L e a p t h e p r e c i p i c e
このでかぶつめ。
然う、心の中で悪態を吐いたところで現状は変わらない。
目的地まではあともう少し。
こんなところで足止めを喰らってる場合じゃない。
何しろ、時間には限りってものがある。ついで言うと体力もそう。
ぶっちゃけた話、さっさとうちに帰って愛しの彼女といちゃこらしたい。
と言うか、目的を達成したら直ぐさま其の手を引いて帰ってする気満々。
討伐期間が三週間近くとなれば、他の人はどうか知らんけど、色々とたまらない方がおかしいってなもんだ。
と言うかさ、いや、とか、やだ、とか、一度でも羞恥に染まった顔で言われて御覧なさい。
病み付きになる事、この上ないから。
かと言って、彼女のそんな顔を他の誰かになんて見せる気は更々無いんだけど。
「ぼさっとしてない…ッ」
ああ、怒られた。
其れも此れも全部このでかぶつのせい。
あと一歩のところで出てきやがって。
おまけに要らん雑魚どもまで引き連れてきて下さって。
こちとら、これから最後の大一番ってのが控えてるってのに。
だからと言って無視するわけにもいかない。
何しろ奥へ続く道の入り口、しかも狭い、の丁度真ん中に陣取られている形になっているから。
ああもう、無駄な時間な事、この上ない、じゃ…
ブゥンッ
野太い拳が耳先を掠める。
でかぶつだけに、当たると結構やばい。
致命傷、ってヤツ。
でもま、とろいから早々当たる事も無いけどさ。
しっかし、だ。
そろそろいい加減にしてもらわないといけない。
もう一度言うけれど、時間には限りがあるからね。
雑魚は粗方片付けた。
残るは大将、このでかぶつのみ。
得物を改めて握り直す。
「いいかげんにしろよ、このでかぶつが…!」
でもって、大きく振り被って、ぶん投げる。
でかい顔の真ん中にある、これまたでかい目玉めがけて。
自慢じゃないけど、投擲は得意。
大体は、的に当たる自信あり。
…と、思っていたんだけど。
「莫迦…ッ」
所詮、大体は大体だった。
残念ながら私の得物は掠めるだけにとどまって、でかぶつの後の先へと飛んでいってしまった。
あいや、やっぱ直接突き刺してやった方が良かったか。
ちらりと愛しい彼女の方を見ると、案の定睨まれた。
片方の視界が赤に染まる。
しまった、と思った時は大抵、手遅れ。
つまりは事が起こった後。後の祭りとも言う。
しかし瞼とやらは少々、大袈裟すぎやしないかしらね。
掠っただけだと言うのに。
いや、確かに切れたりはしたけれど。
「…治せ、泉源氏」
ふむ。
片方の視界が、赤くぼやけていて、面白いくらいに宜しくない。
でもまぁ、とりあえず、傷は塞いだし。
これ以上、目の前が真っ赤になる事は無い、ましてやどっかの莫迦の如く傷痕が残るような事もない、けど。
目に入った分による視力の低下はいかんともしがたく、今、袖で拭ったぐらいでは元には戻らない。
人間は両目で見るからこそ、平衡を保てるし距離感も掴める、なんていつだかお姉さまに、得意げに言われたコトがあるような無いような。
確かに、ともすれば体がゆらりと傾いでしまいそうな感覚。これは弓取りには致命的かも、ねぇ。
けどま、これはこれで
「江利子…!」
左手前方から私の名を呼ぶ声が聞こえた。
背負っている矢筒から矢を素早く二三、抜き出して、其の一本を弓に番え。
たった今、私の視力を奪ってくれた雑魚を射抜く。
目が不自由だからって、ぼんやり突っ立っている暇など無いのだし、餌になるつもりも無い、し。
見えなきゃ、見えないで、やりようはある。
心眼、なんて大それた事は言わない。
どこぞの武芸者でもあるまいし。
ゴゥッ。
と。
どこぞの莫迦が投げた…と言うより、ぶん投げた槍が空気を裂きながら、真っ直ぐと、鬼の顔面へ。
ああまた、やったのね。
でも、残念。
其れはただ、掠っただけ。
突き刺されば大きな目玉を抉るどころか、顔ごと吹っ飛ばせたかも知れないけど。
と言うか、得物を手放してしまってどうするつもりなのかしらね。
相変わらず、学習能力に乏しい天狗。本当、莫迦。
もっと言うと、力莫迦。
「莫迦…ッ」
でも例えば。
其の莫迦に心底“惚れ込んでしまっている”人間の事はどう比喩すれば良いのかしら。
やっぱり、莫迦?
