知らなかった。
   然う、私は知らなかった。
   今の今まで。





   蓉子。





   柔らかな笑み。
   其れは今、確かに私だけに向けられている。





   どうかした…?





   知らぬ間に大人びてしまった顔つき、優しい腕、頬を這う滑らかな指。
   返事をする意思はあるのに、言葉を紡ごうにも、其れらは音になって出てきてくれない。
   もどかしい。





   好きよ、蓉子。





   くすくすと囁くような笑い声を私の耳朶に響かせ、ぎゅうっと私の躰を抱き締める。
   温かな素肌、胸、絡められる太腿、おひさまの匂いがする髪。
   ああ、私の全てが包まれている。
   此の人の中に。





   蓉子も言って?





   おずおずと、私より少しばかり広い背に手を回す。
   ふふ、と嬉しそうな声が漏れるのを聞いた。





   ……よ。


   聞こえない。


   …すき。


   もう一回。


   …好きよ、聖。


   聞こえない、もう一回。


   …聞こえてるくせに。


   何度だって聞きたい。


   …すき、すきよ、聖。


   うん…私も、すき。





   拙い告白。昨夜から、眠る前からずっと続けてる。
   障子の外で日は疾うに昇り、今日と言う日が来た事を知らせているけれど、
   おひさまよりも温かいと感じてしまう此の人の腕の中で、このまま溶けてしまいたいと。
   然う、本気で思ってしまっている最中に、口唇を重ねられて。
   其の温もりに夢中になるのにさしたる時間など必要もなく、吐息すらも分け合うように貪る。





   …蓉子。





   二人を繋ぐ透明な糸。
   とても近い距離で、視線が交わる。
   彼女の瞳の中に私が居る。
   そして、私の瞳の中にも屹度彼女が。





   蓉子。





   大好きな、低音。
   呼ばれる度に、悦びで心が震え。





   好き。





   私は、知った。
   私は此の人が好き。
   初めて言葉にした時よりも、ずっと、ずっと、此の人の事が…。





   ……蓉子。





   瞬間、眩暈に襲われる。
   意識が遠ざかる。
   知らなかった。
   ずっと愛していたのに、知らなかった。
   この感情を、こんな感情を。
   私は好き、聖が好き。愛している。
   なのに。





   蓉子……。





   どうして良いか、分からない。
   ああ、ああ。





   ………蓉子?





   私、は。
   此の人に、初めて。




















  
 木 犀




















   …。


   …。


   …。


   …。


   ……はぁ。


   あのぉ、蓉子さま?


   …え。


   先ほどからずっと、物思いに耽っておられるようですけどぉ。


   物思い?
   私が…?


   時折、ため息も吐いていましたし。
   何ぞ、お悩み事でもあるのですか?


   なや、み……。


   蓉子さま?


   ……。


   若しかして。
   心配されているのですか?


   心配?


   当主様の。


   当主…聖?


   ご帰還が予定よりも少しばかり遅れているようですから。


   ……。


   でも、大丈夫ですよ。
   江利子さまだって一緒ですし、祥子さまや令さまも居ます……て。


   ……せい。


   よ、蓉子さま…?


   ………はぁ。


   え、えと。
   当主様と言えば最近、とっても仲良しさんですよね。


   …?


   と言っても、幼少の頃から仲良しさんでしたけども。
   だけど…何と言うのかなぁ、最近のお二人はもっと親密…を通り越していっそ濃密な感じと言うか…。


   のうみ、つ…


   例えるのならば。
   然う、恋仲さんみたいな…あ。


   …ッ


   ひょっとして、蓉子さま。


   な、なに…。


   当主様ととうとう…


   な、何を言っ


   なーんて。


   …て。


   当主様と蓉子さまの仲が宜しいのは今に始まった事じゃないし。
   ねぇ、蓉子さま。


   …。


   れ?蓉子さま?


   ……。


   わ、わ、お顔が真っ赤…!
   これは若しかしてお熱でもあるンでしょうか…?!
   あ、だから、どこか気だるそうな雰囲気が…


   イ、イツ花…!


   ふぇ…?


   た、多分、そろそろ帰ってくると思うわ。


   え、誰がですか?


   だから、其の、聖達が。


   当主様達が?


   さ、先刻、江利子の式鬼が来たから。


   ……。


   だ、だからね?
   もうそろそろだと思うの。
   それから私は大丈夫だから…


   お風呂を沸かし直さないと、ですね!?


