日記
2025年・3月
31日
……ジュピター。
……。
ジュピター……。
……んぅ。
……。
ぅ……。
……熱は、大丈夫そうね。
……。
眠れるのなら、それに越したことはないわ……明日までおやすみなさい、ジュピター。
……おかえり。
……。
おかえり……マーキュリー。
……あなたね。
へへ……騙された?
……よくも、そんなくだらないことを。
怒った……?
……怒っては、いないわ。
じゃあ……呆れてる?
……子供染みたことを、と思っているだけ。
へへへ……ん。
……やっぱり、眠れそうにない?
ん……どうだろ、わかんない。
然う……なら、目を瞑ってなさい。
うん、瞑ってる……。
……灯りも、直に消すから。
ということは……マーキュリーも、もうお休みする?
ええ、然うするつもりよ。
……あたしの隣で?
隣でない方が良いのなら、椅子にするけれど?
だめ……マーキュリーは、あたしの隣でお休みするんだ。
……明日の朝まで?
然うだよ……明日の朝まで、ずっと一緒なんだ。
……。
おいで、おいで……。
……もう、来ているわ。
ん……ふふ、ほんとだ。
……横になる前に、少しだけ確認させてね。
いっぱいしても、良いよ……。
……いっぱいしたら、夜更けになってしまうわ。
あ、それはだめだ……。
……だから、少しだけね。
うん……。
……。
……未だ、熱いかな。
平熱よりは、幾分か高いけれど……先刻よりは、下がっているわ。
……マーキュリーの薬茶のおかげだ。
然うだと、良いけれど……。
……然うだよ、それしかないよ。
然う……ならば、明日の朝も飲んで貰おうかしら。
あー……飲まなきゃ、だめ?
それは、明日のあなた次第……。
……熱が、高かったら。
当然……飲んで貰うわ。
……その場合、ごはんは。
消化機能に問題がないようならば、お腹に良いものから食べて貰うわ。
その場合、薬茶は食前と食後、
食前が、良い。
……食前?
ごはんを食べてから、苦いのを飲むのは……しょんぼり、しちゃうから。
しょんぼりって……。
……子供みたい、かな。
然うね……けれど、見てみたいとも思うわね。
え、見てみたいの……?
……ジュピターになってからは、見たことがないから。
……。
薬茶は、食前に。
それで、良いわね?
……マーキュリーが見たいのなら、食後でも良いよ。
良いの?
……うん。
……。
ん……マーキュリー?
……薬茶は、食前にしましょう。
……。
飛び切り渋くて苦いものを、丁寧に煎れてあげるわ。
と……とびきり?
然う、飛び切り……。
……。
想像した?
……うん、した。
ふふ、今の顔も良いけれど……明日の顔は、もっと良いかも知れないわね。
……。
勿論、残しては駄目よ?
の……。
……の?
残さず、飲むよ……その後に、美味しいごはんが待ってるから。
……。
大丈夫……飲める。
……冗談よ。
うぇ……?
……安心して、そこまでではないから。
そ、然うなの?
まぁ、あなたが飛び切り渋苦いものを望むのなら……然うしてあげても、良いけれど?
あ、いや、そこまでではないのが良いな……。
然う?
う、うん。
なら、然うしてあげる。
……良かっ
けれど明日の状態を見て、渋苦い薬茶が適切だと判断したら……その時は、我慢して飲んでね。
ん、分かった……一滴も残さずに、飲む。
うん……。
……ね、マーキュリー。
これから、脈を計るから……ほんの少しだけ、静かにしていて。
……口、きゅっとしとく。
……。
……。
……息は止めなくて良いわよ。
あれ……。
……。
……。
……うん、乱れはないようね。
へへ、良かったぁ……。
……落ち着いて、良かった。
マーキュリー……。
……横になっても?
うん……おいで。
……。
……へへ、マーキュリーだぁ。
窮屈ではない……?
ん……平気だよ。
……。
……。
……はぁ。
あ、ごめん……だめ、かな。
……ううん、良いわ。
そ、然うだよ……え。
……良いわ、ジュピター。
ほ、ほんと……?
……ん。
つ、務め……?
……違うわ。
……。
今夜は、務めなんかではなく……私の。
……わたしの?
好きなように、受け取って。
……。
……務めではないことは、確かだから。
うん……なら、好きに受け取る。
……。
……マーキュリーの、においがする。
良く、拭いたのだけれど……。
……昔から、変わらない。
ん……ジュピター。
例えば、首のにおい……胸のにおい。
……。
首はね、ほんのり甘くて……胸は、飛び切り甘い匂いがするんだ……。
……それ、子供の頃も聞いたわ。
うん……言ったと、思う。
ねぇ、ジュピター……。
……なぁに、マーキュリー。
私の躰……子供の頃から、ちっとも変わっていないと思うのだけれど。
んーん、そんなことないよ……ちゃんと、変わっているよ。
相変わらず、躰は痩せていて……丸みが、ないの。
……丸みなら、あるよ。
……。
ね、マーキュリー……マーキュリーはちゃんと、柔らかいよ。
……柔らかいと言うのは、屹度。
誰かと比べるものではないよ。
……。
今、誰かと比べようとしたろ……?
そんなこと、しなくても良いんだよ……。
……私は、私だから?
然う……マーキュリーは、マーキュリーだから。
……あなたの。
あたしの大好きなマーキュリーは、誰とも比べられない……それでも、強いて比べようとするのなら。
……なら?
此の月、いや、青い星の民を含めて、全ての誰かなんかと比べ物にならないくらい、あたしのマーキュリーは……柔らかくて、甘い。
……ん。
マーキュリー……。
……今夜は、駄目よ。
うん、今夜はしない……。
……。
……したいけど、出来ない。
ジュピター……。
……次は、務めになってしまうよね。
……。
だけど……今は、回復を優先しないといけないから。
……然うね。
だから……せめて、触れるだけ。
……ぁ。
好きだ……大好きだよ、マーキュリー。
ジュピター……私は。
屹度……屹度、また。
……。
……好きになって貰えるように、頑張るから。
あぁ……。
……凍て付いた心を、融かせるように。
ねぇ……。
……?
顔、上げて……。
……もう、少しだけ。
ちがうの。
……ちがう?
違うから……お願い、顔を上げて。
……う、ん。
上げて……私に、見せて。
……こう?
……。
マー……ん。
……。
マー……キュリー……。
……くちびる、ひらいて。
け、ど……。
……これいじょうのことは、しないから。
……。
できないと、ちゃんとわかっているから……。
……。
だか、ら……ん。
……。
ん……ジュ、……。
……は、ぁ。
だめ……。
……わかって、る。
ねつが……また。
……だいじょうぶ、ちゃんとわかってる。
……。
ね……これは、つとめではないんだよね。
……つとめ。
それとも……やっぱり。
……では、ないわ。
あ……。
……つとめでは、ないの。
マーキュ……。
……こんや、だけ。
……。
こんやだけは……。
……今夜だけなんて。
そう、しなければ……。
……そんなこと、言わなくて良いように。
だって……わたしは……わたしたちは。
……必ず、あたしは。
ぁ……。
……メル。
……っ
だ、め……。
……首に、あたしの痕を。
だめ……だめよ、ジュピター……。
……胸に、あたしの記しを。
あ、あぁ……。
……。
……んっ。
愛しているよ……マーキュリー、メル。
……ば、か。
うん……ごめん。
……ま、た。
からだが、あつい……。
……だから、だからいったのに。
でも、だいじょうぶだ……。
……なに、が。
此の熱は……マーキュリーへの、想いだから。
……いみが、わからない。
はは……。
……どうして、わらうの。
自分でも、滅茶苦茶なことを言っているな……って、思ったから。
……。
ね……あたしのにおい、する?
……する、わ。
くさい……?
……。
……くさかったら、ごめんね。
くさく、ない……。
……。
……くさくなんか、ないの。
そっか……。
……それは、あなたが生きている証のひとつだから。
証……?
……壊れたものは、壊れた臭いしか、しなくなる。
……。
生の匂いが、しなくなるの……。
……生の、匂い。
こたびの、あなたは……あなたから、かすかに。
……それは、まだ。
もう、のこってない……のこっては、いないけど。
……マーキュリーの中に。
……。
それは、どうしたら消える……?
……今夜、あなたと眠れば。
きえて、くれる……?
……。
消えないので、あれば……明日も、一緒に。
……いて。
うん……?
……ここに、いて。
うん、居るよ……ううん、居たい。
……いま、だけだから。
ずっとでも、構わない……。
……そんな、こと。
出来ないとしても……マーキュリーが、やっぱり、あたしのことを好きでなくても。
……。
マーキュリーが求めて呉れるなら……喜んで、あたしはマーキュリーの傍に居るよ。
あぁ、ジュピター……。
……。
……ユゥ。
メル……。
……。
灯り……消そうか。
……ううん、わたしが。
ん、そっか……。
……。
……まっくらだ。
いまは、なにもみえない……。
……。
わたしは、すこしもみえないの……。
……メル。
いって……。
……なんて?
……。
すき……?
……いえない。
……。
……。
……あたしのそばにいて、メル。
……。
いまだけ……いまだけは、あたしのそばに。
30日
……不快だったら、言って。
大丈夫……そんなことは、屹度ない。
屹度……ね。
……ん。
……。
あったかい……。
……熱があるとは言え、今は全身を冷やすことは適切ではないから。
あぁ、気持ち良い……。
……本当の所は。
とても気持ち良いよ……マーキュリー。
……。
ふぅ……ん。
……手は、冷たいでしょう。
んー……指先が少し、ひんやりするくらいかな。
これくらいなら、なんでもないよ……。
……指先だけ?
うん……手の平は、仄かに温い。
……然うとは、思えないけれど。
へへ……。
……何。
マーキュリーの手は、気持ち良いなぁ……て。
……直接、触っているわけではないのに。
直接でなくても……布を通して、伝わってくるんだ。
……ふぅん。
ん……ふふ……。
……傷は。
んー……?
……傷は、どれも塞がっているわね。
うん……幾つかは、痕が残ると思うけど。
……痛みは。
ん……ない、よ。
……。
マーキュリーの手は、優しいなぁ……。
……気持ち良いの次は、それ?
触れ方がねぇ……とても、柔らかくて。
……私の手は、優しくなんかないわよ。
雑でも、乱暴でもない……丁寧で、力の加減が丁度良くて、本当に優しい。
……。
ん……マーキュリー?
どうかした……?
……別に、何でもない。
然う……?
……。
……ふふ。
昔話は、もう、しなくて良いから。
……なんで分かったの?
分かるわよ。
ふふ……そっか。
……。
なら、今の話を。
……。
んー、どうしようかな……何を話そうかな。
……思い浮かばないのなら、黙っていて。
マーキュリーはさ……次のお休みって、いつ?
……分からない。
取れそうにない……?
……取れると思っているの、こんな状況で。
此の状況が……ん、落ち着いたら。
……暫くは、落ち着かない。
暫くということは、いつかは落ち着くということだろう……?
……次の夜襲がないとは限らない、気は抜けない。
あるかも知れないけれど、それだっていつかは落ち着くさ……。
……今回のような、緊急な事態に陥ることがないように。
う……。
……前以て、予測しておかなければならないの。
備えておくのは大事だ……けれど、ずっと張り詰めていては持たない。
肝心なところで、失態を犯してしまうかも知れない……それは、最もしてはならぬことだ。
……兎に角今は無理だから、落ち着くまで大人しく待っていて。
分かった……待ってる。
……。
あたしも……出来ることは、するよ。
……然うして。
然う言えば、欠片の分析状況はどうなっている……?
……未だ、分析中よ。
進捗は……。
……半分。
新種……?
……変異に近いと思われる。
変異、か……。
……未だ、断定は出来ない。
まぁ、半分だし……然うだよね。
……だから、少しでも早く、あなたの所見が聞きたいの。
分析……途中でも、見せて貰うことは。
……明日の夕方以降なら。
なら、明日の夕方に……。
……無理強いはしないわ。
頭が働きそうになかったら、止めておくよ……足手纏いには、なりたくないから。
……。
然うか……マーキュリーは、そういうこともしなきゃいけないんだよな。
……マーズにも、聞いて貰いたいと思っているわ。
ん、構わない……あたしも、マーズの所見が聞きたいし。
……。
変異か、新種か……どちらにせよ、厄介でなければ良いな。
……必要に応じて、解析もしなければならないから。
うん……。
……若しも、取れたら。
ん……?
……お休みが取れたら、どうするの。
若しも、ふたりで休みが取れたら……。
……ふたりでとなると、それこそ、いつになるか分からないわよ。
然うだとしても……いつかは、取れるよ。
……楽観的。
同時は、難しいかな……。
……難しいでしょうね。
取りたいな……。
……若しも、ふたり同時に取れたなら。
ふたりで、家に帰れたら……と、思ってる。
……。
勿論、一時だよ……。
……当然でしょう。
ひとりで、行ってきても良いんだけれど……やっぱり、ふたりが良いなって。
……。
はぁ……気持ち良くて、つい溜息が。
……ジュピター。
ん……なに。
……あの家に、開く鍵が遺されているかも知れない。
開く、鍵……?
……先代が遺した、記録媒体。
あぁ……然うだった。
……あなたにも、見て貰いたいの。
あたしも、早く見たいな……。
……。
ね、明日は……?
それならば、朝でも見られるだろう……?
……そこまでは、急いでいない。
ん……然うか。
……。
だけどさ……次がいつになるか、分からないから。
……ならば、明日の夜に。
夜……。
……あなたは未だ、静養しなければならない。
マーキュリー、明日の仕事は……。
……なるべく早く、切り上げようと思っているわ。
え、と……あたしは、何処に。
……あなたが良ければ、此の部屋に居て呉れても構わない。
え、良いの……?
……その代わり、
部屋のものには、触らない……。
……食事が出来るとなったら、乾燥物から適当に選んで食べて。
ん、分かった……ね、マーキュリーの明日のお昼は。
……。
戻ってきて呉れたら、一緒に食べられる……。
……忘れなかったらね。
時間になったら、呼ぶよ……。
……応えられるかどうかは、分からないわよ。
それでも……呼ぶよ。
……好きにして。
うん……好きにする。
……。
はぁ……。
……疲れたのなら、横になっても良いわよ。
ううん、このままで……。
……いつでも、横になって呉れても構わないから。
うん……ありがと。
……別に、お礼は要らないわ。
ねぇ、マーキュリー……。
……何。
マーキュリーの背中、拭きたいな……。
……今のあなたには、拭いて欲しくない。
今の……?
……。
管……?
……それが完全に抜けてからなら、考えてあげても良い。
なら、直ぐだ……明日にでも、抜けるから。
……ばかね。
明日なら、どうだい……?
……明日は朝一に、湯浴みするつもりだから。
湯浴み……。
……言っておくけれど、あなたには未だ無理よ。
なに、それも直ぐに出来るようになるさ……。
……然うだと、良いけれど。
出来るようになったら……。
……ふたりで、一緒に、そればかり。
だって……ふたりが良いんだ。
……あなたが然うだからって、私が然うだとは限らない。
うん……だから、許可を貰う。
……許可、ね。
あ……。
……。
そこは、自分で拭くよ……。
……良いわよ、遠慮なんかしなくても。
遠慮ではなくて……ん、マーキュリー。
……今更、でしょう。
で、でも……。
……横になって、ジュピター。
……。
……私の言うことが、聞けないの?
……。
さぁ……ジュピター。
……う、ん。
ただの、世話よ……それ以上でも、それ以下でも、ないわ。
……分かってるんだけど。
何度も、してあげたわ……。
……昔の話は。
周りを、拭くだけだから。
……それ、でも。
ならば、掛布を。
……掛布。
これならば……未だ、耐えられるでしょう。
……。
なに……?
……優しいなって。
優しくなんか、ないわ……。
……ううん、優しいよ。
拭くわよ……良い?
……うん、良いよ。
……。
ふ……。
……戻ってきた時のあなたは、血だらけだった。
……。
だから……眠っている間に。
拭いて、呉れた……?
……装置で、洗い流した。
あぁ、そっか……。
……清潔に保たなければならないから。
その方が、手っ取り早いよね……マーキュリーの手も、汚れないし。
……あなたの血で汚れるのは、構わない。
……。
然ういうわけで……思っているよりも、汚れてはいない筈。
目が覚めた時に、自分がきれいになっていて……血も、その臭いも、きれいに落ちていたから。
……。
それでも、薬の臭いがね……。
……湯浴みが出来るようになったら、洗い流せば良い。
ん、然うする……。
……その時だけならば、一緒に入ってあげても良いわ。
え……。
……言っておくけれど、その時だけよ。
そ、その時だけでも、構わない……は、入りたい、一緒に。
然う……なら、入りましょう。
……やった。
……。
……。
……はい、良いわ。
うん……ありがとう。
……どう、少しはすっきりした?
うん、した。
おかげで、良く眠れそうだよ。
……眠れそうなら、そのまま眠っても良いわよ。
待ってる。
……。
マーキュリーが、来て呉れるまで。
……ねぇ、ジュピター。
なぁに……マーキュリー。
残念だけれど……此処では、拭かないわよ。
え、拭かないの?
ええ、此処ではね。
ど、何処で?
……湯浴み場で。
あ。
……じゃあ、また後で。
あ、あー……。
……なぁに、その声は。
……。
期待をしていたのかしら?
……してた。
ばかね。
……本当に然う思う。
もう、着ても良いわよ。
……あの、マーキュリー。
……。
よ、良かったら……今夜は、その。
……今夜は、駄目よ。
あ……うん、したいわけではないんだ。
……素肌を重ねて眠りたいとでも、言うのでしょう。
……。
……駄目よ、躰を冷やすから。
ん……然うだよね。
……全ては、回復してから。
……。
然うでないと……許さない。
……務めで、あっても?
望むの?
……。
あなたが望んだとしても……矢張り、応じることは出来ない。
あたしも……務めは、やっぱり、望まない。
でしょう?
……行ってらっしゃい、マーキュリー。
ええ……行ってくるわ、ジュピター。
……。
必ず、戻ってくるから……そんな顔、しないで。
……どんな顔、してるかな。
不安げな顔。
……。
そんなに、私の姿が見えなくなることが……。
……全然駄目なんだ、あたし。
……。
だけど……マーキュリーが、居なくなるわけではないから。
……平気だと、思っていたのに。
え……?
……平気では、なかったのね。
え、と……。
……目覚めたあなたを、あの部屋にひとり、残して。
……。
待ってて、ジュピター……なるべく早く、戻ってくるから。
うん……待ってるよ、マーキュリー。
29日
……大人しく飲んでいるようね。
うん、飲んでる……やっぱり、苦いけど。
然ういうものだから。
甘いのって、ない?
ないわね。
……。
何。
いや、子供の頃に飲んだ薬茶でほんのり甘いのがあったような、なかったような。
今回の場合、その薬茶は適切ではないの。
……ということは、ほんのり甘い薬茶はあるんだ。
あるけれど、飲んだところで意味がないものを煎じたりはしないわ。
無駄だから。
まぁ、何処まで行っても薬だしなぁ。
分かっているのなら、言わないで。
あったら良いなぁって、思って。
今回はないから、諦めて。
はぁい……。
……。
……うー、渋苦い。
変な顔。
面白い?
面白くはない。
なら、もっと変な顔を。
どうでも良いから、あなたの変な顔なんて。
いやぁ、どうせなら面白可笑しくしたいなって。
然うしたら、渋苦いのも感じなく
なれば、良いわね。
まぁ、ならないと思うけれど。
……。
……どうかしら?
うーん、ほんの少しだけ楽しい味がするような。
然う、それは良かった。
はは。
……笑えるのならば、大丈夫ね。
うん、大丈夫だ。
……。
ね、結局何にしたんだい?
……野菜の旨煮汁だけれど?
あぁ、良いと思う。
良く煮込んであるからお腹に優しいし、栄養も抜群、疲れている時にはぴったりだ。
……然ういうのばかりよ。
然ういうのって?
手軽に食べられて、消化にも良く、且つ、栄養値が高いもの。
あと、マーキュリーが好きなもの?
……。
……豆の甘煮もある?
焼き立ての薄麦餅はないわ。
それは今度、あたしが作るよ。
豆の甘煮と一緒に、ふたりで食べよう。
……ひとりで良いのに。
しかし、先生と師匠は流石だな……メル、もとい、マーキュリーのことを良く分かっている。
……今更、だけれど。
うん?
あなたの先代が作ったものなのよね。
……懐かしい?
別に……何も思わない。
食べ切ってしまったら、もう、師匠の味は食べられないんだよね。
……未だ、食べ切れそうにないけれど。
師匠が作ったものがなくなったら、あたしが作ったものを持って来るよ。
……勝手にどうぞ。
じゃあ、遠慮なく。
……つ。
あ、大丈夫かい?
あなたがずっと喋っているから。
うん、ごめんね。
だけど、マーキュリーでもそんなことがあるんだね。
……あなたのせいで、疲れているの。
ん、ごめん。
……。
んー、いいにおいだ。
……あなたは、駄目よ。
ん、分かってる……。
……。
……。
……ジュピター。
懐かしい、においだなって。
……あなたにも遺して行って呉れたでしょう。
然うなんだけど……今日は、どこか感傷的になっているのかも知れない。
なんだか、酷くしんみりとした気持ちになって……躰が、こんなだからかな。
……あなたの部屋には、あとどれくらい残っているの。
あたしの部屋にはもう、そこまでは残っていないよ。と言うより、元々そんなに多くはなかったんだ。
多分、あたしは自分で作るだろうって、ふたりは考えていたんじゃないかな。
……作れない時だってあるでしょう。
そんな時は……屹度、マーキュリーが食べさせると思ったのかも知れない。
……勝手な期待をされても迷惑だわ。
ん、然うだよね。
……良かったら、分けてあげるわよ。
良かったら、一緒に食べて欲しいな。
師匠のごはんは美味しいけれど、それでも、ひとりよりふたりの方が美味しいから。
……考えておくわ。
……。
……何。
ううん……考えておいて呉れると、嬉しい。
……期待は、しないでね。
うん……分かってる。
……。
……美味しいかい?
不味くは、ないわ。
……然うか。
あまり見てないで。
ん……ごめん。
……美味しいに、決まっているでしょう。
……。
……ところで、飲み終わったの。
うん?
……薬茶。
あー……うん、あともう少しかな。
……冷めると、より不味くなるわよ。
う……。
……一気に飲んでしまいなさい。
然うする……。
……。
……ふぅ、飲み終わった。
躰を拭くのは、
マーキュリーが食べ終わってからで良いよ、ゆっくり食べて。
……見ていないでね、鬱陶しいから。
なら、話し相手でも。
静かに食べたいのだけれど。
……だめ?
あなたに話したいことなんて、特にないもの。
それじゃあ、あたしが何か。
それよりも、休んでいて。
……。
なんだったら、そのまま眠って呉れても良いわよ。
……マーキュリーと、眠りたいな。
眠ってあげるわ……やるべきことが、終わったら。
……。
先ずは、食事。
それから、あなたの躰を拭いて。
……湯浴み、する?
したいとは、思っているけれど……分からないわ。
……暫く、してないだろう?
……。
あ、いや、マーキュリーが臭うわけではないよ。
……今夜は椅子で休むわ。
いやいや、本当に臭うというわけではないんだ。
寧ろ、臭うのはあたしの方だと思うし。
……敷布と掛布、薬品臭くなってしまうわね。
良かったら、新しいのと取り替えるよ……明日にでも、依頼しておくから。
……良いわ、その為の機械もあるから。
なら、あたしが。
……手が空いている時に、自分でやるわ。
マーキュリーは忙しいと思うし、あたしにやらせて欲しい。
臭いの原因は、あたしなのだし。
……。
然うだ、思い出した。
……何を。
良い場所を見つけたんだ。
良い場所?
然う、良い場所。
……どんな場所なの。
其処はさ、太陽の光が良く入る場所なんだよ。
……太陽の?
其処に何時間か置いておけば、掛布と毛布が気持ち良くなるんだ。
でさ、敷布は洗えば良い。寝台は、流石に持って行けないけれど。
……そんな場所を、いつ。
夜襲を受ける、ちょっと前に。
話したいと思ってたんだけど、なかなか会えなくて。
……此の間、会った時は。
未だ、見つけてなかったんだ。
……どうして、見つけたの。
それが、ね。
……勿体ぶるなら、良いわ。
あぁ、違う違う。
然ういうわけじゃないんだ。
じゃあ、何。
師匠が、また分かりづらいところに書き残してあって。
……何処に。
寝台の下に貼り付けてあった。
……。
なんでこんな所にと思ったんだけど、まぁ、師匠らしいかなって。
それで物は試しと思って、掛布と毛布を持って行って暫くの間置いておいたんだ。
そしたら、本当に気持ち良くなっていて。
……あれは、然ういうことだったのね。
え、なに?
ジュピターが、掛布と毛布を持って「畑」の方へ向かったと。
……若しかして、見られてた?
あなたはもう少し、自分が目立つことを自覚した方が良いわね。
あぁ……うん、気を付ける。
けれど、「畑」の何処にそんな場所が。
そもそも「畑」は「地裏」にあるのだから、太陽の光なんて入ってくるわけがない。
あたしも然う思った。
だけど、「豆」や「芋」を育てている「畑」の奥にちょっとした空間があったんだ。
……そこが、「地表」に繋がっていたと?
うん……そして、其処は多分、「マーキュリー」の為の場所だったんだと思う。
……「マーキュリー」の?
なんとなくだけど、然う思った。
……そんなものが。
マーキュリーでも気付かないのだから、あたしが気が付くわけない。
師匠ももっと、分かりやすい所に書き残して呉れれば良いのにさ。
……分かりやすくしたら、他の者に見つかってしまうわ。
あ。
……けれど、寝台の下なんて。
マーキュリーも、確認しなかった?
ジュピターの部屋だもの……しないわ。
……だけど、見る者は居る?
……。
……鍵は、確りしないと駄目だなぁ。
それで、私の掛布と毛布も其処に持って行くというの。
なるべく、見つからないように……本当に気持ちが良いんだ、マーキュリーにもあの気持ち良さを知って欲しくて。
……取り敢えず。
や、止めた方が良い……?
……其処を己の目で確認してから、決めるわ。
あ、うん、然うか。
なら今度、一緒に。
……場所は分かったから、ひとりで
う、ううん、ふたりの方が良いと思う。
……何故?
それは……その、ふたりで行きたいから。
……あなた、そればかりね。
う、ん……。
……ならば、早く治して。
……。
……早く、確認したいから。
ん、分かった。
それと……新しくするのは、未だ良いわ。
うん……?
別に……大事にしているというわけでは、ないの。
……。
ただ……もう暫くの間は、用意されたものを使っていたいだけ。
……然うか、屹度喜ぶよ。
ふたりの為ではないわ……私の為よ。
……分かってる。
……。
……あたしも、もう暫くは。
話は、変わるけれど。
ん……なんだい?
野菜の旨煮汁くらいなら、食べられるかも知れない。
……え?
食事。
本当かい?
と言っても、明日のあなたの躰次第だけれど。
今日は早めに休むよ。
薬茶も飲んだし、休めば、熱も下がって呉れる。
……然うだと良いわね。
うん。
……ふぅ。
食べ切れない?
ううん……あともう少しだから。
そっか……でも、無理はしないでね。
……無理なんて、しないわよ。
ん……。
……。
……。
……舌も、鈍るのよね。
した?
……舌。
あぁ……うん、鈍るよ。
……あなたの舌は鈍らなそうだけれど。
作らなかったり、食べなかったりしたら、あたしの舌も鈍ってしまうよ。
実際に、今のあたしの舌は少し鈍っていると思う。
……これくらいで鈍ってしまうもの?
うん、鈍らせるのはわりと簡単なんだ。
躰と、一緒でね。
……然う。
少しだから、直ぐに取り戻せるとは思うけど。
……ごちそうさまでした。
あ、食べ終わった?
……ええ。
そっか。
……躰を拭く支度をするわ。
待って。
……何故?
食べたら、食休みをしなきゃ。
……そんな時間。
ほんの少しでも良いから……。
……はぁ。
ね……?
……かえって、落ち着かないわ。
マーキュリーはずっと、忙しくしていたから。
……その方が、楽だからよ。
楽……?
……仕事をしていた方が、余計なことを考えずに済むの。
……。
……知っているくせに。
ね、余計なことって……。
……余計なことは、余計なことよ。
……。
……あなたが、目を覚まさないから。
あぁ……。
……本当、余計だったわ。
今はもう、考えなくて良いよ……。
……。
……マーキュリー?
やっぱり、支度をする。
……。
やるべきことを、さっさと終わらせて……早く、休みたいの。
……。
だからって、未だ、脱がなくて良いから。
……え、良いの?
もう……本当にばかね。
はは……。
……休みながら、待っていて。
ね、湯浴みは……。
……私も、拭いて済ますわ。
なら、あたしが……。
……要らない、自分でする。
背中、とか……。
……。
マーキュリー……?
……良いと、言っているの。
……。
……直ぐに支度をしてしまうから。
ん、分かった……待ってるよ。
28日
入って。
うん……。
片付けるから、あなたは其処の椅子に……。
まぁ……うん。
……ジュピター。
ん、なんだい?
……本当に散らかっていると、思っているでしょう。
あー……うん、思ってる。
……好きなだけ思っていても良いけれど、片付けようとはしないで。
散らかっているというより……相変わらず、ものが多いね。
必要のないものはひとつもないから、触らないで。
……まぁ、床は寝食されていないみたいだし。
立っていないで、早く座って。
でないと、片付けられない。
ねぇマーキュリー、もうひとつの部屋は
此処よりも散らかっているけれど、それが何。
あ、うん、なんでもないよ。
……。
この椅子、マーキュリーがいつも座っているものだよね……?
……然うだけれど、何か問題でも?
いや、問題と言うより……あたしが座ってしまったら、マーキュリーは何処に。
そんなことは、今は考えなくても良いわ。
……あたし、片付けようか。
結構よ、あなたは大人しく座っていて。
寝台の周りだけでも……。
……座るの座らないの、どちらなの。
あー……うん、大人しく座ってる。
……。
ん……ありがとう。
……そのまま動かないで。
ん……。
……。
……どう、かな。
熱い、下がっているわけがない。
……面目ない。
……。
……マーキュリー?
取り敢えず、此れを。
……ひんやりする。
簡易的なものだけれど、ないよりは良いでしょう。
首でも、脇でも、脚の付け根でも、好きなところに当てておいて。
……重ね重ね、面目ない。
寝台の上、直ぐに片付けるから。
あ、マーキュリー……わ。
……未だ、倒れないでね。
……。
此の部屋には、誰も入れたくないの。
……あたし以外?
然うよ。
だから、倒れないで。
う、うん、未だ倒れない……。
……。
……マーキュリーの、におい。
嗅がないで。
や、でも、息を止めないと……口呼吸でも、感じるし。
……息を止めろとは言っていない、においを嗅がないで。
息を止めるか、部屋から出るか……然うしないと、無理かな。
……努めて。
つとめ……?
……嗅がない努力をして。
う、うん……してみる。
……。
……一応、してはみるけど。
ジュピター。
……取り敢えず、冷やしながら待ってます。
……。
ふぅ……気持ち良いかも。
……自覚症状は未だないの。
うーん……なんとなく、熱いような。
……それが気持ち良く感じるのならば、熱いのよ。
あ、然うか。
……全く。
……。
此れらは……取り敢えず、床に。
あの、マーキュリー。
……何、ジュピター。
床に重ねてしまったら……余計に、散らかってしまうんじゃないかなぁ。
……。
一旦床に置いてしまうと、そのままにしてしまいがちで……更に物が増える要因に、なるかも。
今は仕方がないでしょう。
余計なことは言わないで、黙っていて。
……はい、ごめんなさい。
……。
はぁ……やっぱり、落ち着く。
迂闊だった。
……え。
目覚めたあなたが我侭を言うことなんて、分かり切っていたことなのに。
……多分、そんなことにも考えが及ばないくらいに、今のマーキュリーは疲れているんじゃないかなぁ。
……。
いつものマーキュリーだったら……もう少し、ね。
……そもそも、連れてこない。
ん、然うだよね……。
……はぁ。
ねぇ、マーキュリー。
……何。
いつから、此の部屋に戻っていないの……?
どうして……いえ、知ってどうするの。
どうもしない……ただ、知りたいだけだよ。
……あなたが知る必要はないわ、だから言わない。
ん……然うか。
……どうせ、分かっているのでしょう。
……。
……。
なんだか……。
……今度は何。
安心したら、お腹が空いてきた……。
……は?
何か、食べたい……。
……此れが終わったら、薬茶を煎れてあげるわ。
薬茶よりも……ごはんが、良いな。
……今夜は、我慢して。
一口だけも良いんだ……何か食べたい。
……下手に食べたら、余計に辛くなるだけよ。
……。
消化器の機能が、かなり低下していたの。
眠っている間、ずっと飲まず食わずでいたから?
それに加えて、内臓への損傷。
完全に潰れているわけではなかったけれど、影響が全くないわけではないわ。
……。
そんな時に腹に何かを入れたら……言わなくても、分かるでしょう。
汁物でも、だめかな……汁物なら、消化に良いだろうし。
……どうしても、食べたいというのなら。
あれは、いやだ。
……。
……あれを、食うくらいなら。
食事については……明日の朝、改めてまた判断する。
空腹を感じるということは、あなたの言う通り、躰の回復が大分進んでいるということだろうから。
ん……分かった。
……。
マーキュリーは、食べてね。
……私は、
食べられるのに、食べないのはだめだよ。
……あなたの前で食べることになるわ、それでも
構わない、あたしには薬茶があるから。
……それは、あなたが望むものではないでしょう。
マーキュリーにはちゃんと食べて欲しいんだ。
……。
……。
……どうせ、多くは食べられないもの。
多くなくたって良い、少しだけでも良いんだ。
特に温かいものを摂れば、躰が和らぐよ。
……あなたの目に、私はどう映っているの。
あたしの目に……?
……痩せこけて見えているのかしら。
顔色も……青白くて。
……。
……今にも、倒れてしまいそうに見える。
倒れないわ。
……今は、気を張っているからだろうと思う。
……。
だけれど……張り詰めた弦は、いつかは切れる。
……それは、今ではない。
どこかで、緩めてあげないと。
……急には、緩められない。
マーキュリー、あたしは、熱はあるけど大丈夫だ。
今夜、ゆっくりと休めば……だから。
……あなたは、ばかなひとよね。
……。
今は、自分のことだけを考えていれば良いのに……考えて、欲しいのに。
仕方ないさ……それが、あたしなんだ。
本当、厄介なひと……。
……。
……ジュピター、寝台に。
うん……分かった。
……。
大丈夫だよ……ひとりで、ゆける。
……だとしても。
そっか……ありがとう。
……別に。
……。
……真ん中でも、構わないわ。
ううん……マーキュリーと一緒が良いから。
……。
……ふぅ。
薬茶を飲んだら……躰を拭いてあげようと思っているのだけれど。
……ん、お願いしたい。
拭き終わったら……今日は、もう休んで。
……マーキュリーは?
私は……あなたが五月蠅いから、何か少しだけ食べるわ。
見ていても、良い?
……お腹が余計に空いてしまうわよ。
見ていたいんだ。
……知らないからね。
あぁ……お茶を、淹れてあげたいな。
……躰が回復すれば、幾らでも出来るわ。
……。
……その時は、ふたりで。
飲んで呉れる……?
……仕方がないから。
美味しいお茶を用意しておく……。
……期待しているわ。
うん……してて。
……。
ふふ、楽しみだな……然うだ、お茶請けの甘味も作ろう。
……。
ん……マーキュリー?
……ちゃんと動いている。
え……?
やや左側の、胸の奥……。
……。
……心の臓器とは、良く言ったものね。
命の、音……?
……あなたが目を覚まさないから、この動きを何度も確かめた。
……。
呼吸が、とても浅かったから……けれど、止まることは決してなかった。
……マーキュリーが生きていて呉れる限り、止まることはないよ。
口では、どうとでも言える。
……。
……私が生きていようとも終わる時は終わる、終わってしまう。
……。
然うなったら……幾ら、部品を取り替えたところで。
……ねぇ、憶えているかな。
……。
命の住処である心は……時を刻む場所でもあると。
……それは。
此れは、師匠ではなく……先生の言葉だ。
……憶えていないわ。
ん……そっか。
……それも、思い出したの。
うん、思い出した……記憶は思い出を伴うって、本当だね。
……。
脈の数は、生きてきた時間で……マーキュリーの方が、あたしよりも少しだけ多いんだ。
……それが、何。
あたし達は、あのふたりが刻んだ数と同じだけ生きられるかどうかは、分からないけれど……それでも、ふたりで多く刻めたら。
……私の脈が止まったら、追いつけるわよ。
追いつきたいとは、思っていないよ。
……。
だからと言って……置いて行かれたいとも、思っていないから。
……ん。
マーキュリー……こうしていると、マーキュリーの音も聞こえるよ。
……此の姿勢では、聞こえない。
命の音は、胸の奥から聞こえるだけでなく……なんだったら、手の平でも聴くことが出来る。
……。
……感じるよ、マーキュリー。
……。
マーキュリーも……ん。
……後にして。
後……。
……今は。
ん、分かった……じゃあ、また後に。
……。
……薬茶、一滴も残さずに飲むから。
27日
……何を食べたかなんて、もう憶えていないわ。
ん、そっか。
……。
静かだねぇ、まさに月眠るだ。
……このまま、何事もなければ良いけれど。
うん、然うだね。
夜は出来るだけ静かな方が良い。
……あの日の夜も、静かな夜だった。
ん?
……。
ねぇ、マーキュリー。
……何。
夜は、野菜の旨煮を食べたと思うんだ。
……だから、憶えていない。
そっか。
……ジュピター。
ん?
あなたの部屋。
あぁ。
……。
え、と……マーキュリー。
……開けましょうか。
うん、お願いしても良い?
……。
……。
……開いたわよ。
ありがとう。
ところで、鍵認証は憶えているのよね。
うーん……それがさ。
……後で、変更するわ。
ありがとう、またしっかりと憶え直すよ。
……然うして。
……。
ジュピター。
……なに?
また後で。
うん……また、後で。
少し遅くなるかも知れないわ。
どれくらい?
……。
あ、いや、待ってる。
……ええ、待っていて。
……。
……。
……。
はぁ……ジュピター。
なんだい、マーキュリー。
……どうして、付いて来ようとしているの。
躰が鈍っているから、少しでも動いた方が良いかなって。
……本音は。
えと……付いて、行きたくて。
……また後で、と言った筈でしょう。
うん、だからあたしも然う返した。
……少し遅くなるかも知れないけれど、来るつもりではいるから。
ん……。
だから……大人しく、自分の部屋で待っていて。
……。
でなければ、私が此処まで来た意味がない。
私がどうして、あなたの部屋まであなたを送ってきたと思っているの。
起きたばかりで、鍵認証を憶えているかどうかも分からない。
そんなあたしを、ひとりで行かせるのは心配……だからかな。
心配ではないわ、ただの務めよ。
……。
さぁ、ジュピター。
か、躰を動かしたいんだ。
……。
ずっと眠っていたから、鈍っているし。
今し方、本音を聞いたばかりよ。
……付いて行けば躰を動かせる、然うすれば。
もう一度聞くけれど、本音は?
……離れたくない、一緒に居たい。
はぁ。
……。
取り敢えず、袖から手を離して。
……うん。
あなたが一緒だと、あなたの部屋に戻る時間が予定していたものよりも遅くなる。
それでも、構わないのなら。
構わない。
私は、構うのだけれど。
……。
良いわ、付いて呉れば良い。
鈍っている躰には、丁度良い距離かも知れないし。
うん、付いて行く。
寄り道はしないから。
ん、分かってる。
……。
へへ。
……笑っていないで、扉の施錠はしなくても良いの。
あ、然うだ、しないと。
はぁ……。
あの……閉めて貰っても、良い?
……。
……。
……付いて来るつもりならば、然う言って。
最初は、自分の部屋で待ってようと思ったんだ。
……初めから私の部屋に向かっていれば、こんな無駄な時間を使わずに済んだのに。
うん、ごめん。
……謝れば良いということではないわ。
若しも、最初からマーキュリーの部屋に行きたいと行ったら。
……そのつもりで行動したかも知れない。
そっか……ごめん。
……行くわよ。
ん。
……。
……。
……左足、此処までは異常はなさそうね。
ん、今の所は平気そうだ。
……初めてだったけれど、上手く接合して呉れて良かったわ。
改めてありがとう、マーキュリー。
別に……私はただ、務めを果たしているだけだから。
それでも。
……何をしているの。
此れは、マーキュリーにしか出来ないことだから。
……意味が分からないわ。
見て、指先までちゃんと動いてる。
……然うね、良かったわね。
あのさ、マーキュリー。
……何。
こういうことは……これから、何度でもあると思う。
……寧ろ、ないわけがないわね。
あたしは、己の体がどんなに継ぎ接ぎだらけになろうとも……生きようと、思うんだ。
……。
あたしだったものを、全部、失くしてしまったとしても……魂と心は、変わらずに此処に在る。
魂と心が在れば、あたしはあたしとして、生きていける……。
……心は、余計だと思うけれど。
心は……命の住処でもあるんだよ。
……。
そんなことを、師匠が言ってたのを思い出した。
……その理屈だと、心がない人形には命もないと言えるわね。
命はあるんだけれど、住処がないんだ。
だから、心無き人形は永遠に虚ろのままなんだって。
……あなた達は、意味が分からないことを言うのが本当に好きよね。
あたしも、師匠に言われた時は良く分からなかったよ。
……今は、分かるとでも。
うん、今は分かる。
月と金星の人形を見たから。
……虚ろだろうと、命は在る。
……。
心が……命の住処なんて、無くても。
マーキュリー……。
……どうぞ、生きて。
え……。
……私は、途中で居なくなるかも知れないけれど。
……。
思うだけならば……幾らでも、出来るわ。
うん……だからこそ、思うんだ。
……いっそ、願いに近いわね。
マーキュリーと共に、生きたいと。
……私が居なくなっても、生きていられそうならばそのまま生きれば良い。
マーキュリーが居ない此の世界に、あたしの居場所があるとは思えない。
……。
だから、マーキュリーが生きている限りと、付け足そうと思う。
……若しも、明日。
明日?
明日の朝にでも……私の命が、尽きてしまったら。
……その時は、あたしの命も尽きるよ。
……。
……やっぱり、夜は静かだ。
心が、命の住処だと言うのならば。
……。
私の命は、何処に在るのかしらね。
……胸の、ずっと奥に。
……。
……此処に、今でもちゃんと在るよ。
在るとしても……もう、其処ではないわ。
マーキュリーは、虚ろではない……そんなものに、成ることもない。
……。
……今はちょっとだけ、凍っているだけだろう?
ちょっとだけではないわ。
……完全に凍り付いてはいないと思うんだ。
いい加減、現実を見たら?
……現実を、見ているよ。
いいえ、見ていないわ。
あなたはずっと、目を背けたままよ。
……見ているから、諦められないんだ。
ん……ジュピター。
ね……マーキュリー。
……離して。
あたしの命の住処は、此処に在るけれど。
……。
あたしの心が帰る場所は……子供の頃から、マーキュリーの中に在るんだ。
……もう、無いわ。
ない……?
……もう、違うのよ。
……。
何度も、繰り返し言っているけれど……あの頃とはもう、違うの。
……ううん、違わないよ。
凍えてしまうわよ。
……凍えて?
凍て付いた場所に帰って来ても……であるならば、帰って来ない方が良い。
……。
癒されることも、ない……だからもう、帰って来ないで。
帰って来ようと、しないで。
……ねぇ、マーキュリー。
私の心が帰る場所はあなたの中に在る、などと言い出すのでしょうね。
え、どうして分かったの。
……分からないわけがない。
嬉しかったんだ。
……。
子供の頃、マーキュリーが……自分の居場所は、あたしの中に在ると言って呉れたこと。
すごく、すごく、嬉しかったんだ。
……もう、昔の話よ。
昔は、今に続いているよ。
昔がなければ、今はないのだから。
……然うだとしても。
だから……今も変わらず、あたしの中に在る。
いつでもマーキュリーが帰って来られるように……帰って来ても、良いように。
あたしは、出来るだけあったかくして、待っているんだ。
……確かに昔は今に続いているけれど、そのままの形で続いているとは限らないわ。
あの頃よりも、居心地が良い場所にしたいと思ってる。
……もう、帰ることはない。
……。
……私はもう、帰らないの。
それでも。
……。
……あたしは、待っているよ。
待たないで……もう、止めて。
……だって、困るだろう?
困る……?
帰ろうと……帰りたいと思った時に、帰る場所が無くなっていたら。
寂しいだろう……?
