十 二 日 目 。

   
 摩 子 ノ 。










   …。


   …失礼します。


   …ん。


   蓉子さま、お姉さまに薬湯をお持ち致しました。


   しま、こ…?


   はい。


   …然う。
   もう、そんな時間なのね…。


   …お時間をずらして、再度お持ち致しましょうか?


   いいえ、今で良いわ。
   ごめんなさいね、少し寝入ってしまったみたいで。


   ……。


   どうぞ、入って。


   …はい。
   それでは失礼致します。
   …?


   ……。


   矢張り、後にしましょうか?


   …いいえ、良いわ。


   けれど…。


   見ての通り、聖は眠っているけれど。
   起きたら飲ませるから、置いていって。


   はい、分かりました。


   …ごめんなさいね、こんな格好で。
   ちゃんと起きるつもりだったのだけれど…。


   いいえ。
   恐らく、お姉さまが言い出しのでしょうから。


   …。


   お姉さまは…蓉子さまが傍にいらっしゃると心より安心するのでしょう。


   ……。


   まるで幼子のような寝顔で…


   …志摩子。


   蓉子さま。


   …何かしら。


   お姉さまを宜しくお願い致します。


   ……。


   とりあえず。
   お風邪を治して頂かないといけませんから。


   …然うね。
   薬湯は無理にでも飲ませるわ。


   駄々を捏ねそうですけれど。


   眠る前に。
   一応、約束はしたから。


   ああ。
   では、大丈夫ですね。


   とは言え、分からないけれどね。
   何しろ、聖だから。


   大丈夫です。
   蓉子さまとのお約束ならば。


   だからこそ、分からないのよ。
   だって聖だもの。


   くす。
   お姉さまは随分と信用が無いようですね。


   こと、薬湯の事となると本当に子供のように駄々を捏ねてくれて。


   だけれど、最後にはちゃんと飲むのでは無いでしょうか。
   決して破る事はしない。


   …まぁ、ね。
   でも大変なのよ。
   色々と。


   …蓉子さまが居て下さって。


   …?


   本当に良かったと思います。


   どうしたの、突然。


   私は母を知りませんから。


   ……。


   其れはお姉さまも…なのですよね、確か。


   …ええ。


   蓉子さまが居て下さったから、
   私は“志摩子
〈ワタシ〉”になる事が出来たのだと。


   買い被りだわ。
   私はそんな大それた人間じゃない。
   其れに名を考えたのは


   名をくれたのはお姉さまです。
   ですが…其の切欠を与えて下さった蓉子さまを私はお慕いしているのです。
   お姉さまと同様に。


   ……。


   ご気分を害されるかも知れませんが。
   私は蓉子さまを実の…


   …志摩子は。
   私などでは勿体無いわ。


   …。


   有難う。
   貴女が来てくれたから、聖は先に進めた。
   私こそ、貴女が居てくれて良かったと思う。


   勿体無い…いえ、有難う御座います。


   ……。


   ……。


   …あ。


   蓉子さま…?


   そろそろ、起きるかも知れない。
   約束どおり、薬湯を飲んで貰わないと。


   はい。
   どうか、無理にでも飲ませてあげて下さい。










  十 三 日 目 。

   
 梨 子 ノ 。










   …うーん。


   乃梨子。


   あ、志摩子さん。


   何をしているの?


   うん…これ。


   …ああ、この前のね。


   私を養子として呼んだのは、先代、なんだよね。


   …。


   うん?
   どうしたの、志摩子さん。


   みんな、知らなかったのよ。
   貴女が来るのを。


   …。


   だから本当に聖さまが、と言われると確実な答えを返す事が出来ないの。


   でも、前の家で言われたよ。
   この家の当主が話を持ってきたって。


   じゃあ、然うなのでしょうね。


   …い、いいかげん。


   ごめんなさい。


   あ、違うよ。
   志摩子さんがいい加減なわけじゃ無くて


   聖さま?


