日記
2025年・10月
10月前 9月後 9月前 8月 7月 6月 5月 4月 3月
19日
ちび、卵入りの大根雑炊は美味かったか……ん、然うか。
一応は、満足したか……其れは、良かった。
あっと言う間に食べてしまいましたね。
腹が減っていたのだろう……と言いたいところだが、普段から早いからなぁ。
見ているとあまり噛まずに飲み込んでいるようなので、いつか喉に詰まらせてしまわないかと。
たまに咽ている時があるから、詰まらせないということはないかも知れないな。
ちび、あなたが食べ易いように細かくはしているけれど、出来ればもう少しゆっくり食べてね。
然うだぞ、ちび。此処には、お前のごはんを奪う奴は居ない。
お前を狙う奴も居ない。だから、ゆっくり食べても良いんだ。
兎に角、喉に詰まらせるようなことがないように……。
……。
……。
……返事はしたが、あれは分かっていないな。
然うですね……あの返事は分かっていないと思います。
咽ると言えば、ひとのこは歳を重ねる程に飲み込む力が弱くなっていくと言うだろう?
お茶を飲むだけで咽てしまう、酒も満足に飲めないと……美奈の親父殿が、そんな愚痴をよく零していたと聞いた。
とろみを付けると飲み易いのですが……とても、嫌がっていましたね。
犬も、然うなのだろうか。
犬、ですか。
犬だって、歳は取るだろう?
聞いた話では、最後は満足に食べられなくなってしまうと。
……犬もまた、加齢に伴って嚥下機能が低下してしまうのかも知れませんね。
ちびもいずれ、然うなってしまうのだろうか……。
……長く生きれば、然ういうこともあるかも知れません。
犬の命の時間は、ひとのこよりも短い……思う以上に、早く。
まことさん。
ん?
……ちびが、聞いています。
あ……。
……。
ちび、お前はあたし達の大事な家族だ。
だからどうか、怒って呉れるなよ。
……ひとのこがひとつ歳を重ねる間に、犬は其れ以上の歳を重ねる。
其れ以上……?
はい……ですので、ちびはもう、立派な成犬なのかも知れません。
うちに来て、未だ二年も経たないが……まぁ、躰は大きくなったけれど。
……出来れば、いつまでも元気良く食べていて欲しいものです。
あぁ……然うだね。
……ちび、新しい布の具合はどう?
……。
悪くない?
然う、良かった。
……思い出すな、ちびが亜美さんに付いて来た日のこと。
いいえ……ちびは、まことさんに付いて来たんですよ。
いや、亜美さんにだよ……小さな躰で懸命に、亜美さんに付いて来たんだ。
……然うなの、ちび?
ほら、鳴いた……やっぱり、亜美さんだ。
……まことさんでなく?
……。
……鳴かない。
ね、あたしの言った通りだろう……?
……ちびは、素直ではないところがあるから。
ん、犬に素直も何もあるもの……?
……あります、屹度。
はは、あったら面白いな……。
……途中から、まことさんが背負う籠の中に入れられて。
うん?
……帰り道。
あぁ……小さな躰で山道を歩くのは、流石に辛かろうと思ったんだ。
おかげで、薬の束を手で持つことになってしまったが……。
……私も持つと言ったのに。
幸い、鞄もあったし……。
……もぅ。
ちびは思いの外、大人しく入っていて呉れた。
……抱き上げる時に、咬み付かれなくて良かったです。
……。
仔犬とは言え、咬まれたら危険ですから。
……あの時は、何も考えていなくて。
然う思うと、ちびはまことさんにも懐いていたのだと。
ん、然うか……。
……懐いていなければ、屹度、咬み付いていたでしょうから。
然うなのかい、ちび。
……。
うん……ちらっと、見ただけだ。
……肯定の返事だと思いますよ。
然うだと、嬉しいけれど。
……若しかしたら、眠いのかも知れません。
あぁ、其れはあるな……今日は昼寝をしている暇もなかったし。
……ちび、今はゆっくりとお休み。
家の中なら、嵐の心配も要らないからな……。
……。
布、枕のようにしているな……まぁ、気に入って呉れて良かったが。
……屹度、まことさんの匂いがするからだと思いますよ。
あたしの……?
