日記
2026年・6月
15日
はぁ……本当に美味しいなぁ。
……。
ねぇ、水野さん……もう少しだけ、食べても良いかな。
……お腹の調子は?
ん、悪くないよ……大体、五分目くらいかな。
……容量の話ではなく。
痛みはないし……気持ち悪さも感じない。
……ただ、物足りなさを覚えているだけ。
うん、然うなんだ……だから、もう少しだけで良いから、食べたい。
今は何もなくとも、食後に消化不良を起こしてしまう可能性がないわけではない。
若しも今の状態で消化不良なんて起こしたら、体力をかなり消耗してしまうことになるでしょうね。
……やめておいた方が良いかな。
かと言って、ちゃんと食べておかないと……眠る頃に空腹状態に陥って、眠れなくなってしまうかも知れない。
出来れば……空腹状態は、避けたい。
……。
お代わり……だめ、かな。
……取り敢えず。
取り敢えず……?
……八分目で抑えて。
八分目……うん、分かった。
……よそってあげるわ。
ん、ありがとう。
……嬉しそうね。
うん、嬉しい。
ふ……少し多めに作っておいて、良かったわ。
水野さんも、お代わりする……?
いいえ、私はこれで十分よ。
……いつもより、少ない気がするけど。
いつもと大して変わらないわ。
……大して?
強いて言えば、一口くらい少ないだけ。
……ふ。
だから、大して変わらないと言ったの。
それは、変わらないかも……いや、水野さんの場合はその一口が大事だったりするから。
心配しないで。
食欲がないわけではないし、調子が悪いわけでもないから。
……一口分、お代わりする?
しないわ、十分だから。
……そっか。
パンは、もう良い?
ん……パンは、もう良いや。
然う。
……。
はい、どうぞ。
わぁい、ありがとう。
……小学校、低学年?
あは。
まぁ、良いけど……ゆっくり、食べてね。
はい、亜美先生。
やめて?
水野先生の方が良い?
どちらかと言えば……でも、今はやめて。
……講義が始まってしまう?
木野さん?
……ん。
折角、静かになって呉れたのだから、余計なことは聞かせたくないの。
今は……やめておく。
然うして。
今日はもう、ゆっくり休みたいよね。
……出来ればね。
うん……?
……。
水野さん……何か、気になることでもあるのかい?
いいえ……特段、ないわ。
……若しも、あるのなら。
仮にあったとしても……話すのは、今日でなくて良い。
……明日?
それは、あなたの体調次第。
……今夜一晩、ゆっくり眠れば。
だと、良いわね。
……。
熱が下がっても、気怠さは残るかも知れない。
然ういう時に、頭を使う小難しい話なんて聞きたくないでしょう。
……あたしは、聞きたいけどな。
聞いたところで、まともな返事が出来るとは思えない。
であるならば、しっかりと休んで……体調が万全になってから、聞けば良い。
……。
まぁ、あくまでも仮の話に過ぎないのだけれど。
……こういう時の水野さんは。
言ったでしょう……あったとしても、今日でなくて良いと。
……分かった。
出来るだけ早く、回復するように……期待しているわ。
……うん、期待していて。
……。
ん……やっぱり、美味しい。
……英語のお勉強も、後日ね。
英語……?
もう、英語の頭ではないでしょうから。
……あ。
昨日に続いて、今日も満足に頭を使わせてあげることが出来なかったわ。
……あたしの、落ち度だよ。
……。
……水野さん。
日常が、分かりやすく崩れていく。
……。
これ以上は……言わない。
……あたしが話したら、聞いて呉れるかい。
内容によるわ。
大丈夫……大した内容じゃないよ。
……。
あたしは……あたし達の日常を守りたい。
……私も含まれているのね。
水野さんが居ない日常なんて、考えられない……考えたくない。
……その日常は、どんなものなの。
とても他愛ないものだよ。
……退屈そうね。
退屈かも知れないけど……掛け替えのないものでもあるんだ。
……。
小さい頃のあたしは、それを知らなかった。
……知りようがないわ。
然う……当たり前すぎてね。
……私には、そんな日常。
あたしと作ろう。
……木野さんと。
うん、あたしと。
そんなの……もう、作っているじゃない。
……。
……今更、何を言っているの。
あたしとの日常は……水野さんにとって。
……面白くないわ。
う……。
……誰かに、崩されるなんて。
水野さん……。
……私達の日常は、私達だけのものよ。
うん……水野さんの言う通りだ。
……仮令、月に支配されたしても。
気に入らなければ、抗えば良い。
……もう、抗っているわ。
これからも、好きになんてさせないさ……。
……。
ね……大した内容ではなかったろう?
……ええ、本当に。
難しいことを考えようと思っても、いまいち頭が回らないんだ……。
……でしょう。
うん……だから、水野さんが言うように、今のあたしではまともな返事は出来ないと思う。
……今はただ、目の前に並ぶごはんを食べれば良い。
然うだね……食べないと冷めちゃうし。
……。
……水野さんが傍に居て呉れて、本当に良かった。
私みたいな人間でも、傍に居ればひとりではないものね。
……水野さんじゃなきゃ、ひとりの方が良いよ。
この星に、どれだけのひとのこが居ると思っているのかしら……。
……何十億居たとしても、水野さんはひとりしか居ない。
確かに、マーキュリーの生まれ変わりはひとりしか居ないわね……。
……マーキュリーなんて、関係ないさ。
それ……聞いているわよ。
……聞かれたって、構わない。
あなたの中に居る、誰かにも。
……聞きたければ、勝手に聞けば良い。
……。
誰に聞かれようとも……あたしの意志は、あたしと共にある。
ふ……何よ、それ。
あ……ちょっと、格好つけすぎたかな。
……出逢った頃のあなたを思い出してしまったじゃない。
出逢った頃の……。
……あの頃のあなたは、無駄に格好つけていて。
どうしても、水野さんに見て欲しかったから。
……見えない筈がない。
それは……あたしが、大きいから?
他の誰よりも大きいんだもの……嫌でも目に入ってくるわ。
嫌でも……けどまぁ、いっか。
大きくて……いつも、ひとりで居て。
……誰も、近付いてこなかったから。
近付いてきて欲しかったの……?
うん……水野さんに。
……私だけ?
興味なかったから。
……他人なんて、どうでも良さそうだったのに。
水野さんだけは、別だよ。
……いつからか、話し掛けられるようになった。
待っているだけじゃ、だめだと分かったから。
……気安くて。
仲良く、なりたくて。
クラスが違うのに……勝手に、私の名前を憶えていて。
……調べたんだ、勝手に。
名字は分かるけど……。
……図書室の貸出カード。
……。
だから……脅して、聞き出したわけじゃないよ。
……良く、さぼっていたものね。
図書室は、静かだったから……本を読むのに、最適だったんだ。
……図書室だもの、当たり前でしょう。
だけど、休み時間だと外から喧騒が聞こえてくるだろう……?
その点、授業中だと……聞こえても、音楽室からのピアノと歌声くらいで。
……それで、私が借りたと思しき本を調べた。
水野さんが借りる本は、どれも難しいものばかりでさ……。
と言っても、所詮は中学校の図書室……たかが知れているわ。
……本を読むのは好きだったけど、水野さんが読むような本は読む機会がなかったから。
貸出カードに書かれている名前は……ほぼほぼ、私のものだけで。
……他のひとの名前が書かれていたとしても、水野さんの名前はいつも一番上だった。
今思えば、迂闊だったわ……まさか、私に興味を持つ人間が現れるだなんて。
……水野さんは、誰よりもきれいだった。
節穴。
……水野さんの顔だけは、はっきりと見えたんだ。
……。
他はみんな、ぼんやりとしていて……未だに、区別がつかない。
……でも、月の姫だけは違ったでしょう。
あれは……うん、すぐに見分けがついたよ。
……私も、分かったわ。
……。
分かったと同時に……忌々しいとう気持ちも湧いてきた。
……あたしは、なんとも思わなかった。
無関心……?
……然う、それ。
本当に興味がなかったのね……私以外。
ずっと、言っているけれど……然うだよ。
……。
……。
……あの時は、理由が分からなかったの。
なんの……?
……忌々しいという気持ちが湧いた。
……。
マーキュリー、月の守護神がひとり……その生まれ変わりだなんて、知らなかったから。
……前世のことなんて、誰も知らない。
ずっと知らないままで良かった……。
……。
……どうせ、あなたは私を見つけて呉れるのだろうから。
見つける……どんなに時間が掛かったとしても、必ず。
……そんなには待てない。
……。
あの時で……ぎりぎりだったのだから。
……前世の力がなければ。
私は……中学生になることもなく、終わっていたと思うわ。
……あたしも、然うかも知れない。
あなたが私を見つけるとしたら……この世界から、私が居なくなった後だったかも知れないわね。
……。
……死後の世界なんて、信じてはいないけれど。
あたしは……信じている。
……。
それは、遠い星で……お父さんとお母さんは、そこに居るんだ。
……木星?
ガス惑星だからなぁ……せめて、エウロパかガニメデが良いと思う。
だけど、イオはだめだ……火山の活動が活発すぎるから、落ち着かない。
……木星には、沢山の衛星がある。
うん……。
……でも、あなたの傍には誰も。
水野さんが居るよ。
……ばかね、然ういうことを言っているのではないのよ。
ん……どういうこと?
水星や金星には、衛星がない……だから、誰も居なくても仕方がない。
……白猫が居る。
あれは、月の眷属……金星の者ではないわ。
……然うだった。
火星には、衛星がふたつある……。
あぁ……あの烏共か。
……あなたにだって、居てもおかしくはなかった。
全部、奪われたんだよ。
……。
月の女王に。
……木野さん、あなた。
故に、あたしには誰も居ない……両親さえも、奪われてしまった。
……。
と、クリスタルが呟いた。
……それ以上のことは。
もう、何も聞こえない。
……何故、そんなことに。
気に喰わなかったんだろう。
……。
これは……あたしが思ったこと。
……気に喰わないのは、私達の方だわ。
ん。
……ひとの生を、一体なんだと思っているの。
え、と……。
……なんでもないわ。
溜まっている……よね?
……別に、溜まってなどいないわ。
熱が下がったら、聞くから。
……。
……食べ終わったら、水野さんはどうするの。
本でも読む。
本か……良いな。
……あなたはだめよ。
はぁい……。
……。
あぁ、もう食べ終わっちゃう……。
……もう少し、残っているから。
食べても良い……?
……様子を見て、大丈夫そうだったら食べれば良い。
ん、分かった。
……回復する為に、躰がカロリーを欲しているのだろうから。
食べて、治す……出来るだけ、早く。
……とは言え、お腹とちゃんと相談すること。
はい、水野さん。
……。
……。
……ごちそうさま。
足りた?
足りた。
ん、良かった。
……。
食べ終わるまで、待ってて呉れる?
……じきに、食べ終わるでしょう。
ありがとう。
……別に。
……。
……明日の朝は、どうしようかしら。
明日の朝は……あたしは、なんでも良いよ。
……じゃあ、麦茶粥。
ん、良いと思う。
……お茶のお代わりは、要る?
うん、欲しい。
然う……それじゃあ、待ってて。
うん。
……。
ん……なに。
……別に、なんでもないわ。
けど……ほっぺた。
……なんとなく、突きたくなっただけ。
食べているのに?
……ごめんなさいね。
謝ることはないよ。
……でも、邪魔をしたわ。
珍しくて、面白かった。
……。
はは。
……少し、良くなってきたみたいね。
水野さんが作って呉れたごはんを食べたから。
……だとしても、食べ終わったらゆっくり休んで。
あ、うん。
……。
……ね、水野さん。
なに……。
……今夜も、一緒に寝て欲しい。
……。
……風邪では、ないから。
言われなくても……然うしてあげるわ。
14日
……ごめんね、水野さん。
……。
ごめん……。
……それ、何度目かしら。
ごはん……作るって、言ったのに。
取り敢えず躰を休めて、と、私はあなたに言ったわ。
こんな傷、大したことないって……だから、作れるって言ったのに。
言ったから、なに?
嘘吐きだと、責められるとでも?
……そんなこと、水野さんはしない。
だったら、大人しく休んでいれば良いの。
食事の支度が終わったら、声を掛けてあげるから。
だけど……ふわふわとして、落ち着かないんだ。
熱に浮かされているだけだと思うわ。
……然うなのかなぁ。
気持ちを切り替えれば良い。
今は躰を休めて、少しでも早く回復すると。
……分かっては、いるんだけど。
なら、実行すれば良いだけよ。
……それ、さっきも言われた気がする。
だって、さっきも言ったもの。
……鬱陶しい?
話していた方が気が紛れると言うのなら、聞いてあげなくもない。
けれど、謝罪ばかり繰り返すのなら……いい加減、黙っていて欲しいと思うわ。
……。
……。
……あのね、水野さん。
なぁに。
……さっきよりは、動けると思うんだ。
だから?
……何か、手伝えることがあったら。
残念だけれど、一切、ないわ。
……ごめ
謝罪の言葉なんて、もう聞きたくないの。
……ん。
だって、然うでしょう?
謝る必要など、どこにもないのだから。
……。
と、何度言わせるつもり?
……いい加減、大人しく休んでます。
ええ、然うして。
……。
謝罪以外なら、聞いてあげるから。
……うん。
……。
……ね、水野さん。
なぁに、木野さん。
……見ていても、良い?
出来れば、目を瞑っていて欲しいけれど……今回だけは、許してあげるわ。
ん……ありがとう。
その方が、安心するのでしょうから。
……水野さんは、何でも分かるんだね。
何でも分かるのなら、苦労はしないわ。
……。
もっと言えば、面白くないでしょう?
……あは。
食欲は、どう?
うん……お腹、空いてきた。
然う、それは何より。
もう少し、待っていてね。
ん……待ってる。
……。
……はぁ。
なんで、熱なんか。
……え。
傷による発熱、こればかりはどうしようもないわ。
……やっぱり、伝わっちゃうんだなぁ。
こういうことは、初めてではないから。
……そっか。
たまには、違うことを考えて呉れても良いのに。
……水野さんがごはんを作って呉れる、嬉しい。
それも……代わり映えがないわね。
……でも、謝るよりは良いと思うんだ。
それは、然う。
……楽しみ。
楽しみには、しないで欲しいのだけれど?
……無理、かなぁ。
あぁ、然う……仕方ないわね。
……今回だけ?
分かっていれば良いわ。
……ふふ。
喉に痛みは?
ん……まだ、感じないよ。
……このまま、症状が出なければ良い。
喉が痛くなると、鬱陶しいもんなぁ……。
……鬱陶しいのは、唾を飲み込む時に痛むからでしょう。
うん、然うなんだ……あれ、いやだよねぇ。
……嫌でないひとは、きっと居ないわ。
水野さんも、嫌かい……?
……好むと、思う?
はは……思わない、かなぁ。
……口内炎なんて出来たら、一切の食欲を失うわ。
こうないえん……喉に?
……飲み込もうとするたびに、まるで針で刺されたかのような激痛が走るの。
う……それは、痛い。
……おかゆも、おうどんも、何も食べたくなくなる。
……。
でも、食べないと弱る一方で……治らない、から。
……自分で、作ったのかい。
幸い、喉の痛みだけで、買い物には行けたから……おかゆとおうどん、あとはプリンやアイスも買ってきて食べたわ。
……あたしが、傍に居たら。
小学生の頃の話だから……。
……お医者さんには。
ひとりで……。
……そんな時でも。
個人の病院だったのだけれど……優しい先生でね、こういうひとも居るのだと思ったわ。
……子供に優しく出来ないひとは、駄目なひとだよ。
ふふ……然うね、あなただったら然う思うわよね。
お医者さん……治して、呉れたんだね。
痛かったろうと、言いながら……薬を、塗って呉れたわ。
……良かった。
不思議なもので……安心したら、お腹が空いてきて。
それで……おかゆだったかしら、たまごか何かを入れて食べたの。
……食べられた?
少しずつ、食べてね……まぁ、痛かったけれど。
……。
だから……喉の痛みは、特に嫌いなの。
それは……大嫌いになるな、あたしだったら。
……でしょうね。
痛いのは、嫌だよ……激痛は、もっと嫌だ。
喉……痛まなければ良いわね。
ん……本当に。
……だけど、若しも。
……。
その時は……然うね、大根おろしのスープでも作ってあげるわ。
だいこん……?
……大根は、喉の痛みにも効くから。
ん……。
生だと、時期的に辛くて食べ辛いかも知れない。
……だから、スープ。
大根だけでなく、小松菜も入れてあげるわ。
……小松菜。
小松菜にも、喉の痛みを抑える効果があるのよ。
……然うなんだ。
知っているくせに。
……小松菜に、喉の痛みを抑える効果があるのは知らなかった。
嘘を吐くの?
……熱にも、効果があるんだ。
然う言いながら、私に食べさせて呉れたのよね。
……ん、然うだったと思う。
憶えていないとでも?
……熱で、頭がぼんやりしているのかも知れない。
ふ……然ういうことにしておいてあげるわ。
……うん、ありがとう。
……。
……小松菜、子供の頃はあまり好きじゃなかったんだ。
食べられるようになったもののひとつ?
……うん。
小松菜の何が苦手だったの。
……硬いところ、かな。
硬い……確かに、歯応えはしっかりしているとは思うけど。
……特に太い茎が苦手だった。
葉は?
葉は……葉も、苦手。
ほうれん草みたいに、柔らかくなかったから。
味は?
……好きじゃなかった。
そこまで苦手だったのに、どうして食べられるようになったの?
……祖母が、食べやすくして呉れたんだ。
……。
こんなに美味しいものが食べられないだなんて、勿体ない……然う、言ってさ。
……好き嫌いを咎められたわけではないのね。
うん、叱られはしなかった……そうそう、お焼きを作って呉れたのも祖母なんだよ。
……それは、以前に聞いたわ。
ん……然うだったっけ。
……この味は、おばあさまの味なのだと。
あぁ……言ったなぁ、そんなこと。
……今では、美味しく食べられている。
祖母のおかげでね……。
……。
熱が下がったら、作るよ……。
……その為には、残しておかないと。
うん……?
……今日の夕食に使うから。
あぁ……うん、残しておいて。
……元より、全部使う気なんてなかったけれど。
全部は……流石に、多いなぁ。
……。
あ、良い匂いがしてきた……。
……鼻は、詰まってなさそうね。
ん、大丈夫だよ……。
……鼻詰まりも苦しいものね。
うん……やだ。
躰はどう?
……ん、熱い。
さっきよりも?
……あまり、変わってないと思う。
枕は?
……ちょっと、温くなってきたかも。
……。
でも、まだ平気……だから、ごはん作りを続けて。
……今すぐ、替えて欲しいのなら。
ううん……今は、良いよ。
……。
……ごはんを、食べ終わったら。
分かった……横になる前に、替えてあげる。
ふふ……うん。
……嬉しいの?
ん……すごく。
……。
……ふぅ。
疲れたのなら……静かにするわよ。
……水野さんの声を、聞いていたい。
大した声ではないのに。
……涼やかで、聞いていると耳が気持ち良いんだ。
……。
こう、さ……耳と、その周りの熱が冷やされているような。
……ただの気のせいよ。
ほら……病は気からって、言うだろう?
……気のせいでも、構わないと。
うん……それで、楽になれるのなら。
……楽に。
あ……。
……木野さん。
え、えと……た、例え、だよ。
……枕、替えるわ。
だ、だめだよ……氷が、勿体ないから。
……私の力を使えば、すぐに冷える。
そ、それは……。
……それは、何。
み、水野さんも、疲れていると思うから……。
……でも、発熱はしていないわ。
う……。
……頭をずらすわよ。
う、ん……。
……安心して、火はちゃんと消してきたから。
水野さんは、しっかりしているから……ぅ。
……私の手、冷たい?
ん……すごく、気持ち良い。
……熱は然程、上がっていないようね。
……。
だけど、耳の周りが熱い……。
……気になる、かな。
気になるから……わざわざ、手を止めたの。
……ありがとう。
離すわよ。
……ん、良いよ。
はぁ……。
……。
……水気よ。
マーキュリー……。
……。
青く、光って……きれいだな。
……ばかなこと、言わないで。
きれいだよ……。
……ばかね。
……。
……ん、これで良い。
もう、冷えたの……?
……食事の支度が終わるまで、持てば良いから。
あぁ……。
……頭、動かすわよ。
ん……。
……。
ふふ……水野さんだ。
……当たり前でしょう、他の誰だと言うの。
好きだなぁ……。
……はいはい、静かに休んでいてね。
ね……もう一度だけ、耳に。
……。
あー……。
……気が抜ける。
へへ……。
……食事作りに、戻るわ。
うん……行ってらっしゃい。
……何を言ってるんだか。
……。
木野さん……?
……あたし。
今度は、なぁに。
……ジュピターなのになぁって。
……。
……ちょっとした傷ぐらいで、熱を出すなんてさ。
あなたは、青い星で生まれ育ったから。
……。
ひとのこから、生まれたから……前世のジュピターのようには、造られていないの。
……前世は、熱を出したのかな。
出したわよ。
……出したんだ。
木星の民だから、あなた以上に頑健な躰を持っていたけれど……だからと言って、体調を崩さないなんてことはなかった。
今のあなたと同じように、傷が原因で高熱を出したり、疲れがたまって微熱を出したり……色々、あったのよ。
……疲れ?
自分のことは気付かないのよね、ひとのことばかりで。
……あたしのこと、言えないな。
然う、言えないの。
だから、必要以上に気にすることはない。
……マーキュリー?
