聖、此れは何なの。


   絵、かな。









  今 
 、 君 、 我 ガ 花 。









   絵、は分かるわ。
   私は何の絵かを訊いているの。


   女の人の絵。綺麗だと思わない?
   特に此の南観音太夫と…え、と、どれだったったけな…。
   そうそう此の北観音太夫、は京を代表する美人らしいよ。
   私の好みとは違うんだけど、まぁ言われてみれば確かにたおやかで…


   で?
   聖はどれが好みなの。


   はい、良く聞いてくれました。
   私は恥ずかし美人こと鯉太夫とか、横顔美人こと伯牙太夫辺り。
   特に伯牙太夫はさ、右に泣き黒子があってね。
   絵だと左向きだから分からないけど、其れがまた堪らないんだよねー。


   …イツ花に言って。
   燃やして貰う事にするわ、全て。


   ちょ、一寸。何を言い出すのかな、蓉子さん。


   何処の世に!芸妓の姿絵が飾ってある床の間があると言うの!!
   しかも当主の部屋に!


   良いじゃない。今じゃ、此処は私の部屋なんだし。
   其れに飾ってあると言うか、たまたま其処に出しっぱなしにしておいただけであって…。


   問答、無用。


   あ、あー。


   大体、子供達の教育にも良くないわ。
   祐巳も由乃も志摩子も元服前だと言うのに、うっかり見てしまったらどうするの。


   いや、別に見るぐらいだったら何も。
   こう、如何にもってのが描いてあるわけでも無いし。


   じゃあ。
   この絵は何?この女の人は何?どうして着物がこんなに肌蹴てるの?
   と、訊かれたら何て答えるつもりなの、貴女は。


   いや、若しも訊かれるとしたら最初のだけ、いや、せいぜい其の次までだと思うんだけど。
   と言うか、肌蹴てるって。


   兎に角。
   燃やすわ。良いわね。


   折角、集めたのに。
   せめて鯉太夫と伯牙太夫のだけは…


   そもそも!


   お、おわ。


   こんなものを買う余裕は無いのよ、当家には。
   其れなのに貴女は。


   だって。


   だって、じゃありません。


   だって!
   元はと言えば蓉子が構ってくれないから!


   だからだってじゃ…て、は?


   最近、全然じゃない。
   蓉子さん。


   一寸待って。
   どうして其処で私が出てくるの。


   じゃあ、そんな蓉子さんに逆に訊かせて頂くけど。
   最近、全然触れせてくれないのは何処の誰。


   …。


   ねぇ、蓉子さん。
   私は其の躰に、かれこれ一ヶ月は触ってないんだよ。


   …一ヶ月は言い過ぎよ。


   でも其れに近いでしょう。


   …せいぜい、三週間ぐらいじゃない。


   其れは一ヶ月と言っても間違いじゃない。


   …間違いだと思うわ。


   あーもう。
   全く持って、其の無自覚さ。
   私がどれだけ我慢してるのかだなんて、蓉子にとっては知ったこっちゃ無いんだ。


   だ、だからって!
   此れを買って良い理由にはならないじゃない!


   いーや、なる!
   私の寂しさを埋める為に此れぐらい買ってもおかしくない!


   なりません!!


   なるったら、なる!!
   いっそ、妓楼に行く事すら考えたんだから!


   せ、聖!!


   もう少し構ってよ、蓉子!!


   …ッ
   ちょ…ッ


   毎日なんて言わない。
   だけど、ずっと放っておかれるのはきついんだよ…蓉子。


   …。


   ねぇ、蓉子。
   今宵こそは私の部屋に来て。
   来てよ、蓉子。


   …聖。


   来てくれないのなら。
   私が蓉子の部屋に行く。
   駄目って言われても行くから。


   …。


   …欲しいよ、蓉子。
   蓉子が、欲しいんだ。
   然う…。


   ん…。


   …今直ぐにでも。
   蓉子を抱きたい。


   …駄目、よ。


   …どうして。


   今は、駄目。


   …今は?


   其れから…私の部屋も、駄目。


   …どうして?


   だって…狭いもの。


   私は気にしない。


   …聞いて、聖。


   …。


   私が…夜、聖の部屋に来る、から。


   蓉子が私の部屋に?


   …然う。


   …。


   其れで…其れで、良いでしょう…?


