日記
2026年・6月
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27日
マーキュリー。
……ジュピター。
お疲れ様、今良いかい?
お疲れ様、今は忙しいのだけれど。
少し話したいんだ。
プリンセスのことならば、聞いてあげても良いわ。
うん、まさにプリンセスのことだ。
然う、ならば座って。
ありがとう。
どういたしまして。
ん、空だね。
何か淹れようか。
ありがとう、けれど話を聞いてからで良いわ。
ん、分かった。
今日は気分転換に、露台へお連れする予定だったわよね。
予定通り、マーズと露台に連れて行ったよ。
甘味を抑えた果実の甘煮と豆乳の蒸し菓子、其れから炭酸水を持って。
駄々は捏ねなかった?
寧ろ、自分から行きたいと。
おまけに、自分の足で歩くと言い出したんだ。
言い出して、実際に歩いたの。
ゆっくりとだったけど、ちゃんと自分の足で歩いたよ。
まるで地面を確かめるように、恐る恐る、歩いていた。
足の痛みは訴えなかった?
少し痛かったみたいだ。
其れでも、歩いたのね。
うん、歩いた。
露台まで歩けたの?
いや、途中まで。案の定、息が上がってしまってね。
だけど、大分頑張ったと思う。弱音は、少ししか吐かなかったから。
途中から、あなたが?
ううん、マーズが。
マーズがひとりで?
うん。
ひとりで大丈夫だったの。
大丈夫だったみたいだ、顔色ひとつ変えずに背負っていたから。
マーズの顔色が変わることなんて、どんなに無理をしていたとしても、滅多にないわ。
言われてみれば、息遣いが苦しそうだったかも知れない。
替わってあげなかったの。
あたしとしてはいつでも替わる気でいたんだけど、鍛練には丁度良いと言われて。
鍛練に?
此処のところ、色々忙しくて鍛練、特に躰練の時間が取れていないらしいんだ。
……。
マーズがあたしみたいなことを言うのは珍しいよね。
……大分、無理をしていたわね。
曰く、プリンセスが今よりもずっと小さい頃は良くしてあげていたらしい。
らしい、ではなく、していたわ。
ん、然うだったっけ。
あなたも何度か見掛けたことがある筈だけれど、憶えていないのね。
申し訳ないけれど、全く憶えてない。
ひたすら泣いているプリンセスを宥める為に、長い時間、背負ってあやしていた時もあったわ。
其れは……なんとなく、憶えているような気がする。
無理はしなくても良いわよ。
ん、ごめん。
謝る必要もない。
其れでも、一応。
……マーズがプリンセスを背負うだなんて、随分と久方ぶりね。
プリンセスも同じようなことを言っていたよ。
プリンセスは素直にマーズの背中に?
何やらぶつぶつと言っていたみたいだけど、最終的にはマーズの背中に。
あなたが良いとは言わなかったの。
然う言えば、言われなかったな。
最初からマーズに負んぶしてと言っていたよ。
……プリンセスを背に負って、マーズは立ち上がれたの。
三回程、深呼吸をゆっくりとしてから、足に力を込めて立ち上がった……けど、矢っ張りふらついた。
支えたの。
支えようと咄嗟に手を出したら、マーズは更に力を込めて踏ん張った。
其れからあたしの手は要らないと、無言で首を横に振ったんだ。
……。
思わず、やるなぁって思ってしまった。
やるなぁって……あなたね。
正直、立ち上がれないと思っていたんだ。
其れだけ、今のプリンセスには重みがあるから。
支えようとはしたのよね。
勿論、倒れてしまったら大変だから。
プリンセスだけでなく、マーズまで躰を痛めてしまったら大事だわ。
良かったよ、無事で。
他人事のように言っているけれど、あなたにも責を問うことになるのよ。
あなたが傍に居ながら、マーズがプリンセスを背負って転倒しただなんて。
……有り得ないどころの騒ぎではない?
ないわね。
……本当に良かった、無事で。
はぁ……。
ごめんよ、マーキュリー。
……どうせ、あなたが背負うと言ってもマーズは譲らなかったでしょうから。
うん?
プリンセスがマーズを指名してしまった時点で、マーズはあなたの言葉に聞く耳を持たなくなる。
あー……確かに、一切聞いて貰えなかったな。
言ったの?
うん、言った。あたしが背負うよって。
けど、あなたは其れを……プリンセスの大事な甘味を持っていれば良いと。
……。
思えば、どことなく嬉しそうだったと思う。
……何方が。
プリンセス。
駄々を捏ねず、我侭も言わず、大人しく背負われていた?
いや、何か言っていたと思う。
何かって。
何だったかなぁ。
つまり、聞いていなかったのね。
マーズに言っていたから、あたしには関係ないと思って。
あぁ、然う……別に良いけれど。
気になるかい?
いいえ。
ならない?
恐らく、マーズに甘えていただけだろうから。
あぁ……多分、然うだろう。
……。
さて、お茶でも淹れようか。
……淹れたいのならば、淹れて。
二人分、淹れても?
……好きにすれば良い。
うん。
……。
甘い方が良い?
……ほんのりと。
うん、分かった。
……ふ。
なに?
別に、なんでもないわ。
然う?
然う。
そっか。
だから、然うよ。
……へへ。
なぁに。
別に、なんでもないよ。
あぁ、然う。
然うだよ。
……。
ねぇ、マーキュリー。
なに、ジュピター。
飲み終わったら、仕事に戻るよ。
いつ飲み終わることやら。
仕事の邪魔をして、夜の時間を削りたくないんだ。
……夜?
然う、夜。
あなたに関係あるのかしら?
あると嬉しいな。
今夜は行かないし、来なくても良いのだけれど。
気が変わるかも知れない。
早々、変わらないわ。
然うかな。
然うよ。
夕ごはんは何が良い?
何でも良いわ。
何でも?
食べられるものなら、何でも。
久しぶりにさ、芋と葉物の豆乳汁を作ろうと思っているんだ。
ふぅん、悪くないわね。
良し、作ろう。
食べてあげるとは言っていない。
食べて呉れると嬉しい。
食べて欲しい?
食べて欲しい。
然う、仕方ないわね。
迎えに
今夜は私の部屋で。
マーキュリーの部屋で作っても良いかい?
作って、持って来て。
ん、分かった。
食べ終わったら、自分の部屋に戻って。
マーキュリーの気が変わらなかったら、戻る。
期待はしないでね。
ちょっと難しい。
期待していると、ひとりでとぼとぼと戻る羽目になるけれど。
其れでも、マーキュリーとごはんが食べられたから。
ひとりで、寝台に転がることになるの。
朝になれば、マーキュリーに逢える。
起きたら一番に逢いに行くよ、朝ごはんは何が良い?
遅くまで起きていて、眠っているかも知れないわ。
然うしたら……置いていく、起きたら食べて欲しい。
……。
だから、食べたいものを……マーキュリー?
……流石に、明日の朝ごはんのことまでは考えられない。
あ。
ジュピター。
……ごめん。
謝らなくても良いわ。
……。
ところで、小腹は空いているの?
……え。
小腹、空いてない?
え、と……少し、空いてるかな。
マーキュリーは、どうだい?
甘味の時間には、未だ少し早いから。
なら、置いていくよ。
何を持って来たの。
気軽に抓めるように、甘糖豆を。
今日は何色のお豆?
今日は、茶豆と黄豆。
然う、良いわね。
小腹が空いたら食べて。
ええ、然うするわ。
うん。
あなたのお腹は空いているのよね。
うん、あたしは少しだけ空いてる。
ふたりと食べなかったの?
食べたけど、ちょっと物足りない。
甘糖豆、あなたの分は?
あるよ。
ならば、食べれば良いわ。
え。
此処で。
此処で食べても良いの?
食べたくなければ、食べなくても良いけれど。
食べたい、マーキュリーと。
私は後で食べる。
ひとりでは食べられない。
どうして?
マーキュリーが食べていないから。
気にしないで良い、勝手に食べて。
でも。
私は食べているあなたを眺めながら、お茶を飲むから。
……。
いけない?
……いけなくはない。
気が向けば、ひとつかふたつ、食べるわ。
……向く?
今は分からない。
……向けば良いなぁ。
全ては、お茶次第。
……お茶?
お茶を飲んだら、若しかしたら、食べたくなるかも知れない。
……。
ジュピター?
お待たせ、マーキュリー。
……。
お茶をどうぞ。
改まって。
出来れば……いや、何でもない。
……ありがとう、良い香りね。
然う言って貰えると、とても嬉しい。
……ふぅ。
……。
淹れ終わったのなら、座ったら?
ん、然うだった。
……。
……。
……うん、美味しいわ。
あぁ、良かった。
……あなたも、飲んだら?
ん……飲む。
……。
……はぁ、矢っ張り落ち着く。
今日のおやつは、どうだった?
ん、喜んで呉れたよ。
マーズは?
炭酸水が苦手そうだった。
でしょうね。
プリンセスは、ずっとご機嫌だったよ。
何よりだわ。
此れで、治りが良くなるかな。
……ご機嫌な状態が続いて呉れればね。
続いて呉れれば……ううん、続けば良い。
……然う願うわ。
けど、なんで急にご機嫌になったんだろう。
……ヴィーナスが何かしたのかも知れない。
ヴィーナスが?
若しかしたらの話。
プリンセスに、懐かれていないのに。
然うは言っても、一応は守護神の統率者だから。
まぁ、プリンセスの上機嫌が続くのなら、何でも良いけどさ。
続くとは限らないわね。
愛の力でなんとかして貰おう。
愛の力で?
然う、愛の力で。
ふ……然うね、何とかして貰いましょう、愛の力で。
うん。
……。
ヴィーナスと言えば、腰を痛めているんだろ?
ええ、痛めているわ。
何をして痛めたんだ?
聞いても、答えなかったわ。
だから、詳しくは聞かなかった。
遊び過ぎかな。
然うかもね。
仕方ない奴だな。
大丈夫でしょう、愛の力があるから。
ん、然うだな。
愛の力でさっさと治して貰おう。
……。
……。
……万能ね、愛の力って。
はは、然うだなぁ。
本当にそんな力があったらの話だけれど。
あれだけ言っているんだ、あいつにはあるんだろう。
……。
ん、なんだい?
……あなたには、ないの?
あたし?
……私のこと、愛しているようだから。
あるな、あたしにも。
……私限定?
うん、マーキュリー限定。
……恥ずかしくない?
え?
……まぁ、良いけれど。
ん、んー……。
……ヴィーナスには、曰く、愛の力。
あいつの愛って、なんなんだろうな……。
……「マーズ」には。
マーズ?
……曰く、いざと言う時の為に踏ん張る力が備わっている。
踏ん張る力?
と、先代が言っていたわ。
どっち?
あなたの方。
師匠か。
気力が強いひとだとは思っているけれど。
あぁ、其れは分かるな。
とは言え、気力だけでは補えないことも多々あるわ。
けれど、最後は気力が物を言う場面も多々ある。
今回は後者のようね。
でもほんの少し、腰を気にしているようだった。
……後で様子を見てみるわ。
うん、其の方が良いと思う。
……無理をするから。
然し、踏ん張る力か。
……若しかしたらジュピター、あなたよりも。
然うだとしたら、あたしの鍛練が足りないな。
然う受け取るのね。
あたしは誰よりも力が強くなければいけないんだ、然う、踏ん張る力も。
……。
だろう、マーキュリー?
……ええ、然うね。
ついでに、愛の力も。
……其れは、どうでも良い。
マーキュリーへの、あ。
……うん、美味しいわね。
甘糖豆……。
……食べてはいけなかった?
ううん、もっと食べて良いよ。
……程々に、食べるわ。
砂糖の塗し具合はどうだい?
……ええ、丁度良いわ。
良し、あたしも食べよう。
……嬉しそうね。
嬉しいよ、とっても。
……単純。
……。
……どう?
ん、美味しい。
……然う。
26日
大変ねぇ。
……。
曰く、腫れは疾うの昔に引いているのでしょう? 其れなのに動こうとしないだなんて、とんだ我侭姫ね。
此のままだと丸々と肥え太って、寝台で転がっているだけの存在になってしまうわ。頭も躰も鈍い、そんなクイーンを誰が敬うのかしら。
……あなたにとっても、他人事ではないわ。
まぁ、起きた事柄については他人事ではないけれど。
……言動がいちいち軽いのよ。
やぁだ、そんなに苛々しないで。
眉間の皺が、益々深いものになっちゃうわよ?
……あなたも其の要因のひとつ。
何度も言っているけれど、私のことなんて、気にしなくても良いのよ。
気にしたら、精神的疲労が溜まるだけ。おすすめしないわ。
もとより、していないわ。
ただただ、鬱陶しいと思っているだけ。
ふふ、其れを気にしていると言うの。気にしなければ、鬱陶しいとも思わなくなる。
誰が何を言おうとも、何をしようとも、何もかもが全て、どうでも良いことになる。
然うすれば屹度、貴女の眉間からも深い皺が消えて、穏やかな表情になれること請け合いよ。
……余計なお世話、無駄口を叩いている暇があるのなら仕事をしなさいよ。
しているわよ、統率者としての仕事をね。
……役に立たない、くだらぬことを話すことが然うだと?
時には必要よ、無駄で役に立たない、くだらなくて詰まらぬお喋りも。
……私には必要ないわ、とっとと仕事に戻って。
其の言い方、昔のマーキュリーちゃんみたいね?
と言っても、あなたからはひんやりとした冷たさは感じられないけれど。
……だから、何。
水と火、其の属性は相容れないものだけれど、其れなりに上手くやっていると思うわ。
ふたりとも距離を取るのが上手なのよね、あくまでも守護神同士として接しているもの。
……あなたよりはずっと良いわ、話が通じるから。
水に近いものは雷、此処の相性はまさに抜群、其れ故に守護神の関係性など軽く越えてゆく。
近過ぎてお互いの顔が見えなくなっていることも度々あるけれど、其の関係が壊れることは決してないの。
然ういう時は大抵、躰や心をぴったりと重ね合わせているから。うん、どうかしているわ。私ならば息が詰まってしまいそうよ。
……。
今頃も、屹度ね。
……壊れなければ、其れで良いわ。
然う、其処なのよ。近過ぎるが故に、片方が壊れてしまうと、もう片方もあっさりと壊れてしまうの。
ふたり揃っていれば、時に厄介だと感じる程に強固であるのに、ひとりになると途端に脆くなってしまう。
良いような、悪いような、だけと矢っ張り良いような、悪いような、あぁもう、どっちなのよ。難しいところよね。
……新しいものを宛がったところで本来の力を出せないようならば、ふたり揃って新しいものに変えた方が良い。
ひゃあ、炎のくせに物言いが冷たいわね。
マーズちゃんはいつも然う、物言いがどうしても冷たくなってしまうの。
余計な
其の精神は水と真逆だと言うのに素直ではないから、いいえ、言葉選びが悪いだけなのかしら。
もう、マーズちゃんったら不器用さんなんだから。若しも言葉選びで悩んでいるようならば、
余計な敬称は要らないわ、鬱陶しい。
あぁもう、そんなに苛々しては駄、目、よ。
いい加減、仕事に
言ったじゃない、仕事をしていると。
……。
私は統率者ヴィーナスとして、マーズ、貴女とお話をしに来ているの。
此れもまた私の仕事、果たすべき使命のひとつなのよ。
……巫山戯ているようにしか、思えないわ。
仕方ないわ、だって此れが私なんだもの。其れはあなたが一番、知っていると思うの。
付き合いだけならば、あの子達よりも長いんだから。ね、然うでしょう?
……否定はしないわ。
眉間の皺が益々深くなっているわ、昔のあなたには皺ひとつなかったと言うのに。
其れで、貴女はどうすると言うの。
うん、何が?
プリンセスのこと。
んー、どうしましょうねぇ。
何か考えているのでしょう。
ろくでもないことを?
まともな考えなど、初めから期待していないわ。
もう、いつもいつもろくでもないことを考えているわけじゃないわよぅ。
其の話し方、生臭くて気分が悪いわ。
不愉快、此の上ない。
不愉快だなんて酷いわ、マーズ。
と言うか、生臭いって何。
字の如し、よ。
折角、今日は柑橘系の爽やかな香りを纏ってみたのに。
然う、貴女とお話をする為にね? 貴女はくどい香りが苦手だ、か、ら。
くどい。
えぇ~?
爽やかな香りなんて、今更貴女に合うと思っているの。
思っているわ、私は自分の香りは自分で決めるから。
濃い。
うぅん、相変わらず気難しい子ねぇ。
……。
マーズ、何処へ?
私は此れ以上、貴女と話すことはないわ。
まぁまぁそんなこと言わないで、もう少しだけ、ね?
……其の茶化したような態度、
お姫様が抱えている痛みなんて、何処まで行っても他人事でしかない。
どうやったって、自分事になんかならないわ。初めから、なりようがないんだもの。
……。
だって、私とお姫様は所詮は他人でしょう? だからね、どう引っ繰り返ったところで、分かるわけがないの。
大体、他人の痛みが分かるなんて面倒臭いでしょう? 厄介でしかないわ。もっと言えば、傲慢ね。
……分からなくても、其の精神に寄り添うことは出来るでしょう。
寄り添うって、どうやって?
どうも何も、寄り添えば良いだけよ。
まぁ、随分と直情的な言い方ね?
久しぶりに聞いたかも知れないわ。
……其れとも、言葉の意味ひとつ、理解していないのかしら。
嫌ぁねぇ、寄り添うなんて言葉の意味くらい理解しているわよぉ。
私が言っていることは然ういう意味ではないの、貴女だって分かっているでしょう?
其れとも、分かっている上で言っているのかしら。然うだとしたら、いまいちね。
……。
はいはい、落ち着いて。
火気が外まで漏れ出したら、お部屋の中が大変なことになってしまうわよ?
