それは天へ帰り。
それは大地に還る。
残された者はそれらを見送り。
そして、残りの日々を生き続ける。
己が還る、その時まで。
…。
…蓉子。
…。
今日からは…。
…。
貴女がこの家の、
江利子…。
…。
…あの人は、どこ。
また散歩に出掛けてしまったのかしら…。
…。
でも変ね…。
いつもなら一緒に行こうってしつこいくらいに…。
…。
今日は未だ、一度も…。
……貴女がこの家の当主よ、蓉子。
…?
蓉子、これを。
…これ、は。
貴女が…聖から貰ったものよ。
わたし、が…?
…然うよ、蓉子。
……。
だから
ふふ…。
…?
貴女があの人と一緒になってこんな悪戯をするなんて…。
珍しい事もあるものね…。
悪戯、ですって…?
だって然うでしょう…?
それとも…冗談、かしら。
蓉子…。
…これは大事なものだって、何度も教えてるのに。
直ぐ、外して…。
…貴女。
帰ってきたら、叱ってあげないと…。
ねぇ江利子、あの人はね、叱られると子供のようになるのよ…。
然う、昔のように…。
…。
何も、変わらない…。
あの人は、あの人のまま…。
…。
だからね、江利子…。
これは私のじゃないのよ…。
…。
私のものになるハズなんて、ないのよ…。
だってこれは…。
…。
然う、あの人の…聖のものなのだから…。
……蓉子。
いつ、帰ってくるのかしらねぇ…。
それとも迎えに行かないとだめかしら…。
…。
もう、仕方の無い人ね…。
ねぇ、貴女も然う思うでしょう…?
…然うね。
ね…。
……。
どこに行くの…?
…それ、預けたから。
それ…。
当主ノ指輪。
私が持ってたなんて知れたら、面倒な事になるでしょうから。
ああ…。
…だから、お願いね。
貴女達は小さい頃から、喧嘩ばかりしてたわね…。
…ええ、然うね。
でも、本当は…。
それ以上は結構よ。
うん…?
天敵ってのは、一生変わらないから。
…もう、江利子は。
…。
聖…早く、帰ってくれば良いのに…。
…。
…然うだ。
ねぇ、江利子…。
…何。
聖が帰ってきたら、三人でお茶でも飲みましょう…?
…。
三人で、ゆっくりと…。
…屹度、嫌だって言うわよ。
然うだとしても、良いのよ…。
私がそうしたいのだから、嫌なんて、言わせないの…。
…ふふ。
江利子…?
貴女も言うようになったのね。
…だっていつもあの人の我侭ばかりなんですもの。
たまには、私のも聞いてもらわないと…ね。
…ええ、本当ね。
じゃあ、良い…?
良いわよ。
良かった…楽しみね。
ええ…。
……聖。
…じゃあ、蓉子。
それ、確かに渡したから。
それ…?
…指輪。
ああ…然うだったわね。
有難うね…。
…いいえ。
…。
…。
聖、聖……。
…。
早く、帰ってきて……聖…。
…あんの、莫迦が。
夜 ノ 魂
…。
…江利子さま。
…。
蓉子さまのご様子は…。
…もう、蓉子は居ないわ。
え…。
在るのはその器…然う、抜け殻だけ。
…。
…冗談よ。
……。
…。
…これを。
これは?
…お姉さまのご遺髪です。
……いつ。
…。
…。
…蓉子さまに、どうか。
貴女は?
…。
貴女が持っていなくて
私は良いのです。
初めからその積もりでしたから。
…。
…お姉さまが眠ってしまったあの日から。
蓉子さまは、蓉子さまのお心はもう…。
…。
あの瞳に、かつてのような輝きが戻る事はもう決して無いのだと…。
…。
…然う、お姉さまが連れて行ってしまったから。
……子供なのよ、あの莫迦は。
淋しがりの…。
…はい。
…。
…。
…中途半端な事をしてくれたものだわ。
…。
残された器は…探すわ。
それが…蓉子の業だったから。
…。
探して、探して……泣くのよ。
仮令、心がもう無くとも…躰がそれを覚えている限り。
…。
…それを止める心がもう、無いのだから。
…。
…ねぇ、志摩子。
はい…。
アレの母親の事は、話したかしらね。
…いいえ、江利子さまのお口からは。
然う。
…。
……貴女の母親の望みは叶ったのかしら。
母の…。
かつて、想いを叶えられなかった女は心が壊れた。
そして、今は…。
…。
…蓉子の躰もその心も、全て。
白の…。
……。
…復讐。
…。
…。
……母は。
…。
蓉子さまを大変気に入っていらしたと、お姉さまからお聞きました。
それこそ、お姉さまがお気になさるくらいに…。
…。
…だから。
母はお二人の仕合わせを望んでいたのだと…。
…。
…仮令、始まりが然うだったとしても。
…。
…それに。
蓉子さまは想いが叶いましたから。
…そして、叶った結末があれ。
それでも。
壊れたわけでは無いのだと、私は思うのです。
……。
江利子さま。
…ああ、嫌だわ。
…。
こんな感傷、面白くも無いのに。
…。
…全然面白く無いわ、こんなの。
はい、存じております。
…。
…お茶でも淹れて参りしょう。
要らないわ。
約束、させられたから。
…約束?