……元は、まことさんの手拭いですから。
あたしは、亜美さんの匂いの方が良いな……。
……まことさんのことは、話していません。
はい……。
……籠の中に入れられたちびも、ああやって丸くなって眠っていました。
嫌がられなくて、良かったと思う……。
……入れられた直後は、落ち着かないのか、鳴いたり動いたりしきりにしていましたけれど。
ん、然うだったか……?
はい……暫くしてから、大人しくなったんです。
……。
忘れてしまいましたか……?
……大人しくなったことに心配した亜美さんが籠の中を確認したら、丸くなって眠っていたんだっけ。
多分、安心したのでしょう。
……ちびも、苦労していたみたいだからな。
若しかしたら、まことさんの歩みの律動が心地好かったのかも知れません。
……然うなのだろうか。
然うだと、私は思っています……。
……亜美さん。
はい……。
……あたし達が食べる雑炊には、味噌を入れようか。
今夜も冷えますし……何より、躰を温めるのにお味噌は良いと思います。
うん、なら入れよう。
……。
……あの日は。
……。
季節のわりに肌寒くて、小雨が降っていたんだ……。
……然うでしたね。
……。
……ちびは、子供達に追いかけ回されて。
未だ小さな仔犬にむごい仕打ちをするものだと……思い出しただけでも腹が立つ。
……母犬の姿は、何処にもなくて。
或いは、主に捨てられてしまったか……今となっては、分からない。
……ひとには、ある程度慣れていたと思うのです。
其れでも、大分怯えていた……今でも、縮こまって震えていた姿をはっきりと思い出せる。
……余程、怖かったのでしょう。
子供は、残酷だ。
……大人も、言えませんが。
餌で、誘い出して……ちびにしてみれば、ごはんを貰えると思ったんだろう。
……。
あぁ、やっぱり腹が立つな……。
……。
……亜美さん、どうした?
いえ……涙が、出てきてしまって。
……。
どうして、あんなことが出来るのでしょう……。
……よってたかって、石を投げつけるだなんてな。
たまたま……本当にたまたま、当たらなかっただけで……若しも、当たっていたら。
当たり所が悪ければ……大怪我だけでは、済まなかっただろう。
……。
……本当のことを言うとさ。
はい……。
……怒りのあまり、殴り飛ばしてしまうところだったんだ。
……。
すんでのところで、踏み止まったが……。
……まことさんの雷が落ちたような声で、かなり怯んでいました。
……。
腰を抜かして動けなくなっている子も……。
……あれで、反省していれば良いが。
中には、懲りない子も居るでしょう……。
……か弱い仔犬を痛めつけて、何が楽しいのだろうか。
私には、理解出来ません……したく、ありません。
……。
……。
……亜美さん、そろそろ卵を。
はい……直ぐに。
……此の卵は、美奈の家から?
いえ、レイさんからです……。
……然うか、今はレイの家にも鶏が居るんだったな。
うさぎちゃんが名前を付けて、可愛がっていた子です……。
……名はこっこ、だったか。
はい……こっこ、です。
ふふ……何度聞いても、其のままだ。
でも、今となってはこっこ以外の名は浮かびません。
ん、然うだね。
お鍋……ぐつぐつと、美味しそうですね。
……うん、今夜も美味しく出来そうだ。
……。
……。
……ちびは、可愛い子です。
うん……とても可愛い。
……若しも、付いて来て呉れなかったら。
どうにかして、連れて帰って来ただろう……。
……。
雨の中で、震えている姿を見てしまったら……。
……偽善、かも知れません。
ぎぜん……?
……ちびのような仔犬は、他にも居るかも知れない。
だとしても、あたし達の前に居たのはちびだよ……。
……可哀想だと、思ってしまったんです。
可哀想……?
