日記
2024年・10月
31日
ごちそうさまでした。
あぁ、美味しかった。
……ごちそうさまでした。
味が、あの頃と変わっていなくて……?
……。
ん、どうしたの?
……食べ過ぎだと、思ったのに。
意外と、平気だった?
……お腹は、いっぱいなのだけれど。
でも、苦しくはない?
……。
ね、アイス最中を買って、歩きながら食べようか。
……流石に、それは。
あたしは抹茶、亜美ちゃんはバニラで。
そんなに大きくないし、味もあっさりしているし、案外、食べられるかも知れないよ。
……。
今、アイスぐらいなら食べられるかもって思った?
……どうして?
お腹を、さっと撫でただろう?
撫でたけど……それが、何。
亜美ちゃんが、お腹の容量を確認する時にやる動き。
今回は違うかも知れ
はは、その顔は図星だ。
もぅ。
ね、どうする?
まこちゃんが然うしたいのなら、付き合ってあげても良いけれど。
じゃあ、付き合って欲しいな。
どうしようかしら。
付き合ってあげても良いって言ったのに。
然うね、言ったわ。
だったら。
はぁ、仕方ないわね。
ふふ、やった。
でも、直ぐには無理よ。
うん、少し休めよう。
幸い、他にお客さんも居ないし。
タイミングが、たまたま良かったのかしら。
然うかも。
……。
……。
……ふぅ。
苦しくはないけど、お腹はいっぱいって顔だ。
それなのに、アイス最中まで。
だって、折角ここまで来たんだし。
アイスも食べたいなって。
あんみつで食べたのに?
あたしのアイスはバニラと小倉だったから。
自分のあんみつに入ってないアイスは、はんぶんこにして食べたのに。
アイス最中をはんぶんこにすれば、丁度ひとつ分になるよ。
アイス最中を食べるつもりだったのなら、はんぶんこにしなければ良かったんじゃない?
食べるつもりは、あくまでもなかったんだ。
あくまでも、ね。
食べ終わったら、もう少し、ううんアイスくらいなら食べられるかもってさ。
ところで、昭和焼きは良いの?
うん、昭和焼きは食べたし。
ひとつで足りたの?
うん、足りたよ。
お土産に幾つか、買って帰っても良いわよ?
……。
どうする?
……お土産に買って帰っても、良い?
ええ、良いわよ。
じゃあ、
まさか、帰り道で食べるなんて。
え、だめ?
……アイスの他に、まだ入るの?
うん、実は入りそうなんだ。
ほら、昭和焼きってぱりっとしてあっさりとしてて、食べやすいからさ。
……。
えと、呆れてる?
ううん……まこちゃんがこんな風になるの、このお店に来た時ぐらいだから。
こんな風って?
まるで、ちいさなこども。
あー……はは、然うかも。
……だから。
あのさ、亜美ちゃん。
昭和焼きは家まで我慢するよ。
出来るの?
うん、出来る。
お腹が空いてるわけではないし。
……。
アイスふたつのあんみつに、昭和焼きをひとつ、おまけにアイス最中まで食べようとしている。
流石に、食べ過ぎだと思うから。
別に、食べたいのなら良いわよ。
え、良いの?
どうせだったら、公園のベンチにでも座って食べたら?
公園?
少し行けばあるでしょう?
大きな公園が。
あぁ、あそこか。
まだ、時間はあるし。
それに、あそこまで歩けばお腹にもっと余裕が出来ているかも知れない。
はは、良いね。
じゃあ、然うしよう。
ん。
ねぇ、亜美ちゃん。
若しかして、亜美ちゃんも
なぁに?
ううん、なんでもないです。
然う?
はい。
それで、幾つ買って帰るの?
あたしがふたつ、亜美ちゃんもふとつ、
私もふたつなの?
公園で、ひとつ食べない?
私はひとつで良いわ。
紅葉を見ながら食べたら、美味しいと思うんだ。
そんなに食べられない。
歩けば、食べられるかも知れないよ。
お散歩でもするつもりなの?
うん、それもありだと思う。
天気も良いし、ゆっくりとさ。
あまりゆっくりとしていたら、日が暮れてしまうかも知れないわよ。
それは困る、何も見えない。
私は、ひとつで良いわ。
そっか……残念。
……。
お腹、どう?
まだ。
そっか。
……。
亜美ちゃん?
このお店……あまり変わってない。
落ち着いた、雰囲気で……このお店だけ、流れている時間が違うみたい。
ん……然うだね。
……このテーブルも、この椅子も。
可愛いよねぇ、あたし好きなんだ。
特に椅子。
ふふ……知ってる。
……。
……まこちゃん。
なんかさ、色々思い出しちゃったよ。
小さい頃のこと?
それから中学生の頃、亜美ちゃんとふたりで初めて来た時のこと。
……あの時は、道に迷ったのよね。
はは、然うだったね。
あの時も、アイスがふたつのったあんみつを食べて。
昭和焼きを食べた。
アイス最中は、食べなかったけれど。
アイス最中は、夏に来た時に食べたんだよね。
かき氷を食べたのにね。
若かったなぁ。
今だって、若いじゃない。
いや、アイスをのせたかき氷を食べた後に、アイス最中を食べるのはもう無理かなぁ。
夏に来たら、どうかしら。
んー……場合によっては、食べられるかも。
お腹、壊さないでね。
はぁい、気を付けます。
あの時、何のかき氷を食べたか憶えてる?
亜美ちゃんは、氷しるこだったね。
……まこちゃんは?
あたしは……ミルク。
バニラアイスをのせて、ミルククリーム。
あの時のまこちゃんも、小さなこどもみたいで。
ん、然うだったかな。
ちゃんと憶えてる。
いつもは大人っぽいまこちゃんが、小さなこどものようにはしゃいで。
……。
……きっと、一生忘れない。
参ったな……忘れて呉れても、良いのに。
……とても可愛かったんだもの、忘れたくないわ。
そっか……。
……照れてる?
うん、まぁ……ね。
……然う。
なんだか、嬉しそうだね。
……ん、嬉しいわ。
あー……良く分かんないけど、良かった。
……まこちゃんとベッドの中でお喋りした夜のことも、昨日のことのように。
……。
不思議ね……まるで、記憶を連れてきて呉れたかのよう。
……特定の食べ物は、記憶と繋がっているから。
本当、ね……。
……。
……あの頃の私は、あんみつが好きと誰にも言えなくて。
然うだったね……。
……私の母はクラスの子の両親よりも歳が上で、離婚もしていたから。
……。
あんみつのことだけでなく、そのことでも、嫌なことを言われることがあって……。
……後でそれを聞いて、思い切り腹を立てたっけ。
本当に、嬉しかった。
……。
まこちゃんが、あんみつを好きだと言って呉れたこと……変じゃないって、言って呉れたこと。
……うん。
たい焼きさんのあんみつも一緒に食べて呉れて……それから。
……あたしのあんみつ、また食べて呉れるかい?
うん……また、食べたいわ。
じゃあ、作ろう……亜美ちゃんが望んで呉れるなら、何度でも作るんだ。
……ありがとう、まこちゃん。
うん……。
……。
お腹、どうだい?
……うん、大丈夫。
そっか……じゃあ、そろそろ。
……席、いつの間にか埋まっちゃったのね。
ね。
……ね、まこちゃん。
なに?
……ううん、やっぱりなんでもない。
あたしが、泣いてしまったこと。
……。
亜美ちゃんは、誰にも言わなかった。
……言うわけ、ないわ。
そんな亜美ちゃんが、あの頃から、あたしは大好きだ。
……こんなところで。
ここで、言いたかった。
……もぅ。
ね、昭和焼き、お義母さんにも買っていこうか?
母に?
仕事かな。
どうかしら。
好きだと思うんだよなぁ、お義母さん。
……。
ん、亜美ちゃん?
……まこちゃんの言う通りよ。
え。
……私から聞いて、ひとりで食べに来たみたいで。
然うなの?
……あんみつもアイスも、気に入ったって。
……。
それからも、たまに来てるみたい。
……初めて聞いた。
初めて、言ったから。
お義母さんからも、聞いたことない。
……然うだと思う。
なんでだろう。
……分からないわ。
んー……。
とりあえず、ひとつだけ買って帰りましょう。
居なければ、まこちゃんが食べて。
え、あたし?
うん。
そこは、はんぶんこじゃないの?
そんなに食べられないもの。
然うかなぁ。
然うなの。
はい、分かりました。
……ふふ。
はは。
……行きましょうか。
うん、行こうか。
……。
また、来よう。
……ん、きっとまた。
30日
あぁ、この味だ。
懐かしいなぁ。
……。
……?
亜美ちゃん?
……ん。
持ったまま固まってるけど、どうしたの?
……この厚みをどうやって食べるか、考えているの。
少しずつ、食べればいいんじゃない?
少しずつ?
ここら辺からさ、少しずつ。
やっぱり、そうよね。その食べ方が妥当よね。
大きな口を開けて食べられないこともないけど、少しずつの方がいいかなって。
あんこ、あつあつだし。
試してみようとは思ったの。
え、そうなの?
うん……でも、やっぱりやめておくわ。
あんこがあつあつだと、舌を火傷してしまうかもしれないし。
……。
なに?
いや、亜美ちゃんが大きな口を開けて食べてるとこ、想像出来ないなって。
……。
ん? 亜美ちゃん?
……まこちゃんが、知らないだけよ。
え……え?
……。
亜美ちゃん、それって。
……ひみつ。
ひ、ひみつ?
……そう、ひみつ。
そ、そっか。
……食べないの?
え、あ、食べるよ。
……。
……なんか、小動物みたいでかわいいな。
ん……。
……どう?
……。
あ、飲み込んでからでいいよ。
ごめんね。
……。
……やっぱり、かわいい。
外……。
外?
……かりっと、しているのね。
そうなんだ、今川焼きとはまた違うだろ?
うん……違う。
それで、中もさ。
……もちっとはしているけれど、ぱりっともしてるの。
そうそう、そうなんだよ。
全体的に、ぱりっとしていて……それが、とてもおいしいわ。
だろだろ?
はは、嬉しいな。
……これなら、もしかしたら。
ね、あんこはどうだい?
……でも、ううん。
亜美ちゃん?
ねぇ、まこちゃん。
なんだい?
あの、もしかしたら、なんだけど。
うん。
……ひとつ、食べられるかも。
え。
……でも、やっぱり。
意外と、食べられちゃうものだよ。
……。
ん?
……もぅ。
あれ。
……。
え、えと……あんこは、どう?
……昭和焼きのあんこは、つぶあんなのね。
あんみつはこしあん、昭和焼きはつぶあんなんだ。
小豆が、ほくほくしていて。
少し、ねっとりとしているんだ。
うん……だけど甘さが控え目だから、口の中に残らなくて、食べやすい。
控え目だからこそ、このねっとり感がいいのかも……小豆の風味を、感じられて。
優しい味だなぁって。
あたしは、思ってるんだ。
……ん、分かるわ。
ね、食べられそうだろ?
……まだ、あんみつを食べていないから。
あんみつを先に食べると思ってた。
……。
あんみつは、残さないだろうから。
……熱い方がおいしいと言ったのは、まこちゃん。
そうだけど。
……実際、これは熱い方がよりおいしいと思うわ。
冷めても、おいしいんだけどね。
……。
あ、や、でもやっぱり、熱い方がいいと思うんだ。
……もぉ、まこちゃんは。
は、はは。
……小さいまこちゃんも、これを食べたのね。
うん、食べた。
なんだったら、お土産で買ったのを歩きながら食べた。
……歩きながら、食べたの?
いや、うちまで我慢出来なくてさ。
……。
亜美ちゃんは、ない?
小さい時に、食べながら歩いたこと。
私はないわ。
あ、はい、そうだよね。
だけど……ふふ。
なに?
……さっきから、ずっと思っていたのだけど。
うん。
小さい頃のまこちゃんって、とてもかわいいわ。
え、そう?
あんみつを食べたり、アイスがのったかき氷を食べたり……ご両親から一口ずつもらったり、昭和焼きはお土産で買ったのに、歩きながら食べてしまったり。
並べてみると、食い意地の張った子供だなぁ。
いいんじゃないかしら、子供なのだから。
……。
……まこちゃん?
ん、ちょっと懐かしくなっちゃって。
……。
ね、あんみつも食べてみて。
アイスが溶けてしまう前に。
……ん。
あたしも、食べよっと。
……ね。
ん?
連れてきてくれて、本当にありがとう。
……。
……ありがとう、まこちゃん。
うん……亜美ちゃん。
……。
……。
……こしあん。
おいしい?
……昭和焼きのあんこよりも、くどいわけではないのだけど、ほんの少しだけ甘い気がする。
亜美ちゃんもそう感じる?
まこちゃんも?
うん、あたしもこしあんの方がほんの少しだけ甘いと感じるんだ。
寒天と一緒に食べるからなのかなって、思ってるんだけど。
……寒天はちょっと固めなのね。
固めな食感がね、いいんだ。
まこちゃんは固めの方が好き?
うん、好きかな。
亜美ちゃんは?
私は……どちらかと言うと。
柔らかめ?
……ううん、どちらも好き。
えー。
ふふ。
もぅ、亜美ちゃんは。
まんまと引っかかっちゃったよ。
あんみつってね、全体で考えるものだと思っているの。
全体?
そう、全体。
あんこと寒天、お豆に求肥、黒蜜、あとはアイス、白玉、果物……絶妙なバランスで成り立ってる。
はぁ……でも、言われてみればそうだ。
あんこが甘いのにアイスも甘かったら、飽きちゃうかもしれない。
寒天もまた、同じだと思うの。
だから、柔らかめも、固めも、私は両方好き。
亜美ちゃん……実は、かなりのあんみつ通だね。
私なんてまだまだ……だって、色んなお店のあんみつを食べたわけじゃないから。
ね……アイスも、食べてみて?
……その前に、お茶を。
お、通っぽい。
……もぅ、茶化さないで?
はは、ごめん。
……。
……。
……はぁ、お茶もおいしい。
ね……おいしいよね。
……まこちゃん。
あたしも、ちゃんと食べてるよ。
……ちゃんと、味わってね。
分かってる……うん、おいし。
……もぉ。
抹茶アイス、おいしいよ。
……そう。
少し苦味を感じるかな……だけど、それが黒蜜にとても合っていて、おいしい。
ちょっと大人の味かも。
……バニラアイスは、しゃりしゃりとしていて。
ん?
すっきりとした甘さで、バニラアイスにありがちな乳脂肪をほとんど感じない。
シャーベットのしゃりしゃり感とは、ちょっと違うよね。
うん、違う……私、しゃりしゃりしているバニラアイスを食べるのは初めてだわ。
……一口でなくて、良かったろ?
え、なに?
ううん……小倉は?
……小倉は。
……。
小倉も乳脂肪を感じない……小豆とお砂糖? だけなのかしら。
だからやっぱり……口に残らない、さっぱりとした甘さで。小豆本来の味がして、おいしい。
……。
抹茶は……まこちゃんが言っていた通り、ほんの少しお茶の苦味を感じる。
でも、黒蜜やあんことのバランスが良くて……あぁ、どのアイスもおいしいわ。
……。
……?
まこちゃん……?
いや、嬉しくてさ……。
……どうしたの?
ん……ちょっと、目から水が。
水……涙?
……両親がおいしいと言って食べていたものを、亜美ちゃんがおいしいと言ってくれたから。
……。
だから、嬉しくて。
まこちゃん……。
はは、ごめんよ。
すぐに引っ込めるから。
ううん……いいわ。
……あ。
だけど、周りから見えないように。
ん……ありがとう。
……。
ね……おいしいね。
……ん、おいしいわ。
29日
夏場は、かき氷もやってるんだよ。
だけど、昭和焼きはやってないんだ。
季節によって、メニューが変わるのね。
かき氷も種類がいっぱいあってさ。
いちごやメロン、ミルクにあずき、それから……抹茶も、あったかも。
宇治かしら。
そうだ、宇治。
あたしは食べたことないんだけど、お父さんがよく食べてたんだ。
まこちゃんは何のかき氷が好きだったの?
あたしは、ミルク。
バニラアイスをのせて、ミルククリーム。
かき氷の上にアイスをのせるの?
それがまたね、すっごくおいしいんだ。
ミルクがたっぷりかかってて、甘くて、バニラアイスはさっぱりしてて、ミルクよりは控え目な甘さで、氷はとっても冷たくてさ。
……お腹、大丈夫だった?
うん、大丈夫だったよ。
そう……良かったわ。
はは、なんだか亜美ちゃん、お父さんみたいだ。
……お父さん?
お父さんもそうやって心配してたなって。
お父さんはちょっと心配性でさ、たまにお母さんが呆れるくらいで。
……まこちゃんの気質は、お父さん譲りなのかしら。
え?
まこちゃんも、わりと心配性なところがあると思うから。
うーん、そうなのかな。
……戦いでは、いつも私の前に立って、守ってくれようとするし。
それは、当たり前だよ。
だって、マー……亜美ちゃんを守ることは、あたしの役割だと思ってるから。
……私が、弱いから。
あたしが亜美ちゃんを守れば、みんなが亜美ちゃんに守ってもらえる。
……?
みんなの中にはあたしもいる、あたしも亜美ちゃんに守られてるんだ。
……どういうこと?
亜美ちゃんは戦いに勝つ為に、作戦とか色々考えてくれるだろ?
だからあたしは、亜美ちゃんが集中して考えられるように、亜美ちゃんの前に立つ。
戦いに勝つ為に、みんなが家に帰れるように、あたしは亜美ちゃんを守るんだ。
……でも、それだと。
言ったろ?
あたしも、亜美ちゃんに守ってもらってるんだ。
あたしとは違うやり方で、さ。
……。
それは、亜美ちゃんにしか出来ないことだよ。
……まこちゃん。
でもまぁ、心配性なのは否定出来ないかな。
亜美ちゃんが怪我をしたらって思うと、じっとしてられないから。
……それは私だけでなく、うさぎちゃんも。
うさぎちゃんも放っておけないよなぁ。
この間なんか、よそ見して歩いてたもんだから、電信柱にぶつかりそうになってさ。
亜美ちゃんも見てただろ?
……まこちゃんがぶつかる前に、止めてあげたのよね。
あのままだと、思い切りぶつかりそうだったからさ。
ほんと、放っておけないんだよ。
……。
亜美ちゃんも、わりと放っておけない。
うさぎちゃんと違う意味で、さ。
……私も?
うん。
それは、マー……戦いの最中の話ではなくて?
普通の中学生である、水野亜美ちゃんの話だよ。
……あの、私のどこら辺が。
わりと、ぼんやりしてることがある。
え。
マイペースって、言うのかな。
まぁ、ぼんやりしているように見えて、色々考えているのかもしれないけど。
……。
本に夢中で、周りが見えなかったり。
それは……たまには、そういうことも。
それがね、たまにはじゃないんだよね。
……。
だからそんな時は、名前を呼んであげるんだ。
一回で気が付かなければ、二回も、三回も。
……そういえば私、まこちゃんに名前を呼ばれることが多い気がするわ。
回数で言ったら、うさぎちゃんよりも多いかも。
私、そんなに……?
うん、そんなに。
……そう。
亜美ちゃんも、放っておけないんだ……あたし。
……?
……。
まこちゃん……?
ん、ごめん。なんでもない。
そう……?
……うん。
……。
ところでさ、亜美ちゃんはかき氷とアイス、一緒に食べたりはしない?
ほら、カップアイスなんかであるだろ? 真ん中がバニラで周りがかき氷のやつ。
……見たことはあるけど、食べたことはないわ。
じゃあさ、次の夏でもいいから食べてみて。
おいしいからさ。
……お腹、大丈夫かしら。
なんだったら、あったかいお茶と一緒に。
そうすれば、冷えすぎないで済むから。
……それなら。
一緒に食べようね。
おいしいお茶を淹れてあげる。
……。
みんなとでもいいし、ふたりだけでもいいし。
……ん。
そうそう、氷しるこなんてのもあるんだよ。
氷しるこ……氷の、おしるこ?
おしること言えばあったかいの、だよね。
うん。
氷しるこはさ、簡単に言えばおしるこの上にかき氷がのってるんだよ。
おしるこの上に、かき氷……。
はは、想像では出来るけど……って顔だ。
……おいしいの?
うん、おいしい。
食べたこと、あるの?
お母さんが好きでね、よく頼んでたんだ。
だから一口、ね。
……。
求肥も、入ってたかな。
……求肥?
ね、面白いだろ?
……。
もしかして、食べてみたいって思ってる?
……別に。
亜美ちゃん、好きだと思うんだよなぁ。
もぅ、まこちゃん?
あはは、ごめんごめん。
……夏に。
うん?
……また、来てみたいわ。
じゃあ、また来よう。
道、今度はちゃんと憶えておくから。
大丈夫、もう覚えたから。
あれ。
覚えるのは、任せて?
や、まいったな。
ふふふ。
ははは。
……あ。
小倉と抹茶は、そちらに。
……ありがとうございます。
小倉とバニラはあたしです。昭和焼きはここにお願いします。
はい、ありがとうございます。
……アイスが、ふたつ。
おいしそうかい?
……ん。
じゃ、早速食べようか、亜美ちゃん。
うん。
いただきます。
……いただきます。
……。
昭和焼き、本当に厚いわ……こんなの、見たことない。
はい、亜美ちゃん。
……え。
バニラを、どうぞ。
そんなに?
うん。
そんなにはもらえないわ。
いいから、いいから。
あ。
どうぞ。
……だったら。
あたしは、一口で
はい、まこちゃん。
え、こんなに?
バニラと同じくらいよ。
そうだけど、いいのかい?
いいの。
お、おう。
昭和焼き、本当に厚いのね。
だろ?
どうしよう、どちらから……。
……。
……なに。
いや、なんでもないよ。
なんでもないって顔じゃないわ。
昭和焼き、はんぶんこにする?
