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日記
2026年・1月

  15日





   ……。


   ……まこと。


   ん……。


   ……もう、やめて。


   はい……。


   ……はぁ。


   えと……おはよう?


   ……おはよう、今何時。


   今は……7時。


   ……どちらの。


   午後の。


   ……大体、一時間半。


   大丈夫、日は替わってない。


   ……あぁ、然う。


   さて……夕ごはんの支度をしようかな。


   ……今から作るの。


   生姜焼きなら、直ぐに出来るよ。


   ……そんなに食べたくない。


   食欲、ない?


   ……誰かのせいで、躰がだるい。


   ん……ごめんね。


   ……言葉だけの謝罪ならば要らないわ。


   言葉だけではないよ。


   ……。


   ごめん。


   ……明日の朝食はどうするの。


   え。


   ……明日の朝は、何を作って呉れるの。


   明日の朝は、トースト……いや、久しぶりにエッグベネディクトにしようかな。


   ……食パンで?


   うん、だから正確にはエッグベネディクト風。


   ……あなた、何とか風を作るのも得意よね。


   材料やら何やらはない、若しくは足りないけど、それでも食べたい時、或いは食べてみたい時ってあるだろう?
   それで、あれこれと工夫しているうちに、得意になったのかも知れない。


   ……確実に然うでしょう。


   マヒーチェ風はどんな感じになるか、今から楽しみなんだ。


   ……実際に食べてみれば良いのだけれど。


   この辺りでマヒーチェを食べられそうなお店はないし、あったとしても、それなりのお値段はするだろうし。
   ほら、テレビで紹介されていたのがそこそこのお値段だったろう? だから、他のお店もそれくらいはするかなって。


   ……私は、一皿は要らないわ。


   一皿頼んで、はんぶんこにする?


   ……半分も要らない。


   でも、半分は食べないと足らないと思うよ。


   ……お米があれば、足りると思うわ。


   お米……確かに、お腹にはたまるけど。


   ……私には十分よ。


   じゃあ……然うしてみようか。


   ……とは言え、ふたりで一品はどうかと思うから。


   何とかサラダを頼もう、あれも美味しいらしいから。


   ……シラーズサラダ?


   然う、それ。


   ……他にもあったけど、まぁ、良いわ。


   あたしがマヒーチェ、水野さんはシラーズサラダ。
   それで、どうかな。一応、ニ品だし。サラダだけってひとも居ると思うんだ。


   ……問題は、お店が何処にあるか。


   それなんだよなぁ……探すにしても、何処を探せば良いか。
   こう、調べたいことを入力すれば検索出来る端末みたいのがあれば便利なんだけど。


   ……数年後には出てくるんじゃない。


   出てくるかな。


   ……電話だって、持ち歩けるのだし。


   あぁ、そっか。
   じゃあ、そのうち出てくるね。


   ……。


   ねぇ、水野さん。


   ……なに。


   話しているだけでも、楽しいね。


   ……あなたは、楽しそうね。


   大人になったら、水野さんと食べに行きたいな。


   ……大人になれたらね。


   うん。


   ……。


   明日の朝ごはん、何か希望はある?


   ……特にないわ。


   じゃあ……オクラのサラダ、食べる?


   ……食べてあげても良い。


   海苔と胡麻を入れようと思っているんだけど、どうだろう?


   ……調味料は?


   塩とかごま油とか。


   ……良いんじゃない。


   ん……それじゃあ、明日の朝ごはんはエッグベネディクト風トーストとオクラのサラダだ。


   ……。


   ところで……夕ごはんは、どうしようか。
   やっぱり、軽いものの方が良い?


   ……良いわよ、生姜焼きで。


   でも。


   ……そんなに、量は食べられないだけ。


   ん。


   ……一人分よりも少し多めに作れば足りると思うわ。


   他に何か食べる……?


   ……キャベツがあれば十分。


   んー……。


   ……キャベツもお腹にたまるでしょう。


   まぁ、確かに……。


   ……。


   水野さん……。


   ……心配しないで、食欲がないわけではないから。


   うん……。


   ……早くしないと、8時になってしまうわよ。


   ん、然うだね……。


   ……。


   水野さんは休んでいて。


   ……言われなくても、然うさせてもらうわ。


   ……。


   ……木野さん。


   可愛かったなって……。


   ……頭から、水を被りたい?


   はい、ごめんなさい……。


   ……。


   ねぇ、水野さん。


   ……なに。


   水野さんも、食べたことはないんだよね。


   ……何を。


   マヒーチェ。


   ……。


   さっきはジンギスカンのことしか聞かなかったから。


   ……今になって?


   うん、今になって気になった。


   ……。


   若しかして、あるの?


   ……いちいち、憶えていない。


   興味がないから?


   ……単純に美味しくなくて、記憶から抹消されている可能性も無きにしも非ず。


   ん、それはないと思うな。


   ……何故?


   美味しくなかったら、もう二度と食べたくないと思うだろうから。


   ……つまり、忘れないと。


   うん。


   ……私は基本的に、食べられればそれで良いのだけれど。


   それでも、味覚はある。味覚があれば、好みもある。
   となれば、好みから大きく外れてしまったものは、心情的に食べたいとは思わないだろう。


   ……食べるものがなかったら、食べるわ。


   それは、まぁ、然うだけれど。
   他に食べるものがあれば、わざわざ好みでないものを進んで食べようとは思わないだろう?


   ……。


   記憶にないのなら良いんだ、ごめんね。


   ……マヒーチェは。


   ん……。


   ……ないと、思う。


   そっか……。


   ……幼い頃は。


   ……。


   ……色々なお店に、連れて行かれたけれど。


   ほぼ毎日、だったね……。


   ……遅い時間でも、連れ出されて。


   ……。


   どんな高級店の料理であろうとも……美味しいも不味いも何もなかったから、あの女はさぞかし面白くなかったでしょうね。


   あたしが作ったごはんには反応して呉れるから、あたしは楽しいし面白いし嬉しい。


   ……そんな話はしていない。


   あたしが作ったごはんでなくても、一緒に食べたものなら感想を教えて呉れる。


   ……限りなく薄い感想をね。


   十分だよ。


   ……若しも。


   反応してもらえるようなごはんを作れば良い、と、あたしなら考える。


   ……いつまでも、反応しなかったら。


   もらえるように、頑張るだけさ。


   ……わりとしつこいのよね、あなたは。


   だから、嫌われないように気を付けてる。


   ……はぁ。


   動けそう?


   ……動けそうに見えるの。


   ん、やっぱり休んでいた方が良さそうかな。


   ……出来たら、呼んで。


   うん、呼ぶよ。


   ……。


   よし、それじゃあ作ろうか。


   ……思い出した。


   うん、何を?


   ……山羊は嫌い。


   山羊……?


   ……山羊汁、あと山羊の血が使われた料理も。


   や、山羊の血……?


   ……山羊のお肉、内臓、そして血を炒め煮したもの。


   そ、そんな料理、あるんだ……。


   ……山羊は、獣臭さが、どうしても受け付けなかった。


   ……。


   やっとの思いで口の中に入れても、飲み込むことが、出来なくて……もう二度と、一生、食べたくない。


   ……そんなものは、食べなくて良い。


   ……。


   無理をしてまで、食べる必要はない。


   ……他に食べるものがなかったら。


   その時は……あたしが、少しでも食べやすいように工夫する。


   ……調味料、若しくは、香辛料がなかったら。


   焼け野原にならない限り、なんとかするよ。


   ……。


   生姜は無理でも、蓬があれば。
   蓬も臭い消しになるんだ。


   ……季節外れだったら、生えていないわ。


   乾燥させて、保存しておけば良い。


   ……それにも限りがある。


   ……。


   ……そんな時がないことを、祈るわ。


   万が一の時の為に、色々考えておく。


   ……。


   他にもあるから。


   ……あなたの脳の容量は、然ういうことで埋まるのね。


   興味がないひとを憶えるよりも、よっぽど有用だろ?


   ……否定は、しない。


   ふふ……うん。


   ……。


   水野さん……。


   ……どうやっても飲み込めずに、結局吐き出してしまった私を見て、あの女は薄ら笑いを浮かべていたわ。


   分かっているけど……改めて、性格が悪い。


   ……せめて、一口だけでもと思ったのに。


   頑張ったんだね……。


   ……お腹に入れば、どれも同じだと判断して。


   ……。


   だけど、それ以上に……あの臭いには、耐えられなかった。


   ……水野さんが肉の臭いに敏感なのは、そのせいか。


   ……。


   そんな料理、あたしは作らない。


   ……作らないだけ。


   勿論、食べに行こうとも言わない。
   あたしも、食べられそうにないから。


   ……分からないわよ、意外に気に入るかも知れないわ。


   それは、ないよ。


   ……好みは、ひとそれぞれだから。


   それぞれだけど、あたしも獣臭いのは苦手なんだ。


   ……目の前で、何でもないように食べていたわ。


   ……。


   その間、私は……店の中の溢れかえる臭いに、吐き気を抑えるのがやっとだった。


   ……どんな店なんだ、それは。


   憶えてない……。


   ……。


   ……なんで思い出してしまったのかしら。


   あたしが、聞いたから。


   ……それくらいでは、思い出さないわ。


   羊……。


   ……。


   山羊と……羊。


   ……そんなことで。


   ちょっとしたことでも、切っ掛けにはなるから。


   ……ん。


   生姜焼き……必ず、美味しく作るからね。


   ……わざわざ、言わなくても。


   言いたくなったんだ。


   ……頭を撫でないで。


   丸くて、可愛い。


   ……ばかなの。


   ん、ごめん。


   ……。


   ……ニュースでも、つける?


   いい……。


   ……そっか。


   その代わり、歌って。


   ……うん?


   私の為に、歌って。


   えと……何が良い?


   ……何でも良い。


   何でも良い……うーん、どうしようかな。


   ……校歌でも良いわ。


   校歌……?


   ……こっちに来る前の。


   前の学校の……あー、どんなだったかな。


   ……中学でも、小学校でも。


   ……。


   ……忘れたの。


   うん、忘れた……。


   ……歌詞だけなく?


   中学って、あまり歌わないだろう?


   ……小学校は?


   中学の前だし……。


   ……。


   水野さんは憶えてる?


   ……在籍していた頃は、一応。


   今は?


   ……。


   ……あたしのこと、言えない?


   早く、何か歌って。


   お。


   ……。


   それじゃあ……水野さんが、好きな歌を。


   ……。


   好きな歌を、何かひとつ、言って欲しい。


   ……特にない。


   あー……。


   ……ただ、木野さんの歌声が聞きたいだけなの。


   本当に何でも良いの……?


   ……。


   分かった……それじゃ、子供の頃に聞いていた歌を。


   ……タイトルは。


   ローミングシープ、意味は。


   ……彷徨える羊。


   然う。


   ……ちゃんと憶えているの?


   うん、憶えてる。


   ……お母さまに歌ってもらったのね。


   ……。


   ……歌って。


   ん……。


   ……。


   ……はぁ。


   ……。


   Roaming sheep in search of......


   ……英語。


  14日





  -fake garden(現世3)





   はい、水野さん。


   ……ん。


   お砂糖は、ひとつで良かったんだよね。


   ……ええ、良いわ。


   あたしもひとつにしたんだ。


   ……あぁ、然う。


   新しい戦争?
   それとも、継続中?


   ……新しい紛争。


   人類って、ずっと戦争をしているね。


   ……勝手な生き物だから。


   だけど、自由や独立を勝ち取る戦いってのもあるんだろう?


   ……殺し合いでしか得られないのなら、愚かでしかない。


   権力者の圧力が強いと……それしか、ないんだろうね。


   ……。


   どうだい?


   ……悪くない。


   ん、良かった。


   ……ありがとう。


   うん、どういたしまして。


   ……。


   戦争反対、か。
   それで戦争がまぁるく収まれば良いんだけど、世界はそんなに甘くないからなぁ。
   必ずと言って良いほどに遺恨を残すし。それが後々、新たな戦争の火種にならないとは言えないし。


   ……ねぇ、木野さん。


   なんだい?


   ……ひとって、100人くらいしか憶えておけないそうよ。


   100人くらい……結構、多いね。


   ……あなたは憶えが悪いから。


   と言うより、興味がないひとのことは憶える気がないんだ。


   ……必要か、然うでないか。


   うん?


   ……これからは、それも基準のひとつに。


   うーん……。


   ……優先順位は低くて構わない、記憶の隅にでも留めておいて呉れればそれで良い。


   ……。


   ……全く憶えていないよりは、まし。


   ん、分かった。


   ……混乱が支配する世界よりも、秩序が統べる世界に。


   それが、女王が望む世界?


   ……建前では、然うなのでしょうね。


   この戦争は、何処で?


   ……。


   まぁ、何処でも良いか……あたしにはニュースで見ていることしか出来ないし。
   そのニュースだって、毎日報じられるとは言えない。この国で生きている大半のひとにとっては、関係のないことだろうから。


   ……あなたは可哀想だとは思わないの?


   可哀想?
   それは殺されている方が?


   ……殺している方を可哀想と思うひとは、なかなか居ないでしょうね。


   哀れだとは思うよ。
   何も考えずに、誰かに言われるがまま、或いは、乗せられたまま。何かの都合の為に、生きる為に、自分以外のひとを殺しているんだから。
   戦争を始めた者は必ず居るけれど、それすらも良く分からずに、殺し合いを強いられる。考えることを放棄させられる。


   ……戦争反対と声を上げるひとの中で、どれだけ、可哀想だと思っているひとが居るか。


   ざっと見積もっても、半分くらいは居るんじゃないかな。
   どんなに遠いところで起こっている殺し合いであっても、痛みを共感して、可哀想だと思える。
   だけど、それは所詮、思っているだけだ。思うだけで、可哀想な誰かの為に何かをしている気になれる。
   その憐れみは一種の快楽だ。その快楽に酔えば、良いことをしている気になれる。気持ち良くなれる。
   とても安易で、容易で、浅はかな……然うだな、偽善のボランティアに近いかな。いや、近くないかな。


   ……偽善でも、救える命はあると言うでしょうね。


   だからこそ、こんな悲惨なことはあってはならない。戦争反対だと、その思いを共有した者達と声を上げる。
   けれども、その声が届くことはないんだ。銃声や爆弾が破裂する音で、掻き消されるからじゃあない。
   そんな硝煙或いは血生臭い音よりも、欲望やら怨嗟やらの声の方がずっと大きいから。


   ……。


   どうだろう、あたしの答えは。


   ……良いんじゃない。


   うん。


   ……。


   なんて話していたら、美味しそうなごはんの特集が始まった。


   ……所詮は、他人事だから。


   然ういうことだね。


   ……ひとが憶えておけるのは、せいぜい100人まで。


   水野さんなら、もっと憶えられそうだけど。


   ……必要がなければ憶えない、脳の容量の無駄遣いだから。


   そんなことよりも興味のあることを憶えたい、知識を得たい。


   ……戦争反対だと叫ぶひとは、誰ひとり、犠牲になるひとのことなど憶えていない。


   ……。


   殺される、或いは、飢えて死ぬ、若しくは病気で死ぬ……曰く、可哀想な人達。


   ……知りもしないよ。


   印象が強く、記憶に残る者も居るでしょう……特に、子供は残りやすいと思う。


   ……より、憐憫の情を誘うからね。


   けれど、その子供がどんな者なのか、詳しくは知らない。知れて、名前ぐらいで。
   記録として残されたものを、多くのひとが見ることになったとしても……大体は、戦争の可哀想な犠牲者としか残らない。


   でも、それだってどうせ忘れてしまう……いや、記憶の隅に追いやられて普段は忘れていると言った方が正しいか。


   ……。


   水野さんは、可哀想だと思う?


   ……それを思うこと自体、傲慢だと思うわ。


   ん、成程。


   ……この料理、美味しいのかしら。


   んー……どうだろう。
   今度、作ってみようか。


   ……作れるなら。


   作り方を教えて呉れると良いんだけどなぁ……流石に、そこまでは教えて呉れないか。


   ……お店の人気商品だそうだから。


   マヒー……。


   ……マヒーチェ、羊のすね肉を煮込んだ料理。


   羊のすね肉か……ちょっと、このあたりのスーパーでは見掛けないな。
   ジンギスカンなら、たまに売っているけど。水野さん、ジンギスカンは好きかい?


   ……臭みがなければ、食べられなくもない。


   食べたことあるんだ。


   ……知らずに、聞いたの。


   うん、好きだったら作ってみようと思って。


   ……ジンギスカンならば、生姜焼きの方が良いわ。


   生姜焼き……今日の夕飯は決まりかな。


   決まりなの。


   だめ?


   だめと言ったら?


   他のものを考える。


   然う。


   考えた方が良い?


   考えなくても良いわ。


   ん、分かった。
   なら、考えない。


   ……。


   ねぇ、水野さん。


   ……何。


   どうしたの?


   ……何が。


   戦争のニュースを見て、こんなに話すなんて。


   ……彼女達が言う世界は、さぞかし素晴らしい世界なのだろうと思って。


   彼女達……あぁ。


   ……。


   呆れ?


   ……それも、ある。


   ひとは100人くらいしか憶えられないというのは?


   ……別に、そのままよ。


   何か意味があるのかと思ったんだけど。


   ……木野さんはもう、分かっていると思うわ。


   ん……。


   ……。


   ……ひとにとって、それ以外の者はどうでも良い。
   仮令、どんなに悲惨な目に遭っていたとしても……一時的に、可哀想だと思うだけで。


   ……思わないひとも居るわ。


   あたしみたいな?


   ……あなたは、優しいから。


   うん?


   ……可哀想だと思う方。


   そんなことは……。


   ……思わないのは、私。


   ……。


   ……否定、して呉れないのね。


   されたいのかい?


   ……さぁ、どうかしら。


   あたしが言えることは……水野さんは優しいひとだってことぐらいだ。


   ……ふ。


   ホットミルク……お代わりは、要らないか。


   ええ……要らないわ。


   ……。


   100人、憶えていたとして……その中でも、ひとは優先順位をつける。


   ……大切なひとが、最も、優先順位が高い。


   ん……。


   ……あたしにとっては、水野さんだ。


   離して。


   ……飲み終わったから。


   良いと言うとでも……?


   ……少しだけ。


   言うわけない。


   ……そっか。


   ……。


   ……生姜焼きに添えるのは、やっぱり、キャベツかな。


   このマヒーチェという料理……羊肉以外で作ってみたら?


   あぁ、それも良さそうだね。
   水野さんはどのお肉が良い?


   ……。


   牛肉、豚肉、それとも、鶏肉?


   ……食べられれば、どれでも良いわ。


   羊肉って、どんな味?


   ……羊の味。


   臭いは強い?


   ……私は、好きじゃない。


   食感は?


   ……お肉。


   んー……それじゃあ、豚肉かな。


   ……どこら辺で?


   煮込むあたりで、あと、お財布にも優しい。


   ……後者ね。


   豚肉の……ロースのブロック、いや、煮込みならバラのブロックかな。


   ……ロースが良い、バラはくどい。


   じゃあ、ロースで。


   ……薄切りで良いわよ。


   良いの?


   ……薄切りの方が、お財布に優しいでしょうから。


   でも、ブロックの方が良いのなら。


   ……薄切りでも、それなりに食べられるものを作って呉れるだろうし。


   ……。


   違うの?


   ううん、違わない。


   ……。


   今日は生姜焼きだけど、そのうち、マヒーチェ風豚肉のトマト煮込みを作るよ。


   ……合わせるのは、パンの方が良さそうね。


   うん、あたしも然う思った。


   ……。


   ……店主さんの国でも、戦争をやっていたんだ。


   それで、この国に逃れてきてお店をやっている……然ういうひとは、どの国にも居ると思うわ。


   ……。


   ……本当に、なくなると思う?


   あたしは、思わない……必ず、異なった意見を持つひとが出てくると思うから。


   ……100人の中に、入れなければ。


   どうでも良い対象になりかねない……?


   ……一応、全ての民を慈しむとは言うでしょうけれど。


   どうだかな……。


   ……無理よ、そんなことは。


   ……。


   必ず、零れ落ちるひとが出てくる……全ての民を愛するなんてことは、ひとである限り、無理なの。


   ……口では、言えるけどね。


   はぁ……。


   ……そろそろ、あたしの温もりが欲しい頃かい?


   何がどうして然うなるの。


   ……あたしが、欲しいからかな。


   私は、欲していない。


   ……あたしは、欲してる。


   私に無理をしろと?


   ……言わないよ、それはあたしが望むことではないから。


   だけど、私を欲している……。


   ……マグ、片付けるね。


   木野さん。


   ……なに。


   期待したでしょう。


   ……しないのは、難しい。


   然うでしょうね。


   ……じゃあ、ちょっと行ってくる。


   戻ってくるの。


   ……そのつもり。


   ……。


   ……ひとりの方が、良いかい。


   隣に座るくらいなら、良いわ。


   ……隣?


   然う……隣。


   ……手は、どこに。


   私の躰に触れないところに。


   ……つまり、距離を取らないとだめ?


   当たり前でしょう?


   ……んー。


   嫌なら。


   嫌じゃない、傍に居られるのなら。


   ……。


   ……指先だけでも触れられたら、嬉しいな。


   指先だけだと思って、許したら。


   ……。


   ……なし崩し。


   今日は、しない……。


   ……言い切れるの?


   ……。


   ……なんとも言えない顔。


   ごめんね……欲深で。


   ……仕方ないわ、あなただってただのひとのこだもの。


   水野さんは……。


   ……取り敢えず。


   取り敢えず……?


   ……ご馳走さま。


   あ、うん……。


   ……。


   ……。


   ……木野さん。


   ん……?


   ……指先くらいなら、良いわ。


   ……。


   嫌なら、


   全然、嫌じゃない。


   ……言っておくけれど。


   調子には乗らない。


   ……。


   ように、気を付ける。


   ……せいぜい、気を付けて。


   うん。


   ……。


   次のニュースはなんだい?


   ……政治家の汚職。


   また、お金絡み?


   ……胡散臭い宗教も絡んでいるみたいよ。


   ふぅん、政治家って好き放題だな。


   ……こうならないとも、限らないわね。


   ……。


   ……ひととしての欲を、きれいに捨てられない限り。


   いっそ、ひとをやめてしまえば良いんじゃないかな。


   ……。


   あの石の力は、ひとのこが持つにはあまりにも大きすぎるから。


   ……そのままね。


   愛やなんやと言ったところで、その力で反対するひと達を抑え込んだら……それは、圧政でしかないだろう?


   ……その力を用いて人心を抑え込むことは、武力行使とも言えるでしょうね。


   然ういうこと。
   だから、それをしたければ、ひとなんざやめてしまえば良い。


   ……然うすれば。


   存分に、抗える。


   ……ひとをやめなくても。


   抗うよ。


   ……どちらも、変わらないじゃない。


   だって、そんなのに支配されるなんて冗談じゃないから。
   水野さんも、然うだろう?


   ……。


   それとも、変わった?


   ……全く、変わらないわ。


   ふふ、良かった。


   ……。


   お待たせ。


   ……別に、待ってはいないわ。


   良い?


   ……嫌だと言ったら。


   良いと言ってもらえるまで


   どうぞ。


   ありがとう。


   ……。


   ……。


   ……近い。


   でも、触れているのは指先だけだよ……。


   ……今はね。


   あ、可愛いな。


   ……。


   黒猫、可愛いね。


   ……黒猫はあまり好きではないの。


  13日





   ……ふぅ。


   お帰りなさい、まこちゃん。


   ん、ただいま。
   先に戻っていたんだね。


   うん、ちょっと前に戻ってきて。
   それで、さっきまでうさぎちゃんと話していたの。


   うさぎちゃんと?


   ん、レイちゃんとまた来て呉れて。


   然うなんだ、良いな。


   まこちゃんが戻ってきたら、また来るって言っていたわ。


   ふふ、そっか。
   じゃ、亜美ちゃんと待っていようっと。


   美奈子ちゃんは、大丈夫そうだった?


   相変わらずお酒を飲みながら、ごきげんそうにケーキを食べていたかな。
   みんな食べないのなら、私がひとりで食べちゃうわよ~って言いながら。


   あぁ、やっぱり然うよね……。


   そこにうさぎちゃんが来て、レイちゃんも来て、衛さんは苦笑いで、面白いことになったみたいだ。


   まこちゃんはその場に居なかったの?


   ん、少し離れたところで見てた。
   やっぱり良いなぁって思いながら。


   良い?


   みんなが楽しそうにしているの。


   ……。


   中学生の頃から、好きなんだ。


   ……私も、好き。


   勿論、その中に居るのも好きだけどね。


   ……ん。


   亜美ちゃんは、美奈子ちゃんとは話したかい?


   ええ、それでお酒の香りがするお祝いの言葉をもらったわ。


   本当、どこまで行っても美奈子ちゃんらしいなぁ。


   だけど、嫌な気分ではなかったから。


   今日だけは?


   然う、今日だけは。
   酷い酩酊状態ではなかったし。


   そこは、弁えているのかな。


   多分、レイちゃんに釘を刺されているのだと思う。


   レイちゃんに?


   何か、起こしたら……。


   ……それこそ、式が壊れてしまいそうな?


   若しも、そんなことになったら……。


   ……火星に代わって折檻、かな。


   ふふ……多分。


   ……。


   まこちゃん……?