三人でゆっくりと飲むんですって。
…ああ。
あの莫迦のお陰でお茶も満足に飲めないわ。
…。
少なくとも、今は…。
…申し訳御座いません。
本当よ。
けれど、本当に侘びるべきは。
…。
あの莫迦なのだけれど。
まぁ、絶対にそんな事しないでしょうけど。
…ふふ、然うでしょうね。
面白く無いから。
はい、すみません。
…。
…。
…志摩子。
はい、江利子さま。
喉が渇いたわ。
…お約束、なされたのでしょう?
ええ、然うなの。
…。
桜、今年は終わってしまったわね。
…然うですね。
貴女は初めてだったわね。
はい。
来年、咲く頃には…。
…。
…止めた。
詰まらない。
…はい。
…。
…。
…う。
…。
…ゆう、ひ?
…。
私……。
…蓉子。
…?
…。
聖…?
…。
聖。
蓉子。
そんなところで何をしているの?
沈んでゆく太陽を見てる。
直、暗くなってしまうわ。
早くうちへ帰りましょう?
…。
聖?
どうしたの?
蓉子はさ。
うん?
ずっと私の傍に居てくれるんだよね。
…。
ねぇ、蓉子。
…どうしたのよ、急に。
居てくれるんでしょう?
…ええ、居るわ。
…。
聖?
良かった。
…あ。
ずっと、一緒だ。
顔が…。
…ずっと。
待って、聖。
家はそっちじゃないわ。
ずっと…。
聖、何処へ行くの。
…直ぐにまた、一緒になれる。
聖、待って。
…。
聖…!
……それまで。
聖、お願いだからそっちに行かないで。
…待ってる、から。
せ…
……。
顔が、顔が見えない…。
私の、蓉子…。
貴女の顔が見えない…。
…。
聖、待って…!
…。
お願い、お願いだから…。
…。
私を置いて行かないで…。
私も、連れて行って…。
…何処にも行かないよ。
此処で…ずっと、待ってる。
ひとりに、しないで…。
…ひとりじゃ、ない。
聖、聖、聖……。
わたしは……わたしたちは…。
あぁ、あぁぁぁぁぁぁぁぁ…。
…よう、こ。
いや、いや…
いやぁぁぁぁぁぁぁ…ッ!!
お姉さま…ッ!
蓉子さま…ッ!!
黄はどうして、双子にならなかったのだろう。
…。
なんて、考えていた事があったよ。
然うだなぁ、今の江利子よりもうんと小さい頃かな。
それは子供の頃、と言えば良いのでは?
ひとつの言い方だけじゃ、詰まらない。
だって言い方は幾らでもある。
言葉はひとつだけじゃない。
…。
血を分けるって、どんな感じなのだろう。
…紅も白も元を辿れば同じですが。
然うなのだけどね。
…。
けれど椿や藤花にとっては当たり前の存在である姉や妹と言う存在が、私には理解出来なかったんだよ。
知っての通り、私の上は糞親父だけだったからね。
…だから、真似事を始めたのですか?
真似事、然うだね。
確かに然うなるかも知れない。
私達は姉妹として分かれているわけではないのだから。
…。
だけど最近、思うようになった。
分かれていなくて、良かった。
…どうしてですか。
だって。
…。
分かれていたら。
……。
多分、この気持ちは紅にも白にも無いよ。
…然うでしょうか。
然うだよ。
…椿さまにもお子はおりますが。
それで、私と同じだと思える?
…。
子と妹、心を分けている。
いや、寧ろ妹の方に重きを置かざるを得なかった。
藤花の企みのおかげで。
…。
姉や妹、兄や弟。
そんなもん、私は要らない。
…だけど真似事をしている。
面白いから。
…矛盾、と言うのでは?
面白く無いのは、詰まらない。
苦しいのはもっと、御免だ。
…。
だから、真似事でも姉妹ごっこでもしよう。
椿や藤花がそれで救われるなら。
…お姉さまがあのお二人を救っていると?
