日記
2026年・4月
30日
ん……どうやら、風が出てきたみたいだな。
……はぁ。
大丈夫か。
……大丈夫そうに見えるの。
いや、見えないな。
……疲れたわ。
背中に乗るか。
遅い……聞く前に、乗せて。
見えなくなってからの方が良いかと思ったんだ。
……然う、気が利くわね。
直ぐに用意する。
……あなたの背中でも良いのだけれど。
じゃあ、然うするか?
……でも、背負子でも良いわ。
ん、分かった。
……。
念の為、持って来て良かった。
……はいはい、然うね。
さぁ、良いぞ。
……。
ん、乗ったか。
……分かるでしょう。
帯は巻いたか。
……ええ。
其れじゃあ、立つぞ。
何処ぞか好きなところに、掴まっていて呉れ。
……言われなくても。
良し。
……。
よ、と。
……腰は?
なんでもない。
然う……ならば、良いわ。
若しも、あたしの腰に何かあったら
笑えない。
……あいつを呼んで呉れば、なんとかなる。
然うならないことを、願うわ。
……心配して呉れるのか?
いつだってしているでしょう、私は心根が優しいから。
うん、お前はいつだって優しい。
……歩けるの。
問題ないよ。
……ならば、あの子達の家に。
一旦家に戻って、躰を休ませなくて大丈夫か。
……あの子達の家で休ませて貰うわ。
珍しいな。
……何が。
其れだけ、気を許しているということか。
……勝手に話を進めないで呉れるかしら。
お前はあたし以外の奴が居るとゆっくり休めないだろう?
……あなたが居ても、騒がしくて休めないわ。
お前が疲れている時は出来るだけ、静かにしているつもりなんだ。
……存在が、五月蠅いの。
存在か……難しいな。
……気配を消して呉れれば良いだけのことなのに、決して然うはしない。
姿は見えないけれども、気配は感じる……然うすれば、不安な気持ちにはならないだろう?
……あなたの気配を感じずとも、不安になんてならない。
何処かに居ることは分かっているから、か?
……居なくても。
然うか……お前は昔から辛抱強かったもんなぁ。
……ひとりが好きなだけ。
子供と言うのはさ、敏感なんだ。
……だから、何。
淋しいと、直ぐに不安になってしまうんだよ。
いや、不安だから、淋しくなるのか。まぁ、どっちでも良いか。
……老婆よ、私は。
老婆?
お前が?
……こうしていると、つくづく然う思うわ。
未だ、老婆と言う程ではないさ。
……初老は疾うに過ぎているもの。
ただ単に、初老と呼ばれる頃を過ぎただけだ……其れだけでは、老婆とは言えない。
……因みに、あなたも老婆。
ん、あたしもか。
……歳下、とでも言いたいの。
いや、歳下と言っても、大した差ではないから。
……歳下のくせに。
歳上を口説くのは難しいものだ、直ぐに躱されてしまって上手くいかない。
……口下手のくせに、良く言うわ。
昔は言葉が訛っていたからなぁ、どうにも話すのが苦手で。
……其れは関係ないし、今でも海人特有の訛りは残っているわ。
なぁ、言葉が訛っているとそんなに面白いものなのかな。
あたしなんかは、相手に通じれば、其れで良いと思っているんだけど。
通じようが通じまいが、そんなものは関係ないの……言葉に訛りがあることが、可笑しいのだから。
未だに何が可笑しいのか、良く分からない。
……寧ろ可笑しいのは、言葉の訛りを嘲笑う奴の顔。
うん、其れは分かる。
……昔も言ったと思うけれど、世の中にはとてつもなく低能で下劣な奴が居るのよ。
お前は笑わなかった、ただの一度も。
……私を低能で下劣、知性の欠片もないさもしい存在と一緒にしないで。
ん、増えているな。
……あなたも、へらへらと笑っているから。
黙らすことは簡単だからな。
……物理で?
腕っぷしならば、誰にも負けない。
……相手が男でもね。
あたしは女は殴らない。
……あぁ、然う。
女子供は殴るなと、年寄り達にきつく言われていたんだ。
……お年寄りは?
年寄りも。
どうせ、遅かれ早かれお迎えが来る。
……。
でも他人さまに悪さをするような糞餓鬼は例外だ。口で言っても分からぬのなら、力で分からせなければならない。
でなければ、いつか、誰かに害を及ぼすような存在になってしまうかも知れない。善悪は、餓鬼のうちに教え込まないとな。
……ほぼほぼ、男だったわね。
どういうわけだが、然うなんだよなぁ。
盗み、殺し、騙し、犯し……性質の悪いことに、餓鬼からする奴も居るんだ。
……盗みと騙しは女でもするわね、力が弱くても出来るから。
ん、確かに。
女に騙される男もなかなか多かった。
……けれど、調子に乗り過ぎると殺される。
騙してもいないのに、気に食わないというだけで殺されることもあるな。
……女よりも無駄に力があるから、厄介なのよ。
其れは、村の年寄り達……と言うより、婆さん達が良く言っていたなぁ。
だからこそ、力で分からせなければならぬ、でなければ、付け上がる、と。
……けれど、力だけでは解決出来ないことも多々ある。
戦なんかは、然うだな。
……あれは人災だわ。
人災……まさに其れだ。
……或いは、際限なく殖え続けるひとのこを減らす為に。
天の神、或いは、月の女神の御業……そんなことも、何処かで聞いた。
……酷く、莫迦々々しいけれど。
どのみち、ひとのこが殖え過ぎると奪い合いになる。
分け合うことでひとのこは繁栄してきたが、奪い合うこともまたひとのこの業だから。
……そんなの、何処で覚えたの。
戦人の頃、何処ぞの坊主に。
……施しでも求めに来たのかしら。
誰にも相手にされていなかったよ。
……相手にしたのはあなただけ。
話を聞かせて呉れたお礼に、豆を数粒分けてやったら喜んでさ。
……面白かったの、そんな話が。
面白いと言うより、久しぶりにひとのこを見たから。
……あなたの周りに居たのは?
ひとのこの皮を被った、血塗れな何か。
……血塗れな皮を剥いだところで、出て来るものはひとのこ。
鬼が鬼を産むのではなく、ひとのこが鬼を生む。
此れも、其の坊主が言っていたことだ。
……今日は良く思い出すわね。
あの日も、雪が降っていたからかも知れない。
……其れで、其の坊さんは。
結局殺されて、其処ら辺に転がっていた。
大事に抱えていた筈の豆は、まんまと奪われたみたいだ。
……あなたが食べれば良かったのよ、腹を空かせていたのだろうから。
其の豆は、何処ぞの村から奪ったものだったんだ。
……だから、食べたくなかったとでも?
いや、そんなことはない。幾らでも食える、なんせ腹が減っていたのだから。
其れでも坊主に呉れたのは……矢っ張り、話を聞かせて呉れたからなんだろう。
……余程、話に餓えていたのね。
其のせいだろうな、あたしがちび達に良く話を聞かせていたのは。
……あなたが話したかっただけでしょう。
戦空の下で、ひたすらお前に逢いたいと思った。
……。
だから、何度だって、お前のもとに帰ったんだ。
……血塗れな手で。
今思えば嫌だよなぁ、そんな手。
……後悔。
お前に捨てられなくて良かった。
……あ、然う。
ひとのこは、奪い合う。
……。
食い物も、水も、大地も、女も、何もかも。
……つくづく、下等な生き物だわ。
お前が奪われなくて良かった。
……。
あたしからお前を奪う存在が居たら……天の神だろうが、月の女神だろうが、あたしは赦さない。
……くだらない。
お前に言わせれば、然うだよなぁ。
……私はあなたのものではないのだから、さっさと忘れて、違う道を生きれば良いのよ。
其れは無理だ、幾らあたしの記憶力が悪いとしても。
……其れがあなたの取り柄のひとつなのに。
思えば、お前の周りにはなよなよした野郎しか居なかったな。
……陰気で、傲慢で、差別的で、排外的で、他責思考で、自尊心ばかりが高い。
小難しくて、理屈ばかり捏ねて、早口で、何を言っているのか、全然分からなくて。
……其の割には、私への悪口は直ぐに分かるの。
お前への悪口だけは、どんなに小難しくても、直ぐに分かる。
……自分へのものは鈍いのに。
どうでも良いから、気にならないんだ。
……私だって、気にしてなかったのだけれど。
お前が気にしなくとも、あたしが気に喰わない。
……止めなければ、漏れなく雑巾。
命までは取らないさ、お前に迷惑を掛けるから。
……十分に迷惑だったわよ。
ははは。
……。
寒いか?
……寒いわね。
急ごう。
……急がなくても良い。
躰が冷え切ってしまう前に。
……其れよりも、足元に気を付けて。
……。
……なに。
矢っ張り、優しいな。
……ふたり仲良く、雪の上に転がるのが嫌なだけよ。
あたしが下になる。
……然う言う問題じゃない。
お前が村に来た時さ。
……。
お前だけが真面目にあたしの話を聞いて呉れたから、心の底から惚れてしまった。
……ひとりだけでも、話を聞いておこうと思ったのが良くなかった。
聞いて呉れるとは思っていなかったんだ。
だって、然うだろう? 都から来た小奇麗な奴らがあたしの話を聞くなんてさ。
……あなたを選んで、失敗したと思ったわ。
目が合ったんだ、お前と。
其れだけであたしは、息が止まりそうになった。
……視線を感じて、見てしまったのが運の尽き。
嬉しかった、お前と話せて。
……其れで終われば良かったのに。
お前達が帰る時に、其れは起こったんだ。
……思い出話は其れまで。
ん、然うか。
……。
何はともあれ、あたしはお前から離れたくなくなった。
……何が良かったんだが。
先ずは顔、其の次に其の心根、其れから其の性格。
……駄目ね、無駄に顔が良いと。
あの日のお前も、綺麗だった。
……。
いや……可愛かった、か?
……知らないわよ、盆暗。
今でも可愛いぞ。
……は。
もう直ぐだ。
……あなたの顔の傷。
ん?
……仕方ないから、手当てしてあげるわ。
あぁ、然うだった。
引っ掻かれたんだった。
……破傷風の恐れがあるから。
ひとの爪でもか?
……小汚ければ、可能性はある。
小汚い……。
……あれではもう、湯浴みすることも出来ない。
躰は拭いているみたいだが。
……爪までは、手入れされてないわ。
爪までは、難しいか……。
……ああなってしまうと、哀れね。
好きでなったわけではないだろうに。
……誰も、望んで病になるわけじゃない。
ましてや、移されるなんてな……誰も、望まないな。
……ともあれ、薬は打った。
なかなか、暴れて呉れたなぁ……かと言って、力を入れたら、簡単に折れてしまいそうで。
……最後の足搔きよ。
其の足搔きを、生きる為に使って欲しいものだ。
……難しいでしょうね。
己が子のことも、分からずに。
……どうしようもない。
うん……。
……助かって欲しいの?
ん、其処までの感情はないな……名も知らないし。
……名を、知っていたら?
少しくらいは、思ったかも知れない。
……私は名を聞かないし、知ろうとも思わない。
ん……。
……余計な情報だから。
名は、厄介だ。
……あなたはどうせ、憶えられないでしょう。
聞いたところで右から左、若しくは、左から右。
……何方も、変わらない。
今となっては、あたしがちゃんと憶えているのはお前の名だけ。
……其れから、あの子達の名。
村に居た頃は、皆の名も憶えていた。
年寄り達も、下のちび達も……皆。
……。
だけど、頭を打ってさ。
……知ってるわ、血塗れのあなたを手当てしたのは私なのだから。
其れで、惚れ直した。
……ばかだと、心底思った。
お前を守れて良かった。
……思い出さなくて良かったのに。
雪のせいだな。
……あなたの生まれ故郷では、雪は降らない。
然うだった。
……。
あたしが見たのは海の中を漂う海月だ。
……似ても似つかない。
こりこりして、美味かったんだよなぁ。
……要らないわよ。
然ういや、違う海月を都で食ったな。
あれもなかなか美味かった。
……良く食べられるものだわ。
お前、蛸も駄目だもんな。
……烏賊なら、食べられるわよ。
あぁ、烏賊も美味い。
……何より。
うん。
……熱いお茶が飲みたいわ。
屹度、淹れて呉れるだろう。
……。
ん……どうした?
……どうもしない。
何処か、良くないのか?
……平気よ。
疲れが出たのかも知れないな。
……休めば、戻る。
……。
此のまま、向かって。
……そろそろ、ちびが気が付くだろう。
其れは、犬……其れとも。
……何方も、鼻が利く。
……。
……ほら、鳴き声が聞こえてきたぞ。
元気ね……雪が降っているのに。
……犬は喜んで駆け回ると、聞いたことがある。
ただの童謡よ……。
……ん、然うか。
……。
……どうした?
どうも、しない……。
……智(さと)。
……。
智。
……勇(いさ)。
大丈夫か……?
……聞こえているから、何度も呼ばないで。
返事がないと、途端に不安になるんだ。
……心配性。
お前だからだ。
……あの子達のことも、でしょう。
今は、お前だ。
……今だけよ。
……。
今だけだから……無駄に、騒がないで。
……分かった。
……。
ちびの声が近付いて来た。
……聞こえてる。
ん……?
……なに。
ひとのこの方のちびも居る。
……どうして。
さて、どうしてかな。
……若しかして、あの子が。
然うかも知れない。
……。
良かったな。
……何が。
熱いお茶が、直ぐに飲めそうだから。
……だと、良いけれど。
29日
お大事に、どうか気を付けて帰って欲しい。
……ふぅ。
雪の降りは、幾らか落ち着いて来たか……でも、やまないだろうな。
次の方は……あぁ、居らっしゃいませんね。
大夫、お疲れ様。
まことさん。
患者さんは落ち着いたみたいだ。
取り敢えず、お昼にしないかい?
……はい、然うしましょう。
うん。
雪はどうですか?
相変わらず、降っているよ。
降りは落ち着いたが、やみそうにはない。
……然うですか。
まぁ、吹雪かなければ良いかな。
吹雪いてしまうと、外に出るのも難儀になってしまうから。
此のまま、静かな状態が続いて呉れると良いのですが。
風の動向には気を付けておこう。
然うですね。
其れで、今日の往診は確か。
今日は一件だけです。
然うか……となると、あの子を迎えに行くのは、其の後になるのかい?
はい、其の予定です。
矢張り、其の足で向かうのかい?
……然うすることも、考えたのですが。
一度、家に戻って来る?
往診鞄を持っていても、荷物になるだけですし。
……。
まことさん?
……あたしも、一緒に行っても良いかな。
まことさんは、足が未だ。
痛みはもうないし、うさぎちゃんの家に行くくらいならば……駄目かな。
……。
出来ることならば、一緒に行きたいんだ。
……無理はしないと、約束して呉れますか。
する。
……治りかけが、重要なことは。
重々、承知している。
……ふむ。
だから、どうか一緒に連れて行って欲しい。
分かりました……ならば、一緒に迎えに行きましょう。
うん、行こう。
とは言え、無理は禁物ですよ。
くれぐれも、約束は破らないで下さいね。
あぁ、決して破らないよ。
あなたを誰よりも頼りにしているんです。
ん。
此度のことは、私ひとりでは乗り越えられません……然う、ひとりでは決して。
大夫……。
だから……まことさん。
……あたしは決して、大夫との約束は違えない。
……。
だから……亜美さん。
……はい、分かりました。
うん……。
では……先ずは、お昼を食べてしまいましょうか。
……ん、然うしよう。
お茶を淹れますね。
お茶はあたしが淹れよう、亜美さんはあの子を迎える為に何か支度が必要ならば其方を優先に。
ん……迎え入れる支度は、朝のうちにまことさんと済ませましたし。
確信しなくても大丈夫かな。
其れも、まことさんとしましたから。
今のところ、何もない?
迎え入れた後に、出て来るかも知れませんが……今のところは、此れと言って。
然うか……ならば、鍋を見て貰っても良いかい?
熾火の近くに置いておいたから、あまり冷めてはいないと思うが。
はい、分かりました。
自在鉤に掛けるのは、あたしがやろう。
……其れくらいならば、私が。
いや、亜美さんに何かあってはいけない。
……では、お願いします。
ん。
……。
ちび、お前の飯はもう少し後だ。
朝、たんと呉れてやったろう?
……ん、冷めてはいなそう。
然う言えば、学姐は来て呉れるのかい?
……帰りに、様子を見に寄って呉れると思います。
となると、隊長もついて来るな。
お茶は一応、二人分用意しておくか。
……改めて、お裾分けのお礼をしないと。
亜美さんにお礼を言われたら、屹度、喜ぶだろう。
……然うでしょうか。
あぁ、然うだよ。
……まことさん。
ん?
お鍋は、然程冷めていないようです。
ん、然うか。
ありがとう。
……。
どうぞ、亜美さん。
……ありがとうございます。
では、鍋を。
宜しくお願いします。
うん。
気を付けて下さいね。
あなたに何かあっても大変なのですから。
あぁ、油断はしない。
……。
よ、と……うん、此れで良し。
……焦がさぬように、掻き混ぜた方が良いのでしょうか。
然うだね、適当に掻き混ぜた方が良いかな。
……では。
……。
隊長さん……私達の為に、こんなにお米を使ってしまって大丈夫なのでしょうか。
あたしも気になって聞いたんだけど……其れなりの量を担いできたから、問題はないらしい。
其れなりの量を担いで……隊長さんは学姐のことも背負って、雪の山を越えて来たのですよね。
仮に学姐に持たせたところで、結局は隊長さんの負担になるだけで……。
……。
まことさん?
……雪深い中での決死の行進よりは、休めるだけ、ずっと楽だと。
……。
其れを言われたら、あたしは何も言えない……あたしも、亜美さんと米を背負っての山越えの方が楽だと思ってしまうから。
だけど、隊長は良いとしても……学姐に掛かる負担を考えると、あたしはあまりしたくない。
……寧ろ、学姐が無理を言ったのだと思います。
……。
……ふたりは、一蓮托生なのかも知れません。
いちれん、たく……?
……結果はどうなろうとも、行動や運命を共にすること。
……。
隊長さんと学姐のおかげで……あの子を助けられる薬が此処に在ります。
……うん。
食糧のことは、此れからも気に掛けておきましょう……。
……あたしも改めて、然う思っていた。
此の村の冬は長いですし……。
春まで……いや、ふたりが此の村を発つまで、あたしが面倒を見る。
……まことさん。
とは言え……隊長のことだから、なんとかしてしまうだろうが。
……其れでも。
あぁ……其れでも。
……私も、出来ることはします。
亜美さんには、あたしの躰を任せたい。
あたしが無理をしてしまわぬよう、見ていて欲しい。
……其れは構いませんが、自分でも大切にしなくてはなりませんよ。
成る可く、気を付ける。
……。
ん……そろそろ、良いかも知れない。
……では、よそりましょうか。
あたしが。
いいえ……此のまま私が。
ありがとう……では、お願いするよ。
……はい。
……。
どれくらい、食べますか。
然うだな……取り敢えず、椀に一杯。
……此れで、如何でしょう。
うん、十分だ。
其れでは、どうぞ。
ありがとう。
……。
ん……亜美さんは、其れだけで良いのかい?
……取り敢えず。
……。
足りなかったら、お代わりするつもりですから。
……然うか。
……。
では、揃ったところで食べようか。
……はい、頂きましょう。
頂きます。
……頂きます。
……。
……。
……矢張り、美味しいな。
美味しいですね……。
具も美味いが……米が、特に美味い。
……炒飯のような、油特有のくどさを感じないんです。
油臭さもない……故に、食べやすい。
……隊長さんの出身は、海の近くでしたよね。
あぁ……然う聞いている。
と言うことは……具材に、海のお魚や貝を使うこともあったのでしょうか。
……そんなことも、聞いたような憶えがある。
……。
然う……隊長が生まれ育ったところでは、主に海の魚や貝を具にしていたらしい。
……隊長さんも、獲っていたのでしょうか。
子供の頃から、海に潜っては……魚や貝を獲って、暮らしていたみたいだ。
隊長は素潜りが得意で、狩り……いや、違うな……なんて言ったか。
……漁、でしょうか。
然うだ、漁……なんとかって道具を使って、泳いでいる魚を捕らえるらしい。
貝は海の底に居るものを拾って来るだけだから、割と楽だと言っていたな……。
……素潜り自体が難しいと思います。
あたしには其れが何なのか、良く分からなかった……兎に角、海に潜って獲物を獲って来るのだと。
……素人では、潜ることすら容易には出来ません。
隊長の話では、結構深く潜っていたらしい……どれくらいだったかは、忘れたが。
深く潜っていたということは……息も、其れだけ。
……息を止めるのは、ふたつの意味で得意だと。
……。
……隊長なりに、あたしを笑わせようと思ったみたいだ。
まことさんは……。
……面白いと、思わなかった。
……。
……ひとりで、笑っていたな。
素潜りは、潜ることも難しいのですが……そもそも息が長く続かないのです。
確かに……水の中では、息は出来ないな。
……釣りは、しなかったのでしょうか。
釣り……も、したみたいだ。
だけど、潜った方が手っ取り早い……釣りは、どうもまどろっこしいと。
……。
隊長は……物心が付いた時には、当たり前のように泳げたらしい。
……隊長さんは、海人なのでしょうか。
海人……?