いいえ、水野亜美よ。
……ん、そっか。
講義がまた始まったのよ、本当に鬱陶しいわ。
……大変だね。
良いわね……他人事で。
……あたしも、一緒に受けるよ。
今は受けなくても良い……あなたは、体調が悪いのだから。
頭を使わずに……ゆっくり、休むべき?
……然うよ。
そっか……じゃあ、また今度ね。
……そんな今度、なくても良いのだけれど。
でも、聞きたいなぁ……。
……。
ん……水野さん?
……調子に乗るかも知れないから。
調子……?
……あなたの中のジュピターのように。
ジュピター……。
……結局は、似た者なのよ。
似た者……。
……無駄に長く、一緒に居たから。
あたし達も、然うなりたいな……。
……なりたいの。
叶うなら……。
……私は遠慮しておくわ。
気付いたら……然う、なっているかも。
……。
その時は、仕方ない……?
……どうでも良い。
ふふ……そっか。
……今度こそ、戻るわ。
ん……待ってる。
……行ってらっしゃい、ではないのね。
「行ってらっしゃい」と、「待ってる」は……一対だから。
……。
……あたしの中では、一対なんだ。
出来たら……傍で、呼んであげるわ。
……ん。
それまで……ゆっくり、待っていて。
13日
……う。
我慢して。
大丈夫……これくらい、なんともないよ。
なら、変な声を出さないで。
……そんなに、変だったかな。
ただの呻き声。
ん……変だね。
……これは、少し深いわ。
掠っただけだと、思っていたんだけど……水気の膜があって、本当に良かった。
……もう少しで、終わるから。
うん、分かった。
……。
お風呂、染みるだろうなぁ。
……染みるのが嫌だったら、シャワーで済ませば良い。
然うしようかな……水野さんはどうする?
……私も、シャワーで済ます。
お風呂でなくて、良いのかい?
……良いわ、ゆうべ入ったから。
そっか……じゃあ、今日はシャワーにしよう。
……。
明日、一緒に
入らないわよ、ばかなの。
あ、はい。
……はぁ。
パン……無事で、良かったね。
……少しだけ、潰れてしまっているけれど。
まぁ、あっためればふかふかになるからさ。
……夕食はどうするの。
んー……変更なし、かな。
……然う。
麦ごはんの方が良い?
今ならまだ、間に合うよ。
……パンで良いわ。
そっか……ん、分かった。
……ところで、作れるの。
作れるよ。
……痛むと思うけど。
大した痛みではないから、大丈夫。
手当ても、してもらってるし。
……出血もしているわ。
掠り傷でも、血は出るから。
……顔の傷、若しかしたら残ってしまうかも知れない。
そっか……でも、仕方ないや。
……もう、気にしないのね。
水野さんに嫌われなければ、あたしはそれで良いんだ。
……躰中が傷痕だらけになっても。
いい加減、気持ち悪いかな……。
……別に。
うん、なら良い。
……ただ。
ただ?
……数えることに、いい加減飽きてきた。
……。
治りが、早いのなら……傷も、残らなければ良いのに。
……まだ、ジュピターとしては未熟なのだと思う。
未熟だとか……全く、関係ないわ。
……だけど、あいつは。
前世のジュピターの躰も傷だらけだった。
……あいつの記憶では、あたしほど。
使えないほどに損傷してしまったら、新しいものと交換していたから。
……新しいもの。
己と同じ細胞から、培養されたもの。
……それは、なに。
躰の部位。
……。
地下の薄暗い部屋の中で、様々なものが培養されていたわ。
……例えば。
言わない。
……ん。
あなたが、思い出すまで。
……水野さんは。
……。
ううん……やっぱり、良い。
……マーキュリーは、その管理もしていたの。
ジュピターには、出来そうにない……。
……ええ、他の守護神には出来ないわ。
マーキュリーにしか……それはつまり、マーキュリーにばかり。
……ともあれ。
……。
無理に思い出そうとしなくても良い……若しかしたら、「ジュピター」がその記憶を封じている可能性があるから。
……もう、聞いてしまったよ。
それで、少しは思い出せたの……?
……ううん、思い出せない。
言葉で聞くだけなら……光景など、思い出すものではないわ。
……水野さんは、やっぱり。
マーキュリーだから……ジュピターと違って、優しくないのよ。
……きっと、必要だからだ。
まぁ、然うでしょうね……。
……でも、そんな管理。
させない為に記憶を封じなかった、とも考えられる。
……。
ただの嫌がらせではなく……ね。
……きっと、然うだ。
然うかしら……。
……きっと、然うだよ。
まぁ、なんでも良いけれど……私が「マーキュリー」の生まれ変わりだということは、変えようのない事実だから。
……。
……ねぇ、木野さん。
なんだい……水野さん。
背中の傷痕は、前世のジュピターの方が多いわ。
……ん。
傷痕の上に、新しい傷を作るから……どんどん、複雑な形になっていくの。
……背中を交換することは。
背中の場合は、皮膚ね……。
……皮膚。
そのものが壊れてしまったら……それで、終わり。
……終わり、なんだ。
交換しようと思えば、出来たと思うのだけれど……どうやら、しなかったみたい。
……。
どうしてだろう……とは、言わないの?
……なんとなく、分かるような気がするから。
何が、分かるの……。
……それを交換するなら、新しい人形(ひとかた)に交換した方が手っ取り早い。
……。
育てる手間は、あるだろうけど……それでも。
……育てる手間は、ほとんどないわ。
……。
培養液の中で、学ぶから。
……培養液。
と言っても、主に座学だけれどね……実地や体力面は、出された後に。
座学……若しかして、生まれた時には言葉を話せた?
言葉の発音は、まだ。
……発音は?
言葉そのものは理解していた、だから、母音を発したり首振りなどで応答は出来た。
……。
言葉だけでなく、ある程度の知識も持っていたわ。
……生まれる前から頭の中に詰め込まれるだなんて、おかしくなってしまいそうだ。
使命を果たす為に生きる、命を捧げる……その為には、その方が都合が良い。
……。
でも、私達の前世は違った……先代によって培養管から出された時、頭の中は何もなかったに等しい。
……そこまで、思い出しているんだ。
残念ながら……然うみたい。
……どういうこと。
頭の中に、文字が浮かぶのよ……こうして、話していると。
……。
マーキュリーが講義をして呉れているのかも知れない。
……あたしの為?
あなたの為だけではないわ……。
……。
この講義は……何も知らない「マーキュリー」の為でもある。
……今でなくても、良いのに。
恐らく、その時が迫っているのでしょう……。
……。
今はまだ、ないけれど……月の国が復興したら、導入されるかも知れない技術。
……ひとのこは、ひとのこから生まれるものだよ。
……。
前世の守護神達のように、造られた存在じゃない……。
……遺伝子と細胞の研究。
……。
月の国が復興せずとも……いずれ、その技術を手に入れるかも知れない。
……ひとのこに、正しく扱えるかどうか。
正しさとは、何か……前世のそれは、正しくないのか。
……あたしは、人工的に命を造ることは正しいとは思えない。
然う……。
……水野さんは。
私の正しさから、言えば……人工子宮が造られれば良いと。
……人工子宮?
然うすれば、解放されるだろうから。
……出産は、ひたすら痛くて苦しいと言うもんな。
月経は、煩わしい……妊娠は、自由を奪われる。
……だから、前世の躰にはなかったんだ。
うっかり妊娠なんてしようものなら……一定の期間とは言え、使い物にならない。
ひとつ間違えれば、子供ごと壊れてしまうのだから……とは言え、どうせ顧みないのでしょうけど。
……守るべき対象が子供になってしまうかも知れない。
然うとは、限らない。
……うん、然うだね。
はい、動いても良いわ。
ん、ありがとう。
取り敢えず、躰を休めて。
その前に、おやつを作るよ。
予定よりも、遅くなってしまったけど。
……もう、日が傾いているわ。
おやつを食べたら、夕ごはんが食べられない?
……食べられるわけがない。
ひとつくらいなら……。
……であるならば、明日の方が良い。
明日……。
……然う、明日。
分かった……残念だけど、明日にしよう。
別に残念ではないわ……明日が来れば、食べられるのだから。
……。
でしょう……?
……うん。
ふぅ……。
水野さんの手当てを。
自分でするから。
でも。
あなたに比べたら、大したことないもの。
例えば……腕の後ろは、し辛いと思う。
どうしても、したいの?
……しても、良いなら。
なら、確認をして。
……確認?
傷があるかどうか。
……あったら。
その時は……あなたにしてもらうわ。
ん、分かった。
……まずは、背中。
うん……え、背中?
……最も見辛い場所でしょう。
……。
問題ないとは、思うけど……木野さん?
……ん。
なに……まさかとは思うけど、気後れしているの。
……初めてでは、ないんだけど。
見ないのなら、良いわ……痛みも感じないし。
ううん、見るよ。
……。
……。
……どう?
うん……きれいだ。
……傷はあるの。
ない……。
……然う、やっぱりね。
はぁ……。
……溜息。
何度見ても、きれいだから……。
……傷痕はあるわ。
……。
然うでしょう……木野さん。
……守れなかった。
全てを守ることなんて出来ない。
……。
生きて、ここに居る……それだけで、十分よ。
……うん、然うだよね。
……。
ん……水野さん。
……それが、ジュピターの役割だとしても。
服を着ないと……躰が冷えてしまう。
……見て呉れるのでしょう、他も。
背中は、しまって良いよ。
……首、肩、腕。
……。
私から見えない部分を見て。
……分かった。
ま、首は大丈夫でしょうけど……。
……うん、大丈夫だ。
早いわね……本当に良く見たの。
……もう一度、見る。
然うして……。
……。
誰よりも、死線に向かい……誰よりも、死地に立つ。
……。
それが、ジュピターに与えられた使命のひとつ。
……それで、マーキュリーを守ることが出来るなら。
中には、帰ってこなかったジュピターも居たわ。
それは……あたしの前世ではないよね。
……歴代と呼ばれるジュピター。
歴代……。
……そのせいで、壊れてしまったマーキュリーも居た。
そのマーキュリーも、歴代……。
……ジュピターとマーキュリーは、ほぼほぼ番だったみたいね。
番……。
……番を失えば壊れてしまう、脆いものだわ。
ほぼほぼと言うことは……番ではないふたりも居た?
……全てのジュピターとマーキュリーが番だなんて、どうかしている。
あたしは……全てが、番だったと思うな。
……そんなの、気持ち悪いでしょう。
然うかな……あたしは、良いと思うけどな。
……そんなに、嫌なの。
ん、何が。
……マーキュリーが、他の者と。
良い気分でないのは、確かだよ。
……あなたではないのにね。
関係ないけど……なんとなく、もやっとするんだ。
……どうかしているわ。
あたしも、然う思う……。
……でも、どうしようもないのね。
あたしの中のクリスタルが、然うさせるのかも知れない。
……。
……多分、歴代の祈りでも詰まっているんだろう。
それは……否定しない。
マーキュリーのクリスタルはどうだい、何か反応は示していないかい?
……さぁ、どうかしらね。
ジュピターが若しも、マーキュリー以外の者と
それに関しては、何も感じないわ。
……何も?
ええ、何も。
……もやっと、しない?
しない。
……少しも?
ほんの少しも。
……然うか。
過ぎたことなど、どうでも良いのかも知れない。
……。
或いは……己のジュピターでなければ、興味がないのかも知れない。
……マーキュリーらしい、のかな。
若しくは。
……うん?
そんなことはあり得ないと……思い込んでいるのかも知れない。
……あり得ない?
「ジュピター」が、「マーキュリー」以外の者に靡くことなど。
……クリスタルが、然う言っている?
いいえ……クリスタルは何も語らないわ。
……でも、然う感じる。
ただの憶測……それ以上でも、それ以下でもない。
……あたしの前世には、ふたりのマーキュリーが居た。
それが、なに……。
ひとりは水野さんの前世……もうひとりは。
……先代。
マーキュリーの先代は、どう思って呉れていたんだろう。
……言っておくけれど。
うん?
あなたの前世にも先代は居たわよ。
……。
それは、思い出していないのね。
言われてみれば……何かでかいの、熊みたいのが居たような気がする。
間違いなく、それ。
と、なると……マーキュリーの先代は、ジュピターの先代と。
然う考えるのが、妥当でしょうね。
……あたしのことは、教え子くらいかな。
あなたのことではないわ、あくまでもあなたの前世のジュピターのことよ。
あ、うん……ちゃんと分かってるよ。
……どうだか。
本当だよ……。
……ふぅん。
首と肩は問題ないけど……両腕の後ろに、擦り傷がある。
……薬、任せても。
ん……任せて。
……。
……。
……あわよくば。
ん……。
ふたりのマーキュリーと……なんて、思ってはいないの。
……そんなことは、思っていないよ。
……。
そもそも、先代のジュピターが許すわけない。
……若しも、許されていたら?
それはない、断言出来る。
……。
ジュピターにとって、マーキュリーは特別なんだ。
……その特別が、ふたり居ても。
ないよ、絶対に。
……。
前世も、先代も……自分のマーキュリー以外は、あり得ない。
……あぁ、然う。
うん……然うだよ。
……ふたりにとって。
……。
「私達」は弟子であり、生徒でもあり、そして子供でもあった。
……子供?
前世のふたりは……先代のふたりに育てられたのよ。
先代のふたりに……。
……それも、思い出していないのね。
言われてみれば、然うだったかも知れない。
かも、ではなくて……然うだったの。
……水野さんは、どこまで。
四人で暮らしていたことを思い出したのは……今よ。
え、然うなの?
……だけど、今はまだそれだけ。
……。
幼体時代のことは……記憶が、遠すぎる。
……楽しかったような気がする。
……。
四人でごはんを食べたり……。
……あなたの記憶は、食事に繋がるのね。
うん……ごはんは、大事だから。
……。
ん、良いよ。
ありがとう……あとは自分で。
……服を。
言われなくても、着るわ。
……。
なに……。
……改めて、守る。
……。
守りたい……。
……もう、何度も聞いてる。
12日
......If there is evil in this world,
……。
it lurks in the hearts of men.
……どうして英語なの。
英語の勉強になるかなぁと思って……どうだろう?
……こんな時に英語のお勉強だなんて、なかなかね。
ん、なんとなく……ね。
……。
英訳……いまいち、だったかな。
……動詞に「lurk」を使ったのね。
「それは人の心である」と直訳するのは、少し違うかなと思ったんだ。
……何故。
何故なら、それは心に潜んでいるものだと思うから。
……ニュアンスの問題?
然ういった意味合いが潜んでいると……あたしは、解釈した。
ふぅん……悪くない解釈ね。
本当かい?
本を読んでいるだけのことはある、と、言っておいてあげるわ。
ん、褒められた。
潜んでいる意味合いを考えて訳さないと、正しく伝わらないかも知れない。
うん。
あなたの訳は適していると言える。
あはっ。
緊張感がない。
ごめん。
……日本語を他言語に訳すことは、とても難しい。
うん?
主語や目的語の省略も然うだけれど、曖昧な意味合いが含まれていることもあるから。
んー……。
まぁ、それはどの言語でも言えることなのかも知れないけれど。
日本語以外にも、主語を省略出来る言語はあるだろう?
あるけれど、動詞の活用で主語が分かるから……日本語のように、完全に省略出来るわけではないわ。
例えば、スペイン語。スペイン語には、主語人称代名詞によって動詞の活用が六つあるの。
一人称、二人称、三人称、それぞれの単数形と複数形、かな。
然う。
英語のように時制ごとに形が変わる?
変わる、もっと言えばスペイン語の時制は十以上あると言われているわ。
十以上……ふむ。
因みにフランス語にも動詞の活用はあるけれど、スペイン語のように主語の省略は出来ない。
何故なら、動詞の活用が同じだったり、綴りは違うけれど発音は全く同じ場合があるから。
省略したら、分からない?
然うみたいね。
でも、日本語は文脈で分かろうとする。
故に、曖昧な使い方をされている言語だと言える。
語尾に曖昧表現を付けることが出来るから、余計に。
はっきりさせないことが、美徳という精神?
だから、誤解を招くのよ。
場合によっては、取り返しがつかなくなるよね。
けれど、英語だって曖昧な言語と言えるわ。
英語?
ひとつの動詞に色々な意味を持たせているでしょう。
「take」なんて、特に然うだよね。
しかも、自動詞と他動詞で意味合いが異なってくる。
もっと言えば、名詞にもなり得るわ。
うん、確かに。
例えば、為政者が敢えて動詞を活用せずに単独で原形のまま使っていると、民衆は勝手に他動詞だと思い込むことがある。
けれど、為政者は自動詞として使っていた。となると、意味合いは大分変わってくる。
でも、嘘と責めることは出来ない?
何故なら、その意味もその動詞が持っているものだから。
騙したとは、一概には言えない。
まぁ、騙された気分にはなるでしょうけれど。
けど、為政者が意図的に使っているのならば、騙していると言えるよね。
ええ、言えるわ。
でも、責められない。
曖昧だ。
つまるところ、どの言語にも曖昧さはあるのだと思うわ。
月の言語にもあったよね。
ん、あったわね。
面倒だったな、あの言語も。
お堅い古語だから。
青い星の言語の方が砕けていた。
元々は月の言語、長い時間を掛けて変化していったのよ。
地域ごとにも、形を変えて。
最終的には全く違う言語になって、会話するには通訳が必要になった。
月はずっと、停滞していたからな。
変化も何も、あったものじゃない。
それでもあなたはちゃんと話せていたし、読み書きだって出来ていたわ。
マーキュリーとお勉強したからね。
……ふたりのね。
今思わなくても、とても恵まれていたと思う。
……。
と言っても、あたしではないから。
今のあたしは、「水野さん」と出逢えてしあわせだ。
……別に、良いのに。
本当だよ、今のあたしは今の方が良いと思っている。
……まぁ、それならそれで良いけれど。
うん、良いんだよ。
……帰ったら、英語の勉強でもしましょうか。
物理ではなく?
……英語の頭になっているようだから。
英語の頭……ふ、それは良いな。
……まるで、他人事のよう。
興味深く思えるんだ。
……敵性言語にならないことを、せいぜい祈っていて。
敵を知るには、敵のことを学ぶのが重要なのになぁ。
それだけの頭がないだけ。
うん、辛辣だ。
……母国語すら、ままならない。
それは……困ったなぁ。
……日本語もろくに出来ないくせに英語なんて出来るわけがない、良く言ったものだわ。
誰が、そんなことを?
かつて通っていた塾の、若い男性講師。
……うん、なんとなく言いそうだ。
あなたは知らないでしょう?
知らないけれど、塾の講師は然ういうことを言いそうだから。
いい加減、若しくは、偏見。
学校の教師でも、平然と然ういうことを言う者は居る。
うん、ごめん。
けれど、あの講師に限って言えば当たらずとも遠からず。
然うなのかい?
だから私はあまり好みではなかったわ、言動がいちいち鼻について。
……然うか。
今、軽く笑ったでしょう。
……ん、鼻で。
まぁ、構わないけれど。
……良かった。
中学の頃、国語の教師で石川啄木が嫌いなひとが居たわよね。
えと、唐突だね。
純朴そうな顔をしているくせに、品がなく心根が卑しいと。
あー……女遊びが酷かったんだっけ。
大酒飲み、女遊び、挙句、借金。
そうそう、然うだった。
どんな顔をしていても下衆は下衆、顔は関係ないわ。
顔が良いだけに、余計に腹が立つのかも知れない。
とんだ言い掛かり。
ほら、今の世でも顔に騙されるひとは一定数居るだろう?
顔ばかりに気を取られているから、半ば自業自得。
はは、然うだねぇ。
でも仕方ないさ、どうしたって好みというものがあるから。
あなたの好みは?
マーキュリー。
聞くだけ無駄だった。
マーキュリーの好みは?
別にないわ、ひとそのものが好きではないから。
うん、然うだった。
がっかりした?
ううん、してない。
どうして?
ひとそのものが好きではないのに、あたしのことは好いて呉れたから。
前向きね。
マーキュリーに好かれていたら、幾らでも前向きになれるんだ。
嫌われたら?
この世の終わり。
終わらないわよ。
終わらないけど、終わったような気持ち。
一週間も経てば、
終わらせたくないから、嫌われないように努力する。
努力、ね。
鬱陶しくない程度に。
あぁ、然う……じゃあ、頑張って。
ははは。
壊れた?
ううん、大丈夫だよ。
……。
う。
落ち着いては、いるようね。
ん、小腹も満たしたし。
美味しかった?
うん、美味しかった。
やっぱり、好きだな。
また買えば良い。
ん、然うする。
……。
顔の話の続き、なんだけどさ。
初めから顔で騙す奴は下衆、分かってやっているから。
うん、あたしが言いたかったことだ。
……。
お。
あなたの顔は、私を不快にさせない。
……それって。
だから、そのままで居てね。
うん、分かった。
……。
あ、でも。
なに。
歳を重ねて、顔が変わってしまったら。
あなたは私の顔に皺が増えても
変わらず、大好きだ。
然ういうことよ。
ん、良く分かった。
……。
そろそろ、動くかい。
……いいえ。
然うか。
……はぁ。
まぁ、何もせずに終わって呉れればそれで良い。
……ひとのこの心に潜む悪は本当に厄介だわ。
闇から見れば、これほど都合が良いものはない。
……あれは、今の時代にあって良い兵器ではない。
どんな兵器も、出来れば、消え去って欲しいけど……無理ならば、防ぐ手立てが欲しいところだ。
……とてもじゃないけれど、間に合わないわ。
闇の存在は、そんな知恵は与えて呉れない?
