16日
はぁ……やっと、写し終わったぁ。
……終わった?
うん、終わった。
見て、もう手がくたくだよぅ。
ふふ……お疲れ様、ユゥ。
うん、ありがとう。
メルは、どう?
ん、私も丁度良いところまで。
そっか、メルもお疲れ様。
ありがとう、ユゥ。
其れでね、甘いをお茶を淹れようと思うのだけれど、ユゥも飲む?
あたしも同じことを思ってたんだ、淹れるよ。
ううん、私が。
でも。
ユゥは、待っていて?
うん、分かった。
ありがとう、メル。
今日のユゥは、とても頑張っていたから。
えへへ。
ね、お茶の時間が終わったら写したのを見て。
見せて貰っても良い?
先生に出す前に、メルに見て欲しいんだ。
ん、分かった。
それじゃあ、お茶の時間が終わったら見せて貰うね。
ん!
ねぇユゥ、お茶の中に果実を浮かべても良い?
勿論、良いよ。
なんの果実を浮かべるんだい?
青い果実。
あぁ。
今朝、お師匠さんがね、青い果実と糖蜜を持ってきて呉れたの。
それから、来たついでにと言いながら、青い果実入りの甘いお茶を淹れて呉れて。
然う、あたしが朝ごはんを作っている間に、自分だけメルの家に行ったんだ。
あたしも行くって言ったのに、朝ごはんはここで食べるから、あたしが帰ってくるまでに作っておけって言い残してさ。
ユゥは今、朝ごはんを作っているところだからひとりで来たと、お師匠さんが言っていたけど。
体よく、置いていかれたんだよ。
……然うだったのね。
ちょっと届けるだけだ、直ぐに戻ってくる、なんて言っておきながらさ、なかなか戻ってこなかったんだ。
……言い方、少し似てる。
作り終わって、食べないで待ってたんだけど、戻ってこないからどんどん腹が立ってきてさ。
作ったのを持って、あたしもメルの家に行こうと思ったんだ。いっそのこと、師匠を抜いて三人で食べようって。
そこに、お師匠さんが帰ってきた?
朝ごはんは出来てるか、出来てなかったらまた寝るけど、なんて言いながらさ。
果実の蜜煮を顔に塗りたくってやろうかと思ったけど、勿体ないから止めた。
うん、それは勿体ないから止めて良かったと思う……。
若しかしなくても、師匠は朝ごはんを作った?
ん、手際良く作って呉れたわ。
でもユゥが待っているからと、自分は食べないで帰っていったの。
何を作ったの?
薄麦餅と果実の蜜煮、それから、生のお野菜とお芋のとろみのある汁物を。
今朝は先生の起床がいつもよりも遅くて、未だ、朝ごはんの支度が出来ていなかったの。
そっか。ならまぁ、許してあげても良いか。
メルと先生にごはんを作っていたのなら、遅くなっても仕方ないし。
……ユゥ。
あれ、でも待てよ。
……。
ふたりで行けば、メルの家で四人で食べられたんじゃ……然うすれば、あたしも何か作れたし。
ユ、ユゥ。
……師匠、やっぱり三人でお茶が飲みたかっただけかも知れない。
お師匠さんは、お茶も飲んでいないの。
……然うなの?
う、うん。
一口も?
……一口も。
メル。
……本当よ。
メルは、嘘が下手糞だ。
……。
一杯は飲まなくても、一口くらいは飲んだんだろ?
……うん。
やっぱり。
で、でもね、私が言ったの。
メルが?
せめて、一口だけでもって。
……。
若しかしたら、喉が乾いているかも知れないって……然う、思って。
ん、そっか。
……ごめんなさい。
ううん、別に良いよ。
メルが言ったのなら、師匠は飲まないわけにはいかないだろうし。
……然うなの?
師匠は、メルと先生にお願いされたら断れないから。
……。
それに、あたしは今からメルとふたりだけでお茶を飲むからさ。
……あ。
それで、なしにする。
ユゥ……うん、ありがとう。
メルがお礼を言うことではないよ。
それでも、ありがとう。
メル……うん、どういたしまして。
……ねぇ、ユゥ。
なぁに、メル。
青い果実……ユゥも、毎日食べている?
食べてるけど、メルとふたりで食べたいな。
……私も、ユゥとふたりで食べたいと思ったの。
一緒だね。
ん……一緒。
じゃあ、直ぐに採ってくるよ。
ううん、持ってきたの。
え、持ってきたの?
うん。
だけど、持ってきて良かったの?
それは、メルと先生の分だろう?
うん、先生にちゃんと断ったから。
じゃあさ、帰りに採ってあげるよ。
え。
食べた分、其れ以上に。
そんな。
良いから、良いから。
……ごめんなさい。
ん、どうして?
かえって、気を遣わせることに……。
そんなことはないさ。
あたしはメルと先生に、いっぱい食べて欲しいだけだよ。
……。
まだまだ、いっぱいあるんだ……だから、食べて欲しい。
……うん、ありがとう。
今回も沢山、実を付けて呉れてさ……どんどん食べないと、なくなりそうにないんだ。
たわわに実っていたものね。
これから熟すものもあるし、暫くは青い果実を使ったごはんが続くんだ。
今朝も、柑橘と混ぜた果汁を野菜にかけて食べたよ。
朝ごはんにお師匠さんが作って呉れた果汁にはお塩が入っていたわ。
青い果実の果汁は、甘くなくても美味しいのよね。
うん、塩でも美味しいよね。
ほんのり甘いものでも、お野菜に合うの。
粒を残しても、残さなくても、美味しいんだ。
うん。
メルはどっちが好き?
私は、どちらも好きだけれど……強いて言えば、粒が残っている方が果肉の甘みを感じられて好き。
あたしと同じだ。
美味しいよね。
ん……美味しい。
でもずっと食べていると、たまには違うものが食べたくなるんだ……。
……あぁ。
師匠に聞かれると、贅沢を言うなって、言われるんだけどさ。
良く聞いてるんだよ、師匠って。
……お師匠さんは、耳が良いみたいだから。
せめて、豆乳があればなぁ……然うすれば、作れるものが増えるのに。
豆乳の中に入れて食べても美味しいわよね。
あと、ぷるぷるにした豆乳の中に入れても美味しいんだ。
干した果実を入れても良いし。
果肉感が残っていると特に美味しい。
からからになっちゃうと蜜煮にした方が良いんだけど。
しっとりとしているのよね。
然う、瑞々しい生の果実とはまた違うんだ。
うん。
実はね、メル。
なに?
昨日、師匠と作ったんだ。
……え。
干し果実。
……あるの?
お八つの時間になったら、言おうと思ってたんだ。
良かった、忘れないで。
……。
ね、お茶と一緒にどうかな。
……食べても、良いの?
勿論だよ、メルに食べて欲しい。
……ありがとう。
ふふ、良かった。
メルに喜んで貰えた。
……。
然ういえば師匠、今朝は持っていかなかったんだな。
今回はメルと先生の為に作るんだから、お前は味見だけだって言ってたのに。
……未だ、食べてはいけないのかも。
多分、忘れただけだと思う。
今朝も、特に何も言ってなかったし。
……言っていないだけかも知れないわ。
今回の干し果実、なかなか上手く出来たんだよ。
……若しかしたら、干し果実を使って何かを作るのかも知れない。
だとしても、少しくらいなら構わないさ。
……。
大丈夫だよ、メル。
青い果実は、まだまだ沢山あるんだ。
……若しも、怒られたら。
師匠は、そんなことぐらいでは怒らないよ。
まぁ、あたしがひとりで食べ尽しちゃったら、軽い雷を落とされるかも知れないけど。
……私も。
メルには落とさないよ、だってメルと先生の為に作ったんだからさ。
……。
大丈夫だよ、心配しないで。
ね?
……ユゥも。
うん?
……一緒に、食べて欲しいの。
あたしも?
……だから、雷を落とされる時は。
メル……。
……ん。
お八つに、メルとふたりで少し食べた……ちゃんと言えば、師匠は雷を落とさない。
……本当に?
うん、本当だ。
……。
だから、一緒に食べよう?
……う、ん。
何粒くらい、食べたい?
えと……二粒くらいで。
二粒か、じゃあ五粒ずつにしよう。
そんなに……。
素数が良いかなって、なんとなく。
……それなら、三粒でも。
三粒じゃ、お八つにはちょっと物足りないかなって。
……若しかして、お腹空いてる?
ん、少しね。
でも、未だ大丈夫だ。
……。
師匠みたいに、もっと美味しいものが作れるようになりたいなぁ。
……美味しいもの?
師匠は、美味しいものを色々作って呉れるから。
……ユゥはもう、作れていると思う。
いや、まだまだだよ。
微妙な味加減が、師匠に比べたらまだまだなんだ。
……あれで、まだまだなの?
もっと美味しいものを作って、メルに食べさせてあげたいんだ。
……。
先生にも、食べて欲しい。
師匠は、ついでなら食べても良いかな。
……もう、ユゥは。
あはは。
……ふふ。
ね、知ってる?
なぁに?
青い果実はね、目に良いんだって。
あぁ、特に疲れている時に良いの。
師匠曰く、メルや先生にぴったりの果実らしい。
……私達?
マーキュリーは兎に角目を使うことが多いから、だから此処にも苗を植えたんだって。
……ジュピターの思い遣り。
ん、なに?
……ううん。
そっか。
青い果実が採れる時期になると、先生は書物を読みながら食べることが多くなるの。
書物からは目を離さずに青い果実に手を伸ばしては、口の中に放り込むような。
多分、味はあんまり感じてないと思う。
さっぱりしているから、食べやすいんだと思うんだ。
邪魔をしない味、とも言えるのかも知れない。
読書の邪魔になったら、先生は食べないかもなぁ。
例えば、味がしつこかったら、あんまり食べないと思う。
はは、其れは食べないかも。
先生はしつこい味が苦手みたいだから。
しつこい味と言えば、アブラミも苦手みたい。
アブラミ?
今朝、お師匠さんが言っていたの。
そもそも、アブラミってなんだろう。
ごはんの名前かな。
青い星では、獣のお肉を食べることはユゥも知っているでしょう?
うん、先生に教わる前に師匠から聞いた。
とっても美味しくて、なんなら、この果実の果汁とも合うらしい。
お肉の中にはアブラミというものがあって、先生はこれがとても苦手らしいの。
へぇ、然うなんだ。
どんな味なんだろう。
どうやら、とてもくどいみたい。
くどい……うん、それは先生は苦手かも。
詳しいことはお師匠さんに聞けば分かるかも知れないわ。
先生はどんなものか教えて呉れなかった?
ただ一言、くどいと。
それ以上でも、それ以下でもないと。
あ、それは相当苦手だね……。
好きではないということは、直ぐに分かったわ。
メルも、どちらかと言うとしつこい味は苦手だよね。
うん……あまりしつこいのは、ちょっと。
さっぱりしている方が好き?
……うん、好き。
じゃあ、メルもアブラミは苦手かも知れないね。
食べる機会は、ないかも知れないから。
ん、然うかな。
……あるかも知れないけど。
どうしても駄目だったら、あたしが食べてあげるよ。
……でも。
師匠も屹度、先生の代わりに食べていたと思うから。
……その時はお願いしても良い?
うん、任せて。
……美味しいものだと、良いね。
出来れば、美味しい方が良いなぁ。
……。
今度、どんなものか師匠に聞いてみようかな。
ね、メルも聞くだろう?
ん、聞いてみたい。
じゃあ、一緒に。
ん。
それじゃ、あたしは干し果実を持ってこようかな。
私はお茶を淹れておくわ。
うん、お願い。
ユゥは糖蜜、どれくらい入れる?
然うだなぁ、匙半分くらいかな。
ん、分かったわ。
……。
……?
ユゥ?
メルが元気そうで良かった。
え。
ふと、然う思った。
……私は、元気よ。
うん。
……。
……それから、さ。
うん……?
これも……その、ふと思ったことなんだけど。
なぁに?
メル……あたしの足の上に、座ってみない?
……え?
あ、いや、やっぱりなんでもない。
う、うん……。
ご、ごめんね、変なことを言って。
……ううん、気にしないで。
15日
……書物はマーキュリーの叡智、か。
記録として登録はされているけれど、不具合又は人為的に消失、或いは改竄される恐れがあるから。
保管されている場所には、マーキュリーしか入れないことになっているんだよな。
名目上はね。
場所も限られた者しか知らない、が。
其の者達も除外して欲しいのが、本音。
確か、鍵は定期的に変更しているんだったよな。
知らぬうちに忍び込まれて、「悪戯」でもされたら事だから。
前も聞いたと思うんだけど、こっちが消失、或いは改竄されたことはただの一度もないのか?
前も答えたと思うけれど、忘れたの?
一応……其の、確認の為に。
勿論、あるわよ。
やっぱり、あるんだな。
だけれど、気付いた時点で直ぐさま復元作業に入るから。
……何度か、見たことがある。
「先代」の頃は、故意的なものはなかったのだけれどね。
例えば、合間に「悪戯」されたらどうなる?
然うならない為に、「私達」には合間を作らない。
……難しいんだな。
此処が残っていれば、出来なくもないわ。
残っていれば、な……其れで、今も続いているのか。
今は、大人しくしているようね。
私が居る限り無駄なことだと、漸く分かったみたい。
……マーキュリーの頭の中までは、人為的な消失も改竄も出来ない。
させるつもりもないわ。
……。
あの子にも、然うなって貰わないといけない。
仮令一時的に忘れることがあったしても、思い出すことが出来るように。
……あぁ、然うだな。
いずれ、連れて行くから。
あぁ、あたしもちびを連れて一緒に行こう。
くれぐれも、「悪戯」はさせないように。
其れは大丈夫だ。
然うだと良いわね。
マーキュリーが言い聞かせれば、あいつは必ず守る。
あなたではなくて?
あたしも言うけど、
……。
……む。
何。
……むぅ。
だから、何。
どうして、其処で寝る……。
其れ、何度目?
だって、仕方ないだろう……どうしたって、目に入って来るんだ。
此方を見なければ良いだけ。
然うは言っても……あたしは、マーキュリーの顔が見たい。
私の顔は見なくて良いから、書物に目を戻して。
其の前に、マーキュリーの顔が見たい。
お勉強中なのだから余計な下心は捨てて、邪魔でしかない。
いや、下心ではなくて……ちょっとした、心の休息なんだ。
……休息、ね。
気持ち良さそうに、寝ているな……。
……本当に、よじ登ってくるのね。
……。
寝惚けていても……。
……やっぱり、止めれば良かった。
少しくらいなら、構わないもの。
……少しくらいは、もう過ぎていると思う。
そろそろ、あの子の隣に戻してあげようかしらね。
起きて隣に居なかったら、探すかも知れないから。
あたしが
あなたが此の頁を読み終わったら。
……。
だから、さっさと読んで。
……マーキュリーもちびでなく、今はあたしを。
ジュピター。
ちびではなく、
……?
あたしの顔を、
……静かに。
え?
……。
マーキュリー……どうした?
……ぷぅぷぅと、音がするけれど。
ぷぅぷぅ?
……此れは、寝息なの?
あぁ……たまに、ぷぅぷぅ言うんだよ。
鼻が詰まっているわけではなさそうだし……此の子は、鼻炎ではなかった筈。
びえん?
此れは、鼾の可能性があるわね。
鼾? ちびが?
ぷぅぷぅと音を立てるのは、たまになの?
あぁ、たまにだ。
暫くすると、静かになる。
いつも、ではないのね?
まぁ、いつもではないな。
夜は?
あたしも寝ているからなぁ。
……。
マーキュリー?
呼吸は苦しそうではないから、其処までの心配は要らないと思うけれど……念の為、診た方が良いかも知れないわね。
何か問題でもあるのか?
あるから、診た方が良いと判断したのだけれど。
……例えば、何があるんだ。
然ういえば、寝相が悪いと言っていたわよね。
あぁ、言った。特に足癖が悪いんだ。
あと、腹の上によじ登って来る。
日中は、あまり落ち着きがないけれど、無闇矢鱈に動き回る様子は今の所見受けられない。
食事の速度は、特に遅くはない。寧ろ、少し早い。呼吸は、鼻呼吸……息が切れない限り、口で呼吸していることはまずない。
あの、マーキュリー……若しも問題があるとするなら、何があるんだ?
扁桃、或いは、咽頭扁桃の肥大による睡眠時無呼吸症候群。
へ、へんと……?
あなたの頭でも分かるように言うと、鼻の奥の器官が肥大し気道を圧迫することで、寝ている時に呼吸が数秒止まるの。
きどう……。
其処が塞がったら、空気を肺まで送り込めなくなってしまう。
あ、空気の通り道のことか……て、待て。
其れが塞がったら、まずい。呼吸が止まってしまう。
然う、まずいの。
なぁ、ちびの鼾を放っておいたら、ちびの気道はいつか塞がってしまうのか?
どちらかが肥大していたら、完全に塞がらずとも圧迫はされる。
然うなると、
苦しい、よな?
苦しいでしょうね。
……こんなにすやすやと寝ているのに。
恐らく、遊び疲れているだけだとは思うのだけれど。
……遊び疲れていても、鼾はかくのか?
みたいね。
……念の為、診て呉れ。
言われなくても、診るわ。
……大丈夫だとは、思いたいが。
其れにしても。
……他にも、何か。
小さくて、可愛いわね。
……は。
まぁ、来た頃よりは大きくなったけれど。
……。
どうせ、今のうちだけよ。
然うだけど……然うだけどさ。
ぷぅぷぅ言わなければ、静かね。
……あたしも。
あなたが座ることは、此の先もないわ。
……あたしも、小さければ。
だとしても、あなたは座らせない。
……小さくて、可愛いぞ?
あなたは、可愛くない。
……眠っていれば、可愛いと思うんだ。
自分で言っていて、恥ずかしくないの。
……どうして。
叶わぬことをぐだぐだと言っている暇があるのなら、書物に目を戻して。
選りに選って、マーキュリーの足の上に……あたしだって、座ったことがないのに。
そもそもの話、無理。
……出逢った頃ぐらいなら。
確かに、今よりは小さかったけれど。
だろう?
でも、当時から私よりも大きかったから、無理。
……あたし達にも、小さい頃があれば。
あなたには何度、潰されかけたと思っているの。
……なぁ、マーキュリー。
なに。
……いっそのこと、あたしの足の上に
ばかなの?
……ちびは、其のままで良いから。
然ういう問題?
……たまには、良いと思うんだ。
私は、思わない。
……。
喉の奥は、此の子が起きてから診るわ。
……今でなくて良いのか。
此の子なりに、あの子の躰を気遣って呉れたそうだから。
……。
たまには、甘やかしてあげようと思って。
……ちびには、甘い。
あなたには、言われなくない。
……取り敢えず。
目を書物に。
……応。
……。
……はぁ。
先代が長生きしていれば、叶ったかも知れないわ。
……先代?
先代マーキュリ―。
……。
若しかしたら、小さなあなたを足の上に乗せて呉れたかも知れない。
まぁ、発育途中のあなたを外に出すかどうかは分からないけれど。
……。
眠っているあなたの頭を、優しく撫ぜて呉れたかも。
……其れも、悪くないな。
あぁ然う、悪くないのね。
要は、今のちびみたいな状況ってことだろう?
ええ、然うよ。
……まぁ、其れは其れで。
であるならば、私は、此の子を可愛がることにするわ。
……なんで?
だって、其れも悪くはないのでしょう?
……。
あなたが言ったのよ。
其れは……言った、けど。
此の子から見たら、私は先代。
先代が次代を可愛がることは、悪いことではないようだから。
……。
何か言いたいことでも?
……ちびを、退かしたい。
駄目よ、折角良く眠っているんだから。
あ、ほら。
なに。
涎、涎が。
涎?
口が、開いているんだろう?
其のうち、涎が……?
ふふ、仕方ないわね。
あー。
涎なんて、零れる前に拭けば良いだけ。
……く、羨ましい。
うっすらと開いてはいるけれど、口呼吸をしているわけではないのね。
……。
ジュピター、いい加減書物に。
……然うだ。
……。
お前がちびを可愛がるのなら、
あの子に手を出したら許さないわ。
……。
絶対に。
……いや、手を出すわけではなくて。
大体、もう甘やかして呉れているでしょう。
……足の上に、乗せてみたいんだ。
止めて。
……。
なぁに、不貞腐れているの。
……別に。
いつ以来かしら、あなたが不貞腐れるのは。
……勉強の続きをする。
ええ、然うして。
……。
……。
……やっぱり、もう止める。
どうして?
どうしても集中出来ない、だから外で鍛練してくる。
然う……残念だわ。
……。
其のままで良いわよ。
……然うかい。
此の子は
連れて行かないよ、折角マーキュリーの足の上ですやすやと良く眠っているんだ。
其の妨害をしたら、お前に何を言われるか分からない。
……。
鍛練が終わったら、一度、戻って来る。
其の頃には、ちびも起きているだろう。
……然うでしょうね。
じゃあ、またな。
ちびを宜しく頼む。
ええ……また。
良し。
……。
今日は少し、増やすか。
誰かと手合せをしたい気分だが……其れはまた、今度だな。
……ほとんど、読めていない。
ふぅ。
……此れでは、読めるようにはならないわね。
ん?
……こんなことだと、此の子の方が賢くなるのは時間の問題だわ。
どうした?
……まぁ、どうでも良いけれど。
お。
……。
然うか、ちびを探していたんだな。ちびなら、マーキュリーの部屋に居るよ。
寝惚けて、マーキュリーの部屋に来たんだ。
……其れにしても、体温が高い。
あたしは此れから鍛練に行くつもりだったんだが……一緒に部屋に行くか?
うん、分かった……なら、一緒に行こう。
……。
不安にさせて悪かった、あたしが直ぐにお前の隣に戻してやれば良かったな。
然うすれば、ちびを探すこともなかったろうに……然うだ、抱っこしても良いかい?
……そろそろ、此の子をあの子の隣に。
マーキュリーの部屋は直ぐ其処だけれど、たまには良いだろう?
ん、たまにではない? はは、然うか。でもまぁ、気にするな。
……来た頃よりも、重くなったわね。
良し、行こうか。
……よいしょ、と。
お詫びに、甘いお茶を淹れてやる。
四人で一緒に……と、ちびは未だ寝ているんだった。
……ん?
いっそのこと、ふたりで飲むか。
マーキュリーには
何をしているの。
……あ?
どうして、抱き上げているのかしら?
其れは、此の子がちびを探していたから。
探していたから、抱き上げて連れて来たの?
然うだよ……見れば分かるだろう。
ええ、分かるわ。
マーキュリーは?
ちびを何処かに連れて行くところだったのか?
然うよ、其の子の隣にね。
もっと早く戻してやれば良かったな。
然うすれば、此の子はちびを探さずに済んだ。
別に大したことではないでしょう。
大したことあるだろう。
隣に居た筈のちびが居なかったら不安にもなる。
何処か遠くに行ったわけでもあるまいに。
マーキュリー。
何よ。
お前が言ったんだぞ。
居なかったら探すかも知れないと。
言ったわね。
其れなのに、どうして。
此れが私なの、今更何を言っているの。
あたしには其れでも良い、けれど子供には……?
……。
ちび、ちび? お前、なんで泣いているんだ?
と言うか、いつ起きた?
あなたが五月蠅いからでしょう、ばか。
はぁ?
本当、五月蠅いわよね。
お前なぁ……え。
……。
や、なんでお前まで……いや、あたし達は喧嘩をしているわけでは。
違う、違うぞ? あたしは怒っていない、喧嘩もしていない。なぁ、マーキュリー。
いいえ、怒っていたわ。
ちょ、今は話を合わせるところだろう?
子供みたいに、不貞腐れて。
ちび、泣くな。
お前も、な?