……昔からまどろっこしいのよ、貴女。
ふふ、ごめんなさいね。
思っていないでしょう、そんなこと。
ええ、思っていないわ。でもね、言葉は関係性の潤滑油にも為り得るの。
ごめんなさいの一言で全てが円滑になるのなら、幾らでも言ってあげるわ。
嘘を
円滑にならないことが、ね。
そして、寄り添うことも同じこと。
……。
物理的で良いのならば、幾らでも寄り添うことは出来るし、幾らでもしてあげるわ。
なんだったら、耳触りの良い言葉だけでなく、身を寄せてあげることだって出来るわよ。
まぁ、寄せると言っても温もりを与えるくらいだけれど。ひとによっては、其れだけでも安心するのよね。
……。
けれど精神、あの子達の言葉を借りれば、其の心に寄り添うことは出来ない。
だからごめんなさいね、あなたの言葉は私には綺麗事にしか聞こえないの。
……綺麗事ひとつ、言えないよりはましよ。
ふふ、然うねぇ、確かにましかもねぇ。
綺麗事は利用することも出来るし。
……実際に利用しているでしょう、貴女は。
あら、使えるものはなんでも使うべきよ?
貴女だって、プリンセスを守る為ならば……ね。
……。
ふふ、あのふたりには見せられないわねぇ。
別に構わないわ、見られたところで何でもないもの。
あら、然う?
然うよ、あの子達だってもう幼体ではないの。
ふぅん、然う……まぁ、其れなら其れで良いわ。
もう、お仕舞いに
自分以外は全て他人、プリンセスもあなたも、あの子達も、其れから民達も、誰ひとり私ではない。
……当たり前でしょう。
ねぇ、若しも私が
考えるだけ無駄ね、そんなこと万が一にも有り得ないから。
ちぇ、少しくらい聞いて呉れたって良いじゃない。
時間の無駄。
マーキュリーちゃんは貴女に似たのかしら。
いいえ、先代のマーキュリーよ。
先代、ね。
貴女が大嫌いな、ね。
本当に嫌いだったわ、あの女のことは。
いつだって、冷たい眼差しを呉れてさ。
貴女が悪い。
悪いことなんか、何ひとつしていないわ。
良く言うわね。
勝手に目の敵にされていただけ、私がジュピターに色目を使うから。
良かったわね、氷漬けにされなくて。
いつだって首元にひんやりとしたものを感じていたけれどね。
あの頃の貴女では何も出来ずに切り落とされていたわ。
今ならどうかしら。
今でも。
あんな老いぼれに?
老練と言う言葉が良く合う方だったわ。
はぁ、老練ですって。
あれはただ、性格が悪いだけよ。
そんな先代に、先代ジュピターは骨抜きにされていたの。
貴女なんか、洟も引っ掛けられなかったわ。
もぅ、ひとの古傷を抉るようなことを言って。
せ、め、て、相手にされなかったって言って欲しいわ。
歯牙にも掛けない、若しくは眼中にないとも言うわね。
もぉ、マーズは悪い子ね。
めってやるわよ。
勝手にやれば良いわ、鼻で笑うから。
先代のマーズは其処までの悪態は吐かなかったのに。
吐かなかっただけよ、ああ見えて口は悪かったから。
知っているわ、低い声で吐かれた時は震え上がったもの。
まさに、あの先代にして、此のマーズあり。
私の言葉で震え上がったことなど、ただの一度もないでしょう。
ふふん、先代に比べるとまだまだね?
先代のジュピターは、貴女のものになんてならない。
む。
何があろうとも。
あの子も?
なると思うの?
やってみなければ
はっ。
あらあら、そんな態度が悪い子に育てた憶えは
私を育てて呉れたのは先代、貴女ではないわ。
あれも堅物で、痛いところを平気で刺してくるような方だったわねぇ。
なんにせよ、止めた方が良いわ。
……其れは、どうして?
壊れたくないの。
……へぇ。
無駄に壊そうとするのならば、其の時はふたりと手を組むわ。
もう組んでいるくせに。
当然よ、私達は守護神なのだもの。
プリンセスの為に使命を果たす、ね。
あのふたりはすべきことだけをしていて呉れれば、其れで良いわ。
……「ふたり」が「番」でも?
「ふたり」の関係性など、私にはどうでも良い。
其の割には、
余計な手間を増やすなと言っているのよ。
無駄ね……だけど、良いのかしら。
何が。
ふたりのせいで、此の月が崩壊することになっても。
……。
ふ、顔色が変わったわね。
……何を考えているの。
別段、何も。
ただ、言ってみただけよ。
……。
貴女も、あの子達も、今はプリンセスの為に動いている……と、言っても良いのかしら。
……あのままで良いわけがないわ。
私はあのままでも構わないと思うわ。
……ヴィーナス。
私達と同じで
ヴィーナス。
はいはい、怖い声を出さないで。
……。
顔も怖いわ、はい、笑って?
無理よ。
然うよね。
……。
はぁ、仕方ないわねぇ。
私も何か
余計なことならば、しなくて良い。
まぁまぁ、そんなこと言いなさんな。
拗れたら
貴女達はね、少し真面目過ぎるのよ。
……は?
だから息苦しくて、心に負荷が掛かってしまうんじゃない。
もっと、気楽にいかないと。なんとかなる、くらいの気持ちでね。
……気楽に、望むがまま甘味を食べさせろと。
うぅん、そんなことは言ってないわよぉ。
もう、本当にお堅いんだからぁ。
生臭い、鬱陶しい。
私、生魚か何か?
此処は青い星ではないから、生魚は居ないわ。
私は生が好きよ、活き造りなんて良いわよね。
頭がおかしい、だから生臭いのね。
しれっと悪口が増えてない?
中っても知らないわよ。
なになに、心配して呉れるの?
代わりは居るから、どうでも良いわ。
辛辣。
はぁ。
溜息なんて吐くと、
……。
ん?
……こういう時こそ、深呼吸が必要。
マーキュリーちゃんみたいね。
其れとも、ジュピターちゃんかしら。
何方でも良いわ。
まぁ、然うね。
ヴィーナス。
はいはい、何かしら。
協力して貰うわよ。
私に出来ることなら、なんて、ジュピターちゃんみたいなことを言うと思う?
言わなくて良いわ、此れは強制だから。
私、統率者なのだけれど?
其れが何、どうでも良いわ。
確かに、どうでも良いわね。
プリンセスの気を緩めなさい。
然う言われても、私、お姫様には懐かれていないのよねぇ。
余計に追い詰めてしまうかも知れないわ。其れでも
私達は真面目だから、貴女のようには出来ないのよ。
言っておくけれど、ジュピターちゃんも結構いい加減よ?
楽観的だし、ひとの話は聞き流しているし、
だとしても、あの子は貴女と違って真っ直ぐだから。
其れは、然う……て、其れだとまるで、私はひん曲がっているみたいじゃない。
ひん曲がっているでしょう、思い切り。
ひん曲がり過ぎて、真っ直ぐになっているかも知れないわ。
ほら、一周回って
ないわね。
あぁ、然うですか。
もう、失礼しちゃうわ。
誰がよ。
マーズが、私に、よ。
失礼の塊に言われたくはないわ。
はぁ、然うかい然うかい。
急に言葉遣いが変わったわね、どうでも良いけれど。
基本的にどうでも良いわよね。
貴女もね。
ふ。
取り敢えず、外に連れ出して。
誰を。
プリンセスを。
ジュピターちゃんが?
あなたが。
どうやって?
担いで。
うーん、無理。
気を緩めてあげたら、歩けるかも知れないでしょう。
其処はほら、マーキュリーちゃんの判断が
然ういうわけだから、ふたりにも伝えておくわ。
私では無理だってぇ。
無理ではないわ、だって貴女は私達の統率者なのだから。
いやいや、統率者と雖も
愛の力でなんとかして。
出来るでしょ、愛の力で。
二度も言っちゃう?
大事なことだから。
うーん、仕方ないわねぇ。
何とか……出来ることと出来ないことがあるわ、せめてジュピターちゃんを貸して。
私のものではないから、無理。
マーキュリーに言って。
えー……マーキュリーちゃんに迂闊なことを言ったら、ジュピターちゃんから睨まれちゃうんだけどぉ。
なら、ふたりが揃っている時に言えば良いでしょう。
マーズ、ちょぉっと相談が
じゃ、頼んだから。
矢張り、統率者は頼りになるわね。
25日
ふぅ、さっぱりしたぁ。
……はぁ。
マーキュリー、何か飲むだろう?
何が良い? 何でも用意するよ。
……と言っても、あるものでしょう。
たまには炭酸水でも飲んでみるかい、果実でも浮かべて。
……甘煮ではなく?
果実本来の香りを楽しむのならば、断然、果実其のものを浮かべた方が良いと思う。
良いわ……適当に用意して。
うん、直ぐに。
……全く、ひとりで入るつもりだったのに。
ねぇ、マーキュリー。
なぁに、ごきげんなジュピター。
久しぶりにマーキュリーとゆっくり湯浴みが出来て、全ての疲れが湯と一緒に流れて行ったかのような気分だよ。
あなたは、然うでしょうね。
マーキュリーは、余計に疲れが溜まってしまった?
然うだとしたら文句のひとつやふたつ、言ってやろうかと思っていたけれど。
言われないということは、ゆっくり出来た?
若しかしたら、投げつける言葉を考えている最中かも知れないわよ?
ん、其れはないとは言えないな。
投げつけられたい?
んー……溜めるのは良くないから、潔く受け止める。
然う。
いつでも良いよ。
だけどね、残念ながら何も浮かばないの。
何も?
ちょっとした言葉でも良いから、思い浮かべば良かったのにね。
ん……なければ、ないで。
……ほっとしてる?
そんなことは……少し、あるかな。
……ふ。
はは……。
……あなたに躰を寄せて湯浴みをするのは、久しぶり。
ん。
ゆっくりも出来たし……まぁ、悪くなかったわ。
また、
気が向いたら。
……ん。
髪の毛、ちゃんと乾かしてね。
炭酸水の用意が出来たら、乾かすつもりなんだ。
拭いてなんか、あげないわよ。
……マーキュリーに頭を拭いて貰うと、気持ち良いんだよなぁ。
しない。
……はぁい。
ふぅ……。
……暑いかい?
少しね……気持ち良いからと言って、少し浸かり過ぎたかも知れないわ。
ならば、冷えた炭酸水で躰を冷まして欲しい。
あまり冷た過ぎても、お腹に良くないのだけれど。
訂正する、程良く冷えた炭酸水で。
……。
マーキュリー?
……浮かべて呉れるのは、柑橘?
他の果実の方が良い?
然うではなくて……柑橘ならば、薄荷の葉を数枚、浮かべても良いと思っただけ。
浮かべようか。
どちらでも構わないわ。
ならば、浮かべよう。
あまり多くは浮かべないでね、刺激が強くなってしまうから。
分かってる、2枚か3枚くらいにしておくよ。
……ええ、然うして。
其れでね、ほんのりと甘くする。
……果実の甘味だけではなくて?
薄荷の葉を浮かべるなら、甘葛を少し……どうかな。
ふ……まぁ、良いわ。
うん。
……緑が、相変わらず元気ね。
ん、今夜は特にね。
……どうして?
マーキュリーが来て呉れたから。
……本当に、主に良く似ているわ。
マーキュリーにお世話されると、皆、嬉さのあまりきらきらするんだ。
未だに、良く分からないけれど。
子供の頃から然うだった。
思えば、お師匠さんも言っていたわよね。
師匠?
先生にお世話されると、緑達が元気になって輝くと。
あぁ、言っていたな。
あなたも同じことを言う。
ん……あたしはただ、緑達が喜んでいることを伝えているだけだから。
……私にも、聞こえれば良いのに。
え。
……子供の頃の方が、聞こえていたかも知れないわ。
……。
心を凍らせた副作用は、未だに消えず……。
……然うかな。
違うとでも?
……大分、伝わってきていると思うんだ。
然うかしら。
……あたしが言うんだ、間違いない。
へぇ?
……緑のことならば、さ。
緑のことならば、ね。
……はい、お待たせ。
ん……ありがとう。
どういたしまして……ゆっくりと、楽しんで。
ええ……然うするわ。
……ふふ。
髪の毛を乾かすのは、ふたりで楽しんでから?
ん、どうして分かったんだい?
あなたが考えそうなことぐらい、分かるわ。
其れは……嬉しいかも。
全てが分かるわけではないけれど。
全てが分かってしまったら、其れは其れで、詰まらない。
……。
先生が良く言っていた。
……言っていたわね、そんなこと。
マーキュリーは……どうだい?
……聞くの?
矢っ張り、止めておこうかな。
……全てが分かってしまったら、詰まらないわ。
ん……。
私達は、子供の頃から一緒で……若しかしたら、歴代のジュピターやマーキュリーよりも、お互いのことを知っているかも知れない。
……う、ん。
だけど……近過ぎるが故に、見えないものもあるのかも知れない。
……見えないもの。
抱き合うと、お互いの顔が見えなくなるように……ね。
……確かに、見えないな。
見えるのは、背中の向こう側……良くて、後頭部。
……後頭部。
髪の毛?
……マーキュリーの後頭部は丸くて、子供の頃から可愛いんだ。
あなたの可愛いの基準が本当に良く分からない。
丸いものは可愛いと思う。
では、今のプリンセスも可愛いということになるわね。
うん、どうしてだい?
だって、全体的に丸いでしょう?
あ、言われてみれば。
今更、自分でも言っていたじゃない。
言っていたけど……なんか、違うんだよな。
何処が違うの?
プリンセスの場合は……ただただ、怠けた結果にしか見えなくて。
なんと言うかな、躰の均衡が取れていなくて、どちらかと言うと
ジュピター。
ん?
其れ、本人には言わないでね。
言わないよ。
うっかり言うことがあるから。
動けるようになったら、鍛練をして躰を少し引き締めた方が良いですよ、とは言っているけど。
……。
あれ、此れも駄目だった?
いいえ……今の状態を考えると、其れくらいならば仕方ないわ。
だろう?
マーズはもっと、厳しいことを言っているみたいだし。
うん。
けれど……あなたとマーズは違うのよね。
違う、かな。
あなたとは言い合いにならないでしょう。
言い返してはくるけど。
でも、マーズのように言葉の応酬にはならない。
確かに、マーズのようにはならないな。
……あなたが相手だと、口を尖らせて言葉を飲み込んでしまうの。
然うだっけ?
……私が見ている限りではね。
然うか、言いたいことがあるのなら言って呉れれば良いのにな。
あたしは守護神なのだし、何も、我慢することはない。
……聞くとは、限らないけれどね。
全ては聞かないし、聞けないよ。
プリンセスの為にならないからね。
……。
もう、言わない方が良いかな。
……ううん、言うべきことは言わないと分からないから。
ならば、此れからも言おう。
……マーズに対してだけ、プリンセスは本音を言うことが出来る。
え?
あなたはプリンセスに好意を寄せられてはいるけれど、本音を言える相手ではないのだわ。
駄々は、捏ねられるけど。
其れとは違うのだと思う。
……あれで?
然う、あれで。
……。
納得、いかない?
いや、別に。其れなら其れで、構わないよ。
マーズに本音が言えるのならば、あたしが気にする必要はない。
……然うやって、あっさりと流してしまうから。
マーキュリーだったら、気にするかい?
私は……其れが私の役割でないのなら、構わないわ。
あたしも同じだよ、マーズにしか出来ないのならマーズにして貰った方が手っ取り早い。
……然う考えると、プリンセスは孤独ではないのよね。
孤独?
誰よりも、マーズが傍に居るから。
あぁ……其れは、確かに。
……。
炭酸水、どうぞ。
気が抜けてしまう前に。
……然うだった。
あたしも、飲もう。
……。
あんまり強くはしていないんだ、強いと飲み辛いと思って。
……ん。
あ。
……んん。
まだ、強かったかい……?
……口の中が、しゅわしゅわするわ。
しゅわしゅわ?
……然うだけど、なに。
可愛い。
……意味が分からない。
飲み辛かったら、作り直すよ。
……良いわ、此れで。
良い?
……良いと言ってる。
甘味はどうだい?
……柑橘の甘味が感じられるから、悪くない。
ん、良かった。
……。
ふふ。
……なに。
炭酸水を飲んでいるマーキュリーって、お茶を飲む時とは少し違うんだ。
……どう違うの?
ちびちびと飲んでいる姿が、か
はいはい、ありがとう。
……可愛いな。
私のことは良いから、あなたも飲んで。
飲んで、髪の毛をさっさと乾かして。
んー……大分、乾いているような気がする。
気がするだけよ、ばか。
はい、ごめんなさい。
……。
ん……口の中がしゅわっとする。
……ジュピター。
真似をしたわけじゃないよ、本当にしたから。
……炭酸水なのだから、当たり前でしょう。
ん、然うだね。
……だから、可愛いも何もないの。
……。
じっと見ないで。
……湯浴み後のマーキュリーは、きれいだ。
……。
……気が変わって呉れて、嬉しい。
しないわよ。
……。
……今夜は。
うん……一緒に眠れるだけでも、良い。
……絵本、戻ってきて良かったわね。
ん……良かった。
……枕はいつ頃になりそうなの。
使命の合間に作るとなると、少し掛かる。
……合間でなければ?
其処までは、掛からない。
……曖昧ね。
寝ずに作れば……もっと早く。
……。
寝ずに作った方が良いかな。
……其れは、しなくて良い。
急いで用意しないと、マーズに急かされるかも知れない。
……其のマーズがしなくて良いと言っていたの。
マーズが?
……此度のことは、プリンセスに責を負わせると。
責……。
……でないと、他責思考になってしまうから。
……。
「マーズ」がマーズで良かったわ。
……うん。
……。
……減りが、遅い。
何か言ったかしら?
……。
何の減りが遅いの?
……少しずつ、飲んでいるんだなぁって。
折角、あなたが作って呉れたんだもの。
……。
其れにゆっくり楽しんでと言ったのはあなた。
……楽しんでる?
とてもね、あなたは?
……あたしも、楽しい。
然う、其れは良かった。
マーキュリーは……飲み終わったら、仕事?
読書がしたい。
……読書?
此処のところ、していないの。
ひとりで居ると、仕事ばかりしているから。
……何を読むんだい?
其の絵本も、読もうかしら。
……此れ?
久々に。
……。
駄目かしら?
マーキュリーが読むなら……あたしも、一緒に読みたいな。
あなたも?
ん。
プリンセスに持って行くのに、読み直さなかったの?