「的を射抜くのは私の専売なのよ、顔洗って出直してくる事ね」
すかさず矢を番えて間髪入れずに射った(其れも三発)でこちんに言われたけど、軽く無視。
だけど流石、とは思ってやる。
射られた矢はどれも見事に的中。
しかも其の一発は私が狙った目玉へ。
目論見どおり潰れたのだろう、其の痛みででかぶつが出鱈目に暴れまわる。
わけのわからない悲鳴つき。
そんな暴れるでかぶつを更に弱らせる為に、でこちんは矢を放つ。
得物をうっかり手放してしまった私は、何もしないでいれば確実に怒号が飛んでくるのが十分分かっているので、支援するべく術の詠唱体勢。
唱えるは最も得意な、
歌えや、真名姫!
じわりじわりと、痛みは確実に蓄積される。
暴れまわっていたでかぶつの動きが鈍くなっていく、其の様が手に取るように良く分かる。
とどめを刺すのならば、今だ。
だけど生半可な攻撃じゃ、無理。
腐ってもでかぶつ、名で言うのならおどろ大将。
親王鎮魂墓、最大の雑魚。
私がやっても良いけど、生憎得物が無い。
そんな時は。
あれほどきつく言っておいたのに。
戦中に己の得物を放り投げるなんて。
江利子のように遠距離攻撃を主とした得物なら話は別だけれど、聖の場合は完全に違う。
流石の江利子だって、弓ではたき落とす事はたまにある(それだって弓が痛む事だから滅多にしない)けど、放り投げる事はしない。
確かに。
聖の力で、しかも遠心力すら利用して放り投げられた槍は、直接突き刺すよりも、貫くと言う意味で大きく力を発揮する事もある。
現に、助けられた事だって。
だけどそれはあくまでも非常時。
今の場面では全く持って不用な事。
戦は遊びじゃない。
一つ間違えれば、命を落とす。
だからこそ、ふざけている余裕など無い、のに。
「聖…ッ」
莫迦、に続いて無意識に飛び出した怒号。
刹那、目が会う。
ともすれば、失敗失敗と、舌でも出しかねない瞳の色。
後で説教と言わんばかりに、睨み返した。
ヒュ…ッ
聖とそんな一瞬のやり取りをしている間に、江利子の矢が敵を貫く。
目をやられた時は心配したけれど、どうやら大丈夫のようだ。
弓取りにとって、弓取りに限った事ではないけれど、最も依存しやすい五感の一つである視力を奪われる事は得物を奪われたと同義。
とは言え、江利子にとっては目もただ一つの媒体にしか過ぎないのだろう。
現に拭いきれなかった赤が其の顔の半分を濡らしているけれど、動じる事無く、しかも事も無しげに矢を確実に的中させているのだから。
歌えや、真名姫…!
