日記
2025年・6月
30日
-Jupiter's Kitchen(現世2)
……。
……ん、ジュピター。
マーキュリー……気分は、どうだい?
うん……悪くは、ないわ。
熱は下がったみたいだし……このまま安静にしていれば、大丈夫かな。
ん……多分、大丈夫だと思う。
……治るまで、無茶は厳禁だからね。
分かっているわ……。
……本当に、分かってる?
本当に、分かっているわ。
……なら、良いけど。
はぁ……夏風邪と合わさるなんて、最悪ね。
……あたしとしては、マーキュリーにはお休みしていて欲しかったんだけどな。
休んでなんか、いられない……いられなかったの。
……分かってる。
……。
分かってるけど……それでも、言わずにはいられないんだ。
……どうして、夏風邪なんて。
疲れていても、風邪ってひくものだよね。
季節、問わず。
……。
今は、ゆっくり休んで欲しい。
……うん。
未だ、腫れている……?
……ええ、未だ。
痛い……?
……少しね。
本当に、少し……?
……眠れない程ではないわ。
鎮痛剤が必要なら。
……湿布だけで、十分よ。
……。
今度こそ、ゆっくり休むつもりだから……。
……つもりでは、駄目だ。
ジュピター……。
……折れなくて、良かった。
……。
心臓が、止まるかと思った。
いや、一瞬止まったかも知れない。
……大袈裟、止まったのはせいぜい呼吸でしょう。
あたしにとっては、同じようなものだ。
……初めてでは、ないのに。
慣れない、何度同じ状況になっても。
……怒っているの。
怒っては、いない。
……心配、しているのよね。
然うだよ、心の底からね。
……顔が、怒っているわ。
本当に、怒ってはいないんだ。
……ごめんなさい。
……。
……ちゃんと、治すから。
当たり前だ、よ。
……う。
はぁ……全く、マーキュリーは。
……ジュピターだって、無茶をするじゃない。
するけど。
……自分は、しておいて。
基本、あたしは前衛、マーキュリーは後衛。
であるならば、あたしは多少の無茶をする時だってある。
と言うより、しなければならない時がある。
……私だって。
とは言え、今回はあたしにも責任がある。
マーキュリーを止められなかったことと、敵の攻撃を捌き切れなかったこと。
本当にごめん。
……謝らないで。
マーキュリーは今後、体調不良の時は無理及び無茶なことはしないこと。
良いね。
……ジュピターも。
返事は、して呉れない?
……だって。
だってじゃ、ありません。
……どうしても、解せないんだもの。
解せないって、言葉選びがまた。
……だって、納得いかない。
熱は38度以上だった。
……。
マーキュリーの平熱は、高くて35度後半。
本当は、ふらふらな筈なのに。
……後悔は、したくないの。
……。
私が居ないせいで……ではなくて、私が居ないところで。
……はぁ、全く。
だって……嫌なんだもの。
……お願いだから、今は肯定の返事をして。
……。
後で……元気になったら、改めて聞くから。
……分かった、もう無茶なことはしない。
うん……宜しい。
……。
さて、説教はこれでおしまい。
他の話をしよう。
……お説教だったの。
なんだと思ったんだい?
……心配?
まぁ、間違ってはいないね。
……。
マーキュリー?
……やっぱり、怒ってた。
怒っていると、するのならば。
……。
守り切れなかった、自分にだから。
……ジュピター。
はい、此の話は此処まで。
ごはん、食べられそう?
……ごはん。
そ、ごはん。
元気になる為に必要なのは安静と食事ってね。
……。
何が良い?
取り敢えず、思い付いたものでも良いから言ってみて。
……蝉。
は、蝉?
蝉が食べたいの?
……然うじゃないわ。
そ、然うだよね。
吃驚した。
……国によっては、食べるみたいだけど。
流石のあたしも、蝉の料理は作ったことがないから……美味しく食べられる方法を調べなきゃ、作れないよ。
……調べて分かれば、作れるの?
まぁ、作れるんじゃないかな。
先ずは、食べられる蝉を捕まえるところから始めないといけないだろうけど。
……蝉って、美味しいのかしら。
どうだろ……味付けによっては、あたし達でも食べられるかも知れない。
あのままの姿で出されたら、躊躇するとは思うけど。
……いなご?
えと……どうしても食べたいと言うのなら、探してくるよ。
多分、何処かのお店には置かれていると思うし……って、何処だろう。
……別に、食べたくないわ。
あ、あぁ、然う……。
……ジュピターは?
食べるものがなければ食べるけど……今は、遠慮したいと思う。
ふふ……然うよね。
……熱がまた、出てきたのかな。
蝉の鳴き声が、聞こえるの……。
……。
……あれは、ヒグラシ。
夕方になって涼しくなったからかな、ちょっと前から鳴き出したんだ。
昼間は、ミンミンゼミとアブラゼミが喧しい程に鳴いていたよ。
……なんとなく、聞こえてた。
ん……そっか。
……蝉時雨。
マーキュリー……?
……ねぇ、ジュピター。
なに……また、熱が出てきた?
私……温かいお素麵が食べたいわ。
温かい、素麺?
……うん。
温かい素麺か……うん、分かった。
……ね。
なんだい?
……どんなお素麺を、作って呉れる?
今、考えている最中だけど……何か希望があるのなら、幾らでも聞くよ。
希望……普通の、お素麺かしら。
えと、然うだな……お肉は、食べられそうかい?
お肉……。
……食べたくない?
ううん……でも、あまり多くは食べられないかも知れないわ。
牛、豚、鶏……どれが良い?
……。
どれでも良いよ。
……鶏、かしら。
鶏か……なら、鶏南蛮にしようかな。
とりなんばん?
そ、枝豆入りのね。
……枝豆。
夏の栄養補給には丁度良いだろう?
……。
あとは……然うだな、味噌煮込みにしても美味しい。
枝豆は入らないけど鶏肉は入る、あとは大根と人参、しいたけ。
……それも、良いかも。
ふふ、然うかい?
……。
お肉以外だと……。
……ううん、鶏肉が良い。
若しかして、鶏肉の口になっちゃった……?
……然うみたい。
ふふ、そっか。
……。
ね、どちらが良い?
鶏南蛮と、味噌煮込み。
……え、と。
ん?
……今日は、枝豆入りの。
鶏南蛮?
……が、食べたい。
ん、それじゃあ決まりだ。
……ジュピターは、鶏南蛮で。
あたしは、どちらでも良いんだ。
然う、マーキュリーの好きな方でね。
……。
味噌煮込みは、また今度。
素麺なら、未だあるからさ。
……また今度?
然う、また今度。
……いつもありがとう、ジュピター。
どういたしまして、マーキュリー。
あたしが作ったごはんを食べて、少しでも早く治るように。
……いつも食べているのに、どうして夏風邪なんか。
……。
あ、ごめんなさい……その、変な意味ではなくて。
……夏風邪、治りかけだったんだよね。
……。
それなのに、無茶をするから。
それは……だって。
良いかい、マーキュリー。
……。
今度こそ、ちゃんと治すこと。
良いね?
……約束、するわ。
破ったら、泣くからね。
……泣くの?
然うだよ、泣いちゃうよ。
……怒るのでは、なくて?
怒りよりも、悲しいから。
……。
泣かせないで、あたしを。
……分かった、必ず守るわ。
うん……。
……ん、だめ。
大丈夫……唇には、しない。
……それでも、だめ。
……。
……夏風邪は、厄介なの。
知ってるよ……。
……あ、だから。
くちびるではなく、ほっぺたに……。
……も、ぅ。
……。
……私が治っても、ジュピターにうつったら。
その時は……診て貰おうかな、水野先生に。
……予防は大事です、成る可く引かないように気を付けて下さい。
はい、気を付けます……
……口ばかりでは、駄目ですからね。
分かってます……先生。
……近いですよ、木野さん。
おっと……つい、うっかり。
……もぅ、何がうっかりなの。
はは……。
……ばか。
はい……。
……。
ん……それじゃあ、早速作ろうかな。
……見ていても、良い?
良いよ。
……なら、見てる。
ふふ……うん。
……。
直ぐに出来るからね。
……ねぇ、ジュピター。
なんだい、マーキュリー。
……名前で呼んでも良い?
名前……?
……だめ、かしら。
奇遇だね。
あたしも名前で呼ぼうと思っていたんだ、亜美ちゃん。
……。
だから、良いよ。
……うん、まこちゃん。
やっぱり、名前の方が落ち着くよね。
……私達の、本来の名前だもの。
うん。
……王国での名と、本来の名。
使い分けが、大事……か。
……慣れる為に、私生活でも呼び合っていたけれど。
元に戻そうか、亜美ちゃん。
あたし達の部屋に居て、尚且つ、ふたりきりの時だけは。
……。
もう、慣れたと思うからさ。
多分、うっかり呼んでしまうことはないと思うんだ。
……取り敢えず、今だけ。
今だけ……?
……少しずつ、戻していきましょう。
少しずつ、か……まぁ、亜美ちゃんが然う言うのなら。
……鶏肉、焼くの?
焼かない方が良いかい?
……。
焼かない方が、良いのなら。
……ううん、焼いて欲しい。
ん、分かった。
……やっぱり、手際が良い。
はは、然うだろう?
……見ていて、楽しいの。
なら、見ていて。
……。
よ、と……ん、良い音だ。
……食欲が刺激される音だわ。
ふふ、本当にね。
……。
……。
……まこちゃん?
蝉の声が、良く聞こえるなって。
……まこちゃんは、蝉取りをしたことがあるのよね。
うん、小さい頃にね。だけど、取れるのはいっつもアブラゼミばかりなんだ。
あいつらは、子供でも手が届くとこに居ることが多いからさ。
ミンミンゼミとヒグラシは、高い所に居ることが多いから取れない。
あと、ツクツクボウシもね。
……ミンミンゼミって、きれいなのよね。
然う、翅が透明でさ。
躰は、緑なんだ。
……アブラゼミは全体的に茶色。
然うなんだ、だから透明な翅のミンミンゼミを捕まえてみたくてさ。
あの気持ちは、一種の憧れみたいなものかも知れない。
……憧れ?
きれいなものには、憧れるだろ?
……アブラゼミは。
茶色だからなー全体的に。
それに、見慣れてしまって。
……私も、捕まえてみれば良かったわ。
治ったら、捕まえに行くかい?
……え。
やってみたいのなら、やってみようよ。
でも……此の歳で蝉取りは。
別に良いんじゃないかな。
……良いのかしら。
捕まえたら、直ぐに離してあげよう。
……。
小さい頃は虫かごに入れて、持ち帰ったけど……今は、離してあげたい。
……うん、離してあげましょう。
その前にちょっとだけ、観察してね。
ふふ……うん。
けど、アブラゼミはしなくても良いかなー。
さんざ見たから?
そ、さんざ見たから。
亜美ちゃんは、見てみたい?
ん……少しだけ。
少しだけ?
……捕まえたこと、ないから。
あぁ、そっか。
……見たら、直ぐに離すの。
あいつ、暴れることがあるから気を付けてね。
それは……アブラゼミに限った話ではないわよね?
まぁ、然うなんだけど。
良し、良い色になった。そろそろ枝豆を入れて、と。
……一緒に炒めるの?
ん。
……。
おと、素麺もそろそろ良いかな。
……美味しそう。
ふふふ、然うだろう?
……早く、食べたいわ。
お、良いね。
食欲があるのは、良いことだ。
……まこちゃんのおかげ。
あたし?
然う、あなた。
へへ、そっか。
……。
もう直ぐだよ、亜美ちゃん。
……ん、まこちゃん。
29日
ふぅ……良し、今日はこんなもんかな。
ジュピター。
マーキュリー、どうしたの?
様子を見に来たのだけれど、来てはいけなかったかしら?
ううん、来て呉れて嬉しいよ。
だけど、あたしに会いに来たって言って呉れた方がもっと嬉しかったな。
当然、あなたの仕事ぶりも含まれているのだけれど。
詰まり、会いに来て呉れた?
いいえ、あくまでも様子を見に来たの。
ふふ、そっか。
ええ、然うよ。
どれくらい、居られる?
マーキュリーの仕事は大丈夫かい?
今日の仕事は、此処でおしまいにするつもり。
うん?
此れも、仕事のひとつ。
……あ。
ね、然うでしょう?
うん……此れも、マーキュリーの仕事のひとつだ。
だから、直ぐに戻るつもりはないわ。
へへ、そっか。
嬉しそうね。
共同作業だと思うと、一層ね。
良いわね、単純だと。
マーキュリーも明るい顔をしているよ。
気のせいでしょう。
気のせいではないかな。
それで、どう?
少しは順調かしら?
うん、まぁまぁかな。
まぁまぁ、ね。
どうなるかは未だ、分からない。
そこまでは、未だ良いわ。
ん。
……。
見て、マーキュリー。
どれ?
芽が出てきたんだ。
あぁ、本当ね。
小さくて、頼りないけれど……ちゃんと育って呉れるように、大事にしたいと思ってる。
ええ、然うしてあげて。
マーキュリーも。
私も?
ふたりの子だからさ。
……はぁ。
あれ、外した?
それとも、陳腐だった?
まぁ、良いわ。
強ち、間違ってはいないから。
良かっ
だけど、恥ずかしいから。
はい。
……肥料は、どう?
うん、悪くないと思う。
然う……でも、改良の余地はありそうね。
然ういえば、そっちはどうなってる?
都合はつきそうよ。
来て呉れるって?
ええ、興味を示して呉れたわ。
あー、良かったぁ。
やっぱり本業のひとに聞くのが一番だからさ。
懐かしい、ですって。
うん、懐かしい?
そのひとね、戦前生まれなの。
戦前生まれ……。
子供の頃からずっと、農家をやってきた。
途中、徴兵されたそうだけれど……無事に帰還して、また。
……然うか。
もうひとりは戦中生まれ、生まれも農家なら嫁ぎ先も農家。
世界が変わってからも、暫くは続けていたそうよ。
待って、ふたりも来て貰えるのかい?
折角だから、男性と女性に来て貰おうと考えて。
若しかしたら、視点が違うかも知れないでしょう?
はぁ、流石あたしのマーキュリー。交渉力と調整力がすごい。
あたしはひとりでも来て貰えたら御の字だと思っていたからさ。
ま、それも私の仕事のひとつだったから。
今でも、だろう?
今は
機械じゃ、然うは行かない。
然うかしら。
人工知能の方がもっと効率良く進めて呉れるわよ。
けれど、ひとの心までは動かせないよ。
支配は出来ても、さ。
……支配、ね。
ひとの心を動かすのは、どこまで行っても、ひとでしかない。
ひとが作った機械ではないよ。ましてや、その世代の人達ならばね。
考えることは面倒で手間、挙句、己の思考を元に行動すれば必然的に責任が伴う。
何かが決めて呉れて、それがベターどころがベストだったらそれに越したことはない。
考える葦なのに、考えなくなった葦にどんな価値があるんだろうね。
大抵の人間は、楽な方が良いのよ。
努力しなくても得られて、何もしなくても楽しく生きられる。
その結果が、このザマなんだけど。
良いのよ、それでも生きていられるのだから。
代わり映えのない日常にも程があるんだけどなぁ。
ま、仕方ないか。そもそも、あたし達が言える立場ではないし。
……本当、その通りだわ。
元には戻せないかも知れないけど、少しずつでも変えられたら。
……決して、楽な道ではないけれど。
良いじゃないか、その方が。
今を生きていると感じがしてさ。
……変わり者。
マーキュリーもね。
……。
あたし達はやっぱりお似合いだ、変わり者同士で。
……ふ。
ね、若返るってどんな感じなのかな。
やっぱり気になる?
まぁ、ね。
その話も聞いたわ。
え、然うなの?
屹度、あなたにも話して呉れると思うわよ。
話したくて仕方がないようだったから。
然うか、それは楽しみだ。
私は、居ない方が良いわよね。
勿論、居て欲しい。
ふたりで聞こう、その方が絶対に良い。
そ、分かったわ。
ちゃんと調整してあるんだろう?
要らないと言われたら、他の仕事をしようと思っていたのだけれど。
要らないなんて、あたしが言う筈がない。
良かったわ、調整しておいて。
ふふ、ありがと。
それで、いつ頃来て呉れるんだい?
来週の、今日。
来週の今日かぁ、思っていたよりもずぅっと早いな。
早過ぎた?
いや、それくらいで良い。
あたしとしては、直ぐにでも聞きたいと思っていたから。
……。
マーキュリー?
久々に、仕事をしたような気がするわ。
……いつもしているじゃないか。
然うだけど……でも、それでもね。
若しかして、終わった気で居る?
言っておくけれど、未だ此の仕事は始まったばかりだよ。
言われなくても、ちゃんと分かっているわ。
私が此れくらいで終わった気になっているなんて、有り得ない。
ふふ、然うだよね。
……。
ん……なに。
顔に、土。
ありゃ。
部屋に戻る前に、顔くらいは洗ってね。
手もね。
未だ、終わらない?
ん、もう終わりにしようと思ってた。
然う。
ね、一緒に戻ろうよ。
どうしようかしら。
あたしが戻る支度をしている間、マーキュリーはマーキュリーの仕事をしていてよ。
仕事、ね。
畑の観察。
気付いたところがあったら、後で教えて欲しい。
言われなくても。
あは、やっぱり頼りになるなぁ。
……。
マーキュリー?
……温かいわ。
土?
……ええ。
手、汚れてしまうよ。
……洗えば良いだけだから。
……。
……土の改良も、考えてみるわ。
うん……お願い。
……あくまでも、生態系を壊してしまわないように。
ねぇ、マーキュリー。
……何。
今日の終わりに、一緒にお風呂に入らない?
……は?
久しぶりだし……だめ?
はぁ……急に何を言っているの。
言ったのは急だけど、
考えては、いた。
然うなんだ。
どうだろう?
……お風呂のお掃除、お願いね。
おー、任せて。
一緒に入るとは、未だ、言っていないわよ。
未だ、ね。
期待は、しないで。
んー、どうだろ。
戻る支度は進んでいるの。
もたもたしているようなら、先に戻るけど。
あともう少し、もう少しだけ待って。
……日が暮れてきたわ。
こんな空を見るの、久しぶりだろ?
……空だけは、変わらずにあるわね。
ね。
……はぁ。
空の雄大さに、思わず溜息?
別に、然ういうわけではないわ。
そっか。
……きれいね。
マー
然ういうのは、良いから。
空、きれいだよね。
夜ごはんはどうしようか。
……お米は、相変わらずないわよ。
マーキュリーが育てたきのこがあったよね。
しめじとえのきたけ。
なら、今日のメインはふたつのきのこかな。
あとは、ベーコンでもあれば良いのだけれど。
そこまで贅沢は言わないさ。
然う?
きのこが二種類もあるんだ、十分にご馳走だよ。
然う。
しいたけは、どう?
順調よ。
ふふ、楽しみだなぁ。
菌類とは、相性が良いみたい。
分類学上は、カビに近いんだよね。
ええ、然うよ。
うーん、生物だ。
良かったら、授業をしてあげても良いけれど?
今夜、ベッドの中で?
それでも良いわ。
やっぱり、止めとく。
あら、然う?
授業して呉れるなら、ベッドの中以外が良いな。
なら、食事中にでも。
うん、それでも良いや。
良いの?
マーキュリーの楽しそうな顔が見られるから。
本当に、するわよ?
学生の頃に戻った気持ちで、マーキュリー先生の授業を受ける所存です。
ふふ、良いわ。
ならば、ちゃんと聞くように。
はい、先生。
で、きのこ達をどうやって食べましょうか。
んー、然うだなぁ。
小麦の麺なら、未だあるわよ。
なら、それと一緒に。
ん。
にしても、減りが良くないな。
若しかして、飽きられてる? まさか、ね?
然ういうわけではないんでしょうけどね。
甘いお菓子の方が良いみたいだから。
えぇ、良く飽きないなぁ。
でも、マーズはその限りではないだろう?
炭水化物をあまり取っていないみたいね。
え、それは良くないなぁ。
全く取っていないわけではない、と。
うーん、然うか。
招待する?
招待?
我が家の食卓に。
マーキュリーは、それでも?
ジュピターが、然うしたいのなら。
ふむ。
私は、どちらでも
マーズには、悪いけれど。
然う、分かったわ。
まぁ、大丈夫だろ。
なんせ、病気にはならない躰だから。
……。
怪我は、するけど。
……だからこそ。
ん、マーキュリー?
おざなりになる。
……。
どちらが作りましょうか。
あたしが
然う、ならば私が作るわ。
え。
嫌なら、あなたが
作って呉れるのは嬉しいけど、大丈夫かい?
ええ、大丈夫よ。
今日はそこまで疲れていないの。
……本当に。
本当に。
……。
嬉しい?
すごく。
気が向いたの。
ありがとう、マーキュリー。
お礼は作ってからで良いわ。
分かった、またその時に。
それで、もう戻れそう?
うん、お待たせ。
行こう、マーキュリー。
ええ。
今夜はマーキュリーズキッチンか、楽しみだなぁ。
気に入っているわね、その言い方。
ん、良いだろ?
まぁ、良いけれど。
ふふ。
……。
ん……土、気になる?
……良い顔をしていると思って。
顔色も、良いだろう……?
……ええ、とてもね。
マーキュリーも、とても良い顔をしているよ。
……今を、生きていると。
……。
然う、感じているからかもね。
……うん。
……。
もう、スリープしないで良さそうだ。
そんな暇、何処にも無いわよ。
はは、確かに。
畑は、待っていて呉れないもんな。
ええ、然うなの。
菌類もね?
菌類は、どうかしら。
然うだって。
ふ。
あ、鼻で笑ったな?
楽しいから、笑ったのだけれど?
なら、良いや。
良いのね。
うん、マーキュリーが楽しいのならそれで良いんだ。
私も、然うよ。
ん?
ジュピター、あなたが楽しいのならそれで。
……。
なぁに?
ううん、なんでも。
……。
お腹、
空いた?
うん、空いた。
きのこのスープも作れるけど、食べる?
食べる食べる。
やったぁ。
喜び方が子供みたいね。
何百年生きたとしても。
……。
変わりたくないと、思ってるんだ。
……ええ、出来れば変わらないで。
変わりかけたけどね。
お互いにね。
……。
ん……ジュピター。
……愛しているよ、あたしのマーキュリー。
……。
いや……あたしの亜美ちゃん。
……全く。
あれ……。
……まこちゃん。
なぁに……?
……。
亜美ちゃん……?
……戻ったら、言うわ。
うん、然うだと思った。
でしょう?
後でゆっくり、聞かせて貰うからね。
さらっと、済ませるわ。
然うはさせないぞ?
出来るものなら。
マーキュリーズキッチンの後にでも。
本当、お気に入りね?
28日
ごちそうさまでした。
御粗末さまでした。
はぁ、なくなっちゃった。
食べてしまえば、なくなるわよ。
食べなければ、残るけれど。
残すわけ、ない。
なら、仕方ないわね。
現実を受け入れて。
はぁい。
気が向いたら、また作ってあげるわ。
うん、楽しみにしてる。
楽しみにはしないで。
いつも然う言うんだ。
言うわよ、いつも。
はは。
ふふ。
マーキュリー、本当に美味しかったよ。
良かったわ、口に合ったようで。
もう、またそんなことを言って。
一応、ね。
社交辞令?
他愛無いやりとり。
うん、そっちだ。
全く、当て嵌まらないわ。
ふふ、然うだねぇ。
あなたに社交辞令なんて面倒なこと、私がするわけない。
あたしも、マーキュリーにだけはされたくないな。
どんな間違え方なの?
はは、本当にねぇ。
あんな疲れるもの、外の世界だけで十分だわ。
あなたに対しては必要ないし、したくもない。
親しき仲にも礼儀あり、だっけ。
あたし達の世界にあるのはそれが良い、然うだろ?
まぁ、然うね。
と言うわけで、あたしもしなくて良いかい?
聞くの?
一応。
今更。
それでも。
野暮ね。
あー。
要らないわ。
うん、分かってた。
やっぱり、野暮。
はは……。
……。
ん、なに……マーキュリー。
……疲れているわね。
うん……やっぱり、疲れているみたいだ。
……少しでも、あなたの。
マーキュリーのおかげで……心が、元気になったよ。
シャワーは、浴びるつもりなの……?
ん……寝る前に、さっぱりしたい。
どうしても、落ち着かないんだ……汚れた躰で、ベッドに横たわるのは。
……本当は、湯船にゆっくりと浸かった方があなたの躰には良いのだけれど。
帰ってくるまで……いやマーキュリーの顔を見るまで、シャワーで済まそうと思っていた。
だけど……今のあたしなら、お湯張りをする元気がある。
……お風呂は、体力を消耗する。
だから、長風呂はしない……好きなものは、後の為に取っておくよ。
……くれぐれも、うたた寝なんてしないでね。
ん……気を付ける。
……嫌よ、帰ってきたらあなたがお風呂の中で眠っていたなんて。
然うは、ならないさ……あたしは、ベッドの中でマーキュリーを待つんだから。
……ベッドで。
うん……?
……ベッドで、ゆっくり休んで。
うん……マーキュリーも。
椅子なんかじゃ、疲れは取れないから。
……ええ、本当にね。
やっぱりさ……ゆっくり眠るのなら、ベッドに勝るものはないよ。
……その為に作られた寝具だもの。
お布団も、良いけれどね……。
……黴臭いお布団は、嫌よ。
はは、それはあたしも嫌だな。
……また、旅館に。
泊まりたいね……ふかふかのお布団で、さ。
……あまり、ひとが居ないところが良いわ。
ひとが多いと、疲れちゃうからね……。
……ふたりで、ゆっくりと寛いで。
美味しいものを、いっぱい食べるんだ……ふたりだけで。
……山の幸?
海の幸も、良いな……マーキュリーは、どちらが良い?
……私は、どちらでも良いわ。
あたしも、どちらでも良いな……ふたりで美味しく、食べられるのなら。
……計画を立てる時に、改めて考えましょう。
うん……然うしよう。
……。
温泉にも、行きたいなぁ……疲れが取れて肌もきれいになる、そんな温泉。
……腰痛にも効果があると、より良いかも知れないわね。
うー……。
……大丈夫?
ん、なんとか大丈夫……マーキュリーは?
……私は。
肩と首の凝り……ずっと、マッサージしてあげられていないから。
……なんとか、持っているわ。
うん……やっぱり、休みが欲しいな。
……問題は、どうやって取るか。
仕方ない。
……何が?
ここはひとつ、もぎ取るか。
……どうやって?
それを、考える。
ふたりで?
然う、ふたりで。
そんな時間があれば良いけれど。
いざとなったら、メモの交換。
随分と悠長なやり取りになりそう。
ちょっとした文通みたいだろ?
郵便屋さんが居ないだけの?
ふふ、然う然う。
……文通、ね。
そんな時代も、あったね。
懐かしい?
ほんの少し。
然う……じゃあ、別居してみる?
え、どうして?
文通、してみたいのかと思って。
……。
郵便網は未だ、生きてはいるわよ。
だとしても、別居は嫌だ。
ええ、私も嫌。
なら、言わないで。
もう、言わないわ。
一緒に暮らしていても、やろうと思えば出来る。
網が未だ、生きているのなら。
ううん、メモのやり取りで。
これでも、楽しみにしているのよ。
悠長だけれどね。
気に障った?
それなら、
謝らないで良いよ、障っていないから。
……。
……生きてはいるけれど、いつ届くかは分からないだろう。
昔は……近場ならば、ポストに投函した次の日にはほぼほぼ届いていたのにね。
……いつかは、完全に壊される。
……。
ね……亜美ちゃん。
なに……まこちゃん。
旅行……行こう、ふたりで。
ええ……いつか、また。
……近いうちに。
ふ……。
……ん?
然うね……近いうちに。
……息抜きは、大事なんだ。
とても……ね。
……。
ジュピター……。
ん……いや。
……。
……ちょっと、ごめん。
あなたはもう、休んで。
ううん。
ジュピター。
マーキュリーの背中を、お見送りするまで。
……。
お見送りしてから、休みたい。
……どうしても。
ん……どうしても。
……。
ね……。
……ありがとう。
嬉しいかい……?
……とても。
ん……良かった。
……。
ね、マーキュリー。
……なに、ジュピター。
今度は、何を作って呉れる?
気が早い。
あれ。
でも、良いわ。
ありがと。
それで?
海老繋がりで、
レモンクリーム?
も、食べたい。
も、ね。
浅蜊繋がりで、ボンゴレビアンコも捨て難い。
他は?
アボカドとベーコンも美味しい。
繋がりがなくなったわね。
だめかい?
いいえ、だめではないわ。
ふふ、良かった。
片付けは、
あたしがやるよ。
……。
大丈夫だ、マーキュリー。
……お願いね。
あぁ、任せて。
美味しいパスタを食べさせて貰ったんだ、片付けはあたしの役目だ。
……。
そろそろ、戻るかい?
……ええ、もう戻らないと。
然うか……。
……。
ん……マーキュリー。
……そんな顔、しないで。
どんな顔を、してる……?
……捨てられそうな、子供の顔。
そんな、幼いかな……。
……久しぶりだから、仕方ないとは思うのだけれど。
大丈夫だ……会えなくなるわけでは、ないのだから。
……と、言い聞かせている。
どうして、分かるんだい……?
……私も、然うだから。
マーキュリーも……?
……愛しいひとと、擦れ違ってばかりなんだもの。
……。
私だって……寂しく思う時ぐらい、あるわ。
……嬉しいな。
ふふ……。
ん……なに?
……緩んだ。
顔……?
……出来るだけ、早く帰ってくる。
うん、ベッドの中で待ってる……。
……すやすやと眠るあなたの顔は、今でも可愛いものよ。
それ……マーキュリーにも、言いたいな。
……私は、可愛くないわ。
いいや、とても可愛いよ……。
……ん、ジュピター。
待っているよ……マーキュリー。
……帰れなかったら、ごめんなさい。
それは……仕方ないから。
……。
……マーキュリー。
愛しているわ……ジュピター。
うん……あたしも愛しているよ、マーキュリー。
……。
……柔らかくて、あったかいな。
キスは……だめよ。
……軽く、触れるだけなら。
そんなことを言って……。
大丈夫……我慢、出来る。
……我慢する、ではなくて?
今のあたしには、どちらも同じようなものだ……。
……ジュピター。
パスタの味が、するかも……。
……ばかね。
うん……ばかなんだ。
……戻る前に、口を濯いでいかないと。
それは、あたしとキスをするから……ん。
……。
……マーキュリー。
ばかね……そんなわけ、ないでしょう。
……気に障った?
障ってないわ……だから、謝らないで。
……分かった。
ん……ジュピター。
……少し、細くなった。
あなたは……。
……変わらない、だろ。
……。
然ういうことに、しておいて欲しい。
……食べては、いるのよね。
うん……どれも、味気ないけど。
……。
久しぶりに、味わえた……本当にありがとう、マーキュリー。
……楽しみにしているわ。
うん……?
……あなたが作る、ご馳走。
あぁ……うん、楽しみにしていて。
……。
……。
……だめよ。
分かってる……。
……。
他愛無い話が出来て、楽しかった。
私も楽しかったわ。
……また、しよう。
ええ……また。
……。
……。
……それじゃあ、マーキュリー。
ん……おやすみなさい、私のジュピター。
27日
いただきます。
はい、召し上がれ。
……。
……。
……んー。
どうかしら……。
……はぁ、美味しいなぁ。
……。
美味しぎて、ほっぺたが落っこちてしまいそうだ……。
……大袈裟よ、まこちゃん。
大袈裟なんかじゃなく、本当に美味しいんだって。
はぁ、起きたお腹に美味しさが染み渡る。
……ちゃんと、出来てる?
出来てるよ、だってこんなに美味しいんだもの。
……麺の茹で具合と、味付けは。
両方良い塩梅だ、あたしの口に合ってる。
……良かった。
亜美ちゃんが作ったスパゲッティ、良いなぁ……美味しいなぁ。
あの、まこちゃん。
なんだい、亜美ちゃん。
落ち着いて、ね?
大丈夫、あたしは落ち着いているよ。
落ち着いて食べているから、こんなに味わえるんだ。
……本当に、落ち着いている?
落ち着いてなかったら、味なんて分からない。
ただ口に詰めて、嚙み砕いて、飲み込んでいるだけになっちゃう。
そんなの、勿体ないだろ?
……然ういうもの?
うん、然ういうものだよ。
だからね、あたしはかなり落ち着いているんだ。味わって食べているから、
……然う。
食べ終わっちゃうのが、勿体ないなぁ。
えと……未だ、食べ始めたばかりだけれど。
然うなんだけど……このまま食べ続けたら、なくなっちゃうだろ?
それは、然うよ。
食べてしまえば、なくなってしまうわ。
だから、勿体ないなぁって。
……残せば、残るけど。
それはしない、全部食べる。
そ、然う。
……。
そんなに喜んでもらえるなんて……。
……思ってなかった?
喜んで呉れるとは、思っていたけど……まさか、こんなに。
……だって、嬉しいんだ。
……。
亜美ちゃんがあたしのことを想って、あたしの為に作って呉れたことが。
……ね、本当はそんなに美味しくないのでしょう?
もう、どうしてそんなことを言うのかな。
だって……どこまで行っても、平凡な味なんだもの。
平凡?
まこちゃんが作って呉れるものは、もっと美味しくて……。
……だから。
まこちゃんは……本当は、私に気を遣って。
遣ってないんだよなぁ、これが。
……まこちゃん?
あまり美味しくなくても、それでもあたしは美味しいって言うと思う。
……じゃあ、やっぱり。
でもね、言い方が微妙に違うと思うんだよ。
……言い方?
そ、言い方。
……どう違うの?
あまり美味しいと思わなかったら、気を遣った言い方になる。
……はい?
それで、美味しかったら
ごめんなさい、それでは分からないわ。
あ、然う?
……。
兎に角、亜美ちゃんが作って呉れたこのツナとトマトのスパゲッティ。
とっても美味しいよ。気を遣って言ってるわけでも、お世辞でもない。心から然う思っているんだ。
……まこちゃん。
出来れば……出来ればで良いんだけどね、また、作って呉れたら嬉しいな。
……私で、良ければ。
ほんと?
ん……ほんと。
やった!
……そんなに?
うん、そんなに。
すっごく嬉しい。
……。
ね、あたしが気を遣っているように見えるかい?
……ううん、見えない。
ふふ、だろ?
……。
そもそもあたし、嘘を吐くのは苦手なんだ。
……確かに、まこちゃんって嘘を吐くのはあまり上手ではないわよね。
顔に出ちゃうらしいんだよ、あたし自身は上手くやっていると思っているのにさ。
……眉毛と目、口、それから頬のあたりに出ているわ。
うん、それ顔のほぼ全部だね。
鼻くらいかな、何も出ていないの。
鼻……。
え、若しかして鼻にも出てる?
鼻は見ていなかったわ、今度見てみる。
うん、見なくて良いよ。
……良いの?
眉毛と目、口、それからほっぺたのあたりに出ているのなら、それで十分だと思う。
……でも、知りたい。
知りたい?
……鼻にも、何かしら変化が起こるのか。
……。
……だめ?
えと……良いよ。
本当?
う、うん……本当。
ありがとう、まこちゃん。
どういたしまして……なのかな。
ふふ。
……まぁ、いっか。
変化がなくても、報告した方が良いかしら?
え、報告して呉れるの?
今後の参考になると思うの。
さ、参考?
って、なんの?
大人になれば、今以上に気を遣うことが増えると思うの。
その時に、相手に見抜かれないようにしないと。
そ、然うなのかな。
気を遣うのもお世辞を言うのも、大人の社会では当たり前らしいわ。
それは、亜美ちゃんのお母さんが?
一応……そんな風には見えないんだけど、ね。
然うか……なら、聞いておいた方が良いかな。
聞いて?
あ、はい、分かりました。
ね……レポートとしてまとめた方が良い?
いや、そこまでは……あ、でも、亜美ちゃんが手書きして呉れるなら。
勿論、手書きするわ。
お勉強の邪魔にならない程度に。
大丈夫、直ぐに書き上げるから。
直ぐに?
然う、直ぐに。
そ、そっか。
ふふふ……。
……うん、可愛い。
ねぇ、まこちゃん。
なんだい、亜美ちゃん。
……。
どした?
……まこちゃんは、他にどんなスパゲッティが作れるの?
他に?
知りたいの。
……若しかして、他のも作ってみたい?
その……教えて、もらえたら。
えー、どうしようかなぁ。
……まこちゃん?
企業秘密だからなぁ。
……企業秘密?
然う、企業秘密。
大人ってさ、然う言うんだろ?
……。
ん、亜美ちゃん?
……冗談?
え。
教えたくないというより……教えたいという顔をしているから。
……。
わくわく、していそう。
……やっぱ、分かる?
合ってた……?
……もう、ばっちり。
ふふ……然う。
……鼻はどうだった?
嘘を吐く時と冗談を言う時、少し違うみたい。
……違うって?
まこちゃんが冗談を言う時……主に私を揶揄う時なのだけれど、楽しそうに見えるの。
まるで、私がどんな反応をするのか……想像して、面白がっている子供みたいに。
……。
……図星?
亜美ちゃんには一生、敵う気がしない。
……え?
白状します……とても楽しいです。
……。
でも、気分を悪くさせたり不愉快な思いをさせたり、そんな冗談は言わないよ。
冗談だからって、全部が全部、許されるわけじゃない。
……然ういう冗談は、嫌い?
うん、嫌いだ。
……。
ごめんね、嫌だったかな。
ううん、嫌じゃないわ。
寧ろ、子供みたいに笑うまこちゃんは可愛いなって。
か、可愛い?
いたずらっこと言うのかしら。
いたずらっこ……言われてみれば、然うかも。
……みんなの前では、しない。
え。
然ういう顔は……私の前でしか、しないの。
……。
自惚れ、かしら……自惚れ、よね。
……いや。
ごめんなさい。
謝らないで、自惚れではないから。
まこちゃん……。
亜美ちゃんの言う通り……あたしが然ういう顔を見せるのは、亜美ちゃんにだけだ。
ん……。
……亜美ちゃんとふたりで居ると、どうしても気が緩んでしまう。
みんなと居る時は……。
……力は入っていない、だけど。
……。
参ったな……亜美ちゃんの目には、なんでも見えちゃうんだ。
……私は、まこちゃんには敵わないと思ってる。
あたしに……亜美ちゃんが?
……まこちゃんの瞳の前では、私は裸も同然なの。
は、裸……。
……私としては、隠しているつもりなのに。
あ、あぁ……然ういうことか。
……どういうことだと思ったの?
うん、まぁ……ちょっとした、下心のようなことを。
……。
は、はは……。
……私も、気が緩んでいると思う。
……。
……みんなと居る時よりも、まこちゃんとふたりで居る時の方が。
自惚れだったら、ごめんよ。
……言ってみて。
緩んでいると思う。
……。
みんなと居る時は、柔らかい……あたしとふたりで居る時は、柔らかいのに加えて、ふんわりと緩んでいる。
……ふんわり?
