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日記
2024年・9月

  30日





   ……。


   ……先生に聞けば。


   ……。


   でも……調べればきっと私でも出来る、ううん、分かる筈。


   ……メル?


   ……。


   なに、してるの……?


   ……ユゥ。


   ん……?


   ……ごめんね、起こしちゃった?


   ううん……いいよ。
   それより、なにしてたの……?


   ……。


   メル……?


   ……これ。


   これ……あぁ。


   ……勝手に、触ってしまって。


   んーん、メルならいいよ……いつでも、さわって。


   ……。


   ね……やっぱり、あげようか?
   きれいに、みがいて……それから。


   ……あのね、ユゥ。


   うん、なぁに……?


   ……きれいにする方法を、考えていたの。


   ほうほ?


   銀の磨き方、錆の落とし方……先生に聞けば、すぐに分かると思う。


   うん、せんせいならしってそうだね。


   ……だけど、自分で調べたいって。


   じぶんで?


   ……時間は、かかってしまうかも知れないけど、それでも。


   ん、いいんじゃないかな。


   ……。


   メルが……んしょ、と。


   ユゥ。


   自分で調べてやりたいって言うのなら、あたしはそれで良いと思う。


   ……調べて方法が分かっても、上手に出来ないかも知れない。


   上手に?


   ……余計に、汚してしまうかも。


   そしたら、やり直せば良いんじゃないかな。


   ……若しも、やり直しがきかなかったら。


   メル?


   ……。


   メルの、ちゃんと考えるところ。考えてから、行動するところ。
   あたしは、とても好きだよ。あたしには、出来ないから。


   ううん、そんなことない……ユゥだって、ちゃんと考えてる。


   あたしは考えているようで、考えてないんだ。


   ……。


   て、師匠に良く言われる。
   もう少し理性を持てって。


   ……理性。


   師匠には言われたくないんだけどさー。
   今日だって先生のところに行ってるしさー。


   今日はあくまでも、ジュピターとマーキュリーとしての話し合いだと言っていたけど。


   それで済むわけない、だってあの師匠だ。
   なんだかんだ理由をつけて、今日は帰ってこないに決まってる。


   ……。


   ま、そのおかげでメルとふたりで居られるから良いけど!


   ……私は、帰るつもりだったんだけど。


   え、然うなの?


   ……うん、一応。


   そ、然うだったんだ……。


   ……でも、今日はもうこのまま。


   ……。


   湯浴みも、させてもらったし……。


   メ、メルが望むのなら、幾らでも!
   そ、然うだ、今からまたする?


   ううん、大丈夫……ありがとう。


   し、したくなったら、言ってね。


   ……うん。


   はぁ……良かった。


   ……帰ったら。


   えっ。


   と言っても、今帰るわけじゃないから。


   う、うん、そっか。


   ……帰ったら、早速調べてみようと思って。


   あたしも、一緒に調べてみても良い?


   ユゥも?


   じゃ、邪魔にはならないようにするから。


   ……一緒に調べて呉れる?


   うん、調べたい。


   じゃあ、一緒に。


   うん、一緒に!


   それで、きれいにする方法が分かったら。


   ふたりでやってみよう。
   ふたりでやれば、メルだけの失敗にはならない。


   ……。


   たまには難しく考えないでやってみるのも良いと思うんだ。
   失敗したって、全部が無駄になるわけじゃない。
   寧ろ、今は失敗をするべきだって。失敗することは、大事なことだって。


   ……先生が、教えて呉れたこと。


   然う、先生が教えて呉れた。
   ついでに、師匠も。


   ……。


   ね、メル。


   ……先生に、確認してみる。


   うん?


   方法が、分かったら。
   これで良いのか、確認してみる。


   ……。


   確認することも、大事なことだから。


   然うだね、それも大事だ。


   ん。


   メル。


   ありがとう、ユゥ。


   あたしは何もしていないよ。
   メルとお話してただけ。


   ……。


   ね、何か飲むかい?
   なんだか、喉が乾いちゃった。


   今度は、私が。


   お願いしても良い?


   うん。


   ありがとう、メル。


   冷たいのと温かいの、どちらが良い?


   んー、冷たいのが良いな。


   ん、分かった。


   ……。


   ……。


   ……やっぱり、あたしも。


   え……ん。


   ……メルの背中を、見てたら。


   見てたらって……そんなに、見てないと思うけど。


   ……待ってられなくて。


   もぅ、ユゥは……。


   ……へへ、ごめん。


   ……。


   メルは、あったかいの?


   ……ううん、私も冷たいのにする。


   そっか。


   ……ねぇ、ユゥ。


   なに?


   ……今、思い出したのだけどね。


   うん。


   銀の硬貨……銀貨には、特別な銀貨があるんだって。


   特別?


   うん……それは、しあわせを願うお守りと言われているらしいの。


   おまもり……しあわせを、願う?


   ……特別なものだから、数はそんなにないと思うのだけど。


   メル、やっぱり受け取って欲しい。


   ……え?


   あの、ぎんか?
   メルに贈りたい。


   ……。


   きれいになったら、メルに。
   特別なものじゃないかも知れないけど、それでも、メルに。


   ……ううん、ユゥが持っていて?


   メルに持っていて欲しいんだ。
   メルにしあわせになってもらいたいんだ。


   ……それは、私も同じ。


   おなじ?


   私は……ユゥに、しあわせになって欲しい。


   あたしは、しあわせだよ。


   ……。


   メルと一緒に居られて、すっごくしあわせなんだ。
   だから……む。


   ……。


   ……メル。


   私も……ユゥと一緒に居られて、しあわせ。


   ……あ。


   幼体の頃から、あなたと一緒に居られて……ひどく、しあわせなの。


   ……。


   ほとんどのマーキュリーは……ひとり、だから。
   それは、ジュピターも同じなのだけど……ん。


   ……もうひとつ。


   もう、ひとつ……?


   ……銀貨が、あれば。


   ……。


   そしたら……ふたりで、持てる。


   ……けど、同じものを手に入れるのは。


   だったら、あれと同じものじゃなくても良いじゃないか。


   ……。


   今のを、ふたつでも……ね?


   ……あぁ。


   良いだろ……?


   ……特別でなくても。


   あたし達にとっては、特別だよ。


   ……。


   他にはない、たったふたつだけの銀貨だ。


   ……やっぱり、ユゥはちゃんと考えてる。


   え?


   ……私では、思いつかないもの。


   ……。


   いつか、青い星に行ったら。


   ふたりで、ね。


   ……うん、ふたりでね。


   銀貨を、メルに。


   ……銀貨を、ユゥに。


   約束。


   うん……約束。


  29日





   ……ねぇ、メル。


   ん……なぁに、ユゥ。


   ……お話、しても良い?


   今……?


   ……まだ、しない方が良い?


   ううん、平気……。


   ……。


   ……続けて?


   うん、メル……。


   ……。


   待って……そのままで良いよ。


   ……腕、痺れない?


   大丈夫……だから、そのままで居て。


   ……痺れそうになったら、言ってね。


   うん、痺れそうになったら言う……。


   ……ん、なに。


   前髪が、おでこに。


   ……。


   ひっついてると思ったんだけど……大丈夫だった。


   ……もう、乾いていると思うから。


   ……。


   ん……ユゥ。


   ……ふふ、かわいいな。


   もぅ……。


   ……へへ。


   ……。


   ん、メル……?


   ……おかえし。


   おかえし……?


   ……。


   ひゃっ。


   ……ふふ、かわいい。


   び、びっくりした……。


   ……いつも、されてばかりだから。


   また、してもいい……?


   ……。


   へへ。


   ……もぅ、ユゥは。


   メル……む。


   ……今は、それよりも。


   ……。


   ……お話って、なぁに?


   おはなし……。


   ……したいって、ユゥが。


   あ、そうだった。


   ……忘れてたの?


   うん、すこし。


   ……もぅ、しょうがないユゥね。


   へへ……。


   ……それで、なぁに?


   うん……これ、なんだけどさ。


   青い星の、硬貨……?


   なんで、こんなに汚れているのかなって。


   ……長い年月が、然うさせたのだと思う。


   長い年月?


   多くのひとのこの手に渡って……今は、ユゥの手の中に。


   渡っている間に、汚れてしまった?


   ……然うだと思う。


   そっかぁ。


   ……この硬貨は、お師匠さんが持ち帰ったものなのよね?


   うん、師匠は然う言ってる。


   ……この硬貨は、今はもう、使われていないの。


   使われて、いない?


   王が代替わりする際に、全ての貨幣の意匠を一新する時があるの。
   この硬貨は、ふたつ前の意匠で……今はもう、使えない。屹度、憶えているひとのこも居ない。


   使えないの?
   憶えてるひとのこが居ないのは、分かるけど。


   王によっては、以前の貨幣を使えるままにしておく者も居る。
   新しい貨幣に切り替わるまで、民に浸透するまで、時間が掛かるから。
   だけど、この時の王はそれを許さなかった。


   それまで使えていたのが急に使えなくなったら、困らない?


   或いは、混乱するかも知れない。


   だよね。


   使えなくなることも、困るのだけど。


   うん。


   両替時に、新貨幣よりも旧貨幣の方が価値は低いと偽る行為が横行して。
   本来受け取れる筈の額よりも少なくされてしまうことも、往々にしてあったみたいなの。


   えぇ、なんだそれ。


   特に貧しい者や学のない者が騙されることが多かったと……然う、記録には残ってる。


   ねぇ、メル。


   ……なに。


   若しかしたら王は、然うなることは、分かっていたんじゃないの?


   ……恐らくは。


   そんなことになるのなら、使えるままにしておけば良かった。
   王なのに、民を困らせるだなんて……そんなことして、良いわけがないだろ。


   ……一応、猶予期間は設けたようなのだけど。


   猶予期間なんて。


   ……使えるままにしても、価値を偽る者は必ず出てくる。


   だとしても。


   貨幣は、時に偽造されてしまうの。


   ぎぞう……?


   偽物を造ること。
   貨幣を偽造することは大罪なのだけれど、偽造する者は後を絶えない。


   ……これも?


   この硬貨は、銀で出来ているのだけれど……価値は金の次に高いの。
   貧しい者はまず、手にすることはない。


   ……。


   そんなものを偽造すれば……それなりの暮らしは出来るようになるし、なんだったら、裕福な者にだってなれるかも知れない。


   うん……確かに。


   けれど偽造貨幣が広がってその多くが流通してしまうと、本来の貨幣の信頼は失われ、その価値は下がってしまう。
   然うなると、王や国の存亡にも影響することがあるの。


   じゃあ偽造されないように、本物を多く造れば。
   然うすれば、偽造なんてしなくなるだろ?


   多く造っても、貨幣の価値は下がるの。


   ……なんで?


   貨幣を多く造れば、みんなが裕福になれるかも知れない。
   裕福になれば、交換出来なかったものも出来るようになる。偽造されることもなくなる。
   ユゥは、然う考えているのよね?


   うん。


   でも、然うすると、交換するものが足りなくなってしまうの。


   ……どうして?


   みんなが、交換出来るようになるから。
   需要に対して、供給が追いつかなくなってしまうの。


   ……じゅよー……きょーきゅー……。


   然うすると、ものの価値が上がってしまう。
   つまり……この硬貨一枚で交換出来ていたものが、二枚、三枚、いいえそれ以上でなければ交換出来なくなってしまうの。


   ……。


   だから……?


   ……。


   ……ユゥ?


   ……。


   大丈夫……?


   ……だいじょうぶ、じゃ、ない。


   貨幣制度は、複雑で……本当のことを言うと、私もまだ良く分かっていないの。


   ……。


   もう、やめておく?


   ……うん、また今度教えて。


   うん……もっと、お勉強しておくね。


   う、うん……。


   ……はぁ。


   はぁ……。


   ……。


   ……。


   ……ふふ。


   はは……。


   ……ユゥ。


   ねぇ、メル……。


   ……なに。


   これ……磨いたら、きれいになるかな。


   ……錆を落とせば、なるかも知れない。


   どうやったら、落とせる……?


   ……ええと。


   きれいになったら……メルにあげたいな。


   ……お師匠さんのものなんでしょう?


   ううん、今はあたしの。


   ……呉れたの?


   お前にやるって。


   ……。


   だから……きれいになったら、メルにあげたい。


   ……ううん、ユゥが持っていて。


   要らない?


   ……然うじゃないの。


   じゃあ。


   ……でも、ユゥに持っていて欲しい。


   んー……。


   ……ね。


   うん、分かった……じゃあ、持ってる。


   ……。


   失くさないようにしないと、だなぁ。


   ……気を付けてね。


   うん、気を付ける……。


   ……。


   ……ねぇ、メル。


   なぁに……。


   ……。


   ……まだ、冷めないの?


   うん……今の話で、また少し。


   ……。


   その……頭が。


   ……頭。


   だから……メルで、いっぱいにしたい。


   ……もぅ、ユゥったら。


   は、はは……。


   ……。


   だ、だめ……?


   ……ユゥ。


   ……。


   ……腕、痺れてない?


   うん……平気だよ。


   ……。


   メル……。


   ……くび、みみのうしろ。


   う……。


   ……すき。


   うん……いいよ。


   ……いい?


   メルの、すきなだけ……。


   ……うん。


  28日





   んー。


   ……ユゥ。


   あ、メル。
   お帰り、気持ち良かった?


   ん、ただいま……うん、気持ち良かった。


   そっか。


   ねぇ、ユゥ。


   うん?


   上……どうして、何も着ていないの?


   あぁ、えとね。


   ……若しかして、熱い?


   うん、躰の中がちょっと熱くて。だから、冷ましてるんだ。
   下は穿いてるけど、上も着た方が良いかな。


   ……熱いのなら。


   良い?


   ……風通しの良いものを、一枚だけ。


   ん、分かった。


   ……。


   んー……どれだったかな。


   ……これ。


   あ、これだ。
   ありがとう、メル。


   ううん。


   ん、しょ。


   ……また、見ていたの?


   ん?


   ……青い星の、硬貨。


   うん、青い星の民はこんなのが大事なんだなって。
   何度見ても、良く分からなくて。そんなにきれいなものでもないし。


   ……これがなければ、生きる為に必要なものと交換出来ないから。


   交換出来ないのなら、自分で作れば良いと思うんだ。


   けど、ひとりでは手が回らないわ。
   作れないものだって、あると思うし。


   ひとりで無理なら、ふたりでやれば良い。
   メルとあたしみたいに。


   ……。


   そしたら、交換なんてしなくて良いだろ?
   これも、要らないよ。


   ……青い星で生きるには、それでもこれは必要なの。


   ふたりでも?


   ……うん。


   先生と師匠が居ても?


   ……多分。


   ふぅん……。


   ……作る為には「素材」となるもの、「原料」や「材料」が必要になることもある。


   ……。


   例えば「麦」や「お豆」又は「稲」、それから「お野菜」や「お肉」、「お魚」、そして「塩」や「糖」。


   ……肉……魚。


   然う言った「素材」はお料理をするのに欠かすことは出来ないけれど、作っていない者は貨幣と交換しないと手に入れることは出来ない。
   作っている者だとしても、必要なもの全てを作るとなると……出来ないことはないかも知れないけど、でも、かなり難しいと思う。


   結局、これと交換しなきゃだめってこと?


   ……青い星では、大体のものは貨幣と交換しなければ手に入らないの。


   はぁ、やっぱり面倒だなぁ。


   ……。


   お、良く飛んだ。


   ユゥ、そんなことをしたらどこかに行ってしまうわ。


   大丈夫、ちゃんと取るから……と。
   はい、取れた。


   ……出来れば、あまりしないで。


   分かった、もうしない。


   ……。


   これさ、交換するだけじゃなくて、他にも何かあったよね。


   ……価値の尺度と、価値の貯蔵の機能。


   そうそう、そんなの。
   良く、分からないけど。


   ……貨幣をたくさん貯めている者は裕福とされて、食べるに困ることはまずないみたい。


   だけどさ、なかなか貯まらないんだろ?


   うん……貯めるには、交換する以上に得なければいけないから。


   やっぱり、自分で作った方が良いなぁ。


   ……農作物に限って言えば。


   うん。


   毎年必ず育つのであれば、それでも良いのかも知れない。


   青い星では、育たないこともある?


   ん……色々な要因は、あるけれど。


   でもさ、作物が育たなかったら、これを持っていたって交換出来ないんじゃ?
   交換するものが、ないんだからさ。


   ……。


   メル?


   ……他の地域から、運ばせれば良い。


   他の?


   作物が育った場所から、貨幣を使って運ばせて、交換する。
   貨幣がたくさんあれば、然ういうことだって出来る。


   けど、そんなことをしたら他のとこの作物、食べ物が減ってしまうだろ?


   余るほどの豊作であれば、若しかしたら問題ないかも知れないけど……然うでなければ、流通する量は減ってしまう。
   然うなると、作物の価値が上がってしまって……交換する為に、より多くの貨幣が必要となってしまう。


   然うなったら、これをいっぱい持ってないひとのこは食べられない?


   ……うん、食べられない。


   食べられなかったら、お腹が空いてしまって力が入らないじゃないか。


   ……だから、家畜が食べるようなものを食べるんだって。


   かちく……。


   例えば、硬くて、酸っぱいにおいがして、味だってとても美味しいとは言えないもの。
   だけど、食べないよりは良いから。


   ……。


   ……命を、繋ぐ為に。


   みんなで分ければ良いのに。


   ……。


   然うすれば、お腹を空かせることもないだろ?


   ……私も、然う思う。


   だろ?


   ……でも、然うは考えないし、考えたところで上手くいかないことの方が多い。


   ……。


   それに、分けるほどなかったら……一部の権力者と、一部の裕福な者で取り合って、結局、貧しい者には回ってこない。


   ふーん……。


   ……ユゥ。


   ん、なに?


   ……熱い?


   んーん、あんまり気にならない。


   然う……良かった。


   これ、肌触りが良いんだ。
   あたしのお気に入り。


   ……。


   メルも着たこと、あるよね?


   ……う、ん。


   また貸してあげるね。


   ……うん、ありがとう。


   メルが着て呉れるとね、メルのにおいがしてもっとお気に入りになるんだ。


   ……。


   へへ。


   ……もぅ。


   メル、こっちに。


   ……。


   こっちで、お話しよう。


   ……ん。


   お茶、飲むよね?


   私が、


   もう、飲めるようにしてあるんだ。


   ……私が湯浴みしている間に?


   ふたりで飲もうと思って。


   ……。


   おいで、おいで。


   ……うん。


   ……。


   ん……ユゥ。


   ……いいにおい。


   ユゥと、同じ……。


   ……同じだけど、メルの方がいいにおい。


   ……。


   ……。


   ……昔。


   うん……。


   ひとのこがまだ、食べるだけで精一杯だった頃……ほとんどのひとのこは、作る者だったんだって。


   ……然うなんだ。


   その頃はまだ、貨幣というものはなくて……。


   ……物々交換、だった?


   うん……等価交換だから、決まりごとはちゃんとあったみたいだけど。


   決まりごと、かぁ……あたし、覚えられるかなぁ。


   その環境で生きていれば……多分、嫌でも覚えると思う。


   ……然うだ。


   え……?


   あたしが作って、メルが必要なものと交換して呉れれば良いんだ。


   ……。


   ね、どうかな?
   てきざ、なんとかって言うだろ?


   ……適材適所?


   うん、それ……。


   ……ぁ。


   ね、どう……?


   ……悪くは、ないけど。


   じゃあ、決まり……。


   ……。


   お茶……今、淹れるから。


   ねぇ、ユゥ……。


   ……なんだい?


   ……。


   ……メル?


   からだ……まだ、あつい?


   ……。


   ……もしも、さめそうになかったら。


   さまして、くれる……?


   ……。


   おちゃをのんで、おはなしをして……それから。


   ……


  27日





  -虹貝(前世・少年期)





   へい、らっしゃい!


   ……。


   ね、ね、どれにする?


   ……え、えと。


   これと、これはどう?
   あ、こっちも良いよ。どれも美味しいよ。


   ……。


   あとね、これもどうかな。


   ……これは、ユゥが?


   うん、あたしが作ったんだ。
   気に入ってもらえたら、うれしいな。


   ……。


   然うだ、良かったらあげるよ。


   そ、それは、だめ。


   だめ?


   それだと、練習にならないから。


   けど、「おまけ」っていうのがあるって師匠が。


   それは、売買が成立してからのものだから。
   だから、何も買っていないのに「おまけ」をしてはだめ。


   じゃあさ、メルが何か買って呉れれば「おまけ」しても良い?


   それは……ユゥが、したいのなら。


   したい!


   ……。


   だから、何か買って。


   ……あの、ユゥ?


   なぁに、メル?
   どれを買うか、決まった?


   ……まだ。


   そっか。


   ……あのね、ユゥ。


   決まった?


   そ、然ういうことはあまり言わないような気がするの……。


   然ういうこと?


   おまけしたいから、何か買ってとは……多分、言わない。


   え、然うなの?


   どちらかと言うと、押し売りになってしまうし……然ういうお店では、あまり買わない方が良いって。


   そ、そうなんだ。


   あと、もう少し言葉遣いは丁寧に……ユゥの場合、少し馴れ馴れしいと思う。


   丁寧……馴れ馴れしい……。


   た、確かに、ユゥのようなひとのこも居ないわけではないと思うの……でも今回は、習ったようにした方が良いと思う。


   し、師匠には、こう習ったんだけど。


   ……え?


   こうやるんだって、得意げに。


   ……あぁ。


   い、いい加減なんだ、師匠は。


   ……お師匠さん、らしいけれど。


   ね、メルは先生になんて習ったの?


   ……言葉遣いは、丁寧に。


   た、例えば?


   ……まずは、へい、らっしゃいではなくて。


   え、そこから違うの。


   ……ううん、若しかしたら違わないのかも。


   もぉぉ、師匠はぁぁぁ。


   ……お師匠さんが、実際に言われたことかも知れないし。


   は、初めから先生に習えば良かった……。


   ……実際に、言われたこと?


   然うすれば……?


   ……。


   ……?


   ……で、あるならば。


   メル?


   ねぇ、ユゥ。


   な、なに?


   やっぱり、ユゥはお師匠さんに習ったようにやってみて。


   え。


   その方が良いと思う。


   い、良いの?


   ひとのこの数ほど、やり方があるかも知れない。
   仮に然うだとしたら、形式はひとつではない可能性がある。


   う、うん。


   故に、幾つか覚えておいた方が良いと思う。
   予め練習しておけば、対処しやすいと思うの。


   そ、そっか。
   うん、メルの言う通りだ。


   だけどね、ユゥ。


   なぁに?


   無償で「もの」を呉れるということは、恐らくは、ないだろうから。
   無償だと、商いにならなくなってしまうから。


   そ、然ういうもの?


   商いは、利益を出さないといけないの。
   無償だと対価が支払われないのだから、当然、利益が出ないことになる。


   りえき……。


   商いとは売買の契約であって、価値を提供する者と対価を支払う者が居て初めて成立するの。
   どちらか一方では、成立しない。


   かち……たいか……。


   お試しで、ほんの少し呉れることもあるかも知れない。
   だけどそれは、あくまでも、利益に繋げる為。


   ……。


   或いは、何か裏があるかも知れない。
   だからね、無償で呉れると言われた場合はまずは疑った方が良いと思う。


   ……裏って?


   良からぬことを考えているかも知れない。


   良からぬこと……。


   良くないでしょう?


   うん、それは良くない。


   ん。


   分かった。無償で呉れるって言われたら、疑う。
   ただで呉れる奴は居ない、居たとしても裏があるって。


   うん。


   ……。


   ユゥ?


   ねぇ、メル。


   なに?


   どれにする?


   あ。


   忘れてた?


   ……。


   ふふ……ね、好きなものを選んで?


   え、えと、じゃあ……これ、を。


   これ?


   う、うん。


   これの他には、ある?
   ない?


   あとは……これを、ください。


   豆と、お茶だね。
   うん、ありがとう。


   えと、いくらですか?


   はい、どうぞ。
   これは、「おまけ」。


   ま、待って。


   え?


   お豆とお茶を交換する為に、「貨幣」は幾つ必要なの?


   あ、そっか。
   それと交換するんだっけ。


   お豆は、幾つ?


   ……。


   お茶は……?


   ……へへ。


   若しかして……忘れちゃった?


   ……うん、忘れちゃった。


   あぁ……。


   お、おかしいな、ちゃんと覚えたのに。


   書いていないの?


   書いて?


   それぞれ、貨幣が幾つ必要か。
   書いて手元に置いておけば、若しも忘れてしまっても大丈夫だから。


   ……。


   書いてないのね……。


   ……ごめんなさい。


   ううん、気にしないで。
   今日は初めての練習なのだから。


   ……。


   ね、新しく決めない?


   新しく?


   新しく決めて、書いておくの。


   ……。


   ね、然うしましょう?


   ……それで、練習になる?


   大丈夫、なるわ。


   ……決めるの、手伝って呉れる?


   ん、勿論。


   ありがとう、メル。


   ううん。


   えへへ。


   ふふ。


   じゃあ、早速決めよう。


   うん、ユゥ。


   それで、どうやって決めるの?


   利益が出るように、決めるのだと思うのだけれど。
   だからってあまり高くしてしまっては、今度は売れなくなってしまうから。


   うんうん。


   かと言って、安すぎると


   利益が、出ない?


   然う。
   だから、良い塩梅を考えないと。


   ふぅん、なんだか大変だなぁ。
   青い星の民はいちいち、こんな大変なことをしているんだね。


   元々は物々交換をしていたのだけれど、貨幣に変わってからより複雑になったみたい。


   面倒臭いなぁ、月になくて良かった。


   緑の種も、場合によっては売買されているって。


   え、なんで。


   青い星の民は、なんでも商いにしてしまうみたい。


   はぁ……。


   それで、「貧富」という概念が生まれるの。


   ひんぷ……。


   時には、それが争いの種になることも。


   えぇ……。


   貨幣がなければ、「盗む」ことも。


   ぬすむ……?


   ひとのものを、勝手に取ること。


   え、それはだめだよ。


   けど、然うすることで生きているひとのこも居るらしいから。


   はぁ……なんだか、やだなぁ。


   えと、お豆は……これくらいで良い?


   うん、良いよ。


   それで、お茶は……これくらい。


   うん、良いと思う。
   流石メル、なんとなく覚えやすいや。


   ……ユゥも考えて。


   あたしは……。


   ユゥも。


   ……はい。


   ね、これはどれくらい?


   それは……えーと、これくらい?


   ……。


   あ、だめ?


   ……ちょっと、安いかも。


   だったら……これくらい。


   ……。


   だ、だめ?


   ……ううん、良いと思う。


   やった。


   ……ふふ。


   メル?


   ……ちょっと楽しい。


   そ、然う?


   ……ん。


   メルが楽しいのなら、あたしも楽しい。


   ……ね、ユゥ。


   ん?


   ……これは、どれくらい?


  26日





   ……。


   ふぁ……。


   ジュピター。


   ……う?


   仕事は?


   今はお休み中。
   マーキュリーは?


   あなたに会いに。


   え、本当?


   これ。


   これ?


   書き直して、早急に。


   ……だめ、だった?


   もう少し細かく。


   此れ以上?


   現状の戦力を出来得る限り正確に把握しておく為に、あなたの所見はとても重要なの。
   特に今回はあなたのところとわたしのところで、合同での演習だったから。


   報告だけなら、あたしよりも


   言ったでしょう、あなたの所見が重要だと。あなたの忌憚のない意見を聞きたいの。
   報告書だけで事が足りるのならば、あなたではない誰かに書かせるわ。


   マーキュリーのところの?


   然うよ。
   その方が手っ取り早いもの。


   いっそのこと、言葉で直接伝えるというのは?
   あたしとしても、その方が伝えやすいし。


   それでも、良いけれど。


   意見交換も出来る、だろう?
   寧ろ、それこそがマーキュリーの望んでいることだと思うけど。


   ……。


   うん。
   良いのなら、早速。


   但し、文章にも起こして。


   ……。


   怠れば、文章力は鈍ってしまう、衰えてしまう。
   躰の鍛錬と同じだと、習った筈だけれど。


   ……休憩が終わったら、早急に書きます。


   書き終わったら、直接私に渡して。


   マーキュリーに?
   下のにじゃなくて良いのかい?


