はぁ。



    朝のホームルーム前。
    あたしはもう何度目かになるか分からないため息をつく。
    ため息の原因はお財布の中身。机の上に広げてあるのがぶっちゃけ、今の全財産。
    100円玉が一つ。10円玉が四つ。5円玉は三つ。1円玉だけ二桁の、13枚。
    500円玉が一つもないという、この由々しき事態。もっと言えば50円玉もない。
    問題はこれであと一週間過ごさなければならないコトだ。Ah、no me digas!
    ああもう、この5円玉が50円だったら良いのに。穴、開いてるんだからさ。500円なんて贅沢なコトはこの際、言わないからさ。
    どうにか出来ないかな。こう、叩いたら増えるみたいな…。



    「ねぇねぇ、クリスマスはどうしよう?」



    これからの生活に憂えて頭を抱えるあたしをよそに、あちらこちらでそんな話題が飛び交っている。
    クリスマスと言えば、あのクリスマス。でもまだ一ヶ月以上あると思うけど。
    ぶっちゃけ、ここ最近の話題と言えばそればかり、で。正直、あたしにはまったくもってどうでもいいコトだ。
    まぁ今となってはそんなコトをあたしに振ってくる子はいないけどね。
    そうそう、自己紹介がまだだった。まぁ、誰に?って話だけど、そこら辺はスルーしておいて。
    あたしは、ナディ。苗字はない。
    名前が示すように、日本人じゃない。綴りはNadie。まぁ、これは覚えてくれなくてもいいや。
    おかげで、このガッコウに来た時はそれはもう、興味を持たれたりもした。
    英語話せるの?なんて、決まって聞かれたりもしたけど。
    生憎、英語は得意じゃない。と、言ったら不思議そうな顔をされた。
    ガイジンだからってみんな英語話せると思ったら大間違いさ、マイクラスメート。て、これは英語だけど。
    なので英語の試験の結果を教えたら、それはもう、え?って顔をされた。
    ぶっちゃけ、話すコトは出来るけどね、こういう文法的な問題はニガテ。そもそもなんでこんなコトに一生懸命になってるか、分からない。話せなくちゃ、意味ないのにね。
    それから日本語上手だね、とか。
    これは自分でも分からない。気付いたら話せたんだから、しょーがない。寧ろ、聞きたいのはあたしのほうだ。
    でもやっぱり文法は苦手、と言うか意味が分からない。漢字はまぁ、それなりには読めるけど、古典は最悪。読めもしない。
    大体、書いてあるとおりに読んでるのにそれじゃ間違いってなんなの。意味が分からない。「けふ」、で、「きょう」、なんて読めるかい。
    そんなこんなで最初はあたしに興味を示していたクラスメートたちも適当な態度を取っているあたしに愛想が尽きたのか、
    それとも新しい話題が出来たのかで、滅多なコトには近付いてこなくなった。例外は除いて。
    いわく、クラスに一人はこういうタイプがいるらしい、けど。
    ちょこちょこ、世話を焼いてくれる彼女は実はそれなりにありがたい。主にノートの方面で。
    進級、最終的には卒業が出来なかったらアイツ、あの青目に何を言われるか分からないから。
    小言を言うくらいなら、最初からガッコウなんて面倒くさいところ、押し込めなきゃいいのにさ。
    それでも世の中、なんだかんだ言っても学歴がものを言っている、らしい。勉強なんていくら出来ても、バカなヤツはバカらしいけど。実に矛盾してるヨノナカ。
    あと、一つだけ。
    あたしの名前、その意味は「名無し」。英語で言えばノーバディ。
    もう一つあったと思うけど、忘れた。どこか遠いところで、誰かに…この誰かを思い出そうとすると、やたらに胸がざわざわして落ち着かなくなるから考えないコトにしている。
    ああ、少し思っただけでこれだ。なんだか落ち着かないのだ。その誰かを想うといてもたってもいられなくなるんだ。
    名前どころか、ホントにそんなヤツがいたかどうかも分からないってのに。
    つか、今のあたしにはそんな余裕、ないんだって。


