−三月
春の討伐隊選考試合
優勝、「山百合一族」
屍 越 エ
−四月
当主部屋にて
蓉子さん、蓉子さん。
健康度が50になってしまいました。軽くやばいです。
先月の御前試合で莫迦な事をするからよ。
はい薬。これを飲んでさっさと寝て頂戴。
そんなのよりもっと効くの、知ってるんだけど。
蓉子、これから言う事はとーしゅめーれー、ね。
お断りします。
だから。当主命令なんだって。
断固、拒否するわ。
だーかーら、命令なの。と言うか未だ内容言ってない。
嫌なものは嫌だし、聞きたくもない。
むぅ。
もういい年なんだから。さっさと休んだ方が良いわよ。聖。
其れはお互い様じゃない。と言うか蓉子の方が年上だし。当家最年長だし。
だから一緒に…さ?
…何だったら無理矢理にでも休ませて上げても良いのよ?
じゃあ、膝枕で良いわ。
は?
ひざまくらー!
健康度が50しかない人間にはとても見えないわね。
してくれないと寝ない。寝られない。
寿命が縮まるわよ。
うわ、今の言葉で健康度が更に下がった!50切った!
これは本格的にやばいよ、蓉子さん!
気のせいでしょ。
う、わ。
ひどいよ、蓉子ぉー。
蓉子がそんなにひどい人だったなんて思ってなかったよー。
どうでも良いから。
大人しく、さっさと、寝て。
勿論、一人、で。
こんな広い家で一人寝は寂しいよー。
思ってるほど広くないから大丈夫よ。
誰かさんのお陰で増築もままならないんだから。
あい、分かった。
何?大人しく休む気になった?
言っておくけど膝枕はしないわよ。
蓉子さんも一緒に寝よう。
…は?
蓉子、64、でしょう?
何が。
健康度が。先月は86だった。
…。
歳には勝てないね。お互い。
貴女の場合は莫迦な事をしたから。
あの場面で奥義を使う必要性は全く無かったのよ。
其れなのに。
でも。
御前試合、楽しかった。久々に三人揃った…のは微妙だったけど。
私は出ないつもりだったのに。
貴女と私が出るくらいなら由乃か志摩子、若しくは祐巳が出た方が良かったわ。
蓉子と一緒が良かったんだもの。
桜の花、綺麗だったでしょう?
そんな事を言って。本当はどこか綺麗な女(ヒト)でも見てたくせに。
うん、見てた。
あっさり認めるのね。
だって。凄くキレイだったのよ、其の人。
…ふぅん。
舞う桜の花びらの中で佇む姿がとても絵になっててね。
もう、この世の人だとは思えないくらい。
…で?
思えば桜より綺麗だったな。
其れは良かったわね。
とても、さ…。
…もう、分かったわよ。
とても。とても、綺麗だったんだ。
蓉子。
…え。
蓉子ね、凄く綺麗だった。出来ればずっと見てたかったな。
…。
あ、赤くなった。今は綺麗と言うより可愛いの方があってるなぁ。
からかわないで。
からかってなんかいないよ。
…いい加減にして、聖。
何を?何をいい加減にするの?
ああいうの、本当は好きじゃなかったくせに。
ああいうの?
御前試合。いつか、見世物みたいだって。嘲笑ったくせに。
…なのに。
ああ。
どうして。どうして楽しかったなんて言うの。
どうしてだろうね。どうしてだと思う?
訊いているのは私。
蓉子と一緒に出たかった。ただ、其れだけ。
其れじゃ、駄目?理由にならない?
…。
眉間に皺、寄ってる。綺麗なのに勿体無い。
けど、其れは其れで良いかな。
触らないで。
未だ触ってないよ。触ろうとしたけど。
莫迦。
わぁ。
聖の…莫迦。
…?
…。
蓉子?
…綺麗だったなんて、言わないで。
ねぇ、蓉子。
…何。
あと、二ヶ月。いや、一ヶ月で良いや。待っててよ。
待てない、と言ったら。
そこを何とか。
我侭ばかり。
結構、切実かも知れないのに?
