31日
日記文の更新を暫くの間休止します。
んー……。
……どう、捗ってる?
ん。
其れとも、目を開けたまま眠っているのかしら?
マーキュリー……。
私はそろそろ、休もうと思っているのだけれど……あなたは未だ、続ける?
今日の仕事は、終わったのかい……?
ええ、終わったわ。
そっか……なら、あたしも休む。
良いわよ、其のまま続けても。
ううん……今日はもう、良いや。
此れ以上眺めていても、あまり意味がないと思うし。
記憶の上書きは成功したの?
ん、どうだろ……。
三分の……五分の一は憶えられた?
今のところは、其れくらいかなぁ……。
堅物で真面目な木星のたまごの名は?
うん……其れは、ちゃんと憶え直した。
然う……まぁ、悪くはないわね。
本当……?
ええ……本当。
ん。
……明日まで、憶えていられたら。
褒めて呉れるかい……?
……褒めてあげても良いわ。
良し、頑張ろう……ん。
……。
マーキュリー……?
……背中。
背中……?
丸まっている。
……結構?
あなたのわりには。
んー……うん、然うかも。
ね。
ちょっと待ってて、直ぐに伸ばすから。
ええ、良いわよ。
へへ、ありがと……。
……。
ん……んんんっ。
……。
はぁ……此れで、どうだろう。
背中、真っ直ぐになったかな……。
……ええ、なったわ。
ん。
……肩は解れた?
肩……?
少し、凝っているようだったから。
んーー……うん、解れたと思う。
……。
さて、休む支度をしようか。
……ねぇ。
なんだい……?
……本当は、眠っていたのでしょう?
……。
……目は開いていたけれど、意識は休んでいたと思う。
意識は、あったんだけど……何処か、遠くへ行っていたのかも知れない。
……其れは、休んでいるに等しい。
何かあれば、直ぐに……ん。
……言わなくても、分かっている。
……。
其れよりも……目を開けたまま眠ったら、眼球が乾燥してしまうと言ったわよね?
うん、言われた……。
……どう?
ん……少し、乾いているかも知れない。
……念の為、目薬を。
後で……点して呉れたら、嬉しい。
……自分で。
未だに、上手く出来ないんだ……中々、入らなくて。
其れは、目を閉じてしまうから。
どうしても、反射的に……目は、急所だからさ。
……手間なのよね、あなたに点眼するのは。
お願いだ、マーキュリー……。
……。
点してもらった方が……無駄にしてしまう量を減らせると思うんだ。
其れは……然うなのよね。
……駄目かな。
子供の頃から、上手に出来なくて……いつになったら、ひとりで点せるようになるのかしらね?
……うん、ごめん。
私が、居なく
此れでも……ひとりの時は、ひとりで点してるんだよ。
……水星の民には頼んでいないの?
頼んだことはない……其れは、マーキュリーも知っていると思う。
……報告は受けていないわ。
だって、してもらっていないから……ただの、一度だって。
……ひとりで出来るのなら、今夜も。
目を閉じてしまったり、ずれてしまったり、何度も失敗して……成功するまでに、大分使ってしまうんだ。
……言えば、補充してあげるわ。
分かってる……でも。
……。
マーキュリーとふたりで居る時は……叶うなら、マーキュリーにして欲しいと思う。
……今夜は、手元がずれるかも知れないわ。
ふふ……そんなこと、マーキュリーでもあるのかな。
……ないとは、言えない。
だけど、あたしがひとりで点すよりは良いと思うんだ……。
……。
……マーキュリー。
赤くはなっていない……。
……うん、違和感もないよ。
……。
……だめ?
だから、言ったの。
うん……?
私に構わず、先に休んでいても良いと。
待っていたかったんだ……どうしても。
ん……ジュピター。
……ふふ、待っていて良かった。
待っているのなら寝台でも良かったと、言っているのだけれど……。
……頭を、さらっと撫でてもらえた。
そんなことくらいで……?
……嬉しい。
はぁ……。
……へへ。
寝台で大人しく待っていて呉れても、してあげたかも知れないわ。
……え。
美味しいごはんを作って呉れたお礼、若しくは、ご褒美?
……ごほうび。
まぁ、たまにはね。
……。
なぁに……其の顔は?
……其れでも、良かったな。
だから、言ったでしょう?
うー……。
ふふ。
で、でも。
でも?
名を憶えて、褒められるのも嬉しいから。
……。
……明日になったら、忘れているかも知れないけど。
ひとりでも憶えていたのなら、其れで良い。
……ひとり。
例えば……堅物で真面目な木星のたまご。
……。
若しかして……もう、忘れてしまった?
……ううん、未だ憶えている。
……。
未だ……。
……仮令、忘れてしまったとしても。
……。
木星の民は誰ひとり、あなたを責めない。
……。
……然う、責めることなんて決してないの。
多分、先代のせいだ……。
……先代?
先代が……上手く、繋いで呉れた。
……だとしたら、先代のおかげと言うべき。
其れは、癪なんだ……マーキュリーなら、分かって呉れるだろう?
……ええ、分かるわ。
うん……。
……民との繋がりは、歴代が繋いできたもの。
……。
「ジュピター」は、特に……。
……「マーキュリー」だって、然うだ。
「マーズ」には、及ばないわ……。
……確かに統制は取れていると思うけど、厳しすぎて息苦しいよ。
木星の民には、然うでしょうね……。
……水星の民は。
統制には付いていけるでしょうけれど……如何せん、熱すぎるわ。
……。
幾ら母なる星が灼熱の星と雖も、水星の民は熱すぎるものは苦手なの。
……熱いのは昼だけで、夜になればとても冷える。
冷たい方がまだ良いわ。
……ふふ、確かに水星の民には熱すぎるねぇ。
もう少し、抑えて呉れれば良いのだけれど。
……無理だろうなぁ。
「マーズ」ならば……「ジュピター」の方が良い。
……ん?
扱いやすいから。
あぁ……うん、どんどん使ってやって。
……言われなくても。
はは……。
……。
ねぇ、マーキュリー…。
……なに。
「マーキュリー」は……「マーズ」にだって、負けてはいないさ。
ううん……「マーズ」以上だと、あたしは思っている。
……私の代で、途切れてしまうかも知れなかった。
マーキュリーの……?
……上手く、出来なくて。
慣れないうちは、仕方ないさ……其れに、其れくらいで途切れる繋がりではないよ。
……あなたが、来たから。
水星の民達にじっと見られた時は……流石に、怯んだなぁ。
……あったわね。
なんだか観察されているようで……口を開いて呉れても、何処か硬くて。
……もう知っていると思うけれど、其の通りよ。
あたしが、マーキュリーに相応しいかどうか……。
……其れから、人見知りなの。
ん……人見知り?
……用心深いと言えば、聞こえは良いかも知れないけれどね。
人見知り……其れは、知らなかった。
……言ってないもの。
そっか……じゃあ、此処だけの話にしておくよ。
ええ……然うして。
ん。
……先代を知っていた者は、直ぐに慣れたみたい。
其れって……あたしが先代に似ているってこと?
……然ういうこと。
……。
渋い顔。
……なんとも言えない。
ふふ……。
……はは。
思えば……木星の民は、初めから馴れ馴れしかったわ。
うん……木星の民は観察もしなければ、人見知りもしないんだ。
……どんなに、冷たい態度を取っても。
マーズやヴィーナスだったら……特にヴィーナスには近付かないと思うけど。
……。
マーキュリーは、木星の民を見下したりなんかしない……だから、特別なんだ。
……水星の民にとっても、あなたは特別よ。
ん、あたし……?
……決して、莫迦にしないから。
そんなこと、するわけない……。
……ねぇ、ジュピター。
ん、なに……。
仕方ないから……目薬、点してあげるわ。
……あ。
寝台に、横になったら。
ありがとう……大好きだ。
はいはい……。
……やった。
……。
改めて、休む支度をしようか……。
……眠る前に改めて、口の中を濯いでおきたいの。
あぁ……。
……あなたも、どう?
うん……あたしも濯ごう。
……。
ん、どうした……?
お菓子……ひとつだけ残っているわね。
食べるかい……?
眠る前だし……明日ではいけない?
明日か、どうだろう……若しかしたら、湿気てしまうかも。
焼き菓子だから、直ぐに駄目にはならないでしょうけれど。
一晩くらいなら湿気ることはあっても、黴が生えてしまうことまではないと思うんだ。
湿気てしまうと、美味しさが半減してしまうかも知れないわね。
此のお菓子の良さは、ほろほろと崩れるところにもあると思うんだよなぁ。
今、食べてしまう?
ん、どうしよう。
食べられそうにないのなら、無理はしなくても良いわ。
お腹でも壊してしまったら大変だから。
あたしのお腹が壊れることは、あまりないけれど……うん、食べてしまおうかな。
大丈夫なの?
うん、大丈夫だ。
然う。
……。
ジュピター?
矢っ張り、明日にしようかな。
お腹に聞いたら、明日の方が良いだろうって。
……。
もう一度、軽く焼き直せば……マーキュリー?
此れに入れておけばどうかしら。
其れ……。
普段は糧食を入れておくものだけれど、出しっ放しにするよりは良いと思うの。
うん、良いと思う。
其れに入れておけば、湿度も温度も一定に保たれるから。
なら、どうぞ。
思い付いて呉れてありがとう、マーキュリー。
どういたしまして。
そっと入れないと。
明日の朝、あなたはお菓子の粉と対面することになる。
ふ。
可笑しい?
少し。
然う、ならば気を付けて。
ん。
……。
ちゃんと、閉めて……うん、此れで良い。
……ふ。
うん?
子供の頃のあなたと、姿が重なった。
変わらない?
違うのは躰の大きさだけ、あとは変わらない。
ふふ、そっか。
改めて、美味しかったわ。
明日になったら、また作るよ。
仕事をしながらでも、食べて欲しい。
ええ、然うする。
残ったらまた、此の箱に入れておこう。
然うすれば、明後日の朝に食べられるかも知れないから。
あなたが残さず、食べてしまいそうではあるけれど。
ん、食べてしまうかなぁ。
眠くなってしまったら、今夜のように残すかも知れない。
ないとは、言えないかな。
取り敢えず、あまり作りすぎないように。
うん、気を付けよう。
作りすぎたら、他のものが食べられなくなってしまうかも知れないし。
ええ、其の通りよ。
マーキュリーは甘いものが特に好きだからなぁ。
補給に丁度良いだけ。
無意識に食べている時もあるくらいだ。
片手で食べられる時に限るけれど。
仕事をしている、もう片方の手は止まらない。
当然。
ふふ、然うだよねぇ。
なぁに。
黙々と仕事をしながら、甘味を食べているマーキュリーも可愛いんだ。
あなたはなんでも可愛いと言う。
だって、なんでも可愛いから。
……あぁ、然う。
ふふ……ね、休む前に何か飲むかい?
先刻、少し飲んだし……もう、良いわ。
ん、分かった。
あなたは?
あたしも良いや。
……然う。
ねぇ、マーキュリー……。
……なぁに。
ありがとう……起こして呉れて。
……風邪でも引かれたら、面倒だもの。
ふふ……うん。
……。
……眠る前に、少しだけ口付けをしても良い?
だめ。
……ほんの少しだけ。
だめと言った。
……はい。
……。
……ちょっとだけ、
だーめ。
30日
どうかな。
うん……美味しいわ。
ん、良かった。
……満面の笑み。
マーキュリーに美味しいと言ってもらえると、すごく嬉しいからさ。
自然と、笑顔になってしまうんだ。
……昔からずっと、変わらないわね。
へへ。
……。
麦餅、ひとつで足りるかい?
ええ……十分に。
足りなかったら、遠慮せずに言ってね。
もうふたつ、あるからさ。
……足りなかったらね。
ん。
……残ったら、あなたが食べて。
うん、然うする。
……わざわざ、温めて呉れたのね。
此処の麦餅は、あったかい方がもちもちとして美味しいからさ。
……わざわざ、手間を掛けて呉れて。
あたしはいつだって、マーキュリーには美味しいものを食べて欲しいんだ。
……私は食べられれば其れで良いのに。
其れは昔、しかも一時期の話だろう?
……どんなに美味しくなくても、口に合わなくても、食べていれば慣れる筈だった。
先代達が手を打っておいて呉れて良かったよ。
でなければ、マーキュリーは完全栄養食という名の餌を食う羽目になっていたから。
……遺して呉れたのは主にジュピターの先代だけれど。
師匠……先代の手だけじゃ、間に合わなかった。
あれだけの量を、しかも二人分遺すには、もうひとりの手がないと。
……然うこうしているうちに、あなたが来て。
良かった、間に合って。
……。
マーキュリー。
……あの頃のことは。
なかったことにはならない。
……分かっているわ。
でも、いつでも忘れて呉れて良い。
……無理よ。
じゃあ、気にしないで良いよ。
……気にしてなんて、
いないのなら、忘れた方が良い。
いつまでも留めておいたら、頭の容量が勿体ないからさ。
……私が忘れたとしても、あなたは忘れないでしょう。
あたしは
忘れられないでしょう。
マーキュリーが忘れたら、あたしも忘れるよ。
……。
忘れる。
……本当に忘れそう。
忘れるのは憶えるよりも得意なんだ。
……知っているわ。
いつか。
……。
いつかきっと。
……難しいわね、私は憶えることと憶えておくことの方が忘れることよりも得意だから。
然うなんだよな……あたしと足して、半分ずつにすれば丁度良いと思うんだけど。
丁度半分になって呉れるとは限らない。
どうしよう、あたしの方が憶えが良くなってしまったら。
然うしたら、私に代わって憶えておいてもらうことになるわね。
んー……難しいのは、大変そうだな。
多分、あたしには無理だと思うな。いや、無理だな。
大丈夫よ、あなたなら。
なんせ、先代マーキュリーに鍛えてもらったんだから。
あと、メ……今のマーキュリーに。
私は先代程ではないわ、ただ一緒に勉強をしただけ。
其れが一番、力になったんだ。
……。
マーキュリー?
……あの頃の方があなたは
一所懸命だったろう?
……。
そして、今も変わらず一所懸命だ。
……ふ。
マーキュリーも、然う思うだろう?
……然うね、今でもあなたは一所懸命だわ。
ひとり、憶えているんだ。
……ひとり?
堅物で真面目な木星のたまごの名。
……へぇ?
明日になったら、忘れているかも知れないけど。
食べ終わったら、また、眺めるのでしょう?
うん、眺める。
記憶の上書きをして、明日まで持たせれば良い。
持つかな、持てば良いな。
……まぁ、明日にならなければ分からないけれど。
楽しみだね。
……楽しみなの?
憶えていたら、褒めて欲しい。
忘れていたら?
いつも通りだと、笑って欲しい。
其れ、どちらも嬉しいわよね?
うん、嬉しい。
忘れていたら、何も言わないわ。
ん、残念。
……。
魚、もう少し食べるかい?
……私が食べてしまったら、あなたのお腹が満足しないわ。
大丈夫、麦餅があるから。
此れだけで十分よ。
じゃあ、貝はどうだい?
貝も十分。
ん、然うか。
……。
マーキュリーは魚が好きだよね。
……ええ、嫌いではないわ。
明日はなんの魚が良い?
明日は……明日も、鱈で良い。
鱈の他にも、魚は色々あるよ。
名前は忘れてしまったけど。
……鱈はね、味が淡白で食べやすいの。
ん。
口の中に入れると、身がほろりと崩れるのも悪くないわ。
ふふ、よっぽど好きなんだねぇ。
……あなたのお肉好きに比べれば、大したことはない。
肉も好きだけど、魚も好きだ。
なら、明日はあなたが好きなお魚で良いわ。
あたしの?
多分、私も食べられると思うから。
良かったら、一緒に見に行こうか。
……一緒に?
時間、どうにか取れないかな。
……。
難しいか。
……少しで良いのなら。
うん、少しで良いよ。
そんなに見て回れないかも知れない。
構わない、マーキュリーが見て呉れるなら。
……予め、目ぼしい露店を決めておいて。
ん、分かった。
……。
ふふ、やった。
明日はマーキュリーと一緒に市を回れる。
忘れて呉れても構わないのだけど。
マーキュリーとの約束は忘れない。
あぁ、然う。
厄介ね。
あはは。
お肉は決まっているの。
肉は、肉も決まってない。
となると、お肉も見ることになるのね。
良いかな。
付き合えるのは、あくまでも少しの時間。
うん、十分だ。
……。
鶏、豚、牛、兎、山羊、何か希望はあるかい?
……脂がしつこくなくて、煮込みに合うもの。
煮込みに合うものか……どれも合うけど、どれが良いかなぁ。
……出来れば、お団子にして欲しい。
お団子?
……挽肉で。
あぁ、其れは良いね。
うん、然うしよう。
……。
だとしたら、鶏と豚の合い挽き……いや、鶏だけでも良いかも知れない。
鶏だけの方が、さっぱりとしているし……出汁も、悪くない。
……ねぇ、ジュピター。
うん、肉の希望かい?
残念だけれど、違うわ。
なんだい?
……此のお茶なのだけれど。
若しかして、甘みが足りない?
もう少し、甘みを足してもらっても良いかしら。
分かった、ちょっと待っていてね。
……ん。
匙で、どれくらい?
然うね……一杯くらい。
一杯だね……よ、と。
……。
ねぇ、マーキュリー。
……なぁに、ジュピター。
こういう色、なんて言うんだっけ。
……敢えて言うのなら、琥珀色。
然うだ、琥珀色だ。
……濁りがなくて、きれいだわ。
……。
……何。
ううん……あたしもきれいだと思っていたから。
……然う。
此の蜜は、「蜂」という虫を使って花から採取するんだろ?
……と言うより、「蜂」が集めたものを横取りすると言った方が正しいかも知れない。
うん、言い方は色々だな。
虫を使って、花の蜜を採取するだなんて……月の民では、思い付きもしないでしょうね。
ん……。
……と言っても、月に虫は居ないけれど。
青い星には、多様な生物が居て……共生とまでは言わないけれど、其れで回っている。
だからこそ、青い星の民は観察して、色々考えて、自分達が生きやすいようにしてきたんだ。
……其の結果、他の生物を滅ぼしている。
共生は、難しいな。
……欲を抑制すれば良いだけのこと。
増えたもんなぁ、今では至る所に居て。
病や餓え……或いは定期的に自分達の手で減らしてはいるけれど、其れでも確実に増えている。
減らさなければ、溢れてしまうな。
……どのみち、減らすことになるわ。
うん、十中八九然うなると思う。
……。
ん、此れでどうかな。
少し、飲んでみて。
……。
どうだい、もっと要るかい?
……ん、此れで良いわ。
うん。
……はぁ。
ん、やっぱりもっと要る?
いいえ……此の味にも慣れてきたと思っただけ。
初めて飲んだ時は、渋くてほろ苦くてなんとも言えない味だった。
憶えているのよね。
マーキュリーと楽しんだ味だからね。
……本当は甘みなんて、足さないらしいのだけれど。
蜂蜜を入れた方が飲みやすいと思ったんだ。
……砂糖ではなかったのよね。
うん、蜂蜜の方が合ってると思った。
……と言いながら、本当は蜂蜜が欲しいだけだった。
其れも、ある。
……青い星でしか、楽しめないから。
蜂蜜も月にあったらなぁ。
……似たようなものならば、作ることは出来るけれど。
味が微妙に違うんだ……矢っ張り、虫を使わないと駄目なんだと思う。
……「蜜蜂」を解析して、かつてのマーキュリーは其れが持つ酵素に近いものを作った。
だから、あたし達は花蜜を楽しむことが出来る。
……。
ジュピターの我儘だったんだろうなぁ。
……何故、月にはひと以外の動物を置かないのか。
……。
ひとだけでは本来、成り立たない筈なのに……。
……其れでも、成り立ってしまっているから。
……。
だから、歪んでいるんだ……世界も、命も。
……何処まで、歪み続けるのかしらね。
滅びるまで、かな。
……答えになっていない。
んー……何処までだろうなぁ。
……。
あぁ、然うだ。
……思い付いた?
いや、答えは思い付かない。
……あぁ、然う。
ねぇ、マーキュリー。
なに。
まだ、お腹に入るかな。
……食後に何かを用意しているの?
うん、ちょっとしたお菓子を。
お菓子?
なんでも此の地域で良く食べられているお菓子らしいんだ。
……其れも作ったの?
うん、作った。
……作り方は。
教えてもらった。
今回は、誰に。
魚を切り分けて呉れたひとに。
どうして、そんな流れに?
ん、どうしてだったかな。
……。
簡単だから作ってみれば良いと言われたのは憶えている。
……簡単だったの?
うん、簡単だったよ。
……。
ただ。
……ただ?
崩れやすいんだ、其のお菓子。
……。
だから、買えないんだって。
いや、買うよりも自分で作った方が良いだったかな。
……買っても、崩れてしまうから。
買って直ぐに其の場で食べてしまうなら、買っても良い、だったかな。
……其れで、本当に崩れやすいの?
うん、本当に崩れやすい。
面白いくらいに崩れてしまうんだ。
面白いのかしら。
口に入れる前だと、とても残念な気持ちになるけれど、口の中に入れてしまえば面白い。
……美味しい?
うん、あたしは美味しいと思う。
……。
どうだろう、食べられるかな。
……大きさにもよるけれど。
ええと……ひとつが、此れくらい。
……ひとつか、ふたつくらいなら。
うん、其れでも良い。
今、
まずは、此れを食べ終わってからね。
あ、然うだね。
まずは、此れを味わおう。
……其のお菓子には、名はあるの。
あったと思う。
……然う。
ぽ……ぽ。
……鳥の鳴き声かしら。
確か、「ぽ」から始まる名だったと思うんだ。
ふぅん……まぁ、明日になれば分かるわね。
ん、然うだね。
……其れでまた、私の中に記憶の欠片が増えるのだわ。
増えない方が良い?
……其れは、其れで。
構わない?
……なんてこと、ないわ。
……。
緩んでる。
……へへ。
其のお菓子は甘いの?
うん、ほんのりと甘いよ。
疲れた頭に丁度良いと思うんだ。
なら、仕事をしながら食べようかしら。
ん、良いと思う。
でも、崩れやすいから気を付けて。
と言っても、今夜ではないわ。
食べるのなら、
明日の仕事中に?
