第2章 裏切り者とフェースの策略 ガーズマン大会のあと、シーフラは眠れぬ日が続いた。 なにしろ、男性に抱かれたことなどなかった。 しかも、大衆の前で、いわゆるお姫さまダッコである。 違う意味で、シーフラは外に出たくなくなっていた。 そんなある日、シーフラはいつものように机に頬杖をつき、ボゥッとしていた。 コンコン、とノックの音が響く。 「はい?」 シーフラが返事をすると、ドアの向こうからまた声がした。 「入ってもよろしいでしょうか?」 じいやの声だった。 「いいわ。入って。」 機能していない脳を無理やり起こし、シーフラは返事をした。 「失礼いたします・・・。」 いつもよりも、じいやはやつれているようだった。 その姿を見て、シーフラは政治を任せきりにしていた、と思い当たった。 「じいや?疲れているようだけど・・・。」 「いえいえ、とんでもございません。」 じいやは嬉しそうに微笑んだ。 シーフラにねぎらってもらったことが嬉しかったのか、別の意味があったのかは、シーフラにはわからないことだった。 「それで・・・?何かあったの?」 けれど、いつもよりも暗いじいやの表情に、シーフラはいやな予感がした。 「それが・・・とても言いにくいことなのですが・・・でも・・・言っておいたほうがよいかと・・・。」 そう言うと、じいやは真っ白いシーフラの机に、1枚の地図を示した。 「実は・・・先ほど、オリエン・ギディという方から連絡を受けたのですが・・・どうも隣国のほうが・・・おかしいのです。」 「おかしいというのは?」 地図を見つめながら、シーフラは問い返した。 だが、点線や、赤丸がいろいろと書きこまれた地図を見れば、明らかなことだった。 「あの・・・近衛兵たちが、隣国と手を組み、謀反をたくらんでいるかもしれないと・・・。」 シーフラの予想はあたっていた。 「つまり・・・リ・ベリオン・ウォーの時と同じだと言いたいのね?」 リ・ベリオン・ウォーの、戦争の時も、反乱をもくろんでいた近衛兵と、王に反抗する者と、そして隣国のミニアス国とが手を組み、その頃の王と、王に忠誠を誓っていた者とが戦争を起こしたと言う話は、このデッソレイト王国では一番知られている話だった。 結局は、国王側が勝ったという話だが、その戦争で出た犠牲者は1億人を超えるとも言われていた。 「リ・ベリオン・ウォーが、繰り返されようとしている・・・?」 「そうでございます。」 地図に書かれた記号は、確かにそのことを表していた。 「すぐには戦争は起きないわね・・・でも、油断はしていられないのかも・・・。」 シーフラの脳は、だんだんと冷静さを取り戻していた。 「どういたしましょう?フェース様は、自室で女王様のご判断をお待ちです。」 「そう・・・。だったら、裏切り者をひそかに探し出してもらえないかしら・・・大きなことにはしたくないから。」 シーフラはそう言って、じいやを見上げた。 「はい。そうお伝えいたしましょう。」 では、とじいやは部屋を出て行った。 「・・・どうしたらいいのかしら?」 急にシーンとした部屋の中で、シーフラは1人、ため息をついた。 じいやから知らせを受け取ったフェースは、すぐに行動に移した。 と、言っても、あくまでひそかにということだったので、フェースは誰にも気づかれぬようにそっと行動した。 今では、フェースも親兵の証である制服を着ていた。 ―分かりやすいな・・・この近衛兵たちは・・・。 誰1人として純粋な瞳をしていない。 ―だが・・・どうしたものか・・・。 周りは敵だらけである。 ―隠れて会うとすれば・・・夜しかないか・・・? 昼間では、信用できる者もいない。 どこで聞かれるかも分からない。 ―よし・・・。 フェースは、ひそかに決意をした。 ヒュウ・・・と風にのって、シーフラの部屋に届いたものがあった。 現代で言う紙飛行機みたいなものだろうか? 「何かしら?」 シーフラは首をかしげてそれを拾い、広げてみた。 『夜1時 中庭にて待つ。 フェース』 簡単に書かれた文章。 けれど、シーフラには一目で緊迫した状況なのだと感じた。 「夜1時か・・・。」 だが、シーフラにはもう1つの不安があった。 「フェースと2人っきり・・・。」 ずっと避けていたことがバレそうで、フェースには会いたくなかった。 けれど。 「これも、国のため・・・。」 そういうシーフラは、気づかなかった。 扉の外に、裏切り者がいたことを。 そして、夜。 シーフラは、冷たい11月の空気の中、中庭にきていた。 「早すぎたかしら?」 変に緊張しすぎて眠れなかった。 その時、ガサリとシーフラの背後で音がした。 「フェース?」 ではない、とシーフラはとっさに身を伏せた。 