嘘。
じゃあ、嘘じゃない証にこれをあげる。
要らないわ。
今なら私の温もりつき。
要らない。欲しくない。私はそんなの、望んでない。
持っててくれるだけで良いんだけどな。
私以外の人に渡せば良いじゃない。
蓉子に持ってて欲しい、と言ったら?
そんな我侭、聞けない。聞きたくない。
…じゃあ。
もう、止めて。
私より先にいかないで。いってしまわないで。
…ッ
ねぇ、蓉子。
私を置いていかないで。一人にしないで。
聖…。
…なんて、ね。
ま、アレだ。
年下には年下なりの我侭ってものがあったりするのよ、よーこさん。
…まるで遺言を強引に聞かされているような気分だわ。
最悪。
動揺してくれた?してくれたら、嬉しいなぁ。
何とでも。
当分、死ぬつもりは無いわよ。年上の蓉子さんも此処に居る事だしね。
安心した?
別に。
あら、蓉子さんってばつれない。
先刻まではあんなに…
ふざけてないで、もう寝て。私にもやる事があるのよ。
いつまでも貴女の為に割ける時間は…
と言うわけで、はい。
…て、一寸聖。
持ってて。
受け取らないわよ。
受け取る必要は無いよ。其れはあくまでも私のものだしね、未だ。
ただ持っててくれるだけで良いの。
嫌よ。
実際問題。
今まで当主的役割を果たしてきたんだから良いじゃない。
誰かがいい加減なお陰でね。
けれどこの家の現当主は貴女よ、聖。
じゃあ、寝てる間だけ良いや。
と言うわけでおやすみ。
…聖。
んー…蓉子の膝、気持ち良い。
もう。誰が良いって言ったのかしら、当主様。
…。
大事な指輪をこんな所に置いて。
無くしてしまったらどうするつもりなのかしら。
…名前で呼んでくれなきゃ返事、しないよ。
勿論、襲名前、の。
聖。
うん?何、蓉子。
指輪、今だけだから。
何だったら嵌めてくれてても良いわよ。
冗談じゃ無いわよ。
ね。寝る前に一つ聞いても良い?
駄目と言っても聞くでしょうね、貴女は。子供と同じで。
まぁ、ね。
それで?何?
どうして交神しなかったの?
した方が良かった?
やだ。
直接的なものじゃないってのは分かってるけど。
何となく、やだ。
なら良いじゃない。
其れじゃ問いの答えになってない。
やだって言ったくせに聞きたいの?
一応、当主だから…という事にしておく。
然うね…する必要が無いと思ったから。
子供、欲しいとは思わなかった?
欲しいと言うより、家の事を考えたら残すべき、と思っていたけれど。
祥子達を見ていたらそんな思いも無くなったわ。
此処には継いでいける子達がちゃんと居るから。
折角、奥義も創ったのに。
今後、私よりも素質の高い子は幾らでも生まれてくるだろうから。
そのうちの一人が私と同じ職に就けば直ぐにでも復活するわよ。
蓉子が此処に居たと言う証はどうするの。
何も、血を残す事だけが証になると言うわけではないでしょう?
大体、自分の事を棚に上げて。聖こそ、当主のくせに交神しなかったじゃない。
どうして?
別にしたいと思わなかったから。
そもそも男神なんぞに興味は無いし。
若しも、女神と交神出来たら?
うん、一寸は考えたかも。
本当に一寸?
はは。
個人的には万珠院紅子あたりが好み。
…。
あの人、蓉子に似てる。
黒髪で。
…話を元に戻しましょうか。
照れてる?
…聖は。
子供が欲しいとは…
其の問いの答え、蓉子は疾うの昔に知ってると思うけど。
…変わったかも知れないじゃない。
変わってないよ。
大体、一口に己の子供と言われてもね。どんなものか想像出来ないし。
でも。
でも?
蓉子との子供だったら考えてみても良い。
私、との?
