其れはとある寒い日の朝の事。








   祐巳。


   …。


   祐巳、起きなさい。


   ……。


   いつまで眠っているつもりなの。
   日は疾うに昇っているのよ。


   ……う。


   お姉さま方よりも遅いだなんて。
   貴女、一体何様のつもりなの。


   ……。


   祐巳!


   う…ぅ…。


   うう、じゃ無いわ!
   早く起きなさい!
   さもないと…


   ……。


   祐巳!
   いい加減に…!!


   い、た……ぃ…。


   …?
   いた…?


   おね…ぇ…さ、ま…。


   祐巳?


   ほ……た、が…。


   何を言っているの。
   もっとはっきりと言いなさい。


   いた……ぃ…。


   一寸、祐…


   …ほ…ぺ、た…が。


   ……ッ!


   いた、ぃ…いた…ぃ…。








   祐巳…………!!!!!
















  紅 薔 薇 ノ 
















   あーぁ。


   …。


   今日は寒いねぇ。
   ここ最近では一番の冷え込みかも。


   ……。


   でも、まぁ。
   こーしてればあったかだからあんまり気にならないけどね。


   …ばか。


   あら、開口一番で其れ?
   相変わらずなんだから。


   止めて。


   と、言われて。
   素直に止める私とお思いかな?


   思ってない。
   けど言わなきゃ益々調子に乗るでしょう。


   言われても乗る時は乗るけどね。
   でもって今はそんな時。


   …最近。


   うん?


   自分の部屋に居る時間より此の部屋に居る時間の方が長いような気がするわ。


   いーことじゃない。
   私は大歓迎だね。


   良くない。


   前々から提案してたでしょや?


   聞き入れた覚えは無いわ。


   じゃあコレを切欠にして、さ。
   蓉子の部屋は今日から此処って事で。
   そうなったら思う存分、一緒に眠れる。


   今だって同じようなものじゃない。


   あ、今認めた?
   認めちゃった?


   認めてません。


   もっとが良い。
   だから…ね。


   いや。


   …む。


   それから。
   其れもだ


   こんな寒い朝なんだからさ、もっとゆっくりしてようよぅ。
   離れたら屹度、てか絶対寒いって。
   風邪、ひいちゃう。


   あ、こら…。


   蓉子の太股、あったかいなー。


   …聖。


   ねぇ、蓉子もあったかいでしょ?


   …。


   あったかくない?


   ……。


   ねぇ、答えて?


   …それより、離れて。


   もう、素直じゃないなぁ。


   寒かろうが、何だろうが。
   私はもう起きるの、起きたいの。


   やぁだ。


   聖。


   手放したくない。


   …一寸、苦しいわよ。


   ああ、あったかい。


   …。


   蓉子…。


   ……も








   お姉さま……………!!!!!








   ご、ごきげ…ん…よぅ…。


   ああ、良いわよ。
   無理しないで。


   お姉さま、祐巳は…


   これは所謂、おたふく風邪と呼ばれているものね。


   おたふく風邪?
   其れは一体何なんですの、お姉さま!


   見ての通り、耳の下から頬が腫れる病なのだけれど…頬は腫れるだけでなく、痛みも伴うの。


   其れで!
   祐巳は、祐巳は大丈夫なのですか…!


   高熱も出るのだけど…て、あぁ、もう出てるわね。
   聖。


   あーい。


   冷やした手拭を。


   はいはーい、と。


   お姉さま…!


   それから頬も冷やすから。


   分かってるよー、と。


   お姉さま、祐巳は…!


   祥子。
   勿論、心配よね。


   当たり前ですわ…!


   其の気持ちを汲んだ上で言うわ。
   祐巳が治るまで此の部屋に入っては、傍に居ては駄目。


   な、何を…。


   早速だけれど、出て行って。
   今から祐巳は私が看るわ。


   いきなり何を仰るのかと思えば…!
   そんな事、出来る筈が


   伝染るのよ。


   …は?


   祥子は未だ、やっていないから。


   伝染るのを恐れて、私に祐巳を見捨てろと仰るのですか?


   そんな事は一言も言っていないわ。
   祥子には出来る事をやって貰う。


   傍に居ては駄目などと!
   見捨てろと言ってるも同然では御座いませぬか!


   由乃ちゃんに伝染ったりでもしたら、
   あの子の体力では持たないかも知れない。


   だったら由乃が近づかなければ良いだけの話でしょう!
   私は…!


   祥子。


   お姉さま!


   はーい、お待たせ〜。
   ついでに桶に水を入れてきたよ。


   有難う、聖。
   貸して呉れる?


   ほい。


   こんなに腫れてしまって。
   痛かったでしょう?


   …ぁ。
   きも、ち…いぃ…。


   うん、良かった。


   お姉さ


   さーちこ。


   何ですか…!


   しー。


   は…?!


   病人を前にして、あまり大きな声を出すものでは無いよ?


   …ッ


   最も、でしょう?
   反論、出来ないよね。


   と、兎に角。
   祐巳は私が


   其れも駄目。
   蓉子に言われたでしょう?


   と、当主様は口を出さないで頂けませんか…ッ


   ほら、また。
   しー、って言ってるでしょ。


   ……。


   其れに。
   私も色違いとは言えど祐巳ちゃんとは家族、だから。
   ましてや伝染る病となれば、口を出すよ。


   されど…ッ


   祥子も家族だからね、伝染ったら心配するし、
   何より、祐巳ちゃんが心底心配する顔は見たくないなぁ。


   …く。


   分かったのなら。
   祥子、イツ花に粥と水分の支度をと伝えて頂戴。


   薬湯の準備も忘れずに、てね。


   それから此の部屋を出たら直ぐ、うがいと手洗いを念入りにする事。
   良いわね。


   …納得したわけではありませんわ。


   しなくても良いわ。
   さぁ、早く。


   ……。










   どうしてなの。


   どうしても、です。


   だから理由を聞かせてと言っているのよ。


   言いましたよ。


   伝染るからだなんて。
   全く、納得出来ないわ。


   あのですね。
   おたふく風邪をなめてはいけません。
   アレは辛いんです、苦しいんです。
   ほっぺただって真っ赤になってすっごく痛くなるンですよ。


   其れは分かったわ。
   けれど、


   兎に角、駄目です。


   でも!


   駄目なものは駄目です。
   どうか、聞き分けて下さい。


   だって…だって、あんなに苦しんでるのに…。


   …お気持ちは分かります。
   されどお気持ちだけではどうにもならない時だってあるンです。
   分かって下さい。


   ……。


   今は当主様達もご不在です。
   そんな時に


   だから、じゃない…!


   …。


   お願い、イツ花。
   私にやらせて。
   傍に居たいの。


   …駄目です。


   イツ花…!


   部屋に近づいても駄目です。
   良いですね。


   …ッ


   其れに此れは言い付けでもあるんですから。


   言い付け…?


   蓉子さまは聖さまの事となると莫迦になってしまう嫌いがある、と。


   そんな事…!


   イツ花は思うに。
   今がまさに、そんな時だと思います。


   違う!
   私は…!


   江利子さまを宜しくお願いしますね。
   伝染ったら大変ですから。


   待って、イツ花!
   イツ花…!!










   よーうこ。
   祐巳ちゃん、どう?


   眠ってるわ。


   そりゃ見れば分かるって。
   熱は?ほっぺたは?


   熱は未だ。
   頬も相変わらず。
   と言うか、然う直ぐに退くわけないでしょう。


   はっは。


   で?
   何を持ってきたの。


   いや、ね。
   りんごなぞを摩り下ろしてみたんだけど…寝てんなら起こさない方が良いね。


   然うね。


   折角だし、蓉子が食べる?


   聖がどうぞ。


   あらそう?
   んじゃ、て。
   其の前に何か言う事、無い?


   言う事って?


   なんでりんごの摩り下ろし?とか。


   噛まなくて良いから、でしょ。
   咀嚼するだけでも痛むから。


   然うだけど、もう一声。


   …昔、貴女が罹った時に私が食べさせた。


   然う、其の通り。


   良く覚えていたわね。


   そらぁもう、蓉子さんの愛、ですもの。
   私ってばなんて果報者。


   はいはい。
   林檎、食べないのなら置いていって。
   起きたら食べさせるから。


   いや、色変わっちゃうし。
   起きたらまた、摩ってくるよ。


   然う。


   だから。
   暫し、此処に居ても良い?


   其れが目的?


   はっはっは。


   良いけど。
   絶対に、騒がないでね。
   やっと眠ったのだから。


   熱もだけど。
   ほっぺたが痛くてなかなか眠れないんだよね。


   ええ。
   …聖。


   んー?


   落ち着く前に。
   水の取替え、頼んで良い?