   ううん……賑やかで、楽しいなぁって。


   ……然うね、とても楽しいわ。


   ルナとアルテミスも、来て呉れたね。


   ……叶うなら参列したいと、言って呉れた時は嬉しかった。


   うん、嬉しそうだった。


   ……式場だったら、入れなかったって。


   うさぎちゃんの結婚式の時、会場には入れなかったからね……外からそっと、見ているだけだったって。


   ……だからうさぎちゃんは、アフターセレモニーをガーデンですることに決めたのだと。


   衛さんもうさぎちゃんの考えに賛同して……特別に、ふたりが食べられるものも用意したんだよね。
   その話を聞いた時、とても素敵だと思ったんだ……。


   ん……。


   ……やっぱり、うさぎちゃんは優しいな。


   ルナにもお祝いして欲しかったんだって……ずっと、傍に居て呉れたから。


   なんだかんだ言っても、うさぎちゃんと一番長く居たのはルナだもんな……。


   ……衛さんが、居ない時も。


   うん……。


   ……うさぎちゃんに、ルナが居て呉れて本当に良かった。


   然うだね……。


   ……あ。


   ん、なに……?


   アルテミスが、美奈子ちゃんに。


   あぁ、あれは飲み過ぎ……いや、食べ過ぎか?
   何かしらの小言を言っているな。


   でも、美奈子ちゃんはあんまり聞いていないみたい。


   やれやれ、アルテミスも大変だなぁ。
   そのうち、仔猫だって生まれてくるだろうに。


   ……え?


   いや、ほら、ダイアナ。


   ……ルナには未だ、お腹に子供が居るとは聞いていないけど。


   今ではなくて、そのうち……将来の話だよ。
   ちびうさちゃんと同じように、ね。


   あぁ、将来……然うね、そのうち生まれてくるのよね。


   いつかは、分からないけど……。


   ……ダイアナは、ちびうさちゃんの傍に。


   今頃、一緒に居るかも知れないよ。


   ……今頃?


   未来の、今頃。


   ふふ……なんだか、変な言い回しね。


   あはは。


   ……。


   ちびうさちゃんは、流石に難しかった。
   うさぎちゃんの式にも来られなかったし。


   ……うん。


   だからって、未来まで先延ばしにするのは……あたしが、待っていられなかった。


   ……私も。


   ……。


   ……ねぇ、まこちゃん。


   ん、なんだい……?


   ……はるかさんとはお話、出来た?


   うん、出来たよ。


   然う……良かった。


   亜美ちゃんは?
   せつなさんとお話、出来た?


   ええ……出来たわ。


   そっか……良かったね。


   ……うん。


   みちるさんや、ほたるちゃんとも……。


   ……考えてみれば私、ほたるちゃんとはあまり話したことがなくて。


   あたしもだよ……話す機会が、あまりなくて。


   ……だけど、丁寧にお祝いして呉れたの。


   うん……。


   あの頃より大分、明るい表情をするようになったと思う……。


   ……あの頃は、どことなく影があったから。


   お勉強も、頑張っているみたい……。


   ……そっか。


   ……。


   ね……今回も、ほたるちゃんだったね。


   ……え?


   ブーケトス、今回も美奈子ちゃんは取れなかった。


   ふふ……然うだった。


   ふたつ用意したのに……どちらも取れないあたり、美奈子ちゃんらしい。


   ……もうひとつは、レイちゃんだったわね。


   うん……然うだった。


   ……いつか、レイちゃんも。


   ……。


   ……?
   まこちゃん……?


   なんとなく、だけど……いや、今は止めとく。


   ……レイちゃんと、何かあったの?


   ううん、あたしじゃないよ……。


   ……まこちゃんじゃない?


   ……。


   ……何か、聞いたの。


   ううん、何も聞いてない……だから、これはあたしの勝手な憶測でしかないんだ。


   ……勘?


   ん……まぁ、そんなところ。


   ……。


   違っているかも知れないから。


   ……うん、分かった。


   ……。


   ……まこちゃんの手作りのブーケ、大事にして呉れたら嬉しいわ。


   して呉れるんじゃないかな……多分。


   ……。


   ところで、亜美ちゃん。


   ……なに。


   ケーキ、食べる?
   食べるなら、今だと思うんだ。


   ……食べたい気持ちは、あるのだけれど。


   食べられそうにない……?


   ……折角、店長さんが素敵なケーキを作って呉れたのに。


   そっか……。


   ……私のことは、気にせずに。


   実はあたしも……店長のウェディングケーキを食べる、絶好のチャンスだというのにさ。


   ……。


   どういうわけだか、ハッピーウェディングの文字が入っていて……あたしは、一言も言っていないのに。


   ……何か察するものがあったのかしら。


   あたし、分かりやすいのかな。


   ……分かりやすいのかも。


   えー……。


   ……意外と、食べられないものなのね。


   ……。


   ……こんなに、胸がいっぱいになってしまうなんて。


   然うだねぇ……。


   ……ドレスを汚してしまっても、大変だし。


   うっかりこぼしちゃったら、ね……普通のクリーニングで、落ちるものなのかな。


   落ちるとは思うけれど……試してみようとは、思わないわ。


   あたしも、思わないなぁ……と言うより、思えない。


   ……。


   実はね、亜美ちゃん……。


   ……ん。


   若しかしたら、食べられないかも知れないからって……もうひとつ、別に用意して呉れたんだ。


   ……別に?


   と言っても、ここにはないのだけれど……。


   ……それって。


   同じ材料を使ったケーキ……家で、ゆっくり食べられるようにって。


   ……まこちゃん、もうひとつお願いしたの?


   ううん、あたしはお願いしてない……。


   ……じゃあ、どうして。


   それは、店長からのお祝いのケーキらしい。


   ……お祝い。


   然う、お祝い……だから、お代は結構、だそうだよ。


   ……店長さん、実は知っているの。


   いや、知らない筈なんだけど……。


   でも、ハッピーウェディングって……知らなければ、用意しないと思うわ。


   ん、然うだよね……違っていたら、とんでもないもんな。


   ……やっぱり、気付いて。


   あたし、そんなに分かりやすいのかなぁ……。


   ……お礼を、言わないと。


   ……。


   店長さんに……。


   ……ふたりで?


   その方が……良いと思う。


   じゃあ、然うしよう……。


   ……。


   ……うさぎちゃん、来ないね。


   束の間の休息……。


   ……休息?


   レイちゃんが、言っていたの。
   ずっと話していたら、まこちゃんと休む暇もないでしょうって。


   ……レイちゃんらしい。


   ……。


   みんな、笑って呉れてる……嬉しいね。


   ……うん、嬉しい。


   お義母さんも。


   ……。


   ふふ……。


   ……もぉ。


   それにしても……相変わらず、はるかさんとみちるさんは絵になるなぁ。


   ……薔薇の花びらが見えるようだわ。


   ふふ、然うだねぇ……。


   ……来てもらえるとは、思わなかった。


   あたしも、思ってなかった……せつなさんが一応、知らせて呉れるとは言ったけど。


   ……私達の為に、時間を作って呉れて。


   一時帰国だから……式が終わったら、また直ぐに発つみたいだ。


   ……今度はみちるさんのコンサートの為にプラハに行くと。


   プラハ……って、どこだっけ。


   チェコの首都……音楽の都としても有名なの。


   音楽の都……と言えば、ウィーンだなぁ。


   ウィーンも有名よね。


   オーストリア、だよね。


   然う、オーストリア。


   プラハか……どんな街なのかな。


   1000年以上の歴史があって、ロマネスク建築から近代建築まで各時代の建築様式が並んでいるそうよ。


   へぇ、それは見てみたいなぁ。


   ……見て、まこちゃん。


   ん、どこ?


   みちるさんが、私達にお辞儀をしているわ。


   ……本当だ。


   手に持っているのは、ヴァイオリン。


   若しかして、演奏して呉れるのかな。


   ……きっと、然うだわ。


   ……。


   ……。


   この曲は……アヴェ・マリアだ。


   ……きれいな旋律。


   ……。


   ……歌いたい?


   いや、流石にみちるさんのヴァイオリンには合わないよ……。


   そんなことはないわ……ほら、まるで誘っているかのよう。


   や、でも……今はちょっと、恥ずかしい。


   恥ずかしいの?


   ん……だから、聞いていたい。


   然う……残念。


   ……亜美ちゃん、聞きたいの?


   聞きたいわ。


   ……いや、でもなぁ。


   でも、恥ずかしいのなら良いの……。


   ……。


   ……ヴァイオリンが、歌っているみたい。


   ヴァイオリンは歌う……だっけ。


   ……ええ。


   踊るのは、なんだっけ?


   ……フィドル。


   踊るのも楽しそうだなぁ……と言っても、アヴェ・マリアでは踊れないけど。


   ……まこちゃんなら、踊れるかも。


   いやぁ、難しいよ……亜美ちゃんが一緒なら、踊れるかも知れないけど。


   ……難しいわ。


   だよね……。


   ……。


   あれ……曲が変わった。


   ……これは。


   これはまた、軽快で楽しそうな曲だな……。


   ……それこそ、踊れそうな。


   みちるさん、こんな曲も演奏出来るんだ……。


   ……なんて曲かしら。


   聞いたこと、ない?


   ええ……ないわ。


   亜美ちゃんでも、知らない曲……。


   ……クラシックの世界は、広いから。


   ん、はるかさん……?


   ……何か言ってる?


   えーと……そ、っきょう?


   そっきょう……まさか、即興?


   即興って……この曲、今、考えたの?


   然うみたい……。


   ……見て、亜美ちゃん。


   ん……。


   美奈子ちゃんと、うさぎちゃんが踊り出した……。


   ……本当。


   レイちゃんが、今にも巻き込まれそうだ……。


   ……美奈子ちゃん、酔ってるわね。


   うん、あれは酔ってる……多分、うさぎちゃんも。


   ……衛さんも、酔っているのかしら。


   それは、珍しいな……あ、うさぎちゃんの手を取った。


   ……せつなさんとほたるちゃんまで。


   せつなさんって、踊るんだ……。


   ……然うみたい。


   ルナとアルテミスは……うん、楽しそうだ。


   ……。


   舞踏会とは、違うけど……これもまた、良いね。


   ……うん、とても。


   ね……あたし達も、踊ろうか。


   ……私は、遠慮しておくわ。


   きっと、楽しいよ……。


   ……ドレスを着ているから。


   ドレスを着ていても、踊れるさ……。


   ……。


   ……お手を、亜美ちゃん。


   まこちゃん……。


   ……ほら、みちるさんが誘っているよ。


   でも……テンポが、速いわ。


   ……大丈夫、あたしに合わせて。


   ……。


   さぁ、あたしと一緒に……。


   ……まこちゃん。


   踊って呉れませんか……。


   ……喜んで。


   ふふ……ありがとう。


   ……。


   ……行くよ、亜美ちゃん。


   うん……まこちゃん。


   ……いち、に、さん。


   ……。


   ん、やっぱり速いか。


   ……ちょっと、付いていけそうにないわ。


   じゃあ、少し……あ。


   ……また、曲が。


   これは……ワルツだ。


   ……。


   これなら、踊れる……。


   ……。


   ね……亜美ちゃん。


   ……う、ん。


   では、改めて……。


   ……。


   ……ん、楽しい。


   ね、まこちゃん……。


   ……なんだい。


   ごめんなさい……。


   ……ん、なんで。


   背中が開いたドレス……。


   ……ちゃんと、着られたよ。


   だけど……ふたりだけでは。


   ……ベールで、上手く隠れて呉れたから。


   ……。


   だから……あたしの背中は、亜美ちゃんしか知らない。


   ……それで、良かったの。


   良いに、決まってる……。


   ……。


   ……謝る必要なんて、ない。


   ありがとう……。


   ……お礼も、要らないんだけどな。


   言わせて……。


   ……。


   ん……まこちゃん。


   ......Egal, was kommt, ich werde dich nie verlassen.


   それは……。


   ......Ich liebe dich für immer.


   さっき……。


   ……改めて、誓う。


   ……。


   調べに乗せて……ね。


   ……もぅ。


   恥ずかしい……?


   ……恥ずかしい。


   誰も、聞いてない……。


   ……然ういう問題じゃない。


   はは……。


   ……。


   ね……しあわせだね。


   ……。


   青い空の下で、緑やお花に囲まれて……みんなに、お祝いしてもらえて。


   ……うん、とてもしあわせだわ。


   ……。


   ......Egal, was kommt, ich werde dich nie verlassen.


   亜美ちゃん……。


   ......Ich liebe dich für immer.


   Ich liebe dich auch.......


   ……ん。


   改めて……誓いのキスを。


   ……もぅ、まこちゃんは。


   ははは……。


   ……。


   ……。


   ……とこしえに。


   あなたと……。


   ……生きることを、誓うわ。   


  12日





   うーん、なかなか良い式だったわ~。


   かなり良い式だったわよ、あなたには地味に見えたかも知れないけれど。


   やぁねぇ、地味なんて言わないわよ。
   緑や花に囲まれて、派手さはないかも知れないけれど、とても心が籠もっている式だったと思っているんだから。


   どうだか。


   出されたものの中でも、特にケーキが美味しかったわ。聞けば、まこちゃんが働いてるお店の店長さんが作ったっていうじゃない。


   らしいわね。


   その店長さんってのがね、色んな国で修行していて、景気が良い頃は一流ホテルに務めていたのだとか。


   良く知っているわね。


   私の情報網を舐めてはいけないわ。


   誰も舐めないわよ、そんなもの。


   ホテルを辞めたのは独立して自分のお店を持ちたかったという話だけれど、ここだけの話、どうやら内部で揉めたらしいのよね。
   なんでも、その店長さんが若くしてそれなりの立場になるのが許せない勢力が居たのだとか。ま、どこにでも然ういうのはあるわよね。


   本当に、無駄に良く知っているわね。


   ふふん。


   褒めてない。


   お店はそこまで大きくはないけれど、とても美味しいって評判なのよ。
   だから今度、買いに行ってみようと思っているの。


   行ったことがなかったの?


   忙しくて?


   あー、然う。
   それは大変ね。


   一流のホテルの味が手頃な値段で買えるなんて最高じゃない?
   勿論、まこちゃんのケーキも一緒に買うつもり。パティシエのまこちゃんが作ったケーキも食べてみたいもの。


   食べてるじゃない、たまに。


   ちっちっち、それはただのまこちゃんが作ったケーキ。
   私が食べたいのは、パティシエのまこちゃんが作ったケーキ。
   聞いた話によると、いちごタルトが美味しいらしいの。いちごの品種にもかなりの拘りがあって


   まこちゃんに嫌がられなければ良いわね。


   お客さんとして行くんだもの、まこちゃんだってそれなりの接客をして呉れると思うわ。


   はいはい、然うね。


   折角だから、レイちゃんも行かない?


   都合が合えば。


   そこは合わせるのよ。


   難しいわね。


   難しくてもやるの、私達セーラー戦士はどんな困難があろうともみんなで立ち向かって


   ……。


   はい、無視しない。


   してないわよ、返事をしないだけで。


   それをレイちゃんの場合、無視と言うの。


   聞いているだけ、良いじゃない。


   まこちゃんのお店ね、春と秋に一回ずつ、食べ放題をやるんですって。
   これがまた大人気で並ぶみたいなんだけど、90分制だから、待っていれば余程のことがない限り食べられるらしいわ。


   忙しいそうね、まこちゃん。


   かなり忙しいと思う、だって、押し寄せる数多のお客さんが次から次へと食べ尽していくんだもの。
   だからね、どんどん作っていかないと間に合わないの。あ、おしんこもまこちゃん担当らしいわ。


   おしんこ?


   甘いものを食べたら、塩辛いものが食べたくなるでしょう?
   おしんこを食べて口直しをしたら、また、ケーキを食べ尽すというわけ。


   美奈子ちゃん。


   何かしら、レイちゃん。
   質問だったら、聞くわよ。


   この間の健康診断の血糖値は?


   はーい、良い質問ね。
   数値は全く問題なし、つまり、健康そのものよ。


   今はね。


   やぁね、ずっとよ?
   ずっと、私は健康なの。


   30代になったら……いえ、30になる前に出てくるかも知れないわね。


   もう、そんなことを言って。
   亜美ちゃんじゃないんだから。


   30代になると血糖値だけでなく、血圧にも出てくるみたいだから。
   あとは、脂質かしら。控えて欲しいのだけれど、祖父に言っても、全く聞く耳を持たないのよね。


   然ういえば、おじいちゃんは元気?
   相変わらず、若くてかわいい女の子を追いかけているの?


   入院したわ。


   然う、入院……は?


   この前の冬に。


   ちょっと待って。


   何。


   聞いてないんだけど。


   誰にも言ってないから。


   おじいちゃん、大丈夫なの。


   今は退院して、家で療養しているわ。


   ……どこが。


   頭。


   頭?


   高血圧で、ね。


   ……然う。


   なに、その神妙な顔は。


   ……言ってもらっても、私には何も出来ないわね。


   ええ、何も出来ないわ。


   おじいちゃんには、何も出来ないけど……レイちゃんの話を聞くことぐらいなら、出来るわ。


   ……。


   レイちゃん。


   忙しいのでしょう?


   忙しいけど……それくらいの時間、作るわよ。
   私だけじゃないわ、うさぎちゃんも亜美ちゃんも、それからまこちゃんだって。


   ……あなたは知らないけれど、他の三人は然うでしょうね。


   私なんて見て。
   時々、


   時々とは言えない。


   愚痴の電話をすることで、まこちゃんに少し面倒だって思われつつある、私を。


   まこちゃんだけじゃなく、私と亜美ちゃんにも思われているわ。


   ふふんっ。


   意味が分からない。


   だから、あなたも話して。


   ……。


   直接、何か出来なくても……力になれることは、あるかも知れないわ。


   ……はぁ。


   もう、溜息なんて吐くとしあわせが逃げるわよ?


   ふざけているのか、真面目なのか。


   時と場合、よ。
   私ももう、大人なの。


   ……ふ。


   まこちゃんと亜美ちゃんも然うだったけど……話したくないのなら、仕方ない。
   なんて、私が言うと思う?


   思わないけど、言いたくない時は言わないわ。


   まぁ、然うね。


   だけど、まこちゃんのことは言って欲しかったと思っている。


   私は、レイちゃんのおじいちゃんのことも話して欲しかったと思っているわよ。


   今は、落ち着いてるから。


   今は?


   再発しないとは言えない。
   だから、血圧を抑えないといけないの。


   血圧かぁ……やっぱり、薬?


   薬は手離せない、なのに、たまに飲み忘れるのよ。


   それは、困ったものね。


   美奈子ちゃんでも困るの。


   困るわよ、私だって。
   大人になって、増えた気がするわ。


   ふぅん、大変そうね。


   まぁ、ね。
   だから、ケーキでも食べないとやってられないの。


   せいぜい、数値には気を付けて。
   亜美ちゃんに釘は刺されていると思うけれど。


   もうね、刺されまくりよ?


   でしょうね。


   まこちゃんに電話が繋がった時も、健康診断のことを聞かれちゃったし。


   それで、なんと答えたの。


   適当に誤魔化して、切った。


   最低。


   だってぇ、長くなるんだもの。


   当然よ、彼女は医者なんだもの。


   何かあったら、亜美ちゃんに診てもらうつもり。


   冗談でも止めて。


   やだ、本気にしないでよ。


   本気でしょう、あなたは。


   然う思う?


   亜美ちゃんを困らせないで。


   困らないで良い、ただ、淡々と彼女の仕事をこなして呉れれば良い。


   ……。


   私はただ、世界で、いいえ宇宙で、最も信用出来るお医者さんに自分を任せたいだけ。
   やっぱり、信用って大事でしょう? 自分の躰を任せるんだから。だから、困ってもらっては、私が困るの。


   ……自分の都合ばかり。


   ならないように、成る可く、気を付けるつもり。


   ……。


   レイちゃん?


   ……祖父は、脳梗塞だったわ。


   のーこーそく……。


   分かってないわね。


   いやね、分かっているわよ。
   つまり、脳の病気でしょ?


   ……脳の血管に、血栓が詰まったの。


   そうそう、けっせんが詰まるのよね。


   ……やっぱり、美奈子ちゃんに話しても。


   若しも後遺症があるのなら、ひとりで抱えては決して駄目よ。


   ……。


   何か困ったことがあったら、いつでも言って。
   言ったでしょう、私の情報網を舐めてはいけないって、ね。


   ……せいぜい、頼りにさせてもらうわ。


   ええ、然うして。
   レイちゃんのおじいちゃんよりも、年上の知り合いだって居るから。


   ……。


   まぁ、そんなわけだから、行くでしょう?


   ……何処に?


   まこちゃんのお店の食べ放題、うさぎちゃんも誘って。
   亜美ちゃんも誘いたいけど、どうかしら。


   まこちゃんがとっくの昔に呼んでいるんじゃないの。


   然うね、むっつりのまこちゃんのことだから呼んでいるわね。


   それ、言ったら怒るわよ。


   どれ?


   分かっているくせに。
   本当、前世(むかし)からあの子を怒らせるのが得意なのだから。


   だって、面白いんだもの。


   最悪。


   ふふ。


   ……考えておくわ。


   え、なに。


   考えておく。


   然う、なら決まりね。


   決まってない。


   楽しみだわ~~あ、うさぎちゃんにもメールをしておかないと。
   と言うわけでレイちゃん、宜しくね?


   あんたがしなさいよ。


   にしても、やっぱり良い式だったわ。ケーキだけでなく、ドレス姿のふたりも素敵だったし。
   ベールだけでなく、ブーケもまこちゃんの手作りだなんて。流石、まこちゃん。


   ……やっぱり、取れなかったけど。


   レイちゃんが?


   あなたが。


   何か呟いていたみたいだけれど、きっと、ふたりだけの誓いなのでしょうね。
   聞いても絶対に教えて呉れないだろうから、聞かないけど。ま、誓いのキスが見られただけで十分。


   話の戻し方が強引ね。


   今更?


   あなたに付いていける男性が居ないの、分かる気がするわ。


   いつか見つけてみせるわ。


   はいはい、見つかると良いわね。
   取り敢えず、二股癖を治したら?


   どちらが良いか、比べたいじゃない?


   最低の上に、最悪。


   あら、ダブル?


   まこちゃんを追い掛けていた男、妻子が居たのよね。


   然う然う、最低よね。


   それ、あなたが言う?


   私は結婚してないもの、恋愛は自由。


   面倒な上に厄介。


   容赦ないわねぇ。


   良いでしょう、言うのは私達ぐらいなんだから。


   レイちゃんが一番、容赦ないわ。
   ま、然ういうところも好きなんだけど。


   あ、そ。


   えー、素っ気ないんですけどー?


   ……。


   ん、どうしたの?


   ……ふたりの式、本当に素敵だったと思っているの。


   昔からの友達の結婚式に、詰まらないケチをつける私だと思う?


   ケチはつけないかも知れないけれど、物足りなかったくらいは言いかねない。


   言わないわよ、あのふたりの式に。
   然う、言うわけがないわ。だって、やっと結ばれたんだもの。


   ……。


   分かり辛いかも知れないけれど、これでも盛大にお祝いしているつもりなの。


   つもり?


   然う、つもり。


   実際は、然程お祝いしていないのね。


   もぅ、どうしてそんなに捻くれた捉え方をするのかしら。
   そんなことじゃあ、いつまで経っても良いヒトは出来ないわよ。


   別に良いわ、私は求めていないから。


   雄一郎さんとは最近、どうなの?
   そろそろ、進展のひとつやふたつ、あっても良いと思うけれど?


   ないわ。


   ないの?


   ない。


   ちっとも?


   そもそも、雄一郎とは恋人同士でもなんでもないもの。


   えー、然うなの?
   一時期、付き合っていたようじゃない?


   ……。


   ねぇ、本当はあるのでしょう?


   しつこいわね、ないと言っているでしょう。


   良いじゃない、あのふたりもめでたく結ばれたのだし、そろそろレイちゃんも。


   もう、ないのよ。


   ……もう?


   家族みたいなものなんだもの。


   家族……ね。


   中学生の頃から、同じ家に住んでいるのよ。


   それってつまり、実はもう籍を


   入れてない。


   式は? やっぱり神前式? 火川神社で


   やらない。


   本当のところは?


   雄一郎をそんな風には見られない。


   気持ちが変わったということ?


   さぁ、どうかしらね。
   ただ、子供ではないということは確かよ。


   レイちゃんが?


   他に居るの。


   居ないわね。


   将来的に、誰かと結婚することはあるかも知れない。
   けれどそれは、雄一郎じゃない。


   ……結婚するのは、神社の跡取りを産む為?


   神社のことは、親族に任せても良いと思っているわ。


   ……親族、ね。


   あの神社は続くの、私が居なくなってもね。
   なんだったら、雄一郎が継いで呉れても構わない。


   それは、レイちゃんの本当の気持ちなのかしら。


   偽りなんて、言うと思うの。


   じゃあ、雄一郎さんの気持ちは?


   雄一郎の気持ちが未だ私にあったとして、私は必ずその気持ちに応えなければいけないの?


   いいえ、必ずではないわね。


   でしょう?


   だけど、良いの?


   良いも何もないわ。
   雄一郎に対して、そんな気持ちにはなれないのだから。


   ……うさぎちゃん。


   うさぎは関係ない。


   ……前世、或いは、使命?


   それはうさぎが一番嫌がるところね。


   ……だったら。


   うさぎも前世も使命も、全て関係ない。
   これは、私が決めたことなのだから。


   ……ふぅん。


   うさぎと衛さん、亜美ちゃんとまこちゃん……その関係は、本当に素敵だと思うわ。


   だけど、レイちゃんは望まない。


   ……雄一郎にはね。


   じゃあ、私が


   欲しければ、どうぞ。


   詰まらない。


   面白くさせるつもりなんて、毛頭、ないもの。


   ……最近、前世のあなたに似てきたわ。


   似てこようが、私は私。


   ……。


   私である限り、私であり続けるのよ。


   ……まぁ、然うね。


   ……。


   ふぅ……お酒も、なかなかだったわ。


   ……ふたりなりに、考えて呉れたのでしょう。


   本当に、ね……自分達だけで、精一杯だったろうに。


   ……場所も。


   とてもきれいだったわ……前世のふたりだけの秘密の場所を思い出すくらいには。


   ……。


   たまにこっそり行ったりしなかった?