……。
マーキュリー、少しはお前も
ごめんなさいね。
……は。
起こしてしまって、ごめんなさい。あなたも、不安にさせてごめんなさいね。
私達は喧嘩をしていたわけではないの、ただ話をしていただけ。
……。
ジュピターが甘いものを作って呉れるだろうから、泣き止んで。
……おい。
何よ、作らないの。
あたしには、謝らな
勝手に不貞腐れてお勉強を投げ出したあなたに、どうして私が謝らないといけないの。
あ、あー。
其れで、作って呉れるの、呉れないの。
……作るよ。
聞こえない。
作る、作るよ。
さて、何を作ろうかな。
出来るまで、然うね、あなたの喉の奥を少し診せて貰っても良いかしら。
あなたも、いらっしゃい。良い機会だから、見せてあげるわ。
何か希望があったら
此の子達の好きなものを。
……。
分かるでしょう。
……分かるよ。
然う、なら其れで。
……応。
じゃあ、また後で。
あぁ……また後で。
……。
……結局、ひとりか。
ちょっと先に行っていて。
大丈夫よ、直ぐに行くから。
……取り敢えず、果物の蜜煮で良いか。
いい加減のものは、許さないわよ。
……。
不貞腐れジュピター。
……たまには、あたしだって。
はぁ。
……。
私も、悪かったわ。
……別に、え。
其れだけよ。
マーキュリー。
子供達を先に行かせているの、だから手短に。
……。
……ジュピター。
今夜……あたしの足の上に座って呉れ。
……。
なぁ……良いだろう?
……其の時に、決めるわ。
あぁ……其れで良い。
……離して。
応……。
……じゃあ、期待しているわ。
其れは、
果物の蜜煮。
14日
……。
……。
……ん、起きたか。
何を、しているの……。
あぁ……此れを、読んでる。
……読めるの。
文字はなんとか読めるが、意味はさっぱり分からない。
……どうせ、文字も読めていないのでしょう。
少しは、読めているよ……お前に、教わったんだからさ。
……つまり、ほとんど読めていないと。
まぁ、マーキュリーが読む書物だからな……あたしの頭では、追いつけない。
……良かったら、貸してあげるわ。
え。
いつも食事を作って呉れるお礼。
お礼なら……他のものが、良いな。
たかが二百頁、一日あれば余裕で読み終わるでしょう。
よ、余裕ではないな……。
……何故?
あたしは、ちびと遊ばなきゃいけない。
ちびと遊んでいると、あっと言う間に時間が流れていくんだ。
だから?
其れに、飯も作らないといけない。
あの子がお昼寝をしている時に読めるでしょう。
そ、然うだなぁ、まぁ、十頁くらいなら
昼に五十頁、夜に百五十頁。
……うん、無理だ。
ついでに、辞書も貸してあげるわ。
……お前が使ってる?
ええ、然うよ。
あなたが持っている辞書では、載っていない文字もあるでしょうから。
……先ず、字を引くのが難しいな。
然うでしょうね。
……せめて、一週間。
読んでみて。
……え?
今、此処で。
こ、此処で読むのか?
黙読ではなく、音読で。
お、音読?
一頁だけで良いわ、読んでみて。
一頁か……一頁なら。
但し、二十行以上書かれている頁に限るわ。
……十行くらいじゃ、駄目か。
駄目。
じゅ、十五行は?
十五行と二十行、大して変わらないでしょう。
然うだよな、なら
二十行以上で。
……若しも、読めなかったら。
其の時は、其の時ね。
……あたしでも全部読めそうな頁なんて、あったか。
あるわよ、あなたの語彙力でも。
……。
意味までは分からずとも、読むだけなら出来る筈。
然う……私にちゃんと、教わっているのならば。
……あまり難しくなくても、良いか。
あまりにも難しかったから、全く読めないでしょう?
……後ろの方なんて、ほぼ読めない。
そんな難しい頁は、今は、読まなくても良いわ。
私が望んでいることは、そんなことではないから。
……今は?
読めるようになりたければ、教えてあげても良い。
……其れは、ふたりきりか?
子供達が居たら、お勉強どころではないでしょう?
応、然うだよな。
ならば夜、ちび達が眠った後にでも。
言っておくけれど、お勉強しかしないわよ。
其れでも、構わない。
お前と久しぶりにふたりきりになりたい。
今もなっているけれど。
ちび達を気にせずに、だ。
夜泣きはもう、しないのだったのかしら。
ふたりで寝かせれば、ちびは大人しく朝まで寝て呉れる……筈だ。
筈、ね。
お勉強が終わったら、出来れば、
言ったでしょう、するのはお勉強だけだと。
……一緒に眠るだけ。
本当に、眠るだけ?
そ、其れ以上のことは、しない。
ふぅん……しないのね。
し、しても良いのなら
良くないわね。
……お前と一緒に、眠りたい。
……。
だ、駄目か……。
……あなた次第ね。
あたし次第……?
……然う、あなた次第。
分かった、ちゃんと読めるように
一晩くらいで、其れは無理でしょうね。
……なら、どうすれば。
其の時に決めるわ。
其の時に?
今、言ってしまったら面白くないもの。
面白くないか?
あなたのことだから、其れを達成することばかりに気を取られてしまうでしょう。
其れだと、私は面白くないの。分かり切っていることに時間を使うのは無駄でしかない。
確かに然うだな、お前は面白くないだろう。
だから、今は決めないわ。
ん、分かった。
其れで、何処を読むか決まった?
……もう少しだけ、待って欲しい。
仕方ないわね。
……いっそのこと、マーキュリーが。
嫌よ、詰まらないもの。
……なぁ、マーキュリー。
なぁに。
お前が望んでいることは、なんなんだい?
……。
言わない、か。
私が望んでいることは。
……。
あくまでも、あなたが其の書物の一頁を音読すること。
……其れだけ、なのか。
だから、読む頁はあなたが決めて。
……自分で決めたら、詰まらないか。
ええ、詰まらないわ。
……分かった。
ん。
……。
どうしても、見つからない?
……何処の頁も、あたしにはな。
其れで、良く読んでみようと思ったわね?
……お前が、読んでいるからさ。
……。
……共有は、出来ずとも。
其れは、無理ね。
はは……だよな。
……私だって、出来ないもの。
お前が、出来ない?
……死線を潜り抜けた、数。
……。
……記録に残すことは出来ても。
お前が居て呉れなければ、どの死線も潜り抜けることは出来なかっただろう。
……。
然ういう意味では、共有していると思う。
……まぁ、なんでも良いけれど。
良いのか。
……。
マーキュリー?
……未だ、決まらないの。
あ、あぁ……もう少し。
……前。
前……?
……此れ以上は、言わないわ。
……。
……。
……あぁ、成程。
読む頁は決まった……?
……うん、此処なら。
其れとも……未だ、決まらない?
いや……一応、決まったよ。
然う……なら、ゆっくり読んでみて。
時間が掛かっても、良いから……。
……そこそこ掛かるかも知れないが、構わないか。
言ったでしょう……時間が掛かっても良いと。
……すらすらと読めないかも知れない。
閊えても、構わない。
……。
さぁ、読んで呉れるかしら。
応、分かった。
……良い返事ね。
あー……運び手としての、水。
……うん。
体内における水の重要な働きには、物質の移動を助けるということにもある。
水が物質の運搬に適している理由は、ようかいせいが高い上に、ね……ねん……。
……。
ねんせいが低くて、移動し易いという特性があるからである。
食物は、先ずは口で、そ…………しゃくされ、食道を通って、胃で、か、加水、分解されて、小腸に送られる。
そして大腸を経由して、直腸を経て、排出される。
……結構、読めている。
固定物を主体とした食物を移動させているのは全て、体液の仕事である。
水が無かったら、物を食べることも出来ないであろう。
……。
口では、こ……こうそが働いて、食物を分解し、胃では、胃酸が働いて食物を消化する。
こうそも、胃液も、全ては水溶液の形で、作用される。こうそを、ぶ……ぶん……?
……難しいかしらね。
ぶん、ぴつ、こう……から、口内の作用、か、箇所まで運ぶのも、水の働きである。
酸素が無いと生きていくことが出来ないのは、周知のことではあるが、吸われた酸素を運ぶのは、血液中の血色素という、た、たんぱくしつの役目である。
だが、其の血色素を肺から細胞まで運搬するのは、血液の役目であり、更に言えば、血液を構成している水分が運んでいると言える。
……。
口から取り入れたあらゆる物質を、体内に行き渡らせる為に、如何に、水の存在が重要か。
また、
此処までで良いわ。
……うん?
もう、十分。
だけど未だ、二十行読んでいない。
何より、読みかけた一行は
ならば、其れは飛ばして。
飛ばせない。
読まなくて良い。
いや、読みたい。
あたしにとって、此の一行が最も大事なんだ。
あなたにとっては大事かも知れないけれど、
「私達」にとっても、水は、とても重要なもので、命を繋ぐ為には欠かせぬものである。
良いと言っているのに。
此の「私達」は、あたし達、ジュピターのことだ。
だから、良いと言ったの。
此の次に書かれている、ろ……ろうはい、ぶつ、についても、あたし達のことが書かれている。
曰く、こうだ。「私達」の中に誤って入り込んでしまった酒精、毒素も、水は速やかに体外へ押し流して呉れる。
……老廃物とは違うわね。
此の余計な文を書いたのは、ジュピターだろう。
と言うより、其の項を書いたのがジュピター。
ん、此の頁全部をか?
書物の最後の頁に書かれていると思うけれど。
最後……あ、本当だ。
……其の項だけ、どうして、ジュピターが書いたのでしょうね。
書きたいと願い出た……でも、ジュピターだしなぁ。
マーキュリーが、書かせた……其れも、考えられるでしょう。
……意外と、書きたいと言ったのかも知れない。
どうして然う思うの。
余計な文を入れる為に。
どうせ、推敲されるのに?
其れでも書きたかった、後代に残す為に。
……。
マーキュリーは、ジュピターの意を汲んで呉れたのかも知れない。
……まぁ、今となっては分からないけれど。
あたしは、然う思っておくよ。
……あなたが、然うしたいのなら。
応。
……。
はぁ……一応、読めたか。
……まぁ、悪くはなかったわ。
ん、然うか……良かった。
……ふぅ。
また、眠るか……?
ううん……もう、良いわ。
起きるなら……何か、飲むかい。
……甘いお茶を。
豆乳でなくて、良いのか?
今は、お茶の気分なの。
ふふ、分かった。
……果実を、浮かべて。
果実?
……曰く、青い果実。
あぁ……其れは、良いな。
……あなたも、飲んでも良いわよ。
応、あたしも飲む、飲みたい。
……子供ね。
躰のでかい、な。
……。
取り敢えず、良かったな。
……未だ、本調子ではないけれど。
ちびもな、其処ら辺はちゃんと分かっているみたいなんだ。
……どんな風に?
あの子の躰を気遣っている。
……元々よ、其れは。
今まで以上に、だ。
……あの子は、優しい子だもの。
あの子も、だろう?
……何が言いたいの。
言わなくても、お前なら分かっているだろうから。
……分かりたくもないわ。
はは。
……ねぇ。
ん、なんだ?
一粒、頂戴。
分かった。
……。
マーキュリー、
自分で食べるから。
まぁ、然う言うな。
鬱陶しいわね。
ちゃんと口の中に入れてやるから。
嫌よ。
お前んとこのちびは、口を開けて呉れたよ。
……試したの?
ちびに呉れていたら、じっと見ていたからさ。
物は試しと、言ってみたんだ。然うしたら、な?
……勝手なことを。
然ういうわけだから、マーキュリーも。
どういうわけなの。
さぁ、口を。
止めて。
一粒だけ。
ジュピター。
……どうしても、嫌か?
嫌。
……然うか、残念だな。
……。
手を。
……。
ころっと転がるから、うっかり落とさないようにな。
言われなくても、
言っても、ちびは落とすんだけどさ。
……。
ん?
……何。
若しかして、落とし
落としてない。
……でも、転がってるのは。
見間違えでしょう、私が落とすわけがない。
……未だ、手先に力が入らないのか。
もう、平気よ。
……ふむ。
其れより、お茶は
よぅし、分かった。
……何が。
……。
ん。
……。
……ちょっ、と。
……。
止め……ん。
……。
……んん。
……。
……ジュピター。
上手く、入ったろ?
……。
美味しいかい?
……美味しくない。
吐き出しても良いぞ。
……。
さて……こいつは、拾っておくか。
……。
……いて。
ばか。
えと、美味いお茶を淹れるから。
其れで、許せと?
……然うなったら、良いなと。
なると、思っているの?
……思っていない。
……。
あ、あー……済まない、どうしてもやりたくて。
……許さない。
そ、然うだよな……。
……。
と、取り敢えず、
一粒、寄越して。
……は。
は、じゃない、早く。
お、応。
……。
……マー、キュリー?
ジュピター。
な、なんだ……ん。
……。
……んー。
……。
……マーキュリー。
癪だから。
……然う、か。
吐き出して呉れても、良いわよ。
……吐き出さないよ、勿体ないから。
でしょうね。
……今日のマーキュリーも、可愛いな。
ところで、お茶は未だなの。
ん……直ぐに。
喉が渇いているの、早く淹れて。
13日
マーキュリー。
……。
今、良いか。
……良くない。
あの子は、良く眠っているよ。
……然う。
お前は、大丈夫か。
……別に、何でもないわ。
少し横になって休んだ方が良い、顔が真っ白だ。
……白いのは、元からよ。
言い直そう、血の気が引いている。
……書物を読んでいる方が、気が紛れるのよ。
読んでいて、内容は頭に入っているのか?
……水に酸を加えた溶液は酸性であり、水に塩基を加えた溶液は塩基性である。
うん?
溶液の酸性、塩基性の基準になるものは水……純水の水を中性とし、純水より酸性ならば、其の溶液は
酸性、だ。
……純水よりも塩基性ならば、其の溶液は
塩基性だな。
……邪魔をしないで。
邪魔をしているわけじゃない、休みを促しているんだ。
……僅かに塩基性であるひとのこの血液は、海の水に近く、其の命は海水を起源としていることを思い起こさせる。
海は一時期、緑色だった時があるらしいな。
だから其の頃は青い星ではなく、緑の星と呼ばれていたと。
……かつての海には還元型の鉄が豊富に溶け込んでおり、やがて酸素を放出する光合成生物、藍藻に由って酸化されることで、微細な酸化鉄が海水を漂うようになった。
酸素は、酸化させる。が、あたし達は其の酸素に生かされている。
青い星のひとのこ達と同じように、少しずつ錆びに蝕まれながら。
此れらの粒子は紫外線や青い光を強く吸収し、水自体は赤い光を吸収する。
其れらの特性が重なった結果、緑色の光だけが海の深い場所に届くようになったと考えられる。
今の海の色は青だ。
……実際は、光の関係で然う見えるだけ。
青はとても美しい、あたしの一番好きな色だ。
……聞いてない。
言いたかったんだ。
……大酸化に由って大量の酸素が放出され、海が完全に酸化されると、海全体に還元的な鉄が広がることはなくなった。
そして。
……全ての酸化鉄の微粒子は沈澱し、酸化鉄が海から除去されて、白い光の中で青い光が吸収されることはなくなり。
青い海に戻った。
……。
マーキュリー、もう。
……ジュピターのくせに。
お前の話し相手を、其れこそ、数え切れない程してきたからな。
……頼んでない。
全部、あたしが好きでやったことだ。
……聞いていても、全然、分からないくせに。
未だに良く分からないことの方が多いけれど、其れでも、ほんの少しは分かるようになったつもりだよ。
……ほんの少しでは、分かったうちに入らない。
だから、此れからもお前の話し相手を続けようと思っているんだ。
……もう、十分よ。
あたしが未だ、十分ではないんだよ。
多分、一生を掛けても十分になることはない。
……。
マーキュリー、少し休んだ方が良い。
あの子のことは、あたしが見ているから。
……酸性物質は腎臓や肺の働きに依って、排尿や呼吸という形で躰の外に排出され、血液は弱塩基性に戻る。
……。
此れは……ひとのこが、恒常性維持機能を備えているから。
……あたし達は、其れを基にして造られていると、
其れは、違う。
……マーキュリー。
私達は……私達もまた、其々の星に生きる、ただのひとのこでしかなかった。
……。
色々、弄られて……今の形で、生かされているだけ。
……あぁ、然うだった。
ただの、仮説よ……。
……マーキュリーが違うと言うのなら、ジュピターは其れを信じる。
……。
大丈夫か、マーキュリー……。
……大丈夫だから、触らないで。
未だ、続いているのか……?
……続いているわ。
せめて、今だけは……触れることを、許して欲しい。
……嫌よ。
……。
何を、笑っているの……。
……いやいや期。
……。
……やっぱり、似ているものだな。
型は、違う筈よ……。
……其れでも、素は同じだ。
離して……ジュピター。
……あたしも、今だけはいやいや期なんだ。
ぷいぷい期ではなくて……?
……お前から、顔を背けることは出来ない。
私よりも、あの子の傍に付いていれば良い……。
……お前が休んだらな。
さっさと行って……あの子から、離れないで。
……大丈夫だ、うちのちびがついている。
そんなの……。
……ぷいっと、しなかったよ。
……。
あたしの言葉に、素直に頷いたんだ……真剣な顔をしてな。
……状況を、分かっている筈がない。
詳しいことは分からなくても……あの子に何かあったことだけは、ちゃんと分かっている。
いつか、あの子が熱を出した時も、あいつは分かっていただろう……?
……あの時とは、状況が違うわ。
あの子に何かあれば、お前でもあたしでもどちらでも良いから呼ぶように言ってある……だから、少しの間なら、離れていても大丈夫だ。
……小さな子供に任せて、大丈夫などと。
小さくても、ジュピターのたまごだ。
……。
いや、ジュピターもマーキュリーもないな……あいつも、ひとのこなんだよ。
……人形(ひとかた)。
違う。
……。
仮令、造りは然うであっても……心は、人形じゃないんだ。
……。
少し、横になった方が良い……何度でも言うが、お前に何かあったら、あたしは傍に居てやることしか出来ない。
……何もないわよ。
水気を大分、消費したろう……。
……然うでもないわ。
戦時(いくさじ)とは、異なる使い方だ。
……あなたに、何度も使ってあげているでしょう。
あの子の躰は、あたしよりもずっと小さい。
……だから、何。
加減をひとつでも間違えると、損傷しかねない。
……。
あたしよりもずっと、難しかった筈だ。
……大して、変わらないわ。
頼む、マーキュリー。
……頼まれない。
横になって
なりたくないの。
……どうしても。
今は……余計なことを、考えないで済むように。
……書物、か。
こんな時間、要らなかった。
……お前。
……。
あたしでは、気は紛れないか。
……紛れるから、嫌なのよ。
ん……然うか。
……迂闊だった。
……。
……後悔先に立たずとは、良く言ったものね。
お前でも、そんなことがあるんだな……。
……茶化さないで。
茶化してはいないよ……素直に、驚いているだけだ。
……いっそのこと、責めて欲しい。
責めたところで、何になる……其れこそ、お前が嫌いな無駄なことだ。
……其の方が、気が紛れるのよ。
もっと、気を紛らわしたいと言うのなら。
……。
ひとつ、良い手がある。
止めて。
……う。
其れだけは、絶対に許さない。
……参ったな。
若しも
甘い豆乳でも、飲むか?
……は?
と、言おうと思っていたんだが。
……。
干し果実と甘い煮豆の、さ。
……何を言っているの。
甘いものを食えば、少しは気が紛れるだろう?
……此の状況で、食べられるとでも?
思っている……何故なら、お前はあれから何も飲み食いしていないからだ。
……。
失った水気を少しでも早く取り戻したいのならば……水分を摂取するべきだ。
……あなたが思う程、単純なことではないわ。
分かっている……。
……分かっていない。
兎に角、今は水分と糖を摂取して、束の間の休息を取った方が良い。
……。
思うように、躰に力が入らないのだろう……触れているだけでも、其れが痛い程に伝わってくる。
……いっそ。
うん?
……砂鉄ならば、良かった。
砂鉄……?
……其れならば、多少、誤飲したところで。
まぁ、処置はするんだろうけどな……。
……当たり前でしょう。
なぁ、マーキュリー……。
……。
一口だけでも良いから、食べて呉れないか……?
……一口で、食べられるように。
ん……?
……果実を、刻んで。
刻む……あぁ、分かった。
……そろそろ、離して。
離したら……。
……寝台に移るから。
……。
ん……。
……其の言葉を、待っていた。
自分で……。
……直ぐだから、我慢して呉れ。
……。
此れで、触れられない期間が延長されようとも構わない。
あたしは、甘んじて受け入れる。
……我慢出来るの。
する。
……下心は、なくせないくせに。
あー、其れは無理だな。
……ばかね。
今更だ……。
……。
食べてから、横になるか……其れとも、横になってから食べるか。
……横になる前に。
どれくらい?
……二口で良い。
二口か……うん、今は其れだけでも十分だ。
……残りは、後で。
あぁ……冷やしておくよ。
……。
待ってて呉れ、直ぐに用意する。
……わざわざ、持ってきたのね。
食べて呉れることを、期待していた。
……あの子の分はあるの。
安心して呉れ……ちゃんと、用意してある。
……未だ、食べさせてないのね。
あいつのことなら、心配要らない……一応、他のものを食わせたから。
……後で、ちゃんと。
あぁ……約束する。
……。
あの子は、暫く駄目か……?
……一日、様子を見る。
一日、か……。
……吐いたことで、二度、粘膜に刺激を与えているの。
傷付いては、いないのか……?
……低濃度且つ少量だったことが、幸いした。
然うか……良かった。
……毒性であることは、変わらない。
……。
刺激を感じて、慌てて吐き出したのね……。
……本能だろうな。
塩(えん)とは、違うと……教えた筈なのに。
……頭では、分かっているんだろうけどな。
はぁ……。
……。
一日、様子を見て……問題がなければ、食べさせてあげて。
……どうせだから、四人で食うか。
食わない……。
……四人の方が、ちび達も安心するだろう。
さぁ、どうかしらね……。
……屹度、然うさ。
……。
……さぁ、マーキュリー。
お礼は、言わないわ……。
あぁ……今は、良いよ。
……ありがとう。
お……。
……癪だから。
ふふ、然うか……。
……。
あたし……お前の然ういうところも、
ジュピター。
……応。
……。
……なぁ、どうだい?
どうって……?
……青い果実で、作ってみたんだ。
此れは、青くないわ……。
……青藍は、あたしにとっては青だからな。
緑豆……。
……約束通り、青と緑にした。
美味しいの……此れ。
不味くはなかった。
……美味しくもないのね。
あたしは、美味しいと思ったよ。
……。
口に合わなかったら……残して呉れても、構わない。
……残したものは。
あたしが、
残さない。
ん、然う言うと思った。
……。
ゆっくり、食べて呉れ……。
……たかが、二口で。
二口でも、だ……。
……。
……お代わりをしたければ、遠慮なく言って欲しい。
味次第……。
……ん。
果実は、生のものと干したものが入っているのね……。
うん、然うなんだ……どうせだから、両方味わって欲しくて。
……。
生のものは瑞々しく、干したものはしっとりとした果肉感がある筈だ……。
……。
……どうだい?
一口で、分かれと……?
ん……少し、複雑だったか。
……緑豆は悪くないわ。
問題は、青い果実の方か……。
……。
……。
……此れ以上、水分を抜いたものは。
からからで……風味は若干感じられたけれど、あれなら蜜煮にした方が良いと判断した。
……蜜煮は。
明日、作ろうと思う。
……流石に、一度には作れなかったのね。
時間が掛かるからな……蜜煮は。
……作ったら。
薄麦餅にでもつけて、食べて呉れ……一緒に、作るからさ。
……然うして。
応……。
……ふぅ。
もう、要らないか……?
……然う、ね。
然うか……なら、横に。
……もう一口だけなら、食べてあげても良いわ。
……。
……駄目なら、要らないけれど。
勿論、良いに決まっている……。
……。
もう、一口だな……。
……果実も、入れて。
分かった。
……。
さぁ、マーキュリー。
……ええ。
……。
……此れで、失った水気を取り戻せれば良いのだけれど。
少しでも、手助けになって呉れれば……。
……まぁ、飲まず食わずよりは良いでしょうね。
だろう……?
