花の匂いがする。
と言うか、花の匂いが物凄い。
何の花だかは分からないけど、幾らなんでも強すぎ。
噎せ返ってしまいそうな勢いだわ。
うーん。
こんなに匂いの強い花なんて、家にあったっけ。
近所にも咲いてなかったような気がするけど。
令ちゃんなら何の花か分かるかな。
庭の隅っこで、でも何気に日当たりの良い場所でお花を育てていた令ちゃん。
今ね、桔梗と撫子の種を蒔いたんだ。秋になったら咲くんだよ。
咲いたら一緒に見ようね。
然う言って笑ってた令ちゃん。
お花を慈しむ其の手は剣を振るうにはまるで不釣合いだわ、て。
然う少しだけ思ったけど、口にはしなかった。
其れにしても。
全く持って匂い過ぎだわ。いい加減噎せるっつーの。
こんなに強かったら仮令鼻が詰まっていても匂いそうよ、もう。
花と言うのはある程度、仄かに匂うから良いのであって、強すぎても駄目だと思うのよ、私は。
……お?
あーもう。
臭い、臭い、臭い、臭い、臭い、何処まで行っても臭い、臭すぎる…!!
本当、何なのよ!!
此れが世に言う屁糞蔓ってヤツ?!
…や、違うって。
…て、あれ。
こんな所に川?
賀茂川…じゃないわね。何となくだけど。
つか、此処何処?
改めて辺りを見渡してみたら、どうやら家の近所じゃないみたい。
でもおかしいな。
私、家に居たんじゃなかったっけ。
いや、違うわ。
確か何処かに討伐に行って。
それから……どうしたんだっけ。
思い出せない。頭の中がぼんやりとして。
…そう言えば。
令ちゃんは、令ちゃんは何処に居るんだろう。
あー、待ち人は来ないんだけどなぁ。
つか、何やってんだ。……子は。
川の向こう側から誰かの声が聞こえる。
何処かで聞いた事のあるような声なんだけど…思い出せない。
たく、仕方が無いなぁ。
「えーえー、其処のおさげ髪の子に告ぐ。
其処の川を間違っても渡ろうと思わない事。
繰り返すよ。
間違っても其処の川を渡っては駄目だ。良いね」
いや、別に渡ろうなんて。
未だ、思ってなかったんだけど。
でも渡るなと言われたら、かえって渡りたくなるわ。
「はいそこ。
かえって渡りたくなるっつーのとか思ってるかも知れないけど。
駄目だからねー。これ、絶対よー」
…何なの、この軽い調子〈ノリ〉は。
駄目って言われてるのに、駄目って言われて無い気になるんだけど。
寧ろ、いよいよ向こう側に何があるのか気になるわ。
この声の主も向こう側に居るのだろうし。
知ってる声のハズなのに思い出せなくて気持ち悪いのよ。
もう、喉のここら辺まで出掛っかってるだけに余計気持ちが悪いわ!
……いっそ、渡っちゃおうかしら。
ふと気付けば、舟も其処にあるし。
「て、こらこら。駄目だって言ってるじゃないのー」
舟は漕いだ事、無いけど。
大丈夫。何とかなるわ。
「あー駄目だってー。
参ったなー、流石アレの…て。
…も居るんだったら……を止めてよ…て、おい…もかよ!
ますます、何やってんだ!……子は!!」
さぁ、行くわよ。
いざ漕ぎ出さん!
「行っちゃ駄目」
…え。
「帰らないと。……えが、呼んでる」
令ちゃんじゃない。
もう何処に行ってたのよ。
でも丁度良いわ。漕ぐのを手伝ってよ。
一緒に向こう側へ…
「駄目だよ、由乃」
どうしてよ。
「然う、声が言ってる。由乃にも聞こえるでしょう?」
「然う然う、絶対に駄目ー」
…聞こえる、けど。
「この声じゃない。この声も大事な人に違いないけど、違うの」
言ってる意味が分からないわ。
この声じゃないと言ったら、一体、誰の声なのよ。
と言うかこの声以外の声なんて、私には聞こえないわ。
「耳を澄ませて。由乃にも屹度聞こえる筈だから」
…耳を?
「然う。少し遠いけど、はっきりと聞こえるから」
………聞こえないわよ。
「急がないで」
…別に急いでないけど。
聞こえないものは、聞こえ…
「………」
…?
「……の」
…誰。
「…し、の」
誰?
「よ、し、の」
誰よ、私を呼ぶのは。
「由乃」
…。
「とっとと起きなさい。さもないと、令と二人で何処かに出掛けちゃうわよ」
何言ってるのよ、令ちゃんなら此処に…て。
あれ、令ちゃん?
令ちゃん、何処?
「さっさと起きていれば置いていかれないで済んだのにー。
あーーーあ」
………何なの、其のわざとらしいため息は。
むっしょうに腹が立つんだけど。
「じゃ、そういうわけだから。お留守番宜しくねー」
一寸待ちなさいよ!!
黙って聞いていれば何ふざけた事のたまってるのよ!
私も行くわよ!絶対に行くんだから!!
「由乃が好きなお団子屋さんにも寄る積もりだったのに、ねぇ。
いやもう、本当に残念だわ」
ふ、ざ、け、ん、な!!
この……
「それではごきげんよーう」
江利子〈でこちん〉がーーー……ッ!
たく、遅いっつーの。
あー、やれやれ
陣・九
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