十 四 日 目 。

   
 巳 ノ 。










   …。


   …。


   …で、


   ……。


   できました…!


   うん。


   あの、どうですか…?


   ん、良く書けているわ。


   ほ、ほんとうですか?


   ええ。


   わ、やったぁ。


   これで家族皆の名前が書けるようになったわね。


   はい!


   其れでは次は漢字で、なんだけれど。


   はい、よろしくおねがいします。


   先ずは祐巳、貴女の名前から。


   はい。


   祐巳の“祐”は偏が示、旁に右と書いて…祐巳?


   ……。


   ああ。
   良い?祐巳。


   は、はい。


   “祐巳”とはこう書くのだけど。


   はい。


   漢字は必ず部首と呼ばれる構成要素があって、、
   “祐”で説明するとこの左側の部分は偏、この場合だと示偏と言うの。
   それから右側の部分を旁と呼んで、この場合は“右”が其れに当たるの。
   示偏は元々“示”と言う漢字でもあるわ。
   そして“右”も一つの漢字。
   つまり、示と右、この二つの漢字が合わさって“祐”と字は構成…出来ているのよ。


   …。


   “巳”はこれで一つの漢字。
   部首は己、或いは巳、已。


   ……。


   祐巳?


   …え、と。
   つまり私の字は…


   然うね。
   人に若しも説明する時があるのならば、示偏に右、巳年の巳と言えば通じると思うわ。


   ミドシって何ですか?


   干支の事よ。


   エト?


   今年は何年とか、今は何の刻とか聞かない?


   ああ!


   もっと詳しく言っても良いのだけど。
   其れは何れにして。


   …?


   ちなみに巳は蛇の事でもあるのよ。


   へ、へびですか。


   ええ。


   なんか、いやです…。


   だけど、蛇は古来より縁起が良いとされている生物なのよ。


   そうなんですか?


   特に蛇の皮は身を守り…身と言う字を巳にかけているのだと思うのだけど、


   ……。


   …兎に角。
   縁起が良いのよ。
   抜け殻をお財布に入れておくとお金が貯まるとも聞くわ。


   でもあんまりいれておきたくないです…。


   …気持ちは分からないでもないけど。
   とりあえず、書いてみましょうか。


   あ、はい。


   じゃあ、先ずは私の筆使いを見ていてね。
   平仮名同様、漢字にも書き順があるから。


   はい。


   祐…。


   …。


   巳…。


   …え、と。
   これがこう、で…あれ、が


   祐巳。


   は…あ。


   大丈夫。
   いきなり一人で書かせたりしないから。


   は、は、はい。


   其れでは筆を確りと持って。


   は、はい。


   先ずは祐。


   はい。


   次は、巳。


   …はい。


   初めのうちはこれを何度か繰り返すけれど、
   次の字からは其の回数を減らしていくから。
   己で確りと覚えること。


   ……。


   聞いてる?


   あ、あの…あ、はい。


   …?
   どうかして?


   あ、いや…その。


   何か不都合でもあった?


   そ、そうじゃなくて…あの。


   うん。


   よ、ようこさま、は…。


   私?


   …いいにおいだな、て。


   ……祐巳。


   あ、いや、すみません…ッ
   えと、えと…。


   …次はちゃんと身を入れて書くこと。
   良いわね?


   は、はい…!
   …あ、あの、ようこさま。


   ん、何?
   …言っておくけれど、ちゃんと集中しないと駄目よ。


   あ、はい、それはもう…。


   で、何かしら?


   えと、ようこさまはどうかくんですか?


   私より、先に祥子の方が良いんじゃない?


   も、もちろん、おねえさまのもきになります!
   だけどようこさまのもおぼえたいんです!


   ……。


   あ、あのぉ、ようこさま…?


   …祥子に怒られてしまうわね。


   はい…?


   特別。
   一回しか書かない。
   次は“祥子”だから。


   …!
   はい!


   私の名は…芙蓉の“蓉”に、子供の…










  十 五 日 目 。

   
 子 ノ 。










   …ま。


   …。


   …しゅさま。


   ……。


   …。


   ………。


   …お姉さま。


   …ん。


   お姉さま、宜しいでしょうか。


   祥子…?


