−私の躰の中にも鬼がいるの。

























   私のお姉さまは白き桜の花のように美しく、そしてとても優しい人だった。


   だけど今思えば。


   其の優しさは弱さの表れだったのか、と。


   だから。


   だから、耐えられなかったのだ、と。









   私はお姉さまが好きだった。


   誰よりも、誰よりも。


   誰よりも、守りたかった。





















   私のお姉さまはとても優しい人だった。


   そして誰よりも儚くて、まるで季節外れに舞う風花のような人だった。




















 イ ロ ハ 
ウ タ 




















   以呂波耳本へ止



   千利奴流乎和加



   餘多連曽津祢那



   良牟有為能於久



   耶万計不己衣天



   阿佐伎喩女美之



   恵比毛勢須














   どうでしょう、お姉さま。


   うん、素晴らしい出来だわ。
   仮名の時も思ったけれど、貴女はとても字が上手。


   いえ、私はただ、お姉さまのお手本の字を真似て書いているだけですから。


   字はね、書く人の心を表すのよ。
   だから形は似れど、人其々違うの。
   故に其の字は貴女其のものなのよ。


   では字が汚い人ほど、心が汚れていると言う事になるのですか?


   極端な話ね。
   でも其れは違うわ。


   どう、違うのですか?


   仮令、形が整っていなくても。
   丁寧に、一所懸命に、書いている人を見たら。
   貴女はどう思う?
   心が汚れているように映る?


   映りません。
   汚れていると言うより、真っ直ぐな人なのかな、と。


   でしょう?


   はい。
   だけど…。


   …私としては可愛い人、と映…るのだけれど。


   …?
   お姉さま…?


   ああ、何でも無いわ。
   だけど、何かしら?


   …だけど其れは字を書く姿勢であって、字の美しさでは無いと思うのですが。


   あぁ、然うね。
   貴女の言うとおりだわ。
   だけれどね、姿勢すらも字の美しさの一つに過ぎないのよ。


   はぁ…然う言うものでしょうか。


   分かりやすく言うと。
   目で直接見る事が出来る躰の姿勢。
   例えば筆を寝かせたり、背筋を伸ばさない状態で書くと、字はどうなる?


   歪みます。


   然う。
   其れともう一つは目では見えない処での姿勢。
   所謂、心の姿勢。


   ああ、其れは分かります。
   即ち、一所懸命に、或いは真摯に取り組む事、ですね。


   然う、其の通り。
   いい加減な気持ちで書いては矢張り字は歪むわ。
   ほら、まさに字は心を表しているでしょう?