……この国には、与える価値がないのでしょうね。
価値があるとしたら、土地かな。
……こんな国、兵器など使わずとも簡単に干上がるのに。
食糧がなくなれば、あとは時間の問題だ。
……故に、切り替える可能性がないわけではない。
より長く、遊びたいのならば。
……防壁。
張り直されたみたいだ、これで外部からの攻撃は防げるだろう。
……遅い上に、限定的。
動くかい。
……小型の空爆機。
真っすぐ突っ込んでくる速度が凄まじい。
……音も厄介。
雷気で墜とせれば。
……鼓膜が破れるかも知れない。
大丈夫だよ、マーキュリー。
それくらいならば、すぐに治るから。
……分かっているわ、ジュピター。
でも、マーキュリーは気を付けて欲しい。
……。
動こうか。
……ええ。
良し……て。
……月の光。
漸く、動いたか。
……ジュピター。
あぁ、さっさと潰して部屋に帰ろう。
……外部が、動いている。
外部?
……ここに来て。
外部……あぁ、天王星達か。
……あれらも、別に動いていたようだけれど。
月のお姫様に従ったと思うかい?
さぁ……どうかしらね。
まぁ、なんでも
伏せて。
応。
……。
……外部からの援護を断たれて。
……。
いよいよ、手当たり次第になってきたかな。
だとしても……大したことはないわ。
マーキュリーは、ここに。
いいえ。
あたしの周りに水気を、
行くわ。
ん、分かった。
庇う必要はない。
時と場合。
足手纏いには
なったことなんて、一度もない。
……。
それに、マーキュリーが居て呉れた方が本当は心強い。
……細かいものは、私が墜とす。
機械に水は天敵だ。
……弾だけれど。
火薬にも、水は天敵だ。
……ただの火薬ならば、良いけれど。
どんな火薬であろうとも、マーキュリーの水気ならば弾ける前に潰せる。
……ふ。
はは。
周囲に水気の膜を張る……あなたは、大元を潰して。
応、任せろ。
……。
パンが気になるかい?
……こんな時に?
帰ったら、食べたい。
……揚げパンを食べたでしょう?
改めて、美味しかった。
はいはい、良かったわね。
この時代には、美味しいものが沢山ある。
……この時代にも、でしょう。
あぁ、然うだった。
……で、余計な力は抜けた?
おかげで、万全だ。
……水気よ。
ん……。
……我らを、柔らかく包み込め。
雷気よ……。
……。
……水気の中を、駆け巡れ。
……。
どうだい。
……良いわ。
うん……ならば、指示を。
……回り込んで、潰して。
了解。
合間は、およそ一分……途切れたと、同時に。
……。
ジュピター。
先に行くよ、マーキュリー。
待ちなさい。
大丈夫だ、あたしを信じろ。
あなたね、ん。
……。
……ジュピター。
帰ったら、おやつを作るよ。
……作れるなら、作って。
うん。
……。
それじゃあ、また後でね。
……ばか。
ん。
なんでもない、行って。
うん、行ってくる。
……。
ふぅ……。
……10、9、8、
……。
7、6、5、
……つ。
4、3、2、
……帰ったら、手当てしてもらおう。
1……。
……しかし。
停止。
思っていたより……大したこと、なかったな。
……所詮は、ひとのこが造ったもの。
と、新しいのが出てきた……か。
……あれは。
でもまぁ……問題ないだろう。
……悪足掻きに過ぎない。
はぁ……。
水気よ……ひとつ残らず、墜とせ。
……水は、天敵。
雷も、ね……。
……花火みたいだな。
どこが……。
……さて。
小賢しい……。
……これで、仕舞いだ。
でも、残念……。
爆ぜろ……雷気。
……そのひとの後ろには、私が居るの。
11日
うーん、やっぱり良い匂いだなぁ。
焼き立てのパンが買えて、良かったわね。
うん、良かった。
今日はついてる。
揚げパンまで買ってしまって。
揚げ立てで美味しそうだったから、つい。
帰ったら、早速食べるの?
食べるつもりだけれど、水野さんも食べるかい?
私は良いわ、おやつが食べられなくなってしまうもの。
ん、そっか。
私のことは気にせずに食べて。
うん。
好きよね、そのパン。
うん、子供の頃から好きなんだ。
ひとつ食べれば、お腹いっぱいになりそう。
子供の頃はお腹いっぱいになったよ、なんせ揚げパンの中にウィンナーが入っているからさ。
今では小腹を満たす程度で、ほとんどおやつ代わりよね。
牛乳と一緒に食べると、これがまた美味しいんだ。
良かったわね、揚げ立てのものが買えて。
うん、今日は本当についてる。
冷めないうちに、帰りましょう。
ん、帰ろう。
ご機嫌。
外でなければ、鼻歌を歌っていたかも。
やめてね。
歌うなら、帰ってからにする。
然うして。
ふふ。
ねぇ、木野さん。
なんだい、水野さん。
今日の夕食は和食なのよね。
うん、そのつもり。
パンは、焼き立てだけれど。
それは考えてなかったんだ。
帰ったら、冷蔵庫に入れるの?
明日くらいまでなら常温でも大丈夫だけれど……勿体ないよね、折角の焼き立てなのに。
じゃあ、どうするつもり?
あー……夕ごはん、変更しても良いかなぁ。
麦ごはんをパンに?
おかずも、変更したいかな。
私は構わないわよ。
変更しても?
おかずが和食でも。
えと……油揚げと大根の葉のトマト煮になんてどうだろう。
トマト煮にするのなら、大根の葉よりも小松菜の方が良いと思うわ。
じゃあ、小松菜にしよう。
大根の葉はどうするの?
オリーブオイルとニンニクで、さっと炒める。
麦ごはんは?
明日の朝に食べよう。
小松菜のお焼きは?
それは、昼食にでも。
お豆腐は?
豆腐は……冷蔵庫に入れて、明日の朝に。
水に浸しておけば、一晩くらいなら大丈夫だから。
おかずは、考え直し?
希望があったら、明日の朝までに。
然う、分かったわ。
ん、ありがとう。
ツナ缶があったわよね。
うん、まだあるよ。
それで、何か作って。
然うだなぁ……オムレツなんて、どうだろう。
オムレツ?
ツナとキャベツのオムレツ。
ふぅん、悪くはないわね。
なら、その予定で。
また、変わるかも知れないし。
予定は未定。
全くだわ。
でも、良いんだ。
献立を考えるのは楽しいから。
あなたはね。
水野さんと考えると、余計に楽しい。
私には、その楽しさがいまいち分からないわ。
……。
なに、その顔。
口の端が上がってる。
ただの見間違い。
然うかな。
然うよ。
今も、上がっているよ。
眼科に行く?
大丈夫、良く見えているから。
然うかしら。
ねぇ、水野さん。
話を逸らすつもり?
アメリカンドック。
が、どうしたの。
この形のものは珍しいんだ。
然うみたいね。
アメリカンドックと言えば、ケチャップをつけて食べるものばかりでさ。
あれも好きでしょう?
同じように、油で揚げてあるし。
あれも好きだけど、揚げパンを巻いてあるものはもっと好きなんだ。
子供の頃に好きだったものは、大きくなっても変わらないものなのね。
苦手だったものが食べられるようになったり、面白いよね。
面白いと思うのは多分、あなただけ。
水野さんは思わない?
別に思わないわ。
ん、そっか。
けど、悪くないとは思っている。
悪くない?
ええ、悪くないわ。
うん、良かった。
どうしてあなたが嬉しそうにするのかしら。
だって、嬉しいから。
まぁ、良いけれど。
大人になったら、色んなものを食べに行こう。
あなたが作って呉れるもので足りているわ。
あたしがもっと色んなものを作れるようになる為に。
今でも十分だと思うけれど。
ううん、もっと作れるようになりたいんだ。
然う……なら、仕方ないわね。
和食、洋食、中華に、カレー。
カレー?
カレーにもね、色んなものがあるみたいなんだ。
ナンで食べるものとか?
そうそう、ナンで食べるカレー。
ごはんとはまた違った美味しさがあるよね。
カレーパンで良いわ。
とは、違うと思うな。
ナンは焼いてあるけど、カレーパンは揚げてあるし。
それ以前に、あまり食べないけど。
水野さんは揚げパンが苦手だよね。
油っこいのが苦手だから。
あたしも、油でぎとぎとしているのは苦手だなぁ。
……小学校の給食で。
若しかして、きなこがまぶしてある揚げパン?
……あれだけは本当に嫌だったわ。
なんとなく、分かるような気がする。
兎に角、飲み込めなかったのよね。
牛乳で、押し流していた?
……無駄に大きいから、配分を間違えると牛乳が足りなくなるのよ。
うん、確かに大きかったな……コッペパン、そのままだったから。
あれだけは、二度と、食べたくない。
はい、しっかりと憶えておきます。
出したら、家庭内別居をするわ。
うん、絶対に出さない。
食べたければ、ひとりで食べて。
あの揚げパンは、別に食べなくても平気だから。
そんなことを言っていると、食べたくなるかも知れない。
売っていたら、若しかしたら、買うかも知れないけど、自分で作りたいとは思わないなぁ。
揚げパンひとつの為に油を使うのは勿体ないし、処理も面倒だし。
あぁ、然う。
ところで、水野さん。
やっぱり、食べたいの。
ううん、然うじゃなくて。
何。
家庭内別居って、なに?
分からないのに、返事をしたの。
いや、分からないわけじゃないんだけど。
字の如く、よ。
……。
まだ、気になるの。
……家庭内別居って、夫婦がするものだよね?
夫婦でなくても、するでしょう。
……する?
する。
……だけと、あたし達は。
まだ、指輪をもらってない。
……然うだった。
それまでは然うだとは言えない、言わない。
……はい。
でも、別居はするから。
……揚げパン以外のことでも。
あるでしょうね。
……ん、気を付けよう。
私も一応、気を付けるわ。
……水野さんも?
ないとは言えない。
ないと思う。
それでもよ、ばかね。
あ、うん。
全く。
ははは……。
……。
ん、どうした?
……あれ。
どれ。
……。
あれ……事故かな。
……恐らくは。
何があったんだろう。
気になるの?
怪我人が居なければ良いけど……居るように見える。
……居るわね。
あー……。
パンを持って、先に帰りましょうか。
ひとが集まってきているみたいだし、行かなくても良いかな。
気になるのなら、行った方が良いわよ。
でないと、帰ってからずっともやもやする羽目になるから。
然うだよね、ちょっと行ってくるよ。
ええ、行ってらっしゃい。
水野さんは、先に……出来れば、待っていて欲しいけど。
揚げパンが冷めてしまっても良いのなら。
……どのみち、冷めてしまうと思うんだ。
然う……あなたが良いのなら、良いわ。
ごめん。
別に、いつものことだし。
ありがとう。
どういたしまして。
若しかしたら、
手間だから、ついていくわ。
ん。
行くなら、早く。
うん。
……。
……ん。
木野さん。
なんだろう、酷くざわざわする。
目と耳を塞いで、口は開けたまま、伏せて。
分かった。
私は、
良いから。
……良いのに。
大丈夫だ……あたしに、任せて。
……。
……はぁ。
来た……。
……く。
……。
……うっ。
……っ。
……。
……。
……収まった、か。
木野さん……。
なんだ……今の、衝撃は。
……木野さん、少し離れて。
え、なに……?
……は、な、れ、て。
あぁ……ちょっと待ってて、確認するから。
……。
……水野さん。
……。
向こう……。
あれは……なに。
……多分、何かが弾けたんだ。
それは、分かっている……。
……水野さん、大丈夫かい。
ええ……私はね。
あたしも……パンも、無事だよ。
……それは、良かった。
しかし……あれは、なんだ。
……攻撃と考えるのが、妥当。
攻撃……どこから。
……計算する。
あ、うん……頼む。
……方角。
着弾した方向から考えると……向こうだと、思う。
……体感速度は。
かなり速かった。
……遅い攻撃なんて、まずないわね。
感じてから着弾するまで、およそ20秒ほど……通り過ぎたのは、一瞬。
……然う。
同じ、見立て……?
……ええ、癪だけれど。
二発目は……う。
……来ないわけ、ない。
水野さん、あたしの下に。
……分かってる。
くそ……なんだ、この音は。
……耳を、塞いでいるのに。
嫌な音だ……耳を、つんざかれるような。
……来た。
くぅ……っ。
……。
……は、ぁ。
……。
ぅ……。
……。
……収まった、な。
二発目、着弾……一発目よりも、速い。
一発目、二発目……ここからは、大分離れているようだけど。
……飛んできた、方角は。
一発目と、同じ方角から……速度は、二発目の方が速かった。
……同じ方角からなんて、意外と芸がないわね。
然ういう、問題かい……?
……言ってみただけよ。
ん、そっか……流石、水野さん。
……弾は、違うみたいだから。
着弾した場所は……どうなったか。
……ねぇ、木野さん。
なんだい……。
……私を、庇わなくても良いわよ。
ううん……それがあたしの役目だから。
……私なら問題ない、だからパンを守って。
パンも守る。
……いつ食べられなくなるか、分からないのよ。
だから、パンも守るんだ。
……もう、聞き分けがないひとね。
計算……どうだい。
……終わっている。
然うか……と、なれば。
……一旦、ここから離れましょう。
ん……然うしよう。
……あなたは、離れ難いでしょうけど。
そんなことは、言ってられない……今は、自分達が優先だ。
……分かっていれば、良い。
……。
被害者は……恐らくは、多数。
……建物への被害も甚大だろう。
此度は、突き抜けて行ったわね。
……意外と、大したことないんだな。
全ては防げないと言うことでしょう……。
……どうせなら、全てを防いで欲しいところだ。
結局、力の傘に入っている……。
……使えるものは、なんでも使うべきだよ。
は……。
だろう……マーキュリー。
ええ、然うよ……ジュピター。
……立てるかい。
問題ないわ……無傷だから。
うん、良かった。
……。
行こうか。
……おやつどころでは、ないわね。
いや……作るよ、おやつ。
……作れれば、良いけれど。
出来れば、作りたい……。
……あなたの然ういうところ。
悪くない、だろう……?
……寧ろ、気に入っているわ。
はは、それは嬉しいな。
……。
マーキュリー。
……なんでもないわ。
……。
今日に限ってのことではないもの。
……あぁ、然うだね。
はぁ……。
……背中に、おぶさるかい?
まさか。
……残念。
……。
……マーキュリー。
取り敢えず。
……取り敢えず?
小腹を満たしておいて。
ん……分かった。
こういう時、串があると良いわね。
マーキュリーも一口、食べるかい?
飲み物がないから、要らないわ。
あれば、食べる?
あれば、ね。
なら、どこかで調達しよう。
……お店には、誰も居ないかも知れないけど。
その時は、お金を置いていく。
……盗まれるだけよ。
だとしても、さ。
ふ……まぁ、良いわ。
行こう、マーキュリー。
ええ……ジュピター。
10日
いただきます。
……いただきます。
シチューは、お代わりもあるからね。
食べられそうだったら、するわ。
うん。
残ったら、あなたが食べて。
お腹、空いているでしょうから。
ん、分かった。
パンは、温めて呉れたのね。
うん、シチューもほかほかパンの方が美味しいから。
冷たくてもシチューが温かければ、それなりには美味しく食べられるけれど。
でも、ふかふかの方があたしは好きだ。
冷たくて硬いパンでも、食べられなくはない。
あったかいシチューがあれば、浸して食べると良いんだ。
硬いパンがふにょふにょあったかになって、食べやすくなるから。
……ふにょふにょあったか?
ん、適当な言葉が思い付かなかった。
あまり美味しそうに聞こえない。
じゃあ……しっとりあったかでどうだろう?
ふにょふにょよりは、ましだけれど。
なら、しっとりあったかで。
良く浮かぶわね、そんな言葉。
水野さんだったら、なんて言う?
硬いパンが温かいシチューに馴染んで美味しくなる。
おー。
あなた、本を読んでいるのよね?
読んでいるけれど、たまにへんてこな言葉が頭に浮かんでくるんだ。
へんてこ。
妙な?
……。
ん?
……どことなく、前世の影を感じるわ。
え、それはやだな。
……逃れられないのね。
でも、人格は同じではない。
……。
心も。
……若しも飲み込まれるようなことがあれば、あなたは居なくなってしまうかも知れないわ。
そんなことはさせない。
あなたとしての記憶は残るかも知れないけれど。
あたしはあたしだ、前世になんか呉れてやるものか。
……まぁ、望んではいないでしょうけど。
え、なに?
前世のジュピターは、それを望んでいない。
……あいつが、然う言った?
聞いてはいないけど、分かるの。
……。
なぁに、面白くないの?
面白くない。
分かりやすい。
……シチュー、食べて。
今、食べるところ。
……最近、静かにしていると思っていたけど。
大丈夫よ、静かにしているから。
……。
ゆうべも、ちゃんとあなただったでしょう?
……勿論だよ。
不貞腐れてる?
……不貞腐れてない。
然う、なら良いわ。
……。
……。
……シチュー、美味しいかい?
いつも通りよ、悪くはない。
……そっか。
美味しいわ、木野さん。
……ん、良かった。
単純。
……へへ。
それにしても、パンをシチューに浸すだなんてお行儀が悪いわね?
小さい頃は良く、然うやって食べていたんだ。
硬いパンだったの?
ううん、柔らかいパンだった。
ご両親には何も言われなかったの。
よっぽど行儀が悪くない限り、両親は好きに食べさせて呉れたんだ。
然う……大らかで、良いわね。
柔らかいパンを浸して食べてもさ、美味しいんだよ。
……今はやらないの?
今は、やらない。
やっても、良いわよ。
ううん、やらないよ。
……どうして?
……。
木野さん?
……ひとりだった時に、良く然うやって食べていたんだ。
ひとり……。
あたしが食べるものはいつだって、残り物ばかりだったからさ……まぁ、ない時もあったけど。
……然う。
少しでも、美味しく食べられるように……あたしは、あたしなりに工夫して食べていたんだ。
パサパサになったパンの耳でも、お湯に浸せばふにょふにょであったかくなったし……シチューが残っていれば、ご馳走になった。
……。
食べないとお腹が空いてしまって、夜、眠れなくなってしまうからさ……ひもじいのって、結構、きついんだよね。
……おばあさまに引き取られてからは。
あったかいものばかり、お腹いっぱいになるまで食べさせて呉れたよ。冷たいものと言えばお刺身、それからおそばとか冷麦とか、たまに冷やし中華とかね。
パンはふかふかで柔らかいから、汁に浸して食べる必要もなくてさ。焼いて呉れたパンは、熱々でかりかりとしていて、本当に美味しかったなぁ。
……。
あ、ごめん。
ううん……聞いたのは、私だから。
ごはん、美味しくなくなっちゃうよね……ごめんよ。
……。
えと……然うだ、パン。
パンがもう、あまり残っていないんだ。
……知ってる。
だからさ、今日、買いに行こうと思う。
……。
水野さんも、来るかい?
と言うより、来て呉れると嬉しい。
……行かずに、お勉強をしていたいのだけれど。
そっか、じゃあひとりで
一緒に行く。
ん。
……木野さんと、行く。
うん……じゃあ、一緒に行こう。
……いつものパン屋さんよね。
ん、いつものパン屋さん。
……。
大丈夫だよ、このパンを買った時はまだ続けるつもりだって言っていたから。
……うん。
……。
……ねぇ。
なんだい。
……パンもシチューも美味しいわ。
ん、良かった。
……。
浸してみるかい?
……ううん、浸さない。
じゃあさ、気が向いたらやってみて。
本当に、美味しいから。
……おばあさまの家でも、しなかったの。
祖母は、厳しかったから。
……。
でも、許して呉れた。
……然うなの?
許して呉れるどころか、自分で試して呉れてさ。
然うしたら……ふふ。
なに?
これは悪くないって、水野さんみたいに。
……。
今思えば……少し、似ていたかも。
……言い方が?
然う、言い方が。
……他は、似ていないわよね。
……。
……木野さん?
本を読んでいる時の雰囲気が、どことなく似ているかも知れない。
……多分、似ていないと思う。
静謐と言う言葉が当て嵌まる。
……静謐?
水野さんも、祖母も。
……。
使い方、間違っているかな。
……本を読んでいる時の自分のことは分からないし、おばあさまのことは知らないから。
なら……あたしが勝手に然う思っている、ということで。
……好きにすれば良い。
ありがとう……然うする。
……あなたが本を読んでいる時の雰囲気。
好き……?
……嫌いではないわ。
ふふ……嬉しいな。
……静かだから。
ん。
……どことなく、大人に見える。
大人?
……黙っていれば。
んん。
……明日、図書館に行くわ。
明日だね……うん、分かった。
……ねぇ、木野さん。
なに、水野さん。
……話したくないことを、私のせいで。
それは、違うよ。
……。
水野さんも、聞かせて呉れるだろ……あたしも、同じなんだ。
……同じ。
もう、過ぎたことだけど……胸の奥には、残っているから。
……。
水野さんが話すきっかけを与えて呉れることで……あたしは、吐き出すことが出来る。
……木野さん。
でもそのせいで、水野さんには嫌な思いを
違う。
と。
……寧ろ、木野さんが。
意外と、平気なんだよ。
……。
吐き出すと……少しだけ、軽くなるような気がしてさ。
……同じ、なのね。
同じ……?
……私も、木野さんに話すことで。
……。
……知っていたのでしょう。
然うだったらと良いなって、ずっと思っていた。
……。
水野さん……聞いて呉れて、ありがとう。
……お礼には及ばない、お互い様だから。
だけど、言いたいんだ……。
……ありがとう。
……。
……これで、お互い様。
うん……然うだね。
……。
お茶のお代わり、要るかい?