……海での漁撈を生業とし、暮らしている者達のことです。
……。
海の上に高床式の家屋を建てて暮らす者も居れば……少数ではありますが、船の上で暮らしている者も居るそうです。
……隊長は、海の近くで暮らしていたと。
では、陸に上がったのかも知れませんね……。
……いや、待てよ。
……。
海の上でも、海の近くと言えなくもない……。
……其れは、確かに。
隊長は……十になる頃には、己で小舟を漕いで漁に出ていたと言っていた。
なんでも、自分だけでなく、下の子供達にも飯を食わせる為だったとか……。
……御弟妹でしょうか。
いや……違うと、思う。
……御両親は。
……。
……。
親の話は……聞かされなかったと思う。
……然うですか。
大波……。
……え。
隊長が暮らしていた村は、ある日、大波に浚われてしまったと……。
大波……津波。
……大地が、大きく揺れて。
……。
其の時、隊長はたまたま、陸地に居たらしい……なんでも、獲れた獲物を米と交換する為に、市に出掛けていたらしいんだ。
村には畑がなく、米も穫れなかったから……米や野菜を得る為には市に行くか、行商の者と交換するしかなかった。
然う……隊長は其の為に、文字と計算を覚えたと言っていたな……知らないと、ぼったくられることがあるから。
……生活の為に、必要だったのですね。
うん……おかげであたしも、少しだけれど、憶えることが出来た。
……隊長さんの村は。
ほぼ、全滅……大地が大きく揺れたら高い所へ逃げろと、言われていたらしいのだけれど。
……家屋の崩壊。
詳しくは、分からない……隊長が村に戻った時には、残骸と。
……。
生き残った者も、少ないけれど、何人か居て……其のひと達と、村を立て直そうとしたらしい。
だけど、隊長は途中で離れてしまった……離れて、都で、戦人になった。
……何か、理由があったのでしょうけれど。
其れも、聞いてない……でも、其処から離れる時に、裏切者と。
……裏切者。
若しも、隊長が其処に残っていたら……隊長は、戦人にはならなかっただろう。
隊長が戦人にならなければ……あたしは、どうなっていたか。
……まことさん。
はは……。
……何が可笑しいのですか。
いや……自分では聞いているつもりなんてなかったんだけど、結構、聞いていたんだなって。
……隊長さんは、まことさんに話したかったのでしょう。
別に、話して欲しいなんて一言も言ってないんだけどな……いつも、勝手に話し出して。
……子供達にごはんを作っていたと言ってましたね。
あぁ……言っていた。
……若しかしたら、まことさんに重なったのかも知れません。
ん……。
……。
参ったな……完全に子供扱いじゃないか。
……私も、然うだったのかも知れません。
屹度、然うだ……亜美さんは、あたしと歳が同じだから。
……まことさんが所属する隊の長が、隊長さんで良かった。
……。
……美味しいですね。
あぁ……とても美味しい。
……私に構わず、お代わりして下さいね。
ん……もう少し、食べようかな。
……。
あの頃、あたしが……あたし達が食べていたものは、こんな良いものではなかった。
……。
腹いっぱい、食えたわけでもなかったしね……。
……然うですね。
其れでも……あたしは。
……ねぇ、まことさん。
なんだい……?
……いつか、お魚や貝で作られたものも食べてみたいですね。
あぁ……どんな味がするんだろうね。
……此処から、海は遠いけれど。
うん……。
……其の時は、まことさんが作って呉れたら嬉しいです。
ん、あたしかい?
……隊長さんに、作り方を教わることが出来たら。
其れは……必ず、聞かないといけないな。
……。
……亜美さんには、美味しいものを食べて欲しいから。
私も、教わろうと思います……。
……亜美さんも?
出来れば……書き留めておきたいと。
ならば……一緒に教わろうか。
はい……是非。
……亜美さんは、もう良いのかい?
ん、然うですね……あともう少しだけ、頂こうと思います。
……では、よそろう。
ありがとうございます……。
……ん。
……。
……美味しいな。
はい……とても。
28日
帰ったぞ。
……。
あれ、居ないのか?
若しかして、外に出ているのか。
……。
ん、見当たらないな……まさか、雪に埋もれて。
……はぁ。
おーい、帰って来たぞ。
居るのなら返事を
聞こえているから、いちいち呼ばないで。
お。
そもそも、何処を探しているの。
家の中に居たか、まぁ、然うだよな。
当たり前でしょう。
良かった、雪に埋もれてなくて。
私をなんだと思っているの。
んー、好奇心の塊?
だからと言って、雪に埋もれる趣味はないわ。
いやぁ、お前なら
私なら?
うん、流石にないな。
ええ、ないわよ。
ただいま。
雪。
ん、未だ残っていたか。
ちゃんと払ったつもりだったんだけどな。
たった今、外に出たでしょう。
はは、然うだった。
……。
……良し、此れでどうだい?
お帰りなさい。
応、ただいま。
手ぶらということは、受け取って貰えたのね。
うん、ちゃんと喜んで呉れたぞ。
ちゃんと?
礼も言われたしな。
無理矢理、押し付けたのではなくて?
そんなことはしないさ。
然うかしら。
食って貰えないのは淋しいが。
何方に?
今回は、ちびに。
嬉しそうね。
作ったものを食って貰えるのは嬉しい。
あぁ、然う。
昼と夜に分けて、ふたりで食うってさ。
とてもじゃないけれど、一食で食べ切れる量ではないものね。
あれくらいの量、昔のあいつならば一食で平らげていただろう。
もう、あの頃のあの子ではないわ。
と言っても、あいつだけに食わせてやることなんて出来なかったけどな。
そんなことをしたら、間違いなく、命の取り合いになっていたでしょうね。
やっと、腹いっぱい食わせてやれる。
もう、食べさせているけれど。
あれは未だ、食わせていなかったから。
そんなに食べさせてあげたかったの?
寧ろ、嫌なことを思い出させるだけだと思うけれど。
あいつな、あれだけは美味そうに食っていたんだよ。
あなたの目は節穴、及び盆暗だから、全てを信用することは出来ない。
他のものを食っている時は、いつだって、死んだ魚のような目をしていたんだ。
美味いも不味いもない、ただただ、食えるものを腹に収めているような、さ。
けれど、食べないことはなかったのでしょう。
其れはない、腹を空かせた獣は必ず食らうものだから。
獣……あなただけには言われたくないでしょうね。
雷公でも腹は空くんだよなぁ、空かなければひもじい思いなどせずに済むのに。
所詮は生身の躰を持った、ただのひとのこだもの。
食わなければ力は出ないし、病には罹るし、酷くなると動けなくなる。
最悪、野垂れ死ぬ。
食っていても傷を負えば痛むし、動かすことも容易ではなくなるし、酷くなると腐る。
最悪、野垂れ死ぬ。
挙句の果てに、喰われる。
然うして、生かされる。
うん、生身の躰とは不便なものだ。
不便なことばかりではないでしょう、あなたの場合。
応、然うなんだ。
其れ以上は、近付かないで。
今は触れない、触れるのならば、また後で。
其の時も、容易には触れさせないけれど。
生身の躰があるから、お前の温もりを感じることが出来る。
失われていく、誰かの命の冷たさもね。
だけれど、お前の温もりを感じられる方が大きい。
私はあなたの温もりなど、どうでも良いけれど。
良く眠れるだろう、あたしの温もりが傍にあると。
暑い時期は鬱陶しいこと、此の上ないわ。
此の村の冬は厳しくて、雪もほぼ毎日降っているから、あたしの熱は欠かせないな。
此処は寒い上に冷えるわね、其れでもひとのこは生きているけれど。
どんなに寒い夜でも、あたしが居れば問題ない。
然うかしら。
快適な眠りをお前に約束する。
快適かどうかは別問題、何故なら、窮屈だから。
はは。
ところで。
もう、行くか。あたしはいつでも構わないぞ。
お裾分けも済んだことだしな。
鍋は?
明日の昼にでも回収するつもりだ。
然う。
支度は出来ているのか。
疾うに出来ているわ。
然うか……ならば、少し休もうかな。
休む程、疲れてはいないでしょう。
疲れてはいないが、お前と休みたい。
私には必要ない。
然ういえば、ちびが途中までついて来たんだ。
其れで?
家までついて来れば、飯を喰わせてやろうと思っていた。
途中で引き返したのね。
ついて来ると思ったんだけどな。
あいつはなかなか可愛げがあって、構いたくなるんだ。
あの子にしてみれば、途中まで送ってあげたつもりなのだと思うわ。
利口な犬だ、屹度あの子に似たんだな。
賢い犬は嫌いではないわ。
あたしは?
あなたはいつから犬になったのかしら。
お前の犬になるのなら、
あなたは犬と言うより、熊。
熊?
幼体の頃は可愛かったのかも知れないけれど。
小さい頃から躰がでかかったから、十になる前に小舟で海に出て、素潜りをしては魚や貝を獲っていたな。
可愛くないわね。
獲ったもので飯をこさえては、下の子供らに食わせたものだ。
おかげで村の年寄り達には、精悍だの偉丈夫だの女にしておくのは勿体ないだの、さんざ言われたよ。
其のまま、村に居れば良かったのに。
大波に村が流されていなければ、今でも居たかも知れない。
……。
今、まずいことを言ったと思っているか?
……大波なんて、起こらなければ良かったのに。
ありがとうな。
……お礼を言われるようなことは言っていないわ。
お前が来て呉れたんだ。
……好きで行ったわけではないの。
お前を一目見て、世界の見え方が変わったんだ。
ああいう出逢い方を、なんと言ったか。
忘れたままで良い。
あの日、お前が来て呉れなければあたしは、
戦人になんて、ならずに済んだ。
戦人になったことは後悔していない、一度だってしたことはない。
……あなたには、村を再建する道だってあったのよ。
其れ以上に、お前の傍に居たかった。
……薄情と、罵られても。
仕送りはした。
……其れでも、再建は果たされなかった。
仕方ないさ、別の場所で生きたいと言うのならば。
其れに、今では別の者達が住み着いているようだから。
……ついて来たところで、都人にはなれないと言うのに。
其れでも、お前と番うことが出来たから。
……番ってなど、いない。
此れからもお前と、あたしは生きていく。
……はぁ。
ん、そろそろ行くか。
……あの子が居た時はどうだったの。
うん?
……あの子が居た時も、死んだような魚の目をしていたの。
あぁ……其の時だけは、例外だ。
例外、ね。
あの子が居なくなったら、直ぐに元に戻ってしまったよ。
……寧ろ、其れで良かったのでしょう。
生き残る為には、其の方が良い。
あいつの場合は、其れが弱さになりかねない。
……あなたは。
あたしの場合は、生きる力になる。
……よくも、そんな綺麗事を。
あぁ、自分でも然う思うよ。
……良く生き残ったと思うわ。
どうしても、お前のもとに帰りたかったんだ。
……あの子のことよ。
あたしも、頑張ったろう?
……本当は、戦人になんてなったことを後悔したのでしょう。
お前を諦める方が、後悔先に立たず、だ。
あたしは死ぬまで、後悔し続けるだろう。
……ひとのこは、他に五万と居る。
いや、居ないよ。
お前のような女は何処にも居ない。
……私のような女でなくても。
お前に惚れてしまったから、他の奴のことなんて目に入らない。
お前以上の存在なんて、あたしには到底見つけられない。
……だとしても、折り合いをつけて生きていくのよ。
折り合い?
……普通のひとのこは。
なら、あたしには関係ないな。
お前も然うだろう?
……面倒なひとね。
其れに、村に残ったところで、あいつのように防人として強制的に引っ張られていたかも知れない。
若しも然うなっていたら、何処かで野垂れ死にしていただろうな。なんせ、生き残る為の力がないんだ。
……あなたは、しないわ。
可能性は低い。
……。
であるならば、己の意志で、惚れた女に付いて行った方がずっと良いだろう?
……あれは心底、くだらない戦だった。
全くだ。
……。
なぁ。
……なに。
朝飯は、美味かったか。
……悪くないと言った筈よ。
腹は、ちゃんと膨れているか。
……五分目くらいで丁度良い。
帰って来たら、また一緒にお前が好きな飯を食おう。
……言われなくても、食べてあげるつもり。
沢山作ったから、沢山食って呉れ。
……限度がある。
明日まで、食える。
……明らかに作り過ぎ。
大丈夫だ、此の寒さならば傷むことはない。
……朝から、良く作ったものだわ。
米は未だ残っている、心配は要らない。
……然ういう問題ではないの。
力を付けて欲しかった。
……力を付けるなら、芋汁だけでも十分よ。
うん、芋汁も美味いな。
……。
大丈夫か。
……何が。
何も問題ないか。
……何も問題ないわ。
でも、無理はするな。
……そんなもの、するわけない。
うん、ならば良いんだ。
……偉そうね。
済まない。
……。
行くかい?
行くわ。
うん、分かった。
本当は、あなたの帰りなんて待っていなくても良かったのだけれど。
良かったよ、置いて行かれなくて。
どうせ、後からのこのこ来るでしょう。
あぁ、行くよ。
先に出ていれば良かったわ。
……。
なに。
今朝の様子はどうだろうな。
なんにせよ、良くはないでしょうね。
赤子はどうだろうな。
向こうも、今日からだろう?
帰りに様子を見に寄るわ。
あなたは先に
あたしも行こう。
要らない。
向こうは此方に来るのか?
赤子優先。
うん、其れは然うだ。
雪は?
其れなりだな。
笠。
応。
……。
帰って来て、お前と飯を食ったら、雪掻きに行って来る。
然う……気を付けて。
帰りは遅くならない。
……今夜も冷えるだろうから。
風邪を引かないよう、暖かくして眠らないとな。
……。
ん、少し降りが強まったか。
此れは、急がない方が良いな。
……急ぐつもりなど、ない。
うん、其の方が良い。
足を滑らせて転がったところで、面白くもなんともないから。
……。
帰って来たら、先ずは熱いお茶を淹れようか。
……期待、しておいてあげるわ。
ん、しておいて呉れ。
……若しも、期待外れだったら。
淹れ直す。
……無駄にはしないで。
ん、気を付けるよ。
……。
鞄を持とう。
……言うのが遅い。
ん、ごめん。
くれぐれも、落とさないように。
分かっている。
仮令転んだとしても、鞄だけは守る。
……然うして。
任せて呉れ。
……死守はしないで良い。
応、憶えておく。
……。
然し、本当に良く降るな。
……。
ん、どうした?
……別に、どうもしないわ。
然うか。
相も変わらず、気が抜ける顔をしていると思っただけよ。
引き締めた方が良いか?
別に、其のままでも良いわ。
ならば、此のままでいよう。
……。
お前は相変わらず、
詰まらない顔をしているでしょうね。
きれいだ。
節穴。
幾つになっても。
盆暗。
そんなあたしのことは嫌いか?
今するべき話ではないわ。
では、帰って来てから。
応じるとは限らない。
其れでは、夜に。
其れよりも、前を見て。
転んでも知らないわよ。
ん、然うだった。
……。
……横顔も、きれいだな。
今は、どうでも良い。
27日
-鍋飯(パラレル)
全く、隊長は……気儘にも、程がある。
……まことさん?
大夫。
隊長さんはもう、お帰りになられたのですか?
あぁ、此れを押し付けて帰って行ったよ。
折角お茶の支度をして貰っていたのに、申し訳ない。
いいえ、丁度手が空いていましたので、其れは構わないのですが。
代わりに、あたしが飲むよ。
丁度、大夫が淹れて呉れたお茶が飲みたいと思っていたんだ。
では、ふたりで飲みましょうか。
あぁ、然うしよう。
其れで、まことさん。
うん。
其のお鍋は矢張り、お裾分けでしょうか?
然うなんだ……曰く、また作り過ぎてしまったとか。
自分達ふたりだけでは到底食い切れぬから、あたし達で食べて欲しいと。
……結構な量だと、お見受けしますが。
うん、結構な量だ……こんなには、食べ切れないと言ったんだが。
食い切れないのなら、夜にまた食えば良いと……言われなくても食うけど、限度があるだろう。
作り過ぎたと言うより、最初から、私達の分も入っているように思えます。
間違いなく、入っているだろうな……どう考えても、作り過ぎの範疇を超えている。
……お鍋、でしょうか。
お鍋と言うより、お米だ。
お米……雑炊、其れとも、お粥かしら。
其の何方でもない。
……炊いたお米?
其れとも違う。
……他のものだと。
此れは、隊長の生まれ育った場所で良く食べられているものらしいんだ。
……隊長さんの。
見てみた方が良いね……あたしも、なんと説明して良いか。
……お願いします。
ん……では一旦、座敷に上がろうか。
……はい、然うしましょう。
……。
持ちます、まことさん。
ありがとう、大夫。
でも、大丈夫だよ。
……気を付けて下さいね。
うん。
……囲炉裏に掛けますよね。
お願い出来るかな。
はい、直ぐに退かします。
ごめんよ。
ううん、大丈夫です。
……。
どうぞ、まことさん。
うん、ありがとう。
……。
よ、と……うん、此れで良し。
では、開けてみようか。
……はい。
……。
……此れは。
大夫の目には、どんな料理に映る?
炊いてあるように見えますが……炒めてあるようにも見えます。
都で食べたこと、或いは見たことはあるかい?
いえ、都ではこういった食べ物は見たことはありません。
炊き込みご飯のようにも見えますが、少し違うようですし。
炊き込みご飯……。
と言っても、精通していたわけではありませんので、若しかしたらあったかも知れませんが。
白米を具材と一緒に油で炒めたもの、あれはなんて言ったか。
炒飯ですかね……油を引いた鉄鍋に白米、其れから卵や葱、葉物、お肉などの具材を入れて炒めて、塩胡椒、時には醤で味付けした料理です。
其れは、食べたことはあるかい?
……何度か学姐と作って、食べた憶えがあります。
学姐と?
炒飯はお米と具材を入れて炒めるだけで、おかずも必要とせず、しかも湯匙ひとつあれば、見なくとも食べられますので。
……たんち?
其の形状から、散蓮華とも呼ばれていますが……底が楕円形の平たい舟の形をしている、陶製の匙のことです。
平たい舟の形……勺子のことかな。
はい、然うとも呼ばれています。
あれは、零れ難いから食べやすい。
然うなんです。
若しかして、書物を読みながら?
……私は、零すのが嫌でしたので。
学姐は、あまり気にしなさそうだ。
あまりどころか……全く、気にしていなかったです。
然うか……。
……だからいつも、お皿の下に広めの敷物を敷いて。
大夫が……?
……気にしないから要らないと言うのですが、私が気になりましたので。
書物の上には……?
……貴重な書物は取り上げていました。
其れ以外の書物は……。
……言っても聞かないので、諦めの境地です。
あぁ……。
……でも、どういうわけだか、書物の上だけには零さないんです。
……。
……其の外には零すのに。
え、と……大変だったね。
……あなたひとりで大変な思いをするのだから、いい加減、気にしなければ良いのに、と、何度も言われました。
其れも、想像がつくな……。
……隊長さんは、どうしているのかと。
隊長は……気にしない方だ。
……書物は読まれないのでしょうか。
何か読んでいた憶えはあるが、其れがどんな書物だったかは分からない。
……兵法書。
へい、ほ?
兵法書……を、読んでいたような。
……へいほう、しょ。
兵法について書かれている書物なのですが……まことさんは。
……。
憶えがありますか?
……なんとかって奴が書いたものを、見せられたような。
読まれたのですか?
いや……ほとんど、読めなかったから。
……。
然うか……あれは、兵法書だったのか。
……若しかしたら、読書家なのも知れませんね。
隊長が?
……はい。
隊長が……。
……話を戻しましょうか。
ん……然うだね。
……此の料理は、学姐は好きかも知れません。
食べやすそうかい?
湯匙ひとつでも……食べられますよね?
具材が大きければ、箸があった方が食べやすいけれど……小さければ、勺子ひとつでも食べられる。
……此れは、好きだと思います。
つまり、学姐の為に作ったんだな……分かりやすい。
まことさんは、此のお料理を知っているのですよね?
……あぁ、知っている。
……。
と言っても……あの頃は米なんて、早々手に入ることはなかったから。
……あの頃。
こんなに米が入っているのを見るのは、初めてなんだ。
……其の頃は、他のものを。
其の時に手に入ったものを、適当に入れていたように思う。
良くて、粟、稗、黍……あとは、なんだったか。
……味付けは。
塩……。
……。
然うか……隊長は、大夫が居た頃には作らなかったんだな。
……私の記憶にないだけかも知れません。
米は入っていなくとも……其れでも、十分に御馳走だったんだ。
……分かります。
うん……。
……。
此の料理は、確か……炒めてから、炊く。
炒めてから……炊く?
先ずは具材を炒める、其れから米、あの頃は稗や粟ばかりだったが、其れらを入れて炊き上げる。
だから、炊いてあるようにも、炒めてあるようにも見えるのかも知れない。
……お米或いは其れに相当するものは、具材を炒めた際に出た汁で炊くのでしょうか。
うん、然うだったと思う。
水を足した憶えはないから。
……。
昼には未だ少し早いが、患者さんも居ないことだし、少しだけ食べてみるかい?
……。
要らない、か。
……まことさんが食べるのなら。
ならば、一緒に食べてみようか。
実際のところ、あたしも良くは憶えていないんだ。
……はい。
では。
私はお茶を淹れます。
うん、頼む。
はい。
……。
……。
……米か。
まことさん……?
……ん、なんでもないよ。
然うですか……。
……味見程度ならば、小皿でも良いか。
……。
どれ……。
……。
具材は……肉、芋、大根の葉、其れから、茸と言ったところか。
肉は恐らく、兎か山鳥だろう。猪ではなさそうだ。
……良い匂いですね。
うん、匂いは良い。
……どうぞ、まことさん。
ありがとう。
……いえ。
取り敢えず、量は此れくらいで良いかい?
……はい、十分です。
どうぞ、亜美さん。
……ありがとうございます。
うん……其れでは、食べてみようか。
……はい、頂きましょう。
頂きます。
……頂きます。
……。
……。
……あの頃より、ずっと美味いな。
……。
大夫、どうだい?
……。
大夫?
……美味しい。
うん?
……とても美味しいです。
そんなに?
……都の炒飯よりも、美味しいかも知れません。
……。
此れが、隊長さんが生まれ育った場所の味なんですね……。
……美味しいようで、良かった。
まことさんは、如何ですか?
うん……悪くはないかな。
然うですか。
もう少し、食べるかい?
いえ、此れ以上は……お昼に食べようと思います。
……然うか。
まことさんは……?
……作り方を、教わろうかな。
作り方……ですか?
大夫……亜美さんが、気に入ったのなら。
……。
……あたしも、作ってみたいと。
まことさん……。
……別に、気にしているわけではないんだ。
然うなの?
……う。
まことさん?
