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日記
2025年・2月

  28日





   ……学校、静かね。


   テスト期間前で、朝練はお休みだからね。
   三年生は、受験で忙しいし……まぁ、先生は何人か来てるみたいだけど。


   ……。


   テスト前と言っても、朝練くらいはしてもいいと思うんだよ。
   放課後の練習が休みになるのは分かるんだけどさ。


   ……誰か見たいひとでもいた?


   見たいひとなら、ここにいるよ。


   ……ここに?


   あたしが見ていたいひとは、あたしのすぐ傍に。


   ……近いわ、まこちゃん。


   ん……ごめん、つい。


   ……結局。


   ん?


   ……校門の近くに来るまで、離さなかった。


   誰も、いなかったから。


   ……そうでもなかったけど。


   気にしているひとも、じっと見ているひともいなかったよ。
   大人はみんな早歩きでさ、中学生なんて気にしてる暇ないんじゃないかな。


   ……十番中の生徒がいなくて良かったわ。


   うん、本当にね。


   ……。


   まっすぐ、教室に行く?
   それとも、図書室に寄る?


   ……それを、決める前に。


   ん?


   少し校舎内を見て回りたいのだけど、いい?


   あぁ……じゃあ、そうしようか。


   この時間だと、三年生と一年生はいないかしら。


   うーん、どうだろ。
   一年はいないような気がするけど、三年は分からないなぁ。
   亜美ちゃんみたいなひとが早く来て、受験勉強をしているかもしれないし。


   ……じゃあ、行かない方がいいわね。


   こんな時間に来てるなら、そのひとはきっととても真面目なひとだろうから。
   二年がふたりぐらい、うろちょろしていても何も言わないんじゃないかな。


   ……。


   上級生に、何かされた思い出でも?


   特にはないのだけど……なんとなく、行きづらくて。


   まぁ、目を付けられたら面倒だしなぁ。


   ……まこちゃんは、あるの?


   うん、まぁね。


   上級生に嫌がらせをされたの?


   嫌がらせはされなかったけど、囲まれて生意気だとは言われたよ。
   階段の下でさ、5人くらいだったかな。昼休みの時間を全部使って、たっぷりと言われた。
   そのせいでごはん、食べはぐっちゃって。5時間目はお腹が空いて授業どころじゃなかったし、ほんと、迷惑この上なかったなぁ。


   生意気って、何かしたの?


   制服の着方とか鞄の持ち方とか、あとは先輩が好きだったからさ。
   どうしてもね。


   それくらいで?


   それくらいでも、気に入らない奴はいるんだよ。
   特に一年は、目立ったことをしちゃあいけないんだってさ。


   ……すごく、どうでもいいわ。


   あたしも思うよ、すごくくだらないって。


   この学校に来てからは、どうなの?
   聞いたこと、ないけど。


   十番中では、今のところ、ないかな。
   友達が出来て、ひとりじゃなくなったし。大事な恋人だっているし。


   ……。


   どうする? 三年生の階にも行ってみるかい?


   ……ううん、やめておく。


   大丈夫だよ、何があろうともあたしが守るから。
   それに卒業まで、あと二ヶ月もないしさ。


   ありがとう……でも、いいの。


   そう?


   一年生の階にも行かないから。


   え、行かないの?


   ……行きたいの?


   亜美ちゃんが一年生の頃に使っていた教室を見てみたいなって。


   あの頃とはもう、違う教室になっているわ。
   きっと、その名残もない。


   んー、そっか。


   だけど、通り過ぎるくらいなら。


   いい?


   ん。


   それじゃ、行こう。


   特別教室は、開いていないわよね。


   多分、閉まっているんじゃないかなぁ。
   部活動があれば、開いてたかもしれないけど。


   ……。


   入りたかった?


   ううん、校舎内を少し見たいだけだから。


   そっか。


   ……私ね。


   うん。


   図書委員の当番の日は、いつもより早く学校に来ていたの。


   今日くらい?


   そう、今日くらい。


   図書委員って、そんなに早いんだ。
   あたし、知らなかったよ。


   ううん、私だけよ。


   亜美ちゃんだけ?


   他のひとは、登校時間の30分くらい前に来ていたみたいだから。


   早く来て、本を読んでたの?


   あと、お勉強をしていたわ。
   教室と違って、静かだったから。


   教室は、騒がしくなるもんなぁ。


   ……誰からも何も言われない、指を差して笑われない。


   ……。


   図書室は、学校で唯一、私が私らしくいられる場所だったの。


   ……今は。


   今は、唯一ではなくなったわ。


   ……。


   2年5組……あの場所にいると、今でも息苦しく感じることはあるけれど。


   ……隣の教室に、あたしがいるよ。


   そう……隣の6組には、まこちゃんが。
   そして1組には、うさぎちゃんがいる……そう思うようになったら、心が大分楽になった。


   ……亜美ちゃんはもう、ひとりじゃない。


   うん……まこちゃんとうさぎちゃんがいてくれる。


   学校を出れば、レイちゃんや美奈子ちゃんだっている。


   あと、ルナとアルテミスも。


   みんなでいると、ルナはうさぎちゃんよりも亜美ちゃんといることの方が多いよね。
   なんだったら、亜美ちゃんの肩の上がお気に入りの場所みたいだし。


   ふふ、そうみたいね。


   たまに、亜美ちゃんの膝に丸まって寝ているし。


   ルナが寝ている姿って、とても可愛いの。


   ルナが乗っていると、亜美ちゃんは嬉しそうだよね。


   そうかしら。


   そうだよ、いつもにこにこしてる。


   まこちゃんが言うのなら、そうなのね。


   肩、こらない?


   肩?


   ルナが肩に乗っかって。


   うーん……むしろ、肩にいいのかも。


   は、なんで?


   ルナが下りた後は、肩が和らいでいるような。


   ……どういうこと?


   たまにね、肩をふみふみしてくれるの。


   ……ふみふみ。


   それが気持ち良くて。


   ……ルナめ、そんな羨ましいことを。


   え、なに?


   あ、いや、ルナの足マッサージかなって。


   そうなのかしら……でも、そうなのかも。


   ね、今度さ、あたしがやってあげるよ。


   何を?


   いや、だから……。


   まこちゃん?


   ……カタモミ、を。


   ……。


   べ、別に下心から言ってるわけじゃないよ。
   あ、あたしは、ただ、


   じゃあ、お願いしようかしら。


   え、ほんと?


   ん、本当。


   ……やった。


   でも、今はこっていないわ。
   だから、気持ちだけで。


   ……。


   そもそも、肩がこることはそんなにないの。


   うん、そうだよね……亜美ちゃん、水泳をやっているもんね。


   ……。


   はぁ……。


   ……ねぇ、まこちゃん。


   なんだい、亜美ちゃん……。


   ……疲れた?


   え、いや、別に。
   なんで?


   一年生の階って、一番上の階でしょう?


   これくらい、なんでもないよ。


   そう……良かった。


   亜美ちゃんこそ、大丈夫かい?


   私は……ちょっと、懐かしいかも。


   懐かしい?


   ……もう、戻りたくはないけれど。


   ……。


   ここよ。


   ここ?


   そう、この教室。


   ……。


   やっぱり、あの頃とはもう全然違うわ。


   ……教室は変わらず、ここにあるのにね。


   そうね……。


   ……今は知らない顔をしている、か。


   ……。


   そんな感じ、しない?


   ……する。


   だろ?


   ……。


   ね、どこら辺に座っていたんだい?


   窓際の真ん中あたり……廊下から二番目の列の前あたり……それからまた、窓際に。


   あの中に、亜美ちゃんが使っていた机があるのかな。


   もしかしたら、あるかもしれないけど……ここからでは、分からないわ。


   見たら分かるの?


   机の角に、傷があったの。


   傷?


   ……私よりも前の、誰かがつけた傷。


   へぇ……この学校にも、机に傷をつけるひとなんていたのか。


   ……これだけいるんですもの、そんなひとだっていたと思うわ。


   そっか……それもそうだね。


   ……行きましょうか。


   うん……行こう。


   ……。


   誰もいなかったね。


   ん、そうね。


   次は、どこへ行こうか。


   ……。


   亜美ちゃん?


   ……6組に。


   え?


   ……誰かが、来てしまう前に。


   いいけど……5組じゃなくて、いいの?


   5組よりも、6組がいい。
   まこちゃんがいる教室だから。


   ……。


   ……だめ?


   ううん、だめじゃない……行こう。


   ……。


   ね、亜美ちゃん。


   ……なぁに。


   今度こそ、あたしの席に座ってみるかい?


   ……まこちゃんの席に?


   あの時は、あたしの席の後ろに座ったから。
   だから、今日はあたしの席に。


   ……。


   席替えをしちゃったから、あの時とは違う場所なんだけどさ。


   ……座ってもいい?


   もっちろん。


   ……。


   ……今でも、憶えてるんだ。


   まこちゃん……。


   ……亜美ちゃんが来てくれて、とても嬉しかったこと。


   あの日に、私……。


   ……。


   ……初めて、まこちゃんって呼んだのよね。


   そう……あたしの片思いが実ったんだ。


   ……。


   ……で、今は恋人同士。


   ん……まこちゃん。


   ……指に、触れただけだよ。


   ……。


   あたしはこの学校に転校してきて、まだ半年ぐらいだから……そこまで、思い入れはない。


   ……そうよね。


   と、思っていたんだけどね……。


   ……あ。


   亜美ちゃんとの思い出が、ここにはある……。


   ……まこ、ちゃん。


   うさぎちゃんとの、思い出も。


   ……う、ん。


   だから、今となっては……前の学校よりもずっと、思い入れがあるんだ。


   ……私も、ここまで感傷的になるとは思っていなかったの。


   ……。


   あと一年……この学校で、まこちゃんとうさぎちゃん、ふたりと同じ時間を共有したい。


   ……共有出来るしさ。


   ……。


   きっと……出来る。


   ……うん、きっと。


   三年生になったらさ、同じクラスになれたらいいね。


   ……多分、クラス替えはないと思うわ。


   ないかな……。


   ……離れてしまっても、いやだもの。


   離れて……そっか、そういう可能性もあるのか。


   ……同じクラスになれる可能性の方が低いと思う。


   離れるのは、やだな……。


   ……体育の時間、まこちゃんと一緒なのが嬉しいの。


   あたしも、亜美ちゃんと一緒で嬉しい……。


   ……。


   ……着いたよ、6組。


   うん……。


   どうぞ、亜美ちゃん。


   ん……失礼します。


   真面目だなぁ。


   ……悪い?


   ううん、そういうところも大好きだ。


   ……。


   あたしの席は、こっちだよ。


   ……前は、窓際だったのよね。


   窓際の方が、良かったんだけどね。
   外が良く見えるから。


   ……一番、後ろ。


   でかいからね、あたし。


   教室が見渡せるわ。


   まぁ、これはこれで面白いよ。


   ……座ってもいい?


   ん、どうぞ。


   ……。


   あれ。


   ……なに?


   お邪魔しますって、言わないの?


   ……。


   憶えてるって、言ったろ?


   ……もう、まこちゃんは。


   はは。


   ……お邪魔します。


   うん、大好きだ。


   ……ばかなこと、言ってないで?


   ははは。


   ……。


   どうだい?


   ……まこちゃん。


   なんだ……あ。


   教科書は、持って帰ってね?


   そ、それは、たまたま……忘れちゃったと、言うか。


   たまたま、忘れてしまったの?


   ……今日は持って帰ります。


   はい。


   ……。


   ……。


   ……。


   ……ありがとう、まこちゃん。


   もう、いいのかい?


   ……うん。


   そっか……それじゃあ、次はどこへ行こうか。


   ……図書室に。


   図書室?


   ん。


   特別教室の方には行ってないけど、いいの?


   ええ、もういいの。


   ……ん?


   まこちゃんと、図書室に行きたい。


   亜美ちゃん……。


   ……ほんの少し、触れただけ。


   ……。


   ……まこちゃん、だめ。


   このまま。


   ……誰かが。


   このまま、行こう。


   ……。


   まだ、誰も来ない……だから。


   ……誰か、来たら。


   すぐに離す。


   ……。


   このまま、行こう……亜美ちゃん。


   まこちゃん……うん。


   ……。


   ……まこちゃん?


   さよなら。


   ……え。


   あと二ヶ月で、この教室とも。


   ……。


   なんて、お別れの挨拶は流石に気が早いか。
   卒業するわけではないんだし。


   ……お別れの挨拶は、早いわ。


   だよね。


   ……。


   三年生になったら、修学旅行だ。
   亜美ちゃんと一緒に回りたいな。


   ……それは、無理だと思うけど。


   思うけど?


   ……会うくらいなら、きっと出来るわ。


   うん……そっとね。


   ……そっとだなんて、悪いことをするみたい。


   キスは、悪いこと?


   ……するつもりなの?


   出来たら、したい。


   ……。


   旅行先でキス、なんてさ……ちょっとだけ、憧れてるんだ。


   ……また、夢を見て。


   いいだろ……夢を見たってさ。
   だって、あたし達は……。


   ……。


   ……普通の、中学生なんだから。


  27日





  -指輪(現世3)





   まこちゃん。


   亜美ちゃん、ごめん待った?


   ううん、私も今来たところよ。


   本当に?


   本当に。


   ……。


   ん……。


   ……うん、そこまで冷たくないかな。


   もう……外よ?


   大丈夫……誰も見てないから。


   ……そういう問題じゃないの。


   はい……ごめんなさい。


   ……今日のチラシ。


   ん?


   とりあえず、スーパーのものだけ持ってきたの。


   ありがと、今日は多いもんね。


   ……だから、寄っていく?


   うん、寄ってきたいな。
   丁度、なくなりそうなんだ。


   ……ん、分かった。


   ……。


   まこちゃん?


   ……誰も、いないよね。


   いないと……思うけど。


   ……なら。


   ……。


   途中まで……さ?


   ……途中までって。


   ゆ、ゆうべは、寒かったし。


   ……今朝、じゃなくて?


   今朝も、寒いね。はぁ……うん、今日も息が真っ白だ。
   天気もどんよりとしていて、今にも雪が降ってきそうだし。


   ……予報では、午後から雪よ。


   昨日から言ってるけど、本当に降るかな。


   ……降ると思うわ、空気の中に雪の気配が混じっているから。


   雪の気配、か……亜美ちゃんが言うなら、間違いないな。


   ……雪が降る時って、空気が冷たくなるのよね。


   そうそう、そうなんだ。
   寒いんじゃなくて、氷のように冷たいの。


   帰りはお買い物もするのよね?


   亜美ちゃんちに行ってから、スーパーに寄ろうと思ってる。


   あまりゆっくりしない方がいいと思うわ。


   積もりそう?


   恐らく。


   なら、買い物はさっさと済まそう。


   ……買い物は?


   亜美ちゃんちには、ちょっと長くいたいな。


   ちょっと、ね。


   そう、ちょっと。


   母がね、また買ってきたの。


   外国の紅茶?


   ……飲む?


   うん、飲みたいな。
   ふたりで飲みたい。


   ……ん。


   今日は幸い土曜日だし、積もる前に帰れるよ。


   ……誰かさんが寄り道がしたいと言い出さなければね。


   んー、うさぎちゃんかな?


   違います。


   あれ、違った?


   今日の帰り道はずっと、ふたりだから。


   亜美ちゃんとあたし?


   そう。


   じゃあ、亜美ちゃんだ。


   言うと思うの?


   言うかも。


   言わないわよ。


   雪ってさ、うきうきしない?


   時と場合による。
   今日は早めに帰るべき。


   ん、そっか。


   はぁ……雪だるまが作りたいだなんて、言わなければいいけど。


   なんで分かったの?


   ……本当に言うつもりだったの?


   積もったら、ちっちゃいのを作りたいなって。
   今年はまだ、雪だるまを作れるほど降ってないからさ。


   作るのなら、帰ってからにしてね?


   ふたつ、作りたいんだ。


   ふたつ?


   亜美ちゃんと、あたし。
   可愛く作りたいなぁ。


   ……そう。


   亜美ちゃんも作ろ?


   ……風邪、ひかないようにしないとね。


   ふふ……大丈夫だよ、部屋であっためてあげるから。


   ……。


   そういやうさぎちゃん、今日はなるちゃんと帰るんだっけ。


   ん、久しぶりにウィンドウショッピングをしながら帰るって。


   ウィンドウショッピングか、いいねぇ。


   雪が積もる前に帰れるといいのだけれど。


   大丈夫だよ、なるちゃんがいるし。


   そうよね。


   ……。


   ……。


   ……なるちゃんも、色々あったんだよね。


   うん……。


   あたしが来る前のことは、良く知らないけど……。


   ……今でも、悲しく思うことはあるみたい。


   そう、だよね……。


   ……海野君が支えているんだって。


   海野君、なかなかいい奴みたいだね。


   ……それでも最初は、全く相手にされていなかったみたい。


   あー……なんとなく、分かるかなぁ。


   海野君みたいな男の子を好きになったことはないわよね。


   うん?


   まこちゃん。


   いや、そんなことは……。


   ……まこちゃんが男の子を好きになる時って、一目惚ればかりなんだもの。


   亜美ちゃん……。


   ……なに?


   確かに、海野君はあたしの好みからは外れているけどさ……。


   ……何かおかしなこと、言った?


   それ、なるちゃんの前では言わない方がいいかな。
   最初はなんとも思ってなくても、今は、なるちゃんの恋人だから。


   ……言わないけど、どうして?


   どうしてって。


   あくまでもまこちゃんの好みの話であって、大阪さんには関係ないと思うけれど。


   うん……関係ないけど、関係あるんだよ。


   そうなの?


   うん、そうなんだ。


   ……どういうこと?


   なるちゃんは、海野君に恋をしているだろう?


   ええ。


   海野君があたしの好みではないことに、なるちゃんが安心するとして。
   それと同時に複雑な気分にもなる……かもしれない。


   ……安心するのに?


   そこがねぇ、恋の難しいところなんだよ。


   誰かの好みから外れているのなら、それでいいと思うのだけど……違うのね。


   例えばさ。


   うん。


   あたしが誰かの好みから外れていたとして。
   その誰かから、あんなでか女、自分の好みじゃないと言われていたらどう思う?


   ……。


   ……つ。


   その誰かの好みからまこちゃんが外れているのは、別に構わないわ。


   ……まずった、かな。


   だけど、でか女……それは、ただの悪口よね?
   まこちゃんへの。


   そ、そうだね。


   好みでないことを言うだけなのに、その言葉を吐く必要ってあるのかしら?


   ない、けど……まぁ、言うひともいるんだよね。


   ……ねぇ、まこちゃん。


   な、なんだい?


   もしも好みではないと言う為だけに、私のことをガ


   見つけ次第、軽く雑巾にするかな。


   ……暴力は、だめよ。


   ん、分かってる……。


   ……兎に角、悪口は良くないわ。


   そうだね……例えが、ちょっと良くなかったね。


   ……大分良くないわ。


   あ、うん……ごめん。


   ……まこちゃんは、こんなに素敵なのに。


   ……。


   ……。


   ……そう、それだよ。


   それ?


   亜美ちゃんは、その、あたしのことを素敵だと思ってくれているだろう?


   ……思ってる、けど。


   なるちゃんも海野君のこと、こんなに素敵なのにって思っている……かもしれない。


   ……。


   だから、誰かの好みから外れていると知ったら安心はするけど……複雑な気持ちにもなる、かも。


   ……ふぅん。


   あ、これはあまり分かってないかも……。


   ……そんなことないわ。


   そう?


   ……ただ。


   ただ?


   ……恋はつくづく、数学のようにはいかないって思っただけ。


   数学……。


   ……まだまだ、教えてもらわないと。


   誰にだい?


   ……。


   誰に、教えてもらうの?


   ……分かっているくせに。


   ね、誰……?


   ……教えない。


   知りたいな……。


   ……いや、教えない。


   ね、亜美ちゃん……。


   ……手を離して。


   え……?


   ……離して。


   え、え。


   早く。


   ……はい。


   ……。


   亜美ちゃん……?


   ……まこちゃんも、外して。


   あ。


   ……早く。


   うん、分かったっ。


   ……。


   これで、いい?


   ……寒くない?


   今は寒いけど、すぐに寒くなくなるから。


   ……。


   誰も、いないよね。


   ……今は、いないわ。


   じゃあ……。


   ……。


   ね、寒くなくなったろ……?


   ……手の平は、寒くないわ。


   じゃ、こうしっよか。


   ……。


   これで、どうだい?


   ……温かい。


   ふふ、良かった。


   ……。


   それで、誰に教えてもら


   教えないって、言った。


   はい、ごめんなさい。


   ……ばか。


   うん……ごめん。


   ……。


   ……どうしても、聞きたかったんだ。


   ……。


   ……。


   ……まこちゃん。


   ……。


   ……。


   ……これからも、もっとしようね。


   何を……?


   ……恋のお勉強。


   ……。


   ふたりで……さ。


   ……ん。


   ……。


   ……歩き辛くない?


   ぜーんぜん。


   ……。


   って、言おうと思ったんだけど。


   ……歩き辛いなら、


   もう少し、近くに来て欲しいな。


   ……。


   もう少しだけ。


   ……それこそ、歩き辛くない?


   歩き辛いか、試してみようよ。


   ……。


   試してみてさ、歩き辛かったら離れよう。


   ……試さなくても、分かってるくせに。


   亜美ちゃんこそ、もう、知っているくせに。


   ……。


   だめかな。


   ……だめ、今はデートの時間ではないから。


   そっか……残念。


   ……だけど、少しだけなら。


   いい?


   ……少しだけだからね。


   うん、分かった。
   少しだけ、だね。


   ……あくまでも、今は登校中なのだから。


   朝早いといいよね、誰もいなくて。
   下校時間だと、ひとがいてさ。


   もう、本当に分かっているの?


   はい、分かってます。


   ……。


   ……。


   ……これで、いい?


   うん……とても、いい。


   ……。


   ……これなら、どんな寒い所に行ってもへっちゃらだ。


   あまりにも寒すぎる場所だったら、防寒は必須よ。


   ……それでも、だよ。


   ……。


   ……亜美ちゃんとふたりなら、あたしは大丈夫なんだ。


   こうすることが、出来る場所なら……。


   ……。


   ……雪が、降ったら。


   うん……。


   ……うさぎちゃんが転んでしまわないか、心配だわ。


   あー……はは、確かに。


   ……だけど、大阪さんがいてくれるなら。


   ん、大丈夫だよ……きっとね。


   ……ふたりはずっと、お友達だったのよね。


   いつからなんだろ……小学生の頃からなのかな。


   ……聞いたことないわ。


   そういや、ふたりの付き合いのことはあまり知らないなぁ。


   ……親友だって。


   親友?


   ……セーラー戦士でなくても、あのふたりの間には繋がりがある。


   ……。


   普通の女の子の……。


   ……羨ましい?


   どうかしら……良く分からないわ。


   ……あたし達も、うさぎちゃんの友達だよ。


   ん、そうね……。


   ……なるちゃんとも、ね。


   ええ……。


   ……そういえば、さ。


   うん?


   なるちゃんにあたしのケーキ、食べてもらったことないなぁって。


   ……なかったかしら。


   うん、なかったと思う。


   ……食べてもらいたいの?


   うん、うさぎちゃんと一緒に。


   ……。


   なるちゃんって、どんなケーキが好きなんだろう。
   うさぎちゃんなら、知ってるかな。


   もしかしたら、知ってるかもしれないけど。


   そっか、じゃあ聞いてみようかな。


   本人には聞かないの?


   本人に聞いた方がいいかな。


   その方が、確実だと思うわ。


   なら今日、聞けたら聞いてみるよ。


   今日?


   うさぎちゃんと一緒にいる時なら、いけるかなって。


   ……。


   だめかな。


   ……ううん、大丈夫だと思う。


   ね、亜美ちゃんもいるだろ?


   私?


   そう、亜美ちゃん。


   ……いるかしら。


   いるって。


   ……なら、いるようにするわ。


   ん、ありがとう。


   ……。


   雪、降りそうだね。


   ……そうね。


   ひと、いないね。


   今は……まだね。


   ……このまま、学校まで。


   それは、難しいと思うわ。


   ……だよね。


   ……。


   ね、まだ言ってなかったよね。


   ……うん?


   おはようって。


   ……そういえば、まだだったわ。


   おはよう、亜美ちゃん。


   おはよう、まこちゃん。


   ほっぺた、冷たくなってなくて良かったよ。


   ……だって、来たばかりだったもの。


   まぁ、冷たくなっていたら、あっためるけど。


   ここでは、だめ。


   はい。


   ……ふふ。


   はは。


   ……。


   ね。


   ……なぁに。


   まだ、いいよね……離さなくても。


  26日





   ……。


   ……。


   ……おはよう、まこちゃん。


   おはよう……亜美ちゃん。


   ……今、何時?


   今はねぇ……ちょっと待って、携帯が向こうだ。


   然ういえば、目覚まし時計は?
   電池、未だ替えていないの?


   替えたんだけど、時間が合わなくて。
   とうとう、壊れちゃったのかなぁって。


   ずっと使っていたものね。


   もう少し、使えると思ったんだけど。
   いい加減、新しく買わなきゃだめかな。


   その時計は、今どこに?
   いつもの場所にないわよね?


   直ぐ傍にあるよ。
   時間は合っていなくても、遠くにやる気はないんだ。


   どこ?


   ちょっと待ってね……て、時間。


   時間は、私の携帯で確認するわ。


   ん、ありがとう。


   ……今は、7時半。


   7時半か。そろそろ起きて、朝ごはんの支度をしなきゃだな。
   ね、今日は13時だったよね?


   ええ、然うよ。


   はい、亜美ちゃん。


   ん。


   直して呉れるところ、あるかなぁ。


   ……本当に大事にして呉れているのね。


   亜美ちゃんから貰った、大事な時計だからね。


   良かったら、新しいものを贈るけれど。


   ありがとう。


   ……。


   どうかな。


   ……経年劣化の可能性が高いと思うわ。


   やっぱり、然うか。


   時計の部品は常に摩耗しているから……部品があれば、修理して貰えると思うけど。


   あのお店、もうないんだよね。


   ……ええ、継ぐ人が居ないと言って。


   時計屋さんは職人さんだからな……。


   他のお店に持って行けば、或いは。


   でも、部品があるかな。


   古いお店なら、あるかも知れない。
   調べてみるわ。


   んー……。


   まこちゃん?


   いや、この子はこのままで良いかも知れないって。


   良いの?


   合っていなくても、ゆっくりと動いているし。
   時間を気にせずにのんびりと過ごしたい時に、良いかもって。


   ……。


   時間に追われないのも、大事だろう?


   ……然うだけど。


   亜美ちゃんと過ごす時だけは、時間に追われず、ゆっくりのんびりしたい。


   今日は、どうするの?
   久々に二人揃ってのお休み、だけど。


   今日は気にするよ。
   遅れないようにしないとね。


   ……別に、良かったのに。


   ん?


   いつも、急で。
   私達の都合なんて、お構いなしなんだから。


   あれでも、気にして呉れていると思うけどなぁ。


   どこが。


   休みの予定を、一応、聞いて呉れるし。


   あれは聞いているようで、聞いていないの。


   まぁまぁ、亜美ちゃん。
   久しぶりだし、ね?


   ……久しぶりなのは、私達もでしょう。


   ん……まぁ、然うなんだけど。


   まこちゃんは、甘い。


   まぁ、ね……亜美ちゃんとずっと一緒に居たいしね。


   ……。


   大事だろう、お付き合いはさ。


   ……あのひとの場合は、お構いなく。


   はは……。


   ……それで、時計はどうするの。


   亜美ちゃんが新しいのを贈って呉れるっていうし、それまでは携帯で確認するよ。
   携帯にもアラーム機能はあるしね。


   ……こんなに大事にして貰えるなんて、思ってなかった。


   ん、然う?


   ……この子は、しあわせね。


   亜美ちゃんは、しあわせじゃない?


   ……はい?


   大事に、大事に、してるつもりなんだけど……まだ、愛が足りないかな。


   ……もぅ。


   本気で言ってるよ。


   ……知ってる。


   ……。


   ん……まこちゃん。


   ……ふたりで、しあわせになりたいんだ。


   もっと……?


   ……うん、もっと。


   ……。


   ……亜美ちゃん。


   朝ごはんの支度を、するんじゃなかったの……?


   ……お腹、空いた?


   ん……どうかしら。


   ……一時間くらいなら、遅れても。


   私は、構わないけど……。


   ……あたしも、構わないよ。


   ん……あ。


   ……久しぶり、なんだし。


   然う言って……ゆうべ、さんざしたのに。


   ……服、散らかったままだ。


   余裕、なかったものね……。


   ……お互いに、ね。


   私は……ん、あなたほどじゃなかったわ。


   ……然うかな。


   然う、よ……。


   ……。


   あ、ん……。


   ……結構、甘えて呉れたと思うけど。


   それは……まこちゃんが、然う思っているだけ。


   んー……そっか。


   ……ねぇ、まこちゃん。


   なんだい……?


   ……バラの花、きれいね。


   バラ……?


   ……一輪だけの、赤いバラ。


   あぁ……うん、とてもきれいだ。


   ……ぁ。


   亜美ちゃんも、きれいだよ……。


   ……。


   恥ずかしい……?


   ……やっぱり、今日だけはふたりで過ごしたい。


   ん……。


   ……他の日に変えて貰うわ、良いでしょう?


   でも、なぁ……。


   ……まこちゃんは、母の方が大事なの?


   うん?


   私よりも。


   勿論、亜美ちゃんの方が大事だよ。


   ……だったら、良いわよね。


   良いよ。


   ……。


   お付き合いも大事だけれど、亜美ちゃんと愛を育むのはもっと大事だから。


   ……後で、連絡しておくわ。


   あたしから


   私の希望で断るのだから、私が伝えるわ。


   ……。


   何か気になることでも?


   お店の予約、してないかなって。


   しているでしょうね。


   当日にキャンセルをしても大丈夫かな。


   お店にもよるでしょうけど、キャンセル料は取られるかも知れないわ。


   日にち変更ならどうだろう?


   日にち変更?
   変更して、どうするの?


   都合を合わせて、行こうと思う。


   ……。


   だめ、かな……。


   ……だめでは、ないけれど。


   亜美ちゃんは、難しい?


   ……あなたがどうしてもと言うのなら。


   難しいなら、無理にとは言わないよ。


   然うしたら、ふたりで行くのでしょう?


   ……。


   分かった。
   今日、行きましょう。


   ……良いのかい?


   まこちゃんは、母にとことん甘いから。


   ……。


   はぁ……。


   ……ねぇ、亜美ちゃん。


   何。


   亜美ちゃんのお母さんが指定した時間、珍しくお昼だよね。


   然うね。
   だけど、それが何?


   分かっていると思うんだ。


   何が?


   昨日が……あたし達の、記念日だったということ。


   ……。


   だから、お昼にしたんだと思うんだ。


   ……分かっているのならば、私としては、今日以外にして欲しかった。


   どうしても、お祝いしたかったとか。


   ……然うだとしても。


   ん……亜美ちゃん。


   ……私は、まこちゃんとふたりだけで、今日の日を過ごしかった。


   ……。


   ……昨日はお互い、仕事だったし。


   今日は、早く帰ってこよう。


   ……早く?


   その為の、お昼指定だと思うから。


   ……はぁ。


   多分、二時間くらいだと思うんだ。


   ……まこちゃんは、本当に。


   甘い、かな。


   ……あまり、母を甘やかさないで。


   う……。


   ……それとも、私に焼き餅を焼かせたいのかしら?


   んん……?


   ……然うだとしたら、とても面白くないのだけれど。


   然う言うつもりじゃ、ないんだけど……。


   ……ないんだけど?


   焼き餅を焼いて貰えるのは、少し、嬉しいかも。


   ……少しだけ?


   結構……大分。


   ……。


   う。


   ……ばか。


   あー……ごめん?


   ……。


   ……怒った?


   怒っては、いないわ。
   ただ、思い出しただけ。


   ……何を、だい?


   あなたが私の知らないところで、母に電話番号を教えていたこと。


   ……。


   携帯番号は、違ったけれど。


   ……あれは。


   あれは?


   緊急、だったから。


   ええ、然うね。


   亜美ちゃんのことが、知りたかったんだ。


   ええ、分かっているわ。
   ただ。


   ……ただ?


   当時の私は、ちょっとだけ面白くなかったの。


   ……ぅ。


   結果的に、知らせて呉れて良かったと今は思っているわ。


   ……亜美ちゃん、今でもちょっとだけ根に持って。


   持っていると、思うの?


   あ、うん、思わない。


   でしょう?


   う、うん。


   ……。


   あ、亜美ちゃん……?


   ……指輪。


   指輪……?


   ……後で、左の。


   分かった……後で、ね。


   ……結婚は、未だ、出来ないままだけれど。


   ……。


   でも……一緒に、暮らし始める。


   ……なんだったら、今日からでも良いんだけど。


   私の荷物、まだ持って来てないのに……?


   ……亜美ちゃんだけ、引っ越してこない?


   荷物は、後にするの……?


   ……荷物は、後でも持って来られるよ。


   それは、だめ。


   あー……やっぱり?


   ……もう少し、だから。


   もう少し……が、待てないんだ。


   ……ん、まこちゃん。


   やっと……やっと、一緒に暮らせる。


   ……。


   約束……やっと、叶う。


   ……ね、まこちゃん。


   なんだい……亜美ちゃん。


   ……私で、良かった?


   ……。


   私にして、良かった……?


   ……亜美ちゃんが、良かった。


   ……。


   これからもずっと、亜美ちゃんだけだ……。


   ……良かった。


   亜美ちゃんは、あたしで良かった?


   ……まこちゃんが、良かった。


   なんだっけ。


   ……なに?


   なんとか君って、居たろう?


   ……なんとか君は、今生では出会っていないから。


   若しも、出会っていたら、


   言わせたいの?


   ……。


   ……今生でも、有り得ないわ。


   うーん。


   ……不満?


   不満ではないよ。
   ちょっとだけ、不憫かなと。


   まこちゃんは、若しも私が彼と


   悪いけど、譲れないし、譲る気もない。
   場合によっては、奪っていたかも知れない。


   ……そもそも、私のことを好きになって呉れたかしら。


   なるよ。


   ……。


   ならないわけ、ない。


   だとしたら……酷いひとね?


   こればかりは、仕方ないよ。


   ……何が、仕方ないの。


   恋をしたら、止められない。


   ……身を引くことは、


   出来ない。
   亜美ちゃんだけは、どうしても。


   ……。


   酷いね、あたし。


   ……ふふ。


   可笑しいかな。


   ……どう考えたって、なんとか君はないと思っただけ。


   む。


   ……うん、やっぱり彼は有り得ないわ。


   亜美ちゃんも、なかなか。


   酷いでしょう?


   ……そこまでは、言わないけど。


   言って。


   ……言われたいの?


   あなたになら、言われても良いの。


   ……似た者?


   然ういうわけでは、ないのだけれど……ううん、然うかも。


   ……酷いな、亜美ちゃんは。


   でも、仕方ないわ。
   この気持ちだけは、どうしようもないもの。


   まぁ今頃、別のひとと恋人になっているかも知れないし。


   然うだと、良いけれど。


   ……うーん、酷い。


   ふふ……本当に。


   ……。


   ……私は、恋と言うものが分からなかった。


   だけど、今は?


   ……教えて、貰ったから。


   誰に……?


   ……聞きたい?


   うん……聞きたい。


   ……今は、言わない。


   えー……。


   ……帰って来てから、ね。


   ……。


   話していたら……もう、8時ね。


   ……ねぇ、亜美ちゃん。


   もう、起きる……?


   ……まだ、起きない。


   したいの……?


   ……9時で、良い?


   ……。


   ……だめなら。


   仕方ないひとね……?


   ……うん、然うなんだ。


   は、ぁ……。


   ……愛しているよ。


   ……。


   ずぅっと……遠い未来でも。


   ……私も。


   ……。


   ……。


   ……その言葉も、帰って来てから?


   ううん……今、言うわ。


   ……なら、聞かせて。


   ……。


   ……聞かせて、亜美ちゃん。


   その前に、ひとつだけ。


   ……へ。


   なんとか君のことは、今後一切、ベッドの中で言わないで。


   ……あ。


   あなたが言うまで、忘れていたの。
   今生の私とは、関わりがないから。


   ……。


   約束、して呉れる?


   ……はい、します。


   うん……なら。


   ……。


   ずっと、愛しているわ……まこちゃん。


   ……うん、亜美ちゃん。


  25日





   ……。


   ……亜美ちゃん。


   ……。


   ホットミルクを作ろうと思うんだけど……飲む?


   ……ごめんなさい。


   ん、そっか……まぁ、こんな時間に飲むのはね。


   ……。


   亜美ちゃん……あたしは、床で寝るよ。


   ……だめ。


   だけど、その方がいいと思うんだ。


   ……どうして、その方がいいと思うの。


   亜美ちゃんを、困らせたくないんだ。


   ……困ってなんか、いない。


   だけど、どうしていいか分からないって顔をしてる。


   ……。


   ……あたしの為でもあるんだよ。


   まこちゃんの為……?


   そう……あたしの為。


   それは、どういう意味なの……?


   ……そのままの意味だよ。


   ……。


   恋がどういう感情か、理解出来なくても……知識は、あるだろ。


   ……ちしき。


   亜美ちゃんが嫌がるようなことを、あたしはしたくない。


   ……私が、嫌がることって。


   嫌われたく、ないんだ……。


   ……恋をすると、嫌がるようなことをしてしまうものなの?


   してしまうかもしれない……。


   ……まこちゃんが、私に?


   しないとは、言い切れない……。


   ……そうは、思えないわ。


   亜美ちゃんは……知らないからだよ。


   ……何を、知らないの。


   あたしが、考えていること……。


   ……何を考えているの。


   ね、本当に分からないの……?


   ……。


   亜美ちゃんに、その知識がないとは……思えない。


   ……。


   ひ……ぐ、を、知ってるんだから。


   ……つまりそれは、性的なこと?


   う……。


   ……そうなの。


   そう、だよ……。


   ……まこちゃんが、私に。


   好きな、ひとには……。


   ……。


   触れたいって……抱き締めたいって、思うんだ。


   ……それは、お友達でも。


   友達のとは、違う……キスだって、したい。


   ……キス。


   好きなひとに触れて、触れられて……甘い、キスがしたい。


   ……まこちゃん。


   ほら、気持ちが悪いだろ……?


   ……キスなら、したわ。


   ……。


   いつか、眠る前に……口の端に、してくれた。


   ……あれは。


   だから、私……まこちゃんにお返し、したの。
   気持ち悪くなんて、なかったから。


   ……。


   ねぇ、まこちゃん……あのキスは、どういう意味だったの。
   どうして、してくれたの……?


   ……わから、ない。


   分からない……?


   あの時は、まだ……自分の感情が、どこにあるのか、分からなくて。


   ……何も、考えていなかったの?


   ……。


   ……そうなのね。


   したいと、思った……。


   ……。


   どきどき、したんだ……そしてそれは、恋に似ていたんだ。


   ……だけど、似ているだけで。


   あたしも、思ったよ。
   そんなわけ、ないって。


   ……。


   だけど……亜美ちゃんが返してくれた時は、本当に嬉しくて。


   ……。


   亜美ちゃんの、く、唇は、とても柔らかくて……ひどく、甘くて。


   ……私、嬉しかったの。


   ……


   ……まこちゃんに、キスされて。


   亜美ちゃん……。


   まこちゃんの唇は、柔らかくて……だから、私もしてみたくなって。
   まこちゃんに嫌がられることなんて、全く考えていなくて……だって、私は嬉しかったから。


   ……。


   キスをされる前に……ふわっとまこちゃんのいい匂いがしたこと、今でも忘れない。


   ……あたしも、憶えてる。


   ……。


   あの時の、亜美ちゃんの匂い……あたしとは違う、甘い匂い。


   ……私ね、はっきりと気が付いたの。


   なにに……?


   良君では、そんな気持ちにはならない……望んでも、いないって。
   そう……気持ちが悪いと、さえ。


   ……。


   私は、まこちゃんだから……そういう気持ちになるんだって、今、やっと分かったの。


   ……ねぇ、亜美ちゃん。


   なに……ん。


   ……それはね。


   それは……なに。


   それは……多分、恋だよ。


   ……恋、この気持ちが?


   亜美ちゃんは……多分、あたしに恋をしている。


   ……そうなの?


   きっと、そうだよ……。


   ……そうだったら、嬉しい。


   嬉しい……?


   ……ううん、嬉しくないかも。


   えと……どっち?


   ……分からない。


   あー……。


   ……だけど、私はまこちゃんのことが好き。


   うん……。


   ……ねぇ、まこちゃん。


   なに……亜美ちゃん。


   ……キス、してみて。


   え……。


   ……もう一度、してみて。


   い、いいけど……いいの?


   ……だめ?


   だ、だめじゃない。
   だめじゃ、ないけど……本当に、いいの?


   ……まこちゃんが、いやなら


   いやじゃないよ、むしろ、したい。


   ……。


   ……本当にしちゃうけど、いい?


   うん……して。


   ……あぁ。


   ……?
   まこちゃん……?


   ごめん……亜美ちゃん。


   どうし……ん。


   ……。


   …………ちがう、わ。


   うん……ごめん。


   わたし……くちのはし、だと。


   ……好きだから、唇がいい。


   ……ッ。


   く、くちびるが、いいんだ……。


   ……そう、なのね。


   は、はじめてなんだ、あたし。


   ……はじめて?


   す、好きなひとと、キ、キスしたの……。


   ……。


   ほ、本当だよ。


   ……だけど、口の端に。


   あ、あれは……。


   ……あれは、キスではないの?


   キ、キスだけど……。


   ……だけど、なに。


   く、くちびるでは、ないし……ほっぺたに、するようなものだし。


   したこと、あるの?


   ……は?


   誰かの、頬に。


   ……ない、けど。


   けど……?


   な、ないよ。
   男のひとになんて、一度もないよ。


   ……じゃあ、女のひとになら?


   ないよ、女のひとにも……。


   ……。


   本当だよ……。


   ……ね。


   誰とも、ないんだ……信じてよ。


   ……キスって、なに?


   は……。


   ……どうして、唇にキスをするの。


   それは……好き、だから。


   ……。


   くちびるには、好きなひととしか、しないよ。


   ……好きなひととしか?


   そうだよ……。


   ……そうなの?


