だったのね。
うん、凄く吃驚したんだ。
……正直、私も驚いたけれど。
え、メルも?
……え、が多いわね。
メルが驚いたのなら、あたしが慌てふためいても
だとしても、騒ぎ過ぎ。
……メルの歯、小さかった。
乳歯だから。
あなたの歯だって、小さかったわ。
……どうして、乳歯は抜けるの。
当時、先生……先代に説明して貰ったと思うけれど。
……師匠に、歯を放り投げられたことは思い出した。
そんなこともあったわね。
……先生に怒られていたような。
私の先代は埋めるつもりだったから。
……埋める?
上の歯が抜けたら、埋める。
……下の歯は?
高く、放り投げる。
……何の為に?
有体に言えば、おまじない。
おまじない……先生が?
信じていたわけではないのでしょうけれど。
何の為に、そんなおまじないを?
新しい歯がちゃんと生えてくるよう……あとは、丈夫に賢く育つように。
歯に、其れだけの力が
あるわけない、あくまでもただのおまじない。
……先生が、おまじない。
ただの興味本位だと思うわ。
乳歯なんて、保存しておいても仕方ないし。
……成長を願って呉れたのかな。
然うかもね。
……。
……嬉しそうね。
ん……嬉しい。
……ふぅん。
結局、師匠が怒られたのは。
抜けたのが、上の歯だったから。
師匠のことだから先生に確認しないで放り投げたんだな、其れは怒られても仕方ない。
拾いに行かされたわ。
……は。
歯を。
……拾いに、行かされたの?
然う、行かされたの。
……流石の師匠でも、見つけられないと思うんだけど。
ええ、見つからなかったわ。
力いっぱい、遠くに放り投げてしまったようだから。
……ちゃんと確認しないから。
罰として、暫く接触禁止。
……先生に?
例外は、食事の支度。
……なら、大丈夫だったかな。
ところで、どうして乳歯が抜けるかなのだけれど。
あ、うん。
聞く必要がないのなら
お願いします。
躰の成長に合わせて、生え変わるの。
……。
成長すると、躰が大きくなるでしょう?
うん、なる。
躰が大きくなれば、顎骨も大きくなる。
がっこつ……ん。
顎の骨、上顎骨と下顎骨。
……。
成長した顎骨に、幼体の小さな乳歯のままだと、歯と歯の間に隙間が出来てしまうの。
隙間が出来れば、当然、咀嚼し辛くなる。
……だから、生え変わる。
然う。
いきなり、大きな歯が生えてこないのは。
顎の大きさに合わないから。
あー、成程なぁ。
良く出来ているでしょう?
うん、良く出来てる。
乳歯が生え揃う頃、乳歯の下、つまり顎の中では新しい歯が形成され始めているの。
私達の場合は、先代に引き取られた時には生え揃って……いえ、あなたは未だだったわね。
あたしは生え揃ってなかった?
幼体ジュピターの成長は、幼体マーキュリーよりも緩やかなのよ。
然うなんだ。
……ある程度まで育つと、あっという間に追い越していくけれど。
だけど、頭の成長は緩やかなままだから。
……ふ。
だろう?
……本当にね。
あはは。
……乳歯が抜けてから新しい歯を作っていては、生えてくるのに時間が掛かってしまう。
乳歯が抜けると、直ぐに生えてくるんだっけ。
なんだったら、乳歯が抜けなくても生えてくることがあるわ。
……何処に?
乳歯の内側、主に前歯で良く見られる症状。
其れは、平気なもの?
二重歯列になるわ。
にじゅう、しれつ。
放っておくと新しい歯は適切な場所に生えることが出来ず、歯並びが悪くなる。
……歯並びが悪くなると?
噛み合わせが悪くなる。
……生えてきてしまった場合は、どうするの。
乳歯が抜け掛かっているようなら、様子見。
抜け掛かっていなかったら……。
……いなかったら?
先生……先代は抜いたわ。
……抜いた?
其れも憶えていないのね。
……若しかしないでも、あたしの歯?
然う、ユゥの下の前歯。
……。
麻酔を打ったから、痛みはなかったと思う。
……あまり、思い出したくない。
無理に思い出す必要はないわ。
……メルは、憶えているんだよね。
……。
メル……?
……あなたの先代が、あなたの躰を抑えていたわ。
……。
部分麻酔だったから、あなたの意識はあったの。
……うん、もう良いかな。
……。
……あの子供の歯は、ちゃんと生えたよね。
ちゃんと生えたと思っていた方が良いわよ。
……うん、然うするよ。
実際のことは、考えなくて良い。
……生えていて欲しい。
……。
はぁ……なんだか、前歯がうずうずしてきた。
……あの後、どうなったのか。
……。
私達は、知らない。
……知らないまま、時が流れてしまった。
知らないままで良いのよ、私達には関係ないことなのだから。
……其れは、分かってる。
今回、あの地域に行く理由は……未調査のままだから。
……其れも、分かってる。
……。
……生きていれば良い、ただ、然う思う。
うん……。
……お茶のお代わりは、要るかい?
ええ……貰うわ。
ん……じゃあ、少し待ってて。
27日
……。
……。
……ジュピター。
ん……。
……何人。
今のところ、十人……かな。
……同じ集団?
固まっていたから、恐らくは然うだろう。
……一度に?
いや、初めに三人、次に七人……最初の三人は、斥候というところか。
……斥候なんて、そんな大層なものではないわ。
ん、そっか……じゃあ、偵察。
……せいぜい、様子見というところでしょうね。
其れで、近付き過ぎたか……間抜けだな。
……早い話、欲に目が眩んだ。
より間抜けだな……。
……。
誰も、命は失っていない……気は失っているだろうが。
……其れで、退いて呉れれば良いのだけれど。
夜が明けて、大人しく退けば良し……退かないのであれば、考えがある。
……未だ、来るかも知れないわ。
来るだろうか……。
災禍に乗じる卑劣な者は確実に存在する……故に、夜が明けるまで油断は出来ない。
夜陰に乗じる辺りが卑怯だな……。
……見張りは、立てているようだけれど。
男が少ない上に、持っている得物は鉈や魚刀ばかりで心許ない。
戦えないわけではないが、飛び道具に立ち向かうには圧倒的に不利だ。
……銛があった筈よ。
あぁ、銛か……。
……あれならば、其れなりには使える筈。
ただ、何処まで有効に扱えるか……闇雲に振り回すだけでは、相手が手練れだった場合、簡単にあしらわれてしまうだろう。
躰は程良く鍛えられているようだが、対人戦の鍛練はしたことがないだろうから……其れを考えると、何処まで防げるか。
……。
素人ならば応戦出来るかも知れないが、場数を踏んでいる賊が相手となれば、守り切るのは困難だろう。
……男手が多ければ。
其れでも、難しいと考える……。
……。
マーキュリーなら、どう考える……?
……ただの漁民が賊を相手にして守り切るのは困難、何故なら賊は手段を選ばないから。
まぁ、然うなるよな……。
……仮に命乞いが出来たとしても、惨たらしく踏み潰されるだけでしょう、
ひとの命など、初めから何とも思っていない……。
……命が惜しいのならば、一時的にでも此処から離れることを勧めるわ。
でも、今更遅い……。
……守れなければ、掠奪が起こる。
食べ物だけでなく、女子供も何人か連れ去られるかも知れない……。
……或いは、全員。
然うなったら……此処は、終わってしまうだろう。
……若しかしたら、流れて来た者達が住み着くかも知れないわ。
あぁ、然ういうこともあるか……。
……然うして、新しい集落が生まれる。
……。
……あなたとしては、終わって欲しくはないのでしょうけれど。
マーキュリーも、然うだろう……?
……青い星の民への干渉は、極力、すべきではない。
其れは、分かっているよ……。
……生姜のお礼、なのでしょうね。
生姜だけじゃないさ……。
……魚の干物、悪くなかったわ。
一口だけでも、食べられて良かったよ……。
……生姜がなければ、食べられなかったけれど。
臭い消しに、生姜は最適だ……。
……。
……落ち着いたら、お湯でも飲むかい。
いいえ……。
……然うか。
夜が明けたら……。
……夜が明けるまで、未だ時はあるから。
……。
……飲みたくなったら、言って欲しい。
水は、私が用意するのだけれどね……。
……はは。
喉が乾いたら、言って……直ぐに出してあげるから。
ん……ありがとう、マーキュリー。
……私は、私が出来ることをするだけ。
うん……。
……。
……生姜、未だ残っているよ。
明日の朝に……。
……ん、分かった。
……。
然し……賊は、無駄に鼻が良い。
此れだけの災禍……此の辺りを知っている者ならば、直ぐに勘付くでしょう。
……ひとの不幸を餌にする、下衆共め。
此方には……。
……未だ、来ていないが。
……。
……近付いては来ている。
何人……。
……気配からして、四人。
別働か……或いは、別の者達か。
……まぁ、どちらでも良いさ。
……。
引き返せば、其れで良し……。
……引き返さずに、其のまま進めば。
気を失うどころか……命を失くす。
……。
……なんせ、此方は三重に張っているからさ。
一溜まりもないわね……。
……一瞬だ。
良かったわ……小屋に近寄る者が居なくて。
……今思えば、然う思う。
……。
次からは、二重にするよ……。
……時と場合。
ん……分かった。
……。
……今は良いだろう、三重のままで。
ええ……構わないわ。
……ならば、此のままで。
……。
真っ当に生きていれば、此処で失うこともないだろうに。
……真っ当に生きられないから、身を落とすのよ。
……。
或いは、奪われたことがあるのかも知れないわね……。
……其れで、同じ道を選ぶか。
生きる為に、他の道がなかったとも考えられる……。
……あたしは、然う思わない。
ひとから奪う方が、手っ取り早いもの……。
……誰かの命を奪ってまで。
殺して、生きる……。
……。
……曰く、ひとのこの道から外れた者達。
外れても、戻ることは出来るだろう……。
……新しい場所でならば、可能性はあるわ。
ならば、新しい場所に行けば良い……そして、やり直せば良い。
……足を洗うことは、身を落とすことよりも難しいそうよ。
だとしても、だよ……。
……抜ける時に、命を取られてしまうかも知れないから。
つくづく、下衆だな……。
……然うね。
……。
……ジュピター。
掛かった。
……然う。
……。
……明日の朝日はもう、見られないわね。
あぁ……もう、見られない。
……はぁ。
マーキュリーは、休んでいて……此方は、気にしなくて良いから。
……言われなくても、休んでいるわ。
眠る……のは、無理か。
……嫌な気配が、此れだけしていれば。
落ち着くわけがない……ん。
……揺れ。
此れで、何回目だろう。
……数える気にもなれない。
良いと思うよ……数えなくても。
……なんでもなければ、数えるわ。
あー……。
……温かいお湯に浸かりたい。
寒い……?
……寒くはないけれど、塩を落としたい。
あぁ……其れは、あたしも分かるなぁ。
……。
……月に戻ったら、湯浴みしよう。
ふたりで……?
……出来れば、ふたりで。
考えておく……。
……うん。
……。
……。
……向こうに動きは。
ないみたいだ……。
……。
……夜が明けるまで、じっとしていて欲しい。
しているとは、思うけれど……。
……子供達は、眠っているかな。
だと、良いわね……。
……。
……。
……取り敢えず、落ち着いたか。
あなたも、休む……?
……少し、気を緩める。
代わりに、私が……。
……。
ジュピター……?
……少しの間、お願い出来るかな。
ええ……良いわ。
……ごめん。
謝る必要はない。
……。
……休める時に休んで。
うん……然うする。
……。
布……なかなか、良いね。
……少し、質感が硬質だけれど。
でも、温かい……。
……ん。
月に、戻ったら……マーキュリーとぐっすり眠りたいな。
私は……ひとりでゆっくり眠りたいわ。
……考えておいて欲しい。
考えるだけならね……。
……。
……。
……夜の海って、少し怖いな。
怖い……?
……真っ暗で。
真っ暗なのは、海だけではないけれど……。
……上手く、言えない。
然う……なら、聞かないわ。
……ん。
……。
……。
……ジュピター。
ん……あ、そろそろ替わろうか。
……未だ、早い。
えと……なに。
……明日、戻りましょう。
明日……?
……此れ以上、此処に留まっている必要性がない。
明日のいつ頃……。
……出来れば早朝、誰にも会わずに。
……。
……其の方が良い。
然うだね……然うしよう。
……借りたものは、此処に置いていきましょう。
誰かに、盗られないかな……。
……其の時は、仕方ないわ。
……。
……お礼が、言いたい?
難しいのは、分かっているから……。
……直ぐに、戻っても良かった。
然うしなかったのは、何故だい……。
然うね……改めて、夜の海が見たかったの。
……夜の?
あなたは怖いでしょうけれど……。
……。
……夜の海も、悪くはないわ。
ありがとう……マーキュリー。
……何が?
なんとなく……。
……なんとなくで、お礼なんて言わないで。
ん……ごめん。
……。
……ふるべ、ゆらゆらと。
……。
ふるべ……。
……突然、なに。
海を見ていたら……ふと、ね。
……。
海面が、ゆらゆらとしているからかな……。
……ゆらゆらは、然ういう意味ではないわ。
え……?
……此の詞には、死者を蘇生する程の力があるとされているの。
死者を……。
……だけど、あなたが然う思うのならば其れで良い。
……。
命を失くした者は、蘇らない……。
……ふるべ。
……。
ゆらゆらと……ふるべ。
……ふ。
ん、なに……。
……あなたの声、意外と合っているかも知れない。
何が、合っているの……?
……言祝ぎ。
……。
マーズの声とは、異なった響きがある……。
……マーキュリーが、聞きたいのなら。
呪詛は、聞きたくないわ……。
……其れは、あたしも唱えたくない。
ん……。
……マーズに教わってみようかな。
教わらなくても良い……。
……どうせ、覚えられないか。
其れもあるけれど……。
……あるけれど?
マーズが唱えるのは月の祓詞……青い星の祝詞は、決して唱えない。
……あぁ、然うか。
あなたが唱えるのは、ふるのことだけで良いわ……。
……マーキュリーに聞いて貰う為に。
自分にも聞かせれば良い……。
……じゃあ、ふたりで聞く為に。
……。
……駄目かな。
別に……駄目ではないわ。
……。
ん……なに。
……お腹に触ってる。
どうして……?
……触りたくなった。
特に理由はないの……?
……理由は、触りたいから。
は……。
……。
……何も、宿っていないわよ。
うん……宿ってたら、困る。
……困るの?
どうして良いか、分からない……。
……気持ち悪い?
んー……どうだろう。
……宿るとしたら、あなたの子よ。
あたしの……。
……だって、私はあなた以外の者とはしないから。
しないで……。
……だから、しないと言っているでしょう?
……。
ん……もう。
……分からないけど、大事にすると思う。
気持ち悪くないの……?
……多分、大丈夫だと思う。
ふふ……何よ、それ。
……はは。
……。
ね……どれくらい、宿っているものなんだっけ。
……青い星の民だと、十月十日。
とつき、とおか……月では、あっと言う間だけれど。
……子の成長と共に、お腹が膨らんでいくの。
産む時、大変なんだろう……?
……まさに、命懸け。
すごいな……。
……月では、考えられないわ。
見たことない……。
……私達には、無用なものだから。
民達には未だ、残されているんだろう……?
……然うらしいけれど、自らの腹で子を産もうなんて酔狂な者は居ないわ。
酔狂……。
命を産むのに、命を懸けるなんて……そんなことをわざわざしようと思う者は、月には居ない。
あたし達に、ないのは……。
……省いたのでしょうね、邪魔なものとして。
邪魔……か。
……子を宿していると、行動を制限されてしまうから。
其れは、どうして……?
……無理をすると、子が流れてしまう可能性があるのよ。
子が、流れる……。
……胎の中で終わってしまうの。
……。
ん……ちょっと。
……其れは、悲しいことだよね。
まぁ、悲しいことなのでしょうね……。
……。
何故、お腹を撫でるの……。
……ん、なんとなく。
なんとなくで、撫でないで。
……あう。
……。
ごめん……怒った、よね。
……怒ってはいない。
……。
……下手をすれば、命を落としてしまうと言うのだから。
……。
……大変よね。
うん……大変だ。
……だからって、撫でないで。
お腹が痛くなってきたような気がする……。
……だったら、私のではなく自分のお腹を撫でれば良いでしょう。
マーキュリーのお腹が良い……。
……意味が分からない。
……。
……あぁ、もぅ。
ねぇ、マーキュリー……。
……余計なことを言ったら、怒るわよ。
……。
……。
……落ち着く。
……。
怒った……?
……あまり、撫でないで。
……。
……私が、落ち着かないから。
分かった……そろそろ、止める。
……。
……ん?
触っている分には、構わない。
……。
……飽きたのなら、
飽きない。
……。
……飽きない。
あぁ、然う……。
……うん。
26日
……身重。
鍋に布、湯呑、桶、其れから、食べ物。
いやぁ、ありがたいなぁ。
……悪阻。
布は厚いものではないけれど、作りは意外と確りしている。
此れを躰に巻いておけば、直接夜風に晒されることはないだろうから、体温を奪われることもない。
……つまり。
大きさも、ふたりで包(くる)まるには十分だし……躰の熱が外に逃げなければ、其処まで夜の冷気を感じることもないだろう。
……あの生姜は、然ういうこと。
うん……ありがたい。
……。
マーキュリー、お湯が沸いたら生姜湯にして飲もう。
生姜もまた、分けて呉れたからさ。
……はぁ。
マーキュリー、どうした?
……あなた、私の夫だと思われているわ。
おっと……?
