エリスが、逝った。
抱きあげた躰は相変わらず細くて軽くて。
あたしよりも幾分か低かった温度に、火が灯る事はもう無くて。
人の手で創られた魔女。
それはやっぱり普通の人とは違ったのかもしれない。
最初は魔女の力が弱まり、目に見えて衰えて、やがては使えなくなった。
同時に体力が徐々に落ちていった。立つ事さえ、ままならなくなった。
食事もあまり摂らなくなった。最後は水だけになった。
日に日に弱っていくエリスを、あたしは見てるだけしか、出来なかった。
医者に見せても、どんな薬を飲んでも。今では友人とも言える人にも相談した。
でも、エリスの体力は戻らなかった。当然だ、病では無かったのだから。
もしも、命の火と言うものがあるのならば。
それが消える時、人であるあたしに出来る事なんて何も無い。
無い、のに。
ナディはナディだから。
ナディが私の傍にいてくれる、それがわたしのしあわせ。
ねぇ、ナディ。
出来ないことがない、なんて。
そんなの、嘘だよ。
ナディは気付いていないだけ。
ナディがここにいる…それは、ナディにしかできないこと、なのだから。
E l A z u l E t e r n o
あの旅を終えた後、一度は根を下ろす家を見つけた筈だったのに、あたしはエリスともう一度旅をする事を選んだ。
エリスはそんなあたしが好きだと言ってくれた。
あたしも、エリスが好きだった。一緒にいてくれる、エリス。あたしみたいな根無し草を愛してると言ってくれたエリス。
エリスは人に創られた魔女。
それは変わらない。あたしには変えられない。
それでもあたしにとっては、最期まで、エリスはエリスだった。
逢った時から変わる事なく、ずっと。
あたしの、大切な人。
望んで生まれてきたわけじゃない、それは消える事無く棘となってエリスの心に刺さったままだったけど。
あたしはその棘を抜く事は出来なくても、せめて痛みを和らげてあげたくて。
だから、あたしは。
エリスはよく、あたしのものになりたいと言って甘えた。
あたしは誰かの「もの」と言う言葉があまり好きじゃなかった。
エリスは誰の「もの」じゃない。エリスはエリスとして、思うようにしあわせになって欲しかった。
エリスのしあわせにあたしが必要で無い日が来るのなら、それすらも受け入れるつもりだった。
でもそれは間違いだった。
エリスのしあわせは、あたしあってのものだと。
生まれたままの姿で泣きじゃくるエリスを見て、思い知らされた。
あたしのものになる。
それはエリスにとって多分、初めて魔女以外のものになれると言う事。
初めて、エリスにとっての居場所が出来ると言う事。
そしてそれはあたしにとっても。
あたしは、エリスを自分のものにした。
乱暴だったと思う。
男に抱かれた事も、ましてや女を抱いた事など無いあたしに、優しく出来る筈なんて無かった。
でも、エリスは。
エリスは嬉しいと泣いた。
初めての上に、こんな乱暴者に抱かれて。
痛みもあっただろうに…いや、あったに違いない。
シーツとも言えない粗末な布の上に赤い印が残されていたから。
でもそれでも。
貪られた後、貪った後。
エリスはあたしの腕に頭を乗せて、あたしは慣れない事をしたせいかぼんやりしてた。
今でも忘れない。
エリスがごめんなさいと、言った事。
最初は良く聞こえなくて、聞き返した。
顔もエリスに向けて。紫がかった蒼い瞳と視線が重なった。
エリスは泣きそうな顔で笑っていた。