   そ、そうなのって……あたしは、そうだよ。


   ……じゃあ、口の端にしたキスはなんだったの?


   あ、いや、だから……。


   ……お友達だから、してくれたの?


   と、友達でも、しない、かな……。


   ……あのキスは、まこちゃんにとってなんだったの?


   だから、その……。


   ……なぁに?


   ……。


   ん……?


   ……亜美ちゃん、本当は分かってるんじゃない?


   ……。


   ね、そうなんだろ……?


   ……ううん、分かってないわ。


   え、えぇ……。


   ……まだ、分からない。


   そ、それ、本気で言ってる……?


   ……うん、言ってる。


   わ、分かってそうなんだけど……。


   ……分からないから、まこちゃんに聞いているの。


   ……。


   まこちゃん……?


   ……たとえば、さ。


   うん。


   ……あたし以外のひとに、聞いて


   聞いていいの?


   ……。


   まこちゃん以外のひとに、聞いてもいいの?


   ……やだ。


   そうよね……私も、聞けないわ。


   ……ぅ。


   だからね……まこちゃんに教えて欲しいの。


   ……あみちゃん。


   だって、まこちゃんがしてくれたのだから。


   ……。


   まこちゃん……?


   ……いくじなし、だったからだよ。


   いくじなし……?


   ……そういうことに、しておいてくれない?


   ……。


   ……。


   ……それって、本当は違う理由があるということよね。


   う、うまく、言葉に出来ないんだよ……。


   ……。


   か、躰が、勝手に動いちゃったんだ……。


   ……それってやっぱり、何も考えていなかったということ?


   ……。


   そうなの?


   ……考えてたと、思う。


   何を考えていたの?


   ……。


   ……教えて。


   ……。


   ねぇ、まこちゃん……私に、教えて。


   ……キスしたいと、思った。


   ……。


   恋に似ているだけかもしれない……それでも、そう思ったんだ。


   ……まこちゃんは。


   亜美ちゃん……もう。


   ……私に、恋をしているの?


   ……。


   して、くれているの……?


   ……あたしは、亜美ちゃんに恋をしている。


   ……。


   好きなんだ……キスしたいくらいに。


   ……そう、そうなのね。


   分かって、くれた……?


   ……。


   ……まだ、分からない?


   まこちゃんは……その先のことも、したいの。


   ……先のこと?


   キスの……先。


   ……っ。


   ……。


   あ、亜美ちゃん……意味、分かって。


   ……したくない?


   あ、や……。


   ……私は、まだ分からない。


   ……。


   だけど……したくなるかも、しれない。


   ……あたしは、亜美ちゃんにもっと触りたい。


   ……。


   今みたいに……ほっぺたを、撫でられたい。


   ……頬、だけ?


   ほっぺただけじゃ、ない……もっと、他にも。


   ……。


   この手で、触れられたい……。


   ……。


   だけど……亜美ちゃんがそう思わないのなら、そう思えるようになるまで、待ってる。


   ……まこちゃん。


   は、始まったばかりだから。


   ……。


   あ、あたし達は……その、恋人として。


   ……私達は、恋人なの?


   はい……?


   ……あぁでも、そうなるのよね。


   え、えと……。


   ……私は、まこちゃんに恋をしているのだから。


   ……。


   恋をしているから……まこちゃんの、あなたのそばにいたいと思った。
   ずっと、私のそばにいて欲しいと……そう、願って。


   ……それで、結婚?


   ……。


   ……。


   ……私は、やっぱり母の子なんだわ。


   どういうこと……?


   母が、プロポーズしたの。


   ……お母さんが?


   私にすれば、いいと……父に、言ったと。


   ……。


   そう、聞いているわ……。


   ……すごいね。


   すごいの、かしら……。


   うん、すごいよ。
   女のひとから、男のひとに言うなんて……かっこいいと思う。


   ……だけど、短絡的だったとも。


   ……。


   ねぇ、まこちゃん……今ならまだ。


   まだ、なに?


   ……もう一度、良く、考えて。


   もう、考えるのはやめたんだ。


   ……。


   あたしは、亜美ちゃんが好き。
   答えは、もう、出ているんだから。


   ……それが、まこちゃんの答え。


   そう……これが、あたしの答え。
   だからもう、考えない。


   ……。


   亜美ちゃんこそ、もう一度、良く考えてみるかい?


   ……ううん、もう気が付いたから。


   なら……亜美ちゃん、あたしと。


   ね、まこちゃん……もう一度、してみて。


   ……キス?


   うん……。


   ……くちびるでも、いい?


   うん……くちびるに。


   ……。


   ……ふ。


   ……?


   ……ふふ。


   な、なに……。


   ……どきどき、するわ。


   あ……。


   ……まこちゃんは?


   あたしも……してるよ。


   ……これが、恋。


   ……。


   ……ありがとう、まこちゃん。


   な、なんで……?


   ……私に、教えてくれて。


   ……。


   恋を……教えてくれて。


   ……じゃあ、あたしもありがとう。


   どうして……?


   ……あたしの恋を、叶えてくれて。


   ……。


   亜美ちゃん……あたし達は、今から、恋人同士だよ。


   ん……分かった。


   ……。


   ……。


   ね……やっぱり、ホットミルク飲まない?
   なんだか、喉が渇いちゃった。


   ……。


   一緒に……飲もう?


   ……半分だけなら。


   半分……?


   ……一杯だと、多いから。


   なら……はんぶんこにしよう。


   ……はんぶんこ?


   それなら、どうだい……?


   ……まこちゃんは、足りるの?


   うん、足りる……。


   ……それなら。


   ん……じゃあ、あっためてくるね。


   ……ね、まこちゃん。


   ん……?


   ……一緒に、寝ない?


   え、でも……。


   ……一緒じゃないのなら、私が床で。


   それは、出来ない。


   ……どうして?


   どうしても。


   このベッドは、まこちゃんのものなのに。


   そうだけど、出来ない。


   ……なら、一緒に。


   ……。


   ……寝て?


   う……。


   恋人同士なら……ね?


   うぅぅ……。


   ……だめ?


   だ、だめじゃないから、困ってる……。


   ……一緒に、寝たいの。


   あ、あぁ……。


   ……困らせてしまって、ごめんなさい。


   亜美ちゃん。


   ……なに。


   一緒に、寝よう。


   ……ほんと?


   うん……ほんと。


   ……ふふふ。


   うれしい……?


   ……ん、とても。


   そっか……。


   ……まこちゃんは?


   あたしも……。


   ……


   うれしすぎて……死にそうだよ。


   ……死んじゃいや。


   いや、本当に死んじゃうわけじゃないって……。


   ……私を、置いて行かないで。


   ……。


   ……ひとりに、しないで。


   亜美ちゃん……うん、分かった。


   ……。


   亜美ちゃんも……あたしのこと、ひとりにしないでね。


   ……ん、約束するわ。


   ……。


   ん……。


   ……誰よりも、愛してるよ。


   ……。


   亜美ちゃ……。


   ……。


   ……。


   ……私も、誰よりも愛してるわ。


   う、ん……。


   ……。


   ……なんか、さ。


   なんか……?


   ……酷く、懐かしい気がする。


   なつかしい……。


   ……なんでだろう、初めてなのに。


   ……。


   ごめん……変だよね。


   ……ううん、私も同じだから。


   同じ……?


   ……知らない筈なのに、酷く懐かしく感じるの。


   ……。


   ……どうしてかしら。


   あたし達……もしかして、結ばれる運命だったのかな。


   ……運命?


   なんて……そんなの、ありえないか。


   ……ロマンティスト。


   ……。


   だから……いいんじゃない?


   ……亜美ちゃんは、違うよね。


   私は……運命なんて、信じていない。


   ……そう、だよね。


   あなたと結ばれるのは……必然だと、思いたい。


   ……ひつぜん?


   つまり……私もまこちゃんのこと、あまり言えないわ。


   ……そうなの?


   ん……そうなの。


   そっか……なら、同じだね。


   ふふ……そうね、同じ。


   ……。


   ん……まこちゃん。


   ……待ってて、今、ほんのり甘いホットミルクを作ってくるから。


   ……。


   ……ん?


   もぅ……。


   ……もう?


   十分に、甘いわ……。


   ……。


   ……あなたの、くちびるだけで。


   ……。


   ……。


   顔が……耳まで、赤い。


   ……見ないで。


   かわいい……。


   ……言っておくけど、まこちゃんだって私のこと言えないんだから。


   ……。


   ……頬、真っ赤。


   うん……さっきから、顔がすごく熱い。


   ……。


   ……飲んだら、落ち着くかな。


   落ち着かないと、思うわ……。


   冷たい方が……いや、でもな。


   ……とりあえず。


   とりあえず……?


   ……飲んだら、電気を消して。


   ……。


   そうすれば……見えないと、思うから。


   ……。


   ……。


   ……見えないけど、どきどきは収まりそうにないかな。


  24日





   ……ふ。


   ……。


   ……。


   ……ん、ぅ。


   まだ……夜。


   ……。


   ……まこちゃん。


   ん……。


   きれいな、よこがお……いつも、おとなっぽくて。


   ……。


   だけど、今は……少しだけ、幼いような気がする。


   ……。


   ……こんなひとが、いるのね。


   ……。


   うさぎちゃんにも、驚かされたけど……このひとの場合は、うさぎちゃんとは少し違う。
   何が、違うのか……ずっと、形になってくれなくて……今も良く、分からないまま。


   ……。


   ……温かい、とても。


   ……。


   ひとの体温は……ううん、きっとこのひとの体温だから。


   ……。


   ずっと……ずっと、私の傍にいてくれればいいのに。


   ……あみちゃん。


   ……。


   起きちゃったの……?


   ……うん。


   そっか……ん、まだ夜だね。


   ……ごめんなさい、起こしてしまって。


   んー……別に、いいよ。


   ……私に構わず、眠って。


   ね、おしゃべり……しよっか。


   ……眠たいでしょう、無理しないで。


   無理は、しないよ……だから、途中で寝ちゃったらごめんね。


   ……何を、話すの。


   ん、そうだなぁ……。


   ……ないのなら。


   亜美ちゃんは、柔らかいねぇ。


   ……は。


   すごく柔らかくて、あったかくて、いいにおいがして……女の子って、感じがする。


   ……まこちゃんだって、柔らかいわ。


   そうかな……。


   ……むねなんて、特に。


   うん、なに?


   ……においは、同じだと思う。


   うん?


   ……バラの香りがするお風呂に入って、同じ石鹸を、使ったのだから。


   まぁ、そうなんだけど……。


   ……。


   ……亜美ちゃんは、同じだと思う?


   思う……けど。


   ……本当に?


   まこちゃんは、違うと思っているの……?


   うん、思ってる。


   ……どこが違うの。


   亜美ちゃんは……亜美ちゃんの匂いがする。


   ……はい?


   亜美ちゃんの部屋もさ、亜美ちゃんの匂いがするんだ。


   ……それは、そうだと思うけど。


   だから……いい匂いなんだ、亜美ちゃんって。


   ……ごめんなさい、良く分からないわ。


   だよね……実は、あたしも良く分からないんだ。


   ……だけど、違うのよね。


   うん……違う。


   ……。


   えと……この話は、やめようか。


   ……待って。


   え。


   ……確認、してみるから。


   確認……?


   ……。


   確認って……え。


   ……私は。


   あ、亜美ちゃん……?


   ……今の自分はまこちゃんと同じにおいがすると、そう思ってた。


   い、息が……ひぁ。


   お風呂に入って……実際、まこちゃんのにおいがして。


   あ……なんか、これ。


   ……今夜まで、ずっとそう思っていたのに。


   まずい、かも……。


   ……だけど違う、違った。


   あ、亜美ちゃん……ちょっと、離れてもらって、もっ。


   ……。


   う、あ……。


   ……まこちゃんが言うように、違うかもしれない。


   ちが、う……?


   ……まこちゃんには、まこちゃんだけの匂いがする。


   ……っ。


   まこちゃんのお部屋に入った時に感じる匂い、まこちゃんの匂い……まこちゃんが言っていることは、こういうことなのかしら。


   あ、亜美ちゃんっ。


   きゃ。


   ご、ごめん、もういいかな。


   あ……うん、もういいわ。


   そ、そっか。


   ごめんなさい、いつまでもかいでしまって。


   い、いや、いいんだ……気に、しないで。


   ……。


   それで、その……違い、分かった?


   ん……分かったような気がする。


   どう……いや、いいや。


   まこちゃんの傍にいて、安心するのは。


   ……。


   まこちゃんから、いい匂いがするから。


   うぇ……っ。


   ……うぇ?


   あ、や、な、なんでもないよ。


   でも、変な声が。


   ちょ、ちょっと吃驚しただけだから。


   ……どうして?


   ど、どうしてって。


   まこちゃんが言ったのよ。
   私の……その、においがいい匂いだって。


   そ、そうだね、言ったね……。


   だから……私も。


   ……。


   ……まこちゃん?


   もう、やめよう……。


   ……。


   なんか、とり……とりが、いない?


   ……鳥?


   ……。


   もしかして……取留がない?


   うん……多分、それ。


   ……。


   ……やめない?


   けど、安心するだけではないの。


   ……は。


   少し……苦しくなる時も、あるわ。


   苦しく……。


   ……あれは、なんなのかしら。


   ……。


   まこちゃんは、分かる……?


   ……ねぇ、亜美ちゃん。


   なに……?


   今は、苦しい……?


   ……。


   ……平気?


   平気、だけど……。


   ……なら、あたしが知っているものとは


   でも、どきどきするわ。


   ……。


   これが、もしも……苦しさの正体なら。


   ……浦和君。


   え……?


   浦和君に対してどきどきしたこと、ある?


   ないわ。


   ……一度も?


   一度もないわ。
   どうしてそんなことを聞くの、良君のことはもう話したのに。


   ……。


   ……なに。


   亜美ちゃんは……浦和君のこと、本当になんとも思っていない。


   ……なんとも思っていないわけではないわ。


   ただの、友達……そうだよね。


   ……そうよ。


   ねぇ、亜美ちゃん……亜美ちゃんは本当に恋を知らない?


   ……どうして。


   誰かを、そういう風に好きになったこと……本当に、ない?


   ……ないわ。


   ……。


   ……一度も、ないの。


   そっか……。


   ……。


   ……あたしと、結婚したいというのは。


   ……。


   出来ないって、知っているのに……それなのに。


   ……傍にいたい、と。


   ……。


   ……傍にいて欲しいと、思ったから。


   それは、友達として……?


   ……。


   亜美ちゃん……。


   ……やっぱり。


   え……?


   ……まこちゃんは柔らかくて、温かいわ。


   ……。


   ……無理だと、分かっているの。


   結婚は、出来ないけど……一緒に暮らすことは、出来る。


   ……。


   亜美ちゃんが、そうしたいなら……あたしは。


   ……ううん、だめよ。


   何が、だめ……?


   ……まこちゃんには、私は。


   傍にいて欲しいと思うのは、あたしも同じだよ。


   ……。


   ……亜美ちゃんに、いて欲しい。


   私には、なれないわ。


   ……なれない?


   男のひとには……なれない。


   ……そんなの。


   ごめんなさい……その話は、どうか忘れて。


   ……いやだ。


   まこちゃん……。


   ……あたしは、忘れない。


   だけど……まこちゃんが、本当に一緒に暮らしたいのは。


   絶対に、忘れない。


   ……。


   ……ねぇ、亜美ちゃん。


   なに……。


   男のひとってさ、あんまり柔らかくないんだよ……いいにおいも、しないし。


   ……。


   ……ひとりだけ、ね。


   それは……ううん。


   そのひとは、別に恋人でもなんでもなかったんだ。


   ……ちょっと待って。


   ん?


   それなのに……抱き


   廊下の角でぶつかってさ、それで。


   ……それで、なに。


   向こうが倒れそうになったから、咄嗟にあたしが抱き抱えたんだ。


   ……。


   ただ、それだけ。


   ……それって。


   跳ね返しちゃったんだよね、あたし。


   ……そのひとの、ことは。


   うん……まぁ。


   ……好きだったのね。


   少しだけ、ね。


   ……まさか、わざと。


   違う違う、わざとじゃないよ。
   いくらあたしでも、そんなことはしないって。


   ……。


   わざとだったら、跳ね返したりなんかしないだろ?


   ……確かに、そうね。


   う、それもちょっと。


   ……なに?


   うん……なんでもない。


   ……わざとでは、なかったのよね。


   うん、わざとじゃなかったんだ……本当に、たまたまで。


   ……それで、そのひととは。


   ……。


   まこちゃん……?


   ……さっすが不良でか女、だってさ。


   は……?


   連れの男子達にね、そう言われたんだ。
   そのひとは男のくせにだっせぇって笑われて、苦々しい顔をしてたっけ。


   なによ、それ……。


   だからあたし、笑ってる奴らをついうっかり睨みつけちゃってさ。


   ……。


   あーこわって言われて、そのひとには舌打ちされて、軽い失恋。


   ……まこちゃんは、悪いことなんてしていないじゃない。


   そこにいたのが悪かったみたい。


   そんなの、理不尽だわ。
   学校の廊下を歩いていただけなのに、何が悪いというの。


   そうだねぇ……あたしも、そう思うよ。


   ……そんなひとと、両想いになったって。


   ……。


   ……ごめんなさい。


   ん、いや……亜美ちゃんの言う通りだなって。


   ……。


   そのひとさ、可愛い子には優しかったみたいなんだよね。
   で、自分の好みではない女の子に対しては、冷たい。


   ……最低。


   分かりやすいなって、思うよ。


   ……どうして、そんなひとを。


   走ってる姿が、ね……ちょっとだけ、似ててさ。
   こう、腕の振り方が……。


   中身も、見て。


   ……はい。


   ……。


   まぁ、三日くらいの想いだったし……そこまでは、ね。


   ……そういう問題じゃない。


   はい、すみません……。


   ……。


   ごめんね、こんな話を聞かせてしまって。


   ……のに。


   ん……亜美ちゃん?


   私にすれば、いいのに。


   ……。


   ……私なら。


   亜美ちゃんにしても、いい?


   ……。


   ……亜美ちゃんが、許してくれるなら。


   ううん……そんなの、だめ。


   亜美ちゃんが言ったんじゃないか……私にすればいいのにって。


   ……言ったわ、男のひとにはなれないって。


   ならなくていいよ。


   ……。


   男のひとになんて、なって欲しくない。


   ……だけど、私は女で。


   男とか女とか、あたしはただ、亜美ちゃんがいいんだ。


   ……。


   言ったろ、結婚は出来ないけど一緒に暮らすことなら出来るって。


   ……いつか、素敵なひとが現れたら。


   亜美ちゃん以上のひとが現れたら、考える。


   ……。


   だけど……そんなひとは、きっと、いない。


   ……そんな、こと。


   亜美ちゃんも、本気で考えて欲しい。
   あたしは、本気で考えているから。


   ……。


   亜美ちゃんが、言わなかったら……言って、くれなかったら。


   ……私。


   亜美ちゃん……亜美ちゃんがあたしのこと、好きなら。


   好きよ……私は、まこちゃんが好き。


   ……その好きは、なに。


   なにって……。


   ……でも、その好きでなくてもいい。


   なにを、いっているの……。


   亜美ちゃん……好きだよ。


   まこ、ちゃん……。


   ……愛してるよ、亜美ちゃん。


   私も……。


   ……同じ好きでなくても、構わない。


   同じ、好き……。


   ……期待は、してしまうけど。


   期待……。


   ……。


   ……わたし、ね。


   うん……。


   ……だれかに、だきしめてもらったことなんて、ないの。


   お父さんとお母さんには……?


   ……ないわ、いちどもない。


   そうなんだ……。


   ……まこちゃんは、あるのよね。


   うん……あるよ、小さい頃に。


   ……。


   ……。


   ……まこちゃんが、そばにいてくれたら。


   いたい……いさせて。


   ……だけ、ど。


   好きなんだ。


   ……!


   ……好きなんだ、亜美ちゃんのこと。


  23日





   ……~~♪


   ……。


   ~~♪


   ……違う曲だね。


   ……。


   病室で、歌っていた曲と。


   ……昔。


   ……。


   両親と、出かけて……そこで、聴いた曲なの。


   どこにお出かけしたの?


   ……どこだったかしら。


   ……。


   出かけている間……両親はずっと、難しそうな顔をしていて。
   だから、どこで聴いたのか……もう、思い出せないの。


   その曲の、名前は?


   ……知らない。


   そっか……。


   ……でも、外国の古い映画の曲だったと思う。


   古い映画の曲か……なんの映画だろ。


   ……懐かしいと、父が小さな声で呟いたの。


   ……。


   母は、映画にも音楽にも興味がなかったから……まぁ、それは、今もだけど。
   大して、聞いていないようだった。その場から早く移動したかったのかもしれない。


   ……音楽を聴きに行ったわけではないんだね。


   うん……たまたま通りがかった場所で、弾いていたの。


   ……何を、弾いていたの?


   ピアノ。


   ピアノ?


   ……そう、ピアノ。


   ピアノか……ね、亜美ちゃんはピアノ弾ける?


   弾けない。
   まこちゃんは?


   あたしも、弾けない。


   ……弾けたら、楽しいのかしら。


   あたしは楽しいそうだなって、思う。


   ……まこちゃんって、歌が上手よね。


   え、そうかな。


   とても、きれいで……合唱をしていても、まこちゃんの歌声だけは良く聴こえるの。


   そ、そっか……ちょっと、恥ずかしいな。


   恥ずかしい?
   あんなに上手なのに?


   う、うん……ちょっと、ね。


   歌ってるまこちゃん……楽しそうに、見えるの。


   ……。


   楽しくない?


   どうなんだろ……でも、楽しいのかもしれない。
   ピアノの伴奏と声がうまく重なると、気持ちがいいから。


   まこちゃんは、ピアノが弾けなくても……歌で、音を楽しめる。


   ……亜美ちゃんも、きれいだよ。


   私?


   うん……とても声が澄んでいて。


   ……私、歌は少し苦手なの。


   でも、歌うのは好きだろ?


   ……嫌いでは、ないわ。


   あたしは、亜美ちゃんの歌声好きだよ。


   ……。


   鼻歌も。


   ……きっと、まこちゃんだけよ。


   あたしだけでもいいさ。
   だってそれって、あたしだけが亜美ちゃんの歌声の良さを分かってるってことだろ?


   ……まこちゃんの感性がずれている、とも。


   あたし以外の奴の感性がずれている、とも言えるよ。


   ……。


   ね、そうだろ?


   ……もしも私が、ピアノが弾けたら。


   え?


   ……まこちゃんと、楽しめたかしら。


   一緒に歌えばいいと思うよ。


   ……一緒に。


   亜美ちゃんがソプラノで、あたしはアルト。
   きっと、楽しいよ。


   ……私、どちらかと言うとアルトなのだけれど。


   じゃあ、メゾソブラノは?


   ソプラノがいないの?


   いなくても、歌にはなるよ。


   ……。


   今度、一緒に歌ってみようか。


   ……考えておくわ。


   うん、考えておいて。


   ……。


   ……少しだけ、ピアノに話を戻してもいい?


   ええ……どうぞ。


   指がさ、思ったように動かないんだよね。


   特に、左手?


   そうそう、左手。全然、動かないんだ。
   指一本で弾くのが、やっとでさ。


   ふふ、分かるわ。


   練習すれば、動くようになるみたいなんだけど。


   時間をかけて練習すれば、きっと、弾けるようになるのだと思う。


   時間か……それが、問題なんだよなぁ。


   まこちゃんは指が長いから、色々な曲が弾けるようになると思うわ。


   指は、まぁ、無駄に長いんだけどね……。


   ……すらっとして、きれいな指だと思う。


   ……。


   ……好きなの、まこちゃんの手。


   あ、ありがとう……あたしも亜美ちゃんの指、好きだよ。


   ……ありがとう。


   ……。


   ……。


   ……すごいよね、弾けるひとの指の動きって。


   そうね……まるで、別々の生き物みたいよね。


   別々の生き物……はは、確かに。


   右手と左手で、奏でる音が違う……だけどきれいに重なって、曲になる。


   ……小さい頃さ。


   ん……。


   習うかどうか、お母さんに聞かれたことがあるんだ。


   ……それで、習わなかったの?


   うん、あたしには無理だって。
   そう、思っちゃって。


   ……私は、聞かれたこともなかったわ。


   聞かれていたら……習いたかった?


   どうかしら……小さい頃から、お勉強が好きだったし。
   本を読むのが、楽しくて……習いたいとは、思わなかったかもしれない。


   ……水泳は、お父さんだったよね。


   ん……父が、勧めてくれて。


   ……チェスも。


   そう……チェスも。


   ……亜美ちゃんは、チェスがものすごく強いんだよね。


   ものすごく、なんて……私よりも強いひとは、沢山いるもの。


   ……これから、もっともっと強くなると思うんだ。


   続ければ、そうかもしれないけど……それでも、私より強いひとはいるから。


   ……続けないの?


   分からないわ……。


   ……続けたくないわけでは、ないんだろ?


   うん……いえ、どうかしら。


   ……チェスは、好きかい。


   え……?


   ……好き?


   ええ……好きよ。


   ……なら、続けられるところまで続ければいいと思うよ。


   ……。


   やめるのは、いつだって出来るからさ……。


   ……そうね、そうするわ。


   うん……。


   ……水泳も、チェスも。


   ……。


   私の性分に、合っていて……たまに、思うの。
   父は、私のことを分かっていたのかしら……て。


   ね……亜美ちゃんのお父さんって、どんなひとだったの?


   私の、父は……どこか、まこちゃんに似ているかもしれない。


   え、あたしに?


   ……自然が好きで、大らかなところが。


   あ、あぁ……。


   ……だけど、やっぱり似ていないわ。


   ……。


   私を置いて、行ってしまったから……。


   ……亜美ちゃん。


   あぁ、でも……いつかまこちゃんとも、お別れする日が


   来ないよ。


   ……。


   そんな日は、来ない。


   ……そうだと、いいけれど。


   そうだよ。
   亜美ちゃんが離れたいと思わない限り、あたしはどこにも行かないよ。


   ……私が。


   ね……病室で、歌っていた曲は?


   ……あの曲は。


   あの曲は、楽しそうだった。


   ……まこちゃんが、来てくれるから。


   なんて曲……?


   ……憶えてない。


   ん、そっか。


   ……はぁ。


   疲れた?


   ……ううん。


   もう、休もうか。


   ……まだ。


   ……。


   ねぇ……まこちゃん。


   ……なんだい、亜美ちゃん。


   ……。


   ん、と。


   ……ほかほか、してる。


   うん……お風呂に入ったからね。


   ……髪の毛。


   ちゃんと、乾かしたよ。


   ……長いと、大変ね。


   ふふ、そうなんだ。


   ……あったかい。


   亜美ちゃんも、あったかいよ。


   ……私はもう、ほかほかしないわ。


   ……。


   ん……まこちゃん。


   ……亜美ちゃんも、あったかいよ。


   ……。


   ね……横になろっか。


   ……ならない。


   ベッドで、お喋りの続きをしようよ。


   ……。


   その方が……多分、気持ちがいいと思うんだ。


   ……どうしても、横になりたいの。


   あたしは、なりたい。


   ……なったら、眠ってしまうかもしれない。


   それも、いいんじゃないかな。


   ……電気は、どうするの。


   消しておいた方が、いいかも。


   ……。


   ね、横になろうよ……亜美ちゃん。


   ……まだ、眠りたくない。


   なら、眠らなくていい……。


   ……でも、眠ってしまうかもしれないじゃない。


   ……。


   ……もしかしたら、母から電話がかかってくるかもしれないわ。


   そしたら、ちゃんと出るよ。


   ……出られるの。


   うん、出られる。


   ……出ないで。


   うん?


   ……母からの電話になんて、出ないでいい。


   でも、出ないと誰からかかってきたか分からないし……もしかしたら、うさぎちゃんかもしれないよ。


   ……。


   レイちゃん……美奈子ちゃん……ルナかも。


   ……ルナはないわ。


   じゃあ、アルテミスは?


   ……もっとない。


   亜美ちゃんは、かけなくていいの?


   ……。


   ……お母さんに。


   かけたところで、いないもの。


   ……今日は、いるんじゃない?


   いても……出ないわ。


   ……そうかなぁ。


   かけたくない。


   ……ん、分かった。


   ……。


   ね……ベッドに行こう?


   ……どうしてもと、言うなら。


   言うなら……?


   ……なんでもない。


   あ。


   ……なに。


   離れちゃうと、すーすーする。


   ……ほかほかしてるのは、まこちゃんでしょ。


   ね、連れて行ってあげるよ。


   ……どこに。


   ベッドに。


   ……すぐそこなのに。


   すぐそこでも。


   ……。


   いやかい?


   ……どうやって、連れて行くつもりなの。


   手を繋ごうか、それとも。


   え……きゃっ。


   抱っこ、しようか。


   ……もう、してるじゃない。


   あはは、びっくりした?


   ……急にしたら、危ないでしょう。


   ごめん、ごめん。


   ……もぅ。


   下ろした方がいい?


   いいわ。


   ……いいって?


   このまま……連れて行って。


   ……ん、喜んで。


   ……。


   なんて、何言ってんだろうね。


   ……まこちゃんって、ロマンティストよね。


   ん、抱っこもそうなる?


   ……そうなんじゃない。


   まぁ、亜美ちゃんが言うのなら。


   ……。


   ……今夜は、星に預けなくていい。


   ……。


   ……着いたよ。


   そうみたいね……。


   ……。


   ん……。


   ……大丈夫だった?


   どうして、こんなことが出来るのかしら……。


   ……こんなことって?


   どこか、慣れているような気がするわ……。


   ……慣れては、いないけど。


   誰かにしたことがあるの……?


   ないよ……むしろ、されたい方だったし。


   ……。


   うん……やっぱりあたし、ロマンティストかも。


   ……夢見がち。


   いいだろ……夢を、見るくらい。


   現実も、見て……。


   ……見てるつもりだよ。


   つもりじゃ、だめ。


   ……あう。


   まこちゃんが、傷つくのは……いや。


   ……。


   いやなの。


   ……なら、亜美ちゃんが見ていて。


   自分でも、見て。


   ……お。


   見て。


   ……はい。


   ……。


   うん……やっぱり、この方が気持ちがいい。


   ……電気。


   消そうか。


   ……。


   よ、と。


   ……早い。


   ははは。


   ……何がおかしいのか、分からない。


   亜美ちゃんが、いる。


   ……。


   ……ここに、亜美ちゃんが。


   まこちゃん……。


   ……ね、あたしのロマンティストはさ。


   お父さんに、似ているの?


   ……どうして、そう思うの?


   結婚記念日にバラを一輪、妻に贈るから。


   ……それだけで?


   それだけでも、十分だと思う。


   ……花を贈るのは、あたしのお父さんだけじゃないと思うけどなぁ。


   少なくとも私の父は、母に花を贈るなんてこと、一度もしなかった。


   ……それは。


   そう、母は花に興味がなかったから。


   ……花以外のものを。


   なかったわ。
   母はそもそも、自分が欲しいと思うものは全て、自身の力で得たお金で買っていたから。


   ……亜美ちゃんが、憶えていないだけで。


   ええ、そうよ。


   ……。


   私が憶えているのは……冷え切った、ふたりの姿だけ。


   ……あ。


   そこに、ロマンなんて甘いものがあると思う……?


   ……ごめん。


   どうして?


   分からない……だけど、ごめん。


   ……。


   あの、さ。


   ……ごめんなさい。


   ん。


   ……まこちゃんは、何も悪くないのに。


   亜美ちゃん。


   まこちゃんは、どこまで優しくしてくれるのに……それなのに。


   亜美ちゃん、もう。


   ……こんな、私。


   ……。


   父に、置いていかれても……んっ。


   ……それ以上は、だめだ。


   ……。


   だめだよ……亜美ちゃん。


   ……まこ、ちゃん。


   亜美ちゃんのお父さん……今でも、お手紙をくれるんだろう?


   ……たまに。


   たまにでも……ちゃんと、お手紙をくれる。
   それは今でも、亜美ちゃんのことを思っているからだ。


   ……住所が、書かれていないの。


   ……。


   だから……いつも、一方通行。


   ……返事を、書いたことは。


   一度もないわ。
   父は……居場所を、私に知られたくないのだと思う。


   ……。


   もしかしたら……新しい家族が、いるのかもね。


   ……そうだとしても。


   ありがとう……まこちゃん。


   ……。


   ……。


   ……亜美ちゃん、あたし。


   結婚、出来たらいいのに。


   ……え?


   まこちゃんと……出来たら。


   え、えぇ……?


   ……そしたら、いつも。


   け、けっこんは、できないよ。


   ……っ。


   その……女同士だし。


   ……そう、よね。


   ……。


   ……。


   ……結婚は、出来ないけど。


   まこちゃん……もう。


   い、一緒に暮らすことなら、出来るよ。


   ……。


   そ、それでも、いいのなら……あたしと、暮らしてみる?


   ……。


   も、もちろん、今すぐは無理だと思うけど……。


   ……たい。


   え、なに……?


   ……その頃にはきっと、まこちゃんには素敵な恋人がいるわ。


   ……。


   一緒に暮らすのなら……そのひとと。


   ……いなかったら、一緒に。


   ううん……だめよ。


   ……。


   ……離れられなく、なっちゃうもの。


   ……。


   ……ごめんなさい、変なことを言って。


   変じゃないよ。


   ……。


   変じゃない……何も、変じゃない。


   ……ありがとう、まこちゃん。


   あたしだって、亜美ちゃんと……。


   ……その言葉だけで。


   本当だよ。


   ……。


   ……本当、なんだ。


  22日





   ……。


   さぁ、亜美ちゃん。
   どうぞ、召し上がれ。


   ……いただきます。


   もしも多かったら、無理して食べないでいいからね。


   ……うん。


   ん……じゃあ、あたしもいただきます。


   ねぇ、まこちゃん。


   ん、なに?


   まこちゃんは、それだけで足りるの?


   うん、足りるよ。


   だけど……お昼、ちゃんと食べていないわよね?


   ううん、食べたよ。


   学校が終わってからスーパーに寄って、そのまま真っ直ぐ病院に来てくれたのでしょう?
   お昼を食べる暇なんて、どこにも……まこちゃんのお部屋に来るのも、遅くなってしまったし。


   亜美ちゃんの家で、ホットヨーグルトバナナを食べたじゃないか。
   あと、紅茶も二杯ご馳走になった。十分だよ。


   ……いつもはもっと、食べてるじゃない。


   朝の残りもあるしさ、大丈夫大丈夫。


   朝の残りものって……。


   胡瓜の浅漬け、うまく漬かったんだ。
   亜美ちゃんは……まだ、食べない方がいいか。
   躰、冷やしちゃうし。


   ……私の家に、寄っていなければ。


   亜美ちゃんの家に寄っていなければ、うちで食べるつもりだったんだ。


   ……やっぱり、


   ホットヨーグルトバナナを。


   ……。


   結構、足りるもんなんだ。
   黒みつも入ってるしね。


   ……。


   休みの日のお昼は、ひとりだとそれくらいで済ましちゃう時もあるんだ。
   なんだったら、バナナと牛乳だけの時だってあるくらい。


   ……ね、私に気を遣ってのことなら、


   考え過ぎだよ、亜美ちゃん。
   サンドイッチ、亜美ちゃんよりもあたしの方がひとつ多いんだからさ。


   ……もしも、足りなかったら。


   ……。


   私のことは、気にせずに食べてね。


   ん、足りなかったらそうする。
   いざとなったら、バナナもあるし。


   ……。


   ね、サンドイッチ久しぶりだよね?


   ……丁度、二週間前。


   二週間……。


   ……入院する前に、まこちゃんが作ってくれたのを食べたきりよ。


   ……。


   まこちゃんは、気にしてくれていたのに……私は、ちゃんと聞かなかった。


   ……いっそのこと、亜美ちゃんに家に押しかけてごはんを作れば良かった。


   ……。


   そうしたら、亜美ちゃんは入院しなくて済んだかもしれない……そんなことも、考えたりした。


   ……まこちゃんが作ってくれるお昼のお弁当、それさえ食べていれば大丈夫だと思った。


   そんなわけない……三食、ちゃんと食べないと。


   ……実際、二食で足りていたから。


   それが、一食になった。
   もつわけ、ない。


   ……空腹を、感じなかったの。


   顔色は、明らかに悪くなっていたよ。
   疲れが取れない、そんな顔もしていた。


   ……鏡を見て、どんなに酷い顔をしていても、それでも、大丈夫だと思ったの。


   救急車のサイレンが、授業中に、聞こえて。
   すぐ近くで、やんだ。


   ……。


   クラスはざわついて、学校の中が、騒がしくなって。
   でも、5組だけは静かだった。あたしは、その静けさに胸騒ぎがして。


   ……その時間は、移動教室で。


   亜美ちゃんが倒れて、救急車で運ばれたと聞いた時。
   息が詰まって、苦しくて、心臓が、破裂しそうで。


   ……。


   どの病院に運ばれたのか、5組の担任の先生から聞き出して。
   だけど、病院に行っても、会わせてもらえなくて。


   ……その時に、母に会ったのね。


   亜美ちゃんのお母さんが……亜美ちゃんに、会わせてくれたんだ。


   ……家族では、ないのに。


   ……。


   まこちゃんが来てくれた時は……本当に、嬉しかった。


   あたしさ、亜美ちゃんのことで頭がいっぱいで……うさぎちゃんを、置いてきちゃったんだ。
   レイちゃんや、美奈子ちゃんにも知らせないでさ……とにかく、放課後になったら亜美ちゃんのところに行く、それしか頭の中になくて。
   本当は早退したかったんだけど……先生が、だめだって。


   ……うさぎちゃんが、ふたりに連絡をしてくれたのよね。


   うん……そうなんだ。


   ……三人とは、会えなかった。


   ……。


   まこちゃんと会えたのは……そこに、たまたま母がいたから。
   全部、母のおかげだったのね……。


   ……うん。


   電話番号も、その時に……。


   ……本当はね。


   ……。


   亜美ちゃんのお母さんに教えて欲しいと、言われたんだ。


   ……母が。


   連絡することが、あるかもしれないって……あなたに、亜美のことをお願いするかもしれないって、そう言われて。


   ……だから、教えたのね。


   あたしに出来ることがあるなら、なんでもするつもりだった。
   ううん、なんでもしたかったんだ……だから。


   ……母に、まこちゃんのことを話しておいて良かった。


   亜美ちゃん……。


   ……と言っても、そんなに話したわけではないのに。


   うさぎちゃんだろうって、思ってたんだ。


   ……うさぎちゃん?


   亜美ちゃんが、話すのは……うさぎちゃんのことが、多いだろうって。


   ……元々、学校やお友達のことを話すことなんてあまりなかったの。


   ……。


   うさぎちゃんとお友達になるまでは、話したくても、話すことなんてなかったんだけど……。


   ……亜美ちゃんに言わないで欲しいと言われた時、どうしてか聞いたんだ。


   ……。


   そしたら……寂しそうな顔をしただけで、何も言わなかった。


   ……寂しそうな。


   忙しいみたいで、それからすぐに亜美ちゃんのお母さんは行っちゃった。
   亜美のことをよろしくねって、一言、残して。


   ……。


   亜美ちゃんのお母さん……目元が、亜美ちゃんに良く似てるね。


   ……一応、親子だから。


   寂しそうな顔も。


   ……っ。


   ……。


   ……。


   ……押しかけるのは、無理でも。


   ……。


   お昼のお弁当だけでなく、家で食べられるものも作れば良かった。
   塾から帰ってきて、軽く食べられるように……朝起きて、ちゃんと食べられるように。
   亜美ちゃんの家には、あたしが持って行けばいい。


   ……戦いが、続いていたから。


   だとしても、ごはんは作れる……作れた。


   ……まこちゃんも、疲れていたわ。


   あたしは、


   カップラーメン。


   ……。


   ……もっと、買っておけば良かったと。


   カップラーメンなんか……。


   ……あんな添加物の塊、躰に良くないことは分かっているの。


   ……。


   それでも……お腹には、たまるから。


   お腹にたまっても……栄養失調になってしまったら、意味がない。


   ……そうね、本当にそう。


   ……。


   何も、出来なくなって。
   みんなに、迷惑を


   亜美ちゃん。


   ……。


   ごはん、食べようか。
   スープが、冷めちゃう前に。


   ……うん。


   ……。


   ……美味しい。


   きのこを入れたら、もっと美味しいと思うんだ。
   きのこのうまみが出てさ。


   どのきのこを入れるの?


   しいたけかな。


   しいたけ……いいかも。


   だろ?


   ……。


   ね、サンドイッチも食べてみてよ。


   うん。


   マヨネーズを控えたから、少し物足りないかもしれないけど。


   ……。


   ……どうかな。


   うん……あっさりしていて。
   たまごの味が分かって、いいかも。


   少し、物足りないかな。


   ううん……今の私には、これくらいで丁度いいわ。


   本当はハムも入れたかったんだけどさ、加工品は脂肪が多くて消化に良くないから控えた方がいいって。


   栄養士さん?


   うん、それでスープに鶏のささ身を入れたんだ。
   鶏のささ身なら、脂身がなくて消化がいいから。
   おまけに、タンパク質も摂れるし。


   ……鶏のささ身は、入院食で食べたけど。


   うん、書いてあった。


   ぱさぱさして、あまり……美味しくなかったの。


   脂身がないから、どうしてもね。


   だけど、このスープのささ身は美味しいわ。


   スープに入れれば、味がついて食べやすいかなって思ったんだ。


   味もだけど……ぱさぱさしないの。


   それはね、亜美ちゃん。


   う、うん。


   余熱で火を通したからなんだよ。


   余熱?


   そう、余熱。
   ささ身はね、沸騰したお湯で長い時間茹で続けると身が固くなって、ぱさぱさになっちゃうんだ。
   だからある程度茹でたら、あとは火を止めて余熱でじっくり茹でる。そうすることで、柔らかくなって、ぱさぱさもしないんだ。


   ……。


   あぁ、良かった。
   思った通りに、作れた。


   ね、まこちゃん。


   ん?


   余熱だと……時間、かからなかった?


   大したことないよ、ささ身は火が通るのが早いんだ。
   それに、その間は他のことをすればいい。


   ……。


   だから、大したことない。


   ……まこちゃんって、やっぱりすごいわ。


   料理のことなら、あたしに任せてよ。


   ……。


   ……?
   亜美ちゃん……?


