15日
……。
……。
……木野さん。
……。
こんな夜更けに、何をしているの。
……やぁ、起こしてしまったか。
初めから、眠ってなどいないわ。
ん、寝息を立てていると思ったが……私の思い違いか。
……躰が冷える、ベッドに戻って。
あぁ、暫く眺めたら戻るよ。
今直ぐ。
まぁ、然う堅いことを言って呉れるな。
ひとしきり眺めたら、直ぐに……其の、べっど? とやらに戻るから。
あなた、誰。
私か?
他に誰が居るの。
私は
ふざけないで。
ん。
一人称が違う。
あぁ……あたし、だったか。
君は耳が良いな、私だったら直ぐには気付かない。
あなたは誰。
知ってどうする?
答えて。
そんなに知りたいか。
ジュピターではないわね。
どうして然う思う?
その問いに答える義務はないわ。
義務、か。
ならば、私にもないな。
あなたにはあるわ。
ん、どうしてだい?
あなたが木野さんの躰を使っているからよ。
あくまでも、私はきのまことではないと言うのだな。
ええ、木野さんではないわ。
そして、昔のジュピターでもない。
ふむ……なかなか、鋭い。
鋭いも何も、全く違う。
全く?
忌々しいくらいに。
はは、然うか……と。
……。
此れは、なんだい?
わざわざ教えなくても、形状から分かるでしょう。
まぁ、分からぬでもないが、なんせ私が知っているものとは形が違う故にな。
せめて、羽織って。
羽織って……成程、躰を冷やさないようにか。
木野さんは体調が良くないの。
然うみたいだな、なかなか弱っていたようだ。
……若しも、あなたが木野さんに何かをしたと言うのなら。
どうやら、本当に体調が悪いらしい。
だから、私は何もしていないよ。
……だったら何故、あなたが居るの。
ん、然うだな……本当だったら、前世とやらが出て
出てこなくて良い、速やかにその躰を木野さんに返して。
然うしてやりたいのはやまやまなのだが、今は未だ出来ぬ。
何故。
躰の奥で、眠っているからだ。
それは、あなたが出てきたから
済まない。
……は。
出てくるつもりなど、私には毛頭なかった。
故に、済まぬ。
……ならば、どうして。
私にも、分からないのだ。
……。
其れ故に……正直なことを言えば、途方に暮れていた。
……莫迦なの。
む。
言ったでしょう、木野さんは体調が悪いの。
それなのに、そんな薄着で夜風に当たるだなんて。
待て待て、力は使って呉れるな。此の躰が傷付いてしまう。
其れは、君が望むことではないだろう?
……あなたを、押し返せるのなら。
思うに、時間が経てば私は再び寝に就く。
だから、私に少し時間を呉れないか。
……私が求めているのは、今直ぐに、よ。
君の要求には応えてやりたいが……眠っている子を無理に起こすのは、其れもまた、酷な話だろう?
……起こせるの。
恐らくは……だが。
……。
頼む、どうか穏便に済ませて欲しい。
……早く、それを羽織って。
此れを、か。
分かった、羽織れば良いんだな。
……さっさとして。
応。
……。
……む、此れが袖か。
……。
何やら、細いな……こんな窮屈そうな着物を、いつも纏っているのか。
遅い。
お。
……。
お、お。
袖に腕を通せとは言っていない、今はただ、羽織れば良い。
お、応……せ、折角だから、纏ってみようかと思い。
……。
お、怒って呉れるな……。
……右腕。
うん?
……通して、早く。
あ、あぁ……。
……。
……此れで、通ったか。
次、左腕。
あぁ、分かった。
……。
……此れで、良いか。
そのまま、じっとしていて。
む……。
……。
……ふむ、前は然うやって締めるのか。
何故、知らないの。
木野さんの中に居るくせに。
居るには居るのだが……私は、最も深い奥で眠っているからな。
……だから、分からないと。
あぁ、然うなんだ。
……どうして、あなたが。
本当に、どうしてなのだろうな。
……。
彼の者が目覚めていれば、釣られて私も……だけれども、然ういうわけでもない。
……彼の者って。
君の中に居る、もうひとつの存在だ。
私の番でもある。
……。
其の者の声を聞けば、私は直ぐに
一生、目覚めなくて良い。
ん、然うか……まぁ、君からすれば然うだな。
今の私には必要ない。
……。
前世だけでも厄介なのに……更に、そんな存在が居るだなんて。
許せない、か。
……私は、私よ。
あぁ、其の通りだ。
……。
私……私達は、今の君達から躰を奪うつもりはないよ。
ただ、最も深い奥で眠っているだけだ。
……だけど、こうして出てくるのなら。
許して欲しい。
……許せると思うの。
難しいだろうが……。
……ええ、難しいわ。
どうした、ものかな……。
……。
……然し、此の世界の空は星が見えないな。
……。
そ、然う、睨まないで呉れ……私も、困ってはいるのだ。
……はぁ。
ん、傍に居て呉れるのか。
……あなたが木野さんの躰で何かしようものなら。
安心して呉れ、何もせぬ。
……信用しろと。
無理だろうな。
……分かっているのなら、さっさと返して。
私も、さっさと返してやりたい……でないと、氷の刃で喉元を掻き切られそうだ。
……莫迦なことを言わないで、木野さんの躰にそんなことするわけがないでしょう。
む、然うか……其れは、然う
……。
頼む……水気は収めて呉れ。
……。
あ、あー……此れは、暖かいものだな。
……コート。
こーと……然うか、此の着物はこーとと言うのか。
……。
君も、何かを羽織った方が良い。
でなければ、躰が冷えてしまうだろう?
……生憎、私の躰は初めから冷たいの。
いいや、そんなわけはない。
……。
お前……いや、君にも温かな血が通っている筈だ。
……冷血かも知れないわ。
君程温かい血が流れている者は、他に居ないだろう。
……知ったような口を。
確かに、私は君のことはあまり知らないが。
……あまりとは、何。
うん?
あまり知らないということは、裏を返せば、少なからずは知っていると。
……。
繰り返すわ。
……あぁ、構わぬ。
ジュピターではないというのなら……あなたは、何。
其の名は元々、私のものではない。
だから、
其れは、私の龍の名だったんだ。
何を言っているの、私はそんなことは聞いていない。
私が聞いているのは、
だが、私の龍は。
いい加減に
共に育ったあいつは、ジュピターは、私達の目の前で跡形もなく消されてしまった。
……。
其れは一瞬の出来事で、私は何も出来なかった。
ジュピターは、其の肉、其の牙、其の爪、其の鱗……骨の欠片すら、何ひとつ、残らなかった。
……何故、消されたの。
私達を護る為に、立ち向かったからだ。
……何に、立ち向かったの。
銀の女王。
……銀の女王。
遥か向こうの世界から飛来した者。
……銀水晶とは、何か関わりがあるの。
其のものだ。
……そのもの?
其れは青い星の……あの頃は未だ、青くはなかったが……其の一部を抉り、抉り取ったもので彼の星を作り、青い星を支配した。
……月。
然うだ。
……青い星には。
青い星の守護を受けた者は確かに存在していたが消されてしまった、然う、私の龍のように。其の代わりに生まれたのが、女王の躰と心を慰める者だ。
其れは女王と番になることが出来、子も生せる。が、其の子は酷く歪だった為に忌み子とされ、交わることは何時しか禁忌とされた。
……私達の母星はどうなったの。
君が知っている通りだよ。
……りゅうとは、何。
龍は、龍だが……あぁ、此の世界には居ないのか。
……同じ名称の生物ならば居るわ。
其れは、どういう生物なんだ。
……形は、様々だから。
様々か……此の世界の龍は、どんなものなのだろうな。
龍は現実には存在しない。
……どういうことだ。
想像上、或いは、伝説上の生物でしかないの。
……然うか。
……。
龍の名は、女王に歪められ……月の隷属者を示すものとなった。
……月の。
私のことだ。
……。
私は本来の真名を取り上げられ、代わりに隷属者の名を与えられた。
いや、魂に刻まれたと言っても過言ではない……全ては、其の運命から逃れられぬよう。
……運命。
其れは今も尚、続いている。
……ジュピターが、然うであるならば。
マーキュリーも、同様。
……マーキュリーとは。
辰星の亀の名だ。
……亀。
どんな者よりも賢く、気高く……更に、繁栄と長寿を司っていた。
……其の名も、女王に歪められたのね。
あぁ、然うだ。
……。
ジュピターとマーキュリー……其れは永遠に女王、或いは月に付き従う隷属者の名だ。
……冗談ではないわ。
あぁ……其の通りだ。
……。
だから、今のお前……いや、君達は抗っているのだろう。
……そんな生、望んではない。
……。
……心の底から、迷惑でしかないわ。
お前……君は、
お前で良い。
ぬ。
……どうせ、あなたの愛しき存在が私の中で眠っているのでしょうから。
いや、君と呼ばせて欲しい。
……そのわりには、間違いが多い。
つ、ついな……。
……やっぱり、似ているの。
あぁ……良く、似ている。
……嫌になる。
けれど、今の君は私の愛しき者よりも随分と幼い。
……は?
君は未だ、元服すらしていない子供だろう?
……だから、何。
彼の者は、然うだな……私の元に来て呉れた時は、今の君より十年は長く生きていた。
……。
最期の時は、もっと歳を重ねていたが……歳を重ねても、尚。
そんなことはどうでも良いし、聞いてもいない。
あ、はい……。
……子供扱いは、しないで。
あ、あぁ、分かった。
……。
震えている。
……触らないで。
此の、こーとを。
……放っておいて。
其れは出来ぬ。
……。
頼む、何か羽織って呉れ。
でなければ、私は此のこーとを脱いで君に羽織らせなければならない。
……余計なことはしないで。
余計なことではない。
……どうして。
其れは、君が
目を離した隙に、勝手にどこかに行かないと約束して。
行かぬ、だから。
……ベッドから勝手に出たくせに。
寝台から勝手に抜け出したことは、改めて謝る。
……。
みずの、さん。
呼ばないで。
……。
……あなたの真名を未だ、教えて貰っていない。
私の真名は……。
……。
……。
……言えないというの。
私の真名は……ユピテルだ。
……ユピテル。
彼の者には、ユゥと呼ばれていた。
……木星の。
違う、歳星だ。
……歳星。
私は歳星の王であり、守護者でもあり、彼の者の番でもある。
……。
そして……いや、此れは良い。
……言って。
其の前に
言って。
……。
早く。
私は……君達の親だ。
……親。
君達は……私と彼の者の間に生まれた、私達の子。
……君達とは。
……。
……触らないでと言ったでしょう。
今となっては、繋がりは全くないだろうが……。
……私と木野さんは、あなた達の子だと言うの。
遠い、遥か昔の話だ……今の君達には、関係ない。
……。
月に……銀水晶に、支配される前の世界。
……つまり、私は木野さんと姉妹だったと。
いや、違う。
……あなた達の子だと言うのなら。
私達の子は……ただの結晶にされてしまった。
……結晶?
そして、私達の躰の……。
……話が、全く分からない。
あぁ、然うだな……。
……そもそも、あなたは男性なの。
だんせい……?
……それとも、私の中に居る者が。
子の種は、私が……子の卵は、彼の者が。
……孕んだのは。
彼の者だ……。
……。
……さぁ、何か羽織って呉れ。
……。
若しも、君に何かあったら……きのさんが、悲しむ。
……ユピテル。
なんだい?
……早く、木野さんを返して。
あぁ……私も早く、君にきのさんを返したいと思っているよ。
……。
……。
……。
……私の声では、目覚めて呉れぬか。
……。
……メルクリウス。
ユゥ。
……ん。
其の子に、躰を返してあげて。
……メル?
出来るだけ、早く。
……メル、なのか。
ええ。
メル……。
……早く、返してあげてね。
あぁ、返す……返すよ、メル。
……。
ん。
……誰。
あ。
……。
あ、いや、済まない……なんでも、ない。
14日
木野さん。
……ん。
夕食、出来たわよ。
……夕食。
カレーが良いと言い張るから作ったけれど、本当に食べられそうなの。
うん、食べる……食べたい。
……お腹は空いているの。
ん、空いてる……多分、お代わりも出来ると思う。
お代わりをするのなら、ちゃんとお腹と相談してからにして。
はぁい……。
……若しも、無理だったら。
無理は、しない……。
……。
食べられなかったら、最初から言わないよ……。
……そんなに食べたかったの?
うん、食べたかった……水野さんが作って呉れた、カレーが。
……。
えへへ、良いにおいがする……。
……あなたの場合、体調が悪くても食欲はなくならないのよね。
うん……小さい頃から、然うなんだ。
だから、治りも早い。
今回も、明日の朝には大丈夫になってるんじゃないかな……躰が怠いだけで、熱はないし。
今はないだけで、もう少し時間が経ったら……それこそ、寝る頃になったら出てくるかも知れない。
然うかなぁ……多分、そんなことはないと思うんだけどなぁ。
頭はぼんやりしてる?
……少し、してるかも。
寒気は?
平気……帰ってきてからは、あったかいよ。
……甘いおしるこを選んだのは、冷えて弱った躰を温める為だったのね。
んー……確かに寒かったけど、そこまでじゃなかったんだ。
だから、まさかこんな風になるだなんて……思っても、いなかったなぁ。
大体のひとは、思いもしないから。
大丈夫……今夜ゆっくりと寝れば、明日には屹度治ってるよ。
だとしても、明日は家で寝ていて。
……学校、休み?
連絡は出来るわよね。
出来ると思うけど……出来れば、水野さんと一緒に行きたいなぁ。
……インフルエンザだったら、どうするの。
インフルエンザって、高熱が出るんじゃなかった……?
38度……39度、とか。
出ないものもあるわ。
ん、然うだったっけ……。
……念の為、保険証の用意もしておくから。
えー……お医者さんには、行きたくないなぁ。
お金も、かかるし……。
……おばあさまが取って呉れたものを、粗末にしないで。
ん……。
……あなたの遠隔地保険証を取る為に、わざわざお役所にまで行って届出をして呉れたのでしょう。
……。
……不自由な足で。
水野さん……。
……何。
救急箱に、入っているから……その時は、お願い出来るかな。
……ええ、良いわ。
お医者さんになんて、暫く行ってないからさ……。
……頑健だものね、あなた。
然うなんだ……。
……。
……やっぱり、
止めて。
……分かった、止める。
ごはんにしましょう。
あ、うん……。
ここに居て。
……でも。
持ってくるわ。
自分で……。
ここで、待っていて。
……うん、待ってる。
ごはんの量は?
……いつもよりも気持ち、少ないくらいで。
……。
あ、違うよ……食べられるけど、とりあえずお腹の様子を見ながらにしようと思って。
……飲みものは、温かいほうじ茶にしようと思っているのだけれど。
うん、ほうじ茶で……ありがとう。
……。
はぁ、カレーはやっぱり良いにおいだなぁ……。
……鼻は、詰まっていないのね。
ただ、躰が怠いだけなんだ……若しかしたら、珍しく疲れが出たのかも知れない。
……ただの疲れなら良いけれど。
なんて、あたしらしくないな……疲れ知らずも、取り柄のひとつなのにさ。
……今のあなたは、ただの地球人だから。
……。
……昔とはもう、造りが違うのよ。
ん……然うだね。
……カレーに、生姜を入れたから。
とても、良いと思う……。
……。
……風邪、なのかなぁ。
言わなくても分かっているだろうけど、今夜は勉強しないで良いわ。
……え、良いの?
そんな状態で勉強したところで、頭に残るわけがない。
であるならば、さっさと休んだ方が良い。
じゃあ……良くなったら、頑張るよ。
然うして。
よし、明日までには治そう……あたしなら、治せる。
思い込みで治るのなら、医者なんて要らない。
……まぁ、然うなんだけど。
病は気から、とでも言いたいの。
……。
熱が出てきたら、薬を飲むこと。
……薬。
苦くても我慢して。
……粉薬は、苦手なんだよなぁ。
あれを得意としているひとは、あまり居ないと思うわ。
……水野さんも、苦手?
薬は飲むものだから、考えたこともない。
……一度も。
ない。
……。
薬を飲んでも熱が下がらず、逆に上がるようだったら、その時は。
……お医者さんって、夜でもやってる?
夜間診療、場合によっては救急で受け入れて呉れるわ。
……。
……安心して、ちゃんと付いて行ってあげるから。
でも……。
……木野さんは、ただ祈っていて。
祈って……?
……あの女が今夜、当直勤務でないことを。
それは、良いけど……あたしとしては、お医者さんにお世話にならないよう、頑張るつもりだよ。
頑張ってなんとかなるのなら、医者なんて不要。
……はは。
はい、木野さん。
ん?
今日の夕食。
あぁ、ありが……ん?
何。
……水野さん、これって若しかして。
……。
カレー……丼?
カレーには違いないでしょう。
違わないけど……ライスだと思ってた。
……気が変わったの。
あぁ……然ういうことか。
……食べたくないのなら。
食べる……食べたい。
……無理をしているのなら。
全然、してないよ……多分、考えがあってカレー丼にしたんだと思うから。
……ただ、気が変わっただけよ。
然ういうことに、しとく……。
あぁ、然う……なら、勝手にどうぞ。
ふふ……チキンライスが、オムライスになった。
……。
……片栗粉のとろみは、躰を温める。
……。
生姜も……躰を温めるのに、有用だ。
……躰は温まるだろうけれど、味はどうかしらね。
味……?
……美味しくないかも知れないわよ。
ううん……そんなことはないさ。
……どうして、そんなことが言えるの。
味見はちゃんとしたんだろう……几帳面な水野さんがしないわけない。
……結構いい加減よ、最近の私は。
あたしに対しては……?
……あなたにだけではないわ。
あたしだけが良かったな……。
……先に、食べていて。
ううん、水野さんを待っているよ……。
……待っていなくても良いわ。
待ってる……待ってたい。
……。
……ふたりで、食べたいんだ。
どうせ、食べるわよ……あくまでも、先に食べているように促しているだけなのだから。
……いただきます、から。
朝も昼も、一緒だったのに……。
……だから、夕方も一緒に。
……。
ん……水野さん?
……目が、どこかぼんやりしている。
然うかな……水野さんの顔は、ちゃんと見えてるけど。
熱は……未だ、なさそうね。
……手の平が、気持ち良い。
この手が気持ち良く感じるのなら、それは熱が出る前兆かも知れない。
……水野さんの手だから、気持ち良く感じるんだよ。
……。
柔らかくて……優しい。
……待ってて。
あ……。
……直ぐに戻るわ。
ね、水野さん……また、後で。
……気が向いたら。
向けば、良いな……。
……。
はぁ……ふふ、本当に美味しそうだ。
……ねぇ、木野さん。
なぁに……?
……スープも、作ったのだけど。
スープも……?
……食べられそうにないなら、
勿論、食べる……。
……然う。
わぁい、スープ付きだ……ご馳走だなぁ。
……具は、ほうれん草としめじ。
うんうん……。
……それから、卵。
冷蔵庫に残っているものを、上手に使って呉れたんだね……。
……気にしているようだったから。
ふふ、卵も入って……益々、美味しそうだなぁ。
……味付けは塩胡椒と鶏ガラスープの素、美味しいかどうかは知らないわ。
あたしは、知ってる……水野さんがあたしの為に作って呉れるごはんは、いつだって、美味しいということを。
……今日は、美味しくないかも知れないでしょう。
食べ始めれば、直ぐに分かるさ……然う、今日のごはんも美味しいって。
……どこまでも、楽観的。
ははは……。
……。
……ふぅ、からだがおもたいな。
はい、どうぞ。
……ん。
熱いから。
……すこしさましてから、のむ。
……。
あとは、みずのさんのぶんだ……。
……。
……~~♪
ごきげんね、躰が怠いだろうに。
……ん、ふふ。
木野さん……?
んー……しあわせだなぁって。
……食べ終わったら、休んだ方が良いわね。
ふふ……ふふ。
……。
ん、みずのさん、いつもよりもすくなくない……?
いつもと変わらないわ。
そうかなぁ……すくないようなきがするけどなぁ。
さぁ、食べましょう。
ふふ……うん、たべよう。
……いただきます。
いただきまぁす……。
……やっぱり、どこかおかしい。
なにが、おかしいんだい……?
……別に、なんでもないわ。
そぉ……?
……然うよ、だから気にしないで。
こんやは、いっしょにねむれない……?
……は。
かぜ、あるいは、いんふるえんざだったら、だめだよねぇ……。
……今夜は、床で寝る。
だめだよ、みずのさんはべっどで……。
ベッドは木野さん、それ以外は認めない。
……。
良いから……今夜は黙って、私の言うことを聞いて。
……ひとりで。
一緒には寝られないけれど、傍には居るから。
……よんだら、へんじをしてくれる?
起きていたら……してあげても良いわ。
……みずのさん。
今……?
……へへへ。
……。
かれーどん、おいしいねぇ……。
……。
おいしいよ、みずのさん……。
……あなた、誰?
え……?
……誰なの。
あたしは……まことだよ。
……。
まことじゃ、ないみたいかい……?
……ええ、木野さんではないみたいだわ。
ふふ……みずのさんはやっぱり、するどいなぁ。
……昔のあなたなの。
ううん、ちがうよ……あたしは、いまのあたしだ。
……。
あたしは、まことでしかない……ほかのだれかになんて、なれないよ。
……若しも、ふざけているのなら。
ふざけて……?
