生きると言う事は何れ死ぬと言う事。
   死んだと言う事はかつて生きていたと言う事。





   私の体の成長が止まった。
   其れに気付いたのはいつだったろう。










   「祥子と申します」





   討伐を終え、無事に帰ってきた当主様達に、
   私は妹”であり、お姉さまの忘れ形見でもある子を紹介した。
   名は“祥子”。
   其れはお姉さまが遺していかれた名。
   職は“薙刀士”
   其れはお姉さまと同じ業
〈ワザ〉





   「んー…顔は母親とあまり似てないわね」





   当主様が私の腕から祥子を抱き上げ、頬をつつく。
   午睡から目覚めたばかりで機嫌が悪かったのか、
   或いは見慣れぬ者にいきなり抱かれて戸惑ったのかは分からない。
   祥子は火がついたように泣き出した。
   其れを横から見ていた菊乃さまが笑う。
   当主様があやせどあやせど、祥子は泣き止まない。
   菊乃さまが更に笑う。





   「…蓉子ちゃん、お願い」





   私は赤子向きの顔じゃないのかしら。
   然う言って祥子を私の腕に戻した。
   泣く祥子を私は宥めるように時折、優しく背を叩いてやる。
   直ぐにとはいかなかったけれど、祥子は泣きやんだ。
   そしてまた祥子は眠ってしまった。