   …いや。


   せ、聖…。


   蓉子が来る前に、私から迎えに行く。


   …迎え、て。


   だって、蓉子が来るのをただじっと部屋で待ってるだなんて。
   ただでさえ、久しぶりなのに。
   無理、我慢出来ない。


   も、もう…あ。


   今ですら。
   我慢するのが大変だって言うのに。
   だから。


   未だ、駄目よ。聖。


   少しだけ。


   せ、せ…んッ


   …約束の印。


   …つけたのね。


   此れで蓉子は約束を守らなければならなくなった。


   こんなの、つけられなくても守るわよ。


   知ってる。
   けど。


   …もう。
   本当に莫迦ね。


   …うん。


   …聖。


   …ん?


   迎えに来るの、皆が寝てからにしてね。


   其れは…難しくない?
   特にでこ辺りとか。





   ・





   はい、ごっそさんでした!
   夕餉も美味しかったよ、イツ花。


   はい、お粗末さまでした。
   当主様に然う言って頂けると、イツ花は嬉しゅう御座います。


   あー、其れにしても食った食った。


   行儀と言葉遣いが悪いわよ、聖。
   それから口の端にご飯粒がついてるわ。


   んー、どこ?


   此処。


   んー…。


   言っておくけど。
   私は取ってあげないわよ。


   えぇー。


   えぇ、じゃない。
   見なさい。子供たちだって口の端にご飯粒なんてつけてないわよ。


   ちぇ、残念。


   然う言いながらも、顔は引っ込めないのね。


   えへへ。取って取って。


   嫌よ。自分で取りなさい。


   良いじゃない。減るもんじゃ無し。


   然ういう問題じゃありません。


   蓉子の、けち。


   …怒るわよ?


   …仕方ない、自分で取るかー。


   其れじゃあ、後片付けをしましょうか。
   それぞれ自分の分の食器はちゃんと自分で片付けて洗う事。


   蓉子さま。
   いつも言ってますけどぉ、其れはこのイツ花の仕事ですから。


   いいえ。
   こういう事はちゃんとしておかないと駄目なのよ。
   自分の事は自分でやれないと。


   んー、どうするかなー。
   …あ、然うだ。


   ふふ。
   蓉子さまってまるで皆さまのお母さんみたいですね。


   冗談でも止めて頂戴、イツ花。


   蓉子、蓉子。


   聖、貴女も…


   はい、蓉子。
   あーん。


   あー…?
   …て!


   美味しい?


   な、何するのよ!!


   ご飯粒を食べさせてみましたー。


   普通、しないわよ!そんな事!


   いや、ほら。
   日頃から、ご飯を残すのは駄目だって蓉子が言ってるからさ。


   自分で食べれば良いでしょう!


   私はもうお腹いっぱい。なので蓉子にお裾分け。


   意味が分からないわよ!莫迦!


   あのぉー、ちょっと宜しいですか?


   何!?イツ花!


   や、そのぉ。
   常々思ってたンですけど、当主様と蓉子さまは大変仲が宜しいですよね。
   お二人の仲が宜しいと家の中も明るくなって良いと言うか。
   お父さんとお母さんの仲が良いと家の雰囲気も良くなるって、
   お向かいのおばあちゃんが言ってましたけど、当たりなんですね。


   と、言っても。
   うだつの上がらない駄目亭主と世話焼き女房って感じなんだけれどね。


   然う、其れ!
   流石ですね、江利子さま。言い得て妙って感じです。


   でしょう?


   『いや、違うから其れ』


   突っ込まれる瞬間までも御一緒とは。
   イツ花、感服致しました。


   と言うかうだつの上がらない駄目亭主って誰の事よ、でこちん。


   世話焼き女房って誰の事?江利子。


   ほら、幾らか自覚もあるようだし。
   其々が違う方を選ばないのが何よりの証よねぇ。


   『いや、然ういう問題じゃないから』


   良いじゃない。別に間違ってるわけじゃないし。


   そりゃ、蓉子が私の嫁ってのは全然構わないけど、


   大いに構うわよ。


   うだつの上がらないって件〈くだり〉は気に入らない。


   じゃあ、ろくでなし?


   あい、分かった。歯を食いしばれ。


   一寸聖。暴力は駄目よ。


   止めないで、蓉子。
   今日こそは決着をつけてやるわ。でこちん。


   望むところだわ、天狗面。


   二人とも、止めなさい!


   …ええ、と。
   お姉さま、私、お姉さまの分も洗います。


   良いのよ、祐巳。自分でやれるわ。


   でも。


   本当に良いのよ。
   さぁ、一緒に井戸まで行きましょう。


   はい、お姉さま!