   ええ、その時に話も聞きたいから。


   分かった、直ぐに書いて持っていくよ。


   待ってるわ。


   うん、待ってて。


   それじゃあ、その時に。


   マーキュリー?


   用事は、それだけ。


   これだけの為に、来て呉れたのかい?


   この刻限なら、直ぐに捕まると思ったから。


   呼んで呉れれば、飛んで行ったのに。


   躰を動かすのに、丁度良かったから。


   直ぐに戻らないといけない?
   休憩は?


   まだ、だけれど。


   直ぐに戻らなくても良いのならば、一緒に取ろう。
   丁度、ごはんにしようと思ってたんだ。


   大きな欠伸をひとつ、していたようだったけれど。


   この子達を見てたら、つい。


   ふぅん。


   あ。


   だったら、その子達と一緒に食べたら?
   心が和んで、良いでしょうし。


   いや、マーキュリーと一緒が良い。
   この子達も然う言ってる。


   ……。


   持って来てるんだ、ほら。


   ……そこに、私の分はないでしょう。


   それが、あるんだ。


   ……。


   あるよ、マーキュリーの分。


   ……ああ、然う。


   今朝は、約束するのをうっかり忘れてしまって。
   だけど、此処で待っていれば会えるような気がした。


   ……。


   会えなかったら、届けるつもりだったんだ。
   だから、来て呉れて嬉しいよ。


   ……若しかして、わざと?


   うん?


   これ。


   いや、わざとじゃない。
   ちゃんと書いたつもりだった。


   ちゃんと、ね。


   どう?


   ……。


   今、食べなかったから。
   この後も、食べないだろう?


   ……良いわ。


   良い?


   隣。


   うん、おいで。


   ……。


   お茶、飲むだろう?


   ……ええ、頂くわ。


   うん。


   いつ作ったの?


   演習が終わった後に。
   だから、簡単なものなんだけど。


   然う。


   はい、まずはお茶をどうぞ。


   ありがとう。


   お腹は、どれくらい空いてる?


   ……。


   あまり、かな。


   ……とりあえず、ひとつもらうわ。


   うん、分かった。


   ……お茶は温かいのね。


   冷たい方が良かったかい?


   ううん。


   少し甘めにしたんだ。


   ……良いんじゃない。


   ん。


   ……はぁ。


   今夜は、


   仕事。


   分かった、じゃあ部屋に行く。


   ……。


   詰めてやらなきゃいけないことは、今の所、ないだろう?


   ……あなた次第。


   だったらやっぱり、部屋に行くよ。
   いざとなったら、寝台の中で話せば良いし。


   良くない。
   あなたの、


   はい、どうぞ。


   ……野菜を挟んだの。


   うん、好きだろう?


   ……あなたの言葉を文章に起こさないといけないのよ。


   小さいのを、寝台に持ち込めば良いさ。


   嫌がるくせに。


   嫌だけど。


   ……その前に、終わらせるわ。


   うん、その方が良いな。


   だから、協力して。


   うん、する。
   マーキュリーと穏やかに眠れるように。


   ……。


   今夜はその方が良いと思うから。


   ……いただきます。


   どうぞ、召し上がれ。


   ……。


   あたしも、いただきます。


   ……美味しい。


   ん、良かった。


   ……。


   ……。


   ……なに。


   その下に、着けてるんだなと思って。


   ……外しても良いけど。


   外さないで欲しい。


   なら、じっと見ないで。


   うん、もう見ない。


   ……あなたも食べたら?


   然うする。


   ……。


   此処で。


   ……。


   師匠と先生、ふたりでごはんを食べたりしたんだろうか。


   ……したんじゃない。


   誘うとしたら、師匠だ。


   ……。


   もうひとつは、多いかな。


   ……ひとつ、包んで。


   出来れば、早めに食べて欲しい。
   野菜が新鮮なうちに。


   ……分かってるわ。


   ……。


   ……この後は?


   んー、なんだったかな。
   演習もこなしたし、あとは鍛錬くらいで、大した予定はなかったんじゃないかな。


   ……。


   プリンセスのことで、何か忘れてる?


   ……今日も、マーズ。


   あぁ。


   だから、逃げてくるかも知れない。


   それは、あり得るな。


   ……。


   厳しいからなぁ、マーズは。


   ……甘ったれな赤子のままだと、国が傾く。


   ま、然うだ。
   仕方ない、何か用意しとこうか。


   ……甘やかすのは、程々に。


   分かってる。


   ……ごちそうさま。


   もう少し、此処に居て呉れるだろう?


   ……もう少しだけね。


   うん、十分だ。


   あなたが食べ終わるまでは、居てあげるわ。


   ……。


   不満?


   いいや……全然。


   ……。


   マーキュリー……。


   ……ジュピター。


   ……。


   ……早く、食べて。


   野菜の、味?


   ばか。


   はは。


   ……。


   然う言えばさ。


   ……なに。


   明日の朝が憂鬱って言っていたけれど、今の気分はどうだい?


   ……。


   朝、聞かなかったと思って。


   ……お蔭様で。


   ん?


   躰が、重たいけれど?


   ……あ。


   ……。


   え、えと……ごめんね?


   やっぱり、戻ろうかしら。


   待って、戻らないで欲しい。
   ほら、まだ包んでないし。


   言わなくても、届けて呉れるでしょう?


   と、届けるけど。


   じゃあ、良いわね。


   あ、あー。


   ……。


   ……。


   ジュピター。


   ……え。


   野菜が、落ちそうだけれど。


   お、と。


   ……。


   ……居て呉れる?


   食べ終わるまで。
   だから、早く食べて。


   分かった、ゆっくり食べるよ。


  25日





   ……これ。


   青じゃない方が、良かった……?


   ……ううん、それはもう別に良いわ。


   花、要らなかった?


   ……いいえ、きれいだから。


   今日一日、着けてみる?


   ……落としたら、嫌だもの。


   大丈夫、そんなにやわじゃないよ。


   ……何より、誰かに見られたくない。


   誰かに……誰にも?


   ……面倒だから。


   じゃあ、見られないようにすれば良い。


   ……どうやって?


   上衣の中に着けてしまえば、誰にも見えない。
   誰にも、見られない。


   ……。


   だろう?


   ……肌に擦れる。


   肌衣の上に。


   ……。


   それなら、擦れない。


   ……落としたら、嫌だから。


   大丈夫だ、そんなにやわじゃない。


   ……。


   着けて欲しい。
   いつでもあたしを感じられるように。


   ……それは、鬱陶しい。


   ちょっとした瞬間に感じて欲しいんだ。


   ……ちょっとしたって?


   例えば、ものすごく面白くないことが起こった時。
   若しくは、感情が刺々しくなりそうな時。
   或いは、


   つまり、八つ当たりをしても良いと。


   うん、それでも構わない。


   心の中で、悪態を吐くとか。


   あぁ、良いよ。


   良いの?


   それで、マーキュリーの心の負担が減るのなら。
   幾らでも、構わない。


   ……。


   む……。


   ……今日一日、この間抜けな顔を心の中に置いておく。


   置いて呉れる?


   ……良い具合に腹が立って、気を散らせるだろうから。


   へへ。


   ……嬉しいの?


   どんな扱いでも、マーキュリーの心の中に置いて貰えるのは嬉しい。


   ……どれだけなの?


   マーキュリーの心の中に居られるのが、酷く嬉しいんだ。


   ……。


   ん……。


   ……本当、四守護神に相応しくない。


   相応しくありたいなんて思ったこと、ただの一度だってない……。


   ……知ってる。


   マーキュリー……メル。


   ……ユゥ。


   ……。


   ……ジュピターとして、振る舞える?


   必要とあれば。


   ……じゃあ、然うして。


   分かった……然うしよう。


   ……。


   だけど……メルの前では、しなくても良いだろう?


   ……時と場合。


   あぁ、分かってる。
   マーキュリーの時は、ジュピターで居るよ。


   ……。


   ……。


   ……大丈夫そうね。


   うん……大丈夫だ。


   ……然う、それは何より。


   メル……マーキュリーは。


   ……特別な夜は、終わったから。


   ……。


   だけど、然うね……。


   ……なんだい?


   少し、良いかしら。


   ……少しと言わず、幾らでも。


   そんなには要らないわ、離れ難くなってしまうもの。


   ……。


   私も、戻らないといけないの。


   ……あの家に帰りたいな、然うすれば。


   振る舞えると、言った傍から。


   ……。


   ジュピター。


   ……いつか、帰る。


   ……。


   メルを、連れて。


   ……私だけ?


   幼体も、連れて。


   ……。


   その時が来るまで楽しく暮らすんだ、四人で。


   ……あの頃の私達のように?


   いや、あの頃よりも楽しく暮らす。


   ……騒がしそうね。


   師匠と先生は別々だったけど、あたし達は一緒に暮らそう。
   毎夜、同じ寝台で眠るんだ。


   ……考えておくわ。


   うん、考えておいて。


   ……。


   よし、それじゃあ……まずは、今日を生きないと。


   ……今日を?


   今日を明日へ、そしていつか、叶えたい未来へ。
   時を繋げてゆく……然うだろう?


   ……。


   ふたりで、さ?


   ……ふ。


   はは。


   ……本気なのよね、あなたの場合は。


   あぁ、本気だよ。


   ……まぁ、良いわ。


   それで……少しって、なんだい?


   ……あなたと同じことをしてみようかと思って。


   あたしと同じ?


   ……。


   お……。


   ……うん、あなたのにおい。


   あー……えと。


   幼体……子供の頃と、ちっとも変わらない。


   ……然う?


   然うよ。


   ……落ち着くかい?


   然うね……あの頃は、落ち着かなかったけど。


   え、然うなの?


   然うよ?


   それは、どうして?


   さぁ、どうしてかしらね。


   ……嫌い、だった?


   その逆。


   ……逆?


   此れ以上は、言わない。


   ……好き、だったから。


   だから、言わない。


   へへ……そっか。


   ……。


   ね、くさくないかな……?


   ……ジュピターくさい。


   湯浴み、一緒にしよう。


   ……どうして然うなるの?


   さっぱりした方が良いかなと思って。


   ……。


   また同じにおいになろう?


   ……するけれど、一緒にはしないわ。


   一緒の方が。


   しない。


   はい。


   ……うん、もう良いわ。


   良いの?


   改めて、憶えたから。


   うん?


   ううん、重ねたと言った方が良いかしら。


   ……重ねた。


   知ってる? ジュピター。


   ……何をだい?


   良い記憶と結び付いた匂いには、精神的な傷や疲労を癒す効果があること。


   ……。


   あなたは、本能的に分かっていそうだけれど。


   ……あぁ、だから。


   嫌な記憶と、結び付いてはいない?


   いない。


   淋しい記憶とは?


   少し。


   然う。


   だから、忘れさせて欲しい。


   ……。


   出来れば、もう二度と。


   ……もう、ないと思うわ。


   思う、なんだ……。


   ……絶対は、ないもの。


   ……。


   ……だから、重ねましょう。


   幾度も……?


   ……然う、幾度も。


   うん……。


   ……。


   ……ねぇ、マーキュリー。


   しないわよ。


   うん、今はしない。


   ……なに?


   これのことで、何か言いたいことがあったんじゃないかって。


   ……別に、大したことではないから。


   ……。


   ただ。


   ……ただ?


   良く見れば、青い星の「青」とは少し違う、と。
   然う、思っただけ。


   ……マーキュリーの「青」だって、言ったろう?


   ええ……聞いたわ。


   青い星の「青」なんかよりも、ずっと……ずぅっと、きれいな「青」だ。


  24日





   ……。


   ……ん。


   ……。


   また、なの……。


   ……。


   ……やっと、眠ったと思ったのに。


   メル……。


   ……ユゥ、今夜はもう。


   おなか……。


   ……ちょっと。


   おなか、いたくない……?


   ……は?


   いたくない……?


   ……痛くないけど。


   ほんとうに……?


   ……突然、何を言っているの。


   わかんない……。


   ……眠っていたのではないの。


   ねむってた……ねむってた?


   ……?


   あたし……。


   ……どうしたの、ユゥ。


   わからない……わからないんだ。


   ……何が分からないの?


   ……。


   ……分からないことが、分からないの?


   う、ん……。


   分かった……とりあえず、深く呼吸をして。


   ふかく……?


   ……それから、なるべくゆっくりと。


   ゆっくり……。


   どうして良いのか、分からないのなら。


   ……。


   私に、合わせて。


   ……メルに。


   然う……私に。


   ……うん、わかった。


   うん……。


   ……はぁ。


   背中……軽く、叩いても?


   ……うん、たたいて。


   ん……。


   ……。


   ユゥ……私なら、大丈夫よ。


   ……くるしく、ない?


   うん……苦しくないわ。


   ……いたくない?


   うん……どこも痛くないわ。


   ……そっか、よかった。


   少しずつ……少しずつ、合わせて。


   ……メル。


   なぁに……?


   ……せなか、ここちいい。


   然う……それなら、良かった。


   ……。


   うん……良い子ね。


   ……せんせい、みたいだ。


   先生?
   私が?


   ……いやかも、しれないけど。


   ……。


   ごめん……。


   ……然うかも知れないわね。


   ……?
   そう……?


   ジュピターの幼体と接するとは、こういうことなのか……て。


   ……え、と。


   私達にも……あのふたりのようになれる機会が、あるのなら。


   ……。


   ……こんな風に、接してみようかしら。


   なんか、もやもやする……。


   ……そんなことを言って、あなただってマーキュリーの幼体には優しく接するに決まってる。


   マーキュリーの、ようたい……。


   ……お師匠さんが、然うだったように。


   そう、かも……。


   ……。


   もやもや、する……?


   ……いいえ?


   しない……?


   ……どうかしら、ね。


   ……。


   ……手を出したら、赦さないとは思うけど。


   それは、しないよ……するわけ、ない。


   ……。


   ししょうは、せんせいだけだった……あたしだって、メルだけだよ。


   ……知ってるわ、何度も聞かされているから。


   しつこい……?


   ……確認、なのでしょう。


   ……。


   ……ならば、仕方がないわ。


   うっとう、しいなら……。


   ……しないよりは、ずっと良い。


   ……。


   ……だから、止めなくて良いわ。


   うん……じゃあ、やめない。


   ……けど、いつもは止めてね。


   うん……いつもは、しない。


   ……。


   ふぅ……。


   ……楽しいのかしらね。


   たのしい……?


   ……幼体を、育てるって。


   んー……。


   ……まぁ、楽しいだけではないでしょうけど。


   メルが、ふたりのおべんきょうを……あたしは、ふたりのからだのたんれんを。


   ……。


   たのしい……かも。


   ……少し、想像出来たわ。


   そうぞ……?


   ……あなたが、楽しそうに笑っているところ。


   だったら……あたしも。


   ……想像、出来る?


   うん、できる……メルが、やさしくわらっているところ。


   優しく……?


   ……とてもやさしいえがお。


   ……。


   せんせいの、ように。


   ……ユゥには、然う見えたの?


   うん、みえたよ。


   先生のこと。


   ……え?


   楽しんでいるような、皮肉めいているような……そんな笑みには見えなかった?


   んー……楽しそうだったけど。


   ……けど?


   師匠に対しては……ちょっと、意地悪そうだった。


   ……。


   ……ありがとう、メル。


   もう、大丈夫?


   ……ん、大丈夫。


   然う。


   ……けど、離れないで欲しい。


   離れようがないじゃない。


   ……。


   今はまだ、無理して眠ろうとしなくても良いから。


   ……ん。


   ……。


   ……あのね、メル。


   なに?


   ……あかく、なってた。


   赤く?


   ……メルが。


   ……。


   あおが……あかの、なかで。


   ……戦?


   ううん、ちがう……あれは、ちがう。


   ……。


   あたしのても、あかくて……。


   ……それは本当に私だった?


   ……。


   似ているだけではない……?


   ……そう、なのかな。


   ……。


   ……おなか、いたくないんだよね?


   ええ……痛くないわ。


   ……じゃあ、にてるだけだったのかも。


   ……。


   ……ん、メル?


   触ってみて。


   ……どこに?


   お腹に。


   ……。


   今のあなたは、然ういうことはしないと思うから。


   ……さわる。


   ん……。


   ……へへ、すべすべだ。


   膨らんでは、いないでしょう?


   ……ふくらんで?


   何も、居ないから。


   ……なにも。


   だから、痛くなることも、赤くなることもない……大丈夫よ。


   ……。


   ユゥ……?


   ……メルのおなか、かわいいよね。


   は……?


   ……かわいい。


   意味が分からない。


   ……あ。


   もう、おしまい。


   もうすこし……。


   だめ。


   ……うー。


   ……。


   ……ねぇ、メル。


   なぁに。


   ……もうすこしで、あさ?


   ううん……まだよ。


   そっかぁ……あぁ、よかった。


   ……付き合うわ。


   ……。


   要らないのなら……良いけど。


   ううん……ありがとう。


  23日
   ありがとうございました。
   ごめんなさい。





   ……これ。


   ん……。


   ……私の星と言うより。


   メルの星だよ……。


   ……あの、青い星のよう。


   ううん、メルの星だよ。


   ……青にしなければ、良かったのに。


   でも、メルの色は「青」だ……。


   ……「青」、ね。


   あたしの、一番好きな色……。


   ……顔、埋めないで。


   こうしてると、落ち着くんだ……。


   ……何をしたって、落ち着くくせに。


   メルが居て呉れれば、いつだってあたしは落ち着けるんだ……。


   ……勝手に、居場所にして呉れて。


   子供の頃からだよ。


   ……知ってる、とても嬉しく思っていたから。


   今は……?


   ……。


   今は、違う……?


   ……違っていたら、良かったのにね。


   ううん、違わなくて良かった。


   ……。


   ね……メルは、あたしが居れば落ち着く?


   ……これで、落ち着くと思うの?


   うん……?


   ……髪の毛に顔を埋められたり、背中やお腹を撫でられたり、耳元のにおいをかがれたり、首に唇を寄せられて舐められたり。


   うーん……。


   ……他、色々されて。


   無理……?


   ……場合によっては、鬱陶しい。


   ……。


   ……けど、まぁ。


   なに……?


   ……あの、息をすることも困難な場所に居るよりかは、ずっと良いわ。


   そっか……。


   ……ん。


   ……。


   ユゥ。


   ……動かしただけで、何かするわけじゃないよ。


   動かしただけ……?


   ……ただ、触りたくて。


   ……。


   あう。


   ……胸には、触らないで。


   そ、そういうつもりじゃなくても……?


   ……。


   た、ただ、触るだけだよ。


   ……はぁ。


   そ、そんなに嫌だった……?


   ……薄い胸の、どこが良いの?


   ……?
   薄い胸……?


   ……幼体の頃と、大して変わってない。


   ……。


   柔らかくもないし、


   柔らかいよ。


   ……。


   柔らかい。


   ……肉が、ついていないのに?


   全くついてないわけではないし……ちゃんと心地良いよ。


   ……。


   メル?


   ……触れても良いけど、そういう風には触れないで。


   うん、分かった……。


   ……やっぱり、だめ。


   え。


   ……他にして。


   え、えぇ……。


   ……。


   ……感じて、しまった?


   他に、して。


   ……はい。


   はぁ……。


   ……。


   ねぇ、ユゥ。


   ……なに。


   さっき、夢を見たの。


   さっき?


   あなたに抱かれた後……いえ、抱かれている時かしら。


   ……抱かれている時は、無理だと思う。


   然う?


   ……見たこと、あるの?


   あるわ。


   あるの?


   だから、あるわ。


   ……。


   それで……夢の内容、なのだけれど。


   ……あたしの、ゆめ?


   然うかも知れないし、然うじゃないかも知れない。


   あたしじゃないのなら、誰。


   ……さぁ。


   さぁって……憶えていないの?


   憶えては、いるのだけれど……良く、分からないのよ。


   分からない……?
   分からないって、どういうこと……?


   ……なんにせよ、あなたが関係していないわけじゃないだろうから。


   あたしは、メルの傍に居たの?


   ……あのね、ユゥ。


   うん。


   ……「胎」に、「子」が宿るの。


   え。


   宿っているの……「胎」の中に。


   「子」って……一体、誰の「胎」の中に。


   ……その誰かは。


   う、うん。


   私に、とても良く似ていたの。


   似ているだけなんだろう?


   ……。


   メルであるわけがない、ありえない。


   然うね、ありえないわ。
   私では、ありえない。


   あたし達には、生殖機能はない。
   然うだろう?


   ええ、然うよ。
   私達は……形は「女」のそれ、だけれど「男」と幾ら交わったところで「子」は出来ない。
   私達は「卵」を持たない、作られることもない。


   だとしたらやっぱり、似ているだけだ。
   メルじゃない。


   然う、私ではないわ……けれど、私でもあるのよ。


   ……ごめん、言っている意味が分からない。


   あれは、遠い昔……遥か昔に、「私」だったもの。


   ……メル、だったもの?


   ……。


   メル……。


   ……お腹を愛おしそうに撫でながら、酷くしあわせだと。


   しあわせ……「子」が、「胎」の中に居ることが?


   恐らくは。


   ……メルが、然う感じていたの?


   「私」から伝わってきたものだったのか、私自身が感じていたものだったのか……それも良く、分からない。


   ……「胎」の「子」は、誰の「子」なの?


   ……。


   う……。


   ……誰と思う?


   知らない、分からない。


   ……少しは、考えてみて。


   考えてみたって、分からないものは分からないよ。
   分からないものが、分からないよ。


   ……。


   う゛。


   ……思考を、放棄しないで。


   でも……だって。


   自分だとは、思わないの?


   自分……あたし?


   ……然う、あなた。


   いやでも、そんなことは。


   遥か昔の「あなた」が、今と同じ形だったとは限らない。


   ……。


   限らないの。


   ……遥か昔の、「あたし」。


   然う。
   遥か昔の「私」が存在するのなら、遠い昔の「あなた」だって存在する。
   でなければ、今のあなたは此処には居ない。


   それは、つまり……今のあたしとは違う形だった、そんな可能性があるということ?


   ……ないとは、言えないわ。


   同じ形では、ないとしたら……。


   あなたの形は一度、大きく変えられている……その形跡が、確かにあるの。
   あなただけじゃない、お師匠さんにも。


   ……。


   いつか、話したことがあったでしょう?


   ……うん、聞いた。


   その形跡は、これまでのジュピター達の中にずっとあって、消えることはなかった。
   これからも消えることはなく続いていく、連綿と受け継がれてゆく。


   形跡がないジュピターは、ひとりもいないんだよね。


   受け継いでいない者は、存在しない。
   当然よ、「遺伝子」及び「素材」の「材料」が同じなのだから。


   それが瑕疵となって、躰に影響を与えているという話だったよね。
   特に、酒精が毒となるのはジュピター特有の特徴だって。


   ……雷気が熱となって躰に籠ってしまうことも、然う。


   だけど、その形跡がかつてどういったものだったのか、それは分からないままなんだろう?


   ……若しも、私の「胎」にあなたの「子」が宿るとするのならば、答えはひとつしかない。


   ひとつ……。


   ……あなたは、かつて。


   いやだ。


   ……。


   そんなのいやだ、気持ちが悪い。


   ……ユゥ。


   だけど、然うでなければ、メルに……昔のメルの「胎」に「種」を植え付けたのは、あたしではない誰かになってしまう。
   あたしではない誰かが、メルに触れて……だめだ、そんなのは赦せない。


   ……本当のところは、分からない。


   けど、「胎」に「子」が宿っていたのは確かなんだろう?


   ……所詮は夢の中でのこと、現実ではないわ。


   夢だとしても。


   ……。


   今のあたしでは、出来ない。


   ……それを言うのなら、私だって出来ないわ。


   ……。


   相手があなただと思った、根拠はね。


   ……うん。


   あなたの声に、呼ばれたような気がしたの。


   ……あたしの声?


   ううん……正しくは、あなたに良く似た声。


   ……似ているだけで。


   私が、間違えると思う?


   ……。


   あなたの声よりも、少し低かったけれど……声質は、あなたと同じものだった。
   それを根拠とするには、大分弱いし……「マーキュリー」らしくは、ないのだけれど。


   あたしはメルと……あたしが、メルに。


   ……。


   然う、だったら。


   ……自分ではないのに、嬉しいと感じる?


   うん……感じる、感じてる。


   ……。


   ん、メル……。


   ……変な夢だったわ。


   ね……また、見るかな。


   ……出来れば、遠慮したいけれど。


   あたしが、見ることはないかな。


   ……さぁ、どうかしらね。


   見たら、教えて。


   ……見たら、ね。


   あたしも教えるよ。


   ……相手が私でなくても?


   メルに決まってる。


   ……。


   決まってるんだ。


   ……やっぱり、お師匠さんと同じようなことを言うのね。


   師匠と?


   ……先生が同じ夢を見た時、お師匠さんも同じようなことを言っていたみたいだから。


   ……。


   やっぱり、ジュピターなのね?


   ……否定は、しないよ。


   出来ない、じゃなくて?


   ……。


   ん、ユゥ……。


   ……夢の中で、メルに似たひとはしあわせだったんだよね。


   然うみたい、だけど……。


   ……ここに居るメルは、あたしがしあわせにする。


   ……。


   するんだ……必ず。


   ……あなたは?


   あたし?


   ……あなたは、それでしあわせなの?


   あたしは……うん、しあわせだよ。


   私には、求めないの?


   ……。


   私は……あなたに、何もしなくても良いの?
   ただ、傍に居るだけで……それだけで、良いの?


   ……傍に、居て呉れるだけで。


   本当に、良いの?


   ……だって。


   だって……?


   ……もっと、もとめてもいいの?


   ……。


   ……いい?


   あなたの、好きなように。


   ……。


   ……全てに、応えられるかは分からないけれど。


  22日
   20日の拍手、ありがとうございます。
   基本的には自分だけが楽しめれば良いと思いながら書いているので、楽しんでもらえているのなら嬉しいです。

   昨日からの文は前世です。パラレルになっていたのでそっと直しました。
   どうしてパラレルって打ったのか分からない。

   うちの前世ジュピターは一途にマーキュリーだけです。
   マーキュリー以外を知らないし、知ることもありません。





   ……青に、染まる。


   ん……また?


   ……つかれた?


   ……。


   せなか……。


   ……


   白くて、すべすべで……すごく、きれいだ。


   ……少し、休ませて。


   少しで、良い?


   ……。


   ね……なめても、いい?


   はぁ。


   ……おふ。


   休ませて。


   ……はい。


   ん……ジュピター。


   ……でも、はなれたくない。


   ……。


   すこしも、はなれたくない……。


   はぁ……いいわ、それでも。


   うん……。


   ……余計な動きは、しないでね。


   ん、しない……。


   ……。


   ね……ちょっとだけ、うずめてもいい?


   ……どこに。


   あたま……か、くび。


   ……においを、かがないのなら。


   ん……。


   ……まぁ、無理でしょうけど。


   いいにおい……すごく、おちつく。


   ……言ってるそばから。


   いきをすることは、とめられないよ……。


   ……好きね。


   うん、すきだ……だいすきだ。


   ……。


   あぁ……ほんとうに、いいにおい。


   ……あなたと、同じなのに。


   おなじだけど、ちがう……じぶんのじゃ、おちつかない。


   ……。


   じぶんのは……たまに、ちのにおいがまじってるようなきがするから。


   ……。


   うつってしまったら、ごめん……。


   ……うつせば、いい。


   けど……。


   ……あなたと私は然ういう風に造られて、その為に生かされているのだから。


   ……。


   言ったでしょう……あなたと同じだって。


   ……マーキュリー。


   片方だけでは、押し潰されてしまう……だから、良いの。


   ……。


   大体、さんざ共寝しておいて……今更、何を言っているのかしらね。


   ……そう、なんだけど。


   本当、今更よ……。


   ……うん、いまさらだ。


   ……。


   ……。


   ……熱は、どうなの。


   うん……いまは、へいき。


   然う……なら、良いわ。


   ……ん。


   今夜のあなたは。


   ……ふふ、くすぐったい。


   いつも以上に、幼い。


   ……うん、そうなんだ。


   自覚、あるの?


