セックスレス。










   意味:夫婦間などで、性交渉がほとんどないこと。















   と、辞書には書いてあったけど、全く無いと言っても間違いじゃないと思う。















 
は ら ぺ コ ロ シ ア ム














   要因として考えられるのは。





   性嫌悪症、とか。

   性交疼痛症、だとか。

   膣痙攣、とか。

   精神的なもの、とか。




   あとはぶっちゃけ、性欲低下、とか。

   触れるのも触れられるのも嫌と思える位の不仲、とか。




   そんな一連の要因を思いながら。

   私は、思う。







   性欲低下は先ず、無いな、と。







   だって。

   許されるのならば、今直ぐにでもしたい、もの。

   勿論、恋人であって只今絶賛同棲中!な彼女と。

   あ、でもこれは私に限っての話であって。

   彼女はどうだろう。

   元々、私ほど…いや、案外然うでもないかも知れない。

   応じてくれる時の彼女は時にとても淫ら、で。

   一瞬、娼婦と言う言葉が脳裏に過ぎるくらい。

   いや、実際の娼婦がどんなもんか、知らないけどさ。

   …うん、余計な事を思わなければ良かった。

   あの顔を思い出したら、我慢出来るものも…や、出来てないからこんな取り留めない事を考えているんだけども。



   正直。



   したい。

   したくて、したくて、堪らない。

   彼女に触れたい。

   彼女に触れられたい。

   あの熱い吐息を、あの善がった声を。

   あの、何よりも、何処よりも、高い熱を。



   だけど。











   セックスレス。












   要因。













   社会人としての責任。







   彼女は、私の恋人である蓉子は。

   社会人と呼ばれる立場になっても、言わば優等生と呼ばれていた学生の頃と変わらない生真面目さと勤労さで。

   一部の若者による無責任さが嘆かれる昨今、蓉子は模範的とも言っても良いくらいの勤勉さで。

   未だ三十路にも届いていない…まぁ、遠くも無いけど…のに、それなりに忙しい立場として日々を過ごしている。

   其れに引き換え。

   在宅ワーカーである私はどちらかと言うと、暇を持て余し気味…でも無く、締め切りと呼ばれるものに追われながら、

   矢っ張りそれなりの忙しさの中に身を置いていたりする。

   だけど其れは不規則で。

   おまけに生来の気紛れさも手伝って。

   忙しい時は忙しいけど、忙しくない時は割と然うでも無かったりして。

   んだけど、間が悪い、或いはタイミングとでも言うのか。

   丁度今、其の忙しい時に入っていたりする。


   そんなわけ、で。






   ここのところ。






   元々忙しかった蓉子と更に時間が合わない、わけで。






   蓉子はとても真面目だ。

   仕事とプライベートは何処まで行ってもきちんと分けて考えられるし、混ぜる事も無い。

   いっそ、清々しさまで感じられる其の様は嫌いじゃないし、どちらかと言うと好きだ。

   だけど私は然うじゃない。

   したい時は其れの事しか頭に無い時がしばしばあって。

   ひどいと他の物事に集中出来ない時だってある。

   いや、私とて一度スイッチが入れば…蓉子曰く、入るのが遅い…部屋から一歩も出ないで仕事に没頭する時だってある。

   けど、スイッチは仕事用のだけじゃない。

   でもって今まさに。

   仕事用のじゃない、其のスイッチが入っている。

   最中。寧ろ、入りっ放し。減り込むイキオイ。

   ing、現在進行形とも言う。




   有体に言えば。

   限界、なのだ。







   このセックスレスな生活に。







   蓉子は今、とても忙しい。

   詳しい事を聞いても私には分からない…と言うか、分かろうと思えば少しは分かるとは思うのだけど…要は蓉子の仕事は守秘義務があるわけで。

   まぁ、早い話公判中、なわけだ。

   あいや、口頭弁論の方、だったっけかな。

   ま、どっちでも良いや。刑事でも民事でも。

   私が言いたいのは兎にも角にも蓉子は忙しい、てコト。

   と言っても蓉子自身が裁判所に立って異議ありーとかやるわけじゃ無くて。

   じゃあ何で忙しいのかと言うと、蓉子を目にかけている上司の補佐で、と言うわけだ。