……結構、気にしている。
……。
……正直、悔しいと。
ふふ……。
……亜美さん。
まことさんが作ったものも、屹度、とても美味しいと……。
……隊長が作ったものよりも美味しいものを作って見せるよ。
はい……楽しみにしてます。
……いつ、教わるか。
未だ、時間はありますから……。
……もたもたしていると、帰ってしまうから。
……。
其の前に……どうにか。
……ふふ、然うですね。
うん……。
……。
……。
……然う言えば、まことさん。
ん……なんだい?
家の周りに、ちびが居ないようなのですが……何処かに行ったのでしょうか。
あぁ……何を思ったのか、尻尾を振りながら隊長について行ったよ。
多分、気が済んだら帰って来るだろう。雪も降っているし。
然うですか……隊長さんにすっかり、懐いてしまいましたね。
……若しかしたら。
まことさん?
……隊長に、学姐の匂いがするのかも知れない。
学姐の?
ちびはどちらかと言うと、学姐に懐いていると思うんだ。
……然うでしょうか。
多分、だけれどね。
学姐のにおいは良い匂いと言うよりも、薬特有のものが強いと思うのですが……いつから、ちびは好きになったのかしら。
……。
……?
まことさん……?
ん……いや、なんでもないよ。
何か言いたいことがありそうなお顔をしています。
いや、言いたいという程のものではないから……少し、思っただけで。
つまり、何かあるのですね。
んー……。
……まことさん。
学姐の匂いが、若しかしたら亜美さんの匂いに、少しだけ似ているのかも知れない。
……私に?
ほら、亜美さんも薬のにおいがするだろう?
……だからと言って、全く同じにおいではありませんよ。
全く、同じではないんだけど……何処か、似ているんじゃないかな。
……其れだけで、ちびが懐くものなのでしょうか。
あとは、然うだな……敵だと、認識していないこともあるのだろう。
……其れならば、隊長さんも。
本当のところは、ちびに聞いてみないと分からない。
あたしにもちびの好みは……亜美さんであることしか、分からないし。
……犬は、嗅覚に優れていると言うのに。
違いはちゃんと分かっていると思うんだ。
……まことさん。
なんだい?
……他に何か、思うことがあるのはないですか。
え、と……其れは、どうしてだい?
……然ういうお顔をしているからです。
顔……。
……本当に、ありませんか。
……。
矢っ張り、あるのですね。
……雰囲気、かな。
雰囲気……。
……似ていないけど、何処か、似ている。
……。
だけど、ちびが懐いたのは其れだけじゃない。
学姐がちびにとって、良いひとだったからだと思う。
……隊長さんだって、然うです。
隊長は、あまりに懐かれていないと……。
……然うでしょうか。
うん?
ちびは、隊長さんに懐いていると思うのですが。
然うかな……あたしには然う見えないけれど。
……。
亜美さん?
何か思うことでもあるのかい?
いえ……大したことではないので。
つまり、あるんだね。
……隊長さんは、似ていますから。
ん、誰に?
……あなたの匂いに。
ん。
……似ていますよ。
あたしが、隊長に?
……はい。
いや、でも、あたしに似ていたら、懐かれることはないと思うが。
……鈍感。
んん。
……。
亜美さん……似ている臭いとは、例えば、どんな。
……あなたが考えているようなものではありません。
……。
……ある特定のにおいでは、決して。
だけど……其れぐらいしか、あたしと隊長の共通点はない。
……そんなことは、ないわ。
……。
だから……違います。
だとすれば……他に、何が。
……雰囲気。
……。
性格や気配は、異なるのですが……何処となく、似ているんです。
……何処となく。
ひとのことして。
ひとのこ……其れも、なんとも言えないな。
……私も同じ気持ちです。
……。
……。
此の話は……もう止そうか。
……ちびは、何処までついて行きますかね。
ん、然うだな……適当なところで、引き返してくるだろうとは思っている。
……其のまま、家までついていくなんてことは。
其れはないと思うが……。
……だと、良いけれど。
仮令ついて行ったとしても、心配は要らないさ。
ちびは必ず、帰って来る。家で、亜美さんが待っているのだから。
……ちゃっかり、ごはんを御馳走になっているかも知れません。
其れは……あるかも知れない。
……隊長さんなら、十分に有り得ます。
うん……十二分に、有り得る。
……だとしたら、今度、お礼を言わないと。
あー……。
……若しかして、此のごはんを。
ちびには、味が濃い。
……薄めて呉れるかも知れません。
……。
……ちゃんと、帰って来て呉れるでしょうか。
帰って来る……と、思う。
ちびは……亜美さんに似て、賢いから。
……。
……あいつは、うちの子だ。
はい……うちの子です。
……そんな薄情な子では。
ん……。
……。
あれは、
ちびの声だ。
……。
うん、ちゃんと帰って来たようだ。
まことさん。
出迎えてやろうと思う。
……。
亜美さんも。
……もぅ、まことさんは。
ん、なんだい?
……矢っ張り、心配だったのですね。
亜美さん?
いいえ……其れでは、一緒にお出迎えしてあげましょう。
うん。
……。
ちび、お帰り。
待っていたぞ。
お帰りなさい、ちび。
帰って来て呉れて、良かったわ。
26日
……。
……ター。
……。
……かえって、きたの。
帰って来なければ、此処には居ない。
……こっちに、きて。
食欲は?
……それより、も。
何か食べたいものはないか。
あるならばなんでも良い、言って呉れ。
……いじ、わる。
然ういうわけではない、お前がろくに食っていないから聞いているだけだ。
じゃあ……きくなら、ちかくで。
飲みたいものは?
……む。
水は、飲んだみたいだな。
であるならば、脱水症状になることもないだろう。
……でんかいしつ。
あ?
……が、たりなくても、なるの。
知っている、だから、少量の塩を混ぜておいた。
……しおみずよりも、あなたがいれてくれたおちゃがのみたい。
お茶だな、何が良い?
……きてくれなきゃ、おしえない。
今、お茶を淹れる為の湯を沸かしている。
……すこしくらいなら、いいでしょ。
飯の支度もしなければならない。
……どうせ、あんまりたべられないもの。
あんまりと言うことは、少しは食えそうなんだな。
……おいしいのが、たべたい。
あたしが作るものは、どれも皆、美味い。
……しってる。
何が良い。
……なんでも、つくってくれるの。
なんでもは無理だ、材料がなければ作れない。
……さっきはなんでもいいって、いったのに。
材料が揃っている範囲で、だ。
……いつだって、ことばがたりないの。
お前には言われたくないな。
……わたしは、ちゅうしょうてきなだけ。
で、何が良いんだ。
取り敢えず、言ってみろ。
……ざいりょうは、なにがあるの。
言わない。
……じゃなきゃ、いえないじゃない。
考えずに、今、食べたいものを言ってみろ。
……つくれないっていわれるのが、いや。
言ってみなきゃ分からないだろう。
……いやなの。
面倒な奴だな。
……わたしはどうせ、めんどうだから。
はぁ。
……ねぇ、そばにきて。
もう、来てるだろう。
……。
お前がそっぽ向いている間に。
……けはい。
弱っているお前には、あたしの気配を読むのは難しいだろうな。
……あなたは、いじわる。
来たのだから、良いだろう。
……まだ、たりない。
何が足りない?
……まだ、ふれられてない。
部屋を出る前に、さんざ触れてやったろう。
……かえってきてからはまだ、いちども、ふれられてない。
我儘だな。
……だって、さみしかったんだもの。
眠っていたのではないのか。
……ねむっていても、あなたがいないことはわかるの。
感覚が鈍っているのにか。
……いまは、ゆだんしていただけなの。
油断だって?
……あなたのこえを、きいているから。
矢張り、鈍っている。
……はやく、ふれて。
何処に。
……どこでもいい、あなたがふれたいところに。
特にはないが。
……どうして、そういうことをいうの。
其れが、あたしだからだ。
其れ以上の理由はない。
……ジュピター、は。
あたしは、なんだ。
……さみしく、ないの。
ないよ。
……っ。
部屋に帰れば、お前が居るからな。
……もぉ。
お前がこうなってからというもの、朝も夜も、ずっと一緒だ。
いや、昼も一緒だな。様子を見に帰って来ているから。
……ジュピターのばか。
意地悪の次は莫迦か。
……だって、ほんとうのことだもの。
ならば、嫌いになって呉れても構わないぞ。
……また、そんなことをいう。
意地悪で莫迦なあたしのことなど、好いている必要はないだろう?
其れこそ、時間の無駄遣いだ。もっと他のことに使った方が良い。
……どう、して。
どうもこうもない。
……あなたは、いいの。
良いと言ったら。
……きらいに。
なるか?
……なれるわけ、ない。
然うか、ならば仕方ないな。
……ん。
全く、手が焼ける。
……あたたかい。
体温が高いからな。
……それだけじゃ、ない。
雷気の影響だ。
……はぁ。
淋しくなくなったか。
……ねぇ。
なんだ。
……ほんとうに、いいの。
何が。
……わたしが、きらいになっても。
お前の感情はお前だけのものだ、あたしがとやかく言えることではない。
……わたしは、いやよ。
あたしを嫌いになることが、か。
……それも、だけれど。
他にもあるのか。
……どんかん。
意地悪、莫迦、其の次は、鈍感か。
今に始まったことではないが、どうしてお前があたしのことを好いているのか分からないな。
……あなたが、すきなの。
あたしが「ジュピター」、だからか。
……ちがう、もうなんどもいっているのに。
分からないんだよ、どうしても。
あたしは鈍感で、愚鈍だからな。
……ぐどんなんて、いってない。
言っていないだけだろう?
……あなたが、「あなた」だから。
……。
だから、わたしは……ん。
……未だ、冷たいな。
ジュ……ピ、ター。
……機嫌は、直ったか。
き、きげん……なんて。
であるなら……しない方が、良かったか。
……もっと。
食いたいものを教えて呉れるなら、な。
……してくれなきゃ、おしえない。
然う来るか。
……しりたければ、もういちど、して。
んー……。
……しりたく、ないの。
水星の民を呼ぶか。
……なんで。
呼んで、適当に作らせる。
……ぜったいに、いや。
だったら、素直に教えて呉れ。
素直なところは、お前の取り柄のひとつだろう?
……だったら、くちづけをして。
つい先刻、したばかりだ。
……もういちど、してほしいの。
して欲しければ、
おしえて、ほしければ。
此れは、終わらないな。
そうよ……あなたがくちづけをしてくれるまで、おわらないの。
矢張り、水星の
……ないても、いいの。
あ?
いま、なみだをながしたら……せっかく、おちついてきたすいきが
……。
……も、ぅ。
此れで、良いだろう?
……もっと、ふかく。
今はしない。
……いつ、してくれるの。
いつかは分からない。
……。
少なくとも、お前の水気が落ち着かないうちはしない。
……してくれても、へいきなのに。
さぁ、お前の願いは叶えたぞ。
……かるく、ふれただけ。
お前の食いたいものはなんだ。
……。
マーキュリー。
……あなた。
あぁ?
……あなたに、たべられたい。
却下だ。
其れは食いたいものじゃない。
……でも、わたしがのぞんでいる。
無理だ。
……むりだと、しても。
また寝込まれたら困る。
……いつまでも、このへやからいなくならないから。
そんなのはどうでも良い。
……てがかかるから、じゃまだから。
本当に然うだと思っているのか。
……しごとがはかどらないから、とどこおっているから。
水星の民達が踏ん張っているよ。
……だけど、「マーキュリー」のしごとは。
其れはお前にしか出来ない。
……めいわく、だと。
他に思い付かないのか。
……ほか。
お前にまた寝込まれたら、どうしてあたしが困るのか。
……。
お前は何処まで、あたしを心配させたら気が済むんだ。
……ぁ。
分かったか。
……わからない。
はぁ……なんでだ。
……くちづけで、おしえて。
より一層、分からないだろう。
……ことばと、いっしょに。
……。
……わがまま?
酷く、な。
……ごめんなさい。
別に、良い。
……おしえて、くれる?
マーキュリー。
……ジュピター。
少し苦しいが、我慢は出来るか。
……するし、できるわ。
然うか。
……じらさないで。
……。
はやく、おしえ……ん。
……。
……ん、……ふ。
……。
は……、……んん。
……マーキュリー。
ジュピ、ター……ん。
……あまり、心配させて呉れるな。
……。
……もう、分かっただろう。
……。
……未だ、分からないのか。
ううん……わかった。
然うか、其れは良かった。
……あのね、ジュピター。
なんだ。
わたし……つめたい、しるものがたべたい。
……冷たい汁物?
そう……せっかの。
せっか……赤茄か。
……あたたかいのも、すきだけれど。
冷たいものを食べても大丈夫なのか。
水気を乱したり、留まらせたりはしないのか。
うん……もう、だいじょうぶだとおもう。
……。
ジュピター……?
……熱いお茶と合わせても大丈夫か。
さましてから、のむわ……。
……ならば、冷めても美味いお茶の方が良いな。
……。
違うか。
ううん……ちがわない。
待ってろ、直ぐに作る。
ん……あなたのすがたをみながら、まってる。
出来たら呼ぶから、眠っていても良いぞ。
……もう、いやになるほど、ねむっていたもの。
其れも然うだな。
……ふふ。
マーキュリー。
……なぁに。
大分、話せるようになったな。
……あなたが、いてくれたから。
ずっとは、居られなかった。
しかたないわ……あなたには、ジュピターのしごとがあるんだもの。
……殊勝だな。
すべては、あなたといるため……いきるため。
……。
ね……きょうのおはなしを、きかせて。
あぁ……また、後でな。
うん……また、あとで。
……。
きょうも、にっきをかくの……?
……書ける日は、書く。
わたしのことも、かく……?
……。
もう、かいてる……?
……役に立つかも知れない。
やくに……。
……次のふたりに。
つたえる、ため……?
……然うだよ。
あなたのきもちは、なにもかいていないの……?
……書いていないと、思うか。
あなたのことだから……わたしのじょうたいのけいかを、かじょうがきに、しるしていそう。
……其の方が、分かりやすいだろう。
そうねぇ……ようてんをつたえるだけなら、そのほうがわかりやすいけれど。
……感情を挟むと、途端に分かり難くなる。
……。
.其れに……あたしの感情までは、伝える必要はない。
なんて、いって……ほんとうは、かいているのでしょう?
は……。
……うん、かいてる。
見せないぞ。
……じかんがたてば、みせてくれるの。
此度のことは、見せない。
……みせて?
見せない。
……きっと、みせてくれるわ。
見せないと言っているだろう。
……わすれたころに。
お前のことは忘れない。
……ふ。
……。
ねぇ。
……飯の支度をするのに忙しい。
きょうね、へやのなかであるいたの。
……それで。
ちょうしがよかったら、へやをでて、あなたのことをみにいったの。
……は?
あなた、ちっともきづいてくれなかったわ。
いつ。
みんなと、たんれんをしているとき。
……誰も、何も。
ないしょにしてって、いったもの。
……お前。
だいじょうぶ……すいせいのたみにも、みはられていたから。
然ういう問題ではないだろう。
……しんぱい?
何かあったら
たみたちが、みていてくれたから。
……状態が悪くなったら、どうするんだ。
わたしは、マーキュリーだから。
……だから、どうした。
だいじょうぶだと、はんだんしたの。
……。
ほんとうよ?
……はぁ。
うそじゃないの。
……マーキュリー。
たんれんしている、ジュピターは……やっぱり、かっこよかった。
……。
……ん。
言ったろう……あまり、心配させて呉れるなと。
うん、いわれた……うれしい。
あのなぁ……。
……しんぱいしてくれて、そばにいてくれて、うれしい。
全く……。
……ふふ、……ふふ。
躰は、問題ないのか。
ん……いまのところ、なんでもない。
水気は。
……あんてい、してる。
明日も出歩くつもりか。
……できたら。
……。
……だめだと、いわれても。
付き合ってやってもいい。
……え。
散歩ぐらいなら。
……ほんと。
嘘は嫌いだ。
……。
明日からで良いな。
うん……いいわ。
……。
ね……たのしみにしてても、いいでしょう?
……好きにすれば良い。
ん……すきにする。
……。
……すきよ。
未だに、分からない。
……そういうところも。
25日
メル。
……ん。
ごめん、休んでたかな。
ううん……休んではいたけど、眠ってはいないから。
……何をしていたの?
ん……計算を、少し。
……計算?
鈍ってしまった頭を、少しでも動かしたくて。
メルの頭が、鈍ってる……?
……計算能力が落ちているの。
……。
……解く時間も遅くなっているし。
メルの頭でも、鈍っちゃうことなんてあるんだ……。
……躰と同じで、使わなければ頭も鈍ってしまうわ。
メルでも、そうなんだ……。
……私は、先生のような頭を持っていないから。
先生?
……ユゥも計算、一緒にする?
え、と……後で、やろうかな。
本当?
ん、本当。
じゃあ、一緒にやりましょうね。
うん、一緒にやろう。
ユゥはなんの計算がしたい?
……なんでもいい?
ん、ユゥがしたい計算を教えて。
それじゃあ……除法。
除法?
ふふ、分かったわ。
……。
ユゥ?
……一桁からでいい?
一桁?
……解き方、忘れちゃったんだ。
……。
他の計算は、出来るんだけど……。
……除法だけの式?
うう、ん……。
……加減と除法?
う、ん……。
……除法だけなら、解ける?
二桁と一桁なら……先生と、何度も復習したから。
……加減と除法はしていないの?
今は、加減と乗法の復習をしているんだ。
……乗法だけの計算は?
二桁同士までなら……。
……そう。
ごめん……前に、教えてもらったのに。
ううん、いいの……気にしないで。
……メル。
何度だって、やり直せばいい……大切なのは、諦めないこと。
……あ。
でしょう……ユゥ。
……うん。
諦めなければ……ユゥならまた、解けるようになるわ。
ん……諦めない。
……他にも、ある?
他……?
……あやふやになってしまったこと。
ん、と……色々、あるけど。
……私に出来ることがあれば。
また、教えてくれる……?
……ん、喜んで。
やった。
……ユゥ。
うん……?
……ううん、なんでもない。
なんでもない……?
……ユゥの名を、呼びたかったの。
……。
……ん。
呼びたくなったら……いつでも、何度でも、呼んで。
……うん、ありがとう。
メル……足は大丈夫かい?
ん……大丈夫。
躰は、どう……?
重たくない……?
……うん、平気。
そっか……良かった。
……ねぇ、ユゥ。
ん……?
……迎えに、来てくれたのよね。
迎え……うん、そうなんだ。
……ふふ。
うん、なに?
……そろそろかなって、思っていたの。
そろそろ?
……ユゥが、迎えに来てくれそうな気がして。
あぁ。
……そんなことを思っていたら、本当に来てくれた。
ねぇ、メル……。
……なぁに?
お腹は、空いている……?
……ちょっと待ってね。
うん……待ってる。
んー……うん、空いているみたい。
あはっ、それはとってもいいことだね。
ふふ……うん。
それじゃあ、お昼ごはんにしよっか。
先生と師匠が、向こうで待ってるんだ。
……待ちくたびれているかも。
大丈夫さ。
……お師匠さんも?
先生がいるから、勝手には食べない。
……確かに。
じゃあ、メル……手を。
……ありがとう、ユゥ。
どういたしまして、メル。
……。
……大丈夫?
うん……ひとりで、歩けるわ。
じゃあ、行こうか。
ん。
……。
……。
ねぇ、メル。
……なぁに、ユゥ。
お散歩、あたし達の家まで休まずに行けたね。
うん……大分、歩けるようになってきたみたい。
今日は足の動きを注意深く見ていたんだけど、かなり、良くなっていると思うんだ。
……本当?
ぎこちなさがなくなって、足運びが自然に……いつものメルに、戻ってきていると思う。
……良かった。
あ、うれしそう。
……ユゥが手伝ってくれているおかげ。
ううん、メルが毎日頑張っているからだよ。
……ユゥがいてくれるから、私は頑張れるの。
そう、かな。
ん……そうなの。
あたしはさ、メルの為ならいくらでも頑張れるし、なんでも出来るんだ。
……私も、ユゥの為に。
お勉強、お願いします。
……ん、任せて。
よし、頑張ろう。
……。
へへ。
……ふふ。
……。
……久しぶりに、ユゥの寝台に座れて。
掃除しておいて、良かったと思う。
……ユゥのにおいがしたの。
ん、くさかった?
……ううん、安心した。
安心……。
……。
あの、メル……また、あたしの寝台で。
……ん、その日が来るのを楽しみにしてる。
あ、あたしも……。
……。
……。
ね……お昼の後は、お師匠さんと鍛練?
うん……その予定。
……また、見に行ってもいい?
もちろんだよ、メルが来てくれたら嬉しい。
……でも。
ん?
……あまり、硬くならないでね?
ん。
……まだ少し、腫れてる。
これくらい、大丈夫だよ……明日になれば、治るから。
……新しく、作らないように。
ん……。
……手当ては、するけれど。
なるべく、気をつける……。
……私のことは、気にしないで?
ちょっと、難しい……かな。
……。
いつも、そうしてるつもりなんだけど……。
……私、見に行かない方が。
それは、やだ……メルに、来て欲しい。
……でも。
見ていて、欲しい……。
……強い一撃をもらってしまわないように、どうか気をつけてね。
ん……かっこ悪いから、気をつける。
……そういうことではないのに。
だって……メルに手当てしてもらえるのは、すごく嬉しいから。
……もぅ。
へへ……。
……手当てはいくらでもするけれど、気をつけて。
はぁい……。
……。
……でさ、鍛練の後は。
先生と、お勉強……?
ううん……その前に、甘味の時間。
甘味……今日は。
今日はね、甘いものだよ。
……。
師匠が作りたいって言ったんだけど、今日もあたしが作ったんだ。
……もう、作ってあるの?
うん、作って冷やしてあるんだ……だから、楽しみにしててね。
……冷たいものなのね。
ん、そうだよ。
……。
……楽しみ?
うん……楽しみ。
……。
ん……ユゥ。
お散歩をしていて、息が、ほとんど切れていなかった。
……。
躰力が戻ってきているんだと思って……とても、嬉しかった。
……あともう少しだと思うの。
戻ったら……一緒に、鍛練も。
……きっと、出来ると思う。
楽しみにしててもいい……?