……そんなことを、思うことは。
……。
……いい加減、離して。
おかえりって、言いたい。
……。
……ただいまって、言って欲しい。
私に……もう、求めないで。
……。
……あなたの帰る場所なんて、私の中にはもう。
ううん、未だ在るよ……でなければ、凍えてしまうなんて言わないだろう?
……。
本当に無いのなら、存在しないのなら……そんな言い方は、しないだろう?
……いいえ、するわ。
……。
私は、するのよ。
……あたしは凍えても、構わないんだ。
……。
仮令、凍えてしまうような場所でも……あたしは、帰りたい。
……言わないわよ。
うん……?
……おかえり、なんて。
うん……それでも良いさ。
……ただいまなんて言ったところで、聞かない。
良いよ……聞かなくても。
……。
……マーキュリーの部屋、もう少し先だね。
だから……言ったのに。
……うん?
あなたは此処で待っていて。
え。
あなたが居ると、予定が狂うばかり。
だから、付いてこないで。
……。
……ジュピター。
少し、早く歩こう。
……。
それならば、良い?
……歩けるの。
歩ける。
……余計なことを、
もう、言わない。
今はただ、マーキュリーの部屋に行くことだけを考える。
……着いても、中には入れない。
構わない、外で待っているよ。
……。
ん、なに?
……顔色が、あまり良くない。
え、然うかな。
自分では
然うよ、ばか。
あー……えと、ごめん。
……体力が、戻っていないのに。
あの……マーキュリーの部屋じゃ、だめ?
……。
だ、だめだよね……。
……本当に散らかっているの。
……。
……。
寝台の、上も……?
……あなたが眠る場所なんてない。
……。
……だから部屋で待っていて、と。
不安に、なってしまって。
……。
マーキュリーは、来て呉れる……来ないわけが、ない。
……。
……だけど、不安で。
言ったでしょう……私は、私の務めを果たすと。
……。
……場合によっては、あなたの部屋には戻れない。
う、ん……。
……散らかっていても、片付けようだなんて思わないで。
思うと、思うけど……片付けないように、する。
……と言うより、出来ないでしょう。
……。
……取り敢えず、眠る場所は片付けるから。
マーキュリー……ごめんね。
……連れ出した私が、
マーキュリーは、悪くない。
我侭を言ったあたしが悪い。
……然うだとしても、最終的に判断したのは私よ。
……。
此処まで来てしまったら、私の部屋が最も近い。
……ん。
歩ける……?
大丈夫、歩ける……自覚症状はないんだ。
……より、悪い。
あ、うん……。
……。
あの、マーキュリー……。
何。
あたしを置いて、先に
先に行ってどうするの。
そんなの、出来るわけないでしょう。
……。
……もう少しだから。
うん……。
……。
……ごめ
聞きたくない。
……。
……倒れるのなら、私の寝台の上にして。
ん……分かった。
26日
……はぁ。
お帰り、マーキュリー。
……起きていたのね、ジュピター。
聊か寝過ぎてしまったから、眠くならないんだ。
……ま、あれだけ眠っていればね。
安静にはしていたよ。
……当然でしょう。
だから、マーキュリーにお茶を淹れてあげたいなって思ってるんだけど……どうだろう。
……何がだからなの。
動いた方が躰に血が巡って、治りが早くなるって。
……そんなことよりも、目を通して呉れたみたいね。
うん?
……此度の戦の詳報。
あぁ……うん、まぁ一応。
……あとはあなただけよ。
あたしだけか……まぁ、然うだろうな。
報告書……もう、書けるのではないの。
書けると、言いたいところなのだけれど。
手が動かせそうにないのなら、口頭でも構わないわ……私がまとめるから。
……詳しくは、未だ、思い出せそうにないんだ。
……。
出来れば、少し時が欲しい。
少しって……どれくらい、必要なの。
分からない……と言ったら、だめかな。
……となると、少しではないわね。
なるべく早めに、とは思っているんだ。
……思うだけで思い出せるのなら、苦労はしない。
うん、然うだよね……ごめん。
……別に良いわ。
……。
正直なことを言えば、今回のあなたには期待していないの。
……申し訳ない。
謝らないで。
……どうにか、思い出すから。
戦闘に入る前までならば、思い出せることもあるかも知れない。
……。
此度の戦は木星にとって、死闘そのものだった……その渦中に居たあなたに記憶が残っていないのは、ある意味、当然のことかも知れない。
なんせ、己の左足を失ったことすら、憶えていないのだから。
……。
だから……思い出せないのなら、無理しなくても良い。
マーキュリー……だけど、それでは。
……今日で大方、終わったから。
うん……それは?
……当時の状況の聴き取りを、木星にしていたの。
……。
矢張り、憶えていない者が多くて難航したけれど……どうにか、集めることが出来た。
この中には、あなたの奮戦ぶりを示す言葉も多くある……例えば、大きな獣のように吼え哮りながら誰よりも前に立ち、皆を鼓舞し続けたと。
全身から雷気を解き放ち、左足が千切れそうになっているにも関わらず、敵を薙ぎ倒していたと……だから、自分達も続くことが出来たと。
実際に千切れていたら、踏ん張りが利かなかっただろうから……そこは、誇張だと思っているけれど……負傷していたのは、間違いないと。
集まったのは、良いけれど……それで、報告書として成り立つか。
するのよ、私が。
……。
これから、聴取したものをまとめるつもりだから……あなたはそれを読んで、あなたの所見を述べて。
若しも何か思い出せたのなら、細やかなことであっても構わない、それについても述べて。
……分かった。
直ぐに始めるから。
その前に。
……邪魔は、しないで。
酷く疲れた顔をしている。
そんなの、今に始まったことではないわ。
少し休もう、マーキュリー。
今のマーキュリーに必要なのは休息だと思うんだ。
今の私に休んでいる暇なんてないの。
休むのも、仕事のうちだ。疲れたまま事を進めても、良い仕事は出来ない。
疲労の蓄積と誤りの可能性は、比例する。かえって余計な労力や時間を掛け兼ねない。
……そんな悠長なこと。
何より、マーキュリーが倒れてしまったら……その方が、問題だよ。
全く休んでいないわけでは
睡眠はどれくらい取った?
食事は?
……。
その顔を見るに、どちらもあまり取っていないだろう。
……何も食べていないわけではないし、全く寝ていないわけでもないわ。
何を、食べた?
何処で、眠った?
……そんなこと、いちいち憶えていないわ。
然うか。
なんにせよ、そろそろ限界だろう。
……。
ねぇ、マーキュリー……今日は、もう。
……やってしまいたいの。
マーキュリー。
……私の邪魔をしないで。
……。
此処に居て欲しいのでしょう……だったら。
……あたしは、目を覚ました。
……。
だから……もう、心配は要らない。
……心配?
あたしはもう、大丈夫だよ……マーキュリー。
……意味が分からないわ、あなたは何を言っているの。
……。
心配なんて、するわけがないでしょう。
私はただ、マーキュリーとしての務めを
マーキュリーが居ない間、マーズが来た。
……マーズが?
マーズが来た時、あたしはマーキュリーのことを考えながらぼんやりしてたんだ。
……。
詳報を読もうと思ったんだけど、頭の中に入ってこなくて……だから、マーキュリーのことを。
そんなことはどうでも良いわ。
あ、うん。
マーズは、何をしに来たの。
あなたが眠っている間、一度だって来たことはなかったのに。
あたしが眠っている間、ずっと、マーキュリーは酷い仕事の仕方をしていたと。
……は?
それを言い残して、マーズはさっさと部屋を出て行った。
若しかしたら、完全には入っていなかったのかも知れない。
……何よそれ。
あっと言う間のことだったから、あたしは返事をする暇もなくてさ。ただただ、呆気に取られてしまって。
まぁ、返事をしたところで、マーズは聞く耳を持たなかったと思うけど……思うに、あれはあたしの様子を見に来たわけじゃない。
……。
マーキュリー……多分だけれど、マーズはマーキュリーのことを心配している。
……マーズが、私を。
うん。
それは違うわ。
違う?
どうして?
違うからよ。
それは……マーキュリーらしからぬ返答だね。
兎に角、違うものは違うの。
どうして、然う言い切れるんだい?
心配など、するわけがないからよ。
……。
……もう良いでしょう、邪魔をしないで。
ううん、良くない。
ジュピター。
……良くないよ、マーキュリー。
早く、まとめてしまいたいのよ。
それは、分かるよ。
いいえ、分かっていないわ。
マーキュリーの務めだということは、分かっているつもりだよ。
あとは、マーキュリーの性格上、かな。
……。
だけど……それを、クイーンは求めているのかい。
……然うよ。
然うとは思えない。
……。
ヴィーナスも、また。
……だからこそ、
あたしは未だ、目覚めたばかりだ。
所見を述べるにしても、もう少し時を与えて欲しい。
……もう少しって。
少なくとも、明日中には難しいと考える。
……。
マーキュリーが仮令今日中にまとめて呉れたとしても、目を通すことも出来ないかも知れない。
いや、出来ないだろう。
……それは、やるつもりがないと。
いや、やるつもりはある。が、今の頭の状態では難しい。
部屋に戻ることも、何かを食べることも出来ない、今の状態ではね。
……。
であるならば……マーキュリーは、休息を取るべきだ。
あたしの回復を、待っている間に……躰と心を休ませてやるべきだ。
……心。
心の傷も……疲れも、癒すには時間と休息が必要だ。
……ならば他の仕事をするわ、私がやるべき仕事は此れだけではないのだから。
あたしとお休みしよう、マーキュリー。
今これから、明日の朝まで。
聞けない。
……。
もう、良いでしょう。
此れ以上、邪魔をするのなら
此れだけは、使いたくなかった。
……。
腹が、無性に立つから。
……何を言っているの。
マーキュリー……此れは、マーズを通しての伝言だ。
伝言……?
……今宵はゆっくりと休みなさい。
それは……誰から。
……守護神の長としての、ヴィーナスから。
ヴィーナス……。
……つまり、命令だ。
……。
出来れば、伝えたくなかった。
……そんな命令。
マーキュリーが、従いたくないのなら……あたしは、それでも構わない。
……。
願わくばあたしの言葉を、聞き入れて欲しい。
ヴィーナスの命令なんかに従うのではなく……あたしのお願いを、聞いて欲しい。
……ねぇ、ジュピター。
なんだい……マーキュリー。
……私の顔、あなたにはどう見えているの。
然うだな……あまり良い顔では、ないかな。
……今、休んでしまったら。
あたしは、五日間近く眠っていたんだ……一日くらい、許されるさ。
……。
わざわざ、命令までするんだ……利用して、ゆっくりと休んでやれば良い。
此処は、それだけの時がある……。
……若しも、次の戦が。
記録は、その為にある。
その為に、「マーキュリー」は膨大な数を残して呉れている。
……戦況は常に目まぐるしく変わる、記録だけでは対処出来ない。
その為の、マーズだ。
……。
マーキュリーが居ない間……マーズが、務めていたらしい。
まぁ、ずっとは無理らしいが……当然だ、マーキュリーの代わりなんて誰も出来ない。
……。
マーキュリー……マーキュリーが倒れてしまったら、屹度、一日のお休みでは済まない。
もっと、時間が掛かってしまうかも知れない……それは、本意ではないだろう?
……。
マーキュリー……一日とは言わない、半日だけで良い。
あたしと、共に休もう。
……聞きたく、ない。
……。
けれど……。
……命令に従うのは、癪だと思うんだ。
……。
だから、今回は……あたしの我侭とマーズの助言を聞いた。
そういうことに、しておこうよ。
……。
大丈夫さ……。
……何が、大丈夫なのよ。
休息を取ったマーキュリーは……今以上に、仕事が出来る。
……まるで、今は出来ないみたいね。
出来なくはないけれど、効率は落ちると思う。
……はっきりと。
決まりだ、マーキュリー。
……。
マーキュリー……?
……ばか。
あー……。
……こんなところで、休みたくないのに。
それは、まぁ、然うだね……。
……だから、早く終わらせようと思ったのに。
あのさ、マーキュリー……ひとつ、提案なんだけれど。
部屋には、戻れない。
そ、そこを、なんとか。
……。
ほら、あたしは元気……ではないけれど、動けなくはないよ。
左足も、くっついているし、管は刺さったままだけれど、引っ張って行けば良いし。
……どうしても部屋に戻るのであれば、私は
あたしの部屋とマーキュリーの部屋、どちらにしようか。
……どちらにせよ、私は床で
それは、だめだよ。
床では疲れが取れないどころか、余計に溜まってしまうからね。
……。
どこか、良い場所ないかな。
ないわ。
うん、然うだね、やっぱり自分達の部屋が安心するよね。
……。
ん、何をしているんだい?
……部屋に戻る支度よ。
え、戻っても
私だけ戻るの。
え、な、なんでマーキュリーだけ?
あなたは、もう一晩、此の部屋で。
そ、そんな……マーキュリー……。
情けない声を出さないで。
だ、だって……こんな部屋で、ひとりはいやだよ。
今まで眠っていたでしょう。
そ、それは、眠っていたから、居られただけで……今は、もう、目を覚ましているし。
我儘言わないで。
……うー。
だから、仕事をすると言ったのよ。
……。
けれど、命令まで出されてしまってはどうしようもないわ。
……命令に、従うの。
従わない、私は私の意思で休む。
……。
それではジュピター、また明日の朝……然うね、時間があったら様子を見に来てあげるわ。
……うん、待ってる。
……。
……。
……眠れそう?
分からない……目を瞑ってるだけになるかも知れない。
安眠効果のあるお茶を淹れてあげても良いけれど。
……薬茶はもう、飲んだから。
……。
……ごはんはちゃんと食べて、寝台で眠ってね。
言われなくても。
……仕事は、だめだからね。
……。
本当にだめだからね。
……分かっているわよ。
うん……なら、お休み。
……。
……ん。
本当に動けるのね。
……マーキュリー?
頭は働かなくても。
……うん、動けると思う。
思うだけでは駄目よ。
……動けるよ、ほら見て。
……。
ちゃんと、動く。
……あなたね。
大丈夫だ。
……。
マーキュリーが……傍に居て呉れる。
……私の力では、あなたを運ぶことは出来ないわ。
然うしたら……うちの子らを呼べば良い。
マーキュリーの指示には素直に聞く。
……。
マーキュリー……部屋に。
……私の部屋は、散らかっている。
……。
だから……あなたの部屋に。
ん……分かった。
……私は一旦、自分の部屋に戻る。
それで、あたしの部屋に来て呉れる……?
……ええ、そのつもりよ。
やった……。
……一緒には眠らないわよ。
大丈夫だよ、あたしの寝台は大きいから。
……然ういう問題ではないわ。
戻ったら、お茶を淹れるよ。
一緒に飲もう。
いいえ、私が淹れるわ。
……薬茶?
が、良いの?
う、ううん……出来れば、あたしのお茶が良いな。
……仕方ないから、あなたのお茶を淹れてあげる。
あ、ありがとう。
……。
……ん。
躰は起こせる?
うん、起こせる。
まぁ、起きていたものね。
うん、然うなんだ。
……ゆっくりで良いから。
うん……。
……。
……ごはん、どうしようか。
未だ、残っているから。
……残って?
先代が置いて行って呉れたもの。
……乾燥物?
どこまで、見越していたのかしらね。
うーん……どこまでだろう。
……。
だけど……有り難いね。
……癪だわ。
はは……。
……今一度、左足を見せて。
ん……はい。
……上下に、動かしてみて。
こう……?
……痛みや違和感は?
違和感は、少し……痛みは、ないよ。
……。
大丈夫、歩ける。
……無理だと判断したら、戻って貰うわ。
うん、分かった。
……床に。
よいしょ、と。
……ちょっと。
うん、平気だ。
……ばかなの?
はは。
笑いごとではないわ、ばか。
あ、うん、ごめん。
……。
ありがとう……マーキュリー。
……お礼なんて、要らない。
言わせて欲しい……。
……ジュピター。
なに……?
……薬品臭い。
う。
……。
……離れる。
……。
え、と……マーキュリー?
……躰を拭いてあげるわ。
え……。
……さぁ、行きましょう。
……。
……行くわよ、ジュピター。
うん、行こう……マーキュリー。
25日
……。
……ぅ。
……。
……マー、キュリー。
お早う……ジュピター。
うん……おはよう。
……目覚めの気分は?
目覚めの……?
……。
んー……。
……どう。
なんだろう……良く分からない。
……分からないって?
マーキュリーと、一緒に眠ったのに……どこか、薄ぼんやりとしていて。
まるで、寝過ぎたような……そんなわけ、ないと思うんだけど。
……どこか、はっきりとしない?
うん……ひとりの朝よりも、満たされていてもおかしくない筈なのに。
どうしてだろう……ひとりでずっと眠っていたような気が、そんな気がするんだ。
然う……気分は、あまり良くないようね。
然うなのかな……けど、然うでもない気もする。
……。
おかしいな……どうして、ひとりで眠っていたような気がするんだろう。
ゆうべは眠るまで、マーキュリーを抱き締めて……なかなか眠ることが出来なかったけど、それでも最後はマーキュリーと抱き合って。
ジュピター。
……。
躰に違和感は?
……違和感?
ないのなら……それで良いわ。
ちょっと待って……確認、してみるから。
……。
んー……ん?
……。
左足に、少し……なんか動きが鈍いような、あまり良くないような気がする。
……然う。
ねぇ、マーキュリー……。
……何、ジュピター。
ゆうべのことなんだけれど……マーキュリーはあの後、良く眠れた?
……。
眠れなかった……?
……眠れなかったわ。
そっ、か……だから、ひとりで。
……別に、眠れないのは慣れているから。
若しかして、だけど……あたしが眠った後、寝台から抜け出して、ひとりで。
……然うだとしたら、何。
あたしが、居なければ……。
……あなたが居ようが居まいが、関係ない。
……。
あなたが居なければ、寝台で眠ることはなかった……それだけのことよ。
……また、部屋に来ても。
……。
いや……マーキュリーが眠れないようなら、来ない方が。
……別に、たまになら構わないわ。
……。
なんだったら……務めを抜きにしても良い。
……え。
あなたが、然う望むのならば。
の、望むけど、望んでも良いの?
……良いわ。
ほ、本当に?
ええ……本当よ。
マ、マーキュリーも望んで呉れる?
……望んであげても良いわ。
あ、あぁ……!
……声が、大きい。
ご、ごめん。
……。
や、でも、マーキュリーが眠れないようだったら……。
それでも……来て、望んであげるから。
……っ。
あなたが居たところで、別に眠れないわけではない……だから、たまになら構わない。
マーキュリー……。
……此の間の夜も、然うだった。
……?
此の間……?
……お茶を煎れるわ。
お茶……然うだ、お茶。
……。
マーキュリー、あたしが淹れるよ。
目覚めにすっきりしたお茶を。
……要らないわ。
え、でも……。
……。
然う然う、朝ごはんの支度もしないと。
お茶請けも、残っていたよね。
要らない。
……食べたく、ない?
……。
食べたくないのなら……せめて、お茶だけでも。
……お茶なら、私が煎れる。
けど……。
……ねぇ、ジュピター。
な、何……。
……此処は、私の部屋ではないわ。
え……。
……薬品臭いでしょう。
やくひん……。
……それと、今は朝ではないわ。
……。
……あなたが忘れやすいのは、今に始まったことではないけれど。
ここ、は……。
……あなたは、戦で左足を失った。
は……。
……今あるその左足は、取り替えたものよ。
……。
……幸い、脳には異常は見られなかったから。
戦って……いつ。
……五日前。
いつか、まえ……。
三か所同時に、夜襲を受けたの。
……やしゅう?
二か所は火星が対応し……残りの一か所は、夜戦に不慣れな木星が迎え撃った。
……。
不慣れではあったけれど、火星と行った幾度かの演習が効を奏し……木星は、敵を討伐することに成功したわ。
その欠片を、持ち帰ることも。
……欠片。
あなたが、持って帰って来て呉れた。
……おぼえて、ない。
私の顔を見て、それからあなたは意識を失った。そして、今の今まで、一度も目を覚ますことはなかった。
あなたは失った左足以外にも、相当の傷を負い、血を流していたから……。
……。
確かに、敵の迎撃には成功した……けれどその代償に木星は、その三分の一を失い、あなたはあなたの左足を失った。
あなたが迎え撃った相手は……数は少なかったけれど、最も強力な一群だった。
……つまりは、本体だった。
……。
まぁ……どうで、あれ。
……。
あたし達は、討伐に成功したんだね。
ええ……火星が駆け付けた時には、既に勝敗は決していたと。
然うか……なら良い。
……。
マーキュリーを、守れたのならば。
……ジュピター。
けれど……三分の一を失ってしまったのは、あたしの夜戦の練度が低かったせいだ。
それに関しては、弁明する余地はない。どんな責でも、受け入れよう。
……寧ろ、三分の一で済んだ。
……。
状況から見て、その半分を失っていても、なんらおかしくはなかった。
つまりあなたは、不利でありながらも、戦況に応じて適切な行動を取ったと言える。
だから……あなたに責を問うことは出来ない。
……。
責は……私に、ある。
……マーキュリーに?
此度の夜襲に対して立てた戦術、そして敵の戦術を見抜けなかった私に……弁明の余地など、ない。
待て……然う決め付けるのは未だ、早いような気がする。
結果を見れば、火星は二郡、あたしは本体である一群の迎撃に成功した。
被害は出たかも知れないが、それでマーキュリーの考えが全て間違っていたとは一概には言えない。
然う言い切るには、何かが、足りていない。何故なら、作戦は成功したと言っても間違いではないからだ。
……。
然うだ、金星……金星は、何をしていた?
金星は……月の傍に。
金星が出ていれば、また、違ったろう。
……月の傍に居るのが金星の務め、金星はその責を確かに果たした。
全てを出せとは、言わない……その三分の一でも出ていれば、戦況は変わったものになった筈だ。
……然うでしょうね。
マーキュリー……マーキュリーは金星にも、迎撃の進言を。
……全ては、長である金星が決めること。
で、あるならば。
……。
長である金星の責でもある……判断を、見誤ったという責が。
……。
長とは、然ういう存在だろう?
……金星の第一の務めは、月の傍に居ることよ。
それは、分かっている……が、若しもあたし達が破られていたら。
……その時は、出たかも知れないわね。
知れないって……出るしか、ないだろう?
木星の次は、水星。
……は?
木星が破られていたら……その時は、水星が出ていた。
水星が?
まさか、水星が前線に出るなんてこと……総力戦では、なかったのだろう?
……。
長は戦の指揮と戦の責を、水星は戦略戦術と指揮の補佐を……あたしは、然う聞いている。
……。
マーキュリー。
……此度の戦で、多くはないけれど、月の民が命を落とした。
……。
民が死んだところで……何も、ない。
私達が守るべきは、今はクイーンだけなのだから。
……だからこそ、金星は出なかった。
分かっている……分かっているのよ。
……何がだい。
……。
此処には、マーキュリーとあたししか居ない……。
……此処では。
良ければ、あたしの耳の傍で。
……。
吐き出してしまった方が、楽になる……だから、マーキュリー。
……此処では、言えない。
此処でなければ、言える?
……。
例えば……マーキュリーの部屋、或いは、あたしの部屋で。
……あなたは未だ、動けない。
いや、然うでもない……馴染んではいないが、動けなくもない。
……多くの血を、流したのよ。
大丈夫だ。
……何が大丈夫なの。
あたしの躰は意識を保つことよりも、傷を癒すことを優先した。
……あの傷で意識を保てる方がどうかしているわ。
今、あたしの意識が戻り、マーキュリーと会話をしている……つまり、治癒はほぼ終わったと言っても良い。
だとしても……未だ、動かない方が良い。
此処は、落ち着かない。
最後までちゃんと治すのならば、自分の部屋か、マーキュリーの部屋が良い。
……。
良く見れば、管が何本か刺さっているようだけれど。
……良く見なくたって。
動いでも構わないだろう……?
……貸して。
うん……?
……耳を。
幾らでも。
……。
……近くに。
……。
……。
……はぁ。
ん……くすぐったい。
……。
いや、茶化したわけでは。
……分かっているわよ。
……。
……聞き流して。
それは……内容による。
……。
……ひとりで抱えてはだめだよ、マーキュリー。
ジュピター……。
……そんな顔をしている、マーキュリーは。
……。
ん……。
……とても、愚かだということ。
……。
……民を助けようなどという、考えは。
……。
あれらも、また……守る為だけに、存在している。
故に……あれらも、守る為の盾にならなければならない。
金星が、出ずとも……民が、その身を以って、進撃を妨げば良い。
……。
木星の損失は、確かに三分の一で済んだ……けれど、それを、利用していればもっと。
私が、その指示をしていれば……あなたは、あなたの、左足を。
……矢張り、マーキュリーに責を問うことは出来ない。
どうして、然う言えるの……。
……此度の戦は、あたし達の勝利で終わった。
……。
木星も、民も、最小限度の被害で。そして、守るべき月が住まう場所は無傷だ。
であるならば……マーキュリーに問わなければならない責は、何処にもない。
……。
……実際、マーズは何も言っていないのだろう。
然うだと、しても……。
……クイーンからの呼び出しも、ないのならば。
……。
報告だけで、終わるのならば……それで、終わりなんだ。
……私は。
ねぇ、マーキュリー。
……。
部屋に戻って、あたしとふたりでお茶を飲もう。
……お茶なんて。
食べることは未だ出来ないと思う。
でも、お茶ぐらいは良いだろう?
……薬茶なら。
う、薬茶……。
……どのみち、飲んで貰うわ。
で、出来れば、苦くない方が良いな……。
無理、諦めて。
……だよね。
……。
……ん。
痛みは?
……ないよ。
……。
左足、どうなってる?
……綺麗に。
そっか……因みに、あたしの左足は。
……消失したわ。
消失……。
……持ち帰ることが、出来ていたら。
仕方ない、か……。
……。
いつか、その日は来る……それが、此度の戦だった。
……。
然うだ、欠片は?
役に立ちそうかい?
……ええ。
ん……なら、良い。
……。
マーキュリー……?
……あっさり、受け入れたわね。
然う、見えるかな……。
……。
……然うしなきゃ、いけないから。
……。
ごめんよ、マーキュリー。
……何故。
あたしが、初めてだよね……。
……然うよ。
マーズは……。
……傷は負ったけれど。
はは……流石だなぁ、マーズは。
……こんな、ことなら。
ん、なに……?
……なんでもない。
……。
お茶が飲みたいんだったわね……今、煎れてあげるわ。
それは、薬茶……?
……勿論。
あー……。
……部屋に、戻ったら。
……。
……あなたのお茶を。
マーキュリー……うん、とっておきのを淹れるよ。
……。
……あのさ、マーキュリー。
許してあげるわ。
……。
……どうせ、夜を共にしたいとでも言うのでしょう。
どうして分かったの……?
……分からないとでも、思ったの。
うーん……思わないかな。
……。
……いつ、部屋に。
今日は、無理。
……意識、戻ったけど。
それでも……未だ、駄目よ。
……そっか、早く戻りたいな。
……。
ずっと、傍に居て呉れた……?
……ずっとは、無理。
ん……然うだよね。
……。
……今夜は、此処に。
……。
い、居て呉れたら……嬉しいな。
……片付けなければならない仕事があるの。
あ、うん……然うだよね。
……。
あたしも、報告書……。
……此処で、やってあげるわ。
え……。
……だから、さっさと治して。
……。
……聞こえていないのなら、
聞こえてる。
……聞こえなくても、良いのに。
傍に居て……マーキュリー。
……はい、どうぞ。
あ……。
……全て、飲み干して。
はい……。
……。
……うー。
変わらないわね、その顔。
……う?
幼体……子供の頃と。
……。
……何。
ううん……なんでもない。
……一滴(ひとしずく)も、残さないでね。
うん……残さないよ。
24日
……まぁまぁね、飲めなくもないわ。
ん、飲めそうで良かった。
……。
お茶請けは……流石にね。
……食べたければ、どうぞ。
ううん、明日にするよ。
……。
なんだか、なかなか眠れないね。
……こんなことなら、仕事をしている方がましだったわ。
休むことも、仕事のうちだよ。
……休まらないから、言っているのよ。
飲み終わったら、今度こそ休もう。
……休めたら良いけれど。
ん……まぁまぁ、だな。
……でしょう。
でも、不味くはない。
……だから、飲めなくもない。
ふふ、然うだねぇ。
……仄かに甘いのね。
ん、特有の甘みなんだ。
……あっさりとしていて口に残らないから、夜に良いかも知れないわ。
これで味が美味しかったら、良かったんだけど……なかなか、ね。
……十分よ、飲めるのなら。
マ―キュリーは、夜はいつも何を飲んでいるの?
……白湯。
白湯か……白湯も、良いよね。
躰が、温まる……。
……余計な味がしないから。
……。
……。
あの、さ……若しもまた、此のお茶が飲みたくなったら。
……。
いつでも、言って欲しい……一緒に飲もうとは、言わないから。
……飲みたくなったらね。
うん……。
……。
静かだなぁ……まさに、月眠るだ。
……眠らない者も居るけれど。
火星の民は、夜の方が強いんだっけ。
……然うみたいね。
あたしなんかは、夜は眠るものだと思っていたから……。
……然うでもなかったけれど。
……。
……夜にも慣れておくことね。
どうやったら、慣れるかな……。
……マーズに聞いてみたら。
……。
……近いうちに火星と木星で夜間演習を行うと、私の名で知らせが行っている筈よ。
うん……来てた。
……忘れていないようで良かったわ。
マーキュリーの名で来たから……ちゃんと、憶えてる。
……。
演習の時に、マーキュリーは……。
此の演習の第一の目的は、新しい木星を此の目で直接確認すること。
……。
……私が、居ない筈がない。
然う、か……。
結果報告……いい加減なものだったら、許さないわ。
……うん、ちゃんとするよ。
……。
マーキュリーが、見ていて呉れる……。
……期待しているわ、ジュピター。
あぁ……任せて呉れ、マーキュリー。
……。
良し……皆の士気も、高めておこう。
……然うして。
……。
……。
……ねぇ、マーキュリー。
何……。
あれは……もう、部屋に戻されたかな。
……戻されたとしても、自室とは限らない。
マーキュリーの部屋の前でうろつかないのなら、それでも良いよ。
……ジュピター。
ん……なんだい。
……いずれ、金星との演習も組むわ。
……。
準備を怠らないで……あれらは、火星とは違うから。
……分かった、資料を貰えると助かる。
ええ……明日にでも。
……。
……ただ、それが役に立つとは限らない。
……。
言えることは……資料は、頭の隅の方にでも入れておいて。
……然うしよう。
なんだったら……忘れて呉れても構わないわ。
……あくまでも、状況に合わせて適切な行動を、か。
虚に実あり、実に虚あり……常に忘れないでいて。
あぁ……忘れない。
……。
ふぅ……。
……。
ずっと、静かだったら良いんだけどな……。
……静けさの中にこそ、私の安らぎはある。
……。
これからも……なんぴとにも、侵されないよう。
……マーキュリーは、さ。
……。
やっぱり、ひとりの方が良い……?
……ええ。
どんな時でも、ひとりの方が……。
……今の私は、ひとりの方が良いのよ。
……。
……。
あたしも……ひとりの時間は、好きだよ。
……あなたが?
昔は、好きではなかったけれど……。
……聞かないわよ。
うん?
……理由。
あぁ……うん。
……。
ね……勝手に話しても良いかな。
……どうぞ、私は聞き流すかも知れないけれど。
うん……それでも良いよ。
……。
此処はさ、色々な者が居るだろう……?
月、金星、火星、水星、木星……中には、ひとの形を取っていない者も居る。
話には聞いていたけれど……あそこまで五月蠅いとは、思っていなかった。
……。
特に、笑みを顔に貼り付けているだけの人形……皆同じ顔をしていて、見分けがつかなくてさ。
皆が同じ星の者ではない筈なのに、違う存在の筈なのに、目や口が、どれもこれも同じ形をしていて……どうにも、区別がつかないんだ。
……。
挙句、言っていることも変わり映えがなくて……聞いていると、うんざりしてくるんだ。
……あれらは、ただ肯定するだけの人形。
心は、ない……。
……肯定するだけの人形に、そんなものは必要ないわ。
……。
……そんな人形の相手をすることなんて、あなたにはあまりないでしょう。
あまりないけれど……全くないわけではないんだ。
……あれらは月と金星の人形、近付かなければ相手にすることなんて然う然うないわ。
月の人形と接することは然う然うなくても……金星の人形は、向こうから近付いてくる。
マーキュリーも、知っていると思うけど……。
……。
……ヴィーナスが侍らせている者の中にも、あれらは混ざっている。
それらが、あなたをせせら笑う。
……。
……ま、そんなところでしょうね。
ひとりになると……視線も、声も、臭いもない。
……。
あたしはいつの間にか、ひとりで居ることが嫌でなくなっていた。
気付いたら……好きになっていたんだ。
……それなのに、私とは居たがるのね。
マーキュリーは、あたしの大切なひとだから。
……。
マーキュリーが傍に居る……傍に、居て呉れるだけで。
……今の私はもう、あなたの傍に居てあげることは出来ない。
分かってる……。
……だから。
マーキュリーと、すれ違うだけでも……仮令、言葉を交わせなくても。
……。
マーキュリーの顔を見ることが出来れば……仮令一瞬だったとしても、心が和らぐんだ。
……然う。
ねぇマーキュリー、一日に四半刻だけでも……ううん、それよりも少なくても良いから。
……。
毎日、あたしと……あたしとの、時間を作って貰えませんか。
……すれ違うだけでも、良いのでしょう。
……。
仮令それが最低限だったとしても……ないよりは、ましでしょう。
……此処に来て、ひとりで居る時間が好きになった。
……。
いや、違う……やっぱりあたしは、ひとりは、苦手だ。ひとりで居る時の静けさが苦手だ、好きじゃない。
あれらに囲まれているぐらいなら、ひとりの方がましだというだけだ……。
……ジュピター。
マーキュリー……あたしは、マーキュリーとふたりで居る時が一番好きだ。
何かを話していなくても、何かをしていなくても……手の届く距離に、居なくても。
……私に、相手にされなくても。
それでも……マーキュリーと、一緒に居たい。
ひとりは……ひとりぼっちは、嫌なんだ。
……。
あたしは、マーキュリーと……もっと、同じ時間を過ごしたい。
ふたりで、居たい……ふたりで、眠りたい。
……取り敢えず、手を離して。
うん……ごめん。
……余計に、辛くなるだけよ。
え、なに……?
……毎日は、無理。
ま、毎日でなくても……。
……。
マーキュリー……。
……務めと、するのならば。
……。
……それならば、考えてあげなくもないわ。
それ、は……。
……私と過ごせれば、良いのでしょう。
……。
……心は、欲を生む。
欲……。
……そして、欲には際限がない。
……。
割り切ることも必要よ……ジュピター。
……務めなら、あたしと時間を。
然う……務めならば、あなたと。
……ずっと務めのまま、あたしと。
私達が……守護神で、あり続ける限り。
……。
……それと。
……。
問答は……時間があれば、今までよりも受けてあげるわ。
……問答。
それこそ、食事時でも……四半刻でも。
……。
……なんて顔をしているの。
それは、務めではない……?
……然うかもね。
なら、早速明日……。
無理。
……ごはんを食べながら。
……。
ごはんは、食べるだろう?
……そんな時間はないかも知れない。
行くよ、誘いに。
来ないで。
昼でも、夜でも、どちらでもあたしは構わない。
あなたはね。
食べたいものを。
……。
教えて呉れると……嬉しい。
……それも、問答の中に含めるつもり。
食べたいものは何かという、問い。それに対しての、答え。
つまりは、それもまた問答のひとつ。
……屁理屈。
けれど、間違ってはいないだろう?
……ご馳走様、最後までまぁまぁな味だったわ。
マーキュリー。
お代わりは、要らない。
……考えおいて欲しい。
考えるまでもない。
……。
……それも問答のひとつならば、応えてあげても良いわ。
……!
けれど、毎回は応えない。
それでも、良い。
……なら、それで。
うん……ありがとう、マーキュリー。
……あなたは未だ、飲み終わってないわね。
……。
私は、先に
……。
……。
うん、最後までまぁまぁだった。
もうちょっと、改良してみようかな。
……ゆっくり飲めば良いのに。
直ぐに濯(すす)いでしまうから、待ってて。
一緒に行こう。
……嫌よ。
……。
……。
ん、これで良し。
マーキュリー。
……聞こえてる。
ありがとう、待っていて呉れて。
……手。
今だけ……。
……離して。
直ぐ、離すよ。
……。
寝台に着いたら、直ぐに。
……。
……。
……着いたわ、離して。
うん……お先にどうぞ、マーキュリー。
あなたが、先に。
……ん、分かった。
……。
手……離すね。
……早く、離して。
うん……。
……。
……。
……。
……これくらいで良い?
はぁ……。
あ……狭い?
……そのままで。
……。
……。
……今度こそ、休みたいわ。
うん、然うだね……。
……あのお茶の効果は?
味はまぁまぁだったけれど、良く眠れる……筈。
……あなたへの効果は?
あたしには……まぁ、効果あったかな。
直ぐにでは、なかったけれど……一応、眠れたし。
……深く?
うん、まぁ……それなりに。
然う……なら、期待しないでおくわ。
……明日の朝は。
……。
目覚めにすっきりとしたお茶を淹れるよ。
……期待しているわ。
ん……。
……。
ん……マーキュリー。
……少し熱いわね。
うん……でも、少しだけだよ。
……。
……雷気も、大人しくしてる。
あぁ、然う……。
……。
……。
……あの、お休みの口付けをしても
心が籠っていなくても、良いのなら。
……。
……。
……おやすみの気持ちを、込めるよ。
おやすみの……ね。
……マーキュリーは。
……。
うん……やっぱり、やめ
……。
……。
……今度こそおやすみなさい、ジュピター。
うん……おやすみ、マーキュリー。
……。
……柔らかい。
こんな薄い唇のどこが良いのかしらね……。
……マーキュリーの唇だから、良いんだ。
……。
とても、甘くて……む。
……もう、良いから。
……。
……。
……眠るまで、また。
眠るまで、ね……。
……うん、眠るまで。
……。
……本当に、静かだ。
……。
だけど……今は、苦手じゃない。
……。
静けさの中に、マーキュリーの音が……。
……ぶつぶつと、五月蠅いわよ。
あ……ごめん。
……独り言なら、心の中で。
……。
ん……ジュピター。
……大好きだ。
……。
此れは、独り言ではないから……。
……苦しい。
ごめん……直ぐに、緩めるから。
……。
今だけ……あ。
……。
マーキュリー……ありがとう。
……ぶつぶつと、五月蠅いから。
もう、言わない……今夜は、もう。
……。
だけど……やっぱり、マーキュリーと抱き締め合うと
五月蠅い。
……はい。
23日
……。
……マーキュリー。
ん……なに。
……ごめん、起こして。
べつにいいわ……ねむってなんか、いなかったし。
……それでも、ごめん。
それで……どうしたの。
……気配がする。
気配……?
……。
……誰かは、分かる?
臭いで、分かる。
……におい。
こんな夜更けに……何の用だ。
……扉は固く閉めてあるのに。
マーキュリーの匂いに混じって……不快な臭いが微かにするんだ。
……どれだけ鼻が利くの。
ん……臭いが、動いた。
……去った?
いや……未だ、扉の前に居る。
……然う。
なぁ、マーキュリー……あいつの部屋って。
……此の部屋から真逆、最も離れた位置に。
あいつは一体、何をしに来たんだ……。
……ただの、気紛れ。
気紛れって。
夜の番は「マーズ」の務め、「ヴィーナス」がすることはない。
……何も、マーキュリーの部屋の前まで来なくても良いだろう。
或いは……様子を、探りに。
……マーキュリーの?
若しくは、あなたの。
あたしの……?
……。
此処に、あたしが居ることは。
恐らく、耳に届いているでしょうね。
……。
……ないとは言えない、悪趣味だから。
程が、ある……。
……未だ、動かない。
あぁ……未だ、居る。
……。
あいつは、寝ないのか……。
……眠りが浅くて短いとは、聞いているけれど。
だからって……こんな遅くに、マーキュリーの部屋の前をうろつくだなんて。
……。
……場合に、よっては。
下手に動かないで。
……。
……部屋の中までは、入ってこないわ。
それなら、良いが……。
……何か、気になることでも。
扉に触れている……かも知れない。
……開けられることは、ない筈よ。
筈……?
……部屋の鍵認証は定期的に変えているから。
今のは……?
……一昨日に。
一昨日……未だ、新しいな。
……明日にでもまた、変えるつもり。
そんなに変えるもの……?
……あなたを入れなければ、もう少し使うつもりだったのだけれど。
あたしは……分かったところで、勝手に入ったりなんかしないよ。
……あなたは、然うでしょうね。
どういうことだい……?
……此処では、何が起こるか分からない。
……。
つまりは……念の為。
……あれにマーキュリーの鍵認証を解く力があるとは思えないな。
解く力はなくても……権限は、あるかも知れない。
……。
……私達に、知らされていないだけで。
そんな権限……。
……先代は、然うではなかった。
……。
あれは、先代と気質が違う……だから、念の為よ。
……マーズに言われた?
マーズだけではないわ。
……先生?
……。
まぁ……用心することに、越したことはないか。
……用心深いのは、「マーキュリー」の癖みたいなもの。
癖……?
……不用心よりは、良いでしょう。
そのまま、用心深くいて欲しい。
……言われなくても。
……。
……どこへ。
念の為、扉の傍に。
……動かないで。
……。
此処に居て。
……分かった。
……。
眠れない時の遊び相手なら、幾らでも居るだろうに。
……何か、聞こえる。
ん……?
……歌。
歌……?
し……静かに。
……。
……間違いない、歌だわ。
歌って……いよいよ何してるんだ、マーキュリーの部屋の前で。
……。
迷惑にも程がある……。
……酩酊状態。
は……?
……酒精に、溺れている。
……。
……。
……放っておいても、良いか。
いえ……立ち去るまでは。
……。
……どうやら、機嫌が良いみたいね。
本当に何をやっているんだ、あいつは……。
だから……厄介なのよ。
……。
……気配は、ひとりよね。
あぁ……幸いにも、ひとりだ。
……はぁ。
あんなのでも、長になれるんだな……。
……「ヴィーナス」だから。
当代だけは、マーズの方が良いんじゃないか……。
……。
……動いた。
そのまま……。
何処かに……あ。
何。
……あたしの部屋、大丈夫だろうか。
……。
鍵は、閉めて……いや、どうだったろう。
……ばかなの、あなた。
いや、だって……マーキュリーの部屋に行けるのが、嬉しくて。
……戻るのなら、止めないわよ。
も、戻りたくない……折角、マーキュリーと共寝をしているのに。
……漁られても、
そんなこと、本当にあるの?
……勝手に部屋に入った挙句、寝台で寝ていたことなら、多々。
それは……誰も、居ない時?
……居る時でも。
マーキュリー。
……言ったでしょう、「マーキュリー」は用心深いと。
一度も、ない?
……ないわ。
然うか……良かった。
……此の場所において、部屋に鍵はあれど、閉めている者は少数なの。
……。
中には……それを、楽しみにしている者も居るそうよ。
……軽く吐き気を覚えそうだ。
楽しみなことやものが、他にないから。
……。
当代になってから、蔓延るようになったと。
定期的にこういうことは起こるけれど、それにしても……と、マーズが愚痴を言っていたわ。
……マーズの眉間からすっかり皺がなくなる日は、なかなか来なさそうだな。
色々と、手っ取り早いのでしょうね。
……あたしには、無理だ。
……。
考えただけでも、吐き気がする。
……あなたの部屋には?
マーキュリーに言われた通り、普段は鍵を閉めているから。
場合によっては、雷気を軽く張っておくこともある。マーキュリー以外の者が近付いたら痺れを感じる筈だ。
……未だ、ね。
入れないよ。
……良く言うわ、今回は忘れたかも知れないくせに。
……。
……良いわよ、戻っても。
え……?
立ち去ったのを確認して、直ぐに向かえば……あなたの足ならば、迂回しても間に合う筈。
……戻らない。
ん……。
……部屋は、諦める。
後悔しても、知らないわよ……。
……マーキュリーとの共寝を諦める方が、後悔する。
……。
今夜は……離れたくないんだ。
……あなたの部屋、緑があったわよね。
ある、けど……。
……まぁ良いけれど、私には関係ないし。
……。
どうする……?
……何か、するとでも。
分からない。
……もど、る。
然う……じゃあ、どうぞ。
確認したら、直ぐに戻って
入れて貰えると、思っているの?