うん。
呪いを受けて無くても土台無理な話じゃない。
蓉子に似ていたら屹度可愛い。
…。
でも母子でお世話を焼かれたら大変だなぁ、私。
…聖に似てたら。
屹度綺麗な子だとは思うけど…大変よね、やっぱり。
親子で膝枕争奪戦を繰り広げるかもねー。
大人気無いと一蹴するだけね、そしたら。
どっちを?
勿論、親の方を。
えー。
どうせ、貴女の事だから。
代わりの人にしてもらうんじゃないの。
蓉子の代わりなんて居ない。
大体、蓉子の膝枕は蓉子じゃないと味わえないじゃない。
こんな風に……いたぁッ
どさくさに紛れて変な所に触らないで。
ちょ、一寸ぐらい大目に見てくれても良くないですか。
蓉子さん。
ところで聖、本当にこのまま寝るつもり?
然うだけど。
動けないじゃない。
良いじゃない。
良くない。
其れじゃ一緒に寝て。
添い寝!添い寝!
結局、其処に戻るのね。
駄目?
駄目。
じゃあ、このまま寝る。おやすみ。
聖。
…。
…強制的に退けてあげても良いのだけど。
…くー。
空寝入り。
…。
聖、ちゃんと布団で…?
…蓉子。
…くすぐったいわ、聖。
顔、触っても良い?
もう、触ってるじゃない。
ふふ。蓉子の顔…やっぱり綺麗。
どうせ。
他の人にも同じ様な事、言ってるんでしょうね。
…どうだろう?
惚けて。
…綺麗な人はいっぱい居たけど。
一番なのは…蓉子だよ。
…。
……好きだよ、蓉子。
…突然、何。
蓉子は…?
私の事…好き?
…言わなくても。
知ってるでしょう…?
聞きたい…聞かせてよ、蓉子。
……好きよ。
私は聖が好き…。
うん…。
…さぁ、聖。
良い子だから布団で寝て。このままだと風邪を引いてしまうわ。
…。
…聖?
…。
聖。
…。
本当に眠ったの…?
−幕間
昼、座敷にて。
あー…。
…。
あーーーー。
先刻から。鬱陶しい位に。あーあーうるさいんだけど。
あー何だっけーーー。あーー。
だからうるさいから。人の部屋で唸らないで。
ああ、もう良いや。ねぇ、江利子。
何よ。
蓉子の名前って、何だっけ…?
…。
あ、何。其の可哀想なモノを見るような、と言うか少し嘲った感じの顔は。
蓉子の名前は「蓉子」、でしょう。
何、とうとう耄碌でも始まった?自分で言ってる事も分からないくらい位に。
そんなのは知ってるわよ。私が言いたいのは蓉子の「蓉」の字の事。
確か花の名前だったよなぁ、て。
…。
あ、何。其の呆れのようでいて、実は哀れみを含んだような目。
ああ、とうとう耄碌が始まってしまったのね。可哀想な聖。
耄碌耄碌言うな、でこちん。
と言うか少しも可哀想だなんて思ってないでしょう。
ええ、全然。これっぽちも。
…あぁ、何だったけなぁ。此処まで出掛かっているのに…!
愛しの蓉子さんの名を忘れるなんてねー。
あーー。
…聖!
あ、蓉子。
貴女、また寄り合いをさぼって!!こんなところで油を売って!!
ごきげんよう、蓉子。寄り合い、大丈夫だった?
ごきげんよう。おかげさまで。
ところで聖、分かってるわよね。
ごめん、今其れどころじゃない。
は?
私は今、とても大事な事を思い出すのに忙しいから。
…あー。
ふざけた事を言ってないで。
当主である貴女に報告する事があるのよ。
全く、貴女が寄り合いに出ていればこんな事にはならなかったのに。
ごめん、蓉子。一寸黙ってて。
はぁ?!
そう言えば相翼院で咲いていたわよねぇ。
周りは鬼しか居なかったものだから、其処だけ違って見えたわ。
然う然う。最初見た時は「へーこんなトコロに」と思ってさ。
二人とも何の話をしているの?