   しなかった、あなたのように悪趣味ではないから。


   とか、言って。


   たまに、探しには行ったわ。


   行ってるじゃない。


   私は、あなたのような出歯亀ではないの。


   お堅いわねぇ。


   ……彼女達が結ばれたいのなら、私はそれでも良いと思っていた。


   うん?


   ……仮令。


   ふ。


   ……あなたは、違うでしょうけど。


   あの世界では、無理。
   姫と王子だけでなく、水星と木星も。


   ……。


   だから……一度、壊れた方が良いと思ったのよ。


   ……随分と乱暴だったけど。


   でないと、壊れないもの。


   ……。


   姫達とは違って、あの子達はずっと繋がっていたけれど……面倒な柵に縛られていることには、違いないのよ。


   ……あのふたりのことも、思っていたとでも?


   さぁ、どうかしらね。
   前世の私は、なかなかの女狐だったから。


   性質が悪いだけ。


   ふふ、然うねぇ。
   あの子達にも嫌われていたものねぇ。


   自覚はあったのね。


   そりゃ、あるわよ。
   だからこそ、面白かったのだから。


   ……矢っ張り、性質が悪いわ。


   前世の私は、ジュピターのことが好きだったのよ。


   ……。


   と言っても、あの子の前の、だけど。


   ……まるで相手にされなかったのよね。


   笑っちゃうくらいにね。


   ……。


   だから、遊んであげたかったの。
   ふたりが育てた、あの子達と。


   ……歪んでる。


   ふふ。


   ……。


   とこしえに。


   ……。


   倖せだと、良い。


   あなたがそんなことを言うなんて。


   ま、信じてないけど。
   とこしえなんて。


   知ってる。


   永遠に、愛している。


   ……。


   ま、そんなところでしょう。
   聞かなくても、分かるわ。


   ……性格が悪い。


   ね、これから飲みに行かない?


   行かない。


   ラーメンでも良いわ、ふたりの前途を祝して


   行かない。


  11日





   んー、良いお天気だ。


   然うねぇ。


   立春も過ぎたことだし、これから少しずつ暖かくなっていったら良いなぁ。


   暦の上では春なのだけれど……二月は、雪が降る月でもあるから。


   また降りそうなんだっけ、この間降った雪がまだ融け切ってないのに。


   若しかしたら、また大雪になるかも知れないわ……。


   やだなぁ、また交通機関に影響が出ちゃうじゃないか。
   亜美ちゃんも、あの日は大変だっただろう?


   ん……大変だった。


   病院の前にも、雪が積もってしまって。


   職員が数人で入口付近を雪掻きしたのだけれど、降りが強くなるばかりで、とても大変だったみたい。
   前以て塩を撒いておけば、また違ったのだろうけれど……予報では積もってもせいぜい1センチ、大雪にはならないと言っていたから。


   患者さんが足を滑らせてしまったんだよね……。


   ええ……それで、鼻を打ってしまって。


   鼻血が止まらなかったんだろ……もう、気の毒でしかないよ。


   帰ろうと思ったら、病院に戻ることになるんだもの……本当に、気の毒だったわ。


   ……亜美ちゃんが診たんだっけ。


   たまたまね……急患の扱いだったのだけれど、整形外科の先生が診察中だったから。


   ……良かったよ、直ぐに適切な手当てを受けられて。


   ちゃんと処置をしないと、鼻が曲がってしまうかも知れないから……。


   ……鼻も、大事だ。


   ん……。


   ……きれいな鼻筋だ。


   もう……何を言っているの。


   ……はは。


   ……。


   電車は遅れるわ、道路は混むわ、そのせいでバスも遅れるわで、帰宅の時間は大変だったとか。


   ……大変だったわ、タクシーもなかなか捕まらなくて。


   メールが来た時は思わず、迎えに行こうと思ったよ……。


   ……迎えに来て呉れたわ。


   エントランス……だけど。


   ……十分よ。


   本当なら、病院まで……。


   ……交通機関が麻痺していたのに?


   そこは……徒歩で。


   駄目よ……遭難してしまったら、どうするの?


   遭難は、しないと思うけど……。


   ……配達の自転車が立往生していたことは話したでしょう?


   うん、聞いた……確か、タイヤに雪が詰まって動けなくなっていたんだろう?


   ……指で掻き出していたの。


   雪が詰まって、タイヤが動かなくなるなんて……そんなこともあるんだね。


   ……それくらい、大変な雪だったということ。


   だから……遭難することも、有り得る?


   ……私達は雪に慣れていないんだもの、どうなるか分からないわ。


   亜美ちゃんが……無事に帰ってきて呉れて、良かった。


   ……まこちゃんのお店は、あの日は早めに閉めることになったのよね。


   うん……開けていてもお客さんは来ないだろうって、店長の判断で。
   そのおかげで、大きく混乱する前に家に帰れたんだ……。


   ……お土産を持って帰ってきて呉れたの。


   雪だってことで、いつもよりも少なめに作ったんだけどね……それでも結構、余ってしまっていたから。


   まこちゃんが作ったいちごタルト、とても美味しかったわ。


   食べて呉れてありがとう、おかげで材料を無駄にしないで済みました。


   私には、それぐらいしか出来ないから。


   いやいや、ありがたいよ。


   ……若しもまた、大雪だったら。


   大雪になったら、また早めに閉めるかも知れない。
   店としては、勘弁して欲しいけど……自然には、敵わない。


   ……店長さんは台風の日も、無理はしないわよね。


   曰く、台風の日も大雪の日も、お店を開けていたところで、お客さんはほっとんど来ないことを経験で知っているらしい。
   であるならば、自分だけ残って、従業員は帰れなくなる前にさっさと帰らすのが吉、なんだってさ。
   それこそ、怪我でもされて長く休まれるようになる方が、店には痛手だとか。


   ……まさに、経験則。


   うん、まさにね。
   実際、あの雪じゃ誰も来なかったと思う。


   ……お昼過ぎ頃から降りが強くなって、三時ぐらいには5センチ以上積もって。


   場所によっては、10センチ近く積もっていたとか。で、日が暮れてからは、それ以上だ。
   そんなに積もってしまったら、もう、ケーキなんて買いに来てる場合じゃないよ。


   折角買ったケーキを、うっかり滑って落としたりなんかしたら、台無しになってしまうものね。


   そうそう、然ういうこともあるから……切ないだろう、潰れちゃったケーキを見るのはさ。


   ……かなり。


   若しも買い来て呉れたお客さんが居たのなら、大分申し訳ないのだけれどね……。


   ……然うね。


   でも、若しかしたら、店長が対応したかも知れないから。
   お客さんは来ないと言いつつ、ぎりぎりまではお店を開けておくんだよ、店長は。


   ……良い店長さんだと思う。


   不景気で就職難だったあたしを雇って呉れたしね……感謝してるよ、店長には。


   ……店長さんが作ったケーキ、久しぶりに食べたいわ。


   じゃあ、今度買ってこようか。


   ……良いの?


   勿論。
   あたしの家族が食べたがってるなんて言ったら、店長、きっと喜ぶよ。


   ……。


   ん、どうした?


   ……今更、なのだけれど。


   うん。


   ……私達の結婚式のケーキ、店長さんにお願い出来ないかしら。


   店長に?


   ……でも、私達のことは内緒だったわよね。


   ……。


   ……まこちゃん?


   今度、お祝い事をするからと言えば、なんとかなるかも知れない。


   お祝い事?


   然う、あたしにとって大事なお祝い事。


   ……。


   限りなく、それに近いものにして……ハッピーウェンディングの文字は、ないかも知れないけど。


   ……それでも、構わないわ。


   ……。


   心が籠もったケーキを、きっと、作って呉れると思うから。


   うん……店長なら、きっと。


   ……。


   それじゃあ、折りを見て話しておくよ。


   ……お店の売り上げになるかしら。


   ふふ……それは、勿論です。
   ありがとうございます、水野様。


   ……木野様ではなく?


   あたしも、水野になるから。


   ……。


   と言っても、気持ち的になんだけどね。


   ……うん。


   配送は、あたしが責任持って手配する。


   ん……宜しくお願いします。


   はい、水野様。
   どうぞ、当日を楽しみにしていて下さい。


   ……ふふ。


   はは。


   ……どんなケーキになるのかしら。


   あ、希望があったら言ってね。


   希望?


   まずは、フルオーダーかセミオーダーか、若しくは、装飾のみのカスタマイズか。
   それからケーキの種類、ふわふわのスポンジと、甘過ぎないクリーム、彩り豊かなフルーツのデコレーションが定番のフレッシュケーキ。
   小さなシュークリームを積み上げて、タワーのように仕上げたフランス生まれのクロカンブッシュ、倖せのシンボルともされてる。
   イギリスの伝統的結婚式に用意されるシュガーケーキは三段重ね、砂糖と水あめを練ったシュガーペーストで作られる精巧なデザインが特徴的。
   大きさに拘りつつ、予算を抑えたいのならイミテーション。だけど、土台は式場で用意して呉れるのがほとんどだから、あたし達には難しいと思う。
   ケーキの形は、定番はスクエアとラウンド、ネイキッドも人気が出てきたかな。他にも、スポンジの形をハートや星の変形にすることも出来るよ。


   ……。


   次に、ケーキのテーマやコンセプトを決める。
   結婚式のテーマに合わせても良いし、ふたりの思い出をイメージしても良い、他には未来をイメージしても良いかも知れないね。
   あとは、ケーキに使いたい材料や装飾を決めるんだけど、旬のフルーツを飾っても良いし、シンプルにいちごだけでも良い。更に、ベリーを追加しても良い。
   クリームの種類を決めて……ケーキの上を飾るトッパー、マジパン、そうそう葉っぱを飾るひとも居るよ。あれも素敵なんだよね。


   ……あの、まこちゃん。


   ん、なんだい?


   ウェディングケーキと一口に言っても、色々あるのね……。


   然うなんだ、面白いだろう?
   うちの店長は色々な場所で修業したからさ、色々なケーキが作れるんだ。
   あたしもいつか、店長のように……。


   ……もっと早く、聞いておけば良かった。


   ん、なんだい?


   私、ウェディングケーキと言ったら……あの大きなものしか知らないの。


   あぁ、然うか……うさぎちゃんと衛さんの結婚式でも、フルオーダーの三段フレッシュケーキ、定番のスクエア型だったもんな。
   文字の飾りがあって、いちごがたっぷりで、ラズベリーとブルーベリーも添えられていて、クリームは真っ白なバタークリームで。
   あのケーキも華やかで、とても豪華なものだった。味も美味しくてさ。それなのにあたしが作ったケーキも美味しそうに食べて呉れて、嬉しかったなぁ。


   ……あのね、まこちゃん。


   ん?


   ……あのケーキは、私が知っているものではなかったの。


   えと……亜美ちゃんが知っているケーキはどんなもの?


   ……多分、お城のような。


   お城……イミテーションかな、演出用に発泡スチロールの土台を使って大きく見せるんだ。
   景気が良かった頃は2メートル、それこそ天井まで届きそうなものもあったらしい。凄いよね。


   ううん……全部、本物なの。


   全部本物……全部、食べられるケーキということ?


   ん……。


   お城のようで……全部、食べられるケーキ。


   ……それって、珍しい?


   あたしが知っているのは、老舗のトラディショナルケーキだけど……どこのケーキか、憶えてる?


   ……ううん。


   見たことはあるのかい……?


   ……幼い頃、母の友人の結婚式に連れて行かれたことが一度だけあって。


   お義母さんの友人……。


   ……新郎新婦が、ゴンドラで入場したことは憶えているわ。


   ゴ、ゴンドラ……それは、豪華なケーキが出てきてもおかしくないね。


   ……確か、実際にヴェネツィアで使われていた水上ゴンドラだったと思う。


   ヴェネツィアの……それは、天井から吊り下がってた?


   ……うん。


   亜美ちゃんが見たウェディングケーキ、あたしも見てみたかったな……そんな豪華なケーキ、と言うより結婚式、小さい頃にテレビでしか見たことがないから。


   ……今は、珍しいの?


   うん……どちらかと言うと、不景気だからね。
   あたしが知ってる老舗のトラディショナルケーキは、今でも人気があるみたいだけど。


   ……。


   亜美ちゃん、若しかして……。


   ……私、そんな豪華なケーキを望んでいるわけじゃないの。


   そ、そっか……。


   ……ただ、あまりにも知らないから。


   どんなウェディングケーキがあるか、知りたい……?


   ……出来れば。


   じゃあ……どんなケーキがあるか、一緒に見てみようか。


   ……見せて呉れる?


   うん、勿論。


   ……良かった。


   ごめんね、亜美ちゃん。


   ……どうして?


   ケーキのことまで、深く考えてなかったから。


   ……然うなの?


   ん……ケーキはあるものだとして、ドレスほどは考えてなかった。
   ウェディングケーキと一口に言っても、色々あるのに……心のどこかで、亜美ちゃんも知っているものだと思ってた。


   ……ごめんなさい、本当に何も知らなくて。


   いや、知らないことは悪いことじゃない。
   だから、言って呉れてありがとう。


   ……まこちゃん。


   亜美ちゃんが教えて呉れたんだ、知らないことは悪いことじゃないって。
   知らないまま、知ろうとしないことの方が、駄目だって。


   ……うん。


   ケーキを選ぶのもきっと、楽しいと思うんだ。
   本当に色々あるからさ。


   ……ん、楽しみにしてる。


   うん……してて。


   ……。


   ……あのさ、亜美ちゃん。


   なぁに……?


   あたし達の式が、無事に済んだとしてさ……。


   ……。


   あたしが若しも、細(ささ)やかなウェディングケーキを作ったら、食べて呉れる?


   ……細やかな?


   ウェディングケーキなんて呼べないくらいに、小さなものになると思うけど……心を込めて、作りたいと思ってるんだ。


   ……。


   食べてもらえると、嬉しい……。


   ……勿論。


   食べて呉れる……?


   ……食べたいわ、まこちゃんが作って呉れたウェディングケーキ。


   ほんと?


   ん……本当。


   やった。


   ……。


   ん……亜美ちゃん。


   ……瞳が、パティシエの色。


   だって……パティシエだからね。


   ……きれいな瞳の色。


   然う、かな……。


   うん……きらきらしてる。


   へへ……そっか。


   ……。


   ……亜美ちゃん。


   蟀谷の傷……残らなくて、良かった。


   ……亜美ちゃんのおかげだ。


   ……。


   ……。


   ……ねぇ、まこちゃん。


   なに……。


   ……ううん、やっぱり。


   また、しようか……。


   ……また?


   然う……また。


   ……。


   したい……。


   ……お買い物は。


   まだ、時間はあるさ……。


   ……。


   ……だめかい?


   どうしても、したい……?


   したい。


   ……早い。


   ……。


   まこちゃん……。


   ……だめなら、我慢する。


   ……。


   ……亜美。


   ねぇ……。


   ……なんだい。


   ……。


   ……と。


   今夜は……シチューが食べたいわ。


   ……クリームとビーフ、どちらが良い?


   ん……クリームで、シーフードが良い。


   クリームで、シーフード……ん、分かった。


   ……。


   それで……わ。


   ……ふふふ。


   亜美ちゃん……。


   ……良いわ、来て。


  10日





   ふぅ……。


   ……まこちゃん。


   ん……。


   お茶を淹れたのだけれど……飲む?


   うん、飲む……ありがとう、亜美ちゃん。


   ……ん。


   んー……良い香り。


   ……口に合えば良いけれど。


   合わなかったことは、一度もないから。


   ……。


   ……ん、美味しい。


   良かった……。


   ……。


   ……疲れたでしょう。


   うん……少し、疲れた。


   ……。


   亜美ちゃんも、疲れたろ……?


   私は……私も、少し。


   ……お疲れ様。


   まこちゃんも……お疲れ様。


   ……うん。


   ……。


   ……終わったね。


   ん……無事に終わって、良かったわ。


   思っていたよりも、あっさり収まって呉れた。


   ……向こうがこちらの要求に素直に応じて、且つ、まこちゃんが軽症だったから。


   軽症だと、早く収まるんだね……。


   ……後遺症があると、長引くらしいわ。


   そっか……。


   ……示談は向こうに取っても、良い話だったと思う。


   良い話……?


   ……示談が成立したことで不起訴処分、釈放になったから。


   然うか……まぁ、二度とやらなければ良い。


   接近禁止条項があるから……今後一切、まこちゃんには近付かない筈。


   ……次は、ないよ。


   ……。


   次は、ない。


   ……うん。


   ねぇ、亜美ちゃん……。


   ……なに。


   示談を勧めて呉れて、ありがとう。


   ……。


   裁判になっていたら、長引いていたと思うんだ。


   ……まこちゃんに、処罰感情があまりなかったから。


   ……。


   こういう場合は大概、示談を申し込まれるものだと……母から、聞いていたの。


   ……然うだったんだ。


   だから……被害届を出した上で、示談に持ち込むのが良いと。


   被害届を出さなければ、加害者は分からないまま……分からなければ、示談も出来ない。


   ……。


   ……改めて、ありがとう。


   強い言葉ばかり投げ掛けてしまって、ごめんなさい。


   ううん、良いんだ……亜美ちゃんが強く言って呉れなければ、あたしはきっと、犯人を放置してしまっただろうから。


   ……。


   病院代と、携帯代、それから、慰謝料……うん、十分だ。
   ねぇ、亜美ちゃん……亜美ちゃんも、然う思うだろう?


   うん、良いと思うわ……加害者も、反省しているらしいから。


   二度と、やらないで欲しいね。


   ……本当に。


   しかし……まさか、お客さんだったとはなぁ。


   ……まこちゃんのことが、気になっていたひとよね。


   一度だけ、食事に誘われたことがあるんだ……。


   ……それで、断った。


   うん……断った。


   ……。


   それから、来なくなったから……すっかり、忘れていたんだけど。


   ……まさか、ぶつかってくるなんて思わないわ。


   本当だよ……全く、意味が分からない。


   ……次は、赦さない。


   ……。


   ないとは、思うけれど……。


   ……うん、ないよ。


   ……。


   妻子持ち、だったんだよね……しかも、子供はまだ赤ちゃん。


   ……それに関しては、最低の二文字しか出てこないわ。


   うん……あたしもだ。


   ……多分、大変でしょうけれど、私達には関係のないことだから。


   全くね……。


   ……。


   ……はぁ、やっぱり美味しい。


   そんなに……?


   ……うん、そんなに。


   大袈裟……。


   ……前世(むかし)から。


   ……。


   あなたが淹れて呉れるお茶は……いつだって美味しくて、あたしの心を時に和ませ、時に慰めて呉れるんだ。


   それを言うのなら……あなたが淹れて呉れたお茶だって。


   ……。


   ん……。


   ……きれいな髪だね。


   そんなこと、ないわ……。


   ……常套句。


   いつの時代でも、それは変わることはないの……。


   ……変わっても、良いのにな。


   無理よ……私が、私である限り。


   ……ふ。


   可笑しい……?


   ……然ういうところも、堪らなく愛しく思う。


   物好き……。


   ……あたしは、物好きだとは思っていないから。


   いつも、然うなのよね……。


   然うだよ……いつの時代でも、あたしは然うなんだ。


   ……あなたが、あなたである限り?


   あたしでなくなったら……それはもう、あたしではないんだ。


   ……変わることは、悪いことではない。


   悪いことではないけれど……無理に変える、変わろうとする必要はないんだ。


   ……。


   亜美ちゃん……。


   ……流れてくる曲は、イタリア語かしら。


   ん、然うなの……?


   ……多分。


   英語ではないなぁって、ぼんやり思っていたけど……そっか、イタリア語か。


   ……。


   意味、分かる……?


   ……私の為に歌って。


   流石……。


   ……でも、それくらいよ。


   因みに、イタリア語ではなんて言っているんだい……?


   ……カンタ、ペル、メ。


   カンタ、ペル、メ……。


   綴りは……イタリア語だから、ローマ字に近いかも知れない。


   んー……じゃあ、書けるかな。


   でも、「カ」は「C」だと思う。
   イタリア語では、「K」は滅多に使われない筈だから。


   へぇ、然うなんだ……やっぱり亜美ちゃんは、物知りだな。


   と言っても、少しだけしか知らないわ。


   あたしなんて、全然知らないよ……知ってるとすれば。


   すれば?


   ……。


   まこちゃん……?


   ……イタリア語って、何がある?


   あー……えと、挨拶ならチャオかしら。


   チャオ……あぁ、なんとなく聞いたことがあるような。


   お礼は、グラッツィエ。


   グラッチェ……ねぇ、お花はなんて言うのかな。


   お花は……フィオーレ、かしら。


   フィオーレ……どことなく、フラワーに似ているね。


   ……然う?


   頭の文字が、どちらも「フ」だ……。


   ……英語はゲルマン語派だから、どちらかと言うとドイツ語に似ているのだけれど。


   イタリア語は?


   ロマンス諸語……他にもスペイン語やポルトガル語、フランス語が属しているわ。
   こちらは、ラテン語を起源としているの。


   ……ドイツ語では、お花はなんて言うんだっけ。


   ドイツ語では……Blume。


   ブルーメ……全然、フラワーに似てないや。


   お花を意味する英語は、フラワーだけではないわ。
   ブロッサム、若しくはブルーム、とも言うでしょう?


   ブロッサム、ブルーム……あ。


   ね、似ているでしょう?


   ……確かに、似てる。


   冬なんて、発音が違うだけで綴りは一緒だしね。


   然うだった……確か、ウィンターとヴィンターだったっけ。


   ふふ、正解。


   「W」の発音が、ドイツ語だと濁るんだ。


   然う。


   亜美ちゃん。


   なに?


   イッヒ、リーベ、ディッヒ。


   ……。


   この文言は、英語とはあまりに似てないね。


   ……どうして。


   勉強したんだ。


   ……どこで。


   本屋さんで。


   ……いつの間に。


   亜美ちゃん、こういう言葉は恥ずかしがって、なかなか教えて呉れないだろう?


   ……。


   ふふ……。


   ……その言葉は、永遠の愛を誓うようなもの。


   え……。


   ……だから、夫婦の間では、使うようだけれど。


   夫婦……だけ?


   ……。


   夫婦だけなのかい……?


   ……あと、長く付き合っている恋人同士。


   ……。


   ……まこちゃん。


   なら……あたし達が使っても、おかしくないよね。


   ……おかしくは、ないと思うけど。


   けど……?


   ……あまり軽い気持ちで言うような言葉ではないらしいから。


   軽い気持ちなんかじゃないさ……。


   ……。


   あなたも、知っているだろう……あたしの気持ちは、いつの時代でもとても重たいということを。


   ……。


   亜美ちゃん……。


   ......Ich bin in dich verliebt.


   うん……?


   ......Du bist......mein Ein......und Alles.


   え、えと……なんて?


   ……教えない。


   えぇ。


   ……知りたいのなら、本屋さんか図書館で調べてみて。


   いや、でも、綴りが……。


   ……後で。


   書いて呉れる……?


   ……書かない。


   えー……然うなると、お手上げなんだけど。


   ……恥ずかしいから。


   ん……。


   ……。


   ……耳、熱い?


   言わないで。


   ……。


   ん……まこちゃん。


   ……つまり、愛の告白なんだね。


   ……。


   ね、然うなんだろう……?


   ……教えない。


   ふふふ……。


   ……イタリア語、なんだけど。


   え……?


   ……イタリアンのお店を思い出してみると、良いかも知れない。


   イタリアンのお店……。


   ……店名で、使われている場合があるから。


   んー……今はそれよりも、ドイツ語かな。


   ……この話はもう、おしまいにしましょう。


   もっと詳しく教えて欲しい……。


   ……。


   お願いします……水野先生。


   ……いや。


   あー……。


   ……。


   えと……どうしても、いや?


   ……いや。


   結婚式で、伝えたいと言ったら……?


   ……。


   誓いの言葉として……。


   ……だったら、「Ich liebe dich」と言えば良いだけ。


   亜美ちゃんが言って呉れた言葉で、誓いたいな……。


   ……。


   ……ふたりで。


   結婚式なら……「Ich liebe dich」の方が、良いから。


   ……それだけじゃ、物足りない気がするんだ。


   物足りない……?


   ……言ったろう、あたしの愛は重たいんだ。


   ……。


   だから……もっと、知りたい。


   ……。


   亜美ちゃん……お願いだ。


   ......Egal, was kommt, ich werde dich nie verlassen.


   それは……。


   ......Ich liebe dich für immer.


   ……。


   ……。


   今の言葉の意味も……自分で、調べた方が良い?


   ……何があっても、あなたを放さない。


   ……。


   あなたを……永遠に、愛している。


   ……あぁ。


   でも、恥ずかしいから……みんなの前では。


   ……きっと、分からないさ。


   後で、聞かれるかも知れないわ……。


   ……聞こえないように、誓おう。


   聞こえないように……。


   ……お互いに、誓うんだ。


   ……。


   それなら、どうだい……。


   ……背中が見えるドレスで、なら。


   背中が……。


   ……それなら、良いわ。


   ん……分かった。


   ……。


   式までに、必ず覚えるから……発音も。


   ……あなたの言葉ならば、発音なんてどうでも良いの。


   良いの……?


   ……だって、あなたからの言葉だから。


   そっか……ありがとう。


   ……。


   早速、教えてもらおうかな……。


   ……今で、なくても。


   じゃあ……また、後でね。


   ……ん。


   ……。


   ……もぅ、お茶が冷めてしまうわ。


   ふふ……ごめん?


   ……。


   ん……。


   ……お返し。


   嬉しいお返しだ……。


   ……曲。


   うん……?


   ……終わってしまったわ。


   あぁ、いつの間に……。


   ……気付いていたくせに。


   途中から、亜美ちゃんの声を聞くことに集中していたから……他は、何も聞こえなかったよ。


   ……。


   私の為に歌って……か。


   ……あなたの歌声は、前世からとてもきれいなの。


   それは……自分の為に歌って欲しいという意味かい?