……ぐ。
あなたの部屋はあれの部屋程ではないけれど、離れてはいるから……迂回しなければならない時のことを考えて、さっさと決めた方が良いわよ。
……。
まぁ、酩酊状態にあるあれよりは早く動けるでしょうけれど。
……やっぱり、離れたくない。
……。
でも……でも、あたしの緑達に、何かあったら。
……緑と私との共寝、どちらが大事?
……っ。
さぁ、選んで。
……。
……。
……みど、り。
然う……。
……戻ってきては、
入れないと言った筈よ。
……。
さようなら、ジュピター。
また、明日。
……うん、また明日。
……。
……。
……未だ居る?
うん……未だ、近くに居る。
……。
あいつ……いつか必ず、殴ってやる。
はぁ。
……マーキュリー?
仕方ないわね。
……え?
……。
マーキュリー、どこに……。
……あなたは部屋に戻らなくても良いわ。
え、良いの?
や、だけど、
……此れは使いたくなかったのだけれど、無用な争いを未然に防ぐ為ならば。
マ、マーキュリー……?
……見て。
な、何を?
……。
ん……此れは、何。
……鍵の状態。
鍵の……何処の部屋?
……。
マーキュリーの部屋?
それとも、与えられた部屋の?
……あなたの部屋。
あたしの?
へぇ、然うなんだ……え?
此れは、あなたの部屋の鍵の状態を示しているの。
え、な、なんで、なんであたしの部屋?
……そんなの、私が知りたいわよ。
マーキュリーも、知らないの?
……私が作ったわけじゃないもの。
と、言うことは……。
……。
取り敢えず……あたしの部屋の鍵、確認して貰っても良い?
見た通りよ。
え、と……。
はぁ……此れを見るに。
う、うん。
……案の定、施錠されていないわね。
……。
されていない。
……あー。
ばかね、本当に。
うん……戻る。
戻らなくて良いと言った筈よ。
いや、けど。
……。
……あれ。
はい、此れで施錠されたわ。
え、え……?
……。
え、な、なんで?
その反応、二回目。
マ、マーキュリーの部屋から出来るの?
どうして?
遠隔操作。
え、えんかく?
……私の部屋から操作出来るように組まれているの。
な、なんでまた?
だから、私が知りたいわよ。
……。
……。
……べ、便利だね?
はぁ……然ういう問題なの?
違うと、思うけど……。
……。
だけど、助かったよ……ありがとう、マーキュリー。
……いつかのマーキュリーに言って。
いつかの?
……ジュピターがよっぽどだったのか、知らないけれど。
……。
いいえ……マーキュリーも、よっぽどだったのね。
……あたしは、部屋に戻らなくて良いんだよね。
ええ……残念ながら。
ありがとうマーキュリー、大好きだ。
……私は好きじゃないわ。
これで安心して、マーキュリーと朝まで眠ることが出来る……折角の夜が潰れなくて、本当に良かった。
ジュピター。
え?
気を付けて。
……。
……次は、ないわよ。
うん……十分に気を付けるよ。
……。
……臭い、仄かに残っている。
歌はもう、聞こえないけれど……。
……。
……。
……一瞬、炎の気配が。
したわね……。
えと……落ち着いたところで、寝ようか。
……はぁ。
ね、寝ない……?
……目が冴えてしまったわ。
……。
……安眠効果のあるお茶でも淹れて。
うん……喜んで。
……。
待ってて、直ぐに用意するから。
……ええ、お願い。
ふふ。
……嬉しそうね、眠りを妨げられたのに。
なんだか、楽しくなってきた。
……どこが。
あ、いや、マーキュリーは、迷惑だろうけど。
……迷惑でしかないわ。
だよね……。
……ふ。
……?
本当、なんなのかしら……今夜は。
……マーキュリー。
折角だし……待っている間、書物でも読もうかしら。
……目は。
少しは、休まった。
……書物を読むのも、良いけれど。
……。
あたしと、話しませんか。
話さない。
あ、はい。
……。
……ほんの少しだけ、懐かしいと思ったんだ。
何が?
……雰囲気、かな。
……。
先生と師匠に隠れて……こっそり、メルと眠った。
その時の雰囲気に、どことなく似ているような気がしたんだ……。
……もう、忘れたわ。
うん……。
……。
とは言え、先生と師匠の方が、ずっと良かったなぁ。
……比べることが間違ってる。
……。
……鍵のことなのだけれど。
若しかして、未だ何かある……?
……鍵認証を変更出来る。
そこまで……?
……よっぽどだったのね。
あたしも、忘れちゃうけど……鍵認証は、流石に。
……私がしてあげたものね。
うん、マーキュリーにして貰ったから……。
……。
……して貰えなかったのかな、その時のジュピター。
してあげても、忘れるのかも知れない。
……うん、それはよっぽどだ。
……。
……ねぇ、マーキュリー。
何。
……あたしの部屋の鍵も、定期的に。
覚えられるの?
……覚える、マーキュリーが教えて呉れるなら。
いざとなったら、なんて……考えていないでしょうね。
……考えて、ない。
……。
あと、あたしが長く居ない時……確認して呉れると、嬉しい。
……嫌よ。
然う、だよね……。
……。
……。
……変更。
うん……お願いが出来るかな。
……明日、してあげるわ。
ありがとう。
……忘れたら、入れないわよ。
手に、書いておく。
……。
大丈夫……ちゃんと覚えるから。
……鍵認証変更は、あなたの部屋でする。
あたしの部屋で?
……あれは確認以外では、なるべく使わない。
……。
……良いわね。
ん……分かった。
22日
……。
……。
……あなたのにおいがする。
ん……。
……湯浴み、させたのに。
ちゃんと、洗ったんだけど……においまでは、落とせなかったみたいだ。
……。
……やっぱり、眠れそうにない?
言わないでね。
……ん?
目を瞑っているだけで、良いだなんて。
……分かった、言わない。
……。
マーキュリーの部屋は、静かだね……。
……五月蠅いのは、好まない。
あたしも、五月蠅いのは嫌だな……落ち着かない。
……自分以外の誰かが、此の部屋に居ることも。
……。
……。
ねぇ、マーキュリー……。
……何。
あたし以外の誰かが、此の部屋に来るなんてこと……あるの。
……あると、言ったら。
中には、入る……?
……どうかしらね。
それは……夜?
……さぁ。
……。
此の部屋に誰を入れようが、私の勝手……あなたには、関係のないことよ。
……然うだね。
あなたも、誰かを入れてあげれば?
……あたしは、良いや。
……。
マーキュリー以外の誰かなんて、入れたくないんだ。
……務めでも、そんなことが言える?
務め……?
……。
務めって……マーキュリー。
……マーズと話すことがあるのよ、此の部屋で。
マーズ……あぁ、務めって然ういう。
……向こうの部屋に行くこともあるわ。
務めで?
……全てが然うだとは限らない。
……。
……マーズは楽よ、淡々としていて。
淡々……。
……あなたみたいに、面倒なことは一切言わないし。
マーキュリーは……その、マーズのこと。
……ま、悪くはないわね。
わ、悪くはないって……ど、どういう意味?
そのままの意味。
す、好きって、こと……?
……然うね。
……。
ヴィーナスのことで何かあったのなら、マーズに言えば良い。
然ういう意味では、悪くはないわ。
然う、か……マーキュリーは、ヴィーナスのことで……え?
あなたが進言するよりも、余程、効果があると思うわよ。
え、えと……どういうこと?
あなたは、忘れているみたいだけれど。
わ、忘れる……えと、なんだろ。
マーズは守護神の副の長であり、ヴィーナスの抑え役でもあるの。
……。
その顔は、忘れていたわね。
と言うより、最初から入っていなかったのかしら。
……聞いた、ような。
挨拶の時に、マーズに言われた筈だけれど。
風紀を酷く乱す程に悪辣で、どうしても手に負えないようならば報告しろ、と。
……言われた、かも知れない。
本当、呆れるわね……あなたの頭は。
いや……マーキュリーのことばかり、だったから。
マーズの言うことを全て聞くと言うわけではないけれど、それでも、私達の言葉よりかは聞く耳を持つわ。
……。
マーズは、誰よりも秩序を重んじる。
それを大きく乱す者は、仮令己より上の立場であろうとも目を瞑るようなことはしない。
……。
守護神としての、使命も……ね。
……マーキュリーは、マーズに。
しつこく付き纏われた時に。
……しつこく?
ヴィーナスに。
……あたしが、来る前?
思い出したくもないわ。
まさか……部屋の中まで?
……。
分かった……明日になったら、ぶん殴ることにする。
ジュピター。
だって、赦せないよ。
ばかなの、あなた。
マーキュリーが嫌がっているのにも関わらずしつこく付き纏って、挙句に、無理矢理マーキュリーの部屋に入ったんだろう?
そんなの、あたしが赦せるわけないじゃないか。
それ、あなたが言うの?
え?
あなたが私に、していることなのだけれど。
……。
あなたもあれと、大して変わらないわ。
……あたしが、あれと。
ええ、あれと。
……ヴィーナス、マーキュリーと共寝したの。
は……?
あたしと、変わりないということは……うん、やっぱり明日ぶん殴ろう。
ジュピター、あなたね。
だって、赦せ
やめて。
……。
共寝など、していない。
するわけ、ない。
でも……あたしと、変わらないって。
はぁ。
……。
……もう、良いわ。
けど、マーキュリー……。
……冗談よ、ただの。
じょうだん……?
……。
冗談って、マーキュリー……?
……あなたが、くだらないことを言うから。
く、くだらないって……。
……挙句、更にくだらないことを言うだなんて。
いや、でも……。
此の部屋に、私が誰を入れると言うの。
あ……。
……共寝なんて、誰がすると思うの。
ご、ごめん……。
……。
ごめんよ、マーキュリー……。
……マーズが。
マーズ……?
……ヴィーナスの抑え役なのは、本当のことよ。
う、うん……今度こそ、覚えた。
……報告なんてしなくても、マーズはヴィーナスを抑える。
……。
今の状況を、マーズが黙って見ているわけがない。
……そのわりには。
現状、あなたはあれの良い玩具になっている。
であれは、あれはあなたで遊ぶことを止めない。
……玩具。
あなたが守護神として相応しいかどうか試しながら、あなたで遊んでいるのよ。
……最悪だな。
それで……手を焼いているのだと思うわ。
……マーズも大変なんだね。
だからあなたも、あれを喜ばせるようなことはしないで。
して、ないけど……分かった、気を付けるよ。
……。
だけど、屈する気はない。
……程々にして。
然うしたいけど、場合にもよる。
マーキュリーのことを言われたら
あなたの心に付いた傷を、誰が癒すと思っているの。
……。
屈しろとは言わない……ある程度、聞き流す努力をして呉れればそれで良い。
……出来るだけ、やってみるよ。
……。
ところで、マーキュリー……マーズは結局、此の部屋には。
……未だ言うの。
う……もう、言わない。
……来たことは何度かあるけれど、中には入らない。
……。
マーズは、己の務め以外のことは一切しない。
あ、あれは
あれは来たとしても入れないし、場合によっては扉越しで対応するわ。
部屋の中が臭くなるのは御免だもの。
つ、付き纏われたのは。
……。
それは冗談じゃないんだね、うん、分かった。
……ばかなことはしないで。
しないけど……次やったら、赦さない。
……。
う。
……本当、あなたってばかね。
……。
どこまでも、鬱陶しくて……。
……願わくば。
……。
マーキュリーと共寝をするのは……出来るのは、あたしだけであって欲しい。
……私は、あなた以外の者とはしないわ。
……。
何を驚いているの、当たり前でしょう。
……あたし、だけ。
ジュピターとの共寝は、マーキュリーの務めだから。
……。
他の者に対しては、その務めはない……だから、あなただけよ。
……心は、ない。
ええ……何度も言っているけれど、ないわ。
……。
口実に使ったり、期待するのは勝手だけれど……その想いが叶うことは、ないから。
……。
今回は、結局しなかったけれど……どうしようもなくなる前に、言って。
出来るだけ、応じてあげるけれど……難しい場合も、あるから。
……若しも、今。
……。
欲しいと、言ったら……。
……応じてあげても良いわ。
……。
ん……ジュピター。
……心は、あたしになくても。
出来るわよ……もう、初めてではないもの。
……心がない、行為でも。
目を瞑っていれば……いつかは、終わるわ。
……。
……どうするの、するの。
……。
しないのなら……退いて。
……する。
……。
良いんだろう……マーキュリー。
……ええ、良いわ。
……。
……。
……声、出して。
いやよ……。
……でなければ、満足しないかも知れない。
どうしても、聞きたいのならば……あなたが、然うさせれば良い。
……。
あなたに……出来るの、ならば。
……分かった。
……。
……本当に、出さないんだね。
出さないわ……言ったでしょう。
……。
……。
……マーキュリー、きれいだ。
こんなからだの……どこが。
きれいだよ、マーキュリー……。
……。
……声、聞かせて欲しいんだ。
これくらいで……。
……。
……、……。
……あまい。
あまくなんて、ない……。
……ね、かたくなってきているよ。
そんなことを、いって……あおろうとしたって、むだよ。
……。
ただの、せいりげんしょうにすぎないわ……。
……そうだね。
……っ、……。
……。
……かわらない、わね。
ん……なに、が。
……そこ、ばかりで。
うん……だって、好きなんだ。
……こんな、ふくらみのない。
かわいいつぼみが、ついてる……。
……。
それに、まったくないわけではないよ……ちゃんと、やわらかいんだ。
……は。
マーキュリー……マーキュリー……。
……。
……あたしの名を、呼んで。
ジュピター。
……。
……これで、良い?
……。
足りない……?
……。
良いわ……もっと、呼んであげる。
……。
どうしたの……手が、止まっているようだけれど。
……ごめん、マーキュリー。
……。
やっぱり、しない……出来そうに、ない。
……。
あたし、寝るよ……おやすみ。
……ジュピター。
……。
……。
……好きなんだ、マーキュリーのこと。
……。
だから……いやなんだ。
……そんなこと、言ってられない日が来るわ。
……。
だって、あなたのからだは……然う、造られているのだから。
……どうしてかな。
……。
どうして……「ジュピター」の躰は、然う造られているのかな。
……必ずしも、「ふたり」は想い合っていたわけじゃない。
それでも……ジュピターは、マーキュリーでないと。
……。
……どんな風に、していたんだろう。
ただの、務めよ。
……。
ただの務めに……心なんて、必要ないの。
心を、通わせることもない……ただ、淡々と務めを果たすだけ。
……そんなの、寂しいよ。
寂しいのは、心があるから。
心がなければ、そんなことも感じないわ。
……あたしには、心があるよ。
……。
だから……心がない行為は、出来ない。
したくない……。
……壊してしまっても、良いのなら。
……。
……代わりを、用意するわ。
要らないよ。
……。
……代わりなんて、要らない。
私に、似せた者を……。
仮令、どんなに似せていようとも。
……。
そんなもの、欲しくない。
……。
あたしは、マーキュリーでなければだめなんだ。
それ以外では……ただただ、気持ちが悪いだけなんだ。
……壊れてしまうわよ。
考えるよ……壊れてしまわないように。
……考えたところで。
あたしにとってのマーキュリーは、たったひとりしかいないんだ。
代わりなんて、どこにも居ないんだ。
……だったら。
心を、通わせたい……マーキュリーに、心から求められたい。
……勝手な、ことばかり。
おやすみ、マーキュリー……また、明日ね。
……あなた、言ったわよね。
うん……?
……私と一緒に眠れるだけでも、良いと。
うん、言った……あ。
……ならば、せめて。
マーキュリー……。
……眠るまで。
うん……眠るまで。
……。
ありがとう、マーキュリー……大好きだよ。
……おやすみなさい、ジュピター。
うん……おやすみ、マーキュリー。
21日
……お先にどうぞ。
ううん、マーキュリーが
先に入って。
でも、マーキュリーの寝だ
ジュピター。
……うん、分かった。
……。
……。
何をしているの。
……え。
早くして。
ご、ごめん、直ぐに。
……。
じゃあ……先に、入るね。
……さっさと入って、あなたが入って呉れなければ私が入れない。
出来るだけ、端っこに寄るから。
……ええ、然うして。
……。
……。
……あ。
何。
な、なんでもない。
……。
えと……これくらいで、どうだろう?
はぁ。
あ、狭いかな。もっと寄るね。
良いわ、それで。
けど、
良いと言っているの。
う、うん、分かった。
……。
……。
ねぇ、ジュピター。
な、何だい、マーキュリー。
あなた。
う、うん。
まさかとは思うけれど、緊張しているわけではないわよね。
……。
まさか、ね。
今更、そんなこと
し、してないよ。
……。
してないけど……その、マーキュリーのにおいがして。
……鼻に栓でもすれば良いわ。
え、どうして。
においが気になるのでしょう。
だったら、
しないし、要らないよ。
……鼻の奥に残って、ごはんが不味くなっても知らないわよ。
マーキュリーのにおいなら、そんなことにはならない。
寧ろ、残って欲しいくらいで……。
……。
……。
……どうでも良いのだけれど。
な、何……?
かえって、疲労が溜まってしまいそうね。
……うん?
そんなに躰に力が入っていたら。
……。
まぁ、好きにすれば良いわ。
私には関係のないことだから。
……、……はぁぁぁぁ。
……。
うん……抜けた。
……然うは見えないけれど。
マーキュリーも……あ。
……何。
う、ううん、なんでもない。
……ならば、言わないで。
うん……ごめん。
……。
……。
……はぁ。
え、と……狭い?
狭い。
……やっぱり、床に
それで。
……。
いつ戻ったの。
……。
それとも、初めから。
いや……あたしは、そこまで器用ではないよ。
……。
マーキュリーの水気が躰の中に入ってきて、水の中に居るような息苦しさを感じた……そこまでは、いつも通りだった。
……どの瞬間から。
それが良く分からないんだ……どこかの瞬間で、あたしは意識を手放した。
それだけは、はっきりとしているのだけれど……。
……手放した後のことは。
ぼんやりとしているんだ。
……もっと詳しく。
とある瞬間から意識がはっきりするまで、その間の記憶は酷く曖昧で、霧がかかっているような、とでも言うのかな。
……つまり、全くないわけではないのね。
うん……不思議なことにね。
意識を失くせば、記憶なんて当然残らない筈なのに。
……。
意識が飛んだにも関わらず、あたしはマーキュリーとの会話を続けた。
然うなんだよね?
……ええ、然うよ。
その時のあたしは。
話し方が、幼体の頃のあなたのものだった。
……子供の頃のあたし、か。
一時的に幼体退行が起こった……然う考えるのが妥当なようね。
こういうことは、今までも。
さぁ……そんな記録は残されていないわ。
……然うか。
だけれど、それは公に限っただけの話。
個人の日記などで残されている可能性までは否定しない。
……個人の日記。
退行のことはあくまでも、公の記録には残されていない。
……あくまでも?
例えば、回復の見込みがなくて処分された場合。
……。
症状、状態、処置……どことなく不自然さを感じる記録がないわけではないの。
それは……処分の本当の理由を残さなかったかも知れない、と言うこと?
……心疾患など、有り得ないから。
都合が、悪いのか。
……守護神ならば、余計にね。
……。
それと……裏の記録。
……裏の?
此方ならば、本当の処分理由が記されているかも知れない。
そんなものが、あるの?
……ええ、あるらしいわよ。
……。
残念ながら、私にはその権限が与えられていないの。
……マーキュリーに?
ええ。
記録なのに?
……然うよ。
あたしは。
存在すら、知らなかったでしょう。
つまりは、然ういうことよ。
マーキュリーは、誰に。
……先代よ。
先代……。
……あのひとのことだから、確認しようとしたのかも知れない。
確認……出来たのかな。
……さぁ、そこまでは教えられていないわ。
先生なら……。
……それは、兎も角として。
……。
「ジュピター」は、日記をつけるのが「趣味」なようだから。
……全てでは、ないけどね。
先代も書いていたでしょう。
気が向いた時なんかに、書いていたみたいだけれど。
……。
読ませて貰ったことは、一度もない。
……まぁ、然うでしょうね。
家の中に、なかったんだ。
……。
師匠の日記。
……私の家には、あったかも知れない。
マーキュリーの家に?
先代だけが入れる部屋に……ね。
……先生の。
どうやら、全てではなかったようだけれど。
やっぱり然うだったか……幾ら探しても見つからないわけだ。
先生だけの部屋じゃ、メ……マーキュリーだって分からない。
あなた、探したの?
うん、気になって。
……。
だって歴代の日記は残されていて読めるのに、師匠のだけ読めないなんてさ。
……それは、生きていたからよ。
居なくなってからも。
……。
遺していって呉れなかった。
……余程、あなたに読まれるのが嫌だったのでしょうね。
あたしだけじゃないよ。あたしの後の、その先の「ジュピター」も読めない。
あれだけ長く生きた「ジュピター」のことを、今後のジュピターは誰も知ることが出来ないんだ。
……。
歴代の日記のように、此の場所に残されてはいないかな。
……全て、あの家に持って行ったようだから。
忘れたものが、
ないと思うわ。
……。
……ないのよ。
若しかして、マーキュリー……。
……。
いや……なんでもない。
……ただ。
ただ?
……物理的には遺さなかった、その可能性はあると。
物理的に……それって、つまり。
……先代が遺した記録媒体の中に、どうしても開くことが出来ない空間があるの。
マーキュリーでも開けない?
……癪だけれど。
そんなに難しいのかい?
……。
マーキュリーで難しいなら……あたしじゃあ、もっと難しい。
……寧ろ、あなたの方が解けるかも知れない。
……。
あのひとが、やりそうなことよ……。
……それ、見せて貰っても。
……。
マーキュリー。
……今度で、良いのなら。
うん、それで構わない。
……そんなに見たいの。
見たい。
……あなたの先代の日記なんて、入っていないかも知れない。
若しかしたら、裏の記録について何か分かるかも知れない。
……。
先生が遺して呉れたものが見たいんだ。メル……マーキュリーと一緒に。
師匠の日記だけでなく、先生のことも何か知ることが出来れば……とても、嬉しいから。
……大したものなんて、屹度ないと思うわ。
うん、然うかも知れない。
それも、先生がしそうなことだし。
……それでも、見たいのね。
だからこそ……見たいんだ。
……。
……。
……話を元に戻しましょう。
うん……戻そうか。
……曖昧な記憶の中で、憶えていることは。
マーキュリーが淹れて呉れたお茶の味。
それだけは、憶えているんだ。とても美味しかった。
……。
だけど、それ以外は。
……約束は?
ごめん……憶えていない。
……どちらにせよ、無効だから構わないわ。
あたしはマーキュリーと、どんな約束を
無効なのだから、聞いても仕方がないでしょう。
……それも、然うだね。
……。
……。
……私との会話は、どこから。
ヴィーナスの名が、聞こえた。
……。
そこから少しずつ、マーキュリーの声が聞こえ始めた。
あたしの声も、なんとなくだけれど聞こえた。けれど、会話の内容までは分からなかった。
ただ、ヴィーナスのことを話していると……そして、楽しい話ではないと。
……意識が、はっきりしたのは。
あたしの意識がはっきりとしたのは……「メル」のことを忘れてと、言われた時だ。
……。
それで、はっきりと意識が戻った。
……。
今日のことは、記録には
……公には、残さない。
……。
……あなたは?
あたしは……今日のことを、記そうと思う。
然う……ならば、くれぐれも誰かに見つからないよう。
はっきりとは、書かない……遠回しに書くつもりだよ。
……無難ね。
書いても、良いかな。
……良いも何も、書くと。
若しもマーキュリーが、だめだと言うのなら……。
……日記なんて個人の物なのだから、好きにすれば良い。
……。
然うね……私が原因で起こったことだと、記せば良いわ。
……マーキュリーが?
私が、強引に……水気を、あなたの躰の中に巡らせたから。
……ううん、然うとは書かないよ。
いい加減なことを書いては、日記にはならない。
マーキュリーだけじゃない……あたしにも、問題があった。
然う、書くつもりだよ。
あなたに……どんな問題が、あったと。
あたしが、弱かった。
……は。
だから……耐えられなかった。
……あなたは、どこまで。
マーキュリーだけのせいでは、決してない。
あたしは、然う判断する。
あなたはどこまで……っ。
……。
ひとつ間違えれば、あなたは壊れていたかも知れない。
壊されていたかも知れない。
けれど、あたしは壊れていない。壊されそうにもない。
幼体退行は一時的なもので、今のあたしはもういつものあたしだから。
それは、ただの結果よ。
マーキュリーが言っているのは、ただの可能性だよ。
可能性が生じたことが問題なのよ。
然うだとしても、マーキュリーだけのせいではない。
繰り返すけれど、あたしにも問題があった。
あたしが、もっと強ければ
心にも、傷が付く。
……。
ジュピターであろうと、例外ではない。
であるならば、私がすべきことは……その傷を、癒すこと。
広げることじゃ、ない。
……マーキュリー。
私を、責めれば良い。
どう考えても、私が……マーキュリーが判断を誤ったと。
感情に、流されて、酷く愚かだったと。
……。
然うして、私のことなんて……んっ。
……。
……ジュピ、ター。
マーキュリー。
……やめて。
……。
やめて……そんな目で、見ないで。
……あたしが心を手放せば、マーキュリーは楽になれる?
……。
メルを、忘れてしまえば。
若しも、然うならば……あたしは。
……出来る、の。
するんだよ。
……。
するんだ……。
……私の、為に。
……。
やめて……私の為になんて、そんなの。
……うん、やめる。
は……。
マーキュリーが、自分の為になんて、望んでいないのなら。
マーキュリーは……あくまでも、あたしの為に言って呉れているとするのなら。
……。
であるならば……あたしはあたしの為に、心を捨てない。
そして、いつか……もう一度、マーキュリーと心を通わせるんだ。
……意味が、分からない。
あぁ、うん……あたしも、自分が何を言っているのか、良く分からなくなってきた。
……何よ、それ。
多分、疲れちゃったんだと思うんだ。
だから……取り敢えず。
ばか。
……え。
……。
わ……。
……ばか。
あ、えと……ごめん?
……。
話は……今日はもう、これでお仕舞にしよう。
多分、このまま続けても……もっと、意味が分からなくなるだけだと思うし。
……。
若しも、話の続きをするのならば眠った後、明日の朝の方が良いと思うんだ。
……これいじょう、とかさないで。
え、なに?
……あつい、はなれて。
え、あ、うん。
……。
……床、かな。
それはだめ。
や、でも。
……。
あー……。
……。
ん、と……お休み、マーキュリー?
……眠れなかったら、あなたのせい。
うん……ごめ
だから……こんやは、はなさないで。
……。
……はなさないで、ユゥ。
うん、わかった……はなさない。
……。
おやすみ、メ
呼ばないで。
……おやすみ、マーキュリー。
……。
……。
……かんちがい、しないで。
うん……なにを?
……あなたなんて、すきじゃない。
……。
……すきになることも、ない。
うん……知ってるから、しないよ。
20日
……心だって、傷は付く。
……?
メル……?
なんでもないわ……美味しい?
うん、美味しい。
もっと食べたいのなら、まだあるわよ。
ううん、もう食べないよ。
けれど、足りる?
足りないのなら、食べて。
これは、メルの分。
だから、あたしはもう、食べないよ。
私のことなら、気にしないで。
だけど、メルはほとんど食べてないだろう?
お茶ばかり、飲んでるよ。
私なら、大丈夫だから。
これはね、明日でも食べられるから。
明日また、ふたりで食べようよ。
……ふたりで。
美味しいものは、ふたりで食べたい。
ふたりで食べるとね、ひとりで食べるよりもずっとずっと美味しくなるんだよ。
美味しいものだと、もっともっと美味しくなるんだ。ね、不思議だよね。
……然うね、不思議ね。
へへへ。
……お茶のお代わりは要る?
あっ、あたしが淹れるよ。
ううん……私に淹れさせて。
でも。
ね。
んー……うん、分かった。
ありがとう、メル。
ん。
メルが淹れて呉れるお茶は美味しいから、あたし、大好きだ。
……これからは、また。
え、なに?
……なんでもない。
……?
メル……?
……。
どうしたの……?
……ううん、なんでもないの。
あ、大丈夫だよ。
……何が?
あたしが食べた分は、ちゃんと減らすから。
……どういうこと?
今、これだけ食べたから……明日のあたしの分は、これだけ。
……。
あとは、メルの分。
心配しないで、メルの分を食べちゃったりなんて絶対にしないから。
……ふ。
え?
良いわよ、食べちゃっても。
ううん、だめだよ。
私が食べても良いと言っているのに?
メ、メルが良いって言っても、だよ。
私は、食べて欲しいと思っているのだけれど……それでも、だめなの?
だ、だめ……。
……だめ?
じゃ、ない……メルが、然う、思うなら。
なら、食べて?
……だけど。
あなたがにこにこと、美味しそうに食べているところを見るのが……子供の頃から、好きなの。
あ……。
……はい、お茶のお代わりをどうぞ。
あ、ありがと。
どういたしまして。
……あっつっ。
もう、当たり前でしょう?
淹れたばかりなのだから。
へ、へへ……。
診せて。
だ、大丈夫だよ。
……診せて?
あ、う、うん……。
……。
……ひょ、ひょお?
ふふ……うん、大丈夫そうね。
……ん?
……。
……っ!
応急処置。
……メ、メル。
ごめんなさい、嫌だった?
い、嫌じゃ、な、ないよ。
然う?
ちょ、ちょっと、び、びっくり、しただけだよ。
ふふ、その反応を見るとちょっとではないわね。
……。
耳まで真っ赤だけれど……熱いの?
あ、や……。
冷やしてあげましょうか?
勿論、先刻とは別の方法で。
べ、別の?
然う、別の。
……。
それとも……もう一度、舌で。
あ、えと、その……へ、平気、です。
です?
……へーき、だよ。
本当に平気なの?
益々、真っ赤になっているようだけれど。
え、えと……えと。
……。
ほ、本当に、平気……です。
……ふふ。
え……?
……気持ちなんて、今更分かりたくもないのに。
き、気持ち……?
……こちらのことよ、気にしないで。
う、ん……。
……。
……。
……どうしたの、目が泳いでいるようだけれど。
きょ、今日の、メル……。
……私が、何?
な、なんか……いじわる、だ。
意地悪……?
……いじわるなのに、ど、どきどきする。
……。
あ……。
……お茶を飲んでいるところ、ごめんなさいね。
う、ううん、いいよ……。
……ユゥ。
な、なぁに……?
……また、作って呉れる?
あ、甘いの……?
……然う、甘いの。
う、うん、勿論。
また作るよ、何度でも作るよ。
……何度でも?
メルが食べたいって思って呉れるなら、あたしは何度だって作るんだ。
……然う。
ね、作ったら、ふたりで。
ええ……ふたりで食べましょう。
う、うん、食べよう。
……。
ね、ねぇ。
……なぁに。
や、約束、しても良い?
……約束?
う、うん……。
……良いわ、しましょう。
ほ、ほんと?
……ええ。
やった……やった。
……。
メル……。
……ねぇ、ユゥ。
なぁに……メル。
……ひとつ、教えて呉れる?
ひとつじゃなくて、いくつでも、いいよ。
あたしが、教えられること、なら……。
……ありがとう。
それで、なぁに……?
……。
メル……?
……ヴィーナスに、何かされた?
ヴィーナス、に……?
においの他に……何か、我慢出来ないようなことを。
ん、んー……。
……憶えている範囲で、良いから。
んーと……。
……。
……別に、されて、ないよ。
本当に?
……されてないと、思うけど。
けど……?
……あたし、あいつ、やだ。
……。
いっつもくさくて、いっつもあたしのことを笑うんだ……みんなで、よってたかって。
……然う、分かったわ。
な、なにより。
……うん?
メ、メルのことを、言うんだ……それが一番、嫌だ。
……私のこと?
あ。
……。
ご、ごめん、な、なんでもない。
……分かった、それ以上のことは聞かないわ。
……。
ね、ユゥ……若しもね、ヴィーナスが私のことを悪く言ったとしても、笑いものにしていたとしても、あなたは何も気にしないで。
む、無理だよっ。
……。
……そんなの無理だよ、赦せないんだどうしても。
心に、留めないで……私のことで何を言われようとも、全部、聞き流せば良いの。
あれはね、わざとやっているの……然うやって、あなたを試しているのよ。
……試すって。
あなたがプリンセスの、名ばかりではない、真の守護神になれるかどうか。
……真の、守護神?
プリンセスに、己を捧げる存在。躰も、魂も、全て。
他の者には決して心を寄せることはない、完璧な守護神。
他の者……メル。
真の守護神は……プリンセスを守る為ならば、月の民ですらも切り捨てることが出来なければならない。
その為に……優しい心があっては、駄目なの。
……どう、して。
心にも、傷が付く。
……。
傷が付いたら、傷口から血が流れるでしょう?
心も、同じ。
……うん、知ってる。
癒されることのない傷口は、徐々に大きくて深いものになり、更に多くの血が心から流れてゆく。
心から、失われてゆく。
……。
若しも、血を流し切ってしまったら……心は、どうなると思う?
……こころが、こわれてしまう。
然う……然うなってしまったら、もう、取り返しがつかない。
……。
だから、お願い……「メル」のことはもう、忘れて。
わすれる……メルのことを?
然うすれば……あなたの心に掛かる負荷が、幾らかは減ると思うから。
……。
私のことは、「マーキュリー」と……ただの、守護神同士だと。
……無理だよ。
聞いて、ユゥ。
……どんなに、聞いても。
ヴィーナスは……あれは守護神の長として、あなたがジュピターとして相応しいかどうか。
その目で見て、感じて、そして……全てを、クイーンに報告しているの。
当然、私のことも見ている……私達は常に、試されているの。
……あれは、楽しんでいるだけだ。
ユゥ……聞いて。
……聞いているよ。
しあわせだった頃には、戻れない。戻ってこないの、もう二度と。
であるならば、昔のことなんて忘れた方が良い。ふたりのしあわせなんて、もうどこにもないの。
私達のしあわせは、プリンセスの
ごめん、出来ない。
……。
出来ないよ。
ユゥ……あなたは、どうして。
マーキュリー。
……あ。
あれのやり方に従っては駄目だ。
あれは、正しくない。少なくとも、あたし達にとっては。
……。
あれらに屈しては……駄目なんだ。
……ジュピター?
うん。
……。
ごめんよ、マーキュリー。
……もう、良いわね。
待って。
待たな
過去には戻れない。みんなで暮らしていた、あのしあわせな日々はもう二度と、帰ってこない。
先生と師匠は、もう、居ない。どこを探しても、見つからない。ふたりの時間は、もう終わってしまったから。
……。
今は未だ、表情も声も匂いだって、思い出せる。だけど、時間が経つにつれて、記憶は薄まっていく。
屹度、消えることはないけれど、ふたりのことは忘れないけれど、それでも、思い出せることは確実に少なくなってゆく。
居ないひと達の記憶を心の中にずっと留めておくのは、とても、難しいことだから。
……。
だけど、マーキュリー。
マーキュリーは、此処に居る。
……守護神のひとりとしてね。
うん、然うだね。
……だから。
先生と師匠があたし達を自分達の手で育てたのは、理不尽な力に、世界に、流されてしまわないように。屈してしまうことがないように。
抗う力を、子供の頃から……幼体の頃から、身に付けさせる為に。自分達が出来ることを、あたし達にして呉れた。
あたし達に、与えて呉れた。然う、温かな情と共に。
それが、そもそもの間違いだったのよ。
ううん、間違いではないよ。
そんな力よりも、私はマーキュリーの人形として生きる術を知りたかった。
マーキュリーは、知っているよ。
知らないわ、知らないから私は。
知っているけれど、マーキュリーは不器用だから。
……はぁ?
とても真面目で……全部、自分の中に抱え込んでしまうから。
……抗う力が、何になると言うの。
……。
此処で生きるのに、生きなければならないのに。
……ごめんね、マーキュリー。
何が……。
……心を凍らせたのは、此れ以上、血を流してしまわぬように。
は……。
心を凍らせて、傷を塞いだ……血を止めた。
……違う。
全ては……心を、守る為。
違うわ。
……そっか、違うか。
……。
帰ってこない日々を思い出として。
……そんなこと、出来ないわ。
しあわせに、なろうよ。
……ばかなことを。
守護神のしあわせは……プリンセスを、守ることの中にある。
他のものには、ない……然うだろう?
……然うよ。
マーキュリーが、それを望むのなら……マーキュリーが、それでしあわせなら。
あたしのこと、なんか……。
……。
然う、思おうとしたんだけど……ごめん、あたしには無理そうだ。
……何が無理なの。
どうしても、それがマーキュリーにとってのしあわせだとは思えない。
……勝手に然う思えば良い。
だって、それでしあわせになれると言うのなら……心を凍らせる必要なんて、なかったと思うんだ。
……そもそも、しあわせになりたいなんて思ってない。
だけど、守護神にとってのしあわせはプリンセスを守ることの中にあるのだろう?
それはつまり、プリンセスを守ることでしあわせだと思い込む、とも言えなくも……いや、本来は違うかな。
他を知らないのなら、比較するものがないのなら、思い込むも何もない。
何故なら、初めからそれしかないのだから。然う刷り込まれていたら、尚の事だ。
考える余地すらなくて、ある意味それは……然う、自然なことに近いのかも知れない。
……。
けれど……先生と師匠は、違った。
ふたりにとってそれは自然なことではなく、不自然なことだったんだ。
……欠陥品。
だからこそ、ふたりは長く生きたんだ。
欠陥品であるふたりが、ふたりで支え合ったから。
それこそが、ふたりにとってのしあわせだったから。
……自由な意思など、守護神に必要ない。
あたしは、然うは思わない。
あなたは、思わなくても良いわ。
けれど、私は
愛しているよ、マーキュリー。
……
今でも、深く……マーキュリーだけを、愛しているよ。
……もう、やめて。
凍て付かせた心を、少しずつ融かそう。
融かしていこう……ふたりで。
……やめてと、言っているの。
傷を……癒そう。
その為なら、あたしはなんだってする。
ならば、私に干渉しないで。
マーキュ
あなたが、然うしたいだけでしょうっ。
自分を満足させるためにっ。
……。
あなたが、あなたの心が、傷付いているから……私を、利用したいだけなのでしょう。
……ごめん。
ほら、やっぱり……愛しているだなんて、所詮口だけよ。
私にまた、好かれたいだなんて……ばかみたい。
マーキュリーに然う思わせてしまったのは……全部、あたしのせいだ。
……。
あたしが……。
自惚れないで。
……。
全部だなんて……傲慢にも、程があるわ。
……うん、ごめん。
いちいち謝るくらいならば、言わないで。
……。
……落ち着いたのならば。
部屋に、戻るよ。
……。
ありがとう、マーキュリー……お茶、美味しかった。
……約束は、無効よ。
約束……。
……。
うん……分かった。
……。
……お休み、マーキュリー。
……。
……。
……離して、ジュピター。
ごめん……今日の最後に、一度だけ。
……今日の。
やっぱり、諦められない……。
……。
……今夜はありがとう、改めてお休み。
ええ……。
……。
……また。
うん……?
……寝台の上は、書類だらけになるわ。
今夜は……。
……あなたが戻ったら、元に戻す。
……。
だから……さっさと、戻って。
……マーキュリー。
早く、行って。
……。
……。
……今夜は一緒に休もう、マーキュリー。
自分の部屋に、戻るのではなかったの。
……ん、ごめん。
謝って、ばかり……。
……。
……自分の足でゆくわ。
そっか……なら、手を。
……結構よ。
あたしが、繋ぎたい。
……。
……。
……今だけよ。
うん……ありがとう。
19日
……。
……ねぇ、マーキュリー。
し……静かにして。
……ごめん。
……。
……。
……良いわよ。
あ、うん……。
……それで、何。
えと……脈、どうだった?
……少々早いようだけれど、異常は見受けられないわ。
ん……そっか。
……それで?
う、ん……あの、さ。
……用がないのなら、呼ばないで欲しいのだけれど。
そ、然ういうわけでは……ないんだ。
……躰の歪みも、正常範囲内。
鍛錬は、此処に来てからもちゃんと続けているよ。
躰が、鈍ってしまわないように。
……知っているわ、いちいち言わないで。
ごめん……。
……あなたは、躰を動かしていた方が良いから。
ん……。
骨格筋量、骨密度……共に悪くないわ、これを維持して。
……うん、分かった。
日常の生活において、何か違和感を感じることは?
……今の所、特にはないよ。
古い傷が痛むことは?
……それも、ないかな。
……。
ね、若しも違和感を感じるようなことがあったら……マーキュリーに、言っても良い?
……いいえ。
だけど、マーキュリーじゃなければ……。
……と言っても、あなたは私のところへ来るでしょう。
……。
……場合によっては、うちの誰かに言って呉れた方が早いこともあるから。
わ、分かった……然うする。
……ふぅ。
つ、疲れた……?
……別に、これくらいの疲労なんていつものことよ。
疲れたのなら、今日はもう……。
……取り替え箇所について、なのだけれど
え……。
……。
と、取り替えなければならないような箇所なんてあった……?
い、痛くないし、違和感もないし、何でもないんだけど……。
……今の所は、ないわ。
え、ないの?
あった方が良かったの。
う、ううん、ない方が、良い。
……。
そ、そっか……あぁ、良かった。
……怖いの?
……。
取り替えることが、怖いの?
うん……怖い。
……怖がったところで、避けることなんて出来ないわよ。
……。
その日は……いつか必ず、やって来るのだから。
……その時は、マーキュリーが取り替えて呉れるんだよね。
ええ……然うよ。
なら、大丈夫だ……怖くても、我慢出来る。
……と言うより、して。
うん……する。
……。
あの、マーキュリーは……。
……どちらも、まだないわ。
まだ……?
……あった方が、良かったとでも?
う、ううん、なくて良かった……。
……たまたま、然ういう機会がなかっただけよ。
このまま、なければ……。
そんなことは、有り得ない……いつかは失くすの、あなたも私も。
……。
造られた時の状態のままで終わった者など、滅多に居ない……居たとするならば、取り替える前に、つまり直ぐに壊れてしまった者だけ。
先代のふたりですら、然うだった……曰く、此の躰は継ぎはぎだらけだと……長く生きたんだもの、当然よね。
……だけど。
……。
だけど魂は、躰に宿った時のままで、最期まで変わらなかったんだよね。
魂を取り替える術(すべ)は、今はもう、使われていないわ……新しい人形を用意した方が手っ取り早いから。
それは、つまり……どんなに躰の部品を取り替えようとも、あたし達はあたし達のままで居られるということなんだよね。
生まれた時から最期の時まで……此の魂は、ずっと、変わらずに。
……さぁ、それはどうかしら。
先代……先生と師匠は、ずっと変わらなかったと。
魂は、変わらずとも。
……。
躰の大半を取り替えられて、それでも尚、変わらずに自分だと思えるのならば……強く、信じられるのならば。
……。
……保つことが、出来るのかも知れないわね。
あたしは……思える。
然う……ならば、強く然う思っていて。
マーキュリーのことも
私のことは、どうでも良いわ。
ど、どうでも良くなんか、
あなたが拘っている心なんてものは、所詮、移ろう物よ。
……。
魂は変わらずとも、心は変わるの。
うん……痛いほど、良く知っているよ。
……だから要らないのよ、そんな不安定なものは。
不安定でも……ぅ。
これで、最後だから……じっと、していて。
……何を、するの。
はぁ……。
ま、まさか、水気を?
……だとしたら、何。
ま、待って、どうしてそれを。
……すべき整備を、あなたが拒んだからよ。
あ、あたしなら、大丈夫だよ。
……脈が、早い。
ほ、本当に……。
……熱が、籠っている。
マ、マーキュリーとお休みすることが出来れば……あ。
躰の中を、冷やす為に……雷気を、抑える為に。
ま、待って、マーキュリー。
待たない、初めてではないでしょう。
そ、然うだけど、でも今は
黙って。
あ……あぁ。
……はぁ。
マ、マーキュリー……。
巡れ……。
……うっ。
彼の者の……隅々まで。
……っ、ぐぅっ。
なるべく……動かないで。
あ……、あ、ぁ……。
呼吸は、止めないように……。
……ね、ぇ。
決して……止めては、だめ。
……おかしい、よ。
何が、おかしいの……。
……みずの、なか、みたいだよ。
今更、でしょう……。
お、おぼれ、ちゃうよ……。
だから、呼吸をして……そして、我慢して。
で、も……。
……呼吸を、するの。
で、できな……。
深く……深く、するのよ。
……できない、よ。
出来ぬのなら、浅くても、良い……然う、教えた筈、よ。
くちのなかに、みずが……みずが、は、はいっちゃうよ……。
……入らないっ。
ぁ……。
あなた、しゃべっているでしょう……。
……。
それで……口の中に、水は、入って来ているの?