ぼうっと、人魚の影が浮き上がり、消えた後に残されたのは局地的な水の渦。
おどろ大将と其の周囲に居た犬じものをも巻き込んで猛威を振るう。
得物を己の短慮で手放したとは言え、流石に何もしないでいるのはまずいと思った…のかどうか、知らないけれど。
まぁ、本当に何もしないで突っ立っていたら、拳骨の一つでも喰らわしてやるつもりだったけれど。
しつこく生き残っていた魂呼ばい数匹に一撃ずつ見舞って、改めておどろ大将と向かい合う。
江利子の矢、聖の真名姫、だけでなく積み重なった諸々の損傷(主に聖の槍によるところが大きい)で、確実に弱っている。
けれど、未だ、止めにまでは至ってない。
最後の一手、が足りないのだ。然う、息の根を止める最後の一撃、が。
いつもだったら聖の槍が其れを担うのだけれど、思えば先刻の槍投げは其れを狙ったものだったのかも知れない。
今更ながら聖の短慮さには呆れてしまう。
が、今は呆れていても仕方が無い。
江利子の矢は、奥義を使えば別だけれど、止めを刺す為の一撃には届かない。
あくまでも足止めにしかならない。
そして頼りになる筈の聖の手には得物が無い。
ならば。
私は、離れていても分かる、其の広い背に向かって駆け出した。
「聖、屈んで…ッ」
瞬間、背に衝撃。
はい、とも、おう、とも、うん、とも、えー、とも、兎に角何も言ってないのに、私の背中は見事に彼女の踏み台とあいなりました。
それでも反射的に屈めたのは愛のなせる技かしら、なんて。
でもって勢い良く飛んでいった彼女は空中で体勢を整えてから、其れはもう、全体重を乗せたであろう一撃をでかぶつの脳天に喰らわせる。
その一撃、まさに一撃必殺。
ドゴォッ、と辺りに響いた音が全てを物語ってる。
いつも事あるごとに殴られてる私だけど、流石にあれだけは喰らいたくない。
気付いたら、三途の川辺りをお散歩してた、だなんて洒落になりません。
しっかし、あれだ。
あんなに力強い一撃を繰り出す彼女だけれど、其の動きはとてつもなく美しいんだよね。
見惚れること、間違い無し。
莫迦の背中を踏み台にして、中に舞う蓉子。
援護すべく、矢を放つ。
敵の腕は既に使いものになっていないらしく、ダラリと垂れ下がったまま。
あとは両の足を地にでも縫い付け…たのにも構わず、最期の力と言わんばかりに其れが千切れても暴れてるものだから、仕方なく、更に打ち込んであげた。
体がでかいと痛みにも鈍感になるのかしら、厄介ね。
ま、今となってはそんな鈍感さ、全く関係ないでしょうけど。
しかし、だ。
その瞬発力もさる事ながら、空中で瞬時に体勢を整えて、敵の脳天に気の込められた一撃を見舞う姿はいっそ美しいとさえ感じてしまうから不思議よね。
間違っても、自分では喰らいたくないけれど。
聖の背中に遠慮なく踏み込んで、空〈クウ〉へ跳ぶ。
と、同時に江利子の矢が敵へ飛ぶ。
動きをほんの少しだけ緩めた敵を打ち据える瞬間、拳に気を込めて、思い切り打ち抜く。
十分な手応え、つまり、骨が砕ける嫌な感触。暫くはじんわりと残るだろう。
聖に、槍で貫く時の感触の話もほんの少しだけ聞いた事があるけれど、何にせよ、気持ちが良いものじゃない。
寧ろ、不快で。思い出したくない事すら、思い出してしまいそうで。
…ああ、だから、なのかしら。
ズゥン、と音を立てて漸く地に伏した敵を見下ろしながら、思う。
だけどこれは、命を奪り合う、戦いなのだ。殺すか殺されるか、の。
感傷なんて、必要ないものだ。必要なのはやられる前にやる、ただ、其れだけ。
そんな事は痛い程、私は分かっているつもり…なのに。
「いやぁ、さっすが蓉子だねぇ」
ふにゃりと笑う、目の前のばか。
何が問題かと言うと、本人は遊んでいる自覚が無いところ。
こっちにしてみれば、ふざけるのも大概にして欲しいと言うのに。
此度だって然うよ。
幾ら雑魚はあらかた片付けて残るはほぼ大将のみとなっても、普通は己の得物を手放したりなんかしない。
手放す莫迦なんて、普通、居ないのよ。
「莫迦でしょう…!」
戦闘を終え、わざわざ莫迦の得物を拾ってきてあげた蓉子。
ありがとう、と得物を受け取ろうと…ついでに彼女の手でも握ろうとしたのだろう、
叱咤と頭にきつい一撃を見舞われて其の場に屈みこんでしまった、莫迦一人。
其の痛み、言葉では言えないらしく。
実際、唸りしか出ていない。
本当、ただの莫迦だわね。
「莫迦なのよ」
屈んで唸っている私を尻目に、でこちんが大して面白くも無さそうに、けれど嘲笑う。
ああ、あまりの痛みで涙が出てきたよ、蓉子さん…。
私はただ、其の手に触って握って、あまつさえ引き寄せて少しだけ抱き締めようとしただけなのに。
勿論、お礼の意を込めてだよ?
