私の手を握り締める聖の手が震えている。 若しかしたら其の心も。 ああ、子供の様な聖。 なんて、愛おしい。 出来る事なら其の手をずっと握り締めて。 ずっとずっと、繋いで。 其の時が来るまで、離さないで居られたら。 でも。 …ねぇ、聖。 苦しいの。 此処が苦しいのよ…とても、とても。 家族に優先順位なんて付けてはいけない。 江利子も、祥子も、新しく家に来た令も、もう居ないお姉さまや先代様達、それから父上も。 皆みんな、私の大事な家族だから。 だけど私は確実に付けていたのよ。 だからいっそ、貴女の物になってしまえば、て。 好きとか、然う言う想いですら関係無く。 けれど。 矢張り、私には出来ない。 出来なかったの、聖。 だって。 私は何処まで行っても人で。 貴女が好きと言う度に、胸が痛んで。 此の苦しみが私を人だと教えて呉れて。 ねぇ、聖。 目が覚めると貴女は居ない。 噛まれて出来た筈の傷も。 其の体温も、浮かされた熱も、何もかも。 貴女の痕は何一つ残されてない。 いつも私は一人。 ねぇ。 どうして貴女は私を抱くの。 誰を想って抱いているの。 ねぇ。 私が好きと貴女は言うけれど。 貴女の好きって何。 ねぇ。 目が覚めると貴女は居ないのに。 どうやって信じれば良いの。 ねぇ、聖。 私は。 私は… 私はね…聖。 私は貴女の物じゃなくて。 私は貴女の…。 …私は何れ、死ぬわ。 屹度、貴女より先に。 ねぇ。 ねぇ…。 若しも、私が死んだら…。 貴女は…。 「淋しいって、思って呉れる…?」 仮令、ほんの僅かでも。 人は二度死ぬと言う。 一度目は文字通り肉体の死。 そして二度目は其の存在を誰もが思い出さない、或いは、忘れ去られた時。 其の時に初めて人は永遠の死を迎えるのだと。 其れを聞いた時、私は寧ろ忘れ去られてしまいたいと思った。 いっそ今直ぐにでも、と。 私の存在など、まるで初めから無かったかのように。 いつか人は必ず死ぬ。 其れは必然であり、例外なんて無い。 お姉さまも、蓉子のお姉さまも例外に為り得なかった。 だから私もいつか死ぬし、蓉子もまた。 然う、蓉子も。 先に生まれた者は後に生まれた者より先に逝く。 順番から言えば其れはとても自然で、出来る事なら必然であるべき事で。 たかが、三ヶ月。 されど、三ヶ月。 普通の人間共にしてみれば何でもない月の差。 だけれど此の家では、一族にしてみれば。 故、に。 蓉子は私より先に死ぬだろう。 三ヶ月早く生まれたばかりに。 三ヶ月遅く生まれたばかりに。 私を此の家に残して。 冷たく、物言わぬ骸になって、其の躯は焼かれ、灰になり、そして土に、二度と私の手の届かない所へ。 あぁ、だから。 だから蓉子は。 生きた証を。 寂しいとは思わなかった。 ただ、無性に悲しかった。 例えば。 前世とか来世とか、そんな言葉があるけれど。 生まれ変わりなんてどうでも良いし、生まれ変わりたくも無い。 第一、其れはもう私じゃないし、其れは蓉子じゃない。 かつては蓉子だったかも知れないけど、でも其れは蓉子だった誰かであって。 其の感触も匂いも声も温もりすらも、蓉子と同じには為り得ない。 だから死んでしまったら。 もう二度と、蓉子には逢えない。 もう、二度、と。 だからこそ。 私は蓉子を屹度忘れない。忘れられない。 だから蓉子は死なない。ずっとずっと死なない。 私の中でずっと。 私は震える蓉子の躰をなるべくそっと抱き締めた。 其れはいつか蓉子がして呉れた事。 いや、いつか、なんてあやふやなものじゃない。 気付けば、いつも。 いつだって。 「…好きだよ」 私には。 上手に出来ないけれど。 今まで、蓉子がして呉れた様に。 指で髪の毛を梳き。 耳元に唇を寄せて。 自分でも驚くぐらいの。 穏やかな声で。 「好きだよ、蓉子」 想いを紡いだ。 私が好きだと。 私の問いの答えになってない言の葉を耳元で紡いだ聖の声は、限りなく穏やかで。 優しくて。 これまでの独りよがりさを感じさせないものだった。 握り締められていた手は指を絡めて繋ぎ直され。 背に回された腕は今までには無い柔らかさで。 全てを包み込まれている、そんな錯覚すら。 「…だから私は蓉子を忘れない、忘れないよ」 優しい声音にこのまま縋り付いてしまいたい、そんな衝動に駆られる。 己のものより少しだけ広い其の背に今直ぐ、腕を回して。 此の胸の痛みなど、感じないふりをして。 ああ、私は。 誰よりも聖が。 こんなにも聖の事が。 聖だけ、が。 「…欲しかったんだ」 今まさに自分が思った其の言葉に反応して、私は顔を上げた。 瞬間、目尻に柔らかい感触が降ってきて溜まる涙を拭う。 ああ、私は。 私は聖が好き。 誰よりも聖を。 聖の事を。 愛している。 「若しも。若しも。 蓉子も然う思って呉れたら…私は」 思ってる。 思ってるわ、聖。 私は聖が欲しい。 私は聖の人になりたい。 私は、私は。 「…ずっと傍に居て。一人にしないで。何処にも行かないで、聖」 私は初めて聖の背中に腕を回した。 温かい、聖の背中。 「…好きだよ、蓉子」 それから自分から触れるだけの口付けをして。 離れていくのが嫌で、もっと、と強請る。 もっと、深いのを。 どうか、もっと。 貴女、を。 終幕 |