シュッという、鋭く空気を切り裂く音が、シーフラの頭上でした。 「!?」 誰か、いた。 裏切り者が。暗殺者が。 ビュッと、シーフラの頭に剣が振り下ろされようとした。 「きゃあっ!!」 だが、その前にズドッという鈍い音がした。 「っ痛いな・・・。」 そのあと、ドサリという音がまたした。 「何が・・・?」 助けてくれた人物の正体は分かっていた。 けれど、何が起こったのかが、シーフラには理解できなかった。 「フェース・・・?」 「シーフラ女王、城に逃げてください!早く!」 フェースの叫びに、シーフラはサッと城に向かって走り出した。 何が起こったのかは理解できなかったが。 ―お父さまが言っていた暗殺者だ。 ズキリと頭痛を感じて、シーフラは急いで城に逃げこんだ。 「ハァ・・・ハァ・・・ハァ・・・。」 淋しげな灯火を頼りに、シーフラは自らの部屋に滑りこんだ。 「フェース・・・?」 逃げてきて、初めて思い出した不安。 「フェースが危ない・・・。」 とっさの判断を下し、シーフラは1階の玄関まで下りてきた。 そして、玄関の松明を借りると、また逃げてきた道を逆戻りした。 タッタッタッタッタッタッタッタッタッタッタッタ・・・ 闇に響くのは、シーフラの足音ばかりだった。 「何が起こっているのだろう・・・?」 疑問を呟きながらも、シーフラは松明をもって走りつづけた。 もとの裏庭に帰ってくると、そこにはすでにフェースしかいなかった。 「フェース?」 返事が返ってこない。 恐くなって、シーフラは松明をさらに上にあげた。 「フェー・・・。」 シーフラはそれ以上を発することができなかった。 口からつたってくる、鉄の臭いと、味。 ―血だ・・・!? シーフラが持っていた松明が、地面に落ちてジュッと音をたてる。 シーフラの口をふさいだ人物は、そのままシーフラを抱えあげ、城へと戻っていった。 あとには、静かに消えていく松明だけが残った。 「ふぅ・・・。」 シーフラは、口の中の血を洗い流しながら、救急道具の場所を思い出そうとしていた。 ―あそこだったかしら・・・?いや、ちがったような・・・? やっと思い出すと、口を洗い流すのをやめ、救急道具を取りにいった。 「フェース、もうちょっと待ってて・・・。」 そう言うなり、素早く救急道具を抱え、フェースのもとへ帰ってきていた。 シーフラの部屋のベッドは、朱に染まりつつあった。 「まだ・・・痛む?」 「大丈夫ですよ。」 短く返事をしたフェースは、大丈夫そうには見えないほど元気がなかった。 「本当に?」 シーフラは心配そうに呟いた。 ―私がもっと・・・素早ければ。 フェースの傷は、防げたかもしれなかった。 あの時、シーフラに振り下ろされた剣を受け止めるため、フェースはとっさに腕を使っていた。 「でも、本当に素人でよかった。あれがプロだったら、腕の傷、こんなものではすまないですよ。」 「あれは・・・一体誰だったの?」 シーフラが聞くと、フェースは軽く笑って答えた。 「答えは簡単です。あの、お坊ちゃまのジディアですよ。」 ジディア・・・決勝戦で、フェースに一瞬でやられた男。 「あの・・・ジディア・ショーン?」 「そうです。だから、傷も浅くてすんだ。それだけのことです。」 いつものように、フェースは優しい笑みを顔にたたえるのを忘れない。 「笑ってない時って・・・戦の時ぐらい?」 「そうですね・・・そういえば・・・裏切り者の件なのですが・・・。」 フェースの顔が、一瞬で真剣になった。 「それで・・・?」 「近衛兵たちは、全員疑ってかまいません。あいつらは、信用できない。」 シーフラは一瞬言葉をなくした。 「全・・・員・・・?」 「そうです。全員。」 ―そんなに、私には忠誠を誓えないの・・・? シーフラの中で、また頼りない王だ、なさけない・・・という、考えが、めぐり始めた。 「シーフラ女王?」 フェースの言葉も、シーフラには届かない。 フェースは少し考え、呼び名を変えた。 「お嬢さん。泣くのはおやめください。」 ゆっくりと、フェースはベッドから立ち上がった。 シーフラの意識が、すうっと戻ってくる。 「フェース!寝てなきゃ・・・。」 「大丈夫なんですってば。ね?」 優しい響きが、シーフラの耳に届く。 「そんなに自分を責めないでください。あなたが生まれた時、世間がなんて言って騒いだか知っていますか?」 「私が・・・生まれた時?」 シーフラは、話が見えなくなって、フェースに問い返した。 「そうです。あの時、この国中が、青い髪に驚きを隠し切れなかった。そして、あなたは、不安の予兆だと・・・言われるようになったのです。」 「・・・。」 