……自分で。
ううん、あたしが。
……。
水野さんには、片付けをお願いするからさ。
……分かった。
じゃあ、待ってて。
……。
あ、然うだ。
……なに。
あんこ、食べるかい?
……シチューを食べているのに?
パンにのせて。
……あなたは?
食べてみようかなって。
然う……なら、食べてあげても良いわ。
ふふ、うん。
……どうして笑うのかしら、あなたが言ったのに。
乗って呉れて、嬉しいなぁって。
……あぁ、然う。
うん。
……朝食兼昼食にあんこを進めてきたということは、今日のおやつはあんこを使ったものではないのね。
どうして分かるの?
同じものが続くことは、滅多にないから。
今日は続くかも知れない。
それならそれで構わないわ。
折角だから、白玉団子でも作れば良い。
白玉団子かぁ、それも良いな。
……胡麻団子でも構わない。
胡麻団子、それも良いなぁ。
丁度、胡麻を使うつもりだったし。
……胡麻餡、或いは、練胡麻でも作るつもり?
水野さんって……天才?
……「さい」は、災い?
ううん、才能の「さい」だよ。
そんな大それたものではないわ。
あなたのことだから、と、なんとなく思っただけ。
あたしの考えを読む天才。
……あまり嬉しくない。
あまり嬉しくないと言うことは、少しは嬉しい?
……あんこは、いつ。
ちょっと待ってて、これで解凍するから。
お鍋……電子レンジではないの?
お鍋の方が艶が良くなるんだ。
……食べられれば、それで良いけれど。
気が向いたんだ。
……。
先に、お茶を。
……ありがとう。
どういたしまして。
……それで、胡麻を使って何を作るつもりなの?
内緒……と言いたかったけど、練胡麻で胡麻餅を作ろうと考えてる。
胡麻餅……白玉粉を使って?
あと、豆腐も使う。
お豆腐は、お味噌汁に使うと。
全部は使わないから、お味噌汁にも使うよ。
……今日の夕食?
うん、残った分を今日の夕ごはんに回すんだ。
……。
あ、味噌汁の気分じゃない?
……その時になってみなければ、分からないわ。
それは、然うだね。
……お味噌汁ということは、白米?
今日は、麦ご飯にするつもりなんだ。
麦ご飯とお豆腐のお味噌汁、なかなか健康的な献立ね。
おかずはまだ、考え中。
私はそれだけでも十分。
駄目だよ、おかずも大事だからね。
……はいはい、然うね。
何か希望があったら、夕ごはんの支度を始める頃までに言ってね。
……冷蔵庫の中を確認して、食べたいものが思い付いたら。
思い付いて呉れたら、嬉しいなぁ。
……おひたし。
おひたし?
葉物があったと思うから。
取り敢えず、冷蔵庫の中を見てからでも良いよ?
……折角、希望を言ったのに。
おひたしも作る、大根の葉で。
大根の葉?
うん、葉っぱがついてるのを買ったから。
大根の葉……ね。
ん、何か思い付いた?
……油揚げは?
あるよ。
葉と一緒に炒めて、適当に味付けをして。
お、其れは良いかも知れない。
ね、きのこも入れて良いかな。
良いけれど、きのこは何を入れるの。
しめじ。
……しめじ。
いや?
……良いわ。
やった。
麦ごはんとお味噌汁と炒め物……十分ね。
おひたしは要らない?
……私のお腹に入るかどうか。
大丈夫、箸休め程度だから。
然う……なら作って。
小松菜で作っても良いかい?
……小松菜?
鰹節をかけて。
……。
だめかな。
良いけれど……大丈夫なの。
大丈夫だよ、全部は使わないから。
……明日の朝食は、小松菜を使った何かが出そうね。
お焼きでも作ろうかなぁ。
……良いんじゃない、それで。
それと、何かのスープ。
……何か?
まだ、未定なんだ。
……一応、考えておく。
ん、ありがとう……と言うわけで、はい、お待たせ。
……。
好きなだけどうぞ、水野さん。
……ありがとう、木野さん。
あたしは、どれくらい食べようかな。
……好きなだけ、どうぞ。
ふふ……ん、然うする。
……まだ、残っているのよね。
ん、残っているよ。
……。
お団子も、作ろうか?
……胡麻餅だけで、十分よ。
食べたくなったら、遠慮なく言ってね。
……ええ、然うするわ。
ん。
……練胡麻は、甘めに。
うん、分かった。
……。
それだけで良いのかい?
……お代わりをするかも知れないでしょう?
ん、確かに。
……。
どうだい?
……これは、これで。
悪くない?
……まぁまぁ、ね。
9日
ありがとう、水野さん。
ただの気紛れ、だからお礼は要らないわ。
それでも助かるよ、みんなも喜んでいるし。
あなたでなくて、残念に思っているかも知れない。
全く、そんなことはないさ。
全く?
その証拠に、みんなきらきらしているだろう?
太陽の光が水に反射しているだけだと思うけれど。
水野さんにお世話されるとさ、いつもご機嫌になるんだよ。
ふぅん、良く分からないわ。
みんな、亜美ちゃんのことが大好きだからね。
……亜美ちゃん?
お、と……これは、内緒のことだった。
この子達は私のこと、亜美ちゃんと呼んでいるの。
……みんな、ごめんよ。
木野さん?
うん……実は、然うなんだ。
……あなたが教えたの。
いや、あたしは教えてない。
お世話をしながら、私のことを然う呼んでいたのでしょう。
ううん、呼んでいないよ。
私が居ないところで、顔を緩ませながら。
顔は緩んでいると思うけど、みんなの前ではいつだって水野さんと呼んでいたんだ。
未だに理解出来ないのだけれど……私のことを聞かせて、何が楽しいのかしら。
今だって、あたし達の会話を楽しそうに聞いているよ。
……然うなの?
お。
……私にはやっぱり、聞こえないのだけれど。
あたしとずっと一緒に居たら、聞こえるようになるんじゃないかな。
……聞こえたら、楽しい?
うん、楽しいと思う。
……はぁ。
あれ。
……この子達の声が若しも聞こえるようになったら、話相手にでもなってもらおうかしら。
どんな話をするんだい?
その時は、あたしも
愚痴。
愚痴?
なんの?
あなたへの。
あたしへの……え、何かあるの?
ないと思っていたの?
そ、それだったら、あたしが聞くよ。
聞いて直す、悪いところはちゃんと直すからさ。
大したことではないから。
愚痴を言うってことは、不満があるということだろう?
であるならば、やっぱりあたしが聞かないと。
あなたに聞かせるほどのものではないの。
いや、でも、みんなに愚痴を言ったところで、あたしの悪いところは直らないと思うから。
どうしても気になると言うのなら、みんなに聞いてみれば良いじゃない。
多分、話して呉れないと思うんだ。
何故?
何故って……その。
その?
……良かったら。
良かったら?
良かったら、朝ごはん兼お昼ごはんの時に話して呉れれば……ううん、話して欲しい。
それ、問いの答えに全くなっていないのだけれど。
……お願いだ。
お願い?
……直接、あたしに。
はぁ。
……無理なら、仕方ないけど。
あなた達も、大変よね。
え……。
お世話され過ぎて、たまに鬱陶しく思うことはない?
な。
あなた達には、そんなことはないのかしら。寧ろ、嬉しいと思っていそうね。
だけど、聞いて呉れたら嬉しいわ。大丈夫、あくまでも愚痴であって、悪口ではないから。
み、水野さん。
なに。
あ、あたし……鬱陶しい?
今更?
そ、然うだけど……こう、改めて言われると。
もう、何度言ったことか。
然う、なんだけどね……まさか、みんなに愚痴を言いたいほどだったなんて。
余計なお世話は、今に始まったことではないでしょう。
何かあれば、ちょっとしたことであろうとも、すぐに心配して呉れるし。
あ、あー……。
だからと言って、悪いところだとは思っていないわ。
ただ、私はずっと放置された環境で生きてきたから、
鬱陶しいと、思う。
だって、仕方ないでしょう?
生まれてからずっと、あなたのようなひとに構われたことなんて一度もなかったんだもの。
……少し、控えた方が良い?
出来るの?
出来るだけ……努力する。
努力ねぇ。
……なるべく、我慢する。
我慢し過ぎると、途中で気持ちが落ち込んできそうだけれど。
……。
否定は?
……出来ないです。
然うよね、然うだと思った。
……取り敢えず。
取り敢えず?
ごはんのお世話は、外せない。
然うね、あなたには難しいでしょうね。
私の栄養バランスを考えている時なんて、何故か、楽しそうにしているし。
……とても楽しい。
栄養士も良いかも知れないわ。
……水野さん専属なら、なっても良い。
それだと、お給料がもらえない。
……和菓子職人兼栄養士はどうだろう。
悪くはないけれど、忙しくなりそうね。
……大丈夫だ、問題ないよ。
忙しくなったら、私のお世話をする時間が取れなくなってしまうかも知れないわ。
然うしたら、私はまたひとりの時間を
どんなに忙しくなろうとも、捻出する。
捻出?
時間は出来るものじゃない、作るものだ。
あぁ、然う。
無理はしないでね。
いや、多少の無理は
無理をしたら私のお世話どころか、私にお世話されることになるかも知れない。
……。
して欲しい?
して欲しい。
即答。
して欲しいけど、水野さんも忙しいと思うから……手を、焼かせるわけには。
発熱したあなたを、看病したことならあるわ。
……。
たまごのお粥を作ってあげたら、全部食べてしまったわよね。
……美味しかったから、つい。
熱を出しても、食欲がなくならないことは良いことだわ。
……おかげで、すぐに治りました。
あなたでも熱を出すことはあるのよね。
……たまに、出します。
今朝の調子はどう?
……今朝?
もう、お昼だけれど。
んー……うん、悪くはないよ。
うっすらでも、風邪の気配は感じない?
うん、全然感じないよ。
然う、頑健ね。
水野さんはどうだい? 風邪っぽくはないかい?
鼻や喉、声はおかしくないかい? 熱はなさそうだけど、どこか
世話焼き。
……あ。
これは最早、性分と言っても良いわね。
まぁ、知っていたけれど。
……水野さん。
なぁに、木野さん。
い、良いかな……このまま、お世話をしても。
適度に。
適度……。
然う、適度に。
私にはひとりの時間も必要だから。
う、うん、それは分かっているよ。
つまり、他愛のない話をしたい時もある。
……他愛のない話?
あなた以外と。
……あたし以外?
けれど、人間は嫌なの。
……あぁ。
だからと言って、ひとりでそれをすると、延々と独り言を呟いているようになってしまうから。
……そんなに?
多少は、大袈裟に言ったわ。
然うだよね……流石に、延々と愚痴を言うことはないよね。
長くて、30分くらいかしら。
そ、そんなに?
胸の奥に溜まっているものを吐き出すんだもの。
……結構、溜まっているのかな。
それなりに。
……それなり。
30分くらいならば、短い方だと思うのだけれど。
そ、然うなのかな……うん、然うかも。
そもそも、私は忙しいの。
そんなに長く、愚痴に時間を使ってはいられないわ。
た、確かに。
この子達に話せば、独り言にはならないと思うのよね。
……うん、ならないよ。
あなた曰く、話を良く聞いて呉れそうだし。
……多分、水野さんの話なら良く聞くと思う。
ところで、木野さん。
……なんだい、水野さん。
どうしてこの子達は私のことを亜美ちゃんと呼ぶようになったの。
いや、それがね……どういうわけだか、然う呼ぶようになっていたんだ。
ここ最近の話?
水野さんがうちに来るようになって、半年くらい経った頃からかな。
半年……そんな前から、呼んでいたの。
……内緒にして欲しいって。
内緒に?
……恥ずかしいから。
木野さん……。
あたしは……水野さんと呼んでいたよ。
……。
……たまに、亜美ちゃんと。
然うだと思った。
……ごめんなさい。
どうせだから、私に向かって言ってみて。
うん、もう言わな……え。
呼んでみて?
……良いの?
聞いてみたいの。
なら……亜美ちゃん。
……ふ。
は、鼻で笑われた……。
……やっぱり、馴染まないわね。
そんなことは、ないと思うけどな……。
……。
亜美ちゃん……?
……くすぐったいから、止めて。
くすぐったい……?
……名字で。
あ、うん、分かった。
……はぁ。
呼び慣れない?
……呼ばれたことがないから。
……。
呼ばれていれば……慣れるのかも知れないけど。
水野さん。
……。
うん、こっちの方が馴染んでる。
……木野さん。
みんなは、そのままで良いかな。
……良いわ、私には聞こえないし。
お世話して呉れてありがとう、亜美ちゃん。
……嫌がらせ?
みんなが、改めてお礼を言いたいって。
……あなたが教えるからよ。
多分、気に入っちゃったんだと思う。
……もう。
……。
……顔、緩んでる。
ん、引き締める。
……ちゃん付けなんて、されたことがないから。
ちょっと、恥ずかしいよね。
……。
あ……。
……ばか。
ご、ごめん。
……全く、あなた達の主は仕方がないひとね。
え、えと……シチュー、そろそろ出来るよ。
……だから?
お、美味しく出来てると思うんだ。
……でなければ、許さないと言ったわ。
うん、言われた……。
……味見、してあげましょうか。
お願いしても、良い?
……ええ、されてあげる。
ありがとう、好きだよ。
然ういうのは、要らないから。
はい。
……それじゃあ、また後でね。
また後で?
聞こえたの?
うん、聞こえた。
然う。
何が、また後でなの?
私達だけの話だから、気にしないで。
……愚痴?
さぁ?
うー……。
幼児?
……まぁ、いっか。
良いのね。
……うん、良い。
ふ。
……やっぱり、聞いても良い?
いや。
……はい。
ふふ……。
……楽しんでるかい。
ええ、楽しんでいるわ。
……それは、何より。
それより、味見は?
ん……これ、なんだけど。
……美味しそうね。
美味しいと、良いな……。
自信喪失?
……自信は、ある。
然う……。
……熱いから、気を付けてね。
……。
少し、薄いかな。
……然う、ね。
分かった、もう少し足すよ。
ううん……これで良いわ。
……良い?
美味しいわ、まこと。
んっ。
……ふふ。
水野……亜美。
……フルネーム?
……。
……どうしたの?
なんだか、恥ずかしくなってきた……。
……どうして?
分かんない……。
……変なひとね?
ね……。
……お皿、返すわ。
あ、うん……味は、これで良いんだよね?
これから、もう少し煮込むのでしょう?
うん、もう少しだけ煮込む。
なら、良いわ。
じゃあ……もう少し、待っていて。
あの子達と、お話でもしながらね。
……読書でも、良いと思う。
ふふ、それでも良いわね。
……。
そうそう、問題はなかったわ。
……問題?
気になるようだったら、確認しておいて。
あぁ、みんなのことか……ん、分かった。
……。
なんだか、暑くなってきたな……。
……ねぇ。
ん、な……。
……。
……に。
じゃあ、また後で。
あ、あぁ……。
……シチュー、うっかり焦がさないようにね。
あたしのほっぺたが、うっかり熱い……。
ふふ……何を言っているのかしら。
8日
……For our future awaits.
私達の未来が、待っている……。
……ん。
急に、なに……?
……突然、頭の中に浮かんできたんだ。
前触れもなく……?
……ん、一切なかった。
ふぅん……。
……。
髪の毛……。
……うん、ありがと。
前髪、伸びたわね……。
ん……気になってはいるんだ。
……切ったら?
今日、切ろうかな……ね、お願いしても良いかい。
……がたがたになっても、良いのなら。
良いよ……。
……物好き。
がたがたになったことなんて、一度もないしさ……。
……今回は、なるかも。
それはそれで、構わない……。
……どうかしてる。
ははは……。
……未来なんて。
うん……?
未来なんて、待っているのかしらね……。
んー……待っているとも言えるし、待っていないとも言えるかな。
……言葉にしておいて、いいかげん。
今まさに、未来に向かって時間は流れているだろう……?
……止まるなんて、あってはならないことだもの。
未来に向かって、歩いていく……然う考えると、未来は待っているものではなく、向かっていくものだと考えることが出来る。
……今が、未来へと繋がる。
と言っても、今は水野さんとベッドの中でごろごろしているけどね……。
……物理的には歩いていないけれど、概念的には歩いていると言える。
止まることも、後ろに戻ることもない……。
寧ろ、戻ってはいけない……何故ならば。
時空に歪みが生じて、現在の時間が壊されてしまう……ひいては、未来まで殺されてしまう。
……それまでの時間はなかったことになって、新しく生まれた未来へ歩いていくことになる、ただそれだけのこと。
だとしても……たったひとりだけの為に、あたし達が歩む筈だった未来を壊されたくはない。
……それも結局は、あなたという個人の問題、或いは願望でしかない。
然うさ……だから、ひとりで変えて良いものではないんだ。
未来も、世界の仕組みも、ひとのこの寿命でさえも……若しも変えるとするのならば、皆で考えなければいけない。
つまり……個よりも、全。
ううん……それとは、少し違うよ。
……どう違うの?
皆で考えるということは、ひとりひとりの考えを聞くことであって、それはつまり、個を尊重することでもあるんだ。
決して同調圧力を掛けてはいけない、頭ごなしに否定してはいけない、差別をしてはいけない……それを許してしまった時に、個は全となる。
……強制的にね。
うん……だから、駄目なんだよ。
……その考え方は理想的ではあるかも知れないけれど、それを現実とするにはとてつもなく大きな力が必要になるでしょう。
例えば……。
……多数の信任を得た、絶対的な独裁者。
それでは、結局……。
……当然、個を生かすことが出来る存在でなければ意味がない。
己を殺して、全の中で生きる個に尽くす。
そんな独裁者は、今までに居ただろうか。
……小さな集落であれば、若しかしたら。
大きな器……例えば、国単位だったら。
……仮にあったとしても、長くは続かないでしょう。
独裁者の個を殺す……。
……結局は、人柱となる存在が必要なのよ。
人柱……か。
……月の女王が、それを望んでいるとしたら。
望んでいるようには、あたしには見えないが……水野さんは、どう思う?
あれは一度、理に背いて……世界を壊している。
……あらゆる者を、巻き込んで。
信用出来るかと問われれば、私は出来ないと答える。
……個に尽くすことは、望んでいないと。
と言うより、望んだところで不可能でしょうね……ひとのことしての心を持っている限り、どこかで自分の感情を優先する、してしまう。
……理通りには、生きられない。
支えである伴侶を失ったら、どうなるかしら。
……崩れてしまいそうだなぁ、今回も。
守護神なんて、ひとつも役に立たなかった。
水星と木星は、心から仕えていたわけではなかったしなぁ。
……居たところで、気付かなければ意味がない。
今はどうだろう。
……関わっていないから、細かいところまでは分からないわ。
悪くはないみたいだけど……伴侶を失ってみなきゃ、本当のところは分からないかな。
……崩壊した時に、今回も駄目だったと気付くわけね。
命運を握り過ぎている……出来れば、普通の女として人生を送って欲しい。
然う願いたいけれど……ひとのこの世が乱れているだけでなく、青い星が巻き込まれて傷付いているとなると、お出ましになってしまうわ。
……この世に悪があるとすれば、それはひとの心だ、とは良く言ったものだ。
どこで聞いたの。
テレビで流れていたCMだったと思う。
……ふぅん。
若しも次の世界があるとしたら、それはどんなものになるだろう。
月の世界の延長線……今を生きる、ひとのこの心を浄化して。
……浄化。
そして……ひとのこは、女王が考える美しい生き物へと生まれ変わることでしょう。
……女王好みの、か。
その世界では、ひとのこは手を取り合い助け合うことが当たり前で……醜い争いなど決して起こらない、起こる筈もない。
然う、女王は考えるだろう……多分、思い込みの強さは変わっていないだろうから。
……でもそれは、価値観の押し付けでしかないわ。
皆が皆、同じ価値観を持っているとは限らないし……共有出来る筈もない。
……故に、法を定める。
それもまた、価値観の一種だと言われてしまえばそれまでなのだけれど……。
……集団には、「ルール」が必要。
でないと、どこまでも野蛮な存在に成り下がる。
秩序のない、世界になってしまう。
……そんな世は、女王が望んでいるものとは程遠い。
まぁ、ひとつの世界にするのは難しいことだ。
始まりの月のように、規模が小さければまだしも。
……純粋な心は、砕けやすい。
少しは、今の世で学んで呉れたんだろうか。
……さぁ、どうかしらね。
相変わらず、勉強が嫌いなんだっけ。
……中学生の頃は、酷いものだったみたい。
あたしもちらりと小耳に挟んだな、補習ばかりだと。
……今はどうしているのか、知らない。
高校には、行ったんだろ?