討伐の、殺伐した中で、幾ら蓉子分が足りないとは言え、まさかこんなトコでコトに呼ぶわけ無いじゃない。ねぇ。
てか、少しぐらい良いじゃん。蓉子の手に触りたい、触れたい、触れられたい、触って欲しいんだよ、蓉子。
「…あの」
漸く整ってきた呼吸を機に、声をかけてみる。
だけど、蚊が鳴くような声だったせいか、誰にも振り向いて貰えなかった。
この方達はどれだけの余裕を持っているのだろう。
私だってもう初陣ではないし、最初の時ほど、ひどいありさまでは無い…と思うのだけど。
息切れすらほぼしてないこの方達、どれだけの場数を踏めば、こうなれるのだろう。
「で、休みはもう良いでしょう。そろそろ行かない?
いい加減、お風呂に入りたいのよね、私」
「…然うね。
聖」
「へいへい。
やばい時以外はもうしません、よ」
「反省してないでしょう」
「や、してるしてる。
それに、例えば蓉子が敵の手にかかりそうになっているのを救う以外にはもうしない、って決めたし」
「……」
「ごめんなさい、殴らないで。
莫迦になっちゃう」
「じゃあもう、手遅れね」
「……うるせぇぞ、でこ」
「全く、本当に莫迦なんだから」
「わ、ごめんな…」
「…あまり莫迦な事、しないで」
「……うん」
「あーあ。
結局そうやって甘やかすのよねぇ」
頬に手を添えられて 其の手に自分の手を重ねて幼子のような表情を浮かべる当主様。
当主様の頬に手を添えて、まるでお母さんのように微笑む蓉子さま。
其の光景を見て、毎度の事だと呆れるお姉さま。
場所が場所でなければ、とても、綺麗な絵なのだろうけど。
しかもこれからが大一番だと言うのに、この余裕は一体どこから
「令、どうしたの?」
「さっさとしないと追いてっちゃうぞー」
「令、きついようだったら後に下がっていても良いのだけれど」
「あ、いえ、大丈夫です。今、行きます」
いつの間にか、先へ歩き出していた三人に慌てて追いつく。
見れば当主様の背中に蓉子さまの足跡がくっきりと付いてて、少しだけ、おかしかった。
いつか。
私もこういう風になれるのかな…。
なんて。
この後、まだまだ私には無理だ…と、力いっぱい思い知らされる事になるのだけれど。
さぁ、終わった終わった。
おうちに帰ろう、蓉子。
はいはい。
前向いて歩かないと転ぶわよ。
あー、温いお風呂に入りたいわ。
温いお風呂ですか、お姉さま。
四半刻、ゆっくりと浸かると気持ちが良いのよね。
疲れも取れるし。
疲れ、ですか…。
ん?
あ、いえ、何でもありません。はい。
蓉子、早く早く。
分かったから手を引っ張らないで。
帰ったら一緒にお風呂入ろうね。
入りません。
約束!
あ、こら…
L e a p t h e p r e c i p i c e 了
「Leap the precipice」
トラスティベル~ショパンの夢~
桜庭統
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