……仔犬一匹では、生きてはいけないだろうと。
一匹で生きるのは、かなり難しいと思う……餌もだけれど、あの時のようにまた、ひとのこに痛めつけられることはあるだろうから。
ひとのこだけでなく、他の獣にも……他の犬との縄張り争いだって、屹度あるでしょう。
犬は縄張り意識が強い動物だと言います……特に野犬の場合だと、群れで生活をしていることが多いのでより危険だと。
……うん。
どうしても、放っておけなかった……だから、付いて来て呉れた時は驚いたけれど、嬉しくもあったんです。
……屈んで、優しく声を掛けて。
反応が、薄かったから……付いて来ては呉れないと思った。
……そんな時に、小さな声で鳴いたんだ。
とても、か細い声で……今でも、耳に残っているの。
……恐る恐る亜美さんに近い付いてきて、試しに離れてみたら付いて来た。
まことさんの足元にも近付いて……。
……においを嗅がれたよ。
ふふ……然うでしたね。
……。
……あれからもう、一年半近く経つのですね。
早いものだ……。
……狂犬病にも、罹ることなく。
此のまま、罹らないで欲しい……若しも、罹ってしまったら。
……。
……ちびに、刃は向けたくない。
あ……。
ん、どうした?
ちびが。
……ちび?
お腹を、見せて。
……なんて、寝様だ。
あ、元に戻りました……。
……なんだったんだ。
犬も、寝返りをするのでしょうか……。
……腹を見せて寝ているのは、初めて見たが。
お腹……冷えていないでしょうか。
え、と……其れは、どうだろう。
……。
……。
……ふふ。
はは……。
……無防備でしたね。
全くだ……犬とは思えない。
……急所を見せるなんて、安心しきっているのでしょうか。
然うかも知れない……いや、然うだと良い。
……はい。
……。
……。
……さて、あたし達のごはんもそろそろ良いだろう。
然うですね……美味しそうに煮えています。
食べようか、亜美さん。
はい、頂きましょう。
今となっては、ちびのごはんを先に作るんだもんな……。
……犬に、ひとのこと同じものを食べさせては良くないそうですから。
まぁ、其れなら仕方ない……。
……あ。
ん、今度はなんだい……?
……ちびが、見ています。
……。
ちび、此れはあなたのごはんではないわ。
此れは駄目だぞ、ちび。
あたし達が食べるごはんだからな。
……。
……。
……伏せてしまいました。
うん……。
……見ていただけ?
利口……いや、少し変わった犬かも知れないな。
……ちびは賢い子なんです。
あ、はい……。
……どうぞ、まことさん。
うん、ありがとう……。
……。
……亜美さんは、ちびに甘い。
何か言いましたか……?
……ちびに優しいと。
まことさんも、優しいですよ……。
……ん。
其れでは、まことさん……。
ん……いただきます。
……いただきます。
……。
……。
……雷、遠くなったかな。
はい、大分離れたかと……。
18日
-有機(パレラル)
戻ったよ、亜美さん。
あ。
え。
まことさん。
亜美さん、どうした。
いえ……ごめんなさい、驚かしてしまって。
若しかして、外に出ようとしていた?
……今、まさに。
ちびの声が聞こえたのかい?
はい……其れで、まことさんが帰って来たのだと。
然うか……。
……屹度、濡れてしまっただろうと思って。
まぁ、少し……でも良かったよ、出なくて。
亜美さんまで濡れる必要はない。
……どうぞ、中に。
うん……ただいま、亜美さん。
お帰りなさい……まことさん。
然し参ったよ、まんまと降られてしまった。
笠を此方に。
うん。
其れから、此れを。
あぁ、ありがたい……ん、ほんのり温かい気がする。
屹度、火の傍に置いておいたからだと思います。
然うか……まるで、亜美さんの優しさのようだ。
何処で降られてしまったのですか?
もう直ぐ山を下りると言うところで、まんまと。
あぁ。
もう、家が見える所まで来ていたんだ。ちびも無事に帰れると思ったのだろう、あたしの顔を見て嬉しそうに一声鳴いてね。
あたしもどうにか間に合うと思って、更に足を早めたのだけれど、あともう少しの所で降られてしまった。
然うだったのですね……ちびは今、どうしていますか。
あいつなら軒下で、お気に入りの布の上で躰を休めているよ。
念の為、家に入る前に様子を見たが、尻尾を振っていたから大丈夫だとは思う。
後でもう一度、様子を見てみましょう。
あぁ、然うしよう。
今回も頑張って呉れたのですよね。
だから美味い飯を食わせてやると、帰り道に約束してしまった。
では、若しもうっかり忘れたなんてことになったら。
機嫌を損ねてしまうだろう。
約束したことはちゃんと憶えているからなぁ、あいつは。
ふふ、ならば美味しいごはんを用意しましょう。
肉はないが、良いかな。
お肉がなくたって、美味しい筈ですよ。
毎回、残さず綺麗に食べていますから。
ん、確かに。
……。
……。
……雨脚が強まってきましたね。
あぁ……場合に依っては、ちびを中に入れてやらないと。
……はい、其の方が良いと思います。
風が出て来なければ良いが……。
……今頃の雨のわりには、降り方が強いですよね。
然うなんだ、今頃でこんな降り方をするのは珍……
……きゃっ。
雷、か……。
……あぁ、吃驚しました。
突然だったな……大丈夫かい、亜美さん。
はい、大丈夫です……。
いよいよ、珍しいな……ともあれ、家で良かった。
……はぁ。
亜美さん……?