だったら、良いねーー。
…。
…母上は。
それ、禁止。
…お姉さまは。
どうして阿呆のふりをしているのですか。
ふりじゃないよ。
正真正銘、阿呆なんだもの。
…。
それに、真面目なのは息が詰まる。
そーいうのは椿が適任。
…。
藤花のようにもしたくない。
向かない。
…。
けど、私はあの二人が大好きだよ。
大事な人達だから。
…見ていれば分かります。
江利子、江利ちゃん。
…。
黄は、黄の立場がある。
紅や白には立てない場所が、黄にはある。
…紅や白が立っている場所には立てませんが?
同じじゃ、面白く無いじゃん?
…。
それを利用して、面白がるのも良し。
面倒な事や骨が折れる事もあるかも知れない。
だけど。
…。
最後の最後で面白かったら、それで勝ちだから。
…。
イカサマってのはさ、江利子。
死ぬまでばれなきゃ良いんだよ。
ばれなきゃ、ずぅっと、勝ちのまま。
誰に勝つおつもりだったんですか。
あー、自分に?
似合いません。
江利ちゃんはちびっちょい時から、厳しいんだよねー。
今ではお姉さまと変わりませんよ。
大きくなったねぇ。
…。
気付けば私もばあちゃんになるんだねぇ。
変なの。
…。
けど、力では私の方が上。
術はとっくに追い抜きましたけど。
それに弓取りは拳や槍と違って力勝負ではありません。
先生が椿じゃ、どうしようもないなー。
お姉さまも椿さまから習ったのでは?
ああ、鬼だったねー。
あの頃の椿は晩年の椿なんかよりもずっと、怖かった。
…。
…ま。
…。
蓉子ちゃんと…白ちび、あの二人は藤花の思ったとおりに進んでいる。
椿の心配をも飲み込んで。
…お姉さまは何もしませんでしたね。
しなかったわけでもないんだけどなー。
…。
これから面白くない事や面倒な事があるかも知れないけど。
それは、それだよ。
…最後に面白かったら、勝ちですか?
あはは、そうそう。
面白くなかったら、どうするのですか。
自分で面白くしなかったら、なるわけないじゃん。
…。
して貰うんじゃない。
するんだよ。
…。
それは黄だけの…
お姉さま…!
蓉子さまが…ッ!
ごきげんよう、蓉子。
江利子…。
そんな態〈ナリ〉をして、何処へ行くのかしら。
…。
こんな月の光も無い宵に。
鬼どもが跋扈しているわよ。
…迎えに、行かないと。
迎え、ですって?
江利子、貴女なら分かるでしょう…?
分かる?
分かって、くれるでしょう…。
さぁ、分からないわね。
…。
蓉子、貴女が迎えに行くべき人は居ないわ。
…貴女まで、そんな事を言うのね。
と言う事は、祥子や祐巳ちゃんにも言われたのね。
どうして皆、そんな事を言うのよ。
私が行かないとあの人は
本当の事よ。
…。
そんな人はもう、居ない。
…あの時は後から来てくれたのに。
だから私達は…。
それ、あんまり良い思い出じゃないのだけれど。
死にはぐったから。
…。
こんな時間にふらふらと出歩くもんじゃないわ。
蓉子、貴女が然う言っていたのよ。
…然う。
…。
ならば、私は一人でも行くわ。
…ふふ。
何がおかしいのよ。
持って生まれた気質と言うものは所詮死ぬまで変わらない、厄介なものよね。
…そこを退いて頂戴、江利子。
嫌よ。
…。
どうしても行きたいのならば。
然うねぇ、ありきたりだけれど私を、私達を叩きのめして行けば良いわ。
然う、その拳で。
…。
祥子、令。
どんな手段でも構わないから蓉子を其処に止めておいて。
あくまでも出来る範囲、で良いから。
それから子供達は引っ込んでなさい。
怪我でもしたら詰まらないから。
…江利子。
蓉子。
あの頃と同じように出来るのならば、やってみれば良い。
…離して。
離して…!
…然う、確実に衰えているその躰で。
く…。
ああ、そうそう。
然うはさせないわよ?
……?
鳥も封じてしまえば何も出来ない。
私、術は得意なのよね。忘れていた?
……。
と、言っても。
心の強い貴女を、年を重ねても尚その技が衰える事の無い貴女を、いつまでも止めておけるとは思えない。
土壇場での底力においては私達三人の中で貴女が一番だったし。
…江利、子。
だから…志摩子。
…はい。
これを。
…これは。
渡す手間を省略するわ。
…。
これを、蓉子の寝床に放り込んで来て。
ですが
言ったでしょう?
長くは保〈モ〉たない。
…。
志摩子。
…承知致しました。
少し急いでね。
そろそろ、まずいから。
はい。
…江利子。
ん?