   そ、然う、然うなの。


   然うと決まれば善は急げ、です!
   ではで


   蓉子…!!


   …は?


   ただいま、蓉子!


   え、あ…ッ。


   と、当主様…?!


   逢いたかった…逢いたかったよ、蓉子。










   まぁ、簡単に言えば。
   堪えきれず一人で勝手に駆け出した、てところかしらね。


   然う…。


   おかげで私達は置いてけぼり。
   ま、私としては一緒に帰りたいなんて気、全く無いから良いんだけど。


   …。


   …ところで、蓉子さん。
   少々、お聞きしたいことが。


   …なに。


   私は何故、はたかれたんでしょうか。


   だって、いきなり…だったから。
   其れに貴女、わざわざ気配まで消していたでしょう…?


   驚かせようと思っただけなのに。


   驚いたわよ。


   早く逢いたくて、走って帰ってきたのに。


   …たった今、江利子から聞いた。


   もうね、うちに近づくにつれてそわそわしっぱなしだったのよ。
   この天狗面。


   うっさいな。


   …え、と。
   其れで此度の討伐は…


   あ、然うだ。
   はい、お土産。


   …?
   これ…


   卑弥子の巻物。
   蓉子さ、欲しいって言ってたでしょや?


   …聖が?


   うん。
   …嬉し?


   と言うより、これで回復がより万全になると思うから。
   後々の子供達にも…


   今、私が聞きたいのは蓉子の気持ち。
   ね、嬉しい?


   ……。


   ねぇ、蓉子。
   欲しがってたでしょう?


   …う


   う…?


   嬉しい、わ…。
   だから、其の…ありがとう、聖。


   うん…!


   あ、聖…。


   へへ、よっこかわいい。


   ちょ…


   えーと。
   話を続けても良いのかしら。


   …え?


   それとも席を外した方が良いのかしらね。


   分かってるなら、断りなんぞ要らないよ。


   ま、待って。
   続けて、江利子。


   なんか。
   おまけ、みたいなのよね。


   そ、そんな事は無いわよ。


   じゃあ、とりあえずは然ういうコトにしておきしょう。


   …で、どうだったの?


   結論から述べれば。
   駄目、だったわ。


   血を分けている者が居たのに?


   親子、じゃ駄目なんでしょうね。
   今までも然うだったけれど。


   となると矢張り…


   兄弟。
   最も己に近し者で無いと。


   …然う。


   今の時点で其れを為せるのは私だけなのだけれど。


   待って。
   それだったら兄上が…


   …誰の事かしら?


   ……。


   まぁ、そんなわけだから。
   どうしようかしら。


   …江利子に其のつもりが無いのならば、強くは言えないわ。


   …。


   な、何…?


   さぁ、何かしらね。


   …。


   はい、然う言うわけでこの話はお仕舞い。
   蓉子から離れろ、でこ。


   あ、せ、聖…。


   言われなくても。
   と言うかお風呂に入りたいのよ、私は。


   あ、そ、然うよね。
   呼び止めてしまってごめんなさいね、江利子。


   じゃ、また後でね。蓉子。


   ええ。


   …しかし。
   そんな薄汚いのに触れられて、よく、平気よね。










   へへ。


   …。


   よーうこ。


   …。


   やっと、二人きりになれた。


   …。


   蓉子、蓉子。


   …聖。


   ん、なに?


   お風呂、江利子の次に…


   一緒に入ろ?


   は、入らないわよ。


   えー、入ろうよー。


   入りません。


   此度の討伐はね、私にしては珍しく頑張ったんだ。
   だからね、労って欲しいな。


   …お疲れ様。


   言葉じゃなくて、もっと他の形でが良いなぁ。
   例えば躰で、とか。


   …。


   ね、入ろ?


   …入らない。


   一緒にゆっくり浸ろうよ。


   …浸るだけじゃ済まなくなるもの、絶対。


   蓉子が其れを望むのなら吝かでは無い、と言うかもう…


   ……。


   …。


   …。


   ねぇ、蓉子。


   …な、なに。


   どうしてこっちを見ないの?