    はぁ。


    そんでもってもう一回、タメイキ一つ。ほぼ無意識。
    全財産、168円。無駄に半端。…せめて500円玉があれば、全然、違うのに。この際、札なんて贅沢は言わないから。
    数えても増えるわけじゃないけど、叩いたら増えたりしないもんかね。どっかのビスケット、だっけ?そんな歌のように。
    ああ、給料日が遠い。つか先月の給料がもう少し、多かったら。
    大体、どっかの青目がせめて試験勉強ぐらいしろって言うからバイトをほんの少し減らしたら、このザマだ。融通なんてコトバ、あいつにありはしない。
    こんなコトなら、バイト、減らさなきゃ良かった。あー、くそう。



    「静かにしろー。席につけー」



    …そんなこんなで日本史教師な担任の聞こえてきた。あとはクラスメートたちのちょっとしたざわめき。
    この担任、日本史教師だけど、野球部の顧問でもあるらしい。もっと言うと野球部にはそれはもう、厳しいらしい。体育教師でいいんじゃないかね、いっそ。
    机に広げた大切な小銭たちを大事に片付ける。1円じゃ何も買えないけど、1円でも足りなかったらモノは買えない。そんな現実。実に死活問題。
    くそう、消費税なんてなくなってしまえ。消費税なんかがあるから、1円玉ばかりが増えるんだ。ちくしょ。



    「今日は見てのとおり、転校生がいるぞーぅ」



    あーはいはい、転校生ね。ざわめきはそーいうコトだったのね。まぁ、どうでもいいけどね。
    それよりも、あたしは小銭の方が大事なのよね。転校生でメシが食えたら、それはもう、大歓迎するけどね。



    「ナディ」



    あー…叩いたりしたら、本当に増えないかな…この小銭ちゃんたち。



    「ナディ、聞こえないのかー」



    は、あたし?



    「お前と同じ子だ。仲良くしてやってくれよ」



    あたしと同じ?どーいう意味だ。あたしと一緒で苦学生とでも言いたいのか、こいつは。
    ちょっとイラっとしながら顔をあげると……あー、そういうコトか。



    「エリス・シュナイダー…です」



    淡い金の髪。紫がかった青の瞳。透けてしまいそうな白い肌。ニホンジンとは違った、顔のつくり。おまけに舌っ足らずで拙い日本語。うん、これは見紛うコトなく、ガイジン。
    確かにあたしと同じ…つか、同じってなんだ、同じって。ガイジン差別にもほどがないか、この担任。風穴、空けられたいのかね。



    「席は…お約束でナディ、お前の隣だ」



    約束って誰とだよ。
    突っ込んでやりたい気持ちでいっぱいだったけど、後が面倒くさいからやめた。
    つか隣、空いてないんだけど。て、強制席替えね、はいはい。ばいばい、今まであたしの隣だったクラスメート。
    …て、彼女の名前、なんだったけかな。
    んーー……まぁ、いいや。



    「ナディ…」



    どっかのアホ教師いわく、あたしと同じガイジンな転校生が強制的に空けられた席につく前にあたしの名前を呼んだ。
    その瞬間、なんだかやけに甘いような、や、甘ったるい懐かしさを感じて胸が締め付けられる。息が、詰まる。
    なんだこれ…なんだこれ。



    「エリスだよ」



    息継ぎをするかのように顔をあげると視線が重なって。
    その瞬間、転校生がふわっと笑った。これがまたすごくかわいくて。それが見えたクラスメートたちの反応もジューニントイロ。タメイキだったり、見蕩れてたり、固まっていたり。
    あたしはと言うと息が止まるどころか、その仕方すらどっかに吹っ飛んだ。一瞬。