……私は、あなたの身重の妻。
みおもの、つま……?
……そして、私のお腹にはあなたの子供が宿っている。
子供……て、あの子供?
……他に何が居るの。
マーキュリーのお腹に、あたしの子供……?
……然うだと言ってる。
え、と……どういうこと?
……どういうことも何も、然ういうことよ。
ごめん……マーキュリーが何を言っているのか、いまいち分からない。
……私達はどうやら、何処からか流れて来た訳あり夫婦だと思われていたみたいね。
ふうふ……確かに、番ではあるけど。
……。
え、と……なんで?
私が知りたいわ……どうせ、あなたが無駄に大きいからなのでしょうけれど。
や、大きいからって……其れだけで、あたしがマーキュリーのおっとになるの?
……実際、然う思われているの。
番に見られるのは、良いけど……子供は、ないなぁ。
……生姜を分けて呉れたのは、恐らく、悪阻の症状を軽減させる為。
つわり……。
……悪阻とは、悪心や嘔吐、食欲不振などの症状のこと。
んー……。
……何かの症状と良く似ているでしょう。
其れって……酔いの症状みたいだね。
……だから、勘違いされたのよ。
勘違い……
……夫婦だと思われていたから、余計に。
ふうふだと、つわりになるもの?
そもそも、悪阻はどうしてなるの。
え。
此処までの流れで分かっているわよね。
其れは……えと。
……。
お腹に子供が宿っていると、なるもの?
……女の腹に子供が宿る条件は?
条件……。
……。
男と、女が……其の……然ういうことを、すると。
……今更、何を躊躇っているの。
いや、だって……あたし達とは、違うし。
……。
気持ち、悪いし……。
……然うね、あなたは苦手だったわよね。
う、ん……。
……つまり。
続けるんだ……。
……当たり前でしょう。
はい……。
……安心して、其れ以上のことは聞かないから。
其れ以上……。
……改めて復習したいのならば止めないわ、聞きもしないけれど。
ううん、もう良い……。
……兎も角。
うん……。
……一組の男女が共に暮らしているのなら、女の腹に子が宿っていてもおかしくはない。
……。
女の腹は今のところ目立たっていないようだが、どうやら酔いのような症状が出ているらしい。
だとするのならば、体調不良は悪阻によるもの。
……其処まで、考えるんだ。
其れが、此の辺りでの認識なのかも知れない。
いや、認識って……そんなの、ただの推測じゃないか。
……推測も、其処まで行くといっそ面白いわ。
そもそも、マーキュリーのお腹に子なんて宿らない。
あなたも、私のお腹に子を宿すことなんて出来ない。
当たり前だよ……あたしは男じゃないんだ。
……仮令あなたが男であっても、私の躰に其の器官はないから。
……。
勿論、あなたにも。
……マーキュリー、もう。
限界……?
……ん。
……。
はぁ……。
……あなたが、あんちゃんと呼ばれていたのは。
……。
若い男性という意味だけでなく、私の夫という意味も含まれていたのかも知れないわね。
……番という意味だったら、嬉しかったのに。
……。
……。
……ところで、ジュピター。
なに……。
……あなた、生姜湯を教わる時になんて聞いたの。
んと……酔いに効く飲みもので、何か良いものはないかなって。
……其れだけ?
其れだけ……マーキュリーのことは言っていないよ。
……言っているようなものよ、ばかね。
然うなの……?
……なんだったら、ただの思い違いでしかなかった推測を確信に変えてしまった。
いや、でも、
……浅瀬で呑気に魚を獲っているあなたが酔っているようには、全く見えないでしょう。
……。
……少なくとも、私が身重かも知れないと聞かされているであろう子供達の目には。
何も、考えてなかった……。
……私も、其処までは考えていなかったわ。
あー……。
……ジュピター、そろそろお湯が沸くわよ。
取り敢えず、生姜を入れよう……マーキュリー、飲めそうかい?
……ええ、少しなら。
ん、分かった……。
……何にせよ、助けられたことには変わりないわ。
うん……然うだね。
……子は、宿していないけど。
本当、驚いたなぁ……。
……ねぇ、ジュピター。
なんだい……。
……私のお腹。
うん……。
……膨らんでいるように見える?
膨らんで……?
……あなたが苦手なのは、分かっているのだけれど。
確認……?
……念の為に。
……。
……どうかしら。
膨らんでいるようには、全然見えない……寧ろ、平べったいから、もっと食べて欲しいと思っているよ。
……。
え……あれ。
……一言、余計。
あ。
……もぅ。
ごめん……。
……貰った魚はどうするの。
どうしようかな……干物は、焼くと良いと言ってたけど。
……刻んだ生姜と焼いてみたら?
生姜と……あぁ、其れは良いかも知れない。
……一応、水に浸して塩抜きをした方が良いわよ。
塩抜き……?
……干物は塩水に浸してから作るものとされているから。
だとすれば……其のままだと、塩辛いか。
……多分だけれど。
マーキュリー、水をお願いしても良い……?
……ええ、良いわよ。
ありがとう。
……どういたしまして。
じゃあ、此処に……。
……桶まで貸して呉れたのね。
おかげで、とても助かる……。
……ねぇ。
ん……?
……マーキュリーが居れば水に困らないと思ったでしょう。
思ったけど……ほんの少しだけだよ。
……ふぅん、まぁ別に良いけれど。
あの、辛かったら……。
……少しの水くらいならば、なんでもないわ。
うん……。
……。
マーキュリーは、食べられそうかい……?
……あまり、食べられそうにない。
一口も……?
……食べられそうだったら、食べるわ。
そっか……。
……ちゃんと食べさせてやるように、言われたのでしょう。
どうして分かるの……?
……分かるわよ。
……。
……子をお腹に宿していると、其の分、ちゃんと食べなければならない。
お腹に子を宿していなくても、ちゃんと食べないと駄目だけど……。
……単純に考えて、ふたり分。
ふたり分……?
……母親が摂取した栄養は、臍の緒を通して子に送られるから。
あぁ、然ういうことか……ならば、ふたり分食べないと駄目だね。
……けれど実際は、量より質。
ん……?
……栄養を摂り過ぎても、躰に良くないみたいだから。
ふぅん……ひとのこは、難しいね。
……お湯に入れる生姜は刻むの。
ん、どうしようかな……マーキュリーは、絞るのと刻むの、どっちが良い?
私は……どちらでも。
じゃあ……刻んで入れようかな。
……。
寒くなってきた……?
……未だ、大丈夫。
生姜湯を飲めば、躰が温まるから……。
……あなたが熱を分けて呉れる。
……。
だから……屹度、大丈夫。
……うん。
あなたは、大丈夫……?
……あたしも、大丈夫だよ。
私の躰は、温かくないでしょう……?
……そんなことない、温かくて気持ち良いよ。
……。
……ねぇ、マーキュリー。
なに……。
……先刻、水気で守って呉れたろう。
包んだだけよ……気休めにもならないわ。
……そんなことはないよ、心強かった。
……。
身に着けておいて、良かったな……。
……小刀?
うん……こいつでも切れなくはないけれど、生姜を刻むのなら此れの方が良い。
……。
……マーキュリーの端末は。
構わないわ……代わりなら、月に戻ればあるから。
……記録は。
ちゃんと、此処に入っている……。
……。
今は、触らない……と言うより、触りたくない。
……酔いが酷くなりそうだ。
目が回るだけで済めば、未だ良いわ……。
……今夜は、止めておいた方が良いね。
使わなければならない時は、使うけれど……。
……そんな時が来ないことを、祈るよ。
ええ……然うして。
……ん、また。
錯覚ではない……?
……違うと思う。
……。
あまり、大きくないな……。
……此れくらいの規模のものが、続いて呉れたら。
……。
……こういう時の為に、備え小屋があると言っていたわよね。
うん……マーキュリーの予想通りだったよ。
……此処は、上手に語り継いだのね。
うん……?
……遺していても、後世に生きる者達が守り続けるとは限らない。
其れは、どうして……?
……記憶や意識を語り継ぐ者が居なくなれば、起きた物事は、いずれ風化してしまうわ。
風化……つまり、忘れてしまう?
ひとのこは、時間の経過と共に忘れてしまう生き物でもある……代が替われば、尚のこと。
……。
言葉が伝わっていても皆が皆、信じるわけではない……所詮は言い伝えに過ぎないと、侮る者も出て来る。
……歴代の言葉は、あたしを生かして呉れている。
誰しもが、あなたのようになれるわけではないの……。
……マーキュリーだって、然うだろう?
私は……。
歴代が遺して呉れた記録や言葉を、マーキュリーが無駄にすることなんて決してない。
……そもそも、マーキュリーは。
ん……?
……無駄を、好まない。
ふふ……然うだった。
……笑うところ?
マーキュリーらしいから……。
……中には、どうでも良いものも混ざっているけれど。
だとしても、マーキュリーは其れら全てを次代に……。
……。
……あたしも、何かしら残すつもりなんだ。
然う……。
……うん。
……。
ん……良い香りがしてきた。
……ともあれ、良かったわ。
先人のおかげで、流された者はほぼ居ないそうだよ。
……其れでも、全てではないのね。
うん……其の時に海に出ていた者達は、未だ戻って来ていないみたいだ。
……何処かで、無事に居れば良い。
捜しに行きたくても、此の状況では行けないな……。
……少なくとも、夜が明けないことには。
……。
……今夜は、月が見えない。
朔か……ならば、今夜は星の明かりだけだな。
……月の光など、要らないわ。
あたし達は、然うでも……ひとのこには、必要だと思うから。
……。
……特に、今夜は。
優しいわね……。
……然うでもないよ。
……。
……警戒は怠らないように。
ええ……然うしてあげて。
……マーキュリーも、優しい。
然うでもないわ……。
……。
……。
……干物、どれくらい水に浸せば良いかな。
取り敢えず、生姜湯を飲み終わるまで。
ん……分かった。
……。
……あのさ、マーキュリー。
なに……。
……歯がない子供が居るんだけど、生えてくるかな。
抜けた歯は恐らく、乳歯だろうから……其のうち、生えてくると思うわよ。
然うか……良かった。
……なんの心配?
歯がないと、食べ辛いだろうなぁって。
……安心して、ちゃんと生えてくるだろうから。
ふふ……うん。
……。
良し、出来た。
……湯呑は、ひとつしかない。
だから、マーキュリーが先に。
……。
どうぞ、マーキュリー。
……ありがとう、ジュピター。
ん、どういたしまして。
25日
……ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ、い。
……。
むぅ、なぁ、やぁ、ここの、たり……。
……。
……ふるべ、ゆらゆらと。
……。
ふるべ……。
……其れ、何の言葉だっけ。
ふるのこと……。
……ふるのこと。
祓詞……或いは、祝詞とも。
……マーズ?
いいえ……青い星の極東と呼ばれる地域に於いて、神代から伝わるとされている詞。
じんだい……?
……簡単に言ってしまえば、神話の時代。
しんわ……。
……神が天地を創造し、神の姿を模したひとのこを生み出し、そして世を統治していた頃。
かみって……。
……人知を超越した絶対的能力を持ち、ひとのこに禍福や賞罰を与える存在。
……。
信仰の対象として尊崇、畏怖されるもの……。
……作り話だ。
私達にしてみれば……ね。
……信仰も、あたしには良く分からない。
あなたには……全くと言って良い程に、信仰心がないから。
あたしが信じているものは、マーキュリーと己自身だけだ……其れ以外は、どうでも良い。
……信仰心は、そんなものではないの。
どんなもの……?
……己にとっての絶対者を崇め、尊ぶ心。
……。
若しくは……生きる上での、心の拠り所。
……心の拠り所という点だけを見ても、間違ってはいない。
私は、外しても良いわよ……。
ううん、外さない……外せない。
……いつか、あなたの心を裏切るかも知れない。
だとしても……あたしは、マーキュリーを信じ続ける。
……。
其れが……あたしの、信仰心だ。
……ばかなひと。
うん……其れはずっと、変わらないよ。
……。
……ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ。
覚えているの……?
……物の数え方でもあるから。
あぁ……然ういえば、然うだったわね。
……い、むぅ、なぁ、やぁ、ここの、たり。
此の辺りは……王国の中心から、かなり離れている。
……だからかな、あまり王への忠誠心を感じないんだ。
王国から見れば、極めて東方にある地域……しかも、群島だから。
重要な地とされたことなんて、ないに等しい……。
……大らかで、良い地域だと思う。
あなたは、こういう場所の方が良いのかも知れないわね……。
……此処の民達は、あたし達のことを全くと言って良い程に知らない。
興味がない……いえ、違うわね。
余所者だから、気にはなるようだけれど……でも、其れだけだ。
月の民だとは、思いもしない……ましてや、守護神だなんて。
……全く、思わないだろう。
……。
月はただ、空に浮かんでいるもの……月の民達は、月に居るもの。
……自分達の日々の営みには、全く関係ないもの。
うん……。
……ねぇ。
ん……?
……雷気をわざわざ、三重に張る必要は。
いや、必要だよ……誰が紛れているか、分からないからね。
……。
……。
……此処は、時の流れが緩やかに感じる。
うん……あたしも、然う思う。
……。
……ん。
……。
……此れは、余震?
若しかしたら、錯覚かも知れないわ……。
……ゆらゆらと、揺れているような気がする。
気分は悪くない……?
……今は、平気。
ならば……少し、様子を見ましょう。
……マーキュリーは。
聞く……?
……うん、聞かない。
少しは治まったと、思っていたのに……。
……生姜茶をまた、淹れられたら良いんだけど。
……。
取り敢えず、火は熾した……あとは、お湯を沸かすことが出来たら。
……もう少し、したら。
大丈夫……?
……飲む分ならば、問題ない。
ありがとう……。
……自分の為でもあるから。
其れでも……嬉しい。
……。
寒い……?
……大丈夫、温かいわ。
もう少し、火の傍に……。
……後ろから、抱き抱えられているから。
……。
……こういう時、あなたの熱が傍にあると良いわね。
幾らでも、分ける……。
……濡れなくて、良かったわ。
うん、然うだね……不幸中の幸いだ。
……問題は、此れから夜だということ。
気温が下がる……。
……時季的に氷点下にはならないけれど、其れでも火は絶やさないようにしないと。
諸々の見張りは、あたしが……マーキュリーは、休んで。
いいえ……順番に。
……一晩くらい、眠らずとも問題ない。
私も、同じよ……。
……マーキュリーは、酔いの症状が治まっていないから。
どうせ、眠れない……。
……起きていると、其れだけで体力が消耗する。
……。
だから……。
……風避け。
うん?
……器用ね。
あぁ……先代に教わったのが、役に立つなんてさ。
……林があって、良かったわ。
小屋が作れたら、もっと良かったんだけど……。
十分よ……何もないよりは、ずっと良い。
……。
お腹、空いた……?
ん、どうだろう……若しかしたら、空いているかも。
……お魚。
海に、帰れたかな……。
……。
ん……マーキュリー?
……なんでもない。
揺れてる……?
……嫌ね。
どうすれば……。
……どうしようもないわ、治まるまで耐えるしかない。
横になるかい……?
……ううん、此のままで。
……。
此のままが、良い……。
……分かった。
何かあったら、構わずに……。
……其の為に、狭い範囲だけれど、雷気を三重に張ったんだ。
……。
だから……何かあるとしたら、火が消える時だ。
……休んでいても、気にはするけれど。
……。
……何かあったら、直ぐに声を掛けて。
あったら、ね……。
……また。
……。
また、大きな揺れが来るかも知れない……。
……余震なのに?
余震でも、油断は出来ないわ……場合によっては、本震の揺れと同じ程度になることもあるから。
……。
今回の本震は規模の大きいものだった……であるならば、規模の大きな余震が長く続くことも大いにあり得る。
……其れは、落ち着かないなぁ。
或いは……先程までの揺れは前震で、本震は此れからの可能性だって。
あの揺れで、本震でなかったら……流石に、驚くなぁ。
……。
……若しも、大きな揺れがまた起きたら。
震源の深さにもよるけれど……。
……。
……。
……見渡す限り、水浸しだ。
暫くは、引かないでしょうね……。
……何度も、押し寄せて来た。
記録に残されている通りだったわ……。
……あれに飲まれたら、あたしでも厳しいと思う。
だから、あなただけでも……と、言ったのよ。
……無理だよ、そんなの。
……。
無理だ……マーキュリーを見捨てるなんて。
……私は、水気を躰の中に棲まわせる者。
……。
なんとでも、出来るわ……。
……嘘は駄目だよ、マーキュリー。
……。
あの勢いでは……多分、マーキュリーだって。
……やってみなければ。
やってみたけれど、失敗した……では、駄目なんだ。
……。
確かに、失敗は成功の基だ……だけど、命を懸けて駄目だったら、次はない。
其処でお仕舞いなんだ。であるならば、最初からするべきではない。
……。
終わって、しまうんだよ……マーキュリー。
……私は、あなたに終わって欲しくなったの。
……。
だから……ん。
……分かっているよ。
いいえ、分かっていないわ……。
……。
ばか。
……マーキュリーも、分かってないよ。
……。
えと……ごめん。
……もう、良いわ。
……。
……此れからの話も、しなければ。
一度、月に戻った方が良いんじゃないかな……全部、流されてしまったし。
……ええ、戻るべきだと思うわ。
調査は、改めて……。
……来られたら、良いのだけれど。
来られなくなる……?
……此の状態では、暫くは来られないと考えた方が妥当でしょうね。
……。
……生き残りが居れば、再建されるだろうけれど。
居たとしても、戻って来るかな……。
……戻って来る事例もあるから。
だとしても、余震はもう暫く続くのだろう……?