其のつもり。
じゃあ、新しいのを作ろう。
別に良いわ、今日作ったものでも。
出来立てを、マーキュリーに。
然う……なら、然うして。
あぁ、然うする。
……。
……なんでもさ。
ん。
名を唱えながら食べると、願いが叶うと言われているらしい。
……名を?
だからあたしは、
其れは屹度、お菓子の名よね。
……。
お菓子の名が分からなければ唱えようがないわ。
……マーキュリーの名を
正しく唱えなければ、意味をなさない。
……メルでも
ジュピター?
……今夜はやめとく。
……。
……。
……其れも、作った理由のひとつ?
どうして、分かったの……?
……憶えていたから。
あー……。
……本当に、分かりやすいひと。
29日
マーキュリー、夕ごはんが出来たよ。
……ん。
今夜はなんと、魚と貝の煮込みだ。
本当なら酒を入れるらしいが、其れは割愛している。
……麦餅は。
勿論、あるよ。
煮込みと一緒に食べて欲しいな。
……魚と貝は、何。
ん、なんだったかな。
……忘れたのね。
ちょっと待って、今、思い出すから。
……。
んー……確か。
……良いわよ、食べれば分かるから。
思い出した。
……。
魚は「鱈」、貝は「浅蜊」、だったと思う。
……其れらに決めた理由は?
今日のお勧めらしい。
……お勧め、ね。
並べられていた魚の中でも、特に新鮮なものを分けて呉れたんだ。
……新鮮でないと、お腹を壊すわね。
しかも、魚は其の場で切り分けて呉れてさ。
おかげで捌く手間が省けたよ。
……自分でも出来るのに?
然う言ったんだけど、細かいことは気にするなと言いながら切り分けられてしまった。
……男?
いや、今日は女だった……と、思う。
……髪型の特徴を教えてあげた筈だけれど。
其れがさ、短かったんだよ。
……胸に膨らみは?
あったような、ないような。
……声は?
勢いがあって、大きかった。
……音の高さは?
ん、高くはなかったような気がするな。
何方かと言うと低くて……少し、太かったような気がする。
……女だと思ったのは、何故?
男よりも刃物の扱い方が柔らかかったから。
……。
此の街で魚を売っている者達は、漏れなく、刃の扱いに慣れているんだ。
……何度か聞いているわ。
刃を迷いなく魚の身に入れて、躊躇なく走らせていくから、切り分けられた魚は身割れすることなく、とてもきれいなんだ。
……今日の者は、特に扱い方が柔らかかったと。
男はもっと荒々しいんだ。
雑ではないんだけど、柔らかさは見られない。
……柔らかい男も居るかも知れない。
ん。
……あれだけ居れば、ひとりくらいは居ると思うわ。
んー……。
……まぁ、どちらでも良いけれど。
うん。
……捌く手間が省けて、良かったわね。
改めて、思うんだけどさ。
……何。
此の街のひとのこは矢っ張り、旅人に親切だと思う。
……聊か口が悪いところはあるけれど、気質は鷹揚だと思うわ。
あたしは嫌いではないな。
何処となく、木星の民達に似ているような気がするんだ。
……少し、似ているかも知れないわね。
然ういえば、喧嘩をしていたな。
……喧嘩はしないわね。
無駄な争いは好まないんだ、そんなことをする時間があるのなら鍛練をしている方が良い。
……勇ましいけれど、血気盛んではない。
其れ、皆に言ったら喜ぶ。
……こんなことで?
皆で大喜びだ。
……つまり、言って欲しいの?
士気が上がるんだ、マーキュリーに褒められると。
……あなたではなく?
あたしだと……あまり、喜ばない。
……。
いや、全く喜ばないわけではないんだけど……何と言うか、マーキュリーの方が盛り上がるんだ。
……多分、表に出さないだけだと思うわ。
表?
木星の民は皆、あなたが目標だから。
……。
ジュピターには決してなれないし、ジュピターのような力を持つことも出来ない。
けれど、近付くことは出来るかも知れない。共に戦うことで、役に立てるかも知れない。
故に、木星の民達は日々の鍛練を欠かさない。然う、今此の時だって。
……然う聞くと、わりと真面目だな。
其れ以外は、大らかで大雑把でいい加減で、隙あれば水星の民に近付いてくるけど。
今此の時も近付いているかも知れないな……マーキュリーも留守だし。
少しくらいならば許すわ。
仕事や鍛練ばかりでは疲れてしまうでしょうし。
優しいな。
心を休ませてあげることも大事だから。
あぁ、とても優しい。
……。
マーキュリー?
……張り詰めているばかりでは、糸は切れてしまう。
……。
だから定期的に、程良く緩めてやることも必要。
あたしも同じ考えだ。
……元々は、あなたの考えだもの。
ん、然うだったか。
……然うよ。
役に立っているようなら、あたしは嬉しいよ。
……癪だけれどね。
はは。
……金星や火星の民では難しいから。
……。
だからこそ……木星と水星の関係は、日頃から、深めておかないと。
……深めておいた方が、連携が取りやすい。
……。
木星の民は、お前が立てた作戦ならば、其れがどんな内容であろうとも必ず従うだろう。
其れが正しいことだと信じて、動く。誰もがマーキュリーを疑うなんてことはしない。然う、最期の其の時まで。
……私が死線に行くことなんて、ほとんどないのにね。
マーキュリーが死線に立つということは、前線が崩壊しているということだ。
然うなれば、ほぼ手詰まりに等しいだろう。其れだけは、何があろうと食い止めなければならない。
……。
兎に角、マーキュリーを欠かすようなことがあってはならないんだ。
マーキュリーの代わりは、水星の民でさえ、出来ないのだから。
……智将が欠けても。
智将が欠けたら、其の時点で戦は負けだ。
戦は勇敢なだけでは勝てないのだから。
……先代が育てたあなたが居れば。
仮令一時的に凌げたとしても、あたしは長い目を持っていない。
……。
マーキュリー程、知略に長けている者は居ないんだ。だからこそ、木星の民はマーキュリーを守る。
マーキュリーさえ欠かさなければ、金星や火星の民達が、敵を討ち果たして呉れるかも知れない。
……嫌味や皮肉は、主に金星から言われるけれどね。
言わせておけば良い、所詮は其の程度の頭しかないということなのだから。
……。
と言っても限度はあるからさ、其れに達してしまう前に、どうかあたしに話して欲しい。
あたしはいつだって、マーキュリーの話を聞く準備は出来ているから。ひとりで抱え込まないで欲しいんだ。
……居なくなったら、聞けないわね。
だから、居なくならないよ。
……話の流れがおかしい。
あれ。
……ふぅ。
兎に角、あたしは居なくならない。
……ええ、居なくならないで。
うん。
……。
マーキュリー。
……なに。
マーキュリーが立てた作戦でなければ、場合によっては、木星の民は従わない可能性が大いにある。
……あなたの命令ならば。
聞くだろうが、士気は低いだろう。
……。
斯く言う、あたしの士気もだ。
……勝手な行動を始めそうね。
当てにならぬ作戦に従うくらいならば、己の考えで動く。
……。
咎めるか。
……いいえ、其の方が良い場合もあるでしょうから。
うん、良かった。
……然うやって、木星の民達は戦ってきた。
あぁ。
……だから、どの星の民よりも信用出来る。
此れからも。
……ん、当てにしているわ。
応。
……。
さて、ごはんにしようか。
……然うだったわね。
大丈夫かい?
……何が。
仕事。
……問題ないわ。
……。
ジュピター?
若しかしてだけどさ。
……何。
うたた寝をしていた?
……していないわ。
今夜は早めに休もうか。
食べ終わったら、もう少し続ける。
ん、然うか。
ならば、あたしも。
私のことは気にせず、先に休んで。
いや、少しだけ起きているよ。
起きていて、何をするつもりなの。
木星の民達の名を眺めようと思う。
……今更?
折角、マーキュリーが書き出して呉れたんだからさ。
憶えられるの?
多分、無理だ。
早ければ、明日にでも忘れてしまうだろう。
でしょうね。
だからさ、時間がある時は何度でも眺めてみようと思って。
其の行動を、記憶に留めておけるの。
留めておきたいと思っているんだけど……矢っ張り、あたしの頭では難しいか。
明日になれば、忘れてしまっている……ないとは言えない。
二日間だけでも憶えていられたら、記憶の上書きが出来るんだけどな。
今日から明日、明日から明後日、明後日から明々後日……と。
……。
どうした?
……別に何も。
ほんの少し、苦しい顔をしているように見える。
……そんな顔、していないわ。
じゃあ、お腹が空いた顔かな。
……。
ん?
……其れで良い。
ふふ、然うか。
……。
マーキュリー、今夜も一緒に食べよう。
……うん。
何が飲みたい?
……何があるの。
白湯とお茶。
……お茶で。
ん、分かった。
……良かったら、あなたも同じものを。
うん、然うする。
……。
こんな場所でも、良い。
……何が良いの。
ふたりで暮らす場所。
……然うかしら。
食べ物が美味しい。
……其れは何処の場所でも言っているわ。
今まで見てきた中でも取り分け、ひとのこの気質が良い。来る者には親切で、去る者は追わず、口は少し悪いが、心根は悪くはない。
子らは学びの機会を与えられ、売られることも、全くないわけではないみたいだが、他の場所よりは少ない。
……少し騒がしいわ。
ひとのこが多い場所から離れれば、喧騒もそこまでは気にならない。
……気に入ったのね。
あぁ、気に入った。
……あの家より。
あの家が一番だ。
帰って良いのなら、今直ぐ帰りたい。
……帰れたら。
マーキュリーと……メルと、暮らす。
……民達はどうするの。
……。
民達も、連れて行くの……?
……其れも、悪くない。
連れて行ったら……ふたりで静かに暮らせないわ。
住む家は別だ。
……。
離れた所に
あの家で、あの場所で、もう一度、暮らせるのなら。
……。
……ユゥとふたりだけで、静かに暮らしたい。
マーキュリー……。
……なんてこと、考えているわけないでしょう。
あぁ……分かっているよ。
……。
仕事は何処まで?
……あと少し。
然うか。
……明後日の早朝、此処を離れる。
明後日か……なら、明日はまだ美味しい魚が食べられるな。
……お肉でなくて良いの?
肉も良いな。
マーキュリーは肉と魚、何方が良い?
……脂っこくなければ、何方でも。
じゃあ、両方を食べよう。
……煮込みが良いわ。
ん、分かった。
……ジュピター。
うん、なんだい?
……。
お……。
……私が代わりに、憶えておいてあげるわ。
……。
ん……。
……ありがとう、マーキュリー。
何度目かしら……。
……何度だって、あたしは構わない。
忘れてしまうから……?
……マーキュリーのことは、憶えている。
……。
だから、あたしは……安心して、忘れられるんだ。
……何よ、其れ。
ごめんね、マーキュリー。
……。
マーキュリーに重荷を背負わ、ん。
……其れ以上は、良い。
分かった……言わない。
……あなたは、優しいから。
マーキュリーにだけだ……。
……若しも、憶えていたら。
其れでも……。
……少しでも、身軽で居られるように。
あたしの手は……いつだって、マーキュリーでいっぱいなんだ。
……私の躰なんて、片手で抱えられるくせに。
空いた手で、マーキュリーを守る。
……。
……マーキュリーは此の頭で、あたしを守って欲しい。
頭って……。
……知性、知識、知恵。
……。
……今夜は成る可く早く、ふたりで休もう。
片付けてしまいたいの……。
……終わるまで、待っているよ。
ううん……先に。
……待っていたいんだ。
……。
いつも然うやって、駄々を捏ねる……だろう?
……本当に。
……。
……今頃、月では。
木星の民は、躰を動かし……水星の民は、頭を使っているだろう。
其の中には、民同士、手を取り合って……。
……然うだと、良い。
屹度、然うさ……。
……。
ねぇ……お腹は、空いているかい?
ええ……あなたのせいでね。
ふふ、然うか……其れは、済まない。
……。
待っていて、直ぐに並べてしまうから。
……ううん、私も。
良いのかい……?
……少し躰を動かしたい気分なの。
じゃあ、お願いしようか……。
……うん。
28日
ふむ。
どう?
本当に数人だなぁ。
でしょう?
でも、悪くはない。
ひとりも居ないよりはずっと良い。
此の子達は此のまま続けて呉れれば、其れで十分だと思っているのだけれど。
問題はいつまで続くかだなぁ。
うちの子達が上手く転がしているうちは問題ないわ。
まんまと転がされているのか?
ええ。
はは、其れは良いな。
良いの、あなたは其れで?
良いも何も、全く悪いことではないからさ。
一所懸命に頑張ることが出来る理由があるのならば、あたしは其れで良いと思っているんだ。
然う、ならばもう少し頑張ってもらうわ。
想いが叶えばもっと良いと思っているけど、其処ら辺は流石に難しそうか。
残念だけど。
だよな。
然うでもないのよね。
お、然うでもないのか。
嬉しそうね。
支えが居れば違うからな、やる気が。
殊、木星の民達は単純だから……?
……。
マーキュリー、どうした?
……想いが通じ合えば、失った時の喪失感が大きくなるわ。
ん。
木星の民は他の民よりも帰ってこない確率が高いから。
其れは……仕方ないな。
仕方ないでは済まないのよ、士気に関わることなのだから。
水星の民でも然うなのか?
無感情で面白みがないと金星辺りには良く揶揄されるけれど、残念ながら、全くないわけではないの。
薄くて分かり辛いだけ、なんだよな。
たまにだけれど、うっすらと笑って呉れる時もあるし。
気が付く者はあなたと、一部の木星の民くらいね。
目が良いんだ、あたしと一部の木星の民は。
鈍いくせに。
はは。
感情なんて不確かなものがなければ、淡々と物事を進めることが出来るのだけれど。
でも、心が乱れているような、然ういった素振りはほとんど見せない。
見せるようならば、駒として使えないもの。
相変わらず、マーキュリーは手厳しいなぁ。
木星とは違って、此方は精密さや緻密さを求められるの。
日頃から厳しく努めていなければ、いざと言う時に重大な狂いが生じてしまうかも知れない。
木星のように、日頃からいい加減で大雑把とはいかないか。
木星は戦時に、ちゃんと機能して呉れれば其れで良いわ。
駒としてか?
ええ、然うよ。
ならば、此方も厳しくしないとな。
戦の駒としては十分かも知れないが、もう少し頭も鍛えてやりたい。
此れは、以前にも言ったことなのだけれど。
ん、なんだろう?
木星の民である自分が何の為に学びなどしなければならないのか、未だに良く分からないと。
は。
言ってきた者が居るの。
そんなことを言う者が居るのか。
私にね。
しかも、マーキュリーにか。
なかなかだと思ったわ。
済まない。
良いのよ、私は嫌いではないから。
……。
言わなくても分かっていると思うけれど、特別な好意があるという意味ではないわよ。
……分かっている。
本当に?
本当に……ただ珍しいと思っただけだよ。
然うかしら。
然うだよ。
マーキュリーが興味を
別に興味を持ったわけではないわ。
ただ、嫌いではないと思っただけ。
……其れは
言わなくても分かっているのよね?
二度は言わないわよ。
うん……分かっている。
自分は守りの要である、木星の民がひとり。
であるならば、いずれは戦で散る身、学びなど必要ないと思うと。
其れ、本当に木星の民か?
ねぇ、なかなか面白いでしょう?
面白いというより、あまり居ない型のような気がする。
何方かというと、火星に居るような。
木星には滅多に居ないわ。
然うだよな。
居たとしても、あなたは憶えていないでしょうけど。
あたしがジュピターになってから、居たか?
五本の指で足りる。
五本の指……矢っ張り、少ないな。
真面目なのは良いのだけれど。
使命の為に、自ら壊れに行きそうだ。
……まさに、本人の言葉通りにね。
だとすれば、あたしは忘れてしまうな。
ええ……憶えているわけがないわ。
マーキュリーに言った者は、未だ。
未だ壊れていない。
然うか。
ならば今度、
あなたとの手合せを望んでいたわよ。
あたしと?
然う、あなたと。
未だ一度も手合せをしたことがないと、嘆いていたわ。
若しかして其れ、まだたまごか?
あなたと少しでも早く手合せが出来るよう、鍛練を頑張っているようだけれど。
たまごならば、あたしと手合せするのはまだ先だな。
幾らかでも躰が出来ていないと、壊れてしまうかも知れないから。
……あなたも然うだったものね。
うん……あたしも然うだった。
結局、あなたは先代と同じことをしているの。
戦でもないのに壊れてしまったら、勿体ないだろう?
代わりは幾らでも居るが、直ぐには補充出来ないのだからさ。
其れは然うなのだけれど。
けれど、なんだい。
あなたと手合せをしたことがないようなたまごだったとしても、戦に出ざる得ない状況の時はあるわ。
あぁ……其れは然うだな。
もっと言えば、其れは珍しいことではない。
数が多いわけではないから。
であるならば、仮令少しであっても、経験を積ませてあげても良いと思うの。
マーキュリーの目から見て、手合せ出来そうな躰付きだったか。
未だ細身ではあるけれど、出来なくはないと思うわ。
細身か。
動きを見せてもらったのだけれど、
見て呉れたのか?
ええ、たまたま時間があったから。
若しかして、ふたりだったのか?
いいえ、他にも水星の民がひとりだけ居たわ。
そ、然うか。
なぁに、何か気になることでもあるの?
ある。
ばかね。
うん。
どうやら。
うん?
矢っ張り、なんでもないわ。
少し、気になるな。
然う?
良ければ、聞かせて欲しい。
……。
言いたくなければ、話さなくて良いけど。
……私としては、決して勧めないのだけれど。
勧め……なんのことだ?
……其の子が気になるみたいなの。
気になる……うちのが、水星の民を?
だとしたら、いつも通りだよな。
いつも通りならば、何も言わないわ。
うん、どういうことだ?
鈍い。
……。
其の逆。
……逆?
然う、逆。
うちのが水星の民を……の、逆。
本当に鈍い。
……は?
分かった?
水星の民が、うちのを?
誰よりも感情の薄い子だと、思っていたのだけれど……どうも、見誤ったみたいだわ。
はは、然うか。
其れは良いな。
良くない。
うちのはどうなんだ、満更では
全く興味がない。
……は。
言ったでしょう、真面目で堅物だと。
……其処までか?
ええ、其処までよ。
いや、だって、木星の民だぞ?
隙あれば、水星の民に近付きたがって
ないのよ、全くと言って良い程に。
……そんなの。
更に居ないわね。
だよなぁ。
先代の頃の記録には残っているけれど、実物を見るのは初めて。
マーキュリーが初めてならば、あたしも然うなるな。
本当に稀な存在だと思うわ。
はぁ、居るんだなぁ……。
あまりにも堅物だと、少し調子が狂うのだけれど。
でも、嫌いではない。
ええ、嫌いではないわ。
騒がしくないところが特に良い。
……分からないわけではないな。
然う、其れは良かった。
水星の子は普段、どうしているんだ?
別にどうもしない、日々の仕事を淡々とこなしているわ。
良かったら、いつでも
今は他の者を置いているでしょう。
もうひとりくらいなら、
出さない。
……然うか。
まさかとは思うけれど、何かしてあげたいとでも?
いや、何かしたいわけではないんだ。
けれど、気になる。
誰かを想う気持ちは、分からなくもないからさ。
……ふ。
なぁ、たまにで良いから
うちの子が幾ら想ったところで、木星の子が何も思わなければどうにもならないわ。
然うだとしても……支えには、なるかも知れないだろう?
然うね、なるかも知れないわ……木星の子には、ならないと思うけど。
……先々代が、堅物だったんだ。
……。
ジュピターの。
分かっているし……知ってる。
堅物だったけど……マーキュリーと。
マーキュリーの先々代は、奔放だったのよね。
……うちのを想って呉れる子は、奔放ではないんだろう?
奔放とは全く言えないわ。
滅多に居ないよな、奔放な水星の民なんて。
滅多には居ないけれど、居ないわけではない。
今は居るのか?
……。
マーキュリー?
……ひとり。
居るのか。
……木星の子をひとり、まんまと転がしているわ。
あ、あぁ……。
……はじめのうちは、数人を転がしていたんだけど。
数人……大分、奔放だな。
……途中で、ひとりが可愛くなってしまったみたい。
然うか……まぁ、良かったのかな。
……私としては、其のまま転がしておいて欲しかったんだけど。
まぁ、然うだよな……。
……とは言え、皆の疑いが晴れたから良いのだけれどね。
疑い?
数人も転がして……本当は金星の民ではないか。
あぁ……でも、金星の民はもっとな?
……水星の民にとっては十分な程に刺激的なのよ、分かるでしょう。
うん……分かる。
まぁ、仲良くしているようだから構わないのだけれど。
放っているのか。
仕事は疎かにしていないから。
仕事ぶりは良いのか?
気性は奔放だけれど、仕事は緻密。
そ、然うか……なら、良いな。
……此のまま羽目を外さなければ、ね。
は、外しそうなのか?
詳しくは聞いていない。
あなたは聞きたい?
いや、良い……あたしとしても、差支えがなければ其れで良いんだ。
其れ、あなたが言うの?
おかしいかな。
……。
お、おかしいか?
……まぁ、良いけれど。
あぁ、良かった……。
……話を元に戻すけれど。
ん、なんだったか。
真面目で堅物な木星のたまご。
あぁ、然うだった。
其れで、どうだったんだ?
動きは悪くはなかった。
聞けば、毎日の鍛練は休まずにやっているらしいわ。
うん、当たり前のことだけれど良いな。
寝る前も欠かさないと。
へぇ、寝る前もか。
朝、目が覚めた時も。
うん、真面目だ。
あなたよりもしているかも知れないわね。
あたしはもっとしているよ。
ジュピターだから?
ジュピターでなくても、あたしは鍛練する。
使命を果たす為に?
あたしは誰よりも強くなければいけないんだ。
たったひとりだけの、大切なひとを守る為に。
ジュピターとして、良い心掛けだわ。
だろう?
心から言っていれば、だけれど。
言っているよ。
然う、なら良いわ。
……。
ジュピター。
……あたしの、たったひとりだけのひと。
……。
……心から、言ってる。
はぁ……。
……へへ。
其れで、手合せはしてあげる気になったの。
んー……取り敢えず一度、見てみようかな。
然う。
ところで、誰だ?