   ……歌って呉れるなら。


   幾らでも歌うよ……だけど、今でなくても良い?


   ……良いわ。


   曲は何が良いか……考えておいて欲しい。


   ……アヴェ・マリア。


   アヴェ・マリア……?


   ……いつかのクリスマスに、歌って呉れたでしょう?


   あぁ……然ういや、歌ったね。


   ……あの時は、お酒が入っていたから。


   然うだった……美奈子ちゃんに、やられたんだ。


   ……軽いお酒だったから、まだ良かったけど。


   亜美ちゃんも、だよね……。


   美奈子ちゃんったら……無駄に美味しいお酒ばかり、知っているんだもの。


   ふふ、全くだ……あのお酒は口当たりが良くて、爽やかで、香りも良くて、とても飲みやすかった。


   ……。


   ん……なんだい?


   ……前世の、あなただったら。


   大変なことに、なっていただろうね……。


   ……然うなっていたら、私、許せなかったかも知れない。


   だけど、あたしは前世のあたしではないから……。


   ……あまり、強くはないわ。


   強くはないけど……毒では、ないから。


   ……。


   あのお酒でケーキを作ったら、美味しいかな……。


   ……美奈子ちゃんは、好きかも知れないわ。


   うさぎちゃんも、好きかも……。


   ……レイちゃんは、どうかしら。


   レイちゃんは……食べて呉れるとは思うけど、あまり好みではないかも知れない。


   ……。


   ……結婚式のケーキも、自分で作りたいけど。


   ベールを、作って呉れているから……。


   ……春までには、作り終わる。


   あなたの分も……。


   ……あたしの分も。


   ……。


   ……場所、借りられて良かった。


   今度、改めてご挨拶に伺いましょう……。


   ……うん、行こう。


   ……。


   ……イッヒ、リーベ、ディッヒ。


   Ich liebe dich auch.......


   ……。


   「auch」、は……英語の、「too」。


  9日





   新しい携帯、やっと買えた。


   登録は自分でする?


   あたしも大分使いこなせるようになったし、ひとりで出来るよ……て、言いたいところなんだけど。
   前の携帯に登録しておいた番号やメアドは、亜美ちゃんのしか分からないんだ……。


   取り敢えず、私とみんなの連絡先は私の携帯から赤外線通信で送信すれば良いから。
   職場に関しては、もう一度教えてもらう形で。わざわざ説明しなくても、分かって呉れるでしょうし。


   赤外線通信のやり方、もう一度教えてもらっても良い?


   うん、帰ったら一緒にやりましょう。


   ありがとう。


   ん。


   あとさ、お義母さんの番号とメアドも送って欲しい。


   ……やっぱり、必要?


   うん、必要。
   今回のことで、心配させてしまったと思うから。


   ……まぁ、していたわね。


   お見舞いに、高級な羊羹が送られてきたよ。


   お見舞いがどうして羊羹なのか、いまいち理解出来ないのだけれど。


   好きだからじゃないかな、亜美ちゃんが。


   私が好きなものを送ってきてどうするの……被害に遭って怪我をしているのは、まこちゃんなのに。


   大丈夫、あたしも羊羹大好きだから。


   ……あんみつまで、送ってくるし。


   あのあんみつも美味しかったなぁ。


   ……まぁ、良いのだけれど。


   改めて、お礼を言わないと。
   ね、お返しは何が良いと思う?


   まこちゃんが無事なら、それで良いと思うわよ。
   実際、お返しは要らないと送ってきているのだし。


   いやいや、然うはいかないよ。
   親しき中にも礼儀あり、だ。お礼とお返しはちゃんとしないと。


   なら……一緒に食事をすれば良いと思う。


   食事?


   母はまこちゃんが作った料理が好きだから。


   ん、そんなので良いのかな……もっと、何か。


   他のものは大抵、お金で買えるけれど、まこちゃんの手料理はお金では買えない。


   ……ケーキなら、お店で買えるけど。


   母が言っていたの。


   然うなの?


   まこちゃんのこと、本当にお気に入りみたい。


   然うなんだ……じゃあ、いつが良いかな。
   お義母さんも忙しいから、なかなか都合が合わないんだよね。


   言っておくけれど。


   ん。


   まだ、全てが片付いたわけではないのだからね。


   え、と……犯人、捕まったんだっけ。


   防犯カメラが決め手となって。


   便利な世の中だなぁ。


   ……自首をしてきたのならば、まだ、救いようがあったのに。


   ……?
   亜美ちゃん……?


   それで、どうする?


   え、何が。


   母は民事訴訟も起こすべきだと言っているけれど。


   民事……。


   加害者に、損害賠償責任を問うの。


   え、と……。


   裁判の前に、示談をすることになるでしょうけど。


   損害賠償ということは、お金を請求する?


   原則として、賠償は金銭によって行われるとされているから。
   示談が成立しなければ、損害賠償を求めて訴訟を起こす流れになる……どちらにせよ、母が優秀な弁護士を紹介して呉れるらしいわ。
   こういった判例は良くあることだけれど、より詳しい弁護士を付けた方が有利になるから。相場も違うみたいだし。


   そ、そんな大事にしなくても……良いような、気がするんだけど。


   駄目よ。


   お、おぅ。


   どんな理由があるにしても、まこちゃんを危ない目に遭わせたことには違いないの。
   であるならば、刑事だけでなく、民事でも訴えるべきだわ。落とし前は、きっちりと……。


   ……落とし前?


   きっちり、法に則って責任を問わないと。
   放っておいたら新しい被害者が出てしまうかも知れないし、何より、本人の為にならない。


   ……亜美ちゃん、社会人になってから凄みが出てきたよね。


   何か言った?


   あ、いや、頼りになるなって。


   生憎、私には優秀な弁護士の知り合いは居ないから。


   ……そのうち、出来そう。


   母のように、社交性は高くないのよね。
   然ういった集まりも苦手だから、参加したことないし。


   ……した方が、良いもの?


   繋がりが出来た方が、何かと有利なのは確かよ。


   ……若しも。


   けど、私には苦痛なだけだと思うの。


   ……うん、無理は良くないね。


   でしょう?


   ……でも、強いよね。


   まこちゃん?


   え、えと……示談で、収まって欲しいな。


   然う、なら母に伝えておくわ。
   しっかりと反省してもらえるような金額でまとめて欲しいと。


   ……やっぱり、強い。


   なぁに?


   や、み、水でも被って反省すれば良いのになぁって。


   どうせなら、外でね。


   ……外で?


   今の季節だと、へたしたら凍死するかも知れないけれど。


   ……。


   その前に、低体温症になるかしら。


   す、直ぐに、暖かい場所に入って躰を温めたら……。


   あら、それでは反省を促すには足りないと思うわ。
   寒中修行にもならない。


   寒中修行をするひと達は、日頃から躰を慣らしていると思うから……素人がやったら、大変なことになると思うんだ。


   当然、なるわね。素人がするのならば、乾布摩擦ぐらいに留めておく方が良い。
   皮膚への刺激が免疫機能の向上、血行促進、肩凝りや冷え症の改善、更には自律神経のバランスを整えて呉れるから。


   慣れてないと、風邪を引いてしまいそうだ……。


   だから、少しずつ慣らしていけば良いのだけれど。


   ……。


   何事も急にすると躰に負担を掛けるだけ、それを理解していないひとが多いのよね。


   ……然ういう患者さん、居るの?


   良く聞くのは、いきなり全力で動いてしまって肉離れを起こすひと。
   子供の運動会に張り切って……が、多いかしら。


   ……うん、駄目だね。


   それは兎も角、加害者には反省が必要。
   だからこそ、法治国家らしく、法に則って示談、或いは損害賠償をするの。


   ……ねぇ、亜美ちゃん。


   なぁに、まこちゃん。


   ……相当、怒ってる?


   今更?


   ……だよね。


   勿論、怒っているわよ。


   ……目が笑ってない。


   笑えるわけがない。


   ……取り敢えず。


   私はあくまでも、まこちゃんの意思を尊重するわ。


   ……本当に?


   ええ……本当よ。


   ……。


   駄目だとは言ったけれど……最後に決めるのは、まこちゃんだから。


   うん、分かった……なら、お義母さんに紹介してもらおう。


   然う……じゃあ、帰ったら母に。


   あたしから連絡するよ、被害に遭ったのはあたしなんだし。


   ……然うね、その方が良いかも知れない。


   因みに……お義母さんも、怒ってる?


   ……若しかしたら、私以上に。


   ……。


   ……母は、知り合いが多いから。


   取り敢えず、穏便に済ませたい……。


   ……それは、大丈夫だと思う。


   然うだよね……ん?


   ……。


   早速、携帯が鳴ってるな……誰からだろう。


   ……見てみる?


   んー……帰ってからでも、良いかなぁ。
   メールかも知れないし……いや、この鳴り方は違うな。


   急ぎの用事かも知れないわ。


   だとすると、職場からかなぁ。


   確認だけでも、しておいた方が良いと思うの。


   ん、然うだね。


   ここはひとが多いから……向こうに。


   ね、折角だからあの店に入らない?


   ……お店に?


   確認が終わったら。
   なんだか、気になるんだ。


   じゃあ、確認が終わったら入りましょう。
   休むのにも、丁度良いし。


   うん、ありがとう。


   ううん。


   はいはい、ちょっと待っててねぇ。


   留守電の設定にはまだ、なってないのよね。


   残念ながら、なってないみたいだ。
   だけど、いきなり掛かってくるとは思わなかったから。


   メールに切り替えるつもりがないところを見ると、余程の用事なのかしら……直接、話したいほどに。


   職場だったら、メールよりも通話かな。
   話した方が、文字を打ち込んでやり取りをするよりも手っ取り早いし。


   まこちゃん、持つわ。


   ん、ありがとう。


   ん。


   はいはい、今確認するよ……って、誰。


   ……知らないひと?


   いや、なんとなく見覚えはあるんだけど……誰だっけな。


   ……見ても良い?


   うん、寧ろ見て……。


   ……。


   この番号……誰だか、分かる?


   ……この番号は。


   携帯は便利だけど……番号を憶える必要がないから、こういう時に困っちゃうな。


   ……美奈子ちゃんからだわ。


   美奈子ちゃん?


   然う、美奈子ちゃん。


   流石、亜美ちゃん。


   特徴的な番号だったから。


   ……言われてみれば、確かに。


   出る?


   今は……出なくても、良いかな。
   なんとなく、長くなりそうだし……。


   ……一応、出た方が。


   愚痴とかで長くなるようだったら、めんど……あ、いや、帰ってからの方が良さそうな気がするんだ。
   その方が、ゆっくりと話を聞けると思うし。


   ……何か、用があるのかも。


   その用が、めんど……面倒だったら、やっぱり後の方が。


   ……言い直さなかったわね。


   ん、今回はまたしつこいな……あー、はいはい、今出るよ。


   ……ふふ、やっぱり。


   と思ったら、切れた。


   ……今、折り返す?


   いや……帰ってからに。


   ……。


   亜美ちゃんの携帯……鳴ってるね。


   ……はぁ。


   見なくても、分かりそうだけど……一応、確認する?


   ……一応ね。


   出ても良いよ……。


   ……それは、確認してから。


   ……。


   ……うん、美奈子ちゃんからだわ。


   どうしたんだろう、美奈子ちゃん……こんなにしつこいなんて。


   ……留守電の設定には、してあるけれど。


   ここまでしつこいと、出た方が良いかも知れないな……。


   ……。


   良かったら、代わるから……。


   ……はい、もしもし。


   と……。


   美奈子ちゃん、どうしたの。ええ、今日はお休みだけれど……まこちゃんも、お休みよ。
   まこちゃんの携帯に繋がらない? あぁ、それはちょっと……まこちゃんの携帯、壊れてしまって。
   だから、メールの返事も出来ずにいたの……然う、今日新しい携帯を買いに行って。
   繋がったのは、新しい携帯で……出ようとしていたのだけれど、切れてしまって……え、まこちゃんに?


   代わるよ。


   ……良いの。


   うん、美奈子ちゃんはあたしに用があるみたいし。


   ……美奈子ちゃん、今、まこちゃんに代わるわ。


   少しの間、借りるね。


   ……うん。


   もしもし、美奈子ちゃん? 携帯? 然う、壊れちゃったんだ。
   それで今日、新しいのを買いに行って……出ようと思ったら、切れちゃったんだよ。
   え、面倒に思ったんだろうって? そんなこと、少ししか思わないよ。


   ……。


   だって、然うだろう? 折角、亜美ちゃんとデート中なのに。
   で、今日はどうしたんだい? また、失恋でも……え、心配した?
   誰を……あたしを? え、なんで……携帯が繋がらないから?


   ……。


   あー……そっか、それはごめんね。
   色々あって、新しい携帯を買うのが遅くなっちゃったんだ。
   確かに亜美ちゃんから知らせてもらえば良かったね、ごめんよ。


   ……。


   ……え。


   ……?


   どうして、知っているんだい……?


   ……知られていた?


   いや、それもごめん……無事だったのと、色々やることがあって。
   あと、知らせたら心配するかなって……心配ぐらいさせろって、いや、でもさ。美奈子ちゃんも、忙しいだろう?
   あー、ごめんって。そんなに……怒る? レイちゃんも? レイちゃんも知ってるんだ……そっか。


   ……。


   因みに、うさぎちゃんには……知らせていたら、あたし達の部屋に押し掛けていただろうって?
   うん……然うかも知れない。ありがとう、黙っていて呉れて……あぁ、分かった。色々済んだら、ケーキでも焼くからさ。
   その時は、好きなケーキを作るから……うん、ありがとう。


   ……。


   えと……心配して呉れてありがとう、美奈子ちゃん。うん、亜美ちゃんにも宜しく言っておくよ。
   そうそう、後で新しい携帯からメールをしてみるから。あぁ、レイちゃんにも。
   ん、それじゃあ……え、これから? 亜美ちゃんと素敵な店に寄ってから帰ろうと思ってる。
   いや、惚気って。美奈子ちゃんが聞いたんじゃないか……ん、じゃあ、亜美ちゃんに代わるよ。


   ……。


   ……亜美ちゃん、ありがとう。


   うん……もしもし?


   ……レイちゃん、怒ってるかな。


   ん、まこちゃんは本当に大丈夫……怪我も、擦り傷と痣くらいで済んで。
   大事にしていれば、ちゃんと治るわ……然う、壊れたのは携帯だけ。
   美奈子ちゃん……それを言うのなら、不幸中の幸いよ。


   ……。


   私の携帯に? あぁ、ごめんなさい……最近はあまり、見られていなかったの。
   言われてみれば、メールが来ていたかも……え、送った? ん……ごめんなさい、今度は忙しくてもちゃんと確認するから。
   うん……じゃあ、またね。


   ……。


   然うだ、美奈子ちゃん。最近は、暴飲暴食はしていない?
   健康診断はちゃんと受けて……え、結婚式? ええ……一応、考えているところ。
   楽しみに……ん、ありがとう。まこちゃんも喜ぶわ……うん、伝えておく。


   ……。


   ところで、美奈子ちゃん……ばーいって、美奈子ちゃん?


   ……。


   お酒、飲み過ぎてなければ良いけれど……。


   ……逃げた?


   今回も、逃げられた……電話だから、仕方ないけれど。


   ……美奈子ちゃん、怒ってたね。


   怒っていたけど……それ以上に、心配していたわ。


   ……結婚式、楽しみにしてるって?


   然うみたい……。


   ……嬉しいな。


   ……。


   美奈子ちゃんへのケーキ……何が良いだろう。


   ……お酒のケーキ、と、言いたいところだけど。


   今回は、止めておこうか……好きなケーキって、言っちゃったけど。


   ……出来れば。


   ……。


   ……まこちゃん。


   レイちゃんも、心配して呉れているみたいだ……。


   ……メール?


   うん……いつの間にか、届いてた。


   ……返信、しないと。


   ん、ちゃんとするよ……。


   ……。


   ……ともだちって、良いな。


   ……。


   ん……亜美ちゃん。


   ……レイちゃんにも、何か。


   ふふ、然うだね……あと、うさぎちゃんにも。


   ……うん。


   ……。


   ……。


   ……お店、入ろうか。


   うん……入りましょう。 


  8日





   ……ふぅ。


   寝られそう……?


   ん……大丈夫だと思う。


   ……右腕は。


   下には出来ないかな……流石に痛い。


   ……左腕は、大丈夫?


   痣くらいなら……まぁ、ぶつけなければ。


   然う……なら私は、今夜はソファで寝るわ。


   え、なんで……いつものように、一緒に寝て欲しいな。


   ……ひとりの方が、何かにぶつかることはないから。


   一緒に寝ていたって、亜美ちゃんとぶつかったことはないよ……だから、一緒に寝て欲しい。


   ……広い方が良いと思うの。


   広いと、心細くなるかも知れないから……特に、今夜は。


   ……。


   手の届く距離に居て欲しいんだ……。


   ……考えが変わったら、直ぐに言ってね。


   変わったらね……だけど、変わらないよ。


   ……。


   眠れなかったら、ぼんやりと横になっていようと思うんだ。


   ……疲れすぎていても、眠れないのよね。


   然うなんだよね……。


   ……話し相手が欲しかったら、声を掛けて。


   ありがとう……でも、あたしのことは気にしないで。


   ……無理よ。


   明日も、仕事なんだし……ね?


   ……眠れたとしても、浅い眠りを繰り返すことになるだけ。


   まぁ、それでも……一睡もしないよりは、良いよ。
   睡眠不足は、仕事の大敵だからさ……。


   ……分かってはいるの。


   うん……然うだよね。


   ……それでも、眠れない時は眠れないから。


   ん……。


   ……まこちゃんこそ、私のことは気にしないで。


   無理……かな。


   ……まこちゃんは今日、本当に大変な目に遭ったのだから。


   未だに、信じられないんだ……あたしが突き飛ばされて、交通事故に遭いかけたなんて。


   ……明日。


   亜美ちゃんの病院に、必ず行くよ……。


   ……ええ、待っているわ。


   うん……待っていて。


   ……本当なら、一緒に。


   いっそのこと、一緒に行こうかな……。


   ……それでも、良いけれど。


   診療開始時間は9時からだけど、受付は8時からして呉れるんだろう?
   早めに行った方が早めに診てもらえると思うからさ、待合室でぼんやりと待っているよ。


   ……分かった、なら一緒に。


   うん……。


   ……明日は、タクシーで行きましょう。


   え。


   ……決まっているでしょう?


   決まっているんだ……。


   勿論……そんな躰のまこちゃんを、満員の電車になんて乗せられないもの。


   ……ひとりだったら、確実に電車で行ってた。


   時間が遅ければ、そこまでは混まないけれど……大事を取った方が良いわ。


   ……うん、分かった。


   電気、消すわね……。


   ん……お願い。


   ……。


   ……明日になって、躰が痛くなったりするからな。


   ならないとは、言えない……。


   ……打撲は、してないみたいなんだ。


   然うみたいね……でも、痛みは遅れて出ることもあるから。


   ……やだな、躰が痛いの。


   若しも、痛みが出たら……暫くの間、続くと思うわ。


   ……鬱陶しいんだ、躰が痛いと。


   痛みを鬱陶しいと言うひとは、なかなか居ない……。


   ……何をしても、痛むだろう?


   それは、然う……。


   ……それで、変な声まで出ちゃったりさ。


   日常の動作では、決して出ないような声ね……。


   そうそう……あれ、面白いよね。


   あの声を面白いと思えるのは……ジュピターぐらいよ。


   ……。


   ふふ……。


   ……痛くならなきゃ良いなぁ。


   私も……それを、願っているわ。


   ……うん。


   ……。


   ……少しずつ、思い出してきているんだ。


   然う……だけど、あまり考えない方が良い。


   ……余計に眠れなくなっちゃうよね。


   ええ……。


   ……。


   ……。


   ……ごめんね。


   何が……?


   ……結局、話し掛けちゃってる。


   私は、構わない……幾らでも、聞くわ。


   ……でも、眠らないと。


   あなたが、眠れたら……私も、少しは眠れると思う。


   それは……責任重大だなぁ。


   ……責任なんて、感じる必要はないわ。


   亜美ちゃん……。


   ……今は少しでも、躰と心を。


   ……。


   ん……まこちゃん。


   ……ぎりぎり、だったんだ。


   ……。


   強く突き飛ばされて、道路に転がって……何が起こったのか理解出来ないまま、ヘッドライトが目に飛び込んできて。
   咄嗟に、ジュピターの力を解放して……前輪をバーストさせて、横に弾き飛ばした。一瞬のことだったろうから、周りは分からなかったと思う。


   ……あなたがそんな力を持っているとは、誰も思わない。


   ん、然うだよね……たまたま前輪がバーストして、あたしの目の前で横転しただけだよね。


   ええ……然うよ。


   ……だけど、携帯は轢かれちゃった。


   まこちゃんは軽症で……犠牲になったのは、携帯だけ。
   携帯はまだ、替えが利くから……幸いだったと思う。


   ……今思ったんだけど、車の運転手さんはどうなったんだろう。


   まこちゃんと同じ病院に搬送されたみたいだけれど……大事には至らなかったみたい。


   ……聞いたの?


   たまたま、聞こえたの……打撲と頸椎捻挫で済んだと。


   打撲と、頸椎……。


   ……むち打ち。


   むち打ち……命には、係わらないよね。


   ……ええ、係わらないわ。


   然うか……良かった。


   ……。


   対向車が、来なくて……本当に。


   ……まこちゃん。


   来ていたら……大惨事になっていただろうから。


   ……あなたは、被害者なの。


   然うだけど……車の運転手さんは。


   ……違うわ。


   ん……。


   ……深く、考えないで。


   ……。


   今は、自分が無事だったこと……それだけで、良いの。


   ……ん、分かった。


   ……。


   ねぇ、亜美ちゃん……対向車は、本当に来なかったのかな。
   それに、後続車も……続いて来ても、おかしくはないのに。


   ……まこちゃん。


   ごめん、言ったそばから……だけど、気になっちゃって。


   ……。


   あの道は……どちらも常に、車が走っているからさ。
   途切れるとしたら、信号が赤に……あぁ、然うか。


   ……若しかしたら、信号の変わり目だったのかも知れない。


   変わり目……そっか、それなら。


   ……対向車も後続車も、停止する。


   不幸中の幸い、だ……。


   ……でも。


   ……?


   ……変わり目ならば、無理はせずに停止して欲しかった。


   え、と……。


   ……黄色信号は本来、停止位置で停止出来る場合は止まらなければならない。


   だけど……安全に停止出来たら、だろう?


   ……出来たとしても、止まらない者が大半だわ。


   それは……然うだけど。


   ……言っても、仕方ないわよね。


   ドライバーが全員、交通ルールをきちんと守ってさえいれば事故は起こらない……守っていないから、事故は起こる。


   ……。


   ……教習所の教官が言ってたんだ。


   守っていても、起こる事故はあるけれど……守っていることで、起こらない事故もある。


   ……あたしの目の前で転がった車の運転手さんは、罪に問われる?


   人身事故ではなく、物損事故だから……罰金や加点の対象にはならないし、罪に問われることもないと思うわ。


   ……そっか。


   携帯と自動車は壊れてしまったけれど、人間は怪我だけで済んだ……結果だけ見れば、良かったと言える。


   ……うん。


   けれど……加害者は、罪に問われる。


   ……なんの。


   突き飛ばしたのなら……傷害罪。


   ……殴ったわけではないのに?


   突き飛ばすことも、含まれるの……突き飛ばし行為も、暴力のひとつだから。


   ……若しも、あたしが。


   ……。


   ごめん……なんでもない。


   ……被害者を死に至らしめたら傷害致死、より重い罪状になるわ。


   ……。


   もう、良い……?


   ……うん、ありがとう。


   一度、思い出したら……思い出さないのは、難しいと思うけど。


   ……成る可く、考えないようにする。


   ……。


   ……ねぇ、亜美ちゃん。


   なぁに……。


   眠れなかったら、亜美ちゃんにちょっとだけ触れるかも知れない……良いかな。


   ……構わないわ。


   ん、ありがとう……。


   ……どういたしまして。


   ……。


   痛む……?


   うん……地味にね。


   ……。


   ん……なに。


   ……熱を持っているかどうか。


   熱も、場合によっては出るんだっけ……。


   ……熱くない?


   今のところは、平気だよ……。


   ……熱かったら、言ってね。


   直ぐに、言う……。


   ……。


   ……ごめんね、お風呂に入ってないのに。


   気にならないわ……。


   ……少しだけ、だから。


   眠れるまででも、良い……。


   ……本当?


   かえって、眠れないかも知れないけど……。


   えと……それは、どういう意味で?


   ずっと同じ体勢でいるのは、きついでしょう……?


   あぁ……然ういう意味か。


   ……。


   ……亜美ちゃん。


   結婚式の話を、しましょうか……。


   ……結婚式の?


   そんな気分にはなれない……?


   ううん……なれる。


   ……まずは、ドレスのこと。


   ドレスは……実際に見てみると、余計に悩んじゃうよね。
   考えていた以上に、色々なデザインのドレスがあってさ……。


   私には、どれが良いのかいまいち分からないままなのだけれど……。


   亜美ちゃんに似合うドレスは、いっぱいある……改めて、然う思ったんだ。


   ……まこちゃんは然う言って呉れるけれど、やっぱり良く分からないの。


   ふふ、そっか……。


   だから……私のドレスは、まこちゃんが選んで欲しい。


   あたしが選ぶにしても、亜美ちゃんの好みが最も大事だ……。


   好み……あまり肌を、特に背中を出さないものが良いわ。


   背中……肩は?


   ……出来れば、肩も。


   肩が薄く見えるだけでも、嫌かい?


   薄く……?


   然う、薄く……例えば、袖がレースになっているものとか。


   それなら……デザインによっては、大丈夫かも知れないわ。


   でね、お花の模様をあしらったレースなんてどうかな……?