   はい。


   其れら二つが噛み合わないと字は美しい形を成せないのよ。
   まぁ、何事にも言える事なのだけれどね。


   だから、なのですね。


   然う、だから、なの。


   いえ、私が言いたいのは。
   だから、お姉さまの書かれる字は美しいのですね。


   私、の?
   然うかしら。


   とても美しいと思います。
   この家でお姉さまほどに美しい字を書かれる方は居ない、と。


   然うでもないわよ。
   ほら、勇
〈イサ〉のところの妹、あの子も端整な字を書くわ。


   確かに。
   だけど美しいと言う点ではお姉さまの方が勝っています。


   字に勝ちも負けも無いけれど。
   でも然うね、有難う。
   貴女が然う言って呉れると私も嬉しい。
   けれどね。


   ?
   けど、なんでしょうか。


   私は貴女の字が好きよ。

















  −そしてそいつは日に日に大きくなったわ。

















   気になっている事があった。


   其れは家の一番奥にある部屋の主の事。


   其の部屋の主は滅多な事に姿を現さなかった。


   食事の時はおろか、どんなに天気が良くても、部屋に篭って一歩も出ない。


   以前、お姉さまにお尋ねした事があるけれど、お姉さまはただ苦く笑うだけで、詳しくは教えて呉れなくて。


   知る事が出来たのは、一つだけ。


   其れはあの部屋の主が藤花さまのお姉さまだと言う事。


   言われてみれば、部屋に食事を運ぶ藤花さまの姿は良く拝見していた。


   だから深く考えなくても、其の部屋の主が藤花さまと所縁の深い方なのだと分かった筈。


   だけど。


   部屋から出てきた藤花さまは、いつも、とても寂しそうにしておられて。


   私に親切にして下さる姿とは全然違うから。


   いつか、一度だけ。


   藤花さまに言われて、一緒に食事を運んだ事がある。


   お姉さまは渋い顔をしたのだけれど、藤花さまはどうしても、と仰られて。


   其の時の藤花さまのお顔はお姉さまの影に隠れてしまって、良く見えなかったのだけれど。


   お姉さまは一瞬悲しげな笑みを作り、それから藤花さまのお顔をそっと優しく撫でた。


   そして私に一言、どうか宜しくね、と。


   それから。


   食事を持ち、藤花さまに導かれて、部屋の中に入った。


   昼だというのに薄暗く、御簾を掛けているせいか余計然う感じられた。


   藤花さまのお言葉のままに御簾を潜ると、其の方は静かに影のように座っていて。


   藤花さまがお声を掛けると、言葉は悪いけれど、のろのろと此方に目を向けた。


   初めて見た其のお姿は。


   目は此方を向いている筈なのに、私達の姿は映っておらず。


   口元は畏怖を覚える位に虚ろに微笑んでいた。




   けれど。




   とても、とても、美しい人だった、と思う。


   ともすれば、白い闇に溶けて消えてしまいそうな。



















   いろはにほへと ちりぬるを…



















   …ねぇ、藤花。


   はい、何でしょう。


   書いていて、貴女は気付いたかしら。


   何を…でしょう。


   と言う事は、気付いていない?
   何度も書いている筈なのに。


   …申し訳御座いません。


   あぁ、ごめんなさいね。
   責めているわけでは無いのよ。
   其れにこの書き方だと気付かないわね。
   本当にごめんなさい。


   あ、あの、お姉さま…?


   ねぇ、藤花。


   はい。


   仮名でこの歌を書く時、七五で区切って書いているわよね。


   はい、歌の内容に添って。


   けれど。
   次は先に書いた金光明最勝王経音義のように七文字に区切って書いてみて。


   けれど然うすると歌の内容が…。


   良いのよ。
   だから、ね。


   はい、分かりました。


   其れと。
   最後は五文字になると思うけど、気にしないで。


   はい。
   其れでは…。







   いろはにほへと



   ちりぬるをわか



   よたれそつねな



   らむうゐのおく



   やまけふこえて



   あさきゆめみし



   ゑひもせす








   …これで宜しいでしょうか、お姉さま。


   はい、良く書けました。


   有難う御座います。


   此れで気付いたかしら?


   …は?


   未だ、気付かない?


   あ、あの…。


   じゃあ…最後の文字だけを辿ってみて?


   最後の、ですか?


   然う。
   初めは、と、から。最後まで辿ったら、其れを繋げて御覧なさい。


   …え、と。
   と、か、な、く、て、


   …。


   し…


   藤花。


   …はい?


   人を想う事は、咎、かしら。


   え…?



















   ある日を境に。


   お姉さまは部屋に閉じ篭った。


   家族の者にすら顔を見せなくなり、食事もあまり取らなくなった。


   ただ、ただ。


   ある男を想い、そして、溺れた。


   切欠は一つの手紙。


   お姉さまへの想いが綴られた。


   其れをお姉さまは受け入れて。


   直ぐに周りが見えなくなった。


   心配する私達を他所に、お姉さまはその事だけに没頭した。


   来る日も来る日も、呪いを解く為だけに、鬼と戦う日々。


   そんな現実に、お姉さまは疲れてしまったのも知れない。


   誰よりも優しいお姉さまの手。


   美しくも繊細な字を書く、其の手。


   白くて、か弱き、其の手。


   私が好きだった、其の手。


   其の手で得物を持ち、お姉さまは戦場
〈イクサバ〉に立ち続けられた。


   其の度、其の手で鬼を殺しては、血に塗れ。


   其の都度、何処かで何かが壊れていったのかも知れない。


   お姉さまは逃げ出したかったのだろう。


   例えば、恋、とかに。

















   だけど。


   そんなお姉さまの、夢とも逃避とも言える日々は長く続かなかった。


   矢張りある日を境に、男がお姉さまの元に通わなくなったから。


   咎無き罪で京を追い出されたとも。


   他に女が出来たのかとも。


   言われているけど、詳しい事は私には分からない。


   分かる事は。


   お姉さまにはもう、正気を保てる程の、心が残されていなかった事。












   そして、お姉さまは。


   壊れた心のまま、神と交わり、子を生した。



























   もう、止めろ。


   ほら、見て。
   桜の花びらがまるで雪のように舞っているわ。
   とても綺麗。


   桜など咲いてはおらぬ。
   目を覚ませ。


   何を言っているのかしら。
   こんなに咲き誇っているのに。


   もう一度、言う。
   もう、止めろ。


   あら、勇。
   どうして。


   お姉さま、もう、お止めになって下さい。
   どうか…もう。


   藤花まで。
   何故、然う言うの。


   何故、だと。
   お前、今己が何をしているのか、分かっているのか。


   分かっているわよ。
   どう、綺麗でしょう?
   あの人も綺麗だって褒めてくれたのよ。


   莫迦な事を言うな。


   莫迦?
   私が?
   ああ、でも然うね。
   私は莫迦なんだわ。
   だって…。


   お姉さま…!