然うよね。
いやぁ、注意して見れば分かると思うんだけど、念の為。
仕方ないひとね。
面目ない。
……。
……ん?
此の名前に見覚えは?
……あるような。
はい、憶えていないわね。
……名前を呼べば、出てくるだろう。
たまごだから、其方を見て。
分かった。
良い、たまごよ?
お、応、たまごだな。
……。
たまご、たまご……。
……若しも、手合せをするのなら。
良かったら、見学して呉れるかい?
してあげても良いわ。
ん、ならばして欲しい。
予定は?
未だ、決めてない。
あぁ、然う。
寧ろ、マーキュリーの都合を教えて欲しいな。
合わせて呉れるのかしら?
其の方が手っ取り早いだろう?
ええ、其の通りよ。
決まったら、教えて。
ん。
……楽しみだな。
なぁに?
ん、なんでもないよ。
其れより、頭も大事だ。
……。
堅物で真面目だからこそ、学ぶべきだとあたしは思う。
ふ。
間違っているか?
いいえ、間違ってはいないわ。
頭も鍛えるように、あたしから言おう。
言うのは、手合せをしてからの方が効き目があると思う。
ん、然うかな。
然うよ。
分かった、じゃあ然うする。
……。
堅物は此れで良いとして。
どうせだから、皆と手合せをしたら?
皆と?
知識で殴った後に。
……ふむ。
殴る前でも良いけれど。
いや、後の方が良い。
堅物と同じだ。
然う、なら後で。
折角だから、此方も見学するかい?
良いわよ。
駄目か……え、良いの?
把握することも、マーキュリーの仕事のひとつ。
うん、然うだよな。
其れで、今思ったのだけれど。
ん、なんだい?
良い機会だから、水星の民をひとり連れて行くわ。
……。
ジュピター、何か問題は?
全くないよ、マーキュリー。
然う。
……。
なに、其の顔。
緩んでいるかな。
鬱陶しいくらいに。
27日
-Polvorón(前世)
なぁ、マーキュリー。
なに、ジュピター。
小さいのがわらわらと集まっているようだけど、あの場所はなんだ。
学舎。
まなびや?
子供の為の学びの場所。
へぇ、そんな場所があるのか。
此の地域では子供に、しかも性別を問わずに学びの機会を与えているのよ。
だから、男女ともに識字率も高いとされているわ。
計算はどうなんだ?
ちゃんと学んでさえいれば、簡単な四則計算くらいは出来るでしょうね。
居眠りをしていては駄目だな。
数字を見ると眠くなる者は、何処にだって、一定数は居るものなの。
ある程度の計算は出来た方が良いな、売り買いで騙され難くなるだろうから。
安く買い叩かれ、高く売りつけられる確率が減る。
けれど、其の価値を知らなければ、結局は同じこと。
だから、文字や計算以外のことも学ぶんだな?
然ういうこと。
学びは決して無駄にはならない。
うん、分かる。
分かるの?
分かるよ、先生……いや、先代に教えてもらったからな。
ふぅん、然う。
でも一番は、メルに教わったことだ。
メルが居なければ、あたしは
ジュピター。
マーキュリーが居なければ、ただでさえ記憶力が悪いのに、
良いわよ、無理をしなくても。
していない、本当のことだから。
はいはい、然うね。
うん、然うなんだ。
……。
マーキュリー、気になるのかい?
……見たところ、数え六つか、七つ。
ん、意外と歳を取っているな。
妥当ではあるわ。
育つかどうか分からないから?
其れもある。
ふむ。
物心が付いて、ある程度の分別は付くようになっている年頃。
然うか、あのちびなんか暴れているぞ?
一般的に、精神的な成長は女児よりも男児の方が遅いと言われている。
男児……あれ、男か。
然うね、あなたには見分けることは出来ないわよね。
皆、小さい。
髪型にも違いがあるでしょう。
髪型……あぁ、確かに違うな。
長いのも居れば短いのも居る、結っているのも居れば下ろしているのも居る。
此の辺りでは、髪型である程度の見分けが付くの。
短髪ならば男児、長髪ならば女児というようにね。
髪の長い男児や短い女児は居ないのか?
長髪の男児は居ないわけではないわ。
但し、長髪の場合は必ず頭の上で結わなければならない。
頭の上……。
あなたの髪型に少し似ているわね。
ん、若しかしてあれか。
然う、あれ。
あんまり似てないぞ?
然うかしら、似ていると思うけど。
確かに結っている場所は近いが。
似てる。
んー……まぁ、良いか。
対して、髪の短い女児は居ない。
何故だい?
女の髪は、宝に等しいと言われているそうだから。
髪の毛がか?
緑の黒髪と呼ばれていて、高値で取引されているみたいよ。
其れは、緑なのか? 其れとも、黒なのか?
あたしには皆、黒く見えるが……あぁ、中には明るい色のも居るな。
此処で言う「緑」は、「新芽」や「若々しい」の意。
新芽?
緑の黒髪とは、新芽のように若々しく、且つ、瑞々しい黒髪のことを指すのよ。
然うか、色ではないんだな。
新芽の若々しさ、か……言い得て妙、なかなか良い表現だ。
あなたなら気に入ると思ったわ。
マーキュリーの場合は緑の青髪だ。
はいはい、ありがとう。
うん。
ところで。
うん?
暴れている子の髪型は?
暴れているのは……そもそも、髪の毛がないな。
なんだ、抜けちゃったのか? 其れとも、未だ生えてきてないのか?
あれは丸刈りにされているだけ。
丸刈り?
文字通り、頭髪を全て刈ってしまうこと。
ん、緑の黒髪ではなかったのか?
其れはあくまでも女の価値観であって、男にはないわ。
男の髪は宝ではないのか。
強いて言えば……生えているか、抜け落ちてしまったか。
うん、どういうことだい?
あれを見て。
ん、どれだ?
あの髪の毛のない男。
んー……あぁ、あれか?
然う、あれ。
髪の毛がないな、丸刈りとやらにされているのか?
と言うより、でかくなってもやるんだな。まぁ、さっぱりしていて良いのだろうが。
あれは、丸刈りではないわ。
うん、違うのか?
あれは抜け落ちて、生えてきていないだけ。
つまり、毛根が死んでいるの。
毛根が、死んでる……。
男にとって髪の毛のあるなしは、其の価値観に繋がる場合もある。
だから、ひとによっては宝と思うかも知れない。
髪の毛のあるなしでか?
然うよ。
此の場合、どちらが良いんだ?
此の辺りでは、生えている方が良いとされている。
となると、生えていない者は。
女に相手にされない可能性がある。
ん、厳しいな。
けれど気にしない女も居るから。
然うか、其れも然うだな。
問題は、性格。
其れは、男だけではないな。
女でも性格は大事だと思うぞ。
でも、子を産む女は男よりも、ある意味、価値が高いとされているから。
……。
いざとなれば敵方に差し出して、命拾いすることも出来なくはない。
実際に然ういった取引は、どの地域でも見受けられる。
然ういった意味では、女の方が価値があるのかも知れないな。
但し、ひとのこというよりも物、或いは人型としての扱いだろうが。
物であろうが人型であろうが、適齢であれば大体の女は子を生せるから。
男はただ、種を蒔くだけ。
であるならば、己の子を孕ませることが出来れば其れで良いのか。
中には、打ち捨てられる者も居るけれどね。
其れが良く分からないんだよな。
どうして己の子を孕むかも知れない女を殺す必要があるのか。
子など、要らないからよ。
要らないのに、然ういったことはするんだろう?
行為の目的は何も、生殖だけにあるのではないから。
やっぱり、良く分からないな。
私達はどうなのかしら。
うん、あたし達?
私達は子を生さないわ。
あたし達の躰は、然う出来ていないから。
若しも生せるとしたら、あなたは欲する?
子を?
然う、私達の子。
んー……どうだろうな。
分からない?
分からない。
欲しないのなら、行為なぞしなくて良い。
む。
と、言われたら?
……。
其れでも、あなたは私を求めるでしょう。
子が出来ようが出来まいが関係なく、昔から、ずぅぅぅっと。
ん……力が籠もっているな。
間違っているかしら?
いや、間違ってはいない。
あたしは昔から、ずぅぅぅっと、マーキュリーを求めている。
何故?
愛しているからだ。
子は生せないけど?
関係ないし、別に求めてはいない。
つまり、目的は生殖ではない。
然うなる、な。
然うでしょう。
あぁ、然うだ。
其れと似たようなものなのよ。
似たような?
ただ、其の行為には愛などという甘ったるいものは存在しない。
ただ、ただ、己の獣欲を満たす為だけの、暴力的なものに過ぎない。
あたしはマーキュリーに暴力など振るわない。
知っているわ。
そして、マーキュリー以外の者としたいとも思わない。
あなたはね。
青い星の民は違うんだな。
戦は雄の本能を剥き出しにさせる。
其処に理性なんてものは残っていない。
……。
一度(ひとたび)箍が外れてしまったら、見境がなくなる。
簡単に暴力的な欲に身を委ねる。拒否も拒絶も受け入れない、ただ、暴力で支配する。
獣以下だな。
ええ、然うよ。
だけど、其れもまたひとのこなの。
女は?
物理的な力では、男には敵わない。
物理的でなければ。
精神的に支配する者は居る。けれど、戦になればあっさりと立場は引っ繰り返る。
いつだか見たでしょう、権力という暴力を民に振るい続けた若い女王の顛末を。
怒りに塗れた民に引き摺り出されて、さんざ慰み者にされた挙句、首を刎ねられた。
此の場合、生殖目的だと思う?
思わない、心身をただ痛めつけているだけだ。
男であれば、其のまま首を刎ねるだけだったでしょうけれど。
或いは、もっと歳が嵩んでいれば、か?
好きものが居るかも知れない。
其れは、相手が男でも居るんじゃないか?
居ないとは限らないわね、例えが悪かったわ。
いや、悪くない例えだったよ。
驕れる者は久しからずというやつだ。
ちゃんと憶えていて偉いわね。
はは、褒められた。
話を髪の毛に戻しましょうか。
髪の毛がなくても、性格が良ければ問題ないと思うのだけど、違うのか。
中には其れで良いという者も居るでしょう。
けれど、性格が悪かったら、洟も引っ掛けられない。
性格が悪くても、髪の毛があれば相手にされるものなのか?
見掛けに引っ掛かる女は居るそうよ。
中身も見るべきだな。
然うね。
中身こそ大事だ。
だけれど其れもまた、ひとのこたる所以だから。
面白い生き物だな、青い星の民は。
暴力的なところは要警戒を超えているが。
加えて、生々しいと思うわ。
生々しい、か。
うん、確かに。
月の民には生々しさを感じない。
ひとりだけ居るぞ、無駄に生々しい奴が。
あれは生臭いと言うのよ。
うん、そっちだな。
もう少し眺めている?
ん、もう良いや。
なかなか面白いものだった。
然う。
月にも、ああいう学舎があれば良いのにな。
然うすれば、木星の民達にも学びを与えることが出来る。
……残念ながら、其れは難しいわね。
ん、然うだよな。
月では学びなんて、
……。
マーキュリー?
……然ういった話が、全くなかったわけではないの。
潰されたんだな。
……要らないのよ、私達には。
……。
だから……私達があなた達に教えているの。
あぁ……おかげで、助かっているよ。
……あなたからも厳しく、指導して欲しいのだけれど。
んー……どちらかと言うと、頭よりも躰力だからなぁ。
学びを与えることを考えておいて?
帰った時にまた、言って欲しい。
ええ、言ってあげるわ。
何度でもね。
そんなに、駄目か?
駄目ではないけれど……たまに気が抜けている時があるから。
其れは多分、たまにではないな。
全く、折角水星の民達が教えて呉れているというのに。
と、何度もあなたから聞いているのだけれど、改善しないのよね。
……指導していないわけではないんだ。
憶えていれば、ね。
此処は、ひとつ。
何か良い案でも?
知性で殴ってやって呉れ。
知性は殴るものではないから、知識で殴るわ。
あぁ、其れで良い。
其の時はあなたもね。
あたしも殴られるのか、だったらマーキュリーが良いな。
あなたが殴るのよ。
あたしが?
水星の民ではなく?
水星からは私が。
つまり、ふたりがかりか。
ねぇ、良いでしょう?
はは、良いな。
なかなか楽しくなりそうだ。
殴るけれど、痛めつけるわけではないわよ。
あぁ、分かっているよ。
あなたが居る方が緊張感を持って呉れるだろうし。
いや、マーキュリーが居るだけでも十分に効果覿面だぞ?
木星の民は、マーキュリーを正しく恐れ、敬っているからな。
然う?
なら、あなたは要らないかしら。
いや、今回はふたりがかりにしよう。
然うすれば流石に、頭の中に刻まれるだろうから。
取り敢えず、読み書き。
其処からか?
途中で遊びだすのよね。
どんな風に。
筆記用具を転がしたり、鼻や耳に掛けたり、指で器用にくるくる回したり。
うん、きつく指導しておこう。
其の光景を見るたびに、昔のあなたを思い出すわ。
あたし?
あたしは、遊んでないぞ?
分からないと筆記用具を鼻に掛けて唸っていたわ。
……。
憶えていない?
……いや、其れは今でもやるなって。
癖なのよね。
だけど、遊んではいないぞ。
真剣に考えているだけで。
つまり、あなたの真似をしているのよ。
は?
あなた、あの子達の前でも同じことをしているでしょう?
……していた憶えはないけど。
記憶にないだけ。
……然ういうことばかり、憶えているな。
面白ければ、憶えているみたいよ。
マーキュリー。
なぁに。
厳しくするぞ。
ええ、其のつもり。
いい加減、読み書きくらいは身に付けて欲しいから。
名前ぐらいは
書けないし、読めない子も居るわね。
……済まない。
良いわ、慣れているから。
……あたしで?
あなたはもっと単純だったから。
……。
私の言うことなら、ほぼなんでも聞いて呉れたもの。
……好きだからなぁ。
単純。
……。
ジュピター?
木星の民は基本的に単純だから、其れでなんとか出来れば。
居るわよ、なんとかなっている者は。
うん、居るのか?
数人だけど。
いや、数人でも全く居ないよりは良い。
で、どんな風になんとかなっているんだ?
意中の水星の民に振り向いて欲しいみたい。
……うん?
つまり、あなたと同じ動機。
……あー。
簡単に言えば、下心。
分かりやすい。
でしょう?
んー……。
なに。
其れ、なかなか生々しくないか?
さて、どうかしら。
然し、知らなかったな。
あなたは鈍い上に、興味なさそうだもの。
……。
図星。
……まぁ、学びが得られるのならば其れで良い。
読み書きだけでなく、計算の覚えも悪くない。
本当に昔のあなたを見ているようだわ、一所懸命で。
帰ったら、どの子か教えて呉れ。
帰ったら、書き出してあげるわ。
口頭で伝えても、うっかり忘れてしまいそうだから。
マーキュリーに教えてもらったら、
実際に一度、伝えている。
……。
今回も、口頭で?
……何かに書いて呉れれば、部屋に貼っておく。
端末が使えれば良いのだけれど。
物理の方が良いんだ。
仕方ないわね。
ありがとう。
……。
静かになったな、学びの時間が始まったか。
然うみたいね。
そろそろ、行くか。
ええ。
帰ったら、ごはんの支度を。
……成績が良ければ。
うん?
より高等な学びを受ける機会を得られる。
こうとう?
学舎で学びを終えたら、大体の者は社会の働き手及び支え手になる。
学びを活かしながら、生きていくことになる。
うん。
けれど、成績が優秀な者は学舎の先、大学に進むことが出来る。
だいがく……聞いたことがあるな。
高等な学び若しくは専門的な学びを受ける場、優秀な者達が集まる場所。
あぁ、「こうとう」って其の高等か。
うん、其れは良いことだな。
……。
違ったか?
……つまり、侮れないということ。
ん。
……。
相対することは、望まないな。
……けれど、迫害される可能性もあるから。
迫害?
其れは、どうして?
知識層が気に入らない者達も居るのよ。
ん、またよく分からないことが。
……過度な自尊心が、然うさせる。
あたしは、マーキュリーを尊敬しているけどな……。
……然うだったの?
あぁ、昔からね。
あれ、知らなかった?
……。
尊敬しているんだ、マーキュリーのこと。
……二度は言わなくて良い。
あはは。
……。
可愛いな。
五月蠅い。
はい。
……。
……マーキュリー。
一度、行ってみたいものだわ。
……大学?
偵察に。
ふはっ。
決まっているでしょう?
うん、決まっているな。
……。
機会があれば良い。
……ええ、然うね。
其の時はあたしも
ひとりで良いのだけれど。
あたしも偵察したいんだ。
然う……なら、静かにしてね。
応。
……五月蠅くしたら、口を凍らせるから。
26日
……。
……警戒態勢中に。
ん。
ぼうっと、していないで。
……。
ジュピター。
あぁ……うん、ごめん。
……。
あまりにも良い天気だから……つい。
……此の寒さの中で、良くぼんやり出来るわね。
うん……全くだ。
……はぁ。
息が真っ白だね。
……かえって好都合だわ、ひとのこの往来が少ないから。
此れだけ冷えればねぇ、出歩くのは仕事のひとか物好きだけだと思うよ……吸った酸素で、肺が凍りそうだし。
……器物を損壊しても、問われない。
んん……。
……何。
まぁ、良いか……其の通りだし。
……ジュピター。
うん?
……何を考えていたの。
水野さんのおかげでゆうべはよ良く眠れたこと。
……あなたはね。
まだ、慣れていないだけだと思うんだ。
……何に。
あたしのベッドに。
……ずっと慣れなくても良いわ。
回数を重ねても、難しいかな。
……そもそも、回数を重ねる予定はない。
予定は未定とも言うよ。
……私は、言わない。
ゆうべは、その、一緒に眠ったけど……。
……二度は、ないわ。
そっか……うん、然うだにょね。
……にょね?
えと……寒くて、噛んだ。
……。
何か動きはあったかい。
……いいえ、ないわ。
ん、そっか。
……。
あとさ。
……なに。
お昼に作りそびれた秘密の宝石箱のことも考えてた。
……帰ったら、作れば良い。
あぁ、然うしよう。
……。
動くのは、日が暮れてからだと思っていたんだけどな。
……精気が枯渇しているのかも知れないわ。
調子に乗って、遊び過ぎたか。
……計算が出来る程の頭がないだけ。
成程、分かりやすい。
……背中は。
ひりひりするが、全く問題ない。
此れならば、明日くらいには治ると思う。
……。
「あたし」が言えば、信用出来るだろう?
……場合によっては、医者に行ってもらうわ。
医者に行かずとも、マーキュリーが居れば。
残念だけれど、今の私は医官ではないの。
たまごみたいなものだろう?
あれだけ勉強しているのだからさ。
たまごにすら、まだ、なれていない。
まだまだ、知識が足りないか?
処置の知識はないわけではないけれど、あくまでも一般的な範囲であって、専門的な医療知識は圧倒的に足りていない。
あたしよりは、知ってる。
当たり前でしょう、一緒にしないで。
あたしももっと勉強しないとなぁ。
あなたは医者になるわけではないのだから、別にしなくても良いでしょう。
いや、するよ。
しないと、テストで点数が取れない。
……。
取れないと、いつまで経っても、あたしを見てもらえない。
頑張っているだけじゃ駄目なんだ、結果を見せないと。
……もう、見ていると思うけど。
うん?
私はまだ、適切な治療が出来るわけではない。
であるならば、酷くなってしまう前に医者に行くべき。
だけど、昨日の応急処置も悪いものではなかったよ。
其の場で直ぐに冷やして、家に帰ってからもてきぱきと処置して呉れた。
必要なものが揃っていない。
必要なもの?
故に、病院に行った方が手っ取り早い。
ワセリンだったか、持っているのは。
あとは、二種類の軟膏と包帯。
うん、悪くない。
けれども、軟膏には種類がある。
もう一種類くらいは持っておくべきだわ。
あぁ、確かに幾つかあるよな。
まぁ、うちにはひとつしかないが。
ひとつしかないのに、使用期間が切れていた。
……。
清々しい程に、有り得ない。
……あまり、使うことがないから。
どうせ、直ぐに治るとでも思って塗らないのでしょう。
全く、塗らないことはないんだ。
たまに、其れとも、気が向いた時に。
血が出て、少し痛いかなって思う時は塗っていたよ。
……其れは恐らく、縫合が必要な傷なのでしょうね。
絆創膏を貼っておけば、くっついたから。
……。
化け物、かな。
……言った方がね。
うん。
……。
今度、新しいのを買っておくよ。
どうせなら、二種類買っておいて。
分かった。
ひとつは、うちにあったもので良いかな。
ええ、良いわ。
もうひとつは、
いい加減に選ぶのはやめてね。
じゃあ、一緒に
帰ったら、メモに残してあげるわ。
……一緒に買いに行った方が。
分からなければ、メモを店員に見せれば良い。
知識がある者ならば、直ぐに分かる筈だから。
……ありがとう。
……。
……もう一種類くらいはと、言っていたけれど。
ひとりで買いに行く。
……どうせだから、ふたりで。
しつこい。
……はい。
……。
……お買い物、水野さんとしたかった。
治療に必要な器具もない。
……うん?
せめて、へらぐらい欲しいわ。
……綿棒を思い付いた時は、流石だと思ったよ。
当たり前のことであって、流石でもなんでもない。
もっと言えば、素手だと雑菌が入ってしまうくらいの知識は誰でも持っているべき。
其れなら、あたしも知っているよ。
本で得た知識?
いや、此処に来る前に得た知識だ。
祖母が教えて呉れた。素手では黴菌が入るから駄目だと。
傷の手当ては?
自分で。
手当てはして呉れなかったの?
祖母も忙しかったから。
嘘、言えなかっただけでしょう。
うん、其れもある。
……。
喧嘩の場合は、特にね。
……言えば、して呉れたと思うけれど。
分かっているから、言えなかったんだ。
……喧嘩したことを諫められるから。
場合にもよるかな。
……どんな場合。
正当防衛。
……。
其れ以外の……無駄な暴力の場合は叱られる。
……大怪我はしなかったのね。
骨を折るような怪我は、あたしはしなかったよ。
……あぁ、然う。
だから、お医者さんに行くこともなかった。
……あなたの場合、骨折しても行かなそうだわ。
骨折は、流石に……痛いだろう?