……。
とりあえず、一個ずつにしよっか。
……とりあえず、だから。
ふふ……うん、分かった。
……。
28日
神社の入口……あの角だ、あの角を曲がったところに。
……。
亜美ちゃん、あともう少しだよ。
ん。
ごめんよ、いっぱい歩かせちゃって。
疲れちゃったよね。
ううん、平気よ。
私、水泳をやっているから。
でも、知らないところを歩くのって結構疲れるだろ?
どこを歩いているのか、いつ着くのか、分からない分だけさ。
本当に平気だから、疲れるどころか楽しいの。
歩くのが?
だって、まこちゃんと一緒なんだもの。
あたしと……。
ふたりで出掛けることなんて、今までなかったでしょう?
いつも、みんなと一緒で。もちろん、みんなと一緒でも楽しいのだけれど。
……うん、そうだね。
知らない場所をまこちゃんとふたりで、お喋りしながら歩いてる。
こんなことは初めてだから、本当に楽しくて。
……そっか。
まこちゃん?
……なんだい?
もしかして……照れてる?
……。
ふふ、そうなのね。
そ、それより、この角を曲がるよ。
はい。
曲がって、ちょっと行けば……あった。
あの、暖簾が出ているお店?
そう、あのお店。
良かった、あったぁ。
残念……もう少しだけ、まこちゃんと迷子でいたかったのに。
……え?
なんだったら、間違えて神社の方へ行ってしまったり。
え、えぇ。
だって、本当に楽しかったんだもの。
そんなことしてたら、日が暮れちゃうよ……。
大丈夫、日の入りまでは時間があるから。
そういう問題では、ないと思うんだけど……。
ふふ……なんて、冗談よ。
冗談……?
……困っているまこちゃんを見る機会なんて、滅多にないことだから。
亜美ちゃん……あたしは、このまま着かなかったらどうしようって思ってたのに。
ふふ、ふふ。
もー、笑わないでよー。
ふふ……ごめんなさい。
ま、別にいいけどさ。
いいの?
ちゃんと着いたし、亜美ちゃんが楽しそうだから。
……。
はぁ、良かった。
……ありがとう、まこちゃん。
ん、何か言ったかい?
……アイス。
アイス?
自家製なのね。
えと?
看板が出てる。
アイス、アイス……あぁ、うん。
そうなんだ、自家製なんだよ。
……憶えてた?
おいしかったのは、憶えてる。
それは、よっぽどおいしかったのね。
うん、冷たくてね。
て、アイスなんだから当たり前なんだけど。
ふふ、まこちゃんったら。
はは。
アイス、そんなにおいしかったのなら……クリームあんみつにしようかしら。
それで、思い出したんだけどさ。
うん?
アイスはバニラと小倉があってね。
うん。
そのふたつがのってるあんみつもあったんだよ。
今でもきっと、あると思うんだ。
まこちゃんが食べたあんみつって。
あたしは、いつもクリームあんみつだったと思う。
小倉アイスは……両親から一口ずつ、もらってたんだ。
おいしかった?
うん、おいしかった。
だからさ、ふたつのってるのにすれば良かったって、あたし、いつも言ってたんだ。
でも、まことにはまだ多いんじゃないか、食べ切れないじゃないかって。お父さんに、いつも言われて。
だからあたしは、お母さんとお父さんから一口ずつ……。
……。
そうだ……大きくなったら、ふたつのってるあんみつを食べるんだって思ってたんだ。
……じゃあ、今日はふたつのっているあんみつにする?
しようかな、今なら食べ切れると思うし。
でね、亜美ちゃんも好きだと思うんだ。
……私?
小倉アイスは、好きかい?
……。
ね、好きかい?
……好き。
はは、やっぱり。
何が可笑しいの?
言い方がかわいかったから、かな。
ちなみに、あたしも好きだよ。
……知ってる。
教えてないのに?
……教えられなくても、分かった。
そっか。
……もう、笑わないで。
さっき笑った、お返し。
……。
と、言ったら?
……別にいいけどって言ったじゃない。
言ったけど。
……。
はは、ごめんごめん。
さ、着いた。中に入ろう。
……もぅ。
はい、ふたりです。
……小さなお店なのね。
亜美ちゃん、あの奥の席だって。
うん、分かったわ。
良かった、席が空いてて。
ぎりぎりだった。
……待つことになっても、私は構わなかったけど。
うん、なに?
まこちゃんと待つのも、楽しそうだったなって。
……えーと。
まこちゃんは、いや?
……いやって?
私と、待ってるの。
……。
いや?
……いやでは、ないよ。
本当に?
本当だよ。
亜美ちゃんとふたりなら、楽しいに決まってるから。
……。
だけど、今日は出来れば早く座りたかった。
疲れた?
と言うより、お腹が空いちゃったんだ。
だから、早く食べたい。
……。
亜美ちゃんはお腹、空いてない?
……少し。
少し……あ、ありがとうございます。
亜美ちゃん、注文どうする?
メニューを少し見てみてもいい?
もちろん。
あんみつ以外にもあるからさ。
……本当、色々あるのね。
昭和焼きって、あるだろ?
うん。
これはさ、お土産で持って帰ることも出来るんだよ。
昭和焼きってなにかしら。
色んな呼び方があるやつ。
大判焼きとか、今川焼きとか。
……御座候とか?
ござそうろー?
確かそう呼ぶ地域もあった筈。
それは、初めて聞いた。
印象的だったから、覚えているの。
確かに印象的だなぁ。
なんとか焼き、じゃないんだ。
このお店では昭和焼きと言うのね。
これもね、おいしいよ。
確か……今川焼きよりも少し小さくてさ、でも厚さがあったような気がするんだ。
厚さ?
今川焼きがこれくらいだとしたら、昭和焼きはその倍くらいはあった気がする。
倍……。
そうなんだ、気になるだろ?
……うん、気になるかも。
折角だし、これも食べようかな。
ね、亜美ちゃんも食べるよね?
けど、私は……アイスがふたつ入ったあんみつだけで。
じゃ、はんぶんこなら?
はんぶんこ?
そう、ひとつをはんぶんこ。
それだと、まこちゃんが食べ足りないんじゃ。
ううん、足りると思う。
だって一皿に二個、だから。
……。
ね、流石に足りるだろ?
……そう、ね。
よし、それじゃこれも頼もう。
ねぇ、まこちゃん。
うん?
あんみつのアイス……抹茶も頼めるの?
え、抹茶?
うん、抹茶も始まったって。
抹茶……うーん、憶えてないや。
……私、小倉と抹茶にしようかしら。
抹茶に?
うん。
じゃあ、あたしは小倉とバニラにしよう。
で、亜美ちゃんにバニラを一口あげる。
え、そんな、いいわ。
食べてみたいだろ、バニラも。
それは……。
でさ、代わりに抹茶を一口ちょうだい?
……。
あ、いやならいいんだ。
調子に乗ってごめんね。
ううん、あげるわ。
え、ほんと?
ん、ほんと。
ふふ、やった。
ふふ、それじゃあ頼みましょうか。
うん、頼もう。
すみませーん、注文お願いします。
あ。
このあべっくあんみつをふたつ、ひとつは小倉と抹茶で、もうひとつは小倉とバニラにしてください。
……まこちゃんは、みんなといる時も。
それから、昭和焼きをひとつお願いします。
はい、以上です。
……丁寧。
楽しみだね、亜美ちゃん。
……ん、楽しみ。
27日
……まだ、落ち着かない?
……。
なんとなく、そんな感じがしたから。
……ごめんなさい、まだ慣れなくて。
別々にしようか、あたしは床でも大丈夫だからさ。
私が、床で
それは、出来ないよ。
……でも。
亜美ちゃんは、あたしの大切なともだちなんだ。
大切なともだちを、床に寝かせるわけにはいかないよ。
……。
だから、亜美ちゃんはベッドで。
待って。
……。
このままで、いて。
……けど。
じゃないと、慣れないから。
うん?
……だから、このままで。
……。
お願い、まこちゃん。
……うん、分かった。
……。
ねぇ、亜美ちゃん。
……なに。
亜美ちゃんはどうして、あんみつが好きなんだい?
……え?
いや、なんでかなって。
……。
サンドイッチはお勉強をしながらでも食べられるから好きだって、言ってただろ?
あんみつにもそんな理由があるのかなって。ほら、頭が疲れた時には甘いものがいいって言うからさ。
……それも、あるわ。
それも?
……特別な理由がなければ、だめなの?
いや、そんなことはないけど……ううん、そんなことはないよ。
好きなものは好き、それで十分だ。
……。
ごめん……怒らせちゃった、かな。
……怒ってはいないけど。
ごめんよ……。
……おいしいから、好きなの。
……。
食べ物……甘いものの中でも、あんみつが特においしいって思うの。
だから、好き。
……そうなんだ。
うん。
ね、あんみつの中身で何が好き?
どれも好きだけれど……あんこが、特に好き。
あんこかぁ。
……お店によって、甘さが少しずつ違うの。
そうそう、こしあんかつぶあんかでも違うよね。
こしあんは滑らかな舌触りの中で感じるあっさりとした甘さが、つぶあんはつぶつぶとした食感の中で味わうしっかりとした甘さが良いの。
つぶあんの方が甘みが感じやすいって、テレビかなんかで聞いたんだけど。
本当にそうなのかな。
つぶあんは、小豆の粒を噛むでしょう?
うん。
粒を噛むことで、味蕾に直接甘みが届く。だから、こしあんよりも甘さを感じられるんだって。
言われてみれば、こしあんを噛むことってあまりないなぁ。
噛まなくても、飲み込めるし。
勿論、砂糖の加減があるから、つぶあんよりもこしあんの方が甘いと感じることはあると思う。
あたしはどちらかと言うとこしあんの方が甘いと思っていたけど、砂糖の量を同じにしたらつぶあんの方が甘いんだ。
うん。
あんこは苦手でも、あっさりとしたこしあんなら食べられるってひともいるみたい。
ふぅん。
今度、試しに作ってみようかな。
え。
砂糖の量が同じ、つぶあんとこしあん。
まこちゃん、あんこも作れるの?
作れるよ。
まぁ、お店のようには作れないけどさ、まずくはないと思うんだ。
……。
もしも、作ったら……亜美ちゃんも、食べてみるかい?
……あ。
食べてくれたら、嬉しいな。
……うん、食べてみたい。
はは、じゃあ今度作ってみるね。
……うん。
そうだ、そのあんこを使ってあんみつを作ってみてもいいかも。
あんみつ?
うん、どうだろう?
あんみつも、作れるの?
作ろうと思えば、作れるよ。
求肥も?
うん、作れるよ。
……まこちゃん、すごいわ。
へへ、照れるなぁ。
……まこちゃんの、あんみつ。
作る日は……みんなには、内緒にしようか。
え?
亜美ちゃんに、一番に食べて欲しいと思うんだ。
あんことあんみつが好きな亜美ちゃんに、ね。
……いいの?
うん。
それでさ、感想をゆっくり聞かせて欲しいんだ。
……ん、分かったわ。
ふふ……ね、亜美ちゃんはこしあんとつぶあん、どっちが好き?
私は……両方、好き。
両方?
うん……こしあんにもつぶあんにも、どちらにも、良さがあるから。
どちらかなんて、選べない。
はは、そっか。
……どうして笑うの?
どちらにも良さがある、その通りだなって思って。
だから、笑うの?
うん、嬉しかったから。
嬉しい……?
あたし、揉めるのが好きじゃないんだ。
揉める……て?
ほら、こしあん派とかつぶあん派とかってあるだろ?
あるの?
そう、あるんだよ。
そうなのね……。
どっちが好きでどっちが嫌い、それはあってもいいと思うんだ。ひとの好みだからね。
でもだからって、どっちかを悪く言ったりするのはいやなんだ。だって、どっちにも良さはあるんだから。
……。
亜美ちゃんは、もしもこしあん派だったとしても、つぶあんを悪く言うことはない。
そんな風に、思えたから。だから嬉しくて、つい笑ってしまったんだ。
気にさわったら、ごめんね。
……ううん、そういう理由なら。
いい?
ん。
良かった。
……変じゃ、ない?
変?
こしあんとつぶあん……どちらも、好きなこと。
変じゃないよ。
……あんみつが、好きなのも?
全然、変なんかじゃないよ。
おいしくてあたしは好きだ、あんみつ。
ね……まこちゃんは、どちらが好き?
あたし?
こしあんと、つぶあん。
あたしは……両方、かな。
……本当に?
本当だよ。
だって、どっちもおいしいから。
……。
まぁ、つぶあんはたまに歯の間に挟まって、困ることがあるけど、さ。
……ふふ。
ん?
そうね……挟まると、困るわよね。
はは、だろ?
……。
あたしは、両方好きだよ。
……うん。
あと、あんみつも好きだよ。
まこちゃんも?
あたし、甘いので好きなのはチェリーパイだけど、でもあんみつも好き。
本当?
うん、本当。
おいしいよね、あんみつ。
そうなの、おいしいの。
お勉強の合間に食べると、本当においしくて。
お勉強の合間に食べるんだ?
うん……お店で買ってきたのを。
じゃあ、お勉強の合間にしようか。
……。
あたしが作ったあんみつを食べるの。
……ふたりだけの、お勉強会?
そう。
ね、いい考えだろ?
……私は、いいけど。
うん、決まりだ。
……。
あたしさ、小さい頃に食べて、すごくおいしかった思い出があるんだ。
……さっき、誘ってくれたお店の?
そう、そのお店の。
だからさ、亜美ちゃんにも食べて欲しい、それで気に入ってもらえたらうれしい。
……。
ん、亜美ちゃん?
……あの、ね。
うん。
……とても楽しみ、で。
ほんと?
ほんとに、楽しみ?
……うん、ほんと。
ちなみに、あたしが作るあんみつと、連れて行ってあげるお店のと。
どっちが、楽しみ?
……どちらも、楽しみ。
そっか……ふふ、うれしいなぁ。
……。
ね、亜美ちゃん。
……なぁに、まこちゃん。
亜美ちゃんは、自分の好きなのを進んで言うことがあまりないだろ?
……。
サンドイッチが好きだと言うことは、早いうちに知れたけど、あんみつは今日まで知らなかった。
出来ればもっと早く、知りたかったなって。
……言う機会が、なくて。
それなんだけどさ。
……?
みんなで何か食べようってなった時も、亜美ちゃんはとても控え目で。
うさぎちゃんや美奈子ちゃんのように何が食べたいって……ん、あれ。
考えてみれば、聞いたことがないような。
……私は、みんなといるだけで楽しいから。
楽しいのは分かるけど、たまには亜美ちゃんの希望も聞きたいな。
……。
うさぎちゃんや美奈子ちゃんだって、聞いてくれるよ……多分。
……私は、いいの。
みんなとあんみつ、亜美ちゃんは食べたくない?
……それは。
ふたりで食べてもいいけど……だけど、みんなと食べてもおいしいよ。
……笑われないかしら。
え、なんで?
……あんみつなんて、あんこなんて、「年寄り」が食べるものだって。
は、なんだよそれ。
……あ。
誰だい、そんなことを亜美ちゃんに言った奴は。
あ、あの……。
あんみつやあんこに若いも年寄りも関係ない、誰が食べたっていいし、好きでいいんだ。
それなのに、ひとの好みにけちをつけるだなんて。そんなの、絶対に許せない。
ま、まこちゃん……。
亜美ちゃん。
は、はい。
だから、変じゃないって聞いたんだね。
……。
もう一度言うけど、変なんかじゃ絶対にない。
言ってきた奴が変なんだ。だから、亜美ちゃんが気にする必要なんてどこにもないんだ。
……う、ん。
もしもまた、言われるようなことがあったらさ。
あたしに言って、言い返してやるから。
ううん、もう大丈夫よ。
けど、
自分でちゃんと、言い返すから。
……。
もう、大丈夫。
……困ったら、いつでも言って。
まこちゃん……。
絶対に、助けるから。
……うん、ありがとう。
……。
ん、まこちゃん……。
……少しは、落ち着いた?
……。
……。
……うん、もうだいじょうぶ。
そっか……良かった。
……良く、眠れると思う。
あたしも、良く眠れると思う。
……。
お喋りは、楽しいけど……続きはまた、明日ね。
……ん、また明日。
おやすみ……亜美ちゃん。
……おやすみなさい、まこちゃん。
26日
お待たせ、亜美ちゃん。
……。
今日はね、ただの炒飯のつもりだったんだけど、亜美ちゃんが来てくれたから、かにかまあんかけ炒飯にしちゃった。
……かにかま?
それから、わかめとねぎの中華スープ。
……おいしそう。
そう?
はは、嬉しいな。
私、何もしないで。
そんなことないさ、お勉強してただろ?
そうじゃなくて……。
ね、かにかまのあんかけって結構おいしいんだよ。
お弁当には、持っていけないけど。
……多分、こぼれちゃうわ。
そう、そうなんだ。
だから、亜美ちゃんが来てくれて良かった。
……?
あんかけを、食べてもらえるから……あ、嫌いじゃないよね?
て、作る前に聞けば良かったんだけど、うっかりしてた。
大丈夫……嫌いじゃないわ。
そっか、良かった。
……嫌いなものは、はまちだけだから。
はまち?
うん……どうしても、食べられなくて。
分かった、憶えておくよ。
うっかり、はまちの漬け丼を作ってしまわないように。
……漬け丼?
はまちと言ったら、お刺身ぐらいしか出てこなくて。
ぶりなら煮物って、思うんだけど。
……。
ぶりは、食べられる?
……うん、一応。
じゃあ、ぶり大根は作っても大丈夫かな。
あの、まこちゃん。
うん?
私、そんなにご馳走になるつもりは……だって、悪いもの。
ううん、悪くないよ。
でも、
亜美ちゃんがうちに来てくれて、一緒にごはんを食べてくれたら。
あたしは、すごく嬉しい。
……やっぱり、悪いわ。
悪くないって。
あたしが来て欲しいって、思ってるんだから。
で、でも……。
ね、もっと気軽に来てよ。
来て欲しいんだ。
気軽にって……そんなの、出来ないわ。
約束がなければ、来られない?
……勝手に来たら、迷惑に。
ならないよ、全然。
迷惑どころか、嬉しく思うよ。
だけど、まこちゃんにも都合と言うものがあるでしょう?
あんまりないよ。
あんまりないってことは、全くないというわけでないわ。
あたしの都合と言えば、買い物ぐらいかなぁ。
いなかったら、ごめんね。
……。
おいでよ、亜美ちゃん。うちに、もっと来て欲しいんだ。
塾の帰りでも……なんだったら、迎えに行くから。
……迎えなんて。
時間を教えてくれたら、必ず行く。
亜美ちゃんが来てくれるなら、それくらい、なんでもない。
……どうして、私なの。
え。
私で、なくても……うさぎちゃんやレイちゃん、美奈子ちゃんだっているのに。
……。
……まこちゃん。
ごめん。
え……?
……亜美ちゃんは、家でひとりのことが多いだろ。
……。
だけど……うさぎちゃんやレイちゃん、美奈子ちゃんは、家でひとりになることなんてあまりないと思うんだ。
いつだって、家族が傍にいてくれて……うさぎちゃんにはルナ、美奈子ちゃんにはアルテミスがいてくれて。
……それって。
亜美ちゃんだったらって……思ってしまって。
私が、ひとりでいることが多いから……だから。
ひ、ひとりでいることを、分かってくれるのは。
……。
……亜美ちゃんしか、いないって。
まこちゃん……。
……ごめん、結局はあたしの都合なんだ。
……。
亜美ちゃんが来てくれると、嬉しい……それは、本当の気持ちだよ。
みんなが来てくれても、嬉しいけど……でも。
……私が、ひとりでなければ。
……。
私ではなく、他の誰かがひとりだったら……まこちゃんは。
それだけじゃ、ないんだ。
……。
亜美ちゃんが、いてくれると……会話がなくても、安心するんだ。
ただ、傍にいてくれるだけで……酷く、安心出来るんだ。
他の誰かじゃ、多分、だめなんだ……だってあたしは、亜美ちゃんの雰囲気と空気が好きなんだから。
……。
……ごめんよ。
ううん……そんな風に思ってくれて、ありがとう。
亜美ちゃん……。
……ひとつ、いい?
い、いくつでも。
慣れないうちは、約束をしてもいい?
う、うん、しよう。
……ありがとう。
こ、こちらこそ、ありがとう。
……。
……あのね、亜美ちゃん。
……?
あたしさ……みんなには、絶対に言えないことがあって。
……それは、私にも?
……。
そう、よね……みんなにも、言えないんだもの。
私に、言えるわけが
亜美ちゃんに、言っていいのか……ずっと、悩んでた。
……。
亜美ちゃんは、ひとりのことが多いけど……でも、あたしみたいな。
……聞いても、いい?
……。
言えないのなら、それでいい……でも、言えそうだったら。
……不愉快に、させてしまうかもしれない。
不愉快なことなの?
……もしかしたら。
そう……だけど、聞くわ。
……。
だって……多分、不愉快になんてならないと思うから。
……なったら。
その時に考えるわ。
……。
言えないようだったら、いいの。
……愚痴を聞くのが、たまに辛く感じる時があるんだ。
愚痴……?
……家族の。
あ……。
……お母さんがいちいちうるさいとか、そういうの。
あぁ……。
……亜美ちゃんは、言わないから。
私は……。
……ごめん。
ううん、謝らないで。
まこちゃんの気持ち、少しは分かるつもりだから。
……。
実は、私も……聞きたくないなって、思う時があるの。
……亜美ちゃんも?
そんな時は、お勉強に意識を持っていくようにしているの。
うさぎちゃんと美奈子ちゃんが愚痴を言っている時に、亜美ちゃんが淡々とお勉強をしてるのって。
……逃避に近いのかもしれない。
逃避……。
……だけど、気が付かなかった。
え……?
まこちゃんはいつだって、みんなの話を聞いていたから……。
……今度から、あたしも。
うん?
辛いと感じたら、お勉強をしようかな。
まこちゃんも?
その時は、教えてくれる?