……わざとおどけて見せて、私を揶揄っているの。
みずのさん……どうして、おこっているの。
……あなたが。
しんじ、られない……?
……。
ごめんよ……それでもあたしは、まことなんだ。
……。
……ごめん。
あぁ、もぅ……。
……え。
ごはん、食べて。
え、あ……うん。
……。
……おいしい。
木野さん。
……なぁに?
兎に角、食べたら休んで。
休んだら、ベッドで寝て。
……みずのさんは、どうするの?
私は……少し勉強してから寝る。
……おふろは?
シャワーで済ます。
それじゃ、からだがあたたまらない……おふろに、はいったほうがいいよ。
……面倒だから。
めんどうでも……。
……良いと言っているの。
……。
シャワーを浴びて、髪の毛を乾かしたら私も休むから。
……べんきょう、しない?
するのは、シャワーを浴びるまで。
……。
……。
……すーぷも、おいしい。
然う……良かったわね。
ふふ……やっぱり、おいしい。
……。
ねぇ……そばに、いてくれる?
……居るに決まっているでしょう。
きまっているの……?
……それとも、どこかに行った方が良いの。
いやだ、どこにもいかないで。
……だったら。
よんだら、へんじをしてくれる……?
……。
……して、くれない?
すれば、良いのでしょう……。
……ううん、ねてたらしなくてもいいよ。
は……。
……ふふぅ。
……。
なんだか、しあわせなきぶんだ……。
13日
おしるこ?
お昼にドリアを食べたからかな、甘いのが飲みたくて。
ドリアは別に関係ないでしょう。
うん、ただの口実。
甘い飲みものなら、他にも色々あるわ。
その中でもおしるこって、特に甘そうじゃない?
……然うかしら、ココアも十分甘そうだけれど。
ココアとおしるこでは、甘さの種類が違うだろう?
分からなくはないけれど、例えば、どう違うと言うの。
おしるこは小豆に砂糖の甘み、ココアはカカオに砂糖の甘み。
はぁ。
あれ。
もう少し、考えられなかったの。
じゃあ、和と洋?
うん、もう良いわ。
チョコレートケーキとあんみつの違い、かな。
ココアとチョコレートはどちらもカカオ豆を原料としているけれど、製造過程は違っていて、味も異なるから同じには出来ない。
じゃあ……ココアケーキとあんみつの違い。
……。
ね、違うだろう?
……然うね、違うわね。
ココアでも良かったんだけど、今のあたしはおしるこの優しい甘みが欲しくてさ。
喉、乾かない?
多分、乾くと思う。
……まぁ、木野さんがおしるこで良いのなら私は構わないわ。
見て、水野さん。
何。
お餅入りだって、珍しいね。
然うね……はしゃいで飲んで、うっかり喉に詰まらせないようにしてね。
はは、流石にそこまでうっかり者では
……。
うん、気を付ける。
大丈夫だとは思っているけれど、念の為。
……心配?
だとしたら、何。
ありがとう。
言っておくけれど。
うん。
喉に詰まったふりなんかしたら、絶対に許さない。
そんな悪質なことはしないよ。
したら、その時点で別れるわ。
あたしはそこまで莫迦じゃない。
……。
だからしない、絶対に。
……良く噛んで食べて。
はい。
……。
ふふ。
……なに。
なんでもない。
……。
ねぇ水野さん、水野さんも飲んでみる?
……その気持ちだけで十分よ。
欲しくなったら言ってね。
欲しくなったら、ね。
ん。
遅くなったけど、水野さんの。
ありがとう。
でも、ブラックコーヒーなんて珍しいね。
なんとなく、苦いものが飲みたくなって。
ふぅん、そっか。
木野さん。
なに?
欲しくなったら言って、一口くらいならあげても良いから。
ふふ……うん、分かった。
……。
きれいだねぇ、紅葉。
……未だ少し、早かったみたいだけれど。
来週あたり、また来てみようか。
もっと色付いていて、もっときれいだと思うから。
気が向いたらね。
来週も晴れたら良いなぁ。
雨が降ったら、確実に来ない。
冷たい雨に濡れて風邪でも引いたら大変だから、その時は中止にする。
おうちであったかいお茶でも飲みながら、ゆっくり
期末試験の勉強。
……雨が降ったら、3時のおやつにケーキを作っても良い?
どんなケーキを作るつもり?
んー……ベリー系、かな。
ベリー系、ね。
……水野さんは
ブルーベリー。
じゃあ……ブルーベリーを使った、ココアベリーケーキなんてどう?
しっとりしたものが良いわ。
分かった、しっとりしたものを作るよ。
但し、午前中は勉強。
はい、分かってます。
今日も、寝る前に勉強。
はい、頑張ります。
お散歩に付き合って貰ったので。
メリハリをつけることは大事だから。
二学期の期末試験も、水野さんに満足して貰える点数を取る為に頑張るんだ。
せいぜい、期待しているわ。
うん。
飲んだら、帰る?
それとも、もう少し眺めていたい?
んー、もう少しだけ良い?
仕方ないわね。
やった。
ありがとう、水野さん。
……どういたしまして。
それにしても、あまりひとが増えないね。
来た頃と大して変わってない気がする。
今日はもう、増えないと思うわ。
もう少し、居ると思っていたんだけどな。
今日は寒いから。
今日の最高気温は10度だったっけ。
それに加えて、今朝は放射冷却で冷えたでしょう。
そうそう、今朝は寒かったぁ。
ベッドから出たくなかったよ。
ベッドから出ようとする私にしがみついて。
それは……半分、寝惚けてて。
無駄に力が強いから。
……水野さんが居て呉れた方があったかいし、気持ち良いし。
もう少しで力を使ってしまうところだったわ。
良かった、目が覚めて。
これからは、寒くなる一方よ。
ん、小雪も過ぎたしね。
……。
開けようか?
自分で……やっぱり、開けて。
ん、任せて。
……。
はい、どうぞ。
……ありがとう。
どういたしまして。
木野さんは飲まないの?
ん、熱そうで。
まぁ、熱いでしょうね。
でも、そろそろ開けてみようかな。
開いてる方が冷めるの早そうだし。
これだけ冷えていると、思っている以上に早く冷めるかも知れないわ。
然うだよね。
だけど、熱い方が少しずつ飲むだろうから。
お餅を喉に詰まらせない?
小さくても、詰まる時は詰まるわよ。
怖いよね、お餅って。
怖いけど、日本人は好きよね。
お正月には外せない。
来年のお正月もお雑煮を作るの?
ん、作る。
然う。
要らない?
作ったら、食べるわ。
なら、作る。
お餅はひとつで良いから。
はは、分かってるよ。
……。
……苦い?
ブラックだから。
……おしるこ、欲しくなったら言ってね。
欲しくなったら、ね。
……。
……。
……ひとが居ないの、日が短くなったということもあるのかな。
ないとは言えない。
この時期、日が沈むとなんとなく侘しくなるもんなぁ。
だからではないけれど、暗くなる前には帰りたいと思っているわ。
飲み終わって、少し眺めてから帰ろう。
……。
ふぅ……もう少しかな。
……ねぇ。
ん、なんだい?
私のクラス、若しかしたら学級閉鎖になるかも知れない。
学級閉鎖?
休みのひとがまた増えたの。
聞いてたけど……そこまで?
残念ながら。
やっぱり、インフルエンザ?
他にも、胃腸炎が数人。
胃腸炎……大変だなぁ。
他人事ではないわよ。
ん、より気を付けないといけないね。
私も、そのクラスに居るのだから。
……貰ってきそう?
分からない。
手洗いとうがいをしっかりして、栄養を取って、あったかくして、睡眠をいっぱい取ろう。
疲労が蓄積すると、免疫力が低下してしまうから。
結局は、それが一番の予防なのよね。
と言うわけで、今夜は早めに休む?
勉強してからね。
ん。
……。
……。
……おしるこ。
ん?
そろそろ、良いんじゃないの。
あたしも今、然う思っていたところ。
……。
それでは、いただきます。
……どうぞ、召し上がれ。
ふふ……。
……。
……ん、未だ少し熱い。
飲めない?
ううん、これくらいなら飲める……。
……。
……うん、甘い。
でしょうね。
結構、まったりしてる……。
おしるこだから。
……でも、どろっとはしてない。
していたら、缶では飲みにくいと思うわ。
……。
美味しい?
……うん、味は悪くない。
お餅は?
未だ、食べてない。
粒入り?
ん、粒入り。
恐らく、そのまま飲むと底に残るわね。
お餅も残るかなぁ。
沈まなければ、そのうち食べられるでしょうけど。
残りが少なくなったら、缶を横に振って沈む前に飲めば良いかな。
残したくないのならね。
よし、やってみよう。
……。
水野さん、若しかして笑ってる?
……笑ってない。
大丈夫、あたしも楽しいから。
……楽しいの?
おしるこ缶、たまには良いかもって思うくらいには。
来年の夏は、冷たいおしるこ缶でも飲んでみたら?
冷たいのなんて、売ってたっけ。
売ってるわよ。
夏に、おしるこか……冷たいのなら、飲めるかな。
まったりしているかも知れないけれど。
……暑かったら、すっきり炭酸を選ぶかも。
無難。
それか、冷たいお茶かな……。
……持ち帰って、お茶と一緒に飲む分には良いかも知れないわよ。
あぁ、それなら良いかも。
どうせだから、手を加えて。
まぁ、そこまでして飲みたいと思うかどうかは分からないけれど。
……そこまでするなら、自分で作るかもなぁ。
実際、木野さんが作ったものの方が……。
……。
……。
……美味しい?
さぁ。
……ふふ、そっか。
顔が緩んでる。
……おしるこを飲んで、あったまったからだよ。
どうだが。
……ね、少し飲まない?
飲めないの?
……飲めなくもない。
緑茶でも買ってきたら?
それよりも……ブラックコーヒー、少し貰っても良い?
どうぞ。
……だけど、もう少し飲んでから。
飲むというより、食べるに近そうね。
……ちょっとしたおやつにはなるよ。
帰ったら、渋いお茶でも淹れてあげるわ。
ん……ありがと。
……。
……飲んでると。
何。
……無言になっちゃうよね。
飲みながら話せるほど、器用ではないもの。
ふふ……あたしもだ。
……。
ん、甘い……。
……木野さん。
ん……?
……おしるこ、少し貰ってあげるわ。
ほんと?
……仕方ないから。
甘くて、美味しいよ。
それはもう、聞いた。
はい、コーヒー。
うん。
……。
……コーヒーの良い香り。
無糖だから、甘くないわよ。
今のあたしには丁度良いよ。
……。
……。
……ん。
どう?
……。
……水野さん?
……。
ど、どうした?
……おもち。
お餅?
も、若しかして、喉に?
……急に出てくるのね。
だ、大丈夫そう?
……そんなへま、私がすると思うの?
思わない、けど……万が一、ということもないとは言えないから。
……お餅は、いまいちだわ。
いまいち……味?
……。
美味しくない……?
……食べられないほどではない。
……。
木野さんは食べていないの?
ん……出てこなくて。
そのせいだわ。
……え?
一度にふたつも出てきたのは。
ふたつも?
……未だ、残っているとは思うけど。
いや、喉に詰まらせないで良かったよ。
……。
本当に良かった。
……コーヒー、飲まないの?
ん、飲む。
……。
……ん、苦い。
ブラックの無糖だから。
……甘いのを飲んだ後だから、余計に苦い。
でも、すっきりしたでしょう。
ん、甘いのがどこかに行ったような気がする。
良かったわ、甘いココアにしなくて。
そしたら、緑茶を買いに行ったかも。
……。
ありがとう、水野さん。
……もう良いの?
水野さんの分がなくなってしまうから。
もう一口くらいなら良いわよ。
と言うより、取っておきたい。
おしるこを飲み終わった時の為に?
だめかな。
はぁ、仕方ないわね。
おしるこ缶、おやつに食べるには良いと思う。
そこそこ美味しいし、小豆も悪くない。
冬ならば、躰が温まるわ。
うん、結構ほかほかになるよね。
……。
……お。
やっぱり、甘い。
……ふふ。
なぁに?
お正月、おしるこも作ろうかなぁって。
作るなら、甘さ控えめで。
はい、了解です。
12日
-やすらぎ(現世3)
今日のお夕飯?
うん、何か食べたいものはあるかい?
特にはないけれど。
そっか。
木野さん。
ん、やっぱりある?
今、朝食を食べているところよね。
うん、然うだね。
お昼を飛ばして、お夕飯の話なの。
お昼はまぁ、大体決まっているんだ。
何を作るつもり?
寒いから、熱々のドリアを作ろうと思ってる。
丁度、昨日のごはんが残っているものね。
然うなんだ、それで具は何が良い?
大体決まっているのではなかったの?
具は考え中。
木野さんに任せるわ。
水野さん。
何。
鶏肉とベーコンときのことブロッコリーと玉葱と白菜とツナとトマト、どれが良い?
結構あるわね。
うん、然うなんだよ。
だから、悩んでて。
……。
ねぇ水野さん、どれが良いだろう?
幾つ選択出来るの。
んー、多くて三つかな。
もう一度言って呉れるかしら。
聞き流した?
確認の為よ。
ん、分かった。
まずは、鶏肉、ベーコン、きのこ。
うん。
それから、ブロッコリー、玉葱、白菜。
……。
あと、ツナ、トマト、ピーマン。
ピーマンが増えてる。
そうそう、ウィンナーもあった。
……。
ん?
もうない?
うん、もうないと思う。
……ありそうね。
あったら、ごめん。
とりあえず……お肉は、鶏肉とベーコン、ウィンナー。
うん。
お野菜は、ブロッコリーと白菜、ピーマン、トマト。
然うだ、ほうれん草もあったんだ。
……つまり、今現在、冷蔵庫に残っている野菜ね。
じゃが芋もあるけど、お米にじゃが芋は重いかなって。
じゃが芋は煮物が良いわ。
じゃあ、じゃが芋は肉じゃかにしよう。
最後に、ツナときのこ。
きのこはね、しめじとえのき。
……。
どれが良い?
……なんでも良い。
あ、考えるのが面倒になった。
もう何でも良いわ、これだけあると。
水野さんの頭なら、一瞬で決まると思ってたのに。
ばかなの?
はい、すみません。
はぁ。
……肉は、鶏肉で良い?
良いわ。
……野菜は。
どうしても考えさせたいのね。
朝食を食べている最中だというのに。
……ブロッコリーと。
えのき。
鶏肉とブロッコリー、それから、えのき。
よし、それで作ろう。
決まって良かったわね。
うん、良かった。
……。
それで、夕飯のことなんだけど。
……今朝は食べることばかりね。
こう、輪郭ぐらいは考えておきたいと思って。
何も決まっていないの。
未だ、朝だからさ。
なら、お昼を食べてからにして。
お昼?
学校だと、お昼休み頃から考え始めるでしょう。
今から決めておいた方が、動きやすいんだ。
お昼の後でも良い。
良いけど。
じゃあ、良いわね。
……朝は目玉焼きトーストとコーンポタージュ、昼は鶏肉とブロッコリーとえのきのドリア。
……。
パン、ごはん……。
……いつものことではあるけれど。
うん?
朝から決めておいて、気が変わったらどうするのかしら。
気が変わったとしても、チキンライスがオムライスになるくらいで、そこまで大きくは変わらないから。
分からないわよ、今日こそは大きく変わるかも知れない。
水野さんは基本、美味しく食べられればそれで良いという考えの持ち主だろう?
然うだけど。
であるならば、今日も屹度、そこまでは大きく変わらないと思うんだ。
然うだと良いわね。
うん……それで、何か思い付いた?
今朝の目玉焼きトーストは、まぁまぁね。
あ、本当?
パンの焼き加減が悪くないわ。
ふふ、良かった。
今朝の目玉焼きトーストは、久しぶりにバターで焼いてみたんだ。
今朝の私には少しくどいけれど、食べられないほどではないわ。
そっか、じゃあ次は控え目にするね。
然うして。
コーンポタージュは?
ほんのりと甘い。
口に?
合っていなければ、食べていない。
うん。
次はじゃが芋のポタージュが食べたいわ。
分かった、憶えておくよ。
煮物も悪くないけど。
ポタージュにしても美味しい。
……。
バターって、美味しいよね。
……木野さんはバターが好きよね。
うん、お菓子にも使うしね。
水野さんは、好きかい?
今更?
確認の為に。
嫌いではないわ、香りも悪くないし。
お腹空くよね、バターの匂いを嗅ぐと。
カレーとどちらが空くの?
カレーと?
バター。
あー……それは難しい問いだなぁ。
私はその時による。
その時?
然う、その時。
なら、あたしも
真似しないで?
えー。
で?
んー……時間帯にもよるけど。
夕方だったら?
カレー、かな。
然う。
……カレーライスにしようかなぁ。
カレーのおうどんが食べたいわ。
カレーのおうどん……カレーうどん?
わざわざ言い直さなくても、それ以外ないでしょう。
いや、たまに水野さんの品の良さを感じて。
まるで普段の私には品がないような言い方ね。
そんなことはないよ。
ふぅん、まぁ良いけど。
あんな女の子供に品があるわけないし。
亜美ちゃんとあのひとは全然違うよ。
……然うかしら。
反面教師と言うだろう?
……当て嵌まるかどうか。
当て嵌めよう。
ふ……何よ、それ。
でも実際、然うだと思うんだ。
……然うだと良いのだけれど。
然うだよ。
……あなたが言うから、間違いないとでも?
あたしは、然う思っている。
……あ、そ。
うん。
ねぇ。
なんだい?
今度、バジルでも千切って添えてみたら?
バジル?
目玉焼きト―ストに、ちょっとしたアクセント。
あぁ、良いかも知れない。
目玉焼きはオリーブ油で焼くと良いかもね。
確かに。
バジルを使うなら、サラダ油よりもオリーブ油の方が良さそうだ。
試しに作ってみたら?
うん、今度作って……食べて呉れる?
美味しかったらね。
なら、美味しく作ろう。
オリーブ油は沸点が違うから。
ちょっと調べてみるよ、若しかしたら焼き方にコツがあるかも知れない。
付き合ってあげても良いわ。
ふふ、ありがと。
木野さん。
なんだい、水野さん。
代わり映えがしないものも悪くはないわ。
美味しければ、だろう?
当然。
それで、夕飯のことなんだけど。
戻るのね。
カレーのおうどんで良い?
嫌。
あれ。
カレーうどんと言っていれば、それで良いと返したのに。
あー、失敗した。
揶揄い?
違うよ、あたしも上品に言ってみたくて。
ばかね。
はい、ごめんなさい。
あなたのせいで、振り出しに戻ってしまったわ。
うん、惜しかった。
いっそ、私には聞かずに。
水野さんの希望を聞いてからじゃないと決められないから。
難儀ね。
本当にカレーうどんじゃだめ?
その気分ではなくなったわ。
それ以外、特に思い浮かばない?
今は何も。
……うん、失敗した。
だけど。
……うん?
温かいもの。
温かいもの?
寒いから。
なら……鍋はどうだろう?
また?
……う。
またお鍋?
……野菜が、残っていて。
野菜ね、確かに残っているわね。
白菜がねぇ、もう半玉残っているんだよね。
白菜だけではないでしょう?
……安売りだったから、つい。
……。
ここのところ、鍋が続いていたし……。
……手軽だから。
いい加減、鍋じゃない方が良い?
折角の休みだし。
別に、鍋でも構わないわ。
……良いの?
嫌なわけではないし。
……飽きない?
飽きない。
……助かる。
で、今日のお夕飯もお鍋で決まりなの?
んー……。
何、未だ決まらないの?
味ならお醤油でもお味噌でもお塩でもなんでも良いわよ。
……カレーライス。
は……?
……野菜のカレーライスはどうだろう?
お鍋はどこに行ったの。
……たまには、野菜のカレーライスも良いかなって。
……。
あ……だめ?
はぁ……別に良いわよ、野菜のカレーライスでも。
ほんと?
本当。
野菜は、
木野さんが適当に決めて。
分かった。
もう、良いわね。
……白菜。
……。
白菜と……ツナ。
うん、白菜とツナのカレーにしよう。
気分でなくなったら、言うわ。
うん、言って。
……。
それじゃあ、今日の予定を
午前中は勉強。
あ、はい、それは勿論です。
お昼を食べてからは。
お散歩に行かない?
紅葉を見に?
そろそろ、色付く頃だと思うんだ。
良いわ、付き合ってあげる。
やった。
風邪を引かないように、暖かくして行かないと。
躰が冷えてしまう前に、あったかいのを買って飲もう。
ええ。
ふふ、楽しみだな。
子供。
あはは。
全く。
天気が良くて良かったね。
はいはい、然うね。
へへ。
……。
……。
……やっと静かになった。
え、何?
なんでもない。
然う?
然うよ。
そっか。
……。
……白菜のカレーだから、少し甘くなるかも。
別に構わないわ。
……ん、そっか。
今は、だけど。
ん、分かってる。
……。
……。
……木野さん。
なに?
……明日の朝なのだけれど。
え。
……やっぱり、良い。
聞かせて。
……。
お願いします。
……明日の朝は、アップルシナモントーストが食べたいわ。
アップルシナモントーストだね、なら明日の朝はそれにしよう。
わざわざ繰り返さなくても良いから。
定員さんが注文を取る時って、繰り返して呉れるだろう?
あなたは私の注文を取りに来た店員さんなの?