まことさんが、帰って来ていて……良かったと。
済まない……心配させてしまったね。
……謝らないで下さい、まことさんが悪いわけではないのですから。
此の時期に、こんな雨が降るとは考えもしなかった……。
……私も同じです。
油断と言えば、然うなのだろう……だから、済まない。
……良いのです、無事に帰って来て呉れたのですから。
亜美さん……うん。
……若しかしたら、嵐になるでしょうか。
ならないとは言えないから、ちびを土間に入れておいた方が良さそうだ。
然うですね……入れてやりましょう。
どれ……。
あ、まことさん、私が。
いや、あたしが。
……でも。
亜美さんまで、濡れないで欲しい。
……。
冬の前の雨で、本当に冷たいんだ。
……分かりました。
ちび、おいで。雨が止むまで、お前の寝床は土間だ。
嫌かも知れないが、雨が通り過ぎるまでどうか我慢して呉れ。
……。
良し、良い子だ。
お気に入りの布もちゃんと持って来たんだな。
ちび、お帰りなさい……後で、ごはんをあげるわね。
はは、良い声だ。
でも、出来れば大人しくしていて呉れよ……と。
ふふ……隅に行ってしまいましたね。
利口な奴だ。
……良い子です、とても。
あぁ……本当に。
……寒くは、ないでしょうか。
あいつは寒さに強いから、大丈夫だとは思うが……心配かい?
……予期せぬ冷たい雨に打たれたので。
若し良かったら、もう一枚布をやろう。
確か、
はい、然うしましょう。
お。
気に入って呉れると良いのですが。
亜美さんがあげれば、気に入るんじゃないかな。
私よりも、まことさんの方が。
見てごらん。
はい?
ちびの奴、耳を立ててあたし達の話を聞いている。
……確かに、立っていますね。
亜美さんの方が良いかい、ちび。
……。
うん、やっぱり亜美さんの方が良いらしい。
……もう、ちびは。
はは。
……もう少し、待っていてね。
良い返事だな。
……ふふ。
……。
……まことさん?
ちびと、帰途に就いて。
……はい。
ふと空を見上げたら、村の方に向かって黒い雨雲が広がっていて……其処からは、雲との競争だった。
……雨宿りをすることは、考えていなかったのですか。
いざとなったら雨宿りをすることも考えたが、出来るだけ、早く帰りたいと思って。
だけど、急いで正解だった……まさか、雷まで鳴り出すとは。
……雨宿りをする前提で動いていたら、今頃、雷の下に。
然うなったら、身動きが取れなくなっていた……急いで、良かったと思う。
……ご無事で、本当に良かった。
亜美さん……。
……拭き終わったら声を掛けて下さいね、足を洗いますので。
うん……ありがとう。
着替えも用意してあります……冷えていると思いますので、どうぞ火の傍で着替えて下さい。
あぁ、然うさせて貰うよ……。
……では、私はお湯の支度をしますので。
亜美さん。
……はい、なんでしょう。
ありがとう、とても助かるよ。
……私は、家で待っているだけでしたから。
亜美さんが家で待っていて呉れる……然う思ったから、帰って来られたんだ。
……まことさん。
改めて……ただいま、亜美さん。
はい……お帰りなさい、まことさん。
うん……。
……。
……患者さんは。
雨が降る前に……。
……然うか、其れは良かった。
雨は、いつまで降るのでしょうか。
分からない……若しかしたら、今日はもう止まないかも知れない。
……外、真っ暗ですね。
日が暮れる前に、帰って来た筈なんだが……と。
……。
一瞬、昼間のようになったな……。
……地響きまで、感じます。
いずれ流れて行くとは思うが……用心は、しておこう。
……はい、まことさん。
ふぅ……。
……拭き終わりましたか。
あぁ、拭き終わった。
……髪が、湿っていますね。
何、火の傍に居れば其のうち乾く。
……風邪を、引くようなことがないように。
兎に角、躰を温めよう。
……落ち着いたら、熱いお茶を淹れましょう。
ありがとう、亜美さん。
いいえ……どういたしまして。
……靴も、乾かさないとな。
まことさん、此方に。
ん。
どうぞ、座って下さい。
では、お言葉に甘えて。
両足を
あぁ、然うだ。
……はい?
