じゃ、行くけど。



  出来るだけ、ゆっくりおいで。





























   お姉さまが逝った。
   蓉子のお姉さま同様、矢張り呆気無い最期だった。




















   江利子のお姉さまである菊乃さまがお倒れになった後、お姉さまも床に伏して。
   お姉さまに薬を運ぶのは妹である私の役目になった。
   お姉さまは薬が嫌いだったから、何かと注文を付けられて。
   仕舞いにはお八つを一緒に持っていくようになった。其れもとても甘いやつを。
   どうやら裏でイツ花に言ったらしい。…いつの間に。
   いっその事、饅頭の餡に混ぜてしまえば良いのかも知れません、と言ったら、笑いながら却下と言われた。
   そんな事したら素直に美味しいと思えないじゃない、と。



   其の日は何時振り出してもおかしくない様な、どんよりとした雲空だった。
   お姉さまが薬を飲んだのを見届けてから、其れを片付ける為に腰を浮かせた時。
   今日は体調が良いみたいだから、と。
   お姉さまは横にならないで、私に暫く此処に居て話相手になるように命じた。
   片付けたら直ぐに戻ってくるつもりだったけれど、私は其の言葉に素直に従った。





   「もう、桜は見られないわね」





   ま、二回見られたから良いけど。
   庭を見ながら、然うお姉さまが呟いた。


   うちの庭に桜は無いけれど。





   「聖」





   幾つかの他愛の無い話をした後、名を呼ばれた。
   名を呼ぶお姉さまの声はあくまでも静かだった。静謐と言ってもいい。
   死期を悟った人間と言うのはこういう風になるのか。
   それともお姉さまと言う人間だからこそ、なのか。
   其れは分からない。
   けれど、お姉さまが死ぬ、という事実を私が思い知るには十分な声音だった。



   ああ、お姉さまが。
   お姉さまが死んでしまう。
   然うしたら。





   「聖」





   お姉さまがじっと私の目を見据える。
   返事をしないと、と思うのに、何故か声が出ない。





   「いい?貴女はのめり込む性質だから」





   お姉さまはゆっくりと言葉を紡ぐ。
   まるで最期の言葉の様に。





   「大切なものが出来たら、自分から一歩、引きなさい」




























   思えば。
   其れが私への、お姉さまからの遺言だったのかも知れない。
























   言い終えるとお姉さまは少し眠るわ、と言って布団に横たわった。
   お姉さまの眠る顔はどこまでも白くて儚ささえ感じた。



   心の中でお姉さまの言葉を反芻する。



   私はお姉さまに甘えてばかりだった。
   家出をした時もお帰りなさいと一番に言って呉れたのはお姉さまだった。
   家出をする以前のままのように接して呉れたのも、何事も無かったかのようにして呉れたのも。
   この家の、絶対的な約束事からさえ、其の背の後にして見ないで良いようにして呉れていたのも。


   蓉子が交神するかも知れない時でさえも。


   私はお姉さまに守られていた。
   ずっと、ずっと。



   だけど。











   私だけじゃ、無いわよ。












   いつか、お姉さまがカラカラと笑いながら言った言葉が脳裏を過ぎる。





















   蓉子。






   大切なもの。
   私にとっての。


   桜のとても似合う人だった。
   あの人よりも。


   そんなの、在り得ない。


   けれど。
















   莫迦になっちゃったみたいね。


















   ああ。





   蓉子が欲しい。


























   お姉さまが逝った日。



   其の日はとても晴れた日だった。




















   そして私は其の日、山百合家の当主となった。













































   私が当主。





   当然の如く、私は異議を唱えた。反発したと言っても良い。
   順番で言えば蓉子が妥当な筈。
   其れに若しも蓉子が当主になったならば、蓉子が死ぬまで、此の家の安泰は約束されたようなものだ。
   蓉子ならば完璧なまでに当主としての責任を果たすだろう。
   若しかしたら一族の悲願とやらも達成されるかも知れない。



   其れなのに。



   正直、冗談じゃ無かった。
   どうして私が。





   どうして私がこの家の当主なんぞやらなくてはいけないのだ。





   けれど私がどんなに異議を唱えた所で、反発したところで、覆るのは到底無理な話だった。
   何故なら其れがお姉さまの、先代当主としての最後の命令だったから。
   曰く、蓉子にその旨を書き留めた覚書を残したらしい。
   私にはそんな事一言も、何も言っていなかったのに。
   最後の最後で。






   何故ですか、お姉さま…!






   けれどどんなに問いかけた所で、答えは永遠に分からない。
   分かる筈が無い。
   お姉さまはもう、居ないのだから。























   当主になっても、私の態度は何一つ変わらなかった。
   大した事をするわけでも無く、勿論、当主としての責任を果たすわけでも無い。
   当主としての仕事はほぼ蓉子にやらせっぱなしと言っても良い。
   当然だ。
   どこまで行っても、所詮、私は私だ。
   どうでも良い。
   一族とか、悲願とか、朱点とか。





   そんなもの、私の知った事じゃない。





   お姉さまの喪が明けると同時に、私は蓉子の部屋に通うのを再開した。
   己の姉の喪の期間中に蓉子の元に通うのは、流石に、憚られたから自粛していたのだ。
   が、何にせよ、明けると同時に蓉子を抱くのだ。
   其れこそ、待っていたかのように。





   所詮、私は然う言う人間なのだ。





   隣に祥子が寝ているのを盾に蓉子が拒もうとしても。
   私は聞く耳を持たなかった。
   いっそ、其の痴態を、其の嬌声を、見せて聞かせてやれば良いとさえ思った。
   蓉子を然うさせられるのは私だけだ。
   其れを蓉子の妹に知らしめてやりたかった。

























   …私が当主になる少し前。
   幾夜か連続で抱いたのを気にしたのか、蓉子は部屋を離れに替えた。
   かつては蓉子の姉が主だった、私が初めて蓉子を抱いたあの部屋に。