   分からない……けど、然うかなとは感じてる。


   ……少しは、「ジュピター」が馴染んできたと思っていたのに。


   あまり、馴染みたくない……。


   ……それでも、然うならざるを得ないから。


   メルも……然うだろ?


   ……。


   然ういう風に、造られていたとしても……。


   ……心って、厄介ね。


   やっかいだけど……あったかいよ。


   ……。


   ……。


   ……ところで。


   うん……?


   どれだけすれば、気が済むの?


   ……。


   まだ、終わりにしたくないのでしょう……?


   どれだけしても……済まないと思う。


   とりあえず、今夜の話を。


   ……もうちょっとしたい。


   もうちょっと……ね。


   ……いやなら、もう、しないよ。


   起きられなくなるのは、嫌なの。


   然うは、ならないようにする。


   どうだか。


   ……明日、早い?


   まぁ、それなりには。


   ……なら、あと一度だけ。


   一度だけ?


   ゆっくり、したい。


   ……。


   それで、おしまいにする。


   ……出来るの?


   できる、できないじゃない……するんだ。


   ……。


   う。


   ……それらしいことを、言って。


   ……。


   少し、離れて。


   ……でも。


   躰の向きを変えたいの。


   ……わかった。


   ……。


   メル……?


   ……明日の朝が、憂鬱だわ。


   どうしたの……?
   まさか、どこかいたい……?


   ……痛くはないわ。


   じゃあ……。


   ……言わせないで。


   ……。


   ……言わなくても、分かって。


   えと……うん、分かった。


   ……本当に?


   うん、なんとなく。


   ……なんとなく、ね。


   ねぇ。


   ……なぁに。


   これで、口付けが出来るね。


   ……まだ、しないけれどね。


   ふふ、メル……。


   ……ちょっと。


   唇じゃないよ……おでこだよ。


   ……然ういう問題じゃない。


   ほっぺたは?


   ……今は、まだ。


   ん……それじゃ、後でね。


   ……さんざ、したくせにね。


   まだまだ……おぼれるくらい、したい。


   ……際限が、ない。


   メル……む。


   ……此方を、向いたのは。


   むいたのは……。


   おめでとう、と言う為。


   ……おめで、とう?


   知らなかった?
   「誕生日」には、然う言ってお祝いするのよ。


   ……聞いたような、気がする。


   だから、おめでとう……ジュピター。


   まだ、よくわからないけど……ジュピターじゃ、いやだ。


   ……。


   ……いやだよ、メル。


   はぁ……仕方ないわね。


   ……。


   ……おめでとう、ユゥ。


   うん、メル……。


   ……それで?


   おめでとう、メル。


   ……。


   えへへ……。


   ……手、くすぐったい。


   あ、と……ごめん。


   ……ふ。


   はは……。


   ……これで、何度目になるのかしらね。


   何度目……?


   ……出逢ってから何度、時が巡ったのかしら。


   ん、と……。


   ……なんて、あなたが数えているわけないわよね。


   まだ、半分にもならないと思う。


   ……半分?


   これからも、まだ、ふたりで生きるから。


   ……また、あやふやのことを。


   ……。


   私が聞いているのは、何度目かということなのだけれど。


   ……メルは、数えてた?


   さぁ……どうかしらね。


   あ、その顔は数えてる……。


   ……。


   メル……ん。


   ……今は、教えないわ。


   ……。


   教えない。


   ……いつか、おしえてくれる?


   ……。


   ……。


   ……いつか、ね。


   分かった……待ってる。


   ……。


   ね……そろそろ、休めた?


   ……まだと、言ったら?


   もう少し、休む……。


   ……いいわ。


   ……?


   ……ユゥ。


   あ……。


   ……。


   ……うん、メル。


  21日





  -魂ノ緒(前世)





   ……これ、何。


   樹脂で作ってみたんだ、どうだろう?


   どうだろうって。


   マーキュリーの星を考えながら作ったんだ。


   私の星を?


   うん。


   私の星はこんな色ではないわよ。
   この色ならば、寧ろ、


   色は、マーキュリーの瞳と髪の色。


   ……顔料はどうしたの?


   青い星で。


   藍銅鉱?


   多分。


   青の顔料としては一般的だけれど、希少なものだから、とても高価な筈よ。


   湿気が多いところに放置しておくと緑になるらしいよ。


   ……。


   ん?


   ……聞かないでおくわ。


   師匠が遺したもののひとつと交換したんだ。


   ……然う。


   ね、どうかな。


   だけど、どうして?


   初めての「誕生日」だから。


   ……。


   ご馳走と、そして、贈り物を。


   ……贈り物、なんて。


   先生もさ、こういうのを持ってただろう?
   青くて、きれいなの。


   ……あれは、お師匠さんが作ったものよ。


   だからね、あたしもいつかメルにって思ってたんだ。
   叶って良かった。


   ……。


   ね、着けてみても良い?


   ……良いけど。


   やった。


   ……相変わらず、手先が器用ね。


   もっと早く作れば良かったなって思ってる。


   ……。


   再会して、直ぐに。


   ……そんな余裕は、なかったでしょう。


   それでも、だ。


   ……作ったところで、受け取るかどうか。


   マーキュリーなら、受け取って呉れたと思う。


   ……受け取って、捨てたかも知れないわ。


   ……。


   ……あの頃の私なら、やりかねないもの。


   一度、捨てても。


   ……。


   拾って、目に入らない書物棚の奥にでも仕舞っておいて呉れたと思う。


   ……。


   よし、出来た。
   うん、思った通り、とても良く似合っていてきれいだ。


   ……どちらが?


   勿論、マーキュリーが。
   これはマーキュリーを飾る為にあるんだ。


   ……透き通っていて、きれいね。


   気に入って、もらえた?


   ……中に散らすようにしてあるのは、花?


   うん、花だよ。


   ……本当に器用ね。


   師匠より?


   ……同じくらい、かしら。


   同じくらい、かぁ。


   ……ねぇ、ジュピター。


   なに、マーキュリー。


   私、何も用意していないわ。


   用意?


   ……贈り物。


   あぁ。


   あなた、ご馳走の話ばかりしていて。
   贈り物の話なんて、一度だってしたことはなかったわ。


   内緒にしたかったんだ。


   内緒って。


   だから、今日まで知られなくて良かった。


   あなたが隠れて何かをしていることは知っていたわ。


   でも、何をしているかまでは知ろうとしなかった?


   知ろうと思えば、知ることは出来たけど。


   だけど、しなかった。
   ありがとう、マーキュリー。


   ……「誕生日」には、贈り物をすることもある。


   うん。


   ……だけど。


   良いんだ。


   言って呉れれば良かったのに……然うすれば、私だって。


   あたしは。


   ……。


   あたしは、マーキュリーが此処に居て呉れるだけ良い。
   ふたりで「誕生日」のお祝いが出来れば、それだけでしあわせなんだ。


   ……そんなの。


   改めて、受け取って呉れるかい……?


   ……。


   受け取れない……?


   ……ばか。


   あ。


   ……仕方ないから、受け取ってあげるわ。


   本当……?


   ……この期に及んで、嘘なんか吐かない。


   あぁ、良かった。


   ……。


   ねぇ、マーキュリー。


   ……なに。


   次の「誕生日」はさ。


   ……その時、私が此処に居るかどうか。


   マーキュリーが居ないなら、あたしも居ないよ。


   ……。


   次の「誕生日」は交換しよう。


   ……贈り物を?


   うん、こうかんこするんだ。


   ……それまで、要らないと言うの。


   え?


   ……今直ぐに、贈ることは出来ないけれど。


   じゃあ、マーキュリーが欲しい。


   ……は?


   マーキュリーが欲しい。


   ……。


   今夜は、マーキュリーと眠りたい。
   朝まで、マーキュリーと一緒に居たい。


   ……今更?


   「誕生日」は、特別な日だろう?
   だから、今更じゃないよ。


   一緒に過ごすことで特別になる、いいえ、特別にしたいと言うの?
   今更なのに?


   あたし達が、然う思えばなるよ。


   ……。


   ……「誕生日」だけの、特別な夜にしたい。


   あなたと朝まで過ごすなんて、今となっては特別でもなんでもないわ。
   それこそ、子供の頃から幾度も……。


   ……。


   ジュピター……。


   ……。


   だめ、かな……。


   ……なんて顔をしているの。


   どんな顔、してる……?


   ……昔のあなたを、思い出す。


   昔の……。


   ……泣きそうな、顔。


   あぁ……。


   ……。


   ……お願いだ、マーキュリー。


   ジュピター。


   ……。


   ……ばかね。


   うん……ばかなんだ。


   ……。


   マーキュリーと、一緒に居たい……。


   ……特別な夜になるどころか。


   ん……。


   ……代わり映えのない夜になるかも知れないけれど。


   マーキュリー……。


   ……それでも、良い?


   仮令、然うだとしても……一緒に、居たい。


   ……。


   マーキュリーにとっては「今更」で、「特別」になることはないかも知れないけど……あたしにとっては、「特別」になるから。


   ……然う。


   ……。


   それじゃあ……朝まで、一緒に。


   ……うん、メル。


   ……。


   あ、まだ早かった……?


   ……ご馳走、まだ食べていないわ。


   はは、然うだよね……。


   ……折角、作ったのだから。


   うん……食べよう、メル。


   ……その前に。


   う……。


   ……顔を、拭いて?


   かお……。


   本当……躰ばかり、大きくなって。


   へへ……。


   ……勇猛で、果敢。


   うん……?


   雷神ジュピターのこんな顔、他の誰にも見せられないわね。


   見せないよ。


   ……。


   マーキュリーだけなんだ。


   ……言うと思った。


   かっこ、悪い?


   ……それも、今更。


   いや……?


   ……だったら、今、こうしてふたりで居ないわ。


   そっか……。


   ……少し屈んで、それから黙ってて。


   うん……。


   ……。


   ……。


   ……ん、良いわ。


   ありがとう……メル。


   ……どういたしまして、ユゥ。


   へへ。


   ……本当、変わらない。   


  20日





   ……。


   ……。


   ……ぅ。


   おはよう、木野さん。


   ……。


   さっさと、起きて?


   ……みずのさん。


   おはよう?


   ……おはよう、いまなんじ?


   5時半前。


   ……えと、はやいね?


   それで、起きるの? 起きないの?


   ……おきる、けど。


   けど?


   もしかして……おなか、すいた?


   ……。


   うー……。


   木野さんのほっぺたって、どうしてこんなに柔らかいのかしら。


   ……それは、みずのさんにふにふにしてもらうためだよ。


   ふぅん?


   ほかのひとには、さわらせない。


   別にいいけど。


   あたしがいやなんだ。


   あぁ、そう。


   あさごはん、なにがいい?
   ゆうべ、きくのわすれちゃったから。


   もう出来てるわ。


   そっか……じゃあ、え?


   もう、出来てる。


   や、まって。
   いま、ごじはんまえだよね?


   ええ、そうよ。


   それなのに……え、え?


   そんなに驚くこと?


   みずのさんが、つくってくれたの?


   そうだけど?


   ……。


   早く起きて、朝のお勉強をするから。


   ……おべんきょう。


   ゆうべ、出来なかったでしょう?
   私のお誕生日会で。


   ……うん、そうだね。


   ねぇ、数学がいいわよね?


   ……。


   それとも、理科の方がいいかしら?


   ……すうがくの、けいさんをとくのがいいな。


   じゃあ、関数?


   た、たんじゅんな、けいさんがいいかな……。


   じゃあ、一次関数。


   ……。


   でもそうね、単純な計算でも頭の軽い運動くらいにはなるかもね。


   だ、だろ?


   じゃあ、二次方程式。


   ……いっそのこと、算数はどうかな。


   算数?


   単純な四則算を15問くらい。


   それぞれ5問ずつ、三桁以上。


   二桁が、いいな。
   じゃないと、お弁当を作る時間が。


   ……。


   数学は、学校が終わってから。
   復習と予習もかねて。


   ……いいけど。


   け、けど?


   とりあえず、早く着替えて。


   ……はい、今すぐに。


   木野さんが支度をしている間に、問題を作っておくわ。


   ……うん、お願いします。


   負の数は?


   ん、大丈夫。


   ルートは?


   ……素因数分解なしの、単純なものなら。


   朝食の前に解く?


   ううん、出来れば朝ごはんが先がいいな。
   起きたら、お腹が空いてきた。


   大したものではないわよ。


   うん?


   朝食。


   大したこと、あるよ。


   トーストと、ベーコン入りのスクランブルエッグ。
   それから、電子レンジで温めるだけのコンソメわかめスープ。


   うん、ご馳走だ。


   どうだか。


   聞いたら、余計にお腹が空いてきちゃった。


   なら、早くして。


   顔、洗ってきます。


   タオル。


   ありがとう。


   ねぇ。


   なに?


   ケプラーの法則。
   或いは、ラザフォード散乱。


   ……。


   どちらかの説明でもいいわよ。
   朝食を食べながらでも出来るし。


   ……それは、お昼休みに聞きたいな。


   お昼休みに?


   そう、お弁当を食べながら。
   出来れば、優しく教えて欲しい。


   ……どちらがいい?


   そうだなぁ……惑星と関係あるのは、どっちだったっけ。


   ケプラー。


   じゃあ、ラザフォード。


   ラザフォードの原子模型は惑星モデルと、呼ばれてはいるけれど。


   惑星と関係あるんだっけ?


   その説明もするわ。


   ん。


   ……。


   んー……きもちいい。


   私、ね。


   ん?


   気付いたのだけど。


   ……何に?


   私、頑張っているひとが好みみたいなの。


   よし、今日も頑張ろう。


   ……単純。


   ふぅ、さっぱりした。
   あとは髪の毛を、と。


   ……。


   はい、出来た。
   お待たせ。


   飲みものは何がいい?


   あたしが淹れるよ。
   何がいい?


   麦茶。


   じゃ、あたしも麦茶にしよう。


   ……。


   問題は、作り終わったんだね。


   言ったでしょう、支度をしている間に作るって。
   大体、単純な四則算の問題ならすぐに出来るわ。


   確かに。


   それくらいなら、そんなに時間はかからない筈よ。


   ね、3問ずつしかないけど、これだけでいいの?


   お弁当を作る時間が必要だから。


   ……。


   四則の混じった計算にしようかと、少しは思ったのだけど。


   これなら……今、解いちゃおうかな。


   お腹、空いてるんじゃないの?


   空いてるけど。


   食べながら?


   それは、行儀が悪いなぁ。


   どうするの?


   うーん……。


   私は、どちらでもいいけれど。


   やっぱり、ごはんにする。


   そ。


   へへ、今朝は水野さんが作ってくれた朝ごはんだ。


   初めてではないでしょう。


   そうだけど、嬉しいんだ。


   ……。


   氷、いるよね。


   ……みっつ。


   ん、分かった。


   ……。


   ねぇ、水野さん。


   なに。


   愛はため息で出来た煙だって、英語でなんて言うんだっけ。


   Love is a smoke made with the fume of sighs.


   そうそう、そうだった。


   急になに。


   煙は実体がなくて、掴みようがないからさ。


   ……だから、なに。


   少しでも、確かめられるように。


   ……。


   ……む。


   それ……言いたかっただけでしょう。


   ……。


   恋愛は、良いことばかりではない。
   ため息だって、しあわせなものばかりじゃない。


   だからこそ、確かめ合うことが大事なんだ。


   ……。


   ね。


   ……時間、こんなことをしていたら。


   ん……あっという間に、なくなっちゃうね。


   ……。


   ……今日も、大好きだ。


   だから、時間。


   ……はい。


   ……。


   あぁ、美味しそうだなぁ。
   食べよう、水野さん。


   ……木野さん。


   なんだい?


   なんでもない。


   そっか。


   計算、ひとつでも間違えたら。


   分かってる、だから間違えない……ように、する。


   ……。


   ふふ。


   ……なに。


   それ。


   ……悪い?


   ううん、全然。
   朝の光が反射してきれいだなって、思っただけ。


   ……いただきます。


   いただきます。


   ……。


   うん、美味しい。


   ……木野さん。


   ん、なに?


   これ……あとで、つけて。


   いいけど……学校に?


   ……着く頃には、外すわ。


   分かった……じゃあ、食べ終わってから。


   ……ね、外してくれるでしょう?


   もちろん。


   ……。


   ゆうべ……夜も、似合っていたけど。


   ……?


   朝も、良く似合うと思う。


   ……なにそれ。


   はは、なんだろ。


   ……。


   スクランブルエッグ、美味しい。


   ……今日も好きよ。


   ん、何か言った?


   いいえ、何も。


  19日
   18日の拍手、ありがとうございます。
   嬉しいです。

   今更ですが、うちの現世のふたりは90年代を生きています。
   と言いつつ、ちょいちょい現代的にもなります。主に食べ物。





   ……プログラム、か。


   遺伝因子として、全ての女に組み込まれていると仮定して。
   候補は恐らく、無作為に選ばれる。


   全ての女から無作為に選ばれるというのなら、既に生まれて生活しているひとたちからも?


   いいえ、既に生まれてしまっている子が発現することはないと考えるわ。


   姿かたちが変わってしまうから?


   姿かたちが変わってしまうことは、その視点から見ると、大した問題ではないかもしれない。
   たとえ、その人物の人生が大きく変わり、狂うことになったとしても。


   で、あるならば。
   お腹に中にいる赤ちゃんの方が、あたしは良いと判断する。


   何故?


   その人物が、それまでの自分を失ってしまったことに耐えられるか。
   前世からの使命の為に生きられるか、命を懸けられるか。最悪、命を放り投げてしまうことだってあり得る。
   ならば、最初からその形として生まれてきた方が都合が良いだろうと、あたしは思う。


   となると、お腹の中にいる赤ちゃんが選ばれることになる。
   無作為ではあるけれど、ある程度は、作為的だということになる。


   うん。


   生まれた時に親と似ても似つかなくても、その胎から生まれてきたという事実は確実に残る。
   男親から見れば己の子とは思えなくても、女親から見ればそれは己の「胎」から生まれてきたのだから、己の子でしかない。
   他の女の卵子を勝手に埋め込まれたというのなら、話は別だけれど……そんなことは、ありえないでしょうから。


   しかし、随分と乱暴な話だなぁ。
   ある意味、勝手に埋め込まれているようなものじゃないか。


   そうね。
   強制的に生まれ変わりとするのだから、よっぽどの狂人が考えたとしか考えられないわ。


   赤ちゃんの方が良いとは言ったけど、その子が……ちゃんと育ててもらえるかどうかなんて、分からないだろうに。


   その為の因子も、「女」には埋め込まれているのかもしれない。


   「我が子」をちゃんと育てるように?


   最低限、死なない程度に。
   でなければ、私は今頃、ここにいなかったかもしれない。


   ……それは、あたしもだね。


   木野さんの場合は、少しは似ていたのでしょう?


   うん……まぁ、少しね。


   父親? 母親?


   お父さん、かなぁ。
   髪の色が同じで。


   そう……それは良かった。


   ……ジュピターの髪の色が、たまたま、栗色だったから。


   だけど、木野さんのご両親は木野さんがたとえ自分達に似ていなくても……。


   ……。


   ……そんな気がするだけよ。


   あたしの瞳の色は、緑だろ。


   ……。


   ふたりの色とは、違うのに……それでも、何度もきれいだと褒めてくれた。


   ……今でも、忘れない?


   うん……きっと、忘れることなんてないと思う。


   ……。


   だから、なのかな。


   ……何が。


   お父さんと、お母さんは……死んでしまったのかな。


   ……。


   邪魔だろ……姫の為に命を捧げなきゃいけないってのに、子を守る存在がいたら。


   ……邪魔でしかないでしょうね。


   そこまで、プログラム出来るもの?


   ……分からないわ。


   流石に、無理かな。


   ……ただ、孤独の方が何かと都合が良いということは確か。


   ……。


   そして……子を孤独に追い込むだけならば、守る存在の命を奪わずとも。


   ……火野さんは、母親がいないらしい。


   ……。


   死んでしまった、とか……父親とも、離れて暮らしていて。


   ……だけど、あのひとの傍には祖父がいるわ。


   ……。


   愛野さんには、両親が……恐らく、年頃特有の不満や反抗心はあっても、それ以上のものはないでしょう。


   ……姫には。


   姫は、守られる者。愛される者。
   それ以上でも、それ以下でもない。


   ……けど、前世は。


   だからこそ、今生では孤独とは程遠い環境に置かれているのかもしれない。


   ……なんだよ、あたし達だけじゃないか。


   火野さんも、失ってはいるけれど……。


   ……なんだかなぁ。


   前世の私達が、余程、気に喰わなかったのかもね。
   最終的に、使命すら放り投げてしまったし。


   それは、あるかもしれない。いつもふたりでいて、養親みたいな存在もいたから。
   だけど使命を放り投げたのは、姫が死んでからだ。どうしようもないだろう、あれじゃ。


   止められなかったから、とか?


   王子がいなけりゃ、遅かれ早かれ死んだだろ。
   王子が全てだったんだから。


   言い方。


   間違ってはいない。


   そうだけど。


   掟を破って、世界が滅びる要因を作った……その罪は、どこへ行ったんだ。


   そんなものは、ないのでしょう。


   はぁ……都合がいいことで。


   それすらも、計算されていたのかもしれないし。


   ……。


   ともあれ、私達をひとりにさせることで追い詰めたかったのかもしれない。
   今度こそ、身命を賭して姫を守り、姫に尽くす為に。


   ……性格が、恐ろしいほどに、悪い。


   私みたいね。


   水野さんの性格は悪くない。
   ちょっと素直じゃないだけだ。


   ちょっと、かしら。
   大分、ひん曲がってる自信はあるけれど。


   そこもまた可愛い。


   ……物好きが過ぎる。


   それで、プログラムが発動するのは。


   姫となる存在が生まれる時、かしら。


   同い年なのは、わざと?
   前世では、あたし達は近かったけど、他はそうでもなかったろ。
   特に姫は、ヴィーナスやマーズから見れば、赤子みたいなものだった。


   例えば、大人が前世からの使命がどうとかって言われたところで。
   構ってる暇なんて、あると思う?


   「普通」はないかな、今だってないのに。


   ならば同い年、或いはそれに近い方が都合がいい。


   ふぅん……やっぱり、性格が悪いな。


   ……。


   ん、なに?


   眠くない?


   うん、大丈夫だよ。


   つまらない話なのに?


   面白いよ。


   プログラムだとか遺伝因子だとか。
   根拠もない、ただの仮説に過ぎないのに?


   でも、興味深い。


   ……。


   ん……水野さん?


   あなたと話していると、楽しいわ。


   本当?


   ええ、本当。


   へへ、嬉しいな。


   ……ん。


   楽しいって、もっと思ってもらえるように……もっともっと、本を読んで、お勉強しないと。


   ……ふふ。


   ……。


   ん……きのさん。


   ……双対。


   ……。


   あたしの中に、水野さんが。
   水野さんの中に、あたしが。
   あたし達は、ずっと、一緒だ。


   ……。


   双対関係?


   ……だから、重い。


   はは……だよね。


   ……。


   む。


   ……言葉の意味、ちゃんと分かってる?


   あたしにとって、都合の良い解釈をしてる……。


   ……だと思った。


   今度、ちゃんと調べるつもりだけど……難しそうだなぁ。


   ……その時は、優しく教えてあげるわ。


   優しく……?


   ……そう、優しく。


   それは、楽しみかも……。


   ……寝たら、許さないけど。


   寝ないようにするよ……。


   ……。


   ……名残惜しいけれど、そろそろ、お開きにしようか。


   何を……?


   ……水野さんのお誕生日会。


   これ、お誕生日会だったの……?


   ……そうだよ。


   ふぅん……。


   ……また、来年ね。


   その前に。


   ……む。


   あなたのお誕生日があるわ。


   ……。


   さっさと、追いついて。


   ……うん、さっさと追いつくよ。


   ……。


   ……。


   ……ねぇ。


   ん……なに。


   ……。


   ……あたしは、構わないよ。


   何も言ってない。


   ……目が、言ってる。


   ……。


   目は、口ほどに物を言う……。


   ……お開き、なのでしょう。


   お誕生日会は、ね……。


   ……。


   ……どうする?


   ……言うと思うの。


   思わない……だから、あたしが言うよ。


   ……。


   愛しているよ。


   ……。


   ……愛してる。


   しない。


   ……あれ。


   ……。


   うー……。


   ……ふふ、柔らかい。


   ……。


   ん……。


   ……亜美も、柔らかいよ。


   わたしは……。


   ……。


   ……まこと。


   しない……?


   ……しない。


  18日





   はい、どうぞ。


   ……ありがとう。


   どういたしまして。


   ……必ずではないけれど、良く言うわよね。


   ん、何を?


   ……どういたしまして。


   お礼を言われたら、そう返すものだと教わったから。


   ……誰に。


   両親と、祖母に。


   ……使わないひとの方が大半なのに。


   使わないひとが大半でも、あたしは使うよ。
   「どういたしまして」は、お礼へのお礼だからね。


   ……お礼へのお礼?


   そう。
   お礼は、大事だろ?


   ……あなたは、そう教わったのね。


   うん?
   もしかして、間違ってる?


   ……「どういたしまして」は、本来、お礼や謝罪に対して丁寧に打ち消す言葉。


   ……。


   感謝や謝罪の意を伝えられた時に、気を遣わなくても良いと伝える言葉。
   或いは……相手の言い分をやんわりと否定するという意味もあるけれど、ここでは適当でないわね。


   つまり、お礼の意味はない?


   ……少なくとも、言葉の中にはないわ。


   そうなんだ……知らなかった。


   ……謝罪された時、通常はお礼なんてしないものでしょう。


   まぁ、しないかなぁ。


   ……あなたのご両親やおばあさまは、分かっていて、その意味を持たせたのかもしれないけど。


   ……。


   ……ほんとう、やさしいひとたち。


   水野さん。


   ……なに。


   隣、いい?


   ……良くない。


   ん、そっか。


   ……さっさと来て。


   うん、さっさと行く。


   ……。


   よいしょ、と。


   ……。


   味、どうかな。


   ……まぁまぁ。


   もう少し甘い方が良かった?


   ううん……氷の量も、これくらいでいい。


   そっか……良かった。


   ……。


   ……寄り掛かっても、


   言われなくても、してる。


   ……うん、そうだね。


   ……。


   ふふ……やっぱり、心地好いな。


   ……飲まないの。


   飲むよ。


   ……。


   ……うん、すっきりしてる。


   ……。


   ふぅ……いいきもち。


   ……ねぇ。


   なに?


   ……何か、聞いて。


   何か?


   ……言いたくないことは、言わないから。


   んー……。


   ……聞きたいこと、ないの。


   あるよ。


   ……だったら、聞いて。


   ……。


   ……私のこと、もっと知りたくはないの。


   七五三。


   ……。


   やった?


   ……やってない。


   それは……。


   ……みっつも、ななつも。


   ……。


   七五三なんて、私には無縁の行事だった。


   ……ごめん。


   言いたくないことは言わないと言ったわ。
   だから、私が言ったことに対して謝るようなことはしないで。


   ……分かった。


   一年生の時に、七五三でどんな着物を着たか、着るのか、そんなことをクラスの女の子たちが話していた。
   けれど興味のない私には、ただの雑音にしか聞こえなかった。


   ……。


   時折あがる甲高い声のせいで、お勉強や本をめくる手が止まってしまうのが本当に嫌だった。


   あたしが通ってた小学校もそうだったよ。


   ……木野さんは、どうしていたの。


   あたしの場合は、自分には関係ないことだと思って聞き流してた。
   自分が置かれている状況を、なんとなく理解していたから。


   ……興味は?