   おかげで。





   このセックスレスな生活。





   いや、確かに私も忙しくはあるけど。










   …あぁ。










   したい。


   したい。


   したい。


   一人で眠るのは、嫌だ。


   だからって一緒に寝てても容易に触れられない。


   触れたら最後、箍の外れた自分を止める自信は無い。


   蓉子が疲れているのは頭では理解している。


   だから。


   だけど。














   したいしたいしたいしたいしたいしたい。













   と言うか。


   私が忙しくなる前に一回だけでも。


   しとけばまた、違った…カモシレナイ…のに。


   それとなく、そんな好機もあったかも知れない。


   蓉子が未だ、日が替わる前に帰ってこられていた時、とか。


   でもしなかった…何でしなかった…、だからこそ、この状況。

















   相変わらず。

   甘えた、のようで。















   うっさいわ、でこちん。

   親友と言うか悪友とも言える、江利子の人を小莫迦にしぐさった声が浮かんでは消えた。

   ああ、いかん。

   とうとうでこちんの声までもが。

   こういう時、何故かアイツが出てくる。

   蓉子には諌めの言…らしい…を、私には嘲笑めいた言を。

   幼稚舎…蓉子は中等部…からの付き合いのせいか、それとも今尚あの頃のままのでこ具合のせいか。

   つか、お前なんて呼んでないし、要らん。

   私が欲しいのは。













   ・・・・・・・。

















   セックスレス。








   要因として挙げられるのは…

















   「…聖、聖ってば」


   「…は?」


   「は、じゃ無いわよ。何度も呼んでいるのに」


   「え、あぁ、ごめん」


   「…全く、朝からぼうっとして。朝食を蔑ろにしてまで何を考えているのかしらね、聖は」


   「セックス」


   「…」



   あ、噴いた。



   「……聖」



   口元を布巾で拭きながら。

   睨むとも、呆れるとも呼べないような、そんな微妙な視線を送ってくる彼女。

   そういや今は朝、おまけに朝食中なのでした。

   今朝の献立はチーズとトマトを乗せて焼いたトーストと、

   水菜のサラダ…ドレッシングはお好みでシーザーか胡麻…と、ベーコン入りコンソメスープ。

   あとコーヒー。珍しく私作。シンプルイズザベスト。



   「え、えと。今夜も遅くなりそう?若しくは泊り込みだったりしちゃう?」


   「……」



   あは、と。

   話を逸らしつつ、おどけて尋ねた事で私のセックスしたいオーラが消え……るわけも無かった模様。

   蓉子は少しだけ困った顔をした。

   私的にはこの顔も好きだけど、今一番見たい顔は…お、と。

   うっかりしてると直ぐアッチの方に思考が飛ぶ。

   我ながら、本気で、限界なんだなーと思う。



   「…聖、口の端にドレッシングがついてるわ」


   「ん、あぁ」



   仕方の無い人ね、と。

   蓉子の手が…いや、詳しく言うと持っている布巾なんだけど…私の顔に触れる。

   ただそれだけの事なのに、躰の熱が上がる…ような気がする。

   いや実際触れられた処が熱いから、強ち、気のせいでも無いのかな。



   「聖は…」


   「私の今日の予定はオフですよ」


   「…締め切りは?」



   拭き終わって蓉子の手が離れていくのを心の底から惜しいと思いながら、蓉子の問いに先回りして答えたけど、更に突っ込まれた。

   締め切り。

   そういや、いつだったっけかなぁ。



   「来週末まで、だったでしょう?」



   はい、然うでした。

   今度は完全に呆れた様相で蓉子が教えてくれた。

   流石、蓉子。

   私の予定までも其の頭の中に仕舞われていらっさるようで。



   「もう、余裕な事は言ってられないと思うのだけど」


   「余裕?其れはオフの事?それとも…」


   「オフ、よ」



   おう、毅然たる態度で言い放たれた。

   個人的には蓉子の口からセックスと聞きたかったんだけどなぁ。

   そしたらばかみたいに興奮したかも知れないのに。

   て、お年頃の男子か、私は。うへぇ。



   「貴女、毎回毎回締め切りギリギリ、或いは過ぎるでしょう?」