読み直したけど、マーキュリーと読みたい。
……。
駄目、かな。
然うね……髪の毛をちゃんと乾かすのなら、一緒に読んであげても良いわ。
分かった、ちゃんと乾かす。
毛先まで、きっちりと。
うん、毛先まできっちりと。
少しでも湿っていたら、
一緒に読めない、だから、徹底的に乾かす。
然うして、湿った枕で眠るのは嫌だから。
……。
仮令、あなたの腕が枕になったとしても。
……ん、分かった。
……。
はぁ……さっぱりした。
……たまには、良いわね。
飲みたい時は、言ってね。
……ええ。
其れじゃあ、あたしは髪の毛を
ふと、思い出したのだけれど。
……ん、なに?
一時期、矢鱈に私の後頭部を撫でていたことがあったわよね。
……今でも撫でるよ、多分今夜も。
子供の頃の話。
……え、と。
其のうち、髪の毛が薄くなってしまうかも知れないわ。
え、なんで。
子供の頃から、撫でられ過ぎて。
撫で過ぎると、髪の毛は薄くなってしまうのかい?
薄くなるとしたら、どうするの。
ど、どうしよう。
髪の毛が薄い私でも気にしないのなら、
あたしはどんなマーキュリーでも愛しているけれど、マーキュリーは嫌かも知れない。
なければないで手間が掛からなくて済む、けど。
……けど?
全くなくなってしまったら、あなたはもう二度と、私の青い髪を
其れは嫌だ。
……。
マーキュリーの美しい青髪がなくなってしまったら……もう二度と、指で梳くことが出来なくなってしまう。
……好きよね、其れ。
水に濡れて、しっとりしている青い髪も……光の下で、きらきらと輝いている青い髪も。
……本当に好きよね。
な、なくさない為に、あたしはどうしたら良い?
撫でるのを止めたら良いんじゃないかしら。
ぐ。
ぐ?
……。
ジュピター?
……全く、撫でない方が良い?
然うすれば、負担が減るわ。
……ぐぅ。
ぐぅ?
……分かっ、た、やめ、る。
……。
もう……撫で、ない。
冗談よ。
……へ。
ただの冗談。
……じょうだん?
度が過ぎれば、本当に薄くなってしまうかも知れないけれど。
マーキュリーの青い髪、なくならない?
なくさない為にも、程度は考えて。
分かった、適度に撫でる。
……。
取り敢えず、今夜は程々にする。
……全く、どれだけ好きなの。
24日
はぁ、ほんのりと甘い……。
喉が渇いているようならば、あまり甘くない方が良いと思ったのよ。
うん、此れくらいで丁度良いよ……あまり甘いと、かえって喉が渇いてしまうからさ。
……此のお豆には、喉を癒す効果があるの。
うん……?
……あなたも、知っているとは思うけれど。
ん……ふたりで、先代に教わったんだ。
……好きだったのよね。
うん……ふたりで、良く飲んでいたよ。
……片方は、苦い豆茶も好きだったけれど。
苦い……あぁ、あれか。
あれを淹れることも考えたのだけれど……今は、此方の方が良いと思って。
あれは……眠い時に飲むと良いかな。
……あまりの苦さに、目が覚めるから?
寝ずの番をする時なんかに最適だよ……。
……どうせ、眠くなんかならないくせに。
まぁ、気晴らしにね……気分転換とも言うかな。
……。
苦豆茶はさ、砂糖を入れると苦味が和らいで飲みやすくなるんだ……。
……更に豆乳を入れると、苦味が柔らかくなるのよね。
砂糖と豆乳を多めに入れれば、甘くて柔らかい味になる……苦味は、残っているけれど。
……其れは仕方ないわ、元々が苦いものなのだから。
ね……今度、久しぶりに飲もうか。
……飲むのなら、朝が良い。
苦いまま……?
……勿論、お砂糖と豆乳を入れて。
ん、分かった……なら、明日にでも。
……明日?
今夜は……あたしか、マーキュリーの部屋に。
……。
……難しい?
仕方ないわね……。
……良い?
だめよ。
……はい。
でも、気が変わるかも知れないから。
……変わって呉れたら、嬉しい。
期待はしないで。
……ん、分かった。
……。
あぁ……心の底から、ほっとする。
……いちいち、大袈裟ね。
マーキュリーの優しさが、お腹に染み渡るようだ……。
だから、大袈裟。
香ばしい香りも、また良い……苦豆茶とはまた、違った香ばしさなんだ。
……もう、良いわ。
ふふ……。
……ん、まぁまぁね。
黒豆のお茶も美味しいよなぁ……特に、マーキュリーが淹れて呉れたものは最高だ。
……お茶請けは、お豆の甘煮入りの玉餅だけれどね。
豆と豆……うん、合わないわけがない。
……喉、少しは潤った?
うん、大分潤った……ありがとう、マーキュリー。
お代わりが欲しかったら言って、特別に淹れてあげるから。
……今日のマーキュリーも、優しいな。
色々と、疲れているようだったから。
……ん。
此れくらいで癒せるのならば……まぁ、易いものよ。
……マーキュリーだって。
ん、なに……?
マーキュリーだって、色々と疲れているだろう……?
……。
プリンセスのことで……ん。
……だからこそ、こうやって休憩時間を設けているんじゃない。
休憩……?
……プリンセスの話をするという名目でね。
マーキュリー……。
……とは言え、初めは其のつもりではなかったのだけれど。
改めて、ありがとう……おかげで、また頑張れるよ。
然う……其れは良かった。
……。
……ねぇ、ジュピター。
ん……?
……あなたに疲労を溜められてしまうと、困ることになるの。
え……?
……何もせずに放っておくと、熱を出してしまうかも知れない。
大丈夫さ……未だ、其れほどでもないから。
……あなたは鈍感だから。
本当だよ……。
……そんなことを言うけれど、知らず知らずに蓄積されているものなのよ。
熱を出すと言っても、高熱ではないから……。
……寝込むことはなくても、躰力は確実に削られる。
其れは……然うかも知れない。
……いざと言う時にあなたが弱っていたら、私が困るの。
あぁ、然うか……。
だから……あなたを癒すことも、私の仕事。
仕事……。
……と、以前の私ならば言っていたと思うけれど。
もう、言わなくなった……。
……心に嘘を吐くと、余計に疲れてしまうから。
ふふ……うん。
……玉餅、貰っても良いかしら。
ん、勿論だよ……さぁ、食べて。
……未だ、柔らかいのね。
うん……作ってから未だ、そんなに時間が経っていないから。
……硬くなったら、温めれば良い。
温め過ぎるとふにゃふにゃになってしまうからさ……出来るだけ、柔らかいうちに食べて欲しいんだ。
……此れに、果物の甘煮を入れたのね。
プリンセスの希望で……。
……味は。
悪くはなかったけど……あたしは豆の方が好きだ。
……果実の玉餅は。
一応、残してあるよ……若しかしたら、気になるかも知れないと思ったから。
……どれ?
此れ。
……。
要らないようだったら、残して。
……果実のものは、子供の頃も食べたことがないわ。
玉餅と言えば、豆の甘煮だったからね……果実の甘煮を入れたものは、師匠も作らなかった。
……先生の好みではないもの。
ん……其れが一番大きい。
果実の甘煮は、麦餅か薄麦餅に塗るか、お茶に入れるか、削った氷に掛けるか……。
……其れだ。
は……?
削った氷に、果実の甘煮を掛ける……其れならば、目新しいかも知れない。
あぁ……プリンセスね。
ごめん、話の途中で。
構わないわ。
ありがとう、マーキュリー。
別に……私はただ、先生の好みについて話していただけだから。
……ありがとう、先生。
氷菓は作っているのよね。
うん、好きだったから。
だった?
今はもう、飽きてしまったみたいで。
でも、出せば食べるのでしょう?
果実の甘煮に関しては、食べないと言う選択肢はないみたいだ。
……食べるのならば、好きなのよ。
だと思って、気にせずに出してる。
とは言え、粗末にし始めたら考えた方が良いわね。
出さないよ、然うしたら。
食べ物を粗末にする者は、
許さない、だから、二度と作らない。
けれど、ちゃんと反省したら?
然うすれば、また作る。
……ちゃんと理解して呉れれば良いけれど。
今のプリンセスには難しいだろうから、粗末にしなければ良いと思ってる。
……お豆の甘煮は。
粗末にはしていない、もう食べたくないと言うだけで。
……もう食べたくないと言うのなら、作らなければ良いわ。
あぁ、勿論だよ。
……食べたいと言っても。
マーキュリー、怒ってるんだね。
怒ってはいない……ただ、不愉快なだけよ。
自分が好きなものを悪く言われると面白くない。
……。
分かるから、大丈夫。
……どうしてもと言わない限り、作らないで良いわ。
駄々を捏ねたら、考えるよ。
……然うして。
ん。
……。
玉餅、食べないのかい?
……果実の甘煮を、お茶ではなく、炭酸水に入れて混ぜる。
うん?
……プリンセスに。
あぁ。
……まぁ、もう出しているとは思うけれど。
炭酸水……うん、面白い。
……未だだった?
うん、未だだった。
……豆乳の氷菓に混ぜたものは?
あ、其れも良いね。
……其の顔は、もう出しているわね。
添えたものなら、混ぜたものは未だなんだ。
……然う。
ねぇ、マーキュリー。
……なに。
削り氷と炭酸水、久しぶりにふたりで楽しんでみないかい?
……ふたりで?
プリンセスに出す前に。
……つまり、味見をしろと?
ううん、何処まで行ってもふたりで楽しむ為に。
だから、マーキュリーの好みに合わせて作るよ。
……削り氷には、お豆の甘煮を掛けても美味しいわ。
ふふ、分かってるよ。
……豆乳があるのならば、練乳も。
用意する。
……楽しみにしているわ。
うん、していて欲しい。
近いうちに作るから。
……。
顔が緩んだ。
……目の錯覚。
然うか。
……先ずは。
ん。
……果実のものを食べてみるわ。
果実の?
……駄目かしら。
駄目ではないけど……良いのかい?
……好きなものは、後に残しておく。
あ。
……私は子供の頃から然うなの。
ふふ……然うだったね。
……いただきます。
ん、召し上がれ。
……。
……。
……。
うん……一瞬、顰めた。
……悪くはないけれど。
豆の甘煮の方が良い。
……固まっていないから、零れてしまいそう。
実際に零していたよ。
……でしょうね。
其れで、止めたんだけれど。
……零したものを、舐めた。
マーズに見られたら、雷が落ちるところだったよ。
……雷は、あなたのものでしょう。
じゃあ……烈火?
……そして、また言い合いになるの。
マーズは行儀にも厳しいからなぁ。
……クイーンが零した甘煮を舐めるわけにはいかないでしょう、下品と見做されるから。
誰も見ていなければ、とは思うのだけれど……然う言った甘えが、ちょっとした瞬間に出てしまうんだよな。
……口の周りは。
べたべたに。
……拭いてあげたの?
一応。
……甘いわね。
寝具で拭こうとしたんだ。
……寝具で?
流石に其れは止めたよ。
手巾はどうしたの?
傍にあったけれど、使おうとしなかった。
……。
……後退しているだろう?
日に日に悪くなっているわ……。
……昨日まで出来ていたことが、今日は出来なくなっている。
……。
文字も、計算も……。
……現状を維持するだけで、精一杯。
20までは、未だ、数えられた……。
……時間の問題かも知れない。
……。
……ジュピター?
然うだ……今日は、絵本を持って行ったんだ。
……絵本?
木星の民達が幼体の頃に読むね……。
……持っていなかったけれど。
うっかり、置いてきてしまった……追い出されたとは言え、失敗した。
……マーズに回収して貰いましょう。
うん、然うして呉れると助かる……あれは「ジュピター」と「マーキュリー」が書いたものだから。
……早く言えば良いのに。
忘れてたんだ……今まで。
……。
ん。
……申し訳ないけれど、ジュピターの絵本を。
……。
然う、ありがとう……では、また後で。
……若しかして、回収して呉れてた?
ええ、あなたの忘れ物だと判断して……安心して、絵本は無事よ。
……あぁ、良かった。
プリンセスは……。
……。
……絵本すら、読もうとしなかったのね。
文字も少ないし、此れならと思ったんだ……。
……。
……マーキュリー、プリンセスの頭は。
何度か診ているけれど……頭部には、異常は見られない。
……此れも精神的な問題なんだろうか。
恐らく……。
……。
……私達では、どうしようも出来ないのかも知れない。
然うかも知れないな……。
……だからと言って、何もしないわけにはいかない。
すべきことを、する……其れもまた、使命。
……。
……豆の甘煮入りの玉餅、食べるかい?
ん……食べる。
……残り、貰うよ。
ううん……全部、食べるわ。
……はんぶんこにしよう。
はんぶんこ……?
然う……マーキュリーとあたしで、はんぶんこ。
……。
嫌かい?
……嫌ではないわ。
ん……其れじゃあ、貰える?
……ええ。
……。
……どう?
んー……悪くはないんだけど。
……もう少し、甘い方が良いわね。
だよね……。
……。
……改善されれば、また、食べられるようになる。
食べ過ぎない程度に……ね。
……ん、其れは勿論。
……。
……どうだい?
お豆が程良く甘くて……美味しいわ。
23日
……うーん。
ジュピター。
……ん。
定刻より少し早いようだけれど、プリンセスの相手は終わったの?
マーキュリー、丁度良かった。
今からマーキュリーのところに行こうと思っていたんだ。
甘味の時間ならば、未だ早いわよ。
分かってる。
御用件は何かしら。
プリンセスのことで少し話したいことがあるんだ。
また何かあったの?
ない時がないよ。
まぁ、然うね。
其れで、マーキュリーと話したいんだ。
マーズでは駄目なの?
マーズには後で話す。
先ずはマーキュリーと話したい。
然う。
駄目かな。
もう一度聞くけれど、プリンセスの相手は終わったのよね?
ん、一応。
一応、ね。
定刻よりも早いのは、機嫌を損ねて追い出されてしまったからなんだ。
あなたでもプリンセスの機嫌を損ねることがあるのね。
最近はしょっちゅうだよ。
今回は何が切っ掛けなの。
プリンセスの希望に、相変わらずあたしが応じようとしないこと。
何故応じないのか、毎回ちゃんと説明するのだけれど、聞く耳を持って呉れない。
甘味とお茶は、今回もちゃんと用意したのでしょう?
用意したけど、全く甘くなくて全然美味しくないと。
確かに控え目ではあるけれど、砂糖を全く使っていないわけではないのに。
今回は、食べなかったの?
いや、今回もちゃんと食べたよ。全部食べた上で、機嫌が悪いんだ。
兎に角、甘味が足りない、物足りない、量が少ない、全然足りない、もっと欲しいと。
……希望と言うより、我侭ね。
一度癇癪を起こすと、手が付けられない。
特に甲高い声で喚かれると、耳が劈かれそうで。
……兎に角喚き散らすから、然うなると時間を置くしかない。
今回はさ、昂る感情のままに枕を引き裂いてしまって。
枕を?
しかもひとつではなく、ふたつ。
……あぁ。
引き裂いて振り回したものだから、中の綿が寝台中に飛び散ってしまった。
どうにか落ち着かせようと思ったけど、酷くなる一方で。寝台の掃除も出来ないまま、追い出されてしまった。
じゃあ、プリンセスは綿の飛び散った寝台の上で。
部屋の外に控えていた月の従者を呼び入れたから、追い出されていなければ、ひとりではないと思う。
多分、其のうちマーズも行くだろう。寝台の掃除が出来なかったのが心残りだ。
あなたが其のまま留まっていたら、余計に酷くなっていたかも知れない。
寝台の掃除ならば、月の従者が淡々とこなして呉れるでしょう。あの者達ならば、其れが出来るから。
追い出されないだろうか。
従者の表情はどうだった?
相変わらず、笑みを張り付けただけのような冷たい顔をしていた。
であるならば、プリンセスが幾ら追い出そうとしたところで、あの者達は出て行かないわ。
……。
あなたも知っているとは思うけれど……あの者達はクイーンの命で、今だけ、プリンセスの傍に置かれているのだから。
……プリンセスの従者でありながら、其の声は聞かない。
従者であって、従者ではないの。
……其れも、可哀想だな。
あの者達は常に笑みを浮かべているけれど……感情があるとは思えない。
……人形(ひとかた)、か。
ええ……然うよ。
……。
其れで、枕はどうしたの。
……回収出来なかったよ、プリンセスが握り締めていたから。
回収出来たところで、使い物になるの。
いや、ああなってしまってはもう、新しいものを用意した方が早い。
今夜までに用意出来たらと思うけれど、ふたつとなると難しいかも知れない。
ひとつは間に合うの。
ひとつなら……いや、どうだろう。
綿はあるけれど、塩梅が難しいんだ。
分かった、あなたが新しいものを用意するまで私が繋ぎのものを手配するわ。
お願いしても良いかい?
けれど、あくまでも繋ぎのものだから。
気に入られない可能性は高いかも知れないけれど、其れでも構わないさ。
なんせ、プリンセス自身が己の感情のままに引き裂いてしまったのだから。
新しい枕が出来るまで、其れで我慢して貰うしかないわ。
ああ、其の通りだ。
……でなければ。
……。
冷たい枕を使うことになるよりは、ずっと良いと思う。
……うん。
……。
マーキュリー?
……うん、完了。
もう?
ええ、手配したわ。
今夜までには繋ぎの枕が用意されるでしょう。
ありがとう。
大したことではないわ、気にしないで。
……。
話したいことは、其れだけ?
ううん……未だある。
……然う。
ねぇ……マーキュリー。
なに……ジュピター。
……もう少し、話したい。
……。
……矢っ張り、忙しい?
暇ではないわね……やるべきことは、幾らでもあるから。
無理ならば……また後で。
だけど、然うね……答える前に、少し屈んで貰っても良いかしら。
……え。
屈んで?
うん、分かった。
……。
……此れで、良いかい?
ん、良いわ。
でも、どうして。
……少し、気になることがあって。
気になること……?
……其のまま、動かないでね。
うん……じっとしてる。
……。
……ん。
珍しく。
……眉間?
皺が、寄っていたから。
……そんなに、寄っていたかな。
ええ……寄っていたわ。
……今は、元に戻っているだろう?
私の顔を見たら、いつものあなたに戻った。
……単純だからさ。
本当に分かりやすいひと。
……。
ん……。
……へへ。
ジュピター……私達は未だ、仕事中よ。
……ごめん。
姿勢、元に戻して。
……はい。
其れで、何処で話しましょうか。
良いのかい?