……痛いでしょうね、なんせ骨を折っているのだから。
直ぐに治りそうになかったら、行くと思う。
……ひび程度ならば、行かないわね。
分かるもの?
……何が。
折れたか、ひびが入ったか。
……レントゲン写真を撮ればね。
少しくらいの痛みだったら、若しかしたら行かないかも知れないなぁ。
……行くべきよ。
ん。
……骨折は、放っておくべきではない。
んー……。
……幾ら、ジュピターだと言っても。
「ジュピター」でも、駄目かい?
……回復力が、まだ弱い。
だけど、普通のひとのこよりは強いよ。
……と言っても、「ジュピター」程ではない。
ん、然うか……木野まことでは、まだまだ弱いか。
……論外。
厳しいなぁ。
……。
マーキュリー?
……姿を解除せずに応急処置を行ったことは、正しい判断だった。
木野まことに戻っていたら、水ぶくれは治まらなかったか……?
治まらないどころか……破けて、今頃、酷いことになっていたでしょうね。
うん、解除しなくて良かったな。
……だから、医者に行って。
考えておく。
……大丈夫、強制的に行かせるから。
……。
従って呉れるわよね、ジュピター。
お……応。
……。
と、向こうは動いたようだな。
……然うみたいね。
此方はどうする。
此のまま様子を見る。
然うか、分かった。
……。
マーキュリー。
……何。
まだ動かないようなら、話を続けても良いか。
……内容にもよるけれど。
朝食のサンドイッチは、美味しかったかい?
……どうでも良い、却下。
聞けなかったから。
……悪くはなかったわ、此れで良い?
うん、十分だ。
……朝と言っても、随分と遅かったけれど。
9時ならば、然程遅くはないさ。
学校とやらには行かないと、ゆうべのうちに決めておいたのだし。
……。
だけど、起きられて良かったよ。
……あなたが夜中に抜け出そうとして呉れたから、ね。
ろくな考えもなしに、な。
……一応、勝算はあると言っていたけれど?
ないに等しいと、水野さんに言われた。
……本人としては?
あるのは、無謀な策だけだったよ。
……。
詳しくは聞かないのか。
……無謀の一言だけで。
想像がつく、か。
……つかないわけがない。
はは、然うだよな。
……ひとつも面白くないわ。
ん。
……。
……動くか。
動かない。
あれらだけで、片が付く?
……かも知れないわ。
なら良いか、動かなくても。
此方は一応、手負いだしな。
……ジュピター。
うん、なんだい?
……浸食されないで。
……。
……軽薄。
大丈夫だよ、マーキュリー。
……何処が。
軽薄に思えるかも知れないけど、木野まこととして話しているつもりだから。
……つもりでは、食われる。
食われる気は、ない。
……。
あたしはあたしだけのものだから。
……だと、良いわね。
マーキュリーこそ。
……私は、分からないわ。
ん、なんで。
……其の方が。
……。
ん……なに。
……あたしが、居場所になる。
は……?
マーキュリー……水野さんの。
……そんなこと、頼んだ覚えはないわ。
うん、頼まれてない……然うなりたいと、あたしが勝手に思っているだけだから。
……。
あたしは、水野さんのことが大好きなんだ。
……はぁ。
あれ。
……矢っ張り、軽薄。
真剣に言っているんだけどな……。
……。
……まぁ、良いか。
軽い。
……考えておいて欲しい。
考えなくても……ん。
あたしは……ずっと、待っているから。
……時間の無駄よ。
……。
……顔が緩んでる。
此れから、引き締める……。
……。
……にしても、姿まで似てるんだもんな。
……。
前世って、今とは違う姿かたちをしているものだと思ってたんだ。
其れなのに、あんなに似てるなんてさ……どうせなら、花か木の方が良かったな。
……私は前世自体、要らないわ。
……。
生まれ変わりも、要らない。
……生まれ変わったら、また。
要らないと言っているの。
……其れでも、生まれ変わってしまったら。
……。
其の時は、また……あたしは、水野さんを好きになる。
……其の時は、水野ではないと思うわ。
若しかしたら、日本人でもない?
……此の国が残っているかどうか。
違う国になっていたりするかな。
……ないとは言えないわね。
名前も……漢字ではなく、横文字になっていたり?
……言語にもよるけれど。
ふむ……。
……また、くだらないことを考えているわね。
マーキュリーは、嫌でも残るだろうから……アンダーソン、とか。
……何処から出てきたの。
ん、なんとなく……かな。
……英語圏なのね。
アンダーソンって、英語圏?
……考えなし。
英語も、残ってないかな。
……英語は残っているかも知れないわ。
世界で最も話されている言語、だっけ。
……北京語に変わっているかも知れないけど。
北京……中国語?
彼の国は人口が多い……華僑が増えれば、外の国でも通じるようになる。
華僑……移住者のことだね。
……。
北京語は、分からないなぁ……あ、でも、漢字は
簡体字。
……かんたいじ。
読み方も違う。
音読みは?
同じではない。
……水野亜美の発音はなんだろう。
どうして私の名前なの。
あたしの名前で漢字なのは木野だけだからさ。
……。
今度調べてみようかな、でも中国語の辞書の引き方は分からないな。
……漢和辞書に載っているわ。
漢和辞書に?
……どうしても知りたいというのなら、調べてみれば良い。
若しかして、水野さん。
……漢和辞書を一度でも引いたことがあれば気が付くわ。
いや、気付かないと思うな……。
……あなたはね。
……。
……ちょっと。
可愛いね。
……何を言っているの。
水野さんはまるで、秘密の宝石箱みたいだ。
……は?
はは。
……私は、宝石が嫌い。
ならば、宝箱にしよう。
……何方も。
此れからも、色んな水野さんを知りたい。
……知ったところで。
屹度、益々、好きになる。
……鬱陶しい上に、物好き。
あはっ。
……。
ん……?
……。
動こうか。
……役に立たない。
仕方ないさ……相変わらずのようだから。
……浄化の力を持っているくせに。
汚れ役はいつだって、あたし達なんだ。
……迷惑。
全くだ。
……。
マーキュリー。
……あれらを囮にして。
後ろから叩く、だな。
了解した。
ジュピター。
ん?
くれぐれも、無謀なことはしないで。
あぁ、分かっているさ。
あたしはマーキュリーと……水野さんとふたりで、秘密の宝石箱を食べるんだ。
……。
さぁ、動こうか。
……言われなくても。
25日
お待たせ、水野さん。
……。
あ、ごめん……寝てたかな。
……寝ていない。
大丈夫かい?
……何が。
ん、大丈夫ならいいんだ。
……それより、出来たの。
うん、出来たよ。
ごめんね、待たせてしまって。
……別に。
はい、どうぞ。
……。
あたし特製、ハニーホットミルクです。
少し熱いから、気を付けて飲んでね。
……温めた牛乳に、はちみつを入れただけでしょう。
水野さんの口に合えばいいな。
……。
水野さんって、家で牛乳は飲む?
……あまり飲まない。
買うのが面倒?
……。
あのね、風邪気味の時は下ろした生姜を入れてもいいんだよ。
……更に手間がかかりそうね。
手間はかかるけど、ひきはじめならそれを飲めば治るから。
……あなたは飲んでいるの。
うん、飲んでる。
だからお医者さんに行かなくていいんだ。
……ふぅん。
遠慮なく、言ってね。
……言わない。
じゃあ……勝手に察して作る。
……。
生姜は嫌いかい?
……嫌い。
ん、そっか……じゃあ、シナモンハニーミルクはどうかな。
シナモンって風邪にもいいけど、冷え症にもいいんだよ。
……知ってるけど。
シナモンは、どうだい?
あまり好きじゃない?
……シナモンもあるの?
アップルパイを作る時に使うから。
……。
今度、作るね。
……別にいい。
おいしく作るから、楽しみにしてて欲しい。
……しないし、よく喋る。
はは。
……。
水野さん……シナモンも、だめかい?
……進んで摂取しようとは思わない。
それは……買うのが、手間?
……入っていれば、食べるわ。
じゃあ、食べられるんだね。
……じゃない。
うん?
……辛すぎるのは好きじゃない。
えと?
……生姜。
あぁ。
……強すぎるのも、好きじゃない。
それは、シナモン?
……。
うん、分かった……なら、適度な量で作るよ。
……ふぅ。
あ。
……なに。
な、なんでもない。
なに。
……言ったら、怒ると思う。
言わなくても、怒る。
……言った方が、
言わない方が、より不愉快だわ。
……仕種が、かわいくて。
意味が分からない。
うん……言われると思った。
……どこが。
マグカップを両手で包むようにして、息を吹きかけたところが。
……やっぱり、意味が分からない。
ごめん……もう、言わないよ。
……言わないだけで、心の中では思うのでしょう。
うん……思わないのは、無理だから。
……言葉にしたいのなら、すればいい。
え、言ってもいいの?
……。
じゃあ、これからも
調子には乗らないで。
あ、はい……気を付けます。
……。
熱い?
……木野さん。
ん、あたしも飲もうかな。
……。
ふぅ……まだ少し、熱いかな。
……いつも、作ってもらっていたの。
うん?
……おばあさまに。
ううん、祖母には作ってもらってないよ。
……自分で?
うん、自分で。
たまに、祖母の分も。
……そう。
祖母はいつも、おいしいって言って飲んでくれたんだ。
……。
……祖母の家で久しぶりに飲んだ時は、とてもおいしく感じたな。
……。
祖母は紅茶が好きなんだけど、その中でも特にミルクティーが好きなんだ。
……あなたは?
あたしは、ストレートでもミルクでも、レモンでも。祖母が淹れてくれたものなら、ミルクティーが一番好きかな。
あたしの分はいつも、甘めに作ってくれてさ……寒い時や疲れている時なんかは特に五臓六腑に染み渡った。
……五臓六腑。
祖母の言葉、面白いよね。
……他にもありそうね。
ん、あると思う……。
……おばあさまのミルクティーは甘いの。
あたしのミルクティーほどじゃないだろうけど、甘かったんじゃないかな。
曰く、ミルクティーは甘い方がおいしいらしいから。
……あなたも同じ意見。
うん、ミルクティーは甘い方がおいしいと思う。
ストレートやレモンは、爽やかな甘みの方が好きだけど。
……おばあさまも?
んー、どうだろ……でも、そうかも。
……好みが似ているのね。
祖母と?
……今は誰の話をしているの。
祖母のこと。
……だったら。
……。
……木野さん。
祖母なら、いいや……。
……。
……。
……おばあさまが好きな飲み物は紅茶だけなの。
日本茶も好きだよ。
コーヒーもたまに飲んでいたかな。
……日本茶は。
煎茶、茎茶、ほうじ茶に番茶、玄米茶、てん茶、たまの贅沢に玉露……思えば、祖母の家には色んな日本茶があったなぁ。
……あなたは飲んだの。
ごはんを食べる時は大体、日本茶を飲んでいたよ。
……どのお茶。
良く飲んでいたのは煎茶かな。
日本茶と言えば、あたしの中では煎茶だったからさ。
……他のお茶は。
茎茶が好きかなぁ。あと、ほうじ茶も。
玄米茶は飲めるけど、好んで飲もうとは思わなかった。
……。
玄米は食べる方が好きなんだ。
……だから、玄米の時があるのね。
うん。
……。
本当のことを言うと、煎茶が一番飲みやすかったんだ。
特に新茶は……渋みとか苦味とかがあまりなくて、さわやかだったから。
……違うものなの。
うん、結構違うものだよ。
あたしも祖母に引き取られるまで知らなかったんだ。
……。
両親といる時は、日本茶なんて飲まなかったから。
……何を飲んでいたの。
……。
……やっぱりいい。
はちみつ入りのホットミルク。
……。
冬の寒い日に、お母さんが良く作ってくれた……と、思う。
……木野さんが作るホットミルクは。
お母さんの真似。
……。
味は……お母さんが作ってくれたものの方がおいしかったと思う。
……味に違いがあるとすれば、牛乳の種類によるものだけだと思うわ。
牛乳の?
……お店で売られている牛乳は、一種類だけではないでしょう。
あぁ、そっか。
安いのから高いのまで、色々あるよね。
……お母さまと、同じ牛乳で作れば。
憶えてない……し、多分、同じ牛乳を使ったとしても、きっと、同じ味にはならない。
……。
たまにね、無性に飲みたくなる時があるんだ。
……そういう時は、どうするの。
どうも、しない。
……。
作っても……飲みたい味には、ならないんだ。
何度、作っても……あの優しい味には、ならない。
……
余計に、淋しくなってしまうから……そういう時は、日本茶を淹れる。
……日本茶?
祖母を思い出すから。
……。
両親よりも、厳しかったけど……親戚の誰よりも、優しくしてくれた。
……おばあさまの淹れてくれた日本茶は。
おいしかったよ……飲み慣れない時は、ただ渋いだけだったけどさ。
……子供。
ふふ、そうだねぇ……。
……今もだけど。
うん、今も……大人になるには、まだまだ時間がかかりそうだよ。
……歳は勝手に取るけれど、問題はその精神。
ん、耳が痛い……。
……。
まだ、飲めそうにない?
……今、飲もうとしていたところ。
そっか……。
……。
ね……すこぉし、はちみつの甘い香りがするだろ?
……しなくもない。
眠れない時に、その甘い香りをかぐと安心するんだ。
……それで、安心して眠れた。
どうして分かったの?
……どうして、分からないと思うの?
……。
……どうして、いちいち笑うの。
今は……水野さんが、いてくれるからだよ。
……。
それだけで、安心するんだ……。
……安心すると、笑うの。
多分、顔の筋肉が緩むんじゃないかな……。
……。
あたしはどうやら、昔からそうだったみたいだから。
……だらしない顔。
憶えて……いや、思い出した?
……今のあなたの顔が、そうだから。
あぁ……やっぱりあたし、似ているのかな。
……似ていないわけじゃない。
でも、あまり似てない……?
……願望。
出来れば、そうであって欲しい。
……。
……どうだい?
何が。
……味。
……。
口に、合わないかな……。
……はちみつ。
はちみつ?
……もう少し、入っていた方がいい。
入れようか。
……でも、今はこれでいい。
すぐに入れられるよ。
……いいと、言っているの。
じゃあ、次に作る時はもう少し入れるね。
……次があったらね。
あって欲しいな。
……飲んでないようだけれど。
ん、今から飲む。
……あなたはいつだって、私の反応を見てから食べたり飲んだりするの。
水野さんの反応が、気になるから。
……あなたが先でもいいでしょう。
ん、そうだよね……次からは、なるべく、そうするよ。
……そうして。
うん……。
……。
……ん、おいしい。
良かったわね……おいしくて。
……うん、良かった。
……。
外……静かだね。
……夜中だから。
夜中でも、騒がしいところだと思ってた。
……。
ひとが多いからさ。
……この辺りは繁華街ではないわ。
繁華街だと、うるさいもの?
……特にお酒を飲むような場所。
お酒……。
……五月蠅くて、雑多で、お酒臭くて、ろくな場所じゃない。
うん、行きたくはないな……。
……うちにもね、ろくでもない女がいるの。
……。
……母よ。
ん。
……ふ、変な顔。
いや、だって……。
……別に、聞いてもいいのに。
……。
本当に、ろくでもなくて……きっと、呆れると思うわ。
……そう、なんだ。
今夜だって、多分……。
……。
そうね……今夜は、男の家にでもいるんじゃないかしら。
そ……そういう。
……汚らしい。
……。
私が小さい頃から……休みになると、男が泊まりに来て。
……それは、どうなんだ。
でも、母はそう思わないの……全くと言っていいほどにね。
……水野さんは、そういう時。
物音を少しでも立てると、後で、鬼のように怒られるから……いえ、あれは癇癪と言った方がいいのかしら。
……鬼。
いつだって、その時の男が一番……私なんて、そこら辺の線虫以下だった。
せんちゅう……。
……線虫は、ヒトが有する遺伝子と相同な遺伝子を多く持っているというわ。
そうどう……。
……自分で調べて。
似ているってことかな……。
……。
せんちゅうって、虫……?
……今度、その目で確かめてみればいい。
図書室の昆虫図鑑には載ってないよね……?
……図書館に行けば、載っている本があるわ。
分かった……今度、調べてみる。
……。
……。
……聞かないのね。
いつでも、うちに来て。
……は?
うちなら……怒るひとは、いないから。
……。
ご、ごはんも作るよ。
……食事で私を釣れるとでも?
お、思ってないけど……あたしになら、気を遣わなくていいと思うから。
……。
……水野さん。
ただ、いたいだけでしょう。
……。
……私と、一緒に。
それも、あるけど……叶うなら、水野さんの居場所になって欲しいと。
……。
何も、気にせずに……ゆっくりと、眠って欲しい。
お喋り。
……え。
……。
え、えと……ごめん。
……。
……。
……。
……明日のお昼。
お昼には、いない。
……動けそう?
動けなくても、帰るわ……学校が、終わる前に。
じゃあ……送るよ。
……いい、ひとりで帰る。
……。
夕方になるまで……自分の部屋で、休む。
……そっか。
……。
明日のお昼さ……秘密の宝石箱を作ろうと思ったんだ。
……工作でもするの。
工作じゃない……そういう名前の料理なんだ。
……随分とかわいらしい名前ね。
ふふ、そうだろ……?
……。
たまごを、ふたにたとえてね……ふたを開けると、中からいろんな具が出てくるんだ。
具は豪華にすることも出来るし、残り物や冷蔵庫にあるようなものでもいい……。
……例えば。
ごはん、肉団子、トマト、ウィンナー……。
……オムライスとは違うのね。
ごはんは、チキンブイヨンで作ったチキンスープで味を付けるんだ……。
……。
ほうろう鍋にオリーブ油を入れ……るんだけど、うちにはないからサラダ油で代用する。
にんにくと、ウィンナーを炒めて……にんにくの香りが出たら、トマトを加えてつぶして、半量くらいまで煮つめる。
お米とパプリカパウダー……は、ないから、お米だけ入れて、混ぜ合わせて……チキンスープを入れて、また、混ぜ合わせる。
沸騰したら、肉団子を入れて、煮込むんだけど……肉団子はあらかじめ、軽く茹でておくんだ。
……もしかして、今、思い出しているの。
……。
……続けて。
オーブンで15分くらい焼いたら、一旦取り出して……たまごをときほぐして、塩胡椒をして、流し入れる。
また、オーブンに戻して……焼き目がつくまで、5分くらい焼く……焼き目がついたら、出来上がり。
……。
ん……もしかしたら、何か抜けているかもしれない。
食べたのは、大分昔のことだから……。
……それでも、そこまで思い出せるのね。
ずぅっと、忘れてた……おばあちゃんに、引き取られてからも。
……。
おかしいかな……水野さんの声を聞いていたら、急に思い出したんだ。
……別に、おかしくはないわ。
うん……。
……。
でも……水野さんが、帰ってしまうなら。
……ひとりで。
ひとりじゃ、多いんだよ……それに、手間だし。
……。
ごめん……気にしないで。
……気になんて。
しないよね……うん、別にいいんだ。
……。
……明日は、何時頃。
面倒だから。
……うん?
夜まで、いるわ。
……。
……いやなら、
いやじゃ、ない。
……でしょうね。
いて欲しい。
……いたら、作るの。
うん、作ろうと思う。
ううん、必ず作る。
……期待、しておいてあげるわ。
ん……おいしく、作るよ。
……もしも、期待が外れたら。
その時は……遠慮なく、残して。
……ふ。
水野さん……?
……出来たら。
出来たら……?
……勉強も、するから。
24日
……。
何処へ行くの。
……。
木野さん。
目が覚めたから……ちょっと、トイレに行こうかと。
わざわざ、コートを着て?
これは……そう、寝惚けてて。
……。
あ、あたしは一体、何をしてるんだろうね。
トイレに行くのに、コートを着ちゃうなんてさ。
ふふ、本当ね。
水野さん、ごめんね。
あたしのことは気にし
本当は、ひとりで潰しに行こうと思っていたのでしょう?
……。
出来るだけ音を立てずにベッドから抜け出して、そっとコートを着て、こっそりと出ていこうとしたところで私に気付かれた。
……出ていくって、どこに。
勿論、外に。
……。
ねぇ、潰しに行こうと決めていたのでしょう?
潰すって、何をだい……?
ジュピター。
……っ。
私を見くびっているのかしら?
み、見くびってなんか。
いない?
そんなこと……出来るわけが、ない。
然うかしら。
……う。
まぁ、良いわ。
惚けたい気持ちは分からないわけでもないし。
……。
うん、どうしたの?
……マーキュリー。
いいえ?
……いつから。
あなたが躰を起こす前から。
……眠ってなかったの?
いえ、眠っていたわよ。
……ごめん。
分かっているけれど、敢えて聞くわ。
何故?
……起こしてしまって。
あなたはもう少し、気配を殺せるようにならなければね。
今のあなたは、とても分かりやすいから。
……やっぱり、水野さんじゃない。
いいえ、私は水野亜美よ。
……水野さんは。
浅い眠り。
……え?
私は自室のベッドで眠っていても、深く眠れることなんてほとんどないの。
感覚が無駄に敏感だから、些細な音や気配であっても、直ぐに目が覚めてしまう。
……それは、いつから。
物心が付く頃から然うだったわ。
……家は、水野さんにとって。
何かがあれば、直ぐに起きて対処が出来るように。
マーキュリーがひとりで眠る時はいつだって然うだった。
……前世の影響?
其れもあるのではないかしら。
本当に迷惑な話よね。
……今夜は、ひとりではないよ。
言い直すわ。
……。
ジュピターの腕の中に居ない時は、いつも。
……ん。
マーキュリーが安らかに眠れる場所は、ジュピターの腕の中だけだったの。
まぁ其れだけ、ジュピターの甘やかし方が上手だったのでしょうけど。
……おさななじみ。
思い出したの?