シーフラが黙ってしまったのを見て、フェースはしばし話をつづけるべきか迷ったが、結局はつづけた。 「あなたは・・・戦火の王女とまで言われました。」 「つまり・・・戦争の予兆だと?」 シーフラが聞き返す。 「そういうことに・・・なりますね。」 「だから・・・皆が裏切っていくのかしら・・・?」 シーフラの言葉に、とんでもないとフェースが首を振る。 「そんなことはないです。」 ね、と優しく微笑みかけてくるフェースに、シーフラもやっと笑みを取り戻した。 「思い悩んではいけませんよ。じゃ、自分の部屋に戻ります。」 「傷は・・・大丈夫なの?」 シーフラの心配に、フェースは笑って答えただけだった。 ―本当に・・・大丈夫? 扉の向こうへ消えていく背中に、シーフラは心の中で問いかけた。 次の日、シーフラは、昨日の事件があった場所へ行ってみた。 痕跡といえそうなものは、燃えつきた松明以外、ほとんどなかった。 「これは私ので・・・。」 足跡をたどってみても、何も分からない。 フェースの足跡も、そこにいたと言うジディアの足跡も見つからなかった。 何の成果もあげられず、結局シーフラは燃えつきた松明をもって、城に帰った。 その時、シーフラの前に、何かが立ちはだかった。 「きゃっ!」 シーフラは、思わず立ち止まった。 「大丈夫か?」 ぶっきらぼうで、低い声。 「あ・・・ランディさん?」 シーフラは、おそるおそるランディを見上げた。 「『さん』づけはやめてくれ。前を見て歩かないと、怪我すっぞ。」 それだけを言うと、何の表情もなく、ランディは立ち去っていった。 「ふぅ・・・。」 シーフラは、ため息をついてランディを見送った。 ―あの人も・・・裏切り者なのかしら・・・? いつのまにか、人のことを裏で疑うようになってしまった自分がいやになって、シーフラは首を振ってその考えを追い出した。 その時、また、回廊の遠くから、シーフラを呼ぶ声がした。 「シーフラ女王!」 シーフラが振り向くと、そこにいたのはフェースだった。 「フェース!」 シーフラはそれだけ言うと、フェースのもとへ走っていった。 「どうしたんです?それは・・・。」 フェースは、自分のもとへやってきたシーフラを見て、一番初めによく目立つ、松明の燃えがらを指さして聞いた。 「これは・・・昨日もっていた松明。」 の燃えがら、と心の中でシーフラはつけたした。 「あぁ・・・そうですか。でも、それを持って歩きまわるのは、目立ちますよ?」 フェースはフッと苦笑して言うと、シーフラから松明の燃えがらをうけとった。 「捨てときますよ。」 「あ・・・えと・・・。」 シーフラは何も言えなかった。 それを予想していたかのように、フェースは笑ってじゃあ、と手をあげた。 ―また・・・何も言えなくなった。 この変な気持ちがなんなのかわからなかった。 いつもの冷静な自分が、またどこかへ行ってしまっていた。 「はぁ・・・。」 何も考えられなくなって、結局シーフラはそのまま部屋に戻った。 フェースは、松明の燃えがらを焼却釜に捨てると、昨日シーフラに言いそびれたことを、じいやに報告しようと決めた。 「さて・・・いつにするかな・・・。」 できるなら、盗み聞きされないような時と場所のほうが都合がいい。 だが、昨日の事件の結果から、どこで何が起きるか分からなかった。 「ジディアも裏切り者だったんだよな・・・。」 こうなったら、とフェースはあまり得意ではない頭脳作戦に出ることにした。 深夜、じいやと会う約束をし、じいやの寝室からでてきたフェースは、裏切り者たちの視線を体中に感じた。 ―さっきの会話に・・・しっかりとひっかかってくれよ・・・。 心の中で祈りつつ、フェースは部屋を出た。 その夜、フェースはひっそりと中庭にきていた。 じいやは、フェースの作戦について全て知っていた。 わざと、遅れてフェースのもとへ来るはずだった。 「フェース様・・・。」 かすかな声に反応して、フェースはじいやの方を振り向いた。 「じいや。裏切り者は・・・ランディ・ジェイクです。」 内緒の話をするには、少々大きな声で、フェースはじいやに話した。 「このことは、内密に。いいですか?」 「はい。」 そう言って、フェースはじいやと城に戻った。 だが、少し武術の心得のある者ならすぐに分かっただろう。 フェースがずっと剣の柄に手をあてていたことと、体中でずっと何かを警戒していたことを。 裏切り者たちは、フェースたちの会話を聞き、ひそかにほくそ笑んだ。 「ランディが裏切り者だとよ・・・。」 「大きな勘違いだな?」 フフフッという不気味な笑いのあと、ガサガサという葉ずれの音が、暗闇に溶けていった。 |
第3章 |