   そんな悲痛な声をあげないで、藤花。
   まるで私が可哀想みたいじゃないの。


   …椿、蓉子を頼むぞ。
   放っておくと、あの子は飛び出しかねな…ぐ。


   ほらぁ、見て、藤花。
   綺麗でしょう?
   桜の花が沢山散っているわ。
   あの人も好きだったのよ。
 

   お、お姉さ…。


   あぁ、でも。
   もう、あの人は居ないのね。
   どうしてかしら。
   どうして、駄目なのかしら。


   とこ…よ、み…か…。
   に、して…も…こ…れ、は…ッ


   どうして、コレはあの人の子じゃないのかしら。
   ねぇ、どうしてかしらね、蓉子ちゃん。


   や、め…て、おね…さ、ま。


   皆、コレが私の子だって言うの。
   おかしいわよね、だって私、子なんて生せないのに。
   どうしてだと思う、蓉子ちゃん。


   …や、め…ろ、く…ぉん。


   あぁ、あぁ、でも。
   人を想うのは罪なのかしら。
   想うだけで咎なのかしら。


   …て、くださ、い。


   人を愛するのは、どうして、こんなに苦しいのかしら。
   ねぇ、蓉子ちゃん。


   ……せぃ…を、はな…し、て。


   …セイ?
   なぁに、其れ?


   せい、を…ッ


   あぁ、コレね。
   あぁ、セイ、と言うのね、コレ。
   あぁ、然う、然うだったわね。


   ……の、思うよう、に、は。


   あぁ、分かったわ。
   蓉子ちゃん、貴女ったら。


   さ、せ…な、い…ッ


   あぁ、然う、然うなの。
   あははは、然うなのね。
   だけど、残念だわ。


   …いか、んッ
   つば…き…ッ


   想いなんて、永遠じゃないのよ。
   然う、“久遠”なんて何処にも無いの。


   …ぁ。


   よう…こ…ッ


   貴女が幾らコレを想っても、何も、何一つ、叶わないし、報われないのよ。


   …お姉さ、ま。


   あら、藤花。
   どうしたの、其の姿は。


   もう…お止めになって…下さ、い…。


   何を、止めるの?
   私は、何を、止めたら良いのかしら。
   もう、あの人の目に私は映っていないのに。
   どうしたら止められるのかしら。


   …聖、を。
   お放しください、お姉さま…。


   あぁ、貴女もコレをセイと呼ぶのね。


   おね…さま、が…名付け…た、名、です…。


   然うだったかしら。
   思い出せないわ。


   聖、を…。


   …あぁ、然うだ、思い出したわ。
   然うよ、聖、聖だったわね、コレ。
   私が“久遠”だから。


   お放し、に…。


   然う、然うだわ。
   私、コレの母になんてなれないから。
   子供なんて思えないから。
   だから、然うだわ、然うなのよ。


   …はな、せ。


   せめて。
   私に出来る事をしてあげようと思ったの。
   私が母として出来る事を。


   それ、で、そんなこと…で、せい、をころすと言うのか…ぁ!
   くぉ、ん…!!


   そんな事じゃ、無いわ。勇。
   だって屹度、コレも苦しむと思うの。
   人の世になんて生まれた事に、鬼を殺さないと明日が無い事に、生きる事自体が呪いを生む事に。
   だから、ね。


   …せい、を…聖、を貴女なんか…に。


   私がしてあげられる事。
   其れは一思いに殺してあげる事。
   然うすればコレは、聖は苦しむ事は無いわ。
   ねぇ、素晴らしい事でしょう。


   …ふざける、な。


   藤花、貴女なら、分かってくれるでしょう?
   私の可愛い妹の貴女なら…。


   世迷言を…言うの、は…大概に、して下さ、い…お姉さ、ま…!!!


   …藤花?


   そんなの、お姉さまが…決める事じゃ、無い。
   聖が決め、る…こと、です。


   コレが?
   こんな肉の塊でしか無い、コレが?
   在り得ない、在り得ないわ。


   何故…決め付けるの、です…か?
   聖は、お姉さ…まのよう、に…生きると、は限らな…い、のに。


   違うわ、藤花。
   苦しむのよ、私と同じように。
   だから殺してあげないといけないの。
   大丈夫よ、私も直ぐ後から行くわ。


   …!
   やめろ、くおん…!!