ああ、本当にまずそうね。
…何を、企んでいるの。
企んでいるなんて。
人聞きが悪いわねぇ。
…貴女は子供の頃から然うだった。
子供の頃から
それは否定しないわ。
だって面白くなかったから。
…。
貴女は初めから、聖のものだったのだから。
私は…!
今も、聖を追おうとしている。
だって聖が…!
あの人が呼んでいるのよ…!
本当に?
…。
聖は。
本当に今、貴女を呼んでいるのかしら?
…呼んで、いるわ。
だって、聞こえるのよ。
あの人の、聖の声が耳の奥で響いているの。
此処で待ってるって…ずっと、待ってるって。
だから…。
…だから?
だから、私は行かないといけないの…!
じゃないとあの人はこの家に帰ってこられないの…!
迷い子に、早く行かないと迷い子になってしまう…!
…。
また黄川人に…あの娘に、囚われてしまう…!
怖いのね。
…。
あの娘の元へ、行ってしまうのが。
…ッ!
莫迦ねぇ、蓉子は。
……。
…あれはもう、貴女無しではいられなくなっていたと言うのに。
聖…聖…今、行くわ。
必ず、行くから…。
…どうせ、遅かれ早かれ行くわよ。
そしてあの莫迦はそれを、貴女だけを待ってるんだわ。
莫迦面をして。
離して…お願い、離してよ…。
…江利子さま。
やっと戻ってきた。
…遅くなって申し訳御座いません。
実際はそんな長い刻では無かったのだろうけど…令、祥子!!
重ねの準備!
…離して、離してよ。
私の後に呪〈ジュ〉を施せば良い。
だから、気楽にやれば良いわ。
離して…離せ。
……彼ノ者ヲ睡リノ淵ヘト、
離せぇぇぇ…!!
引キ釣リ落トセ、寝太郎…!
令は子供達を。
こんな事があった後だから直ぐには寝付かれないとは思うけど、そこら辺は適当にやって。
…はい、お姉さま。
祥子は…。
…。
祥子。
…。
朝までは放っておいて大丈夫の筈よ。
その為の重ねでもあったのだし…。
…。
…それに。
…。
…気持ちは分からないでも無いけれど、話があるのよ。
それくらい言われなくても、貴女なら分かると思ったのだけれど。
…。
長くは掛からない。
それが終わった後なら好きにしても良いわ。
…。
桜が終わったと言うのに、今宵はやけに冷えるわね。
火を起こさないといけないかも知れないわ。
…私が。
有難う、志摩子。
いいえ。
では、先に。
ええ。
…。
祥子。
……。
あんな姿の蓉子、初めて?
…ッ。
私もよ。
今までも色々とあったけれど。
……お姉さま、は。
まぁ、想像は難く無いわね。
…。
少しずつ、削られてはいたのかも知れないわ。
貴女との事もあったから。
…。
姉妹と言うのは。
難儀なものね。
…江利子さまだって。
黄〈ウチ〉はあくまでも違うから。
ま、こっちはこっちで色々と面白い事があるけれど。
…。
それは、そうと。
…?
今宵は月は無いのに、星はあるわね。
…星は関係ありませんわ。
ええ、然うね。
…。
一人に気持ちを傾けきってしまっていたら。
もう少し、長らえられたかも知れない。
…!
し、結局は同じだったかも知れない。
それは誰にも分からないわね。
…私はお姉さまにとって。
妹、でしょう?
他に何があるのかしら?
…。
聖ばかりに入れ込む蓉子を、貴女は良い意味でも悪い意味でも、引き戻してくれた。
…。
聞いた事、あるかしら?
…何をでしょうか。
妹ってのはね、姉にとっては支えなんですって。
…え。
そして姉は包み込むもの、なのらしいけれど。
…それは、誰が。
さぁ、誰でしょう?
……。
祥子。
…はい。
此処は寒いわ。
…。
星を見ていれば寒さが和らぐ、なんて話もあるけれど。
そんな気配、全然しないわ。
…。
私は先に行っているから。
…江利子さま。
んー?
一緒に参ります。
然う?
…はい。
じゃ、行きましょうか。
はい。
蓉子はもう、長くない。
…。
私が言わなくても、妹である貴女には分かっているかも知れないけれど。
…話とはその事でしょうか。
ええ。
…。
疾うに気付いていたのでしょう?
蓉子の体が
言わないで下さい。
…。
お願いします…言わないで。
…然う。
ならば、言わないわ。
…。
蓉子はもう長くない。
聖が逝ったせいで、心の均衡も崩し始めている。
今夜のはまさに、その兆し。
いえ、兆しは疾うに出ていたのかも知れないわね。
…。
体調ならば薬で幾らかはなんとか出来るけれど、心は…どうしようもないわ。
…果たして然うでしょうか。
と、言うと?