うん、私で良ければ。
亜美ちゃんしかいないよ。
……いつでも、聞いて。
うん……。
……。
いけない、ごはんが冷めちゃうね。
……そうだった。
食べよう、亜美ちゃん。
うん、まこちゃん。
でも良かったなぁ、かにかまを使わずに取っておいて。
あ、ちゃんと賞味期限内だから安心してね。
大丈夫、心配していないわ。
はは、そっか。
……。
さぁ、どうぞ。
……いただきます。
あたしも、いただきます。
……。
……。
……ん、おいしい。
ほんと?
良かった。
……あのね、まこちゃん。
なに?
……嬉しかったの。
え?
……まこちゃんと、約束もしてないのに、会えたこと。
……。
……すぐに言えなくて、ごめんなさい。
いいよ……謝らないで。
……。
ね、亜美ちゃん。
……なに。
あたし、おいしい甘味処を知ってるんだ。
小さい頃、両親に何度か連れて行ってもらって……あんみつが、美味しかったんだ。
……どこのお店?
それは……行く時に、教えるよ。
行く時?
ふたりで行こう、連れて行ってあげる。
……。
みんなではなく、ふたりで。
……みんなと一緒じゃなくて、
亜美ちゃんも、言ったじゃないか。
……。
あのたい焼きさん、みんなではなくあたしとふたりでって。
……う、ん。
だから……ふたりで行こう、亜美ちゃん。
……うん、まこちゃん。
25日
-あんみつ!(前世2)
ん?
……。
あれ、亜美ちゃん?
……え。
やっぱり亜美ちゃんだ。
……まこちゃん?
こんな時間にこんなとこで会うなんて、初めてだね。
そう、ね。
塾、今日はもう終わりかい?
それとも、これから?
今日はもう、終わりなの。
先生が、急に体調を崩してしまったらしくて。
代わりの先生は?
今日に限って、代わりの先生もいなかったの。
そうなんだ、そういうこともあるんだね。
自習室でお勉強しても良かったんだけど、今日はもう帰ろうと思って。
そっか、じゃあ途中まで一緒に帰ろうよ。
家の方向、同じだしさ。
……。
えと、いやかな。
……ううん、いやじゃないわ。
あぁ、良かった。
まこちゃんは?
こんな時間に、お買い物?
うん、買い忘れたものがあってさ。
それで、ひとっ走りね。
……そう。
そしたら、約束もしていないのに亜美ちゃんに会えた。
あたし、ついてるなぁって。
……。
あ、や、でも、亜美ちゃんは塾がお休みになっちゃったから、良くないよね。
ごめんね。
ううん、謝らないで。
まこちゃんは何も悪くないわ。
だけど、喜んじゃって。
いいの、気にしないで。
亜美ちゃん……。
……授業を受けられなかったのは、確かに残念なことではあるけど。
……。
今はただ、先生の体調が少しでも早く良くなればいいなって思っているの。
……あぁ。
なに?
流石、お医者さんの娘さんだなって。
……それは、関係ないと思う。
あ。
……。
ご、ごめん。
……ううん、別に気にしていないから。
……。
帰りましょう、まこちゃん。
あ、あたしさ。
うん?
亜美ちゃんの優しいところ、好きだな。
……え?
すごく、素敵だと思う。
……。
えと……そ、そうだ。
亜美ちゃん、これから時間ある?
……これから?
うん。
ごめんなさい……帰って、お勉強をしようと思っているの。
あ、そっか……そうだよね。
……でも、どうして?
良かったら、うちで夕ごはんを食べていかないかなって。
夕ごはん?
亜美ちゃん、夕ごはんまだだろ?
だから、一緒に食べられたらいいなって。
そう、思ったんだ。
……今日のお昼休みも、一緒に。
そうなんだけどさ……お昼ごはんと夕ごはんは、違うだろ?
摂る時間は、違うけど。
と、とにかく、夕ごはんも一緒に食べたいなって思ったんだ。
ただ、それだけのことなんだ。
……そう、なのね。
でも、時間がないのならいいや。
お勉強は、大事だもんね。
……。
さぁ、帰ろ。
……あの、まこちゃん。
ん、なんだい?
あ、あのね……。
うん。
……。
……?
亜美ちゃん……?
……やっぱり、なんでもない。
え、なんでもないの?
……うん、ごめんなさい。
別に、いいけど……とりあえず、帰ろうか。
なんだったら、家まで送るよ。
ありがとう……でも、大丈夫よ。
暗くなってきたし、心配だからさ。
平気よ、慣れているから。
でも……慣れていたって、危ないよ。
ううん、慣れているからこそ、危ないよ。
まこちゃんだって危ないわ。
だから、少しでも早く帰った方がいいと思うの。
あたしは、大丈夫だよ。
ううん、だめよ。
まこちゃんが私のことを心配してくれるように……私も、まこちゃんのことが心配だから。
……亜美ちゃん。
ありがとう、まこちゃん……まこちゃんは私のこと、優しいと言ってくれたけど、本当に優しいのはまこちゃんよ。
そんなこと……。
まこちゃんも、お部屋に帰ったらやることがあるでしょう?
……実は、夕ごはんを作ってる途中で。
そう……なら、早く帰らなきゃ。
だけど……。
……まこちゃん。
……。
……。
……ねぇ、亜美ちゃん。
……なに。
ここ……たい焼き屋さんだよね。
……え。
いや、実は気になってて。
……そう、だけど。
もしかして……買おうと、思ってた?
……。
もう、買った?
……買ってないわ。
買うつもりだったのなら、買っておいでよ。
待ってるからさ。
……。
あたしのことは気にしないでいいよ。
さ、行っておいで。
……別に、買うつもりだったわけではないの。
そうなの?
……ただ、なんとなく見てただけで。
食べたいわけでは、ないの?
……。
良かったら、あたしが買ってこようか?
……私が見ていたのは、たい焼きではないの。
へ。
……たい焼きでは、ないの。
え、じゃあ何を見ていたの……?
……。
あ、もしかして、言いたくない……?
……みつ。
み……?
……あんみつ。
あん、みつ……?
……好きなの。
好き……あんみつが?
……変、かしら。
い、いや、全然。
亜美ちゃん、あんみつが好きなの?
……ん。
じゃあ、買って帰ろうよ。
それで、
……。
……?
……お土産、より。
え、なに?
ごめん、よく聞こえない。
ごめんなさい、もういいから。
え、いや、でも。
帰らなきゃ。
亜美ちゃん、待って。
……。
待って、亜美ちゃん。
……ごめんなさい。
どうして、謝るんだい?
悪いことなんて、別にしてないだろ?
……。
ねぇ、亜美ちゃん。
やっぱり、うちに来ない?
……。
もう、初めてではないのだし。
おいでよ。
……まこちゃん。
夕ごはん、一緒に食べよ?
……。
ね。
……いいの。
もちろんさ。
……お勉強も、する?
う。
……しないの?
す、するよ。
夕ごはんの後に。
……夕ごはんの後?
だからさ、泊まっていきなよ。
お勉強なら、うちですればいい。
……どうして。
今夜はお母さん、夜勤だって言ってたような気がするから。
……。
だ、だめなら、夕ごはんを食べ終わったら送って、
……本当に、いいの?
あ……。
……泊っても。
うん、もちろんっ。
……。
よし、帰ろ……の、前に。
……?
あんみつ、本当にいいのかい?
……うん、いいの。
そっか……まぁ、夕ごはんの前だしね。
……。
そうだ、今度みんなで食べに来ようか。
……みんなで?
うん、みんなで。
……。
ひとりの方が、いい……?
……ねぇ、まこちゃん。
なに……?
……良かったら、ね。
……。
ふたりで、来ない……?
ふたりで?
それって、亜美ちゃんとあたしってことだよね?
……だめなら、
いいに決まってる。
……。
今度、ふたりで来よう。
……あ。
約束だ。
……うん、やくそく。
24日
お待たせ、マーキュリー。
……ジュピター。
うん? 居眠りでも、してた?
……してない、少し考え事をしていただけ。
仕事の?
……さぁ?
今日は折角のお休み、仕事の事は成る可く考えない。
成る可くで、良いのかしら?
だって、無理だろう。
頭の中からきれいさっぱり無くすという事は。
ええ、無理ね。
厄介だなぁ。
あなたも、でしょう?
あたし?
然う、あなた。
まぁ、頭の隅っこの方にあるっちゃあるけど。
厄介ね。
けど生憎、今日のあたしにはそんな事を考えている暇は少しも無いんだ。
なんせ、これを作るのに忙しかったからね。
……。
と言うわけで、改めて。
お待たせしました、亜美ちゃん。
……作り終わった今は?
あ?
暇(いとま)は、出来たでしょう?
いんや、それが出来てないんだ。
もう、作っていないのに?
確かに、作り終わった。
ならば。
ここからは、亜美ちゃんとふたり、これを味わう時間なので。
然うなると矢っ張り、考えている暇なんて何処にも無い。
そもそも、美味しいお茶を淹れるという使命も残っているし。
使命なの、お茶を淹れる事が。
美味しいお茶を、ね。
気は抜けない。
大袈裟。
甘味が美味しくても、お茶がいまいちだったら……残念、だろう?
……ふ。
と言うわけだから、亜美ちゃんも成る可く仕事の事は考えない。
あたしが作った甘味……あんみつを楽しむ為にも、ね。
善処するわ。
うん。
……ねぇ、まこちゃん。
ん、なんだい?
どうかしら。
うん、悪くはないと思う。
だけど、「本物」には遠く及ばない?
いや、それなりには近いと思うよ。
それなりには?
見た目は、限りなく近い。
見た目、ね。
思い出すには、十分だよ。
何が足りない?
匂い、畳や木の。
他には?
年月、重みが無い。
あとは?
雰囲気、穏やかな柔らかさが無い。
未だあるかしら?
木の感触、温かみが無い。
あとは、騒がしくない程度の雑音が無い。
つまり、見た目以外は全く駄目だと言う事ね。
さっきも言ったけれど、思い出すには十分だよ。
思い出は、他の記憶も連れてくるものだから。
匂いや年月、雰囲気、感触、それから雑音……そんな記憶を、ね。
然うね。
匂いは、なんとかなりそう?
難しいわね、ひとつではないから。
混ざり具合もあるでしょう?
あぁ、確かに。
あなたが言っていた通り、簡単では無いわね。
あはは、然うだろう?
はぁ。
十分だよ、亜美ちゃん。
……。
思い出す事が出来れば、それだけで。
……復元が出来れば良いのだけれど。
今となってはもう、かなり難しいだろう。
ええ、難しいわ。
みーんな、忘れちゃったものな。
覚えていたり、知っていたりしても、次代に伝えないから風化していく一方で。
しかも、思っていたよりもそれは早かった。まさか、百年も経たずして失われてしまうだなんてさ。
そもそも伝えるべき次代が、ろくに居なければ……後はもう、消えてゆくしかない。
ま、必要のないものをいつまでも憶えていたって仕方無いし。
殊、この世界では。
知識の記録が、全くないわけではないわ。
マーキュリーが、残したんだ。そして、今でも残し続けている。
忙しい合間に、どうにか時間を作って。
あなたにも協力して貰っている。
あたしがしているのは、こうして甘味を作るくらいかな。
それだけではないでしょう。
あなたが居なければ、進捗はもっと遅れているわ。
然う?
然う言って貰えると、へへ、嬉しいなぁ。
記録は、残せる……だけれど、完全ではない。
何より、継承する人間が居なければ、それは意味を為さない。
技術として、復活させる事は……あたし達だけじゃあ、なぁ。
興味を持って呉れる人間が、ひょいっと出てきて呉れれば良いんだけれど……期待したところで、だもんな。
世代交代があれば、また違うでしょうに。
ほとんどないものだから、まんまと、停滞しちゃってる。亜美ちゃんが言っていた通りだ。
おまけに、それで良しとしてしまっているから……誰か、趣味レベルでも結構だから、興味を持って呉れたりしないかな。
趣味レベル……ね。
時間は無駄にあるんだ。
だから、一時だけでも。
……期待しないでいるわ。
中の人間が、望み薄ならば。
外の人間ならば、若しかしたら?
継承していないかな。
知識だけでも、繋いでいて呉れたら。
知識かぁ……知識じゃ、お腹は膨れないからなぁ。
……以前の世界から、然うだった。
以前の?
とある技術や知識は……何処かで必ず途切れるもの、だったから。
新しいものが生まれて、広まってくると?
一部の人間に継承はされても、いつかはそれも途切れる。
天動説の計算をしろって言われても、並の人間じゃ出来ないもんな。
元々、並の人間では出来なかったから。
天動説、惑星の動きがまさに惑っているように見えるのだけど、でも、どこか美しさを感じるんだ。
然うね、分かるわ。
惑星の動きが本当にあんなだったら、どんな世界だったかな。
何もかもが違う世界だったかもね。
それはそれで興味がある。
あなたと私、出逢えていなかったかも。
うん?
世界が違うのなら、かつての木星と水星が交わることもなかったかも知れない。
地動説で良かった、うん。
あぁ、然う。
ところで、亜美ちゃん。
あんみつが、食べたいのだけれど。
もぅ、早く言ってよ。
言わなくても、分かると思ったのだけれど。
お茶、美味しいお茶を淹れよう。
……食べていても、良いかしら。
だめだよ。
桜湯なら、あるし。
だめだって。
お待たせって、言ったじゃない。
大分、待っていたのよ。
それは、然うだけど。
だから、いただきます。
あー、待って待って。
……。
お願い、もう少しだけ。
ね?
……だったら、お茶と一緒に出して呉れれば良かったのに。
然うなんだけど、早く見せたくて。
あんみつを?
うん、先ずは目で楽しんで貰お……
口でも楽しみたいわ。
わぁ、待った待った。
……もう、記録媒体にも残してしまったし。
もうちょっと、もうちょっとね?
はぁ……仕方の無いひとね。
うん、ありがとう。
ねぇ、まこちゃん。
なぁに、亜美ちゃん。
早く食べたいわ。
うん、あたしも、
あなたと、ふたりで。
……。
だから……もう少しだけ、待っていてあげるわ。
……うん、ありがとう。
……。
ねぇ、亜美ちゃん。
……なぁに、まこちゃん。
思い出して来たよ。
……学生の頃?
うん。
……然う。
若しかして、亜美ちゃんも?
さぁ……どうかしらね。
その顔は……。
少なくとも、考えていたのは仕事の事ではないわね。
そっか……ふふ、それは何より。
思い出が、記憶を連れてくる……本当に、然うね。
だろ?
ええ。
たまには、こうやって過ごすのも良いと思うんだ。
たまには?
然う、たまには。
……まぁ、良いわ。
はは。
……。
はい、お待たせ。
……ありがとう。
それじゃあ、揃ったことだし……食べよ
いただきます。
わぁ、早いよ。
揃ったんだもの、良いじゃない。
良いけど。
まこちゃんも。
うん、いただきます。
……ふふ。
へへ。
……寒天は、黒糖のものにしたのね。
うん、黒糖のも好きだろう?
ええ、好きよ。
ね、見て。求肥の色。
……緑と青、ね。
きれいだろ?
たまには他の色でも良いのに。
ごめん、これだけは譲れないんだ。
……知ってる。
ね、早く食べてみて。
待ってと言ったくせに。
もう、待たなくて良いよ。
……。
……。
……あんこの味、どう?
うん……。
……あ、いまいちかな。
とても……。
……あ。
……。
……好し。
何が?
頬が一瞬、緩んだ。
見間違いでは、なくて?
うん、見間違いじゃない。
あぁ、然う。
はぁ、良かった。
……。
さて、あたしも食べよう。
まこちゃん。
ん?
出来るだけ、じっと見ないようにしてね。
……それは、難しいかも。
まこちゃん?
はい、分かりました。
出来るだけ、じっと見ないようにします。
ん、宜しい。
23日
ごちそうさまでした。
あんみつも揚げ饅頭もどっちも美味しかった……お腹、いっぱいだ。
……。
揚げてあるお饅頭ってどんなものかと思ったけど、衣がさくさくで、油っこくなくて……何より、お饅頭がぱさぱさとしていないから食べやすかったな。
お土産で人気があるのも頷ける……さっきも、買っていったひとが居たし。
……。
お饅頭は恐らく、揚げることを考えて作られているだろうから……うちで作るのは、ちょっと難しいかなぁ。
作ってみたい気持ちは、あるけれど……お勉強の合間のおやつに良さそうだし。
……はぁ。
ん?
……最後の、一口。
あんこと、寒天ひとつ……ふふ、亜美ちゃんらしいな。
……。
……。
……ごちそうさまでした。
美味しかったねぇ、亜美ちゃん。
……うん。
ふふ。
……なに?
しょんぼりしてる。
……しょんぼり?
多分、食べ終わっちゃったから。
……そんなこと、ない。
お土産、買って帰る?
……ううん、良いわ。
良いの?
今日はもう、食べたから。
買っておけば、明日また食べられるよ。
……良いの。
そっか。
お土産は、買わないけど……また、来たい。
うん、また来よう。
……ん。
……。
……?
なに……?
やっぱり、しょんぼりしてる気がする。
……だから、してない。
ちょっと悔しいな。
……悔しいって?
あたしが作ったあんみつじゃ、そこまでしょんぼりさせられないから。
……。
あたしもまだまだ、頑張らなきゃ。
亜美ちゃんが本当に美味しいって思えるあんみつを作る為に。
……ずっと、思っているわ。
いやいや、まだまだだよ。
今日、亜美ちゃんの様子を見ていてよぉく分かった。
あたしは少し、いや大分、己惚れていたんだ。いつだって美味しいって言ってもらえるから、それで満足してた。
だけど、それじゃだめなんだ。もっと向上心? を持たないと。ううん、思い出さないと。
……いつだって、まこちゃんが作って呉れるものは美味しいもの。
じゃあ、今以上に美味しいと思ってもらえるように。
もっと美味しいあんみつを作れるように、勉強する。
あんこもだけど、寒天やお豆、あと求肥も。色はやっぱり、青と緑かな。
……まこちゃんがなりたいのは、ケーキ屋さんじゃないの?
なりたいものは幾つあっても良いと思うんだ。
あたしはケーキ屋さんの他にお花屋さんにもなりたいし、それからお嫁さんにもなりたい。
それから。
和菓子職人にもなるの?
和菓子職人と言うより、亜美ちゃん専属のあんみつを作るひとになりたいな。
私専属の……?
亜美ちゃんがにこにこと笑顔で、然う、無意識のうちに頬が緩んでしまうような、そんなあんみつを作れるようになりたいんだ。
……今だって。
もっと言えば、一口食べたらほっと安心出来て、且つ、ほっこり出来るようなあんみつを作りたい。
大人になって今よりも忙しくなったら、然ういうのも、いや然ういうものこそ、必要になると思うから。
……。
で、食べ終わったらしょんぼりしちゃいそうな、ね?
もぅ……だから、してません。
良いじゃないか、しょんぼりしたって。
大好きなんだから、さ?
……。
うん?
……。
亜美ちゃん……若しかして、不貞腐れてる?
……不貞腐れてない。
然う?
……にやにやしないで。
してる?
してる。
大好きだからね。
……。
亜美ちゃ
混んでいるし、お会計を済ませて出ましょう。
え。
忘れ物をしないようにね。
待って。
待たない。
亜美ちゃん、そんな直ぐに動いても大丈夫なのかい?
揚げ饅頭も食べたし、お腹いっぱいだろう?
……歩いていれば、
桜湯と、お代わりを頂いたお茶も残ってる。
……。
せめて、これを飲み終わるまで。
ね、良いだろ?
……でも。
あたし達よりも先に入ったマダ……お客さんも、まだ居るし。
これくらいなら、ね?
……。
少し休もう?
食べて直ぐ動くのは、消化に良くない。
お腹、痛くなっちゃうかも。
……飲み終わるまでよ。
うん、飲み終わるまで。
……。
亜美ちゃんは苦しくないかい?
あたしは少し、苦しいんだ。
……。
うん?
……少し。
美味しいとついつい、食べ過ぎちゃうよね。
……秋、だから。
あはは、確かに秋は食欲の季節だもんなぁ。
……揚げ饅頭。
うん。
……思っていたよりも油っこくなくて、美味しかった。
あたしも同じことを思った。
衣もさくさくしてたよね。
衣はさくっとして、尚且つ、香りも良くて……お饅頭は、ふんわりとしていたわ。
そうそう、ふんわりしてた。
あんこはこしあん、甘さはあんみつに入っていたものよりも更に控え目で……だけどやっぱり、なめらかで。
え、然うだった?
うん?
あんみつのあんこよりも、甘さ控え目だった?
こしあんは、分かったけど。
あぁ……うん、控え目だったと思う。
恐らく、油で揚げるからだろうと思うのだけれど……。
あー、だから食べやすかったのか。
それから、少し硬めだった。
多分、揚げた時にお饅頭の生地から零れてしまわないようにだと思う。
……。
素朴だったけれど、落ち着いた味で……だからこそ、美味しく感じたんだわ。
はぁ……。
……なに。
いや、亜美ちゃんすごいなって。
すごい……?
前から少し、思ってはいたんだけど……亜美ちゃん、わりと拘りがあるよね。
拘り……?
あんこに。
……然うかしら、私は思ったことを言葉にしているだけよ。
思うことがすごい。
あたしは、そこまでは気付かなかった。
……。
やっぱり、亜美ちゃんを満足させるあんみつを作るには勉強……と、研究が必要だな。
ねぇ、亜美ちゃん。
……なに、まこちゃん。
このお店以外の甘味処にも行ってみようよ、ううん、付き合って欲しい。
……お勉強?
と、デートを兼ねて。
……デート。
だめかな。
……ううん、だめじゃない。
よし。
……楽しみね。
うん、楽しみだ。
早速、調べないと。
……だけど、このお店にも来ましょうね。
勿論。
……。
亜美ちゃんも、行きたいお店があったら教えてね。
……麻布十番の。
へ?
……たい焼きさんの。
あぁ、あのお店の?
……ん。
あそこなら、学校帰りに直ぐに寄れるから……明日にでも、行こっか。
明日は、流石に。
はは、然うだよね。
……ふふ。
ね、たい焼きも食べようか?