其の話は寄り合いの事より大事な事なの?!
私にとっては!
少なくとも聖にとっては。
な、何なのよ…。
間違いなく「蓉」がつくんだよね。
よう、よう…。
こうなったら直接本人に聞けば?
あっという間に解決するわよ。
其れは出来ないわ。
自分で思い…
ねぇ、蓉子。
蓉子の「蓉」の字の事なんだけれど…なんだったかしらね?
何だったって?
だから其の字のつくは…
わ、わー!!!!
な、何…ッ?
聖、やかましいわよ。大声出さないで。
自分で思い出すから!江利子は余計な事を言わないで!
ね、蓉子。
聖ね、とうとう耄碌が始まっちゃったみたいなの。
耄碌?聖が?
だから!耄碌言うな、でこちん!!これはただのど忘れ!!
年をとって頭や身体の働きが衰える。
其れを巷では耄碌と言うのよねぇ。若しくは老いぼれる、とか。
まぁ聖の場合、日頃から頭を使うような事はほぼ蓉子にやって貰ってるから仕方が無いのかも知れないけど。
あーあ。
あーあ、じゃない!
江利子。
結局聖は何が言いたいのよ。
言いたいと言うか。思い出せないんだって。
思い出せない?何を?
この現世〈ウツシヨ〉で一番愛しい花の名前、を。
花?
絶対に自力で思い出してやる…よう、よう、よう。
先刻は私に聞こうとしたくせに。
先刻は先刻。今は今。よう、よう…。
そんな事より聖、報告を聞いて。
京にまた、一族を奉った建立物を建てると言う話が持ち上がってるのよ。
また?この間は確か…。
永久に輝け、そして安らかに眠れ、山百合家の御霊よ神社。
よう、よう、よう…。
ふ。
ふ?
よう…あ。
何でもないわ。
其の何とか神社、いつ聞いても大仰な名よね。と言うより、迷惑。
本当。いい加減にして欲しいわ。
奉納点が下がるのは確かに有難いけれど…。
祭の名もおかしいものばかりだしね。
一度、京の人達の頭の中を見てみたいわ。
江利子が其れを言うの?
思い出した!思い出したよ、蓉子!!
え…?
あら、思い出しちゃったのね。
然う!其の花の名は…!!!
同日夜、当主部屋にて。
芙蓉帳暖度春宵…(芙蓉の帳暖かにして春宵を度る)
貴女の口から白楽天が聞けるなんて。
蓉子に教えてもらったんだよなぁ、と思って。
まさか覚えていたなんて思わなかったわ。
貴女はいつもどうでも良さそうな顔をしていたから。
いろは歌の時だって然う。
蓉子の蓉は芙蓉の蓉だから。そこだけはちゃんと覚えてるのよ。
忘れてたくせに。寄り合いもすっぽかして。
でも自分でちゃんと思い出したから。
また忘れちゃうんじゃないの。
江利子曰く、耄碌が始まったそうだから。
蓉子まで。ひどいなぁ。
其れに草冠に内容の容で良い、と言ったのは誰?
私?
然う、貴女。
でも今は芙蓉で良いと思ってるよ。
お美しい蓉子さんにぴったり、とも。
有難う。言葉だけ受け取っておくわ。
あ、蓉子。見て。
見てって何処を?
外。仄かに明るくない?
…月の光?
いえ、月の光とは違うわね…。
障子。少しだけ開いて、見てみようか。
…止めてよ。
大丈夫、皆もう寝てるって。
どれ…どっこいせ、と。
聖、年寄りくさいわ。其れ。
…寒!何だか今宵はやたらに冷えるなぁ。
そんな格好で。着物を羽織って、聖。
良いわよ。直ぐ戻るから。
恥ずかしくないの?
どうして?蓉子さんも同じ格好なのに。
…私は、布団の中に居るから。
ふぅん?布団の中でなら良いんだ?