   …見てるわよ。


   嘘だ。
   さっきから全然目を合わせようとしない。
   合っても直ぐ逸らすし。


   そんなこと…。


   こっちを見て。


   だ、だから…。


   蓉子。


   あ…。


   私を、見て。


   せ、聖…。


   ……。


   は、離して…。


   蓉子…。


   …ッ
   い、や…ッ


   ……。


   …あ。


   ………痛い。


   ご、ごめんなさい…。
   だけど、聖がいきなりしようとするから…だから、


   …。


   少し、驚いてしまっ、て…


   ……。


   あ、あのね…?


   …着替えてくる。


   ま、待って、聖。


   …。


   嫌なわけでは無かったの。
   本当よ。


   …あ、そ。


   信じて、聖…。


   じゃあ今夜、良い?


   え…。


   良いよね?


   け、けど、討伐から帰ってきたばかりだし、疲れが…。


   平気。


   で、でも…。


   蓉子の部屋でが良い?
   それとも私の部屋に来る?


   ……やっぱり、だめよ。


   どうして。


   今宵はゆっくり休んだ方が…


   私は!


   …ッ


   蓉子と一緒が良い。
   一緒じゃなきゃ嫌だ。


   …。


   蓉子が欲しいの。
   欲しくて欲しくて堪らないのよ…!


   ……聖。


   来るから。
   嫌だって言っても、絶対に、来るから。


   ……。










   はーい!
   毎度恒例、「無事にご帰還まことにおめでたいナ!」夕餉のお時間ですよ!!
   此度の目玉はこれ、金目鯛の煮付け!
   もー!其れはもう!奮発したんですから…!!


   だけど二人で一尾なんだね。


   令さま、敢えて言わないってのも優しさの一つってなモンですよ!
   此処、重要ですからネ!!


   うん、分かった。


   と、言うわけで!
   当主様、ここは一つバーンとぉ、号令をお願いし


   …。


   …まーす?


   聖、号令をかけて。


   ……。


   聖。


   …若しかしないでも。
   アレですかね、江利子さま。


   ええ、アレね。


   でも帰って来られた時はえらくご機嫌でしたよ?


   どうせまた、些細な事が切欠でしょ。
   本当、よく飽きないものよね。


   痴話喧嘩って飽きるもんなんでしょうか?


   周りの人間から言わせれば飽きるものね、確実に。


   あ、あの、お姉さま…。


   何、令。


   このままではいつまで経っても食べられないのでは…?


   あら、今回は食欲があるようね。


   はい、さっきからお腹が空いて…。


   祥子は?


   ……私は別、に


   あ。


   ……。


   祥子、顔が赤くなった。


   う、うるさいわよ、令。


   ふむ。
   成長期に入ると腹の虫も活発化するってわけだわね。


   だから私は別に…っ


   蓉子。


   え、何?


   と言う訳だから、早く号令を掛けさせて。
   冷めてしまったら、折角の美味しさだって半分になっちゃうわ。


   …分かっているわ。


   で、今度は何なの?


   今度は、て。


   まさか拒んだとか?


   …。


   あら、図星。


   ち、違うわ。


   然う?
   ま、何でも良いから早くね。
   貴女の可愛い妹もお腹を空かせているようだから。


   …聖。


   …。


   聖って…


   …だから。


   …?


   絶対、だから。


   ……。


   ……。


   …貴女達ねぇ。


   …おなか、へったな。















   蓉子。


   …っ


   私の声、アレとは全く似てないわ。


   …ごめんなさい。
   少しぼうっとしていたみたい。


   そんなに待ち遠しい?


   ……。


   久しぶりの逢瀬、だものね。


   …けれど。
   討伐から戻ってきたばかりだから、今宵はゆっくり休んで欲しいのよ。


   あら、珍しく否定しないのね?


   ……今更、貴女に隠したところで何になるの。


   へぇ。


   …。


   今宵の天上の月は一段と蒼いわね。


   …ええ、然うね。


   直、来るわ。
   貴女を抱きに。


   ……ええ。


   …。


   …。


   ねぇ、蓉子。


   …なに。


   手が震えているようだけれど。
   今宵はそんなに寒いかしら。


   …震えてなど、いないわ。


   然う?
   なら良いけれど。


   …。


   ついでだからもう一つ言うけれど。
   拳をそんなに固く握り締めていたら疲れない?


   …え。


   胸のところで。
   ぱっと見、祈っているようにも見えるわね。


   ……。


   何だったら私の部屋に来ても良いわよ。


   …。


   本当に嫌ならば。


   …ありがとう。
   でも


   嫌なわけではない、のよね。


   ……。


   寧ろ、本当に抑えが利かないのは蓉子の方。


   ……江利子。


   じゃ、おやすみなさい。


   え…あ、ああ、おやすみなさい。


   今、何しに来たのだろうと思った?