……。
……マーキュリー。
少し、話しても良いかしら……。
……あぁ聞くよ、幾らでも。
そんなには、ないわ……。
……其れくらいの気持ちで居るってことさ。
あぁ、然う……。
……其れで、なんだい。
あの子が、飲んだもの……。
……うん。
あれは……塩基性のもの。
……塩基性、か。
其れは、腐食性で……仮に飲み込んだものが高濃度のものだったら、重度の腐食が引き起こされ、上部消化管が壊死していたかも知れない。
……壊死。
けれど、そんなものは此処には置いていないから……。
……良かったよ、心の底から。
ねぇ……。
……ん?
塩基性だから、酸で中和すれば良い……然う、考えるでしょう?
あぁ……。
けれど、其れはしてはいけない……中和熱が発生して、損傷を更に酷いものにしてしまうから。
……熱が、出るのか。
然う、出るのよ……。
……だから、純水だったんだな。
……。
中性である、純水……其の分、躰への負担は大きくなる。
此れくらい、なんでもないわ……あの子の苦しみに、比べれば。
……。
……支えて呉れて。
其れしか、出来ない……。
……十分よ。
……。
はぁ……。
……然ういえば。
なに……。
……ずっと前に、そんなような敵と戦ったような憶えがある。
あぁ……あの時は、被害が大きくて。
酸性と塩基性、厄介な奴だった……若しもあの時、マーキュリーに教えを受けた水星の民達が居て呉れなかったら。
……あなたは、ぼろぼろになりながらも、帰ってきたわよね。
心配、したか……?
……もう、忘れたわ。
はは、然うだよな……。
……。
……。
ねぇ、ジュピター……。
……なんだい、マーキュリー。
直ぐに気付いて呉れて、ありがとう……。
……。
傍に、居て呉れて……本当に。
……役に、立てたか。
ええ……思わず、許してしまいそうになるくらいに。
……許して。
分からなければ、良いわ……。
……いや、分かったよ。
然う……残念。
……今は、休んで呉れ。
何か、あったら……。
……直ぐに、呼ぶ。
必ずよ……。
……あぁ、任せて呉れ。
……。
……また後で、一緒に食べるか。
ん……また、後で。
12日
……どうだ?
どうって?
甘過ぎないか、其れとも、甘みが足りないか。
……。
美味しく、ないか?
美味しくなかったら、食べ続けない。
と、言うことは。
然うね、悪くはないわ。
然うか、悪くはないか。
甘酸っぱい果実に、仄かに甘い甘葛が合っている。
蜜が此れ以上甘かったら、合わなかったかも知れない。
甘葛よりも甘い糖蜜を掛けることも考えたんだ。
でも、其れだと少し甘過ぎるかなと思って甘葛にした。
糖蜜を掛けるのならば、果実はもう少し酸味が強い方が良いかも知れないわ。
今回の干し果実は確かに甘酸っぱくはあるけれど、どちらかと言うと、甘みが強いから。
ん、分かった。味見をして、酸味の方が強かったら糖蜜にしよう。
ところで、果実の干し具合はどうだ? もう少し、水分が抜けていた方が良かったか。
いいえ、今回は此れ位で。
例えば、だけどさ。
何。
此れよりも水分が抜けていたら、蜜掛けよりも蜜煮にして、冷たい豆乳に入れた方が良かったりするか?
其の時の気分に依る。
気分、か。
然う、気分。
なぁ、今の気分だったら、其れが飲みたいと思うか?
然うね、飲んであげても良いわ。
但し、
然うか、ならば。
……。
作ったんだ。
……豆乳が、たまたまあるから?
応。
……。
甘葛掛けの干し果実よりもっと水分を抜いてあるから、味が濃厚に……。
……はぁ。
ん?
ばかなの?
え。
ふたつも要らない。
お、おぅ。
はぁ。
……こっちは、要らないか?
今は、要らない。
そ、然うか……。
どうするの、其れ。
冷やしておいて、後でちびに食わす。
然う。
出来れば、お前んとこのちびにも食わせてやりたい。
……何故。
うちのちびは、美味いものだったらなんでも飲み食いするが、
知ってる。
此の量は、流石にひとりでは多い。
腹を壊すまで食われたら厄介だ。
あなたも食べるのでしょう。
あたしも食べるけど……お前んとこのちびにも、食わせてやりたいんだ。
……。
なぁ、あの子も豆乳はもう大丈夫だろう?
食わせても、良いか?
別に、良いけれど。
……けれど?
甘いの?
あぁ、ちゃんと甘いよ。
此れよりも?
甘いかな。
果実の味は、此れよりも濃厚なのよね。
あぁ。
……。
……良いか、食べさせても。
あの子も、甘いものが好きみたいだから。
然うか、やっぱりマーキュリーのたまごだな。
ジュピターのたまごだって、甘いものが好きでしょう。
うん、あたしも好きだ。
いちいち、マーキュリーを強調しないで。
ん、ごめん。
一杯。
其れ以上は、お腹を壊してしまうかも知れないから。
応、分かった。
……。
……反応が、楽しみだ。
其れ。
あ?
若しかして、お豆も入っているの。
あぁ、入ってる。
干した果実と豆の甘煮
食べてあげても良いわ。
……おう?
けれど、一杯は多い。
分かった、ならば半分くらいでどうだ?
其れくらいで。
お代わりがしたかったら、遠慮なく言って呉れ。
したかったらね。
うん。
此れよりも甘いと言っていたけれど、どれくらいなの。
干し果実と豆の甘煮の分だけ、豆乳自体は其処まで甘くしていない。
甘みは何を。
甘葛を少し。
少し、ね。
此れは甘い方が美味いからな。
ふぅん。
もっと甘い方が良かったか?
其れは飲んでみなければ分からないわ。
はは、然うだよなぁ。
……。
どうぞ、マーキュリー。
ありがとう。
あたしも、食べよう。
……。
……どうだい?
……。
ん、今回はいまいちだったか……?
……悪くはないわね。
然うか、今回も美味いか。
美味しいとは言っていない。
はぁ、良かった。
お豆は緑豆なのね。
応、干し果実と合っているだろう?
色が気に喰わない。
え、なんで。
言わない。
ん、んー?
……。
……若しかして、果実の橙に緑を合わせ
ジュピター?
ん、なんでもないです。
……。
なぁ、マーキュリー。
……何。
今度は青い果実と合わせるよ。
そんなものはないでしょう。
近いものならあるさ。
あまり近くないわ。
青藍は、あたしにとっては青だ。
いい加減。
青藍は緑ではないし、赤でもない、ましてや
不愉快。
然ういうわけだからさ、次は青と緑にするよ。
そもそも合うの。
合わせる。
美味しくなかったら
ちゃん美味しくする、期待していて呉れ。
……。
ふふ。
……何。
今まで、言われたことがなかったからさ。
……。
ん?
……なんとなく、目についただけよ。
まぁ、然ういうこともあるよな。
あなたのせい。
あぁ、あたしのせいだ。
……言わないのね。
ん、何を?
嫌だったら、残しても良いと。
そんなこと言わないさ、言うわけがない。
……。
本当に気に入らないのなら、マーキュリーは食べずに残す。
だから、あたしからは言わない。
……残したことで、あなたのお腹の中に収められるのが癪なのよ。
あたしとしては、マーキュリーが飲み食いして呉れるだけで嬉しいんだ。
……。
もう少し、食べるかい?
もう、良いわ。
ん、然うか。
其れよりも、甘くないお茶が欲しい。
分かった、直ぐに淹れよう。
調子に乗って、一度に作り過ぎなのよ。
つい、な。
……。
そろそろ、ちび達が戻ってくるだろう。
然うしたら、今度はちび達の時間だ。
私は自分の部屋に戻るわ。
え、どうして。
別に良いでしょう。
いや、此処に居て呉れ。
何故?
お前に居て欲しいからだよ。
あなたが居るのだから、私は居なくても良いと思うのだけれど。
三人よりも、四人が良い。
あなたはね。
ちび達もだよ。
確認したのかしら。
しなくても、見ていれば分かる。
特にうちのちびは、お前が居ると嬉しそうにはしゃぐ。
うちの子は、私が居ない方が
そんなことはない、決して。
反抗期なのよ。
其れは、うちのちびもだ。今朝も何度ぷいぷいされたことか。
マーキュリーの家に行くぞって行った時だけだ、ちゃんと反応したのは。
……。
楽しいのだろう?
ええ、楽しいわ。
なら、ちび達がお八つを食べる時も傍に居て欲しい。
やることがあるのだけれど。
済まない、其れは後にして呉れ。
嫌よ。
頼むよ、マーキュリー。
頼まれない。
ちびは此処に着く前から楽しみにしていたんだ。
お前と一緒に、お八つを食べることをさ。
あの子と一緒に、ではなくて?
若しかしたら、あいつの楽しみの中にあたしは居ないのかも知れない。
……。
だとしても、あたしは此処に居る。
四人でお八つの時間を楽しむ為に。
……其れは、ないわね。
うん?
そんなことを言って、掃除を手伝わせるつもりではないでしょうね。
其れは……ないな?
どうだか。
多分、零すだろうが。
綺麗に掃除して。
あぁ、其れは勿論。
で、本当の目的は何。
あくまでも、四人でお八つの時間を楽しく過ごすことだ。
其れから?
出来れば、あいつの口の周りを拭いてやって欲しい。
……どういうこと。
布巾を持たせるとな、其の布巾で遊び始めるんだよ。
……。
振り回したり、あたしの顔に当てたり、放り投げたり、あたしが拾いに行ったり、また振り回したり、面倒だから取り上げて拭こうとしたらぷいっとしたり。
其れはもう、汚れたままで良いんじゃないの。
然う思うだろう?
あたしもいっそ、然うしてやろうと思ったんだ。
思って、どうしたの。
布巾を取り上げて、暫く放っておいたんだ。
然うしたらあいつ、どうしたと思う?
知るわけないでしょう。
汚れた顔をあたしの上掛けにこすりつけたんだ。
は?
自分のではなく、あたしの上掛けに、其れはもう思い切り顔を埋めて、こすりつけたんだよ。
……ふ。
あいつはなんだ、あたしをおちょくる才でも持っているのか?
流石に、あたしの上掛けにこすりつけるとは思ってなかっ……いや、あいつならやるな。
なんせ、ぷいぷい期だものね。
で、自分はきれいになってすっきりって顔をしてやがってさ。確かに、きれいにはなっていたよ。ああ、なっていたさ。
だけど其のおかげで、あたしは上掛けを洗う羽目になった。手間は布巾の洗濯、なんだったら食い散らかした食卓の掃除の比じゃない。
……。
乾かなければ取り敢えず、あたしはあいつの上掛けに半分収まらなきゃいけなくなる。
なるんだが、あいつはわりと寝相が悪い。上掛けを蹴るだけなら、まだ良い。
まぁ、あなたも蹴られるでしょうね。
蹴るだけじゃないぞ、酷いと腹の上に乗って寝る。もっと酷いと、顔だ。
いつだか口と鼻を抑えられて、うっかり窒息しそうになったことは話したと思う。
いつだったか、聞いたような憶えがあるわ。
引っぺがして、叱ったそうだけれど。
不貞腐れたような顔をしたが、あれは簡単に許すことは出来なかった。なんせ、うっかり窒息しかかったんだ。
守護神ジュピターが其のたまごに、寝ている間に顔を抑え込まれて窒息したなんて、笑い話にしかならない。
私のね。
然ういうわけでマーキュリー、ものは試しで、あいつの顔を拭いてやって欲しい。
試しで?
然う、試しで。
多分だけれど、
お前の言うことなら大人しく、其れはもう素直に聞くだろう。
なんだったら、へへへって笑いながら、其れはもう満足そうにしているだろう。
其れはもう、何度言うの。
どうだ、頼まれて呉れないか。
拭く時になったら、呼んで呉れても良いわ。
いや、此処に居て呉れ。
お前が居て呉れたら、行儀良く食べるかも知れない。
どうしても?
どうしても。
本音は?
たまには、ゆっくり食いたい……。
つまり、四人で食べたいというのは。
其れもまた、本音だ。
……。
な、何か、望むことがあれば
良いわ。
本当かい?
ええ、本当。
其の代わり。
其の代わり?
暫く、私に触れることは許さないわ。
……。
そんなに落ち込むこと?
……落ち込むよ。
大したことないでしょう、そんなことぐらい。
……大したことがなければ、落ち込まない。
私としては、とても良い取引だわ。
……。
嫌なら、良いわよ。
私は部屋に
分かった、其の要求を飲む。
成立ね。
其れで、期間はどれ程……。
飲む前に聞くものよ、其れは。
然うだけど……お前には、其れが通用しない。
私が良いと思うまで、ね。
……。
今からでも、
いや、良い。
……へぇ。
ん、ちび達の声が聞こえてきたな。
主に、あなたの子の声だけれど。
ちび、最近はお前んとこのちびと遊ぶのが楽しいらしくてな。
一緒に遊んだ日は別れた後も興奮が冷め遣らぬみたいで、ふんふん言いながらひとりで遊んでいるよ。
あなたによじ登って?
然う、よじ登って。
ぷいぷい期のくせに、然ういうことはするんだよな。
別に、良いんじゃない?
まぁ、良いけどさ。
……本当、元気な声が良く聞こえるわね。
大人しいよな、お前んとこのちびは。
今も、ほとんど聞こえない。
然うね、確かに言葉はあまり発しないわ。
いやいや期、か。
でも、ちびに対しては……?
……。
どうした、マーキュリー。
あの子ね、薬品類に興味を持ち出したの。
あぁ、其れはまぁ、然うだろうな。
然う、其れは構わないの。
何か問題でもあったか?
……口に含もうとする。
は?
つまり、自分で試そうとするのよ。
其れは、絶対に駄目だろう。
下手したら、壊れるぞ。
だから、きつく言ったの。
まさか……其れが、気に喰わない?
納得出来ないのでしょうね、自分で確かめないと。
……。
良かったら、あなたから言って呉れないかしら。
寧ろ、言わせて呉れ。
……。
此ればかりは、命に係わる。
放ってはおけない。
……あなたの言葉ならば、或いは。
任せて呉れ。
……ええ、任せるわ。
マーキュリー。
……目が離せなくて、書物もまともに読めない。
まさか、お前の目を盗んで……いや、でも然うか、絶対に許さないもんな。
……誰に似たのかしら。
間違いなく、お前だな……。
……いつかのマーキュリーかも知れないでしょう。
否定は、まぁ、しないが……。
……折角、書物が読めると思ったのに。
あぁ、其れで部屋に……。
……現状、薬品類は私の部屋に置いてはいるけれど。
油断は、出来ないな……然し、うちのちびとはまた違うもんだな。
口の周りの汚れを上掛けで拭かれる方が、まだ、ましだわ。
ま、まぁ、命は係わらないしな。
あなたに洗って貰えば良いし。
応、任せろ。
下心?
……まぁ、少しは。
分かり易いわね。
……出来るだけ早く、触らせて欲しい。
さぁ、其れはどうかしらねぇ。
11日
-Purified water(前世・少年期)
うん、瑞々しくてなかなか美味いな。
まぁまぁね。
やっぱり、生の果物は水分が多い方が良い。
皮を剥く手間がなければ尚良い。
お前は其れが嫌であまり……うぇ。
品がない声ね、何。
……塩辛い。
掛け過ぎ。
いや、ちゃんと程良く掛けた筈だぞ?
どうせ固まっていたのでしょう、雑だから然うなるの。
そんな筈、
あなたの場合は、十分に有り得る。
……おかしいな。
おかしいのは、いつだって、あなたの頭の方。
お前のは大丈夫か?
ええ、自分で掛けたから。
良かったわ、あなたに掛けて貰わないで。
次はお前に
面倒。
然う言わず、な?
嫌。
ちびが食べるものには
私が掛けてあげるわ、過剰摂取にでもなったら事だから。
なら、ついでにあたしのも
自分で、掛けて。
あたしが過剰摂取になったら
此処まで何事もなく生きて来られたのだから、此れからも大丈夫でしょう。
現に数値も、憎たらしい程に、正常だし。何も異常が見られないのよね、なんなのあなた。
……色々、あったけどなぁ。
たまに多めに取ったところで、何かあったことは一度もない。
あなたにとっては、其れは過剰摂取でも何でもなかったの。
……食い過ぎ、とか。
食べ過ぎに由る腹痛如きで、あなたは壊れたりなんかしない。
大体、調子に乗って過剰に食べることが原因にも関わらず、学習能力がすっからかんなものだから繰り返すことになるのよ。
一言で言えば、ただの莫迦。くだらない理由で薬茶を煎れる羽目になる私のことも少しは考えて欲しいものだわ。
今日も今日とて、容赦がないのなぁ。
莫迦に莫迦と言って何が悪いの。
悪くはないな、うん。
寧ろ、あたしみたいな莫迦にはちゃんと言葉にして伝えて呉れた方が良い。
本当に分からないものね、あなたは。
応、分からない。
わざわざ顔を引き締めてまで、返す言葉ではないわね。
若しもお前に莫迦と言われていなかったら、何処かでうっかり壊れていたかも知れない。
此処まで、お前と一緒に生きて来られなかったかも知れない。
言っておくけれど、同じ莫迦でも、言葉にして伝えているのはあなただけだから。
はは、分かっているよ。
他の者に言ったら面倒なことになるかも知れないから、腹の中に留めておくのが賢明だ。
此れ、もうないの?
未だあるぞ、食うかい?
もうひとつ。
応、どんどん食え。
あまり食べ過ぎるとお腹を壊す恐れがあるから。
私はあなたと違って、愚かではないの。
然ういや、お前が腹を壊したことって
ないわ。
早いな?
あなたとは違うの。
然うか、まぁ、然うだよな。
……。
其の顔は
ない。
お前の場合、壊しそうになると薬茶を煎れて啜っているもんな。
何事も、事前に手を打つことが肝要なのよ。
つまり、手を打ってなければ
有り得ない仮定の話をする程、無駄なことはないわ。
な、此れなんて良いぞ。
然う、なら其れにするわ。
塩も。
少しで良い。
掛け過ぎると、塩辛いからなぁ。
折角甘いのに、一瞬で台無しになる。
莫迦ね。
次は、掛け過ぎない。
出来ればの話。
……。
掛けてなんか、あげないわ。
……どうしても、駄目か?
でかい子供の面倒を見るだなんて、無駄な労力でしかない。
面倒を見るのは、小さな子供ふたりだけで十分。
小さいと言っても、其れなりにはでかくなってきたぞ?
其れでも、あなたと比べたら、ずっっっと小さい。
まぁ、其れは然うだな。
自分の面倒は、自分で見て。
お前の世話だったら、あたしは進んでするけどな。
頼んではいない、あなたが勝手にしているだけ。
楽しいんだ、お前の世話をするのは。
物好き。
此れ、幾つか持って行くか?
若しも持って行くのなら、あたしがお前の家まで
結構よ、自分で持って帰れるわ。
まぁ、然う言わず。
な?
な、じゃない。
ちびも寝ているし。
起こせば良い。
可哀想だろう?
然うやって甘やかさないで。
寝てると言えば、うちのちびは腹を出して寝ていてさ。
上掛けをちゃんと掛けてあげたんでしょうね。
勿論だ。ちびがうっかり腹を壊したりなんかしたら、お前に何を言われるか分からないからな。
巻き添えで、苦くて渋い薬茶を飲む羽目になるかも知れない。仮令、あたしの腹はなんともなくても。
へぇ?
此れでも一応、すっからかんではなくなったんだ。
長年、お前が傍で莫迦って言い続けて呉れたから。
学習能力?
応。
ふぅん。
お、つまらないか?
別に。
つまらないんだな?
鬱陶しいわね、塩を眼球に塗り込むわよ。
其れは染みる奴では。
盛大に染みるでしょうね。
良し、もう言うのは止そう。
莫迦は時に、痛い目に遭わないと分からない。
うん、取り敢えず塩は下ろして呉れ。
どうしても下ろさないと言うのなら、出来れば、あたしの食う果物に
青い星では、浄化の意味もあるのよね。
塩を目に塗り込むことがか?
其れは随分、酔狂だな?
塩を撒く。
うぉ。
特段、面白いものではないわね。
やっぱり、眼球に
マーキュリー、其れは頼むから止めて呉れ。
想像しただけで、涙が出てきそうだ。
どうしても?
ど、どうしても。
然う、残念だわ。
本当に残念そうな顔をするんだよな……。
……やっぱり。
其れより果物、果物を食おう。
ちび達が起きたら、特にうちのちびがもりもりと食ってしまうから。
……はい、塩。
応……。
……。
……なぁ、マーキュリー。
何、ジュピター。
……。
黙っていては、分からないわ。
まぁ、なんとなくは分かるけれど。
……あたしさ、手がでかいんだ。
大きくて、器用よね。
……お前に掛けて貰うと、自分で掛けるよりも美味い。
あぁ、然う。
だから?
だから頼む、此の果物に
しつこいわね。
なら、次の機会でも良いから。
次の機会?
気が向いたらで、良い。
気が向かなかったら?
其の時は……自分で掛ける。
なら、次の機会も自分で掛けて。
……。
もう、お仕舞い?
……此の果物、此のまま食べても美味いんだよな。
いっそのこと、其のまま食べたら?
……けれど、塩を掛けた方が甘みが増す。
程良く掛ければ良いだけ。
……。
……。
……。
ねぇ、ジュピター。
……なんだい、マーキュリー。
甘い果物に塩を掛けると、何故、甘みが増すと思う?
……え?
以前に、教えてあげた筈だけれど。
其れは……え、と。
然う、忘れたのね。
やっぱり、残念な頭だわ。
……甘いのと塩辛いの、違う味を同時に口にすると、片方の味がより強く感じられる。
ふぅん?
此の果物は瑞々しいのが良いんだが、水分が多いせいで味が薄く感じてしまうのが難点なんだ。
、 だから塩を掛ける。然うすることで、味がぼやけることなく、本来の甘みが際立つようになる。
但し、掛ける時は程良く少なめに偏ることもなく。偏ると、ただただ、塩辛いだけになるからな。
ならば、酸味が強いものに掛けたら?
酸味?
酸味が強いものに塩を掛けたら?
酸味を抑えて呉れる。
苦味がある果物に掛けたら?
苦味を抑えて、食い易くなる。
面白いことに、甘み以外は抑えて呉れるんだ。
流石、料理好きなだけある、と、言った方が良いのかしらね?
まぁ、な。
味に関しては
其の効果を、なんと言う?
……は?
なんて言う?
こ、効果?
さぁ、答えて?
料理好きなあなたなら、当然、分かるわよね?
え、えと……あー、なんだっけな。
答えられたら、塩を掛けてあげても
待て、時間が欲しい。
良いけれど、長くは与えないわ。
大丈夫だ、直ぐに思い出す。
お前に教わっているのならば、あたしは思い出せる。
ふぅん、然うだと良いけれど。
……効果……効果……そうじょう、効果……此れは、違うな。
……。
思い出せ……甘いの……塩辛いの……甘みが、増す……だから。
もう、良いかしら。
此れ以上は、待てな
た、対比、効果!
……。
答えは対比効果だ、然うだろう?
対比の意味は?
……は。
此の場合における、対比の意味。
そ、其れはだな……其の、違うものを……一緒に食べると……。
対比の比、は?
ひ……?
比べると、書く。
……比べる。
此れで分からないのならば、
思い出した。
……答えは?
ふたつのものを並べて比較して、其れらの違いや、それぞれの……それぞれの。
特性。
然う、特性を明確にする。
……。
だ、駄目か?
はぁ……駄目ね。
あー。
今回は、ふたつの異なる味がある場合、片方の味が片方の味を引き立たせること、と言った方が分かり易かった。
……先刻(さっき)、似たようなことを言ったような。
塩は、自分で掛けて。
……はい。
……。
食べ終わったら、様子を見に行くかい?
いいえ。
良いのか?
