第3章 フェースの過去 フェースの策略の夜から1ヵ月。 現代の暦で言うと、11月下旬頃だった。 青々としていた城の周りにある森の木々の葉も散り、淋しげな森の中を滑る風の音だけが、空しく響いていた。 シーフラの心の傷も少しずつ癒えてきていたころだった。 シーフラは、最近図書室に入り浸りになっていた。 1人にならないほうがいいとフェースには言われていたが、シーフラは、部屋にある本を全て読みつくしてしまっていた。 そう、シーフラが言うと、フェースはずっと図書室の中でずっとつきっきりでシーフラに寄り添っていた。 「今日は、何を読むんです?」 「そうね・・・法則の本でもいいんだけど・・・。」 法則とは、この世界全てを作る法則のことだった。 その時代には、推測でしか書かれなかったが、今で言う分子や原子などの存在が詳しく書かれていた。 「法則・・・ですか。」 よく分からない、とフェースは首を振った。 学問を知ることさえ許されなかった子供時代。 辛い記憶を思い出しそうになって、フェースはその考えを頭から追い出した。 「えぇ・・・。本当は、外のことも考えなければならないんだけど・・・。」 「いいんですよ。無理しなくても。」 フェースは、相変わらずの笑顔でニッコリと微笑んでいた。 その裏で、新たな計画が立てられているなど、数日前にはフェースでさえも予想していなかった。 それは、「暗殺計画」だった。 1つ目は、シーフラが王座の上で、国民たちの訴えを聞いている時に起こった。 王座の右側から、急に何かが飛んできた。 幸いにも、フェースがそばにいたから良かったものの、それはボーガンの矢だった。 毒が塗ってあり、かすりでもすれば一大事だった。 2つ目は、シーフラが1人で図書室に行ったときのこと。 フェースは少し遅れて図書室に行くことになっていた。 その間に、重さが約100kgもある大きな本棚が倒れてきたと言うのだった。 それ以来、フェースは本当にシーフラのそばを離れることはなくなった。 過保護だという者もいるかもしれない。 だが、それだけ緊迫した状況にかわりつつあった。 それ以外にも、料理に毒が盛られていたことも、部屋の前にナイフがぶら下がっていたこともあったという。 シーフラは、また精神的に悩まされることとなった。 それと同時に、シーフラの妹、イーアとメアンも身の危険を考えなくてはならなかった。 シーフラはそのあと、異国の本を手にとっていた。 そして、シーフラはほとんど辞書を引くこともなく、フェースにはわけの分からない本を読破しようとしていたのだった。 「早い・・・ですね。」 「・・・。」 シーフラから、返事はこなかった。 集中している時は、何もしゃべらなくなるのが、シーフラの性格だった。 ゆえに、他のことにまで注意を向けることができなくなる。 フェースが過度な心配をするのには、そういうわけがあったのだった。 ―集中力は、時に一番力を発揮する。けれど、女王さまの場合、それが一番恐い。 フェースはずっと剣の柄に手を当てた状態のまま、3時間は立って護衛をしていた。 ―こういうところを見ると・・・ホント、子供みたいだな・・・。 そう考えた後、フェースははっとしてその考えを追い出した。 ―なんてことを、考えてんだっ!! そんなフェースの様子にも、シーフラは気づかなかった。 そのあと、シーフラは気のすむまで本を読みあさり、やがてきつい西日に、はっと我に返った。 「大丈夫ですか?」 「えぇ・・・。そろそろ、帰りましょうか。」 シーフラの返事を聞き、フェースはうなずいた。 「そうですね。」 どんなに集中していても、時間の感覚だけはきちんとある女王に、フェースはフッと微笑んだ。 2人は図書室に鍵をかけ、ときどき給仕たちが行き交う回廊を、無言で進んでいった。 