   受けた仕事はきちんとこなさないと駄目よ。

   はい、ソウデス。

   確かに、然う、なんですけどね。

   だってしょうがない…いや、実際そんな言葉をのたまったら殴られそうだけども…じゃんねぇ。

   集中、出来ないんだもの。



   「蓉子」



   あいや。

   自分で思ってたよりも低い声。唸り声にも近いかも知れない。

   ほら、少し驚いた様子で蓉子の手が止まってるよ。

   うむ。

   いよいよ、切羽詰まってるな、私。



   「余裕なんて、無いよ。全然、ね」



   困らせる。

   そんなの、重々承知。

   だけど。

   今の私に“余裕”なんて、無いのだよ。蓉子。



   「……山はもう越えたから。あと少しなのよ」



   蓉子がポツリと漏らした一言。

   勿論、今の仕事に関しての事だろう。

   ふぅん、然うなんだ。

   あと少し、ね。



   「だから…」



   けど、蓉子。

   今の私に其れを悠長に待っていられる余裕なんてものは疾うに売り切れ、挙句入荷予定も未定。

   どころかメドも立たない、立ってないのだよ、蓉子。



   「蓉子」



   矢張り低い声のままなのだろう。

   蓉子の体が微かに震えた。



   「セックスレスは…きつい」



   セックスしたい。

   はっきり然う言えば良いのに。

   それでも未だ、私には言葉を選ぶ“余裕”があったようだ。

   いや、然うでもないかな。



   「…レス、なんて」


   「ごめん。私、限界なんだ。とっくの昔に、ね」




   蓉子は聡明だから、分かっていそうだけど、と。

   ついでに続けた。

   其の言葉に蓉子が息を飲んで。

   少しだけ体を強張らせた。

   何よ。

   そんな風にされたら、まるでこれから私が…





   「…だからって、今は…しないよ」





   しない、と言うより。

   襲わない、と言う表現の方が正しいけど。





   「…さぁ、行く支度をしなきゃ、でしょ?そろそろ時間だと思うけど」





   其の言葉に我を取り戻した…と言うか、我を失ってたかどうかは知らない…弾かれたように時計を見る、蓉子。

   ああ、私の恋人は今日もご出勤だ。

   今夜もまた、クタクタになって帰って来るだろう。

   若しかしたら日が替わるかも知れない、いや、替わるだろう。

   最近ずっとそんな調子だったから。

   曰く、山は越えたそうだけれども。















   「…じゃあ、行ってきます」


   「ん、行ってらっしゃい」





   それから軽く腕を引いて、行ってらっしゃいのキスを頬にする。

   玄関先ですると、未だほんのりと恥ずかしがる彼女が愛しい。

   本当は唇にしたいのだけど。

   今其れに従ったら歯止めが利かなくなりそうなのでしない。

   うん。

   今日も今日とてスーツ姿がとても良く似合う彼女。

   たまに思う。

   あれは一種の鎧なんだ、て。

   あの鎧を纏ったらもう、私は手を出せないし、蓉子は蓉子でプライベートの事なんて一切…




   「…聖」


   「…ん?な…」




   一瞬、腕を引かれたような気がして。

   気付けば目の前に彼女の顔。

   あまりにも近過ぎて其の表情はぼやけているけれど、どうやら目は瞑っているようで…て。




   「…じゃあ」


   「…蓉子!」




   唇に残るは甘い感触。

   人が折角我慢したってのに。

   余裕なんて無いってのに。

   いつもは自分からなんてしてくれない、のに。





   なんで、今日に限って、そんな事、するのかな。





   「…ん、ふ」





   捉まえて引き寄せて唇を重ねる。

   抉じ開けて、舌を舐めて、吸って、絡める。

   時間なんて、何処かに吹っ飛んだ。

   此処が玄関だって事も、其のドアがちみっと開いていると言う事も。

   呼吸すらも忘れて。




   「…聞いて、聖」




   それでもやっぱり苦しくなるもので。

   息を継ぐ為に少しだけ離した唇。

   其の隙に言葉を発する蓉子。

   だけど今の私には其の時すら惜しい。

   塞ぐ様にもう一度唇を重ねようと…




   「…駄目」




   感じたのは唇でない感触。

   蓉子の手、指の腹。




   「今は、駄目」




   …じゃあ、何で。