……こんなご時世だもの、退学しているかも知れないわ。
あー……まぁ、ないとは言えないか。
……婚姻年齢は16歳、ないとは言えない。
それはそれで、しあわせだな。
……頭の中がね。
相変わらず、辛辣だ。
……そのまま、ひとりの女として生を終えて欲しい。
然ういう未来も、良いと思うんだけどな……子供を産んで、育てて。
……その子供がこの先、どうなるか分からないけれど。
あぁ……場合によっては、面倒なことになるかも知れないな。
……なるでしょうね、確実に。
やっぱり、そっちに転んでも駄目か……。
……こうしている間にも、時間は着々と未来へと進んでいる。
止まることはないもんなぁ……あたし達があれこれ話していたところで、絶対に。
……歩みは常に未来へ向いている、過去に向かうことなど決してないの。
いつだって、その歩みは一方通行だ……。
……けれど振り返ることは出来るわ、思い出として。
その思い出が、良いことばかりだったら良いのだけれど……然うすれば、痛みだって残ることはないだろう。
それは不可能……ひとのこに心がある限り、どうしたって感情に左右されてしまうから。
しかも、心は千差万別で……同じ物事でも、痛みを感じる者と感じない者が居る。
楽しいと感じる者も居れば……どうしようもなく詰まらないと感じる者も居る。
痛みは、心に仄暗い傷を残し……幸福は、心に強さと甘えを残す。
……私にはしあわせだった記憶がない。
……。
……あなたに出逢うまでは、と、言っておいてあげるわ。
これからも、もっと……ふたりで、残そう。
……残せれば良いけれどね。
精一杯生きていれば、残せるさ。
……あなたが言うのなら、然うかも知れないわ。
でも、その為には……水野さんの力が必要だ。
……私の力なんて、ささやかなものでしかないわ。
あたしにとっては、とてつもなく大きな力なんだ……。
……大袈裟。
水野さんにとっては、ね……。
……はぁ。
そろそろ、起きるかい……?
……どうせなら、甘い朝にすれば良かったわ。
これからでも、出来るよ……。
……もう、疾うの昔に夜は明けたから。
躰を起こすまでは、まだ……ほら、家に帰るまでが遠足だって言われたろう?
……そんなこと、言われたかしら。
多分、小学生くらいの時に。
私、遠足には参加していないの。
……。
旅行にも、欠席という扱いにされて。
……然う、だったんだ。
言わなくても分かっているだろうけれど、あの女のせいで。
……どこまでも。
面白くないみたいよ、忌々しい娘が楽しい思いをするかも知れないということが。
……。
まぁ、私としても都合が良かったけれど。
なんせ、遠足や旅行を楽しむおともだちなんてひとりも居なかったから、
……あたしとどこかにお出掛けするの、楽しいかい?
ええ、悪くはないわ。
それじゃあ、もっとお出掛けしよう。
……行けたらね。
行くんだ、近くても良いから。
……一泊ぐらいなら、してみたいけれど。
一泊と言わず、二泊くらいはしたいなぁ。
……行きたいところはあるの?
行ってみたいところは、沢山あるよ。
北は北海道、南は沖縄まで。
……。
食べたいものも、見たい景色も……ん。
……今は、もう。
……。
……流氷も珊瑚も、叶うなら見てみたいわ。
うん……あたしも、見てみたい。
……あなたと。
君と……。
……君?
ん、変かな……。
……まぁ、良いんじゃない。
ふふ、そっか……。
……。
……起きるかい?
ううん……まだ。
……なら、あたしも。
みんなのお世話をしなくても良いの……?
……起きたら、するよ。
ただでさえ、今朝は寝坊しているのに……。
……多分、許して呉れる。
然うだと、良いけれど……。
……ふふ。
楽しそうね……。
……うん、しあわせだ。
こんな、ささやかなことでも……あなたは、しあわせを感じることが出来るの。
……こういう時間も、大事にしたい。
……。
ん……水野さん。
……まだ、名前で良いわ。
躰を、起こすまで……?
……名字の方が良いのなら、無理にとは言わない。
亜美……。
……。
お勉強は……午後からでも、良い?
……朝食は、昼食を兼ねるの?
その分、おやつを用意するよ……今日も。
……お腹は空いていないの?
意識さえ、しなければ……。
……ふ。
聞こえた……?
……ええ、しっかりと聞こえたわ。
全く、仕方のないお腹だな……。
……昨日は夕食の時間が早かったから。
うー……。
……どうするの、まこと。
もう少し、こうしていたいけど……亜美のお腹は、どう?
私のお腹は、鳴るまでではないけれど。
……ごはん、作ろうかな。
今朝は鶏肉とキャベツのシチューを作ると言っていたわよね……?
うん……そのつもりだよ。
若しも作るのが億劫であるならば、もっと手軽なものでも良いわよ。
手軽……電子レンジで作るオニオングラタンスープとか?
私は、それでも構わないわ……それなら、パンも手軽に食べることが出来るし。
……。
だけど……まことは、それで足りる?
……シチューを作りたいな。
然う……ならば、作って。
ん……作る。
……。
……。
……起きないの?
温もりが、名残惜しい……。
……これで、おしまいなわけではないでしょう。
然うなんだけど……さ。
……ほら、お腹が鳴っているわよ。
くそぅ、弁えないお腹だな……。
ふふ……素直で良いじゃない。
……ぅ。
相変わらず、引き締まってる……。
……好き?
ええ……好きよ。
……。
……弱点でも、あるしね。
亜美……。
……だめよ。
でも……そんなことを、されたら。
……私はただ、指先でなぞっているだけ。
それだけでも……。
……シチューを作るのでしょう?
……。
まこと……?
……ごめん、やっぱり。
……。
もう一度だけ……。
……本当にお昼になってしまうわ。
いやかい……?
……いやと言ったら、止められる?
がんばって……とまる。
……手が、胸の上で遊んでいる。
あ、遊んでるだけなら……。
……シチュー、美味しくなかったら許さないわ。
ちゃんと……おいしく、つくるよ。
……ちゃんと、ね。
そう……ちゃんと。
ん……ぁ。
……。
……ごめんなさいね。
7日
……。
ぁ……。
……少し、休む?
やすませて、くれるの……。
……亜美が、休みたいのなら。
なら……やすませて。
……どれくらい、休みたい?
どれくらいって……ほんとうに、ねかせないつもりなのね。
大丈夫……全く、寝かせないつもりはないから。
……いいかげんなことを、いって。
一睡もしないのは、つらいと思うんだ……。
……ほんとうに、そうおもっているの。
うん、思っているよ……。
……はぁ。
溜息……それとも。
あいもかわらず……つかれとはむえんのひとよね、あなたって。
それが、然うでもないんだ……腕なんて、張っているし。
……そうは、みえない。
触ってみるかい……多分、硬くなっていると思うから。
……あなたのうでは、いつだって、かたいわ。
いつだって……。
……ひきしまっているから。
それでも、いつも硬いわけじゃないと思うな……でないと、疲れてしまうし。
……。
ん……ふふ、こそばゆい。
……きんにくが、つきやすいのよね。
生まれつき、ね……。
とはいえ……ちいさいころは、そうでもなかったのでしょう。
……どうだったかな。
しゃしんが、のこっていればよかったのに……。
……残っていたら、見せたかった。
ほんとうに……?
うん……本当だよ。
……みせられるの。
見せられる……水野さんになら。
……みたかった。
一枚くらい、残しておけば良かった……。
……あなたが、わるいわけじゃない。
言わなかったんだ、あたし……写真を残して欲しいって。
……そんなの、いわなくたって。
あると、辛いだろうからって……そんな声が、聞こえてきたような気する。
……ほかのだれかが、かってにきめていいものじゃないわ。
ん……。
……あなたのいしを、むししていいわけない。
ありがとう……亜美。
……ん、や。
と……まだ、かな。
……まだ、だめ。
はい……。
……はぁ。
ぼんやりしていても、良いけど……。
……はなしたいのなら、きいてあげてもいいわ。
話したいけど……何を、話そうかな。
……とりあえず。
取り敢えず……?
……あたまをつかわない、ないようがいい。
頭を使わないでも、良いのかい……?
……なにが、いいたいの。
夕ごはんの後は、頭を使う予定だったから……ん。
……また、あした。
明日……。
……きょうのぶんまで。
今日の分……出来るかなぁ。
……できるできないじゃない、するのよ。
はい、分かってます……。
……ほんとうに、わかっているの。
ん、分かっているよ……ずっと、亜美と一緒に居たからね。
……まだまだ、よ。
まだまだ……?
……ながいじかんとは、いいがたいわ。
それは……確かに。
……たかが、すうねんくらいで。
百年くらい一緒に居ないと、話しにならない……?
……そんなにながく、いきるつもりはないわ。
なら……七十年。
……それでも、ながい。
還暦……?
……それくらい、いきれば
あたしは、もう少し長く一緒に居たい……せめて、あと六十年くらいは。
……ろくじゅうねん。
ふたりとも、七十代……ね、それくらいなら、良いだろう?
……。
それでも、長いかな……。
……ながくいきたいというがんぼうは、わたしのなかにはないの。
百年とは、言わない……ましてや、千年なんて。
……そんなにながくいきて、なにをするのかしら。
何を……寝て起きて、食べて、好きなひとと一緒に過ごして、遊んで、働いて、食べて、寝て。
……それを、せんねんもくりかえすの?
亜美の場合は、そこに読書や勉強が入るんじゃないかな。
……まことは、はいらないの。
あたしにも入るよ……特に、読書はしたい。
……そのほんは、だれがかくのかしら。
誰って……。
……ながいじかんのなかで、あたらしいほんってうまれてくるのかしら。
……。
あたらしいせだいが、うまれにくいせかいになったら……あたらしいものなんて、うみだされるのかしら。
……若しも、生まれなかったら。
それって、たのしいといえる……?
んー……あたしは、言えないかな。
わたしは、たのしくないわ……にたようなものばかりが、あふれているせかいなんて。
……だけど、色んな研究は進むと思うよ。
そうとも、かぎらない……どうしたって、ていたいしてしまうものはあるとおもうの。
……例えば、どんなもの?
たとえば、びょうきについて……びょうきがなくなるとしたら、だれがけんきゅうをつづけるというの?
びょうきにかかるひとがいなくなったら、けんたいも、とれなくなる……おくすりだって、ひつようなくなるでしょう。
そうしたら、けんきゅうをつづけるいみはあるのかしら……いえ、つづけることはできるのかしら。
……お医者さんは、要らなくなるかも知れない。
そう、いりょうじゅうじしゃは、ひつようでなくなる……いえ、けがはあるかもしれないわね……むしばは、あるのかしら……たしか、なかったはず。
……。
……いりょうかんけいのほんは、きたいできない。
生物学はどうだろう……?
……。
亜美?
やっぱりね……ひとのこは、せだいがかわらないとだめだとおもうのよ。
……。
どんなせいぶつでも……せだいがかわることで、さまつではあるかもしれないけど、へんかしていく。
しんかすることもあれば、たいかすることもある……そうやって、かんきょうにあわせてきたのだし、これからも、そうあるべきなの。
……うん、然うだね。
かみのいろも、ひとみのいろも、はだのいろだって、かんきょうにあわせたけっか……そうなることで、いきやすくなったの。
……ふふ。
なぁに……?
頭を、使っているね?
……むずかしいないようでは、ないわ。
あぁ、そっか……亜美にとっては、他愛もない話なんだっけ。
……いやみ。
ううん、嫌味ではないよ……亜美らしくて、あたしは好きだ。
……ひにく。
違うんだけどな……。
……ぎんずいしょうのけんきゅうを、することができたら。
銀水晶?
……でも、そんなこうきしんやたんきゅうしんすらも。
失われてしまう?
……失われないと、思いたい。
……。
……銀水晶を研究対象とすることは、限りなく難しいでしょうけれど。
銀水晶だけでなく、月の女王の生体も研究しないといけないんじゃないかな……あれの力も、大きいから。
……太陽系外から、飛来した存在。
だとしたら……どこから、来たんだろうね。
……。
亜美……難しいことを考えていると、疲れてしまうよ。
……何か、どうでも良い話をして。
どうでも良い話……ではないけど、明日の朝ごはんは何が食べたい?
……ボルシチ。
ボルシチかぁ……作ってあげたいけど、ごめん、ビーツがない。
……良いわ、言ってみただけだから。
でも珍しいね、ボルシチなんて。
あんまり、作ったことないのに。
……何故ボルシチなのか、自分でも良く分からないの。
ふふ、然うなんだ。
……一体、どこから出てきたのかしら。
確かに、なかなか出てこないよねぇ。
……何度か、作って呉れたのよね。
うん、たまには良いかなぁと思って。
……ビーツなんて、滅多に売ってないのに。
たまぁに売ってることがあったんだよ。
親切にも、ボルシチの作り方まで添えて。
……私、食べたいのかも知れないわ。
ん……。
パンと一緒に……もう、食べられないかも知れないから。
ボルシチには、ビーツがないと……トマトでそれっぽくは出来るけど、それはもう、ただのトマトスープだし。
……然うよね。
牛肉も……難しい。
……だから、何か適当なスープで良いわ。
適当……お野菜?
……肉があれば、入れて。
豚肉と鶏肉、どちらが良い……?
……どちらでも、まことが食べたい方で良いわ。
あたしの食べたい方……ね、シチューでも良いかな。
……シチュー?
鶏肉とキャベツの。
……美味しそうね。
じゃあ、良いかい?
……ええ、良いわ。
ありがとう……張り切って作るよ。
……こちらこそ、いつもありがとう。
……。
……なぁに。
ううん……なんでもない。
……今夜だけよ。
それでも、構わない……。
ん……まこと。
……もう、良いかい?
……。
良い……?
……かくれんぼ。
うん、かくれんぼ?
……。
かくれんぼ……したい?
……お布団の中に。
えと……する?
……しない。
したいなら、しても良いよ。
……なんて、言うの。
うん?
……もう良いかいと、言われたら。
あー……まーだだよ、かな。
……。
もう、良いかい……?
……まだよ、ばか。
あれ。
……。
ふふ……亜美は、可愛いな。
……頭を、撫でてあげる。
え。
……頭。
あぁ……えと、撫でて呉れるの?
……撫でて欲しくないの。
ううん、撫でて欲しい。
……。
好きなんだ……亜美に頭を撫でられるの。
……こんなに大きいのにね。
情けない……?
……甘えた。
呆れる……?
……私だけ、なんでしょう。
うん……亜美だけだよ。
……おばあさまは。
亜美にとって、あたしは孫じゃないだろ……?
……当たり前。
だから、違う……全然、ね。
……その例えは、どうなの?
でも、分かりやすいだろう……?
……分からなくは、ないけど。
ね……撫でて。
……やっぱり、やめようかしら。
やめちゃうの?
……じっとしていてね。
ん……じっとしてる。
……。
……へへ。
まことの髪の毛って、ふわふわしているわよね……。
……真っすぐには、なかなかなって呉れないんだ。
湿気が多いと、よりふわふわしていて……梅雨時なんて、朝起きると。
あちこちで、ふわふわしてて……櫛で梳かしても、まとまる気配すらない。
……だからいつも、さっと結ってしまうの。
結ってしまえば、ある程度はまとまるからね……。
……結った先は、ふわふわしたままだけれど。
別に良いんだ、それでも……元々ふわふわしているから、寝癖がどうかも分からないし。
……私は、分かるわ。
分かるのは、亜美だけだよ……他のひとなんか、気にもしない。
……喜んで良いのか、いまいち分からないわね。
あたしのことが分かるのは、亜美だけ……。
……全てを分かっているわけじゃない。
だけど、他のひとよりは分かって呉れてる……。
……ん、ちょっと。
ごめん……少しだけ、動いた。
……じっとしていてと、言ったでしょう?
ちょっと、顔の位置を動かしたかったんだ。
……こすりつけて。
ふふ……気持ち良いな。
……気持ちが良いほど、ないけど。
あるよ。
……。
ある……う。
……二回も言わないで良い。
はぁい……。
……。
今夜の亜美は……いつも以上に、甘い。
……然ういうことを言うと。
いつも、甘い……。
……息が、くすぐったい。
ふふふ……。
……ねぇ。
ん、もうおしまい……?
……好きよ。
ん……。
……好きなの、あなたのことが。
あたしも、好きだ。
……。
……あれ。
あなたはいつだって、さらっと言ってしまうのよね……。
えと……若しかして、言葉が軽い?
……さぁ、どうかしら。
重く、言った方が良いのかな……。
重くって、どうやって言うの?
……好きだよ、亜美。
声の高さが変わっただけね。
愛してる。
……大して、変わらない。
難しい……ぅ。
……別に、変わらないで良いわ。
良い、かな……。
……変わらずに、言って。
……。
私のこと……
好きだ。
……。
好きだ……大好きだよ。
……やっぱり、さらっと言う。
……。
……もう、良いの。
ありがとう……とても、気持ちが良かった。
……私のことも、気持ち良くして呉れる?
したい……。
……ぁ。
もう、良いかい……?
……。
かくれんぼだったら……もう、良いよって言うかな。
……もう、良いわ。
と……。
……もう。
じゃあ……探そうか。
……あなたの目の前に居るけれど。
亜美の、良いとこん。
……余計なことは、言わないで良い。
なら……黙って。
……だから。
……。
……まこと。
たかぶってる……。
……しってる。
……。
は、ぁ……。
……もっと、欲しい。
好き、に……。
……しても。
して……。
6日
どうだい、水野さん。
……いつも通り、悪くないわ。
味は、薄くないかい?
……これくらいで、丁度良い。
パンは食べる?
……半分。
ん、半分だね。
……。
電子レンジであっためたから、ほんのり甘くて美味しいよ。
……それは良かった。
焼くのも良いけど、あっためるのもほかほかになって良いよね。
……パンによっては、温めた方が好みのものもあるわ。
例えば、ロールパンとか。
……いつだったか、あなたと行ったお店のパンも悪くなかった。
んー、どこだろう。
……十字に切り込みを入れたパンにバターをのせて、オムレツと一緒に食べる。
十字……オムレツ……あぁ、あそこのお店か。
……パンは、お持ち帰りが出来るの。
うん、あのお店のパンは美味しいよね。
久しぶりに、買ってこようかなぁ。
……多分、もうないわ。
……。
……だって、あのお店が入っていた場所は。
どこかに、移転していないかな……少し、離れた場所にとかさ。
……経営が成り立たなければ、それは難しいと思う。
経営……。
……お店を構えるにしても、資金が要るもの。
然うか……もう一度、食べたかったな。
……。
バターは、要るかい……まだ、残っているよ。
……ううん、今日は要らないわ。
うん……じゃあ、また今度。
……もちもちのどら焼きを食べたから。
腹持ちが、良過ぎた……?
……大分ね。
お散歩は、腹ごなしにならなかったかな。
……もう少し、あなたとお散歩出来ていれば、こなれていたかも知れないわ。
雨が降ってきちゃったからね……しかも、雷付きで。
……気温も下がってしまって。
傘を持って、出ていれば良かったと思う……然うすれば、もう少しお散歩出来たかも知れない。
……。
まぁ、滝のように降っている間は無理だけどね……視界も、悪いし。
……その予測は、私がするべきだった。
……。
予測をせずとも……あなたが心配した時点で、素直にどこかのお店に入っていれば良かったのよ。
東屋での雨宿り、あたしは好きだよ。
……好きだけでは、どうにもならないわ。
でも、雨宿りは出来たよ。
……東屋に着くまでに、あなたは濡れてしまった。
水野さんがハンカチで拭いて呉れた、とても嬉しかった。
……ハンカチだけでは。
拭いて呉れる手がとても優しくてね、ほっとしたんだ。
……小学生?
あはは。
……あなたが風邪を引かなければ良い。
大丈夫さ、帰ってきてあったかいお風呂に入ったんだから。
……一緒に入ってあげれば良かったわ。
うん、水野さんと一緒に入れたら……え?
……然うすれば。
然うすれば……?
……待っている時間を作らずに済んだのに。
待ってる、時間……。
……。
あの……それは、どういう意味?
……そのままの、意味。
そのまま……。
……パン、ふかふかで美味しいわ。
あ、うん、良かった。
……あなたも食べたら?
ん、食べる……。
……。
……このパン、ほんのり甘いよね。
ほんのりとした甘みが、このパンの良さだと思う。
……野菜スープと食べても美味しい。
……。
パンが美味しいと、良いよね……どんなものにも、合わせることが出来るから。
……あなたのスープが美味しいのよ。
あたしの……?
……スープが美味しいから、パンも美味しく感じられる。
あ、あぁ……。
……どうしたの。
う、ううん……ありがとう、とても嬉しいよ。
……然う、良かったわ。
あの、水野さん……若しも、
このパンを買ったお店……。
……え。
大変だとは思うけれど……出来れば、やめないで欲しいと思う。
あぁ……うん、あたしも然う思う。
こんなに美味しいパンが食べられなくなるのは淋しいから。
……材料の問題は、あると思うけれど。
小麦粉の値上げ……なんとか、止まって呉れないかな。
……戦争が終わって呉れない限り、かなり難しいと思うわ。
戦争……。
……終わったところで、すぐにどうにか出来るわけでもない。
どうして……戦争なんか。
……愚かだからよ。
愚か……。
この時代に……穀倉地帯や油田地帯を潰せば、どうなるか。
火を見るより明らかだ……。
……世界から見たら、極東の島国がひとつ潰れるくらい、なんでもない。
もう少し、国内での生産量があったら……。
……幾らかは、猶予があったかも知れない。
この国はずっと、輸入に頼ってきちゃったからさ……世界で戦争なんか始まってしまったら、簡単に行き詰まってしまうよ。
……ましてや、加担なんてしてしまったら。
……。
指導者達の失敗……そんな一言では、片付けられないのかも知れないけれど。
……選んだのは、あくまでも国民だ。
私達は、選んでいないわ……。
……うん、然うだね。
……。
減反政策、だっけ……ずっとそれをやってきて、今更、切り替えろと言われてもね。
すぐには、どうにも出来ないし……もっと言えば、お米だけではないわ。
……畜産も、大打撃。
農作物、畜産……今から立て直しを図ったところで、飼料と肥料がない、燃料だってない。
飼料も肥料も、燃料だって輸入だもんなぁ……今更だけど、本当に何もかもが足りないや。
……食事中だから、慎むけれど。
うん、分かるよ……肥料は昔のように、だね。
……けれど、それもすぐには無理でしょう。
そもそも、生産者が減ってしまっているからさ……付け焼刃でも良いから、皆で始めないと。
……燃料がないから、漁業もままならないわ。
昔ながらのやり方では多くを獲ることも、遠洋に出ることも出来ないと思う。
……獲れたところで運べるのは近場だけ、遠くには運べない。
保存も出来ないもんな……冬場ならなんとかなるけど、夏場は漏れなく腐る。
……干物にすれば、流通が広がるかも知れない。
それにだって、限度があるだろう……。
……今はまだ、かろうじて生きているけれど。
なんにせよ、時間の問題だ……。
……いずれ、備蓄は尽きる。
やっぱり、みんなで田畑を耕すしかないかな……海に出る者は、舟で網漁、若しくは、潜水漁?