そして、5階にあるシーフラの部屋につくと、フェースはふっと息をつき、どうぞ、という風に扉を開けた。 シーフラは少し部屋の中をうかがったあと、中に入っていった。 「じゃあ・・・おやすみなさい。」 「えぇ。おやすみ。シーフラ女王。」 フェースはいつものように、人なつっこい笑みをたたえ、部屋を出て行った。 だが、そのあと、4階にある自分の部屋に戻ろうとして、フェースはふと変な胸騒ぎを覚えた。 ―まさか!? 戦士の勘は鋭い。 いかなる小さな違いも、見逃すことはなかった。 それが、戦争で生き残るための手段だった。 フェースは、今来た道を引き返し、シーフラの部屋の扉を叩いた。 『はい?』 中から聞こえてきたのは、まぎれもないシーフラの声だった。 「女王さま?私です。フェースです。」 『今、あけるわ。』 タタタタタッという足音のあと、扉が開いた。 「女王さま、やはり、不安なのですが。」 「何・・・が?」 シーフラの不安そうな顔に、フェースは大したことじゃないだろうと、言おうとした。 けれど、嘘はつけなかった。 慎重に、絵画の裏や、机の下など、いろいろな場所を調べていく。 そして、ベッドのそばまで来た時、フェースの足がぴたりと止まった。 「フェース?」 シーフラの声に、静かに、という合図を送り、一気に枕と布団をまくり上げた。 ―いた! フェースは逃げていく小さな塊を、逃すことはなかった。 すさまじい速さで、その塊をつかむ。 ダン、と床に押さえつけた。 フェースが手を開くと、そこには猛毒を持つというアフリカの大地に住むサソリが蠢いていた。 「フェース・・・それは?」 「サソリ、でしょう。間違いなく。」 ―このサソリは異国の地の物だ。今度は、部屋にまで侵入してきたのか・・・!自室まで、危険な場所になってしまった・・・。 フェースは、そう考えをめぐらせた。 その時、ズキリ、と左手が鈍い痛みを訴えた。 フェースはそっと手を離すと、サソリを逃がしてやった。 「大丈夫だったの?素手で触っても。」 「少し、さされたかもしれませんね・・・。」 軽く言うフェースに、シーフラは本当に大丈夫か、と視線を向ける。 「大丈夫ですよ。」 そう言うと、フェースはシーフラの部屋にある洗面台の方へと向かった。 「少し、かしてください。」 そのあと、サソリの毒を吸い出す作業を、フェースは何度も行った。 物事が解決した後、シーフラは改めて自分がどんな立場に立たされているのかを知った。 ―部屋も・・・安全ではない。 フェースと同じことを考えた。 ―この城にはもう・・・私の居場所もないのかもしれない。 変に空しさと淋しさを覚えた。 「シーフラ女王?」 フェースの声が、そばでした。 「きゃっ!」 考え事をしていたシーフラは、フェースがそばによってきたことさえ気づかなかった。 「また、何か考えていたんですね?」 「えぇ・・・。」 シーフラはかすかにコクリとうなずいた。 その時、フェースはとんでもないことを言い出した。 「今日は、私の部屋に来てください。」 シーフラは一瞬、自分の耳を疑った。 「フェースの・・・部屋に?」 「そうです。寝ているときが、危ないかもしれませんから。」 フェースはどうやら、本気のようだった。 「本当に・・・?」 「はい。」 フェースの決意を秘めた瞳に、シーフラは逆らうことができなかった。 「分かったわ・・・。」 「寝間着に着替えたら、呼んで下さい。」 そう言うと、フェースは部屋の外へ出て行った。 シーフラは、少し不安になりながらも、着替えを始めた。 扉の前に座りこんだフェースは、夜の回廊に目を走らせた。 体中を耳にし、あたりに不穏な気配がないか、確かめた。 確かめ終わると、今度は、サソリを仕掛けた者が誰なのかを、考えはじめた。 ―この部屋に入れるとしたら・・・鍵が必要だ。 