間違いがないように、確認の意味を込めて。
ふ。
はは、鼻で笑われちゃった。
楽しみにしているわ。
ん、楽しみにしてて。
特に、パンの焼き加減。
うっかり焦がしてしまわないよう、気を付けます。
多少のお焦げなら、構わないわ。
ん。
黒焦げは論外。
あたしも無理かなぁ。
ね、バターとマーガリン、どちらが良い?
然うね、バターかしら。
じゃあ、明日もバターだね。
程良く、ね。
ん、程良く。
ところで、あまり残っていないと思ったけれど。
バター?
然う。
そろそろ買っておきたい。
然う、じゃあ帰りにでも。
うん、然うしよう。
……。
水野さん、ポタージュのお代わりはどう?
今はもう良い。
お昼になったら食べるわ。
ん、分かった。
それよりも、お茶が欲しい。
お茶だね、任せて。
……。
~♪
……ごきげんね。
とってもね。
……。
~~~♪
……お昼は。
ん、なに?
私が淹れてあげるわ。
うん、ありがとう。
……。
~~♪
11日
お帰りなさい、まこちゃん。
ただいま、亜美ちゃん。
雨、降り出しちゃったよ。
然うみたいね。
未だ小降りだから、今のうちに……支度はもう、出来ているよね?
うん、もう出来ているわ。
良し、じゃあ行こっか。
拭かなくて大丈夫?
大丈、わ。
時間なら、未だあるから。
……でも、雨が。
濡れたままでは、まこちゃんが風邪を引いてしまうかも知れない。
……濡れたと言っても。
良いから、拭いて。
はい……じゃあ、少しだけ。
……少しと言わず、ちゃんと拭いてね。
ん……分かってます。
……。
タオル、ふかふかで気持ち良い……。
……思っていたよりも、早かったけれど。
ん……?
走ったの?
うん、走った。
……私が、無駄に時間を使ってしまったから。
亜美ちゃんのせいではないよ。
それに、あれは無駄な時間ではなかった。
……。
タオル、ありがとう。
……もう、良いの?
うん、あまり濡れて……。
……。
もう少し、しっかりと拭こうと思います……。
……然うして、今日は気温が低いみたいだから。
……。
走って行ってきて、今は熱いかも知れないけど……躰は、汗で冷えるものだから。
……うん。
……。
……ねぇ、亜美ちゃん。
なぁに……まこちゃん。
……家が近いって、良いよね。
うん……然うね。
……走れば、往復20分も掛からない。
それは、まこちゃんの足が速いからよ。
……亜美ちゃんだって、それくらいだろう?
私の足では、もう少し掛かるわ。
……然うかなぁ、大して変わらないと思うけど。
持久力が違うの。
……水泳では、敵わない。
水泳と長距離走は、違うものだから。
……。
それにまこちゃん、中学生の頃よりも足が速くなったでしょう?
……ん、少し速くなった。
今でも、陸上部に勧誘されて……陸上部だけじゃない、他の部活からも。
……あたしは料理研究会と、園芸部の手伝いだけで手いっぱいだから。
……。
それに、毎日放課後遅くまで練習で残るのは嫌なんだ……ごはんを作るのが遅くなっちゃうからさ。
……大会前は、特に遅くなるものね。
朝も、早いし……何より、亜美ちゃんと登下校出来なくなってしまうのが嫌だ。
……私が合わせても。
朝はそれで良いかも知れないけど……放課後は、然うはいかないだろう?
部によっては、合宿もあるみたいだし……部屋の植物達をほったらかしには出来ないよ。
……家の都合で、断ることは出来ないのかしら。
出来なくもないだろうけど……運動部、特に集団スポーツは団結が大事だって言われているみたいだから。
……強制参加?
うちの学校でそこまでする部はないだろうけど……聞くと、色々面倒臭そうなんだ。
……。
亜美ちゃんも、聞いたことぐらいはあるだろ……?
……聞いたことぐらいなら。
煩わしいことは、したくない……そんなことをしている暇があるのなら、亜美ちゃんと過ごしたい。
……。
……そうそう、植物達にも挨拶をしてきたんだ。
応えて呉れた……?
……ん、応えて呉れた。
様子は見たの……?
……うん、見たよ。
元気だった……?
……元気だった、どの子も問題なし。
良かった……。
……今の時期は、水やりをあまりしなくて良いから。
でも、様子はちゃんと見ないと……でしょう?
ん……然うなんだ。
……。
はぁ、良い匂いだな……。
……タオル?
うん……とても良い匂い。
……。
ん……亜美ちゃん?
……最後の仕上げを。
仕上げ……?
……片手だけれど、良いでしょう?
うん……お願いします。
……。
時間、大丈夫かな。
未だ、大丈夫……帰ってくるのが、早かったから。
……うん、走って良かった。
……。
……。
ん……これで良し。
……ありがとう、亜美ちゃん。
ううん……したかっただけだから。
……タオルは、洗濯機に。
あ……。
置いておいても、大丈夫かな。
ん……タオルくらいなら、大丈夫。
じゃあ、ちょっと置いてくるよ。
ありがとう。
……。
……7時半過ぎ、いつもと同じくらい。
亜美ちゃん、お待たせ。
ん。
じゃあ改めて、行こうか。
ええ、行きましょう。
その前に、雨の確認を。
ん。
……。
……。
んー……若しかして、止んでる?
うん……止んでいるみたい。
良し、今のうちだ。
でも、傘は持って行かないと。
折り畳みじゃ駄目かな。
今日は一日、本降りの雨だと言っていたから。
じゃあ、亜美ちゃんは折り畳み傘を。
あたしは、大きい傘を。
……。
あたしが亜美ちゃんの鞄を持つから、あたしの傘をお願い出来るかな。
……鞄は、自分で。
雨が降ったら、差して欲しい。
私が差したら、まこちゃんが濡れてしまうわ。
大丈夫さ、なるべく亜美ちゃんの傍を歩くようにするから。
……それでも。
そしたら……腕を組もうか。
然うすれば、密着出来るから。
……。
でも、歩くのに鞄が邪魔になっちゃうかな。
……大丈夫だと、思う。
然う……?
……一応、他の方法も考えておくわ。
ん、分かった。
……ねぇ。
なに?
お弁当袋は、私が持ちたい。
大丈夫だよ、手首に引っ掛けるだけだから鞄と一緒に持てる。
持たせて。
でも。
軽いものなら、右手でも持てるから。
……。
それに、雨が降らなければ左手は空いているから。
……あぁ、然うか。
だから、まこちゃん。
分かったよ、亜美ちゃん。
なら、お願いするね。
うん。
今日のお弁当は、そんなに重たくない筈だから。
……。
だけど、重かったら直ぐに言ってね。
一応、二人分入っているから。
……これなら、大丈夫。
ん。
……。
じゃあ、三度目の正直だ。
うん。
……。
行ってきます。
行ってらっしゃい、亜美ちゃん。
まこちゃんも、行ってらっしゃい。
うん、行ってきます。
……。
はは。
……ふふ。
雨、とりあえず止んで呉れて良かったね。
本当に。
学校に着くまで、降らないでいて呉れたら良いな。
ねぇ。
ん?
お弁当は、サンドイッチなのよね?
うん、簡単なものだけど。
簡単なサンドイッチだとしても……まこちゃんが作って呉れるサンドイッチは、どんなお店のものよりも美味しいから。
パン屋さんの方が、美味しいと思うよ。
ううん……私にとっては、まこちゃんが作って呉れるサンドイッチが一番なの。
一番……?
……初めて食べた時から。
……。
……今朝のホットサンドも、とても美味しかった。
んー……。
……なに?
もっと美味しいサンドイッチを作ってあげたいなって……。
……今よりも、もっと美味しく?
然う、今よりももっと美味しく。
……十分、美味しいのに。
それでさ、今度、パンを焼いてみようかと思って。
パンを?
元々、焼いてみたいと思ってたんだ。
サンドイッチを、パンから作るの?
然う、パンから作る。
……。
パンはオーブンと材料、あとは型かな、それらが揃えば家でも作れるんだよ。
……まこちゃんなら、作れそうだけど。
ね、パン作りなんて面白そうだろう?
……面白そうではあるけど。
だからさ、ふたりで一緒に作ってみない?
……ふたりで?
うん、亜美ちゃんの都合が良い時に……屹度、楽しいと思うんだ。
……。
楽しそうじゃなかったら、無理に……ん。
……興味はあるわ。
ある……?
パン作りなんて、それこそ化学だもの。
あぁ……ふふ、然うだろう?
いつ、作るつもりなの?
亜美ちゃんの右肩が治ってからな。
生地を捏ねるのに、力を使うだろうし。
……直ぐに治すわ。
ふふ……そんなに急がなくても良いから、確実に治して欲しいな。
……皆の分は作るの?
皆の?
……折角だし。
勿論、機会があれば皆の分も作るつもりだよ。
……うさぎちゃんと美奈子ちゃんが喜びそう。
だけどそれは、亜美ちゃんとふたりで食べてからだ。
……私は、実験台?
はは、然うとも取れるか。
ふふ……冗談よ。
でも、然うかも知れないよ?
それならそれで、私は構わないわ。
構わない……?
……失敗したかも知れないものを、食べさせて呉れるなら。
む……。
……いつだってあなたは、食べさせて呉れないでしょう?
まぁ、然うなんだけど……。
……食べても良い?
それは……あたしの誇りに懸けて、出来ない。
……誇り?
と、亜美ちゃんへの想い。
……誇りは分かるけれど。
大好きな亜美ちゃんに、失敗して美味しくないものを食べて欲しくないんだ。
……美味しくないと言っても、それはまこちゃんの基準が高いだけで。
だけど、パンは食べて貰うかも知れない。
……本当?
黒焦げ、生焼け、或いは、萎んでなければ……だけど。
……次のパンに繋げる為にね?
うん、忌憚のない意見を聞かせて欲しい。
ん、分かったわ。
出来るだけ早く、亜美ちゃんの好みのパンを作れるようになりたいし。
私は、まこちゃんの好みのパンを作れるようになりたいわ。
ふふ、なら失敗したのも食べなきゃだ。
焦げたのはだめよ。
はは、然うだね。
ねぇ。
なんだい?
パン、皆の分を焼く時は。
沢山食べるかも知れないから、それなりの数を焼かないとだめかなって思ってる。
残るかも知れないと思っても、いつも食べ切ってしまうものね。
然うなんだ。
うさぎちゃんと美奈子ちゃん、兎に角、あのふたりは良く食べて呉れる。
レイちゃんも、食べてはいるのだけれど。
それでも、あの二人ほどではないから。
レイちゃんは、自分の好きなものは確保しておくタイプなのよね。
そうそう……そっと、避けておくんだよ。
……だけどそれでも、うさぎちゃんに食べられちゃって、喧嘩になるの。
で、喧嘩しているふたりを尻目に美奈子ちゃんは食べ続けてるんだよね。
今回もやっぱり、多めに作った方が良いかも知れないわ。
うん、然うするよ……挟む具は何が良いかな。
具は……然うね。
一緒に考えて呉れると嬉しい。
ん……一緒に考えましょう。
……亜美ちゃんが食べたいものも、教えてね。
うん……教えるわ。
……然うだ。
え?
亜美ちゃんとふたりで食べる時は、ローストポークなんて作ってみようかな。
ローストポーク……?
ローストビーフも、作れたら。
皆には……?
数を作るとなると……流石に、あたしのお財布がまずいかも知れない。
……。
ハムか、ベーコンにしようと思う。
ほら、カリカリベーコンはうさぎちゃんも美奈子ちゃんも好きだろう?
ふふ……その時は私も出すわ。
へ。
ローストポーク、或いは、ローストビーフを作る時は。
や、亜美ちゃんにそこまでして貰うわけにはいかないよ。
あたしが好きで作って、好きで食べて貰うんだから。
美味しいお料理には、それに見合ったお礼を。
ん……?
……然う思って、受け取って。
亜美ちゃん……。
ね……良いでしょう、まこちゃん。
うん、分かった……正直、助かるよ。
……ううん、いつもご馳走になっているから。
……。
ん……?
……亜美ちゃんと、早く結婚したい。
んん?
……結婚出来なくても、早く一緒に暮らしたい。
え、えと……。
……はぁ、もう大好きだ。
あ、ありがとう……?
……どう、いたしまして?
……。
……ふふ。
もう、まこちゃんは……これから学校に行くというのに、何を言っているの。
だけど、あたしは本気なんだ。
……知ってる。
肩、大丈夫かい?
……まこちゃんが急にそんなことを言うから。
ごめん、刺激的だった?
……ばか。
はい、ごめんなさい。
……雨が降る前に、行きましょう。
うん、行こう。
……。
あ。
……何。
見て、雲間から光が差してるよ。
……。
なんだか、きれいだね。
……然うね。
晴れ間が広がって呉れれば良いんだけどなぁ。
残念ながら、然うはいかないみたい。
天気予報は外れないか。
……。
……ん?
……。
亜美ちゃん……?
……鞄が邪魔にならないか、試してみただけ。
折角だから、このまま途中まで……はい、然うですよね。
行きましょう、まこちゃん。
うん、亜美ちゃん。
10日
……。
……亜美ちゃん、朝ごはんが出来たよ。
……。
カモミールミルクティーは、未だ淹れてないんだけど。
……まこちゃん。
今、お湯を沸かしているんだ……沸いたら、一緒に淹れるかい?
……っ。
え。
……。
だ、大丈夫?
……右肩が、痛い。
そりゃ、打撲しているから……。
……あぁ、然うだったわね。
忘れていたの……?
……足が、潰れていたから。
足が……?
……右足。
足のことは、聞いてないけど……まさか、足も?
……。
若しかして、昨日はなんともなかったのに、今朝になって痛みが?
……気のせいだったみたい。
気のせい?
……然う、気のせい。
念の為、腫れていないかどうか見てみようか?
……。
し、下心ではないよ。
……後で制服に着替えるから、其の時で良いわ。
後で、大丈夫?
……あなたこそ、大丈夫なの。
あたし……?
……ジュピター。
は……。
……おかしい、記憶が混濁している。
昔の夢でも、見た……?
……二度寝なんて、するものじゃないわね。
多分、怪我をしているから。
……関係、あるのかしら。
夢は関係ないかも知れないけど……怪我をしていると、どうしても眠たくなるからさ。
……然ういえば、あなたは怪我をしている時、睡眠時間が増えると言っていたわよね。
うん、怪我をしていない時よりも躰が疲れやすくなるから。
……修復する為に、体力を消耗するから。
亜美ちゃんの二度寝も多分、然うだと思うよ。
起きた時、未だ眠たそうだったから。
……ソファに座ったまま、眠ってしまうなんて。
気持ち良さそうに寝ていたから、声を掛けなかったんだ。
……掛けて呉れれば、夢なんて見ないで済んだかも知れないのに。
まさか、昔の夢を見ているとは思わなくて。
……二度寝をすると、ろくな夢を見ない。
あぁ、それは分かるな……あれ、なんでだろうね。
……レム睡眠になり易いからでしょうね。
レム睡眠……って、夢を見やすい状態なんだっけ。
……内容が鮮明な夢は、レム睡眠中に多く見ると言われているわ。
鮮明過ぎて、起きても良く憶えているし……なんだったら、疲れている時もあるよ。
……良く憶えているの?
あぁ、今のあたしは憶えているんだ……。
……そんなに酷い怪我ではないのに。
理由は分からないけど、昔の何かと結び付いてしまったのかも知れない。
……あなたが、今の私に重なるなんて言うから。
うん……ごめん。
……違う、昔の私に重なると言ったから。
うん?
……私が、今の私に重なるわけがない。
亜美ちゃん……?
……ねぇ、美味しいお茶が飲みたいわ。
カモミールミルクティーで良いかい……?
……ええ、構わない。
一緒に……。
……あなたが、淹れて呉れるのなら。
……。
然う然う……淹れ方を教わるんだったわね。
ごはんは、どうだろう……食べられそうかい?
……其れは、大丈夫。
ん、そっか……良かった。
……向こうから、良い匂いがするわ。
お腹は、空いてる……?
……空いているのではないかしら。
スープ、ちょっと多めに作ったからさ、お代わり出来るよ。
……食べられそうだったら、お代わりしてあげても良いわ。
うん。
……野菜は、収穫したもの?
え、収穫?
……。
野菜は昨日、スーパーで買ってきたものだよ。
今のあたしは、未だ、畑を作っていないから。
……畑が、ない。
今現在、畑を作れる場所がないんだ。
……荒らされたから、ではないのね。
若しも作れる場所があるのならば、作ってみたいと思っている。
……其の時は、私と?
知恵を貸して呉れたら、嬉しく思う……。
……仕方ないわね。
ん、ありがとう……。
……呼んで呉れないの。
呼んで……?
……呼びたくないのなら、良いけれど。
亜美ちゃん。
……。
マーキュリーじゃないだろう?
……ええ、違うわ。
うん……。
……あぁ、鬱陶しい。
大変そうだね……。
……話していて、どこかおかしいと感じたら直ぐに私の名前を呼んで。
呼べば、落ち着く……?
……明瞭になるから。
分かった……直ぐに呼ぶよ。
……はぁ。
昔の夢を見るなら……。
……小さい頃のことでも、ろくでもない内容だろうから。
……。
冷え切った家、冷たい部屋にひとり、他人行儀な両親……夢であろうと、二度と見たくない。
……ごめん。
別に、気にしないで良いわ……。
……。
私の人生は、うさぎちゃんと……まこちゃんと出逢ってから、始まったと思っているから。
……ねぇ、亜美ちゃん。
なに……。
一度、顔を洗った方が良いかも知れない。
あぁ、然うね……然うするわ。
じゃあ、行こうか。
大丈夫……ひとりで行けるから。
分かってる……だけど、心配だから。
……相変わらず、心配性。
厄介なんだ……頭の中が、ぐちゃぐちゃになっている時って。
……。
今の自分……昔の、自分ではない自分。
ともすれば、飲み込まれてしまいそうで。
……安心して、其処まではしないわ。
え……?
……私達はもう、終わった存在なのだから。
マー……ううん、亜美ちゃん。
……本当、厄介ね。
厄介だけど……一時的だ、過ぎ去ってしまえばどうってことはない。
……。
取り敢えず……ん。
……ねぇ。
どうした……?
……ジュピターみたいね。
え、然うかな……。
……やっぱり、あのひとに似ているわ。
亜美ちゃん……今のあたしは、まことだよ。
分かっている……分かっているの。
……終わった存在だと。
だけど、知りたいのよ……。
……ん、マーキュリー。
ふふ……。
……あ。
呼んでしまったわね……。
……しまった。
良いのよ……あなたは今、ジュピターなのだから。
違う……あたしは。
ユゥ。
……っ。
ごめんなさい……一瞬、だけだから。
……メル。
確認しても、良い……?
……あぁ、勿論だ。
右肩から下は、付いている……?
……右肩から、下?
動く……?
あぁ、ちゃんと付いているし……問題なく、動くよ。
……少し、動かしてみて。
ん、分かった……。
……ん。
此れで、どうだろう……?
……抱き締めて、とは言っていないわ。
うん、言われていない……此れは、あたしが勝手にしたことだ。
……ばかね。
相変わらず、なんだ……。
……気を付けて、今の私は右肩を痛めているようだから。
あぁ……痛む?
……取り敢えず、大丈夫だけれど。
なら……少しの間、此のままで。
……。
マーキュリー……。
……生きていると、温かいわね。
あぁ……とても温かい。
……目は、見える?
見える……今日も、マーキュリーはきれいだ。
……そんなことは、聞いてない。
折角だから、言いたかったんだ……。
……躰は、重たくない?
重たくない……ゆうべ、良く眠ったから。
……畑は、無事?
畑……部屋の緑は、きれいだよ。
……緑の部屋?
あの頃の部屋とは、違うけれど……マーキュリーも、何度も見ているだろう?
……良く手入れされているわ。
其れは、然うさ……。
……畑は。
いつかまた、作りたいと思っている……まぁ、なかなか難しいようだけれど。
……作りたいのは、あなたではなくて?
いや……どうやら今のあたしも、作ってみたいと思い始めているようだ。
……カモミール、だったかしら。
其れだけでなく、他のものも……然う、ふたりで食べられるものも作りたいと、屹度思うようになるだろう。
……思うかしら。
多分。
だとすれば……此の場所では難しいわね。
ふたりで、広い場所に行けば良い……屹度、ある筈だ。
……だとしても、然う簡単なことではないようだから。
手伝って呉れると、嬉しい……。
……屹度、出来る範囲で手伝うと思うわ。
然うだと、良いな……。
……。
……此の世界は、どんなものが育つのだろう。
大して変わらないと思うけれど……。
……。
まぁ……いつか、分かるでしょう。
マーキュリー。
……違うわ。
もう……?
……一瞬だと、言ったから。
じゃあ……亜美ちゃん。
……ん。
肩は、大丈夫かい……?
……大丈夫よ、痛くないわ。
……。
顔を、洗ってくる……。
……あたしも、洗いたい。
……。
……ん、亜美ちゃん?
……。
どうして……。
……分からない。
まだ、ぐちゃぐちゃに……。
……感情が、溢れてくる。
それは、どんな……。
……分からないの。
……。
ただ……涙が溢れて、止まらない。
……今日。
ん……。
……学校、休もうか。
だめよ……昨日は、早退しているのだから。
……一日くらい、休んだって。
母が、帰ってくるから。
……あたしの部屋に行けば良いさ。
緑の部屋……?