…聖。
直ぐに其のぬくもりの中に戻るから。
あっためておいてね、愛しの蓉子ちゃん。
ばか。
はは。やっぱりかわいいなぁ、蓉子は。
…自分の部屋に戻ろうかしら。
だぁめ。今宵の蓉子さんの部屋は此処と決めたんだから。
誰が。
私が。
…じゃあ、早くしたら。
うん?
外、見るのでしょう。このままだと確実に風邪をひくわよ、貴女。
あー然うだった然うだった。
どれ……おー。
…せい?
雪だよ、蓉子。どおりで冷えるわけだ。
然ういえばお昼ごろから雲が重く垂れ込んだ空模様だったわね。
朝もとても冷えたし。
積もるかな。
積もったら明日は皆で家の周りを雪かきしないと。
どうせだから合戦もしようよ。雪合戦。
そうやって。いつもさぼろうとするんだから。
だって…クションッ
…聖。
おわー、本格的に冷えてきた。退散退散。
もう。本当にばかな…冷たッ
おーあったか〜い。
冷たいから。くっつかないで。
そんな事言わないで。あっためてよー。風邪、ひいちゃうよー。
自業自得。
蓉子ー。
…はぁ。
もう、こんなに冷たくなっちゃって。
蓉子の手、あったかい。
聖の頬はつめたいわ。
…んー、蓉子ぉ。
だから、くっつかいないで頂戴。
えー…。
温まるまで、駄目。
それから其れももう駄目。
えー、未だ足りなーい。
明日に差し支えるわ。
明日は明日で何とでもなるわ。
大事なのは今、この腕でこうして芙蓉の花を抱く事。
一寸、聖。
温かい、私だけの芙蓉。
もう…。
…然うだ。
今度、芙蓉を見に行こうよ。
…何処に?
相翼院。
季節になったら、さ?
…そんな、近所に散歩に行くような気軽さで言わないでよ。
−五月
当主部屋にて。
…こ。
…。
…蓉子、蓉子。
…え。
ぼうっとして。珍しいわね。
…えり、こ?
お姉さま…。
祥子…?
…どうして?
貴女は確か、令達と忘我流水道へ討伐に行っている筈じゃ…。
令達なら、此処に居るわよ。
皆、帰ってきて此処に揃ってるわ。
あ、あの、とう…
令。
…祥子。
お姉さま。
此度の討伐にて敦賀ノ真名姫を解放、また氷ノ皇子を打倒して参りました。
ただ、氷ノ皇子の解放までには至りませんでしたが。
しかし髪は…
…然うなの。
良くやってくれたわね…。
お姉さま……。
…。
蓉子?
ねぇ、江利子。
聖は…?
…。
聖は…確か私に膝枕をねだって…。
江利子、聖は何処へ行ったの…?
聖は…いつもどおり、よ。
また何処かふらふらしてるみたい。
あぁ、また姿絵屋にでも行ってるのかしら…。
本当、散財ばかりしてくれて…。
蓉子、行くの?
うん…?
探しに。
いつものように行くのでしょう?
然うね…。
全く、手の掛かる当主を持つと大変よね。
おまけに方向音痴だから。一度何処かに行くとなかなか帰ってこないし。
ね、江利子…。
何?
いつか…。
真っすぐに…いつも真っすぐに歩いていく…決して後ろを振り返らない…
そうすれば迷子になっても、迷子になった気はしない…と言っていた人、居たわよね…。
…居たっけ、そんな人。
先代か…先々代か…。
多分、聖は然うなのかも知れないわ…。
自分の想いに対してはどこまでも小心者で臆病者のくせに。
それから…どうしようもなく、寂しがり屋で…甘えん坊で。
でもそこが堪らなく…。
…惚気?
そんなんじゃないわよ…やぁね。
…。
さて…と。
私、聖を探してくるわ…。
こうして皆が揃っていると言うのに…当主だけが居ないだなんて…。
今月の予定も立てないといけないし…。
…大丈夫?
…?
何が…?
