気分良く、ほろ酔い加減。 降りた駅の改札の外に建ってる駅売店。 普段は乗り継ぎのために足早に通り過ぎるから、店自体ほとんど目に入ったことなんかなかったのだけど、今日はそこにどうしても目が釘付けになった。 厳密に言うと、売店じゃなくて、その軒先にたくさんぶら下がっている、その白い物体に。 All's Right with the World. 鍵を開ける音に次いで、玄関の金属扉がちょっと乱暴に開けられる音がする。 この部屋の住人のひとりである佐藤聖が、イりイりと待つその人が戻ってきたと察して、読んでいた雑誌から顔を上げるか上げないかの刹那、その声が聞こえた。 「ただーいま〜。」 相当酔ってる。 聖は思わず、その形の良い眉をひそめた。 『バターン』というより『どかーん』に近い音が廊下の先にある玄関方面から聞こえてきて、聖は、玄関扉とその枠に降りかかった不幸を察せずにはいられない。次いでドスンドスンと決して長くはない廊下を歩いてくる足音が聞こえ始めたとき、上下左右斜め四方の住人に、本気で「ゴメンナサイ」という気分になった。 廊下とリビングを隔てている白い木製の扉。それにはめ込まれたガラスが、風圧で割られそうな勢いで開いたと思ったら、果たしてそこからは同居人の水野蓉子が転がり出てくる。 ……いや、この場合は転がり入ってくるが正解か。 「ただーいま〜。聖〜!」 普段の蓉子からはあり得ないほど上機嫌で顔も赤い。確かめるまでもなく酔っぱらっている。しかし毎度のことながら服は乱れてないところはご立派というべきか。 床に倒れ込みそうになっている蓉子を聖は体全体で抱き留めた。 勢いよく倒れられて、ケガなんかされたら大変だ。 高校・大学時代を通じて『ミス・パーフェクト』と呼ばれた聖の恋人に、ただひとつ欠点があるとすれば、酒に飲まれやすいということだった。 普段は自分を必要以上に律している人だからして、へべれけになるほど外で飲むなんてことはないのだが、年に1回、忘年会の日だけは、次の日がかならず休業日ということもあって、事務所の同僚や上司が面白がって飲ますものだから、聖は蓉子が帰宅するまで気が気でならない。今の今までいろんな“間違い”がなかったのが不思議なくらいだ。 もちろんそういうことにはならないよう全力で回避する努力を聖は怠らないし、そこはそれ『ミス・パーフェクト』というか、『ザ・外ヅラーな蓉子サマ』のこと、店を出て電車を乗り継ぎ、マンションのエレベーターにも乗って自宅のある階で降りるまでは、足取りしっかり意識もしっかりといつもの調子で帰ってくるのだった。 しかし。 だから逆に始末が悪い。 どうやら気がゆるむと一気に酔いが回るタイプのようで、自宅の玄関前付近からは毎回この通り。聖はほとほと手を焼いている。ちなみに、普段家で飲んでいるときもだいたいこんな感じ。 「私に甘えてるから、こーなってんのは分かっているんだけどねぇ。」 文字通りへべれけになっている蓉子を床に座らせながら、いつものように聖は独りごちる。 「よっこー。着替えなきゃ服がシワになるよー。」 聖は蓉子の顔を覗きこみながら言った。それがマズかった。 むちゅ。 「こ、こらこらこら。何をしますか、お嬢さんっっ!」 「ふふふふ。せいー。だーいすきぃー。」 今の状態でそう言われても素直に喜んではいけないことを、聖は体験的に知っている。思わず酔っぱらいに奪われてしまった唇を、シャツの袖でぬぐいながら、上半身ごと避難しつつ、聖は立ち上がった。 「コーヒー淹れてくるから、それまでに着替えておくんだよ。」 あとで自分が着替えさせる羽目になるんだろうなと確信しながら、聖はキッチンへ移動する。その際、床暖房のスイッチを切ることも忘れない。以前それをやらずにいたら、床に寝ころんでしまった蓉子が、あたためられてさらに燗がつかったらしく、よけいに酔っぱらって大惨事が起きた。それ以来、確実に床暖房のスイッチは切ることにしている。 「まったくもー。」 