……らしいね。
……。
……判断は、亜美ちゃんに任せるけど。
学校に、行くわ……。
……やっぱり、然うだよね。
……。
……涙が、止まるまで。
時間が、勿体ないから……。
……だけど。
朝ごはんが冷めてしまうし……お湯も沸かしているのでしょう?
……あぁ、然うだった。
一度、火を止めた方が良い……。
……ん、然うする。
……。
……。
……外が、明るいわ。
夜が、明けたから……。
……此の世界は、光に溢れているのね。
あぁ……然うだよ。
……光明。
怪我の……?
……字が違う。
ん、然うか……。
……銀水晶の光なんて、なくたって。
此の世界は……光に満ちている。
……。
……けれど、其の未来は必ず来る。
ええ……分かっているわ。
……未来も、光に溢れていると良い。
屹度、大丈夫……。
……大丈夫?
此の世界の……プリンセスなら。
……君が、然う言うのなら。
……。
……。
……痛い。
え……。
……少し、力が入ったみたい。
もう、離れようか……。
……涙も、止まったことだし。
ん、良かった……。
……。
……顔、洗いに行こうか。
ええ……行きましょう。
顔を洗ったら、ごはんにしよう。
ホットサンド、美味しく出来たと思うんだ。
……あなたが手を加えて呉れたんだもの、美味しくないわけがない。
……。
ん……まこちゃん。
……今日も、大好きだ。
私も……。
……愛してる。
9日
……。
……マーキュリー、居る?
ん……。
……うん、見つけた。
ジュピ、ター……。
……遅くなって、ごめん。
来て、呉れたの……。
うん……来たよ。
……どうして、私のところに。
一番に見つけるって、子供の頃にも言ったろ……。
……此れは、かくれんぼではないわ。
似たようなものだよ……マーキュリーを探して、此処まで来たんだから。
……私よりも、行かなくてはいけない場所が。
そんな場所、ないよ……此れまでも、此れからも。
……ばかね。
はは……。
……。
……大丈夫かい?
私よりも、あなたの方が……。
あたしは……見た通り、大丈夫だよ。
……全然、大丈夫には見えない。
見掛けより、酷くないんだ……少し、痛いけど。
……少しではないでしょう。
少しだよ……なんでか分からないんだけど、あんまり感じないんだ。
……感じないって。
重たいだろう……今、退かしてあげるから。
……。
……水星の皆で、マーキュリーを守って呉れたんだね。
最後まで、守られて……。
……其れだけ、皆に慕われていたんだよ。
私は、何もしていないのに……。
ううん……そんなことはない。
マーキュリーだって、皆を守っていたさ……。
……。
ちゃんと、水星の民達のことも考えて……無駄に、壊されてしまわないように……己の身と心を、削って。
……全てが、駒。
駒……。
……マーキュリーに、とっては。
然うだとしても……マーキュリーは、木星の民にも慕われていたよ。
……。
ん……しょ。
……無理、しないで。
大丈夫、してない……。
……。
あぁ、やっぱり重たくなっちゃうな……出来るだけ、丁寧に退かしてあげたいんだけど。
……ひとり、またひとりと。
うん……?
……息が、絶えてゆくの。
……。
……呼吸を、成る可くしないようにと。
マーキュリーは、気配を消すのが得意だから……。
……だから、突き刺して行ったわ。
突き刺して……。
……ねぇ、ジュピター。
なに……。
……此処はね、自爆したの。
自爆……?
……いよいよと言う時に、皆で、己の水気を全て暴発させた。
水気を……。
……其れは、次々と連鎖して……侵略者達を、薙ぎ倒した。
マーキュリーは……。
……私も、其のつもりだったのに。
止められたんだね……。
……守護神、だから。
あたしも、同じだよ……。
……ジュピターも。
守護神だからこそ、最後まで生きなくてはいけない……。
……守護神なんて、好きでなったわけでは。
と言うのは、口実で……。
……こうじつ?
最後まで、生き残って……守って欲しいと。
……プリンセスを、でしょう。
いや、違う……。
……。
あたしが、守るべき者は……水星のお姫様だ。
……すい、せい。
そんなの、皆に言われなくても、分かっているのにさ……。
……最後の、最後で。
離反、してしまったよ……だけど、良いだろう?
……水星の、民は。
申し訳が、立たない……水星の皆に会ったら、木星の皆で謝るつもりだ。
……謝らなくて、良い。
でも……。
……私達も、似たようなものだから。
似たような……。
……誰ひとり、プリンセスを守ろうだなんて考えていなかった。
あー……。
……然う、最後の最後で。
……。
ねぇ……叛逆の咎って、どれくらい重たいのかしらね。
執行人である、マーズに聞けば分かるかしら……。
……は。
ん……なに?
ははは……。
……可笑しい?
うん、可笑しい……。
……ふ。
マーキュリーも、可笑しい……?
……ええ、可笑しいわ。
だよねぇ……。
……ねぇ、知っているかしら。
なにをだい……?
……プリンセスは、死んだって。
あぁ、死んだのか……。
……知らなかった?
知らない……どうでも、良いから。
……青い星の王子が死んだから自死を選んだ、とか、青い星の王子と共に殺された、とか。
あぁ、然うかい……まぁ、そんなところだろうと、思っていたよ。
あれはどこまで行っても、弱々しくて、学ぶことも嫌いで、厳しいことからは直ぐに逃げ出して……どうにも、ならなかったから。
……死に方なんて、どちらでも良い?
どっちであろうと、あたしには関係ない……興味もない。
どうせ、死んだことには変わりないし……どうでも、良いよ。
……結局、民を守るだけの器なんて持ち合わせていなかったのよね。
民だけじゃない……月も、青い星もだ。
……クイーンになる者としては、欠陥品。
或いは、不良品……あたし達と同じように。
……今のも、大概だけれど。
全くだ……。
……はぁ。
大丈夫かい、マーキュリー……。
……大丈夫よ、安心しただけだから。
安心……?
……こんな時に、何を言っているのかしらね。
あたしが、来たから……?
……他の理由が、あると思う?
ないと、思いたい……。
……ないわ。
あ……。
……あなたが来て呉れて、本当に。
う、ん……。
……。
もう少しだよ、マーキュリー……。
……ええ、もう少しね。
ねぇ……水気も、暴発するんだね。
……するわよ。
雷気だけだと、思っていたよ……。
……水素、爆発。
すいそ、ばくはつ……。
……其れに、少し似ている。
良く、無事で……。
……皆の躰が、盾になって呉れたから。
……。
とは言え、無傷ではないのだけれど……。
……どこか。
先刻も言ったけれど……ご丁寧に、突き刺して行ったの。
……何を。
皆の、躰を……流石に、ひとりひとりでは、なかったようだけれど。
なんせ、五体が無事な子はほぼ居ないでしょうし……其れこそ、肉片になってしまった子も。
……だとしても、惨いことを。
仕方が、ないわ……ひとのこなんて、そんなものだもの。
……闇の力に。
いいえ……あれもまた、ひとのこの本性に過ぎない。
ふたりで、見て来たでしょう……青く、輝く星で。
……闇の力がなければ。
だとしても……ひとのこは、誰しもが、闇の心を持っている。
……。
……闇に支配されなかったと言う、あの王子でさえも。
あの王子……もう少し、上手くやって呉れると思ったんだけどな。
……ただの、愚か者だったわ。
まぁ、向こうも欠陥品だったんだろう……。
……そもそも、完璧な存在なんて居ない。
……。
完璧でないからこそ……誰かを、求めるのよ。
あぁ……其れは、然うだ。
……結局、誰しもがただの愚か者でしかなかった。
で、あるならば……。
……遅かれ早かれ、こうなっていたと思う。
若しも、クイーンが……。
……あれは傲慢なのよ、期待するだけ無駄。
傲慢……此の期に、及んでも。
……結局、見ているだけだった。
やっぱり……何も、しなかったのか。
……惨憺たる結果を見れば、自ずから分かることでしょう。
此れで、何かをしていたら……笑ってしまうな。
……屹度、あれは笑っていたのでしょうね。
だろうなぁ……心底、楽しげに。
……。
……ふぅ、此れで。
ジュピター……大丈夫?
大丈夫だ……問題、ない。
……あなたは、いつも、然う言うのよ。
うん……いつだって、然う言うよ。
……ばかなひと。
はは……。
……。
ごめん……待たせて。
……来て呉れたから、其れで良い。
一番に、見つけたかった。
……一番なのでしょう?
うん、他の者は見えないから。
……見えない?
……。
ジュピター、見えないって……なに。
……マーキュリーしか、もう、見えない。
あなた……。
……本当に、然うなってしまった。
あぁ……。
気が付いた時には、なんだか、あまり見えてなくてさ……だけど、マーキュリーだけは見えているから。
……そんなわけ、ない。
目だけじゃない、腕も……右肩から下が、動かないんだ。
躰は、血を流し過ぎたみたいで、重たいし……足は、動いて呉れるんだけど。
……。
此れは……色んなところを、交換しなければ駄目かなぁって。
……換えてあげたくても、もう出来ない。
出来ない……?
……全部、壊れてしまったから。
あぁ、然うか……然うだったね。
……本当に、分かっているの?
此処まで来るのに、色々、見て来たから……。
……あまり、見えていないのに。
あまり、見えなくても……臭いで、分かる。
……鼻は、正常に動いているのね。
ん……然う、みたいだ。
……此処を、離れましょう。
離れる……?
……少しでも、臭いが届かない場所に。
そんな場所、あるかな……。
……仮令、なくても。
あたしの……あたし達の畑、滅茶苦茶にされちゃったよ……。
……っ。
収穫、出来るものが……マーキュリーと食べようと思っていたものが、みんな、踏み荒らされてしまった。
……あんな、場所にまで。
また、一から作り直しだ……ねぇマーキュリー、手伝って呉れるだろう?
……私は。
あぁ、嫌かい……?
……嫌じゃない、ふたりでまた作り直しましょう。
うん……然うしよう。
……未だ、動ける?
動けるよ……マーキュリーは、動ける?
……ええ、動くわ。
動く……?
……ぅ。
マーキュリー……?
……。
足が、動かない……?
……一本ぐらい、潰れていたって。
潰れ……。
……もう一本、残っているから。
まさか……。
……鈍らだったおかげで、軽傷で済んだみたいなの。
軽傷だったら、潰れたなんて言わない……。
……あなたのような、頑丈な躰だったら。
足は、二本ないと、歩けないよ……。
……引き摺って、行けば。
あたしが、背負う……。
……ジュピター。
大丈夫だ……マーキュリーは、羽のように軽いから。
……無理よ、そんな躰では。
足は、潰れていない……腕は左が残っている、一本でもあれば大丈夫だ。
……今のあなたでは、ふたり分の体重を支えることなんて出来ない。
平気さ……マーキュリーなら。
……。
横抱きが出来れば、良いんだけど……一本だけだと、荷物を運ぶようになってしまうから。
……自分で。
取り敢えず、起き上がれるかい……。
……其れくらい、造作もないわ。
……。
……支えて、呉れなくても。
したいんだ……。
……。
あぁ……マーキュリーの、きれいな顔が。
……汚れている私は、嫌い?
嫌いじゃない……けど、きれいにしてあげたい。
……水気が、残っているから。
其れを使ったら、気付かれない……?
……静か、でしょう。
静か……?
……喧騒が、まるで聞こえない。
あ、確かに……。
……多分、終わったのだと思う。
終わった……。
……光が、見えた。
光……。
……あれは屹度、銀水晶の光。
と言うことは、クイーンが……。
……最後の最後で、終わらせた。
然うか……然う、か。
……いずれ、完全な静寂が訪れる。
こんな世界に、なってしまっては……もう、どうにもならないか。
……聞いたことぐらい、あるでしょう。
うん……?
……忘れて、しまったのね。
なんだっけ……。
……世界を終わらせる、存在。
……。
……思い出さなくても良いわ、どうでも良いことだから。
今は……マーキュリーのことだけを、考えていたい。
ん……然うして。
……本当に、静かだ。
耳が、潰れたのかと思っていたけど……。
……マーキュリー。
あなたの声は……ちゃんと、聞こえているから。
マーキュリーの耳は、ちゃんと付いているよ……。
……付いていても、潰れてしまっては用を為さない。
……。
ん……くすぐったいわ。
……良かった、感じて呉れて。
ばかね……こんな時に、何を言っているの。
ん……ごめん。
……ん。
何処か、痛い……?
……躰中が、痛い。
後で……。
……さすって。
幾らでも……。
……あなたの躰も、さすってあげる。
うん、ありがとう……楽しみに、しているよ。
……楽しみ?
うん……。
……全く、あなたは。
へへ……。
……仕方のない、ひと。
……。
は、ぁ……。
……つかまれる、かい。
ええ……つかまる、わ。
……。
う……はぁ、……。
……つかまってさえ、くれれば。
わたしは……わたし、は。
……。
ユゥ……。
……メル。
つかまった、わ……。
うん……しっかり、つかまっていて。
……うん。
さぁ、ユゥ……いまこそ、ちからをだすときだ。
……。
ししょうと、たんれんをした、いみを……しめす、ときだ。
……ユゥ。
ん……うぅ。
……むり、なら。
むりじゃあ、ない。
……。
あたしは……あたしは、ユゥだ。
せんだいに、そだてられた……ユゥ、なんだっ。
……。
さぁ……どこへ、いこうか。
ここでない、ばしょなら……どこでも。
……マーキュリーの、いきたいところは。
……。
あたしたちのいえは、ちょっととおいけど……。
……みどりの、へや。
みどりの……?
……あのへやに、いきたい。
わかった……いってみよう。
……もう、ないかもしれないけど。
みどりが、のこっているかもしれない……。
……のこって、いれば。
はたけは、つぶされてしまったけど……だけど、みどりは、しぶといから。
……あなた、みたいね。
はは……そう、かな。
……。
ごめんよ、みんな……ふみつぶしてしまうことを、ゆるしてほしい。
……ごめんなさい。
あやまるのは、にどめだ……。
……もくせいの。
うん……。
……らいきを、ぼうそうさせたの。
うん……させた。
……。
……たぶん、めをあけたまま。
……。
……ねぇ、メル。
なぁに……ユゥ。
……ひさしぶり、だね。
ひさしぶり……?
……かくれんぼ、したの。
あぁ……そう、ね。
……あのときは、せんせいとししょうがいて。
わたしたちでは、せんせいを、みつけられなくて……。
……いつだって、ししょうが、みつけるんだ。
あのころ、に……。
……。
……なんでも、ない。
もどれたら……。
……。
……また、メルをすきになるよ。
ユゥ……ええ、わたしもよ。
……だいすきだ、メル。
わたしも……。
……ずっと、あいしている。
8日
……まこちゃん。
おはよう、亜美ちゃん。
ごめん、起こしちゃったね。
……どこに行くの。
キッチン。
朝ごはんの支度をしようと思って。
……朝ごはん。
あたしは持ってきたパンの残り、亜美ちゃんは昨日買ったサンドイッチ。
それに合わせて、温かいスープと温野菜サラダを用意しようと思ってる。
……温かいスープ。
今朝はシンプルに、ウィンナーのトマトクリームスープ。
……。
続けて、同じようなものは
嫌じゃない。
うん、良かった。
……。
それで、サンドイッチなんだけどさ。
……今朝は、ちゃんと食べるわ。
少し、手を加えてみても良いかい?
……手を?
ハムチーズにトマトを追加して、更にホットサンドにしてみようと思うんだ。
……手間じゃない?
全然、なんてことないよ。
寧ろ、昨日からトマトばっかりで嫌じゃないかな。
……。
嫌だったら、挟まない。
……ううん、嫌じゃない。
じゃあ……トマトを追加して、ホットサンドにしてみても良い?
うん、してみて。
食べてみたい。
ん、分かった。
……。
亜美ちゃんは未だ、ベッドに。
ううん……一緒に行く。
でも。
……行くの。
そっか……じゃあ、一緒に行こうか。
……ん。
……。
……ひとりで。
やらせて欲しい。
……今日も甘やかし?
うん、そのつもりでいるよ。
……。
湿布を貼るのは、制服に着替える時で良いかい?
……うん。
寝ている時、肩は痛くなかった?
……感じなかった。
痛みで、目が覚めたりしなかった?
……しなかった。
亜美ちゃん、未だ眠かったりしない?
……しない、ゆうべは早く寝たから。
立てる?
……まこちゃん。
なんだい?
……甘やかしすぎ。
あはは。
……。
うん、大丈夫そうだね。
……おはよう、まこちゃん。
おはよう、亜美ちゃん。
……未だ、言ってなかったから。
ふふ、然うだったね。
……。
リビングに着いたら、ソファに座っていて。
朝ごはん、直ぐに作るから。
……私も。
カモミールミルクティーを淹れる時になったら呼ぶよ。
それまではソファで横になるなり、お勉強をするなり、本を読むなり、テレビを見るなり、好きにしていて欲しい。
……。
なんだったら、ぼんやりしていても良いよ。
……もう、起きているから。
ぼんやりしてる亜美ちゃんも可愛いんだ。
……まこちゃん。
はは。
……はぁ。
若しも、ベッドに戻りたくなったら。
……戻らない。
朝ごはんが出来たら、呼びに行くよ。
……私の部屋からでは、あなたの姿は見えない。
ん、それは無理かな。
……まこちゃんのお部屋なら。
うん……?
……ベッドから、あなたを見ていられたのに。
そこも、ワンルームの良いところかなぁ。
……。
でも、あたしの部屋はふたりで暮らすには少し狭いかも知れない。
ひとりになりたい時は、お風呂かトイレに立て籠もるしかないし。
……まこちゃんは、そっとしておいて呉れるから。
亜美ちゃんもね。
……。
だけど、部屋に誰も居ない方が良いという時もあるだろう?
然ういう時は、亜美ちゃんちのような間取りの方が良いと思うんだ。
……うちは、ふたりだけでは広過ぎる。
うん、確かに広いかも知れない。お母さんの書斎部屋もあるし。
書斎部屋は聞いたことはあったけど、実際にあるおうちは初めて見た。
……休みの日は籠もって、出てこない時もあるわ。
みたいだね。
……たまに、そこで寝ている時もあって。
ベッドはないんだっけ。
……いっそ、置けば良いのに。
椅子で寝るんだったら、ベッドの方が良いかな。
……どうせ、私の言うことなんて聞かない。
……。
……私としては、もう少し狭い方が良いの。
このリビングも?
……広ければ良いというものではないから。
そっか……。
……。
じゃあ、待っていてね。
……ん。
よし。
……。
ねぇ、亜美ちゃん。
……なに。
亜美ちゃんってさ、狭いところが好きだったりする?
……落ち着くから。
小さい頃から?
……本を読むのなら、少し狭い場所の方が良い。
うーん、分かるなぁ。
……分かる?
あたしも、大きい段ボールに収まっているのが好きだったから。
……段ボール?
そう、段ボール。
ちょっとした秘密基地ってやつだよ。
秘密基地……。
両親とのかくれんぼにも使えてね、うっかりしてるとそのまま寝ちゃうんだ。
眠ってしまう前に、見つからないの?
思うに、両親は分からないふりをして呉れていたんだと思う。
……ふり?
今思えば、ね。
……なぜ?
直ぐに見つけると、不貞腐れてしまうから。
……不貞腐れるものなの?
ここなら見つからないと思って、いや、信じていたのに、実は然うでもなかった。
息をひそめて隠れているのに、全く、ひそめていなかった。然う思うと、面白くない。
……。
あの頃のあたしは然うだったんだよ。
……まこちゃんでも。
そりゃあ、あるさ。
……。
亜美ちゃんだったら、より巧妙に隠れてやろうって思いそうだけど。
……どうして分かるの?
だって、亜美ちゃんだもの。
負けず嫌いなんだ、亜美ちゃんって。
……否定は、しないけど。
なかなか見つからなくて、待ちくたびれて寝てしまうかも知れない。
……。
あれ……若しかして、ある?
……小さい頃、親とかくれんぼなんてしたことはないから。
あ、然うか……。
……。
今度、皆でしてみるかい?
場所は然うだな、レイちゃんが許して呉れたら火川神社で。
……ううん、良い。
然う……?
……待ちくたびれて、寝てしまうかも知れないから。
大丈夫、あたしが必ず見つけるよ。
……まこちゃんが?
あたしが鬼なら、必ず亜美ちゃんを見つける。
……一番に?
一番に……と言いたいところだけど、先に皆を見つけてしまうかも。
……美奈子ちゃんは隠れるのが上手そうだけど。
確かに、美奈子ちゃんは上手いかも知れないなぁ。
……若しもかくれんぼをするのなら、まこちゃんとふたりでしてみたいわ。
あたしとふたりで?
……必ず見つけて呉れるのよね?
うん、必ず見つけるよ。だけど、どこでしようかな。
小さかったから、家の中でも良いんだけど……。
……クリスタルパレス。
クリスタルパレス……て、若しかしないでも、30世紀?
……あそこなら、広いわ。
確かに、広いと思うけど……。
……見つけてね。
ん、分かった……どんなに広くても、見つけるよ。
……ふふ。
必ず、見つけるから。
……ねぇ、まこちゃん。
信じられない?
ううん……信じているわ。
ん。
……ただ。
ただ……?
……ふたりで始めたのに、いつの間にか皆が加わってそうだなぁって。
あ。
……若しかしたら、キングとスモールレディも。
それは、有り得るな……。
……そして、皆でルナに叱られるの。
アルテミスが呆れていて……大いに、有り得るな。
……それも、良いかも知れない。
……。
だけど……最初は、ふたりだけでしたい。
パレス全体じゃなくて、一部でやろうか?