……ん、していて。
うん……。
……躰の動かし方。
うん……?
……また、教えてくれる?
もちろん、喜んで。
……。
……。
ね……お昼は、何を作ってくれたの?
……お昼はね、とっても久しぶりに冷たい汁物を作ってみたんだ。
冷たい汁物……?
もう食べても大丈夫だろうって、先生が。
……。
先生が作ってくれたかくはん機を使って作ったんだ。
……なんの汁物?
赤茄のだよ。
……あぁ。
赤茄は冷たくても美味しいから。
もしかして……麦餅も入ってる?
うん、入ってる。
大蒜もね。
……他に、何が入ってるの?
塩と、黄柑の果汁。
……黄柑の果汁?
ほんの少しだけれど。
……胡椒ではないのね。
これは、先代が遺して呉れた作り方なんだ。
……先代の?
師匠が教えてくれた。
……。
だ、大丈夫だよ、味見は師匠とふたりでちゃんととしたから。
……心配なんて、してないわ。
……。
……楽しみ。
メル……うん。
……きっと、先生も。
遅いな。
遅いわね。
まぁ、想定通りだが。
然うね。
腹が減ったな。
勝手に食べないでよね。
大丈夫、ちゃんと我慢している。
当たり前。
……。
……駄目よ。
分かってるよ。
……。
四人で食べた方が美味しいよな。
……大人しく、待っていて。
応。
……。
なぁ、マーキュリー。
大人しく待っていてと言った筈よ。
お前が好きなものだ。
……。
冷たい赤茄の汁物も。
……悪くないだけよ。
今回は、あたしが作ったものではないが。
……細かな味の調整はしていたわね。
じゃあ、あたしが作ったものと言っても良いな。
……調子には乗らないで。
……。
……。
……メル、大分元気になってきたな。
だから……今日から、三食に戻す。
……応。
夕食は。
あたしが。
……あの子に作って欲しかったのだけれど。
朝も昼も、甘味もちびが作った。
だから、夜はあたしの番だ。
……あぁ、然う。
ん、然うなんだ。
……せいぜい、期待しているわ。
応、していて呉れ。
……。
然し、遅いな。
其のうち、来る……大人しく、待っていれば良い。
ま、冷める心配はないしな。
……ジュピター。
なんだい、マーキュリー。
……別に、なんでもない。
あたしの名を呼びたくなったか?
其れとも、今夜も
いい加減、帰って。
一昨日は帰ったぞ。
今日も帰って。
なら、明日は泊まっても良いか?
駄目に決まっているでしょう。
ん、駄目か。
どうして良いと思えるのかしら。
じゃあ、こうしよう。
しない。
お前達がうちに来れば良い。
は?
其れなら、どうだ?
何が、どうだ、なの。
久しく来ていないだろう?
たまには良いと思うんだ。
私は思わない。
メルを連れてうちに来る、そして夜になったら其のまま泊まる。
勿論、ごはんはあたし達が作る。うん、此れならば何も問題はない。
あるわよ。
メルも喜ぶと思うんだ。なんせ久しく、うちに泊まりに来ていないから。
若しかしたら、ちびと一緒にちびの寝台で眠りたいと思っているかも知れない。
然うだとしても、あなたの家には必要なものが何もないわ。
持って行けば良いさ、あたしが運ぶよ。
簡単に言うわね。
薬茶の材料以外に、メルに必要なものはなんだい?
あの子ではない。
ん?
私にとって必要なものよ。
然うか、メルはもう、薬茶だけで足りるのか。
はぁ、良かったなぁ。本当に、良かった。
……。
ん、マーキュリー?
今日は行かない。
今日、は?
あの子が元気になれば、ひとりで
お前にも来て欲しい。
ずっとあたしの寝台で寝ていないだろう?
別に寝なくても良いから。
たまには良いぞ、場所が違うのも。
私は慣れている場所の方が良いの。
あたしの寝台も慣れてはいるな。
勝手に慣れさせないで。
考えてみなくても、お前は不慣れな場所だと良く眠れないんだよなぁ。
青い星に
あなたと違って、楽観的ではないだけよ。
だけど、あたしが居ると眠れるんだ。
深い眠りではないわ。
ん、然うだったか?
毎回じゃない。
あぁ、時と場合って奴だな。
いい加減、黙って欲しいのだけれど。
あたしの寝台で眠る気になったら、
ならない。
今日が駄目ならば、明日でも良い。
しつこいわね。
頼むよ、マーキュリー。
頼まれない。
じゃあ、お願いだ。
お願いされない。
いっそのこと、浚って
あの子達にあることないこと吹き込むわよ。
ん。
さぞかし軽蔑されるでしょうね。
うん、止めておこう。
其れは流石のあたしでも堪える。
……。
……腹が、減ったなぁ。
声が聞こえる。
ん、漸くか。
……。
……なぁ、マーキュリー。
あの子次第。
……うん?
あの子が行きたいと言うのなら……仕方ないわ。
あ。
……今は、ひとりでは行かせられない。
然うか、ならば早速聞いてみよう。
だからと言って、今日は
うちはいつでも構わない、此の時の為に家の中は綺麗にしてあるから。
……はぁ。
ちびも喜ぶぞ。
然うね……喜んでいる顔が目に浮かぶわ。
はは、だろう?
……。
マーキュリー。
……なに。
待ってる、ずっと。
……待たなくて良い。
ん、然うか。
……と言うと、来るのよね。
応。
……全く。
……。
……ちょっと。
待っているよ……マーキュリー。
……。
お前の好きな香りを用意して。
……其の時の気分に合っていなかったら、帰るわよ。
ん……。
……其れだけは、忘れないでいて。
応……忘れない。
……。
お、来たな。
……座って、ごはんにしましょう。
24日
大丈夫かい、メル。
ん……だいじょうぶ。
疲れたら、お休みしてもいいからね。
休みながら、ゆっくり、頑張ろう。
と言っても……ついさっき、休んだばかりだし。
喉は乾いてないかい?
水筒のお茶が飲みたくなったら、いつでも言ってね。
……さっき、飲んだばかりだから。
もう少し、歩く?
ん……もう少し、歩きたい。
うん、分かった。
……ねぇ、ユゥ。
なんだい、メル。
……目標を決めてもいい?
目標?
例えば……ユゥ。
ん、あたし?
私が言う場所まで、ひとりで移動してもらってもいい?
ひとりで?
メルは?
私は、ここで待ってる。
いいけど……それで、どうするの?
ユゥが立っているところまで、ひとりで歩いていくの。
メル、ひとりで?
ん、ひとりで。
それは……大丈夫なの?
少し、頑張ってみたいの。
ユゥが傍にいると、つい甘えてしまうから。
どんどん甘えて欲しい……。
……それでは、だめだと思うの。
だめ、かな……久しぶりのお散歩なんだし、だめではないと思うけどな。
ううん……少しは、自分ひとりで頑張らないと。
む……。
もしも、ユゥの手が必要になったら……すぐに、呼ぶから。
絶対だよ。
ん。
約束だよ、メル。
ん……約束する。
……。
ユゥ……お願い。
ん……分かった。
……ありがとう。
じゃあ、どれくらい行けばいい?
そうしたら……ここから百測先に。
百測も?!
え、と……じゃあ、五十測。
五十測……そんなに離れて、大丈夫?
今だって、少しきつそうなのに……。
……頑張ってみたいの。
……。
大丈夫だから……私を、信じて?
……分かった、信じる。
うん……。
何か異変を感じたら、呼ばれなくても、駆け付けるから。
ん……お願い。
それでさ……最初は、三十測にしない?
……。
あ、や……。
……じゃあ、三十測で。
あ。
……頑張りすぎても、良くないよね。
う、うん、良くないよ。躰は少しずつ、慣らしていった方がいいんだ。
先生だけでなく、師匠も言っているし、あたしもそう思う。
……そうだよね。
ゆっくりやろう、メル。
……ん。
うん。
……ふぅ。
……。
……お願い、ユゥ。
うん……それじゃあ、ここで待ってて。
……行ってらっしゃい。
行ってきます……向こうで、待ってるよ。
ん……待ってて。
あ、ゆっくりでいいからね。くれぐれも、無理だけはしないでね。
何かあったら、すぐに呼んでね。遠慮なんて、しないでね。
……うん、分かってる。
ん、ちびがメルから離れて行くみたいだな。
……大方、ひとりで頑張りたいとでも言ったのでしょう。
あいつ、後ろ向きで走ってるぞ。
……器用ね。
あれくらい、あたしにも出来る。
……どうでも良いし、知ってる。
メルは大丈夫なのか、ひとりで。
今の時点でも、結構きつそうに見えるが。
やらせてみれば良い。
何かあれば、直ぐにユゥが駆け付けて呉れるだろうから。
少し心配だな。
心配性。
お前の時も然うだった。
なかなか離れて呉れないから、邪魔で仕方なかったわ。
あたしが離れている間に、倒れてしまわないか心配だったんだ。
倒れても、立ち上がれば良い。
倒れたら、躰の何処かを打ってしまうかも知れない。
特に頭を打ったりなんかしたら大変だ。瘤で済めば良いが、
五月蠅い。
……三十測くらいか。
まぁ、妥当。
……ほんの少し、遠くないか。
あの子のことだから、百測と言いかねない。
百測?
其れは幾らなんでも遠過ぎるぞ。
其れで、次に五十測。
五十測でもまだ遠い。
であるならば、三十測が妥当だ。
でしょう?
……だな。
実際のところ、三十測があの子を納得させるぎりぎりの線。
ユゥはあの子のことを良く分かっているわ。
……あたしも。
あの子が歩き出した。
ん。
矢張り、ひとりでは足元がふらついているわね。
覚束ないわけではないけれど、心許ない。
はらはらしてるだろうな、ちびは。
分かりやすく、しているわね。
手に落ち着きがない。
あの子の今の気持ち、分かる?
分かるどころじゃないな。
あなたも大袈裟な程に手を動かして、尚且つ、無駄に大きな声で呼び掛けて呉れたものね。
手を動かしながら大きな声を出すことで、今直ぐ傍に行きたいという気持ちをぐっと抑えていたんだ。
知ってる。
ん、声も出し始めたな。
足も落ち着かない。
其れでも、踏み止まっている。
其の場で駆け足はしてるけど。
前に踏み出されなければ、良い。
あなたも然うだった。
一歩でも前に踏み出してしまったら止められない、一直線だ。
鬱陶しかったわ。
鬱陶しい?
私は駆けるどころか、足を一歩分、前に出すだけでもやっとだったと言うのに。
……。
其れなのにあなたは、そんな私の目の前で、軽やかに駆け足なんかして呉れて。
……然うしないと、落ち着かなかったから。
其のせいでより一層、歩いてやろうと思えたわ。
一歩踏み出すたびに躰の重みを感じ、思うように足を前に出せずとも。
ん。
無闇に呼び掛けて来るあなたが、本当に、癪で。
辿り着いた暁には、一刺ししてあげようと。
……毎回、首元やら背中やらがひんやりしたっけ。
結局は、しなかったけど。
……あたしの手を借りることは、ほとんど、なかったな。
一度たりとも、借りたくはなかったのよ。
……でも、目の前で倒れたお前を放っておくことなんて、あたしには出来なかったよ。
普段は楽観的なくせに、私のこととなると途端に心配性になって。
お前だけだよ、あたしを心配性にさせるのは。
知ってるから、いちいち言わないで。
ん、然うだよな。
……今はあのふたりもでしょう。
あー……。
……。
今は……十測、くらいか。
……いえ、未だ其処までではないわ。
少し息が切れているな。
……あれで良く、あなた達の鍛練を見に行けたものだわ。
メルの部屋からでも見られたんだ。
……あなたが良く使う窓からね。
其れでもあの子は外に出てきた。どうしても、外に出たかったんだろう。
ずっと、寝台の上で寝ていたから。気持ちは分からなくもない。
……全く、手が焼ける子。
お前が近くに居て呉れて良かったよ。
……私はいつだって、私がするべきことをしているだけよ。
ん、然うだな。
……。
十。
……残り、二十。
あの様子だと、厳しいな。
……あと、五。
五?
……あの子は其れだけは譲らない。
然うか……。
……昨日の方が未だ、動けたわね。
波があるものなんだよな。
……厄介なことにね。
留まってはいないか?
ええ、其れはないわ。
其れだけで、ん。
……。
まずいな。
……ジュピター。
大丈夫だ、ユゥが行く。
行かせないで。
其れは無理だ、あいつの足はもう動き始めている。
であるならば、せめて、ひとりで立たせて。
でも……立てるか。
……やってみなければ、分からないわ。
……。
私も、然うだったでしょう?
あぁ……然うだったな。
早く。
ユゥ!
……。
今は未だ、手を貸さないで良い!
気持ちは分かるが、メルのことを思うのなら我慢しろ!
……メル。
然うだ、メルの為だ!
お前なら、分かるだろう!?
……ひとりで出来るところまで、やってみなさい。
然うだ、今は我慢だ!
あたしが良いと言うまで、手を出すな!
……其れが、あなたの望みなのだから。
メル、あたし達も此処で見ているぞ!
だから、やれるだけやってみろ!
……。
此れで、良いか。
……あなたにしては、悪くないわ。
応。
……あの子も良く、我慢してる。
矢っ張り、手は落ち着かないけどな。
他人事のように……あなたも然うだったでしょう。
……他人事のように、思えない。
へぇ?
あたしには、止める者がお前しか居なかった。
……然うね。
息が切れて苦しそうなお前の言うことを、いつだって、やっとの思いで聞いていたんだ。
……知っているわ。
……。
……。
うん……なんとか、立てそうだな。
……もう少し。
分かってる。
……。
ちび、もう少しだ!
もう少しだけ、待て!
……。
マーキュリー。
……良いわよ、ジュピター。
もう良いぞ、ユゥ!
……。
ん、早い。
結果は、十五……まぁ、悪くはないわね。
あの足で、あの躰で、メルは。
……。
あたし達の鍛練を見に来たんだ。
……いつもの場所ではなく、私達の家の近くでやると言ったから。
メルが見たいと言うのなら、遠くに行くわけにはいかない。
……甘いわね。
見せてやりたかったんだ、久しぶりだったから。
……窓からでも、見えたと言うのに。
どうしても、外で見たかったんだろうな。
部屋からだと、全体を見回すことは出来ないから。
……私には分からないわ。
然うか?
……私はあなたが鍛練している様子なんて、見たいとは思わなかったもの。
でも、見に来て呉れたよな。
……距離が丁度良かっただけ。
お前は……ひとりで。
……命令もしていないのに、水星の民が隠れて見張っていたわ。
あぁ……。
……木星の民も。
……。
全く……どいつも、こいつも。
……其れだけお前は、民達に慕われていたんだよ。
木星の民に関しては、あなたの手回しによるものだったけれど。
……いつだって、争奪戦だったぞ?
くだらない……。
……お前が回復するまで、ずっと傍に居たかった。
あなたにも、すべきことがある。
其れを疎かにすることは赦されない。
……そんなもの。
でなければ……あなたの望みは、永遠に叶わなくなっていたかも知れない。
……。
……ま、私は其れでも良かったんだけど。
なぁ、マーキュリー。
……なに。
今でもお前の傍に居られて良かった。
……あぁ、然う。
メル、本当に大丈夫かい……?
……ん、大丈夫。
……。
このまま……ユゥが立っていたところまで。
また、ひとりで歩く……?
……。
……それなら。
ううん……ユゥと一緒に。
……メル。
ひとりで歩くのは……お休みしてからにする。
あぁ……うん、分かった。
……ねぇ、ユゥ。
なんだい……?
……どうでもいい話を、してもいい?
メルの話に、どうでもいいものなんてないよ……そう、いつだって。
ふふ……ありがとう。
……それで、なんだい?
私ね……お昼ごはんが、楽しみなの。
……お昼ごはん?
そう……ユゥが作ってくれるお昼ごはん。
……そんなに、楽しみ?
うん……楽しみ。
ありがとう……すごくうれしい。
……だから、ね。
うん……?
……私、もう少し頑張るわ。
メル……。
……ユゥのごはんを、もっと美味しく食べられるように。
あはっ。
……ん。
それ、とてもいい考えだと思う。
……でしょう?
うん!
……ふふ。
なんだか、楽しそうだなぁ。
うん、良いことだ。
……。
ん、マーキュリー?
あとは、あなたが。
部屋に戻るのか。
ええ、戻るわ。
……。
なに。
寝不足は、少しは解消されたか?
寝不足なんて、最初からなっていないわ。
あたしはもう少し、眠りたいと思っている。
然う、だったら眠ったら?
ひとりで。
然う、ひとりで。
だけど、ふたりでも良い。
寧ろ、ふたりが良い。
……。
だから、マーキュリー。
……なに。
今夜も、
あなたは、帰って。
23日
ちび達、戻って来たみたいだ。
……然う。
あいつ、メルの為に手巾を敷いていたぞ。
ちびもそんなことをするようになったんだなぁ。
……夕食後、一旦家に戻ったのは其の為だったのかも知れないわね。
あれ、手巾を取りに行ったのか。
……知らないけど。
多分、急に思い出したんだろう。
あたし達には良くあることだ。
……あなたが仕組んだのではなくて?
あたしは別に何もしてないぞ。
……あの子は直ぐには座らなかったでしょう。
お、分かるか?
……嬉しいくせに、私ばかりと。
少し話したところで納得がいったのか、最終的には座っていたよ。
……最初から、座っていれば良いのに。
お前は当たり前のように座って呉れたよな。
……手巾が綺麗ならば、ね。
お前の為に用意する手巾はいつだって、きれいなものばかりだ。
……先代の日記を読んで、真似したくなって。
単純だからな。
……先代は外で、と記したのに、あなたは椅子の上に敷いて呉れたわね。
其の頃はふたりで外に行く機会がなかなかなかったから、であるならば、椅子に敷いてみようと思ったんだ。
……ひとの椅子に、何をしているのかと思ったら。
座り過ぎるとどうしても尻が痛くなるって、水星の民のひとりがぼやいていたのを木星のが聞いてたんだ。
……然うみたいね。
お前から尻が痛いとは聞いたことはなかったが、若しかしたらと思ってさ。
ほら、お前も座っている時間が長いだろう? だから、手巾を敷けば少しは違うかなって。
手巾一枚で変わるわけがない、大体、薄過ぎる。
然うなんだ、だからあたしは座る用に少し厚みのある敷物を作ることにした。
何度か試行錯誤を繰り返して、なんとかお前に合う敷物を作ることが出来たんだ。
……作らせれば良いのに、余計なお世話ばかり。
使って呉れて、嬉しかったなぁ。
……悪くなかったから、使ってあげただけ。
ずっと使っていると草臥れて来てしまうから、其の度に、新調してさ。
毎回同じ柄だと詰まらないだろうと思って、全部違うものにしたんだ。
……柄など、私が気にするわけもない。
最初に作った敷物は緑を基調としたもので。
……離れていても、あなたは傍に居ると。
尻の下でも、あたしは嬉しいからな。
寧ろ、すごく嬉しいからな。
本当にばかよね。
お前の尻に敷かれるのは吝かではない。
また敷かれたいの?
今夜、どうだ?
は。
あたしはいつでも良いぞ。
しない。
しないのか?
しないわよ。
じゃあ、明日の朝はどうだ?
朝の身支度の前に、少しだけ。
あなたの嗜好、本当にどうかしてるわ。
だけどな、あたしだけじゃないんだよ。
歴代の中にも
知ってる。
だから、あたしだけじゃない。
……余計なことを書き残して呉れたものだわ。
若しかしたら、ちびも気に入るかも知れないぞ。
……。
ん、眉間に皺。
あなたのろくでもない嗜好を、あの子に引き継がせるようなことは止めて呉れる?
いや、此れは引き継ぐと言うより、ひとつの個体の好みだからな。
あたしが好むと言って、ちびが好むとは限らない。が、若しかしたら、好むかも知れない。
……。
ん、冷たい眼差し。
私には其の良さが、全く、分からない。
知りたいか?
知りたいとは思わない。
気が変わることは、
今後もない。
お前の知的好奇心を持ってしてでも、駄目か。
そもそも、重い。
重い?
潰れる。
お前は軽いぞ?
あなた。
あたし?
自分で自分を敷けと?
ん、無理だな。
だから、無理。
マーキュリー。
何。
あたしは敷かない、マーキュリーを尻の下に敷くなど、出来るわけがない。
其れなのに、自分は敷かれたいのよね。
あの良さは、なんとも言えないものがあるんだ。
先ずはお前の重み、其れから、お前の尻の
ジュピター?
応、もう言わない。
……こんな嗜好、出来るなら似て欲しくないわ。
ん、なんだい?
あなたのおかしい嗜好は、くれぐれも、あの子に教えないで。
今のところ、教えてないぞ。
今後も、よ。
ん、其れは難しいな。
……は?
多分、日記に書いてる。
見つけ出して、消して。
折角、書いたのにか?
書き直せば良いだけ。
其れ、大分難しいぞ?
思い出せなければ、適当に書けば良い。
いや、適当に書いたら日記にならないだろう?
あなたはいい加減なんだもの、そんな日があったって誰も気にしないわ。
だったら、書き直さなくても良くないか?
は?
誰も気にしないということは、ちびも気にしないだろう?
気にせずとも、真似はするかも知れない。
其れなら其れで良いじゃないか、あれは心地好いものなんだからさ。
あなたね。
メルの尻に敷かれることで、明日も頑張ろうと、ちびが思えるのなら……あたしは、其れで良いと思う。
……。
でも、慣れない間は、なかなか敷いて呉れないかも知れないけどな。
……本当、どうかしてる。
なぁ、マーキュリー。
今夜は敷かないわよ。
ん、然うか。
明日の朝も。
じゃあ、気が向いたら敷いて呉れ。
向かない。
然う言えば、今使っている敷物はどうだ?
草臥れてはいないか? 結構、使っているだろう?