其の前に、亜美さん……此れ、お土産。
お土産、ですか……。
飴菓子だ。
飴菓子……。
飴菓子売りがたまたま来ていてね……珍しいと思って、四粒入りをひとつ買ったんだ。
……まさか、此れを買うのに悩んで。
いや、悩んではいない。
見掛けた時にはもう、買おうと決めていたから。
……。
封信を配達人に届けて、其れから直ぐに飴菓子売りへ引き返したんだが。
何かあったのですか?
見掛けた時よりも買う者が増えていて、其処で時間を使ってしまったんだ。
……珍しいから、ですね。
見掛けた時に直ぐ、買っておけば良かった。
然うすれば、雨に濡れずに済んだかも知れない。
……一休みすることなく、町を出たのですか。
どうしても、直ぐに帰りたかったから。
ちびは、あたしが用を済ましている時に休んでいたよ。
……躰は、大事ないですか。
疲れは感じていないが、今夜はゆっくり休もうと思う。
出来れば、亜美さんと一緒に。
……。
駄目、かい?
……いいえ、駄目ではありません。
ん……良かった。
……両足を、お湯に。
うん……。
……お湯の加減は、如何でしょうか。
あぁ……あったかくて、気持ちが良い。
お湯が冷めてしまう前に……先ずは、右足から。
うん……頼む。
……。
……ん。
掠り傷が、出来ています……。
……足元には気を付けていたんだが、其処までは気を回せなかった。
仕方がありません……後で薬を塗っておきましょう。
……うん。
……。
はぁ……気持ちが良い。
……。
ねぇ、亜美さん……。
……はい、なんでしょう。
飴菓子……硬くなってしまう前に食べよう。
……はい、熱いお茶と一緒に頂きましょう。
あ……。
……どうかしましたか。
濡れては、いないだろうか……一応、懐には入れてきたんだが。
……見た所、大丈夫だと思います。
……。
……しっかりと、竹の皮に包まれていたので。
然うか……其れならば、大丈夫だな。
……左足を。
ん……。
……。
……ふぅ。
ねぇ、まことさん……。
……なんだい。
医生速達便は、使えたでしょうか……。
あぁ、然うだった……未だ、報告していなかったね。
……駄目でしたか。
其れが……。
……やっぱり、もう。
ちゃんと、引き受けて呉れたよ……。
……え。
大帳のようなもので、確認してから……亜美さんの名で、今でも使えると。
……。
使えないと、思っていた……?
……私はもう大分前に、都の医生であることを辞めたから。
お義母さんだ……。
……母が、どうかしましたか。
亜美さんのお義母さんの名前を聞かれた……。
……母の。
答えたら……医生速達便で、届けて呉れると。
……。
若しもの時の為に……亜美さんの名を消させることなく、残しておいて呉れたのかも知れない。
……そんなこと、一言も。
不器用なひと、なのだと思う……。
……不器用、ですか。
あたしには、然う見える……。
……まことさんが然う見えるのならば、屹度、然うなのでしょうね。
亜美さんには、然う見えないかい……?
……私には、見えません。
然うか……。
……まことさんから見て、母は。
其れは、難しいなぁ……。
……。
亜美さんが今日までに話して呉れたことは、嘘偽りではなく、本当のことだと思う……。
……でも、母には母の事情があったと。
で、あろうとも……亜美さんが寂しい思いをしていたことは、決して拭い去ることは出来ない。
……。
だから……ただただ、不器用なひとだと。
……然う。
封信……いつ頃、届くだろうか。
……早ければ、三日程で。
三日か……其れは、かなり速いな。
普通の封信だと、一ヶ月は掛かる……。
……返信も、医生速達便を使って呉れれば。
使って呉れるだろう……お義母さんなら。
……其れ以前に、受け取って呉れるでしょうか。
あたしは、受け取って呉れると思う……でなければ、亜美さんの名を残したりはしないさ。
……。
学姐も……。
……学姐は、受け取って呉れると思います。
ん……?