   お花なんて……そんな可愛らしいもの、私に。


   とっても、似合うと思うんだ……。


   ……お花なら、まこちゃんの方が。


   お揃いにしよう。


   ……お揃い?


   然う、お揃い……それなら、どうかな。


   ……お花の種類は。


   何が良いだろう……亜美ちゃんは大きな花と小さな花、どっちが良い?


   私は……どちらでも。


   なら……実物を幾つか見て、考えてみよう。


   ……同じお花にするの?


   ううん、お花は違うものが良いと思う……。


   ……。


   その方が、彩りが豊かで良いと思うんだ……。


   ……。


   花言葉で選べたら、もっと良いけど……そこまで細かくは選べないかな。


   ……自分で作ってみたら、どうなのかしら。


   自分で……?


   ……まこちゃんなら、作れそうだし。


   ……。


   だからって、作ってと言っているわけではないから……。


   ……ウェディングベールなら。


   え……?


   若しかしたら、作れるかも知れない……手作り出来ると、雑誌かなんかで見たことがあるような気がする。


   ……。


   問題があるとしたら、作る時間かなぁ……どれくらいで作れるものなんだろう、ちょっと調べてみようかな。


   あの……まこちゃん。


   ……ん?


   ごめんなさい……無理を言って。


   いや、別に無理じゃないけど……あまりにも時間が掛かりそうだったら、諦めると思うし。


   ……。


   亜美ちゃんのウェディングベール……作れそうだったら、作ってみようと思う。
   あ、でも、気に入らなかったら、しなくて良いからね……。


   ……気に入らないわけ、ない。


   ん……なに?


   ……まこちゃんが作って呉れるものだもの。


   失敗しちゃうかも知れないし……。


   ……失敗したとしても、構わない。


   間に合わないかも知れない……。


   ……その時は、既製品を使うから。


   ……。


   ……私は、作れないのに。


   作れたら、自分のも作ろうかな……で、ちょっとしたお揃いにする。
   うん、それはそれで楽しそうだ……なんで思い付かなかったんだろう。


   ……まこちゃんは。


   ね、楽しそうだと思わない……?


   ……うん、楽しそう。


   ふふ……だろう?


   ……私に、出来ることがあったら。


   材料を一緒に見に行こう。
   亜美ちゃんの好みも聞きたいし。


   ……。


   良いかい?


   ……うん、一緒に行くわ。


   じゃあ、約束。


   ……ん、約束。


   ふふ……楽しみ。


   ……。


   ……つ。


   大丈夫……?


   ……笑ったら、蟀谷に地味に響いた。


   顔の筋肉が動いたから……。


   ……。


   ……まこちゃん?


   ねぇ、亜美ちゃん……今、ふと思ったんだけどさ。


   どうしたの……?


   ……蟀谷の傷、残るかな。


   ……。


   擦り傷と言っても、残る時は残るだろう……?


   ……傷にも、よるわ。


   この傷は……残ると思う?


   ……縫合するほどの深い傷ではないから、残ってしまう可能性は高くない。


   高くない……でも、低くもない。


   ……ごめんなさい、絶対に大丈夫だとは言えない。


   ん、そっか……でも、それで良いよ。


   ……。


   あたしもさ、背中を見せるようなドレスは無理だなって思っていたんだ……。


   ……まこちゃんも。


   傷痕が、あって……亜美ちゃん以外には、見せたくない。


   ……。


   今更なのにさ……難しいね、感情って。


   ……私とは違って、まこちゃんは着てみたいのでしょう。


   着てみたいけど……見せたくないんだ。


   ……。


   ……他にも、素敵なドレスはいっぱいあるし。


   私と、ふたりだけなら……。


   ……。


   それなら……着られる?


   ……だけど。


   方法を、考えてみる……。


   ……。


   ……何も思い付かなかったら、ごめんなさい。


   構わない……考えて呉れるのが、嬉しい。


   ……ん。


   蟀谷の傷、残らないと良いな……。


   ……毎日の処置は、私に任せて。


   ふふ……うん、頼りにしてる。


   ……うん。


  7日





   ただいまー……。


   ……お帰りなさい、まこちゃん。


   うん、ただいま……亜美ちゃんも、お帰り。


   うん……ただいま。


   はぁ……やっと、いこいの我が家だぁ。


   ……寒い?


   ちょっと、ひんやりするかな……外よりは、良いけど。


   ……暖房、つけていけば良かったわ。


   大丈夫、今からつけてもあったかくなるさ……。


   ……。


   ねぇ、亜美ちゃん……。


   ……なに?


   仕事から帰ってきて、暖房つけた……?


   ……ううん、つけてない。


   そっか……。


   ……そこまで、考えられなくて。


   躰、冷えてしまったろう……ごめんね。


   ……まこちゃんは悪くないわ、私が気が付かなかっただけ。


   暖房をつけて、ふたりで暖まろう……。


   ……ん。


   よ、と……うん、これで良し。


   ……鞄は、ここに置いておくわね。


   ん、ありがとう……。


   ……どういたしまして。


   さて、着替えようかな……。


   ……ひとりで、着替えられる?


   ん、大丈夫……痛みは、大したことないから。


   痛みは、大したことなくても。


   我慢、出来ないほどではないからさ……。


   ……。


   それにしても、コートを着ていたのに怪我をするだなんて……あたし、どんな転がり方をしたんだろうね。


   ……コートを着ていたから、それくらいで済んだとも考えられるわ。


   あぁ、そっか……着ていなかったら、もっと酷いことになっていたのかも知れないんだ。


   ……受け身の体勢も、咄嗟に取れたのだと思う。


   結構、反応するものなんだね……ここ何年かは、戦っていないのに。


   ……染み付いているのだと思うわ。


   あっさり抜けるものではないか……まぁ、それで助かったんだから、良いんだけど。


   ……然うね。


   ……。


   まこちゃん、触っては駄目。


   ……いつ。


   大丈夫……?


   ……ん、平気。


   無闇に、触っては駄目よ……。


   ……うっかり、してたよ。


   うっかりって……若しかして、忘れていたの?


   ……はは。


   痛みがないわけではないのでしょう……?


   ……ん、そこそこ痛い。


   それなのに……。


   ……あの頃の感覚が、戻ってきたのかも知れない。


   だからって……うっかり忘れて、触ったりなんてしなかったわ。


   ん、然うだっけ……。


   ……たまに、していたけど。


   そのたまにが出ちゃった……。


   ……気を付けてね。


   ん、気を付ける……早く、治したいし。


   ……。


   ……このコートは捨てないと駄目かな、良く見なくても傷んでいるし。


   気に入っていたのよね……。


   ……だけど仕方ない、諦めるよ。


   新しいコートを……。


   買いに行く時は、一緒に来て呉れる?


   ……うん、行くわ。


   へへ、やった。


   ……。


   お……少し、あったかくなってきたかな。


   ……ん、帰って来た時よりは。


   良し、さっさと着替えてしまおう……。


   ……お風呂は、今夜は止めておいた方が良いわね。


   お風呂……?


   疲れていると思うし……何より、怪我をしているから。


   お風呂、か……どうしようかな。


   ……無理はしない方が良いわ。


   入りたい気持ちはあるんだ……あったまった方が、眠れると思うし。
   けど、傷に響くかな……擦り傷って、地味に染みるんだよね。


   ……傷口は、手当てされているのよね。


   うん、看護婦……今は、看護士さんだっけ。


   ……うん。


   看護士さんに、してもらったんだ……擦り傷だけど、血はしっかりと出ていたみたいでさ。
   と言っても、大したことはないんだけど……直ぐに、止まったみたいだし。


   若しも、入るのならば……湯船に浸かるのではなく、シャワーぐらいにしておいた方が良い。
   それか今夜は止めておいて、明日、病院に行く前に入っても良いと思う。


   あぁ、それでも良いかなぁ……。


   ……お風呂は、体力を消耗させるから。


   ……。


   まこちゃん……?


   ……ねぇ、亜美ちゃん。


   なぁに……?


   後でで、良いからさ……蟀谷と右腕の傷、診てもらっても良いかな。


   あぁ……それは、勿論。


   ……お願いしなくても、診て呉れるつもりだった?


   うん、そのつもりだったわ……。


   へへ……そっか。


   ……良かったら、今、診てしまいましょうか。


   今……?


   ……然うすれば、着替えと一緒に済ますことが出来るでしょう?


   確かに……じゃあ、お願しても良い?


   ……ええ。


   じゃあ、脱ぐね……。


   ……ゆっくりで、良いから。


   ん……。


   ……。


   よいしょ、と……。


   ……痛くない?


   我慢、出来ないほどじゃない……。


   ……。


   うわぁ……こんなことになってたんだ。


   ……二の腕と、肘、それから手首。


   これは……痛いよね。


   もう……どこまでも、他人事みたいに。


   や、こんな怪我をしたのは久しぶりだから……。


   ……。


   ……あ。


   どうしたの……?


   ……血。


   ……。


   ……結構、付いちゃってるかな。


   洗濯しても、落ちないかも知れないわ……。


   となると、この服も捨てないと駄目かな……流石に、血染めの服は着られないや。


   ……アスファルトが荒れていたのか、服との摩擦がそれだけ大きかったのか。


   服との摩擦……摩擦でも、傷では出来るんだっけ。


   ……ええ、出来るわ。


   ……。


   ……ん、なに。


   いや、簡潔だな……って。


   ……詳しく聞きたい?


   ん……今は、良いかも。


   ……それよりも。


   ん……くすぐったい。


   ……やっぱり、痣も出来ているわ。


   痣……?


   ……右だけじゃない、左にも。


   あぁ、だからか……。


   ……だから?


   左も、なんだか地味に痛むなって……。


   ……出来れば、早く言って欲しかった。


   ん、ごめん……。


   ……痣だから、処置はしないでしょうけど。


   亜美ちゃん……?


   ……。


   お、怒ってる……?


   ……看護士に、詳しく聞かなかった自分に。


   え、えぇ……。


   ……はぁ、全く。


   あの、怒らないで欲しいな……。


   ……分かった、もう怒らない。


   はぁ……良かった。


   ……まぁ、擦過傷の処置は悪くないわ。


   そ、然うかい……?


   ……でも。


   そ、然ういえばさ……。


   ……なに。


   亜美ちゃんの言う通り、タクシーで帰ってきて良かったよ……。


   あぁ……でしょう?


   あったかいし、家の前まで連れてきてもらえるし、雨にもあまり当たらずに済んだし……。


   ……寝てしまっても、タクシーなら乗り過ごすこともないしね。


   それは、とても大きい……気付いたら終点なんて、洒落にならないからさ。


   ……終電だった場合、結局はタクシーを使うことになるの。


   だったら、最初からタクシーの方が良い……もうさ、とても快適だったんだ。


   然う……それは、良かった。


   ドライバーさん、女性だったね……。


   ……物静かなひとで、良かったわ。


   あー……たまに、やたらと声を掛けてくるひとが居るよね。


   流石に今日はね……相手をする気には、なれないから。


   あたしも、なれないや……寧ろ、うるさいと感じてしまうかも知れない。


   まぁ、言えば静かにして呉れると思うのだけれど……中には、悪態を吐くひとも居るから。


   ……居るの?


   女ひとりで良いご身分だとか、気取ってるとか、大した女じゃないくせにとか、どうせ男に出してもらってるんだろとか。


   なんだそれ……失礼にもほどがあり過ぎて、腹立つな。


   大体が中高年の男性ドライバーなのだけれど……多分、然うやって男としての優位性を示しているだけだと思うの。
   中には、女性は男の自分よりも弱い生物だから、何を言っても反論してこないと思い込んでいるひとすら居る。
   つまり、男尊女卑の塊で、完全に見下しているのよね。


   どう考えても、お客さんにして良い態度じゃない。
   亜美ちゃん、今度言われたらあたしに言って。雑巾にはしないけど、一言言ってやるから。


   ありがとう……でも、心配しないで。


   若しかして、もう言ってる……?


   ……名前と車番は控えさせて頂いたので、後日、営業所の方に連絡させてもらいますね、と言えば、大体は黙って呉れるわ。


   大体ってことは……黙らない奴も、居るの?


   ええ、居るわ……だからね、その場合は連絡するの。
   それで接客態度が改まるとは思っていないけれど……何もしないよりは、良いから。


   うん、良いと思う。


   ……まぁ、電話先で小うるさい女だと莫迦にされているかも知れないけれど。


   若しも、然うだったら……かなり、ふざけているな。


   仕方ないわ……然うしなければ自分の自尊心を保てないのだろうから。


   そんなちっちゃい自尊心……そこら辺のどぶに投げ捨ててやれば良い。


   駄目よ……どぶが穢れてしまうから。


   ……お。


   酷くこびりついてしまいそうで、掃除するひとが大変でしょう?
   町内会の掃除となると、まだまだ、女性が担うことが多いのだから、余計な仕事は増やすべきではないわ。
   だからって、海や川に投げ捨てれば良いというわけでもない。水質汚染に繋がれば、そこで生きている生き物達が迷惑をこうむることになるから。
   それで資源に影響が出たら、食糧事情にも差支えが出てきてしまうし。だからやっぱり、ひとりで抱えてもらうしかないの。
   最終的に、それが原因でひとりぼっちになってしまったとしても。全ては因果応報、自業自得だから。


   ……。


   ん……なに?


   いや……亜美ちゃん、言うなぁって。


   ええ、だってとても不愉快だったんだもの。


   ……大変だったね。


   慣れているわ……職場で。


   ……職場。


   小さいひとって、何処にでも居るのよ……男女問わず、ね。


   ……うん、分かる。


   その対処をする為に、より良い方法を磨いていくの。


   ……強い。


   まこちゃんが傍に居て呉れるから。


   ……あたし?


   だから、私は……理不尽な社会とも、日々、戦えるの。


   ……。


   でも、ずっとは無理だから……。


   ……美味しいごはんと温かいベッド、それからほかほかなお風呂を用意して、待っているよ。


   ……。


   どんなに遅くなったとしても……あたしはちゃんと、亜美ちゃんのところに帰ってくる。


   ……ねぇ。


   なんだい……。


   ……抱き締めて。


   あたしも、抱き締めたい……。


   でも……今で、なくても。


   今が、良い……。


   ……あ。


   亜美ちゃん……。


   ……まこちゃん。


   安心する……?


   ……消毒の臭いがする。


   ん……。


   ……だけど、安心する。


   良かった……。


   ……まこちゃんは?


   すごく、安心する……。


   ……。


   ……帰ってこられて、心の底から良かった。


   ねぇ、まこちゃん……。


   ……なぁに、亜美ちゃん。


   下も、診せて……。


   ……下?


   上半身は傷を負って、下半身は無傷だなんて……どうしても、思えない。


   あ、あぁ……。


   ……軽く擦り剥いているかも知れないし、痣も出来ているかも知れない。


   分かった……今、脱ぐよ。


   ……あとね。


   あ、あと……?


   ……お腹、空いてない?


   お腹……?


   夕ごはん、食べていないでしょう……?


   ……あ、然ういえば。


   何か、買ってこられれば良かったのだけれど……。


   着替えたら、何か作るよ……ごはんは、確か残っていたよね。


   ね……お茶漬けにしない?


   ……お茶漬け?


   それだけでは、足りないかしら……。


   んー……足りるかも。


   ……それか、おうどんにする?


   うどん……うどんも手軽で良いなぁ。


   ……私、作るわ。


   亜美ちゃんが……?


   ……今夜は、どうしても作りたいの。


   じゃあ……お願いしても、良い?


   ……ん、して。


   ありがとう……。


   ……どちらが良い?


   お茶漬けも、良いけど……亜美ちゃんが食べたい方で。


   どちらでも良いの……?


   ん……どっちでも良い。


   ……若しかして、食欲があまりない?


   ううん、そんなことはないよ……ちゃんと、空腹も感じているし。
   ただちょっと、疲れちゃったみたいで……軽いものが、良いかなぁって。


   ……。


   うどんだったら……卵入りが良いな。


   ……雑炊も良いかも知れない。


   雑炊……あぁ、良いねぇ。
   ふふ、どれもお腹に優しくて躰が温まるものばかりだ……。


   ……。


   ん……亜美ちゃん。


   ……着替えたら、休んでいて。


   あたしも、何かしたいな……お茶を淹れたり。


   ……疲れているだろうから。


   軽く動いていた方が……じっとしているよりも、良いような気がするんだ。


   ……。


   なんか……その瞬間を、思い出してしまいそうで。


   まこちゃん……。


   ……あたし、ジュピターで良かったよ。


   ……。


   じゃなきゃ……今頃、車に。


   ……言わないで。


   ん……。


   ……色々、考えたの。


   ……。


   その中には、最悪なことも……。


   ……ごめん。


   どうして、そんなことを考えてしまったのかしら……。


   ……どうしてだろう。


   ……。


   色々、あったからかも知れない……。


   ……。


   ……亜美ちゃん。


   早く、済ませないと……幾ら、部屋が暖まってきたからって。


   ……。


   まこちゃん……。


   ……亜美ちゃんが、欲しい。


   ……。


   ……いきなり、ごめん。


   今夜は……休んだ方が良い。


   だめ、かい……。


   ……だめ。


   ん……そっ、か。


   ……。


   ……取り敢えず、上は着ても良いかな。


   ん……良いわ。 


  6日





   ……亜美ちゃん。


   まこちゃん……。


   えと……来て呉れて、ありがとう。


   当たり前でしょう……。


   その……心配させて、ごめんよ。


   ……その話は、また後で。


   ん……。


   私は木野さんの同居人で、水野と申します。はい、木野さんを迎えに来ました。もう、治療は終わっているのですか。
   怪我の程度は……掠り傷程度、ですか。患部は……主に、右蟀谷と右の二の腕から手首に掛けてですね。
   それで、どんな診察を……最低限、レントゲンと、特に頭部に関してはMRIは撮ったのですよね。それで、異常は見られなかったと。
   先生に、写真を見せて頂くことは……難しいですか、分かりました。帰る時は夜間窓口に声を掛けていけば良いのですね。清算もそこで。
   はい、落ち着き次第帰ります。お世話になりました。


   ……。


   明日、ですか……。


   ……明日。


   まこちゃん……明日、この病院に。


   ……出来れば、亜美ちゃんが良い。


   まことに申し訳ありません、本人が別の病院を望んでいますのでそちらに……勿論、必ず連れて行きます。
   明日になって、異常が見られるようになるかも知れませんので……きっちりと、検査を受けてもらいます。


   ……。


   まこちゃん。


   ……ん。


   家に帰れるけど……もう少し、休んでいく?


   いや、大丈夫……帰れるよ。


   ……若しも、どこか。


   もう、平気だよ……なんともない。


   ……。


   えと……すみません、お世話になりました。
   家族……迎えが来て呉れたので、家に帰ります……はい、ありがとうございました。


   ……。


   行こうか、亜美ちゃん……。


   ……ええ。


   然うだ、鞄……。


   私が持つわ。


   ううん、自分で……。


   お願い、私に持たせて。


   亜美ちゃん……うん、分かった。


   それでは、失礼します。


   ……。


   まこちゃん、こっちよ。


   ……え、でも。


   夜間の出口は違うの。


   あ、然うなんだ……。


   ……。


   ん、亜美ちゃん……。


   ……タクシーで帰りましょう。


   タクシー……でも、終電はまだ。


   ……今、雨が降っているの。


   雨……今日は、晴れていたのに。


   ……夜に雨が降ると。


   ん、然うだったっけ……あ、傘がない。
   しまった、店に置いてきちゃった……。


   ……だから、タクシーで帰りましょう。


   然ういえば、亜美ちゃんは何で来たんだい……?


   ……タクシーで。


   そっか……今頃の雨は、冷たいもんな。
   濡れて、風邪でもひいてしまったら大変だ……。


   ……雨も、だけれど。


   うん……。


   ……今のまこちゃんには、タクシーの方が良いと思うの。


   タクシーの方が、良いかなぁ……一応、歩けるけど。


   ……お金のことなら、心配しないで。


   ……。


   ……少し、心配しているでしょう?


   ん……少し。


   ……家まで、そんなに遠くはないから。


   あー……。


   ……現場は、あなたの職場の近くだったの。


   店の……あぁ、そっか。
   あたしは、信号待ちをしていて……。


   ……。


   ごめん、亜美ちゃん……あたし、まだぼんやりしているみたいだ。


   ……やっぱり、少し休んでいく?


   ううん……早く、家に帰りたい。
   ここは、心がぞわぞわして、落ち着かない。


   ……夜の病院は、苦手だものね。


   然うなんだ……。


   ……。


   我儘を言って、ごめんね……。


   ……我儘なんかではないわ。


   タクシー……捕まるかな。


   ……雨だから、少し待つことになるかも知れない。


   それは、別に良いよ……。


   ……結果的に、休むことになってしまって。


   ふふ、然うだねぇ……だけど、タクシーが来れば帰れるから。
   ただ、休んでいるよりは……ずぅっと、良いよ。


   ……待たせておけば良かった。


   ん……?


   ……乗ってきた、タクシーを。


   だけど、直ぐに帰れるかどうか分からなかったんだろう……?


   ……それでも。


   下りる時に、思わずお金を払ってしまったんじゃない……?


   ……それは然うよ。


   然う……?


   ……でないと、乗り逃げされるかも知れない。


   亜美ちゃんは、しないけど……。


   ……ドライバーは、然うは思わないわ。


   あー……ドライバーさんは亜美ちゃんのこと、知らないもんな。


   ……支払い時に、一言言っておけば。


   ね、おつりは要らないって言った……?


   ……おつりどころでは、なかったから。


   ふふ、そっか……。


   ……落ち着いているつもりだったんだけど、やっぱり気が動転していたんだわ。


   亜美ちゃんでも、気が動転すること……。


   ……あるに決まっている。


   ん、然うだよね……ごめん。


   ……良いの、あなたが無事だったのだから。


   ……。


   まこちゃんが悪いわけじゃないもの……。


   ……ねぇ、亜美ちゃん。


   ……。


   心配、させて……。


   ……。


   亜美ちゃん……。


   ……タクシーを呼ぶから。


   あ、うん、お願いします……。


   ……。


   ……ふぅ。


   もしもし、タクシーをお願いしたいのですが……はい、場所は。


   ……。


   いつ頃、来てもらえるのでしょうか……然うですか、分かりました。
   はい、入口付近で待っています……宜しくお願いします。


   ……。


   ……。


   どう、だった……?


   ……全台、出払っていると。


   ん、やっぱり然うだよね……。


   ……だけど、30分くらいで来られるみたい。


   お、意外に早いね……。


   ……座って、待っていましょう。


   うん……。


   ……。


   こんなことに、なるなんて……全然、考えてなかったよ。


   ……誰も、考えていないと思う。


   なんかね、記憶が曖昧なんだ……周りが、何か大騒ぎしていたのは憶えているんだけど。


   ……恐らく、何が起こったのか分からなかったのだと思う。


   然う、然うなんだ……気付いたら、道路に転がっていて。


   ……道路の、どの辺りに。


   どこだったかな……取り敢えず、隅っこだったと思うんだけど。


   ……家に。


   ん……?


   ……家に帰ったら、あなたが居なくて。


   うん……。


   今朝は、今日は遅くなるとは言っていなかったし……予定が変わって遅くなるのなら、連絡を呉れる筈。
   だって、いつも然うしていたから……まこちゃんが、連絡を呉れないわけがないって。


   ……必ず知らせるよ、だって知らせなかったら心配すると思うから。


   若しかしたら、急ぎの仕事で手が離せないのかも知れない……然う思って、暫く待っていたの。
   だけど、携帯は反応しなくて……家の電話も、鳴らない。念の為、部屋の中を見回してみたけど、帰ってきた形跡はなくて。


   ……。


   私が帰る前に鳴っていたのかも知れないけど……でも、家の電話には履歴が残らないから。
   今日に限って、留守電が解除されていて……若しも、解除していなかったら、メッセージが残されていたかも知れないのに。


   ……。


   あなたが帰っていないことに、妙な胸騒ぎを感じたの……いつもは、そんなことないのに。
   若しも……若しも、まこちゃんが……そんなわけない、まこちゃんは必ず帰ってくる。帰ってこないなんて……有り得ない。
   だから、何かあったのかも……でも、何かって?


   ……。


   メールを送って……返事を待たずに、電話を掛けて。
   だけど、無機質な音声が流れるだけで、まこちゃんには繋がらなくて……メールの返事も、当然来ない。


   ……。


   ……ねぇ、まこちゃん。


   なんだい……。


   ……本当に、無事なのよね。


   うん、無事だよ……。


   ……擦り傷程度、なのよね。


   うん、少し擦り傷がある程度で、どこも問題ないって……。


   ……然う。


   頑丈で、良かったなぁ……なんて。


   ……。


   あ、えと……。


   ……本当に、良かった。


   う、うん……。


   ……。


   あの、連絡出来なくてごめんね……携帯が、壊れちゃって。


   ……壊れなくても、連絡どころじゃなかったでしょうから。


   然う、なんだけど……。


   ……酷く、不安になったの。


   ……。


   電話を掛けたら……電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないから掛からないって。


   ……う、ん。


   大人なのだから、大丈夫……だけど、若しも何かあったのなら。
   どうするべきか、考えていたら……知らない番号から掛かってきたの。
   どうしてこんな時にって、思ったわ……私が待っているのは、まこちゃんからの連絡なのに。


   ……それは、思うよね。


   然うしたら……あなたからで。


   ……携帯が壊れちゃったから、病院の公衆電話で。


   私の番号、ちゃんと憶えていて呉れたのね……。


   それは……勿論だよ。
   だけど……暫くの間、思い出せなくて。


   ……。


   警察と救急のひとが、電話を掛けて呉れようとしたみたいなんだけど……あたしが思い出せないから、掛けられなかったんだ。


   ……携帯は、どうして。


   落とした時に、車に轢かれちゃって……まんまと、ぺしゃんこになっちゃった。


   ……自動車に轢かれたら、一溜まりもないわ。


   然うだよね……。


   ……轢かれたのが、携帯だけで。


   一応、残骸を返してもらったけど……見てみる?