ええ、良いわ……あまり長い時間は取れないけれど。
うん、其れでも構わない……ありがとう、マーキュリー。
お礼は要らない、此れも仕事のうちだから。
其れは然うなのだけれど……其れでも、ありがとう。
……立ち話で良いのなら、引き続き、此処で聞くわよ。
今のマーキュリーにとって、都合が良い場所は何処だろう?
あたしは何処でも構わないから、マーキュリーに合わせるよ。
此処でも構わない?
あぁ、構わない。
然う、ならば此処で。
ん、分かった。
と思ったけれど、此処は往来だから場所を変えましょう。
……うん?
今は誰も居ないけれど、だからと言って、誰も通らないわけではないから。
あぁ、然うだね。
私の仕事部屋に、あの部屋ならばあなたぐらいしか来ないから。
じゃあ、マーキュリーの部屋に行こう。
仕事部屋、ね。
……其れで、さ。
なに。
話すのは、お茶を飲みながらでも良いかな。
構わないけれど……若しかして、喉が乾いているの?
少し……だから、潤したい。
……大して、飲めなかったのね。
うん……。
……良いわ、好きにして。
マーキュリーの分も淹れるよ。
ありがとう、頂くわ。
うん。
と、思ったけれど。
あ、矢っ張り駄目かい。
私が淹れてあげるわ。
マーキュリーが?
私が淹れたお茶は飲みたくないかしら?
まさか、そんなわけない。
マーキュリーが淹れて呉れたら嬉しい。
ならば、淹れてあげる。
ありがとう、大好きだ。
一言多い、今居る場所を考えて。
……嬉しくて、つい。
全く。
……へへ。
……。
ん。
……顔が、緩んでる。
マーキュリーと、一緒だから……。
ふ……では、行きましょうか。
ん、行こう。
……。
然う言えば、マーキュリーは何をしていたんだい?
勿論、仕事だけれど。
回廊を歩いていたということは、何処かに行くつもりだった?
ええ、然うね。
ごめんよ。
何故、謝るの?
……仕事の邪魔をしてしまって。
此処で会えなければ、私のところに来るつもりだったのでしょう?
然うだけど……忙しかったら、後でも良いと思っていたんだ。
あなたの話を聞くことも仕事のうちよ。
……。
プリンセスに関してのことなのだから。
……使命?
然う、使命。
……どんな事柄よりも、優先すべきこと。
だから、謝る必要はないわ。
ふふ……うん。
どうして笑うのかしら、しかも嬉しそうに。
ん、なんとなく。
言っておくけれど、仕事だからね。
はい、分かってます。
……ふ。
マーキュリーも笑った。
息を吐いただけよ。
ん、そっか。
ええ、然うなの。
……。
……ジュピター。
ん……ごめん。
……勝手に?
うん……頭では、分かっているんだけど。
……部屋まで、我慢して。
……。
今回だけ……特別に許してあげるわ。
……マーキュリー。
手に触れるだけ……其れ以上は許さない。
……十分だよ、大好きだ。
言葉の流れがおかしい。
……つい、うっかり。
どんなうっかりなのかしら。
……はは。
……。
……。
……最近は感情の起伏が激しいから、接していて疲れるんだ。
思うように動くことが出来ないから、心に負荷が溜まってきているのよ。
……何でもない時は、動くのが億劫で仕方なかっただろうに。
動けなくなったことで、己の足で動ける自由を思い知ったのかも知れないわ。
……皮肉だな。
然ういうものよ、ひとのこなんて……失くしてから、初めて気が付くの。
……良かった、失くさなくて。
何を……とは、敢えて聞かないわ。
……。
私も……思わなくはないから。
……うん。
……。
……今日はさ、玉餅を作ったんだ。
玉餅……?
……もちもちとしていて、腹持ちが良いから。
確かに……あれならば、ひとつ食べれば大分持つわ。
……甘さは、控え目にしたけれど。
お豆の甘煮、食べて呉れたのね……。
……いや、果実の甘煮にした。
果実……。
……豆は、どうしても嫌だと。
美味しいのに……。
……マーキュリーの分も作ったんだよ。
お豆で……?
……然う、豆で。
なんのお豆かしらね……。
今日はね……なんと、白豆だよ。
白豆……ふふ、良いわね。
……マーキュリーなら、然う言って呉れると思ってた。
だって、好きなんだもの……細菌で発酵させたお豆でなければ。
ん……其れは、入れたくないなぁ。
……未だ、早いけれど。
うん……?
……甘味の時間にしても良いかも知れないわね。
するかい……?
……でも、持って来ていないでしょう。
取って来るよ。
……わざわざ?
うん。
……ならば、部屋で待っているわ。
ん、待ってて……直ぐに行ってくるから。
……と、思ったけれど。
うん?
……あなたの部屋に変更しましょうか。
……。
ころころ変えて、悪いけれど。
……ううん、全然構わない。
……。
ん……マーキュリー。
……少し触れてしまっただけ、気にしないで。
分かった……気にしない。
……。
……今日もまた、何も出来なかったよ。
と言うより……何もさせて貰えなかったが、正しいのではないの。
……酷く、痛がって。
腫れは、もう引いているのに……痛みが、消えない。
……あたしは、プリンセスでないから分からないんだ。
然う、言われたの?
ん……頑丈なジュピターには、分かるわけがないって。
……。
あたしだって、傷の一つや二つ、負ってるんだけど……ただ、治りが早いだけで。
……痛みは同じなのに。
伝えるって難しいな……つくづく、思うよ。
……。
……腫れが引いているのに、何故、痛みは治まらないんだろう。
考えられるのは……靭帯の機能低下。
……其れは、痛みを伴うのかい。
柔軟性の低下でもあるから……関節痛の原因になり得る。
関節痛……此処に来て。
場合によっては、慢性的な痛みにもなり得る……。
慢性的……其れは、ずっと痛いと言うことだろう。
ええ……。
……靭帯の機能を向上させるには。
筋力と同じように、動かすしかない……。
……やる気を出して貰うには、どうすれば良いんだ。
ねぇ、ジュピター……。
……なんだい、マーキュリー。
此処まで来ると……其の加護が、働いているように思えない。
……。
加護持ちならば……。
……回復が早くなければ、おかしい。
少なくとも……並の月の民よりは。
……まるで、青い星の民のよう。
……。
……流石に、其れは言い過ぎか。
いえ……言い過ぎではないわ。
……。
此のままだと……己の足で歩くことを、諦めてしまうかも知れない。
其れは駄目だ、より一層怠惰になってしまう。
……クイーンになる者として、民に示しが付かないわね。
マーズだって、駄目だと言うだろう。
……確実に言うでしょうね。
ヴィーナスは……分からない。
……本来ならば、率先して動くべき存在なのに。
率先、されたことはないな……一度も。
……今のところは。
今後、あるのだろうか……。
……。
マーキュリー……眉間に。
……はぁ。
深い……。
……加護の力が、一時的に弱まっている。
或いは……解かれている。
……己の力で治す為に。
だとしたら……かなり、厳しいな。
とは言え……未だ、憶測に過ぎないから。
……杞憂であって欲しい。
……。
……気晴らしでも、して貰おうか。
もう、何度もして貰っているけれどね……。
……其の中で、気持ちが前向きに変わって呉れたら良いと思うんだ。
然うね……然うなることを、期待せざる得ないわ。
22日
ごめん、マーキュリー……手間だと思うけれど、もう一度、説明して貰っても良いかな。
……理解が追い付かないのね。
うん、ちょっと……いや、大分意味が分からない。
……気持ちは分かるわ。
お願いしても良い?
……曰く。
うん……。
不貞腐れながら寝台から降りたところで、突然転倒して、足の痛みを訴えたとのこと。
……足は、何処を痛めたんだい。
左膝と右足首。
寝台から降りるだけで、どうして膝と足首を痛めるんだい……別に、勢いよく飛び降りたわけではないのだろう?
寝台から降りる前に、マーズと言い合いをしていたみたいなの。
其れで、不貞腐れていたんだね。
言い合いと言っても、いつもの我侭に過ぎないのだけれど。
大方、起きる時間は疾うに過ぎていて、朝の支度を早くするようにマーズに言われたんだろう。
いつもだったら、座った姿勢で足を床に着けるのだけれど。
プリンセスの寝台は高さがあるからな、流石に飛び降りるわけないか。
飛び降りはしなかったけれど、立ったまま、床に足を着けようとした。
うん……其れはもう、飛び降りることとほぼ同じだ。
しかも、何故か、利き足ではない左足で。
……不貞腐れ過ぎて、利き足まで忘れてしまったのか。
力強く踏み出したのは良いものの、当然、足は床には届かず、
……まぁ、然うなるよな。
前のめりになりながらも、其れでも、床に足を着地させたところまでは良かった。
……うん、良く其のまま転がり落ちなかったと思う。
けれど、過度な負担が膝に掛かり、痛みを覚えたところで、右足首を捻りながら転倒したと。
膝を痛めるだけならば、まだ理解出来るが……何故、右足首まで。
咄嗟のことで、支え切れなかったのでしょうね。
其れにしたって……器用とでも、言うべきか。
外側に捻らなくて良かったわ……若しかしたら裂離骨折、或いは果部骨折をしていたかも知れないから。
外側は、なかなか。
……プリンセスならば、ないとは言い切れない。
あー……確かに。
転倒するプリンセスに、マーズが咄嗟に手を伸ばしたらしいのだけれど、あともう少しのところで届かず。
……哀れ、プリンセスは床に転がった。
マーズはプリンセスから距離を取っていたみたいなの。
然うでなければ、朝の支度はしないと駄々を捏ねられたのだろう……其れでマーズは、仕方なく距離を取った。
……右側に転倒したプリンセスは、右の肘を強く打ち、中度の打撲を負った。
骨は。
……辛うじて。
足首と膝の程度は。
折れてはいないものの、重症……故に、暫くの間は自力で歩くことは不可能。
……と、なると。
若しかしたら本当に、あなたが担いで運ばなければいけない場合が出て来るかも知れない。
……治るまで、寝台の上にずっと居るわけにはいかないか。
飽きるわね……確実に。
……お勉強をする絶好の好機だ。
書物を読んでも良いのだけれど……読むべきものは、沢山あるから。
……此の機を活かして、読み書きも覚えて貰おう。
文字を覚えるだけの時間なら、十分過ぎる程にある筈……。
……であるならば、計算の勉強をしても良いな。
せめて一桁の加減だけでも、指を使わずに出来るようになって欲しいわ……。
……乗除は、無理か。
難しいわね……何しろ、数を数えるところからだから。
……何処まで覚えているんだっけ。
20までが、やっと。
20……せめて、81までは覚えて欲しいところだ。
……教え方の問題なのかしら。
いや……何度か見せて貰ったけど、マーキュリーの教え方は相変わらず上手だったよ。
……其れは、あなただから然う感じるのであって。
ううん、あたしだけではないよ……木星や水星の民達も、分かりやすいと言っていたから。
……木星の民達に教える方が気が楽だわ。
結局は、やる気なんだろうな……やる気がなければ、頭に入るものも入ってこない。
……はぁ。
此の機会……プリンセスには悪いが、有効活用させて貰えば良いさ。
……思うように、事が進めば良いけれど。
ふたりで教えよう。
……。
プリンセスの鍛練の時間が空くからさ。
……然うだったわね。
うん、然うなんだ。
……お勉強の息抜きに、外に出たいと我侭を言うかも知れない。
あー……然うしたら、あたしの出番かな。
……今のプリンセスを担いで運べるのは、あなたくらいよ。
マーズは……?
……床に転がったプリンセスを起こそうとした時、驚いたらしいわ。
……。
……考えていた以上に、重たくて。
となると……ひとりで担いで運ぶのは無理か。
……ええ、無理だと思う。
其れで、起こせたのかい……まぁ、あたしが呼ばれなかったということは、起こせたのだろうけれど。
躰は起こせたのだけれど……寝台まで、ひとりで運ぶことは難しいと。
まぁ、然うだよな……其れじゃあ、従者と?
いいえ……マーズの従者はプリンセスの躰に触れることは一切出来ないわ。
あぁ、然うか……黒鳥だもんな。
私に知らせに走ったのは、マーズの命を受けた黒鳥。
……然う言えば、然うだった。
私の部屋とあなたの部屋、二手に分かれて。
……こういう時に二羽居ると良いな。
マーズが通信機を使えば良いだけの話なのに……わざわざ、部屋にまで寄越すだなんて。
……其れどころではなかったのだろう、多分。
はぁ……。
だけど……従者でないのなら、マーズは一体誰と。
……ヴィーナス。
は……?
たまたま、プリンセスの部屋の前を通り掛かったヴィーナス。
……たまたま?
本人、曰く。
いや、其れは屹度たまたまではないだろう……プリンセスの部屋は回廊の途中にあるわけではないし。
……兎も角、ヴィーナスとふたりで寝台まで運んだらしいわ。
マーキュリーが行った時に、ヴィーナスは居たのかい?
ええ、居たわ……けれど私の顔を見たら、後は宜しくと言葉を残して。
……容易に想像がつくな。
因みに……二人がかりでも、重たかったみたい。
……然うか。
其れからは、痛みで泣き喚くプリンセスをマーズとふたりで宥めて……どうにか、処置を終えたの。
……改めて、朝からお疲れ様。
取り敢えず、状況は伝わったかしら。
うん……取り敢えず、分かった。
然う……良かったわ。
……暫くの間、担いで運ぶ使命が追加されたことも。
一応、専用の椅子があるから……移動は、其れを使えば良い。
……素直に、座って呉れるかどうか。
あなたの背中が良いと言われたら……其の時は、程々に聞いてあげて。
……躰を鍛えるには丁度良いと思いながら、然うするよ。
結構な負荷を与えて呉れると思うわ……。
……折角だから、木星の民達にも。
無理ね……プリンセスが其れを良しとするわけがないもの。
……だよな。
……。
……マーキュリー?
ん……。
……どうした?
別に、どうもしないわ……。
……然うかい?
然うよ……。
……何かあったら、直ぐに言って欲しい。
何かあったら……ね。
……些細なことでも、構わないから。
……。
……。
……マーズね。
うん……。
後になって、あなたを呼ばなかったことに気が付いたらしいわ。
……呼ばれなくても、一緒に行けば良かったと思っているよ。
……。
ごめん、マーキュリー。
……私が来なくても良いと言ったから。
次は、必ず一緒に行く……。
……なくて良いわ、次なんて。
あって欲しくはないけど……分からないから。
……。
……ねぇ、マーキュリー。
なに……。
改めて、朝ごはんを食べないかい?
未だ、半分も食べていないだろう?
……食べた方が、良いかしら。
うん、食べた方が良いよ……今日を乗り切るには、先ずは腹拵えをちゃんとしないと。
……躰力不足で倒れるわけにはいかない?
そんなことになったら、あたしが大変だよ……。
……其の姿が、目に浮かぶようだわ。
だから、あたしと食べよう……?
……食べていないの?
うん……マーキュリーは戻って来ると思っていたから。
ばかね……戻って来なかったら、どうするの。
ん……其の時は、ひとりで食べたかな。
……食べていても良かったのに。
熱いお茶を淹れるよ……取り敢えず、座って。
……ええ、ありがとう。
其れとも、冷たい方が良いかな。
ううん……熱い茶が良いわ。
ん……分かった。
……。
……。
……ねぇ、ジュピター。
ん、どうした……?
……此れからの話をしても良いかしら。
あぁ……構わないよ。
……。
……此れから、どうするんだい。
先ずは、症状の説明をするけれど……膝と足首、共に靭帯損傷。
故に……痛みが治まるまで、安静にしていなければならないわ。
……悪化させない為にだね。
ええ……無理に動かせば、痛みや腫れが酷くなってしまうから。
……治まったら。
痛みや腫れが治まったら、初めのうちは再発防止の為に患部を固定した上で……嫌でも、動いて貰うことになる。
……若しも、動かないで居ると。
回復が遅れた挙句……筋力が大幅に低下してしまうでしょうね。
……今でも、低下しているのに。
思っていた以上に、深刻な状態になっていたわ……まさか、あそこまで脂肪の塊になっていただなんて。
……丸いなんて、言っている場合ではなかった。
糖質過多の上に、運動不足による筋力及び躰力の低下……ひとのこは、何処までも怠惰になれる生き物なのね。
……躰が鈍ることに抵抗がないだなんて、あたしには考えられない。
あなたは、ね……小さい頃から、転がるようにして躰を動かしていたから。
……じっとしていたのは、ごはんとお勉強の時くらいだったと思う。
ええ、其のくらいね……。
……マーキュリーは、頭が鈍ることに。
耐えられないわ……そんなこと、耐えられるわけがない。
……あたし達には考えられないことが、今、起こっている。
幾ら、然う言うことがあると頭では分かっていても……いざ、目の前にすると理解が追い付かないものなのね。
……あの怠惰なヴィーナスでさえも、そんなことにはならないだろう。
あれでも一応、動いてはいるから……頭も、使っているみたいだし。
……どんな使い方をしているのやら。
……。
はい、お待たせ。
……林檎。
ん……ほとんど、飲めなかったからさ。
……残った林檎は。
あたしが食べた。
……。
勿体ないから。
……ふ。
食べない方が良かったかな。
いいえ、食べて呉れて良かったわ。
ん、そっか。
……良い香りね。
だろう?
……ふふ。
ん、なんだい?
あなたが頭を抱えている姿……久しぶりに見たわ。
……あたしも、目が虚ろになっているマーキュリーは久しぶりに見たよ。
……。
……マーキュリー。
動けなくなった以上……食事療法に重きを置くしかない。
……動けないんだ、然うするしかない。
けれど、上半身ならば動かすことは出来る筈。
……上半身か。
少しでも良いから、患部以外の筋力や持久力を補強して欲しいの。
患部以外と言うことは……上半身だけなく、足回りの筋肉もだね。
と言っても、下半身は痛みが治まってからになるだろうけれど……。
……然うすれば、治りが早まる。
分かった……やってみるよ。
……治っても、躰力が落ちていたら。
動けるようになるまで、骨が折れる……。
……私も考えるわ。
うん、ふたりで考えよう。
……。
どうぞ、マーキュリー。
……うん、いただきます。
ん、召し上がれ。
……あなたも。
うん……いただきます。
……。
……美味しいかい?