   由乃、蓉子さまはああ仰ったけれど。
   今の時期、未だ未だ水は冷たいから。
   由乃の分は私が…。


   自分で出来るわよ。
   甘やかさないでっていつも言ってるでしょう、令ちゃん。


   いや、でも。


   しつこい。


   あ、由乃…。


   グズグズしてると置いて行っちゃうんだから。


   ま、待ってよ、由乃ぉ。


   …。


   志摩子さま?どうされました?


   …何でもないわ、イツ花。


   然うですか?


   ええ。
   …ただ。


   ただ?


   早く、乃梨子が来てくれないかなぁ、て。
   一寸、思っただけ。







   表に出やがれ!でこ!!


   的にしてあげるわ、天狗面。


   だから、止めなさいって言ってるでしょうがぁ!





   ・





   皆様ー、お風呂が沸きましたよー!
   我こそは一番風呂!と言う人、バーンとォ!入っちゃってくださいねー!!


   はい!私、一番風呂入りたい!


   由乃、駄目だよ。


   どうしてよ、令ちゃん。


   一族が討伐に行ってない時の一番風呂はよっぽどの事が無い限り当主様。
   然う、決まってるのは由乃も知ってるでしょう?


   …知ってるけど。


   むくれたって駄目なものは駄目。


   …むー。


   一番風呂は駄目だけど。後で一緒に入ろう?


   …と、言うわけだから。
   聖。ちゃっちゃと入っちゃいなさい。


   あ、いや、蓉子さん。
   わたくし、頭のコブが大層腫れていて痛う御座います。
   なので熱いのは一寸…。


   つべこべ言わない。其れにコブが出来る程強く打ってない。


   と言うか、さ。
   どうして私だけ拳骨を呉れるのさ。
   そもそも江利子の余計な一言から始まったんじゃない。
   納得いかない。


   日頃の行いの差、てヤツじゃない?


   なにをぅ!


   聖が。日頃から。当主として。ちゃんと。やってれば。ねぇ。


   わざとらしくいちいち区切るな。鬱陶しい。


   私、たまに手伝ってるのよねぇ。誰かさんがやらないから。


   だからって。
   私が拳骨で江利子が…て。


   …痛いわ、蓉子。


   これで良いでしょう。
   さぁ聖、さっさとお風呂に入りなさい。


   あ、はい。ただいま。


   蓉子ってたまにとても横暴よね…。


   江利子にはちゃんと加減したわよ。


   加減してこれなの…。
   流石、けん…


   何?


   いえ、何でも無いわよ?


   其れじゃ、“夜”に備えてちゃっちゃと入ってこようかね。
   …ん?


   お姉さま、今夜は何の術を教えて頂けるのですか?


   然うね。昼に火葬を教えたから、夜は火祭りを教えようかしら。
   火祭りは火葬とは逆に己の火の技を高める術なのよ。


   然うなんですか!
   私、頑張りま…


   祐巳ちゃーん!


   ぎゃう…!!


   私、これからお風呂に入るんだけど。一緒にどう?


   と、当主様!
   イキナリ背後から抱きつくのは止めて下さいってあれほど…!


   入る?入らない?どっちかな〜?


   入りません!


   えー、一緒に入ろうよー。


   入りませんって!!


   入ろーよー。入ってくれると言うまで離れないぞー?


   当主様!いい加減に…!


   いい加減にして下さりませんか、当主様。


   お、おわ…。


   見てのとおり、祐巳も嫌がっていますわ。
   ご入浴なら、どうぞ、お一人でお願い致します。


   分かった、分かったから。
   とりあえず、其れを下ろしてくれないかな…?


   其れ、とは?


   そ、其の薙刀。


   あぁ。これは失礼致しました。


   …つか。
   一体何処から…。


   さぁ、当主様。祐巳から離れて下さいませ。


   へいへい。


   さぁもう大丈夫よ、祐巳。


   お姉さまー!


   …あの蓉子
〈アネ〉にして、この祥子〈イモウト〉ありってヤツかな。
   いずれ祐巳ちゃんも…。


   何か仰いましたか?当主様。


   いいえ。何も。


   一寸聖、貴女未だ居たの?
   貴女一人がグズグズしてると後がつかえるのよ。
   其れにお湯も冷めちゃうじゃない。
   イツ花の苦労も少しは考えて…


   そだ。
   蓉子、一緒に入ろう。


   は?