聖さまの代わりなど、初めからするつもりなどありません。
私は、私達は私達の出来る事をするだけです。
…へぇ。
お姉さまには…私達が居ますわ、江利子さま。
私達、ね。
それには私も含まれているのかしら?
…。
されど蓉子の心は…残された欠片は砂のようなものよ。
掴もうとしても、それはさらさらと音も立てずに手から流れ、毀れ落ちていってしまうでしょう。
果たして貴女に、それを掴む事なんて出来るのかしら?
私だけでは無いと言った筈です。
…。
それに毀れ落ちると言っても全てではありません。
一人の手では僅かでも……
けれど、無くしたものは取り戻せない。
聖が持っていってしまったのは、あまりにも多い。
多すぎるわ。
…仮令、僅かだとしても。
お姉さまは私の姉であり、私達の家族です。
それは…それだけは、永遠に、変わりませんわ。
家族、ね…。
流石は蓉子の妹ってところかしら。
…。
蓉子も家族家族って、良く言っていたから。
…。
志摩子。
…はい。
だって。
貴女も然う思う?
…然うですね。
私も蓉子さまの家族ですから。
…聖は、貴女のお姉さまなのだけれど。
私のお姉さまは聖さまだけですわ、江利子さま。
…ま、良いけれど。
祥子。
…。
話はお仕舞い。
さ、戻って良いわよ。
……はい。
…。
…江利子さま。
……はぁ。
お疲れになられたと思います。
然う、ねぇ。
そろそろ、お休みになられたら如何でしょうか。
まぁ、寝るわよ。
…。
志摩子も自分の部屋に戻って休みなさい。
蓉子なら多分、朝までは大丈夫だから。
…。
仮令、目が覚めたとしても。
あれが蓉子の手の中にあれば、先刻のようにはならない。
…。
…多分、だけど。
…はい。
子供達も…令が適当にあやしてくれてると思うし。
…。
…何。
お手が…。
…。
…冷たくなっていますね。
冷え性では無かった筈なのだけれど。
…今宵の冷えは春のものとは思えません。
暖かいのと寒いのを繰り返して、春になっていくのよ。
そして…そうこうしているうちにあの夏が来る。
あの…?
…。
江利子さま…?
…夏は。
…。
無駄に暑いから、嫌になるわ。
蝉の声もやたらに五月蝿いし。
…然うらしいですね。
……特に蜩の声は好きじゃないわ。
…。
…もう、戻りなさいな。
夜更かしは良いものでは無いわよ。
…はい。
…。
……江利子さま。
ん…。
…何故、私では無かったのでしょうか。
…。
祐巳さんや由乃さんの…
…令の方が上手くやれるでしょう?
あの場合は。
…。
特に由乃は令の方が良い。
祐巳ちゃんは…まぁ、あの子は素直だから。
貴女では由乃は宥め切れない。
…。
…まぁ、令でも梃子摺るとは思うけれどね。
…。
分かった、かしら…?
…。
…。
…。
…蓉子だけで、手一杯なのだけれど。
……江利子さま、は。
…。
…いえ。
もう、戻ります。
ええ、然うして。
…。
…。
…何を思い出しておられるのでしょうか。
……特段、何も。
お姉さまの
志摩子。
…はい。
蓉子の事が、好きなのよ。
…。
…子供の頃から、ずっと。
……はい、存じております。
…。
…。
…さぁ、もう戻りなさい。
…。
…。
…江利子さま。
…なに。
どうか、お疲れの出ませんように…。
…ええ。
…。
…。
…では。
ええ、おやすみ。
…おやすみなさいませ。
……。
…ま!
…?
お姉さま!
…っ!
……。
…祐巳。
貴女、どうして…
…祥子。
令、これはどういう事なの。
子供達は貴女が
うん、まぁ…。
お姉さま、蓉子さまは…。
…。
蓉子さまは…あ。
…。
……お姉さま。
…。
祥子…。
……江利子さまと先刻まで話をしていたの。
お姉さまと?
…お姉さまの、こと。
……そっか。
…。
お姉さま……。
……祐巳。
は、はい。
…はしたない。
……へ?
いきなり飛びついてくるなんて。
何を考えているの。
え、え…。
おまけにこんな遅い時間に大きな声を出して。
何を考えているの。
…すみません。
祥子、祐巳ちゃんは祥子を心配して
令。
は、はい。
由乃は?
え?
あんな事が起こった後に離れていて大丈夫なの?
あ、ああ、由乃は…
…い、ちゃん。
え…?
なに、してんのよ…。
て、つないでてっていったのに、どうして…。
由乃…!
……はぁ。
…!
