−アルベド・2(江利子・聖)





   人の本質など、然う、変わるものじゃない。
   仮令、変わった振りが出来たとしても。
   其れが根底に在る限り。
   人は、変わらない。



   だけど。



   人は変われる。
   矛盾しているかも知れない。
   其れでも。











   電気も点けないで。
   無様なものね、かつての白薔薇さま。


   …江利子。


   思っていた通り、荒んだ生活を送っているようで。
   何よ、此れ。
   何時からの埃なのかしら。


   何しに来た。


   貴女を見に。


   帰れ。


   由乃ちゃんから連絡があった。
   貴女、高等部に顔を見せたそうね。


   かつての学び舎に。
   顔を見せる事はそんなに珍しい事かしら。
   ましてや私は付属の大学に通っているのに。


   其の大学にも。
   最近行ってないそうじゃない。


   ただ、休んでいるだけよ。


   へぇ。
   其れは体調不良か何かで、かしらね。


   …何が言いたいの。


   ねぇ、知ってるかしら。
   由乃ちゃんから直接、私に連絡が来るなんて初めての事だったのよ。


   其れがどうした。


   其の初めてが。
   どうして貴女の事で、なのかしら。


   そんなの、私が知った事じゃない。


   由乃ちゃん、落ち着いたように振舞っていたけれど。
   でも違うわね。
   何しろ、私に電話をかけて寄越すくらいなのだから。


   …。


   祐巳ちゃんの首に赤い痕が残っていたそうよ。
   然う、丁度貴女と会ったと思しき日に。


   私のせいとでも?


   さぁ。
   あくまでも憶測にしか過ぎないわ。
   だけど祐巳ちゃんは何も話さないそうなの。


   私に会った事以外?


   ええ。


   其れは話していると同義だね。


   志摩子からは?


   何も。


   あぁ、然う。


   …。


   私には蓉子の事を聞かないのね。


   …ッ


   蓉子は居なくなったのね。


   知っているの?


   何を。


   蓉子は何処に行った?
   蓉子は…!


   何処へ行ったかなんて。
   私が知っている筈無いでしょう。


   嘘だったら、赦さない。


   嘘なんか、どうして私が吐くの。
   この状況を見れば誰でも分かるわよ、どんな莫迦でも。


   …。


   聖。


   蓉子は逃げたんだ。
   約束、したのに。
   蓉子は…私を裏切った、見捨てた。
   信じてたのに。
   蓉子は…!


   蓉子は逃げないし、裏切らない。
   見捨てる事だってしない。


   じゃあどうして蓉子は居ない!
   いつも、いつも、一緒だった…!
   朝だって、夜だって…!!
   蓉子はいつも傍に居てくれたのに…!!


   聖。


   蓉子は…蓉子は私を捨てたんだ!


   貴女の仕合わせって何。


   …。


   貴女の仕合わせは蓉子が隣に居る事?
   蓉子が傍に居てくれる事?


   …でももう、居ない。
   蓉子は…もう、帰ってこない。


   …蓉子は。
   いつも貴女が仕合わせになる事ばかり、考えてた。
   自分がどんなに傷付いても、其れでも貴女を愛してた。
   愛する事を止めなかった。


   じゃあどうして…!!


   だけど、蓉子は。
   自分の仕合わせを何処かに置き忘れてきてしまった。
   自分の仕合わせより、貴女が仕合わせになる事を願ってしまった。
   ねぇ、聖。
   蓉子は仕合わせになってはいけないの?


   何、を。


   聖。
   蓉子は貴女の仕合わせを誰よりも、願ったわ。
   じゃあ、蓉子は。
   蓉子の仕合わせは誰が願うの?