然う、ふんわり。
……。
その顔を初めて見た時……文字通り、心を奪われたんだ。
……然う、なの。
あれ、若しかして照れてる?
……と言うより、恥ずかしい。
ふふ、そっか。
……。
……お勉強をする時は、水野先生になるけどね。
水野先生って……。
優しくて、厳しい。
……だって、お勉強の時間だもの。
はは、然うだよね。
……。
それで、他のスパゲッティのことなんだけど。
……教えて呉れる?
勿論、喜んで。
……企業秘密じゃない?
大人になっても、亜美ちゃんにだけは秘密にしない。
……。
ミートソース、ナポリタン、ペペロンチーノに、たらこスパゲッティ。
……うん。
それじゃ、つまらない。
……え?
違うな、それだけではつまらない、かな。
……。
知らないことを、知りたいんだろう?
……うん、知りたい。
うん、亜美ちゃんだ。
……図々しい、かしら。
大好きだよ。
……あ。
知りたがりな、亜美ちゃんも。
……。
知って欲しいと、思うんだ。
……嫌いにならない?
まさか、もっと好きになるよ。
……ん。
ということで……最近作って美味しかったのは、海老と長葱の醤油クリームかな。
……醤油クリーム?
然う、変わってるだろ?
……聞いたことないわ。
クリーム系だと……然う、カルボナーラが有名か。
あれには、チーズが入るけど。
……お醤油で味付けするの?
然う、白だしにも合うだろ?
……。
はっとした顔……ふふ、可愛いなぁ。
……まこちゃんって、天才?
や、そんな大層なものじゃないよ。
……作り方、教えて。
作ってみたいかい?
……まこちゃんが喜ぶ顔が、見たいの。
あたしの……?
……きっと、喜んで呉れるでしょう?
うん……きっと、喜ぶよ。
……作りたいわ、まこちゃん。
じゃあ、今度ね……。
ね……他には?
ん、然うだな……色々、あるけど。
教えて。
……海老とクリーム繋がりで、海老のレモンクリームなんてのもあるよ。
レモン、クリーム……。
濃くなりがちなクリームを、レモンの酸味がさっぱりとした風味に変えて呉れる。
特にね、湿度が高くて暑い日に食べるととても美味しい。
それも、
勿論、教えるよ。
……ふふ。
楽しいかい?
ええ、楽しいわ。
……。
まこちゃんのおかげで……楽しいことが、増えていくの。
……あたしも、増えていく。
まこちゃんも……?
数学の問題が解けた時、とか。
……。
亜美ちゃんと居れば……あたしはずっと、楽しい。
……まこちゃん。
亜美ちゃんも同じだったら……嬉しいな。
……私も、同じ。
……。
同じよ……まこちゃん。
ありがと……とっても、嬉しい。
……。
……ね、亜美ちゃん。
なぁに……。
作って呉れたスパゲッティ……とても、美味しいよ。
……。
伝わった……?
……うん、伝わってる。
26日
……、た。
ん……。
……おなか、すいた。
……。
なにか、たべたい……。
……お早う、ジュピター。
おはよう……マーキュリー。
……目覚めの気分は、どう?
うん……おなかが、すいてる。
……それは、なかなか良い目覚めね。
はは……そうだねぇ。
……あとで、ちゃんと診るわよ。
胃は、元気だと思うな……。
……胃は、ね。
今回は、どれくらい眠ってた……?
……一週間。
一週間か……そこまででは、ないな。
……ええ、然うね。
頭がぼんやりしているわけでもないし……あたしには、此れくらいで丁度良いかも知れない。
私もどちらかと言うと、長くない方が良いわ。
頭、鈍ってしまうもんね。
ええ、然うよ。
マーキュリーは、いつ……?
……昨日に。
そっか……へへ、一日違いだ。
……何が、食べたい?
ん……然うだなぁ。
と言っても、軽いものになってしまうけれど。
うん……分かっているよ。
……動けそう?
動けるよ……ちょっと、躰が重たいけど。
……無理はしないで。
なに、こんなのはいつものことだし、なんてことはないさ……直ぐに、元に戻るよ。
直ぐに……ね。
その為には、ごはんを食べないと。
栄養は足りているわよ、点滴で。
然うだけど、やっぱり食は大事だから。
胃が弱ったままだと、調子が出ないんだ。
……ほんの少し前に、元気だと。
あたしは然う思っているんだけど、やっぱり、食べてみないとさ。
分かって呉れるだろう?
……まぁ、分からないわけではないわ。
それで……。
……あるのは、小麦の麺。
えと、お米は……。
……残念ながら。
然うか……お米も、作る人が大分減ってしまったからな。
好き好んで、きつい労働をしたがるひとは居ない……技術も、あれからろくに進歩しなかったし。
……広めようとはしたのよ。
知ってるよ……マーキュリーは色んな政策を考えて、技術に関しても誰よりも頑張ってた。
……認められていれば、少しは食い止められたかも知れない。
怠惰ばかりが、広まってしまった……今では、好きなことばかり。
……結局、昔と同じ。
……。
……食糧庫には幾らかだけれど、未だ残ってはいるわ。
食糧庫、か……あたし達が手をつけても?
……。
然うだよな……今となってはあたし達でさえ、なかなか手に入らないんだ。
然うなるとやっぱり、自分で作りたいな……せめて、あたし達二人分だけでも。
……難しいわね。
マーキュリーの技術で、手伝って呉れないかな。
然うすれば、なんとか出来るような気がするんだ……然う、昔みたいに。
……まぁ、出来なくはないわ。
本当かい……?
……難しいことには変わりないけど。
良いさ……兎に角、やってみたいんだ。
然うすれば……眠らなくても良くなるかも知れない。
……分かった、考えておくわ。
うん……お願いします。
……それで、どうしましょうか。
小麦の麺って、なんだい……うどんなら、良いな。
……それも、残念ながら。
え、と……。
……少しだけ柔らかめに茹でれば、一応、消化には良いわよ。
食べられないことは、ないよ……でも。
……まぁ、然うよね。
他に、残っているのは……。
……残っているもので消化に良いものは、キャベツと大根、あとはレモン。
となると……キャベツにレモンを添えるか、それとも大根おろしを添えるか。
マーキュリーは、どちらが良い?
私も、どちらでも良いわ。
あなたに合わせる。
んー……然うしたら、大根おろしかな。
レモンも、捨て難いけど……うん、やっぱり酸っぱくない大根おろしが良い。
……分かったわ。
ありがとう、マーキュリー。
……この間はあなたが、少ないお米でリゾットを作って呉れた。
……。
……詰まりは、お互い様。
然うだけど……ありがとう。
……どういたしまして。
ずっと、然うして生きてきたんだ……此れからも、然うしたい。
……然うね、私も然う願うわ。
うん……。
……ねぇ、ジュピター。
うん……?
改めて言うけれど……蓄えておいたものは、まんまと食べられてしまったわ。
あぁ……ま、然うなるかも知れないとは思っていたよ。
だからと言って、女王の食糧庫を漁りに行こうとは思わないけど。
……あなたの名前を、折角書いておいたのにね。
今度は、マーキュリーの名前にしてみようか。
大して変わらないわ……私達はふたりで一組とされているのだから。
……あたしよりかは、効くかも知れないよ。
さぁ、どうかしらね……今となっては、私なんて居ても居なくても一緒だから。
そんなことを言ってはだめだ。
……シンギュラリティ。
……。
疾うの昔に、私以上になってしまった……。
……それでも、マーキュリーが必要だ。
ジュピター……。
……何かあった時、止められるのはマーキュリーだけなんだから。
私以上の存在を、私に止められるとでも……?
マーキュリーが対応出来ないのなら、他の者はもっと出来ない。
然うだな……せいぜい、指を咥えて眺めていることぐらいしか。
それだと、物欲しそうに見えてしまうわよ。
あ、然うか……なら、ぶっ壊す努力かな。
その方が、あなたらしい。
ふふ……なら、然うしよう。
……若しもその時が来たら、私を助けて。
あぁ、勿論だ……全力で、マーキュリーを助けるよ。
……はぁ。
疲れたかい……?
……矢張り、同じ時期にスリープするべきではないと思って。
でも、ひとりで起きているのも、なかなか辛いんだ。
……ひとりでは、ないわ。
ひとりでは、ないけど……ひとりだよ。
……。
会えない日が続いても起きてさえいれば、少しだけでも会って言葉を交わすことが出来る。
他愛無い挨拶、メモを書き残すことだって……でも寝ていると、眺めることしか出来ない。
……話し掛けることも、出来るわ。
返事は、出来ないけどね……。
……。
……なんだかな。
もう少し前までなら、ここまでではなかった。
……やっぱりさ、あたし達には長いよ。
とてつもなく……?
然う……とてつもなく。
……。
初めから、然うやって造られていれば違うんだろうけど……。
……昔の私達は、当たり前のように受け止めていた。
とは言え、そこまでは長く生きられなかったけどね……。
……。
今は……あの頃よりも、長く生きている。
詰まり、今のあたし達は……未知の世界を生きているんだ。
……少しずつ、精神が崩れていく。
……。
最も、早かったのは。
仕方ない、当時はあたし達よりも若かったんだ。
……力を持っているのに、然うなのね。
力そのものには、意思がない。
……。
でも……宿主には、意思がある。
……それでも、昔とは違うと思っていたわ。
まぁ、ね……。
……はぁ。
起きたばかりで、体力が戻っていないのだろう?
あまり、無理しないでね。
……目覚めたばかりのあなたよりは、ましだけれど。
元に戻るの、あたしの方が早いかも知れないよ。
……けれど、今は私の方がまし。
ん……マーキュリー。
……横になってる?
いや、起きて身支度をしたい。
……着替えるの?
駄目かな。
いいえ、良いわ……あなたが然うしたいのなら。
うん……なら、着替える。
……無理は、くれぐれもしないで。
あぁ、マーキュリーも。
……さて。
マーキュリーズキッチンの時間だ。
……何よ、それ。
ふふ、良いだろう?
そのままじゃない。
そのままだから、良いんだって。
あぁ、然う。
と言いつつ、マーキュリーズクッキングも考えた。
……キッチンで。
はは、だろう?
……どっちもどっちだけれど、強いて言えばキッチンの方が語呂が良いような気がする。
あたしの場合は、ジュピターズキッチンかな。
……。
クッキングって、なんとなくお料理教室のような響きみたいで。
……あとは、調理実習とか?
そうそう、調理実習。
……家庭科、だったわね。
いやぁ、懐かしいなぁ。
あたしが最も得意だった教科だ。
久々に言ったわ。
あたしも、久しぶりに聞いた。
……じゃ、作るから。
お湯は……?
一応、沸かしてはある。
そっか……なら、直ぐに茹で始められるね。
あなたの着替えが終わるのと、どちらが早いかしらね。
そりゃあ勿論、あたしさ。
さて、それはどうかしら。
……ありがとう、マーキュリー。
何が?
着替え、用意しておいて呉れて。
いつ起きても良いように、置いておいただけよ。
それを用意と言うんだろう?
然うとも言う。
もう、マーキュリーは。
なに?
好きだなぁ。
はいはい、ありがと。
と言うわけで、着替えます。
どうぞ。
ついでに、洗えるようだったら顔を。
手と一緒にね。
ん。
……。
はぁ……。
……大丈夫かい、マーキュリー。
ええ……私なら、大丈夫よ。
……。
それよりも……ね、良いでしょう?
……えと。
あなたと揃えてみたのよ。
あぁ……良いね、とてもラフな格好だ。
楽で良いわ。
うん、分かる。
……。
マーキュリー。
……起きないかと、思った。
……。
そんなわけ、ないのに。
……あたし達が未だ、学生と呼ばれていた頃。
……。
マーキュリーもあたしも寝坊なんて、あまりしなかったけど……それでもたまに、することがあった。
……人間だもの、然ういうこともあるわ。
嬉しかったんだ。
……嬉しい?
目が覚めたら、マーキュリー……いや、亜美ちゃんが部屋に居て呉れたこと。
……。
寝坊しているのにね……。
……あの部屋の鍵はもう、何処かに行ってしまった。
それは、仕方ないさ……。
……とても大切にしていたのよ。
あぁ……知ってる。
新しい部屋に……ふたりで住む部屋に引っ越すまで、大切に持っていようと。
……今のでは、代わりにはならない?
然ういうことではないの。
……。
……ただの、感傷。
あたしも、無くしてしまった。
いつ無くしたのかは、分からない。
……。
どうして、無くしてしまったんだろう……大切にしていたのに。
……まこちゃん。
……。
……なんでもない。
亜美ちゃん。
……。
……しんどいよ。
まこちゃん……うん。
……。
……今はごはんを食べましょう、ジュピター。
うん……然うだね、マーキュリー。
ごはんを、食べれば……。
……心が、少しは元気になる筈だから。
25日
……う。
……。
はぁ……。
……。
……あさ、かぁ。
……?
んー……なんだか、夢を見ていたような。
なにか、おいしいものを食べている……。
まこちゃん?
……うん?
おはよう、まこちゃん。
……亜美ちゃん?
ごめんなさい、驚いたわよね。
いや、驚いてはいないけど……昨日は、お泊まりではなかったよなって。
インターホンを鳴らしたんだけれど、反応がなかったから、何かあったのかと思って……それで、勝手に入ってしまったの。
あぁ……別に構わないよ、亜美ちゃんなら。
……まこちゃんが約束の時間を忘れているとは、どうしても思えなくて。
ごめんよ、心配させちゃったね。
ううん、なんでもなくて良かった。
約束の時間、過ぎているんだよね。
ごめん、直ぐに支度をするから。
ううん、急がないで。
ゆっくりで良いわ。
だけど。
良いの、まこちゃんが無事だったから。
……。
大袈裟、かしら。
ううん……ありがとう、亜美ちゃん。
……私、向こうに行っているわね。
いや、此処に居て。
……でも。
居て欲しいんだ。
……なるべく、見ないようにするわ。
見ても良いのに。
もう、大丈夫だろう?
だめよ。
あ、はい。
……まだ、お昼なのに。
お昼でも……ん、お昼?
……時計、見ていない?
う、うん、見てない。
今、何時?
……12時を過ぎたところ。
12時だって……うそ、だろ。
……はい、時計。
あ、ありがと……えぇ。
まこちゃん、疲れているのかなって。
いや、でも、約束の時間は10時だったよね?
うん……10時。
あぁ、ごめんよ亜美ちゃん、寝坊ってレベルじゃないよね。
やっぱり、直ぐに支度をするよ。お昼から出掛けるって約束をしていたのに。
ううん、良いの。
や、でも、映画の時間が……今なら、未だ。
ごはんを食べなければ、きっと間に合うわ。
だろ?
まこちゃんは、どうしても観たい?
……え?
映画……観たい?
そりゃ……亜美ちゃんと観るの、楽しみにしていたし。
然う……然うよね。
若しかして、亜美ちゃんは楽しみじゃなかった?
ううん……楽しみにしていたわ。
だけど……。
だ、だけど?
……今日でなくても、良いかなって。
……。
あ、あの、誤解しないでね。
行きたくないわけではないの、本当よ。
う、うん。
映画、まこちゃんが楽しみにしていたのも知っているの。
……でも、今日でなくても良い?
まこちゃんがこんな時間まで寝坊するなんて初めてだから……だったら、今日はゆっくり過ごした方が良いんじゃないかって。
……。
あ、あの、映画は私達が観ようとしている回の後にはないの?
若しもあるのなら、その回に……。
あるにはあるんだけど……レイトショーなんだ。
あ……。
あまり遅くなるのも……あたしは、良いんだけど。
……。
あんまり遅い時間にうろついていると補導されてしまうかも知れないし……何より、今日は遅くならない方が良いだろう?
……今日は、母が帰ってくるから。
うん……然うだよね。
……。
今日は、止めておこうか。
また次の機会に……いざとなったら、レンタルを待つのも良いし。
……映画館で観るから、映画は良いと。
まぁ、然うなんだけど……。
……早く行かないと、終わってしまう。
亜美ちゃん……そんなに考えなくても良いよ。
元はと言えば、あたしがすごく寝坊してしまったのが悪いんだから。
ごめんなさい、まこちゃん。
え、何が。
支度、急いでもらっても良いかしら。
今から15分後くらいに部屋を出れば、間に合う筈だから。
ねぇ、亜美ちゃん。
食事は……映画の後に。
映画は、また今度でも良いかい?
……。
仮令映画に間に合ったとしても、お腹が空いて集中出来ないかも知れない、いやきっと出来ない。
そんなの、勿体ないと思うんだ。
……。
良いかな、亜美ちゃん。
……私は、良いけれど。
なら、今度にしよう。
……本当に良いの?
うん、良いんだ。
……楽しみにしていたのよね。
うん、すごくね。
……なら。
だけど、ゆっくりしたい気持ちになった。
……ゆっくり?
うん……だめかな。
ううん……だめではないわ。
外に出掛けるにしても、ごはんを食べてからにしたいな。
……うん、その方が良いと思う。
外で食べても、良いんだけどね。
なんとなく、作ったのが食べたくて。
ん、分かるわ。
然ういう時も、あるわよね。
うん……然うなんだ。
……。
しかし、良く寝ちゃったな……まさか、お昼を過ぎてるなんて。
とても良く眠っていたわ。
亜美ちゃんが入ってきたのにも気付かないなんてさ……亜美ちゃん、余程静かに入ってきたんだね。
然うなのかしら……でも、然うかも。
声は掛けて呉れたんだろう?
うん、一応。
でも、やっぱり返事がなかったから。
どんだけだ、あたし。
いつもだったら、絶対に気付くのに。
ね……ゆうべは、遅かったの?
ううん、10時頃には寝たんだ。
今日のデートが楽しみだったのと、亜美ちゃんに早く会いたかったから。
……早く?
眠っちゃえば、直ぐに時間が経つだろう?
あぁ……確かに然うね。
あ、寝る前にちゃんとお勉強はしたよ。
何をしたの?
ゆうべは、古文。
動詞の活用をね。
ふふ、然う。
ねぇ、亜美ちゃん。
なぁに、まこちゃん。
今日は何時に来て呉れたの?
ん……10時に。
本当はもう少し早く来たんだろ?
……どうして?
亜美ちゃんはいつも時間前行動だからさ。
……。
それで早く着いてしまって、部屋の前に居ても不審者だし、そこら辺を歩いていたとか。
……楽しみにしていたの。
……。
早めに家を出たとしても、ゆっくり歩けば大丈夫だと思っていたの……でも結局、10分くらい早く着いてしまって。
そんな時は遠慮なく、鳴らして呉れても良いからね。
だけどやっぱり、迷惑だと思うの……約束の時間よりも、早く来るなんて。
迷惑ではないよ。
……ん。
迷惑ではないから。
……う、ん。
あたしさ……とても楽しいと思っていたんだ。
……楽しい?
みんなと待ち合わせをすると大抵、亜美ちゃんとあたしが早く来るだろう?
その次に、レイちゃんが来て。
……うさぎちゃんと美奈子ちゃんはぎりぎりか、過ぎているのよね。
そうそう、あのふたりはいつも然うだ。
……楽しいって?
レイちゃんが来るまで、ふたりだけで話すこと。
……。
勿論、三人で話すのも楽しいけど。
……私も、楽しかった。
だからさ、時間よりも早く来て呉れるのはあたしとしては嬉しい。
約束の時間よりも早く、亜美ちゃんに会うことが出来るから。
……なら、早い時間に。
それだと、ちょっと違うんだよ。
……違うの?
うん、違う。
約束の時間よりも早いというところが良いんだ。
……然ういうもの?
亜美ちゃん、実は分かっているんじゃない?
……。
約束の時間よりも早く会えたらさ、なんとなく得した気分になると言うかさ。
……得。
ん、違うかな。
……ふふ、まこちゃんったら。
あ、やっぱり。
なんだか、スーパーのセールみたいね。
セール?
得だなんて。
あぁ、確かに。
ふふ、ふふ。
……ね、亜美ちゃん。
なに……。
良いからね……約束の時間よりも、早く来ても。
……。
……本当に。
なるべく。
……なるべく?
まこちゃんのお部屋に来る時は、時間通りに来ようと思う。
あ、然うなっちゃう……?
……でも、若しも。
その時は、鳴らして……ね。
……控え目に、鳴らすわ。
控え目に……?
……あまり、うるさくないように。
はは、それじゃあインターホンの意味がないんじゃないかな。
……鳴らし過ぎないように。
反応がなかったら、何度か鳴らしてね?
……。
それでも反応がなかったら、合鍵を使って……今日みたいに、入ってきて。
……良いの?
あぁ、良いよ。
……。
良いと言っておけばこの先、同じようなことがあったとしても、迷わなくても良いだろう?
あと、気兼ねしなくても済むし、謝らなくても良い。
まこちゃん……。
あたしとしてはさ、使って欲しいんだよ。
……。
……ね?
ん……まこちゃん。
……うん。
……。
……それにしても。
うん……?
起こして呉れても、良かったんだけどな。
折角、良く眠っているんだもの……起こせないわ。
なんだったら、一緒に寝て呉れても。
……。
なんて。
……もぅ、まこちゃんは直ぐに然ういうことを言うんだから。
はは。
ねぇ。
なんだい?
お腹、空いているわよね。
お腹?
もう、お昼だから。
うん、空いている。
朝ごはん、食べてないし。
若しかしたら、半日くらい何も食べていない?
うん、昨日の夕ごはんは7時頃だったから。
……。
亜美ちゃんも、食べるだろう?
あたしは朝昼兼用、亜美ちゃんはお昼ごはん。
ねぇ、まこちゃん。
ん、なに?
私が作っても良い?
亜美ちゃんが?
食べたくない?
いや、食べたいよ。
本当に作って呉れるの?
うん、作りたいの。
いつもまこちゃんに作ってもらってばかりだから。
あたしは作るのが好きだし、食べてもらうのも好きだから、全然構わないんだけど。
……何が、食べたい?
ん、然うだな……どうしようかな。
……と言っても、作れるものしか作れないけど。
……。
ん、なに……?
はは、亜美ちゃんは面白いなぁ。
え、どうして?
作れるものしか、作れない。
確かに然うなんだけど、亜美ちゃんなら作ったことがないものでも作れそうで。
……。
亜美ちゃんは今朝、何を食べたんだい?
私は……トーストとサラダ、あとヨーグルト。
トーストとサラダとヨーグルト、か……なら、お昼はしっかり食べたいよね。
まこちゃんに合わせるわ。
まこちゃんは朝食も兼ねているのだし、あまり重たくないものの方が
スパゲッティ。
……スバ、ゲッティ?
そんな、片言みたいに言わなくても。
スパゲッティが食べたいの?
うん、食べたい。
亜美ちゃんが作ったやつ。
……。
どうだろう?
私は、良いけれど……。
なら、決まりだ。
……。
どうだい、作れそうかい?
……作れるわ。
ふふ、楽しみだな。
あの。
なに?
あまり、楽しみにしないでね。
それは、無理かな。
……。
ね、ソースから作ってみない?
……ソースから?
生憎、うちには市販のソースは置いてないんだ。
……然うなの?
自分でささっと作るからさ。
……ミートソース。
も、作るよ。
……ペペロンチーノも?
うん、作れる。
……ナポリタン。
自信あるよ。
……他には。
あとは、たらこスパゲッティかな。
たらこスパゲッティ……。
食べたこと、ある?
ううん、ないわ。
美味しいよ、今度作ってあげるね。
……私は、何を作れば。
なんでも良いけれど……。
……出来れば、教えて欲しい。
ん、そっか……急に言われても、困るよね。
……。
然うだなぁ……ツナとトマトは、どうかな。
……ツナとトマト?
ペペロンチーノみたいな、オイルベースのね。
……。
トマトは、ミニトマトを。
ツナは、ツナ缶。
……スパゲッティを茹でて、和えれば良いのかしら。
ん、まぁ然うだね。
出来ればフライパンを使って。
フライパン?
茹でたスパゲッティをフライパンに入れて、ツナやトマトと一緒に煮るんだ。
……味付けは。
ふふ、驚くかな。
……え、と。
白だし。
……白だし?
そ、スパゲッティに白だし。
驚いた?
……オリーブオイルではないの?
それも、入れる。
……。
白だしってね、便利なんだよ。
昆布やかつお節、薄口醤油にみりん、それから砂糖とか、それが一本に詰まっているから。
スパゲッティって、イタリアンよね?
和風の味付けでも、合うの?
それがねぇ、合うんだよ。
……考えたこと、なかったわ。
ほら、日本人だからさ?
……然ういうもの?
と、あたしは勝手に思ってる。
……。
どうだろ、興味出てきた?
ん……出てきた。
ふふ、そうこなくっちゃ。
ね、分量を教えてもらっても良いかしら?
お、良いねぇ。
え?
まるで、実験前の水野さんだ。
もぅ……揶揄わないで。
あはは。
……教えて呉れる?
ん、勿論。
……メモに。
傍で、教えるよ。
……。
ね、良いだろう?
良いけど……支度は。
スパゲッティを茹でている間に。
まずはお湯を沸かすところから、だからさ。
……着替えるだけの時間がある?
然ういうこと。
というわけで、お湯を沸かしてもらってもいいかな。
うん、分かった。
沸騰したらスパゲッティを入れて、6分間。
その際、入れるお塩は……。
……。
……亜美ちゃん?
なんでもないわ、ごめんなさい。
あ、うん。
お塩は確か、お湯1Lに対して10g程度だったわよね。
うん、当たり。
スパゲッティ100gに対して、必要なお湯は1Lだから……。
……とりあえず、さっさと着替えちゃおうかな。
まこちゃん。
ん?
その……頑張るわ。
……。
……美味しく、作れるように。
大丈夫さ。
……。
だから、力を抜いて。
ね。
……うん、まこちゃん。
24日
-Mercury's Kitchen(現世1)
ふぃぃ……ただいまぁ……。
……。
なんて、未だ帰ってないよなぁ……今日もいつになるか分からないって、書いてあったし。
そもそも、時間が合ってないし……そのせいでずっと、擦れ違ってばかりだし。
……。
いい加減、マーキュリーのお帰りなさいが聞きたい……ただいまでも、良い。
おやすみも言いたい……言われたい……なんでも良いから、他愛無い挨拶を交わしたい……手書きのメモだけじゃ、もう足らない。
……。
ごはん、どうしようかなぁ……お腹は空いてるんだけど、いまいち作る気力がないんだよなぁ。
でも、食べないのは良くないし……何か、簡単なものを……成る可く、手が掛からないもの。
……。
こんなことなら、何か買ってくれば……でも、どれも食べたいと思わなくて……あたし、胃も疲れているのかなぁ。
食べるなら、自分で作ったの……それか、マーキュリーが作って呉れたのが食べたい……手料理が、食べたい。
然う、それなら丁度良かったわ。
……うん、丁度良い。
お帰りなさい、ジュピター。
……。
なぁに、狐に抓まれたような顔をしているけれど。
若しかして、化かされているとでも思っている?
……マーキュリー?
ええ、一応ね。
あぁ、マーキュ
パスタ。
は……。
食べる?
な、何を……?
だから、パスタ。
食べないのなら、作らないけど。
た……食べる、食べたい。
胃が疲れていると、言っているようだったけれど。
うん、だから手料理が食べたい。
出来合いのものは……いまいちで。
質がまた、落ちたものね。
病気にはならないからって、なぁ。
あんなのばっかりになるのは、やだなぁ。
今でも、美味しいお店は残っているから。
でも、そこまで行く気力がないんだ。
まぁ、然うでしょうね。
はぁ。
海老と長葱、ツナとトマト、どちらが良い?
えと……海老が、食べたい。
予定としては、前者が醤油クリーム、後者がオイルソース。
、 んー……醤油が良いから、やっぱり海老。
然う、分かったわ。
ね、本当にマーキュリー?
実はどっかの莫迦が変装しているってことはない?
その方が、良いのかしら?
良いわけないよ。
なら、マーキュリーだと思っておけば良いわ。
その方が、平穏でしょうし。
……確かめる為に、触っても。
私がマーキュリーではなかった場合、他の誰か、例えばどっかの莫迦に触ることになるけれど、それでも良いのなら。
……。
どうする?
……うん、その話し方は間違いなくマーキュリーだ。
ふふん。
あー、やっぱり違うかも。
どちらにせよ、食事はするのでしょう?
ねぇ、ジュピター。
うーん……。
……。
……お。
私のことが、信じられないの?
……。
ん……。
……間違いない、君はマーキュリーだ。
どうして……?
……あたしは、鼻が利くんだ。
……。
マーキュリーの匂いを、あたしが間違えるわけないだろう?
……相変わらず、犬みたいね。
大人しくて従順な大型犬……可愛いだろう?
……ええ、可愛いわ。
わん……。
……然ういうわけだから、離れて頂戴。
どういうわけ……?
……食事を取らないのなら、仕事に戻るわ。
仕事……?
……抜け出してきたの。
え、然うなの?
ええ、然うよ。
誰かさんの為にね。
……あたし?
他に居るの?
いや、でも……えぇ?
また、信じられなくなった?
や……。
鼻が利くのではなかったの?
……あたしの為に、抜け出してきて呉れたの?
少し時間が取れただけ、よ。
それで、わざわざ……。
此処の所、擦れ違ってばかりだったでしょう?
うん……ずっと。
食事も、一緒に取れないし。
全然、取れない。
お昼すら、合わなくて。
他愛無い挨拶すら交わせない。
苦し紛れに、手書きのメモを残したりもしたけど。
それだけでは、そろそろ限界。
……すごく、限界。
然う思って、抜け出してきたの。
良かったわ、丁度帰ってきて呉れて。
マーキュリはいつ、帰って……。
帰ってきたわけではないの、また戻らないといけないから。
……いつ、部屋に?
あなたが帰ってくる、少し前。
……若しも、あたしが帰ってきてなかったら。
擦れ違いね、また。
……あぁぁ。
何。
良かったぁぁ……マーキュリーが居る時に、帰ってきてぇ。
こんなことをしている間にも、時間は流れているのよね。
決して、止まっては呉れない。
……あ。
作るから、あなたは着替えて。
あたしも、
いいえ。
でも、戻らなければいけないんだろう?
あたしはもう、寝るだけだし……であるならば、あたしが作るよ。
私の厚意を無下にしたいのなら。
……。
作って。
……大人しく、着替える。
然う?
お茶は、あたしが淹れる。
それなら、良いだろう?
ええ、お願いするわ。
あなたが淹れて呉れたお茶が飲みたいと思っていたところだから。
美味しいお茶を、マーキュリーに。
はいはい、ありがとう。
期待しているわ。
あたしも、期待してる。
しないで。
マーキュリーのパスタ。
昔から、美味しいんだ。
あなたが作って呉れたのを、そのまま作っているだけよ。
マーキュリーが作って呉れるだけで、美味しさが増すんだ。
昔から、単純で良いわね。
へへ。
あまり、時間は取れないの。
……あと、どれくらい。
30分。
……分かった。
お湯はもう、沸かしてあるから……あと、10分くらいで。
……一緒にお風呂、入りたかったな。
また今度、時間が取れたらね。
うん……え?
なんて、他愛無いやり取りをしたいのは、やまやまなのだけれど。
あ、うん、分かった。
なんだったら、シャワーを浴びてきても良いわよ。
いや、シャワーは食べてからにするよ。
今はマーキュリーと、一秒でも長く一緒に居たい。
然う。
汚いかな。
それを言うのなら、私も然うだから。
マーキュリーは……。
……。
……取り敢えず、着替える。
ええ、然うして。
話しながらでも、良い?
あなたが然うしたいのなら、然うすれば良いわ。
海老、嬉しい。
疲れに良いのよ。
それもあるけど、美味しい。
あと、醤油と聞いて更にお腹が空いてきた。
日本人よね、やっぱり。
然うなんだ、食べないでいると恋しくなっちゃうんだ。
私は、然うでもないけれど。
と言いながら、味噌が恋しくなったりするよね。
あなたが作った、浅蜊か蜆のお味噌汁が食べたいわ。
今度、作るよ。
おにぎりとお味噌汁、それからお漬物が食べたい。
なんだ、マーキュリーも分かりやすく日本人じゃないか。
その味を覚えさせたのは、だぁれ?
あたしかな。
子供の頃は、然うではなかったの。
サンドイッチばかり、食べていて。
今でも食べるし、好きだよね。
ええ、好きよ。
だって、手軽なんだもの。
ふふ、おにぎりの具は何が良い?
塩だけでも良いけれど。
考えておいて。
お漬物は柚子風味の白菜が良いわ。
分かった、任せて。
洗濯物は、
あったら、洗っておくよ。
ありがとう、助かるわ。
ん。
……。
塩、入れないんだよね。
ええ、入れないわ。
どうせ後で味付けするんだもの。
それでも、ちゃんと美味しい。
そもそも、本場のパスタを作っているわけではないから。
アルデンテとか、どうでも良い?
面倒じゃない、然ういうことを考えるのは。
アルデンテじゃなくても、十分美味しいしね。
生茹で、或いは茹で過ぎなければ、それで良い。
あたしとしては本場のパスタよりも、マーキュリーが作って呉れるものの方が美味しくて好きだ。
手抜きだけれど。
手抜きでも、美味しければ問題なし。
着替えたの?
うん、着替え終わった。
ラフな格好ねぇ。
良いだろう、家に帰って来たんだから。
羨ましいわ。
ん、ごめん。
そんなあなたを見たいという気持ちもあったのよね。
ラフなあたし?
たまにはラフにならないと、疲れちゃうもの。
はは、それは確かに。
……やっぱり、良いわね。
今から少し黙るけど、良いかい?
顔を洗うのでしょう、良いわ。
ん、ありがと。
お礼なんて、要らない。
……。
……。
……ふぅ、さっぱりするぅ。
顔を洗うだけでも違うわよね。
全然、違うよね……。
……。
……ん、さっぱりした。
それは、何より。
マーキュリーは。
洗ったわ、折角だから。
ふふ、そっかぁ。
……。
ん、なに?
疲れていたのよね。
うん、疲れてた。
顔つきが変わったわ。
マーキュリーのおかげだ。
それは良いのだけれど、食べ終わったらゆっくりと休んで。
明日に疲れを残してしまわないように。
うん、分かってるよ。
一緒には寝てあげられないけど。
いつ、帰ってくる?
早くて、明け方。
遅いと、あなたが家を出た後。
明け方なら、良いな。
然うすれば、少しだけでも一緒に眠れるから。
……思うようには、いかないわ。
休みを、合わせたい。
……。
今を乗り切れば。
次が、またやって来る。
マーキュリー、パスタを茹でた鍋はそのままで良いよ。
洗っている時間が、惜しいから。
……分かったわ。
フライパンもね。
キッチンペーパーで、
マーキュリーが出来上がったパスタをお皿に盛り付けている間に、あたしが拭く。
然う、ならばそれで。
うん。
……。
お、主役のお出ましだ。
冷蔵庫を開けたら入っていたから。
うん、買ってきて入れておいた。
むき海老だから、直ぐに使わなきゃと思ってたんだけど。
おかげで、海老のパスタを作ることが出来る。
美味しい、ね。
……。
あぁ、醤油の良い匂いだぁ。
胃が刺激されて、早く食べたい。
もう、出来るわ。
良し、そろそろお茶を淹れようか。
お願い。
うん。
あと、それも。
ん、どれ?
それ。
此れ、卵スープ?
作っておけば、食べられると思って。
うわぁ、嬉しいなぁ。
よそって貰っても?
勿論、良いよ。
ん。
パスタにスープなんて……今夜は、ご馳走だ。
手抜き、だけれどね。
立派なご馳走だよ。
……。
あぁ、パスタも美味しそうだ。
美味しければ、良いけれど。
絶対美味しいって。
……ふ。
ん、なに?
単純。
わん!
ふふ。
はは。
お茶は何を淹れて呉れるの?
煎茶の予定。
煎茶?
醤油だからなんだけど、紅茶の方が良い?
いいえ、煎茶が良いわ。
なら、煎茶で。
……。
盛り付け、いつ見ても手際が良いなぁ。
あなたのおかげでね。
茹でる時に塩を入れないのは、マーキュリーから教わった。
市販のソースを使う時。
パスタを茹でるのに、塩を入れろとは書いてない。
そもそも、味が濃いでしょう?
市販のものって。
然うなんだよね。
塩分過多になってしまうから。
然う考えるところが、亜美ちゃんらしい。
……。
お、と……マーキュリーらしい。
良いわ、本来の名前で。
……でも。
あなたと部屋に居るのだから。
……良いのかい。
ええ……今は。
なら……亜美ちゃんも。
……。
あたしの、本来の名前で。
……分かったわ、まこちゃん。
ふふ……うん。
……さぁ、出来た。
盛り付けも、完璧だ。
然うでもないわ。
然うでもあるよ。
塩以外は、まこちゃんに教わったことよ。
……。
然う……私が作る、料理は。
……うん。
まこちゃん?
……ううん、なんだか胸に来た。
胸に?
……ん。
……。
フライパン、拭くよ。
ううん……お茶を淹れて呉れているから。
……。
……こうして並ぶのも、久しぶりね。
うん……久しぶりだ。
……。
……休み、欲しいね。
然うね……欲しいわ。
……ん、お茶が入ったよ。
こちらも、終わったわ。
あとは、置いておいて。
……ん、お願い。
それじゃあ、一緒に……。
……ごはんを、食べましょうか。
23日
……ふぅ。
まことさん。
……ん。
ぼんやりと、しているようですが……大丈夫ですか。
あぁ……いつの間にか、ぼんやりしていたみたいだ。
……少々、お疲れのようですね。
うん……なんだか、いつもよりも疲れてしまった。
……お茶は、どうしましょうか。
しまった、未だ残っていたか……。
……淹れ直しましょうか。
いや、飲むよ……冷めて、飲みやすいだろうしね。
……お代わりが居るようでしたら、言って下さいね。
うん……ありがとう。
……。
ねぇ、亜美さん。
……はい。
亜美さんも疲れているように見えるよ。
……。
患者さん、いつもよりも多かったのかい?
傷の処置も、あったようだし。
……いえ、今日は少なかったです。
然うか……少ないのは、良いことだ。
……はい。
……。
それなのに……いつもよりも、疲れてしまって。
……往診にも、行ったんだろう?
はい……一件だけですが。
それでも、疲れる時は疲れるさ……。
……。
それに、足りない分のお薬を煎じたりもしていたからね。
……然うですね。
……。
……はぁ。
亜美さん……。
溜息なんて……いけませんね。
疲れている時は、吐いてしまうものだよ……あたしだって、然うだ。
……。
ねぇ……亜美さん。
……はい、まことさん。
学姐のことかい……?