   興味は……どうだろ、それどころじゃないというのが本音かな。
   親しいともだちもいなかったし。


   ……千歳飴が、どんなものか。


   ……。


   どんなに甘いものなのか、知識でしか知らなかったけど……それでも、全然構わなかった。
   所詮、私には関係のないことだから。欲しいとも思わなかった。


   ……今度、買ってみようか。


   ……。


   七五三の時期になると、売っているから。


   ……木野さんが欲しいのなら。


   うん、あたしが欲しいんだ。
   だから、付き合ってくれるとうれしいな。


   ……。


   ありがとう。


   ……どういたしまして。


   はは。


   ……なに。


   お礼かなって。


   ……ただの打ち消しよ。


   そっか。


   ……。


   水野さん。


   ……次の問い?


   うん。


   ……どうぞ。


   お誕生日は、どうしていたの。


   ……誕生日に、お祝いなんてされたことないわ。


   ケーキは。


   そんなもの、あるわけがない。


   ……。


   そのくせ、宝石なんて……そんなどうでも良いものを、押し付けられて。


   ……お父さんは。


   そもそも、私の誕生日を憶えていたかどうか。


   ……。


   父は結局、私が自分の子だと信じることはなかった。
   きっと、今でもその考えは変わらないでしょう。ううん、もう忘れているかもしれないわね。


   ……。


   そんな子供のことを、心からお祝い出来ると思う?


   ……生まれてきた時は。


   さぁ……生まれる瞬間までは、私を思う気持ちはあったかもしれないけど。


   ……。


   髪の色を……そして、瞳の色を見た時はどんな気持ちだったのか。
   呆れか、怒りか、失望か……なんにせよ、私を捨てるには十分な感情だったみたい。


   ……。


   私ね、目を開けるのが早かったみたいなの。
   目を開けて、父を、母を、じっと見ていたって。まるで、見えているかのように。
   ビー玉のような、感情の籠らない瞳で……そんな瞳で見られて、さぞかし、気持ちが悪かったでしょうね。


   ……。


   何回目かの誕生日に、吐き捨てるかのように言われたわ。
   言われたところで、私は何も出来ないのに。


   ……。


   髪の色も、瞳の色も……似ても似つかない。
   良く見なくとも、全く似ていない子供を……可愛いなんて、思えるわけがない。
   父も……産んだ母さえも。


   ……。


   父と母の言い合いが、罵り合いが、耳にこびりついて、離れないの。
   ふたりとも、私を悪く言って……あれは本当に人間なのかって、そんな言葉すら、父は吐いていたわ。


   ……水野さん。


   七五三なんて、やりたいとは思わない。
   やりたいだなんて、思ったことない。羨ましいだなんて、思ったことない。
   誕生日だって、そうよ。誕生日なんて、ただ、生まれてきた日というだけのことじゃない。
   生まれてきたくなかった私にとっては、何一つ、おめでたいことなんてない。


   ……。


   私には、本があれば良かった。お勉強をすることを覚えてからは、お勉強が出来れば良かった。
   知識を得ること……それ以外、何も望まない、何もいらない……だから。


   あたしは、奪わない。
   水野さんから、何も、奪わない。


   ……。


   あたしは……叶うなら、たくさん、何かをあげたい。
   毎年、お誕生をお祝いして……七五三は、無理だけど。


   ……。


   大人になったら、結婚式をしよう。
   ドレスも着物も、水野さんだったら、なんでも似合う。きっと、とてもきれいだ。ううん、絶対にきれいだ。
   結婚記念日は、ふたりでお祝いして……ケーキだって作るよ。プレゼントだって用意する。
   そうやって、ふたりで色々お祝いしよう。お祝いする日を、いくつも作ろう。


   ……いくつも、作るだなんて。


   誕生日だろ? 結婚記念日に、ふたりが逢った日、それから……クリスマスにお正月?
   お祝いとは違うけど、イベントってことでさ。


   ……特別でない些細なことでも、お祝いする日になりそうね。


   それから……そう、歳を取ったら還暦祝いってのもあるよね。
   それに、結婚何年目っていうのもあるだろう? 米寿とか喜寿とか、あとはなんだっけ。


   ……それは、長寿祝い。


   あれ。


   ……有名なところでは、銀婚式と金婚式。


   それだ。


   ……木野さん。


   あとは、何があるかな……初めてキスした日とか?


   保育園児みたい。


   うぇ?


   言ってることが、幼児。


   ……せめて、小学校低学年くらいで。


   はぁ。


   え、と……。


   ……ふ。


   ふ?


   ……それで。


   う、うん。


   たくさん、何をくれるつもりなの。


   水野さんが、望むものを。


   それは、なに?


   まずは、目いっぱいの愛を。


   ……。


   水野さんを、包み込めるような、そんな愛を。


   ……はぁ。


   そんなことは、言わない。
   まだ、言えない。


   ……。


   どんな言葉が、どんな行動が、どんな願いが。
   水野さんを笑顔に、しあわせに出来るだろう。
   それをずっと、考えていく。あたしの、一生の時間を使って。


   ……。


   その中で、水野さんが欲しいものを見つけることが出来たら。
   見つけたたびに、言葉にして、形にして、水野さんに贈りたい。
   もしかしたら、いらないって言われるかもしれないけど……そしたらまた、考えて、探すんだ。


   ……。


   何度だって、考えて……ん。


   ……。


   ……みずのさん。


   こども。


   ……今は、水野さんよりも年下だし。


   すぐに追いつくって言ったじゃない。


   ……すぐに追いつくけど。


   ……。


   ……アイ、ラブ、ユー。


   ……。


   ……あ、笑った。


   ばかなの?


   本気と書いて、ばかと読むのかもしれない。


   ……あなただけよ、そう読ませるのは。


   ただし、水野さん限定。


   ……真顔で言わないで。


   渾身のアイラブユーを水野さんに。


   ……。


   あはは。


   ……。


   あ、引っ張らないで。
   こぼしちゃうから。


   ばか。  


  17日
   16日の拍手、ありがとうございます。
   とても嬉しいです。





   ん……ふふ。


   ……なに。


   もしかして、だけど……ちょっとした癖になってる?


   ……なにが。


   髪の毛をいじるの。


   ……悪いの。


   ううん……悪くないよ。


   ……。


   好きなだけ、どうぞ……。


   ……ねぇ。


   なんだい……?


   ……短くしたことは、ないの?


   三つの七五三の為に伸ばして、それからは長いままだよ。
   詳しくは、憶えていないけど。


   ……これ以上は、伸ばさないの。


   うん……伸ばさない、かな。
   これくらいで、丁度良いんだ……。


   ……七五三のことは、憶えているの?


   神社で転んだような憶えがある。


   ……はしゃいで?


   多分。


   ……。


   想像、した?


   ……駆け出して、転ぶところまで。


   あとさ、お屠蘇を飲んで大変なことになったらしい。
   主に着物が。


   ……やりそう。


   本当は盃を傾けて、飲むふりをするだけで良かったんだよね。
   だけどさ、お屠蘇って透明だし、水と間違えてもおかしくないだろ?
   あたし、水が好きだったし。


   ……水が好き?


   良く飲んでたらしいよ。


   ……お屠蘇は、前もって説明されると思うけど。


   三つだしなぁ、理解出来なかったんじゃないかなぁ。


   ……大変なことって?


   まぁ……汚い話だけど、口から吐き出した。
   当時のあたしには、よっぽど、変な味だったみたい。


   ……着物は。


   レンタルだったから、ね。


   ……転んだり、お屠蘇を飲んで吐き出したり。


   我ながら、落ち着きのない七五三だったなって。


   ……七つは。


   やってないんだ。


   ……。


   その前に、両親が死んでしまったから。


   ……ごめんなさい。


   ううん、いいよ。


   ……三つの写真はあるの。


   見てみたい?


   ……そういうわけではないわ。


   だけど、ごめんね……もう、ないんだ。
   住んでいた家と一緒に、処分、されてしまったから。


   ……。


   髪の毛に、話を戻そうか。
   他に聞きたいことはあるかい?


   ……邪魔だと思ったことは?


   たまにあるよ。
   夏なんか、暑いしね。冬は乾きが悪いし。


   ……短くしたいとは。


   今のところ、ないかな。
   もう、慣れちゃってるし。


   ……短い方が楽なのに。


   はは、そうだねぇ。


   ……髪型はずっと、ポニーテール?


   一番、まとめやすいんだ。


   ……違う髪型にしたことは。


   あるよ。


   ……どんな?


   下ろしたり、首の後ろあたりでひとつに結んだり。
   あとは、緩く結んだ髪を前に持ってきたり。


   ……それは部屋にいる時、特に眠る前に良くしている髪型だわ。


   普段はポニーテールが一番楽なんだ。
   下ろしてると動くのに邪魔だし、特に料理をする時は火を使うから危ない。


   ……下ろさなくても。


   他の髪型が思いつかない。
   少しは知ってはいるけど、思い浮かばないんだ。


   ……あなたなら、どんな髪型でも。


   首の後ろで結んでもいいけど、やっぱりポニーテールの方がいいんだ。
   ポニーテールで、いいんだ。


   ……。


   ね、結んでみたい?


   ……みたくない。


   水野さんならいいよ。


   ……どうしてそうなるの。


   いじるだけでなく、結んでみたいかなって。


   ……結んだこと、ないから。


   ないのなら、やってみればいいじゃないか。


   ……ぐしゃぐしゃにされたいの?


   その時は、その時さ。
   初めてでも案外、上手に結べるかもしれない。


   ……私は、そうは思わない。


   水野さんは手先が器用だからさ。


   ……木野さんほどじゃない。


   兎に角、一度でもやれば経験になる。
   そうだろ?


   ……。


   今すぐじゃなくてもいいんだ。


   ……気が向いたら。


   分かった、待ってる。
   あたしは、いつでもいいから。


   ……。


   今度はあたしが聞いてもいい?


   ……私、黒く染めていたことがあるの。


   え。


   ……いいえ、染められていたの。


   ……。


   小さい頃は、今よりも明るい色で……だから、それを隠す為に。


   ……そうなんだ。


   その時のあの女の顔は、今でもはっきりと思い出せる……。


   ……水野さんはさ。


   ……。


   青い髪は、嫌いだった……?


   ……さぁ、どうだったかしら。


   あたしは、好きだよ。


   ……知ってる、もう何度も言われたから。


   ……。


   ……それで、聞きたいことは?


   水野さんは、伸ばしたことは……。


   ……あると、思う?


   ……。


   伸びたら、切られたわ……何度も。


   ……もう、伸ばすつもりは。


   ……。


   ……。


   ……伸ばさない、邪魔だから。


   そっか。


   ……見てみたいの?


   見られるのなら。


   ……でも、今は伸ばさない。


   ……。


   ……大人になれたら、考えてあげてもいい。


   そっか……じゃあ、ふたりでなろう。


   ……ん。


   ふたりで……なろうね。


   ……なれたら、いいわね。


   なれるさ……。


   ……。


   ……あと、5年だ。


   あなたは……5年と3ヶ月だけど。


   すぐに追いつくよ。


   ……。


   あっという間だ……3ヶ月なんて。


   ……その間に、何があるか分からない。


   だとしても。


   ……。


   ……必ず、追いつくよ。


   ……。


   水野さん。


   ……なにがあるかわからないと、いっているのに。


   うん……いわれた。


   ……ほんとう、ばかね。


   ごめん。


   ……あやまらないで。


   ……。


   ……。


   ……今度、結んでみる?


   ……ぐしゃぐしゃにしても、いいのなら。


   いいよ……水野さんなら。


   ……。


   ……あたしの髪の毛に触っていいのは。


   ……。


   両親と、祖母……そして、水野さんだけだよ。


   ……ばか。


   うん……。


   ……。


   ……そろそろ、出ようか。


   ……。


   出たら……何か、冷たいのでも飲もう。


   ……。


   何が、いい?


   ……そんなに、ないくせに。


   ないけど。


   ……なんでも、いい。


   水でも?


   ……かまわないわ。


   んー……。


   ……じぶんでいっておいて。


   はは……。


   ……グリーンレモンティー。


   ん……?


   ……が、いい。


   グリーンレモンティーか……いいね、それにしよう。


   ……。


   水野さん……?


   ……では、ないわ。


   え……?


   ……いまは、もう。


   ……。


   ……きらいでは、ないの。


   あぁ……。


   ……だれかの、せいで。


   ……。


   ん……きのさん。


   ……大好きだ。


   ……。


   大好きだよ……心から、愛してるんだ。


   ……ばか。


  16日





   ……光を光の速さで追いかけたら、光は止まって見えるのだろうか。


   ……。


   アインシュタインの言葉、だよね?


   ……そうだけど。


   結局、止まって見えるんだっけ?


   ……長くなるけれど、良いの?


   え。


   良い?


   その顔は、今はあんまり、良くないような


   そもそも、光の速さが不変であるとしたのはアインシュタインではなく、


   ま、待った。


   待たない。


   長くなるって、どれくら


   まず、光の媒質と電磁的媒質は同じであるとしたのはジェームズ・クラーク・マクスウェル。
   彼は、


   結論だけで、


   マイケル・ファラデーによる電磁場理論をもとに、マクスウェルの方程式を導出して電磁気学を確立したの。
   更に、ん。


   ……。


   ……聞いたのは、木野さんでしょう。


   そうだけど……難しい話は、今はちょっと。


   難しくなんてないわよ。


   あ、あたしには難しいです。


   だから、木野さんでも分かるように


   ま、まだ、寝たくないんだ。


   そう。
   じゃあ、寝ないでちゃんと聞いていて。最後まで。


   頑張って聞いていようとは思うんだ。
   だけど、志半ばで力尽きてしまうよう気がしなくもなくて。


   私のことが好きなんでしょう?


   好きだよ。


   だったら、力尽きないようにすれば良いだけのことじゃない?


   そうならないように頑張るよ……頑張る、けど。


   けど?


   ……自信がないです。


   ふぅん……木野さんが私を想う気持ちって、その程度なのね。


   ち、違うんだ。


   何が違うの?


   あたしは水野さんのことが好きだから。
   だから、水野さんの話なら、どんなに難しい内容でも聞きたいと思う。
   でも、今は……。


   ……。


   み、水野さん?


   ……木野さんなら、と思っていたのに。


   頑張るよ。


   ……。


   全部、理解することはあたしには難しいと思う。
   けど、それでも、


   ……ふふ。


   ふふ……?


   ……自信がないと言ったばかりなのに。


   え、と……。


   ねぇ、木野さん。


   ……なに、水野さん。


   どうして、アインシュタインの言葉なんて口にしたの?


   ……。


   ね、どうして?


   ……アインシュタインでまともに覚えているのが、それくらいで。


   世界一美しい方程式は?


   ……。


   別に良いけれど。
   それで?


   ……あとは、水野さんはどうやらアインシュタインのことが好きらしいということ。


   ……。


   ……なんで、好きなのかなぁって。


   最初から、そう言えば良かったのに。


   ……少し、格好つけたくて。


   つけてどうするの?
   どうせ、すぐに襤褸が出るというのに。


   ……。


   挙句、小難しい話を聞かされるかしれない。
   分かっていたんでしょう?


   ……分かってたけど、ただ聞くだけでは単なる嫉妬だと思われそうで。


   違うの?


   ……違うよ。


   本当に?


   ……なんで好きなのか、知りたいだけなんだ。


   それは、嫉妬からではないの?


   ……違うと、思う。


   ……。


   ……少しはあるかもしれない、ううん、ある。


   ばかね。


   ……うん、言われると思った。


   確かに、好きだけれど。
   好きには色々あるでしょう?


   ……ある、けど。


   ばかね、本当に。


   ……うー。


   良いわ、難しい話はまた今度にしてあげる。


   あ、ありがとう?


   その代わり、その時はちゃんと聞いてね。
   少しでも寝たら、許さない。


   ……その時までに、もう少し本を読んでおくよ。


   ん、そうして。


   ……良かった。


   私がどうしてアインシュタインのことが好きなのか、なのだけれど。


   う、うん。


   好きだから。


   ……うん?


   理想、とでも言うのかしら。
   ただ、それだけよ。


   え、えと。


   木野さんへの気持ちとは全く異なるもの。


   ……。


   これで、良い?


   ……あたしへの想いとは、違うんだね。


   ええ、全然違うわ。
   似ても似つかない。


   ……アインシュタインのようなひとが、好みだったとか。


   それは、ないとは言い切れないかもしれない。


   ……。


   けど、私は恋愛になんて興味がなかったから。
   考えたこともないの。


   ……もしも。


   もしも?


   今、アインシュタインのようなひとが、


   ないわね。


   な、ないの。


   言ったでしょう?
   木野さんへの気持ちとは異なるものだって。


   だけど、ないとは言い切れないって。


   分かった。


   ……え?


   アインシュタインは、あくまでも理想であって、恋愛対象にはなりえない。
   仮にアインシュタインに似ているひとが現れたとしても、恋愛対象になることは決してない。
   これで、いい?


   ……それってつまり、アインシュタインへの気持ちは恋愛感情では全くないと。


   だから、そう言ってる。


   ……そっか。


   ……。


   考えてみれば、歴史上の人物に嫉妬なんておかしいよね。
   は、はは。


   ……アインシュタインってね、5歳頃まで言葉を発したことがあまりなかったそうなの。


   え?


   ……。


   水野さん?


   ……私も、そうだった。


   水野さんも?


   ……言葉を覚えるのが遅くて、母は心底がっかりしたそうよ。


   いや、でも、個人差ってものがあるだろう?


   ……そうね、でもあの女はそうは思わなかった。


   ……。


   自分の子がまさか、発達障害だなんて。
   信じられない、いいえ、認めたくなかったのでしょうね。


   ……だけど、お腹を痛めて産んだ子じゃないか。


   帝王切開だったから、術後が大変だったみたい。


   ……。


   私ね、母に全く似ていないの。


   ……お父さん似ってこと?


   ううん、父にも全く似ていない。
   だから、本当に自分の子なのかって母とは揉めたって。


   ……。


   挙句、髪の毛が青いだなんて。
   そんな生まれつき、人間として……ううん、地球人としてありえないでしょう?


   ……それは。


   今なら、良く分かる。
   私は、マーキュリーの生まれ変わりだったから。


   ……。


   本来生まれる筈だった……両親にとっての「水野亜美」は、知らずどこかに消えてしまった。
   私のせいで。


   ……。


   木野さんは?
   ご両親には似てる?


   ……あたしは、少し似ているかもしれない。


   そう……。


   ……だけど、あたしもジュピターの生まれ変わりに過ぎないから。


   親に、愛された。


   ……。


   ……そんなあなたが、私は好きよ。


   水野さん……。


   なんにせよ……両親が離婚した原因のひとつは、私という存在。
   勝手に望んで、勝手に作って、勝手に産んで……勝手に、マーキュリーの生まれ変わりにすり替えられた。


   ……。


   アインシュタインに話を戻すけれど。


   ……うん。


   彼は言葉を理解したり話したりすることには問題がなかったけれど、言葉を発するのには時間を要した。
   だけどその一方で、数学に関しては傑出した才能を示したの。


   ……数学。


   9歳の時にピタゴラスの定理を知り、その定理の美しい証明を考え、そして自力で定理を証明した。
   12歳の時にはユークリッド幾何学の本をもらって独学し、微分学も積分学も独学で習得されたと言われているわ。


   ……。


   それで、単純に憧れを抱いたの。
   私も、そうなりたいって。


   ……。


   けど、私には傑出した才能なんてなかったから……曰く、出来損ないだから。


   ……あたしは、天才よりも秀才の方が好きだな。


   ……。


   生まれ持ったものではなく、努力と行動で得たもの……だからあたしは、水野さんが好きだよ。


   ……。


   お勉強が大好きで、楽しそうにお勉強をしている水野さんが……たまらなく、大好きだ。


   ……物好き。


   悪いかい?


   ……。


   ……水野さん。


   ……誕生日、なんて。


   来年も、お祝いするよ。
   ご馳走やケーキを作って、プレゼントを用意して。


   ……。


   望んでくれるなら、もうひとつのプレゼントも。


   ……望まなくても、くれそうだけれど。


   はは……。


   ……ねぇ。


   ん……おかわり、いる?


   ……。


   いらない……?


   ……いいかた。


   うん……?


   ……おかわりって、なによ。


   あぁ……じゃあ、つづきを。


   ……。


   ……しよう?


   しない。


   ……あー。


   ふふ……。


   ……。


   ん……まこと。


   ……かわいいな。


   ……。


   世界で一番、美しい方程式は覚えてないけど……ん。


   ……それいじょうは、いわないで。


   じゃあ……あとで、いおう。


   ……。


   ……もういちど、もらってほしい。


   はぁ……。


   ……亜美。


   どれだけ、くれるのかしら……ね。


  15日





   ……水野さんのことが気になってしょうがなかった頃の話なんだけどさ。


   ……。


   水野さんは何が好きなのか、とりあえず、それが知りたいと思って。


   ……つけ回したの?


   つけ回しては、いないけど……。


   ……それに近かった?


   近かったのかなぁ……まぁ、隣のクラスで良かったとは何度も思ったけど。


   ……体育の授業中に、視線を感じることがたびたびあった。


   見てる時もあったけど、そこまでは見てなかったよ。


   ……へぇ。


   寧ろ、水野さんのことを見てる男子の方が気になって。


   何度か、仏頂面をしているあなたと目が合ったわ。


   ……。


   あれで気付かれてないと思う方が、どうかしてるわね。


   ……仏頂面だったのは、心の中でどうしようって思ってたからだよ。


   あぁ、そう。


   ……あと、体育は水野さんを見る絶好のチャンスだったから。


   ふぅん。


   い、いやらしい気持ちで見ていたわけではないよ?
   水野さんのことを、ただ、見ていたくて、けど、じっと見てるわけにはいかないしで。


   手を出すのは早かったけど。


   ……。


   ファーストキス。


   あれ、は……水野さんが、先に。


   私は、口の端にしただけ。


   ……十分すぎない?


   そもそも、十分でもない。


   好きな子に、口の端とは言え、キスされたら……我慢なんか、出来ないよ。


   ……それで、どうやって知ろうとしたの。


   え。


   私の好きなこと、好きなもの。
   まさか、見てるだけで分かると思ったの?


   とりあえず、お勉強が好きなことだけはよく分かった。
   休み時間となると、難しそうな本や参考書を読んでいたから。


   それだけ?


   それだけって?


   噂は、聞かなかったの?


   聞いたよ。


   それも判断材料のひとつになったのではないの?


   いや、それはあまり。


   へぇ、それはどうして?


   前の学校にも、水野さんと同じような悪口を言われてる奴が居たんだ。


   ……。


   そいつは水野さんと違って、成績を自慢したり、勉強が苦手な子を見下すような奴でね。
   休み時間でも、これ見よがしに、勉強をしているような奴だったんだ。


   ……それで。


   だけどそいつは、勉強が好きでやってたって感じがしなくてさ。


   どうしてそう思ったの?


   勉強が本当に楽しいのだったら、ひとを見下したりしないだろう。
   だって、好きなことをしているだけなのだから。


   ……。


   あとは、全然、楽しそうじゃなかったから。
   テスト前なんて不機嫌そのもので、自分からぶつかったくせに相手を責め立てるんだよ。
   お前のせいで覚えた単語を忘れてしまった、どうしてくれるんだ、とか言ってさ。


   それで、木野さんはぶつかられたひとを助けたと。


   放っておけなくて、つい。


   その子、大人しそうな女子だったでしょう?


   ん、どっち?


   ぶつかられた方。


   そうだけど、どうして分かったの?


   分からないわけがないわね。


   そういうもの?


   そういうもの。


   でもそいつ、男子にはやらないんだよ。
   特に、自分よりも強そうな子には。


   まぁ、そうでしょうね。


   嫌いなんだ、そういう奴。


   そうやって、自分を保っているのよ。


   保って?


   強者には敵わないから、弱者だと思うひとを見下す。
   自分よりも劣っていて、下位の存在がいると思い込むことで、己の尊厳を守るのよ。


   最低じゃないか、そんなの。
   やっぱり、嫌いだな。殴っておいて良かった。


   ……殴るのも、どうかと思うけど。


   そいつが悪くない女の子を殴ろうとしたからだよ。
   止める為に軽く殴ったんだ。


   因みに、木野さんにはどうだったの?
   日頃、いやなことを言われたりはした?


   いや、全く。


   ……分かりやすい。


   で、水野さんに話を戻すけど。


   ……。


   お勉強をしている時の水野さんは、とても楽しそうでさ。シャーペンを走らせながら、笑ってる時もあったんだ。
   笑うと言うより微笑む、かな。良く見てないと分からないんだけど、確かに微笑んでいたんだ。口も、目も。
   その時に思った、水野さんは本当にお勉強が大好きなんだって。あと、すごく可愛かった。


   ……。


   あたしはお勉強が好きではなかったし、授業も良くさぼっていたけど、本を読むことは好きだった。
   だから、水野さんに少しでも近付く為に、もっと本を読もうって思ったんだ。
   それで、水野さんと共通の話題が持てたらって。


   ……本を読む為に授業をさぼる場所が、図書室と屋上。


   うん、図書室と屋上は本を読むのに最適だったからね。


   授業中は特に静かだものね。


   そう、そうなんだ。


   木野さんって、本当に、私のことを良く見ていたのね。


   うん、見てた。
   お昼休みにごはんを一緒に食べたいって、何度思ったことか。


   ……私の分のお弁当を、


   作って、持って行ったこともある。
   水野さん、コンビニのサンドイッチばかり食べていたから。
   勝手に心配してんだ。栄養のバランスが偏っていないかって。


   ……。


   結局、夕飯になってたけどね。


   ……木野さんって。


   気持ち悪い、だろ。
   自分でもそう思うよ。


   ……。


   絵で分かる物理学の歴史なんて本も借りてさ。
   まぁ、字ばかりで、ほとんど分からなかったけど。


   ……どうして物理学を?


   水野さんが、好きそうだと思ったから。


   ……物理学なんて、中学では。


   そんなこと言って、読んでただろ?
   なんだっけ、ほら、アインシュタイン?
   それで調べたんだ、何をしたひとなのか。


   ……どこで。


   図書室で。


   ……見てたのね。


   うん、見てた。
   きれいな横顔だった。


   ……。


   見すぎだよな、今思えば。
   気持ち悪がられたって、おかしくない。


   ……誰か、覚えている?


   え?


   物理学の歴史を読んだのでしょう?
   ひとりくらい、覚えてないの?


   え、と……そうだな。
   アリストテレスとピタゴラスは、聞いたことがあるから、それ以外だと。


   ……。


   ん、なに?


   ……なんでもない、続けて。


   ん、分かった。
   アインシュタインも、水野さんが好きだから、覚えたけど。
   そうたいせいりろん? は、さっぱり、分からなかったなぁ。


   ……。


   ケプラー、かな。


   ケプラー?


   あとは、ラザフォード。
   ふたりとも、何を見つけて何をしたのかは覚えてないんだけど、なんとなく覚えてるんだ。


   ……ニュートンとコペルニクスとガリレオは出てこないのね。


   あぁ、そんな名前もあったかも。


   湯川秀樹は?


   あぁ、いたな。
   知ってる? 湯川は妻の名字なんだよ。


   ……。


   物理とは、全然関係ないけど。


   ……ふ。


   ん?


   木野さんって、やっぱり面白いわ。


   ん、そうかな。


   ええ、そうよ。


   そっか。
   さっぱり分からなかったけど、読んでおいて良かったな。


   ……。


   ん……水野さん?


   ……成績で、なんとかしようとは思わなかったの。


   頑張ろうとは思ったんだけど……。


   ……カンニング?


   それは、絶対にしないよ。
   水野さんは嫌いだろう、そういうの。


   ええ……嫌い、大嫌い。


   あたしも嫌いなんだ、ズルをするのは。


   ……ねぇ。


   うん?