   良いよ。
   どれ、桶貸してみ。


   はい。


   んじゃ、一つ。


   存外に素直ね?


   まぁ、可愛い祐巳ちゃんの為ですから。


   …。


   あ、何?
   今、妬いた?


   まさか。


   ふーん?


   早く行ってきてよ。


   何、そんなに早く戻ってきて欲しいの?
   仕方無いなぁ。


   …あのねぇ。


   じゃ、ほんの暫しの間だから我慢してるんだよ?
   聖さん、直ぐに戻ってくるからね?


   あー、はいはい。


   んじゃ、行ってきまっす。


   はい、行ってらっしゃい。


   ……。


   ……。


   ……にひひ。


   …何、未だ居たの。


   蓉子にとって可愛い孫、だからだよ。


   は?


   だから、私も可愛いと思うんだ。


   ……。


   なんせ。
   蓉子は私の可愛い女房様だからね。


   …莫迦な事言ってないで。
   早く行ってきなさい。


   あはは。
   照れてる照れてる。


   照れてない。


   そっかなー?
   耳、赤いけどなぁ?


   もう、いつまでも巫山戯てないでさっさと行きなさいよ。


   あーい、行ってきまっす。


   …あー、もう。










   だから。
   言ったンですよ。


   …。


   ああ、もう。
   こんなに腫らしてしまって。


   …イ


   そもそも蓉子さまは、ですね?
   聖さまの事となると、ホント、イツ花ですら思うくらいに過剰になるキライがあるんですよ。
   ちみっとだけでも良いですから、もちっとご自分の事も考えて下さい。


   ツ、か…。


   まぁ、でも。
   聖さまが摩り下ろした林檎を召し上がって呉れたのは、本当に!、良かったですけど。
   と言うかイツ花が思いつけば蓉子さまだってこんな事に…むむむ。


   イ…ツ…


   兎に角。
   イツ花が言いたいコトはご自愛する事も必要だってコトです。


   ……か。


   自分の身と言うのは最後はやっぱり自分で守るもの、なンですから。


   ……ぃ、は。


   残るは江利子さまですけど。
   とりあえず、江利子さまは聖さまのところには行ってないようだし。
   蓉子さまにも近づかないよう、改めて、言っておかないと。


   イ、ツ…か。


   はい?
   あ、お水ですか?
   それともほっぺたの手拭を替えましょうか?
   あ、でも替えたばかりだし。


   …せぃ、は。


   …えと?


   せぃ、は…?


   ………あのぉ、ですね。
   イツ花の話、聞いてました?


   …わ、たしは…いぃ、か…ら。


   良くありません。
   聖さまは腫れも退いてきて、もう上向き加減なんです。
   寧ろ、容態を考えたら蓉子さまの方がひどいンですよ。


   ……で、も。


   もう、お話にならないで下さい。
   ほっぺただって痛むハズです。
   ご無理は駄目です。絶対、駄目。


   ……。


   もう、本当に蓉子さまはいつだって聖さまの事なんですから。
   ちょびっとはご自分の事も考えて下さいよぉ。


   ………。


   聖さまが心配で傍に居たいと言うお気持ちは分かります。
   けど、今はそれどころではありません。
   先ずは、とっとと治さないと。
   良いですか、先ずはご自分を優先して下さい。
   良いですね?蓉子さま。


   …。


   そんな目で見ても駄目です。
   イツ花は負けません。
   断じて。


   ……。


   良いですね、蓉子さま。
   絶対、ですよ?


   ……は、い。


   わ。
   本当の本当、ですからね。


   ……。


   …て、あれ。
   蓉子さま…?


   ………た、ぃ。


   …!
   あ、あつぅ…!


   ……。


   こ、これはアレでしょうか、気を緩めた瞬間熱がってヤツでしょうか…?!


   ……。


   と、兎に角!
   冷やさないと…!
   水、水…!!
   …て、水はあるんだった!
   手拭、手拭を…!


   ………せ、ぃ。










   はーい、お待たせー。
   待った?


   有難う。
   それから待ってない。


   ま、言葉が全てじゃないし?
   特に蓉子の場合は。


   言ってなさい。


   はは。
   よいしょ、と。


   一寸、零さないでよ。


   だいじょーぶだって。


   …。


   しかし。
   寝てるね。


   ええ。


   其れはもう。
   良く、寝てるね。


   良い事だわ。
   其れだけ治りが早くなるから。


   ま、然うだね。


   何か問題でも?


   無いよ。
   ただ。


   ただ、何。


   私、こんなに良く寝たっけなぁと。


   ……。


   実際。
   あんまり覚えてないんだよね。
   ほっぺたが痛かったのは覚えてるんだけど。


   何となく?


   ま、はっきりと、とは言えないかな。


   …あの時は。


   うん。


   お姉さま方は皆、討伐で家を空けていて。
   大人と呼べる人間はイツ花ぐらいしか居なくて。


   イツ花だけ、ねぇ。
   また罹った時期が悪いというか。


   悪く言っては駄目よ。


   言わないよ。
   で?


   …手伝いたかったのだけれど。


   手伝ったんでしょう?
   蓉子の事だから。


   伝染るから駄目だって。
   部屋に近づく事すら禁じられたわ。


   あれ?
   じゃあ、りんごは?


   イツ花の独り言を聞いたの。


   ほぅ。
   其れはどんな?


   食べない、て。
   折角食べても戻してしまうって。


   あー其れは多分、熱と痛みで食欲が無かったんだね。


   胃も弱っていたのだと思う。


   と言うか何て分かり易い。


   だから、考えたの。
   どうすれば良いのか、を。
   だって食べなければ益々弱ってしまうでしょう?


   ま、治るもんも治らないわな。


   軽く言って。


   今はもう元気だもん。
   喉元過ぎれば何とやら、てねー。


   本当だわ。


   駄目だって言われてるのに、聞かない蓉子も素敵。


   だって、心配だったんだもの…。


   …。


   …何よ。


   あー愛されてるなぁ私、と。
   思わず抱き締めたくなっちゃう。


   聖。


   …勿論、今はしませんけど。


   …。


   でもさ。
   結局、蓉子も罹ったよね。


   …ええ。


   そういやでこちんは?


   きっかり、私達の後に。


   ふーん。
   ま、どうでも良いけど。


   聖。


   へい、すんません。


   ……。


   蓉子?


   …夜、泣いてたのよ。


   ああ、夜泣きね。
   ま、痛みのせいだな。


   だから……何度か、ね。
   イツ花も…多分、疲れだと思うのだけど、たまに寝てて気付かなくて。


   疲れじゃないと思う。
   ある意味、イツ花らしい。


   だけど気付かないと思うわ。
   大声で泣き喚いたわけでは無かったから。


   へぇ?


   呻いていたの。
   まるで獣のように低い声で。


   …獣、ねぇ。


   手負いの、ね。


   はぁ、其れはどうも。
   しかし良く聞こえたね。
   流石、蓉子さん。


   …まぁ、ね。


   ああ、愛しいなぁ。


   聖。


   しませんよ、今は。
   これ、しか。


   ……せ


   し。
   大声禁止、でしょ?


   ……後で覚えておきなさい。


   うん。
   お返し、待ってる。
   勿論、唇の。


   其の期待は外れるわよ。
   と言うか、外すわ。










   …。


   …。


   ……。


   ……ん。


   ………。


   …だ…れ?


   ……の。


   ……?


   ……じゃないの。


   ……ぃ?


   …。


   …あぁ。


   ……。


   ど…した、の…?
   ねむ…れな、い…?


   ばかじゃないの。


   …?


   あんたの方がよっぽど、寝られないくせに。


   ……ふ。


   何がおかしいの。
   それとももっとばかになった?


   …そのと…ぉり、だと…おも…て。


   …一言も、頼んでない。


   えぇ…。


   勝手にやって。


   …ぅ、ん。


   挙句、なって。
   本当、ばかだ。


   ……。


   私はあんたの面倒なんてみない。
   りんごなんて食べさせない。
   知ったことじゃない。


   …い、ぃ。


   ……。


   ね…せ、ぃ。


   …熱い、手。


   すこ…し、だけ…。


   言ったでしょう。
   知ったことじゃないって。


   ぁ…。


   …。


   ま…て。


   …あんたが寝ててくれれば。
   私はお世話を焼かれなくてすむから、せいせいするわ。


   ……。


   ……本当、ばかな蓉子。


   …。


   ……。


   せ…ぃ…。


   ……知らない。


   …あ、りが…と…


   は?