……川もあるわ。
湖もね……。
……先人達は、やってきたのだから。
現代人にも、出来る……為せば成る、だ。
……知識や知恵を持っているひと達に教わって、ね。
然う言えばさ、あたしのご先祖様はどうやら農家だったらしい。
……分かる気がするわ。
水野さんのご先祖様は……。
……月で守護神。
ん……。
……聞いたことがないから、知らないの。
そっか……ごめん。
……ううん、どうでも良いから。
……。
……そのうち、贅沢は敵だと言い始めそうね。
犬も猫も、贅沢だ……食わせる餌があるのならひとに回せ、なんてさ。
……足らぬ足らぬは、工夫が足らぬ。
欲しがりません、勝つまでは……。
……一体、何に勝つと言うの。
戦争をしているひと達は、「敵」に勝てば良いと言うのだろうけれど……あたしには、分からないよ。
……それまでに、どれだけの民が息絶えるか。
ろくなもんじゃないな……何度、考えても。
……ええ、ろくなものではないわ。
漁と言えば、鵜飼いなんてのもあるよね……。
……一部には、残酷と言われているものね。
それを言うのなら、田んぼの鴨だ……。
用が済んだら食用にする……けれど、命を頂くのであれば、残酷とは言い切れない。
……うん。
……。
……。
……この先のことを考えると、勉強どころではないわね。
高校も、いつまで通えるか……いや、通えるだろうけど、授業が勤労奉仕になりそうだ。
……女が進学なんて。
16歳になったら子を生産め、かな……。
……同意年齢は、13歳。
それ、やっぱり早過ぎないかな……まだ、中学生だよ。
……それを言ってしまったら、私達はどうなるの。
あたし達は……まぁ、同い歳だし。
……都合が良い。
大人が、子供に手を出すのは……あたし個人としては気持ちが悪いし、決して許せることではない。
……手を出す者は全て、前線に送られてしまえば良い。
うん……分かる。
……児童労働も、当たり前のように。
希望も何も、あったものじゃないね……。
……でも、然うやって繋いできたのよ。
現代人が、耐えられるかな……。
……ひとは、慣れる生き物。
然うだけど……。
……強き者達だけが、生き残る世界。
やだな……そんな世界も。
……そこに出てくるは、月の女王。
あー……。
……女王が統べる世界には常にしあわせが溢れ、痛みや苦しみなんてものは存在しない。
病気にはならず……寿命は、無駄に伸びる。
……長くて、千年。
幾らなんでも、長過ぎる……生きてせいぜい、百年くらいの生物が。
……地域によっては、五十年以下。
いきなり、二十倍だ……途方もないなぁ。
……初期の頃は、子供も生まれるでしょうけど。
そのうち、生まれなくなる……なんせ、手間だから。
……女の躰を使って、生産しなくなるかも知れない。
人工子宮……?
……けれど、行為は残る。
それは……その欲は、なくならないだろう。
……月経の周期も変わるでしょうね、卵には限りがあるから。
千年も生きると言うのに、一ヶ月に一回、排卵していたら……あっと言う間になくなっちゃうよね。
……卵子がなくなれば、子供は生まれなくなる。
然うなると、凍結保存かな……精子は、どうだろう。
……劣化するか、否か。
劣化するかな……ずっと、若いままなんだろう?
……前の世界では、用を成さなかった。
となれば……。
……こちらも、凍結保存が必要になるかも知れない。
しかも、優秀なものに限る……?
……中には、物好きな者も居るでしょうから。
うん……確かに。
……最悪、造れば良い。
昔のように……?
……時間ならあるわ。
あるね……無駄に。
……何もかもが、変わるの。
反抗する者は、出てくると思う……?
……すでに、ここに居るでしょう。
ん、然うだった。
……。
……。
……なんだか、味がしないわ。
止めよう、こんな話……もっと、楽しい話を。
……私とふたりなら、楽しいのではなかったの。
然うだったんだけど……この話題は、駄目みたいだ。
……駄目ね。
ん、ごめん……。
……然うじゃなくて。
水野さん……?
……何も、考えたくないわ。
……。
……木野さん。
ねぇ、水野さん……。
……なに。
ふと、思い付いたんだけどさ。
……なにを。
どら焼きの生地をごはんにしてみても良いかも知れない。
……は。
パンの代わりに、どら焼きの生地……。
……甘い生地に、何を合わせると言うの。
味噌汁は合わないと思う……。
……和食は厳しいと思うわ。
となると、洋食……中華は。
……麻婆豆腐と、どら焼きの生地。
うん……合わないかな。
……甘くなければ、食べられなくもないかも知れない。
なら、砂糖は抜いて……それはもう、パン?
……素直にパンで良いわ。
どら焼きの生地をごはんにするなら……ホットケーキと、同じように考えた方が良さそうかな。
……色々などら焼き。
ふ……。
……あなたが言ったんじゃない。
然う、だけど……すごく、真面目な顔をしていたから。
……こういう顔なの。
うん……可愛いね。
……ばかなの。
とても、可愛い……。
……。
……水野さんは、本当に。
ねぇ……。
……なんだい。
どうして、お茶の後に……。
……。
……食事、なんて。
途中でお腹が鳴ったら……格好悪いから。
……何よ、それ。
作るの、億劫になってしまうと思うからさ……。
……その時は、パンでもかじっていれば良い。
どうせなら……ほかほかのパンが食べたい。
……そんなことを言って、本当は。
その日、なんだ……。
……。
……煽られてしまったから、大変なことになってる。
そのわりには……落ち着いているように見えるわ。
……どうにか、ね。
……。
先に、言っておくね……今夜は多分、眠れない。
……。
ごめんよ……。
……せめて。
ん……?
……休ませて。
あぁ……うん、分かった。
……。
……水野さん。
出来るだけ、ゆっくり食べるわ……。
……うん、お腹の為にもね。
あなたも……。
……うん、あたしも。
……。
……美味しいかい。
ええ……美味しいわ。
5日
おかえり。
……ただいま。
お茶、淹れるね。
……木野さんは。
未だ飲んでいないし、淹れてもいない。
……私のことなんて待っていないで、ひとりで飲んでいて呉れても良かったのに。
ひとりで侘しく飲むよりも、水野さんとふたりで楽しく飲みたい。
……私とふたりで飲んだところで、楽しいとは限らない。
楽しくなかったことなんて、あたしは一度もないよ。
……ただの一度も?
うん。
……口を利かなかったこともあるわ。
会話がなくても、ふたりなら安心する。
……淋しがり。
然うなんだ。
……髪の毛は、乾かしたの。
うん、ちゃんと乾かした。
……。
ん。
……少し、湿っているわ。
これくらいなら、あとは自然に任せようと思って。
寝るまで、まだまだ時間はあるからさ。
……ちゃんと、ではないわね。
ごめん。
……意外と、横着者なの。
嫌かい?
……嫌だったら、出て行っても良いの?
それは、困る……。
……困るだけ?
一人きりなのが、あまりにも淋しくて……何もしなくなる、ううん、出来なくなると思う。
……何もしなくても、お腹は空くわよ。
いっそ、そのまま……ん。
……出ていくつもりは、ないわ。
……。
だから……お茶を淹れて。
ん……分かった。
……ふぅ。
髪の毛、乾かすかい?
……良いわ、私は短いから。
……。
なに。
……手間?
いちいちドライヤーを使うのが面倒なの。
……乾かして
そんなことよりも、お茶を淹れて。
……水野さんの髪の毛を乾かすのは楽しいんだ。
そんなところに楽しみを見出さないで良い。
……細くて、柔らかくて。
木野さん。
……はい、今すぐに。
全く。
躰はあったまったかい?
温まったわ。
然うか、良かった。
私は冷えていなかったのに。
雨が降ったことで、冷たい空気に変わってしまったから。
シャワーではなく、お風呂を沸かして。
今入ってしまえば、夜に入らなくて良いと思ったんだ。
今日はもう、外には出ないと思うし。
……夕食の後は、頭を使う時間。
ん。
……よもや、忘れてはいないでしょうね。
忘れてはいないよ……学生の本分は、学びだからね。
然う……なら、良いけれど。
……はぁ。
溜息?
ううん、ほっとして。
ふぅん。
ちょっと待って……て?
……。
み、水野さん?
……なに。
なに……て。
……悪いの。
わ、悪くはないよ……悪くは、ないけど。
けど……やっぱり、悪いのね。
じ、時間が……まだ、早いかなって。
……考えていたんじゃないの。
な、なにを……?
……あなたが考えていることを、私が分かると思っているの?
わ、分からないよね……うん、分かるわけ、
……。
ひぁ……。
……情けない声。
く、首元に、息がかかったから……。
……から?
口から……勝手、に。
……躰は、素直。
……っ。
……と、言うのよね。
み、水野さんだから、だよ……。
……私だから?
水野さんだから……反応、しちゃうんだよ。
……跳ね除けたことは、あるの。
え……?
……跳ね除けたこともないくせに、私だけなんて言わないで。
なにを、いって……。
……だって、然うでしょう?
なに、が……そう、なの。
……私以外、知らないのでしょう。。
……。
それなのに……私だけなんて、どうして言えるの。
……言えるよ。
若しも、他の誰かに同じことを
それ以前に……指一本、触れさせない。
……どうだか。
触れようとした瞬間に……骨を折る。
……。
圧し折ったことがあるんだ、あたし。
……木野さん。
骨が折れた感触と、その音を、思い出そうと思えば思い出せる。
……思い出さなくて、良い。
骨は頑丈なものらしいけど、あたしの力の前では、わりと脆いものなんだよ。
いや、老化と酒、あとは喫煙だったかなぁ……それで、脆くなっていたのかも知れない。
酒と煙草なんて、躰に悪いのにさ、良くやるよね……莫迦みたいだよ。
……もう、良い。
良い……何が、良い?
……言わないで。
ん、分かった……もう、言わない。
……。
前に一度だけ、話したことがあると思う。
……憶えているわ。
水野さんが言っていることは……然ういうことでは、ないかも知れないけど。
……。
あたしさ……基本的に、他人の温度を受け付けないんだ。
考えるだけでも、気持ちが悪くなってしまって……だから、あたしは。
……私、だけ。
うん……水野さんだけ。
……。
これは、言っていないと思うんけどね……場合によっては、祖母も受け付けないんだ。
祖母は、そんなつもりで触ろうとしたわけではないのにさ……然う、不意を突かれると駄目なんだ。
躰が、無駄に警戒してしまって……だからあたしは、祖母から離れたんだ。
……。
祖母に、頭を撫でてもらうのが好きだった……今でも、好きだけれど。
……不意を、突かれなければ。
平気……だけど、この歳になって頭を撫でてもらうなんて、出来ないよ。
……撫でてもらえば良いじゃない。
水野さんは、恥ずかしいと思わないかい……高校生にもなって、頭を撫でられて喜んでいる大女なんて。
……思うわけない、そんなこと。
そっか……じゃあ今度、言ってみようかな。
撫でで欲しいのであれば……おばあさまならきっと、応えて呉れる。
ん、然うだよね……あたしも、然う思うよ。
おばあちゃんは、とても優しいひとなんだ……。
……。
若しも、水野さんよりも。
……好きなひとが、出来たら。
その時は、そのひとだけになるんじゃないかな。
……そして、私のことは受け付けなくなるの。
多分……だけどね。
……。
うん……やっぱり、水野さん以上のひとは居ない。
居るとは、思えない……なんてさ、ごめんよ、重たいよね。
……もう、慣れたから。
ふふ、そっか。
……。
ごめん、水野さん……離れてもらっても、良いかい。
……ええ。
あと……謝らないで、良いからね。
……私は。
ごめんね……水野さんが言いたかったことは、こんなことではなかったんだよね。
……ごめんなさい。
……。
……私が、謝りたかったの。
はは……。
……どうして、笑うの。
水野さんは……やっぱり、素敵なひとだ。
……どこが、素敵なの。
ちゃんと、謝れるから……知ってるかい、世の中にはどうしたって謝れないひとが居るんだよ。
自分が、悪いのに……全然、謝ろうとしないんだ……挙句、嘘ばかり重ねて……何度も、ひとを傷付けるんだ。
……私は所詮、ろくでなしよ。
ううん……水野さんは、ろくでなしなんかじゃない。
水野さんがろくでなしだったら……あたしなんて、救いようがないよ。
……あなたを、傷付けたわ。
勝手に、傷付いただけだよ……水野さんがそんなつもりで言っているわけではないと、頭では理解していたのに。
……心が、追い付かないのでしょう。
ん……厄介だよね、心って。
……私の顔なんて、見たくないようだったら。
ずっと、見ていたい。
……。
だから……そんなこと、言わないでよ。
……酷いことを言ったの。
傍に居て欲しい……離れないで欲しい。
……出来ない。
あたしの顔、見て呉れないね……。
……。
見られない……?
……合わせる顔が、ない。
水野さんは、本当に真面目だなぁ……すぐに、難しく考えてしまって。
……真面目という問題ではないわ。
ねぇ、水野さん。
……。
お願いだから、行かないで。
……離して。
ううん、離さない。
……少しの間、外に行くだけよ。
外に行くだけと言うけれど、どこに行くつもりなんだい……?
……言えば、離して呉れるの。
多分、離さない。
……言うだけ、無駄じゃない。
それでも、聞くよ……聞くんだ。
……無理強い、するの。
だって、離したくない……絶対に、行かせたくないんだ。
……離して、木野さん。
駄目だよ……湯冷めしてしまう。
……そんなの、どうでも良い。
良くない。
……頭を冷やすには、それくらいのこと。
水野さんには、体調を崩して欲しくないんだ……。
……崩さなければ、良いのでしょう。
無理だよ……水野さんは必ず、体調を崩す。
……どうして、分かるの。
分かるさ……。
……許されないことをしたわ。
じゃあ、許すよ……うん、これでおしまい。
……。
どこにも、行かないで……ここに、居てよ。
……あなたが許しても。
自分が許せない……だろ。
……。
水野さんは、あたしに厳しいけど……自分には、もっと厳しいひとだ。
……やめて、私はそんな人間じゃない。
分かった、言い方を変える……。
……。
外に出るなんて、許さない。
……う。
許さないよ……水野さん。
……きのさん。
強い言葉を吐いて、ごめんね……傷付いたよね。
……ちがう。
あたしなら、大丈夫……もう、心配要らない。
……やめて、私が悪いのに。
ふ……。
……ぁ。
キス、しても良いかな……。
……どう、して。
キスをすれば、顔は見えないだろ……?
……。
ふふ……何を言っているのか分からないって、思っていそうだね。
……思って、いたら。
あたしも、分からない……って、答える。
……。
多分、ね……キスをしたら、止まらなくなると思うんだ。
……なるの。
うん、なる……それだけ、水野さんの吐息の威力はすごいんだ。
……。
はは……今度は、呆れてそう。
……呆れては、いないわ。
然うかい……?
煽ったのは……私だもの。
……煽ったんだ。
わざと、なの……。
ん……なにが?
……。
キス……しようか。
……お茶、は。
お茶……然うだった、熱いお茶を淹れるんだった。
……淹れて呉れるの。
うん、淹れるよ……水野さんが好きなお茶を。
……木野さんが好きなお茶でも。
水野さんが好きなお茶は、あたしが好きなお茶でもある……。
……。
然ういうわけだから、手を離すけど……どこにも、行かないでね。
……行かないわ。
追い掛けるからね……。
……ん。
どこまでも……地の果てまでも、追い掛けるから。
……然う、でしょうね。
うん、然うなんだ……。
……。
ね……座って、待ってて呉れる?
……待ってるわ。
ん、ありがとう……。
……お礼なんて。
言わせて……。
……。
あたしを、引き留めて呉れているのは……水野さん、なのだから。
……木野さん、あなた。
あなたって……良いよねぇ。
……何が、良いの。
なんだか、パートナーみたいじゃない……?
……もう、然うでしょう。
もう……?
……受け入れたのだから。
受け入れ……。
……言わせたいの。
あぁ、プロポーズ……。
……わざと?
ううん、わざとじゃない……。
……。
キス……は、また後でだね。
……私は、呼ばれない。
ん……?
……あなた、とは。
え、と……呼ばれたいの?
……別に、然ういうわけじゃない。
あなた?
……。
んー……ちょっと、恥ずかしいな。
……呼ばないで、良い。
良いの……?
……良い。
ふふ……そっか。
……まこと。
なんだい……亜美。
……こっちの方が良い。
こっち……名前。
……。
亜美……好きだよ、大好きだ。
……私も。
好き……?
……先に、言わないで。
4日
なんだか、雲が多くなってきたな。
若しかしたら、一雨来るかも知れない。
……。
傘は持って出なかったから、帰った方が良いのだろうけど……。
……この程度ならば、長い時間は降らない。
躰の中の雷気が反応しているんだ。
……だから?
間違いなく、雷雨になる。
……戻りたいのなら、ひとりで。
うん、然う言われると思った。
……どうぞ。
ひとりでは帰らない。
……降られても、知らないわよ。
その時は、なんとかする。
……なんとかって。
取り敢えず、どこかに入ろうか。
……騒がしい場所には、行きたくない。
大丈夫……以前よりは、減っているから。
……減少はしているけれど、それでも人口密度は高いままだし、従業者も多い。
転入者よりも転出者の方が上回っているとニュースになっていたから、一応、移住は進んでいるみたいだよ。
仕事の内容も、以前とは変わってきているようだし。特に、事務方は大分減ってしまっているらしい。
……離れたくない人々は居る、この場所が故郷であれば尚のこと。
幾つかのビルや家屋が潰されたけれど、費用や材料の都合で建て直すこともままならない……であるならば、他に移住してやり直す方が懸命だろう。
……畑でも耕していた方が良いわ、先人達のようにね。
皆で耕せば、食べるに困らない……かも、知れない。
……素人では、儘ならないでしょうけれど。
こればかりは、自然頼みだからなぁ……幾らかは先人の知恵で対処出来るかも知れないけど、だからと言って、思うようには絶対にならない。
……種が手に入るかどうかも分からないし。
種か……種がなければ、どうしようも出来ないな。
それこそ、食べられる野草の種でも集めて、育てるしか。
……食べられる野草を知らなければ、どうしようもないわね。
タンポポ、ヨモギ、ドクダミ、オオバコ、フキ、フキノトウ、ノビル、ハコベ、ノゲシ、カラスノエンドウ、ツクシ……春だけでも、これだけある。
……タンポポとドクダミ、それからツクシぐらいかしらね。
うん?
……名前と形が一致するのは。
オオバコとフキノトウも分かると思うけどな。
……皆が皆、あなたのように詳しいわけではないわ。
ナノハナ、これならほとんどのひとが知ってるだろう。
独特な苦味はあるけど、おひたしにしても良いし、油があれば炒めても良い。
……菜の花が食べられると知っているひとが、どれだけ居るか。
図鑑に書いてあるんだけどなぁ。
……好きでなければ、読まない。
美味しいのにな、ナノハナの炒め物。
……食べたことがあるのね。
祖母が炒め物にして呉れたから。
……おひたしは?
おひたしは、あの頃のあたしには苦かった。
……然う。
今なら、どうだろう。
……調子に乗って、摘んでこないでね。
ん、分かった。
……そのうち、私達のような存在は穀潰しと呼ばれるようになるかも知れないわね。
穀潰し?
……ろくに働きもしないで、勉強ばかりしていると。
と言っても、学生なんだけど……学生は、学びが本分だろう?