は、はいって……。
……入るわけ、ないわよね。
あ、ぁぁ……っ。
何故なら……あなたは、水の中に居るわけではないのだから。
は……、は……っ。
兎に角……呼吸を、止めないで……水気の流れの、邪魔を、しないで。
苦しい時間を、長引かせたくないのなら……今は、ただ。
……っ、ぅ……はぁっ、……は、ぁっ。
そう……。
……はぁ、……。
それで、いい……。
……。
……いいこ、ね。
は、ぁ……。
……早めに、終わらせて
し、しょう……。
……は。
せん、せ……。
……何を、言っているの。
くるしい、よ……。
……ジュピター。
たすけ、て……よ。
……くるわけ、ないでしょう。
ししょう……せんせ……。
やめて……あなたはもう、ジュピターなのよ。
もぅ、いやだよ……。
……っ。
やだ……くるしいのは……やだ、よ。
……だめ。
こ、んなの……もぅ、いやだ……いやだよぉ……。
呼吸を止めては、だめ……。
……かえりたい、よぉ。
だめよ、ジュピター……。
……あたしは、ジュピターじゃない、よ。
本当に、何を、言っているの……。
……ジュピターなんかじゃ、ないんだよ。
あなたは、ジュピターよ……でなければ、あなたは、ここに。
あたし、は……なれ、なかったんだ。
ばかなこと、いってないで……まともな、こきゅうを、して。
マーキュリーの……メル、だけの。
……くっ。
ジュピターに、なりたかった……なるって、きめてたのに。
……どう、して。
なるって、きめてたんだ……メルのそばに、ずっと、いたくて……だからあたし、がんばったんだ……がんばれ、たんだ。
ジュピター……しっかり、しっかりしなさい。
だいすき、だった……いま、も。
べつに、おもいあっていなくても……そんなものが、なくても。
だいすき、なんだ……わすれることなんか、できないんだ……。
……いしきを、わたしに、むけて。
だいすきだった、のに……どうして、こんなことに……どうして、なっちゃったの……。
そちらがわに、むけては、だめ……。
……かえり、たいよ。
ジュピター……わたしの、いうことを。
……あたしは、ただ。
ユゥ……っ。
……!
ユゥ……もどってきて、ユゥ。
……あた、し。
……。
どう、したの……?
……ば、か。
え……?
……私が、聞きたいわよ。
メ、メル……?
こんなこと……いちども、なかったのに。
ど、どうしたの……?
あたし、また、なにかしちゃった……?
……今回の整備は、ここまでにするわ。
え、せいび……?
せいびって、なに……?
……今日は、もう。
あ、然うだ、整備……あたしは、メルに……いや、マーキュリーに?
……あなたも、今夜はゆっくりと休んだ方が良い。
あたしも……。
……。
あ、メル、どこに……。
……マーキュリー、よ。
あ……。
……少し、喉が乾いたから。
なら、あたしが……。
……いいえ、あなたはそこに居て。
ま、待って。
……つ。
そ、そばに……ひとりに、しないで。
……しないわ。
あたしも、いっしょに……。
……。
ねぇ、おねがいだよ……ひとりは、やだよ。
……腕が。
メル……。
……腕が痛いわ、ユゥ。
え、あっ、ご、ごめ……っ。
……わたしのせい、なのね。
マ、マーキュリーの、せいじゃないよ。
あ、あたしが、強く、掴んだから。
……。
ち、ちがうよ、マーキュリーのせいじゃないよ、マーキュリーは、な、何も悪くない。
……だから、心なんて捨ててしまえば良かったのに。
だ、だから、ねぇ、あたしもつれていってよ……。
……動けそうなの。
え、な、なに……?
動けそうなの?
う、うん、動けるよ。
……立てる?
うん、立てる。
然う……なら、付いてきて。
う、うん、ついてく。
……足元、気を付けてね。
うん、気を付ける。
……。
マーキュリー、どこにいくの?
部屋の外?
部屋の外には行かないわ……お茶を淹れに行くの。
お茶?
然う……ふたりで飲む為のお茶。
ふたり?
それって、マーキュリーとあたし?
ええ……然うよ。
へへ、やったぁ。
……甘いお茶請けもあるわ。
食べても良いの?
勿論……あなたが作って呉れたのよ。
あたしが?
然う……あなたが私の為に。
じゃあ、ふたりで食べよう。
ね。
……然うね、ふたりで食べましょう。
うん!
……一時期的な退行であれば、明日までに。
マーキュリーとお茶、お茶。
……けれど、然うでなければ。
ねぇ、マーキュリー。
……なぁに、ジュピター。
お湯、沸かしても良い?
ええ、お願いするわ。
ん、お願いされた。
……。
ふふ、メルとお茶の時間だ。
……ユゥ。
なぁに、呼んだ?
……ううん、呼んでいないわ。
そっか。
……。
ね。
……なぁに?
マーキュリーならさ、いつでもあたしの名前を呼んで呉れても良いからね。
……いつでも?
然う、いつでも!
……どんな時でも?
どんな時でも、だよ!
しぃ……声が大きいわ。
あ、ごめん……。
……それで。
マーキュリーが呼んで呉れたら、いつだって、あたしは返事をするから。
ふふ……今度は、小さすぎるわ。
あ、あー……へへ。
……もう一度、聞かせて?
マーキュリーが呼んで呉れたらね、いつだって、あたしは返事をするよ。
然う……ありがとう、ジュピター。
だから、だからね……あたしも、呼んでも良い?
……。
だ、だめ……?
ううん……呼んで、あなたも。
呼んだら、その……返事、して呉れる?
ん……勿論。
ふふ……嬉しいな。
……。
……え。
ごめんなさい。
な、なんで……?
言いたかっただけよ……気にしないで。
け、けど……ん。
……。
……メ、ル。
大きくなったわね……ユゥ。
……そう、かな。
背伸びをしても、届かないの……。
……。
ん、ユゥ……。
……これなら、届く?
ん……届くわ。
……。
……。
……メル、とてもいいにおいがする。
臭くは、ない……?
ぜんぜん、くさくない……すごく、いいにおいだよ。
……然う、良かった。
あたしの、いちばんすきなにおい……だいすきなメルのにおい。
……。
とっても……とっても、あんしんするんだ……。
18日
……。
ふぅ、さっぱりした。
……。
マーキュリー、ただいま。
……戻ったのね。
うん、戻った。
当たり前だけれど、湯浴みは水浴びと違って躰が温まるね。
全身が、足の指先までほかほかしているよ。
……髪の毛。
ん、ちゃんと拭く。
濡れたままだと、枕や敷布を濡らしてしまうことになるしね。
……すっかり、寝台で眠るつもりなのね。
若しもマーキュリーの考えが変わったのなら、今夜は床で寝るよ。
あたしは、マーキュリーと同じ部屋で休めるのならそれで良いんだ。
……私が床に
それは駄目だよ。
今夜のマーキュリーは、綺麗に片付けられた寝台で、手足を伸ばしてゆっくりと眠るんだからね。
……あなたが居たら、伸ばせない。
うん、だからあたしは床で
良いわ。
……。
……それも、整備に過ぎないのだから。
整備……。
……あなたが自分で望んだのでしょう。
マーキュリー、その、今夜の整備のことなんだけど、
早く拭いて。
……。
……早く、乾かして。
うん……分かった、然うする。
……。
えと……乾かすの、借りても良いかな。
……勝手にどうぞ。
ありがとう。
……髪の毛なんて、いっそのこと切ってしまえば良いのに。
え、なに?
髪の毛……短くしたら、楽になるわよ。
あぁ……でもさ、これはこれで楽なところがあるんだよ。
さっと結んでしまえば、直ぐにマーキュリー……いや、いつものあたしになれるから。
……別に、結んでいなくても。
あの、さ。
……何。
若しも、短くしたら……あたしのこと、もう一度好きになって呉れる?
……なるわけないでしょう、髪の毛を切った程度で。
そっか……確かに、然うだよね。
……。
ね、マーキュリー。
あたしが髪の毛を短くする時は、その時はマーキュリーにお願いしたいな。
……どうして私なの。
子供の頃……あ、いや、マーキュリーに切って欲しいんだ。
ヴィーナスにでも頼めば良いと思うわ。
……ヴィーナス?
屹度、そのまとまりの悪い髪を綺麗に切り揃えて、そして一日たりとも持たないかも知れないけれど、丁寧に整えて呉れる者を紹介して呉れるだろうから。
……。
ヴィーナスの周りには然う言った
絶対に、嫌だ。
……は?
あいつらの誰かに切って貰うくらいなら、己で切る。
あなた、自分で切れると思っているの。
思ってはいないよ。
幾ら、
……。
……他人の髪を切ること己の髪を切ることは、違うのよ。
うん、分かってるよ。
子供の頃に自分で切ったらがたがたになってしまって、師匠に整えて貰う羽目になったから。
思えば、あの時ほど髪の毛を短くしたことはなかったな。まぁ、あれより短くする日が来ないとは限らないけど。
間違いなく、
どんな頭になろうとも、それでも、己で切った方がずっと良い。
……あなたは守護神、惨めったらしい髪型は許されないわ。
……。
……何かあったのね、あれらと。
あいつの周りに居る奴らはほぼほぼ、いけすかない臭いを常に纏っているだろう。
それはもう、鼻がひん曲がるかってくらいの奴も居てさ。あれは最早、毒臭と言っても過言ではないよ。
……それが、理由だとでも。
特に臭いが混じると……ごめん、吐き気まで催してしまって。
鼻の奥に臭いが残ってしまった時は、いっそのこと、鼻を外して洗い流してしまいたいと何度思ったことか。
……。
兎に角、本当に散々な目に遭ったんだ。
だからそんな奴らには、指一本たりとも、あたしの髪に触って欲しくない。
と言うより、触らせたくない。
……鼻に栓でもしてみたら?
それでも、どういうわけか臭ってくるんだよ。
それで思った、此の臭いは若しかしたら防ぎようがないのではないかと。
口から侵入することで臭覚に影響を及ぼすと言うなら、最早、息を止めるしかない。
……まさか、本当にしたの?
うん、物は試しと思って。
……それで、気付かれなかったの。
いや、気付かれていたと思う。
ヴィーナスを筆頭に、にやにやと笑っていたから。
……それ、完全に遊ばれていると思うわ。
それは直ぐに気が付いたけど、そんなことはどうでも良いんだ。
どうでも良いから、あんた達はどうにも臭過ぎて気が散る、もう少しどうにかならないのかと進言しておいた。
……それで?
ジュピターちゃんには此の「におい」の良さが分からないのねぇ残念だわぁって、鼻であしらわれた挙句、その場に居た全員に鼻で笑われた。
あと、声が酷く間抜けとも。
……あぁ然う、良くやるわね。
言わなきゃ分からないのなら、言うしかないだろう?
あなたに言われなくても分かっているわよ、ヴィーナスは。
分かった上でやっているのだから。
だとしても、言わなければならないことは、ちゃんと言葉にして言うべきだ。
あれに迷惑しているのは何もあたしだけではない、うちの子らもほとほと嫌気が差している。
然うなれば、いつか、士気に関わる事態を引き起こすことにもなりかねない。
であるならば、個人的な感情は別として、あたしは守護神ジュピターとして言わなければならない。
言ったところで、何も変わらないわ。
あの誰よりも面倒なヴィーナスに絡まれる機会が増えるだけ。
だとしても、だよ。
……莫迦ね、もっと上手くやりなさいよ。
それは兎も角として、ごはんがね。
……は?
あれらの臭いが鼻に残っていると、美味しいごはんが美味しく感じられなくなるし、実際、がっかりするほど美味しくなかった。
あの時に抱いた感情は生まれて此の方感じたことがないものだったから、こんな感情があたしの中にあるのかと考え込んだりもしたよ。
……此の場所に抱いている感情との違いは?
それとはまた違う。
一言で言い表すのならば最悪、或いは不快、なのだろうけれど、それでも何かが違うんだ。
それらの言葉では到底足りていないような……だけど、上手い言葉が浮かばなくて。
……生理的嫌悪。
然う、それだ。
……。
もう二度と、あんな目には遭いたくない。
……大袈裟。
マーキュリーは、あの臭いは平気なのかい?
平気ではないわ。
だろう?
だから、必要以上には近付かない。
……鼻に栓をしたことは。
私には水気があるから。
え、水気は臭いも遮れるのかい?
……。
やっぱり、出来ないんじゃ。
……それでも、幾分かましなのよ。
はぁ……まぁ、それでも十分か。
……あなたは鼻が利くから、余計に辛いのでしょう。
まさか、こんな事態が待っているだなんて……まさに、想定外だったよ。
此の場所のにおいも好きではないけれど、まさかそれ以上のものがあるなんてさ。
……先代からは聞いていたわ。
え、先代から?
いつ?
あなたも、私と一緒に聞いていた筈だけれど……今のヴィーナスは、兎角臭いと。
……それは、どっちが?
どちらも。
……。
先代は質素で、然うではなかったのだけれど……当代は、無駄な程に派手なことを好むと。
においは、そのひとつに過ぎないと。
……その時のあたしにはどうでも良くて、ろくに聞いていなかったんだと思う。
然うでしょうね。
あなたはどこか上の空で聞いていたから……。
……。
……思い出したのは、全てあなたのせいよ。
うん然うだね、あたしのせいだね……ごめんね。
……。
えと……仕事、してたんだね。
……時間が勿体ないから。
じゃあ、面倒な話ともども、今夜はここまでにしよう。
目も疲れているようだし。
……いいえ、まだやらなければならない仕事がひとつ、残っているわ。
……。
その為に、あなたは此の部屋に来たのでしょう。
……。
ねぇ、ジュピ
あ、あのさ、マーキュリー。
何。
良かったらまた、お茶を飲まないかい?
いいえ、飲まないわ。
だけど、
髪が乾いたのなら……さっさと、終わらせましょう。
……。
さぁ、ジュピター。
……今夜の整備は、診るだけで良いよ。
診るだけ、ですって?
今夜のマーキュリーには……したくない。
……あなた、何の為に来たの。
マーキュリーと一緒にごはんを食べて、静かな夜を過ごす為に。
あなたが言ったのよ、整備をして欲しいと。
……然う言わなければ、聞いて貰えそうになかったから。
ああ、然う。
ならば、出ていって。
……マーキュリー。
整備の必要がないのであれば、あなたが此の部屋に居る必要もない。
だから、今直ぐ出て言って。
……分かった、言い方を変える。
は、何を変えると言うの。
夜を、共にして欲しい。
だから、それは。
然ういうことをしなくても、それだけでも十分に整備をして貰ったことになるんだ。
なるわけ、
なるんだよ、マーキュリー。
マーキュリーと一緒に眠ることが出来れば、それだけであたしは。
……あなた、言ったわよね。
マーキュリー……。
全身が、「ほかほかしている」と。
……言った、けど。
それは、つまり……。
……う。
躰の中に熱が籠っている……然う言うことでしょう。
……否定は、しないよ。
は、出来ないの間違いでしょう?
……うん、間違いだ。
で、あるならば……さっさと、済ませるべきなのよ。
済ませて……明日の朝までには、自分の部屋に戻って。
……嫌なんだ、然ういうの。
何が嫌だと言うの。
どんな形であれ、あなたの欲は解消されるでしょう。
ならば、素直に
マーキュリーが、望んでいない。
……私が?
マーキュリーが望んでいない、行為は……あたしは、したくないんだ。
それで、子供の頃、何度も失敗したから。
……。
何度も、失敗して……だけどその度に、メ……マーキュリーは許して呉れた。
だけど……だけど、もう、失敗はしない。したくない。出来るだけ、しないようにしたい。
……何よそれ。
マーキュリー……今夜は、あたしと一緒に眠って呉れるだけで良い。
あたしはただ、マーキュリーのにおいがする此の部屋で……マーキュリーと、眠りたいだけなんだ。
だから、お願いだ……出て行けと、部屋に戻れと、言わないで。
……何なのよ。
ごめん……。
……。
……お茶、やっぱり要らないよね。
ジュピター。
な、なに。
……私が望めば、あなたは整備されることを受け入れるのね。
それ、は……。
ならば、望んであげるわ。
マ、マーキュリー……。
……。
な、何を……。
……寝台に、来て。
ま、待って。
待たない。
マーキュリー、あたしは本当に……あ。
……。
……。
……ねぇ、ジュピター。
マー、キュリー……。
私がここまでしてもまだ、そんな戯言が言えるの。
う……。
目を、逸らさないで。
……マーキュリー、駄目だよ。
真っ直ぐ、私を見て。
私のからだを、見て。
……い、いやだ。
……。
ぁ……。
……見て、ユゥ。
……っ。
……欲しいのでしょう、私が。
め、メル……あ。
……。
ご、ごめん、もう呼ばな……うっ。
……いらいら、させないで。
メ、ル……。
……欲しいと、言って。
だ、だめだ、よ……。
ねぇ……これだと、届かないわ。
……。
然う……それで、良い。
……メ、ん。
……。
……だめ、なんだ。
随分と、我慢強くなったものね……?
昔の……然う、子供の頃のあなただったら。
あ……あぁ。
……私は、疾うの昔に、寝台で乱されているところよ。
……。
理性を飛ばした、あなたの手によってね……。
……。
……さぁ、どこまで耐えられるかしら。
……。
ね、ユゥ……からだが、あついわ。
……は、ぁ。
はやく……さっぱり、したいのでしょう?
……メルは、つかれて、いるんだ。
……。
だ、から……だから、捌け口になんて、出来ない。
したく、ない……そんなこと、いやだ……いや、なんだ……。
……もう、初めてではないのに。
あ、あたしは……。
……声が、震えているわよ。
う……はぁ……。
……私が何の為に、湯浴みまで済ませていたと思うの?
なんの、ために……。
……そう。
それ、は……かおいろ、が……。
……いいえ、違うわ。
ちが、う……?
……あなたが来るから、よ。
あたし、が……くるの、を。
そう……待っていたの、あなたを。
……。
……ぁ。
……!
ご、ごめ……。
ふふ……いいわ、あやまらないで。
ち、ちが……ちがうん、だ。
ねぇ、ユゥ。
メ、メル……ん。
……。
だめだ、メ……ん、ぅ。
……あつい。
……。
……あなたのねつを、わたしに。
……。
ユゥ……。
……だめ、だ。
まだ、そんなことをいうの……?
だめだ。
……あ。
だめだ、だめだ、だめだ……。
……。
……だめ、なんだ。
ユゥ……ジュピター。
……今のマーキュリーは、あたしのことなんて好きじゃない。
……。
もう一度、好きになって貰わないと……それまで、は。
……ばかね。
……。
こんなに、熱くなっているのに。
……へいき、だよ。
……。
ね……躰を、診て欲しい。
今夜は、それが終わったら……一緒に、眠って。
……好きではないあなたと、一緒に眠れと言うのね。
……。
……はぁ、もう良いわ。
あ、う……。
……上を脱いで、座って。
ど、どこに……。
……どこでも良い、座って。
……。
寝台が良いのなら、其処に。
あ、や、寝台は……。
早く、ぐずぐすしないで。
あ、う、うん、分かった。
……。
あ、あの……衣は。
……このままが良いと言うのなら。
き、着て下さい。
……ああ、然う。
……。
……見てないで。
み、見てないよ。
……。
……。
……もう、良いわよ。
う、うん……分かった。
……。
……。
……整備を始めるわ。
うん、お願いします……。
……深く、呼吸を。
ん……。
17日
……。
お茶をどうぞ、マーキュリー。
……ありがとう。
ん、それじゃあ食べようか。
……ええ。
いただきます。
……いただきます。
ふふ。
……何。
ううん、なんでもないよ。
……無闇に笑わないで、鬱陶しいから。
ん、ごめん。
……。
熱いから、気を付けてね。
……いちいち言わないで、分かっているから。
うん、黙る。
……。
……。
……。
……どうだろ。
何が。
味……どうかな。
別に……予想通りの味だけれど。
口に合っている?
……。
合ってない?
……食べなければ、またうるさく言うでしょう。
口に合わないものを無理に食べさせたくはないんだ。
……代わりのものは、あるの。
お茶請けの甘いものがある。
……はぁ。
マーキュリー?
……口に合わなかったならば、一口で食べるのを止めてる。
……。
……千切った薄焼餅、悪くないわ。
そっか……良かった。
……これ、体調を崩した時に何度か作って呉れたわよね。
うん、何度か作った。
……言ったでしょう。
うん?
……無闇に笑わないで、と。
ん、ごめん。だけど、無闇ではないんだ。
つい、顔の筋肉が緩んでしまって。
……。
憶えていて呉れたんだね、嬉しいよ。
……ふと思い出しただけよ。
思い出して呉れて、ありがとう。
……どうせ、直ぐに忘れるから。
ねぇマーキュリー、体調はどうだい?
……別に、変わらないわ。
先刻よりかは幾分、顔色が良くなっているような気がするけど……無理は、だめだよ。
……。
ねぇ、マーキュリー。
私は、静かに食べたいのだけれど。
耳を傾けて呉れるだけでも、良いから。
……。
今度の休み、許可が下りれば家に行ってくるつもりなんだ。
……然う。
少し気になることがあってさ。
……行ったところで、無意味な時間を過ごすだけよ。
無意味ではないよ。
気になることを、確認してくることが出来るから。
……許可は下りない。
下りないかな。
……下りないわ。
どうにかならないかな。
……ならないわね。
若しも、マーキュリーが一緒だったら?
……。
マーキュリーが一緒だったら、下りないかな。
……私が居ようが、関係ないわ。
例えば、マーキュリーの現地調査と言う名目だったら?
……あんな場所、調査してどうすると言うの。
あの辺りは長い間、していないだろう?
……と言っても、数年よ。
その数年で、何かが変わっているかも知れない。
……何かって、何が。
それは、あたしでは判断出来ない。
だからこそ、マーキュリーが必要なんだ。
……何も変わっていなかったら?
それもまた、調査結果のひとつだろう?
……諦めて。
いや、もう少し粘りたい。
諦めたら、そこでおしまいだから。
……どうしても行くというのならひとりで、私は行かない。
休みを合わせるのは、無理かな。
……無理ね。
どうにか、
ならない。
あの辺りの調査は、先代が時間をかけて徹底的にしているから。
先代が?
だから、今は必要とされていないの。
……。
……何を考えているかは想像出来るけれど、程々にした方が身の為よ。
まぁ、出来るだけのことはやってみようかと。
……なんにせよ、私は行かないから。
今は然う言っていても、若しかしたら変わるかも知れない。
……変わらない。
一応、頭の隅っこにでも置いておいて欲しい。
……。
出来れば、捨てないで欲しいな。
……いつ。
え?
……あなたの休み。
まだ、決まってない。
……あ、然う。
マーキュリーの都合に合わせたい。
……無理だと思うけど。
それでも、だ。
……。
あ、食べ辛いかい?
……あなたがずっと、喋っているから。
ごめん、返事はもうして呉れないで良いからゆっくり食べて。
……。
此の野菜は、疲れに良いんだ。
……知ってる。
こっちは、躰の血に良い。
……それも、知ってる。
これらの野菜は体調を整えて呉れて、尚且つ、崩すのも防いで呉れる。
お腹にも優しいし、滋養強壮にも効果的だ。
……けれど、食事だけでは間に合わない。
……。
……然う、続くのでしょう。
はは、先に言われちゃった。
……あなたも、食べたら?
うん、食べているよ。
……。
……ん、とても美味しい。
今更……味見は、ちゃんとしたのでしょう。
勿論、したよ。
大事だからね、味見は。
……味を決めた時と、大して変わらない筈だけれど。
ひとりで食べる時とマーキュリーとふたりで食べる時、同じ味の筈なのに全く違う。
だから、味見をした時よりもずっと美味しく感じる。
……此処に来てからも、作っているのよね。
うん、作ってるよ。
……いつも。
あたしは、此処に来る前から心に決めていたんだ。
出来るだけ、自分で作ったものとマーキュリーが作ったものだけを食べようと。
……食事を作る時間など、私にはないわ。
だけど、炊事をした形跡が全くないわけというではない。
今は確かに、物が溢れていて、時間も取れないだろうけど。
……。
実際、軽いものならば今でも作っているんだろう?
……気が向いた時だけよ。
それでも良いさ。
食べなかったり……あんなものを食べるより、ずっと良い。
……。
あたしが此処に来るまでの間、ジュピターの「畑」を管理して呉れていたのはマーキュリーだよね?
……いいえ、マーキュリーが作った管理装置よ。
その装置を管理しているのは、マーキュリーだ。
何かがあれば、マーキュリーが直ぐに対応して呉れる。
……直ぐではないわ。
これは、あたしの推測に過ぎないのだけれど。
……。
マーキュリーがしていて呉れたのは、何も装置の管理だけではない。
直接、声を掛けて呉れたり、その目で様子を見て呉れたり……そういうことも、何度かして呉れたと。
……私がしていたのは装置の管理だけ、ただそれだけよ。
マーキュリーにはジュピターの「畑」で出来た作物を食べられる「権利」がある。然う、永久的に。
だから、これからも好きなだけ食べて欲しい。炊事をせずとも、食べられるものもあるから。
甘い果実なんかは、休憩時間に食べると良いと思う。甘いものは、疲れを癒して呉れる。
……言われてなくても、知っているわ。
マーキュリー、今でも大事に収穫して呉れてありがとう。
おかげで皆、傷も付かずに、元気にしているよ。
……やっぱり、収穫しなければ良かった。
お腹が空いていたんだろう?
……。
けど、どうしても、あれを食べることが出来なかった。
一食二食くらいなら摂らずとも、我慢が出来るかも知れない。忘れることだって、出来るだろう。
だけど、ずっとは無理だ。どうしたって、腹は空く。空き過ぎると、眠ることも儘ならなくなる。
仕事なんて、以ての外だ。
……。
あたし達は、食べる人形(ひとかた)。
食べずにいれば飢餓状態になり、そして、栄養失調に陥る。
それこそ、治療が必要となってしまう。然うなる前に食べる、それが正解なんだ。
……あれを、食べようとしなかったわけではないわ。
正しくは食べようとした、けれど、飲み込めなかった。
違うかい?
……。
これからは、食事の心配はしなくて良いよ。
あたしが来たからにはマーキュリーにひもじい思いはさせないし、あれを食べなければいけない状況にもさせない。
とは言え、簡単なものになってしまう日もあると思う。それはどうか、許して欲しい。
……許して、欲しいなんて。
ごめんよ。
……簡単なものと言っても、どうせ作り置きしておくのでしょう。
出来るだけ、しておく。
あたしが居ない時は、どうかあたしの部屋に来て欲しい。日持ちするものを、何かしら、作っておくから。
若しもあたしの部屋に来るのが手間だと言うのなら、マーキュリーの部屋に置いていこう。
……留守が長期間に及ぶものだとしたら、どうするつもり。
その時は、畑から好きなものを収穫して
真空凍結乾燥物。
うん?
……乾燥物よ、あなたも知っているでしょう。
あぁ、乾燥物か。
あれならばお湯で戻せるものもあるし、手軽に……然うか、その手があった。
……本当、不愉快なのだけれど。
え、何が不愉快だった?
お湯で戻せること?
……先代が、わざわざ遺して行って呉れたのよ。
先代が……先生?
……大量の、乾燥物を。
大量……。
……おかげで腹を極度に空かせることもなく、しかも手軽に食べることが出来たわ。
然うなんだ。
先生、ありがとう。
……止めて、顔が浮かぶから。
あー、そっかぁ。
本当、良かったぁ。
……。
ん? となると、畑の作物は。
……。
若しかして、新鮮なものが食べたくなった、とか?
……腹が立つから、その顔止めて。
そっか、そっかぁ。
だから、止めて。
美味しい時に食べて貰えたのが、すごく嬉しくて。
乾燥物も美味しいけど、採り立ての味とはまた違うし。
……気が向いただけよ。
うん、気が向いて呉れてありがとう。
マーキュリーが食べて呉れて、皆も嬉しかったと思うしとても喜んだと思う。
……言うことが、先代とそっくりね。
先代って、
勿論、あなたの先代。
あの師匠が……そんなこと、言っていたっけ。
……言っていたわ、何だったら教えのひとつなのでしょうね。
あー……。
……良かったわね、ちゃんと受け継いでるようで。
うー……まぁ、今回は良いかな。
……此処にある寝台や食台、書物台、書机、椅子、それから、枕や敷布、そして掛布と毛布。
へ?
そして、湯浴み場……皆、整えておいて呉れた。
先生が?
……あなたの先代が。
師匠が、マーキュリーの部屋を……いやでも、師匠ならやるかも知れない。
……あなたの部屋も。
や、あたしの部屋は……いや、然うかも。
……気付いていなかったの。
う、ん……だって、師匠だし。
……食物もあったでしょう。
あ、あったけど……乾燥物だったし、先生じゃないかな。
……此方の先代がひとりであんなものを作るわけないでしょう。
……。
……本当に嫌になるわ、最後まで。
やっぱり、家に帰りたい。
ジュピター。
違う、今度のお休みの話。
……帰っても、ふたりはもう居ないわ。
それでも。
……。
……マーキュリーと、帰りたい。
もう少し、我慢して。
……もう少し?
あなたも私も此処に来て、未だ日が浅い……許可なんて、下りるわけがない。
けど、マーキュリーが先だったから。
だから、我慢しなさい。
……。
……言うことを、聞いて。
分かった……我慢する。
……。
……だけど、若しも許可が下りたら。
時間が、取れそうだったら。
……。
……付き合ってあげても良いわ。
マーキュリー……うん、楽しみにしてる。
くれぐれも、過度な期待はしないで。
……ん、分かってるよ。
……。
……。
……懐かしいわね、此の味。
思い出す……?
……記憶は常に、思い出を伴う。
思い出を……?
……本当、嫌になる。
……。
……。
……此の汁物はね、煮込み時間が大事なんだ。
……。
煮込めば野菜の旨味が出るのだけれど、だからと言って煮込み過ぎてはいけない。
……時間と手間を掛けたとでも、言いたいの?
ううん……然うじゃないんだ。
……。
ただの……然う、師匠の教えのひとつだよ。
……然う。
あたし、さ。
……。
あれは、やっぱり食べられそうにないよ。
……何も考えなければ、良い。
……。
然うすれば……屹度、食べられるようになるわ。
無理なんだ、どうしても。
……それをずっと、続けていくつもりなの。
続けられるところまでは。
……行き詰まる日は、必ず来るわ。
来るかも知れないけど、来ないかも知れない。
……必ずと、言っているでしょう。
マーキュリー……マーキュリーにも、その日は来るの。
……私達は食べる人形だから。
……。
どうしようもない時は……それを、食べなければならない。
……嫌だな。
仕方ないわ……その時が来たら、目を瞑って鼻を抑えて覚悟を決めて飲み込んで。
うわぁ……。
……それくらいの意気込みでないと、あなたは飲み込めないでしょう。
それでも、無理かも知れない……知らなければ、味はいまいちでも、飲み込めたんだけど。
……。
……あの時のふたりの顔、憶えてる?
……言わないで、思い出したくないから。
あたしも、忘れたいんだけど……あまりにも、あんまりで。
……だから、言わないで。
……。
……。
……ごはんは、あたしに任せて。
どうでも良いけれど……押し掛けては、来ないで。
声は、ちゃんと掛けるようにする。
……掛ければ良いという問題ではないわ。
部屋の前に、置いておいても
それは、本当に止めて。
……。
……食事は本来、床に置くものではないわ。
あ……。
……それに、冷めてしまうかも知れないから。
マーキュリー……。
……あなたが、余計なことばかり話すせいよ。
うん……ごめんね。
……。
お茶は、どうだい?
……別に、普通よ。
普通、か……うん、今はそれだけでも十分だ。
……。
お代わりが欲しかったら、言って。
直ぐに、淹れるから。
16日
……。
開けて呉れて、ありがとう。
……どういたしまして。
改めましてこんばんは、マーキュリー。
約束通り、ごはんを作って持って来たよ。
見れば分かるわ。
お茶は部屋の中で淹れるね。
甘いお茶請けもあるんだ。
そんなに食べられない。
じゃあ、明日食べよう。
今日でなくても大丈夫だからさ。
ジュピター。
なんだい?
何処も寄らずに、真っ直ぐ此処に来たの?
うん、真っ直ぐに来た。
今夜はね、なんとなくそんな気がしたんだ。
マーキュリーは自分の部屋に居るって。
あぁ、然う。
未だ早かった?
いいえ……どうぞ。
ねぇ、マーキュリー。
……何。
髪の毛が湿っているようだけれど、
……。
あれ。
入らないなら、閉めるわよ。
入る、入るよ。
なら、早くし
……。
……ジュピター。
うん、今度は避けられなかった。
……あなたね。
全体的に、石鹸のいいにおいがする……若しかして、湯浴みをした後?
……然うだとしたら、何。
あたしも水を被って来れば良かったかなぁ。
ジュピターくさい、離して。
お、おぅ。
入るなら、早く入って。
本当に閉めるわよ。
あー、待って待って。
……。
んー……。
あまり見ないで。
寝台が、埋もれていない?
然うね、けれどそれが何か?
食べ終わったら、片付けても良い?
触らないで、余計なことは一切しないで。
いや、でも、あれじゃあ眠れないよね?
睡眠を取るのに、寝台である必要はないから。
今夜は、寝台が良いな。
部屋に帰れば、自分の寝台が待っていて呉れるわよ。
ね、片付けても、
ほんの少しであろうとも、触ったら追い出すわ。
……何処で眠るの?
部屋の中でなら、何処ででも。
まさか、未だに床で寝てるってわけではないよね?
然ういう時もあるわね。
駄目だよ、床でなんか寝たら疲れが取れないって言ったろう?
問題な
いや、待てよ。
若しかして、気を失うようにして?
どうかしらね。
どうかしらねって、九分九厘然うだろう。
なんとなく、あの辺に毛布が転がってるように見えなくもないし。
ただの幻覚ね。
いやいや現実だよ、毛布は本物だよ。
マーキュリーの匂いがす
椅子の時もあるわよ。
毛布に触らないで。
椅子も駄目だって、ちゃんと寝台で横になって寝ないと。
毛布はたたんで、此処に置いておくね。
床なら横になれるから、問題な
大ありだよ、硬いだろう床は。
あぁもう、子供の頃よりも酷くなっているじゃないか。
うるさい。
無闇に騒ぐなら、出て行って。
取り敢えず、ごはんにしよう。
先ずは、食台の上の片付けから。
余計なことはしないで。
食台の上の片付けは食事をする為に必要なことだから余計なことではない、良し。
私にとっては余計なことなの。
書類の山かぁ、あたしが片付けても良いんだけど。
……。
マーキュリー、お願いします。
ごはんの時だけでも良いので、どうか片付けて下さい。
せめて、ごはんを載せられるようにして下さい。
……あなたが来るのが、早いから。
え?
なんでもない、退いて。
あ、はい。
……。
書類、溜まっているようで大変だね。
いつものことだから。
下には、やらせないのかい?
指示を出せば、さっさと片付けて呉れそうだけど。
重要か否かで、判断する。
機密事項もあるのだから、下手に触らせることなんて出来ない。
此処に在るのはマーキュリーがやるべきもの、それは理解する。
だけど、こんなにあってはなぁ。ひとりでは手が回らないだろう。
いいえ、問題ないわ。
問題があるから、こんなに溜まっているのだろう。そもそもマーキュリーの仕事はこれだけじゃあないんだ。
仕事の優先順位が低ければ処理が追いつかず、溜まってしまうことだって十分に有り得る。
そして今現在の部屋の状況、それを見るにそれは進行形で起こっているとあたしは判断する。
一目瞭然と言っても過言ではないだろう。矢張り、問題があると見るべきだ。
……。
仕事が若しもこれだけであるならば、こんなに溜まることはない。
マーキュリーの力を考えたら、先ず有り得ないことだろう。
と、あたしは考える。
……分かったような口を。
だけどさ、打ち込みだの読み込みだの昔からあったろうに、どうして物理的な書類のままなのだろうね。
どうして変わることがないのだろう。なかったのだろう。
……それ、あなたが言うのね。
遠い昔のマーキュリー達が然ういう装置を作り上げて、いつだかのマーキュリー達が改良を重ね、今の端末に繋がっている。
然うだろう?
一言で言えば、あまりにも愚鈍だからよ。
お。
それでも、何度か変わったことはあったわ。
けれど長続きしないの、いつの間にか元に戻ってしまうのよ。
皆が自分で打ち込み、或いは読み込ませて呉れれば、こんなことにはならない。
だから、もう一度変えれば良い。そして今度こそ、持続させれば良い。
口で言う程、
協力しよう。
先ずは、自分の所から変える。
……。
あ、それ、あたしが出したものかい?
丁度良いわ、書き直して。
え、どうして?
マーキュリーに何度か見て貰って、それで書き上げたんだけど。
今になって、気に入らないから。
そ、そんな理由?
ただの嫌がらせよ。
う、うん??
冗談よ、察しが悪いわね。
私だって、時間をまた無駄にしたくないの。
そ、然うか、良かった。
ところで。
ん、なんだい?
それ、温めなくても良いものなの。
少し、温めたいんだけど……その為に、あの上を片付けても良いかい?
……。
あの、マーキュリー……自室に持ち込むのは良いけれど、限度というものがあると思うんだ。
もうひとつ、専用の部屋を与えられているだろう?
それ、此の間も言われた。
うん、此の間だけでなく、もう何度か言っているかな。
……。
マーキュリー、たまに物覚えが悪くなるよね?
あと、耳も。
要らない記憶は消去するように、要らない事柄は聞き流しているようにしているの。
マーキュリーの頭なら、いっぱい入ると思うけど。
不要なものは置いておかず、捨てるでしょう。
それと同じよ。
若しかしてさ、その部屋もいっぱいだったりする?
あなたさえ来なければ、今夜はその部屋で過ごすつもりだった。
……うん?
今、あの部屋に来られるのは迷惑でしかないの。
うーん……。
……。
ええと、取り敢えず片付けても良い?
其処ならば、構わないわ。
但し、そのまま動かして。
そのまま、だね。
ん、分かった。
……。
んー、然うだな……良し、然うするか。
……ジュピター。
ん、終わった?
次からは書類ではなく、打ち込んだものを転送して。
然うすれば、私の手間がひとつ減るから。
うん、そのつもりだった。
なんだったら、その書類も打ち込むよ。
だけど、ひとつ問題があって。
問題?
端末のことなんだ。
持っているわよね、ジュピター専用のものを。
持っているけど、暫く動かしてないんだ。
動かして。
ああいうのって、日頃からちゃんと動かしておいてやらないと駄目なんだろう?
動いて呉れるかなぁ。
動かなかったら、
マーキュリーのところに行っても良いかい?
私の仕事を増やすつもり?
下に言っておくわ。
……マーキュリーが良いな。
そんな暇は私にはないの。
マーキュリーじゃなきゃ、どうにもならないかも。
安心して、優秀な子を回すから。
ねぇ、マーキュリー。
何。
やるとは言ったけれど、実はあたし、
端末に打ち込むのは、苦手。
うん、然うなんだ。
何度かやったんだけど、ひとりでは上手く出来なくて。
それで良く、変えるだなんて言って呉れたものね。
気持ちはあるんだ。
気持ちだけで……いえ、然うね。
ならばこれを機に克服して、私の為に。
うん、克服する。
マーキュリーの為に。
それならば、
あたしが出来ることを示せば、木星団の子らは必ず付いて来るだろう。
と言うより、付いて来させる。
……是非、然うして頂戴。
皆の為にひとり、貸して呉れると助かる。
ええ、良いわよ。
ひとりと言わず、ふたりでも。
それは大いに助かるよ。
木星の民は恵まれた体格だけでなく、ちゃんとした者に教われば、理解する頭も持っているからね。
せいぜい、期待しているわ。
うん、期待していて。
必ず、応えてみせるから。
……。
……いや、でも。
……?
然うか、確かに然うだよな。
……何を、ぶつぶつと。
うん、どう考えてみても然うだ。どうして、考えなかったんだろう。
苦手意識が先行してしまったからだとは思うけれど、それにしたって、その考えが思い浮かばなかったのはあたしの落ち度でしかない。
マーキュリーの言葉を借りれば、愚鈍そのものだ。
……。
マーキュリーの手間が減る、然うすれば、あたしと過ごす時間が今よりももっと
浮いた時間は、他に使うだけよ。
話をして、マーキュリーの部屋の片付けをして、整備をしてもらって、ごはんをふたりで食べて、お茶も飲んで、そして夜を一緒に過ごす。
うん、良いことしかない、良いこと尽くめだ。
言っておくけれど、打ち込めたところで
打ち込めれば良いと言うことではない。誤字脱字、誤用にも気を付けなければ。
あとは、無駄な句読点と改行。マーキュリーの無駄な手間が増えてしまわないように。
……へぇ。
あたしがさんざ、言われていることだからさ。
さんざは、言っていないわ。
あなたは未だ、ましだから。
え、然うなの?
癪だけれど。
その割りにはあたし、皆よりも書き直しが多くない?
書き直しはさせるけれど、誤字脱字で返した回数は少ない筈よ。
ん……然うだったっけ。
然うよ。
と、なると。
文章力が、私が求めている練度に達していない。
成程、それなら分かる。
だから、あなたの場合は書類と打ち込みで提出して。
え、両方?
ええ、両方。
それは、無駄では?
ええ、無駄ね。
それなのに、どうしてあたしだけ?
折角覚えた文字を書けなくなったりでもしたら問題だから。
そ、そんなことってあるかい?
打ち込むのだから、忘れたりはしないと思うよ?
書けなくなるわよ、長い間書かないと。
いやぁ、書類の他にも書くことはあるし。
あるわね。
だから、書けなくなることは
あぁ、然う。
ならば、良いわ。
あー……。
……。
分かった、両方を出すよ。
然うして。
マーキュリーに、あたしの字を見てもらう為に。
別に、あなたの字なんか見たくないわ。
あ。
何。
なんだったら、手紙なんてどうだろう?
これならば、定期的に文字を書くことになるだろうし。
良い考えだと
却下。
ど、どうしてだい?
とても良い考えだと思うんだけど。
あなた、私に返事を求めるでしょう。
……そんなこと、
ある。
……うん、あるよ。
だから、却下。
一言だけでも、良いんだ。
……。
ならばいっそ、交換日記
莫迦なの?
……うー。
ところで、温めているの?
うん……もう、温めてる。
此方は片付いたわ。
うん、すっきりしたね。
後で元に戻すけれど。
ね、マーキュリー……自室に持ち込むものは、出来るだけ減らそう?
それは、あなた達次第ね。
はい、頑張ります。
……。
そろそろ、温まるよ。
然う。
今日はね、あたしが作った野菜の汁物なんだ。
ふぅん。
沢山、獲れてさ。
マーキュリーにも沢山食べて貰えたらなって。
残念だけれど、多くは食べられないわ。
明日も食べられるように。
温めなければならないのなら、
あたしが温める、マーキュリーよりも先に起きて。
……自室に戻る気は、更々ないのね。
一緒に眠るのが嫌なら、あたしは床で寝る。
……。
それならば、
躰が痛くなっても知らないわよ。
……は。
疲れも取れない。
……マーキュリー、それって。
良い匂いね。
うん?
それ。
あ、だろう?
お腹、空いてきたかい?
別に。
野菜の他に、薄麦餅も千切って入れてあるんだ。
いっぺんに食べられるように。
あぁ、然う。
それは美味しそうね。
美味しいよ、マーキュリーの為に
然ういうのは、結構よ。
一緒に食べる為に、作ったんだ。
……。
食べて呉れたら……少しでも美味しいと思って貰えたら、嬉しい。
……叶えば、良いわね。
うん……叶うと、良いな。
期待はしない方が身の為……心の為よ。
ん、分かってる。
……。
さぁ出来た、ごはんの時間だ。
よそって、いや、器ごと持って行こうか。
お代わりも、その方がしやすいし。
……。
うん、どうかした?
……いえ、別に。
……。
何……。
今夜は、早めに休もう。
……は?
その方が良い。
整備は
して貰う、食後のお休み中に。
……終わったら、
ごめん、帰らない。
……。
一緒に眠ろう。
今のマーキュリーに必要なのはちゃんとした休息だ。
……休息なら、
顔色。
若しも血色を良くする為に、無理に湯浴みをしたのであれば。
……。
お願いだ、マーキュリー。
……私、ひとりでも。
傍に居たい。
……あなたが居ると、休めない。
……。
だから……。
……共寝は、望まない。
……。
だから……今夜は、此の部屋で。
……。
マーキュリー……。
……ひとつ、条件があるわ。
聞けるものならば、なんでも。
……。
なんだい、マーキュリー。
寝台に入る前に……いえ、整備の前に湯浴みをして。
15日
-祈り、命の望みの喜びよ。(前世)
用件ならば、手短に。
分かってる。
然う、ならば始めて。
心だって、傷は付く。
……それで?