   …しんぱ…ぃ、して…くれ、て


   頭、熱でわいたんじゃないの。


   ……せ、ぃ。


   だから…。


   おぃ…で。


   ……。


   …き、て。


   いやだ。


   おね…が…ぃ。


   …。


   せぃ…。


   ……。


   …ふふ。


   で、何。


   いぃ…こ、いぃこ…。


   ……ッ


   …なお…て。
   よか…た……。


   ばか蓉子。


   うん…。


   ばか。


   ……。


   私なんかの面倒なんて、みなければ良いんだ。
   ほっとけば良いんだ。


   …うぅん。


   私なんか。


   わた…しは、あな…が、すき……から。


   ……。


   でき…なぃ…の。


   ……。


   …できな…い…の…よ。


   そんな蓉子が。
   私はきらいだ。


   ……し…てる。


   ……。


   …ぃ、くの?


   …。


   ありが…と、ぅ……せ、ぃ…。










   …ところで。


   ところで、は私の台詞。
   何なの。


   ん、何が?


   どうして貴女は私の後にいるの。


   何か変?


   と言うより、何考えてるの。


   お、其れは分かって言ってるね。


   駄目だと言ってるでしょう。


   だからあんまりしませんよ。


   あんまりも少しもちみっともちょっぴりも、駄目。


   寄りかかって。


   だから。


   姿勢が綺麗な蓉子も好きだけれど。
   ずっと、じゃ、疲れちゃうよ。
   私が居るんだから少しは楽にして。


   いいかしら、聖。
   祐巳は今、おたふく風邪で寝込んでいるの。
   眠っているとは言え、いつ、頬の痛みや熱で目が覚めるか分からないわ。


   然うだね。
   でも、だから?


   だから、て。
   貴女…


   次に蓉子が体調を崩したりしたら大変じゃない。
   気を張り詰めすぎて、さ。


   張り詰めてはいない。


   ぶっちゃけると。
   蓉子もそんなに若くないんだし無理しちゃ駄目よ、て話。


   してないし、寧ろ殴りたい衝動に駆られたわ。


   ま、なんだね。
   人の好意は素直に受け取っておいてよ。


   本当に私を思っての事なのか、それともいつもの貴女の悪い癖なのか。
   正直に言うと、どちら?


   正直に言うと、どっちも。


   …。


   肘は止めてね。


   …やらないわよ。
   あー、もう。


   お…。


   寄りかかっても良いのでしょう?
   ちゃんと支えなさいよ。


   うん、支える。
   だから足も崩そう。


   ……。


   んで、出来た隙間に私の足が入る、と。
   でもって顔は蓉子の肩に。
   うん、完璧。


   ねぇ。


   んぁ?


   最近の貴女、過多。


   肩?


   じゃ、無くて。
   隙あらば手を繋ごうとするでしょう?


   繋ぎたいんだもん。


   眠る前もいじって。


   好きなんだもん。
   あったかくて。


   ……。


   でもね、一番はやっぱり胸。


   …。


   れ?
   怒らないの?


   もういい。


   え、ほんと?


   貴女の分別を信用する事にする。
   つまり貴女は今、病で寝込んでいる祐巳の前で、これ以上の事はしない。


   うん。
   これ以上は後で、ゆっくり、する。
   安心して。


   …で?


   で?


   貴女が言う、ところで、は?


   怖い事になってたよ、蓉子の妹さん。
   令ですら、近づけない。


   然う。


   これまた、さらっと流したね。


   然うだろうと…いえ、然うなる事は分かりきっていたもの。
   然うね、殺気に近いものがあるんじゃない?


   そうそう。
   怖いのなんの。


   実際、此処に居ても分かるわ。


   少しぐらい、良いんじゃないの。
   心配なんだろうから、さ。


   それでも。
   私は許すわけにはいかない。


   年長者だから?
   それとも?


   私はあの子の姉、だから。


   ふむ。
   至極最もなお答えで。


   だけれど。


   うん。


   あの子は私の妹、だから。


   うん、然うだね。


   だからこそ。
   私は許さない。


   夜も付いているつもり?


   イツ花にも言ってあるから。


   交代で?


   ええ。


   そ。
   …ん?


   ……。


   お、目が覚めたかな?


   と、言うより。
   覚めてしまったと言う方が正しいわね。


   しっかし、よく腫れたもんだね。
   ああ、痛そーだなー。


   他人事のように言わないで。


   と言われても、他人事だしなぁ。


   聖。


   ま、思い出しそうではあるけれど。


   …ま。


   祐巳?


   …ぅ…こ、さ、


   無理をして喋らないで。


   …。


   今は苦しいけれど…。


   ……ぃ。


   …。


   蓉子…?


   こういう時。
   己の語彙の無さが嫌になるわ。


   違う。
   こういう時だからこそ、特別な言葉なんて要らないんだよ。
   ただ…。


   ん…。


   優しく撫でてくれれば…其れで、良い。


   …だからって。
   私を撫でてどうするのよ…。










   …眠れない。
   さっきから何度も寝返りを繰り返しては、そのたびにちゃんと寝ようと思うのに。
   苦しくは無いだろうか、痛くは無いだろうか、うなされてはいないだろうか、ちゃんと眠れているだろうか。
   どうしても気になって。
   摩り下ろしたりんごは食べてくれたとイツ花が教えてくれた時、確かに安心したけれど。
   だけど…傍に居たい。
   どうしても。



   ……ぅ。



   ああ。
   声が聞こえる。泣いている声が。
   夜の静寂に包まれて。
   布団の中に入った時からずっと。
   いや、違う。
   昼間から、ずっと聞こえていた。
   私を呼ぶ声。
   だから。



   もう。





   「……あの、イツ花。
   …イツ花?」





   訪いを入れても返事が帰ってこない。
   夜も大分更けたから、そんなに大きな声も出せない。みんなは疾うに寝ている。
   返事の無い事を少しだけ訝しんで、けれど機とも見て、私はそっと障子を開いて中の様子を探る。
   布団の前に人影が一つ。
   屹度、イツ花のもの。





   「…イツ花」





   もう一度、声を掛ける。
   先程より、気持ち大きな声で。
   だけれど矢張り返事は無い。
   よくよく見てみると、イツ花の頭が揺れている…と言うより舟を漕いでいるように見えた。
   これは若しかして…いや、若しかしないでも……寝てる?


   そっと部屋の中に入る。
   其の忍び込むような行いに、今は家に居ない、お姉さまの諌めの言が脳裏を過ぎったけれど、
   私の頭の中は其の事しかなかったから。


   若しも本当にイツ花が眠っているのならば。
   都合が良い、と。
   本気で然う思ってしまったから。


   物音を立てないように出来るだけ、細心の注意を払って、其の背中に近づいて。
   そうっと、イツ花の顔を覗き込む。
   再度、声を掛けて確認しても良かったけれど、其れで起こしてしまったら元も子も無い。
   起こしてしまえば、どうして此処に居るのか問われた挙句、部屋に返されてしまうだろう。
   息すら潜めた意味も無くなってしまう。
   其れだけは、どうしても、避けたかった。





   果たして。
   イツ花は眠っていた。
   座ったまま。
   安らかな寝息すら立てて。





   イツ花が眠っているのを確認してから、布団を挟んで彼女の向かい側に座る。
   それから漸く眠っているであろう、聖の額に触れた。
   思っていたよりも、ずっと、熱い。
   ずり落ちかけている手拭は熱によって大分温くなっていて、これでは冷やす効果なんて無い。
   指を滑らせるようにして頬にも触る。
   矢張り、熱い。
   額と同じように冷やす為に、痛みを和らげる為に当てられていた頬の手拭は疾うにずり落ち、腫れた其れは痛々しい程だった。


   「…聖」


   無意識のうちに呟いた名前。
   小さな体で痛みに耐える其の姿に胸が押しつぶされそうになる。
   兎に角、冷やさなければ。
   手拭を拾って枕元にある桶の中に浸す。
   季節が幸いしたのだろう、桶の中の水は刺すほどに冷たかった。
   なるべく音を立てないように軽く漱ぎ、絞り、先ずは腫れて輪郭が変わるほどになってしまっている頬に当てる。
   それから同じようにしてもう一つ、そして最後の一つを額に乗せる。
   これで少しは楽になれば…と、願った其の時だった。


   「…ッ」


   聖の目が開いた。
   宵の闇ではっきりとは見えないけれど、だけれど、其の赫は確実に私を捕らえていた。
   私の躰はまるで身動きを封じられたように固まってしまう。
   何か言葉を…と思っても、発せられない。
   いや、掛ける言葉なんて思いついてもいなかった。


   「……ぅ」


   聖自身、話せないのだろう。
   其の口からは苦しそうに、ただ、息が漏れるだけで。
   言葉になる筈だった音は、空気を微かに振るわせるだけに終わる。
   だけど其の瞳、熱で潤んだ其の赫だけは雄弁と語る。