   二人で入っちゃえば、一人分の時間が浮くじゃん。
   うん、然うしよう。私ってば頭良い。


   何勝手に決めてるのよ。私は一緒になんて入らないわよ。


   良いじゃない。たまには。


   たまにだろうが、毎日だろうが。
   嫌。


   毎日蓉子と入れたらねー。さぞかし、幸せだろうにねー。
   こうさー、蓉子を前にして抱えるようにして、さ。
   たまに…あだ。


   ふざけてないで。
   早く、一人で、入ってきなさい。


   一緒に入ろーよー蓉子ー。


   大体、うちのお風呂はそんなに広くないから。
   大人が二人で入るなんて、最初から無理。


   広かったら、一緒に入ってくれるの?


   は?


   だったら家の増築、本気で考えちゃおうかしら!
   となると、先ずは資金集めからだな!


   増築は賛成だけれども、お風呂は仮令広くなったとしても一緒には入りません。
   以上。


   えー。
   一気にやる気が萎えたー。
   質素倹約するのも無理ー。


   …増築するしないかの話は今はどうでも良いわ。
   質素倹約については後日にでもゆっくりとするけど。
   今は兎に角、さっさと風呂に入れ。


   どうしても一緒に入ってくれないの?


   初めから入らないと言ってるわ。


   …そんなに照れなくても、どうせ夜には


   …。


   あ、其の構えを取るのは止めて。
   拳骨は先刻の一発だけで十分だから。


   一人で入るのね?


   本音は蓉子と一緒に入りたいんだけど、にゃー。


   入るの、ね?


   一人で入ってきます…はい。


   宜しい。着替えは特別に用意しておいてあげるから。


   はーい…。


   何?一緒に入らないの?


   …江利子。


   どうせだから一緒に入っちゃえば良いのに。今更、照れる仲でも無いでしょう?
   互いの裸なんて…


   江利子。


   あ、其の構えは止めて下さらないかしら。
   これ以上の拳骨は頭の形に影響が出るから。
   あ、令。一寸良いかしら。


   あ、はい。何でしょう、お姉さま。


   由乃も。良いわよね。


   其れは話を聞いてから決めます。


   …と言うか。
   二人して人を乱暴者のように言うの、止めてくれないかしら…。







   …はぁ。


   あのぉ、志摩子さま?
   部屋の隅っこで何をなさっているのですか…?


   早く。早く、乃梨子来ないかしら…。





   ・





   ねぇ、蓉子。
   また、なんでしょ。


   またって。
   何がよ、江利子。


   これでもかってくらいにご機嫌な聖の浮かれ具合の要因。
   アレが蓉子に叱られないでご飯を残さず平らげるなんて早々無いわよ。


   …私は関係無いわよ。


   ふぅん。
   じゃ、其れは何かしら。


   其れ…て?


   衿の奥の、赤い、の。


   …!
   ど、どうして…。


   あら、本当に在るの?
   言ってみるものねぇ。


   …嵌めたのね。


   いいえ?
   あくまでも言ってみただけ、よ?
   案外、分かり易いのよね。蓉子は。


   …私、聖の着替えの支度があるから。


   令と由乃に、ね。


   …。


   早く寝るよう、言っておいたから。
   あと志摩子にも。


   …ああ、然う。


   それから祥子にも。
   言った瞬間、微妙な顔してたわ。あの子。


   …祥子に余計な事を言わないでよ。


   良いじゃない、別に。
   今更なんだし。


   然ういう言い方、止めて下さらないかしら。


   だって。
   嫌な事じゃ無いのでしょう?


   …嫌、よ。


   然う?
   心做しか、浮ついているようにも見えたけど。先刻も、今も。
   ま、久しぶりだろうから仕方が無いのだろうけどね。


   …ッ
   私が言っているのは然うではなくて…ッ


   あーはいはい。
   相も変わらず、初心なままなのね。蓉子は。
   アレも其処が良いのね、屹度。いえ、絶対。


   江利子…ッ


   ともあれ。
   程々にしておきなさいよねー。


   …そんなの、聖に言って欲しいわ。


   ああ、違う違う。


   …?


   あまり甘やかさないで居ると寂しくて不貞腐れるけれど。
   だからって甘やかしてばかりいると、調子に乗ってつけ上がるって事。


   別に甘やかしてなんか。


   然う?


   然うよ。


   どうせ今回だって絆されたんでしょうに。


   …。


   ふふ。
   ま、良いわ。


   …甘やかしてなんか。


   蓉子。


   な、何。


   良い、夜を。


   …。


   それとも。
   熱い夜を、と言った方が良いかしら?