良く寝ているのでしょう、ならば、其れで良い。
可愛いぞ、寝顔は。
寝顔、は?
……。
何か話したいことがあるのなら、此の果物に免じて聞いてあげても良いわよ。
本当か、聞いて呉れるか。
鬱陶しい。
あの、聞いて呉れますか。
どうぞ。
最近のちび、あたしがなんか言うと直ぐにぷいっとするだろう?
するわね。
兎に角、するんだよ。
ええ、兎に角しているわね。
何を言っても、ぷいって。
見ている分には飽きなくて、面白いわ。
今朝なんてさ、飯を食わせようとしたら、ぷいっだぞ?
口を開けろと言えばぷいっ、なんとか開けさせて入れようとしたらぷいっ、やっとこ入れたと思ったら食いながらぷいっ。
美味いか?って聞いても、ぷいっだぞ? いやいや、流石に意味が分からないな? あたし、何か間違っていることをしているか?
もう、自分で食べられるのよね。
食べられるが、零すんだよ。
周りがどろどろになるんだ。
構わずに、自分で食べさせてみたら?
掃除するのは、
掃除くらい、して。
……えぇ。
別に、掃除くらいなんでもないでしょう。
……口の周りも、べちゃべちゃに。
拭いてあげれば良いだけでしょう。
……拭こうとすると、ぷいってするんだ。
だったら、布巾を渡して自分で拭かせれば良い。
……掃除。
は、あなたがして。
もっと酷いことになっても良いの。
……手間が増える。
食事、及び、言ったことに対して顔を背けることは、今は然ういう時期だと思っておけば良い。
然ういう時期?
ひとのこで言うところの、反抗期。
反抗期だぁ?
第一次反抗期というものと、状況が重なるのよね。
あ、あんなちびが、反抗?
未だろくに言葉も覚えていないのに?
覚えていないから、顔を背けるのでしょう。
いや、お前の反抗期とは違
……。
……あまり、違わないな。
言葉が不自由だから、態度で示すのよ。
お前は、自由だったけどなぁ……で、どうすれば良い。
放っておくしかないわね。
放っておいて良いのか。
曰く、心の発達過程において大事な時期らしいわよ。
なんでも、自己主張と自己抑制を学ぶ大切な時期だとか。
其れは、誰が。
いつだかのマーキュリーが。
……育てたことがあるのか。
育てなくても、関わりくらいはあったかも知れないわね。
……。
若しかしたら、青い星のひとのこの観察をすることが好きだったのかも知れない。
月の民には、然ういったものは見当たらないから。
……第一次、と言ったよな。
ええ、言ったわ。
ということは、若しかしないでも。
第二次がある。
……はぁぁ。
溜息が深いわね、興味深いわ。
今が収まっても、いずれまた、ぷいぷいされるのか……。
其の時は成長しているのだろうし、今よりは手が掛からない筈よ。
……。
ジュピター?
……ぷいぷい期。
はい?
反抗期は、ぷいぷい期なんだな……。
……ふ。
マーキュリーんとこのちびは、ぷいってしないか……。
するわよ。
然うか、するの……は、するのか?
するわよ、うちの子もどうやら反抗期みたいだから。
あの子が? ぷいぷい期?
但し、うちの子はぷいっとはしない。
何をするんだ?
何も言わずに、じっと、目を見てくる。
目を?
納得がいかないとね。
……。
あの子は言葉を覚えている筈なのだけれど、未だ少し不自由だから。
……然うか、ちびはふたりでぷいぷい期なんだな。
うちの子の場合は、いやいや期ね。
いやいや期?
嫌だという気持ちが、うっすらと伝わってくるから。
はぁ、いやいや期……やっぱり、お前とは違
……。
……いや、あまり違わないな。
言っておくけれど。
あ?
あなたにもあったでしょう、いやいや期。
え、あたしは
私が何を言っても嫌だ嫌だと聞き入れなくて、挙句、部屋の中にまで押し入ってきた。
……。
何があろうとも、忘れないわ。
……あれも、然うなのか。
憶えているようね、良かったわ。
うっかり、忘れていたら……。
さぁ、どうなるかしらねぇ。
……大丈夫だ、忘れない。
然う、残念だわ。
えと、ぷいぷい期はいつまで続くものなんだ?
さぁ、知らないわ。
本人の気が済むまでか、若しくは、心が成長するまでか、或いは、其の両方か。
……。
楽しいわね?
……然うだな、楽しいな。
此の果物、あの子達の分は?
勿論、あるよ。
此処にあるだけ?
実は未だ、捥いでないんだ。食うなら、捥ぎ立ての方が美味いからな。
だから、其処にあるのは食べてしまっても構わない。
まぁ、食べ切れないけど。
もうひとつ、どうだい?
もうひとつだけなら、ね。
残りは、持って帰るか?
甘煮にして。
応、分かった。
……。
ん、マーキュリー?
気が向いたの。
お、おぉ。
余計なことなら、
全く、余計なことじゃない。
是非とも、頼む。宜しく、頼む。
鬱陶しいわね、やっぱり止めようかしら。
今度、水分を抜いた果物の甘葛掛けを作ろうと思う。
で?
お前、好きだろう?
ええ、好きよ。
其れで?
其れに免じて、どうか、塩を掛けて下さい。
どうしようかしら。
頼む、マーキュリー。
どうしても、お前が塩を掛けて呉れた果物が食いたいんだ。
はぁ……仕方ないわね。
10日
マーキュリー。
……ジュピター。
今、忙しいかい?
見ての通りだけれど……何か用?
うん、お八つを一緒に食べようと思って。
食べない。
一息つこうよ、あたしと。
つかない。
隣、座っても良いかい?
駄目。
ん、ありがとう。
良いとは言っていないのだけれど。
お茶も持ってきたんだ、飲むだろう?
マーキュリーの好きなお茶なんだ。
勝手に進めないで。
今日のお八つはね、マーキュリーの好きな
豆の甘煮、でしょう。
ううん、今日は違うよ。
何を持ってきたの。
今日はね、果物の甘味。
果物?
好きだろう、果物の甘煮も。
好きだけれど。
甘いものを食べて、頭を休めよう?
其の方が、仕事の効率が上がると思うんだ。
はぁ。
ふふ、やった。
言っておくけれど、そんなに長い時間は取れないわよ?
うん、分かってる。
ほんの一息、つくだけだから。
あなたは疲れているの?
うん、其れなりに。
未だ、本調子ではないみたいなんだ。
然う、なら仕方がないわね。
ありがとう。
ついでに、数値も取るわ。
ん、お願いします。
今朝はほぼほぼ正常値だったから、変わったことがなければ、其処までの動きはないだろうけれど。
然うだと良いな。
躰は重くないのね。
うん、重くない。
疲れやすさは?
大分、良くなった。
此処まで、何度休息を?
昼休みを除けば、此れで二度目かな。
一度目は、矢張り疲労感によるもの?
ん。
息切れは?
平気。
心臓の動きは?
五月蠅くない。
ふらつきは?
全く、ないよ。
然う、悪くはなさそうね。
あぁ、甘味も作れたしね。
其れが基準なの?
疲れていると、なかなか作れないからさ。
現に、今回は全く作れなかっただろう?
然うね。
そんなこと、滅多にないけど。
あなたの場合、作れなくなる程に疲れていることが稀だものね。
然うなんだ。
……弱り切っていると幼児化するし。
ん、なに?
別に何も。
果実の甘煮は其のまま食べるの?
薄麦餅も作ってきたんだ、良かったら此れにつけて食べて欲しい。
ええ、然うするわ。
はい、お茶をどうぞ。
ありがとう。
数値、もう出たかい?
もう少し。
然うか。
片付けるから、未だ広げないで。
ん、分かった。
……。
報告書?
あなたの代わりに、隊の鍛錬をした者からの。
あぁ、あの時は助かった。
其れで、思い出したんだけど。
なに。
今度お礼がしたいと思ってたんだ、何が良いだろう。
何がって?
何か、好きなものはあるかなって。
好きなものって?
ん、あまり食べることには興味がないかな。
然うね、完全栄養食で事足りているようだけれど。
然うか……なら、何が良いかな。
特段、何もしなくても良いわよ。
うん?
其れが、彼女の仕事なのだから。
まぁ、今回は彼女のすべき役目の領分を超えているけれど。
ん、でもなぁ。
そんなに何かしてあげたいの?
してあげたいと言うより、ただ、お礼がしたい。
もうしたのでしょう、言葉で。
喜んでいたわ、あなたにお礼を言われて。
え、そんなことで喜んでいるの?
代わって貰って助かったのだから、お礼ぐらいは言うだろう?
と、あなたなら考える。
ん?
然う考えない、と言うより、考えたこともない者が此処を支配している。
下の者は上の者に見返りなどは決して求めずに、ただひたすらに尽くすこと。
其れは極く当たり前のことなのだから、上の者はわざわざお礼をする必要はない。
……。
だからこそ、彼女は感銘を受けているの。守護神、且つ、木星の民の統率者であるあなたにお礼を述べられたことに。
もっと言えば、分け隔てなく接して呉れる大らかなあなた自身に。
あたしは、誰であろうとも、お礼をすることは大事だと考えているんだ。
あなたはね。
マーキュリーも、だろう?
私は……。
彼女からたまにマーキュリーの話を聞くことがあるけれど、一度だって悪いことを聞いたことがない。
当たり前でしょう。
当たり前?
そんなことを言ったらどうなるか……彼女は分かっているから、ちゃんと弁えているの。
尊敬しているという言葉も、弁えているからなのかい?
……尊敬?
言っていたよ、マーキュリーのことを尊敬していると。
……記憶違いではないの。
あたしのマーキュリーが褒められたんだ、絶対に忘れない。
あなたのではないわ。
マーキュリーは、さりげなくお礼を言うんだってね。其れがまた嬉しいらしい。
大袈裟でなくて、わざとらしくもない、横柄でもない。さも当たり前のように言って呉れることが。
だから水星の民の士気は、以前と変わらずに、高いままだと言っていた。
……。
何処までも付いていくとも。
……何処までも、付いてこなくて良いわ。
然うかい?
……其の先にあるものが破滅だったら、無駄になってしまうから。
向かう先に待ち構えているものが、仮令、破滅だとしても。
駄目よ。
水星の民の覚悟、らしい。
……そんな覚悟は、
どのみち、一蓮托生なんだと。
……。
思えば、先生と師匠もお礼を言い合っていた。あたし達も然う、教わった。
特に師匠は、お礼を言うことと謝ることについては五月蠅かったな。
……別に、あのふたりだけではないわ。
ん?
連綿と続いているのよ。
連綿?
お礼を言うこと、感謝をすること。
先ずは、お互いに。
……。
あのふたりは、「先代」から直接教わったわけではなかったけれど、気付けば当たり前になっていたと。
まぁ先代マーキュリーの場合は、ほぼ確実に、先代ジュピターの影響だとは思うけれどね。
連綿と続いているのなら、あたし達も次に繋げないといけないね。
……私達が居なくても、屹度。
出来れば直接、伝えたいだろう?
先生と師匠みたいに、さ。
……さぁ、どうかしらね。
もう、広げても良いかい?
……どうぞ。
数値は。
ほぼ、正常。
ん、良かった。
……果実は、二種類?
どちらも丁度、食べ頃だったんだ。
然う。
完全栄養食で事足りているってことは、こういうのは食べないかな。
……残念ながら。
ん、然うか。
然うでもないの。
……うん?
あなたが作る甘味を好んでいる者は、水星の民にも居るわ。
……初めて聞いた。
言わなかったから。
言って呉れても良かったのに。
どうして言わないといけないの。
其れは……気が向いたら、水星の民にも。
お気遣いはありがたいけれど……好ましく思う者ばかりではないから。
あぁ、嫌な者も居るか……でも、然ういう者は食べなければ良いだけだし。
水星の民に、嫌がる者は居ない。
……え。
問題は、水星の民の中にあるわけではないの。
まさか、木星の……其れは、駄目だ。
一度集めて、ちゃんと伝えないと
木星の民でもない。
……。
下賤の民の分際で、守護神から施しを受けるなど。
む。
全く、面白く思っていない者達も居るそうよ。
……残飯のようなものを、食っていろと。
まぁ、然うね。
……。
ジュピター、怒っているの?
……怒っている。
あなたなら、然うよね。
……マーキュリーは。
不愉快ではあるわ。
……然うだろう?
だけど、今は未だどうしようもない。
……。
私達が余計なことをした結果、民達が仕置きのような仕打ちを受けてしまうかも知れないから。
然うなると……委縮してしまって、身動きが取れなくなってしまう可能性がある。其れは、避けたいの。
……甘味も、駄目なのか。
面白くないのよ、何処まで行っても。
そんなの、
だから私は、こっそりと分けているの。
……こっそり?
分かり易くやってしまうと、何処かの者達は必ず聞き付けてくるから。
然うして、私達が知らないところで……低能な仕打ちを、私達の民達に。
ええ、其れはもう、本当に低能なことをね。
……あぁ。
体力では木星の民に、知力では水星の民には及ばない。
だけれど、身分という立場があるから……其れで、ろくでもないことをするのよ。
……其れは、統率者の問題では。
火星の民は、少し傲慢ではあるけれど、未だ良い。
……放置だからな、金星は。
だから、良いように振る舞っている。
……。
其れでも、言葉以外のお礼がしたいと思う?
したいから、こっそりしようと思う。
……。
……?
マーキュリー?
……あの子には特定の者が居るから、あなたに靡くことはないと思うけれど。
うん、どういうこと?
……あなたって、水星の民にも慕われているのよね。
え、なんで?
お礼が言えるから。
其れだけで?
其れだけで。
割と単純なのよね。
えー……。
嫌なの?
嫌ではないけれど……変に、其の、好意を持たれると困る。
大丈夫、持ったとしても弁えているから。
何処ぞの色惚けの者共とは違って。
……色惚け。
少し前に、想いを告げられたことがあったでしょう?
其れもふたりから、立て続けに。
誰に?
金星の民。
そんなこと、
まぁ、あなたは憶えていないでしょうけれど。
うん、全然憶えてない。
何をどうすれば守護神ジュピターに想いを告げるなどという、身分を弁えないことが出来るのか。
日頃、木星や水星の民にしている仕打ちを棚に上げて。呆れを通り越して、笑ってしまうわ。
目が笑ってない。
其れで、あなたが手を出すような
出すわけない、気持ちが悪い。
あなた、想いを告げてきた者に対しては冷たい対応をするのよね。
柔らかい表情が一瞬のうちに硬いものに変わって、温かみのない言葉ですげなく断るの。
どうしても気持ちが悪いんだ、好意を持たれる理由も分からないし。
親切で優しいところではないかしら。
あたしは親切ではないし、優しくもないよ。
おまけに記憶力が良くないから、名前もろくに憶えられないし、顔だって直ぐに忘れるし。
無意識、なのよねぇ。
無意識?
私に対しては、明確な下心があるのだけれど。
うん、ある。
顔を引き締めて返す言葉ではないわ。
はは。
まぁ、何か甘味でも渡したら?
うん、然うするよ。
其れで、何が良いと思う?
私に聞くの?
マーキュリーなら、
面白くないから、答えない。
……へ。
此れ、食べても?
あ、うん、どうぞ。
其れじゃあ、いただきます。
……。
何。
……面白くないって。
其のままの意味。
……何が、面白くないの?
聞かれて、答えると思っているの?
……あげない方が、良い?
そんなことは言っていない。
……マーキュリーは、あたしが作った甘味を皆に分けていたんだね。
数があって、ひとりでは食べ切れない時に。
……優しいな。
分けると士気が上がるの、だから優しさではないわ。
然ういうところも、尊敬されているんだね。
止めて。
ふふ、照れてる?
照れてない。
……照れてるマーキュリー、可愛いな。
ジュピター。
なぁに?
あなたも、食べて。
ん、食べる。
……。
……味、どうだろう?
甘くて、美味しいわ。
ん、良かった。
あの子も喜ぶと思うわよ。
此れ?
他にはないわね。
んー……そっか。
……。
マーキュリーから
嫌。
……未だ、言い終わってないよ。
あなたがお礼をするのだから、自分で渡せば良い。
其れは、然うなんだけど……。
渡す機会は幾らでもあるでしょう。
あの子は今、あなたの隊に置かれているのだから。
然う、だけど……隊の者達に見つかると、五月蠅いんだ。
なんて。
自分達にも欲しいって。
……其れは、慕われていることで。
んー、どうしようかな。
……。
どうしようかな……。
……はぁ、仕方ないわね。
お願いしても、良い?
今から言うのは、ひとつの案。
……あん?
ある木星の民から、渡して貰えば良い。
……誰?
今は未だ、教えない。
渡す時になったら?
でないと、忘れてしまうでしょう。
だけど、自分にも欲しいと
隊の鍛練のことで、お礼がしたい。
自分が渡すと何かと面倒なことになる恐れがあるから、代わりに渡して貰いたい。
……。
後でふたりきりになったら、こそっと渡すように。
其れで、恐らくは、大丈夫な筈。
……うっかり、忘れそうだ。
あなた、お礼がしたいのよね?
然うなんだけど……。
はぁ、また其の時になったら言うわ。
木星の民が誰なのかも。
うん、お願い。
……。
ふふ、マーキュリーとお八つの時間。
ねぇ、ジュピター。
ん、お茶のお代わりかい?
ありがとう、でも未だ良いわ。
じゃあ、なんだい?
いつもの子供に戻った。
……いつもの?
つまり、元気そうで何より。
……。
けれど、何かあったら直ぐに言って。
……うん、直ぐに言う。
……。
……ぷいぷい期、終わったかな。
然うだと良いわね。
思うに……マーキュリーの声が届いたんだ。
……。
ジュピターは、マーキュリーのお願いに弱いから。
……若しもまた、同じようなことがあったら、先ずはお願いしてみるわ。
其れは良いかも
良いわけないでしょう、ばかなの。
……はい、ごめんなさい。
はぁ……。
……。
……おまじないくらいなら、してあげるわ。
おまじない?
……ただの気休めに過ぎないけど。
9日
……。
……ジュピター。
ん……。
……何を読んでいるの?
えと……あたしにとっては、難しい書物。
其れは、読めている……?
……読める字を、追っているだけかも。
其の書物は、面白い……?
ん……良く、分からない。
ふふ……然う。
けど、水について書かれていることだけは分かる……。
……其れだけ分かれば、十分よ。
ほんと……?
ん……本当。
……へへ。
好きなだけで、読んで。
うん……だけどごめんね、勝手に。
別に良いわ……興味を持って呉れるのなら。
……マーキュリーが、読んでいるから。
子供の頃から、あなたは然うよね……。
……。
私が読んでいるものに、興味を示して……。
……結局、良く分からないんだ。
其れでも、全く分からないわけじゃない……。
……水の三態は、覚えてるよ。
言ってみて……。
……固体、液体、気体。
ん、正解……。
……でも、其れ以外の状態もあるんだね。
其れ以外……?
……此れだと思うんだけど、なんて読むんだろう。
読めないのに、どうして分かったの……?
うん、前後の文で……状態は、読めるから。
……素晴らしいわ。
え、本当……?
……ええ、本当。
二回も、褒められた……。
……たまにはね。
へへ……。
……此れはね、液晶と読むの。
えきしょう……。
……液晶とは、固体、液体、気体以外の第四の状態のこと。
第四の……じゃあ、液晶の水は。
……液体である水と、固体である高圧氷の界面に存在する水のこと。
……。
未だ、頭が働いて呉れない……?
……然うみたい。
ならば、然うね……水を冷やすと固まって氷になり、氷を温めると溶けて水に戻る。
此処までは?
其れなら、分かる。
液晶は液体と固体の中間の性質を示す物質、或いは状態のこと。
見掛け上は透明で、少し粘性がある液体。
……つまり、水と氷の真ん中?
まぁ、簡単に言うと然うね。
其れを……あたしは、見たことがある?
……水ではない液晶ならば、何度も見ているわ。
例えば……。
……私が使う、此れ。
え……?
画面部分が、液晶で作られているの。
此れが、然うなの……?
然う。
水ではないと言ったけれど……じゃあ、なんの液晶?
……青い星の鉱石、閃亜鉛鉱から回収される銀白色の柔らかい金属。
金属……?
名は藍銀。
……あいぎん。
名の由来は聞く?
うん……一応。
原子や分子が波長の高い励起状態から低い状態へ遷移する時に放射する……。
……。
物質が発する光の中には、様々な波長の光が含まれているの。
此処までは良い?
……うん、色んな光が含まれているんだよね。
光の波長に対して強度を図にしたもの、其れを解析すると励起状態の分子構造が分かるのだけれど。
……。
早い話が、其の図の色が濃い藍だった。
其れで金属の色と合わせて、藍銀、と名付けられたの。
光の色が藍で、金属の色が銀白。
だから、藍銀。
然う。
藍銀、かぁ。
でも、画面にするには藍銀だけでは足りないの。
……然うなの?
藍銀に酸素、及び錫を混合させたもの、酸化藍銀錫と言うのだけれど、其れを透明導電膜として画面に利用しているの。
藍銀は他の金属と比べて、薄い膜にした時に透明感を保持しつつ導電するという高い性質を持っているから……。
さんか、あいぎん、すず……こんごう。
取り敢えず、今は藍銀の液晶で出来ていると覚えておけば良いわ。
うん、分かった。
此の画面は、藍銀の液晶。
うん。
……ふふ。
ん、なぁに?
なんだか、子供の頃に戻ったみたいだ……。
……今だけよ。
うん、分かってる……。
……。
ねぇ、液晶の水はないの……?
……まぁ、聞くわよね。
うん、聞く……。
……あるわよ、水にも。
あたしでも、見える……?
……条件さえ、揃えばね。
条件……。
なんせ、氷と水の中間の状態だから……粘性のある水なんて、見たことも触ったこともないでしょう?
ねんせい……って、なんだっけ。
どろどろしている状態。
どろどろ……。
何かが混ざっていれば、どろどろの状態にならないこともないけれど。
水がどろどろしているのは、見たことも触ったこともない。
だって水が氷になる時はどろどろしていないし、氷が水になる時もどろどろしていないから。
然う……だから、難しいの。
……マーキュリーの水気でも?
然うね……私では、少し難しいわね。
ん……そっか。
……液体の水が凍る時には、液晶を経由して固体の氷になり、逆に固体の氷が溶ける時にも、液晶を通過してから液体の水になる。
……。
いつか、機会があれば……見せてあげることが出来るかも知れない。
……あれば、良いなぁ。
ところで、液晶はどうして液晶と言うのだと思う?
……え。
ジュピター……ううん、ユゥなら分かると思うのだけれど。
……先生に、習ったっけ?
液晶は、習っていないわ。
だから、固体とは何かを思い出してみて。
固体とは、何か……?
ふたつ、あるのだけれど。
ふたつ……え、と。
……思い出せないかしら。
待って……もう少し、頑張ってみる。
……ん、分かった。
んー……なんだっけ……。
……ちょっと、難しいかしらね。
然うだ、結晶。
……。
結晶と……。
……ふ。
だめだ、思い出せない……ん。
もうひとつは、硝子。
がらす……然うだ、硝子だ。
あー、聞いたら思い出した。
ひとつでも思い出せたから、良しとしましょう。
はい、先生。
私は先生ではないわよ?
……メル先生。
……。
……ごめん、もう言わない。
今だけ。
……。
今だけ、だからね。
……はい。
其れで、何故液晶と言うのかだけれど。
うん。
液と晶。
うん?
液体と結晶の間。
……あ。
だから、液晶。
あぁ。
ねぇ、其のままでしょう?
うん、其のままで分かり易い。
ジュピターでも覚えられるように。
え、然うなの?
か、どうかは分からないけれど。
でも、覚え易いでしょう?
うん、覚え易い。
此れは少し難しいから、今は覚えなくても良いのだけれど。
なに?
液晶は、自然状態では棒状や円盤状の分子が緩やかな規則性を持って並んでいて、液体の流動性と結晶の規則性の双方を兼ね備えているの。
へぇ……。
難しい?