まずい、ひどい熱だ…。
……れいちゃ…の、…。
ごめん、由乃。
ごめん。
…ば…か。
由乃、由乃…。
令!
……。
何をぐずぐずしているの。
早く部屋へ連れて行きなさい。
…あ。
これ以上こんな所に居たら悪化するばかりでしょう。
さぁ、早く!
う、うん…。
じゃあ…。
…。
祐巳、貴女もいつまでしがみ付いているつもりなの。
…え。
動けないわ。
あ、す、すみません…。
私達も部屋に…
…?
お姉さま?
貴女はどちらの部屋に居たの。
へ、どちらの…?
私達のか、それとも令達のかと聞いているの。
あ、え、えと…令さまたちの、です。
然う。
え、えと…。
行くわよ、祐巳。
は、はい。
…て、あれ。
何をしているの、祐巳。
でもそっちは…
早くなさい。
けどどそっちは令さまたちの…
いちいち、口答えしないの。
ご、ごめんなさい。
行くわよ。
は、はい。
…。
……あ。
こんなに冷たい手をして。
貴女まで寝込む事になったらどうするの。
……ごめんなさい、お姉さま。
分かれば良いのよ。
…。
…。
……お姉さまの手も、冷たいです。
貴女よりはましよ。
…。
…。
……あの、お姉さま。
…何。
蓉子さまのお傍にいなくて、いいんですか…?
…。
……いた。
…。
お、お姉さま…。
……お姉さまは大丈夫よ。
い、痛いです、お姉さま…。
………然う、お姉さまはもう。
その部屋に。
近付くな、と言われた事は一度も無い。
されど近付こうと思う事も、一度も、無かった。
…ただ。
ただ、一度だけ。
…。
…。
…だれ?
…。
…さま?
…。
ちがうの…?
…。
…ああ、ふじかね?
…。
ふじか、どうしたの?
…。
…ねぇきいて、ふじか。
さっきまで、イサによくにた子がここにいたのよ…。
…。
おんなのこ、だったかしら…。
ほんとうによくにていて…いたから、ころそうと思ったの。
…。
だって、にくいんですもの…。
にくくて、にくくて、くびをおったとしても、あきたらないくらい…。
…。
だけど…かなしそうなめをするの。
わたしをみてね、なみだをこぼすのよ…
…。
…そう、イサも。
…。
ねぇ、ふじか…。
そんなところにいないでこっちにきて…。
…。
きて、てをにぎって…ねぇ。
…。
わたしの、かわいいふじか…。
あら、江利子ちゃん。
…。
若しかしてお姉さまの話し相手にでもなってくれたのかしら?
…いいえ。
然う。
…藤花さま。
綺麗な人でしょう?
…。
あれ程、綺麗な人は居ないわよ。
…壊れてしまっているだけだと思います。
…。
…。
…ねぇ、江利子ちゃん。
…はい。
愛とは、なんぞや。
…?
人が人である限り。
感情を持っている俗物である限り。
それは何処かで、突きつけられる。
…。
かも、知れないわよ?
…さぁ、どうでしょう。
もしかしたらそんな機会、私にはないかもしれません。
さぁ、それはどうかしらね。
…。
それに自分には無くとも、近くの人間がそれで悩んで傷付くのを見るかも知れない。
…。
でもま、誰にだって一度くらいはあるわよ。
命短し恋せよ乙女って言うでしょう?
…知りません。
ふふ。
…それでは。
ねぇ、江利子ちゃん。
…はい。
愛は人を傷つける。
けれど、救いもする。
憎しみじゃ人は救えない。
…多分、決して。
…。
なんて、らしくないわね。
…そうでしょうか。
然う長くないかも知れないから。
…。
有難う、江利子ちゃん。
…なにがでしょうか。
お姉さまに会ってくれて。
お早う御座います。
…。
江利子さま。
…お早う、志摩子。
…。
…。
…。
…泣くより、笑え。
…?
どんなに詰まらなくても、笑っているうちに面白くなってくる。
…それは?
ただの戯言。
皆は?
未だです。
然う。
まぁ、昨夜は遅かったし。
江利子さまはいつもどおりですね。
ええ。
どうしますか?
うちの家訓、教えていなかったかしら?
ごはんはみんなで。
然う。
特に今の当主がうるさくてね。
三つ子の魂百まで、とは良く言ったものだわ。
それでは待ちますか。
そのうち、起きてくるでしょうから。
はい。
じゃあ、イツ花…。
…。
宜しくお願いね。
…。
…。
…。
…。
…志摩子。
はい。
貴女こそ、いつもどおりね。
…。
曖昧な笑み。
年少らしくない。
…申し訳御座いません。
何が。
…。
蓉子も、然うだったわ。
…蓉子さまも?