   …。


   私や、祥子、祐巳ちゃん。
   みんな、みんな、蓉子が仕合わせになる事を望んでいる。
   勿論聖、貴女も。


   …。


   だけど、
   仕合わせに出来る事とは違う。
   蓉子を本当に仕合わせに出来るのは誰なの。


   …。


   世界は。
   貴女だけのものじゃないのよ、聖。
   自分だけが仕合わせで、自分だけが傷付いているわけじゃない。


   …。


   いい加減、蓉子を見てあげて。
   貴女が望んだ人を。


   …見てた、誰よりも見てたよ。
   だけど…。


   違う。
   貴女は自分を見てただけ。
   蓉子の中に居る自分を見て、安心してただけ。


   …。


   聖。
   蓉子を仕合わせにしなさい。


   …蓉子、を。


   蓉子の仕合わせを。
   誰よりも、願いなさいよ。


   ……。


   蓉子を。
   仕合わせにして上げなさいよ。


   ……あぁ。


   どうか、蓉子を。










  ―ただの私(聖蓉)





   人間なんて疲れるだけ、と思ったりしたけれど。
   人間であるからこそ私は貴女の足になる事が出来るのよ、って彼女が言ってくれた。



   私が若しも歩けなくなったら。

   私の目が若しも見えなくなったら。

   私が若しも歌えなくなったら。

   私の腕が若しも貴女を抱けなくなったら。


   彼女が私の足に。

   彼女が私の目に。

   彼女が歌を口遊み、

   彼女の腕が私を抱いてくれる。


   誰も知らなくても良い。
   誰にも知られなくても良い。
   ただ、ただ。
   “私”は“貴女”と繋がっていられたら。



   …人間なんて。
   疲れるだけと思ったりした、けれど。
   人間である私が彼女の足になれたら良いな、って結構本気で思ったりもした。










  ―千葉より来たれり。(聖蓉)





   全体は黄色、其れに茶色の曲線。
   この辺りでは先ず見掛けない、デザイン。
   まぁ、折角貰ったのだから飲んでみようかな、と思ってみたのだけれど。
   原料を見て、少し戸惑った。
   普通、そんなものを入れるかしら。
   此れを作った人は苦いのが余程苦手だったのか。
   それとも子供にでも飲めるようにと言う配慮から…とか?
   それにしたって……うん。
   とりあえず、飲んでみよう。
   考えていたって飲んでみない事には始まらないもの。






   たっだいまー。


   …。


   ただいま、蓉子さん。
   愛しの聖さんが帰ってきたよ。


   うーん…。


   よっこー?


   ……。


   無視しないでよぅ。


   あぁ、おかえり。


   …素っ気無くない?
   もっと、こうさぁ。


   はいはい、ごめんなさいね。
   おかえりなさい、聖。


   …何飲んでんの?


   これ。


   何これ。


   一応、缶コーヒー。


   へぇ、こんなのあるんだ。


   どうやら地域限定らしいわ。


   どったの、これ。


   可愛い孫から貰った。


   孫って、祐巳ちゃん?
   いつ?


   今日。


   会ったの?
   何処で?


   駅前。


   えー聞いてなーい。


   たまたま、よ。
   約束してたわけじゃない。


   ふーん。


   嘘なんか付いてないわよ。
   本当に偶然だったんだから。


   …じゃ、然う言う事にしておこうかね。


   本当なのに。


   で?
   美味しい?其れ。


   …飲んでみる?


   うん。


   其の前に手洗いとうがいね。


   へーい。


   ちゃんとするのよ。
   いい加減じゃ駄目なんだからね。


   分かってますよー。
   蓉子ってば相変わらず、お母さんみたいなんだから。


   一言余計。


   ごしごしっとな〜。


   …。


   ガラガラガラガラ………ペッ
   ほい、完璧。


   ……。


   お待たせー。


   ちゃんとした?


   うん。
   ほら、綺麗。


   じゃあ、どうぞ。


   わーい、蓉子と間ちゅー。


   やっぱ、あげない。


   えーなんでー。


   なんか、やだ。


   そんな今更じゃん。
   いつもいつも、もぉっと濃厚なのしてるんだしさ。


   …。


   あ、拭いてるし!


   はい、どうぞ。


   …折角の間ちゅーだったのに。


   要らないのね。


   要ります、要りますよー。
   缶のはあまり好きじゃないけど、蓉子が飲んでるのは気になるもの。


   …。


   どれどれ。


   …でもね、聖。


   んー…?


   其れ。
   言葉にならない位、あっまいから気をつけて。


   ……ぶッ


   あ、矢っ張り吹いた。


   あ、あっまぁぁぁぁぁぁ…!!


   ねぇ?


   ねぇ、じゃないよ!
   何なのコレ!?幾らなんでも甘すぎでしょや…!!