ん……良く分からないや。
良いわ、聞いて呉れただけでも。
……。
どう、眠くなってきた?
ううん……未だ、大丈夫。
……。
ん……マーキュリー。
……数値、悪くなかったわ。
其れでも、あまり良くない……?
……少しずつだけれど、良くはなってきているから。
なかなか、終わらないなぁ……。
……ぷいぷい期?
まるで、あたしみたいだ……。
……ひとのこで言うところの、反抗期。
反抗期……?
……早く、馴染んで欲しい。
今夜、辺りにでも……。
……楽観的。
あはは……。
……今日も仕事をするつもりなら、無理のない範囲で。
休みながら、やっても良い……?
……いっそのこと、お休みして欲しいのだけれど。
息苦しくなったら、ちゃんと休むよ……。
……然うして。
ん……。
……何かあったら、私の所に。
行っても、良い……?
……当たり前でしょう?
ふふ……うん。
……私も、様子を見に行くから。
ん……待ってる。
……食欲は?
ある、かな……。
……ならば、何か作りましょうか。
作って呉れるの……?
簡単なものだけれど。
……全然、構わない。
食べたら、薬茶を。
……はぁい。
うん……良い子ね。
……あたしは、メルには反抗しないんだ。
先生にも、ね……。
……。
さて……。
……ねぇ、マーキュリー。
うん、なぁに?
……隣に居て呉れて、ありがとう。
言ったでしょう……隣に行くと。
うん、言ってた……。
……良く眠っているようだったけれど。
良く眠れたと思う……。
……一度も、目は覚めなかったわよね。
覚めなかったと思う……いや、一度だけ、覚めたかも。
……いつ?
メルの匂いが、濃くなった時に……メルを、ぎゅうっとしたような記憶がある。
……其れからは?
其れからは、ない……。
……なら、良いわ。
……。
少し、待っていてね。
ん……読みながら、待ってる。
……眠ってしまいそう。
ふふ、大丈夫だよ……。
……だと、良いけれど。
……。
……さて、取り敢えず簡単なものを。
液晶……液晶……。
……。
マーキュリーの固体と……液晶と……液体と……気体。
……何を考えているのかしら。
固体じゃなきゃ、触れない……液体だと、指の間を流れて行ってしまうし……気体は、掴めない。
……本当に子供に戻ったみたいね。
じゃあ、液晶だったら……透明だけれど、どろどろしている……其れなら、少しは掴める、かな。
……全ては、無理だけれど。
全部は、無理だ……やっぱり、固体が良い……抱き締められて、あったかい固体が……良い。
……。
ふぁ……。
……ねぇ、ジュピター。
ん、なぁに……?
青い星でも、見たことがあるわ。
青い星……?
液晶。
青い星にも、ある?
虫。
虫?
黄金虫。
こがねむし……。
緑色の光沢を持つ、きらきらした虫を何度かふたりで見たことがあるのだけれど……忘れてしまった?
緑色の、きらきらした虫……マーキュリーとふたりで……あ。
思い出した?
あの、きらきらした虫……うん、確かに見た、マーキュリーと。
あのきらきらが、液晶。
……あのきらきらが?
蛋白質の液晶、なんですって。
たんぱくしつの、えきしょう……。
此れに使われている液晶とは少し違うのだけれど……細かく言うと、眠ってしまいそうだから。
はぁ……あの虫は、液晶なのか。
と言っても、虫が自分で作ったものではなくて……然う、自然の摂理で然うなった。
しぜんの、せつり……。
……青い星は、何処まで行っても、自然に溢れている。
……。
次に、行く時も……あなたと。
……あたしは、マーキュリーに付いていくよ。
行けたら、良いけれど……。
……行くんだ、次も。
……。
其の為にも、早く……早く、動けるようにならないと。
過度に頑張ろうとすると……ぷいぷい期が、長引いてしまうかも知れないわ。
え……然う、かな。
……分からないけれどね。
……。
あの血漿の持ち主は……あなたに、なりたかったのかも知れない。
……あたしにはなれないよ、あたしはあたしだから。
ん……然うね。
……此れもまた、運命。
……。
うん、やっぱりこんな風に言うのは好きじゃないな……。
……私も、好きではないわ。
……。
……ジュピター。
お前も、マーキュリーが大事だろう……。
……何を。
お前のマーキュリーではないけれど……其れでもどうか、あたしに力を貸して呉れ。
……。
……此れで、馴染まないかな。
馴染まないと、思うけれど……でも、全否定はしないわ。
……うん。
……。
ん……メル。
……ユゥの中に居る、あなた。
……。
……どうかお願い、ユゥに馴染んで。
……。
……気休めにも、ならないかも知れない。
でも、あたしは嬉しい……。
……あの血漿は、もう。
無駄には、しないで欲しい……。
……。
……他に、何か。
ええ……考えてみるわ。
……ありがとう、メル。
ううん……私も、あなたと同じ気持ちだから。
……。
……マーキュリーが、こんなに感傷的では、いけないのだけれど。
今だけ、だよ……。
……。
……今だけだ、メル。
うん……ユゥ。
8日
……マーキュリー、居る?
……。
居ない、かな……。
……ジュピター。
あ……。
……どうしたの。
えと……少し、良い?
……。
ごめん……だめ、だよね。
……良いわよ、入って。
え……。
……もう、鍵は開いているわ。
あ、うん……ありがとう。
……。
こ、こんばんは……。
……何よ、改まって。
う、うん……ごめん。
……別に良いけれど。
仕事、してた……?
……今は、読書。
読書……仕事では、ない?
……悪い?
わ、悪くないよ……そっか、読書か。
……丁度良かったわ。
丁度……?
……此の後、あなたの部屋に行こうと思っていたの。
あたしの……?
……血液の数値を取りに。
あぁ、数値……。
……然う、数値。
来て、良かった……?
……行く手間は、省けたわね。
数値を、取ったら……。
……。
いや……其の、お願いします。
ばかね……お願いされなくても、取るわよ。
う、うん、然うだよね……。
……体調は?
ん……悪くない。
……此処まで来るのに、ふらつきは?
全く、なかったよ……。
……ふらつきはなかったけれど、歩みの速度が遅い。
……。
……そんなことは?
な、ない、かな……いつも通りだよ、多分。
……然う。
……。
……座ったら?
え……?
……其のまま、ずっと立っているつもり?
座っても、良いかな……。
……いつもは勝手に座っているじゃない、今更何を言っているの。
ん、然うだった……なら、遠慮なく。
……。
……よいしょ、と。
待って。
……え。
何をしているの。
……何って。
何故、部屋の隅に?
其の……座ろうと思って。
床に?
……寄り掛かるのに、良いかなって。
寄り掛かりたいのならば、椅子があるけれど。
……椅子の背もたれよりも、壁の方が楽なような気がして。
もう一度、改めて聞くわ。
どうして、床に座ろうとしているの。
あ、や……なんとなく、かな。
なんとなくで、床に?
……う、ん。
寄り掛かるのに良いと、先に言ったわよね。
壁の方が楽なような気がして、とも。
た……たまには、良いかなって。
……。
床は、ひんやりして
くだらない冗談は止めて、いつものように寝台に座って。
……寝台。
下が床よりは、ずっと良い筈よ。
……床、でも。
ジュピター。
し……寝台に、座っても良い?
どうしても座りたくないのなら、強制はしないわ。
……。
けれど、床に一度でも座ったら許さない。
……寝台に、座る。
ええ、然うして。
……椅子でなくても、良い?
どうせ、最後には寝台に移るでしょう。
あまり手間を掛けさせないで。
……うん、ごめんね。
……。
よいしょ、と……うん、やっぱり寝台の方が良いな。
……当たり前でしょう。
ね……何を読んでいるの?
……超臨界水について書かれた書物。
うん……あたしの頭では難しくて分からないことだ。
……聞きたいのなら、聞かせてあげるけれど?
話して呉れるなら、聞くよ……マーキュリーが話して呉れることなら、なんでも聞きたいんだ。
……どうせ、途中で眠くなると思うわよ。
はは、然うかも……。
……然うよ。
……。
……?
ジュピター?
眠るわけではないんだけど……横になって、聞いても良いかな。
……横に?
うん……だめ?
だめでは、ないけれど……。
……なら、然うする。
ジュピター……あなた。
眠いわけじゃ、ないんだ……ただ、少し。
少し、何。
……なんだか少し、躰が重いような気がして。
悪くないと、言っていたわよね。
……悪くは、ないんだけど。
良くも、ない。
……かな。
早く言いなさいよ。
ん……でも。
でも、じゃない。
……少し、重たいだけだから。
……。
う……。
補充した血漿が、上手く馴染んでいない……けれど、数値の上では正常だった筈。
血漿は、問題ないと思うんだ……ただ、あたしの体力が戻っていないだけで。
ほら、暫くお休みしていただろう……其のせいで、躰が鈍っているんだと思う。
……鈍っているだけで。
今朝の数値も、問題なかったしさ……此れから取るのは、分からないけど。
でも屹度、なんでもないと思う……然う、なんでもない、なんでもない。
……日中はどうだったの。
日中は、仕事をしていたかな……。
……其れは、知ってる。
其の時は、未だ、大したことなかったんだ……。
……然ういえば、今日は私の所に来なかったわね。
ん……だから、今来たんだ。
……自分の部屋で、休んでいたの。
いや……其処ら辺で、休んでいた。
……其処ら辺って。
あまり、ひとが来ない所……時々、座り込んで。
息が切れたわけではないんだけど、息を整えて……自分の心臓の音を聞いていたんだ。
……どうして、私の所に。
忙しいかなって……ほら、あたしのせいで仕事が滞っていただろう?
だからまた、手を止めさせるわけにはいかないかなって……仕事が溜まってしまったら、大変だから。
……あなたを看ることもまた、私の仕事のひとつよ。
ん……知ってる。
だけど、邪魔をしたくなかったんだ……。
……莫迦なことを。
ふぅ……。
……疲れているのでしょう。
う、ううん……そんなことは、
あるわ。
……。
あなたの良い所は、素直で正直なところよ。
あと、私に嘘を吐くのが致命的に下手な所。
……マーキュリー。
私の、好きな所でもあるわ。
……。
下手な嘘は、吐かないで。
嘘吐きは、嫌いよ。
……。
ジュピター……無理は、しないで。
……なんだか、さ。
うん。
……疲れたんだ。
眠って呉れても良い……今は、躰を休ませて。
ううん、未だ……未だ、眠りたくないんだ。
数値を取って、暫くしたら……隣に行くわ。
久しぶりに難しい書物を読んでいるんだろう……? だったらあたしに構わず……好きなだけ、読んで欲しい。
仕事が忙しいと、書物を読んでいる暇(いとま)もなくなるし……読める時に、読めるだけ。
……もう、何度も読んでいるから。
うん……?
……いっそのこと、超臨海水について話してあげましょうか。
然うしたら……今のあたしだったら、良く眠れるかも知れないなぁ。
今のあなたでなくても、眠れるでしょうね。
はは……然うだと思う。
……喉は、乾いていない?
ん……今は、大丈夫だ。
……何か飲みたいのならば。
ありがとう……でも、良いよ。
飲みたくなったら、自分で淹れるから……。
……。
マーキュリーの分も淹れるからさ……其の時は、言って欲しいな。
時々と言っていたけれど、休みを取る間隔は……或いは、どれくらい休んでいたの。
ん……然うだなぁ、そんなに長い時間ではないと思うけど。
休みながらもさ、ちゃんと仕事はしてたんだ……多分、していたと思う。
……鍛練は。
己の鍛練は、少しだけ……隊の鍛練は、適当な理由を言って他の者に任せた。
……他の者って、誰。
誰だったかな……見れば、思い出すと思うんだけど。
でも、使える者だったと思うよ……でなければ、任せないと思うから。
……木星の民には違いないのね。
其れは、勿論……。
……だとするのならば。
そうそう、マーキュリーが送って呉れた者が居たろう……?
記録を取って呉れたり……マーキュリーの言葉を皆に分かり易く伝えて呉れたり……色々、して呉れる……。
……役に立っているかしら?
とても……話し方も分かり易くて、すごく助かっているよ……木星の民はどうしたって、頭を使うのが苦手だからさ。
あたしが話しても、どうにも伝わらなくて……まるで、マーキュリーが話して呉れているみたいに、話の趣旨が伝わるんだ。
……私も、伝えるのは下手よ。
マーキュリーは、上手だよ……昔から、上手なんだ。
……其れは、あなただから。
あたし……?
……あと、お師匠さんと先生だったから。
……。
……彼女は、言葉にして伝えることに長けているの。
やっぱり、然うなんだ……マーキュリーの目に、狂いはないな。
……あと、木星の民の中でも馴染めると思って。
あぁ……言われてみれば、馴染んでいるかも知れない。
……憶えているの?
うん……少しね。
……こんなこと、私が言うべきではないと思うのだけれど。
ん、なんだい……?
……どうやら、木星の民のひとりと。
ひとりと……?
……別に良いわ、気が付いていないようなら。
ん、そっか……。
ともあれ……役に立っているようで、良かった。
本当に、助かってる……。
……。
然うだ……今日の鍛錬をお願いしたのは、彼女だ。
……はい?
試してみたいことがあると……だから、任せたんだ。
……木星ではなく、水星に?
うん……彼女の言うことなら、皆も聞くから。
……信頼を得ているのね。
ん……だから、次の戦で試せたらと思っている。
……見てはいたの。
見てはいた……なかなかだったよ。
……。
任せない方が、良かった……?
……いいえ、良い経験になると思うから。
ふふ、良かった……。
……明日にでも、詳しい報告を聞かないと。
ん、聞くの……?
……当然でしょう?
当然、か……。
……恐らく、私から言わなくても。
……。
ジュピター……。
ん……なに。
なんでもないわ……好きにしていて。
ふふ……うん、好きにしてる。
……。
マーキュリーのにおい……やっぱり、落ち着く……。
……やっぱり、何か淹れるわ。
え、なに……。
……喉が渇いたの。
あぁ……なら、あたしが。
ありがとう……でも、自分で淹れたいの。
マーキュリー……。
……あなたの分も、ついでに淹れてあげるわ。
うん……ありがとう。
……。
……ねぇ、マーキュリー。
なに……。
……運命って、なんだろう。
運命……?
使命を、果たす為に……あたしに与えられた役目を、全うすること。
其れは、誰に……。
……先生も師匠も、そんなことは一言も言わなかった。
あのふたりは……そんなことは、言わないわ。
……縛られるのが嫌い、だから。
……。
……ごめん、変なことを言って。
別に構わない……あなたは、疲れているのでしょうから。
……疲れているのかな。
……。
数値……どうだった?
……悪くは、ないわ。
でも、良くもない……?
……。
……煎れて呉れるのは、薬茶だね。
お願いだから……大人しく、飲んで。
ん、飲むよ……だから、心配しないで。
……どうして、今頃。
あたしには、分からないけど……でも、明日になれば馴染んでいるんじゃないかな。
……こんな時にも、楽観的なのね。
其れも、あたしの良い所……だから。
……ばか。
へへ……。
……。
……あたしには、ぷいぷい期があったんだ。
ぷ……?
……今、思い出した。
其れは、何……?
……師匠があたしに何か言うと、ぷいって顔を背ける。
……。
一度や、二度じゃなくて……暫く、続いたらしい。
だから……ぷいぷい期?
其のまんま、だよねぇ……。
……お師匠さんらしいわ。
うん……師匠らしい。
……。
若しかしたら、さ……あたしの中で、ぷいっとしているのかも知れない。
……血漿の。
然う……本当は、血漿になんてなりたくなくて……だから、馴染むのを拒んで。
其れは、だめよ。
……ん。
馴染んで呉れなければ……。
……大丈夫だよ、メル。
……。
大丈夫だ……ぷいぷい期は、曰く、終わるものだから。
……ユゥ。
はぁ……少し、息苦しい。
……待っていて。
ん……待ってる。
……。
ぅ……。
……少しでも、楽になれるように。
……。
我が、水気よ……。
……ぁ。
……。
なんか……あったかい?
……ごめんなさい、静かに。
あ、うん……。
……。
はぁ……ん、……はぁ。
……。
……メ、ル。
内部には、流していない……あくまでも、表面だけに。
なんだか、ぽかぽかする……。
……。
手が、あったかい……。
……今、薬茶を。
若しも……。
……。
若しも、マーキュリーの血漿を、あたしの中に……。
……其れは、出来ない。
……。
型が、合わないから……。
……残念だなぁ。
拒否反応どころではないの……。
……。
ユゥ……?
……ごめ、ん。
眠る……?
……おきたら、くすりちゃを。
ええ……其れでも、構わないわ。
……う……ん。
……。
おやすみ……メル……。
……ええ、お休みなさい。
……。
……待っていて、ユゥ。
ん……。
煎じたら……直ぐに、隣に行くから。
7日
-Blood Plasma(前世)
……血の味って、なんて言えば良いんだろう。
……。
なんとも、言えない味で……一言で言えば、不味い。
……一言で言えているわね。
他に、適当な言葉が見当たらないんだ……。
……どれ位、不味いの。
完全栄養食と、同じくらい……。
……美味しかったら良かった?
いや……美味しかったら、もっと舐めたくなってしまうかも知れないから。
……意図的ではなく、且つ、少し舐めるくらいならば良いけれど。
飲む……吸う?
……言っておくけれど、其れだと補充は出来ないわよ。
其れで補充するのは、あたしも遠慮したい……其れしか方法がないと言うのなら、我慢するけれど。
……然うなった場合、美味しければ補充し易いでしょうね。
不味いよりは、美味しい方が良いけれど……色が、嫌だ。
……赤い野菜や果実もあるけれど。
色が似ているだけだ……他は、全然違う。
……。
其れに、赤にだって色々ある……血の赤は、血の色だけだ。
あんな赤は、他にはない……あって、欲しくない。
……含まれている物質に共通するものはある、ただ組成が違うだけ。
うん……?
血の味には……塩と似たようなものも含まれているでしょう。
……うん、塩辛さも感じる。
実際に、含まれているからよ……。
……塩が?
詳しく言うと、其れを構成しているもの……曹達、と言うのだけれど。
……野菜と果物にも。
含まれているのは、僅か……だから、分からないだけ。
……。
其れは、生物には欠かせないものなの。
……人形にも。
生体人形ならば……ね。
……あたし達は、野菜や果物と大して変わらない?
成分に共通しているものがある……今は、其れだけ覚えておけば良い。
ん……分かった。
……生物とは、斯くも複雑なものなのよ。
涙は、血で出来ているんだっけ……。
……もっと言えば、水分から。
水分……マーキュリーだね。
……言うと思った。
はは……。
……気分は?
ん……大分、良い。
……然う。
はぁ……。
……血の赤は血の色だけ、其れはある意味正しい。
……。
血……血液が赤いのは、簡単に言うと、鉄原子が含まれているから。
……鉄。
其れもまた、血の味に関係しているわ。
……鉄の味?
鉄は月にも存在しているから、機会があれば舐めてみれば良いわ。
うん……出来れば遠慮したいな、美味しくなさそうだから。
まぁ、美味しくはないわね。
……舐めたこと、あるのかい?
子供の頃に。
……先生に?
己の好奇心に突き動かされて。
……鉄の何を舐めた?
何だったかしら……ただ其の後、先生に口の中を念入りに洗浄されたわ。
途中で、お師匠さんも加わって……そんな大それたことをした憶えは、全くなかったのだけれど。
其れは、舐めたのではなくて……食べてしまったんじゃ。
然うかも……鉄の砂だったから。
……鉄の砂?
所謂、砂鉄というもの……。
……どうして、そんなものを。
言ったでしょう……ただの幼い好奇心よ。
……確り、憶えているじゃないか。
若しかしたら、鉄以外のものも含まれていたのかも知れない。
少々の砂鉄ぐらいならば、躰に影響はない筈だから。
……其れも、今ならちゃんと知っているんだろう?
ええ……疾うの昔にね。
……だからこそ、先生と師匠は口の中を念入りに洗浄したんだ。
胃の中も洗浄したの。
……胃の中も?
吐き出したのだけれど、少し胃の中に入ってしまったのだと思う。
其れは、入ってしまったんだろうな……でなければ、胃までは洗浄されない。
やたらと苦しくて。
あれは、苦しいよ……すごく、分かる。
……其れから、無闇矢鱈に舐めなくなった。
若しかして、砂鉄以外のものも……。
……。
良かった……メルが無事でいて呉れて。
……お師匠さんには、マーキュリーの悪い癖だと言われたわ。
師匠に?
……先ずは己の躰で試すのは止めろ、と。
師匠がメルに、そんな言い方を……。
……お師匠さんに怖い顔で強く叱られたのは、一度だけ。
……。
先生も、怖かったけれど……お師匠さんよりは、平気だったの。
……あたしが先生の方が怖いと思うのと、似ているのかも知れない。
然うかもね……。
……試すのなら、あたしで。
ううん……其の必要もないわ。
……。
其の為に、予備があるんだもの。
……予備。
今は、あまり必要とすることはなくなったけれど……。
……今は、部品として。
然う……用途としては、其方の方が圧倒的に多い。
……此の血は、其れから精製されたもの。
拒否反応が限りなく低いの……他のもので精製したものよりも。
……「自分」、だからだね。
然う……「自分」、だから。
……ねぇ、マーキュリー。
なに……。
……ううん、やっぱり良いや。
然う……あと、もう少しだから。
……マーキュリーが居て呉れるから、大丈夫だ。
なら、良いけれど……。
……。
曹達と鉄……血液には、他にも色々なものが含まれている。
其れが、血の味を良く分からなくさせている原因かも知れないわね。
……取り敢えず、一言で言うと。
不味い、でしょう?
うん……美味しいとは、言えない。
……我慢する必要は、此れから先もないわ。
ん……?
……血液を飲む、或いは吸うことは、補充方法には為り得ないから。
そっか……ふふ、良かった。
……少し、専門的な話をしましょうか。
専門的ということは、難しいかな……。
……ちょっとした、子守唄代わり。
専門的な話が子守唄……ふふ、先生みたいだ。
……あなたには効果覿面だったわよね。
未だ、小さいかったからね……。
……成長してからも、良く眠っていたと思うけど。
師匠もね……。
……あれでも、分かり易く話していたつもりだったらしいわ。
え、然うなの……?
ええ……然うなの。
……やっぱり、あたしはマーキュリーにはなれないなぁ。
ならなくて良い……あなたはジュピターとして、私の傍に居て呉れれば良い。
……。
ん、なに……?
……あたしは此れからも、ジュピターとして、マーキュリーの傍に居る。
……。
ユゥとして、ずっとメルの傍に。
……其れは、余計。
ん、ごめん……今は余計だった。
……。
……話、聞かせて。
昔、先生があなたと私に聞かせて呉れた話。
……うん。
血液は、赤血球、白血球、血小板といった細胞成分と、血漿と呼ばれる液体成分から成り立っていて。
血液全体の約四割半が細胞成分で、残りの約五割半が液体成分と言われているの。
……其れは、いつ頃のマーキュリーが発見したんだい。
解析を始めたのは、初代。
……初代?