いえ、何でもないわ。気にしないで。
…変な江利子ね。
蓉子。
…何故かしら。
其の名前で呼ばれるの、とても久しい気がするわ…。
…蓉子、聖の事お願いね。
えぇ…ぁ。
蓉子…!
ごめんなさい…。
一寸、立ちくらみを起こしたみたい…。
…然う。
其れに何故かしら…。
左手がとても重たくて…身体の平衡がうまく取れないの…。
…あ。
…。
…聖ね、こういう事をするのは。
眠っている間だけと、約束、したのに…。
…。
さっさと見つけて…付き返さないと…。
…お姉さまッ
…どうしたの?祥子。貴女がそんな声を出すなんて。
皆も…そんな顔をして…。
まるで私が…
蓉子。
何、江利子…。
当主の代わりをするの、何だかんだ言ってても楽しかったでしょう?
ええ、然うね…。
でも其れは聖だったから…。
知ってるわ。
…あぁ。
聖ったら、本当に何処へ行ったのかしら…。
相翼院にまた…芙蓉を見に行こうって言って…いたのに…。
私の名前、忘れない…て、言ってたのに…。
…聖。
聖…。
貴女は…いつも…。
…蓉子の事、ちゃんと迎えてやらなかったら。
私が承知しないから。
−八月
庭、池の前にて
…当主様。
…。
皆が待っています、当主様。
…止めてくれないかしら、其の呼び方。
…。
其れは確かに今の私を指す言葉ではあるのだけれど、其れは私自身を指す言葉では無いように思えるの。
息苦しさすら感じるわ。
…。
…この指輪も。
こんなに重たい物だったのね。
…。
せめて、貴女だけは。
然うね、二人でいる時だけでも良いわ。
私の名で呼んで、令。
…。
これは命令では無いわ、友としてのお願いなのよ。
…分かりました。
其れと其の他人行儀な敬語と態度も止めて頂戴。
分かったわ、祥子。
…で?こんな所で何してんの。
…ねぇ、令。
私はあの三人を氏神にするつもりは無いと言ったら。
貴女は何と言うのかしら。
私の意見を聞くの?
この家の先を考えるのであらば少しでも良い遺伝子を残した方が屹度、いえ絶対に良いわ。
けれど私はあの三人を其れにしたいと思わないの。
其れはどうして?
望んでいない、と。
ただ漠然と思うのよ。氏神なんて、神になるだなんて。
特に子を生さなかったお姉さまと聖さまは…。
…。
間違ってるかしら…?
弱気だね。
でももう決まってるのでしょう?私の意見を聞かずとも。
…。
私は祥子の言葉に従う…いいえ、祥子の言葉は私が思う事と一緒だから。
私は其れで良いと思う。正しいかどうかなんて分からないけれど。
でも私は思うの。正しいかなんて、そんなものは今私達が決める事じゃないって。
…然う。
だから。
祥子が先代さま達を氏神にしないと言うのなら、反対しない。
其れにね。私のお姉さまも氏神なんて嫌、と思ってると思う。
子を作る時にだけ呼び出されて。
自分の意思とは関係無く生かされるのは、ただ、退屈なだけだって。
確かに。あの方なら言いそうね。
何せ。
曰く、化けて出たりはしない…多分ね。と言ったくらいの人だから。
由乃なんかたまに夢で見る事があるみたいで。
時々、うなされている事があるのよね。
ふふ。何だからしいわね。
笑い事じゃないわよ。うなされて起きた時はいつも、令ちゃんのばかーって言われるんだから。
お姉さまに何を言われたのか知らないけど、清々しくあって欲しい朝に、開口一番が其れってなんかね。
ひどい時は明け方に起こされる時があるし。
時に祐巳ちゃんは大丈夫?
祐巳?何故?
聖さまにいたく、気に入られていたようだから。
毎晩、幸せそうに寝てるわよ。たまにおかしな夢を見る事はあるみたいだけれど。
それはいつもの事だし。
其れってやっぱり、蓉子さまの力だったりするのかな。
お姉さまの?