   ……ケーキ、美味しかったわ。


   あ……うん、良かった。


   ……紅茶の葉は、アールグレイ。


   うん……当たり。


   ……生クリームだけでなく、マロンクリームも使われていて。


   栗のショートケーキだからね……やっぱり、栗のクリームもなきゃ。


   ……生クリームのデコレーションも、可愛いものだったと思う。


   栗だけじゃ、ちょっと淋しいから……何か、アクセントがあった方が良いかなって思ったんだ。


   ……渋皮煮もほっこりとして程良く甘くて、だけど、甘露煮よりも手間がかかるのに。


   水野さんのお誕生日を彩りたかったんだ……その為には、手間だって惜しまない。


   ……本当、手間と時間がかかっていて、これぐらい、お勉強にも取り組んでくれれば良いのに。


   あー……。


   ……到底、私では返せない。


   ……。


   ……それでも木野さんは、私のこと。


   同じことをして欲しいなんて、あたしは思ってない。


   ……。


   ……水野さんが出来ることを、あたしにして欲しい。


   そうなると……お勉強、だけれど。


   ……それでも、いいよ。


   本当に?


   ……ケーキは、買ってくればいいのだし。


   ……。


   う。


   ……作るわ。


   へ。


   ……今年は、受験だから簡単なものになるけど。


   え、いや、別に


   作る。


   あ、はい……。


   ……。


   えーと……紅茶のおかわり、いるかい?


   いらない。


   ……。


   ……もう、いらない。


   水野さん……。


   ……。


   ……いい?


   良くない。


   ……。


   ……ん。


   改めて……お誕生日おめでとう、水野さん。


   ……ばか。


   うん、ごめん。


   ……。


   ケーキ……来年も、楽しみにしてて。


   ……気が早い。


   うん、そうだね。


   ……。


   ……水野さん。


   ……。


   うん、なに……?


   ……言わない。


   ……。


   ……言いたくない。


   ね、水野さん。


   ……。


   もうひとつのお誕生日プレゼント、いる?


   ……。


   いらない?


   ……陳腐。


   なんだか、分かってるのかい?


   ……。


   う。


   ばか。


   ……。


   ……木野さんの、ばか。


   うん……ごめんね、亜美。


   ……。


   ……もらってほしいな。


   いつも、もらってる……。


   ……。


   ……まこと。


  14日





  -双対(現世3)





   水野さん、15歳のお誕生日おめでとう。


   ありがとう。


   ケーキは、本当は苺のが良かったんだけど。


   仕方ないわ、9月に苺は難しいもの。


   だから、栗のショートケーキにしてみたんだ。


   この栗、こそこそとひとりで買いに行ったのよね。


   帰ってきたら目が笑ってない水野さんが玄関にいて、ちょっと泣きそうになった。


   散歩に行くだなんて、分かりやすすぎて呆れてしまったわ。


   あの日に限って、水野さんを誘わなかったのがまずかった。


   それだけでは、ないけれど。


   ……。


   どうせすぐにばれるのだから、もう少しうまくやればいいのに。


   ……多分、一生出来ないと思う。


   まぁ、そうでしょうね。


   ……それは、それとして。


   ……。


   どうだろう?


   栗は結局、渋皮煮にしたのね。


   生クリームの白には、渋皮煮の方が色合い的に良いかなって。
   ぎりぎりまで考えたんだけど……甘露煮の方が良かった?


   ううん。


   味にも、自信があるんだ。


   期待を裏切らない?


   うん、裏切らない。


   そう……じゃあ、期待しているわ。


   うん、してて。


   ……どうせ、美味しいに決まっているけれど。


   ん、なに?


   別に、何も。


   そっか。
   スポンジケーキにはね、紅茶の葉を入れたんだ。


   そう。


   詳しくは……食べてからのお楽しみ。


   ……。


   と言うわけで……はい、お誕生日プレゼント。


   ……ケーキだけで十分なのに。


   誕生日にはケーキとプレゼント。
   去年から早くやりたいって、ずっと思ってたんだ。


   ……受験生なのに、そんなことでそわそわして。


   楽しみだったんだ。


   私の誕生日が?


   初めて、だから。


   ……私は、初めてじゃないけど。


   ね、受け取ってくれる?


   ……ええ、受け取るわ。


   あ。


   ありがとう、木野さん。


   うん、水野さん。


   ……どうしてあなたが嬉しそうなの。


   受け取ってもらえて、嬉しいから。


   ……ふぅん。


   ……。


   ……開けてみても?


   え、あ、うん、開けてみて。


   わざとらしい。


   はは、やっぱり?


   ……。


   指輪はまだ、用意出来ないけど。


   ……そんなものは、期待してないから。


   大人になったら、必ず。


   ……。


   ……。


   ……これは、正八面体?


   この形が、一番良いかなと思って。


   他にもあったの?


   あったよ、正四面体のとか正二十面体のとか。


   その中で、木野さんはこの形が一番良いと?


   シンプルで、且つ、可愛いかなと思って。


   ……こういうのであれば、正四面体も好きだけれど。


   え。


   自身と、同じ形だから。


   あ、あぁ。


   ……。


   ……やっぱり、正四面体の方が良かったかな。


   なに?


   う、ううん。


   そ。


   あ、あのさ、こういうのではないけど、星の形をしたものもあったんだ。


   小星型十二面体?


   はい?


   小星型十二面体だと思うのだけれど。


   あ、うん、それだと思う。


   小星型十二面体は、正十二面体の最初の星型で。
   二つ目は、大十二面体なのよね。


   大十二面体……。


   見ればすぐに分かると思うわ。


   そ、そっか。
   今度、調べてみるよ。


   ええ、そうして。


   うん。


   ……。


   え、えと。


   ……きれいね。


   来年は、もっと良く考えて贈るよ。


   ……どうして?


   安易だったと言うか。


   これが良いと思ったから、木野さんは贈ってくれたのでしょう?


   そう、なんだけど……。


   それに私、気に入らないなんて一言も言ってないけれど。


   ……言ってない、けど。


   中に正六面体、悪くないわ。


   ……うん?


   だから、ありがとう。


   ……本当?


   嘘の方が良いの?


   本当の方が、嬉しい。


   そ。
   なら、本当。


   ……。


   きれいな青緑ね。


   ……だから、水野さんにぴったりだと思ったんだ。


   緑も?


   う、うん、緑も。


   そう。


   ……青だけの方が良かった?


   いいえ?
   木野さんらしいなって、思っただけ。


   ……。


   ねぇ、木野さん。


   ……なに?


   改めてありがとう、大切にするわ。


   う、うん。


   ……。


   あぁ、良かった。


   ……双対、多面体。


   ケーキ、切るね。


   ……ねぇ。


   うん?


   どうして、双対多面体なの?


   ……。


   どうして、双対多面体のものを贈ってくれたの?
   どうして、小星型十二面体のものにしなかったの?


   ……双対多面体のもの、だったから。


   ……。


   小星型十二面体のは双対多面体じゃなかったから。


   ……。


   そ、双対多面体って、必ず相手が同じだろう?


   ……相手が同じ?


   正八面体の双対は正六面体。
   正十二面体の双対は正二十面体。
   他は、ないから。


   ……それで?


   正八面体の中には、正六面体がいて。
   正六面体の中には、正八面体がいる。
   ある意味、永遠の関係だと思うから。


   ……。


   だ、だから、その……。


   木野さん。


   ……なに。


   重い。


   ……う。


   はぁ。


   ……ごめん。


   別に良いわ、そうだろうと思ったから。


   ……重くて、ごめん。


   さっきも言ったけれど、双対ならば正四面体が好きなの。
   何故ならば。


   自分と双対関係だから。


   そう、他の多面体を必要としない。
   つまり、自己で完結出来るから。


   ……正直なことを言えば、正四面体と悩んだんだ。


   けれど、正八面体を選んだ。


   ……うん。


   その判断は、正しいと言えるわ。


   ……え。


   今の私には正四面体よりも、他の多面体と双対関係を持つ……例えば、正八面体の方が合っていると思える。


   ……。


   癪だけれど……ね。


   ……水野さん。


   待って。


   え。


   その手は、なぁに?


   こ、これは……えと。


   ナイフを持っているし、ケーキを切るのよね?


   そ、そうなんだ。
   ふたりで食べる為に……え。


   ……栗。


   み、水野さん?


   ……ひとつ、もらっても?


   う、うん、い、いいけど。


   ……。


   う、わ……。


   ……なぁに?


   な、なんでもない、よ。


   ……そう。


   ……。


   ……うん、程良い甘さで美味しいわ。


   そ、そっか、良かった。


   お行儀が悪いと、思った?


   う、ううん、思ってないよ。
   ただ。


   ただ?


   ……どきどき、しただけ。


   ……。


   き、切るね。


   もうひとつ、木野さんに。


   ……は。


   ……。


   み、水野さ……ん。


   ……。


   ……みずのさん。


   どう?


   ……あまい。


   程良く?


   ……思っていたよりも、ずっと。


   ……。


   ……ナイフ、置けば良い?


   ううん、だめ。


   でも。


   だめ。


   ……。


   まだだめよ、ケーキを食べていないのだから。


   ……ケーキを食べて、お祝いしたら。


   ……。


   そしたら……。


   ……ねぇ、木野さん。


   な、に……。


   ……あなたが作ってくれたケーキが食べたいわ?


   ……。


   ね……切って?


   いますぐに。


   ……ん。   


  13日





   ……おはよう、まこちゃん。


   ……。


   そろそろ、起きないと。


   ……おはよう、亜美ちゃん。


   ……。


   もう、朝なんだね……。


   ……まこちゃん。


   む……。


   ……もう、だめよ?


   もう、だめ……?


   ……だめ。


   むぅ……。


   ……起きて、支度をしないと。


   なんとなく、起きたくないなぁ……。


   ……ここが私達の部屋ならば、それでも良いのだけれど。


   ……。


   ……じゃあ帰ったら然うしようって、思ったでしょう。


   うん、思った。


   ……。


   今度の休みでも良いから、ね……?


   ……もぅ。


   考えておいて呉れると、嬉しいな。


   ……どうしようかしら。


   ……。


   ……分かった、考えておいてあげる。


   ん、亜美ちゃん……。


   さ……いい加減、起きないと。


   ……。


   帰る時間があるのだから。


   ……帰ったら、少しだけで良いから、続きがしたいな。


   まだしたいの?


   ……したい。


   ……。


   ……だめ、だよね。


   少しだけよ。


   ……え?


   と言っても、疲れていたら無理だけれど。


   ……。


   ……さぁ、起きましょう?


   うん……起きる。


   ……ん。


   改めておはよう、亜美ちゃん。


   ……おはよう。


   起きたら、朝ごはんの支度かな。
   と言っても、温めるだけだけど。


   ……私は、お湯を沸かすわ。


   うん、お願いします。


   ……。


   そういや、ごはんはちゃんと炊けてるかな。
   ゆうべ、セットはしておいたけど。


   大丈夫だと思うわ、ちゃんと鳴っていたから。


   鳴って?


   ごはんが炊けたことを知らせる音。


   ……いつ?


   ……。


   いつ、鳴ったの?


   ……さぁ?


   ……。


   まこちゃんには、聞こえなかったのね。


   ……聞こえなかった、けど。


   けど?


   ……。


   まこちゃん?


   なんか……ちょっとだけ、悔しいな。


   悔しい……って?


   ……炊飯器に負けた気がする。


   ふふ……なぁに、それ。


   ……だって。


   音量の設定が大きかったから。
   夜中は静かだし、余計にね。


   ……然うだとしたってさ。


   それに、その時に鳴ったとは言ってないでしょう?
   まこちゃんが眠っている時かも知れない。


   ……。


   なぁに?


   ……多分、違うと思う。


   どうして然う思うの?


   ……亜美ちゃんの顔が、然う言ってる。


   私の顔?


   ……瞳、と言っても良い。


   ……。


   やっぱ


   あんなに鳴り響いていたのに、どうして気が付かなかったの?


   ……それは。


   眠っていたからじゃないの?


   そんなの、決まってるじゃないか。


   どう決まってるの?


   亜美ちゃんに夢中だったからだよ。
   他の音なんて、耳に入ってこない。入ってくる筈がない。
   あたしは亜美ちゃんの唇に、肌に、声に、温もりに、その全てふが。


   そこまで?


   ……はい。


   ともあれ、ごはんは炊けていると思うから。


   ……。


   帰る支度もしないといけないし……さぁ、起きましょう。


   ……うん、然うだね。


   ……。


   ……。


   ……本当のことが、知りたい?


   知りたい。


   ……。


   亜美ちゃん。


   ……じゃあ、朝の支度が終わってからね。


   本当?


   ……本当。


   分かった、約束だよ。


   ……ん、約束。


   よし、じゃあ起きよう。


   ……。


   朝ごはんの支度の前に、ごはんをあげちゃった方が良いな。


   お茶は、私が。


   ん、ありがとう。


   ……。


   着替えは、と。


   ……ねぇ。


   ん、教えて呉れるの?


   それはまだ。


   ……なに?


   片付け、時間があったら少ししていく?


   うん、時間があったら然うしようかな。
   多分、見るだけで終わってしまうと思うけど。


   業者さんのことも、決めておかないといけないわね。


   ……業者さん?


   私達では、どうしても片付けられないものもあるから。


   ……。


   大きな家具もだけれど……お仏壇やお位牌はどうするの?


   ……あぁ、そっか。


   お位牌、ご両親のものもあるのよね。


   うん、お位牌は持っていきたいと思ってる。
   良いかな。


   ええ、構わないわ。


   ただ、あのお仏壇はかなり難しいかな……部屋に、場所がない。


   とても立派なものだものね。


   これからのことを今一度、考えなきゃいけないな……亜美ちゃん。


   なに?


   一緒に考えて呉れると、その、助かります……。


   勿論、私で良ければ。


   ありがとう。


   ……相続のことも、きちんとしないと。


   そうぞく……。


   朝からこんな話をするのは、とても申し訳ないのだけれど……家だけではないのよね?


   ……うん、畑が少し。


   まこちゃんしか、居ない?


   ……うん、あたししか居ない。


   ……。


   両親の時は、おじいちゃんがして呉れたから……あぁ、若しかしないでも、思っていた以上にやらなきゃいけないことが多い?


   大丈夫……私も出来ることはするから。


   亜美ちゃん……。


   ……任せて?


   うん……。


   ……苦しいわ、まこちゃん。


   亜美ちゃんが居て呉れて、本当に本当に良かった……。


   ……私、まこちゃんの力になれるかしら。


   なれるどころか百人力、いや千人力です……。


   然う……なら、良かった。


   ……。


   ところで……そろそろ、離れて?


   ……もう少しだけ。


   まこちゃん?


   ……はい、離れます。


   ……。


   離れる、けど……。


   ……ねぇ、まこちゃん。


   うん、離れるよ。離れるから。


   あの栓抜き。


   ……せんぬき?


   もらっても良い?


   ……。


   まこちゃんが小さい頃にもらった。


   ……良いけど。


   本当に?


   本当に良いよ、亜美ちゃんが欲しいのならもらって欲しい。
   だけど、どうして栓抜きを?


   ……。


   若しかして、また開けて欲しい?


   ……それも、あるけど。


   けど?


   ……内緒。


   う、うん?


   ……教えないと、もらえない?


   え、ええと……そんなことは、ないけど。


   ……じゃあ、教えない。


   やっぱり、教えて呉れないと、


   ……。


   あ、うん、良いや。
   亜美ちゃんにもらってもらえるなら、それだけで。


   ……ありがとう、大事にするわ。


   う、ん……。


   ……。


   え、と。


   ……時間。


   時間……?


   仏様に、ごはんを上げる時間。


   ……。


   そろそろ、聞いていた時間だと思うけれど。


   ……あ。


   良いの?


   良くない、まずい。


   厳しかったのよね?


   然うなんだよ、あー。


   落ち着いて、まだ大丈夫よ。


   まだ、時間ある?


   とりあえず、まこちゃんは着替えたら顔を洗って身なりを整えて。
   寝起き姿では良くないだろうから。


   亜美ちゃんは、


   私は、先にお湯を沸かすわ。


   分かった。


   ん。


   亜美ちゃん。


   なに?


   愛してるよ。


   ……。


   愛してる。


   ……ゆうべ、何度も聞いた。


   今朝は、まだ言ってない。


   ……。


   だから。


   ……まこちゃん。


   なんだい?


   愛してるわ。


   ……うん。


   さ、ゆっくり急ぎましょう。


   うん、然うしよう。


  12日





   ……まこちゃん。


   ん……。


   ……まだ、起きてる?


   うん……起きてるよ。


   ……ごめんなさい、声をかけてしまって。


   ううん……あたしも、考えてたんだ。
   だから、嬉しいよ……ありがとう、亜美ちゃん


   ……。


   眠れない……?


   ……躰は、確かに疲れを感じているのだけれど。


   頭が、冴えちゃってる……?


   ……ううん、然ういうわけではないの。


   そっか……まぁ、慣れない場所だしね。


   ……まこちゃんは。


   あたしも、躰は疲れているんだけどさ……。


   ……。


   久しぶりだからかな……なんだか、寝付かれないんだ。


   ……然う。


   天井。


   ……天井?


   小さい頃は、怖くてさ。


   ……何が怖かったの?


   それが、なんだったか……なんだろう、影かなぁ。


   ……圧迫感、或いは天井が落ちてきそうで怖いと感じることもあるそうだけれど。


   天井が、落ちてくる……あぁ、それかも知れない。
   影が暗くて、押し潰されてしまいそうな……。


   ……竿縁天井。


   うん?


   若しかしたら……見慣れてなくて、怖かったのかも。


   ……。


   ……まこちゃんが住んでいる家の天井は、どうだった?


   あー……こんなんじゃ、なかったかも。


   ……。


   そっか、然ういうことも考えられるな……。


   ……怖くなくなったのは、いつ頃なの?


   小学校に上がって……。


   ……。


   ……十歳に、なる頃には。


   然う……。


   ……。


   ……ね、まこちゃん。


   なんだい……?


   ……誘って呉れて、ありがとう。


   ……。


   ……嬉しかった。


   こちらこそ……忙しいのに、来て呉れてありがとう。


   ……。


   ……ねぇ、亜美ちゃん。


   なぁに……?


   ……手を、伸ばしても良いかな。


   ……。


   だめかな……。


   ……私も、同じことを考えてた。


   じゃあ……。


   ……。


   ん……届かなくもないけど、もうちょっと近い方が良いな。


   ……なら、少し寄った方が良さそうね。


   いっそのこと、こっちに来る……?


   ……。


   あ、うん……あたしも、少し寄るね。


   ……。


   ……。


   ……これで、どうかしら。


   うん、良いと思う。


   然う……なら。


   ……。


   ……どう?


   ちょっと待って……。


   ……。


   ……うん、良い感じだ。


   ふふ……。


   ……なに?


   お布団でこんなことをするの、初めてだから……。


   ……いつも、一緒に寝ているからね。


   ふたつのお布団で眠るのも、たまには良いかも。


   ……あたしは、ひとつのお布団の方が良いな。


   お布団で眠ることなんて、あまりないから。


   ……。


   次の旅行の宿泊先は、旅館にしてみても……ん。


   ……。


   もぅ……まこちゃん?


   ……へへ。


   くすぐったいわ。


   ……たまには、良いかなって。


   たまに?


   ……はぁい。


   ……。


   ……。


   ……まこちゃん?


   はい、ごめんなさい。


   ……。


   ……。


   ……ねぇ。


   もう、くすぐってないよ。


   ……何を、考えていたの。


   ……。


   何か、考えて……ううん、やっぱり良いわ。


   この家を、手放そうと思う。


   ……。


   残すとなると、維持管理をしなきゃいけなくなる……どう考えても、あたしには出来そうにない。


   ……ここに住むと言う選択肢は。


   少しだけ、考えた……けど、なにぶん古い家だし。
   手入れは、ちゃんとされていたけれど……それでも、直さなきゃいけない箇所は必ず出てくる。
   屋根、壁、水回り……その他、色々。


   ……。


   ひとが住まなくなった家は、劣化が早くて傷みやすいと言うから。


   ……まこちゃんが、住みたいのなら。


   まず、利便性が良くない。


   ……。


   例えば、交通手段。
   ここから通うとなると、どうしたって時間がかかってしまう。
   あたしだけなら、なんとかなる……だけど。


   ……。


   ……あたしは、亜美ちゃんから離れたくない。


   まこちゃん……。


   だから、手放そうと思う。


   ……決めたのね。


   うん……決めた。


   もう、覆ることはないのね。


   ……覆らない。


   ……。


   もう、決めたんだ。


   ……まこちゃんが然う決めたのなら、私はそれで良いと思う。


   うん……。


   だけど、ひとつだけ言わせて。


   ……なに。


   どうして、まこちゃんだけなの?


   ……え?


   ここに住むのが。


   ……。


   ふたりで一緒に住むと言う選択肢は、なかったの?
   全く、考えなかったの?


   それは……でも。


   私が住むか住まないかは、私が決めること。
   然うじゃない?


   ……然う、だけど。


   それとも、一緒に住んで欲しくない?
   それならば、選択肢に入ってないのは分かるけれど。


   そんなわけない。


   ……。


   そんなわけ……。


   ……ない?


   だけど。


   ……。


   だけど、離れているから。
   離れてしまうから。


   問題は、それだけ?


   ずっと、遠くなる。
   今よりも、ずっと。


   ……。


   それに、問題はそれだけじゃない。
   さっきも言ったけど、直さなきゃいけない箇所が出てくる。
   この家は、兎に角古いんだ。


   ……古民家をリフォームして住んでいるひとは居るわ。


   居るけど。


   良く、考えて。


   考えたんだ。
   考えて、答えを出した。


   ……。


   亜美ちゃんも、本当は分かっているんだろう?
   この家を維持管理することの、難しさを。
   ここから通う、難しさを。


   ……ええ、分かっているわ。


   だから……住む場所は、今まで通りの方が良い。
   遅くなっても、帰ってこられる場所の方が良い。


   ……。


   亜美ちゃん。


   ……考えは、変わらないのね。


   うん、変わらない。


   ……。


   片付けは、ひとりでやるよ。


   ……すっきり片付けられているわ。


   元々、ものを溜め込むひとではなかったから。


   ……最小限度のものしか、置かれてない。


   だから、ひとりで出来る。


   ……私も、片付けたいわ。


   ……。


   ……少しでも、まこちゃんの力になりたいの。


   もう、なってるよ。


   ……ううん、もっとなりたい。


   ……。


   ……だから、やらせて。


   亜美ちゃん……。


   ……。


   ……手伝ってもらっても、良い?


   ええ、もちろん……。


   ……ありがとう、亜美ちゃん。


   ううん……私が、望んだことだから。


   それでも……ありがとう。
   きっと、おじいちゃんとおばあちゃんも喜んで呉れる……。


   ……。


   ……一度だけ、さ。


   うん……。


   聞かれたことがあるんだ。
   それも、おばあちゃんの写真が置かれているお仏壇の前で。


   ……何を、聞かれたの?


   君の人生に寄り添って呉れそうなひとは居るのかって。


   ……それで、なんて答えたの?


   居るよって、答えた。
   然う言ったら、そのひとのことを本当に大切に出来るのか、そのひとに寄り添うことは出来るのかって、返されて。


   ……。


   だから……出来る、って答えた。
   おじいちゃんの目を真っ直ぐ見て。


   ……。


   大事な話をする時は、相手から目を逸らさずに、相手の目を真っ直ぐ見て話さなければいけないって、教わってたからね。


   ……納得してもらえたの?


   分からない。そこで、話は終わってしまったから。
   ただ、なんとなく嬉しそうだったと思うんだ。


   ……。


   ……あのさ。


   うん……。


   今年の蛍……亜美ちゃんと見ることが出来て、本当に良かった。


   ……認めて、もらえたかしら。


   認めて……?


   ……おじいさまと、おばあさまに。


   あぁ……勿論さ。


   ……然うだと、嬉しい。


   きっと一目で良い子だと……あたしにぴったりのひとだと。
   おじいちゃんもおばあちゃんも思った筈だよ。


   ……。


   寧ろ、あたしの方が本当に大切に出来るのかと問い詰められそうだよ……。


   ……。


   ……え、と。


   ねぇ、まこちゃん。


   ……なに、亜美ちゃん。


   そちらに行っても、良い?


   ……え。


   行っても、良いかしら。


   い、良いよ、勿論。


   ……ん。


   お、おいで、亜美ちゃん。


   ……。


   ……?


   ……ふふ。


   亜美ちゃん……?


   ……えい。


   え……え?


   ……。


   あ、亜美ちゃん……?


   ……これは、畳に直接敷いてあるお布団でしか出来ない。


   あ、あぁ……。


   ……ふふ、楽しかった。


   た、楽しかった……の?


   ……うん、まこちゃんの驚いた顔を見ることも出来たし。


   いや、そりゃあ……。


   ……そりゃあ?


   亜美ちゃんが転がってくるなんて、思いもしなかった……から。


   ……ね、ふたつのお布団も良いものでしょう?


   ……。


   ……結局は、ひとつのお布団になるかも知れないけれど。


   うん……とても、良いかも。


   ……でしょう?


   ね……。


   ……なに?


   抱き締めても、良いかな……。


   ……もう、抱き締められてる。


   うん、然うだった……。


   ……。


   ……亜美ちゃん。


   なぁに……まこちゃん。


   ……亜美ちゃんが今、あたしの傍に居て呉れて。


   ……。


   亜美ちゃ、ん……。


   ……。


   ……。


   ……ぁ。


   亜美ちゃん……亜美。


   ……まこと。


   ずっと……ずっと愛しているよ、だから。


  11日





   ……。


   ……蛍。


   ……。


   きれいだったね。


   ……うん、きれいだった。


   ねぇ。


   ……なぁに。


   蛍も蝉と同じで、成虫になるとそんなに長くは生きられないんだよね。


   ……種類にもよるけれど、成虫になってからの寿命は長くて約二週間と言われているわ。


   長くて、二週間か……。


   ……蛍は成虫になると口が退化してしまって、餌を食べなくなるの。


   何も、口にしないんだっけ……?


   ううん……水だけは飲むわ。


   葉に付いた夜露、とか?


   然う……それも、僅かな量。


   僅かな水だけで、二週間……。


   ……だから、幼虫の頃にたくさん食べて栄養を蓄えておくの。


   じゃなきゃ、持たないよな……。


   ……。


   ……実際は、もっと短かったりするのかな。


   もっと……?


   孵化した蛍が、みんな、命を全う出来るわけじゃないだろうから。


   ……然うね、然うかも知れない。


   あの、放たれた蛍達は……。


   ……繁殖を終えたら、或いは、終える前に。


   仮に、繁殖が出来たとしたら……。


   ……見たところ、定着するにはまだ難しい環境だと思うわ。


   ……。


   ……ごめんなさい。


   ううん、良いんだ……あたしも、亜美ちゃんの言う通りだと思っているから。


   ……まこちゃん。


   ただの感傷だよ……。


   ……。


   ね……蛍の光のことをさ、蛍火って言うだろう?


   うん……。


   おじいちゃんがさ、それはとても儚いものの象徴だって言ってたんだ。


   ……。


   その意味が、よく分からなかったんだけど……今なら、分かるような気がするよ。
   蛍火は、ひとの命の光でもあるって……。


   ……亡くなった人は、蛍になって会いに来る。


   ……。


   蛍は亡くなった人の魂だから、粗末にしてはいけない。


   ……だから決して触れてはいけない、弱って死んでしまうから。


   ……。


   蛍が死んでしまったら、命の光も魂も消えてしまうから。


   ……本当はね。


   うん?


   ……私も、小さい頃に。


   聞いたこと、あったんだね。


   ……うん。


   然うなんだ……。


   ……黙っていて、ごめんなさい。


   そっかぁ、亜美ちゃんも知ってたんだ……はは、嬉しいな。


   ……黙っていたのに?


