令。
どう?
うん、まぁ。
うん、まぁ、じゃ分からないわよ。
いや。
こう整理してみるとお姉さまの物って結構あったんだな、と改めて思ってさ。
蓉子さまや聖さまはあまり無かったのに。
然うでもないわよ。
お姉さまは書物が多かったわ。
李白?杜甫?
そんなのだっけ?
あと白楽天もあったわね。
時折、聖さまが長恨歌を口遊んでいらっしゃったけれど、
あれはお姉さまが教えたものらしいわ。
ああ。
春眠、暁を覚えず、だっけ?
其れは孟浩然。
然う、其れ。
王維、韓愈、柳宗元…他にもあったけれど。
詩文以外だと経文や、漢書や史記などの史書もあったし。
あと菅子、呉子、荀子、荘子、孫子、墨子…ああもう、いちいち挙げていたらきりが無いわ。
あはは。
そういや蓉子さまの部屋は書物ばっかりだったなぁ。
常にきちんと整理されていてさ。
と言うかあれ全部、良く読んだなぁって思うよ。
一日中、部屋に篭りっぱなし。
そんな日もあったわね。
そうそう。
で、そんな日はさ。
決まって聖さまがお姉さまの名を呼びながらお姉さまの部屋に行くのよ。
よーこーってね。
大抵、適当にあしらわれるのだけれど。
聖さまも負けて無かった。
結局、毎回ではないけれど、お姉さまが折れて。
蓉子さまは聖さまには甘かったから。
で、其処をお姉さまが突付いてさ…。
…其れは?
うん?
其の手に持っているもの。
ああ、此れ?
お姉さまの手鏡。
今年の春の御前試合で優勝した時に貰ったんだって。
本当は着物と一緒に…て、思ったんだけど。
…。
一つくらい、お姉さまの物を持っていたくて。
然う。
別に良いんじゃない。
祥子は蓉子さまの物、何か持っていたっけ?
私は…筆と硯。
ああ。
他は…と言うより、書物は全て蔵の中、よ。
大事な書物を焼いたなんて言ったら屹度、叱られるわ。
生きている人間にこそ書は活かされるべきなのよ、て。
じゃあ私は叱られるかな。
何故?
お姉さまの着物、ほとんど一緒に焼いてしまったから。
でも。
其れは江利子さまを思っての事だったのでしょう?
…うん。
ならば。
気に病むべきじゃ無いわ。
…ねぇ、祥子。
何。
私ね、お姉さまは死なないって何となく思ってた。
…。
春に聖さまが逝って。
蓉子さまも逝って。
其れでもお姉さまは、て。
おかしいよね。
…。
だから。
まさか…まさか、自分のせいで、なんて全然思いもしなかった。
…。
この家に生まれた以上、家族の生き死には普通の人よりも身近なもの。
仕方の無い事だって、いつか自分にだって其の時は来るんだって。
頭の中では分かっていたのだけど。
…。
…全然、駄目だった。私。
良いのよ、其れで。
…。
人の…家族の生き死にに慣れろだなんて。
言う方が間違ってるわ。
ましてや…。
…。
…令。
自分のせいだなんて、言っては駄目よ。
…でも。
江利子さまは己で選んだのよ。
其れなのに令、貴女がいつまでも己を責めていたら、
江利子さまの選んだ事は意味を為さなくなってしまうじゃないの。
…。
…江利子さま、ね。
儀式に臨まれる時、何と言ったと思う?
…何て?
にっこり笑ってこう言ったのよ。
「なぁに。化けて出たりはしないわよ。…多分、ね」、て。
聞いた時は私、一寸呆気に取られてしまったわ。
…はは。
何か、お姉さまらしいなぁ。
令。
…何、祥子。
今直ぐ、ちゃんとしろとは言わないわ。
如何に与えられた刻が短い私達と言えど、喪に服す…寂しいと思う時間は必要だもの。
…うん。
だけれど。
其の時が来たら。
…分かってる。
私は…再び、剣を取るよ。
ええ。
ね。
其れ、由乃には言った?
其れ?