先程の、嬉しいと言って泣いていた顔と明らかに違う顔。
あたしは困ってしまった。
エリスが何を言ったのか聞こえなかった事と、どうしてそんな顔をしている事と。
かける言葉が何故か見つからない事と。
そんなあたしの頬に柔らかい感触が落ちる。
エリスの唇だと分かったのは、それが離れていって、かつ、一瞬の間を置いてから。
その唇が紡ぐ。間抜けな相棒が聞き取れなかった言葉を。
ごめんなさい。
あたしは力いっぱい抱き締めた。
華奢な体、力を入れれば簡単に折れてしまいそうな躰。
溢れてくる感情ばかりが暴走して、言葉になってくれない。
だけど辛うじて、何故謝るのかを聞く事は出来た。
けど実際は、言葉になっていたかは分からない。本当に、無様な姿だったと思う。
エリスはそんなあたしの躰に手を回し返した。
返して、キスをねだった。
重ねるだけの、触れるだけの。
でもあたしがしたのは、さっきまでしていたような荒々しい、曰く、不器用なキス。
舌をエリスの口内に侵入させて、唾液を交換し、溢れ出るそれにすら煽られて、息が切れるまで。
…ナディは、わたしのわがままをかなえてくれただけなんだよね。
息すらも赦さない、拷問のようなキスを終えて。
エリスが最初に、よほど苦しかったのだろう息を切らしながら、紡いだ言葉。
言っている意味が分からない。
でももしも、その言葉を素直に受けとったとすれば。
あたしがいやいや抱いたのだと。本当はそんなつもりは無かったのに自分が我侭を言ったからだと。
あたしには気持ちは無く、ただ、エリスを慰める為だけに仕方無く…。
あたしは怒った。
これ以上無く。
無言で怒るあたしに、エリスは言葉を失った。
心無しか顔も、元々透き通るくらいの白い肌が痛々しいくらいに蒼白になっていた。
あたしが怒っているのは自分のせいだと、改めて、思い知ったに違いない。
それは正しい。
あたしが、生まれて初めて…いや、二度目となるこんな激しい怒りを持ったのは紛れも無く、エリスのせい。
エリスは謝る事も出来ずに、ただ、呆然としていた。
…あたしは。
あたしは!
なんとも思ってない人間に!愛してない人間に!!
こんな、コト…!!
その時のあたしは泣いていたのだと思う。
怒りと、そして悲しみと、まぜこぜになって。
ぐちゃぐちゃだった。ぐちゃぐちゃにしてやりたかった。
あたしは持てる感情をエリスにぶつけた。
普段は心の底に押し込めて、こんなコトになっても、それでも出すつもりが無かった感情をも。
止まらなかった。
止めていた箍はもう……いや、今思えばとっくに外れていたのだけど。
…家族になって、なってよ、エリス。
泣いた。
あたしも、エリスも。
それはもう、ひどかった。
ぐちゃぐちゃにするつもりが、ぐしゃぐしゃになった。
と言うか、めちゃくちゃだった。
めちゃくちゃだったけど、でも、エリスは答えてくれた。
あなたのかぞくにして、ナディ。
エリスの傍で今日も生きる。
それは初めの誓いと変わらない。
お節介な友人が心配してくれたりもしたけど。
もしも力が使えたらなんて事も、言っていたけれど。
気持ちは嬉しいけど、あたしはこのまま生きるって決めたから。
あたしはエリスと生きる。生きている。生きていく。
たとえもう、あの柔らかな躰に触れる事が出来なくても。
エリスはいつだって、あたしの傍にいるのよ。
ねぇ、ブルーアイズ。
おはよ、エリス。
今日はこんなの作ってみたけど、どうだろ。
ああ、雨が降ってきたのなら教えてくれれば良いのに!