   然うでしょうね。


   いや、然うでしょうねじゃないって…!
   あまりにも甘すぎて鼻からも噴出しそうになったわよ…!


   原料、見てみて。


   は?


   原料。
   缶の此処に書いてあるから。


   ……。


   ね、有り得ないもの、書いてない?


   …砂糖は分かるけど。
   加糖練乳、て、ナニ?


   早い話。
   練乳の事、ね。


   練乳って。


   カキ氷とか苺とかにかけるアレ。


   あの、くそあっまいアレ?


   言葉が汚い。


   てかそんなん、コーヒーに入れる?
   普通。


   と、言われても。
   現に、其れには入っているのよね。


   最早、コーヒーじゃないじゃん!
   若しかしないでもコーヒー牛乳よか甘いんじゃないの?!


   甘いわね、完全に。
   最近、飲んだ事が無いから分からないけれど。


   兎に角!
   こんなの、コーヒーじゃない!


   私も其れには賛成だけれど。
   嫌いでは無いわ。


   ええぇ。


   祐巳ちゃんは気に入ったらしいわよ?


   祥子は?


   さぁ、そこまでは聞いてない。


   …しかし、本当に甘かったな。
   祐巳ちゃんは一体、何処からこんなものを…


   貴女の孫が持ってきたらしいわよ。
   話の種に、て。


   私の?
   あー、確か…乃梨子ちゃん、だっけ。


   覚えておきなさいよ。


   覚えてるわよ、ばっちし。
   市松人形みたいで可愛い子。


   其の乃梨子ちゃんが実家に戻った時、買ってきたらしいわ。


   地域限定って。
   若しかして乃梨子ちゃんの実家があるところなのかね?
   つか乃梨子ちゃんって実家から通ってるんじゃないんだ。


   私も詳しくは知らないけれど。
   寧ろ聖、貴女の方が志摩子を通じて知ってそうだけれど。


   然う言う事、あまり話さないし。
   大体、志摩子とはほとんど会ってない、し…。


   聖?


   …駄目、口の中が甘ったるくて気持ちが悪い。
   口直ししないと。


   気分、悪い?


   …少し。


   コーヒー、淹れてあげましょうか?


   其れは勿論?


   ブラック無糖で。


   ん。
   私が一番好きなの、期待して待ってる。


   任せて。










  ―短く、と言うとたまになるんです。(聖蓉)





   …ねぇ。


   んー…。


   思うの、だけど。


   こんな時に、何?


   髪、どうしてそんなに短くしたの?


   何となく。


   何となくで其の長さなの?


   ラクで良いよ。
   涼しいし。


   シャンプーの減りも少ないし?


   なんて経済的なんでしょう。


   そんな事、本当は思ってないくせに。


   と言うか。
   短くして、て言ったらこうなった。


   へたをしたら。
   令より短いんじゃない?


   然うかもね。
   でも良いよ。


   …もう、伸ばさないの?


   其れを言うのなら。
   蓉子は伸ばさないの?


   …。


   髪の長い蓉子、一度で良いから見てみたいな。


   …今のところ、予定は無いわ。


   ん、私も同じ。


   …。


   もう、良い?


   …やっぱり、短い。


   引っ張るね?


   前髪なんて、眉毛に届いてないわ。


   変?


   …変じゃ、無いけど。


   じゃあ、嫌い?


   きらい…て?


   嫌いになった?


   …何を言っているの?


   髪の短い私なんて。
   嫌?嫌い?


   …そんなコトで嫌いになんてならないわよ。


   じゃあ、好き?


   …。


   髪、凄く短くても。
   ちゃんと好きで居てくれる?


   …髪の長さなんか、関係無いわよ。


   ん、何?


   ばか、て言ったの。


   …いた。


   髪が短くても、聖は聖だもの。
   私の好きな。


   蓉子、幾ら短くても引っ張っられたら痛いよ。


   聖がばかなコト、言うからよ。


   だって蓉子が短い短い言うから。


   だって短いじゃない。


   だから、きら…ん。


   …嫌いになんて。
   ならないって言ってるでしょう。


   …じゃ、好き?