……お腹、空かせておかないと。
ん、然うだね。
行く日はお昼、ちょっと減らそうかな。
それだと、放課後まで持たないと思うわ。
うん、あたしも然う思う。
……もぅ、まこちゃんは。
あはは。
……。
ね、このお茶も美味しいよねぇ。
……ん。
甘味処はお茶にも拘りがあるのかな。
甘味を美味しく食べる為に、お茶は重要なの。
なるほど。
甘味が美味しくても、お茶がいまいちだったら……うん、ちょっと残念な気持ちになっちゃうかも。
……ふぅ。
まだ、こなれてないだろ?
……あんこは、お腹にたまるから。
もうちょっと、ね。
……悪いわ。
もうちょっとだけさ。
……。
夕飯、どうしようかな。
食べないと、寝る前にお腹が空いてしまいそうで。
……軽めにするって、言っていたわ。
あんまり軽すぎても、お腹が空いちゃいそうだから。
……とりあえず、時間をずらせば良いと思う。
然うだよね、うん、然うしよう。
……まこちゃん。
なんだい?
……楽しそうね。
うん、とってもね。
……。
はぁ……やっぱり良いなぁ、お店の雰囲気。
……でも、そろそろ本当に出ないと。
うん……。
……。
また、ふたりで来ようね。
……うん。
……。
……なぁに。
ううん、なんでもない。
……。
……未来にはこういうお店、残っているかな。
なんでもない、じゃない。
はは、ごめん。
……建物を残すのは、かなり難しいと思う。
然うだよね……。
……復元なら。
復元となると、また違うからなぁ。
……似せて造ることは出来る筈よ。
似せて、だろ?
……。
技術は、少しずつ失われていく……継承する者が居なければ、あっという間に廃れてしまう。
それに、重ねた年月は造ることが出来ない。終わりが来れば、そこでおしまいだ。
……しょうがないわ、そればかりはどうしようもないの。
分かってるんだ。
……。
分かってるんだけど……なんか、ね。
……クリスタル・トーキョー。
……。
上手く、残して呉れると良いと思う……。
……その為に、あたし達は何が出来るだろう。
……。
まだ、時間はあるけど……。
……ふたりで、考えましょう。
……。
……私ひとりでは、きっと、だめだから。
うん……あたしひとりでも、絶対に、だめだ。
……。
……行こうか。
うん……。
ごちそうさまでした……最後の一口まで、美味しかった。
ごちそうさまでした……どれも本当に、美味しかった。
22日
うわぁ……あんみつ、すごく美味しそうだなぁ。
本当……とても美味しそう。
並んで良かったぁ。
ね、亜美ちゃん。
うん、然うね。
まこちゃんとお喋りしていたらあっという間だったし、本当に良かった。
へへ。
ふふ。
はい、亜美ちゃん。
うん?
杏。
え、もう?
うん、よっつ入ってるからふたつあげる。
そんな、ひとつで良いわ。
ううん、ふたつ。
好きだろ、杏あんみつも。
好き、だけど……。
その代わり、アイスをもらっても良いかい?
あ。
良いかな。
……うん、まこちゃんの好きなだけ。
然う?
なら、遠慮なく。
……。
ありがと、亜美ちゃん。
あの。
ん?
もっと、もらって……?
結構、もらっちゃったと思うけど。
半分も取っていないわ。
三分の一くらいはもらったよ。
ううん、四分の一くらいよ。
もう少しもらって。
良いのかい?
杏を半分もらったから、だからアイスも。
クリームあんみつも、好きだろ?
好きだから、分け合いたいの。
……。
まこちゃんと。
そっか……うん、分かった。
じゃあ、もう少しもらうね。
うん。
……よ、と。
……。
これくらいかな。
……まだ。
ほら、ちゃんとはんぶんだ。
……。
改めてありがと、亜美ちゃん。
……私こそありがとう、まこちゃん。
ね、見て見て。
杏とクリームははんぶんこあんみつ。
ふふ、長いわ。
あはっ、然うだねぇ。
じゃあ、はんぶんこ杏クリームあんみつはどうだろ?
やっぱり長いし、それに。
それに?
それだと、あんみつをはんぶんこにしたみたい。
んー、難しいなぁ。
亜美ちゃん、なんか良い言い方ないかな。
んー、然うねぇ。
うんうん。
……長いけど、杏とクリームははんぶんこあんみつが良いんじゃないかしら。
へ。
分かりやすくて、良いと思う。
長いって言ったのは亜美ちゃんなのにー。
ふふ、ごめんなさい?
けど、それ以上のものは私には思いつきそうにないの。
然うなの?
然うなの、だから許してね?
どうしようかな。
許してもらえない?
ううん、許す。
ふふふ……ね、まこちゃん。
なぁに?
これなら、最初から杏クリームあんみつを注文した方が良かったかしら。
いや、こうやって分け合うから良いと思うんだ。
写真に収めたいくらい。
写真? そんなに?
うん、そんなに。
あーあ、手軽に写真が撮れたらなぁ。
そしたら、後で手軽に見返せるのに。
……。
忘れないとは、思うけどさ。
……うん、きっと忘れない。
あ、でも。
……え?
手軽に写真が撮れるようになったら、なんでもかんでも撮っちゃうかも知れない。
それは、あるかも。
それでさ?
撮り過ぎてしまって、整理するのに困る?
然う、それ。
定期的にまとめておけば、整理もしやすいと思うわ。
後で良いやって、後回しにしちゃいそうで。
あぁ……ないとは、言えないわね。
だろ?
私もだけど、忙しいと難しいわよね。
然うなんだよ。
……。
亜美ちゃん?
……とりあえず、憶えておこうと思って。
……。
いつかは記憶の海の底に沈んでしまうかも知れないけれど……それでも。
……未来は。
……?
記憶から、思い出を取り出せるようになっているかな。
……それは、どうかしら。
30世紀ぐらいになれば。
……技術の進歩を止めなければ、或いは。
だけど、忘れちゃったら駄目か。
……深い記憶の底から掬い上げるような、サルベージ技術が発達したなら。
記憶から、掬い上げる……。
……脳に甚大なダメージを与えてしまわないように、工夫をしないといけないけれど。
うへぇ。
……まこちゃん?
ごめん……想像したら、なんとなく。
……然うね、あまり良い想像にはならないと思う。
……。
……。
……アイスが良い塩梅に溶けてきて、美味しそうだ。
ねぇ、まこちゃん……。
食べよっか、亜美ちゃん。
うん、まこちゃん。
では、いただきます。
……。
ん、なに?
きちんと手を合わせていただきますと言うまこちゃんが、好き。
え。
……いただきます。
あ、うん。
……黒蜜。
あたしも、まずは黒蜜と。
……全部、かけるの?
うん、かけちゃう。
……。
亜美ちゃんも?
……うん、残すのは勿体ないから。
へへ、だよね。
……あまりいっぱいあったら考えるけど、これくらいなら。
うん、分かる。
……。
では、一口。
……。
……ん、ん~~。
……美味しい。
アイスも、あんこも、すごく美味しいや。
……あまり甘くないけれど、その程良さがとても良いわ。
お豆は…………ん、これは少し塩味があるかな。
お豆の塩味があんこの甘さを引き立てるようで、一緒に食べると美味しいの。
勿論、別々に食べても美味しい。お豆の茹で具合が丁度良いわ。
ほんの少し固めかな。
私は、好き。
……うん、憶えておこう。
ふふ、ふふ……。
寒天も美味しいよ、亜美ちゃん。
……うん、本当ね。
……。
寒天は固すぎず、柔らかすぎず……杏は甘酸っぱくて、口の中を清涼感で満たして呉れる。
求肥も……優しい甘みで、それからもちもちとしていて、美味しい。
……。
アイスクリームは……すっきりとした甘さで、くどくない。
口の中に残らないから、あんこの甘さと喧嘩しない……。
……。
あんこはつぶ餡だけれど、舌触りがなめらかで……あぁ、本当に美味しい
……良く、憶えておかないと。
まこちゃん?
……ん?
食べないの?
食べるよ。
でも、手が。
並んで良かったなぁって。
……それ、さっきも言ったわ。
言ったけど、また、言いたくなった。
ふぅん……。
……。
……ふふっ。
あぁ。
……このあんみつ、とても美味しい。
本当に。
……まこちゃんと来られて、一緒に食べられて、良かった。
かわいいな……。
……ふふふ。
だけど、そろそろ。
……。
亜ー美ちゃん?
……え、なに?
顔、ずっと笑ってる。
え……え?
頬が、緩みっぱなし。
あと、心の声も漏れっぱなし。
……あ。
可愛いね?
……あぁぁ。
恥ずかしい?
……早く言って。
言ったら、恥ずかしがっちゃうかなと思って。
……。
耳まで赤くなってる。
……まこちゃんのばか。
いや、邪魔しちゃ悪いかなって。
……ばか。
ん、ごめんごめん。
……また、見てたんでしょう。
まぁ、ね。
……もぅ。
あ、揚げ饅頭も来たよ。
はい、ありがとうございます。
……。
揚げ立てだ、熱々で美味しそう。
……。
食べられそう?
……食べられたら、食べる。
21日
座敷なんて、小さい頃にお蕎麦屋さんに食べに行った時以来だ。
ふふ、この感触、なんか懐かしいなぁ。
私は半年前に、ふぐ料理屋さんに連れて行かれた時以来だわ。
……ふぐ料理屋さん?
うん。
ふぐって、魚の?
ええ、お魚の。
ふぐって、どんなふぐ?
どんなふぐって……えと、とらふぐ。
とらふぐ?
そのお店……とらふぐの専門店なの。
とらふぐの専門店、そんなのあるんだ。
う、うん。
そういや、半年前くらいにお母さんと食事に行ったって話して呉れたっけ。
その時に行ったお店?
……うん。
確か、とらふぐには天然物と養殖物があるってテレビで見たような。
そのお店のとらふぐってどっち?
……天然。
わぁ……。
その、夜勤を終えて帰ってきた母が突然、てっさと白子を食べに行くと言い出して。
お母さん、ふぐが好きなんだ。
好きではあるけど、その日はふぐという気分だったみたい。
気分、かぁ。
よっぽど食べたかったんだねぇ。
私は家に居るつもりだったのだけれど……問答無用で、連れて行かれたの。
然うなんだ……それは、大変だったね。
うん……夜勤明けの母は、疲れているせいか強引なところがあって。
疲れていて、気分が昂ぶっているのかなぁ。
……疲れているから休んで欲しいのだけれど、その状態になっている母には何を言っても聞く耳を持って呉れないから。
あー……それはそれで大変だなぁ。
……もう少し、落ち着いて欲しいのだけれど。
まぁ、それがあるから頑張れるってのもあるらしいし。
分からないわけでは、ないけど。
……でも、私の意思を無視するような、強引なやり方は止めて欲しいの。
然うだね、強引なのはあたしも嫌だなぁ。
……。
……ごめん。
どうして?
あたしも、強引なところあるよなって。
……まこちゃんの場合は。
これからは気を付けるよ。
母とは、違うから。
……うん?
その……優しさの中にある、強引さだから。
……。
……だから、ね。
じゃあ……やり過ぎないように、気を付けるね。
……。
ん、亜美ちゃん?
ほっぺたが……。
な、なんでもない。
え、でも。
なんでもないの。
う、うん、なら良いんだけど。
……。
ところで、亜美ちゃん。
……なに。
てっさって、なんだい?
……ふぐの、お刺身のこと。
へぇ、ふぐのお刺身のことをてっさで言うんだ。
お刺身も、テレビで見たことがあるなぁ。
……まこちゃんは、食べたこと。
ふぐは、食べたことない。
……然う。
一度は食べてみたいな。
美味しいんだろ?
うん……美味しいわ。
亜美ちゃんはふぐの何の料理が好き?
私は……てっさも、好きだけど。
うん。
……雑炊が、特に好き。
雑炊?
てっちりの〆にごはんを入れて食べると、ふぐとお野菜のお出汁が合わさって、とても美味しいの。
へぇ、然うなんだ。それは、美味しそうだなぁ。
それで、てっちりってなに?
ふぐちり……ふぐのお鍋のこと。
なるほど……確かに鍋の〆にごはんを入れて食べると美味しいもんね。
……ん。
そっか、ふぐかぁ。
……ねぇ、まこちゃん。
ん、なに?
……大人になったら、ふたりで。
うん、ふたりで食べに行こう。
あ。
その為にはいっぱい働いて稼がないと、ね。
私も、
あっ、ありがとうございます。
……ありがとうございます。
亜美ちゃん、注文しちゃっても良いかな。
うん。
じゃあ……すみません、注文良いですか。
クリームあんみつをひとつ、杏あんみつをひとつ、それから揚げ饅頭をお願いします。
……ありがとう、まこちゃん。
ん、どういたしまして。
……。
桜の花びらが入ってる……桜湯だ。
……桜の、良い香りがするわ。
うん、すごく良い香りだ。
……。
……ん、熱い。
大丈夫?
ん、大丈夫……ちょっと吃驚しただけ。
……気を付けてね。
うん、気を付ける。
……。
……はぁ、なんだかとっても上品な味だ。
本当……仄かな塩味に桜の香りが合わさって、とても美味しいわ。
粋と言うのかなぁ、すごく良いよね。
浮いている花びらも可愛らしいし。
風流よね。
そうそう、風流なんだ。
……。
ね、亜美ちゃん。
……ん、なぁに?
働くようになったらふたりで食べに行こうね、ふぐ。
……。
さっき、途中になっちゃったからさ。
……うん、働くようになったらふたりで。
うん……なんて、甘味処で話すことじゃないか。
ううん……良いと思う。
然うかな。
うん。
はは、そっか。
……。
ね、あんみつと揚げ饅頭も楽しみだね。
ふふ……然うね、とても楽しみ。
……あぁ。
まこちゃん……?
……やっぱり、笑ってる亜美ちゃんは可愛いなって。
……。
お店の中、素敵だなぁ。
柱とか、天井とか、障子とか、すり硝子とか、奥の階段とか、雰囲気とか……ずっと、見ていられるかも。
ひとつひとつに時の流れを感じられて、ひどく落ち着くわ。
縦框、上桟、下桟、組子……障子だけを見ても、大切にされているのが良く分かるの。
はぁ……良いなぁ、この木の感触。
……まこちゃん、好きだものね。
うん、好きだ……。
……。
現代の建物と違って、少しこじんまりとしているけれど……寧ろ、それが良いんだ。
将来は、こういうお店で働くのも良いなぁ。
……和菓子職人さん?
はは、然うだねぇ。
それも、楽しいかも。
……。
亜美ちゃん?
……まこちゃんが作るあんみつ。
また、作ってあげようか。
……あ。
お店のような、本格的なのは作れないけど。
ううん……まこちゃんが作って呉れるあんみつ、私は大好きだから。
じゃあ……楽しみにしてて。
……うん、楽しみにしてる。
ん。
……。
座敷、良いなぁ……テーブル席も良さそうだけど、今日は座敷で良かったかも。
……私も、お座敷で良かったと思う。
亜美ちゃんも、然う思う?
……畳に座るなんて、あまりないから。
そっか。
……好きなの、畳の感触。
あたしも好きだよ、板敷きと違って柔らかいからあったかい感じがするよね。
……ん。
座り方によっては、足が痺れちゃうけどさ。
ふふ……然うね、正座は私も厳しいわ。
……。
……。
ゆっくりしたいけど……まだまだ並んでて混んでるから、無理だよね。
……また、来ましょう。
また?
……なんて、気が早いわよね。
ううん、良いと思う。
……。
また来ようね。
次は、何を食べようかな。
ふふ……それは流石に気が早いと思うわ。
はは、やっぱり?
ふふ。
……。
……あまり、見ないで?
あ、分かった?
……分かるわ。
そっかぁ。
……。
ね、亜美ちゃん。
……なぁに?
今、ふと思い出したんだけどさ。
うん。
あんこうなら、食べたことあるよ。
……あんこう?
小さい頃に。
あんこうは、お鍋が美味しいわよね。
然うみたいだね。
何の料理を食べたかは、憶えてない?
うん、小さかったから。
ただ、あんこうを食べたってだけ。だから、味も憶えていないんだ。
……お店で食べたの?
いや、もらったとかだったかな。
あんこうを頂いたの?
うーん、違うかも……だけど、お店でなかったことは確かだよ。
然う。
亜美ちゃん、あんこうは好き?
……好きよ。
因みに、あんこう料理の専門店ってあるの?
あるわ。
私が行ったことあるのは、お鍋のお店だったけれど。
そっかー。
……。
ね、あんこうもいつかふたりで食べに行こっか。
……いつか?
大人になったら、ふたりで。
ふふ……うん。
……。
ん、まこちゃん?
……楽しみが増えるのは嬉しいし、楽しいね。
うん……とても。
……。
……まこちゃん。
もう、離すよ。
……ううん、そのままで。
でも。
……あんみつが来るまで、このままで。
20日
-あんみつ。(現世1)
あそこ、人が並んでいるのが見える。
きっと、あの角だわ。
うーん、結構並んでる?
多分、角を曲がった先にも列があると思う。
今日、平日なんだけどな。
平日でも、学校が終わっている時間だから。
学生だけじゃないなぁ、あれは。
マダムも多い気がするよ。
マダム……。
お姉さま方?
……兎に角、行ってみましょう。
然うだね、早く行って並ぼう。
こうしている間にも、列が伸びているかも知れない。
お土産だと直ぐに買えるのよね?
うん、然うみたいだ。
若しも長い列だったら、お土産で買って帰っても良いかも知れないわ。
まこちゃんのお部屋で、ゆっくりと……。
……。
……やっぱり、お店で食べたい?
外もだけれど、中の雰囲気がとても良いみたいなんだ。
だから、出来ればお店で食べてみたい。
……この辺りは、戦災を逃れた一角なのよね。
この辺りだけなんだって、すごいよね。
然うね……あの大空襲を免れたなんて、奇跡だわ。
周りのビルに比べると、お店が小さくてさ。
なんだか、可愛いよね。
けれど佇まいに風情があって、とても素敵だわ。
うん、ほんとに。
……列。
うん……やっぱり、曲がった先まであるね。
思ったよりは、長くなかったけれど……。
……並ぶ?
然う、ね……。
……多分、一時間くらいは並ぶと思うんだ。
……。
時間、勿体ない……?
ううん、大丈夫よ。並びましょう。
折角、ここまで来たのだし……それに今日を逃したら、次に来るのは私の塾の都合で先になってしまうと思うし。
やった。
ふふ。
ふたりで並んでいれば、一時間なんてあっという間だ。
ねぇ、まこちゃん。
なんだい、亜美ちゃん。
待っている間なのだけれど。
……けれど?
お勉強をしていれば、あっという間だと思うの。
お、お喋りじゃなく?
お喋りも良いけれど、時間があるのだし……ね?
お、おぅ……。
ここで今日の復習をやってしまえば、帰ってからは予習だけで済むかも。
……知れない?
まこちゃんの頑張り次第、かしら。
け、けど、ここには机がないし……書けないよ?
はい、これ。
……はい、これ?
単語帳。
あー。
英語の単語、生物や日本史の用語、それから元素記号と化学式、化学反応式、物理の公式。
物理の公式は覚えておけば解けるというわけではないけれど、頭を整理するのには良いから。
……どれも微妙に、今日の復習ではないような。
ね、どれが良い?
あ、若しかして歴史は世界史の方が良かった?
そ、然ういうわけでは……日本史は、漢字も覚えなきゃいけないし。
漢字?
平仮名で書いたらばってんを貰ったことが。
ふふ、然ういえばあったわね。
まぁ、世界史は名前が長くて、馴染みのない音が多くて、文明がごちゃまぜになって、どこの人だったか分からなくなるけどね。
メソポタミア文明とオリエントの違いを覚えるのに苦労していたわね。
亜美ちゃんに地図を書いてもらって、丁寧に教えてもらって、やっと分かったんだよね……。
中国史も、漢字よね。
中国史は国の名前を覚えるのも……ね。
やっぱり、世界史の方が良かったかしら。
ううん、日本史で良いかな……漢字、覚えないと。
然う?
……うん、然う。
じゃあ次は世界史にするわ。
……はい。
ね、机がなくても出来ることはあるでしょう?
……そーだね、あるね。
どれが良いかしら?
えと……じゃあ、日本史で。
ん、分かったわ。
はい。
ありがとう……そして、可愛い。
え、なぁに?
笑顔で単語帳を渡して呉れる亜美ちゃんはいつだって可愛いね。
……。
ね、これで今日の復習になる?
……数学の参考書を読む?
た、単語帳で良いかな……今日の復習は、帰ってからすれば良いし。
……あ、少し進んだわ。
お、然うだね。
なかなか良いかも。
……ねぇ、まこちゃん。
ん?
……やっぱり、お喋りする?
え?
その……ここまで来て、お勉強もどうなのかなって。
ど、どうしたの?
……どうも、しないけど。
ここでしなかったら、帰ってからすることになるんだよね?
……うん。
だったら、ここでしても良いかな。
まぁ、あたし次第なんだけど。
……。
亜美ちゃんは数学?
……やっぱり、止めましょう。
……。
……ごめんなさい。
謝ることじゃないけど、本当に良いの?
うん……今は、お勉強よりも。
あたしと、お喋りしたい……?
……。
そっか……うん、じゃあ然うしよっか。
うん。
単語帳、返すね。
ん。
んー……。
……まこちゃん?
へへ。
……どうしたの?
あんみつ、楽しみだなって。
あんみつ?
まこちゃん、もう決まっているの?
うん、決まってる。
あんみつにするんだ。
来るまで、どうしようかって悩んでいたのに。
亜美ちゃんは何にするんだい?
私は……。
私は?
……ぜんざい、かしら。
あれ。
まこちゃんがあんみつだったら、私は違うものの方が良いかなって。
いや、あんみつでも良いんじゃないかな。
でも、同じだと……その、つまらなくない?
つまらなくはないよ。
美奈子ちゃんはつまらないって言うわ。
あいつの言うことは真面目に聞かなくて良い。
亜美ちゃんが本当に食べたいものにした方が良いよ。
……。
亜美ちゃん、本当にぜんざいで良いの?