   …いいえ、大丈夫よ。
   ありがとう、江利子。















   ……。


   聖…。


   蓉子。


   ま、待って。


   …。


   聖、お願いだから…あ。


   蓉子。


   聖、だめ…。


   蓉子。


   聖、せい…。


   …。


   乱暴にしないで…、切れちゃ、う…。


   …邪魔なのよ。


   だめ、だめ…んん。


   ……。


   ああ、せい…せい…、せ、いぃ…。


   …はぁ。


   せい…。


   …こんなんじゃ、たりない。


   …っ?


   ……。


   ま、まっ、て…、ま…、だ。


   …。


   おねが…い、
   らんぼうに、しない…で。


   …。


   …つぅッ


   …は。


   あぁ…、ぁぁ…ッ


   っ…。


   いた、い…いた…い……。


   ……よ、こ。


   やめ、て…。


   はぁ…、はぁ…っ


   あ、ぅ…あぁ、ああ、あぁぁ…ッ


   …はぁ、はぁ、はぁっ


   せ…ぃ、まっ…て…。


   …ぃ、やだ。


   す、こしだ…け…


   …。


   おねが、ぃ…だか、ら


   いやだいやだいやだいやだいやだ…!!!!


   ひ、ぁぁ…ッ


   …はぁ。


   せ…い…、や……あ、ぁ。


   ……。


   ああ、あぁぁ…っ


   ………よう、


   あぁぁぁぁ…ッ!






























   …。



   …ん。



   …よぅ、こ。



   …?



   …れ。



   …ようこ?



   ようこ。



   ようこ…!















   蓉子…!!


   わ、わぁ…ッ


   あら、ごきげんよう。


   蓉子、蓉子は…?!


   見れば分かるでしょう。


   よ、蓉子さまならいらしてません…けど。


   寧ろこんな朝っぱら、且つ、討伐明けに。
   あんたと一緒じゃない方が不思議だと思うわ。


   蓉子は何処!?


   はい、聞いてない。


   あ、あの当主様。


   知ってるの、令?!


   い、いえ…ッ


   …ち。


   す、すみません…。


   聖。


   …。


   まさか…とは思わないけど。
   其の調子で祥子とイツ花のところにも行ったのね。


   ……。


   別に気にする事じゃないでしょ。
   元々、蓉子は朝が早いのだから。


   厨にも居ない!
   庭にも居ない!
   祥子のところにも居ない!
   家中探した!
   だけど、居ない!!


   …。


   蓉子…、蓉子は…


   ま、因果応報だわね。


   因果…?


   冷たかったでしょう。
   隣に誰も居ない、一人残された褥の中は。


   ……。


   貴女がかつて、蓉子にしてた事。
   今になって、しかも身をもって知る事が出来て良かったわね。


   …其れと。
   今、蓉子が居ないのと、何の関係があると言うのよ。


   いえ、無いわよ。
   あの蓉子が意趣返しをするとは思わないし。
   少なくとも意識してした事じゃないわね。


   …。


   ……あ、あのぉ、当主様。


   あら、イツ花。


   え、と。
   お早うございます、江利子さま、令さま。


   ええ、お早う。


   令さま、朝餉はもう暫しお待ち下さいませね。


   う、うん、其れは構わないんだけ、ど…。


   …。


   あ、当主様どちらへ…ひッ


   蓉子を、探してくる。


   放っておけば良いと思うけど。
   蓉子はあんたと違って、そのまま行方知らずになんてならないんだから。


   ……。


   其の目、女子供の前ですると怯えられるわよ。


   …。


   で、イツ花。
   貴女までこの朝っぱらから何か御用かしら?


   ご、御用と言うか…。


   …。


   さっさと言わないと行っちゃうわよ。
   此方としては其の方が良いけれど。


   あ、そ、然うですよね。


   …。


   あ、ち、違うんです。
   居ない方が良いとかってんじゃなくて…


   …。


   と、言ってる間にも。


   え、あ、あの


   ほらほら、早く。


   と、と、当主様…!


   ……。


   …こ、怖いです、江利子さま。


   怯まない。
   いっそ、懐かしいでしょう。


   な、懐かしい…て。


   …イツ花。


   あ、は、はい…ッ


   何。
   蓉子の居場所を知らないんなら、用は無いんだけど。


   あ、其れ、其れなんですけど。


   …ッ
   知ってるの…?!