   え、江利子…ッ


   あーさっぱりしたー!
   …あれー着替えが無いや。


   あ。


   相変わらず、出てくるのが早いわねー。
   ちゃんと洗ってるのかしらね。


   おーい、蓉子ー。


   い、今持っていくから、一寸待ってて。


   はーい。


   …くすくす。
   其れじゃ、蓉子。
   どうぞ心行くまでお熱い夜、を。





   ・





   はい、ごきげん蓉子さーん。


   …。


   お約束どおり、お迎えに参りましたよー。
   ささ、聖さんと一緒にいざ、参りましょっか。


   …皆は?


   んん、寝たんじゃないかな。
   静かだったし、灯りも消えてたし。


   …然う。


   やっぱ、約束は守らないとね。


   こういった事に関しての約束は、でしょう?


   うん。其れは自信持って言える。


   そんな所にだけ自信を持たないで欲しいわね。


   はっは。
   まぁ、然う言うわけだから。
   さぁ、蓉子さん。


   …。


   あ、今更やっぱ駄目とかやっぱ中止とか言っても無理だからね。
   言った瞬間、今夜の私のねぐらはこの部屋になるから。


   誰も行かないなんて言って無いでしょう。


   うんうん。
   約束の印も在るしね。


   …しる、し。


   …蓉子?
   どうした?
   若しかしてつけられたとこ、熱くなっちゃった?


   ち、違うわよ、莫迦。


   だから照れなくても良いのに。
   やっぱり可愛いなぁ、蓉子は。


   …。


   ふふ。
   其れじゃ、お手を。


   …ありがとう。
   でも結構、よ。


   ああ、つれないなぁ。


   手だけじゃなく違うところも触りそうだもの、貴女。


   大丈夫。とりあえず、部屋までは我慢するから。


   とりあえず、ね。


   そ。とりあえず。


   …じゃあ。
   とりあえず、信じる事にするわ。


   そうこなくっちゃね。
   其れじゃ改めまして。お手をどうぞ、蓉子さん。


   はいはい。
   ところで、聖。


   んー?


   そんな格好で。寒くない?


   平気。どうせこれから暑くなるんだし。
   と言うか、考えただけで熱くなるイキオイだし。


   莫迦。
   貴女の手、冷たいわ。この分だと足も冷えてるでしょう?


   底冷えするよね、この家。


   誤魔化さないで。
   せめて、何か羽織ってくれば良かったのに。


   まぁ、良いじゃない。蓉子の手、あったかいし。


   だから…


   蓉子の部屋って。
   私の部屋から遠いんだよなー。
   と言うか、一番離れてる。


   離れだもの。仕方が無いでしょう。


   母屋にも部屋はあるじゃない。


   何処に。座敷は江利子たちが、客間は祥子と祐己が使っていて。
   志摩子ぐらいなものよ、ちゃんとした部屋を持ってるの。
   まぁ、確かに。
   志摩子の部屋だったらもう一人くらいは大丈夫だけど…


   私の部屋があるじゃない。
   蓉子一人ぐらい、悠々と迎えられるわよ。


   当主部屋は別格。


   思うにさ。当主は別格って考え方、止めない?
   私はどこまで行ったって私なんだから。


   そんなの、知ってるわよ。
   でも、今更変えられない。
   先代様たちが…


   じゃあ、今から私が変える。
   此れ、当主命令。


   莫迦な事、言わないで。


   本気だよ、私は。
   今宵から蓉子は当主〈わたし〉の部屋で寝るって事で。
   はい決定。


   止めてよ。
   聖と部屋が一緒なんて、とてもじゃないけど体が持たないわ。


   うん?其れはどうしてかなー蓉子さん。


   …。


   体が持たないって。
   其れはどういった意味で…あいた。


   調子に乗らないで。


   体が持たないって。
   最初に言ったのは蓉子なのにー…あだ。


   もう、良いから。
   兎に角、これからも私の部屋はあの離れで十分。


   でも正直な話、あの部屋狭いでしょう?


   一人で使うには十分よ。
   誰かさんが押しかけてこない限り。


   あー、其れは約束出来ないなー。
   たまには場所を変えるのも良いし。


   …貴女の頭には其れしかないの?


   うん、今はね。
   あーもう。ほんと、楽しみ。すっごい楽しみ。


   …そんなんだから江利子にばれるのよ。


   うん、何か言った?