……執着。
執着……?
或いは、愛着……生まれ育った場所に。
……。
……だから。
だけど、でかい揺れが来たら、海がまた……。
……ないとは、言えない。
……。
其れでも……生まれた場所への想いが勝る、そんなことが青い星の民にはあるのよ。
……あたしにも、あるかも知れない。
……。
……今でも、あの場所への想いは消えないから。
ジュピター……。
……多分、ずっと消えない。
……。
……今更だけど、逃げられたかな。
揺れが収まって、直ぐに避難行動を取っていれば……。
……あの子供達は。
若しかしたら……先人の言葉が遺されているかも知れない。
……先人の?
大抵、残っているものなのよ……。
……まぁ、神の時代からの詞が伝わっているぐらいだしね。
此の辺りは、地震が多い……こんな事態に見舞われることは、初めてではない筈。
……なら、大丈夫かな。
だと、良いわね……。
……漁に出た、親達は。
……。
難しい……?
……小さな、木船では。
そっか……。
……。
……ねぇ、マーキュリー。
なに……ジュピター。
……水は、いつ頃引くのかな。
完全に引くには……其れなりの時間が必要でしょうね。
……然うか。
そろそろ、お湯を沸かしましょうか……。
ん……然うだね。
……だけど、ジュピター。
ん、なに……?
……水を入れる器は。
あ。
……ないわよね、やっぱり。
あぁ……然うだった。
……どうしたものかしら、ね。
どうしようかな……。
……。
うーん……。
……珍しいわね。
ん、何が……?
……楽観的なあなたが、途方に暮れるなんて。
うん……少し、困ってる。
……少し?
少し……。
……。
器……器か。
……ジュピター。
ん、どうした……?
……声が聞こえる。
声……。
……誰か。
来る。
……。
……ん、此の気配は。
若しかして……。
……あ。
……。
生きて、いたのか……。
……然うみたいね。
然うか……良かった。
……此方に来るわ。
なんだろう……。
……ジュピター、雷気を。
……。
……ジュピター?
ちょっと、行ってくるよ。
……。
マーキュリーは、此処に居て。
……分かった、気を付けて。
うん。
……。
此れを、あたしの代わりに。
……ありがとう。
ん。
……。
やぁ。
……。
無事だったのか、良かったよ。
……水気よ。
あぁ、あたし達も此の通り、無事だ。
怪我もしていないよ。
24日
……うん、香りは悪くないわ。
飲めそうかい?
……。
お。
……ん、味も悪くない。
もう少し、甘みがあった方が良い?
ううん……今は、此れくらいで丁度良い。
甘みが強いと、かえって飲めなくなると思うから。
そっか……。
……生姜の香りって、わりと爽やかだったのね。
爽やか?
……今の私には、然う感じるの。
爽やか……言われてみれば、然うかも知れない。
……良いわよ、無理に合わせようとしなくても。
鼻の奥に、香りが残らない……此れは、香調がすっきりしているからだ。
爽やかと言い替えることも出来る。
……今まで、考えたこともなかったけれど。
先代が香りづけとして使っていたのも、今なら分かる気がする……臭みも、取れるし。
……何も考えないで、使っていたの?
入れた方が、美味しいし……香りも、悪くないし。
……あなたらしいわね。
先代もあんまり深くは考えていなかったんじゃないかなぁ。
入れた方が美味しい、なんだったらマーキュリーの先代が食べて呉れる……くらいで。
……生姜は元々、薬茶に使う生薬として育て始めたもの。
ずっと昔のマーキュリーとジュピターが青い星から持ち帰ったんだよね。
……其れを、後のジュピターが料理にも使うようになった。
切っ掛けは何だったんだろう……やっぱり、薬茶かなぁ。
……どういった切っ掛けで使い始めたのかまでは、分からない。
若しかしたら、マーキュリーが切っ掛けかも知れない。
……マーキュリーが?
独特な香りと辛みが、料理の香辛料としても使えるかも知れないって。
……然うかしら。
屹度、然うだ。
……まぁ、其れでも良いけれど。
マーキュリーだったら、どう?
……私?
然う、マーキュリー。
……紛らわしいわね。
なら……。
マーキュリーで。
……はい
私だったら、然うね……若しかしたら、言うかも知れないわね。
だろう?
……でも、言わないかも知れない。
え。
……食べられることが出来れば、其れで良いから。
今は、違うだろう?
……以前の私ならば、確実に言わないわ。
マーキュリーはもう、以前のマーキュリーではないから。
いや、待てよ。若しかしたら、子供の頃に教えて呉れたかも知れない。
……であるならば、私の先代が教えて呉れるのではないかしら。
んー……然うかな。
……意外と、食べることが好きたったのよ。
其れは分かる、なんだかんだ言いながら師匠……あたしの先代が作ったごはんを食べていたから。
……美味しいとは、滅多に言わないの。
然う然う、然うだった。
だけど、師匠は分かっていたみたいだから。
……先代、ね。
思えば、生姜くらいかな……ジュピターが、扱えるのは。
……。
難しい薬茶を煎じることは出来ないけど……生姜を使ったごはんや、お茶ならば。
……生姜だけではないわ。
うん……?
……ジュピターは、食で。
……。
……其れは十分に、マーキュリーの支えとなってきた。
過去形……?
……今も、尚。
良かった……。
……持ち帰ったマーキュリーも、何かに酔ったのかも知れないわ。
いや、ジュピターかも知れないよ……。
……然うかしら、やっぱりマーキュリーだと思うけれど。
……。
……ジュピター?
言い忘れていたことを、思い出した……。
……なに。
大地が揺れた時……あたしも腹の底に、心地の悪さを感じていたんだ。
……然うだったの?
うん……たまたま、酔わなかっただけで。
……あなたは、三半規管も強いから。
だけど、慣れてはいないからさ……ほら、月が揺れることなんてないだろう?
……本当は、揺れているのに。
揺れた方が良い……?
……。
渋い顔……。
……揺れは時に、物を破壊するから。
であるならば、揺れない方が良いね……。
……けれど、不自然であることには変わりない。
うん……其れは、然うなんだけど。
……。
ん、マーキュリー……?
……やっぱり、独特な香りよね。
うん、独特だ……。
……。
刺激は、ない……?
……ええ、今のところ問題ないわ。
取り敢えず、飲めるだけで良いからね。
……分かってる。
ん。
……辛みは控え目なのね、蜜が入っているから抑えられているのかしら。
蜜が入っているからというのもあるけれど、此の生姜自体が辛み控え目なんだ。
……生姜だけを、味見してみたの?
うん、どんなものかと思って絞り汁を少しだけ舐めてみた。
あまりにも辛かったら、其れが刺激になって、飲めないかも知れないし。
……其れで、あまり辛みを感じなかったと?
辛くないわけではないのだけれど、思っていたよりは辛くなかった。
もっと言えばぴりっとした辛みではなく、なんとなく穏やかさを感じる辛みでさ。
穏やかさ……生姜ではまず使わない形容詞ね。
あたしも然う思う。
……つまり、あまり辛くない品種ということね。
然うみたいだ。
……。
こんな生姜もあるんだね。
……此の土地が、然うさせているのかも知れないわ。
土壌の問題?
……恐らくは。
調査してみる?
……してみたいけれど。
難しいか。
……時間があれば。
まぁ、出来たらで良いと思う。
……出来れば、してみたいのよ。
ん、そっか。
……此の辺りの土壌調査は、未だされていなかった筈だから。
されていても、変化していることもあるしね。
……ええ。
……。
……。
あまり辛いと、蜜を入れても飲み辛いと思うし……丁度良かったと思うよ。
……薬茶に近いものになってしまうかも知れないわ。
薬茶?
……飲み辛いという点で。
あぁ、確かに。
……ねぇ、ジュピター。
なに?
……あなたも、飲むの?
ん、どんなものか飲んでみようと思って。
……味見は、したのでしょう?
したけど。
……私と一緒に飲みたかったのね。
うん、然うなんだ。
……全く、仕方のないひと。
ごめん。
……まぁ、良いわ。
やった。
……子供。
生姜の香り、お茶と合わせても悪くないな……月に戻っても、たまには淹れてみよう。
……手軽に躰を温められて、良いかも知れないわ。
一番手軽なのは、あたしと眠ることだけどね。
……あなたが居ない時は、どうするの。
其の時は……生姜に頼るのも、手かな。
……今度、試してみるわ。
うん、良いと思う。
……生姜で事足りるのなら、
あたしのことは、用無しにしないで欲しい。
……。
生姜では得られないものが、あたしにはある筈だから。
……自分で言って。
へへ。
……帰って来たら、ふたりで飲むのよね。
うん、然うして呉れると嬉しい。
……あなたが帰って来たら、暫くはあまり飲みたいと思わないかも知れないけれど。
其れは、どうして?
……他のお茶が飲みたいから。
あたしが傍に居れば、生姜茶に頼らないで良い、ではなくて?
……其れもある、と言っておいてあげるわ。
ふふ。
……帰ったら、あなたがお気に入りのお茶を。
うん、ふたりで飲もう。
……はぁ。
どう、効いているような気がする?
……未だ、分からないわ。
もう少し、飲めそうかい?
……無理のない程度に、飲むつもりよ。
ん、然うして。
……。
ふぅ……お腹の中が、じんわりとあったかいな。
……食欲は未だ、戻って来そうにないけれど。
うん。
……取り敢えず、水分を取ることが出来て良かったと思う。
脱水症状になったら、大変だ。
……其れが分かっていたから、聞いてきて呉れたのでしょう。
……。
……ありがとう、ジュピター。
マーキュリー……うん、どういたしまして。
……いつもとは逆ね。
逆?
……いつもなら、私があなたに煎れてあげているから。
あぁ……然うだね。
……。
……あたしさ。
なに……。
知っているとは思うけど……小さい頃は、生姜が苦手だったんだ。
……うっかり、塊を食べてしまったのよね。
もう、辛くてさ……先代には間抜けだと笑われるし、もう二度と食べるかって。
……でも実際は、知らないうちに食べさせられていた。
ごはんの中に、こっそりと入れられていたんだ。
……まぁ、あなたが鈍かったということもあるのだけれど。
今思えば、結構していたよね……生姜の味。
……香りもね。
でも、美味しかったから……気にならなかった。
……あなたが単純で良かった。
はは……。
……先生の薬茶も然うだけれど。
……。
……先代は、食べさせるのが上手だった。
あたしが鈍いだけってのも、あるけどね……。
……本当にね。
……。
……ん。
また、地震……か。
……。
マーキュリー。
……大丈夫よ。
……。
……大丈夫なのに。
なんだか、悪い予感がするんだ。
……悪い予感って。
此の揺れは、何処か……うぉっ。
……っ。
此れは……でかいぞ。
……座って、いられない。
其の場に屈め、マーキュリー。
……あっ。
マーキュリー……!
……んっ。
は、ぁ……。
……ジュピ、ター。
大丈夫か、マーキュリー……。
……え、えぇ。
良かった……。
……あなた、こそ。
あたしなら、大丈夫だ……。
……。
マーキュリー……あたしの下に、入って。
……でも。
頼む……言うことを、聞いて。
……。
良し……其れで、良い。
……此の、大きな揺れ。
ふぅ……。
……もしや、今までのものは。
収まるまで……あたしが必ず、守る。
……駄目よ。
え……?
此のままでは……小屋が、崩れるかも知れない。
な……っ。
……此れは、恐らくは、本震。
ほんしん……?
……あなただけでも、外へ。
分かった……っ。
……きゃっ。
行こう、マーキュリー。
あ、あなただけ……あっ。
くっ……揺れで、まともに。
……ジュピター、無理はしないで。
此れが、本震……っ。
……私のことは、良いから。
良くない……良いわけ、ない。
……だけ、ど。
言うな。
……物が、動き回るどころか、飛んでいるわ。
あぁ、然うみたいだね……。
……ジュピター、お願い。
あたしも……踏ん張っていないと、飛ばされそうだ。
……あぁ。
くそ……。
……水気、よ。
こう、なったら……。
……我らを、包み込め。
雷気よ……。
……ジュピター……ユゥ。
大丈夫……大丈夫だ、メル。
……。
必ず、守る……。
……水気よ、お願い。
いざと、なったら……。
……ユゥを、守って。
小屋を……。
……柱、が。
くそ、未だか……。
……軋んで。
未だ、揺れるか……。
……必ず、収まる。
あぁ……ずっとは、続かない。
……。
……出来れば、持って呉れ。
……。
く……っ。
……。
……メル、息を止めてっ。
ぅ……。
……爆ぜろっ。
……。
つ……。
……。
……は、ぁ。
ユゥ……。
……ごめん、メル。
……。
小屋……吹き飛ばしてしまった。
……仕方、ないわ。
でも、メルの水気のおかげで……。
……。
メル……大丈夫か。
……未だ、揺れている?
未だ、少し……。
……然う。
だけど、幾らか収まってきたと思う……。
……ユゥ、動ける?
あぁ……動けるよ。
私は……ごめんなさい、動けそうにない。
問題ない、あたしが抱き抱える。
……。
其れで、どうすれば良い?
……此処から、今直ぐ離れて。
何処へ?
……陸の、出来るだけ高い所へ。
分かった、任せろ。
……。
行くぞ、マーキュリー!
……お願い、ジュピター。
応……っ。
23日
-ゆらゆらと(前世)
はぁ……。
……。
ゆれてる、わね……。
……マーキュリー。
ん……。
……大丈夫かい?
ジュピター……。
顔が青白い……未だ、大丈夫ではなさそうだね。
……帰って、来たのね。
ただいま、マーキュリー。
お帰りなさい、ジュピター……随分と、早かったけれど。
うん。
……外に出たと思ったら、直ぐに戻って来たわ。
マーキュリーを長い時間、ひとりにしておくことなんて出来ないから。
……いつものように、雷気を張って呉れたのでしょう。
うん。
……しかも、三重に。
用心するに、越したことはないから。
……近付ける者なんて、滅多に居ないわ。
滅多に居ないけれど、全く居ないと言うわけではないから。
……心配性、ね。
あたしが傍に居た方が、より強固なものになるんだ。
……はぁ。
苦しいようだったら、無理に話さないで良いよ。
……未だ、揺れているような気がするの。
あぁ……其れは、厄介だ。
……まさか、あれぐらいで。
暫く、ゆらゆらと揺れていたから……結構、長かったろう?
……体感的には、ね。
実際は、然うでもなかった?
……時間にすれば、大したことはなかったわ。
……。
ん……ジュピター。
……収まったと思ったら、また直ぐに揺れたろう?
どうして、撫でるの……。
……少しでも、気が紛れたら良いなと思って。
気休め……。
……くらいには、なると良いな。
珍しく、冷たいわ……。
ん……冷たい方が良いと思って。
……どうせ、直ぐに温かくなるくせに。
冷たい方が、良いのなら……。
……どちらでも、構わない。
ん……。
……。
ひとつめの揺れが収まって……暫くしてから、また長く揺れた。
ふたつめ、みっつめ、しつこいくらいに揺れて……其のせいで、マーキュリーは。
……話には聞いていたけれど、こんな感覚になるのね。
ずっと揺れているような感覚なんだろう……?
……目を閉じると、躰が揺れているような気がする。
……。
目を開ければ、天井や壁が動いているように見えて……どうしようも、ないわ。
……もう、揺れないで欲しい。
此の辺りは……条件的に、揺れやすい場所なのよ。
……だからって、こんなに揺れなくても。
調査をするには、丁度良いのだけれど……。
……もう、マーキュリーは。
大丈夫よ……其のうち、治まるから。
……治まって呉れなきゃ、困るよ。
然う……此のままだと、調査が出来ない。
あたしは調査よりも、マーキュリーの方が心配だ……。
……だから私は、調査の心配をするの。
……。
……揺れなら、月にもある。
みたいだね……。
……ジュピター。
なに……。
……少し躰を起こすから、手を貸して。
良いけれど……躰を起こしても、大丈夫なのかい?
……其れを、確かめてみるの。
確かめる?
……どちらが、楽か。
……。
……なに。
無理はしないと、約束して呉れるなら。
約束も、何も……症状が治まって呉れなければ、どうしようも出来ないわ。
……。
ん……。
……良いかい、マーキュリー。
ゆっくり、お願い……。
ん、分かってる……。
……。
……どうかな。
大丈夫……。
……不快に感じたら。
分かっているわ……。
……。
……出来れば、支えていて。
勿論だ……。
……。
……どうだい?
うん……やっぱり、揺れているように感じるわね。
……もう一度、横になるかい?
ううん……暫く、此のままで。
……横になりたかったら、直ぐに言って。
其の時は、言うわ……ちゃんと。
……うん。
……。
……。
……ところで、ジュピター。
なんだい……?
……釣りは、どうだった?
あぁ……うん、獲れたよ。
……獲れた?
とりあえず、三匹。
……釣りに行ったのでは、なかったの。
揺れの影響かな、浅瀬に魚が居たんだ。
だから、手で掴んだ方が早いと思って。
……あなたのことだから、手で払ったのでしょう。
掴むよりも、更に手っ取り早いと思って。
……大らかなあなたには、釣りは向いていると思っていたのだけれど。
時間があれば、向いていると思う。
ぼんやりとしているのは、不得手ではないから。
……。
短い時間ならば、手っ取り早い方が良い。
……魚は、どうしたの。
桶に潮水を入れて、其の中で泳がしているよ。
食べる時に捕まえて捌くつもりだ。
……魚は二度、あなたに捕まってしまうのね。
ちゃんと美味しく食べてやるつもりだから許して欲しい。
……ふ。
はは。
……魚の名前は、分かるの?