……学姐ならば、若しかしたら。
薬を、作って呉れる……?
……或いは、もう手元にあるかも知れません。
あぁ、然うだと良いな……。
……。
……亜美さん、そろそろ。
あ……。
……亜美さんのおかげで、さっぱりしたよ。
ごめんなさい……左足ばかり。
はは、構わないさ……とても気持ち良かった、ありがとう。
……。
兎に角、封信は出した……。
……あとは、返事が来て呉れることを。
大丈夫だ、亜美さん……屹度、大丈夫。
……。
今日は、あのひとを診たのかい……?
……はい。
状態は……。
……精神状態は、落ち着いていたと思います。
然うか……あの子は。
……うさぎちゃんのお母さんと暫し、傍に。
……。
触れることは、叶いませんが……同じ部屋で、同じ時を過ごしていました。
……記憶には、残るかな。
難しいと思います……未だ、赤子ですから。
……然うだよな。
まことさん、先に上がって着替えて下さい。
私はお湯を片付けてから参ります。
分かった……じゃあ、先に上がっているよ。
……はい。
よ、と……。
あ、飴菓子も中に。
あぁ、忘れずに持って行こう。
はい。
……待っているよ、亜美さん。
待っていて下さい……まことさん。
……。
……。
……雨は。
止みそうに、ありませんね……。
17日
なぁ、マーキュリー。
……何。
あたしは足の上に座るよりも、座らせる方が好きかも知れない。
……今更。
向きには特段、拘りはないんだけどさ、向かい合っているのが一番好きだ。
……拘りはないかも知れないけれど、細かい好みはある。
お前を足の上に乗せていると、お前の方が頭一つ分くらい高くなるだろう?
……だから、何。
上からの目腺がまた、堪らないんだ。
……見下されているようで?
見下ろす、だろう?
……物は言いよう。
まぁ、見下されるのも……場合によっては、良い。
……あなたの好み、やっぱり私には理解出来ないわ。
物好き、だろ?
……物好きの範疇を超えている。
好みは、其々だ。
其々だけれど、其の中でもあなたの好みは異常者に近いような気がするわ。
異常者?
……通常の者だったら、私に執着など持たない。
ジュピターでもか?
……ジュピターでもよ。
然うかな、あたしは然うは思わないけどな。
……先代のジュピターは。
マーキュリーに対しても、仏頂面をするような奴だったんだろう?
……朴訥で、不器用なひとだったらしいけれど。
マーキュリーに仏頂面なんて、あたしには考えられないな。
顔に表情の筋肉がついてなかったんだろうか。
……緩みっぱなしのあなたとは大違いね。
あたしの顔の筋肉が緩むのは、お前と一緒に居る時だけだからな。
お前以外の奴には、
子供達の前でも、緩んでいると思うけれど。
ちび達は、月宮に蔓延る人形達とは違うだろう?
つまり、今となっては私だけではないと。
緩み方が違うぞ……ちび達には、下心なんて持ってないからな。
持っていたら、許さないわ。
ちび達は……あたし達の子供みたいなものだから、持ちようがないさ。
……子供?
お前にしてみれば、有り得ないことだろうが……。
……あの子達は、私達の子供ではないわ。
……。
あの子達は……「私達」の、次の「器」に過ぎない。
ジュピターとマーキュリーの「器」……「私達」、其のものなのよ。
……器であろうとも、子供のように思っても良いと思うんだ。
人形でしかないのに……?
……心が宿っているのなら、其れはもう、人形ではない。
……。
であるならば、ちび達が子供で、あたし達が……。
……。
……なんて、言うんだっけ。
決まらないわね……相変わらず。
うーん……憶えていたんだけどな。
……親よ。
然うだ、親……あたし達は、親子だ。
……まるで、青い星のひとのこのよう。
腹を痛めて産んでいなくても、血の繋がりとやらがなくても、親子にはなれる……だったよな?