……なんとなく、そう思った。
然う、まだ思い出してはいないのね。
だけど思い出さなくても良いわ、あまり思い出してしまうと精神に異常を来してしまうかも知れないから。
……水野さんは、どこまで思い出しているの。
さぁ、何処までかしらね。
……もしも、そのせいで。
あなたとは思い出している事柄が異なるだけ。
だから、あなたが思う程に思い出してはいないわ。
……おさななじみだったんだね。
然うみたいね。
……距離が、近かったように思う。
特有の距離感があったと、今なら思えるわ。
……その頃から、思っていたんだろう。
さぁ、どうかしら。
……今の水野さんは、半分、マーキュリーだ。
いいえ、私はあくまでも水野亜美よ。
……水野さんと話し方が違う。
あなたも然うでしょう、木野さん?
……水野さんは、今、マーキュリーの姿になっているんだね。
ええ、然ういうこと。
……寝る前から。
おかげで、体力が消耗しているわ。
明日の朝は、あなたの見立て通り、起きられないかも知れない。
……休めばいい。
其のつもりよ。
……休んで、あたしの傍に。
其のつもりはないわ。
……どこかに行くのかい?
起きられないのに?
……起きられるようになったら。
然うしたら勿論、お勉強をするわ。
……朝ごはんは、何がいい?
食べられるものなら、なんでも。
……サンドイッチ?
あなたが作りたいものを作れば良い。
なら、サンドイッチを作るよ。
具は何がいいかな。
何があるか、知らないもの。
えとね、野菜は胡瓜とレタス、トマトがあるよ。
然う、其れなら其れで。
肉はいらない?
ハムとウィンナーがあるよ。
どちらでも。
じゃあ、ハムレタストマトサンドにしようかな。
然うして。
うん、そうする。
其れで。
うん?
こんな夜更けに何処へ行くの。
……。
もう行くつもりがないのなら……何処へ、行くつもりだったの。
……分かっているんだろう。
確認。
……放っておけば、犠牲者は増える一方だ。
ええ、増えるでしょうね。
今、こうしている間にも。
……その中に、若しかしたら水野さんも。
あくまでも、私の為だと?
……他にはないよ。
勝算は?
……ある。
ひとりなのに?
背中に化学熱傷を負っているのに?
……背中なら、大丈夫だよ。
無駄死になんて無駄なこと、あなたはしたいの?
……聞いていたんだ。
勇敢と無謀は違う。無駄死にほと、無駄なことはない。
然う、無駄死にだけに。然う言って、笑っていたわよね。
……。
言ったでしょう?
あなた、独り言の声が大きいのよ。
……声に出した方が、考えがまとまるんだ。
似ているわね。
……似てないさ。
誰に?
……。
ふふ……然う言いたい気持ちは、理解してあげるわ。
……勝算は、ないわけではないんだ。
例えば?
……。
ないに等しいわね。
……まだ、言っていないのに。
直ぐに言葉に出来ないあたり、ないに等しい。
……言葉にするのが苦手なんだ。
幼いわね。
……。
熱傷に因る痛みは?
……ひりひりする程度だから、問題はないよ。
動かせれば良いというわけではない。
……大丈夫、あたしは戦えるさ。
戦えるだけでも駄目ね、今のあなたではどう考えても無駄死にするだけ。
……まだ、決まったわけでは。
決まってからでは、遅いのよ。
……。
覆しようのない、或いは、手の打ちようがない……そんな絶望的な状況になってからでは、ね。
……いざとなったら。
其れとも、私の前から居なくなりたいのかしら。
……。
私にさんざ、好きだから一緒に居て欲しいと言っておいて。
……帰ってくるよ、ちゃんと。
どうやって?
……自分の足で、歩いて。
物言わぬ骸になって、ではなく?
……然うなってしまったら、水野さんの傍に帰ってこられなくなってしまうから。
から、なに?
……水野さんの前からいなくなりたいだなんて、あたしは一度も思ったことはないよ。
一度も、意識したことがないというだけでしょう?
……無意識にだって。
無意識ならば、気が付かないわね。
あなたは鈍いところがあるから。
……マーキュリー。
いいえ?
……。
言えば良いじゃない、付いてきて欲しいと。
……でも。
危ないところには行かないのではなかったのかしら。
……水野さん。
なに、木野さん。
……付いてきて、欲しい。
嫌よ。
……う。
私は最初からあなたを此の部屋から出す気なんて、一欠けらもないの。
……。
今夜は諦めて、木野さん。
……だけど。
青い星の民を守りたい?
……青い星。
前世の時代では、然う呼んでいたようだから。
……青い星の民を守りたいなんて、思ったことはないさ。
今は?
今だって、思っていない。
然う?
……あたしが守りたいひとは水野さんだけだから。
私だけではないでしょう?
……。
おばあさまにも、危害が及ぶかも知れない。
……ここから離れているから、まだ、大丈夫だとは思うんだ。
このまま放っておけば、時間の問題。
……。
だけど、今夜中には及ばない。
……本当かい?
偽りの方が良いのかしら?
ううん……本当の方がいい。
離れていて、良かったわね。
……うん、良かった。
素直ね。
……似てる?
似ていると返した方が良い?
……ううん、返さない方がいい。
ならば、返さないわ。
……。
木野さん。
……水野さん。
此処に居て。
……うん、分かった。
然う、良かったわ。
……。
ひとつ、聞きたいのだけれど。
……なんだい。
あなたが居ない間に、私が襲われていたらどうするつもりだったの?
……あ。
其の顔と声から推し量るに、其の可能性を全く考えていなかったわね。
……ここは、安全だと。
そんなわけ、ないわね。
……ごめん。
コート、脱がないの。
其れとも其れを着て、トイレに?
脱ぐよ……トイレに行くのに、コートは要らないから。
邪魔よね、そんなものを着ていたら。
……。
手伝ってあげましょうか?
ん、大丈夫……ありがとう。
どういたしまして。
……はぁ。
溜息?
……そろそろ、水野さんに。
そろそろも何も、初めから私は水野亜美だけれど。
……違うだろう、マーキュリー。
此の姿を維持する為には、体力以外のものも必要になる。
……。
前世の記憶に浸食されない、意志の強さ。
……意志の強さだけで、抑えられるものなのか。
無理かも知れないわ。
……マーキュリー、本当に。
本当も何も、最初から本当よ。
……。
ただ、マーキュリーの魂の方が強いだけ。
……やっぱり。
ねぇ、木野さん。
……なんだい、マーキュリー。
私のことが好き?
……水野さんのことが好きだ。
然う。
……あたしは、ジュピターではないから。
私も、あなたのことをジュピターだなんて思っていないわ。
……。
でも、くれぐれも気を付けて。
……分かってるよ、マーキュリー。
違うと言っているのに。
……水野さんにはまだ、そんなに親しくされていないから。
あんなに親しげに接しているのに?
鈍いわね、木野さんは。
……あの。
ふ。
……。
……。
……?
水野さん……?
……はぁ。
それとも、まだ……。
……早く、コートを脱いだら?
あ。
さっさと脱いで、木野さん。
あ、うん……すぐに。
……。
えと……水野さん?
そうだと、言っているでしょう……何度言わせるの。
……良かった。
良くない。
……何か、飲む?
どうしてそうなるの。
……なんとなく、かな。
トイレは?
ん……もう、いいや。
……。
……ただの、誤魔化しだったから。
知ってる。
……だよね。
……。
何か、飲みたいものがあったら。
……何かって。
何がいいかなぁ。
……知らないわよ。
んー……。
……何も思いつかないのなら、ホットミルクでも作ったら。
ホットミルク……うん、そうしよう。
折角だから、はちみつ入りの。
……。
今、作るね。
あなたはベッドに戻って。
……え?
作ると言っても、電子レンジで温めるだけでしょう。
ううん、違うよ。
……。
弱火でゆっくり、かき混ぜながら温めるんだ。
その方がレンジであっためるよりもおいしい。
……。
鍋を使うからその分、手間はかかるけどね。
どうせ飲むのなら、おいしい方がいいだろ?
……本当に手間だわ。
だから、あたしが作るよ。
水野さんはテーブルで待っていて。
……飲むとは言っていない。
だけど、作ったら飲んでくれる……。
……勝手に。
ホットミルクはさ、60度くらいがおいしいんだ。
……聞いてない。
ふふ、言いたかっただけだよ。
……。
鍋、と。
……いつもお鍋で作っているの。
ん、いつもじゃないかな。
……なら。
だけど、今夜は鍋で作りたい。
……私の。
ううん、水野さんの為だけじゃないよ。
……。
あたしの為でもあるんだ。
……ふたりで飲みたいから。
ふふ、当たり。
……あなたは本当に、そればかり。
おいしいものは、ふたりで。
……。
本当は……みんなで、だったんだけど。
……そう。
ん。
……そんなに違うものなのかしら。
うん、全然違うよ。
……。
少し時間がかかるから、のんびり待っていて。
……躰が、重いわ。
今夜は、どこにも行かない。
……。
だから……もう。
……。
……ありがとう、水野さん。
別に……私はただ、無謀なばかを止めただけよ。
ふふ……うん。
……。
ん……丁度、二人分だ。
明日、買い物に行けたら買ってこよう。
……牛乳はあなたの生活に必要なものなの。
なければないで、いいんだ。
……あぁ、そう。
冷蔵庫の蓄えもまだあるし……二日くらいはもつかな。
……私が食べなければ。
ちゃんと、数に入っているよ。
……勝手に入れないで。
はは。
……。
……ねぇ、水野さん。
向こうも、動いている。
……。
……私達が動くのは、明日でいい。
明日……。
……無駄死にほど、無駄なことはないわ。
……。
飲み終わったら……休んで。
……あぁ、そうする。
言っておくけれど。
明日まで、部屋からは出ないよ。
……。
ちゃんと休まないと、お医者さんに行くことになってしまうかもしれないし。
……その時は必ず、行ってもらうわ。
うん、休もう。
……。
ところで……寝心地は、どう?
……悪くはないわ。
……。
……良くもないけれど。
寒くはない……?
……気温は変わっていない。
もしも、寒かったら……一緒に。
……。
寝相は、悪くないんだ。
……狭い。
でも……あったかいと、思う。
……。
背中のことなら、大丈夫だから……考えてくれると、うれしい。
……考えるだけでいいのなら。
うん……ありがとう。
……期待はしないで。
分かった……なるべく、しないようにする。
……。
あったかくして、待っててね。
……言われなくても、分かっているわ。
23日
……。
外が気になるの?
……ううん、ちょっと星を眺めていただけ。
今日は曇っていたけれど、今になって晴れてきたのかしら。
……月が朧げにね。
朧月夜は春の季語。
……月の光が微かに見えるんだ。
そんなものを眺めて、何が楽しいの。
別に楽しくはないよ。
……月は嫌い。
ん。
……空から、私を見下しているようで。
見下す……考えたこと、なかった。
……。
小さい頃から嫌いなのかい?
……聞いてどうするの。
ごめん……。
……嫌いだったわ。
……。
聞いたのはあなたでしょう。
……うん。
それで、どうするの。
……どうもしない。
そうでしょうね。
……今のは不躾だった、ごめん。
ただ、知りたかった。
……。
それだけのこと。
……今後、気をつける。
……。
……ごめん。
あなたは?
……あたし?
月は好きなの。
好きでも、嫌いでもない。
そう。
……でも、苦手だった。
……。
見ていると……引っ張られてしまいそうで、怖かったんだ。
……それでも、嫌いではなかったのね。
嫌いと言うより、怖い。
今は平気なの。
今は……やっぱり、苦手かも。
まだ怖いの?
怖くはないけど、得意でもない。
どことなく、薄気味悪くて。
似たようなものじゃない。
ここだけの話、お月見の良さがいまいち分からないんだ。
中秋の名月なんて言うけど、あたしはお団子だけでいいや。
……ふ。
うん?
……あなたとは、お月見をしなくて済みそうね。
お月見をするなら……ただの星見でいいかな。
占いでもするつもり?
ううん、ただ星を見るだけ。
水野さんとふたりで。
巻き込まないで。
ねぇ、水野さん。
……。
今度、流星群を一緒に
いいわよ。
ん、やっぱりだめだよね……。
……。
……今、いいわよって言った?
言ったけど?
い、いいの?
でも、気が変わった。
あ、あぁ、変わらないで。
もう遅い。
あぁ……。
……。
獅子座流星群……。
残念ながら、過ぎてしまったわ。
……双子座流星群なら、まだ。
見たいのなら、暖かくしてひとりでどうぞ。
……叶うのなら、水野さんとふたりで見たいです。
あなたが聞き間違いをしていなければ、見られたかもしれないのに。
……どうしてあたしは、肝心な時に聞き間違いなんて。
断れると、勝手に思い込んでいたからよ。
……夜中だから、難しいかなって。
別に難しくはないわ。
……。
流星群は、嫌いではないの。
……なら、改めて誘ってもいい?
返事は変わらない。
……でも、もう一度。
……。
流星群、あたしと一緒に見ませんか。
……見ない。
うん、ありがとう。
……。
あ……今、見ないって言った?
……言った。
また、気が変わったなんてことは……。
……。
そっか……。
……仮に、一緒に見たとして。
う、うん。
その後は、
流星群を見た後は、良かったら、うちに。
あったかいお茶かココアを用意するよ。
……つまり、お泊まりして欲しいと。
ど、どうだろう?
見たら、帰る。
……その時は、家まで送るね。
必要ないわ。
ひとりじゃ危ないよ。
私は、マーキュリーだから。
……。
だからひとりで帰る、帰れる。
……ジュピターは、いらない?
いらない。
……。
なんにせよ、流星群は見ないけど。
……うん、分かった。
……。
え、と……そろそろ、寝ようか。
……どうぞ、先に。
水野さんは、もう少し起きてる?
……そのつもりだけど。
うん、悪くないよ。
何か言いたそうね。
えと……水野さんも疲れていると思うから、あんまり遅くならないでね。
私の勝手。
ほら、肌にも悪いって言うだろう?
肌なんて、どうでもいいわ。
これからは乾燥の季節だし、肌が荒れたら痛いからさ。
木野さんには関係ない。
水野さんの手が荒れていたら、見兼ねてハンドクリームをぬってしまうかもしれない。
余計なお世話。
切れて血がにじんでいたら、軟膏も。
させるわけがない。
唇だって。
木野さん。
……は、さすがにしないけど。
あなたに世話を焼かれなくても、リップクリームぐらい持ってる。
……ちゃんと使ってね。
私が使っていないとでも?
そんなことは、思ってないけど……見たことが、あまりないから。
どうしてあなたに見せなければいけないの。
ま、まぁ、そうなんだけどね……その、ちょっとだけ心配で。
そんな心配、いらない。
……。
……なに。
唇が少し、荒れてる……ように、見える。
……。
……実は、気になってたんだ。
はぁ……本当にどうでもいいわ。
……切れてしまったら、痛いからさ。
……。
血も出るし……。
……はぁ。
血が出る状態で何か食べたら、血の味がするかも……ううん、すると思う。
……だから、なに。
水野さんのことだから……食べなくなってしまいそうで。
……どうしてあなたは、他人の心配ばかりするの。
水野さん……と、祖母だけだよ。
……おばあさまは他人であっても、家族だわ。
水野さんは確かに他人だけど……でも、好きなひとだから。
あなたに心配なんかされなくても……リップクリームぐらい、ぬってるわよ。
……本当に?
……。
本当にぬってる? 今はまだ、ぬってないよね?
そもそもお風呂から上がっ……いや、歯磨きしてからぬった?
木野さん。
……あ。
あなたは私のなんなの。
あたしは……まだ、ともだち?
ともだち?
え、と……知り合い。
……。
……隣のクラスのひと。
妥当。
……水野さんは、あたしのこと。
今、あなたが言った通り。
……。
世話焼きで、お節介で、心配性で、想いを押しつけてきて、鬱陶しい。
せめて……知り合い。
……木野さん。
な、なんだい……?
……あなたにとって、ともだちとは何。
え。
……なに。
と、ともだちは……その、他のひとよりも親しくて何かを共有出来るひと、かな。
……。
なんて、いたことがないから、本当のところは分からないんだけどね……。
……恋人は。
うん?
恋人とは、なに。
恋人は……えと、気持ちが通じ合っていて想いを共有出来るひとかな。
……親友との違いは?
親友……。
……。
親友は、ともだちの中で最も親しいひとで……恋人との、違いは。
……あなたが私となりたい関係は。
恋人になれたらいいなって……思ってる。
……どうして、なりたいの。
それは、好きだから……。
……ともだちでは、だめなの。
ともだち……より、恋人が
なぜ。
……う。
なぜ、恋人がいいの。
……そういう好き、だから。
……。
だから……ともだち、よりも。
あなたは私と、そういうことがしたいの。
そういうこと……?
……。
え、と……。
……分からないなら
いや……分かってる、よ。
……。
あたしは、水野さんと……出来る、ことなら。
……あなたは、平気なのね。
平気……?
……。
水野さんは……。
……そういうこと、考えたりするの。
か、考えたりは……その、キスくらいなら。
……その先は。
そ、その先……?
……恋人になるんだったら。
あ、や……え、えぇ。
……羞恥心、あるのね。
あ、あるよ……ないわけじゃ、ないよ。
……私と、したいの。
うぇ……。
……うぇ?
き、嫌われると思うから、言わない……。
……そう、思っているのね。
お、思っているかもしれないけど、思っていないかもしれない。
……なにそれ。
と、とにかく……今は言わない、言えない。
今は?
であるならば、いつか言うの?
……。
……答えて。
恋人に、なれたら……。
……。
……。
……拒絶されたらどうするの。
きょぜつ……。
……恋人に。
その時は……しない。
……ずっと、拒絶されたら?
……。
恋人なのに……一切、許可してくれなかったら。
……それならそれで、いいさ。
……。
水野さんと……ずっと一緒にいられるなら。
……私のことは諦めた方がいい。
出来ない。
……他のひととなら。
そういうことが、したいわけじゃない。
……。
そういうことだけじゃ、ないんだ。
……欲は、強いもの。
ん……。
……きれいごとだけでは、済まされないわ。
きれいごと……。
……ベッドは、木野さんが使って。
ううん……ベッドは、水野さんが。
……いい、床で寝る。
あたしが床で寝る……水野さんにはベッドを使って欲しい。
……。
さぁ……水野さん。
……分かった。
うん。
帰るわ。
え……なんで。
帰って、自分のベッドで寝る。
あ、あたしのベッドじゃ眠れない?
眠れない。
……。
だから、帰る。
……あたしに気を遣ってくれてるのなら。
遣っていない。
この間、大きめの長座布団を買ったんだ。
そうみたいね。
長座布団ってさ、わりと寝心地がいいんだよ。
だから、なに。
昼寝をするのにも丁度良くてさ……だから、床で寝ても。
なら、床で寝るわ。
……。
試してみたいの、その長座布団での寝心地の良さとやらを。
……水野さん。
あなたはいつもどおり、ベッドで。
……あたしのベッドで寝るの、そんなにいやかい。
ええ、いやよ。
……。
掛けるものは、毛布が一枚あればいい。
それだけじゃ、風邪をひいてしまうよ……こんなに冷えているのに。
マーキュリーならば、ひかないわ。
……。
その姿のまま、眠れば
それは、だめだよ。
何がだめなの。
姿を維持するだけでも体力を消耗してしまうのに、一晩その姿でいるだなんて。
そんなことをしたら、明日起きられなくなってしまうかもしれない。そんなの、だめだ。
眠ることが出来れば
出来なかったらどうするんだよ。
消耗しすぎて、本当に躰を起こせなくなってしまったら。
起こせないのなら、休めばいい。
休むって。
休んで、自習をすればいい。
学校なんて、別に行かなくてもいいのだから。
……水野さん。
あなただってどうせ、行けないでしょう。
……明日になれば、もう少し。
長座布団を敷くとは言え、床で寝て治ると思っているの。
……治らないわけじゃ、ないよ。
でも、治りは遅くなる。
……少しくらいなら。
明日の状態次第では医者に行ってもらうわ。
……。
従うと、約束したわよね。
……した。
で、どうするの。
……学校、本当に。
さぼりの常習犯に言われたくない。
……。
木野さん。
……分かっ、た。
何が。
……ベッドで、寝る。
そう、決まりね。
……毛布だけでなく、掛け布団も。
あなたが使って。
……。
後悔しているの?
……。
苦しそうな顔。
……布団、買う。
……。
……おやすみ、水野さん。
ええ……。
……毛布、ここに置いておくね。
ありがとう。
……ひざ掛けもあるから、良かったら。
……。
忘れてた……。
……使わせてもらうわ。
うん……使って。
……。
じゃあ……また、明日ね。
……ええ。
……。
……うつ伏せで寝たことは?
あまりないけど……大丈夫だと思う。
そう……眠れるといいわね。
……ん。
……。
……。
……流星群。
一緒に、見てくれる……?
……考えておくわ。
22日
ふぅ。
……動き辛そうね。
ん、少しね……でも、これくらいなら問題ないよ。
……下半身は?
下半身?
……下は、脱がないの。
下は、後で脱ごうと思う。
……。
ん……え?
……躰を動かしたら、背中の皮膚が引っ張られて痛むでしょうから。
痛むけど、服を脱ぐくらいなら大丈
動かないで。
あの、水野さん。
……なに。
下を脱ぐのは、上を拭いてもらってからにしようと思ってるんだ。
じゃないと、限りなく全裸に近くなってしまって
恥ずかしいの?
と言うより、少し寒い。
……。
なんとなく、気温が下がっているような気がする。
1度……いや、2度くらい。
……いい加減。
気のせいかもしれないけど、空気が冷えてきているように感じるんだ。
……だとすれば、木野さんは風邪をひくと思うわ。
それは、やだな……。
……じっとしていて。
下は脱がなくていい?
……脱ぎたいなら。
上が終わってからにする。
……。
水野さん?
……下は自分で拭くつもりなの。
あぁ……うん、下は自分で拭くよ。
水野さんの手間を増やしたくないから。
……そう。
と言うわけで、上だけ……お願いします、水野さん。
……右腕。
ん……。
……。
……あぁ。
変な声を出さないで。
いや、力加減が気持ち良くて……つい。
……。
ふふ……。
……なに。
ううん、別になんでもない……。
……言って。
……。
木野さん。
……水野さんに、前にもやってもらったような気がする。
やったことなんてないわ。
うん、そうだよね……初めて、だよね。
はは……あたし、何を言ってるんだろう。
……珍しく、疲れてるんじゃないの。
ん、そうかも……。
……終わったら、寝ればいい。
うん……今夜は、早めに休もう。
早めに休んだ方が、背中の火傷も早く治ると思うし……。
……眠れたらいいわね。
今夜は、うつ伏せじゃないとだめかなぁ……。
……仰向けで寝られるとでも?