   好きよ。


   じゃ、良い。


   聖の髪は柔らかくて細いから。
   短いのもとても似合うと思うわ。
   現に似合ってる。


   蓉子の髪も柔らかくてサラサラだよ。
   でも切っちゃだめ。


   自分は良くて?


   うん。


   じゃあ、若しも…若しもよ?
   私が今の聖くらいの髪の長さにしたら。
   聖は私を嫌いになる?


   ならない。


   本当?


   ならないよ。


   …じゃあ、今度。
   試しに切ってみようかしら。


   えー…。


   ふふ、微妙そうな顔。


   嫌いにはならないけど。
   やっぱり長い方が良いな。


   どうして?


   遊べなくなっちゃう。


   何よ、其れ。


   サラサラー、て。
   蓉子が寝てる時、手櫛で梳いて遊ぶの。


   起きている時でもするくせに。


   だから。
   蓉子は今のままで良いよ。


   好き?


   うん?


   今のままでも。
   仮令、短くしても。
   私の事、好きで居てくれる?


   勿論。
   私は髪の長さで蓉子を好きになったんじゃないもの。


   ん…。


   もう.…良いかな。


   …何が?


   今、其れを聞く?


   …ふふ。
   髪の毛がちくちくしてくすぐったい。


   焦らされるのも。
   そろそろ、いい加減、我慢の限界です。
   まさに、リミットブレイク寸前。


   焦らしたわけ、じゃ…


   …しぃ。
   もう、おしゃべりの時間はお仕舞い。


   無い、の…に。





   ・





   あ、然うだ。


   …?
   とつぜん、なに…?


   今度は蓉子に切ってもらおうかな。


   …なにを?


   髪の毛。
   話してたでしょう?


   ……。


   蓉子が思うように切ってよ。


   …きれないわよ、わたし。


   いやいや、蓉子ならやれる。
   屹度、大丈夫。


   いやよ…。


   お…。


   …いや。


   蓉子ちゃんはおねむの時間なのかな。
   よしよし。


   …。


   でも、其の前に。
   ね、聞いて?


   …や。


   蓉子。


   いや、いや…。


   仕方、無いなァ…。


   …ん。
   んん…。


   …。


   …せい、
   も、だめ…。


   ひいへくへひゃい、と。


   あ、ん…。


   …もっと、しちゃうよ?


   …。


   聞いてくれたら、今夜はちゃんと寝かしてあげるから。
   ね。


   …きく…きく、から。


   ん、良い子。
   じゃ、今は…


   あん…ッ


   これだけに、しておいてあげる。


   ……ばか。


   私、ね。


   …。


   蓉子以外の人に。
   髪を触られるの、本当は嫌なのよ。


   …そんなの、
   きいたこと、ない。


   だって、言ってないもの。


   …。


   でね。
   其れと同じくらい、蓉子の綺麗な髪に私以外の人が触るのが嫌だったりするんだけど。
   今はまぁ、置いといて。


   …。


   だから。
   切ってよ、蓉子。


   …むりよ。


   どうして?
   蓉子らしくないよ?


   …らしく、て。


   最初から無理って決め付けるなんて。
   蓉子らしく、無い。


   …わたしにだって。
   できること、と、できないこと、が…。


   どうしても、出来ない?


   …。


   どうしても、嫌?


   …だって。


   だって?


   …へんになってしまった、ら。


   初めから上手くやろうなんて。
   思わなくても良いのよ。


   …け、ど。


   ね。
   切って?


   …。


   約束。


   …せきにん、とれない。


   良いよ、そんなもの。
   私が望んだんだから。


   …めちゃくちゃよ。


   上等。


   ……。


   だから…ね?


   …。


   然うだ、今度の日曜にでも鋏を買ってこよう。
   普通のじゃ、駄目だろうし。
   勿論、蓉子も一緒に行くんだよ。


   ……すきに、なさい。


   うん、する。


   …。


   あー、早く伸びないかな。


   ……。


   ん…?


   ……。


   どうしたの?蓉子。


   ……どうもしない。


   そ?
   そのわりには…もじもじ、してない?


   …。


   …さっきので。
   スイッチ、入っちゃったのカナ?


   ……はじめから。
   そのつもりだったくせ、に…


   ふふ、仕方がないなぁ。


   せ、ぃ…。


   じゃ、もう一度……いただきます、と。