   けど、話して呉れたじゃないか。


   ……。


   ねぇ、亜美ちゃんは誰から教えてもらったんだい?


   ……私は、祖母から。


   亜美ちゃんは、おばあちゃんからか……。


   けれど私は、そんな非科学的なことはありえないと思ってしまって。


   あぁ……亜美ちゃんらしいなぁ。


   ……もっと、祖母の話を良く聞いておけば良かった。


   今も、非科学的なことって思ってる……?


   ……。


   別に良いんだよ……どう思おうが、亜美ちゃんの自由だ。


   ……今なら、分かるような気がするの。


   ……。


   頭では、非科学的なことだと……だけど、感情が。


   ……分かるような気するって、言ってる?


   う、ん……。


   ……そっか。


   おかしい、かしら……。


   いいや、そんなことないよ。


   ……。


   感情って、そんなもんだからさ。
   頭で考えてる通りには、いかないこともあるんだ。


   ……まこちゃんが言うと、説得力があるわ。


   はは、だろう?


   ……。


   亜美ちゃんのおじいちゃんとおばあちゃんは、今も。


   ううん……母方は、ふたりとも亡くなっているわ。


   ……ごめん。


   大丈夫、気にしないで。


   ……。


   父方の祖父母は、今でも健在らしいのだけれど……会ったことは、ないの。
   昔、色々あったらしくて……主に、母と。


   ……あたしと同じだ。


   え……?


   あたしも、お母さん方のおじいちゃんとおばあちゃんには会ったことがないんだ。


   ……聞いても?


   うん、大丈夫だよ。
   聞いて欲しくなければ、言わないから。


   ……。


   お父さんとお母さん、駆け落ち同然だったみたいでさ。


   ……かけおち。


   然う、駆け落ち……お母さんの方のおじいちゃんが、すごく反対したみたいなんだ。
   おばあちゃんは、然うでもなかった……寧ろ、娘であるお母さんの味方をして呉れていたらしいんだけど。


   ……。


   お母さんは一人娘で……お父さんも、一人息子だった。ふたりとも、ひとりっこ同士でさ。
   お母さんの方のおじいちゃんは、お母さんに家の名を継いで欲しかったみたいで。


   ……。


   だから、お父さんは婿入りするって言ったんだって。
   お父さんの方のおじいちゃんもおばあちゃんも、それで構わないって。


   ……それなのに、どうして。


   一言で言ってしまえば、お母さんの家にお父さんが相応しくなかった。


   相応しくないって……そんな言い方、酷いわ。


   話し合いも満足に出来なくなって……それで、お母さんは決めたんだ。


   おばあさまは味方をして呉れていたのに……。


   うん、然うなんだ……だけど、仕方なかった。


   ……。


   ……お母さんのお腹の中に、あたしが居たんだ。


   まこちゃんが……?


   ……多分、あたしの存在も気に入らない理由のひとつだったんだと思う。


   そんな……。


   ……だから、お母さんはお父さんとあたしを選んだ。
   ううん……初めから、選んでいたって。


   ……。


   然ういうわけで、あたしはお母さんの方のおじいちゃんとおばあちゃんには会ったことがないんだ。
   生きているかどうかも、知らない。


   ……。


   ごめんよ。


   ……どうして。


   そんな顔、させてしまって。


   ……。


   けどね、この話には続きがあるんだ。


   ……続き?


   木野と言う姓は、お母さん方の姓なんだ。


   ……それって。


   然う、お父さんはお母さんのお婿さんになった。
   お母さんは、複雑だったみたいだけど……お父さんが、然うなりたいって。


   ……。


   お母さんの荷物を、少しでも、軽くしてあげられるように。


   ……荷物。


   お母さんが、気に病んでしまわないように。
   だってお母さんは、おじいちゃんとおばあちゃんのこと、嫌いになったわけじゃないから。


   ……まこちゃんは。


   うん?


   お母さま方の、おじいさまとおばあさまには……会ってみたいと。


   思わなくは、ないかなぁ。


   ……。


   お母さんの方のおじいちゃんとおばあちゃんが、若しも、居なかったら。
   あたしは、本当に、ひとりぼっちになっちゃうから。


   ……あ。


   いつかは会えたらって、思うけど……思うだけで、終わっちゃうかな。


   ……。


   蛍から、大分話が逸れちゃったね。


   ……何か、手がかりはないの。


   どうだろ……分からない。


   ……。


   そんな顔、しないで。
   さっきはひとりぼっちになっちゃうなんて、言っちゃったけど……。


   ……まこ、ちゃん。


   あたしには、亜美ちゃんが居る……居て呉れる、然うだろう?


   ……だけど、私では。


   法律なんて、どうでも良いよ。


   ……。


   どうでも、良いんだ。
   亜美ちゃんさえ、傍に居て呉れれば。


   ……居るわ。


   ん……亜美ちゃん。


   ずっと……ずっと、まこちゃんの傍に居る、居させて。


   うん……ずっと、傍に居て。


   ……ひとりぼっちになんて、させない。


   あたしも、させないよ。


   ……。


   させない。


   ……うん、まこちゃん。


   ……。


   ……。


   ……今日は、慣れない浴衣で疲れた?


   うん……やっぱり、慣れていないと駄目ね。


   そろそろ、寝る支度をしようか。


   うん……然うしましょう。


   お勉強、しないで良い?


   ふふ……今日だけは、止めておくわ。


   そっか……じゃあ、まずは歯磨きを。
   サイダーを飲んだから、良く磨かないとね。


  10日
   お誕生日おめでとう、水野さん。
   それから……気持ちの整理が、つきません。
   どうしても、受け入れられない……。





   ……まこちゃん。


   ん?


   サイダー、飲まない?


   あぁ、然うだね。
   飲もうか。


   うん。


   待ってて、直ぐに


   まこちゃんは、そのままで。


   うん?


   私が。


   でも。


   待っていて。
   ね?


   ……栓抜きは、昔と変わっていなければ、戸棚の一番右に入ってる筈。


   ん、分かった。


   ありがとう、亜美ちゃん。


   ううん。


   ……。


   ……ね。


   なんだい?


   子供の頃も、そこに座っていたの?


   うん、座ってたよ。
   特に夏の夜が好きだったかな。勿論、横には蚊取り線香。


   ……蚊に食われたら、大変だものね。


   然う、ぼこぼこに食われちゃうからさ。


   ぼこぼこ?


   一瞬で、十か所くらい食われてたことがある。


   一瞬って。


   10分くらい前は食われてなかった筈なのに、ぼんやり涼んでたら、いつの間にか食われててさ。
   腕やら足やら、色んなところが赤くなってて、吃驚したよ。


   ……あぁ。


   急いでかゆみ止めを塗って貰った。
   じゃなきゃ、とてもじゃないけど耐えられない。


   ……然うよね。


   今よりも、子供の頃の方が食われたなぁ。
   やっぱり、子供の血の方が美味しいのかな。


   子供は大人よりも新陳代謝が活発だから、蚊に食われやすいとは聞くわ。
   あとは……。


   あとは?


   体温が高くても食われやすいと、言うけれど。


   おっ、と。


   ……蚊?


   こいつ、蚊取り線香をすり抜けて来た。
   なかなかやるな。


   ……。


   うん?


   ううん……あまり、ぼんやりしないでね。


   はは、大丈夫だよ。
   若しも食われたら、亜美ちゃんにかゆみ止めを塗ってもらうから。


   ……それは、大丈夫だと言わない。


   塗って呉れない?


   塗ってあげるけど。


   ん、ありがとう。


   ……もぅ。


   冷やし胡瓜、西瓜、それからアイス……おやつも、ここで食べたっけ。
   昼間はね、バケツかなんかに水を汲んで足を入れるんだ。
   冷たくて、気持ち良かったなぁ。


   ……。


   西瓜の種をさ、庭に飛ばして遊ぶんだ。
   お父さんとおじいちゃん、三人で飛ばした距離を競ったこともあるよ。


   ……お母さまと、おばあさまは?


   笑いながら見てた。
   思えば、女の子なのに行儀が悪いなんて一言も言われなかったなぁ。


   ……栓抜きって、これで良いのかしら。


   ん、どれ……そうそう、それ。
   はは、懐かしいな。


   この栓抜きも、思い出の一つ?


   うん。


   ……どんな?


   あの時は、なんだっけ……然うだ、やっぱりサイダーだったかな。
   サイダーを買ったらさ、おまけにって、お店のひとがあたしに呉れたんだ。
   あの日も、蝉がやかましいほどに鳴いていて、暑い日だったなぁ。


   ……誰に買ってもらったの?


   あの時は、おばあちゃんだったかな。
   おばあちゃんが小さな商店……今はもうないのだけれど、そのお店にお買い物に行くって言うから、ついて行ったんだ。
   あたしがおばあちゃんの荷物を持つんだ! って、意気込みながらね。


   ……ふふ。


   想像、出来た?


   ……小さなまこちゃんが意気込む姿は、とても可愛らしかっただろうなって。


   あはは、どうだろ。


   可愛いに決まっているわ。


   そ、然うかな。


   ……今だって、可愛いもの。


   頼もしい、じゃなくて?


   ……頼もしくて、可愛いの。


   ……。


   照れてる?


   ……少し。


   可愛いわ。


   ありがとう……でも、そこら辺で。


   ふふ。


   はは。


   ね……ついていって、それからどうしたの?


   張り切り過ぎたせいか、店に着く頃にはそれはもう喉が渇いちゃってさ。
   だけど、何か買ってなんて言えないし、でも、喉はカラカラだしで。


   言えなかったの?


   わりと控え目な子供だったんだ、あたし。


   ふふ、然うなのね。


   察したおばあちゃんが買って呉れたのが、良く冷えた瓶のサイダーだった。
   その頃はまだ、水とかお茶とかは売ってなかったからさ。


   然うね、その頃はまだそこまでは普及していなかったかも。


   そっか、一応は売ってたんだっけ。


   だけど、お水やお茶にお金を出すなんてと言う声がまだまだ強かったから。


   確かに、水は蛇口を捻れば飲めるし、お茶は家で淹れて飲むものだったもんなぁ。


   他のジュースはなかったの?


   オレンジジュース、があったかな。
   でもサイダーの方がしゅわしゅわするからって、おばあちゃんが。


   あぁ。


   栓を開ける前にね、冷えた瓶を顔にくっつけたんだ。
   そしたらもう、気持ち良くてさ。うっかり落として割っちゃいそうになった。


   ふふ……落とさなくて良かったわ。


   いやぁ、本当に。


   栓は誰が?


   お店の人が。
   自分で開けたかったんだけど、まだ上手に出来なくて。


   ……然う。


   その栓抜きは、その時のものなんだ。
   と言うわけでありがとう、亜美ちゃん。


   ううん、どういたしまして。


   だけど、どうしてコップがふたつ?


   はんぶんずつにするから。


   コップがなくても、


   ひとつで良かったかしら。


   サイダーだけでも、良かったよ?


   ねぇまこちゃん、開けて?


   へ。


   見せて呉れるって、約束したわ。


   見せてあげるけど……コップは、要らないと思うんだ。


   うん、なに?


   と、とりあえず、開けようかな。


   ん、とりあえず開けて。


   ……。


   ……。


   ……すごい見てる。


   なぁに?


   ううん、なんでもない。
   じゃ、開けるよ。


   出来るだけゆっくりだと嬉しいわ。


   うん、分かった。


   ……。


   それじゃ、ゆっくり……。


   ……。


   ……ちょっと難しいから、よく見てて。


   ……。


   ……よ、と。


   開いたわ。


   開いたね。


   はぁ。


   ごめん、期待外れだった?


   ううん、良かったわ。


   そ、然う?


   見せて呉れてありがとう、まこちゃん。


   ……。


   ?
   なに?


   ……あたし、やっぱり惚れっぽいのかなぁ。


   え?


   ……惚れ直してばかりいるから、さ。


   どういうこと?


   ……今の、亜美ちゃんの満面の笑みに、やられちゃった。


   ……。


   あたし、一生こんな感じかも知れない。


   ……まこちゃん。


   今は、笑顔だったけど……他のことでも、ちょいちょい、惚れ直してるんだ。
   そのたびに、亜美ちゃんへの想いが更新されていくようで。


   ……。


   やっぱり、あたしには亜美ちゃんだけなんだなぁ。


   ……もぅ。


   あたしは、本気で言っているよ。


   ……知ってる。


   そっか。


   ……。


   えと、飲もうか。


   ……コップに。


   あ、やっぱり。


   ……三分の一くらいで。


   三分の一?


   ……ふたつのコップに。


   うん、分かった。


   ……。


   これで、良い?


   ……そして、おじいさまに。


   ……。


   ……サイダーでなんて、不謹慎かしら。


   いや、そんなことない……おじいちゃんもサイダー、好きだったから。


   ……。


   あ、然うか。


   ……え?


   おじいちゃんが好きだったから、だからおばあちゃんは、あたしにもサイダーを。


   ……。


   あたし、おじいちゃんに似てるのかな。


   ……似てると思うわ。


   一途なところ?


   ……他にも、きっと。


   ……。


   ……。


   ……うん、しゅわっとして美味しい。


   ……うん、美味しいわ。


   はぁ……。


   ……まこちゃん。


   やっぱり、ここは気持ち良いなぁ。


   ……本当、ね。


   だろう?


   ……ん。


   だけど、蚊には気を付けて。


   ……。


   油断も隙も、あったもんじゃないから。


   ……ふふ、然うね。


   たくもう。


   ……。


   ……。


   ……残りの、サイダー。


   やっぱり、コップに……?


   ううん……まこちゃんが、先に。


   ……。


   ……お先に、どうぞ。


   えと……あたしが先で良いの?


   ……。


   分かった……じゃあ、先に。


   ……。


   ……はい、亜美ちゃん。


   ん……。


   ……。


   ……はい、まこちゃん。


   ……。


   ……。


   ……間接キス、だ。


   ……言わないで。


   ……はい。   


  9日
   書くことはやめないけれど、日記或いはサイトの公開を暫くの間やめようかと、ぐだぐだと考える日々。





   ……ここには、緑が残っているのね。


   うん……なんでも、土地の所有者が憩いの場所にしたかったらしいよ。


   ……夏は、夕涼みするのに良いと思うわ。


   ん、然うだね……。


   ……残暑の頃だったら、もっと涼しくて心地好いかも知れない。


   だけど、夜は人通りが少なくて危ないから。
   女の子は、ひとりで来ては駄目だよ。


   ……。


   と言っても、なかなか来られないと思うけど。


   ……来るならば、まこちゃんと。


   ……。


   ふたりで、来るわ。


   ……うん、それなら良いと思う。


   ……。


   そろそろ、時間だけど……準備にもう少しかかりそうなのかな。


   ……大丈夫、待てるわ。


   うん?


   ……まこちゃんとなら。


   うん……あたしも、亜美ちゃんと一緒なら。


   ……。


   ……手、良い?


   ……何かを食べる時以外、ずっと、繋いでいたじゃない。


   然うなんだけど……改めて。


   ……。


   ……だめ?


   ……だめ、


   そっか……。


   ……なんて、言われたい?


   ……。


   ……言われたいのなら。


   言われたくない……。


   ……じゃあ、言わないわ。


   ……。


   ……このまま、繋いでいて。


   うん……ずっと、繋いでる。


   ……。


   ……。


   ……ねぇ、まこちゃん。


   ん、どした?


   ……始まるまで、お話を聞かせて。


   お話……?


   ……子供だった頃のまこちゃんのお話。


   あぁ……良いよ。


   ……。


   冷やし胡瓜、なんだけどね。


   ……冷やし胡瓜?


   祖父母の家に遊びにくると、決まって、おやつは冷やし胡瓜だった。


   ……おやつ、なの?


   うん、夏限定のね。
   まぁ、西瓜も食べたけど。


   ……冷やした胡瓜をそのまま?


   そのままの時もあるし、塩をつけて食べる時もあったかな。
   胡瓜は水を張った盥に、氷と一緒に入れて冷やしておくんだ。
   まぁ、氷はあっと言う間に溶けてしまったと思うけど。


   ……。


   遊んで汗びっしょりになって帰ってきた時に、冷やし胡瓜を食べるとそれはもう美味しくてさ。
   いつだって程良く冷えていたんだけど、聞いたら、おばあちゃんがあたしが帰ってくる頃合いを見計らって冷やしておいて呉れたみたいで。
   温い時なんて、一度もなかったんだ。


   どこで遊んでいたの?


   おじいちゃんの畑の近くかな。
   ひとりでどこかに行ってはだめだと、きつく言われていたから。


   ひとりで遊んでいたの?
   それとも、誰かと?


   一緒に遊ぶような子は居なかったから、ひとりで遊んでた。
   お父さんはおじいちゃんの手伝い、お母さんは躰があまり丈夫ではなくて。
   お母さん、夏の暑さに弱かったんだ。無理すると、直ぐに体調を崩してしまって。
   それでも、木陰から見ていて呉れたよ。


   ……。


   トンボを追いかけたり、バッタを捕まえようとしてみたり、兎に角、ずっと動き回ってた。
   お母さんにあげようと思って、そこらの草で冠を作ろうと思ったこともあったけど、草じゃうまく作れなくてさ。


   ……まこちゃんは。


   うん?


   まこちゃんは、みんなに見守られていたのね。


   ……うん、今ならそれが良く分かるよ。


   ……。


   亜美ちゃんにも、おばあちゃんが冷やした胡瓜を食べさせてあげたかったな。
   本当に、美味しかったんだ。


   ……うん、食べてみたかった。


   だろう?


   ……あなたと、一緒に。


   ……。


   ……その頃は、お互いの存在を知らなくて。


   うん……あの頃は、前世なんて考えたこともなかったな。


   ……非科学的だもの、前世の記憶なんて。


   はは、然うだよねぇ。
   ましてや、古代の月の王国なんて。かぐや姫じゃないんだからさ。


   前世については、研究しているひとは居るみたいだけれど……証明出来たひとは、まだ居ないわ。


   難しいよ、前世の記憶の証明なんて。
   だって、誰も確認出来ないんだから


   ……本来、ならばね。


   仮に、あたし達が前世の記憶持ちですなんて言ったところで。
   面白がって見世物にされるか、頭のおかしい狂人として扱われるか、全く関心を持たれないか。


   或いは、実験体にされるか。


   関心を持たれないのが、一番良いかな。
   他はどれもごめんだ。


   ……。


   ……。


   ……ごめんなさい、話を逸らしてしまって。


   ううん……良いよ。


   ……。


   ね、おばあちゃんの話を少ししても良い?


   ……うん、聞きたいわ。


   ありがとう。
   おばあちゃんはさ。


   うん。


   小学校を卒業したと同時に奉公に出されて、東京に来たんだ。


   ……奉公。


   今だと、考えられないよね。


   ……然うね。


   それで、おじいちゃんと出逢った。
   どうやら、おじいちゃんの一目惚れだったらしい。


   ……一目惚れ?


   おじいちゃんは、とあるお店でお見合いをしていたらしいんだ。


   そのお店で、おばあさまが働いていた?


   然う、然うなんだ。


   ……。


   おばあちゃんを一目見て惚れてしまったおじいちゃんは、このお見合いを断ると一瞬のうちに決めた。
   それで、おばあちゃんに声をかけた。なんて声をかけたと思う?


   ……求婚?


   あはは、当たり。
   おばあちゃん、これには大分吃驚したらしくて。


   知らない男性に求婚されたら、吃驚するなと言う方が難しいわ。


   だよね。
   だけど、おばあちゃんから出てきた言葉は。


   ……受け入れる、言葉?


   咄嗟に出てきた言葉が、応じる言葉だったんだって。
   これにはもう、おじいちゃんは感激してその場で泣いてしまったらしい。
   まぁ、おじいちゃんは頑なに認めなかったけど。


   ……それで、ふたりはそのまま結婚したの?


   うん、した。


   おじいさまは兎も角、おばあさまは冷静になってちゃんと考えたの?


   一週間くらい考えて、その上で、決めたって。


   勢いのままではなかったのね?


   流石に、それは出来なかったみたい。
   返事はしたけれど、やっぱりちゃんと考えるべきだと思い直したんだって。


   その間、おじいさまは。


   じっと、待ってたらしい。


   障害は、何もなかったの?
   当時の結婚と言えば、お見合いだと思うけれど。


   障害があったのかは、分からないんだけど。
   おじいちゃんがしたことは、両親を含む親族を説き伏せ、その勢いでおばあちゃんの実家に挨拶に行き、話をまとめたらしい。


   ……すごいわ。


   ね、あたしも話を聞いた時はすごいと思ったよ。
   いや、今でも思ってるかな。


   ……おじいさまはよっぽど、おばあさまに惚れ込んでしまったのね。


   それまでは女性に見向きもしなかったという話だから、周りは兎に角驚いたらしい。


   おじいさまは、おばあさまに一途だったのよね?


   浮気どころか、他の女を見ることすらただの一度もしなかったって。


   ……。


   ん?


   ……一途なところ、周りが見えなくなるところ、行動力があるところも。


   亜美ちゃん?


   ……まこちゃんに良く似てる。


   あたしに?


   ……まぁ、異性に見向きもしないというところは、異なっているけれど。


   え、えと。


   ……。


   亜美ちゃん。


   ……なに。


   亜美ちゃんを好きになった、その時から、あたしは亜美ちゃんだけ。
   これからもずっと、亜美ちゃんだけ。


   ……だと、良いけれど。


   一途さなら、おじいちゃんには負けない。


   ……まこちゃん。


   なに。


   ……顔が、近いわ。


   ……。


   暗いと言っても……ね。


   ……じゃあ、帰ってからにする。


   ……。


   ……まだ、始まらないみたいだね。


   ……然うみたいね。


   ……。


   ……。


   ……おばあちゃんが亡くなって、少し経ってから。


   ……うん。


   おばあちゃんの戸籍を、見せてもらった。


   戸籍?


   うん、おじいちゃんが見せて呉れたんだ。
   どうして見せて呉れたのかは、分からない。


   ……。


   言われるまま見たら、おばあちゃんの両親の名字が違ってて。
   子供ながらに、不思議に思ったんだ。どうして、おばあちゃんのお父さんとお母さんの名字は同じじゃないんだろうって。


   ……母が未婚、離婚若しくは死別、或いは内縁。


   おじいちゃんは、昔は然ういうこともあったって話して呉れた。


   ……おばあさまはどちらの姓だったの?


   母親だったと思う。


   ……妾。


   かも、知れない。


   ……。


   良く分からないんだ。
   おばあちゃんからはそんな話、一度も聞いたことがないから。


   ……両親の名字が異なるのは、今でも、ないことではないわ。


   ……。


   例えば、水野の家……水野と言う姓は、父方の姓。


   ……。


   母が若しも、旧姓に戻していたら……私の両親の名字は、異なるものになっていた。
   そして、私も……場合によっては、父とは異なる姓になっていたかも知れない。


   ……お母さんは、戻さなかったんだね。


   ……。


   ……亜美ちゃん?


   一言、面倒だと。


   ……。


   母は、医者だし……色々、あったのだと思う。


   ……大変だって、聞くよ。


   ……。


   ……おばあちゃんは、兎に角、家族を大事にしてたんだ。


   ……。


   あたしのことも、すごく可愛がって呉れた……冷やし胡瓜の他にも、アイスやジュースも用意しておいて呉れて。
   ご馳走も、いっぱい、作って呉れた……嫁であるお母さんに対しても、すごく、優しいひとだった。


   ……大好きだった?


   うん、大好きだった。


   ……然う。


   ……。


   ……面影が、あると思う。


   あたしに?


   ……帰ったらもう一度、写真を見せて貰っても良い?


   あぁ、勿論……良かったら、見て欲しい。


   ……うん。


   ……。


   ……。


   ……なんて話してたら、始まりそうだ。


   ……楽しみね。


   うん……すごく楽しみだ。


  8日





   ……ごちそうさまでした。


   焼きそばも美味しかったね。


   美味しかったけど……もう、お腹いっぱい。


   わたあめから始まって、サイダー、たこ焼きにからあげ、冷やし胡瓜に、かるめ焼き、そして焼きそば。
   サイダーと冷やし胡瓜以外ははんぶんこにしたけど、それでも結構食べたね。


   お祭りでこんなに食べたのは、生まれて初めてだわ。


   あたしも亜美ちゃんがお祭りでこんなに食べているのを見るのは初めてだ。
   冷やし胡瓜が食べたいって言った時はちょっと吃驚しちゃった。


   ……氷で冷やされていて、美味しそうだったから。


   うん、分かる。実際に美味しいしね、冷やし胡瓜。
   それに、たこ焼きとからあげを続けて食べたから、さっぱりしたものが食べたくなるのも分かる。


   氷で冷やしてあるだけで、味付けはしていないのね。


   味がした方が良かった?


   ううん、寧ろ胡瓜の味だけで良かった。
   喉が乾いていたから、余計に。


   そっか、良かったよ。


   良かった?


   場所によっては、浅漬けのもあるみたいでさ。
   そっちの方が良かったかなって、思ったから。


   ……浅漬け。


   何か気になる?


   食中毒は、大丈夫なのかしら。


   うん、それはあたしも気になってる。
   管理を徹底しないと、調味液が食中毒を引き起こす菌の餌になりかねない。
   特に、今は夏だから。


   ……だから、確認したの?


   うん?


   買う時に、味付けされているかどうか。
   ただの、冷やし胡瓜であるか。


   うん、念の為に。


   若しも、浅漬けだったら?


   場合によっては、亜美ちゃんにそっと理由を言って、買うのを止めたかも知れない。
   それだけ、大腸菌は怖いからさ。


   ……うん。


   まぁ、生のままでも、引き起こす可能性はあるんだけどね。
   けど、流水での水洗いを徹底してるようだったから、大丈夫だと判断したんだ。


   ……裏をそっと見たのも、確認?


   水の音がしたから、若しかしてと思って……ちょっと、面倒な奴だったかな。


   ううん、そんなことない。


   そ、然う?


   ふふ。


   亜美ちゃん?


   ……少し、嬉しい。


   嬉しい?


   ……同じ道では、ないけれど。


   うん……。


   でも、目指すところは同じ……だから。


   ……公衆衛生学は、医学と密接に関係しているんだったね。


   ん……。


   あたしが、予防を。


   ……私が、治療を。


   お医者さんとケーキ屋さんに共通点があっただなんて、中学生の頃は思いもしなかったな。


   うん……私も思わなかった。


   ……ね、亜美ちゃん。


   なぁに……。


   今のあたしが居るのは、亜美ちゃんのおかげだよ。


   ……私の?


   取り柄と言えば、家庭科と体育ぐらいでさ。
   特に、理系は本当にだめで。


   ……。


   だけど、亜美ちゃんと一緒にお勉強しているうちに、理解出来るようになった。
   理解出来るようになったことで、酷い点を取ることもなくなった。
   高校生の時は赤点を一度も取ったことがないし、補習を受けたこともない。
   あの、理系ぼろぼろだったあたしが、だ。


   ……。


   亜美ちゃんが居なかったら、若しかしたら、夢を諦めていたかも知れない。


   そんなこと……まこちゃんなら、頑張れると思うわ。


   それでもね、やっぱり下地って大事だと思うんだ。


   下地?


   基礎、土台でも良いかな。
   それが出来ていないと、専門的な知識を得るのはとても大変なことになると思う。
   まず、頭に入ってこないと思うんだ。言葉がいちいち難しいからさ。


   ……。


   あとはお勉強の方法と姿勢。これは本当に大事なんだ。
   だからさ、教えて呉れた亜美ちゃんには感謝してもしきれないです。
   本当に、ありがとう。


   ……私も、楽しかったから。


   楽しかった?