   はい、つい先程…当主様がいらした後のことなんです、が…


   何処?!
   蓉子は何処…?!


   た、竹箒を…ッ


   箒なんてどうでも良い!
   蓉子は?蓉子は何処に居るの…!?


   竹箒の置き場所を聞きにいらしたんですンよ…!!!


   …。


   あら、其れっておかしいわ。
   蓉子ならある場所ぐらい、知っているでしょうに。


   そ、其れがですね。
   イツ花が昨日、皆様が帰ってくるというコトで門前を掃除したんです。
   で、


   ああ、其れで何処かに置きっぱなしにした、と。
   状況が状況じゃなかったら、蓉子に注意されてたところね。


   はい、然うなんです。
   だけど蓉子さまは昨日から少し様子が…


   退いて。


   え、え…。


   退け…!


   は、はぃぃ。


   イツ花。
   多分、蓉子の病は昨日に始まった事じゃないわよ。


   や、病…?!
   蓉子さまが…!?


   そ。
   あの様子だと、死んでも治らないわね。


   そ、そんな…ッ


   ああ、大丈夫大丈夫。
   莫迦の方じゃないから。
   いや、ある意味莫迦と言えるわね。


   あの、お姉さま。
   蓉子さまは…


   ま、何にせよ私達が気に病む事では無いわ。
   一寸した感情の問題だから。
   今更、て感じもしなくも無いけれど、らしいと言えばらしいわね。


   …?


   そ、そんな事より薬湯、薬湯の支度をしないと…!


   あー、残念ながら効く薬は無いわねー。















   蓉子!!


   え。


   こんなところで


   えと…お早う、聖。
   今朝は其の、早いのね。
   昨日の今日だから、もっとゆっくりしてるとばかり


   こんなところで何をしてるの…ッ


   何って。
   掃除、だけれど…ほら、見て?
   落ち葉がこんなに…


   何で掃除なんてしてるの…ッ


   何で…て。
   それより聖こそどうして此処に…?


   …。


   そんなに血相を変えて。
   一体、どうしたと言うの…?


   …起きたら隣に蓉子が居なくて、


   聖?


   布団が冷たく、なって、て…


   …!
   ど、どうしたの、せ


   …。


   あ…。


   ……どうして。


   こ、こんなところ、で…。


   どうしてこんなところで掃除なんてしてるのよ…ッ


   ぐ…っ


   どうして隣に居てくれないの…ッ


   く、苦しいわ、聖…。


   …やっと。
   やっと、手に入れたと思ってたのに…ッ


   と、兎に角、落ち着いて、聖。


   …なのに。


   とりあえず、家の中に入りましょう?
   貴女は薄着だし…其れに、此処は往来だから……ね?


   ……。


   聖、聞き分けて…?


   …蓉子は。


   ねぇ、お願いよ。


   蓉子は…ッ


   う、ァ…。


   絶対に離さない、離すものか…ッ


   せ…ィ……くる、し…


   蓉子は…、蓉子は……わたし、の…


   …せ……ぃ。


   ……。


   …けほ。
   はぁ…けほ、けほッ


   ……わた、し…の。


   …せい。


   …。


   ……なかないで、聖。


   ……。


   悲しませるつもりなんて、無かったの…。
   私は、ただ…。


   ……。


   ごめんなさい、ごめんなさい。
   聖、泣かないで…聖、聖。


   …ようこ、が


   …。


   いないのは、いやだよ…。


   …うん。


   いなくならないで…。


   …。


   こばまないで…みすてないで…。


   ……そんな事、しないから。


   いやだ…いやなんだよぅ…。


   ……そんなこと、私には。




















   …で。


   …。


   要するに。
   鍛錬前の準備運動で家の周りを軽く走る筈が、気付いたら家の周りの落ち葉掃除をしていたと。


   …ええ。


   其れは其れは、朝っぱらからご苦労な事ね。


   ……。


   其れは分かったけど、だからって何で此の部屋に来るのかしら。


   そ、其れ…は


   先刻から目を腫らし気味の不貞腐れ面をした糞餓鬼に恨めしそうな目で睨まれていて、非常に面白く無いのだけど。


   …。


   蓉子。
   嫌ではないと言ったのは貴女よ。


   ……ごめんなさい。


   大体。
   へたれは蓉子を見つけて、蓉子はへたれを宥めると言う名目で甘やかす。
   其のいつもの、決まりきった、簡単に言えば乳繰り合いに突入すれば良いだけの話でしょう?