だとしても……この国にはその昔、学徒動員という制度があったでしょう。
あとは、勤労奉仕かな……酷いと、疲れを感じないと言う「薬」を摂取させられて。
そもそも児童労働が当たり前の世の方が長かった……十になる前に、奉公に出されるとかね。
全ての子供に学びを……なんて、ここ何十年かの話だもんな。
であるから……いずれは、私達も駆り出されることになるでしょう。
……現状が続けば、大いにあり得る。
今のところ、政府は現状に対して有効な手を打てないでいるわ……そのせいで、支持率は下がり続けて。
今や、二桁を切ろうとしている……。
……とは言え、約15パーセントで落ち着いているけれど。
しぶとく踏ん張ってはいるけど……このままなら、時間の問題だ。
……くだらない声が増えてきていて、しかも、その勢力は増している。
仮に今、選挙をしたとしても……。
……まともな選挙にはならない、それはつまり、ろくでもない結果になるということ。
国民に選ばれた者が、まともな者とは限らない……それは、歴史を見れば痛い程に分かる。
……どうにか保っているものすらも、崩壊してしまう可能性は大いにある。
ないとは、全く言えないな……人権なんて、あっさりと踏み潰されてしまうかも知れない。
……権力から見れば、民なんて家畜に等しい。
家畜……。
……労働力を増やす為に、女子には生産(う)めよ殖やせよ。
男子には……馬車馬の如く朝から晩まで働け、かな。
……子を生産めなくなった女もまた、同様に。
けれど、生産まれてきた子供を育てる者も必要だ……赤ちゃんはひとりでは大きくなれないし、母親ひとりでは潰れてしまうかも知れない。
……故に、子守りと言う仕事が必要になる。
あぁ、然うか……男では、難しいもんな。
……女でも、難しいわ。
……。
子守りがあの女のようでは……ろくでなしにしかならない。
……水野さんは、素敵なひとだよ。
節穴……若しくは、ぼんくら。
……あたしは、自分は見る目があると思っている。
思うだけならば、自由……。
……内心の自由すら、奪われそうだけれどね。
然うなったら……どこかに籠もるわ。
……勿論、一緒に行くよ。
……。
和菓子職人、か……それも、楽しそうなんだけどな。
……あなたは躰力がある上に緑が好きだから、田畑を耕すのに向いているかもね。
嫌ではないけど、強制はごめんだよ……あと、水野さんが傍に居て呉れなきゃやる気が出ない。
……どこぞの男に宛がわれるかも。
そんなことはさせない。
……あなたもよ、木野さん。
あたしも?
……女性でしょう。
あたしには水野さんが居るから要らないよ。
……要らないと言っても、強制出来るのが国家権力なのよ。
無人島にでも行こうか。
……悪くはないわ。
ふふ、だろう?
……冗談ではないのね。
うん、わりと本気。
……別に良いけれど。
水野さんは、お医者さんになって。
……あなた専用の?
あたしを、支えて欲しい。
……。
食べることは、任せて。
何があろうと、困らせないから。
……ふ。
食に興味がなくても、食わなければ倒れてしまうだろう?
……倒れるどころか、餓えて死ぬわ。
ん……。
……今は未だ、ライフラインが生きている。
だからこそ、どら焼きが食べられた。
……白玉粉入りのね。
次は、しっとりしたものを作るよ。
……特製の餡蜜も忘れないで。
ん、忘れない……勿論、求肥のことも。
……材料が手に入ったら、だけど。
楽観的だけど、まだ大丈夫だろう。
……物価高は?
ん……まぁ、なんとかする。
なんとかって……本当に楽観的ね。
あ。
……なに。
水野さん、あそこに東屋があるよ。
……知っているわ。
あそこで、少し休まないかい?
……。
あれ、休まない?
……流石に、わざとらしいわよ。
お……。
……でも、良いわ。
うん……じゃあ、行こう。
……その手は?
あたしが手を引くから、思考を続けていても良いよ。
……余計なお世話。
うん、ごめん。
……でも、離さないで。
離す気なんて、最初からない。
……勝手なひとね。
はは……。
……手、熱いわ。
涼しくなってきたから、丁度良いと思うんだ。
……夏は、暑苦しくて。
だから……涼しい場所でしか、繋げなかった。
……無駄に、諦めが悪いのよね。
水野さんの手……夏は特に気持ち良いんだ。
……冬は、冷たいだけで。
冬は……あっためてあげたい。
……お節介。
水野さんにだけだよ。
……知ってる。
……。
……来る。
雨?
……来た。
あ。
……雨粒が大きい、これなら。
水野さん、ごめん。
……ん。
水野さんの歩調に合わせたいけど、濡れてしまうから。
……別に良いのに。
雨に濡れたら、躰が冷えてしまう。
……あなたが温めて呉れるでしょうし。
然うだけど、濡れないに越したことはないよ。
……誰かが、見ているわ。
構わないさ、そんなの。
……あなたは、構わなくても。
水野さんだって、然うだろう?
……。
今更、だ。
……は。
ちょっとだけ、我慢していてね。
……足、滑らせないように。
ん、ありがとう。
……お礼なんて、要らないけど。
お、雷。
……未だ、遠いわね。
確実にこちらに向かってきてる、急ごう。
……。
ふっ。
……誰も、来ない。
来なくて良いよ。
……ふたりきりになれるから?
それも、ある。
……それも、ね。
ん、強くなってきた。
……もたもたしていると、視界が悪くなるわよ。
大丈夫、もうすぐだ。
……転ばないでね。
ありがとう。
……だから、要らないんだけど。
ほっ。
……気が抜ける。
よし、到着。
……下ろして。
うん。
……。
あんまり、濡れなかった?
……あなたは、濡れているわね。
これくらいなら、問題ない。
……屈んで。
うん?
座って呉れても良い。
いや、水野さんが先に
早く。
あ、はい。
……。
……これで、良い?
無駄に動かないでね。
……ん。
……。
……水野さん。
大して役に立たないと思うけど。
……そんなことはないよ。
私のことよりも、自分のことを優先すれば良いのに。
……無理かな。
……。
ん……気持ち良い。
……強い方が良いのなら。
出来れば……このままが良い。
……。
……ねぇ、水野さん。
なに……。
……寒くない?
今は、特に。
……そっか、良かった。
木野さんは?
あたしは……まぁ、大丈夫。
では、ないわね。
……ここまで走ってきたし、体温も高いから。
今は、然うでも。
……ぅ。
体温が奪われたら、大丈夫ではなくなる。
……大丈夫だと思うんだけどな。
……。
んー……何か、あったかいものでも飲もうか。
自動販売機ならば、もう、稼働していないわ。
え、然うだっけ。
……採算が合わないのでしょうね。
あー……そっか。
……真っ白だわ。
真っ白?
……外。
あー……滝のようだね。
……。
止んだら……帰ろ。
……ひとりで。
なら……帰らない。
……。
……。
……30分くらいで止むわ。
雷も、それくらいかな……。
……帰ったら、シャワーを。
うん……然うする。
……。
……考えは、まとまった?
まとまったと、思うの……?
……だめかな。
どうしたって、不愉快な答えにしか行き着かない。
……うん?
ひとのこは、いつの世でも変わらない……。
……こんな時代に。
……。
皆がしあわせになれる世界……「あなた」をしあわせにして呉れる存在……然う嘯く者が現れたら。
……難しいことなんて、考えたくないのよ。
難しいこと……?
……誰かが良いようにして呉れるなら、それで良い。
難しいことなど、考えずに……思うように、生きることが出来るなら。
……絶対に間違いない独裁者を、心のどこかで望んでいるの。
でも、そんな存在は居ない。
……ひとは間違える、ひとである限り。
それこそ、ひとがひとたる所以なんだ……と、あたしは思う。
……エゴイズムが溢れ、ヒューマニティを失った人類は滅びに向かうと、何かの本に書かれていたけれど。
この世界は、一度終わる……?
……いいえ、終わらせるのよ。
……。
……月の女王が。
再興させるのなら、月ですれば良いのにな……。
……今更よ。
迷惑だなぁ……。
……。
……ありがとう、水野さん。
お礼なんて、要らないわ……。
……座るかい?
あなたから、離れた椅子に。
……然う言うと思った。
……。
お、と……。
……癪。
あたしは……嬉しい。
……。
……帰ったら、熱いお茶を。
淹れて。
……ん、任せて。
……。
……。
木野さん。
……手を繋ぐだけ。
キスなら……部屋を出る前に、したわ。
うん、した……何度も。
……それなのに。
濡れてしまうから……身は寄せない。
……ばかね。
ん……あたしも、愛してる。
……言ってないわ、そんなこと。
……。
……。
……やだな、月が支配する世界なんて。
嫌でしか、ないわ……。
……。
……木野、ん
……。
……良いと、言ってない。
うん……ごめんね。
……顔が、緩んでる。
……。
……もう、しないから。
3日
白玉粉も入れたんだ。
……だから、もちもちとしているのね。
腹持ちが良いと思う。
腹持ちが良すぎて、この後のお夕飯を食べる手間が省けるかも知れないわ。
ん、それは困る。
食事のバランスが崩れてしまうから。
白玉粉を入れなければ良かったのに。
でも、入れた方がもちもちとして美味しいし。
もちもちしていなくても、しっとりしていれば悪くはないわ。
しっとりの方が良かったかな……。
単に、あなたが食べたかっただけなのでしょう。
それも、ないわけではないんだけど……もちもちしているのも、好きだろう?
嫌いではないわ。
……初めて作った時、喜んで呉れた。
あなたには然う見えただけ。
……何度か作ったけど、残さず食べて呉れたし。
食べられそうだったから、食べただけ。
……美味しかった?
悪くはなかった。
……好き?
だから、嫌いではないわ。
作って呉れたら食べる、ただそれだけのことよ。
……口に合わなかったら。
食べない。
……うん、やっぱり好きだ。
お店で売っているどら焼きはしっとりしているか、或いは、ぱさぱさしているかのどちらかなのよね。
ぱさぱさしていると、ちょっとがっかりする……。
食べられないわけではないから、別に構わない。
構わないけど……一口食べた時に、ちょっと残念そうな顔をするよね。
然う映るのは、あなたの目だけ。
……食べるということは、口に合わないというわけではない。
あくまでも、食べられなくもない、というだけよ。
まぁ、ぱさぱさしていても、お茶と一緒に食べればそれなりに美味しいし。
だけど、あんこが美味しくなかったら食べないわ。
あ、それは分かる。
最近は、塩味のあるあんこが使われているどら焼きなんてあるでしょう。
あぁ……あれは、夏に良く見かける気がする。
いつだったか、試食させてもらって。
甘みの中に、ほんの少しだけ塩味がするのだけれど。
塩分補給にも良いのかも知れない。
私としては、どちらかにして欲しい。
どちらか?
甘いか、塩辛いか。
うーん……あたしは、わりと嫌いではないけど。
作っても良いけれど、私は食べない。
うん、作るのは止めておこう。
塩分補給とするのならば、塩を舐めた方が手っ取り早い。
そこまで?
そこまでだけれど、悪いの。
ううん、悪くはないよ。
ひとには好みがあるからさ。
どうせなら、もっと美味しく作れば良いのに。
然うか、水野さんにとってはあれは美味しいものではないんだ。
だから、食べないと言っているでしょう?
うん、聞いた。
うっかり買ってこないようにする。
買ってくるのならば、自分の分だけにしておいて。
自分の分だけじゃ、水野さんと食べられないから。
ひとりで食べれば良いだけの話。
それでは、味気ないんだ。
どんなに美味しいものでも、ひとりじゃ味気ない。
取り敢えずひとりで食べて、私の口に合うように改良する。
うん?
なんてことは、考えないのかしら。
それは……面白いかも。
塩大福は、嫌ではないの。
塩大福……いつだったか、老舗のものが食べたいと言って、ふたりで買いに行ったね。
あのお店のものは悪くないわ。
塩味が甘みの邪魔をしていないから。
……。
何か、余計なことでも考えているの。
ん……いや、考えてないよ。
なら、良いけれど。
相手は老舗……か。
あなたには、無理かしらね。
ううん、寧ろ面白いと思う。
面白いのは良いけれど、味が伴わなければ食べないわよ。
ん、分かってる。
分かっているだけ?
若しも水野さんの口に合わなかった時はひとりで食べる。
食べ切れるの?
食べ切る、余程のことがない限り、あたしは捨てない。
……おばあさまの教え?
曰く、勿体ないの精神。
……。
何も、そのまま食べなくても良いんだ。
例えば……然うだな、煮豆にでもすれば良い。
仕方ないから、付き合ってあげるわ。
え。
余程の味でなければ、食べられるから。
……。
なに、不服なの。
う、ううん、不服ではないよ。
どうして動揺しているの。
いや、一切食べて呉れないと思っていたから。
ねぇ、木野さん。
な、なに。
焦げていたら、食べないわ。
そ、それは……食べない方が、良いかな。
多分、あたしも食べられないと思うし。
多分なの?
少しくらいの焦げなら
止めた方が良いわ、焦げには発がん物質が含まれている可能性があるから。
は、発がん物質?
然う、発がん物質。
罹りたくないでしょう、がんになんて。
少しの焦げでも、だめ……?
だめ。
……。
これまで、結構食べてきたの?
……ごはんの、お焦げとか。
ごはんの?
……好きなんだ、ごはんのお焦げ。
然ういえば、たまに食べていたわね。
焦がすことなんて、滅多にないけれど。
……美味しいから、つい。
いつ頃から、食べていたの。
……小さい頃から、食べていたと思う。
小さい頃から……然う、残念だわ。
ざ、残念って……?
もう、取り返しがつかない。
と、取り返しがつかないって……ど、どういうこと?
つまり、もう手遅れということ。
て、手遅れ……え、えぇ。
あなたは……私とずっと一緒には、居られないかも知れない。
そ、そんな……う、嘘だろう。
ええ、嘘よ。
ごめん、水野さん……若しも、あたしが
だから、嘘よ。
……へ。
冗談。
……じょう、だん?
まさか、鵜呑みにするとは思わなかった。
私に合わせて、生物の本も読んでいる筈なのに。
……あたしは、がんにならない?
がんになる可能性は、誰しもが持っているわ。
だから、ならないとは断言出来ない。
……。
けれど、ごはんのお焦げを少量摂取している程度では、
……問題ない?
お焦げと言っても、炭のような状態のものではないでしょう。
真っ黒焦げは流石に食べられないし、食べたいとも思わない。
もっと言えば、毎日食べているわけでもない。
うん、毎日は食べていない。
あぁでも、お米以外のもので摂取していたら
魚の焦げは食べないし、肉は焦がさない。
お豆は?
焦げたところは、食べない。
ポテトチップス。
……焦げてるのなんて、あったっけ。
たまに。
……。
あぁ、本当に残念だわ……。
……冗談?
然う、冗談。
はぁ、良かった。
でも、焦げた部分はなるべく避けた方が良い。
因みに、グラタンやドリアの焦げは。
話、聞いていた?
黒焦げの部分は、食べない。
然うして、そもそも美味しくないでしょうから。
うん、然うする。
それにしても、随分と話が逸れてしまったわ。
なんの話をしていたんだっけ。
塩味のあるあんこ。
塩味……あぁ、然うだった。
水野さんがあまり好きじゃないって。
それで、木野さんが面白がって。
水野さんが、老舗の塩大福なら食べられると言うから。
木野さんが、挑戦する気になった。
水野さんに、美味しく食べてもらう為に。
口に合えば、食べてあげるわ。
良し、頑張ろう。
せいぜい、頑張って。
うん、水野さんの為に。
重い。
ははは。
笑うところ?
なんとなく。
あぁ、然う。
楽観的ね。
その方が、きっと上手くいくと思うから。
だと、良いけれど。
定期的に挑戦してみるよ。
頻繁に挑戦するのは、止めて欲しいわ。
うん、それはしない。
言っておくけれど、塩味のあるあんこで作る餡蜜も求めていないから。
大福か、どら焼き?
お饅頭も要らないわ。
ん、分かった。
……。
ところで、今日の夕ごはんはどうしようか。
……私は要らないかも知れない。
軽いものを作るよ。
……野菜を使った何かで良いわ。
野菜か……じゃあ、野菜のコンソメスープはどうだろう?
……悪くない。
冷蔵庫にある野菜で、入れて欲しいものはある?
……。
きのこを入れても良いかい?
……良いわ、入れて。
うん。
……それから、キャベツ。
キャベツ、良いね。
あとは……木野さんが適当に。
パンは要る?
……その時のお腹次第。
ん、それは確かに。
……。
どら焼き……美味しい?
……もちもちとしていて、悪くない。
ふふ、そっか。
……。
水野さんが淹れて呉れたお茶も美味しいよ。
……いつも通りに、淹れただけ。
はぁ……美味しいなぁ。
……大袈裟。
ふふ……。
……。
然うだ、求肥を入れてみても良いかも知れない。
……どら焼きに?
お餅が合うから、求肥も合うと思うんだ。
……作ってみれば良い。
食べて呉れる?
……悪くなければ、ね。
なら、作ってみよう。
……関係ないけど。
ん、なんだい?
……食べ終わったら、外に行こうと思うの。
お散歩かい、あたしも行くよ。
別に来なくても良いわ。
夕ごはんの前に、いや、おやつの腹ごなしに躰を動かしたい。
躰よりも、頭を動かしたら?
それは、夕ごはんの後に。
今日はほとんど動かしていないでしょう。
朝に、少し。
ひとりで、
ひとりが良い?
ええ、ひとりが良いわ。
然うか……なら、気を付けて行ってらっしゃい。
気が早い。
ん、然うだね。
……。
……。
……木野さん。
なんだい、水野さん。
急に黙らないで。
あ、うん、ごめん。
……。
……。
……一緒に行きたいのね。
行っても良いなら……行きたい。
……。
でも……ひとりに、なりたいのなら。
はぁ。
……。
頭の中を整理したいの。
……うん。
その為には、ひとりの方が良い。
……然うだよね。
効率が良いの。
……分かってる。
それでも。
ううん……あたしは、行かない。
無きにしも非ず。
……うん?
誰かと話した方が、まとまる時もある。
……。
まとまらない時もあるけれど。
……水野さんが、思考の海に沈んでいる時。
……。
周りが見えなくなっていることが、多々、あるから。
そこまでは多くない。
一緒に行くよ。
邪魔をしないのなら。
邪魔はしない。
たまに、言葉を投げるかも知れない。
勿論、その時は応じる。
……。
だから、水野さん。
一緒に来て。
うん、行く。
なんて、言わないわ。
言わなくても、行くよ。
あぁ、然う。
うん、然うだよ。
……。
……ねぇ、水野さん。
なぁに……木野さん。
……今日も一日、終わるね。
まだ、3時を過ぎたばかりよ。
……また、夜が来る。
……。
今夜も……一緒に、寝ても良い?
……ほぼ毎日、一緒に寝ているけど。
……。
……今日は、その日なの。
うん……然うみたい。
……本当、唐突ね。
無理なら、良いんだ……。
……ひとりにしておく方が、心配。
え、なに……?
良いわよって、言ったの。
……。
なぁに、その顔は。
……どんな顔?
間が抜けた顔。
……ふふ、然うなんだ。
気が緩んだ顔。
……キス、しても良い?
どうして然うなるの。
……したくなった。
仕方ないわね。
ん、だめだよね……ごめん。
そんなこと、一言も言っていないわ。
……え?
鳩が豆鉄砲を食ったような顔。
……良い?
気が変わったのなら、
変わらない、変わりようがない。
……但し。
但し?
どら焼きを、食べ終わってから。
お茶を飲み終わってからでも良い。
あたしは、焦らない。ゆっくり、楽しもう。
……捨てられた仔犬のような顔をしていたのにね。
ん……。
……今はすっかり、子供みたいな顔。
まだ、大人とは言えない。
……未成年だけれど、婚姻年齢には達している。
なってみれば、あっという間だった……。
……それまでは、長かったでしょうけど。
……。
……木野さん。
水野さん……あたしと、ん。
……もう、返事はした筈よ。
……。
……あなたが望む、指輪はまだだけれど。
必ず……。
……。
必ず、贈る……。
……今夜も、噛まれそうね。
……。
……左手の、薬指を。
2日
-Decisio Duorum(現世3)
ドミミ、ミソソ、
……。
レファファ、ラシシ、
……。
ドミミ、ミソソ、レファファ、ラシシ、
……。
ソードーラーファーミードーレー、
……。
ソードーラーシードーレードーーー。
……木野さん。
うん?
さっきから、何。
同じところばかり、ぐるぐると。
いや、頭の中でずっと回っていてさ。
多分、スーパーで流れていたからだと思うんだけど。
だから?
あまりにもぐるぐると回っているものだから、つい、口遊んでしまったんだと思う。
何故、同じところばかりなの。
何故か、そこだけが回っているんだ。
出来れば、木野さんの頭から垂れ流さないで欲しいのだけれど。
そのつもりでいたんだけど……ごめん、気が散るよね。
ええ、いい加減散るわね。
同じところばかり繰り返しているから、余計に。
若しかして……水野さんの頭の中でも、回り出してしまった?
おかげさまで。
……この歌、結構頭の中に残るよね。
私は、残っていなかったの。
……いっそ、一緒に歌う?
歌わない、歌うわけがない。
ん……然うだよね。
はぁ。
ごめんよ、もう口遊まないから。
無駄に、声が良い。
え?
伸びやかで。
……若しかして、褒められてる?
あなたには貶されているように聞こえるの。
いや、聞こえない。
全く、聞こえないよ。
ならば、然ういうことよ。
そっか……へへ、嬉しいな。
でも、気が散る。
あ、はい、ごめんなさい。
……はぁ。
えと……一旦、休憩にしない?
して、どうするの。
おやつでも、食べないかなぁって。
今、丁度良いと思ったでしょう。
え、思ってないよ。
嘘、本当は思ったくせに。
おやつが出来たら、呼ぼうと思っていたんだ。
呼ぶ手間が省けて、良かったわね。
……呼ぶのも、好きなんだけどなぁ。
もう、食べられるの。
……うん、あともう少しで。
もう少し、ね。
たった今、生地が焼き上がったところで、あとはあんこを挟むだけなんだ。
焼き上がる……今日は、何を作って呉れたの。
今日はね、久しぶりにどら焼きを作ったんだ。
……どら焼き。
あんこも作った。
……どちら?
今回はどら焼きに合わせて、つぶ餡。
……然う。
あんこの甘い香りは、届かなかったかい?
……残念ながら、届いていたわ。
じゃあ、気が付いていた?
……だとしたら?
嬉しい。
そんなに嬉しいもの?
うん、嬉しいものだよ。
ふぅん、相変わらず良く分からないわ。
水野さんはあんこが好きだから、きっと気が付いて呉れると思ってた。
つまり、予想通りで嬉しいということ?