   然う!
   どうして志摩子さん達に話してなかったのかな、もう!


   子供のような方だったから。


   まさか驚かせたかった、とか。


   然うかも。


   うわ、ガキ…。


   だけど一番に驚かせたかったのは…この方だと思うわ。


   ……。


   乃梨子と同じ色の髪、の。


   …あの、さぁ。


   うん?


   聖さまって、どんだけ蓉子さまに懐いていたの。


   懐く?


   当主様が言ってた。


   ああ。
   江利子さまらしいわ。


   蓉子さまの絵なんて大事にしてるくらいだし。
   よっぽどだったんだね。


   乃梨子は自分の親の事、覚えてる?


   私の?
   ううん、知らない。
   私が家に来た時はもう、いなかったから。


   …然う、ごめんなさい。


   別に謝らなくても良いよ。
   あっちの家では割とそんなのが当たり前だったから。


   淋しかった?


   いや…まぁ、どんな人か話は聞いていたし、家族みんなで構ってくれたから。
   私の親、お母さんなのだけれど、当主だったんだって。


   特にお世話してくれた人は、いなかった?


   んー、どうだっただろ…。


   聖さまにとっては、それが蓉子さまだったの。
   聖さまもまた、親を知らない子だったから。


   へぇ?


   親、では無いのだけれど。
   親、のようでもあった。


   …。


   恋人同士ではあったけれど、幼子が母に甘えてるようでもあったのよ。


   …ふぅん。


   ね、乃梨子。


   うん?


   乃梨子の名って。
   誰が付けたか、知ってる?


   …志摩子さん。


   私は漢字を当てただけ。


   …。


   其の顔は、知っているのね。


   …前の家で聞いた話だと。
   山百合家当主のお嫁さんが、て。


   まぁ。


   …私は一応、先代の子になってるんだよね。


   だけど蓉子さまの子でもあると思うの。
   聖さまが…ううん、お姉さまが然う望んで。


   …なんだね。


   だから私はあのお二人に感謝をしないといけないの。


   感謝?


   だって、然うでしょう?
   お姉さまが貴女を望んで、蓉子さまが貴女を“のりこ”にしてくれた。


   …。


   だからこそ私は今、乃梨子と一緒に居る。
   居られるのだもの。










  番 外 。

   江 
 子 ト 志  子 。










   …。


   ごきげんよう、志摩子。


   …ごきげんよう、江利子さま。
   かような所で何をしていらっしゃるのですか?


   日向ぼっこ。


   …。


   と言うわけでは無くて。
   ただ単にやる事が無くて暇を持て余しているところ。


   然う、ですか…。


   志摩子は?


   私はお姉さまに薬湯を届けてきたところです。


   違う。


   …はい?


   今、暇?


   …手は空きました。


   ああ、然う。
   其れは残念。


   ……。


   毎日毎日、寒いわねぇ。
   いっそ雪でも降らないかしら。


   …降ってもおかしくはありませんね。


   でも最初だけなのよね、新鮮なのは。


   …。


   で?


   …何が、でしょうか。


   志摩子が思った事、で良いわよ。


   …眠っておられました。
   あの様子だと明日には熱はひく、と。


   其れは蓉子が?


   はい。


   相変わらずね。


   然うですね。


   代わりになりたいと思った事、ある?


   其れはどちらの、でしょうか。


   さぁ、どちらでも。


   ありません。
   私は「志摩子〈ワタシ〉」ですから。


   ふむ。
   優等生過ぎてつまらない。
   落第。


   申し訳御座いません。


   ま、良いけど。
   あーもう、本当に寒いわね。


   江利子さま。


   んー?


   宜しければ私の部屋に来ませんか。
   此処よりは暖かいと思います。


   お茶を煎れてくれるのなら。


   はい。
   お茶請けもありますよ。


   あら、いつのまに。
   志摩子も好きなのかしら?