フェースが鍵穴を見ると、こじ開けられた様子はなかった。 この部屋の合鍵を持っているものといえば。 ―じいやと・・・ランディ・ジェイク・・・! 2人の人物が、すぐに浮かんだ。 ―いや・・・誰かが合鍵を盗んだ可能性もある。 そうなると、特定するのは難しい。 ―うーん・・・? 考えることは、あまり得意ではないフェースは、そこから考えるのをやめた なぜなら、フェースは実践の方が慣れていた。 ―おのずと見つかるさ。 そんな軽い気持ちで、フェースは扉に背中を預けた。 その時、扉の向こうからかすかな声がした。 『フェース?』 「あ、はい!」 フェースは背中を扉から離すと、慎重に扉を開けた。 「着替えは・・・終わったけど・・・。」 「それなら、私の部屋に移動しましょう。」 言うが早いか、フェースはシーフラの手を引くと、扉の外へ出て、階段を下り始めた。 コツコツコツコツと、階段に2人の足音だけが響いた。 そしてフェースは4階の自分の部屋につくと、扉を開いた。 中を確認すると、シーフラを先に入れ、自分はあとから入った。 そして、また慎重に扉を閉めた。 フェースの部屋は、シーフラの部屋と大して変わらなかった。 ただ1つ、たくさんの植物以外は。 「これ・・・全部フェースが育てているの?」 「え・・・?あ、はい。死んだ母が・・・大好きだったんです。」 聞かない方が良かったかと、シーフラは一瞬気を使った。 けれど、フェースはそんなシーフラの様子にも気づかず、ベッドを整えていた。 「そろそろ、寝ます?」 「え?」 いきなり言われ、シーフラは聞き返してしまった。 「いや・・・だから・・・眠たくないのかなって・・・。」 「え・・・あ・・・そうね。」 シーフラの中で、今度はフェースと寝るのだろうかという、変な考えがよぎった。 けれど、その不安はすぐに解決された。 フェースが、たんすの奥から毛布を引っ張り出してきていたからであった。 「あ、私、床で寝ますから。ゆっくりしていいですよ。」 「でも・・・悪いんじゃ・・・。」 シーフラがそう言うと、フェースはとんでもないと首を振った。 「女王様、あなたは仮にも一国一城の主なのです。王なのですよ?遠慮してはいけません。でないと、今まで作られてきた主従関係というものが、成り立たなくなってしまいます。」 フェースはそう言ったあと、心の中でこう付け足した。 それが・・・女王様のいいところでもあるんだけれど、と。 「本当に・・・いいの?」 「どうぞ。遠慮せずに。」 フェースは、半ば強引にシーフラの手を引くと、ベッドのそばに連れてきた。 「それとも・・・私と一緒に寝ますか?」 「えっ!?と・・・。」 シーフラが戸惑っていると、フェースはハハッと笑って冗談ですよ、と言った。 「冗談・・・に聞こえないわ。フェースが言うと。」 「そうですか?」 そう言いながら、フェースは毛布に包まった。 シーフラも、布団のなかに体を滑らせた。 ひやりとした冬の布団独特の冷たさがシーフラには心地よくさえ思えた。 ―居場所は・・・ここにあった。 だが、問題はもう1つあった。 シーフラは、ベッドの中で、ごろりと寝返りを打った。 数十分ほどして、また違う方向に体を動かす。 そして、それからまた体を別の方向に動かした。 シーフラは、うっすらと目を開けて、下のほうへ目をうつらせた。 フェースの表情は、シーフラからは見えなかった。 ―まだ・・・起きているのかしら? その時、フェースがゴソゴソと動き、シーフラの方を向いた。 「寝られませんか?」 「え?」 シーフラは、心の中を見透かされたような気がして、少し戸惑った。 「あ・・・えぇ・・・枕が変わると・・・。」 「そうですか・・・何か、話でもしましょうか?」 フェースが、気を利かせてシーフラに話しかける。 「え・・・あ・・・うん。」 