安心するわ……。
……お豆の甘味は、ほっこりするよね。
然うなの……。
……。
……美味しい。
良かったら、お代わりもあるからさ。
……お昼に食べたいわ。
お昼か……。
……出来れば、一緒に。
一緒に食べよう……マーキュリーの都合に合わせるから。
……ん。
……。
……。
……多分、プリンセスは。
上半身を動かすだけでも、痛みを訴えると思う。
……其処ら辺はもう、上手くやるしかないな。
マーズとも、連携して……。
……三人がかりなら、なんとかなるだろう。
ヴィーナスは……。
……まぁ、余計なことさえしなければ。
……。
……あ。
ん……?
……少し、失礼。
なに……?
……口の端に、ね。
……。
珍しい……。
……食べないで。
ごめん……もう、食べちゃった。
……。
はは……。
……ばか。
21日
……。
……。
……おはよう。
おはよう……取り敢えず、離して。
未だ少し早いから……此のままで。
……起きる支度をしたいの。
此のままだと、出来ない……?
……心地が好くて、また眠ってしまったらどうして呉れるの?
あー……其の時は、起こすよ。
駄目よ……あなたも釣られて、眠ってしまいそうだから。
其れは……。
否定、出来る?
……うん、出来ない。
ならば、離して呉れるかしら?
……はい。
……。
もう、起きるかい……?
いいえ……未だ、起きないわ。
然うか……良かった。
……ん、ちょっと。
あ……ごめん、つい。
……もぅ。
へへ……。
……ジュピター。
な……む。
……もう、駄目よ?
はぁい……。
……本当に、駄目よ。
うん……気を付ける。
……なんて、言っているそばから。
ん……。
……こぉら。
あ、いや……おでこを、くっつけるだけ。
……本当に?
くっつけたら、手は後ろにする。
……後ろに?
うん……腰のあたりに、置いておく。
其の姿勢だと……少し、窮屈じゃない?
少しくらいの窮屈なら、我慢……お。
……楽にしていて、折角の穏やかな朝なのだから。
マーキュリー……。
……だけど、抱き締めるのは駄目。
ん……難しい。
……そんなに難しい?
手が、勝手に動いてしまうから……。
……困った手ね?
然うなんだ……駄目だと言われているのに、思うように我慢して呉れない。
……其れは屹度、心が動かしているのね。
心が……?
然う……頭ではなく、心が。
理性よりも、本能……?
……然うとも言うわ。
あぁ……其れなら、分かる。
……分かったところで、どうしようも出来ないのでしょうけれど。
マーキュリーが相手だと、制御するのが本当に難しい……。
……私以外だと、制御出来るの?
マーキュリー以外には、特にしていないよ。
……。
必要ないから。
あぁ、然う……興味、ないものね。
うん、全然ない。
……私に対してだけ、理性が働かない。
こうしていると……直ぐに、溶かされてしまって。
……ん。
と……。
……ジュピター?
矢っ張り、難しいな……。
……思えば、子供の頃から然うだったわね。
成長、してない……かな。
ううん……あの頃よりは、大分抑えられるようになっているわ。
本当……?
だって、子供の頃は……ね?
ん。
……ねぇ、ジュピター?
な、なに……。
私が、わざわざ言わなくても……。
ぅ……。
……ちゃんと、憶えているわよね?
……。
憶えていないの?
……憶えて、いるけど。
けど……なぁに。
マーキュリーの……。
……私の?
指先の動きに、気を取られてしまって……其れどころじゃ、ない。
……私の指先?
すごく……ぞくぞく、する。
ただ、躰をなぞっているだけなのに……。
……なぞってる、だけ?
然う……形を、なぞっているだけ。
……マー、キュリー。
なぁに、ジュピター……?
……ただ。
ただ……?
……なぞっているだけじゃ、ないよね。
どうして……?
……指の、動きが。
いいえ……本当に、ただ、なぞっているだけよ。
……然う、とは。
思えない……?
……おもえ、ない。
んー……。
……あ、ぅ。
私……子供の頃から、好きなの。
……すき。
あなたなら、良ぉく知っていると思うけれど……。
ん……っ。
……あなたの筋肉の形が。
きん、にく……。
ん……今日の肩甲骨の形も、悪くないわ。
筋肉だけじゃ、ない……。
……ふふ。
骨の、形も……好き、だよね。
ええ……骨の形も、好きよ。
……はぁ。
……。
あ、の……マー、キュリー……?
……うん。
そろそろ……限界、かも。
出来ている……。
……え。
ね……我慢、出来ているわよね?
も……。
……も?
もちろん、だよ……。
……声が、震えているようだけれど。
そ、そうかい……?
……そんなに、嬉しいの?
う、うれ……?
……声が、震えるほど。
あ、あー……。
……あー?
う、うれしい……うん、うれしい。
ちゃんと、がまんできて……うれしい、な。
……無理を、している?
し、してない……してない、よ。
……。
ぁ、う。
……う?
マ、マーキュリー……あ、あのさ。
……なぁに?
ごめん……どうしても、無理だった。
……あ。
……。
……あと、もう少しだったのに。
ごめんよ……。
……良いわ、此れくらいなら。
これくらい……?
……此の先は、だめ。
……。
起きて、支度をしないといけないから……。
……ほんの、少しだけ。
……。
……なんて、言わないよ。
ん……言わないで。
……きっと、足りないから。
ふ……。
あ、や……然うじゃ、ないか。
……ううん、其れで良いわ。
いい……?
……良いと、言った。
ん……。
……。
……。
……離れないの。
離れる……。
……離れないと、出来ないわ。
出来ない……何が。
……なんだと思う?
ん……然うだな。
……。
……なんだろう。
こうしていると……あなたの顔が見えない。
……顔?
然う……顔。
……顔。
あなたからも、私の顔は見えない……。
……あ、分かった。
分かった……?
うん、分かったよ……マーキュリー。
然う……ならば、聞かせて。
……言葉で伝える前に。
前に……?
……行動で、示す。
行動……ん。
……。
ん……ん。
……。
……はぁ。
どうだい……あたしの答えは、合っていたかい?
……さぁ、どうかしら。
ん、違った……?
……。
マーキュ……。
……。
……当たり?
言葉には、しない……。
……行動で、示したから?
ええ……然うよ。
……あぁ。
なぁに……?
……マーキュリーは。
私は……?
……本当に、可愛いなぁ。
其の言葉……ゆうべから、何度も聞かされているわ。
……聞き飽きた?
今更……。
……へへ。
ねぇ、ジュピター……。
……なぁに、マーキュリー。
あなたは、本当に可愛いひと。
……あたし?
然う……あなた。
可愛い……かなぁ?
可愛いわよ……子供の頃から、変わらずにね。
……子供の頃よりも躰は大きくなったけど、其れでも?
可愛いことに、躰の大きさなんて関係あるのかしら……?
……曰く、小さい方が可愛いと。
あれの言葉は、気にしなくても良い……。
……誰か、分かるんだ。
ふ……分からない方がおかしいわ。
ん……確かに。
……気にしているの?
いや、全く気にしてない……。
……然う?
でも、小さいものが可愛いと思えるのは分かる……。
……我侭姫?
……。
ジュピター……?
……あれは、可愛いのか。
……。
可愛いと言うより、ただ小さい……いや、今は全体的に丸いな。
はぁ……つくづく、あなたは私だけなのね。
……マーキュリーは、可愛いと思うかい?
いいえ、別に。
ん……あたしのこと、言えないような。
つまるところ、小さければ可愛いと思えるわけではないの。
……でも、マーキュリーのことは可愛いと思う。
……。
う。
……悪かったわね、小さくて。
わ、悪いなんて、言ってないよ。
……言っていないから、なに。
え、えと……ごめん?
……知らない。
ほ、本当にごめん……もう、言わないから。
……あなたのことだから、言うと思うわ。
き、気を付ける……。
そんなことを言って……忘れた頃に、また言うのよ。
わ、忘れない……。
……ように、する?
な、成る可く……。
……。
マ、マーキュリー……。
……まぁ、もう慣れたからどうでも良いのだけれど。
へ……。
……私のことを小さくて可愛いと思う気持ちは、あなたの心の中にずっとあるのだろうし。
……。
其れこそ……私達が小さかった頃から。
……うん、ずっと思ってる。
初めて顔を合わせて、其れから暫くの間は、私の方が大きかったのにね……。
……大きくても、可愛かった。
……。
大きくても、小さくても……マーキュリーは可愛い。
……ねぇ、ジュピター。
あ、ごめん……。
……躰が大きくなったからこそ、可愛いと思えることもあるのよ。
え……?
……あなたが私よりも小さかった頃には、思わなかったこと。
然う、なんだ……でも、どこが?
躰は大きくなったのに、中身は出逢った頃のままのようで。
其れは……可愛い?
……私は可愛いと思ったの、素直に笑うあなたのことが。
……。
今は、精神的にも成長している筈なのに……こうしていると、矢っ張り何処か子供っぽい。
……。
可愛いと思っては、いけない……?
ううん……そんなこと、ない。
……ほら。
え……?
……可愛いわ。
ん……ごめん、良く分からない。
良いのよ……あなたは分からなくて。
……。
だって……私も分からないもの。
……分からない?
あなたは、私を可愛いと言うけれど。
……。
……屹度、然ういうものなの。
そっか……うん、然うだね。
……どう、少しは落ち着いた?
ん……どうだろ。
……私の目には、落ち着いているように見えるけれど。
もう一度だけ、口付けても良い……?
……そっと、触れるだけなら。
其れでも、良い……。
……。
……ふふ。
落ち着いた……?
……うん、落ち着いた。
然う……其れは良かった。
……然うだ。
なに……?
手首、見せて。
……また?
うん、また。
……ゆうべも見たのに。
また、見たいんだ。
……仕方ないわね。
……。
はい、どうぞ。
……ありがとう。
どういたしまして。
……。
……昨日の今日だから、未だ残っているでしょう。
ん……うっすらと。
……もう、しないわ。
うん……しないで欲しい。
……なんて、ゆうべも言ったけれど。
今朝も、薬は塗る……?
一応ね……心配性なひとが傍に居るから。
……消えるまで、確認するんだ。
面倒だから、やめて。
あは。
……。
……。
……今朝は、静かね。
然うだね……。
……一日、何事もなく過ぎれば良い。
うん……平穏が一番だ。
……。
……今夜も。
状況次第……。
……ん、分かった。
……。
……。
……そろそろ。
起きて、朝の支度を始める……?
……ええ、名残惜しいけれど。
じゃあ、今夜……ん。
……さぁ、今日を始めましょう。
うん……始めよう。
……。
朝ごはんの支度は、軽く湯浴みをした後にしようかな。
……衣はちゃんと着てね。
取り敢えず、下はちゃんと穿く。
上も、ちゃんと着て。
20日
~~~♪
……なにをしているの。
ん。
……ジュピター。
ごめん、起こしちゃったかい?
……それは、別に良いのだけれど。
豆の甘煮を作っていたんだ。
……今頃の時分に?
明日の朝ごはんに食べられるように。
……珍しいわね、いつもなら眠る前には出来上がっているのに。
ん、今夜はちょっとね。
……ちょっとって?
豆の甘煮を作る以上に、大切な用事が入ってしまったから。
……ごめんなさいね。
なにがだい?
……邪魔をしてしまったみたいで。
邪魔だなんて、思っていない。
……然う?
然うだよ。
……なら、良いけれど。
うん、嬉しかった。
……いつだって、嬉しいのね。
うん、いつだって嬉しいよ。
マーキュリーに
其処まで。
ん。
……作り始めたばかり?
ううん、下茹でが終わったところ。
……鼻歌を歌い出したのは?
つい先刻、かな。
……鼻歌を歌わなければ、目を覚まさなかったかも知れない。
ん、失敗した。
……私は、目が覚めて良かった。
良かった?
ええ……良かったわ。
なら、良いか。
……。
作り終わったら寝台に戻るよ、そんなに掛からないからさ。
……どれくらい?
後は、馴染ませるだけだから……半刻くらいかな。
……味を?
ん……一応、其処までしようと思って。
……今は、冷ましているの?
うん。
……何回目?
未だ、一回目。
……なかなか冷めないでしょう。
然うなんだ、ただ待っているだけだと長く感じるよ。
……だから、鼻歌?
穏やかな夜だから、つい。
……ふ。
あたしらしい?
……ええ、とてもね。
穏やかに眠るマーキュリーの寝息も可愛い。
意味が分からない。
あは。
……まさか、確認していないでしょうね?
もう少ししたら、しようと思っていた。
……目が覚めて、良かったわ。
したかったな。
……ばかね?
はは。
……。
……淋しいかい?
別に……直ぐ其処に居るもの。
ふふ、然うか。
……はぁ。
ん、起きる?
……少しね。
起きられるかい?
平気よ……問題ないわ。
上衣は椅子に。
……。
躰を冷やさぬように。
……分かっているわ。
ん。
……。
今夜は静かだね。
……然うね。
味見は……しないか、寝るお腹だもんな。
……ええ、しないわ。
うん……分かった。
……違うのよね。
うん?
……味が馴染んでいるものと、然うでないもの。
あぁ……然うなんだ、馴染ませた方が優しい甘味になる。
……お豆はなぁに?
緑豆だよ、マーキュリーが好きなね。
……私は、大抵のお豆は好きよ。
と言うより、嫌いな豆はないような?
……細菌で発酵させたお豆だけは、もう食べたくないわ。
発酵?
……青い星の島国で出された、臭いが強烈な。
臭いが強烈……。
然う……あなたは、忘れてしまったのね。
其れ、若しかしてねばねばしている?
……していたわ。
憶えているよ、名前は思い出せないけど。
……思い出さなくて良い、臭いまで思い出してしまうから。
ん、そっか。
なら、思い出さない。
あれは……出来れば、もう二度と。
味は悪くなかったんだけど、粘り気があって臭いが凄かった。
……私は、味も受け付けなかった。
あれを食べている時のマーキュリー、表情が完全に消えていたと思う。
……久しぶりに、一切の感情を凍らせたから。
冷たさすら、感じなかった……ひたすらに無だった。
……少しでも緩むと、味と一緒に臭いが襲ってくるから。
臭いが襲ってくるって……今聞いても、すごい言葉だ。
……良かったわ、あなたにうっかり解凍されなくて。
うん……あたしも、然う思う。
お豆自体は、其処まで硬いものではなかったから……いっそのこと、噛まずに飲み込んでしまおうと試みたのだけれど、出来なかったの。
マーキュリーには難しいかなぁ……子供の頃から良く噛んで、ゆっくりと食べていたから。
……まさか其れが仇になるなんて、思いもしなかったわ。
然うだよね……あたしも思わなかったよ。
……時間ばかりが掛かって、手間だと思うことは何度もあったけれど。
うん……其れは、知ってる。
……若しもあの時、あなたに言えば。
言われなくても、食べようと思っていたんだ。
好みではないけれど、食べられなくはなかったから。
……其れは其れで、癪だったの。
見ていて、無理をしているのだけは良く分かったよ……。
……無表情だったのに?
無表情だからこそ、伝わってきたんだ。
……あなたが場を持たせて呉れて、良かったと思う。
其の時のひとのこ達は自分達で勝手に盛り上がっていたから、あたしは適当に相槌を打っていれば良かったんだ。
……。
マーキュリーが食べ切った時は、心の中で力いっぱい拍手をしていたよ。
憶えているわ……あなたの表情は其れはもう、喧しかったから。
だけど、部屋に戻ってから暫くの間、座ったまま動かなくて……と言うより、動けなくなっていて。
……動くと、戻ってきそうだったから。
声を掛けても、一瞥されるだけでさ……本当に少しも動かなかったから、兎に角心配で。
……兎に角休んで、消化されるのを待っていたのよ。
結局、半刻くらいじっとしていたよね。
……していたわね、其れしか出来なかったから。
待っているだけの時間は、とても長く感じられた。
心配されているのが、痛い程伝わってきたわ……まぁ、其れどころではなかったけど。
うん……だから、静かに待ってた。
……。
少しだけ動いて、熱いお茶が飲みたいと……小さな声だったけど、言って呉れた時は酷く安心したんだ。
……消化を助けて呉れる、胃に優しいお茶が飲みたかったの。
然う思って、加密列のお茶を淹れる支度をしておいたんだ。
子供の頃に加密列の葉はお腹に良いと、マーキュリーに教わっていたから。
……ちゃんと、憶えていたのよね。
勿論だよ、マーキュリーに教わったことは忘れない。
……先生の教えもね。
うん。
……お茶を飲むことで、口の中を改めてさっぱりさせたかった。
あの臭いは……歯を良く磨いても、残ったもんなぁ。
……若しも次があったら、其の時はあなたが食べて。
ん、分かった。
……でも、無理はしないで。
毒でなければ、食べるよ。
……酒精は駄目よ。
はは、分かっているよ。
……。
ん……マーキュリー?
……少しだけ。
少しだけなんて、言わず……ずっとでも良いよ。
……嫌よ、疲れてしまうもの。
じゃあ、程々のところで……。
……マーズに、伝えたわ。
……。
……明日から、厳しくすると。
あー……いきなりは、どうかなぁ。
……少しずつ、慣らしていくとは言っていたけれど。
少しずつ、慣らす……其れでも厳しそうに聞こえるのは、言っているのがマーズだからだな。
……取り敢えず、マーズに任せるしかないわ。
うん、あたし達はあたし達なりにやれば良い。
……正直なことを言うとね。
うん?
此れ以上、お勉強が遅れることは許せない。
ん。
糖質過多はね、記憶力をも低下させるの。
記憶力も?
元々、良くはない……覚える気がないことは、分かっていたわ。
……良くはないって言ったね、知ってたけど。
其の上、糖質過多で記憶力低下なんて……有り得ないどころではないわ。
嫌よ、読み書きもろくに出来ないクイーンなんて。月が傾いても間に合わない。
……青い星も滑り落ちてしまうかも知れない。
其の前に、闇に染まるかも知れないわ。
あー……然うしたら、終わりだなぁ。
はぁ……いい加減、うんざりする。
……マーキュリー。
……。
いつでも、話してね。
……あなたにだけね。
然う……あたしにだけ。
……。
ん、もう良い?
……また後で、其の腕に収まるのでしょうから。
うん、喜んで。
……望んでいるとは、言っていないけれど。
ふふ。
……。
何か飲む?
……然うね。
何でも言って。
……と言っても、用意出来るものしか出せないでしょう?