   ……私。


   どした……?


   まこちゃん……私。


   ……。


   ……ごめんなさい。


   どうして……?


   ……言うことを、聞かなくて。


   ……。


   まこちゃんの言うことを、もっと、聞いていれば……まこちゃんに、みんなに余計な心配を、迷惑をかけることもなかったのに。


   ……いいんだ、もう。


   だけど……。


   これから気をつければいいんだよ……同じことを、繰り返してしまわないように。


   ……。


   なんだったら、亜美ちゃんの家に押しかけてごはんを作ってもいい。
   週に何回か、さ?


   ……それは。


   たまには、いいと思うんだけどな。


   ……母が、いない時なら。


   いても、あたしは構わない。ふたりのごはんを作ってあげるよ。
   亜美ちゃんのお母さんも、ちゃんと食べないようだからね。


   ……。


   なんて、流石に迷惑だと思うからしないけど……亜美ちゃん、困らせたくないし。


   ……。


   ね、亜美ちゃん……あたしの部屋に、もっと来てよ。


   ……まこちゃん。


   夜、どんなに遅くたっていい……必ず、迎えに行くから。


   ……。


   毎日でなくていい……週に何回かでも、いい。


   ……。


   ……あたしの作ったごはん、一緒に食べて欲しい。


   もう、何度も。


   ……。


   何度も、何度も……まこちゃんは。


   ……ごめん、いい加減しつこいよね。


   言って、くれたのに……言って、くれてるのに。


   ……亜美ちゃん。


   それなのに、私……。


   ね……サンドイッチ、もっと食べたい?


   ……。


   今は、無理でも……。


   ……たべ、たい。


   ……。


   もっと……たべたい。


   ……じゃあ、作るよ。


   ……。


   何度でも、何度でも、作るよ。
   色んな具を挟んでさ、時にはトーストした食パンで。
   たまには、ロールパンで作ってみてもいいかも。


   ……。


   だけど、サンドイッチだけでは偏ってしまうからさ。
   お米も、麵類も、食べて欲しいな。炭水化物だけでなく、おかずもね。


   ……う、ん。


   あたし、色々、作るから……美味しく、作るから。


   ……まこ、ちゃん。


   スープ……今度はつくねで作ってみようかなって、思ってるんだ。


   ……。


   ……ね、亜美ちゃん。


   ……。


   明日の朝ごはんは、ふたりで何食べようか。


   ……あした。


   そう……明日。


   ……まこちゃんが、つくってくれたものなら、なんでも。


   亜美ちゃんが食べたいものを教えて欲しい。


   ……。


   何でも、作るよ……そう、なんでも。


   ……なんでも、いい?


   うん、いいよ。


   ……サンドイッチ、でも?


   いいよ……他のもので、バランスを取ればいいんだから。


   ……。


   サンドイッチがいい……?


   ……明日は、雑炊がいい。


   雑炊……?


   ……ん。


   ふふ、分かった……じゃあ、明日の朝は雑炊にするね。


   ……。


   ……さ、食べよう。


   ねぇ……。


   ……ん?


   本当に、それだけで足りる……?


   んー……。


   ……食べてね、ちゃんと。


   じゃあ……スープを、おかわりしようかな。
   あと、たまごが残ってるから、サンドイッチをもうひとつだけ。


   ……うん、そうして。


   うん、そうする……。


   ……。


   ……。


   ね……。


   ……なぁに?


   食べ終わったら、お風呂に入るの?


   うん、そうするつもり。


   ……。


   やっぱり、一緒に入れば良かったかな。


   ……一緒だと、狭いと思う。


   ……。


   ……なに。


   狭くなければ、いい?


   ……。


   ……て、そういう問題じゃないか。


  21日





   ……。


   ~~♪


   ……はなうた。


   ん?


   ……まこちゃん。


   お帰り、亜美ちゃん。


   ん……ただいま。


   ゆっくり出来たみたいだね。


   ん。


   髪の毛、ちゃんと乾かしたかい?


   ……そのうち、乾くから。


   またそんなこと言って。
   風邪、ひいちゃうよ。


   大丈夫……まこちゃんのお部屋、温かいから。


   だーめ。


   ……短いから。


   少し伸びてる。


   ……少しなら、問題ない。


   あるよ、髪の毛が痛んじゃう。


   ……長さ、関係ない。


   亜美ちゃん。


   ……痛んでも、別に構わないもの。


   じゃあ、せめて。


   ……なに。


   タオル、頭に巻いときな。
   ね?


   ……。


   ベッドの上に、置いてあるから。


   ……用意周到。


   亜美ちゃんのこと、なんとなくだけど分かってきたんだ。


   ……例えば。


   例えば、本当にやりたくないことは、どんなに言われようとやらない。
   疲れている時は、特にね。


   ……。


   だから、こちらがやり方を変える。


   ……それで、タオル?


   それくらいなら、いいだろ?
   手、かからないし、時間もかからない。


   ……いいけど。


   うん、良かった。


   ……ひとを選んでいることは、分かってない。


   え、なんか言った?


   ……いいえ。


   何か聞こえたような気がしたけど。


   ……きっと、気のせい。


   ん、そっか。
   ごはん作ってるから、その音かもしれないな。


   ……。


   ふふ。


   ……なに。


   もしかして、乾かしてもらいたかったのかなって。


   ……。


   あ、冗談、冗談だよ。
   だから、タオル使って? ね?


   ……このタオル。


   ちゃんと、洗ってあるよ。


   ……洗濯物、増やしてしまうわ。


   洗濯機が洗ってくれるから。


   ……乾かなかったらどうするの。


   乾くよ、いつかはね。


   ……たたむのは、してくれない。


   だから、気にしないで使って欲しい。


   ……。


   お願いだ、亜美ちゃん。
   タオル、使って。


   ……じゃあ、使う。


   うん、ありがと。


   ……まこちゃんがお礼を言うことではないわ。


   言いたかったんだ。


   ……。


   ……ふふ。


   今度は、なに。


   ……言わない。


   ……。


   あ、やっぱり言おうかな。


   なに。


   いや……タオルを巻いてる亜美ちゃん、かわいいなと思って。


   ……。


   お。


   ……これでいい?


   うん、のせてるのもかわいい……じゃなくて、いいよ。


   ……お風呂。


   お風呂?


   ……いいにおいが、したわ。


   ほんのり香る程度にしたんだけど、くどくはなかった?


   ん……くどくなかった。


   リラックス、出来た?


   うん……とても気持ち良かった。


   そっか……良かったよ。


   ……。


   亜美ちゃん、夕飯が出来るまでくつろいでて。
   あともう少しだからさ。


   ……まこちゃんと、おなじにおい。


   ん、なに?


   ……。


   お……と。


   ……ね、まこちゃん。


   なんだい、亜美ちゃん。


   歌っていた、歌。


   うた?


   なんの、歌……?


   あぁ、鼻歌?
   「The Rose」だよ。


   the rose……バラ?


   外国の映画の歌なんだ。


   ……歌詞は、ないの?


   あるよ。
   でも、英語だから覚えられなくて。


   ……英語。


   小さい頃に、聞いたきりなんだ。


   ……そう。


   歌詞が分かればなって、思ってはいるんだけど。
   今なら少しは読めると思うし、何より、あたしには亜美ちゃんがいるからさ。


   ……意味が分かれば、より覚えやすいと思うわ。


   意味かぁ……うん、知りたいかも。


   ……「The Rose」。


   お父さんが、好きな歌だったんだ。


   ……。


   お父さんさ、結婚記念日には必ず、お母さんに赤いバラの花を贈っていたんだよ。


   ……花束?


   ううん、一輪だけ。
   お母さんは花束よりも、一輪の花が好きだったから。


   ……。


   全部は憶えていないけど……すごく、きれいだったっけ。


   ……まこちゃんが、赤いバラが好きなのは。


   うん、両親の影響もあると思う。


   ……素敵なご両親ね。


   ん、ありがと。


   ……良かったら。


   写真、見る?


   ……もう一度、見せてもらってもいい?


   何度でも見て。
   お父さんとお母さん、喜ぶと思うし。


   ……。


   あたしも亜美ちゃんのこと、何度だってお父さんとお母さんに見てもらいたいしね。


   ……まこちゃんって、ご両親になんて呼ばれていたの?


   え?


   ……呼び捨て?


   ううん……呼び捨てじゃないよ。


   ……。


   え、と……。


   ……聞かない方が、いい?


   いや、ちょっと照れくさくて。


   ……。


   あたしさ……まこちゃんって、呼ばれていたんだ。


   ……まこちゃん?


   そう……まこちゃん。


   ……。


   ……えと、やっぱりちょっと恥ずかしいかも。


   まこちゃんは、


   や、やっぱり、おかしいかな。
   親にちゃん付けで呼ばれてたなんて。


   ううん、おかしくなんてない。


   ……。


   本当よ。


   ……ん、ありがと。


   ……。


   あたしは、憶えていないんだけどね。


   ……うん。


   年少さんの頃にさ、名前のことで、からかわれてたことがあったらしいんだ。
   まことなんて男の名前だ、女のくせに変だ、何がまこちゃんだ気持ち悪いって。


   女性でも、まことという名前のひとはいるわ。


   そうなんだけど、小さい子には分からないから。


   ……それで、どうしたの?


   うん……ある日突然、からかってた奴を無言でぶん殴って、泣かしたらしい。


   ……。


   あたし、小さい頃から力が強くてさ……ほっぺたを殴ったらしいんだけど、腫れあがっちゃって。


   ……ずっと、我慢していたのね。


   言葉で返せれば、良かったんだけどね……言葉にするのが、上手じゃなかったから。


   ……恐らく、言葉で返しても止めなかったと思うわ。


   亜美ちゃん……?


   それから、からかわれなくなった?


   うん、なったかな。
   それどころか、しばらくの間、怖い子っていう扱いになっちゃって。


   ……まこちゃんは、自分の名前が大好きだったんだと思う。


   ……。


   だから……我慢が出来なくなったんだと思うの。


   ……あたし、大好きだったんだ。


   ……。


   自分の名前も……お父さんとお母さんに、まこちゃんって呼ばれるのも。


   ……まこちゃんは、本当に愛されていたのね。


   ……。


   ううん……今でもきっと、とても愛されてる。


   ……亜美ちゃん。


   ……。


   ありがとね……亜美ちゃん。


   ……ね、今も好き?


   自分の名前?


   ……ん。


   うん……好きだよ。


   ……。


   今も、みんなが……亜美ちゃんが呼んでくれるこの名前が、大好きだ。
   だから、この名前をあたしにくれたお父さんとお母さんには、すごく感謝してる……。


   ……。


   それにしても。


   ……?


   亜美ちゃん、ほかほかするね。


   ……ほかほか?


   そ、ほかほか。


   ……あつい?


   ううん、熱くはないよ。


   ……。


   お風呂上がりのほかほかって、いいよなぁって。
   さっきから、ずっと思ってた。


   ……そうなの?


   あったかくて、いいにおいがしてさ。
   なんだったら、振り返ってぎゅうってしたいなって。


   ……まこちゃんも、ほかほかする?


   お風呂に入ればね。


   ……今も、温かいわ。


   ふふ……今の亜美ちゃん、なんだかなつこくてかわいいな。


   ……。


   離れなくてもいいよ、そのままで。


   ……大根。


   え。


   ……その白いの。


   そう、大根。
   大根はね、消化を助けてくれるんだよ。


   ……ふぅん。


   亜美ちゃん、もしかして眠たくなってきた?


   ……眠たくなんて、ないわ。


   なら……甘えた?


   ……あまえた?


   そう、甘えた。


   ……邪魔なら、


   邪魔ではないけど、包丁を使ってたら危なかったかな。


   ……離れる。


   ううん、そのままでいて。


   ……でも、火を使ってるわ。


   だから、押さないでね?


   ……おさない。


   なら、いいよ。


   ……スープを作っているの?


   うーん、見られちゃったなら仕方ない。


   ……見てはだめだった?


   だめじゃないよ、見ててと言ったのはあたしだしね。


   ……。


   これはね、大根と鶏のささ身の春雨スープ。


   ……いいにおいがするわ。


   美味しそう?


   ……ん。


   折角だから、味見をしてもらおうかな。


   ……たまご。


   ん?


   ……このたまごは、どうするの。


   ありゃ、そっちも見られちゃったか。
   なら、仕方ない。


   ……。


   そのたまごはね、サンドイッチに入れる具だよ。


   ……サンドイッチ?


   食パンってさ、実は消化がいいみたいなんだ。
   で、たまごも消化が良くて、特に半熟たまごがいいんだって。


   ……。


   だから、半熟気味のたまごでサンドイッチを作ろうと思ったんだ。
   まぁ、マーガリンは少々控え目にするつもりだけどね。


   ……サンドイッチ、食べてもいいの?


   病院の栄養士さんに聞いたから、大丈夫だよ。


   ……栄養士さんに?


   亜美ちゃんのお母さんに聞いたんだ、そしたら栄養士さんに確認してくれて。


   母に……いつ。


   ゆうべ、うちに電話がかかってきたんだ。


   ……え。


   今日のことを少し話して、それでごはんのことも聞いたんだ。
   そしたら今日、看護婦さんから亜美ちゃんのお母さんからのメモを渡されて。


   ……。


   それで、決めた。
   今日の夕ごはんは亜美ちゃんの好きなサンドイッチにしようって。


   ……母が。


   心配してたよ。


   ……どうしてまこちゃんの番号を、母が。


   あたしが教えたんだ。


   ……。


   亜美ちゃんが救急車で運ばれた日に。


   ……どうして、教えてくれなかったの。


   あたしは、言っても良かったんだけど……亜美ちゃんのお母さんが。


   ……意味が、分からない。


   ごめんね……勝手なことをして。


   ……。


   怒ってる……?


   ……怒って、ない。


   ……。


   ……母は、私のこと。


   心配してた、とても。


   ……そんな素振り、私には。


   ……。


   ……病室にだって。


   多分、上手じゃないんだと思う。


   ……上手じゃない?


   伝えるのが。


   そんなの。


   ……。


   ……そんなの私、知らない。


   亜美ちゃん……。


   ……全然、知らない。


   うん……そうだよね、言われなきゃ分からないよね。


   ……言葉に、したって。


   ……。


   ……わから、ない。


   ん……そうだね。


   ……。


   ……亜美ちゃんは、


   いわないで。


   ……。


   ……いわないで、おねがい。


   ん……分かった。


   ……。


   ね、亜美ちゃん……スープの味見、してくれないかな。


   ……味見なんか、しなくても。


   して欲しいんだ……お願い。


   ……。


   ……だめかな。


   ……する。


   ありがと……。


   ……。


   んー……離れちゃうと、すーすーするなぁ。


   ……離れないと、味見出来ないもの。


   そりゃ、そうだ……。


   ……。


   亜美ちゃん……はい、これ。


   ……お醤油?


   お醤油と塩、においづけにごま油が少々。


   ……。


   ……どうかな。


   ……。


   薄い?
   それとも、濃い?


   ……これで、いい。


   これで……?


   ……うん。


   ん……じゃあ、これで。


  20日





   ……ふぅ。


   大丈夫かい……?


   ん……大丈夫。


   くそぅ、なんでこんな時にエレベーター点検なんかしてるんだよ。
   お知らせなんて、なかったのに。


   緊急、だもの……仕方、ないわ。


   そうだけど、何もこんな時に。


   だめね……これくらいで、息が切れてしまうだなんて。


   少し休んでから行こう。
   あたしの部屋はもうすぐそこだから。


   ううん……行きましょう。


   でも。


   休むのなら……ここでは、なく。


   亜美ちゃん。


   まこちゃんのお部屋が、いいの……。


   ……でも。


   ね、まこちゃん……お願い。


   ……分かったよ、亜美ちゃん。


   はぁ……良かった。


   おんぶ……してあげたいけど。


   ……その、気持ちだけで。


   だよね……。


   ……。


   行ける?


   ん……少し、落ち着いたから。


   なんだったら、荷物を置いて戻ってきてもいいんだけどな……。


   ……まこちゃん?


   だって、心配なんだもん……。


   ふふ……ありがと?


   むぅ……。


   ……体力、一刻も早く戻さないと。


   だからって、無理はだめだよ。
   まずは、ちゃんと食べられるようにならないとね。


   ……今度、プールに行こうと思っているの。


   プールに?


   ……水の中なら。


   水の中、か……。


   まこちゃんも……その、来る?


   行きたい。
   だけど、部外者のあたしが入っても大丈夫なのかい?


   ん……大丈夫。


   なら、行く。


   ……一緒に泳ぎましょうね。


   うん、泳ごう。
   でも、最初から全力はだめだからね。


   ……分かってます。


   プールの帰りは、あたしの部屋においでよ。


   ……心配性。


   そーだよ、悪いかい?


   ……悪いなんて、言えないわ。


   さぁ、着いたよ。
   今、開けるからね。


   ……。


   鍵、鍵と……。


   ……荷物、


   ん、よし。
   さぁどうぞ、亜美ちゃん。


   ……。


   ん、どした?


   ……ううん、どうもしない。


   息、まだ苦しい?


   ……ううん、もう平気。


   もしかして……久しぶりで、緊張してるとか?


   ……そこまで、久しぶりではないから。


   なら、どうぞ。


   まこちゃんから、先に。


   ううん、亜美ちゃんから先に。


   ……。


   さぁさ、亜美ちゃん。
   入って、入って。


   うん……お邪魔します。


   みんなも、亜美ちゃんが来てくれるのをずっと待ってたんだよ。


   みんな?


   あたしの可愛い、緑達。


   ……。


   と、あたしの部屋。


   ……ふふ、そうなのね。


   亜美ちゃんが入院しちゃったんだって話したら、みんなしょんぼりしちゃってさ。
   だから、ただいまって声をかけてくれたら嬉しいな。


   ただいま?


   帰ってきたら、ただいま、だろ?


   ……。


   ここは亜美ちゃんの家ではないけど、それでも、言ってあげて欲しいんだ。
   そうすれば、みんな喜ぶと思うからさ。


   ……ん、分かった。


   ありがと。


   ……。


   亜美ちゃん、お勉強セットここに置いておくね。


   ん……ありがとう。


   ん。


   ……ね、まこちゃん。


   なんだい?


   ただいま。


   ……え?


   ただいま、まこちゃん。


   ……亜美ちゃん。


   まずは、まこちゃんに。


   ……。


   まこちゃんのお部屋で言うと、また意味合いが違うかしらって……そう、思ったのだけど。


   ……あぁ。


   ごめんなさい、やっぱりまこちゃんに言うのは変よね。
   聞かなかったことに


   しないよ。


   ……あ。


   しない……。


   ……まこ、ちゃん。


   お帰り、亜美ちゃん……本当に、お帰りなさい。


   ……うん、ただいま。


   亜美ちゃんが、入院している間……ずっと、寂しかった。


   ……。


   学校に、放課後に、亜美ちゃんがいない……それが、たまらなく。


   ……私も、寂しかった。


   だから、いつも会いに行ったんだ……お見舞いなんて、言って。


   ……だから、いつも待っていたの。


   ……。


   ……まこちゃんが、来てくれるのを。


   亜美ちゃん……もう、入院しないでよ。


   ……それは。


   こんな約束は、出来ないかもしれない……それは、分かってるんだ。


   ……それでも。


   ……。


   ……私ね、小さい頃に入院したことがあるの。


   小さい頃……?


   ……点滴もしたわ。


   それは、なんの病気で……。


   ……感染性胃腸炎で。


   かんせんせい……。


   ……ウィルスに、感染してしまったの。


   ウィルス……インフルエンザみたいな?
   確かインフルエンザも、ウィルスだったよね?


   そう、インフルエンザは気道感染症のひとつ。


   でも、どうして亜美ちゃんがその胃腸炎に?


   通っていた保育園で、流行していたみたいで。


   あぁ……そういうの、よくあるよね。
   学校だと、学級閉鎖とかになるやつ。


   保育園は、学級閉鎖のようなものがないみたいなの。
   あくまでも、登園の自粛をお願いするぐらい。


   そうなんだ……それじゃあ、もらってきちゃうかも。


   ……働いている親にしてみれば、預かってもらえないと困るから。


   え、なに?


   ……ううん。


   ね、胃腸炎ってことはさ、お腹が痛くなるのかい……?


   お腹が痛くなるよりも……嘔吐と、下痢。


   おうとと、げり……それはそれで、きついなぁ。


   嘔吐と下痢が続いて……食欲がなくなって、水分すらも摂れなくなってしまって。
   見かねた父がもう一度病院に連れて行った時、私は脱水症状になりかけていた。


   だ、脱水症状? ちっちゃい子が?
   た、大変じゃないか。


   そう……だから、入院することになったの。
   家では、どうにも出来ないから。


   お母さんは……亜美ちゃんのお母さんは、お医者さんだろ?
   分かっていたんじゃないの?


   ……そうね、症状は分かっていたと思う。


   なのに、どうして、そんなことになるまで……。


   母はずっと、仕事で……帰れない日が、たまたま続いていて。


   そんな……。


   ……だから、父がそばにいてくれたらしいのだけど。


   仕事って……お母さんは、そんな時でも休めないの?


   ……母は、病院の患者さんを診なければいけないから。


   いや、そういう問題じゃないだろ?
   自分の子供が入院するって時に、お母さんがそばにいないだなんて。


   ……私が入院した日は、手術の予定が入ってたの。


   手術……。


   だから、休めない……母が休んでしまったら、患者さんは必要な手術を受けられないかもしれない。


   だけどさ、亜美ちゃんのお母さんの他にもお医者さんはいるだろう?
   代わることは、出来ないものなの?


   ……優先順位。


   優先、順位……?


   ……私よりも患者さんの方が、母にとっては。


   そんなことって……!


   ……。


   亜美ちゃんは、家族だろ……家族を優先するのは、当たり前のことじゃないか。


   ……医者には当たり前のことではないの、少なくとも私の母にとっては。


   な……。


   ……命に関わっていたら、もしかしたら、母は私を優先したかもしれない。


   ……。


   でもね、まこちゃん……それで、いいのよ。


   ……あたしには、そうは思えない。


   母の手術を受けた患者さんはね、それから問題なく治療を終えて、退院することが出来たらしいの。
   私もちゃんと治って、退院出来た。だから、それで良かったの。


   ……亜美ちゃんは、心細くなかったの。


   ……。


   まだ小さいのに、病院で……そばに、お母さんがいなくて。


   ……父が一応、いてくれたから。


   ずっと……?


   ううん、ずっとではないわ……父にも、仕事があるから。


   ……お父さんは画家だったっけ。


   そう……日本画家。


   ……。


   父が帰って、ひとりになって……特に、夜の病院は心細くて。
   あの時に感じた心細さは、今でも憶えてる……。


   ……入院中、お母さんは来てくれたの。


   ええ……父が連れて行ってくれた病院は、母が勤めていた病院だったから。


   ……。


   ……点滴も、怖かったわ。


   亜美ちゃん……。


   今よりも細い腕に、刺さりっぱなしで……鈍い痛みが、ずっとそこにあって。


   そばに。


   ……ん。


   いて、あげたかった……。


   ……ねぇ、まこちゃん。


   なに……亜美ちゃん。


   ……まこちゃんは、元気な子供だった?


   あたしは……たまに熱は出してたみたいだけど、入院はしたことないよ。


   そう……良かった。


   ……けど、股関節脱臼になったことはある。


   え……?


   ……赤ちゃんの頃にね。


   ……。


   お母さんが毎日、お医者さんに連れて行ってくれたみたいなんだけど……全然、憶えてないんだ。


   ……場合によっては、入院が必要になるのに。


   あたしは、しなかったみたいだよ。


   後遺症は、残らなかったのよね……?


   うん、残ってないと思う。
   足を動かしても、なんでもないし。


   あぁ、良かった……。


   ……あたしは、それくらいかな。


   ううん……大変なことだわ。


   ……そっか。


   まこちゃんのお母さんは、お仕事は……。


   ……お母さんは、働いていなかったんだ。


   ……。


   結婚するまでは、働いていたみたいなんだけど……お父さんと結婚するのに、辞めたんだって。


   ……仕事を、辞めて。


   仕事よりお父さんを、お母さんは選んだ。


   ……。


   仕事を続けることも、考えたみたいなんだけど……共働きは、子供が可哀想だって。
   母親は子供のそばにいるべきだって、周りに言われたみたいで。


   ……そんなこと、どうして。


   おまけに会社も、お母さんは辞めるものだと思ってたみたいでさ。
   まだ、生まれてもいないのにね。


   ……本当は、どうだったの。


   今はもう、分からないけど……後悔は、してなかったんじゃないかな。
   お母さん、お父さんのこと、大好きだったし。


   ……。


   そうだと、いいな。


   ……どうして。


   ん?


   子供が可哀想って、言われるのかしら。
   子供は、そう思っていないかもしれないのに。


   ……亜美ちゃん。


   ごめんなさい……なんでもない。


   いや……分かるよ、それ。


   まこちゃんも……?


   ひとりっこで、可哀想。
   言われたこと、ない?


   ……あるわ。


   はは、やっぱりあるよね。


   ……あと、母親がそばにいなくて可哀想って。


   なんだろうね、あれ。


   ……。


   可哀想なんて、あたしは思ってないのに……周りが、勝手にそう決め付けてさ。


   ……母も、言われたそうよ。


   子供のそばにいてあげなくて、子供が可哀想って?


   ……母親として、それはどうなのかって。


   ごめん。


   ……え。


   あたしも、さっき。


   ……さっき?


   ……。


   あぁ……病気の場合は、仕方ないわ。
   小さな子供は、ひとりではどうしようも出来ない。
   どうしたって、保護者が必要になるんだもの。


   ……それでも、ごめん。


   ううん、いいの。
   謝らないで?


   ……。


   ……ねぇ、まこちゃん。


   なんだい……亜美ちゃん。


   そんな日は、来て欲しくないけど……。


   ……。


   もしも、まこちゃんが……入院、することになったら。


   ……来てくれる?


   ……。


   来てくれない……?


   ……そばにいたい、いてあげたい。


   ……。


   そばにいても、いい……?


   ……うん、いてほしいな。


   ……。


   亜美ちゃんが、そばにいてくれたら……とても心強いし、何よりも嬉しい。


   ……。


   だけど、亜美ちゃんがお医者さんになったら……あたしよりも、患者さんを


   私、なれないかもしれない。


   ……。


   患者さんよりも……まこちゃんを。


   仕事……ううん、患者さんを優先して。


   ……っ。


   でも、出来るなら……一度だけいい、お見舞いに来て欲しいな。


   ……まこちゃん。


   あたしは、それだけで……十分だよ。


   ……。


   あーぁ……。


   ……


   こうしてると、亜美ちゃんの匂いがする……。


   ……ごめんなさい。


   え、なんで?


   ……病院の臭いがすると思うから。


   病院のにおい……あ、そっか。


   ……もう、離した方が。


   離した方が、いい……?


   ……。


   あたし、何言ってるのかな……ごめんね。


   ……。


   じゃあ……離すよ。


   ……待って。


   うん……?


   ……ごめんなさい、もう少しだけ。


   いいよ……謝らないで。


   ……。


   ……。


   ……こうしていると、まこちゃんのにおいがするの。


   ごめん……くさいかな。


   ……私、好きよ。


   好き……?


   ……まこちゃんのにおい。


   ……。


   安心するの……。


   ……それ、すごく分かるよ。


   分かる……?


   あたしも、亜美ちゃんのにおいをかぐと……安心、するから。


   ……。


   ……お風呂、入る?


   うん……入りたい。


   ……ね、一緒に入ろうか。


   ……。


   なんてさ……冗談だよ。


   ……一緒に、


   もう、離した方がいいかな。


   ……あ、うん。


   分かった……。


   ……ありがとう。


   こちらこそ、ありがとう……急に、抱き締めちゃったのに。


   ……吃驚したわ。


   はは、そうだよね……。


   ……。


   あのさ……亜美ちゃんのお気に入りの座布団、いつも日当たりが良いところに置いておいたんだ。
   だから、ちょっとはふかふかだと思う。


   ……ありがとう、まこちゃん。


   ううん、喜んでくれたらいいなって……そう、思って。


   ……うれしい。


   亜美ちゃん……うん。


   ……。


   ……。


   ……ただいま、みんな。


   お帰りなさい、亜美ちゃん。
   来てくれるの、ずっと待ってたよ。


   ……。


   て、みんなが言ってる。


   ふふ……通訳、ありがとう。


   しなくても、聞こえたかな。


   なんとなく、だけど。


   そっか。


   ……。


   良かったね、みんな。
   亜美ちゃん、帰ってきたよ。


   ……やっぱり、きれいね。


   そうだろ?


   ……まこちゃんに、愛されているから。


   ん、んん。


   ……?


   あたし、亜美ちゃんのことも愛しているよ。


   ……は。


   だ、だから、亜美ちゃんも……。


   ……。


   ……あの、ごめん。


   ふふ……。


   ……おかしい、よね。


   私も、愛しているわ。


   ……あ。


   まこちゃんのこと……愛しているの。


   あ、亜美ちゃん……。


   ……みんなのことも。


   ……。


   ね、そうでしょう……?


   ……うん、そうだよ。


   うん……。


   ……お風呂の用意、まだ早いかな。


   ううん……出来れば、お夕飯の前に入りたい。


   分かった……なら、すぐに用意するよ。


   ……我侭を言って、ごめんなさい。


   まさか、我侭なんかじゃないよ。


   ……タオル、持ってこなかったけど。


   うちのを使って……ちゃんと、洗ってあるから。


   ……ありがとう、そうさせてもらうわ。


   ね……座布団、座ってみてよ。


   ……うん。


   ……。


   ……ふふ。


   どうかな……?


   ふかふかして……気持ちがいい。


   ……。


   なぁに……?


   ……亜美ちゃんが、いてくれて。


   ……。


   嬉しそうに、笑ってくれていて……すごく嬉しいなって。


   ……私も、まこちゃんと一緒にいられて嬉しい。


   ……。


   ……。


   うん……それじゃお風呂の用意をしてから、夕飯の支度をしようかな。


   ……私は。


   夕飯、楽しみにしていて?


   ……。


   今は……それだけで。


  19日





   ……まこちゃん、重たくない?


   平気だよ。


   ……。


   忘れ物は、ない?


   ……うん、ないわ。


   鍵は、大丈夫?


   ……ん、大丈夫。


   うん、それじゃ行こっか。


   ん。


   ね、あたしの部屋に行ったら、まず何がしたい?


   お勉強、かしら。


   あ、やっぱり?


   小テストの結果、見せてね?


   はい、水野先生。


   ふふ。


   はは。


   みんなは、明日来るのよね?


   うん、結局明日にしたよ。
   亜美ちゃんのことを考えたらその方がいいだろうって、レイちゃんが。


   と、まこちゃん?


   そ、あたし。


   うさぎちゃんと美奈子ちゃんは?
   すぐに納得してくれた?


   レイちゃんが、問答無用で納得させた。
   ふたりとも残念がってたけど、まぁ、日曜日に会えるならいいかなって。


   私もみんなに会いたいわ。


   うん。


   何度もお見舞いに来てもらっていたのに。


   そうは言ってもさ、病院で会うのとあたしの部屋で会うの、全然違うだろ?


   ……うん、違う。


   うさぎちゃんさ、亜美ちゃんの腕に点滴の針が刺さってるの、ずっと心配してたんだ。
   あんなのがずっと刺さりっ放しだなんて、あたしなら死んじゃう~ってさ。


   ふふ、うさぎちゃんらしい。


   で、レイちゃんが、あんたは少し、頭に点滴をしてもらった方がいいんじゃない。
   そうすれば、テストの点数もちょっとはマシになるからって。


   喧嘩?


   そう、いつものやつ。


   ふふ、目に浮かぶわ。


   そういや、美奈子ちゃんがさ。


   美奈子ちゃん?


   亜美ちゃん、よくこんなふたりと一緒にやってこられたわね、顔を合わせれば喧嘩ばかりで、私なら面倒になっちゃうって。


   ……。


   今まで、聞いたことなかったんだけど。
   あたしが来るまで、ずっと三人だったんだよね。


   ……ええ、そうよ。


   三人の時は、どうだったの?


   どうって……どうだったかしら。


   やだなぁ、亜美ちゃん。
   そんな昔のことじゃないだろ?


   うさぎちゃんとレイちゃんが喧嘩をして、私はそんなふたりを見ていたと思うわ。


   ……戦いの時は?


   三人で協力して、戦っていたわ。


   最初からうまく戦えてた?


   ううん、最初はうまく戦えていなかった。
   連携がどうしてもうまくいかなくてね、そのせいで危機的状況に陥ることもあったわ。
   だけど、そのたびにタキシード仮面様が助けてくれて。


   ……。


   まこちゃん?


   あたしさ。


   うん。


   三人の中に入れるか、少し心配だった時があるんだ。


   え、そうなの?


   うん、実はそうなの。


   でも、そんな素振り……。


   亜美ちゃんのおかげだよ。


   私?


   うさぎちゃんとレイちゃんが喧嘩をしていても、マイペースに参考書を開いてる。
   そんな亜美ちゃんの姿に、なんか、力が抜けちゃってさ。


   ……。


   だからあたしは、うさぎちゃんとレイちゃんが喧嘩をしている時は、亜美ちゃんの隣にいようって。そう、思ったんだ。
   で、隣にいるようにしたら、まるで最初から決められていたかのようにうまくはまってさ。
   ふたりが喧嘩をしてなくても、亜美ちゃんの隣にいることが多くなった。


   ……意識してのことだったの?


   うん?


   私の隣に、いたのは。


   うん、そうなんだ。
   亜美ちゃんの隣が一番、安心するから。


   ……安心。


   まぁ、ここ最近は無意識なんだけどね。


   ……。


   ん、亜美ちゃん?


   ……私も、まこちゃんが隣にいてくれると。


   安心、出来た……?


   ……。


   ん、良かった……。


   ……三人の頃は、それはそれで、まとまっていたと思うの。


   うん、見てて思ったよ。
   だから、中に入れるかどうか不安だったんだ。


   でもまこちゃんが来てくれて、四人になって……私、酷く安心したの。
   やっと、私にも……相手が、来てくれたんだって。


   相手?


   うさぎちゃんにとってのレイちゃんのような、そして、レイちゃんにとってのうさぎちゃんのような……そんなひと。


   ……そうだったんだ。


   ごめんなさい……まこちゃんは、違うわよね。


   いや、違わないよ。
   言ったろ、亜美ちゃんの隣が一番安心するって。


   ……。


   相手……そうか、亜美ちゃんがあたしの相手だったんだ。


   ……まこちゃんにとっての私は。


   大切な友達……そして、大事な相手だ。


   ……うさぎちゃんとレイちゃん、ふたりのように。


   口喧嘩は、しないけど。


   ……。


   それとも、してみたい?


   ……ううん、出来ればしたくない。


   でも、する時はするかもしれない。


   ……そうなのかしら。


   けど、あのふたりほどじゃない。


   ……。


   と、思ってる。


   ……今、思ったのだけど。


   なに?


   いつも口喧嘩をしていて、疲れないのかしら。


   え、今?


   ずっと大きな声で言い合っているし……私だったら、疲れてしまう気がするわ。


   亜美ちゃん、すごいね……。


   え、何が?


   今、それを思うだなんて……ふたりが口喧嘩をしていても、本当にあまり気にしてなかったんだね。


   最初は心配していたと思うのだけど、気がつけば仲直りしているし……慣れてしまったのかもしれないわ。


   心配はしてたけど、疲れてしまいそうとは思わなかったんだよね?


   ええ、思わなかったわ。


   うん……やっぱり、すごい。


   人間って、慣れる生き物だから。


   それは、そうかもしれないけど……亜美ちゃんの場合、ちょっと違うような。


   まこちゃんはどうなの?


   あたし?


   疲れないのかなって、思ったことある?


   ……。


   ない?


   ……何回目かの口喧嘩が始まったところで、思ったかな。


   ……。


   よくやるなぁ、疲れないのかなぁ、あたしだったら疲れちゃうなぁって。


   ……わりと、すぐ?


   うん……わりと、すぐ。


   ……そう。


   あのふたりには、亜美ちゃんで良かったのかも。


   ……私で?


   バランスが取れていたんだと思う。


   ……まこちゃんでも。


   あたしは亜美ちゃんにはなれない。


   ……私に?


   あたしは、水ではないから。


   ……流されやすいと言うこと?


   うーん、違うかな。


   ……。


   あたしさ、亜美ちゃんのマイペースなところ、好きだよ。


   ……つまり、どういうこと?


   つまり、そういうこと。


   ……よく分からないわ。


   亜美ちゃんでも分からないことって、あるんだね?


   ないわけ、ないでしょう……だから、お勉強するんだもの。


   はは、そっか。


   もう、まこちゃん?


   とにかく、亜美ちゃんがいてくれて良かった。


   はぐらかそうとしていない?


   してる。


   まこちゃん。


   ところで亜美ちゃん、疲れてない?


   疲れてない。


   うん、それは良かった。
   あたしの部屋まで、もう少しかかるから。


   ……もぉ。


   疲れたら、言ってね。


   ……心配、しないで。


   心配、するよ?
   あたしは、亜美ちゃんの相手だからね。


   からかって。


   あたしは、本気だよ。


   ……そうは思えない。


   うん……。


   ……なに。


   やっぱり、いいなって。


   ……何が。


   亜美ちゃんの隣。


   ……。


   木には、水が必要だからさ。


   ……あぁ、そう。


   拗ねてる?


   拗ねてません。


   そっか、良かった。


   ……もぅ、まこちゃんは。


   ふふふ。


   ……。


   ……?


   ……。


   ……亜美ちゃん、怒った?


   別に……怒ってないわ。


   ……急に、黙ったから。


   ……。


   ……ごめん。


   違うの。


   ……。


   ……。


   ……。


   ……ねぇ、まこちゃん。


   ……なんだい。


   これから、まこちゃんに話すこと。


   ……うん。


   うさぎちゃんには、言わないで欲しいの。


   うさぎちゃんに?


   ……。


   うん、分かった……言わないよ。


   ……ごめんね。


   どうして……?


   ……こんなお願いをしてしまって。


   ……。


   ……。


   ……亜美ちゃんも、黙ってくれてる。


   え……?


   ……あたしが、施設出身だということ。


   ……。


   だから……あたしは、誰にも言わないよ。


   ……まこちゃん。


   うさぎちゃんだけでなく、みんなにも言わない。
   これはさ、あたしが勝手に決めたことだから。
   だから、亜美ちゃんは気にしないでいいからね。


   ……どうして。


   その方がいいと、思ったから。


   ……。


   それで……なんだい?


   ……。


   ……もしかして、浦和君のこと?


   ……。


   ……。


   ……うさぎちゃんが。


   ……。


   私の知らないところで……私の写真を、良君にあげたことがあったの。


   ……出会った時だね。


   良君は、受け取って……私の写真を、持ち歩いて。


   ……。


   うさぎちゃんはきっと、いいことをしたのだと思う……だけど、私は。


   ……亜美ちゃんは、本当は嫌だった。


   ……。


   自分の知らないところで、自分の写真がやりとりされていたことが。


   ……たまらなく、いやだったの。


   そういうのってさ、悪気なんて全くないんだよ。


   ……。


   ただ、片想いの応援がしたいと言うかさ……うさぎちゃんも多分、そんな気持ちだったと思うんだ。


   ……私に一言、確認してくれても。


   言ったら、浦和君が亜美ちゃんのこと好きだって、亜美ちゃんにばれちゃうかもしれない。


   ……そうかも、しれないけど。


   告白は、あくまでも、自分でしなきゃ。


   ……だとしても。


   ね、もしも確認されてたら……亜美ちゃんはいいよって、言えた?


   ……。


   写真をあげてもいいって、言えた?


   ……分からない。


   分からない?


   だって……良君のこと、あまり知らなかったから。


   ……だからだよ。


   ……。


   だから……隠れて、渡しちゃうんだよ。


   ……そんなの。


   あたしさ……うさぎちゃんの気持ち、分かるんだ。
   応援してあげたいって、気持ち。


   写真は……?
   それで、写真を渡すの……?


   ……場合によっては。


   まこちゃんも、そうなの……。


   ……好きなひとの写真が、欲しい。


   ね……それって、普通のことなの?


   普通かどうかは、分からないけど……あたしも、先輩の写真が欲しいと思ったよ。
   だから欲しいと思うひとの気持ちは……痛いほど、分かる。


   まこちゃんは、先輩の写真を持っていたの?


   いや、学年が違うとね……お願い出来るひとも、あたしにはいなかったし。
   だからいつも、遠くから見ていたよ。目に焼き付けるようにね。


   ……。


   目を閉じれば、先輩の顔が浮かぶ……いつだって先輩は、あたしの瞼の裏にいたんだ。


   ……もしも先輩の写真を、誰かがくれると言ったら。


   うん……もらってたと思う。


   ……もしも、まこちゃんの知らないところで。


   ……。


   誰かがまこちゃんの写真を、無断で誰かに渡していたら……まこちゃんは、どう思う?


   ……もらったひとが、あたしのことが好きなら。


   うれしい……?


   ……そう、思うかもしれない。


   そのひとのこと、好きになる……?


   好きになってくれたら……好きになってしまうかもしれない。


   ……。


   好きになるのは……いつだって、あたしが先だから。


   ……そのひとが、まこちゃんの好みでなくても?


   それは……うーん、どうだろう。
   でも、好かれたことは嬉しいと思うよ。


   ……私は。


   ……。


   好きになってくれたひとを、好きになるよりも……好きになったひとに、好かれたいと思う。


   ……亜美ちゃん。


   だから、私は……良君のことはこれからもきっと、好きにならない。


   ……。


   私には……彼では、ないの。


   ……そっか。


   ……。


   写真のことは、難しいと思う。
   うさぎちゃんじゃなくても、渡すひとはいるかもしれないから。


   ……。


   だけど、亜美ちゃんが心から嫌だと思っているのなら、ちゃんと言った方がいいと思う。


   言うって……誰に。


   うぎさちゃんに。


   ……でも、今更。


   そんなの関係ないよ。


   ……もしも、言ったら。


   うさぎちゃんはそんなことで亜美ちゃんを嫌いになんてならないさ。
   うさぎちゃんは、そんな子じゃない。


   ……。


   ひとりで言うのが怖いのなら、あたしがそばにいるよ。
   大丈夫、亜美ちゃんの気持ちはちゃんとうさぎちゃんに伝わる。
   亜美ちゃんだって知ってるだろ?