ん、無理だと思う……寄りかかることも、出来ないし。
……横向きには。
あ、横向きにはなれるかも……やってみるよ、水野さん。
……好きにして。
うん……ありがと。
……また、お礼。
あは……。
……左腕。
ん……。
……。
左腕の傷、良くなってるだろ……。
……完治はしていない。
明日か……明後日には、治ってると思う。
……。
化け物って、言われたけど……今は、傷の治りがひとより早くて良かったと思う。
……そうね。
……。
……化け物はあくまでも、投げつけてきた方だけれど。
ふふ……うん。
……拭き終わったら、左腕の手当てもしてあげるわ。
ん、してくれるの……?
……ついでよ。
そっか、ついでか……ふふ、うれしいなぁ。
……こんな時でも、笑ってばかり。
なんだろうね……水野さんと一緒だと、自然に笑ってしまうんだ。
……頭でも打ったんじゃない。
ううん、打ってないよ……あたしはいたって、正常だ。
……この場合、正常かどうか判断するのは他人である私。
正常なんだけどなぁ……あ、そうか。
……その先は言わないでいい。
ん、どうして……?
……聞きたくないからに決まっているでしょう。
んー……。
……。
ひんやりする……。
……次、首回り。
はい……。
……。
……きっと、水野さんに恋をしているからだよ。
言わないでいいと言ったでしょう。
……ふは。
それ以上、言ったら。
ん……今はもう、言わない。
……今は?
しばらく……?
……くだらない。
はは……。
……。
はぁ……気持ちいい。
……こんなこと、あるわけない。
ん、なにが……?
……なんでもないわ。
あたしの躰を拭くこと……?
……背中の処置。
あー……今のは、なしで。
……胸は。
ん……胸は、自分でや
いいわ、やってあげる。
……えぇ。
……。
でもまぁ、いっか……。
……あなたには羞恥心というものがないの。
あるけど……今は、ぼやけてるんだと思う。
……。
なんて言うのかな……頭の中が、とろけているような感じと言うのかな。
……やっぱり、正常ではないわね。
……。
言わなくていい。
……はぁい。
……。
あれ……。
……なに。
ううん……脇の下、なんだなぁって。
……胸は、その後。
ひょっとして、忘れてた……?
……忘れてない。
ふふ……そっかぁ。
……気持ち悪い。
腕、上げた方がいいよね……。
……出来るなら。
ん、出来る……。
……あまり上げなくてもいい。
これくらい……?
……。
ん、少しくすぐったい……。
……我慢して。
うん……我慢、する。
……。
ねぇ……あたし達は、ついこの間、出逢ったばかりなんだよねぇ。
……そうよ。
セーラー戦士って、結局なんなんだろ……。
知らないし……知りたくもない。
……前世って、言われてもね。
……。
……ごめんね、水野さん。
何が。
あたしがこんなことになっていなければ……今頃、勉強していたと思うから。
……分かっているのなら、そろそろ静かにして。
ん……。
……。
……出来れば、水野さんとお話したいな。
私は、したくない。
……そっか、さびしいな。
……。
……ねぇ、水野さん。
しつこい。
……う、ん。
……。
……歌ってもいい?
意味が分からない、静かにしてと言ったはずよ。
なんだか……なんだかさ、手持ち無沙汰で。
だったら、下も脱いで拭けばいい。
あー……その手が、あったか。
……。
でも、いいや……今は、マーキュリーに躰を預けているから
……。
ん……あれ。
……私は、マーキュリーではないわ。
あたし……今、マーキュリーって言った?
……無意識だったとでも?
ごめん……分からなかった。
……。
本当だよ……。
……ジュピター。
う……。
……。
ええ、と……あたしは、ジュピターではないよ。
……どうだか。
今は、違う……あたしは、木野まことだ。
……ジュピターなら、以前、マーキュリーに。
それは、あたしじゃない……水野さんでも、ない。
……だけど、懐かしく感じる。
……。
……本当、厄介でしかない。
もしかして、水野さんも……。
……。
あ、いや……。
……躰が憶えているだなんて、言いたくもない。
えと……言ってるような。
……背中。
え、背中も……?
……違う。
様子……?
……。
もしかして、さっきよりも良くなってる……?
……処置した時と、大して変わっていない。
あ、うん、そっか……まぁ、すぐには治らないよね。
……。
寝る前に、ガーゼは取り替えた方がいい……?
……今夜は必要ないわ。
明日の朝……?
……時間があれば、やってあげてもいい。
うん、お願いします……自分じゃ、出来ないから。
……。
水野さんって、ワセリンを持ち歩いているんだね……。
……悪い?
ううん、おかげで助かったよ……ただの軟膏じゃ、だめみたいだし。
……だから、医者に。
それにしても、ガーゼを直接、水ぶくれに当ててはいけないなんて知らなかったな。
当てた方が患部に当たらないからいいと思ってたよ……。
……水ぶくれが破けてしまうと皮膚に貼り付いてしまって、ガーゼを剥がす時に皮膚も一緒に
うん、想像しただけで背中がぞわっとする。
……以前は持ち歩いてなかったわ。
以前?
……滲出液。
しんしゅつえき……て、水ぶくれの中の汁のこと?
……水疱は知らないのに、それは知ってるのね。
水ぶくれの話をしていたから、そうかなって。
……水ぶくれが破れて漏れ出た滲出液を放っておくと、その中で細菌が増殖し創感染の原因になる。
つまり……余計、酷くなる?
……酷くしたいのなら、放置するけど。
出来れば、しないで欲しい。
……そう、出来なければ放置してもいいのね。
適切な処置をして欲しい。
……私に適切な処置を求めるのなら、今からでも医者に行った方がいい。
酷くなるようだったら、医者に行く……。
……手遅れになるかもしれない。
水野さんの判断に従う。
……従わなかったくせに。
次は、従う。
……。
必ず。
……その言葉、忘れない。
あたしも、忘れない。
……従わなかったら、すぐに見捨てるから。
うん、分かった。
……。
……。
……傷口は消毒し、なるべく早く乾燥させて、かさぶたを作らせる。
かさぶたか……あたしも良く作ったなぁ、膝小僧とかに。
……今はまだ、それが主流だけれど。
何か新しい治療法が出てきたのかい……?
……湿潤治療。
しつじゅん……乾燥とは、逆ってことだね。
……滲出液は傷を治すのに有効だと分かってきたの。
へぇ、そうなんだ……。
滲出液には組織の修復と再生に必要な成分が入っている……だから、水ぶくれが出来ても潰さない方がいい。
なるほど……。
……とは言え、今は潰しているけど。
ん……。
……でも、さっきも言った通り、漏れ出た滲出液は放置しておかない方がいいの。
水野さんは、なんでも知っているんだね……。
……。
すごく、頼りになる……。
……やめて。
……。
……終わったわ。
うん、ありがとう……さっぱりしたよ。
……下は、自分でやるのでしょう。
それ、なんだけどさ……。
……まさか、私にやれとでも?
やってくれたら、その、うれしいなぁって……。
……自分でやると言ったくせに。
水野さんに、やってもらいたくなった……。
……それで、私が素直に応じるとでも。
思わない……。
……なら、言わないで。
言わないと、伝わらないから……。
……伝わったところで。
でも、伝えな……。
……。
……。
……木野さん?
くしょぃ……っ。
……。
うぅ……冷える。
……はぁ。
え、えと……ごめん?
……とりあえず、上を着て。
う、うん、そうする……。
……。
ん、ありがとう。
……どういたしまして。
……。
……着たら、下を脱いで。
ん。
……。
……よし、次は下を。
仕方ないから、拭いてあげる。
……。
なに、いやなの。
い、いやじゃない、いやじゃないよ、ちっとも。
変人。
うぇ。
……他人に躰を任せるなんて、どうかしてるわ。
た、他人だけど、水野さんだから。
……マーキュリー、でしょう。
違う、水野さんだ。
……。
だから……今になって、恥ずかしくなってきた。
……何よ、それ。
ねぇ……?
……ねぇ、じゃ、ない。
あ、はい……。
……さっさと、終わらせる。
うん……お願いします。
……ぐずぐずして、風邪でもひかれたら面倒だもの。
風邪なんて、ひか
看病なんて、しない。
……。
甘えないで。
……ふふふ。
……。
あ、や、なんでもない、ごめんなさい。
ばか。
……は。
……。
み、水野さん……お、怒った?
……本当、ばかだわ。
21日
お風呂に入って、30分……そろそろ、出てくるかな。
……。
なんて、まだ出てこないか……躰をあっためるのに、ゆっくりして欲しいし。
マーキュリーの躰は冷気に強いみたいだけど……水野さんは、そこまでじゃないみたいだし。
姿を解除してしまえば、ただの人間だ……ただの人間では、冷凍庫の中には居られない。
とてもじゃないけれど、耐えられない……今回は幸い、短時間で離れることが出来たけれど。
……。
あの姿を維持する為には、それなりの体力が必要になる……その能力を使いながら戦うとなると、消耗は激しくなる。
いつかは慣れるのかもしれないけれど……今はまだ、躰がもたない。力をもう少し上手く引き出せるようになれば、また違うんだろうか。
……。
気象は相変わらず、歪んだままで……ここはまだ、中心地に比べればましとは言えるけど、放っておけばいずれ同じようになってしまうだろう。
出来ることなら今すぐ、本躰を叩くべきだ……戦おうと思えば、あたしは戦える。だけど、戦えるだけじゃだめだ。
勇敢と無謀は違う……無駄死にほと、無駄なことはない……そう、無駄死にだけに。
……。
今の時点で、どれくらいのひとのこの精気を奪っているのだろうか。
恐らく、犠牲者は二十ではきかないだろうな……玩具にもしているようだし。
犠牲者が増えれば、気象の歪みの範囲は益々広がる……然うなったら、一般人は確実にもたないだろう。
……。
やっぱり、本躰を早く叩かないとだめだ……その為には、考えないと。
あたしの背中が治るまで、待ってはくれないだろうし……明日になったら、犠牲者は更に増えているかもしれない。
犠牲者が増えれば増えるほど……比例するように、水野さんが危ない目に遭う確率が上がってしまう。
……彼女達が片付ければいい。
それにしても……背中が痛いと、わりと不便だな。
寄りかかれないし、寝そべることも出来ないし……出来れば、三日くらいで治って欲しい。
……。
お風呂は……今夜は、無理だよなぁ。背中、染みるどころじゃないと思うし。
出来れば、入ってゆっくりしたかったけど……とりあえず、拭けるところだけ拭けばいいか。
背中と腰はマーキュリーに水洗いしてもらったから、それ以外を自分で……う。
……。
腕を動かそうとすると、角度によっては皮膚が引っ張れられる……不便でしかないな、本当に。
……。
背中は、激痛ではないけれど、ひりひりとした痛みがある……どうなっているか、あまり見たいとは思わないけど、確認はしたい。
水野さんは、ところどころ水ぶくれになっていると言っていたけど……それは、治まったみたいだし。
治まっていなかったら、今頃お医者さんにいたんだよな……良かった、治まって。
……。
水ぶくれって確か、自分で潰しちゃいけないんだよな……まぁ、痛いから潰せないけどさ。
お医者さんはどうやって火傷の処置をするんだろう……多分、薬を塗ってくれるんだろうけど。
酷ければ、手術をすることもあるかもしれない……手術は、いやだな。でも、そんなことは言ってられないか。
……とりとめがない。
しっかり砕いたと思ったのに、最期に爆発するだなんて……頭だけでなく、全身を粉々にしてやらなきゃいけなかったんだ。
だから、水野さん……マーキュリーは、氷漬けにしてくれたのに……あたしは間違えた、今回は完全にあたしの失敗だ。
きれいなマーキュリーが化学熱傷なんて負わなくて、本当に良かった……傷を負うのは、あたしで良いんだ。
……。
水野さん……レモンムース、食べるかな。
やっぱり、明日かな……明日だったら、食べてくれるかな。
……。
……水野さんがいてくれて、本当に良かった。
あなたはひとりごとの声が大きいわね。
……ん。
木野さん。
水野さん、お帰り。
お風呂から出てきただけなんだけど。
それでも、お帰り。
はぁ……ただいま。
うん。
背中は?
大丈夫だよ、ちょっとひりひりしてるけど。
ちょっと……ね。
とりあえず、水ぶくれは治まったから。
分からないわよ。
分からないの?
時間を置いて、また出来るかもしれない。
え、そうなの。
可能性は零じゃない。
そうなんだ……。
……はぁ。
躰は、あったまったかい?
……おかげさまで。
ん、良かった。
風邪をひいたら、大変だからさ。
……風邪ぐらい、寝ていれば治るわ。
治るけど、こじらせてしまったら大変だろ?
こじらせなければいいだけよ。
……。
なに、その顔。
ううん、なんでもないよ。
眉毛が垂れている。
そうかな、自分では分からないや。
鏡、見てきたら?
んー……気になるけど、やめとく。
……。
顔、情けない?
別に、気にならない。
ん、そっか。
……。
髪の毛、乾かすだろ?
放っておけば、乾く。
今夜は気温が低いから、ちゃんと乾かした方がいいと思うんだ。
面倒。
また、そんなことを言って……仕方ないなぁ。
余計なことはしないで。
髪の毛が濡れていたら、風邪をひいてしまうかもしれないから。
短いから、問題ない。
髪の毛が短くても、風邪をひく時はひくと思うよ。
だとしたら、要因は他にあるわ。
あるかもしれないけど、だからって、湿った髪の毛が要因ではないとは言えないだろう?
水野さんの家はあったかくてそのままでも乾くかもしれないけど、うちはあんまりあったかくないから……。
……。
あ、いや……。
……。
その……ごめん。
……別に、どうでもいい。
……。
……。
水野さん……本当に
レモンムースは。
ん。
冷蔵庫?
そう、だけど……もしかして、食べてくれるの?
そのつもりだけれど、気が変わったのなら。
変わってない。
……あなたは食べるの。
あたしも食べる、水野さんと。
……そう。
今、用意するよ。
いい、あなたは座っていて。
でも
いいと言っているの。
あ、うん……分かった。
……無駄に動くと、治りが悪くなる。
……。
……。
ありがとう……水野さん。
……お礼を言われるようなことはしていない。
ううん、そんなことないよ……。
……レモンムース、カップに入っているものがそうなの。
うん、ふたつ並んでいると思う。
……。
さっぱりしているから、お風呂上りに食べるのに丁度いいと思うんだ。
……何が丁度いいの。
え。
濃厚では、丁度良くないの。
べ、別に、濃厚でもいいと思う……ます。
ます?
……思います。
つまり、いい加減なことを言ったのね。
い、いい加減なわけでは……。
……これ、スプーンで食べるのよね。
そう、です……。
……。
……水野さんは、濃厚な方がいい?
そもそも、お風呂上りに何か食べようとは思わない。
……飲み物は。
水。
水……。
水道を捻れば、勝手に出てくるでしょう。
手間も労力も、時間もかからない。
そ、そうだね……。
あなたは、色々飲んでいるわよね。
う、うん……その時の、気分によって。
水、麦茶、白湯、牛乳をわざわざ温めたもの。
ホ、ホットミルクかな……。
何故、わざわざ温めるの。
冷たいままでもいいと思うのだけど。
冷たいままでもいいんだけど、お風呂上りはホットミルクの方が飲みやすいんだ。
水と麦茶は冷たいのに?
水は麦茶は、牛乳と違うから。
それは、成分の話?
かな。
あなた、お腹が弱いの。
……え。
冷たい牛乳を飲むとお腹を壊すの?
いや……一杯くらいなら、壊さないよ。
……二杯は?
二杯飲むことは、あまりないけど……わりと、平気かな。
そう。
えと……何か、気になることでもあった?
別に、ないわ。
ない?
ない。
……心配、してくれたとか。
どうして心配しないといけないの。
木野さんのお腹が牛乳に弱かろうが、私には関係ないわ。
う、うん……そうだよね。
ところで、スプーンはこれでいいの。
ん、それで。
……ふたつあるのね。
水野さん用に、買ったんだ。
……は?
というのは、冗談で……ふたつあった方が、便利だから。
計量スプーンもあるけれど。
使えなくは、ないけど……何かを食べる時は、出来れば、普通のスプーンの方がいいかな。
大きなスプーンもあるわ。
あ、あるね……だけど、それはカレーとかシチュー用だから。
食べられなくもないわよ、レモンムースも。
食べられなくもないけど……出来れば、小さい方がいいな。
面倒なひとね。
そ、そうなのかな……。
そうよ。
……水野さんが、そう言うのなら。
はい、どうぞ。
あ、ありがとう。
私が作ったわけではないから。
……それでも、ありがとう。
あなたはどうして、そんなにお礼を言うの。
ど、どうしてって……言いたいからだよ。
それは、誰にでも?
……。
それとも、私にだけ?
……水野さんにだけかな。
おばあさまには?
……言うけど、水野さんほどじゃないかもしれない。
私よりも、おばあさまに言うべきね。
……同じくらい、言うようにする。
私とおばあさまは同じではないわ。
……大事、だから。
同じには、決してならない。
……そんなに、だめ?
……。
水野さんを祖母よりも大事に想っては……だめ?
……だめに決まっている。
それは、どうして……?
……。
水野さん……。
……おばあさまはきっと、あなたを裏切らない。
裏切らない……って、どういうこと?
……言葉の通りよ。
ごめん、良く分からない。
……分からないのなら、分からなくてもいいわ。
……。
食べないの。
……水野さんが、食べてから。
……。
……祖母のことも、大事だよ。
私よりも
だけど、水野さんのことはもっと大事なんだ。
……それ、おばあさまの前でも言える?
……。
言えないで
言えるよ。
……。
言える。
……愚かだわ。
祖母はきっと、分かってくれる。
だから、なに?
なに……て。
……。
み、水野さん……。
……私は、あなたを見捨てるかもしれない。
……。
だけど、おばあさまは……きっと、最後まで見捨てない。
……だと、しても。
……。
あたしは……水野さんが、大事なんだ。
……ばかとしか、言いようがない。
あたしにもいつかきっと、大事なひとが出来る。
……は。
祖母は、そう言ったんだ……自暴自棄になっていた、あたしに。
……。
あたしのお母さんが、そうだったように……生きてさえいれば、必ず巡り逢うって。
……随分と。
ね……どことなく、あたしに似ているだろ?
……どことなくではないわ。
ふふ……。
……似ていることが、うれしいの。
うん……祖母のことは、好きだから。
……。
祖母だけなんだ……両親以外で好きな大人は。
……だったら、大事にするべきだわ。
してないわけじゃない。
……私なんかよりも。
水野さんは、なんかじゃない。
……。
あたしにとっては……なんかじゃ、ないんだよ。
あぁそう……つくづく、厄介ね。
……ごめん。
……。
ね……食べてみて。
……あなたが、食べてから。
そっか……じゃあ、先に食べるね。
……。
……うん、さっぱりしてる。
これ、酸っぱくはないの。
ん……あんまり、酸っぱくはないよ。
……あんまり、ね。
次は、水野さんの番。
……。
……無理だったら。
いただきます。
……ん。
……。
ど、どう……?
……酸味の中に、ほんのりと甘みを感じる。
う、うん……。
……それから、レモンの爽やかな香りがする。
お、おいしくない……?
……悪くない。
はぁ……。
……溜息。
良かったぁぁ……。
……意味が分からない。
ねぇ、水野さん。
……なに。
今度、お風呂上りにさ、ホットミルクを飲んでみない?
……どうして?
ただのホットミルクではないんだ。
……答えになってない。
はちみつ入りのホットミルク。
……。
ホットミルクにすれば、はちみつも入れられる。
……それが、わざわざ牛乳を温めて飲む理由?
それもある……と言っても、入れるのはたまになんだけどね。
……。
はちみつを入れるとさ、優しい甘さになるんだよ。
……ふぅん。
だ、だからさ……良かったら今度、水野さんも。
……。
い、いらない……かな。
……作ってくれるのなら、飲んであげてもいいわ。
ほ、本当かい?
……嘘の方がいいの。
ほ、本当の方がいい。
……なら、それで。
やった。
……何がそんなにうれしいのか。
だって、うちでまたお風呂に入ってくれるってことだろ?
……やっぱり、いらない。
え、えぇ。
……。
み、水野さん……。
……今夜は勉強しなくていいわ。
う、うん……?
……その背中では、出来ないでしょうから。
出来なくも、ないけど……。
……その代わり、躰を拭いてあげる。
え……。
……食べ終わったら。
な、なんで……?
……なぁに、いやなの?
い、いやと言うか……。
……そう、いやなのね。
い、いやじゃない、いやじゃないよ……でも、なんで?
ただの嫌がらせ。
……いやがらせ?
そう、嫌がらせ。
……どこらへんが?
……。
あたしは……その、うれしいけど。
……はぁ。
あ、あれ……。
……あなたって、本当に変なひと。
そ、そんなに変かな……?
……変。
お、おぉ……。
……水でいい?
水……?
……躰。
あ、あぁ……うん、いいよ。
水野さんが、拭いてくれるなら……。
……やっぱり、お湯にするわ。
20日
……これで、良いかな。
ええ……良いわ。
……良かったよ、誰も居なくて。
然うね、良かったわね……。
……え、と。
水気よ……。
……床が、水浸しに。
そんなの、どうでも良い。
でもさ、ここ……。
私の言うことが聞けないの。
……はい、聞きます。
冷たいだろうけれど……我慢して。
……うん。
……。
……ぐっ。
……。
……。
……声は、我慢しなくて良いわ。
でも……格好、悪いし。
……奥歯が砕けてしまっても、知らないわよ。
奥歯……?
……歯を、食いしばりすぎて。
歯って、砕けるんだ……。
……折れるのだから、砕けもするわ。
ん……確かに。
言っておくけれど……歯は、私ではどうしようも出来ないわよ。
……。
……歯医者にどうしても行きたいのなら、止めないけれど。
いや……あまり、行きたくはないかな。
あんまり、得意ではないんだ……歯医者さんは。
……子供ね。
においが、ね……。
……音ではなく?