お姉さまの“遺言”。
未だ、だけれど。
…?
だけれど?
何となく、分かってるように見えたのよね。
何故かしら。
…はは。
何故笑うの?
お姉さまは由乃を猫可愛がりしていたからなー…て思ったら、つい。
…ところで。
由乃は?
多分、今日もお姉さまのところだと思う。
・
由乃さん。
また、来てたんだ。
…私、さ。
うん。
限界まで全力疾走してみたのよ。
此処に来るまでに。
…どうだった?
すっごい、息が切れて。
すっごく、苦しかった。
ああ、分かる。
心臓もえっらいドキドキした。
暫く、収まらないんだよね。
でも、平気なのよ。
何が平気なの?
確かに疲れるんだけど。
けど、身体がどうしようもなく重くなるわけじゃない。
うん。
疲れても。
どんなに息が切れても。
一寸休んで、息が落ち着けば、また走れるのよ。
其れで。
また走ったの?
うん、走った。
全力疾走?
其れはもう、全力も全力よ。
勢い余って、風になれるかもと思ったくらい。
由乃さん、其れは良い過ぎ。
何の。
心意気の問題ですから。
心意気、ですか。
然う、心意気。
世の中は押しなべて、心意気次第で如何様にでもなるのよ。
成る程。
とは言え。
今のところ、体力も無ければ持久力もほっとんど無いのよね。
何と言っても真っ青人生だったから。
うん。
でもね。
でも?
これからはバーンとぉ!行くから。
朱雀大路を一気に突っ走るくらいの気負いで。
其れ、イツ花の口癖。
寧ろ、こういう時に使わないで何時使うのよ。
あはは、確かに。
で、手始めに。
親王鎮魂墓の髪をぶっ飛ばしてやろうか、と。
…はい?
やられたままってのは、性に合わない。
と言うか、気に喰わない。
…え、と。
どうせ。
何れ、討たなければならないんだから。
まぁ、其れは然うなんだけど。
祐巳さんも行くでしょ?
由乃さんは行く気満々なんだよね。
もっちろん。
然うだ、志摩子さんも行かないかな。
も、て。
私、若しかしないでも既に面子に入ってる?
勿論、然うだけど?
私達が決める事じゃないのに。
当主様に進言するつもり。
令さまはどうするの。
どうもしないわよ。
行きたきゃ来るでしょ。
然うじゃなくて。
一応、話はするわ。
一応、ね…。
…。
由乃さん?
其れではごきげんよーう。
…は?
目が覚める直前に然う言ったのよ、このでこ。
其れはもう、さも愉快そうに。
…。
其れがまた。
何かやたらに癪に障って。
あのでこの事だから、夢か何かで化けて出てくるんじゃないかって思うくらいよ。
出てきた?
今のところ、未だ。
でも絶対に出てくる。違いないわ。
凄い自信だね。
だって私、あのでこの娘だもの。
…不本意だけど。
…。
祐巳さん。
うん?
いつか、きっと。
私達で朱点を討つわよ。
…唐突に何?
私と祐巳さんと志摩子さんと、其の頃には乃梨子ちゃんも討伐に出られてるだろうから。
其の面子で朱点を討つの。
…えーと。
出来れば、ううん、何としてでも祥子さまと令ちゃんの寿命が来る前に。
…。
絶対、に。
…其れで。
どうするの?
どうするも何も。
呪いも解けて山百合一族は末永く好きなように暮らしましたとさ。
目出度し目出度し。
由乃さんの事だから。
何かやりたい事があるんじゃないの?
…。
例えば。
江利子さまに、とか。
お主、どうして然う思った?
家族だけど親友でもあります、から。
とか言っちゃ駄目かな。
…駄目じゃないわよ。
そ?
良かった。
で、どうなの?
…言ってやろうかと思って。
何を?
若しも朱点を討ったら、ね。
うん。
江利子さまに、ね。
此処で、天気が良い日に、大きな声で、出来れば今みたいに祐巳さんを隣にして、さ。
うん。
ざまぁみろ、て。
陣・余幕
|