多分、目を光らせてるんだよ。
あっちでも。
ああ、案外然うかも知れないわね。
何だかんだ言っていても。
結局、聖さまは蓉子さまにベタ惚れだったものね。
お姉さまも。
何だかんだ言ってらしても、聖さまには甘かったわね。
ね、祥子は見た事ある?
何を、かしら?
あの三人の併せ技。
私は雷獅子で見た事があるんだけど。
私は鳳招来で見たわ。
凄かった、よね。
ええ、凄かったわ。
本当、美しいくらいに…。
うん。
…令。
うん?
いいえ、何でもないわ。
そっか。
そろそろ、行きましょう。祐巳達が待ってる…のよね。
然うだよ。祥子が来るのを待ってる。
今月の予定はまぁ、決まってるから良いけど。
来月は紅蓮の祠に行くわよ。
あー、あの暑い所?
九月とは言え、きついなぁ。
目的は猫の解放?それとも髪の打倒?
勿論、両方。令も行くのよ。
了解。其れで残りの二人は?
然うね…。
当主様!ご出陣…!!!
−終わりに
池のほとり、木の陰で
やぁ、蓉子。
こんなところに居たのね、聖。
あーあ。見つかっちゃった。
やっぱり蓉子には敵わない。
隠れてたつもり?
うん。
貴女の事だから帰り道が分からなくなってただけでしょう?
たまには振り返りなさいよ。
わざわざ、振り返らなくても。
蓉子さんは私を見つけてくれるから。
いつも見つけられるとは限らないわ。
然うかなぁ。
どんな時でもいつも見つかって連れ戻されてたような気がするけど?
時には力ずくで。
其れは貴女が駄々をこねるから。
私が素手で蓉子さんに敵わないのを知っててやるんだから。
あら。若しも貴女が得物を持っていたら分からないわよ?
討伐に行く訳でも無いのに、あんなもの持ち歩かないでしょう。
と言うか、持ち歩きたくない。嵩張るし。
其の点、蓉子は身軽で羨ましい限り。
有難う。
一応、皮肉のつもりだったのだけれど。
ええ、分かってるわ。
大体、持っていたとしても振り回すわけにもいかないでしょうよ。
大抵、周りに人も居るんだから。
然うね。
この、分かってて言ったな。
勿論?
…何でかな。全く持って敵う気がしない。
思えば…あの時も、然う。
…。
まさか一人で来るなんて思わなかった。
まぁ、後から江利子も来たけど。
一人で出て行ったのは貴女でしょう?
無茶をして。
私の中では無茶と言う概念では無かったのよ。あれは。
一人で朱点を討とうとするなんて。
無茶以外の…無謀以外の何者でも無いわ。
いや、本当は髪を討ってやろうと思っただけだったのだけど。
アイツが…さ?
其れを無茶と言うのよ。
まぁ、あの時は…色々あったし。
其の一言で済ませるつもりなの。
いや、済まないけど。
でもあの時、蓉子が来てくれて良かったと今は思う。
と言う事は、あの時は思ってなかったのね。
寧ろ、莫迦じゃないかと少し思った。
…はっきり言うわね。分かってはいたけれど。
思えばあの時、蓉子は泣いてたよね。
初めて見たんだ、蓉子の涙。
…泣いてないわよ。
いや、泣いてた。
泣いてない。
おかしいなぁ。確かに見たような気がするんだけどなぁ。
気のせいでしょう。
ふぅん。
…ま、良いや。
さぁ、聖。帰るわよ。
帰るって。何処に?
私達の家に。
…ねぇ、蓉子。
何?
此処に来るまでに沈丁花の香りがしなかった?
沈丁花?…ああ、したかも知れないわね。
其れが何?