   何故、お前が此処にいるのかと。


   私はどうしてこんなにも聖の事を思うのだろう。思ってしまうのだろう。
   約束を破り、こんな夜這い…然う、夜這いめいた事まで仕出かして。
   途端に心の中で何かがざわめく。
   痛みを伴って。
   其れは一瞬だけどとても鋭くて。
   まるで、棘のように苛む。


   「……」


   考えてはいけない。
   考えれば考えるほど、其の痛みは鋭さを増すから。
   だから、然う、考えたくない。
   屹度、其の答えはいけない事なんだ。
   棘は抜けないままだけど。
   抜けない棘はいずれ、其の周りの肉を腐らせるけど。
   だけど、だけど。


   「…ぅ、ぅ」


   幼い獣の唸りにも似た声に、我に帰る。
   然うだ、今はそんな事を考えている場合じゃない。
   聖に邪険にされようと、私は聖の傍に居る。
   出来る事なんてほとんど無いかもしれないけど、其の痛みを替わって受ける事だって出来ないけれど。
   けれど、私は聖の傍に居る、居たいから。
   少しでも聖を安心させてあげたいから。


   手を伸ばして、柔らかい髪に触れる、優しく梳く。
   少しでも、少しでも、其の身が楽になりますように。
   どうか、神様。
   聖を、聖を。



   然う、想いを込めて。
   私はずっと、聖の頭を撫ぜ続けた。











   …。


   今宵は月が綺麗だねぇ。


   …ッ


   やだなぁ。
   まるで鬼が出たような反応。


   …何故。


   ん、一寸した野暮用。


   …。


   あ、手は洗ったよ。


   聞いておりません。


   いやいや、大事なコトだよ?
   何しろ、ちゃんと洗ってない手で触ると怒られちゃう。
   厳しいんだよね〜。


   ……。


   祥子も。
   ちゃんと洗うように。


   ……言われなくとも分かっていますわ。


   そ?
   じゃ私は部屋に戻ろうかな。
   早く戻らないと恋しがっちゃうだろうし。
   と言っても疲れて寝てるんだけど。


   ……。


   じゃね、おやすみ。


   …おやすみなさいませ。


   ああ、そうだ。
   祥子。


   …何でしょう。


   交代制、らしいよ。
   一応。


   ……其れが何か?


   別に。
   何となく言ってみただけ。


   …。


   じゃ、今度こそおやすみ。








   …い。


   …。


   せい。


   …ん。


   聖。


   …なに。


   離して。


   …行くの?


   ええ。


   ……やだ。


   ちょ…、と。
   苦しいわよ。


   行かないで。


   約束、したでしょう?


   …寝たら忘れた。


   嘘吐き。


   …大丈夫だよ、行かなくても。


   然うでしょうね。


   じゃ、良いじゃん。


   言ったでしょう?
   私は祥子の姉なの。


   …蓉子たちってさ、ばかだよね。


   …抓られたい?


   いたい…けど、ちょっとくすぐったい。


   少し、肉がついたんじゃない?


   ああ、最近動いてないから鈍った。


   怠けてばかり。
   幾ら、討伐に行かないからって。


   世代交代は大事だからね。


   …で、ばかってどういうこと?


   いつもは真面目なのに、一旦そうなると、禁じられた事も頑なな意志の下に破る。
   然う、仮令病を伝染されたとしても。
   本当、ばかだよね。


   …そんなばかを。
   好きだと言うのはだぁれ。


   私…て、これじゃいつもと逆だ。
   面白い。


   面白がったところで。
   そろそろ離してくれる?


   いーや?


   また戻ってくるから。


   此処にいれば戻るも何も無いよ?


   …ねぇ。


   んー。


   先刻から、時間稼ぎのつもり?


   何の話かな?


   あくまでも白を切るのね。


   私はただ、離したくないだけ。


   こら。


   あわよくば…折角目覚めたんだからもう一度だけ、とか。


   ばか。


   そんなばかが。
   好きなんでしょう?


   ええ、好きよ。


   …あしひきの、


   …。


   山のしづくに妹待つと、我立つ濡れぬ山のしづくに。


   …我を待つと君が濡れけむあしひきの、
   山のしづくにならましものを。


   唐突でも間髪居れず。
   さっすが蓉子。


   いつ?


   いつかの蓉子が果てちゃった時、何気なく。


   ……。


   あとね…


   私、行くわ。


   あぁー…。


   上着、は…と、聖。


   寒くなるから行かないで。


   ………。


   ほらほら、ちゃんと入って。


   …聖。


   蓉子、さ。
   そろそろ、任せてあげなよ。
   己でやった事の責任くらい、もう取れるでしょや?


   …貴女だって昼間は。


   うん。
   だけど、さ。


   ……。


   それよりさ、さっきの続き聞いて。


   続き?


   はい、蓉子に贈りまっす。


   …。


   我が恋はまさかもかなし草枕、多胡の入野の奥もかなしも。


   …東歌、ね。


   どんなトコか知らんけど。


   どうせなら自前で口説いてみたら?


   うん、そのうち。








   ……ぅ。


   …。


   …ぅく。


   …。


   ぃた…ぃ。


   …。


   …ぃ…た…よ…ぅ。


   ……。


   ……さ、ま。


   …。


   ぉ…ねぇ、さ…ま。


   …私は。


   …ぁ。


   私ならば此処に居るわ。
   ずっと。


   …おねぇ…さ、ま。


   だから。


   ……。


   早く良くおなりなさい。
   いつまでもおたふく風邪なんかに屈していては駄目。


   …は…ぃ。


   …祐巳。


   …


   …あまり。
   あまり心配をさせないで。


   ……す、み…ま…せ、ん。


   ……。


   おねぇ…さま。


   もう一度、手拭を替えるから。
   動かないで。


   ……ぁ、の。


   あ、ほら。
   動かないでと言ってるでしょう。


   て…、を。


   手?


   あんし…ん、する…で、す。


   ……。


   …わが…まま、ぃ…て


   そんな事。
   最初から然うするつもりだったから、我侭にもならないわ。


   ……。


   詰まらない事を気にする暇があるのなら、今は少しでも眠りなさい。
   良いわね。










   …。


   …。


   何か。


   …。


   何か、見えるの。


   別に。


   莫迦と何とかは高いところが好きだと言うけれど。


   普通、莫迦の方を何とかって言うんじゃないの。


   どっちでも良いじゃない。
   意味が伝われば。


   …。


   で。
   何を見てるの。


   別に、て、言ってるでしょう。


   屋根に上がっておいて?


   あんたこそ何してるのよ。


   別に。
   部屋に近づくな、と言われただけ。
   私は未だ、なってないから。


   …。


   痛いんだってね。


   …。


   高熱も出るとか。
   食欲も無くなる位。


   …だから?


   りんご、美味しかった?


   ……。


   今に始まった事では無いけれど。


   …。


   …いつまでもそうしてれば良いんだわ。


   ……。


   蓉子が熱でうなされて…呼んでいる間、ずっと。


   …。


   伝染るのなんて、怖くない。
   けれど私はあんたじゃない。
   なりたくなんて無いけれど…


   ……。


   何よ。


   別に。
   うるさいから余所に行くだけ。


   あ、然う。


   …。


   …。


   ……。


   い、た…ッ


   …。


   何するのよ。


   別に。


   …。


   …!


   あら、惜しい。
   其のふてぶてしい面に当ててやろうと思ったのに。


   …。


   食べ物は粗末にしてはいけない。
   然う、蓉子に教わったでしょう。


   …あんたもだろ。


   それと。
   そんなの、自分で持って行きなさいよ。


   ……。


   何、期待でもしてた?
   私は蓉子みたいに甘くないわよ。


   …お前なんて。
   キライだ。


   ええ、私もあんたなんか嫌いだわ。










   は……。


   祐巳が漸く治ったと思ったら。


   …。


   …くしょい!


   だから。
   言ったでしょう。


   ……。


   うー…。


   ごめんなさい、お姉さま…。


   伝染ると、あれほど言った筈よ。
   あなたは未だ、やっていなかったのだから。


   ……おなじへやに…いなかったとして、も。
   おなじいえにいるいじょう、うつるときは…うつり、ますわ…。


   ええ、確かに然うでしょうね。
   実際、其の例を見ているし。


   あの、お姉さま。
   手拭をお取替えしますね。


   …は、くしょい!


   結局、祐巳に心配をさせて。


   ……こうかい、は。


   してない、と言いたいのね。


   …。


   大体、貴女は言い出したら譲らないところがあって。
   頑固なのよ。


   …おねえさまにいわれたくは、ありません…わ。


   何ですって?