……違うものを注文した方が、一口貰う時に良いから。
……。
……だから。
よし、あたしは餅ぜんざいにしよう。
……え。
亜美ちゃんは、どうする?
まこちゃん、あんみつにするって。
気が変わったんだ。ぜんざいでも良いかなって。
そんな急に……。
あと、揚げまんじゅうも頼もうかな。揚げ立てが美味しいらしいんだ。
二個付きだから、亜美ちゃんとひとつずつ。
私は、そんなに食べられないかも。
食べられない?
……あんみつだけで、お腹いっぱいになっちゃうと思うから。
あんみつ?
……あんみつ。
ふふ、可愛いな。
……もぅ、まこちゃん?
はい、ごめんなさい。
……。
食べられなかったら、あたしが食べるよ。
……食べられる?
うん、食べられると思う。
若しかしたらさ、亜美ちゃんも食べられるかも知れないよ。
私は……お夕飯前だし。
夕飯は、軽めにすれば良いさ。
ね。
……。
ね?
……うん。
やった、お揃いだ。
……おそろい?
同じのが、食べたくて。
……だから、あんみつ?
うん。
……。
だけど、違うのを頼んで一口貰うのも楽しいから。
……ぜんざいで、良いの?
うん、良いんだ。
私は、まこちゃんが良いのなら、同じものでも……。
じゃああたし、杏あんみつにする。
……。
杏、あげるね。
……それなら、私はクリームあんみつにするわ。
お、良いね。
アイス、もらって呉れる?
うんうん、もらう。
へへ、すごく楽しみになってきた。
あ、進んだわ。
お、と。
良いぞ、あともう少し……でも、ないけど。
でも、一度に二組呼ばれたわ。
これなら、思っているよりも早く入れるかも。
然うかな、然うだったら良いな。
実はあたし、お腹が空いててさ。だからもう、早く食べたくて。
……ふふ。
楽しい?
うん……楽しい。
はは、良かった。
まこちゃんと一緒だと、行列も楽しいの。
……。
……このお店の外観、趣があって素敵ね。
うん、良いよね。
提灯が可愛いわ。
提灯? どこ?
あそこ……角のところ。
あ、本当だ。
可愛いね。
……ん。
でもあれ、なんて書いてあるんだろ。
え、と……し、る?
しるこ。
しるこ?
「志」で「し」、平仮名の「る」、そして一番の下の字は変体仮名で
へんたい?
……変化の変に体と書いて、変体。
あー、なるほど。
あの「こ」は……ちょっと、手を出してもらっても良い?
手?
うん。
はい。
……。
どうするの……?
……今から、手の平に字を書くから。
字……。
……なんだと思ったの?
ん、いや……ちょっと良いことかなって。
……字を書くから。
はい、分かりました。
……。
えーと……古い、かな。
……然う、当たり。
へへ、やった。
あの「こ」は、今書いた「古」から派生した平仮名なの。
あれ、平仮名なの?
もっと言えば、あの「志」も然う。
へぇ……ああ、それで変体仮名?
……然う。
はぁ、なるほどなぁ。
沢山あったのだけれど……今では、限定的な場面でしか使われていないの。
ああいう提灯、とか?
あとは、書道とか。
ふぅん……昔のひとって、頭良いなぁ。
頭?
今よりも平仮名が多かったんだろ?
覚えるの大変だよ。
……。
あれ、ずれてる?
ううん……ふふ、然うね。
大変だったかも。
だろ?
ふふ……うん。
へへっ。
……ね、まこちゃん。
ん、なに?
……お店の中も、楽しみね。
うん、楽しみだ。
……。
ん、亜美ちゃん?
……少しだけ。
……。
……直ぐに離すから。
離さないで。
……でも。
離さないで欲しい。
……う、ん。
……。
……あ、また。
今度も二組……うん、これであともう少しだ。
ね、亜美ちゃん。
……うん、まこちゃん。
19日
久々にトップに絵を貼り付けました。
原初のふたり、ユピテルとメルクリウスです。
絵は定期的に……気まぐれに、変更していくつもりです。
……あっ。
……。
あー……。
……落ちてしまいました。
もう少し持つと思ったんだけどなぁ。
でも、散り菊まで見られましたから。
然うだけど……。
まことさん?
なんだか、夏の終わりのように見えてしまって。
……。
少しだけ、寂しい気がするよ。
……それは、屹度。
うん。
……最後の一本だったから、というのもあるのでしょう。
あぁ、然うか……うん、然うかも知れない。
屹度、然うだ。
……ありがとう、まことさん。
ん、何がだい?
最後の一本だったのに。
最後の一本だったから、だよ。
……。
亜美さんなら、散り菊まで見せて呉れると思ったから。
……まことさんだって。
見たかったんだ。
……。
亜美さんが、ほんのりと微笑みながら線香花火をしているところ。
自分がしていたら、亜美さんの顔を見ることが出来ないから。
……若しかして。
ちゃんと、線香花火も見ていたよ。
蕾から始まって、牡丹、松葉、柳、そして。
……散り菊。
線香花火の良いところは派手さはなくて控え目ではあるけれど、それでもちゃんと力強さがあるところだ。
……惹き付けられるものがありますよね。
然うなんだ。
まぁ、子供達にとっては地味であまり面白くないのだろうが。
まことさんが子供だったら、どうですか?
あたし?
はい。
然うだなぁ……あたしも、あまり面白くないと思うかも知れない。
亜美さんは?
私は……興味深いと、思うかも。
……。
静かに燃え方が変化してゆくところに、興味を持つかも知れません。
……確かに、亜美さんなら興味を持ちそうだ。
子供のまことさんには、変わっていると思われてしまいそうですね。
いや、それはないよ。
然うですか?
もっと派手な花火をしようと、言いませんか?
言うと、思うけど。
ふふ、やっぱり言いますよね。
だけど、それはそれだ。
それはそれ?
別々に、楽しめば良い。
趣向が違うのだからさ。
……それは、大人だから言えることでは?
そんなことは、
あると思います。
そ、然うかなぁ。
……大人と子供の感じ方は、違いますから。
お、思うにさ。
……。
子供の亜美さんは線香花火の良さを、あたしに話して聞かせて呉れそうな気がするんだ。
例えば、線香花火の燃え方には段階があるってさ。
それは……話すかも知れません。
それでさ、単純なあたしは屹度、亜美さんとふたりでなら線香花火が楽しいと思えるようになると思うんだ。
……聞いて呉れるのですか?
勿論、聞くよ。
……面倒だとは。
思わない。
……それも、大人だから。
子供だったとしても、あたしは亜美さんの話を聞く。
面倒なんて思わない、寧ろ、聞きたいと思うだろう。
……。
今が、こんなに楽しいのだから。
子供のあたしが楽しくないなんて、思うわけがない。
……然うだと良いけれど。
然うさ。
……然うだったら屹度、楽しかったでしょうね。
うん、とても。
……。
……亜美さん。
花火って、楽しいものなのですね。
……然うだね、とても楽しいものだ。
来年もまた、ふたりでやりたいですね。
うん、やろう。
あたしもまた、亜美さんとやりたい。
……はい。
来年は、子供達に分けて貰わないでさ。
……町に行くことがあったら、見てきてみましょうか。
うん、良さそうなものがあったら土産に買ってきてやろう。
まぁ、高いものは買えないが。
……ちょっとしたものでも、良いと思います。
……。
……?
まことさん……?
いや……花火で美奈がはしゃいでいる姿を、思い出してしまって。
あぁ……ありましたね。
はしゃぎすぎて、レイに叱られたんだ。
うさぎちゃんも、釣られるようにはしゃいでいて。
やっぱり、レイに叱られた。
……ねぇ、まことさん。
なんだい?
来年は……美奈子ちゃんとレイさんを誘ってみませんか。
ふたりを?
どうでしょうか。
良いけれど……線香花火を、四人で?
いえ、線香花火は……まことさんとふたりでしたいと思っています。
……じゃあ。
玩具花火を、四人で……断られるかも、知れませんが。
……一応、声は掛けてみようか。
はい、私からも掛けてみます。
……うん。
……。
……ねぇ、亜美さん。
……。
何か、思うところ……感じるものが、あるのかい?
……お役目を引き継いだ美奈子ちゃんの笑顔は、まるで張り付けられたもののようで、どこか冷たくて。
……。
それは、「余所者」に対してだけではないと……。
……亜美さんには、然う見えているのか。
まことさんは……?
村の者と話していても目が笑っていないことがある、とは感じていた。
それから、声……何処か、淡々としているようだと。
ただ、あたしもずっと見ているわけではないから。
……まことさんに対しては、どうですか。
あたしに対しては……そんなには、感じないが。
亜美さんに対しては?
……私に対しても、そこまでは感じません。
幼い頃の美奈は気難しいところがあったと、いつだかレイが言っていたような気がするが……。
……うさぎちゃんが隣に居ないというのも、大きいと思うのです。
それは……多分にあると思う。
今でも、うさぎちゃんが美奈子ちゃんの隣に居て呉れたら。
……今も未だ、子供のように笑っていただろう。
居ないわけでは、ないのですが……。
……でも、以前とは違う。
……。
こればかりは、どうしようもない……どうしようも、ないんだ。
……私達が代わりになれるとは思いません。
……。
……寧ろ、なれないでしょう。
あぁ、なれない。
うぎさちゃんの代わりには、誰も。
けれど……少しだけでも。
……最近はずっと、面白くないって言われてるんだ。
……。
亜美さんと出逢った頃、片想いをしていた頃のあたしはそれはもう、面白かったそうだよ。
やることなすこと、気持ちわ……空回りしていて、見ていて飽きなかったと。
だけど今は、すっかり落ち着いてしまって、ひとつも面白くない。
……。
今の美奈を見ていると、心底、退屈なのだろう。
あいつはずっと、此の退屈な村から出たかったんだ。
……。
玩具にされるのは、面白くないが。
……花火くらいでは、満たされることはないかも知れません。
それでも、気晴らしになれば良い。
仮令、ほんの少しでも。
……。
とりあえず、今年の秋は猪肉の腹の部分を持っていってやろう。
……獲れると良いですね。
必ず、獲る。
……。
年の数回の楽しみなんだ、獲らないわけにはいかない。
……もぅ、まことさんは。
運が良ければ、犬が小さいのを仕留めることもある。
小さいのは赤身だが、柔らかくて美味い。
獲れたら、美奈に多く分けてやろう。
……。
勿論、亜美さんの分は取っておく。
……私だけでなく、ふたりで食べましょうね。
うん、ふたりで食べよう。
……はぁ。
亜美さん。
……はい。
いつか、花火見物に行こう。
……え?
宿を、取ってさ。
……花火見物、ですか?
亜美さんは行ったことあるかい?
ありませんが……音だけなら、聞いたことはあります。
音だけ?
混むのが嫌で、家から一歩も出なかったので。
興味も、なかったですし。
あぁ、それなら音だけだ。
……行ってみたいのですか?
うん、亜美さんと一緒に。
……。
混むから、嫌かな。
……美奈子ちゃんの話から大分逸れましたね。
元々は、花火の話をしてただろう?
……。
美奈のことは、また。
……。
い、嫌なら、
……いつか、行ってみましょうか。
え。
近いうちに、とは言えませんが。
だけれど、動けるうちに。
本当かい?
はい、本当です。
やった。
……。
あ。
……ふふ、子供みたい。
あー……はは。
……。
そろそろ、家の中に入ろうか。
……然うですね、入りましょう。
……。
……。
ねぇ、亜美さん……今夜、なんだけれど。
……。
望んで呉れるなら、今夜も右腕を……それから、左腕も。
……。
……?
亜美さん……?
……ん。
どうかした?
あ、ちゃんと水に浸かってなかった?
……大丈夫、ちゃんと浸かっています。
……。
……なんでもないの。
なんでもない……?
……。
然う……?
……。
……。
……ね、まことさん。
なんだい……?
……今夜も、貸して呉れますか。
18日
うん、もう良いだろう。
……。
はい、亜美さん。
熱いから、気を付けて。
……ありがとう、まことさん。
うん。
……いただきます。
どうぞ、ゆっくりと召し上がれ。
……まことさん。
ん?
……食べ終わったら、畑に。
畑には、亜美さんを診療所に送ってから行くよ。
……それだと、遅くなってしまうから。
構わないさ。
……。
構わない。
……ごめんなさい。
亜美さん。
……。
謝らなくて良いんだ。
謝る必要なんて、どこにもないのだから。
……。
しかし、こんな朝からきのこを持って来るなんて思いもしなかったよ。
……いつ、採りに行ったのでしょうか。
見た所、採ったばかりだと思う。
……。
此のきのこは良い出汁が取れて、くせもあまりないから美味しいのだけれど。
……食べ過ぎると、消化不良や腹痛、下痢を引き起こすことがあるから注意が必要です。
然う言っても食べ過ぎて、亜美さんのお世話になるのが毎年居るんだよなぁ。
……美味しいから、つい、食べ過ぎてしまうのでしょう。
此れくらいなら、平気だろう?
……火を、ちゃんと通したのなら。
あぁ、良く通したよ。
……。
あまり食べられそうになかったら、遠慮なく残して。
……でも。
勿体ないなんて、思わなくて良いんだ。
あたしはただ、亜美さんが美味しく食べて呉れるだけで。
……残したら。
あたしが食べるよ。
風邪ではないから、食べても大丈夫だろう?
……。
あ、い、嫌かな。
……ううん。
そ、然うか。
……此のきのこ、美味しいんですよね。
……。
此の村に来て、初めて食べたんです……まことさんに、食べさせて貰って。
珍しいきのこではないのだけど……都では、売られていないんだったね。
はい……こんなに美味しいのに。
きのこも、ちゃんと保存しないと傷みやすいからなぁ。
……そのわりには、季節になると高級とされているきのこが並べられていましたが。
高級なきのこ、か……何度聞いても、良く分からないな。
……珍しいものは、高級になるんです。
きのこは、高級なもの以外はないのだったか。
……あるには、ありましたが。
此のきのこは都人の口に合わない、或いは気に入らないか……まぁ、らしいと言えばそれで仕舞いだが。
……然ういうところも。
……。
……少しだけ、食べます。
うん……亜美さんが、食べられそうだったら。
……お腹と、相談しながら。
お腹と?
……ふふ。
亜美さん?
……お腹と相談なんて、こんなこと、言ったのは生まれて初めて。
……。
……あなたが私を大事にして呉れるから。
だって……とても、大事なんだ。
……だから、私も自分の躰を大事にしないと。
……。
ごめんなさい……冷めてしまいますよね。
いや、寧ろ食べ頃になっているかも知れない。
ふふ……然うかも知れません。
改めて、どうぞ。
はい……いただきます。
……。
……うん、とても美味しい。
熱くはない?
……はい、程良い熱さです。
良かった。
ゆうべのお味噌の雑炊も美味しかったけれど……お味噌のお粥も美味しいですよね。
雑炊とはまた違った美味しさで良いんだ。
……はい。
……。
あの……まことさんも。
……うん、あたしも食べよう。
此のきのこのお出汁……やっぱり美味しいですね。
これがまた、大根ととても合うんだ。
……お味噌汁にしても良いですよね。
次は、味噌汁にしようか。
……はい、然うしましょう。
秋が深まる頃まで採れるから、鍋用に採りに行っても良いな。
……私も、一緒に行っても良いですか?
うん、一緒に行こう。
……。
美味しいかい?
……はい、とても。
ん、良かった。
……ね、まことさん。
なんだい?
……お返し、本当にしなくても良いのでしょうか。
然うなんだよな……ゆうべの卵と言い、全く返さないで良いだなんて。
……お大根は。
大根は、要らないと。
……美味しいのに。
他の野菜……いや、でもやっぱり猪肉か。
それも、あいつが特に好きな部位を……が、あれはあまり取れない。
出来ることなら、亜美さんと食べたい。
……私は、別に。
年に数回の楽しみなんだ……。
……然うでしたね。
どうするか……。
……。
うーん……。
……若しかしたら。
ん……?
……本当に、要らないのかも知れません。
どうして、然う思うんだい……?
……私が受け取らなかったので、代わりに美奈子ちゃんが。
……。
薬以外のものも、ありましたので。
言われてみれば、何かあったような気がする。
良くは見ていないから、何があったかは憶えていないが。
恐らく……いえ、間違いなく都のものだと。
若しも、然うだとしたら……お返し不要と言うのは、分かるな。
……。
二晩泊めて、飯まで振る舞ったろうから……あいつなら、きっちり貰うだろう。
ならば、深く考えなくて良いか。
……とりあえず、猪が獲れたらお肉を分ければ良いと思います。
あの少ししか取れない部位は……分けなくても、良い?
……私は、分けても。
楽しみなんだ……。
……お腹のお肉を分ければ良いと思います。
腹?
はい……美奈子ちゃんは、脂身も好きなので。
然うだな、うん、然うしよう。
はぁ、良かった。
……。
……。
……。
……あれならもう、出立したらしい。
……。
夜明けと共に。
……然う、ですか。
……。
……あの、まことさん。
ん、なに?
……食べ終わったら、私に構わず。
送っていくよ。
……。
診療所に。
帰りに今日往診に行く予定の家に寄って、畑には、それから行く。
……。
良いだろう?
……はい、まことさん。
うん。
……お茶のお代わりは、如何ですか。
あぁ、ありがとう。
お願いするよ。
……はい。
……。
……まことさん。
ん?
……ありがとう。
17日
亜美さん?
……まことさん。
ただいま、亜美さん。
お帰りなさい、まことさん。
縁側に出ていて、大丈夫かい?
はい……朝日を浴びながら、新鮮な空気を吸いたくて。
然うか……天気が良いと、夏の朝は気持ちが良いものな。
……それと。
うん?
……帰って来るあなたを、少しでも早くお迎えしたくて。
……。
今朝は、お布団の中からのお見送りになってしまったから……だから、此処で待っていたかったの。
……無理は、していないかい?
はい、していません……。
……その羽織。
ごめんなさい……勝手に羽織ってしまって。
……全然、構わない。
ん……。
……とても、嬉しいよ。
まことさん……。
……待っていて呉れたのも、羽織を羽織って呉れたのも。
……。
改めて、ただいま……亜美さん。
お帰りなさい、まことさん……今日も朝早くから、お疲れさまです。
うん……ありがとう。
……畑は、大丈夫でしたか?
大丈夫だよ、心配ない。
……良かった。
体調はどうだい?
少し気怠いですが……それでも、ゆうべよりは。
熱は、今の所下がっているようだけれど……時間が経つと、分からない。
ぶり返してしまうかも知れないから、無理だけはしないで欲しい。
……はい。
朝餉は、食べられそうかい?
……ごめんなさい。
食べられそうにない……?
……今朝は、支度をしていなくて。
あぁ……良いんだよ、気にしないで。
……。
今朝は粥にしようと思っているのだけれど……どうだろう?
……食べたいです。
それじゃあ……白粥と味噌粥、どちらが良い?
……。
ゆうべは味噌雑炊だったから、今朝は白粥の方が良いかな。
……お味噌のお粥が、食べたいです。
ん、分かった。
じゃあ、味噌粥にしよう。
……まことさんはお味噌で良いの?
あたしは、どちらでも良いんだ。
だから、亜美さんが食べたいものを作りたい。
……。
大根の葉と……生姜の汁を入れようかな。
……お大根は、入れないのですか?
入れるかい?
……どうして聞くの?
聞いてみたくなったんだ。
……好きだから、入れて。
分かった、入れよう。
……。
亜美さんに好きだと言ってもらえるのが、嬉しくて。
……もぅ。
はは。
……まことさん、一度戻って来ましたよね。
うん?
戻ってきて……お粥に入れるお大根を切って。
……気付いた?
気付きました。
そっと、戻ってきたんだけどな。
……気配で、分かります。
……。
……声を掛けて呉れれば良かったのに。
眠っていると、思ったから。
……。
次は、声を掛けるよ。
……然うして。
はい、然うします。
……。
さて、では支度をしようかな。
……私も。
じゃあ、お茶を淹れて貰っても良いかな。
喉が乾いてしまって。
……直ぐに、淹れるわ。
ありがとう。
……他にも、何か。
生姜の汁を作って貰っても良い?
……ん、分かった。
立てるかい?
……大丈夫よ。
……。
……ありがとう、まことさん。
うん……。
……。
ねぇ、亜美さん。
……なぁに?
診療所には、行くのだろう?
……。
出来れば、今日くらいは休んで欲しいところだけれど。
……お休みを取りながら、診療するから。
昨日が静かだったから、今日は忙しくなるかも知れない。
然うなると、どうしても無理をすることになってしまう。
……。
今日は往診の予定はあるのかい?
一件だけ……足が悪い方なので、来て頂くわけにはいかないの。
足が悪い……と言うと。
……美奈子ちゃんの家の近くの。
あぁ、あの家か……分かった、ならばあたしが背負って連れて行こう。
……まことさんが?
どうだろうか。
……でも。
帰りは勿論、ちゃんと送って行く。
……そこまで、しなくても。
それでは、駄目だろうか。
……まことさんには、畑仕事が。
送り迎えぐらいだったら、大して時間は取られない。
しかも、一件だけだろう? だったら、問題ないさ。
……。
熱を出した躰で歩き回るのは負担が大きい。
であるならば、あたしが動けば良い。
……だけど。
本人が嫌がった場合は、止める。
それは、亜美さんが望むことではないから。
……。
どうだろうか。
……まことさんが、疲れてしまうわ。
大丈夫だ、ちゃんと休むから。
……。
なんだったら、亜美さんと。
……。
亜美さん。
……くれぐれも、無理強いだけはしないと。
絶対にしない、約束する。
……。
……。
……お願いします。
うん。
……前もって、伝えておかないと。
あたしが伝えよう。
……。
後で、いつ頃か……。
……。
……。
……?
まことさん……?
16日
……。
……まこと、さん。
ん……?
まことさん……どこ……。
……亜美さん?
まことさん……。
目を覚ましたんだね。
……どこに、いたの。
囲炉裏で、夕餉を作っていた。
……なにを、つくっていたの。
雑炊だよ。
……ぞうすい?