エリス、今日も空が高いよ。ほら、届かない。
おやすみ、エリス。また明日。
日々は過ぎる。過ぎていく。
あたしとエリスの大事な一日一日が積み重なって、明日を創る。
未来へと、繋がっていく。
明日も晴れるかな…ねぇ、エリス。
「…ブルーアイズ」
「…リカルド」
声を、聞いた。
それはもう、居ない筈の友の声。
そしてその声は。
「……いつか、貴方は言ったわね」
「…」
「二人は離れてはいけないって」
「…ああ」
その声が聞こえて、尚且つ、胸騒ぎを覚えたのは私だけでは無かった。
今ではもう、少しくたびれたようにはなってしまっていたけれど、相変わらずその雰囲気は変わっていない彼。
友と少しだけ似た、空気。
それから。
「ふたりは、いつだって仲良しだったから」
あの旅をしていた頃は未だ、幼かった彼の娘。
今ではもう、立派な少女。
「これからもずっと二人で、はなれてしまわないように。そうだよね、パパ?」
「…そうだな」
綺麗な顔をしていた。
ついさっきまで愛する人と会話を楽しんでいたかのように、微笑んで。
「……ずっと、一緒だったのね」
「ああ」
きれいな、きれいな、なきがら。
屹度、彼が触れると彼女の恋人がやきもちを焼くだろうから。
そもそもそれは良く、聞かされていた。
他愛の無い会話をしただけでも、ね…なんて。
困ったもんだわなんて言っておきながら、全然困った表情なんかじゃなく、寧ろ、嬉しそうに。
然う、あれはただの惚気話。
私と彼の娘で抱き上げて、連れて行く。
恋人…いいえ、愛おしい家族が待っている大地へと。
「二人は、離れちゃいけない」
全てを終えた後、彼はあの時と同じように紡いだ。
見上げれば友が、二人が好きだった青い空。
どこまでも広がる、青い空。
『ありがとう』
「あ」
「リリオ…?」
「ナディ、エリスの声が」
「…ええ、聞こえたわ」
『ばいばい』
「…ふ」
「ねぇ、パパ、ブルーアイズ」
「なんだ」
「何」
「空、高いね」
「ああ、そうだな」
「ええ、本当に」
それは、二人が旅してた頃と変わらない。
変わらない、青。
…。
ナディ。
…。
起きて、ナディ。
ん、んん…。
ねぼすけ。
…聞こえてるわよ、エリス。
おはよう。
ん、おはよう。
遅かったわね。
そうかな。
いや、早かった、かな。
…。
エリス、また逢えた。
…ずっとそばにいたよ?
知ってる。
でも、さ。
ん…。
…触りたかった。
…。
触りたかったよ、エリス。
…うん、私も。
さわって、ほしかった…。
ん…。
…。
…。
…ずっと、見てたの。
うん。
だからへたな事、出来なかったな。
…へたなことって?
再婚、とか?
……。
なんてね。
必要ないことはしない。
…わたしは
エリス。
…。
あんただけなのよ、あたしの新しい家族は。
…ナディ。
ちゃんと分かってる?
…うん。
宜しい。
さて、これからどうしようか。
たびに。
ん?
たびに、出よう?
もう一度。
旅に?
うん。
やれやれ、折角落ち着いたのになぁ。
だって。
…だって?
目がかがやいてるナディが…
…。
…好き。
……。
だから
旅に出ようか、エリス。
…。
また、ね。
…わたしがいったのに。
ふふ。
……。
…エリス。
…。
…もう、離さないし…離れない。
……うん。
旅に出よう、エリス。
もう一度。
行こう、ナディ。
まずはどこに行こうか?
どこにでも行けるけど。
ナディと初めて逢った場所。
あたしと?
だめ?
うん、良いかもね。
…ナディ。
…。
……ずっと、いっしょ。
ん…。
…。
…。
…。
…行こう、エリス。
…うん、行こうナディ。
『いえっさ!!』
蛇足。
当時の日記に書いていた戯言。
エリスって、実は、そんなに長く生きられないんじゃないかと。
それかその反対で老いが遅くて残される、とか。
前者の場合、魔女の力で生き返らせる選択を敢えてナディは選ばないで。
そもそも青目さんに二度目の力はあるかどうか分からないけれど、あったとしてもナディは選ばない。
エリスが眠る地で、一人、生きて。
心配する青目さんやリカルドに、ナディは決まって笑って答える、「エリスなら今でもあたしの傍に居る」、と。
二人には見えないけれど、リリオにはそれを感じる事が出来て。
ナディの傍にはいつもエリスが寄り添う。
そんなエリスにナディはいつも話しかける。返事は返ってこないけれど、聞こえないけれど、ちゃんと届く。
そして日々は過ぎていって。
青目さんやリリオにエリスの声が伝える、最期の時を。
みんなが駆けつけた時には、微笑むように眠るナディ。二度と息をしない、なきがら。きれいな、きれいな、なきがら。
青目さんとリカルドはその時に本当の意味で理解する。エリスはいつでもナディの傍に居た、と。
みんなでエリスが眠る大地にナディを返す。
もう二度と離れる事が無いように…いや、永久に一緒になる為に。
全てが終わった時、青目さんは空を見上げる。リリオは青目さんよりも早く。
二人の声。エリスのありがとう。ナディのありがとう。それから、『ばいばい』。
その声はリカルドにも届いた。目を細める。
見上げた先は青い空。二人が旅した時と変わらない、青。
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