未だ、使えるわ。
後で、確認させて欲しい。
別に、しなくても良い。
次のはさ、緑と青を混ぜた柄にするんだ。
あの子達のものを作ってあげれば良い。
ちび達のも草臥れていたら作るよ。
先に
見比べてから決める。
私のは後で良い。
みっつの中で、一番草臥れてなかったらな。
……。
ん?
……其の腕で。
足がある。
……。
お前が作って呉れた義手もある、何にも問題はないよ。
……好きにすれば良い。
応、好きにする。
……初めは、意味がさっぱり分からなかったわ。
うん?
……手巾。
あぁ、だよなぁ。
……歴代の日記に書かれていることは、知っていたけど。
あたしがするとは、思っていなかったんだっけか。
……思っていても、意味が分かるわけじゃない。
お前の笑顔が見たかったんだ。
……悪かったわね、いつも凍っていて。
然うでもなかったぞ。
……然うでもある。
多少ぎこちなくても、お前が笑って呉れると嬉しかったんだ。
……あなたの目がどうかしてるだけ。
あたしだけが分かれば良い、他の奴らは分からなくて良い。
……。
なんて、思っていたら……ちび達の前では、良く笑顔を見せて呉れるようになってさ。
……意識しているわけではないから。
いつの間にか、ぎこちなさもなくなっていた。
……顔の筋肉が無駄に柔らかくなったせい。
全部、あたしのせいか?
然う……全部、あなたのせい。
ふふ、然うか。
……私にとって、あなたはいつだって意味不明な存在なの。
だから、飽きなかった。
いや、飽きられなかった、か?
……こんなに長く続くとは思わなかったわ。
あたしは思ってた。
……命の話。
む。
……まさか、此処まで生きるとはね。
お前が?
あなたが。
お前が生きているうちは、あたしは壊れない。
……私は後追いなんてしないわ。
しなくて良いよ、あたしはお前に生きていて欲しいから。
……。
其れで、後からゆっくり来て欲しい。
……あなたのところなんて、行くわけないでしょう?
お前はきっと、来て呉れる。
……根拠は。
ひとりは、淋しい。
……あなたが?
然う、あたしが。
……根拠とは全く言えない。
ははは。
……椅子の次は、緑の部屋。
ん?
……いそいそと敷いて呉れたわね。
あぁ……応、敷いたなぁ。
敷いて、飯を食ったりしたもんだ。
……あれは、悪くはなかったわ。
ふふ、だろう?
……ただ。
ただ?
……あなたも座れる大きさのものだったのは頂けなかった。
寄り添えて、あたしは良かったなぁ。
……あなたはね。
其の次は、畑。
……青い星でも。
行く先々で、敷いたんだ。
……今でも。
うん、今でも。
……あの子も同じことをするのかしら。
出来ない時はしないと思うが、出来る時はするんじゃないかな。
……余計なところばかり、似る。
メルは嬉しそうに、笑っていたぞ。
……でしょうね。
ちびも嬉しそうで、寄り添ってる姿は微笑ましかったなぁ。
……取り敢えず、何事もなくて良かったわ。
応、其れが一番だ。
……部屋に戻ったところまで。
一応、な。
……然う。
あの様子だと、今日はもう休むつもりだろう。
まぁ、寝台の中で少し話すかも知れないが。
……明日はお散歩をするそうだから。
ん、然うだった。
何処まで行くかな。
……先ずは、家の周り。
うちまでは行けるか?
……明日は無理。
明後日以降か……掃除、しておこうかな。
……散らかっているの?
此処のところ、暇がなくてさ。
……なら、した方が良いわね。
塵や埃は、肺に良くないからな。
……ついでに。
掃除、しても良いかい?
……余計なところは触らないという約束で。
ん、約束する。
……ならば、して。
任せろ。
ふふ、明日は忙しくなりそうだな。
……楽しそうね。
うん、楽しい。
……。
お前も。
……私は、いつもどおりよ。
はは、然うか。
……。
さて、あたし達はどうする?
眠るには未だ、早いが。
……眠りたいのなら、先にどうぞ。
お前が起きているのなら、あたしも起きているよ。
……起きていると五月蠅いから、眠って呉れた方が良いのだけれど。
起きていたいんだ。
……ちょっと。
ん、少し冷たいな……寒いか?
寒くはないわ……離れて。
……。
……ジュピター。
久しぶりだ……。
……そんな気分ではないの。
分かっている……。
……ならば。
ただ、触れ合っていたい……。
……然うされていると、邪魔なのよ。
じゃあ……続きは、寝台の中で。
……ならないわよ。
構わない……お前の温もりを感じながら、眠ることさえ出来れば。
……。
……あの子も本調子ではないしな。
分かっているのなら……。
……お。
良いわ……。
……良い子だろう?
自分で言う……?
……言ってみたかった。
は……。
……離れるよ。
良い子ね……。
……。
あの子達が眠るまで……私は、眠らない。
……恐らく、半刻ぐらいだ。
だと、良いけれど……。
……取り敢えず、一刻は起きていようか。
眠たくなったら、眠っても良いわよ。
お前も……代わりに、あたしが起きているから。
……。
……寝台で、待っていて呉れ。
ええ……然うしてあげるわ。
……うん。
……。
さて、何をしていようかな。
……静かにしていて呉れるなら、何でも良いわ。
静かに、か……なら、日記でも書いてようかな。
……ゆっくり書けば良い。
ん、然うする……。
……。
……あと。
なに……。
……書き終わったら、「ジュピター」と「マーキュリー」の記録を見せて呉れないか。
良いけれど……いつ?
……先代。
珍しいわね。
……然ういう時もあるんだ。
然う……なら、書き終わったら言って。
……ん。
……。
……はっきりとは、残ってないんだよな。
ええ……残っていないわ。
……。
……あなた、先代の日記が特に好きよね。
好きと言うより、気になるんだ……あたしの直ぐ前のジュピターだから。
……。
……お前は、今でも気にならないか。
記録として、見るだけ……。
……。
……ただ、其れだけよ。
其れくらいで、丁度良いか……。
……感情を寄せるのは、日記と料理帳だけで良い。
マーキュリー……。
……いつもではないわ。
然うだな……。
……。
やっぱり、料理帳にしようかな……。
……眠る前に見るのなら、其の方が無難。
じゃあ、然うする……。
……どうせだから、作って。
あぁ、良いよ……ついでだから、ちびにも教えよう。
……。
じゃあ……また後でな、マーキュリー。
……ええ、また後で。
22日
……メル、大丈夫かい?
ん……大丈夫。
少し休んでから、部屋に戻ろうか。
……いい?
もちろん、いいに決まっているよ。
あたしも、メルとお休みしたいし。
なら……ここで、少しだけ。
あ、ちょっと待って。
……ユゥ?
これを敷くから。
……手巾?
前に「ジュピター」の日記で読んだことを、思い出したんだ。
マーキュリーが外で座る時は、まずはこれを敷くんだって。
わざわざ、持ってきてくれたの?
ん、夕ごはんの後に家に戻って取ってきたんだ。
すぐに動かないと忘れちゃうと思ったからさ。
……家まで、走ったの?
うん、走った。
食後のいい運動になった。
……そこまでして。
大丈夫、ちゃんと洗ってあるからきれいだよ。
……地面に敷いたら、汚れてしまうわ。
構わないさ、洗えばまたきれいになるから。
……そうかもしれないけど。
この手巾がメルの役に立ってくれるなら、あたしはうれしいんだ。
……でも。
メルは、こういうのはいや?
……いやでは、ないわ。
でも、座りたくない?
……気持ちは、うれしいの。
んー……。
……その手巾の大きさだと、私が座るくらいの面積しかないでしょう?
ふたりは、無理かなぁ。
……私だけ、手巾の上に座るなんて。
もしかして、それがいや?
……ユゥは直接、地面に座っているのに。
いつもそうだし、全然気にしないよ。
なんだったら、寝そべって昼寝もするしさ。
……だとしても、私だけというわけには。
ねぇ、メル。
……なに。
今は夜の時間だし、直接座ったら、お尻が冷えてしまうと思うんだ。
……ん。
お尻だけじゃない、地面の冷たさが伝って他も冷えてしまうかもしれない。
例えば、お腹とか、腰とか、足とか、色々。特に、お腹は冷やしちゃだめなんだ。
お腹が冷えたら色々良くないって、先生だけじゃなく、師匠も言っているし。
……夜の時間ではあるけど、夜の夜とは違うから、そこまでは冷えないと思うの。
だけど、一応ね。
ほら、念には念を入れてって言うだろ?
……。
あれ、間違ってたかな。
……ううん、間違ってない。
メル……どうしても、座りたくない?
……ユゥのお尻が、冷えてしまうわ。
あたし?
何も敷かずに、夜の地面に座ったら……お腹だって。
あたしは、平気だよ。
……ユゥはすぐに平気と言うけど。
……。
……ユゥ?
余計なお世話、だった……?
……あ。
そしたら……ごめん。
よ、余計なお世話というわけではないの。
ただ……ただ、私だけが手巾の上に座るなんて。
……ジュピターの日記に書いてあったんだ。
……。
……マーキュリーが、すごく喜んでくれたって。
ユゥ……。
だから、あたしも……メルに、喜んで欲しくて。
でも、メルが……その、迷惑だったら、もう、しない。
迷惑では、ないの。
……。
迷惑では、ないのだけれど……私ばかりと、どうしても思ってしまうの。
……うれしく、ない?
……。
ごめん……もう、しない。
……ユゥの気持ちは、うれしい。
ん、そっか……それだけでも、あたしはうれしい。
……だからね。
うん?
……次は、ユゥが座る手巾を持ってくるわ。
あたしが?
……持ってきたら、座ってくれる?
分かった、次は自分の分も
……ううん、違う。
違う?
……持ってくるのは、私。
……。
ユゥが座るのは……私の手巾。
……メルの?
そう……私の。
……え。
座ってくれる……?
え、え?
……いや?
で、でも、汚れちゃうよ。
構わないわ……洗えば、きれいになるのだから。
そ、それは……。
ね……そうでしょう?
そう、だけど……。
……私の手巾に座るのはいや?
い、いやなんかじゃ……ないよ。
……じゃあ、座ってくれる?
あ、あー……。
……やっぱり、座りたくない?
す、座りたく、なくない……。
……なくない?
ど、どうしよう……。
……ねぇ、ユゥ。
な、なに……?
同じ日付では、ないのだけれど……その日記には、続きがあるの。
……続き?
そう……続き。
……どんな?
ジュピターがマーキュリーの手巾に……今のユゥのようになりながらも、最後には折れて座ったと。
……。
憶えていない……?
……うん、憶えていない。
そう……。
……そんなこと、書かれてたんだ。
日付はそんなに離れていないから……確認しようと思えば、すぐに出来ると思う。
……ジュピターが、マーキュリーの手巾に。
座るまでに大分、戸惑ったみたい……其の日記の主も、マーキュリーにやり返されることまでは、想定していなかったみたいだから。
……同じだ。
その主もね……ユゥと同じように、自分よりも前のジュピターの真似事をしてみたかっただけみたいなの。
……自分より、前の?
そう……自分よりも前の。
……。
先代以前の日記にも、マーキュリーにやり返されていたことは書かれていたのだけれど……。
そのジュピターも、マーキュリーにやり返されることまでは憶えてなかった?
ん……そうみたい。
……。
どうして、真似をする気になったのか、色々書いてあったけれど……結局は、マーキュリーの喜ぶ顔が見たかったと。
それだけで、頭の中がいっぱいになってしまったのかもしれない……きっと、そう。
……あたしと、同じだ。
同じ……?
……うん、全く同じ。
ねぇ、ユゥ……ユゥが真似ようと思った事柄を書き残したジュピターは。
あたしが見たのは……そう、先代が書いたものだったと思う。
……それ以前の日記も、いくつか読んでいると思うけど。
その中でも、憶えていたのは先代のものだけ……先代の文は、読みやすいから。
……頭に残りやすい?
うん、そうなんだ。
だから……あ。
……え?
もしかしたら……最近、読んだのかもしれない。
……最近?
メルのことで、頭がいっぱいで、ぼんやりしてたけど……でも、勉強もしなきゃと思って。
それで、何がいいかなと思った時に……そうだ、机に載っていたんだ。
机……自分では載せていないの?
うん……載せてない。
ということは……お師匠さん?
……多分、そうだと思う。
ユゥの状態を考えれば、良い選択かもしれない……。
……お茶も、飲ませてくれたし。
お茶……?
……あまり、飲めなくて。
……。
ごはんの作り方を教えてくれる他に、色々、してくれたと思う……ごはんとか、あんまり憶えてないんだけど。
……お礼は。
まだ、してない……。
……一緒にしましょう?
メルと一緒に……?
……その方が、素直に伝えられると思うから。
いてくれる……?
……うん、いるわ。
じゃあ……また、今度。
……明日でなくていいの?
メルが、元気になってから……まだ、教わると思うし。
……忘れないでね。
う。
……大丈夫?
明日……言う。
……ん、分かった。
うー……。
……お師匠さんも、心遣いが出来るひと。
う?
……大らかで、細かいことは気にしないけれど。
あたしは……出来ない、かな。
ううん……ユゥも、出来るひと。
……あたし、出来てる?
私はいつも、その心遣いに助けてもらっているから……。
メル……。
……「ジュピター」はきっと、そうなのだと思う。
先代も……?
堅物な上に不器用、そう揶揄されながらも……細かな心遣いが、出来る方だったのだと。
……かたぶつで、ぶきよう。
だから、先代のマーキュリーは……ジュピターの思い遣りにいつだって心を弾ませて、子供のように燥いだのだと思うの。
……あのふたりとは、全然違う。
全く同じふたりは、きっと、いない……。
……みんな、違う?
同じ名でも……みんな、違う個体だから。
……そっか。
……。
師匠は手巾、敷いたかな……師匠も、やりそうだけど。
敷いたかもしれない……だって、お師匠さんだし。
……だよね。
そういうところは、似ているのかも……。
……あたしは、先代の真似をしただけだよ。
お師匠さんも、先代の真似をしただけだったら……。
……。
……同じ存在はいないけど、似てる存在はいる。
むぅ……。
……ふふ。
まだ、読ませてもらえないけど。
……。
師匠の日記に、書かれてるかな。
……書かれているかもしれない。
絶対、読んでやるんだ。
……私も読んでみたい。
ね、ふたりで読もうか?
ふふ……それもいいかも。
じゃあ、ふたりで。
楽しみだな。
……お師匠さんの日記が読めるのは。
……。
……。
……メル、座る?
え、と……いい?
うん……座って欲しい。
……ありがとう。
ちょっと待ってて。
……ん。
よし……これでいいかな。
……。
座れる……?
……ん、大丈夫。
……。
ありがとう……。
……ううん。
……。
……ふぅ。
どうかな……?
……ほのかに暖かい。
あんまり、良くない……?
……ううん。
あぁ、良かった……。
……ねぇ、ユゥ。
今度は……あたしも。
……ん、忘れない。
……。
……座って。
うん、座る……。
……。
……メル、寄りかかって。
うん……。
……帰ったら、お休みする?
ん、そのつもり……。
……あたしね。
うん……?
……先代のふたりのようになりたいって、思ったんだ。
そうなの……?
うん……でも、今は。
ならなくて、いい……?
……あたし達は、あたし達のままで、いいのかなって。
……。
……寒くない?
大丈夫……ユゥが温かいから。
……いくらでも、あげる。
……。
……あたしの熱でいいなら、いくらでも。
ユゥの熱しか……。
……。
……今、ね。
ん……。
……躰の中で、水気が巡っているのが分かるの。
もう、留まっていない……?
……ユゥの熱が、傍にあるから。
……。
……水気には、雷気が必要なのだと思う。
そうだったら、いいな……。
……先生もきっと、そうだと思う。
……。
……。
……今夜も、泊まっていいって。
お師匠さんも……とてもうれしそうだった。
……分かりやすいんだ、師匠は。
……。
……似てるって、思った?
ん……ちょっとだけ。
……まぁ、いいけど。
うん……。
……先代のマーキュリーは。
うん……?
先代のマーキュリーは……素直に座ってくれたんだって。
……。
……思い出した。
……。
はにかむ笑顔が、メルと似てるのかも……。
……多分、似てない。
先代は、守りたかったんだろうなぁ……。
……心が少し、未熟だったみたいだから。
みじゅく……。
……似ているとしたら。
あたしも、守りたい……メルのこと。
……。
……マーキュリーになっても。
ユゥ……。
……「ジュピター」はいつだって、「マーキュリー」を守る為に。
「マーキュリー」は……。
……「ジュピター」の、支えになって欲しい。
……。
……メル。
なる……なりたい。
……もう、なってるよ。
……。
……なってるんだ。
ねぇ、ユゥ……。
……なに。
いつも……ありがとう。
……あたしも、ありがとう。
……。
空……本当は、明るいんだっけ。
うん……月の時間は、青い星に合わせてあるから。
青い星は……二十四時間で、朝と昼と夜が巡るんだよね。
……月よりも、ずっと早い。
どうして月は、青い星に合わせているのかな……命の時間は、違うのに。
……月本来の一日は、青い星のそれと比べると、あまりにも長すぎるから。
躰が、合わない……?
……敢えて、然う造られているのかもしれない。
不思議だな……。
……どこまで行っても、銀水晶に生かされているだけだもの。
ぎんずいしょう……。
……。
……そんなものが、あるから。
ユゥ……?
……ん。
……。
あたし、何か言った……?
ううん……言ってない。
……そっか。
そろそろ、戻ろうと思うの……。
……もう、いいのかい?
ユゥも、疲れてしまったと思うし……。
あたしは……ん。
……寝台の中で。
しんだい……。
……明日のことを。
ん……話そう。
……。
……抱っこ、する?
ううん……自分で。
……分かった。
……。
……やっぱり。
ごめんなさい……。
……抱っこ出来て、うれしいな。
……。
なんて、さ……?
……もう、ユゥは。
21日
ただいま、マーキュリー。
今、帰ったぞ。
お帰りなさい、ジュピター。
此処はあなたの家ではないのだけれど。
のんびり休めたかい?
ええ、おかげさまで。
矢っ張り、静かだとゆっくり休めて良いわね。
何を見てたんだ?
何でも良いでしょう?
あたしも見ても良いかい?
見たところで、分からないと思うけれど。
いや、意外と分かるかも知れないぞ。
あぁ、然う。
どれどれ……ん、分からない。
だから、言ったのに。
でも、いつぞやのマーキュリーが残した記録だということは分かるぞ。
あぁ、然う。
其れは良かったわね。
此れはいつ頃のマーキュリーなんだ?
ずっと前。
ずっと前か、遠いな。
で、なんの記録なんだ?
気になるのなら、今夜にでも読んでみれば良い。
んー、まぁ良いか。
良いの。
今夜はゆっくりと休む予定なんだ。
私と?
然う、お前と!
おめでたい頭ね。
はは。
戻ってきた早々、五月蠅いったらないわ。
ん、何か飲んでいたのか?
もう、飲み終わった。
何を飲んでいたんだ?
あたしも飲もうかな。
あの子に淹れてもらったお茶。
ちびに何のお茶を淹れてもらったんだ?
あの子に聞けば良い。
ちびが淹れたんじゃ、今はひとつしかないな。
メルが好きなお茶、此れしかない。
飲みたいのなら、自分で淹れて。
出来れば、お前と同じものが飲みたいなぁ。
となると、あの子に淹れてもらわなければいけなくなるけど。
果たして、あの子が淹れて呉れるかどうか。
んー、今はちと難しいな。
メルと一緒に居るだろうし。
ならば、自分で淹れるしかないわね。
仕方ない、然うするか。
私はもう、要らないわよ。
もう、要らないのか?
要らない。
あいつが淹れたお茶は美味しかったか?
まぁまぁね。
然うか、其れは良かったよ。
けれど、少し腕が鈍っている。
ん、矢っ張り分かるか。
あの子が倒れてからというもの、まともにお茶を淹れてなかったでしょう。
全く淹れていないわけではなかったが、いつもよりもずっと雑な淹れ方だったよ。
其れこそ、ただ飲めれば良いような。仮令、味が渋かろうと、香りが悪かろうと、腹に収まれば良い。
其れならば、白湯の方が良いわね。
あぁ、白湯の方がずっと良い。
あれは、ひとつ間違えれば、薬茶よりも不味かったから。
私に淹れて呉れる時は其処まで酷くはなかったけれど。
其れはお前に淹れるからだよ、
私はあの子ではないわ。
でも、マーキュリーだ。
「マーキュリー」には不味いものを飲み食いさせないという不文律が「ジュピター」の中にはあるんだ。
面倒ね。
いや、然うでもないぞ。
然うかしら。
お前が居て呉れたからこそ、あいつの腕は少し鈍ったくらいで済んだんだからな。
ならば、もっと淹れてもらえば良かったわ。
一日一回は、淹れてもらっていただろう?
朝と昼、或いは、昼と夜、若しくは、朝と夜、計二回。
其れくらいなら、言えば、あいつは淹れたと思うが。
いつもあなたが邪魔をして呉れたの。
ん。
あの子が淹れたお茶が飲みたいと思っても、あなたが先に淹れてしまうから。
喉と腹が満たされてしまった、か?
然うよ。
断って呉れても、
良かったの?
む。
あの子の淹れて呉れたお茶が飲みたいから、あなたは淹れて呉れなくて結構よ。飲みたいのならひとりで飲んで。
あなたのお茶は要らないわ、今の私はあの子が淹れて呉れるお茶が飲みたいから。淹れたところで、飲まないわよ。
今、私が欲しているお茶はあの子が淹れて呉れたもので、あなたのものではないの、余計なことはしないで。
……。
取り敢えず、どれが良い?
どれも……聞きたくないかな。
ならば、他の文言を
夕食の後に淹れてもらえば良いんじゃないか?
然うすれば、二回になるだろう? な、然うしないか?
其の時の気分によるわね。
そんなにお茶ばかり飲んでいられないし。
そ、然うか……まぁ、然うだよな。
話を元に戻すけれど。
何処に?