いつもは自分が蓉子に迷惑をかけまくっているにもかかわらず、このときばかりは盛大に不満を漏らしてしまう聖だった。 コーヒー用のケトルに軟水のミネラルウォーターを入れ、IHコンロに乗せ、スイッチをオン。ヴーンという聞こえるか聞こえないかくらいの低い動作音が、キッチンを満たしていく。 「さてと、どの豆にするかなー。」 秘蔵の豆で美味しく飲みたい気分だが、酔っぱらいに飲ませるのもちょっともったいないかな、とも思う。しかしそれでも聖は、美味しいコーヒーを蓉子に飲んで欲しくてランクの高い豆を選ぶ。 常備している豆の種類は決して多くはないが、それでも一般家庭よりは多い方ではなかろうか。コーヒー以外に紅茶もそれなりに種類がそろっているのは、やはり高等部の生徒会・山百合会時代の名残だろう。一緒に生徒会長を務めた蓉子と暮らすようになってからは、行きつけの食料品店や専門店で目にとまった豆や葉を、ついつい購入してしまうのだ。 おかげでそれらの用具や材料が、一部を占拠するキッチンになってしまったが、時折訪れる共通の親友・鳥居江利子(彼女もまた一緒に生徒会長を務めた腐れ縁の仲だ)や山百合会元幹部の後輩達と居間でお茶を飲みながら雑談なんかしていると、ふと自分たちもまだ懐かしい母校・リリアン女学園の高等部生徒会室――通称、薔薇の館――にいるような気分になってくる。 そんなことを考えながら、聖はサーバーにドリッパーとフィルターをセットし、手碾(てび)きミルで豆を細かく碾(ひ)く。時折手をとめてリビングの様子をうかがう。 蓉子は上着を脱いで、てろりんとガラステーブルの上に流れている。白いシャツの丸い背中が、なんだか餅のようにも見える。 巨大な蓉子餅。 食べるとさぞかし美味いだろう。 そこまで考えて、「いや、今日はたぶん不味いな。」と聖は訂正した。 酔った時の蓉子は、はっきり言って危険だ。どう危険なのかは、……まぁ、それ。アレだ。続きはWebでってヤツだ。 ほどなく湯が沸いたのでコンロのスイッチを切る。湯を落ち着かせてからケトルを取り上げゆっくり注ぎ、豆を蒸らす。 コーヒーは毎日淹れていないとすぐに腕がなまる。自分のためとはいえ、ここのところ毎日コーヒーを淹れているので絶好調、だ。いい感じにぷっくりとふくれた豆は、きっとこのキッチンだけじゃなくって、部屋中に芳醇な香りを漂わせているに違いない。 聖は今日のコーヒーの出来を確信する。ただし、いくら淹れた本人が自画自賛しようとも、いつもならそれを評価してくれる人間が、今日は間違いなく味覚が麻痺していて、どんなに不味いものでも褒めてくれそうなところが予想できてしまう(そしてそれはきっと現実になるだろう)ところが、聖的にちょっと涙を誘いそうになる。 「まぁ、世の中ままならないのは、いつものことさね。」 できあがったコーヒーをサーバーのまま、カップと共にトレーに乗せて、聖はリビングに戻りながら、とほほ、と肩を落としてつぶやいた。向かう先にはへべれけの蓉子が、まだガラステーブルにうつぶせている。 「蓉子ー、コーヒー淹れたから、起きてー。」 蓉子が占領していないテーブルの上にトレーを置く。よく見ると蓉子は、目を開けてこっちを見上げながら、ぴったりとガラスに頬をくっつけていた。 ――こいつ、またガラスで涼をとってやがる。 これも酔った蓉子がいつもする行動なのだが、毎回毎回同じ行動をトレースする同居人に、聖はちょっと苛立ちを覚えてしまう。 『酒は飲んでも飲まれるな』が信条で実践もしている聖は、実は酔っぱらいがあまり好きではない、というより蓉子以外だったら殺意さえ覚えるのだった。心が狭すぎると言われても仕方がないが、これだけはどうしても我慢ができない。 「あのさぁ――」 ついつい聖が声を荒げかけたとき、媚びた目つきで見上げてきていた蓉子が、むっくりと起きあがった。 「せい、あのねぇ……。」 「……な、なに?」 にっこりと満面の笑みを浮かべている恋人に、聖はちょっとどぎまぎして上半身を後ろに引いた。いくら酔っぱらっていても、にっこり笑う蓉子は、殺人的に可愛い。 