   聖の莫迦って言った。


   うん、今の私は莫迦だよ。


   助平。


   うん、否定しない。
   本当にね、今其れしか頭に無いんだ。


   …。


   あ、蓉子。
   見て見て、月が綺麗だよ。


   …然うね。


   今宵は満月かー。


   残念だけど、満月は昨日。
   今宵の月は十六夜、よ。


   ま、何でも良いや。月は月だし。


   貴女ねぇ…。


   さて、と。
   ようこそ、私の部屋へ。
   ずぅっと待ってました。


   昼にも来た筈だけど。


   “夜”だと。
   意味合いが違うでしょう?


   …ええ、然うね。





   ・





   ちょ、一寸待って聖…ッ


   待てない。


   あ…。


   ずっと待ってた。だからもう、待てない。


   だ、だからって、こんな姿勢で…ぁ。


   …私、言ったよね。
   部屋までは我慢するって。


   言った、けど…。


   障子も閉めた。月の光も遮った。
   我慢なんてもう、出来ない。


   あ…あぁ。


   蓉子。
   久しぶりすぎて、頭がおかしくなってしまいそうよ。


   せ、聖…。


   もう。
   蓉子以外、考えられない。


   …ふ。


   今宵は…寝かせない。


   ま、待って…。


   …待てない、と。
   言ったわ。


   お願い、聖…。


   …。


   お布団で…お布団の中で、して…。


   …。


   このままは…いや…。


   …蓉子。


   聖…お願い。


   …立ったままは。
   後ろからはそんなに、嫌?


   …。


   答えないのなら。
   このまま続けるよ。


   だ、だ…あぁんッ


   …ほら。
   口で言うより、嫌がってない。


   せ、せい…。


   蓉子の匂い、蓉子の感触、蓉子の躰。
   もう、堪んない。


   あ、あぁ…ッ


   …逃がさないよ。絶対。


   に、逃げないわよ…。


   分かってる。
   でも。


   …ねぇ、聖。
   私はずっと傍に、今宵だけじゃなくずっと居るから…。


   …三週間もほったらかして呉れたくせに。


   だ、だって其れは…。


   …仕方が無いんだよね。
   蓉子にしてみれば討伐の方が大事なんだし。


   …そんな言い方、しないで。


   …。


   私だって…。


   …ごめん。
   困らせた。


   聖…。


   …。


   …。


   …分かった。


   …聖?


   布団の中が良いんでしょう?
   おいで、蓉子。


   え、えぇ…。


   …。


   …。


   …ねぇ、蓉子。
   私がどれだけ蓉子が欲しかったか、蓉子には分かる…?


   …。


   ね。
   蓉子は、私なんて要らない…?


   要らなくなんか…。


   はっきり言って。欲しい?欲しくない?要らない?


   …欲しい、わよ。


   本当に?


   本当では無かったら…此処に、来てないわ。


   …良かった。


   せ…あぁッ


   もう、良いよね。我慢しなくても。
   欲しても…良いよね。


   …。


   …蓉子?


   好きよ…聖。


   …。


   でも…。


   …でも?


   最初はあまり…強く、しないで…。


   …ッ


   其の…久しぶり、だか…


   蓉子…ッ


   あ…ッ


   蓉子、蓉子、蓉子…ッ


   あ、あぁ…んぅ…ッ


   好き、好きだ…。











   せ……い……ッ


   よう…こ…。






   ・






   …。


   あ。


   …せい。


   おはよう、蓉子。


   ……。


   なんて、未だ朝じゃないけどねー。
   先刻、太鼓の音が八つ聞こえたから。
   丑の刻に入ったところかな。


   …未だ、するのね。


   勿論。全っ然、足りないもの。


   …強くしないで、て言ったのに。


   其れは…ごめん。
   え、と。何処か痛い?


   …。


   ようこー?


   …痛くは無い、けど。


   動けない?


   ……ばか。


   うわぁ。
   其の顔、ものっそゾクゾクするんですけど…!


   …ものっそ?


   ものすっごく、て事!


   聖、言葉はちゃんと使って…ん。


   …本当、ゾクゾクする。
   蓉子の其の顔。


   …もう。


   んー…よーこー…。


   …ねぇ、本当に寝ないつもりなの?


   と言うか、寝かせない。


   …然う。


   ま、今みたいな一寸の休憩はありだけどねー。
   久しぶりできついと思うし。


   …久しぶりじゃなくても、きついわよ。


   大体さー。
   蓉子が討伐に行っちゃうと出来ないし、私が討伐に行ってる間も出来ないし。
   だからって二人で出陣、の時も出来ないし。


   そんなの…当たり前でしょう。


   いや私は別に出陣中でも一向に構わないんだけど。
   こう、見張りを交代して二人で休んでる時にちょこっと…


   そのまま、置いてこられたいの?
   そして、鬼の餌になりたいの?