用意出来るものなら、なんでも。
其れじゃあ……柑橘を浮かべたお茶を。
柑橘……ん、分かった。
……お砂糖は要らないわ。
柑橘本来の甘味を楽しむ?
……香りと一緒にね。
ん、良いと思う……じゃあ、少しだけ待っていて。
……いつまでも、待っていてあげるわ。
ん。
……冗談よ。
マーキュリー。
……なに。
今日もお疲れ様でした。
なによ……改まって。
ん、なんとなくね。
其れに、もう日は替わっているわ。
朝が来るまで……便宜上。
……まぁ、良いけれど。
柑橘のお茶も美味しいけど、林檎を浮かべたものも美味しいよね。
……朝食は、林檎を浮かべて。
ん、了解。
……ふぅ。
楽にしていてね。
……言われなくても。
……。
……もう、歌わないの?
うん、マーキュリーと話したいから。
……私は、鼻歌でも良いのに。
じゃあ、眠る前に少しだけ。
……。
なんて、五月蠅いか。
……歌って。
……。
……気が向いたらで良いから。
屹度、向くよ……。
……期待は、しないわ。
しても、良い……。
……。
……はい、お待たせ。
ありがとう……。
……良い香りだろう?
ええ……とてもね。
ゆっくり、楽しんで。
……あなたは、飲まないの。
然う、思った?
……。
でも、此処に。
……子供。
ははは。
……果実の甘煮はいつ作るの。
明日か……明後日に。
……。
明日が良い?
……あなたの都合が良い時に。
成る可く早く作るよ。
……食べられないとなると、食べたくなるのよね。
今回はあまり食べていないから、余計かも知れない。
……意地汚くて、醜い。
……。
……駄目ね。
いや、分かるよ……食べ方も汚くなったから。
……マーズが言っても、聞かないのなら。
曰く、反抗期。
……ヴィーナスね。
いつ聞いたのかは、忘れたけど。
……反抗の仕方が、いちいち幼稚。
……。
……知性があるとは思えない。
マーキュリー……。
……けれど、私のせいね。
ん、なんで。
……知性を与えることも、私の使命のひとつだから。
マーキュリーのせいじゃない。
……。
何処まで行っても、プリンセスの資質の問題だ。
……やる気ひとつ、引き出せないわ。
本当に然うかな。
……然うよ。
あたしは然うは思わない。
……あなたはね、私に甘いから。
マーキュリーはいつだって、あたしのやる気を引き出して呉れる。
……あなたとプリンセスは違う。
違うけど。
ふ……何よ、それ。
兎に角、マーキュリーらしく居れば良い。
……。
あたしも、出来ることはするから。
……ならば、今度。
許して呉れるのなら、見ているよ。
……。
傍で、見てる。
……ええ、見ていて。
うん。
……。
……美味しいかい?
ん……悪くないわ。
……良かった。
……。
良し、そろそろ二回目……。
……甘味が好きなくせに、お豆の甘煮は食べない。
今はもう、豆は好みじゃないらしいよ……前は、食べていたのに。
……美味しいのに。
ん……。
……本当、口を開けば我侭ばかり。
……。
……我侭姫。
ふはっ。
……なに。
いや、其の通り過ぎて……つい。
……あなたの前でしか言わない。
うん……幾らでも、聞くよ。
……あなたは、言わないのね。
言ってみても良い?
……言ってみて。
我侭姫。
……ふ。
こんなこと、マーズの前では言えないね。
……ええ、言えないわ。
19日
うん、きれいさっぱりなくなってしまった。
予想していた通り、きれいに食べ尽されたわね。
結構、あったと思うんだけどな。
あなたと私だけだったら、ふたつ合わせて20食分はあったわ。
だろう?
一枚の薄麦餅に、其れはもうたっぷりと塗りたくっていたから。
あれじゃ、薄麦餅の味がしないよ。
しなくても良いのよ、プリンセスは果実の甘煮が食べられれば其れで満足なのだから。
麦の風味はどうでも良いんだよな……あたしとしては、其処も楽しんで欲しいのだけれど。
今のプリンセスには無理、なんせ甘いものにしか興味がないのだから。
いい加減、偏り過ぎだと思うんだ。
もっと言えば、甘煮が期待していたよりも甘くなかったから、崇増しにして補っていたのだと思う。
控え目が好きなんだ、あたし達は。
お砂糖の甘みが大好きなプリンセスには合わない。
果実にも甘みはあるのになぁ、寧ろ、其の甘みが良いのに。
甘葛も好まないでしょう。
然うなんだよ、さらりとした甘さで美味しいのに。
此れだとあんまり甘くない、お砂糖を掛けてって言われてしまうんだ。
……。
マーキュリー?
……マーズ曰く、最近は食事にもお砂糖を掛けたがる。
ごはんにも砂糖って……そんなことをしたら味付けも何もあったものじゃない、全部、台無しになってしまうよ。
……プリンセスには完全栄養食ではなく、あなたが作っている野菜が提供されている。
ごはんを作っている者達は、誰もあたしが見込んだ木星の民達だ。
マーズにも確認して貰って用意しているから、何も問題はない。
……だとしても、甘味を欲しがる。
味覚には甘味の他にも、塩味、酸味、苦味、其れから旨味の四つがあるんだ。
酸味と苦味は好きじゃないことは知っていたけど、塩味と旨味まで駄目となると流石に看過出来ない。
……此処まで来ると最早、砂糖中毒と言っても良いわね。
え、なに?
砂糖中毒、或いは、砂糖依存。
砂糖に、毒なんてあったっけ。
過剰摂取をすれば、幾らでも毒になり得る。
あぁ、成程。
糖分或いは糖質の過剰摂取は、青い星の民ならば、病を引き起こす原因になるの。現実、過食になりがちな権力者や富裕層には良く見られるわ。
有名なところでは飲水病ね。常に喉が渇き、水を大量に飲むことから、此の名前が付けられたのよ。
だけどプリンセスの場合はどんなに、其れこそ山のように摂取したところで、病にはならないだろう?
銀水晶の御加護でね。
病になるようだったら、控え……ないか。
病にはならないけれど、躰は肥える。
其れは……仕方ないな、病ではないから。
肥満症、とは言うのだけれど。
ひまんしょう。
読んで字の如し、青い星であれば重大な症状を引き起こすわ。
失明、神経障害、足病変、動脈硬化、脳梗塞、心筋梗塞……。
……命が幾つあっても足りないな。
ええ、足りないでしょうね……。
……なぁ、マーキュリー。
なに、ジュピター。
プリンセスのお腹……マーキュリーも見たろ。
嫌でも目に入ってくるわ。
あれは、どうなんだ。
どうも何も、脂肪の塊でしかないわね。
矢っ張り、然うだよなぁ。
あれくらいならば、
問題ない、か?
と、言いたいところだけれど……どうしたものかしらね。
……矢っ張り、あるのか。
躰型など、本人が気にしていなければどうでも良いことなのよ。
だけどほら、青い星との対外的なものがあるだろう?
残念ながら、あるのよね。
大丈夫なのか?
肥満躰型を好む者も、居るには居るけれど……今の王族周辺では、聞かないわ。
おかしなことに美醜にも流行り廃りがあって、現在では程良く締まっている方が好まれているみたい。
但し、胸と尻は大きいに越したことはない。曰く、女性躰の象徴だから。
……今のプリンセスは、お腹と尻が大きいな。
肥満躰を古くから豊満として、良しとしている民族だったら良かったのだけれど。
……ふむ。
あなたはどう思う?
……あたし?
然う、あなた。
あたしは……少し、鍛練をした方が良いと思う。
対外的に?
ごめん……対外的なことは正直、あたしには良く分からない。
……良いわ、そんなことだろうと思っていたから。
あたしにはさ、あの躰型は酷く鈍そうに見えるんだ。
鈍そう?
あれでは、速く走れない。
……速く走って、どうするの。
どうもしないかも知れないけど、走れないのはどうなのだろうか。
どうなのだろうかと、言われても。
以前は、遊びであれば走り回ったりしていたんだ。けどここ最近、走らなくなった。
走らせようと声を掛けても、動こうとしない。のたのたと歩くだけなんだ。
のたのた……其れはまぁ、単純に躰が重たいからでしょうね。
然う、然うなんだ。あれでは重たくない筈がないんだよ。
お腹や尻だけじゃない、足や腕の肉付きも然うだ。全体的に、丸過ぎる。
……ジュピター。
はっきりと言ってしまえば、あたしはあの弛み切った躰を鍛え直したい。
あのままでは走らないどころか、歩くことすらしなくなる。
……つまり、歩けなくなる可能性が無きにしも非ず。
然うしたら、どうする? あたしは嫌だぞ、プリンセスを担いで運ぶ使命なんて。
マーキュリーならば良いけれど、プリンセスは嫌だ。鍛練にはなるだろうが、何も楽しくない。
使命ならば仕方ないわ、鍛練にもなるようだし、毎日担いで運んで差し上げて。
マーキュリーなら
ばかなの?
そんなことをされたら足腰が弱ってしまうでしょう。
うん、其れは困るな。
戯言は此処までにして。
……戯言では、ないんだけど。
少し考えないといけないわね。
鍛練の時間を増やすか。
私は構わないけれど、素直に聞くと思うの。
全く思わない。
どうせ甘味を強請られて終わるだけ。
鍛練をしなければ、作らない。
駄々を捏ねる。
一切、聞かない。
聞かずにいられる?
いられる、其れだけあの躰型を鍛えたい。
……余程なのね。
木星の民であんなだらしない躰の者が居たら徹底的に鍛え上げる。
……まぁ、居ないけれど。
躰を鍛えることは楽しい、其れをプリンセスに教えるにはどうしたら良いのだろう。
無理ね。
……遊びなら。
どうやって、走らせるつもりなの。
……。
若しかしたら、膝を痛めるかも知れないわ。
……膝?
己の重みで。
……そんなことが、あるのか。
あるわよ、ただの肥満体だと。
……知らなかった。
月の民に肥満体は居ないから。
居ない……全く?
常に計算されているものを食べているから、過食には為り得ないの。
……クイーンがプリンセスの頃は。
寧ろ、拒食。
拒食……食べない?
おまけに、偏食。
其れは、プリンセスと同じだな。
食べさせるにはどうするか、四守護神で話し合った記録が多く残されているわ。
……言われてみれば、師匠の日記にも書かれていたような。
少ないけれど、書かれていたわよ。
……食べないのも、大変そうだ。
一時期、歩けなくなった。
……は。
食べては吐くを繰り返して。
其れは……大変どころではないぞ。
拒食症と、先代は呼んでいたわ。
拒食症……其れは、病ではないのか。
拒食は、銀水晶でもどうにもならない。
……いっそ、病になった方が手の打ちようがあるんじゃないか。
若しかしたら、あるかも知れない。
……なんにせよ、二代で手が掛かるな。
因みに。
……うん?
先々代は適度な食事と適度な鍛練を心掛けていたそうよ。
甘味も好きだったそうだけれど、過剰摂取はしなかったみたいね。
……。
なに?
全く違い過ぎて、吃驚した。
つまるところ、個体差。
差があり過ぎる。
更に言えば、学ぶことが好きだった。
其の気になれば、半日は勉強をしていたと。
半日も……勉強を。
マーキュリーと語り合うことが好きだったそうよ。
……先生と?
先代だけではなく、先々代とも。
知的好奇心も旺盛な方で、疑問に思うと直ぐに質問してきたみたい。
幾らなんでも……差が、あり過ぎる。
ジュピターとの鍛練も好んで、率先して行っていたと。
……遊びではなく?
ちゃんとした鍛練、手合せもしたそうよ。
……手合せまで。
けれど躰力があまりなくて、長い時間は出来なかったらしいわ。
……いや、十分だよ。
演習も、良く見ていたと……。
……そんな方も、居たんだな。
そんな方ならば、使命をこなす甲斐もあったかもね。
ん。
聞かなかったことにして。
出来ないかな……あたしも同じことを思ったから。
ならば、誰にも言わないで。
言わない。
……。
……。
……比べては、いけない。
うん……分かってる。
……。
……取り敢えず、出来ることから始めよう。
何が、出来るか……其れを、見つけることからかしら。
んー……少し長く、歩いて貰う。
……食べる量を減らす。
砂糖を、減らす……。
……と、物足りなくなるだろうから、要求される。
今以上には、決して増やさない……。
……見ていて、気が付いたのだけれど。
なんだい?
……口の中に入れたものを、良く噛んでいないように思える。
マーキュリーも然う思った?
少し噛んだだけで、飲み込んでしまうの。
其れは、どうなんだろう。
良くないわ。
と言うことは、良く噛んだ方が良い?
良く噛んでゆっくりと食べた方が、満足感を得られやすい。
満足感を得られれば……食べ過ぎることは、減る?
ええ、其の筈よ。
良し、其処から始めてみよう。
まぁ、無難でしょうね。
と言っても、食事担当の木星の民達に言ってもどうにもならないから、
マーズに伝えておくわ。
聞いて呉れるかな。
マーズも気にしているようだったから。
マーズも?
プリンセスの動きが明らかに鈍っていると。
じゃあ、聞いて呉れるな。
問題は、ヴィーナス。
あいつは……余計なことさえしなければ、其れで良い。
面白がりそうだわ。
……。
其れが良い方向に転がって呉れれば良いのだけれど。
……上手い具合に、やる気を引き出して呉れると良いんだけどな。
あれでプリンセスの扱いは悪くないのよ。
然うなんだよな……あまり、懐かれてはいないけど。
ヴィーナスに伝えるべきか、其れとも。
……多分、伝えなくても気付くだろう。
……。
マーキュリー?
……寧ろ、待っているのかも知れない。
待って?
私達がプリンセスの躰のことで動き出す時を。
あぁ……あいつのことだから、ないとは言えない。
……はぁ。
取り敢えず、何か飲むかい?
お茶会ではあまり飲まなかったろう?
然うね……冷たいお茶が飲みたいわ。
冷たいお茶だね……砂糖は要るかい?
……ううん、要らない。
然うか……。
……あなたも、飲むのでしょう。
一緒に飲んでも良いかな。
……良いわ。
うん、ありがとう。
……お礼など、要らないわ。
ん。
……。
甘煮、また作らないとなぁ……でないと、マーキュリーと食べられない。
……お茶に入れることも出来ない。
うん……。
……果実は、未だあるのでしょう。
うん……だから、また作るよ。
……若しも、プリンセスに。
全部は出さない……量を調節する。
……然うして。
……。
……。
……どうぞ。
ありがとう。
……どういたしまして。
……。
……。
……私も、甘いものは好きだけれど。
子供の頃から、好きだよね……。
……あなたとお師匠さんが作って呉れるものは、どれも美味しかった。
先生も、甘いものが好きだったな……。
……食べ過ぎることはあっても。
食べ過ぎたことなんて、あった……?
……自分の中ではね。
然うだったんだ……。
……自分なりに調整していたの、食べ過ぎは良くないから。
子供なのに、偉いなぁ……。
……お師匠さんには、好きなだけ食べれば良いと言われたけれどね。
師匠が、そんなことを……。
未だ、子供なのだし……何より、「たまご」とは言え「あたし達」よりも頭を使っているのだからと。
あたし……「達」?
……。
でもまぁ、然うだな……メルの方が、ずっと使っていた。
……ユゥは、「私達」よりもずっと躰を動かしていたわ。
……。
先生なんて……たまに動かすくらいで。
……師匠は、先生が一緒だと嬉しそうだった。
ええ……然うだったわね。
……先生は、どうだったの。
うん?
調整……先生も、していたのかな。
あのひとは……食べ過ぎたとしても、ちゃんと消費していたわ。
……頭を使って?
私以上に頭を使っていたから。
……。
其のせいで、直ぐに痩せてしまう……そんな先生のことを、お師匠さんはいつだって気にしていたわ。
……兎に角、食べさせたいと言っていたよ。
目を離すと、直ぐに抜くの……。
……マーキュリーと同じだ。
私は……全く同じではないわ。
……そんな時に、甘味は手っ取り早い。
……。
勿論、後で違うものも食べて貰うけどね。
……今思えば、素直だったと思う。
今でも、素直だよ。
……然う思うのは、あなただけ。
他の者にも思って欲しいかい?
……別に、どうでも良いわ。
ふふ……。
……楽しそうね。
うん……マーキュリーとふたりきりだからね。
……ふ。
マーキュリーも楽しそうだ。
……然うでもないわ。
ん、そっか……。
……ところで、ジュピター。
ん……?
……書きかけの報告書は、いつ、見せて呉れるの。
あ。
……忘れていたのね。
然うだった……ちょっと、待ってて。
……夜で良いわ。
夜……?
……あなたの部屋で。
……。
……嫌なら、
迎えに行く。
……。
行くよ。
然う……ならば、待っているわ。
18日
ん、お帰り。
ただいま。
様子はどうだった?
思っていた通り、あなたの甘味をご所望の様子だったわ。
然うか。
駄々を捏ねに捏ねて、手が付けられなくなっている。
マーズは?
マーズの眉間には深い皺、何を言っても聞く耳を持たないみたい。
マーズの眉間の皺、また一段と深くなってしまうな。
従者の黒鳥はすっかり困り顔。
あの二羽に、表情なんてあったか。
いつだってのっぺりとしている顔しか思い浮かばないけど。
曰く、うっすらとあるらしいわ。
うっすら……あたしには分からないな。
あなたには分からないでしょうね。
マーキュリーは分かるのかい?
ひとのこの形をしていたとしても、鳥の表情は掴み難い。
……マーキュリーにも分からない?
マーズが分かっているのであれば、其れで足りるわ。
まぁ、あたし達の従者ではないもんな。
けれど、若しも。
マーズに限って、其れはないさ。
闇に魅入られる可能性は零ではないわ。
マーズの従者に限って、そんなことはないだろう……とは、言えないか。
其の時はマーズが処分するとは思うけれど……場合によっては、此方に回ってくるかも知れない。
然うなったら、マーズに代わって討ち取ってやれば良いだけさ。
……ええ、勿論然うするわ。
従者にだって、代わりは居るのだろう?
幾らでも、ね。
ならば、あたしに任せて。
マーキュリーには指一本、いや嘴一本か?