あたし達の部屋の周辺で、とか。
……その方が良いかも。
じゃあ、然うしよう。
……。
ところで、30世紀に段ボールってあるのかなぁ。
……さぁ、どうかしら。
……。
まこちゃん、何を考えているの?
……遠い未来、ではなくて。
私が小さい頃?
……段ボールの中で丸まって眠ってる亜美ちゃん、可愛いだろうなぁって。
段ボールの中で?
押し入れでも良いよ。
……押し入れ。
亜美ちゃんちだと、クローゼットか。
……そんなところでは、直ぐに見つかってしまうわ。
然うかな。
探しているのが母なら。
……。
私の母は、分からないふりなんてまずしない。
手加減、なし?
手加減なんて、するようなひとではないの。子供であろうとも全力で相手をして、負かす。
その場合、子供が泣いたって構わない。兎に角、負けず嫌いなのよ。
亜美ちゃんのお母さんって。
大人げがないの。
意外に、お茶目?
……は?
いや、お茶目だなぁって。
どこが?
ただ、大人げがないだけよ。
だって、全力で遊んで呉れるんだろう?
母の場合はお茶目とは言わない。
ただの負けず嫌いで、大人げがないだけ。
……それはそれで、楽しそうだけどな。
楽しいと思うの?
ん……遊びにもよるかも。
まこちゃんが思っているようなものではないわ。
……お母さんと、どんな遊びをしたの?
聞く?
えと……聞いたらまずい?
別に構わないけど。
……何をして、遊んだの?
まずは、父に教えて貰ったチェス。
あぁ、チェスか。
お母さんもするんだね。
こてんぱんに負かされたわ。
……あぁ。
未就学児であろうとも、手加減しないの。
ほ、他には?
将棋かしら。
将棋……しぶい。
母は飛車角落ちだったのだけれど、それでも勝てなかった。
飛車角落ち……手加減?
自分の手駒が少ない状態で勝ったら楽しいでしょう?
……やっぱり、亜美ちゃんのお母さんだ。
なぁに、まこちゃん。
あ、いや、なんでもないよ。
流石、亜美ちゃんのお母さんだなぁって。
……オセロでも負かされたわ。
……。
……五目並べでも。
え、えと、今だったら勝てるんじゃないかな。
今?
然う、今。
……考えたこともなかったわ。
今度、試しに。
……。
亜美ちゃん……?
……やるなら、徹底的に。
あ。
……なに。
あ、いや……その。
まこちゃん?
亜美ちゃん……一瞬、マーキュリーの顔になってた。
……マーキュリーだもの。
どちらかと言うと……昔の。
一緒にしないで。
は、はい、ごめんなさい。
……。
……はぁ、朝からひんやりした。
ひんやり……寒気?
え?
……まさか、風邪。
いや、寒気じゃないよ。
やっぱり、湯冷めをしたんじゃ……湯船に入らず、シャワーだけで済ませてしまったから。
ゆうべはちゃんとあったかくして寝たし、大丈夫だ。
亜美ちゃんも、あたしと一緒であったかかっただろう?
……暖かかったけど、それはベッドに入ってからのことで。
兎に角大丈夫だ、問題ない。
まこちゃんは、いつも、然う言うから。
い、いつもは言わないと思うけど……。
……まこちゃん。
喉や鼻の調子はおかしくない、咳も出そうにない……躰も熱くないし、怠くない。
……じゃあ、ひんやりって?
それは……然う、亜美ちゃんの顔があまりにも真剣だったから。
……私の顔?
最後の戦いに臨む、マーキュリーの表情が重なって……。
……最後の戦い。
然う……最後の戦い。
……それ、本当?
……。
今なら怒らないわ。
……前世のマーキュリーと重なりました、ごめんなさい。
最後の戦いというのは?
……後付けです。
ふぅん、然う。
……。
まこちゃん。
は、はい。
段ボールの秘密基地の中で、まこちゃんは何をしていたの?
……え。
今なら、怒らないと言ったでしょう?
……はい、言いました。
だから、段ボールの秘密基地について聞かせて。
大した基地ではないんだけど……。
……私、段ボールに収まったことなんてないの。
だから、知りたい?
……ん。
然うだな……本を読んだり、玩具を持ち込んで遊んだりしてたかな。
……楽しかった?
うん、楽しかったよ。
……今でも楽しいと思う?
入れたら、楽しいかも知れないけど……今は、でかくなっちゃったから。
……私ももう、無理ね。
収まってみたい?
……試してみたい。
となると……。
……考えないで良いわ。
でも、折角だし……ないかな。
……ないと思う。
然うだ、何枚か使って秘密基地を作ろう。
昔、お父さんが作って呉れたんだ。
……何枚か?
例えば、引っ越しをする時には段ボールを使うだろう?
その段ボールを使えば、作れる筈。
……片付けもしないで?
……。
……寝る場所は作らないと。
寝る場所を作ってから……。
……最低限の着替えも整えて。
整えてから……。
……。
……ある程度の生活が出来るようになってから、ならどうでしょうか。
それなら、まぁ。
……まとめて、縛られてそうだ。
作るなら、ふたりで入れる秘密基地を作ってね。
あ、うん……それは、勿論。
……。
ん、なに……?
……話ながらでも、朝食の支度が進んでる。
うん、進めているよ。
……器用。
ん、ありがとう。
……。
眠たくなったら、寝ていても良いよ。
……話していたから、なってない。
じゃあ、朝のお勉強でも。
……何かやらせて呉れたら。
今朝は、お休みです。
……今朝は?
暫く、痛みが取れるまで。
……。
明日……今日の夕方からは、お母さんが居て呉れるんだよね。
……居ても、用意するのは私。
そっか、夕方は未だ寝ているか。
……。
仮眠を取るとはいえ、帰ってきたら寝ているんだろう?
……寝ていると思うけど。
明日の朝ごはんも、亜美ちゃんが?
……多分。
だったら、何か作り置きでもしておこうか。
……作り置き?
学校が終わったら、作りに来るよ。
良かったら、夕ごはんも。
……知られてしまうから。
静かにする、起こしてしまわないように。
……たまに起きている時があるから。
けど、今回は24時間以上だろう?
流石に寝ないと、躰がどうかしてしまうよ。
……然ういうこと、何度もしているのよ。
何度も?
……今回に限った話ではないの。
……。
それに……作り置きがあったら、間違いなく気付かれるわ。
……。
……まこちゃんが来たことを、母に知られてしまう。
そんなに……。
……。
聞かれるの、そんなに嫌……?
……。
……そっか。
ごめんなさい……。
ん……いや、良いよ。
……。
……少し、寂しいけど。
寂しい……。
……。
……。
……よし、美味しそうに出来た。
まこちゃん。
……ん。
……。
亜美ちゃん、どうした?
……そろそろ、カモミールミルクティーを。
ん、もう少し待って欲しいな。
……まずは、何をすれば良いの。
まずは、お鍋でお湯を沸かして欲しいんだけど……。
……。
亜美ちゃん……?
……放課後。
え……?
……放課後、来て呉れる?
勿論。
……買い物、付き合うわ。
ありがとう、じゃあ一緒に行こう。
でも、荷物は持たないで良いからね。
……うん、分かってる。
うん。
……。
帰りには、雨が止んでいたら良いなぁ。
7日
……ん。
ごめんよ、痛かったかい……?
……大丈夫、少し声が漏れただけ。
……。
……ありがとう、まこちゃん。
ううん……。
……明日の朝、また貼って貰っても良い?
うん、良いよ……。
……。
やっぱり、まだ腫れてるよね……。
……だって、今日だもの。
うん……。
……ね。
ん……?
……触ってみる?
え。
……少しくらいなら、大丈夫よ。
……。
ん……。
……痛そうだ。
治るまで、我慢するわ……。
……しなくて良い我慢は、しなくて良いからね。
はい……分かっています。
ん……。
……なぁに?
いや、珍しいなって。
……たまには良いじゃない?
うん……とても良い。
……ふふ。
……。
……?
まこちゃん……?
……あたし、今夜は床に。
……。
肩の為には、その方が良いと思うから……。
……ううん、一緒が良い。
だけど……ん。
……一緒が良いの。
亜美ちゃん……。
……どうしても。
分かった……なら、右肩には当たらないようにしないといけないね。
……今夜は、あなたの右側に。
うん……然うしよう。
……先に、入って。
部屋の電気は……。
……私が消すから、まこちゃんは読書灯を。
分かった……。
……。
……これくらいで良いかな。
そんなに隅に寄らなくても……。
……亜美ちゃんが入ってから、調整するよ。
絶対だからね……。
……ん、絶対だ。
灯り、良い……?
あ、今点けるよ……うん、これで良い。
……。
……足元、気を付けて。
慣れているから……。
……。
……。
……あまり、隅に寄らないよう。
分かっているわ……。
……。
……ぅ。
痛い……?
……平気。
……。
平気だと、言ったのに……。
……支えたかったんだ。
心配性……。
……甘やかしとも言う。
もぅ……。
……はは。
……。
……大丈夫かい?
ん……大丈夫。
……良かった。
……。
……読書灯、消しても。
うん……消して。
……。
それから……もう少し寄って。
寄っても、大丈夫かい……?
……大丈夫だから、寄って。
うん……それなら。
……。
……寄ったよ。
まだ足りない……。
……これくらい?
ん、良いわ……。
……。
……はぁ。
あったかいね……。
……風邪、引かなくてすみそう。
あたしもだ……。
……。
……少し話す?
然うね……。
……あたしは、どちらでも構わない。
なら……。
……。
……少しだけ、小さい頃の話を。
……。
……聞いて呉れる?
ん……聞きたい。
……本当に、少しだけだけど。
構わない……。
……。
……。
……夜に、救急車の音を聞くとね。
うん……。
……私が熱を出しても、ずっとは傍に居て呉れない母のことを思い出すの。
……。
まこちゃんが言うように、お医者さんは確かにすごいと思う……夜も休日も、兎に角働いて。
何よりも……熱を出して寝込んでいる家族よりも、患者さんを優先して。
……亜美ちゃん。
私の風邪なんて、医師である母にしてみれば大したことではないの……母の言い付け通りに薬を飲んで、大人しく寝ていれば治るのだから。
であるならば、母のことを本当に必要としているひとに……それは屹度、正しいこと。
……亜美ちゃんだって。
母は外科医だけれど……夜間はそれこそ、専門ではない皮膚の疾患にも対応してね。
……。
救急車の音を聞くたびに……家族である私よりも、仕事を、患者さんを優先する母を恨めしく思った。
……。
でも、それは小さい頃の話……今はもう、そんなことは思わない。
……。
ね、少しだけだったでしょう……?
……それでも、聞かせて呉れてありがとう。
まこちゃん……うん。
……。
……。
……ひとつ、聞いても良いかい?
なに……?
……外科のお医者さんって、何を診るの?
……。
あ、ごめん……やっぱり、良いや。
聞いて呉れる?
え。
外科医は主に手術などで患者さんの病気や外傷の治療を行うの。
診療部位は、消化器や神経、骨、関節、皮膚、歯など。
う、うん。
心臓外科、神経外科、整形外科、形成外科、泌尿器科、耳鼻咽喉科、皮膚科などの様々な専門分野があって、母は消化器の外科医。
癌や悪性肉腫の手術も多くこなしているわ。
整形外科と皮膚科、あと耳鼻科は分かるなぁ、お世話になったし。
因みに、内科医はね。
お、おう。
内科医は主に薬物治療や食事療法、運動療法などの保存的治療をしているの。
内科もまた細かい専門分野に分かれていて、脳神経内科、循環器内科、消化器内科、血液内科、呼吸器内科などがあるわ。
病気の予防指導を行う場合もあるみたい。
……風邪を引いたら、診て貰うお医者さんは。
風邪の症状だったら、まずは内科を受診することをお勧めするわ。
他にもインフルエンザ、腹痛、扁桃腺炎、発熱、咳、痰、食欲不振、倦怠感などの症状も内科が良いわね。
それで若しも投薬治療だけでなく手術も必要と判断されたら、外科に回されるから。
なるほど、なら体調が悪かったらまずは内科に行くと良いんだね。
ええ。
亜美ちゃんのお母さんは、例えばどんな病気を診るの?
然うね……虫垂炎や胆石胆嚢炎、鼠経ヘルニアなどの良性疾患、
虫垂炎って、盲腸のことだっけ?
然う、一般的には盲腸と呼ばれているわ。
一般的?
虫垂炎は虫垂の炎症であって、盲腸の炎症ではないの。
うん、どういうこと?
虫垂は右下腹部にある盲腸、大腸の一部で小腸と繋がっている部分なのだけれど、その盲腸の先端から伸びる、直径約1cm、長さ約5cm程の器官のこと。
……右下腹部。
つまり、虫垂と盲腸は別のものなの。
はぁ……然う、なんだ。
あとね、鼠経ヘルニアは脱腸とも呼ばれているわ。
だっちょう?
腸が本来ある場所から脱出して飛び出していること。
ちょうが、だっしゅつして、とびだしていること……?
より詳しく言うと、腸はお腹の中の腹膜という袋に包まれていて、その腹膜も筋肉や筋膜などに覆われているのだけれど。
ふくまく……。
鼠経ヘルニアの場合は、筋肉や筋膜が薄い鼠径部に穴が開いて、その穴を通じて腹膜や腸が脱出してしまうの。
……そけいぶって、どこだっけ。
鼠径部は、左右の大腿……。
……。
……足の付け根の溝の内側にある、三角形状の下腹部の部分。
足の付け根の溝の内側にある、三角形状の下腹部……。
……この辺り。
あ、そこか。
……鼠経ヘルニアは、男性に多いと言われているわ。
腸が飛び出すなんて……考えただけで、お腹が痛くなりそうだ。
虫垂炎も比較的男性が多いと言われているけれど……でも、どんなひとでも発症する可能性はある病気だから。
……可能性は。
15人に1人は罹ると言われているわ。
……その1人になりたくない。
まこちゃん……お腹が痛いのは苦手?
寧ろ、得意なひとって居るのかな……。
……まこちゃんは、我慢強いから。
うん……それでも、お腹が痛いのは嫌だよ。
……然うよね、ごめんなさい。
怪我と違って、原因が分からないのが特に嫌なんだ……。
……あぁ、確かに然うね。
亜美ちゃんは、苦手じゃない?
……私も、出来れば避けたいわ。
盲腸……虫垂炎って、痛いらしいよね。
……救急車で、搬送されてしまうくらいにはね。
う……なりたくないな。
……ただの腹痛だと思って内科を受診したら、手術が必要で外科に回される患者さんも居るみたい。
ただの腹痛……。
……初期段階ならば、歩けないこともないみたいだから。
……。
……大丈夫?
うん、大丈夫……続けて。
……癌だと、大腸癌や直腸癌、胃癌などの消化器癌、あとは腸閉塞、消化器官穿孔などの腹部救急疾患の治療もするわ。
えと……亜美ちゃんのお母さんは、お腹の中を手術するのがメインなんだね。
手術をする為に、患者さんが手術に耐えられる状態か吟味して判断するのも母の仕事なの。
あぁ、然うか。
出来ない状態で手術してしまったら、命に係わるもんね。
あと、手術後の経過や回復状況を観察、確認した上で、必要な対応を図る。
それで、本人や家族に伝えることも大事な仕事で……抜糸や、リハビリの指示もするのよ。
はぁ、色々大変だ……。
……そんな外科医の仕事が、母にとっては生き甲斐そのものなの。
生き甲斐……?
……然う、生き甲斐。
……。
……救急車のサイレン音が苦手だったのは、その大きさだけでなく。
亜美ちゃん……。
……私は、良い子にはなりきれなかった。
……。
……。
……さっきの救急車。
恐らく、母が勤める病院に向かったのだと思う。
救急外来もやっているから。
……。
……ねぇ、まこちゃん。
ん……?
……カモミールミルクティーの美味しい淹れ方を、教えて呉れると嬉しい。
うん……勿論、良いよ。
……あくまでも、自分で飲む為なのだけれど。
それでも、構わないさ。
……ありがとう。
肩が治ってから?
それとも?
……教わるだけなら、今でも大丈夫。
ん、そっか。
なら……然うだな、明日の朝食の時にでも淹れてみようか。
……明日の朝?
続けては、飲みたくない?
ううん、そんなことはないわ。
じゃあ、明日ね。
ん。
……。
……。
……ねぇ、亜美ちゃん。
なぁに……?
……あたし達、小さい頃に出逢っていたらどうだったかな。
小さい頃……?
……ともだちに、なれたかな。
どう、かしら……。
……なれたと思いたい。
まこちゃん……うん、私も然う思いたい。
……お泊まり会なんて、やってさ。
お泊まり会……?
……然う、お泊まり会。
まこちゃんのおうちで……?
……うちでも良いし。
ううん、まこちゃんのおうちが良い……。
……そっか、ならうちで。
でも、ご迷惑ではないかしら……。
迷惑だなんて……そんなこと、思わないよ。
……まこちゃんは、思わなくても。
亜美ちゃんが泊まるってなったら……両親は屹度、ご馳走を用意して呉れる。
若しかしたら、お菓子も……特に、ケーキが美味しいんだよ。
……。
……夜は、今みたいに。
ふたりで、ひとつのベッドに……?
……両親には内緒で、眠たくなるまでお話するんだ。
まこちゃん、直ぐに眠ってしまいそう……。
う……然うかも。
それでも……それでも屹度、楽しい。
……屹度、親友にも。
親友……。
……仮令、両親が居なくなったとしても。
え……。
……亜美ちゃんなら、ともだちで居て呉れるよね。
まこちゃん……。
……でも、離れてしまったら。
お手紙を出すわ。
……手紙?
離れてしまったら……定期的に、お手紙を。
……文通?
電話も……掛けるわ。
……然うだったら、嬉しい。
屹度……ううん、必ず。
……うん。
……。
……亜美ちゃんと、小さい頃に出逢いたかった。
私も……。
……それでさ、いつからか意識するようになるんだ。
意識……。
……あたしが、亜美ちゃんに恋をする。
あ……。
……幼馴染でも、恋人になれたら。
まこちゃんは……私より、男の子と。
……それは、どうかな。
ん……。
……若しかしたら、初恋になるかも。
はつ、こい……?
……然う、初恋。
……。
告白、するんだ……。
……私が、先に。
して呉れる……?
……出来ないと思う。
じゃあ、あたしが先にする……。
……怖くない?
……。
……それまでの関係が、壊れてしまうかも知れないのに。
怖いよ……だけど、亜美ちゃんのことが好きなら……諦めたくないんだ。
まこちゃん……。
……なんて、想像の話でしかないんだけど。
……。
……ん、亜美ちゃん。
まこちゃんが傍に居て呉れたら、寂しくなかったかも知れない……。
……。
……けど、冷め切った自分の家に帰るのが余計に辛くなかったかも知れない。
あぁ……。
……まこちゃんのおうちは屹度温かくて、しあわせに溢れた場所だろうから。
……。
でも……あなたのご両親に会ってみたかった。
……会って欲しかった。
……。
……亜美ちゃん。
まこちゃん……。
……手を重ねても、良い?
うん……私も、然うしたいと思ってた。
……肩、気を付けるから。
大丈夫よ……。
……痛かったら、直ぐに言って。
痛かったら……ね。
……我慢だけはしないで。
しないわ……。
……。
……。
……あったかいな。
まこちゃんの手の方が……。
……亜美ちゃんの手も、あったかいよ。
……。
……この温もりだけは、失くしたくない。
私も……。
……だから、離さない。
離れない……。
……。
……。
……キス、したい。
手を重ねるだけでは、足りない……?
……手を重ねながら、キスがしたい。
……。
それ以上のことは……しない。
……おあずけ。
おあずけ……?
……私の肩が治るまで。
……。
その方が……なんとなく、良いかなって。
……良い、かも。
うん……ん。
……。
……まこ、ちゃん。
ごめん……未だ、良いって言われてないのに。
……ばか。
はい、ごめんなさい……。
……。
……え、と。
私に……。
……。
……あなたの、キスを。
はい……喜んで。
6日
うん、良い発音だと思うわ。
ん、ありがとう。
じゃあ、今夜はここまでにしましょうか。
はい、ありがとうございました。
お疲れさま、まこちゃん。
亜美ちゃんもお疲れさま。
亜美ちゃんのおかげで、数学の復習も英語の予習もばっちりだよ。
然う……良かった。
亜美ちゃんは大丈夫かい?
私?
お勉強じゃなくて、肩。
あぁ……とりあえず、大丈夫よ。
お勉強も終わったことだし、少し早いけれど今夜はもうお休みするかい?
寝た方が、治りは早いしさ。
ん……然うね。
だけど、亜美ちゃんは未だお勉強し足りないかな。
……少し。
少し?
……予備校の復習をしておきたくて。
分かった、それじゃあ付き合うよ。
……まこちゃんも、お勉強?
あたしは、本を読もうと思ってる。
本?
然う、本。
智子にお勧めされて。
高瀬さんに?
面白いらしいんだ。
なんという本なの?
気になる?
うん、気になる。
外国の児童文学で、ファンタジーものなんだけど。
外国の?
ナルニア国物語っていうんだ。
あぁ、英国の有名な児童文学ね。
亜美ちゃんも読んだことある?
ええ、小さい頃に。
小さい頃かぁ。
どこまで読んだの?