……それと、うさぎちゃんと美奈子ちゃんのことも。
……。
まことさんも、でしょう……?
……あぁ、あたしもだ。
こういう日は、早めに眠った方が良いと思います……。
……眠って、明日に備える。
お休みになりますか……?
ん……いや、もう少し起きていようと思う。
……お布団、敷きましょう。
亜美さんが、お休みするのならば。
……。
でも、敷いておくのは悪くない……。
……私が。
ふたつでひとつ、で良いだろう?
……。
……だめかい。
いいえ……然うしましょう。
うん……ならば。
まことさん。
ふたりで敷いた方が、早い。
然うだろう?
……。
さっさと、敷いてしまおう。
……お茶は。
……。
……あ。
ん、飲み終わった。
……もぅ、急いで飲んだら危ないですよ。
ごめん……でも、大丈夫だったから。
……然ういう問題ではありません。
はい……ごめんなさい。
……。
……。
……明日晴れたら、お布団を干そうと思います。
あぁ、良いね……。
……晴れて呉れれば、良いのですが。
明日が駄目なら、明後日がある……。
……。
……明後日が駄目なら、明々後日が。
はい……。
……一緒に暮らすのは、良いことだ。
……。
ひとりの頃と、まるで違う……。
……誰かを想い、誰かに想われる。
……。
想い合いながら、共に暮らす……とても、倖せなことだと。
……うん。
ねぇ……しあわせと言う字は、ふたつあるんですよ。
……ふたつ?
ひとつは、知っていると思います……。
……うん、亜美さんに教わった。
もうひとつは、その字にひとが付きます……。
ひと……人偏?
はい、然うです……。
……意味は、違うのかい?
……。
違いは、ないのかい……?
……ひとが付いていない幸せは、あくまでも、自分だけ。
……。
ひとが付いている、倖せは……。
……自分だけでなく、相手もしあわせ?
……。
然うか……全然、違うんだな。
……ひとと繋がることで、得られる倖せ。
亜美さんと、あたし……。
……。
此れからは、その字を使っても良いかな……。
……私も、使おうと思います。
ん……。
……。
だけど、亜美さん。
……はい、なんでしょう。
もっと早く……なんだったら、先に教えて欲しかったな。
……ごめんなさい。
謝ることでは、ないんだけど……。
……その頃は未だ、私がこんな倖せを得られるとは思っていなかったから。
……。
明日、改めて書きますね……書かなくても、今のまことさんなら分かると思うのですが。
ううん……書いて欲しい。
……。
あたしは亜美さんの字を見ながら書くよ。
だから。
……分かりました。
……。
……。
ん……此れで、良し。
……此のまま、横になって。
……。
……お話を、続けませんか。
うん……それも、良いかな。
……でしたら。
ん……。
……。
……あ、然うだ。
はい……?
……揉み解し、どうしようか。
今夜は……お互い、疲れているので。
あたしは……。
……まことさん。
うん、然うだね……然うしたら、また明日。
はい……また明日。
……。
……灯りは。
消した方が良いかも知れない……布団の中に入ったら、消すのが億劫になってしまうだろうから。
……。
そのまま、眠ってしまう可能性もあるしね……。
……ないとは、言えませんね。
亜美さん、先に布団に。
……。
あたしなら、大丈夫だから……。
……お願いします。
うん……。
……囲炉裏は、確認しました。
ん、ありがとう……。
……。
……ふっ。
……。
うん……暗い。
……大丈夫ですか。
あぁ、大丈夫だ……問題ない。
……。
よ、と……はぁ、布団は良いな。
……。
……ねぇ、亜美さん。
はい……まことさん。
……もっと、傍に。
……。
……此方に、入らなくても良いから。
だめ、ですか……。
……え?
入っては……。
……勿論、良いに決まっている。
……。
おいで……。
……ん。
……。
……。
……あったかいな。
はい……とても。
……。
……。
……此度の返事は、どうしようか。
此度は……正直に、お祝いの言葉で良いかと。
然うか……ならば、然うしよう。
……。
……姓は、知らせる?
考えている所です……。
はは……然うか。
……。
しかし……隊長からのも、あるなんてなぁ。
隊長さんは、実直な字を書かれるんですね。
実直?
学姐の独特な字よりも、ずっと読みやすいと思います。
まぁ、汚い字ではないかな。
……。
……息災そうで、良かったよ。
隊長さんも、同じことを書いていましたね……。
……あたしのことなんて、忘れて呉れても良いのに。
本当に、然う思っていますか……?
……思っているよ。
まことさんは、憶えているのに……。
……。
ふふ……昔のまことさんの姿が、垣間見えるようです。
……良いよ、見なくても。
ふふふ……。
……。
ん……まことさん。
……笑い過ぎ。
ふふ……ごめんなさい。
……まぁ、良いけど。
……。
……ふたりは本当に都を離れるんだろうか。
どうでしょうね……あの学姐が都を出るなんて、少し考え難いですが。
……都には、帰らないつもりだと。
また、気が変わるかも知れません……。
……まぁ、隊長が居るから何処へ行っても大丈夫だとは思う。
護衛から、身の回りのお世話まで……隊長さんには、ご迷惑を掛けてしまうと思います。
大丈夫さ……隊長は、迷惑だなんてちっとも思っていないだろうから。
……分かります?
惚れた女の世話をする、こんな楽しいことはない。
……それは、隊長さんの言葉ですか。
そんなこと、防人の山猿に言うなんてさ……最初は、何を言っているか分からなかったよ。
……惚気、ですよね。
今思えば、ね。
それと……まことさんは、山猿ではありませんから。
いやぁ、さんざ言われたなぁと思って。
……無礼にも程があります。
……。
山猿だなんて……。
亜美さん……若しかして、怒ってる?
……怒っています。
あー……言わなきゃ、良かったな。
……防人の皆さんが、居て呉れなかったら。
……。
此の国は、なくなっていたかも知れないのに……。
……防人の間でも、言っていたけど。
それはそれ、です。
あ、はい。
……。
……あたしは、さ。
ん……まことさん?
……亜美さんが怒って呉れる、それだけで十分だ。
……。
もう、言われることもないだろうしね……。
……私が、言わせません。
お……。
……まことさんには未だ、言っていませんでしたね。
何をだい……?
私……氷のように冷酷だと、言われていたことがあるんです。
……れいこく?
冷徹とも、言われてしました。
……それって、いつ。
初等教育過程……まぁ、子供の頃です。
子供の頃……大学ではなくて。
大学でも言われました……ですので、より正確に言うと、子供の頃から大学に掛けてです。
どうして、そんなことを……亜美さん程、温かいひとは居ないのに。
……誰とも、交わらず。
……。
誰からも距離を取り、誰に対しても感情を見せず、言葉は出来るだけ交わさず、ただただ籠って勉強だけしている……。
……それだけで、冷酷と言うのはおかしい。
挙句、意見の言い合いになると相手が大人であろうとも、淡々と理屈を捏ねて言い負かす。
相手の中には、己の負けを認められず……私に対して、口汚い悪態を吐く輩も居ました。
……相手が、間違っていたのだろう。
さぁ、どうでしょう……なにぶん、子供でしたので。
己の言い分を正当化して、押し切っていただけなのかも知れません。
……。
誇り高い男子を完膚なきまでに……曰く、叩きのめしてしまった時は、嫌がらせをされました。
は……嫌がらせ?
……とても、くだらない。
どんなことを、されたんだい?
例えば、机に傷を付けられたり、引き出しに蛙を入れられたり、筆を取り上げられた挙句圧し折られてたり、お弁当を取られたり……。
……。
あとは然うですね……靴を投げつけられたり、でしょうか。
幸い、怪我はしなかったのですが。
……くだらない。
ふふ、でしょう。
でも、子供でしたから。
けれども、赦せぬ。
あ。
靴を投げつけるなんて……ひとつ間違えれば、傷を負っていたかも知れない。
他もくだらないが、それでも続けば心に傷が付く。あたしが居たら、そんなくだらないことはさせなかった。
まことさん……。
……今はくだらないと思えても、その頃は。
大丈夫です、彼等には社会的な制裁が与えられましたから。
……せいさい?
結果、主犯格である誇り高い男子は二度と学校に来られなくなりました。
どうやら他所の場所に追いやられたようなのですが、興味がなかったので詳しくは知りません。
……。
……取り巻きにも、それなりの制裁が与えられたのです。
亜美さん……。
……。
それは、亜美さんがやったのかい……?
……大人の力です。
大人の……お義母さん?
……然うなります。
亜美さんが、くだらないことをされているのに気が付いて……。
いえ……誰かが、母の耳に入れたんです。
……。
……おかげで、思い知ることも出来ました。
思い知る……何を?
私は未だ、力を持たぬ子供なのだと。
ひとりでは対処が出来ぬ、か弱き者なのだと。
……。
それ以来、私に近付くひとは更に居なくなりました。
……亜美さんが悪いわけではないじゃないか。
然うですね……けれど、親と誰かの力が働いたのは事実です。
男子が辿った末路を考えれば、恐れを抱くのは当然のことかと……なんせ、私の後ろには母が居るわけですから。
それとは話が別だ。良し悪しだけで言えば、どう考えてもそいつが悪い。
そいつが亜美さんにくだらないことをしなければ、そんなことにはならなかったんだ。
……それ程までに、私に傷付けられた誇りは重いものだったのでしょう。
それを、くだらないと言うんだよ。
負けて悔しいのならば、次は負けぬようにもっと勉強すれば良いだけだ。
……。
然うだろう……?
……はい、その通りです。
然ういった手合いは、厄介なものだ。
己の弱さを、ひとのせいにする。
然う……全ては、己の能力のなさ。
……。
まことさんの言う通り、勉強をしてからまた意見を言い合えば良かったんです。
くだらぬことをするよりも……その方がずっと、その男子の為にもなったでしょう。
……全くだ。
然ういうわけで私、昔は冷酷、或いは冷徹と呼ばれていたんです。
だから若しもまた、まことさんのことを山猿と言う輩が現れたら、今の私なら
亜美さんは冷酷でもないし、冷徹でもない。
ただ、馴染めなかっただけだ。
……。
若しもまた、亜美さんにそんなことを言う奴が現れたら、あたしが黙ってはいない。
雑巾のように、躰を絞ってやる。
……出来れば、言葉で。
言葉で、雑巾のようにしてや……れたら、良いんだけど。
まことさんならちゃんと言葉で返すことが出来ます。
……。
大丈夫。
……うん。
……。
……やっぱり、悪口は良くないな。
はい……本当に。
……返事の話から、大分逸れてしまったね。
ごめんなさい、私が余計なことを言ったから。
余計ではないよ。
……ん、まことさん。
だけど……話の続きはまた、明日かなぁ。
……眠くなってきた?
うん……ちょっとだけ、ね。
……なら、明日にしましょう。
明日は、忙しいなぁ……。
……仲直りしていると、良いですね。
うん……本当に。
……。
ふぁ……。
ねぇ……まことさん。
……なんだい。
……。
なんだい……亜美さん。
……私が生まれ育った場所は都です、それは変わりません。
うん……?
……だから、故郷とは言えない。
……。
……だけど、生きていく場所だから。
……。
私にとって……あなたと生きる、此の場所が。
こころの、ふるさと……。
……こころの。
なんて、どうだろう……。
……。
ここが……あたしたちがかえるばしょ、ならば。
……うん、まことさん。
……。
学姐も……若しかしたら、然うなのかも知れない。
隊長さんが居る場所が……屹度、認めないだろうけど。
……ん。
……。
……あみ。
おやすみなさい、まことさん……また、明日。
22日
亜美さん。
まことさん。
ただいま、今帰ったよ。
はい、お帰りなさい。
今日もお疲れ様でした。
ありがとう。
患者さんはもう、お帰りに?
はい、皆さんお帰りになりました。
今は、足りなくなりそうなお薬を煎じていたところです。
然うだったか。
未だ、続けるのかい?
いえ、そろそろ終わりにしようかと。
もう、良いのかい?
必要な分は、煎じ終わりましたから。
然うか……亜美さんも、お疲れ様。
はい、ありがとうございます。
……。
まことさん、どうかしましたか?
あ、うん……ちょっと、聞いて呉れるかな。
はい、勿論です。
……。
……何か、気になることでもあったのですか。
それが、さ……。
……はい。
亜美さんとの昼の休憩を終えて、畑に戻ったら……うさぎちゃんが、ひとりで来たんだ。
うさぎちゃんがひとりで、ですか?
うん。
美奈子ちゃんと一緒ではなかったのですか?
一応、辺りを見回してみたんだけど、何処にも見当たらなかった。
それは、珍しいですね。
然うなんだ。
あのふたりは、当たり前のように一緒に居るから。
……いつ頃、来たのですか?
畑に戻って、暫くしてからかな。
うさぎちゃんは、ひとりで何をしに……若しかして、遊びに来たのでしょうか。
……いや、違う。
では……何か、お話をしに?
……うさぎちゃん、さ。
はい……。
直ぐには話して呉れなくて……少しの間、ぼんやりとしていたんだ。
……。
あまりにも何も言わないから、改めて声を掛けたんだけど……然うしたら、泣き出してしまって。
……泣き出したって。
もう、吃驚したよ……。
……うさぎちゃんの、お話とは。
う、ん……。
……言い難いことなのですか?
いや、然ういうわけではないんだけど……。
……まさか、うさぎちゃんのお母さんに何か。
ううん、それだったら亜美さんの所に来るだろう。
……然うですよね。
うさぎちゃん……どうやら、言い合いをしてしまったらしくて。
言い合い、ですか。
うさぎちゃん曰く、原因はちょっとしたことだったみたいなんだけど……でも、かなり気にしていて。
……泣き出してしまうくらいなのだから、余程のことだったのでしょうね。
うん……あの子が落ち込むと言うことは、然うなのだろうと思う。
そこまでの言い合いを、あのふたりがするだなんて……考えたこともなかった。
……相手は、美奈子ちゃんですか。
あぁ……言ってなかったね。
……言い合いになった原因は、何だったのでしょう。
分からない……そこまでは、話して呉れなかったから。
……然うですか。
あいつに限って、引っ張ることはないと思うんだが。
美奈はうさぎちゃんのことが、大好きだから。
……うさぎちゃんも、美奈子ちゃんのこと。
うん……。
……。
亜美さんに、お願いがあるんだ。
……ふたりのことですね。
亜美さんも出来れば、暫くの間、気に掛けて……?
……。
亜美さん?
……矢張り、あの時。
え?
……美奈子ちゃんがひとりで居たのは、たまたまではなかったのだと。
あいつを見掛けたのかい?
それは、何処で?
実は、此処に来たんです。
此処に?
でも、中には入ってこなくて……外で、此方を伺っているようでした。
何も言わないから、てっきりまことさんに用があるのかと思っていたのですが……。
あいつ、亜美さんに何か話したかったんだろうか。
若しも、然うならば……挨拶だけでなく、もっと声を掛けてあげれば良かったです。
けど、手が離せなかったんだろう?
はい……丁度、傷の処置をしていて。
傷か……それは、手が離せないな。
終わった時には、居なくなっていて……少し待って貰うように、言っておけば。
いや、それでもあいつは待っていなかっただろう。
……まことさんが、居れば。
あたしに話したければ、真っ直ぐ畑に来たと思うんだ。
来なかったということは、あたしではなく、亜美さんに話を聞いて貰いたかったのだろうと思う。
レイさんは、知っているのでしょうか。
恐らくは、知っているんじゃないか。
レイがあのふたりの様子に気が付かないわけないから。
……。
そこまで、心配することではないと思うが……若しかしたらもう、仲直りをしているかも知れないし。
……若しも、していなかったら。
その時は……どうするべきか。
話を聞くだけでも、違うと思います。
出来れば片方だけでなく、もう片方の話も。
うさぎちゃんの話は、聞いた。
あとは、美奈の話を聞くことが出来れば良いんだが。
……聞きに行ってみますか?
いや……あいつは、嫌がると思う。
……話しては呉れないでしょうか。
話したいと思った時でないと、あいつは口を開かない。
若しかしたら、会うことすらも出来ないかも知れない。
……せめて、私が聞いておけば。
亜美さんは、悪くないさ……。
……だけど。
あいつも、それくらいは分かっている筈……。
……。
ちゃんと待っていれば、亜美さんは必ず話を聞いて呉れることも……。
……取り敢えず、私もうさぎちゃんに。
うん、うさぎちゃんの話を聞いてやって欲しい。
でも、此処に来て呉れるかどうか。
往診の帰りにでも、うさぎちゃんの家に寄ってみようと思います。
往診の帰りか……。
……まずいでしょうか。
いや、まずくはない。
でも、一番良いのは来て呉れることだと思うんだ……家には、母親が居るだろうから。
……あぁ。
うさぎちゃんのお母さん、体調を崩していたよね。
今は、どうなんだい?
はい……大分良くなってはいるのですが、熱が未だ。
となると……心配させたくないと思うかも知れない。
然うなったら、外に連れ出して……。
……上手く、連れ出せそうかい?
……。
うさぎちゃんが話したいと思わなければ……多分、連れ出すのは無理だ。
……他に、何か。
此処に来て呉れれば、一番良いんだが……。
……。
……しかし、本当に珍しいな。
ふたりが此れ程までの言い合いをするだなんて……私、初めてです。
ちょっとした言い合いなら……それこそ、じゃれ合いみたいなことなら、良くあるんだけど。
……可愛いと、思っていました。
可愛い?
……とても、微笑ましくて。
……。
あと、少し羨ましいと……私には、じゃれ合いが出来る友達が居なかったので。
……赤子の頃から、一緒に居るらしい。
赤子……。
……それこそ、双子のように育ったみたいだ。
あぁ……分かる気がします。
……。
……ふたりは何処で言い合いをしたのでしょうか。
外だとは、思うが……。
……美奈子ちゃんが、うさぎちゃんを外へ。
具合の悪いお母さんを放って、遠くに行くとは思えない。
かと言って、家の近くではお母さんに聞こえてしまうだろうから。
……うさぎちゃんの家から、少し離れた場所。
……。
……ふたりは、どんな言い合いをしたのでしょうか。
……。
まことさん、うさぎちゃんはなんて。
……あたしが、聞いたのは。
……。
……美奈子ちゃんなんて嫌い、と。
きら、い……。
然う、言ってしまったと……。
……。
……。
……大変、ですよね。
うん……大変だよ。
うさぎちゃんが……嫌いだなんて、そんな。
美奈は……あいつは、何を言ったんだ。
うさぎちゃんがそんなことを言うなんて、余程のことだぞ……。
……。
……。
……然う、いえば。
うん……?
……年頃、なんですよね。
年頃……。
……十代半ばの。
……。
所謂、思春期……。
……思春期。
然うなると……幼子がするような言い合いとは、違ったものに。
それこそ、嫌いと……勢いで、言ってしまうことだって。
……然うか、然ういうものか。
私には……良く、分からないのですが。
あたしも、分からない……なんせ、然ういう相手が居なかったから。
……。
参ったな……どうして良いか、分からない。
……友達とは、なんなのでしょう。
……。
喧嘩する程、仲が良いとは言いますが……あのふたりにも、当て嵌まるものなのでしょうか。
……全く、分からない。
私も、全く分かりません……。
……。
……。
……レイが居るから、大丈夫だとは思うんだ。
でも、心配ですよね……。
……。
……。
……あたしは明日、美奈から話が聞けそうだったら。
私は、うさぎちゃんに……。
……はぁ。
はぁ……。
……なんだか、な。
もう少し、学んでおけば良かったです……。
……学ぶ?
友達付き合いと言うのでしょうか……然ういった、ひとの繋がりを。
……。
……ごめんなさい、私には大分難しいです。
あたしに謝らなくても良いよ……あたしも、亜美さんと同じだからさ。
……。
ひとには適正というものがあるのだろう……?
……私はつくづく、ひとのこに向いてないと。
それを言うなら、あたしだって……。
……。
……。
……仲直り、していたら良いですね。
うん……本当に。
……。
さて……ごはんの支度をしようか。
……然うですね、然うしましょう。
ん……?
……今、片付けを。
ねぇ、亜美さん。
はい、なんでしょう?
此れは、封信かい?
……え。
此処に、置いてあるのだけれど。
あ、然うでした。
若しかして、忘れていた?
……つい、うっかり。
亜美さんでも、然ういうことがあるんだな。
……恐らく、美奈子ちゃんが持って来て呉れたんだと思うんです。
美奈が……あぁ、それもあったのか。
……。
取り敢えず、差出人は……あぁ。
……どちら様からでしょうか。
亜美さんの学姐からだ。
学姐から?
どうやら、返事の返事が来たらしい。
……。
珍しいな、返事の返事が来るなんて。
……何か、あったのでしょうか。
隊長と一緒になったという報せなら目出たいが……。
……。
今、読んでみるかい?
……いえ、ごはんの後にしようと思います。
良いのかい?
……まことさんは、気になりますか。
あたしは……まぁ、気になる。
……。
亜美さん。
……まことさん、読んで貰っても良いですか。
あたしが、かい?
……はい。
い、良いけれど……あたしに、全部読めるかな。
……読めるところまでで、良いから。
……。
いえ、やっぱりごはんの後にしましょう。
封信を読んでいたら、それだけ遅くなってしまうので。
……うん、分かった。
片付けたら、私も。
今日は……一緒にやろうか。
はい……一緒に。
ん。
……。
目出たい話だと、良いね。
……はい、本当に。
21日
雨が降ったのは、朝方だけだったね。
止んだ後は、すっきりと晴れて。
今日もまた、気持ちの良い一日でした。
思うのだけれど。
何でしょう。
朝方の雨は、やっぱり、遣らずの雨だったと。
……然うですね。
こんな日が、たまにはあっても
おかげで、午前中はずっと躰が重たかったですが。
……。
触れる時間も、あまり取れませんでしたし。
……良かったら、今夜。
今夜は、何もせずに眠るつもりです。
二日連続、躰が重たくなるようなことは避けたいので。
……因みに、昨日の朝は重たくなかった?
程度の問題です。
……程度?
今日の午前中程では、なかったと。
……今夜も、ひとつの布団で眠るだろう?
さて、どうしましょうか。
……今夜は、しないから。
然うですねぇ……。
……せめて、ふたつをくっつけて。
はい、今夜は然うしましょう。
……手を、繋ぐくらいは。
まぁ、良いでしょう。
……眠る前に、少しだけ抱き締めたい。
聞こえません。
……あー。
と言うわけで、今夜は早く寝ましょうね。
……はい。
ふふ。
……はは。
……。
……夕焼けが、きれいだね。
然うですね……とてもきれいです。
……。
……まことさんって、大らかですよね。
うん……?
……出逢った頃から、変わらず。
然うかい……?
怒ることも、滅多にないですし。
美奈には、怒るけどね。
ふふ……然うですね。
……。
……。
……あたしも大雑把、かな。
大雑把では、ないです。
……物は言いよう、なんだろう?
然うですが……まことさんに大雑把は当て嵌まらないと思います。
……言葉は、難しいな。
何事にも、丁寧で。
……。
例えば、家の中は常に隅々まできれいに整えられています。
大雑把だったら、それを維持することは出来ないと思うのです。
忙しい時は、その限りではないけど。
……それでも、散らかっているのは好きではないですよね。
うん、まぁ……好きではないかな。
忙しくても、整えようとする……。
……出来る範囲で、だけど。
だから、大雑把と言うより……几帳面だと思うのです。
……。
大らかで、几帳面……相反するものですが、あなたの中にはそれが仲良く同居していると。
……亜美さんは、そんなあたしのことをどう思う?
とても、好ましいひと。
……。
私は、然う思っています。
……うん。
ね、まことさん。
なんだい?
散らかしてしまって、ごめんなさい。
……え?
私が此の家に暮らすようになってから……色々なものを、広げてしまって。
いや、あれぐらいでは散らかっているとは言えないよ。
……でも。
いつだったか、美奈の散らかしぶりをふたりで見たことがあったろう?
散らかっているとは、ああいうのを言うんだよ。亜美さんのはただ、必要だから置いてあるだけだ。
……それこそ、物は言いようです。
でも、必要でないものはいつまでも置いておかないだろう?
きちんと、片付けている。
……今は。
うん?
……都に居た頃は、良く書物を出しっ放しに。
それは、勉強をする為に必要だったからだろう?
……然うでも、ないです。
けど、まるっきり読まなかったわけではないんだろ?
それは……まぁ。
詰まり、必要だから置いておいた。
美奈のように、片付けるのが面倒で億劫で出しっ放しにしていたわけじゃない。
……たまに、面倒だと。
亜美さんだってひとのこだ、たまには然ういう時もある。
……あの、まことさん。
ん、なんだい?
……私のことも、怒って下さいね。
え、どうして?
……散らかしたまま、片付けようとしなかったら。
……。
……今後、ないとは言えないので。
ははは、亜美さんは面白いなぁ。
……面白いことを言ったつもりはないのですが。
じゃあ、そんな時があったらね。
……美奈子ちゃんに怒るように。
いや、あんな風には怒らないよ。そこまでしなくても、亜美さんは直ぐに分かって呉れると思うし。
と言うより、怒る前に亜美さんは片付けて呉れそうだ。
……。
ん?
……兎に角、私のことも怒って下さい。
怒るようなことがあれば……でも多分、ないと思うんだよなぁ。
……。
あ、然うだ。
……なに。
自分のことを大事にしなかったら、怒るかも知れない。
いつか、亜美さんがあたしに怒って呉れた時のように。
……。
怒る以上に、悲しいと思うだろうけど。
……気を付けます。
……。
だから……まことさんも。
……うん、分かってる。
……。
……。
……怒って下さいね。
ん……その時が、来たらね。
……怒られてみたいの。
……。
……まことさんに。
そんなに、かい……?
……。
や、でもなぁ……無闇に、怒ることは出来ないし。
……困ってます?
うん……困ってる。
……こんな時に、
怒らないよ。
……ですよね。
だけどどうして、そんなに怒られてみたいんだい……?
……まことさん、だからです。
あたし、だから……?
……私、理不尽に怒られたことしかなくて。
……。
いえ、私が勝手に理不尽だと思っているだけで……向こうには、ちゃんとした理由があったのかも知れません。
……亜美さんが然う感じるのならば、それは多分、理不尽だったんだと思う。
……。
怒られたのは、小さい頃だったんだろう?
……どうして、分かるの。
小さい頃は未だ、してはいけないこととか、然ういうのが分からないものだからね。
それで怒られる……叱られるにしても、理由が正当ならば良いんだ。それこそ、してはいけないことを教える為だとかさ。
……。
でも、感情のままに、力任せに怒ることはだめだ。大抵、理不尽な物言いになるから。
特に小さな子供はか弱くて、強く抗うことも出来ない……幾らでも、理不尽に怒ることが出来てしまう。
……。
亜美さんは、とても賢い子供だったんだろうと思う。
そんな亜美さんが理不尽だと感じたということは……余程のことだったのだろう。
……私。
うん……。
……まことさんに怒られてみたいのは、本当なの。
……。
……まことさんなら理不尽に怒ることなく、叱って呉れると思うから。
こら。
……ん。
駄目だろう、ひとを困らせては。
……あ。
ひとを困らせるようなことは、余程のことがない限り、してはいけないよ。
何故なら、迷惑になってしまうかも知れないからね。
……はい、ごめんなさい。
でも、困らせて良い時もある。
……あるの?
それはね、余程の時だ。
……。
ひとりで抱えて、どうにもならなくなってしまうくらいなら、誰かに助けを求めて欲しい。
困ったり迷惑だと思うひとは、居るだろう。だけれど、助けて呉れるひとも居る。
……。
亜美さんが困るようなことがあったら、あたしに言って欲しい。
どんなことであろうとも、あたしは、亜美さんを助ける。助けたい。
……まことさん。
ん……こんなものかな。
……ふふ。
ど、どうだろう……?
……少し、面白かったです。
怒られているのに?
……だってまことさん、怒っているようには見えないんだもの。
それは……本当に怒っているわけではないし。
……。
出来れば……怒りたくない。
……ごめんなさい、まことさん。
ん……。
……困らせて。
本当に……ね。
……そして、ありがとう。
うん……どういたしまして。
……。
……。
……ねぇ、まことさん。
なんだい、亜美さん……言っておくけど、困らせないで呉れよ。
ふふ……はい。
それで、なんだい……?
……隊長さんも、大らかだったんですよね。
大らかと言うより、大雑把だと……あたしは、思っている。
……若しかしたら、ですけど。
……。
まことさんの大らかさは、隊長さんの影響かも知れないって。
隊長の……それは、ないと思う。
全くないとは、思えないのです。
……あたしは亜美さん曰く、大雑把ではないし。
……。
……。
……いつか、お会いすることが出来たら。
あまり、会わせたくないな……。
……どうしてですか?
なんとなく、嫌だ。
……なんとなく?
なんとなく、亜美さんに気安くしそうで。
……。
亜美さん、あたし以外の者が近付くのは駄目だろう?
……まことさんに、似ているのなら。
……。
……意外と、大丈夫かも知れない。
駄目だ。
……。
隊長とあたしは、似ていない。
あたしは隊長みたいに大雑把ではないし、気安くもない。
……でも、お料理は出来ますよね。
出来るけど……料理なんて、やれば誰でも出来るだろう。
……何事も、適正はありますよ。
適正……?
……学姐は、どちらかと言うと出来ませんでしたから。
えと……不器用、だった?
……美奈子ちゃんとうさぎちゃんのよう、と言えば分かると思います。
美奈とうさぎちゃんのよう……あぁ。
……作り方通りに作れば良いだけなのに、何故か余計なことをしたり。
うん……。
実験は、精密なのに……何故か、調味料の分量はいい加減で大雑把。
……あぁ、それは駄目だ。
未だに……本当に理解出来ないことのひとつです。
えと……作ったものは。
……二度と食べたいとは。
……。
……大惨事になったことも、一度。
それは……大変だったね。
……ええ、主に片付けが。
亜美さんが、片付けた……?
……勿論、学姐にもやらせましたよ。
だ、だよね。
……当然です。
……。
だから……誰でも出来るものではないんですよ、料理って。
……うん、良く分かった。
隊長さんが作ったものは、美味しかったんですよね。
まぁ……美味しい時も、あったと思う。
……。
思えば、隊長が作ったもので食べられないものはなかった。
大らかとは、関係ないと思うけど。
……。
兎に角、あたしと隊長は似ていないから。
隊長と会ったら、亜美さんは不快な思いをしてしまうかも知れない。
……隊長さんって、無礼者なのですか?
え。
無礼者でしたらまことさんが言う通り、駄目かも知れません。
……憶えてない。
憶えていない?
……戦場では、礼儀なんて必要ないものだし。
それは、確かに。
……そもそも、あたしに礼儀があったかどうか。
……。
……。
まことさん……。
……雷公の生まれ変わりと、言われる前。
……。
あたしは、山猿と言われていた。
……山猿?
いつも薄汚れていて、口もろくに利かない笑いもしない、言葉を知らない猿のような山人。
動きはどんな男よりも素早くて、力も強く、凡そひとのことは思えない。
……。
集落から集められた防人なんて、そのほとんどが字も読めない山猿のような者ばかりだったけれど。
あたしはその中でも取り分け、躰が頑丈で、ひとのこ離れをしていたから。
……。
今思えば、隊長は……戦人のような訓練も鍛錬もしていない、山猿のようなあたし達をまとめていたんだな。
無礼者かどうかは憶えていないけれど……並のひとのこでは、出来ないことかも知れない。
ましてや、防人を少しでも生かそうだなんて……ほとんどの戦人は、考えない。防人は、駒に過ぎないのだから。
……まことさんに防人として必要な字を教えて呉れたのは、隊長さんでしたよね。
あぁ……少しは読めないと、良いようにされるだけだと言って。
……料理と、按摩も。
他にも……戦場で、生き残る術を。
……。
……あたしが生き残れたのは、亜美さんと。
……。
それから……隊長が居たからだ。
やっぱり、一度で良いからお会いしてみたい……。
……。
どうしても無礼者だとは思えない……気安いかも、知れないけれど。
……近寄ろうとしたら、あたしが遮る。
……。
それで、良いなら。
……はい、構いません。
……。
幾ら大らかなひとであろうとも、苦手かも知れませんから。
……苦手だと思ったら、直ぐに言って欲しい。
言わなくても……まことさんなら、気付いて呉れそうです。
……それでも、だ。
はい……ならば、そっとあなたに。
……うん。
……。
……躰は、あたしよりも大きかった。
防人の頃のまことさんは、今より。
……隊長と会った頃は、今よりもずっと小さかった。
防人になったのは十代の半ば頃でしたよね。
あぁ……十五になる前だ。
隊長さんの隊に所属したのは、防人になってどれ位経った頃のことだったのですか?
防人になって、最初の隊が壊滅した……それから、あたしは隊長に拾われた。
その頃にはもう、雷公の生まれ変わりって言われていたな……生き残りの中でも、五体満足で、まともに動けたのはあたしだけだったから。
……。
拾われるまで……半年は、経っていないと思う。
だとしたら……隊長さんよりも小さかったのは、頷けます。
でも、防人を辞めた頃は……今ぐらいの大きさになっていたような気がする。
今よりもずっと、細かったとは思うが。
……食糧が、常に不足していたから。
食い物なんて、いつも足りなくて……満足にあった時なんか。
……然うなると、必要な栄養が取れません。
……。
生きることすら……。
……隊長が作ったものは、大抵、美味かった。
……。
まともに食えるものがなかったって言うのも、あるんだろうけどね……。
……隊長さんは屹度、今でも学姐の好きなものを作っているのだと。
……。
学姐は、素直ではないから……ふふ。
亜美さん……?
あの学姐と一緒に居られるなんて……とても大らかで、大雑把なひとでないと。
……それが、しっくりくるかも。
まことさんは……大らかで、几帳面。
ね……あまり、似てないだろう。
大らかところは、まぁ、少しは似ているのかも知れないけど。
……まことさんは、学姐のようなひとと。
あたしは、亜美さんでないと。
……。
一緒には、居られないと思う。
……然う。
亜美さんと学姐は、
似ていないと思います。
ふふ、然うか。
……。
ねぇ、亜美さん。
……なんでしょう、まことさん。
学姐には、知らせるのかい?
……。
……姓が、変わったこと。
いいえ……未だ、知らせないわ。
いつ、知らせる?
……然うね。
村長に報告した後?
ううん……学姐がちゃんと隊長さんと一緒になった後に。
……ちゃんと?
あのひとのことだから、気が変わるかも知れない……だから。
……どうやって、確かめるんだい?
確かめられないのなら、それで良いの。
……。
……まことさんは、書けそう?
うん……書けると、思う。
然う……良かった。
書いたら……読んでみて欲しい。
……良いの、私が読んでも。
うん……読んで欲しいんだ。
……分かったわ。
……。
……あなたは、読みたい?
……。
私が、書いた……。
20日
……。
……。
……待って。
……。
雨の匂いが、する……。
……起きなくて、良いの。
起きるけど……。
……まことさん。
未だ、布団に。
……。
……良いだろう?
多分、止むと思うわ……。
……どれくらいで、止む?
半刻……いえ、四半刻。
四半刻か……亜美さんの雨予想は当たるから、屹度、今度も止むだろう。
……。
止むまで……布団の中で。
……朝餉の支度は。
お腹、空いているかい……?
……。
空いているのならば……考えるけど。
……あなたは?
あたしは……未だ、かな。
……。
ん……。
……鳴らない?
大丈夫だと、思う……。
……。
……触る?
少し、離れて呉れるなら……。
うーん……どうしようかな。
……。
……ずっとでなければ、良いよ。
ずっとでは、ないわ……だって。
……だって?
他も、触りたいから……。
はは……そっかぁ。
……まことさん、仰向けになって。
分かった……直ぐになろう。
……あと。
腕、かい……?
……。
触る……?
それとも、枕にする……?
……右を、枕に。
お……。
……左は、躰に寄せて。
仰せのままに……水野医生。
……水野姓が良いの?
今の姓には、拘りがないんだ……だから、変わっても良い。
……。
亜美さんの、好きな方に……。
……私は、捨てたい。
え……?
……水野の名を。
……。
子供の頃からずっと、疎ましく思っていたから……。
……そんな前から。
私が水野である限り、一生付いて回る……仮令、都から遠く離れたとしても。
……。
……私は、母とは違うのに。
……。
けれど、あなたが水野になりたいと言うのなら……私は、受け入れるわ。
……亜美さん。
あなたとなら……屹度。
……ならば、木野にしようか。
……。
あたしは、構わない。
……あなたは、それで良いの。
良いよ。
……。
亜美さんが、木野に変わることを望んで呉れるのなら……あたしは、構わない。
若しも……変わることが出来るのなら。
……それならば。
……。
亜美さんは……今日から、木野医生だ。
……私が、木野。
なんて……流石に、気が早いか。
……村の皆さんには、未だ、黙っていましょう。
うん……?
私が……今日から、木野亜美だということ。
……。
……今は未だ、ふたりだけの。
分かった……然うしよう。
……皆さんに知らせるのは、村長さんへ報告する時に。
応、心得た。
……。
……つい、懐かしい言葉遣いが。
ふふ……本当、懐かしい。
……。
ん……まことさん。
……未だ、正式ではないけれど。
……。
……あたし達は、家族だ。
もう、とっくに……。
……ん。
私は、なっているものだと……。
……。
あなたと、一緒に暮らし始めた……その時から。
……実は、さ。
なに……。
一緒に暮らし始める前……亜美さんが連れ合いになって呉れた時から、あたしは。
……思っていて、呉れたの?
流石に、気が早過ぎるよね……。
……ううん。
……。
然うだったら良いって……思って、いたから。
……。
私達……家族、なのね。
うん……家族だ。
……一生。
一生……。
……。
さぁ亜美さん、布団の中へ……躰が、冷えてしまう前に。
……はい、まことさん。
……。
ねぇ……ただいま、と、言った方が良い?
言って呉れたら……お帰りって、返すよ。
なら……ただいま。
ふふ……お帰り、亜美さん。
……あ。
んー……甘い匂い。
……もぅ。
へへ……。
……。
ね……お腹の感触は、どうだい?
……まことさんのお腹は、いつだって引き締まっているわ。
筋肉は……感じるかい?
……うっすらと、見えるの。
見える……?
……筋肉の線が。
……。
今は、それをなぞっているの……。
……もっと見えた方が良い?
ううん……此れくらいが良いわ。
……鍛錬をしたら、もっと。
今のまことさんの躰には、此れくらいが丁度良いの……。
……。
……均整の取れた、美しいからだ。
きんせい……。
……。
……ねぇ、亜美さん。
なぁに……。
……歳を重ねて、あたしの躰が衰えてしまったら。
気持ちは、変わらないわ。
……。
……変わらず、あなたが一番好きよ。
筋肉が、落ちてしまっても……。
私は確かに、あなたの躰が好きだけれど……躰だけを愛しているわけではないの。
……。
躰で好きになったわけじゃない……だから、心配しないで。
うん……しない。
……ん。
……。
……。
しかし、静かな雨だ……。
……霧雨だから。
霧雨……。
……。
……亜美さんには、聞こえる?