音は……わりと、平気。
……ふぅん。
得意では、ないけどね……ぅ。
……染みる?
ん……少し。
……然う。
あたしの背中、今、どうなってるんだろ……。
……化学熱傷を起こしている。
化学、熱傷……。
……酸やアルカリ、金属塩、有機溶媒などが皮膚に触れた為に出来る火傷のこと。
なんとなく、聞いたことがある……。
……化学熱傷の治療はまず、大量の水で早急に洗い流さなければならない。
だから、応急処置が必要なのか……。
……家庭用のものならば、成分が弱いのだけれど。
家庭用のより、強いんだね……。
……どんなものか、分かっているの。
えと……洗剤、とか?
……であるならば、素手では扱えないわね。
他のもの、だと……分かった、消毒剤だ。
……漂白剤も、然うよ。
あぁ、漂白剤……確かに、ゴム手袋をするよ。
注意書きにも、素手では触らないようにって書いてある……。
……誤って触れてしまった場合の対処法は。
誤って触れてしまった場合は……然う、大量の水で洗い流すよう、書いてあったな。
……あるの。
ん……?
……素手で、触れてしまったこと。
何度か、ある……。
……素直なあなたのことだから、ちゃんと洗い流したのでしょうね。
うん……注意書きに、強く書いてあったから。
……その時に出た、症状は。
触れた場所が、少し、ぬるっとしたかな……赤くなったりは、しなかったよ。
……塩素系漂白剤の場合。
う、ん……。
……アルカリによる、化学熱傷が起こる。
それは……酸によるのものと、違うのかい?
……良い問いね。
ほんと……?
はは、うれしいなぁ……。
……アルカリによる化学熱傷は、酸のそれよりも、重症になりやすいとされているわ。
重症……。
……酸による火傷は、通常は発赤や糜爛(びらん)を伴う、浅いものだと言われているの。
アルカリは……
……。
マーキュリー……?
……なんでも、ない。
ごめん、よ……。
……今は、謝ることよりも。
じっと、してる……。
……然うして、でも、声は我慢しないで。
うん……我慢、しない。
……はぁ。
マーキュリー……無理は、
していない。
……。
……アルカリによる火傷は、深く。
……。
蒼白で、鞣し皮のようになって……かなりの激痛を伴うと。
……激痛。
アルカリが、脂肪の酸化やたんぱく溶解を来たし……皮膚の深部まで、入り込む為。
……あたしの、背中の傷は。
聞きたい……?
……。
聞きたければ……教えて、あげるわ。
……ううん、聞かない。
良いの……?
……うん、良い。
然う……それは、残念だわ。
……マーキュリーが、処置して呉れているから。
……。
あたしは、マーキュリーを信じて……じっと、している。
……重い。
え……?
……信じ、ないで。
……。
……私、なんか。
ごめん……無理だ。
私は……医者じゃ、ない。
……うん、知ってる。
ましてや……。
……今のマーキュリーは、あたしと同じ、中学生だ。
……。
分かっているから……。
……出来ることは、するわ。
うん……ありがとう。
……本当なら、医者に。
きっと、大丈夫だ……。
……何が、大丈夫なの。
あたしは……傷の治りが、早いから。
……。
ははは……。
……ばかな、ひと。
ん……ごめん。
……。
なんとなく、楽になってきたような気がする……。
……気がするだけよ、ばか。
あー……。
……ジュピターで、なければ。
もっと、酷くなってた……?
……あんな巫山戯た装備のくせに。
なんで、セーラー服って……思ったよ。
露出が、無駄に高くて……趣味を、疑うわ。
どうせなら、もっと……守って呉れそうなのが、良かったな。
……。
マーキュリー……もう、良いよ。
……いいえ、まだよ。
だけど……本当に、楽になったような気がするんだ。
……然う、思い込もうとしているだけでしょう。
……。
……もう少し。
そんなに……酷いんだ。
……聞かないと、言ったわよね。
うん、言った……だから、詳しくは聞かない。
……。
……ありがとう、気を紛らわせて呉れて。
別に……そんなつもりは、ないわ。
……そっか。
……。
う……。
……やっぱり、気のせい。
はは……おかしい、な。
……だから。
うん……?
……だから、退いてと言ったのよ。
でも、あたしが退いていたら……マーキュリー、が。
……私なんて、どうでも良い。
ううん……良くないよ。
……私よりも、自分のことを。
それは、出来ないんだ……。
……。
……出来ない、どうしても。
前世、なんて……。
……前世は、関係ない。
本当に、然う言えるの……。
……言えるよ。
……。
あたしは……今のマーキュリーを、守りたい。
……マーキュリー、なんて。
水野さんを、守りたい……だから、前世なんて、関係ないんだよ。
……。
それにさ……前世からの柵なんて受け入れたら、姫を守らなきゃいけなくなっちゃうだろ?
そんなの、冗談じゃない……心の底から、ごめんだ。絶対に、いやだよ……。
……だったら、戦いなんて。
しなきゃ、良いんだよね……然うすれば、こんな怪我を、することもない。
……。
だけどさ……放っておいたら、水野さんが危ない目に遭う確率が、上がってしまうだろ?
……どうして、然うなるの。
戦いから目を逸らして、そのまま放置したら……それはいつか必ず、自分達の身に回ってくるだろう。
その時には……若しかしたらそれは、現出した時よりも、ずっと強い力を持つようになってしまっているかも知れない。
ひとのこの精気を、しこたま、集めて……さ。
……しこたま。
ん……祖母がたまに、使っていた言葉。
たくさんとか、どっさりとか、そんな意味なんだけど……マーキュリーは、使わないかな。
……使わないけれど、意味は知っているわ。
ふふ、そっか……。
……。
精気を、集めに集めて、あたしよりもずっと強い力を持つようになったら……あたしでは、どうにも出来ないかも知れない。
成る可く、然うさせないつもりでは、いるけれど……絶対なんて、ないから。
……私にも、戦える力はあるわ。
分かってる……。
……ならば。
分かってるんだ……けど。
……けど、なに。
マーキュリーの力は……どちらかと言うと、前衛に立つようなものじゃない。
……っ。
何度か戦って、分かった……いや、「あたし」は分かっていた。
……ジュピター。
後衛は、大事だ……後衛の支援がなければ、あたしは戦えないから。
さっきの戦いも然うだった……マーキュリーが居なければ、背中の火傷ぐらいじゃ済まなかっただろう。
……ひとりで。
……。
あなたは……あくまでも、ひとりで。
ひとりじゃないさ。
……。
あたしには、マーキュリーが居る……マーキュリーが居て呉れると、心強いんだ。
……だから、前に立つのは自分だけで良い。
……。
どこまで、自分勝手なの……。
……適材適所、だ。
……。
あたしが前で、マーキュリーが後ろ……能力を考えたら、その方が合理的だろう?
……つまり、私はあなたに劣っていると。
まさか……その逆だよ。
……。
あたしは、前に立つしか……能が、ないんだ。
……後方支援は、あなたにだって出来るわ。
やれば、出来るかも知れないけど……前に立つのは、あたしであるべきだ。
……。
はぁ……。
……危険なところには、行かない。
ん……。
……あなたは私に、然う言ったわ。
……。
……忘れたとは、言わせない。
忘れてなんて、いないよ……ちゃんと、憶えてる。
……あなたは、嘘吐きね。
嘘……?
……前に立つことは、危険ではないとでも?
……。
嘘ではなく、本気で言っているのなら……それは、矛盾しているわ。
然う、かな……。
……危険なところには行かないと言っておきながら、死戦の前に立つ。
……。
これを矛盾と言わないで、なんと言うの。
……あぁ。
あぁ……じゃ、ない。
……矛盾しているかも知れないけど。
していると、言っている。
……難しいな。
何も難しいことはない。
……ぅ。
何も、ない。
……マーキュリー。
応急処置は、済んだ……これから、医者に行く。
医者……?
……医者に、適切な処置を。
行かない。
ばかなこと言わないで。
あたしには、水野さんが
なんでもかんでも、私に押し付けないで。
……う。
出来ることと、出来ないことがあるの。
……。
今だと、夜間診療になってしまうけれど……それでも、医者に処置してもらわないよりは良い。
……行きたくない。
我儘、言わないで。
今は酷いかも知れないけど、三日もすれば……。
絶対は、ない。
……。
……後悔、したくないの。
後悔……て。
……。
水野さん……。
……言わない。
……。
……ここには、清潔な布がないから。
あった方が、良い……?
……あれば、患部を保護することが出来る。
じゃあ、一度部屋に……。
……戻ったところで、ないでしょう。
売ってるお店に……。
医者に行った方が、早い。
……。
……我儘を言わないで、木野さん。
なんて、言えば良い……?
……は?
お医者さんに……あたし、お医者さんに説明するのが苦手なんだ。
……私がついていくわ。
……。
理由は……私が、考える。
……良いの。
仕方ないでしょう。
……。
木野さん。
……今直ぐ、治れ。
は……。
完全に治れとは、言わない……お医者さんに行かなくて良いくらいに、治れ。
……あなたね。
……。
医者に行くのが、そんなに嫌なの。
……いやだ。
幼児……。
……。
……今夜は、眠れないかも知れないわよ。
それくらい、なんでもない……。
……何がそんなに嫌だと言うの。
……。
説明が苦手というだけで、そこまで駄々を捏ねるなんて……考えられない。
……あたし、格好悪い?
悪いわね……。
……。
覚悟なんて、大仰なこと……言いたくないのだけれど。
……痛みは、大分引いた。
……。
水野さん……マーキュリーのおかげだ。
……ところどころに細かい水疱が出来ている。
すいほう……なんだっけ。
……水ぶくれ。
あぁ、水ぶくれか。
……ひとつひとつは大きくないけれど、病院で適切な処置を受けた方が良い。
……。
傍に、居てあげるから。
……。
……だから、言うことを聞いて。
お願いが、あるんだ……。
……傍に居るだけでは、足りないと言うの。
手を……繋いで、欲しい。
……手を?
お医者さんに、行くまでで良いから……。
……。
ふ、触れて欲しくないのは、分かってる……分かってるんだけど。
……そればかりね。
え……?
……分かってるって。
……。
はぁ……良いわ、医者に行くまでなら。
ほ、本当……?
……だから、早く行きましょう。
う、うん……。
……。
あ、でも。
まだ、何かあるの。
お金、どうしよう……。
……。
保険証も、ない……。
……面倒だから、救急車を呼ぶわ。
え、救急車?
然う、救急車。
いや、でも、そこまででは、
ぐだぐだと、往生際が悪いから。
け、けど、お金がなかったら、診てもらえないだろう?
後日、支払いに行けば良い。
で、出来るの?
するの。
……。
呼ぶわよ、本当に。
……自分の足で、行く。
然う……なら、立って。
……うん。
……。
よいしょ、と。
……?
お医者さん……お医者さん……水野さんが居て呉れるから、大丈夫。
……待って。
え。
……。
水野さん?
……背中。
背中?
……。
え、えと……。
……痛みは。
さっきよりは、大分ましになったよ。
……。
あの、水野さん……あまり、見られると。
……あなたは、なに。
え?
……水ぶくれが。
若しかして、治った……?
……。
だったら、行かなくて良いかな。
……あなたの躰、どうなっているの。
……。
……こんな、こと。
はは……。
……木野さん?
だからあたし、化け物って言われたんだ……。
……あ。
ねぇ……部屋に、帰っても良い?
……どうしても、帰りたいのね。
帰れるのなら、帰りたい……。
……。
だめ、かな……。
……帰ったら、改めて処置をするから。
うん、ありがとう。
……ガーゼ、あったわよね。
ガーゼならある。
……。
帰ろう、水野さん。
……コート。
然うだった……汚してしまって、ごめん。
……構わない。
水野さん、代わりにあたしのコートを。
……ジュピターのままでいて。
……。
……私のことは、気にしないで。
だけど……。
……処置を終えたら、お風呂で温まるから。
……。
……帰りましょう、部屋に。
うん……帰ろう。
……。
……レモンムース、食べる?
そんなに、食べて欲しいの……?
……明日でも、良いんだけど。
食べて、あげるわ……。
……ん。
力を少し、使いすぎたみたいだから……。
19日
数は大体、二十……老若男女、関係ないみたいだな。
……。
マーキュリー、息をしている者は。
……ここにはもう、存在しないわ。
然うか、それは残念だ。
……本当に然う思っているの。
思っているよ、一応。
……実際は、然程思っていないのでしょう。
ひとりくらいは、微かでも良いから、息があれば良いと思っていたんだけど。
……軽いのよ、言葉が。
ん、軽いかなぁ。
……軽薄と言っても良い。
軽薄……。
……。
全く、思っていないわけではないんだけどなぁ。
……口では、なんとでも言える。
んー……。
……本音は?
本音?
……この光景を目の当たりにして、何を考えているの。
取り敢えず、思っていることを口にすれば良い?
……良いわ。
残念だけれど、こうなってしまった以上、仕方ない。
……やっぱり、思っていない。
残念ではあるんだよ。
……。
信じられない?
……とは、言え。
ん?
……引き摺るよりは良い。
だろう?
……。
ところで、この建物はなんだろう。
体育館とは違うみたいだけれど。
……講堂だと思うわ。
講堂……ふぅん。
……興味がないなら、聞かないで。
いや、ひとを集めるのには丁度良いかなって。
……ええ、丁度良いでしょうね。
ふむ……。
……犬。
死臭がまだ薄い。
事が起こってから、そこまで時間は経っていないな。
……あまり嗅がないで、有害だったらどうするつもりなの。
だけど、侵入する前にマーキュリーが
状態及び状況とは、常に変化するもの。
……あたしに何かあったら、
捨てていくわ。
もう、嗅がない。
……。
外に逃げられた者は居るのかな。
この様子だと、居ないかな。
……何人、集められたのか。
そこまでは、多くないと思うけど。
……楽観的。
ごめん?
……はぁ。
溜息。
……二十は十分に多い。
ん、然うか。
……。
だけど、五十くらいの時もあったからさ。
……慣れたとでも?
いや、慣れてはいない。
……そのわりには、態度がずっと軽薄。
ん……。
……その姿になると、いつも然う。
そんなつもりはないのだけど……難しいな。
……「ジュピター」に流されないで。
ジュピター……。
……痛みだけ、押し付ければ良い。
分かった……改めて、気を付けてみるよ。
……まぁ、難しいでしょうね。
マーキュリーは……。
……。
……やっぱり、良いや。
はぁ……。
……息が真っ白。
この場所で、何が起こったのか。
躰に大きな傷は見られないようだけど……血が流れた後もないようだし。
……人為的な集団自死ならば、話はそれで終わる。
けれど、然うではない。
……。
毒?
……いいえ。
凍死?
……精気を抜かれている。
精気か……であるならば、いつもの話だな。
……。
マーキュリー、寒くはないか。
……問題ないわ、ジュピター。
ここだけ、温度が異様に低い……まるで冷凍庫の中のようだ。
……凍死されても面倒だから、外に出ていて呉れても構わないわよ。
大丈夫、まだそこまでではないよ。
……手遅れになる前に、出て行って。
その時は、マーキュリーも一緒だ。
……。
まだ、近くに居る……?
……もう、居ないと思われる。
然うか……一足、遅かったな。
……悠長に食事なんてしていなければ、間に合ったかも知れないわ。
ここまでとは思っていなかった。
……勘は未だに、鈍ったまま。
まだ、慣れてないんだ。
……あなたはいつ、慣れるの。
近いうち。
……期待はしない。
マーキュリーを危ない目に遭わせない為に。
……。
さて、どうしようか。
……別に、どうもしないわ。
探る?
……その分、帰りが遅くなる。
ならば、帰ろうか。
後のことは、彼女達とひとのこに任せよう。
……。
何か、気になることでもあるのかい?
……苦しんだ形跡がない。
……。
どれもが、穏やかな表情をしている……ように、見える。
ひとが死ぬ前は……なんとかってホルモンの影響で、とても安らかになるというけど。
……β―エンドルフィンと考えられている。
うん、それだ。
……今まで見てきたものには、何かしら苦しんだ形跡があった。
……。
……あなたも、何度か見たでしょう。
うん……見た。
……中には。
様々な液体が漏れ出しているものもあったな……視覚的にも嗅覚的にも、あれはきつかった。
……方法が、異なるのか。
若しも、苦しまなかったのなら……せめてもの救い、と言っても良いかも知れない。
……ものは考えよう、ね。
苦しいのは、嫌だからさ。
……否定はしない。
うん。
……。
……。
……これらには元々、自死願望があったのか。
だとするならば、そこを付け込まれたのかも知れない。
願望がなかったとしたら。
無理矢理連れてこられた、或いは、上手く乗せられて自分達から集まった。
学生、会社員、老人、男性、女性、子供……親子。
何にせよ、悪質には変わらない。
……。
明日には気付かれるだろう。
……心配して呉れる誰かが居れば、警察に捜索願が出されている可能性がある。
あぁ、然うか。
二十もあれば、考えられるな。
……軽薄。
ん……気を付けているのに。
……「ジュピター」は、慣れ過ぎている。
……。
……「マーキュリー」も、また。
厄介だな……。
……けれど、その慣れがなければ。
無理だ。
……。
こんな状況、地球で生まれ育った子供には酷でしかないだろう。
とてもじゃないけれど、耐えられるものじゃない。
……ジュピター。
うん、なんだい?
……あなたは、誰。
あたしは……今は、ジュピターだよ。
……持って行かれないで。
行かせない……あたしは、あたしだ。
……。
警察に捜索願が出されているとしたら……明日を待たずして、見つかるかも知れないな。
……もう、動き出しているかも知れない。
マーキュリー。
……なに。
この場から離れた方が良いと、あたしは思う。
……同意するわ。
うん、ならば直ぐに離れよう。
……。
また、大騒ぎになるだろうなぁ。
連日、ニュースやワイドショーに取り上げられて。
……学校でも、話題になるでしょうね。
十中八九、なるだろう。
……うちの学校の子も混じっているから、余計に。
うちの……え、然うなのかい?
……制服姿ではないから、分からなくて当然よ。
私服じゃ、分からないな。
……。
それは、女子?
……どうして然う思うの?
女子だと……色々、根も葉もないことを言われるかも知れない。
これくらいの年頃だと好きな奴も居るだろう、悲劇的なあれこれが。
……つまり、心配?
とは、違うけど。
……違わないわね。
ん。
女子だけでなく、男子でも言われると思うわ。
ひとのこって、他人の死に対して下衆なところがあるから。
……。
本人はもう、何も分からないけれど。
あたしは、不快だ。
……あなたは、然うでしょうね。
水野……マーキュリーは、違うのかい?
……もちろん、不快。
ん、然うか。
……嬉しそうね。
ごめん、不謹慎だった。
……別に良いわ。
……。
どれか、知りたい?
いや、良い。
ある程度の見当はつくから。
……然う。
取り敢えず、手だけでも合わせておく。
……手を?
せめてもの、弔い。
……。
10秒だけ、時間をもらっても良いかい。
……どうぞ。
……。
あなたのことだから……その子だけでは、ないのでしょうけど。
……ただの、気休めだよ。
……。
……。
……気休め、ね。
ありがとう、マーキュリー。
1秒、早いけれど。
残りの1秒は、待って呉れたマーキュリーにお礼を言う時間。
……あぁ、然う。
行こうか。
……ええ。
……。
……ジュピター。
今回は戦わなくて良いと思っていたのに。
……数は、1。
本躰?
いいえ……本躰ではないと思われる。
……分躰か、或いは。
気を付けて。
了解……マーキュリー。
……。
あたしの後ろを。
……当てにはしないで。
居て呉れるだけで、心強いから。
……それこそ、気休めだわ。
相手の形は分かるかい……?
……ひとのこの形をしていると思われる。
ひとのこの形……。
……けれど、崩れているかも知れない。
それは……この中に。
……恐らくは。
然うか……分かった。
……言っておくけれど。
形をしているだけで……それはもう、ひとのこではない。
……私達に、浄化の力はないわ。
だから、止めるには……己の力を行使するしかない。
……今更だけれど、左腕は。
もう、万全だ……全く、問題ない。
……。
ふぅ……。
……来た。
……。
……。
あれか……。
……矢張り、もう。
はぁ……。
……動きは、遅いようだけれど。
油断はしない、確実に仕留める。
……足を、止めるわ。
あぁ、頼んだ。
……はぁ。
嫌な方向に、曲がっているな……遊ばれたか。
……水気よ。
……っ。
彼の者を……。
屈め、マーキュリー……っ。
……。
躰液……か。
……酸性、或いは、塩基性。
させるかよっ!
ジュピター、だめよっ。
……んっ。
それに、触れてはだめ。
……全身か。
肌が溶け落ちている可能性がある。
……それは、触っては駄目だな。
少しの間、気を逸らせて。
任せろ。
……。
雷気よ……弾け散れっ。
……水気よ、今一度。
お前の相手は、このあたしだ。
痺れるくらいに、後悔させてやる。
……。
はぁ……っ。
……ぅ。
マーキュリー、あたしのことは気にするな……っ。
……言われ、なくても。
爆ぜよ……っ。
……「マーキュリー」。
つ……っ。
私に……力を。
これは……ちょっと、ひりひりするな。
寄越せ……っ。
……え。
空気を、凍て付かせよ……っ。
……お。
はぁぁ……。
……。
もっと……もっと、よ。
……凍っていく。
「マーキュリー」……っ。
……。
……う。
マー
私よりもっ。
分かった……っ。
……く。
はぁ……っ。
……。
砕けろ……っ。
……。
良し……っ。
直ぐに、離れて……っ。
応……っ。
……。
マーキュリー!
……来なくて、良い。
聞こえない!