   ち、ちちくりあい…て。


   と言うかつまらない、つまらないのよ、あんたら。
   毎回毎回、同じような事を繰り返すばかりで。
   どうせ擦れ違うならもっとこう、派手に何かをかましなさいよ。


   そ、そんなこと、言われても…。


   …蓉子、でこちんなんかの言葉に耳を貸すな。


   例えば。
   京の中心で愛を叫ぶとか。
   勿論歯の浮くような、寧ろ抜け落ちてしまいそうなくらい甘くて恥ずかしい言葉をお願いするわ。


   な、何よ其れ…。


   例えば。
   言葉を幾ら紡いでも足りない、躰を重ねても足りない、だったらいっそ拳で語り合ってみるとか。


   …莫迦か。


   例えば。
   乳繰り合いすぎて子供が出来ちゃいましたーvとか。


   出来ないわよ…ッ


   毎晩のように乳繰り合ってるクセに。


   あ、あってないし…ッ
   其の言い方も止めてよ…ッ


   じゃあ何?
   そのまんま、直球な表現でも良いってコト?
   情こ


   だ、だから…ああ、もうッ
   江利子…ッ


   ああ、もう、本っ当に面白く無いわ。
   あんたらにはもう少し私を楽しまそうと言う気概は無いわけ?


   …てか、何で楽しませなきゃいけないのよ。


   そもそもね、蓉子。


   え…あ、な、なに


   其の前に一寸耳を拝借。


   ちょ、江利…


   ……を、自覚したぐらいで。
   乙女になりすぎなのよ。


   …。


   だけど一応。
   自覚、おめでとうと言っておくわね。


   ……。


   それからこのままだと確実に益々面倒な事になって、面白い展開になるわけでは無いから。
   さっさと教えてあげなさい、言葉で。


   け、けど…。


   いい加減蓉子から離れろ、でこちん。


   …。


   離れろ!


   …はぁ。
   全く、こんな独占欲の塊の何処が良いのかしら。


   そんなこと、言われて…も。


   はいはい。
   ご馳走様。


   ……。


   江利子ォ…!


   そんな大きな声を出さなくても聞こえてるわよ、五月蝿いわね。


   …。


   と言うわけだから、蓉子。
   これ以上此処に居られても、へたれのご機嫌が頗る悪くなってうざいだけだから。
   後は二人でやって。


   え、で、でも…。


   思う存分に、好きなだけ、どうぞ。
   暫くは近づかないよう、皆には言っておくから。















   …。


   …。


   ……。


   ……。


   …え、えと。


   …。


   あのね、せ


   最初から。


   ぁ…。


   最初から、私の部屋に来れば良かったんだ。


   …。


   それなのに何で、でこのトコなんか。


   ……。


   蓉子。


   …え。


   …。


   な、なに、聖…?


   私をちゃんと、見て。


   う、うん。


   …。


   ん…。


   蓉子…。


   せ、い…。


   ……。


   …?
   聖…?


   しても、良い…?


   ど、どうして…?


   蓉子、震えてるから。


   ふるえ、て…?


   さっきも然うだった。
   抱き締めた時、蓉子は…


   …。


   ……ねぇ、蓉子。


   うん…。


   私は鈍いから。


   …。


   言葉にしてくれないと…分からないよ。


   …こと、ば。


   ねぇ、蓉子。
   私の事、好き?


   …。


   それとも…もう。


   す、好き…よ。


   本当に?


   嘘なんて…言わない。


   じゃあ…蓉子からしてよ。


   して…?


   口付け。
   いつも、私からだから。


   ……そ、んなこと。


   してよ。
   して欲しい。


   ……。


   蓉子。


   ……う、ん。


   …。


   …。


   …。


   …。


   ……。


   ……。


   …蓉子。


   ……。


   やっぱり…出来ないんだね。


   ち、違うの…。


   ……。


   違うの、本当に違うの…。
   私、私は…。


   …良いよ、もう。


   聖…、私、聖が好きなの…。
   だけど…だから。


   …何処にも行かないでくれるだけ、なんだ。


   聖…。


   ……蓉子の気持ちが。
   分からない…分からないよ。


   …。


   だけど…私は、離せない。
   蓉子の気持ちが、本当は、私に向いて無いとしても。


   あ…。


   好き…。


   …。


   蓉子が好き…好きなの。
   愛しているの…。


   ……あぁ。


   離したくない…蓉子、蓉子。


   ……聞いて、聖。


   …いや、いやだ。


   聖、私ね…聖が好き。


   ……。


   前よりも、ずっと。
   心の中に想いが溢れて…。


   …前より、も?