さぁっと……霧のように細かな音が聞こえる。
……亜美さんは、耳が良い。
水の音だから……。
……。
……だから、聞こえるの。
あたしも、聞いてみたいな……。
……。
……亜美さんが、聞いている音を。
霧雨のような静かな音ばかりでは、ないから……。
……それでも。
……。
ん……亜美さん。
……今度また、川に連れて行って。
……。
そこで……水の音を、一緒に。
……うん、必ず連れて行く。
……。
……半刻だと、二度寝してしまいそうだな。
え……?
だから……四半刻くらいで、丁度良い。
……本当に、然う思っているの?
思っているよ……半分くらい。
……半分くらい、ね。
気持ち、半刻の方が多いかな……。
……二度寝したとしても。
ん……。
……ちゃんと起きられるくせに。
……。
……あ、ん。
起きられるけど……半刻だと、より離れ難くなる。
……ゆうべ、さんざしたのに。
だからこそ、だ……。
……。
……残り香が、とても甘い。
じゃあ、もう起きた方が……。
……それは、ない。
……。
こういう雨のことを、遣らずの雨と言うんだろう……?
……違うわ。
あれ……。
……遣らずの雨は、帰ろうとするひとを引き留めるかのように降ってくる雨のこと。
当たらずとも、遠からず……。
……私の家はもう、此処なの。
……。
あなたと暮らす此の家が、私の帰る場所……だから、正しくはないわ。
……正しくは、ないけれど。
然うだと、思いたい……?
……だって、遣りたくないから。
……。
あたしには、遣らずの雨なんだ……。
……ならば。
ねぇ、良いだろう……?
……私も、然う思うことにするわ。
亜美さんも……?
……いけない?
ううん、いけなくない……。
……なら、良い?
ふふ……うん、良い。
……。
……然うだ、霧雨と言えば。
うん……?
しっとりと濡れた亜美さんは……ん。
……しっとりと濡れたあなたは、艶があって。
……。
首筋から胸元に流れる、雨粒は……いつだって、私の鼓動を速めて呉れるの。
……亜美さん。
あなたは、無頓着だから……余計に。
……だって、気にしたことなんてなかったんだ。
今は……?
……今?
ちゃんと、気にして呉れてる……?
……自分では、分からなくて。
分からなくても、良い……自覚は、して。
しようとは、思っているんだ……だけど、いまいち。
……。
……ん、亜美さん。
雨だけでなく……汗も。
……今は乾いて、流れていない筈なのだけれど。
流れた後が、あるわ……。
……見えるのかい?
……。
ん……。
……見える。
亜美さんは……目が、良いな。
汗は……そのほとんどが、水分だから。
……。
……こうするとね。
うん……。
……躰の中の水気の流れが、見えるの。
……。
そんなことを、幼い私が言っても誰も信じては呉れなかった。
……あたしは、信じているよ。
誰も……母でさえ、そんなものは見えないのだと気が付いた時……私は、口を塞いだの。
……誰も、信じないから。
母ですら……奇異な目で、私を見て。
……。
まことさんだけだった……私を疑わず、奇異な目で見ないひとは。
だから今も……まことさんにしか、言わないの。
……あたしも見えたら良いのになぁ。
……。
亜美さんの躰の中に流れる水気を、一度で良いから見てみたい……。
……屹度、きれいなものではないわ。
いや……とてもきれいだと思う。
……あなたの水気のように。
屹度、すごくきれいだよ……。
……。
……亜美さん。
まことさん……。
……。
だめよ……。
……雨は未だ、止まない。
でも……そろそろ。
まだ……やまない。
……まこと。
……。
ん……ぁ……。
……亜美。
あ……あ……ん……。
……。
……けんこう、こつ。
ん……なに。
……なんでも、ない。
どこでも……すきなだけ、さわっていいよ。
……。
せなかでも……こしでも……。
……ない、わ。
なにが……?
……こんなときに、そんなよゆう。
……。
ただ、ふれるだけで……ん、あぁ。
……。
しがみ、つくだけで……。
……まぁ、そうか。
ん……わかって。
なら……あとで、すきなだけ。
……。
さわらせて……。
……そんなじかんが、のこされていればいいけれど。
19日
んー……。
……どうですか。
重くはないけれど、若干疲れを感じるかな。
まぁ、此れくらいならばいつものことだし、なんてことはないよ。
一晩、亜美さんとゆっくり休めばすっきり取れる。
……然うですか。
でも折角だし、やって貰おうと思う。
と言うより、亜美さんの手で揉み解されてみたい。
……面白がってます?
初めてだから、純粋に楽しみなんだ。
……純粋に?
どんな風にして貰えるのかなって。
……取り敢えず、うつ伏せに
此れで良いかい?
……。
ん?
……もぅ。
ふふ、楽しみだ。
そんなに楽しみにされても、期待には応えられないかも知れませんよ。
然うかなぁ、そんなことはないと思うんだけどなぁ。
なんせ、亜美さんだし。亜美さんの手は、気持ち良いし。
……大分、浮かれてる。
ふふふ。
……。
……ん?
子供みたい。
……へへ。
あまり、期待しないで。
過度に期待されると、緊張してしまうから。
……緊張?
私だって、しますよ。
……。
だから、期待するにしても……程々にしておいて?
うん、分かった……程々にしておく。
……本当に分かったのかしら。
程々……。
……まぁ、良いけれど。
ふふ……。
では、始めますね。
うん、お願いします。
力を抜いて、楽にしていて下さい。
痛みを感じた時は、直ぐに言って下さいね。
うん、直ぐに言うよ。
……ふぅ。
……。
……。
……う。
ごめんなさい、未だ冷たかったですか。
ううん……大丈夫だ。
……もう少し、手を温めた方が良さそうですね。
待って、そのままで大丈夫だよ。
……でも。
指先……指の腹で、触ったろ?
……はい。
そして、腰のくぼみをそっとなぞった。
……。
それが、くすぐったくてさ。
思わず、声が出てしまった。
……腰の様子を診る為に、必要だったんです。
ふふ、そっか。
……本当ですよ。
ん、分かっているよ。
……。
ね、亜美さん……そっとじゃなくても、良いよ。
あたしの躰に触れるのなんて、今更だろう?
……いつもとは、違いますので。
然うだけど……治療だって、何度かして貰ったことがあるし。
治療と按摩は、私の中では全く違うものなんです。
兎に角、思うようにしてみて欲しい。
……然ういうわけには。
大丈夫……。
……。
ね……。
……自分で、言っておきながら。
ん……?
……尻込みしてしまうなんて。
尻込み……。
ごめんなさい、まことさん。
……ふふ。
……。
亜美さんでもするんだね……尻込み。
それは……私だって、ひとのこですから。
緊張も、尻込みだってします……。
……。
……然う、私だって。
なんだか、安心した。
……安心?
水野医生もあたしと同じ、ただのひとのこなんだなって。
……当たり前です。
はは……ごめん、ごめん。
……水野って。
あたしは、水野でも良いと思っている……。
……それとこれとは。
ん……然うだね。
……。
……ねぇ、亜美さん。
なんでしょうか……。
……あたしは、ひとのこで良いんだよね。
……。
躰やら、戦やらのせいで……雷公の生まれ変わりだと、さんざ言われたけれど。
……まことさんは私よりも体力があって、他の防人よりも躰が少し頑丈なだけだったのだと思います。
少し……?
然う……少し。
……本当に。
まことさんの躰は、ひとのこの範疇を超えてはいない。
……。
……ひとのこには、個人差があって当然なのです。
個人差……。
……然うです。
……。
あなたは防人として、誰よりも前に立って戦って……傷を負っても怯まずに、皆を守った。
……守れないことの方が。
それでも……あなたに守られた命は、確実にあった筈です。
……。
あなたは、他の者よりも回復が早く……毒への抗体も、持っている。
それもあって、ひとのこ離れしていると思われたのでしょう……。
……それでも、個人差だと。
はい……ただの個人差でしかないと、私は思っています。
誰がなんと言おうとも……ただ、それだけのことなんです。
……。
雷公の生まれ変わりなどと……囃し立てて。
まことさんの心に……傷を、負わせて。
……あたしは、亜美さんと同じ。
どこまで行っても、まことさんは私と同じ……ただのひとのこなんです。
……亜美さん。
私の……大切なひと。
……ありがとう。
……。
思えば、隊長も然うだった。
……隊長さん?
あたしを……最後まで、ただのひとのこのように扱って。
……ずっと、思っていたのですが。
なんだい……?
……良いひとですね。
良い、ひと……?
話を聞いている限りでは……大らかそうで。
大らかと言うより……あまり深く考えない、大雑把なひとだよ。
……物は言いよう、です。
……。
……まことさん?
隊長のことを良いひとだなんて……あの頃は、思いもしなかったな。
……今は、どうですか?
今は……まぁ、良いひとだったかも知れないと、思わなくもない。
……思わなくもない、ですか。
亜美さんに言われるまで、全く、思わなかった……。
……ひとのこは、然ういうものだと思います。
然ういうもの……?
その時には、気が付かず……後になって、気が付く。
ずっと気が付かないことだって、あります……だって、ひとのこは万能ではないから。
……。
……後悔先に立たず、とは言いますが。
後悔は、してないな……少しだけ、良かったと思ってはいるけど。
……気付くことが出来て?
……。
……それで、良いと思います。
……。
隊長さんは未だ、生きていらっしゃいますし……いつか、再会した時に。
それは……難しいな。
……恥ずかしいですか?
……。
ふふ……然うなのね。
……と言うより、ばつが悪い。
ばつ……?
……絶対、揶揄われるに決まっている。
まことさんを、揶揄う……。
……然う、子供を構うかのように。
……。
……見てみたいなんて、言わないで欲しい。
駄目ですか……言っては。
……あたしが揶揄われてる姿なんて、もう何度も見ているだろう?
隊長さんでは、ありませんから……。
……大して、変わらないよ。
然うでしょうか……?
……然うだよ。
ふふ……然うですか。
……それより、亜美さん。
はい……。
……続けて欲しい。
続けても、良いですか……?
……して欲しいんだ、亜美さんに。
……。
あたしは、するばかりだったからさ……。
……はい、分かりました。
うん……ありがとう。
……。
あ。
……え?
亜美さんには、喜んでするから。
……。
ね。
……もぅ。
嫌だったら、言って。
……嫌では、ありません。
ふふ、そっか。
……それでは、改めて。
ん……。
……。
……。
……違和感は、ないですか。
ん……ないよ。
痛くは、ないですか。
……痛くは、ないかな。
何か、気になることがあったら。
……取り敢えず、そのまま続けて貰っても良いかい。
はい……では、続けますね。
うん……。
……。
……ね。
はい、なんでしょう……。
……凝ってる、かな。
少し、硬くなっていると思います……。
……然うか、自分では分からないけど。
此の程度ならば、分からないかも知れません……。
……やっぱり、亜美さんはすごいな。
すごくなんて……ないですよ。
ううん、すごいよ……尊敬する。
……勿体ないです。
ねぇ……。
……はい。
もう少し、力を入れて貰えると……良い、かな。
分かりました……やってみます。
……でも、無理は。
はぁ。
……。
ん……っ。
……お。
……。
あぁ……。
……どうで、しょうか。
うん……すごく、気持ち良い。
……痛くは、ありませんか。
全然……本当に、気持ち良いよ。
……ならば、続けますね。
う、ん……。
……。
は、ぁ……ん、ぅ。
……。
これは、声が出てしまう……。
……。
んん……。
……は、ぁ。
……。
んっ……。
……えと、亜美さん。
は、い……。
……少し、力を抜こうか。
え……?
……なんだか、大変そうで。
そんな、ことは……。
……力を入れる前も、十分に気持ち良かったから。
それでも……物足りないと、感じたから。
……。
であるならば……。
……亜美さんの腕の筋肉が、硬くなってしまいそうだ。
……。
あたしの腰が解れるよりも、先にさ。
……。
いや、腕だけではないかも知れない……。
……。
亜美さん。
……少し、手を止めても良いですか。
うん、勿論だ。
……。
……大丈夫かい?
按摩が、不得手なのは……力が足りないから。
……力?
長く、持たないんです……どうしても。
……言う程、力がないというわけではないと思うけれど。
按摩に使う力が……どうにも、つかなくて。
うーん……然うか。
……どうすれば、つくでしょうか。
つけたいのかい……?
……つけられるものならば、つけたいです。
……。
……何か、良い考えがあれば。
うーん、然うだな……。
……難しいですよね。
力ではなく、体重をもっと。
……。
上手く乗せることが出来れば、違うかも知れない。
……体重。
うん……体重を乗せることが出来れば、躰への負担が減ると思うんだ。
……やっぱり、然うですよね。
やっぱり?
……学姐にも同じことを言われました。
あぁ……。
……私としては、乗せているつもりなのですが。
えと……正直なことを言っても良いかい?
……はい、お願いします。
そもそも、亜美さんは軽い。
……。
もう少し、重たければ……?
……。
あ、亜美さん?
……私には、難しいです。
あ、あぁ……。
……もう、止めますか。
亜美さんが、疲れたのなら。
……ごめんなさい。
ううん、謝らないで良いよ。
……もう少しだけ、続けても良いですか。
……。
……気持ち良くは、出来ないかも知れませんが。
あたしは、構わないけど……。
……。
亜美さん……?
……本音を、言うと。
若しかして。
……もっと、まことさんの腰周りの筋肉に触りたくて。
……。
……。
……ふっ。
……。
そ、然ういうことなら、あたしは、構わないよ……。
……まことさん。
そ、然うか、腰の筋肉に……ふふ。
……笑い過ぎです。
いや、だって……。
……。
言われてみれば、腰周りの筋肉に触ることって、あまりないかも、知れないね……?
まことさん、笑い過ぎです。
ごめん、でも、可笑しくて……。
……此れでも、わりと触っているんです。
え……?
……腰に、手を回すことだってあるんだから。
……。
だけど……だけど、こういう機会はあまりないから、だから。
……ふはっ。
ま、まことさん。
い、良いよ、好きなだけ、触って……。
いい加減、笑い過ぎです。
背中から、腰にかけて……好きなだけ、ね。
……背中。
どうせだから、背中も。
……良いんですか。
あぁ、良いよ。
……本当に。
本当に。
……ありがとうございます。
うん……うん?
……。
お、おぅ……。
……力が入ってない時の、背中も。
此れは……くすぐったいかも。
……やっぱり、とても良い。
ぅ……。
此処から……此処まで。
それから……。
……うーん。
……。
本当に、好きなんだね……。
……筋肉と骨格が、好きなんです。
……。
でも私、誰かに近寄ることも……医行為の範囲外で触れることも駄目だから。
遠くから、眺めることしか出来なくて……。
……駄目で、良かった。
はい……?
……でなければ、あたし以外のひとの躰にもこんな風に触っていたんだろうから。
……。
……。
……好きだから、触れる。
亜美さん……。
比べたことも、比べることもないけれど……。
……。
私……まことさんの躰が、一番好きです。
ん、ありがとう……嬉しいよ。
……今のように、落ち着いている時も。
……。
動いている時も……。
……。
……どちらも、好き。
あの……亜美さん。
はい、なんでしょう……。
……ちょっと、妙な気分になってきたんだけど。
……。
いや……好きだと言われながら、躰に触れられているとね。
……。
……いや、かな。
封信のお話が、未だ。
……うん、然うだよね。
……。
う、ぁ……。
……でも、明日で良いかも。
あ、明日……?
……なんて、遅くなってしまいますよね。
……。
きゃ……っ。
亜美さん。
……。
次は、あたしの番だ。
……。
……布団はもう、敷いてある。
然う、ですね……。
……ならば。
……。
……。
……ゆうべも、したのに。
二晩、続けてしてはいけないなんて決まりはないよ……。
……ぁ。
何処にも……ない。
……まこと、さん。
亜美さん……亜美。
……決まりは、ないけれど。
ちゃんと……。
……寝かせて、呉れる?
あぁ……約束する。
……。
……だめ、かい。
余裕が、ない……?
……あまり、ない。
……。
だけど、亜美さんが……ぅ。
……明日の晩は、しないわ。
……。
……しない、から。
18日
お帰り、亜美さん。
はい、ただいま帰りました。
まことさんも、お帰りなさい。
うん、ただいま。
往診に行ってきたのかい?
往診も兼ねて、お薬を届けに。
あぁ、お薬か。
このまま、まことさんをお迎えに行こうと思っていたのですが……一足、遅かったですね。
今日は少し、早めに切り上げたんだ。
来て呉れると分かっていたら、待っていたんだけど。
ううん、寧ろ良かったです。
良かった?
帰ってきた時、家にまことさんが居て呉れるのは嬉しいので。
もう、手は洗ったのですか。
うん、もう洗った。
ほら、見て。
ふふ、とても綺麗です。
だろう?
はい。
此れから、夕ごはんの支度をするから。
私も、手を洗ってから。
ううん、亜美さんは片付けがあるだろう?
……。
ね。
……お願いします、まことさん。
ん、任せて。
直ぐに片付けてしまいますから……。
急がなくても、良いよ。
大事なものを、片付けるんだからさ。
……はい。
うん。
……。
……ん?
よいしょ……。
……。
……。
……ねぇ、亜美さん。
はい、何でしょう?
肩を、気にしているようだけれど……若しかして、痛む?
いえ……痛みは全くありません。
痛みはなくても、違和感がある……?
違和感と言う程では、ないのですが。
昼間に、あたしが揉み解そうとしたから……今になって、何か。
……。
亜美さん、若しも然うなら……。
……肩周りが、今でも軽く感じるんです。
軽く……?
まことさんに揉み解して貰って……それからずっと、肩が軽くて。
……。
凝っていたものが、すっきりと解れたような……一時的なものだと、思っていたのですが。
……詰まり、問題はない?
はい、全く。
そ、然うか……良かった。
あたしはてっきり、何かまずいことになったのかと……。
明日まで続くと良いな……と。
……。
そんなことを、ぼんやりと考えていたんです。
も、若しも。
……。
望んで呉れるのなら、明日もしてあげるよ。
明日も、ですか。
あぁ……今日と同じように、お昼の後に。
……。
遠慮は、要らない。
……若しも。
若しも……?
凝りを感じるようなことがあったら、その時は、お願いするかも知れません。
あぁ……その時はどうか、お願いして欲しい。
……まことさんは、大丈夫ですか。
あたしは、大丈夫だ。
……揉み解して、欲しいとは。
肩回しだけで、足りるから。
……いえ、肩ではなく。
うん?
……腰。
腰……。
……良かったら、私が。
あ、亜美さんが?
……一応、私も習ってはいるので。
え、然うなのかい?
……えぇ、まぁ。
じゃあ、今日のお昼にあたしがしたことは……。
……知識と技術は、別物です。
え……?
私は、鍼灸は良いのですが……按摩はどちらかと言えば、不得手で。
……。
まことさんは手が温かいから……より、効果的なのだと。
……ね、亜美さん。
はい……。
習ったのは……その、大学で?
……大学でも少し習いましたが、専門ではありませんでした。
他に、亜美さんに教える者が居た……?
……。
……学姐?
はい……然うなります。
……上手だった?
知識と技術は、全くの別物だと……私に教えて呉れました。
……成程、あまり上手ではなかったのか。
手は、冷たいし……。
……手の温かさは、大事なのかい?
はい、とっても。
そ、然うなんだ……。
今、思えば……まことさんが、私にして呉れたことは。
……うん。
学姐から教わったことに、良く似ていると……。
……やっぱり、然うか。
気持ちの良さは、雲泥の差ですが……。
……。
……まことさんは、隊長さんから教わったと。
まさかでは、もう、ないな……。
……どちらが教えたんでしょうね。
亜美さんの学姐だと、思うけど……。
教えて、隊長さんにやらせた……あのひとなら、有り得る話です。
或いは、隊長が教えて、亜美さんの学姐が隊長に……。
……ないとは、言い切れませんが。
……。
……。
……まぁ、どちらでも良いか。
然うですね……そこまでは、気になりませんし。
……亜美さんの肩は、大丈夫なんだよね。
はい……大丈夫です。
ん……良かった。
……。
さて……。
……躰が凝っていると言えば。
うん……?
……目が悪いから、凝りやすいと。
目が、悪い……?
……あと、眼鏡を掛けていても。
めが、ね……?
……視力を矯正する為の器具のことです。
……。
学姐は視力があまり良くなくて、眼鏡を掛けていたのです。
……しりょく。
視力とは、目で物体を識別する能力のことで……。
……。
大雑把に言ってしまうと……見る力のことです。
然うか、見る力か。
学姐は近視で。
……きんしって?
距離が離れる程に目の焦点が合わなくなり、ぼやけて見えるようになることです。
ぼやけて、見える……。
まことさんは今、私の顔がはっきりと見えていますよね。
勿論、はっきりと見えているよ。
亜美さんは、今日もきれいだ。
学姐の目は、此の距離でもぼやけてしまうそうです。
え、此の距離でかい?
目と鼻と口の位置は分かるみたいなのですが、その形をはっきりと捉えることは出来ないと。
こんなに近いのに……ということは、此れ以上離れたら。
例えば、ひとが少し離れた所に居るとします。
うん。
ひとが居るという認識は出来ますが、
ぼんやりとしか見えないから、そのひとが誰かまでは分からない?
はい、その通りです。
然うか……それは、難儀だな。
でも。
ん?
学姐は見えていないにも関わらず、ある程度の判別は出来てしまうんです。
……。
知っている者であれば、姿かたちや立ち居振る舞い、あとは気配などで大体は分かると。
……それは、見えていると言っても良いのでは。
然うですね……けれど、知らない者は流石に分からないようなので。
然うか、然うだよな……流石にな。
然ういうひとの為に、眼鏡はあるんです。
それを掛ければ、見えるようになるんだね。
はい。
学姐は、亜美さんのことは分かったんだろう?
……。
あれ。
……それはもう、怖いくらいに。
怖い、くらい?
……寧ろ、私が分からないことの方が多く。
うん……それって。
……気が付くと、背後に居ることがあって。
……。
……たちが悪いことに、気配を消すのが無駄に上手なんです。
防人だったら、斥候に向いているかも知れない……。
……向いているかも知れませんが、体力はあまりないので。
然うか……まぁ、防人になんてなるものではないが。
……。
益々、どんなひとなのか……。
……まことさんは、若しかしたら。
ん?
あ……いえ。
若しかしたら、なんだい?
……。
昔のことかい?
……若しかして、検査を受けたことがあるのではないかと思って。
検査?
視力……見る力の検査です。
んー……どうだったかな。
……恐らく、防人検査の時に。
防人検査……然ういや、目を測るとかなんとかって言われて、遠くの……旗、だったかな。
そんなのを、見させられたような憶えがある。
……多分、それです。
良い目だと、偉そうなひとに褒められたような気がするけど、良くは憶えてない。
……まことさんは良い目を持っていると、私も思います。
亜美さんも?
……はい。
ふふ、然うか。
……まことさん?
亜美さんに褒められると、とても嬉しい。
……大事にして下さいね。
うん、大事にするよ。
亜美さんに褒められた目だからね。
……。
へへ。
……最近のまことさん。
うん、なに?
……どこか子供のようで、可愛いですよね。
え、子供?
……笑い方が、どことなく少年のようで。
しょ、少年……?
……少年という言い方は、男女問いませんから。
そ、然うか……まぁ、別に良いけど。
……。
少年って、どれくらいの……?
……十代半ばくらいの。
十代……。
……そんなまことさんも、可愛いと。
か、可愛いか……然う、か。
……。
十代半ば、か……。
……ごめんなさい、気を悪くさせてしまいましたか。
ん、いや……そんなことは、全くないよ。
……。
あたしさ……防人になったのが、十代半ばの頃だったんだ。
……あ。
あの頃は、こんな風に笑えていなかったなって……ふと、思ってさ。
……。
だけど、悪くはないな……もう、三十路だけれど。
……まことさん。
三十路なのに、子供っぽくて。
……素敵だと思います。
素敵、かな。
はい……私は、少年っぽく笑うあなたのことも好きです。
あ……。
……愛して、います。
亜美さん……。
……ん。
ありがとう……あたしも、愛しているよ。
……うん。
……。
……あの、まことさん。
うん……今、離す。
……。
……亜美さん。
此れくらいの、距離なら……。
……ん?
はっきりと、見えるかも知れません……。
……あぁ。
こんな近くで接したことは、ありませんでしたが……。
……あったら、困る。
困る……?
……こんな近くで、亜美さんの顔を見るなんて。
……。
ん……亜美さん?
……私、近くに寄られるのが苦手なんです。
それは……学姐でも?
……あなたに逢うまで、例外は居ませんでした。
然うなんだ……。
……声が、弾んでいます。
少年みたいかい……?
……可愛い。
亜美さんだって……。
……私は、ただの三十路ですから。
そんなことないさ……。
……そんなこと、あります。
あたしは、十代半ばの女の子と接することはほとんどなかったけど……。
……うさぎちゃんと美奈子ちゃんは?
あの子達は……まぁ。
まぁ、なんですか……?
……亜美さんのような可憐さは感じないから。
……。
此処だけの、話……。
……もぅ、まことさんったら。
は、はは……。
……私に、可憐さなんて。
あるよ……笑い方なんて、まさに。
……。
……出逢った頃から、亜美さんは可愛かったけれど。
三十路、なのに……。
……お互い、なんだろうな。
まことさんは、分かりますけど……。
……あたしは、亜美さんだったら分かる。
……。
はは。
……ふふ。
……。
ん……まことさん。
……折角、こんなに近くに居るのだから。
もう、調子に乗って……此れ以上は、だめですよ。
……分かってる。
……。
……可愛いな。
まことさんも……。
……はは。
ふふ……。
……。
……まことさん、そろそろ。
ん……また、夜に。
……。
抱き締める、だけ……。
……だと、良いけれど。
亜美さんが嫌なら、しない……。
……。
……。
……今日こそ、封信のお話を。
ん……然うだね。
……。
ねぇ、亜美さん。
……なんですか、まことさん。
目が悪いと、どうして躰が凝るんだい?
あと、眼鏡を掛けていても凝りやすいと。
眼鏡をずっと掛けていると、目が疲れて……目が悪いと、目に無駄な力が入って。
目に力……?
……まことさん、驚かないでね。
え……?
……。
え……え?
……。
あ、亜美さん、そ、その、怒ってる……?
……。
で、でも、どうして……わ、悪いことをしたのなら、謝る。
謝るから、ゆ、許して欲し
目に力が入るとは、こういうこと。
……い?
目を細めると焦点が合うから、まるで睨みつけるようになってしまう。
此れは、目が悪いひと特有の行動なの。
……。
まことさん?
お……怒っているわけでは、ない?
怒ってなんか、いないわ。
そ……そっかぁ、良かったぁ。
驚かないで、と、前以て言っておいたのに。
いや、それでも、初めてだったから……。
……初めて?
亜美さんに、睨みつけられるのは……。
……。
こ……怖かった。
……そんなに怖かった?
うん、怖かった……嫌われてしまったのかと思った。
もう、大袈裟ね……そんな急に嫌うわけないじゃない。
そ、然うかも知れないけど……。
……。
ん……あみさん。
……嫌いになんて、ならないわ。
……。
睨みつけることは、若しかしたら、あるかも知れないけれど。
……然うならないように、気を付ける。
……。
心から、気を付ける……。
……そんなに。
17日
うん。
どうでしょう?
此れは、良いかも知れない。
肩や首など、痛くはありませんか?
あぁ、痛くはないよ。
どちらかと言うと気持ちが良い。
……。
ん、亜美さん?
ごめんなさい……気になるとは思いますが、そのまま続けて下さい。
分かった、じゃあ続けるよ。
……はい。
ふぅ……。
……。
あぁ、気持ちが良いな……此れは確かに、解れているような気がする。
……肩甲骨が、滑らかに動いている。
ん?
……見てみたい。
え、なに?
……なんでもないです。
今、見てみたいと。
……。
何を、見てみたいんだい?
……本当になんでもないの。
若しかして、あたしの肩甲骨?
……。
ふふ、然うなんだな?
……私は、肩が痛むんです。
うん?
……同じことを、すると。
……。
一応、回すことは出来るのですが。
……痛むのは、どちらの肩だい?
右肩です。
右か……回している間、ずっと痛む?
……腕を後ろに引いた時に。
痛みは、どれくらい?
……回せなくなる程の痛みではないです。
でも、放っておかない方が良さそうだね。
……酷くなると、呼吸に影響を及ぼすようになるんですよね。
呼吸に?
……肩甲骨の動きは、呼吸と密接に関係しているのです。
あ、うん。
肺には筋肉がない為、肺の膨張と収縮を支えるのは周りの骨と筋肉なんです。
肩甲骨だけでなく胸郭や横隔膜なども重要なのですが、筋肉が硬直していると、胸郭と肩甲骨の動きが制限されてしまい、肺に十分な空気が送り込まれなくなるんです。
それは、大変だな……?
はい、呼吸困難にもなりかねません。
それは、大変だな。
亜美さんは未だ、そこまでではないんだろう?
はい、私は未だそこまででは。
未だということは、放っておいたら。
然うならないとは、言えません。
ならない為にも、筋肉を解して柔らかくしてやれば良いんだね。
先ずは肩甲骨周りの筋肉を柔らかくし、肩甲骨の動きを改善しなければなりません。
改善すれば、呼吸が苦しくなることもない。
筋肉が柔軟性を取り戻せば、呼吸は楽になりますので。
然うか、ならば少しずつでも続けなければいけないね。
然うなんです。
あたしと続けよう、亜美さん。
……はい、まことさん。
うん。
……はぁ。
ん、亜美さん?
なんですか?
今、溜息を。
呼吸をしただけです。
苦しいと言うわけでは、
ありませんので、心配しないで下さい。
……。
……。
……然ういえば、亜美さん。
まことさんの躰は、本当に柔らかいですね。
え、柔らかいかな。
筋肉が、とても柔らかいです。
あぁ、筋肉か。
良い筋肉だと、いつも思っているんです。
いつも……?
……。
それはいつ、思っているんだい……?
……畑仕事をしている時などに。
他は?
などに、ということは、他の時もあるんだろう?
……。
見ているだけでは、分からないこともあると思うんだ。
触って、確認しないと……ねぇ、亜美さん。
……あるとしても、教えません。
教えて欲しいな……。
……。
どうしても……?
……どうしても。
むぅ……残念だな。
……腕回しはもう、十分だと思います。
ん、然うかい……?
……次に、して貰いたいことが。
さて、なんだろう?
でも、なんでもしよう。
……躰の後ろで手を合わせてみて下さい。
手を、合わせる?
……こんな風に。
あぁ。
くれぐれも、無理だけはしないように……無理だと思ったら、そこで止めて下さい。
分かった、やってみよう。
……。
ん……。
……。
……合わさっていると思うが、どうだろう?
はい、きれいに合わさっています……。
然うか、良かった。
……すごい。
ん……すごい?
……私は、指の先がやっとで。
……。
……手の平まで合わせることは、出来ないんです。
それは……筋肉が硬くなっているから、かい?
……元々、そんなに柔らかい躰ではないということもあるのですが。
やわらかい、からだ……。
ずっと、思っていたけれど……やっぱり、まことさんの躰は私の理想だわ。
理想……あたしが?
……はぁ。
お……。
……もっと、触れたい。
あ、亜美さん……?
……なんでもないです。
いや、なんでもなくはないような……。
……聞かなかったことに。
無理、かなぁ……。
……なら、忘れて。
今夜で良いのなら、触らせてあげるよ。
……。
見て……そして、思うように触って。
……まことさん。
まぁ、今夜だけではないけれど。
……ゆうべ、触りましたから。
もっと、触れたいんだろう……?
……それはつい、口から漏れてしまっただけで。
ということは、本音だ。
……手、元に戻して良いですよ。
ね……今夜、どうだい?
……。
腕でも、肩でも、背中でも、腹でも……亜美さんが、触りたいところに。
……柔軟運動は、此処までにしておきましょう。
え?
……まことさんも、畑に戻る頃合いでしょうし。
いや、未だ大丈夫だよ。
……。
亜美さんが未だ、していないだろう?
……私は後で。
肩甲骨の柔軟。
……。
あたしに、見せて欲しい。
……面白いものではありませんよ。
別に、面白いものが見たいわけではないよ。
……痛がっている様を、見たいのですか。
まさか、そんなわけないだろう?
あたしはただ、少しでも亜美さんの手助けをすることが出来たら良いと思っているだけだ。
……。
亜美さん……?
……分かりました。
うん。
……良かったら、触ってみて下さい。
良いのかい?
……然うすれば、私の筋肉が如何に硬いか分かると思いますから。
あたしに、分かるだろうか。
……分からなくても良いから、触っていて。
……。
……何ですか。
いや……。
……。
……あたしが知っている亜美さんの躰は、柔らかいから。
それとは、違います。
……。
……その柔らかさとは。
ふふ……然うか。
……何が可笑しいのですか。
いや……なんだか、妙な気分に。
……ばか。
はい……。
……。
……。
……では、回します。
うん……良いよ。
……。
……。
……う。
痛いかい?
……少し。
無理は、しないで欲しい。
……未だ、大丈夫です。
……。
ふぅ……。
……。
……ぅ。
うん……動きが、硬いかも知れない。
……どちらも、ですか。
左の方が若干、柔らかいような気がするけど。
……時間の問題ですね。
……。
……。
……だけど、此れを毎日繰り返せば。
少しずつですが、解れていく筈です……。
……寝る前にするのは。
……。
だめかな……。
……だめでは、ありません。
なら……寝る前にも、しよう。
……。
いやかい……?
……別に、いやではありません。
ん……なら、今夜にも。
……。
亜美さん……。
……学姐は、此れ以上だったんです。
此れ以上……?
……私よりも、硬くて。
ということは、柔軟運動を……。
……一緒に、やらされました。
……。
あなたも必ず硬くなるわよ、と言われて。
……あぁ。
実際、肩凝りはあったのですけど……。
……一緒にやって、解れたかい?
……。
はは……然うなんだね。
……解れると、頭も軽くなるんです。
頭も……それは、良いな。
……はぁ、まだまだ硬い。
焦ることはないさ……ゆっくり、続けていこう。
……。
だから……今夜も。
……柔軟運動しか、しませんから。
あぁ……するのは柔軟運動だけ、だ。
……。
……亜美さん、少し横になって貰っても良いかな。
今、ですか……。
……うん、今。
……。
若しかしたら、少しだけ解してあげられるかも知れない。
……それは。
昔、教わったんだ。
それは……隊長さんに?
まぁ、然うなる……。
……。
……教わったこと以外は、しない。
約束ですよ……。
うん……約束だ。
……うつ伏せで、良いですか。
うん、先ずはうつ伏せで。
……。
途中で、横向きになって貰うと思う……。
分かりました……お願いします、まことさん。
あぁ……。
……。
力は、抜いて……腕を回す時と同じように、呼吸は深くゆっくりと。
……はい。
……。
ぁ……。
……ごめん、強かったかい?
いえ……大丈夫です。
……ん。
……。
……昔、褒められたんだ。
隊長さんに、ですか……。
……隊長にしか、しなかった。
……。
良いように、使われてさ……。
……然う、ですか。
……。
ん……ん。
……問題があったら、直ぐに言って。
いえ……とても。
……とても?
気持ちが、良い……。
……。
……ふふ。
な、なんだい……。
……思わず、声が漏れてしまいそう。
……。
まことさんは、上手なんですね……。
う……うん。
……だから、隊長さんは。
隊長の躰は、硬いんだ……。
……。
……同じようにしたら、壊してしまう。
隊長さんの、筋肉は……。
……今の、あたしより。
今の、まことさんより……?
……教えない。
どうして、です……?
……教えたくないから。
どうしても……?
……どうしても。
然う……残念。
……。
……屹度、まことさん以上の筋肉ではないと思っているのに。
……。
好みが、ね……あるの。
……そ、然うなんだ。
然うなの……。
……然う、か。
まことさんの筋肉は、柔らかくて、形が良くて……私、好(ごの)みで。
あ、あぁ。
……なに?
な、なんでもない。
若しかして……照れているの?
と言うより……夜に、聞きたい。
……夜。
然う、夜……。
……。
し、しかし。
……なぁに。
役に立つとは、思わなかった。
……あぁ、ん。
あ。
……。
や……なんでもない。
……もぅ、まことさん?
ご、ごめん……。
……妙な気分には、ならないで。
……。
ならないで……?
……なるなら、夜に。
然ういう問題では、ありません。
……はい。
……。
気持ち、良いかい……?
……此のまま、だと。
だと……?
……眠ってしまいそうな、くらいに。
16日
ふぅ、取り敢えず此処までかな。
まことさん。
亜美さん。
そろそろ、朝ごはんにしませんか。
若しかして、迎えに来て呉れたのかい?
はい。
嬉しいなぁ。
実は、お散歩も兼ねているんです。
お散歩、か。
はは、それは良い。
どうも最近、躰が鈍っているような気がするんですよね。
ん、然うかい?
往診で毎日、歩いていると思うが。
歩いてはいるのですが、肩甲骨付近の筋肉がどうにも凝り固まっているような気がするんです。
ですので、柔軟運動も取り入れようかと。今も、家の前で肩甲骨を動かしてきたんです。
あぁ、然うなのか。ならば、あたしと躰を動かそう。
あたしは毎日でも構わない。亜美さんに合わせるよ。
まことさんは毎日躰を動かしていますし、特段、凝っているようには見えないのですが。
あたしも此処の所、腰がいまいちな時があってさ。
ほら、動かしていても筋肉は疲労で凝ることもあるって言うだろう?
あぁ……腰、ですか。
躰を解したいのならば、ふたりでした方が良いと思うんだ。
勿論、ひとりでも良いと思うが……ふたりですれば、支え合うことも出来る。
効率も、良いかも知れないよ。
然うですね……ならばお付き合いして貰っても良いですか。
あぁ、喜んで。
ありがとうございます。
早速、今夜にでも。
いいえ。
ん?
お昼にしたいと思います。
お昼……ごはん休憩の後かい?
はい、然うです。
然うか、分かった。
まことさんはどうして夜に?
夜は一日の終わりだし、躰を解すには良いかと思ったんだ。
あぁ、成程。
けど、昼が良いと亜美さんが言うのなら昼にしよう。
考えてみれば一日の真ん中なわけだし、それはそれで良いと思う。
……。
ん、なんだい?
いいえ、別に。
うん?
なんでもないですよ。
然うかい?
はい、然うです。
然うか、なら良いや。
……。
ところで、亜美さん。
なんでしょう、まことさん。
申し訳ないけれど、もう少し待っていて貰っても良いかい?