   思うに。
   祥子はただ単に、眠りの邪魔をされて不機嫌なだけだったのだと。
   其れはまるで。


   私は朝の、目覚めの彼女を思う。
   そして。
   其れは、一瞬だけの事。





   「流石、蓉ちゃんねー」





   菊乃さまが私の腕の中で眠ってしまった祥子を覗き見る。
   それから当主様を見て、もう一度にまっと笑った。





   「私、布団に寝かせてきます」





   いってらっしゃいと言わんばかりに、当主様が手をひらひらと振った。
   菊乃さまは未だ笑っている。
   当主様は振っていた手を伸ばすと、其の頬を抓った。





   「其れでは暫し失礼致します」





   然う言い残して座敷から出る時、部屋の隅の方に座っていた聖を盗み見た。





   …あ。





   瞬間、其の目と合う。
   聖もまた、私を見ていた。
   低く、まるで腹の底から出したような声で、許さない、と。
   然う言った、あの時と同じ目で。





   「…蓉子」



   「…え?」





   聖ではない誰かに呼ばれて、私は聖に向けられていた意識を戻す。





   「私も行っても良いかしら?」





   私は未だ、あまり良く見ていないから。
   と、私の名を呼んだ主である江利子が立ち上がりながら然う言った。





   「え、ああ、別に良いけど…」



   「然う?じゃ、さくっと行きましょうか。
   其れではお姉さま方、私も暫し行って参ります」





   菊乃さまも矢張り、手をひらひらと振った。
   もう片方の手で当主様の頬を抓りながら。









   そうして私は江利子と共に座敷を出た。
   背に聖の、痛いくらいの視線を受けながら。


























   ・








   「イツ花、後は任せても良いかしら」





   眠る祥子を布団に寝かせ、それから何かあったら直ぐに呼ぶようイツ花に言った。





   「先代様の子、ね。
   当主様も言っていたけれど、顔はあまり似てないわね」





   あまり見てないから、と言う理由で付いてきた江利子の感想は当主様と同じだった。
   確かに、私の目から見ても顔はあまり似てないと思う。





   「だけど。
   指先、特に爪の生え際辺りがそっくりなのよ」





   そんな細かい所、蓉子にしか分からないわよ。
   然う言って、江利子は薄く笑った。





   「さて。其れじゃあ戻りましょうか」



   「ええ、然うね」





   祥子は暫く、起きないかも知れない。
   布団の中で眠る其の安らかな寝顔に、漠然と然う思う。





   「ねぇ、蓉子」



   「ん、な…に?」






   思いの外、真剣な目をしていた江利子に言葉が閊え、
   其の目に後ろめたさすら、覚えた。


   何故、後ろめたさなど。




   「本当に、するつもりなの?」



   「…何を、かしら」



   「交神」



   「…分からないわ」




   分からない。
   其れが今の私の正直な答えだった。





   「其れはどうして?私達が討伐に行く前はすると言っていたわよね。
   祥子が来たから?それとも…」


   「違うわ」





   江利子の言葉を遮るようにして、私は否定の言葉を紡ぐ。
   然う、違う。
   違うのよ、私は。





   「私は未だ、言っていないわ」





   其れだとまるで、其れを肯定しているように聞こえるわよ。
   然う、江利子は口にはしなかったけれど、其の意を込める様な眼差しで私を射抜く。





   「…そんなに、聖の事が」



   「…止めて頂戴」



   「そんなに。聖の事が、好き?」



   「止めてよ」



   「蓉子。貴女は聖が…」



   「止めて…!」





   私は頭
〈カブリ〉を振って其の続きを拒絶し。
   尚も耳を塞ぎたい衝動に駆られる。


   聞きたくない。


   聞きたくない。


   言わないで。





   「蓉子」



   「言わないで、江利子」





   其れ以上は。





   「…貴女は。聖を愛しているのね」



   「…ッ」





   言葉にされた時、頭の中が白に染まる。





   「然うでしょう?蓉子は聖を」











   ワタシガ、セイヲ、アイシテイル。











   「違う、違うわ…!」





   違う、違う。
   私はとうとう、耳を塞いで其の場にしゃがみ込んだ。
   ともすれば涙すら溢れてきそうで。
   其の様に江利子は少しだけ驚いたようだったけれど。



   どうして。
   どうして、こんなにも。



   聖は私にとって家族の一人に過ぎない。
   確かに気になってあれこれ口を出したり、世話を焼いたりもした。
   だけど其れはただ単に、気になる家族だったから。
   聖が初めて他人に興味を持った時も、家出と言う無謀な強行軍をした時も。
   聖は私の家族だったから。


   然う、聖は私の家族だから。
   だから。














   蓉子。















   唐突に聖の、私の名を呼ぶ声が頭の中に響く。
   其れと同時にあの日の、強引に口付けをされた時の熱が躰に蘇る。
   初めて誰かを受け入れた、あの日。
   聖以外、考えられなくなったあの瞬間。


   拒もうと思えば、拒めた…筈、なのに。
   私は拒めなかった。
   今にも泣き出してしまいそうな目をした聖を。


   然う、聖は縋るような目をしていたから。
   …だから。





   だけど、若しも。
   若しもあの時、江利子が来なかったら。
   若しも、其れ以上を求められていたら。
   私は。





   帰ってきたら。





   出立直前に耳元で囁かれた言葉。
   耳の奥に、熱を持ったまま、残された言葉。
   其のせいで私の躰は何度。





   聖は家族なのに。
   家族の筈なのに。
   其れ以上でも、其れ以下でも無いのに。
   ああ。





   「…お姉さま達が待ってるわ、蓉子」



   「…ええ」





   其の先は続けずに、手を差し出して呉れた江利子。
   だけど私は其の手を取らなかった。
   取れなかった。










   聖は大切な家族。
   今までも。
   そして。
   此れからも。
























   家族と言う言葉は。
   逃げ道なんかには為り得ないのよ。
   決して。





   座敷に入る直前に。
   江利子が然う、音にもならない呟きを漏らしたのに、私は気付かなかった。
































   ・








   「…聖?」





   今日の昼間にお姉さまから頂いた新しい書物。
   丁度区切りの良い所まで読み終わり、今宵は此処までにしておこうと、眠る支度をした帰り。
   私は縁側に一人座る、小さな影を見つけた。





   「こんな時間に。そんな格好で、何をしているの?」





   夜も更け、家の者も皆寝静まったであろう刻に。
   小さな影の正体である聖は返事どころか一瞥も呉れないで、空を見上げている。





   「何か、見えるの?」





   矢張り、返事は返って来ない。
   私も聖が見ていると思しき場所を見上げてみる。
   空には今宵も満天の星々。
   月は十五夜と並んで美しいと称される、十三夜。