皆が皆、ではないようだけれど……大体、私達とは成り立ちがまるきり違うわ。
……しっくりくるんだ。
親子という関係性が……?
……こんなことを考えるなんて、あたしは益々異常者かも知れないな。
月の民として見れば、然うでしょうね……青い星の真似事と見られても、おかしくはないし。
……生憎、あたしは月の民であって月の民ではないんだ。
然う……あなたは、あくまでも木星の民。
……であれば、異常者ではないだろうか。
……。
……いや、木星の民其のものが
ジュピター。
……ん。
あなたが然う思いたいのなら、然う思えば良い。
……異常者?
違う……。
……異常者ではない?
其れは……あくまでも、好みの話。
ふふ……然うか。
……。
……ちび達と。
……。
なぁ、マーキュリー……マーキュリーは、嫌か。
……あなたが、其れを望むのなら。
望む……。
……まぁ、付き合ってあげても良いわ。
本当か……?
……嘘の方が良い?
いや、本当が良い……。
……ならば、本当で。
お前は、嘘を吐くのが上手だから……。
……いつ、嘘になるか分からないわよ。
其れは、困る……ずっと本当であって欲しい。
……あなた次第ね。
あたし次第……?
……然う、あなた次第。
じゃあ、大丈夫だ……。
……自信があるの?
ある……。
……今度ばかりは、根拠があるのかしら。
あたしの気持ちは、揺らがないからな……。
気持ちは不安定なもの、だから、根拠になんて為り得ないのだけれど。
何百年と生きてきて、一度だって揺らいだことはなかった。
……。
つまり、あたし自身が根拠其のものだ。
……毎度のことだけれど、意味が分からない。
然うは言うが、本当は分かっているんだろう?
……其れもまた、意味が分からない。
分かっていることが、か?
……積み重ねって、厄介なものね。
はは、然うかもなぁ。
……昔の私だったら、跳ね除けたかも知れない。
跳ね除けても……最後には、受け入れて呉れそうだけどな。
……あなたが一番、厄介。
あれよりもか?
……。
う。
……此処で、あれを出す?
あ、あぁ……。
……かなり不愉快。
そ、然うだな……本当に、悪かった。
……調子に乗るからよ。
悪い癖なんだ……。
……今は、出さないで。
ん、もう出さない……。
……あれは厄介なんて言葉では片付けられない、まさに悪辣の塊。
……。
……なに。
いや……話を戻そう。
……何処まで?
ちび達とあたし達は、親子……。
……其の話を続けたいの?
ん、然うだな……続けても、良いかな。
……。
ん……マーキュリー。
……あなたは、私以外の者には本当に興味がなさそうな態度を取る。
だって、本当に興味がないからな……。
……仮令其れが、青い星からの特使の前であろうともね。
そもそも、あたしには向いていない……ああいうのは、外面が良いヴィナか、堅苦しいマーズの方が向いている。
……其れは、然う。
マーキュリーも、合わないだろう?
……合わないわね。
はは、似た者だ。
一緒にはしないで。
あまりにも態度が悪いと、何度もマーズに説教されたよな。
あなたと一緒にね。
いつもふたりだったよなぁ。今日こそは大丈夫だろうと思っていても、お説教が待っていてさ。
毎回毎回同じようなことを言っていて、よくも飽きないものだと途中からは感心していた。
あなたのせいで、余計にお説教時間が伸びたりもしたわ。
別に聞いていないわけではないのにな。
ただ、心に留めていないだけで。
其れを見抜くのがマーズなのよ。
マーキュリーなんて、ほぼほぼ聞いていなかっただろう?
聞いていた分だけ、あたしの方がましだと思うんだが。
目糞鼻糞だと言われたわ。
最早、真っ直ぐな悪口だよなぁ、其れ。
マーズに毎回毎回、お説教されるのはかなり心外だったわ。
あなたよりは態度が柔らかく、表情も仏頂面ではなかった筈なのに。
いつも思うんだけどさ、あれの何処がだ?
とても退屈そうな態度で、表情も氷のように無表情だぞ?