然う、大根と卵の味噌雑炊。
……たまご?
縁側に置かれていたんだ。
どうやら美奈の使いの者が持ってきたらしい。
……。
卵と一緒に覚え書きが入っていた。
美奈が書く字は癖があるから読み辛い、が、分かりやすい。
……なんて。
お返しは不要、と。
……よいのかしら。
ま、猪肉を少し多めに分ければ良いだろう。
……。
雑炊、食べられそうかい?
……ね、まことさん。
なんだい?
……わたし、いつ。
家に着いて、布団を敷いている間に。
……あかりは、はなさなかった?
家に着くまで、確りと持っていて呉れたよ。
……よかった、おとさなかったのね。
うん……だけど。
……?
だけど、なに……?
灯りを持っていたことで眠れなかったのなら……?
……。
亜美さん……?
……きがえたい。
え?
……よぎに、きがえたいわ。
……。
あせを、かいたから。
……起きられるかい?
だいじょうぶ……。
……。
……はぁ。
辛いかい……?
……ねつがでたから、すこしからだがおもたいだけ。
起きているのは、無理かな……。
……ううん、だいじょうぶよ。
雑炊は、明日でも……また、作るよ。
……おなかが、すいているの。
……。
だから……きがえおわったら、たべたいわ。
……うん。
ね、まことさん……。
なんだい……亜美さん。
……きがえるまえに、せなかをふいてもらってもいい?
背中を?
……さっぱり、したいの。
あぁ、良いよ。
……ありがとう。
待ってて。
今、湯と躰拭きを持ってくるから。
……はい。
……。
はぁ……。
……これだと、未だ少し熱いか。
はくいきが、あつい……ごはんを食べたら、今一度、熱さましを飲まないと。
いや、少しくらい熱い方が良いか……絞ると、幾らか冷めてしまうし。
……だめね、私。
亜美さん、待たせてごめんよ。
……ううん。
拭くのは、背中だけで良い?
良かったら、他も拭くよ。
……。
下心で、言っているわけでは。
……ふふ、分かっているわ。
その、どうする……?
……下腹部、以外を。
ん、任せて。
……。
……。
……先ずは、脱がないといけませんね。
はは、然うだった。
……。
あ。
……なぁに?
いや、なんでもない。
ふふ……変なまことさん。
……見てない方が、良いかな。
これから、躰を拭いて呉れるのに?
いや、まぁ、然うなんだけど。
……朝の着替えは、じっと見ているのに。
じっと、では……。
……。
……。
……お願い、出来ますか?
うん……では、先ずは背中から。
……ん。
熱かった?
それとも、強かったかい?
……ううん、大丈夫です。
……。
……続けて、まことさん。
うん……。
……。
……。
……気持ち良い。
明日まで。
……?
明日まで、眠っていると思った。
……然うなの?
良く、眠っているようだったから。
……。
熱が出ると、寝付けない時があるだろう?
だから、眠れているのなら……と、思っていたのだけれど。
……。
腕、良いかい……?
……はい、お願いします。
……。
子供の頃に熱を出すと、なかなか寝付けなくて……眠れたと思ったら、怖い夢を見て。
……子供の頃の亜美さんは、良く熱を出した?
良くではありませんが、季節の変わり目に……特に、秋から冬にかけて。
季節の変わり目は、どうにも駄目だなぁ。
然うですね……。
……思うのだけれど。
……。
……夏の疲れが、出たんじゃないかな。
夏の……?
少し、早いかも知れないけれど。
……然うなのでしょうか。
今年の夏も、忙しくしてたろう……?
……休まなかったわけでは、ないのに。
もう片方の腕を……。
……お願いします。
疲れというものは……知らず知らずのうちに、溜まっていくものだと亜美さんに教わった。
……。
兎に角……休むのが、一番だ。
……熱を出した時、ひとりで横になっていると酷く心細くて。
……。
誰かに居て欲しいと、思っても……。
……今は、ひとりじゃない。
……。
右腕を貸すよ。
……左腕で、抱き締めて。
……。
……眠るまでとは、言わないから。
若しかしたら、眠りに落ちる方が早いかも知れない。
……。
然うだったら、良いと。
……うん。
腕は、終わったけど……前は、どうしようか。
下腹部以外、なら。
……足を、お願いします。
足……。
……。
分かった……足だね。
……その前に、前と下腹部を拭いてしまいます。
……。
然うしたら、羽織ることが出来るので。
……確かに、然うだ。
躰拭きを、良いですか。
待って、浸して絞るから。
……。
……はい、亜美さん。
ん……ありがとう、まことさん。
うん。
……。
……。
……じっと、見ないのですね。
うん……着替えとは、違うから。
……大して変わらないのに。
いや、変わるよ。
……。
変わるんだ……だから、見ない。
……然う。
……。
……線香花火。
え……?
……もう、残ってないですよね。
残っていないけど……また、やりたいのかい?
……あなたと、ふたりで。
明日、子供達に聞いてみよう。
若しかしたら、残っているかも知れない。
……若しも、貰えたら。
またやろう、ふたりで。
……。
だけど、ちゃんと熱が下がってからだ。
良いね。
……はい、まことさん。
15日
今夜も、満天の星だ。
……。
歳星は、見えないか。
……時間が、未だ。
早い?
……この時期だと、もっと遅い時間にならないと。
その頃にはもう、布団の中だ。
……。
亜美さん、大丈夫かい?
……はい、大丈夫です。
何かあったら、直ぐに言って欲しい。
……良いですか。
うん?
……まことさんの声を、聞いていたい。
あたしの声を?
……家に、着くまで。
然うだなぁ……。
……ごめんなさい、我侭ばかり言って。
亜美さんの我侭は、どれもとても可愛いと思っている。
……然うでしょうか。
然うだよ、どれも聞きたくなってしまうものばかりなんだ。
……良い歳をして、とても面倒だと思います。
では、聞かなくても良いのかい?
……。
うん、なに?
……聞いて。
……。
……声を、聞かせて。
あぁ……。
……なに。
や……たまらない、と思って。
……聞かせて呉れるの?
少し待っていて、今考えるから。
いや。
うん?
考える間、無言になってしまうでしょう。
それに、足は動いているのだから、その分だけ家に近付いてしまう。
あー……はは、今日の亜美さんは本当に我侭だ。
……どれも聞きたくなってしまうものばかりなんでしょう?
然うなんだ、今もその為に何を話すか考えている。
……。
然うだなぁ……では、あたしが小さかった頃の話を少ししようか。
……まことさんの?
父が未だ、生きていた頃。
その頃の話をしても良いかい?
……うん、聞かせて。
歳の頃は、七つくらいだったかな。
父の仕事を手伝ったのは良いのだけれど、
……七つで、手伝ったの?
うん、子供は家の力だからね。
母はもう居なかったから、あたしが手伝うしかなかったんだ。
……ごめんなさい。
ううん、なんてことない。
……。
その日は張り切って、父の手伝いをしたんだ。
然うしたら、終わる頃には力尽きてしまってさ。
……力尽きるまで、働いたのですか。
まぁ、張り切り過ぎたんだと思う。
初めてだったんだ、父の仕事の手伝いをしたのは。
いつもは煮炊き洗濯掃除薪割り、家のことばかりだったから。
……家の力、労働力。
おかげで、家仕事で困ることはあまりなかったな。
……。
体力は……力も、子供にしてはある方だった。だからこそ、父の仕事を手伝えると思った。
いや違う、手伝えるのが単純に嬉しかったんだ。あの頃は、大人になったら、父の仕事を継ぐのはあたしだと思っていたから。
……。
父は驚いたらしい。荷物を持たせようと、声を掛けても返事が返ってこない。
見れば、横たわっていて動かない。あぁ、これはだめだと思ったと。
……だめって?
使い物にならない。
……体調不良だとは、思わないの。
一応、傷や熱の有無、顔色、それと呼吸の確認はしたらしい。
それで、疲れて眠っているだけだと判断した。
……。
村には、医生も居なければ薬師も居ない。
頼りになるのは行商人が持ってくる胡散臭い薬だけで、どのみち、家に連れて帰って寝かせるしかない。
どうしても医生に診せなければならない時は、山を越えて、麓の里から連れてくるしかなかった。
……。
医生を呼ばなければならない時、そんな時は大抵、動かせないくらいに弱ってしまっていた。
然うなる前にちゃんとした医生に診せていれば助かったかも知れないけれど……だけどあの頃は、それがとても難しかった。
……遠いからですか。
それもあるが……金が、掛かるだろう?
ましてや、山を越えて来てもらうんだ。
お芋や、お大根でも……ううん、報酬なんて何も。
亜美さんのような医生は、残念ながら、居なかった。
そして、払える程の金を持っているひとも、居なかった。
だから……生を全うした、然う思うしかなかったんだ。
……。
医生と言っても、都からの流れの者ではない。当然、大学で学んでもいない。
この辺で言う医生とは、昔ながらの方法で治療する者のことだった。
……民間療法、ですね。
曰く、先人の知恵。
全く効かないわけではなくてさ、治るものもあったんだ。
……中には、大学で学ぶものもあります。
然うなのかい?
……大学で学ぶことも、結局は先人が検証し残して呉れたものですから。
然うか……全部が全部、いい加減ではなかったのか。
……けれど民間療法、或いは、俗信は検証されていないことも多く。
あー……まぁ、然うだろうな。
母も父も、最後には死んでしまったし。
……。
ともあれ、治療には金が必要だった。
治っても、治らなくても。
……お金、なんて。
似非とは言え医生。薬なんて高くて、とてもじゃないけれど手が出せない。
それこそ、娘をひとり、売り飛ばさなければ。
……。
あたしと父は、村から少し離れた場所に住んでいた。
村のひと達とは、一応、交流はあった……けれど、あたしが村に行くことはあまりなかった。
……それは、どうしてですか。
行きたいと思わなかったんだ。
……村に、子供は。
居るには居たけど……どうしても、馴染めなくてね。
体力や力……おまけに、躰も大きくて。
……。
子供らは、あたしのことが怖かったんだろう。全く、近寄ってこなかった。
若しかしたら、近付くなと親に言われていたのかも知れない。
一度だけ、高い所から石を投げられたこともある。幸い、掠る程度だったけど。
……そんな。
あたしが村の子ではないということも、石を投げられた要因のひとつだった。
あたしは、その子達から見ればただの「余所者」だったんだ。
でも、お父さまが。
父も。
一部のひとからは、煙たがられていたらしい。
山のことで、口出しをするから。
……。
ひとのこは理解出来ないもの、異質なもの、そして邪魔なものを遠ざけようとする。
時には危害さえ加えようとする。あたしは、まさにそれだったんだ。
……ひとり、くらいは。
居たような気がするけど、結局離れて行ってしまった。
村で生きるには、皆が同じでないといけない。
逸れたら、閉ざされた場所では生きてはいけない。
……都と、変わらない。
……。
……。
……亜美さんが、村に居て呉れたら。
私が……。
子供の頃から一緒で、そして、大人になったら今のようにふたりで暮らして……。
……まことさん。
……。
私は……都に、まことさんが居て呉れたらと。
……あたしが、都に?
然うしたら、私は今でも都に居たかも知れない……逃げ出さないで、あなたと一緒に。
……。
……でも。
多分、離れていたから良かったんだ。
……。
なんとなく、だけれども。
……まこと。
ん……寒いかい?
……ううん、あなたの羽織を羽織っているから。
……。
それから……あなたの背が、とても温かいから。
……あたしも、背が温かい。
ねぇ……。
……うん?
結局、どうなったの……?
……。
疲れて、眠ってしまって……それから。
……目が覚めた時、あたしは父の背に負われていた。
……。
でもまた眠ってしまって、次に目が覚めた時は布団の中だった。
家の中には父の気配はなくて、荷物を取りに戻ったのだと知った。
その日の晩、あたしは熱を出した。
……。
一晩寝たら、下がっていたけれど。
……良かった。
もう少し、違う話にすれば良かったな。
……どうして?
聞いていて、楽しい話ではなかったろうから。
ううん……あなたのことが、知れたから。
……。
……聞かせて呉れて、ありがとう。
うん……。
……。
さて……あと少しで、家だ。
……。
残りは、鼻歌でも歌っていようか。
……鼻歌?
然う、鼻歌。
……聞かせて、呉れる?
大した歌では、ないけれど。
……あなたの歌、私は好きよ。
……。
……とてもきれいな音だから。
14日
……。
堂々巡りになるだけと、言った筈です。
……。
貴方のご厚意には感謝致します。
ですが矢張り、受け取ることは出来ません。
……。
私が此処で生きていく為に、医生会との繋がりは必要無いのです。
貴方のお力添えもまた、私には不要なものなのです。
……。
私は私の意思で医生会から抜け、此の地へ流れてきました。ですから、強制的に退会させられたわけではなく、流されたわけでもないのです。
貴方は此の地を都から遠く離れた僻土と言いましたが、此の地で生きているひとのこもまたひとのこに過ぎず、都で生きるひとのことなんら変わりありません。
何処で生きていようが、命に差など無い。私はただ、命に寄り添える医生でありたいのです。
……。
貴方には貴方の歩む道があるように、私には私の歩む道があり、その道は、私自身で選ばなければならない。
誰かに指図されたり、強制されたり、押し付けられたり、ましてや、流されるべきではないのです。
……。
私が選んだ道は、都を出て、外の世界で医生として生きる事。
都に、私の歩む道はなかった。ただ、それだけの事。
……。
初めはひとりで歩んでいた道に、いつしか他の道が交わり、重なり……それは、ふたりで歩む道となった。
……。
その道を共に歩んで呉れる、ずっと共に歩みたいと言って呉れる……そんなひとが、此処に居ます。
誰よりも、傍に居て呉れる……。
……。
私が選んだ者は、私が共に歩みたいと強く願った者は、貴方ではない。
貴方の道に私の道が重なることは、決してない。
これから先も、ずっと。
……。
私はこれからも、このひとと一緒に居たいと……ふたりで生きたいと、願っています。
理解など、されなくて良い……される必要も、無い。
……。
ご厚意を無碍にしてしまい、誠に申し訳御座いません……。
貴方とお話することはもう、何もありません……どうか、お引き取りを。
……。
どうか、お帰り下さい……そしてもう、私の事は忘れて下さい。
私は、貴方と共に歩む事は出来ない……私に必要なのは、貴方ではないのだから。
……。
どうか……どうか。
……どうぞ、お引き取りを。
まことさん……。
今は未だ薄暗いが、此の村の夜は都よりもずっと暗い……精々、足元には気を付けて。
はぁ……。
……己(おれ)は、言った筈だ。
まこと……。
潔く、引け……さもないと。
……あなたが、いてくれて。
さ、お引き取りを。
道中、くれぐれも気を付けて。
……よかっ、た。
亜美さん。
……まこと、さん。
気が付いたかい?
……わたし。
限界に達したのだろう。
あれが、此処を出ると同時に。
……おふとん。
動かないで良いよ、そのままで。
……かんじゃさんは。
誰も。
……。
結局、誰も来なかった。
何よりだ。
……そう、ですか。
診療の刻限は、過ぎた。
けれど、帰れそうになかったら今夜は此処で休もう。
……ここで。
夕餉の支度をするよ。
でも、ここには……。
蓄えがある、これだけあれば何かしら作れる。
勿論、お腹に優しいものを。
……。
万が一に備えて、置いておいて良かった。
……本当に、今夜は此処で。
さっきよりも、躰が熱くなっている。
無理は、しない方が良い。
……でも。
帰りたいかい……?
……かえりたい。
あたしが、一緒に居ても……?
……。
……。
……あなたのいえに、かえりたい。
あたしの……。
……どうか、つれてかえって。
……。
だめ、ですか……。
……今は、もう。
ん……。
……ふたりの家だ。
ふたり、の……。
……だろう?
……。
……灯りを、頼めるかい?
はい……まことさん。
片付けは……あたしは、触らない方が良いか。
……あの。
うん?
……お願いしても、良いですか。
聞きながらになってしまうと思うけど……構わないかい?
……はい、聞いて下さい。
うん……それじゃあ。
……。
薬には、触らないでおくよ。
混ざってしまったら、事だから。
……ん。
これは……この棚だったかな。
……はい、右から二番目の引き出しに。
うん……。
……。
この書物は……この並び、だったか。
……はい、その並びで大丈夫です。
あとは……。
……。
そこまで、多くはないな。
……来たひとが、少なかったので。
うん……皆が元気なのは、良いことだ。
……。
薬を取りに来ていないひとも、居ない?
……はい、居ません。
然うか……良かった。
……。
ん、これで良いかな。
……はい、大丈夫です。
うん。
……あまり、聞かれませんでした。
結構、憶えているみたいだ。
……流石、まことさんですね。
戸締りの確認と灯りの支度も、してしまおうかな。
ふふ……ありがとう、まことさん。
……うん。
……。
寒くはない?
……はい、平気です。
外に出る時は、あたしの羽織を貸すよ。
一枚、余計に羽織っておいた方が良い。
……でも、それだとまことさんが。
亜美さんを背負っていれば、空気の冷たさなんか感じないさ。
……。
戸締り、良し。灯り、良し。
それじゃあ、帰る支度をしようか。
……もぅ。
しがみ付けそうかい?
力が入らないようだったら、紐を使うけど。
……大丈夫です。
……。
……?
なに……。
……試しに、あたしの腕にしがみ付いてみて。
……。
うん、大丈夫そうだ。
……心配性。
躰、起こそうか。
……ひとりで。
ならば、支えるよ。
……おねがいします。
ん。
……。
大丈夫かい……?
……だめですね、ひとと会っただけなのに。
会ったひとにも、よるだろう。
……。
……思っている程ではなかったが、それでも亜美さんには負担だった。
わすれて、くれるでしょうか……。
足元が少し、ふらついていた……あの様子だと、暫くは無理だろう。
そう、ですか……。
そこらで、転げてなければ良いが。
ま、美奈の家の使いの者が居るだろうから、いざとなったら何とかするだろう。
……。
ん、なんだい?
……居なかったら、送ってあげましたか?
いいや、あたしは亜美さんの傍から離れる気はないよ。
……。
亜美さん、羽織を。
それから、あたしの背に。
……。
ん……もう少し、上に。
……。
しっかり、掴まって。
……はい。
少し、立ち上がるよ……良いかい?
……はい、いつでも。
よ、と……。
……。
……足を、持つよ。
こんな姿勢で……大丈夫ですか。
あぁ、大丈夫だ。
……。
片足ずつ、前に。
……はい。
……。
……。
亜美さん……今一度、確りと掴まっていて。
……はい、まことさん。
ん……と。
……。
大丈夫かい。
……だいじょうぶ、です。
うん、なら良かった。
……。
灯りを……持てるかい?
……大丈夫、持てます。
火は、大丈夫だろうか。
灯りの支度をした時に、消したと思うが。
……はい、消えています。
ん……では、帰ろうか。
あたし達の家に。
……はい、帰りましょう。
13日
今日は、静かだな。
良いことだ。
……まことさん。
ん?
そろそろ、畑に。
このまま居るよ。
でも。
居させて欲しい。
……畑は、大丈夫なのですか。
大丈夫だよ、問題ない。
……。
今日はもう、仕舞いにしても良いんだ。
そのつもりで、朝昼にすべきことはしておいたから。
……思っていたよりも、時間が掛かってしまったせいで。
あたしは亜美さんのつれあいとして、当たり前のことをしただけだ。
だから、何も気にしないで欲しい。
……。
若しも、一緒に行くことが出来ずにいたら。
気になり過ぎて、その間、何も手に付かなかったと思うんだ。
すべきこと、いや最低限のことすらも、終わらせることは出来なかったかも知れない。
……まことさんは、心配性ですものね。
然うなんだ。
亜美さんのこととなると、どうにも落ち着くことが出来なくて。
頭がいっぱいになってしまうんだ。
……あなたが、居て呉れて。
……。
……本当に、良かった。
うん……。
……畑は、本当に。
大丈夫だ……本当に、問題ない。
……ありがとう、まことさん。
良いんだ……お礼なんて。
……。
……少しは、楽になってきたかい?
はい……大分。
大分、か……。
……ん。
……。
まことさん……。
……未だ、微熱があるみたいだ。
お薬は飲みましたし……大丈夫です。
夕餉は、食べられそうかい?
……沢山は、食べられないと思います。
全く、食べられないわけではない?
……はい。
然うか……じゃあ今夜は、お腹に優しいものを作ろう。
それならば、どうだろう?
……はい、頂きたいです。
うん……食べ終わったら、今夜は早めに休もう。
こういう時は、ゆっくりと休むのが一番良い。
然うだろう?
……。
ん、亜美さん?
……あの。
うん。
……今夜も、ひとつのお布団で。
……。
……右腕を、貸して頂けると。
あぁ……幾らでも、貸そう。
……痺れそうになったら、退かして下さいね。
痺れそうになったら、ね。
……。
患者さんは、未だ来るだろうか。
……どうでしょう、今日は静かではありますが。
若しも。
……。
……夜中に患者さんの家へ行くようなことがあらば、あたしも行こう。
ありがとうございます……お願いします。
……。
……。
……あれは、いつ帰るのだろうか。
恐らく、明日には……長居は、出来ないでしょうから。
……だとしたら、今宵か。
え……?
……。
今宵って、それは、どういうことですか……?
……男は、分からぬものだ。
分からぬ、もの……。
このまま、大人しく帰って呉れればそれで良い。
……まさか。
ないとは、言えない。
……けれど、まことさんの家までは。
知られていないとは、言い切れない。
……。
……或いは、診療所に。
……!
……だから。
傍に、居て呉れたのですね……。
……時間が、掛かるのだろう。
……。
亜美さんの届け出を読める立場になるのには。
……はい。
噂なんてものを頼りに、都から数里も離れた此の村までわざわざ訪ねてきた。
それ程までの想いを、未練を、いや執着も入っているかも知れないな……なんにせよ、直ぐに断ち切るのは難しいだろう。
……。
……別れ際の顔が、引っ掛かっているんだ。
顔……。
……杞憂で済めば、それで良い。
……っ。
それが、良い。
……は、ぁ。
……?