シーフラがそう答えると、フェースは口を開いた。 「子供の頃の話でも・・・しましょうか。」 フェースは、幼い頃を思い出そうと考えこんだ。 「フェースが子供の頃?」 「えぇ。いいですか?」 フェースがそう問うと、シーフラはコクリとうなずいた。 「私が・・・子供の頃は、インフェリアだからという理由で、父も母も奴隷扱いだったそうです。」 フェースの長い昔話が始まった。 シーフラは、インフェリアという言葉に、また、あの頼りない王だという感情の悪循環が始まりそうになった。 だが、フェースは言葉を続けた。 シーフラはそれに気持ちを集中させようとした。 「母は・・・栄養失調で、道端に倒れたまま、意識を失って亡くなったと聞いています。たしか・・・私が、2歳の頃だったかと・・・思います。父は、男手一つで私を育てようとしたそうですが、ミルクなどと言う上等なものもなく、街の下水から水をくんできて、なるべくきれいにして飲ませたと言っていました。」 シーフラは、自分とはまるで違うフェースの子供時代に、明るく生きているフェースがどれだけ辛かったかを悟った。 「5歳頃になると、父が亡くなり、叔父の家に預けられ、すぐに働くことを覚えました。最初は、果実を市場まで運んだり、雑用をしたりしていました。叔父は、金髪だったので庶民の生活をしていました。ぼろぼろの服を着ている私を、拒むことなく受け入れてくれた叔父には、感謝しています。」 シーフラはまた、驚いた。 ―父は、きちんと10歳までは働いてはならないという良法を出したはずなのに。 インフェリアは、良法の対象にさえならない。 それなのに、刑罰の対象にはなった。 しかも、インフェリアであるか、そうでないかというだけで、刑罰の重さは変わっていた。 インフェリアは、りんご1つ盗んでも、重い罪に問われる。 だが、そうでない者は、賄賂でやりすごす者、笑って許される者など、軽い罪ですんだ。 「叔父が武術を教えてくれたのは、引きとられてすぐでした。『絶対、死ぬな。お前は、生きるのだ。』と、言ってくれたのです。それから、ずっと世間に隠れて武術の訓練が始まりました。10歳になった頃、今度は、動物を絞める仕事も来るようになりました。それだけはいやで仕方がなくて、いつも、逃げ出してばかりでした。」 動物を絞めると言うのは、つまり、その動物の命をうばうことだった。 心やさしいフェースには、耐えられない仕事の1つだっただろう。 「12歳になった頃に、叔父の家から逃げ出しました。その時に、黄色いペンキを頭からかぶって、髪を染めようとしたことさえあります。そのあと、いろいろなところで、物を売り歩いたりする仕事をして、何とか生計を立てていたと思います。それから、今にいたるまでの3年間ほどは、もう死に物狂いで生きていただけでした。」 死に物狂い・・・その言葉に、どれだけの重い意味が含まれているのだろう? シーフラはそれを聞いて、フェースのことをあらためて知ったような気がした。 「叔父の家を飛び出してきてから3年間・・・路地裏で雨をしのいだりもしました。何かを買いに、店などにはいれば、やはり店の裏で待たされることが多かったです。一番・・・ショックだったのは、雨の中で老人や、女性、子供が雨ざらしになっていたこと・・・だったと思います。女王様を見た時は、絶対この人の親兵になる、と決めたんです。」 だんだんと、シーフラのまぶたが重くなってきた。 フェースの話がつまらないわけではない。 ただ、ベッドの匂いやフェースの声が心地よくなって。 「インフェリア差別の実態を伝えようと思ったのです・・・って、寝ちゃいましたか。」 フェースはまたふっと笑うと、目を閉じた。 しかし、体中では警戒していた。 裏切り者がいつ襲ってきても起きられるように。 |
第4章 |