   ……。


   うさぎちゃんは、誰よりも友達思いの子だって。


   ……ッ。


   だから……大丈夫だよ、亜美ちゃん。
   ちゃんと気持ちを伝えれば、大丈夫……。


   ……。


   亜美ちゃんは、うさぎちゃんのことが大好きなんだと思うんだ。
   だからこそ、嫌なことは嫌だってちゃんと言わないと……大好きだからこそ、言わなきゃ。


   ……まこちゃん。


   言葉にしなきゃ、伝わらない……ずっと、伝わらないから。


   ……。


   ……。


   ……ありがとう、まこちゃん。


   ん……。


   ……私、うさぎちゃんに言うわ。


   そっか……じゃあ。


   ……ひとりで、大丈夫。


   ……。


   うさぎちゃんなら……大丈夫だから。


   ……うん。


   ……。


   ……。


   ……良君にも、言うわ。


   浦和君にも……?


   ……私は、恋人にはなれない。


   ……。


   そう、伝えたら……良君とはもう、お友達ではいられないのかしら。


   ……それは、浦和君次第だと思う。


   良君次第……。


   亜美ちゃんは浦和君とこれからも友達でいたいと……そう思ってるんだよね。


   ……出来るなら。


   浦和君も同じように思ってくれるなら、もしかしたら。


   ……。


   でもね、亜美ちゃん。
   想いってさ、なかなかしぶといものだったりするんだよ。


   ……。


   浦和君が亜美ちゃんのこと、いつまでもたっても諦めきれない……そういうことだって、ありえるんだ。


   ……でも私は、応えられない。


   だけどずっと友達でいたら、浦和君は亜美ちゃんに期待し続けるかもしれない。
   もしかしたら、恋人に……深い仲に、なれるかもしれないって。


   ……もしも、そうなったら。


   亜美ちゃんに、その気がないのなら。


   ……恋愛って、なに。


   ……。


   友達よりも恋愛の方が、上なの。


   ……そういう時も、あるよ。


   ……。


   そういう風に、なってしまうことも……あるんだよ。


   ……。


   亜美ちゃんが誰かに好かれることは、これからもあると思うんだ。
   でも、亜美ちゃんが望まないのなら……応えなくていい、断っていい。
   無理に恋人同士になんて、ならなくていいんだ。


   ……恋をしてしまったら、友達にはもう、戻れないの。


   それは……戻れない時も、あるかもしれない。


   ……恋なんて、したくない。


   亜美ちゃん……。


   ……。


   ……。


   ……ごめんなさい。


   ん……いいよ。


   ……。


   ね、亜美ちゃん。
   あたしの部屋に着いたら……やっぱり、お勉強?


   ……そのつもり、だったけど。


   けど……なに。


   ……少し、お休みしたい。


   ん……なら、一緒にお休みしようか。


  18日





   ん、これでおしまい。


   終わった?


   うん、終わったわ。


   そっか。
   洗濯、無事に終わって良かったね。


   待たせてしまって……ううん、待っていてくれてありがとう。


   あたしこそ、美味しい紅茶を二杯もありがとう。
   本当に美味しかったよ。


   ん。


   それじゃ、あたしの部屋に行こっか。


   うん。


   何か持っていくの、あるかい?


   着替えと……教科書とノート、筆記用具、それから参考書かしら。


   うーん、重たそうだなぁ。


   大丈夫、慣れて


   あたしが持つよ。


   ううん、自分で


   退院したばかりの亜美ちゃんに、お勉強セットは少し重たいと思うんだ。
   たまっていた洗濯もして、疲れたと思うしさ。


   でも、まこちゃんにはお買い物したものがあるでしょう?


   ヨーグルトは食べちゃったし、残っているのはバナナ二本と黒みつほんの少しだから、問題ない。


   ……ここまで、荷物を持ってくれたし。


   持ったと言っても、あれぐらい大したことないよ。
   ここまで、タクシーで来たしさ。


   ……。


   んー……なら、試しに持ってみるかい?


   ……試しに?


   持ってみてさ、大丈夫そうだったらあたしは持たない。
   どうだい?


   ……。


   それじゃ、いやかな。


   ……持てなかったら、減らすわ。


   減らしていいの?


   ……持って行っても、そんなに出来ないかもしれないし。


   ……。


   参考書は


   ねぇ、亜美ちゃん。
   やっぱり、あたしが持つよ。


   ……でも。


   あたしに任せて、ね?


   ……私、まこちゃんに何もお返し出来ない。


   お返し?
   そんなの、


   ……してもらってばかりでは、だめなの。


   分かった。
   なら、してもらおうかな。


   ……え?


   お勉強、優しく教えて?
   出来れば、分かるまで。


   ……。


   はい、これでおあいこ。


   ……まこちゃん。


   言っておくけど、あたしが分かるまでだからね?
   大変だよ?


   ……それで、お返しになるの?


   なるなる、すっごくなる。


   ……本当に。


   来年は受験だし、今から亜美ちゃんとお勉強しておかないとあたし、高校に行けなくなっちゃうかも。


   それは、だめ。


   そう、だめなんだよ。
   お店を持ちたいなら、高校くらいは行かないとね。


   その先もよ。


   その先?


   大学や専門学校、その先も行かないと。


   高校の先は……あたしの場合だと、専門学校かな。
   ケーキ屋さんになりたいんだったら、より専門的なことを学ばないと。


   それから、資格も持っていた方がいいと思う。


   資格?


   自分のお店を持つのなら、ケーキ屋さんで実務経験を積んでからの方がいいらしいの。


   じつむけいけん……いきなりは、持てない?


   持てなくもないけど、実務経験なしで始めてもしも閉店に追い込まれてしまったら、嫌でしょう?


   う……それは、やだな。


   お店を続けたいのなら、続ける為に利益を出さないと。
   この国は、資本主義経済なのだから。


   う、うん、そうだね……しほんしゅぎ、なんとかだもんね。


   資本主義経済。


   あ、はい……。


   就職するのに製菓衛生師や菓子製造技能士の資格を持っていた方が有利みたいだから、その為のお勉強もしないと。


   あのさ、亜美ちゃん……。


   なに?


   良く、知ってるね……?


   調べたから。


   え、調べたの?


   まこちゃんが将来、ケーキ屋さんになる為に何が必要なのか気になったから。


   ……。


   今度、お花屋さんについても調べてみようと思ってて……?


   ……わざわざ。


   あ。


   あたしの為に、調べてくれたの?


   ……ごめんなさい、勝手に。


   あたしの為じゃ、ない?


   ……。


   違うの?


   その……少しでも、まこちゃんの役に立ちたいと思って、だから。


   あたしの……。


   ごめんなさい……余計なお世話、よね。
   もう、言わないから


   余計なお世話なんかじゃない、もっと教えてよ。


   ……まこ、ちゃん?


   あたし、ただなりたいってだけで、なる為にはどうすればいいかなんて調べたこと、ううん考えたこともなかった。
   だから……あたしの為に、調べてくれてありがとう。


   ……。


   何を勉強したらいいか、今から知っておいた方がいいと思うんだ。


   まこちゃん……。


   だからね、教えて。


   ……私も、詳しく知っているわけではないの。


   じゃあ知っていることを、教えて。
   亜美ちゃんしか、いないんだ。


   ……私しか。


   あたしの為に、そこまで調べてくれるひとなんて。
   亜美ちゃんは自分のお勉強、敵の分析だってしなきゃいけないのに。


   ……。


   教えて、亜美ちゃん。
   亜美ちゃんが知っていることを知りたいんだ。


   ……まこちゃん。


   お願いだ、亜美ちゃん。


   ……私で、


   言ったろ、亜美ちゃんしかいないって。


   ……。


   教えて、くれるかい……?


   ……う、ん。


   ありがとう、亜美ちゃん。


   ……。


   夢を叶える為には、勉強しないと……だけど、今のあたしでは、ひとりで立ち向かうのはかなり厳しいと思う。
   分からないことばかりで心が挫けたり、なんだったら逃げたりしちゃうかもしれない。


   ……まこちゃんは、逃げたりなんか。


   ひとりより、ふたりがいい。


   ……あ。


   もちろん、亜美ちゃんは自分のことを優先してね。


   ……ひとりより、ふたり。


   ほら、亜美ちゃんが何もお返し出来ないなんてこと、ないだろ?
   むしろ、あたしがお返し出来ないよ。


   ……。


   亜美ちゃん……?


   ……私がしてきたこと、まこちゃんの役に立つ?


   役に立つどころじゃないよ、亜美ちゃんがいないとだめなんだから。


   ……お勉強。


   すぐに出来るようにはならないと思うけど、がんばるよ。
   亜美ちゃんがいてくれるなら、あたし、がんばれる。


   ……。


   あたしも、亜美ちゃんに出来ることはしたい。
   してもらってばかりじゃ、だめだからさ。
   ね、そうだろ?


   まこちゃん……うん。


   と言うわけで……今は、あたしのこと頼ってくれる?


   ……。


   参考書、持って行きたいのはなんだい?


   ……数学。


   数学と、あとは?


   ううん……数学だけ。


   数学だけで、いい?


   ……うん。


   ん、分かった。


   ……用意してくる。


   ね、あたしも一緒に行っていい?


   ……いいけど。


   いやなら、行かない。


   ……散らかっているけど、いい?


   あたしは、いいけど……亜美ちゃんが、見られたくないなら。


   ……。


   うん、ここで


   来て。


   いいの?


   ん。


   やった。
   亜美ちゃんの部屋、久しぶりだ。


   あの……驚かないでね?


   驚くくらいに散らかっていたら、片付けちゃうかも。


   ……やっぱり、


   はは、なんてさ。
   今日はしないよ。


   ……今日は?


   そう、今日は。
   それに、言うほど散らかってないだろうし。


   ……本が、ベッドに。


   今夜、亜美ちゃんが寝るのはあたしの部屋だから。
   たとえ本が山になっていたとしても、見なかったことにするよ。


   ……。


   とにかく、勝手に片付けたりはしないから。
   まぁ、頼まれたらするけどね。


   ……頼むなんて、そんなこと。


   別にいいんだけどなぁ。
   あたし、亜美ちゃんの部屋の掃除もしてみたいって思ってるし。


   ……っ、まこちゃんっ。


   ごめんごめん、冗談だよ。


   ……まこちゃんがお掃除したいのは、好きなひとのお部屋であって。


   亜美ちゃんのこと、好きだよ。


   ……え。


   だからごめん、本当は冗談じゃないんだ。


   ……。


   たとえ、恋愛の好きじゃなくても……したいと、思ったんだ。


   ……。


   ご、ごめん、気持ち悪いよね?


   ……ううん、嬉しい。


   ……。


   ……私もまこちゃんのこと、好きだから。


   ……!


   恋愛の、好きではなくても……私は、まこちゃんが好き。


   亜美ちゃん……。


   ……だけど、今は気持ちだけで。


   うん……分かった。


   ……。


   ……なんか、さ。


   なに……。


   ……恥ずかしい、ね?


   ふふ……そうね。


   ……。


   ……行きましょう。


   うん……。


   ……。


   ……。


   ……どうぞ、入って。


   ん……お邪魔します。


   ……すぐに、用意してしまうから。


   ゆっくりで、いいよ……忘れ物、しないようにさ。


   ふふ……うん。


   ……。


   ……あ。


   うん……?


   ……。


   亜美ちゃん、どうしたんだい?


   ……留守電に。


   留守電?
   あ、そっか、亜美ちゃんの部屋にも電話があるんだっけ。


   ……何件か、入っているみたい。


   そうなんだ。


   ……。


   聞かなくていいのかい?


   ……母にだと、思うし。


   亜美ちゃんにもかかっているかもしれないよ。
   確認した方がいいんじゃない?


   ……。


   亜美ちゃん?


   ……少し、いい?


   うん、もちろん。


   ……。


   ……コードレスか、便利だなぁ。


   ……。


   ベッドの上……そこそこ、積んであるかな。


   ……あの、良かったらベッドに。


   うん、ありがと。


   ……。


   ……ふぅ。


   ……。


   ……誰から、だろ。


   ……。


   何件かって、言ってたから……。


   ……待たせてしまって、ごめんなさい。


   へ。


   ……。


   もういいのかい?
   思ってたよりも、早かったけど。


   ……うん、いいの。


   亜美ちゃんへのメッセージはあったのかい?


   ……。


   えと……かけ直さなくても、いいの?


   ええ……急ぎの用ではなかったから。


   あたしのことは、気にしないでよ。
   聞かれるのがいやだったら、部屋の外に出てるからさ。


   ううん、いいの。


   本当に?


   ……ええ、本当にいいの。


   そっか……まぁ、亜美ちゃんがいいって言うのなら。


   ……。


   亜美ちゃん……?


   ……良君から、なの。


   は……?


   ……。


   浦和君?


   ……三件ほど。


   亜美ちゃん、浦和君と電話もしてたの?


   ……向こうから、かかってくるの。


   亜美ちゃんから、かけることは。


   ……あまり、ないわ。


   でも、してるんだ……。


   ……。


   ね……浦和君、亜美ちゃんと話したいんじゃ。


   ……。


   繋がらなくて、心配してるとかさ……?


   ……そうみたい。


   そうみたいって。


   だけど……今は、話したくない。


   ……。


   ……話すことが、ないの。


   亜美ちゃんになくても、浦和君には


   それって、良君の話だけでも聞いた方がいいということよね。


   ……え。


   私は良君に話すことなんてない。
   だから、返す言葉だってきっと出てこないわ。
   それでも、聞かなければだめなの? 私は、聞くべきなの?


   ……。


   今は……どうしても、聞きたくないの。


   亜美ちゃん……あたしが、邪魔なら。


   邪魔なんかじゃないっ。


   ……っ。


   あ……。


   ……。


   ごめんなさい、まこちゃん……大きな声を、出して。


   ううん……大丈夫だよ。


   ……。


   亜美ちゃん。


   ……折角、電話をしてきてくれて、心配も、してくれているのに。


   ……。


   それなのに私、かけ直したくないなんて。
   話したくない、なんて……最低、よね。


   ……今は。


   ぅ……。


   亜美ちゃんが、かけたくないのなら……話したくないのなら、無理はしなくていいと思う。


   ……。


   ごめんね……亜美ちゃんにだって、気持ちがあるのに。


   ……私こそごめんなさい、感情的になってしまって。


   ううん……いいんだ。


   ……。


   ……。


   ……早く。


   ……。


   ……まこちゃんのお部屋に、行きたい。


   亜美ちゃん……うん、用意が終わったらすぐに行こう。


   ……。


   ……早く、連れて行きたい。


  17日





   食器、もう洗ってしまったの?


   お帰り、亜美ちゃん。
   ん、もう洗ったよ。


   そう……。


   先に洗ったのと一緒にしちゃったんだけど、大丈夫かな。


   ええ、大丈夫よ……ありがとう。


   乾燥、どれくらいかかりそう?


   とりあえず、設定時間は30分にしたんだけど……。


   はぁ、30分くらいで乾くんだ。
   便利だなぁ。


   ……もしかしたら、もう少しかかってしまうかもしれない。


   ああ、構わないよ。
   洗濯は、やり始めたら、最後まできちんとやらないとね。


   まこちゃんのお部屋に行くのが、どんどん遅くなってしまって。


   いいっていいって。
   明日は日曜日でお休みなんだしさ、ゆっくりいこ。


   ……。


   乾燥器ってさ、寒い冬とか、雨の日とかでもちゃんと乾くんだよね?


   ……ええ、乾くわ。


   はぁ、やっぱりいいなぁ。洗濯物が乾かないと、部屋にたまっちゃってさ。
   学校に行っている間に出しておければいいんだけど、下着泥棒が出やがったからさ、出しておけなくなっちゃったんだよね。
   うちは二階だけど、分からないから。


   まこちゃん、怒っていたわよね。


   犯人、まだ捕まってないんだ。
   見つけたら、と言うか、下着泥棒はみんな雑巾にしてやりたい。


   雑巾にしてしまう前に、警察に通報してね?


   通報している間に逃げられちゃったらいやだから、雑巾にしてから通報するんだ。


   あの、暴力は駄目よ?


   分かってる、ちょっと逃げられないようにするだけだよ。


   ちょっと……ね。


   便利だなぁ、乾燥器。
   うちにもあればなぁ。


   ……乾いた服をたたんでくれる機械があれば、もっといいのだけど。


   はは、いいねぇ。
   そしたら、すっごく楽だ。


   ……贅沢よね、私。


   え、いいじゃないか。
   乾燥器の次は洗濯たたみ機、揃えば、洗濯がとても楽になる。
   楽になれば亜美ちゃんはお勉強に集中出来る、そうだろ?


   ……。


   欲しいと思うことは、別に贅沢なことではないと思うよ。
   うさぎちゃんや美奈子ちゃんだって、あれが欲しいこれが欲しいっていつも言ってるだろ?


   ……うん、言ってる。


   だから、亜美ちゃんだって欲しいと思ってもいいんだよ。


   ……。


   それより亜美ちゃん、そんなところに立ってないで座って座って。
   乾燥器が止まるまで、お休みしよ。


   ……うん。


   改めてお帰り、亜美ちゃん。


   えと……ただいま、まこちゃん。


   ふふ。


   ……。


   ん、亜美ちゃん?


   ……お帰りって言われたの、久しぶりで。


   ……。


   そう言えば私、ただいまってまだ言ってなかった。
   学校や塾から帰ってきたら言うようにしているのに、入院から戻ってきて言うのを忘れるなんて。


   いつも、言っているのかい?


   え?


   ただいまって、帰ってきたら。


   ……ん、一応ね。


   そうなんだ。


   帰ってきて何も言わないのも……どうかと思って。


   ……。


   あの……おかしい?


   え、なんで?


   誰も、いないのに……ただいま、なんて。


   おかしくなんてないさ。
   誰もいなくたって、亜美ちゃんを迎えてくれるおうちがあるだろ?


   ……おうち?


   そ、おうち。
   おうちはひとの言葉を話せないけど、でも、ちゃんと言ってくれているんだよ。
   お帰りって、亜美ちゃんにさ。


   ……そういう考え方もあるのね。


   たまにさ、挨拶しても返さないヤツっていない?


   ……?
   うん、いるけど。


   そういう時はね、お日様に言ったと思えばいいんだってさ。


   お日様に?


   そう、お日様に。
   挨拶を返されなくて、それでもし腹が立ちそうなら、お日様に言ったと思えば腹が立たないって。
   お日様もひとの言葉を話せないけど、ちゃんと、返してくれてるんだよ。


   ……。


   だから、おうちに言ったっていいんだ。


   ……まこちゃんも、言っているの?


   あたしも言ってるよ、緑と部屋とお父さんとお母さんに。


   ……ご両親に?


   まぁ、お父さんとお母さんは写真なんだけどね。


   ……。


   お帰りって、言ってくれているような気がして。
   だからさ、帰ってきたら、必ず言うんだ。


   ……挨拶、教室の中だったら。


   教室の中でも、曇っていても、雨が降っていても。
   見えないだけで、空には必ずお日様はいるだろ?
   なんだったら、教室に言ったんだって思ってもいいし。


   ……お日様が沈んだ後は?


   そしたら、月か星。
   天気が悪くて見えなくても、必ずそこにいる。


   ……月と星なら、日が明るい時でも。


   なら、お日様じゃなくて、月か星でもいい。
   亜美ちゃんが好きな星に、挨拶したと思えばいいんだ。


   ……私が好きな星。


   季節によっては、木星もいるよ。


   ……木星。


   木星に言えば、あたしに言ったことになるかも?


   まこちゃんに?


   ほら、あたしの守護星って木星だろ?
   木星を守護に持つ、セーラージュピターってね。


   ふふ……何よ、それ。


   あれ。


   でも、そうかも。


   だろ?


   木星が見える季節になったら、木星にも挨拶をするようにするわ。
   夜だったら、ただいまって。


   うん、してして。
   してくれたら、夜なら、お帰りって言うからさ。


   木星が?


   木星を通して、あたしが。


   私が挨拶したの、どうして分かるの?
   まこちゃんには、聞こえない筈なのに。


   いざとなったら、言葉を木星に預けておくんだ。
   お帰り、亜美ちゃん。今日もお疲れ様ってね。


   ……。


   そうすれば、タイミングが合わなくても、あたしの声が聞こえるような気がするだろ?


   ……留守番電話みたいなものかしら。


   はは、そうかも。


   ……じゃあ、私も木星に預けるわ。


   亜美ちゃんも?


   うん……お帰りなさい、まこちゃんって。


   ……。


   お休みなさいでも、いいかも。


   ……あぁ。


   あ、でも、まこちゃんにはご両親の


   言って、木星に預けて。


   ……。


   木星がいないなら、水星に。


   水星は、


   見えないけど、ちゃんといるだろ?


   ……いるけど、季節が。


   いいんだ、季節なんて。


   ……。


   水星がだめなら太陽でも、月でも星でもいいよ……亜美ちゃんの言葉を、預けて欲しい。


   まこちゃん……。


   ……そうすれば、嬉しい気持ちになれると思うから。


   分かった……必ず、預けるわ。


   ……。


   だから……まこちゃんも、預けてね。


   うん……必ず、預けるよ。


   ……約束。


   ん……約束。


   ……。


   ……ふふ。


   なぁに?


   ……亜美ちゃんとの約束が増えて、嬉しい。


   ……。


   ね……子供っぽいかな。


   ……私達はまだ、子供だから。


   ……。


   でも……大人でも、いいと思う。


   ……うん。


   ねぇ、まこちゃん。


   ……なぁに?


   まこちゃんって、ロマンティストなのね。


   え、そう……?


   ええ……とても素敵だと思う。


   素敵……あたしが?


   ……そう、まこちゃんが。


   あ、えと……ありがと。


   ……もしかして、照れてるの?


   わ、悪いかい?
   あ、あたしだって、照れることくらいあるよ。


   ふふ……ううん、悪くないわ。


   う……。


   ……照れてるまこちゃん、可愛い。


   亜美ちゃん……。


   ……思ったことを、素直に言っただけ。


   ……っ。


   ふふ……。


   あぁ、もう……参ったな。


   ……。


   ん……亜美ちゃん?


   ……ごめんなさい、すぐに離すから。


   いや、いいよ……そのままで。


   ……ありがとう。


   ……。


   まこちゃんの手……やっぱり、温かい。


   あたしの手は、冬でもあったかいんだ。


   ……冬でも?


   そう、冬でも……確認、してみるかい?


   じゃあ……冬になったら。


   ……あたし、忘れないからね?


   ふふ……私も忘れないわ。


   ……もしも、忘れていたら。


   いたら……?


   ……勝手に手、繋いじゃうから。


   ……。


   も、もちろん、いやだったらしないけど。


   ……勝手に繋ぐのに?


   ……。


   ……繋いで、まこちゃん。


   繋いでも、いい……?


   ……お友達だって、繋いでもいいのでしょう?


   うん……いいと、思う。


   なら……繋いで。


   ……忘れてなくても、いい?


   ん……いい。


   ……。


   ……ごめんなさい、もう離すから。


   ううん、もう少しこのままで。


   ……。


   だ、だめかな……。


   ……だめじゃない。


   ……。


   ……あ、でも。


   ん?


   今更、なのだけど……お勉強した方が、良かったのかしら。


   え?


   折角、帰ってきたのだし……今からでも。


   ま、待った。


   ……え?


   折角、帰ってきたんだから、お勉強は……。


   ……。


   あ、あたしの部屋に行ってからで、い、いいんじゃないかな。


   ……まこちゃんのお部屋に行ってから?


   そ、そう……あたしの部屋に行ってから。


   ん、じゃあそうする。


   あ、あー……。


   ……。


   まぁ、いっか……嬉しそうだし。


   ……ね、まこちゃん。


   な、なんだい?
   あ、あたしは、数学にしようかな。


   数学?


   小テストの結果も見てもらわないと、いけないし……。


   ……そうだった、小テスト。


   わ、忘れてた?


   いいえ?


   ……だよね。


   ね、まこちゃん。


   数学だけじゃ、だめ?


   ううん、そうじゃなくて。


   ……なに。


   今日の、ね……。


   う、うん……。


   ……今日のお夕飯、楽しみにしてるの。


   へ。


   ……久しぶり、だから。


   あ、あぁぁ……!


   ……。


   た、楽しみにしてて。
   色々、考えておいたから。


   ……ん、ありがとう。


   亜美ちゃん。


   ……。


   ……美味しいごはんを、作ってあげるからね。


   ……。


   ……。


   ……まこちゃん、紅茶のお代わり、いる?


   嬉しいけど、いいの?


   ん……家では、あまり飲まないから。
   だから、まこちゃんが飲んでくれたら嬉しいわ。


   お母さんは?
   お母さんは飲まないの?


   母は紅茶より、コーヒーなの。
   それなのに、気まぐれで買ってきたものだから……全然、減らなくて。


   亜美ちゃんと飲みたかったのかもしれないよ。


   私と?


   亜美ちゃん、紅茶はわりと好きだろ?
   家ではあまり飲まないって言ったけど、あたしの部屋にいる時は飲みたいって言ってくれるし。
   好きじゃなきゃ、そんなこと言わないと思うんだ。


   ……それは、まこちゃんが淹れてくれる紅茶が美味しいから。


   もしもお母さんが亜美ちゃんと飲みたいと思って買ったのなら、取っておいた方がいいと思うよ。


   まだ残っているし、それにそんな時間、母は取れないと思うから。


   だけど、取れるかもしれないじゃないか。


   夜勤ばかりだと、昼夜が逆転してしまってね。
   私が起きている時間は、母は寝ているの。
   だから、紅茶を一緒に飲む時間なんて取れないわ。


   お休みだって、あるだろ?
   それに夜勤じゃなく、えと……。


   日勤?


   そう、日勤。
   それなら、亜美ちゃんが起きてる時間に


   ……。


   ……あ。


   あるけど……母は。


   ご、ごめん、亜美ちゃん。
   あたし、余計なことを言ってるよね。


   ……大丈夫。


   本当に、ごめん……。


   ……ううん、私こそごめんなさい。


   ……。


   紅茶……もう、いらないわよね。


   ……ううん、飲んでもいいかな。


   ……。


   でさ、取っておいて、亜美ちゃんが飲めるようになったら……あたしと、一緒に飲もう。


   なら……まこちゃんのお部屋に、置いておいて。


   あたしの部屋に?


   母には、ちゃんと言うから……保存のことを考えたら、その方がいいと思うの。


   ならさ、亜美ちゃんのお母さんがいいって言ったら、あたしの部屋に置くことにしよう。
   でもだめだって言われたら、持って来ちゃだめだよ。


   うん、分かってる……。


   ん。


   ……母のことだから、気にしないと思うけど。


   ね、亜美ちゃん。


   なに……?


   この紅茶、どこに売ってるのかな。
   美味しいから、あたしも買ってみようかなって。


   ……。


   パッケージ、日本語じゃなかったよね。


   ……気まぐれで買ってきたものだから、どこのお店のものかは知らないの。


   あ、そうなんだ。


   多分、輸入品を扱っているお店だと思うけど。


   輸入品のお店か、どこだろ。
   ちなみに値段は分かる?


   値段は……100グラムで、数千円って。


   す、数千円?
   100グラムで?


   確か、五千円くらいだったと思うわ。


   ご、ごせん……っ?


   ……コーヒーばかりで、紅茶なんて大して分からないくせに。


   ご、五千円は、無理かな……。


   ね、飲まなかったらもったいないと思わない?


   そ、それは思う……ちなみに、亜美ちゃんのお母さんが飲むコーヒーってインスタントじゃないよね?


   職場では、缶コーヒーを飲んでるみたい。


   か、缶コーヒー?


   家で飲むコーヒーは、お店で引いてもらった粉コーヒー。


   ……その粉コーヒー、いくらぐらいするの。


   ……。


   あ、ごめ


   高いのだと、100グラムで一万円くらい。


   ……いちまんえん。


   安いと、三千円くらいだったと思うわ。
   でも、淹れるのが面倒な時もあるみたいで。


   の、飲まないの?


   ううん、一応は飲んでるみたい。
   ちゃんとなくなってるから。


   ……。


   コーヒー、あるけど……飲んでみる?


   う、ううん、あたしは紅茶の方がいいな。


   そう?


   コーヒーはまだ、苦手で。


   じゃあ飲みたくなったら、いつでも言ってね。


   う、うん。


   ……。


   ……なんか、手に汗かいちゃった。


   まこちゃん。


   な、なに。


   母のことだから、これからも紅茶を買ってくることがあると思うの。


   ……。


   そうしたら……一緒に、飲みましょうね。


   よ、喜んで。


   ……。


   て、なんだよ、喜んでって。


   ふふ……まこちゃんったら。


   ほ、本当にね……厚かましいにも程があるよ、ばかかあたし。


   まこちゃんのお部屋に、持って行くわ。


   ……。


   ね?


   あ、亜美ちゃんの家で飲んでも……。


   んーん、まこちゃんのお部屋で飲みたいの。


   そ、そうなの?


   ん、そうなの。


   ……うっ。


   う?


   ……亜美ちゃん、可愛すぎるよっ。


   まこちゃん、うってなに?


   えっ?


   今、うって。


   な、なんでもないよ。


   でも。


   ほ、本当になんでもないんだ。


   ……。


   うん、なんでもない……なんでもない。


   ……大丈夫?


   だ、大丈夫だよ。
   えと、お、お湯を沸かそうか。


   もう、かけてあるわ。


   あ……うん。


   ……本当に、大丈夫?


   うん……多分。


   ……多分?


   あ、や、だ、大丈夫だよっ。
   あたしは、元気っ。


   ……。


   あ……。


   ……ふふ。


   は、はは……。


   大丈夫でなかったら、すぐに言ってね?


   ……うん、すぐに言うよ。


   ん。


   ……。


  16日





   まこちゃん、私のことは気にしないで?


   ……でも。


   折角淹れたのだし、冷めないうちにね?


   ……ごめんね、亜美ちゃん。


   ううん、謝らないで。
   私が紅茶でいいって、聞いたのだから。


   ……亜美ちゃんがまだ飲めないの、考えなくても分かることなのに。


   また、飲めるようになるわ。
   その時は、一緒に飲んでくれるでしょう?


   うん、もちろん。
   亜美ちゃんと飲みたいよ。


   本当なら、何かお菓子でも出せればいいのだけど……ごめんなさい、何もないの。


   ううん、気にしないで。
   紅茶だけで、あたしは十分だからさ。


   ……ありがとう。


   こちらこそ、だよ。
   ありがと、亜美ちゃん。


   ……ん。


   じゃあ、いただきます。


   はい、どうぞ。


   ……。


   ……。


   ん……美味しい。


   ……良かった。


   ……。


   ……ふぅ。


   ねぇ、亜美ちゃん。


   ……なに?


   病院では白湯か、ほうじ茶だったんだよね。


   うん……ほうじ茶は飲んだことがなかったけれど、飲み慣れると美味しくて。


   そうなんだ。
   じゃあ、ほうじ茶も用意しておこうかな。


   ふふ……ありがとう。


   しばらくは、白湯も飲む?


   ん……もうしばらくは。


   そっか、分かった。


   あ、自分で


   白湯って、熱湯を冷ますだけでいいんだっけ。


   ……水道水で作る場合は、10分くらい沸騰させてから冷ますの。


   ぬるすぎても、だめなんだよね。


   白湯は、50度から60度くらいが目安。
   それ以下だと、ぬるま湯になってしまうから。


   んー、50度から60度か。
   ちょっと熱いくらいかな。


   ……。


   カフェインは、いつ頃から飲めそうなんだい?


   通常の食事が出来るようになれば飲んでもいいって。
   機能は回復してきているから、そんなに時間はかからないとも言っていたわ。


   そっか。
   じゃあ焦らず、まずは食べようか。


   ん。


   そうだ。


   ……?


   亜美ちゃん、ヨーグルト食べるかい?


   ……ヨーグルト?


   うん、買ってきたんだ。


   ……いつ。


   迎えに行く前に、さっとね。
   どうだい、食べるかい? お昼、まだ食べてないんだろ?


   ……冷たいのは、ちょっと。


   ふふ、それは大丈夫。
   ホットヨーグルトにするから。


   ヨーグルトを温めるの?


   そうだよ。
   あったかいヨーグルトは、食べたことない?


   ……ないわ。


   美味しいよ、あったかいヨーグルトも。


   ……まこちゃんが、言うのなら。


   食べてみる?


   うん……食べてみる。


   ふふ、そっか。
   じゃあ、電子レンジを借りてもいい?


   電子レンジで温めるの?


   そ、人肌くらいにね。
   手軽だろ?


   うん、そうね。


   いいかな、使っても。


   ええ、どうぞ。


   それと亜美ちゃん、黒みつは食べられる?


   食べられるけど……ヨーグルトに入れるの?


   砂糖とかはちみつとかでもいいんだけどさ、今日は黒みつにしようかなって。
   もしも黒みつがだめなら、砂糖にするけど……どうだろ?


   ……。


   砂糖の方がいい?


   ……私ね、あんみつが好きなの。


   え、あんみつ?


   だから……黒みつも、好きよ。


   亜美ちゃん、あんみつが好きなの?


   ……ん、好き。


   へぇ、そうなんだ。
   じゃあさ、今度食べに行こうよ。
   みんなで、さ。


   ……おかしいって、思われないかしら。


   ん、どうして?
   別に、おかしくないだろ?


   ……ケーキよりも、あんみつが好きって。


   全然、おかしくないよ。
   あたしも好きだよ、あんみつ。


   ……ケーキよりも?


   一番好きなのは、チェリーパイだけど。


   ……そうよね。


   だけど、あんみつも好きだ。
   小さい頃、お父さんとお母さんと食べたことがあってさ、とても美味しかったんだ。


   ……。


   おかしいことなんて、どこにもない。
   みんなだってそんなこと、きっと思わないよ。


   ……うん。


   ね、どこのお店のあんみつがおすすめ?


   え?


   おすすめ、ない?


   ……ある、けど。


   聞かせてよ、亜美ちゃんのお気に入りのあんみつ。


   ……今度で、いい?


   うん、いいよ。
   楽しみにしてるね。


   ……そこまでのことでは、ないと思うけど。


   んーん、楽しみだよ。
   亜美ちゃんの好きを、知ることが出来るんだから。


   ……。


   まだまだ知らないことがいっぱいあるんだ。
   だから、ね?


   ……まこちゃんは、チェリーパイが好きなのよね。


   うん、そうだよ。
   甘酸っぱくて、美味しいんだ。


   まこちゃんが一番好きなチェリーパイって、どこのお店のものなの?


   ……。


   まこ、ちゃん?


   お店のでは、ないんだ。


   ……え?


   もう、一生食べられない。


   一生って……。


   あたしが一番好きなチェリーパイは……死んでしまったお母さんが作ってくれたもの、なんだ。


   あ……。


   自分でもたまに作ってみるんだけどさ、どう作ってもお母さんの味にはならなくて。
   材料の分量とかいろいろ工夫してみるんだけど、それでもどこかがちょっと違うんだよね。


   あの、私……。


   ん?


   ……ごめんなさい。


   なんで?


   ……。


   んー……。


   ……。


   亜美ちゃんにもお母さんが焼いたチェリーパイ、食べて欲しかったな。


   ……まこちゃん?


   お母さんならきっと、亜美ちゃんにも焼いてくれたと思うんだ。
   あたしが友達を連れてきたって、にこにこと笑いながらね。


   ……私に。


   一緒に食べたかったなぁ。


   ……。


   ね、あたしので良ければ焼いてみるけど、食べてみるかい?


   ……焼いてくれるの?


   うん、亜美ちゃんが食べたいと思ってくれるのなら。


   ……食べてみたいわ、まこちゃんのチェリーパイ。


   あたしが一番好きなお母さんのチェリーパイの味にはならないけれど、それでもいい?


   まこちゃんのチェリーパイを、まこちゃんとふたりで食べてみたい。


   うん、ふたりで?
   みんなとじゃなくて?


   ……あ。


   あたしとふたりで食べたいの?


   そ、その……。


   ふふ、それもいいかも。
   じゃ、ふたりで食べよ。今度、焼くからさ。


   ……う、ん。


   それじゃ、ホットヨーグルトを作ろうかな。
   亜美ちゃん、器をふたつ、借りてもいい?


   ……今、出すわ。


   ありがと。


   ……これくらいで、いい?


   うん、大丈夫。


   ……。


   そうだ、今度あんみつも作ってあげるよ。


   ……あんみつも?


   作れるよ、あんみつも。
   それも、あんこからね。


   ……あんこから。


   あたしが作ったあんみつ、食べてみたくない?


   ……っ。


   食べたくない?


   ……食べ、たい。


   ん、じゃああんみつもふたりで食べよ。


   あの、みんなと一緒でも……。


   あたしが、亜美ちゃんとふたりで食べたいんだ。


   ……。


   亜美ちゃんが嬉しそうに食べている顔を、独り占めにしたい。


   な……。


   はは、なんてさ。


   ……。


   ん、亜美ちゃん?


   ……もう、からかわないで。


   からかってなんか、いないさ。
   あたしの正直な気持ちを言っているだけ。


   ……。


   亜美ちゃん、バナナは食べられる?


   ……バナナ?


   うん、バナナ。


   ……一本は、ちょっと。


   じゃ、半分は?


   ……それくらいなら。


   そっか、良かった。


   バナナも買ってきたの?


   うん、そうなんだ。


   重たくはなかった?


   平気、あたしは力持ちだから。


   ……。


   よし、これを電子レンジにセットしてっと。
   それから、バナナを……あ、包丁とまな板も借りてもいい?


   いいけど……待ってて。


   あ、ごめん。


   ううん、大丈夫。


   ……。


   ……これを、使って。


   ん、ありがと。


   ……。


   ん、なんだい?


   ううん、使えるかなって。


   んー、大丈夫だと思うけど。


   ……。


   よ、と。
   ほら、大丈夫だった。


   ……バナナだったから。


   はは、それもあるかもね。


   ……。


   あと10秒……5、4、3、2、1、よし。


   ……。


   うん、いい具合にあったまってる。


   ヨーグルトの中に、バナナを入れるの?


   当たり、よく分かったね?


   ……それくらい、分かるわ。


   はは、そっか。


   ……。


   ん、これで出来上がり。
   どうだろ、美味しそうかい?


   ……初めて見るわ。


   ふふ、じゃあ食べよ。


   ……スプーンで、いい?


   あ、うん、スプーンで。
   ありがと。


   私、持つわ。


   ううん、あたしが。


   でも、作ってもらったのに。


   じゃあ亜美ちゃんはスプーンをふたつ、持って?


   ……。


   ね。


   ……ありがとう。


   うん。


   ……。


   よ、と。


   ……。


   さぁ亜美ちゃん、冷めないうちにどうぞ。


   ありがとう……いただきます。


   あたしも、いただきます。


   ……。


   ……どう?


   あったかいわ……。


   熱くない?


   ……人肌より、少し熱いくらいかしら。


   あっためすぎないのが、コツなんだ。


   ……乳酸菌が、死滅してしまうから?


   お、流石亜美ちゃん。
   そう、あんまり熱くすると乳酸菌が死んじゃうんだ。
   だから、これくらいがいいんだってさ。


   ……あと、酸味。


   酸っぱい?


   ううん……抑えられて、まろやかになっているみたい。


   食べやすい?


   ん……食べやすいわ。


   ふふ、良かった。


   ……バナナ、甘い。


   あのね、きなこをかけてもいいんだよ。


   きなこ?


   そ、きなこ。


   ……合う、かも。


   それがね、合うんだよ。
   黒みつ入りのヨーグルトにきなこ、ちょっとした和菓子みたいで。


   ……ふふ、そうかも。


   また、作ってあげる。


   ……朝食に食べたいかも。


   それなら、簡単だから作ってみてよ。
   忙しい朝でも、すぐに出来るからさ。


   ん、そうする。


   黒みつとバナナを、はちみつとりんごにしてもおいしいよ。


   ……おぼえとく。


   あとね、ココアにしてもいい。


   ココア?


   ココアの場合は電子レンジでなく、熱湯を入れるんだ。


   ……今度、やってみる。


   うん、やってみて。
   なんなら、あたしが作ってあげるよ。
   あたしの部屋で、ね。


   ……私、作ってもらうばかりで。


   いいじゃないか、あたしが作ってあげたいんだ。
   そうそう、チョコを入れても美味しいんだよ。


   ……ね。


   なんだい?


   このヨーグルトって……無糖?


   うん、黒みつを入れるから。
   砂糖入りのヨーグルトで作ると、甘くなりすぎちゃって。
   まぁ、甘いのが好きならそれでもいいんだろうけど……もしかして、無糖じゃない方が良かった?


   ううん、無糖で大丈夫。


   そか、良かった。


   りんごとはちみつ、ココアとチョコの場合も無糖のヨーグルト?


   うん、無糖の。
   ココアに砂糖が入っていないのなら、好みで入れた方がいいかな。


   ……。


   何か気になる?


   黒みつじゃない、甘味を感じるわ。


   ヨーグルトってさ、温めるとほんのり甘くなるんだ。
   面白いよね。


   ……乳糖かしら。


   ん、にゅうと?


   糖類のひとつ。
   牛乳が甘いのは乳糖が含まれているからなの。


   ふぅん、そうなんだ。


   まこちゃんも食べて?


   うん、そうする。


   ……。


   うん、おいしい。
   バナナ、あたしの見立て通りだ。


   ……まこちゃんって。


   ん、あたしが何?


   なんでも、作れるのね。


   うん、そうなんだ……って、言いたいところだけど。


   ……作れないものなんて、あるの?


   あるよ、あたしにだって作れないものはある。


   ……。


   例えば、お酒を使った料理。


   ……年齢?


   そ、年齢。
   だから、お酒を使ったものは作れない。


   ……。


   それ以外にも、色々ね。


   ……そうなのね。


   いつか、作れるようになりたいって思ってるんだ。


   ……まこちゃんなら、きっと。


   作れるようになったら、食べてくれる?


   ……私?


   うん、亜美ちゃんに食べて欲しい。
   出来れば、あたしとふたりで。


   ……。


   どうかな。


   ……まこちゃんさえ、良ければ。


   じゃ、食べてもらお。


   ……まこちゃんと結婚するひとが、羨ましいわ。


   えっ?


   ……。


   え、えと……あ、ありがと?