傷が付けば、其処から血が流れ出すだろう。
大きくて深いものならば、止血をしてあげなければ。
流れ出すから、何だと言うの。
躰と同じだよ。
躰を維持する為に必要な体液が流れ出すわけではないわ。
いいや、それも躰を維持する為に必要だよ。
多くを流して、失くしてしまったら、必ず躰に影響が出る。
取り返しがつかなくなることだってあるかも知れない。
心なんて目には見えぬものに、どれ程の価値があると言うの。
目には見えないからこそ、気を付けないといけないんだよ。
傷が付いているなら、小さくても、優しく癒してあげないと。
優しく癒すですって?
初めは小さくても、放っておけば、大きて深いものになってしまうから。
価値がないものに、
ううん、あるよ。
ないわ。
あるよ。
いいえ、ないわ。
……心の傷から血が止め処なく、流れ続けたら。
……。
ひとは、どうなると思う?
どうでも良いわ。
知っているのだろう、誰よりも。
然う、君は誰よりも、それを知っているんだ。
知っているからと言って、何。
私は私のやるべきことをするだけ、ただそれだけよ。
必要と判断すれば治しても良いけれど、不要であれば何もしない。
無駄だから。
傷が癒されず、血が流れ続けたら……ひとはいつか、死んでしまうんだよ。
そもそも、ひとでもなんでもないでしょう。
私達は。
……けれど、生きているよ。
ええ、生きてはいるわね。
だから、
代わりならば、幾らでも居るの。
……いいや、居ないよ。
はっ。
居ないんだよ、誰にも誰かの代わりになんてなれないんだ。
あなたはいつだって、綺麗事ばかり並べる。
……綺麗事の何が悪いんだい。
然うね、悪くはないわ。
けれど役にも立たない綺麗事ならば、要らない。
何にも使えないものなど、私には不要なものでしかないの。
……命は、綺麗なものだよ。
どこが?
……だから、どの命にも代わりなんてないんだ。
答えになっていないわ。
……ひとつしかないんだ、だから綺麗なものなんだよ。
ひとつしかないからと言って、どうして綺麗なものだと断定出来るのかしら。
中には、とんでもなく穢れたものがあるかも知れない。
……きっと、ないよ。
ひとつしかないとしても、代わりがあればそれで良いのよ。
綺麗だとか、そんなものはどうでも良いの。使えさえすれば、それで事が足りるのだから。
……同じ存在は居ない、誰も同じになんてなれないんだよ。
別に良いのよ、同じでなくたって。
数さえ、揃っていれば。使命さえ、果たせれば。
……無駄に死なせてしまう方が、
繰り返すけれど、代わりなど幾らでも居るの。あなたにも、私にも、幾らでも用意されているの。
あなたが知らない筈がないわ。何故ならば、あなたは消費される立場ではあるけれど、消費する立場でもあるのだから。
……然うだね、良く知っているよ。
あなたが綺麗事に囚われるのは、構わないわ。好きにすれば良い。
ただ、私に押し付けるのはいい加減止めて。さっさと、諦めて。
……無理だよ。
ならば、取り替えるだけよ。
……あたしを、壊す?
必要とあらば。
……あたしの代わりは、幾らでも居るから。
然うよ、あの部屋に幾らでも用意されているの。
次は綺麗事なんかに囚われない、もっと機械的なあなたを望むわ。
……また一から、育てるのかい。
本来ならば、そんな無駄なことはしない。
……。
誰かの手に依らない育成方法ならば確立されているの。
そして、それこそが適切な方法なのよ。
それなのに。
……若しも、望んだ通りの個体でなければ。
また、取り替えれば良い。
此処ではずっと、其れが行われてきたのだから。
……若しも、
私も同じよ。
……同じって。
此の場所で役に立たないと判断すれば、私は私を壊すだけ。
不良品である不要物を、いつまでも取っておかなければならないなんて義務は此処にはひとつもないの。
要らなければ捨てるだけ、処分するだけ。
……繰り返すけど、代わりは居ないんだ。
あなたは然う思って、
あたしにとって、君の代わりは。
……。
何処にも、居ない。
あたしのマーキュリーは君、たったひとりなんだ。
ひとりしか、居ないんだ。
話にならないわ。
もう、終わりにしても良いかしら。
……今回は、打ち切るのが早いね。
時間の無駄、私は忙しいの。
あたしにとっては、無駄じゃないんだ。
どうか、このまま続けさせて欲しい。
もう少しだけで、良いから。
嫌よ。
お願いだ。
聞けないわ。
どうか、
くどい。
……。
もう二度と、そんな話を私にしないで。
と言っても、懲りずにまたするのでしょうけれど。
本当に、処分を考えないといけないわね。
……お願いだよ。
聞けないと、
どうか……どうか。
もう良い、さようなら。
……あたしの声を聞いてよ、メル。
其の名で、呼ばないで。
……う。
次はないわ、もう二度と口にしないで。
……好きだよ。
ええ、私も好きよ。
……大好きなんだ。
私の駒として、価値のあるあなたがね。
……ずっと、愛してるんだ。
けれど、役立たずに堕ちるのならば、好きではなくなるわ。
……子供の頃から、
私達に子供の頃なんてものは存在しない。
存在するのは、幼体時代。
……子供だよ、幼体じゃない。
いいえ、幼体よ。
四守護神と言う成体のね。
……そんな風には、教わらなかっただろう?
本当、無駄なことばかり教わったわ。
……無駄なことなんて、ひとつもなかったよ。
私にとって不幸なのは、そんな時間をあなた達と過ごしたこと。
……しあわせ、だった。
あなたは、然うでしょうね。
……いつもみんなで、ふたりで笑ってて。
あなたと笑うよりも、学ばなければいけないことがあった。
……勉強だって、したよ。
したけれど、全然足りないわ。
いつだって、君は頑張っていた。寝る間も惜しんで、時にはごはんを食べることも忘れて。
あたしはそんな君が心配で、君も鍛錬でずたぼろになったあたしを心配して呉れて。
先代は守護神としての出来は良くて使えたらしいけれど、次代を育てようと考えるべきではなかったわね。
……先代は、あたし達を大事に育てて呉れた。
大事に育てて呉れたから、何。
……空っぽだったあたし達に、温かい情を沢山注いで呉れた。
情? はっ、そんなものが何になると思うの。
守護神の使命の前では、無用で無駄なものでしかないのに。
いっそのこと、空っぽのままの方がまだ良かった。
……ごはんを一緒に食べて、お話をして、同じ寝台で眠って。
もう、良いでしょう。
お互いの肌に、触れ合った。
……それが、
とても、しあわせだった。
好きだと伝え合って、唇を重ねて、
一番、無駄なことだった。
……それ、から。
私達は。
……あたし達は。
守護神として存在し、そして、使命の為に壊れてゆくの。
それこそが私達の本懐であり、本意でもあり、本望でもあるの。
それ以外の存在意義など何処にもないし、必要ないの。
……然うであろうと、己に言い聞かせているようにも聞こえるよ。
それは、あなたの勝手な解釈に過ぎない。
それか耳、或いは、脳に異常があると。
……でも間違っているとは、言えないかも知れない。
言えるわ。
私が言っているのだから。
……昔から、隠し事をするのは下手なんだ。
昔の私はもう、此処には居ない。
いつまでも同じだと思わないで。
ね……愛しているよ。
はいはい、然うね。
もう、うんざりだわ。
……。
あなたはいつまでも然うしていれば良い。
ただの肉の塊、いえ、灰にされてもね。
……灰。
焼却処分。
あなたのような不良品、胚に戻す価値もないわ。
……それが、良い。
良かったわ、お望み通りで。
……だけど。
さようなら、私のジュピター。
若しかしたら、もう会うことはないかも知れないわね。
……諦めない。
……。
最後まで、諦めない……諦めたらそれこそ、君は。
可哀想な人形(ひとかた)ね。
……。
心なんて植え付けられたばかりに、想いなんてものに囚われることになって。
そんなもの、さっさと捨ててしまえば良かったのに。
……君の中にも、心は在るよ。
然うかも知れないわね。
だけれど、凍り付いているから。
……凍り付いて。
何も、感じないの。
……つまり、君の中には今でも心は在る。
近いうちに、捨ててしまうつもりよ。
近いうちに、ならば。
知っているかしら?
無理矢理どうにかしようすると、砕けて壊れてしまうこと。
知っているよ、君に習ったから。
だから、
どうぞ、壊して。
……。
その方が私にとって、都合が良いかも知れないから。
……マーキュリー。
私の心はもう、血なんか流さない。
血すら、凍っているのだから。
温めれば、いつかは氷は融ける。
……いいえ、融けないわ。
融けない氷は、ないんだ。
在るわよ、此処に。
……。
本当に厄介だわ、早く捨ててしまいたい。
……優しく、温めるんだ。
触らないで、私に。
……指先からでも良い、あたしの熱を。
気色悪い。
……っ。
分かったわ。然ういう人形が欲しいのならば、用意してあげる。
私そっくりが良い? 良いわ、気持ちが悪いけれど、仕立ててあげる。
それを毎夜、寝台の中で愛でれば良い。好きなだけ、ね。
……そんなの、要らないよ。
だから私の前に、必要以上に現れないで。
必要以上に、声を掛けないで、聞かせないで。
その、余計な音を。雑音を。
……人形なんて、要らないんだ。
精々、可愛がってあげれば良いわ。
私にそっくりな人形をね。
……あたしの大切なものは、此処に居る。
ええ、居て呉れなければ困るわ。
まぁ、大して困らないけれど。
……矛盾、してない?
してない。
……守るべきものが、此処に在れば。
それは、ひとつだけよ。
……然うだね、ひとつだけだ。
他は、見てもいけないの。
……あたしにとって、唯一の。
あなた、本当に壊して欲しいの?
……ううん、壊れたくはないよ。
ならば、
……愛しているよ、マーキュリー。
……。
あたしの……たったひとつの、守るべきもの。
……本当に、壊されるわよ。
壊されないよ……あたしは、ふたりの先代が育てて呉れたジュピターなんだ。
代わりは、
全て、壊す。
……は。
今在る、あたしに成る筈の「たまご」達を。
……そんなことをすればどうなるか、分かっているのでしょうね。
分かっているつもりだよ。
木星の民、その全てがどうなるか。
……分かっているよ。
それなのに、あなたは、
みんなには、謝るよ。
心を、込めて。
……謝って、済むとでも。
だけど、あたしが居る限り……あたしの代わりが新しく造られるまでは、猶予がある筈だ。
それまでは、
何の為に? 意味が分からない。
あるわけないでしょう、そんなもの。
……困るだろう、色々と。
民草の代わりなど。
……。
木星の民が、仮に絶滅するようなことがあれば……水星の民が、その数の分だけ贄になれば良い。
若しもあなたが壊されずに残されていたならば、さぞかし、その心は苛まれることになるでしょうね。
……そんなことは。
させない?
どうやって?
……。
その中身のない頭で、皆を救う良い手立てが考えつくとでも?
あなたにそんなことが、果たして、出来るとでも思っているの?
……君が、させないだろう。
私が?
……君は、優しいから。
そんな優しさ、憶えていないわ。
……だから、させる筈がないんだ。
私に、夢を見ないで。
あなたの希いを、押し付けないで。
……。
個の夢や希いなど、存在してはならない。
此処に在って良いものは、使命への魂の誓いだけよ。
……くそくらえ、だ。
言葉が汚い。
……先代が良く言ってた、今ならその意味が良く分かる。
ふ。
……はぁ。
これで、本当にお仕舞い。
……うん、付き合って呉れてありがとう。
どういたしまして。
ところで、マーキュリー。
……何。
今夜、部屋に
来ないで。
行くよ、ごはんを作って。
要らない、来ないで。
部屋に居なければ、探す。
止めて。
探して……一緒に、夜を過ごしたい。
ジュピター。
……。
……ッ。
あたしは、いつだって、君の傍に居る。
……離して。
君が必要として呉れたら……ううん、必要とされなくても。
……。
駒としてでも良い、君の傍に居る。
……本当に愚かな人形ね。
愚かでも良い。
……矢張り、不良品だわ。
あたしは君しか見えていない。
だから、君だけを支えたい。
先代は、区別がつかなかったと言うけれど。
あたしはつくよ、一応。
でも、興味がない。
その上、覚えられない。
情が湧かないと言う点では、都合が良いわね。
だけど、君だけは良く見えている。
兎も角、部屋には来ないで。
ならば、あたしの部屋に。
行かない。
迎えに、
来ても、応じない。
美味しいごはんを、作るよ。
美味しいお茶だって、淹れる。
勝手に作って、ひとりで食べれば良い。
マーキュリーが好きなものを。
食べたくない。
……。
離して。
……やっぱり、あたしがマーキュリーの部屋に行く。
……。
ごはん、部屋の前に置いておくから。
それだけは止めて。
……それだけ?
兎に角、持って来ないで。
あたしが行けば良い?
然うは言ってない。
……。
ん。
……また、今夜に。
だから、
駒にも、整備は必要だろう?
いざと言う時に使い物にならなかったら、それこそ、過失では済まされない。
あたしとしては、それは避けたい。あたしの為にも……マーキュリーの為にも。
……。
行くよ……今夜。
……今夜で、なくても。
今夜、マーキュリーの部屋で。
……ひとつ、答えて。
ひとつと言わず、幾つでも。
……「たまご」達を、壊すつもりは。
今はもう、ないよ。
……今はもう?
なくなった。
……先刻まではあったと言うことね。
他にはある?
ないわ……取り敢えず、離して。
うん、分かった。
……。
じゃあ、今夜に。
……整備が終わったら、さっさと帰って。
なら、明日だ。
今夜中に終わらせるわ。
やっぱり、明日だ。
今日が終わったら、出ていって。
今夜はゆっくり眠ろう、ふたりで。
眠らない。
眠らなきゃ、だめだよ。
ジュ
それも使命を果たす為には必要なことだ。
当然、食事をすることもね。
……。
先代とお勉強しておいて、良かった。
……余計なことばかり。
メ
……。
マーキュリーとも、ね。
……いい加減、戻って。
うん、戻る。
……。
ありがとう、マーキュリー。
……どう
あたしを、守ろうとして呉れて。
……。
ずっと、愛しているよ。
……本当に厄介で、面倒なひとね。
うん、ごめん。
14日
……。
出来た。
……然うみたいね。
見て。
もう、見ているわ。
こっちが、
私?
うん、どうして?
一回り、小さいから。
一回りは、やり過ぎだったかな。
いいえ、良いんじゃない。
実際、然うだし。
実際は、其処迄ではないと思うけど。
身長、あれからも筍のように伸びて呉れて。
流石に、筍ほどではなかったよ。
成長痛もなかったし。緩やかに伸びていた感じかなぁ。
もう成長期は過ぎたと、勝手に思っていたのよね。
まさか、未だでかくなるなんてさ。
普通は、中学生くらいまでだろう?
高校生、或いは20歳を過ぎても伸びることはあるわ。
人間の成長には個人差があるから。
あたし、小さい頃からずっと大きくなってるんだけど。
其れがあなたの成長期だったのよね、今思えば。
業持ちってのは、因果で厄介なものだね。
おかげで20年以上、でかくなり続けました。
大きくなったわね。
なので、もう大きくならなくて結構です。
良かったわね、漸く落ち着いて。
ほんとにねぇ、此れ以上でかくなったら天井に頭をぶつけちゃうよ。
此の間、ぶつけたでしょう。
天井じゃなく、戸にね。ほら、天井よりも少し低いだろう?
気を付けていたのに、うっかりしてたよ。ぶつけた時は目の前に星が出た。
こぶを作って。
まぁでも、直ぐに治ったから。
因果で厄介な業の良いところのひとつだ。
……中身が無事で良かったわ。
検査、して呉れたんだよね。
にやにやしないで。
心配して呉れたことが嬉しかったんだ。
あなたが泣き事を言ったからでしょう。
……其の後、ちゃんと冷やして呉れた。
駄々を捏ねるから。
其の優しさが嬉しかったんだ、とても。
……いつもは優しくないみたい。
いつも、優しいよ。
だからこそ、ひとつひとつの優しさを大事にしたいんだ。
……面倒ね。
うん、ごめんね。
……此の辺り、だったわね。
うん……多分。
……直ぐに忘れるんだから。
ちゃんと、憶えていて呉れるから。
……もう二度、ぶつけないで。
うん……気を付けるよ。
……。
……。
……躰。
うん?
其れでも、昔よりは大きくないのよね。
身長は同じくらいだと思うんだけど、体格がね。
昔は……然う、羆だったから。
其処まででは、なかったと思うけれど。
羆じゃなくても、獣には変わりないし。
……。
マーキュリーだけに懐く、ね。
……今も?
然う、今も。
……ふ。
ね、可愛いだろう?
然うね、可愛いのではないかしら。
ん?
あなたが。
あたし?
然う、あなた。
……。
今ではもう、手を伸ばしても届かない。
背伸びをすれば、届くよ。
生憎、したくないの。
あたしが屈めば、
今は良いわ。
ほっぺたなら、今でも。
ええ、然うね。
あとは然う、一緒にベッドに転がってる時とか。
もう好きなだけ、撫で放題。
は。
鼻で笑われちゃった。
……。
ん……気持ち良い。
……冷たい、の間違いでしょう。
甘えても、
だめよ。
……だよね。
……。
……ん、おしまい?
ええ、おしまい。
……そっか。
其れで、どうするつもりなの?
折角作ったんだし、長持ちさせられないかな。
させて、どうするの?
愛でる。
自然に帰した方が良いわね。
えー。
今だから価値があるのではないの、こういうものは。
折角、可愛く出来たのになぁ。
……可愛い、ね。
いいこ、いいこ。
楽しい?
うん、楽しい。
だって、可愛いから。
あなたの方は、撫でてあげないの?
あたしは……撫でてあげて欲しいな?
遠慮しておくわ。
まぁまぁ、遠慮なんてせずに
嫌。
あ、はい。
……。
かまくらの中に入れてあげようかな。
外に居たら雪が降り積もって、自然に帰っちゃうだろうし。
ね、然う思うだろ?
好きにしたら?
うん、好きにする。
……。
さ、中に入ろうか。
待って。
え?
ひとつだけ?
うん、ひとつだけ。
あなたのは?
あたしのは、外で見張り役。
大事だろう、見張りは。
……。
ん?
折角だから。
へへ、ありがと。
あなたにお礼を言われる筋合いはないわ。
と、こいつが言っている。
……あなたは何故、笑っているの?
あたしのが大事にされて、嬉しいからだよ。
……あ、そ。
うん、然うなんだ。
……ま、大事にしているわけではないけれど。
ん、そっか。
……。
矢っ張り、止める?
……ひとりで、外の世界に取り残されるのは。
……。
奥に、入れてあげて。
ん、分かった。
……。
君達の家だよ。
大きな家ね。
はは。
気は済んだ?
うん、楽しかった。
然う、其れは良かったわ。
付き合って呉れて、ありがと。
別に、毎度のことだし。
へへ。
……子供達が、喜ぶわね。
取り敢えず、雪だるまには触らせないようにしないと。
……。
ん、どした?
どうせだから、中に入ってみようかと思って。
良いね、一緒に
私、ひとりで。
えぇ、一緒に入ろうよ。
ふたりで入ったら、狭いでしょう。
そんなことない、広めに作ったから。
窮屈なのは嫌なの。
既に雪だるまがふたつ、中に入っているのだから。
雪だるまがふたつと言っても、小さいよ?
手の平サイズ。
あなたのね。
うん、小さい。
小さいけれど、其の分の場所は取っているわ。
身を寄せ合うことが出来て、よりあったかいよ。
暖かさを求めているわけではないから。
じゃあ、何を求めているんだい?
何も、ただの気紛れに過ぎないわ。
ただの気まぐれ、かぁ。
らしいでしょう?
らしいと言えば、らしいけれど。
……感傷的になるのは、嫌なの。
感傷的?
あなたは先に戻っていても良いわよ。
色々、溜まっているから。
いいや、戻らないよ。
凍えても知らないわよ。
凍えないよ、一緒に入るから。
あなたが入るなら、私は入らない。
どうしても?
どうしても。
……そっか。
……。
じゃ、あたしは外で見張っているよ。
見張りは、大事だからさ。
……。
好きなだけ、入っていて。
良いわ。
え、何が?
分からないのなら、其の儘外に居て。
……良いの?
気が変わる前に、
お先にどうぞ。
……。
さぁさ、入って入って。
鬱陶しい。
あはは。
……。
どうだい、中は結構広いだろう?
……ひとりなら、寛げそうね。
ふたりでも、寛げるよ。
……然うだと良いけれど。
座る前に、これを敷いて。
直接座ったら、お尻、凍っちゃうからさ。
これは、
まぁ、凍ったとしても後であたしが
ないよりはましね。
かなり、ましだよ。
ちょっと遠くに行った時にとても重宝してるんだ。
……そ。
作って呉れて、ありがとう?
今更?
何度でも言うよ。
お礼を伝えるのは、大事なことだからね。
……ところで、入らないの。
うん、入るよ。
だったら、早く。
あたしが入る前に、これを見て。
何。
こんなこともあろうかと、
中で火を使うつもり?
大丈夫だよ、外が寒いから融けない。
然うね、でも此の子達はどうかしら。
あ、然うか。
暖まった空気は此の中から逃げず、外の冷たい空気は遮られて入ってこない。
まぁ、直ぐに融けることはないだろうけれど。自然に帰るのが早まるだけで。
うーん。
どうするの?
あー、どうしようかな。火を使わなければ、良いかな。
然うすれば、持って呉れるだろう?
其れなら、持つかも知れないわね。
仕方ない、諦めよう。
ふ。
なんだい?
この子達を追い出すと言う選択肢はないのね。
ないよ、ここはこの子達のおうちなんだから。
……優しいんだか、ばかなんだか。
持ってきたのは、さ。
紅茶?
其れも、和紅茶。
どうして分かったの?
あなた、分かりやすいのよ。
久しぶりに手に入ったからさ。
ふたりで飲みたいと思って。
戻ったら、頂くわ。
ん、そっか。
……はぁ。
寒い?
ええ、寒いわね。
直ぐに行くよ。
良いわ、来ないで。
身を寄せ合った方が、温かいから。
……窮屈なのは、嫌なの。
ん、然うだね。
……。
はぁ……うん、風がない分、外よりはましかな。
……。
と言うわけで、お待たせ。
待ってない。
……。
ちょっと。
くっついた方が、あったかいから。
狭い。
寄り掛かっても、良いからさ。
……。
ね、此の方が楽だろう?
……どうだか。
……。
……。
雪、今年も良く降るね。
……今年は特にね。
気候変動が少しずつ、でも着実に進んでいるのかな。
……大丈夫よ、未だ氷河期には入らない筈だから。
筈だから、か。入らなきゃ良いな。
畑のものが育たなくなっちゃうから。
……向こうの世界は、常春よ。
然うみたいだねぇ……。
……行きたいのなら、ひとりで
行きたくないよ。
……屹度、迎え入れて呉れるわ。
行きたくない。
……。
あたしの場所は、此処だけだ。
……然う、なら傍に居て。
ずっと傍に居る、一生。
……一生は重いわ。
でも、受け止めて呉れるだろう……?
……。
……鍵、未だ持っていて呉れてるんだよね。
一応……ね。
……もう、ないのに。
なくても……失くすまでは、持っているつもり。
そっか……ふふ、嬉しいな。
……忘れないで、私は預かっているだけ。
ん、然うでした。
……。
……。
……何、急に大人しくなって。
少し、浸ってる。
……何に?
こうしていると、世界にたったふたりだけになったみたいで。
あの入口が、外の世界を覗く為の唯一の窓のようだなってさ。
……相変わらず、夢見がちね。
ロマンティストなんだ、あたし。
……よぉく知ってる。
あの窓を開く鍵は、あたし達が持っていて……他の誰にも開けられないんだ。
……。
今朝さ、夢を見たんだ。
……話さなくても良いわ。
分かった、話さない。
……。
……寒くないかい?
あなたの熱があるから。
……もっと、あげるね。
あなたは、寒くないの。
あたしも、寒くないよ。
……。
……羊羹、食べたいな。
和紅茶と……?
……うん、和紅茶と。
小豆をもう一度、育ててみたら?
種、未だ残っているのでしょう?
……育つかな。
今度こそ、育つようにすれば良い。
……。
……同じ失敗は、しない。
分かった……やってみよう。
……。
……いつ、戻る?
戻りたいのなら、
もう少し、此処に居たい。
……日が暮れる迄には。
うん……其れ迄には、戻ろう。
……。
……。
……感傷的には、なりたくないのだけれど。
なってる、のかな……。
……。
……ねぇ、水野さん。
何……木野さん。
……かまくら、作れて良かった。
もう何度も作っているけれど、ね……。
……雪だるまも。
何度、私達の雪だるまが作られたことか……。
……。
ん……。
……水野さん。
思い出さなくて良いことは、思い出さなくて良いの。
……あたしも、然う思ってる。
……。
あたし達は……ふたりで生きることを、決めた。
……ええ。
ね、あの時あたしが雪に書いた言葉、憶えている?
……さぁ、どうかしらね。
あたしは……水野さんが窓に書いた言葉を、今でも忘れていない。
……。
水野さん……左手を。
……嫌。
お願いだ……左手を、あたしに。
……。
……ありがとう。
どうするつもりなの……。
……こうする。
……。
……。
……こんなの、なんの意味が。
指輪。
……歯の痕も、ついていないのに。
見えなくても……ちゃんと、そこにある。
……。
……あの頃から、ずっと。
……。
きれいな石を、いつか君に……必ず。
……要らないわ。
贈りたいんだ。
……きれいなものなら、もう、此処に在るもの。
……。
見えなくても……ちゃんと此処に在るのでしょう?
……でも、見えるものも。
要らないわ。
……。
……其の代わり、居なくならないで。
居なくならないよ……。
……。
水野さんも、居なくならないで。
……ならないわ。
……。
……懐かしいわね、其の呼び方。
亜美ちゃん。
……。
なんて……さ。
……ばかね。
然うだね……。
……本当、今更よ。
ん、本当だ……。
……それなのに。
ずっと、呼ぶことが出来なかった。
繰り返して、しまいそうで。
……呼ばなくても、良かったのに。
うん……ごめん。
……其のふたりはもう、何処にも居ないわ。
居ないけれど……確かに居たんだ。
……もう、紡げないの。
……。
ふたりだけの形も、作れなかった。
……そんなことは、ないと思うんだ。
どうして、然う思うの。
……今だから、分かるんだ。
……。
……作れたんだ、ふたりは。
夢の見過ぎ。
はは、然うだねぇ……あたしは、今も変わらず、ロマンティストだから。
……。
……。
……感傷的なのは、もう結構よ。
ん、もう止めるよ……ごめんね。
……。
ね……メル。
……なに、ユゥ。
続けよう。
……何を続けるの。
あたし達の、恋を。
……恋と呼ぶには、歳を取り過ぎたわ。
そんなことないさ……恋することは、幾つになっても出来るのだから。
……他のひとに
其れは、ない。
あたしは、メル……水野さんだけだ。
……ばかね、本当に。
けど、そんなばかなあたしに……水野さんは、恋をしているんだろう?
……自意識過剰。
はは……。
……木野さん。
なんだい……。
……良いわ、付き合ってあげる。
……。
……愛し合うことも、ね。
大好きだ。
……ちょ、っと。
大好きだよ……亜美ちゃん。
……。
あたしの……あたしだけの、亜美ちゃん。
……それ。
わ……。
……ふたりだけの時にしておいてね、まこちゃん。
……。
約束、守れる?
……うん、守れる。
なら、もう一度。
……もう一度?
指輪を……此処に。
……ん、喜んで。
……。
……永遠の愛を、あなたに。
……。
ずっと、愛しているよ……亜美ちゃん。
……あなたの左手を、私に。
はい……。
……。
ん……。
……永遠の愛を、あなたに。
……。
ずっと、愛しているわ……まこちゃん。
……うん。
……。
……。
……そろそろ、戻りましょうか。
雪、また降ってきたね……。
ええ……だから、面倒なことになる前に。
うん、戻ろう……戻って、熱い和紅茶を飲もう。
……美味しく、淹れてね。
ん、任せて。
……。
ところで、今日の夕ごはんのことなのだけれど。
……また、お鍋?
だめ、かな?
……いいえ、良いわ。
良かった。
……。
……ね、お風呂
一緒には入らない。
……今夜も一緒に寝よう?
気が向いたら……ね。
……きっと、向かせるよ。
ふ……。
……。
……。
じゃあね、また来るよ。
それまで、仲良くしていて。
……明日?
ん、明日。
ね、付き合って呉れるだろう?
……さぁ、どうかしら。
……。
ん……ユゥ。
……帰ろう、手を繋いで。
……。
近くになったら、離すから。
……良いわ、離さなくても。
良いの?
……今更、だもの。
はは、そっか。
……だからと言って、調子には乗らないで。
はい、分かってます……。
……。
……行きましょう。
ん……行こうか。
……帰ったら。
紅茶を、メルとふたりで楽しんで……其れから少しだけ、昔の本を読もうかな。
13日
……。
亜美ちゃん。
……ん。
和紅茶、淹れたよ。
……ありがと。
起きてて、大丈夫かい?
……ん、大丈夫。
外、眺めてたの?
うん……雪、相変わらず降ってるなぁって。
そうだねぇ。
……こんなに降るなんて、滅多にないことだわ。
帰ってきた時よりも、確実に積もってるよね。
ね……寄り道をしないで帰ってきて、正解だったでしょう?
うん、正解でした。
……ふふ。
ここまで来たらいっそのこと、かまくらが作れるくらい降って欲しいなぁ。
……作るの?
小さい頃に憧れてたんだ、かまくら。
あの中に入ってみたくてさ。
……今でも?
まぁ、今でも少し。
だから、作ってみたい。
……入れるサイズ?
出来れば。
難しいかな。
出来なくはないと思うけれど、手間と時間がかかると思うわ。
あと、場所。
マンションの前は無理だから、公園かな。
公園だと、子供達が喜びそうね。
あたし、入れるかな。
……子供達がいたら、無理かも?
だよねぇ、そこであたしが入るなんて言ったら大人げないよねぇ。
でもまぁ、それでもいいかな。子供達が喜んでくれるなら、それで。
……優しい。
亜美ちゃんも、入っていいからね。
私は、別に……。
……。
……入れたら。
うん。
……。
ん、亜美ちゃん?
……窓が、氷のように冷たいわ。
何をしているんだい?
触っていると、手、冷たくなっちゃうよ。
……はぁぁぁ。
ん?
……雲った。
お、ほんとだ。
まこちゃん。
なんだい、亜美ちゃん。
見ていて。
うん?
……。
あ。
……。
……そういうこと。
どう……読める?
うん、読めるよ。
口に出して、読まないでね。
ん、分かった。
……。
もう、消しちゃうのかい?
……まこちゃんも、消したでしょう?
そうだけど。
……。
ね、雪に書いた言葉への返事、ということでいい?
……そのつもりで、書いたんだもの。
ふふ、そっか。
……。
紅茶、ここに置くね。
熱いから、気を付けて。
ん……ありがとう。
羊羹は、まだいいかい?
うん、まだいいわ。
じゃあ、食べたくなったらいつでも言ってね。
まこちゃんが、食べたくなったら。
あたしが?
その時に、一緒に食べたい。
ん……そっか。
……いい香り。
ちょっと、だぼだぼだね。
……ん。
肩が、出ちゃってる。
……。
あぁ、だめだ。やっぱり、落ちちゃう。
他の服の方が良かったかな。
……ううん、このパーカーがいい。
うん?
私、いやじゃないの。
けど、肩が出ちゃったら寒くない?
お部屋の中は暖かいし……それに、まこちゃんに抱かれているみたいで。
あたしに?
このパーカー……当たり前だけれど、まこちゃんのにおいがするから。
……。
だからね……後ろからそっと、抱かれているみたいなの。
……ふぅん。
ん……美味しい。
ねぇ、亜美ちゃん。
……なぁに?
飲み終わったらさ、本物に抱かれてみない?
……本物?
そう、本物。
……。
だから、パーカーじゃなくて……ここにいる本物に、ね?
……あぁ、そういうこと。
本物の方が、いいと思うんだ。
においだけじゃなく、温もりもあるし。
……ふふ、面白いまこちゃん。
え、面白いかな。
……本物の方がいいに決まっているのに。
え、なに……?
ううん……今はまだ、このパーカーがいいわ。
ど、どうして?
だって……こんな機会、なかなかないもの。
……。
制服……きれいにかけてくれて、ありがとう。
皺になっちゃわないように、かけたつもりだけど……並べ方とか、おかしくないかな。
うん……ちっともおかしくないわ。
……。
ね、まこちゃん。
……なんだい?
もしかして、だけれど……拗ねてる?
……少し、拗ねてる。
それは、どうして……。
……そのパーカー、良かったらあげるよ。
え?
気に入ってたんだけどさ……少し、小さくなっちゃったんだ。
……。
なんて、そんなパーカーいらな
もらっても、いいの?
……亜美ちゃんが、欲しいなら。
部屋着にするわ。
あ、あぁ、そう……。
……このパーカーを着ていたら、いつでもまこちゃんと一緒ね。
実際にあたしがいるわけでは、ないんだけども……。
……ふふ、ふふ。
まぁ、いいけど……さ。
……ね、まこちゃん。
なんだい。
……本当は、手放したくない?
そんなことない、亜美ちゃんがもらってくれるなら嬉しいよ。
あたしのとこにあったって、処分するだけだし。使わないものは、出来るだけ増やしたくないからさ。
……そう。
……。
ありがとう、まこちゃん……大事にするわ。
……うん。
……。
あたしも、座ってもいいかな。
ん、もちろん……まこちゃんのベッドなのだから。
……。
……私ね、本当は雪ってあまり好きではないの。
え……。
……雨は、好きなのだけれどね。
どうして、好きではないんだい……?
……雪ってね、周りの音を吸収してしまうの。
音を吸収……?
……雪が降っていると、いつもよりも静かだと思わない?
ん……言われてみれば、そうかもしれない。
……それは、雪が音を吸収しているからなの。
そうなんだ……だけど、雪がどうやって音を
……。
あ、いや、今はいいや。
……今は?
うん……今は、その説明よりも。
……じゃあ、その説明はまた今度ね。
ん……また今度、聞かせて。
……。
……。
……雪が降っている時に、誰もいないあの家にひとりでいると。
……。
まるで……沢山の雪の粒に、閉じ込められているようで。
世界にたったひとり、取り残されているような……そんな気分になるの。
……あぁ。
いつもよりも静かだから、お勉強に集中出来る筈なのに……思い出したくない記憶が、忘れようとしている思い出が、頭の中に浮かんできて。
どうしようもなく、心が沈んで……どうして私は、生まれてきてしまったのか……そんなことすら、考えて。
……。
……雨の音が、とても恋しくなる。
……。
……雪もある意味、私の力の一部の筈なのに、不思議ね。
雪は、淋しさに似ているから。
雨と違って、洗い流してはくれないから。
……。
今は……どう?
……今は、ふたりだから。
ふたりでなら、閉じ込められていても怖くない……?
……ごめんなさい、巻き込んでしまって。
ううん……どんどん、巻き込まれたいよ。
……どんどん?
そ……どんどん。
……ふふ、まこちゃんったら。
はは……。
……でも、ありがとう。
どういたしまして……。
……。
……。
……お風呂の支度、してるんだ。
うん……。
……沸いたら、一緒に入ろ。
……。
えと……気が、変わったなら。
……ううん、変わってないわ。
……。
一度だけで、いいから。
……何度でも、入りたい。
え……?
……お風呂。
……。
……。
……ひとつ、聞いてもいい?
な、なに……?
私の家のお風呂には、入る?
……。
入らない?
は、入っても、いいなら……。
……入りたい?
入りたい……亜美ちゃんと、ふたりで。
ふふ、いいわ……一緒に入りましょう?
ほ、ほんと?
ん……ほんとう。
やった……。
……。
……。
……私ね。
うん……。
まこちゃんの制服……一度だけでいいから、着てみたいなって。
え、あたしの制服を?
……こんなことを思うなんて、変よね。
別に、変ではないけど。
亜美ちゃんが着てみたいなら、いくらでも貸すよ。
……ありがとう。
だけど今は少し湿っているから、乾いてからの方がいいかも。
ん……そうよね。
でも、意外だな。
亜美ちゃんがあたしの制服を着てみたいだなんて。
……どうしてかしら、自分でも良く分からないの。
そうなんだ。
……あぁ、でも、そうね。
……。
揃いの制服を、着てみたかったのかもしれない。
……揃いの?
初めから、まこちゃんと同じ学校だったら……着られたのにって。
……同じ高校に行ったら、着られるよ。
……。
同じ高校なら、制服も同じだろ?
……そうね、同じね。
亜美ちゃんと同じ学校に行けるように、あたし、がんばるから。
……うん。
……。
……。
……十番中の制服、作れないわけではなかったんだ。
うん……。
だけど、特注になってしまうから……その分、お金が余計にかかってしまって。
あと、一年半だものね……。
……そうなんだ。
あの制服を着ているまこちゃん……私は、好きよ。
……ありがと、すごく嬉しいよ。
そうだわ……ね、私の制服を着てみる。
亜美ちゃんのを? あたしが?
どうかしら……?
……え、と。
ごめんなさい……いやよね。
いやじゃないんだ……けど、サイズが。
サイズ……。
……着られるかなって。
多分、大丈夫だと思うけれど……。
……ちょっと、ごめん。
え……ひゃっ。
……うーん。
ま、まこちゃん、待って……紅茶が、こぼれてしまうから。
……亜美ちゃんの方が、細いんだよなぁ。
ほ、ほそいって……あぁ、もぅ。
……だから、穿けない気がする。
まこちゃん。
え?
紅茶を、置かせて。
あ、うん。
……はぁ。
……。
もぅ……まこちゃんは。
ご、ごめん。
それで、穿けないって?
……腰回りがね、亜美ちゃんの方が細いんだよ。
ほ、細いと言っても、そんなに差は……んっ。
……亜美ちゃん、本当に細いなぁ。
ま、まこちゃん、やめて……。
……背中から、腰、お尻までのラインが、とてもきれいだ。
も、もぅ……。
……おなかも。
ま、まこちゃん……っ。
あ。
……もう、やめて。
あ、えと……ごめん。
……。
ごめんよ、亜美ちゃん。
……まこちゃんのばか。
あぅ。
……。
ご、ごめん、ごめんね。
……ゆるして、あげない。
あ、あぁぁ。
……ばか。
ごめん……本当に、ごめん。
……。
あ、亜美ちゃん……。
……ふ。
ふ……?
……もう、しない?
し、しない、もうしないよ。
……しても、いいけど。
え、いいのっ?
だめ。
お、おぅ。
……ふふふ。
亜美ちゃん……もしかして、面白がってる?
いいえ?
あ、はい、ごめんなさい。
……。
わ……。
……まこちゃんの、ばか。
う、うん……ごめん。
……でも、好きよ。
……っ。
……大好きよ、まこちゃん。
あ、亜美ちゃん……。
……私を好きになってくれて、ありがとう。
あ、あたしも……。
ん……まこちゃん。
……大好きだよ、亜美ちゃん。
……。
あたしを好きになってくれて……ありがとう。
……マーキュリーじゃ、なくて?
え、マーキュリー?
……私が、マーキュリーの生まれ変わりだから。
あたしが好きになったのは亜美ちゃんだよ。
マーキュリーじゃない。
……本当に?
そもそも、前世なんて知らなかったんだ。
好きになりようがないよ。
……。
亜美ちゃんは……あたしが、ジュピターだから。
違うわ。
……。
まこちゃんが、まこちゃんだから……私は、好きになったの。
……あたしも、そうだよ。
……。
亜美ちゃんが、亜美ちゃんだから……。
……同性同士、なのに。
そんなの、関係ないくらいに亜美ちゃんのことが好きなんだ。
……。
……乾いたら、着てみよっか。
制服……?
うん……制服。
……今日中に、乾くかしら。
もしも、乾かなかったら……。
……。
……帰ってきてからでも、いいんじゃないかな。
ん……そうね、いいと思う。
……。
……。
ね……お風呂から出たら、夕ごはんを作るよ。
……私も、作るわ。
うん……ふたりで作ろ。
ね……まこちゃん。
……なんだい。
私、私ね……帰ってきたら、やりたいことがあるの。
やりたいこと……?
帰ってきたら……もっと、まこちゃんと恋がしたい。
……。
もっと……もっと、あなたと。
……あたしも、したい。
……。
亜美ちゃんと、もっと恋をして……もっと、愛し合いたい。
まこちゃん……うん。
……きっと帰ってこよう、ここに。
ええ……きっと。
大丈夫……あたし達なら、帰ってこられるよ。
……みんなで。
うん……みんなで。
……。
……。
……大好きよ、まこちゃん。
あたしも大好きだよ……亜美ちゃん。
12日
……。
……あみちゃん。
うん……なぁに。
その……だいじょうぶ?
わたしは……だいじょうぶ。
……どこも、いたくはない?
ん、いまのところは……。
……。
しんぱいしないで……ほんとうに、どこもいたくないから。
……きもちわるくは、ない?
だいじょうぶ……へいきよ。
……。
まこちゃんは……だいじょうぶ?
……だいじょうぶ、
じゃない……?
……ごめん。
どうして?
あまりにも……あまりにも、だめすぎて。
ううん……だめではないわ。
……ほんとうに、ごめんよ。
あやまらないで……?
……。
はじめてのこと、なのだから……そんなに、おもいつめないで。
……はじめて。
そう……私達にとっては、初めてのことよ。
……むかしのきおくなんて、ほんとうにやくにたたない。
……。
じぶんのじゃないきおくなんて……じゃまでしか、ない。
……まこちゃんは、ジュピターじゃない。
亜美ちゃんも、マーキュリーじゃない。
……私達には、その記憶があるだけ。
それだけで……同じじゃ、ないんだ。
……。
だから……同じようにしちゃ、だめなんだ。
それなのに……どうしても、躰がそれに従ってしまう。
……。
……何かに抗っているように、見えたから。
亜美ちゃん……どうして。
……瞳の色が、どこか苦しそうだったの。
……。
揺れて、滲んで……最後には、歪んで。
……だから、止めてくれたの。
続けても、良かったの……でもやっぱり、まこちゃんが苦しそうで。
このまま続けたら……まこちゃん、後悔するんじゃないかって。
……。
そう、思ったから……。
……期待、してるんだ。
期待……?
それが、見たいって……早く、見たいって。
……期待って?
あたしの中の、あたしではないあたしが……マーキュリーのような反応を、亜美ちゃんに求めて。
……ジュピター。
そのせいで、亜美ちゃんに……痛い思いを、させてしまって。
あんな風にするつもりなんて、なかったのに……。
……。
……違う、記憶のせいじゃない、流されたあたしが悪いんだ。
まこちゃん……。
だけど、それでもこんな……こんなのは、本当に消えて欲しい。
前世なんて、どうでもいい……あたしは、あたしのままで、亜美ちゃんと。
……今は、割り切るしかないと思うの。
わりきる……。
……消えることを願うよりも、知識として、利用する。
ちしき……。
……躰が、心が反応してしまうのは、今は仕方がないわ。
それが、どうしてもいやなんだ……あたしは、亜美ちゃんを傷付けたくない。
私達は所詮、彼女達の生まれ変わり……どう足掻いても、それから逃れることは出来ない。
それはきっと、ずっと私達の中にあって……どんなに願ったところで、消えることはないと思うの。
……。
でもね、
だとしたら。
……。
だとしたら……あたしは、もう。
まこちゃん……。
自信が、ないんだ……また、繰り返してしまいそうで。
……繰り返してしまおうとも、最後まで飲み込まれなければいい。
いつか、
たとえ、生まれ変わりであろうとも。
……。
それでも、私達は私達。
むかしの私達はもう、どこにもいない。新しい時を紡ぐことも、ない。
あるのは、その記憶だけ。
……。
これからも思い出すことはあるかもしれない……でも、大丈夫。
まこちゃんは、そんなものには飲み込まれないわ。
……亜美ちゃん。
今の生の記憶は、私達だけが紡いでいけるの。
これからも、ふたりで紡いでいくの。
……亜美ちゃんは、強いね。
ひとりでは、ないから。
……あ。
まこちゃんが、いるから……いてくれるから、考えることが出来るの。
……。
ひとりだったら……記憶に囚われて、身動きが取れなくなってしまっていたかもしれない。
水野亜美としての生を放棄して……前世の延長のような生き方を、選んでしまったかもしれない。
まこちゃんのことだってきっと……木野まことではなく、ジュピターとして見てしまっていたかもしれない。
……あみちゃん。
私ね……まこちゃんとこうしているだけで、とても気持ちがいいと思えるの。
心地好いと、感じることが出来るの……。
……。
ね……好きなひとと肌を重ねるって、とても気持ちがいいものなのね。
……そうだね、すごく気持ちがいい。
まこちゃんも、そう思う……?