   …え、と。
   しかもここのところ、二人が揃ってお留守番組に回る事も全く無かったし…て。
   蓉子、若しかして。


   …言っておくけど。
   わざとじゃ、無いわよ。


   でも、なぁ。


   そもそも、討伐へ行く面子を考えるのは貴女の役目でしょう。
   貴女がちゃんと考えてくれれば…


   ん、分かった。
   じゃあ、来月はまるまる、蓉子と私はお留守番組って事で。


   却下。


   えー、なんでよー。


   ちゃんと考えていないから。
   そもそも、何処に行くつもりなの。


   んー然うねー…何処が良いかしらねー。
   何処が良いと思う?蓉子。


   …今更だけど。


   呆れた?


   本当、今更なんだけれど。


   へへ。


   笑い事じゃないわよ、もう。


   まぁまぁ、良いじゃない。


   良くないわよ…て。
   聖…。


   …おしゃべりは此処までにして。
   そろそろ続き、しよっか。


   …。


   蓉子…む。


   …あまり。


   …。


   がっつかない、で。


   …難しい、かも。其れ。





   ・





   …ね、聖。


   …ん。


   聖がどれだけ私を欲しがって呉れているのか…私には全てを正しく理解する事なんて屹度出来ないけれど。


   …。


   要らないだなんて。
   もう、言わないで。


   …。


   そんな事、一度だって思った事無いのよ。


   …うん。


   それから。


   …それから?


   私、だって…。


   …私、だって?


   …欲しいって。
   ちゃんと思うのよ。


   …本当かなぁ。
   いつもいつも私ばっかりのような気がする。


   …私の性格、知ってるでしょう。


   …理性的で、頑固で、でも恥ずかしがり屋で。
   いつまで経っても初心なまま。
   まるで未通娘みたい。


   …。


   でもまぁ、一度溺れてくれるとそこら辺の芸妓なんか比じゃないけど。


   …其れって。


   うん?


   其の女〈ひと〉達とした事があるって事?


   …え。


   妓楼、行った事があるのね?


   や、無いよ。


   だって比じゃないんでしょう。
   其れって知らないと言えないじゃない。


   あ、あくまでも予想だよ。
   ほら、あの人達は金を取って寝るんだし。
   其の何と言うか、其の筋の人達だから、蓉子のような本当の初心さは出ないと言うか。


   …。


   そもそも。
   うちにはそんなお金無いじゃない?


   あったら行くのね。


   い、いや、行かないよ。


   でも気にはなるのよね。


   や、そ、そんな事…!


   先刻から吃りっぱなし。


   …勘弁してよ、蓉子。
   本当に無いんだって。


   …ふぅん。


   よーこー…。


   確か。
   鯉太夫だとか伯牙太夫とかが好みと言ってたわよね。


   だ、大体。
   私にはこんなに可愛いお嫁さまが居るってのに、どうして外で買わないといけないのさ…ッ


   …私は聖の嫁なの?


   そーだよ、悪いか!


   いや、悪いかと言われても。
   そもそも、其れは聖が言う言葉じゃな…


   蓉子は私だけが咲かせられる花。
   咲かしても良い花。
   だから。


   …。


   私は蓉子だけで良い。


   …然う。


   然う、私は蓉子が居れば良いんだ。


   …途中の自惚れは。
   聞かなかった事にしてあげるわ。


   …蓉子ぉ。


   ふふ。


   …ええい、もう!
   今宵は絶対、寝かせない。寝かせるものか。


   そんなの、最初に聞いたわ。


   …ッ
   あーもう、休憩終わり…ッ
   思う存分、がっつきまくってやる…ッ





   ・


   ・





   おはようございます、蓉子さま。


   …おはよう。


   あ、あの…。


   …何、かしら?


   若しかして、今、起きられたのですか…?


   …なぜ?


   何処と無く、寝起きのようにも見えるので…。


   …。


   あ、す、すみません…。


   …良いのよ。
   本当の事だから。


   え、えと、珍しいですね。


   …何が?


   いつもなら家族の誰よりも早く起きていらっしゃって。
   なかなか起きてこない当主様を起こしに行かれるのに。


   …あぁ。


   え、と。
   何処かお加減でも悪いのですか…?


   …どうして?