亜美さん……?
……。
亜美さん、顔色が。
……今更、ですが……怖く、なってしまって。
今更、ではないだろう?
……。
今朝、知らせを受けた時……手が、震えていた。
……やっぱり、気付いていたのですね。
亜美さん、今日はもう診療を終えることは出来ないだろうか。
……それは、出来ません。
……。
刻限までは……此処に、居ます。
……ならば、あたしも居よう。
……。
あたしは、今でも防人だ……心配は、要らない。
……心配は、していません。
必ず、守る。
……ねぇ、まことさん。
うん?
……ふふ。
何か、可笑しなことを言ったかい?
いえ……ちょっと、思い出して。
何を?
……あなたが自分のことを、己(おれ)と言っていたこと。
あぁ。
初めて聞きました。
あれは、防人の頃の名残なんだ。
……防人の。
久々に、出てきてしまった。
防人の頃は、己と言っていたのですね。
なんせ、周りが男ばかりだったからね。
その方が、何かと都合が良かった。
……都合。
昂ると、ほとんどが「けだもの」になる。
見境なく略奪に走る者を、どれ程見たか。
まぁ、ほとんどが死んだが。
……若しも、女だと気付かれたら。
……。
まことさん……。
……あたしは、雷公の生まれ変わりとされていた。
雷公……。
ただの女だったら、間違いなく、此処には居なかっただろう。
生きていたとしても、ろくなものじゃない。
……。
あたしに近付く者は……味方であろうとも、もれなく、雷に打たれたかように動かなくなった。
それこそ、ぴくりとも。似非の見立てでは、何故か、雷死とされた。
雷雲なぞ、何処にもなかったと言うのに。
……。
ひとつの隊を全滅させかけてから、程なくして、あたしは隊長に引き抜かれた。
その頃のあたしは戦場(いくさば)であろうがなかろうが、自分に近付く者は全て……そこに、敵も味方もない。
雷公は、並のひとのこでは到底扱えない。かと言って、戦況を考えると処分するわけにもいかない。
いや、処分すらも出来ない。ただの、ひとのこには。
……隊長さんはどうして、まことさんを。
面白いから。
……面白い。
隊長付きになったあたしは、味方の数を減らすようなことは……あまり、しなくなった。
相変わらず、眠りは浅かったが。
……。
もう言うことはないと思っていたんだけど……未だ、残ってたんだな。
……隊長さんが居て呉れて、良かった。
雷公の生まれ変わりで良かった、ではなくて……?
……確かに、それも大きいと思います。
かなり、ね……。
……だけど、まことさんがまことさんで居られたのは。
隊長のおかげ?
……。
うーん、然うなのかな。
……少なくとも、まことさんを生かして呉れました。
でも、あたしの命を拾って呉れたのは亜美さんだ。
……。
死にかけていた……死にたがっていたあたしを、助けて呉れた。
亜美さんが居なかったら、隊長が居ようが、雷公の生まれ変わりだろうが、間違いなく死んでいた。
……。
縁は異なものとは、良く言ったものだね。
……はい、本当に。
……。
……何か一つでも、欠けていたら。
あたしは、此処には居なかった。
ん……まことさん。
……唇も、熱い。
もぅ……未だ、診療時間ですよ。
……はは、ごめんよ。
ふふ……。
……。
今日の診療が、終わるまで……あと、一刻程。
……このまま、何事もなければ、
……。
……。
まことさん……?
……来た。
え。
……あれだ。
本当に……。
……思っていたよりも、早かった。
……。
……亜美さん。
はい、まことさん。
……。
……何か、御用ですか。
12日
……。
私は今後も、此の村で医生を続けて参ります。
故に、都に戻るつもりは毛頭御座いません。
……。
此処に居る木野まことを生涯のつれあいとする、然う固く心に決めております。
彼の者もまた、この不束な私を己の生涯のつれあいにと……固く、誓って下さいました。
故に、彼の者以外と所帯を持つ事など、一切、ありません。
私の意思は、何があろうとも、揺らぐ事は無いのです。
……。
都から遠路遥々と私を訪ねて来て下さった事、誠に有難う存じます。
改めて申し上げますが、私の意志は固く、此の先も変わる事は決して御座いません。
申し訳御座いません。
……。
それでは、診るべき患者さんが待っておりますので。
村長(むらおさ)、お手数ですがどうぞ良しなに。
……。
此れにて失礼致します。
行きましょう、まことさん。
……あぁ、行こう。
……。
……。
……申し訳ありませんが、此れ以上は堂々巡りになるだけです。
……。
私から言うべき事はもう、ないのですから。
……しつこい男だな。
まことさん。
ん、済まない。
さようなら、どうかお達者で。
道中の無事をお祈り致しております。
……。
では。
……。
……止めて下さい、まことさんにまで。
亜美さん。
……。
大丈夫だ、問題ない。
……はい、分かりました。
済まないが、あたしはお前の言い分を聞くつもりは全くない。
何を言われようとも、彼の者を都に帰す気も、ましてやお前に譲る気も、一切、ないからだ。
此処に居る水野亜美は、あたしの生涯のつれあい、そしてあたしは、彼の者の生涯のつれあいだと。然う、固く心に誓い合った。
故に。
……。
潔く、引け。
此れ以上、あたしのつれあいに何か言い寄ろうと言うのならば……己(おれ)は、お前を赦さないだろう。
……。
行こうか、亜美さん。
……はい、まことさん。
じゃあ、長。
後は、適当にやっておいて呉れ……あ?
ああ、分かってるよ。猪肉、だろう? 獲れたら、持ってくるよ。
では、失礼致します。
はい、猪肉ですね。ちゃんと憶えておきますね。
亜美さんに言わなくたって……まぁ、忘れるだろうが。
ふふ。
たく。
行きましょう、まことさん。
あぁ、亜美さん。
……はぁ。
亜美さん。
大丈夫です……大丈夫、ですけど。
大丈夫そうには、見えない。
……同窓と会うのは、大学を卒業して以来で。
向こうは良く、憶えていたようだったが……良く話すような間柄では、なかったのだろう?
学科は同じでしたが、老師は違ったので……接点は、あまりなかったと。
それなのに……か。
本当に、驚きました……まさか、訪ねてくるなんて。
……。
確かに、何度か話したことはあると記憶しています……ですが、今日まで忘れていました。
都でのことはなるべく、特にひとについては、記憶に留めておきたくなかったので……。
……文が来たことも、ただの一度もないのだろう?
はい……一度も、ありません。
どうして、亜美さんの居場所が分かったんだろうか。
限られたひとにしか、言い残してこなかったのだろう?
……恐らくは、医生の。
うん?
都には、医生会というものがあります。
いせいかい?
都の医生を管理している組織のことです。
亜美さんは、其処に居た?
いや、今も居る?
いえ、今は。
……然うか。
私はかつて、その組織に所属していました。
いえ、所属させられていたのです。
させられて?
所属するのか、己の意思で決めるのではないのか?
私は、出来れば所属したくはなかったんです。
けれど、所属しないと都では……医生として、認められないから。
大学で学んだ、それだけでは駄目なのか?
それだけは……資格だけでは、医生として生きられないのです。
小さな開業医ならば……けれどそれでは、少なくとも都では生計が立てられない。
まともな薬も、回ってこない……ひとつ間違えば、闇の者に。
……。
……最終的に、私ひとりの我侭で母の顔を潰す気かと。
脅されたのか。
……思えば、それに近かったかも知れませんね。
馬鹿々々しい……。
……でも、だから、私は都から出ようと明確に思えたのです。
……。
都から出たいと思ってはいましたが、決心出来る程の強さがなく……外の世界に出たところで、私のような人間がやっていけるわけがないと。
けれど、此処に居ては、私は呼吸すらまともに出来なくなってしまう……何処に居ようとも生きられないのなら、最期に、己の道は己で決めようと。
……亜美さん。
決めたことで、あなたに出逢えた。
……。
決められずそのまま都に残っていたら、あなたと出逢うことは屹度なかった。
呼吸も儘ならぬまま、望まぬ縁談すら押し付けられ、心を押し潰され……生を、終えていたかも知れない。
……帰さない。
……。
都には。
……帰りません、決して。
……。
……手、ごめんなさい。
いや……あたしも、繋ごうと思っていたから。
……安心するんです。
うん……あたしもだ。
……冬では、ないのに。
震える心に、季節など関係ないよ。
……。
雪は、融けようと……また、降ってくるから。
積もらせない為にも、温もりは必要なんだ。
……はい。
……。
……私の居場所のことなのですが。
うん……。
何処へゆくか、何処で生きるか……医生として生きるのならば、会に届け出をする必要があるのです。
都から出る時も?
……。
何処までも、縛ろうとするのだな。
仮令、流れの者という扱いを受けようとも、私は医生会から抜けることにしました。
抜けなければ、都から出ても縛られ続けることになる。それだけは、絶対に嫌だったんです。
……。
その時に、最後の届け出を。
すんなり、抜けられたのか?
……いえ。
だろうな。
……ひとたび流れてしまうと、二度と戻ることは出来ないとされています。
けど、亜美さんはそれでも構わなかったのだろう……?
……戻るつもりなど、ありませんでしたから。
あたしも、戻すつもりはないよ。
何度でも、言うけれど。
ふふ……はい。
……決して、離さない。
まことさん……。
……亜美さんがあたしの傍に居たいと、思って呉れる限り。
ずっと……ずっと、離さないで。
……あぁ、ずっと。
……。
……届け出には、凡そで、詳しい場所は書きませんでした。
流れの者は、ひとつの処に留まらない……であるならば、詳しい場所など書けないだろう。
……その筈、だったのですが。
……。
縁は異なものとは、良く言ったものですね。
はは、全くだ。
……人生すら、変えてしまう。
……。
……彼は、所属しているのでしょう。
……。
左腕に、その証がありましたから。
証……妙な意匠の?
然うです。
……。
意匠を見る限り、上の立場になったようです。
だから、私の届け出を……?
……。
まことさん?
……昔、あの意匠を何処かで見たことがある。
……。
然う、あれらは……塵を見るような目で、防人のことを。
……彼等にとって、命は、平等なものではないのです。
……。
下の者ならば、或いは……。
……亜美さんがあれらと同じでなくて、良かった。
……。
だけど、あれはどうして今頃此の村に。
そもそも、どうして此の村だと分かった?
彼は恐らく、私の届け出を見たのだと思います。
それで、今頃?
亜美さんが此の村に来て、もう大分経つだろう?
見る為には管理する者にならなければなりません。その為には、時間が必要なんです。
時間だけではない、それに見合った「労力」も求められる。
それは、医生としてではなく。
……。
身分と、あとは強力な後ろ盾が居れば……然うでなければ、相応の時間と労力を掛けなければなりません。
けれど、掛けたところで……。
……なれるわけでは、ない。
然うです……ほとんどが、なれません。
……嫌なところだ、亜美さんが所属したくないと思った気持ちが痛いほど分かる。
此の村だと、判断したのは……私が、此の辺りで噂になっているからでしょう。
美奈子ちゃんが、いつか、言っていましたから。
……噂とは、厄介なものだ。
然うですね……。
……もう、来ないだろうか。
来たところで、答えは変わりません。
……いや。
……?
次は、美奈が此の村に入れないだろう。
美奈子ちゃんが?
あいつ……目が、笑っていなかったろう?
……はい、どちらかと言うと冷たい目を。
それは、あれが「余所者」だからだ。
余所者……。
亜美さんを訪ねてきたから、中に入れた。
が、亜美さんはあれを認めなかった。
だから、次はない。
……。
余所者を見て、耳で確認する……それが、あいつの引き継いだものなんだ。
……子供の頃から、ですよね。
あぁ……未だ、引き継いではいなかったが。
ふと、思うことがあるんです。
私は何故、此の村に入れたのか……私も、「余所者」であったのに。
……。
医生だから、ではないような気がして。
……それは。
思い違いかも知れませんが……あの時の美奈子ちゃんの目は笑っていたと思うんです。
……その為の、あたしだったんだ。
どういうことですか……?
……あたしが気に入るか、あいつは試したんだよ。
……。
結果的に、あたしは亜美さんに惚れてしまった。しかも、一目で。
これはあいつにとって大分都合が良かった。医生を此の村に置く絶好の機会だったから。
……そんなことを。
あたしが、惚れたことで……亜美さんは、「余所者」ではなくなった。
あたしの、唯一の想い人になった……。
……。
あたしは、此の村でたったひとりの防人だったろう?
故に、あたしが惚れてしまえば、村の皆は亜美さんを追い出すことは出来なくなる。
滅茶苦茶に聞こえるかも知れないが……それだけ、あたしの立場は強いものだったんだ。
……まことさんは、知っていたのですか。
いや……あの頃は、そんなことを考える余裕なんてなかった。
想いが通じてからも……亜美さんのことばかりで。
その……惚れて呉れる前に、気が付かなかったのですか。
……それが、ちっとも。
……。
思えば、どうしてか……少し考えれば、分かることだったのに。
考えることも、億劫になっていたのかも知れない……死んだように、生きていたから。
若しも、まことさんと結ばれなかったら……私は、此の村から。
いや、それはない。
……ないのですか。
一度、村の者と認められてしまえば……村八分にでもならない限り、追い出されることはない。
何より、村に馴染んで呉れたろう? 早いうちから、村の者に頼りにされて。
……まことさんのお蔭です。
あたしは……その、下心もあったし。
……ふふ、然うでしたね。
……。
……。
……患者さん、待っているだろうか。
分かりません……ですが、早く戻らないと。
然うだな、だけど。
……ん。
顔が、疲れている。
……。
誰も待っていないようだったら、少し休もう。
あたしと一緒に。
……はい。
11日
……今日もお早う、亜美さん。
お早うございます……まことさん。
良く眠れたかい?
はい……お蔭様で。
……然うか。
まことさんは、良く眠れましたか?
うん、眠れたよ。
……然うですか。
良かったら、今夜も一緒に。
考えておきます。
うん。
もう少ししたら起きて、朝の支度をしないと。
それまで、もう暫しの間。
ん……くすぐったいです。
ふふ。
もぅ、直ぐに戯れようとするんだから。
共寝をした朝の楽しみなんだ。
飽きもせず。
あたしが、飽きると思うかい?
……思わない。
ふふ、だろう……?
……そこは、だめ。
じゃあ……ここは?
そこも、だめ。
んー……。
……ゆうべ、さんざ触ったのに。
ゆうべは、ゆうべの分……今朝は、今朝の分。
……あぁ、もぅ。
大丈夫……ゆうべのような触り方は、しないから。
……当たり前です。
亜美さんも、触って。
……言われずとも。
うん……。
……。
ふふ……くすぐったい。
……ねぇ。
なんだい……?
……季節の変わり目に、なったら。
痛むような時は、直ぐに言うよ……。
……必ずよ。
うん、必ずだ……。
……。
ね、亜美さん……。
……なぁに、まことさん。
あたしに、白……似合うかな。
……とても似合うと思うわ。
白でも、あたしに似合うのは……。
……ううん、それではないわ。
……。
あなたに似合う白は……私と、ふたりで纏う白よ。
……あたし、白を纏うつもりはなかったんだ。
知ってる……。
……良いのかな。
良いのよ。
……。
良いの。
……。
だから……どうか、見せてね。
……うん。
……。
……ごめん、朝からこんな話。
ううん……気にしないで。
……早く見たいな、亜美さんの白無垢姿。
私も、早く見たいわ……。
……あまり、期待しないで貰えると。
だったら……まことさんも、期待しないでね。
……それは、無理かなぁ。
私も、同じ……。
……にやにや、する?
それは……しない。
……亜美さんは、外ではあまり顔に出ないよね。
それが、然うでもないの。
え?
……わりと、出ているみたい。
それは、誰が。
……言わなくても、分かるでしょう?
んー……ひとりは、分かるかな。
……あと、ひとり。
……。
分からない……?
……分かったような、気がする。
多分、間違っていないわ。
他の者には……?
……たまに、機嫌が良さそうだと言われるくらい。
あぁ……まぁ、それくらいなら良くあることだ。
心配しないで……まことさんほどでは、ないから。
あー……はは、然うだよな。
ふふ……。
……亜美。
まこ……ん。
……。
……もぅ、まことさん?
今日も、きれいだ。
……まことさんも。
……。
……そろそろ。
うん……そろそろ。
……朝餉の支度は、しておきます。
ありがとう……楽しみにしてる。
……お昼は、いつも通りだと。
分かった……その頃に、行くよ。
……若しも、手が離せそうになかったら。
その時は、待っているけれど……どうにもならなそうだったら、いつものところに置いておくよ。
手が空いた時に、忘れずに食べて欲しい。
……はい。
昼を一緒に食べられなかったら……顔を、見に行く。
……私も、外に出るようなことがあったら。
日が暮れたら、迎えに行く……。
……はい、待っています。
患者さんが居たら……邪魔にならぬよう、待っているよ。
……中で、待っていて。
あぁ……然うする。
……。
……そろそろ、なのだけれど。
夜になれば、また……。
……良いのかい?
共寝をするとは、言っていないわ。
……考えておいて欲しい。
ふふ……ええ、考えておくわ。
……。
……まことさん。
うん……起きよう。
……。
今頃の時期は、布団から出ても空気が冷たくないから未だ良い。
……然うですね。
冷たいと、戻りたくなってしまって。
目は、すっきりと覚めますよ。
すっきりとは、覚めるが……布団の、いや、亜美さんの温もりが恋しいことには変わりない。
……着替えは、此処に。
ありがとう。
……冬はより、恋しさが増す。
冬は、心が弱る……とは、良く言ったものだ。
……本当に。
獣も、ひとのこも、温もりには抗えない。
特に、愛しい命の温もりには。
……。
……。
……ところで。
うん?
……見てますよね。
うん、身支度をしながら見てる。
……毎朝、飽きもせずに。
きれいだから、毎朝見たいんだ。
……大事な畑が、待っていますよ。
うん……身支度が終わったら、直ぐに行く。
……。
……前は、恥ずかしがっていたのに。
そんなことを言っていたら、着替えられませんから。
ん、確かに。
……。
よし、それじゃあ顔を洗ってくる。
……はい、行ってらっしゃい。
顔を洗ったら一度、戻ってくる。
……はい。
うん。
……。
あぁ、今日も良い天気だ。
……ん、これでよし。
この時期は、水も冷たくないから……ん?
……まことさんが、顔を洗ったら。
あぁ、お早う。
随分と早いけど、若しかして急患か?
……?
直ぐに、亜美さんを……あ?
まことさん、どうかしましたか?
亜美さんに、都から……?
まことさん……?
……そんな知らせだったら、朝から来なくても良いだろう。
誰か来たのですか……?
……こんな、朝早くから。
まことさん。
……亜美さん。
若しかして、
いや、違う。
え?
美奈の家の、使いの者だ。
美奈子ちゃんの……?
……。
はい、お早うございます。
……。
私を訪ねて、ですか。はい、分かりました。
では、後でお伺い……は、診療所に?
……。
いえ、此方からお伺い致します。
診療所に来られても、持て成しは一切、出来かねますので。
……。
お伺いする時は、まことさん。
……ん。
まことさんも一緒にお伺い致します。
宜しいでしょうか。
……。
まことさんも、良いでしょうか。
あたしは、構わない。
ありがとうございます。
それでは、然ういうことで……どうぞ、宜しくお伝え下さい。
10日
……。
……ねぇ。
……。
……眠ってる?
……。
……然うよね、私だって眠っていたんだもの。
……。
きれいな顔……少し、日に焼けていて……青白さなんて、どこにもない。
都人のような皮肉っぽさや、嫌味、神経質さも感じない……。
……。
目鼻立ちが、はっきりとしていて……まつげも、長いのよね。
お化粧を施したら、きっと、もっと……。
……化粧は、好きじゃないんだ。
あ。
いつか、話したと思うけれど。
顔に何かを塗るのが、どうにも苦手でさ。
……はい、聞きました。
亜美さんが作って呉れたどくだみ水、あたしにはそれがあれば十分だ。
しかもあれは顔だけでなく、躰全体に使えるだろう?
……。
踵ががさがさになりがちだったけれど、あれをつけるようになったら調子が良いんだ。
特に空気が冷たく乾燥する冬にはなくてはならない、とても重宝している。
……。
亜美さんに言われるまで、気にしたことなんてなかったと言うのにね。
……私も、お化粧には詳しくないのに。
医生の視点で、教えて呉れたんだろう?
どくだみにそんな効果があるだなんて、あたしはずっと知らなかった。
茶にするか、食うか、それぐらいしか。
……私に出来ることと言えば、あの頃は、それくらいだったから。
それくらい、か……。
ん……まことさん。
目が覚めてしまった?
……ごめんなさい。
起こしてしまって?
……。
別に構わさないさ……あたしも、何度もあるし。
これからも、あるだろうし……ね。
……うん。
姿勢、どうしようか……このままの方が、良い?
それとも、向き合った方が良い……?
……。
背を向けるのは、あたしは、嫌かな。
……眠らなくても、良いの。
眠った方が、良いかい?
……。
さて、どうしようか……。
……向き合って。
ん……分かった。
……腕は。
あたしは……このままが良いと、思っているけれど。
……痺れては、いない?
ん……未だ、大丈夫だ。
……痺れそうになったら、いつでも退かして。
あぁ、然うするよ……。
……。
……亜美。
まことさん……。
……さんは、要らない。
……。
まぁ、良いか……眠るまで、呼んで呉れていたし。
……もぅ。
はは……。
……。
……化粧、か。
ん……。
亜美さんが化粧をしたら、きれいなんだろうか。
……私は。
化粧をせずとも、こんなに美しいのだから。
……お化粧、なんて。
……。
まことさん……?
……そろそろ、祝言を挙げたい。
あ……。
……なんだかんだ忙しくて、挙げられていないから。
……。
祝言なぞ挙げなくても、共に生きることは出来る……けれど。
……。
次の春が、来たら……その時に、どうだろうか。
……喜んで。
え……。
……宜しく、お願いします。
あ、あぁ……。
私が、花嫁なんて……少し、気恥ずかしいですが。
ほ、本当に良いのかい……?