……うん、思う。
そう……良かった。
……亜美ちゃん、あたし。
今感じているふたりの熱は、私達のもの。
今、この時、私達が新しく紡いだ記憶。
……。
そう、この記憶は私達だけのもの……前世のふたりにはない記憶、到底知ることのない記憶なの。
……あぁ。
ね、まこちゃん……少しずつ、少しずつね。
……少しずつ?
何度も、繰り返して……前世なんて関係ない、私達だけの形を作りましょう?
あたし達だけの、形……?
……前世のふたりの形、今の私達の形、それはきっと似て非なるもの。
……。
だから……その、こういうことの。
……あ、そういうこと。
きっとね、すぐには出来ないと思う。
……。
だけど……焦らないで。
……。
探りながら、見つけていくの……時間を、かけて。
……記憶が、邪魔をするかもしれない。
そうね……そうかもしれない。
何度も、亜美ちゃんを傷付けてしまうかもしれない。
……私は、傷付かないわ。
だけど、痛みを……さっきだって、そんなに力を入れたつもりはなかったんだ。
……。
でも……でも。
……多分、だけれど。
……。
それは、私の躰が慣れていないせいも、あるのかもしれない。
……慣れて?
慣れという言い方は、適切ではないかもしれないけれど……。
……。
ジュピターとマーキュリーも……何度も、繰り返していたと思うの。
何度も……。
……それで、少しずつふたりの形にしていった。
……。
ね……ふたりの初めての記憶、まこちゃんにはある?
初めての……いや、ないかな。
……私にも、ないわ。
……。
ね、考えてみて……何度も肌を重ねていたふたりにだって、初めての時はあったということ。
初めてがない事柄なんて、世の中にはないのだから。
……たしかに、そうだ。
そして、もしかしたら……初めては、思うようには出来なかったかもしれないということ。
……出来た、かも。
初めから出来たと、まこちゃんは本当にそう思う?
……あたしは。
……。
……腹が立つから、やっぱり出来なかったと思う。
腹が立つ……?
……あたしの前世のくせに、最初から出来るほど器用なわけがない。
……。
記憶がないのも、きっとそのせいだ。
あたしに、見せたくないんだ。
……ふ。
マーキュリーにとっても、あまり良くなかったのかもしれない。
だから、亜美ちゃんにもその記憶が……?
ふふふ……。
……亜美ちゃん?
ね、そもそも出来るってどういうこと……?
……え。
だって、そうでしょう……?
抱き合って、触り合って、感じ合って……。
……え、と。
どこでどう、判断するものなの……?
……むね、いたかったよね?
軽い痛みは、あったけれど……。
……むねだけじゃ、ない。
それ以上に、よく分からなくて。
……は。
そうされると、気持ちが良くなるものだと……そう、思っていたの。
ううん、思わされていたの……だって、記憶では、そうだったから。
あの……痛いだけでは、なかった?
痛いだけでは、なかったわ……なんだか、不思議な感覚で。
ふしぎ……。
……なんとなく、くすぐったくもあって。
それは……全然、だめなんじゃ。
だけどね、嫌ではなかったの。
……。
ねぇ、まこちゃん、唐突だけれど胸に触ってみてもいい?
え、今?
ん、今……さっきは、少ししか触れなかったから。
……。
だめ……かしら。
だ、だめでは、ないけど。
じゃあ……いい?
う、うん……いい、よ。
……なら。
う、ん……。
……。
……う。
やわらかい……。
……あみちゃん、そういうことは。
はずかしい……?
……。
かおが、あかい……。
……あっ。
ごめんなさい、痛かった……?
い、いや、痛くはないけど……ない、けど。
……いや?
いやでも、ないよ……ないんだけど、なんか。
……わからない?
……。
……まこちゃん。
むねを、こんなふうにさわられると……。
……。
その……もっと、こう。
……記憶の中に、あったような?
けど、なんか……なんか、ちがうん、だ。
……。
あみちゃん……あの、さ。
ごめんなさい……もう、離すわ。
……ふわふわ、する。
ふわふわ……?
頭の中が……亜美ちゃんに、触れられていると。
……。
思っていたものと、違うけど……気持ちがいいと、思うんだ。
……。
でも……ん、少しくすぐったいかも。
……おなじ。
おなじ……?
……私も、そうだった。
……。
もしかしたら、これが……私達の、始まりの形なのかもしれない。
……そう、なのかな。
今は分からなくても、振り返ったらそうだったのかもしれないと……。
……つまり、未来のあたし達にしか分からない?
多分……ね。
……。
ん……まこちゃん。
……もう少し、こうしてたいな。
うん……してましょう。
……気持ちいいね。
ん……とても。
……外は寒いのに、ここはあったかい。
お部屋の中の温度も、大分上がったわ……。
……あのさ、亜美ちゃん。
なぁに……?
……下着、放り投げちゃって。
あぁ……いいわ、そんなこと。
その……うまく、はずせなかったし。
ふふ……まこちゃんの手、ふるえていたわ。
……意外と、難しかったんだよ。
まこちゃんは、器用なのにね……。
……良かった、うっかり引き千切らなくて。
そんなに……?
……力の加減が、いつもよりままならなかったんだ。
……。
これも、慣れなのかなぁ……。
……練習、してみる?
え、れ、練習……?
……回数をこなせば、まこちゃんの手先なら
ま、待った。
……しない?
そ、そんな練習……あ、亜美ちゃんは、いいの?
私は……いいけど。
い、いいのっ?
し……声が、大きい。
あ、ご、ごめん……。
……それとも、ほかのひとでしたい?
はっ、な、なんでっ?
……なんとなく。
や、な、なんとなくで、そ、そんなこと言わないで?
……まこちゃんが
亜美ちゃんは、それでいいの?
あ、あたしが、ほかのひとで、
……。
あ、亜美ちゃん?
……よく考えてみたら、いや。
よ、よく考えてみなくても、いやだよ……。
……そうよね。
そうだよ……。
……もしも、私が
絶対、いやだよ。
……私も、いや。
もう、言わないで……ね?
……うん、もう言わない。
はぁ……びっくりした。
……ねぇ、まこちゃん。
な、なに……?
……練習は、する?
う……。
……しない?
し、したい、けど……ど、どんな風に、すればいいのか。
……どんな風に?
裁縫とか、料理とか、運動とか、そんなのとはまた違うだろう……?
全っ然、違うだろう……?
……。
どんな顔で、すれば……。
……言われてみれば、そうよね。
え、えぇ……。
……私、何を言っているのかしら。
れ、練習するのは、いいと思うんだ……。
……。
いいと、思うんだけど……。
……そういうことを、すればいいのかしら。
へ……。
……そうすれば、練習に。
……。
つまり……。
……今、してもいい?
え、今……?
そ、そう……今。
……それって。
し、したい……。
……そういう、雰囲気だった?
そ、そういう、きもちに、なった……。
……ええ、と。
あ、あみちゃんが、い、いやなら、し、しない……。
……。
ん……あみちゃん。
……いいわ、まこちゃん。
ぅ……。
……しましょう?
……。
じゃあまず、下着を……ん。
……それは、いいかな。
でも、練習……。
……それは、また今度。
……。
は、はずしたところからじゃ、だ、だめ……?
……ふふ。
えと……おかしい?
それとも、だめ……?
……ううん、うれしくて。
……。
もういちど、ね……。
うん……もう、いちど。
11日
……抑えているからお先にどうぞ、まこちゃん。
ありがと、亜美ちゃん。
……。
鍵、初めて使ってみてどうだった?
どうって……玄関を開けるのは、これが初めてではないし。
その鍵で開けるのは初めてだろ?
……別に、いつもと変わらないわ。
全然、変わらない?
……。
ん?
……変わらないわ。
ん、そっか。
……でも。
いいよ。
……。
変わらないほどに、あたしの部屋の鍵が亜美ちゃんに馴染んでいるということだろうから。
……まこちゃん。
じゃあ、お先に。
……この鍵は今まで、まこちゃんのものだった。
……。
それが今、私の手の中にあって……。
……もう、返さないでいいんだよ。
……。
さ、亜美ちゃんも入って入って。
ん……今、入るわ。
うん。
……。
おかえり、亜美ちゃん。
……ただいま、まこちゃん。
部屋の中、寒いな。
早く
まこちゃんも、お帰りなさい。
……。
お帰りなさい。
うん……ただいま。
……。
ほっぺた、冷たいね。
……まこちゃんも。
今、部屋を温めるから待ってて。
ん……。
はぁ……うーん、朝よりも冷えてるな。
……。
部屋の中で吐く息がほんのり白いとか、笑えない。
冷蔵庫が冷凍庫になっているような気分だよ。
はぁ……本当、仄かに白いわ。
ふたり仲良く凍っちゃう前に、暖房、暖房っと。
あの、まこちゃん。
靴、濡れてるよね。部屋の中で乾かそう。
部屋の中に上げちゃっていいよ、今置くところ作るから。
……ありがとう。
んーん、あたしも乾かすからさ。
こういう日は、いくら撥水性が高いと言っても、革靴は適さないわね。
長靴がいいのかな、やっぱり。
ん、これで良し。いいよ、亜美ちゃん。
それも、滑り止めがしっかりしているものがいいと思うわ。
ありがとう、まこちゃん。
と言っても、学校には履いていけないんだけどね。
そうなのよね。
デザインもなぁ、もう少しおしゃれなのがあればいいんだけど。
ちょっと野暮ったいんだよね、大人用の長靴って。
それに、歩き辛いし。
そうそう、そうなんだよね。
運動靴とまでは言わないけど、革靴くらいの履きやすさにはして欲しいな。
足首くらいの長さだと、丁度いいかもしれないわ。
丈が短くなることで、重さも軽減されると思うし。
あ、それはいいかも。
おしゃれだと学校には向かないとされそうだから、シンプルで機能性に優れているものだといいかもしれない。
そういうの、あればいいんだけどなぁ……あと、少しくらいおしゃれでもいいと思うんだ。
学校以外なら、おしゃれでもいいと思うのだけど。
まぁ、なんにせよ、だめなんだよね。
どうしても、校則がね……登下校時、女子は革靴と定められているから。
校則かぁ……小学生の頃は、履いて行ったのにな。
低学年の頃なんてさ、新しい長靴を買ってもらうと雨が降るのが待ち切れなくて、家の中で履いてみたりしてさ。
ふふ、そうなのね。
亜美ちゃんは違った?
私は、あまり。
そっかぁ、可愛いと思うんだけどなぁ。
……それ、私が楽しみにすることと関係ないわよね?
関係ないけど、絶対に可愛いと思って。
……思えば、小学生の頃は校則らしい校則ってなかったわよね。
え、なに?
小学校に校則、まこちゃんが通っていた学校にはあった?
ん、言われてみれば、なかったかも。
もしかしたらあったかもしれないけど、聞いたことないや。
うるさく言われたのは、せいぜい、名札はちゃんとつけろぐらいじゃないかな。
名札は毎朝、登校時にチェックされる期間があったわ。
あー、あったあった。
うっかり忘れちゃうと、先生に注意されるんだ。
流石に、取りに行かされることはなかったけど。
どのみち、注意されるのにね。
そうなんだよね、注意されるのが登校時かその後かの違いってだけで。
結局見つかって、注意されるんだ。
あとは、身だしなみかしら。
そういや、先生に鼻を拭いてもらってる子がいたよ。
シャツがだらしなくてはみ出してると、入れてもらったりね。
ふふ、そういう子もいたわね。
あとは、通学帽かなぁ。
つうがくぼう?
亜美ちゃんは被らなかった?
紺色の帽子をね、登下校の時に被るんだけど。
うちにはなかったわ。
忘れるとやっぱり注意されるの?
うん、される。
通学帽は髪の毛が潰されちゃうから、女子が嫌がってたよ。
まこちゃんも?
通学帽を被ると、この高さではポニーテールが出来ないからさ。
被らないでいいなら、被りたくなかったかな。夏の日差しが強い時は、まだいいんだけどね。
男子も被るのよね?
被るよ、男子と女子でほんの少しだけデザインが違うんだ。
あと、一年生は黄色の帽子。
黄色?
そ、黄色。
ひよこみたいで、可愛いだろ?
ひよこ……まこちゃんも、被ってた?
勿論、被ってたよ。
……ひよこ。
その頃は、別に嫌じゃなかったっけ。
一年生になれたことが嬉しかったから。
……。
ん、亜美ちゃん?
……その頃のまこちゃんの、身長は。
みんなよりも、大きかったけど……これくらい、かな。
これくらい……やっぱり、今よりもずっと小さいわ。
そうだね、今よりはずっと小さいよ。
……今のまこちゃんは、とても素敵だけれど。
ん、ありがと。
……ひよこのまこちゃんも、可愛いわ。
お。
……ふふ。
んー……。
……。
写真、あったかも。
本当?
うん、入学式のがあったかもしれない。
見せてもらってないわ。
今、思い出したんだ。
……今?
他のところにしまいこんで、そのままなんだと思う。
……今日は。
今日はちょっと、難しいかな。
どこにしまいこんだかまでは、思い出せてないから。
そう……じゃあ、今度ね?
うん、今度ね。
……。
楽しみ?
……言わない。
えー。
……ふふふ。
まぁ、いっか。
亜美ちゃん、もう少ししたら、着替えるだろ?
ん、着替える。
着替えたら、ふたりで雪だるまを作ろう。
どうしても作りたいのね?
うん、作りたい。
ところで、電話はしなくてもいいの?
あ、そうだった。
番号は……ここに、書いておくわね。
うん、分かった。
……。
少し、暖かくなってきたかな。
はぁ……うん、息白くない。
……ん、これでいいわ。
ねぇ、亜美ちゃん。
うん?
お風呂、どうしようか。
雪だるまを作り終わって戻ってきた時に、すぐに入れる方がいいよね。
私はシャワーでもいいわ。
冷えた躰をあっためるなら、お風呂の方がいいと思うよ。
なんだったら、一緒に入ろ。
……。
なんて、それはまだないよね。
……いいわ。
え?
……一緒に、入っても。
い、いいの?
……ん。
せ、狭いけど、本当にいい?
……まこちゃんさえ、良ければ。
あ、あたしは、いいよ。
……なら、いいわ。
……!
……暖かくなってきたし、とりあえず、着替えましょう。
う、うん、そうだね……。
……。
着替え、着替えと……これで、いいかな。
……ねぇ、聞いてもいい?
な、なんだ……あっ。
……。
な、なに、亜美ちゃん……。
……私の部屋で、私が着替えようとした時のことなのだけれど。
う、うん。
……どうして、あって言ったの?
え……?
……私が、スカートを下ろそうした時。
……!
今も……言ったわ。
……それ、は。
ね……どうして、目を逸らしたの?
ど、どうしてって……着替えを、見ないようにする為だけど。
……今も、そう?
今も、そうだよ……。
……そう。
見たら……じっと、見てしまいそうで。
……。
あ、いや……その。
ね……。
……。
あって、なんだったの……?
どうして、あって言ったの……?
そ、それは……目の前で、亜美ちゃんがスカートのファスナーを下ろそうとしてたから。
……今は?
い、今は……その、もう、下ろしてるとは思わなくて。
……。
だ、だから……つい、声が出ちゃったんだ。
着替えなら、もう何度もしてきたわ。
そう……なん、だけど。
……恋人ではない頃は、わざとらしく目を逸らされたことなんてなかった。
じ、じっと見たこともないよ。
……。
い、今は……じっと、見てしまいそうだから。
……見たいの?
……。
お風呂は平気なのに……着替えは、平気じゃないの?
……それ、は。
ねぇ、どうしてなの?
……う、ぁ。
教えて……まこちゃん。
あ、あみ、ちゃん……。
……。
い、今、制服、は……。
……着ていないわ。
……っ。
……下着は、つけているけれど。
あ、あぁ……。
……。
と、とりあえず、は、離れた、方が……。
……どうして、離れないといけないの?
あ、あたしが、着替えられない、から……。
……。
あ……。
……まこちゃん。
あ、あみちゃん……。
……どきどき、する?
ど、どきどきしすぎて……し、心臓が、口から。
……心臓?
飛び出しちゃい、そうだよ……。
……。
あみちゃんは……し、してる?
……してる、わ。
……。
……まこちゃん、私。
ご、ごめんっ。
……ぁ。
は、離れてもらっても、いい……?
……。
お願い……。
……ごめん、なさい。
……。
……もう、しないから。
亜美ちゃん。
……え、あっ。
……。
まこ、ちゃん……。
……離れてくれないと、抱き締められなかったから。
ぅ……。
……ね、分かる?
なに、が……。
……あたしの心臓が、やかましいくらいに、鳴ってるの。
……。
分からない……?
……からだがあついことは、わかるわ。
そっか……うん、それでもいいや。
……とても、あつい。
多分……2度くらい、上がってるかも。
……まこちゃんの平熱は、36度後半だから。
だから……?
……2度も上がったら、高熱状態で。
誰だって、2度も上がったら高熱状態だと思うよ……。
……。
……亜美ちゃん、あたし。
夜では、ないのに……。
……。
……ごめんなさい、まこちゃん。
どうして、謝るんだい……?
……雰囲気が、分からない。
あぁ……。
……だけど、だけど。
我慢、してたの……?
……。
……亜美ちゃんの部屋に、いた時から。
雪で、冷えると思った……。
……。
……だけど。
あたしも、同じだよ。
……。
……でも、心の熱はちっとも冷えてくれなかった。
……。
あたしも、早く……亜美ちゃんに、触れたくて。
……。
雪が降っていなければ……あたしは、亜美ちゃんの部屋で、亜美ちゃんを。
……まこちゃん、も。
……。
……まこちゃんも、ぬいで。
うん……すぐに、ぬぐよ。
……ゆきだるま、は。
また今度でも、構わないさ……。
……その、おわったら。
いまは、そこまでかんがえられない……。
……ん、ぁ。
はぁ……あみちゃんの、においだ。
……。
……ぬいだら、ベッドに。
う、ん……。
……あ、でも。
なに……。
したぎ……ぬがしても、いい?
……。
だめ……?
……ばか。
あ、ごめ……。
……ベッドのなかじゃなきゃ、いや。
……。
……はずかしい、もの。
わ、わかった……じゃあ、ベッドのなかで。
……きゃっ。
あ、亜美ちゃんは、先に……ベッド、に。
え、え……。
……。
……ん、まこちゃん。
……。
まこちゃん……どうしたの?
あぁ……やっぱり、だめだ。
……なに、が。
やっぱり、見ちゃう……。
……。
あみちゃんが、とても……あ。
……はずかしいから、みないで。
こ、これから、みるのに……?
……そういうこと、いわないで。
いや、でも……。
いわないで。
は、はい、ごめんなさい……。
……。
……かわいい。
はやく、ぬいで。
……。
わたしばかり……はやく、まこちゃんも。
……あぁ、分かってるよ。
……。
すぐに……すぐに。
……。
あー……手が、ふるえてる。
……なんだったら。
くそ……。
……私が、脱がして。
え、な、なに?
……なんでもない。
そ、そう?
……いいから、はやく。
ま、待って……。
……。
……よ、よし。
……。
あ、あみちゃん……いい?
……いいから、はやくきて。
う、うん……はやく、する。
……。
……めくる、よ。
だから……いわないで。
や、おどろかせちゃったら……と、おもって。
……いまさら、だもの。
そ、そっか……。
……。
……。
…………まこちゃん。
あみ、ちゃん…………。
……はやく。
う、ん……。
……は、ぁ。
いきが……あつい。
……こうなる、のね。
こ、こうなるって……?
……きかないで。
……。
ん……。
……あ。
……。
ご、ごめん、急に触って……。
……さわるもの、でしょう?
……。
そういうもの、なのでしょう……?
……ぅ。
だから……わたしも。
……あぁ、もう。
……?
まこちゃん……?
きおくなんて……ちっとも、やくにたたない。
きおく……。
……はらたつ。
え……?
……。
あ、あの、わたし……。
……だいじょうぶ、あみちゃんにじゃないから。
……。
きおくといえば……わかる、だろ?
……わかる、わ。
……。
……私は、癪なの。
うん……よく、わかる。
……。
……。
……ね、まこちゃんのことがもっとしりたい。
あたしも……あみちゃんのことが、もっとしりたい。
……きおくを。
あたしたちのもの、に……。
……あ、ん。
やめない、よ……。
……。
……だけど、いまなら。
やめて……。
……。
なんて、いわないわ……。
……いやじゃ、
ないもの……。
……。
……きて、まこちゃん。
うん……あみちゃん。
10日
……真っ白ね。
……。
まこちゃん、何をしているの?
出来た。
見て、亜美ちゃん。
なに?
これ。
……字?
なんて書いてあると思う?
……。
ん?
……小学生?
雪が降った時にしか、出来ないからさ?
……もぅ。
えと、読めなかった?
……読めた、けど。
けど?
口に出しては、読まない。
読めたなら、それでいいよ。
待っててくれて、ありがと。
雪だるまでは、なかったのね。
雪だるまは、着替えてから作ろうと思う。
制服が濡れちゃうと、面倒だし。
その方がいいと思う。
あと、早く並べたいし。
……。
さ、中に入ろうか。
待たせてごめんね。
これくらいなら、いいけど。
お米、忘れないでね。
ん、忘れないよ。
……。
知ってると思うけど、少し坂になってるから気を付けてね。
うん。
……。
……きゃっ。
亜美ちゃんっ。
……。
大丈夫かい?
び……っくりした。
平気……?
ん、平気……まこちゃんのおかげで、転ばなかったから。
あぁ、間に合って良かったよ。
……はぁ。
どきどきしてる?
……少し。
……。
なに……?
ん……そのどきどき、取っておいて欲しいなって。
……どうやって?
流石に無理……?
……同じじゃないもの。
同じじゃない?
それよりも、まこちゃん。
えと……やっぱり、どこか痛い?
ううん、痛みはないわ。
どした?
まこちゃんの鞄と傘が。
鞄と傘?
手を離した勢いで。
……あ。
待ってて、今拾うわ。
あ、亜美ちゃん。
……。
自分で、
はい、まこちゃん。
まずは鞄を。
ありがとう、傘は自分で、
傘は、閉じてしまってもいい?
あ、うん。
……きれいな緑。
お気に入りなんだ。
知ってる……だから、曲がってしまわないで良かった。
……ありがとう、亜美ちゃん。
ううん、元はと言えば私が滑ってしまったから。
鞄、濡らしてしまってごめんなさい。
鞄なら、ここに来るまでに濡れちゃってたから。
そんなことより、亜美ちゃんが無事で良かったよ。
……ありがとう、まこちゃん。
ん、どういたしまして。
……気を付けていたのに。
仕方ないさ、そういうこともあるよ。
とにかく、亜美ちゃんが怪我をしないで本当に良かった。
こういうの、不幸中の幸いって言うんだよね?
……。
あれ、違った?
……少し大袈裟かも、転んではいないのだし。
でもさ、ひやっとはしたろ?
……した、けど。
あたしも、ひやっとした。けど、それくらいで済んで良かった。
あたしにとっては、不幸中の幸い。
……まこちゃん。
ね、いいだろ?
……意味は、正しく覚えておいてね。
ん、分かってるよ。
……。
亜美ちゃん、傘、ありがと。
傘は、私に持たせて。
え、でも。
お願い、まこちゃん。
うん、分かった……じゃあ、お願い。
ん。
自分の、閉じられるかい?
大丈夫よ。
……。
……ね?
買い物の荷物とあたしの傘を持ったまま、器用だなぁ。
これくらい、まこちゃんだって出来るじゃない。
そうだっけ。
雨の日のまこちゃんの器用さは、誰も敵わないわ。
いやぁ、それは褒め過ぎだよ。
だけど私は、そう思っているから。
へへ……そっか。
ん……そうよ。
……。
……照れてる?
亜美ちゃんに褒められると、嬉しくて。
……まこちゃんは、褒められた方が伸びるタイプだと思うの。
あ、あまり褒められると、調子に乗っちゃうからさ?
……照れてるまこちゃんも、見たいし。
あ、あー……。
……ふふふ。
し、しっかし、入口。
うん?
雪が、ばっちり積もっちゃってて。
これは、明日が大変そうだなぁ。
管理人さんは、いないのよね。
亜美ちゃんのマンションは、管理人さんがやってくれるのかい?
入り口はやってくれるみたい。
そっか、いいなぁ。
うちは住人でやることになるんだろうけど、多分、やるひとはあんまりいないと思うんだ。
自分には関係ないと思ってさ。
……入り口は、みんなが使う場所なのに。
そうなんだけど、誰かがやるだろうと思ってやらないんだよ。
さて、どうしたもんかな。
……誰かがって、まこちゃん?
ん?
もしかして、まこちゃんが。
明日がなんでもない日なら、しても良かったんだけどね。
……なんでもない日だったら、するの?
うん、すると思う。
入り口は、みんなが使う場所だし。
……。
誰かがやらないと困るしね。凍っちゃったら、危ないだろ?
少し坂になってるし、段差もあるし。
……いつも、そうしているの?
雪掻きは、初めてだよ。
引っ越してきてまだ半年くらいだし、初めての冬だし。
雪掻き以外のことも。
まぁ、気が付いたらだけどね。
……大人は、しないの?
してるひともいるよ、当番もあるしね。
……。
さ、中に入ろう。
……うん。
んー、中も濡れてるなぁ。
亜美ちゃん、気を付けてね。
まこちゃんも……。
……うぁっ。
まこちゃんっ。
び……っくりしたぁぁ。
まこちゃん、大丈夫?
ん、大丈夫。
ギリギリセーフだった。
あぁ、良かった……。
あたしは、セーフだったんだけど。
え?
その、また鞄が。
……あ。
二回も飛ばされて、鞄もびっくりだよね。
今、拾うわ。
ありがとう、何度もごめんね。
いいの、気にしないで。
ん……。
……大分濡れてしまってる、ちゃんと乾かさないと。
明日、お休みで良かったよ。
でも、一日で乾くかなぁ。
とにかく、部屋の中を温めましょう。
そうすれば、いくらかは乾く筈だから。
ん、そうする。
鞄、持つわ。
ありがとう。
でも、傘と荷物を持ってもらってるから。
……。
ありがと、亜美ちゃん。
……転ばないで、怪我をしないで、本当に良かった。
うん、不幸中の幸いだ。
……不幸なのは、鞄?
はは、そうかも。
にしてもお米は離さないんだよね、あたし。
お米?
がっちり抱えたままでさ。
そういえば、そうね。
鞄よりもお米の方が大事なのかも。
……。
あ、勿論、鞄も大事だよ?
教科書とノートが入ってるし。
……ううん、お米の方が大事。
……。
食べ物は、大事にしないとね。
……鞄も、大事にするよ。
ん……そうしてあげて。
……それと。
……?
さっきは、片手で間に合ったから離さなかったんだと思うけど。
間に合わなかったら、あたしはお米でも躊躇なく手放すよ。
……。
亜美ちゃんが、何よりも一番だから。
まこちゃん……。
じゃあ、気を取り直して。
あたしの部屋に行こ。
うん……。
くれぐれも、足元には気を付けて?
ふふ……まこちゃんもね?
はい、気を付けます。
私も、気を付けるわ。
……。
……。
はは。
ふふ。
行こ、亜美ちゃん。
うん。
エレベーター、エレベー……ん、あれ?
なに、どうしたの?
ボタンを押しても、反応しないんだ。
もう一度、押してみて。
うん。
……。
ね、反応しないだろ?
……本当。
もしかして、停まってる……?
……。
……停まってる、よね?
停まっているわ……。
え、なんで?
雪の影響、なのかしら。
雪は、中まで入ってこないよね?
……停電とか?
嘘だろ……。
……それか、故障。
故障……?
……かも、しれないわ。
嘘だろぉ……。
この場合、連絡をした方がいいのかしら。
どこに?
エレベーターの会社に。
連絡先は、ここに書いてあるけど。
うーん……した方がいいのかな。
先に気が付いた誰かがもう、しているかもしれない。
んー……亜美ちゃん、番号を控えてもらってもいいかい?
ん、分かったわ。
今、書くものを……。
……ううん、いらないわ。
え……?
……。
亜美ちゃん……?
……うん。
えと……もしかして。
覚えたから、大丈夫。
え、すごい。
そんなことはないわ。
そんなことあるよ、ちょっと見ただけで憶えちゃうなんてさ。
あたしは、市外局番がやっとだよ。
……。
あれ……照れてる?
……もう、本当にすごくないから。
えー、すごいって。
忘れちゃう前に、行きましょう。
忘れないと思うけどなぁ、亜美ちゃんなら。
まこちゃん?
うん、行こう。
電話は、まこちゃんがかけた方がいいのかしら。
住んでるのはあたしだし、あたしがかけるよ。
そう。
なら帰ったら、メモに。
うん、お願い。
……。
帰ったら、か。
……なに?
あたしの部屋、亜美ちゃんが帰るところでもあるんだなって。
……ごめんなさい、勝手に。
嬉しいから、謝らないで?
……。
自転車のおばあちゃんにもさ、私達の家って言ってたろ?
聞いてたの?
勿論、聞いてたよ。
……他に言い方が、思い付かなかったから。
そっか。
……まこちゃんだったら、なんて言うの。
あたし?
私の家に……行く途中だったら。
んー……友達の家、かな。
……そう言えば良かった。
あたしの部屋は、亜美ちゃんが帰る場所にひとつ。
……。
だとしたら、あたしはとても嬉しいから。
……私の家は。
亜美ちゃんのお母さんが、いるからね。
……いなかったら。
階段、雪が積もってなきゃいいな。
ね、亜美ちゃん。
……。
いなかったらなんて、考えちゃだめだよ。
……いつか、あの家を出るわ。
……。
そうしたら……私が帰るべき場所は、まこちゃんと暮らす家だけになる。
……亜美ちゃん。
母とは、完全に離れるわけではないの。
一定の距離を保って付き合っていこうと、そう思っているだけ。
一定の距離か……うん、いいんじゃないかな。
でしょう?
うん、とてもいいと思う。
……。
そうだ、亜美ちゃん。
……なぁに?
玄関の鍵、開けてもらってもいいかな。
鍵?
うん、いい?
ん、いいわ。
鍵、渡しておいても?
いいけど……鞄の中?
ううん、コートのポケット中。
すぐに取り出せるように、入れておいたんだ。
……左?
そう、左。
……ちょっとごめんなさい。
ん、どうぞ……。
……。
……あった?
ん、あった。
それ、あげる。
……はい?
合鍵、かな。
あ、合鍵?
そう……合鍵。
合鍵って、そんな……何を、言っているの?
……いらない、かな。
私達は、まだ……。
……恋人同士だよ。
けど、まだ子供で……。
亜美ちゃんと恋人同士になってから、ずっと渡そうって考えてた。
ま、まこちゃん……。
受け取って欲しい。
……こんな、場所で。
今しかないって、思ったんだ。
……。
全然、ロマンティックじゃないと思うけど……受け取って、もらえないかな。
……預かって、おくわ。
預かる?
……それじゃ、だめ?
ううん……いいよ。
……大事に、するわ。
ん……ありがと。
……。
ね……いつでも、使ってね。
……いつでも、なんて。
使って……亜美ちゃん。
……。
……部屋に帰って、亜美ちゃんがいてくれたら。
まこ、ちゃん……。
……お帰りなんて、言ってもらえたら。
……。
……すごく、しあわせだから。
無断で、入るのは……まだ、出来そうにないから。
……。
……入る時は、知らせるようにするわ。
通信機で……?
……だめ?
ううん……それでも、いいよ。
……。
……でも、びっくりさせてくれてもいいからね。
もぅ……こんなところで。
あ、うん……ごめん。
……。
……。
……びっくりさせても、怒らないでね。
びっくりしても、怒らない……怒るわけ、ない。
……なら、いつか。
うん……いつか。
9日
あの、良かったら家まで送ります。
いえ、あたし達なら大丈夫ですから。
ここから近くても、また起こるかもしれません。
そうなった時に、誰かがいた方が良いと思うんです。
あたし、家まで荷物をお持ちします。
なんだったら、自転車を押しても……いや、でも、危ないですから。
私達なら本当に大丈夫です。
私達の……家も、この近くなので。
せめて、荷物だけでも……そう、ですか。
分かりました……自転車は乗らずに、押した方がいいと思います。
路面は、今はまだ凍ってはいないと思いますが、万が一、また詰まってしまうようなことがあれば転倒してしまうと思いますので。
荷物はかごでいいですか……いえ、どういたしまして。
どうか、気を付けて下さい。
はい……さようなら。
……。
……。
……大丈夫かな、おばあちゃん。
家は、もうすぐそこだと言っていたけれど……心配だったら、ついて行っても。
……。
まこちゃん。
そっと、ついていこうか。
……うん。
しかし、タイヤの骨に雪が詰まると、前にも後ろにも動かせなくなっちゃうんだね。
押しても引いても、びくともしなくてさ。無理に押しても良かったんだけど、そしたら自転車が壊れちゃいそうで。
水分が多い雪だから、詰まって固まってしまったのだと思う。
私も、初めて見たわ。
……掻き出せるだけ、掻き出したけど。
まこちゃん、指は大丈夫?
真っ赤になっていたようだけれど。
ん、大丈夫。ちょっと悴んでいるけど、もう手袋をしているから。
亜美ちゃんこそ、大丈夫かい?
ん……私も、大丈夫。
……良かったら、あっためてあげるよ。
それは……後で。
……ん、分かった。
……。
……亜美ちゃん、やっぱり。
待って、まこちゃん。
なに。
誰かが来た。
誰か?
……。
家族……かな。
……恐らくは。
迎えに来てくれたんだ……。
……良かった。
あ……。
……。
……おばあちゃん、あたし達がいることに気が付いてたんだ。
そうみたいね……。
だけど、良かった……これで安心して帰れる。
……ん。
……。
……。
……雪の日に自転車に乗ったら、だめなんだな。
それはそうなのだけれど……おばあちゃんも、こんなに早く積もるとは思ってなかったんだと思う。
今は……5センチくらい、かな。
このままだと、10センチは積もると思う。
大雪だよね、この辺だと。
ええ……交通機関はもう、乱れていると思う。
そっか……それも、大変だ。
……行きましょう、まこちゃん。
ん、行こう、亜美ちゃん。
……。
……大粒だなぁ、雪。
明日は、路面が凍結してしまうと思う。
スケートは得意だけど、道路が凍ってるのはなぁ。
油断してるとすぐにつるっといくし、油断してなくてもつるっといってさ。
明日は、気を付けないと。
ん、気を付けよう。
……。
それにしても、前日にこんなに雪が降るなんて、
あ。
え?
……。
なに、どうした?
あそこ……。
どこ……あっ。
……事故、かしら。
そうかも……バイクが引っくり返ってるように見えるし。
……標識が、曲がってる。
標識に、突っ込んだ?
でも、どうして。こんなところで事故なんて。
もしかしたら、この雪でスリップしたのかもしれない。
バイクの他に、車両は見当たらないし。
大変だ、何か出来ることはないかな。
周りの人が救護に当たっているし、私達が行っても邪魔になるだけだと思うわ。
力が必要なら、例えばバイクを退かすとか。
ううん、何人かの男性で退かしているようだから。
あたしが入れるところは、ない?
行っても、中学生の女の子では……恐らく、危ないからと言われるだけ。
それでも、
見て、警察が来たわ。
警察?
向こう、バイクを押してる。
あ、ほんとだ。
警察でも、バイクに乗れないのか。
規制もされ始めてるし、中にはもう入れてもらえない。
……力なら、大人にだって負けないのに。
あとは、一刻も早く救急車が来てくれれば。
こんな天気だから遅れているのかもしれない。
あぁ、大きな怪我をしてなきゃいいなぁ。
……倒れてるひと。
うん?
倒れてるひと……出前のひと、よね。
うん、多分そうだと思う。
バイクの後ろに、出前の機械みたいのがついてるから。
ラーメン屋さんか、おそば屋さん……お寿司屋さんかな。
配達中だったのかしら……。
もしかしたら、帰りだったのかも。
帰り?
料理が散らばっているようには見えないから……や、雪に埋もれちゃってる可能性もあるか。
……こんな日はやっぱり、注文が多いのかしら。
うん、多いんじゃないかな。出掛けるのが億劫なひとは、確実にいるだろうし。
注文すれば持って来てくれる出前は、やっぱり、便利だよ。
家にいながら、あったかいおそばやラーメン、お寿司が食べられるしさ。
……そうよね。
亜美ちゃん?
……。
何か、気になることでもあるのかい?
……私も、頼んでしまうから。
出前?
……つい、便利で。
こんな日でも頼んでもいいと思うよ。
向こうもそれが仕事だし、本当に無理ならお断りかお休みすると思うし。
でも、そのせいで事故を起こしてしまったら。
だからさ、感謝の気持ちを忘れてはいけないと思うんだ。
……感謝の気持ち?
お金を払ってるからって、文句を言ったり偉そうにしたりするのは違う。
スーパーでさ、たまにいるんだよ。自分は客だぞって暴れてるバカが。
……飲食店で店員さんに、注文したものがなかなか来ないと怒っているひとを見たことがあるわ。
ああいうの、あたし大嫌いなんだ。
自分は客だから、金を出しているから、だからなんでもしていいと思ってるやつが。
なんでもしていいわけがない、していい理由なんてどこにもない。あるわけない。
……。
あのひとはただ、仕事をしていただけなんだ……誰かが、悪いわけじゃない。
……。
亜美ちゃんってさ、いつもありがとうって言うよね。
……え?
スーパーやカフェの店員さんに。
あたし、それが大好きなんだ。
……まこちゃん。
出前に来てくれたひとにも、ありがとうって言ってるだろう?
……うん、お金を払う時に。
そんな亜美ちゃんが、あたしは大好きなんだ。
……。
あ、救急車が来たみたいだ。
とりあえず、良かった。
……起き上がれたみたいだけれど、まだ動かない方が。
頭を打っている可能性もある?
ないとは言えないわ。
事故は一瞬のことだし、痛みがなくて、気付いていないこともあるから。
そっか……じゃあ病院に運ばれたら、検査はするのかな。
外傷が見当たらなくても、検査はすると思うわ。
検査……。
……こんな日でも、ストレッチャーを下ろせるのね。
……。
……まこちゃん?
ん、いや。
どうしたの?
少し、思い出しちゃって。
……何を。
亜美ちゃんが、救急車で運ばれた時のこと。
……
もう、行こうか。
……うん。
亜美ちゃん、足元には気を付けてね。
うん、まこちゃんも。
ん。
……。
うちは、もうすぐだ。
……あの、まこちゃ
ねぇ亜美ちゃん、亜美ちゃんは雪に思い出ってあるかい?
え。
あ、ごめん。何か言いかけてた?
もしも何か言いかけていたなら、先に
う、ううん、いいの。
それでごめんなさい、もう一度言ってもらってもいい?
雪に、何か思い出があるかなって。
雪に……そうね、父の絵かしら。
お父さんの絵?
家に、雪の絵があったと思うの。
雪の絵って……真っ白?
ううん、真っ白ではないわ。
他に何か描かれていたと思うから。
その絵は、今も亜美ちゃんの家に?
もうないわ。
いつの間にか、なくなっていたの。
……お父さんが持って行った?
その前になくなっていたと思う。
もしかしたら、売れてしまったのかも。
そうなんだ……見てみたかったな。
……私、その絵が好きだったの。
……。
……私の知らない場所、どこまでもきれいな白。
亜美ちゃん……。
そういえば、まこちゃんは父の絵を見たことがなかったわよね。
うん、ない。
亜美ちゃんのお父さんって、有名なんだよね?
そうみたい。
そうみたいって。
父は、家ではそういうことをあまり話したがらなかったから。
あまり聞いたことがないんだ?
あまりと言うより、全然ないの。
父は、絵を描くことが好きで……私には、その姿しか見せなかった。
……もう、一枚も残ってないのかい?
ええ……一枚も、ないわ。
……そっか。
ああでも、時々送られてくるハガキに描かれているものなら。
ある?
ん、何枚か。
今度、見てみる?
うん、見てみたい。
分かった、じゃあ今度私の部屋に来た時にね。
ありがとう。
あとは……個展をやっているみたいだけれど。
コテン?
個人展覧会。
父の絵だけを集めて開かれているの。
それ、どこでやっているの?
ギャラリーか、あとは多目的ホールを貸し切ってやっているわ。
あとは……少し大きめの美術館でも。
美術館……すごいなぁ。
父は、場所がどこであろうと、見てもらえればそれだけで嬉しいと言っていたわ。
それで、自分の絵が好きだと言ってもらえたら、より嬉しいと。
亜美ちゃんのお父さんって、あまり欲がないよね。
欲は、あると思うわ。子供の私には見せなかっただけで。
欲が全くないひとなんて、きっといないもの。
そっか、それもそうだね。
……父は、家に縛られるのが好きではなかったみたい。
……。
結婚という形が、父に合っていなかったのかもね。
母と、同じで。
……そういうひとも、いるんだ。
ひとには、向き不向きがあるから。
……。
……だからね、思うの。
何をだい……?
……私は、結婚に向いているのかなって。
……。
私も、両親と同じ性質を持っていたら……て。
やってみなきゃ、分からないよ。
……。
隔世遺伝、だっけ? そういうのもあるだろ?
お父さんとお母さんがそうだからって、おじいちゃんとおばあちゃんがそうだったとは限らない。
……。
違うかい?
……そう、ね。
ふふ、だろう?
確かに、父方の祖父母は仲睦まじかったと。
なら、亜美ちゃんもその性質を持っているかもよ?
……けど持っていなかったら、まこちゃんに傷を。
傷?
……離婚することを、バツイチと言うでしょう?
ばついち?
母が、影でそう言わていると……聞いたから。
けど、亜美ちゃんのお母さんは気にしてないんじゃない?
……母は、そうだけど。
まぁ、ね。
あたしは、出来ればバツイチにはなりたくないけど。
……。
だって、ずっと亜美ちゃんと一緒にいたいんだ。
だから、離婚したくない。するつもりもないんだ。
……今はしたくないと思っていても、生活を続けるうちに。
あーみちゃん。
……。
あたしと結婚したい?
……したい。
なら、今はそれでいいじゃないか。
……。
ね。
……私は、両親だけで出来ているわけじゃない。
そうさ、亜美ちゃんの中にはおじいちゃんおばあちゃん、おじさんおばさん、その前のご先祖様たちがいっぱいいるんだ。
……なんだったら、マーキュリーも?
前世は、どうだろ……けど、いるかも。
マーキュリーはジュピターと仲が良かったから、亜美ちゃんもあたしと……?
……ふふ。
あれ、可笑しかった?
ううん……その通りだなぁって。
だろう?
マーキュリーは、分からないけど。
あー、やっぱりそうかな。
……癪だから。
しゃく?
なんでもないわ。
ん、そか。
……。
ね、亜美ちゃん。
あたし達はあたし達の家を作ろう。
家?
そう、家。ふたりの家。
亜美ちゃんのお父さんとお母さんとは違う、勿論、あたしの両親が作った家とも違う。
あたし達だけの、家。
……うん、作りましょう。
約束。
ん、約束。
……。
……。
ところで、亜美ちゃん。
なぁに?
お父さんの個展のことなんだけど、今はやってる?
今は、やっていないわ。
次はいつやるんだい?
今年の4月にと、聞いているけど。
4月?
もうすぐじゃないか。
でも、東京ではないの。
え、どこ?
京都。
京都?
……ん。
京都かぁ……遠いなぁ。
行けない距離では、ないけれど。
折角亜美ちゃんと京都に行くなら、泊まりで行きたい。
……それは、難しいかも。
だよねぇ……。
……て、私も?
勿論さ。
……。
旅館がいいかな、ホテルがいいかな。
京都はやっぱり、旅館かな。亜美ちゃんはどっちがいい?
私は……旅館が、いいかも。
じゃあ、旅館にしよう。
待って、行くわけではないのに話を進めても。
いいじゃないか、話をするくらいなら。
新婚旅行の話もしたいし。
新婚旅行って……。
あたし、飛行機がだめだからさ……海外にも行きたいんだけど、どうすればいいかな。
船という手も、あるけど……。
船かぁ、いいかも。
あの、まこちゃん?