   お顔色が少し優れないように見えますし、お足元も何処か覚束無いような気がします。
   それから。


   …。


   家の中で首巻きをなされているから。
   起きてこられたのも遅いし、若しかして風邪でも召されたのでは無いかと…。


   …ねぇ、祐巳。


   はい、何でしょうか。


   人間、計画性ほど必要なものは無いと思うわ…。


   …へ?
   あ、あぁ、確かに必要ですよね。
   私もこの間お姉さまに…


   矢張り、定期的にある程度発散させておかないと…。


   …発散?


   手がつけられない位になってしまうと、本当にどうにもならないわ…。
   にっちもさっちも行かないと言うか…。


   あ、あの、蓉子さま…?


   …確かに。
   確かに私だって……と、思ってはいたけれど…。
   だからってこんな…。


   も、もーしもし?


   ……はぁ。


   ど、どうしよう。
   とりあえず、イツ花に言って何か温かいものでも作って貰って…ぎゃッ


   おーはよ、祐巳ちゃん!
   今日も相変わらず人外な啼き声だねぇ!


   と、当主様!
   離れて下さい!と言うか人外言わないで下さい!


   やっぱねー、冷えた朝には祐巳ちゃんの温もりが必要だと思うのよー。


   私は迷惑ですから!


   えぇー。今朝の祐巳ちゃん、冷たーい。


   兎に角、離れて下さい!
   それと、蓉子さまの様子が何か変なんですよ!


   蓉子が、変?
   んー…。


   …がっつかないで、て言ったのに。
   いえ、確かに煽ったかも知れないけど…。
   …の跡、どうしてくれるのよ…もう。


   あぁ、あれなら大丈夫大丈夫。


   でも!
   何処かお加減が悪そうで!おまけに遠い目をしながら何事かをブツブツ言ってるし…!


   大丈夫だって。
   ただ、疲れてるだけだから。


   疲れて…?
   …朝なのに?


   ねぇ、蓉子さん。


   ……。


   ありゃ、返事無し?


   …聖の、ばか。


   わお、朝から莫迦呼ばわり?


   …私、顔洗ってくるわ。


   あぁ、顔洗うのなら私も行く。
   一緒に行こ。


   …勝手にすれば。


   うん、勝手にする。
   それじゃ祐巳ちゃん、お名残惜しいけど私行くねー。


   いえ、私は全く名残惜しくありませんから。


   あはは。
   じゃ、朝餉の時にまたねー。


   はいはい、然うですね。
   …て、あれ?


   ねぇねぇ、蓉子ちゃん。
   足元が覚束ないように見えるけど。


   …誰のせいよ。


   何なら、支えてあげよっか?
   肩でも腰でも何処でも、好きなところを言って。


   …結構、よ。


   …当主様の部屋はあっちだから。
   当主様がそっちから来るのは当たり前だけど…。


   遠慮しなくても良いのに。ほら。


   …触らないで。


   転んで頭でも打ったら大変だからねー。


   …もう。


   …何で寝起きである蓉子さまがそちらから来るんだろう。
   蓉子さまの部屋って確か当主様の部屋とは正反対の…。


   ささ、蓉子ちゃん。


   …離れてよ。


   照れない照れない。


   …鬱陶しいのよ。


   ……ええ、と。


   どうしたの?祐巳。


   あ、お姉さま。


   当主様、今朝は起こしに行かなくてもちゃんと起きたようね。
   …と言うより矢張り、ご自分の力では無いようだけれど。


   あの、お姉さま。


   何?


   蓉子さまの部屋って確か離れでしたよね。
   向こう、の。


   然うよ。


   …やっぱ、然うだよなぁ。
   じゃ、何で当主様の部屋の方から…


   祐巳。


   はい、何でしょう。お姉さま。


   世の中、どうでも良い事というのがあるのよ。
   知る必要も無いような、ね。


   は…?


   当主様も起きていらしたようだし。
   そろそろ、朝餉の時間ね。
   行くわよ、祐巳。


   あ、待ってください、お姉さま。
   其れってどう意味なんですか??













   ね、ね、蓉子。今宵も私の部屋においでよ。
   またお迎えに行ってあげるからさー?


   …今宵もすると言うの。


   三週間分、取り戻さないとねー。
   然うで無くとも私達の刻〈とき〉は長くないんだしさ。


   …。


   と言うわけで。
   蓉子さんは今宵も私と一緒って事で。
   あ、今宵の場所は蓉子の部屋の方が良い?
   狭けりゃ狭いで、遣り様は幾らでも…。


   …ああ、もうッ
   何でそんなに元気なのよ…ッ












  今宵、君、我ガ花了