聞いた筈なんだけど。
……忘れたのね。
大丈夫、ちゃんと食べられる魚だから。
……其れは、ちゃんと憶えているのよね。
毒があったら、食べられないからさ。
……捌く前に、見せて。
ん、分かった。
……魚は、どうやって美味しく食べるつもりなの。
今、考えているところなんだ。
焼いても良いし、煮ても良い、新鮮なら生でも良いみたいなんだけど。
……生は、ちょっと。
だから、火を通そうと思う。
……寄生虫が居ないとは限らないから、火は確りと通した方が良いと思うわ。
寄生虫?
……寄生虫を、お腹の中に入れてしまうと。
お腹が、痛くなる。
……胃壁、或いは腸壁に食いつかれることで過敏反応を起こし、炎症を起こすから。
お腹が痛くなる程度では済まない?
……猛烈な腹痛、嘔吐、悪心に襲われるそうよ。
良し、確りと火を通そう。
ええ、然うして……今、あなたに何かあったら、困るから。
マーキュリーに何かあっても、困る。
……。
マーキュリーは……。
……今は、無理。
良いんだ、食べられるようになったら一緒に食べよう。
……先に、食べて。
マーキュリーが回復してから食べる。
お腹、空いているでしょう……私に構わず、食べて。
未だ、大丈夫だ。
……寧ろ、食べて。
え?
待たせていると、思うと……だから、私の為に食べて。
マーキュリー……。
……其れに、どうせ食べるなら新鮮な方が良いわ。
……。
……食べて、ジュピター。
うん……分かった。
……うん。
……。
……手、潮の香りがするわ。
良く洗ったんだけど……臭い?
……臭くは、ない。
……。
……さぁ、ジュピター。
ねぇ、マーキュリー。
……食事の支度を始めるのなら、横になるつもり。
やっぱり、起きているのはつらい……?
……支えが、ないと。
そっか……。
……横になっていれば、引っくり返ることもないから。
……。
言いたいことは、其れではなかった……?
……其れも、気になっていたから。
何が、聞きたかったの……?
……どうしても、受け付けない?
入れると……戻してしまうと思うから。
……飲みものも、だめかな。
飲みもの……?
魚を捕るついでに、酔い醒ましに効果的な飲みものの作り方を教わって来たんだ。
……誰か、居たの?
うん、浜辺で子供らが遊んでた。
どうやら、漁に出た親を待っているらしい。
……子供に、聞いたの?
何か分かるかなって。
……怖がられなかった?
あんちゃん、でかいな~~~って言われた。
……其のままね。
怖がるどころか、懐かれそうになった。
……子供にも、もてるのね。
子供の方が、ずっと良い。
……其れで、教わった飲みものは。
曰く、お腹の不快感を和らげて抑えて呉れるらしいんだ。
其れは……どんな、飲みもの?
此れを刻んで、お茶に入れる。
……生姜?
刻んだものが嫌なら、絞り汁を数滴混ぜても良いらしい。
なんでも、「おやじどの」が酷い二日酔いの時に「おふくろさま」が作ってやるらしいよ。
……父親と、母親、かしら。
多分。
……。
興味深い?
……今は、其れどころではないから。
あ、そっか。
……確かに、生姜には吐き気を抑える効果があるわね。
蜜を入れて、甘みをつけたり……お茶が駄目ならお湯に入れて、とろみをつけて飲んでも良いらしいんだ。
……成程、悪くはないわね。
どうだろう……少し、飲んでみるかい?
……一杯は、飲めない。
一杯は、飲まなくて良いよ……飲める分だけで良い。
……全く、飲めなくても。
構わない。
……。
其れに、今直ぐにとは言わない。
無理に飲んで、酔いを抑えるどころか、悪化してしまったら大変だから。
……。
マーキュリー……?
……嫌になる。
え、どうして?
……マーキュリーが、地震に酔うだなんて。
仕方ないさ、然ういう時もある。
……弱みを、見せるようで。
大丈夫だよ、今のところ誰も気付いてない。
……今のところ、でしょう。
万が一の時は、あたしがなったことにすれば良いよ。
……あなたが?
然う、あたしが。
……どう考えても、無理があるわ。
ん、然うかな。
……然うよ、顔色ひとつ見ても、地震酔いをしているようにはちっとも思えない。
いや、見た目では分からないこともあるだろう?
……地震酔いをしていて、魚なんて獲れる?
酔いを醒ます、或いは、気晴らしに。
……無理があり過ぎる。
やっぱり、だめかな。
……私のような状態になるのよ、とてもではないけれど魚なんて獲れないわ。
じゃあ、今からでも……。
……どうするの。
えと、横になる……?
……もぅ、ばかね。
ん、ごめん……。
……弱みは、見せるべきではない。
……。
余計なことも、しなくて良い……。
……分かった。
ふぅ……。
……つらい?
あなたが……あまりにも、ばかみたいなことを言うから。
ごめんよ……。
……なんだか、落ち着いてきたわ。
え、然うなの。
……ほんの少しだけね。
やった、良かった。
……未だ、万全ではないから。
でも、嬉しいよ。
大袈裟……一時的なもので、不治の病ではないのだから。
あぁ、良かったぁ。
……ね。
うん?
……作ってみて。
……。
……生姜茶でも、生姜湯でも、どちらでも良いわ。
分かった、直ぐに作る。
……急がなくても、良いわよ。
成る可く、急ぐ。
あぁ、然う……なら、程良く急いで。
ん。
……お魚のこと、忘れないでね。
魚?
……折角、捕まえて来たのだから。
大丈夫、未だ忘れてない。
……未だ、ね。
魚は……然うだ、「なべ」にしようかな。
……なべ?
魚をたっぷりの汁で煮ることを、此の辺りでは「なべ」と言うらしい。
……つまり、汁物?
うん、多分。
……其れも、教わったの?
美味いからやってみろって。
……本当に懐かれたのね。
うっかり、よじ登られるところだった。
……。
ん?
……あなたが幼い頃のことを、一瞬、思い出したわ。
あたしの?
……あなたも良く、先代によじ登っていたでしょう?
然うだっけ。
……惚けて。
んー……。
……あなたが、忘れるわけない。
……。
……ジュピター?
師匠……先代によじ登るの、楽しかったなって。
……。
よし、其れじゃあ作ろうかな。
マーキュリー、良いかい?
……ええ、良いわ。
うん……。
……はぁ。
疲れた?
……いい加減、治まって欲しいわ。
だけど少しだけ、顔色が良くなったような気がするよ。
……少しだけ、ね。
……。
ん……もぅ。
……待ってて。
……。
美味しく、作るから。
……飲めないかも知れないのに。
然うしたらあたしが飲んで、また後で、作り直すよ。
……ところで、生姜はどうしたの。
「おふくろさま」に貰った。
……。
あたしがジュピターだってこと、誰も気付いていないみたいだ。
……でかいあんちゃん?
「おふくろさま」には、あれま、本当にでかいなぁって言われた。
……。
ところで、あんちゃんってなんだろう?
……若い男性のことを指す言葉。
え。
……あなた、男性だと思われているわね。
えー……。
……ふふ。
まぁ、別に良いけど。
……あんちゃん。
マーキュリーは、止めて?
……私は、駄目なの?
駄目ではないけど、出来れば、止めて欲しいな。
……残念。
……。
ん……もぅ。
……待っててね。
22日
此処を押すのよ。
……此処、か?
あまり力強く押さないでね、若しかしたら壊れてしまうかも知れないから。
分かった、そっと押せば良いのだな。
然う……そっと、優しく。
……。
だからと言って表面を撫ぜるようでは駄目よ、ちゃんと押し込んであげないと。
む、どうして分かった?
あなたのことだもの、然うではないかと思ったの。
……手の動きで、分かったか?
ええ……あなたにとって優しいと言えば、撫ぜるだから。
……此れは、ちゃんと押さないと駄目なのだな。
然うでないと、反応して呉れない。
反応して呉れないと、中のものが出て来て呉れない。
然し、珍妙な箱だな……此の中に、飲みものが入っているのだろう?
且つ、温度調整もして呉れているみたいね。
……興味深いか?
ええ、興味深いわ。叶うのなら、分解してみたい。
此の箱の中がどうなっているか、隅々まで調べてみたいの。
ならばひとつ、持ち帰るか。
幾つか置かれているようだし、ひとつくらい無くなったところで問題は無いだろう。
駄目よ、そんなことをしたら此の子達が咎人になってしまうわ。
咎人?
何故?
もう、盗みは咎の一つでしょう?
其れは此の世界でも変わらないわ。
然うか、こんな珍妙な箱でも持ち帰ったら盗みになってしまうのか。
此の箱を置くことで、誰も居らずとも売買が行える。
故に、持ち帰れば其れは売買の盗みとなる。
然し、盗む者は居ないのだろうか。
繋がれては居るようだが、其れでも聊か無防備だと思うのだが。
此れを盗むとなると、屹度大掛かりになるでしょう。
繋いでいるものを断ち切って、尚且つ、担がなければならないのだから。
このような珍妙な箱、歳星の民が……然うだな、ふたりも居れば事足りるだろう。
歳星の民のような力持ちさんは、此の世界にはなかなか居ないと思うわ。
確かに、其れなりの重量はありそうだが。
歳星の王であるあなたならば、ひとりで持ち上げられるかも知れないけれど。
まぁ、私のような者は流石に居るまい。
居るとするならば、其れはひとのこの形をしていないわ。
此の世界では、然うだろうな。
此の箱を破壊して、中のものだけを強奪して行く者なら居るかも知れない。
破壊か……其の方が持ち去るよりも、手っ取り早いかも知れないな。
勿論、其れも咎だからね?
あぁ、分かっているよ。
私は此れでも王だった者だ、民に示しが付かぬようなことはせぬ。
今でも?
あぁ、今でも。
ふふ。
可笑しいか?
王だったあなたが、珍妙な箱から飲みものを買えずに、立往生している。
なんせ、珍妙な箱だからな。
ねぇ、良い加減押さないと。
む。
反応は示しているけれど、いつ、消えてしまうか。
然うか、ならば早く押さないとな。
私が押しても良いのだけれど。
いや、此処は私に任せて呉れ。
何が起こるか、分からぬ故。
屹度、中の飲みものが出て来るだけよ?
然うだとしても、警戒しておくに越したことはない。
ふふ……心配性ね。
良し、押すぞ。
待って。
……む?
其れは此の子が望んでいるものではないわ。
此れではなかったか?
其れではないわ。
さて、どれだったか。
其の左隣。
おお、左隣か。
此の子は其の飲みものが好きみたい。
此れは……何だろうか。
分からないけれど、味ならば飲んでみれば分かるわ。
然うか、然うだな。
早く、此の子が望むものを買って。
もうひとりの愛し子が望むものを買おう。
ふふ……ええ。
良し、改めて押すぞ。
力は抜いてね?
応。
……。
そっと……こう、だな。
……。
む?
へぇ、押すと音が鳴るのね。
購入完了を知らせているのかしら。
ぴって言ったぞ、中に何者かが入っているのか。
何者だと思う?
ふむ……大きさを考えるに、
其れよりも、何かが落下する音がしたわ。
まさか、幼子か?
こんな珍奇な箱に押し込めて
安心して、ユゥ。
誰も入っていないわ。
……入ってない?
入ってない、だから大丈夫よ。
然うか、メルが言うなら大丈夫だな。
ユゥが凸を押したことで、何かが落下する音がしたの。
然ういえば、したな。
若しかして、出て来たか?
取り出しは此処かしら。
待て、私が取り出そう。
ふふ、大丈夫よ。
飲みものを取るだけだもの。
咬み付かないか?
もう、何を言っているの?
いや、然し
熱っ。
メルっ。
ふふ……吃驚した。
だ、大丈夫か?
大丈夫……熱くて、少し吃驚しただけ。
熱いのか?
触ってみる?
あぁ、触ってみよう。
メルの白魚のような美しい指を火傷させようとする不埒なものを見過ごすことなど私は決して出来ぬ。
もう、だから何を言っているの?
……。
腰が引けているわ。
そんなことはない、警戒しているだけだ。
……そんなに?
……。
……。
……熱っ!
ふ。
ほ、本当に熱いな。
何故(なにゆえ)、こんなに熱いのだ。
表示では、「あたたか~い」になっているのにね。
此れは「あたたか~い」ではない、「熱い」、だ。
表示に偽りがある、正すべきだ。
ふっ。
笑いごとではないぞ、メル。
流石に此れは熱過ぎる。
私達が知らないから、余計に然う感じているだけなのかも知れない。
な……メル、待て。
……うん、矢張り大丈夫。
熱いだろう、早く私に。
大丈夫よ、ユゥ。
し、然しだな。
さぁ、次のものを買いましょう。
此の子は……然う、此れを所望していたわ。
メル、本当に大丈夫なのか?
ええ、本当に大丈夫。
メルの白魚のような
其れは、もう良いから。
……むぅ。
ねぇ、次は私が買ってみても良いかしら。
あなたが買ってみて、何も問題はなかったのだし。
……「あたたか~い」、ではなかったぞ。
然ういえば、どうして長音符ではないのかしら。
うん?
「あたたかーい」ではなくて、「あたたか~い」とあるでしょう?
あぁ、確かに。
気持ちを緩める効果でもあるのかしら。
私にはいまひとつ、分からないが……若しかしたら、然うなのかも知れないな。
符号ひとつで……此の世界のひとのこが考えることは、本当に興味深いわ。
私は、此の世界のひとのこが考えることは良く分からないが……メルが面白いのなら、其れで良い。
……。
ん、なんだい?
あなたにも、「あたたか~い」時があるような気がする。
何、私にもか?
例えば、どういう時だ?
然うねぇ……私とふたりきりの時かしら。
メルとふたりきりの時……。
……気持ちが緩んでいるでしょう?
確かに、緩んでいるな……と言うより、自然に緩んでしまう。
メルとふたりきりだと、余計なことを考えないで良いから。
然ういう時のあなたは大抵、「あたたか~い」雰囲気を纏っているような気がするの。
ふむ……。
緩い雰囲気を醸し出す為に長音符は敢えて使わず、此の……なんと言うのかしら。
後でそっと、此の子に聞いてみましょう。教えて呉れれば良いのだけれど。
……私は、「あたたか~い」時があるのか。
けれど、「つめた~い」時はないの。
メルに冷たくすることなど……。
だから、「あたたか~く」?
ん……どうにも、気が抜けるな。
其れが狙いなのかも知れないわ。
はぁ……良く分からないが、メルが言うのならば然うなのだろう。
ユゥ。
ん、なんだ。
今のあなたは緩くないわ。
……然うか?
慣れぬ世界で、気が張っているのかもね。
……メルは、緩いか?
私は……あなたが、傍に居るから。
……ん。
だから……少しだけ、緩んでいるかも知れない。
あぁ……。
……駄目よ?
う。
……今は、飲みものを買うことが先。
飲みものを買ったら……良いか、抱き締めても。
駄目。
……駄目、か。
此の子の許しがなければ。
此の躰の主は私ではないもの。
無理を承知で頼みたい、ほんの僅かな時で良い、どうか許して欲しい。
……ですって。
だ、駄目だろうか……どうしても、駄目だろうか。
……そもそも、聞こえているのかしら。
は……。
取り敢えず、今は我慢。
ね?
……うぅ。
先に買ったものが冷めてしまうわ。
……少々冷めた所で、気になどせぬ。
あなたはね。
けれど、其の躰の主はどうかしら。
……そんなに小さき心では。
可愛いじゃない?
……か、可愛い?
未だ、子供だもの。
……だがな、メル。
だから、良いの。
……はい。
買っても良いわよね?
……あぁ、構わないよ。
ふふふ……。
……楽しそうだな、メル。
ええ、楽しいわ。
……何よりだ。
此の細い穴に、硬貨を入れて……うん、反応した。
……面白いな。
ね。
……私は、楽しいよ。
楽しい?
……此の世界を心から面白がっている、メルを見ていると。
子供のよう?
あぁ、子供のようにはしゃいでいる。
ふふ……思い出すわ。
思い出す?
……あの子達が小さかった頃のことを。
あぁ……懐かしいな。
……なんていけない、思い出に浸っていては。
然うだ、今は「あたたか~い」飲みものを買わなければ。
さて、此の子が望むものはどれだったか。
此の子が望むものは……此れ。
ふむ、また違うものを選ぶのだな。
違うものを選べば、ふたつの味が楽しめるでしょう?
ふたつの味?
分け合えば。
あぁ……然ういうことか。
私達も良くしたものだわ。
然うだったな。
……。
メル、どうした?
……変わらないのね。
……。
……ぴ。
二度目だから、もう驚かぬぞ。
……取り出し、お願いしても良い?
応、任せて呉れ。
……。
あっつっ。
……。
な、何ぞっ?
……驚かないのではなかったの?
いや、其れが、私も其のつもりだったのだが……此れは、先に買ったものよりも熱くてだな。
どれ……。
待て、メル。
今度こそ、メルの白魚の
良いから。
……だが、心配なんだ。
……。
ん、何をしているんだ?
……袖を上手く使えば。
……。
うん……此れならば、温かい。
……うん、流石は私のメル。
ふむ。
……メル?
確かに、先に買ったものよりも熱いかも知れないわ。
だろう?
とは言え、其処まで驚く程のものでは……油断?
いや、油断はしていなかった。
熱いものなのだと、確と心に
二度目だから、油断していたのね。
……三度目があるのなら、もう、驚かぬ。
火傷はしていない?