   「何にせよ、そんな格好では風邪をひいてしまうわ」



   「…」





   其処で初めて、聖は私に目線を向けた。
   鋭い目。
   まるで小さな獣のような。





   「せめてもう一枚羽織りなさい」





   私は自分の着ていた上衣を脱いで、聖に羽織らせた。
   が、素気無く脱ぎ捨てられる。
   然うされる事を予め予想していた私は其れを拾って再び羽織らせる。





   「……お節介」



   「風邪をひくよりは良いでしょう?
   言っておくけれど。
   貴女が其れをまた脱ぎ捨てたとしても、私はまた拾って羽織らせるわよ」





   何度でも、何度であろうとも。
   然うきっぱりと言い放つと、上衣にのびかけた聖の手は止まった。
   それから仏頂面どころか、表情自体あまり無い顔で私を見る。





   「いつまで、然うしている積もりなの?」





   再び、無視。
   其れはいつもの事。





   「…眠れないの?」



   「…うるさいな」





   何気なく思い、投げかけた言葉。
   其れに聖は反応した。
   若しかしたら図星だったのかも知れない。





   「…星を見ているとね」



   「…?」



   「人は不思議と、寒さを感じないらしいわ」



   「…」





   何処かで読んだ事。
   唐突に話を逸らした私に、聖は訝しげな目を向ける。
   寒さを感じないだなんて、勿論そんな事は無い。
   今こうしている時にだって、体温はどんどん逃げてゆく。
   吐く息だって白い。
   手は悴み始め、体も微かに震える。
   其れでも尚、私は言葉を続ける。