   ……だからって、まこちゃんばかりが作っていてはだめだけれど。


   あ、あぁ……。


   ……まこちゃんが結婚しちゃったら。


   う、うん?


   ……こんな風に、ふたりで会えなくなっちゃうのかしら。


   え、えと、そんなことはないと思うよ。


   ……家庭とお仕事で、忙しくなってしまうと思うし。


   忙しくなっても、亜美ちゃんとふたりで会う時間は作るからさ。
   だから、大丈夫だって。


   ……だけど、家族が出来たら。


   ねぇ亜美ちゃん、そんな先のことを心配しないでよ。
   今は、それよりも


   ……そんな先ではないと思うわ。


   いやいや、まだ先だって。


   ……まこちゃん、結婚早そうなんだもの。


   や、だから、結婚したって……。


   ……。


   ……亜美ちゃん。


   ごめんなさい……私、変よね。


   ……。


   ……まこちゃんがしあわせならそれでいい筈なのに、寂しいと感じるなんて。


   ……。


   ……ごめんなさい、まこちゃん。


   それを、言うのならさ。
   あたしだって、寂しいって感じると思うよ。


   ……まこちゃんも?


   亜美ちゃんが結婚したら。
   亜美ちゃんに恋人が出来たら。


   ……。


   大切な……友達を、取られてしまったみたいで。
   亜美ちゃんがしあわせなら、それでいい筈なのに。


   ……私は、結婚なんて。


   分からないだろ、先のことなんて。


   ……。


   あと、亜美ちゃんを不幸にしたら絶対に許さないとも思う。


   ……まこちゃん。


   そんなことを考えるあたしは、変だと思う?


   ……変、


   ……。


   では、ないと思う……。


   そうだろ……なら、亜美ちゃんも変じゃない。


   ……。


   ……。


   ……私達が、大人になっても。


   結婚したって、ふたりで会おうよ。
   泊まりでどこかに行ったりしてさ。


   泊まり……旅行?


   だって、大人になればどこにだって行けるだろ?


   ……。


   きっと会える、ううん、絶対に会おうよ。
   約束をしてさ。


   ……私、夫となるひとよりも、お友達であるまこちゃんの方が大切だと思ってしまうかもしれない。


   え、それは……。


   ……だから私は、結婚しない。


   ん、と……まぁ、それでもいいんじゃないかな。


   ……。


   結婚だけが、女のしあわせじゃないだろうし。


   まこちゃん……。


   そう思えるようになったのは、亜美ちゃんやみんなのおかげだ。


   ……。


   だけど、亜美ちゃん。


   ……なに。


   亜美ちゃんは結婚しなくても、仕事が忙しくて、あたしに会ってくれないような気がする。


   ……。


   お医者さんって、すごく忙しいだろうし。
   実際、亜美ちゃんのお母さんはとても忙しそうだし。


   ……まこちゃんと会う時間は、ちゃんと作るわ。


   旅行に行く時間もだよ。


   ……ええ、旅行に行く時間も。


   じゃあ、約束だ。


   ……うん、約束。


   ……。


   ……。


   ……ん、洗濯機が鳴ってるな。


   終わったみたい……。


   じゃ、干そうか。
   亜美ちゃんはゆっくりしていて。


   あ、待って。


   亜美ちゃんは、休んでてよ。


   うちは、乾燥器で乾かすの。


   乾燥器か、すごいなぁ。いいなぁ。


   だから、まこちゃんはここで。


   やり方、教えてもらってもいい?


   ……やり方?


   そ、やり方。
   やり方が分かれば、あたしでも


   恥ずかしい、からっ。


   ……は。


   は、恥ずかしいから……。


   ……。


   だから、私がやるわ……。


   ……あ、あぁっ。


   ……。


   そ、そっか、そうだよね、ご、ごめんね。


   ……。


   あー……失敗、した。


   ……ごちそうさま、まこちゃん。


   あ、うん。


   とても美味しかった。


   ん、良かったよ。


   ……。


   あの……使ったの、洗ってもいい?


   ん……お願い。


   うん……。


   じゃあ、行ってくるわね。


   ん……気を付けて。


   ふふ……すぐそこなのに。


   何かあったら、呼んで。


   ……何かあったら、ね。


   すぐに、行くから。


   ……ん。


   ……。


   ……。


   ……ホットヨ―グルト、久しぶりに作ったな。


   ……。


   よし、亜美ちゃんが戻ってくる前にぱぱっと洗っちゃおう。


   ……。


   ……あたし、やっぱり変なのかな。


   ……。


   亜美ちゃん……今日の夕ご飯、食べてくれるかな。
   食べてくれると、いいな……。


  15日





   はぁ……やっぱり。


   ……。


   もう……。


   ね……良かったらあたし、やろうか?


   ううん、こんなことでまこちゃんの手を焼かせるわけにはいかないわ。


   いやでも、この洗濯機って全自動式だろ?
   なら、うちの二層式と違って手がかからないからさ。


   ありがとう、まこちゃん。
   でも、私がやるわ。


   亜美ちゃんは、退院してきたばかりだから。
   休んでいた方がいいんじゃないかなって、思うんだ。


   大丈夫よ、ここまでタクシーを使ったから。


   それは、そうなんだけど……体力、落ちちゃってるだろ。


   ……はぁ。


   あ、亜美ちゃん……?


   ……見ての通り。


   う、うん。


   ……私の母は、洗濯も出来ないの。


   出来ないというより、忙しくて、やる時間がないだけなんじゃないかな。
   ほら、洗濯って時間がかかるだろ? 洗濯機が止まったら、干さなきゃいけないし。


   ……両方の意味。


   両方の、意味?


   「可能」、と、「能力」。


   へ。


   時間がなくて、出来ない。
   そもそも、その能力がない。
   つまり、両方。


   ……。


   ……洗剤の量を間違えることなんて、当たり前すぎて。


   そ、そうなんだ……。


   とりあえず、私のものと一緒に洗濯して……もう、どうして診察衣があるの。
   病院と提携するクリーニング業者さんに出してって、いつも言っているのに……。


   ……大変そう、だな。


   靴下、裏返しにしてない……下着……あぁもう、本当にだらしないんだから。


   ……。


   ……こんなの、まこちゃんにやってもらうわけにはいかないわ。


   あのさ、亜美ちゃん。


   ……何。


   亜美ちゃんが洗濯物と格闘している間、あたし、洗い物をしようか?


   ……。


   なんか、そこそこあったように見えたからさ。


   ありがとう。
   だけど大丈夫、洗濯物を洗濯機に入れたらやるから。


   いや、でもさ。


   ごめんなさい、まこちゃん。


   え、何が?


   まこちゃんのお部屋に行くのが、予定してた時間よりも遅くなってしまうかもしれない。


   ん、それはまぁ、いいんだけど。


   良かった、うさぎちゃん達に待っていてもらわなくて。
   母がひとりだなんて……嫌な予感しか、していなかったから。
   聞いても、はぐらかすだけで……本当に、あのひとは。


   ……。


   いつもの家政婦さんにお願いすればいいだけなのに……そんな時間すらも、取らないのね。


   亜美ちゃんってさ。


   ……え?


   いつも、そんな風に家事をしているの?


   ええ、他にやるひとがいないから。
   家政婦さんには定期的に来てもらっているけれど、いつもではないの。
   いつも来てもらえれば、その分、私もお勉強の時間が取れるのだけれど。


   どうして、いつもではないんだい?


   私が小さい頃、当時の家政婦さんに母の宝石を盗まれたことがあったみたいで。


   え、それって家政婦さんが泥棒をしたってこと?


   そう。
   しかも、何度も。


   えぇ……。


   母は、しまい方が大雑把なの。腐るほど、持っているから。
   それでも一応は、鍵をかけておいたみたいなんだけど。


   ……宝石を、腐るほど。


   ダイヤモンドを含めて、20点くらい盗まれたみたい。


   だ、ダイヤ、も、モンド?
   に、にじゅってん??


   警察に被害届を出したけれど、気付くのが遅かったから全て売られてしまった後で。


   と、取り返せたのかい?


   いいえ。
   刑事告訴では刑事処分が科される可能性が高いけれど、この場合は窃盗罪ね、被害者への金品の返還を命じることは出来ないから。


   そんな、じゃあ戻ってこなかったのかい?


   示談交渉をして、宝石は取り返せなかったみたいだけれど、お金は少しだけ取り戻せたみたい。
   宝石を売ったお金は借金返済に当てられていて、手元にはもうあまり残っていなかったそうよ。
   だからもしも犯人が示談に応じず、こちらが民事訴訟を起こしたところで、戻ってくるお金なんてほとんどなかったんですって。


   そんなの、泣き寝入りじゃないか。


   ええ、そうね、泣き寝入り。
   でも仕方ないわ。


   え、えぇ……。


   そんなことがあったせいで、母は暫く、家政婦さんを頼まなくなった。


   まぁ、分からないわけではないなぁ……信用、出来ないもん。


   両親は、揃って家事が出来なかったから……それも、ふたりが別れた要因のひとつ。


   ……今の家政婦さんは、どうして?


   私への負担を考えて、それで。


   そっか……塾に通って、お勉強をしながらとなると、大変だもんな。


   ……そんなことを言ったら、まこちゃんは。


   ん?


   ……ううん。


   ……。


   今、雇っている家政婦さんは、母か私がいる時に来てもらっているの。


   亜美ちゃんがいる時となると、日曜日か、土曜日の昼以降ってことかい?


   土曜日は塾だから、日曜日の午前中に。
   やってもらうことは主に洗濯と、リビングとダイニングキッチン、それから廊下の掃除だけ。
   収納や寝室、私の部屋には鍵をかけて、入れないようにして。家の鍵は絶対に渡さない。


   平日は、亜美ちゃんが家事を?


   洗濯は、私が。
   掃除は……その、たまに。


   そうなんだ……じゃあ今回、頼まなかったのは。


   ……私がいないから、頼めなかったのかもね。


   ……。


   まぁ、頼む時間がなかっただけかもしれないけど……ん、これでよし。
   次は、ダイニングキッチンを……。


   亜美ちゃん、やっぱりあたしが洗ってもいいかな。


   ……。


   亜美ちゃん、退院したばかりだし、無理だけはしないで欲しいんだ。


   無理はしていないわ。
   こんなことはいつものことだし、本当に大丈夫よ。


   ううん、だめだよ。


   ……まこちゃん。


   心配なんだ……お願い、分かって。


   ……。


   それとも……あたしに触られるのは、いやかな。


   ……そんなこと、ない。


   だったら……やっても、いい?


   ……。


   亜美ちゃん。


   ……ん。


   少しだけ、疲れた顔をしている。


   ……どうして。


   どうしてかな、分かっちゃうんだ。


   ……。


   心配なら、座って見ていて。


   ……心配なんて、ない。


   そう?


   ……だってまこちゃんだもの。


   そっか。
   ふふ、嬉しいな。


   ……ね、まこちゃん。


   あたしにやらせてくれる?


   ……お願いしても、いい?


   ん、任せてよ。
   ぱぱっと、やっちゃうからさ。


   ……ありがとう。


   よし、そうと決まれば。


   ……。


   わ、亜美ちゃんっ。


   ……体力、やっぱり落ちているみたい。


   部屋まで連れて行くよ。
   それで、ベッドで休んでいて。


   ううん……。


   でも。


   ……まこちゃんのそばにいたい。


   あ。


   ……だめ、かしら。


   だ、だめでは、ないけど……。


   ……けど、なぁに。


   ……。


   まこちゃん……だめ?


   だめじゃ、ない。


   ……じゃあ、いい?


   うん、いいよ。


   え……きゃっ。


   すぐだけど。


   ま、まこちゃん、私、自分で


   抱っこしたいんだ。


   だ、抱っこって……。


   ……マーキュリーの時に何度か、してるだろ?


   ……っ。


   だから、ね……亜美ちゃんの時も。


   あ、あぁ……。


   ほら、観念して。


   かんねんって……。


   ……じっとしてて、亜美ちゃん。


   う……。


   ……ん、いい子だね。


   まこ、ちゃん……。


   ……。


   ……。


   ……亜美ちゃん、やっぱり軽くなってる。


   そんなに、変わってないと思うけど……。


   ……ううん、軽くなってるよ。


   ……。


   まるで、羽根みたいだ。


   ……羽根。


   そう、羽根。


   ……。


   鳥の骨ってさ、空を飛ぶ為に空洞になってるんだよね。
   だから、ものすごく軽い。


   ……うん。


   亜美ちゃんはさ……鳥では、ないけれど。


   ……。


   力を入れたら……折れちゃいそうで。


   ……私の骨は、空洞ではないわ。


   それは、分かってるんだけど……。


   ……大丈夫、私は折れない。


   ……。


   鳥の骨は空洞だけれど、細かい柱のような構造物を張り巡らせて、筋交いで補強しているから折れることは


   ジュピターの、力だったら。


   ……。


   なんて……他のみんなも、折れちゃうか。


   ……ジュピター。


   今は、まことだよ。


   ……だったら、ジュピターの力なんて言わないで。


   ……。


   今、私を抱っこしてくれてるのは……まこちゃん、なんだから。


   ……うん、ごめん。


   ……。


   ……ね、どこに座る?


   えと……じゃあ、そこのソファに。


   ん、分かった。


   ……。


   ……下ろすよ、いいかい?


   ん……いいわ。


   ……。


   ……ありがとう、まこちゃん。


   どういたしまして……抱かれ心地は、悪くなかったかい?


   ……全然、悪くなかったわ。


   ん、そっか……良かった。


   ……。


   さて、それじゃあ。


   ……まこちゃんに、郵便物をお願いしたのはね。


   うん?


   母が……新聞だけしか、取らないと思ったから。


   うん、言ってたね。


   ……実際は。


   亜美ちゃんの言う通り、新聞だけ入ってなかったよ。


   ……やっぱり、そうよね。


   一緒に取るだけなのになって。


   まこちゃんも、そう思うわよね。


   ん、思っちゃった。


   ……母に言っておくわ。


   ふふ。


   ……?
   なに?


   亜美ちゃん、お母さんのこと、好き?


   ……なんで、そんなことを聞くの。


   好きかなぁって。


   ……嫌いでは、ないわ。


   嫌いではない、か。


   ……おかしい?


   んーん、おかしくないよ。


   ……。


   あたしはね、お母さんのことが大好きだったんだ。


   ……。


   ただ、それだけ。


   ……そう。


   ん、思ってたより大した量じゃないな。
   これなら、すぐに終わる。


   ……多分、店屋物ばかり食べていたと思うの。


   店屋物か……そういや、お寿司の器が置いてあったね。


   ……。


   何か思うことでもあるのかい?


   ……健康診断の結果。


   健康診断?


   ……数値が、あまり良くないの。


   数値……。


   ……だから、栄養バランスをもっと考えないといけないのに。


   ……。


   食事に、気を使わないから……もう、それだけの年齢なのに。


   ……あはっ。


   まこちゃん?


   亜美ちゃんとお母さん、似てるね。


   ……。


   ふふ……。


   なんで笑うの?


   いや、だってさ、亜美ちゃんが食事に気を使うって……はははははっ。


   言いたいことは分かるけど、そんなに笑わなくてもいいじゃない。


   亜美ちゃん、お母さんのこと、心配なんだね。


   ……それは、だって。


   栄養バランスは、大事。
   その為には、ごはんをちゃんと食べないとね?


   ……もぅ。


   ねぇ、亜美ちゃん。


   ……なに。


   お母さんも、亜美ちゃんのことが心配なんだと思うよ。


   ……。


   なんて、あたしが言うことじゃないか。
   ごめんね。


   ……まこちゃんなら。


   ん、なに?
   ごめん、水の音でちょっと聞こえない。


   ……まこちゃんになら、言われてもいい。


   亜美ちゃん……?


   ……そう、まこちゃんになら。


   どうした?
   具合、悪い?


   ううん、平気。


   ほんとに?


   ん、ほんとに。


   悪くなったら、すぐに言ってね。
   お医者さんに連れて行くから。


   まこちゃんは、心配性。


   ……はい?


   ふふ、ふふ。


   ちょ、亜美ちゃん?


   ありがとう、まこちゃん。


   ん、んん?


   ……大好きよ。


   へ……。


   ……。


   今、なんて?


   ……ううん、なんにも。


   何か、聞こえたような。


   ……水の音じゃない?


   水の音……では、ないと思うんだけど。


   ……じゃあ、気のせい。


   えぇ……そうなのかなぁ。


   ……。


   亜美ちゃん、ありがとうの後、何も言ってないんだよね?


   ……ん、言ってないわ。


   んー……なら、いっか。


   ……。


   亜美ちゃん、もう終わるよ。


   もう?


   うん、もう。


   流石まこちゃん、手際がいいわ。


   へへ、ありがと。


   ね、何か飲む?


   え、いいのかい?


   紅茶でいい?


   ありがとう。
   でも、大丈夫かい?


   ……。


   大丈夫じゃ、ない?


   ……手伝ってもらっても、いい?


   うん、いいよ。
   任せて、亜美ちゃん。


  14日





   ~~♪


   あーみちゃん。


   まこちゃん。


   今日は、ごきげんだね?


   ……。


   ん、なに?


   ……いつから、聞いていたの?


   今だよ。
   たった今、着いたんだ。


   その顔は、違うと思う。


   えー?


   もぅ、盗み聞きなんて感心しないわ。


   だってさ、あたしが来たのが分かったら亜美ちゃん、歌うのをやめちゃうと思ったんだ。


   それで、いつから聞いていたの?


   えと……5分くらい前から、かな。


   まこちゃん?


   ほ、本当だよ、嘘じゃないよ。


   ……ふぅん。


   あ、亜美ちゃん……。


   ……うん、その顔は嘘じゃないわね。


   信じて、もらえた?


   ええ、信じるわ。


   はぁ、良かったぁ。


   ……ふふ。


   はは。


   まこちゃん。


   なんだい?


   今日も来てくれて、ありがとう。


   うん、どういたしまして。
   あたしも、亜美ちゃんに会いたいからさ。


   ……ん。


   みんなはもう、来たよね?


   ん、さっき帰ったところ。


   ありゃ、入れ違いか。
   ま、仕方ない。


   今日もね、うさぎちゃんとレイちゃんが言い合いを始めてしまって大変だったの。


   全く、あのふたりは。
   どこへ行っても、いつも通りなんだから。


   美奈子ちゃんがなだめようとしても、なかなか上手くいかなくてね。
   結局、看護婦さんに注意されて終わったの。


   もー、本当に仕方ないなぁ。


   でもね。


   ん?


   こんなことを言うと、叱られると思うのだけど……いつも通りのみんなを見ていたら、とても楽しくて。


   ……そっか。


   それに、これからまこちゃんも来てくれると思ったら……。


   ……。


   ……なんでもない。


   亜美ちゃんが鼻歌を歌っちゃうくらい、ごきげんだった理由が分かったよ。


   ……もぅ。


   ふふ……。


   ……うさぎちゃんが。


   ん、うさぎちゃんがどうかした?


   ……数学の小テストで酷い点を取ってしまったみたいだから、また一緒にお勉強しないと。


   あぁ、20点中0点だったやつ?


   え?


   なんか、一問も合ってなかったって。


   ……。


   あれ、違った?


   ……私には、5点だと。


   え。


   ……もう、うさぎちゃんは。


   あー……あはは。


   笑いごとではないわ。
   まさか、0点だなんて……はぁ。


   もしかしたらさ、今頃レイちゃんに問い詰められているかも。
   で、また口喧嘩。


   本当に、仕方ないんだから。


   やっぱり、亜美ちゃんがいないとさ。


   ……。


   びしっと言ってくれる、ね?


   ……まこちゃんも、言ってあげて。


   あ、あたしは……うさぎちゃんのこと、言えないし。


   まさか、まこちゃんまで……。


   ま、待って、あたしは0点ではないよ。
   亜美ちゃんに教えてもらっていたから、半分の10点は取れたよ。


   ……半分?


   う、うん……半分。


   ……。


   あ、えと……だめ?


   ううん、だめではないわ。


   ほ、ほんと?


   ん、だめじゃない。


   よ、良かった。


   でも。


   で、でも?


   まこちゃんならもっと、出来ると思うわ。


   ……。


   だから、一緒にがんばりましょうね?


   ……はい、がんばります。


   うふふ。


   あ、あはは。


   ね、その小テスト、見せてくれる?


   う、うん、今は持ってないけど。


   今でなくてもいいわ。
   私が、退院してからで。


   分かった、約束するよ。


   ん、約束。


   これ、今日の授業のノート。
   明日使わないのは、置いていくね。


   こんなに?


   明日は、土曜日だからさ。
   6時間授業じゃ、ないだろ?


   ……復習は、本当に大丈夫?


   大丈夫だよ。


   ……。


   今日習ったことを全部復習するのは、あたしの頭では無理なんだ。
   パンクしちゃう。


   パンク?


   そう、自転車のタイヤみたいにね。


   ……なら。


   だからさ、今日も分からなかったところだけ聞いてもいいかな。
   聞いたところをこれ、このメモ帳に書いて、帰ったら復習するから。


   ……。


   あ、今日は無理かな。


   ……ううん、無理じゃないわ。


   ん、なら教えてくれる?


   うん、私で良ければ。


   亜美ちゃんじゃなきゃ、いやかな。


   ……。


   でも5組と6組、先生がほぼ同じで良かったよね。
   授業の進め方が一緒だからさ。


   ……それに。


   それに?


   まこちゃんのノートは、本当に見やすいから。


   ノートを取るのだけは、得意なんだ。


   だけでは、ないわ。
   まこちゃんには、読解力もあるのだから。


   ん、ありがとう。


   ……。


   正直なところ、あたしのノートが亜美ちゃんの役に立っているかどうか分からなくてさ。
   亜美ちゃんはあたしのノートなんかなくたって、本当は大丈夫なんじゃないかなって。


   ううん……そんなことないわ。


   亜美ちゃん……。


   まこちゃんのノート……私、好きよ。


   あ……。


   ノートの内容もだけれど……まこちゃんの字を見ると、安心するの。


   そんなに、きれいな字ではないと思うけど……。


   ……文字には、そのひとの人柄が出るんですって。


   人柄……?


   ……そう、人柄。


   えと……男っぽい、とか?


   ……まこちゃんの字に、男性性は感じられないわ。


   じゃあ……乱暴、とか。


   全然、乱暴なんかではないわ……私の字よりも柔らかくて、丁寧で、優しさを感じる。


   ……。


   だからね……すごく、安心するの。
   今は特に、病院にいるから……。


   あたしの字で安心するなんて……そんなこと言われたの、初めてだ。


   ……嘘じゃないわ。


   ん、分かってるよ……亜美ちゃんはそんな嘘、つかない。


   まこちゃん……いつも、ありがとう。


   う、うん……どう、いたしまして。


   ……。


   ね……亜美ちゃん。


   ……なぁに。


   ……。


   ……?
   まこちゃん?


   明日、退院だね。


   ……。


   迎えにくるよ。


   ……学校は、どうするの?


   退院の時間、亜美ちゃんのお母さんが午後にしてくれたんだろ?
   なら、大丈夫だよ。十分に間に合う、ううん、間に合わせる。


   ……。


   退院の手続きは、亜美ちゃんのお母さんがやっておいてくれるんだったよね。


   ……だから、まこちゃんが迎えに来てくれた時にはすぐに帰れると思う。


   うん、じゃあさっさと帰ろう。


   ……。


   明日は荷物、持つからさ。
   あたしに任せて。ね?


   ……ありがとう、まこちゃん。


   でさ、確認だけど。


   退院したら、まこちゃんのお部屋に行ってもいい?


   うん、来て欲しい。
   ごはん、腕によりをかけて美味しいのを作るからさ。


   ……。


   楽しみにしててよ、ね?


   ……うん。


   うん。


   ね……まこちゃんのお部屋に行く前に一旦、私の家に寄ってもいい?


   もちろん、いいよ。
   寄ってから、行こう。


   ……ん。


   明日は、忙しくなるな。


   ……ごめんなさい。


   ここは謝るところじゃないよ。
   あたしは今から、明日が楽しみで仕方ないんだから。


   ……私も、楽しみ。


   ふふ……うん。


   ……お勉強、する?


   うん、しようかな。


   今日は、どこ?


   待って、今、筆記用具を出すから……あ。


   ……あ?


   ……。


   まこちゃん、そのハガキは。


   ……ごめん、忘れてた。


   今日の、郵便物?


   うん……ノートと一緒に出すつもりだったんだけど、ごめんね。


   ううん、いいわ。


   ……はい。


   ありがとう。


   ……。


   ん……良君からだわ。


   ……下の名前、なんだよな。


   え、なに?


   ……。


   まこちゃん?


   ……ごめん。


   え?


   その……見ちゃったんだ。


   見ちゃったって、何を?


   そのハガキを、送ってきたひと……。


   ……。


   ポストから取り出したら、見えちゃって。


   それくらい、別に構わないわ。
   内容を読んだわけではないのでしょう?


   う、うん。


   ……。


   ほ、本当に読んでないよ。


   うん……分かってる。


   ……。


   退院したら、お返事を書かないと。


   ねぇ、亜美ちゃん。


   なに?


   ぶ、文通、してるの?


   文通……に、なるのかしら。


   え……?


   送られてくるから、お返事は書いているけれど。


   それは、文通と言うんじゃ。


   そう……そうよね。


   ど、どうなの?


   どうなのって?


   浦和君と……その、付き合ってるとか。


   いいえ、お付き合いはしていないわ。


   け、けど、浦和君は亜美ちゃんのこと……好き、だろ?
   亜美ちゃんだって、下の名前で呼んでいるし。


   ……。


   だ、だから……。


   ……好かれたら、好きにならなくてはいけないもの?


   は……。


   確かに、私は彼のことは好きよ。
   だけど、その感情は恋愛でなくてはいけないの?
   彼が私のこと、恋愛的に好きだから?


   ……。


   私の意思は、関係ないの?
   恋愛って、そういうものなの?


   あ、いや、そういうものではないけど。


   なら私は、そういう意味では、彼のことは好きではないわ。
   あくまでも、お友達として好きなだけよ。


   ……亜美ちゃんは。


   ……。


   ん、いや、なんでもない。


   ……まこちゃんは、私と良君がお付き合いした方がいいと思っているの?


   へ。


   そうなの……?


   し、した方がいいと言うか、亜美ちゃんがもしも、浦和君のことが好きならって、思っただけと言うか……。


   なら、心配しないで?
   私は、そのつもりはないから。


   そ、そっか……。


   ……きっと、この気持ちは変わらない。


   ……。


   ……うん、良君は元気みたい。


   ねぇ、亜美ちゃん。


   今回の入院のこと、良君には知らせないわ。
   知らせても、仕方ないもの。


   ……それで、いいの?


   ええ。


   もしかして、だけど……会いたいとも、思わない?


   別に……思わないわ。


   友達、なのに?


   お友達だけど……まこちゃん達とは、違うから。


   ……。


   ……私、薄情かしら。


   うぇ?


   同じお友達なのに……良君とは特に会いたいと思わないの。


   ……。


   ……だから私、お友達が出来なかったのね。


   あ、あのさ。


   ……。


   今は会いたいと思わないのなら、それはそれでいいんじゃないかな。


   ……。


   亜美ちゃんが会いたいと思う日が来たら……その時は、背中を押すからさ。


   背中を?


   ……。


   まこちゃん?


   ん、いや、余計なお世話かな。
   は、はは。


   ……良く、分からないけれど。


   うん……。


   ……私は、まこちゃんと一緒にいる方が好き。


   あ、あたしと……?


   ……変、かしら。


   へ、変では、ないよ……うん、変じゃない。


   そう……良かった。


   ……。


   お勉強。


   ……へ。


   しましょうか。


   う、うん、そうだね。


   帰る時間、まだ大丈夫?


   うん、大丈夫。
   亜美ちゃんこそ、大丈夫?
   その、夕食の時間とかさ。


   ん、まだ大丈夫。


   ごはんは、おかゆなんだよね。


   そう、それでね、まこちゃんに見てもらおうと思っていたものがあるの。


   ん、なんだい?


   これ。


   これ……献立?


   なんとなく、書いてこうと思って。


   そうなんだ、どれどれ……あぁ、どれも味が薄そうで、お腹に良さそうなものばかりだ。


   サンドイッチなんて、ちっとも出ないの。


   それは、そうかも。


   ……。


   もしかして……あんまり美味しくない?


   んー……少し。


   ……少し?


   口に合わない……かも。


   ……ふふ、そうなんだ。


   ん……。


   これにこりたら……ごはん、ちゃんと食べるようにしないとだめだよ?
   入院したら、お勉強どころか……あたし達にだって、なかなか会えなくなっちゃうんだからさ。


   ……はい。


   ん……良し。


   ……。


   ね、これ持って帰ってもいいかい?
   参考にしたいんだ。


   いいけど……参考にするの?


   大丈夫だよ、ちゃんと亜美ちゃんの口に合うように作るから。


   ……。


   よし、それじゃお勉強しようか。


   ……分からなかったところは、どこ?


   うん……ここ、なんだけどさ。


   ……。


   ……点滴、取れて良かった。


   え、なに……?


   ううん……なんでもない。


  13日





  -Kaede(現世2)





   ……。


   ……亜美ちゃん。


   ……。


   起きてる、かな……。


   ……まこちゃん。


   あ。


   ……来てくれたの?


   うん。


   ……ひとり?


   うん、今日はあたしひとり。
   うさぎちゃんも来たがったんだけど、あんたが行ったらうるさくて亜美ちゃんが休まらないってレイちゃんが。


   ふふ……そう。


   入っても、いい?


   ……ん、入って?


   うん……失礼します。


   ふふ……。


   ん、なに?


   ううん……なんでもない。


   なんだよ、気になるよ。


   ……私以外、誰もいないのになって。


   ……。


   そう、思っただけ。


   ……亜美ちゃん以外誰もいないけど、病室に入るんだからそう言うのは当たり前だろ?


   律儀……真面目?


   もう、からかうなら帰っちゃうよ。


   ……。


   なんて、さ。


   ……忙しいのに、ごめんね。


   あたしは別に忙しくなんてないさ。


   だけど、お買い物に行ったり、ごはんを作ったり、


   お勉強を、したり?


   ……しなきゃ、いけないのに。


   亜美ちゃんのことが、大切だから。


   ……。


   だから……今は、亜美ちゃんが最優先なんだ。


   ……ありがとう。


   うん。


   ……。


   今日は、プリントないってさ。


   ……そう。


   顔色、良くなっているね。


   ……点滴、しているから。


   点滴……か。


   ……痛々しい?


   それ、ずっと刺してるんだろ……?


   ん……点滴投与が終わるまで。
   いちいち、抜いたり刺したりするのは手間だから。


   それは……分かるけどさ。


   ……初めてではないから。


   ……。


   こんな話、まこちゃんにしたら痛がっちゃうかもしれないけど……。


   ……なに?


   起きたら、点滴している腕が1.5倍くらいの太さになっていたの。


   は、1.5倍?
   な、なんで?


   栄養輸液が、静脈に上手く入らなかったみたい。
   それで、本来流すべき場所から漏れてしまって。


   く、薬が漏れるって、う、腕は大丈夫だったのかい?
   ううん、大丈夫なのかい?


   見て?


   え。


   腕。


   ……。


   比べたら……点滴をしてない腕と、同じくらいに戻っているでしょう?


   ……戻ってるとは、思うけど。


   だからもう、大丈夫。


   そうなの?
   痛くはないの?


   ん、膨張による痛みはないわ。


   そっか……良かった。


   症状が進むと……稀に、組織が壊死してしまう場合もあるみたいだけどね。
   その前に気が付いたから、膨張するくらいで済んだの。


   え、えし……って、なに?


   ……。


   あ、亜美ちゃん?


   ……言ったらまこちゃん、怒りそうで。


   怒るようなことなの?


   ……医療ミスになるから。


   医療ミスって。
   そもそも、腕が1.5倍くらいになってる時点でミスじゃないか。


   ふふ……そうよね。


   笑えないよ、亜美ちゃん……。


   ……ん、ごめんなさい。


   それで、えしって?


   壊死は……壊れた死って書くのだけど。


   え、それ、かなりだめなんじゃ。


   ……細胞や組織、器官などが死んでしまうことを言うの。


   ……。


   ……まこちゃん?


   もしも、死んでしまったら……治らない、よね?


   ……壊死した細胞はもう、治らないわ。


   ……。


   看護婦さんがね、新人さんだったみたいで。
   それで、


   ……。


   まこちゃん……怒ってる?


   ……怒ってる。


   でも、大丈夫だったから……ね?


   大丈夫だったけど……でも、怒ってる。


   ……。


   ん……亜美ちゃん。


   ……私は、大丈夫よ。


   ……。


   ね、ちょっとした話をしてもいい?


   ……いいよ、なんだい?


   男性の看護をするひとをなんて呼ぶと思う?


   男の?


   そう、看護婦だと女性でしょう?


   男の看護をするひと……って、いるの?


   ええ、いるわ。
   まだまだ少ないけれど。


   見たことないなぁ。


   一般の診療科よりも精神科に勤めることが多いみたい。


   ふぅん……。


   それで、なんて呼ぶと思う?


   うーん……看護婦の「ふ」が夫婦の「ふ」だから、看護の夫で看護夫かな。


   ふふ。


   その顔は、違うな?


   男性はね、看護士さんと呼ぶの。


   かんごし?


   弁護士さんの「し」。


   弁護士さん……あぁ、なるほど。


   まだまだ珍しいけれど、少しずつ増えているみたい。


   へぇ、そうなんだ。


   だからね、将来は一般の病院にも男性の看護士さんが当たり前のようにいる時代になるかもしれない。


   じゃあさ、女のお医者さんも今よりも増えてるね。


   ……え?


   だって、そうだろ?
   男の看護士さんが増えるなら、女のお医者さんだって増えるに決まってる。
   でさ、そのひとりが、亜美ちゃんだ。


   ……。


   ね、そうだろ?


   ……私がなれるかどうかは、分からないけど。


   なれるさ、あんなに頑張っているんだから。


   ……。


   亜美ちゃんのお母さんみたいなひとが今よりも増えたら、とてもいいと思うんだ。
   男のお医者さんもいいけどさ、女のお医者さんの方がいいなって思うこともあるだろ?


   ……。


   亜美ちゃん?
   どした?


   ……ううん、増えたらいいなって。


   あたし、出来ることならなんでもするよ。


   ……え?


   亜美ちゃんがお医者さんになれるように。
   お勉強は、力になれないと思うけどさ。


   ……私は、まこちゃんがいてくれるだけで。


   あのさ、亜美ちゃん。


   ……。


   本当に……本当に、心配した。


   ……ごめんなさい、心配をさせてしまって。


   心配するのはいいんだ。
   だけど、無理はしないで欲しい。ごはんも、ちゃんと食べて欲しい。


   ……。


   ここのところ、お勉強の他に敵の分析もしていただろ?
   睡眠時間と食事を削って。


   ……お昼は、ちゃんと食べていたわ。


   でも、お昼だけじゃだめだってこと、今回のことで分かったろ?


   ……。


   ね、亜美ちゃん……退院したら、うちにおいでよ。


   ……まこちゃんのお部屋に。


   ごはん、一緒に食べよう?
   お勉強も、一緒にさ。邪魔は、絶対にしないから。


   ……。


   最近、来てくれないだろ?
   だから、その……寂しいんだ。


   ……まこちゃん。


   出来たらまた、泊って欲しい。
   亜美ちゃんとお喋り、したいんだ。


   ……。


   ねぇ、亜美ちゃん。


   ……ごめんなさ


   敵の分析は、あたしには出来ないかもしれない。


   ……。


   出来ないかもしれないけど、それでも、あたしにしか気付いてないことがあるかもしれない。
   それは、あたしだけじゃない……うさぎちゃんやレイちゃん、美奈子ちゃんだって、言ってないだけであるかもしれない。


   ……。


   ひとりで……ひとりで抱え込んで考えるのは、もう、やめようよ。


   ……だけど、私は。


   大事なんだ。


   ……。


   亜美ちゃんが……もしも、マーキュリーがいなくなってしまったら。
   今よりもずっと、大変なことになってしまうかもしれないんだ……。


   ……。


   何よりも、亜美ちゃんがいなくなってしまうのが、あたしはいやなんだ……いやなんだよ。


   ……退院、したら。


   うちに来るのがいやなら、あたしが亜美ちゃんちに行く。
   ごはんを作りに。毎日は鬱陶しいと思うから、週に何回か。
   ね、いいだろ?


   ……。


   お願いだ、亜美ちゃん……いいって、言ってよ。


   ……私の家よりも、まこちゃんのお部屋がいい。


   え、なに……?


   まこちゃんが大事にしている緑があって……まこちゃんのにおいがする、あのお部屋が。


   ……。


   あのお部屋に……行きたい。


   ……じゃあさ、おいでよ。


   ……。


   言ったろ……いつ来てくれても、いいって。
   何も用事がなくたって、いいってさ……。


   ……うん、言われた。


   だから、来てよ……あたし、待ってるんだ。


   ……私のことを。


   そうだよ……。


   ……。


   ね、亜美ちゃん……来て、くれるよね。


   ……あのね。


   うん……なんだい。


   ……いきなり、沢山食べるのは無理だと思う。


   あぁ……うん、分かってるよ。
   だから、初めは消化に良いものを少しずつ……ね。


   ……きっと、手間をかけてしまうわ。


   そんなの、手間じゃない……亜美ちゃんの為になるのなら、あたしは喜んでする。


   ……。


   したいんだ。


   ……。


   亜美ちゃん……?


   ……ごめんな、さい。


   ど、どこか痛いのかい……?
   まさか、点滴がまた……?


   ……ちがう、の。


   ど、どうしよう……そ、そうだ、看護婦さんを。


   待って、呼ばないで。


   で、でも。


   ……だいじょうぶ、だから。


   だ、大丈夫になんて、見えないよ……だって亜美ちゃん、泣いて


   うれしい、の。


   ……うれ、しい?


   だから……おねがい、よばないで。


   ……本当に。


   だいじょうぶ、だから……。


   ……。


   ……じゃま、されたくないの。


   じゃま……?


   ……まこちゃんとの、ふたりきりの時間。


   あ……。


   ……もう、帰ってしまうでしょう?


   ううん……まだ、帰らないよ。


   ……でも、もう、帰らなきゃ。


   まだ、帰らない……。


   ……。


   まだ、いるよ……亜美ちゃんの、傍に。


   まこちゃ……ん。


   ……。


   ……まこ、ちゃん。


   点滴……大丈夫?


   ……うん、だいじょうぶ。


   少しだけ……ううん、涙が乾くまで。


   ……これじゃ。


   うん……?


   ……いつまでも、泣き止まないかも。


   え……。


   ……ふふ。


   え、えと……離した方が、いい?


   ……ううん、このままで。


   ……。


   このままで……いて。


   ……うん、分かった。


   ありがとう……。


   ……ね。


   なぁに……?


   ……誰もいないけど、遮るのがあって良かった。


   ……。


   亜美ちゃんの涙……あたし以外に見られること、ないからさ。


   ……あの。


   ん……?


   ……躰を寄せ合っているところを、もしも、誰かに見られたくないのなら。


   そんなのは、いいよ。


   ……そんなの。


   でも、亜美ちゃんがいやなら離すよ。


   ……。


   どう……?


   ……私、言ったわ。


   このままでいて……って?


   ……。


   はは……。


   ……もぅ。


   亜美ちゃん。


   ……。


   みんなも、心配してる……うさぎちゃんが、特に。


   ……うん。


   退院する時は、みんなで


   ううん……出来れば、まこちゃんだけで。


   え、でも。


   ……病院は、静かにするところだから。


   あ。


   ……ね?


   ふふ……そうだった。


   ……。


   でも、なんて言おうかな……。


   ……退院したら、まこちゃんのお部屋に行きたいと思っているから。


   あたしの部屋……じゃあ、あたしの部屋にいてもらおう。
   それなら、大丈……。


   ……近所迷惑にならないようにしないと、ね。


   そうだった……その心配があった。


   ふふ……。


   ……はは。


   ……。


   ね……お母さんには、なんて?


   まこちゃんのお部屋に行くと、ちゃんと伝えるわ。
   私の退院日もお仕事だと思うし。


   そっか……じゃあ、挨拶しておこうかな。


   ……挨拶?


   会えたら、だけど……改めて、ね。


   ……母に、会ったの?


   うん、会ったよ……亜美ちゃんが、救急車で運ばれた日に。


   ……。


   亜美ちゃんのお母さん、あたしのこと知ってた。
   だからさ、ちょっとびっくりしちゃった。


   ……勝手に話して、ごめんなさい。


   ううん、嬉しかった……ありがと、亜美ちゃん。


   ……大切なお友達だから、ちゃんと話しておきたくて。


   ん……おかげで、警戒されなかったよ。


   あの……母は、何か。


   亜美ちゃんのこと、これからもお願いします、だってさ。


   ……え。


   大人にあんなこと言われたの、初めてだ。
   あたしのこと、信用してくれてるのかな。


   ……。


   あたしみたいのが亜美ちゃんの友達でも……いいんだね。


   ……いいに、決まってる。


   ありがと……亜美ちゃん。


   ……。


   ……そろそろ、乾いたかな。


   ……。


   ん……まだ、かな。
   じゃ……もう少し。   


  12日





   ……。


   亜美ちゃん。


   ……ん。


   寒くない?


   ん……平気。


   ちょっと、寒そうに見えるけど。


   ……まこちゃんが、居るから。


   あたし?


   ……然う、心配性のまこちゃん。


   と……。


   ……だから、平気。


   そっか……。


   ……。


   ……きれいだね。


   うん……とても。


   ……亜美ちゃんが、だよ?


   ……。


   ふふ……。


   ……もう、まこちゃんは。


   心から思ったことを、素直に言葉にしただけだよ。


   ……呼吸するかのように、然ういうことを言うんだから。


   だって、伝えたいんだ。


   ……。


   伝えられる時に、伝えなきゃ。言葉は、その為にあるんだから。
   だから、後回しになんてしていられないんだよ。


   ……あまり言い過ぎると、言葉が軽くなるわ。


   然うかな。


   ……然うよ。


   あたしは、然うは思わないけどな。
   だってさ、いつだって、心からの気持ちを言葉にしてるんだ。
   あたしの想いがいっぱい詰まっている筈だから、重くはなるけど、軽くなることは屹度ない。


   ……。


   あれ……反応、なし?