   …。


   は、はい、お姉さま、お待たせしました。
   冷たくて気持ちが良いはずです。


   …ありがとう、ゆみ。


   おまけに思い通りにならないと癇癪を起こすのは


   はくしょーーい!
   …うぃー。


   …聖。


   ひゃひ?


   先刻からうるさい。
   それから垂れてる。


   だって出るんだもん。
   それから拭いて。


   自分で拭きなさい。
   くしゃみするなら余所でやって。


   うーん、これはやっぱ冷えたかな。
   だから行かないでって言ったのになぁ。
   ねぇ、蓉子さん?


   …大体ね、祥子。


   あら、無視?


   看病するつもりで部屋に忍び込んでおいて、一緒になって眠ってしまうなんてどうなの。
   私が来たから良いものの、


   けっかてきに、ゆみもねむれたのだか…ら、いいじゃ、ありません…の。


   またそんな能書きを。


   あ、あの、蓉子さま…。


   何、祐巳。


   お、お姉さまもこうは仰っていますけど一応反省していらっしゃると思うし、
   元はと言えば私がおたふく風邪にかかったのが悪いのだし、そのせいで今はお姉さまがおたふく風邪にな…


   だから?


   そ、其の…あまり、お小言は


   小言ではありません。


   じゃ、お説教だね。
   怖いお姉さまだ。


   聖。


   祐巳ちゃんの言うとおりだよ。
   塩をぬり込むような真似をしてどうするのさ。


   ぬり込んでなんていません。
   私はただ祥子、に……


   お?


   …蓉子さま?


   …くしゅん!


   ……。


   おー、相変わらずかわいいくしゃみだぁね。


   ……え、と。


   …おねえさま、だって。
   おかぜ…を、めし、て…


   これはただのくしゃみ。
   断じて冷えたわけで、は…くしゅんッ


   あ、あの、蓉子さま。
   若しかしてお風邪でもお召しになられ


   くしゃみぐらい、風邪をひいていなくても出るわよ。


   そうそう。
   例えば前の晩、体を冷やしちゃった、とかね。
   だから言ったのになぁ。


   聖…!


   はいはい、然うだね。
   ただのくしゃみだね。
   そんなわけだから余所に行ってやろうね。


   あ、ちょ、と。


   と、言うわけだから。
   祐巳ちゃん、祥子をお願いね。


   はい、当主様。


   聖、放して。
   話は未だ…


   そんなのはもう十分。
   ほら、祥子も反省してる。


   ……。


   あれは不貞腐れていると言うのよ…!










   しっつれいしまーす。
   イツ花特製、一口でも食べたらほっぺが落っこちちゃうかも、なおかゆをお持ちしました〜。
   さぁ、蓉子さま、これを食べてバーンとぉ!元気になっちゃって……あれ?


   …ふ。


   むむ、むむむむむ…?


   ……イツ、か?


   あ、蓉子さま。
   お加減は如何ですか?食欲は如何ほどですか?
   其れとほっぺたの調子は?


   …まだ、いたい。


   然うですか、然うですね、まだ腫れていらっしゃいますものね。
   だけど大丈夫。
   このイツ花特製のおかゆなら噛まなくてもすんなり飲み込


   …ね。


   はい?


   せい、は…?


   聖さま?
   聖さまがどうかなさいましたか?


   せいは、どこ…?


   聖さまなら居ませんけど。


   さっきま、で…。


   然う言えば今日は朝餉の時以来、お見かけしてませんねぇ。
   朝餉と言えば相変わらず、あまり食べて下さらないし。
   やっぱり蓉子さまが居ないと駄目ですね。


   …。


   それから…そうそう、折角おたふく風邪が治ったというのにあまり元気が無いみたいなんですよね。
   まぁ、やる気は元々無さそうなんですけどぉ。


   ……。


   あ、然うだ、聖さまと言えば。
   蓉子さま、これを見てくださいな。


   …?
   な、に…?


   枕元に。
   置かれていましたよ。


   ……ぁ。


   こんなのを枕元に、一つだけ、まんまで置いておくなんて。
   誰の仕業なんでしょうかね?


   ……。


   どうします?
   イツ花特製おかゆより、此方の方が良いですか?


   ……。


   良いですよ。
   蓉子さまのご希望とならば、イツ花は一向に構いませんとも。
   ええ、構いません…けど、どうせなら置いていった人が食べさせてあげれば良いのに、と思わなくもありません。


   …ふふ。


   ?
   何だか嬉しそうですね?


   …イツか。


   はい?


   わるいの、だけど…。


   やっぱりあれですか、すり下ろしたりした方が良いですか?


   …ん。


   …んじゃ、ご希望にお応えしまして。
   ちょいと待ってて…あ、イツ花特製おかゆが食べたくなったらいつでも言って下さいな。
   もりもりと、よそって参りますから。


   ありがと…イツ、か。











   よーうこ。


   …。


   よっこー。


   …。


   蓉子さーん。


   …。


   …。


   …止めて。


   いやさぁ、返事もしたくないくらいに不貞腐れてるみたいだから。


   不貞腐れてなんかいないわ…て。
   止めてと、言ってるでしょう。


   其のぷぅっとした顔を見ていると。
   なーんか、頬を突きたくなるんだよね。


   止めて。


   ははは。


   …。


   まぁ、あれだ。
   期待を裏切らなかったよねぇ、祥子は。


   …期待していたとでも言うの。


   いや、してない、してないよ。
   たださ、祐巳ちゃんが治って其の後にきっかり、だったからね。


   ……。


   ほっぺたがぷっくんぷっくんな祥子、あれは今までに無い祥子だった。
   うん。


   面白がって。
   そんなに祥子のおたふく風邪が面白い?
   家族の不幸が面白い?


   いや、そこまで不謹慎じゃないって。


   ……。


   ただ、誰かさんの姿と重ねただけなの。
   だから、睨まないで?


   …祐巳が治ったと思ったら。


   案外、かかったよねぇ。
   一週間くらい?


   なかなか腫れがひいてくれなくて。


   でもま、二人いっぺんにならなくて良かったじゃない。


   いっぺんとか、然う言う問題じゃない…て、ああもう、鬱陶しい!


   ああ、はいはい。
   簡単に言わなくても蓉子さんはご機嫌ナナメなんですよね。
   しょーがないなぁ。


   ……。


   特別に此処に座ることを許して上げよう。
   さ、おいでー。


   莫迦じゃないの。


   はい、鰾膠
(ニベ>も無し。
   だけど其れでめげる聖さんではありません。
   来ないのなら私から行けば良いだけー、てね。


   …。










   …。


   聖。


   …。


   聖。


   …。


   聖。


   …なに。


   やっと、返事をしてくれた。


   …何の、用。


   其処から何が、見えるの?


   …。


   見晴らしが良いの?
   いえ、屹度良いのね。


   …。


   聖は高いところが好きなのね。


   …別に然う言うわけじゃない。


   あのね、私も好きよ。


   …。


   ね、何が見える?


   ……。


   風、気持ち良い?


   …。


   寒くな


   でこ。


   でこ?
   ああ、江利子のこと?


   こんなトコに居て、良いの。


   今、眠っているの。


   …。


   だけどね。
   私は病み上がりだからって、イツ花に追い出されちゃったの。


   ……。


   江利子はあまり顔に出ない子だから


   蓉子。


   うん?


   うるさい。


   …。


   …。


   ……ごめんなさい。


   ……。


   …。


   ……病み上がりなんだから。


   …?


   病み上がりらしく、大人しく部屋の中に居れば良いのよ。


   其れは聖もじゃない。


   あんたよりはまし。


   だからって体を冷やすのは良くないわ。
   其れは一緒だと思うの。


   お説教?
   それとも得意のお節介かしら?


   ううん、単なる心配。


   …。


   聖。


   ……。


   有難う。


   …何が。


   来て…いえ、やっぱり何でもない。


   ……。


   ふふ、変な顔。


   変な蓉子。


   ね、聖。


   …。


   あの、そっちに行っても…良い?


   ……。


   だめ…?


   冷やしたら駄目、と言ったのはあんた。


   …然う、なのだけど。


   …。


   隣に行っては…だめ?


   …。


   …。


   ……来たければ勝手に来れば良い。
   私は


   其処に居て。


   …。


   二人で居れば…多分、そんなに寒く感じないと思うわ。
   だから…お願い。


   ……好きにすれば。


   …うん。











   蓉子。


   …。


   蓉子。


   …。


   …蓉子。


   …っ


   あ、反応した。


   …何よ。


   幾つになっても耳
〈ココ〉、弱いよね。
   ま、耳に限ったコトじゃないんだけどさ。
   例えば…


   …。


   …て。
   抵抗、しない?


   …。


   蓉子?


   …。


   本当にしちゃうよ?