いや、酔っぱらっている分、邪気がなくて幼っぽくなってて、そのままポケットに入れて持ち歩きたいくらいに可愛い。 「実はね、聖にお土産があるのー。」 「おみやげ……ですか?」 聖はそう言いながら蓉子の周りを、目を皿にして見ないわけにはいかなかった。 今日、なにか持って帰ってきていただろうか? ……って、よく見たら蓉子のカバンが変な形に膨れてるし。 いつもは書類とかが満載になって膨れている黒のトート型の革カバンが、あからさまに中身が書類ではない形になっていた。 「よーこ、今日持っていった書類はどーしたの? 事務所に置いてきたの?」 ああ、とうとう“間違い”は起きたのだろうか。この膨らみ方はどうみても、書類を出して何か大きなものを入れたって形だ。今朝出勤するときには、いつものごとく書類が満載のこのカバンを持って出たというのに。本来の中身は? 中身はどこに行ったの? 「書類ー? 書類はね、ロッカーに預けてきたわよ。だって、そのまま連れて帰ってきたら寒いじゃない?」 蓉子はコロコロと笑う。 いや、そこ笑うところじゃないっしょ。 「ロッカーってどこの? 鍵は?」 場合によっては今すぐ即行で取りに行かなくちゃ。 「T駅とA駅の連絡通路のロッカーよ。鍵はここー。」 蓉子は上着のポケットからロッカーの鍵を取り出して見せる。 蓉子の指先にぶら下がっている鍵を見ながら、聖は安心のあまり脱力した。よかった、場合によらなかった。取りに行くのは明日でいいようだ。 「て、なに連れて帰ってきたの!?」 今度はそっちの心配をする番だった。捨て猫とか捨て犬とかだったらまぁ何となるけど、薬局の前のカエルやゾウやウサギだったら目も当てられない(余談だが、蓉子は特にゾウがお気に入りだ。理由はたぶん名前から)。いや、そんなに大きくはないか。 「なんだかねー、みんなでぶら下がってて楽しそうだったから、ひとり連れて帰ってきたの。お留守番している聖にも楽しいのを分けてあげようと思って。」 そう言いながら、蓉子はトートバッグの口を開ける。そして中に手を突っ込み、本来の中身をわざわざ駅のロッカーに預けてまで大事に大事に連れて帰ってきたらしいそれを、おもむろに取り出して、ガラステーブルの上に置いた。 「…………よーこ……。」 「可愛いでしょう?」 「……いや、可愛くないことはないけど。これは、何?」 わざわざ確認するために訊かなくてもはっきり分かる形をしている。しかし聖はそれを連れて帰ってきた本人に訊かずにはいられなかった。 「何って――」 「うん。」 「雪だるまよ。」 キャーと、なにが可笑しいのか、蓉子が弾かれたように笑い始める。 ああ、やっぱり酔っぱらいは思考と行動がぶっ飛んでいる。自分にはついていけない世界に住んでいる。聖は頭を抱えた。 蓉子の手によってテーブルに置かれたその物体は、白い網袋に入った、発泡スチロールでできた雪だるまだった。ご丁寧に黒いシールで目・眉・口もしっかり表現されている。なんというか、こう、丸顔だけど眉が太いけど、ちょっとイケメン系な顔立ちだ。 「これが何? 駅にたくさんいたの?」 「そう。改札出たトコに売店があるじゃない? そこにたくさんぶら下がってたの。」 蓉子は相も変わらず上機嫌で答えてくれる。 「売店。……と言うことは、これ買ったわけだ。」 「だって可愛いでしょう? みんなで楽しそうだったのよ。」 いや、それはさっき聞いた。 「……で、いくらしたのよ、コレ?」 「さー? よく憶えてないわ。」 「……。明日家計簿付けるとき、困るんじゃないの? 私は知らないからね、訊かれても。」 「大丈夫よ。だってこんなに可愛い――」 「もういい。わかった。わかりました。可愛いね、かわいい。かわいい。」 聖はこれ以上会話を続けても不毛だと判断する。片手でむんずと掴んだ雪だるまを取り上げて、ぐるりと見回した。 「ん……あんがい重たい。中に何か入ってるのかな? ……って、ここが継ぎ目か。」 