   はい。
   幼き頃、蓉子さまから頂いた其の時より。


   渋い好みばかりでは無かったのね。
   干し銀杏を美味しいと言った一ヶ月児は其れはもう興味深いものがあったけれど。


   好きではありませんでしたか?


   と言うより。
   そんな昔の事、覚えてないわね。
   …ああ、でも。


   でも?


   きんつば。


   きんつば…?


   あれ、好きなのよね。私。
   どうしてかしら。


   一般的に美味しいと思いますけど。


   ものによっては、お団子より好きなのよ。
   だけどどんなものだったかしら。


   ……。


   時に。
   お茶請けは?


   …きんつば、です。


   あら。
   これは奇遇と呼ぶべきかしら?
   それともただの偶然?










   イ ツ カ 。

    
 遠 ト 。










   …。


   …久遠?


   …これ、が。


   久遠、何をしている…!


   ……。


   …ッ
   久遠、お前…。


   …どうして。
   どうして、よ。


   …。


   約束、してくれたじゃない。


   …言った筈だ。


   私の子が欲しいって…言ったじゃない。


   ……。


   偽り、だったの…。


   …。


   偽りだったの…ねぇ。


   ……されど、お前と俺とでは子を生せない。


   でも、だって…。


   久遠、この子は俺の子だ。


   …止めて。


   同時に、この家の子だ。
   叶うのならば、お前の


   止めて…ッ


   久遠、聞いてくれ。
   俺は…


   …さ、も。
   どうせ、この家を取ったのよ!
   私よりもこんな呪われた家が続く事を…!!


   …。


   だから…!
   だから、あんな残酷な事が言えるのよ…!


   ……すまない。


   私に子を残せなんて…!
   どうして、どうしてよ…!!


   久遠…聞いてくれ。
   俺は、俺達は…。


   私は貴方が好き…。
   其れを、其れを知っているくせに…!!


   ……俺、は。


   …こんな、子。
   こんな子が…!


   …!
   久遠、止めろ!


   こんな子が“勇魚の子”なんて認めない…!!


   止めろ、止めてくれ、久遠…!


   勇の子を生んで良いのは、私だけ!
   私だけなのよ…!!


   久遠…!!


   なのに、なのに…。


   ……お願いだ、久遠。


   勇は私を選ばなかった…選んでくれなった…。


   …違う。
   俺は、今でも…。


   …じゃあ、私を抱いて。


   …。


   以前のように、腕の中に優しく抱いて。
   愛していると、囁いて…。


   …久遠。


   この子の前で。
   証明して…。


   ……。


   壊して…私を、壊して…。


   …出来ない。


   …。


   俺は、この子の父親だ。
   お前の為だけに居る事は、もう…。


   …。


   勝手な言い分だと言う事は分かっている。
   だが…久遠、この子はお前と


   …聞きたくない。


   俺はお前と一緒に…


   …勝手、よ。


   ………済まない。


   こんな家なんて、終わってしまえば良いのに…。


   …。


   こんな家のせいで…。


   …其れは、違う。


   何が違うの。
   何も違わないわ。


   違うんだ、久遠。


   人同士、幾ら情を交わしても、子を残せない。
   代わりに神と交わって、望んでない呪われた子を生して…


   …。


   こんな家に生まれたせいで…。
   好きな人の子供も生せない…。


   ……。


   然うよ。
   全て、全て……無くなってしまえば、良いんだわ。


   …そんな悲しいことを、言うな。


   だって…


   久遠、俺は…この家に生まれたからお前と出逢えた、同じ時を生きられた。


   …。


   俺は、今でも…久遠、お前が…。


   ……だけど、私より家をとった。


   久遠…。


   …離して、勇。


   …。


   …もう。
   良いのよ…。


   …。


   …夢は、もう、終わり。


   ……。


   勇の子が…、“蓉子”
〈此ノ子〉が来たから。


   ……久遠。


   ふふ、良く寝てるわね…。
   何も知らずに…知らないから。


   …。


   さよなら…勇魚。


   ……おれ、は。