   ……家に帰ってから。


   ぺしゃんこになったから、中のものは消えちゃったかな……亜美ちゃんと撮った写真も入っていたのに。


   ……難しいと思う。


   亜美ちゃんでも……。


   ……。


   そっか……。


   ……新しい携帯、買いに行かないとね。


   買うの、早い方が良いかな……。


   出来れば……でないと、連絡がつかないから。


   分かった……じゃあ、次の休みに。


   ……代替機が借りられれば良いのだけれど、こういう場合はどうなのかしら。


   単純な修理なら、若しかしたら借りられるかも知れないけど……一応、聞いてみようかな。


   ……然うね。


   やっているお店、ないかなぁ。


   ……今日はもう、閉まっているわ。


   流石に、この時間じゃやってないか……。


   ……。


   ……。


   ……まこちゃん。


   ん……。


   今回のこと、警察には……。


   ……うん、被害届を出すかどうか聞かれたよ。


   勿論、出すのでしょう……?


   ……どうしようかなぁって。


   どうして、悩むの……。


   ……。


   だって、まこちゃんは……。


   ……突き飛ばされたような気がする。


   確かに、然う聞いたわ……。


   ……。


   ねぇ、誰かに突き飛ばされたのでしょう……?


   ……記憶が曖昧なんだ。


   曖昧……。


   ……突き飛ばされたのかも知れないし、ぶつかっただけなのかも知れない。


   ぶつかったのは、わざとかも知れないわ……。


   ……出したところで、捕まらないと思うし。


   然ういう問題ではないの……。


   ……出した方が、良いかなぁ。


   出すべきよ……まこちゃんは、被害者なんだもの。


   ……然うなんだけど。


   まさか、面倒なんて言わないでね……私も、付いていくから。


   ……面倒と言うより、あたしは無事だから良いかなぁって。


   まこちゃん……。


   ……はは。


   笑いごとでは、ないわ。


   ……亜美ちゃん。


   ごめんなさい……でも、全然、笑えないの。


   ……。


   ん……まこちゃん。


   あぁ、そっか……。


   ……なに。


   亜美ちゃんは、被害者の恋人になるんだね……。


   ……。


   だから……亜美ちゃんとしては、被害届を出すべきだと考える。


   ……恋人でなくても。


   んー……。


   ……どうしても、出したくないの。


   いや、出そうかな……うん、出すよ。


   ……仮令、捕まらなくても。


   わざとじゃないかも知れないって、思ったんだ……。


   仮令、不注意でぶつかっただけだとしても……過失を問われる可能性はあるわ。


   過失……。


   ……それに、それらしきひとは居なかったのでしょう。


   それらしきひと……?


   ……まこちゃんを突き飛ばした、或いは、ぶつかったと思われるひと。


   どうだろう……でも、警察のひとが言ってなかったから、然うなのか。


   ……逃げてしまったのかも知れない。


   それは……駄目だね。


   ……他人事のように。


   未だに、現実感がなくて……。


   ……その擦り傷が。


   蹴躓いて、転んだのかなぁ……とか。


   ……目撃者が居るかも知れない。


   目撃者……?


   ……現場検証に呼ばれる可能性だってあるわ。


   現場検証……。


   若しも、犯人が居た場合……本人に聞かなければ、本当のことは分からないままよ。


   ……。


   ……まこちゃん。


   いつものあたしだったら、こんなことにはならなかったのになぁ……。


   ……疲れていたの。


   ううん……ちょっと、考え事をしていたんだ。


   ……何を考えていたの。


   ん……亜美ちゃんとの、結婚式のこと。


   ……。


   式場は、無理……教会も、無理。
   ドレスは、借りられるかも知れないけど……良くて、写真を撮るぐらい。


   ……。


   あたし達には、うさぎちゃんと衛さんがしたような結婚式は……出来ないんだなって。


   ……まだ、分からないわ。


   分からない……?


   ……母も、探して呉れているみたいだから。


   お義母さんが……?


   ……今日、母からメールが来たの。


   メール……なんて。


   ……若しかしたら、見つかるかも知れないと。


   ……。


   若しかしたらって、何……て、思ったのだけれど。


   ……亜美ちゃん、話したのかい?


   いいえ……母が、勝手に。


   ……見つかるかも知れないって。


   どうやら、こじんまりとした場所らしいの……。


   ……こじんまりとしていても、良いよ。


   ここ、なのだけれど……。


   ……写真?


   うん……気になるようだったら、連絡してみるようにと。


   ……。


   どう……?


   ……素敵だ。


   ……。


   緑のガーデンで……とても、素敵じゃないか。


   まこちゃんなら、然う言うと思ったわ……。


   これ……多分、グリーンアーチだよね。


   これは夏の写真なのだそうだけれど……春になると、お花も咲くみたい。


   わぁ、本当に素敵だなぁ……こんなところで、結婚式が出来たら。


   ……連絡。


   したい……駄目だったとしても、連絡してみなきゃ始まらないから。


   ……。


   あたしが、するよ……。


   ……ううん、私が。


   良いのかい……?


   ……勿論。


   じゃあ、お願いするね……。


   ……任せて。


   うん……。


   ……。


   大丈夫だったら、良いなぁ……。


   ……ここね。


   うん……?


   実は……母の知り合いの家なの。


   知り合い……え?


   ……庭に、小さなアーチがあって。


   庭に、グリーンアーチ……そんなもの、普通の家にあるの?
   いや、緑が好きなひとなら作るかも……だけど、広くないと。


   ……お庭が広い家みたい。


   やっぱり、然うなんだ……流石、お義母さんの知り合い。


   若しかしたら、駄目かも知れない……それでも、良い?


   構わないよ。


   ……。


   若しも、駄目でも……また、探せば良いさ。


   ……うん。


   だけど、若しも出来ることになったら……皆を呼んでも良いか、聞いてみないと。


   ……お借りするのに、挨拶にも行かないといけないわ。


   それは、勿論……あぁ、掠り傷程度で良かった。


   ……然う断定するのは、まだ早い。


   う……。


   明日、私が診察をしてから。


   ……。


   ……異常は、見られなかったみたいだけれど。


   念の為、だよね……。


   ……然う、念の為。


   少し、落ち着いてきた……?


   ……然うみたい。


   そっか……良かった。


   ……。


   取り敢えず、一番は亜美ちゃんの病院……それから、被害届。


   あれば、現場検証。


   ……それと、新しい携帯。


   お仕事は、お休みするのよね……?


   ん……した方が、


   当然です。


   あ、はい……明日、連絡します。


   私が。


   いや、でも……。


   家族になるのだから。


   ……。


   世間から見れば、ただの同居人だったとしても……私達は、家族だから。


   ……お願しても良い?


   ええ、勿論。


   ……ありがとう。


   そろそろ、タクシーが来るかも知れない。


   じゃあ、外に出て待ってよう。


   ううん、まこちゃんは此処に居て。


   え、どうして?


   取り敢えず、私が見てくるから。
   それで、来ているようだったら迎えに来るわ。


   だったら、最初から行っていた方が手間が掛からないような。


   ……。


   あ、いや、分かった……ここで、待ってるよ。


   ……じゃあ、行ってくるわね。


   うん……行ってらっしゃい。


   ……。


   ……?
   亜美ちゃん……?


   ……。


   どうした……え。


   ……。


   あ、亜美ちゃん……。


   ……安心、したら。


   う、うん……。


   ……少し、気が抜けてしまったみたい。


   あ、あぁ……。


   ……。


   立てる、かい……?


   ん……大丈夫。


   やっぱり、あたしも一緒に……。


   ……。


   ね、然うしよう……。


   ……光。


   ひかり……?


   ……タクシーが、来たのかも知れない。


   じゃあ、行こう。


   まこちゃん……。


   帰ろう……亜美ちゃん。


   ん、帰りましょう……。


   ……。


   あ、待って。


   ……え?


   清算……。


   ……あ。


   直ぐに、済ませるから。


   う、うん、分かった。


   ……あぁもう、どうして。


   よっぽど、だったんだね……。


   ……。


   ん、ごめん……。


   ……すみません、木野の連れ添いの者ですが。


  5日





   お帰り、亜美ちゃん。


   ただいま、まこちゃん。


   今日もお疲れ様。


   ありがとう……まこちゃんもお疲れ様。


   ん、ありがとう。


   ……はぁ。


   疲れているみたいだね……。


   ん……まこちゃんの顔を見たら、安心して。


   夕ごはんは、食べられそうかい?


   ……食べる。


   そっか、良かった。


   今日は……カレー?


   然う、シーフードカレーにしたんだ。


   ……シーフード?


   お肉も良いけど、たまにはシーフードも良いかなぁって。


   シーフードは……。


   海老とイカ、それからアサリだよ。


   海老とイカとアサリ……ふふ、美味しそうね。


   ホタテも良いなぁって悩んだんだけど、今回は大人しくシーフードミックスにしたんだ。


   ん、良いと思う。


   ホタテは、また今度と言うことで。


   うん、また今度。


   ホタテのカレーも美味しいよね。


   まこちゃんが作って呉れると、特に美味しいわ。


   然う?


   お店で食べるカレーよりも美味しいの。


   カレー屋さんは本格的なスパイスを使っているよ。


   それでも私は、まこちゃんが作って呉れるカレーが好き。


   ここ最近のあたしは、カレーのもとばかり使っているけど。


   カレーのもとであっても、ちゃんとまこちゃんの味になる。
   もとだけでなく、具材に合わせてリンゴやコーヒー、にんにくやしょうが、色々入れるでしょう?


   うん、入れる。


   今日は何を入れたの?


   今日はね、にんにくとしょうが、それからウスターソースとケチャップ、あとはバターを少々かな。
   シーフードだから、臭みを消さないといけないしね。


   スパイスを使っていなくても、それだけ入っていれば十分に本格的だわ。
   私は、まこちゃんが作り出す味が本当に好きなの。だって、調和が取れていてとても美味しいんだもの。


   ……へへ。


   まこちゃん?


   疲れて帰ってきているのに、亜美ちゃんは本当に上手だなぁ。


   上手?


   あたしを持ち上げるのが。


   私は思っていることを素直に言葉にしているだけ、お世辞なんて言っていないわ。
   特に、お料理に関しては。まこちゃんは、お料理に関しては厳しいんだもの。


   ありがとう、亜美ちゃん。
   亜美ちゃんのおかげで、今日の夕飯作りも楽しかった。


   ふふ……良かった。


   ところで、亜美ちゃん。


   なぁに?


   夕ごはんの前に、これを。


   うん?


   うさぎちゃんからお手紙。


   ……うさぎちゃんから?


   新婚旅行先から、送って呉れたみたいなんだ。


   何処から送って呉れたのかしら。


   オーストラリア、かな。
   オーストリア、ではないよね。


   ……うん、オーストラリアだわ。


   色々悩んでいたみたいだけれど、結局コアラにしたみたいだね。
   抱っこしてみたいって、言っていたし。


   あと、カンガルー?


   そうそう、カンガルー。


   コアラは抱っこ出来たのかしら。


   どうだろう、それも今度話して呉れると思うけど。


   ……出発の支度をするのに、どたばたしていたみたいね。


   美奈子ちゃん曰く、レイちゃんが呆れていたとか。


   忘れ物はしなかったかしら……主に、パスポートとか。
   取りに戻るとなると、飛行機の時間に間に合わなくなるかも知れないから……。


   忘れなくても、向こうでうっかり失くさなかったかな……盗られるとか。


   ……でも、衛さんが居るから何かあったとしても大丈夫よね。


   大丈夫だと、思うけど……。


   ……衛さんならきっと、直ぐに大使館に問い合わせて呉れるだろうし。


   衛さんのことだから、管理して呉れたと思うんだ……。


   ……然うよね、大丈夫よね。


   大丈夫だよ、ちゃんと帰ってきているみたいだし。


   ……うん。


   亜美ちゃん……実は結構、心配してた?


   ……もう大人だし、そこまでは。


   然うだよね……うん。


   ……お土産話、楽しみね。


   うん、楽しみだ……早く、聞きたいなぁ。


   ……それで、お手紙にはなんて?


   まだ、開けてないんだ。
   亜美ちゃんが帰ってきたからと思っていたから。


   先に……ううん、ありがとう。


   ん。


   ……この字、うさぎちゃんよね。


   うん、うさぎちゃんだ。


   ……ふふ、何だか懐かしいわ。


   学生の頃を思い出すよね。


   ……綴りが、少しだけ間違ってる。


   え。


   ……だけど、ちゃんと届いたから。


   良かった……郵便屋さん、届けて呉れてありがとう。


   ……学生の頃と、変わらない。


   然うだねぇ……。


   ……。


   然ういえばさ。


   ……うん?


   オーストラリアには、コアラとカンガルー以外にも珍しい動物が居るんだろう?


   ワラビー、クォッカ、ウォンバット、カモノハシ、エミュー……あとは、タスマニア島に棲息するタスマニアデビルかしら。


   うさぎちゃん、全部見られたかなぁ。


   日程もあるし、全部は無理かも。


   動物園はない?


   あると思うけど……全部揃っている動物園が、あるかどうか。


   あー、そっか。


   オーストラリアは、お買い物も楽しめると思うし。


   海もきれいなんだろう?


   ええ、きれいなビーチもあるみたい。


   海外の、きれいなビーチかぁ……良いなぁ。


   ……行ってみたい?


   行ってみたい、亜美ちゃんとふたりで。


   じゃあ……いつか。


   ん、いつか。


   ……カッター、ある?


   ここに……あたしが開けるよ。


   うん……お願い。


   ……よ、と。


   ……。


   ……ん、開いた。


   何が入っているのかしら……。


   え、と……多分、写真だ。


   写真……。


   写真が、二枚かな……取り出すね。


   うん……。


   ……。


   ……。


   これは……海?


   ……海だわ。


   うわぁ、きれいな青だな……まさに、オーシャンブルーだ。


   ……空も。


   うん……空も、きれいだ。


   ……砂浜も、真っ白。


   はぁ……すごいきれいな場所だな。
   これ、どこの海だろう……?


   ……ここに何か書いてあるわ。


   えと……ホワイト、ヘブン、かな。
   でも、ヘブンの綴りが違うような……。


   この綴りだと、安息所という意味だけれど……衛さんの字だから、これで合っているのだと思う。


   天国みたいな場所だけど……安息所、なんだ。


   心が休まるという意味では、合っているような気がするわ……。


   成程……確かに。


   ……ホワイトヘブンビーチ、にて。


   ホワイトヘブンビーチ……これ、オーストラリアなんだよね?


   ……恐らく。


   亜美ちゃんも知らない?


   ……知らないわ。


   亜美ちゃんも知らない……。


   ……ビーチまでは。


   オーストラリアのどこなんだろう……。


   ……待って。


   ん……?


   ……。


   早い……。


   ……分かったわ。


   どこ……?


   どうやら、クイーンズラント州にあるビーチみたい。


   クイーズラント州……聞いたことないや。
   と言うより、オーストラリアってアメリカみたいに州なんだ。


   ……オーストラリアも、連邦制だから。


   あ、そっか……。


   クイーンズラント州は、オーストラリアの北東部の州……シドニーのある、ニューサウスウェールズ州の北に位置する。


   シドニー……そんなに遠くない?


   ……いいえ、結構遠いと思うわ。


   結構……?


   ホワイトヘブンビーチは、ウィットサンデー島の東側にあって……。


   ウィットサンデー……うん、聞いたこともない。


   行き方は、船かヘリコプター、それかセスナ。
   最も一般的なのは……本土側のエアリービーチ発、またはリゾート島のハミルトン島発のツアーに参加する方法なんですって。


   へぇ……うさぎちゃん達は、どうやって行ったんだろう。


   詳しいことは……会った時に、話して呉れると思う。


   これは、思っていた以上にお土産話がありそうだ。


   考えてみれば、一週間以上行っていたのよね。


   全部聞くとなると……一日で、足りるかな。


   ……若しかしたら、足りないかも知れないわ。


   うーん……学生だったらなぁ、お泊まり会でもして聞くのに。


   取り敢えず……まずは、大まかに聞きましょう。


   うさぎちゃんが大まかに話して呉れたら、だけど。


   ……レイちゃんが居たら、まとめて呉れるのだけれどね。


   休みを合わせるのは、難しいよね……きっと。


   ……一応、連絡してみましょう。


   うん、然うだね……。


   ……叶うなら、うさぎちゃんの話を全部聞きたいけれど。


   社会人は、兎角時間がねぇ……作ろうと思えば、作れなくもないんだけど。


   ……学生の頃のように、自由ではないから。


   亜美ちゃんは、忙しかったけどね……。


   ……今はまた、違った忙しさだわ。


   さぼれないしな……仕事は。


   ……以ての外。


   仕方ないとはいえ……あー、やっぱり聞きたいな。


   ……私も、聞きたいわ。


   はぁ……。


   ……まこちゃん、もう一枚の写真は。


   あ、然うだった……現実に悲観してる場合じゃなかった。


   ……気持ちは、分かるけど。


   ん、こっちにはうさぎちゃんが写ってる。


   うさぎちゃん?


   うん、見て。


   ……。


   海と空を背景にして、笑顔全開のうさぎちゃんだ。


   ……あぁ。


   いやぁ……しあわせそうな、笑顔だねぇ。


   本当……しあわせそうだわ。


   二枚の写真は、衛さんが撮ったのかな……。


   ……きっと、然うだと思う。


   青い海と空、真っ白な砂浜と、満面の笑みのうさぎちゃん……すごい絵になってる。


   ……これは、とても良い写真だわ。


   ふ……。


   ……なに?


   いや、なんだか写真の評論家みたいな言い方だったから……。


   だって……他に言いようがなかったんだもの。


   でも、確かに然うだ……。


   ……。


   やぁ、これは良いお土産を送ってもらったなぁ……。


   ……レイちゃんや美奈子ちゃんにも、今頃、届いているかしら。


   ん、届いているんじゃないかな……せつなさんや、ほたるちゃんにも。
   はるかさんと、みちるさんは……届いているだろうけど、今は日本に居ないから。


   ……。


   はぁ……良いなぁ、うさぎちゃん。


   ……まこちゃん。


   あたしも……いつか、亜美ちゃんと。


   ……。


   行って、みたいな……きれいな海に、新婚旅行……ふたりで、写真を撮って。


   ……海だけで、良いの?


   え……?


   ……他にも、行ってみたい場所は。


   他にも……然うだなぁ。


   ……色々、あると思うの。


   亜美ちゃんは、何処に行きたい……?


   私は……叶うなら、遺跡に行ってみたいわ。


   遺跡……エジプト、ローマ、ギリシャとか?


   ……インカのマチュピチュや、イースター島のモアイ像、マヤのチチェン・イッツァでも。


   あー……最後のは、聞いたことない。


   ……遺跡ではないけれど、ウユニ塩湖も条件が揃えばとても美しいそうよ。


   うゆにえんこ?


   ボリビアにある塩水を含んだ湖なのだけれどね……雨季に大量の雨が降ることによって、広い空が水面に反射するの。
   天地が繋がって、湖にも空が広がっているような風景になるんですって。


   上も下も、見渡す限り、空ってこと……?


   然う……反射しているから、下は逆さまになっているのだけれど。


   想像、出来そうで……出来ない。


   私はまこちゃんと、美しい風景も見てみたいわ。


   美しい風景か……あたしも、亜美ちゃんと見てみたいな。


   だから、ね……色々、話しましょう?


   亜美ちゃん……うん、話そう。


   ……見て、まこちゃん。


   ん、どれ……?


   ……うさぎちゃんからの、メッセージ。


   うさぎちゃんから……。


   ……。


   ……次は、あたしと亜美ちゃんの番?


   然う、書いてあるわよね……。


   うん……書いてある。


   ……。


   ……これって。


   ふふ……うさぎちゃんらしい。


   でも、あたし達……うさぎちゃんが投げたブーケ、取れなかったんだけど。


   まぁ、積極的に取りに行ったわけではないし……。


   ……ブーケは、美奈子ちゃんが取ろうとして。


   取れなくて、ほたるちゃんが。


   そうそう、ほたるちゃんの手にストンと。
   あれは……美奈子ちゃんには悪いけど、笑っちゃった。


   ふふ……。


   ……ほたるちゃん、嬉しそうだったよね。


   ん……嬉しそうだった。


   ……次はあたし達の番、か。


   ねぇ、まこちゃん……。


   ……なんだい?


   私達の、結婚式……うさぎちゃんは。


   勿論、来て呉れるに決まってるさ。


   ……。


   そして……誰よりも、お祝いして呉れる。
   あたしは、然う思っているよ……。


   ……うん。


   亜美ちゃん……?


   ……ん。


   泣いてる……?


   ……なんだか、感情が昂ぶってしまって。


   ……。


   ん……まこちゃん。


   ……亜美ちゃんの涙も、きれいだ。


   もぅ……。


   ……ふふ。


   ……。


   さて……夕ごはんの支度をしようかな。
   お腹、空いてるだろう……?


   ……ん、空いてる。


   じゃあ、着替えて待っていて。


   ……私も。


   ありがとう、でも温めるだけだから。


   じゃあ、片付けは私が。


   お願しても良い?


   ん、任せて。


   ありがとう。


   こちらこそ、ありがとう。


   そうそう、付け合わせにコールスローも作ったんだ。
   食べるかい?


   ん、食べる。


  4日





   お、猫ちゃんだ。


   ……猫?


   うん、あそこでこっちを見てる。


   ……どこ?


   あれ、ちょっと隠れちゃったかな……いや、まだ同じ場所に居る。


   ……毛の色は。


   茶色……と、白。


   ……茶トラかしら。


   だと思う。


   ……。


   見つからない?


   ……まこちゃんが指差した場所に居るのよね。


   うん、叢の中で伏せてじっとしてる。
   草が枯れて、丁度保護色のようになっちゃってるのかも。


   ……あ。


   見つけた?


   ん、見つけた。
   まこちゃんが言うように、こちらをじっと見ているわ。


   猫の視線ってさ、どういうわけだが感じるものがあるよね。


   まこちゃんは敏感だと思う。


   然うかな。


   私は気が付かなかったから。


   たまたまだと思うよ。


   ……然うかしら。


   あたしは気が付かなかったのに亜美ちゃんは気が付いた、そんなことはざらにあるじゃないか。
   だから、今回はたまたまだよ。若しかしたら、あたしを睨んでいたのかも知れないし。


   ……まこちゃんを、じっと見ていたのかも。


   猫が好むようなものは持ってないんだけどなぁ。


   鰹節とか?


   猫じゃらしとか?


   ……ふふ。


   猫って可愛いよね。


   うん……可愛い。


   野良の子かな、それとも飼われている子かな。
   呼んだら、こっちに来て呉れないかな。


   首輪は見えないけれど……毛並みがきれいだから、飼われている子かも。


   そっか。


   ……。


   ん、亜美ちゃん?


   ……こちらに、来ないかなって。


   亜美ちゃんも、撫でたい?


   ……少しだけ。


   ね、呼んでみようか。


   なんて?


   名前が分からないから……やっぱり、猫ちゃんかな。


   それで、来て呉れるかしら。


   人懐こければ、来て呉れるかも。


   ……茶トラは人懐こい子が多いと聞いたことがあるけれど。


   へぇ、然うなんだ。


   でも、猫にも性格があるだろうし……一概には言えないわよね。


   まぁね、毛の種類だけでは決め付けられないかな。


   ……猫ちゃん。


   お……。


   ……おいで。


   おいで、猫ちゃん……何も、持ってないけど。


   ……まこちゃん。


   はは……。


   ……。


   ……やっぱり、来ないか。


   猫って……。


   ……。


   ……見ているだけでも、可愛いわ。


   ねぇ、亜美ちゃんさ。


   ……うん?


   将来、猫を飼おうか。


   ……え?


   それも良いと思うんだ。


   ……でも。


   でも?


   まこちゃんは、食べ物を扱っているし……動物の毛は、絶対に駄目だと思うの。


   あぁ……まぁ、確かに。
   ケーキに混ざったりなんかしたら、間違いなく苦情かな。


   まこちゃんと私、仕事で家を空けていることも多いし……大人の猫ならまだ良いけれど、仔猫をひとりで置いておくわけには行かないわ。


   仔猫はやっぱり、手が掛かる?


   ある程度、大きくなるまでは……それは人間の子も、猫の仔も変わらないと思う。


   そっか……。


   だから……見ているだけで十分。


   ……例えば歳を取って、家に居る時間が増えたら。


   ……。


   将来は何も、近い未来だけではないからさ……若しかしたら、が、あるかも知れない。


   ……。


   ね、然うだろう……?


   ……そこまでは、考えていなかった。


   じゃあ……保留で、ね?


   ……然うなったら、猫よりも長く生きないと。


   ん?


   命を預かるんだもの……責任重大だわ。


   んー……。


   ……まこちゃんも、然う思うでしょう?


   うん……かなり。


   ……まこちゃんと私と、猫。


   やきもちを焼かないように気を付けないと。


   ……やきもち?


   猫に亜美ちゃんを取られたって。


   ……。


   ないとは言えない。


   ……もう、まこちゃんは。


   ははは。


   ……。


   もう少し、見ているかい?


   ん……もう少し。


   ん、分かった。


   ……良い?


   良いよ。


   ……ありがとう。


   あの子、可愛いからね……見てたい気持ちは、分かるんだ。


   本当に、可愛いわ……。


   ……それにさ。


   うん……?


   ……最近は、ルナとも会えてないしね。


   ルナとはまた、違うわ……。


   ……違う?