   ねぇ、然う思うで…。


   ……あぁぁぁぁぁぁぁ!!!!


   …?!
   だめ、だ、蓉…子…ッ















   頚木から解き放て、仙酔酒。















   藤花。


   …菊乃?
   今のは貴女が…?


   んーん、うちの江利ちゃん。


   菊乃、来るなと言った筈だ…!


   江利ちゃんが、さ。
   どうしても、と言って聞かないから。
   それより…














   久遠様、貴女に、貴女なんかに聖は渡さない!!!














   蓉子ちゃん…!!


   封じよ、寝太郎。


   あ…。


   …兄上を、蓉子を。


   椿…。


   ごめんなさいね。
   結局最後は貴女に押し付けるような形になってしまって。


   …良いのよ。
   あの方は私のお姉さまなのだし、聖は私の…
























   藤花…。


   …お姉さま、こんな事はもう終わりにして一緒に帰りましょう。


   どうして、どうして、邪魔をするの。


   さぁ、聖を放して。
   帰りましょう、私達の家に。


   いや、いやよ。
   コレは私が殺して上げるの。
   だって其の方が良いに決まってるのよ。


   決まってなど、いません。


   決まっているわ…!
   だって、コレは私の…!!


   子、です。
   お姉さま。


   …ッ
   違う…!


   だけど。
   聖はお姉さ…貴女じゃない。


   違う違う違う違う…!!


   聖は、違う道を行きます。
   仮令、苦しんだとしても。
   形は似れど、同じ字は書けないのだから。


   藤花…。


   私に椿と菊乃が居るのと同様に。
   聖には蓉子ちゃんと江利子ちゃんが居る。
   だから、屹度、大丈夫。


   …。


   お姉さま…いえ、久遠さま。
   聖を、私の妹を返しなさい。


   私を、捨てるの…?
   貴女まで、私を捨てるのね…。


   …違う。
   私は貴女を捨てない。


   だって、然うじゃない…!!


   …久遠さま。


   何が椿よ菊乃よ…!
   勇魚も結局は私を見限ったじゃない!!
   子を生せ、と残酷な言葉を吐いて…!!


   其れは、違う。


   何が違うのよぉ…!!


   勇魚さまは久遠さまを見限ってなど、居ません。
   最後まで貴女を案じて…


   …うるさい。


   …。


   うるさいうるさいうるさいうるさい…!!


   …。


   みんな、みんな、死んじゃえば良いんだわ…!
   こんな世なんて、みんな、みんな…!!!


   …なさ、い。


   みんな、みんな…ッ?
   あ…ぁ…ッ



















   ごめんなさい、お姉さま…。



















   ・



   ・



   ・















   お姉さま。


   お、来たわね、聖。
   で、連れてきてくれた?


   …別に。
   私が連れてこなくても、お姉さまが声を掛ければ良かったじゃないですか。


   だって、ねぇ。
   私、今、こんな身だし。


   …あの、藤花さま。
   お話とは何でしょうか。


   おっと、良く来てくれたわね、蓉子ちゃん。
   こんな部屋だけど遠慮なく入って頂戴。


   はい。
   失礼します。


   と、言うわけだから。
   聖は戻って良いわよ。


   え…?


   …分かりました。
   じゃあ私はこれで。


   ちょ、一寸待って下さい。


   何かしら、蓉子ちゃん。


   聖が居てはいけないのですか…?


   別に居ても良いけど。
   居たい?聖。


   いいえ。


   だ、然うよ。


   ……。


   ま、良いじゃない。
   私としては蓉子ちゃんと二人きりが良いし。


   ふ、藤花さま…。


   じゃ、私は行きます。
   また後で薬を持ってきますから。


   あー、甘いのと一緒じゃないと飲まないわよ。


   …分かっています。
   其れでは。


   あ、聖…。


   …蓉子ちゃん。


   あ、はい。


   今日は良い天気ね。


   は…?


   覚えてるかしら。
   やっぱりこんな良い天気の日に、私、貴女にいろは歌を教えてあげた事があったわよね。


   はい、覚えています。
   でも其れが…。


   貴女は真っ直ぐな字を書くわ。


   え…。


   私ね、貴女の字って好きなのよ。
   其れこそ子供の頃から、ね。


   …勿体無いお言葉です。


   そんな仰々しくしないでよ。
   思った事を口にしてるだけなんだから。
   素直に受け取って頂戴。


   …はい。
   有難う御座います。


   これはある人の受け入りなんだけれど。
   字はね、心を表すの。
   だから。


   …。


   面倒だと思うけど。
   聖の事、お願いね。


   …藤花さま。


   貴女も分かっているとは思うけど。
   あの子は一つの事に囚われると、周りが見えなくなるわ。
   まるで現実から目を逸らすかのように。


   …。


   江利子ちゃんにも、と思ったのだけれど。
   矢っ張り、蓉子ちゃんの方がより構ってくれそうだから。


   …曰く。
   世話焼きのお節介だそうです、私。


   ふふ。
   あの子は昔から貴女には甘えていたから。


   …然うでしょうか。


   然うよ。
   姉である私が言っているのだから間違い無いわ。
   多分。


   間違い無いのに多分、なのですか。


   おかしいでしょう?