……お。
ん……大丈夫そうね。
……あぁ、大丈夫だ。
……。
メル……。
……此の飲みものだけが殊更熱く保存されているのか、其れとも。
……。
ん……駄目よ、ユゥ。
……。
……駄目だと、言っているのに。
済まぬ……。
……私からは、返さないわ。
うん……。
……。
……少し、小さいな。
そんなことを言ったら、嫌われてしまうわよ……。
……心から謝る、嫌わないで呉れ。
……。
メル……メルクリウス。
……きれいね。
うん……?
……紅葉。
あぁ……然うだな、とても綺麗だ。
……此の世界は、彩りに溢れている。
春は、もっと綺麗だそうだ……。
……見てみたいわ。
見られるさ……。
……見せて貰えるかしら。
屹度……。
……ごめんなさい、どうか許してね。
……。
……私も、嫌われたくないの。
分かる……。
……。
此れからも……躰、健やかに。
どうか……心、穏やかに。
……倖せを、願っている。
誰よりも……。
……。
……ユピテル、そろそろ。
あぁ……。
……。
……此れは、美味しいのだろうか。
此の子が好きな飲みものだから……。
……屹度、美味しいのだろうな。
……。
……ところで、メル。
なぁに……?
……何やら、箱が騒がしいぞ。
どうやら、当たりみたいね……。
当たり……?
……もう一度、押しても良いみたい。
ということは……。
もうひとつ、お金を払わずに買える。
いえ、お金を払わないのだから貰えると言った方が正しいわね。
……盗みにはならないか?
ならないと思うわ、当たりなのだから。
然うか……ならば、どれにするか。
んー……然うね。
……。
……恐らく、甘いでしょうから。
甘い……?
……此れで。
ん、此れだな……分かった。
……。
……おしるこ缶。
……。
どうして……あたしは、ミルクティーだと言ったのに。
……良かったわね、好きなものを買って貰えて。
お金を出したのは、あたしなんだけど……。
……良いじゃない、おしるこ。
良いけど……良いけど、さ。
……。
水野さんは、コーンスープ……。
……飲む?
飲む……。
……仕方ないわね。
はぁ……。
……でも、良かったじゃない。
ん……?
……ほうじ茶。
……。
当たりを引いたようで。
……この自販機、当たることもあるんだね。
明日、雪でも降るかも知れないわ。
然うしたら……ベッドの中で。
規則正しい生活を心掛けること。
……少しくらいなら。
駄目よ。
……はい。
……。
ねぇ、水野さん。
……なに。
怒ってはいない?
……別に、怒ってはいないわ。
そっか……。
……。
……。
……ねぇ、木野さん。
なんだい……?
きれいね。
……。
紅葉。
うん……とても、きれいだ。
21日
……非常事態宣言。
水野さん。
……ん。
お待たせ、出来たよ。
……うん。
非常事態宣言?
……然うらしいわ。
まぁ、これだけ広がれば然うなるよなぁ。
……死者も増えている。
今日も?
……今日は三桁。
三桁か……昨日まではぎりぎり二桁だったのに。
……。
300……随分と増えたな。
……明らかに、初期の頃よりも症状が重くなっているわ。
変異の影響、だよね。
……若しも、ヒトからヒトへ感染するほどに症状が重くなるようプログラムされていたら。
どこかで食い止めなければならないけど……一応、治っているひとも居るんだよね。
……「軽症」ならば、ね。
軽症か……。
……薬が全く効かないわけではないようだから。
うん……それがせめてもの救いかな。
……或いは、不幸中の幸いというところかしら。
不要不急の外出……然ういえば、学校はどうなるんだろう。
うちの学校は結局、学校閉鎖になっているけど。
……学校の心配?
一応。
……全国的に、一斉休校になるらしいわよ。
全国的に一斉休校……まぁ、然うか。
……なんにせよ、今更。
今となっては、どこもかしこも閉鎖状態になっているみたいだしね。
……子供を介して教える側にも感染が広がってしまっているから、全国の学校組織は壊滅状態と言っても過言ではないわ。
幼稚園と保育園も閉鎖だから、小さな子供が居る親御さんは大変らしい。
……そして、看病する親御さんにも感染してしまうと。
うーん、どうしようもないな。
放っておくわけにもいかないし。
……軽症ならば、良いのだけれど。
だけど、息苦しさや発熱の症状が辛くて、起き上がることもままならない状態であっても、今は「軽症」と扱われるんだろう?
……例えば、呼吸困難や肺炎を起こしていれば「重症」の扱いになるみたいね。
そこまで行ってしまったら、体力のない子供と高齢者は持たないよ。
子供と高齢者だけじゃない、躰が弱いひとだって。
……あなたが言うように、乳幼児や高齢者、基礎疾患を持つひとの犠牲者は確実に増えていると思うわ。
乳幼児以上の子供は、未だ踏ん張っている?
……とは言え、時間の問題でしょうね。
お医者さんはもう、パンクしているんだろう?
どこもかしこも病床はいっぱいで、「軽症」の患者さんは受け入れられず、自宅療養者が増えていると。
……これだけ感染スピードが速いと、とてもじゃないけれど間に合わないわ。
医療関係者にも感染が広がっているというし……若しも、医療が回らなくなったら。
……然うなってしまったらもう、どうしようもない。
厳しいなぁ……少しでも早く、終息すれば良いと思っていたけど。
……終息はもう、無理。
落ち着くのは……?
……いつになるか。
そっか……。
……愚図。
……。
……きれいごとばかり、並べていたくせに。
仕方ない……多分、感染していたんだろうから。
……はぁ。
ところで、ケーキ食べるかい?
……。
ん?
……食べてあげるわ。
ん、ありがとう。
……テレビ、消しても。
うん、良いよ。
どうせ、明るいニュースなんてないだろうから。
……猫が見たい。
猫?
……。
ふふ……食べたら、勉強の続きをするんだろう?
……勿論。
期末試験、いつになるかな。
さぁ……若しかしたら、年が明けても実施出来ないかも知れないわね。
高校受験はどうなる?
学校が閉鎖されていたら、無理。
だよなぁ。
……この国だけじゃない。
……。
……世界的に流行し始めてしまって。
どこの国でも、子供と高齢者の感染が酷い。
……まさに、未来と過去が奪われようとしている。
うん。
……このまま有効なワクチンが開発されず、何も出来なければ。
……。
……滅ぶかも知れないわね、また。
然うかも知れない……でも、然うではないかも知れない。
……悠長ね、あなたは。
あたしには、一日一日を水野さんと生きていくことしか出来ないからさ。
……。
なんにせよ……然うなったらまた、銀水晶が復活させるだろう。
……何度、繰り返すつもりなのかしら。
失敗は成功の基とは良く言ったものだけれど。
……そもそも、頭が足りていないのよ。
はは、それは言える。
……笑いごとで済ませても良いの?
うん?
……このままだと、いつまで経っても、私からの返事は聞けないわよ。
……。
なんせ、前に進まないのだから。
……若しも、人類の半分が居なくなったとして。
半分で済むかどうか。
……生き残った者達で、未来へ進んで行けば良い。
……。
この世界の人類は、然うやってここまで歩んできたんだ……それをひとのものではない不自然な力で捻じ曲げるようとするから、齟齬や歪が生まれる。
……そもそも、銀水晶なんてものがこの星に存在するから。
いっそのこと、どこかに行って呉れないかな。
……行かないでしょうね、気に入っているようだから。
性質が悪いものに目を付けられたものだなぁ……宇宙は果てしなく広大で、数え切れないほどの星が存在しているであろうに。
……数え切れないほどの星を食い潰して、ここまで来たのかもね。
それなのに、青い星は再生させる……何度でも、繰り返して。
……余程、気に入っているのでしょう。
いい加減、前に進みたい。
……ん。
水野さんと……先の世界に行きたい、先の世界を生きたい。
……高校受験を越えて?
そして、プロポーズの答えを貰うんだ……。
……期待外れかも知れないわ。
それでも、諦めない。
……諦めきれないから?
うん。
……ケーキ、食べましょう。
然うだった。
今、お茶を淹れるね。
ケーキの材料は未だ揃うのよね。
未だ、街が生きているからね。
少なくはなってきているけど、頑張って呉れているひとは未だ居るんだ。
……然うね。
あたしが大人ならば、働くんだけどな。
働いて、お給料を貰うんだ。
……貰ったら、何に使うの?
お給料を貰ったら、水野さんにプレゼントを贈る。
……それよりも、生活必需品に当てて。
貯めて、贈る。
……あぁ、然う。
宝石の約束、忘れてないよ。
……忘れて良いわ。
ううん、忘れない。
然う……なら、忘れないで。
うん。
……きっと重宝されるわ。
重宝?
……あなたは、無駄に体力があるから。
力仕事ならあたしに任せろ。
……だけど、あなたに任せられるお仕事はそれだけじゃない。
他にもあるかな。
……あるわよ、色々と。
だと、良いな。
……。
お茶は何が良い?
……何が残っているの?
緑茶と、紅茶。
……紅茶は何?
ダージリン。
……なら、緑茶で。
え、緑茶なの?
……然ういう気分なの、悪い?
ううん、悪くない。
……あなたは、
あたしも緑茶で。
……。
まずはケーキを持ってくるね。
……ええ。
~~♪
……ご機嫌、ね。
よ……と。
……どんな世界でも、あなたが居れば。
水野さん。
……。
お待たせしました。
今日のケーキはココアベリーケーキです。
……知っているわ。
水野さんのご要望に応えて、ベリーはブルーベリーにしました。
それも、知ってる。
目に良いんだよね、ブルーベリー。
だから、何?
勉強の合間に食べるのに、うってつけ。
……ふ。
あれ。
……あなたと居ると、飽きないわ。
本当?
……本当。
ふふ、嬉しいな。
……単純。
おまけに、楽観的。
……おかげで、気が沈まないで済む。
え、なに?
なんでもない。
ん、そっか。
……。
次はお茶だ。
……ねぇ、木野さん。
なんだい?
……食べたら、紅葉でも見に行きましょうか。
え。
……丁度、晴れているし。
良いの?
……散らずに、残っていれば良いけれど。
未だ、散ってはいないよ。
……。
見頃で、とてもきれいかも知れない。
……行く?
行きたい、水野さんと。
……ならば。
暖かくして、出掛けよう。
……ひとがあまり居ないだろうから。
のんびり見られると思う。
……また、おしるこ缶を飲むの?
んー、今日は飲まないかな。
水野さんは、無糖のブラックコーヒー?
……今日は、飲まないわ。
じゃあ、あったかいココアかな。
……これから、ココアのケーキを食べるのに?
あは、然うだった。
……まぁ、その時に飲みたいものを飲むわ。
うん、あたしも然うする。
……。
はい、お茶をどうぞ。
……ありがとう。
どういたしまして。
……美味しそうね、相変わらず。
ふふ、然うかい?
……ケーキ屋さんも、良いかも知れないわよ。
ケーキ屋さんか……それも、楽しそうだ。
……お店の経営は楽しくないでしょうけど。
う、急に現実的。
知ってる?
経営不振が続くと、お店って潰れるのよ。
うん……知ってるよ。
……気が向いたら、手伝ってあげても良いけれど。
その時は、お願いします。
……ところで、このケーキはしっとりしているの?
してると思う。
……していなかったら。
あたしひとりで、
食べるわよ、それでも。
ん。
……食べるの。
水野さん……うん、ありがとう。
……お礼を言うのはおかしいわ。
全然、おかしくないよ。
……。
切るね。
……うん。
……。
……ねぇ。
うん、なんだい?
……あなたの味が知れて、嬉しいみたい。
あたしの味……?
……私の中のひとの話。
あぁ……喜んで呉れてる?
……嬉しいのだから、然うなのでしょう。
ふふ、そっか……。
……嬉しい?
うん……嬉しい。
……あなたの中の。
嬉しいみたいだよ、水野さんが食べて呉れて。
……ユピテルが作ったわけではないのに。
それでも、嬉しいんだってさ。
……ふぅん。
得意だったらしいよ。
……得意?
料理も。
……王様なのに?
趣味だったみたいだ。
……趣味、ね。
メルさんが食べて呉れるのが嬉しくて、楽しかったって。
……あなたと似ているわね。
似てるかなぁ。
……似てる。
まぁ、良いけど。
……良いのね。
なんだかさ、ジュピターよりは癪じゃないんだ。
……。
でも……刺激の強い夢は、勘弁して欲しい。
……前世の夢でも、似たようなものはあるでしょう。
だけど……その、種、だからさ。
……。
知らないのに……知っているような。
……何を。
その……感触?
……最低。
え、なんで?
……。
み、水野さん?
……ケーキ、食べても良い?
え、あ、うん。
……。
ど、どう?
……悪くないわね。
そ、そっか、良かった。
……。
あたしも、食べようかな……。
……同じこと、してみたいの?
……っ。
汚い。
お、同じ、こ、ことって……。
……。
さ、流石に、む、無理だよ……。
……無理でなければ、してみたいの?
し、してみたく、な、ないよ……?
……然う、残念。
ざ、残念……?
……。
み、水野さん、そ、それって……。
……別に、深い意味はないわ。
な、ないの?
ないし、うるさい。
……はい、ごめんなさい。
……。
はぁ……吃驚した。
……木野さん。
な、なに……?
……ばかね。
……。
……また、作って。
うん……また、作る。
……ケーキの材料が揃えば良いけれど。
揃う限り、あたしは作るよ……。
20日
……ユゥ。
うん……?
……。
どうした……メル。
……躰が、気怠い。
む、其れは大変だ……。
……ん。
大事にしなければ……。
……もう、されているわ。
もっと、だ……。
……此れ以上、大事にされたら。
駄目になる……か?
……ええ、駄目になってしまうわ。
メルは、駄目になどならぬ……。
……どうして、然う言えるの。
言えるさ……。
……辰星の民だから?
確かに、辰星の民達は四星の中で最も厳格だと言えるだろう……。
……曰く、石頭で融通が利かず、最も冷酷だとも。
まぁ、然ういう者も居るだろうが……全てではない。
……あなたの目は、興味深いわ。
ん、然うか……?
……全ではなく、個で見ることが出来る。
全は、個に為り得ない……逆も然り、だ。
……。
む……。
……私は、恵まれている。
私の元に来て、良かったと思って呉れるか……。
……何度も、思っているわ。
然うか……嬉しいな。
……でもね、ユゥ。
何か、不満に思うことでもあるのか……?
……ううん。
言って呉れ、直ぐに正す。
……然うではなくて。
うん?
……私だって、所詮はただのひとのこよ。
ひとのこ……。
……あなたに大事にされる程、甘やかされる程、怠惰に流されて駄目になってしまうかも知れない。
然うだろうか……。
……ひとのこは、低い方へ流されるものだから。
メルは、誰よりも己に厳しい……。
ん……ユゥ。
如何なる厚遇を受けようとも流されず、冷静且つ沈着、決して身を崩すことなどなく……常に、自己を律し続ける。
……買い被り。
私は、メル以上に、己に厳しい者を知らない……。
私以上の者なら……ん、幾らでも居るわ。
辰星に、か……?
……例えば、姉姫様。
姉姫殿か……確かに、厳しそうではあった。
……顔が?
然う、顔が……。
……ふ。
あ、いや、違う……何を言わせるのだ、メル。
……あら、だって本音でしょう?
確かに、本音ではあるが……だが、中身は然うでもないのだろう?
……いいえ、とても厳しい方よ。
……。
私などよりも、ずっと……でなければ、辰星の守護者など務まらないわ。
……辰星とは矢張り、厳しい星なのだな。
皆が厳しいわけではない……然う、私のように。
メルでも緩いというあたりが、私には理解出来ぬ……。
書物庫に籠っては、時を忘れて書物を読み耽る……時辰に厳格な辰星では、許される行いではないの。
其れ位、良いと思うのだが……メルは好きで籠っていたのだろう?
であるならば、好きなだけ読み耽れば良い。
……寝食を、忘れて?
其れは困るな。
……呼びに来て呉れる?
あぁ、呼びに行こう。
そして、共に寝食を。
……あなたなら、優しく呼びに来て呉れるのでしょうね。
勿論だ……きつく咎めたりなど、私はせぬ。
……けれど、辰星では許されないの。
好きなことも、存分に出来ない………息苦しい場所だ、私では暮らせそうにない。
……ふふ。
あ。
……なぁに。
す、済まない……メルの母星を。
……あなたでは屹度、息が詰まってしまうと思う。
メル……。
……実際、私が然うだった。
……。
私は、妹姫……姉姫様の代わりになる者。
けれど、姉姫様がご健在ならば……無用な存在でもある。
……無用、などと。
幾らかならば、己に与えられた務めを果たすことが出来るでしょう……けれど、幾らかでは役立たずなままなのです。
そんなことは、ない……ないよ、メル。
だから、あなたに見初められた時は……漸く、己の務めを果たせると思ったの。
辰星と歳星を繋げる役目……其れが、私が生まれて来た意味なのだと。
……。
とは言え、初対面であるあなたに口説かれた時は、困ってしまったけれど。
……む。
生きてきて……ふふ、あれ程困ったことはなかったわ。
……改めて、済まないことをした。
けれど結果的に、あなたがあの星から連れ出して呉れた……。
……。
連れ出して……こんなにも、大事にして呉れる。
……私はメルに惚れているからな。
惚れて、いなければ……。
……私は誰にでも優しく出来る程、器用ではないんだ。
……。
メルだけだ……。
……此処には、あなたと私しか居ない。
あぁ、誰も居ない……。
……あなたがすっかり、人払いをして呉れたから。
当たり前だ……ふたりの閨に、無粋な存在など必要無い。
……私が来る前には、置かれていたのでしょう?