子供のクセに、うまく笑えない。
子供のクセに、うまく泣く事も出来ない。
子供のクセに、我侭一つ言えない。
子供のクセに、他人の事ばかり。
…。
それでも。
先代様達には相当、気に入られていたのだけれど。
思えば、それが無かったら蓉子は…。
…。
…止めた。
朝から気が滅入る。
…蓉子さまは良く眠っておいででした。
然う。
…。
…。
…。
…。
…良く眠れなかったのでしょうか。
誰が?
…。
…。
…。
…貴女は会話を繋げるのが下手ね。
…然うみたいです。
面白い事も言えない。
…はい。
…。
…。
……最近。
…。
夢を、見るわ。
…夢、ですか。
然う、昔の。
貴女の母親も出てくれたわ。
…母は何か仰っていましたか?
別段、何も。
…。
普段、底に沈んでいる筈のそれらは、時々、引っくり返ったようにして表に出てくる。
迷惑な話。
…分かりません。
でしょうね。
…。
貴女には未だ、引っくり返るだけの荷物が無いのだから。
…。
…。
…お姉さまと蓉子さまも然うだったのでしょうか。
知らない。
…。
…。
……せめて、お茶を淹れて参りましょう。
有難う。
…いいえ。
ん〜…。
…。
雪、止まないなぁ。
…然うね。
音、しない。
ええ、本当に静か。
みんな、雪の中に吸い込まれちゃってるみたいだ。
…子供達が起きれば、声が響くようになるわよ。
と言っても、元気なのは祐巳ちゃんだけだからなぁ。
由乃ちゃんは…躰が丈夫なら屹度、祐巳ちゃんより騒がしい子になったろうに。
勿体無い。
騒がしいって。
もっと言いようがあるでしょうに。
だって、それしか思いつかない。
あの子は屹度、江利子と同じだから。
江利子と?
私にはあまり似ていないように見えるけど。
そもそも令と由乃はあまり、江利子には似ていないわ。
…いや、似てるよ。
由乃ちゃんも…令も、ね。
…然う。
貴女の瞳が然う捉えたのなら然うなのね、屹度。
ん…?
…子供の頃から、だから。
なんか引っ掛かる気がするけど。
…。
蓉子?
…私ね。
うん。
今だから言うけれど。
聖の目が怖かったの。
…然うなの?
ん…。
…なんで?
全部、見抜かれてるような気がして。
…実際は全然、見抜いてなんかいなかったけどね。
然う、何一つ、蓉子の気持ちなんて分かっちゃいなかった…。
…。
ん。
…ん?
雪の日は。
…そんなの、関係ないくせに。
今では私の方が大きいから。
…昔は私の腕の中に収まったのに。
今だから聞くけど。
悔しかった?
…いいえ、淋しかった。
淋しい…。
…然う、淋しかったの。
どうして…?
…。
…。
…。
…ねぇ、蓉子。
…。
もう、子供じゃないよ。
私は。
…然うかしら。
心はいつまで経っても、子供みたいだけど。
無闇に噛み付かなくなった。
…。
…蓉子の味は、血じゃない方が良い。
ばか。
…。
…本当に、痛かったのよ。
うん…。
…噛み付かれた所よりも、
ここ、が。
躰の傷は術で治せても、心の傷は治せないから。
…。
…何度も、傷付けた。
…。
…今になって良く思い出すんだ。
特にこんな音の無い日は…。
…。
……蓉子、おいで。
聖…。
…守りたいんだ、蓉子を。
今更だって分かってる…。
…。
だけど今まで、の
…もう、良いわ。
……。
もう、良い…。
…蓉子。
今、貴女は私と一緒に居る…私を抱〈イダ〉いてくれる。
それだけ、十分…。
…。
…好きよ、聖。
蓉子…。
…いつかはなかなか言えなくて貴女を悲しませたけど。
今は…。
……。
……。
…ようこ。
せい…。
……。
…だめ。
かぜ、ひくわ…。
…。
せ、い…。
…お姉さま。
…。
どうされたんですか…?
…。
お姉さ
祐巳。
は、はい。
…。
あ、どちらへ
…私は、良いわ。
え。
…。
でも、蓉子さまのご様子を
行くなら、一人でお行きなさい。
ですが
祐巳。
……お姉さま。
…私は此処に居るわ。
……。
……。
…きっと、ですよ。
……。
きっと、ここに…。
…分かったから、早くお行きなさい。
…。
…。
…では、行って参ります。
……ええ。
…。
…。
…あの。
…?
だぁれ…?
し、失礼します!
…。
お早うございます、蓉子さま!
…ああ。
え、えと、今日は良い天気ですよ。
祐巳ちゃん、か。
…へ?