とりあえず、ルーシーがナルニア国という別世界に行って探検するところまで。
若しかして、読み始めたばかり?
然う、実は借りたばかりなんだ。
高瀬さんから借りたの?
ううん、学校の図書室で借りた。
なかったら、図書館まで行こうと思ってたから良かったよ。
……然う。
うん?
高瀬さんとは、その、たまに会っているの?
いや、あれから一度も会ってない。
……今も、手紙だけ?
うん、月に一度の手紙だけだよ。
……会おうとは。
まぁ、そのうちね。
向こうも小説を書くのに忙しいようだから。
……会いたいとは、思わないの?
然うだなぁ、会いたくないわけではないけど。
……けど?
今は、手紙だけでも良いかな。
……。
若しも智子に会う時は、亜美ちゃんにちゃんと教えるよ。
……別に、教えて呉れなくても良いわ。
ううん、教える。
……高瀬さんは、まこちゃんのおともだちだから。
良かったら、亜美ちゃんも一緒に行こう。
……私も?
然う、亜美ちゃんも。
……私が行っても。
なんとなくなんだけど、智子、亜美ちゃんのことが気になってるみたいなんだよね。
え、どうして?
亜美ちゃん、本を沢山読むだろう?
然ういうひとのことは勘が働いて分かるみたいなんだ。
読むと言っても……高瀬さんと、合うかどうか。
んー、合わなくても良いんじゃないかな。
実際、あたしと智子も合ってないと思うし。
……然うなの?
ナルニア国物語って、結構有名な作品なんだろう?
有名かどうかは……私には分からないわ。
智子曰く、有名らしい。
英国の児童文学の金字塔だとか。
……英国で有名でも、日本で有名かどうかは。
あたしは智子に教えて貰うまで、聞いたこともなかった。
……。
確かに本は読むけど、外国の児童文学にはあまり興味がなくて。
赤毛のアンや若草物語、あしながおじさんあたりは読んだけど。
……興味がなければ、知らないのは仕方ないと思うわ。
だけど、亜美ちゃんは知っていて、しかも小さい頃に読んでいた。
少なくとも、あたしより亜美ちゃんの方が智子に合うと思う。
でも、ファンタジー小説……恋愛小説にも、詳しいわけではないし。
それも、良いんじゃないかな。
……良い、かしら。
亜美ちゃんはファンタジーや恋愛のお話はあまり読まないかも知れないけど、かえってそれが良いと思うんだ。
だって、お話を書くには色んなことを知っていた方が良いだろう?
それは然うかも知れないけど……でも、私では。
キャラクターや世界観、文化、言語、歴史、人種……ある程度の想像は出来るけれど、知らないことを生み出すのは難しいらしいんだ。
どうしても表現が広がって呉れなくて……特に自分の好みではない、或いは得意ではない分野に関しては、本当に難しいらしい。
それでも一応、調べたりはするみたいなんだけど……例えば、銃撃戦を詳しく書けと言われても書けない。
銃撃戦?
結構、物騒なお話も書くの?
愛するひとを守る為には、命を懸けて戦わなければならない時もあるから。
それで、銃撃戦……?
現実の銃とは違うみたいだよ。
それがまた、表現を難しくさせるみたいだ。
……ごめんなさい、銃撃戦はあまり詳しくはないわ。
まぁ、例えだから。
……。
智子が知らないことを知っているであろう亜美ちゃんと話すことは、お話の種や新しいアイデア、発想に繋がるかも知れない。
……私では、高瀬さんの役には立てないと思う。
話すだけで良いんだよ。
……ごめんなさい、まこちゃん。
あ……。
……私は、一緒には行けない。
あたしこそ、ごめん……。
……。
無理強いするようなことを言っていたと思う……だから、ごめん。
……若しも高瀬さんに会うようなことになっても、私には言わなくても良いから。
……。
だって、おともだちと会うんだもの……だから、私のことは気にしないで。
……亜美ちゃん。
ね、読み終わったら私にも感想を聞かせて呉れる?
それは、勿論。
ん。
……。
……良かったら、先にお休みしても良いから。
あたしは……。
……。
分かった……眠くなったら、先にベッドに行くよ。
……。
……次の予備校は、いつ?
一応、明後日……。
……そっか。
……。
えと……送り迎え、しても良い?
……ありがとう。
う、うん……。
……。
……はぁ、良かった。
まこちゃん……?
いや……亜美ちゃん、怒ってないみたいだから。
……怒ってなんていないわ。
あの、さ……。
……なに?
白湯でも、飲もうかと思っているんだけど……亜美ちゃんは、要る?
……ん、貰う。
うん……それじゃ、待ってて。
……。
……。
……ねぇ、まこちゃん。
なんだい……?
……10時になったら、今夜はもうお休みしようと思う。
10時……?
……あと、1時間。
1時間か……。
……良かったら。
待っているよ……本を読みながら。
……でも、眠たくなったらベッドに行ってね。
眠たくなったら……ね。
……。
寝る前に、湿布を交換しなくても良い?
……湿布は、しないつもり。
……。
若しかしたら、かぶれてしまうかも知れないから。
……かぶれたこと、あるんだっけ。
ん……貼った場所が、赤くなってしまって。
皮膚のかぶれは、酷くなると大変だからなぁ……痒いだけでなく、膿まで出てくるし。
……まこちゃんは、肌がかぶれたことは。
あるよ。
……あるの?
小さい頃、遊んでいる時に何かの植物に素手で触っちゃってね……それで赤くなって、ぶつぶつが出来た。
……痒かった?
うん、痒かった。
症状が出たのが夜で、しかも寝る前だったから大変でさ。
夜間診療には行ったの?
あたしがあまりにも痒がったから、お父さんが慌てて連れて行って呉れたってお母さんが言ってたかな。
そこはあんまり憶えてないんだ。連れて行かれた病院が薄暗くて怖かったのは憶えているんだけど。
夜の病院は、小さな子供には怖いわよね。
全体的に、暗いから。
うん、怖かったなぁ。
なんか、お化けが出そうで。
お化け?
然う、お化け。
……。
まぁ、小さかったしね。
……母が、言っていたわ。
なんて?
お化けが出そうで怖いと泣く子が居たって。
その子もやっぱり、肌の疾患で来院したそうなのだけれど。
……あたしかな?
泣いたの?
怖かったけど、あたしは泣かなかった。
……。
若しかして、想像してる?
……してない。
本当かなぁ。
……泣いているまこちゃんも可愛いかも知れないと思っただけ。
泣く時は、鼻水を垂らしながら泣くよ。
……ふ。
なんせ、小さな子供だからね。
……拭いてあげたい。
ん、然う来るか。
……だめ?
だめじゃないけど……。
……けど?
うん、だめじゃない……。
……じゃあ、その時になったら。
今は、大丈夫かな……。
……分からないじゃない?
え……。
……分からないでしょう?
じゃあ……その時は、お願いします。
ふふ……うん。
……嬉しいけど、ないと思いたい。
肌は、どこがかぶれたの?
ん……手と耳、耳は触ったからだと思う。
家に帰って手は良く洗ったんだけど、それでも駄目だったみたいだ。
……その時にはもう、アレルギー反応を引き起こしていたのだと思う。
だけどお医者さんでお薬を貰ってきて、それを塗ったら直ぐに良くなったよ。確か、3、4日くらいだったかな。
痒い時は冷やすと良いと言われたから、お母さんが冷やして呉れて。
良かった、そこまでは酷くならなかったのね。
ん、少しだけ膿は出たみたいだけどね。
少しだけで済んで良かったわ。
そこからなんだ。
……そこから?
あたしが植物に触れる時、注意するようになったのは。
……。
不用意に触ってはいけない……植物だって、生き物なのだから。
……まこちゃん。
亜美ちゃんも気を付けてね。
……ん、気を付けるわ。
よし、沸いた。
……。
それにしても、今夜は小さい頃のことを色々思い出しちゃったなぁ。
……まこちゃんの小さい頃のお話が聞けて、嬉しい。
然う?
……うん。
そっか。
……ごめんなさい。
ん、どうして?
……思い出したくないことも、あったかも知れないから。
大丈夫だよ。
……。
ね、また何か思い出したら話してみようかなって思ってるんだけど。
……話して呉れたら。
聞いて呉れる?
ん……聞きたい。
それで、さ。
……うん?
あたしも、亜美ちゃんが小さかった頃の話が聞きたい。
……。
気が向いたら、話して聞かせて。
……じゃあ、寝る前に。
寝る前……?
……何か、思い出したら。
うん……分かった。
……。
はい、亜美ちゃん。
沸かし立てで熱いから、冷めてから飲んでね。
……ありがとう、まこちゃん。
うん。
……寝る前に、湿布を剥がして貰っても良い?
ん、任せて。
そっと、優しく剥がすよ。
5日
……救急車。
ん~。
……行き先は、お母さんの病院。
ただいま、亜美ちゃん。
……お帰りなさい、まこちゃん。
うん、ただいま。
やっぱり、シャワーだけで済ませたの?
ん、済ませた。
……。
大丈夫だよ、ちゃんとあったまってさっぱりしたから。
……湯冷め、しないでね。
はい、気を付けます。
……髪の毛、乾かすでしょう?
ん、乾かしたい。
どうぞ、使って。
用意しておいて呉れたんだ。
……私も使ったから。
ありがとう。
……ん。
本を読んでいたのかい?
……うん。
……。
……まこちゃん?
外は、見ていなかった?
……どうして?
あたしが部屋に入った時、なんとなく、外を気にしているように見えたから。
……外は見ていないけれど。
うん。
救急車のサイレン音が聞こえたから……なんとなく、気になって。
救急車……然ういえば、聞こえたかも。
……ただ、それだけ。
そっか。
髪の毛を乾かしたら、お勉強を始めましょうか。
ん、然うしよう。
何か飲む?
それなんだけど、良かったらハーブティーを飲まない?
ハーブティー?
実はハーブティーも買ってきたんだ、ティーバッグのなんだけど。
パン屋さんのパン、ミルク飴、そしてハーブティー……色々、買ってきて呉れたのね。
亜美ちゃんと食べたり飲んだりする為にね。
……若しかして、初めから泊まるつもりだった?
お母さんが帰ってくるって聞くまでは、泊まれたら良いなぁとはちょっとだけ思ってた。
……ちょっとだけ?
うん、ちょっとだけ。
……本当は?
結構、思ってた。
……下心?
全くないわけではないけど、今回は心配の方が勝ってた。
……。
ん。
……ハーブティーは。
カモミール……静かな夜に、リラックス出来るように。
カモミール……。
……他にも、抗炎症作用や鎮静作用があるって聞いたんだ。
……。
打撲に効くかどうかは分からないけど……気休め程度には、なるかなぁって。
……ありがとう、まこちゃん。
ううん……あたしも飲みたかったから。
……ティーバッグなら、私が淹れるわ。
あたしが淹れるよ……あたしが買ってきたんだからさ。
……まこちゃんは、髪の毛を乾かしていて。
カモミールティ―を淹れてから、乾かす……。
……紅茶も淹れて呉れたわ。
淹れたいんだ……。
……どうしても?
うん……どうしても。
……今日の私。
うん……?
……かなり、甘やかされているわ。
ふふ……たまには良いじゃないか。
……たまにと言うには。
こんなに甘やかすのは、そうそうないから……さ。
……もぅ。
ストレートとミルク、どちらが良い……?
……まこちゃんのお勧めは?
ミルクティーがお勧めかな……躰も温まるし。
なら……ミルクティーで。
ん……了解。
……。
それじゃあ、早速淹れようかな。
……私は、お勉強の用意をしておくわ。
ん、今夜はリビングでお勉強?
いや?
ううん、嫌じゃない。
お茶を淹れるにも都合が良いし。
然う思って。
ふふ、そっか。
たまには良いと思ったの。
いつもの雰囲気とはまた違って、結構良いかも。
うん。
ところで、亜美ちゃん。
……なぁに?
お勉強の用意、もう出来ているようにも見えるけど。
然う?
数学と英語の教科書の他に、参考書も見える。
あとはまこちゃんのノートだけ。
……今、出した方が良い?
ううん、お勉強を始める時に出して呉れれば良いわ。
ん、分かった。
忘れずに出すよ。
ん。
それじゃ、少し待っててね。
あ、良かったら本の続きを読んでて。
ねぇ、まこちゃん。
なに?
カモミールって、ヨーロッパではマザーハーブと呼ばれているのよね。
古くから婦人病の治療薬として使われていて、且つ、子供からお年寄りまで飲める優しいハーブと言われているから。
そうそう、ピーターラビットが興奮して眠れない時にお母さんに飲ませて貰うんだ。
英語名の語原はギリシャ語の「カマイ・メロン」。
確か、大地の林檎だっけ。
林檎のような、甘い香りを持っているから。
「カマイ」が大地で、「メロン」が林檎。
それにしても、「メロン」が「林檎」なんて面白いよね。
私達が良く知っている「メロン」の語原もまた、ギリシャ語と言われているわ。
然うなんだ。
「メーロ・ペポーン」、訳して「林檎のような瓜」なんですって。
林檎のような瓜……昔のギリシャの「メロン」は「林檎」みたいだったのか。
今のようなメロンにする為に、何度も品種改良を繰り返したんだろうなぁ。
カモミールの和名は、カミツレ。
花言葉は、「逆境に耐える」「苦難の中の力」。
とても丈夫で、どんな環境であっても育つ特徴から付けられているんだって。
ぴったりね。
ふふ、だよね。
……ふ。
亜美ちゃん?
面白いわ。
それは、カモミールのあれこれが?
それとも、あたしとのやり取りが?
その両方。
良かった、あたしも入ってた。
まこちゃんだから楽しいのよ。
ふふ、光栄です。
まこちゃんはカモミールを育てないの?
実は今度、育ててみようと思ってるんだけど、ローマンカモミールとジャーマンカモミールで悩んでいるんだ。
どう違うの?
大まかな違いは、ローマンは多年草でジャーマンは一年草。
でもローマンは鉢植えより、地植えに適しているらしくって。
地植えということは、畑?
あとは、日当たりの良いお庭。
お庭……。
どの子も然うなんだけど、カモミールも日当たりが大事なんだよね。
まこちゃんのお部屋は日当たりは良いのだけれど……地植えは難しいわよね。
畑どころか、庭もないからねぇ。
いつか庭のあるおうちに住んでみたいなぁ。
……庭付きの家。
そんな夢もありだよね。
ええ……ありだと思うわ。
そんなわけで、ジャーマンを育てると思う。
うん、悩んでいたのではないの?
亜美ちゃんと話して、ジャーマンに決めた。
……然う。
見にきて呉れるかい?
ん、勿論。
ふふ、やった。
楽しみね。
然う言って呉れると、嬉しいな。
嬉しい?
楽しみなのは、あたしひとりだけじゃないから。
……まこちゃん。
亜美ちゃんが見にきて呉れると、皆、喜ぶんだ。
……うん。
さて、そろそろティーバッグをお湯に……あ、然うだ。
なに?
牛乳、あったよね?
牛乳だけ、買ってこなかったんだ。
ええ、あるわ。
どうぞ、好きなだけ使って。
ん、ありがとう。
買ってきていないものもあったのね?
それが、あったんだ。
いやだって、まさか泊まれるなんてさ。
……ふふ。
はは。
……良い香り。
まるで、甘酸っぱい林檎を思わせるような?
ふふ、然うね。
はちみつはどうしようか。
……はちみつは。
スティックタイプのを買ってきた。
……ひとつは、多いかも。
じゃあ、はんぶんこにする?
……うん、はんぶんこで。
ん、分かった。
……。
……。
……ねぇ、まこちゃん。
なんだい……?
……小さい頃はね。
うん。
……救急車のサイレン音が、少しだけ苦手で。
え?
……ちょっと、思い出して。
亜美ちゃんも?
……え?
実は、あたしも少しだけ苦手だったんだ。
……まこちゃんも?
うん、あたしも。
……音が、怖かった?
怖かった、距離で音が変わったりするしさ。
たまに、鳴らし方も変わるだろう? あれも嫌だった。
……聞こえたら、両手で耳を塞いだりした?
したよ。
……。
少しでも聞こてきたら、急いで耳を塞ぐんだ。
でも、塞いでいても聞こえてくるから、それも嫌だった。
離れていても聞こえるように、大きな音で鳴らしているから。
今ではその必要性を理解しているけど、小さい頃は分からなかったからさ。
ただただ、鳴り響く音が怖くて。早くどっか行けって思ったりもしてたよ。
……うん。
ね、パトカーのサイレン音はどうだった?
……パトカー?
あたし、実はパトカーの音も駄目だったんだ。
……私もどちらかと言うと、苦手だったわ。
亜美ちゃんも?
救急車とは違うのだけれど、追い立てられているようで……少し、苦手だった。
分かるよ、ウーウー鳴っているのがまるで追い掛けられているみたいに聞こえるんだよね。
然うなの、別に悪いことなんてしていないのに。
あの頃のあたしは、お巡りさんに捕まるという意味が良く分かっていなかった。
……。
あたしが会ったお巡りさんは、子供には優しかったから。
……まこちゃんらしい。
ん、然うかな。
……素直で、純粋で。
まぁ、悪いことすら分かっていなかったからなぁ。
素直で純粋と言うより、鈍くてぼんやりしていたと言うか。
……可愛い。
可愛い?
……とても。
あー……。
……照れてる?
ん……。
……ふふふ。
でも、それでもパトカーの音は怖かったんだよ。
……私の場合は、大きな音が苦手だったということもあるのかも知れない。
大きな音?
……音だけでなく、ひとの声も。
ひとの声……。
……今でも、特に男性の怒鳴り声や女性の甲高い声が苦手だし。
あたしも、どちらも好きじゃないな。
……怒鳴り声に関しては、もっと冷静に話せば良いのにと思ってしまうの。
あたしも然う思うよ、感情に任せれば良いってもんじゃない。
……感情に任せて怒鳴っていたら、建設的な話し合いなんてとてもじゃないけれど出来ない。
大人であって、子供じゃないのにね。
……甲高い声は、頭に響いて。
あぁ、然うだねぇ……頭に残ったりもするしね。
……私、どこまで行ってもひとが苦手なんだわ。
あたしも然ういう声は得意ではないから、亜美ちゃんだけではないよ。
……。
そうそう、救急車と言えばさ。
……うん?
男の子で、車や電車が好きな子って居なかった?
……居たかも知れないわ。
中には車の玩具を持って、サイレン音を真似る子も居て。
それだけなら良いんだけど、酷いと追い掛けてくる奴も居たりしてさ。
追い掛けて?
本人は多分嫌がらせのつもりではないんだろうけど、追い掛けられている子は嫌がっていてさ。
大体、大人しい男の子や物静かな女の子を追い掛け回すんだ。持っているのがパトカーだったら、捕まえてやるぞ~とか言いながら。
それは……嫌ね。
やっぱり、亜美ちゃんも嫌だよね。
まこちゃんもされたことがあるの?
あたし、一度だけ殴ってしまったことがあって。
……追い掛け回されたから?
いや、追い掛け回される子を庇って。
まこちゃんはされなかったの?
あたしはされなかった、物静かではなかったから。
……大丈夫だった?
追い掛け回した子も悪いってことで、お互いごめんなさいをして終わったと思う。
……。
ずっと忘れていたのに、久しぶりに思い出しちゃった。
……ごめんなさい、私が余計なことを話したから。
ううん、構わないよ……よし、出来た。
……。
美味しそうな匂い、かな?
ん……美味しそう。
ねぇ、亜美ちゃん。
……なに。
良かったら、お母さんに。
……母に?
淹れてあげたら、喜ぶかも知れない。
……。
勿論、肩が治ってから……。
……母は、コーヒーが好きだから。
若しかしたら、カモミールティーも……。
……然うだとしても、私はまこちゃんのようには淹れられないから。
あたしのようでなくても……亜美ちゃんが淹れて呉れるお茶は美味しいよ、あたしは大好きだ。
……。
んー……まぁ、気が向いたらね。
……考えておく。
うん……。
……。
はい、どうぞ。
……ありがとう。
どういたしまして。
4日
……。
心配かい?
……もう、慣れているから。
慣れていても、心配はするものだよ。
……インフルエンザの患者さんが増えたとは聞いていたけれど。
お母さん、貰ってこないと良いね。
……予防はしているだろうから。
でも……ううん、亜美ちゃんのお母さんなら大丈夫か。
……それでも、疲れていれば貰ってしまうことはあるわ。
今回、お休みしたお医者さんも然うだったのかな。
……恐らく、然うだと思う。
……。
家族が罹っている場合もあるし……感染症を完全に予防するのは難しいから。
……然うだね。
夜食、ちゃんと食べていれば良いけれど……。
お母さん、こういう時はどうしているの?
……適当に済ませているらしいわ。
適当、か。
何にも食べていないわけでもなさそうだから。
……ね、亜美ちゃん。
なに……。
……心配なら心配で、良いと思うよ。
別に……今に始まったことではないし。
……然うだとしても。
……。
ごめん……余計なお世話だった。
……ううん。
寄り掛かっても良いから……。
……もう、寄り掛かってる。
ふふ……然うだった。
……重くない?
全然……。
……。
……お医者さんはすごいと思う。
すごい……?
……どんな時でも、皆の為に働いていて。
医師だけではないわ……。
……。
看護婦に、薬剤師……他にも沢山のひとが、医療に携わって呉れているから。
……看護婦さんが居なかったら現場は回らない、だっけ。
ええ……。
……。
……インフルエンザ以外の病気も流行っているみたい。
え……?