   はい、おかしいです。


   お、はっきりと言ってくれるわね〜。


   申し訳御座いません。


   ま、良いのだけれど…ね。


   …!
   藤花さま…!


   あぁ、大丈夫よ…。


   お顔の色が優れません。
   どうか横に…。


   …ごめんなさいね。


   いいえ。
   其れよりも体調が少し良いからと言って、あまりご無理はしないで下さい。
   お体に響きます。


   …ふふ。


   …何ですか?


   いえ…ね、聖の言っている事が少し、分かるような気がした…だけ。


   …。


   …蓉子ちゃん。


   …はい。


   聖を…お願いね。


   はい。


   …少し、眠るわ。
   聖にも然う、伝えておいて…。


   分かりました。
   では…。























  −よかった…もう少しで私、そいつに食われそうだった…。





















   お姉さま…お姉さま…。


   藤花…どうして泣いているの…?


   ごめんなさい、お姉さま…。
   私…私…。


   おかしな子ね…。
   …あぁ。


   お姉さま…。


   然う言えば私の…私の赤ちゃんは何処へ行ったのかしら…。


   …あ。


   私の…聖、は。
   藤花、知らない…?


   お姉さま、聖なら此処に…。


   聖…ごめんなさいね。
   それから…。


   お姉さま…?


   藤花も…ごめんなさい。
   そんなに泣かせて…しまって。


   …ッ


   みんなにも…特に勇には、心配を掛けたわ…。
   こんな私だけど…どうか、赦してね…。


   お姉さま…ッ
   お姉さまは…ッ


   あぁ、聖。
   どうか貴女にも…椿ちゃんや、菊乃ちゃんのよう…な。


   あ…!


   …どうか、どうか。


   お姉さま…!


   ふじ、か…の、よう…に。


   お姉さま…お姉さまぁ…ッ


   …なかない、で。
   しかたのない…こ………。


   あぁ…ッ


   ………。


   あぁ、あぁぁぁ…ッ



























   …藤花。


   椿、菊乃…。


   …立てる?


   …えぇ。
   聖は…?


   …私が。


   然う…。
   有難う、椿…。


   …。


   兄上…。


   久遠は俺が背負おう。
   いや、背負っても良いだろうか。


   はい、宜しくお願いします…。
   お姉さまも其れを望んでいると思いますから…。


   ……。


   蓉子ちゃん…。


   は、はい…。


   聖を…聖を、お願いしても良いかしら…?
   聖は貴女に懐いているから…。


   でも…。


   じゃあ、江利子ちゃんは…?


   蓉子じゃないと泣くと思います。


   …だ、然うよ。
   お願い、蓉子ちゃん。
   私、一寸、一人じゃ歩けそうに無いから…。


   …分かりました。


   椿、お願い…。


   蓉子、決して落としては駄目よ。


   はい、お姉さま。
































   色は匂へど 散りぬるを





   我が世誰ぞ 常ならむ


















   珍しいわね。


   …蓉子。


   聖がいろは歌を書いているだなんて。


   …。


   続き、書かないの?


   …止めた。


   然う…。
   …ねぇ、聖。


   何?
   またお節介か何か?


   私ね、貴女の字、好きよ。


   …。


   だから。
   もう少しだけ、私に見せて。


   其処に書いてあるのを見れば?


   叶うのであれば。
   この続きも見たい。


   子供の頃のを、散々、見たでしょう?


   今の貴女の字が見たいの。
   お願い、聖。


   …珍しい。
   蓉子が私にお願いするだなんて。
   明日は槍でも降るんじゃないの。


   駄目…かしら。


   ……少しだけなら。


   有難う、聖。


   …本当に。
   変な蓉子。

































   ねぇ、藤花。




   字はね。




   其の人の心を表すのよ。




   だから、ね…。























   イロハウタ了












  BGM
  「夢の岸辺に」
  「運命に囚われし者たち」
  「神の庭」
  「RADICAL DREAMERS〜盗めない宝石〜」(歌:みとせ のりこ)
  CHRONO CROSS
  光田 康典