あの子はあなたが淹れたお茶は飲んでいたのよね。
あぁ、一応な。
まるで味のない液体を飲んでいるような表情はしていたが。
分かりやすく、無気力状態。
仕舞いには、あたしが淹れたものもろくに飲まなくなってさ。
放っておくと脱水症状にもなりかねなくて、無理矢理飲ませたことすらある。
まさに重症。
今回は本当に酷かった。
あのままでは使い物にならない。
あなたのように、ある程度は耐性が出来ると私は思っているのだけれど。
あたしは繊細だからなぁ、未だに耐性と言う程の……?
……。
マーキュリー?
ジュピター。
なんだい?
何処が?
あ?
あなたの何処が繊細なの?
真顔?
教えて、あなたの何処ら辺が繊細なのかを。
あたしもお前が寝込んだ時は、飯も喉を
寝込んでいる私の傍で、寧ろ、いつもよりも食べていたと聞いているわ。
お茶もろくに
目覚めない私の傍で、私の分を淹れて、飲んでいたらしいわね。
寝ようと寝台に転がっても、
私の直ぐ横で、何処からか持ってきた敷物を勝手に敷いて、安らかに眠っているところを幾度も目撃されているわ。
うん、繊細だな。
いや、何処が?
あの子と真逆だけれど?
気付いていないか?
共通点は、どの行為も私の傍で行われている。
つまり、お前の傍でなければ駄目だったということだ。
な、繊細だろう?
何度言っても、何度退かしても、懲りずに繰り返し来て呉れるものだから、辛抱強い筈の民達も途中で諦めて呉れたわ。
何時頃からだったか忘れたけど、敷物が良いものになったんだ。
此れを使って欲しいと、水星の民に頼まれてさ。良く分からなかったけど、あれは嬉しかったな。
憶えているの?
応、憶えてる。
敷物も大事に持って来ているぞ。
呆れられていたことには、気付いていないのよね。
ん、然うだったのか?
あなたは、水星の民にとっては、面倒で厄介な存在だったの。
言うことは聞かない、戦の詳報はなかなか上がってこない、演習の報告書すら期日通りに提出されたことがない。
皆、気の良い者達ばかりだった。
辛気臭いと、月宮では評判だったけれど。
顔の見分けは付かなかったが、悪い気配を纏っている者はひとりも居なかった。
おかげで木星の民達も良く懐いて呉れてさ、あたしとしては、とてもやりやすかったよ。
木星の民はずっと然う。
勝手に此方に懐いて呉れるの。
はは、然うだったな。
だけど、お前としてもやりやすいだろう?
頭が悪いところが欠点。
あー、其れは耳が痛いな。
戦脳なのは良いけれど。
うん、其れは大事だ。
守りこそ、木星の民の本分だからな。
とは言え、読書きは必要。
うん、全くだ。
あなたがちゃんと教えないせいで、いつも水星に回って来るの。
木星の民なんて、構っている暇(いとま)はないと言うのに。
あたしが教えるよりも、水星の民が教えた方が覚えが良いんだ。
いや、覚えと言うより、やる気か。もうな、全然、違うんだよ。
ある程度はあなたが面倒を見るべき。
見たけど、どうにもなぁ。
あなたのせいで、常に、木星と水星の関係は良好だったわ。
あはっ。
あ?
お、冷たくて低い声。
はぁ、全く。
マーキュリー。
何。
この遣り取り、少し懐かしいな。
私は懐かしくないわ、現在進行形だもの。
ん、然うか。
今現在、誰が木星の民達の教育をしていると思っているの。
ん、其れは水星の民達だな。
だな、じゃないわ。
報告書は届いているのか?
届いていないと思っているの?
いやぁ、思わないな。
水星の民は、どの民よりもきっちりとしているから。
切りがない。
中には優秀な者も居るだろう?
稀。
読書きだけでなく、計算も出来ればかなり優秀だ。
であっても、欠けたら、教え直し。
同じ素材、同じ名でも、同じ個体にはならんから。
同じ頭にもならない。
不思議だよな。
此の作業は、此の世界が在る限り、永遠に終わることはないわ。
見捨てないで居て呉れる、其れが本当に有り難い。
手駒に莫迦で居られる方が問題。
はは、然うだなぁ。
面白くないのよ。
ん。
面白くないの。
うん、分かる。
だったらもう少し、きちんと躾して欲しいのだけれど。
マーキュリーだけでなく、水星の民の言うことなら素直に耳を傾けるだろう?
傾ければ良いというものではない。
傾けない方が良いのか?
然うなったら、見捨てる。
ん、其れは困る。
私達に素直なのは良いけれど、頭が悪すぎる。
うん、其れは躾の問題ではないな。
居眠り。
お。
軽口。
おお。
落ち着きがない。
おおお。
気に入った水星の民に絡む。
ん、絡むな。
尚且つ、良い仲になろうとする。
なっている者も居たし、今でも居るな。
うんうん、良いことだ。
ジュピター。
マーキュリーが躾けた方が早いと思うな。
あなたがやるべき。
長であるあたしが、マーキュリーに夢中だからなぁ。
民達が水星の民に惹かれて、夢中になったとしても、何も言えない。
居眠りと軽口と落ち着きのなさ、なんとかして。
やっと躾けたと思ったら、欠けるんだよな。
永遠に終わらないと言ったでしょう?
因みに、今は何人ぐらい居るんだ?
……。
ん?
己の目で確認して。
どれどれ……結構、居るな。
早急に。
メルが元気になったら行ってこよう。
其の時は、悪いが、ちびを頼む。
ええ、頼まれてあげるわ。
夜泣き
は、もう、しない。
メルも居るもんな。
はぁ。
ん、今日も疲れ気味だな。
今夜も早く休もうか。
今夜も泊まる気?
応、泊まりたい。
……。
もう少し休んだら、夕飯の支度を始めるよ。
……然うして。
うん。
……ジュピター。
ん、今夜も泊まって良いか?
あの子に話したわ。
話した?
水気と雷気。
……あぁ。
あなたからも話しておいて。
ん、分かった。
近いうち、話す。
……。
なぁ、マーキュリー。
……なに。
民達の関係は、ちび達の代にも引き継がれるだろう。
……。
あたし達が先代から引き継いだように。
……良くもまぁ、続いてきたものだわ。
歴代も皆、お前のように、面白くなかったんだろうさ。
……先代は、然うは見えない。
然うか?
……実際は、知らないけど。
案外、こっちかも知れない。
……。
あたし以上に真面目だったみたいだからさ。
あなたよりもずっと、真面目だったわ。
えぇ、然うかなぁ。
あなたは不真面目。
おかしいな、真面目なつもりなんだけどな。
あの子の方が真面目。
ちびの方が?
いやぁ、そんな筈は
ある。
むぅ。
……。
まぁ、良いか。
あの子は今夜も、泊まりたいだろうから。
うん?
ついでに、あなたも。
泊まっても良いか?
泊まりたくなければ
泊まる、泊まりたい。
あ、そ。
やった。
ところで、ジュピター。
なんだい、マーキュリー。
窓から話し掛けるのも止めて欲しいのだけれど。
……。
疲れさせない程度に。
……ん、分かった。
……。
……まぁ、気付いてるよな。
ジュピター。
……今日は、もう。
そろそろ、夕食の支度を始めたら?
20日
ただいま、メル。
ん……おかえりなさい、ユゥ。
待たせちゃって、ごめんね。
ううん、平気よ。
メルの好きなお茶を淹れてきたんだ。
……私の?
また、飲みたかったんだ。
……私は、構わないけど。
ん、良かった。
……でも、他のお茶でなくて良かったの?
うん、いいんだ。
だってずっと、飲んでなかったから。
……ずっと?
だから……メルと二人で、また。
ユゥ……。
飲めそうかな。
ん……飲めると思う。
じゃあ……はい、どうぞ。
……ありがとう、ユゥ。
うん。
……いい香り。
あたしも淹れていて思った、やっぱりいい香りだなって。
爽やかで、ほんのりと甘くて、ふんわか優しくて。
……ユゥが好きなお茶も、いい香りがするわ。
じゃあさ、次はあたしが好きなお茶を飲む?
ん……飲みたい。
あたしと、ふたりで?
うん……ユゥとふたりで。
やった。
……ねぇ、ユゥ。
なぁに、メル。
もしかして、ユゥが好きなお茶も……しばらく、飲んでいない?
うん、飲んでない。
だから、久しぶりなんだ。
……。
メルが元気になったら、一緒に飲もうって決めてたから。
もっと早く、目が覚めていたら……ううん、お腹が回復していれば。
メル、冷めてしまうよ。
……あ。
さぁ、飲もう?
ん……ユゥ。
ふふ……。
……。
ん……やっぱり、美味しいや。
……うん。
美味しい?
ん……とても、美味しいわ。
あぁ、良かったぁ。
……ユゥ?
本当のことを言うとね。
うん……。
久しぶりだったんだ。
……久しぶりって?
メルの好きなお茶を淹れたの。
……。
昨日、久しぶりに淹れて……だから、ちょっと心配だった。
ちゃんと美味しく淹れられるか、メルに美味しいと感じてもらえるか。
大丈夫……変わらず、美味しいわ。
ん……良かった。
……他のお茶は淹れていたのでしょう?
う、ん……一応。
……一応?
……。
ユゥ……一応って。
……あたし、ごはんがあんまり食べられなくなっちゃってさ。
え……。
だから、お茶も……師匠が淹れてくれたものを少し、飲むくらいだったんだ。
それは……私のせい?
ううん、メルのせいじゃないよ。
……でも。
そ、それに、全く食べていないわけじゃなかったからさ。
メルのごはんを多めに作って、それを食べていたんだ。
……。
メルと同じものを食べると思ったらお腹が空いてきてさ、結構食べられたんだ。
……三食、ちゃんと食べていた?
うん……少しだけど、ちゃんと三食は食べていたよ。
鍛練とお勉強をするのにちゃんと食べなきゃ力が入らないって、師匠に言われたから。
お師匠さんに、言われなかったら……。
分からないけど……でも、食べていたとは思う。
……空腹は、感じていた?
ん……一応。
……。
……メル。
ユゥ……明日も、一緒に食べようね。
メル……うん、一緒に食べよう。
……明日のごはんは。
明日も、メルのごはんは……一食は、必ずあたしが作る。
……楽しみにしていても、いい?
うん、もちろんだよ……。
……。
ねぇ、メル……今夜は。
今日はもう、食べられない……。
……。
しばらくの間、食べても二食だけになると思う。
……そっか。
先生から、聞いてる?
……うん、聞いてる。
そう……。
……早く、濁りが取れるといい。
時間は少し、かかるかもしれないけど……でもいつかは、ちゃんと取り除かれると思うから。
あたしが出来ること、なんでもする。
……ユゥに、手伝って欲しい。
手伝う……手伝いたい。
ありがとう……うれしい。
メル……。
……いけない。
え……。
……折角のお茶が冷めてしまうわ。
あ、そうだった……。
……ふふ。
へへ……。
……。
……そう言えばさ。
なぁに……?
師匠が、どこにもいなくて。
……お師匠さんが?
家の中、家の周りにもいないんだ。
探していたの?
ううん、探してはいない。
いないならいないで、別に構わないから。
……いなくても、平気?
平気だよ。
……そう。
まぁ、そのうち帰ってくるさ。
先生からは離れたくないだろうし。
お師匠さん、どこに出かけたのかしら。
メルは気になる?
……ん、気になる。
そっか。
……先生は、今。
いたよ。
お部屋に?
ううん、居間に。
息抜きにお茶を飲もうと思ったみたいだ。
……息抜き。
部屋から出てきたばかりで、まだ淹れてなかったから、
淹れてあげたの?
うん、淹れてあげた。
……ふぅん。
メル?
……お話、した?
うん、少しだけ。
……やっぱり。
え、なに。
……なんでもない。
なんでも、ない?
それで、聞いたの?
何を?
お師匠さんのこと。
あぁ、うん、一応聞いた。
先生は知っていた?
知ってた。
お師匠さんはどこに?
師匠は畑に行ったんだって。
畑……ユゥは聞いてなかったの?
うん、何も聞いてない。
行く予定はなかったの?
言わないから、行かないと思ってた。
行かなくて、良かったの?
師匠があたしに声をかけないということは、別に行かなくてもいいんじゃないかな。
……自主的に。
行った方が、良かった?
……。
あたしは……メルの傍に、いたいんだけど。
……今日は畑に行ったの?
うん、行ったよ。
……いつ。
朝の鍛練が始まる前に行ってきたんだ。
……お師匠さんと?
ううん、ひとりで行った。今朝のごはんは、師匠が作るって言ったから。
メルが食べるって知ってたら、畑に行かないで、あたしが作ったんだけど。
……。
師匠と、行った方が良かった……?
……お師匠さんが、ユゥに言わなかったのなら。
このまま、メルのそばにいてもいい……?
……ん。
はぁ、良かった……。
……。
へへ。
……ねぇ、ユゥ。
なぁに、メル。
……ユゥは、私の傍に
いたい。
……。
メルは……あたしに。
……傍に、いてほしい。
……。
……ユゥ。
今日はもう、鍛練も勉強もしないから。
……でも、復習はしておかないと。
あ、そっか。
……良かったら、私の傍で。
して、いい……?
……うん。
じゃあ、そうする……。
……。
ねぇ、メル。
……なぁに。
明日の朝、畑に行ってくる。
そうすればまた、こうやって一緒に過ごせると思うから。
ん……気をつけてね。
行ってきます。
……行ってらっしゃい。
なんて、気が早いかな。
明日の朝だと……もしかしたら、言えないかもしれないから。
……眠っていたら、起こさないように出ていくよ。
起こしてくれてもいいの。
……良く眠っていたら、起こせない。
お見送り、したい……。
じゃあ……声はかけるけど、起きなかったら、耳元に言葉を残して行くね。
……きっとよ。
うん、きっとだ。
……。
ありがとう、メル。
明日もあたし、頑張れるよ。
……力に、なってる?
とっても、ね。
……。
畑から帰ってきたら、多分、朝ごはんの時間になると思う。
……朝ごはんは。
出来ればあたしが作りたい、でも、そうすると遅くなっちゃうから。
お師匠さんが作ってくれたごはん……一緒に食べましょうね。
うん、一緒に食べよう。
……。
あ、でも。
……うん?
今夜も、泊まれるのかな……。
……あぁ。
今夜は、帰らないとだめかな。
先生は何か言っていた?
ううん、何も言ってなかった。
じゃあ……もしかしたら、今夜も。
メルと一緒に、眠れるかな……。
……後で、確認してみた方がいいかもしれない。
ん、後でしてみる。
……出来れば、私からも。
一緒に聞く……?
うん、聞く……聞きたい。
じゃあ、一緒に聞こう。
……ん、ユゥ。
……。
……琥珀糖。
まだ、残ってるの?
……だから、ユゥに。
ううん、これはメルの分だよ。
明日でも、食べられるから。
……今、ユゥとはんぶんこにしたいの。
はんぶんこ……?
……お茶請けに。
おちゃうけ……。
……いや?
んーん、いやじゃない。
……なら。
ありがとう、メル。
……私こそ、ありがとう。
……。
ん……ユゥ。
……メルのおでこ、ほんのりあったかい。
冷たくない……?
……あったかいよ。
……。
熱じゃ、ないよね……?
……水気がちゃんと巡っているのだと思う。
そっか……。
……ユゥのおでこも、あったかい。
少しだけ、このままでいてもいい……?
……うん、いてほしい。
やった……。
……。
あたしね……家に帰ったのかなって、少しだけ思ったんだ。
……お師匠さん?
うん……。
……ユゥに、何も言わずに?
あたしに何も言わないのは、今に始まったことではないから。
でも、家に帰る時はいつもユゥに声をかけていたわ。
ユゥに黙って帰ったことは、一度もなかった筈。
ん、そうだったっけ。
……ユゥが眠っている時も、ちゃんと声をかけているの。
師匠だけ、帰される時?
……お師匠さんも泊めてあげればいいのに、本当に先生は。
んー……。
……ユゥもそう思うでしょう?
帰っても、いつの間にか先生の寝台に潜り込んでることがあるみたいだからなぁ。
……。
メルも知ってると思うけど。
……最初から、泊めてあげればいいと思う。
なんとなくだけど、師匠は楽しんでいると思うんだ。
……。
先生も、もしかしたら……大体、先生が気がつかないわけないと思うし。
……そう、だけど。
だから、あのふたりはあれでいいんじゃないかな。
ううん、あれがいいんじゃないかな。
……でも、泊まれる時は嬉しそうにしているわ。
まぁ、たまにはね。
……もしもユゥが、お師匠さんと同じことをされたら。
されるの?
……ん。
メル、あたしにするの?
……したら、どう思う?
え、えぇ……。
……一度、してみる?
し、しないで欲しい……。
……ユゥは、楽しくない?
さ、淋しい……メルに、されたら。
……お師匠さんのように。
だ、だって、メルは先生とは違うし……。
……同じではないわ。
……。
……ユゥ?
しないで……メル。
……。
……でも、帰って欲しかったら。
しない。
ん。
……したくない。
あぁ……。
……私は、先生とは違うもの。
う、うん……。
……ユゥも、お師匠さんとは。
ち、違うよ……。
……。
師匠とは、違う……だから。
……ごめんなさい。
な、なんで……?
……意地悪なことを、言って。
……。
ん……ユゥ。
……くちびるに、ちょっとだけ触れてもいい?
それは……指で?
違う……くちびるで。
……。
……だめ?
それで、許してくれる……?
許すも何も……あたしは、怒ってないよ。
……。
ただ、触れたい……それだけ。
……だめ、
そっか……。
……じゃ、ない。
……。
……お茶を。
うん……置こう。
……。
……メル。
ユゥ……。
……。
……ん。
……。
ユ、ゥ……。
……長いのは、元気になったら。
う、ん……。
……。
……ねぇ、ユゥ。
なんだい……メル。
……私が、知っている限りだけれど。
うん……。
……お師匠さんがユゥに何も言わずに帰ったことは一度もないと思う。
そっか、メルが言うならそうだね……。
……。
お茶のお代わり、いる……?
……ううん、今は。
なら、飲みたくなったら……言ってね。
……ありがとう、ユゥ。
……。
……もう、一度?
いい……?
……ん。
……。
……。
……今夜も一緒に眠りたい。
私も……。
……先生に、お願いしよう。
お師匠さんのことも……。
……師匠は、自分で。
ユゥ……。
……じゃないと、だめだと思うんだ。
……。
多分、今夜もうまくいくよ……。
……いかなかったら。
また、潜り込むんじゃないかな……。
……。
それも、だめだったら……仕方ない。
……それが、あのふたりの関係性。
かんけ……?
……私達とは、違う形。
メル……?
……。
ん……。
……今夜も、そばにいて。
19日
メル。
……ん。
起きてるかい、メル。
……お師匠さん?
応、あたしだ。
来てくれたんですか。
うん、来たぞ。
矢っ張り、気になるからな。
ありがとうございます。
ん、ちびは居ないのか。
お茶を淹れてくれると言って。
然うか。
もしかしたら、先生とお話しているのかもしれません。
行ってから、結構経っているのかい?
いいえ、そこまでではないのですが、そんな気がするんです。
あたしには都合が良い、が。
良かったら、ですが。
応、良いぞ。
……ユゥが戻ってくるまで、少しお話しませんか。
うん、しよう。
……ありがとうございます。
若しかして、待っていて呉れたのか?
そういうわけではないのですが。
ん、はっきりと言うな?
ごめんなさい……来てくれるとは、思っていなかったんです。
まぁ、あたしはちびじゃないもんなぁ。
でも、来てくれてうれしいと思っています。
本当か?
はい、本当です。
然うか、其れならば嬉しいな。
ところで、飯は食えたか?
はい、全部食べられました。
全部か、其れは何よりだ。
……ユゥと、お師匠さんのおかげです。
美味しかったかい?
はい、とても美味しかったです。
うん、其れは重畳。
ちびの奴も喜んだろう?
とても喜んでくれました。
ということは、今のあいつはご機嫌だな。
そう思いますか?
あぁ、然う思うよ。
なんせ、昨日の昼頃までのあいつは……。
……。
いや、なんでもない。
……はい。
其れでどうだい、調子は?
顔色は、良さそうだが。
はい、悪くはありません。
足はどうだい?
疲れてはいますが、それだけです。
しっかりと休めば、問題ないと思います。
今は、休んでいたのか?
ユゥがいないので、少しぼんやりとしていました。
ならば、声を掛けない方が良かったか。
そんなことはないです。
然うか、良かった。
お師匠さん。
ん、声が大きいか?
ううん、大丈夫です。
なんだい、メル。
また、窓からなんですね。
窓から話し掛けるな、とは、言われてないからな。
私は、部屋に来てくれても良いと思っています。
ありがとうな、メル。
明日以降、行けたら行くよ。
……先生は意地悪です。
まぁ、然う言って呉れるな。
あいつはあいつなりに、メルのことを心配しているだけなんだ。
……ごめんなさい。
ん、どうしてだい?
……。
謝る必要はないさ。
……お師匠さんは、どこかに行っていたのですか。
ちょっとばかり、畑に行っていた。
先生に畑に行くよう、言われたのですか?
あたしが行くことを知っていて、言って呉れたんだ。
でなければ、あたしがあいつから離れたがらないからさ。
……お師匠さんは、先生のこと。
ずっと大切に想っているよ。
……見ていれば、分かります。
はは、然うか。
まぁ、然うだよな。
……ずっと、然うやってきたのですよね。
あぁ、然うだよ。
長い時間、あたし達はずぅっと然うやってきた。
……。
何か聞きたいことがあるのなら、なんでも聞いて呉れ。
答えられる範囲で、幾らでも答えよう。
……聞いてもいいのですか。
あぁ、良いぞ。
若しかしたら、何かしらの参考になるかも知れないしな。
……参考、ですか?
例えば、メルとちびの関係性、とか。
……関係性。
あたし達とは違ったものになるだろうが、其れでも、少しは参考になるかも知れない。
……お師匠さんは、先代ふたりの関係性を参考にしたのですか。
どうだろうなぁ。
……あまり、してないのですか。
意識してないだけで、何かしらはしたかも知れない。
……。
さぁ、何が聞きたい?