何でも良い。
羽一枚たりとも、マーキュリーに触れさせはしない。
なに、黒鳥の一羽や二羽、どうってことはないよ。
……いつだって、あなたが傍に居て呉れるとは限らない。
ん。
けれど問題ないわ、黒鳥の一羽や二羽くらい。
……うん、マーキュリーなら大丈夫だ。
間があったわね。
……心配なことには、変わりないから。
心配性ね、私だって守護神のひとりだと言うのに。
……問題ないと思っていても、心配な気持ちは消えないんだ。
つまり、私のことを信用していないと。
信用はしてる、でも、あたしは心配性だから。
私にだけ?
うん、マーキュリーにだけ。
……プリンセスに対しては?
特段、何も。
……。
あう。
……其れ、言わないでよ。
うん、言わないよ。
余計なことだからね。
分かっていれば、良い。
うん。
……全く。
ねぇ、マーキュリー。
なぁに、ジュピター。
若しも黒鳥を討ち取ってしまったら、矢っ張り一から育てるものなのかい?
一からではないわ、ある程度は仕込まれている筈だから。
管の中で?
然うよ、培養管の中で頭の中に詰め込まれるの。
実地は、当たり前のことだけれど出された後になるか。
マーズならば、手早く躾けるでしょうから。
厳しそうだ。
烈火の如く、ね。
ひとつ間違えたら、焼き鳥になってしまいそうだなぁ。
まさか食べてみたいと?
食べるのなら青い星の焼き鳥が良い、あれは美味しい。
本当にお肉が好きよね、あなたは。
マーキュリーも、嫌いではないだろう?
脂が濃くなければ。
鶏も美味しいが、山鳥も美味しい。
食べられる鳥は、どれも美味しい。
卵も美味しいよなぁ……焼いても、茹でても、汁に入れても良し。
其の上、甘味の材料にだってなるんだ。卵はとても万能な食べ物だよ。
持ち込みたい気持ちは分かるけれど、動物だから無理。
……卵があれば、作れる甘味の幅が広がるのにな。
プリンセスに食べさせてあげたい?
プリンセスに?
喜ぶと思うわよ、卵を使った焼き菓子なんて特に。
果実をふんだんに使えば、目でも楽しめるでしょうし。
あたしはマーキュリーに喜んで欲しい。
はいはい、然うね。
あとさ、ぷるんとした甘い蒸し菓子。
焼き菓子も美味しかったけど、あれも本当に美味しかった。
冷えていると、特にね。
そうそう、然うなんだ。
飲み込む時に喉がひんやりして気持ち良いんだよ。
あの蒸し菓子も喜ぶでしょうね。
プリンセスにも作るけど、マーキュリーが一番だ。
まぁ、卵がないから無理だけれど。
……せめて、卵だけでもなんとかなれば良いんだけどな。
無精卵ならば、と。
むせいらん?
雄の種が入っていない卵のこと。
……入っていないと。
孵化することはない。
其れならば、
でも、駄目なのよね。
どこまで行っても動物の卵だから。
……許されていたら、疾うの昔にあるか。
然ういうこと。
……「マーキュリー」が考えないわけないもんな。
孵化することがないのであれば無生物と見做しても良いのではないかと、理屈を捏ねたらしいのだけれどね。
……動物の卵である以上、却下。
何かの拍子で孵化してしまうことがあるかも知れない、最終的には然う判断された。
何かの拍子って、なんだい?
「種」が紛れ込む。
いや、雄が居なければ
造れば良い。
……は。
卵から、卵を孵化させる「種」を。
……「マーキュリー」なら、造れそうだ。
研究対象として、鳥の遺伝子や細胞に興味を持っていたらしいわ。
……研究対象。
故に、却下。
因みに、誰がそんな判断を。
当然、「マーズ」。
……矢っ張り、然うだよな。
生殖は許さない、許されない。
……「マーキュリー」は、造るつもりだったんだろうか。
其れは分からないわ、其処までの記録は残っていないから。
……若しかしたら。
卵を欲しがるジュピターの為だったのかも知れない。
……優しい。
好み?
……あたしは、あたしの目の前に居るマーキュリーが好み。
あぁ、然う。
……誰よりも、優しい。
……。
……む。
プリンセスが、じきに来る。
……矢っ張り、来る?
あなたの甘味を食べないと、今後のお勉強にやる気が出ないそうよ。
……プリンセスのやる気は食べることと遊ぶこと、其れからお喋りすること、其れぐらいにしか発揮されない。
あとは、お昼寝をすることね。
お昼寝は、喜んでするんだよなぁ。
夜になると、未だ眠たくない、だから寝たくないって駄々を捏ねるの。
……面倒だな。
ジュピター。
うん、取り敢えず座って。
立ちっぱなしだと疲れちゃうから。
取り敢えず、お茶を貰っても良いかしら。
あぁ、勿論。
こういう時は美味しいお茶でも飲んで、心を落ち着かせるのが一番だ。
……本当に面倒だわ。
マーキュリー。
……甘煮を入れて。
どっちの甘煮が良い?
……柑橘。
ん、分かった。
……報告書は、どれくらい書けたの。
んー……半分くらいかな。
……後で、見せて。
後?
お茶会が終わった後に。
構わないけど……良いのかい?
何が。
書き終わっていないから。
……あなたが書いた文章の推敲がしたいだけ。
推敲……まぁ、其れでマーキュリーの気が晴れるのなら。
……場合によっては、最初から書き直すように言うかも知れないわ。
う……其れは、厳しい。
……期待しているわ。
どちらに?
当然……ちゃんと書けていることに。
……書けていると良いなぁ。
ふ……。
……少し、晴れた?
ほんの少しだけね。
……うん、良かった。
……。
はい、どうぞ。
……ありがとう。
ふふ。
……聞かなくても、分かるけれど。
あたしも一緒に飲むんだ。
……プリンセスとは飲まないの?
飲むよ、飲まないと言われるからね。
……ならば。
今は、マーキュリーとふたりきりで飲む、飲みたい。
……飲み過ぎないように、プリンセスと飲めなくなってしまうかも知れないから。
マーキュリーも。
……私は別に
駄目だよ、駄々を捏ねられたらどうするんだい?
……私と一緒に飲みたいかどうか。
飲みたいんじゃないかなぁ。
……いい加減ね。
プリンセスは、マーキュリーのことも好きだからさ。
……。
ん、あれ。
……好かれたいとは思わない。
だとしても、嫌われるよりは良いと思うよ。
……然うかしら。
面倒だから。
はぁ……どっちにしろ、面倒なのね。
うん、其れはどうしようもない。
……ジュピターのくせに。
え。
……好かれて、嬉しい?
マーキュリーに
プリンセスに。
いや、別に。
……あなたね。
甘煮、足りなかったら言ってね。
……。
どうかな。
……此れで良いわ。
ん。
……。
然う言えば、八つ当たりはされなかったかい?
……誰に。
マーズに。
其れはないわ、マーズだもの。
あたしは、たまにされるんだ。
あなたにはね。
此の間なんて、いきなり小言を言われた。
其れ、本当に八つ当たり?
何を言われたかは、あんまり憶えていないんだけど。
恐らく、八つ当たりではないわね。
ヴィーナスのことが、いい加減鬱陶しいらしい。
……愚痴。
其処から、小言が始まった。
……長い時間?
そこまで長くはなかったと思う、マーズも忙しいから。
……あなたは柔らかい上に、適当に聞き流すから。
其れは、マーキュリーもだろう?
私に柔らかさはない。
柔らかいけどなぁ。
……。
ん?
……別に良いけど。
そっか。
……マーズの八つ当たりについて、あなたはどう思っているの。
別に何も、八つ当たりだと思ったら適当に聞き流していれば良いだけだし。
……然ういうところ。
良くない?
……だからこそ、マーズはあなたに小言を言えるの。
え、なに?
まぁ、気が向いたら此れからも聞いてあげれば良いわ。
其れはまぁ、良いんだけど……マーキュリーとの時間を取られるのは、嫌だな。
其の時は諦めて。
ううん、諦められない。
マーズの八つ当たりよりも、マーキュリーと過ごしたい。
……。
マーキュリーは、あたしと過ごす時間をマーズに取られても
必要なことならば、仕方ないわ。
……必要かな。
逆に、必要でなければ上手く逃げれば良い。
……うん?
其の時のあなたが判断して。
んー……。
……。
うん、分かった。
マーキュリーを優先する。
……射貫いているそうだから。
射貫いて?
炎の矢で、的を。
……あぁ。
無心になることで、終えた時には気が晴れているそうよ。
あれは、憂さ晴らしでもあったのか……てっきり、鍛練かと。
鍛練も当然、含まれている。
何度か見たことがあるけど、外したところは見たことがないんだ。
幼体の頃は、数えるのが嫌になるくらい、外していたらしいわ。
え、然うなの。
初めから出来るわけないと。
ん……マーズも、然うなんだ。
努力なくして、今はない。
……マーズの言葉?
ヴィーナス。
……は?
いつだか、呟いていたわ。
……似合わない。
あれでも、一応は努力していたんじゃないかしら。
……想像つかない。
先代なら、知っていたかも知れないけれど。
……先代?
長くはないけれど、時期が重なっているから。
……あ。
先代はヴィーナスのことをあまり話さなかった。
……聞いたことがあるのは、先代のヴィーナスのことだ。
曰く、責任感が強いひとだったとか。
……力を抜くのが上手だとも、言っていたような。
ええ、言っていたわね。
……。
今のヴィーナスについても、聞いておけば良かった?
ん……いや、良いや。
……然う。
……。
……。
……うん、美味しい。
あなたと飲むお茶は。
うん、マーキュリーと一緒に飲むお茶……え?
……。
マーキュリー、今
そろそろ、来る頃合い。
……。
甘味の支度は?
……済んでる、あとは焼き立てを提供するだけだ。
然う……なら、良い。
……マーキュリー。
言ったでしょう……来る頃合いだと。
……手に、触れるだけ。
……。
其れ以上のことは……お茶を飲み終わった後に。
……ひとりで勝手に、盛り上がって呉れて。
17日
13日の拍手、ありがとうございます。
とても嬉しいです。
-Calcabrina(前世)
泣かれた?
しかも、大泣き。
あー……。
はぁ……本当に意味が分からないわ。
えと……今日は、何について話したんだい?
青い星の奴隷貿易について。
あぁ……。
将来、月のクイーンになる者として、知っておくべきことのひとつでしょう。
青い星の民は、ぬくぬくと暮らしている月の民とは違って、生きる為に己の身を売ることも、売られることもあると。
其れはまぁ、然うなんだけど……プリンセスには、未だ刺激が強かったのかも知れないなぁ。
青い星では当たり前のように行われているわ。
然う、今此の時だって、老若男女の売り買いはされているでしょう。
因みに、どこまで話したんだい?
どこまでも何も、ひとのこの売り買いについてだけれど。
ひとつ気になったのだけど、売り買いは理解しているんだ。
何度か教えているけれど、未だにしていないわ。
……そこから?
然うよ。
……相変わらずだね。
もう、慣れたわ。
……。
話を戻すけれど、別に大したことではないでしょう。
……痛々しい話はしなかった?
痛々しい?
例えば、奴隷の扱いについて。
噛み砕いた上で、説明したわ。
……説明したんだ。
売られた奴隷はどんな扱いを受けるのか、もっと詳しく聞きたいと言われたから。
其れは、マーキュリーとしては答えるね。
でも、そんなことを聞くのか。
プリンセスは、何故か、目を輝かせていたの。
どちらかと言うと、苦手な内容だと思っていたのだけれど。
……うん、其の時点では奴隷が何たるか全く分かっていないな。
奴隷の扱いについては、一応、とても噛み砕いた上で説明したの。
まぁ、柔らかい方が良いね……ろくでもないから。
奴隷を買った者を奴隷主と呼ぶと前置きをして。
うん。
奴隷は奴隷主の命令に従って、様々な仕事をすることになります。奴隷の仕事は基本的にとてもきつく、心身共に壊してしまうようなものが多いです。
奴隷主の命令は奴隷にとって絶対であり、逆らうことは出来ません。若しも逆らうようなことがあれば、仮令些細なことであっても、奴隷主に酷く叱られることになります。
どんなに嫌だったとしても、其れこそ逃げ出したくなったとしても、奴隷主の言うことを忠実に聞いておかないと、大体の奴隷は生きていけなくなってしまうのです。
……忠実に聞いていたとしても、命を縮めることには変わりないけど。
中には奴隷主の扱いに耐え切れず倒れてしまう奴隷も居ますが、こうなると、悲しい終わりを迎えてしまう者がほとんどです。
何故ならば、奴隷主にとって奴隷の代わりは幾らでも居るからです。故に、奴隷主が奴隷を大事にすることなんて、ほぼ有り得ないと言っても良いでしょう。
つまり、奴隷はひとのこであって、ひとのこではないのです。家畜、或いは、家畜以下。牛と呼ばれる家畜よりも、下位に置かれることも多々あるのです。
……以上?
ええ、以上よ。
うーん、かなり柔らかいな。
此れで、プリンセスは泣いたのかい?
此の時点では、未だ泣いていないわ。
寧ろ、もっと聞かせて欲しいと言われたの。
……もっと?
もっと。
……もう、十分だと思うけど。
此れだけでも分かるでしょう、奴隷は奴隷主に良い扱いは決してされることなどないということは。
まぁ……ある程度の想像力があれば、分かるかなぁ。
其れ、ないと言っているも同然なのだけれど。
あるとは、ちょっと言い難い。
ちょっとではないわね……まさか、あれ程とは。
其れで、どの程度まで話したんだい?
例えば、奴隷はふたり一組にされた上で、お互いの手足を鉄の鎖で繋がれる。此れは、あらゆる自由を奪う為。
食事は多くて一日二回、少ないと一回。内容は酷いと硬くなった麦餅一欠けら、或いは具もなく味もしない汁一杯のみ。
どんなに空腹を覚えても、其れ以上のものは与えられない。勿論、甘味などは食べられない。
……此れくらいは、まだ大したことないか。
奴隷はふたり一組にされていると、いいえ、されていなくても、食糧を巡って諍いを度々起こし、度が過ぎると相手の命を奪ってしまう。
此のことで若しも奴隷主の逆鱗に触れてしまうと、命を奪った奴隷は奴隷主に鞭や棒で酷く酷く打たれ、命を落としてしまうことになる。
……此の辺りで、気が付いた?
然うだったら、泣かれずに済んだかも知れないわ。
……鈍いにも、程がある。
ジュピター。
……ん、済まない。
癪だけれど、気持ちは分かるから。
……好奇心を持つことは、良いことなんだけどな。
手枷をされた奴隷は、其の手枷と一緒に手首を切り落とされることがある。
命令に逆らったか、思うように動かなかったか、若しくは、遊び半分で。
ん。
足枷の場合も、同様に。
……此処で、やっと泣いた?
其れが……未だ。
……嘘だろう?
嘘ではないわ……。
手首やら足首やらが切り落とされるなんて、大分刺激が強いぞ。
其れこそ、血生臭い。プリンセスは穢れを嫌がるのではなかったのか。
出血の想像が出来ないの。
……は。
手首や足首を切り落とされると、当たり前だけれど、出血する。
プリンセスは其の当たり前のことが想像出来ないのよ。
其処まで行くと、大事にされ過ぎではないか。
あたしと手合わせでもして、肘か膝辺りを擦り剥いた方が良いんじゃないか。
あなたと手合せをしたら、擦り剥く程度では済まないわね……。
当然、加減はする……然うだな、指先だけで相手をするなんてどうだろう?
であるならば……走り回って、転んだ方がまだ良いわ。
ん、其れは良いな、然うするか。
……ただ。
駄目か……。
……面倒な事態になることは確実。
うん、やめておこう……。
……。
其れで結局、何処で泣いたんだい……奴隷の扱いなんて、何処まで行っても、ろくでもないことしかないけど。
……最終的には、血を見せた。
え。
切られると、どうなるか……当然、マーズの許可を取って。
血を見せたって……一体、誰の。
……。
……まさか。
私以外、他に居る……?
どこを
分かりやすく、手首。
手首って、確か太い血管が走っているのではなかったか。
心配しないで、切ったと言っても薄皮一枚、あくまでも浅くだから。
見せて。
もう、残っていないわ。
そんなことはない、見せて。
……。
マーキュリー。
……大袈裟ね。
心配性なだけだよ。
……。
ん……やっぱり、薄く残っている。
……此の程度、直ぐに治るわ。
血を見せたいのなら、あたしを呼んで欲しい。
駄目よ、あなただと大袈裟になるから。
薄く切る程度なら、大袈裟にはならない。
であるならば、木星の民と水星の民の手合せを見せた方が手っ取り早い。
……。
と、今なら思う。
……其れは。
然うでしょう?
……もっと、早く思って欲しかった。
場合によっては、手首にも傷を負うでしょうし。
水星の民と手合せをすると、何処かしら切られることになるから。
……此方が傷を負うことは稀だけれど。
水星の民が相手の場合、寸止めが絶対なんだ。
でないと……取り返しの付かないことになってしまうかも知れないから。
……其れは、否定出来ない。
寸止めでなくとも、掠った時点で終了だ。
掠るだけでも……あぁ、見せようと思えば水星の民の血も見せることが出来るわね。
いや、其れは……まぁ、必要なのかな。
木星の民、水星の民、どちらの躰にも血は流れている……プリンセスと同じように。
……プリンセスは、己の躰にも血が流れていることは知っているのかい。
教えてはいるわ……一応。
いつだったか……私の躰の中には甘ぁい砂糖水が流れているの、と言っていたよ。
……誰が、そんな嘘を。
まぁ、ひとりしか居ないな……。
……だから、目を輝かせていたのね。
切られた手首から、甘ぁい砂糖水が出てくると想像していたらね……。
……一度、肘か膝を擦り剥いた方が良いのかしら。
其の時は、あたしに任せて呉れ。
……大分、面倒な事態になるとは思うけれど。
あたしはさ、此のままで良いとは思えないんだよ。
……。
きれいなものだけを見て、囲まれて、穢れから遠ざける……そんなことをずっと、続けていたら。
……いざ其の時が来たら、何も出来ないかも知れない。
挙句の果てに、逃げ出してしまうかも知れない……月も、青い星も、全部放り投げて。
……ないとは、言えないわね。
だろう……?