……食中毒、とか。
食中毒?
……それで、夜間診療も増えていて。
だけど、夏でもないのに?
……冬に流行る食中毒があるの、原因は主に牡蠣。
然ういえば、牡蠣は中るって聞いたことがある。
……食中毒と言えば大腸菌やサルモネラ菌、腸炎ビブリオ菌などが有名だけれど、時に然ういった細菌が見つからない食中毒があって。
うん。
だから……何らかのウィルスが原因ではないかと言われているのだけれど、未だはっきりとは分からないみたい。
流行っているということは、それだけ牡蠣を食べている人が居るってことなのかな。
……病原が若しもウィルスだった場合、牡蠣でなくても感染するかも知れないから。
インフルエンザみたいなもの?
……然うね。
そっか、じゃあ気を付けないとな……とりあえず手洗いとうがい、あとは、十分な加熱を徹底しよう。
まぁ、牡蠣を食べる機会はあんまりないけど……全く食べないとは、言い切れないから。
……浅蜊に中ることもあるみたい。
うん、しっかりと加熱しよう。
……食中毒になると酷い下痢と嘔吐、それから発熱を引き起こすから。
う、どれもやだな……。
……子供には、溶連菌も流行っているみたい。
なんか、色々流行っているね……。
……。
亜美ちゃん……。
……まこちゃん。
なんだい……?
……ううん、なんでもない。
そっか……。
……それより。
うん……?
……泊まるのなら、お風呂に。
うん、然うだね……でももう少し、このままで。
……お風呂に入ってからでも。
入ってからでも、出来る……?
……分からない、けど。
あたしの気は変わらないよ。
……キス以上のことは、だめよ。
分かってる……それ以上のことは、しない。
……ん。
怪我が酷くなってしまうようなことは、したくない……。
……息が、熱い。
昂ぶっているから……。
……。
然うだ……手で、しようか。
……手で?
手を握ったり……手の平を重ねたり……指を、絡めたり。
……じゃれているみたい。
これだけでも、熱を分け合っているように感じられて……気持ちが良いんだ。
……それで、収まるの?
ん……多分、収まる。
……余計に昂ぶってしまって、無理だと思う。
……。
……でしょう?
亜美ちゃんは、収まる……?
……私は、キスだけで良かったから。
過去形……?
……。
もう、収まった……?
……知らない。
……。
……何をしているの?
ん……指の間って、なんとなく良いよなぁって。
……ごめんなさい、良く分からないわ。
亜美ちゃんの指は細くて、いつだってきれいだ……。
……咥えないでね。
咥えない……ただ、唇で触れているだけ。
……まこちゃんの指も。
亜美ちゃんの唇に、触れても良い……?
……私にも、やらせて。
やりたい……?
……お返しがしたいの。
お返し、か……。
……早く。
ふふ……はい。
……。
……あたしの指なら、咥えても。
しない……昂ぶらせるだけだから。
ん……確かに。
……これが、終わったら。
未だ、終わりたくないな……。
……お湯、張っても良いから。
ううん……今夜はシャワーだけにしておくよ。
……私に遠慮しているのなら。
遠慮はしていない……ただ、そんな気分なんだ。
……気分って。
あるだろう……然ういう時も。
……お風呂の方が好きなのに。
お風呂の方が好きでも……シャワーだけで良い時だってあるさ。
……お風呂の方が、躰が温まるわ。
真冬ではないし……家の中が暖かいから、問題ない。
……疲れだって取れる。
疲れなら、亜美ちゃんに……。
……まこちゃん。
今夜は……亜美ちゃんの温もりがあれば、良い。
……どうしても。
亜美ちゃんちの浴室は、うちよりも広いからさ……それだけでも気持ちが良いんだ。
……もぅ。
肩が治ったら、一緒に入りたいな……久しぶりに、ふたりでゆっくり入りたい。
……腫れが引いて呉れれば、入れるけれど。
なら、腫れが引いたら一緒に入るかい……?
……考えておく。
ん……考えておいて。
……そろそろ。
今夜は、なんのお勉強をしようか……。
……お勉強?
するだろう……あたしも、泊まることだしさ。
……泊まらなくても。
数学を教えて欲しい……。
……復習?
うん……今日の授業、ちょっと分かり辛かったんだ。
然う……なら、そのままにはしておけないわね。
分からないことは、分からないままにしておかない……何故なら、積み重なってしまうから。
……今のまこちゃんなら、心配は要らないと思うけど。
分からなかったら、直ぐに亜美ちゃんに聞くからね……。
……他の教科は?
英語の予習をしようかな……単語の意味を調べて、文章を和訳しておかないと。
……音読は?
一応、するけど……辞書で調べるだけでは、いまいち分からないんだよなぁ。
……辞書には発音も載っているわ。
載っているけど……実際に聞かないと、音は分からないんだ。
……。
だから、今夜も聞かせて欲しい……。
……良いわ、ちゃんと聞いていてね。
ふふ……うん。
……どちらを先に?
んー……数学にしようかな。
まずは、分からなかったところを理解したい。
然う……分かった。
今日も、お願いします……。
……ちゃんと、付いてきて。
はい、どこまでも付いていきます……。
ん……まこちゃん。
……良い匂いがする。
まこちゃんも……後で、同じ匂いになるわ。
……うん。
……。
……ありがとう、亜美ちゃん。
なにが……?
……泊まるの、許して呉れて。
……。
嬉しかった……。
……傍に、居て欲しかったから。
喜んでは、いけないんだけど……。
……。
……どうしても、顔が緩んでしまって。
緩み切ってる……。
……だけど、心配もしているから。
分かってる……。
……。
……ねぇ、まだ入らない?
ん……そろそろ、入った方が良いかな。
……若しも未だ、こうしていたいなら。
もうちょっとだけ、していたい……。
……気になることが、あって。
気になること……?
……どうして、美奈子ちゃんは知っていたのかしら。
……。
……まこちゃんが、お手紙を貰ったこと。
あぁ……あたしは、話していないよ。
うさぎちゃんにも、話してない……。
……まこちゃんを疑っているわけではないの。
亜美ちゃん……。
……絡まれると分かっているのに、美奈子ちゃんに話すわけがないもの。
いい加減、面倒だからね……分かっているくせに、根掘り葉掘り聞いてくるから。
……今ではもう、同じクラスではないのに。
もっと言えば、隣のクラスでもない……それなのに、どうして分かるんだろうな。
……本人に聞いても、惚けるだけだし。
聞いたのかい……?
……あまりにも、軽薄だったから。
軽薄……。
……私は知っているものだと思っていたみたい。
……。
……知らないと言ったら、少し驚いていたわ。
だからって、気まずそうにはしないんだよな……。
……寧ろ、開き直る。
……。
……障子にメアリーなんて。
障子にメアリー……微妙な間違いだ。
……目ありとメアリーでは、発音が全然違うわ。
正した……?
……その時は敢えて、正さなかった。
まぁ、良いんじゃないかな……とりあえず、赤点さえ取らなければ。
……赤点を取っても、補習があるから。
補習か……今となっては、常連だ。
……三年生になったら、私達のことよりもお勉強をして欲しい。
然うだね……卒業が懸かっているもんね。
……はぁ。
見ていたわけではないと思うんだ……。
……それなのに気付く。
美奈子ちゃん、うちのクラスにも知り合いが居るからなぁ。
亜美ちゃんのクラスにも居るだろう? たまに見掛けるし。
……だとしても。
あ……。
……噂好きにも、程があるわ。
ま、全くだ……。
……まこちゃんから聞くまで、聞きたくなかった。
……。
……余計なことを考えてしまうから。
亜美ちゃん……まさかとは、思うけど。
……授業には、集中していたわ。
そっか……なら、良いんだ。
……集中していたのに、この様。
……。
……嫌になる。
亜美ちゃんに落ち度はないよ……どうしようもなかったんだ。
……。
寧ろ、悪いのは言わなかったあたしで……。
……まこちゃんも悪くない、聞いてもいないのに言ってきた美奈子ちゃんが悪い。
あ、あー……。
……。
えと……然うだ、ミルク飴でも舐める?
……飴?
うん、飴。
……。
寝るまでまだ時間はあるし、ひとつくらい良いかなって。
この後、お勉強もするしさ。お勉強と言えば、甘いものだろう?
……買ってきたの?
うん、甘いものも欲しくて。
……それだけ?
それだけ、だけど……どうして?
……それなら、良いの。
え、と……舐める?
……貰う。
ん、分かった。
……。
手、少しだけ離すね。
……ん。
飴、飴……ん、あった。
……。
はい、どうぞ。
……ありがとう。
特農だから、甘くて美味しいんだ。
……苺ミルクも美味しいわよね。
あと抹茶ミルク、夏は塩ミルクも良いよ。
……開けて貰っても良い?
うん、任せて。
……。
……はい、あーん。
自分で……。
……良いから。
……。
……うん。
……。
甘い……?
……まこちゃん。
ん、なに……?
……。
え、と……。
……まこちゃんのようには、出来ない。
それは、それで……。
……。
……良い?
やっぱり……ん。
……。
……ふ、……ん。
……。
……。
……うん、すごく甘い。
3日
……はぁ。
如何でしたでしょうか。
……美味しかった、けど。
ご不満がありましたら、どうぞお聞かせ下さい。
……幾ら、王室御用達だからって。
堅苦しい?
……わざとらしい。
あぁ、やっぱり?
私は、お姫様ではないのだから。
たまには、良いかなって。
もう、十分。
はい、分かりました。
……。
今回も美味しい紅茶だったね。
……紅茶なんてほとんど飲まないのに、見る目だけはあるのよね。
若しかしたら、詳しいのかも知れない。
……。
亜美ちゃん?
……大丈夫、少し疲れただけ。
……。
怪我をすると、疲れる……。
……普段とは、違うから。
……。
ベッドに行くかい……?
……ううん、未だ行かない。
……。
もう少し、まこちゃんとこうしていたい……。
……。
ふふ……なぁに?
……可愛い手だなぁって。
くすぐったいわ……。
……指を絡めるのが好きなんだ。
知ってる……ベッドの中でも、良くされるから。
……寄り掛かっても良いよ。
……。
寄り掛かって欲しい……。
……うん。
……。
……。
静かだね……。
……然うね。
肩は、どう……痛む?
少し……でも、じっとしていれば。
早く、治りますように……。
……ありがとう。
……。
……然ういえば。
なんだい……。
……最近、またラブレターを貰ったでしょう?
え……。
……。
えー……と、なんで?
美奈子ちゃんに聞かされたの……。
……あいつ。
どうして、黙っていたの……?
黙っていたわけじゃないんだ。
……でも、教えて呉れなかったわ。
話そうと思っていたら、亜美ちゃんが怪我をしてしまって。
いつ貰ったの……?
……聞いているとは思うけど、先週。
先週の……?
……土曜日。
だとしたら……私の怪我は、関係ないわね。
……終わってから、話そうと思っていたんだ。
終わってから……?
……少し、時間が掛かってしまって。
ラブレターは……どこで?
……机の中に入ってた。
机の中……直接ではなかったの?
うん、今回は直接ではなかった。
……今回は、ね。
見つけた時は驚いたよ……机の中に入ってるなんて、今まで一度もなかったから。
……帰り道に話して呉れたら。
うん……ごめん。
……話したくなかった?
鞄の中に入れた時は、亜美ちゃんに話すつもりだった……。
……若しかして、忘れてしまったの?
帰って、それを見た時に思い出した。
……。
今のあたしは、亜美ちゃん以外のひとに心が反応することはないから。
……今回は、誰から。
今回は、先輩から。
先輩……。
……と言っても、前に言っていたひとじゃないよ。
三年生……?
……。
まこちゃん……?
……大学の、三年生。
大学……?
……まさか、大学三年生のひとから貰うなんてさ。
……。
衛さんよりは、年下だけど……接点なんて、まるでないだろう?
……誰が、机の中に。
弟。
……弟?
たまたま、差出人の弟がうちのクラスだったんだ。
でも、どうしてまこちゃんのことを……?
どうやら、文化祭の時にあたしを見掛けたらしい。
……弟の学校の文化祭に来たの?
曰く、暇潰しに……母校なんだってさ。
……そんなことも、あるのね。
ね……。
……ラブレターを貰って、それから。
一応、内容を確認したら、返事は要らないって書いてあったんだ。
……要らない?
うん、珍しいだろう?
……告白、だったのよね?
あたしも、読む前は然う思ってたんだけど。
……違ったの?
ラブレターと言えば、ラブレターかなぁ。
……どういうこと?
あたしが亡くなったお姉さんに似ているらしい。
……え。
小学生の頃に白血病になってしまったらしくて……それで。
……小児がん。
亡くなったのが丁度、高校二年生の時……つまり、今のあたし達と同じだ。
……そんなに似ているの?
然う思って、弟に聞いてみたんだ。然うしたら、似てなくもないって。
歳が離れているから、あんまり憶えていないらしい。
……だけど、大学生のお兄さんには似ているように。
あ、いや、お兄さんじゃないんだ。
……。
お姉さんなんだ、手紙を呉れたの。
……お姉さん?
然う、お姉さん……お姉さんがふたり、なんだってさ。
……。
なんでも、弟は姉の奴隷だとか。
……それは、流石に言い過ぎだと思うけど。
日々、暴力とも言える理不尽な仕打ちに耐えているそうだよ。
……そこまで?
よくよく聞いたら、ただの照れ隠しだった。
実際はとても可愛がられているって、弟の友達が言ってたよ。
……。
弟は姉に託された手紙を、あたしの机の中にこっそり入れた……相当、嫌だったらしい。
……下駄箱では、駄目だったのかしら。
場所も指定されていたんだってさ。
とは言え、分からないだろうに律儀だよね。
……若しかしたら、挙動で気付かれるのかも知れない。
挙動?
……恐らくは、確認されるでしょうから。
それで、気付かれる?
……多分。
だとしたら……弟も大変だなぁ。
……。
弟はあたしのことが好みではないし、あたしも弟のことは全く好みではないよ。
……どうして?
なんとなく。
……あぁ、然う。
安心した?
……それよりも、返事は書かなかったの。
いや、一応書いたよ。
……それで。
今度、一時間だけでも会えないかって。
……。
ひとりでは嫌かも知れないから、友達も一緒で構わないと。
……どうするの。
断った。
……。
少しくらいなら話しても良いかなって思ったけど、でも、あたしはお姉さんではないから。
……。
それで、この話はお仕舞い。
……終わってから、話すつもりだったのよね。
うん……今日、話すつもりだった。
……終わったのが、今日なのね。
出来れば、昼休みにと思っていたんだけど……。
……途中で、話して呉れなかった理由は?
話して、良いものかなって。
……。
だけど、途中でも話せば良かった……ごめんよ。
……相手のことを慮ったのでしょう。
……。
亡くなっているから……。
……気持ち、少しだけ分かるんだ。
……。
ごめんね……亜美ちゃん。
……私こそ、ごめんなさい。
ううん……あたしが悪いから。
……。
ん……亜美ちゃん。
……まこちゃんの指が、好き。
え……。
……こんな時に、何を言っているのかしら。
別に、良いけど……。
……。
……眠い?
ううん……まこちゃんの温もりを感じているだけ。
ん……そっか。
……。
帰りたく、ないな……。
……まこちゃん。
ん……なんだい?
……改めて、私のことを好きになって呉れてありがとう。
……。
……ずっと一緒に居たいと思って呉れて、ありがとう。
あたしこそ……ありがとう。
……私は、ひとりで生きていくつもりだった。
ひとりで……?
……誰とも、深く関わることなく。
それは……亜美ちゃんが然うしたいと、望んでいた?
……。
それとも、本当は望んでいなくて……然うしようと、思い込んでいた?
……その両方。
両方……。
……私、未だにひとと話すことが苦手なの。
……。
一対一なら、まだ話せるけど……複数になってしまうと、どう話して良いか分からない。
……難しい?
タイミングが掴めなくて、会話の中に入れないの……だから、どうしても聞いているばかりになってしまって。
だけど、私はそれでも良いと思っている……私が入ることで、それまでの会話の流れがおかしくなってしまうのなら。
無理をしてまで、入りたいとは思わない……ううん、入りたくない。
……若しも、話を振られたら?
言葉は返すけれど……出来れば、振って欲しくない。
望まれている答えなんて、返せそうにないから。
……亜美ちゃんが思うことを、話せば良いんだ。
まこちゃんや皆が相手なら、それで良い……でも、他のひとは違う。
……どう違う?
簡単に言ってしまえば……距離。
……距離?
然う……距離。
……。
社交辞令のような会話なら、出来なくもないけれど……。
……あたしも、然うだよ。
まこちゃんは……。
……あたしの、最も近くに在るのは亜美ちゃん。
……。
その次に近いのがうさぎちゃん、レイちゃん、美奈子ちゃん……他のひとは、それよりも離れたところに在る。
……今でも?
あたしも、色々あったからね……人間は嫌いではないけれど、必要以上に距離を縮めたいとは思わない。
自分にとって程良い距離感を保って……それで離れてしまうのなら、仕方ないと思っている。
いや、仕方ないとすら思っていないかな……距離を縮めたいなんて、今となってはひとつも思っていないのだから。
……私達以外の、他のおともだちには。
クラスには何人か、部活でも話す子は居るけど……それだけだよ。
友達と言えるかどうか……言うなれば、ただのクラスメートと部活仲間だ。
……あまり話さない子は。
必要であれば話すし、然うでなければ話さない……ほとんどは、そんな感じだよ。
……。
亜美ちゃんはさ、意見を言わなければならない時はちゃんと言うだろう?
意見は、ね……。
……今は、それで良いんじゃないかな。
……。
無理をしてまで、不慣れなひとと他愛ない会話をする必要はないと思う。
話を聞いているだけで十分だと……あたしは、然う思うよ。応答は、出来ているのだしね。
……若しも、まこちゃんと。
……。
想いを、重ねることが出来なかったら……私は。
……誰とも深く関わらず、ひとりで生きていく。
まこちゃんよりも、好きになる……好きになれるひとなんて、屹度居ない。
……それは、分からない。
まこちゃんには、分からなくても……私には、分かるの。
……若しも、あたしに出逢っていなければ。
まこちゃんに出逢っていようがいまいが……それは、関係ない。
……あたし以外のひとと。
まこちゃんでなければ、私は駄目なの……。
……。
ごめんなさい……重たくて。
……亜美ちゃんのこと、言えないから。
ん……まこちゃん。
あたしは……亜美ちゃんがあたしなしでは居られないようになれば良い、と。
……。
……心の底では、思っている。
まこちゃん……。
……良くない気持ちだと分かっていながら、それでも消すことは出来ない。
……。
消すことが出来ないのであれば……あたしはずっと、その気持ちと向き合っていかないといけない。
でも、構わない……あたしもまた、亜美ちゃんなしでは居られないのだから。
……。
ね、あたしも大概だろう……。
……うん。
はは、否定されなかった。
……ごめんなさい。
良いんだ、今は肯定して欲しいところだったから。
……。
……ねぇ、亜美ちゃん。
なに……。
……キス、しようか。
キス……。
……。
……そんな気には、ならないと。
若しかしたら……亜美ちゃんがしたいんじゃないかって。
……。
……あたしの思い違いなら、謝る。
……。
……。
……して、まこちゃん。
……。
して、欲しい……。
……分かった。
でも、まこちゃんが……あ。
……したくないわけ、ないだろう?
そんな気に……。
……亜美ちゃんが求めて呉れるなら、話は別だ。
……。
亜美ちゃん……。
……まこ、ん。
……。
……もっと。
良い……?
……キス、だけ。
ん、分かってる……。
……ん、……。
……。
……まこ、ちゃん。
亜美……。
……ぁ。
……。
……。
……電話。
いまは、それより……。
……お母さんかも。
……。
一応、出た方が良いと思う……。
……ばか。
ごめん……。
……まこちゃんが、悪いわけじゃない。
……。
はぁ……。
……電話の、後に。
……。
……もう、ないか。
もしもし……お母さん?
……やっぱり。
まだ、寝ていないけど……あぁ、まこちゃんには伝えたわ。
若しかして、それだけの為に……え。
……うん?
かえって、こられない……?
……。
インフルエンザで、欠員が……あぁ、然うなのね。私は大丈夫よ……ええ、心配要らないわ。
打撲と言っても、軽度だし……ひとりでも、問題ない。だから、私のことは気にしないで。
……。
うん……うん……分かった、帰りは明日のお昼になるのね。
……昼、ということは。
ええ、お母さんも無理はしないように……うん、じゃあまた。
……亜美ちゃん。
……。
泊っても、良い?
……言われると、思った。
だめかい?
……明日の用意は。
明日、早く起きて用意してくる。
……。
それじゃ、だめかな……。
2日
……ふぅ。
亜美ちゃん。
……ん。
大丈夫かい?
……うん、大丈夫。
何かあったら、直ぐに呼んでね。
……ん、ありがとう。
うん。
……あの、まこちゃん。
うん?
……ずっと、そこに居て呉れるの。
居るつもりだけど、亜美ちゃんがやっぱり居て欲しくないと思うのなら廊下に出ているよ。
……。
居ない方が良い?