   …。


   蓉子。


   …。


   あー…。


   すれば、良いじゃない。


   うん、まぁ、其れは吝かでは無いのだけど。


   其の為に私を膝の上に座らせたのでしょう?


   真意は其処にあったわけじゃ…いや、下心は無きにしも非ずなんだけども。


   常に?


   うん。


   …じゃあ、すれば良い。


   ……蓉子。


   …。


   思ったんだけど。


   …何を。


   蓉子ってさ、案外、さびしんぼうだよね。


   ……。


   いつか、離れるんだよ。
   其の手から。


   …知ってるわよ、そんなの。


   …。


   …だけど、私は


   蓉子さ、今の時期って寒いよね。


   ……だから?


   だけど、寒さなんか感じ無いでしょう?


   …言っている事がおか


   二人で居れば…多分、と言うか私は感じない。


   …。


   躰もだけど、心も。


   ……昔の事を。


   歳食ったせいかな、思い出すんだよね。


   思い出さなくて良い。


   …恥ずかし?


   ……。


   好きだよ。


   …何よ、急に。


   告白。


   ……。


   ね、寂しく思ってる暇なんて無いでしょう?


   …ばか聖。


   うん、ばかなの。
   貴女のせいで、もう、すっかり。


   ……どうせ、ばかよ。


   そんな貴女が好き、大好き、愛してる。


   …恥ずかしいから。


   良いじゃない。


   ……。


   私は離れない。
   其の証を改めて貴女に。


   …。








   ……ゆ、み。


   はい。


   ここ、に…。


   私はここにいます。
   お姉さまがして下さったように。


   ……。


   イツ花にはだめだと言われましたけど。
   知りません、今回ばかりは聞けません。


   …。


   そしたら三代、そろいもそろってそっくりだと言われました。
   いっそ、光栄です。


   ……ふ。


   お姉さま、私にできる事があったら何でも仰ってください。
   あ、手拭を冷たくしますね。


   ……。


   のどはかわいていませんか?
   そうだ、りんご。
   りんごをすり下ろしたのは如何ですか?
   冷たくておいしいですよ。


   …いま、は。


   大丈夫です。
   イツ花に持ってこさせますから。


   ……。


   それをお召し上がりになったら、少しでも、眠ってください。
   その間も…


   …い、て。


   はい、お姉さま。








   …よーうこ。


   …ん。


   お餅、食べる?


   …また、唐突。


   今、思い出しました。


   …。


   蓉子が好きそう、と思ってさ。


   …今は食べられない。


   餡子がね、お餅に包まれてて。
   でね、其のお餅は豆餅なんだよ。
   曰く、すっごい柔らかいんだって。
   蓉子の胸とどっちがやーらかいかなぁ?


   …要らない。


   一寸、待ってて。


   …や。


   ん…?


   いや。


   ……。


   離れないで。


   …。


   …今、は。


   …はい。
   じゃ、また後でね。


   ……。










   ・


   ・










   やー何はともあれ、だねぇ。


   …。


   お姉さま。


   …分かっているわよ。


   えと、蓉子さま。


   …何かしら。


   あの、ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。


   …申し訳御座いませんでした。


   ……。


   あっはっは。
   良いなぁ、其の仏頂面。
   姉妹、そっくり。


   …。


   …。


   よ、蓉子さま、あ、あのですね…?


   …何も言わなくても良いわ、祐巳。
   祥子の顔を見れば分かるから。


   う…。


   まさに板ばさみってヤツだね。
   病み上がりだってのに大変だ。


   …当主様。


   ん、何。


   大変だと思うのならほんの少しでも良いから何とかして下さい。


   私が?
   あはは、出来るわけないじゃん。


   ですよね。
   期待なんて初めから微塵もしてませんでした。


   其の歳で其の切り返しの早さ、流石蓉子のお孫さまだけありますね。


   面白がっているだけなら、いっそ、居ないで下さい。
   と言うか、出てけ。


   やーだ。
   と言うか、そもそも此処は私の部屋でやんすよ。
   ねぇ、よっこ。


   あ。


   …。


   あー!


   くぅ。
   祐巳ちゃんの甲高い声、頭ン中まで響くなぁ。


   な、何してるんですか…!


   何って。
   ねぇ、蓉子。


   …聖。


   ん、なになに?


   肩。


   良いじゃん、祥子たちが来るまではこうしてたんだからさー。


   …。


   …。


   …。


   …え、と。
   三人で同時に睨まれるとえっらい凄みがございますね。
   百の鬼も尻尾巻いてとんずらしちゃうな、こりゃ。


   聖。


   あい。


   とりあえず、離れて。


   えー、どうしよっかなぁ。


   …。


   あ、然うだ。
   いっそ、気にしないってのはど…


   ……。


   ……。


   よっこー、二人の視線が怖いよー、痛いよー、突き刺さるよー。


   ……祥子。


   …何でしょうか。


   いっそ、これは気にしないで頂戴。


   甘いと思います。


   ……。


   お姉さまはいつもいつも当主様には、当主様だけには甘いのです。
   目に余りますわ。


   ええ、其の通りね。
   けれど。


   けれど、何ですか。


   貴女は祐巳に甘い。
   其れを否定出来て?


   さりとて、病で寝込んでいる祐巳を看病する事は甘いと言えるのでしょうか。


   いえ、言えないわね。
   寧ろ、当たり前の事だわ。


   然うでしょう。


   けれど私は駄目だと言った。
   何故ならば罹っていない貴女は伝染る可能性が非常に高かったから。
   そして貴女は其れに背いて、挙句、伝染した。


   背くだなんて。
   私はあくまでも当たり前の事をしたまでの事。
   咎められる謂れはありません。


   私は貴女を思った上で然う言ったのよ。


   お気遣い、まことに有難う御座います。
   けれど私はもう、己でやった事の責任ぐらい取れます。


   だけれど伝染った貴女を看病したのは主に祐巳だわ。
   其れでも一人で責任を取ったと言えるのかしら?


   …。


   言えないでしょう。


   だとしても
   後悔するよりはまし、です。


   自己満足ね。


   …其れでも。


   ……。


   此度の一件については謝るつもりなど、毛頭御座いません。


   …。


   私は


   もう良いわ。


   何が良いのですか。


   良く分かったから。


   …?


   祐巳。


   は、はい、蓉子さま。


   誤解しているかもしれないけれど、私は怒っているわけでは無いの。


   へ…?
   で、でも…


   それから。
   祥子は貴女の事となると莫迦になるみたいだから。
   これからも手を焼かせると思うけど、宜しくね。


   え、あ、はぁ…。


   と言うより莫迦って何ですの、お姉さま…!
   祐巳も何納得してるの…!


   え、あ、すみません…。


   あら、本当の事じゃない。


   だったらお姉さまだって…!!


   然うよ。
   だから分かるのよ。











   蓉子。


   …。


   蓉子。


   …はい、お姉さま。


   聞いたわよ。
   私達が討伐に出ている間、大変だったそうね。


   …。


   何でも家の中でおたふく風邪が流行ったとか。


   …はい。


   蓉子も罹ったのでしょう?
   聖に伝染されて。


   …。


   近づくな、と言うイツ花の言い付けを守らなかった。
   然う、聞いたのだけど。


   ……其の通りです。


   其の理由を言いなさい。


   ……。


   蓉子、何か言いたい事があるのならばはっきりと言いなさい。
   黙っていては分からない。


   …苦しそうだったのです。


   聖が?


   はい。
   だから…


   で。
   まんまと伝染された、と。


   だけど、後悔はしていません。
   寧ろ、良かったと思っています。


   其れはただ自己満足。


   それでも、私は…。


   私、は?


   苦しがっている聖を目の前にして、何もしないで居るなんて事、出来ません。


   己が苦しい思いをするとしても?


   はい。


   莫迦。


   …。


   に、見事なまでになっちってしまったわね。
   こと、白ちびに関して。


   ……。


   藤の思惑どおりじゃないの。


   藤…?
   藤花さま…?


   蓉子。


   はい、お姉さま。


   どんな事であれ、己でやった事の責任は己で果たす。


   はい、心得ております。
   なのでこれよりイツ花に頼まれたお使いに行って来ようと思います。
   こんな事で果たせるとは思ってはいませんが、其れでもイツ花には沢山迷惑をかけてしまったので…


   迷惑、とは違うのだけど。


   江利子にも伝染ってしまったのは私の責任でもあります。


   看病したの?


   はい。


   白ちびは?


   聖、は…聖には非は有りません。
   全ては私が…


   …はぁ。


   …?


   蓉子、此方に来なさい。


   は…え。
   あ、あの、お姉さま…?