なんて、話してたら着いちゃった。
え。
ほら。
……本当。
さ、中に入ろ。
……。
……。
……まこちゃん。
ね、亜美ちゃん。
あのひと、大丈夫だったかな。
……きっと。
きっと、か……そうだと、いいな。
8日
……はい、まこちゃん。
ありがと、亜美ちゃん。
ううん、もたもたしてしまってごめんなさい。
気にしないで。
手が乾燥していると、なかなか開けないからさ。
それもあるけれど、いまだに上手に入れられなくて。
入れたら切れちゃうのも、良くあることだよ。
あとは、シールがくっついちゃったりさ。あれも結構、厄介なんだ。
もう何度もまこちゃんとお買い物をしているのに……なかなか、上達しない。
上達したいのかい?
少なくとも、もうちょっと上手に入れられるようになりたいと思うわ。
あまり器用ではないと思っていたけれど、ここまで下手だと。
下手では、決してないと思うけどな。
亜美ちゃんはむしろ、上手だよ。丁寧でさ。
まこちゃんのように、早く入れられるようになりたいの。
そうすれば、待たすこともなくなるだろうし。
待っているのも、楽しいけど。
……。
ならさ、もっとあたしとお買い物に来ればいいと思うよ。
……もっと?
そうすれば、その回数だけ経験値を積むことが出来るだろ?
経験値をある程度まで積めば、はい、レベルアップってね。
ゲームみたい。
どうだろ?
回数をこなせばいいと言うのなら、まこちゃんと一緒でなくても袋に入れるようにするわ。
それもいいけど、あたしと一緒の方が楽しく出来ると思うよ。
楽しい方が続くと思うんだ、何事もね。
……まこちゃんは、楽しいの?
うん、楽しいよ。
亜美ちゃんと一緒なら、お勉強だって。
……。
とりあえず、お店から出よっか。
……うん。
よっこいせっと。
大丈夫?
大丈夫、雪だということを考慮して2キロのお米にしたから。
こちらの袋は、私が持つわ。
ありがと、お願いするね。
うん、任せて。
ふふ。
まこちゃん?
やっぱり、亜美ちゃんと一緒だと楽しいな。
……そんなに?
うん、そんなに。
そもそも買い物ってさ、生活するのに必要だからしてるってところもあるだろ?
うん。
安売りセールの時みたいに、楽しい時ばかりじゃない。正直なことを言えば、面倒な時もあるんだ。
特に天気が悪い時なんかは、さ。外に出たくないなぁって、思っちゃう。
……。
でもさ、亜美ちゃんと一緒ならどんな時でも、例えばこんな大雪の日でも、とても楽しく感じるんだ。
どことなく、新婚さんの気分も味わえるし。
……新婚さん。
あたしさ、結婚したら叶えたいことのひとつに、お休みの日のお買い物は夫婦で行きたいってのがあるんだ。
ラフな格好でさ、今日はお醤油が安いから近所のスーパーでいいかなって話したり、免許を持っていたら車を運転して離れたスーパーに行ってみたり。
でもって、帰りにどこかのカフェでお茶をしてみたり、ドライブを楽しんでみたり、そんなことがしてみたいって。
……結婚した先にも、叶えたい夢があるのね。
うん、あるよ。
結婚しなければ叶わない夢が、あたしにはあるんだ。
……たくさん?
たくさん、かな。
うん、たくさんかも。
……こども。
ん、なに?
……なんでもない。
亜美ちゃんとお買い物をしていると、その願いが、叶ったようで。
夕飯やお弁当のことを話しながら買い物かごに品物を入れたりすると、ううん、亜美ちゃんに入れてもらったりするとね、心が弾んで、嬉しい気持ちでいっぱいになるんだ。
……私と、恋人になる前は。
仲がいい友達とこんな風に買い物をするのもいいなぁ、楽しいなぁって思ってた。
あと。
……あと?
こんな時間がずっと続けばいいのにって。
それは、私以外のひとでも。
亜美ちゃんくらいだよ、あたしの買い物に付き合ってくれる友達は。
……みんなとも、お買い物をしたことがあるのでしょう?
一応、あるけど……続けばいいのにって思ったのは、亜美ちゃんだけかな。
美奈子ちゃんは余計なものをかごに入れようとするし、うさぎちゃんは、ちょっとだけ落ち着きがなくて。
レイちゃんは落ち着いていて買い物しやすいんだけど、亜美ちゃんとはやっぱり少し違ってて。
あたしの夕飯やお弁当のおかずのことなんて、レイちゃんには関係ないことだし……それでも、話はちゃんと聞いてくれるんだけどね。
……楽しくなかったの?
ううん、楽しかったよ。
楽しいんだけど……亜美ちゃんが隣にいてくれる時の方が、もっと楽しいんだ。
……。
ね、だからさ……結婚しても、ふたりでお買い物に。
……お休みの日でなくても、都合が合えば。
一緒に、行ってくれる?
……私も、行きたいわ。
ほんとかい?
ええ……ほんと。
やった。
自動車の運転は……
あたし、免許が取れる年齢になったら教習所に行こうと思ってるんだ。
……18歳になったら、すぐに?
誕生日が12月だから、年が明けたらすぐに。
……多分、だけれど。
ん?
学校によっては、学校の許可が必要かも。
……え。
アルバイトもそうだけれど、もしかしたら、必要かもしれないわ。
そっかぁ、免許を取るなら高3の3学期がいいかなってなんとなく思ってたんだけどなぁ。
4月になったら、忙しくなっちゃうだろうしさ。
まこちゃんは、どこの高校に行くつもりなの?
うーん、あたしの頭でも入れるところかな。
公立? それとも、私立?
公立だよ、私立はちょっとお金がね。
……そう。
亜美ちゃんは?
お医者さんの夢を叶えたいなら、やっぱり偏差値が高い学校の方がいい?
となると、私立かな。公立でも高いところはあると思うけど、私立の方がなんでも揃ってるような気がするし。
……お勉強なら、どこの学校に行っても出来るわ。
どこの?
……まこちゃんと同じ学校に行ったとしても。
え。
……。
ま、待って、亜美ちゃん。
……待たない。
あ、あたしと同じ学校って、あたしの頭でも入れるような学校ってことだよ?
亜美ちゃんには、低すぎるんじゃ。
まこちゃん。
は、はい。
まこちゃんは、まこちゃんが思っているほど、お勉強が出来ないわけではないの。
それは、テストの結果を見ていたら分かるわ。確実に、まこちゃんの学力は上がってきている。
そう、私達が出逢った頃よりも。
いや、でも……亜美ちゃんが、あたしと同じ学校なんて。
受験までまだ一年あるわ。
い、一年?
今年の12月までに、しっかりとお勉強をすれば……今、まこちゃんが考えている学校よりも偏差値が高い学校に行けると思うの。
と言っても、たかが知れてると思うんだけど……毛が生えた程度、と言うか。
ううん、そんなことない。
そ、そうかなぁ。
そうよ。
あたし、出来るかなぁ。
出来るわ、まこちゃんなら。
亜美ちゃんに言われちゃうと……出来そうって、思っちゃうよ。
思って、自分は出来るって。
それは、とても大切なことだから。
……亜美ちゃん。
私はね、別にまこちゃんが今考えている学校でも構わないの。
まこちゃんと同じ学校に行けるのなら、それでいいの。
……あたしと同じ学校に行って、お勉強は。
お勉強は、どこの学校に行っても出来るから。
……どこの学校でも、出来るだろうけど。
出来るわ。
……環境が、良くないかもしれない。
ね、まこちゃん。
……。
あのね……重荷を、背負わせたいわけではないの。
……重荷?
だけど、そう聞こえてしまっていたら……ごめんなさい。
私の存在がまこちゃんの重荷になるようだったら、他の学校を受けるから。
……。
ごめんなさい……まこちゃん。
……いや、頑張るよ。
……。
まだ、一年もある。
今よりもがんばって、もっと出来るようになるんだ。
そうすれば、今の成績よりもいい学校に行ける、
まこちゃん……。
かも、しれない。
……。
亜美ちゃん、自分のお勉強もあるし、大変だと思うけど。
あたしにお勉強、これからも教えてくれ……ううん、教えて欲しい。
まこちゃん……うん、私で良ければ。
亜美ちゃんがいいし、亜美ちゃんじゃなきゃ、あたしはがんばれない。
……。
お願いします、水野先生。
……はい、分かりました。
よし、がんば
木野さん。
……はい?
これまで以上に厳しくしますから、ちゃんとついてきて下さいね。
……。
聞いていますか、木野さん。
き、聞いて……。
それとも、まことさんの方が良いですか?
……は。
まことさん?
え、あ、いや……。
……聞いてる?
聞いて、ます……。
そう……なら、いいわ。
……。
ん?
な、なんか。
なんか?
すごい、どきどき、する……。
……どうして?
いや、なんか、本当に先生みたいで……。
……。
亜美ちゃんがお医者さんになったら、あんな感じ……しかも今よりも、大人になっているから……あ、やばいかも。
もう、何を考えているの?
うぇ。
まこちゃん?
お、大人になった亜美ちゃんを……少しだけ。
少しだけ?
……考えて、ました。
ふぅん……。
あ、や、別に変なことは
変なことって?
……。
変なことって、なぁに?
……お医者さんになった亜美ちゃんは、す、素敵だろうなって。
それだけ?
そ、それだけって?
他にはない?
ほ、他?
そう、他。
……。
……?
まこちゃん?
……ごめん、なんか頭に血が。
えっ、どうして?
わ、分かんない、な、なんでだろ。
鼻血は出そう?
で、出ないと、思うけど。
上を向いては駄目よ。
え、でも。
下を向いて。
こ、こう?
そう。
……これだと、余計に出ちゃわない?
本当に鼻血が出たら、上を向くよりも下の方がいいの。
血は、下に流れるでしょう?
う、うん。
上を向いていると喉に入って、かえって、止まり難くなってしまうの。
嘔吐や誤嚥を引き起こすこともあるわ。
そ、それは、やだな。
胃や肺に流れてしまったら、、最悪、血が固まってしまって血栓を引き起こす可能性だって。
分かった、下、向いてる。
そのまま、落ち着くまで。
……。
大丈夫……ゆっくりでいいから。
……ごめん、亜美ちゃん。
どうして……?
……雪が降ってるのに、こんな間抜けなこと。
……。
ん。
……どんなことを、考えていたの?
……っ。
なんて……もう、いいわ。
……あ、あぅ。
今はとにかく、落ち着くことの方が先。
……あみ、ちゃん。
鼻血……?
……分かんない、鼻がむずむずする。
……。
う……。
……今のところ、大丈夫そうだけど。
よ、良かった……。
……え、何が?
ゆ、雪が、降ってて。
……どういうこと?
あ、頭を、冷やすことが出来るから。
……。
あー……冷たい。
まこちゃん、風邪をひいてしまうわ。
大丈夫、大丈夫。
だめよ……あぁ、もう。
……へへ。
へへって。
……水野先生。
傘を、ちゃんと
……マーキュリー。
は……。
……大好きだ。
何を、言って……。
……。
まこ、ちゃん……?
……うん、落ち着いた。
……。
ありがとう、亜美さん。
もう、大丈夫だ。
……さん?
うん?
今、亜美さんって。
……?
……聞き間違い?
亜美ちゃん?
……そうよね、そんなわけ。
ごめんね、騒いじゃって。
ううん、大丈夫ならいいの。
うん、ありがと。
……。
……帰ろ、亜美ちゃん。
うん……まこちゃん。
……雪、どんどこ降ってくるね。
そうね……。
……。
……。
……ビニール袋を開けられなくて、真剣な顔をしてる亜美ちゃんはかわいい。
……。
また、買い物に付き合ってくれる……?
……付き合うでは、ないわ。
え、と……。
……ふたりで、行くの。
あ。
……大人になっても、ふたりで。
……。
結婚したら、夫婦で……ね、そうでしょう?
うん……それが、あたしの夢なんだ。
……私の夢にも、していい?
して、くれるなら……嬉しいな。
ん……ふたり、お休みの日に。
きっと、楽しい……今が、こんなに楽しいんだから。
……。
……荷物を持ってて、手を繋げないや。
ね、まこちゃん……。
……なんだい?
女性同士でも、夫婦って言うのかしら……。
……へ。
夫は、男性だから……。
……ん、と。
婦を、繋げる……?
……ね、亜美ちゃん。
なぁに……?
……それは、ゆっくり考えようよ。
ゆっくり……?
大人になるまで、まだ、時間はあるから。
……。
あたし達にしっくり来る言葉を、ふたりで、考えよう。
……あぁ。
ね、そうしようよ。
うん……そうしたいわ。
じゃあ、決まりだ。
……。
ん……?
……手、繋げないわ。
……。
残念……。
……帰ったら、繋ごう。
帰ったら……。
……何度も、何度でも。
7日
ごちそうさまでした。
とても美味しかったわ。
お粗末さまでした。
お腹、いっぱいになったかい?
ん、もうお腹いっぱい。
いつもより少なめにしたんだけど、丁度良かったかな。
……羊羹を食べたから。
羊羹、結構お腹にたまるもんね。
まこちゃんは足りた?
ん、足りたよ。
あたしは羊羹、さんきれも食べたしね。
……良かった。
……。
……雪、大丈夫かしら。
どうだろ……外、ちょっと見てみるよ。
……私も。
うん。
……。
……結構、白くなってきてるね。
人通りがないところはもう、積もってきているかも。
食べ終わったし、そろそろ行こうか。
うん、その方がいいと思う。
……もう少し、亜美ちゃんの部屋にいたかったけど。
……。
雪が、降ってなきゃなぁ。
……また、いつでも来て。
……。
……ね。
うん……また、来るよ。
……ん。
あ、亜美ちゃんの。
……え?
べ、ベッドに、ふたりで寝転がってみたいし。
……。
……朝まで、過ごしてみたい。
うん……。
……なんて、言ってもいいかな。
ふふ……もう、言ってるじゃない。
……そう、なんだけどさ。
もっと、言って。
……。
……必ず、叶うから。
亜美ちゃんと。
……。
亜美ちゃんの部屋で……朝まで、過ごしたい。
……ベッドの中で?
うん……出来れば、ベッドの中で。
……床になんて、寝かせないわ。
亜美ちゃん……。
……雪が、降っていなければ。
雪……。
……積もってしまう前に、まこちゃんのお部屋に行かないと。
ん……そうだね。
……。
……いつ、叶うかな。
すぐに、叶うと思うわ……。
……。
……きっと、春休み前に。
春休み前……。
……ひとつ、お願いがあるの。
なんでも……。
……塾は、お休みしないから。
迎えに行くよ……着替えを、持って。
……タオルは、いらないわ。
ん、分かった……なら、タオルは持って行かない。
……。
ね……あたしの部屋に、持って行くのはある?
ん……着替えだけ。
着替えだけ?
他にはないのかい?
……うん、ないわ。
本当にないの?
……今日は、着替え以外は何も持って行かない。
だけど、お勉強セットは。
今日は、いいの。
……大丈夫?
何が?
亜美ちゃんが、お勉強をしないだなんて。
お勉強をしないとは、一言も言っていないわ。
……うん?
教科書なら、まこちゃんのお部屋にもあるでしょう?
……。
まさか、また教室の机の中に置いてきちゃったの?
い、いや、今日はちゃんと持ってきたよ。
辞書とノートは?
あるよ、ちゃんと。
そう……なら、大丈夫。
……。
今日は、それだけで十分なの。
……そっか。
復習と予習は、ちゃんとね。
……うん、ちゃんとするよ。
着替えの用意は、もうしてあるから。
持つよ。
ううん、自分で。
お買い物もするし。
……。
……心配、しないで。
だけど……やっぱり、心配だよ。
……また、出来るから。
……。
帰ってきたら……また、ね。
……そうだけど、今日は塾も休んじゃったし。
まこちゃんと。
……。
まこちゃんと、過ごしたいの。
……お勉強を、してたって。
熱を、分かち合いたい。
……ねつ。
だから……今夜は、いいの。
……あみちゃん。
いやだったら……いいから。
嫌じゃない。
……あ。
嫌じゃ、ない……。
……まこ、ちゃん。
ずっと、待ってた……。
……待たせてしまって、ごめんなさい。
いいんだ……あたしは、亜美ちゃんのことが何よりも大切だから。
……だけど、こんな日になるまで。
あたしは……亜美ちゃんが嫌がることはしないって、心に決めた。
だから、いいんだ……。
……。
亜美ちゃん……あたし。
……怖かったの。
……。
それを知ってしまったら……戻れなく、なってしまいそうで。
……亜美ちゃんは戻りたいと。
……。
もしも、このままの関係がいいのなら。
……。
ずっとこの関係でいたいのなら……あたしは、それでも構わない。
そういうことしなくたって、恋人関係には変わりないのだから。
……知らなくても、私はもう戻れない。
……。
知ってしまったら、余計に戻れない……戻りたくないと、強く願ってしまうかもしれない。
戻らなくていいよ、戻りたくないのなら。
あたしだって、
でももしも、まこちゃんが戻りたいと言ったら?
そうしたら、私は、
言わない。
この先、もしかしたら思うかもしれない。
ただのお友達に戻りたいって。
そんなこと、
私は、もう、戻れないの。
戻らなくていい。
形だけは、戻れると思うの。
だけど……だけど、心はもう。
あたしは思わない、友達に戻りたいなんて。
思うわけが、ない。
……まこちゃん。
あたしだって戻れない……戻りたく、ないんだ。
……。
ねぇ……亜美ちゃん。
……。
その時になっても……怖かったら、言って。
ううん……きっともう、大丈夫だから。
……だめだよ、亜美ちゃん。
え……?
……自分に言い聞かせるような大丈夫は、本当は大丈夫なんかじゃないんだ。
……。
あたしなら、大丈夫だから。
……だめよ、まこちゃん。
……。
自分に言いかせるような大丈夫は……大丈夫なんかでは、ないのでしょう?
……あたしは、本当に大丈夫だよ。
私も、大丈夫よ……。
……それでも、少し怖いだろう。
……。
無理は、させたくない。
……怖いけど、知りたいの。
……。
あなたのこと……もっと、知りたいの。
今のままでは、もう、足りないの……。
……あぁ。
だから……お願い、叶えて。
……喜んで。
……。
……。
……今夜、何度あなたとキスをするのかしら。
分からないけど……たくさん、したいと思う。
……明日は、起きないといけないから。
だから……早めに、ベッドの中に。
……何時頃?
は……。
……何時頃、ベッドの中に。
な、何時頃って……は、8時頃?
8時頃……なら、それまでにお夕飯とお風呂を済まさないと。
……え、と。
ん……なぁに?
……その、雰囲気もあると思うんだ。
雰囲気……?
……そんな雰囲気じゃないのに、そんな風にするのはちょっと。
そうなの……?
……きっちり、するものではないと思うし。
まこちゃんは、そんな雰囲気の方がいいの……?
……あたしよりも、亜美ちゃんが。
私……?
ね、亜美ちゃん……恋愛小説、ちょっとだけ読んでみる?
読めば、分かるの?
う、うん……多分。
創作に過ぎないのに?
そ、それは、そうなんだけど……まぁ、参考にはなるんじゃないかな。
参考……。
そりゃ、どちらかと言うと夢見がちだし、現実はあんな風にはいかないけどさ……。
……まこちゃんにとって、恋愛小説は恋の参考書なのね。
う。
……う?
そうはっきりと言われちゃうと、恥ずかしい……。
……。
は、ははは……はぁ。
ね……帰ってきたら、お薦めの小説を教えてくれる?
う、うん、いいよ。
……。
もしも合わなかったら無理して読まなくてもいいからね。
合う合わないがあると思うからさ。
ふふ……うん。
……。
……まこちゃん。
な、なんだい……。
……からだが、あついわ。
あ、あたしも……だよ。
……むかしも、こうだったのかしら。
むかし……?
……前世の、私達。
……。
……その辺りのことは、あまり、思い出せないの。
あたしは……少しだけ。
……何か、思い出せたことがあるの?
ジュピターはマーキュリーのこと、すごく大事にしてた。
……。
……多分、プリンセスよりも。
そう……なのね。
……それから。
それから?
これは、その……最近、思い出したことなんだけど。
なぁに……?
……マーキュリーの、表情。
表情……どんな?
……。
あまり良い表情ではないの……?
……苦しそう、だった。
それは、どんな状況だったの……?
……それは。
思い出せていない……?
……。
もしかしたら、滅びの日かと思ったのだけど……でも、そうよね。
苦しい時は、それだけではなかったわよね。
……ひどく、たかぶった。
昂ぶった……?
……その、マーキュリーの表情に。
昂るって……まこちゃんが?
……と、ジュピター。
ジュピターが……?
……ジュピターの昂ぶりが、生々しく伝わってきたんだ。
生々しく……ジュピターは、怒っていたの?
ううん……違う。
……怒りでは、ないとしたら。
亜美ちゃん。
……ぇ。
ごめん。
……っ。
……。
ま、まこちゃん……いま、なにを。
……こういうこと、だと思う。
こ、こういう、こと……?
マーキュリーの表情が……亜美ちゃんと、重なって。
だから、生々しく、感じたんだ……。
つまり、どういうこと……なの。
……してたんだと、思う。
して、た……て。
……今夜、あたし達が、しようとしていること。
……!
その時の、表情……だと、思う。
……ほんとうに、そうなの?
ひ、ひどく、たかぶってたんだ……ジュピター。
……そんな、に?
そ、そんなに……。
……。
よ、よりにもよって、そんなことを思い出すなんて……さ。
……いつも穏やかな瞳で、マーキュリーを見ていてくれた。
……。
ジュピターの瞳は、いつだって優しくて……その瞳が、まこちゃんに良く似ていて。
……そんなに、似てるの?
うん……似てる。
……。
……でも、酷く熱に浮かされているような、そんな瞳も。
熱……?
その瞳に映っている私は……まるで、食べられているような。
……。
あの瞳を、私はまだ知らないの……だって、まこちゃんは。
……多分、そうだと思う。
そう……?
……している時の、ジュピターの瞳だと思う。
あれは、そういうことだったの……?
……あたしも、そうなるかもしれない。
まこちゃんも……。
……理性が、飛んでしまったら。
……。
怖がらせるかも、しれない……。
……怖くは、なかったわ。
それは、マーキュリーの記憶だから……。
……私も、怖くなかった。
……。
あぁ……そう、そうなのね。
……何が、そうなの。
早くしろと、急かされているみたい……。
……。
……大きなお世話。
ほんとだよ……そのせいで、あたしは。
……あたしは?
……。
大変、だった……?
……想像に、お任せします。
想像に……?
……多分、間違ってないから。
……。
……ぅ。
ね……今日はまだ、されてないわ。
……なに、を?
キス。
……。
……まだ、この部屋では。
しても、いい……?
……その先には進まないと、約束してくれるなら。
……。
我慢、出来る……?
……する。
なら……して。
……。
……最後に、
しない。
……。
……この部屋で、朝まで過ごすんだ。
あぁ……そうだった。
……その時に、沢山キスをするんだ。
キスだけ……?
……キスだけじゃないよ。
ん……まこ、ちゃん。
……キスだけじゃ、ない。
う、ん……。
……。
……ん。
……。
……ん、……ん。
……。
ふ……。
……もう、初めてじゃないよね。
うん……もう、初めてじゃないわ。
……もっと、知りたい?
知りたい……。
……なら、
でも……ここじゃ、だめ。
……。
この先は……まこちゃんの、お部屋で。
……。
……教えて。
うん……分かった。
……。
……行こっか。
買い物をして、それから……。
……真っ直ぐ、帰ろう。
6日
……さぁ、どうぞ。
うん、お邪魔します……の、前に。
……なに?
制服、着替えるんだよね?
ん、先に着替えてしまうつもり。
じゃあ、外で待ってるよ。
ううん、中に入って。
……。
部屋の中に、入って。
……でも。
私は、構わないから。
……。
ね、まこちゃん。
そうして?
……ん、分かった。
うん。
……なるべく。
さぁ入って、まこちゃん。
ん……お邪魔します。
座布団、好きに使ってね。
うん、ありがとう……。
……。
ぁ……。
待っている間なら、ベッドの上でもいいけれど。
いや、ベッドは……。
……?
……。
……まこちゃん?
ベッド……ふかふか、してそうだね。
……そう?
う、ん……。
……良かったら、寝転がってみる?
えっ。
……ふふ、冗談よ。
そ、そうだよね……は、はは。
……落ち着かない?
い、いや、そんなことは……もう、な、何度も来てるし。
ね……。
……な、に。
私のにおい……する?
……っ。
……しない?
する……とても。
……。
……今日は、特に。
……。
え、えと……好き、なんだ。
ん……知ってる。
……いつまでも慣れなくて、ごめんね。
私も……まこちゃんのこと、言えないから。
……。
紅茶……先に、飲んでいて。
ううん……亜美ちゃんと飲みたいから、待ってる。
……すぐに着替えるわ。
急がなくても、いいよ。
折角の紅茶が冷めてしまったら、勿体ないもの。
あ。
……なに。
な、なんでもないよ。
……そう。
そ、そういや、ベッドの上、本が置かれてないね。
……昨日、全部片付けたの。
そう、なんだ。
……別に、逸らさなくてもいいのに。
……。
そんなに、落ち着かない?
そういうわけでは、ないんだけど。
……初めてでは、ないのに。
やっぱり、落ち着かないのかもしれない。
お、おかしいよね、初めてではないってのにさ。
……ねぇ、まこちゃん。
な、なに。
着替えるのは、やめる。
え、なんで。
まこちゃんのお部屋で、着替える。
あたしの部屋で?
……まこちゃんのお部屋で、着替えたい。
けど、明日は……。
……並べておきたいと、思ったの。
並べて……何と?
……まこちゃんの、制服と。
あたしの……。
……だから、まこちゃんのお部屋で着替えさせて。
……。
……お願い、まこちゃん。
こぼさないように、気を付けないといけないね。
……え?
白い制服に、さ。
紅茶をこぼしたら、染みになっちゃうから。
……あぁ。
でもまぁ、ちゃんと落とすけど。
染みのことなら、あたしに任せてよ。
まこちゃん、染みを落とすのも上手よね。
まぁね、家事のことなら誰にも負けない自信があるんだ。
ふふ……。
……ね、亜美ちゃん。
なに……。
……並べようか、制服。
……。
あたしのと……並べよう。
……いい?
いいよ……あたしも、そうしたい。
……嬉しい。
だけど、皺にならないようにしないとね。
帰ってきたら、また、着るんだからさ。
……そうね、気を付けないとね。
……。
……。
……亜美ちゃんはこの制服を着て、またこの部屋に帰ってくるんだ。
その為に……まずは、まこちゃんのお部屋に帰りたいの。
……その時は、泊まるかい?
泊まれたら……ね。
……いいよ、泊まっても。
うん……ありがとう。
……。
……その時は、母に連絡するわ。
無断外泊はだめ、だよね……?
……家にいる時は一応、ね。
……。
……。
……羊羹、切ろうか。
うん……お願い。
厚さは……これくらいでいい?
ん、それくらいで。
分かった。
……まこちゃんって、あんこが作れるじゃない?
うん?
だったら、羊羹も作れる?
作ったことはないけど、作り方が分かれば作れるかも。
……。
食べてみたい?
あたしが作った羊羹。
……うん、食べてみたい。
じゃあ今度、調べて作ってみようかな。
……こしあん、砂糖、粉寒天、水。
それ、もしかして羊羹の材料?
……砂糖は、黒砂糖でもいいみたい。
ふふ、そっか。
……食い意地、張っているかしら。
いいんじゃない、亜美ちゃんだって普通の中学生だもの。
……普通の。
そう、普通の。
……まこちゃんも。
そう、あたしも。
だから、亜美ちゃんと甘いものを食べて、美味しい紅茶を飲んで、でもって甘い恋がもっとしたい。
……。
ん、これでいいかな。
……うん、いいわ。
残りは……夕飯の後にでも、食べようか。
……。
明日の朝でもいいけど……どうする?
……お夕飯の後に。
ん、分かった。
……。
じゃ、食べよっか。
……ええ、食べましょう。
いただきます。
……いただきます。
……。
……。
んー、美味しい。
……うん、美味しいわ。
あのお店の羊羹が食べられるなんて、夢みたいだ。
まこちゃんは、羊羹ってあまり食べない?
今はあまり食べないかなぁ。
夏の水羊羹はたまに食べたりするけど。
……やっぱり、あまり食べないわよね。
食べる機会があまりないってだけで、羊羹は好きだよ。
小さい頃、どこかの和菓子屋さんで買ったのを両親と食べたりしたし。
どこかの和菓子屋さん?
いつもお父さんが買ってきてくれたんだけど、どこのお店のものなのかは憶えてないんだ。
家の近くにあったような気もするんだけど、そのお店の羊羹かどうかは分からない。
なんとなく、あんこの味が違うような気がするし。
……この羊羹とは、違う?
うん、違う。
……そのお店、まだあるかしら。
どうだろう、多分あると思うけど。
……帰ってきたら、行ってみたいわ。
……。
でも、難しいかしらね。
うーん、少し難しいかな。
ほんのちょっとでも、思い出せればいいんだけど。
……そうよね。
亜美ちゃん……。
……食べてみたかったの、まこちゃんが食べた羊羹。
……。
……ごめんなさい、無理を言って。
帰ってきたら、あたしが両親と住んでいた場所に行ってみようか。
家はもう残ってないし、お店は分からないかもしれないけど。
……。
行くのなら、春休みがいいと思うんだけど……どうかな。
行ってみたい。
……。
……連れて行って、まこちゃん。
うん……じゃあ、行こう。
……みんなには。
ふたりだけで。
……。
ふたりだけ行こう、亜美ちゃん。
……うん、まこちゃん。
……。
……。
……うーん、やっぱり美味しいな。
良かったら、残り全部食べる?
いや、それは流石に食べ過ぎだと思う。
ふふ……そう?
もしかして亜美ちゃん、これ一本全部……。
……一度には、食べない。
一度には?
ちゃんと分けて食べているわ。
亜美ちゃんのお母さんは、あまり食べないって言ってたけど。
いつも、ひときれ食べるか食べないかなの。
母は羊羹よりも、お酒の方が好きだから。
お酒……亜美ちゃんのお母さんって、お酒飲むんだ。
いつもではないけれど。
ね、亜美ちゃん、お願いがあるんだけど。
え、何?
亜美ちゃんのお母さんに、みりんか料理酒を……。
……。
あ、やっぱり、いいや。
ごめん。
お願いしてみるわ。
……いいの?
もしかしたら、断られるかもしれないけど……その時は、許してね。
そ、そんなの、無理なお願いだって分かってるから。
じゃあ、それも帰ってきたらね?
うん、ありがとう。亜美ちゃん。
ううん、いいの。
まこちゃんのお役に立てるのなら……私は、嬉しいから。
亜美ちゃん……。
……紅茶、羊羹に合うわね。
ん、そうだね……とっても合っていて、美味しいよ。
……外国の紅茶よりも、渋みが控え目のような気がするわ。
それ、あたしも思った。
なんだったら、お砂糖なしのストレートでも飲めるかもしれない。
……ああ、確かに。
甘いわけではないんだけど、でも仄かに甘味を感じるんだ。
なんだろ。
……茶葉本来の甘味、なのかしら。
本来の甘味……。
……。
……なんとなく、柔らかい気がする。
うん……私も、そう感じる。
……あたし、この紅茶好きだ。
まこちゃん……?
……叶うなら、また飲みたい。
じゃあ、持って行って。
……。
遠慮も、心配もしないで?
母にはもう、聞いてあるから。
……亜美ちゃんは。
母も、それを望んでいたから。
亜美ちゃんは、好き?
……。
好きじゃない?
……悔しいけれど。
……。
母は……やっぱり、私の母なのね。
……ね。
なに……?
あたしの部屋に帰ったら、また飲まない?
……。
この味なら、夕飯にも合うと思うんだ。
……お鍋に?
合わないかな。
……ううん、合わないことはないと思う。
なら。
……熱々のお鍋に和紅茶って、なんだか面白い組み合わせね。
ふふ、そうだね。
お鍋に紅茶は、流石のあたしでも考えたことないや。
私は、どちらかと言うとお風呂上りに飲みたいかも。
お風呂上りか、それもいいね。
でも、どちらでもいいわ。
じゃ、その時になったら決めよう。
ん。
……ね、まだ食べられそうかい?
え?
もう、食べられないかな。
……まだ、食べられるけど。
実はさ、お弁当を作ってきたんだ。
お弁当を?
気付いてなかった?
お弁当の袋を持っていたから、もしかしてとは思っていたの。
美味しい羊羹を食べた後だけど……食べてくれるかい?
食べるけど……土曜日なのに、わざわざ作ってくれたの?
……作るの、最後になるかなと思って。
……。
なんて、さ。
考え過ぎだよね。
……ね、食べたいわ。
亜美ちゃん……。
食べても、いい?
う、うん、もちろんだよ。
ありがと、亜美ちゃん。
こちらこそ、ありがとう。
今日のお弁当はね。
うん。
練り物の煮物とたまごやき、かぼちゃのきんぴら、それから。
……。
鮭と枝豆のおにぎり。
……今日のお弁当も美味しそう。
さぁ、お箸をどうぞ。
ありがとう、まこちゃん。
さ、召し上がれ。
ん、いただきます。
あたしも、いただきます。
……。
……煮物、塩辛くないかな。
ん……。
……。
……大丈夫、丁度いいお味よ。
そっか……良かった。
……。
……鮭は、フレークなんだ。
ん……おにぎりも、とても美味しいわ。
……。
たまごやきも……かぼちゃのきんぴらも。
……あ。
うん、なに?
和紅茶とお弁当、合うかも。
あぁ。
お米と紅茶も、考えたことなかったけど。
きっと、合うわ。
亜美ちゃんもそう思う?
うん、思う。
……。
ね、二杯目を淹れましょうか。
……いいかな。
もちろん。
やった。
ふふ。
お湯、沸かす?
沸かした方がいいわよね。
いいと思う。
じゃあ、
あたしも行くよ。
念の為、お弁当に蓋をしてね。
はーい。
……。
行こう、亜美ちゃん。
ん、まこちゃん。
ふふ、楽しみだなぁ。
5日
どうぞ入って、まこちゃん。
ん、お邪魔します。
チラシはもう、用意してあるの。
うん、ありがと。
お湯を沸かすけど、先に私の部屋に行ってる?
ううん、ダイニングで待っててもいい?
ええ、いいわ。
ん。
チラシはリビングのテーブルの上にあるから。
分かった。
……。
亜美ちゃんのお母さん、今日も夜勤?
うん、多分明日のお昼ぐらいに帰って来ると思う。
そっか。
……。
……ね、亜美ちゃん。
母には、言っていないの。
……。
言えるわけ、ないのだけれど。
……あたしも、言えないと思う。
……。
みんなは、どうだろう。
……レイちゃんは、言わないような気がする。
レイちゃんのおじいちゃんと雄一郎さん、全力で止めそうだもんな。
……もしかしたら、ついていくと言うかもしれない。
あぁ、雄一郎さんなら言いそうだなぁ。
……止めてもついてきそう。
レイちゃんのことになると熱くなっちゃうからね、雄一郎さんは。
……一途よね。
うん、すっごい一途。
あんなひと、なかなかいないよ。
……。
ん、なに?
……ここにもいると、思っただけ。
亜美ちゃんも一途だよね。
……まこちゃんもね。
あたしは……そうかな。
……そうなの。
はい。
……ふふ。
はは。
……レイちゃんはきっと、お父さんにも。
レイちゃんのお父さんも、仕事で忙しいんだっけ。
……滅多に会わないそうよ。
お母さんは……。
……お墓参りには行くかもしれないと、言っていたけれど。
……。
まこちゃんは……。
……あたしには、写真があるから。
……。
レイちゃん、お父さんとは別々に住んでるんだよね。
詳しいことは知らないのだけれど、レイちゃんが自分でそう決めたって。
そっか……色々、あるんだろうな。
……少しだけ、分かるの。
……。
……なんて言ったら、レイちゃんに怒られちゃうわね。
そういや、レイちゃんからお父さんの話って聞いたことないな。
あまり話したくないみたいだから。
だけど、亜美ちゃんには話す?
……どうして?
あたしが知らないことを、亜美ちゃんは知ってるから。
……。
だから多分、怒らないと思うよ。
……。
多分、だけどね。
……そうかしら。
少し、妬けちゃうな。
どうして?
……そこに、あたしはいないから。
誰に、妬けるの……?
……言わない。
私……?
……本当に、そう思う?
……。
レイちゃんには、言わないでね?
呆れられちゃいそうだからさ。
……言わないわ。
ん、ありがと。
……。
うさぎちゃんと美奈子ちゃんは……やっぱり、言わないかな。
……あのふたりは、いつもの通り、家を出そうな気がするの。
行ってきまーすって?
そう、まるでお友達と遊びに行くような。
うん、あのふたりはそうかも。
……きっと、誰も言えないのかもしれない。
あたしみたいに、ひとりだったら。
……。
いや、ごめん……なんでもないよ。
……まこちゃん。
うん?
母が今回、買ってきた紅茶。
どれどれ……あれ。
……。
べにほまれ?
日本語だ。
曰く、和紅茶なんですって。
わこーちゃ?
この国で生産された紅茶のこと。
へぇ、そうなんだ……初めて見るよ。
なんでも、明治の頃から生産されていたそうよ。
明治?
そんな前から?
明治政府による勧業奨励として始まったらしいわ。
だけど、売ってる紅茶はダージリンとかアッサムとか、外国のものばかりだよね。
昭和の中頃に紅茶の輸入が自由化されたことで、海外産の紅茶が多く入ってきて。
それで、日本産の紅茶は数を減らしていったみたい。
そうなんだ……明治から始めたのに、もったいないな。
このべにほまれはね。
うん。
この国で初めての紅茶品種で、海外でも高い評価を得ていたんだって。
海外で?
それって、輸出してたってこと?
うん、ロンドンの市場で高評価を得たこともあるみたい。
えー、すごいな。
ロンドンって言ったら、あのロンドンだろ?
ん、イングランドの。
イギリスと言えば、紅茶の国じゃないか。そんな国に認められたなんてさ。
や、そんなすごいお茶だったら、もっと売り出してもいいと思うのに。
輸入が自由化されたことで、海外産と競争しなくてはいけなくなってしまったから。
あー、競争かぁ。
競争についていけなくなったことで、紅茶品種をすべて緑茶品種に植え替えてしまった産地もあるそうよ。
うー、そっか。
売れてくれないと、やっぱり厳しいよなぁ。
そんな紅茶を、母がどこで見つけてきたのか相変わらず良く分からないのだけれど……買ってきて、やっぱり飲まないから。
飲んでもいいのかい?
むしろ、飲んで欲しいと言われたの。
え、そうなの?
うん……良かったら、まこちゃんとどうぞって。
そうなんだ……じゃあ、遠慮なく頂こうかな。
……。
ん、亜美ちゃん?
……ねぇまこちゃん、教えて欲しいことがあるのだけれど。
な、なんだい?
そんな、改まって。
いつから、呼ばれているの。
え?
母に、まこちゃんって……いつから、呼ばれていたの。
いつからって……あたしは、知らないけど。
……知らない?
まこちゃんなんて呼ばれたこと、い、一度もないよ。
……電話で、話している時も?
電話でも、ずっと木野さんだった。
それに、亜美ちゃんが退院してからは、一度もかかってきたことないんだ。
……取り次ぎで。
取り次いでもらった時も、木野さんだったよ。
……。
亜美ちゃんのお母さんが出ると、あたし、緊張しちゃってさ。
口が回らないこともあったんだけど、すぐに亜美ちゃんに替わってくれて。
……。
あのさ、亜美ちゃん……もしかしたら、だけど。
……。
亜美ちゃんが、お母さんにそう話しているからじゃない?
あたしのこと。
……っ。
それで、亜美ちゃんのお母さんも
……もぉぉ。
え、な、なに。
……ごめんなさい、なんでもない。
あ、亜美ちゃん?
お湯が、そろそろ沸くと思うから。
え、まだもう少し
まこちゃんは、リビングでチラシを見ていて。
でも、スーパーのは
他のもあるから、それを見てて。
あ、う、うん、分かった。
……。
そんな、逃げるみたいに……あれ。
……まこちゃん。
な、なに?
……紅茶。
あ、あぁ。
はい。
……待ってて。
うん、待ってるよ。
……。
……ん、耳?
はぁ……。
ねぇ、亜美ちゃん。
……なに。
いや、やっぱりなんでもない。
……そ。
チラシ、見てるね。
……。
……あたし、思うんだけどさ。
……。
親って、もしかしたら子供の友達のこと、なんとかちゃんって言うのかも。
ほら、うさぎちゃんのお母さんもあたし達のこと、
いやなの。
……いや?
……。
……亜美ちゃん?
気安くて……なんとなく、いや。
そ、そっか。
……。
うさぎちゃんのお母さんのことも、いやかい?
……うさぎちゃんのお母さんは、いいの。
……。
……でも、母がまこちゃんって呼ぶのは。
んー……。
……自分が、こんなにも子供染みているなんて。
別に、いいんじゃない?
……良くない、勘違いまでして。
誰だって勘違いはするし、子供みたいに拗ねてる亜美ちゃんも可愛いし。
……やっぱり、全然良くない。
亜美ちゃん、お湯が。
……。
ね、あたしが淹れてもいいかい?
淹れてみたいんだ、和紅茶。
……いいけど。
うん、ありがと。
……淹れ方は、ここに書いてあるわ。
ん、どれどれ……ふむ、なるほど。
……緑茶も、紅茶も、中国茶も。
ん?
……原料はすべて同じで、加工方法によって変わるの。
……。
紅茶は……茶葉を発酵させて、作られたもの。
……亜美ちゃんは、物知りさんだね。
……。
ふふ。
……今日は、お茶請けがあるの。
お茶請け?
……羊羹。
羊羹?
紅茶に?
……この紅茶に合うからって、母が。
……。
……先回りされているみたいでしょう?
と、言うより。
……?
亜美ちゃんの為に用意しているような、そんな気がする。
……私の為に?
多分、だけど……その……あたしと、楽しめるように。
……。
羊羹……美味しそうだね。
……私が、好きな羊羹なの。
亜美ちゃんが?
……ん。
どこのお店の羊羹なんだい?
……の。
そっか……って、ちょっと待って。
……。
そのお店、とっても高級なお店だよね……?
……小さい頃に、母が買ってきてくれて、それで。
亜美ちゃん、やっぱり和紅茶も羊羹も、亜美ちゃんの為だと思うな……。
……一度では食べきれないから、まこちゃんのお部屋に持って行きましょう。
え、いいの?
お母さんは?
……母は、羊羹はあまり食べないの。
そ、それで、あのお店の羊羹を……。
……あの、いらない?
い、いるけど……その、ごちそうさまです。
ん……母に伝えておく。
うん、お願い……。
……。
え、と……亜美ちゃん?
ね、ひときれだけ、今食べてみる?
え、え?
今、切るわ。
え、いや、
……うん、これくらいなら。
亜美、ちゃん……?
……はい、あーん。
え、えぇぇ?
あーん?
や、でも……紅茶。
……いや?
いやじゃない、いやじゃないよ。
じゃあ……はい、あーん。
……あー、
……。
ん……。
……。
……。
……どう?
うん……すっごく、美味しい。
こんな羊羹を食べたの、生まれて初めてだ……。
……好き?
うん……好き。
ふふ、良かった。
……く、かわいい。
まこちゃん?
残りは、紅茶と一緒に。
い、いいかな?
うん。
……こんな可愛い娘、可愛がらない親がいたら見てみたいよ。
え、なに?
な、なんでもない。
ね、ふたきれでいい?
あ、ありがとう。でも、ひときれでいいよ。
今、ひときれごちそうになったし。
……そう。
亜美ちゃんは
……ひときれで。
うん、やっぱりふたきれもらってもいいかな。
うん、いいわ。
……すごく、かわいい。
……。
ん、なに……?
……良い香りがする。
あ、あぁ……そうだね、良い香りだね。
……外国産とは、少し違う?
うーん……少し、違うかも?
……味も、少し違うらしいけれど。
そ、そうなんだ……。
……なぁに?
な、なんでもないよ。
……そう?
そ、そう。
……。
当たり前だけど、緑茶とは違うんだなぁ。
……そうね、全然違うわ。
……。
……きれいな色。
亜美ちゃん。
……ん、なに?
……。
……ん。
……。
……もう、なに?
お、おすそわけ。
……なんの?
よ、羊羹の、甘さを、かな。
……したかっただけ?
……。
……もぅ、まこちゃんは。
は、はは……。
……何度するつもりなの。
へ。
……今日が、終わるまでに。
……!
……まだ、終わらないんでしょう。
う、ん……まだ、終わらないと思う。
……明日は、起きないといけないから。
ん……分かってる。
……。
えと……和紅茶、淹れたけど。
どこで、飲もうか。
……私の部屋で。
じゃあ、持ってこう。
私が。
亜美ちゃんは、羊羹をお願い。
……鞄は?