……そこに、居て。
うん、分かった。
……。
ゆっくり……は、出来ないか。
患部を温めたら駄目だもんね。
……さっと洗い流して、出来るだけ早めに出るつもり。
然うしたら……湯冷めをしないように、出たらあったかくしてた方が良さそうだ。
今は風邪だけでなく、インフルエンザも流行り出しているから。
……小学校では、学級閉鎖のクラスも出ているらしいわ。
学級閉鎖か……大変だな。
……まこちゃんのクラスにも、インフルエンザで休んでいる子が居るのよね。
うん、ふたり休んでるよ。
亜美ちゃんのクラスもふたりだったよね。
うちは、三人休んでいるわ。
三人?
今日、またひとり。
そっか……。
……咳をしている子も、何人か居てね。
言われてみれば、うちのクラスにも居るな……これは思っている以上に、流行ってるのかも知れない。
……どこで貰ってくるか、分からないから。
だから、手洗いとうがいは忘れずに必ずしているよ。
亜美ちゃんちに来た時も、ちゃんとしたし。
……中学生の時に。
うん。
……美奈子ちゃん以外の全員が、高熱を出して寝込んだことがあったじゃない?
あぁ、あったねぇ。確か、クリスマスの頃だ。
あれは結局、敵の作戦だったんだっけ。
……然う。
厄介だったよね、あれは。
……それこそ私達だけでなく、街中で流行っていて。
それなのに何故か、美奈子ちゃんだけが元気でさ。
あたしとしては、体調不良よりも美奈子ちゃんの方が大変だったよ。
……気持ちは、有り難いんだけどね。
あれ以来、インフルエンザには特に気を付けるようになったんだ。
まぁ、今は流石に同じことにはならないと思うけど……思いたいけど。
……若しもまこちゃんがインフルエンザに罹ったら、私が看病するわ。
あたしも、亜美ちゃんが罹ったら看病したいな……と言うより、する。
……その為には、ふたりで罹らないようにしないとね。
ん、然うだね……黒焦げのお粥と鍋はもう勘弁だ。
……ふふ。
鍋の焦げがなかなか取れなくてさ、苦労したよ。
どうやったら、あんなに焦がすことが出来るのかな。
……どうやら、お米だけをそのまま入れたみたいなの。
敢えて聞かなかったんだけど……やっぱり、そのまま?
然う、水も入れずにそのまま……それでうちのお鍋は結局、処分されることになったわ。
落とせなかった?
……お米と一緒に真っ黒になってしまっていたから、これならば新しいものにした方が早いと母が。
あぁ……確かに、その方が手っ取り早いな。
……今思えば、火事にならなくて良かったと。
火事……。
……お鍋とお米が焦げるくらいで済んで、本当に良かった。
改めて考えたら、怖くなってきた……。
……ひとつ、間違えば。
うっかり、おうちがなくなってしまうところだった……。
ひとには、向き不向きがあるけれど……ぅ。
ん、どうした?
……ううん、なんでも。
本当に、なんでもない?
……本当に、なんでもないわ。
痛みで躰が洗えなくて、困ったりしていない?
……あんまり、心配しないで。
無理だよ、あたしは心配性だから。
……然うよね、知ってる。
亜美ちゃん……。
……まこちゃんって、耳が良いわよね。
今は特に、ちょっとしたことでも聞き逃すまいと思っているから。
……。
亜美ちゃんは痛くても我慢しちゃうことがあるだろう。
……まこちゃんも。
あたしは……いや、今はあたしのことよりも。
……。
本当に我慢してないのなら、良いんだ……。
……どうやっても。
ん?
……洗えそうにない場所が、あって。
あぁ。
……左手で届く範囲は、良いのだけれど。
手伝おうか。
ううん……洗えない場所は、シャワーだけで済まそうと思って。
洗わなくて良いのかい?
……ん、届く範囲だけで良いかなって。
髪の毛は、どうだい?
……髪の毛なら、片手でも洗えるから。
……。
……こういう時、短いと良いわよね。
然うだね。
……ごめんなさい、さっきからどうでも良いことを。
ううん、良いよ。
無言でいられるよりも、何か話して呉れている方が安心する。
……安心?
静かだと、かえって心配してしまうから。
……。
若しかして、無理してるんじゃないか……痛みを、我慢しているんじゃないかって。
……話していても、良い?
うん……亜美ちゃんが話して呉れるなら。
……まこちゃんからも、話して。
あたしからか……然うだなぁ。
……なんでも良いわ。
話したいことは、あるけど……。
……それを。
ねぇ、亜美ちゃん。
……なに?
背中ぐらいだったら、どうだろう。
……背中?
うん、背中……。
……。
どうかな。
……。
えと……遠慮、しとく?
……濡れてしまうかも知れないから。
少しくらい、濡れても大丈夫だよ。
……風邪を引いてしまうわ。
大丈夫さ、亜美ちゃんちは暖かいから。
……制服、だし。
若しも、気になるようだったら……あたしも脱ぐよ。
……。
ごめん……やっぱり、なしにしようか。
……しても、良い?
ん、なに?
……。
ごめんよ……もう一度、良いかな。
……お願いしても、良い?
……。
……背中。
うん……勿論。
……制服は、脱いで。
分かった、制服は脱ぐよ。
……出来れば、シャツに。
然う思って、準備しておいたんだ。
……しておいたの?
うん、亜美ちゃんのお部屋に泊まる時に着るシャツをね。
……用意周到。
はは……。
……。
それじゃ、着替えるからさ……ちょっとだけ、待っててね。
……ん、待ってる。
……。
……右肩の怪我も、不便なものね。
手足は、特に不便かな……足だと歩けないし、腕や手だと色々出来ない。
……まこちゃんは、利き手じゃない方の手も使えるのよね。
まぁ、ある程度だけどね……利き手のようには使えないよ。
……私も、まこちゃんのようになりたくて。
あたしのように?
……左手も、使えれば。
練習、しているんだろう……?
……一応。
左手で書いた字を少し見せて貰ったけど、きれいな形にまとまっていたと思う。
利き手じゃない手であれだけ書けるのはすごいと思うよ。普通、形にもならないと思うから。
……でも、まだまだ歪んでいるわ。
もう少し練習すれば、歪まずに書けるようになる……亜美ちゃんなら、屹度ね。
……続けるわ、練習。
うん……良いと思う。
……お箸も使えるように。
なったら、便利だよ。
ふふ……然うよね。
……よし。
着替えた……?
ん……お待たせ。
……ううん。
入っても、良いかな。
……ん、入って。
あまり、見ないようにするから。
……今更?
然うなんだけど……いつもとは違うし、少し恥ずかしいかなって。
……言われると、恥ずかしいわ。
あ、言わなきゃ良かったかな。
……もう、遅い。
だよね……出来るだけ、見ないようにするよ。
……でも、構わない。
……。
まこちゃん、だもの……。
……亜美ちゃん。
だけど……やっぱり、あまり見ないで。
……ん、分かった。
……。
入るね……。
……ん。
失礼します……。
……改まらないで、余計に恥ずかしくなってしまうから。
ん、なんだかあたしも恥ずかしくなってきたかも……。
……止めても、
ううん、止めない。
……。
……亜美ちゃん。
まこちゃん……。
……座れるかい?
う、ん……。
……無理だったら、立ったままでも良いよ。
片手だと、上手に座ることが出来ないような気がして……。
分かるよ……バランスが取り辛いんだよね。
片方だけだと、座ることも出来ない……。
……痛みが引くまで、あたしが傍に居るよ。
……。
……あたしを、右腕だと思って欲しい。
そんなこと……。
……あたしが、なりたいんだ。
……。
んー……。
……なに。
いや……何度見ても、きれいだから。
……。
こんな時に何を言っているのかな……ごめん。
……いつも、言われているから。
慣れてる……?
……然うだったら、良いのに。
……。
……まこちゃん、お願い。
あ、うん……。
……。
えと……少し触っても良いかな。
……ん、良いわ。
それじゃあ……。
……ん。
……。
……はぁ。
髪の毛は、もう洗った……?
……まだ。
そっか……。
……ねぇ。
ん、なに……あ、痛い?
……ううん、平気。
力が強かったら、直ぐに言ってね……。
……大丈夫、気持ち良いわ。
……。
……まこちゃん。
なんだい、亜美ちゃん……。
……やっぱり、なんでもない。
心配しないで……そんな気には、ならないから。
……。
怪我をしている亜美ちゃんに、そんな気になったとしたら……あたしは、あたしのことを心の底から最低な人間だと思う。
あたしは、そんなひとにはなりたくない……それこそ、亜美ちゃんに相応しくない。
……。
浴室、あったかいようで良かったよ……これなら、躰も冷えないだろうし。
……ねぇ、まこちゃん。
そろそろ、終わるよ……。
あの……もっと、お願いしても良い?
勿論……なんでも言って。
……左腕も。
左腕……?
……右腕が、痛いの。
あぁ……分かった、背中が終わったら左腕を洗うよ。
……ありがとう。
どういたしまして……。
……。
……。
……私が、シャワーから出たら。
未だ、帰らない。
……。
帰った方が……。
……聞かないで。
分かった……聞かない。
……。
この後……良かったら、一緒にお茶を飲まない?
……飲みたい。
うん……じゃあ、飲もう。
……いつものように、母が買ってきたものがあるの。
それを、淹れても……?
……まこちゃんと飲みたい。
今回は、どんなお茶を買ってきたんだい……?
……英国王室御用達のものだと言っていたわ。
英国王室御用達かぁ……なんかこう、とっても気品が溢れていそうな。
……しかも、季節限定のブレンドみたい。
あたし、美味しく淹れられるかな……。
……淹れ方は、書かれているみたいだけれど。
見せて貰っても……あ、若しかしないでも、英語?
……ん、英語。
……。
……いつも通りで良いと思うわ。
良いかな……。
……気になるのなら、淹れ方を確認してみる?
一応、してみる……。
……なら、ふたりでね。
うん……ふたりで。
……。
……痛みが引くまで、不自由だと思うんだ。
……。
今日は、帰るけど……お母さんが帰ってこない夜は。
……傍に居て。
……。
傍に居て……まこちゃん。
……明日は?
明日は……未だ、分からない。
……分かったら、教えて欲しい。
ん……必ず、教えるわ。
……さて、これで良いかな。
ありがとう……まこちゃん。
……それじゃあ、あたしは外に。
……。
また何かあったら、呼んでね……。
1日
……美味しい。
本当?
ウィンナーの旨味と、トマトの酸味がとても合っていて。
お豆はどうだろう?
お豆もほくほくしていて、且つ、味が良く絡んでいるからとても美味しいわ。
オリーブオイルの風味、にんにくのアクセントも程良くて……本当に、美味しい。
食べ辛くはない?
大丈夫、スプーンなら左手でも食べられるから。
お箸は利き手じゃないと難しいかなって思ってさ。
スプーンかフォークの方が腕に掛かる負担が少ないと思ったんだ。
ありがとう、気遣って呉れて。
へへ……どういたしまして。
お豆はミックスビーンズなのね。
ん、手軽に色んなお豆が食べられるからさ。
ふふ……お豆のシチューも美味しいわ。
因みに、ひよこ豆と青えんどう、それから赤いんげんだよ。
大豆ではなく、ひよこ豆なのね。
大豆も良いけど、今回はシチューに合わせてひよこ豆にしたんだ。
ふふ、ひよこ豆も美味しいわ。
ふふ、だろ?
……。
うん、どうした?
ん……サンドイッチよりも、フランスパンを買ってくれば良かったなって。
ごめん、サンドイッチには合わなかったな。
ううん、そんなことはないの……ただ、パン屋さんのパンが食べたくなってしまって。
ほら、パン屋さんのパンってコンビニのパンよりも小麦の味と匂いがしっかりするでしょう?
うん、然うだね。
コンビニのサンドイッチもしないわけではないけど、パン屋さんのパンには敵わないかな。
だからね、パン屋さんのパンだったら、このシチューをもっと美味しく食べられるのではないかと思ったの。
それくらい、このシチューが美味しくて……コンビニのサンドイッチでは、勿体ないなって。
……。
サンドイッチ、せめてパン屋さんで買ってくれば良かった。
今日はひとりだと思っていたから、食べられればなんでも良いと思ってしまって。
あるよ。
……え?
パン屋さんのフランスパン。
……あるの?
お店の前を通り掛かったら、まさに小麦の良い匂いがしてさ。
これは、買っていかないと勿体ないかなぁって。
……でも。
見えないのは、カットして貰ったからなんだ。
カット……。
その方が、食べやすいだろう?
自分でカットしても良かったんだけど、今回はして貰った方が良いかなって。
まこちゃん……。
それとも、長いままの方が良かったかな。
ううん……カットして貰って良かったと思う。
それじゃあサンドイッチは明日にして、今夜はフランスパンにするかい?
……しても、良い?
勿論、亜美ちゃんさえ良ければ。
良いわ。
お。
コンビニで買ったサンドイッチは、明日の朝食にする。
じゃあ、冷蔵庫に入れておこうか。
自分で……ぅ。
亜美ちゃん?
……大丈夫、なんでもないわ。
顔が一瞬、歪んだよ。
……ちょっと、痛みを感じただけだから。
ここは、あたしに任せて。
……これくらい、自分で。
今だけだから、さ?
……。
さぁ、亜美ちゃん。
……うん。
ん。
……。
どこに入れておく?
えと……見えるところなら、どこでも良いわ。
うん、分かった。
なら、中段に入れておくね。
ありがとう。
どういたしまして。
……立つだけで、痛むなんて。
軽い打撲と言っても、結構厄介なものなんだよ。
骨折程ではないけれど、地味に痛むんだ。
……知っているつもりだったのだけれど。
今は無理をしないことだよ、亜美ちゃん。
腫れが引いても、痛みは暫く残るからさ。
……分かっているわ。
無理は駄目だからね?
だから……痛みが引くまで、まこちゃんに甘えることにする。
え。
……。
本当に甘えて呉れる?
あたし、本気にしちゃうよ?
……もう、しているくせに。
うん、してる。
だから、明日は家まで迎えに来るよ。
……家まで?
鞄をお持ち致します。
……左手で持つから。
明日の天気、残念ながら雨の予報なんだ。
……雨?
然う、雨。
今朝の予報では、明日は曇りだった筈よ。
天気予報は、変わるものだからね。
……どこで見たの。
商店街で。
……雨が、降らなかったら。
降らなくても来る、来たい。
……まこちゃん。
ね、良いだろう?
……良いけど、鞄は自分で持つわ。
曇りだったらね。
……。
治るまで、毎日迎えに来るよ。
良いだろう?
……駄目だと言っても。
お願いだ、亜美ちゃん。
……分かった、待っているわ。
やった。
……でも、鞄は出来るだけ自分で。
え、なに?
……なんでもない。
お弁当は暫く、食べやすいものの方が良いよね。
サンドイッチだけでなく、色々考えておくよ。
……楽しそうね?
うん、すごく楽しいよ。
亜美ちゃんが怪我したことは、ひとつも楽しくないけどね。
……。
怪我が少しでも早く治るように……何が良いんだろうな、やっぱり蛋白質かな。
いや、いつも通り、バランス良く食べた方が良いな。亜美ちゃんはひとりにすると、どうしても偏ることが多いから。
……。
あ、食べたいものがあったら遠慮なく言ってね。
そこはいつも通りで良いからさ、寧ろ、どんどん言って欲しい。
……まこちゃんって。
ん、なぁに?
尽くすことが、好き?
亜美ちゃんに尽くすことが、好き。
……私に?
然う、亜美ちゃんに。
……他のひとには。
あたしが尽くすのは、尽くしたいのは亜美ちゃんだけだ。
他のひとには、しないよ。絶対にね。
……でも、優しいわ。
亜美ちゃんから見ると、然うみたいだね。
……まこちゃんは、出逢った頃から誰にでも優しかった。
優しく見えるかも知れないけど、尽くしているわけじゃない。
……。
違い、分からない?
……たまに、分からなくなるわ。
例えば、食べさせてあげたいとは全く思わない。
……食べさせて?
亜美ちゃんの怪我が治るまで、食べさせてあげたいと思ってる。
それは……どういう意味?
ごはんを口まで。
ごめんなさい……流石に遠慮させて貰うわ。
ふふ、だよねぇ。
だからしないよ、したいと思っていても。
……。
相手が嫌がることでもあるんだよ、尽くすことって。
どうしても、独り善がりになりがちだから。
……嫌がると、言うより。
迷惑?
……とも、違うわ。
けれど、遠慮したいだろう?
……駄目になってしまうから。
駄目に?
あまり尽くされてばかりいると……自分が、まこちゃんに相応しくない人間になってしまうから。
そんなことは、ないと思うけど。
尽くされること、それに甘えること。
当たり前にはしたくない、ううん、してはいけないの。
まこちゃんとずっと、生きていく為に。
……ずっと?
然う、ずっと。
……一生?
……。
それは、違う?
……違わない。
……。
……まこちゃん。
あたしさ。
うん。
亜美ちゃんに、物凄く、尽くしたくなる衝動に駆られることがあるんだ。
……物凄く。
兎に角、尽くしたいんだ。
尽くして、尽くして……あたしなしでは、居られないようにしたいって。
……。
中学生の頃から然ういう気持ちはあったけれど、高校生になってからは……亜美ちゃんと恋人同士になってからは、より一層、強くなってしまって。
亜美ちゃんに尽くしたいという欲と一緒に、亜美ちゃんにはあたしだけという、言わば独占欲のようなものも混じっているから、始末に負えなくてさ。
……そんなに。
だから、敢えて亜美ちゃんに言葉にして伝えるんだ。然うすれば、亜美ちゃんはいつだって、あたしの欲を抑える言葉を返して呉れるから。
今だって、然うだ。亜美ちゃんはあたしとずっと一緒に生きる為に、あたしに相応しくない人間になりたくないと言って呉れた。
それはあたしの尽くしたいという欲を押し留めるのに十分過ぎる言葉なんだ。だって、あたしのことを必要だって言って呉れているように聞こえるから。
……。
いや、あくまでも、あたしの勝手な解釈なんだけどね。
……ねぇ、まこちゃん。
な、なんだい?
若しも私に……尽くしたくて仕方がなくなったら、言葉にして伝えて?
伝えて呉れたらその度に、私なりの答えを言葉にして返すから。
亜美ちゃん……うん、これからも然うするよ。
でも、鬱陶しくならないかな。
ならないわ。
……。
ならないから、これからも言ってね。
……うん、言うよ。
とりあえず、食べさせて呉れるのは今は未だ大丈夫だから。
ん、分かった。
両手が負傷、或いは、食べる体力がない時には甘えるかも知れない。
それは、流石に放っておけないよ。
ふふ……然うよね。
亜美ちゃんもだろう?
うん……私も。
……。
……まこちゃん。
あぁ……本当、尽くしたい。
ありがとう、まこちゃん……そんな風に思って呉れて。
……一生、尽くしたい。
私も……ちゃんと、お返ししないと。
お返し……。
……私も、あなたに尽くしたい。
……っ。
あなたのようには、出来ないと思うけど。
う、ううん……嬉しい、よ。
……まこちゃん?
そ、そんなこと言われたの、初めてだから……。
……私は、搾取するだけの人間にはなりたくないの。
搾取……?
然う……まこちゃんの、私を想って呉れる気持ちを都合良く利用するような。
……亜美ちゃんは、ならないと思うな。
ならないとは、限らないから……常に、自分を律しないといけない。
律する、か……あたしも見習わないとなぁ。
……まこちゃんは、出来ていると思うわ。
然うでもないよ……下心は、なくならないし。
……でも、下心を出しっ放しにはしないでしょう?
それは、しないかなぁ……。
……それは、ちゃんと自分を律しているから。
と言うより、嫌われたくない気持ちが強い……。
……それもまた、同じことよ。
ん、そっか……。
……私も、甘え過ぎないようにしないと。
亜美ちゃんは、なかなか甘えて呉れないと思う……。
……今だって、甘えているのに?
今……?
美味しいごはんを作って貰って……おまけに、パン屋さんのパンまで。
こんなの、甘えているうちに……あ、然うだ。
……え。
パン屋さんのパン、今出すよ。
あぁ。
少し冷めちゃってると思うけど……うん、冷めてる。
亜美ちゃん、レンジとトースターを借りても良いかい?
ええ、良いわ。
ん、それじゃあ温めようか。
まずは、トースターを予熱して。
良かったら、ラップも好きなように使ってね。
うん、使わせて貰うね。
……。
よ、と。
……手際が良いわ。
お褒めの言葉を頂き、まことに光栄です。
……大袈裟。
はは。
フランスパン、冷めていても美味しそうね。
シチューにつけて食べるのなら、冷めていても良いと思うけど……でも、どうせだから、焼き立てに近いものをね。
ふふ……うん。
何枚食べる?
えと……2枚。
2枚で足りる?
足りるわ、だって美味しいシチューがあるもの。
ふふ、そっか。
足りなかったら、また焼くからさ。
うん、ありがとう。
どういたしまして。
あ、良かったらシチュー食べてて。
でも、まこちゃんが温めて呉れているのに。
良いから、良いから。
さぁさ、どうぞ。
……。
レンジで温めたのを、トースターに。
……ねぇ、まこちゃん。
なに?
……尽くして呉れて、ありがとう。
あ……。
……お言葉に甘えて。
ん……どんどん、甘えて。
……。
……今度、さ。
ん……?
……ミルクのシチューを作ろうと思ってるんだ。
ミルクの……?
……ミルクシチューも、好きだろう?
うん……好きよ。
だから……作りたい。
……ん、楽しみにしているわ。
うん……してて。