と、伝わっているわ。
初代って……。
……今となっては、遠い遠い昔。
はぁ……其の頃から、マーキュリーはすごいな。
……其の頃の月は今のように、マーキュリーが必要とするものは整っていなかったでしょうから。
うん……大変だったと思う。
……けれど、どうしても解析したかったのだと思う。
どうしてだろう……。
……ジュピターの躰に、血を戻す為。
あたし……あ、いや違う、其れも初代か。
……勿論、ジュピターの為だけではなかったのでしょうけれど。
……。
幾らでも代わりが居る、ただの人形……隷属とも言える存在に、常に、癒しの力が施されるとは限らない。
寧ろ、施されないものとして、あらゆる手立てを講じ……そして、記録として後代に残しておくべきだと。
……現に今は施して呉れることの方が稀だし、あたしは一度も施されたことはない。
曰く、其の力を使うことは躰に負荷が掛かるから。
……面倒だとも言う。
今は……敢えて、言わないわ。
……うん、言わなくて良いよ。
代わりは幾らでも居るとしても、安易に使い捨てにされることだけはないように……然う、考えたのかも知れないわ。
……其の解析は、初代だけで。
ある程度は……此の補充法を考えたのも、初代だとされているわ。
其れから、歴代のマーキュリーが改良を重ねて……今の方法になった。
……。
特に、乾燥血漿は……器具一式と共に、遠征にも持って行けるから。
……其れにいつも、あたし達は助けられているよ。
……。
木星の民は……水星の民に、助けて貰っている。
水星の民が後ろに控えていて呉れるから……木星の民は、前線で戦えるんだ。
……水星の民は、木星の民に守られている。
……。
木星の民が居て呉れなければ、水星の民は……だから、助けることは当たり前なのよ。
……お互い様?
然ういうこと。
そっか……ふふ、良いことだな。
……数を増やすわ。
ん……?
……足手纏いかも知れないけれど。
そんなことは、ない。とても有り難いよ。
其の数だけ、手当てをして呉れる者が増えるのだから。
……だから、あなたも手当てを受けて。
あたしは……受けているよ。
……私の代わりなのよ、ちゃんと受けて。
受けているさ……ちゃんと、一応。
……意味が分からない。
其れより、話の続きは……。
……抗凝固剤入りの採血管に採取した血液を、遠心分離によって、採血管の底に血球成分を沈殿させることで出来る上澄みのことを血漿と言うの。
けっしょう……血の補充で使われているものだ。
抗凝固剤を含まない容器に採血し、血液を凝固させた後に遠心分離を行うと、血球成分と凝固成分が沈殿し、液性成分が上層に残る。
此の上澄みが血清、生化学検査で多く用いられるもの……初代マーキュリーは此の検査を繰り返し何度も行って、ジュピターの躰を調べたと言うわ。
……え、と。
抗凝固剤は……聞いてる?
聞いてる、けど……。
……眠くなってきた?
いや……ひたすらに、すごいなと。
……。
あたしなんて、血は不味いぐらいしか……あと、色は赤い。
……私が初代の立場だったら、どうだっただろうと。
マーキュリーが?
……同じように、出来たか。
マーキュリーが初代の立場だったら……同じように、色々考え出していたんじゃないかな。
……先生なら、出来るかも知れない。
マーキュリー……メルにだって、出来ないことはないさ。
……。
其の為になら、あたしの躰を何度使って呉れても構わない……屹度、初代のジュピターも然うだったと思う。
……。
ん……マーキュリー?
……補充が終わったら、眠って。
話は……。
……もう、お仕舞い。
分かった……なら、然うするよ。
……。
叶うなら……補充が終わっても、傍に居て呉れたら嬉しい。
……居るわ。
ふふ……やった。
……。
血は、不味い……塩と鉄と、色んな味がして。
……美味しかったら、何度でも舐めたくなってしまうだろうから。
うん……不味くて、良かった。
……。
マーキュリー……。
……頬に、赤みが戻ってきた。
口付け、して呉れたからだ……。
……然うだったら、お手軽で良いわね。
はは、本当だねぇ……。
……。
……メル。
少し、眠って……もう、大丈夫だから。
ん、分かった……おやすみ、メル。
……おやすみなさい、ユゥ。
6日
ただいま。
……。
戻ったよ、メル。
……。
メル、メルクリウス?
……。
メルクリウス……居ないのかい?
……残念ながら、居るわよ。
うん、全然残念じゃない。
気配で分かるでしょう、何度も呼ばないで良いから。
ん、ごめん。
今回も、ちゃんと帰って来たのね。
うん、帰って来たよ。
ただいま、メルクリウス。
お帰りなさい、ユピテル。
はぁ……メルクリウスの顔を見て、声を聞いたらほっとした。
怪我は?
此れと言ってないけれど、念の為、診て呉れると嬉しい。
細かな擦り傷くらいはこさえているかも知れないから。
今?
ううん、今は報告も兼ねてメルクリウスと話したい。
出来れば、お茶でも飲みながら。
診ながらでも、話せるけれど。
其れは、後でゆっくりと。
あぁ然う、荷物を置いて座って。
あ、はい。
脱いで、全身を診るわ。
え、全身?
何か問題でも?
全身は……眠る前が、良いな。
もっと言えば、躰を拭いてからが良い。
眠る少し前から、灯りを落とすから。
あたしの雷気を使えば問題ない。
調整に失敗すると機器が壊れるのだけれど。
あなた、何度仕出かしていると思っているの。
……下着は、良いですか。
脱ぎたいのなら、どうぞ。
いや、流石に。
取り敢えず、気になる所だけ診るわ。
ん……腕と、足かな。
拳は? 使ったの?
うん、少し。
……。
ん……メルクリウス。
……じっとしていて。
うん……。
……顔は、大丈夫ね。
頭は……。
……何処か、打たれた?
いや……掠ったぐらい。
……何処。
左耳の、上あたり。
……どうせ診るのだから、早く言って。
う……。
……出血の痕があるわね。
石が、掠ったんだ……でも、気が付いたら止まっていたから。
……石?
何処ぞの子供が投げつけてきたんだ……この人殺しって。
咄嗟に避けたんだけど、少し掠ってしまった。
……子供だからと、油断したわね。
然ういうつもりはなかったんだけど……額の此れ、前髪の隙間から見られたかも知れない。
……其れが油断だと言っているの。
あ、いた……。
……じっとしていて、処置をしているから。
ん……冷たい。
……確かに掠り傷ではあるけれど、頭だから。
心配……?
……此れ以上、莫迦になったら厄介なのよ。
はは、そっか……。
……浸出液も止まっているけれど、暫くは、洗い流す程度に留めておいて。
分かった……強くは洗わない。
……。
あたしには其の子供の親を手に掛けた憶えはないんだけど……まぁ、仕方ないかな。
額に此れがある限り、然う思われても……言い返した所で、分かっては貰えないだろうし。
……フードで足りないのなら、いっそのこと、額当てでもした方が良いかも知れないわね。
ティアラじゃ、なかなか隠せないもんなぁ……と言うより、ティアラは此れよりも目立つ。
……あんなもの、首輪のようなものよ。
西遊記の孫悟空みたいだね。
……緊箍児とは違うでしょう、締まらないし、何よりも外せるのだから。
呪いのような装備という所は、似てると思う。
……緊箍児は、釈迦如来のものだけれど。
あたしにしてみれば、どちらも似たようなものだよ……。
……あなたは、孫悟空なの?
……。
犬だと思っていたけれど。
……あたすは、メルクリウスのわんこだよ。
……。
……噛んだ。
今夜はゆっくりと休んだ方が良いわね……自分のことをわんこなどと言う程に、疲れているようだから。
ん……メルクリウスと一緒に休む。
私には
休みたい。
……。
……ゆっくり、ふたりで眠りたい。
はぁ……其れで、其の子供はどうしたの。
ん……あまりにも騒ぐものだから、仕方なく。
……其の子供は、ひとりだったの。
物乞いの子で、あたしについてきたんだ……食糧を少し分けたのがいけなかった。
……然う。
眠ったついでに、忘れて呉れれば良いんだけど……。
……雷気を使ったのね。
限りなく、力を抑えてね……。
……ならば、忘れているわ。
楽観的……?
……其れが、其の子の為。
ん……。
……良いわよ、動いても。
うん、ありがとう。
拳とお腹、背中も。
ん……上半身だけ、脱ごうかな。
今回は、一週間。
……とても長いわけでは、ないけれど。
大したことがなければ、其れで良い。
……ねぇ、メルクリウス。
痛みはないのよね。
うん……ないよ。
あなたは鈍いから。
……はは。
何が可笑しいの。
安心したら、力が抜けてしまったみたいだ……。
……。
はぁ……。
……何か飲む?
叶うなら、メルクリウスが淹れて呉れたお茶が飲みたい……。
……仕方ないわね。
へへ、やったぁ……。
……あとは、眠る前に診てあげるわ。
ん……ありがとう。
……。
其のお湯は、メルクリウスの?
……ひとりの時は、水汲みに行かないから。
うん……其の方が良い。
……美味しくないと思うけれど。
そんなことない……メルクリウスの水は、どんな水よりも美味しいよ。
……どうだか。
本当だよ……。
……今回は、予定よりも少し遅かったわね。
若しかして、心配して呉れた……?
……情勢は?
うん……そこそこの規模の集落がひとつ潰れたよ。
……然う。
生き残りは居るみたいだけれど、あたしひとりではどうしようもない。
もう、めちゃくちゃだったからさ……其れこそ、老若男女問わず。
……下手に首を突っ込むのだけは止めて。
突っ込まないさ……厄介事が増えるだけだから。
……分かっていれば良い。
新しい恨み辛み憎しみの種が、また、蒔き散らされた。
以前から蒔かれている種が順調に育っていると言うのに、どれくらい蒔けば気が済むんだろうね。
……気が済むも何もないわ、最初から何も考えていないのだから。
考えてはいるんだろうけど、悉く、女王本意なんだよなぁ。
……其れは考えていないに等しい。
まぁ、然うだ……。
ただの人形でしかないのなら……用を成さない脳なんて、捨ててしまえば良いのにね。
いや、其れは駄目じゃないかな……不老長寿とは言え、流石にね。
……代わりに他のものでも詰めておけば良いでしょう。
例えば、何がある?
女王への忠誠心。
……。
女王への愛でも良いわ。
あー……其れは、なかなかのお花畑になりそうで。
もうなっているし、なんなら満開でしょうね。
花粉も、其れはもう、充満していると思うわ。
じゃあ、今更か。
然う、今更。
はい、ユピテル。
ん、ありがとう……大事に、
適当に飲んで。
……ん。
……。
……はぁ、帰って来た。
どう、美味しくないでしょう?
んーん……あったかくて、とっても美味しいよ。
だと、良いけれど……。
……あたしが留守の間に、何か変わったことはあったかい?
此れと言って、特別なことは何もなかった。
然うか……何よりだ。
……特別なことはなかったけれど、難民が流れて行ったわ。
難民……何処のだろう。
さぁ……東の方から流れてきたようだったけれど、皆一様に、ぼろぼろで。
着の身着のままで、食べ物もろくにないだろうからなぁ。
女、子供、老人……いずれ、弱い者から倒れていくだろう。
……もう、倒れているようだった。
ほとんど、居なかった?
……老人と幼子の姿は、ほぼ見えなかったわ。
然うか……其の集団は順調に過去と未来を失っているね。
何処かで安住出来る場所を見つけて、食と住を確保しなければ全滅だ。
見つけたところで先住民が居れば、其処で諍いが起こる。
起これば、食ってない方が圧倒的に不利だ。よしんば鬼気迫る気力はあったしても、体力が全く違う。
体力気力が漲る者達にかかれば、良くて返り討ちだ。なんとか、話し合いでまとめて欲しいけれど。
限りなく難しいでしょうね……良くて、働き手として隷属させられるだけ。
今の世は、移民を嫌うからな……其れも此れも、お花畑統治が悪いのだけれど。
奇襲が成功して、食糧を奪えればどうかしらね。
必死だろうから、可能性がないとは言えないわよ。
だとしても、絶対的に不利なことには変わりないだろう?
今の時代、防衛に力を入れていない集落はないだろうから。
ええ、然うね。成功したところでどのみち、怒った先住民達に潰されるわ。
であるならば、食糧を奪って逃げた方がまだ良い。若しかしたら、逃げ切れるかも知れないから。
被害の規模にもよるけれど、追い掛けて来る可能性はないとは言えない。
捕まれば、十中八九、酷い目に遭わされるだろう。食い物の恨みは、其れだけ怖いし深い。
慈悲深い女王様は浄化してあげるだけで、彼ら彼女らを救ってあげたりはしないのかしらね。
幾ら不老長寿になろうとも空腹にはなるし、其のせいで諍いごとは絶えないと言うのに。
無駄に長く生きられるようになったのだから、食べ物は確りと生産しないと。
誰かが勝手に作って呉れるものではないし、今となっては、自ら進んで生産して呉れるひとも減ってしまったし。
昔から然うだった、食糧に関しては無関心で。
生命維持の為の栄養に為り得れば、其れだけで事足りた。
あの頃は栄養はあるけれど、大して美味しくないものが主食だった。
でも今はそんなもの、誰も食べないだろう。なんせ、あれは何処まで行っても美味しくない。一言で言えば、不味い。
前の世を生きて、美味しいものを食べてきたひとのこ達が、好き好んで食べるとは思えない。
飢餓に苦しんでいる者達ならば、喜んで食べるでしょう。
食べるだろうけど、現在の状況では然ういうひと達にまでは回らないと思う。
原料も原料だし……そもそも生産する為に必要なものも、未だに揃っていないと聞く。
なんせ、メルクリウスが居ないからね……其処ら辺は、大分遅れていると思う。
……原料にされそうね。
ん?
……外れた者達から。
あぁ……あたしも、然う考えている。
……。
そうそう、幾ら食べても太らない甘味料は開発されたらしいよ。
女王のお膝元では其れが大流行しているとか。大分、胡散臭いけど。
……良いお花畑ぶりね。
ねぇ。
……相変わらず、現実を見ようとしない。
自分達が正義だからね……。
……正義など。
あたし達の正義とは、合わない。
……。
遠い昔に世界が壊れて……青い星は、月の庇護なしで歩んできた。
成功と失敗を繰り返しながら、彼ら彼女なりの歴史を紡いで……ずっと、歩んできたんだ。
……。
其れなのに、此れから月の女王が治めますなんて、素性も良く分からない女達に言われて、誰が素直に従うと思うのだろう。
……前世のことは前世のこととして、正義の味方だけしていれば良かったのよ。
……。
此の星の遠い未来まで、支配しようだなんて……傲慢でしかない。
……どうしても使命ごっこがしたいのなら、月に帰還すれば良かったんだ。
……。
巻き込まれたばかりに、集落は焼かれた……今ではもう、炭ぐらいしか残っていないだろう。
……女王は。
女王が考えることは、下賤の民には到底分からない……昔から。
……木星と、水星。
今は、居ないと思うけどね……。
……。
……メルクリウス。
なに……。
……ただいまのキス、しても良い?
だめ。
……おやすみのキスは?
もう、眠るつもりなの。
んー……未だ、寝ない。
……。
眠る時は……結び合って、眠りたい。
何もせずに、大人しく、眠って。
……。
……ユピテル。
あたし達は、愛で結び付いている。
……また、ばかなことを。
愛を、共有してね……。
……飲み終わったら、休んで。
ん……休む。
……。
メルクリウスは……?
……取り敢えず、あなたの傍には居るわ。
……。
だから……今は、休んで。
5日
あんみつ、おいしかったねぇ。
相変わらず、あんこがおいしいんだ。
いつもと変わらない味だったけれど、気を晴らすには十分だったわ。
そうだろう、そうだろう?
言っておくけれど、このお出かけはあくまでも、あなたの気晴らしの為よ。
私の為では全くないし、たい焼きは結局、ふたつ買っているし。
はい、分かってます。帰ったら、ちゃんと勉強の続きをします。
たい焼きは、明日あっためて食べてもいいかなって。
そうこうしているうちに、お夕飯の支度をし始めるのでしょうけど。
たい焼きは焼き立てのものがおいしい。ま、あのお店のものに限っては、冷めても、まぁまぁおいしいけれど。
し始める前に、出来るだけ、集中して理科の勉強をしようと思ってる。
とりあえず、化学式と化学反応式の暗記をするんだ。たい焼き、帰ったら食べる?
NaClは?
一口でいいわ。
それなら簡単、塩。
分かった、一口だね。
は?
ごめんなさい、塩化ナトリウムです。
間違ってはいないけれど、テストの問題の解答としてはいただけない。
なんだったら、お夕飯はたい焼きでいいわ。お米はいらない。
でも、面白いよね。
たい焼きだけだと偏るから、焼き茄子もどうだろう?
たい焼きと茄子って、どういう組み合わせなの。
うん、やっぱりだめか。
せめてホットミルクにして。
分かった、ならホットミルクで。
お砂糖は、いらないか。
いらない。
はい。
ところで。
よし、茄子は明日にしよう。
たまには、こんな日があってもいい。
何が面白いの。
うん?
さっき、言ったでしょう。
塩化ナトリウムの話をしていた時に。
あぁ。
それで?
同じ元素を持っていても、かたや有毒で水に溶かせば強力な酸になるし、かたや食用になる。
中和反応。
へ。
塩化ナトリウムと水を生成するには、塩酸に何を加えればいい?
と、唐突だね?
あなたが面白いと言ったから、私も面白いと思ったの。
そ、そっか。
おいしいあんみつを食べて気も晴れたことだし、頭も働いてくれると思うの。
と言うより、働かせて。摂取した糖の分までとは言わない、むしろ、使い切らないで。
こんなことで使い切ったら、また、気晴らしがしたいと言い出しかねないから。
え、と……なんだったかな。
実験もしたでしょう。
したけど……えーと。
……。
……水野さん。
よく、考えて。
か、考えても。
生成されるものは、何。
え……塩化ナトリウムと、水?
それぞれの化学式。
NaClと、H2O、です。
塩酸の化学式は?
HClです。
分かっている化学式で、化学反応式を。
え、えーと……HCl+何か→ NaCl+H2O。
何故、水が生成されているのかを考えてみて。
水……。
HClには、Oが入っていないでしょう。
あ、そうか。
となると……加えるものには、Oが入ってる。
そのOは、あえて、酸素と考えないで。
あ、うん、分かった。
その要領で、今一度、考えてみて。
……え、と。
Oの他に、Na。
うん?
塩化、ナトリウム。
……あぁ!
書きながらでないと、難しい?
うん、出来れば書きながらの方がいいな。
だけど、HClにないものは分かったでしょう?
ん、分かった。
HClにないものは、NaとO、だ。
そうね、それで導かれる答えは。
……酸素ナトリウム?
酸化ナトリウムはあるけれど、酸素ナトリウムはないわ。
Oはあえて、酸素と考えないでと言ったでしょう?
うん……言われた。
OH(-)、は?
え?
OH(-)は、なぁに?
えーと、なんだっけ……あー……陰イオン?
水酸化物。
……すいさんかぶつ。
はい、答えは?
……水酸化、ナトリウム?
化学式は、NaOH。常温常圧ではナトリウムイオンと水酸化物イオンからなるイオン結晶。
NaOHを水に溶かした電離式は、NaOH→H(+)+OH(-)。改めて、OH(-)は水酸化物イオンのこと。これも、暗記しておいて。
は、はい……あの、帰ったら改めて聞いても?
いいわ。
よ、良かった。
と言うことだから、改めて答えを。
へ。
塩化ナトリウムと水を生成するには、塩酸に何を加えればいいの?
水酸化ナトリウム、です。
化学反応式は?
水酸化ナトリウムは、えーと、NaOHだから……HCl+NaOH→ NaCl+H2O。
正解。
やったぁ。
ここで、中和の話。
お。
塩酸が水酸化ナトリウムに中和されるのは、何故?
それは……塩酸が酸性で、水酸化ナトリウムがアルカリ性だからだ。
うん、これは大丈夫そうね。
はぁ、良かった。
塩酸は強力な酸だけれど、水酸化ナトリウムも強アルカリ性で人体には有毒だから、忘れないでおいて。
はい、帰ったら改めて覚え直します。
よろしい。
……ふぅ。
頭、それなりには働いているようね。
付き合ってあげて、良かったわ。
うん、ありがとう。
これも、水野さんが付き合ってくれたおかげ。
……今日はあまり混んでいなくて、良かったわ。
こんなに寒いと、わざわざ出歩かないのかもね。
それ、あなたが言うの?
あはは。
楽観的ね、本当に。
それがあたしのいいところなんだと思う。
否定はしない、でも、良いと言えることばかりではないから。
後顧の憂いを絶ってくれるのは、いつだって、水野さんだ。
……そうでもないわ。
ん?
あのお店のあんみつは、いつ食べても変わらないわね。
変わった方がいいと思う?
変わらない味だからいい、ということもあるのでしょうから。
変わらない味だからこそ、安心するとも言えるよ。
はいはい、そうね。
特にあんこの味は変わらないで欲しいなぁ。
あんこが変わってしまったら、あのあんみつではなくなってしまうわ。
そうそう、そうなんだ。
このたい焼きの味も変わってしまう。
だから、出来れば、変わらないで欲しい。
変わらなそうだけれど。
そして、水野さんへのあたしの想いも
それはいいわ。
なら、帰ってから。
いいと言っているの。
じゃあ、夜に。
木野さん。
はは。
全く、はしゃいで。
お財布は大丈夫でしょうね。
……あ。
あ?
財布が
あるのね、良かったわ。
水野さん、最後まで言わせて欲しいな。
くだらない茶番に付き合っていられないの、寒いから。
いい天気なのに、寒いね。
冬だもの。
うん、冬だ。
太陽の光を浴びられて良かったわね。
うん、良かった。
まぁ、雨だったらお出かけしなかったと思うけど。
あたしも誘わなかった。
冷たい雨は、流石に風邪をひいてしまうから。
晴れていてもひく可能性はあるわよ、空気が乾燥しているから。
帰ったら、手洗いうがいをしっかりしよう。
当たり前。
うん。
……。
はぁ……。
……ねぇ、木野さん。
ん、なに?
……何か思うことでも?
ううん、特にはないよ。
ただ、息が白いなって。
あ、そう。
はぁ……うん、白い。
もう、帰りましょう。
うん、帰ろう。
ね、買った本、持つよ。
ありがとう、でも結構よ。
ん、そっか。
あなたはたい焼きとお財布を大事に持っていて。
ふふ、はい。
……。
疲れた?
ううん、別に。
躰を動かすのも、大事だろ?
否定はしないわ。
うん。
……。
ん……?
……。
気のせい……か。
……木野さん。
気のせい、ではないか。
……向こう。
うん……少し、嫌な気配がするね。
血の臭いも……ね。
んー……近い?
いえ……今現在、起こっている事象ではないわ。
残り滓?
……そんな所でしょうね。
そっか、ならいいや。
現在進行形だったら、行くつもりだったの?
一応、様子を見に。
私は行かないわよ。
別に、あのひと達を助けに行くわけではないよ。
じゃあ、何をしに?
くだらない戦いに、巻き添えになった者がいないかどうか。
いたら?
場合によっては、助ける。
ひとりで?
水野さん……マーキュリーがいてくれたら、助かる。
冗談じゃないわ、私は私のことで精一杯なの。
知ってる、だからあのひと達のことはどうでもいい。
……。
あたしは、水野さんと生きるこの世界を守りたいだけなんだ。
あのひと達のことは、どうでもいい。今のあたしには一切、関係のないことだから。
……ジュピター。
なんだい、マーキュリー。
私にも関係ないわ、一切ね。
当然。
頭のお固いひと達が何も考えずに、いいえ、考えることを放棄して、命を懸けて忠誠を尽くす。
まさに、世界を巻き込んだ前世からの使命ごっこ。ばからしくて、付き合っていられないわ。
全くだ。
前世も、そうだった。
うん。
その結果が、あのざま。
酷いものだ。
そう、酷いものよ。
月も、青い星も、大勢のひとのこの命を巻き込んで。
でも、あの世界が終わってくれて喜んでいたのは、他でもない、あたし達だから。
そのまま大人しく、終わったままでいてくれれば良かったのに。
本当にね、まんまと騙されたよ。
……最早、性格の良し悪しの問題ではないわ。
最後まで、ただの箱庭だった。
中に居る者は、全て、ただの人形(ひとかた)。
……こういう時に、胸糞が悪いという言葉が出てくるんでしょうね。
そうだと思うけど、水野さんが言うと気持ちの入り方が違う。
……あなたも、ね。
あたしは……まぁ、そうだね。
……。
……水野さん。
木野さん。
なに。
私もとりあえず、木野さんと生きるこの世界ぐらいは守るつもりよ。
あのひと達から見たら、小さくてしょうもない世界でしょうけれど。
うん、一緒に守ろう。
……。
ねぇ水野さん、話は変わるけど。
……どうぞ。
HClは、何結合だっけ。
共有結合だけれど、何が言いたいの。
じゃあ、NaClは。
自分で考えて。
イオン結合。
……それで?