直ぐに、片付けてしまうから。
はい、分かりました。
待たせてしまって、済まない。
いいえ、私が来たくて来たのですから。
此方こそ、何も言わずに来てしまってごめんなさい。
嬉しいよ、来て呉れて。
急がなくても良いですからね。
あなたを待っている時間も、私は好きなのですから。
へへ……うん。
……。
よいしょ、と。
……ふぅ。
気持ち良いかい?
はい、とても。
秋の朝は冷え込む日が多くなるが、爽やかで良い。
私は、春と夏の朝も好きですよ。
うん、春と夏も良いね。
冬の朝も、良いですよ。
冬の朝は、空気が冷たくて寒い。
張り詰めたような空気は、気を引き締めるのに丁度良いのです。
冬の朝は、布団の温もりの方が好きだな。
亜美さんと、ゆっくり過ごせるし。
冬のまことさんは、お寝坊さんですよね。
冬だけだから、許して欲しい。
雨の日も、たまにお寝坊さんになりますけれど。
たまにだから、許して欲しい。
初めての時は、吃驚したんですよ。
うん?
今日は雨が降っていると言いながら、お布団に戻されたこと。
いつも私よりも早く起きて身支度を整えるあなたが、そんなことをするだなんて。
……そんなこと、あったね。
それからも、ありましたね。
……今でも、あるね。
はい、ありますね。
……。
起き上がろうとする私の手首を掴んで。
……手荒なことは、していないと思っているんだけど。
……。
た、たまに、手荒かも知れない……。
……ふふ。
ごめんよ。
手荒と言うより、力強い。
……え、と。
私の力では到底、振り払うことは出来ないのです。
……嫌だったら、強く言って欲しい。
嫌だったら、強く言います。
……うん。
でも、強く言わなくてもちゃんと伝えれば、あなたは離して呉れますから。
亜美さんが嫌がることは、極力、したくない。
今でも。
そして、此れからも。
……あなたは、やっぱり誰よりも優しい。
亜美さんにだけだ。
……。
ねぇ、亜美さん。
……なんでしょう、まことさん。
亜美さんは、そんなことは言わないと思っているが。
……?
優しくしないで欲しいと、言わないでおくれよ。
……はい?
そんな願いは、叶えてあげられそうにないから。
……今の所、言うつもりはありませんが。
然うか、安心した。
けれど、どうしてそんなことを言うのですか?
うん……何やら、優しいばかりでは詰まらないと。
詰まらない……?
……一緒になって数年も経つと物足りなくなってくる、とも。
それは、誰が。
……。
分かりました、言わないで良いですよ。
……ごめん。
ねぇ、まことさん。
……なんだい、亜美さん。
私はあまり、然ういうのは求めていません。
……はい、改めて憶えておきます。
ふふ。
……はは。
……。
亜美さん。
……はい。
家に、戻ろうか。
もう、良いのですか。
あぁ、もう良い。
分かりました、では戻りましょう。
うん。
……。
今朝は、良い朝だ。
……毎朝、言っていますよね。
亜美さんが居れば、毎日、良い朝だ。
大雪が降っていても?
それは……まぁ、それでも、良い朝だ。
……何故?
何故なら、ひとりではないから。
……。
あたしには、もう……。
……ねぇ、まことさん。
ひとりで寝起きするなんて、どの季節であろうとも、出来そうにない。
もう、二度と……ひとりだったあの頃には、戻れない。戻りたくない。
……。
だから亜美さん、君が居て呉れる朝はあたしにとって、いつだって良い朝なんだ。
朝だけじゃない、昼も、夜も……どうだろう、答えになっているだろうか。
……はい、なっています。
ん……良かった。
……。
何か、言い掛けたね。
ごめんよ、遮ってしまった。
ううん……あなたと同じことを言おうと思ったの。
あたしと……。
……。
……然うか。
……。
……。
……都に居た頃。
都……?
……ごめんなさい、突然。
いや、構わない……聞かせて。
……何度か、学姐の部屋に泊まったことがあるんです。
学姐の部屋に?
はい……私はいつだって、帰るつもりで居たのですが。
まさか……無理矢理?
いいえ……。
……だとしたら。
いつだってあのひとは、私の知的好奇心をくすぐってくるんです。
ちきて、こうきしん……。
……読んでみたいと思っていた書物が、何気なく机の上に置かれていたり。
それは……くすぐられるね。
研究報告の際に使用する要約……しかも、報告前のものを誰よりも先に見せてやっても良いと、何気なく言ってきたり。
あぁ……。
時には、大量の書物を虫干しにするから手伝えと……。
……手伝いが、終わったら。
帰るつもりでいたんです……でも。
……虫干しをした書物を、読んでしまう?
だって、一晩だけなら読んでも良いと言うから……どうしても、抗えなくて。
……。
あのひとの部屋には、希少な書物が多くあったから……。
……甘味に釣られたことは。
それは、ないですよ。
あ、はい。
……確かに、決まって美味しい羊羹とお茶が用意されていましたけれど。
……。
だからって、釣られたわけではないの。
……あはっ。
まことさん。
ごめんよ、つい想像してしまって……だけど然うだね、亜美さんが甘味に釣られるわけがないよね。
……。
兎に角、亜美さんは何度か水瀬さんの部屋に……?
……水瀬さん。
え、えと……学姐の部屋に。
良いですよ、水瀬さんでも。
あ、いや……。
此れからは、隊長さんのことは御雷さんと呼びますので。
……御雷、さん?
お名前の方が良いですよね。
いや、隊長は隊長で良いよ。
どうしてですか?
折角知ることが出来たのですから、此れからはお名前で呼んだ方が良いと思うのですが。
まことさんも学姐のことは、水瀬さんと呼ぶのでしょうし。
……。
眉間に皺が寄っていますよ。
……亜美さんが、然う呼びたいのなら。
まことさんも、学姐のことを名で呼びたいのですよね。
……あたしは。
ふ。
……亜美さん。
お布団の中でないのなら、許します。
……布団の中?
他のひとの名前なんて、聞きたくないので。
……あ。
まことさんは、
布団の中では、呼ばない。
……。
あたしも、布団の中では聞きたくない。
そもそも他の誰かのことを話すなんて……必要がない限り、避けたい。
……。
それで、良いだろうか。
……はい、良いと思います。
うん。
……。
都に居た頃……亜美さんは学姐の部屋に泊まることがあったんだね。
……はい。
……。
……私は幼い頃から、与えられた己の部屋で、いつもひとりで寝ていたから。
うん……。
……学姐の部屋だと、どうしても眠りが浅くなってしまって。
眠れなかった……?
どちらかと言うと……でも。
……でも?
寂しさを感じることは、なかったんです。
……然うだと、思う。
……。
……結局、慣れたのかい?
いいえ……最後まで、慣れることはありませんでした。
……。
ね、まことさん……。
……ん。
ひとりにはもう、戻れない……私に然う思わせて呉れたのはまことさん、あなただけ。
……。
あなただけなの……。
……学姐には。
思わなかったわ……。
……少しも?
少しも……。
……然う、か。
ん……然うなの。
……。
……まことさん。
亜美さん……寒くはないかい?
大丈夫です……ちゃんと着てきましたから。
手は、冷たくないかい。
手は……いつも、冷たいですから。
……。
……。
……汚れて、いるけれど。
朝ごはんの前に今一度、洗おうと思っているんです……。
……。
……良いですか。
うん……亜美さんさえ、良ければ。
……良いに、決まっています。
……。
……ね、まことさん。
なんだい……?
御雷さんとは……。
……。
まことさん……?
……なんでも、ない。
なんでもない……本当に?
……やっぱり、なんとも言えない気持ちになる。
……。
……けど、聞き慣れてしまえば。
ね。
……ん?
学姐のことを、名前で呼んでみて下さい。
……え?
お願いします。
それは、良いけれど……。
……。
水瀬さん。
……。
……亜美さん?
うん……。
……どうした?
やっぱり……なんとも言えない気持ちに、なりますね。
……。
慣れるまで……。
……ひとつ、良いかい。
はい……どうぞ。
……名で呼ぶ時は、本人が居る時にしないか。
……。
それならば……まぁ、仕方のないこととして。
……あと、封信を書く時ですか。
うん……どうかな。
……。
本人に会えるかどうかは、分からないけど……だけど、いつかは会えるかも知れない。
……まことさんの眉間に、深い皺が刻まれてしまいそう。
皺……?
……然う、皺。
皺、か……。
……私も、あなたのことは言えないと思うので。
……。
……然うしましょうか、まことさん。
うん……然うしよう、亜美さん。
はい……では、その時が来るまで。
15日
……改めて、今宵もきれいだ。
あ……。
……。
……良い匂い。
まことさん……もう。
……唇を、寄せただけだよ。
駄目よ……此れから、お返事のお話をするのだから。
ん……分かってる。
……本当に、分かっているの?
うん、分かっているよ……お返事、なんて書けば良いかな。
……私は、お祝いの言葉だけでも良いと思っているわ。
それだけでは、幾らなんでも味気ないと思うが……。
良いの……あのひとには、それだけで十分なんだから。
でも、なぁ……亜美さんはそれで良くても、あたしはなぁ。
……どうして?
亜美さんの学姐、だからだよ。
……別に、気にしなくても良いと思うけれど。
拙い返事を書いて、若しも、亜美さんに相応しくないと思われたら……。
それは、ないと思うわ。
……言い切れるもの?
ええ、言い切れる。
……実は、あたしに興味ない?
それも、ないと思う。
んー……?
興味があるからこそ、あなたからの返事が欲しいと書いてきたの。
興味がなかったら、そんなことは書かない。どうでも良いことに、時間を使わない。
……あたしは、どうでも良くない?
然うとしか、思えない。
……ふむ。
仮令相応しくないと思われたところで、私はあなたから離れない。
学姐にとやかく言われる筋合いなんてないのだから。
……詰まり。
あなたはあなたが思うように書けば良い。
私は、然う思うわ。
……然うか。
あぁ、でも。
……え?
定型句は嫌うから、そこは避けてね。
ていけい、く?
時候の挨拶は特に、無駄だと思っているから。
えーと……。
挨拶と名乗り、書き始めはそれで良いわ。
分かった……ならば、然うする。
あとは、あなたが思うように。
……長い方が、良いだろうか。
いいえ、長ければ良いというものではないわ。
無駄に長くなるよりも、短くとも言いたいことがまとまっていた方が良い。
あぁ……。
難しく考えないで良いの。
あなたが思うように、書けば良いだけ。
……亜美さんをしあわせにします、とか?
……。
え、だめ……?
別に良いとは、思うけれど……。
……やっぱり、だめかな。
ごめんなさい……それは、笑われるかも知れないわ。
……。
でも、まことさんが書きたいと思うのならば……書いても、良いと。
……可笑しい、かな。
ううん、可笑しくはないの。
……でも、笑われるんだろう?
……。
亜美さん……?
……恐らく、お腹が痒くなると。
お腹が、痒くなる……?
……学姐は、然ういう体質のひとなの。
たい、しつ……。
茶化しているわけではなく……ただ、こそばゆくなるみたいで。
そ、然うなのか……。
……どうせなら。
うん……?
私をしあわせにします、と書くより……。
う、うん……。
ふたりでしあわせに暮らしています、と。
……あ。
書いて呉れた方が……私としては、嬉しい。
……。
でも、まことさんが
わ、分かった、然う書くことにする……。
……。
然う、書くよ……。
……あぁ。
亜美さん、どうした……?
……こそばゆい。
……。
……お腹ではなく、背中が。
あぁ……然ういうこと、か。
……まことさんは、どう?
あたしの場合は……首の後ろが、こそばゆいかな。
……場所は、違えど。
こそばゆいには……変わりない。
ぁ……。
……亜美。
まことさん……。
……。
ん……もぅ、だめ。
……と。
お話は、未だ、終わっていないの……。
……然うだった。
……。
ところで、亜美さん……。
……なに。
亜美さんの学姐は、どうしてあたしのことを知っているのだろうか……。
……。
いつぞやの返事に、あたしのことを書いた……?
……それは。
然うなんだろう……でなければ、あたしのことを知っているわけがない。
……暮らしを助けて呉れる方が、居ると。
暮らしを、助けて呉れる……?
……それ以上のことは、書いていないのだけれど。
……。
……暮らしを、と書いたのが間違いだった。
あぁ……それで、勘付かれた?
……それでも未だ、連れ合いだとは知らせていないの。
……。
だから……此の機会に。
……隊長は何故、亜美さんの連れ合いがあたしだと気付いたんだろう。
……。
行先は告げずに、別れた……と言うより、未だ決めていなかったのに。
……学姐が調べたのかも知れない。
調べた……どうやって?
……郵人に、ちょっとしたものを握らせて。
ちょっとしたもの……そんなこと、出来る?
まことさんは、隊長さんが戦人を辞めたことは知っている?
あぁ、辞めるとは言っていたような気がする。
辞めた後、暫くの間、郵人をしていたみたいなの。
……は?
残念ながら、もう辞めてしまったようなのだけれど。
……それって。
学姐の傍に居る為に。
郵人は配達で家を空けることが多いから。
……そんなこと、分かり切っていただろうに。
上手く、使われたのだと。
……村に配達に来なくて、良かった。
再会出来たかも知れないのに?
なんとも、言えないな……確かに、世話にはなったけれど。
……私はお会いしてみたかったわ。
……。
そんな、苦虫を潰したような顔をしなくても。
……なんとも、言えない。
まことさんは、学姐に会ってみたいとは思わない?
……。
まことさん?
それは、まぁ……会って、みたいと。
それと、同じことよ。
……亜美さんは。
まことさんは目移りしないと信じているから。
するわけがない。
学姐は美人よ。
亜美さんはもっと美人だ。
それに、顔だけで好きになったわけではない。
一目惚れだったのに?
それは……それは、然うなんだけど。
ふふふ……。
……内面は顔に出ると、言うだろう。
私の内面は、そんなに良いものではないわ……。
……あたしには、良かったんだ。
あ……もぅ、また。
……然ういえば。
ん……なに。
……亜美さんの学姐の名は。
……。
なんて、言うんだい……?
……言って、いなかった?
うん……聞いていないと思う。
……。
あたしが忘れているだけかも知れない……。
……知りたいの?
返事を、書くのだし……名を知らずに書くのは、礼を欠くと。
……。
亜美……。
……気になっていた?
うん……気になってた。
……もっと早くに、聞いて呉れれば良かったのに。
聞いて良いものか、分からなくて。
都のこと、だから……?
……それも、あるが。
他に……。
……亜美さんにとって、特別だったのかも知れないと。
特別……。
……学姐が。
……。
……違うかい。
然う、ね……特別と言えば、然うだったかも知れない。
……やっぱり。
彼女は、変わり者と呼ばれていたの。
……変わり者。
然う……。
……どちらから、声を。
学姐から……。
……やっぱり、然うか。
お使いを頼まれたのが、最初だと……。
……お使いが?
ん……甘味の。
や……お使いの話は、聞いていたけれど。
たまたま、冴えない顔をした私が其処に居た……と言うのが、理由だそうよ。
冴えない顔って……。
……その頃のことは、あまり思い出せないの。
……。
それを切っ掛けに、学姐に気に入られてしまった私は……それから何度も、お使いに行かされて。
何故か、断れないの……今日こそ、何を言われても断ろうと心に決めていても。
……どれくらいの頻度で、お使いに行ったんだい?
然うね……週に三度くらいは。
週に三度か……まぁまぁだな。
……本当、勝手なひとで。
学姐に頼まれたものだけを買ってきたのかい……?
勿論……でも、余ったお金で好きなものを買っても良いと。
……それで、亜美さんは。
買わなかったわ。
はは……然うだよな。
私はただ、お使いに行かされているだけ……言われていること以外のことはしない、望まない。
……お使いに行って呉れるから、買っても良いと言って呉れたんじゃないかな。
当時は、然う思わなかったの……なんせ、頭が固かったから。
……。
何度も、言われたわ……学姐に。
……。
そのうち、駄賃だと言って別に渡されて。
……それで、買うようになった?
あまりにも、固い固いと言われたものだから……餡蜜を。
ふふ、然うか。
……。
懐かしいかい……?
……あんなひとにも、お似合いのひとが居るだなんて。
……。
やっぱり、奇妙だわ……。
……それで、学姐の名は。
水瀬。
……みなせ?
水に、浅瀬の瀬と書くの。
成程……水瀬、か。
それは姓、それとも。
……名。
名……水瀬……。
……あまり、呼ばないで。
あ、うん……ごめん。
……ねぇ。
隊長の名、かい?
……教えて。
……。
憶えていない……?
……いや、憶えているよ。
教えたく、ない……?
……。
……私は、教えたわ。
御雷(みかづち)。
……御雷。
然う、御雷。
長いから、みかで良いと言われていた。
御雷……みか。
が、隊長を略称で呼ぶ者は居なかったよ。
……まことさんは。
呼ばなかった。
……。
姓か名か、そんなものは些末なことだからどうでも良いと。
……御雷に、水瀬。
なんだか……強そうだ。
……強そう?
名の響きが。
……。
あれ。
……ふ。
可笑しかったかい……?
……確かに、強そうね。
……。
何があろうとも、生き残れそうだわ。
……は。
可笑しかった……?
あぁ……とても。
……。
……さて、名が分かったところで。
お返事の、内容を……。
……話したいところ、なんだけれど。
……。
朝も、早いし……。
……まこと。
続きは、また明日に……。
……これ、は?
これは……まぁ。
まぁ……なぁに?
……だめかい?
お話は、明日なのに……。
……明日の夜は、出来ないかも知れないから。
……。
……欲しい。
どれだけ……。
……ぅ。
欲しがるの……?
……まだまだ、底は見えそうにないよ。
……。
底なんて、ないかも知れないけど……。
……。
……いや、ない。
仕方のないひと……。
……。
良いわ……でも、ちゃんと寝かせてね。
14日
-故郷(パラレル)
亜美さん。
まことさん、お帰りなさい。
うん、ただいま。
午前の畑仕事、お疲れ様です。
ありがとう。
患者さんは?
皆さん、お帰りになられました。
然うか、亜美さんもお疲れ様。
ありがとうございます。
なら、一緒にお昼を食べられるかな。
はい、一緒に食べましょう。
うん。
今、支度をしますね。
あぁ、その前に。
はい?
帰る途中で、此れを預かったんだ。
なんでしょう?
亜美さんに、封信です。
あぁ、わざわざありがとうございます。
今、読むかい?
お昼の支度は、あたしがするよ。
いえ、後でも。
良いのかい?
はい。
……。
まことさん?
こんなことを言っては、あれだが。
はい、なんでしょう。
あたしが、気になる。
……はい?
文の、内容……。
……。
封信は、何処から……。
……此度も、都からのようです。
然うか……都か。
……差出人を、確認していないのですか?
うん、亜美さんへの封信だから。
……あなたならば別に構わないと、言っていますのに。
言われては、いるのだけれど……亜美さんよりも先に確認するのは、どうも気が引けて。
……取り敢えず。
取り敢えず……?
……男性からではありませんよ。
そ、然うか。
ふふ……あからさまですね。
……いつか、あったろう。
……。
亜美さんを……君を、都から訪ねてきた男が居たこと。
……然ういえば、そんな方も居ましたね。
あれから、何もないことは知っているつもりなんだ……。
……だけど、気になる。
あたしは、自分で思っていた以上に……欲が、深いみたいで。
……あの方とは今も昔も、連絡を取り合ったことなんて一度もありません。
……。
訪ねてくるまで、顔も名前すらも忘れていたのですから。
……亜美さんが忘れるなんて、よっぽどだ。
私にとって、あの方はそれだけの存在に過ぎないのです。
……。
若しかして、あの方に同情していますか?
いや、していない。
然うですか……良かったです。
……改めて、嬉しいと思ってしまった。
嬉しい、ですか。
……あたしは、矢張り性格が悪い。
ならば、私も性格が悪いと。
……亜美さんが?
嫉妬して呉れるまことさんを見て、仄暗い喜びを感じているのですから。
ほ、仄暗い……?
喜びと雖も、明るい感情ではないと思うのです。
どちらかと言うと、普段は心の奥底に潜んでいるような。
……。
ともあれ、あの方とはあれきりです。
どうでしょう、今回も安心出来ましたか?
……他の男から。
ないですね。
……女から。
母と学姐以外からは、ないですね。
……はい。
そもそも、私が此の村に居ることを都で知る者は少ない筈なのです。それにも関わらず、あの方は訪ねてきた。然う、己の立場を利用して。
声を掛けられて何度か言葉を交わしたことがあるだけで、私からは一度も話し掛けたことはなく、名前も顔すらも憶えていなかったあの方が。
此の不気味さと恐怖が、まことさんには分かりますか。分かりますよね。
う、うん、分かるよ。
今なら、余計に。
何とも思っていない方から好意を押し付けられる程、気持ちが悪いことはありません。
あ、あぁ、然うだね。
知りもしない方から好意を寄せられて嬉しいと感じる方は居らっしゃるのでしょうが、残念ながら、私は然うではないのです。
私は、私が好意を抱いた方しか、受け付けない……それは、あなたから教わったことです。
あ、あたしから?
だって、あなたが居なければ私は屹度、誰にも好意を抱くことはなかったでしょうから。
……。
私は、あなただけなんです。
ふふ、重たいですよね。
あ、いや、そんなことは……その重たさが、あたしにはとても心地好いから。
然うなのですか?
然うなんです。
ふふ、然うですか。
それに、重たさで言えばあたしも負けていない。
心地好いですよ。
……。
あなたの、重みは……何よりも。
……亜美さん。
私達は……お似合い、なのでしょうか?
うん……お似合い、だと思う。
あたしも、亜美さん以外受け付けないから。
……届いたお封信が、都からで。
……。
私が知る、或いは憶えている方以外の者からだとしたら。
一応は目を通しますが、それ以上のことはしません。
……返事は。
内容にも依ります。
が、ないと言い切っても良いでしょうね。
……。
どうでしょう、改めて安心出来ましたか?
……はい、出来ました。
それならば、良かったです。
……はは。
ふふふ。
それで……その。
今回は、学姐からのようです。
そ、然うか。
何でしょうね。
気になるのなら、直ぐに。
いえ、特段別に。
……然うか。
と思ったのですが、まことさんが気になるようなので。
……。
お昼の支度、お願いしても良いでしょうか。
今からしようと思っていたんだ。
然うですか……では、お願いしますね。
うん、亜美さんはゆっくりと……。
ううん……直ぐに、読み終わりますから。
……分かった。
……。
亜美さんの学姐から、か……。
……まことさん。
なんだい?
どうやら、一緒になるようです。
……一緒に?
曰く、腐れ縁だった方と。
然うか、それは目出たいな。
何か、お祝いを
けれど、それはどうでも良いようです。
え。
……。
ど、どうでも良いのか……。
……あぁ、やっぱり。
亜美さん……?
……気が向いたから、知らせてみたと。
は……。
……どうでも良いけれど、知らせてくる。
……。
お返事を、書いた方が良いですね。
うん……書いた方が良いと思う。
つきましては。
うん?
まことさんの手を煩わせてしまうことになるのですが、良いですか?
あたしの?
はい。
あたしは、構わないけれど……何をすれば良いんだい?
お返事を、書いて下さい。
然うか、分かった。
ありがとうございます。
返事か……て、え?
学姐がまことさんからのお返事が欲しいと。
ど、どうして、あたしから?
うーん、どうしてでしょうね。
え、えぇ?
どうやら、学姐のお相手の方がそれを望んでいるみたいなんです。
よ、余計に、意味が分からないな。
あたしは、亜美さんの学姐のお相手のことなんて、
良く、ご存じだと思います。
……へ。
若しかして……とは、思っていましたけれど。
ど、どういうことだい……?
学姐のお相手は。
う、うん。
あなたの、かつての隊長さんです。
そ、然うか、隊長か……は?
然うかも知れないとは思っていましたが、矢張り、然うでしたね。
ちょ、ちょっと、待って呉れ。
はい、良いですよ。
あ、亜美さんは、気付いてたのかい?
なんとなく、ですが。
まことさんも、気付いていたのでしょう?
なんとなくは……でも、まさか本当に然うだとは。
あたしは、知り合い程度にしか……。
此れではっきりとしましたね。
いや、でも、こんなことってあるのかい?
亜美さんの学姐と、あの隊長が……その、然ういう意味で繋がっているなんて。
世間は思っているよりも狭いと言いますが、まさに、然ういうことなのでしょう。
……亜美さんは、驚いていない?
これでも、驚いてはいるんですよ。
あの学姐と生涯、共に歩みたいと思って下さる方が居らっしゃるだなんて……どれだけ奇妙で、珍しい方なのかと。
そ、そこかい?
蓼食う虫も好き好きと言いますけれど……。
……。
まぁ、私も同じことを学姐に言われましたが。
……同じこと?
こんな私と生涯、共に歩みたいと思って呉れる方が居るなんて……どれだけ、奇妙な者かと。
奇妙な者って……それ、あたしのこと?
はい、まことさんのことです。
……あたしとしては。
はい、なんでしょう?
こんなあたしを選んで呉れた亜美さんの方が……余程、奇妙だと。
それ、美奈子ちゃんに?
……レイにも。
ふむ。
……お似合い、かな。
奇妙な者同士……ね。
……それと。
それと?
亜美さんの学姐も、奇妙だと思う。
元々、浮世離れしている方ではありましたから。
あの隊長を選んで、共に歩もうだなんて……うん、やっぱり奇妙で珍しい方だ。
奇妙な者同士、お似合いなのかも知れません。
……良く出来ているなぁ。
良く出来ているとは?
ちゃんと、お似合いの者が居るものなのだと。
あぁ……然うですね。
面白いものだ。
ですが、己に合う者と出逢えずに終わってゆく者も屹度多く居るのでしょう。
誰とも一緒にならず、或いは、なれず……若しくは合わない者と一緒になって、後悔するか。
……。
母が、然うでしたから。
後悔しているかどうかは、私には分かり兼ねますが。
……お義母さんは、誰か。
さぁ、どうでしょうね。
亜美さんは、若しも、お義母さんに。
母の人生です。
私もまことさんと生きていきますし、好きにすれば良いと思います。
……お祝いは。
要りますかね。
い、一応は、要るんじゃないかな。
然うですか……なら、その時になったら一緒に考えて下さい。
うん、あたしで良いのなら。
まことさんでなければ、駄目ですよ。
そ、然うか、あたしでなければ駄目か。
はい、駄目です。
……ん、分かった。
にしても、学姐からこんな封信が届くなんて……余程、まことさんからのお返事が欲しいようですね。
あの、亜美さんからのお返事は……。
どうでしょう、若しかしたら要らないかも知れません。
いや、要ると思う。
亜美さんも書こう。是非とも、書こう。
まことさんがそこまで言うのなら……分かりました、私も書きましょう。
はぁ……良かった。
良かった、ですか?
だって、あたしの拙い返事だけでは……。
……だけでは?
隊長が面白がって終わる、それだけは嫌だ。
……は。
絶対、面白がる……隊長は然ういうひとなんだ。
ふふ……。
若しかしたら、亜美さんの学姐にも……。
それは、大丈夫だと思いますよ。
そ、然うかな。
多分。
た、多分……。
……ふふ。
あ、亜美さん……。
……ごめんなさい。
それは、何に対して……。
……学姐は、そのようなことで笑うひとではありません。
……。
だから……大丈夫です。
うん……亜美さん。
問題は、私の返事です。
……え?
面白がるとしたら……私からの返事に決まっているんです。
いや、それは……。
……然ういうひとなんです、学姐は。
……。
……。
……なんだか。
お似合い、ですよね。
……うん、とても。
……。
亜美さん……昼ごはんに、しようか。
……然うですね。
うん。
お昼の支度、ありがとうございます。
ん、どういたしまして。
……。
……返事は、急がなくても良いかな。
はい……良いと、思いますが。
……成る可く、早めに書くようにするよ。
良かったら、ふたりで書きましょう。
……ふたりで?
はい……如何ですか。
うん、然うしよう……あたしも然うしたい。
……でしたら、また夜にでも話しましょうか。
……。
……まことさん?
ふ、布団の中で。
……。
……が、良い。
……。
だ、だめ……?
……もぅ、まことさんは。
13日
メル。
……。
メル。
……すきよ、ユゥ。
うん。
……ユゥは。
すき。
……ありがとう、ユゥ。
だいすき、メル。
……わたしも、だいすきよ。
へへ。
……ふふ。
きれいな、あお。
……きれいな、みどり。
メル。
ユゥ。
……。
……。
メル。
……ん。
おはよう、メル。
……おはよう、ユゥ。
来たよ、今日も。
うん……来て呉れて、ありがとう。
……。
ん……ユゥ。
……隠し、外してもらったんだね。
うん……今朝、外してもらったの。
……これで、お勉強と読書が出来る?
一応……。
……一応?
保護眼鏡を使っていたとしても、まだ、あまりしては駄目だって。
……そっか。
まだ、赤いでしょう……?
うん……まだちょっと赤い。
……なかなか、引いて呉れないの。
むずむずは、しない……?
うん……それはもう、大丈夫。
目薬は、あとどれくらい……?
……あと、二回分。
じゃあ、今日一日分だね。
……ん。
腫れが引くまで、気は抜けないと思うけど……。
……あの夜、ユゥに先生を呼んできてもらって良かった。
……。
若しも、ユゥが傍に居て呉れなかったら……。
……然うしたらきっと、先生が傍に居て呉れたんじゃないかな。
……。
先生は、優しいから。
……でも、私が素直になれなかったかも知れない。
……。
だから……ユゥとお師匠さんが居て呉れて、本当に良かった。
……師匠も?
然う……お師匠さんも。
……先生に?
本人は、頑なに認めようとしないけど……ね。
……。
あ……。
……失明しなくて、本当に良かった。
……。
良かったよ……メル。
……あなたの顔が、見える。
……。
あなただけじゃない……。
……大丈夫なうちに、呼べ。
……。
師匠でも、たまにはちゃんとしたことを言うんだ……。
……たまにでは、ないと思うけど。
良いんだ、たまにで……じゃないと、調子に乗るから。
……ふふ、先生と同じことを言ってる。
メルは、然うは思わない……?
……私は。
……。
……私も、然う思う。
だからさ、たまにで良いんだよ……。
ふふ……うん。
……。
……。
……ね、
ね、ユゥ……。
……なんだい?
ごめんなさい……今、何か。
……先に言って、メル。
……。
言って欲しい。
……あの、ね。
うん。
隣に……座って。
……。
それで、ユゥは……。
それ……今、メルに聞こうと思ってた。
……え。
隣に座っても、良いかい……?
……あ。
だめ……?
……座って、ユゥ。
うん……。
……もっと。
もっと……?
……近くに。
……。
……。
……肌が触れてしまうけど、良い?
ん……。
……良かったら、さ。
なぁに……。
……寄り掛かってよ。
でも……。
……寄り掛かって欲しいんだ。
ぁ……。
……こんな風に。
ユゥ……うん。
……。
……鬱陶しくなったら、直ぐに言ってね。
鬱陶しくなんて、ならないよ。
……重たくなったら。
平気だよ。
……もぅ。
ん……なに?
……なんでもない。
メルこそ、嫌になったらいつでも離れて良いからね……。
……ならない。
……。
……珍しく、お茶を淹れて呉れたの。
お茶……?
……先生が。
然うなんだ……美味しかったかい?
……まだ、飲んでいないの。
え……?
……ユゥと、ふたりで飲むようにって。
あたしと……持って来て、呉れる?
ううん……もう、淹れて呉れているから。
……え、と。
ふふ、然うよね……。
……お茶は、どこに。
そこに、見慣れないものがあるでしょう……?
……若しかして、これ?
然う……お茶は、その中に入っているわ。
え、この中に?
その中に入れておくと、冷めないらしいの。
然う、なんだ……便利だね。
……ね。
これ、なんて言うんだい?
水筒、ではないし。
先生は、薬罐と呼んでいたわ。
え、薬罐なの?
先生の中ではね。
……若しかして。
大丈夫、薬茶を煎れるものではないわ。
そ、そっか……良かった。
そこはね、ちゃんと区別が付いているみたい。
渋かったらどうしようかと思っちゃった。
ふふ。
だけど、薬罐か……もうちょっと違う名前はないのかな。
……お師匠さんは。
師匠?
……茶筒って、呼んでいるみたいだけど。
ちゃとう……水筒ではないから、かな。
……多分。
でも、水筒とも形が違うような……水筒は、ただの筒だろう?
ん、然うね。
なんか他に良い名前はないかなぁ。
……私は、分かればそれで良いけれど。
んー……考えてみても良い?
ん……ユゥが考えてみたいなら。
何も、思い付かないかも知れないけど。
それでも、良いと思う。
……ねぇ、メル。
なぁに?
メルは、分かれば良いと言ったけどさ……それでも、あたしと一緒に考えてみない?
ふたりで考えたら、あたしひとりよりも、良いのが浮かぶかも知れないから。
……。
よ、良かったら……だけど、さ。
……考えてみようかな。
か、考えてみようよ。
ん……なら、ユゥと考えてみる。
やった。
……薬罐では、形が違うとは言え、紛らわらしいものね。
然うなんだ、薬罐と言うとどうしても薬茶を連想してしまって。
……それならば、茶罐の方が良いかも知れない。
それだと……茶葉が入っているみたいだ。
……根付いた印象って、なかなか拭えないものよね。
ゆっくり考えようよ、時間はあるんだ。
……うん、然うね。
……。
ね……飲む?
ん……メルと飲みたい。
……喉、乾いてる?
うん、乾いてる……此処まで、走ってきたんだ。
……休まずに?
ん、休まずに。
……羨ましい。
メルも、必ず走れるようになるよ。
……なるかしら。
メルは、頑張り屋だから。
……がんばりや?
師匠が言ってたんだ。
……。
メルは、あたしよりも頑張り屋だって。
あたしも、然う思う。
……ユゥの方が。
負けないよ。
……え。
負けない。
ユゥ……うん。
……ね、あたしが淹れてみても良い?
淹れて、みたい……?
うん、淹れてみたい。
……なら、お願い。
ありがとう、任せて。
……。
これ、傾ければ良いんだよね。
その前に、蓋を。
あ、そっか。
……。
あれ、熱くない。
……熱を伝えない素材みたい。
へぇ……。
……。
……ねぇ、メル。
なぁに……。
……左では、ないんだね。
左……?
……耳の。
あぁ……うん、私には左よりも右の方が良いみたい。
……メルは、どうなんだい?
ん……まだ、分からないわ。
……そっか、然うだよね。
でも、ずっと左につけていたから……少し、違和感があって。
……慣れるまで、時間がかかりそう?
かかるかも知れない……けど、きっと慣れるわ。
左に付けた時も、然うだったもの。
……無理は、しないでね。
……。
慣れてからも。
……うん、しないわ。
ん。
……。
あたしも、付けてみたいな。
……ユゥも?
あたしには、必要ないかも知れないけど……。
……いつか。
いつか……?
……保護眼鏡を必要とする日が来るかも知れない。
然うしたら……メルに、付けて欲しい。
……私に。
うん……メルに。
……。
……だめかな。
ううん……私で、良ければ。
……メルしか、居ないよ。
……。
と……これで、良いかな。
……ん、良いと思う。
はい、メル……冷めないうちに、どうぞ。
……私で、良いの?
うん、あたしの分も直ぐに淹れるから。
……。
だから……どうぞ、メル。
……ありがとう、ユゥ。
うん、どういたしまして。
……。
んー……良い香りだ。
……冷めてないみたい。
色も、変わってないみたいだ……すごいな。
……こんなものがあるのなら、早く出して呉れれば良いのに。
先生は、忙しいから……忘れていたのかも。
……。
なんて、師匠じゃないから、そんなことはないか。
……ううん、あるかも。
……。
……抜けているところが、あると。
若しかして……師匠が?
……ん。
師匠が、言うか……?
ふふ……それ、先生も言っていたわ。
そりゃ、然うだ。
……あのふたり。
ん……?
……本当に、仲睦まじい。
……。
……私達も、
なれるよ。
……。
若しかしたらもう、なっているかも知れない。
あたしは、なっていると思っている。
……あのふたりには、積み重ねてきた時間が。
なら、あたし達も積み重ねれば良いさ。
……。
然うすれば……次のふたりに、然う思われるようになるよ。
つぎの、ふたり……?
……あたし達の、後。
あ……。
……それまで、ふたりで。
う、ん……。
……ね、飲んでみて。
あ、うん……。
……。
……ん、味も美味しい。
あぁ、やっぱり……。
……ユゥには分かっていたのね。
うん……まるで、淹れて直ぐみたいだったから。
……。
……若しも然うじゃなかったら、先に飲んでいたかも。
ユゥも、飲んでみて。
……うん、飲んでみる。
……。
よし……それじゃ、いただきます。
……はい、どうぞ。
……。
……。
ん……。
……どう?
うん……美味しい。
……。
すごいな、これ……本当に淹れ立てみたいだ。
……今日のお茶は。
ん……?
……お師匠さんが淹れて呉れるお茶の味に、似ているような気がする。
師匠……言われてみれば、似ているかも。
……茶葉が同じだから、かしら。
それだけじゃないような……淹れ方、とか。
……。
……似た者?
絶対に、認めないと思うけど……。
……。
……。
……美味しいね、メル。
うん……美味しいわ、ユゥ。
……。
……。
鍛錬は……もう少し、休む?
ううん……これ以上は、鈍ってしまうから。
……だけど。
軽く動かす程度なら、寧ろ、した方が良いと。
無理をしない程度?
……。
メル?
……小さい頃、良く一緒に遊んだでしょう?
あぁ……うん、遊んだね。
今でも、遊ぶことはあるけど。
……遊ぶことも、良いらしいの。
良い?
……躰を動かすのに。
あ。
お師匠さんにも、話してあるみたい……いつ話したかは、知らないけれど。
と言うことは……今日は。
……一緒に、遊んで呉れる?
勿論、喜んで。
……。
……何をして、遊ぼうか。
それを、考えていたの……。
……何か、思い付いた?
色々、あって……。
はは、然うだねぇ。
……。
……然うだ。
うん……?
久しぶりに、踊ろうか。
……。
ゆっくり踊るのなら、軽く躰を動かすのに丁度良いと思うんだ。
ゆっくりなら……然うね、良いかも知れない。
なら。
ん……踊りましょう、ユゥ。
うん、メル。
……お茶を、飲み終わって。
少し、休んでから……。
……ん。
はぁ……。
……。
メルの隣は、落ち着くなって……。
……私も。
メルは……。
……私も、とても落ち着くわ。
……。
ユ、ゥ……。
……。
……。
……お茶の香り。
もぅ……まだ、飲んでいるのに。
……へへ。
……。
ね、メル……。
……なに、ユゥ。
今日も、きれいだよ……。
……。
メルの、蒼玉……。
……ユゥの、翠玉も。
12日
メールー!