   ……ばか。


   あー……。


   ……ねぇ、まこちゃん。


   なんだい?


   ……少し肌寒いから、手を。


   オッケー、任せて。


   ……て。


   うん、これでよし。


   ……腰に回った、この手はなぁに?


   少し肌寒いと君が言ったから、あたしはその細い腰に手を優しく回した。


   ……。


   どうかな?
   ちょっと歌っぽくない?


   ……ぽくない。


   あら。


   ……もう。


   この方が、あったかいと思って。


   ……温かいけど。


   なら、良いだろ?


   ……何が、良いの?


   蕁麻疹も、すっかり出なくなったし。


   ……蕁麻疹、関係ある?


   あるよ、大いにね。


   ……若しも、今でも蕁麻疹が出たら。


   勿論、直ぐに離れるよ。


   ……離れてしまったら、温まらないわ。


   腰を抱く以外に、亜美ちゃんの躰が温まる方法を考えるよ。


   ……今は、考えていないの?


   今はね、考える必要がないからさ。


   じゃあ、考えてみて。


   うん?


   腰に手を回す以外に、私を温める方法。


   今かい?


   然う、今。


   んー、然うだなぁ。


   ……。


   取り敢えず、手を繋ごうかな。


   ……それから?


   大丈夫そうだったら、腕を組みながら手を繋いで。
   もっと大丈夫そうだったら、躰をくっつける。


   ……それで、おしまい?


   で、もっともっと大丈夫そうだったら……腰に。


   残念、そこで蕁麻疹が出ました。


   えー。


   蕁麻疹が出たら、直ぐに離れて呉れるんでしょう?


   うん、離れるよ。
   だけど今は、離れないよ。


   ……。


   ね、良いだろ?


   ……どうしても、良いって言わせたい?


   無理には、言わせたくない。


   ……。


   離した方が良い?


   ……ううん、このままで良いわ。


   ふふ……やった。


   ……。


   ……ね、亜美ちゃん。


   な……ん。


   ……。


   ……もう、急に何をするの。


   キスを、した。


   ……だから、どうしてしたの。


   したいと、思ったから。


   ……私の意思を、確認しないで?


   それは、ごめん。


   ……許さないと言ったら?


   許してもらうまで、心から謝る。


   ……しなければ良いだけの話なのに。


   唇が、寒そうだったから。


   ……。


   なんとなく、凍えていそうで。


   ……もぅ。


   はは。


   はは、じゃ、ない。


   はい、ごめんなさい。


   ……。


   蕁麻疹、本当に出なくなったね。


   ……まこちゃん、だから。


   あたしだから?


   他のひとだったら……まだ、出ると思う。


   そっか……じゃあ、気を付けないとな。


   まこちゃんが気を付けるの?


   然うだよ、亜美ちゃんに変な虫が寄ってこないようにね。


   ……そんなこと、しなくても。


   あたし、心配性だからさ?


   ……。


   絶対に嫌なんだ……亜美ちゃんを他のひとに取られるなんて。


   ……まこちゃん以外のひとを見ることなんて、ないわ。


   だけど、絶対じゃない……かも、知れない。


   ……そんなに心配?


   だって亜美ちゃん、可愛いし、きれいだし、澄んだ声をしているし、優しいし、賢いし、芯が強いし、緑を愛して呉れるし、あたしが作ったごはんを美味しそうに食べて呉れるし。


   ……最後のは、何?


   あたしが、亜美ちゃんに惚れてるところのひとつだよ。


   ……。


   兎に角……嫌なんだ。


   ……ねぇ、まこちゃん。


   なんだい……亜美ちゃん。


   ……私以外のひとを、見ないでね。


   うん……?


   ……私も、嫌なの。


   見るわけ、ない。


   ……分からないじゃない、素敵な男性が居たら。


   分かるよ、今のあたしはもう、亜美ちゃんにしか興味がないんだ。


   ……女同士でも?


   だけど、同じ人間だろ……?


   ……おかしくは、


   ない……。


   ……。


   昔からさ……一途なんだ、あたし。


   ……ふ。


   あれ、決まらなかった?


   ……どこか、可笑しかった。


   おかしいなぁ……決まったと思ったのに。


   ……昔から、あなたは苦手なの。


   苦手……?


   ……顔を引き締めるのが、ね。


   んー……。


   ……私と居ると、どうしても緩んでしまうみたいで。


   それだけ、心を許しているんだよ。


   ……。


   ……安心するんだ、亜美ちゃんが傍に居て呉れると。


   ……。


   亜美ちゃん……。


   ……きれいね。


   うん……然うだね。


   ……まこちゃんが、よ?


   ……。


   ……とても、きれいなひと。


   え、と……急だね?


   ……だって、急に浮かんだんだもの。


   そっか……じゃ、仕方ないかな。


   ……若しかして、照れてる?


   亜美ちゃんは、たまにずるい。


   ……ずるい?


   可愛くて、きれいで、そして、今は格好良くて。


   格好良い、かしら。


   格好良いよ。
   そこら辺の男なんかよりも、ずぅっと。


   ……本当に格好良い男性が目の前に現れたら。


   亜美ちゃん?
   それ以上言ったら、流石のあたしも拗ねるよ?


   拗ねるの?
   怒るのではなくて?


   うん、拗ねる……。


   ……ん、まこちゃん。


   言ったろう……あたしは、前世(むかし)から一途なんだ。


   ……ええ、聞いたわ。


   だったら……もう、言わない?


   ……どうしようかしら。


   そんなに、あたしを拗ねさせたいの……?


   ……分かった、もう言わないわ。


   うん……。


   ……拗ねたまこちゃんも、可愛いのだけど。


   ……。


   ……ふふ。


   もう、亜美ちゃんは……。


   ……。


   ……制服じゃ、まだ寒かったかな。


   然うね……でも。


   ……でも?


   制服で来て良かったと……然う、思っているわ。


   ……そっか。


   あの頃は、別々の制服だったけど。


   ……あの頃?


   中学生の頃。


   ……今思えば、さ。


   うん?


   ……同じ制服を着ても、良かったなって。


   ……。


   でもやっぱり、似合わないかな……あたしに、あの制服は。


   ……そんなことはないと思うわ。


   胸と腰の、リボンがね……。


   ……今は、胸にリボンがある制服を着ているわ。


   色が、違うから……まだ、良いかなって。


   ……ジュピターになれば。


   十番中学の制服は……あたしには、ハードルが高かったんだよ。


   ……。


   あの制服は、どうしても……亜美ちゃんが着ているイメージがあるから。


   ……私だけではないわ、あの学校に通う女の子は皆あの制服を着用するのだから。


   でもあたしには、あの制服と言ったら亜美ちゃんなんだよ……とても、似合っていたから。


   ……私の制服が着られたら、試せたのに。


   気持ちは嬉しいけど……亜美ちゃんのじゃ、あたしには小さいなぁ。


   ……。


   ……亜美ちゃん?


   ……。


   納得、出来ない……?


   ううん……少し、懐かしいと思っただけ。


   ……。


   ……戻りたいとは、思わないけど。


   あたしも、思わないかな。


   ……。


   いつだって、今が良いからさ。


   ……あなたらしい。


   はは、だろ?


   ……。


   ね……キス、もう一度しても良い?


   ……。


   ……だめかな。


   ねぇ……。


   ……なんだい。


   帰ったら……温かいのが、食べたい。


   ……ん、分かった。


   ……。


   ……えと、亜美ちゃん。


   キス……そんなにしたいの?


   うん……したい。


   ……さっきもしたのに。


   何度だって、したいんだ。


   ……。


   ……。


   ……若しも、やり直すことがなかったら。


   え……?


   ……あのまま続いていたら、私達はどうなっていたのかしら。


   ん……然うだなぁ。


   ……お付き合いすること、なんて。


   いや、分からないよ。


   ……分からない?


   然う……分からない。


   ……。


   ……若しかしたら、中学を卒業する前に付き合っていたかも。


   えぇ……。


   いや、えぇ……って。


   ……だって、信じられない。


   然うかなぁ……。


   ……あの時のまこちゃんが、私を見て呉れるなんて。


   あのどきどきは、恋に、似ていた。


   ……え?


   今思えば……似ているどころか、それの始まりだったのかもってさ。


   ……。


   あはは、ぽかんとしてる。


   ……やっぱり、信じられない。


   今のあたしは?


   今の?


   今のあたしも、信じられない?


   ……それは、ないわ。


   だろ?
   なら、信じてよ。


   ……。


   で、亜美ちゃんはどうなんだい?


   ……私?


   あたしのベッドに寝たらあたしのにおいがして、どきどきするって。
   然う、言ってたじゃないか。


   ……。


   うーん、なんとも言えない顔?


   ……分からないわ。


   分からない?


   ……。


   ん……耳、真っ赤?


   ばか。


   あう。


   ……。


   うん……まぁ、いっか。


   …………ばか。


   はい……。


   ……。


   ……。


   ……キス。


   しても良い?


   ……もぉ。


   ははっ。


   ……して。


   うん、喜んで。


   ……。


   む?


   ……やっぱり、だめ。


   むぅ?


   ……蕁麻疹、


   出そう……?


   ……。


   ん……?


   ……。


   ……したかったの?


   言わない……。


   ……残念、聞きたかったな。


   ……。


   ……。


   ……あなたと見られて、良かった。


   ん……また、来よう。


   ……。


   普通の中学生……高校生には、戻れそうにないけれど。


   ……きっと、また。


   うん……きっと、また。


   ……。


   ね、亜美ちゃん。


   ……なぁに。


   来週、図書室に付き合って呉れないかな。


   何か調べものでも?


   ううん、亜美ちゃんと図書室に行きたいだけ。


   ……行くだけ?


   本も、借りるつもりだよ。


   ……然う、良いわ。


   ん、約束。


   ……約束。


   ……。


   ……まこちゃん。


   やっぱり、きれいだな。


   ……。


   これからも……何度、命を落とそうとも。


   ……。


   ずっと……ずっと、あなたの傍で生きていたい。
   それが、あたしの願い……。


   ……その願いは。


   全く同じでなくても良い……ほんの少しでも、重なるだけで。


   ……私には、あなたが必要。


   ……。


   私が生きる為に……あなたの支えが、愛がなければ。


   ……亜美。


   ……。


   少し、泣いてる……?


   ……あなたも。


   あたしは……あぁ、海風が目に入って。


   ……まこと。


   ……。


   ……あなたが、私に愛を教えて呉れた。


   ……。


   普通の人間になれなくても……私はずっと、あなたを愛しているわ。


   ……あなたが、あたしに本当の愛を呉れた。


   ……。


   ずっと……ずっと、愛し合おう。
   何度、命を落とそうとも……何度でもやり直して、愛し合おう。


   ……。


   ……そろそろ、帰ろうか。


   ん……然うね。


   ね。


   なぁに?


   ごはんのこと、なんだけど……耳、良い?


   ……誰も居ないのに?


   海が、聞いているかも知れない……。


   ……どうぞ。


   ありがと……。


   ……。


   ……今日の、ごはんはね。


  11日





   ……図書室?


   行くとしたら、いつ行ってるのかなって。
   やっぱり、放課後が多いの? お昼休みは、いつも一緒だしさ。


   ……特に決めてはいないけど、今は放課後が多いかも。


   そっか、放課後か。


   ……新しい本が置かれたらね。


   新しい本?


   行くようにしているの。


   それは、どうして分かるの?
   掲示板か何かに、張り出してあったっけ?


   図書委員の顧問の先生に直接聞くの。
   先生から声をかけてくれることもあるわ。


   図書委員……そんなの、うちの学校にいるの?


   いるわ。
   まこちゃん、図書室にはまだ行ったことがない?


   実は、まだ。


   うちの学校の図書室は、とても静かでね。
   本を読む以外にも、ひとりになりたい時には良く行っていたの。


   ひとりになりたい時ってことは……使う人は、あまりいない?


   ……定期的に使っているひとは少数、かしらね。


   少数、か……なら、静かでいいね。


   そもそも、図書室は静かに過ごすところよ?


   あ、そっか。
   本を読むのに騒がしかったら集中出来ないもんね。


   ……私ね。


   うん。


   一年生の頃は図書委員だったの。


   え、そうなの?


   決める時に、誰も立候補しなくて……それで、私が。


   立候補したの?


   ううん……推薦されたの。


   推薦か。でも、分かる。
   亜美ちゃんだったら、ちゃんと図書委員の仕事をしてくれそうだもの。


   ……まさに、それが推薦の理由だったわ。


   え。


   私を推薦したのは、違う小学校に通ってたひとだったのだけれど……入学式を終えたばかりで私のことなんてろくに知らないのに、どうしてそんなことが言えるのか分からなくて。


   ご、ごめん、あたしも同じことを。


   ううん……まこちゃんは私のことを考えた上で、本当にそう思ってくれていると思うから。


   あの……本当にごめんね。


   実際、私には合っていたの。


   ……え?


   図書委員。
   お当番の時に、静かにお勉強も出来たし。


   そ、そっか……。


   ……まこちゃんは、私のことをろくに知らないわけじゃないわ。


   でもまだ、あんまり知らない。
   知り合って、一ヶ月も経ってないし。


   それは、うさぎちゃんとレイちゃんだって同じよ。
   あのふたりだって、私の全部を知っているわけじゃないの。


   だけど、あのふたりとは夏の前からだろう?
   もう何ヶ月も一緒に過ごしてる。


   確かに、あのふたりと過ごした時間はまこちゃんよりも長いわ。
   でも、それだけ。


   ……。


   まこちゃんと過ごした時間は、まだ短いけれど……でも、それでも、まこちゃんは私のことを全く知らないわけじゃない。


   亜美ちゃん……。


   推薦してくれたひとが……まこちゃんだったら、良かったのに。


   ……入学する時に転校してくれば、一緒のクラスになれたかな。


   クラスが、多いから……一緒のクラスになるのは、難しいと思うわ。


   あー……やっぱり、難しいか。
   3クラスぐらいだったら、三分の一だったのにな。


   もしも、まこちゃんがいてくれたら。


   ……。


   けど、きっとだめね……うさぎちゃんがいなかったら、私、話しかけることも出来ない。


   あたしが、話しかけてたかもしれないよ。


   ……まこちゃんが?


   亜美ちゃんのことが、気になって。


   ……だけど、ガリ勉の私になんて。


   それ、それだよ。


   ……!


   あたし、そういう言い方って嫌いなんだ。


   ……きらい?


   だって、完全に莫迦にしてるだろ。
   なんだよ、ガリ勉って。そんなことを言って笑ってるやつが、心底腹が立つんだ。


   ……。


   亜美ちゃんはお勉強が好きだから、やっているだけなのに。だからこそ、成績だっていいのに。
   それをさ、なんだい。ガリ勉って莫迦にするようなことを言ってさ。
   あたし、そういうのは本当に気に入らないんだ。好きに優劣を付けているみたいでさ。


   ……まこちゃん。


   だから、亜美ちゃん。


   な、なに……。


   あたしは、亜美ちゃんに話しかけていたと思う。


   ……可哀想、だから?


   違う、可哀想だからじゃない。
   お勉強ばかりしている亜美ちゃんのことが気になって、だよ。


   ……お勉強ばかり。


   あたしは、勉強が苦手だろ?
   それなのに、亜美ちゃんは休み時間でも勉強をしてる。
   なんかすごいなってさ、あたしのことだから思うと思うんだよ。


   ……ただの、好奇心?


   そう、それ。


   ……。


   ん、あれ?


   ……ふふ、まこちゃんったら。


   え、えと、おかしなこと、言った?


   ……ううん。


   そ、そう?


   ……私、吃驚するかも。


   うん?


   まこちゃんに突然、話しかけられたりしたら。


   あ、あー……あたし、でかいもんなぁ。
   それに、考えてみれば亜美ちゃん、最初はあたしのこと怖がってたしね。


   ……。


   うさぎちゃんがいたから、亜美ちゃんは安心出来たのかなって。


   ……気が付いていたの?


   うん……まぁ、ね。
   亜美ちゃん、結構分かりやすかったし。


   ……ごめんなさい。


   いや、いいんだ。
   怖がられるのは、慣れてる。


   ……本当に、ごめんなさい。


   ううん、前の学校で喧嘩をしていたのは、間違ってないしさ……そりゃあ、そんな噂を聞いちゃったら怖がるよねって話だよ。
   だから、亜美ちゃんの反応は普通だと思う。


   ……。


   うさぎちゃんが……気にしないあの子が、すごいってだけだ。


   ……うさぎちゃん。


   じゃあ、一年生の頃に知り合っていても……友達になるのは、難しかったかな。
   だとするなら、転校してきてうさぎちゃんと知り合ってから、で良かったのかもしれない。


   ……。


   そんな顔しないでよ、あたしは気にしていないからさ。


   ……見えたの。


   え、なに?


   ルナを撫でるまこちゃんが……とても、素敵に見えたの。


   ルナ?


   ……ルナのこと、撫でたでしょう?


   あぁ、そういえば、撫でたかな。
   あの時は、おでこに三日月のハゲがあるただの黒猫だと思っていたから。


   ……木野さんは、本当は優しいひとなんだって。


   そう、思ってくれたの……?


   ……う、ん。


   そっか……動物が好きで、良かったな。


   ……その優しい顔が、ずっと。


   ずっと?


   ……なんでもない。


   うん?


   ……だから、ね。


   うん。


   一年生の頃に、もしも、知り合っていたとしても……きっと、何かをきっかけにしてお友達になれていたかも、って。


   ……うさぎちゃんが、いなくても?


   うさぎちゃんが、いなくても……例えば、緑や猫をきっかけにして。


   ……。


   猫は、いないかもしれないけど……犬、とか。


   亜美ちゃんは、犬は好き?


   うん……好きよ。


   あたしも、好きだ。


   ……あ。


   猫じゃなくて、犬がきっかけになっていたかもしれないね。


   ……そう、かも。


   ね、亜美ちゃん。


   ……なに。


   図書委員の仕事って、楽しかった?


   うん……でも、塾で忙しくて。


   そっか、一年生の頃から塾に通っていたんだ。


   ……ううん、小学生の頃から。


   小学生……?


   ……三年生までは、学童の代わりにもなっていたの。


   そうなんだ……そんな小さい頃から。


   ……今はもう、図書委員ではないけれど。


   図書室、あたしも今度行ってみようかな。


   ……。


   て、思ってるんだけど、どう思う?


   どう思うって……まこちゃんが行きたいのなら、行けばいいと思うわ。


   そか。じゃ、行こっかな。
   いい本があれば、いいなぁ。


   ……。


   それで、さ。


   ……?


   お願いが、あるんだけど。


   ……お願い?


   つ、付き合ってくれたら、嬉しいなって。


   付き合うって……図書室に?


   う、うん……あたし、前の学校でもろくに行ったことがないからさ。


   ……。


   実はあたし……本を読むのが、好きなんだ。


   そうなの?


   み、見えないかもしれないけど。


   ……。


   あ、やっぱり、見えない?


   ……ううん、だから読解力があるんだなって。


   読解力?


   まこちゃんは、お勉強は苦手かもしれないけど……ノートが、とてもきれいなの。


   ノートが?


   要約されている箇所もあって……黒板を書き写すだけでは、あんなにまとまったノートにはならない。


   か、考えたこと、ないけど。


   本が好きならば、納得出来る。
   まこちゃんはやる気になれば、お勉強が得意になるかもしれない。


   え、えぇ?


   少なくとも、平均点以上は取れるようになると思うわ。


   あ、あたしが?
   万年、平均点以下のあたしが?
   そんな、まさか。


   まこちゃん。


   ……あたしは、頭が悪いし。


   ううん、あなたの頭は悪くない。
   多分、苦手意識が強いだけ。


   ……。


   成功経験を積めば、きっと、その意識は払拭出来る。
   まこちゃんには、その力が、あると思うの。


   ……そうなの、かな。


   だから。


   ……わ。


   一緒に、お勉強しない?


   亜美ちゃんと?


   私ね……まこちゃんにお勉強を教えるのが、楽しいの。


   で、出来が悪いのに?


   だって、素直なんだもの。


   す、素直って?


   だから、とても楽しいの。


   そ、そういうもの?


   うん、そういうもの。


   そ、そっかぁ……。


   ……ね、一緒にする?


   え、えと……うん、する。


   本当?


   うん、本当。


   ……ふふ。


   嬉しい?


   ん……とても。


   ……っ。


   ね、まこちゃん。


   な、なに。


   図書室のことなんだけど。


   あ、ああ、うん。


   いつ、行きたい?


   えと、いつでもいいんだ。
   亜美ちゃんの都合が良さそうな時にでも。


   なら、今日行く?


   え、今日?


   そう、今日。


   あたしは、構わないけど……亜美ちゃんは、大丈夫なの?
   放課後は塾だろう? お昼休みは、お弁当だし。


   だからね、朝。


   あ、朝?


   今日の朝。
   早く学校に行って、ね?


   え、えぇ。


   いや、かしら。


   い、いやじゃない、いやじゃないよ。
   ただ、吃驚しただけで……。


   ……。


   うん、分かった
   じゃあ、今日の朝に行こう。


   うん。


   ……。


   ふふ……。


   ……ね、サンドイッチ、おいしい?


   うん……とてもおいしい。


   ……トーストして、良かった?


   ん……。


   ……今日のお弁当、楽しみにしていてくれる?


   お弁当……。


   ……してくれたら、嬉しいな。


   ……。


   ……。


   ……しても、いい?


   うん……して欲しい。


   ……なら、楽しみにする。


   ……。


   ……うさぎちゃんも、食べたがるわよね。


   そう思って……うさぎちゃんの分も、作ってあるよ。


   ……そう、良かった。


   ……。


   ……。


   ……ねぇ、亜美ちゃん。


   なに、まこちゃん。


   ……ダークキングダムとの戦いが、終わったらさ。


   ……。


   ふたりで、電車に乗ってさ。
   どこかに、遊びに行かない?


   ……ふたりで?


   うん……ふたりだけで。


   ……。


   うさぎちゃんとレイちゃんも、一緒の方がいいかな。


   ……どこに行くの?


   それも、ふたりで話して決めようよ。


   ……。


   ど、どうだろ……?


   ……戦いが、終わったら。


   普通の中学生に、戻れたら……さ。


   ……戻れなくても。


   ……。


   それでも……ふたりで、遊びに行きたい。


   亜美ちゃん……うん、行こう。


   ……それでね。


   うん。


   ……電車で移動中は、お勉強を。


   亜美ちゃん……。


   ……だめ?


   もう……亜美ちゃんは。


   ……。


   するとしても、少しだけだよ?


   ……あ。


   風景を、ふたりで見たいんだ。


   ……。


   だめかな。


   ……ううん、だめじゃない。


   ん。


   ……。


   どこがいいかな……思い切って、東京以外のところに行ってみてもいいかも。


   ……海。


   海?


   ……うさぎちゃんとレイちゃんと行ったの。


   海か……そしたら、来年の夏かな。


   ……夏でなくてもいい。


   でも、泳げないよ?


   ……ふたりで見るだけでも、私はいいの。


   ……。


   でも、それじゃあ退屈よね……。


   ……ん、いや、それもいいかも。


   ……。


   冬の海は、寒いから……春の海にでも、行ってみようか。


   ……っ、うん。


   そしたらさ、あたし、お弁当を作るよ。


   私も、作りたい。


   じゃあ、一緒に作ろ。


   うん。


   ……。


   ……戦いを、終わらせて。


   きっと、終わる……終わらせるんだ。


   ……ええ、きっと。


   ……。


   ……。


   ね……サンドイッチ、もうひとつ食べるかい?


  10日





   ……ぅ。


   ……。


   ……あかるい。


   ……。


   はぁ……。


   ……。


   ここは……。


   ……あたしの部屋だよ。


   ……。


   おはよ……亜美ちゃん。


   ……まこちゃん。


   ちゃんと、眠れたかな……。


   うん……眠れたと、思う。


   そう……それなら、いいんだ。


   ……。


   今はまだ、5時だよ……起きるには、流石にまだ早いかな。


   ……まこちゃんは。


   あたしは……あと、30分だけ。


   ……。


   亜美ちゃんは……起きて、お勉強するかい?


   ……ううん。


   なら、あたしとベッドの中にいる……?


   ……でももう、眠らないわ。


   そっか……ならさ、起きるまでお喋りしない?


   ……まこちゃんは、眠らなくていいの?


   うん……眠るより、亜美ちゃんとお喋りしたい。


   ……。


   だめ、かな……。


   ……ううん、だめじゃないわ。


   やった……。


   ……まこちゃんはお喋りするのが、好きなのね。


   亜美ちゃんのこと、もっと知りたいんだ。


   ……私のこと?


   うん……友達、だから。


   ……そういうもの?


   だと、あたしは思ってるんだけど……亜美ちゃんはあたしのこと、知りたくない?


   ……。


   知りたくない、かな……と言うか、鬱陶しいかな。


   ……知りたいわ。


   ほんと……?


   ……私、まこちゃんのこと、ほとんど知らないから。


   もっと、知りたい……?


   ……うん、知りたい。


   じゃあさ、少しずつ……こんな風に、さ?


   ……お喋り、するのね?


   ふふ……うん。


   ……。


   じゃあ、今朝は何を喋ろうかな。


   ね、その前にちょっとだけいい?


   うん、なんだい?


   おはよう……まこちゃん。


   ……。


   ……まだ、言ってなかったから。


   うん……おはよう、亜美ちゃん。


   ……まこちゃんのお部屋の天井って、こんな風なのね。


   自分の部屋とは、やっぱり違う……?


   ……うん、違う。


   どう違うの……?


   ……陰が、ない。


   影……?


   ……私の部屋よりも、明るい色をしているわ。


   んー……日の光の加減かな。


   ……緑があるから、かも。


   緑……あぁ、緑か。


   ……まこちゃんは、緑が好きなのね。


   うん、好きなんだ……。


   ……みんな、まこちゃんに大事にされているのが分かる。


   そう、かな……。


   ……私も。


   亜美ちゃんも……?


   ……部屋に、緑を置いてみようかしら。


   だったらさ。


   ……けど、私には


   うちの子、株分けしてあげるよ。


   ……まこちゃんの子を?


   うん、亜美ちゃんなら大事にしてくれそうだし。


   ……もらっても、いいの?


   すぐには無理だけど……もらって、欲しい。


   ……。


   それとも、すぐに欲しいかな。
   ならさ、一緒にお店に見に行かない?
   いつも行っているお店があるんだ。


   ……もしも、枯らしてしまったら。


   え?


   まこちゃんに、合わせる顔が……なくなっちゃう。


   ……。


   まこちゃんが大事にしている緑を、分けてもらって……枯らして、しまったら。


   ……大丈夫だよ、亜美ちゃん。


   ううん……私、きっと、お勉強ばかりで。
   まこちゃんの子を、大事に出来ないかもしれないから……。


   本当に、そう思う……?


   ……自分の世話すら、疎かになるんだもの。


   自分の世話……?


   ……食事を摂るのを、忘れたり。


   あー……そういうことか。


   ……だから、私には。


   亜美ちゃんってさ、教室のお花に水をあげてたことがあるよね。


   ……。


   見たことがあるんだ。
   まだ誰も来てない教室で、亜美ちゃんがひとり、お花に水をあげてたところ。
   お水をもらった子達は、きらきらしてて……とても、嬉しそうだった。


   ……いつ。


   いつだったかな……たまたま早く、学校に行った日だったんだけど。


   ……好きな男の子を、見る為に?


   ……。


   朝の部活動を、見る為に……早く、来たの?


   あ、あぁ……そう、だったかも。


   ……でも、どうして教室に。


   い、いなかったんだ……たまたま、休みだったみたいで。


   ……そう。


   それで、とりあえず教室に行こうと思ってさ。
   5組の前を、通ったんだ。そしたら、亜美ちゃんが見えて。


   ……あの日は、日直で。


   日直?


   ……だから、お花達にお水を。


   いや、違ったと思う。


   ……どうして。


   黒板に、亜美ちゃんの名前は書かれていなかった。


   ……それは、前の日の日直が書き忘れただけで。


   本当に?


   ……。


   書き忘れていたら、亜美ちゃんが書くと思うんだ。
   本当に、日直なら……ううん、自分が日直でなくても。


   ……。


   思うに……毎日、あげているんじゃない?


   ……毎日では、ないわ。


   じゃあ、どんな時にあげているの?


   ……。


   言いたくない……?


   ……教室に、誰もいなかったら。


   ……。


   ……お勉強を、する前に。


   そうなんだ……。


   ……好きなの。


   好き?


   ……緑だけしかいない、あの時間が。


   ……。


   緑はただ、そこにあって……時期になれば、きれいなお花を咲かせてくれる。
   枯れてしまうことも、あるけれど……。


   ねぇ、亜美ちゃん。
   やっぱり、もらってほしいな。


   ……だけど。


   亜美ちゃんなら、大丈夫だと思うんだ。


   ……学校だから、出来るだけかもしれないのに。


   学校で出来るからこそ、自分の部屋の子にも出来るんだよ。
   亜美ちゃんなら、きっと大切にしてくれる……あたしは、そう思う。


   ……。


   お母さんがね。


   ……お母さん?


   うん、あたしの。


   ……。


   お花を愛せるひとに悪いひとはいないって、そう教えてくれたんだ。


   ……私は、別に。


   亜美ちゃんの場合は、無意識かもしれない。
   無意識のうちに大事にして、愛しているのかもしれない。


   ……私が、お花を?


   ね、お花に何か思い出があったりする?


   ……特には。


   きれいだとは、思う?


   ……思うわ。


   亜美ちゃんには、お花をきれいだと思える心が宿っている。
   だとするなら、亜美ちゃんは優しいひとなんだ。


   ……それも、お母さんが?


   うん。


   ……。


   もしも枯れてしまったら、と思えるのは、優しいからだよ。


   ……よく、分からない。


   あは。


   ……なに。


   亜美ちゃん、昨日から分からないって言ってばっかりだね。


   ……。


   えと、なんだっけな……んー。


   ……まこちゃん。


   小さい頃に読んだ絵本で……愛を知らない主人公の台詞だったと思うんだけど。
   英語で、私はまだ、愛を知らないって……アイ、ドント、ノウ……まだ……まだって、なんだっけ。


   ……still。


   スティ?


   ……I still don't know about love.


   あ、それかも。


   ……英語の本だったの?


   ううん、その文だけ英語だったんだ。
   最後のページにそれが書かれていて、そのお話は終わる。


   その主人公は、最後まで愛を知ることは出来なかったの?


   どうだろ……あたしは、なんとなくだけど、知り始めていたんじゃないかなって。
   今なら、そう思えるんだ。


   ……。


   小さかったからさ、良く意味が分からなかったんだよ。


   ……お母さんに読んでもらったの?


   うん、眠る前に。


   ……。


   亜美ちゃんは……今はまだ、分からないかもしれないけど。
   でもね、あたしは……愛は、亜美ちゃんの中に、ちゃんとあると思うんだ。


   ……。


   まだ、気が付いていないだけで……ちゃんと、この中に。


   ……まこちゃん。


   あ、ごめん、勝手に触って。


   ……ううん。


   え、と……。


   ……いつか、気付くことが出来ると思う?


   思う。


   ……恋愛が、分からなくても。


   愛は、恋愛だけじゃないよ。


   ……。


   花を大事にすることも、愛だ。


   ……。


   で、友達を心配して、大切に思うことも……きっと、愛なんだ。


   ……愛。


   ……。


   ……私も、いつか。


   れ、恋愛は。


   ……。


   いつか、分かると思うけど……急がなくても、いいんじゃないかな。


   ……まこちゃんが、そう言ってくれるなら。


   そ、それでさ……うちの子、もらってくれる?


   ……その話に、戻るの?


   うん、戻る……どうだろ。


   ……その時が、来たら。


   来たら……?


   ……もらっても、いい?


   うん、もらって。


   ……大切に、するわ。


   うん……してくれると、嬉しい。


   ……。


   ……。


   ……私ね。


   うん……。


   ……誰かと一緒に眠るの、初めてなの。


   え、そうなの……?


   ……私、赤ちゃんの頃からひとりで寝ていたみたいで。


   お母さんとは……?


   ……多分、ないと思う。


   ……。


   物心が付く頃に、部屋を与えられて……それからずっと、ひとりで寝ていたの。


   ……そう、なんだ。


   まこちゃんは、お母さんと寝ていたのね。


   ん……小さい頃、だけど。


   そう……。


   だから、だからね……ひとの温もりが、懐かしくて。


   ……だから、かもしれない。


   え……?


   ……ゆうべ、酷く懐かしいと言っていたでしょう?


   ……。


   小さい頃、お母さんと眠っていたから……。


   ……それとは、違う。


   ……。


   お母さんの懐かしさとは、違うんだ……。


   ……どう、違うの。


   亜美ちゃんに感じる、懐かしさは……。


   ……。


   ……この、懐かしさは。


   言葉に、出来そうにないのなら。


   ……。


   今は、まだ……言わないで、いいと思う。


   ……。


   まだ、その時じゃないのかもしれない……だから。


   ……亜美ちゃん。


   そろそろ、起きる……?


   ……泣きたくなる。


   え……?


   泣きたくなる以外にも、あるんだけど……今はまだ、どう言っていいか分からない。


   ……。


   ……起きようか、朝ごはん作るよ。


   まこちゃん。


   ……ん?


   いつか、言葉に出来たら。


   ……その時は、聞いてくれる?


   聞きたい……だから。


   分かった……なら、その時が来たら、すぐに亜美ちゃんに伝えるよ。
   言葉にして……亜美ちゃんだけに。


  9日





   ……。


   亜美ちゃん、電気消しても大丈夫かい?


   ……ん、大丈夫。


   じゃあ、消すね。


   ……。


   それじゃ、おやすみ。
   また明日ね、亜美ちゃん。


   ん……おやすみなさい、まこちゃん。


   ……。


   ……。


   ……ふふ。


   なに……?


   亜美ちゃんがいるんだって思うと、嬉しくて。


   ……。


   眠れそうになかったら、言ってね。
   お喋り、しよ。


   ……ねぇ、まこちゃん。


   なんだい、亜美ちゃん。


   ベッド……やっぱり、まこちゃんが。


   んーん、亜美ちゃんが使って?


   ……だけど。


   あたしなら、大丈夫だよ。


   ……。


   あ、寝心地が悪い?


   ううん……そんなことない、とてもいいわ。


   そっか……良かった。


   ……でも。


   でも?


   ……まこちゃんのにおいがして、落ち着かない。


   あたしのにおい……もしかして、くさい?


   ……。


   ご、ごめんよ。
   そこまでは、考えてなかった。


   ……あの、ね。


   でも、だからって、亜美ちゃんに床で寝てもらうわけには


   くさいわけでは、ないの


   ……へ。


   その、まこちゃんのにおいがするというだけで……くさくは、ないの。


   えと……それって。


   ……よく、分からないのだけど。


   う、うん……。


   胸が、どきどきしちゃって……落ち着かないの。


   ど、どきどき……?


   ごめんなさい……私、きっと変なことを言ってる。


   や、別に変では……変では、ないよ。


   ……そうかしら。


   と、とりあえず、くさくはないんだよね……?


   ……くさくは、ないわ。


   どきどきしてるだけ、なんだよね……?


   ……どうしてか、自分でも分からないの。


   ね、亜美ちゃん……もしかして、だけどさ。


   うん……。


   ……あたしのこと、好きなの?


   え……?


   いや、においでどきどきするなんて……あたしのこと、好きなのかなって。


   ……す、き?


   あ、や、もちろん、恋愛的な意味ではなくて……なく、て?


   ……。


   あ、あたしは、何を言ってるんだ……?
   れ、恋愛的って……そんなわけ、ないだろ。


   ……好きは、好きだけど。


   だ、だけど……?


   ……恋愛的な意味では、ないわ。


   そ、そうだよね……あ、あたし、何を言ってるのかな。
   は、ははははは……。


   ……。


   あのさ、あたしが今言ったことは、き、気にしないで。
   失恋して、ちょっとおかしくなってるみたいだから。


   ……失恋。


   女同士なのに、そんなわけ、ないよね。
   うん、ないない。


   ……女同士だと、ないものなの。


   は……。


   ……同じ、人間なのに。


   お、同じ人間だけど……同性、だし。


   ……気持ちが、悪い?


   あたしは、そうは思わないけど……。


   ……。


   愛には、い、色んな形があってもいいと思うんだ……多分。


   ……色んな形。


   そう、色んな形……。


   ……まこちゃんは、男の子が好きなのよね。


   うん、まぁ……あたしは、そうかな。


   ……そう、よね。


   亜美ちゃんは……。


   ……ごめんなさい、変なことを言って。


   あ、ううん……あたしは、気にしてないから。


   ……。


   ……今日のあたし、やっぱり。


   ねぇ。


   ……ひぇ。


   ひぇ?


   あ、や、な、なんでもない。
   えと、なに? やっぱりにおいが気になって、眠れない?


   まこちゃんは、自分の部屋に男の子を呼んだことはあるの?


   は……?


   ……男性のお部屋に、お掃除に行ってしまうくらいだし。


   い、いや、ないよ。


   ……でも来て欲しいって思ったことは、ある?


   そ、それは……。


   ……好きな男の子と。


   ……。


   あるの……?


   ……ないと言えば、嘘になる。


   そう……。


   ……けいべつ、する?


   軽蔑……どうして?


   ……。


   別にしないわ……でも、気を付けてね。


   ……あのさ、亜美ちゃん。


   なに……?


   ……あたし、施設にいたことがあるって話したろ。


   うん……聞いたわ。


   その時に……避妊リングの話をされたことがあるんだ。


   ひにん、りんぐ……?


   ……女用の、避妊具。


   ひにん……え、え?


   ……亜美ちゃん、知ってる?


   は、母から、聞いたことは……ある、けど。


   ……流石、お医者さん。


   で、でも……どうして。


   ……妊娠しないように、それを子宮内に入れておくんだよね。


   ……。


   ……詳しいことは、憶えてないんだけど。


   まこちゃん……まさか。


   あたしじゃ、ないよ。
   あたしは、聞かされただけ。


   そ、そうよね……ごめんなさい。


   ん、いや、いいよ。


   私、酷い誤解を……。


   ……心配、してくれたんだろ。


   ……。


   なら……いいんだ、謝らないで。
   あたしの言い方も、悪かったかもしれないから。


   ……本当に、


   亜美ちゃん。


   ……。


   聞かされた時、あたしはまだ小学生だった。


   ……施設で、性教育の時間があったの?


   うん……あったよ。


   ……。


   だけど、避妊リングのことは……同じ施設で暮らす中学生から、聞いたんだ。
   性教育を受ける前に……ね。


   中学、生……?


   ……保護されてるのは、小さい子供だけじゃないからさ。


   その中学生は……女の子、だったの?


   うん……そうだよ。


   どうしてそんな話を、小学生のまこちゃんに……。


   ……そのひと、あたし以外に話せるひとがいなかったみたいなんだ。


   まこちゃんは、そのひとと親しかったの?


   ううん……全然。


   それなのに、どうして……。


   ……多分、ひとりだったから。


   ひとり……。


   あたしに話したところで、誰にも漏れないと思ったんだと思う。
   実際、あたしは誰にも話さなかった。話すひとなんて、いなかったから。
   今思えば、大人に話しておけば良かったんだろうけど……その時のあたしは、そうは考えなかった。


   ……。


   誰にも言えない、けど、誰かに聞いて欲しい。
   多分、そう思ったんじゃないかな。


   ……その中学生は、どうして避妊リングのことを。


   学校帰りだと思うんだけど、外で会ってたみたいなんだ。


   ……誰と。


   大人の、男のひとと。


   ……。


   それで……その男のひとに、避妊リングを入れろって言われたみたいなんだ。
   中学生は……ううん、生理があると妊娠、するからって。したら、面倒だからって。


   ……そんな、こと。


   本当なら、そこで目が覚めれば良かったんだろうけど……そんなことには、ならなかった。
   そのひとは素敵なひとで、だから自分にはそのひとしかいないって、思い込んでいたらしい。


   ……素敵、なんかじゃ。


   うん……全然、素敵なんかじゃないよね。


   ……子供に、手を出す大人なんて。


   亜美ちゃんは、しっかりしているよね。


   ……。


   だけどさ……どうしても年上が、大人が素敵に見えちゃうことだってあるんだよ。
   子供、だからさ……。


   ……。


   その中学生は、その為のお金なんて持ってなくてさ。
   当然だよ、自由に使えるお金なんてなかったんだから。


   ……。


   だから……施設から。


   ……あぁ。


   それで……盗む前に、あたしに。


   まこちゃんは、その話を聞いて……聞かされて、どういう返事をしたの?


   ……そんなこと言われても、よく、分からなくて。


   そう、よね……。


   避妊のことすら、あまり知らないのに……なんて答えていいのか、全然分からなかった。


   ……。


   だけど……その、妊娠してしまうような、そういうことをしてるんだって。
   それだけは、分かって……さ。


   ……。


   頭の中が、真っ白になって。
   話なんて、ほとんど聞いてなかった……ううん、聞けなかった。


   ……それで、お金は。


   結局、盗めなかった。
   大人達も、その中学生の様子がおかしいことには気付いていたらしくて。


   成人男性とお付き合いしていることは、


   気付いた時にはもう、そうなってた、らしい。


   ……。


   その子は、ただ、遊ばれただけだった。
   中学生だからって、気軽に遊べると思って……付け込まれただけだったんだ。


   ……子供、だから。


   男に遊ばれること、それは性教育の時間に聞かされた。
   甘い言葉を吐いて、子供に近付いてくる男は……全部、気を付けろって。


   ……。


   だから……部屋には、呼ばない。
   好きなひとと、ふたりきりになりたいって気持ちはあるけど……分からないから。


   ……。


   力では、負けないよ……だけど、流されてしまうのが怖い。


   まこちゃん……。


   あたし、ばかだからさ……それこそ、掃除がしたいとか言って、男のひとの部屋にひとりで行ってしまうくらいに。


   ……。


   ね、亜美ちゃん……あたしがばかをしないように、見ててくれないかな。


   ……それは、いいけど。


   亜美ちゃんの言葉は、ちゃんと聞くようにするから……。


   ……。


   こんな話をしたの……亜美ちゃんが、初めてだ。


   ……うさぎちゃんと、レイちゃんには。


   したこと、ないよ……多分、これからもしない。


   ……。


   ごめんね、亜美ちゃん……寝る前に、こんな話をして。


   ……まこちゃんが、転校してくる前に。


   うん……?