とても退屈だったのは其の通りだけれど、外には出していなかった。
表情だって氷と水の間くらい、液晶ぐらいの心持ちで居たわ。
液晶……って、なんだったか。
たった今言ったでしょう、氷と水の間くらいだと。
あの顔は、液晶の顔だったのか。
いえ、粘性はないから、やっぱり氷で良いわ。
なんだ、やっぱり氷だったんじゃないか。
マーズは、堅苦しい上に暑苦しいのよ。
火気だけに。
詰まらない。
応。
取り敢えず、粗相がないようにしていれば事足りるでしょうに。
曰く、あたし達には愛想が全然足りてなかった。
心外でしかない、あなたなんかと一緒にされて。
私は愛想が溢れていたのに。
何処が?
あなたよりは、と言っているでしょう。
あなたなんて、今にも鼻をほじりそうな態度で。
いや、流石に其れはしないぞ。
本当にするわけではなく、今にもしそうという話。
マーキュリー……あたしのこと、然う思っていたのか。
いいえ、ヴィナが言っていたわ。
……。
其れもまた、糞餓鬼みたいで面白いと笑っていたけれど。
……あいつ。
マーズには、今にも横になって、お腹を掻きながら眠りそうだと言われていたわよね。
ヴィナもマーズも、あたしのことをなんだと思っているんだ。
……糞餓鬼?
守護神とは思えぬ口の悪さだな。
私以上にね。
いや、其れは
ない、なんて、言わないでしょう?
あぁ、言わないよ。
あのふたりは本当に口が悪かった、其れこそマーキュリー以上に。
ええ、本当に。
あたしがどれだけ、手を大事にしているか。ヴィナは全く、分かっていない。
ごはんを作るのに、マーキュリーに触れるのに、手を汚すようなことはあまりしたくないんだ。
こう見えて綺麗好きなんだよ、あたしは。
然う言って、私の寝台の上を勝手に片付けるの。
寝る場所は大事だからな。
他は?
他は、まぁ、足の踏み場がなくなったら片付ければ良い。
其の割には、こまめに片付けて呉れたけれど。
万が一、転んで怪我でもしたら大変だからな。
そんなへまはしないわ。
疲れ切っていたら、足元が疎かになる。
然うなったら、床で寝れば良いだけ。
然うならないように、あたしは片付けるんだ。
今も?
然う、今も。
見て呉れ、綺麗になったろう?
元から綺麗だった。
綺麗な部屋の床には、書物が重なって置かれていることはない。
置かれているわよ、あなたが知らないだけで。
前にも聞いたが、書物を積み重ねるのは水星の民の特性なのか?
前にも言ったけれど、木星の民は書物を読むことなんてまずないから、分からないでしょうね。
水星の民でも、綺麗にしている奴は結構居ると聞いたぞ?
一部よ。
一部か。
中には私以上に散らかっている者も居るわ。
まぁ、あたしには関係ないから良いんだけどな。
私にも然うであって呉れたら良かったのに。
其れは無理だ。
は。
因みに、木星の民は書物に縁がない分、他のものを散らかす。
知ってる。
なんで知っているんだ。
以前、あなたが言っていたから。
あぁ、然うか。
はぁ、良かった。
どんな勘違いをしているの。
勘違いと言うより、気のせいだった。
片付けてあげなかったのね。
あたしはそんなに暇ではないからな。
私にも、然うであって呉れたら、良かったのに。
ははは、は?
何も面白くない。
……ひゃい。
はぁ。
……。
ん、なに……。
……可愛いなと思って。
脈絡がない。
……そんなものは、なくても良いんだ。
然ういう気分じゃない。
……うん。
ジュピター。
……マーズはマーズで、あたしが横になって腹を掻くのはマーキュリーとふたりで居る時だけで、他の奴らの前では絶対にしないということを知らない。
一度でもあの姿を見たら、其れ見たことかと思われただろうに。
……然うしたら、マーキュリーの前でだけだと言えば良い。
あまりにも、くだらない……。
……。
……ジュピター。
やっぱり、足の上に座らせるのは良い……距離が、近くて。
……そろそろ、下りたいのだけれど。
もう少し……。
……。
……然うしたら、ふたりで甘いお茶を。
全く……とんだ、甘えたね。
……うん、然うなんだ。
……。
……青い果実、まだまだ沢山あるぞ。
知ってる……。
……食べて呉れて、ありがとうな。
目に良いから。
……。
……心なしか、水気の巡りも良いみたいなの。
え、本当か……。
……嘘。