   「屹度。星を見る感覚と、寒さを感じる場所が同じなのね」



   「…莫迦じゃないの」





   聖は少し、呆れたような声を出した。
   聖が感情を表に出すなんて珍しい。





   「星を見てたって寒いものは寒いし、あんたこそ風邪をひくわよ」



   「ええ、ずっとこうしていたら確実にひくでしょうね。
   勿論、貴女も」



   「私なんて構ってないでさっさと寝たら?」



   「聖が寝るなら、然うする」





   ちッ。
   其れは聖の舌打ちの音。
   苛立っている事が窺える。





   「…もう、良い」



   「何が?何が良いの?」



   「あんたのお望みどおり、寝るのよ。其れで良いでしょう」



   「然う。ならば眠る前に厠に行ってらっしゃい。今宵は冷えるから」



   「…どこまでも」





   世話焼きな。
   そんな呟きを残して、聖は私に背を向けた。
   と、くるりと此方を見て、上衣を私に放り投げた。





   「其れ、返すわ」



   「部屋まで着ていっても良いのに」



   「余計なお世話」





   今度こそ背を向けて、己の部屋の方に向かって歩き出す。
   廊下にぺたぺたと聖の足音だけが響いた。





   「…若しも」





   そんな小さな背に。





   「一人で眠れないのなら。
   私の部屋に、来る?」





   私はお節介な、言葉を投げた。
   赤子の頃の姿を重ねて。





   「良かったら、一緒に眠らない?
   一人より、二人の方が…」





   暖かい、から。
   然う続けようと思った唇は、聖の蒼白く光る瞳に遮られた。





   「然ういうのが要らぬお節介だと言うのよ」





   怒気を孕んだような声。
   ああ、聖は怒っている。
   手負いの獣のような目をして。





   「だけど。体、冷えてしまったでしょう?」



   「うるさい」





   刺激を与えないように。
   そっと、私は聖に近寄る。





   「うるさく、ないわ」





   此の手を伸ばせば、捉まえられる距離まで。
   言葉に気を取らせて、離れてしまわぬよう。





   「ねぇ、聖…」



   「うるさい!
   …ッ?」





   とうとう、癇癪を起こした聖を。
   私は、なるべくそっと、抱きしめた。





   「ほら、こんなに冷えてるわ。
   寒かったんでしょう…?」



   「は、放せッ
   私に触るな…ッ」



   「いいえ、放さないわ」



   「放せ…ッ」





   肩に鋭い痛みが走る。
   其れでも私は聖を、其の冷たい躰を放さなかった。





   「聖。
   貴女は決して、一人では無いわ」





   赤子をあやすように、私は小さな背を出来るだけ優しく叩いた。
   肩に痛みを感じたまま。





   「…聖」


   「…あんたの。
   蓉子の、然ういう所が堪らなく…」





   …ああ。
   やっと、名前を呼ばれた。
   心の中が不思議な安堵感で満たされる。





   「蓉子は、莫迦だ」





   私は聖の頭を撫ぜ、躰と同様に白くて冷たい髪を指で梳く。





   「蓉子は…」





   私はずっと、貴女の傍に居るわ、聖。
   だから。
















   私の名を、呼んで。


















   もっと。



   もっと。






























   ・








   「…蓉ちゃんってばー。
   もしもーし、起きてるー?」



   「…え?」





   声に意識を戻せば、目の前に菊乃さまの顔。
   思わず、ひっと、失礼極まりない悲鳴を漏らしてしまう。





   「ひ、だなんて。ひどいわぁ、蓉ちゃん。
   何やら目を開けたまま眠る奥義を如何無く発動中みたいだったから、起こしてあげようと思ったのにー」



   「も、申し訳御座いません。
   其れから私にはそんな奥義、ありません」



   「なーんだ。
   そんな奥義があったら便利だから、是非とも教えて貰おうと思ったのにー」



   「…すみません」



   「あ、其処は本気で詫びるところじゃないから」



   「はぁ」



   「目を開けたまま眠りたいのなら。
   いっそ魚になった方が早いんじゃないの、菊」



   「あーなるほど。じゃあ、次生まれる事があったら魚にしよう。
   そしたらすいすーいと泳げるし、一石二鳥ってねー。
   あ、一石二魚かな?魚だけに」



   「其れで蓉子ちゃん。話は交神の事なんだけれど」



   「…其れは」



   「て。其処は流さないでよー。
   椿だったらそもそも意味が違うって突っ込んで呉れるのにー」





   いつの間にか此度の討伐の報告も終わって。
   話題は此れからの予定に切り替わっていた。
   当然の如く、私の交神についても話題に上る。


   正直なところ、報告はほぼ聞いていなかった。
   分かっているのは聖がお姉さまが欲しがっていた扇の指南書を持ち帰ってきた事だけ。





   「どうする?する?
   するんだったら、来月の予定に交神を入れるけれど」



   「……わたし、は」





   当主様の問い掛けの声音は何処までも普通で。
   其れに対しての答えもちゃんと普通に用意しておいたのに。
   今は其れを口に出す事が出来ない。





   蓉子は、聖を、愛しているから。





   違う。





   許さない。





   其れは聖が決める事じゃない。





   「…蓉子ちゃん?」





   決めたのに。
   お姉さまが逝ってしまわれた時に。
   何もお姉さまの代わりが欲しいわけじゃない。
   何人
(ナンピト)も代わりなんてなれはしない。
   けれど血を残す事が一族としてするべき事だから。
   生きた証となるから。
   意味が無くなるとまでは言わない。
   けど、けど。
   若しも残さなかったら、お姉さまの意志は。
   此れまでの人達の思いは。
   私の生きた証は。



   でも。





   蓉子。





   ああ、私に残る聖の熱が。 
   聖の熱が私をおかしくさせる。





   蓉子。





   いや。
   そんな声で、私を。
   私の名を…。





   蓉子。





   聖。


   聖!










   せい…!










   「蓉子ちゃん」



   「…!」



   「顔色が、良くないわよ」



   「…当主様」



   「蓉子ちゃん。何も今直ぐ、決めなくても良いのよ」



   「…けれど」



   「先代が、椿が二人遺して行…くとは正直、思ってなかったけど。
   今のところ、紅の血筋は貴女を含めて三人居るから。
   其れに」



   「…」



   「其れに。順番で言ったらするべきは私なのだから」