   ……階段に、避妊具が落ちていたことがあったの。


   え……え?


   ……それは、男性用だった。


   なんでそんなものが、学校に……。


   ……私は、いまだに理解出来ない。


   持ってきたのは、男子……?


   ……ううん、女子だったみたい。


   は……はぁ?


   ……先生は、何も言わなかったけど。


   亜美ちゃんは、なんで知ったの……?


   ……話していたのを、聞いたから。


   誰が……?


   ……クラスの子。


   は、はぁ……。


   ……小学生の頃は、そうでもなかった。


   ……。


   だけど、中学生になったら……ほとんどが、恋愛のことばかり。


   ……あぁ。


   性に、関しても……興味や憧れ、或いは性欲ばかりが先走って、どこか、軽薄で。


   ……けいはく。


   もしも、まこちゃんが……。


   ……。


   私に出来ることがあったら……なんでも、したい。
   だけど……だけど。


   ……亜美ちゃん。


   出来ることなら、そんなことには、なって欲しくない……なって欲しく、ないの。


   ……。


   ごめんなさい……。


   ……ううん、ありがとう。


   ……。


   心配、してくれてるんだろ……?


   ……私の、心配なんて。


   嬉しいよ……とても。


   ……。


   ……恋愛って、なんなんだろうね。


   分からないわ……私には。


   ……。


   ……分からない。


   あたしも、分からないや……。


   ……。


   ね……違う話を、しよっか。


   ……。


   あ、もう寝る……?


   ……ねぇ。


   なに……?


   ……一緒に、寝ない?


   ……。


   それなら、いいかなって……。


   ……あたしは、いいけど。


   なら……。


   ……でも、ふたりで寝たら狭いと思う。


   ……。


   シングル、だからさ……。


   ……ごめんなさい。


   ううん、謝らないで。


   ……。


   亜美ちゃんは……狭くても、いいかい?


   ……まこちゃんは。


   あたしは、言ったよ。


   ……。


   いいけど……って。


   ……。


   亜美ちゃん……本当に、一緒に寝てもいい?


   ……う、ん。


   ……。


   ……。


   なら……そうする、そうしたい。


   ……まこ、ちゃん。


   ……。


   ……あ。


   亜美ちゃん……もう少し、そっちに。


   う、うん……ちょっと、待ってて。


   いくらでも。


   ……。


   ……。


   ……これで、どうかしら。


   うん……いいと、思う。


   ……。


   ……。


   ……


   やっぱり、ちょっと狭いね。


   ……そう、ね。


   今だったら、すぐに戻れるよ。


   ……。


   でも……寝ちゃったら。


   ……このままで。


   ……。


   このままで……いいわ。


   ……そっか、ならこのままで。


   ……。


   ……近い、ね。


   うん……とても。


   ……今日は、こればかりだね。


   そうね……。


   ……どうしてかな。


   ……?


   どこか、懐かしい……そんな気がする。


   ……ぁ。


   この距離感が……酷く、懐かしい。


   ……私は、安心する。


   安心……?


   ……初めて、なのに。


   ね……。


   ……なに。


   どきどき、する……?


   ……。


   あたしのにおいに、どきどきするって言ってたから……。


   ……。


   ん、亜美ちゃん……?


   ……それは、忘れて。


   忘れ……?


   ……。


   えと……本物だと、しない?


   ……きかないで。


   ……。


   ん……まこ、ちゃん?


   ……あたし、どきどきしてる。


   ……。


   なんでか、分からないけど……。


   ……おともだち、だから?


   うーん、そうなのかな……違うような、気がするけど。


   ちがう……。


   ……少し、似てるんだ。


   なにに……?


   ……。


   ……。


   ……こいを、したときに。


   ……。


   こんなことって、あるんだね……。


   ……わからない、わ。


   そっ、か……。


   ……いつか、恋を知ったら。


   ……。


   ……?
   まこちゃん……?


   ……ごめん、ちょっと。


   ちょっと……なに?


   ……もやって、した。


   もや……?


   ……。


   ……もう、寝ましょうか。


   うん……そうしよっか。


   ……おやすみなさい。


   ん、おやすみ……狭かったら、言ってね。


   ……まこちゃんも。


   うん……狭かったら、言うよ。


   ……。


   ……。


   ……ぇ。


   お、おやすみ……。


   ……。


   ……。


   ……。


   ……ぇ。


   おやすみ、なさい……。


   あ……あみ、ちゃん。


   ……。


   ……。


   ……。


   ……やわらか、かった。


  8日





   ……。


   はぁ、さっぱりしたぁ。


   ……ん。


   亜美ちゃん、お勉強は捗ってるかい?


   うん……おかげさまで。


   そっか、それは良かった。


   ……。


   ん、なに?


   ううん……なんでもない。


   そう?


   ……うん。


   ね、まだ寝ないだろ?


   うん……もう少し、お勉強したい。


   じゃ、あたしは明日の用意をしようかな。
   と言っても、ほぼほぼやっちゃったんだけど。


   あの……まこちゃん。


   ん、なに?


   ……。


   どした?


   ……眠くなったら、私に構わないでいいから。


   眠くなったら、先に寝るよ。
   だけどまだ、眠くないから。


   ……。


   邪魔にならないように、しているからさ。
   あたしのことは、気にしないで。
   ね?


   ……私のことも。


   ん、分かった。


   眠くなったら、電気を消しても良いから。


   消したら、見えなくなっちゃうだろ?


   ……枕元のライトを、貸してもらえたら。


   枕元のライト?
   それじゃ、目に良くないよ。


   ベッドの中で本を読む時は、いつもそうしているから、大丈夫。


   あたしは、明るくても眠れるからさ?
   電気は消さないでいいよ。


   でもそれじゃ、良い睡眠が


   いいから、いいから。


   ……。


   あたしも明日の用意が終わったら、お勉強しようかな。


   ……分からないところが、あったら。


   うん、ありがと。


   ……。


   さて。


   ……あの。


   ん?


   ……まこちゃんって。


   あたしが、どした?
   もしかして、邪魔?


   違うの、そうじゃなくて。


   う、うん。


   その……お風呂上りは、髪の毛を下ろしているんだなって。


   え。


   いつも、お風呂上りは下ろしているの……?


   まぁ、お風呂上りはあまり結んでないかな。
   何かするのに邪魔だったら、結ぶけど。


   そのまま、寝るの?


   ううん、寝る時は緩く結ぶよ。
   そのまま寝ると、あたし癖っ毛だからさ、絡まっちゃって。
   でも、強く結ぶと結び目に変な癖がついちゃうから、出来るだけ緩く結ぶんだ。
   あと、生え際に良くないっていうし。


   ……長いと、大変なのね。


   まぁ、ね。
   だけど、短いのだって大変だろ?
   乾かすのは、楽そうだけどさ。


   ……。


   髪が短いと、寝癖がつきやすくてなかなか直らないって聞くよ。


   ……そうなのかしら。


   あれ、気にしてない?


   気にしていないわけでは、ないけど……寝癖のつきやすさまでは、考えたことがなかった。


   毎朝、ついたりはしない?


   ……毎朝では、ないわ。


   ふぅん……そっか。


   ……まこちゃん?


   この辺り……たまに、ぴょこんとね。


   ……ぴょこん?


   大体同じ場所だから、ただの癖だと思ってたんだけど。
   考えてみたら毎日ではないし、もしかしたら、寝癖なのかなって。


   ……直している、つもりなのだけど。


   難しいよね、直すの。


   ……。


   良かったらさ、直してあげようか?


   ……まこちゃんが?


   上手に直せるかは、分からないけど。


   ……。


   あ、いや、余計なお世話だよね。
   ごめん。


   ……ね。


   だめだな、あたし……つい、余計なことを。


   お願いしても、いい?


   ……え。


   まこちゃんに、お願いしても……いい?


   あ、あたしで、いいのなら。


   ……じゃあ、お願いするわ。


   うん、任せて。


   でも、いつ直してくれるの?
   お昼休み?


   そうだな、これからは一緒に登校しない?


   ……どういうこと?


   毎朝、一緒に学校に行けばいいかなって。


   ……一緒に行って、どうするの?


   早めに学校に着けば、直す時間が取れるだろ?
   亜美ちゃん、学校に行くの早いみたいだし。


   けど、登校時間が違うわ。


   あたしの方が少し遅いけど、一緒に行くのなら亜美ちゃんの登校時間に合わせるよ。


   でも、こんなことの為に……まこちゃん、朝は忙しいでしょう?


   忙しいけど、その分、早く起きればいいだけの話だから。


   ……。


   い、一緒に、学校に行きたいなって。
   あたし達の家、学校から丁度、同じ方向にあるしさ。


   ……。


   め、迷惑かな。


   ……迷惑では、ないわ。


   な、ならさ、どうだろ?
   一緒に、行かない?


   ……毎朝?


   じゃあ週に何回か、とか。
   曜日を決めて、さ?


   ……まこちゃん、本当に大変じゃない?


   あたしは、平気だよ。
   亜美ちゃんは、平気?


   ……私は。


   朝からあたしと一緒でも、平気……?


   ……どうして。


   や、朝からあたしみたいの一緒にいると、さ……。


   平気に決まってる。


   ……お。


   むしろ……まこちゃんと一緒で、嬉しいわ。


   あ……。


   ……まこちゃんさえ良ければ、毎朝だって構わないの。


   な、なら、毎朝にしよう。


   ……。


   もしも休んだり遅れそうな時は、電話をする。
   家を出てからなんかあって遅れそうな時は、先に行って。
   その場合、待ってる時間は……どれくらいが、いいかな。


   ……20分くらいまでなら。


   20分?
   でも、それじゃあ。


   私は、待てるわ。


   亜美ちゃん……。


   まこちゃんは、どう?


   ……あたしも、待てるよ。


   なら……20分くらいまで、で。


   うん……分かった。


   ……約束。


   ん……約束。


   ……。


   ね……髪の毛、ずっと短いの?


   うん……小さい頃から、ずっと。


   一度も、伸ばしたことはない?


   ないわ……短い方が、私には楽だと思うし。


   うーん、そっか。
   ちょっと、もったいないな。


   ……もったいない?


   あの、さ……少しだけ、触ってみてもいい?


   ……え。


   髪の毛に。
   長くは、触らないから。


   ……。


   だめ?


   ……ううん、だめじゃないわ。


   じゃあ、いい?


   ……うん。


   ありがと……それじゃ、少しだけ。


   ……。


   あ、手はちゃんときれいだからね?


   ふふ……うん。


   ……。


   ん……まこちゃん。


   髪の毛が細くて、柔らかい……思ってた通りだ。


   ……まこちゃんの髪の毛は、ふわふわしているわ。


   それでも、あたしのは亜美ちゃんよりもちょっと太いかな。


   ……そんなに変わらないと思うけど。


   ……。


   まこちゃん……?


   ……髪の毛の長い亜美ちゃん、一度だけでいいから見てみたいな。


   え……?


   きれいな髪の毛だから……きっと、長いのも良く似合うと思うんだ。


   ……でも。


   でも、短いのに慣れていたら、長いのは面倒だよね。
   乾かすのにも、時間がかかるし。


   ……私には、似合わないわ。


   え?


   ……長い髪なんて、私には似合わない。


   そんなことないさ。


   ……。


   そんなこと、ないよ。


   ……まこちゃんは。


   あたし?


   髪の毛を短くしたいと、思うことはあるの?


   あるよ、暑い夏なんか特にね。
   結んでいないと、兎に角、首が暑くてさ。


   ……きっと、似合うと思うわ。


   そうかな。


   ずっと長いの?


   うん、小さい頃から。


   小さい頃は、どんな髪型をしていたの?


   ポニーテールだよ。


   ずっと同じなの?


   他の髪型にしてみたこともあるけど、あたしにはポニーテールが一番かなって。


   ……うさぎちゃんのように、ふたつに結んだことは?


   あるには、あるけど……すごく、似合わなかったんだ。


   レイちゃんみたいに、下ろしたままは?


   下ろしたままだと、邪魔で。


   ……。


   強いて言えば、結ぶ高さをたまに変えてる。


   高さ?


   例えば……今日は、この辺で結んでた。


   うん。


   でも、一週間前は……この辺り。


   ……。


   違いなんて、ほとんど分からないだろ?


   ううん……少しだけ、低いわ。


   え、分かるの?


   ……そう、そうだったのね。


   亜美ちゃん?


   先週のまこちゃんに、少しだけ違和感を感じていたの。
   ずっと分からなかったのだけど……髪を結ぶ位置が、少しだけ低かったのなら。


   ……。


   違和感の正体は、きっと……髪型。


   ……亜美ちゃんは。


   うん……?


   あたしのこと……そんなに、見ていてくれたの。


   ……っ。


   そんな細かいことに、違和感を感じてくれるくらいに……。


   ……。


   あ、や、亜美ちゃんなら、違和感を感じてもおかしくないのかな。
   なんせ、マーキュリーだし。


   ……多分、無意識のうちに見ていたのだと思う。


   ……!


   ごめんなさい……これからは、あまり見ないようにするから。


   い、いや、見ていてよ。


   ……。


   こ、こんなこと、言うのは気持ち悪いかもしれないけど……見ていてくれて、違和感を感じてくれて、嬉しいって。


   ……まこ、ちゃん。


   誰にも気付かれないと、思っていたから……だから、嬉しい。


   ……見ていても、いい?


   う、うん……見てて。


   ……。


   ……。


   ……あの、まこちゃん。


   亜美ちゃんの、髪の毛は……。


   ……。


   触り心地が、いいね……。


   ……自分では、分からないけど。


   あたしは、好きだよ。


   ……。


   ……好きだ。


   ね、まこちゃん……。


   ……なに。


   私も……まこちゃんの髪の毛に。


   ……うん、触って。


   いいの……?


   うん、亜美ちゃんになら……触って、欲しい。


   ……。


   今度さ、結んでみる……?


   ……上手には、出来ないと思うから。


   休みの日は、どうかな。


   ……休み?


   時間があるからさ……いくらでも、結べるよ。


   ……。


   あとは……その、泊まりに来た日とか。


   ……試してみても、いい?


   うん……やってみて。


   ……。


   ごめん……長くは触らないって、言ったのに。


   ……ううん。


   お勉強の邪魔をしてしまって、ごめん。


   ……これからまた、するから。


   ……。


   ね……まこちゃんも、するでしょう?


   うん……明日の用意が終わったら、亜美ちゃんと一緒に。   


  7日





   ……のっけごはん?


   ごはんにちょっとしたおかずをのせて食べるんだ。


   例えば、どういうおかずをのせるの?


   大体は、お弁当の残り物かな。


   残り物……。


   なんでもいいんだ、ごはんにのせられるものなら。
   ミートソースをのせて食べたこともあるよ。


   ミートソースって、スパゲッティの?


   そう、スパゲッティの。
   お昼に多めに作ったら案の定残っちゃってさ、それで夕飯にのっけごはんにして食べたんだ。
   チーズをかけてドリア風にしても良かったんだけど、その日はちょっと疲れてたから。


   ……妖魔と、戦った日?


   うん。
   怪我も、しちゃったしさ。


   ……。


   あの日は、マーキュリーに……亜美ちゃんに、初めて手当てをしてもらったんだ。
   すごく嬉しかった。


   ……あの日は、ジュピターが初めて庇ってくれて。


   ん、そうだったっけ。


   ……うん。


   そっか。
   守れて、良かった。


   ……。


   ごはんって、炊いておけばいつでも食べられるからさ。
   おかずじゃなく、味噌汁をかけて食べてもいいし、お茶漬けにしてもいい。
   なんだったら、コンソメスープをかけてもおいしい。


   言われてみれば……まこちゃんのお弁当って、ごはんが多いわ。


   ごはんがあれば、その日一日の主食として食べることが出来る。
   だから、どうしてもごはんが多くなっちゃうんだ。


   だけど、ごはんを炊くのって手間じゃない?
   お米を計って、洗ったりしないといけないし。
   水の量も適切に計らないといけないわ。


   まぁ、冬は手が冷たくなって大変だけど。
   今となっちゃ、手間だとは思わないかなぁ。
   もう、慣れちゃった。


   ……。


   水の量が少なくて焦がしても、丸焦げになってなければ、おこげごはんとしておいしく食べるし。
   逆に、水の量が多くてべしょべしょになっちゃっても、ちょっとしたおかゆだと思っておいしく食べる。
   よっぽどのことがない限り、食べられないことはないから。
   そうそう、べしょべしょになったごはんって、電子レンジで温めると少しマシになるんだよ。
   平たく盛って、ラップをして、チンってね。


   水分を飛ばすのね。


   そうなんだ。
   あれを発見した時は嬉しかったなぁ。


   ……。


   でも、疲れてる時は……やっぱり、ちょっと手間かな。


   そういう時に、パンという選択はないの?


   パン?


   パンなら、買ってきてそのまま食べられるし。


   パンも、いいよね。
   だから、食パンも買い置きしてるよ。


   ……まこちゃんは、サンドイッチって好き?


   サンドイッチ?
   好きだよ、おいしいよね。


   ……。


   そういや、亜美ちゃんってサンドイッチが好きだよね。
   お弁当は、サンドイッチが多いし。


   ……片手で、食べられるから。


   こら、行儀が悪いぞ?


   ……え。


   食べながら、本を読んだりお勉強するだなんて。


   ……けど、その方が効率がいいから。


   あ、本当にやってた。


   ……。


   でもまぁ、分かるよ。


   ……分かるの?


   あたしも、片手間で済ませたい時はおにぎりを作っておくんだ。


   おにぎり……?


   おにぎりだって、片手で食べられるだろ?


   ……そういえば、そうよね。


   まぁ、崩れちゃうと大変なんだけどね。
   でも、それはサンドイッチだって同じだと思う。


   ……同じって。


   サンドイッチって、食べてるとたまに中身がこぼれちゃったりしない?
   レタスとか、トマトとか。


   ……あぁ。


   それこそ本や教科書、ノートになんてこぼれちゃったら、具によってはしみになっちゃったり。
   そんなこと、ない?


   ……。


   ふふ、その顔はあるな?


   ……こぼれないようなものを、選ぶの。


   選んでも、こぼれちゃうことはある。
   違う?


   ……違わない。


   サンドイッチってさ。


   ……?


   作るとなると、結構手間なんだ。
   確かに挟むだけなんだけど、その挟む具を用意するのが、ね。
   まぁ、バターだけとか、ジャムだけとか、その両方だけとかなら、まだ楽なんだけど。


   ……だから、あまり作らない?


   炊き込みごはんよりは、少ないかな。
   けど、作るよ。やっぱり、食べたくなるもの。
   ハムたまごとか、ツナとかさ、あたし、好きなんだ。


   ……。


   そうだ、明日の朝はサンドイッチにしようか。


   ……朝?


   起きたら、朝ごはんを食べるだろ?


   ……あ。


   もしかして、忘れてた?


   ……考えて、なかった。


   はは、そっか。


   あの、どこかで買って


   ううん、作るよ。


   でも……ごはんは、炊かなくていいの?


   ごはんも、二合くらい炊いておく。炊飯器に入れておけば、夕飯に食べられるから。
   と言うわけで、明日のお弁当もサンドイッチにしようかな。


   ……おかずは、どうするの?


   今夜は、サンドイッチの具の用意だけしておく。
   たまごはあるし、ツナもある、胡瓜もあるし、ハムもある……トマトも、あったかな。


   ……。


   ね、どうだろ?


   ……え?


   この中に嫌いなものは、ない?


   ……ないけど。


   じゃあさ、亜美ちゃんのお弁当にもどうだろ?


   私の、お弁当?


   そ、あたしが作ったサンドイッチが明日のお昼。


   私は、途中で買っていくから。


   コンビニで?


   いつも、そうしているし。


   たまにはさ、あたしが作ったサンドイッチ、食べてみない?


   でも、お夕飯と朝食をご馳走になって、お昼まで


   食べたい?


   ……。


   それとも、食べたくない?


   ……その聞き方は。


   ね、どっち?


   ……食べたくないなんて、言えないわ。


   言えないってことは、心の中では食べたくないって思ってるってこと?


   ……まこちゃん。


   ん?


   ……ずるい。


   ずるい?
   何が?


   ……食べたくないなんて、思うわけないじゃない。


   そう?
   なら、明日の亜美ちゃんのお弁当はあたしが作ったサンドイッチだ。
   うん、決まり。


   ……うさぎちゃんに、何か言われるかもしれないわ。


   何か?


   ……まこちゃんと私のお弁当が、同じだって。


   んー、別にいいんじゃないかな。
   うさぎちゃんのことだから、一口ちょうだいって言ってくるだろうし。


   ……。


   あたしと同じなのは、いやかい?


   ……だから、ずるい。


   また、ずるい?


   ……いやなわけ、ないじゃない。


   ふふ、そっか。


   ……。


   朝はさ、トーストのサンドイッチにするよ。
   で、お昼は普通のサンドイッチ。
   どうかな?


   ……トーストにするの、手間じゃない?


   トースターに入れるだけだから。かりかりで、おいしいよ。
   あ、それとも、トーストは昼の方がいいかな。


   ……私は、どちらでも。


   じゃあ、トーストは朝で。
   焼き立てが食べたい。


   ……ん。


   そういや、チーズもあったな。
   亜美ちゃん、チーズは好きかい?


   ……うん、好き。


   ん、それじゃあチーズも使お。


   ……ねぇ、まこちゃん。


   なぁに、亜美ちゃん。


   ……楽しそう?


   うん、すっごく楽しい。
   あたし、誰かにごはんを作るのが好きなんだ。


   ……誰かにって。


   そのひとのことを考えながら作ってると、本当に楽しくて。


   それって……好きな男の子によね?


   ……。


   ……?
   まこちゃん……?


   ……まぁ、食べてもらったことなんて、一度もないんだけどね。


   え。


   お弁当……渡そうとすると、そんなのいらないって。


   そんなのって……。


   でもまぁ、そりゃあそうだよね。
   あたしが、勝手に作ってるだけだし……押し付けられても、迷惑だよなって。


   あの……今回のひとには。


   ……。


   まこちゃん……。


   ……渡す前に、失恋。


   あぁ……。


   ……だからってわけじゃ、ないんだよ。


   ……。


   亜美ちゃんにお弁当を作ってあげたいと思ったのは……失恋したからじゃない。
   本当に、亜美ちゃんの為に作ってあげたいって……そう、思ったんだ。
   だから、だからさ、男の子の代わりなんかじゃなくて……その。


   ……ありがとう、まこちゃん。


   亜美ちゃん……。


   とても、嬉しいわ。


   ほんと?
   お弁当、食べてくれる?


   ……うん、食べたい。


   あぁ、良かったぁ。


   ……ふふ。


   れ?


   作る気満々でいたのに、ね。


   ……。


   まこちゃん?


   ……あたしの悪い癖なんだ。


   悪い癖?


   相手の気持ちをろくに聞かずに、突っ走るところ……。


   ……。


   直したいとは、思ってるんだけど……なかなか、直せなくて。


   ……まこちゃんは、いつだって、私の気持ちに寄り添ってくれる。


   ……。


   だから……きっと、直せるわ。


   ……そう、かな。


   ね……私で、試してみる?


   亜美ちゃんで……?


   ……好きな男の子ではないから、効果はないかもしれないけど。


   しないよ。


   ……そう、そうよね。


   亜美ちゃんは大事な友達だ。
   好きなひとの代わりになんて、しない。


   ……。


   生まれて初めて、大事な友達だと思ったんだ……だから、代わりになんてしたくない。


   ……ごめんなさい、私。


   あたしのことを考えて、言ってくれたんだろ?


   ……。


   だから……いいよ、謝らないで。


   ……。


   ねぇ亜美ちゃん、手、繋がない?


   ……手?


   友達でも、繋いでいいみたいだからさ。
   だから……繋いで、みない?


   ……。


   なんて、いやだよね。
   ごめんね。


   ……ううん、いいわ。


   ……。


   私の手で、いいのなら……繋いで。


   ……亜美ちゃんの手が、いいんだ。


   え……?


   いや……えと、ありがと。


   ……あ、でも。


   やっぱり、いや?


   いやじゃないの……その、冷たいかもしれないから。


   あぁ、なんだ。
   そんなことか。


   ……冷たい手、いやじゃない?


   いやじゃないよ。
   全然、いやじゃない。


   ……。


   さっき、亜美ちゃんちでさ。


   ……うん。


   あたしの手を、引いてくれただろ?
   その時に……?


   ……。


   あれ、憶えてない?


   ……確かに、引いたわ。


   もしかして、無意識だった?


   ……。


   そっかぁ。
   亜美ちゃんでもそんなこと、あるんだね。


   ……ごめんなさい、勝手に。


   びっくりして、嬉しかった。


   ……。


   だから……繋ぎたいって、思った。


   ……まこちゃん。


   き、気持ち悪いかな……。


   ……気持ち悪くなんて、ない。


   そ、そう……?


   ……。


   あ。


   ……まこちゃんの手は、温かいのね。


   亜美ちゃんの手は……。


   ……冷たい?


   少し冷たいけど、やわらかい……。


   ……。


   ……あっためて、あげるよ。


   まこちゃん……うん、ありがとう。


   ……亜美ちゃん。


   まこちゃん……。


   ……。


   ……。


   え、えと。


   ……ん。


   う、うちまで、あともう少しだ。


   ……そうね。


   だ、だからさ、このまま、帰ってもいい?


   ……ん、いいわ。


   あ、ありがと……。


  6日





   入って、まこちゃん。


   ……うん、お邪魔します。


   スリッパは、ここに。


   あ、お構いなく。


   そう?


   うん、あたしはここで待ってるから。


   玄関で?


   うん。


   上がって、まこちゃん。
   こんなところで待たすなんて、そんなこと出来ないわ。


   でも、玄関だって家の中だし。


   上がって、ね?


   ……。


   まこちゃん?
   何か気になることでもあるの?


   や……靴下、大丈夫かなって。


   靴下?


   ……履き替えてくれば、良かったかなぁって。


   ……。


   あ、穴は空いてないんだけどね。


   ふふ……何を言っているの?


   そ、そうだよね……はは。


   靴下がそんなに気になるのなら、スリッパを履けばいいんじゃない?


   いや、靴下だけじゃなくて……に、においとか。


   におい?


   ……。


   良く分からないけど……とりあえず、上がって?


   わ……。


   上がって、待っていて?
   ね?


   じゃあ……そうしよう、かな。


   ええ、そうして。


   う、ん……。


   スリッパは、いる?


   えと……。


   いらないのなら、それでいいの。


   ……借りても、いい?


   ん、どうぞ。


   ……ありがと。


   リビングの場所は、知っているわよね?


   うん、知ってる……けど。


   けど、なぁに?


   亜美ちゃんの部屋で、待っていてもいい?


   私の部屋で?


   うん……だめかな。


   ……。


   ごめん、だめならリビングで。


   ……ううん、いいわ。


   いいの?


   初めてでは、ないし。


   いやなら、無理しないで。


   いやでは、ないの。
   だから来て、まこちゃん。


   ……うん、分かった。


   ……。


   あのさ。


   ……なに?


   亜美ちゃんちって、きれいだよね。
   玄関も、すっきりと片付けられていてさ。


   そんなことないわ。
   隅っこには多分、ほこりが溜まっていると思うもの。


   亜美ちゃんが掃除しているの?


   ん……たまに、だけど。


   そっか。


   ……。


   ……やっぱり、きれいだと思うな。


   まこちゃん。


   ん?


   入って。


   あ、うん。
   お邪魔します。


   すぐに、用意してしまうから。


   ううん、そんなに急がなくてもいいよ。
   ゆっくり用意して。


   ありがとう。


   ん。


   ……。


   ……亜美ちゃんの、におい。


   え、なに?


   な、なんでもない。


   ?
   そう?


   ……うん、なんでもないよ。


   なら……いいけど。


   ……。


   ……ねぇ、まこちゃん。


   な、なに?


   やっぱり、迷惑だったんじゃない?


   そ、そんなことは、ないよ。


   ごめんなさい。


   謝らないでよ、亜美ちゃん。


   ……。


   と、泊って欲しいって言ったのは、あたしなんだ。
   だから、ちっとも迷惑なんかじゃないよ。


   ……ベッドに。


   え。


   ベッドで良ければ、座って。


   あ、うん……。


   ……。


   あ、亜美ちゃんの部屋ってさ。


   ……うん?


   きれいに、しているよね。


   そんなことはないわ……ほら、見て。


   ……?


   ベッドの上……本が置きっぱなし。


   あぁ、本当だ。


   片付けようとは思っているのだけど、ベッドの中で読むにはその方が効率が良くて。


   だけどこの本、読んでる途中なんだろ?


   ……どうして、そう思うの。


   なんとなく、そうかなって。


   ……。


   あたしもテーブルの上に置きっぱなしにしちゃうことがあるからさ、その気持ちは分かるよ。
   置いておいた方が、すぐに読めるんだよね。


   ……でも、読み終わっているのも置いてあるの。


   あ、そうなんだ。


   ……つい、ね。


   でも、あれだ。
   読み直したりする為だろ?


   ……。


   亜美ちゃんのことだから、そんなところだと思うんだ。


   ……みんなが来る時は、片付けているのだけど。


   言われてみれば、みんなと来る時は置いてなかったかも。


   ……お友達が来ることなんて、なかったから。


   ……。


   ……こんな風に。


   ごめん。


   ……ううん、嬉しいから。


   うれしい?


   ……こんな風に、お友達が来てくれて。


   ……。


   今度からはいつ来てもいいように、片付けておくわ。


   来るのがあたしなら、そのままでもいいんじゃないかな。
   あたしは、気にしないし。


   ……。


   あ、でも、寝る場所がないくらいに出しっぱなしだったら、片付けちゃうかも。


   ふふ……そうならないように、気を付けないとね。


   はは。


   ……。


   それ、亜美ちゃんのパジャマ?


   ……そうだけど。


   かわいいね。


   ……そう、かしら。


   うん、薄い青が亜美ちゃんに良く似合ってるよ。
   着てるところはまだ、見てないけど。


   ……気に入っているの。


   そうなんだ。
   楽しみだな。


   ……楽しみ?


   お気に入りのパジャマを着てる亜美ちゃんを見るのが、ね。


   ……そんなことを言われると、恥ずかしいわ。


   あれ。


   ……。


   えと、ごめん?


   ……シャツとジャージ、借りた方がいいかしら。


   えぇ。


   ……えぇ、ってなに?


   パジャマ姿の亜美ちゃん、見たいな……。


   ……もぅ。


   けど、亜美ちゃんがいやなら


   ……あまり、見ないでね。


   へ。


   ……あまり見ないで?


   あ、うん、分かった。


   ……。


   あ。


   ……なに?


   ううん、なんでもない……よ。


   ……まこちゃん?


   なんでもない、なんでもない……。


   ……?
   あ……。


   な、なに?


   ……なんでも、ないわ。


   そ、そう?


   ……。


   え、えと……なんか、恥ずかしいね?


   ……言わないで。


   うん、ごめん。


   ……。


   ……女同士なのに、なんでこんなに恥ずかしいのかな。


   ん……着替えはこれでよし。
   あとは、明日の学校の……。


   ……下着、なんて。


   明日は……。


   ……なんかどきどきする、どうしちゃったんだろ、あたし。


   ……。


   ……考えてみれば下着を見ることなんてないし、そのせいかな。


   ……。


   うん……きっと、そうだ。


   まこちゃん。


   ……え?


   何を、言っているの?


   え、あたし、なんか言ってた?


   うん……きっと、そうだって。


   あ……。


   どうしたの?


   う、ううん、どうもしない。


   ……。


   どうもしないから、気にしないで。
   ね。


   ……支度、終わったわ。


   え、もう?


   うん。
   あとは、バスタオルだけ。


   バスタオル?
   バスタオルなら、うちのを使いなよ。


   でも。


   洗濯、してあるからさ。
   荷物は、少ない方がいいだろ?


   ……洗濯物を、増やしてしまうわ。


   そんなの、別に構わないさ。
   洗濯機に入れれば、洗濯機が洗ってくれるんだから。


   ……。


   あ、でも、使い慣れたものの方がいいか。
   うん、そうだよね。


   ……借りても、いい?


   ん?


   ……バスタオル。


   うん、亜美ちゃんさえ良ければ。


   ……ありがとう、まこちゃん。


   支度、それでおしまい?


   ……一応。


   そっか、じゃあ。


   ……あ。


   持つよ。


   ううん、自分で。


   持たせて?


   ……。


   さ、行こうか。


   ……ん。


   ……。


   ……。


   ……ね、亜美ちゃん。


   なに……まこちゃん。


   亜美ちゃんの部屋……また、来てもいい?


   うん……また、来て。


   ……ひとりで来ても、いい?


   ひとりで?


   うん……あたし、ひとりで。
   いいかな……。


   もちろん……来て、まこちゃん。


   ……うん、ありがと。


   ねぇ、まこちゃん……。


   ……なんだい?


   私も……まこちゃんのお部屋、ひとりで行ってもいい?


   もちろん、いつでも来てよ。


   ……いつでも?


   そう、いつでも。
   亜美ちゃんなら、大歓迎だよ。


   いつでも、なんて。


   特別な用がなくたっていいんだ。
   なんとなくでもいい、亜美ちゃんが来てくれたら嬉しい。


   ……。


   なんならさ、そのまま泊ってくれてもいいんだ。
   明日がお休みの時に、とかさ。


   ……。


   お、お勉強も、するよ?


   ……じゃあ、お泊まりでお勉強する?


   うぉ……。


   ……うぉ?


   い、いいね……。


   ……じゃあ、今夜する?


   うぇ……。


   ……なんて。


   冗談……?


   ……冗談じゃない方が、いい?


   あ、いや……予習、くらいなら?


   そう……じゃ、一緒にしましょうね。


   は、はい……。


   ……ふふ。


   は、ははははは……。


   ……。


   じゃ、じゃあ、明日の、英語の予習でも……しちゃおうかな。


   ね……。


   ……うん?


   時々、まこちゃんのお部屋でお勉強をしてもいい?


   あたしの部屋で?


   まこちゃんのお部屋……どうして分からないのだけど、とても落ち着くの。


   うん、いいよ……亜美ちゃんの好きにして欲しい。


   ん……ありがとう、まこちゃん。


   その代わり。


   ……その代わり?


   一緒にごはんを食べてくれたら、嬉しいな。


   ……。


   食べて、くれる?


   ……うん、食べる。


   ははっ、やったぁ。
   約束だよ、亜美ちゃん。


   ん……。


   ゆびきり、する?


   ……ん、する。


   歌は、今回は省略で。


   ……しても、いいの?


   それとも、一緒に歌いたい?


   ……今回は、省略で。


   ふふ……それじゃ。


   ……。


   ……ゆびきり、


   げんまん……。


   ……。


   ……約束、ね。


   うん……約束、だ。


  5日





   ……ごちそうさまでした。


   はい、お粗末さまでした。


   本当に美味しかったわ。
   ありがとう、まこちゃん。


   こちらこそ、きれいに食べてくれてありがと。


   ……ふぅ。


   ん、お腹いっぱい?


   ……うん、もう食べられない。


   もしかして、動けそうにない?


   そんなことは、ないけど。


   じゃあさ、少し休んでなよ。
   お腹がこなれるまでさ。


   ……でも、そろそろ帰らないと。


   あと、一時間……ううん、30分くらいでもだめ?


   ……私は、だめではないけれど。


   あたしも、だめではないよ。


   ……遅くなると、危ないし。


   大丈夫、マンションの前までちゃんと送っていくから。
   なんなら、部屋の前まででもいいよ。マンションの中も、危ないっていうし。


   私じゃなくて。


   うん?


   まこちゃんが……帰りは、ひとりになってしまうでしょう?


   あたしは、大丈夫だよ。


   まこちゃんが大丈夫でも、私が大丈夫ではないの。


   うん?
   どうして?


   どうしてって。
   分からないの?


   うん、分からない。
   なんで、亜美ちゃんが大丈夫じゃないの?


   本当に、分からないの?


   うん……本当に、分からない。


   ……まこちゃんは、どうして私を送ってくれようとするの。


   それは、亜美ちゃんがひとりで帰るのは心配だからだよ。


   ……同じよ。


   え?


   ……心配、なの。


   心配……。


   まこちゃんが、ひとりで帰るのは。


   ……。


   まだ、分からない?


   ……いや、分かった。


   ……。


   でも、あたしはひとりでも


   いや。


   ……。


   まこちゃんが私を心配してくれるように……私だって、まこちゃんが心配なの。


   あ、うん……そっか。


   私は、ひとりでも大丈夫よ。
   塾で遅くなっても、ひとりで帰っているのだから。
   だから、


   ならさ、いっそ泊っていく?


   ……はい?


   それなら、心配しなくてもいいだろ?


   ……泊っていくって。


   ベッドは、亜美ちゃんが使ってよ。
   あたしは、床で寝るからさ。


   ……っ。


   あ、枕が違ったら眠れない?


   ま、待って、まこちゃん。


   亜美ちゃんは、違う枕でも眠れる?
   あたしは、わりと平気なんだけど。


   も、元々、寝付きがいいわけではないから。


   そっか。
   じゃあさ、眠れなかったら言ってよ。
   眠くなるまで、お喋りしよ。


   待って、まこちゃん。


   お風呂のタオルは、違う方がいいよね。
   ちゃんと、別のものを用意するからさ。遠慮なく、使って。


   ありがとう。
   だけど私、泊るとは一言も


   着替えは……んー、どうしようかな。


   着替えって……。


   寝間着は、あたしのシャツとジャージでもいいかな。
   大きいとは思うけど、小さいよりはいいと思うからさ。
   ほら、大は小を兼ねるって言うだろ?


   まこちゃん、私は


   安心して。
   シャツもジャージもタオルも、ちゃんと洗濯してあるから。


   そ、そういう問題ではないの。


   あとの、問題は……あれ、かな。


   まこちゃん、ありがとう。
   だけど、私は帰


   ね、替えの下着なんて、持ってないよね。


   し、下着?


   うん、下着。


   も、持っていないわ。


   そうだよね、普通は持ち歩いてないよね。


   まこちゃんは、持ち歩いているの?


   いや、あたしも持ち歩いてないよ。
   学校に持っていても、ね?


   ……。


   どうしようかな……。


   ねぇ、まこちゃん。


   ん?


   私、帰るわ。
   泊るなんて、そんなこと出来ない。


   ……。


   気持ちは、とても嬉しい。
   でも、迷惑になってしまうから。


   ……迷惑?


   急に泊るだなんて。
   準備も、全然していないし……それに。


   迷惑、だった?


   ……え?


   ごめん……あたし、ひとりで勝手に。


   迷惑をかけてしまうのは、私。


   ……亜美ちゃんが?


   まこちゃん、この後は明日のお弁当のおかずを作るのでしょう?


   ……亜美ちゃんがいたって、作れるよ。


   ううん、だめよ。


   別に、だめじゃないよ。
   亜美ちゃんさえ、良ければ……あたしは。


   私は……帰って、お勉強しないと。


   お勉強……。


   ……そう、お勉強。


   あたしより……。


   ……。


   ……や、なんでもない。


   ごめんなさい、まこちゃん。


   ……あたしこそ、ごめん。


   ううん……気持ちは、嬉しいから。


   ……だけど、せめて。


   ……。


   お腹が、こなれるまでは……うちに、いてよ。


   ……こなれるまで、なら。


   ……。


   まこちゃん……?


   ……あたしさ、みんなが帰っちゃうとさびしいんだ。


   あ……。


   ……だから、亜美ちゃんが帰っちゃったら。


   ……。


   亜美ちゃんが、いてくれて……部屋の中が、あったかくて。
   特に、今日は……ひとりじゃなくて、良かったって。


   ……。


   ごめん、こんなことを言って……聞き分けのないガキ、みたいだよね。


   ……私達はまだ、子供だから。


   ……。


   中学生なんて……自分だけの力では、まだ、何も出来ない。
   背伸びを、するだけで……何も出来ない、から。


   ……困らせてる、だろ。


   ……。


   顔、困ってる……。


   ……困っては、いないわ。


   帰る時は、言って……やっぱり、送りたいから。


   ……。


   ……少しでも、一緒に。


   ……。


   ごめん……食器の片付けを、するね。


   私も、


   ううん、亜美ちゃんは休んでいて。
   勉強も、したいだろう?


   ……。


   それじゃあ……。


   まこちゃん。


   ……もう帰るなんて、言わないで。


   ひとつ、考えがあるの。


   ……考え?


   だけど、この考えは……きっと、まこちゃんに迷惑をかけてしまうと思う。


   ……迷惑って。


   それでも……聞いて、くれる?


   ……うん、聞くよ。


   ……。


   考えって、なに……亜美ちゃん。


   食器の片付けが終わったら、私は一度、家に帰るわ。


   ……。


   まこちゃんに、ついてきて欲しいの。


   ……それは、もちろん。


   家に着いたら、私はお泊まりと明日の学校に必要なものを急いで用意するから。
   その間、帰らずに、待っていて欲しいの。


   ……うん?


   外ではなく、家の中で。


   ……それって。


   そして、用意が出来たら、それらを持って。
   まこちゃんのお部屋に、ふたりで戻ってくる。


   ねぇ、亜美ちゃん……それって、さ。


   つまり……お泊まりの支度をしに、一度、家に帰りたい。


   ……!


   これが、私の考え……なのだけれど。
   迷惑、よね……?


   ぜ、全然、迷惑じゃない!


   だけど、手間をかけて


   それが亜美ちゃんの考えなら、あたしは喜んで……!


   ……。


   喜んで、聞くよ。


   ……本当に、いいの?


   いいよ。


   時間を取らせてしまうわ、それでも。


   そうしたいんだ。


   ……。


   どうしても、そうしたい。


   ……まこちゃん。


   いいよね?


   ……まこちゃんさえ、良ければ。


   いいに、決まってる。


   ……。


   そうと決まれば、早い方がいいよね。
   片付け、すぐにやっちゃうから。


   私もやるわ。


   亜美ちゃんは


   ううん、やらせて?
   ご馳走になったのだから、それくらいはしなきゃ。


   亜美ちゃん……うん、分かった。
   それじゃあ、流し台に運んでもらってもいいかな。


   分かったわ。


   で、あたしが洗うから、食器を拭いてもらってもいい?


   うん。


   布巾は、これを使って。


   ん、分かった。


   よし、やろうか。


   ええ。


   あ、でも。


   なに?