あぁ、然うだ……だが、彼らの期待に応えることは一度たりともなかった。
……幾人、此処に入れたの?
いつかも、話したが……誰も、此処には入れたことはない。
若しも誰かを入れようとするのならば、徹底的に抗った。
……。
此処はたったひとつの、私だけの居場所。
白粉やら紅やら、ましてや体臭など……考えるだけでも不快で、耐え難い。
……心の底から、嫌だったのね。
うん……心の底から、嫌だった。
……此処は、あなたの安らぎの場所。
其の通りだ……。
……今、も。
今は、ふたりの場所だ……。
……私も?
私は、然う思っている……。
……。
……嫌、か。
ううん……嫌じゃない。
うん、良かった……。
……。
メル……。
……行為は。
ん。
……別に、用意された部屋で。
待って呉れ、メル。
……なに。
此れ以上は、止めておかないか。
こんな話を聞いた所で楽しいことなど何一つないだろう?
……あなたも、話したくない。
出来れば……。
……ごめんなさい。
……。
けれど……私は、知りたいの。
こんなことでも、か……?
……確かに、聞いていて楽しいことではないわ。
だろう……ならば、無理をしてまで聞かなくても良い。
……耳を塞いでも、聞こえてくる。
聞こえて……?
……あなたが、子作りを強いられていたこと。
……。
……酷い時は、毎夜の如く。
誰だ……そんなくだらぬことを、メルの耳に届ける奴は。
……怒らないで。
いや、怒る……決して、赦すことは出来ぬ。
……ユゥ。
む……。
……種付けだけは、決してしなかったのでしょう?
あぁ、決してしなかった……死んでもしないと、心に決めていたから。
……。
けれど……。
……苦しかったのでしょう?
……。
嫌い、だったのでしょう……。
……其れの前はいつも、酷い吐き気がした。
……。
あまりにも出来ぬものだから、不能王とも揶揄された。
実際、使い物にならなかった……だから、あらゆる手で。
……ありがとう。
ん……。
……私も、赦さない。
メル……メルクリウス。
……あなたに、苦しみを与えた者達を。
……。
けれど……其れは、おくびにも出さないつもりよ。
……済まない、メル。
良いの……謝らないで。
……。
……ぁ。
メル……良いかい?
……もう、一度?
許して、貰えるのならば……。
……使い物にならなかったなんて、嘘のよう。
う……。
……ふふふ。
メルにしか、反応しない……。
……然うなのかしら。
此れからも、ずっと然うだ……。
……あ、ん。
メル……私は、メルだけを愛している。
……いつか。
いつか……?
……私、あなたの子を産むわ。
……。
愛しい、あなたの子を……お腹に、宿して。
……あぁ、メル。
……。
マーキュリー。
……ん。
終わったよ、全部。
……言われなくても、反応で分かっているわ。
そっか。
……。
思っていたよりも、大したことなかった。
もう少し、手こずると思っていたんだけど。
……戦闘よりも、感染源に特化していたのでしょう。
何度か接触したけれど、感染したかな。
……体内に抗体が作られているのならば、問題ない筈よ。
症状が出たとしても、軽度で済む?
……恐らく、は。
うん、ならば気にしない。
……。
これで、終息するかな。
……それは、分からないわ。
分からない?
……今は、感染源を潰しただけだから。
ヒトからヒトへの感染か……それは、あたし達ではどうしようもないな。
……変異している可能性も否定出来ない。
となると、ワクチンが必要だけれど……直ぐには無理だよね。
……ええ、無理よ。
とりあえず、感染源は潰した。
今はそれで良しとしよう。
……感染源もろとも、ウィルスも消滅して呉れたら良いのだけれど。
然うだったら、良いね。
……はぁ。
疲れたかい?
……それなりに。
帰って休もう。
……あなたは、元気ね。
自分でも、良く分からないんだ。
……。
歩けるかい?
……歩けるけど。
……。
……何。
病み上がり、だしさ。
……木野さんもでしょう。
木野……。
……もう、あの名前で呼びたくないの。
あぁ……そっか。
……呼ばれたいのなら。
ん……いや、あたしも。
……。
マーキュリー……!
……ふ。
あ。
……刻まれたものは、なかなか潰せないということね。
くそぅ……忌々しいな。
……仕方ないわ。
意識するようにすれば……。
……少しずつでも。
うん……。
……。
水野さん。
……大丈夫よ、ただの立ち眩みだから。
乗って。
……嫌よ。
乗って欲しいんだ。
……どうしても?
どうしても。
……だったら、木野さんに戻って。
……。
……私も、戻るから。
ん、分かった。
……。
さぁ、水野さん。
……その前に。
ん?
……ねぇ、木野さん。
なんだい……?
……鼻血。
え。
……拭いて。
……。
気付いていないの?
……わぁ、鼻血だ。
……。
え、なんで……喰らった憶えは、ないんだけど。
……何か良からぬことでも考えていたのでしょう。
よ、良からぬことって……あたしは、別に何も。
……何も?
……。
……本当に、何も?
今夜は、水野さんと一緒に眠りたいなぁ……くらい。
……。
あぁ、もう……さっさと止まらないかな。
……よっぽど、刺激が強かったのでしょうね。
え……?
……夢。
……っ。
……どんな夢を見たのかなんて、知りたくもないけれど。
詳しくは、憶えてないのに……。
……二度目よね、鼻血。
……。
……一度目は、目が覚めた時に。
勘弁して欲しい……。
……鼻血が止まってからで良いわ。
……。
帰るのは。
……ごめん。
謝らないで。
……。
……少なからず、影響は受けると思っていたから。
やっぱり、然うなのかな……。
……表に出てきてしまった以上、これからも然ういった夢は見るかも知れないわ。
……。
……大変ね。
水野さんは……。
……。
……大変だね。
……。
……そろそろ、止まるかも。
もう……?
……ん。
……。
帰ったら、どうしようか。
……とりあえず、温かいお風呂に入りたいわ。
一緒に
入らない。
……はい。
……。
ん、止まった。
……それは、良かった。
水野さん、背中に。
……歩けるのだけれど。
どうぞ。
……仕方ないわね。
うん。
……。
しっかり、掴まっていてね。
……ええ、落ちないように掴まっているわ。
ん。
……。
よいしょ、と。
……。
ふぅ、今夜も冷えるなぁ……風邪を引かないようにしないと。
……。
……ねぇ、水野さん。
……なに。
これからは、なんて呼ぼうか……。
……。
呼ばなければ、良いのだろうけど……でも、難しいと思うから。
……考えておくわ。
……。
……考えておく。
ん……分かった。
……。
んー……今夜も、星がきれいだ。
……やすらぎのばしょ。
ん、なに?
……なんでもない。
若しかして、寒い?
……平気、木野さんが温かいから。
ふふ、そっか。
あたしも、あったかいよ。
……早く帰りましょう。
うん、帰ろう。
19日
……まぁまぁ、ね。
食べられそうかい?
……あまり多くは食べられないけれど。
少しだけでも、食べて呉れたら嬉しい。
……だから、食べているでしょう。
ん……ゆっくり、食べてね。
……言われなくても。
ふふ。
……何が可笑しいの。
水野さんが食べて呉れるから、嬉しくて。
……単純で良いわね、木野さんは。
はは。
……お腹空いているのでしょう、あなたも食べたら?
うん、然うする。
……これだけで、足りるの?
然うだなぁ、トマトでも切ろうかな。
水野さんも食べる?
……食べても良い。
なら、切ろう。
……トマトも良いけれど。
ん?
……炭水化物は取らなくても良いの。
あぁ、炭水化物か。
言われてみれば、ごはんが食べたいかも知れない。
……炊いたごはん、もう残っていないわよね。
うん、また炊かないと。
昨日、全部食べてしまったから。
……炊いておけば良かったわ。
大丈夫、今から用意しておけば夕飯には食べられる。
……今はどうするの。
今は……んー。
……食パンも、もう残っていないの?
残ってはいるけど……。
……食べたくない。
ううん、そんなことない。
別に、食パンでも良いんだ。
……。
だけど、そのままだと少し物足りないから、トーストにして食べようかな。
……なら、スパゲッティは?
スパゲッティ?
……これに合うと思うわ。
スパゲッティか……スパゲッティも良いな。
……このままだと少し薄いだろうから、チーズかバターを入れると良いんじゃない。
チーズかバター……うん、良いかも。
じゃあ、然うしようかな。
……それか、お素麺。
素麺?
……確か、夏のものが一束くらい残っていた筈よ。
素麺……然うだ、素麺にしよう。
あれなら、直ぐに茹るし。
……。
水野さんは、
……私は、要らない。
少しも……?
……朝食に、食パンを食べたから。
……。
だから……どうぞ、私のことなら気にせずに。
ん、分かった……なら、お言葉に甘えて。
……。
水野さんは食べていて。
……ん。
まずは、お湯を沸かして。
……。
素麺は、確かここに……うん、あった。
水野さんの言う通り、一束だけ残ってた。
……ねぇ。
ん?
……私は、何もするつもりはないわ。
……。
……感染症。
あぁ……あたしも、特に何も考えていないよ。
……然う。
だけど、あたし達の生活に関わってくるのならば考えないといけない。
なんだかんだ言っても、この世界は人間によって作られているから。
……スーパーから、品物がなくなったら。
生活必需品がなくなるのは困るなぁ。
……。
今現在、どれだけ流行しているのか……あたし達の学年が閉鎖になるくらいだから、それなりには広がっているのかも知れない。
……昨日、紅葉の時期なのに見に来ているひとがほとんど居なかったのも。
今思えば、寒さだけではなかったのかも知しれないね。
……帰りに寄った、お店も。
お客さんがあまり居なかったような気がする。
時間が早いだけかなぁなんて、思っていたけれど。
……店員さんは皆、マスクをしていたわ。
店員さんが全員マスクをしているだなんて、今まで見たことがない気がする……いや、ないな。
……お客さんだけでなく、店員さんも少なかったように思える。
若しかしたら……あたし達が考えている以上に、広がっているのかも知れない。
……とは言え、私達の見える範囲だけで起こっている現象かも知れない。
うん、実際のところは調べてみないと分からない。
……全国的にインフルエンザが流行っていることは間違いないわ。
ニュースにもなっているからね。
……ただのインフルエンザなら、それで良い。
お医者さんの手に負えるものなら、なんとかなるだろう。
……これらの事象の原因が若しも、銀水晶の存在にあるとしたら。
お医者さんでは、手に負えないだろう。
……はぁ。
ん……?
……嫌になる。
然うだね。
……。
暫く、様子を見ても良いと思うんだ。
若しかしたら、終息するかも知れないから。
……楽観的。
なるべく、関わりたくないんだ。
……それは私も同じよ。
だろう?
……。
気になる?
……ユピテルとメルクリウス。
……。
何故、ふたりが表に出てきたのか……今まで、一度だって出てきたことはなかったのに。
前世だけでも面倒なのに、それ以外の存在まで居るとは思わなかったなぁ。
……出来ることなら、知りたくなかったわ。
……。
……メルさんとマーキュリー、どちらが好み?
え……?
木野さんは、どちらが好みなの?
いや、あたしの好みは水野さんだけど……。
それとも、どちらも好みで選べないのかしらね。
あたしの好みは水野さんだよ。
本音は?
本音も何も。
メルクリウスは素敵だと思う?
……。
思わない?
……素敵だとは、思う。
木野さんって、年上が好きよね。
……水野さんも、年上。
は?
さ、三ヶ月……。
……。
視線が、冷たい……。
……まぁ、良いけれど。
よ、良くないよね……?
……良くないとしたら、どうされたいの。
いや、別に何も……。
……愛想を尽かされたい?
それだけは……。
……お湯、いい加減沸いているんじゃないの。
あ。
……火傷しないよう、気を付けて。
ありがとう、水野さん。
……どういたしまして。
お湯に入れて、一分くらいかな……。
……木野さんは、あまり気にしていないのね。
き、気にしていないわけではないよ。
若しも、水野さんに愛想を尽かされたら
それはもう、良い。
え、良いの?
……本当に尽かされたいの。
うん、もう良いです。
……前世ではないふたりが、表に出てきたこと。
……。
……気にしていないの。
どうしてかな、とは考えてる……。
……。
ふたりが表に出てくることになった切っ掛けは、あたし達が感染症に罹ったからだとは思う。
……恐らくは、然うでしょうね。
だとしても、前世のふたりでも良かったと思うんだ。
ジュピターは兎も角、マーキュリーならば間違いなく
……。
も、若しかしたら……前世のふたりでは手に負えないくらいに、あたし達が危なかったということなのかなぁって。
然うかしら……癪だけれど、前世のふたりでも事足りたと思うわ。
……足りなかったのかも知れないよ。
……。
それか、面倒だったか……考えられるのは、それくらいだ。
……面倒とは、考え難い。
ん、あたしも然う思った。
……言っておいて。
マーキュリーは分からないけど……ジュピターはわりと世話焼きなんだ。
……。
特に、水野さんに対しては。
……マーキュリーは、無駄にお節介。
お節介……。
……特に、あなたに対しては。
……。
……あなたは、直ぐに鼻の下を伸ばすから。
い、いや、伸ばしてはいないよ……あくまでも、水野さんの顔だから。
……然う、中身は誰でも良いのね。
ち、違う、然うじゃない。
……言ったじゃない、あくまでも私の顔だからって。
た、確かに、言ったけど……。
……私の躰ならば、中身は誰だって良いのね。
ち、違う、そんなことは……と言うか、躰とは言ってないよ?
最低。
誰でも良いわけ、ない。
……。
マーキュリーとメルさんは、素敵だと思う……だけど、それだけだよ。
……ふぅん。
触れたいとは、思わない……だって、水野さんではないから。
……外見は私だけれど。
外見は水野さんでも、中身は違うだろう……?
……。
あたしが好きなのは……結婚したいと思っているのは、水野さん、ただひとりだけなんだ。
……そのわりには、気付くのが遅かったみたいだけれど。
それは……メルさんが、水野さんのふりをするのが上手だったから。
……あなたが鈍いだけでしょう、ばか。
う。
……。
ご、ごめんよぅ……。
……お素麺、茹で過ぎてしまうわよ。
あ。
……慌てて、火傷をしないよう。
う、うん、分かってる。
……。
少しくらい、柔らかくなっても良いや……未だ、万全ではないのだし。
……感染症、体調不良、深睡眠、体温低下、そして、巡気。
うん……?
私は、水気を……あなたは。
あたしは、雷気を。
……。
何か、思い当たることでも……?
……ふたりは、今も尚、躰の回復に努めているとするのなら。
ふたり……前世?
……だとするのならば、ユピテルとメルクリウスはふたりの代わりに。
話している余裕がなかった……?
……だけど、それだけではないような気がする。
……。
……ただ単に、話がしたかった?
あ、それかも。
……そんなことで。
ないとは言えない。
……。
ずっと眠っていたら、誰かと話したくなることもあると思う。
……眠っていたらならないでしょう、意識がないのだから。
お互い、逢いたくなったのかも知れない。
……。
あと……ふたりには、子供が居たと言ってた。
……私達は、子供の代わりだとでも?
……。
……木野さん。
然うだとしても……あたしは、別に嫌だとは思わないんだ。
……。
メルさんは……前世のふたりとは、どこか違う。
親だと、言っていた。
……親?
私達は……ユピテル達の子だと。
……あたし達が、ふたりの。
けれど。
……。
……子供は、結晶になったとも言っていた。
けっしょう……愛の?
……。
あ……ごめん。
……その結晶ではないわ。
そ、然うだよね……。
……実際のところ、本当かどうかは分からない。
……。
……私達が、ふたりの子供だったのか。
メルさんは……あたし達のことを、愛し子と言っていた。
……。
……詳しく、聞けたら。
別に、聞かなくても良いわ……。
……知りたくない?
木野さんは、知りたいの……?
……あたしは。
メルクリウスに聞けたとして……私には、話さないで。
……水野さん。
出来れば、聞きたくない……。
分かった……ならば、聞かない。
……どうして、気になるのでしょう。
少し……だけど、良いんだ。
……良くない。
あたし達は、ふたりの愛し子……知っていることは、それだけで良い。
……。
前世のふたりとは違う形で、大切にして呉れていることが分かるから。
……木野さんは、然う思っているのね。
ん?
……ジュピターにも、大切にされていると。
癪、だけどね……守って呉れている、と、思わなくもないんだ。
……。
……ん、これで良いや。
出来たの……?
うん、出来た。
……。
少し、食べるかい?
……遠慮しておくわ。
そっか。
……。
ねぇ、水野さん。
……なに。
偶然。
……。
偶然……感染症の原因に、出くわすことがあったら。
……その時は、潰すわ。
ん。
……私達が生きるのに、邪魔だから。
うん……分かった。
……。
……お茶のお代わり、要る?
今は、要らない。
……欲しかったら、言ってね。
ん……。
……よし、いただきます。
……。
ん……やっぱり、食べたい?
……見ているだけよ、気にしないで。
然う……?
……然う。
……。
……。
ん。
……味は、どう?
うん、まぁまぁ美味しいかな。
……ところで。
うん?
……トマトは?
あ。
18日
……。
ん……これで、良いかな。
あとは、水野さんが起きたら、直ぐに温められるように……と。
……。
起こしても大丈夫だとは言っていたけど……やっぱり、起こすのは止めよう。折角、良く寝てるんだし。
あたしが起こさなくても、屹度、自然に起きて呉れる……ごはんは、それからでも。なんだったら、夕飯にしても良いし。
……それだと、あなたのお腹が持たないでしょう。
ん……?