どうしたの?
面白い顔、しているけれど。
い、いえ。
なぁに?
…祐巳ちゃんって呼ばれたの、初めてだったので。
そうだったかしら…。
……。
聖は、そう呼んでいたと思うけど…。
……。
ねぇ、入っていらっしゃいな。
そんなところにいたら、寒いでしょう?
あ、は、はい。
…。
…失礼します。
そんなに畏まらなくても良いのに。
す、すみません。
変な子ねぇ。
…。
今日は良い天気なのね。
はい、とっても良い天気ですよ。
もう、雪は降らないのかしら。
雪、ですか?
雪が溶けたら、春になるのだけれど。
今年は少し、遅い気がするわ…。
……。
うん?
あ、あの、蓉子さま。
なぁに?
お、お加減はいかがですか?
…。
あ、いえ、その
ねぇ、祐巳ちゃん。
もう一寸こっちにいらっしゃいな。
え。
さ、早く早く。
え、と…こう、ですか?
もうちょっと。
は、はい。
…うん。
…?
…。
あ、あの、蓉子さ…ぎゃ。
…ふふ。
よ、蓉子さま、
聖が、言ってたとおりね…。
せ、聖さまが?
子鬼みたいだって。
…ああ。
ひどいわよね…?
もう、慣れてますから。
然う?
はい。
…然う、なんだ。
つまらないな…。
え、え…?
…ふふ。
で、でも蓉子さま、なんで
一度ね、してみたかったの…。
蓉子さまが?
だって、聖ばかりだったでしょう…?
祐巳ちゃんは私の孫なのに…。
…。
本当、我侭ばかりで…いつも聖がごめんなさいね。
…いいえ。
…。
…。
…本当、ぷくぷくしてるわ。
…蓉子さま。
あの人が祐巳ちゃんに抱きつく気持ち、これでやっと分かった…。
…。
…ありがとう。
い、いえ、これくらいなら!
と言うか蓉子さまになら、嬉しいです!
…ふふ。
然う言ってくれると、嬉しいわ…。
…。
良い子ね…。
…蓉子さまぁ。
なぁに、どうしたの…?
……。
…祥子に叱られたの?
いいえ、いいえ…。
…然う。
ねぇ、祐巳ちゃん…。
は、い…。
あの子のこと、お願いね…。
あ…。
…私は、姉らしいこと、ちっともしてあげられなかったけど。
それでもあの子は私の…私の大切な妹だから…。
…。
…だから、お願い。
そんなこと、言わないでください…!
…。
そんなこと、そんな、こと…。
…私はね。
…。
あなたを、信じているのよ…。
…私なんか
信じているの…。
…。
…昔も、こうやってあの人の頭を撫でた事があったわね。
今は祐巳ちゃんの番…。
…。
祥子には…してあげられなかったな…。
い、今からでも、
…うん。
…。
…ねぇ、祐巳ちゃん。
どうか…どうか祥子のこと、支えてあげてね…。
ようこ、さまぁ…。
あなたなら、きっと、大丈夫…。
私が…いえ、私達が言うのだから、大丈夫よ…。
でも、でも…。
…大丈夫。
……は…い…。
…。
…。
私は…然う、あの人と私はあなたのおばあちゃんだから…。
…。
…孫をかわいがるのは、おばあちゃんだけの特権だから。
だから…だから、いつでもおいで……ね?
……は…ぃ。
ん、良い子…。
………お姉さま。
お姉さま…お姉さま……おねえ、さま……ぁ。
…ねぇ。
はい。
あの部屋、貴女が使えば良いわ。
…どの部屋でしょうか。
さぁ…どこかしらね。
…江利子さま。
…。
…。
……遅いわね。
…然うですね。
恐らく皆、お布団が恋しくて出られないのでしょう。
…。
…。
……ふふ。
…すみません。
術の才はあるけれど、歌の才は無いわね。
…。
無くても良いけれど。
…江利子さま。
蓉子もあまり上手では無かったわね。
アレは論外。
江利子さま。
うん?
宜しければ、今度…。
…。
…いいえ、何でもありません。
玉の緒。
…え。
……。
……。
…皆、遅いわね。
……由乃さんは昨夜、酷い熱を出したようなので。
然う…。
……。
……。
……江利子さま。
ん…。
……今日は晴れそうですね。
こんなに曇っているのに?
…屹度。
…。
…。
……志摩子。
…はい。
腹が、減ったわ。
…。
…朝餉にしても良いかしら。
もう少し、だけ。
…。
もう少しだけ、待ちませんか。
…もう少しだけ、ね。
……。
…まぁ、良いわ。
けれど少しだけよ。
……はい。
夜 ノ 魂 了
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