   まこちゃんとお勉強をするのは、いつだって楽しかった。


   でも、大変だったろう?
   出来の悪い生徒で。


   ううん、まこちゃんは出来の悪い生徒なんかじゃなかったわ。分からないことがあれば、直ぐに聞いて呉れたでしょう?
   うさぎちゃんと美奈子ちゃんが投げ出して違うことを始めてしまっても、まこちゃんだけは私とお勉強を続けて呉れて。


   ……。


   分からないことが分からないとも、素直に言って呉れて……その姿がね、本当に好きだったの。


   ……あたしに付きっ切りで、自分の勉強が出来ないこともあったろう?


   まこちゃんに教えることで、私もお勉強をしてた。
   誰かに教えることで自分も学べるのだと、気が付くことが出来たの。


   ……。


   説明する力、とでも言うのかしら。これも、まこちゃんとのお勉強の中で学ぶことが出来た。
   分かりやすく説明する力は、患者さんと多く対話をする医者にとって大切な能力のひとつだと思うの。
   信用出来ない医者に、自分の躰の治療を任せることなんて出来ないから。


   ……亜美ちゃん。


   ん……まこちゃん。


   ……本当、感謝してもしきれない。


   私も……。


   ……。


   ……ありがとう、まこちゃん。


   うん……あたしも、ありがとう。


   ……。


   ……そろそろ、時間かな。


   時間……?


   ……蛍の、ね。


   あぁ……もう、そんな時間なのね。


   まだ少し、あるけど……でも、ゆっくりの方が良いと思って。


   ……。


   お腹、大丈夫?


   ……もぅ。


   はは。


   ……少し苦しいから、ゆっくりが良い。


   ん……じゃあ、然うしよう。


   ……此処から、近いのよね。


   うん……近いよ。


   ……。


   昔は、家もまばらで……今よりもずっと、緑が多かったんだって。


   ……その頃には、居たのよね。


   うん、居たみたいだよ。


   ……まこちゃんは、見たことがない?


   うん、ない。
   あたしが小さい頃には開発が進んで、家が建っていたから。


   ……然う、よね。


   ……。


   ……毎年、しているの?


   いや、毎年じゃないみたい。
   何年かに一度で、今年はその年だった。


   ……然う。


   たまたまと言ってしまえば、それまでなんだけど。


   ……。


   こういうのも巡り合わせって言うのかなって。


   ……然うかも知れない。


   うん。


   ……。


   足、痛くない?


   ……少し。


   少し、見てみても良いかな。


   ……うん。


   ……。


   ……。


   ……触っても、良いかい?


   ん……。


   ……。


   ……。


   ……ちょっと、赤くなってるね。


   慣れない、から……。


   ……ばんそうこう、貼っておこうか。


   ……。


   勿論、持ってるよ。


   ……私も、持ってるの。


   じゃあ、亜美ちゃんのを使う?


   ……ううん、まこちゃんのが良いわ。


   然う……なら、あたしが持ってきたのを。


   ……。


   手を、肩に。


   ……こう?


   うん……少しの間、そのままで。


   ……。


   くすぐったくない……?


   ん……へいき。


   ……。


   ……風が、気持ち良い。


   ね……気持ち良いよね。


   ……。


   ……ん、これで良し。


   ありがとう、まこちゃん。


   確認、してみて。


   ……。


   どうかな。


   ……うん、さっきよりも良いわ。


   若しも、違和感を感じたら直ぐに言ってね。
   痛かったら、おんぶするからさ。


   ……。


   冗談だよ。


   ……歩けなくなったら。


   ……。


   その時は……。


   ……ん、任せて。


  7日





   ……はぁ。


   亜美ちゃん、目が丸くなってるよ。


   思っていたよりも、炭酸が強くて。


   はは、亜美ちゃんはあまり飲まないからなぁ。
   飲み会にも行かないし。


   ……特別に強いわけではないのよね。


   うん、こんなものだと思うよ。


   ……たまには飲み会に参加した方が良いのかしら。


   え、どうして?


   お酒は飲まないけれど、ジュースやお茶なら飲めるし。
   行けば、飲む機会はあるだろうし。


   ある、だろうけど。


   けど?


   うちでも、飲めるよ。


   ……。


   飲み会なんて無理して行く必要はないし、行きたくないなら尚のこと行かなくても良いし、だけど、亜美ちゃんが行きたいのなら。
   でも亜美ちゃん、ウーロン茶ばかり飲んでそうだよね。


   ……やっぱり。


   や、やっぱり?


   飲み会には、行かない。


   あ、あたしは、たまには良いと思うよ。


   飲み会も外で会うのもお酒に酔ってる人も、どれも苦手なの。
   だから、余程のことがない限り、これからも行かないわ。


   そ、そっか。


   ……。


   な、なに。


   ……安心した?


   や、そ、そんなこと、


   そんなこと?


   ……あります。


   その代わり。


   その代わり?


   たまにで良いから、一緒に飲んで呉れると嬉しい。


   ……サイダーを?


   まこちゃんのお部屋でも飲めるのでしょう?


   の、飲めます。


   サイダーではなく、他の炭酸飲料でも良いの。


   言って呉れれば、いつでも付き合います。


   うん、ならそれで良い……それが良い。


   それで、ひとつ提案が。


   なぁに?


   お風呂上りにたまに飲むと美味しいのですが、如何でしょうか。


   お風呂上り……。


   毎日は、糖分過多になってしまうから駄目だけど。
   たまになら、ね?


   ……然うね、たまになら良いかもね。


   じゃあ、今度買っておくよ。


   ん。


   ねぇ、亜美ちゃん。


   なに?


   少しずつ、飲めば良いと思うよ。


   ん……然うする。


   無理そうだったら、無理せず言ってね。


   ……うん。


   ……。


   ……ふふ、しゅわっとする。


   考えてみればさ。


   ……うん?


   亜美ちゃん、皆とお祭りに行ってもいつも控え目で。
   どこに行きたいとか、何が見たいとか、どれが食べたいとか、ほとんど言わなかったね。


   ……皆と居るだけで、楽しかったから。


   それも、分かるけど。


   ……まこちゃんとふたりの時は違うわ。


   どう違うの?


   ……。


   楽しくない?


   ……どうして然うなるの。


   楽しくなかったら、どうしようって。


   楽しくないわけ、ない。


   ……然う?


   然うよ。


   そっか、良かった。


   ……まこちゃんも飲んで、炭酸が抜けてしまうわ。


   そんな直ぐには抜けないけど。


   まこちゃん。


   はい、飲みます。


   ……。


   ……うー、しゅわっとする。


   まこちゃんも目が丸くなってる。


   え、然うだった?


   然うだった。


   おかしいな、あたしはそこまで久しぶりってわけではないんだけどな。


   ひとのこと、言えない。


   はは、本当だ。


   ……ふふ。


   サイダーってさ、確か夏の季語だったよね。


   ええ、然うよ。


   ふむ。


   ……。


   君と飲む、弾けるサイダー、目が丸くなる。
   字余り。


   俳句と言うより、川柳かも。


   うーん、千利休への道は遠いな。


   私は、好きよ。


   うん?


   まこちゃんの素直さが伝わってきて。


   なら、千利休は目指さなくても良いか。


   そもそも、目指していないでしょう?


   うん、ただの思いつき。


   然うだと思った。


   はは。


   ふふ。


   しかし、瓶のサイダーなんて珍しいな。
   今じゃペットボトルのばかりなのに。


   ……私には、これくらいで丁度良いわ。


   あぁ、分かる。
   500って、多いよね。


   ひとりじゃ、飲み切れない。


   まぁ、その時ははんぶんこにすれば良いと思うんだけど。


   ……けど?


   間接キスになっちゃうなって。


   ……コップに注げば良いんじゃないの?


   外で飲む場合はないだろ、コップ。


   ……ないけど。


   間接キスで真っ赤になってたあの頃が懐かしいね?


   ……然うね。


   ほんと、懐かしいな。


   ……。


   ……。


   ……どうしたの?


   いや……何だか、甘酸っぱい感じを思い出しちゃって。


   ……。


   ……亜美ちゃんも?


   ……知らない。


   ……。


   ……じっと見ないで。


   はい……。


   ……。


   ……炭酸、ってさ。


   ……。


   飲み過ぎると、お腹いっぱいになっちゃうから。
   だから、これくらいで丁度良いのかもね。


   ……。


   あとさ、瓶が冷えてるのも良いと思うんだ。


   ……ペットボトルとは、違うわよね。


   そうそう、然うなんだ。


   栓抜きなんて、久しぶりに見たわ。


   どうせだから、開けたかったな。


   開けたかったの?


   うん、開けたかった。
   こう、シュポンっと。


   ……。


   栓抜きで王冠を開けるのって、楽しくない?


   ……てこの原理だなって。


   てこ?


   だから、開けられるのを見ているのは好きよ。


   子供の頃からそんな風に見てたの?


   うん。


   自分で開けたことは。


   ないわ。


   そ、そっかぁ。


   ……まこちゃんが王冠を開けるの、見てみたいかも。


   え、然う?


   うん、見られるのなら見たいわ。


   じゃあ、今度見せてあげるよ。


   今度?


   帰りにもう一本、未開封のを買っても良いし。
   然うすれば、直ぐに見せてあげられる。


   ……。


   開けたら、あたしが飲むから。


   ……全部?


   亜美ちゃんも飲む?


   ……はんぶんなら。


   じゃあ、はんぶんずつだ。


   ……。


   間接キス、しようか?


   ……何を言っているの。


   したいのかなって。


   ……そんなこと、思ってないわ。


   ちっとも?


   ……。


   ……少しだけ、耳が赤い?


   赤くない。


   はい、ごめんなさい。


   ……。


   ……可愛いな、亜美ちゃんは。


   まこちゃん。


   はーい。


   ……もぅ。


   たこ焼き、そろそろ食べようか。
   食べ頃だと思うんだ。


   ……。


   六つだから、三つずつ。


   ……三つで足りる?


   うん、足りる。
   他にもまだ、食べるかも知れないし。


   ……。


   亜美ちゃん、爪楊枝をどうぞ。


   ……ありがとう。


   うん。それじゃ。


   待って、まこちゃん。


   ん?


   念の為、一口で食べない方が良いと思う。
   若しかしたら、中はまだ熱いかも知れないから。


   あぁ。
   そういや、それで大惨事になったこともあったっけ。


   然う……だから。


   同じ轍は踏めないな。


   慎重に。


   うん、分かった。
   亜美ちゃんも気を付けて。


   うん。


   じゃ、いただきます。


   いただきます。


   ……む。


   ……。


   これは、大丈夫かも。


   ……うん、これなら。


   ……。


   ……。


   ……美味しいね。


   ……うん。


   ね、亜美ちゃん。


   ……うん?


   ふたりでまた、食べようね。


   ……食べ始めたばかりなのに?


   言いたくなったんだ。


   ……。


   ……うん、美味しい。


  6日





   ……お水、冷たいわ。


   然うなの?


   まこちゃんも、触れてみて。


   どれどれ……本当だ、冷たい。


   ふふ、気持ち良いわ。


   水道のより、冷たい気がする。
   夕方だからかな。


   若しかしたら、井戸水なのかも知れない。


   井戸水?


   井戸水は深い場所から汲み上げるから、水道水と違って地上の温度の影響を受けない。
   一年を通してほぼ一定の水温を保っているから、夏は冷たいし、冬は温かいの。


   じゃあ、冬に使えば温かい?


   井戸水ならばその筈よ。


   へぇ、良いなぁ。
   夏の生温いのもいやだけど、冬の冷たいのもきついからさ。


   手を洗っても良いと言うことは、ここの井戸水は飲めるのかしら。


   ん、どうして?


   井戸水で手を洗ったり、飲用水として利用する為には、事前に水質検査を受けなければならないから。


   それに受からなければだめなのか。
   まぁ、それも然うだよな。何か、宜しくないものが混ざってたら大変だし。


   大腸菌とかね。


   ……うわぁ。


   土壌汚染もあるし。


   あー……て、ちょっと待って。
   この水で手を洗っても、本当に大丈夫かな。


   仮に、井戸水だったとして。
   若しも駄目だとしたら、使えないようにするか、注意書きがされていると思うの。
   手水で使われているお水も井戸水だとしたら、水質検査はクリアしていると考えても良いと思う。


   手水……然ういや、同じくらい冷たかったかも。


   それに見たところ、住居も兼ねているようだから……?


   念の為、聞いてみようかな。
   亜美ちゃん、ちょっと待ってて。


   あ、まこちゃん。


   すみませーん。


   ……早い。


   水道を使わせてもらってるんですけど、手を洗っても大丈夫ですか?
   あ、はい、大丈夫なんですね。すみません、ありがとうございます。


   ……。


   大丈夫だって。


   ……ありがとう、まこちゃん。


   ううん、亜美ちゃんが食中毒にでもなったら大変だからね。


   ……それは、まこちゃんもでしょう?


   あはは、然うだった。


   ……もぅ。


   ……。


   まこちゃん?


   ふと、思ったんだけどね。


   うん。


   子供の頃、この水で傷を洗った時も冷たかったと思うんだ。


   あぁ。


   然うだ、冷たくて飛び上がったんだ。


   飛び上がった?


   うん、思っていた以上に冷たかったから。


   そんなに驚いたの?


   傷の痛みが一瞬、どこかに行っちゃうくらいにはね。


   飛び上がって、転ぶようなことはなかった?


   うん、それは大丈夫だった。
   飛び上がったの、大体、5センチくらいだったと思うから。


   5センチ……。


   あはは、思い出したら可笑しくなってきた。


   ……。


   ん、亜美ちゃん?
   もう、良いのかい?


   うん、まこちゃんのおかげであまり汚れていないから。
   巾着、ありがとう。


   先に手を拭いて良いよ。


   ……ん。


   ハンカチ、取れる?


   ん、大丈夫。


   うん、なら良かった。


   ……先に使わせて呉れて、ありがとう。


   どういたしまして。


   ……。


   ……大丈夫?


   うん。


   巾着、汚れてないかな。


   大丈夫よ。


   そっか、良かった。


   ハンカチ、持ってるわ。


   うん、ありがとう。


   ん。


   お、冷た。


   ……。


   何か、気になることでもあった?


   ……え?


   なんとなく、然う思った。


   ……大したことでは、ないのだけれど。


   大したことでなくても、聞くよ。
   話して呉れるのなら、ね。


   ……。


   冷たくて、気持ち良い。


   ……小さい頃のまこちゃんって。


   ん?


   当たり前だけれど……今よりも、小さかったのよね。


   え?


   ご、ごめんなさい、聞くまでもないわよね。


   ……。


   子供の頃の写真も、見せてもらったことがあるのに。


   小さかったよ、今よりもずっとね。
   然うだなぁ、小学校に上がる前はこれくらい、だったかな。


   ……。


   それでも、周りの子よりは大きかったからさ。
   でかいでかいって、男子によく言われたよ。


   ……ごめんなさい、嫌なことを思い出させてしまって。


   嫌だったから、それ以上のことをしてきた奴は片っ端から殴ってやったんだ。


   ……え。


   無視してると調子に乗ったり、付け上がる奴が居て。
   ふざけ半分で、髪の毛を引っ張ってきた奴も居たっけ。


   ……ご両親には、言わなかったの?


   うん、心配すると思って。
   だけど、分からないわけないよね。


   ……。


   殴ったことで、うちに電話をしてきた親も居たし。


   ……それで、どうしたの?


   親と一緒に謝ったり、向こうの親に謝られたり。


   ……。


   あ、殴ったのは手を出してきた奴だけだよ。


   ……篠崎さんは。


   あの頃は見てるだけだったかな、大人しい子だったから。


   ……。


   いつの頃からか、傍に居て呉れるようになったんだけど。
   それがいつだったかは、憶えてないや。


   ……然う。


   思えば、子供の頃は身長のせいで嫌な思いをしたけど。
   この歳になると、良い意味で注目されるようになるんだから、分からないよね。


   ……私は。


   うん?


   ……最初は、怖かったけど。


   うん。


   ……でも、ルナを優しく撫でるあなたを見ていたら。


   怖くなくなった?


   ……本当は優しいひとなんだって、思ったの。


   優しいかどうかは、自分では分からないけど、亜美ちゃんに嫌われないで良かったと思う。


   ……。


   ルナが居なかったら、暫くは誤解されたままだったのかな。
   然う思うと、あの時、ルナが居て呉れて良かった。


   ……。


   あとは、ミケのおかげだ。


   ……ミケの?


   あたしが猫を好きなのは、大体、ミケのおかげだから。
   然うじゃなきゃ、あたしは猫が嫌いなままだった。


   ……猫、嫌いだったの?


   手を出したら、しゅっと引っ掛かれたことがあってさ。
   それがまた、痛かったんだ。


   手当ては? 直ぐにしたの?


   うん、直ぐにしたよ。
   だけど、血が結構出ちゃってさ……ん、もう良いかな。


   ハンカチを……。


   ん、ありがと。


   ……若しも、ミケが居なかったら。


   ルナを抱っこしてる亜美ちゃんには、怖くて近付けなかったかも。


   ……。


   さて。
   手も洗ったことだし、戻ろうか。


   ……うん。


   わたあめ、甘くて美味しかったね。
   次は、何を買おうか。


   ……。


   亜美ちゃん。


   ……まこちゃん。


   昔話の続きは、また後で。
   さぁ、行こう。


   ……あ。


   虫が、寄ってこないようにね。


   ……あなたにも。


   ん、なぁに?


   ……なんでもない。


   然う?
   じゃ、次は何を見ようか。


   ……。


   何か見たいもの……いや、とりあえず歩こうか。
   然うすれば、何かしら、目に留まるかも知れない。


   ……あの、まこちゃん。


   喉、乾いた?


   ……。


   違った?


   ううん……違わない。


   はは、当たりだ。


   どうして分かったの?


   わたあめを食べたから、かな。


   ……。


   あたしも然うだったんだ。
   だから……お。


   ……?


   ね、亜美ちゃん。


   なぁに?


   サイダー、飲まない?


   サイダー?


   然う、サイダー。
   しゅわっとして、美味しいよ。


   ……。


   要らない?


   ……ううん、飲みたい。


   ん、じゃあ買おう。


   だけど、甘いものを食べた後にサイダーなの?


   炭酸が良いんだ。


   炭酸……。


   しゅわっと、口の中を爽快にして呉れる。


   ……それ、美奈子ちゃんも言ってたわ。


   然うだっけ?


   ……今はアルコールばかりのようだけれど。


   あいつ、未成年の時からちょいちょい


   それ、本当?


   あ。


   本当?


   あ、いや……。


   ……。


   ……本当でう。


   然う。
   まぁ、良いけれど。


   ……口が、回らなかった。


   ねぇ、まこちゃん。


   な、なに。


   サイダー、なのだけれど。


   他の方が良い?


   ううん、サイダーで良いわ。
   それでね。


   うん。


   ……たこ焼きも、食べたい。


   たこ焼き?


   ……だめ?


   ううん、良いよ。
   良いね、たこ焼き。


   じゃあ、まずはサイダーを買ってから。


   その次に、たこ焼きを買おう。


  5日





   たく。


   ……。


   案の定、のこのこついてきやがって。


   ……だけど一定の距離を保ったまま、近付いてはこなかったわ。


   でも、暫くじろじろ見てた。


   そんな長い時間ではなかったけど……。


   少しだけだとしても、不愉快には変わりないよ。


   ……え、と。


   まぁ、どっか行ったから良いけどさ。
   行かなかったら、雷のひとつやふたつ落とすところだった。


   ……。


   わたあめ、早く食べないと萎んじゃう。
   食べよう、亜美ちゃん。


   ねぇ、まこちゃん。


   お先にどうぞ。


   あのひとが見ていたのは、まこちゃんだったわ。


   ……は?


   あのひとは、まこちゃんのことを見ていたと思うの。


   あたしを?


   視線が、まこちゃんに向けられてた。


   いや、亜美ちゃんのことを見てたよ。
   あいつ、あたしと目が合うと慌てて目を逸らしてたから。


   それ……。


   にやにやしてないから、まだ良かったけどさ。
   いや、良くない。じろじろ見られるのは、やっぱり不快だ。


   まこちゃんを見ていたから、逸らしたのではないかしら。


   ううん、亜美ちゃんだよ。


   ……。


   さ、わあためをどうぞ?


   ……あのね、まこちゃん。


   うん?


   まこちゃんは、とても魅力的な女性よ。


   へ?


   街中を一緒に歩いているとね、良く分かるの。


   分かるって……。


   まこちゃんは、気が付いてないみたいだけれど……まこちゃんのことを見ているひとは、多いのよ。


   や、それはあたしじゃなくて、亜美ちゃんのことを見ているんだよ。
   だから、あたしは


   振り返ってまで、見ているひとが居るくらいで。


   振り返ってまで、亜美ちゃんを見てるんじゃ?


   ううん、違う。
   見られているのは、まこちゃん。


   んー、然うかなぁ。


   因みに、女性にも見られているわ。


   女性にも?


   顔が整っていて美人さんで、高身長でスタイルがとても良くて、格好良くて、穏やさの中に華やかさもあって……薔薇のピアスが、すごく似合っていて。


   い、幾らなんでも、言い過ぎじゃない……?


   ううん、全部本当のことよ。
   だから、女性にはモデルさんのように見られているのかも知れない。


   も、モデル……あたしが。


   高校を卒業した頃くらいから、街中でまこちゃんのことを見る人が増えたと思うの。


   そんな気がするだけで、実際は


   気のせいじゃないわ。
   気のせいなんかじゃ、ないの。


   ……亜美ちゃん。


   だから、私ね。


   うん……。


   ……このまま、まこちゃんの隣に居ても良いのかって思う時があって。


   良いに決まってるし、亜美ちゃんじゃなきゃ嫌だよ。


   ……。


   どんなに見られているとしても、知らないし、興味ない。
   まぁ、あんまりじろしろと見られたら、不快だとは感じるけど。


   ……。


   隣に居て欲しいと思うのは、亜美ちゃんだけだし、見て欲しいと思うのも、亜美ちゃんだけだよ。


   ……まこちゃん。


   大体、高校生の頃まではそんなに見られたことなんてなかったのに。


   ……それでも、ラブレターをもらったことはあったわよね。


   ……。


   ね。


   うん……まぁ、女子からだけど。


   ……一通だけじゃなく。


   ほぼほぼ、女子からだったけど……。


   ……同じ学生からは、もてていたわ。


   いや、でも、あたしには亜美ちゃんが居たから。


   ……居なかったら?


   まぁ、嬉しかったかも知れないけどさ……でも、亜美ちゃんが居たから。


   ……。


   中学生の頃は、ばかでかい女って悪口を言われたり、嫌われたりもしたのに……ひとって、勝手だな。


   まぁ、中学生はまだ子供だし……魅力が分からないのも、仕方がないのかも知れない。


   女子からは、怖がられたし。


   ……ごめんなさい。


   でもまぁ、分からないわけではないから。
   あたしも、感じが悪かったと思うし。目付きも悪かったと思うし。


   ……噂や見かけでひとを判断してはいけないって、学んだの。


   うん、あたしも学んだよ。
   大人しそうな子ほど、芯が強いってね。


   ……。


   守られてばかりじゃないってことも。
   本当、好きにならないわけがない。


   ……。


   はは。


   ……もぅ。


   でも、さ。


   ……。


   幾つになっても、自分よりも身長が高い女を嫌がる男は居る。
   然ういう奴は、あたしのことなんて……?


   ……。


   亜美ちゃん……?
   眉間に皺が寄ってるけど、どうしたの……?


   ……思い出しくないものを、思い出してしまって。


   え、あ、あたし、何かまずいこと言った?


   ……。


   若しかして、怒ってる……?


   ……思い出し怒り。


   お、思い出し怒り……。


   ……不愉快だから記憶から消そうと思ってるのに、それなのに、消し切れない。


   ご、ごめん。


   ……どうして?


   あ、あたしが何か


   ううん、まこちゃんは何も悪くないわ。
   悪いのは……然う。


   わ、悪いのは……?


   まこちゃんのか……。


   あたしの、か……?


   まこちゃんのことを、邪な目で見てる人達。


   ぅ……。


   ……然ういう人達のことは到底、許せそうにないから、だから。


   ……。


   ……その記憶を、出来るだけ、自分の中から消そうと思っているのだけれど。


   そ、然う、なんだ……。


   ……それなのに、居なくなることがないから。


   たまに、空気がひやっとするような時があるけど……若しかして。


   だけど、考えてみれば、消してはいけないのかも知れないわ……何かあった時の為に、直ぐに対処が出来るように。


   だ、大丈夫だよ、あたし、ジュピターだし……変身してなくても、力強いし。


   ううん、だめよ。


   だ、だめかな……。


   だめ。


   ……はい。


   はぁ……。


   え、えと……わたあめ、食べる?


   ……。


   甘いのを食べて、気分を換えよう?
   ね?


   ……。


   た、食べない……?


   ……食べる。


   うん、それじゃ。


   ……?
   まこちゃん……?


   はい、亜美ちゃん。


   ……え、と。


   口、開けて?


   ……。


   これなら、汚れないから。


   ……だけど。


   大丈夫、誰も見てない。


   ……然うかしら。


   見てても、気にしない。


   ……それは、無理よ。


   寧ろ、見せつけるくらいで。


   ……。


   ほら、亜美ちゃん。
   萎んで小さくなって、固い塊になってしまう前に。


   ……どうしても?


   たまには、良いじゃないか。


   だからって、何もここで……。


   このままだと溶けちゃう。
   溶けちゃったら、手がべたべたに


   もう、なってるでしょう。


   早く、早く。


   あぁ、もぅ。


   亜美ちゃん。


   ……。


   もう少し、大きく。


   ……。


   うん。


   ……ん。


   どう?


   ……。


   甘いだ……え。


   ……。


   ぅ、あ……。


   ……甘い、わ。


   ……。


   ……手、ちゃんと拭いてね。


   う、うん……食べ、終わったら。


   向こうに、水道がある……貸してもらえれば、良いのだけれど。


   水道……?


   ええ……向こうに。


   ……借りられる、かも。


   え……?


   小さい頃、あそこで足を洗ったような。


   足?
   手ではなくて?


   転んで、膝を擦り剥いて……それで。


   ……。


   だから、貸してもらえると思う。


   ……今でも、貸してもらえる?


   多分……あ、ほら。


   ……。


   子供達が手を洗ってる。
   きっと、大丈夫だ。


   ……じゃあ、食べ終わったら。


   うん、あの水道で手を洗おう。
   若しもだめだったら、ウェットティッシュで。


   ……ん。


   ……。


   ……わたあめ、まこちゃんも食べて。


   う、うん、食べる……。


   ……。


   ……へへ。


   甘い……?


   ……うん、甘い。   


  4日





   ……わたあめ。


   うん?


   ……なんでもない。


   若しかして、わたあめ?


   ……。


   へぇ、ここのは可愛い絵柄の袋に入れられてないんだ。
   くるくる回してるの、懐かしいなぁ。


   ……。


   欲しいのかい?


   ……然ういうわけではないの、ただ目に入ったから。


   気になった?


   ……まだ、あるんだなって。


   わたあめは、なくならないんじゃないかな。
   ほら、小さい子がお母さんに買ってもらって嬉しそうにしてる。


   ……小さい子は、好きよね。


   うん、好きだと思う。


   ……。


   ね、ひとつ買ってふたりで食べようか。


   ……まこちゃんは。


   うん。


   ……好き?


   うん、好きだったよ。


   ……食べたこと、ある?


   あるよ、小さい頃に。


   ……何度も?


   然うだなぁ、縁日に行くと買ってもらってたかな。


   ……然う。


   気になっているのなら、買ってみる?


   ……わたあめって、大人も買って良いものなのかしら。


   勿論さ、大人も子供も関係ないよ。


   ……でも、みんなが買っているところを見たことがないわ。


   確かに、いつの間にか食べなくなっちゃうんだよなぁ。
   わたあめよりも、他のものに気を取られちゃってさ。


   ……。


   どうする?


   ……わたあめって、甘いのよね。


   うん、ざらめで作るからね。


   ……ざらめ。


   結構大変なんだ、食べるの。


   ……大変?