……。
……水野さん?
……。
若しかして、目が覚めた……?
……まさか、寝言だとでも?
うん、起きてる。
……覚めない方が、良かったの。
そんなこと、思うわけない。
……その手は?
少し、おでこに触っても良い……?
……いや。
熱を確認したいんだ。
……体温計で、測るから。
その前に、手で。
……。
だめ、かな。
……あまり、触らないで。
ん、分かった。
……。
んー……。
……どうせ、熱はないでしょう。
うん……あったかい。
……。
はぁ、良かった。
……それは、どういう意味?
え。
何が、良かったの。
それは……えと、熱がなくてだよ。
……それだけ?
それだけ、だけど……。
……。
ほ、本当だよ。
……木野さんは。
う、うん。
……私が眠っている間、ずっと起きていたの。
ううん、ずっとは起きてなかった。
……また、眠ったの?
ん、気付いたら寝てた。
……うたた寝?
本を読んでいたんだけど、途中で。
……どこで。
ベッドの傍で。
……どうやって。
どうやって……えと、ベッドに寄り掛かって。
……。
あ、大丈夫だよ。
ちゃんと毛布を掛けて寝たから。
……毛布を、掛けて?
うん、ちゃんと肩まで掛けてたんだ。
だから躰は冷えてない、冷やしてない。
……うたた寝のわりには、用意が良いわね。
自分でも然う思うよ。
……状況的に、誰かに掛けて貰ったようにも思えるのだけれど。
ううん、自分で掛けたんだ。
……前以て、掛けておいたの?
それか、うたた寝の途中で目が覚めて、掛けたか。
そのどちらかだと思う。
……思うって、憶えていないの?
うん、あまり。
……思い出せないの。
足に、掛けていたような気はするんだけど……。
……この毛布?
うん。
……。
若しかしたら、持ってきたのかも知れない。
であるならば、ちゃんと横になって眠れば良かった。
私が使ったお布団はそのままになっているのだし、テーブルの直ぐ傍でしょう。
ん、まぁ、然うなんだけど……寝惚けていたから、良く憶えてないんだ。
……寝惚けて。
目が覚めたら、毛布が掛かっていて……だから、自分で掛けたんだろうなぁって。
水野さんは眠っていたし……あたし達以外の誰かがこの部屋に居るなんて、有り得ないだろ?
……。
あたしには、然ういうところもあるからさ。
……然ういうところって?
だから、その……寝惚けて、毛布を持ってくる。
……然うだったかしら、初めて聞いたような気がするけど。
ま、まぁ、ちゃんと掛かっていたんだからそれで良いかなぁって……。
……。
だ、だめかな……やっぱり。
……何をしていたの。
え。
……あぁ、食事の支度をしていたんだったわね。
うん、お昼の支度をしていたんだ。
お昼……今、何時?
もう直ぐ、1時になるよ。
……。
全然、起きなかったね。
……然うみたいね。
あたしから見ても、良く眠っていたと思う。
……それは、何よりだわ。
夢は、見たかい?
……見なかったけれど。
そっか。
……何か気になることでもあるの。
や、体調が悪いと怖い夢を見る時があるからさ。
見なかったのなら、それで良いんだ。
……何も見なかったわ。
ん、良かった。
……。
今、出来たところなんだけど……どうだろう、食べられそうかい?
それとも、もう少し経ってからの方が良いかな。目が覚めたばかりだもんね。
……作ったのは、ウィンナーと白菜のミルク煮?
うん。
……本当は、朝食に食べる筈だった。
それで、お昼にしたんだけど……ごめん。
……どうして?
他のものが、良かったかなって。
別に……それで良いわ。
ん……そっか。
……。
躰はどう?
ほんの少しだけでも楽になった?
……分からない。
分からない?
……まだ、躰を起こしていないから。
躰は、起こせそうかい……?
……起こさないと、食べられないでしょう。
お腹は空いてる……?
……あまり、感じてはいないけど。
じゃあさ。
……何。
起きるのは、お腹が空いてからでも良いんじゃないかな。
ごはんは出来ているし、言って呉れたら直ぐに用意するから。
……。
……?
水野さん……?
……。
どした……?
……ねぇ、木野さん。
なんだい……?
……誰か、居た?
え……?
……私達以外に。
この、部屋に?
……この部屋でなかったら、私達はどこに居るの。
いや……ずっと、あたし達ふたりだけだったよ。
……。
そもそも、誰も来ないしさ。
水野さんも、知っているだろう?
……然うかしら。
然うだよ。
……ねぇ。
な、なに?
……何か、隠しているでしょう。
え。
……やっぱり。
べ、別に、何も、隠してなんかないよ。
……分かりやすいのよ、あなたは。
……。
話して。
……いや、でも。
話して呉れないなら、
わ、分かった、話す。
……。
……水野さんの中には、マーキュリーが居るだろう。
然う、分かった。
あ、いや、待って。
話には続きがあるんだ。
……マーキュリーではないの。
うん……違う。
……。
あの、水野さん……怒らないで、聞いてね。
……そんな元気、今の私にはないわ。
あ、うん、そっか。
納得しないで。
……ごめん。
それで。
……水野さんの中には、マーキュリー以外の
メルクリウス。
然う、然うなんだ。
メルさんが居て……え。
……メルさん、ね。
み、水野さん、知ってたの?
……あなたの中に、ジュピター以外の存在が居ることもね。
え……えぇ。
……はぁ。
あ、あの、水野さん……いつから、知っていたの?
……あなたこそ、いつから?
あ、あたしは……つ、つい、さっき、かな。
……ついさっき?
う、うん……水野さんが起きる前に、少しだけ、お話した。
……。
お、怒る……?
……不愉快。
そ、然うですよね……。
……隠そうしたことが、何よりも。
そ、そんなつもりでは……水野さんの体調が良くなってからでも、寧ろ、良くなってからの方が良いかなぁって。
体調が悪い時に、こんなことを知ったら……余計に、悪くなってしまうかも知れないから。
……つまり、私のことを思って?
……。
木野さん。
……どう話して良いのか、考えてた。
私が不機嫌になることが、そんなに怖かったの。
……然うじゃないよ。
じゃあ、何。
……水野さん、嫌だろうなぁって。
ええ……嫌よ。
マーキュリーだけでも、酷く嫌がっているのに……更に、誰だか良く分からないひとが自分の中に居たら。
……。
だから、話すのなら……せめて、体調が良くなってからの方が良いと。
……あなたの中に居るのは、ユピテル。
然う、ユピ……え、然うなの?
……聞いてないの。
名前、までは……メルさんの番だってことは、聞いたけど。
……番?
う、ん……ふたりは、生涯を誓った仲、なんだって。
……。
そ、その……子供も、居たらしいよ。
……知っているわ。
そ、そっか……。
……。
ね……水野さんは、そのユピテルと話したの?
……大した話ではないわ。
話したくない……?
……あなたこそ、メルさんと何を話したの。
あたしは……ふたりのことと、水野さんのこと。
……私のことって?
……。
……話して。
水野さんの躰……。
……触ったの。
あ、いや、熱があるかどうか確認する為に……おでこと、首を。
……首?
それから……胸から、脇のあたりまで。
……熱の確認をする為だけに、そこまで触る必要がどこにあると言うの。
冷たかったんだ。
……は?
水野さんの躰……手足だけじゃなく、触れたところ、全部。
……。
それで、温めなきゃと思っていたら……その、メルさんに話し掛けられて。
今、水野さんの躰に何が起こっているのか……教えて貰ったんだ。
……教えて。
う、ん……。
……私の躰に、何が起こっていると言うの。
あ……えと。
……。
眠っている時の水野さんの体温は、34度しかなかったんだけど……。
……34度。
それは、躰の熱を落として、躰中に水気を巡らせているからで……水気を巡らせることで無用なものを排除して、躰を回復させるんだって。
……。
その間、水野さんは眠っていて……あたしは最初、メルさんをマーキュリーだと思ったんだ。
……私の体温はあなたが測ったの。
ううん……メルさんが。
然う……ならば恐らく、体温は34度以下だったと思うわ。
……へ。
34度以下だなんて言ったら……あなたが、取り乱すかも知れないから。
……。
冷静さを失わない自信、ある……?
……ない。
……。
だから、あんなに冷たかったんだ……。
……他に、話したことは。
感染症。
……。
放っておくと、厄介なことになるらしい……けど、あたし達は一度感染したことで、抗体が出来たみたいなんだ。
……それで、どうしろと。
決定する意志は、常に、あたし達にある……だから。
……あとは。
あとは……メルさんと、あたしの中に居るユピテルが番だった話。
……。
け、結婚していて、子供も居たって……。
……もう、聞いた。
う、産んだのは、メルさんで……だ、だから、ユピテルは、男だったのかと思ったんだけど……どうやら、違うみたいで。
……まぁ、似たようなものでしょう。
……。
……種、なのだから。
うん……然うだよね。
……。
水野さんはいつ、ユピテルと……。
……ジュピターとマーキュリーの名について。
うん?
……それは、聞いたの。
え、と……確かマーキュリーは、しんせいのしんじゅうの。
亀の名。
然う、亀の名前。
……。
聞いた時は驚いたよ、まさか亀の名前だなんて思ってもいなかったから。
……ジュピターの名については?
それは、聞いてない。
ジュピターは……ユピテルの、龍の名。
龍の……あ、さいせいのしんじゅう。
……。
マーキュリーとジュピターって、元々、しんじゅうの名前だったんだね。
……その先は?
その先……?
……ふたつの名は、それだけでは終わらない。
終わらないって……どういうこと?
……私達の、前世。
前世……。
……神獣などでは、なかったでしょう。
あぁ……そっか。
何か、関係あるのかな。
銀の女王。
銀の……あ。
……聞いたの。
うん、少しだけ……木星の民と水星の民がこの世界に生まれなかったのは、その女王が良しとしなかったからだと。
……銀水晶そのもの、ということは。
それも、聞いた。
……。
……。
……聞いたのは、それだけ?
うん……それだけ。
……。
そ、そこで、水野さんじゃないって気が付いたんだ……。
……どれくらい、話したの。
そこそこ、話したかな……。
……分かっていたけれど、鈍い。
うん……ごめん。
……かつての神獣の名は歪められ、隷属者の名となった。
れいぞく……隷属者。
然う……女王と月のね。
……。
ジュピターとマーキュリー……其れは永遠に女王、或いは月に付き従う隷属者の名前。
……なんだ、それ。
世界が終わっても、生まれ変わっても……銀水晶が、ある限り。
冗談じゃない。
……ええ、冗談じゃないわ。
あたし達の前世は……前世の名は、奴隷の名だったのか。
……ユピテルとメルクリウスは、本来の真名を銀の女王に奪われ、そして、銀の女王に歪められた隷属名を刻まれた。
女王は、銀水晶そのものだと言っていた……それは、つまり。
……銀の女王は、ふたりの世界を壊した。
……。
ユピテルの龍を、ふたりの名を……ふたりの子を、全て奪った。
……仇。
……。
そんなものに……前世のふたりは。
……ふたりだけではないわ。
……。
ふたりだけでは、ない……。
……壊してやりたい。
……。
壊せるのならば……。
……私達には、それ程の力はない。
……。
だから……抗うの。
……あぁ。
これからも……ずっと。
……隷属なんて、してたまるか。
17日
……。
……ん。
……。
いつの間にか、寝てた……今、何時だろ。
……。
12時過ぎ、か……そろそろ、お昼の支度かな。
朝は結局、ホットチョコレートと食パン一口だけだったから……お昼は、もう少し。
……。
ん、毛布……?
あたし、毛布なんて掛けていたっけ……?
……。
まさか、水野さんが……いや、そんなわけないか。
躰、少し動かすだけでも酷く重たそうだったし。
……。
若しかしたら、寝惚けながら自分で掛けたのかも知れない。
あたしは、然ういうところがあるから。うん、屹度然うだ。
……あるのね。
ん?
……。
気のせい、か。なんとなく、水野さんの声が聞こえたような気がしたんだけど……あ、幻聴かな。
なんて、幾ら水野さんの声が聞きたいからって……ないとは、言えないな。
……ふ。
お昼……水野さん、ウィンナーと白菜のミルク煮込みは食べられるかな。
お皿一杯は、食べられなくても……少しだけでも、食べられたら。
……。
うん……良く眠っているみたいだ、良かった。
熱は、どうだろう……ちょっとだけ、ごめんね。
……。
ん……あれ、冷たい。
……。
首も……水野さん、ごめん。
起きたら、改めて謝るから……。
……。
……どうして、こんなに体温が低いんだ。
……。
あたしの手が熱い……?
いや、であるならば、温く感じる筈……いつもなら、然うだ。
……ん。
手足が冷たいのは、まだ分かる……。
……。
然うだ、体温計……体温計で。
……要らないわ。
あ……。
……先刻(さっき)、自分で測ったから。
み、水野さん……。
……どうしたの?
そ、その……起きて、たの?
ううん……今、目が覚めたの。
そ、そっか……ごめんよ、起こしちゃって。
ううん……其れで、どうしたの?
いや……水野さんの体温が、低いような気がして。
あぁ……大丈夫、問題ないわ。
でも……気になるんだ。
気になる……?
水野さん、寒くはないかい……?
ん……平気よ、寒くはないわ。
とりあえず、部屋の中をもっと暖かくして……毛布を、もう一枚。
……。
然うだ、湯たんぽも作って……くそぅ、最初から作っておけば良かった。
ありがとう……だけど、此れで十分。
……。
……私の躰なら、冷たくても大丈夫だから。
や、だけど……流石に、こんなに冷たいのは。
若しかして、初めての事態かしら……だとしたらごめんなさい、驚かせてしまったわね。
お、驚くと言うより……。
……心配?
う、うん……。
……。
ねぇ、もう少し部屋の温度を上げた方が良いと思うんだ……と言っても、ヒーターしかないんだけど。
ううん……此れ以上、室内の温度を上げたら、あなたの熱が上がってしまうわ。
あたしは大丈夫だよ、暑かったら薄着をすれば良いだけだから。
ううん、駄目よ……あなただってゆうべ、寝込んでいたのだから。
私に合わせて、己の躰に負担を強いるようなことをしては駄目……。
ゆっくり寝たから、大分良くなったんだ。
部屋が暑いくらい、なんでもないよ。
……いいえ、駄目よ。
水野さん……。
……私は此れで十分、気遣って呉れてありがとうね。
だったら、せめて毛布をもう一枚……あと、湯たんぽも。
湯たんぽを足の傍に置いておけば、指先まで温かくなると思うんだ。
此れ以上の熱は、私の躰に負担を掛けるだけ……だから、其の気持ちだけで。
……負担って。
……。
体温……さっき、測ったと言っていたよね。
……ええ、言ったわ。
何度、だったんだい……?
……言わなければ、駄目?
駄目ではないけど……。
……三十四度。
そっか、さんじゅうよん……さんじゅうよん?
……でも、心配しないで。
い、いや、心配するよ。
34度なんて、聞いたことない。
……本当に、問題ないの。
問題ないって……体温が、35度を切っているのに。
心配して呉れるのは、嬉しいわ……。
……これ以上、低くなったら。
聞いて、木野さん……。
……。
今は躰の熱を落として、休眠状態になっているだけなの……。
……休眠、状態?
然う……外部からのなんらかの影響を受けて、一時的に、躰の機能を落としている状態。
そ、そんなことをして、大丈夫なのかい?
体温が低くなり過ぎたら、命に係わるって……。
……私なら、大丈夫。
……。
……大丈夫だから、そんなに心配しないで。
何が、大丈夫なのか……あたしには、分からないよ。
……。
全く、分からない……。
……今の私は、地球人として生まれたけれど。
然うだよ……もう、水星の民ではないんだ。
……だけど、其の機能が残っているとしたら。
どうして……残っているわけがない。
……本当に、然う言える?
え……。
……マーキュリーの力は備わっているのに、其の機能は備わっていないと、本当に言える?
だけど、今のあたし達は地球人だ。
前世のふたりのようには、造られていない。
……地球人から、生まれたから?
あたしの両親は、地球人であるお父さんとお母さんだけだ。
……おばあさまも。
祖母も……おばあちゃんも、地球人だ。
他の親族のことは、ろくに知らないけど……地球人でないと考える方が、難しい。
……だけれど、遠い祖先はどうしかしらね。
は……。
……何処かの代で、交わりがあったかも知れないわ。
そんなわけ、ない……木星の民も水星の民も、前世の世界で存在した者達だ。
あの世界が終わったことで、新しく生まれたこの世界に……そんな存在が、居るわけない。
……生まれ変わりが、居るのなら。
……。
若しかしたら、何処かで生きていたかも知れない。
そんな、こと……。
……まぁ、ないでしょうけれど。
ん……。
あなたが言うように、新しく生まれた此の世界には……歳星の民も、辰星の民も、どちらも存在していない。
彼らが生まれてくることを、銀の女王は、良しとしなかったら……。
……銀の女王?
銀水晶、其のもの。
水野さん……何を、言って。
……そろそろ、異変に気が付いて呉れたかしら?
いへん……て。
……ねぇ、あなたの中には昔のジュピターが居るのでしょう?
認めたくは、ないけど……。
……私の中にも、昔のマーキュリーが居るわ。
水野さんは、其れを酷く嫌がっている……然うだろう?
ええ、然うよ……私は、私だもの。
……若しかして、マーキュリーなのか。
……。
水野さんは、今、マーキュリーに……。
……然うだったら、良かったのにね。
良くない。
……良くない?