   「唇にキスなんてしたのさ。私言ったよね?余裕、無いって…」


   「帰ってくるから」


   「…は?」


   「帰って、くるから」


   「だから、何?」


   「日が替わる前に、今日は。だから…」




   だから、其の時は。









   抱いて。









   耳に甘い囁き。

   其れは紛れも無く。





   「…良い、の?」





   我ながら間抜けな声。

   蓉子から直接“誘われた”と言う事実に頭の処理が追いつかなかった、から。

   ああもう、顔が熱い。




   「だけど明日も仕事、だから」




   其の事を忘れないで。

   然う言う彼女はいつもの美しくて凛々しい顔。

   返事は?と言わんばかりに、指で頬を軽く弾かれた。

   言葉も無くコクリと頷く私を確認すると、私の好きな笑顔を浮かべて。

   それから踵を返して颯爽と、とっとと行ってしまった。

   ああ、何時もながらに格好が宜しいようで。

   だから、と言うわけでは無いけど。

   耳が赤かったのは見逃してあげる事にしようかな。




   なんて、そんな事を思いつつ。

   取り残された形となった私は、と言うと。




   一瞬虚を衝かれて鳴りを潜めていた昂ぶりが今頃になってまた蘇ってきて。

   ましてや耳元で甘く囁かれた、つまりはセックスして、と解釈しても良いよね、な言葉に。

   躰までもが否応無く、熱くなって。














   蓉子が帰ってくるまで。















   悶々と過ごすハメになったのは言うまでも無く、て。





















   「…仕事は?」



   少しは捗ったの…?と夜、未だ日が替わるまで数分残っている頃、


   呆れ気味に聞いてくる腕の中の蓉子に、捗ったよ、などと言う嘘は言えるわけも無く。


   正直に蓉子のコトばかり考えてた、と告白したら、



   「ばかね」



   と、微笑まれながら、ついでに鼻を摘まれながら、言われた。

   うん、ばかなのよ、私。

   だってこんなにも蓉子の事しか思えないんだもの。




   それから。

   したくないわけじゃ、無いんだから。

   セックスレスなんて、言わないで。





   聖だけじゃ…無いのだから。

   明日、仕事だからと言われた事は頭の隅っこに追いやり…大体、一回ぐらいじゃ足りないし、

   再び、蓉子の柔らかい乳房をやわやわと触り始めた時に、頭を抱えられながら囁かれて。

   嬉しくなって思わず、手の中で遊ばせていた乳房の蕾を口に含んで転がした。

   それからキスも沢山して、痕だって






   「だからって。あまり調子に乗らないの」






   頭を軽く小突かれたけど。


   浮かれに浮かれた私にはあんまり効果は無くて。


   仕方の無い人、と呟いた口からは直ぐに可愛い声が漏れ始めた。



















   結局、何度したのかって?


   そんなの、教えられるワケ無いじゃない。


   と言うかね。


   何時に眠ったのかも、分からないんだ、実は。















   だけど。



   朝。



   きっちりと叱られたのは此処に記して置くよ。


















   セックスレス。


   バット。


   ノーセックスレス。









   要因。







   私は蓉子が好きで好きで欲しくて堪らない事。


   蓉子はそんな私を好きだって言って求めてくれる事。





















   莫迦聖。


   うん。


   怒ってるのよ。


   うん、怒られてる。


   もう。どうするのよ、この痕。目立つ所には残さないでっていつも言ってるのに。


   うん、然うだね。


   …全然、反省して無いでしょう?


   だって蓉子、綺麗なんだもの。流石かつての紅薔薇様。


   …。


   そして。今は私の紅薔薇様。


   …ばか。


   蓉子は白薔薇、好き?


   …好きよ。
   だけど。


   うん?


   今夜は駄目、だから。


   キスはしても良い?
   今。


   …。


   良いよね。


   駄目って言ってもするくせに。


   うん、するよ。悪い?


   …悪くないわよ、ばか。


















   行ってらっしゃい。