   ルナはルナ……普通の猫とは違う。


   ……まぁ、然うなんだけど。


   ……。


   ……あの子、こっちに来ないかなぁ。


   知らない人間に近付くほど、大らかではないのね……でも、それで良いと思う。


   ……それは、どうして?


   人懐こい子を、連れて行ってしまうひとも居るそうだから。


   え……それって、誘拐じゃ。


   ……然う、猫の誘拐。


   そんなひと、居るんだ……野良だったら、分かるけど。


   ……たまに首輪を付けていない子も居るから。


   あぁ、然うなると分かり辛いか……。


   ……顔つきも毛並みもきれいだと、余計に。


   人懐こい上にきれいだと、連れて行っちゃうのかも知れないな……。


   ……勿論、保護するひとも居るから決め付けることは出来ないけど。


   然うだね……。


   ……他にも、暴力をふるったり。


   それは……絶対に許せないな。


   ……だから、あの子は。


   あ……。


   ……。


   ……こっちに来た?


   来てる……けど、どうして。


   亜美ちゃんは大丈夫だと思ったのかも。


   私よりも、まこちゃんの方が。


   いや、あたしよりも亜美ちゃんの方が熱心だったから。


   熱心というわけではないけれど……。


   ……本当に来たぞ。


   猫ちゃん……どうしたの?


   鳴いた……若しかして、亜美ちゃんに応えた?


   首輪と鈴、あなたは飼われている子なのね……ん、良い子。


   ……甘えてる。


   ふふ……きれいで、可愛いわ。


   ……ん?


   喉が鳴ってる……。


   ……烏が居る。


   烏……?


   ……こっちを見てる。


   ……。


   まさか、この子を?


   ……躰の大きさからして成猫だと思うから、それはないと思うけど。


   いや、分からないな……どうやら、一羽ではないみたいだから。


   ……。


   ……烏から逃れる為に、あたし達のところに?


   然うだとしたら……賢いわ。


   うん、とても賢い子だ。


   ……。


   あたし達の傍に居れば、烏は近寄ってこない。


   何処かに行くまで。


   こうしてようか。


   ……ん。


   烏も腹を空かせて必死なんだろうが、だけど、見過ごすことは出来ない。


   ……大丈夫よ、心配しないで。


   若しも烏が襲ってきたとしても、あたしが守るよ。


   ……このお姉さんはね、誰よりも頼りになるの。


   こっちのお姉さんもね。


   ……理解しているみたい、本当に可愛い子だわ。


   飼い主さんに、大事にされているんだね。


   ……屹度、然う。


   名前は、なんて言うのかな……。


   ……今は、外見的特徴で名付けるひとは少ないみたいだから。


   茶トラだからトラなんて、つけないか。


   ……あとは、タマ?


   タマ……タマって感じじゃないかな。タマと言えば……白猫か、白に茶色いぶちがある子だ。
   いや、茶トラでも居るかも知れないけど……。


   ……タマという名前は、招き猫発祥の地のお寺で飼われていた子が由来だと言われているのよね。


   へぇ、然うなんだ……。


   ……と言っても、所説は色々あるそうだけれど。


   亜美ちゃんは、タマの名前の由来も知ってるんだねぇ……惚れ直した。


   えと……どうして?


   物知りな亜美ちゃんが好きだから、かな。


   ……子供の頃、本で読んだの。


   ん、そっか。


   ね……あなたも、お話出来たら良いのに。
   然うしたら、あなたの名前が分かるかも知れない……。


   然うしたら、普通の猫ではなくなってしまうよ。


   ……名前だけ。


   お、鳴いた……教えて呉れているのかも。


   ふふ、ありがとう……。


   ……烏、居なくなったかな。


   然う……良かったわ。


   ……。


   ……うん?


   もう少し、一緒に居たいみたいだ。


   ……可愛い。


   あたしも……触ってみても、良いかな。


   ……驚かさないように。


   うん……。


   ……まずは、鼻先に指を。


   におい……?


   ……それもあるけど、あいさつの一環でもあるんですって。


   然うなんだ、ルナにはないよね。


   ……ルナにもあるわよ。


   え、あるの?


   ……だって、ルナに教えてもらったんだもの。


   ルナに……仲が良いとは、思っていたけど。


   ……私だけでなく、アルテミスともしているみたい。


   アルテミスは分かるけど……亜美ちゃんともしていたんだ、知らなかった。


   ……内緒にしてたから。


   内緒……?


   ……ルナと私だけの。


   然う、なんだ……。


   ……淋しい?


   出来れば、あたしも仲間に入れて欲しかったな……。


   ……たった今、なったわ。


   うん?


   ……皆には、内緒。


   あ……うん、分かった。


   機会があれば、ルナにしてみれば良いと思う……ルナなら、分かると思うから。


   うん……今度、してみるよ。


   ……。


   猫ちゃん、改めてこんにちは……お、鼻が。


   ……挨拶。


   ふふ、可愛いなぁ……。


   ……まこちゃんが守って呉れたこと、分かっているのね。


   然うか、分かっているのか……賢い子だなぁ。


   ……。


   ……猫、良いなぁ。


   良いわよね……猫。


   ……犬も、好きだけど。


   犬も可愛いわ……大型犬なんて、まこちゃんみたいで。


   ……はい?


   大きくて、大らかで、優しくて……。


   ……あの、亜美ちゃん?


   飼うなら、大型犬が良い……。


   ……柴犬も可愛いよ?


   可愛いけど……あまりまこちゃんという感じがしないわ。


   ……え、と。


   日本犬ならば、秋田犬……秋田犬なら。


   ……あたしに、似ているかなぁ。


   外国の犬なら、ゴールデン・レトリバー……ラブラドール・レトリバーも、良いかも。


   ……ラブラドールなら、名前はラブかな。


   ふふふ……。


   ……飼う?


   今は……見ているだけで、十分。


   ……今は、ね。


   それに……私の可愛い子は、此処に居るもの。


   ……あたし?


   抱き締めると……きゅうって、抱き締め返して呉れるの。


   それは……勿論。


   ……そこが、犬とは違うところ。


   違うところは、他にもあるけど……ごはん、作ったりとか。


   ……ふふ。


   もう、亜美ちゃんは……。


   ……ごめんなさい。


   ……。


   ……怒った?


   ううん、怒ってない。


   ……。


   ……昔、さ。


   ん……。


   ……近所に、ちびって名前の犬が居たんだ。


   ちび……?


   雑種の子なんだけど……引き取られた時に躰が小さかったから、ちびなんだって。


   ……それは、仔犬だったからじゃ。


   然う、仔犬だったから……でさ、無事にすくすく成長して、ちびではなくなっちゃったんだ。


   ふふ……それは然うよね。


   その子がまた、可愛くてね……あたし、よく遊びに行ってたんだ。


   ……懐いて呉れた?


   うん、仔犬の頃から知っていたから。
   ころころしていてね、それはもう、可愛かったんだよ。


   ……羨ましいわ。


   羨ましい?


   ……私が住んでいたマンションでは、犬や猫は飼えなかったから。


   あぁ、そっか……マンションだと、難しいよね。


   ……それでも、内緒で犬を飼っていたひとが居たみたいで。


   それは、大丈夫なの……?


   ……ううん、大丈夫ではなかったわ。


   大丈夫ではなくて……その子は、どうなった?


   ……親戚に引き取ってもらったと、聞いたけれど。


   ……。


   ……今思えば、保健所の可能性もあるのよね。


   無責任だ。


   ……まこちゃん。


   ひとの都合で……駄目だと分かっているのに。


   ……。


   ちゃんと次の飼い主さんを探してあげる義務がある……それを果たせないのならば、飼う資格なんて、最初からなかったんだ。


   ……小型犬で、可愛かったみたい。


   小型犬……?


   ……大型犬は、流石に。


   犬種は、なんだったの……?


   ……聞いた話だと、ビーグル。


   ビーグル……あぁ、あの子も可愛いよね。


   でも、大きくなるにつれて良く鳴くようになって……元々、狩猟犬だったから。


   それは……まずいね。


   おまけに、とても活発な子だったらしくて……結局、近隣住民に通報されてしまった。


   ……もう少し、大人しい子だったら。


   だけどどのみち、通報されていたと思うわ……だって、朝夕にお散歩が必要なんだもの。


   あぁ……外に出さないわけには行かないもんな。


   ……猫だって、然う。


   ……。


   都会では、家の中で飼われている子が増えてきた……だから、この子は珍しいと思うの。


   ……公園があるからじゃないかな。


   うん……然うかも。


   ……。


   ちびは今、どうしているのかしら。


   ……もう、居ないかも知れない。


   まこちゃん……?


   生きていたら……20歳を超えるから。


   ……然う。


   生きているとしたら、どうしているかなぁ……もう一度、会いたいな。


   ……私も、会ってみたい。


   亜美ちゃんのこと、気に入るかも知れない……。


   ……人懐こいの?


   うん……でも、怪しい奴が来たらちゃんと吠えるんだ。


   然う……ちびも、賢い子なのね。


   ……うん、とてもね。


   ……。


   ……。


   ……ねぇ、まこちゃん。


   なんだい……?


   ……猫と、犬も。


   ……。


   ……私には、出来ない。


   うん……あたしにも、出来ない。


   ……あ。


   行っちゃった……。


   ……満足、して呉れたのかしら。


   屹度、然うだと思う。


   ……また、会えたら。


   良いね。


   ……うん。


   行こうか。


   ……ええ。


   ……。


   さようなら……。


   ……亜美ちゃん。


   まこちゃんが食べたい限定ケーキ、まだ残っているかしら。


   ん。


   ごめんなさい、道草をしてしまって。


   ううん、良いんだ。
   猫ちゃん、可愛かったし。


   ……。


   亜美ちゃんも、可愛かったしね。


   ……もう、まこちゃんは。


   あはは。


   ……。


   ん……亜美ちゃん?


   ……だめ?


   まさか……だめなわけ、ない。


   ……。


   ケーキを食べたら……どうしようか。


   然うね……たまには、家具でも見てみない?


   家具?


   今直ぐ、買うわけではないけれど……。


   ……うん、たまには良いかも。


   ……。


   あたし、ベッドが見たいな。


   ベッド?


   最近は、北欧風の家具が流行り出しているみたいなんだ。
   店に、然ういうのに敏感な子が居てさ。もっと言えば、北欧が好きみたいで。


   北欧風って、どんなものなのかしら。
   柄のデザインは、なんとなく分かるけれど。


   話を聞いているだけじゃ良く分からないから、この機会に見てみようと思って。
   ベッドそのものを替えなくても、例えばカバーを見るだけでも楽しいと思うんだ。


   カバー……ん、良いと思う。


   ふふ、それじゃあ行こうか。


   うん、行きましょう。


  3日





  -とこしえに。(現世2)





   はぁ……良い式だったねぇ。


   然うね……とても良いお式だったわ。


   うさぎちゃん……とてもきれいだった。


   私が見てきた中で、最もきれいだったと思う……。


   分かる……あんなにきらきらしているうさぎちゃんを見たのは、初めてだ。


   ……内面から、しあわせが溢れているようだったわ。


   実際に、溢れていたんだと思う……なんせ、前世からの夢が叶ったんだから。


   前世……。


   ずっと、夢見ていたんだろう……青い星の王子と、結ばれることを。


   ……私達はもっと、プリンセスの話を聞いてあげるべきだった。


   それは、あたしも思う……だけど、当時のあたし達には難しかったみたいだから。


   ……うさぎちゃんが私達に望んだことは、あくまでも、対等な関係。


   主と従者ではなく、ともだちとして……主は主で、淋しいみたいだから。


   ……前世からの夢ではあったけれど、うさぎちゃんはあまり然ういうことは考えていないみたい。


   うさぎちゃんは……あたし達の中で一番、前世との関わりを切りたがっていたから。


   ……あくまでも、今を生きる女の子として。


   それを、あたし達にも望んだ……望んで呉れた。


   ……結局、うさぎちゃんが終わらせて呉れたの。


   衛さんと、一緒にね……。


   ……うん。


   なんだか、すごいよね……前世はお姫様だったのに、今はそれを望まないなんて。


   ……うさぎちゃんほど、前世を疎ましく思っているひとは居ないわ。


   あたし達も、それなりには……だったけど。


   でも……将来はキングと共に、青い星を統べるクイーンにならなければならない。


   うさぎちゃんは、望んでいないみたいだ……そんなの、面倒臭いって。


   ふふ……うさぎちゃんらしいわ。


   ……けど、いつかそれは起こる。


   その為に、準備はしておかないと……。


   ……うさぎちゃんは、嫌だろうけど。


   でも、やらないと……人類が、滅んでしまうかも知れないから。


   ……うさぎちゃんの肩に載っている荷物は、いつだって、重たいものばっかりだな。


   少しでも、軽く出来るように……私も、出来ることはしないと。


   うん……然うだね。
   だけど、亜美ちゃん。


   ……何?


   私達も、だろう?


   ……うん。


   うん。


   ……それがいつ来るかまでは、分かっていない。


   聞いておけば良かったかな、未来のキングに。
   だけど、それどころじゃなかったしなぁ。


   ……聞いたところで、キングは教えて呉れたかしら。


   教えて呉れないかな……。


   ……本来ならば、未来のことは知るべきではない。


   然うなのだろうけど……避けられないことなら、知っておきたいと思うのがひとの常だろう?


   ……ええ、然うね。


   キングがだめなら、プルート……は、もっとだめか。


   ……厳格なひとだから。


   せつなさんでも……?


   ……教えては呉れないでしょうね。


   はるかさん達には……。


   ……言わないと思うわ。


   真面目だな……。


   真面目と言うより……未来が変わるどころか、壊れてしまうかも知れないから。


   だけどあたし達は一度、未来を変えている……それで、壊れたわけではないんだろう?


   ……でも、歪(ひずみ)は生まれたかも知れない。


   歪……。


   ……その歪が、今の時代にどう影響するか。


   せつなさんも、若しかしたら分からないのかも知れないな……。


   ……然うかしら。


   滅びの未来に進む世界……滅びの未来を回避した世界。
   若しも、両方知っているとしたら……混乱、しないかな。


   せつなさんに限って、それはないと思う。


   亜美ちゃんって……せつなさんのこと、信用しているよね。


   ……?
   どうして?


   いや……なんとなく、然う思って。


   信用と言うより……尊敬の念に近いのかも知れない。


   尊敬……?


   ……長い時をたったひとりで、生きるなんて。


   ……。


   ちびうさちゃん……スモール・レディとの交流がなかったら、彼女は。


   ……クイーンやキングと、もっと気軽に交流が出来れば良いのに。


   固い決まりがあるのだと思う……それがどういうものか、私には分かりようがない。


   ……うさぎちゃんだったら、気軽にお茶に誘いそうだけどな。


   ……。


   亜美ちゃんも、然う思うだろう……?


   ……その絵が、容易に想像出来たわ。


   多分、その時はあたしがお菓子を作るんだ。


   ……私も、作りたいわ。


   じゃあ、ふたりで作ろう。
   せつなさんは大人だから、お酒を使ったものを用意しても良いかも知れない。


   ……その時は皆、大人だけれど。


   あ、そっか。
   でも、お酒に弱いひとも居るからさ。


   ……然うね。


   何を作ろうかなぁ……。


   ……そんな機会が、本当に未来にあるのなら。


   ありそうな気がするよ……だって、うさぎちゃんなんだもの。


   ……今の時代でも、それが出来たら楽しいでしょうね。


   ん、出来ないことはないんじゃないかな。
   ただちょっと、皆で揃うのは難しくなっているけれど。


   ……中高校生の頃のようにはいかない。


   今日だって、久しぶりだろ……皆が揃ったのは。


   ……はるかさんとみちるさんは、日本に居ないことが多いから。


   式が終わったら、直ぐに発つと言っていたけれど……今頃、空の上かな。


   屹度……。


   今度は、何処の国に行くって言っていたっけ。


   ……ドバイ、だったと思う。


   ドバイ……お金持ちのイメージしかない。


   ……これからもっと、発展していくと言われているわ。


   然うなんだ……流石、はるかさんとみちるさん。


   ……ふたりが何かをするわけではないけれど。


   でも、なんかすごい……。


   ……まこちゃんは、特にはるかさんに思い入れがあるわよね。


   え?


   ……今でも、憧れているようだし。


   うん……まぁ、今でも少しね。


   ……まこちゃんはまこちゃん、はるかさんのようにはならないで。


   え……。


   ……私にとって、まこちゃんほど素敵なひとは居ないのだから。


   亜美ちゃん……


   ……。


   ……やきもち?


   違います。


   あ、はい、然うですよね。


   ……今更。


   心配、して呉れたよね。


   ……大事なおともだちだもの、心配ぐらいするわ。


   そっか……あの頃はまだ、あたし達はおともだちだったんだっけ。


   ……付き合うようになったのは、高校生になってから。


   だけど、亜美ちゃんは……。


   まこちゃん。


   ん、ごめん。


   ……恥ずかしいから。


   恥ずかしい?


   ……若気の至りを聞いているようで。


   若気の至りって……亜美ちゃんはまだまだ若いじゃないか。


   然うだけど……もう、十代は過ぎたから。


   十代とは違う?


   ……まこちゃんは、同じなの。


   ん……。


   ……同じ?


   うん、同じではないな。
   あの頃よりは、大人になっている。


   ……あ。


   今ではもう、亜美ちゃんと一緒に暮らしているし……。


   ……それが基準?


   目標だったんだ……亜美ちゃんと暮らすことは。


   ……その目標を達成した今は。


   人生を共に、出来るだけ長く、亜美ちゃんと一緒に歩く……この目標は、直ぐには達成出来ない。
   なんせ、おばあちゃんと呼ばれる頃まで、ふたりで歩いて行くのだから。長い目で見ないと。


   ……お店を持つことは。


   いつかは叶えたいと思っているけれど……まだまだ、時間とお金が必要だ。


   ……叶えて欲しい。


   ありがとう……叶うよう、頑張るよ。


   ……ん。


   レイちゃんや美奈子ちゃんも忙しくて……ほたるちゃんは今、どうしているんだっけ。


   ……せつなさんと、お勉強しているみたい。


   勉強か……それもまた、忙しいな。


   未来の為に……多くを学びたいそうよ。


   ……しっかりしているなぁ、ほたるちゃんも。


   ちびうさちゃんの親友ですもの。


   ちびうさちゃんは、衛さんに似て、お勉強が得意みたいだもんな。


   ふふ……然うみたいね。


   ちびうさのくせに生意気~! なんて、うさぎちゃんは言っていたけれど。


   ……仲の良い親子だわ。


   本当に。


   ……。


   ……これから、生まれてくるんだね。


   うん……未来の、うさぎちゃんと同じ誕生日に。


   ……無事に生まれてきて欲しいな。


   少しでも、サポートが出来たら……。


   ……出来ることをしようよ。


   色々、心配で……。


   ……え、今から?


   妊婦さんって、色々あるから……。


   そ、然うなんだ……。


   ……特に、糖尿病。


   糖尿病……。


   ……妊婦糖尿病というものがあるの。


   そんなのが、あるんだ……


   ……お腹の赤ちゃんにも影響を及ぼすんだけど、衛さんが居て呉れるから。


   亜美ちゃん。


   ん。


   そこは、しっかりと見ていてあげよう。


   ……出来るだけ、気にするつもり。


   ふたり分だから~なんて、許しちゃいけないんだね。
   亜美ちゃんに聞いてなかったらあたし、二人分ケーキを作るところだったよ。


   あくまでも、バランス良く……過多にならないように。


   じゃないと、未来のちびうさちゃんに叱られてしまいそうだ。


   ……。


   然う思わない?


   ……容易に、想像出来た。


   この、ばかうさぎー! って?


   ……ふ。


   あたしなんて、声まで再生されちゃったよ。


   ……私も、聞こえたわ。


   ……。


   ……。


   はは。


   ……ふふ。


   ……。


   ……。


   ……ちびうさちゃんが生まれるのは、未来。


   となると……それは、思っているよりも早く来る。


   ……変わることは、やっぱりないのかな。


   変わって呉れれば……良いのだけれどね。


   ……その未来は変わらない、か。


   取り敢えず、それが来ることを私達は知っている……だから、今はその為の備えをしておく。
   備えをしておくだけで、対処法は変わってくると思うから。何もしていないよりは、良いと思うの。


   まるで、大地震に備えるみたいだ。
   定期的に保存食や、必要なものをチェックしてさ。


   大地震のようなものだと思う。


   だとしたら、避難訓練もしておかないと。


   ……問題は、何処に避難するか。


   ん……。


   ……避難出来る場所は、恐らく、限られていると思うの。


   全ての人は、避難出来ない……?


   ……地球の人口を考えたら、かなり難しいでしょうね。


   となると……ノアの方舟計画、かな。
   うさぎちゃんは……絶対に、嫌がるだろうなぁ。


   うさぎちゃんは、全てのひとを救おうとするだろうから……誰かを犠牲にすることなど、出来ないって。


   ……泣きながら、怒りそうだ。


   でも、しなければ……。


   ……あたしには説得、出来ないかも知れない。


   最後は……レイちゃんになってしまうと思うの。


   ……レイちゃんが、若しも。


   なんにせよ……出来ることを、精一杯するしかない。


   ……どんなことが起こるんだろう。


   長い時間をコールドスリープしなければならないのだから……余程のことなのだと思う。


   ……恐竜を滅ぼした、巨大な隕石が落ちてくる?


   それも、ないとは言えないけど……。


   ……ノアの時代のように、地球全体が水に沈む?


   大洪水の記憶は、世界中の神話や伝承に残っている……全てが作り話とは、言い切れないのかも知れない。


   あとは……世界大戦。


   ……。


   まぁ……ムーンがコールドスリープを選ぶくらいだ、相当の規模なのだろうね。


   その力を持ってしても、それが起こることを避けられないのならば……それは、青い星自体が終わってしまうくらいのレベルに違いないのでしょう。


   ……敵を退けても、星が駄目になったらお仕舞いだ。


   人類だけじゃない……。


   ……然ういや、他の生物はどうするんだい?


   それも、考えないと……。


   ……皆で、考えないといけないな。


   ……。


   なんて、折角のめでたい日に。
   こんな日ぐらい、明るい話をしよう。


   ん……然うね。


   と言うわけで、亜美ちゃん。


   ん、なに。


   あたし達は、いつにしようか。


   ……私達?


   結婚式。


   ……。


   ドレスも、ちゃんと決めないと。
   お色直し……最低、一回はしないといけないみたいだから。


   ……まこちゃん。


   亜美ちゃんのお母さんにも、改めて挨拶するよ。


   ……母は、別に。


   駄目だよ、家族になるんだから。


   ……家族。


   法的にはなれなくても……心の中では、家族だ。


   ……母は、喜ぶと思うわ。


   然うかな。


   ……まこちゃんのこと、気に入っているから。


   だったら、嬉しい。


   ……私達の、結婚式。


   しよう、亜美ちゃん。


   ……まこちゃんの、夢。


   叶えて欲しい。


   ……うん。


   やった。


   ……ねぇ、まこちゃん。


   なんだい?


   ……まこちゃんは、滅びの未来を回避出来ると思う?


   ……。


   ……ごめんなさい、さんざ出来ないという前提で話してきたのに。


   可能性は、全くないわけではないと思う。


   ……。


   歪が生まれたのなら、それは起こらない……いや、もっと先になるかも知れない。


   ……先。


   ちびうさちゃんが、生まれてしまうかも知れないよ。


   ……あぁ。


   然うなったら、あたし達が知らない未来だ。


   ……然うね、知らないわ。


   だけど、備えはしておかないとね。


   ……それが来る前に。


   うん?


   ……結婚式、しましょう。


   亜美ちゃん……うん、しよう、絶対に。


   ……ん。


   はぁ……楽しみだなぁ、ウェディングドレスを着た亜美ちゃん。
   絶対に、きれいなんだ……世界で、いや、宇宙で一番。


   ……まこちゃんの、ウェディングドレス姿も。


  2日





   はぁ……将来やりたいことを、兎に角付箋に書き出してみるのか。
   仕事、家族、家、将来の夢……夢は、亜美ちゃんとずっと一緒に居ることだけど。
   一緒に居たいと思っても、他のことが回らなかったら、うまくいかなくなっちゃうかも知れないしなぁ。


   ……。


   優先順位……亜美ちゃんは、やっぱり、お仕事かなぁ。
   お医者さんになったら、忙しいだろうし……家のことは、あたしがやれば良いと思うんだ。
   あたしは家事が得意だし、忙しくしている亜美ちゃんを支えたい。


   ……だめよ。


   ん、だめ?


   まこちゃんだって、働くだろうし……お店を持つという夢もあるでしょう?
   私とずっと一緒に居ることが夢だと言うけれど、叶えたい夢はひとつだけじゃない……。


   一番の夢は、亜美ちゃんとずっと一緒に居ることなんだ。


   ……だけど、お店も叶うなら持ってみたいでしょう?


   うん……まぁ、出来ることなら。


   であるならば、偏ってはいけないと思う。


   んー、そっか。


   私は、まずは勤務医になるつもりなの。


   勤務医?
   お母さんみたいに?


   ん……勤務医の方が、収入は安定すると思うし。
   それで、落ち着いてきたら……開業医になりたいと思ってる。


   開業医?


   うん……開業医も忙しいけれど、でも、時間に融通が利くと思うの。


   時間の融通……か。


   母のように、朝も昼も夜も医者として忙しく働くことも良いと思う……だけど、家族との時間も大切にしたいの。


   家族……。


   ただ、開業するとなると個人事業主になるから、確りとした開業計画を立てたり、資金の調達などに時間を掛けなくてはならなくなるわ。
   立地条件も考えないと……誰かの為になりたいという志だけでは、今の時代は、経営は成り立たない。だから、前以て調査が必要になってくる。
   医療だけでなく、経営や不動産、税理などの知識を身に着けないといけないから……その準備期間は、若しかしたら、勤務医よりも忙しくなるかも知れない。


   ……家族。


   その間は、まこちゃんに甘えることになってしまうかも知れない……ううん、なってしまうと思うの。
   勿論、私も出来るだけのことはするわ。生活をする上で、家事は欠かせないものだし。
   その為にもふたりで話し合って、成る可く、不満を溜めないように……?