ユゥ。
メル、きっ。
ユゥっ?!
……へへっ。
だ、だいじょうぶ?
ん、だいじょーぶ。
みせて。
ん!
……。
メルのて、きもちいいね。
……ありがとう。
へへへ。
……ひざ、すこしすりむいている。
でも、へいきだよ。
だけど、いちおう、ね。
てあて?
そう……てあて。
……。
……すぐに、やってしまうから。
うん……。
……。
……メル。
なぁに……?
……なんでもない。
そう……?
う、うん……。
……そう。
……。
……いたかったら、すぐにいってね。
い、いたかったら、いう……。
……うん。
う……。
……いたい?
いたく、ない……ぜんぜん。
……ふふ。
……。
……ん、これでいいわ。
あ。
うん?
あ、あり……。
……ありがとう?
あ、ありがとう。
ん……どういたしまして。
……っ。
うん……?
メ、メル……。
なぁに、ユゥ。
き、きたよ。
え?
きょうも……あいに、きたよ。
うん……きてくれて、ありがとう。
……。
ユゥ……また、いっしょに。
……。
……?
どうしたの……?
……メルの、め。
わたしの、め……?
……あたし、すき。
……。
す、すごく、きれいな、あお……。
……ユゥのひとみも、きれいよ。
あ、あたしの……。
……とてもきれいな、みどり。
す、すき……?
……。
メ、メル……?
……とても、まっすぐで。
まっすぐ……?
……とても、すんでいて。
す、すんで……。
あたたかくて……つめたさを、いっさいかんじないの。
……す、き?
ん……すき。
……!
わたしは……ユゥのひとみが、すき。
……。
ユゥ……?
……。
どうしたの……?
……わかん、ない。
わからない……?
……。
かおが、あかい……?
……かお、あつい。
もしかして……はつねつ?
……。
いけない……ユゥ、わたしのしんだいに。
……だいじょうぶ、だよ。
ううん、ねんのため、せんせいにみてもらわないと。
……それより、メルとあそびたい。
せんせいがもんだいないと、いったら……え。
……。
……ユ、ゥ?
メル……きもちいい。
……あ。
きもち、いい……。
……あつ、い。
……。
……ユゥ。
……メル?
……。
どうしたの……?
……うん、少しね。
眠れないの……?
……さっきまでは、眠っていたの。
……。
ごめんなさい……起こしてしまって。
ううん、寧ろ起きて良かった。
……良かった?
メルと、お話が出来る。
……。
眠くなるまで、さ。
中途半端に起こされてしまって……ユゥは、眠たくない?
あたしは、うん、平気だよ。
……。
それに、あたしは自分で起きたんだ。
メルに起こされたわけじゃない。
……眠たかったら、私に構わず眠ってね。
眠たくなったらね。
……。
目、気になるの?
……ん、ちょっとだけ。
先生、呼んでこようか……?
ううん……今夜は多分、良く眠っているだろうから。
けど、何かあったら呼びに来て欲しいって言われているんだ。
……まだ、大丈夫だから。
大丈夫のうちに、呼べと。
これは、師匠から。
……。
痛くは、ないんだよね。
……痛くは、ないんだけど。
けど……なに。
……少し、違和感があるの。
違和感……それって、どんな?
……眼球の中が、むずむずするような。
目の中が、むずむず……。
……痒みを感じるというわけでは、ないのだけれど。
……。
……ユゥ?
それ、嫌かも……ううん、嫌だ。
……。
ね、メル……やっぱり、先生に来てもらおう。
診てもらうなら、早い方が良い……それは、メルだって分かってるんだろう?
……むずむず、するだけなの。
そのむずむずが、なんでもないものなら良い……だけど、なんでもないものではなかったら。
……。
若しも、良くないものなのかも知れないと……少しでも、思っているのなら。
……ユゥ。
直ぐに呼んでくるよ……待ってて。
……待って。
メル……。
……先生を呼ぶのは、もう少し待って。
でも……。
……こわい、の。
怖い……。
……目が見えなくなってしまったらと思うと。
然うなってしまわない為にも、先生に……。
……。
……少しだけだよ。
うん……ありがとう。
……ううん。
……。
先生、良く眠っているかな……。
……お師匠さんが、居て呉れるから。
下心ばっかりなんだけどな……師匠は。
……だから、安心するんだと思う。
安心……?
……お師匠さんは、先生を見ている。
……。
守護神マーキュリーではなく……ただの、マーキュリーとして。
……ただの、マーキュリー。
それがどんなに……先生の心を、支えてきたのか。
……。
素直ではないから……言葉には、しないと思うけれど。
……それでも、師匠には伝わってるような気がするよ。
きっと……。
……。
ふたりは、どこまで行っても対等なの……上下なんて、ふたりの間にはない。
……あたし達の間にも、ないよ。
ん……。
上下なんて……そんなもの、どこにもないんだ。
……。
……。
あのね、ユゥ……。
……なんだい、メル。
ユゥはどうして、私のことを好いて呉れたの。
……え?
私しか、居なかったから……?
え、えと……ごめん、ちょっと意味が分からないんだけど。
……ユゥは、私のどこが良いの?
どこがって……全部、だよ。
……どうして、好きなの。
ど、どうしてって……好きだから、だけど。
……どこが、好きなの。
全部、だよ……メルの全部、あたしは好きなんだ。
……私の何が良いの。
な、何がって……えと。
……。
メルは、メルだから……だから、あたしは。
……ねぇ、恋って知ってる?
こい……?
……恋をすると、心の均衡が崩れてしまうんだって。
……。
ユゥは、私の心の空白を埋めて呉れるけれど……それと同時に、崩しても呉れるの。
……ごめん。
え……?
よく、分からないけど……若しもあたしが、メルの心にとって、良くないのなら。
ううん……逆よ。
……逆。
あなたが、居なければ……私はもう、私では居られない。
私は、自分を保てない……そんな気がするの。
……。
私ね……ユゥの真っ直ぐなところが好き。
……まっすぐ。
小さい頃から、私を真っ直ぐ見て呉れて。
それは……その頃から、メルのことが好きだったから。
……本当は少し、嫌だったの。
へ……。
きれいな翠の瞳で、じっと見られるのが……嫌だった。
ううん……居た堪れなさを感じたと言った方が、正しいのかも知れない。
え……え?
そのうち、居ない筈なのに、見られている気がするようになって……お勉強に、集中出来なくなった。
集中する為に、掛布を頭から被って……然うすれば、遮断出来ると思ったから。
そ、そ……。
眠ろうと思って、目を瞑ると……ユゥの顔が、ユゥの瞳が、瞼の裏に浮かんできて。
目を瞑っていても、あなたと目が合っているようで……。
そ、そんなに、嫌だったの……?
……今思うと、可笑しな話。
お、可笑しいの……?
……私は一瞬で、あなたの翠玉に惹き込まれてしまったというのに。
すい、ぎょく……?
……あなたの瞳のこと。
あたしの……。
あなたに出逢えたことで……空っぽだった心に、初めて、感情が芽生えた。
……。
嫌だと、思ったのは……多分、戸惑っていたから。居た堪れないと感じたのは、惹かれていたから。
どうして良いか、分からなくて……だって、その頃の私には、それだけの知識と感情がなかったから。
……あたしのこと、嫌いだった?
ううん……その逆。
逆……好き?
……それでまた、戸惑ってしまうのだけれど。
……。
ね……ユゥ。
……なに。
ユゥの瞳……好きよ。
あたしも……メルの青が、好きだよ。
小さな頃から、メルの青が大好きだった。
……ありがとう、ユゥ。
ね、あたしの瞳が……その、すいぎょく?
うん。
だったら……メルの瞳は、なんて言うの?
……。
メルのきれいな青は……。
……私の瞳は、青に見えるだけのただの偽玉。
ぎ、ぎょく……?
……偽物の、玉(ぎょく)。
にせもの……。
……或いは、紛い物。
……。
ユゥの、翠玉のような……。
……それは違うよ、メル。
あ……。
……メルの瞳は、偽物なんかじゃない。
でも……。
……本物だよ、本物の青い玉だよ。
……。
ね、メル……教えてよ。
……教えるも、何も。
あたしの瞳を、翠玉とするのなら……メルの瞳は、なに?
……。
お願いだ……メル。
……先生の瞳は、蒼玉。
そう、ぎょく……?
前に、お師匠さんが言っていたの……マーキュリーの瞳は、何よりも美しい蒼玉だと。
……あたしが、聞いているのは。
私の瞳は……そんな美しいものでは、ないから。
メル……。
……こんな、直ぐに赤くなってしまう目なんて。
……。
私は、欠陥品かも知れない……。
……けっかんひんって、なに。
……。
ねぇ、メル……けっかんひんって、なに。
……欠けて、足りないこと。
かけて、たりない……?
……私の目は、瞳は。
違うよ。
……ユゥ。
メルの瞳は、けっかんひんじゃない。
メルは、けっかんひんなんかじゃ絶対にない。
……だけど。
赤くなったところは、いつもは白いところだ。
青い瞳は、きれいな青のままだ。
……今は、然うでも。
にせものでも、けっかんひんでも、ない。
……。
先生の瞳が、そうぎょくだと言うのなら……メルの瞳は、もっと美しいそうぎょくだよ。
……そんなこと、ない。
そんなこと、ある。
……。
メルの瞳は……小さい頃からずっと、とてもきれいなんだ。
これからも、ずっと……ずっと、きれいだと思うんだ。
……私。
師匠にとっての一番のそうぎょくは、先生だろう。
だけどあたしにとっての一番は、メルだ。メルのそうぎょくが、いちばん、美しいんだ。
……。
……メル。
ユゥ……お願い。
……。
……先生を、呼んできて。
分かった、任せて。
……ごめんなさい。
謝らなくても良い。
……。
あたしにも、師匠にも、勿論、先生にも、だ。
……う、ん。
じゃあ、行ってくるよ。
先生を連れて、直ぐに戻ってくるから。
……ん、待ってる。
11日
此れは、メルのか。
無闇に触らないで。
触らないよ、見ているだけだ。
見る必要もないわ。
此れもまた、きれいな青だ。
その色のものしかないだけ。
お前の青とは、少し違うんだな。
同じである必要性はないから。
数も違う。
今だけよ。
……。
何れ、同じ数になるわ。
然うか……然うだな。
……。
なぁ、マーキュリー。
……何。
此れ、繋げたのか。
……。
此処に。
……だから、何。
然うなんだな。
未だ、繋げただけよ。
本当に、繋げただけか。
繋げただけで、あの体たらく。
今のあの子では未だ、処理し切れないことが良く分かったわ。
疲労の原因は、矢張りそれか。
それと、目の充血も。
だから、暫くは様子を見るつもりよ。
当たり前だ。
……。
言って欲しかった。
言ったら、止めるでしょう。
それでも、だ
あの子が倒れた時のちびの顔、想像出来ないとは言わせないぞ。
……。
あれくらいで済んで、良かった。
ひとつ間違えたら、壊れてしまうからな。
分かったような口を。
分かるさ。
あなたに、何が分かるの。
お前は良く、鼻から血を出していたよな。
良くではないわ、たまによ。
お前でさえ、鼻から血を流す程だった。
今のあの子に耐えられるわけがないだろう。
そもそも処理する情報量が違うわ。
繋げたばかりで、同じであってたまるか。
……あなたは甘いのよ。
壊れてしまったら意味がないと言っているだけだ。
大事にすれば良いと言うものではないわ。
何れは
先ずは、慣らせ。
お前だって、初めから耐えられたわけではないだろう。
……あの子よりは、耐えられたわ。
お前はお前、あの子はあの子、だ。
……説教をする為に、今夜は帰らないと言ったの。
勿論、違う。
……心配なら、様子を。
あの子にはちびが居る、だから、あたしはお前の傍に居る。
お前のことが、心配だからな。
……心配なんて、不要よ。
全く、お前は。
……何よ。
お前も、今夜はゆっくり休んだ方が良い。
……余計なお世話。
はいはい、然うだな。
……倒れた時に、不具合を起こしたのよ。
ん、何が?
……それ。
あぁ、然うか。
……今夜のうちに
それ、明日で良いだろう?
その為に、隠しをしているのだから。
……だから、帰れと。
夜ごはん、美味かっただろう?
……。
四人で食えて、楽しかったよ。
……久しぶりでもなんでもないわ。
然うだけど。
……。
あたしは、毎日でも良いんだけどな。
……冗談じゃない。
……。
……ジュピター。
お前は、さ。
……触らないで。
出血するのが鼻だけだったから、未だ良かった。
いや、良くないな。
……。
一度鼻血を出すと、なかなか止まらなくてさ。
此れで目や耳からも出血するようだったら、本当に洒落にならなかった。
私は、鼻が弱いだけ。
大したことではないわ。
幼体の頃は、良く出してたんだっけか。
然うだけど、何。
可愛いな。
本当にばかよね、あなたって。
見てみたかったな、お前の幼体の頃。
まぁ、鼻血は見たくないが。
私は見たくないわ、あなたの幼体の頃なんて。
メルのように、ちみっこかったんだろうなぁ。
皆、最初はひとつの胚に過ぎない。
中身は、メルとは少し、違ったんだろうが。
見た目は同じよ。
然うか、同じか。
変なことを一瞬でも考えたら、直ぐさま追い出すわ。
取り敢えず、水気は抑えて呉れ。
で?
同じなんだなって、思っただけだ。
本当だよ。
言っておくけれど。
あたしも、ちびと同じなんだろう。
然うよ。
が、あたしの方が出来は良かった。
然うかしら、あの子の方が良さそうに思えるけれど。
いや、あたしの方が良い。
あの子の方が、可愛い。
あぁ?
素直で。
見た目が同じなら、あたしだって可愛い筈だろう?
見た目は同じかも知れないけれど、中身が違う。
中身の差で、あの子の方が断然可愛い。
なんだと……あたしだって、ばかが付くくらいに素直だってのに。
そもそも、可愛いって言われたいの?
いや、あまり。
なら、良いでしょう。
あの子の方が、あなたよりも、ずっと、可愛い。
お前、わざわざそんな言い方をしなくてもだな?
幾らあたしでも、
傷付くの?
や、あまり。
ばかって、良いわね。
はは、だろう?
兎に角、それには触らないで。
見ているだけだ、無闇には触らない。
……然うだと良いけれど。
なぁ。
何。
お前の鼻血を初めて見た時、心臓が止まるかと思った。
そのまま、止まって呉れれば良かった。
何しろ、初めてだったからさ。
大したことではないのに、大騒ぎして呉れて。
あたし、お前の血は苦手なんだよ。
いい加減、慣れたと思うけれど。
今でも苦手だ、出来れば見たくない。
いい加減、慣れて。
慣れて良いものか、ずっと考えてきた。
私以外の血はなんでもないくせに。
どうせ、忘れるからな。
他のふたりは、然うはいかないでしょう。
あいつらの血だって、どうってことないよ。
前線に出て戦えば、血くらい、流れる。
……程度にも依るくせに。
お前の血は、鼻血であろうとも、出来ることなら見たくない。
たかが鼻血くらいで。
たかが鼻血、されど鼻血。
何を言っているんだか。
マーキュリーの血は、苦手なんだ。
青いから?
青かったら、また違ったかも知れないな。
嘘ね。
あぁ、嘘だ。
……。
何色であろうと、お前の血は苦手だ。
叶うなら、もう二度と、見たくない。
それは無理。
鼻血は出さなくなったろう?
あなたの前ではね。
……。
言ったでしょう、私の鼻は欠陥品なの。
然うは、言ってないな。
……それでも、出血量は減ったわ。
然うか……何よりだ。
……。
……メルは、目が弱いのか。
然うかも知れない。
……大丈夫なのか。
なんとも言えないわ。
……若しも、光を失ったら。
部品はある……でも。
……そのたびに、取り替えるのは不憫だ。
不憫、ね……。
……痛みはないと言っていた。
今の所、ただの充血だから。
……なぁ、マーキュリー。
なに……ジュピター。
なんとか、してやれないのか。
……なんとかって。
目に負担が掛からないように……さ。
……。
このままだと……うちのちびは、メルの赤い目が苦手になってしまうだろう。
……然うかも知れないわね。
なぁ、どうにもならないか。
……。
お前でも、
脳と躰への負荷を減らすことは、出来ない。
……。
……けれど、考えてはいるわ。
考えて?
……いちいち取り替えるなんて、面倒でしょう。
面倒……か。
……保護眼鏡。
ほご……。
……薄膜。
あぁ、お前がたまに使っている奴だな。
あの、青みがかった。
それで、外部からの目の負担は減らすことが出来る。
問題は……内部だ。
……経路を、組み直す。
然うすれば、減るのか。
……些末なものよ。
それでも、良いさ。
何もしないよりは、ずっとましだ。
……甘いのね。
お前も、だろう?
……は。
……。
ジュピター。
……ん。
触らないでと言った筈よ。
……あたしも、付ければ良かったな。
……。
然うすれば、お前の負担も。
あなたの頭では無理。
処理しきれなくて、破裂するのが関の山よ。
む。
適材適所。
……もう少し、お勉強をしておけば良かったよ。
それは、今からでも遅くないわ。
……今からでも?
あの子と一緒にやりましょうか。
いや……。
今となっては、あの子の方が賢いでしょうけれど。
それは、ないな。
未だ、あたしの方が。
三桁の計算。
……。
三桁の計算?
で、出来なくは、ないよ。
ふぅん、然う?
そ、然うだ。
それくらい、あたしにだって出来る。
なら、明日解いて貰おうかしら。
あ、明日?
何か問題でも?
……明日でなくても。
いいえ、明日が良いわ。
あなたが間違いなく計算を解く姿が見たいの。
……。
若しも、間違いなく解けたら
惚れ直すか?
……。
然うなんだな。
良し、やろう。
ねぇ、ジュピター。
なんだい、マーキュリー。
7×8。
そんなの、簡単だ。
然うよね、それで?
59!
ばかね、本当に。
違う、間違えた。
しちは、だから、63だ。
一桁なんだけど。
と、此処まではただの冗談だ。
はいはい、然うね。
答えは、56。
然うだろ?
然うよ。
あたしが一桁で間違えるわけないじゃないか。
九九は死ぬ気で覚えたんだ。
九九は死ぬ気で覚えるものではないわ。
ずっとぶつぶつ唱えて、
気味が悪いったらなかったわね。
ちゃんと覚えるまで、指一本、触らせて貰えなかったんだ。
あたしだって、必死だったんだよ。
九九は必死になって覚えるものではないの。
九九を覚えたと思ったら、直ぐに二桁
56×63。
待て、暗算はあたしの頭では無理だ。
はぁ。
いやいや、ちびだって無理だろ?
筆算でなきゃ、無理だろう?
あなたの口から筆算なんて言葉が出てくるなんて。
筆算も死ぬ程やったからな!
筆算ぐらいで死ぬ程やらないで欲しいわ。
そもそも計算機があるのに
計算もまともに出来ないひとなんて、私、
あたしは計算機がなくても出来るぞ!
出来て当たり前、あと声が大きい。
……あたしは、出来るぞ。
間違えていたら、意味がないけど。
……3528。
……。
56×63の答えは、3528だ。
どうだ、合ってるだろう?
合ってるわね。
ははっ、やった。
だから、声が大きい。
なら。
……。
……静かにさせて呉れ。
はぁ……。
……ぐ。
離れて。
……応。
……。
……そろそろ、眠らないか。
眠らない。
……ちび達も、そろそろ眠るだろう。
だから?
あたし達も。
あの子の充血は暫く続くでしょう。
……。
……保護眼鏡を、早めに。
優しいな。
……別に、然ういうわけではないわ。
が、明日にしよう。
……衰えてしまうのよ。
お前なら、直ぐに直せる。
それこそ、明日の午前中にでもな。
……。
気分を変えるなら、寝るのが一番だ。
……あなたは居なくても良いのだけれど。
さぁ、あたしと一緒に寝よう。
……。
ん……お。
……言われなくても、寝てあげるわよ。
うん、それが良い。
あなたは、
マーキュリーと、寝台で。
……。
お手を。
結構よ。
10日
あーー!
……。
メル、メル!
……ユ、ユゥ。
ししょ、はやいっ。
そ、そうだね……きゃあっ。
あーーーーっ!
……っ、……。
ふふっ、ふふっ。
……も、もぅ。
もっと、もっと!
……わ、わたしは。
あーー……。
……え。
……。
ユ、ユゥ……っ?!
……あうっ。
お、おししょうさんっ、ユゥが……っ!!
……。
ユゥが、おちて……っ!!
……う。
ユゥ、ユゥ……っ!
……。
ユゥ……!
……へへ。
おししょうさんは、せんせいを……っ!
だいじょうぶかもしれませんが、ねんのため、よんできてください……っ!
……。
ユゥ、あまりうごかないで……!
もしかしたら、あたまをうっているかもしれ……?
あはっ。
……え?
ふふ、ふふふ。
ユ、ユゥ……?
メル、メル。
え、えと……あたま、うった?
ふふふふふふふ。
ユ、ユゥ……。
メル、メルー。
と、とりあえず、うごかなさいように……。
ル?
ね、ユゥ。
なに、メル。
せんせいがくるまで、じっとしていてくれる?
じっと?
そう、じっと……できる?
うー……。
……できない?
する。
あ。
じっと。
……。
へへ、メル。
……うん、いいこ。
へへへへへ。
……ねぇ、ユゥ。
なーに。
からだ……どこか、いたくはない?
いたく?
おちたとき……どこか、ぶつけなかった?
んー……わかんない。
そう……そう、よね。
……ん。
だって、いっしゅんだったもの……でも、あんなおちかたをして、どこもうっていないだなんて。
どこかしら、うっていると……そうかんがえておいたほうが、いい。らっかんてきでは、いけない。
メル?
……ね、ほんとうにどこもいたくない?
ん、いたくない。
……いまはいたくなくても、あとで、でてくるかもしれない。
……。
……むきずなら、それでいいの。
メル。
……ん、ユゥ。
て。
……て?
さわって。
……ここが、いたいの?
いたくない。
……。
ね、さわって。
ん……わかった。
へへ、やった。
……これで、いい?
うん……いい。
……。
はふぅ……。
……きもちいい?
ん……いい。
……。
へへへ……。
……ふふ。
あ。
え。
わらった。
……わら?
メル、わらった。
……。
かお、わらった。
……わたし、わらった?
かわいいね。
……えっ。
メル、かわいい。
か……かわいいって。
かわいい?
……あの、ユゥ。
なぁに?
おししょうさんの、まねよね……?
まね?
……おぼえたから、つかいたかっただけなのよね?
……。
いみなんて……きっと、そう。
かわいいね?
……。
メル、は、かわいい。
……かわいくなんて、ないわ。
どうして?
……どうしてって。
メルは、かわいい。
……おししょうさんが、いつも、いうから。
ね?
え、と……ありがとう、ユゥ。
んっ。
……はぁ。
はぁ?
……やっぱり、せんせいにちゃんとみてもらわないと。
せんせ?
……それから、おししょうさんにも。
んー……。
いうのを、やめてもらわないと……じゃないと、また。
かわいくないものを、かわいいだなんて……ユゥには、おぼえてほしくない。
……。
……だけど、ジュピターになったら、そういうこともだいじなのかしら。
ジュ……?
でも……でも、なんとなく、いや。
そんなこと、ユゥにはしてほしくない……。
……。
けど……こころから、そう、おもったのなら。
それは……ユゥの、ほんしんだから、そのときは。
……。
……あぁ、わたし、なにをかんがえているの。
メール?
……あ。
せんせ、きたよ。
せんせ……。
ししょも、きた。
……よかった。
よかった?
ん……これで、きっと、だいじょうぶ。
あたしは、だいじょうぶだよ。
……。
メルが、いたから。
……わたしが?
だから、だいじょうぶ。
……。
メ……あ。
……せんせい。
せんせ。
……はい、いまのところ、いたみはないようです。
……。
……ん。
メル……。
……。
……隠し、早く外れると良いね。
……。
メルの目が早く、治りますように……それから、躰も。
……ユゥ。
……。
……居て、呉れたのね。
うん、居るよ……今日はもう、帰らない。
……先生に。
今日は、先生にちゃんと許可をもらった……だから、心配は要らないよ。
……お師匠さんは。
ちゃっかりしてるんだ。
……ちゃっかり?
メルにごはんを作る為に、今日は帰らないって。
……。
先生には夜ごはんを作ったら帰って良いって言われたんだけど、明日の朝ごはんも作りたいなんて言ってさ。
だったら明日の朝に呉れば良いだけの話なのに、屁理屈を捏ねて押し切ったんだ。
……だから、ちゃっかり?
ちゃっかり、してるだろ?
ふふ……お師匠さんらしい。
でもま、実際は先生が面倒になっただけなんだろうけど。
だって、あんな屁理屈で先生が押し切られるなんて思えない。
……先生は、素直ではないから。
あたしが居るから、別に師匠は居なくても良いんだ。
朝ごはんは、あたしが作れば良い。ううん、あたしが作りたい。
……でも、嬉しい。
……。
ユゥと、お師匠さんが居て呉れて……。
……師匠も、居た方が嬉しい?
あのね……。
……うん。
四人で居るのが、嬉しいの……。
……あたしと、ふたりよりも。
ユゥとふたりで居るのも、嬉しいわ……。
……違う、嬉しい?
……。
メル……?
……守護神と呼ばれるようになっても。
……。
ユゥとは、一緒に居られると……私は、思っているの。
居られるよ。
……ん。
あたし達はずっと、一緒だ……最期まで、ずっと。
……だけど、お師匠さんと先生は違う。
……。
私達が、守護神になったら……その時にはもう、ふたりは。
……だから、四人が嬉しい。
ユゥとふたりで過ごす時間は……私にとって、とても大切な時間なの。
……あたしにとっても、だよ。
でもね……四人で過ごす時間も、大切にしたいと。
……メル。
然う、思うようになったの……。
……そっか。
だめ……?
ううん……だめじゃない。
……。
……あたしも、然う思ったから。
ユゥ……ん。
……明日の朝は、師匠とふたりでごはんを作るよ。
本当……?
本当……だから、楽しみにしてて欲しい。
……うん。
ね、メル……。
……なぁに、ユゥ。
今日の講義ね……。
……なんだった?
メルの言う通り、三桁の和の計算だった。
ふふ……然う。
……嬉しそうだね?
だって、ユゥは……もう、二桁の計算は出来るから。
……。
三桁の計算だって、出来るの……。
……メルが、教えて呉れた通り。
……。
ゆっくりと、解いたんだ……然うしたら。
……出来た?
うん……出来た。
ふふ……やっぱり。
……先生に、褒められたんだ。
嬉しかった……?
……うん、嬉しかった。
ユゥは、小さい頃から、先生に褒められると……。
……メルに、褒められたい。
え……?
……メルに褒められるのが、一番、嬉しいんだ。
……。
ね……明日でも良いから、褒めて欲しい。
……明日で、良いの?
だって、今は見せることが出来ないから。
……見せる?
あたしが、本当に解けたのか……ちゃんと、見せないと。
……。
だから……明日、問題を出して欲しい。
……あぁ。
その計算が出来た時……あたしを、褒めて。
……うん、約束するわ。
へへ……うん。
……。
……そろそろ、夜ごはんが出来る頃だ。
おいしいそうな、におい……お師匠さん、何を作って呉れたのかしら。
それは……見てからのお楽しみ、なんだってさ。
……聞いてないの?
うん、聞いてない。
……。
あたしだって、作りたかったのに。
……きっと。
きっと……?
……ユゥが私の傍に居られるように、して呉れたのかも知れない。
……。
お料理をしていたら、離れられないでしょう……?
……確かに。
ね……。
うーん……メルが然う言うなら、然ういうことにしておいてあげようかな。
ふふ……うん、しておいてあげて。
ん……分かった。
……。
……先生への下心は、絶対にあると思うけど。
それは……ないとは、言えないわ。
ふふ……だろう?
若しもお師匠さんから、先生への下心が全くなくなってしまったら……月が引っくり返ってしまうかも知れない。
いや、引っくり返るだけでは済まないかも知れないよ。
……もっと、大変なことになるかしら。
眠っている月の山が目を覚まして、火を噴いてしまうかも。
……あぁ。
然うなったら……とっても、大変だよ。
……ええ、とても大変だわ。
だから……。
……お師匠さんにはずっと、先生のこと。
なんて、絶対に大丈夫だけどね……。
……ん。
……。
……ユゥ?
あたしも、ずっと。
……。
……メルのこと。
ユゥ……。
……だけど、師匠みたいな下心では。
それを、下心と言うのだと……。
……。
……下心を持つことは、悪いことではないから。
メ、メルも。
……。
あ、あたしに……。
……ないとは、言えない。
……!
……。
……メル。
ねぇ、ユゥ……。
……なに。
やっぱり……なんでもない。
……なんでもない?
うん……なんでもない。
……気になる、けど。
……。
ね……どこでも良いから、触って。
……え?
ただ、触って欲しいんだ……。
……冷たくても、良い?
うん、良いよ……気持ち良いから。
……。
ん……メル。
……ユゥも。
……。
……ん。
9日
……うー。
ユゥ。
……メル。
くびのひょうのうを、あたらしいものにかえるね。
……ん。
あたま……すこしだけ、ごめんなさい。
んー……ん。
……まだ、あつい。
……。
……くるしい、よね?
ん、ん……。
……もう、こんなに。
メ、ル……。
……とりかえて、あまりたってないのに。
メル……。
あ、ごめんなさい……すぐに。
……きもち、いい。
きもちいい……?
メルの、て……。
……あぁ。
へへ……。
……わたしのては、つめたいから。
ん……。
もしかしたら……いまのユゥには、きもちいいのかもしれない。
きもち、いい……よ。
……。
あたし……メルのて、すき。
……ありがとう、ユゥ。
へ、へへ……。
……おねがい、ユゥをひやしてあげて。
はふぅ……。
……ひょうのう、きもちいい?
う、ん……。
……。
……う。
しばらく、このままで……。
……て。
わたしのてが、ぬるくなってしまうまで……ユゥのおでこに、あてておくね。
へへ……うん。
……。
うー……。
……だいじょうぶよ。
ぶ……?
だいじょうぶ……ねつは、かならずさがるから。
……ん。
……。
はぁ……。
……そばに、いる。
う……。
……ユゥの、そばに。
い……る?
……うん、いるわ。
へ……へ。
……。
メ、ル……メル……。
だいじょうぶ……せんせいも、おししょうさんも、だいじょうぶだっていったもの。
だから、だいじょうぶ……ユゥは、だいじょうぶ……。
ね……メル。
……なぁに、ユゥ。
おなか、すいた……。
……え?
おなか……。
……おなか、すいたの?
……。
のどが、かわいたのではなくて……。
……たべ、たい。
でも、しょくよくがあるのはいいことだから……そう、いいことだわ。
たべることができれば、おちてしまったたいりょくだってもどるはず……。
……メル。
おししょうさんがつくっておいてくれたものを、あたためて……それから、せんせいがせんじた、くすりちゃも。
……。
まっていて、ユゥ……できるだけはやく、もってくるからね。
……や。
え……。
……。
ユゥ……でも、このままでは。
……や、だ。
このままでは、もってこられないわ……だから、ね。
うーーー……。
……あぁ、どうしよう。
……。
おししょうさんか、せんせいに、しらせれば……おおきなこえをだせば、きこえるかもしれない。
……ししょ。
え、なに……?
ししょ……きた。
……おししょうさん、きた?
いい、におい……。
もしかして、おししょうさんがごはんを。
……そ、と。
う、うん。
……。
おししょうさん、ありがとうござ……え。
……し、た。
いない……。
メル……した。
した……あ。
……ごはん、あった?
これは、むぎめん……と、くすりちゃも。
……。
むぎめんは、ふたつ……もしかして、わたしの。
……いっしょ。
ユゥ……。
いっしょに、たべよ……。
……でも。
ひとりで、たべられるよ……。
……からだを、おこすのは。
それくらい、へいき……。
……あ、まって。
……。
まって、ユゥ。
うん……まってる。
まずは、ごはんをへやのなかにはこんで……それから。
おなか……すいた。
よい、しょ……。
……メル、だいじょうぶ?
これくらいなら、だいじょうぶ……だいじょうぶじゃ、ないと。
……。
おししょうさん、わざわざつくってくれたのね……でも、はいってきてくれれば、いいのに。
……。
せんせいも……ううん、きっと、わたしにまかせてくれたんだわ。
なら、ちゃんとしないと……ふたりのように、ちゃんと。
メル。
……なに?
いいよ……。
……。
ししょと、せんせい……メルじゃ、ない。
……あ。
メルは、メルだよ……。
……ユゥ。
いっしょに、たべて……。
……いま、わたしにできることを。
……。
ユゥ、からだをおこしても、だいじょうぶ?
ん……だいじょうぶ。
……つらかったら、すぐにいってね。
うん……すぐに、いうよ。
……。
ね……メルのて、きもちいいね。
……つめたいだけだと、おもってた。
……?
メル……?
でも……やくに、たつのね。
やく……?
……ねつがさがったら、きっと、いつもどおりだけれど。
ね、メル……。
……。
あたし……すきだよ。
……。
メルの、て……だいすきだよ。
……ありがとう、ユゥ。
ふふ……ん。
……からだ、おこそうね。
うん、おこす……。
……ひょうのうは、このままでもいい?
うん、いい……。
……。
……はふぅ。
だいじょうぶ……?
ん、だいじょうぶ。
……よかった。
ごはん……あ。
……うん?
また、きた。
……また?
ししょ。
こんども、おししょうさん?
また、ししょ。
そう……ちょっとまっててね、ユゥ。
ん。
おししょうさん、こんどは……あ。
……。
お、おししょうさん、そ、その……え、お、おさゆを、わすれたのですか。
せ、せんせいに、いわれて……あ、あぁ、そうなのですね。
……せんせも、きた。
えと、あ、ありがとうございます……あの、むぎめんも、わ、わたしのぶんまで、つくってくれて。
……ししょ、わらってる。
あの、せんせいは……あ、そうですか。
い、いえ、と、とんでもない……せ、せんせいのぶんも、ありがとうございます。
ほ、ほうっておくと、たべることを、わすれてしまうので……え、わ、わたしもですか。
……。
は、はい、くすりちゃは、たべおわったあとに……はい、だ、だいじょうぶです。
あの、おししょうさん、ユゥのようすを……きゃ。
……。
あ、あぁ……。
むー。
……。
ごはん、メルとたべる。
ししょは、あっち。
……。
ししょ、はやく、あっち。
……は、ぁ。
むーー。
だ、だいじょうぶです……す、すこし、びっくりしただけです。
メル、ごはん、ごはん。
う、うん……あ、はい、な、なにかあったら、す、すぐに、しらせます。
……。
……ふふ。
ん……メル?
……。
起きた……?
……懐かしい。
え?
……私、いつの間にか眠っていたのね。
うん……気が付いたら、うとうとしてて。
……然う。
メル……また、眠るかい?
……あのね、ユゥ。
うん。
……ユゥがまだ、小さかった頃の夢を見たの。
あぁ……それは、懐かしいな。
ふふふ……。
……そんなに可笑しな夢だったのかい?
可笑しいわけではないの……ただ、懐かしくて。
そっか。
……あの頃から、長い時が流れたわけではないのに。
ん、なに……?
……小さなユゥ、可愛かったわ。
む……。
……今はすっかり、大きくなって。
小さい方が、良かった……?
……ううん、今のユゥも。
今の、あたしも……?
……。
メル……?
……その、可愛くて素敵だと。
……。
ん……ユゥ。
……メルは小さい頃も今も、とっても可愛い。
……。
きっと……マーキュリーになっても。
……あの頃は、まだ。
ん……?
……うまく、話せなくて。
あぁ……本当、話せなかったなぁ。
……今も、まだ。
あー、とか、うー、とか。そんなことばかり、言ってたような気がする。
メルみたいに、うまく言葉にすることが出来なくてさ。
……ユゥの場合は、まだ覚えていなかっただけだから。
ね、メル。
あたしが初めて覚えた言葉、なんだか分かる?
……。
分かる?
……ごはん?
うん、違うよ。
……お師匠さん?
それも、違う。
……先生?
メル、わざと言ってるだろ?
……。
あたしが初めて覚えた言葉は……ん。
……初めは、め。
め……?
然う……め。
……。
私のこと……ユゥは、然う呼んでいたの。
……め、か。
め、めーって……私を見ると、いつも。
……でも、メルになった。
……。
あたしが初めて、ちゃんと覚えた名前だ。
……他に、居ないから。
居るよ、先生と師匠が。
……ふたりのことは、名前で呼ばないから。
けど、呼ぶだろう……先生、師匠って。
名前ではないけど……でも、然う呼ぶ。
……。
然う考えると……うん、やっぱりメルの名前が最初だ。
……もぅ。
ん……若しかして、いや?
……いやじゃ、ない。
なら……良い?
……びっくりしたの。
びっくり……?
……メルって、呼ばれた時。
そんなに、びっくりした……?
……ずっと、め、だったから。
うーん……そっか。
……聞き間違いかと、思ったの。
はは……。
……本当よ。
ん、分かってる……。
……私をメルと呼べるようになってから。
……。
それから少しずつ、言葉が増えていったの……。
……メルがずっと、あたしに言葉を聞かせて呉れていたからだよ。
ううん……私だけではないわ。
でも、書物を読んで呉れたのは、あの頃はメルだけだったと思う。
……。
初めて読んで呉れた書物は……青い星の。
……ん。
きれいな、青……。
……それは、青い星ではないわ。
それ以上に、きれいな青なんだ……。
……先生も、同じ青よ。
ううん、少し違うんだ……。
……。
……また、眠る?
今は……起きていたい。
……そっか。
無理は、しないから……。
……うん、しないで欲しい。
……。
ね……麦団子、食べるかい?
……麦団子?
取っておいた、麦団子。
……じゃあ、ひとつだけ。
うん。
……ユゥも、食べるでしょう?
うん、メルと一緒にね。
……。
あ、然うだ。
……薬茶?
うん……さっき、先生が。
起きたら、飲むようにって。
……ん、分かったわ。
……。
ふふ……ユゥが飲むわけではないのに。
でも……渋そうで。
……多分、だけれど。
なに……?
そこまで、渋くはないと思うの。
……然うかなぁ。
多分、ね。
……色が渋そうだけど。
甘いお豆が入っている麦団子があるから。
……大丈夫?
きっと。
……口直しに、食べる?
ふふ、それも良いかも。
……その方が、あたしは良いと思うな。
……。
ね、メル……然うした方が。
……半分、食べて呉れる?
え。
薬茶は、何かお腹に入っている時の方が私は飲みやすいの。
そ、然うなんだ。
だから、ね……ひとつは、薬茶の先に。
あ。
そして、はんぶんは……。
薬茶の後に。
……ん。
良いね、それ。
でしょう?