……クイーンは穢れを知っている。
プリンセスも、知るべきだ。
知らないままで良いわけがない。
……となると、矢張り。
先ずは、手合せを見せるのが手っ取り早いだろう。
木星の民同士ならば……鼻血が、見放題。
毎日のように見られるぞ……鼻血なら。
……マーズの許可が下りれば。
マーズは何故、見せようとしないのだろう。
……未だ、早いと思っているのか。
守護神の中で最も厳しいのは、マーズなんだけどな。
……けれど、最も甘いとも言えるわ。
あたしのこと、言えないんだよな……プリンセスに何かあろうものなら、気配が其れはもう怖いことになるし。
……あなたは、分かりやすいのよ。
いつも通りにしているだけなんだ、あたしは。
其れが、甘やかしているように見られるの。
改めて聞くけど、マーキュリーにも然う見える?
改めて答えるけれど、見えなくはないわ。
でも、本当は分かっているんだろう?
いつも通りにしているだけだからこそ、厄介なのよ。
ん。
プリンセスにも、すっかり懐かれてしまって。
未だに懐かれている理由が分からない。
プリンセスに甘味を作ってあげる者は、誰。
食べたいと、駄々を捏ねるから。
駄々を捏ねなくても、作るでしょう。
何かと引き換えにするんだ。
例えば、マーキュリーの講義を頑張って受けるとか。
ならない時もある。
であるならば、次は作らない。
然うすると不機嫌になって、駄々を捏ねる。
懐かれていると言うより、甘味目当てにしか思えない。
つまり、プリンセスにとって、あなたは自分を甘やかして呉れる都合の良い存在なのよ。
……此度は、どうだい。
若しかしたらもう、此方に向かっているかも知れないわ。
……何も作ってないぞ。
多少の時間は掛かっても良いからと言われて、作ることになるでしょう。
……マーズが言うかな、そんなこと。
お付きの者がマーズとは限らない、若しかしたらマーズの従者かも知れない。
……あの黒鳥か。
あのふたりでは、プリンセスのことを抑えるのは不可能。
……今直ぐ食べたいと言うだろう、プリンセスのことだから。
ならば、今直ぐ作り始めないと。
あたしにも仕事があるんだ。
然うね、あるわね。
……報告書を、マーキュリーに出さなければ。
仕方がないから、待ってあげるわ。
……其れが、甘やかしになるんじゃないのか。
なるわね、大いに。
……此の月宮では、プリンセスのことが何よりも優先される。
ましてや、大泣きした後となると。
……ふと、思ったんだけど。
何かしら。
奴隷の話で、と言うより……マーキュリーの血に吃驚して、プリンセスは泣いたんだよね?
あくまでも、奴隷の話をしている時よ。
……分かった、何か作るよ。
然う、お願いね。
……うん?
其れじゃ、私は仕事に
待った。
何、忙しいのだけれど。
若しかして、あたしに甘味を作らせようと。
知らせてあげただけよ。
……手っ取り早く、機嫌を直して欲しいんだね。
面倒でしょう、後々まで駄々を捏ねられたら。
……だったら、マーキュリーにも作りたい。
だったら?
……でないと、やる気が出ない。
全く?
全く、出ない。
ならば、私の分も作って。
……。
其れならば、
今直ぐ作る。
……一緒に食べるとは、
マーキュリーが好きなお茶も用意するね。
……まぁ、良いわ。
良し。
其の代わり、
報告書は、張り切って仕上げるよ。
ええ……然うして。
さて、何が良いかなぁ。
マーキュリーは何が食べたい?
プリンセスが好むものを作れば良いわ。
……。
はぁ……じゃあ、薄麦餅と果物の甘煮。
其れならば、今からでも用意出来るでしょう。
うん、焼き立ての薄麦餅を用意するよ。
果物の甘煮は、丁度二種類あるから其れで。
柑橘と林檎だったわね。
マーキュリーが好きなものだ。
来なかったら、其の時は
ふたりで食べよう。
……。
食べよう?
……仕方ないわね。
やった。
……。
ん……なんだい。
……痛みは。
あぁ……大丈夫、もうないよ。
……。
……未だ、心配?
困るのよ、あなたに熱でも出されたら。
んー、其れは何とも言えないなぁ。
……。
うん、ごめん。
本当に大丈夫だよ。
……はぁ。
お詫びに、美味しいお茶を。
当たり前でしょう、私の貴重な時間を削るのだから。
あたしは嬉しい。
ジュピター?
つい、口が滑った。
……。
う。
……仕方がないひとね。
うん……。
……少し、様子を見てくる。
様子?
……プリンセスの。
……。
心配しないで、ちゃんと戻ってくるから。
うん、分かった……甘味を用意して、待っているよ。
……ええ、待っていて。
16日
Estrellita~~♪
今度はどんな歌を聴いているの。
あ、メルクリウス。
「仕事」は?
今は休憩中。
其の言葉、聞かない日がないわね。
休憩は大事だからさ。
メルクリウスも一緒にどうだい?
私は、忙しいのだけれど。
へへ、やった。
其れで、どんな歌なの。
ん、何処かの言葉の歌かな。
……何処か、ね。
何処の言葉だと思う?
スペイン。
スペイン?
北米のメキシコ、中南米でも使われていたわね。
かつてのスペインに植民地にされた挙句、暴虐の限りを尽くされたから。
あー、メキシコって地理的には北米なんだっけ。
そこなの。
あれ、おかしかった?
いいえ、少しずれているところもあなたらしいわね。
あはっ、然うだろう?
侵略者である白人が殺すか疫病で病死させるか、或いは奴隷にした結果、多くの先住民が絶滅させられてしまったわ。
お。
故に、白人と黒人で成り立っている国もあった。
生き残った数少ない先住民も、白人と黒人奴隷との混血が進んだの。
純血は居なかった?
其れこそ、純血は絶滅してしまったと言っても良い。
はぁ、ひとのこは何処まで行っても野蛮な生き物だなぁ。
世界が壊れる其の時まで、ばかみたいに殺し合いをしていたし。
ひとのこ同士の争いが止まないことをずっと憂いていた月の姫は、従者達の声を聞き入れ、
おー?
銀水晶の力を用いて、此の青い星に生きる全てのひとのこ達を統べようと固く決心しました。
姫の祈りを込めた銀色の光はあっと言う間に世界中へ広がり、醜く争っていたひとのこ達の心は浄化され、世界から戦はなくなったのです。
ついでに、ひとのこ達は「不老長寿」も手に入れ、老いることも、病に罹ることもなくなった。
めでたし、めでたし?
姫はひとのこ同士が争い続ける世であっても、ひとのこの善性を強く信じていました。ひとのこは助け合って生きることが必ず出来るのだと。
ところが、ひとのこの業は月の姫が思っているよりもずっと深いもので、且つ、悪性を秘めたものでもあったのです。
此の世に悪が在るとすれば、其れはひとの心だ。
不老長寿など生物的には正しくない、ひとのこは本来の時間の中で生きるべきだと、然う主張する者達が現れ始めました。
其の主張自体は間違っているとは言い切れず、寧ろ正しいものだとして、共感した一部のひとのこ達の間に広がっていったのです。
月の姫の力を以ってしても、ひとのこの深い深い業を浄化し切れなかった。
取り払われたと思われていたけれど其れは表面的なもので、深い場所で眠る業に関しては其の力が及ばなかった。
初めのうちは平和的なデモを起こし、月の姫に言葉で訴えていました。せめて、人間らしい生き方を望む者については元に戻すべきだと。
ですが、即位して青い星の女王となった姫は、其の主張を受け入れることはありませんでした。
何故なら、元に戻すことでまた醜い争いが始まってしまうかも知れないと考えたからです。然う、あの時代に戻しては決してならないと。
受け入れなかったのは従者達の進言を受けてのことでもあったけれど、其れ以上に、伴侶である青い星の王の考えが大きく影響したと。
両親を早くに亡くし、姫と再会するまでひとりで生きてきた王もまた、ひとのこに対して猜疑心を抱えていたとされている。
つまるところ、女王は肝心なところで、ひとのこの善性を信じることが出来なかった。要は、愛する者への情に流されてしまったわけだ。
確かに悪はひとの心から生まれるものだけれど、正しさもまた、ひとの心から生まれるものだと言うのに。
結局、姫の心の中にも業はあったんだ。自分の理を通したいのならば、感情を司る心を真っ先になくすべきだった。
いつまで経っても自分達の声を聞き入れようとして呉れない女王に対して、言葉によるデモを起こしていたひとのこ達はとある日から力、暴力を用いて訴えるようになりました。
扇動した者が居ることは確かですが、其れはつまり、月の光がひとのこの心に届かなくなったことの証左でもあるのです。
光と闇は一対、何処まで行っても背中合わせ。
けれども、然うなると月の従者達が黙ってはいません。同じように力を使い、ひとのこ達を蹴散らし始めたのです。
其の中には暴力に流されず、屈っすることもなく、あくまでも言葉だけで訴えている者達が居たにも関わらず。
女王が心配していたことが、現実になってしまったわけだ。
守護星の加護を持つ月の従者達を前に、抗うひとのこ達は為す術などなく、あっさりと瓦解していきました。
ですが、暴力は新しい暴力を生みます。仮令先人が瓦解しようとも、新しい芽は確実に育っているのです。
そして、より過激になっていた。
どうやら、其の後ろには闇の者達が跋扈しているとも。
女王の祈りを享受し「しあわせに」生きている者達を、あくまでも生物として生きるべきだと主張する者達が殺める、然う言った事態が多発するようになりました。
此れは一種の脅しであり、今直ぐにでも元に戻す……いいえ、女王と王、其の従者達が首を刎ねられない限り収まることは決してないと、抗うひとのこ達は声高に叫んだのです。
こうして、世の中は物騒な時代に戻ってしまった。
全くもって、めでたくない。
其れから色々あって、青い星の女王と王は引き籠もってしまい、世は大いに乱れることになりました。
お、すっとばした。
此の辺りで脱落する子が多いのよ。
うん、分からなくもない。
こんなに噛み砕いて説明しているのに、どうして脱落するのかしら。
お昼寝をするのにはもってこい、なのかも知れない。
内容は果てなく物騒だけれど?
でも、眠れれば其れで良いんじゃないかな。
夢見が悪いと思うのだけれど。
其れ以上に、酷い目に遭っている子も居るから。
……抗うひとのこ達が起こす暴動によって居場所を失い難民になる者、強盗に身を堕とし思うが侭に振る舞う者、ひとのこ同士の縄張り争い、其のせいで親を失った子供、其れを食い物にする者。
うん、平穏の「へ」の字も見当たらないな。
……世は大いに乱れましたが、今でも女王の祈りは生きており、不老長寿の者は存在しています。
けれど、祈りは不安定なものになり、中途半端な者達が生まれてくるようになった。
一度手にした不老長寿が、「不老」と「長寿」に分かれるようになってしまったのです。
老いない代わりに短命になってしまった者、長寿ではあるけれど老いてしまう者、そして。
どういうわけだか、子供を生せなくなる者達が増えた。此れは……まぁ、不老長寿による呪いとでも言っておこう。
一度不老長寿になってしまったことで、生殖能力が大きく低下してしまったわけだ。詳しく言うと生殖器官の
簡単に言えば、不老長寿の副作用。
うん、簡単だね。
今、此の世界で生きるひとのこ達は緩やかに滅びに向かっていますが、女王と王が引き籠っている以上、どうにもなりません。
呼ぼうが叫ぼうがお祭りを開こうがお祈りをしようが女王が好む御馳走を用意しようが、ふたりは頑なに姿を現そうとしないのです。
其れこそ、かつての天照大神よりも厄介です。無責任とも言います。
天照大神とは日本という国の神様のことで、天の岩戸という洞窟に閉じ籠って其れはもう大変だったんだ。
非常に面倒な事態になっていますが、此れはあくまでもひとのこの視点であり、ひとのこ以外の生物にとっては都合が良いのかも知れません。
じっと待っていれば、我が物顔で蔓延っていたひとのこ達が、勝手に滅んで呉れるのかも知れないのですから。
うん、其れはメルクリウスの感想だね。
……あなたの感想は?
迷惑だから、さっさと出てきて何とかしろよって思っているよ。
本当に無責任だ、やるのならば最後まで責任を持ってやらないと。
大体、前世からちっとも成長していないじゃないか。直ぐに逃げ出して。
私の考えと似たようなものね。
ん、似ているかなぁ。
ひとのこの滅びについては、あたしはどっちでも良いんだけど。
積極的になんとかしようと考えていない時点で、似た者よ。
うん、似た者なのは嬉しいな。
全く、未だそんなに長く居るわけではないのに。
守護神と言うだけで、うっかり、不老長寿になってしまったからねぇ。
全く以って、余計なことだわ。
折角、抗っていたのに。
気に入らないから、最後まで抗うけれど。
うん、あたし達はずっと一緒だ。
そんなことは言ってない。
あはは。
呑気なものね、あなたは。
うん、今は休憩中だからさ。
何か食べたの。
うん、食べたよ。
メルクリウスは?
私は、
然う言うと思って、はい。
……言い終わってないのだけれど。
お焼き、食べるだろう?
……お焼き?
然う、お焼き。
あたしが育てた小松菜が入っているよ。
……はぁ。
ん、食べたくない?
本当に呑気ね。
うん、メルクリウスと休憩中だから。
勝手に一緒にしないで呉れるかしら。
でも、一緒に居る。
……。
あれ。
お焼き。
食べるかい、お腹空いているだろう?
お腹はそこまで空いているわけではないけれど、折角だから食べてあげても良いわ。
ふふ、良かった。
自分で食べるつもりだったのでしょう。
メルクリウスが来て呉れなかったら、然うするつもりだった。
来なければ良かったわ。
来て呉れて、あたしは嬉しい。
何か飲むものはあるの。
あるよ、勿論。
貰うわ。
ん、分かった。
……。
はい、どうぞ。
ありがとう。
お茶も、此処に置いておくね。
ええ。
畑、なかなかだろう?
悪くないわ。
お芋が出来たら、一緒にお芋堀りする?
しない、私は忙しいから。
ん、然うだよなぁ。
子供達が喜ぶわ。
うん、然うだね。
……いただきます。
はい、召し上がれ。
……。
どうだい?
……悪くない。
ふふ、うん。
……。
ん、メル?
メルクリウス。
……何か気になることでもあるのかい、メルクリウス。
矢張り、長くは生きられないかも知れない。
ん。
……祈りが呪いに変わってきている。
其れは……また。
子供病……本来の寿命よりもずっと短い。
……昔は育たない子も多かったと言うけど。
其れとはまた違う……子供病の因子は、どうやら生まれる前から組み込まれているようだから。
……「不老」と「長寿」の間の子に多いみたいだね。
病気はなくなった筈なのに……因子による病は増えて。
……特効薬もない。
成長の過程で、重大なバグを起こすのよ。
まるで、細胞と言う歯車が狂ってしまうかのように。
……不老でもなければ、長寿でもない。
6歳頃から急速に老化が進んで、12歳ほどで生を終えてしまう……強いて言えばウェルナー症候群に近いけれど、余命は其れよりも短い。
……躰全体が、かさかさになってしまうんだ。
老いは……乾燥することでもあるから。
水を飲ませても、効果がない。
……まるきりないわけではないわ。
然う思って……水分の多い瓜を作っている。
……甘い瓜は、喜んで食べて呉れるのよね。
うん……笑って呉れると、嬉しいものだよ。
……。
ん、なに?
……わりと好きよね、子供。
好きでも嫌いでもないけど……あたし達の子供だと思えば。
違うから。
遺伝子的には違うけど……一応、面倒を見ているからさ。
……あなたが拾ってくるからよ。
どうしても、放っておけなくて……折角、生まれてきたのだし。
お人好し、おかげで仕事が増えてしまったわ。
ん、ごめん。
そこで謝られると、私が薄情者のように聞こえてしまうのだけれど?
メル先生ほど、優しいひとは居ないよ。
メルクリウスって、そんなに言い辛いかしら。
短い方が子供には覚えやすいと思う。
あなたは子供じゃないから良いわね。
……愛称?
メルクリウスで。
あー……今回も駄目だった。
ずっと、駄目よ。
……いつか、きっと。
ふ……。
……然う言えば、子供達は今何を?
遊んでいるわ。
……。
何。
……誰か、見てる?
いつも通り、しっかりした子達が。
然うか……なら、大丈夫だな。
……。
ん……メルクリウス。
……血の臭いは、其のせいね。
あ。
はぁ……ばれないと思ったの。
いや……思わない。
……子供達は決して「外」には出さない。
うん……。
……。
……此の場所は気付かれていないようだったけれど、ずっとうろうろしていたからさ。
最終的に、何人……?
……三人。
然う……。
……怪我はしてない。
していたら……怒るわ。
……へまをして?
傷を負ったことを、黙っていて。
……。
あなたに熱を出されたら、困るのよ。
……怪我をしたら、直ぐに言う。
当たり前。
……はい。
……。
……。
……ところで。
うん、一枚じゃ足りない?
足りる。
そっか。
此の歌、ずっと流れているんだけど。
然うなんだよ、もう二桁回くらい聴いてる。
どれだけ休んで……いえ、飽きないの。
うん、風が気持ち良いから飽きない。
あぁ、然う……まぁ、あなたが良いのなら構わないけれど。
風については、何も言わない?
実際に、気持ちが良いもの。
だろう?
……風は、変わらないわ。
うん……然うだね。
……「Estrellita」の意味は分かっているの?
全然、分からない。
……然うだと思ったわ。
此処だけ、覚えているんだ。
聴いていて、気持ちが良い高音だものね。
ん、分かる?
あなた好みだということは分かるわ。
……でも、一番は
言わなくても、知っているから。
……言いたいな。
言わなくて良い。
……水野さんだよ。
ユピテル。
……久しぶりに。
……。
……ごめん。
木野さん。
……ん。
子供達の前で呼ぶことは許さないわ。
……ふたりきりの時だけ。
……。
……世界はもう、戻らないかも知れないけれど。
だとしても……私は、あなたと生きていくわ。
……。
……ずっと。
うん……ずっと、一緒だ。
……。
……。
……小さなお星さま。
小さな……「Estrellita」の意味?
……然う。
然うなんだ……。
……或いは。
或いは?
……子供や恋人への呼び掛け。
あたしの愛しい、む。
……Tú eres mi estrellita。
ん……。
……なんて、言わないわ。