   どんな食べ方をしても、手と顔がべたべたになっちゃうんだ。


   ……本当に好きだったのね。


   亜美ちゃんは……。


   ……きれいだと思いながら、見ていた記憶があるだけ。


   ……。


   欲しいと言えば、若しかしたら、買って貰えたのかも知れないけど……どうしても、言えなかった。
   どうして言えなかったのか……それは、分からない。


   ……そっか。


   ごめんなさい、こんな話。


   ねぇ、亜美ちゃん。
   やっぱり、買ってみない?


   ……でも。


   なんだかあたし、久しぶりに食べたくなっちゃった。
   でも、ひとつじゃ多分、多いからさ。食べるのを手伝って呉れたら、嬉しいな。


   ……。


   今なら、ウェットティッシュを持っているから。
   手と顔がべたべたになっちゃったとしても、大丈夫だよ。
   気を付ければ、浴衣にもつかない……筈。


   ……。


   実はさ。


   ……?


   食べ切ったこと、一度もないんだ。


   ……然うなの?


   小さかったあたしには、多くて。
   なんせ、出来立ては顔よりも大きかったからさ。


   ……今なら。


   食べ切れそうではあるけれど……でもやっぱり、ひとつは多いかなぁ。


   ……。


   どうかな。


   ……お手伝い、しても良い?


   うん、して欲しい。


   ……それなら。


   ほんと?


   ん。


   ありがとう、それじゃ。


   ……。


   すみません。
   わたあめをひとつ、下さい。


   ……。


   楽しみだね。


   ……うん。


   あ、ほら。亜美ちゃん、見て。
   わたあめが出てきたよ。


   うん。


   どんどん出てくる、面白いな。


   良く見ると、小さな孔が幾つも開いているのね。
   遠目では、分からなかった。


   あたしは細いわたあめがすぅっと出てくるのが面白くて、じっと見てたっけ。


   私は……細いわたあめが、割りばしにくるくると絡まっていって、最後に、雲みたいなふわふわな白い塊になるのがきれいだと思いながら見てた。


   雲みたい、か。
   言われてみれば、入道雲みたいだ。


   ……子供の頃の感性って、面白いわよね。


   然うだねぇ。


   ……加熱されて溶けたざらめが液状になって、回転の遠心力で孔から外に放出される。


   うん?


   外の空気に触れた液状のざらめは、一気に冷却されて繊維状に固まっていく。
   そして、繊維状になったざらめを、空気を含ませながら割りばしで巻き取ることによって、ふわふわのわたあめが出来る。
   今だと、そんな風に見てしまって。


   そ、然うなんだ……。


   ……だけど。


   だけど?


   ……やっぱり、きれいね。


   ……。


   こんなに近くで見ることが出来るなんて、思わなかった。


   他に、気になるものはある?


   他に?


   色々、見て回ろうよ。
   亜美ちゃんが気になるもの、気になってたもの、全部。


   ……。


   だって、今日は。


   ……今日は。


   ふたりきり、なんだからさ。


   ……。


   ね。


   ……迷惑じゃない?


   まさか。


   ……。


   だから……あ、出来たみたいだ。
   はい、ありがとうございます。


   ……。


   見て見て、亜美ちゃん。
   ふわふわだよ~。


   ……ふふ、本当。


   でも時間が経つと、萎んで小さくなっちゃうんだよね。
   然うすると、ふわふわでなくなっちゃって。


   湿気を、吸い込んでしまうから。


   湿気?


   お砂糖は乾燥だけでなく、湿気も嫌うの。


   あぁ。


   お砂糖を何もせずに放っておくと、袋の中でくっついて固くなってしまうじゃない?


   なる。あれ、困るんだよね。
   亜美ちゃんに対処法を聞いてから、気にならなくなったけど。
   それまでは、砕いて使ってた。


   湿気で溶けた場合は、その後に乾燥して固まってしまうの。


   そういや、ざらめも砂糖だもんなぁ。
   萎んで小さくなって、仕舞いには固い塊になっちゃうんだ。


   時間の経過によって、わたあめではなく、ただのあめになってしまうのね。


   ん?


   溶けて、固まって。


   ……。


   ……お砂糖の塊、だから。


   ……。


   ……固体であるざらめが過熱によって液体になり、冷えて再び固体になることを、状態変化と言って。


   亜美ちゃん、物理の時間になってる。


   ……。


   いや、化学だったかな。


   ……化学。


   確か、物理変化だよね?


   ……然う、物理変化。


   ん。


   ……私、おかしなこと言った?


   ううん、言ってないよ。


   ……でも、笑ってるわ。


   うん、楽しいからね。


   ……本当に、それだけ?


   あと、亜美ちゃんが可愛い。


   ……。


   はは。


   ……もぅ。


   ね、向こうで食べよっか。


   ……向こう?


   ベンチが丁度空いてる。
   歩きながらだと、浴衣を汚しちゃうかも知れないから。


   ……。


   行こう、亜美ちゃん。


   ……あ。


   出来れば、離さないで。


   ……まこちゃん?


   亜美ちゃんを見てる奴が居るから、離さないで欲しい。


   ……。


   行こう。


   ……ん。   


  3日





  -蛍火(現世2)





   料理、洗濯、掃除、それから裁縫、家の修繕まで……まこちゃんのおじいさまも、なんでも出来たのね。


   だからね、お父さんもなんでも出来たよ。
   男も女も関係ないってのが、おじいちゃんの教育方針だったから。
   なんだったら、お母さんよりもてきぱきやっていたかも。


   若しかして、まこちゃんがなんでも出来るのっておじいさまの影響?


   かな。
   おじいちゃんには色々教わったんだ。


   ……う。


   おと、ごめん。


   ううん……大丈夫。


   おじいちゃんが作ったごはんは美味しくてさ。
   おばあちゃんのも美味しかったから、遊びに行くのがいつも楽しみで。


   お手伝いは、したの?


   勿論、したよ。働かざる者食うべからず、だから。
   料理だけじゃなく、障子や襖、網戸の張替もやったっけ。


   張替のお手伝いもしたの?


   うん、張替もお手伝いのひとつだったから。
   流石に、屋根には上がらせて呉れなかったけどね。


   屋根って。


   瓦の確認をするんだって。
   おじいちゃんが子供の頃は茅葺き屋根だったから、男の人が屋根を見るのは珍しいことじゃなかったみたい。
   茅葺き屋根だった頃は、村のみんなで葺き替えをしたものだったらしいよ。


   葺き替えは、ひとりでは無理よね。


   うん、流石に無理かな。


   然うよね。


   因みに、張替は今でも出来るよ。
   だから若しも、亜美ちゃんちで必要になったらあたしを呼んでね。
   丁寧にやるから……って、亜美ちゃんちにはないか。


   網戸があるけれど……。


   はは、冗談だよ。


   ……将来、頼りにするかも。


   将来?


   ……。


   亜美ちゃん?


   ……ううん、なんでもない。


   然う?
   耳、赤いけど。


   な、なんでもないから。


   うん、なら良いけど。
   苦しかったら、言ってね。


   ……うん。


   お手伝いをするのは、楽しかったなぁ。
   まさか、一緒に暮らすことになるとは思わなかったけど。


   ……。


   おじいちゃんは戦前、大正生まれなんだけどさ……明治生まれのお姉さんがお母さん代わりで、とっても厳しかったらしいんだ。
   男だろうが女だろうが関係ない、出来ることは多い方が良いって。


   ……男の人が家事をするのって、当時では珍しかったんじゃないかしら。


   うーん、どうだろ。
   やっぱり、然うなのかな。


   私は母方の祖父が……同じく大正生まれなのだけれど、お料理をしているところなんて一度も見たことがないわ。
   男は厨房に入るものではないって考えのひとだったから、いつも祖母が動いていて。
   教育には力を入れていたみたいなんだけど……それ以外は、あまり。


   男子厨房に入るべからず、聞いたことはあるけど。


   まこちゃんのおじいさまは然うではなかったのね。


   うん、おじいちゃんは然うじゃなかった。
   例えば料理、飯は男も女も作れた方が良い、どっちかが倒れてもなんとかなるって考えだったから。


   あぁ、それは然うよね。


   昔は妻が先に亡くなったら後添えを貰って、身の回りの世話をさせたって。
   そんな話も聞いたことはあるけど……なんだっけ、男やもめになんとかってやつ。


   ……男やもめに蛆がわく。


   おじいちゃんはおばあちゃんに一途で、とても大事にしてたから。
   おばあちゃんが亡くなっても、ひとりで不自由することなく猫と暮らしてたなぁ。
   なにしろ、なんでも出来たからさ。困ることなんて、ほとんどなかったみたいで。


   おじいさま、猫を飼っていたの?


   うん、動物が好きなんだ。
   犬も居たんだけど……あたしが小さい頃に死んじゃった。
   柴犬で、ころころして、可愛かったんだよ。


   ころころ……。


   ……ね、可愛いだろ?


   うん……可愛いわ。


   ころころしてる柴犬のお尻って可愛いよね。


   お尻?


   他も可愛いけど、お尻は特に可愛い。


   ……。


   あれ、おかしい?


   ……ううん、おかしくない。


   亜美ちゃんも可愛いと思う?


   ……うん、思う。


   はは、良かった。


   ……猫は?


   もちろん、可愛かった。
   三毛猫でさ、人懐こいんだ。


   ふふ、然うなのね。
   会ってみたかったわ。


   絶対、懐いたと思うんだよね。


   然うかしら。


   誰よりも、ルナに懐かれてるし。


   ルナは……少し、違うけれど。


   みんなが集まると、うさぎちゃんよりも亜美ちゃんのところに居ることが多いだろ?
   たまに、膝の上で丸まって寝てる時もあってさ。


   ……。


   それがまた、すごく気持ち良さそうで。
   その気持ち良さを知ってるだけに、若干、面白くないんだ。


   ……え?


   そんなわけで、ミケも懐いたと思う。
   うん。


   まこちゃん?


   ……。


   ……面白くなかったの?


   ……まぁ、若干。


   然う……。


   ……笑ってる?


   ん、笑ってる。


   ……あんまり長く居られると、ね?


   ルナに言った方が良い?


   ……それは、やめて。


   然う?


   ……何を言われるか。


   ルナは、言わないと思うけど。


   ……誰にも話さないとは、限らない。


   例えば……アルテミス?


   ……然うなると。


   然う、ね……。


   ……だから、我慢する。


   我慢……。


   ……子供っぽい?


   少し……でも、嬉しい。


   ……。


   まこちゃんが、ルナに嫉妬して呉れて。


   ……まさか、猫に嫉妬することになるとは思わなかったよ。


   ふふ……。


   ……。


   ところで、まこちゃん。


   ……あともう少しだよ。


   ううん、猫の名前をもう一度教えて欲しいの。


   猫? おじいちゃんの?


   うん。


   ミケだよ。


   ミケ? ミケと言うの?


   然う、三毛猫だからミケ。


   ふふ、可愛いわ。


   うん、とても可愛かった。
   おばあちゃん猫になっても、あたしのことを忘れないで居て呉れて。
   なんかね、あたしのことを子供みたいに思ってたらしいんだ。


   ……。


   両親を亡くしたあたしの傍に、いつも居て呉れて……亜美ちゃんにも、撫でて欲しかったな。


   まこちゃん……。


   ……ん、おしまい。


   ……。


   うん、なかなか上手に出来た。


   ……ありがとう、まこちゃん。


   きつくない?


   ん……平気。


   誰かにやるのは初めて、おまけに思い出しながらだったから、少し手こずっちゃった。
   任せてなんて言ったのに、時間がかかっちゃってごめんね。


   ううん、大丈夫よ。


   うん、良かった。


   ……。


   それにしても。


   ……?
   なに……?


   すごく似合ってて……すごく、可愛いよ。


   ……。


   新しいの、なんだよね?


   ……母に話したら、買って呉れると言い出して。


   うん……。


   要らないと、言ったのだけれど……まこちゃんとふたりで出掛けるのなら、新調した方が良いって。


   ……。


   あの、まこちゃん……?


   着付けをしてた時から……ううん、見せてもらった時から、絶対に可愛いと思ってたけど。
   想像していた姿よりも、ずっとずっと、可愛い……。


   ……あまり、見ないで。


   あ。


   ……恥ずかしいわ。


   あ、えと、ごめん。


   ……ねぇ。


   な、なに?


   ……気付けも、おじいさまに教えてもらったの?


   着付けは、おばあちゃんに……おじいちゃんも出来たらしいけど、おばあちゃんが譲らなかったみたい。


   ……おばあさまも、なんでも出来た?


   うん、なんでも出来たかな。
   おばあちゃん、家の仕事だけじゃなくてお産婆さんもやってたんだよ。


   お産婆さん……。


   なんでも出来て……良い夫婦だったなぁ、孫のあたしから見ても。


   ……然う。


   あたし達も、ああいう風になりたいな。


   ……え。


   さ、さて、着付けも終わったことだし、出掛けようか。


   まこちゃん、今……。


   む、虫よけ、つけていこうね。


   ……。


   ん、亜美ちゃん……?


   ……そんなふたりに、私達もなりたい。


   え……。


   ……。


   あ、えと……。


   ……まこちゃんは、着替えないの?


   え、あ、あたし?


   ……浴衣。


   あたしは、今回は良いや。
   何かあった時の為に、動きやすい格好で行くよ。


   ……何か?


   然う、何か。


   ……何かって。


   可愛い亜美ちゃんに、虫が近寄ってこないように。


   ……。


   な、なんて。


   ……もぅ。


   ま、また今度、着るよ。


   ……約束よ。


   約束?


   ……まこちゃんの浴衣姿、見たいから。


   あ……。


   ……。


   わ、分かった……約束。


   ……ん。


   ……。


   ……それじゃあ、行きましょうか。


   うん……ゆっくり、行こう。


  2日





   ……。


   ……出ていたと、思ったんだけど。


   ん、なに……。


   いや、さ……外が、暗いような気がして。


   ……街灯の明かりがあるから、真っ暗ではないと思うけど。


   ……。


   月の……?


   うん……どこかに、行ってしまったのかな。


   ……雲が、隠しているだけではないかしら。


   あぁ、そっか。


   ……一晩でどこかに行ってしまったら、大変だわ。


   あはは、然うだよねぇ。


   ……だけど遠い未来、今よりも遠いところに月はあるかも知れない。


   え?


   ……毎年3.8センチメートルずつ、月は地球から遠ざかっているから。


   へぇ……然うなんだ。


   ……月が生まれた時、今よりも地球に近かったんですって。


   じゃあ、いつかはどこかに行ってしまう……?


   ……ううん、完全に離れてしまうことはないの。


   遠ざかっているのに?


   ……それを説明するには、潮汐力の復習から始めないといけないのだけれど。


   潮汐力……。


   ……今、聞きたい?


   え、と……また今度で良いかな。


   ふふ……うん、じゃあまた今度ね。


   うん。


   ……ん。


   髪の毛……少し、伸びたね。
   前髪が、目にかかりそうだ……。


   ……お勉強をしてる時にかかると、少し邪魔で。


   今度、前髪だけでも切ってあげようか……?


   ……お願いしても良い?


   うん、良いよ……任せて。


   ……ありがとう、まこちゃんって本当になんでも出来るわよね。


   お勉強は、少々、苦手だけれどね。


   ふふ……大丈夫、私が居るわ。


   はい、頼りにしてます……。


   ……ん、任せて。


   うん……。


   ……。


   ね……。


   ……なぁに。


   ジュピターやマーキュリーが生きていた頃は、二つの星は今よりも近かったのかな。


   ……恐らくは。


   近いなら……月からは、地球が今よりも大きく見えていた?


   ……地球から見ると、月は今よりも大きく見えたそうだから。


   そっか……じゃあ青い星が大きく見えていたような気がするのは、気のせいじゃなかったんだ。


   ……前世の記憶?


   うん……幾らなんでも大きくないかなって、ずっと思ってた。


   ……。


   亜美ちゃんは、記憶にない……?


   ……ジュピターとふたりで見ていた、青い星の記憶なら。


   ジュピターと……。


   ……あまりにも自然で、違和感も感じなかった。


   マーキュリーの隣に、ジュピターは居たんだな……。


   ……。


   ん……亜美ちゃん。


   ……ねぇ。


   なんだい……?


   ……あなたの顔が、よく見えないの。


   こんなに近くに居るのに……?


   ……暗くて、よく見えないの。


   ……。


   ……ね、あなたは誰?


   あたし……?


   ……然う、あなた。


   あたしは……木野まこと。


   ……本当に?


   うん、本当だよ。


   ……ジュピターではない?


   うん、ジュピターじゃない。


   ……いつかの夢に、出てきたひとでもない?


   違うよ……誰だか知らないけど、それはあたしじゃない。
   似てたかも知れないけど、あたしじゃない。


   ……。


   安心、した……?


   ……うん、とっても。


   それは、良かった……。


   ……。


   暑くはない……?


   ……ん、平気よ。


   なんとなく、だけどさ。


   ……なぁに?


   秋めいてきたと思うんだ。
   まだまだ、暑いけど。


   ……風に秋を感じる時があるわ。


   然う、然うなんだ。
   蝉は相変わらず、やかましいけど。


   ふふ……ね、まこちゃん。


   なんだい、亜美ちゃん。


   ……。


   どした……?


   ……お祭り、誘って呉れてありがとう。


   こちらこそ……一緒に行って呉れて、ありがとう。


   ……本当に、楽しかった。


   あたしも、すごく楽しかった。
   人生で一番ってくらいに。


   ……人生で一番?


   然う、人生で一番。


   ……大袈裟では、ない?


   大袈裟に聞こえるかも知れないけど、あたしは本当に然う思ってるんだ。


   ……みんなと行く、お祭りは?


   あれはあれで、楽しいけど。


   ……けど?


   違った楽しさ、かな。


   ……違った?


   ともだちと行くお祭り、恋人と行くお祭り。
   楽しさの種類が、違う。


   ……違うのに、私と行くお祭りが一番だと言ってしまっても良いの?


   ……。


   ……やっぱり、言わない方が。


   感じたんだ。


   ……感じた?


   遠慮をしなくて良いということが、どれ程、良いものか。


   ……遠慮。


   あたし達のことは一応、みんなには隠しているだろ?


   ……うん。


   みんなと居ると、楽しい……だけどたまに、亜美ちゃんとふたりで抜け出したくなる一瞬があるんだ。
   抜け出して、ふたりきりで過ごしたいって。


   ……あぁ。


   その時は大抵、息苦しさを感じていて。


   ……。


   みんなに、あたし達の関係を言ってしまえば……この息苦しさを、感じることはなくなるのかな。


   ……分からないけど、でも、或いは。


   でも、あまり言いたくないんだ。


   ……それは、同性だから?


   いや、めんどくさい奴が居るから。


   ……。


   今でも、鬱陶しいってのに。


   ……もぅ、まこちゃんったら。


   亜美ちゃんは、面倒じゃない?


   ……。


   鬱陶しくはない?


   ……少し。


   だろ?


   ……前は、ただ。


   ……。


   一緒に居るだけでも楽しかったのに……今はそれだけじゃ足りなくて、ふたりだけで居たいだなんて。


   ……みんなに遠慮しないで、ね。


   まこちゃんが、良いのなら。


   ……。


   私は……みんなに、言っても。


   ……いつかは言おうと思ってる。


   いつか……?


   ……高校を卒業して、亜美ちゃんとふたり暮らしが出来るようになったら。


   ……。


   同棲……したいと、思ってるんだ。


   ……まこちゃん。


   か、考えておいて欲しい……。


   ……う、ん。


   ……。


   そ、それで、みんなに私達のことを言うのは……二人暮らしを、してから?


   ううん、その前には言おうと思う……どう、かな。


   ……うん、私はそれで良いわ。


   じゃあ、その時に……。


   ……うん、その時に。


   ……。


   ん……まこちゃん。


   ……今日は情けないところ、見せちゃった。


   ……。


   呆れられなくて、良かった……。


   ……呆れるわけ、ない。


   嫌われないで、本当に良かった……。


   ……嫌うわけ、ない。


   亜美ちゃん……。


   ずっと、ずぅっと、あなたが好きよ……。


   ……あたしもずっと、ずぅっと、亜美ちゃんのことが大好きだ。


   ……。


   ……ね。


   なぁに……?


   ……あなたは、誰?


   え……?


   ……あたしも、確認したくなっちゃった。


   あぁ……。


   ……ね、あなたは誰?


   私は……水野亜美。


   ……マーキュリーではない?


   うん、マーキュリーではないわ。


   ……。


   まこちゃん……?


   ……あたしも、あなたに似ているひとの夢を見たような気がする。


   私に、似ている……?


   ……うん。


   それは……いつ?


   ……それが、憶えてないんだ。


   マーキュリーでは、なくて……?


   ……うん、マーキュリーじゃない。


   然う……。


   ね……そのひとでも、ない?


   ええ……違うわ。
   私は、そのひとじゃない……。


   ……。


   ん……。


   ……手で触れて、確認しても良い?


   手で……?


   ……だめかな。


   ……。


   ……だめなら、


   私も、確認して良い……?


   ……手で?


   手だけじゃない……。


   ……。


   ……躰、全部で。


   からだ、ぜんぶ……。


   ……だめ?


   だめじゃない……あたしも、然うしたい。


   ……ん、良かった。


   ……。


   ……。


   ……亜美ちゃん。


   ……まこちゃん。


   大好きだ。


   ……大好きよ。


   ……。


   ……ぁ。


   何度も、何度だって、確認しよう……。


   ……う、ん。


   あたし達が、あたし達であるように……。


  1日





   ……。


   亜美ちゃん? お勉強、してるの?


   ……ん、少しだけね。


   そっか。


   でも、おしまいにするつもり。


   え、もう?


   まこちゃんがお風呂から出てきたらやめようって決めてたから。


   だけど、あたしがお風呂に入る前はしていなかったよね?


   うん。


   良いの?
   今日はお祭りに行って……午前中も、お勉強しなかったのに。


   お勉強はしなかったけど、本は読んだわ。


   本当に足りるの?
   短くはない?


   それでも、40分はあったから。


   40分……。


   お勉強、今日はあまりしないって決めてたの。


   ……。


   一日、まこちゃんと楽しみたかったから。


   けど……ううん、なんのお勉強をしていたの?


   ん……生物を、少しね。


   生物?
   へぇ、珍しいね。


   ……然う?


   生物って、どちらかと言うと暗記することが多いだろう?
   確か、生物は理科のどの科目よりも覚える知識の量が多いって言ってたよね?


   うん。
   だけど、考察も必要になる教科だから。


   考察?


   ……図やグラフ、表の読み取り。


   あぁ……苦手なんだ、あれ。
   亜美ちゃんに教えてもらって、少しはましになったんだけど。


   ……もっと、お勉強しないとね。


   う。


   ……う?


   えと……考察は、まぁ、置いておいて。


   ……置いておくの?


   うん、今は。


   ふふ……然う。


   亜美ちゃんはさ、一度覚えてしまったら、忘れることなんてほとんどないから。
   だからかな、亜美ちゃんが生物のお勉強をしてるイメージがあまり湧かないんだ。
   全くしてないってわけじゃあ、ないんだけど。


   覚えていても、改めてお勉強をすることで知識を深めることが出来るわ。
   知識を深めることが出来れば、長期的な記憶に移すことだって出来るの。


   やっぱり繰り返しは大事ってこと?


   ん、然うね。
   それに忘れることがほとんどないってことは、忘れることもあると言うことでしょう?


   それは……まぁ。


   私だって人間だもの、忘れちゃう時だってあるわ。


   ……。


   幾ら、マーキュリーの生まれ変わりだと言っても……ね?


   そっか……うん、然うだね。


   マーキュリーだって、万能じゃなかったんだもの。
   ただの水野亜美である私は、もっと、頑張らないと。


   はぁ、今よりも頑張るのかぁ。


   まぁ、好きなことをしているだけ、とも言えるのだけれど。


   うん、そっちの方がしっくり来るかな。


   ふふ。


   生物、か。
   あたしは植物が覚えやすくて好きだな。
   と言っても、あっさり覚えられるわけじゃないんだけど。


   生物は、まこちゃんにとっても大事な教科だと思うの。


   え、然うかい?


   まこちゃんの夢のひとつにケーキ屋さんってあるでしょう?


   うん、ある。


   まこちゃんがケーキ屋さんになりたいのなら、栄養学もお勉強することになると思うの。


   栄養学?


   生物だけでなく、化学も必要みたいなのだけれど……それは、兎も角として。


   化学……。


   食品を通して取り込んだ栄養素が体に吸収される仕組みや、栄養素が体内でどのような働きをするのかを理解する為には生物学の知識が必要なんだって。
   確かに、然うよね。


   う、うん、確かに然うだ。


   ……。


   然うか、生物かぁ……。


   ……少しね、調べてみたの。


   ん?


   まこちゃんがケーキ屋さんになる為には、どんなお勉強が必要になるのか。


   え、いつ?


   ……。


   亜美ちゃん?


   ……内緒。


   え、えぇ。


   ……勝手なことだと、思ったから。


   そんなことないよ、大事だよ。
   あたしのことなのに亜美ちゃんが調べて呉れるなんて、嬉しいよ。
   因みに、化学はなんで?


   栄養素について学ぶから。


   栄養素、栄養素かぁ……家庭科でも、やったかなぁ。


   それでね、調べていたら……少しだけ、嬉しくなってしまったの。


   理系、だから?


   ……。


   違った?


   ……どうして分かったの?


   いや、なんとなく然うかなって。


   ……文系のお勉強も、勿論、大事よ。


   うん、分かってる。
   文章問題を解く為には、その文章が日本語である限り、国語力が必要だし。
   英語もこれからの国際社会? には、必須だし。
   社会は……うん、やっぱり大事だし。だろ?


   ……うん。


   しかし、生物に化学かぁ。


   ……ケーキ屋さんになるなら、だけれど。


   となると、これからはもっと、亜美ちゃんに教えてもらわないといけないな。


   うん……私で、良ければ。


   お花屋さんになるとしても。


   ……え?


   お花屋さんになるにしたってさ、生物の知識は大事だと思うんだ。
   あたしが今、然う決めた。


   ……。


   だって、お花屋さんは植物を扱うだろう?
   知識はあるに越したことない。違う?


   ……違わないと、思う。


   と言うわけなので。
   宜しくお願いします、亜美ちゃん。


   ……うん、私で良いなら。


   亜美ちゃんが良いです。


   ふふ……はい。


   あ、でも、自分のお勉強を優先してね。


   ……ん。


   生物、お医者さんになるにはやっぱり重要?


   うん……生物も、医学部に進むのならとても大事な教科なの。


   お医者さんって、生物って感じがするかも。
   物理って感じはあまりしない。


   ふふ、然うよね。
   だけど、物理も大事だから。


   と言うより、大事じゃない教科はない?


   然う……大事じゃない教科は、ないの。


   はい、分かりました。


   ……。


   はは。


   ……ふふ。


   お勉強、したいならしてて。


   ううん……今日はもう、良いの。


   本当に良いの?


   ……お勉強をしていれば、直ぐに過ぎると思ったの。


   直ぐに?


   今日は、その……早く時間が過ぎれば良いのに、って思ってしまって。


   ……。


   ……待ち切れ、なくて。


   亜美ちゃん……。


   ……変、よね。


   ううん、変じゃないよ。


   ……ん。


   変じゃない……。


   ……まこちゃん。


   ね、亜美ちゃん……今日もお泊まりして呉れるなんて、思ってなかったんだ。


   ……ごめんなさい、急に言ってしまって。


   ううん、嬉しかった……すごく。
   今夜も亜美ちゃんと過ごせるんだって。


   ……ねぇ、まこちゃん。


   うん?


   ……傍に、来て。


   ……。


   ……もっと、傍に。


   うん……分かった。


   ……。


   ……これで、良い?


   ふふ……。


   ……なぁに?


   ほんのり、薔薇の匂い……。


   ……亜美ちゃんも。


   ……。


   暑くない……?


   ……平気。


   そっか……でも暑かったら、言ってね。