ううん、然うではないんだ。
気が付いて呉れて嬉しい、ただそれだけ。
なんだか、それはそれで癪だわ。
ふふ、然うかい?
然うよ。
あんこ、好きだよね?
特段、嫌いではないだけ。
多めに作ったからさ、冷凍庫に入れておくね。
気が向いたら、解凍して食べて。
気が向いたらね。
パンに塗っても、美味しいよ。
疾うの昔に、知っているわ。
ふふ、然うだよね。
バターと一緒に塗っても良いのだけれど、体調によってはくどく感じるの。
その時の体調に合わせて食べて欲しいな。
言われなくても、分かっている。
うん。
いちいち、反応が鬱陶しいのだけれど。
嬉しくて。
少し、箍が外れているようね。
ん、嵌め直す。
出来るの?
んー……ちょっと難しいかも。
鬱陶しいのは嫌。
気を付ける。
そろそろ、良いんじゃないの。
うん?
生地にあんこを挟んでも。
あぁ、然うだね。
今度、そのあんこで餡蜜を作って呉れても良いわよ。
うん、特製の餡蜜を作るよ。
求肥も、期待しているわ。
ん、期待していて。
それにしても……どら焼き、ね。
若しかして、和菓子の気分ではなかった?
別に……あなたが作ったものならばなんでも良いと言ったのは、私だし。
食べるかい、どら焼き……今なら生地も焼き立てだから、ほかほかで美味しいよ。
焼き立てでなくても、悪くはないけれど……まぁ、良いわ。
食べて呉れる?
ええ、食べてあげる。
丁度、集中力も切れてしまったことだし。
ふふ、然うか。
笑うところではないわ、あなたのせいで集中力が切れてしまったのだから。
ん、ごめん。
口元が緩んでる、やっぱり嵌め直せていない。
水野さんと一緒におやつを食べられると思ったら、自然に。
あなたは本当に単純なひとね。
水野さんのことが、大好きなだけなんだ。
はいはい、もう何度も聞かされているわ。
はは。
お茶は
あんこを挟み終わったら、
私が淹れてあげるわ。
ありがとう。
どういたしまして。
ふふ、水野さんが淹れて呉れたお茶は美味しいんだよなぁ。
褒めたって、何もないわよ。
大丈夫、期待していないから。
……あぁ、然う。
ん、あれ。
助かるわ、期待されていなくて。
あ、いや、然ういう意味ではなくて。
どういう意味なの。
他に、異なる意味があると言うの。
え、と……期待したら、重たいだろう?
重たい?
鬱陶しいと思うし。
まぁ、然うね。
だから……期待、しないようにしてるんだ。
しないように?
……出来るだけ。
出来るだけ?
……少しだけ、してる。
少しだけ?
水野さんは……あたしに褒められたくらいじゃ、箍は緩まないだろうし。
当たり前。
……はい。
……。
……ん。
あなたの手が、あんこを挟む様子を。
……見るかい?
見ていてあげても良い。
じゃあ、見ていて。
仕方ないわね。
ふふ、うん。
……。
あんこ、どれくらい挟む?
多過ぎず、かと言って、少な過ぎず。
つまり、いつも通りだね。
多過ぎると食べ難いし、少な過ぎても物足りないから。
ん、分かる。
……。
あの、水野さん。
なぁに、木野さん。
良かったら……あんこ、味見してみるかい?
して欲しいの?
うん、して欲しい。
して欲しいのなら、早く言えば良いのに。
はは、然うだよね。
……本当、単純。
どうぞ、水野さん。
……ありがとう、木野さん。
まだあんまり冷めていないと思うから、火傷しないよう気を付けてね。
……。
甘いかな、それとも、甘みが足りないかな。
……ふ。
どうだい……?
……今回も、悪くないわ。
あぁ、良かった。
木野さん、和菓子職人でも目指してみたら?
水野さんに言われると、目指してみても良い気持ちになる。
ただの冗談なのに。
水野さんに美味しい和菓子を食べて欲しい。
あなたが作る和菓子が、全て、私の口に合うとは限らないけれど。
色々試行錯誤を繰り返して、水野さんの口に合うものを作る。
まぁ、ただの冗談だけど。
だとしても、悪くないかも知れない。
あなたがなりたいのなら、好きにすれば良い。
私は
水野さん。
なに。
あたしが和菓子職人になったとしても、あたしの傍に居て呉れる?
唐突ね。
苦労は……させるかも、知れないけど。
させるの?
……なるべく、させないようにする。
……。
ん……水野さん?
感覚が古い、いつの時代の口説き文句なの。
え、然う?
然うよ、ばかね。
あー。
昭和のドラマなんて、ぼんやり見ているからよ。
テレビをつけたら、たまたまやっていたから。
和菓子職人だろうが、ケーキ屋さんだろうが、なんでも良いけれど、木野さんがなりたいものになれば良い。
……お花屋さんでも良いかな。
良いんじゃないの、あなたがなりたいのならば。
私には
水野さんを一生、支えたい。
は?
それが一番、やりたいことなんだ。
……。
勿論、働くよ。
お金がなければ、生活出来ないからさ。
……好きにすれば良いわ。
しても良いのかな。
取り敢えず、前世だとか使命だとか、そんなくだらないことを言わなければ良い。
それは、言わない。
言うわけがない。
ところで、どら焼きは?
あ、然うだった。
私はお茶を淹れる支度をするから。
うん、お願いします。
……。
あんこ、と。
……和菓子職人でも、なんでも良いけれど。
うん?
……退屈には、させないで。
退屈?
……面白くないから。
面白くないと……飽きてしまう?
……飽きてしまったら、あなたとは居られないかも知れないわ。
退屈にはさせない。
ように、頑張る?
やり方は、分からないけれど。
……せいぜい、頑張って。
まずは、このどら焼きで。
食べ物で、私を釣れるとでも?
容易なことではないけれど。
然うね。
だけど、お腹を満たすことは大事だから。
人間、餓えていたら何も出来ない。
ふ。
あたしに出来ることのひとつ。
私の食事のお世話をすること?
お世話と言うより、ふたりで食べる為。
美味しく?
楽しく。
つくづく、価値観が違うわね。
だから、無理強いはしないように。
然う言いながらも、色々作って呉れては、まんまと一緒に食べている。
ありがとう、水野さん。
あたしと一緒に食べて呉れて。
食べないわけにはいかないから、食べてあげているだけよ。
それが嬉しい。
未だに良く分からないわ。
分からない方が、飽きないだろう?
……。
分からない方が、楽しい……かも知れない。
……まぁ、然うね。
あたしはもっと、水野さんのことが知りたいんだ。
知ったら、嫌に
ならないよ。
言い切って。
言い切れるから。
全く以って、好みがどうかしているわ。
普通じゃ、面白くないだろ?
言って呉れるわね。
ん、何が?
それだとまるで、私が普通ではないように聞こえる。
あれ、然うかな。
どうせ、私は普通ではないわよ。
大丈夫、あたしも普通ではないから。
それ、フォローのつもり?
あたし達は、どこか似ているという意味で。
似ていない、似ていたら一緒に居ても良いなんて思わない。
あ、そっか。
私は、自分が最も嫌いなんだもの。
私に似ているひとなんて、好きになるわけない。
あたしはこの世界で、水野さんのことが一番好きだ。
あたしが持っていないものを持っている、水野さんが。
いい加減、他のひとに目移りして呉れないかしら。
する気はないし、あり得ないよ。
厄介なひとね、あなたって。
あたしは、水野さんが大好きだ。
私は、好きではないわ。
うん、知ってる。
ばかなひとね。
うん、あたしも愛しているよ。
会話が全く噛み合っていない。
はい、出来た。
……。
ほかほかどら焼き。
……見た目は、まぁまぁね。
ふふ、だろう?
先に
テーブルに並べておくね。
ええ、然うして。
ん。
言っておくけれど、戻ってこなくても良いから。
ううん、お茶を運ぶ為に。
テーブルで、待っていて。
……。
木野さん。
うん、分かった。
何も、分かっていない。
邪魔かな。
邪魔だと言われたいの。
んー……うん。
邪魔。
テーブルで待ってる。
全く。
……。
だからって、見ていないでね。
はぁい。
……。
……ふぅ。
消えたの?
ん?
頭の中でずっと、ぐるぐると回っていた歌。
……あ。
余計なことを言ったかしら。
忘れてた。
歌わないでね、私の頭の中でまた、回り出してしまうから。
どうせなら、水野さんの歌声で流れて欲しいなぁ。
歌わないわよ。
1日
……ん、これでお仕舞い。
ん~~♪
梅雨の合間の晴天……洗濯物やシーツが気持ち良く乾きますように。
久しぶりの光合成~~♪
ふふ……今朝は特に、ご機嫌ね。
あ。
まぁ、一週間も雨模様が続けば、然うなるのは必然でしょうけど。
亜美ちゃん、干し終わったのかい?
ん、今、終わったところ。
ありがとう、助かったよ。
うーん、きれいに干されていて気持ちが良いなぁ。
たまには、私も働かないとね。
そんなことを言うけど、いつも働いて呉れているじゃないか。
家事は普段、まこちゃんに任せきりのことが多いから。
何事においても、分担は大事さ。
愛想を尽かされてしまったら、嫌だもの。
こんな素敵なパートナーに、愛想なんて尽くわけない。
然うかしら。
それに、普段から全くやっていないわけではないだろう?
洗いものだって、基本的には当番制だしさ。
だけど、先のことなんて分からないわ。
いいや、あたしには分かるんだ。
あなたに甘え切って、お休みの日にさえ、家事を全くしなくなってしまったら。
しなくなるのかい?
例えばの話。
んー、想像がつかないなぁ。
全く?
全く。
ほんの少しも?
だってさ、亜美ちゃんはそんな自分を許さないと思うんだよ。
それで無理をして、疲れを溜めてしまって、体調不良にな……りそうで。
……。
だから、無理だけはしないでね。
お休みしたい時は、難しいことなんて考えずに休んで欲しい。
……あなたもね、まこちゃん。
うん、分かってる。
今日は一日、亜美ちゃんとゆっくりするんだ。
お買い物には行くのでしょう?
いつ頃、行こうか。
寄りたいところはある?
然うね……あなたが気になっているカフェ、かしら。
あのお店はさ、クリームソーダが美味しそうなんだ。
緑だけなく、青いソーダもあるんだよ。
ブルーハワイ?
ブルーライチかも知れない。
ラムネ風味?
それも、ありだ。
つまり、青いソーダが飲みたいの?
美味しいと評されているシフォンケーキと一緒にね。
シフォンケーキの他には何があるの?
ガトーショコラが美味しいらしい。
紅茶はある?
うん、あるよ。
オレンジペコはあるかしら。
それは分からないけど、あったら飲みたいのかい?
たまには外で飲むのも良いと思って。
ん、そっか。
私はガトーショコラと紅茶にするわ。
クリームソーダは飲まない?
クリームソーダは、あなたから一口もらえれば良い。
じゃあ、緑のも頼んで並べようか。
あなたと私?
子供染みてる?
楽しそうではあるけれど、そんなに飲んで大丈夫?
お腹を壊してしまうかな。
量にもよると思うけど……分かった、もう少し飲むわ。
ふふ、ありがとう。
でも、無理だったら良いからね。
少しずつなら、大丈夫だと思う。
冷えたら、紅茶を飲めば良いし。
あたしも頼んでおこうかなぁ。
それも良いかも知れないわね。
なら、然うしよう。
……ふ。
ん?
今日のあなたは中学生みたいね。
中学生か、懐かしいなぁ。
……。
亜美ちゃん?
……前の私が、夢見たかも知れない世界。
……。
そんな世界を、今の私は生きている。
……その頃から、亜美ちゃんは。
あなたは、私の憧れのひと。
……憧れ。
恋かどうかは、あの頃の私には分からなかったから。
……亜美ちゃんに想いを寄せていた、男の子が居たよね。
私は、おともだちだと思っていたの。
……おともだち、か。
気になっていたのは……いつだって、あなただった。
……。
ごめんなさいね、私の話をしてしまって。
ん、別に全然構わないよ。
……ありがとう。
亜美ちゃんの中には、残っているんだね。
……まこちゃんの中には、
大分、ぼんやりとしている。
……然う。
前のあたしが、今のあたしを知ったら……きっと、驚くだろうなぁ。
……私と、パートナーになっているだなんてね。
あたしをしあわせにして呉れるひとが、直ぐ傍に居て呉れたなんて……先輩の影ばかり追い掛けていたあたしには、気付きようがなかった。
先輩とは、似ても似つかぬ……ましてや、同性だもの。
だけどね……亜美ちゃんと居ると、とても穏やかな気持ちになれたんだ。
……。
あの頃から……。
……若しも、あの世界に続きがあったら。
若しかしたら……あたしは、亜美ちゃんを好きになっていたかも知れない。
……然うだったら、嬉しい。
亜美ちゃんは、あたしを好きになって呉れたかな……。
……。
……それとも、亜美ちゃんを好きになった男の子と。
申し訳ないけれど……それはないわ。
……断言?
だって、私は……好きになったひとが、好きなひとなんだもの。
……。
好きになって呉れたひとを、好きになるのではないの……。
……試しに付き合ってみて、好きになることは。
少なくとも、あの時点では……幻覚は、見たけれど。
……幻覚?
敵のね……。
……。
……私でも、そんな幻覚を見るのだと。
あたしも、見せられたかも知れない……誰だったかは、忘れてしまったけど。
然う……所詮は、見せられただけ。
……。
……まこちゃん。
亜美ちゃんの中には、未だ……きれいに、残っているんだね。
それでも、薄れてきてはいるのよ……今の私の記憶量が増えたことによって。
……前世の記憶は、しつこく残っているのにね。
ふふ……本当にね。
……いつか、なくなってしまうのかな。
全てをなくすことは、きっとないわ……。
……。
あなたを……目の前で、失った記憶だけは。
……あぁ。
痛みと共に……残り続ける。
……。
ん……まこちゃん。
……生きているよ、あたし。
……。
亜美ちゃんと、遠い未来まで生きていくんだ……。
……うん。
前のふたりの分まで……とは、言わないけどね。
……私も、言わないわ。
うん……。
……。
……。
……ねぇ。
なんだい……。
……今日のお風呂掃除は私の番。
ん……。
……朝食を、食べたら。
分かった……朝ごはんは任せて。
……いつも、ありがとう。
あたしこそ、いつもありがとう。
……今朝のごはんは、なぁに?
今朝はねぇ……亜美ちゃんのご希望に応えて和食だよ。
和食……お魚?
然う、銀鱈の煮付け……好きだろう、銀鱈。
ええ、好きよ……だって、美味しいもの。
焼き魚と、どっちが良かった?
どちらでも良いけれど、今朝は煮魚の気分かしら。
然うか、それは良かった。
まこちゃんが作る煮魚は、どんな料亭のものよりも美味しいと思うの。
嬉しいけど、流石にそれは褒め過ぎだと思うなぁ。
いいえ、褒め過ぎではないわ。
でもなぁ、向こうは修行している料理人だからなぁ。
まこちゃんだって、修行しているでしょう?
あたしは未だ、修行中の身ではあるけれど、和食は専門外だよ。
あたしの専門は、あくまでも西洋のスイーツだからね。
あんこも、作れるわよね。
作れるけれど、和菓子も専門じゃないんだ。
あくまでも、趣味の範囲だよ。亜美ちゃんの為に作る餡蜜もね。
そんなことを聞いたら、久しぶりに食べたくなってしまうわ。
まこちゃんが私の為に作って呉れる、とっておきの餡蜜を。
おっと、藪蛇だったかな?
私の口に最も合うものは、どこまで行っても、まこちゃんが作って呉れるもの。
だから、お店のものよりも美味しいと言っても、褒め過ぎにはならないの。
……決して?
然う、決して。
然う言われてしまうと……嬉しくなっちゃて、今日も返せないなぁ。
良いわ、返さなくても。
どうぞ、そのまま受け取って。
いやぁ、たまには返したい。
そもそも、私が思う分には自由でしょう?
それは……
違う?
ううん、違わない。
ならば、受け取って?
はい、喜んで。
ふふ……楽しみね、朝食。
今朝も満足してもらえると嬉しいです、亜美さん。
きっと満足するわ、まことさん。
お。
お返し。
うーん、悪くないなぁ。
これからは、さん付けで呼びましょうか?
悪くないけど、いつもの呼び方の方が馴染んでいて良いかな。
ならば、あなたが言うように、たまにならどうかしら?
ふふ、それならありだ。
では、気が向いた時に。
うん。
……。
……。
ね……みんなの様子はどう?
久しぶりに思い切り光合成が出来るって……それはもう、ご機嫌だよ。
……歌を口遊んでしまうくらいに?
ん、聞いていたのかい?
聞こえてきたの、ごきげんな歌声がね。
みんなの代わりに歌っていたんだ。
知っているわ。
ここのところ、お天気のせいでやる気がしょんもりしていたからさ。
雨でも光合成は出来るんだけど、やっぱり、お日様の光じゃないと。
この時期はどうしても、雨模様の日が続いてしまうから。
しかも、ずっと肌寒かっただろう?
季節が逆戻りしたみたいにさ。
然うね、4月上旬頃の陽気が続いていたわ。
桜はもう、終わってしまったと言うのに。
ん、とっくに終わってしまったね。
今年も亜美ちゃんとお花見が出来て楽しかったなぁ。
ん……私も楽しかった。
ふたりで、お弁当を作ってさ。
今年は三色のお花見団子も作って呉れたのよね。
桜色、葉色、それから、定番の白色。
花より団子?
私はお団子を楽しみつつ、お花見もちゃんと楽しんだわ。
亜美ちゃんはお花見が上手だと思う。
然うかしら。
お花に食べ物、ちゃんと両方楽しめるから。
両方楽しめるひとはなかなか居ないと思うんだ、多分。
多分なの?
お花見の席を見て回ったわけじゃないから。
確かに、騒いでいるだけの席もあるけれど。
あれはお酒が入っているからだ。
お花見をするという名目で、お酒を飲むんだよ。
花見酒、なんて言ってね。
酔っ払ってしまったら、もう、お花見どころじゃない。
中には引っ繰り返って、高いびきで寝ているひとも居てさ。
学生の頃に、何度か見掛けたわ。
みんなでお花見に行った時だね。
あれはお花見ではなくて、ただのお酒を飲む会でしかないと。
然う思ったことを、今でも憶えている。
あの時は酔っ払いが絡んできて、心の底から嫌だったなぁ。
まこちゃん、本気で怒ってしまって。
だって、亜美ちゃんに絡もうとしたろう?
酒臭い息を吐きながら、あたしの亜美ちゃんに絡もうなんて絶対に許せない。
軽くあしらう程度だったから良かったけれど、内心、はらはらしていたの。
あしらってもしつこく絡んでくるようだったら、軽く腕を捻り上げてやろうと思ってたんだ。
軽く?
雑巾には、しない程度に。
軽くでも、酔いは覚めてしまうかも。
覚ますつもりで、捻り上げるから。
若しも、覚めなかったら。
当然、酔いが覚めるまで捻り続ける。それも、力を徐々に強めながらね。
まぁ、途中で諦めて呉れたのなら、酔いが覚めていなくても、離してあげても良いけどさ。
ほぼ、覚めていたわ。
中には、聞いたことのない悲鳴をあげるひとまで居て。
大袈裟なんだよ、軽くなのに。
吃驚したこともあるんだと思う。
女だと思って、舐めていると然うなる。
大体さ、いい大人が学生の女の子に絡むだなんて、みっともないにも程があるんだよ。
あの時も、同じようなことを言っていたわね。
うん、言ったと思う。
今だったら、どう?
今?
私はもう、学生ではないわ。
だとしても、みっとないことには変わりないよ。
いい大人が酔っ払って、ひとりの女性に絡んでくるなんてさ。
それは、然うなのだけれど。
然ういう奴は、自制心を養った方が良い。
難しいのでしょうね、お酒が入ってしまうと。
だからこそ、控えるべきなんだ。
それが出来たら……苦労しないのよね。
ん?
煙草もだけれど……お酒は、本当に難しいわ。
……あぁ。
症状が酷くなるだけでなく、薬の効果も薄れてしまうと……然う伝えても、止めやしない。
……。
ごめんなさい……つい。
……別に、良いさ。
……。
それも、お休みのうち。
……ん。
今年はお花見用に、亜美ちゃんが美味しい紅茶を買ってきて呉れたんだよね。
……ティーバッグだけれどね。
ティーバックでも、美味しいお茶はあるからさ。
……あなたが、教えて呉れたの。
然うだったかな……。
……然うよ。
そっか……。
……。
ね……来年も、また一緒に行こうね。
……鬼が笑うわよ?
笑わせておけば良いんだよ、鬼なんてさ。
……言うと思った。
そうそう、お味噌汁の具はえのきと白菜なんだ。
……朝食の話?
ちょっと強引過ぎたかな。
……ううん、別に構わないわ。
……。
……。
……シーツ、乾くと良いなぁ。
きっと、乾く……。
……。
……さぁ、そろそろ朝の支度に戻りましょう。
ん……然うだね。
……。
……亜美ちゃん?
改めて、ご機嫌なみんなに朝の挨拶を。
……。
おはよう、みんな。
……オハヨウ、アミチャン。
今日は良いお天気になって、良かったわね。
ウン、ハレテクレテ、トッテモウレシイヨ。
……。
……ふふ。
あたなも、ご機嫌。
……アミチャンモネ。