   薬湯をお持ち致しました。


   …ああ、もうそんな時間。
   有難う、入って。


   はい。
   …。


   ん、何かしら。


   起きていらして大丈夫なのですか。


   今日は気分が良いのよ。
   天気が良いせいかしら。


   かと言ってそのような格好ではお体を冷やしてしまいますわ。


   然う言えば…然うね。
   上着は…


   何か、お書きものでもしていらしたのですか。


   ええ。
   と言っても、何でもない事なのだけれど。


   …拝見しても宜しいでしょうか。


   ええ、良いわよ。
   …ああ、相変わらず苦いわね。


   ……。


   ねぇ、何でもない事でしょう?


   どうしてこんなものを


   書いたのかって?
   矢張り気分かしらね。


   …。


   こう、改めて書いてみたら、みな、誰もが愛おしくて。
   貴女も、祐巳も、江利子も、令も、由乃も、志摩子も…それから聖、も。


   ……。


   然うだ。
   ねぇ、祥子。


   …はい。


   此の硯はね、貴女のお母上様のものなの。


   …。


   とても大事にしていらしたのよ。


   …ええ、知っていますわ。


   だから…ね。


   …。


   本当だったら此の硯は


   其れは先代さまの形見ですから。
   お姉さまが持っていらしたところで何も問題はありませんわ。


   …然う、かしら。


   ええ。


   ……。


   さぁ、お姉さま。
   薬湯を飲んだら今一度、お休みになって下さいませ。
   幾ら気分が優れているとは言え、お体に負担をかけてはなりま


   ね、祥子。


   …。


   本当だったら、ね…。


   …本当?


   貴女は私の妹では無くて


   お姉さま。


   …私、お姉さまに甘えてばかりで。
   そのせいで、貴女を母の知らない子に


   いい加減になさって、お姉さま。


   ……。


   私の母上様は先代さまだけ。
   他に誰が居ると言うのでしょうか。


   …他、の


   そして。


   ……。


   私のお姉さまは、蓉子さま、貴女さまだけ。
   他の誰でもありません。


   …然う。


   お姉さま、お体が冷えていますわ。
   このままだとお風邪を召してしまいます。
   どうぞ、横に。


   え、えぇ…。


   …。


   …ねぇ、祥子。


   …何でしょうか。


   私、ね…。


   …。


   思うように生きたわ…。
   仮令其れが、此の家の道理に背いた道であっても…。


   ……。


   だから、祥子。
   貴女も思うように…生きて。


   …お姉さま。


   ……あぁ。


   お姉さま、は…。


   ……せ…ぃ。


   …ッ


   ……。


   …それでも。


   ……ん。


   貴女は私だけのお姉さまですから。
   其れは幾らあの方にでも譲れない…いえ、変えられない事ですから。
   然う…どんなに愛したところで、其れだけ…は。


   ……。










  ツ イ デ 。

   
 上 ノ 。










   …。


   蓉子、今日は何を読んでいるんだい?


   あ、兄上。
   え、と、


   楽毅、だね。
   確か、燕の昭王に仕えた人だったっかな?


   はい、そうです。


   面白いかい?


   はい。


   蓉子は本が好きだね。
   と言うより、文字が好きなのかな。


   …?


   文字は人の言葉や歴史を紡ぐ。
   時には、人の想いさえをも。
   文字はまさに生きているんだ。


   …。


   蓉子には未だ、難しかったかな。


   いえ、なんとなく分かります。


   そうか。
   蓉子は聡いな。


   あ、兄上。


   ん?


   頭、ぐしゃぐしゃにしないでください。


   撫でているのだけどな。


   にゃ…。


   はは。
   姉上達が言っている意味が分かるな。
   蓉子は小さくて本当に可愛い。


   もう、兄上…!


   ごめんごめん。
   お詫びに今度、蓉子の好きなお団子でも買ってきてあげるよ。


   いりません。


   あん団子。
   好きだろう?


   むだづかいしていると、お姉さまにしかられますよ。


   勿論、母上には内緒だ。
   蓉子も言っては駄目だよ。


   …。


   蓉子。


   …いけない。


   ん、何がだい。


   聖が起きちゃう。


   え?


   早く、しないと。


   何を言っているんだい?
   聖が


   ああぁぁぁ…ッ


   …あ。


   兄上、失礼します!


   あ、蓉子。


   聖…。


   …やれやれ。
   蓉子は聖の事となると、読みかけの本の事も意識から無くなってしまうんだ


   あああぁぁぁぁぁ…ッ


   …しかし、凄い声だな。
   蓉子があれくらいだった時はもっと、可愛かったぞ。


   兄上。


   ん、どうかしたのかい?


   おむつを…


   え?


   おむつを替えるので…


   僕が…かい?


   そんなわけないでしょう!
   早く、出て行ってください!!


   あ、はい、すみません…。