……。
……もう、大丈
伏せてっ。
……。
退いて、ジュピターっ。
聞こえないと、言ったろうっ。
……。
つぅ……っ。
……ジュピター。
大丈夫だ……問題ない。
……。
……最期の、悪足掻きだったな。
退いて……。
……もう少し。
もう、終わったから。
……。
……背中を、見せて。
あたしなら、大丈夫だよ……。
……聞こえない。
……。
見せて。
……帰ってからじゃ、だめかい。
……。
その方が、良いと思うんだ。
……応急処置だけでも、施す。
応急処置……だけど、どこで。
……誰も来ないようなところで。
……。
言うことを、聞いて。
分かった……然うする。
……そのままの姿で。
目立たないかな……。
……私のコートを貸してあげるわ。
マーキュリーの……。
……水野亜美のコート、よ。
あぁ……。
……それを着て、外に。
でも、汚して
つべこべ言わないで。
あ、はい……。
……立って。
うん……。
……。
ありがとう……水野さん。
……痛みは。
まだ、我慢出来る……。
……。
ふぅ……。
……庇って呉れなくても、良かったのよ。
出来なかった……。
……。
躰が、勝手に動いてしまってさ……。
……本当にばかなひと。
はは……。
……笑わないで。
ん。
……ばか。
え、と……帰ったら、レモンムース食べる?
まだ、分からない。
……然う、だよね。
今は……ただ、歩いて。
18日
ごちそうさまでした。
……。
はぁ、おいしかったぁ。
……うそつき。
嘘じゃないよ、本当においしかった。
……。
だからさ、また作ってくれたらうれしいな。
もちろん、気が向いたらでいいから。
……もう、作らないわ。
……。
……木野さんだって、分かってるんでしょう。
なにを……?
……とぼけるのね。
とぼけてなんていないよ、本当に分からないんだ。
あたしは、何を分かっているんだろう?
……。
水野さん。
……片付けは、あなたがやって。
うん、分かった。
……はぁ。
大丈夫かい?
……なにが。
やっぱり、疲れているように見えるから。
……私が疲れているとして、あなたに関係あるの。
関係はないかもしれないけど、心配なんだ。
……私の心配よりも、自分の心配をすればいい。
あたしの?
……左腕の怪我、まだ治っていないでしょう。
あぁ……大丈夫だ、もう痛くないから。
……そういう問題じゃない。
ありがとう、心配してくれたんだね。
……心配なんてしていないわ。
あたし、ひとよりも傷の治りが早くてさ。
ちょっとした擦り傷程度なら、三日もあればきれいに治るんだ。
……聞いていない。
子供の頃から早くて……たまに化け物扱いされた。
……化け物。
血が出るほどの怪我をしたのに、三日くらい……一週間もかからずに、きれいに治ってしまうから。
その頃のあたしにはそれが当たり前だったから分からなかったんだけど、「普通」のひとはそんなに早く治らないんだよね。
……誰に。
主に親戚……かな。
……確かに、化け物だわ。
ん。
……。
そ、そうだよね……「普通」だったら、そんなに早く治るわけないもんね。
は、はは……やっぱりあたしは、あいつらの言う通り、生まれた時から化け物だったのかもしれない。
……勘違いしないで。
え……?
……。
水野さん……?
……片付け、しないの。
あぁ、うん……今、するよ。
……。
そうだ、レモンムース食べるかい?
水野さんが来てくれるのを期待して作っておいたんだ。
……今は、食べられない。
じゃあ、お風呂に入ってから……。
……食べられそうだったら、食べてあげてもいい。
今日食べられなかったら、明日食べよう。
明日くらいまでなら、もつからさ。
……木野さん。
うん、なに?
……化け物なのは、向こう。
……。
……だから、勘違いしないで。
うん……。
……。
ありがとう、水野さん……大好きだ。
……一言、余計。
伝えたくて。
……一日一回は言われてる。
もっと、言いたい。
……しつこいひとは嫌い。
一日……二回くらい。
……一週間に一度でいいわ。
それじゃあ、少なすぎるかなぁ……。
……そもそも、言われたくないのだけれど。
言われなくても、分かって……いや、伝わっているから?
……随分と都合の良い解釈ね。
出来るだけ、良い意味で捉えておきたいんだ。
……前向きなんだが、ただのばかなんだか。
でないと、落ち込んでしまうから。
……あなたでも、落ち込むことがあるのね。
うん、あるよ……落ち込むと気が沈んでしまって、あらゆることへのやる気が一切なくなるんだ。
……。
とにかく、なんにもしたくなくて……ベッドに転がって目をつむってるか、天井をぼんやり眺めてるか。
……食事もしないの。
ごはんも食べない……作る気力がないし、食欲もどこかに行ってしまうから。
……そうは思えなかった。
こんなことを言ったら、弱音を吐いているようで、格好悪いだろう……?
……良いところばかり見せていれば好かれる、なんて思っていたら大間違いだわ。
だけどさ……悪いところなんて、見たくないと思うんだよ。
……単に、あなたが見せたくないだけでしょう。
う……。
……それに、そうとは限らない。
水野さんは……その、好きでもないひとの悪いところを見ても、平気かい?
……平気と言うより、何も思わない。
何もって……例えば、悪いところを見せられても、好きになれる?
……ひとに、興味がない。
……。
……ただの動物だったら、観察対象として、ないわけではないけれど。
動物……。
……ひとも所詮、ヒトという動物に過ぎない。
ん、確かに。
……それで良いのなら。
それなら、興味を持ってもらえる……?
……奇異な習性、或いは特性があれば、ね。
奇異な……て、どんなだろう。
目を開けたまま、寝るとか?
……間違いなく、目が乾燥するわね。
他には……えと。
……例えば。
例えば……。
……私が教えると思っているの。
お……。
……。
思わない、かな……まずは、自分で考えてみないと。
……せいぜい、時間をかけて考えて。
それは、時間の無駄にはならない……?
……あなたが無駄だと思えば、
思わない。
……。
まずはヒトという動物として、興味を持ってもらって……それから、あたしという人間に……興味だけでなく、好意をもってもらえたら。
……ばかね。
とにかく、前向きに……。
……ただの冗談だというのに。
え……。
……。
冗談、だったの……?
……そうだと言ってる。
ひとに、興味がないのも……?
……。
水野さん……。
……早くしないと、時間ばかりが過ぎていくわ。
あ、そうだね……。
……終わったら、声をかけて。
ん、分かった。
それまで、休んでいて。
……。
……よいしょ、と。
……。
フライパンは、きれいになってる……。
……。
……ねぇ、水野さん。
なに……。
……少し、考えたんだけどさ。
……。
時間をかけて、あたしのことを知ってもらう。
その為にはまず、あたしに興味を持ってもらわないと。
……。
考えてみれば、水野さんはあたしのことを知りたいって言ってくれたんだ。
ならば、良いところだけでなく……悪いところも、知ってもらわないと。
ひとは、良いところばかりではないし……だめなところも、あるし。
……。
水野さん、それでどうだろう?
……何が?
あたしは水野さんと一緒に生きていきたいと思ってるんだ。
……全く、話の流れが分からないのだけれど。
だから考え続けようと思う。
これからも、ずっと先も……未来まで。
……。
よし、さっさと洗ってしまおう。
……木野さん。
なんだい、水野さん。
……あなたって、なに。
あたしは、木野まことだよ。
……。
ただの、木野まことなんだ。
……分からないわ。
まだ、知らないからだよ。
……。
あたしのこと。
……知ったところで、分からないままだと思うわ。
あはは。
……。
水野さんのこと、今よりも知りたいと思う。
……別に知らなくていい。
もっと知りたいんだ、水野さんのこと。
……まるで、少しは知っているような口ぶりね。
ほんの少しだけ。
……自惚れないで。
水野さんは、興味深い。
……。
知れば知れるほど、きっと、もっと好きになる。
……嫌いになると思うわ。
ならないよ。
……どうだか。
ならない。
……私の、汚いところを知っても。
あたしだって、持ってる。
……。
人間は、きれいなところばかりじゃあない。だからこそ、隠そうとするんだ。
大切なひとに対しては、特に。知られたら、嫌われてしまうかもしれないから。
……隠さない、隠そうともしない人間もいるけれど。
そういうのは遠慮なく、判断材料にすればいい。
付き合うか切り捨てるか、最初から相手にしないか、さ。
……言われなくても、している。
うん、あたしもだ。
……そう言っていられるのも、今のうちよ。
あたしは、自分のことが心配だよ。
……私に切り捨てられるかどうか?
水野さんに切り捨てられたら、あたしは生きていけない。
大袈裟なひとは好きじゃないわ。
強ち、大袈裟とも言い切れないんだ。
……ひとは、それくらいでは死なない。
他のひとは、そうだと思う。
……あなたも同じよ、木野さん。
あたしは
私のことなんてあっさりと忘れて、他のひとに
水野さんしか、いない。
……。
……本気なんだ、あたし。
あなたは、そう思い込んでいるだけよ。
……。
思春期特有の感情と言ってもいいかもしれないわ。
……思春期特有、か。
感情の熱に、浮かされて……そう、思い込んでしまうの。
……そうだったら、楽なんだろうね。
楽……?
……はは。
何がおかしいの。
……一過性の熱だったら、もう、諦めていたかもしれないから。
……。
水野さんを失えば……あたしの世界はまた、色褪せてしまうだろう。
あたしが今、見ている世界は……水野さんを中心として、色付いているのだから。
……私には、迷惑な話だわ。
うん……そうだよね。
……どこまで行っても、勝手で。
あたしの問題なのに……水野さんに、押し付けて。
……私は、私だけで十分なのよ。
ごめん……。
……。
片付け、終わったよ……そろそろ、行こうか。
……。
それとも……この部屋で、待っててくれる?
……行くと言ったはずよ。
聞いた、けど……気が変わったかも、しれないから。
……勝手に決めないで。
決めては、いないけど……。
……。
う。
……さっさと行って、さっさと帰ってくるから。
……。
……聞いているの。
ん……聞いてる。
……帰ってきたら。
お風呂の準備をする……。
……忘れないでね。
絶対に忘れない。
……。
水野さん、上着を。
……どうせ。
それまで、寒いと思うから。
……。
はい。
……取ってなんて、言っていないわ。
だから、お礼はいらない。
……。
電気は、点けっぱなしの方がいいかな。
ここのところ、空き巣が多いみたいだからさ。
……気になるのなら、換気扇を回しておけばいい。
換気扇?
……部屋の空気も入れ替えられるから。
分かった、そうする。
……。
ん、これで良し。
……支度が出来たのなら、行くわよ。
うん、行こう。
……鍵。
おっと。
……わざとなの。
ううん、今のはわざとじゃない。
……。
……一応、お財布も持って行こうかな。
落とすかもしれないわよ。
……小銭入れにしておこう。
寄り道でもするつもりなの。
持っていたら、何か買えるから。
……何かって、何。
あったかい飲み物、それか、食べ物。
……。
持っていなかったら、何も買えないから。
知ってるかい、水野さん。一円でも足りなかったら、何も買えないんだよ。
……ばかにしているの。
ううん、全くしてない。
……一円は安いか、それとも、高いか。
うん?
木野さんは、どちらだと思う?
あたしは、高いと思う。
理由は?
さっきも言ったけど、一円でも足りなかったら、何も買えないから。
そう。
うん。
……。
水野さんは、どっちだい?
……私は、安いと思うわ。
ん、そっか。
……でも、木野さんが言っていることは正しい。
……。
あなたは一円でも警察に届けそうね。
……百円なら届けたことがあるよ。
それで?
おまわりさんに褒められた。
それだけ?
おまわりさんが自分のお財布から百円を出して、あたしが届けた百円と交換してくれた。
つまり、もらったのね。
うん、もらった。
今だったら、届ける?
届けるかな、落としたひとは探しているかもしれないし。
……小銭の場合、気が付いていないかもしれない。
自動販売機で落としたら、流石に分かるだろう?
財布からこぼれ落ちた場合は?
音で気が付くと思うんだ。
それで、探したけど見つからなかった。
だから、届ける。
うん。
正直ね。
そうでもないよ。
……。
水野さんは、届けない?
最初から、拾わない。
……お札でも?
拾わないわ。
そうなんだ。
手間だもの。
警察に届けるのが?
拾うこと自体。
お財布だったら?
……。
拾って、届ける?
……時と場合。
水野さんも正直だ。
……。
あ、待って。
……時間の無駄。
小銭入れ、良し。
……。
お待たせ。
……鍵は。
今度はちゃんと持った。
……閉め忘れないで。
分かってる。
……。
……う。
息が白い……。
まだ晩秋なのに……真冬のように空気が冷たい。
……気象が、歪んでいる。
急ごう。
……その前に、施錠。
17日
-Arroz con Costra(現世3)
んー……。
……。
うん……。
……鼻歌。
ん?
……歌っていないのね。
残念?
……全然。
そっか。
……木野さん。
わざわざ、呼びに来てくれたのかい?
……夕食。
あれ、もうそんな時間?
……寒空の下で、どれだけぼんやりしていたのかしら。
空を眺めていたら、つい……。
……だったら、分かるでしょう。
ん、なに?
……風邪を引いても知らないわ。
大丈夫だよ……あたし、体温は高いんだ。
……関係ない。
夕飯、すぐに作るよ。
……炒飯。
うん?
……。
炒飯、作ってくれたの?
……食べたくないのなら、食べなくてもいい。
食べる、食べたい。
そう……なら、早く食べて。
水野さんは、もう?
……まだ、食べてない。
もしかして、待っててくれた?
……別に、待ってはいない。
そっか……。
……ぐずぐずしていたら、冷めてしまうわ。
分かった、すぐに行くよ。
……。
よ、と。
……ばかと煙は高いところが好き。
あたしさ、高すぎるところは苦手なんだ。
高所恐怖症ってやつ。
……屋上は好きなくせに。
苦手なのは、飛行機が飛んでいる場所。
足が震えて、一歩も動けなくなってしまうと思う。
……そんな高い場所に、生身で行くことはないわ。
エベレスト?
……行きたいの。
いや、行きたくないかな。
寒い上に、酸素も薄いだろうし。
……。
水野さんが行くのなら、頑張ってついていくけど。
……登山は趣味じゃない。
水野さんは、山よりも海が好きかい?
……どちらも、同じくらい好きじゃないわ。
潮干狩りは?
……したことない。
あたしもない。
……どうでもいい。
ここからじゃ、富士山は見えないね。
……見えるわけがない。
やっぱり、学校の屋上じゃないとだめか。
……見たいの。
見たいわけじゃないんだけど、見えたらなんとなく見ちゃう。
……山なんて見て、何が面白いのかしら。
今の時期にしか、見られないから。
だから、見てしまうのかもしれない。
……山の傍に引っ越せば、一年中見られるわ。
近くにあったら、当たり前すぎて見ないと思う。
そもそも、見たいわけじゃないし。
……また、引っ越せばいいのに。
水野さんと一緒なら。
……どうして私が引っ越さなければならないの。
今は、しなくても。
いつか、するかもしれない。
……。
その時は言って欲しい、あたしも一緒に行くから。
……来なくていい、鬱陶しい。
はは。
……何も面白くないわ。
笑ったら、お腹空いてきた。
……いいわね、単純なお腹で。
炒飯、楽しみだな。
……お腹に入ってしまえば、同じよ。
そうでもないよ。
……そうね、消化不良を起こすかもしれないしね。
起こさないと思う。
……分からないわ、いい加減に作ったから。
水野さんのいい加減は、とても丁寧だ。
……どこが。
どこをとっても。
……見る目がない。
……。
木野さん。
……日が沈む。
だから、なに。
夕焼けがきれいだ。
……どうでもいいことばかり。
山か……エベレストは難しいけど、富士山くらいなら、登れなくはないかなぁ。
……興味ない、登りたいのならひとりで行って。
遠くから眺めるだけでいいや。
……。
水野さん。
……なに。
あたしは、危険なところには行かないよ。
……だから?
だから、心配しないで。
……心配なんて、最初からしていない。
ふふ、そっか。
……笑わないで。
うれしいから。
……意味が分からない。
意味、知りたいかい?
……知りたくない。
……。
……なに。
手、繋がないかなって。
……繋ぐわけがない。
ん、やっぱりだめか。
……分かっているくせに。
やってみなければ、分からないからさ。
……いい加減、諦めたらどうなの。
諦めるのは、無理かなぁ。
……人間、諦めが肝心と言うでしょう。
時と場合、かな。
水野さんのことだけは諦められないんだ。
……だから、ばかだと言われるのよ。
水野さんにだったら、何度言われたって構わない。
……。
部屋に戻ったら……?
……。
水野さん?
……私に、触れようとしないで。
……。
……しないで。
ごめん。
……。
部屋に戻ったら、ふたりで食べよう。
……食べない。
もしかして、食欲がない?
……ないわけじゃない。
……。
……ひとりで食べて。
叶うなら……ひとりより、ふたりが良い。
……私は、ひとりの方がいい。
……。
……食事を用意したのだって、気が向いただけ。
ありがとう、とてもうれしい。
……。
食べ終わったら、軽くお散歩にでも行こうか。
……行かない、行きたければひとりで行って。
冬は、星がきれいなんだ。
……星なんて、どうでもいいわ。
木星も見えるよ。
……見てどうするの。
どうもしない、ただ、眺めるだけ。
……ひとりで眺めればいい。
木星は、ずっとそこにある。
……。
見えないけれど……水星も。
……何が言いたいの。
あたしは、水野さんの
ばかなの。
……。
……実際は、遠く離れているわ。
そうだね。
……あなたとは、違う。
……。
……あなたは、鬱陶しいくらいに。
傍にいたいんだ、どうしても。
……水星に、衛星はいらないわ。
衛星になるつもりはないよ。
……。
守りたいとは思うけど。
……お節介、いらぬお世話。
性分なんだ、あたしの。
……。
水野さんに、尽くしたい。
……もう少し、ひとを選んだ方がいい。
選んだ結果なんだ。
……節穴。
我ながら、見る目はあると思う。
……厄介。
と言うより、水野さんしか目に入らなかった。
……。
白黒だった世界に、色達が戻ってきたんだ。
……どうせ、くすんだ色でしょう。
鮮やかで、きれいで……澄んでいて、とても美しい。
……頭がどうかしてしまったんだわ。
そうかもしれない。
だって、水野さんのことしか考えられないから。
……。
美しい色達は、水野さんを中心にして、広がっている……。
……はぁ。
と……ごめんよ、気持ち悪いよね。
……今更よ。
慣れた……?
……己の適応能力が恨めしいわ。
……。
……笑わないで。
うん、笑わない。
……口角が上がっている、下げて。
ん……こう、かな。
……顔の筋肉が柔軟で、羨ましいわ。
やわらかくなったのは、水野さんのおかげだ。
……。
それまでは、顔の筋肉が硬すぎて、無表情だったから。
……そのままで良かったのに。
水野さんに好かれたくて、鏡の前で笑う練習もしたんだ。
……。
あまりにもぎこちなくて、どうしようかと思ったけど。
……ぎこちなかったわ。
あー、やっぱり……。
……無駄に格好つけて、ばかみたい。
水野さんは……。
……。
ううん、なんでもない……。
……私は、変わらないわ。
……。
ずっと……変わらない。
……変わらなくて、いいさ。
……。
水野さんは、水野さん……あたしは、それだけでいい。
……本当、ばかみたい。
ん……そうだね。
……。
ごはんを食べたら、勉強するのかい?
……私の勝手。
あたしもしよう。
……。
分からないところがあったら、教えて欲しい。
……甘えないで。
なるべく、ひとりで考えるから。
……。
考えて、考えて、それでも分からなかった時は……どうか、助けて欲しい。
……無駄な時間だわ。
無駄……。
……時間をかけて考えたところで、分からないものは分からない。
……。
……だから、無駄。
どうしたら……。
……そんなことも、分からないの。
……。
……。
ごめん……考えたけど、分からない。
……私に聞けばいい。
……。
……ただし、すぐには聞かないで。
ある程度、自分で考えてから……?
……己の頭で考えることを放棄するのは許さない。
あぁ……うん、分かった。
……。
数学、やろうかな……。
……どうして私を見るの。
えと……なんとなく。
……見ないで。
少し、疲れているように見える……。
……は。
……。
……。
……今日は、帰るかい。
……。
帰るのなら……送っていくよ。
……ひとりで、帰れる。
分かってる……。
……なら。
それでも……送っていきたい。
……。
……水野さん。
手を……。
……繋いでも。
洗って……。
……ん。
その手のまま、食べることは……許さない。
……石鹸をつけて、良く洗う。
……。
炒飯、とてもおいしそうだ。
……きっと、おいしくないわ。
ううん、きっとおいしいよ。
……。
作ってくれて、ありがとう。
……まだ、食べていない。
これは、作ってくれたことに対してのお礼。
……おいしくなかったら、後悔するわ。
しないよ。
……。
しない。
……ばかなひと。
飲み物は、何がいい?
……なんでもいい。
それじゃあ……あったかい麦茶でもいい?
……なんでもいいと言ったわ。
うん……聞いた。
……。
……ねぇ、水野さん。
なに……。
実は……少し、気になることがあるんだ。
……。
念の為、確認しておこうと思って。
……場所は。
学校の方。
……方角は。
向こう。
……何が気になるの。
嫌な空気を感じる。
……。
だから……ごはんを食べたら、ちょっと行ってくる。
……勉強は、どうするの。
帰ってきてから、しようと思っている……。
……そう。
だから、さ……。
……それまでには、帰るわ。
……。
……。
炒飯……たまごが入ってるんだね。
……白米だけでも良かったんだけど。
ふふ……ご馳走だ。
……。
……あのさ、水野さん。
……。
今夜は……。
……言いたいことがあるのなら、早く言って。
帰らないで、ここにいてほしい。
……。
……待っていて、欲しい。
いやよ。
……。
いや。
……そっ、か。
……。
ごはんを食べたら、送るよ……。
……その必要はないわ。
だけど……。
……私も、行くから。
水野さんも……?
……気になるのでしょう。
うん……気になる。
……帰ってきたら、勉強をする前にお風呂に入りたい。
すぐにお湯張りをする。
……ひとりで入るから。
うん、ゆっくり入って。
……。
お風呂から出たら、何が飲みたい?
……気が早い。
ん、そっか。
……でも、冷たくない方がいい。
うん、分かった。
……麦茶。
おっと。
……。
お待たせ。
……ありがとう。
ん、どういたしまして。
……。
じゃあ、食べようか。
……木野さん。
やっぱり、食べたくない……?
……おかえりなさい。
ん。
……言ってみただけ。
ただいま。
……。
ただいま……水野さん。
……二度は、言わない。