   お腹、大丈夫?


   ……大丈夫。


   お腹いっぱいで、苦しくない?


   少し、こなれたから。


   こなれた?


   話していたら、ね。


   はは、そっか。
   だけど、無理はしないでね。


   ふふ、ありがとう。


   ……。


   ……?
   まこちゃん?


   ……ふふ。


   今度は、なに?


   いいなって。


   何が、いいの?


   こういうの。


   ……。


   だから、将来は……家事が出来るひとと結婚して、ふたりでやれたら素敵だなって。


   ……そう。


   ね、亜美ちゃん。


   ……なに、まこちゃん。


   もしも、もしもなんだけど。


   ……。


   あたしが、ずっと……ひとり、だったら。


   ……大丈夫、ちゃんと見つかるわ。


   あ……。


   ……まこちゃんに、見つからないわけないもの。


   ……。


   ……。


   ……亜美ちゃんが、ひとりなわけ、ないよね。


   私は……見つからなくても、いい。


   ……。


   ……私は一生、医者という仕事をしていたいから。


   だけど、ひとりでなくても……誰かと、生きても。


   ……いいの、ひとりで。


   ひとりは、さびしいよ。


   ……あ。


   さびしいから……。


   ……。


   だから……だれかと、いきられるのなら。


   ……。


   ごめん……さびしいのは、だれかといきたいのは、あたしだ。


   ……ううん、謝らないで。


   ……。


   考えは、変わるかもしれない……だから。


   ……亜美ちゃんは、どんなひとと。


   それ以前に。


   ……。


   ……人を好きになることが、良く分からない。


   そ、っか……。


   ……。


   ……分かりたいと、思う?


   ううん……今は、別に。


   ……。


   ……変よね、私。


   ううん、変じゃないよ……。


   ……だけど、みんなは。


   同じである必要なんて、どこにもないさ。


   ……。


   ……亜美ちゃんは、亜美ちゃんなのだから。


  4日
   戀とは何ぞや。





   ……。


   さぁどうぞ、召し上がれ。


   ……カレー。


   豆の、ね。


   ……お味噌汁。


   具は、長ねぎと乾燥わかめ。


   ……サラダ。


   カレーの豆が、少し余っちゃったから。


   ……。


   半分に切ったミニトマト、リンゴ酢とはちみつ、それから塩を少々。
   ミックスビーンズを使った、お手軽豆サラダ。箸休めにいいよ。


   ……はぁ。


   あ、食べたくない?


   ううん……すごいなって、思って。


   すごい?


   まこちゃんは、即席だと言ったけれど……どれも、とても即席だとは思えない。


   そうかな。


   特にカレーなんて……煮込まなくても、いいのね。


   うん、即席だからね。
   もしかしたら、物足りないかもしれないけど、でもちゃんとカレーの味はするから。


   ……お味噌も入れていたわ。


   隠し味ってやつだよ。


   ……ソースとケチャップも?


   まぁ、味を整える為にね。
   だけど、ちゃんとカレーの味だから。


   ……。


   と、とりあえず、食べてみて?
   それで、口に合わなかったら、その、無理して食べなくてもいいからさ。


   ……やっぱり、すごい。


   え、えと。


   まこちゃんって、本当にお料理が好きなのね。


   うん、まぁね。


   見ていたけれど、手際がとても良くて……玉ねぎをお水で炒めるなんて、知らなかったわ。


   夜は、寝るだけのお腹だろ?
   だから、あまり油っこくしないようにしてるんだ。


   確かに、油で炒めるよりずっと油分は少ないわ。


   ウォーターソテーって、言うんだよ。
   良かったら、亜美ちゃんもやってみて。


   ……私は。


   あ、料理、あんまりしないんだっけ。


   ……お料理するよりも、お勉強していたいから。


   そっか……うん、そうだよね。


   まこちゃんは、いつもしているのよね。


   まぁ、食べないといけないしね。
   何もしなくたって……生きてるだけで、お腹って空くだろう?
   あたしには、作ってくれるひともいないしさ。


   ……。


   お総菜も便利でいいけど、なるべく自炊するようにしてるんだ。
   あたしは料理が好きだし、いい気分転換にだってなる。
   知ってる? 料理って、自己肯定感を高めるのにいいんだって。
   確かに、今日もおいしく作れた~って思うと、本当に気分が良くなるんだ。
   あたしは、こんなにおいしいごはんを作れるんだって。


   ……まこちゃん。


   だからって、毎日時間をかけて、こった料理を作り続けるのは大変だからさ。
   こうやって、時間がかからないのも作る。味噌汁なんて、本当に即席だったろ?


   ……お鍋も、使わなかったわ。


   味噌と乾燥わかめを混ぜ合わせて、保存容器に入れておいて。
   必要な時に、お椀に入れて熱湯を注いで食べる。出汁は、わかめから出るからいらない。
   こういう料理も、続ける為には必要なんだ。


   ……好きなことを、ストレスと感じてしまうわないように。


   そう、それ。
   ストレスになってしまったら……きっと、楽しくなくなってしまうから。


   ……。


   出来なくなってしまったら……困るのは、自分なんだ。


   ……。


   ね、亜美ちゃん。
   あたし、いいお嫁さんになれると思う?


   ……お嫁さん?


   そう、お嫁さん。
   なれるかな。


   ……まこちゃんは、いいお嫁さんになれると思うわ。


   ふふ、ありがと。


   ……。


   なれるよう、これからも、


   ……料理だけが、判断基準じゃない。


   え。


   ……。


   亜美ちゃん?


   ……本当はね、好きではないの。


   え、カレー好きじゃない?


   ううん……カレーは、好きよ。


   そ、そっか、良かった。


   ……いいお嫁さんになれる、そういう物言いが好きではないの。


   ……。


   ごめんなさい……好きでないのなら、言わなければいいだけの話よね。


   ……あたしは、嬉しいと思ったよ。


   ……。


   亜美ちゃんが、あまり好きでなくても……言われたあたしは、嬉しいから。


   ……そう。


   亜美ちゃんは、そんなあたしが好きじゃない?


   ……どうして、そうなるの。


   ん……いや、なんとなく。


   ……好きよ。


   ……。


   まこちゃんが、嬉しいのなら……それで、いいの。


   ……それは、どうなのかな。


   ……。


   あたしが嬉しいなら、それでいいって……なんか、違うような気がする。


   ……。


   ね、思っていることを聞かせてよ。
   このまま終わらせたら、もやもやが残ってしまいそうなんだ。


   ……思ってることなんて。


   あるだろ。


   ……カレーが、冷めてしまうから。


   じゃあ、食べながら話そう。


   ……適さないわ。


   適さない?
   何が適さないの?


   食事に……この話題は。


   ……。


   だから……?


   だめだ、やっぱりもやもやする。


   ……。


   言って、亜美ちゃん。


   ……でも。


   言っても仕方ない、そんなこと思ってる?


   ……。


   そんなの、分からないだろ。


   でも、まこちゃんの


   あたしもだけど、亜美ちゃんもだよ。
   もやもやしてるんじゃないの?
   だから、好きではないんじゃないの?


   ……。


   ね、そうなんだろう?


   ……っ。


   聞かせてよ、亜美ちゃん。


   ……料理だけが、基準じゃない。


   基準?


   いいお嫁さんになれるかどうかなんて、料理だけが基準じゃないの。


   うん、そうだね。
   あたしも、それは思うよ。


   だけど、それを求める。
   男性も、女性も。


   都合がいいと言うか、分かりやすいと言うか。
   男は仕事、女は家庭って言うし。


   女性が仕事をしたっていいと思うの。


   勿論、悪くはないよ。
   あたしも将来はお店を持って働きたいと思っているし。


   料理が出来たって、出来なくたって、別れる時は別れるわ。


   まぁ、そうだよね。
   心が離れてしまったら、料理だけではどうにもならないだろうし。


   それに男性だって、これからは、料理くらい出来た方がいいに決まってる。


   男のひとも?


   まこちゃんは将来、お嫁さんになるだけでなく、お店を持ちたいと思っているのでしょう?
   だったら、配偶者にだってやってもらわないと。


   ……。


   だってそうでしょう?
   まこちゃんだって働いているのに料理、ううん、料理だけじゃない。
   家事全般を、まこちゃんだけがやるだなんて。そんなの、おかしいもの。


   言われてみれば、確かに。
   あたしが忙しい時は、旦那さんにもやってもらいたいかも……ううん、やってもらわないと。


   少なくとも、自分のお世話は自分で出来ないと。
   お世話が必要な赤ちゃんではないのだから。


   ……赤ちゃん。


   責任ある大人が、自分ひとりのお世話も出来ないだなんて。
   それで家庭を持とうだなんて、間違ってる。


   ……。


   それにもしも、赤ちゃんが生まれたら……。


   はは。


   ……。


   亜美ちゃん、大分たまってたんだね。


   ……たまってるって。


   もやもや。
   ここまでたまっていると、もう、もやもやだけじゃすまないな。
   もやもや、かける……百、ぐらいかも。


   ……結婚って、現実なのよ。


   現実?


   ……お嫁さんになって終わりじゃない、それからも現実は続くの、続いていくの。


   ……。


   ……現実でなければ、両親は、きっと。


   あぁ……そっか。


   ……。


   亜美ちゃんが言っていることは、正しいと思う。


   ……ごめんなさい、私。


   ん、いや、聞かせてくれてありがと。


   ……せっかくの、ごはんが。


   ちょっと冷めちゃったかもしれないけど、大丈夫。
   冷めてもおいしいよ、あたしの即席豆カレー。


   ……。


   ね、食べてみて。


   ……いただきます。


   はい、どうぞ。


   ……。


   どう?


   ……ちゃんとカレーだわ。


   はは、そうだろ?


   ……お豆と合っていて、とてもおいしい。


   肉が入ってないから、さっぱりしてるけど。
   でも、お腹にはたまるから。


   ……おいしいわ、まこちゃん。


   ん、良かった。
   あたしも食べよっと。


   ……。


   うん、今日もおいしく出来た。


   ……ね、まこちゃん。


   なんだい?


   ……まこちゃんは、いいお嫁さんになれると思う。


   ……。


   だけど……相手のことは、ちゃんと見て。
   まこちゃんを……まこちゃんの善良さを搾取するようなひとは、決して選ばないで。


   ……亜美ちゃん。


   ごめんなさい……。


   いや……心配してくれて、ありがと。


   ……。


   ……心配、してくれてるんだよね?


   う、ん……。


   ふふ……ありがと、亜美ちゃん。


   ……。


   そう思うと、今回も実らなくて良かった。


   ……え。


   二股、してたんだってさ。


   ……ふた、また?


   そ、二股。
   トイレに行ったら、たまたま、泣いてる彼女とその友達がいてさ。
   友達がそれはもう怒っていて、なんだか大変そうだなぁって思いながら通り過ぎようとしたら……彼の名前が、耳に、入ってきちゃって。


   ……。


   告白なんかしてたら、三股されるとこだった。
   ほんと、危ないところだった。


   ……。


   ま、あたしなんか、相手にされなかっただろうけどね。
   彼女もだけど、浮気相手も、ちっちゃくて可愛いみたいでさ。
   料理がいくら出来たって、体格はなんとも出来ない。


   ……でも、それでも。


   うん?


   ……失恋は、苦しいものなのでしょう?


   ……。


   まこちゃん……。


   ……うん、まぁね。


   ……。


   あたしじゃ振り向かせることも出来ないだろうし、いっそ三股でも……と、教室でたそがれてたら、亜美ちゃんが来てくれたんだ。
   たまたまだろうけど、すごく、嬉しかった。あたしは、ひとりじゃないんだって……そう、思えて。


   ……。


   亜美ちゃんに、名前で呼ばれるようになって……世の中、悪いことや悲しいことだけじゃないって。


   ……まこちゃんには、私が。


   ん……?


   ……素敵な男の子の、代わりにはなれないけど。


   ……。


   そばに、いるわ。


   ……いてくれる?


   私で、良ければ。


   ……。


   まこ、ちゃん……?


   ……はは、なんだか泣けてきちゃった。


   ご、ごめんなさい。


   ……知ってる、亜美ちゃん。


   ……。


   涙ってさ……嬉しくても、出てくるものなんだよ。


   ……あ。


   亜美ちゃん……お願い、ひとつ聞いて。


   ……私で、叶えられることなら。


   亜美ちゃんにしか、叶えられない。


   ……なに。


   抱き締めても、いいかな。


   ……。


   それで……抱き締めて、欲しい。


   ……。


   ごめん……いやだよね。


   ……いやじゃない。


   ……。


   私、いやじゃないわ……。


   ……ありが、と。


   ……。


   ごめん……ごはん、食べてるのに。


   ……いいの。


   ……。


   まこちゃんが作ったお豆のカレー……冷めても、おいしいから。


   ……あは。


   え?


   そこ?


   ち、違った……?


   いや、食事中に行儀が悪いかなって。
   そう、思ったんだけど。


   ……あぁ。


   あぁって。


   ……食事よりも、優先すべきことだと思ったから。


   ……。


   私がまこちゃんの涙を止められるなんて、思ってない。
   だけど……拭うことは出来ると、思うから。


   ……あぁ、もう。


   ……。


   余計、泣けてきちゃった……。


   ……ごめんなさい、私。


   ね……ぎゅうっと、してよ。


   ……ぎゅう、と?


   強く、抱き締めて……。


   強く……あ。


   ……。


   ……。


   ……って、ことだよ。


   ……。


   ……もうちょっと。


   でも、これ以上は……苦しく、ならない?


   ……あたしなら、大丈夫だよ。


   ……。


   ……亜美ちゃんこそ、苦しくない?


   私は……大丈夫。


   ……あたしも、大丈夫なんだ。


   ……。


   ……無人島に。


   ……?


   恋人ひとりと、友達全員……連れて行けるとしたら、亜美ちゃんは、どちらを選ぶ?


   ……私は。


   やっぱり、恋人ひとり……?


   ……選べないわ。


   選べない……。


   ……だけど今なら、まこちゃんを選ぶ。


   あたしを……。


   ……まこちゃんは、やっぱり恋人ひとり?


   あたしは……前は、そうだった。


   ……今は。


   今は……選べない。


   ……。


   ……亜美ちゃんに、来て欲しい。


   私……?


   ……今、誰かひとりと言われたら。


   ……。


   ……。


   ねぇ……まこちゃん。


   ……ごめん、もう少しだけ。


   ううん……そうじゃ、なくて。


   ……なに、亜美ちゃん。


   好き、よ。


   ……ぁ。


   好きよ……まこちゃん。


   ……。


   私が、いること……恋人が出来たとしても、忘れないで。


   ……忘れるわけ、ない。


   ……。


   亜美ちゃんも、恋人が出来ても……あたしと。


   ……恋人なんて、いらない。


   え……?


   ……まこちゃんが、みんながいてくれれば。


   ……。


   ……それで、いいの。


   そっ、か……。


   ……。


   ……だけど、それでも、いつか。


  3日
   キーボードの「a」の調子がいよいよ悪い。





   ……はぁぁ、お勉強したぁ。


   ふふ……お疲れさま、まこちゃん。


   うん、疲れた……。


   復習は、ちゃんとしてね。
   お勉強は繰り返すことで、定着するものだから。


   はぁい……。


   ……計算や知識の精度も、上がるし。


   だけど、今日はもういいかな……。


   ……。


   その……疲れちゃった。


   ……うん、無理はしないで。


   亜美ちゃんは、まだまだ?


   ……ん、帰ったらまた。


   そっかぁ……すごいなぁ。


   ……好き、だから。


   ……。


   ……お勉強が好きなひとなんて、あまりいないと思うけど。


   ね、好きなことをするのって、楽しいよね。


   ……え。


   分かるよ、あたしも好きなことをしてると楽しいから。


   ……。


   だからさ、ついつい、時間を忘れちゃったりもするんだよね。
   好きなことをしてると、あっと言う間に時間が経っちゃって。
   え、もうこんな時間? なんて、思ったりさ。


   ……だけど、お勉強を好きなひとなんて。


   まぁ、あたしはお勉強は苦手だけど。


   ……。


   ひとによって、好きなものは違う。
   だから、亜美ちゃんが好きなら、それでいいじゃないか。
   あたしは好きだよ、そんな亜美ちゃんのことが。


   ……まこちゃん。


   で、も、ね。


   ……う。


   あまり、夜更かししてはだめかな。
   目の下にクマが出来ちゃうからね。


   クマ……私、出来てる?


   たまに、だけど。


   ……今は。


   少し。


   ……。


   気にしたこと、なかったんだろ?


   ……あまり。


   これからは。


   ん……。


   少しでいいから……気にして、欲しいな。


   ……まこ、ちゃん?


   亜美ちゃんは、気にしなくても……あたしが気にしちゃうから。


   どう、して……。


   ……どうしてだと思う?


   わからない、わ……だって、まこちゃんには関係ないもの。


   ……関係ない、か。


   あ……。


   ……まぁ、そうだよね。


   あの、ごめんなさい……。


   ううん……実はさ、あたしも良く分かっていなかったんだ。


   ……はい?


   良く分かっていないのに……あたしは、亜美ちゃんのことが心配で。
   例えば、目の下にクマが出来ていれば……無理をしてないか、疲れてるんじゃないか、ちゃんと寝てるのか……とか、色々考えちゃってさ。


   ……。


   これって、思うに……亜美ちゃんがあたしの友達だから、なんだよね。


   ……ともだち、だから?


   だから、あたしは……亜美ちゃんのことを、心配するんだ。
   お節介も、したくなったりさ。


   ……目の下に、クマが出来ているくらいでも。


   それだけでも、心配するのには十分だよ。


   ……。


   勝手に心配して……鬱陶しかったら、ごめん。


   ……私こそごめんなさい、関係ないなんて言って。


   うん……それはちょっと、効いたかな。


   ……本当にごめんなさい。


   また言われたら、傷付いちゃうかも。


   ……もう、言わないわ。


   約束?


   ……ん、約束する。


   二回やっておいて、良かったね。


   ……二回?


   ゆびきりげんまん。


   ……改めてしなくても、いい?


   うん……いいと思う。


   ……。


   また今度、約束する時に……ね。


   ……うん、まこちゃん。


   ……。


   ……。


   ね……亜美ちゃん。


   ……なに。


   亜美ちゃんは……ううん、やっぱりなんでもない。


   ……。


   とりあえず、これで、次の数学のテストは少しは大丈夫かな。


   ……ねぇ、まこちゃん。


   亜美ちゃんのおかげで、分からなかったのが分かるようになったよ。
   忘れないように、復習もちゃんと……出来るだけ、やるね。


   私……私も。


   さて、ごはんを作ろうかな。
   よいしょ、と。


   ……あ。


   亜美ちゃん、カレーが出来たら声をかけるからさ、それまで


   ま、待って。


   うぉ。


   私、私もね。


   う、うん。


   まこちゃんのこと……。


   ……あたしのこと?


   心配に思うことが、あるの……思って、いたの。


   ……。


   だけど……関係のない私が、心配しても。


   ほんとに?


   ……。


   あたしのこと、ほんとに心配に思ってくれることあるの?
   あったの?


   ……ある、わ。


   ……!


   何度も、心配して……だけど、迷惑かもしれないって。


   まさか。
   そんなこと、思うわけがない。


   ……私なんかに、心配されるなんて。


   亜美ちゃん。


   ……ぅ。


   あたし、思ったんだ。


   ……なに、を。


   迷惑なんかじゃ、絶対にないって。


   ……私、でも。


   亜美ちゃんに心配されて、迷惑だなんて思うわけがない。
   亜美ちゃんが心配してくれて、あたしは、とても嬉しい。


   ……。


   ずっと、友達なんて分からなかった。
   だけど、今は違う……その大切さが、やっと分かったんだ。


   ……うさぎちゃん、が。


   うさぎちゃんだけじゃない、亜美ちゃんも教えてくれた。
   勿論、レイちゃんも。


   ……。


   亜美ちゃん……あたし達は、友達だよね。


   ……うん、お友達よ。


   好きだよ、亜美ちゃん。


   ……ぁ。


   亜美ちゃんは……これからもずっと、あたしの大切な友達だ。


   ……ずっと、ともだち。


   大人になっても……ずっと、守るよ。


   ……。


   だけど、もしも、亜美ちゃんが……あたしのこと、友達だと思えなくなったら。


   そんなこと……。


   ……。


   ……そんなこと、思わないわ。


   亜美ちゃん……。


   ずっと……大人になっても、私はまこちゃんとお友達でいたい。


   ……。


   ……そう、ずっと。


   ありがとう……亜美ちゃん。


   ……私もありがとう、まこちゃん。


   うん……。


   ……。


   ……。


   ……あの。


   うん……?


   ……ちかいわ。


   あ……。


   ……。


   えと、ごめん……つい。


   ……今日は、そればかりね。


   ほ、ほんとだね……。


   ……。


   なんでかな、他のひとにはそんなことないのにな……。


   ……好きな、男の子には?


   は……。


   ……しないの?


   し、しないよ……出来ないよ。


   ……。


   ……キスも、したことないんだから。


   ないの?


   な、ないよ。


   ……。


   いつも、片想いばかりで……そんなの。


   ……った。


   え、なに……?


   ……なんでもない。


   ……。


   ……なんでもないの。


   そう……なら、いいけど。


   ……。


   カレー、作るね。


   ……まこちゃん。


   ん、なんだい?


   ……ごめんね。


   え、なんで?


   ……謝りたくなっただけ。


   え、えぇ?


   ……。


   良く分からないけど、謝らないでよ。
   悪いことなんて、してないんだからさ。


   ……。


   ね。


   ……ごめんなさい。


   もう、また。


   ……え、と。


   ね、亜美ちゃん。


   ……。


   カレー、美味しく作るからさ。
   お勉強しながら、待っててよ。


   ……。


   ね?


   ……見てても、いい?


   へ。


   カレー、作るところ。


   ……。


   だめ……よね。


   ううん、いいよ。


   ……。


   見てて、亜美ちゃん。


  2日





   お買い物してきたもの、ここでいい?


   うん、そこで。
   ありがと。


   ……ううん。


   はい、亜美ちゃん。


   ……。


   ゆびきりげんまん、しよっか。


   ……うん。


   じゃあ、右手の小指を出して?


   ……右手の小指。


   そう、右手の小指。


   ……こう?


   そうそう……て。


   ……?


   もしかして、やったことない?


   ……うん、初めて。


   そっか。


   まこちゃんの小指と私の小指を、絡めるのよね?


   うん、こうやってね。


   ……。


   亜美ちゃんも絡めて?


   ……ん。


   うん。


   ……まこちゃんの指、長くてきれい。


   亜美ちゃんの指もしゅっとしていて、きれいだよ。


   ……このまま、歌うのよね?


   メロディは、知ってる?


   ……聞いたことは、あるけど。


   じゃあ、今回はあたしが歌うね。


   ……。


   あは。


   ……なに?


   そんな真剣な顔をしなくてもいいよ。


   ううん……ちゃんと覚えなきゃ。


   何度だって、教えてあげるよ。


   ……。


   そんなにすること、ないかもしれないけど。
   でも、亜美ちゃんが覚えたいなら、何度だってあたしは歌うから。


   ……するかも、しれないわ。


   うん?


   ……ゆびきり、これからも。


   ……。


   ……歌い終わったら、指を離すのよね。


   え……?


   ……違った?


   ううん、違わない……最後の「ゆびきった」のところで、離すんだ。


   ……ん、分かった。


   かわいいな。


   ……え、なに?


   ううん、なんでもないよ。
   それじゃ、歌うね。


   うん。


   ゆびきりげんまん、うそついたら、はりせんぼん、のーます……、


   ……。


   ……ゆびきった!


   !


   お。


   ……出来た?


   うん、出来た。
   と言うか、素早くてびっくりしちゃった。


   ……離すの、早すぎた?


   ううん、早くないよ。
   ただ、真面目な亜美ちゃんらしいなって。


   ……早かったのね。


   離れる指の動きが早かったんだ。
   離すタイミングは、丁度良かったよ。


   あの、まこちゃん。


   なに?


   もう一度しても、いい?


   もう一度?


   ゆびきりげんまんって……二回するのは、だめなもの?


   んーん、そんなことないよ。
   じゃ、もう一回やろっか。


   今度は私も歌うわ。


   亜美ちゃんも?


   まこちゃんと、一緒に。


   え、もう覚えたの?
   一回で?


   ……聞いたことは、あったし。


   そっか、流石亜美ちゃん。


   まこちゃんが歌ってくれたから、ちゃんと覚えることが出来たの。


   ……。


   はい、まこちゃん。


   うん……亜美ちゃん。


   ……。


   せーのって、言うから。
   それに、合わせて。


   ん、分かった。


   じゃ、行くよ。


   ん。


   ……せーの、





   『ゆびきりげんまん、うそついたら、はりせんぼん、のーます……ゆびきった!』





   ……。


   ……うん、ばっちりだ。


   今度は、早くなかった……?


   うん、早くなかった。


   ……そう、良かった。


   離すタイミングは元々、ばっちりだったからさ。


   ……ふふ。


   うん?


   ……。


   もしかして……面白かった?


   ……そう、かも。


   そっか、良かった。


   ……まこちゃんは。


   あたしも、面白かった。
   亜美ちゃんの歌も、聞けたし。


   ……約束は絶対に守るわ。


   ……。


   まこちゃんがいいって言うまで……絶対に、誰にも言わない。


   ん……ありがと、亜美ちゃん。


   ……。


   亜美ちゃん?


   ……。


   小指、どうかしたのかい?


   ……指先に、まこちゃんの熱が残っているみたい。


   え。


   じんわりと……あたたかい。


   あたしの、熱?


   ……。


   えと、熱い?


   ……あ。


   あ?


   な、なんでもないっ。


   え、え?


   な、なんでもない、なんでもないのっ。


   な、なんでもないの?


   ごめんなさい、本当になんでもないからっ。


   あ、あぁ……うん、分かった。


   ……わたし、なにを。


   え、えと、痛くはないんだよね?


   ……いたくは、ないわ。


   あたしの熱が、残っているだけで。


   ……っ。


   水で、冷やす?


   ……ううん、だいじょうぶ。


   本当に?


   ……ほんとう、に。


   気持ち悪くない?


   ……きもちわるくなんて、ない。


   そっか……なら、いいんだけど。


   ……ごめんなさい、私。


   ん、何が?


   ……へんなことを、いったわ。


   別に、変なことではなかったけど。


   ……けど、なに。


   少し、びっくりしたかな。


   ……ごめんなさい。


   びっくりしたけど……ちょっと、嬉しかった。


   ……。


   なんて……変、かな。


   ……別に、変ではないと思うわ。


   そう……?


   ……まこちゃんは。


   あたしも、変だとは思わない。


   ……。


   だから、なんでもないことにはしない。
   嬉しかったのは、本当のことだから。


   ……まこちゃん。


   ……。


   ……。


   あのさ、亜美ちゃん。


   ……な、に。


   カレーは、好きかい?


   ……カレー?


   うん、カレー。


   ……好き、だけど。


   食べる?


   ……。


   ごはんがあるから、今日の夕ごはんはカレーにしようかなって。


   ……これから、作るの?


   ううん、お勉強の後に作る。


   でも、カレーって作るのに時間がかかるわよね?


   うん、だから即席のカレーを作るんだ。


   即席……レトルト?


   即席だけど、レトルトじゃないよ。


   ……。


   豆のカレーを作ろうと思うんだ。
   食べてくれると、嬉しいな。


   ……今から作り始めなくても、いいの?


   言ったろ、即席だって。


   ……けど、レトルトじゃないって言ったわ。


   レトルトじゃなくても、時間をかけないで作る方法があるんだよ。


   ……そうなの?


   うん、そうなんだ。
   いつもいつも、料理にばかり時間をかけてなんていられないからさ。
   そんなことしてたら、とてもじゃないけど、続かないよ。


   ……。


   どうかな、食べてくれるかい?


   ……うん、食べたい。


   ん、良かった。


   あの、お勉強は……?


   もちろん、するよ。
   カレーを作る前に。


   ……。


   ね、味噌汁も食べるかい?


   ……お味噌汁も?


   即席の、だけど。


   ……お味噌汁も、即席で作れるの?


   うん、密閉容器に保存してあるからね。


   保存……。


   5日間くらい、持つんだよ。


   お味噌汁を作って、保存してあるの?


   うーん、ちょっと違うかな。


   ……。


   答えは、お勉強の後にね?


   私に、出来ることは……ある?


   お勉強を教えて欲しい。


   その、食事のことで。


   そうだな……じゃあ、ごはんをよそってもらおうかな。


   ……。


   お弁当のおかずがまだ残っているから、それもよそってもらってもいい?
   ゆうべ、ちょっと作り過ぎちゃってさ。


   うん、分かった。


   あ、残り物でもいい?


   ……どうして?


   聞いてなかったから。


   今日のまこちゃんのお弁当って……確か。


   大根のそぼろ煮と、ひじきの白和え。
   ごはんは、押し麦入り。


   ……。


   い、いやかな。


   ……美味しそうって、思っていたの。


   え、そうだったの?


   ん……だから、食べたいわ。


   そ、そっか。
   それじゃ、食べて。


   ん。


   だけど、言ってくれれば分けたのに。


   ……言えないわ。


   うさぎちゃんじゃないから?


   ……。


   一口ちょうだいって。


   ふふ……そうね、私には言えないわ。


   あはは。


   ね、明日のお弁当のおかずも作るのでしょう?


   ん、亜美ちゃんを送った後に。


   ……私、早めに。


   亜美ちゃん、お母さんは?


   母?


   うん……今夜は、夜勤?


   ……そう、だけど。


   だったらさ、ゆっくりしていってよ。


   ……だけど。


   迷惑でなければ、いて欲しいんだ。


   ……。


   ちゃんと、おうちまで送るから。


   ……まこちゃん。


   ……。


   ……。


   ……ごめん、迷惑だよね。


   ううん……いても、いい?


   ……。


   ……そんなに遅くまでは、いられないけど。


   うん、それでもいい……。


   ……。


   とりあえず……数学、教えてもらおうかな。


   ……今日、習ったところ?


   今日と……出来れば、その前のも。


   ……あとで、ノートを見せてくれる?


   ノート……うん、分かった。


   ……。


   亜美ちゃんは、先に座ってて。
   買ってきたのをしまって、お茶をいれたら、すぐに行くから。


   あの……お構いなく。


   一緒に飲もう?


   ……うん。


   ありがと。


   ……私こそ、ありがとう。


   ふふ……ね、座布団はどれでも好きなのを使ってね。


  1日
   今日から二月。
   旧ツイッターが凍ってから、あと少しで一ヶ月。
   もう、どうでも良くなってきています。





   まこちゃん、大丈夫?
   そんなに持って、重くない?


   ん、これくらいなら大丈夫。
   いつものことだからさ。


   でも、油とお醤油を持っているでしょう?
   良かったら、どちらか持つわ。


   亜美ちゃんには、卵と野菜を持ってもらってるから。


   もっと持てるわ。
   お野菜は、軽いものだけだし。


   ううん、それだけ持ってもらえれば十分だよ。
   ありがと、亜美ちゃん。


   まこちゃん……。


   買い物に付き合ってもらうだけでなく、荷物まで持ってもらっちゃってさ。
   むしろ、ごめんね。


   大丈夫、気にしないで。


   ん……ありがと。


   ……。


   まさか、タイムセールで食用油と醤油が安くなるなんてさ。
   チラシにも載ってなかったし、亜美ちゃんがいてくれてすごく助かった。


   突発的なものなのかしら。


   たまにあるんだよね。
   今日はちょっと油断してた。


   まこちゃんの役に立てて、嬉しいわ。


   亜美ちゃん……本当にありがとね。


   疲れたら、言ってね。
   荷物、持つから。


   うん、ありがとう。


   まこちゃんはいつも、こんな風にお買い物をしているのね。


   うん、これがあたしの日常なんだ。


   日常……。


   買い物は、なんと言っても、特売情報が大事でさ。
   うちは新聞を取っていないから、チラシが発行される曜日になると、お店に直接行ってもらってるんだ。


   お店に、直接?


   用がなくても、学校帰りに回っていくんだ。
   本当は朝がいいんだけど、登校時間はやってないからさ。


   ……大変じゃない?


   大変?
   何が?


   もらっているお店は、一件だけなの?


   いや、何件か。一件だけじゃ、足りないよ。
   その日の買い物は、チラシをチェックしてから、どこに行くか決めているから。
   出来るだけ、安いものを買いたいんだ。


   ……。


   亜美ちゃん?


   ねぇ、まこちゃん……良かったら、なのだけれど。


   うん。


   チラシ……いる?


   え?


   新聞の折り込みチラシで、いいのよね?


   もらってもいいの?


   うん……うちは、母も私もほとんど見ないから。


   もらえたら、すごく助かるけど……いいの?


   良かったら、もらって。
   新聞に入っていたら、学校に持っていくから。


   だけど、学校に持ってくるのは大変じゃない?
   鞄、いつもいっぱいに入ってるみたいだし。


   スーパーのチラシだけなら、大丈夫。
   そこまで多くはないだろうし。


   ……。


   いらない……?


   あ、あのさ。


   え、うん。


   スーパー以外のも、もらってもいい?


   スーパー以外のも?


   毎日じゃなくていいんだ。
   たまにで。


   いいけど……どうするの?


   生ごみの処理とかで、使うんだ。


   生ごみの処理?


   うん、紙で包むと臭いが抑えられていいんだ。
   あとはごみを出す時に、中が見えないようにするのに使う。


   ……。


   あると、色々使えて便利なんだけど……流石に図々しいよね、ごめん。


   ……確かに、紙には消臭と除湿の効果があるわ。


   うん?


   ……それに、ごみの内容を見られないようにするのも大事だわ。


   えと、亜美ちゃん?


   分かった、言ってくれたら全部持っていく。


   いや、学校に持ってきてくれるのはスーパーのだけでいいよ。
   全部じゃ、流石に重いし、鞄に入らないだろうから。


   だったら、分けて持って行くわ。
   それなら、


   ううん、取りに行くよ。


   ……。


   亜美ちゃんちに、あたしが直接、取りに行く。


   ……私の家に、まこちゃんが?


   もちろん、亜美ちゃんが嫌なら行かない。
   亜美ちゃんも、忙しいし……迷惑を、かけたくないし。


   ……いつ、来るの?


   学校の帰りに。


   ……。


   えと……やっぱり、スーパーのチラシだけで。


   手間じゃ、ない?


   手間?


   私の家に、寄るなんて。


   全然、手間じゃないよ。


   でも、お買い物にも行かなくてはいけないし。


   買い物には、亜美ちゃんちに寄ってから行けばいい。
   それくらい、なんでもないよ。


   チラシを持ってでは、重いわ。


   平気だよ。
   あたし、無駄に力があるから。


   ……。


   亜美ちゃんの都合がいい時に、言ってくれたらさ。
   いつでも、取りに行くよ。


   ……塾に行く前でも、いい?


   もちろん、いいよ。
   なんだったら、そのまま塾まで送ってあげるよ。


   ……え。


   なんて、さ。
   それは、冗談だけど。


   ……そう、よね。


   ど、どうだろう?


   ……まこちゃんが、それでいいのなら。


   本当かい?
   ありがとう!


   う、ううん。


   ふふ、助かるなぁ。


   ……ねぇ、まこちゃん。


   ん、なに?


   荷物、重くない?


   大丈夫、まだ平気だよ。
   亜美ちゃんは、優しいね。


   ……そんなこと。


   あるよ、亜美ちゃんはとっても優しい子だ。


   ……優しいのは。


   あれ。


   ……。


   また、耳が赤くなってる……?


   ……少し、熱いだけ。


   暑い? ほんとに?


   ……ん、本当に。


   今日は、そんなに暑くないと思うけど……夏も、終わったし。


   ……本当よ。


   ……。


   ……本当、だから。


   なら、いいんだけど……体調が悪かったら、すぐに言ってね。


   ……うん。


   ……。


   ね……まこちゃん。


   ……なんだい。


   全然、違う話をしてもいい……?


   いいよ、なんだい?


   まこちゃんって……本当は、左利きだったりしない?


   ……。


   違っていたら、ごめんなさい……。


   ん、いや、違わない。


   ……。


   だけど、どうして分かったの?
   あたし、いつも右を使っているよね?


   ……重い荷物を持つ時、いつも左。


   そうかな、右でも持ってると思うけど。


   それから、些細なことなのだけれど……針に糸を通す時も、左。


   それは……そうかも。
   でも、右利きにもそういうひとはいるだろ?
   幅跳びの時、右利きなのに左で跳ぶひともいるくらいだしさ。


   ……そうね。


   それなのに、亜美ちゃんはあたしのこと左利きだと思ったんだね。


   ……私を庇ってくれる時、いつも左。


   ……。


   いつだって、左で受け止めようとしてくれるの……。


   ……あぁ。


   咄嗟の反撃も……左。


   ……亜美ちゃん。


   あ。


   ……。


   ごめんなさい……言わない方が、良かった?


   すごいなって。
   あたしは右利きのつもりで、外では右を使うようにしてたんだけど……亜美ちゃんには、分かっちゃうんだ。


   ……誰かに言われたこと、ない?


   うん、ない。
   誰にも気付かれたことはないよ。


   ……。


   亜美ちゃんの言う通り、あたしは元々、左利きなんだ。
   だけど、矯正されて。


   ……矯正。


   今では、両方使える。
   と言っても、幅跳びの時は左で跳んでしまうんだけど。


   右利きなら右でと、先生に言われていたわよね。


   うん、言われた。
   だけど、右利きでも左で跳んでる子がいたから。


   ……どうして、矯正なんて。


   あたし、施設にいたことがあるんだ。


   ……。


   と言っても、そんなに長い時間ではないんだけどね。


   ……施設って。


   あたしさ、両親が飛行機事故で死んじゃっていないんだ。
   孤児ってやつ。


   ……。


   両親が死んじゃってから色々あってさ、しばらく、施設に預けられてたんだ。
   その時に、利き手を矯正された。世の中は、右利きが生きやすいように出来ているからって。


   ……まこちゃんの、意思は。


   そんなものはなかったよ。大人の言うことは、絶対だったから。
   まぁ、優しいひともいたけどさ。


   ……私。


   これからは、亜美ちゃんの前では左を使ってもいいかな。


   ……まこちゃん。


   考えてみれば、左を使ったところで、誰にも何も言われないんだよね。
   今は、ひとりなんだからさ。


   ……。


   だけど、なんでかな。
   今でも、外ではなるべく右を使おうと思っちゃうんだ。


   ……それだけ、強く。


   シャーペンとか鉛筆とかで書くのは大丈夫なんだけど、習字はいまだに良く書けないんだよね。
   左でも、上手く書けないし。どうしても、払いが変になっちゃうんだ。


   ……ね。


   ん?


   私の前では。


   ……。


   左を、使って。


   ……いいかな。


   まこちゃんが、やりやすいようにやって欲しいの。


   ……。


   右の方がいいのなら、それで。
   だけど、左の方がいいのなら。


   さっきも言ったけど、今は両方使えるんだ。
   まぁ、習字は苦手だけどね。


   ……。


   だから、どっちでもいいんだけど……。


   ……。


   けど……左も、使いたい。


   ……だったら。


   使わないと、鈍ってしまいそうで。


   ……。


   右ばかり使うことで、使わない左が鈍ってしまうのが、すごく怖い。
   でもどうして、怖いのか……その理由がずっと、分からなかった。


   ……その理由は、今でも。


   ううん……今日、分かった気がする。


   ……聞いてもいい?


   うん、聞いて。


   ……。


   亜美ちゃんを……マーキュリーを、守る為に。


   ……っ。


   いや、マーキュリーだけじゃないな。
   兎に角、ジュピターとして、左が鈍ってしまうのは良くない。
   戦う為に、守る為に、右も左も使えた方がいい。


   ……まこちゃんは。


   ん?


   ジュピターが、左で庇うのは……多分、私だけだと思う。


   え。


   多分、だけれど……私以外を守る時は、いつも右のような気がするの。


   ……。


   戦闘状況の全てを把握しているわけではないから……憶測でしか、ないけど。


   ……そんなことって、あるのか。


   だから、気になっていたの。


   ……そっか、だから。


   まこちゃんは右利きだけれど、私だけ左で庇っている……ということも、十分に考えられたのだけど。
   ううん、その方が寧ろ……。


   けど、左利きだと思った。
   いや、感じたと言った方が、正しい?


   ……う、ん。


   ……。


   どうしてかは、分からない……だけど左腕で抱き締めるようにして庇ってくれるジュピターに、酷く、安心感を覚えて。


   ……安心感、か。


   ごめんなさい……。


   ん、なんで?


   ……無神経なことを、言ってしまったと思うから。


   そんなことない、だから謝らないで。


   ……知られたくないって、まこちゃんが思っていたのなら。


   亜美ちゃんに言われなかったら、あたしから言ってたかもしれない。
   今日ではなかったかもしれないけど。


   ……。


   だから、だからさ……亜美ちゃんになら、いいんだ。


   ……私。


   みんなには、もう少し黙っとく。
   どうしてかと聞かれたら、なんとなくとしか、言えないんだけど。


   ……。


   しばらくは……そう、ふたりだけの秘密にしてほしい。


   ……秘密。


   いい?


   ……分かった、誰にも言わないわ。


   ふふ。


   ……?
   なに……?


   亜美ちゃんとあたし、ふたりだけの秘密が出来ちゃった。
   なんだか、楽しい。


   ……楽しい?


   うん、楽しい。
   亜美ちゃんは?


   ……よく、分からない。


   そっか。


   ……だけど。


   だけど?


   ……少し、嬉しい。


   嬉しい、か。


   ……まこちゃんが、いいって言うまで。


   ……。


   私……絶対、誰にも言わないわ。


   ん……じゃあ、約束。


   ……。


   ふたりだけの秘密を守るって。
   約束、しようよ。


   ……うん、しましょう。


   あぁでも、今は手が出せないや。


   手?


   ゆびきりげんまんを、しようと思ったんだ。


   ……まこちゃんのお部屋に着いてからじゃ、だめかしら。


   あたしの部屋?


   それでは、だめ?


   ううん、だめじゃない。
   そうしよう。


   ……ん。


   よし、じゃあさっさと帰ろ。


   あの、荷物……。


   まだまだ、平気。
   それに、ほら。


   ……。


   うちは、もうすぐそこだ。