   ともあれ。
   治ったようで良かった。
   はい、離れて良いわよ。


   …はい。


   藤花。
   其処に居るのでしょう。


   …居ませんよー。


   白ちびを連れてきなさい。


   だから居ませんよー。


   藤は此の先三日間飯抜き。


   はーい、お連れしました。
   と言うか居たんだけどねー。


   ……。


   丁度良いわ。
   聖。


   …。


   返事。


   …はい、当主様。


   買い物に行く蓉子についていって頂戴。


   ……どうして、私が。


   当主命令。
   不満など、聞かない。


   ………はい。


   蓉子、然う言うわけだから。


   されどお姉さま、頼まれたのは私で…


   返事。


   …はい、お姉さま。


   日が暮れるまでに帰ってくること。


   …。


   …。


   返事。


   『…はい』











   お姉さま、お魚屋さんは向こうです。


   そんな事ぐらい、知っているわ。


   でもそちらは八百屋さんですけど。


   八百屋にも用があるのよ。


   でも、イツ花は今晩のおかずはお魚だって…


   然うよ。
   だから八百屋に行ってから魚屋に行くの。


   は、はぁ。


   何よ。


   い、いえ。
   ところで八百屋さんで何を買うのですか?


   ……。


   もしも余計なものを買ったら蓉子さまに叱られてし


   りんご。
   然う、りんごよ。


   …は?


   りんごよ、りんご。
   寝込んでいる時、貴女も食べたでしょう。


   食べましたけど…なんか取ってつけたっぽくな


   美味しかったのよ。


   確かに美味しかったですけど。


   何よ、さっきから。
   言いたい事があるのならはっきりと言いなさい。


   …ん、と。


   祐巳。


   じゃあ、3つ買いましょう。


   3つ?


   私とお姉さまで1つ、蓉子さまに1つ、体調を崩している由乃さんと付き添っている志摩子さんに1つ…と思ったんですけど。
   駄目、ですか…?


   駄目じゃないわ。
   私も然う思っていたから。


   わぁ、じゃあそうしましょう!


   然うと決まったらさっさと行ってきてしまうわよ。


   はい、お姉さま!
   …あ。


   手、こんなに冷たくなってしまってるわ。
   急がないと。


   はい…!








   ふふ。


   …思い出し笑い?


   いやさ、私達もお使いに行かされたっけなと思って。


   …ええ。


   何を買いに行ったんだっけ。


   …。


   ねぇ、蓉子。


   貴女、終始無言で。


   んん、然うだったっけ?
   其れは覚えてないなぁ。


   …。


   で、何を買ったんだっけね。


   …さぁ、何だったかしらね。


   蓉子が覚えてない?
   ふむ、珍しいこともあるもんだ。


   …。


   でもま、蓉子の事だから。
   余計なものは買わなかったんだろうね。


   どうかしらね。


   思うに、実は覚えてるんでしょ。


   さぁ。


   む。


   覚えてない聖が悪い。


   さいですか。


   …。


   ま、何だね。


   …何。


   此処のところ、蓉子が甘えて呉れて嬉しい。


   話が繋がってない…し、別に甘えてるわけでもない。
   と言うより、貴女が勝手にくっついているだけ。


   じゃ、もっとくっついちゃおっかな。
   祥子たちも居なくなった事だし。


   …。


   ん〜…。


   鼻歌交じりなんて、止めてよ。


   交じってなきゃ、良いのかしら?


   …由乃ちゃんの様子を見に行かないと。


   そういや、志摩子に任せっぱなしだった…


   …ん。


   ね。


   …伝染らなかったのは幸いだったけれど。


   いや、分からないよ?
   でこの娘だし、機を外してくるかも。


   洒落にならないから、止めて。


   はい、すみません。


   ……。


   ……布団、敷こうかな。


   ねぇ。


   ん?


   手、繋いで。


   手?


   …だめ?


   良いけど。


   …。


   何?


   ううん。


   …。


   ま、いっか。


   …。


   ……このまま、しちゃう?


   しない。
   どうしてそうなるの。


   だって、ねぇ。
   誘われたら其の気になっちゃうでしょや?


   …。


   ねぇ?


   貴女の頭の中、こればっかり。


   うん。


   …りんご。


   は?


   りんごが食べたい。


   や、これはまた突然だね。


   食べたいわ、聖。


   と、言われても。
   てか脈略が無さ過ぎるよ。


   …食べさせて。


   其れはもう喜んで、と言いたいところだけど。
   とりあえず…


   …。


   …これじゃ、だめ?


   …だめ。


   ん、其れは参った。


   …参ったような顔、してない。


   そんなに食べたい?


   …。


   代わりに私じゃだめ?


   …。


   沢山、あげるよ。


   いつも、私が食べられてばかり。


   はい。
   毎度、美味しく頂いてます。


   …。


   …ね、やっぱり手繋いだまましよっか。


   …本当、其ればかり。










   …はぁ。


   其れは何のため息かしら。


   別に何でも無いわ。


   そんな事言ってー。
   蓉ちゃんの事のくせにー。


   …。


   素直じゃ無いわね、椿は。


   何でも無いって言っているでしょう。
   ところで菊乃、


   菊、で良いよー。


   …貴女はどうして此処に居るのかしら。
   江利子に付いているのではなかったの。


   それがさー、静かに寝ていたい、て言われてさー。
   折角、良く眠れるように子守唄でも歌ってあげようと思ったのにねー。


   ああ。
   菊の場合、存在からしてうるさいものね。
   追い出されても仕方が無いわ。


   いやー、それほどでもー、て。
   そこまで言われて無いしー!


   熱の方は?


   無いみたい。
   腫れもひいてた。
   これも全部、蓉ちゃんのおかげー。


   江利子がおたふく風邪に罹ったのは蓉子のせいだわ。


   一番最初に罹ったのはうちの妹だけど?


   結果的に伝染したのは私の妹。
   知らぬまま媒介を果たして。


   其れは考えすぎだよー。
   同じ屋根の下の居るんだから、伝染る時は伝染るってー。


   大体、蓉子ちゃんの事だから。
   聖の面倒を見た後はちゃんと、手洗いうがいはやっていたと思うわ。


   其れだけでは足りないわ。
   触れるのは何も手だけでは無いのよ。


   其れは然うだけどさー。
   そんな事言ってたら看病なんて出来ないって。


   其れが甘いのよ。


   う。


   此度は事なきを得たけれど。
   これから、いつ、どんな伝染病が流行るか分からないわ。
   然う、おたふく風邪なんかとは比にならない程の。


   まぁ、流行るとも限らないけれど。


   そんな時に。
   今回のような蓉子の行動は命取りになりかねない。


   だけど誰かは看病しないと、ねぇ。
   一人でそこら辺にほおっておかれても、治るものも治らない。


   私が言いたいのは…!


   素直に蓉ちゃんが心配って言えば良いのにー。


   椿はどうも、素直になれないのよね。


   私は蓉子の姉である前に、此の家の当主なのよ。
   一個人の


   だから、一個人としては蓉ちゃんが心配なんでしょー。


   さっさと然う言ってしまえば良いと思うのだけどねぇ。
   相も変わらず、堅物なのよね。


   だから…!


   当主って言っても所詮、人だしねー。


   ま、堅物な椿一人で頑張ってもね。


   ……。


   もうちみっと優しい言葉をかけてあげても良いと思うんだけどなー。


   其れなんだけど。
   先刻は椿には珍しく、頑張ったのよね。


   え、其れはどんな風にー?


   …藤花。


   知りたい?


   知りたい知りたい。


   じゃ、今夜の夕餉の菊のおかず、一品貰うわね。


   えー!?


   世の中、只より高いものは無いわよ。


   むむむ…。


   別に良いのよ、知りたくなければね。


   …し、仕方が無い。
   じゃあ、漬物をあげよー!


   要らない。


   えぇー?!


   じゃあ、お饅頭一つで手をうつわ。


   この甘党めー。


   嫌なら良いのよ、別に。


   分かった!
   私も女だー!


   じゃ、決まりね。


   で、椿の頑張りとはー?


   蓉子ちゃんを呼び寄せてね、


   うんうん。


   藤。


   ぎゅう、とね。


   わぁ!


   藤花。


   ねぇ、椿、あれは頑張ったと思うわよ。


   確かにー!
   頑張ったねぇ、椿ー!


   ……。


   いやぁ、あれを見た時は流石に微笑ましくなったわ。


   滅多に見られるものじゃないよねー。
   良いなぁー。


   ……。


   ねぇ、椿。
   たまに、は…?


   …つ、椿?


   人が黙って聞いていれば…。


   い、いや、椿、これは褒めているのであって…


   そうそ


   即刻、去ね!
   この莫迦どもが!


   わぁぁ…!










   蓉子さま!
   ただいま戻りまし、た…?


