頬が、熱い。











   何が起こったのか、瞬時には理解出来ぬまま。
   半ば無意識に、私は熱を持った頬に手を当てる。
   痛みを伴った熱。
   熱を伴った痛み。
   ひんやりとした己の手が心地良く感じる。


   目の前には蓉子。
   襟元が乱れて肌蹴ているのは私が然うさせたから。





   昨夜も抱いた。
   一昨日の夜も。
   私は其れに、言い換えれば其の温かさに、夢中だった。
   温かい胸。
   其の中に頭を埋める事はどれ程満ち足りた心地になるか。
   そのまま眠ってしまえればどれ程仕合わせなのか。





   若しも蓉子の腕が私を抱
〈イダ〉いて呉れたなら。





   いつからから。
   其れを好きだと思うようになった。
   欲しいと思う気持ちと似ているけど、少し違う。
   何処が、と言われても、うまく答えられない。
   …いや。
   壊してしまいたいと言う気持ちとは、真逆な思い、と言えば良いのかも知れない。


   けれど相変わらず噛み付く癖は消えない。
   理由は分かっている。
   私が此処に居たと言う証と、蓉子は私の物だと言う所有を示す印を残したいが為。
   時には強く噛み過ぎて、血の味がする事もあった。
   其れに対しての不快感は無い。
   だって其れは蓉子の血だから。
   いっそ其の血と溶け合って一つになってしまえれば良いとさえ思うくらい。
   だけど蓉子が痛みで顔を顰めるのを見るのは、今は。





   あれだけ、昂ぶっていたのに。



















   「…好きだなんて、言わないで」





   蓉子が口を開く。まるで重たいものでも開くように。
   そこでやっと私は気付いた。



   頬を…叩かれ、た。





   「もう、こんな事をするのは止めて」





   自分を抱くようにして丸くなる蓉子。
   いつかの、先々代が逝った時の姿と重なる。





   「…蓉子」



   「…お願い、もう止めて」





   どうして。
   だって、蓉子も。
   確かに拒まれた事もあったけど。
   だけど。
   だけど!





   「蓉子、蓉子…!」





   もう一度、私は蓉子に手を伸ばした。
   温かい胸に、蓉子に触りたかった。
   今宵こそ、蓉子の中で眠りたかった。
   けれど。





   「…」





   蓉子は其れを振り払った。





   「よう、こ…」





   傷つけても、蓉子は強いから。
   私は一人にならない。
   蓉子は私を独りにさせない。
   するわけが無い。
   するわけが無いんだ。
   だって蓉子は。


   蓉子、は。





   「……」





   蓉子は何も答えない。手も差し伸べて呉れない。
   間に流れる冷たい風。
   其の冷たさに漸く、己の置かれた現実に気付く。

   ああ。
   私は拒絶された。
   何をしても最後まで見捨てる事が無かった蓉子に。
   見捨てられないと信じていた蓉子に。



   そんな保障、何処にも無かったのに。





   「どうして?ねぇ、どうして…?!」





   途端に不安定になる心。
   均衡が保てない。
   捨てられる、捨てられた。
   蓉子に。
   蓉子に、蓉子に、蓉子に、蓉子に…!!





   嫌だ。














   嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ…!!!!















   「蓉子…ッ」





   混乱。
   取り乱す。
   まさに今の私の状態。
   私が不安定になると決まって差し伸べて呉れていた手。
   其れを振り払ってきたのは自分。
   だからいつか差し伸べて貰えなくなるのは仕方が無い。
   全ては、自分のせい。


   でも蓉子は。
   蓉子は私を。
   私、を。





   「……捨てないで」





   急速に冷えて、凍える心。
   こんなにも自分は弱くて脆い。
   蓉子に触れないと、ちっぽけな心も保てない。
   蓉子が触れて呉れないと、粉々に砕け散ってしまう。





   「…いや…いや…蓉子…ようこぉ…」





   また失う。
   耐えられない。
   もう、嫌だ。





   …いや、なの。
















   タイセツナヒトを失くすのは。











































   「……聖」





   微かに。
   頬に温かな感触。





   「…泣かないで、聖」





   蓉子の手、指の温もり。


   反射的に私は其れを握り締めた。
   絶対に放すまいとして、力いっぱい。







   どうか、振り払わないで。
   どうか、振り解かないで。
   どうか。
   どうか。





















































   「…結局、私は」







   蓉子は私の手を振り解かなかった。
   其れどころか、握られたまま其の手を自分の胸に当てる。
   自然、私の手は蓉子の胸に触れた。
   穏やかな温度。
   望んでいた其の温かさ。





   「…聖、聞いて」





   蓉子の声は静かだった。
   ふとお姉さまの、あの“遺言”を聞いた時の声を思い出したけど、直ぐ消えた。





   其れよりも。





   抱き締めたい。
   抱き締めたい。
   このまま。
   思うが侭に、力の侭に、抱き締めてしまいたい。
   そんな衝動に駆られるのに然したる時間は必要じゃなかった。


   なんて単純な、自我。





   「聖…」





   名を呼ばれた事を機に、本能のまま、空いている腕で蓉子の躰を抱き寄せる。
   蓉子は僅かに身を固くしたけど、目立った抵抗はしなかった。


   ああ。
   拒まれなかった。
   捨てられなかった。
   私は一人じゃない。
   私は、独りなんかじゃない。
   蓉子…。
   蓉子…!





   「お願い…待って。
   聞いて、聖…」





   蓉子は私の腕の中で懇願するかの様に囁いた。
   言葉と共に吐き出された息が心成しか熱を孕んでるのを感じる。
   抱き締める腕に力を込めた。





   「…好き、蓉子」





   応える様に蓉子の耳元で囁く。
   実際、応えになんか全くなっていないけど。





   「好き…好きよ、蓉子」





   告白めいた言葉を繰り返し、蓉子の美しい髪に唇を何度も落とす。
   それから其の耳を食んでは舐め、また食んだ。
   びくりと、其の度に蓉子の躰が震える。





   「…し…のよ」



   「…?」





   蓉子が再度、何事かを言ったけれど。
   いつもは明瞭としていて聞き取りやすい蓉子の声が、今は何故か掠れてしまって良く聞き取れない。
   幾らか、しゃくれているようにも聞こえる。
   まるで幼子が泣いているかのよう…





    …泣い、て?











   「ようこ…?」





   私は蓉子を抱きしめる腕の力を少しだけ、ほんの少しだけ緩めた。
   此処で蓉子の声に耳を傾けなければ、もう二度と蓉子を抱けなくなるかも知れない。
   何となく、然う思ったから。


   緩めた腕の代わりに。
   依然、蓉子の手を握り締めたままだったもう片方の手に力を込めた。
   昂ぶる気持ちと、再度不安と言う影が落ちて震える心を抑える為に。