言ったろ……水野さんは昔のマーキュリーが自分の中に居るのが嫌なんだ。
若しも今、自分の躰をマーキュリーに使われているなんて知ったら……だから、良いわけがない。
……然う、其処までなのね。
マーキュリーだって、知っているだろう……中で、見ているのだから。
……然う、あの子も知っているのね。
え……。
……あの子は、どう思っているのかしら。
え……え?
……ごめんなさいね、私はあなた達が知っているマーキュリーではないの。
マーキュリー……じゃ、ない?
ええ……私はマーキュリーではないわ。
な……。
……。
ど、どうなって……え、誰。
お前……あ、いや、君は誰。
……私は。
ど、どちら様ですか……?
……ふ。
み、水野さんを、返して呉れますか……。
……勿論よ、此の子が目覚めたらちゃんと。
あ、あぁ……然うですか、良かった。
……急に、他人行儀?
あ、や……吃驚、し過ぎて。
ふふ……其処まで?
……。
……可愛い子。
あの……ところで、あなたは誰なのでしょうか。
私は……メルクリウス。
める、くりうす?
因みに……マーキュリーは、私の星の亀の名。
か、亀……?
……然う、亀。
なんで、亀?
なんでかしらね……辰星の神獣はどういうわけか、亀の姿をしているの。
し、しんじゅう……?
歳星の神獣は、龍の姿。
……。
歳星はあなたの星。
……あたしの。
今では、木星と呼ばれているわ。
……しんせいは。
水星のこと。
……。
……少し、此の躰に起こっていることを説明するわね。
う、ん……。
……今は躰の機能を落とす代わりに、水気を躰中に巡らせているの。
すいき……。
……然う、あなたの雷気と同じように。
らいき……。
……水気を巡らせて無用なものを排除し、躰の回復を促しているのよ。
……。
ごめんなさい……分かり辛いわよね。
あの……水野さんは今、どういう。
……あの子は今、眠っているわ。
眠って……。
……回復するまで。
……。
起こすことは、出来るけれど……。
……起こさないで欲しい。
あなたなら、然う言うと思った……。
……だけど、どうして。
……。
その、メルクリウスさんが……?
……そんな畏まらないで。
……。
若しかして、人見知りなの……?
……然ういうわけでは、ないんだけど。
ねぇ、木野さん。
……はい。
あなたの中には、私の番が眠っているの。
あなたのつがい、ですか……。
ん、此れも分かり辛い……然うね、つれあいと言えば伝わるかしら。
つれあい……?
つまり、契りを交わした……然う、生涯を誓った仲なの。
しょうがい……え、生涯?
然う、生涯。
そ、それって、つまり。
んー……此の世界では、なんと言うのかしら。
け、結婚してるんですか?
あぁ、結婚というのね。
……っ。
生涯を誓い合う為に婚礼の儀を挙げ、契りを交わし、私達は番になった。
こ、婚礼の……ぎ。
……然う、婚礼の儀。
あ、あぁ……。
……嫌、かしら。
い、嫌なわけ……。
……ない?
あるわけ、ない。
然う……良かった。
……水野さんと、あたしが。
あなた達は、未だなっていないの?
仲睦まじいように思えるけれど。
な、なってないよ。
……未だ、子供だから?
こ……うん、それもある。
それも?
……16歳にならなければ、結婚は出来ないんだ。
然うなのね……。
……あと、同性同士も結婚することは出来ない。
どうせい……此の世界では、そんな制約があるのね。
メ、メルク……。
メルクリウス……呼び難ければ、メルで良いわ。
メル、さんは……あたしの中で、眠るひとと。
……あのひとは、種。
たね……?
……私は、卵。
たまご……。
……生まれた星は違えど、私はあのひとに望まれてあのひとの番となった。
……。
私は、あのひとの子供を産んだの……。
こ、こど、こども……って。
……。
あ、あたしの中に居るのは、男、なんですか……?
……おとこ?
た、種と、言っていたし……そ、それって、つ、つまり。
……然う、此の世界では然ういうのね。
お、おとこが、あたしの……。
……あなたが思っているようなものとは違うと思うわ。
そ、然うなの……?
……多分。
た、多分……。
……あまり、深く考えないであげて?
……。
あなたが当たり前としている物事が、あのひとに当て嵌まるとは限らない……何故なら、此の宇宙はあなたが思っているよりもずっと広大なものだから。
……こうだい。
然う……。
わ……分かった。
……分かって呉れた?
良く、分からないけど……でも、分かったと思う。
ふふ、其れで良いわ……ありがとう。
……。
……あと、もうひとつ。
水野さんは、いつ……。
……恐らく、今日一日は掛かる。
一日……。
……其れでも食事は取らせてあげて、一時的には目覚めると思うから。
う、うん。
……あなたが作るお料理は美味しいのよね。
し、知ってるの?
ううん……残念ながら、実際の味は知らない。
だけど……此の子から、伝わってくるから。
……。
……木野さん。
はい……。
……今、感染症が流行っているでしょう。
はい……流行っています。
其れを放っておくと、厄介なことになる。
屹度、分かっているとは思うけれど。
……。
あなたも、此の子も……其の感染症に罹ったの。
……やっぱり、然うなんだ。
でも、あなた達は大丈夫……一度感染したことで、抗体が作られたから。
……。
あなた達が何もしたくないのなら、私は……いえ、私達は其れで良いと思う。
……あたしの中に居るのも、然う言ってるんですか。
ええ、言っているわ……決定する意志は、常に、あなた達にあると。
……。
……ふぅ。
……?
メルさん……?
少し、疲れたみたい……休ませて貰っても、良いかしら。
それは、勿論。
……ありがとう、私の愛し子。
は……。
……。
え、えと……ご、ごはんが出来たら。
……其の時は、愛しい此の子に。
み、水野さんも……。
……声を、掛けてあげて。
お、起きますか……。
ん……屹度。
……起こしても。
回復する為には、栄養も必要でしょう……?
……。
ね……然うよね、ユゥ?
……う。
ごめんなさい……。
……。
少しだけ、だから……。
……メル。
ユゥ……。
……大丈夫かい。
ええ、大丈夫よ……。
……ゆうべぶりだ。
ふふ……然うね。
……。
……勝手に触っては駄目よ。
今は……メルだ。
……でも、駄目。
然う、か……。
……ふたりとも、可愛いわね。
あぁ、然うだな……。
……。
……回復するには、時間が必要か。
ええ……だから、もう暫し。
……然うか。
あなたも……。
……厄介だ。
然うね……。
……少し、休むか。
然うするつもり……。
……分かった。
ユゥ……。
……なんだい。
今は、ごきげんよう……。
あぁ……ごきげんよう、メル。
16日
……然うですか、分かりました。
……。
お気遣い、ありがとうございます……では、失礼します。
……。
……はぁ。
水野さんのクラス、学級閉鎖?
……ええ、然うらしいわ。
そっか。
……私が連絡した時には既に、欠席率が50パーセントに達していたみたい。
半分……それは間違いなく、学級閉鎖になるね。
……検討は、していたらしいのだけれど。
だけど、急に増えたなぁ。
一昨日までは、閉鎖手前ぐらいだったんだろう?
……欠席者は、クラスの三割程度だったわ。
あたしもだけれど、この土日で増えたのかな。
……恐らくは。
閉鎖期間はどれくらいなんだい?
……5日間程度。
5日間か……それで、様子見かな。
……。
……。
……何。
いや、良かったと思って。
……行きたければ、学校に行っても良いわよ。
うん?
木野さんのクラスは今のところ、学級閉鎖にはなっていないようだし。
体調不良で休むと、水野さんの前に連絡してしまったから。
……すっかり、元気そうだけれど。
躰が未だ怠いんだ、先生にも無理はするなと言われたよ。
どうやらあたしのクラスも、学級閉鎖目前みたいなんだ。
……あと、どれくらいで。
詳しくは分からないけど、多分、もう少しじゃないかな。
……いい加減。
はは。
……。
……水野さんと一緒なら、行きたいと思ってた。
ゆうべ、聞いた……。
だから……水野さんが行かないのなら、あたしも行かない。
……あぁ、然う。
うん……。
……。
朝食は……ん、電話?
……木野さん、出て。
うん……もしもし、木野です。
……。
先生、どうしたのですか……え……あ、はい、然うですか。分かりました。今日から、5日間ですね……はい、ありがとうございます。
ゆっくり休みます……はい、あたしはひとりでも大丈夫です……あの、買い物くらいなら外出しても良いんですよね?
いいえ、遊びには行きませんよ……ただ、生活に必要なものを買いに行くだけです……はい、それでは失礼します。
……。
はぁ……。
……あなたのクラスも閉鎖?
学級と言うより、学年閉鎖だって。
……学年閉鎖?
どうやら、他のクラスでも欠席者が多く出てしまったらしい。
……。
他のクラスのことは知らなかったけど……結構、まずい状況になっていたんだね。
……おかしい。
え?
……確かに流行はしているけれど、こんな急に。
また、厄介なことになっているのかな。
……恐らくは、然うでしょうね。
どうしようか。
……どうもしないわ。
然うか、ならそれで良い。
……。
水野さんは、ベッドで休んでいて。
熱はないかも知れないけれど、躰が酷く重たそうだから。
……言われなくても、動きたくない。
ん。
……木野さん。
なんだい。
……あなたは、木野さんよね。
あぁ、然うだよ。
……ゆうべは、ゆっくり眠れたの。
ん、ゆっくり深く眠れた。
……夢は、見た?
いいや、全く見なかった。
……然う。
ありがとう、水野さん。
水野さんが傍に居て呉れたおかげだよ。
……私は、傍に居ただけよ。
水野さんが傍に居て呉れると、安心するから。
……一緒には眠れなかったわ。
それでも……声を掛ければ返して呉れる距離に居て呉れた。
……。
顔色が、あまり良くないね……。
……触らないで。
嫌かい?
……。
嫌なら、触らない。
……あなたが木野さんなら、嫌じゃない。
あたしは、木野まことだよ……他の誰でもない。
……信じても。
うん、信じて欲しい。
……触って。
うん……。
……。
……冷たい。
発熱しない代わりに、低体温……。
……温めないと。
寒気は感じないの。
だとしても……温めた方が良いと思う。
……ねぇ。
なに……。
……夜更けに、目が覚めたなんてことは。
目が覚めた時には、朝だったから。
……朝まで、全く目覚めなかった?
うん……でも、どうして。
……ただ確認しただけ、特別な意味などないわ。
あたし……若しかして、夜中に何かした?
……さぁ。
水野さん……。
……あなたが何かしていたら、目が覚めると思うから。
水野さんも、朝まで目が覚めなかったんだよね……?
……ええ、然うよ。
……。
なに……私を疑っているの?
ん、いや……水野さんが、嘘を吐くわけがないなって。
いいえ……嘘は、吐くわ。
んん。
……。
ゆうべは……いや、良いや。
……とりあえず。
とりあえず……?
……回復したようで、良かった。
うん……ありがとう。
……。
ごめんね、水野さん。
……何が。
若しかしたら、伝染してしまったのかも知れない。
別に、あなたのせいではないわ。
でも。
ゆうべは思っていた以上に冷えた、敢えて言うならそれが原因。
……水野さんが寝冷えをするとは思えない。
私だって、ただの人間よ。
たまには然ういうことだってあるわ。
……。
今日一日、休んでいれば回復するから。
あなたは何も気にしないで良い。
……食欲はある?
一応……あまり、食べられないとは思うけれど。
食べたいものがあるのなら、言って欲しい。
……木野さんに任せるわ、あなたなら色々考えて作って呉れるだろうから。
躰を温める為に、温かいものを作ろうと思っているんだ。
ええ……それで良いわ。
候補は幾つかあるのだけれど……希望は、何もない?
然うね……脂は、少なめにして。
うん、野菜を多めにするよ。
……。
トマトをメインにするか、牛乳をメインにするか……。
……牛乳。
ん、牛乳が良い?
……ん。
じゃあ……ウィンナーと白菜のミルク煮込みはどうだろう?
……バターは、なしで。
ん、分かった。
玉葱も入れても良いかい?
……構わないわ。
うん。
……若しも、今日。
うん?
買い物に行くつもりなら……ひとりで行って。
いや、今日は行かないよ……ずっと、家に居る。
冷蔵庫の野菜も、まだ残っているし……買い物に行かなくても、問題ない。
……。
水野さん、辛い?
……大丈夫よ、ただ躰が怠いだけ。
先にお茶を淹れるよ、何が良い?
なんでも……ううん、甘いものが良いわ。
甘いもの?
……甘い飲みもの。
甘い飲みもの……うちにあるもので作れるのはホットミルク、ミルクティー、ココア、エッグノッグも作れるかな。
……。
あとは……。
……ホットチョコレート。
え。
……手間なら、良い。
ホットチョコレートだね。
待ってて、直ぐに作るから。
……出来れば。
ん?
……一緒に、渋いお茶も淹れて。
渋いお茶?
……甘くて、喉が渇くと思うから。
あぁ……分かった、緑茶で良いかい?
……ええ、良いわ。
では、とびっきり渋い緑茶を淹れようか。
……ふ。
ふふ……。
……。
それじゃあ、水野さん。
……うん。
……。
……ねぇ。
ん、どした?
……やっぱり、何でもない。
何か、話していようか。
……。
然うだなぁ……今日のお昼の話でも。
……また、食べ物の話なの?
あ、やっぱりだめかな。
……お昼もお夕飯も、温かいものが良いわ。
だったら、夕飯は鍋かな。
……味は、なんでも良い。
じゃあ……ミネストローネ風鍋にしよう。
……ミネストローネ風?
トマトとじゃが芋、ピーマン、白菜、ベーコンを入れて。
……それは、お鍋ではないわね。
自分で好きなものをよそれば、それは鍋になる。
……よそるのが、億劫。
うん、素直にスープにしよう。
……白菜、なかなか使い切れないわね。
大玉を買ってきちゃったからね。
お漬物にもしたんだけど、なかなか手強いよ。
……大きな白菜が安く買えて、あなたは喜んでいたわ。
冬は葉物が高くなりがちだからさ……安く買えると、嬉して。
……去年は高かったのよね。
うん、高かった……仕方ないから、お鍋には値段が手頃だったキャベツを入れていたよ。
……暫く、キャベツが続いたわ。
お鍋以外にも、味噌汁、ロールキャベツ、コールスロー、野菜炒め、千切り、ポトフ、餃子、スパゲティ、浅漬け……キャベツは兎に角、色々使えるから。
……白菜もキャベツも、二人暮らしで一玉は多いと思っていたけれど。
ひとりだった頃は、一玉買うとひたすらそればかり食べてたんだ。
知ってる……ふたりになった今でも、然うだし。
水野さんが、同じものでも食べて呉れるから。
……美味しければ、私は食べるわ。
うん。
それに……材料が同じでも、料理は変わる。
……。
全く同じものが続くことなんて、滅多にないの。
……残り物。
続けて同じものは作らないという意味よ……ばかね。
……ん、然うだった。
あなたは、いつだって楽しそうに作って呉れる……。
……ひとりだった頃は、楽しくなかった。
……。
でも、今は違う……。
……そんなに違う?
全然、違うよ……。
……どう違うの?
ひとりだと、楽しくないことの方が多い。
……。
自分ひとりの為だけに作るのはさ、大体億劫で、楽しくないんだ。
ひとりで食べても、あんまり美味しくないし……だから余計に、億劫だと感じてしまう。
……ひとりでも、楽しかった時は。
水野さんが食べるごはんを作っている時かな。
……頼んでもいないのにね。
食べて呉れたら嬉しいなぁって思いながら作ると、自然と心が弾んでくるんだ。
……。
あんな気持ち、ずっと忘れていた……出来ればもう、忘れたくない。
……忘れたくないのなら、忘れなければ良い。
その為には、水野さんが必要なんだ。
……私でなくても。
だから、あたしと結婚して欲しい。
……。
16歳になったら。
……その約束を交わすのは、何回目かしらね。
え。
……16歳になったら、答えると言ったわ。
あ、あぁ……うん、然うだったね。
……待ち切れない?
待ち切れない。
……あなたの希望通りの答えではなかったら。
その時は……。
……諦められる?
諦め……られない。
……でしょうね。
……。
ね……お鍋で作って呉れるの?
……ん?
ホットチョコレート……。
……電子レンジの方が簡単だけれど、お鍋の方が丁寧に作れるから。
あなたらしい……。
……時間がある時は、丁寧に作りたいんだ。
甘い香り……。
……昨日は、無糖のブラックコーヒーを飲んでいたのね。
飲みたいものなんて、その時の気分や状態に応じて変わるものよ……。
……確かに。
今日のあなたは、おしるこ缶を飲みたいと思う……?
……多分、思わない。
ホットチョコレートは……?
……実は、自分の分も作っているんだ。
あなたの分も?
……折角だから、一緒に飲もうと思って。
……。
……だめ?
二杯は、飲めない。
……。
だから……良いわ。
……やった。
……。
水野さん……もう少しで、出来るよ。
……然う、楽しみね。
楽しみ?
……悪い?
ううん……全然、悪くない。
……ふと、思ったのだけど。
なんだい……?
……私、朝はホットチョコレートだけ良いかも知れない。
え……。
……木野さんは、気にせずにちゃんと食べて。
んー……。
……。
食パンを半分だけ、食べない?
……食パン?
然う、食パン。
一口でも良い。
……じゃあ一口だけ、食べられたらね。
ん。
……。
よし、出来た。