   然う…。


   じゃあ、なんで…。
   其れが本当なら…何で、避けるの。震えるの。
   どうして、目を合わせてくれない、の…。


   …溢れて、溢れて。
   どうして良いか、分からなくなった…。


   分からなく…?


   優しく見つめられるたび、触れられるたび、心が震えて、息すら詰まった。
   好きと…愛していると耳元で囁かれるたび、涙が零れそうになった。
   今までどうして平気…いえ、今までも確かにあった筈なのに…。


   …言っている意味が分からないよ。


   嫌いになったわけじゃない。
   触れられて欲しくないわけじゃ、ない。
   寧ろ…


   ……。


   好きよ、聖…大好き。


   よ…ん。


   ……聖。


   …。


   私は貴女に…恋を、しているの。


   …こ、い。


   同じ人に、また…。


   …。


   …はぁ。


   …よ、こ。


   触れて…。


   …。


   触れて、欲しいの…貴女に…。


   ……ようこ。


   おねがい、聖…。
   私に触れて…触れて、ふれて…。


   …。


   ………きて。















   おかわり、イツ花。


   はーい、令さまー!


   うん、今日の蕪のお新香はなかなかの漬かり具合ね。


   わぁ、ありがとうございます!江利子さま!


   ……。


   あ、祥子さま。
   さり気なく除けてはいけませんよ、と言うかばればれですよ。


   ……。


   だからって人の器に移しちゃ駄目だよ、祥子。


   …成長期なんだから丁度良いじゃないの。
   あげるわ。


   と言うか、祥子もだし。


   存分に味わいなさい。


   てか、何で上から目線?!


   決まってるでしょう。
   上だから、よ。


   横暴だよ、そんなの!


   祥子さまは本当に漬物が苦手ですねぇ。


   直ぐに人に食べさせようとするし!


   苦手ではないのよ。
   ただ、食べたくないだけよ。


   それを好き嫌いと言うんだよ、もう。
   イツ花、ご飯!


   はい、令さま、御待たせしました。
   モリモリ食べてくださいね★


   ありがとう…て、何この量。
   幾らなんでも…


   はい、モリモリ!


   いや、そんな満面の笑みでモリモリって。


   まぁ、丁度良いわ。
   私のお新香を上げるから、思う存分、お食べなさい。
   其れはもう、モリモリと。


   いや、だから何で上から目線なのさ!?


   だから。
   上だからと、言ってるでしょう。


   ああもう…!


   それにしても。
   当主様と蓉子さま、遅いですねぇ。


   …。


   当主様は蓉子さまを探しに飛び出して…


   あ、それなら見つかったみたいだよ。
   さっき、一緒に歩いている所をお見掛けしたから。


   あ、然うなんですか、其れは良かったですねぇ。
   当主様、蓉子さまの事となると目つきが変わりますから。
   まぁ、其れは蓉子さまもなんですけど。


   つまるところは似た者同士ってところね。


   然う、然うなんですよ。


   ……。


   祥子さま?
   箸が有りえない具合で反っているんですけど…


   ……は?


   いえ、何でもありません。


   …。


   はて?
   じゃあ、何でお二方はいらっしゃらないんでしょう?
   お腹、空いていないンでしょうか?


   心配しなくても、そのうち来るでしょ。


   そのうち、ですか?


   然う、そのうち。


   うーん…。


   寧ろ、邪魔したら刺されるわよ。


   はい、然うですね!
   ではお二方の分はきっちり取っておこうと思います、はい!


   だから祥子、自分の分は自分で食べないと…


   だからあげると言っているの。
   本当、分からない人ね貴女。


   いや、だから何でそんなに偉そうなの…ッ?
   …て、ああッ


   はい、貴女の箸がついたわね。
   責任持って食べるが良いわ。


   と言うか今、祥子が強引につけたんじゃんか!


   あーもう、ごちゃごちゃとうるさいわね。


   何で逆切れ気味…?!