紅茶を運んだら、取りにくるよ。
チラシもまだ、入れてないし。
……ん、分かった。
和紅茶と羊羹……きっと、すごく合うと思うよ。
……そうだと、いいけれど。
きっと、そうさ……。
4日
……お鍋?
雪が降るくらいに、寒いからさ。
ん、いいと思うわ。
亜美ちゃんはなんのお鍋がいい?
……まこちゃんの希望は?
あたしは、あったかいお鍋ならなんでも。
……お肉か、お魚か。
お肉の場合は、牛か豚か、それとも鶏か。
お魚だと、白身魚かな。貝を入れても美味しいよね。
……。
〆は雑炊にしようか、うどんにしようか。
ラーメンでも、いいかも。
……お肉だったら、鶏肉がいいわ。
鶏肉?
ん。
魚だったら?
……やっぱり、たらかしら。
たら、美味しいよねぇ。
でも、今日はお肉がいいかも。
じゃあ、お肉にしよう。
お肉だと、鶏肉が食べたいんだよね?
まこちゃんは?
まこちゃんは、なんのお肉がいいの?
あたしも、鶏肉。
ね、もも肉でいいかな?
いいけど……ねぇ、もしも他のお肉が食べたいなら、
鶏肉かぁ……水炊き、塩、味噌、鶏すき、みぞれ鍋、あとは。
……。
ん、なに?
……ううん、なんでもない。
そ?
ね、お鍋の種類はまこちゃんが決めて。
いいけど……あたしが決めてもいいの?
うん、まこちゃんに決めて欲しい。
んー、そっか。
じゃあ……ね、亜美ちゃん。
なに?
大根、好きだよね?
好き、だけど。
じゃあ、久しぶりにみぞれ鍋にしようかな。
……みぞれ鍋?
みぞれ鍋で、亜美ちゃんはいいかい?
……ん、いいわ。
ん、決まり。
実はさ。
うん。
卵と鶏肉が安いお店、大根も安いんだよね。
それからきのこ、しめじとえのき、しいたけが安いんだ。
……きのこは、しめじ?
えのきも、入れたいな。
ん、いいと思う。
きのこじゃないけど、春菊も。
春菊も安いの?
うん、安い。
人参はうちにあるから……豆腐は、入れる?
私は、どちらでも構わないわ。
じゃあ、入れよう。
あと鍋と言えば、白菜と葱だけど……入れたら、流石に多いかな。
あまり多くても食べ切れないと思うわ。
明日の朝、食べてもいいけど……うん、今回はやめておこうか。
今日入れなかったのは、次のお鍋に。まだまだ、寒い日は続くと思うし。
……しばらくは寒波が優勢みたい。
立春は、過ぎたんだけどなぁ。
ところで、亜美ちゃん。
〆は、どちらでもいいわ。
あ、聞こうと思ったのに。
まこちゃんが、好きなものにして?
そう言われても、どっちも好きなんだよなぁ。
雑炊も、うどんも美味しいんだ。
……そうなのね。
まぁ、みぞれ鍋の味付けにもよるんだけど……。
……。
ね、亜美ちゃん。
なぁに?
もしかして、だけど……みぞれ鍋、食べたことない?
……うん、ないわ。
そっか。
……そもそも、うちでお鍋を食べることがないから。
外で食べることが多いんだっけ。
……外で食べた方が、手間が少なく済むから。
そういやさ、外でどんなお鍋を食べるの?
そうね……あんこう鍋、とか。
あんこう鍋?
……冬になると、一度は食べに行くの。
ね、あんこうって美味しいのかい?
……ん、美味しいわ。
はぁ、そうなんだ。
やっぱり、高いもんなぁ。
……あと、ふぐ。
ふぐ?
て、あのふぐ?
……他にいるの?
いや、いないと思う。
……。
ね、どんなふぐなんだい?
どんなって……えと。
うん。
……とら、ふぐ?
とらふぐ……とらふぐ?
……うん。
……。
あんこうとふぐは、母が好きなの。
……亜美ちゃんは、さ。
う、うん。
あんこうとふぐ、好きかい?
……嫌いではないわ。
そっ、か。
あんこうもふぐも、確かに美味しいけれど、だけど私はまこちゃんと食べたたらの方が
……。
まこちゃん?
……大人になったら。
どうしたの?
あ、いや、なんでもないよ。
あんこうにふぐか、あたし、食べたことないや。
……。
ねぇ、亜美ちゃん。
今は、ちょっと難しいけど、大人になったらさ。
……私ね。
え?
お魚のお鍋だったら、まこちゃんと食べた、たらのお鍋が一番好き。
……亜美ちゃん。
〆の雑炊も美味しかったの、とても。
……あたしが作るお鍋じゃ。
ううん、まこちゃんが作ってくれるお鍋が一番美味しいわ。
お魚だけじゃ、お肉のお鍋も。
……。
だから、だからね。
……お肉のお鍋だったら、亜美ちゃんのお母さんは何が好きなの?
え。
聞きたいなって。
えと……すきやき、かしら。
すきやき……牛肉?
……うん、牛肉。
なるほど……となると。
……あと、ぼたん鍋かしら。
ぼたんなべ?
……猪の。
あぁ、猪か。
……熊も好きみたい。
熊……。
なんでも、熊のお肉は希少で……出掛けた先で、たまたま食べたらしいの。
えと……亜美ちゃんも、好き?
……熊はまだ、食べたことないわ。
食べてみたい……?
美味しいらしいけど……特に、食べたいとは。
あたしと一緒なら?
……まこちゃんと、一緒なら。
食べてみたい?
……う、ん。
そっか……じゃ、がんばらないと。
何を、頑張るの……?
……ふふ。
え……?
……ありがと亜美ちゃん、あたしが作るお鍋が一番美味しいって言ってくれて。
あの、本当よ……?
ん、分かってる。
亜美ちゃんはこんな時に嘘なんて吐かない。
……。
今日のみぞれ鍋も、美味しく作るからね。
……あの、まこちゃん。
なんだい?
……。
なんだい、亜美ちゃん。
……みぞれって、なに?
うん?
みぞれ鍋のみぞれって、なに?
天気の霙と関係あるの?
大根おろしのことだよ。
大根おろし?
そう、大根おろし。
お鍋に入れた大根おろしがみぞれみたいに見えるから、みぞれ鍋って言うんだって。
雪見鍋とも言うみたい。
雪……。
そう、雪……今日の夕飯にぴったりだろ?
……そう、かも。
ね、味付けは亜美ちゃんが決めてよ。
味付け?
めんつゆ、塩、味噌、あとポン酢をつけて食べるってのもあるよ。
……。
さ、どれがいい?
まこちゃ
あたしには聞かないでね?
……。
いいよ、悩んでも。
……お味噌。
うん、なんだい?
あの……お味噌で。
味噌?
……お塩もいいなって、思ったんだけど。
味噌か。
……あの、だめなら。
んーん、じゃあ今夜のみぞれ鍋は味噌味で。
……。
楽しみにしてて、亜美ちゃん。
……あの、〆は?
それ、なんだけどさ。
決めたの?
雑炊とうどん、決められないのならいっそのこと、すいとんにしてもいいかもって。
すいとん?
そう、すいとん。
……すいとん。
えと……知らない?
ううん……小麦粉で作られているのよね。
うん、うどんをお団子にした感じかな。
……。
食べたこと、ない?
……ない。
なら、すいとんにしよう。
……〆に、入れるもの?
いや、最初からお鍋の具にしちゃうことが多いかな。
その場合、すいとん鍋って言ったりするよ。
すいとん鍋……。
だけど、今回は〆に入れる。
それでも、美味しいから。
……。
醤油味が多いけど、味噌味でもね、美味しいんだよ。
うどんよりももちもちしててさ、だけど、お餅とは違うんだ。
……小麦粉だから。
そう、小麦粉だから。
……。
どうかな。
……美味しそう。
だろ?
ふふ……うん。
というわけで、一緒に作ろうか。
……え?
すいとん。
……家で、作れるの?
薄力粉、塩、それとぬるま湯でね。
……。
そんな、目を丸くしなくても。
まこちゃんって……本当に、色々作れるのね。
それでも、まだまだだけどね。
……。
ますます、あたしと結婚したくなったかい?
……言わないで。
したくない?
……今、したいと言ったら。
言ったら?
……食い意地が張っているみたいじゃない。
食い意地?
……色々作れて、尚且つ、美味しいからという理由で、まこちゃんと結婚したいだなんて。
あたしは、嬉しいけどな。
……理由は、他にもあるのに。
ひとつじゃない?
……ひとつじゃない、ひとつなわけない。
ふふ、そっかぁ。
……きゃっ。
あーもう、大好きだなぁ。
ま、まこちゃん、急に何をするの。
亜美ちゃんのことが大好きすぎて、抱き締めたくなっちゃった。
なっちゃったって、ここは外なのよ?
だから、もう離すよ。
ひとだって、あ。
……大丈夫だよ。
ん……。
……女の子がふたり、じゃれあっているようにしか見えないだろうから。
だと、しても……。
……改めて結婚しよう、亜美ちゃん。
……っ。
答えは、いつでもいいよ。
……もう、ばか。
この国では、まだ、出来ないけど。
……。
それでも……亜美ちゃんと、一生を誓いたい。
……まこちゃん。
ごめん、重いよね。
……ううん、そんなことない。
言われたことがあるんだ、お前は俺には重いって。
……。
話せるようになって、お弁当も受け取ってもらえたから……つい、喋り過ぎちゃってさ。
所詮、そのひとはその器ではないというだけ。
……。
そんなひと……まこちゃんには、相応しくない。
……亜美ちゃんは、どう?
私は……相応しくないかもしれないけど、でも、重いとは思わない。
……うん、やっぱりあたしには亜美ちゃんしかいないや。
……。
答えは、本当にいつでも
……結婚、して下さい。
……。
……大人になったら、私と。
亜美ちゃん……うん、喜んで。
……。
……雪、今はまだ、積もってないけど。
この降り方なら、積もると思うわ……。
……寒い?
ん……少し。
学校の中も大してあったかくはなかったけど、外の方が風がある分、寒いね。
……朝よりも、気温が下がっているみたい。
これも、予報通りだ。
……。
ん、亜美ちゃん?
……じゃれ合っているようにしか、見えないのでしょう?
……。
手を、繋いでいたとしても……。
……うん、こんな雪だもの。
……。
すごいね、空からどんどん降ってくるよ。
……本当に。
はらはら、はらはら……。
……まこちゃんは、雪の結晶を見たことある?
雪の結晶?
んー、あるような、ないような。
とてもきれいなのよ。
なら、ふたりで見たいな。
……今日?
うん、見られるかな。
……もしかしたら、だけど。
なら、ふたりで見よう。
……。
きれいな結晶、亜美ちゃんと見たい。
……うん。
やった。
……見られなかったら、またいつか。
見られるといいなぁ。
……はらはら、はらはらと。
ん?
……空を舞いながら、降ってくるみたい。
空を、舞いながら……。
……。
……ね、踊ってみようか。
は……?
雪に合わせて、さ。
急に何を言って……あ。
……あたしとワルツを、亜美ちゃん。
……っ。
……。
……本気で、
なんてさ。
……。
誰もいなかったら、踊りたかったけど。
……踊らない。
誰もいなくても?
いなくても。
んー、それは残念。
亜美ちゃんと踊れたら、とても楽しそうだったのに。
……今日は、踊らない。
今日は?
……雪が積もる前に、まこちゃんのお部屋に行かないといけないから。
なら……いつか。
……。
いつか……あたしと、踊って下さい。
……いつか。
うん……いつか。
……。
……。
……早く、帰りましょう。
うん……帰ろ。
3日
……失礼します。
……。
まこちゃんは……あ。
……うーん。
まこちゃん。
ん?
遅くなってしまってごめんなさい。
亜美ちゃん。
ホームルームが終わった後に、先生にお使いを頼まれてしまって。
なら、仕方ないさ。
さ、座って。
うん。
今ね、チラシを見比べてたんだ。
……何か良いものはあった?
とりあえず、二件。
ん。
こっちのお店では卵がおひとり様一パック100円で買えて、鶏肉が安い。
で、こっちは豚肉と白菜と葱が安い。あと、しらたきも。
そんなに距離はないのだし、二件回ったらどうかしら。
それも、考えたんだけどね。
……何か悩んでいるの?
お米を買うか、悩んでる。
お米?
うん、もうあんまりなくてね。
お米はどちらのお店が安いの?
多分、どっちも似たようなものだと思う。
チラシには載ってないし。
どちらも似たようなものなら、後に寄るお店で買えばいいじゃない?
……うん、そうだよね。
まこちゃん?
いや……お米、何キロ買おうかなって。
いつも買ってる量ではだめなの?
確か、5キロだったわよね?
うん、5キロ。
……何か、気になっていることでもあるの?
他の材料もだけど、無駄にしてしまわないかなって。
……。
明日までは足りるし……だったら、今日買わなくてもいいような気がして。
……まこちゃん。
ね、知ってる?
……何?
お米一粒に神さまが7人、宿っているんだって。
ああ、聞いたことはあるわ。
すごいよね、お米一粒に神さまが7人も宿っているなんてさ。
一杯のごはんに一体、何人の神さまがいるんだろ。
一粒も無駄にしてはいけないという、戒めも含まれているのだと思うわ。
お米を作ることは、とても大変なことだから。
7人の神さまって、なんだっけ。
確か……水、土、風、虫、太陽、雲、そして、作ってくれたひとだったと思う。
お米を作る過程において、それらはなくてはならない、とても大事なものだと。
ひとも神さまになっちゃうんだね。
現人神とはまた扱いが違うと思うの。
あくまでも感謝の気持ちを込めて、そう呼んでいるだけで。
うーん、亜美ちゃんはなんでも知ってるなぁ。
……読んだ本に、書いてあったから。
それをちゃんと憶えてるから、すごいなぁって思うんだ。
すごくなんて……もう、からかわないで。
からかってなんかいないよ。
あたしの亜美ちゃんは本当に物知りさんなんだなって、改めて思っただけ。
……まこちゃんは、私が知らないことを知っているわ。
知らないこと?
本で得た知識だけでは、本当の意味で知っていることにはならないこともある……。
……。
……それを教えてくれたのも、まこちゃん。
知れて、良かった……?
……。
それとも、知らない方が良かった……?
……知らない方が良かったなんて、思わない。
じゃあ……あたしで、本当に良かった?
……。
他の誰かの方が、良かったとか……あ。
……そんなこと。
……。
二度と、言わないで。
……ごめん、もう言わない。
……。
亜美ちゃん、見て。
……どこ。
外……雪が、降り出した。
……予報通りね。
うん、今回は当たりだ。
……早く、帰りましょう。
そうだね、帰ろう。
チラシを片付けから、ちょっと待ってて。
……お米は結局、買わないの。
うん、買わない。
無駄にしたくないんだ。
……無駄になるなんて、まだ決まっていないわ。
帰ってきたら、買えばいいから。
……。
よし、お待たせ。
帰ろ……う?
……まこちゃんは、私で良かったの。
え。
……同性である、私で。
そうだなぁ……。
……もしも。
この気持ちに気が付いた時、あたしはとても驚いた。
なんだったら、気のせいじゃないかって、何度もそう思ったよ。
……。
亜美ちゃんに感じるどきどきは、恋に似ていると思ってた。
だけど、そんなわけない。亜美ちゃんのことは確かに好きだけれど、そういう好きじゃない。
ただの勘違いだ、そんなこと、ありえないって。
……。
だけどその気持ちを認めたら、驚くほどに、しっくり来たんだ。
それで、あたしはずっと、亜美ちゃんを探してたんだって。やっと、気が付くことが出来た。
……。
顔も、声も、名前も、歳も、どこに住んでいるのか、何も知らない女の子。
いくら探したって、見つからないわけだよ。
……恋愛対象では、ないから。
今のあたしは、心から、亜美ちゃんのことが欲しいって……そう、思ってる。
だってあたしは、亜美ちゃんに恋をしているから。
……。
あたしは、亜美ちゃんのことが好きで、愛しいと思っていて。
だから、何よりも、誰よりも、亜美ちゃんのことが欲しい、亜美ちゃんしか要らない。
……好きになるひとは、みんな男の子だったのに。
本当に、どのひとも亜美ちゃんに全く似てないよ。
……いつも、先輩の影を追っていて。
亜美ちゃんは先輩に全然似てない。
顔も、声も、瞳や髪の色も、耳や手の形も、喉ぼとけだってないし、本当、どこを取ってもちっとも似ていないんだ。
……ね、まこちゃん。
似てなくて、良かった。
……あ。
全然、違っていて……本当に、良かった。
……私で、良かったの。
それ、もう二度と言わないで欲しいな。
……う。
亜美ちゃんがついさっき、あたしに向けて言った言葉だよ。
……。
亜美ちゃんは……あたしが好きになってきたひとの中で、一番、素敵なひとなんだ。
……私。
女の子が女の子を好きになることは、いけないこと、気持ちが悪いこと。
だけど、あたしはそうは思わない。
……。
亜美ちゃんも、そう思うだろう……?
……思っても、いい?
思ってよ……あたしと、一緒に。
……まこちゃんと一緒に。
ふたりなら、何も怖くないさ。
……うん。
改めて、言うけど。あたしは、亜美ちゃんが良かった。
亜美ちゃんじゃなきゃ、だめなんだ。
……まこちゃん。
もう、言わない……?
……。
……ね、亜美ちゃん。
ごめんなさい……この期に及んで。
不安になったら、言ってもいいよ。
……え。
不安になることは、これからもきっと、あると思う。
それも、何度もね。
……その時は。
確認しよう。
何度でも、何度でも。
……面倒ではない?
あたしは、面倒じゃない。
亜美ちゃんは、面倒かい?
……私は。
あたしは、もう二度と言わないようにはするけど……それでも、不安をこぼしてしまうことはあるかもしれない。
……。
嫌に、なる……?
……ならない。
許してくれる……?
……許すも、何も。
そんなあたしは、面倒……?
……面倒じゃないわ、まこちゃんなら。
あたしなら?
……だって私は、まこちゃんのことが。
ね……亜美ちゃんが好きなひとは、あたしだけでいいよ。
私が好きなひとは、まこちゃんだけよ……他の誰かなんて、好きにならないわ。
……あたしも、亜美ちゃんだけだ。
……。
ずっと……生まれ変わっても。
……知れて、良かった。
うん……?
……この恋心を、知れて良かった。
あたしで、
あなたで、良かった。
……わ。
……。
亜美ちゃん……寒い?
……さむくなんて、ないわ。
だけど……ふるえてる。
……寒くなんてない、あなたが傍にいてくれるなら。
じゃあ、ずっと傍に……いさせてくれる?
……いて。
うん……じゃあ、ずっと傍にいるね。
……私も、いるわ。
……。
……私は、温かくないかもしれないけど。
温かいよ。
……手だって、年中冷たくて。
亜美ちゃんは、あったかいよ。
……。
亜美ちゃんは……雪を、融かしてくれたんだ。
雪……?
……心の中に積もった、寂しさで出来た雪。
……。
その雪は、両親がいなくってから、ずっと降ってた。
ずっとやまないで、降って降って、融けずに積もって。
……。
でも、今はやんでるんだ……やんで、積もった雪も融けてる。
だけどね、まだ全部は融けていないし……たまに、降ることだってある。
……寂しさの、雪。
亜美ちゃんが一緒でも、雪は降ることがある。寂しさが完全になくなることなんて、きっと、ないから。
でも、それでもね、亜美ちゃんはその雪を融かしてくれる、融かしてくれた、唯一のひとなんだ。
……。
だから、亜美ちゃんはあったかい……いつだって、あたしに優しい温もりをくれる。
それはね、うさぎちゃんとは違うものなんだ……。
……うさぎちゃんと。
うさぎちゃんは、月の明かりのような柔らかい光……だけど、その光は雪までは融かしてくれない。
融かすには、熱が足りないんだ……。
……私の心の中にも。
雪は、降っていた……?
……両親が離婚してから、ずっと。
亜美ちゃんの、心の中の雪は……。
……全部では、ないけれど。
……。
雪は、いつの間にかやんで……たまに、降ることはあるけれど……まこちゃんが、いてくれれば。
……。
まこちゃんの熱は、うさぎちゃんとは違うもの……。
……うさぎちゃんは、あたし達の大切な友達だ。
うん……。
……だから、守りたい。
私も……守りたい。
……だけど。
……。
あたしは……亜美ちゃんも、守りたい。
もしかしたら……うさぎちゃん、よりも。
……まこちゃん。
前世……。
……。
……その使命は、今でも。
うさぎちゃんは、言ってくれたわ。
……。
……普通の女の子として、生きたいと。
あぁ……。
……それは、私達も同じだと。
……。
私達の前世は……ジュピターと、マーキュリーは。
……プリンセスを守れなかった、ううん、守らなかった。
……。
それでも、うさぎちゃんは……誰も、責めない。
……うさぎちゃんとプリンセスは、違う。
うん……あたしも、そう思う。
……。
……生きても、いいかな。
いいと、思うわ……ううん、いいの。
……戦いが終わったら、普通の女の子として。
まこちゃんと、生きたい……。
……生きて、あたしと。
まこちゃんも……私と。
生きるよ……生きたいんだ、亜美ちゃんとずっと。
……ん。
愛してる。
……私も。
……。
……でも、待って。
ん……図書室、だったね。
……。
……降りが強まる前に、亜美ちゃんの家に行こう。
ね……。
……なんだい。
お米、やっぱり買わないの……?
……それ、考えてた。
それで……。
……やっぱり、買おうと思う。
……。
帰ってきて、何もなかったら……困るしね。
……帰ってきたら。
何が、食べたい……?
……炊き込みご飯は、食べたい。
炊き込みご飯か……何が、いい?
……。
今は、思い付かない……?
……考えておいても、いい?
うん……考えておいて。
……。
さぁ、行こっか。
うん、まこちゃん。
忘れ物はなし、と。
……リップ、出してない?
うん、出してない。
……。
ね、出てないだろ?
ん、出てない。
じゃ、亜美ちゃん。
……まだ、早いわ。
図書室を出るまで。
……。
それなら、いいだろ?
ん……それなら。
……。
……。
ね……今日は、塾を休むんだよね。
うん……休む。
……嬉しいけど、いいのかい。
うん……いいの。
……そっか。
……まこちゃんと、いたい。
ん……いよう、明日まで一緒に。
……明日を、過ぎても。
あぁ……一緒だ。
……。
雪、積もるかな。
……積もる前に、まこちゃんのお部屋に行けたらいいけど。
多分、大丈夫じゃないかな。
……寄り道、しないでね。
うん……雪だるまを作るなら帰ってから、だよね。
2日
……とりあえず、これくらいかしら。
うん、予想はしてたけど。
……多過ぎた?
ううん、多い方がいいよ。
その分、楽しみが増えるからさ。
……少し、減らす?
いや、このままで。
時間はかかるかもしれないけど、どれも読んでみたいんだ。
……本当に、多くない?
好きなひとが薦めてくれる本なら、いくらでも読みたい。
……。
あたし、亜美ちゃんに感想を聞いて欲しいんだ。
でさ、亜美ちゃんもあたしに話して欲しい。
まこちゃん……。
ね、きっと楽しいと思うんだ。
……そうね、きっと楽しいわ。
でも、分からなかったら聞くかも。
特に、このあたり。
ふふ……うん、いつでも聞いて。
ん、ありがと。
本には、どうしても合う合わないがあるから……もしも合わなかったら、無理しないでね。
うん。
……ねぇ、まこちゃん。
ん?
まこちゃんのお薦めの本って、ある?
あたしの?
読んでみたいわ。
んー、そうだなぁ。
……恋愛?
も、あるけど、お料理の本も読むよ。
あとは、幻想小説も好きかな。
幻想?
そう、幻想小説。
意外かな。
ううん、そんなことない。
まこちゃんはロマンティックだし、だから幻想的なものが好きでも意外だとは思わないわ。
あたしはね、意外だと思った。
え?
……。
まこちゃん?
前の学校にさ、幻想小説を書く子がいたんだ。
……。
その子が書いた小説を一回だけ、読ませてもらったことがあってね。
それで好きになったんだ。
……どんなお話だったの?
この星のどこにもない国の話で、人間だけでなく、エルフとかドワーフとか、あとドラゴンとかペガサスとか、人間ではない種族も出てくるんだ。
寿命が違う種族の間で戦争が起こったり、恋に落ちたり、力を合わせたり……とても不思議で、だけど共感出来て、とても面白かったんだ。
……そのひとと、まこちゃんは。
もしかしたら、友達になれたかもしれないけど。
……お友達では、なかったの?
あたし、転校しちゃったからさ。
別れの挨拶もしなかったし。
……連絡は。
してない、知らないから。
……転校してから、一度も会ったことないの?
うん、ないよ。
家がどこにあるのか、それも知らないんだ。
……もしも、転校しなかったら。
どうだろ……やっぱり、なれなかったかも。
……どうして。
あの頃は、友達を大事だと思ってなかったから。
……。
……今だったら、友達になれるかもしれない。
そのひとが書いたお話……私も、読んでみたい。
……。
難しいかしら……。
……帰ってこられたら。
……。
一緒に、行ってみるかい?
あの子に会えるかどうか、それは分からないけど……それでも、いいのなら。
……行ってみたい。
……。
まこちゃんがいた場所に。
……じゃあ、行こう。
あ……。
……亜美ちゃんと一緒なら、きっと行ける。
ん……。
……。
……近いわ、まこちゃん。
うん……今、離すよ。
……。
だけど、その前に……お薦めの本は、ちょっと待っててくれる?
すぐに出てくるのは、お料理の本ばかりでさ……例えば、ケーキの本とか。
それでも、いいけれど……でも、待ってる。
……ありがと。
ね……近いわ。
……ん、離れる。
……。
テストが終わったら、赤毛のアン。
……まこちゃん。
赤毛のアンが読み終わったら、若草物語。
両方、続編があるんだよね。春休み中に読み終わるかな。
……春休みに、読み終わらなくても。
三年生になったら、受験だし。
……受験勉強をしながらでも、息抜きとして読んでもいいと思う。
そっか……じゃあ、そうする。
……。
亜美ちゃん?
肩、どうかした?
……ん、なんでもないわ。
ごめん……もしかして、痛かった?
……ううん、平気。
……。
……まこちゃんの手の熱がね。
熱……?
……肩に残っているような、そんな気がしただけ。
……。
あ……。
……もっと、あげるよ。
……。
望んでくれるなら……もっと、あげたい。
……ここでは、だめ。
む……。
……唇、リップクリームを塗った方がいいと思う。
かさかさ、してるかな。
……さっきのことで、落ちてしまったのかもしれない。
あー……そうかも。
……切れてしまう前に。
ん……塗り直すよ。
……む。
亜美ちゃんも、ね。
……うん。
……。
……。
あれ?
……え?
あれ……あれ?
まこちゃん、どうしたの?
リップ、忘れちゃったかも。
入ってないの?
うん、ちゃんと入れたと思ったんだけど。
良く探してみて。
もしかしたら、違う場所に入っているのかもしれないわ。
……落としたかもしれない。
落とした?
もしも落としてたら、最悪だ……亜美ちゃんとお揃いで、気に入ってたのに。
落としたような記憶はあるの?
……記憶は、ないんだけど。
なら、落としてないかもしれない。
いつもはこのポーチに入れているのよね。
うん、いつもは。
だけど今日は、制服のポケットに入れてたんだ。
制服の?
使ったらすぐにしまうんだけど、今日に限ってテーブルに置きっぱなしにしちゃって。
……それで、ポケットに。
うん、急いでいたから。
……。
部屋になかったら、しょうがない。
また、買いに行くよ。
……ねぇ、まこちゃん。
ん、なに?
コートのポケットは?
コート?
もしも、コートを着てからポケットに入れたのなら。
あ、そうか。
入っているかもしれないわ。
ん、今見てみる。
慌てないでね。
うん。
……。
多分、右に……あ。
あった?
うん、あった。
良かった。
あー、良かったぁ。
使ったら、ポーチに入れておいた方がいいわ。
うん、そうするよ。
……。
……ね、亜美ちゃん。
ん……なに?
……もしもなかったら、貸してくれた?
え……。
……なんて、冗談だよ。
……。
リップをひとに貸すなんて……流石に、ね。
……まこちゃんが、気にしないのなら。
……。
貸してたと、思う……。
……ほんと?
うん……ほんと。
……。
……いやよね、ひとのを借りるなんて。
あたしは、気にしないよ。
……。
亜美ちゃんのなら……気にしない。
……少しは気にして。
気にしない。
……ウィルス性の病気に罹っていたら、うつしてしまうかもしれないから。
病気……?
……インフルエンザとか、ヘルペスとか。
インフルエンザは分かるけど、へ、へすぺすって、なに?
……ヘルペス。
て、なんだい……?
ヘルペスウィルスが原因で起こる感染症で……唇の周りに、軽い痛みを伴う小さな水ぶくれがいくつも出来る皮膚疾患。
それ、うつるの?
……ウィルス性だから。
……。
……だから、気にして。
今、罹っているの?
……今?
そう、今。
昨日までは罹ってなかったよね?
……罹ってないと、思うけど。
なら、借りたい。
……。
罹ってなければ、うつることなんてないだろ?
ウィルスは、いないんだから。
……もぉ。
あれ、だめ?
ちゃんと持っているでしょう?
……。
まこちゃん?
あー、そうだった。
惚けて。
ははは。
……。
まぁ、お揃いだし……今は、それでいっか。
まこちゃん。
ん?
……やっぱり、だめ。
あ、うん。
……。
もしかして……あたしの、貸して欲しい?
違いますっ。
お、おう。
……。
んー……まぁ、いっか。
……。
……耳、赤い。
まこちゃんっ。
え、なに。
私の耳なんか見てないで、早く塗って。
あ、あぁ、塗ってる、けど。
……。
……さっきの方が、真っ赤だったけど。
まこちゃんっ!
あ、はい、すみません。
……。
……かわいいな。
……。
……塗り終わった?
……まこちゃんは?
ん、終わったよ。
……なら、忘れないうちにしまって。
はい。
……。
そのリップ……気に入ってくれてるようで嬉しいよ。
……まこちゃんが、選んでくれたから。
亜美ちゃんの唇に合ってるようで、本当に良かった。
……。
……終わった?
ん……。
……ちょっと見せて。
え……ぁ。
うん……かさかさしてない。
……。
ね……キス、してみようか?
……しない。
しない……?
……折角塗ったのに、落ちてしまうじゃない。
そしたら、また塗ればいいと思うんだ。
……。
そうは、思わない……?
……しないと言ったら、しません。
はい……分かりました。
……もぅ。
帰ってから……ね。
……。
……そう、部屋に帰ってから。
まこちゃん。
ん?
……授業は、ちゃんと受けてね。
……。
……授業中、上の空になってしまわないように。
はい……分かってます。
……。
亜美ちゃんは、大丈夫かい?
……私は、大丈夫よ。
そう……?
……。
やっぱり、大丈夫じゃない……?
……そんなこと、言ってない。
言ってないけど……言葉に、してないだけかも。
……まこちゃん。
はい……もう、止めます。
……。
ねぇ、亜美ちゃん。
ここに書いてくれた本は全部、この図書室にあるんだよね。
……。
亜美ちゃん?
……ごめんなさい、全部はないの。
じゃあ、図書館?
……あのね。
うん。
良かったら、なのだけど……私が持っている本を、まこちゃんに。
亜美ちゃんの本を貸してくれるの?
う、うん……。
ありがとう。
……私が、薦めたから。
汚してしまわないように、読む時は手を洗って大事に読むよ。
……少しくらいなら、汚れても。
ううん、だめだ。
亜美ちゃんの大事な本なんだから。
……図書室の本も、大事にしてね。
ああ、もちろんだよ。
本は大事にしないとね。
……ん。
……。
……ん、なに。
亜美ちゃんの横顔、好きだなって。
……くすぐったいわ。
耳たぶ、かわいい。
ん……だめ。
ふふ……。
もぅ……やめて、まこちゃん。
……。
まこちゃん……聞いてる?
……愛しい。
……。
亜美ちゃんが……亜美ちゃんと過ごす時間が、たまらなく愛しい。
……まこちゃん。
ずっと、この時間が続けばいいな……ううん、続けたい。
……続けましょう。
ん……亜美ちゃん。
……ずっと。
……。
……。
……声が、増えてきたね。
……登校時間を、過ぎたから。
そろそろ、教室に行こうか。
……。
……それとも、今日はここで。
ううん……教室に行くわ。
……。
……また、放課後に。
うん……また、放課後に。
……もしも、ホームルームが長引いたら。
図書室で、待っているよ。
1日
……はぁ、本の匂いがする。
落ち着く?
ええ……やっぱり、図書室は落ち着くわ。
あたしも好きだなぁ、図書室の雰囲気。
他の教室とは離されてるようで、どこか落ち着く。
あ。
ん、どした?
返却日の日付が変更されていないわ。
きっと、昨日のひとが忘れたのね。
変更してあげる?
してもいいかしら。
いいんじゃないかな、元図書委員なんだし。
多分、誰も気が付かないよ。
……。
貸出期間は二週間だっけ。
うん、二週間。
だけど、中には返却を忘れてしまうひともいてね。
そういう時はどうするんだい?
返却日から一週間くらいは待っているのだけれど、それでも返却してくれない場合は担任の先生に伝えてもらうの。
図書委員が直接、言うんじゃないんだ?
生徒同士だと揉めることがあるみたいで。
特に、下級生から上級生に言うのは難しいから。
あー、なるほど。
本を借りる先輩がみんな、面倒じゃないってわけじゃないもんな。
……うん、これでいいわ。
図書委員の水野さんか。
ちょっと見てみたかったな。
冷やかしなら、お断りよ?
ちゃんと本も借りるよ、水野さんお薦めのね。
……。
ん?
……本当に、借りてくれる?
うん、借りるよ。
……借りるだけ?
んーん、ちゃんと読むよ。
じゃなきゃ、水野さんとお話出来ないし。
お話?
本を返す時に、感想を話すんだ。
ね、聞いてくれるだろう?
うん、聞きたいわ。
でも、静かに話してね?
じゃあ、耳元でひそひそと話そうかな。
それだと、近過ぎるわ。
誰もいなかったら、いいと思うんだけど。
誰もいないのなら、今のこの距離で話しても大丈夫よ。
でも、静かに?
外には、聞こえない声で。
それなら……これくらいかな。
……近いわ。
けど、耳元ではないよ。
……まこちゃん?
はぁい。
……もぅ。
でも、あまりにも難しい内容だったら途中で力尽きちゃうかも。
そしたら、難しかったって素直に言うね。
大丈夫……中学校の図書室に、そこまで難しい本は置いていないから。
あたしでも読める?
どの本も、まこちゃんなら読めるわ。
ん、そっか。
じゃ、お薦めしてもらおうかな。
まこちゃんは、どんな本に興味があるの?
うーん、そうだなぁ。
物語が好きかな。
……恋愛小説?
も、たまには読むけど。
恋愛小説ばかりじゃないよ。
……。
何か、ある?
……まこちゃんは、海外の文学には興味はある?
海外の?
読んだことはないけど、何か面白いのがあるのなら読んでみたいかな。
じゃあ、海外の児童文学はどうかしら。
児童文学?
て、小さな子供が読む本じゃないの?
一般的には子供向けに書かれている文学作品とされているけれど、大人が読んではいけないというわけではないわ。
寧ろ、大人だからこそ胸に響いて、子供とは異なる感想を抱くこともあるそうよ。
へぇ、そうなんだ。
作品によっては、子供よりも大人に人気なものもあるくらいなの。
亜美ちゃんが好きな本はなんだい?
……私?
それを借りて、読んでみるよ。
そうね……有名なところでは、若草物語かしら。
若草物語?
作者の自伝的な小説で、四姉妹の成長が描かれているの。
特に次女のジョーが魅力的で、でも、私としては三女のベスも好きなのだけれど。
聞いたことがあるような……ないような。
あとは、赤毛のアン。
あっ、赤毛のアンは知ってるよ。
読んだことはある?
読んだことは、まだないかな。
赤毛のアンも面白いわ。
アンは自分に劣等感を抱えつつも、想像力が豊かな女の子でね。
ロマンティックなものがとても好きで、自分が美しいと思ったものには名前をつけたがるの。
ロマンティック……。
ロマンティックなまこちゃんなら、アンに共感するところがあるのではないかしら。
……。
まこちゃん?
赤毛のアンって、昔の話だよね。
ええ、19世紀の終わり頃の話だけど。
……確か孤児なんだよね、アンって。
あ。
……孤児でロマンティックなものが好き、か。
……。
うん、読んでみようかな。
……え。
え?
読んで、みる?
元図書委員の水野さんがお薦めしてくれるんだろ?
だったら、読んでみたい。
……。
早速、借りて……と、思ったけど。今は、テスト期間前なんだっけ。
借りるなら、テストが終わった後の方がいいよね。
……その方が、いいと思う。
じゃ、テストが終わった後に借りに来よう。
……。
亜美ちゃん?
……ね、まこちゃん。
なんだい?
良かったら……若草物語も、読んでみて。
うん、分かった。
じゃあ、赤毛のアンの後に読んでみるよ。
……他にもね。
お。
あしながおじさんもいいと思うの。
あしながおじさん?
孤児院で育った少女がとある資産家にその才能を見込まれて、毎月一回、学業状況を手紙で報告することを条件に、大学進学の為の資金援助を受ける物語。
少女はお友達と一緒に学校生活を送って、その資産家……あしながおじさんと呼んで、手紙を送り続けるの。
才能って?
それは、読んでみてからね?
ん、そっか。そうだね。
それから星の王子さま。
星の王子さまは読んだことがあるよ。
バラの花とけんかして、他の星に行っちゃうんだ。
大切なものは、目に見えない。
うん?
ものごとは心でしか見ることができない……小さい頃の私には、その意味が良く分からなかった。
目に見えることが、全てじゃない。
……それは?
お父さん。
目に見えないものは、心の目で見るようにするんだって。
心の目……。
あたしも、良く分からなかったっけ。
目と言えば、顔にあるのしか知らなかったからさ。
心で見るとは、どういうことなのか……そもそも、心はどこにあるのか。
……。
大切なものは目に見えないのならば、その存在をどうやって捉えれば良いのか。
恐らくは、気付きにあると思うのだけれど、であるとすれば、気付きとは何か。
それこそが、心で見るということなのか……そんなことを、考えて。
……小さい頃から、難しい。
だけど、今なら。
……。
……今なら、なんとなく分かるような気がするの。
あたしも、今ならなんとなく分かる気がする。
……目には、確かに見えないけれど。
でも、大切なものはここにある……。
……ずっと、大切にしたい。
ふたりで、しよう。
……。
心で見ることを、忘れないように。
……うん。
ね……お薦め、他にもある?
……長くつ下のピッピ、モモ、ニルスのふしぎな旅も。
どれも、聞いたことはあるなぁ。
ねぇ、まこちゃん。
ん?
児童文学以外にもお薦めはあるのだけど、聞いてくれる?
ん、聞かせて。
うん。
とりあえず、座ろうか。
時間、まだまだあるしさ。
ん。
どこがいいかな。
亜美ちゃんは、どこがいい?
……あの机。
ん、どこ?
あの本棚の、すぐ傍の。
あぁ、あの机?
じゃ、そこにしよう。
いいの?
うん、いいよ。
行こう、亜美ちゃん。
うん、まこちゃん。
十番中の図書室って、広いよねぇ。
ゆとりがあってさ、亜美ちゃんがお気に入りなのが分かる気がするよ。
前の学校の図書室は、広くなかったのよね。
うん、こんなに広くなかった。
おまけに薄暗いし、居心地はあんまり良くなかったな。
……。
机、ここでいいんだよね。
……ん、ここで。
じゃ、どうぞ。
……ありがとう。
どういたしまして。
……まこちゃんも、どうぞ。
うん、ありがと。
……。
……ひとの声が、少し聞こえ始めたね。
そろそろ、登校時間だから。
誰も来なきゃいいな。
……まこちゃん。
来たら、離さないといけなくなるから。
……。
それで、他のお薦めってなんだい?
……色々、あるの。
うん。
……色々、あるのだけれど。
……?
どうした……?
……私が図書委員だった頃、図書室にもっと来てもらう為にね。
……。
読書月間、という企画を立てたことがあったの。
読書月間?
小学生の頃に、あったから……一度、やってみたくて。
読書月間って、今もやってるっけ?
ううん……今はもう、やっていないみたい。
どんなことをやったんだい?
読書月間っていうくらいだから、本をたくさん読もうって呼びかけるとか?
まずは、図書委員が自分のお薦めの本を五冊紹介するの。
その本を、全校生徒にお薦めする?
そう……作成したプリントをクラスで配ってもらったり、掲示板にお知らせを貼ったりして。
それなら、みんなに知らせることが出来るね。
……そうするつもりだった。
つもりだった……?
たまたま、図書委員をやっていると言うだけで……全員が、本を好きなわけではなかったの。
……あぁ。
だから……お薦めの本と言っても、適当に選ばれたものも大分混じっていて。
辞書だとしても、ちゃんとしたお薦めの理由があればいいのだけれど……特に、なくて。
……。
本の紹介文を載せるつもりだったプリントは、読書月間とその期間を知らせるだけの、ひどく粗末なものになって。
クラス交付はなくなり、掲示板にひっそりと貼るだけになってしまったの。
……もしかして、だけどさ。
……。
余計なことを提案してとか、言われた?
……うん、言われていたみたい。
うん……腹立つな。
……。
結局、どうなったんだい?
先生も賛成してくれたから、やることになったのだけれど……生徒は、あまり来てくれなかった。
……そっか。
小学校ではね……読書月間中は、お昼休みになると何人も図書室に行って。
競うようにして、みんなで本を読んでいたの。少し騒がしかったけれど、嫌ではなかった。
……亜美ちゃんも、そのひとり?
いつも隅っこにいて、みんなの輪の中には入れなかったけど……一応、そのひとりだった。
小学生の亜美ちゃんか……ちょっと、見てみたいな。
……。
絶対に可愛いと思って。
……読書とは、関係ないわよね?
関係ないけど……写真があったら、見せて欲しいなって。
……。
……だめかな。
見せてもいいけど……私だって、見たいわ。
何を?
……小学生のまこちゃん。
……。
……見せてくれる?
いいよ。
……ん。
でも、あんまりないんだ。
それでも、いいかな。
……。
そんな顔、しないで。
……。
ね……。
……今日、見る?
うん……見せてもらえるなら。
……。
亜美ちゃん……。
……まこちゃん。
……。
……だめ。
ん……ごめん。
……誰もいなくても、学校だから。
そうだね……。
……。
あのさ……ずっと、気になってたんだけど。
なに……。
唇……少しだけ、かさかさしてるような気がする。
まこちゃんにもらったリップクリームを……ん。
……。
……だ、め。
……やっぱり、少しかさかさしてる。
……。
……怒った?
ばか。
……うん、ごめんね。
……。
……亜美ちゃん。
ここは、学校なのに……。
……もう、しないよ。
……。
もう、しないから……ん。
……。
……あみちゃん。
ばか……まこちゃんの、ばか。
……ごめん、亜美ちゃん。
あ……。
……どうしても。
もう、だめ……。
……。
まこ、ん。
……。
……ん、……んっ。
……。
いま、の……。
……はぁ。
な、に……ん。
……もう、いちど。
まっ、……んっ、んぅ。
……ふ。
ま、こ……ん……ん。
……。
……。
……?
……。
……なみ、だ?
……、ない。
ごめん、苦しかった……?
……こんなキス、しらない。
気持ち、悪かった……?
……。
気持ち悪くかったなら……もう、しない。
もう、しないから……。
……わから、ない。
……。
わからないの……。
……知りたいと、思う?
……。
もっと、知りたいって……。
……まこちゃんは、知っているの。
あたしも、良くは知らないんだ……。
……知らないのに。
だから、知りたいと思った……。
……。
……でも、亜美ちゃんが嫌なら。
いやでは、ないわ……ただ、わからないだけ。
……。
……だから、教えて。
うまく、教えられないかもしれない……それでも。
……それでも、かまわない。
……。
まこちゃん……。
……亜美ちゃん。
……。
……む。
やっぱり、家で。
……。
……家で、教えて。
なら……亜美ちゃんの
まこちゃんのお部屋で。
……。
……お願い。
分かった……じゃあ、あたしの部屋で。
……。
……お薦めの本、聞いてもいい?
……。
教室に行くのは、まだ少し早いだろ……?
……ん、まだ少し。
じゃあ……。
……聞いてくれる?
うん……聞かせて。