じゃあ、然うしよう。
……食べて呉れる?
うん、勿論。
……ありがとう、ユゥ。
こちらこそ、ありがとう。
……どうして?
メルとはんぶんこ、出来るから。
……。
へへ。
……その笑い方。
うん?
……小さい頃と、同じ。
同じ、かな。
……ふふ、可愛い。
え、えと……。
……。
……まぁ、いっか。
うん……良いの。
……へへ。
ふふ……。
……じゃあ、食べようか。
うん……食べましょう、ユゥ。
8日
6日の拍手、ありがとうございます。
すごく嬉しいです。
メル。
……ん。
メル、メル。
えと……こんにちは、ユゥ。
こん、は。
きょうも、きてくれたの?
ん。
きてくれて、ありがとう。
うれし?
うん、うれしい。
へへ。
きょうは、ひとりできたの?
ひとり。
おししょうさんは、あとからくるの?
ん!
そう……じゃあ、ユゥはさきにきたのね。
さき、あたし、さき。
……。
ししょ、あと。
……おししょうさん。
メル?
ううん……なんでもない。
ん。
ね、ユゥ?
なぁに。
もしも、ひとりでくるときは、おししょうさんにいってきてね。
?
そうしないと、しんぱい、するから。
しんぱ?
そう、しんぱい。
……メル?
わたしもだけど、おししょうさんも、それから、せんせいも。
……。
だから……ね、やくそく。
ん、やくそく。
うん……ユゥは、いいこね。
いいこ?
ん、いいこ。
へへっ。
……だから、まもってね。
まもる、やくそく、まもる。
……うん。
ね。
……なぁに?
メル、きょうは、そと。
うん……たまには、いいとおもって。
そっか!
ユゥは、おそとが、すき?
すき!
いえのなかと、おそと、どちらがすき?
どっちも!
どちらも?
ん!
ふふ、そう。
メルは?
わたしは……いえのなかのほうが、すき。
そうなの?
おそとは、まだすこし、にがてなの。
……。
でもね、ユゥとおそとであそぶのは、すきよ。
ほんと?
ん、ほんとう。
ふふ、ふふ。
わたしね……ユゥがきてくれたから、こうやって、おそとにいられるようになったの。
まだすこしにがてだけれど、それでも、おそとにでようって、おもえるようになったの。
……。
だから……もうすこししたら、また、あそびましょうね。
うん!
……。
ね、ね。
なぁに、ユゥ。
メル、なに、してたの?
わたしは、しょもつを、よんでいたの。
しょ?
いろんなことが、かかれている、ものよ。
いろんな……なに?
えと……いま、よんでいたのは、あおいほしのことがかかれている、しょもつで。
あお?
そう、あおいほしの……ん。
あお。
あの……わたしでは、なくて。
あお、あお。
……ええ、と。
ふふ。
あの、ユゥ……?
メル、あお。
う、うん……そうだね。
すき。
あ、ありがとう……。
へへへ。
でも、せんせいも、あお……。
あお、メル。
……。
?
メル?
……ね、いっしょに、よむ?
よむ?
あ、あのね……も、もしも、ユゥがよんでみたいのなら、いっしょに。
よむって、なに?
あ。
メル、なぁに?
ま、まだ、よめない……?
よめ、ない?
……。
メル、よめない。
……ねぇ、ユゥ。
なぁに。
きくことは、できる?
きく?
うん……わたしがよむから、ユゥは、わたしのとなりで。
あたし、きく。
……。
メルのとなり、いい?
ん……いいわ。
やった。
……。
えへへ。
えと……おいで、ユゥ。
んっ。
……。
ん、しょ。
……え。
ふふ。
あの……そこは、となりでは、ないわ。
メルの、となり。
まえ……。
だめ?
……ううん、ユゥがいいのなら。
いいよ。
ん……なら、ここで。
やった、やった。
……え、と。
ん……メル?
ご、ごめんね。
なんで?
こ、こうしないと、よめないとおもったから。
んー?
い、いやだったら、いってね。
んーん。
いやじゃない……?
ん、いやじゃないよ。
……あ。
メル……いいにおい。
……っ。
すき……。
……ユ、ゥ。
ふふ……。
……。
ね、ね、よんで。
……う、ん。
しょもつ、よんで、メル。
ん……じゃあ、よむね。
メル
……。
お待たせ、メル。
……ユゥ。
ごはん、持ってきたよ。
ん……ありがとう。
躰の具合、どう?
うん……大丈夫、休んでいたから。
そっか、良かった。
改めてありがとう、ユゥ。
ううん……でも、無理はしないでね。
……うん。
ここに置いても良いかい?
うん、お願い。
うん。
……先生とお師匠さんは?
向こうで、ふたりで食べるって。
……然う。
師匠が麦団子を作って呉れたんだ。
メルも、食べるだろう?
うん、食べたい。
本当はあたしが作りたかったんだけど、あたし達が来るのを待っている間に師匠が作っちゃったんだ。
……若しかしたら。
うん?
先生に、言われたのかも。
あー。
だとしたら、お師匠さんは作ると思うわ。
確かに、師匠なら張り切って作るな。
……ふふ。
……。
ん……ユゥ?
メル……良かった。
……。
心配、した……。
……ごめんなさい、心配をかけて。
疲れが、たまっているなんて……思いも、しなかった。
……大丈夫だと、思っていたの。
……。
疲れやすいのは、目だけだと思って……だから。
……メルが、倒れた時。
ユゥ……。
心臓がね……口から、飛び出しそうになったんだ。
……。
声をかけても、名前を呼んでも、応えて呉れなくて……頭の中が、真っ白になって。
どうして良いか、分からなくなってしまって……その時に、名前を呼ばれたんだ。
……お師匠さんに?
うん……それがまた、大きな声でさ。
頭を直接、殴られたような……若しかしたら、先生にも届いていたかも知れない。
……。
名前を呼ばれて……それで、メルを先生のところに連れて行かなきゃって、思ったんだ。
……然うだったのね。
最初は師匠が連れて行くって言ったんだ……だけどメルは、メルはあたしが連れて行くって。
……。
揺らさないように連れて行けって。
そんなの、言われなくても分かっているのにさ。
……お師匠さんのおかげで、いつものユゥに戻れたのね。
然う、なのかな……まぁ、然うなんだけど。
……お師匠さんにも、お礼を言わないと。
後で、良いよ……今は師匠、先生と居るから。
……うん、後で言うわ。
若しかしたら、様子を見にくるかも知れない……いや、必ず来ると思う。
……じゃあ、その時に。
……。
ユゥ……。
あまり、無理しないで……メル。
……うん。
約束……。
……約束。
……。
……ん。
……。
……。
ごはん……食べようか。
うん……一緒に。
メルが作った芋煮汁……とても良い匂いがして、すごくおいしそうだ。
……お師匠さんの麦団子もおいしそう。
汁に入れて食べても良いし……そのまま食べても良いって。
……ね、ユゥ。
ん……?
……別にしてあるものは?
あぁ、こっちの麦団子にはね……甘い豆が、入っているんだ。
甘いお豆……?
うん……後で食べても、良いように。
……甘いお豆も、お師匠さんが。
きっと、先生に言われたんだよ……先生も、甘い豆が好きだから。
ん……きっと、然うね。
ふふ……。
……なに?
今のメルは、ただの麦団子よりも、甘い豆入りの方が良いかなって思って。
……ううん、そんなことないわ。
良いんだよ……食べたいのを食べれば良いんだ。
……。
好きなものを食べて……躰をゆっくり、休めて欲しい。
……偏っては、いけないから。
……。
……だから、芋煮汁も食べるの。
ふふ……そっか。
ん……ユゥ?
……こんな時にまで、気にしなくても良いと思うんだけどな。
……。
でも、良いや……食べられるのなら、それで良い。
……ん。
……。
……あのね。
なんだい……?
保護眼鏡……先生が、後で調節して呉れるって。
然うなんだ……良かったね。
……本当はね、自分でしたかったの。
……。
だけど……今は兎に角休みなさいって、言われてしまって。
……あたしも、先生に賛成だ。
ん……然うよね。
……目。
……。
……隠しているんだね。
休ませるように……書物を読むのも、これが外れるまで駄目だって。
……お勉強も?
講義を、聞くだけなら……。
……けれど、長い時間は。
……。
今はお休みして……元気になれば、また出来るようになるよ。
……然う、よね。
うん……然うだよ。
……。
……メル。
ね、ユゥ……お願いがあるの。
……お願い?
……。
……聞かせて、メル。
嫌だったら、嫌って言ってね……。
……嫌だったらね。
……。
お願いってなんだい、メル……。
……読んで、聞かせて欲しいの。
読んで……書物を?
……。
良い、けど……。
……嫌、よね。
ううん、嫌じゃない……でも、あたしにメルが読んでいるような書物が読めるかな。
……。
よ、読めないかも……。
……小さい頃に読んだ書物。
え……?
……ユゥと、ふたりで読んだ。
……。
それを、改めて読んで欲しいの……。
……それなら、読めるかも。
……。
いや、読める……けど、その書物で本当に良いの?
ん……ユゥの声で、聞きたいの。
分かった……なら、食べ終わった後に。
……ありがとう。
どういたしまして……。
……。
ね、他にも……あたしの読めそうなものだったら、読むよ。
……じゃあ、歴代ジュピターの日記を。
歴代……うん、良いよ。
いつのジュピターのが良い?
然うね……考えても、良い?
うん……ゆっくり、考えて。
……うん。
……。
……食べないと、折角ユゥが温めて呉れたのに。
ん……どうして、分かったの?
……そんな気がしたの。
……。
麦団子は、お師匠さんが……なら、芋煮汁はユゥが。
……へへ、やっぱりメルだ。
当たり……?
……ん、当たり。
ふふ……嬉しい。
……。
……あ。
メルの、におい……。
……ユ、ゥ。
いつものにおいに……安心する。
う、ん……。
7日
め。
……え。
うー。
ユ、ユゥ……?
あー。
ど、どうしたの……?
ど?
ど、どうして、な、なにもきていないの……?
あー?
な、なにが、あったの……?
ふ、ふくは、ど、どうしたの……?
……。
お、おししょうさんは……あ。
う。
え、な、なに……。
うーー。
ど、どうしよう……な、なにが、いいたいのか、よくわからない……。
……。
と、とにかく、おししょうさんを、よばないと……え、えと、せ、せんせいでも。
めー。
ま、まってて、ユゥ。
いま、ふたりを、よ、よんでくるから。
……。
え。
うー。
ま、まって。
……う?
そ、そこにすわらないで、ユゥ。
よ、よごれて、しまうわ。
……よ?
そ、そう、よごれてしまうの。
……。
も、もう、よごれているかも、しれないけど……も、もっと、よごれてしまうから。
……。
ね、い、いいこだから……。
うっ。
あ。
うーー。
う、うん、い、いいこね?
……。
そ、そのままで、いられる?
ん。
う、ん……いいこ。
……へへ。
と、とりあえず、さきに、な、なにかきるものを……。
……め。
わ、わたしの、じょういでいいかしら……。
……。
きゃ。
……めー。
ユ、ユ、ユゥ……?
……。
あ、あの……は、はなれて。
め、め。
あ、あぁ……。
め。
は……はなしてっ。
あう。
……。
……。
……は、ぁ。
うー……。
……はっ。
……。
ご、ごめんなさいっ、ユゥ……っ。
……。
び、びっくりしてしまって……ど、どこか、いたいところは、ない?
……。
あ、あぁ……よかった。
……め?
あ、あの……い、いやなわけでは、なかったの。
……。
ほ、ほんとう、なの……。
うん。
……え。
……。
ユゥ……?
……う?
あ……。
……へへへ。
あの……ほんとうに、ごめんなさい。
んーん。
……。
め、めー。
ユゥは……いつだって、わらっているのね。
わ?
わたしとは、ちがう……。
……。
……わたしは。
んー……ん。
……。
め?
……うん、ありがとう。
へへ。
……。
……。
……そ、そうだ。
?
わ、わたしのじょうい、だけど……ほ、ほかに、ないから。
……。
えと……これ、きてくれる?
……き?
そう……ひとりで、きられる?
う。
あ。
う、う。
うん……はい、ユゥ。
……。
ま、まずは、うでを……うん、どちらからでも、いいわ。
……。
りょううでを、とおしたら……あたまを、とおして。
……う。
まって……なおして、あげる。
……。
……はい、いいわ。
あー。
ん……だいじょうぶ。
……。
……うん、きられた。
……。
い、いいこ……。
……ふふ。
ユゥ……。
あ……あ。
……うん?
あ、あり……あ。
……ありが、とう?
あり!
……うん、どういたしまして。
……。
あ、おししょうさん……。
……い。
や、やぶけて、し、しまったのですね……。
あ、い、いえ、いいんです……わ、わたしの、じょういで、いいのなら、い、いくらでも。
……にお、い。
え、なに……?
……。
きのせい……あ、はい。
つ、つくろうまで、ですね……わ、わたしは、だ、だいじょうぶです。
……き。
ん。
……メ。
ユ、ユゥ……。
……。
おししょうさんが、つくろいおわるまで、がまん、してね……。
……ん。
あ、あの、おししょうさん……せんせい、は。
……す、き。
そ、そうですか……は、はい、わかりました。
ユ、ユゥと、いっしょにいます……お、おべんきょうは、だいじょうぶです。
……。
ね、わ、わたしと、まっていようね。
うん、メル。
あ……。
うー。
……いま。
うー?
ううん……たしかに、いま。
……。
お、おししょうさんも、きいて……あ、あれ。
……メル。
いない……。
……。
でも……ききまちがいじゃ、ない。
い……しょ?
……。
メ、ル……。
ん……いっしょに、おししょうさんをまってようね。
……。
……ふ。
……。
……ユ、ゥ。
メル……?
……ユゥ。
良かった、メル。
……私。
気分は、悪くないかい?
……ん、大丈夫。
あともう少しで、メルの家だよ。
……私の。
着いたら先生に診てもらって、それから寝台で休もう。
……私、どうしたの。
憶えて、ない……?
……はっきり、思い出せないの。
……。
だから……教えて、ユゥ。
う、うん……良いけど。
……教えて呉れたら、きっと、思い出すから。
メル……うん、分かった。
……ありがとう。
メル、鍛錬が終わった後、急に倒れたんだ。
……。
あたしの目の前で……だから、師匠に先生のところへ連れて行くように言われて。
……突然、気が遠くなったの。
思い出した……?
うん……少しだけ。
……受け身も、取れていなかった。
……。
ごめん……あたしがもう少し早く反応出来ていれば、メルは倒れずに済んだのに。
……私は、大丈夫よ。
然うだとしても……あたしが遅かったせいで、メルが倒れたことには変わりないから。
ユゥ……。
ごめん……ごめんよ、メル。
……ねぇ、ユゥ。
なに……。
……背負って呉れて、ありがとう。
そ、そんなの、当たり前のことだよ……然う、師匠に言われなくたって、あたしは。
……ユゥ、大きくなったね。
え……。
……本当、大きくなった。
え、えと……。
……私、ユゥの背中が好き。
……っ。
ね……もう少し、このままで。
い、家まで、このままで。
……歩けそうだったら、自分で。
う、ううん、だめだよ。
……無理は、しないから。
先生に大丈夫って言ってもらうまで、だめ。
……けど、ユゥも鍛錬で疲れているのに。
あたしは、大丈夫だよ。
これくらい、なんてことない。
……。
ん……メル。
……うらやましい。
え、な、なに?
……お師匠さんは?
先生に知らせるからって、先に。
……然う。
し、師匠の方が、良かった?
……どうして?
師匠の方が、お、大きいし……背中。
……。
メル……然うなの。
……ううん、私はユゥが良い。
あ……。
……ユゥの背中が、好きだから。
う、うん……。
……お師匠さんの背中が、嫌なわけではないの。
うん、分かってる……。
……。
分かってるよ……メル。
……うん。
……。
……ね。
な、なんだい……?
……私、倒れた時に頭を打った?
え。
……受け身が取れなかったみたいだから。
も、若しかして、あ、頭痛い?
……ううん、痛みは感じない。
メル、横に倒れたんだ。
……横に?
うん……ふらっとしたと思ったら、横に。
……右、それとも。
ううん、左……。
左……。
……体が揺れて左に傾いたと思ったら、そのまま。
うん……然うだったかも知れない。
あたし、咄嗟に手を伸ばしたんだけど……一歩、足りなくて。
……それならば、可能性としては左側頭部。
もう少し、早ければ……。
……あ。
な、なに?
……保護眼鏡。
ほご……?
……左、だから。
あ、あぁ、そっか。
……。
ど、どう?
……少し。
す、少し……?
……視野に、乱れが。
こ、壊れちゃった……?
故障と言うより……不具合を、起こしているみたい。
な、直る……?
うん……これくらいならば、大丈夫だと思う。
そ、そっか……良かった。
……。
メル、家に着くまで休んでいて。
……うん、然うする。
良かったら、眠ってても良いから。
……ううん、起きてる。
……。
目は、瞑ってるけど……。
……目、痛くない?
ん……大丈夫よ。
……。
……お師匠さんにも、吃驚されちゃった。
うん、してたね……。
……苦手みたい。
苦手……?
……でも、分かる。
……。
こんな目……自分でも、気持ちが悪いもの。
……気持ち悪くなんて、ないよ。
……。
痛そうだとは、思うけれど……師匠だって、然うだよ。
……然うだと思う?
うん、思う。
……。
師匠は、ジュピターなんだ……目が赤いくらいで、気持ち悪いなんて絶対に思わないよ。
……然う、よね。
然うだよ、だってあたしが思わないんだ。
師匠が思うわけない。
……ユゥが、然う言うのなら。
うん……。
……。
……。
……先生に診てもらったら、寝台でお休みする前に。
ううん……まずは、ちゃんと休まないと。
……ユゥと、お昼ごはんを食べたいの。
ごはん……。
……一緒に食べるって、言ったから。
だけど、食べられそうなの……?
ん……今のところ、吐き気はないから。
でも、先生がなんて言うか……。
……然うね。
今、大丈夫でも……後になって。
……先生が良いって言ったら、一緒に。
……。
ね……それなら、良いでしょう?
あ、あたしは……良い、けど。
……なら、ね。
うん、一緒に食べよう……。
それで……若しも、私が食べられなくても。
……。
私の傍で……どうか、いつものように食べて。
……傍で食べても、良いの?
うん……傍で、食べて欲しいの。
……。
……見ていたいの。
分かった……約束する。
……先生がそれすらも駄目だと言ったら、ごめんなさい。
ううん、それなら仕方ないから……。
然うしたら……先生と、食べて。
メル……。
ひとりだと、食べないと思うから……あと、お師匠さんとも。
うん……分かった。
……。
メル……眠いなら。
……ん、平気。
着いたら、起こしてあげるよ……。
……感じて、いたいの。
感じて……?
……ユゥの、歩みの感触。
6日
-in the Cradle.(前世・少年期)
メル。
……え。
おはよう、メル。
おはよう、ユゥ。
どうしたの?
メルに早く会いたくて、迎えに来ちゃった。
ごめんね、約束してないのに。
ううん、良いの。
来て呉れてありがとう。
へへ。
ふふ。
ね、外で何をしていたの?
支度が出来たから、ユゥが来て呉れるのを待ってたの。
え、然うなの?
然うしたら、本当に来て呉れたから吃驚しちゃった。
あ、あたしに早く会いたかった?
ん……会いたかった。
き、来て、良かった。
……本当はね。
え?
ユゥの家に行こうか、考えていたの。
え、然うなの?
ふふ、二回目。
あ。
でも、約束もしていないのに、迷惑かなって。
め、迷惑じゃない、全然、迷惑じゃない。
メルなら約束をしていなくても、いつでも来て欲しい。
……お師匠さんも居るし。
師匠のことなら、考えなくて良いよ。
どうせ喜ぶに決まっているから。
……決まっているの?
うん、決まってる。
にやにやして、腹立つけど。
……。
ね、支度はもう出来てるんだよね。
うん。
流石メルだ。
師匠と違って、寝坊しない。
お師匠さんは……未だ?
うん、未だ。
……然う。
あたしがごはんを作って食べてても、起きてこない。家を出る頃も未だ、寝台の中。
でもまぁ、いい加減起きてくるんじゃないかな、多分。
ふふ……然う。
メルは朝ごはん、ちゃんと食べた?
うん、ちゃんと食べたわ。
ん、良かった。
今朝はメルが作ったの?
うん、私が。
先生と、一緒に食べた?
……一応。
そっか、良いなぁ。
残っているけれど……食べる?
え、良いの?
ん、多めに作ったから……良かったら、食べて。
うん、食べたい。
なら……鍛錬が終わった後、お昼にね。
今でも、良いんだけどな。
でも、今朝はもう食べたでしょう?
食べたけど。
鍛錬の前に、食べ過ぎは駄目よ。
はぁい。
お昼になったら、一緒に食べましょう?
メルと一緒に?
うん、私と一緒に。
やった、然うする!
ん。
ね、先生は部屋に居るの?
うん、食べ終わったら自分の部屋に。
ふふ、いつも通りだね。
たまには、外に出て欲しいのだけれど。
先生は家の中が好きなんだよね。
……家の中ばかりでは、躰が鈍ってしまうわ。
はは。
……ユゥ?
メルも放っておくと、部屋に籠りがちだよなぁって。
……私は、ユゥが来て呉れるから。
あたしが来なくても、たまには外に出て躰を動かさないと駄目だよ。
……分かってる。
ほんと?
……本当。
ん、なら良いや。
……お師匠さんが来て、先生を外に出して呉れれば良いのに。
んー、今日あたり来るんじゃないかな。
最近、会えてないみたいだから。
……夜では。
あ、そっか。
それも、然うだね。
……はぁ。
一応、言っておこうか……?
……ううん、良いの。
メル……。
気にしないで、ユゥ。
うん……。
……。
えと……今日の講義、あたしは書き取りかなぁ。
それとも、二桁の計算かなぁ。若しかしたら、青い星のお話かも。
……楽しみ?
うん、メルと一緒だから。
……そろそろ、三桁の計算かも知れない。
え。
ユゥはもう、二桁の計算は出来るから。
さ、三桁……?
二桁が三桁になるだけ、計算の仕方は変わらないわ。
だから、落ち着いて解けば大丈夫。
計算の仕方は、変わらなくても、数は、増えるよね。
桁が増えるだけ、ユゥなら直ぐに計算出来るようになるわ。
そ、然うかな。
初めは焦らず、復習するように、ゆっくりとね。
う、うん……。
……不安?
す、少し……だ、だからね。
うん?
メ、メルが……教えて呉れたら、嬉しい。
ん……勿論。
ほ、ほんと?
うん、本当。
あぁ、良かったぁ。
先ずは、和の計算からだと思うの。
和と差は、まだ良いんだ……ね、三桁にも積と商はあるよね。
うん、あるわ。
だ、だよね。
けど、ユゥなら大丈夫。
う、うん、頑張るよ。
ふふ……うん。
……。
ん……ユゥ。
約束、してなかったけど……来て、良かった。
うん……会えて、嬉しい。
……。
……。
……そろそろ、行く?
ん……。
ね、ゆっくり行こうか。
師匠はやっと着替えて、ごはんを食べ始めた頃だろうから。
お師匠さんは、急がない?
師匠が急ぐ時は、先生が絡む時ぐらいだよ。
だからきっと、今日もいつも通り。
……。
ね、ゆっくり行こう?
……うん、ユゥ。
ふふ、やった。
……。
……ね、メル。
なぁに……ユゥ。
……手、繋いでも良い?
うん……。
……。
……。
……メルの手、
冷たい……?
……ひんやりして、気持ちが良い。
……。
……あたしの手、熱くない?
ん……大丈夫。
……良かった。
……。
……へへ。
ふふ……。
……ね。
なぁに……。
前髪、伸びたね。
……あぁ。
目が、隠れちゃってる。
だから……そろそろ、切って貰おうと思っているの。
あたしが、切れたらなぁ。
……ユゥが?
あたしが切れたら、師匠になんて触らせないんだ。
……。
今度、師匠の髪の毛で練習しようかな。
……お師匠さんは、許して呉れる?
先生の髪の毛じゃ、練習出来ないだろう?
それは……出来ないと思う。
だったら、練習台は師匠しか居ない。
私は別に、お師匠さんでも……。
今は師匠に譲るけど、いずれはあたしが切りたい。
師匠が先生の髪の毛を切っているように、あたしがメルの髪の毛を切るんだ。
……。
だ、だめ?
ううん……だめじゃない。
じゃあ……?
……その時は、お願いしても良い?
ん、任せて!
……ユゥは手先が器用だから、きっと。
良し、その為に師匠で練習しないと!
あの……あまり切り過ぎないようにね。
師匠なら、どんな頭でも平気だから。
寝癖も、直さないだろう? 今朝もきっと、直してないよ。
そ、然ういう問題ではないような気がするの。
早速、言ってみようっと。
……大丈夫かしら。
ね、メル、そのままだと鍛錬するのに邪魔じゃない?
うん……だから、留めようと思って。
止める?
ん、髪留めで。
あ。
これ、先生に。
青い髪留めだ。
見ているだけで邪魔だから、留めなさいって。
きれいな髪留めだね。
……お師匠さんに貰ったものみたいなの。
師匠に?
ん……青い星のお土産で。
青い星の……持って来て、良いの?
……此れくらいなら、良いみたい。
然うなんだ……なら、あたしがジュピターになったら、メルに。
……。
うん……絶対、買って来よう。
ね、留めてしまうから、少しだけ手を離してもらっても良い?
うん、良いよ。
……。
メルの前髪……いつ見ても、さらさらだなぁ。
……。
……?
……。
メル、どうしたの……?
……やっぱり、鏡を見ながらでないと駄目かしら。
上手に、留まらない?
ごめんなさい、ユゥ。
もう少し、待っていてもらっても
あ、あたしが、留めてみても良い?
……ユゥが?
ど、どうだろ。
……。
師匠が先生に、やってあげてるところを見たことがあるんだ……だ、だから。
……やってみたい?
や、やってみたい。
……なら、これを。
い、良い……?
……ん、やってみて。
わ、分かった。
……。
えと……これを、こうして留めるんだよね。
……ん。
目、閉じる……?
……なんとなく、その方が良いかなって。
そ、そっか……。
……。
う、動かないでね。
……うん、動かない。
……。
……。
ふぅ……良し。
……。
前髪を、こうして……それで。
……。
これを……こう。
……。
……ごめん、メル。
ユゥ、どうかしたの……?
その、曲がっちゃったから……やり直しても、良い?
あぁ……うん、良いわ。
……ごめんね。
ううん、気にしないで……。
……。
ね、ユゥ。
……なぁに?
焦らないで……ゆっくりで、良いから。
うん、ありがと……きれいに、留めるからね。
……。
……前髪を。
……。
あ、メル……。
……だめ?
ううん……そのまま、抑えてて呉れる?
……うん。
……。
……。
これで……こう。
……。
メル、離してみて。
……。
ん、少し曲がってるかな……。
……ううん、大丈夫だと思う。
……。
……ちゃんと、留まってる。
ほんとう……?
……ん、本当。
……。
……ありがとう、ユゥ。
うん……どういたしまして。
……。
……可愛いな。
ん、なに……?
か、可愛い……あ。
……ユゥ?
あれ……。
どうしたの……?
ねぇ……メル。
……なぁに?
右目……赤く、なってる?
あぁ……うん、起きたら赤くなっていたの。
起きたら……え、大丈夫なのかい?
ん、大丈夫……ただの、充血だから。
じゅうけつ……。
目の血管が膨らんだ状態のこと。
え、それは本当に大丈夫なの?
休ませてあげれば、大丈夫。
休ませて……た、鍛錬は。
ん、問題ないわ。
け、けど、い、痛くない?
それがね、全然痛くないの。
……。
それに、これがあるから。
……なに?
耳の……。
……飾り玉?
然う……。
……飾り玉があると、大丈夫なの?
これを、軽く押すとね……。
……押す?
私の目の前に、膜のようなものが広がったのは分かる……?
えと……。
これが、目を保護して呉れるの。
んー……。
……見えない?
メルの目の前に……何か青みがかった、薄いのが見えるような。
……保護眼鏡と、言うの。
ほごめがね……これが、目をほごして呉れるの?
……ん。
へぇ……。
先生が、暫くこれを使うようにって……今朝、付けて呉れたの。
……。
ん、ユゥ……?
……何も、感触がない。
ふふ、でしょう?
先生が作ったの?
……うん、これはね。
然うなんだ……すごいなぁ。
……。
でも、どうして目が赤くなっちゃったの?
ここのところ、目が直ぐに疲れてしまって……それが、原因みたい。
なら、休ませないと。
だから……暫くの間、夜は早めに休むつもり。
うん、その方が良いと思う。
無理は良くないと思うから。
……う、ん。
ね、ねぇ、メル。
……なぁに。
あ、あたしと一緒に。
……。
……。
……ユゥと、一緒に?
う、うん……。
……。
……いや?
いやでは、ないわ……。
……なら、今夜。
今夜……?
……メルの部屋に。
……。
……こ、今夜はだめ?
ん……分かった。
!
……今夜、一緒に。
うん、一緒に……。
……。
か、必ず、来るから。
うん……待ってる。
5日
マーキュリー。
ジュピター。
丁度良かった、今から行こうと思っていたんだ。
然う。
一緒に行っても良いだろう?
構わないわ。
やった。
今日の調子は?
相変わらず、かな。
困ったものね。
疲れると直ぐに泣き言を言い始めるんだ。
疲れなくても、でしょう。
そもそも、好きではないからさ。
相変わらずね。
然うなんだ。
見た所、そんな厳しい内容ではないと言うのに。
メル……マーキュリーが幼い頃は、もう少し厳しかったよね。
……大した差ではないわ。
とは言え、同じではないよ。
……。
マーキュリーは泣き言ひとつ言わず、いつだって一所懸命だった。
……必死だったから、泣き言なんて言っている暇はなかった。
……。
ユゥ……ジュピターも先代も、優しかったから。
だけど、それでは己の為にならない。それこそ、逃げ癖がついてしまうだけ。
……メルには、つかないと思うけど。
分からないでしょう……そんなことは。
無理をして……たまに、熱を出したりさ。
体力の限界を考えずに、気持ちだけで付いて行こうとしていたから。
気持ちは大事だけれど……だからって、気持ちだけでは壊れてしまう。
己の躰を知るという意味では、有意義だったわ。
……心配したんだよ。
倒れた私を背負って、先代のところまで連れて行って呉れたこともあったわね。
急にぱたんと倒れるものだから、その度に、口から心臓が飛び出そうになるんだ。
そういう時は大抵、体力切れを起こしていたのよね。
今ならそれが分かるけれど、あの頃は分からなかったんだ。
分かっていても、心配するくせに。
それは当たり前のことだよ。
然うよね。
無理はしないで欲しい。
置いて行かれるのが、嫌だったの。
……。
あなたに。
……あたしは、マーキュリーを置いてなんか行かないよ。
それから、足手纏いにもなりたくなかった。
足手纏いなんて。
思えば私、負けず嫌いだったのよね。
……メルが負けず嫌い?
然う、負けず嫌い。
あと、名前。
……然うだったんだ。
ジュピターのたまごに、私が付いていけるわけがないのにね。
いや、負けず嫌いなのは良いと思う。
だけど、無理は駄目だ。
今はもう、分かっているから。
今は違う意味で無理をするだろう?
仕事だもの、仕方ないわ。
仕方なくないんだって、もう。
はいはい、然うね。
よくよく考えたら、今も同じような意味で無理をしているような。
然うかしら。
兎に角、無理は駄目だよ。
あなたもね。
あたしは、ちゃんと休んでいるから。
そんなあなたのおかげで、私も休めている。
そうそう、あたしのおかげ……ん?
ふふ。
……今、あたしのおかげって言った?
言ってないわよ。
然うだよね、聞き間違いだよね。
マーキュリーが、寝台の中以外で
ジュピター?
はい、なんでもないです。
宜しい。
……まぁ、いっか。
私には心があるから。
……うん?
凍っていれば、また違ったのでしょうけれど。
なんにせよ、無理をしていると判断したらあたしは止めるよ。
ええ、然うして。
うん。
プリンセスに、話は戻すけれど。
あたしは無理をしろと言うつもりは全くない。
ええ、知っているわ。
あなたは昔から、然ういうことを言うひとではないから。
だけど、今のままでは全く駄目だ。
あれでは、どうしようもない。どうしようも出来ない。
……そんなあなたに、そこまで言わせるなんてね。
このままだと、いつまで経っても先に進めない。
進めても良いけれど、付いて来ないのならば意味がない。
現状では、付いて行くことは出来ないでしょう。
躰を動かすことは、そんなに苦しいことかな。
そこが先ず、あたしには理解が出来ないんだ。
嫌いなひとにとっては、苦行なのだと思うわ。
先ず、持久力がない。
ええ、ないわね。
だからと言って、瞬発力があるわけでもない。
躰を動かさなければ、どちらも付かないでしょうね。
才能があればまた違うのでしょうけれど。
才能があっても、鍛えなければ持ち腐れだよ。
まぁ、然うなのよね。
兎に角、躰を動かすことを嫌がるんだ。
あたしとしては、苦手なりにやって呉れれば、それで良いと思っているのだけれど。
最低限、ね。
然う、最低限。
だけど、それが難しいのよね。
仕方ないから、もう少し減らしてみようかなぁ。
それも止む無しかも知れないわ。
でも、此れ以上どう減らそうかな。
……。
マーキュリーなら、どれを減らす……?
……はぁ。
溜息……。
……鍛錬だけではなく、勉強も苦手で。
苦手なのは良いんだよ……ひとには得手不得手があるから。
けれど、苦手なものから直ぐに逃げ出そうとする姿勢は宜しくない。
ただの月の民ならば、それで良いのかも知れないけれど……然うではないだろう?
将来は……曰く、月の女神。
最近はさ……あたしでなくても良いような気がしてきているんだ。
それこそ、マーズの方が良いんじゃないかな……。
それだと、マーズの負担が増えるだけでしょう。
まぁ、然うなんだけど。
……マーズに任せられるのならば、私だって然うしたいわよ。
うん、然うだよね。
ほんの少しだけでも良い、立ち向かう気概があれば。
気概、か……。
……。
……ま、続けるしかないな。
然うね……それもまた、仕事のひとつだから。
なんだかなぁ……。
……ところで。
うん……?
今日のお菓子は。
喜んで食べていたよ。
食べることは、得意みたいなんだ。
あと、遊ぶことと眠ることね。
はは、違いない。
……。
……銀水晶を継ぐ月のプリンセスでなければ、もっと違う生き方が出来たのかも知れない。
プリンセスだからこそ……月の民のような生活をしないで済んでいる。
まぁ……木星の民だったら、今のようにはいかないかな。
……水星の民でもね。
……。
……。
……然ういえば、さ。
なに……。
珍しくヴィーナスが来たよ。
……ヴィーナスが?
珍しいだろう?
……余計な遊びを教えなければ良いけれど。
マーズが止めると思うよ。
……傍に?
今頃、目を光らせていると思う。
……余計な仕事ね。
本当は、マーズの礼法の時間だったらしい。
そこに、ヴィーが割って入った。今しか時間が取れないからと言って。
……忙しそうね、相変わらず。
何に忙しいのかは、分からないけどね。
私達には分からない何かがあるのでしょう。
然うだね、あたし達の統率者としての仕事もあるだろうしね。
……それと、裏の役目もあるのでしょうし。
裏、か……どんな裏なんだか。
……取り敢えず、プリンセスに余計なことを吹き込まなければそれで良いわ。
マーズが、付いているから。
……目は、笑っていた?
今日は、笑っていたと思う。
……良く見なかった?
あまり良く見えなかった。
……隠されたわね。
だと、思う。
……若しかして、追い出された?
マーキュリーちゃんが待っているわよぉ、と。
……。
そんなことを言いながら、背中を押された。
……その時のプリンセスの反応は?
プリンセスの?
……何か変わったことは。
多分、なかったと思うけど。
……見ていないのね。
と言うより、全く気にしてなかった。
……。
気にした方が、良かった?
……いえ、良いわ。
そっか、良かった。
お菓子はいつもと変わらず、食べていたのよね。
ん、食べていたよ。
あれだと、今日も残らないだろうな。
然う……なら、良いわ。
マーキュリー?
ううん、変わりがないようならそれで良いの。
うん。
……。
ところで、マーキュリー。
……なに、ジュピター。
マーキュリーにも、あるんだけど。
……。
マーキュリーの好きな甘味。
……今日は、何を?
豆の甘煮。
……いつも通りね。
嫌かな。
いいえ……嫌ではないわ。
なら。
目を診てからね。
直ぐに終わるよう、じっとしてる。
ええ、然うして。
へへ。
プリンセスのお菓子は?
今日は、香ばしい乾蒸餅を。
甘い?
然う、甘い。
好きよね、乾蒸餅も。
あぁ、然うみたいだ。
あなたがプリンセスに初めて作ってあげたお菓子だから、余計に。
え、然うだっけ。
然うよ。
然うか。
……。
今度、マーキュリーにも作るよ。
……私はお豆の甘煮の方が好きだから。
でも、たまには良いだろう?
たまには、ね。
美味しい乾蒸餅を作るよ、マーキュリーの為に。
……それ、プリンセスにも言っているの?
プリンセスに?
どうして?
……。
あれ、マーキュリー?
頭を抱えて……若しかして、痛い?
……違う意味でね。
それは大変だ。
あたしの部屋に、いや、マーキュリーの部屋でも。
大丈夫よ。
けど。
大丈夫だから……。
……?
マーキュリー……?
はぁ……全く、あなたというひとは。
え、と……。
……瞼の調子は、どう?
まぶた?
然う、瞼。
あまり気にならなくなったかな。
なら、観察は今日でおしまいね。
え、おしまいなの?
ええ、おしまい。
で、でも……。
取り敢えず、今夜は未だ診てあげるわ。
……どこで。
私の部屋で。
分かった!
声が大きい。
……分かった。
ん。
頭……大丈夫かい?
ええ、平気よ。
もう、治まったから。
……。
本当に大丈夫だから。
……うん。
……。
……今日は、此処で。
ん……。
……今日も、青い星はきれいかい?
然うね……輝いているわ。
……。
……閉めるわね。
うん。
……もう少し、我慢して。
分かってる……。
……では、先ずは目を。
うん……お願いします。
……切って。
ん……。
……。
……。
……閉じて。
……。
……。
……。
……うん、良いわ。
どう……?
……本当に、おしまいで良いかもね。
そっか……。
……ずっとでは、嫌でしょう?
瞼は、然うだけれど……。
……ん、ジュピター。
マーキュリーと共寝をするのは……ずっとが、良い。
……然うはいかないわ。
……。
……ねぇ、ジュピター。
ん……なに。
……今夜、あなたに渡すものがあるの。
あたしに……?