   やぁ、おかえりー。


   おかえりなさい。


   …お昼寝中、でしたか?


   まぁ、そんなところだね。


   そんな…?


   そんな事より。
   どう?お使いは果たせた?


   はい!


   其れは良かった。
   然うだ、ご褒美に頭を撫でてあげよう。
   おいでおいで。


   結構です。


   まぁ、然う言わず。


   け っ こ う で す 。


   祐巳、祥子は?


   イツ花と話してます。


   然う。


   あの、蓉子さま。


   うん?


   これ、を…。


   …?
   りんご…?


   頼まれたものでは無いのですけど、でも、蓉子さまにと思って…だから、その


   有難う、嬉しいわ。


   …へ?


   ふふ、其の反応を見るに叱られると思ったのでしょう?


   ……はい。


   確かに褒められたものでは無いけれど、だけど私を想って買ってきてくれたのでしょう?


   はい!
   お姉さまと一緒に選んだんです!


   だから、有難う。
   丁度、食べたかったの。


   …!


   おやおや、ほっぺが真っ赤。
   そんなに嬉しいのかな。


   はい!


   お、珍しく素直。
   ところで祐巳ちゃん。


   はい、何ですか?!


   私の分は?


   ありません!


   …え、と。


   あと二つあるんですけど、一つは由乃さんと志摩子さんに、もう一つは私とお姉さまの分ですから!


   いや、てかさ。
   そんな元気よく言われると、かえって悲しくならないものだね…。


   蓉子さま!


   うん?


   喜んで頂けて嬉しいです!


   うん、私こそ有難う。


   じゃ、私行きますね!


   祐巳。


   はい、蓉子さま!


   元気になって、本当に良かったわ。
   勿論、祥子も。


   !
   はい!








   祐巳。


   あ、お姉さま!
   イツ花とのお話はもう済んだのですか?


   ええ。
   で、貴女の方は?
   ちゃんと渡してきたのかしら?


   はい、渡してきました!


   叱られなかった?


   はい!
   蓉子さま、嬉しいって言ってくれました!


   然う。
   ……。


   …?
   お姉さま?


   貴女も嬉しそうね。
   頬、真っ赤になってるわ。


   はい、嬉しいです!
   あのですね、部屋を出る時頭を撫でてくれたんですよ!
   元気になって良かったとも言ってくれました!


   祐巳はお姉さまが好きなのね。


   はい、大好きです!


   …。


   お姉さまも大好きです!


   …あまり大きな声を出さなくても聞こえてるわ。


   あ、ごめんなさい…。


   りんご、由乃と志摩子にも渡すのでしょう?
   私は先に部屋に戻っているから行ってきなさい。


   其れなんですけど、お姉さまは宜しかったのですか?


   何が。


   蓉子さまにりんごを渡すの、


   良いのよ。


   だけど。


   良いと言ったら良いの。


   ……お姉さまは、


   変な誤解はしないで。
   私はお姉さまを嫌いになんて“絶対に”ならないから。


   …!
   はい!


   さぁ、行ってきなさい。


   はい、行ってきま


   あ、やっぱり一寸待ちなさい。


   …はい?


   …。


   あ、あの、お姉さま…?


   …もう、良いわ。
   さ、お行きなさい。


   …。


   何してるの。


   …だって。
   えへへ…。


   変な笑い方をして。
   気持ちが悪い子ね。








   食べさせて、て。
   言ってたよね。


   …。


   どんな風にが良い?
   お望みは?


   …。


   まさか丸ごと?
   齧っちゃう?


   …。


   それともやっぱり口移し?


   どうやって。


   そりゃあ、さぁ。


   …締まりの無い顔。


   私が齧って咀嚼したのを、てね。


   そのまま飲み込んで。


   だってさ、これは蓉子のであって、私のじゃ無いんでしょ?
   祐巳ちゃん曰く。


   …。


   勝手に食べたなんて知れたら、ほっぺた膨らませてぷんすか怒られちゃうよ。


   知られる事なんて無いわ。
   安心して食べて頂戴。


   じゃ、遠慮なく。


   …。


   んー…ちみっとすっぱいけれど、しゃりしゃりしててなかなか美味しい。


   其れは良かったわね。


   と、言うわけで。


   …冗談は止めて。


   冗談じゃないから、止めない。


   聖。


   妹と孫の好意を無下にしては駄目、でしょ?


   無下にするつもりは無いわ。


   そ?
   なら遠慮なく。


   せ…ん。


   ……どう?
   おいし?


   ………。


   どれ、もう一口。


   もう、いいから。


   食べさせてって言ったのは蓉子。


   私が言ったのは…んん。


   ……はい、二口め。


   ……聖。


   これってさ、まさに一石二鳥、だよね。


   …。


   一度の口付けで。
   私はりんごと蓉子の味を味わえる。


   そんなの、貴女だけじゃない。


   蓉子もだよ。
   蓉子は私とりんごの味を味わえてるんだから。


   またそんな屁理屈、を…。


   でも本当の事、でしょう?


   …。


   そんなに固く結ばないで。
   食べさせてあげられない。


   …私は、ただ。


   摩り下ろして、食べさせて欲しかった?
   子供の時、私にしてくれたみたいに。


   ……。


   良いよ。
   何にせよ、口移しにはなるけどね。


   そんな事、私はしてない。


   …ほんとに?


   してないわよ。
   私は…んんッ


   …ま、何でも良いよ。
   食べさせてあげる方法なんて。


   ……。


   と、言うわけだから。
   遠慮なんかしないで、よぉく、味わって?


   …味わってる暇なんて。
   無いじゃな…








   …つまんない。


   …。


   つまんない。


   …。


   つーまーんーなーいーー。


   由乃さん、お布団から足がはみ出しているわ。


   だって、つまんないんだもん。
   志摩子さんは本ばっかり読んでるしさぁ。


   蓉子さまからお借りしているから、早く読んでしまおうと思って。


   それってギムカンってヤツ?


   いいえ、ちゃんと読みたいと思ったからお借りしたのよ。
   思っていた通り、とても興味深いわ。


   で、何読んでんの。


   八百万の神と信仰。


   …面白いの?


   面白いと言うより、興味深いわね。


   …ふーん。


   由乃さんも読んでみる?
   読むようなら蓉子さまにお断りを入れておくけれど。


   いい、遠慮しとく。
   なんか余計に熱出そう。


   然う?


   …あーあ。
   ほんっと、つまんなーい。
   令ちゃんはでこと討伐に行っちゃってるし、祐巳さんはおたふくなんとかになったからしばらくは近づいちゃだめって言われて、
   治ったと思ったら、今度は祥子さまがなって祐巳さんは私どころではないみたいだし。


   と、言うより。
   祐巳さんも病み上がりだったから。


   何にせよ、つまんなーい!!


   ふふ。
   由乃さんは元気になってきたようで良かった。


   だからつまんないんじゃない!


   さっきから少しだけ気になっているのだけれど。


   あー?


   私と一緒ではつまらない?


   だって志摩子さん、本ばかり読んでるじゃない。
   つまんない。


   其れも然うね。


   あーあ、令ちゃん早く帰ってこないかなぁ。
   祥子さまも早く治らないかなぁ。
   じゃなきゃ、つまんなくてくさりそ…?


   んー…。


   な、なに…?


   未だ少しだけ熱があるみたい。


   あ、ああそう。
   と、言うか。


   ん?


   な、なんでいきなりおでこをくっつけてくるの?
   いつもは手なのに。


   少しはつまるかしらと思って。


   ……。


   由乃さん?


   …別になんでもない。


   然う?
   なら、今日一日は未だ寝ていた方が良いわね。
   熱がぶり返しでもしたら大変だから。


   ……。


   そうそう。
   祥子さまならお元気になられたわ。


   ふーん…て、ほんとう?


   ええ。
   だから祐巳さん、若しかしたら今日あたり部屋に来るかもしれない。
   つい先刻、イツ花に頼まれてお使いにも行ったようだし。


   祐巳さんに会っても良いの?


   ええ、もう大丈夫だと思うわ。


   やったー!


   でも由乃さんは寝ていなければ駄目よ。


   私ならもう平気だって。
   ほら。


   だめ。


   むぅ…。


   今日、無理をしてまた熱が出るのと。
   今日、静かにして明日から遊べるのと。
   由乃さんはどちらが良い?


   …それ、蓉子さまみたい。


   だって蓉子さまからの受け入りだもの。


   …分かった。
   寝てる、寝てるから。


   ん…?


   あまり顔を近づけないで。


   あら、そんなに近かったかしら。


   近いわよ…もう。


   …?
   由乃さん…?








   由乃さん、志摩子さん、ごきげんよう!








 紅 薔 薇 ノ 芯 了