良い事を教えてあげよう。
あの世とこの世の境目まで来ると沈丁花の香りがするんだよ。
…。
そして此処はもう、境目を越えた場所。
もう、彼処に帰る事は無いんだ。
…然う。
一ヶ月待ってて、て言ったのにね。
本当、よ。最後の最後で約束を違えて。
違えるつもりは無かったのよ。本当に。
結果的には違えたじゃない。
然う、だけど。
けど、嬉しかったりもするんだ。
何が。
私は全っ然、嬉しくなんて無いわ。
だって。
蓉子はこうして、私を見つけてくれたから。
若しも私が後だったら、蓉子は先に進んでしまって見つけてくれなかったかも知れない。
蓉子こそ、振り返らなそうだから。
進んだ先に聖が居なかったら。
探すわよ、私は。そして見つけるわ。
然う、あの時のように。
然うかな。だったら、嬉しいな。
本当を言うとね、怖かったんだ。
何が。
蓉子に置いていかれるのが。
心の底から。
…置いていくわけ、無いじゃない。
寧ろ、貴女こそ私を置いていきそうだわ。
屹度、探してもくれない。
だから、ちゃんと待ってたじゃない。此処で。
ほら見て。この池、芙蓉が咲いてるよ。
相翼院の芙蓉は見られなかったけど…
聖。
んー。
ずっと此処に居たの?一人で。
うん。
私が此処に来なかったら?
見つけてくれるんでしょう?
…ええ、然うよ。
蓉子。はい。
何。
手、繋ごう。
…。
それから…。
…聖。
一寸だけ、いちゃいちゃしよう。
折角、二人きりなんだから。
なんでそうなるのよ…。
蓉子は私に触れられるの、嫌?
私は蓉子に触れたいんだけど。
…。
蓉子?
…ずるいわ。
何が?
…ばか。
…。
…触れて、聖。
…ん。
せ、い…。
はーい、お二人さん。
とりあえずはそこまでにしてくれないかしらねー。
…。
…え、江利子?
はい、江利子です。
ごきげんよう、蓉子。と、天狗面。
…良いところだったのに。おのれ、でこちん。
江利子も…?
まぁ、そういう事になるわねー。
あ、でも、間違っても、後を追ってきたというわけでは無いのよ。
それなりに真っ当してきたわ。
江利子なら二年は行くと思ってたのに。
長ければ良いってもんじゃ無いでしょう?
ちぇー。折角蓉子との二人きりを満喫しようと思っていたのにー。
残念でした。
でも意外。
江利子なら氏神になれるものだとばかり。
其れを言うのなら貴女達もよ?
うわ、なりたくない。
私も…一寸。
だから此処に居るんでしょう?
此処が神達が居る天界に見えて?
見えない、わね。
けれど、江利子は良かったの?氏神にならなくて。
然うだよねー。あっちにはお気に入りのアレも居たのに。
天界なんて、面白そうじゃないじゃない。
其れに私の意思と関係なく、幾ら一族の為と言えど、交わりたくないわ。
其の為だけに生かされるなんて、真っ平ごめんよ。
あぁ、でこちんらしいっちゃでこちんらしい。
うるさいわよ、天狗面。
じゃあ、また三人なのね。
然うなるわね。
不本意だ…。不本意すぎる…。
大丈夫。
蓉子といちゃいちゃしてる時は、せいぜい、邪魔しないでいてあげるわよ。
え、江利子…。
いやと言うか、顔、笑ってるし…!
まぁ良いじゃない。
全っ然、良くなーーい!!!
お前が居たら出来るものも出来ないじゃんかよー!!
あら。蓉子ってばそんなに容易いの?
し、知らないわよ…!
じゃあ。
いっそ、三人でするって言うのは?
するか、阿呆!!
然う?
じゃあさ、蓉子。
私とするってのは?たまには良くない?
良いわけあるか!ばかでこ!!
私は蓉子に訊いているのよ、莫迦天狗。
で、どうかしら?蓉子。
蓉子、しないよね?でこなんかとしないよね…?!
…もう。
それでね、蓉子。貴女が逝った後、大変だったのよ。
然う。そんな事があったのね…。
あっち行け!でこ!!と言うかどさくさに紛れて蓉子にくっつくな!!!
屍越エ了
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