   ……ふふ。


   まこちゃん……?


   家族って、さ……あたしのこと、だよね。


   うん……まこちゃんのことよ。


   へへ、そっかぁ……。


   ……あなたは、私の大切な家族。


   今はまだ、恋人だけど……いつかは、亜美ちゃんの家族に。


   ……家族のルールを決めないとね。


   家族のルール……?


   ……ここに書いてある。


   あ、本当だ……へぇ、色々あるな。
   相手の話を途中で遮ったり、「けど」とか「でも」とかは出来るだけ使わない。
   うん、これは分かるな。まずは、相手の話をじっくりと聞かないと。


   まこちゃんはいつも、ゆっくりと聞いて呉れるわよね。


   やっぱり、話はちゃんと聞かないとね。
   あと、相手を否定しないことも大事だ。


   ……私、出来ているかしら。


   うん、出来ているよ。


   ん……まこちゃん。


   亜美ちゃんもあたしの話、ちゃんと聞いて呉れる。ちゃんと聞いてから、意見や感想を言って呉れる。
   話を聞かずに、否定されることがない。途中で否定されないから話しやすい、最後までちゃんと話せる。
   それがね、とても嬉しいんだ。だからあたし、亜美ちゃんのことは誰より信頼しているんだよ。


   ……私も。


   あたしのこと、信頼して呉れてる?


   ……ん、してる。


   ふふ……。


   ……まこちゃん、くすぐったいわ。


   嬉しくて……亜美ちゃんのお腹、こしょこしょしたくなっちゃった。


   もぅ……何よ、それ。


   亜美ちゃんのお腹の感触、好きなんだ……。


   ……あまり、くすぐらないで。


   ん……もう、止める。


   ……ねぇ、まこちゃん。


   なんだい……?


   ……ふたりで旅行。


   旅行……良いね、どこへ行こうか。


   ……将来の夢に、旅行でも良いのね。


   そりゃあ、良いに決まってるさ……何処へ行きたいとか、何が見たいとか、何が食べたいとか。
   旅館にするか、ホテルにするか……色々話して、決めるのも楽しいと思うんだ。


   ……外国。


   外国……?


   国内も良いけど……外国にも行ってみたい、あなたと。


   外国か……じゃあ、ドイツかな。


   ……ドイツ?


   でさ、フランスも良いよね……フランスのお菓子が食べたい。


   お菓子なら……色々調べていきましょう。
   それぞれの国に、色々なお菓子があると思うから……。


   例えば、スペインだと……チュロス、かな。
   あとは、クレマ・カタラーナとか。


   アロス・コン・レチェも有名よね。


   あれね、面白いよね。


   お米と牛乳、砂糖で作るのよね。


   然う、それでシナモンで味付けするんだ。
   日本人にはちょっと分からないと思う。実際、あたしも良く分からない。


   だけど、日本にも牡丹餅或いはお萩があるから。
   蒸したお米に甘いあんこをまぶすなんて、昔のひとは良く考えたと思うの。


   確かにねぇ。考えてみれば、お餅も元々お米なんだよね。
   それにあんことか、甘くして食べるんだから……アロス・コン・レチェも、意外にいけるかも知れない。


   冷やして食べるそうだから……意外と、食べられるかも知れないわ。


   食べるの、ちょっと楽しみになってきた。
   行くかどうかは、別として。


   ふふ……機会があったら、行きましょう。


   うん、行こう。


   イギリスだと、スコーンがあるけれど、まこちゃんとしてはやっぱりカップケーキかしら。


   そうそう、カップケーキ。
   18世紀のイギリスが発祥で、当時は妖精の為のケーキのようだってことで、フェアリーケーキって呼ばれていたんだ。


   ふふ、妖精と言えばまこちゃんよね。


   三時の妖精さん、とかね。


   いつ聞いても、可愛いわ。


   今でも然ういうの、大好きなんだ。
   だから、イギリスやアイルランドにも行ってみたいな。


   アイルランド……まこちゃん、好きそう。


   ふふ、だろう?


   うん。


   カップケーキか、久しぶりに作ってみようかな。


   まこちゃんが作ったカップケーキ……フェアリーケーキも美味しいの。


   よし、じゃあまた今度作ろう。


   バタークリームで?


   バタークリームが良い?


   ホイップクリームも、美味しいけれど……バタークリームも好きよ。


   じゃ、両方用意しようか。


   ……手間じゃない?


   大丈夫、問題ない。
   だからね、楽しみにしていて?


   ん……してる。


   イギリスのお菓子と言えば、イートン・メスも美味しい。
   ダブルクリームとイチゴ、メレンゲを組み合わせるだけで、作り方はいたってシンプルなのに、味が絶妙なんだ。


   最近も、ぱぱっと作って呉れたわ。


   手軽に作れるからさ、糖分が欲しい時には良いと思うんだ。
   向こうでは夏のデザートみたいだけど、こっちではイチゴと言えば冬なんだよね。


   ん、クリスマスがあるから。


   で、ドイツのお菓子と言えば、バウムクーヘン?


   日本では有名だけれど、ドイツでは一般的ではないみたいのよね。


   でもドイツと言えば、やっぱり、バウムクーヘンだよね。


   ふふ、然うなのよね。


   クリスマスに食べるシュトーレンもドイツだっけ。


   ん、ドイツ。
   あとは……然う、黒い森のさくらんぼケーキ。


   ドイツ語で言うと?


   Schwarzwälder Kirschtorte。


   うーん、発音が流石。


   面白がっているでしょう?


   そんなことない、惚れ惚れとしているよ。


   もう、揶揄って。


   ドイツ語の発音は分からないけど、亜美ちゃんのドイツ語は好きなんだ。


   分からないのに?


   グーテンタークくらいなら分かるよ。
   あと、なんだっけ、お礼の言葉。


   Danke?


   そうそう、ダンケ。
   亜美ちゃん、いつもダンケシェーン。


   ふ……もう、まこちゃんったら。


   あはは。


   ……。


   亜美ちゃん?


   将来の夢……行ってみたい場所だけでも、色々話せる。


   うん、然うだね……夢は、ひとつだけじゃないんだ。


   ……ふたりで、叶えたいわ。


   ん、叶えよう……ふたりで。


   ね……家は、どうしたい?


   家?


   マンション……それとも、一軒家?


   マンションも良いけど……一軒家なら、小さなお庭が欲しいな。


   ……四季折々、きれいなお庭になりそう。


   お野菜も育てたいと思ってるんだ。


   ……うん、知ってる。


   家と言えば……大事な問題、お金のこと。


   お金は、大事よね……。


   亜美ちゃんが開業医になるにも、あたしがお店を持つにも、家を買うにも、生活をするにも、何をするにもお金は必要になる。


   貯蓄もしないと。


   貯蓄、か。


   金銭感覚、だけれど……私達はどうかしら。


   あたしは……どっちかと言うと、倹約家なのかな。


   でも、ストレスにならない程度には使っていると思うの。


   バーゲン、大好きです。


   お買い物をするにも、まこちゃんの感覚は優れているから……頼りにしてばかりで。


   ふふ、お買い物は任せてよ。
   特に日頃の食費については、ね。


   うん、これからも頼りにしているわ。


   亜美ちゃんは贅沢でないから助かるよ。
   仮に同じものが続いたとしても、文句ひとつ言わないで、食べて呉れるし。


   元々、食べることにはあまり頓着しなかったから……それが、良かったのかも知れないわ。


   だからって、偏るのは駄目だけどね、うん。


   金銭感覚……は、あまり問題ないかしら。


   うーん、然うだなぁ……あ、でも、あれだ。


   なぁに?


   大きいものを買う時は、相談して欲しい。


   大きいもの……家とか?


   家は、まぁ、ふたりで話し合うだろうから……もっと、他に。


   他……。


   ……宝石、とか?


   宝石……は、多分、買わないと思うわ。


   あとは……然う、車とか。


   自動車……確かに、それは大きなお買い物ね。


   だろう?


   まこちゃんは免許を取るつもりなのよね。


   うん、そのつもりだよ。
   亜美ちゃんは?


   私は……取れたら、取るつもり。


   取っておいた方が、何かと便利だと思うんだ。


   然うよね……。


   車は、二台?


   まずは一台……まこちゃんの好みのものを。


   いや、亜美ちゃんの好みも大事だよ。
   あたしだけの好みじゃあ、やっぱり駄目だと思うんだ。


   ……どのみち、黙って買うことはなさそうね。


   なさそうだけど……一応、ね。


   ん……一応。


   あとは……なんだろな、今は思い付かないや。


   まぁ、生活をしていくうちに出てくるかも知れないわ。


   ん、然うだね。
   その時は、ちゃんと話そう。


   うん、然うしましょう。


   家計管理も、大事だ。


   ええ、とても。


   お小遣い制? それとも、共同財布でやりくり制?
   分担するのも良いし……へぇ、家計費先渡し制なんてのもあるんだ。


   私達は……どれが良いのかしら。


   ……。


   ……まこちゃん?


   あたしは……亜美ちゃんよりも、収入が少ないと思う。


   どうして?


   お医者さんはお給料が良いというし……それこそ、宝石が買えるくらい。


   だとして……それが、どうしたの?


   いや、だから……そのう。


   私はお小遣い制でも構わないわ。


   ……へ。


   共同財布でも良いかも知れない。
   家計費先渡し制と分担制は、どうなのかしら。


   ……因みに、亜美ちゃんの家では。


   それぞれが管理していたと思うわ。
   多分、共同財布に近いと思う。


   共同財布……。


   収入の何パーセントかを入れる、という形でも悪くないと思うの。


   ……亜美ちゃんの方が多くなっても。


   まこちゃんの方が多くなったら?


   ……え?


   不満を持つ?


   あたしは……どうだろう、持たないような気がする。


   私も同じよ。


   ……同じ?


   然う……同じ。


   ……。


   そこも結局、話し合いだと思うの。


   ん……そっか、然うだよね。


   ……たまには、無駄遣いもしたくなるだろうし。


   急にお菓子を作りたいってなるかも。


   それは……まこちゃんにとっての、ストレス発散方法だと思うから。
   度が過ぎなければ、良いと思う。


   亜美ちゃんのストレス発散法は……。


   ……お勉強か、読書。


   お高い本を買う……?


   ……買うかも知れないわ。


   うん……まぁ、度が過ぎなければ。


   ……まこちゃんに、甘えるかも。


   え。


   ……ストレスを、ためないように。


   どんどん、甘えて。


   ……ん。


   甘えて欲しい。


   ……まこちゃんも、甘えてね?


   あたしも?


   応えられるように……頑張るから。


   ありがとう……どんどん甘える。


   うん……。


   ……。


   ん、まこちゃん……。


   ……風邪、治って良かった。


   まこちゃんが、居て呉れたから……。


   ……チキンとケーキ、食べようね。


   ん、食べましょう……。


   ……それから。


   ……。


   したい……な?


   ……今?


   今……じゃなくても、良い。


   ……。


   ……まだ、無理なら。


   じゃあ……。


   ……じゃあ?


   ……。


   ……亜美ちゃん。


   今夜……に、でも。


   え……良いの?


   ……うん。


   やった……っ。


   ……でも、あまり。


   ゆっくりする……。


   ……。


   亜美ちゃん……。


   ……結婚式。


   ……。


   それから……手続きや、届け出。


   ……ドレス、ふたりで着たいな。


   私は……。


   ……着たい。


   それについても、話し合わないと……。


   ね……今度、見に行こうか。


   今度……?


   そ……今度。


   ……。


   気が早くても、良いだろう……?


   ……じゃあ、今度ね。


   ん……。


   ……。


   こういうのを見るのも、結構、面白いものだね……。


   ……参考にもなるわ、ライフラインの手続きも載っているし。


   貰ってきて良かった……。


   ……。


   ねぇ、亜美ちゃん……。


   ……。


   ん……どうした?


   ううん……なんでもない。


   ……なんでも?


   なんでもないの……。


   ……なんでもあったら、直ぐに言ってね。


   ……。


   ……水野さん。


   え……?


   ……名字は、水野さんが良いかな。


   ……。


   それとも、木野さんが良い……?


   ……私は、どちらでも。


   じゃあ……水野さんだ。


   ……それで良いの、木野さんは?


   うん……あたしは、水野さんが良い。


   ……。


   叶うと、良いなぁ……。


   ……然うね。


   ……。


   ……。


   ……あたし達の未来はもう、決まっているかも知れないけど。


   それでも……夢を見るのは、自由だと信じているから。


   ……。


   ……ねぇ。


   なんだい……?


   ……あなたは、だぁれ。


   あたしは……木野まこと。


   ……。


   今を、亜美ちゃんと……水野さんと、生きてる。


   ……これからも。


   ん、これからも。


   ……。


   ……ん。


   好きよ……。


   ……あたしも、大好きだ。


   ……。


   ……風邪、治って良かった。


   あなたに、移らなくて良かった……。   


  1日
   新年、あけましておめでとうございます。
   昨日は今年最後の一日だということを忘れていて、挨拶で出来ませんでした。
   こんな私ですが、今年もどうぞ宜しくお願いします。





   ……亜美ちゃん。


   ん……。


   何を聴いているんだい?


   んー……今は、音楽?


   ……どんな?


   何か、バンドの曲……ボーカルは、男性。


   へぇ、珍しいね……タイトルは分かる?


   ……分からない。


   そっか……。


   ……まこちゃんも、聴いてみる?


   まだ、終わらなそう……?


   ん、どうかしら……。


   はは……本当に全く知らない曲なんだね。


   うん……流行りの歌も、分からないぐらいだし。


   だけど、音楽は好きだろう……?


   ……聴くのは好きよ。


   歌うのは?


   ……嫌いではないけれど。


   楽器は?


   ……普通、かしら。


   そっか。


   ……音を、楽しむ。


   ん……?


   ……楽しめれば、それでいいの。


   亜美ちゃんは音楽そのものが好きなんであって、ジャンルとか、誰が歌ってるとか、そういうのはどうでもいいのかもしれないね。


   そうなのかもしれない……。


   ……折角だから、聴いてみようかな。


   じゃあ……はい。


   うん、ありがとう。


   ……あ。


   うん?


   ……終わってしまったわ。


   あー……それは残念。


   ……ごめんなさい。


   いいよ、気にしないで。
   今回は縁がなかったんだ。


   せめてバンド名かタイトルが分かれば……。


   まぁいつか、聴けるかもしれないし。
   その時は、一緒に聴けたらいいな。


   ……うん。


   まだ、聴いてるかい?


   ううん……もう、いいわ。


   ごめん、邪魔しちゃったかな。


   そんなことない……聴きたいものは、もう、終わっているし。


   ドイツ語講座だっけ。


   ……ん。


   いつか、留学する為?


   ……。


   亜美ちゃん……?


   ……そうなったらいいなと、思っているけれど。


   亜美ちゃんなら、行けるさ。


   ……。


   ドイツ語だって、必ず話せるようになる。
   だって、こんなにお勉強してるんだ。


   ……ドイツに留学したら、遠くなってしまう。


   遠く……?


   ……まこちゃんから。


   あたしから……。


   ……ううん、この街から。


   ……。


   ……だけど、行ってみたいという気持ちを消すことは出来ない。


   だったら、行きなよ……ううん、行くべきだ。
   その時は……空港まで、お見送りに行くよ。


   ……まこちゃんに見送られたら、淋しくなってしまうかもしれないから。


   ……。


   ごめんなさい……。


   ……あたしも、淋しくなってしまうと思う。


   ……。


   だけど……出来るなら、見送りたい。


   ……ありがとう。


   でも、来て欲しくないのなら……行かない。


   ……来て欲しくないわけじゃない、むしろ、来て欲しい。


   亜美ちゃん……。


   ……まこちゃんも、ドイツに来てくれればいいのに。


   あたしは……無理、かな。


   ……そうよね、用もないのにドイツなんて。


   いや、頭が……それに、飛行機も苦手だから。


   ……苦手なの?


   うん……実は、音を聞くのも駄目なんだ。


   ……それは、鉄の塊が飛ぶから?


   それも、あるけど……。


   ……確率的には、電車の事故よりも。


   両親を、飛行機事故で。


   ……え。


   だから……音すらも、駄目なんだ。


   ご、ごめんなさい……私。


   いや……今はまだ、話してなかったから。


   ……どうして、こんな大事なことを。


   と言うか、前は話したっけ……?


   ……多分、聞いていると思う。


   あたしも思い出せないんだ……だから、気にしないでいいよ。


   ……。


   現世をもう一度、やり直しさせるなら……あたしの両親ぐらい、助けてくれても良かったのにね。


   ……そうすると、不都合なことが生じるのかもしれない。


   不都合なこと……?


   ……まこちゃんが、ご両親としあわせなままだと。


   あたしは、この街に来なかったかも……いや、来る必要がないか。
   両親が生きていれば、あたしは両親とあの家で今でも暮らしていただろうし。


   ……ごめんなさい、不都合なことだなんて言って。


   いや、亜美ちゃんは悪くないよ……亜美ちゃんが不都合なことにしたわけではないのだからさ。


   ……私の両親が別れることになったのも。


   やっぱり、そうなのかな……。


   ……でも、私の家はあまり関係ないかもしれない。


   ん、どうしてだい……?


   ……ふたりが不仲だったら、私はやっぱりひとりだったと思うから。


   そこは、仲良しにしておかない……?


   ……両親は、全てが合わなかったの。


   全て……。


   ……だから、別れないだけで、家庭内別居ということも。


   あぁ……それはそれで、きついな。


   ……。


   結婚すればしあわせ……なんてことは、夢物語なのかな。


   ……ひとにもよると思うから。


   ひと……。


   ……まこちゃんのご両親のように。


   ……。


   ……女の子は自分の父親のようなひとを選ぶという話もあるわ。


   お父さんのようなひと……確かに、いいかもしれない。


   ……私は、合わないと思う。


   ……。


   ……母親に似ているかもしれないから。


   お父さんみたいなひとでなくても……亜美ちゃんに合うひとは必ずいるよ。
   だって、世界は広いんだ……もしかしたら、ドイツにいるかもしれない。


   ……。


   それか気付いてないだけで、身近にいて、もう出逢っているかもしれない……だから。


   ……いなくてもいい、結婚願望なんてないから。


   亜美ちゃん……。


   ……誰とも、深く関わりたくないの。


   あたしとも……?


   ……。


   あたしとも、関わりたくない……?


   ……まこちゃんとは、結婚出来ないもの。


   ……。


   ……まこちゃんが言っていることは、そういう意味ではないわよね。


   もしも、あたしと結婚出来たら。


   ……何を言っているの?


   結婚出来たら、あたしとともだちにはならなかった?


   ……そんなの。


   いつか、ともだち同士でも結婚出来るようになるかもしれない。


   それは、どうかしら……婚姻制度の仕組みをを考えたら、少なくとも、同性同士は有り得ない。


   そういうのは、とりあえず、横に置いていこう。


   ……横に。


   ともだちであるあたしと結婚出来るようになったら……そうしたら、亜美ちゃんは。


   ……私よりもずっと素敵な恋人と、まこちゃんは結婚すると思う。


   ん……。


   おともだちよりも……ずっと、大切な恋人と。


   ……ともだちだって、大切に思っているよ。


   だけど……大切さが、違うわ。


   ……そんなことない、今のあたしならその大切さが分かるんだ。


   ……。


   ねぇ、亜美ちゃん……話を逸らさないで、答えて欲しい。
   もしもあたしと結婚出来たら、亜美ちゃんはあたしと……。


   ……クラシック。


   くら……?


   ……ショパン。


   ショパンの曲が流れているの……?


   ……頭の中で、ラジオはもう切ってあるから。


   頭の中……。


   ……まこちゃんと結婚出来るようになったら、してもいいと思うかもしれない。


   ……。


   だけど……やっぱり、誰かと生活することは私には向かないと思う。
   どんなに好きだったとしても……その感情はいつか、冷めるだろうから。


   ……いつか。


   ……。


   いつか……あぁ、でも。


   ……まこちゃん。


   うん、止めよう……この話。


   ……。


   亜美ちゃんは、クラシックも聴くよね。


   うん……たまに、だけれど。


   作曲家は誰が好き?


   ……ラヴェル、かしら。


   ラヴェル……って、誰だっけ。


   フランスの作曲家で……。


   どんな曲を作曲したひと?


   有名な曲だと……ボレロ、水の戯れ、亡き王女のためのパヴァーヌ。
   水の戯れは音楽の授業で聴いたと思う。


   水の戯れ……あぁ、聴いたかも。
   なんだか、水が戯れているような曲だろう?


   ……。


   あれ、そのままだな。


   ……でも、まさにそんな曲だから。


   あの曲は眠くならなかった。


   ……そうなの?


   途中から、マーキュリーの姿を思い浮かべながら聴いてたから。


   ……私を?


   水の戯れ、だから。
   水と言ったら、マーキュリーだ。


   ……そういうもの?


   あたしにとっては、ね。


   ……そう。


   ごめん、嫌だった?


   ううん……嫌じゃないわ。


   ……ごめん。


   本当に嫌じゃないから。


   そっか……良かった。


   ……ボレロも知っていると思う。


   どんな曲?


   ……まこちゃんは、バレエには興味がある?


   バレエ……あまり、ないかなぁ。


   ……じゃあ、フィギュアスケートは?


   フィギュアスケート……スケートは得意だけど。


   ……ボレロは、アイスダンスで有名になった曲なの。


   へぇ、そうなんだ。


   ……多分、聞けば分かると思うわ。


   ね、歌ってみて。


   ……え?


   少しだけでいいから。


   ……。


   あ、いやかな。


   ……少し、だけなら。


   やった。


   ……そんなに上手じゃないから、分からないかもしれない。


   亜美ちゃんの歌声、あたし、好きなんだ。


   ……。


   だから、うれしい。


   ……本当に、少しだけだからね。


   うん。


   ……はぁ。


   ……。


   ……~~♪


   ……。


   ~~~~~♪


   ……あ、聞いたことある。


   ……。


   あれ、終わり……?


   ……分かったのなら。


   もう少し、聴きたかったな……。


   ……もう、おしまい。


   あ、うん……。


   ……亡き王女のためのパヴァーヌも、聴けば分かるかもしれない。


   そっか……じゃあ。


   ……歌わない。


   あー……残念。


   ……。


   ところで、ぱばーぬってなんだい?
   なんとなく、ババロアに似てるけど。


   え、と……16世紀から17世紀のヨーロッパの宮廷で普及していたダンス、またはその音楽のこと。


   へぇ、ダンスか。
   あたし、ダンスもわりと得意なんだ。


   ……「亡き王女のため」という題名ではあるけれど、ラヴェルは、「小さな王女が踊ったようなパヴァーヌ」としていると。


   小さなお姫さまのダンスかぁ……ふふ、それは可愛らしそうだ。


   ……。


   ね、亜美ちゃん。


   ……もう、歌わない。


   いや、いつかふたりで踊ってみようよ。


   ……はい?


   ダンスの曲なんだろ?
   だから、一緒に。


   ……宮廷のダンスなんて、踊れるの?


   分かんないけど……ちょっと興味があるんだ。


   ……。


   亜美ちゃん、あたしとパヴァーヌを。


   ……ふ。


   ん?


   ……そうやって、言うのかしら。


   ほら、あたしとワルツをって言うだろ?


   言うの?


   あれ、言わなかったっけ。


   ……聞いたことないけど。


   んー……でもまぁ、いいんじゃない?


   ……。


   ねぇ、いつか踊ろうよ。


   ……うん、いつか。


   ふふ、やった。


   ……。


   楽しみだなぁ。


   ……ところで、まこちゃん。


   うん?


   ……何か用があったのではないの?


   あぁ、そうだった。
   おやつにしない?


   おやつ?


   ブルーベリーパイが焼けたんだ。


   ……あぁ。


   食べるかい?


   ん……食べる。


   じゃあ、お茶の時間にしよう。


   ……ん。


   ……。


   ……?
   まこちゃん?


   そういえば、お勉強をしている時には聴かないなって。


   ……音楽?


   うん。


   お勉強をしている時はお勉強だけ、他のことはしないの。
   でないと気が散ってしまって、お勉強に集中出来ないから。


   そもそもお勉強をしている時に音楽を聴いていたら、頭に入らないんだっけ。


   やっぱり、どちらかの方がいいと思うわ。
   何かをしながらだと、どちらかに偏ってしまうか、どちらも中途になってしまうか、そのどちらかだと思うから。


   そっか……そうだよね。


   ……まこちゃんは、聴きながら?


   ラジオとかテレビとかの音を聴きながら、が多いかな……その中からは、音楽も流れてくるよ。


   まこちゃんは、どんな音楽が好き……?


   あたしは……明るい曲が好きかな。
   でも、静かな曲や穏やかな曲も聴くよ……悲しい曲も。


   ……クラシックは?


   テンポがゆっくりだと、眠くなっちゃうかな……特に勉強をしている時だと、子守唄になっちゃう。


   ……ふふ。


   良い具合に、眠気を誘ってくるんだよね。


   ……分からないわけではないわ。


   ほんと?


   ん……本当。


   へへ、そっか。


   ……。


   ん……亜美ちゃん。


   ……ねぇ、まこちゃん。


   なんだい……?


   ……あなたは、だれ。


   え……。


   ……。


   あみ、ちゃん……?


   ……ごめんなさい、なんでもないの。


   でも……。


   ……木野さん。


   あ……。


   ……。


   ……水野さん。


   ……。


   違和感……。


   ……あと、少し。


   ……。


   ……パイが、冷めてしまう前に。


   うん……一緒に、食べよう。


   ……うん。