然う……あなたに。
……。
楽しみにしていて?
……うん、してる。
……。
なんだろ……へへ、楽しみだな。
……気に入って貰えると、良いけれど。
4日
……ねぇ、マーキュリー。
ん……。
……と。
なに……ジュピター。
ごめん……眠ってた?
……眠っては、いない。
眠りに落ちる、寸前……?
……意識が、沈んでいたのは確か。
ごめん……。
……別に、構わないわ。
……。
……眠れないの?
ん……然ういうわけでは、ないんだけど。
何か話したいことでもあるの……?
……。
然うなのね。
……少し、良いかな。
どうぞ。
……。
ジュピター?
……ごめん、起きている時に話せば。
その時は、言葉に出来なかった。
……。
引っ掛かっては、いたけれど。
……ごめん。
良いの。
……。
……ゆっくりで良いわ、話して。
ありがとう……マーキュリー。
……明日になったら、忘れているかも知れないから。
あたしのこと、だから……?
然う……だから、忘れないうちに聞いてあげるの。
ふふ……うん。
……目のこと?
ううん、目は大丈夫……。
……少し、治まってきたものね。
うん、保護眼鏡のおかげだ……。
……あなたの回復力に依るところもあるけれど。
明日には治って……いや、明日は未だ治っていないな。
……治って呉れたら、明日の夜は会わなくて済むのにね。
治っても、会いたい……。
……私は、忙しいの。
だからこそ、夜はちゃんと休まないとね……。
……ひとりでも、休めるわ。
う……。
……。
あの、マーキュリー……?
……ふふ。
変な声……?
……閉鼻声。
へいび……?
……鼻腔共鳴。
え、えと……。
……はい、良いわ。
そ、そっか……。
……ふふふ。
はは……。
……それで、なぁに?
え?
……話したいこと。
あ、然うだった……。
……。
あたしは……青い星の方が、神の庭と呼ぶに相応しいと思う。
……はい?
昼の話の続き……。
……どうして、然う思うの?
青い星は、生命に溢れていて……星そのものが、生きているように思えるから。
……けれど、月に守られているわ。
確かに、青い星はずっと月に守られてきた……守られていなければ、若しかしたら負の力に侵されて、あれ程の星には育っていなかったかも知れない。
だけど、あたしは思うんだ……青い星は守られなければならない程に、か弱き星だったのだろうか。
本当は月の保護なんかなくても、己の力で育つことは出来たのではないだろうか。
……。
月が保護していたせいで、本来進むべき道から外れてしまって……だから、あたし達のような戦士が居ないのではないだろうか。
……一応、青い星の王がそれに該当するとは言われている。
けれど……ただのひとのこにしか、見えない。
……黄金水晶。
……。
その存在が封印されて、久しいけれど……かつては、銀水晶と並ぶ程の力を持っていたとされているわ。
何処に、封印にされたのだろう。
知っている者は、もう居ない……記録にも、残っていないから。
若しも、それが今でも青い星の王の下にあれば……或いは、月の保護がなくとも。
……伝聞に依れば。
……。
銀と黄金、ふたつ揃って初めて盤石になると……。
であれば……何故、封印されてしまったのだろう。
持ち主は、心美しき者でなければならない。
……。
……青い星の王は元々、ひとのこではなかったとされる。
……。
ひとのこが生まれ、青い星の王となり……いつからか、それを持つようになった。
けれど、長い時の中で……王の心から、美しさが消えてしまったのだとしたら。
持ち主には、相応しくないとして……誰かが、封印した。
……然うなのでしょうね。
一体、誰が。
……分からない。
ひとのこの前の持ち主は。
様々な生命のうちの、どれか。
……。
……あの星に生きる全ての生命は、あの星で生まれたとされている。
……。
ひとのこの祖が生まれるよりもずっと前から……数え切れないほどの生命が生まれ、そして、滅んでいった。
……どうして、青い星に生命は生まれたのだろう。
黄金水晶の力……いいえ。
……。
あなたが言うように、青い星は生きているからかも知れないわね……。
……マーキュリーも、青い星は生きていると思う?
例えば、火山。
……かざん?
火を噴く山。
……あぁ、あれか。
山が火を噴くさまはまるで大地、詰まり青い星の脈動のようだと。
……だから、生きていると。
話は少しだけ逸れるけれど、火山を大いなる者として神のように讃え、祭るひとのこ達も居るわ。
……神が沢山居る地域もあるんだったね。
神は至る所に宿る……八百万の神と言うそうよ。
……面白いな。
まぁ、火山は月にもあるのだけれど……火を噴くことはもう、ないとされているから。
……然ういや、あったな。
月の火山は……もう、脈を打つことはない。
……死んでいるわけでは、ないのだろうけど。
……。
生きているようにも、思えない……。
……静かに眠っていると、言えなくもない。
青い星のように、新たな生命が生まれてくれば……。
……それは、今後もないでしょうね。
造られることは、あっても?
……今更、新しいものを造るかどうか。
……。
青い星のひとのこは、生命の進化の過程で生まれた存在……。
……決して、造られたものではない。
少なくとも……青い星で生きるひとのこ達は、私達のように造られた人形(ひとかた)ではないわ。
……生きる為に生まれて、死んでゆく。
同じようで、違うのよ……。
……銀水晶は結局、なんなのだろう。
銀水晶については、分からないことが多い……詳しいことは、月の一族にしか伝えられていないから。
……マーキュリーにも。
与えられた知識は、僅か。
……それは。
月の一族に代わって、精巧な人形を造ること。
……あの部屋も。
……。
……プリンセスは、どこまで。
未だ、多くは知らないでしょうね……。
……クイーンは、少しずつでも教えているのだろうか。
その筈だけれど……どこまで伝わっているかは、分からない。
……もう少し、お勉強をした方が良いなぁ。
あなたでは、ないけれど。
……うん?
お菓子を与えてみようかしら。
……その時は、あたしに任せて。
……。
いや、マーキュリーが自分で用意すると言うのなら……あたしは、しないけど。
……その時は、お願いするわ。
ん……お願いされたい。
けど、被らないようにしないといけないわね。
被る……て?
同じものが、続いてしまわないように。
プリンセスは、同じものでも構わないと思うよ。
兎に角、お菓子ならなんでも食べるから。
……それは、あなたが作って呉れたものだからよ。
あたしが?
私が作ったとしても、あれ程嬉しそうに食べるとは思えない。
ん、然うかなぁ。
……然うよ。
マーキュリーが作るお菓子は美味しいよ、あたしは一番好きだ。
あと、淹れて呉れるお茶もね。
あなたが好きでも、プリンセスが然うだとは限らないわ。
ふぅん……なんでも食べると思うんだけどなぁ。
忘れたの?
……え?
プリンセスは、かなりの偏食家。
食べたくないものは駄々を捏ねて、食べないことが多々ある。
……然うだったね。
マーズもそれで、今でも手を焼いている。
甘いものなら、なんでも食べるけど。
……あなたのせいよ。
あたしの?
あなたが美味しいお菓子を与えてしまったから。
……でなければ、あの不味いものでも。
その味しか知らなければ……今でも、食べていたかも知れない。
はぁ……それは失敗したなぁ。
……だからこそ、マーズは目を瞑っている。
敢えて……?
……然うとしか、考えられない。
口喧しい時も、あるけど……。
……プリンセスは、あなたのことが好きなのよ。
ふぅん……然うなんだ。
……それだけ?
うん、それだけだけど……なんで?
……はぁ。
え。
……マーズには、精々、気を付けることね。
どういうこと……?
……あなたは、プリンセスのことは。
プリンセスはプリンセスだ、あたしにとってそれ以上でもそれ以下でもない。
……好かれていることに、対しては。
プリンセスは、マーキュリーのことも好きだろう?
……。
……?
マーキュリー……?
……あぁ然う、然うよね。
えと……変なこと、言った?
言わない……あなたらしいと、思っただけよ。
ん、そっか。
なら、良いや。
……。
はぁ、話して良かった。
聞いて呉れてありがとう、マーキュリー。
……あなたにとって、神の庭は青い星。
うん、あたしにとってはね。
……。
それじゃあ……寝ようか。
……私も。
それとも……もう一度。
しない。
……はい。
……。
おやすみ、マーキュリー……また、明日。
……海は母なるもの、多くの生命は海より生まれた。
うん……?
……海は、神の庭と呼べるのかも知れない。
……。
だから……生命を生み出すことのない月よりも、相応しいと。
マーキュリー……。
……月を讃える者達には、異議を唱えられそうだけれど。
考え方は、それぞれだ……異議を唱えられようとも、変える必要はない。
……ねぇ、ジュピター。
なんだい……マーキュリー。
……私は、あなたの考えに賛同する。
……。
……さぁ、寝ましょう。
それは。
……。
……ふたりだけの秘密?
誰かに、話したい……?
いや……話したくない。
なら……必然的に、然うなるわね。
ふふ……そっか。
……。
……ね、マーキュリー。
今夜はもう、しない……。
……明日の夜は、マーキュリーの部屋に行きたいな。
……。
……また、あの上衣を着たい。
……。
……あたしの部屋でも、良いけど。
明日のことよりも。
……う。
今は、眠りたいの……あなたの腕の中で。
……。
……だから、ね。
うん、分かった……明日のことは、明日に。
……うん。
改めて……おやすみ、マーキュリー。
……ん。
おやすみの……ね。
……もぅ。
ふふ……。
……私は、してあげないわよ。
うん……良いよ。
おやすみなさい、ジュピター……。
……ん、おやすみ。
……。
……。
……待っていたって、してあげないから。
3日
あたしは此れで良いよ、気に入ってるんだ。
あなたが好きな花の形にすることも可能だけれど。
花は好きだけれど、マーキュリーとお揃いの方が良い。
飾り気も何もないわよ。
別に良いよ。
耳は聞こえれば良い、飾りなんて要らないんだ。
ヴィーナスの揶揄い、私と同じもので冴えないという意味も含まれているのだと思うわ。
そんなの、知ったことではないさ。言わせておけば良い。
あたしにとって重要なのは、マーキュリーとお揃いってことだけなのだから。
本当、変わらないわね。
うん、変わらないよ。
安心するだろう?
まぁ、あなたがそれで良いのなら。
見て、マーキュリーとお揃い。
はいはい、然うね。
へへ。
……全く、揺るがない。
なに?
なんでもない。
そっか。まぁ、一度絡んできたから。
此れで絡んでくることは、もうないだろう。
それは分からないわ。
二度目はあるかも知れない。
絡まれたって、無視すれば良い。
今度は出来そう?
出来るよ。
……然うだと良いけれど。
ん、マーキュリー……?
……あなたには、花の形が似合うと。
……。
……若しも、気が変わったら。
マーキュリーとお揃いに出来るのなら、考える……。
……私と?
然う……マーキュリーと。
……。
じゃあ、こうしようかな……。
……どうするの。
此れが壊れたら……その時は、花のものに。
その時は……此れを直して、と、言ってきそうだけれど。
多分、言うと思う。
……結局、変わらない。
考えてみれば、さ。
……なに。
耳は、右と左にひとつずつ、計ふたつあるんだよね。
なら、空いている方に花のものを付ければ良いのかも知れないなって。
……ふたつ、付けるつもりなの。
但し、花のものには機能を持たせないんだ。
全く、ね。
……詰まりは、お飾り。
うん……どうだろう?
耳は聞こえれば良い、飾りなんて要らないと言ったのは誰?
あたし。
でも、それも悪くないかなって。
変わらないのではなかったの?
重要なのはマーキュリー、そこは変わっていないよ。
……色は、どうするの。
花のものは、何色なんだい?
……赤。
赤、か……赤だと、マーズと同じになってしまうな。
ね、青い花はどうだろう?
……やっぱり、然うなるわよね。
青も、考えて呉れていた?
……一応。
青い花もあるし、きれいだし……うん、青が良い。
……青い花だったら、付けるの。
うん、空いている方の耳にね。
……。
青い花なら……マーキュリーとお揃いの此れと、色違いになることもない。
……左右、全く同じ色が良いと。
違う色だと、目立ってしまうかも知れないだろう?
目立つと、面倒臭いのが寄ってくるから。
……目立たなくても、寄ってきそうだけれど。
そもそも。
……ん。
青に、赤は合わない。
……橙。
もっと、合わない。
身に付けたくもない。
……。
だから……此れと同じ色の花、で。
……考えておくわ。
うん……前向きに、ね。
……。
ね、マーキュリーも。
……私には、似合わない。
ううん、とても似合うと思う。
あなただけよ、然う思っているのは。
あたしだけじゃ、駄目かい?
……。
メル……マーキュリーの髪に花を飾ると、とても可愛い。
……昔の話だわ。
耳に飾ってもすごく似合うと思うんだ、今でも。
……私は、合わないと思うから。
あたしは、似合うと思う。
……。
然うだな……プリンセスも、似合うと言うんじゃないかな。
……言うかも知れないわね。
だから、マーキュリーも……。
……私は、此の形で良いの。
……。
絡まれても、嫌だもの。
……その時は、無視すれば良いさ。
若しも。
ん?
プリンセスに強請られたら。
プリンセスに?
あなたなら、どうする?
んー……プリンセスに合いそうな色のものを、適当に用意するかも知れないけど。
……けど?
その前に、マーズに確認する。
マーズの許可なくして、プリンセスにものを与えてはならないから。
……。
その顔は、若しかして忘れてた?
……いいえ。
ふふ、だよなぁ。
……お菓子はこっそり、与えているくせに。
お菓子は、ね。
……知られていないと思ってる?
いや、思ってない。
プリンセスに隠し事は無理だ。
……あなたもね。
え、なに?
それなのに、与え続けている。
どうやら、度を越していなければお菓子は良いらしい。
……それは、マーズに。
いや、あたしが勝手に然う思っているだけ。
……。
けど、耳の此れは違う。ちゃんとマーズに聞いた方が良いと、あたしは思う。
なんせ、此れを付ける為に、耳に傷を付けなければならないからさ。
それもあるけれど、ただの甘やかしと判断される可能性もあるわね。
だろう?
お菓子も、だけれど。
お菓子ひとつでやる気が違うんだ、なら与えない手はないさ。
……。
ん?
……若しも、耳の此れを与えても良いと言ったら。
んー、言うかな。
……可能性は、全くないわけではないわ。
若しも良いと言うのなら、あたし達とお揃いではないものを適当に用意するよ。
……それで、満足して呉れれば良いわね。
しないなら、あげなければ良い。
要らないってことなのだろうから。
……。
ん、なに?
あなたって、然ういうところがあるわよね。
どういうところ?
……。
直した方が良い?
……直せるものならば。
えと、どこを直せば良い?
……相手はプリンセス、もう少し距離を取った方が良いわ。
距離?
……。
良く分からないけど、分かった。
此れからは、然うするよ。
……あまり勘違いさせないで。
うん?
……。
勘違いって、なんのこと?
……話を元に戻しましょう。
え。
……私の、耳の此れ。
あぁ……うん、然うだね。
……。
改めて、マーキュリーには花の形のものも良く似合うよ。
……今のは。
きれいな玉型で、マーキュリーに良く似合っている。
……。
でも、最後に決めるのはマーキュリーだから。
それ以上のことは言わない、言えない。
……同じ花にはしないわよ。
ん?
……色は、同じにしても。
うん……それでも、良いよ。
……。
見てみたいんだ……耳に花を飾るマーキュリーを。
……外では付けないわ。
だったら、あたしも外では付けない。
……。
ふたりきりの時に……付けることにする。
……好きにして。
うん、好きにする。
……。
……考えておいて欲しい。
考える時間があれば……ね。
……うん。
……。
……。
……そろそろ、戻るわ。
マーキュリー。
……ジュピター、あなたも。
もう少し、良いかな。
……手短に。
……。
……手。
マーキュリー……。
……待って。
……。
……だめよ。
誰も、居ないよ……。
……それも、此処を選んだ理由?
うん……?
……青い星にも、見られない。
はは……それは、考えてなかった。
……どうだか。
本当だよ……。
……お昼を、食べた後だから。
今更……。
……。
誰も、来ない……だから。
……然うだと、しても。
嫌かい……?
……ゆうべだけでなく、今朝だって。
一度だけで、良い……許して欲しい。
……。
……マーキュリー。
……。
む……。
……ねぇ、ジュピター。
なんだい……。
……気が付いていないの。
気が付いて……?
……あなたが、気付いていないわけがない。
……。
……ひとが、悪い。
悪い……どこが?
……。
どうってこと、ないだろう……?
……本当に、あなたは。
用があるのなら、隠れていないで出てくれば良い……出てこないと言うことは、用がないのだろう。
……然ういうことではないわ、ジュピター。
気になるのなら……。
ん……待って。
……見えないように、すれば良い。
然ういう問題では……ん。
……。
……、……だ、め。
……。
……もう、おしまいよ。
未だ、軽く触れただけだ……。
……。
ほら……丁度、何処かに行って呉れたみたいだよ。
……あなた、ね。
……。
……本当に、気付いていないのね。
後で、聞く……。
……あ。
……。
……は、……ん。
……。
……もう、良いでしょう。
うん……。
……。
気になる……?
……先代の行いを、思い出しただけ。
先代の……?
……あのふたりも、私達の前で。
あぁ。
……中てられたあなたに、私は耳を舐められて。
……。
……忘れたとは、言わせない。
忘れてない……ちゃんと憶えてる。
……私達は、同じことをしたのよ。
あたし達だけでは、ないよ……。
……。
……誰かを好きになれば、分かるさ。
あなたは、私だけなのね……。
ん……然うだよ。
……幼少の頃から。
ずっと……マーキュリーだけなんだ。
……だから、鈍い上に疎い。
え……?
……他の者に対して。
……。
……プリンセスに対しても。
良く、分からないけど……もっと、気にした方が良いかい?
……。
マーキュリーが気にした方が良いと言うのなら……出来る範囲で、やってみるよ。
……いえ。
良いの……?
……あなたは、苦手だから。
え、と……。
……私以外の誰かに、恋愛感情を持たれること。
……。
……苦虫を噛み潰したような顔。
気持ちが、悪いんだ……。
……知っているわ。
……。
……どうせ憶えておくことも出来ない、それならば。
……。
あなたは……このままで、良いわ。
……うん、分かった。
……。
あたしはずっと、マーキュリーだけだ。
ええ……然うね。
……。
……ねぇ、知っているかしら。
何をだい……?
……月を讃える者達に、月がなんて呼ばれているか。
えと……今、その話?
……なんとなく、伝えたくなって。
まぁ、良いけど……なんて呼ばれているんだい?
……神の庭。
神の、庭……?
……月の女神が住まう、神の庭。
なんだそれ……。
……ね、あなたも然う思う?
思う……随分と大仰だ。
……。
ん……マーキュリー。
……神の庭でも、なんでもないのに。
女神も、居ないよ……。
……二度は。
一度目は、集中、出来なかったみたいだから……。
……。
……愛してる。
ばか……。
2日
~~♪
……。
~~~♪
……調子は悪くなさそうね。
マーキュリー。
午前を過ごしてみて、どう?
うん、大して気にならないかな。
瞼は?
相変わらずだよ。
まぁ、然うよね。
鬱陶しくてさ。
分かるわ。
此れ、マーキュリーとお揃いねって、にやにやしながら言われた。
今日は居るのね。
然うみたいだよ。
それで、なんて返したの。
然うだよ、良いだろうって。
然うしたら?
あらぁ、羨ましいわぁとか言いながら、更に絡まれそうになった。
良かったわね、逃れられて。
丁度、マーズが通り掛かったんだ。
連れて行かれた?
まんまと、ね。
ま、それでもまた何処かに行きそうだけれど。
もう、行っているんじゃないか。
然うでしょうね。
本当に落ち着きがない。
遊びをせんとや、生まれけむ。
あいつの口癖だ。
なんにせよ、程度は必要だけれど。
違いない。
ジュピター。
ん?
お昼の前に、目を。
ん、分かった。
お腹は空いている?
空いているけれど、直ぐだろう?
あなたが大人しく、
う。
していて呉れるのならば、ね。
へへ……なら、直ぐだ。
座って。
うん。
切って。
ん。
……。
……。
……閉じて。
ん……。
……。
……どうかな。
薬茶は、必要なさそうね。
……そっか。
此のまま、保護を続けて。
……うん。
夜にまた、同じことを言うとは思うけれど。
マーキュリーになら、何度言われても構わないさ。
へぇ?
今のあたしがすべきことは、マーキュリーの言うことを大人しく聞くことだ。
なかなか良い心掛けね、と言いたいところだけれど。
今日と明日の夜、一緒に過ごせるし。
一緒に眠るとは、未だ、言っていないわ。
今夜は泊っていくだろう?
さぁ、どうかしらね。
夜ごはん、美味しく作るよ。
いつだって美味しいわ。
はい、もう良いわよ。
ごはんの時も、していた方が良いよね?
勿論。
分かった。
……。
ちゃんと覚えているよ。
然うみたいね。
……。
なぁに?
使い方、忘れていない。
だから?
当たり前、なんだろうけど。
ええ、当たり前ね。
あたし、こういうのは苦手なんだ。
知っているわ。
苦手なことを、忘れずに覚えてる。
何が言いたいの?
だから……その。
ジュピター。
……なぁに、マーキュリー。
保護機能を使うことがなくなっても、使い方は忘れずに覚えていてね。
え?
ひとつ、また使う可能性があるから。
あるかな。
ないとは言い切れない。
そっか。
ふたつ、その眼鏡に他の機能を付けてあげるかも知れないから。
他の、機能?
然う、他の機能。
それ……脳に、繋げる?
それは、しない。
言ったでしょう、あなたには必要ないって。
……例えば、どんな機能?
先ずは、通信機能。
えっ。
通信機でも良いのだけれど、私としては此方の方が使いやすいの。
あ、あたしでも、使えるかな。
使い方を覚えれば、誰にでも使えるわ。
あたしでも、眼鏡を通してマーキュリーの顔を見ることが出来る?
ちゃんと使えればね。
覚える。
覚えられる?
必ず覚えるから、付けて欲しい。
然う、ならば考えておくわ。
うん、付ける方向で。
それは、あなた次第。
なら、大丈夫だ。
もう、完全に覚えているから。
然うだと良いけれど。
通信機だと声だけだから……マーキュリーの顔が見られるようになったら、嬉しいな。
とは言え、通信状況が悪いと使えない。
それは、通信機も同じだよ。
眼鏡で通信出来るようになれば、手紙を書かずとも
手紙は、書くよ。
……どうして?
忙しくて話す時間が取れない時は手紙の方が良い。
読み返すことも出来るしさ。
……然う。
止めた方が良いかい……?
……あなたが続けたいのなら、好きにすれば良い。
なら、あたしは続けるね……。
……あたしは?
マーキュリーは……眼鏡の通信で。
……読み返すことが出来た方が良いでしょう。
ん……?
……記憶することが苦手なあなたには。
マーキュリーのことは、忘れないけど……。
だからと言って、話した内容を一字一句違わずに憶えておけるわけではない。
それは……まぁ、然うだけど。
肝心のことを記憶違いにされたくはないの。
……肝心なこと?
詳しくは、言わない。
……。
止めた方が良いかしら……?
……ううん、止めないで。
然う……なら、止めない。
……へへ。
……。
……ん、マーキュリー?
苦手な機械の使い方を、ちゃんと覚えていて……良い子ね、ジュピター。
……うん。
……。
じゃあ……お昼にしようか。
……ええ。
マーキュリーも、座って。
言われなくても。
へへ、そっか。
……ふぅ。
午前のお仕事、お疲れ様でした。
あなたも、お疲れ様。
お腹、空いてる?
それなりに。
ん、そっか。
……にしても、珍しいわね。
ん?
外が見える場所でなんて。
目がこんなでなければ、青い星が見える場所でと思ったんだけど。
今は、止しておいた方が良いわね。
然う思って、此処にした。
青い星を見ることが出来なくても、外が見たかったのね。
うん、そんな気分だったんだ。
気分、ね。
緑の場所の方が良い?
今更。
今からでも、
此処で良いわ、此処も誰も来ないだろうし。
……マーキュリー。
あなたとふたりきりが良いと言うわけでないわよ?
へへ……うん。
静かな場所なら、それで良いの。
騒がしいところは、あたしも好きじゃないから。
……星が、良く見えるわね。
うん、然うだね。
……。
圏外に出れば、その先は真っ暗だ。
……静寂の世界。
時が、凍り付いていそうな……?
……実際は、凍り付いてなんていないけれどね。
……。
……ジュピター?
月の空も。
……。
青かったら、良いのになぁ。
……青い星の空は、青いだけではないわ。
日が暮れる頃は赤くなって、夜に近付くにつれ、青が深まっていく。
その変化は見ていて飽きないよ。
あなたは好きよね。
うん、好きだ。
隣にマーキュリーが居て呉れたら、もっと。
……月には、ないから。
ない?
青い星のような大気が。
あぁ。
……奇跡の星と呼ばれている所以でもある。
奇跡の星、か。
……。
此処には大気はないのに、あたし達は生きている。
……銀水晶の力に依って、私達は生かされている。
曰く、その輝きは本来、太陽にも劣らないと言われている。
熱量は、星そのものが輝いている太陽の方が勝っているが。
月の輝きは、その時の持ち主にも依る。
今は抑えていると言った方が、正しいか。
然うかも知れない。
抑えていなければ、黒い影も生まれないだろうに。
……面白がっているのよ。
マーキュリー。
と、此れは先代の言葉。
私は、然うは思っていないわ。
口が悪いからなぁ、先代ふたりは。
不良品、若しくは、欠陥品だもの。
散々な言われようだ。
仕方がないわ、本当のことなんだもの。
全くだ。
……だけど。
あたし達に、とっては。
……。
……ま、悪くはなかったよ。
ええ……悪くはなかったわ。
……。
青い星には、太陽よりも月を讃える集団がいつの時代にも居るとされている。
……宗教、だっけ。
然う、宗教。
ひとのこの心の拠り所ともされているわ。
けれど、行き過ぎると戦を生む。
考えを他者に押し付けることによって、それを望まぬ者と戦になる。
それって、月のやり方とどう違う?
此処では、答えられない。
ならば、また後で。
銀水晶の白き輝きが持つ正の力で青い星を保護し、青い星の生命を見守りながら負の力を取り除く。
その目的はあくまでも保護であり、守護であり、決して力に依る支配ではない。それが、現在の月の王国の存在意義。
そもそもどうしてそんな大層なものが、此処に在るのだろうか。
神に選ばれたと。
神?
彼らは、他の者達に然う説明しているわ。
と言っても、彼らは銀水晶の存在は知らない筈だけれど。
神、ね。
そんなものは、何処にも居ないよ。
一部のひとのこには、生きる為に神という存在が必要なの。
心の中に?
生きる為の救い、或いは日々の支えとなるから。
クイーンは彼らにとって、月の女神というところね。
月の女神……。
プリンセスもいずれは、然う呼ばれることになる。
ならば、神の掟とやらを遵守しなければならないな。
女神の子だから、都合良く解釈を変えてしまうかも知れないわ。
掟を作ったのは、どんな神だろう?
さぁ、分からない。
なんにせよ、月には神なんぞ居ない。
居るのは、ふたりだけの月の一族とその眷属達だけだ。
然うね。
眷属にも、差がある。
扱いに。
同じ白い月に生かされている存在なのに、どこまで行っても違うんだ。
同じになることは、ないでしょうね。
……やっぱり、あたしは。
……。
色々な種族が色々な考えを持って生きる、地球の輝きの方が美しいと思う。
……ジュピター。
勿論、白き月も負けず劣らず美しいよ。
銀水晶の力のおかげでね。
……それ、皮肉にしか聞こえないわ。
ん……。
……痙攣?
うん……本当に鬱陶しいな。
……酷いようなら、直ぐに言って。
うん、直ぐに言うよ。
仮令、仕事中であっても。
……報告として、受け取るわ。
ん……然うして呉れると、嬉しい。
……。
……太陽の光を、反射させているからなんだっけ。
……。
今の青い星が明るく、月よりも輝いて見えるのは。
……ええ。
太陽と月、どちらも明るかったら夜がないな。
……昼がずっと、続くことになるから。
暗い夜も必要だと思うよ、あたしは。
奇遇ね……私も然う思うわ。
明るかったら、眠れないし。
脳も心も、休まらない。
明るければ良いってもんじゃないな。
本当に。
ね。
なに。
青い星から月を見た時、欠けているところが薄ぼんやりと見えることがあるだろう?
あれも、青い星の光の影響なんだよね。
ええ。
青星照、だっけ。
覚えていて、偉いわ。
へへ、褒められた。
月が明るければ、その現象は見られない。
ずっと、満月に等しいから。
欠けているのは、許されなかったのかも知れないわね。
若しくは、許せなかったか。
次の御代では、どうなるかしら。
どうだろう。
なんせ、あのプリンセスだからなぁ。
……。
マーキュリー?
なんでもないわ、お茶を貰っても良いかしら。
あぁ、勿論。
ありがとう。
ん。
……。
あたしも。
……はぁ。
どう?
美味しいわ。
ん、良かった。
……。
若しかしないでも。
……。
全然、駄目かい?
ええ……お話にもならないわ。
然うか。
……。
……ねぇ、マーキュリー。
一時的なものよ。
……ん。
必ず、落ち着くわ。
……うん、然うだよね。
落ち着いたら……通信機能を、付けてあげる。
……本当?
但し、それまで良い子で居ること……どう?
約束する……。
……。
……お昼ごはんは、野菜を薄麦餅で挟んだものだ。
あぁ……。
……軽めの方が良いと思ってさ。
あなたは、それで足りるの……?
然う思って……豆の汁物も作った。
……お豆の。
豆は、腹持ちが良いから。
……。
マーキュリーも、食べるかい?
……食べても、良い?
勿論さ……。
……そんなには、食べられないと思うけれど。
一口だけでも、嬉しいよ。
……。
……。
……静かね。
ん……本当に。
……。
さぁ、遠慮なくどうぞ……マーキュリー。
うん……頂きます。
1日
……マーキュリー。
大丈夫……あっと言う間だから。
……痛くない?
ほんの少しだけ、ちくっとするだけよ……。
……。
……力を抜いて、大丈夫だから。
抜いている、つもりなんだけど……。
……ねぇ、ジュピター。
なに……マーキュリー。
これから私があなたに何か言うけれど、絶対に躰を動かさないでね。
え。
動かないで、じっとしていて。
うん……分かった。
でも、口だけは動かしても良いわ。
……口だけ?
然う、口だけ。
返事はしても良いということ?
然ういうこと。
但し、顔は絶対に動かさないで。
分かった、口以外は絶対に動かさない。
……。
……。
……私ね。
うん。
あなたのこと、誰よりも愛しているのだけれど、
!
あなたは、私のこと……。
あ、あたしもっ。
……。
マーキュリーのこと、誰よりも愛しているよ。
はい、おしまい。
……へ。
耳。
……終わった、の?
ええ、終わったわ。
……ちくっと、しなかった。
然う、それは良かった。
え、いつ?
あなたが返事をする時に。
……。
分からなかった?
……全然、分からなかった。
これから、取り付けるけれど。
動かない方が良いよね。
勿論。
……痛い?
痛くはないわ。
……ちくっとするだけ?
ちくっともしない。
あなたが、動かなければ。
……じっとしてる。
良い子ね。
……こういう時は、ばかではないんだ。
良いことだわ。
……。
……ひやっと、するかも知れないけれど。
ん……大丈夫。
……。
……あ。
した?
……少しだけ、した。
痛くはないでしょう?
……ん、平気。
……。
ふふ……。
……はい、此れで良いわ。
もう、付いたの?
ん。
そっか……はぁ、良かった。
何を笑っていたの?
マーキュリーの指先が、こそばゆくて。
……あぁ、然う。
へへ。
気が抜けたみたいだけれど、取り付けておしまい、ではないわよ。
……。
此れから此れの説明をするから、ちゃんと覚えてね。
……うん、覚える。
分からないことがあったら、直ぐに聞いて。
……後で、聞いても。
構わない。
へたに弄って壊されるよりはずっと良いから。
……成る可く、覚えるようにするよ。
ええ。
……。
改めて、確認するけれど……此れをあなたに取り付けた理由は、あくまでも目の保護の為。
それは、ちゃんと理解しているわよね。
うん……ゆうべの青い星の光の影響、なんだよね。
然う、それで瞼にある眼輪筋という筋肉が不随意に攣縮している状態なの。
今も時折、痙攣しているでしょう?
うん、瞼がぴくぴくして鬱陶しい。
だから暫くの間、此れを使って目を保護する。
……朝になったら、治ってると思ったんだけどな。
私が問題ないと判断するまで、付けていて貰うことになる。
それは、良い?
うん、良いよ。
使い方なのだけれど。
マーキュリーの耳のものと同じ?
まぁ、似たようなものね。
……ん。
此処を軽く押すと、保護眼鏡が目の前に広がるわ。
……うん、広がった。
その状態で、長押しすると。
……なくなった。
どう、簡単でしょう?
うん、簡単だ。
やってみて。
……え、と。
此処よ。
……あ。
軽く押してみて、力は入れないで良いから。
……こう、かな。
どう?
……広がった。
そのまま、長く押して。
……。
然うすると。
……うん、なくなった。
以上、使い方の説明はおしまいよ。
はは、簡単だ。
此れならあたしでも使える。
慣れないとは思うけれど、今日明日は保護眼鏡で過ごして。
それがさ。
なに?
違和感がないんだ。視界は明瞭なままだし、顔に何かが当たるわけでもない。
強いて言えば、ほんの少しだけ青み掛かっているような気がするけれど、気になる程でもない。
今は然うでも、後で気になる点が出てくるかも知れないわ。
あなたは然ういったものを、今までに一度も付けたことがないのだから。
あぁ、そっか。
今日と明日、経過を観察する。
夜になったら、
マーキュリーの部屋に。
……あなたの部屋でも良いのだけれど。
じゃあ……今夜は、あたしの部屋にしようか。
……。
分かった……迎えに行く。
……今夜は、大人しく待っていて。
待ち切れないんだ……。
……知ってる。
だったら……さ?
……でもだめよ、ジュピター。
う……。
……必ず行くから、待っていて?
んー……。
……信用して呉れないの?
ううん、そんなことない……待ってる。
……連絡は、するつもりでいるから。
あたしから、しても……。
……応答出来ないかも知れないから。
むぅ……。
……早めに行くようにはするから、ね。
今日が終わる前……?
……然うね。
眠っていても、観察出来るなんて……。
……出来なくは、ないけれど。
寝ずに、待ってる……。
……名目も、あることだし。
名目……?
守護神ジュピターの目の経過観察、というね。
……昼に、会いに行っても。
調子が聞きたいから、来られるのならば来て。
行く、それでお昼も一緒に食べよう。
……ん。
……。
……ん、なに。
ねぇ、マーキュリー。
……なぁに、ジュピター。
マーキュリーが付けているものには……もっと、色んな性能があるんだろう?
……ええ、然うよ。
……。
気になるのだったら……同じものを、付けてあげましょうか?
……どんなものか、ずっと気になってはいるけれど。
付けたいのならば……取り敢えず、脳神経に繋げるところからね。
……。
どう……試してみたい?
……頭の中がいっぱいになって、破裂してしまうかも知れない。
ふふ、然うかもね。
……。
だからね……こんなもの、あなたは付けなくても良いの。
マーキュリー……。
……気にして呉れているだけで、十分。
ね……今は、切ってる?
今は……あなたとふたりきりの時は、必要ないから。
……仕事中は。
軽度に……場合に依っては、中程度に。
……重度は。
今は未だ、一度も……けれどいつか、それが必要になる日が来るかも知れない。
……来ないで欲しい。
私も……望んではいないわ。
……あたしは多分、軽度でも堪えられないと思う。
目の前に表示されている情報だけで、目を回しているものね……。
……情報の波に、酔ってしまいそうなんだ。
……。
マーキュリーはいつだって、あれだけの情報を……ん。
……私達マーキュリーは。
……。
然ういう風に、出来ているの……。
……然う、だけど。
だから……あなたが気にすることではないわ。
……でも、心配なんだ。
ふ……。
……可笑しなことは、言っていないよ。
ええ、然うね……。
……。
……あなたは私に、休息を与えて呉れる。
放っておくと……食事を抜いていることにも、気が付かないから。
……睡眠もね。
夜中にマーキュリーの安らかな寝顔を見ると、安心する……。
……わざわざ、確認しているの?
確認というわけではないけれど……目が覚めた時に。
……悪夢を見ない、眠り。
……。
押し寄せる情報の波から、解放されて……頭と心が休まる、一時(ひととき)。
……。
ありがとう……ジュピター。
……。
ん……力が強いわ。
……ごめん。
……。
ね……保護眼鏡は、物理的に邪魔になる?
ならないわ……私のものと、同じで。
……なら、さ。
試してみたいの……?
ん……試してみたい。
然う……なら、出してみて。
……良いの、試してみても。
その方が、納得するでしょうから……。
……。
……。
……取り敢えず、出してみたけど。
あなたから……?
それとも、私から……?
……先ずは、あたしから。
先ずは……ね。
……。
……ん。
……。
……軽く触れる分には。
全く、問題ない……。
……じゃあ。
……。
……ん、……ふ。
……。
は……、んん。
……。
……舌。
本当に、邪魔にならない……。
……ね、言った通りでしょう。
……。
それじゃあ……私からは、必要ないわね。
……いや、マーキュリーからも。
私からも、必要……?
……念の為。
……。
若しかしたら、問題が起きるかも知れないだろう……?
……起きたことは、一度もないのだけれど。
え……?
……私のではね。
いつ……。
……さぁ。
切っているんだろう……?
……情報機能はね。
じょうほう、きのう……。
……詰まりは、ただの眼鏡の時。
あ。
……気付いてなかったの?
う、ん……全然、ちっとも。
ふふ……良かった。
……良かったの?
だって、あなたのことだから。
……あたしのことだから?
何か、余計なことを考えそうで。
……余計なこと。
それはどんなものか、私には聞かないでね。
……うん、聞かない。
だからと言って、今は考えないで。
……分かった、今は考えない。
……。
……メル。
マーキュリー……で。
……、ん。
……。
……ん、……。
……。
……は、ぁ。
うん……。
……ねぇ、どうだった?
何も、感じなかったわ。
……若しかして。
残念、私の眼鏡は出してない。
……干渉、する?
あなたのはただの保護眼鏡だから、しない……けれど。
……試して。
今は、しない。
……そっか。
……。
物理的に邪魔にならないのなら、うっかり消し忘れても安心だ。
……出来れば、忘れないで欲しいけれど。
気を付ける……。
……それじゃあ、またお昼に。
もう少し……。
……仕事は、しないと。
……。
……耳、あまり弄らないでね。
はぁい……。
……ん、宜しい。