    「あたしは…ナディ」



    しってるよ、と言って転校生…エリスがくすくす笑う。それもまた、かわいくて。あ、なんかやばい、なんて。
    何がやばいんだか、分からないけど。とにかく、何かがやばいと思った。分からないもんは分からなんだから、しょーがないでしょが。
    ああもう、ほんとなんだこれ。



    「教科書、見せてやれ。忘れてなかったら、だけどなー」



    …いちいち、うるさい。いっそ、うるせーって言ってやれたら、どんだけいいか。



    「ナディ、だめだよ?」


    「…分かってるわよ。それより、席、くっつけて」


    「うん」



    …なんて、自然で滑らかな会話。いつ以来かな、こんな感覚。
    その間に、転校生エリスはあたしの席に自分の席をくっつけた。あたしも少しだけ、寄せた。
    うん、これで良し。



    「今、なんて言ったの…?」



    と、思っていたらあたしの前の席のクラスメートに言われた。
    何って、席をくっつけて……



    「英語じゃなかったよね?」



    …あーー。
    分かった。そーか、そーいうことか。
    無意識ってある意味、すごい。ここに来てから話したコト、なかったのに。腹の中で思うことはあるとしても。



    「ないしょ」


    「え?」


    「余計なコト、ゆーな。席をくっつけてって言っただけよ」


    「ふぅん、そうなんだ」



    そうそう、と適当に答えて体を前に向けさせる。
    それから、エリスに顔を向ける。ないしょってなんだ、ないしょって。



    「えへへ」


    「……まぁ、いいけどさ」


    「じゃ、ナディ。よろしくなー」



    と言う言葉を残して、担任はさっさとクラスを出て行ってしまった。
    いつのまにかホームルームは終わったらしい。この、無責任ヤロウめ。



    「ナディ」


    「…なに」


    「みつけた」


    「は?」


    「ううん、なんでもない。よろしくね」


    「あーうん、よろ」



    言い終わる前に、好奇心が旺盛なクラスメートどもがエリスにむらがって、強制終了。
    多分、あたしが来たトキと同じ、待遇を受けるに違いない。



    「さっき、ナディと話してた言葉って英語じゃないよね?なんだったの?」



    ってもう、受けてるか。
    あーもう、面倒だなぁ、こいつら。



    「……」



    呆れて眺めてたら、クラスメートの隙間からエリスと目が合う。少し、困ってるみたいだけど…どーしようかな。
    授業、さぼっていいなら、連れ出してあげて……て、何思ってるかね、あたしは。
    そもそもさぼったなんて知れたら、あの機械女に何を言われ…るのは良いけど、貰えるものを減らされたらコトだ。
    これ以上の生活苦なんて、勘弁して欲しい。



    「授業を始める。日直」



    そんなトコロに一時限目の古典の先生、登場。
    クラスメートたちが渋々、自分の席に戻っていく。
    古典は嫌いだけど、この時ばかりは…タイミングの良さだけは良かった。



    「…ナディ」


    「最初はそんなもんだから。休み時間はここいないほうが身のタメ」


    「…連れ出してくれる?」


    「どこへでも…て、何言ってんだ」


    「約束」


    「…は?」



    約束って、なんだ、約束って。どうしてあたしが……



    「…約束」



    ………まぁ、いいや。
    その時が来たら、その時で。
    この先送りするクセは悪いクセだって、分かってはいるんだけど。
    今はまぁ、いいか。
    なんてさ、視線が重なるたんびにいちいちふわっと笑うエリスの顔を見てたらさ、そう思っちゃったんだからさ、どーしようもないじゃんさ。
    あーあ。



    「ナディ、教科書見せて」


    「あーはいはい…つか、読めるの?」


    「ナディがいるから大丈夫だよ」


    「…あ?」


    「大丈夫?」


    「…聞くなっつの」



    そんなわけで。
    あたしと転校生エリスの学校生活は始まった。
    始まったのは学校生活だけじゃない、って後で思い知らされるんだけど…それはまた、別の話で。