雪だるまを網袋から取り出して、継ぎ目からバラけないように止めているのだろう、透明のテープを剥がす。すると雪だるまの格好をした発泡スチロールは、いとも簡単に前後のパーツに分かれて中身が飛び出してきた。 ざぁ……っと乾いた音を立てて、テーブルの上に雪だるまの“内蔵”が広がる。中に入っていたのは、どこからどう見ても、子供だましでチープな菓子だった。 雪だるまの外壁はあんがい薄く、だからといって中身を出しても外の形が崩れるほどの薄さでもなかった。 中身がすべて出てしまった雪だるまを、聖はまたゆっくり丁寧に元の形に戻して、テーブルの上の空いたところに立てて置く。 目の前に広がるチープ駄菓子の山に、はっきり言って聖は、毒気を抜かれてしまった。これ以上何を言えというのか。 「あのさぁ、蓉子。」 今日言ってもまったく説教にならないことを充分自覚しながら聖は言葉を続ける。 「これさぁ、どう見てもさ、“酔っぱらったお父さんが寿司折り持って帰ってくる”のと、同じレベルのことだよねぇ?」 「うふふふ……。」 やっぱダメだ。今日は何を言っても。 「いや、嬉しいよ。嬉しいけどさ……」 蓉子が私のために買ってくれたんだから。 聖はゴニョゴニョと口の中でつぶいた。 「参ったなぁ。……こんなの買ってこられたら、アレが出しにくいじゃない。……て、まぁいいか。蓉子。コーヒー飲んだら今日はもう寝よ?」 聖がうながすまでもなく、蓉子はさきほどから聖の淹れたコーヒーをちびちび飲んでいた。聖は自分のカップを手にとって、一気にコーヒーを胃の中に流し込む。『秘蔵の豆で美味しく飲みたい』なんて気持ちは、雪だるまからなだれ落ちたチープな菓子を見た瞬間からどこかに吹き飛んでしまっていた。 ウトウトと眠り始めた蓉子の手を引いて、寝室に連れて行く。 小さな子供のようになっている蓉子の着替えを手伝ってやりながら、聖は、明日蓉子が目覚めてから起こるであろう一連の騒動を、シミュレートせずにはいられない。 明日の様子が、その場にいるように想像できてしまう。……もっとも、想像でなく自分もしっかり立ち会うことになるだろうけれども。 脱がせた服をウォーキングクロゼットのなかに置いてある洗濯物バスケットの中に放り込みながら、そのバスケットの影に隠してある、子供だましでチープな菓子が詰まった、赤いクリスマスブーツにちらりと視線を走らせた。付けてあるラベルの中では、赤と白の上下を着たサンタクロースが、トナカイと共に、脳天気にこちらに向かって手を振っている。 さて、これをどのタイミングで蓉子に渡そう。ショックが浅いだろう明日の早い時期に渡すがいいか、それともほとぼりが冷めてるかもしれないクリスマス直前がいいか。 タイミングを誤るのは、今回ばかりは得策でないような気がする。……いや、確信する。 蓉子のことだから、反省の意味も込めて、あの雪だるまは少なくとも年内はこの家のどこか、あんがい目立つところに飾られるだろう。もしかしたら春になるまで我が家で大きな顔をしているかもしれない。 「ついでにこのブーツも飾られたりしてね。」 聖はブーツを取り上げて、ちょん、とラベルのサンタクロースを突いてから、また隠してあった元の位置にそっと置いた。 明日は出たとこ勝負だな。 God's in His heaven. (神は天にしろ示す) All's right with the world.... (すべてこの世は事もなし) ふと浮かんだフレーズを小さく口ずさみ、聖は静かにクロゼットの扉を閉めた。 |
−雅たけあき様より− 2009.12.13 リンク御礼というコトで頂いてしまいました…! 寧ろ、お礼を言うべきは私だと言うのに! でもどんなに言葉を並べても足りる事は無いのですが…!! わたくし。 雅さまの書かれる聖蓉、ことに蓉子さまが大好きなんです。 いちいちかわいいんですよね…!(言葉が悪い) ゾウがお気に入りな蓉子に乾杯…! 聖にだけかわいい姿を見せる蓉子におおいに乾杯…! …くそう、佐藤め!!(口癖) 本当にありがとうございました…! |