あたしと水野さんは、何結合?
……。
あ、心底呆れた顔。
はぁ……心底、どうでもいいわ。
あたしとしては、イオン結合だと思っているんだ。
……どうでもいいけれど、何故。
例えば、あたしが陽イオンなら、水野さんは陰イオンだから。
陰気で悪かったわね。
そんなことは言ってないし、陰イオンってそんな意味ではないだろ?
……で。
イオン結合は電力、
静電引力。
による、化学結合だったよね。
そうね。
電力って、あたしみたいだ。
意味が分からない。
あたしは、雷だから。
関係ない。
でさ、あたし達の場合はあ
ばかなの?
あ、はい。
はぁ。
……言わせてもらえなかった。
静電引力はどこに行ったの。
静電引力を、あ……それに、置き換えて。
全く、意味が分からない。
……はい。
はぁ……全く、何を言い出すかと思えば。
ごめん。
ただ単に、言いたかっただけでしょう。
……うん。
……。
……もう、
木野さん。
……なに。
あなたが陰、私が陽、だったら?
その場合も勿論、あ
だから、ばかなの?
……いや、だって。
それでいいけど、外では言わないで。
……いいの?
別に嫌なわけではないから。
じゃあ、部屋でだったら言ってもいい?
だめ。
……夜。
どうせ、言うのなら。
ん……分かった。
顔、緩んでいるわよ。
んー……へへ。
本当、前世に似てきたわね。
え、それは嫌だな。
いつも、締まりがなくて。
……。
そうやって、引き締めるところも。
……似てきたとしても、同じではないよ。
当たり前でしょう、同じだったら好きにならないわ。
……。
私は、木野さんだから……。
……だから?
言うわけないわね。
……惜しかった。
惜しくない、言うつもりなんてなかったから。
あ、水野さん。
置いていくわよ。
待って、置いていかないでよ。
知らない。
水野さん。
その気になれば、すぐに追いつけるくせに。
それでも、先に行かないで欲しい。
どうしようかしら。
……。
木野さん。
……ん。
帰ったら、温かいお茶を淹れて。
……喜んで。
さぁ、行くわよ。
うん、行こう。
……。
紅茶か、緑茶か、何がいいかな。
……結合、ね。
ん、なに?
ねぇ、木野さん。
なんだい?
共有結合の方が強いとされているわよ。
え。
結合の強さは。
4日
-Covalent Bond(現世3)
んー……。
……。
……んー。
木野さん。
……ん。
さっきから、何。
うるさいのだけれど。
……気が散る?
分からないところがあるのなら、さっさと聞いて。
……あのね、水野さん。
どこ?
……これから、あたしとふたりでお出かけしませんか。
しない。
……。
したければ、ひとりでどうぞ。
……外の空気を吸いに、あたしと出かけませんか。
外の空気が吸いたくなったら、窓を少し開ければいい。
そうすれば、無駄なく、換気も出来るわ。
……外に出て、太陽の光を浴びながら新鮮な空気を吸った方がいいと思うのです。
晴れていると言っても、こんな寒い日にわざわざ外に出るなんて。
そんな風邪をひいてしまいそうなことは、出来れば、したくはないの。
大丈夫、あたしと一緒なら。
何が大丈夫なのか、さっぱり分からない。
そもそも外に出たところで、そこら辺をふらふらするだけならば、勉強をしていた方がいい。
勉強ばかりだと、体力が落ちてしまうと思うんだ。
それはそうでしょうね、だけど、それが何。
体力が落ちたら、風邪だってひきやすくなってしまうだろう?
全く動いていないわけではないから、あなたとお買い物にも行くし。
分かった、ならお買い物に行こう。
何を買いに。
あんみつ。
……買ってきて。
一緒に行こう?
あんみつは、いつものメーカーのもので。
あ、うん、分かった。
言っておくけれど、木野さんのことよ。
あたし?
あんみつの材料を買ってきて、作って。
ねぇ、水野さん。
何。
水野さんと一緒に行きたいお店があるんだ。
そうは言っても、いつものお店でしょう?
受験が終わったら、行ってあげてもいいわ。
受験の前に、ちょっとした気晴らしに、おいしいあんみつを食べに、あたしと一緒に。
に、が、多い。
あと、買ってくるのではなかったの。
どうせなら、食べてこようかなって。
お店の中ならあったかいだろうし、あったかいお茶も飲めるだろうし。
……温かいお茶なら、帰ってきてからでも。
水野さん、お願いしなす。
茄子?
間違えた、お願いします。
どう間違えたら、茄子になるの?
今日の夕飯は麻婆茄子にしようかなって考えていたから、その影響かも?
それで、間違えるものかしら。
豆腐の方がいい?
別に、茄子でもいいわ。
なら、夕飯は決まりと。
もう、いい?
それじゃあ、行ってらっしゃい。
うん、行ってきます。
気を付けてね。
はぁい。
……。
水野さん。
……何。
水野さんも、一緒に。
行かないと言っているでしょう。
しつこいわね、なんなの。
……水野さんと、どうしてもお出かけしたくて。
どうしてそんなに私とお出かけがしたいの。
気晴らしがしたいんだ。
気晴らし?
うん。
ひとりでお出かけして、この話はここまでよ。
……絶対に、行かない?
行かない。
……行きたくない?
そう言っているでしょう。
……そっか。
……。
なら、いいや。
行かないの?
うん、行かない。
あんみつは?
また、今度。
あぁ、そう。
残念?
それならそれで、私は構わないわ。
あたしも勉強の続きをするよ。
ええ、そうして。
……。
どこか分からないところは?
ん……今の所、大丈夫。
そう。
……。
木野さん。
……なに?
集中力は?
まぁ、なんとかするよ。
……なんとかなればいいけれど。
銅を燃やして、酸化銅……化学反応式は、2Cu+O2→2CuO。
……。
塩酸は、HCl……。
……ねぇ。
ん?
……どうして、あんみつを出したの。
水野さんと、食べたかったら。
……私を釣る為ではなく?
水野さんとおいしいあんみつを食べて、また頑張ろうと思ったんだ。
……つまりは、自分の為なのね。
水野さんの為なんて言ったら、水野さんは動いてくれない。
……。
だから、あくまでもあたしの為。
……はぁ。
んーと……塩酸の化学式は、HClと。
……水に溶けているものは、何。
え?
塩酸は、水に何が溶けている水溶液なの。
え、と……なんだっけな。
……。
そうだ、塩化水素。
……塩酸を、電気分解したら?
電気分解ってことは、電気を流すことだから……HClが、分解……水素と、塩素だ。
化学反応式。
HCl……。
違うわ。
あれ。
……これくらいは、暗記しておいて欲しいのだけれど。
んー……あ、2HClだ。
そう、続けて。
うん……塩酸の電気分解の化学反応式は……2HCl→H2+Cl2。
正解。
やった。
では、どうしてこうなるの。
……え?
塩酸の化学式は木野さんがさっき言った通り、HClでしょう。
う、うん。
塩酸の電気分解の化学反応式だと、何故、「2」HClになるの?
え、えー……。
ちゃんと、習ったと思うけれど。
思うけど、テストに出る?
さぁ?
……なんだっけ。
理科は苦手なのよね。
でも、覚えたんだよ。
なら、思い出して。
し、調べてはだめ?
自力で正解出来たら、あんみつを一緒に食べに行ってあげてもいいわ。
え、ほんと?
ええ、本当。
どうする?
意地でも思い出す。
そう、それじゃあ頑張って。
HCl……HとClは、水素イオンと塩化物イオンが原子になったもの……だけど、分解して出来たものは、H2とCl2で、分子になっている。
水素が分子になるには、原子がふたつ必要で……水素は分子となって、気体として発生するから……つまり、発生するには水素分子、H2になっている必要があって。
塩素も分子になるには、原子がふたつ必要で……塩酸を電気分解すると、H2とCl2になるのだから……塩酸も……うーん?
まぁ、いいわ。
……え、いいの?
悪くない集中力だったから。
あ。
出来れば、イオンの説明もして欲しかったところだけど。
水素イオンは陽イオンでHにプラスがつく、塩化物イオンは陰イオンだからClにマイナスがつく。
水素イオンはプラスの電荷を持っているからマイナス極に引き寄せられて、電子を受け取って水素原子になる。
塩化物イオンはマイナスの電荷を持っているからプラス極に引き寄せられて、電子を渡して塩素原子になる。
ま、悪くないわ。
良く思い出せたわね。
水野さんとのあんみつがかかっているからね、必死だよ。
必死ね……なら、入試を受ける時にも何かかけておいた方がいいのかもしれない。
もしかしたら、良い結果になるかもしれないから。
あたしと結婚して、ずっと一緒にいて下さい。
それはもう考えているから、他のことにして。
他のこと?
そう、他のこと。
考えておく。
勉強を疎かにしない程度にね。
うん、分かってる。
……本当、単純でいいわ。
で、答えは……。
塩酸を電気分解すると水素と塩素が発生する。この場合、両方とも気体。
気体であれば物体なのだから水素と塩素は分子、つまり、共に原子がふたつ結合したもの。
ここまではいいわね?
あ、うん。
HCl→H2+Cl2とならないのは、左側にHとClがひとつずつしかないから。
だからHClをふたつにすることで、結果として、2HCl→H2+Cl2になっている。
因みに塩化水素の化学式は塩酸と同じHCl。塩化水素は水に溶けると、HCl→H(+)+Cl(-)に電離するの。
ここも、ちゃんと覚えておいてね。
……。
なぁに?
覚えておくから……一緒に、あんみつを食べに行ってくれる?
行ってあげるわ、一応約束してしまったから。
やった、それなら早速出かける支度をしよう。
言っておくけれど、長い時間ふらつくのは嫌よ。
ん、分かってるよ。
風邪でもひいたら、大変だからね。
本当に分かっているのかしら。
水野さん、たい焼きはどうする?
お持ち帰りする?
しない、そんなに食べられない。
ふふ、そうだよねぇ。
木野さんが食べたいのなら、
ひとつだけ、買ってこようかな。
好きにして。
それでさ、はんぶんこにしよう。
……お夕飯が食べられなくなるけど。
冷めたら、温めればいいし。
今日は麻婆茄子にするつもりなのでしょう。
たい焼きと組み合わせたら、お腹に
どちらがいい?
は?
たい焼きと麻婆茄子。
どちらでも。
たい焼きを食べるなら、夕飯は軽いものにしようか。
例えば?
焼き茄子に生姜醤油とか。
たい焼き、私は一口でいいわ。
ん、分かった。
はぁ……全く。
水野さん、コートを取っても?
ありがとう。
へへ、どういたしまして。
はしゃいでいるわね。
久しぶりだからさ。
ところで、なんで今日なの?
水野さんと食べたいって、ここのところずっと思っていたんだ。
それで、今日なの?
いつ言おうか、タイミングを考えていてさ。
考えていたとは思えないタイミングね。
結局、勢いになっちゃった。
あぁ、そう……まぁ、いいけれど。
よし、それじゃあ行こうか。
折角だから、本屋さんに寄ってもいいかしら。
もちろんさ、寄ってこよう。
はしゃいでいるのはいいけれど、戸締りは忘れないでね。
はーい、気を付けます。
……。
ん、なに?
お財布。
あれ。
くれぐれも、落とさないようにね。
ん、気を付ける。
帰ってきたら、お勉強の続き、するから。
うん、ちゃんとするよ。
しなかったら、許さないわ。
ん、許さないで。
……。
楽しみだね、あんみつ。
……そうね。
3日
……。
……はぁ。
……。
なつかしい……。
……何が懐かしいの?
あ……。
……亜美ちゃん。
ごめんなさい……起こしてしまったわ。
ううん……あたしが勝手に起きただけ。
だから、謝らないで良いよ……。
……でも。
目が覚めなかったら、亜美ちゃんと言葉を交わせなかったろう?
だから、目が覚めて良かったと思うんだ……うん、良かった。
ん……。
……なんてことない、全然気にしないで。
まこちゃん……。
……何か、懐かしい夢でも見た?
うん……中学生の頃の。
ふふ、それは懐かしいな……。
……そんなに昔のことではないのにね。
十年も経っていないけど……それでも、懐かしく感じる。
……ふたりとも、未だ子供で。
今も未だ、学生だけれど……お酒は、飲めるようになったかな。
……量は、あまり飲めないけれどね。
味は嫌いではないんだけど、躰がなぁ。
……中毒になったら、困るから。
うん、然うなってまで飲みたいとは思わないよ……。
……前世の、あなたは。
飲めないどころの話ではなかったんだっけ……。
……まさに、毒だったわ。
毒……。
……若しかしたら、その名残なのかも知れない。
とりあえず、今のあたしにとって毒でなくて良かった……じゃなきゃ、料理酒も使えなかったかも知れない。
あと、お菓子も食べられないな……サヴァランとか。
……料理ならば、酒精をしっかり飛ばしてしまえば大丈夫だったわ。
しゅせい?
……アルコール。
あぁ……料理は今でも、しっかり飛ばすなぁ。
そもそも、アルコールが残っていたら美味しくないし。
……酒精が残っているお菓子は、残念ながら、食べられなかったみたいだけれど。
じゃあ、サヴァランは食べられないな……あと、アルコール入りのチョコとか。
ラムレーズン……は、酒精を飛ばせば食べられるか。飛ばしても美味しいんだよね。
……確か、ラムレーズンのようなものは食べていたと思う。
ん、然うだったっけ。
……憶えていないものよね。
然うなんだ……マーキュリーは、食べていたと思うけど。
……マーキュリーが食べていたのは、ジュピターが作ったものよ。
ん、そっか……なら、ジュピターも食べてたな。
思えば、マーキュリーも酒精はあまり得意ではなかったし。
……今夜は、その頃の夢でなくて良かった。
前世の夢は、他人の記憶を見せられているようで結構疲れるんだよね。
特に、弱っている時は見たくない。余計に寝込んでしまいそうで。
……うん。
それで、どんな夢だったんだい……?
……買い物帰りのまこちゃんに、初めて図書館で会う夢。
図書館で……あぁ、あったかも。
……あの時、まこちゃんが読んでいた本は。
んー、なんだったかな……水の本だったかな。
……。
ひとのからだの約60パーセントが、水分。
但し、女性は約55パーセント。
……思い出した?
アミノ酸もね。
……。
あの時、初めて覚えたんだよ。
……ただ、名前が似ているだけで。
だから、余計に忘れなかった。
……今では、必須アミノ酸と非必須アミノ酸まで覚えているの。
大事だからね、亜美さんは。
……。
間違えた、アミノ酸。
……わざと?
わざとではないよ、ただのうっかり。
……ふぅん。
ね……。
……なに。
からだ、大丈夫かい……?
うん……大丈夫。
そっか……良かった。
……。
少し、お喋りしようか……また、眠くなるまで。
……もう、しているわ。
はは、然うだった……。
……まこちゃんは、眠くない?
うん……ゆうべは、ベッドに入るのが早かったからね。
……でも、夜更かしはしたわ。
夜更かしをしたと言っても……いつもよりは、していないと思うから。
……。
わりと早く、眠ったと思うんだ……。
……ねぇ。
うん、なんだい……?
……足りた?
ん……まぁ、足りたよ。
……本当は、足りてない?
いや、足りてる……。
……ん。
すごく、満たされてるんだ……今のあたしは、さ。
……。
亜美ちゃんは……?
……私は。
満たされていたら、良いなぁ……。
……思っていたよりも。
あ、満たされてない……?
ううん……とても、満たされてる。
あぁ、良かった……でも、思っていたよりも、なに?
……。
言いたくない……?
……今夜も、傍に居て呉れてありがとう。
うん……?
……ひとりだったら、きっと、だめだったから。
あぁ……。
……。
実はさ……明日、いやもう、今日か。
亜美ちゃんの部屋から学校に行くつもりで、自分の部屋を出てきたんだ。
……知ってる、学校用の鞄も持ってきていたから。
持ってきたのは良いけれど……本当に泊まれるとは思っていなかったんだよ。
本当に?
支度までしてきたのに?
然うなったら良いなって、思っただけで……だから、帰ることになってもがっかりして、落ち込まないように。
また今度があるさって、前以て自分に言い聞かせておいたんだ……それこそ、この部屋に着くまで、いや、着いても。
……そんなに。
期待したり、いやいや、あまり期待しないようにしたり……亜美ちゃんの体調もあまり良くないし、やっぱり今日は帰るべきだ。
だけど、一晩だけで……体調も未だ、心配だし……けど、ゆっくりだけど、買い物に行けて……美味しいあんみつも、ふたりで食べられたし。
でもやっぱり、離れたくないなぁ……亜美ちゃん、帰らないでって言って呉れないかな……然うしたら、帰らないのになぁ。
ふふ……色々、考えていたのね?
うん、然うなんだ……下心も、多少は入ってる。
……下心?
然う……下心。
……ぁ。
だけどね……ここまでの下心は、亜美ちゃんの状態を知った時点で、なくなったんだ。
無理は、させたくない……腕の中で穏やかに眠る亜美ちゃんを感じながら、一緒に眠れただけでも、十分だと。
……。
然う、思っていたんだけど……。
……私が、引き留めた。
帰らないでって言われた時は……本当に、心の底から嬉しかった。
もう一晩、亜美ちゃんと一緒に眠れる……然ういうことはしなくても、それだけで。
良いと……然う、思っていたのね。
うん……思ってた。
まこちゃんは……いつだって、私を優先して呉れる。
出来るだけ、然うしたいと……恋人同士になってから、より強く思うようになったんだ。
だから、然う心に決めた……ずっと、一生、亜美ちゃんを優先して、大切に生きていこうって。
……私は、甘えてばかりで。
ううん、そんなことないよ……あたしも、甘えているから。
……。
例えば……今も。
……くすぐったいわ、まこちゃん。
ふふ、ごめんよ……でも、これ以上のことはもうしないから。
……良いの?
ん……。
……まこちゃんが、したいのなら。
亜美ちゃんが、心から言って呉れているのなら……。
……。
でも、違うだろう……?
……違わない、けど。
朝まで、時間はまだまだある……でも。
……私が、求めても?
亜美ちゃんが……?
……もっとって、私が求めたら。
それは……応えちゃうかな。
……やっぱり、足りてない。
ううん、足りてはいるんだよ……本当に。
だけど、亜美ちゃんに求められたら……あたしは、単純だからさ。
……変わらず、素直。
自分の欲にね……。
……ふふ。
亜美ちゃん……。
……思っていた、よりも。
うん……。
私……あなたを、求めていたの。
……すごく、うれしい。
気遣って呉れて、ありがとう……。
……無理は、させたくなかったから。
優しく応えて呉れて、ありがとう……本当に、嬉しかった。
……。
ん……まこちゃん。
……今度は、もっと。
うん……もっとしたい、されたい。
……その為にも、ごはんは食べてね。
……。
あ、聞こえないふりをしているな……?
……聞こえているわ、ただ、耳が痛いだけ。
やれやれ……仕方がないな。
……冷蔵庫の中の作り置き、出来るだけ無駄にはしないわ。
冷蔵庫を開いて、その時に食べたいものを……適当でも良いから、食べて呉れると嬉しい。
……とりあえず、帰って来たら冷蔵庫を開けるようにする。
最近は、ろくに開けてなかった……?
……開けても、入っているのはお水と調味料ぐらいで、あなたの手料理は入っていないし。
買ってきたお総菜でも、良いんだけどな……。
……入れるほど、買って来なかったから。
まさに……ごはんの、その日暮らしだ。
……あなたが、傍に居て呉れたら。
……。
ううん……なんでもない。
……亜美ちゃんが、望んで呉れるのなら。
未だ、学生だから……。
……。
……もう少し、ひとりで頑張りたいの。
ん……そっか。
それに……今の私は、あなたを家政婦扱いしてしまいそうで。
……家政婦?
あなたの好意に甘えて……あなたを、良いように使ってしまいそうで。
あたしは……別に、それでも。
……私は、あなたの恋人。
……。
あなたは……私の恋人。
その関係は、どこまで行っても対等で……偏っては、いけない。
……。
それで、壊れてしまったものを知っているから……。
……いつでも、呼んで。
まこちゃん……。
……呼ばれなくても来るけど、呼んで呉れたら。
あぁ……だめね。
……え。
……。
な、何がだめ……。
……私を呼んで、と、直ぐに返せないこと。
……。
もう、偏っている……私は、自分のことばかりで。
仮令然うだったとしても……あたしは、気にしてないよ。
こういうことは、積み重ねで……心の隅に、少しずつ溜まっていくのだと思う。
……。
……あの、まこちゃん。
あたしは、亜美ちゃんを優先したい。
……私のことばかりでなく。
だけど……たまには、あたしを優先しても良い?
……たまには、なんて。
亜美ちゃん……あたしが呼んだら、来て呉れる?
……。
直ぐにでなくても、良いし……無理だったら、それで良い。
あたしも、いつでも来られるとは限らないし……。
……遅い時間でも、良い?
……。
勿論、いつも遅いわけではないけれど……然ういう時も、あると思うの。
……何時でも良い、あたしは待ってる。
……。
亜美ちゃんが、来て呉れるなら……あたしは、待っているよ。
あの……あまり遅くなるようだったら、ベッドの中で待っていてね。
ベッドの中?
若しも、眠ってしまっても……。
……ベッドの中なら。
朝になったら、私が隣に居ると思うから……。
……あぁ。
起こさないように、そっと入るわ……。
……起こして呉れても、全然構わないよ。
良く眠っていたら、起こせない……まこちゃんだって、然うでしょう?
ん……確かに、あたしも然うだ。
……起きたら、おはようって言うわ。
うん……あたしも、言うよ。
……ん。
あたしが眠っていても……お風呂は自由に使って、勿論タオルも。
ありがとう……まこちゃんも、遠慮なく使ってね。
ん……然うする、ありがとう。
……朝、起きて。
……。
あなたが、隣に居て呉れたら……嬉しい。
あたしも……亜美ちゃんが居て呉れたら、嬉しい。
……突然だったら、吃驚するかも知れないけれど。
はは……それは、吃驚するかな。
……。
ん……亜美ちゃん。
……呼んでね。
うん……呼ぶよ。
……。
……必須、アミノ酸。
え……?
亜美ちゃんは……あたしにとってのアミノ酸で、水分なんだ。
……アミノ酸は、言いたいだけでしょう?
然うかな……然うかも。
……中学生みたい。
亜美ちゃんの全てが、あたしの心の必須アミノ酸……。
……ふ。
ん?
……もう、あまり言わないで。
可笑しい……?
……笑ってしまうから。
ふふ、そっか……。
……未だ、水分の方が良いわ。
どちらも重要だし……。
……。
あたしの心は、60パーセント……いや、80パーセントくらいは亜美ちゃんで出来ているんだ。
……50パーセントくらいで。
アミノ酸欠乏症、もとい、水野亜美ちゃん欠乏症……。
……面白がってるでしょう?
はい、ごめんなさい……。
……もぅ。
はは……。
……。
ん、もう寝る……?
……まこちゃんは。
うん……。
……私の心の、必須アミノ酸。
ふはっ。
……ほら、可笑しいでしょう?
いや、急だったから。
……。
言われてみると、ちょっと間抜けかも……。
……カラダは、食事から。
ん……。
……ココロは、あなたから。
……。
摂取、しないとね……。
……アミノ酸?
……。
あたしにとって……亜美ちゃんは、必須。
……もう、寝ましょうか。
あ、やっぱり……?
……。
ん……亜美ちゃん?
……抱き締めて。
うん、喜んで……。
……ありがとう。
2日
へぇ……人間の躰って、約60パーセントが水分なのか。
うん?
ということは、あたしの体重で計算すると……結構、水分なんだな。
……まこちゃん?