……失礼なことを聞くと思います。
其れは、聞いてみないとなんとも言えないな。
メルは失礼だと思っていても、あたしは然う思わないかも知れない。
……。
良いぞ、メル。
遠慮なんかせずに、なんでも聞いて呉れ。
……お師匠さんは。
うん。
……先生のこと。
あいつのこと?
……嫌になったりは、しませんでしたか。
うん、面白いな。
……面白い、ですか。
応、面白い。
……あの、答えにくかったら。
答えは簡単だ、全くしなかった。
……一度も、ですか?
あぁ、一度も、だ。
……其れは、何故ですか。
何故、か……うーん、なんでだろうな。
嫌になることが、ただの一度も、なかったからかな。
……先生はお師匠さんに、冷たい態度を取ることが多々あると思います。
冷たいか、あいつの態度。
……冷たいと感じたこともないのですか。
冷たいと感じたことはないが、そっけない、或いは釣れない、と感じたことは何度かあったな。
……それに対して、何も思わないのですか。
思うことは何かしらはあったし、今でもないわけではないが、其れで嫌になることはない。
なんせ、其れがあいつの特色みたいなものだからさ。昔から然うなんだ、いや、昔の方がよりそっけなかったか。
……特色、ですか。
特徴、とも言うか?
……どちらかと言うと、特徴だと思います。
はは、然うか。
……お師匠さんは冷たくされても気にならないのですか、本当に平気なのですか。
そもそも、あいつのことを冷たいと思ったことがないんだ。
……一度も、ないのですか。
うん、一度もない。
おかしいかい?
……。
おかしいか。
……辛い時は、優しくされたいと。
あいつは優しいが、如何せん、不器用なんだ。
……おまけに、素直じゃない。
お、分かってるな?
……だからと言って、許容範囲というものがあると思うんです。
許容範囲、メルは難しい言葉を知っているなぁ。
ちびはきっと、覚えてもいないだろう。
……近いうちに、覚えると思います。
覚えられそうか、うちのちびは。
はい、必ず。
メルと一緒だからか?
いえ……ユゥなら、ひとりでも。
出来そうか?
……出来ると、信じています。
ちびを、信じて呉れるか?
……はい、信じます。
然うか、ならばちびは大丈夫だな。
……。
メルが信じて呉れていると分かっていれば、あいつはひとりでも、一所懸命に頑張ることが出来るだろう。
……どうして、そう思うのですか。
ん、自分で言って戸惑っているのか?
……私が信じたところで、ユゥの力になれるなんて。
「ジュピター」はさ、とても単純なんだ。
「マーキュリー」に信じてもらえるだけで頑張れる、信じてもらえることが何よりも力になる。
……其れは。
其れは何も、あたし達に限ったことじゃない。
……歴代。
歴代の日記を読んでいて、感じたりはしなかったかい?
近いところだと、先代だな。なんだかんだ言いながら、マーキュリーのことばかり書かれていただろう?
……はい、書かれていました。
おまけに、マーキュリーが書いている日もあったろう?
……ありました。
其れについて文句が書かかれていることはあっても、消されているような形跡は一切無かった。
先代は、消さなかったんだ。いや、消せなかったんだ。なんせ、大切なマーキュリーが書いたことだからな。
……寧ろ、楽しそうでした。
メルも然う思ったか?
……はい、思いました。
だよなぁ、どう見たって楽しんでいたよなぁ。
……認めたくはないようでしたが。
あたしならさっさと認めてしまうんだけどな。
認めて、浮かれすぎて、あいつに刺されるだろう。
……あまり、調子に乗らないで下さいね。
はは、気を付けるよ。
……。
そんなところが、可愛いんだ。
……そうなのですね。
うん、然うなんだ。
ずっと、可愛いと思っているんだよ。
……出逢った時から。
あぁ、出逢った時から。
なんて言ったかな、一目見ただけで惚れること。
……一目惚れです。
ん、其のままだな。
……はい、其のままです。
あたしはあいつよりも遅かったから。
……探したんですよね。
然う、探したんだ。
毎日、毎日、な。
……先生はずっと、引き籠りも同然だったから。
しかも、ひとつの場所じゃないんだ。
あたしの行動が読まれていたのか、転々と場所を変えられて。
……誰も、先生の居場所を知らなくて。
水星の民達……の、一部は知っていたんだ。
……でも、教えてくれなかったのですよね。
信用されていなかったのか、試されていたのか。
……結局、どちらだったのでしょう。
恐らくは、試されていたのだろう。
水星の姫君にあたしが相応しいかどうか。
……聞いてはいないのですね。
聞く前に、皆、居なくなってしまったからな。
……。
民達もまたひとつの個体、記憶は引き継がれないんだ。
……誰も、遺していかなかったのですね。
と言うより、遺せないと言った方が正しい。
……。
今となっては、知っているのはただ一人。
先生だけ、ですか。
あぁ、あいつだけだ。
……此の先も。
聞くことはないと思う、多分。
……多分、なのですか?
あぁ、先のことは分からないからな。
何事も、可能性は零じゃない。だろう?
……そうですね。
あとは、然う、飯の作り方。
あれこそ、マーキュリーと書いていただろう?
……と言うより、日記同様、マーキュリーが勝手に書き込んでいるように見えました。
あれはなぁ、正直、羨ましい。
日記も羨ましいが、飯の作り方も羨ましい。
……羨ましい、ですか。
其れはもう、仲睦まじいだろう?
どう見ても、此れでもかって伝わってくるだろう?
それは……確かに。
確か……然う、惚気というやつだ。
マーキュリーとの仲を、後代に見せつけているんだ。
……先代は、そんなつもりではなかったと思います。
然うか、本当に然う思うか?
消したくないだけで……見せつけるつもりは、なかったかも知れません。
惚気はあるだろう?
……ん。
ないと言えるか?
本当に、言えるだろうか。
少し……いえ、大分あるかも知れません。
本当に邪魔ならば、残さずに消す。
なんせ、邪魔だからな。
……そうですよね。
先代は、マーキュリーと生きる日々が楽しかったのだろうと思う。
……。
日記を読むに、堅物な上に素直ではなかったようだが……其れでも、どんなに抗おうとも、マーキュリーの前ではどうにもならなかった。
……ある意味、分かりやすい方だと。
結局、単純なんだ。
……ユゥも。
あいつも分かりやすいな。
……お師匠さん。
なんだい?
……若しもジュピターが、マーキュリー以外の。
あたしは居ないと思っている。
……。
まぁ、居たかも知れないが。
……ユゥは、私のこと。
分かりやすいだろう?
……心変わりは。
すると思うか?
……先のことは
此れは、分かるな。
……分かりますか。
あぁ、分かるよ。
どんなに時が経とうとも、あいつの心は変わらない。
……。
其れに、あいつの心はもうメルのものになっている。
であれば、変わりようがない。あいつも、望まない。
……私のもの。
若しかして、不安なのか?
……いえ、そういうわけでは。
だとすれば、あいつの力不足だ。
……力不足?
不安にさせるということは、然ういうことだ。
……違います。
何が違う?
……私が勝手に
つまり、不安にさせているだろう?
だけど……ユゥは、私に優しくしてくれます。
其れだけでは駄目だ。
……。
でもまぁ、あたしもちびのことは言えないんだけどな。
……お師匠さんも。
と、勝手に思っている……あいつは言わないだろうが。
……言わないと思います。
あたしがどうして、あいつのことを嫌にならないか。
……。
あたしと同じように、弱さを抱えているからだ。
……弱さ。
弱さを抱えていない者など居ない、誰であろうとも、抱えているんだ。
……。
冷たく見えるのは……見せているのは、裏を返せば、自分を守る為でもあるのかも知れない。
……お師匠さんは、何よりも大きなひとだと思います。
応、躰は大きいぞ。
躰だけでなく……其の心も。
ん。
……尊敬、します。
あー。
……お師匠さん?
なんだか、照れるな。
……照れ?
ははは。
……おかしい、ですか。
ただの照れ隠しだ。
……ん。
流石に、届かないか。
頭を撫でてやりたかったんだが。
……。
なぁ、メル。
……はい。
あいつのことも、尊敬しているか?
……先生のこと、ですよね。
あぁ。
……。
言いたくないか。
……して、います。
然うか……良かった。
……。
さて、そろそろちびが戻って来る頃合いか。
……そうかもしれません。
ではな、メル。
未だ時間はあるが、今夜もゆっくり休め。
はい……お師匠さん。
うん。
……あの。
うん?
……ありがとうございます。
何のことだい?
……お話が、出来て。
あぁ……ならば、あたしも。
ありがとうな、メル。楽しかったよ。
……また、来て下さいね。
応、また来るよ。
……待っています。
18日
あれ。
……。
おかしいなぁ。
何か問題でも?
あ、先生。
どうしたの、ユゥ。
えと……師匠がどこに行ったか、知りませんか。
さっきから、見当たらないんです。外にもいなくて。
あのひとなら、畑に。
畑?
然う、畑。
……何も、言われてない。
あなたには言わずに出て行ったから。
そう、ですか。
一緒に行きたかったの?
そういうわけじゃ、ないです。
然う?
はい。
其れで、どうしてあのひとを探していたのかしら?
別に、探してたわけじゃないんです。
ただ、見当たらなかったから、少しだけ気になって。
見当たらないと気になるものなの?
家なら、気になりません。
私の家だから、気になる?
師匠のことだから、先生の傍から離れないと思っていたんです。
其れは、間違いではないわね。
ですよね。
あの子は今、どうしているの?
食べ終わって、お休みしてます。
様子はどう?
具合は悪くなさそうです。
ただ、疲れてしまったみたいで。
食事はちゃんと食べた?
はい、全部食べてくれました。
然う……其れは、重畳。
それでも、まだ。
以前程は、食べていない。
……半分くらいしか、食べられなくて。
でもね、ユゥ。
……はい。
今日は、少ないとは言え、二食ちゃんと食べられた。
其れは、素直に喜んで良い。
喜んでも、いいですか?
一昨日までは一口か、多くて三口。そんな調子でほとんど食べられず、昨日の夕方になってやっと一食。
だからね、今日も食べられたところで一食程度だと、私は思っていたの。其れなのに、あの子は朝昼と、続けて二食も食べられた。
此れを喜ばずして、一体、何を喜べと言うの?
えと、ないです。
然うでしょう?
だから良いのよ、素直に喜んでも。
はい、喜んでます!
あら、もう喜んでいたのね。
あ。
ふふ。
へ、へへ。
ねぇ、ユゥ。
は、はい、先生。
あの子の食事は、暫くの間、二食。
三食は未だ、食べさせない。
ん、どうしてですか。
躰を慣らす為。
……。
水気ってね、厄介なのよ。
一度留まると、水と同じで濁ってしまうの。
濁る……。
濁った水気は、濾過しなければならない。
然うでないと、ずっと濁ったままになってしまうから。
どうすれば、ろか、されるんですか。
躰の中を、ひたすらに循環させる。
然うすることで、水気の濁りは取り除かれてゆく。
じゅん、かん……。
言葉の意味は、分かっている?
……。
分からないまま、流しては駄目よ。
特にあなたの場合、後で調べようとしても其の時には忘れてしまっているから。
えと……ろかと、じゅんかんの意味が分かりません。
此処に、書いてみて。
……でも。
あなたの分かる文字で良い。
分かりました、書いてみます。
うん。
ろ、か……と、じゅん、かん。
此れで、合っていますか。
うん、良いわ。
……良かった。
本当なら、調べてみてと言うところなのだけれど……今日は頑張ったから、特別に。
教えてくれるのですか?
ん……だから、今から私が言うことを、此処に書き留めて?
書き留め……はい、分かりました。
先ずは、濾過。
はい。
液体や気体から、異物を取り除く、分離作業のこと。
……液体や気体から、いぶつを、取り除く、ぶんり作業。
より正確に説明すると、個体、此れは汚濁物質や異物を指すのだけれど。
……こたいの「こ」は、どの字ですか。
個別の「個」。
……分かりました。
続けても?
……はい、続けて下さい。
其れらを含む液体や気体を、多孔……細かな孔が空いた濾過材に通すことで、孔よりも大きな個体の粒子を分離させる。
……ろかざい。
此処までの説明で分かるかしら?
……ろかをする為に、必要な道具のことだと思います。
うん、其のままね。
……はい、そのままです。
最後は一息に言ってしまったけれど、もう一度言った方が良いかしら?
いえ、大丈夫です……ゆっくり言ってくれたので、まだ、覚えています。
然う、ならば書き終わるまで待っているわ。
……。
……。
……良し。
書き終わった?
はい、書けました。
ならば、読み上げてみて。
ろかとは、液体や気体から、異物を取り除く、ぶんり作業のことです。
より正確に言うと?
個体、これはおだく物質や異物を指します。
其処は、別に書いても良いわね。
はい、後で書き直します。
うん。
それらを含む液体や気体を、細かなあなが空いたろか材に通すことで、あなよりも大きな個体のりゅうしをぶんりさせる、です。
ん、宜しい。
ありがとうございます、先生。
少し貸してもらっても?
え、あ、はい。
んー……。
……先生?
分離、汚濁、孔、粒子、そして……濾過。
……字。
あなたには未だ、難しいとは思うけれど。
頑張って、覚えます。
覚えられる?
メルはきっと、覚えていると思うので。
ええ、あの子はもう覚えているわ。
だったら、あたしも覚えます。
対抗意識?
ふたりで頑張るって決めたからです。
其れだけ?
え。
ふたりで頑張る、本当に其れだけ?
……え、と。
言いたくないのなら、言わなくても良いわ。
……メルを、支えたい。
……。
あたしの頭では、大した力にはならないと思うけど、それでも、少しでもいいからメルを支えたい。
……へぇ。
だから……頑張って、出来るだけ、覚えたいんです。
心意気は良いわね。
……あたしには、難しいでしょうか。
そんなことはないわ。
でも、然うね。心意気だけでは難しいわね。
もっと勉強します。
あの子と一緒に?
ひとりでも。
ひとりでも?
でなければ、追い付かないと思うから。
だけれど、今回は全く手に付かなかった。
……え。
あの子のことが心配で。
……あ。
あなたの頭の中は常に、あの子のことでいっぱいだった。挙句、今まで学んだことの幾つかも忘れてしまった。
まぁ、あの子の食事の作り方は確りと覚えたようだけれど。
……。
違うかしら?
……違いません。
別に責めているわけではないの。
私はただ、あなたが見るべき現実を並べているだけ。
……。
ユゥ。
……はい、先生。
あなたは此れから、其の分を取り返さなければならない。取り返した上で、其の先に進んでいかなければならない。
そして、一度得たものは失わず、あなたの中に留めておかなければならない。でなければ、あの子を支えるなんて土台無理な話。
其れは、私よりも誰よりも、あなたが一番分かっていなければならないのだけれど、どう?
はい、分かっています。
なので、今日からはまた、ひたすらに頑張ります。
うん、良い返事だわ。
此れは、期待しても良いということね。
はい。
宜しい。
先生、じゅんかんの意味を教えて下さい。
ううん、やっぱり、自分で調べたいと思います。
分離、汚濁、孔、粒子、此れらの意味は分かっている?
おだくとりゅうしが分からないので、後で調べようと思います。
然う、分かったわ。
其れで、循環の意味なのだけれど。
え。
今は教えたい気分なの。
駄目かしら?
う、ううん、だめじゃない、です。
ふふ、然う。
ならば、教えるわね。
うん……あ、はい。
良いわよ、いつもの砕けた話し方で。
でも、先生だし。
だめなの?
……う。
ユゥ?
……ううん、いいよ。
ふふ、ありがとう。
ん……お礼は、いらないと思う。
言いたかったのよ。
そ……そっか?
然うよ?
ん、分かった。
良い子ね。
……へへ。
其れじゃあ、言うわね。
良く聞いていて。
うん、良く聞いてる。
循環とは、一巡りして、元へ戻ることを繰り返すこと。
……ひとめぐりして 元へ、戻ることを、くり返すこと。
水気は躰内を巡る、常に、巡っている。
……水気は躰内をめぐる、常に、めぐっている。
つまり、水気は躰内を巡ることで濁りを取り除くの。
……躰内をめぐることで、ろか、される?
然う、其の通り。
……。
何か、気になることでも?
メルの水気がそうなら……先生も、そうなの?
私達の躰は然う出来ているの。
はぁ、そうなんだ。
水気が躰内を巡らず、特定の箇所に留まり続けることで、濁ってしまう。
其れを濾過する為には、先ずは循環機能を回復させ、回復したら出来るだけ躰の中を綺麗に保っておかなければならない。
そうしないと、ろかされない?
其の時に食物を取り込んでしまうと、躰内が濁ってしまって、濾過材にならない。
然うすると、幾ら巡ったところで濾過されない。つまり、濁りのない水気に戻らないの。
……。
ね、厄介な造りをしているでしょう?
うん……大変だ。
心配?
心配、だけど……目を、覚ましてくれて、ごはんを食べてくれたから。
然うね……此処からは、過度な心配は必要無いわ。
……本当?
ええ、本当よ。
……あぁ。
食べなければ躰力は戻らない、かと言って、食べ過ぎてしまうと躰内が濁ってしまう。
……濁らないことは、ないの。
強いて言えば。
言えば?
運動をすること、かしらね。
運動……。
少しずつで良いから、躰を動かして、余分なものを消費させるの。
其れなら、あたしでも手伝える。
だよね、先生。
あなたにお願いしても良いかしら?
もちろんだよ!
ん……其れじゃあ、お願いね。
うん!
言わなくても分かっているとは思うけれど。
急がない、ゆっくりやるよ。
お散歩もね。
うん、ゆっくり歩く。
其れで、あの子の食事のことなのだけれど。
教えて。
回数は二回だけれど、軽い間食ならば、決められた時間に食べても良い。
間食?
甘いものと、然うでないもの。
……そうでないもの。
塩味。
……。
あの子は甘いものが好きだけれど、今回は甘いものばかりでは駄目なの。
ん、分かった。
塩味のものも作る。
詳しくは
師匠に聞く。
……素直ね。
ねぇ、先生。
なぁに?
先生も、なったことがあるの?
私?
先生も、ある?
私があると思う?
……ない?
私も、マーキュリーだから。
……あるの。
残念ながら。
その時は、どうしたの?
メルみたいに、動けなくなったの?
なったわ。
師匠は、何をしてたの?
あなたが想像している通りよ。
……。
私の面倒を、頼んでもいないのに、甲斐甲斐しくして呉れたわ。
……やっぱり。
食事も作って呉れた、今のあなたのようにね。
そうだと思ってた。
何故?
師匠が先生のこと、放っておけるわけないから。
……本当にね。
師匠、すごく心配したと思うんだ。
然うみたい。
今は、なるの?
今は、滅多にならない。
めったに……。
だから……また、なるかも知れない。
……なったら。
今の私にはあのひとだけでなく、あなたも居るわ。
うん、いるよ。
頼りにしているわね?
うん、してて!
ん。
今は、先生は元気?
元気なのかしら?
……違うの?
ううん、違わないわ。
だから、心配しないで?
あぁ、良かった。
……。
ん。
素直で良い子ね、あなたは。
へへ。
……繰り返すけど、私達の水気は留まることで濁る。
うん。
けれど、あなた達の雷気は……留まることで、暴発する。
ぼう、はつ?
……躰の奥が熱くなって、どうにも出来なくなるの。
目を、覚まさない……?
ううん……其の逆。
逆……。
……躰が熱くなり過ぎて、眠れなくなる。
其れは、悪いこと……?
……悪いことよ。
あたしも、なる……?
……あなたも、ジュピターだから。
……。
だけど、大丈夫……あなたには、私達が居るから。
……だいじょうぶ?
メルも、あなたの傍に居るわ。
……メル。
雷気が留まることで、熱を溜め込んでしまった躰を冷ますのは水気の役目。
……。
他にも発散する方法はあるけれど……水気で冷やすことが最も手っ取り早い。
……メルは、あたしを冷やしてくれる?
必ず……その方法も、私はあの子に伝える。
……。
そして、ユゥ……躰がどうなるか、あなたに伝えるのはあのひと。
……師匠。
然う……だから、其の時はあのひとの話を良く聞いてあげてね。
分かった……約束するよ。
ん、約束。
……。
ん、どうしたの?
……ううん、なんでもない。
少しだけ、似ていた?
だ、誰に?
ふふ……言わない方が良さそうね。
……。
あなたも畑に行く?
ううん、行かない。
あの子の傍に?
……いたい。
なら、居てあげて。
誰かが見ていないと、また、無茶をするかも知れないから。
……。
ん?
な、なんでもない。
まぁ、行って戻って来る程度ならば良いけれどね。
……。
ふふふ。
え、と……先生、何か飲む?
何か淹れて呉れるの?
うん、淹れるよ。
ありがとう。
じゃあ、あの子が好きなお茶をお願いしても良いかしら?
……。
うん、ついでじゃないの?
ち、違うよ。
違うの?
メルにも淹れるけど、だからって、ついでじゃないよ。
だから、先生が本当に飲みたいものを言って欲しい。
あの子の好きなもので良いわ。
……いいの?
今は、そんな気分なの。
……。
だから、淹れてもらっても良いかしら。
ん、分かった。
ちょっと待っててね。
ん、待っているわ。
よーし、美味しいお茶を淹れるぞ。
……。
師匠には、帰ってきてから淹れてやろう。
……本当に可愛いわね。
17日
ふぁ……ぁ。
……眠たいのなら、
いや、眠くはないんだ。
此れはただの……然う、なんでもない欠伸だよ。
あぁ、然う……折角、静かになると思ったのに。
なぁ、夕飯はどうするか。
……美味しく食べられるのなら、なんでも。
美味しく、だな。
うん、其れは大切なことだ。
……夕食はあの子に作らせるの。
メルが食えそうだったら作らせるけど。
どうだい、あの子は食えそうかな。
……無理ね。
ん、矢っ張り無理か。
……二食食べたのだから、上々。
確かに、お前は食えなかったもんな。
……私とあの子は違う個体なのだから、引き合いに出される筋合いはないわ。
ん、ごめん。
……暫くの間は、二食を続ける。
メルがもっと食べたいと言ったら、どうするんだ?