   …よーこ。


   ん…くすぐったいわ、せい。
   すりよせないで…。


   だって、したかったんもん。


   もん…て。


   えへへ。


   ……。


   ね、こっち向いて?


   ……。


   耳まで、真っ赤。


   …誰のせい。


   私以外、居ないでしょ??


   ……ばか。


   ふふ。
   あ、そーうだ。


   …ちょっ、と。


   ふふ、こうすると鼓動が良く聞こえる。
   これも私のせい、なんだよね?


   ……。


   あぁ、嬉しいなぁ。


   …ずるいわ。


   うん、何が?


   私ばかり…。


   そんな事無いよ。


   そんな事、あるわよ…。
   自分だけ何でもないような顔して…。


   本当に然う思ってる?


   だって…。


   じゃあ…はい。


   あ…。


   …感じる?


   耳は…当てさせてくれないの?


   蓉子は耳が良いでしょう?
   だから手からでも伝わるかな、て。


   も…う。


   …伝わんない?


   …そ、それより。


   ん?


   ……。


   蓉子?


   …どうして、恥ずかしくないの。


   恥ずかしい?
   何で?


   …やっぱり、私だけなんじゃない。


   んー、じゃあ…


   ん…ッ


   …痕とか、つけてみる?
   蓉子も、さ。


   何で私に…。


   だってつけたかったんだもん。
   蓉子は私のなんだよ、て。


   ばか。
   聖のばか。


   うん…。


   ん、ん…。


   …堪らない。


   せ、せい…。


   コレ。
   吸ってると…なんか赤子に戻ったような気分、なんてね。


   ば、ばか…。


   …じゃ、舐める。


   あ、もう…。


   …。


   …あ、ん。


   声。
   我慢、しなくても良いのに。


   …みんな、起きてるのよ。


   そだね。
   でもご飯食べてる、よ。


   あ、は…ぁん。


   …ん、甘い。


   …。


   …其れにさ。
   蓉子だって、ずるいんだよ。


   …?


   私は蓉子が居なきゃ、居られない。
   然うさせたのは紛れもなく、蓉子、だから。


   …。


   だけど、蓉子は私が居なくても平気っぽくて。
   ずるいよ、蓉子。


   …平気なんかじゃ、


   じゃ、淋しいと思ってくれた?


   …さび、し?


   討伐で家に居なくて。
   少しでも淋しい…て。


   …。


   …ほら、平気なんじゃん。


   …無かった。


   え、何?


   …考えてる暇、無かった。


   あー…然うだよね、蓉子は忙しいもんね。
   …ちぇ、やっぱ蓉子の方がずるいよ。


   だ、だって、ずっと考えていたのよ…。


   何を。


   …もう、ばか。


   え、何でよ。


   …これくらい、言わなくても分かってよ。


   分からないよ。
   ばかだもの。


   …ばかり、考えてた。


   何、聞こえない。


   聖の事ばかり…考えてた。


   どれくらい?


   ど、どれくらい…て。


   例えば、寝ても覚めても、て言うじゃない。


   ……。


   ね、どれくらい…?


   …もう、言わせないで。


   聞きたい。
   どれくらい、蓉子が私を想ってくれていたか。


   …ね、


   ね…?


   寝ても…覚めて、も…。


   今も?


   …。


   ……ね、やっぱしよ?
   心の中、もっと私だけにしてあげる。


   だ、だめ。


   もう、半分してるじゃん。


   そ、然う言う問題じゃ…無い、わ。


   じゃ、どういう問題かな?


   ご飯、冷めてしまうじゃない…。


   色気より、食い気?
   蓉子さんったら、案外、食い意地張ってる?


   …もう、茶化さないで。


   お腹いっぱいにさせてよ。


   …。


   蓉子、で。


   …せ





   …クゥ。





   …。


   …。


   …あー。


   …だ、だから。


   お腹、減ったねぇ。


   …言った、のに。


   仕方ない、続きは夜のお楽しみというコトで。


   ま、未だするの…。


   当然。
   此の私が昨日ので足りると思う?
   ぶっちゃけ、腹の五分にも満たされて無いよ?


   ……助平。


   うん、蓉子もね。


   一緒に、しないで。














  銀 木 犀 了






   銀木犀・・・或いは木犀、桂花とも。白い花を咲かす。花言葉は「初恋」、「唯一の恋」。金木犀は銀木犀の変種。