60パーセントだから、当たり前なんだけど……でも、躰は液体じゃなくて、固体なんだよなぁ。
……。
確かに、不思議だ……うん。
ふふ。
ん?
もしも躰が液体だったら、今の形状は保っていられないわね。
保つには、何かしらの膜で包んであげないと。
亜美ちゃん。
こんにちは、まこちゃん。
やぁ、亜美ちゃん。
図書館で会うなんて奇遇だね。
ん、そうね。
なんて、あたしが珍しいのか。
あんまり来ないもんな、図書館。
まこちゃんは本を借りに来たの?
それとも、何かを調べに?
実は今、買い物の帰りなんだ。
お買い物の?
これ、買ってきたもの。
あぁ、スーパーの袋。
三日分くらいの、我が家の食材たちが入っています。
ふふ、そうなのね。
それでさ、なんとなく図書館に寄ってみようかなって気分になったんだ。
ちょっとした寄り道みたいなものかしら。
まぁ、そんなとこかな。
ところで、もしかしてだけど、聞こえてた?
ごめんなさい、聞こえてしまったわ。
はは、別にいいよ。寧ろ、聞こえてたのが亜美ちゃんで良かった。
他のひとだったら注意されたか、ぶつぶつ言ってる怪しいひとだと思われただろうし。
……周りに誰かがいたら、注意はされたかも。
あたしの声、大きかった?
そこまでではないけれど、気にするひとは気にするかもしれないわ。
無意識に声が出ちゃったんだな、気を付けないと。
だけどそのおかげで亜美ちゃんに会えたから、まぁいいや。
……何を読んでいたの?
ん、これ。
水の不思議?
入ったのはいいけど、何を読んでいいか分からなくてさ。だからって、すぐに帰るのもなって。
だからとりあえず、ふらふらと本棚の前を歩いていたんだ。そしたら、この本を見つけた。
それで、読んでみようと思ったの?
うん、なんとなく亜美ちゃんのことを思い出して。
……私?
水と言ったら、亜美ちゃんだからさ。
私というより、マーキュリー?
ううん、亜美ちゃん。
ほら、亜美ちゃんって水泳が得意だし、雨も好きだろう?
うん、まぁ。
だからさ、ちょっと調べてみようかと思って。
小学生の本なら、あたしの頭でも分かると思ったし。
……。
亜美ちゃんは?
本を持ってるところを見るに、返しに来たの?
借りていた本を返して、別の本を借りに。
それ、借りる本?
うん。
うーん、厚くて難しそうだなぁ。
読んでみる?
あたしが?
うん。
いや、あたしは……小学生の本で、いいかな。
この本も、小学生用だし。
……。
小説や物語なら読めるけど、勉強の本は……。
ねぇ、まこちゃん。
ん、なに?
この本、中学生用だけれど。
え。
ここに。
でも、中学年用って表紙に書いて……。
中学年、じゃなくて、中学生と書いてあるわ。
あ、ほんとだ。
見たところ、小学校中学年までには習わない漢字も使われているようだし。
ふりがなが振られているから、読めないわけではないのだろうけど。
読んでて、なんとなく漢字が多いなって思ってたんだ。
内容も……そんなに難しく書かれていないようだし、寧ろ、分かりやすく書いてあるわ。
これなら小学生でも、本を読んでいる子なら、読んでいて理解出来る筈。
……だから、あたしでも読めた?
まこちゃんは、言うほど国語は苦手ではないわよね?
国語は普通だけど、理科は苦手だから……この間のテストも。
……。
……今度、教えてもらってもいい?
私で良ければ。
うん、ありがとう。
そのままにはしておかない方がいいから。
ん……そうだよね。
……。
そうだ、良かったらこの後どう?
この後?
あ、塾?
ううん、今日はお休み。
じゃあ、どうだろう?
クッキーもあるよ。
クッキー?
そう、クッキー。買い物に行く前に焼いたんだ。
うちに来てくれたら、紅茶とセットで出すよ。
ふふ、ありがとう。
来てくれる?
ん。
やった。
でもね、クッキーがなくても私は行くわ。
……え。
まこちゃんが呼んでくれるのなら。
亜美ちゃん……。
うん、やっぱりこの本は分かりやすいわ……でも。
借りて帰ろうかな。
……ん、いいと思う。
借りるのには、図書館のカードがいるんだっけ。
持ってない?
うん、作ってない。
すぐに作れるわ。
そうなんだ。
良かったら、隣にいるけど。
ほんと?
ありがとう、亜美ちゃん。
ふふ、どういたしまして。
借りる本は決まっているの?
ううん、まだ。
あ、そうなんだ。
ごめん、足を止めてしまって。
気にしないで。
ここで待ってるよ、ゆっくり選んできて。
……。
亜美ちゃん、どした?
ねぇ、まこちゃん。
ん、なに。
因みに。
え?
女性は男性よりも体脂肪が多い傾向にあるから、水分の占める比率は約55パーセント。
つまり、体重に占める水分の割合は男性よりも低くなるの。
え、そうなの。
その分、脂質が多くなるのだけれど……この本には、そこまでは書かれていないようだから。
脂質……まさに、体脂肪?
そう、体脂肪。
そうなんだ……となると、あたしの体重は。
まこちゃんは筋肉がついているから、もう少し水分比率が高いかもしれないわ。
うん、そうなの?
筋肉は、約75パーセントが水分と言われているから。
へぇ、そうなんだ……て、あれ。
筋肉と脂肪は、全くの別物なの。
……別物?
とてもざっくり言ってしまうと、脂肪は脂質、筋肉は水分とたんぱく質で出来ているのよ。
たんぱく質……大豆?
ふふ、そうね……でも、大豆だけではないわ。
お肉や魚介類、卵、乳製品などからも摂取出来るから。
亜美ちゃん、座って。
え?
座って、聞かせて。
あ、うん……。
あ、帰ってからの方がいいか。
ううん、私は構わないわ。
幸い、ひともいないし。
じゃあ……どうぞ、亜美ちゃん。
ん……ありがとう。
ね、それで?
筋肉が脂肪に変わるという言い方を、よくするでしょう?
そう、あたしが言いたかったのはそれなんだ。最近だと、うさぎちゃんが言っていただろ?
レイちゃんにあんたなんか最初からないでしょうって言われて喧嘩になってたけど。
それは間違いで、筋肉が脂肪に、脂肪が筋肉に変わることはないの。
全くの別物だから、だね。
そう……分かりやすく言うと、筋肉量が少なくなって、更に運動量も減ってしまうと、躰に脂肪がついてしまうの。
逆に運動量を増やせば、今度は脂肪が消費されて少なくなるから、その分、筋肉量が増える。
ふんふん、なるほど。
直接、筋肉が脂肪に変わっているわけではないけれど、脂肪が増えてしまうことに変わりはないから。
だから、筋肉から脂肪に変わっていると言えなくもないのだけれど……でも、お互いが変化しているわけではないの。
はぁ、そうなんだ……じゃあさ、うさぎちゃんの場合は?
有体に言ってしまえば、運動不足……それでいて、甘いものが大好きでしょう?
うん、確かに。
運動量を増やせば、脂肪は少なくなるけれど……うさぎちゃんの場合、筋肉がつくことも避けたいみたいだから。
そうは言っても、どちらかだしなぁ。
でないと、骨と皮だけになっちゃうし。
引き締まった躰にしたいのなら、脂肪よりも筋肉……程良く、筋肉をつけた方がいいと思うわ。
引き締まった躰か……今のうさぎちゃんでは難しいかなぁ。
水泳なんて、おすすめなんだけれどね。
程良く、躰に負荷がかかるし。
遊びで泳ぎに行くのならいいけど、運動になると難しいかも。
……そうよね。
泳いでいる時の亜美ちゃんって、格好いいよね。
……私?
まるで人魚みたいだ。
に、人魚だなんて。
すごく格好いい。
……まこちゃんの方が、格好いいわ。
え、あたし?
……どんな運動でも、こなしてしまうでしょう?
まぁ、苦手なものはあまりないけど……あたし、格好いい?
……う、ん。
そっか……ありがと。
……どう、いたしまして。
ね、もっと聞いてもいいかい?
いいけど……。
じゃあ、もっと聞かせて。
……ん。
筋肉はたんぱく質で出来てるって言ってただろ?
……うん。
脂肪よりも筋肉の方が多かったら、どうして水分が多くなるんだい?
……。
あたしは筋肉があるから、もう少し水分比率が高いかもしれないって、亜美ちゃん言ったろ?
それは、どうして? たんぱく質と水分って、違うものではないのかい?
……筋肉は、約75パーセントが水分なの。
約75パーセント……あ、さっき聞いたかも。
ひとの躰を構成する組織や器官の中で、最も大量の水分を蓄えているのは筋肉で。
筋重量の約75パーセントが水分で構成されていると言われているの。
ということは……たんぱく質は、水分?
ううん……
あれ、違う?
……筋肉は水分を除いた、約20パーセントがたんぱく質なの。
ということは、別物?
たんぱく質は、アミノ酸が鎖状に多数連結して出来た高分子化合物で……。
……あみのさん?
えと……そのたんぱく質は、水分で構成されているの。
え……え、と。
水分が十分ではない場合、たんぱく質合成に必要なアミノ酸が筋肉に行き渡り難くなってしまって……。
……あみのさん。
摂取したたんぱく質は一旦、アミノ酸にまで消化してから、再度体内でたんぱく質を作り上げる仕組みで……。
あみの、さん……あみさん……あみちゃん。
あの、分かっているとは思うけれど……アミノ酸と私は、関係ないからね?
え、あ、うん、そうだよね。
……筋肉量が増えると、保持出来る水分量が多くなるの。
そ、そうなんだ。
とりあえず、水分とたんぱく質は違うけれど、たんぱく質には水分が必要とだけ覚えておけばいいと思う……。
うん、分かった。
……素直。
え、なんだい?
まこちゃんは……お勉強、向いていると思う。
え、なんで?
……素直だから。
素直……だと、向いているの?
素直だと、屁理屈をこねないで……そのまま、受け入れてくれるから。
でも、分からないよ……?
それは……まぁ、ちゃんとお勉強すれば。
思うに、亜美ちゃんの話が分かりやすいんだと思うんだよなぁ。
……。
今も分かりやすかった。
そ、そう?
うん、そうだよ。
……女性や高齢者でも、適度に運動をして筋肉量を保って。
ん?
且つ、正しい水分補給がちゃんと出来ていれば、体内水分量は少なくならないわ……。
だから、筋肉があるあたしは……えと。
……水分比率が比較的、高いと思われる。
脂肪より筋肉の方がましかなって思ってたけど……筋肉の方が、いいかも。
……胎児の頃は80パーセント以上、新生児や乳児期では70パーセントから75パーセントと、大人よりも多いの。
80パーセント以上……て、大体水分だね?
でも、ちゃんとひとの形をしてるんだよね?
ええ、ちゃんとしているわ。
えと……小さい頃の方が瑞々しいってことなのかな、肌はぷるぷるだし。
それは、言い得て妙……ひとは加齢に由って、体内の水分が減っていくから。
お年寄りはどれくらい?
50パーセントくらい。
半分か……。
……皺が増えるのは、水分が足りていないから。
えー……水分って、本当に大事だな。
……そうなの。
まるで、亜美ちゃんみたいだね。
……はい?
あたしに……あ、いや、あたし達にとって、亜美ちゃんはとても大事だから。
私は……それほど。
何を言っているんだい。
……あ。
とっても、大事だよ。
あたしにとって、亜美ちゃんは水分で……。
……まこちゃんに、とって。
それから、あみ、あみ……あみさん?
……アミノ酸?
そう、それ。
……そんな大それたものでは。
ううん、大事なんだ。
……。
だから、これからも宜しくね。
え、あ……はい。
うん。
……あの、そろそろ。
あ、そうだね。
……すぐに、
ゆっくり見てきて。
あたしはここで、これを読みながら待っているから。
……。
行ってらっしゃい、亜美ちゃん。
ん……行ってきます、まこちゃん。
1日
-Essential Amino Acid(現世2)
人間の躰のたんぱく質を構成しているアミノ酸は20種類だということは、亜美ちゃんも知っているよね。
……知っているわ。
その組み合わせや数によって性質や働きが異なるんだけど、11種類のアミノ酸は体内で他のアミノ酸から合成することが出来るから、仮に不足していても補うことが出来る。
それじゃあ、残りの9種類は? 自分の躰で補うことが出来ないのなら、どうやって補えば良いと思う? と言うより、どうやって補うべき?
……食事から摂取するしかない。
然う、然うだよね。食べて、補うしかないんだよね?
なんなら、食事は不可欠と言い切っても良いよね?
……ええ、良いわ。
因みに、体内で合成出来ないアミノ酸のことをなんて言うんだい?
……必須アミノ酸。
つまり、食べて摂取することが必須。
……合成出来るものは、非必須アミノ酸。
非必須という言葉は誤解を招くと思うんだ。だって、実際は全く非必須ではないのだから。
生きていく上で、より生物学的に言うと、生命活動を維持する為に必ず必要だからこそ、進化の過程で合成能力を得た、或いは保存されたとも考えられる。
ね、亜美ちゃん、亜美ちゃんも然う考えるだろう?
……どうせなら、全てのアミノ酸が合成出来るように進化して呉れれば良かったのにね。
仮令合成出来たとしても、何も食べなければひとは餓えてしまう。餓えが酷くなれば、最終的には命を落としてしまう。
ひとの躰は太陽の光とお水だけで生きられるようには作られていないから、口から食べられるのならちゃんと口から食べて、栄養を摂取するしかないんだ。
……まぁ、然うね。
肉類や魚介類、卵、乳製品などに含まれている「動物性たんぱく質」、そのほとんどは9種類の必須アミノ酸全てを含んでいる。
だから一日三食、他の栄養素のことも考えて偏らずに、バランス良く摂取すればまず問題ない。
……。
お米や亜美ちゃんが好きなサンドイッチ、小麦に含まれている「植物性たんぱく質」は、一部の必須アミノ酸が不足している。
けど、大豆たんぱく質には9種類がバランス良く含まれている。となれば、炭水化物であるサンドイッチに大豆を組み合わせれば良いわけだ。
お味噌汁は合わないかも知れないけれど、味噌スープ、例えば豆乳味噌スープならそこそこ合っていたと思う。
……お味噌汁でも食べられないことはないわ。
大豆は味噌だけじゃない。いや、味噌も使いようによってはサンドイッチに合わせることが出来る。
例えば、味噌タルタル卵サンドイッチとか。あれは、結構美味しかったと亜美ちゃんに言ってもらえた。
だからこれからも、時々、作ろうと思っている。
……肉味噌サンドイッチ、大豆のサラダのサンドイッチも美味しかったわ。
前置きが長くなったけど、つまり、あたしが言いたいことはね。
……うん。
亜美ちゃん、ごはんはちゃんと食べよう?
……分かってはいるの。
回りくどかったかも知れないけど、ただごはんを食べようと言うより、亜美ちゃんの心に響くと思ったんだ。
……確かに、攻め方は悪くないと思う。
本当?
ただ。
ただ?
……分かり切っていることを、言われても。
全く、響かなかった……?
……まこちゃんの熱意は伝わってきたわ。
熱意……。
……ひとりだと、どうしてもね。
ゆうべは、顔色が本当に良くなかったんだ。今にも倒れてしまいそうな顔をしていてさ。
今は、ゆうべよりかは良いけれど……それでも、幾分か頬がこけているように見える。
最近……ちょっと、疲れが抜けなくて。
最近って、どれくらい?
……一ヶ月くらい。
最近かも知れないけど、一ヶ月は長いよ。
……でも、最近には違いないわ。
然うだけど……然うでなくて。
……忙しかったの。
それは、分かるよ……分かるけど、疲れのせいにしてごはんを抜いていたら、余計に体調が悪くなってしまう。
ちゃんと食べないと疲れは抜けないし、そもそも体力そのものが落ちてしまう……眠るだけでどうにかなるもんじゃないんだ。
……分かってはいるのだけれど、どうしても億劫になってしまって。
言って呉れれば、直ぐにでも。
……でも、まこちゃんも忙しいし。
忙しいけど、時間を全く作れないわけじゃない。寧ろ、作る。
昨日だって、勝手に作って、勝手に亜美ちゃんの部屋に来た。
でもって、勝手に泊まった。今日、休みだったから。それも、計算して。
ええ、と……来て呉れて、ありがとう。
まさか、熱を出して倒れかけてるなんて……心臓、口から飛び出ると思ったよ。
まぁ、微熱で良かったけどさ……いや、あまり良くないな。微熱と言っても、放っておけば酷くなってしまう。
……あなたが来て呉れたおかげで、まともな食事が取れたし、しっかり休めたと思うから。
一晩くらいじゃ、駄目だよ。
……今日一日、ゆっくりするつもりだから。
本当は、二日くらいして欲しいけど……。
……それは、難しいわ。
……。
だから……今日だけでも、まこちゃんと一緒に。
あたしと一緒に?
……ゆっくりしようと思っているの。
思うだけ……?
……したい。
うん、ならしよう。
……けれど、今はあまりゆっくり出来ていないと思う。
ん、それはごめん。
……とは言え、言いたくなる気持ちは分かるつもりよ。
もう、言わないよ。
……。
朝ごはん、そろそろ出来るからね。
……ありがとう、まこちゃん。
良いんだ、あたしが好きでやっているのだから。
……はぁ。
まだ、だるい?
ん……少し。
そっか……無理、しないでね。
……うん。
ごはんを食べたら、ちょっと買い物に行ってくるよ。
……買い物?
亜美ちゃんの部屋の冷蔵庫に、作り置きのごはんを補充しておこうと思って。
……ゆうべ、色々持って来て呉れたわ。
冷凍食品やレトルト食品、缶詰も美味しいけど、あたしの手作りごはんもあった方が良いかなって。
レンジで温めるだけの、なるべく、日持ちするようなものを作るから。そうそう、ごはんは冷凍しておくよ。
……冷蔵庫の中、いっぱいになりそう。
冷凍庫までいっぱいにするつもりなんだ、亜美ちゃんが手軽に食べられそうなものでね。
と言っても、サンドイッチの作り置きは出来ないから、今日いっぱい食べて欲しいな。
……いっぱいは、流石に。
冗談だよ、食べられるだけで良いからね。
いきなりいっぱい食べたら、お腹も吃驚しちゃうと思うし。
……ん。
サンドイッチの具になりそうなものも作り置きしておくから、それを適当に挟んで食べて。
余裕があるようだったら、前の日に作って、冷蔵庫か冷凍庫に入れておくと良いよ。
冷蔵庫に入れておけば朝ごはんに、冷凍庫に入れておけばお昼のお弁当になるから……て、前にも言ったかも。
……だから、たまにやっているの。
あ、然うなんだ。
……だけど、最近は。
うーん、そっか。
……ただ挟むだけと言っても、余裕がないと難しくて。
まぁ、然うなんだよなぁ。
……。
そうそう、一食ずつ、出来るだけ小分けにしておくよ。
でさ、作り置きしておいて欲しいものがあったら、遠慮なく言ってね。
出来るだけ、応えるから。
……本当にありがとう。
あたしはあくまでも、あたしがしたいことをしているだけ。
寧ろ、亜美ちゃんにとっては迷惑かも知れない。小言も、言われてさ。
……そんなことは、ないわ。
だと、良いなぁ。
……。
亜美ちゃん、お肉は食べられそう?
……うん、大丈夫。
アボカドとトマトに合わせるのなら、ハムとベーコン、どっちが良い?
ん……ベーコン、かしら。
じゃあ、ベーコンにしよう。
……。
然うだ、冷えピタを替えなくても大丈夫かい?
いい加減、温くなってるだろう?
大丈夫……自分で替えられるわ。
あたしに替えて欲しかったら、言ってね。
……うん。
トマトは甘みが増すように、ソテーにしようかな。
……ねぇ。
ん、なんだい?
……まこちゃんはお休みしなくて良いの?
するよ、亜美ちゃんとね。
……でも、ずっとお料理をしていたら、休めないわ。
料理をすることも、あたしにとっては休息になるから。
……。
買い物と言えば、何かついでに買って来て欲しいものはあるかい?
……。
ん?
……お願いしても、良い?
うん、良いよ。
なんだい?
……。
亜美ちゃん?
……その、生理用品を。
生理用品だね、種類はいつもので良いかい?
……。
ん、違うものが良い?
……何も言わないんだなって。
別に言わないよ、寧ろ、言って呉れて良かったと思ってる。
……。
うっかり切らしてしまったら、困るじゃない?
特に、予定通りでなかったらさ。
……然うなの。
多めに買ってくるね。
……持てる?
持てるよ、なんだったら一度帰ってきてまた行っても良いし。
そんな……そこまでは、しなくても良いわ。
でも、必要だろう?
……自分で、買いに行くから。
今日のあたしはね、亜美ちゃんに尽くしたい気分なんだ。
……。
小言を言ってしまったお詫びも兼ねて、さ。
だから、なんでも言ってよ。出来るだけ、応えるから。
……まこちゃん。
お薬は大丈夫かい?
……薬は、未だ。
念の為、買ってきておこうか?
……いつもので。
ん、いつものだね。
……。
他にも必要なものがあったら、遠慮なく言ってね。
……最近、ね。
うん?
……周期が、乱れていて。
しゅうき……生理の周期?
……多分、疲れとストレスが原因だと思う。
食事も、関係してそうだな……貧血は、どう?
……言っていなかったんだけど。
うん……。
……倒れたことがあって。
それは、学校で……?
……車椅子で医務室に運ばれたのだけれど、休んでいたら治まったから。
あたしに、言わなかった……?
……私が貧血気味なのは、まこちゃんも知っているし。
然ういう問題ではないよ。
……心配させてしまうと、思ったの。
心配させてよ。
……。
あー……。
……ごめんなさい。
いや……心配させたくないって気持ちは、あたしも分かるから。
……。
うん……とりあえず、今日はゆっくり休もう。
……少しくらいなら、外に。
……。
外の空気が、吸いたいの……だめ?
……だめではないよ。
ゆっくりなら……お買い物にだって。
……。
……私が居たら、邪魔よね。
邪魔ではないし、一緒に行けたら嬉しいと思う。
……思うけど、良いとは言って呉れない。
ゆっくり、行こうか。
……良いの。
但し、荷物はあたしが持つからね。
……軽いものなら。
軽いものなら、まぁ、良いか。
……うん、良いと思うの。
ん……良し、出来た。
……。
さぁ、ごはんにしようか。
……うん。
起きられるかい?
大丈夫……。
……。
ん……ありがとう。
……下心も、あるから。
下心……?
……亜美ちゃんに、触れたい。
……。
とは、言え……然ういうことがしたいわけではないから、安心して。
……このところ、ずっとしてない。
元気になったら、ね。
……ゆうべは、一緒に眠れたのに。
久しぶりに亜美ちゃんの匂いに包まれて、嬉しかったな。
……。
離すよ……良いかい?
ん……離して。
……うん。
ふぅ……。
……ごはん、持ってこようか。
ううん……テーブルに行くわ。
……無理はしないでね。
大丈夫……今まで、ゆっくり休んでいたから。
小言を言われながら?
ふふ……然う、言われながら。
……。
……ん。
良かった……。
……まこちゃん?
大分、鬱陶しかったと……今になって、反省してる。
……。
改めて、五月蠅いことを言ってごめんよ……。
……ううん、良いの。
……。
あぁ、然うだ……ねぇ、まこちゃん。
……ん?
甘いものも、食べたいわ。
……甘いもの?
例えば……あんみつ、とか。
あんみつ……。
……今回は、あなたの手作りでなくて。
買い物をする前に、どこかで食べようか……お詫びに、驕るよ。
ううん……ただ、一緒に食べて欲しい。
……一緒に?
だめ……?
もちろん、だめじゃない。
……。
……食べよう、一緒に。
ん……まこちゃん。
……お店は、亜美ちゃんに任せるよ。
任せて……丁度、あなたと行きたいと思っていたお店があるの。