あの子が言うと思う?
言わないとは限らないだろう?
だとしても聞かない、聞くわけがない。
腹を空かせて、夜、眠れなくなるかも知れないぞ?
其れは大分、可哀想じゃないか?
心配しないで、其れはないから。
言い切れるのか?
食事は二回だけれど、決めた時間に適量の間食を与える。
然うすれば、お腹は空かない。
間食、か。
うん、其れは良いな。
甘味でも、甘味でなくても良い。
甘味でなくても良いのか?
甘味ばかりだと、糖分を摂取し過ぎてしまう恐れがあるから。
頭を使っていても?
今日は先代の記録を見ているようだったが。
全く、足りないわね。
ならば、ちょっとした粥でも良いか?
甘くなければ構わないわ。
然うか……良し、ちびに幾つか教えてやるかな。
幾つか?
今のメルに丁度良いものは幾らでもあるが、取り敢えず、幾つかに留める。
一度に多くを教えても、覚えきれないだろうからな。
然うでもないと思うけれど。
あの子はあなたと同様、料理の覚えだけは良いみたいだから。
然うかも知れないが、然うでもあるということにしておいて呉れ。
其れで、結局あの子に作らせるつもりなのかしら?
と言うより、作りたがるよ。
今回のあいつは、兎角、あたしに作らせたがらないからさ。
粥以外のものは?
勿論、教える。
塩味?
塩味だけでなく、酸味や軽い辛味も教えたいが……まぁ、此れは次にしよう。
どちらも今のあの子には刺激が強い、相応しくない。
だから、今回は教えない。
あの子のお腹が元気な時に教えることにするよ。
然うして。
そろそろ、覚える頃合いだと思っていたんだ。
頃合い?
甘味はある程度作れるようになったが、塩味のものはどうにも作りたがらないんだよ。
あいつはずっと、メルが好きだということだけで甘味ばかり作っていたからな。
食事ならば作るわ。
食事ならば、な。
でも、間食は甘いものばかりだ。
あの子を出に使わないで欲しいのだけれど。
申し訳ないが、此れもちび達の為になる。
然う思って、どうか、大目に見てやって欲しい。
あの子達ではなく、あなた。
あたし?
大目に見てあげても良いのは。
……見て、呉れないか?
嫌よ、見ないわ。
ん。
若しも、丁度良かったなどと考えているのなら。
丁度良いとは、思っていない。
ただ、此の機会に、とは思っている。
……。
決して、丁度良いとは思っていない。
本当なんだ、マーキュリー。
……はぁ。
見て、呉れるか……?
其の代わり、私の分も作らせて。
其れは、勿論だ。
へぇ?
と、言いたいが……おまえの分は、あたしが。
あの子が作ったものが食べたいわ。
……分かった、ちびに伝えておく。
喜んで呉れるかしら、あの子が知ったら。
……間違いなく、喜ぶだろう。
ふふ、然う?
……く。
く?
……其の笑顔が、あたしに向けられているものなら。
此処にはあなたしか居ないけれど?
……。
なに?
……良いのか、あたしに向けられていると受け取っても。
勿論、
勿論?
駄目よ?
だよな、知ってた。
ふ。
……ちびの奴、調子に乗るだろうな。
何かしら?
ちびが調子に乗るかも知れない。
乗るでしょうね。
ふふ、想像に難くないわ。
美味しくなかったら、其の時ははっきりと言ってやって欲しい。
そんなもの、あなたが私に食べさせるとは思わない。
……。
でしょう、ジュピター?
……然うなったら、あたしが作り直す。
別に良いわよ、作り直さなくても。
……美味しくなくても、食べるのか。
其の時になってみなければ、分からないわ。
……食べさせたくない。
食べなければ、助言は出来ない。
……。
違う?
……違わない。
はっきりと言って欲しいと言ったのは?
……あたしだ。
まさかとは思うけれど、間違ったことを
其れだけは、ない。
ない?
本当に言い切れる?
言い切れるよ、あたしは然ういうのが嫌いだから。
……知っているわ。
ん。
あなたの然ういうところ、悪くない。
……。
だからと言って、調子に乗らない。
……応。
……。
あいつが作った甘芋と豆の汁物、悪くなかったか?
もう、伝えた筈だけれど?
もう一度、聞かせて欲しい。
悪くはなかったわ。
また、食べたいか?
作って呉れるのならば、食べても良い。
ん、然うか。
ちゃんとあの子に合わせて作ってあった。
其れだけで及第点をあげても良いわ。
其れは……甘いな?
悪い?
いや、悪くはない。
……私には少し、物足りなかったけれど。
だろうな。
けれど、美味しいと思えたから。
……美味しい?
ええ。
……。
なぁに?
美味しいなんて……久しぶりに聞いた気がする。
気がするだけね。
……あたしには、滅多に言わない。
今、言ったわ。
言ったけど……あたしが作ったものに対してじゃない。
けれど、あなたが作り方を教えた。
……。
作っている最中に。
……あ。
味の調整も、若干だけれど、していたわね。
あれが良かったのか、私には分からないけれど。
……と、なると。
少なくとも、芋の甘みが活かされているとは感じたわ。
あたしが作ったとも言えるよな……いや、言っても良いよな。
言わなくて良いのなら、
言う、言わせて欲しい。
嫌よ。
然うか、然うだな……あたしが教えて、味を整えたんだもんな。
となれば、あたしに対しての言葉でもあると、然う受け取っても良いわけだ。
受け取っても良いとは、一言も言っていないわよ。
駄目か?
駄目よ。
然う言わず。
駄目。
お願いだ、マーキュリー。
引き下がらないわね。
今回は、引き下がりたくないんだ。
どうして?
どうしても。
理由になってない。
お前に、美味しいと言われたい。
……は。
言われたいんだ……久しく、言われていないから。
そんなに言っていないかしら。
……記憶力がないだけかも知れない。
ええ、然うね。
……。
ジュピター。
……矢っ張り、
あなたが作るものは、どれも、美味しいわ。
……。
と、言っておいてあげる。
マ、マーキュ
調子に乗らないで。
応、乗らない。
此れからも、美味いものを作り続ける。
でなければ、食べてあげないわ。
ん、然うだよな。
ええ、然うよ。
良し。
……単純。
ん、なんだい?
なんでもないわ、単純と言っただけ。
ん、其れはなんでもないな。
でしょう?
ははは。
楽しそうで良かったわ。
思えば、お前も然うだった。
……何が。
軽い間食で、躰を慣らす。
……。
然うだろ?
……然うよ、然うして躰を慣らしていくの。
うん。
だけど、私のことはどうでも良い。
でも、参考にはなる。
参考、ね。
躰を慣らす為だと言われて、あたしも色々作ったんだ。
……頼んでもいないのにね。
なんだかんだ言いながらも、食べて呉れるのが楽しくてさ。
悪くなかったから、食べてあげただけ。
嬉しかったんだ。
良かったわね。
うん、良かった。
本当に、良かった。
……。
塩味だと、特に何が良かった?
聞きたいことは、其れ?
参考までに。
あの子と私の好みは違うわ。
違うが、全く違うわけでもない。
あの子に聞いてみたら良い、其の方が手っ取り早いわよ。
メルに聞く前に、お前にも聞きたい。
面倒。
分かってる。
分かっているなら、聞かないで。
今度、お前に作りたい。
……。
久しぶりに食べないか?
食べない。
……全く、食べたくないか?
私のことよりも、あの子のこと。
お前のことも考えている、考えたい。
あなたね。
あたしは、お前のジュピターだから。
……。
メルは可愛い、が、メルはあいつのマーキュリーだ。
……可愛いあの子のことを、今は一番に考えて。
ん。
私は、其の後で良い。
……。
……強いて言うのなら。
言うのなら?
……矢っ張り、止めようかしら。
頼む。
……麦餅に、潰した芋を入れたもの。
麦餅に潰した芋……あぁ、あれか。
……あれは片手で食べられて、悪くなかったわ。
あれは、メルにも良いかも知れないな。
芋を甘芋にすれば、甘味にもなるし……なんなら、ふたつ作っても良い。
そんなには食べられない、どちらかひとつ。
小さくすればどうだ?
一口大なら。
お前にも然うやって作った。
……思い出さなくても良いのに。
思い出すも何も、最初から忘れてなかったよ。
しつこく、聞いておいて。
憶えていても、お前が気に入ってなければ仕方ない。
あの子は気に入るかも知れないでしょう。
なんとなくだけど、然うは思えなかった。
なんとなく?
お前に聞くまでは。
……はぁ。
ごめんな、しつこく聞いて。
全くだわ。
……。
せいぜい、参考にすれば良い。
お前の分も作るよ。
好きにすれば良い。
応、好きにする。
あの子が作ったものが良いのだけれど。
作りたい。
私だけに?
ん、お前だけに。
……。
作っても、良いか……?
……作りたければ、勝手に作れば良い。
じゃあ、今度
食べるかどうかは、別だけれど。
お前は食べて呉れる、味が悪くなければ。
食べたくないかも知れない。
食べられそうな時を見計らって作る。
然う、あると良いわね。
うん、あると良いな。
明日は何を作るの。
明日は、然うだな。煎り豆を……メルのお腹を考えて、柔らかくしてみようかな。
ほんのり甘いものと、ほんのり塩辛いものを作れば、交互に食べられる。
……。
お前の分も作るから安心して呉れ。
何も言ってないし、不安にもなっていない。
煎り豆も手軽に食べられて美味いよなぁ。
然うだ、黄粉を振りかけても良いかも知れない。
……。
黄粉は他のものにも使えるし、うん、然うしよう。
ジュピター。
ん?
結局、夕食はどうするの。
夕飯は、お前が好きなものにするよ。
……。
何が良い?
……美味しく食べられれば、何でも良い。
何でも良い……じゃあ、麦粉で作った生地に適当な具を入れて、汁で煮込んだものでも良いか?
……其れで良いわ。
ん、分かった。
じゃあ、ちびと作ろう。
……。
メルも一口くらいなら食べられるかも知れない。
……然うだと良いわね。
無理はさせない。
……当たり前でしょう。
ん。
……ところで。
遅い昼寝でもするか?
するなら、
しない、あなたはあの子を連れて畑にでも行けば良い。
畑仕事をしたら、夕飯の支度をするか。
然うして。
分かった、ならば行ってくる……と、言いたいところだが。
何。
ちびはメルの傍から離れたくないだろうから、あたしひとりで行ってくるよ。
……。
昼飯の時間をずらしてまで勉強と鍛練を片付けて、空いている時間を作ったのは、其の為だろうから。
……其れなら其れで、構わない。
半刻くらいで、戻って来るつもりだ。
ちびにも……まぁ、気にしないか。
……戻って
来る。
……あ、然う。
ん、来なくて良いって言わないのか?
言わない。
……。
戻って来て、ジュピター。
あぁ……必ず戻って来るよ、マーキュリー。
……。
では、行ってくる。
……行ってらっしゃいなんて、言わない。
16日
メル?
……ん。
ごはん、持ってきたよ。
……もう、そんな時間?
うん……もう、そんな時間。
……。
眠ってた?
ううん……少し、ぼうっとしてた。
……どこか、悪い?
ちょっとだけ躰は重たいけれど、平気……。
……本当に、平気?
水気が留まっているようには感じないし……ただ単に、歩いて疲れただけだと思う。
そっか……良かった。
ユゥが鍛練に戻って……今、ごはんの時間ということは、先生とのお勉強も終わったのよね。
うん、今日の分は終わったよ。
……やっぱり、少し眠っていたのかも。
ん、いいと思う。
……ね。
なに?
……何を、持ってきてくれたの。
約束通り、甘芋と豆のあったかい汁物を作ってきたよ。
……あぁ。
お腹、空いてる?
食べられそう?
……ん、食べたい。
ふふ、良かった。
……ユゥの分は。
あるよ、もちろん。
……一緒に。
一緒に食べよう。
……うん。
ひとりで食べられる?
うん……もう、大丈夫。
じゃあ、どうぞ。
ん、ありがとう。
それじゃあ、メル。
ん……いただきます。
いただきます。
……。
まだ少し熱いかもしれないから、ゆっくり食べてね。
……ん。
……。
……。
……師匠に、少しだけ聞いたんだ。
作り方……?
うん……そうしたら、とりあえず作ってみろって。
……何も、教えてくれなかったの?
ううん……作ってる最中に、教えてくれた。
だから……今日も、美味しく作れたと思う。
……きっと、美味しいわ。
だと、いいな……。
……。
……。
……ん。
どう……?
……お芋の優しい甘みが感じられて。
うん……。
お豆も、ほくほくで……とても美味しい。
……豆乳は、合ってる?
ん……とても。
あぁ、良かったぁ。
……。
……メル。
なぁに……。
足は大丈夫?
ん、大丈夫……これなら明日、お散歩出来るかも。
ほんと?
……だから、食べ終わったら。
あのね、メル。
……うん?
明日から、出来る範囲でお散歩してもいいって。
……先生?
と、師匠。
師匠には聞いてないのに。
……もう、聞いてくれたの。
ううん、先生から言われた。
もしかしたら、先生は分かっていたのかも。
……確実に分かってる。
メル、出来そうだったら明日から始めてみる?
ん……始めたい。
じゃあ、始めよう。
……あのね。
無理だけは、しないよ。
……。
明日が駄目でも明後日がある、ゆっくりやろう。
……うん、分かった。
うん。
……食べ終わったら、少しだけ。
ん?
……歩きたいと、思っているの。
歩きたい……お散歩?
ううん、お散歩ではなくて……ただ、行って戻って来るような。
外?
……外気を、吸えたらと思って。
分かった、じゃああたしも。
……手伝ってくれる?
メルの為に、あたしはなんでもしたい。
……なんでも?
そう、なんでも。
……ごはんを作ってくれてる。
それだけじゃあ、全然、足りないんだ。
……鍛練中なのに、部屋まで連れてきてくれたし。
もっともっと、メルの為に何かしたい。
メルの力になりたいんだ。もっともっと、もっと。
……。
だからね、もっと言って。
言って欲しいんだ。
……ありがとう、ユゥ。
あたしがしたいだけだからさ、お礼なんていらないよ。
むしろ、あたしが言わなくちゃ。言ってくれて、ありがとうって。
……。
ね。
……ふふ。
うん、なに?
……今日のユゥ、お師匠さんみたい。
師匠?
……お師匠さんも良く、先生にそう言っているから。
あー……言ってたっけ。
……言ってる。
真似してるわけじゃないよ。
……うん、分かってるわ。
師匠は下心だし。
……ユゥには、ないの?
え?
下心……ユゥには、ないの?
……ない、よ。
本当に?
……良く、分からない。
私に……何か、期待してない?
……。
してる……?
……傍に、いたい。
それだけ……?
……出来れば、ずっと一緒にいたい。
……。
ん……メル?
……触れたいとは、思わないの。
ふ、触れ……?
……私、に。
そ、そんなこと、お、思わ……。
……思って、くれないの。
思わ……う。
……おもわ、う?
思……う。
……おも、う?
メルに、触れたいと、思う……。
……下心?
で、でも……師匠とは、違う。
……。
に、似てるかもしれないけど……全く、同じじゃない。
……別に、いいと思う。
い、いい……?
……私も、同じだから。
メルも……同じ?
……下心、ユゥに。
メルが、あたしに……え。
……気持ち悪い?
き、気持ち悪くなんか……で、でも、メルが、あたしに。
……先生だって。
せ、先生も?
……お師匠さんに。
え……えぇ?
……わりと、分かりやすい。
し、師匠が?
……先生も。
……。
……ユゥ?
ちょ、ちょっと待って……。
ふふ……ん、待ってる。
師匠は、分かる……でも、先生も?
……下心を持っていないひとなんて、きっと、いない。
い、いないの?
……稀に、いるかもしれないけど。
せ、先生は、稀じゃない……?
……稀には、なれなかったのだと思う。
先生でも、なれないんだ……。
……意識したところで、なれるものではないと思うの。
先生がなれないんじゃ、あたしには無理だなぁ……。
……ならないで。
え?
ユゥには……その、持っていて欲しい。
……持っていて、いいの?
……。
メル……?
……出来れば、私だけに。
メルだけだよ。
……ん。
メルだけだ、他のひとになんて絶対に持たない、持つわけがない。
……なら、持っていて。
うん、持ってる。
……。
あたしはメルに下心を持ってるよ。
いつだって、持ってるんだ。
……あの。
なに?
……出来れば、ほどほどで。
ほどほど?
……難しいとは、思うけど。
ほどほど……ほどほどの、下心?
……なるべく、ついていこうとは思っているの。
んー……。
……だけど、ついていけない時もあるかもしれない。
分かった、ほどほどにする。
……。
するよ、ほどほど。
……う、うん。
ねぇ、メル。
……なぁに、ユゥ。
メルは、いつからあたしに下心を持っていたの?
……。
あ、言いたくない?
……それは。
それは……?
……教えない。
……。
……ごめんな
うん、分かった。
もう、聞かない。
……。
あたしは、気がついたら持ってたんだ。
……気がついたら?
だから、もっと前から持ってたんだと思う。
気がついたのは……ううん、なんでもない。
んー、いつかなぁ。
あの……思い出せないのなら、それでいいから。
……もしかしたら。
……。
メルと、仲直りした時かも。
……仲直り?
あたしが……その、メルの耳を。
……あ。
あの時のメルの耳は真っ赤で、あたしはおいしそうだなぁってぼんやり思って……気がついたら、
ユゥ。
ん?
その時は……その行動が、下心によるものだとは、思っていなかったのよね。
全然思ってなかったし、そもそも知らなかったんだ。
……それで、仲直りした時に気がついた。
気がついたけど、それが下心なのは、まだ分からなかった。
……。
ただ、あたしはメルに触りたいんだって……はっきりと、分かったんだ。
……下心だと、知ったのは。
師匠のせい。
……やっぱり。
師匠が先生に、触りたがるのは下心のせいなんだって。
……それは、先生よね。
うん。
……もぅ。
あたしの下心はメルだけのものだよ。
……ん。
メル以外のひとのものにはならない。
……。
絶対に。
……ユゥ。
約束する。
……多分、だけど。
なに?
それ……お師匠さんには聞かれない方がいいと思うの。
大丈夫だよ、言わないから。
……どこで、聞いているか。
今は、聞いてない。
だって、先生と一緒にいるから。
……耳が、いいから。
耳?
お師匠さんだけでなく……先生も。
先生……。
……先生にも、聞かれない方がいいと思う。
……。
……今は、聞いていないと思いたいけど。
聞かれたら、何か言われるかな……。
……お師匠さんには、間違いなく、揶揄われると思う。
間違いなく……なんで。
……お師匠さんにとっては、面白いから。
……。
……そう、思わない?
思う……何が面白いのか、あたしには全然分かんないけど、師匠は面白がると思う。
……うん。
せ、先生には……?
……生暖かい笑顔を向けられるかも。
生暖かい笑顔……て。
お師匠さんには良く向けられているんだけど……言葉にするのは難しい。
笑顔ということは、笑ってるんだよね……?
うん、笑ってはいるんだけど……なんて言えばいいか、兎に角ただの笑顔ではないの。
……。
分かる……?
……分かる、かも。
多分、ユゥが思い浮かべている表情でいいと思う。
……。
ユゥ……?
……聞かれないよう、気をつける。
うん……それが、いいと思う。
……。
ねぇ、ユゥ……。
……ん、なに。
ごめんなさい。
……なんで?
私は……教えなかったのに。
あぁ、別にいいよ。
……。
メルが言いたくないのに、無理に言わせたいとは思わない。
ユゥ……。
気にしないで。
……言えるようになったら。
聞いてもいい?
……ん、聞いて。
うん、聞く。
……。
へへ。
……「私達」はいつから、下心を持つか。
ん。
……それは、それぞれだと思うけれど。
師匠は、最初からだと思う。
……。
だけど、先生は……いつ。
……私達が造られるずっと前、それは確実だと思う。
ずっと前……そんな前から、師匠に。
……お師匠さん以外、いると思う?
……。
……きっと、いないわ。
先生は……。
お師匠さん以外のひとを、受け入れない……受け入れることなんて、ない。
……あたし達も。
私達は……別。
……別?
私達は、先生とお師匠さんの……「子供」、みたいなものだから。
……こど、も?
青い星の言葉なのだけど……育てられている方を、子供と呼ぶみたい。
こども……こども。
……「子」、とも言うみたいだけど。
こ……あたし達、先生と師匠の、こ、ども?
……育てられているという点では、それに近いと思う。
ふぅん……。
子供には、下心を持たない……みたい。
……メルに持ったら、許さない。
大丈夫……お師匠さんも、先生にしか持たないから。
……。
ふたりは私達に、下心は持たないけれど……受け入れてくれているとは思うの。
……ねぇ、メル。
なぁに?
あたし達がこどもなら、先生と師匠は、なんて呼ばれるの。
えと……育てる方? 青い星では、なんて言うの?
「親」、かしら。
おや?
感嘆句ではなくて。
かんたん、く?
えと……月では「育て」と呼んでいるのだけれど、青い星では「親」と呼ばれているみたい。
おや、か……青い星は、色んな言葉があるなぁ。
……だから、知りたい。
もっと……?
うん……もっと。
あたしも、知りたい。
……一緒に?
ん、メルと一緒に。
……。
もっと、覚えるんだ。
……いつか、青い星に行くことがあったら。
役に立つかな。
……必ず。
良し、頑張ろう。
……。
メル……。
……。
手、当て……?
……ごめんなさい、食べているのに。
ううん……大丈夫だよ。
……。
腫れ、大分引いたんだ……。
……良かった。
メルが手当てをしてくれたからだよ……ありがとう。
……ううん。
メルの手、大分動くようになったね……。
みんなが……ユゥが、いてくれたから。
師匠も、心配してた……。
……。
先生も……。
……うん。
ね……全部、食べられそう?
……きっと、食べられると思う。