……はい。
そ、然うと決まれば、し、支度をしなければ……。
でも。
え。
春は、忙しいので……また、出来なかったなんてことに。
然うならないように、前もって支度をしておこうと思う。
……村長(むらおさ)にも、改めてお話するのですよね。
機会を見て、ふたりで話そう。
こういうことは、ふたりでの方が良いから……面倒では、あるが。
いえ……大事なことですから。
……ふたりだけで挙げられるのなら、それに越したことはないのだけれど。
けれど、そんなことは。
無理だ……どうやっても、美奈には知られてしまう。
……。
隠していることに気付かれた時、間違いなく厄介なことになるだろう。
無駄に騒がれて、事を大きくされてしまうかも知れない。
……然うですよね。
あたしは、どうにも顔に出てしまう。
だから、畑仕事中であっても、亜美さんの花嫁姿をふと想像してはにやにやしてしまうだろう。
それを、村の誰かに見られたりでもしたら。
……。
美奈は、あいつは子供の頃から、厄介な程に耳聡い。
今のあいつの立場を考えれば、それは良いことなのだろうが……それにしたって、厄介には変わりない。
……にやにやと、しなければ良いだけでは。
ごめん、無理だ。
……そんなはっきりと。
だけど、分かるだろう?
……分かります。
こればかり、どうしようもないんだ……ごめん。
……いつ、お話するのですか。
冬が来る頃に。
……冬が?
これから、秋が始まる。
……。
冬が来る前に、祝言を挙げた方が良いと言われる。
絶対に。
……それは。
知っての通り、冬はどうしても閉じ籠りがちになる。挙句に、長い。
であるならば、その前に皆で飲んで楽しく騒ぎたい。
正月があると雖も、祝言は滅多にないことだから。
……。
利用されるなんて、真っ平御免だ。
……それだけですか。
うん?
それだけで、春に。
冬の前に利用されるのが嫌だと言うのなら、夏でも良いと思いますが。
……。
まことさん。
……春は、亜美さんと出逢った季節だ。
……。
だから……祝言を挙げられるのならば、春にしたい。
……。
けれど亜美さんが、夏が良いと言うのなら、あたしはそれで良い。
夏も、緑が美しくて良い季節だ。
……いえ、春で良いと思います。
……。
ううん……春が、良いです。
……良いのかい?
はい……春にしましょう。
あぁ。
……次の春に挙げられるように、支度をしないといけませんね。
冬が来る前に、町へ行きたいと思う。
……町に?
祝言用の着物を、誂えたい。
わざわざ、誂えるなんて。
誰かに、お借りすれば。
いいや、亜美さんのは新しいのが良い。
私のはって、まことさんのはどうするのですか。
あたしのは、それこそ借り物で良いんだ。
そんな、駄目です。
あたしに新しいのは要らないよ。
私だって、然うです。
誰も袖を通したことのない着物を、亜美さんには着て欲しいんだ。
あなたの思いばかり、私の思いは聞いて呉れないの。
……。
まことさん。
……けど、二着は。
私が。
……。
あなたが私の着物を誂えると言うのなら、私があなたの着物を誂えるわ。
それで、良いでしょう?
……いや、でも。
叶わないのなら、誰かにお借りしましょう。
……。
私だって、真新しい着物を纏ったあなたの花嫁姿を見たいの。
……うぇ。
うぇって何ですか。
あ、や、あ、あたしの花嫁姿って……。
花婿では、ないでしょう?
そ、然うだけど……。
然うなの。
は、はい。
……。
あ、あー……。
……祝言は、ふたりで挙げるもの。
……。
私は、あなたの花嫁として。
あなたは……私の、花嫁として。
……うん。
……。
……分かった、あたしのも誂えよう。
はい、喜んで。
いや、自分の分は自分で……。
だったら、私も自分の分は自分で誂えます。
……。
未だ、何かありますか?
……いや、気恥ずかしいなって。
……。
はは……。
……ふふ。
……。
……まことさん?
あたしのような者が、白を纏って良いのだろうか。
……。
いや……もう、言うまい。
……まこと。
……。
……そろそろ、眠りましょうか。
亜美の話を、未だ聞いていないよ。
……それはまた、いずれ。
話さなくても、良いのかい……?
……良いの。
ごめん。
……どうして謝るの?
あたしばかり。
……。
あたしが、祝言の話に持って行ったから。
……あなたばかりではないわ。
……。
祝言は、私のことでもあるのだから。
……亜美。
だけど、然うね……ほんの少しだけ、良い?
……勿論。
……。
亜美……?
……若しも不老長寿なんてものが、叶うとしたら。
ふろう……?
老いることもなく、病になることもなく、百年……いえ、千年の時を生きられるとしたら。
まことは、どう思う?
千年の、時……。
……学生の頃、度々、戯言として。
亜美は……いや、然うだな。
……。
千年は、あまりにも長い……あたしの手に、余る。
……老いることもなければ、病になることもないとしても。
それでも、千年は長すぎる……そんなに生きたら、ひとのこは、ひとのこで居られるのか。
若しも、長い時をひとりで生きるとしたら……正気を、保っていられるのか……仙人にでもならなければ、生きてはいられないのではないか。
……ひとりでなければ、あなたは。
亜美が、傍に居て呉れれば。
……生きられる?
生きられるかも、知れない……分からない。
……然う。
亜美は……。
……仮令正気を失ったとしても、あなたさえ傍に居て呉れれば。
……。
所詮は、戯言……。
……医生でも、戯言なんて話すんだね。
ええ……結局は、ひとのこに過ぎないから。
……。
……聞いて呉れて、ありがとう。
聞けて、良かったと思う。
……。
……眠ろうか。
ん……。
……眠れそうかい?
……。
然うか……じゃあおやすみ、亜美。
おやすみなさい……まこと。
9日
ん……。
……。
……また、かい?
ちがう……。
……まだ、欲しいのなら。
ちがいま、……ん。
……。
……だから、ちがうと。
違う……?
……ちがいます。
そっか、違うのか……残念。
……。
ん……なに?
……あなたは、変わらないですね。
然うかな……。
……変わらず、私を求めて呉れる。
亜美さんを求めるのは……何年、いや何十年経とうが、変わらない自信がある。
……私がおばあちゃんになっても、ですか。
可愛いおばあちゃんになってるだろうな……。
……答えになってません。
言ったろう……変わらない自信があると。
……。
亜美さんがおばあちゃんになったら、あたしもおばあちゃんだ……そんな歳を食ったあたしに求められるのは、嫌かい?
……体力が、もちません。
体力……。
……あなたは、老いても体力がありそうで。
いや、それなりには衰えていると思うが。
少なくとも、今のようには出来ないだろう。
……仕事でもなんでも、若い頃からずっと、躰を動かす習慣があるひとは。
うん?
躰を壊してしまわぬ限り、歳を重ねても、躰を動かさないひとよりも体力があると言われています。
まぁ、それは然うだろう。
体力は躰を動かさなければつかない、と言うよりつきようがないのだから。
……あなたも、そのひとりだと思います。
あたしも?
……若しかしたら、還暦を過ぎても。
けど、亜美さんもわりと躰を動かしていると思うよ。
忙しいと、村の中をずっと走り回っているだろう?
……走り回っては、いませんが。
いや、然ういう日もある。
あたしが言うのだから、間違いない。
……。
走っている亜美さんに声を掛けても、大抵、返事どころではないから。
慣れてない頃は無視をされてしまったのかと思って、落ち込んだりもしたんだ。
あまりにも鬱陶しくて、とうとう嫌われてしまったのかも知れないと、考え込んだりもね。
……それは、違うと。
それでも、慣れないうちは……なかなか、さ。
あたしも、若かったから。
……今は、どうなのですか。
今は……お、今日は走ってるなって。
一応、声は掛けてみるけど、それで返事が返ってこなくても落ち込みはしない。
……ちっとも?
今は、余程のことがない限り、夜になれば必ず逢えるだろう?
話も出来るし、ごはんも一緒に食べることが出来る。ひとつの布団で眠ることだって出来る。
まぁ、これは毎晩ではないけれど、だけど、隣を見れば居て呉れる。
手を伸ばせば、届く所に居て呉れる。
……。
だけど、然うだな。
歩いている時に改めて声を掛けるか、或いは、頃合いを見計らって診療所に行くか。
昼だったら、ごはんを持って行くか、それとも、うちに誘うか。若しくは、あたしのお気に入りの場所で食べるか。
そんなことを考えたりは、してるかな。
……もう、落ち込むことはないのですね。
うん、それで落ち込むことはなくなった。
……然う。
若しかして……淋しいかい?
……いえ、そんなことは。
然うかな……少しだけ淋しいって顔をしているような気がするけど。
……私も、若くはないので。
いや、亜美さんはまだまだ若いよ。
……ん。
肌なんか、ほら……こんなにきれいだ。
……それは外見の話で、私が言っているのは。
なめらかで、すべすべで……どんな玉(ぎょく)よりも、美しい。
……やっぱり、おばあちゃんになったら衰えるのではないでしょうか。
うん、どうしてだい?
歳を取れば、肌はしわしわになってしまいます。
そんな肌に……触れたい、だなんて。
しわしわになるからって、別にきれいでなくなるわけではないだろう?
きれいなものは、きれいなままだ。
……。
ん?
……まことさんって。
あたしって?
……私のこと、本当に。
大好きだ。
……。
ずっと。
……まことさんが言うと、本当に然うなのだと思えます。
本当に然うなのだから、然う思っていて欲しい。
……。
ん、亜美さん?
……目を、閉じて。
目を?
……うん。
分かった……。
……。
……ん?
……。
亜美さん……?
……何か、聞こえますか?
うん、なに……?
……。
なんて言ったんだい……?
……何か聞こえますか、と。
……。
私の手に、耳を塞がれた時……何か、聞こえましたか。
……もう一度、良いかい。
はい……。
……。
……何も、聞こえませんか。
いや……聞こえる。
……。
ごぉぉと……小さな地鳴りのような、そんな音が聞こえる。
……然うですか。
亜美さんの音だ。
……。
だけど、脈や心臓の音とは違う……なんの音だろう。
……筋音と、言われています。
きんおん?
つまり、筋肉の音です。
へぇ、筋肉にも音があるのか。
……ここの、筋肉。
腕?
……上腕二頭筋が曲がって収縮した時に、引き起こされる音だと言われています。
然うか……では。
まことさん。
目を、瞑って。
……。
……どうだい、聞こえるかい?
はい……聞こえます。
……筋肉の音だなんて、面白いな。
これが、まことさんの……。
……うん、あたしの筋音だ。
心臓の音とは、違う……大地のように、力強い。
……亜美さんの音も、然うだったよ。
……。
うん……たまには、こういうのも良いかも知れない。
……変だとは、思いませんでしたか?
ん、どうしてだい?
……急に耳に手を当てて、音が聞こえるかなんて。
別に、思わないよ。
……話の流れを、無視しているのに。
したくなったんだろう、急に。
……。
だったら、あたしはそれを受け入れるだけだ。
だから、変だとは思わない。
……たまに、してみても良い?
うん、良いよ。
あたしも、してみても良いかい?
……うん、してみて。
うん……。
……。
ねぇ、亜美さん。
……なに、まことさん。
思うに……都に居た頃より、体力がついているのではないか。
……どうして、然う思うの。
村に来た頃の亜美さんは、細くて、白くて、風が強く吹けば折れてしまいそうで。
歩いていても、微かに息が切れているようで……とても、体力があるようには見えなかった。
……。
だけど、今は……少し肉が付いて、相変わらず白いけれど、それでも青白いわけではない。
往診で村の中を動き回っていて、あたしが作ったごはんも食べて呉れて……だから。
……ついていると、思うわ。
然うか……やっぱり。
……初めの頃は、一度で力尽きてしまうことが多くて。
うん……うん?
……だけど、今は。
えと……?
……ふふ。
……。
ん……まことさん。
……もう一度。
……。
良いかい……?
……まだ、欲しいの?
あぁ、欲しい……欲しくて、堪らない。
……。
亜美さん……。
……髪の短い、あなたを。
……。
想像、してみたけれど……。
……抱かれている間に?
ううん……少しの暇(いとま)に。
……あぁ、だから。
それなのに、あなたったら……。
……どちらが、良い?
どちらでも……。
……どちらでも?
髪が長いあなたも、短いあなたも……。
……。
……素敵だと。
8日
ふぅ、さっぱりした。
……ん。
亜美さん。
まことさん。
ただいま、今出たよ。
お帰りなさい。
うん。
お湯加減は如何でしたか。
ん、とても気持ち良かった。
入浴している間に、温くなってしまうようなことはありませんでしたか。
今夜は少し、気温が下がっているようなので。
大丈夫、出るまで十分な湯加減だった。
夏は湯がなかなか冷めないから良い、冬だと亜炭を使っていたとしてもこうはいかないからさ。
亜美さんは……書物を、読んでいたのかい?
……はい。
もう少し、読むだろう?
お茶でも淹れよう。
ううん、もう今夜は。
良いのかい?
続きは、明日にします。
然うか。
でも、お茶は飲むだろう?
私が、
いや、あたしが。
ですが、未だ髪の毛が。
なに、手拭いがあるから大丈夫だよ。
ちゃんと拭いて下さい、冷えてしまいます。
なら、こうしよう。
……。
これなら、良いだろう?
手拭いを頭に巻いただけではないですか。
これなら、勝手に吸い込んで呉れる。
もぅ、またそんな横着をして。
ははは。
ははは、じゃありません。
と。
少しだけ屈んで。
……。
早く。
……はい。
じっとしていて下さいね。
……分かってます。
せめて。
……あぁ、気持ちが良い。
……。
うん?
……最初から、そのつもりで。
い、いや、違う。
……なら、良いですけれど。
はは……。
……。
……髪、切ろうかな。
髪を? どうしてですか?
いや、短い方が乾きが良いだろうし。
おかしいかな。
いえ、そんなことは……まことさんが、然うしたいのなら。
やっぱり、止めた。
……どうして?
切ったら、拭いてもらえなくなってしまうと思うから。
それは、とても、勿体ない。
……もぅ、なんですかその理由は。
短くても、拭いてもらえるなら。
短いのなら、私が拭く必要はないと思います。
……やっぱり、このままで居よう。
子供みたいなことばかり。
……。
……まことさん。
考えて、呉れた?
……。
今夜は……布団、幾つ敷く?
……答えは。
うん……。
……未だ、です。
あれ。
……はい、これで良し。
うぉ。
お茶、淹れますね。
待った、あたしが。
……。
あー……。
お湯は沸いているのですから、直ぐですよ。
……分かった、大人しく待ってるよ。
はい、然うして下さい。
ありがとう、亜美さん。
どういたしまして、まことさん。
……はぁ。
……。
まぁ、良いか……この眺めも、好きだし。
何か言いましたか?
お茶を淹れて呉れる亜美さんも、好きだと。
然うですか。
本当だよ。
知ってます。
いまいち、伝わっていないような。
伝わっていますよ。
もっと、伝えたい。
……。
……未だ、寝るまでには時間がある。
まことさん。
ん。
どうぞ、熱いから気を付けて下さいね。
あぁ、気を付けるよ。
ありがとう。
はい。
……飲む前に、少し良いかな。
何でしょうか。
手を。
……。
手を、亜美さん。
……はい。
……。
……。
……うん、そこまでは冷たくない。
……。
湯冷めは、していないかい?
一枚、羽織っていますし……家の中は、未だ温かいので。
言って呉れれば、直ぐに温める。
……。
では、頂きます。
……はい、どうぞ。
……。
……如何でしょうか。
うん……美味しい。
亜美さんが淹れて呉れるお茶は、格別だ。
……お茶っ葉の残りが、少なくなってきました。
直に、秋の行商が来る……多めに買っておこう。
……はい、まことさん。
ふぅ……美味しいな。
……外。
うん?
……秋の虫が鳴いています。
あぁ、然うだねぇ。
秋は、もうそこまで来ているのですね。
うん、もう直ぐだ。
初秋から仲秋にかけて夏の疲れが出やすく、そのせいで体調を崩しやすくなります。
くれぐれも無理だけはしないで下さい。
亜美さんも。
まさに体調を崩した村の皆が亜美さんを頼りに、診療所にゆくだろうから。
はい……気を付けます。
あたしは精が付くものを作ろう。
……精。
秋と言えば、猪肉だ。
今年も大物が獲れるよう、力を尽くすよ。
……。
仲秋の終わり頃、先ずは罠を張りに犬を連れて山に入る。
その時はちゃんと、亜美さんに伝えるよ。勿論、美奈にもだ。
……まことさん。
今では、あたしひとりではなくなった。
狩りにはひとりで、いや犬と行くが。
……。
無謀なことは、決してしない。
永遠に、約束する。
……それも、然うなのですが。
うん?
……その、程々で。
あぁ、勿論だ。
命を落としかねないようなことは、
……。
……?
亜美さん……?
……あまり、精が付き過ぎても。
あぁ、然ういうことか。
……。
それはそれで、良いと思うけど。
だめです。
と。
だめなんです。
そこまで?
毎年、だめだと言うのに……流されてしまう自分が居て。
今年こそは……然う、今年こそは流されないように。
こちらとしては、堪らないのだけど。
まことさん。
何と言うか、年に数回の楽しみと言うか。
楽しみにしないで下さい。
いや、それは無理かな……。
兎に角、今年は
食べたくないかい?
……。
あたしが獲った猪肉で、味噌鍋……食べたくは、ない?
……。
鍋の〆には白米を入れて、雑炊に……ふたりで食べると、堪らなく美味いんだ。
……あぁ、もぅ。
食べたくなってきたかい……?
……まことさんのばか。
む。
食べたくなったところで、今は食べられないではありませんか。
それは、然うだ……ごめんよ、亜美さん。
……。
と言うわけだから、今秋も今冬もふたりで美味しく食べよう。
……ん。
良し、俄然やる気が出てきた。
……未だ、早いです。
然うかい?
然うです。
はは、然うか。
……もぅ。
あぁ、話していたらあたしも食べたくなってきてしまった。
まことさんが悪いんですよ。
全くだ、済まない。
謝罪されたところで、食べたいという気持ちは直ぐには消えて呉れません。
本当にどうして呉れるのですか。
近く、山鳥を獲ってこようか。
山鳥と猪は違います。
うん、違うな。
どうして呉れるのです?
これは困った、どうしたら良いのだろうか。
私は、知りません。
亜美さん。
調子に乗るからですよ。
本当、直ぐに乗るんですから。
ごめん、申し訳ない。
……。
明日にでも、獲れたら良いんだが……。
……ふふ。
うん……?
もう、良いですよ。
良いのかい?
弓を片手に、山へ行かれてしまったら困ってしまうので。
……。
少し考えましたよね?
……うん、考えた。
そこまではしないで。
……だけど、食べたいという気持ちは。
……。
亜美さん……?
……そんなのは、忘れてしまえば良いだけです。
忘れて……。
……。
……亜美さん。
……。
答えは……。
……未だ。
然うか……。
……飲み終わってから。
……。
……言います。
7日
-玉響(パラレル)
……と。
……。
あぁ、落ちてしまった。
……落ちてしまいましたね。
なるべく、動かさないようにしていたんだけど……やっぱり、難しいな。
でも、長く続いたと思いますよ。
然うかな。
はい。
亜美さんが、言うのなら。
ちゃんと、散り菊まで行きましたもの。
散り菊?
段階があるんです……最初は、蕾。
それから、牡丹、松葉、柳を経て、そして最後に。
散り菊、だね。
はい。
へぇ、段階に名が付いているのか。
なかなか風流だね、知らなかったよ。
小さな火花が一本、また一本と散っていき、最後は火球が燃え尽きて終わる。
それはまるで、美しく咲きながらも、花弁をひとひらずつ落としてゆく……菊の花の散り際のようで。
はぁ、成程なぁ。
その一連の流れを、ひとのこの一生と重ね合わせるひとも居るそうですよ。
一生?
幼年から始まり、少年、青年、壮年、老年……曰く、儚くも力強い命の流れに重なるのだと。
それを聞いた時は、然ういう考え方もあるのかと思ったものです。
あたしも今、然う思ったよ。
ひとのこの数ほど、考え方があるということですね。
ついでに面白いな、とも。
面白い、ですか?
亜美さんも然う思ったんじゃないのかい?
……どうして然う思うのですか?
然う、顔に書いてあるからさ。
……。
あはは、当たりだ。
……私は、興味深いと思っただけです。
意味は大体、同じだろう?
……似ているだけです。
そんな、唇を尖らせなくても。
尖らせていません。
可愛いな、亜美さんは。
……もぅ、まことさん?
はは、ごめんよ。
だけど、不快だったわけじゃないだろう?
……。
不快だったのなら、謝るよ。
……良いです、謝らなくても。
うん、然うか。
だけど、にやにやするのは止めて下さい。
にやにやではなくて、にこにこだと思うけど。
同じようなものです。
えぇ、然うかい?
……。
分かった、にやにやは止めよう。
……。
……これで、どうだい?
大して変わっていません。
あー。
……ふふ。
ん?
良いです、笑っているあなたも好きですから。
あたしもだ、あたしも笑ってる亜美さんも大好きだ。
もう、調子に乗らないで?
はは、ごめん。
言っておきますけど、にやにやは時と場合によりますからね?
はい、分かってます。
ですので、今後も十分に気を付けます。
ふふ、分かっているのならば良いです。
……。
……。
ははは。
ふふっ。
しかし、線香花火がひとのこの一生か。
まぁ、分からなくもないな。
然うですか?
まぁ、詳しく言えと言われたら言葉に詰まってしまうのだけれど。
ふふ、然うですか。
蕾、牡丹、松葉に柳、そして散り菊。
花や葉に譬えるなんて、言い出したひとは花が好きだったのかな。
そもそも花火ですから。
あぁ、然うだった。
始まりは、蕾。
……。
小さな火球は命が宿ったように大きくなってゆく、まるで花を咲かせる前の蕾のように。
……ひとのこの一生の始まりだ。
やがて火球が弾け、力強い火花が散り出す。それは、美しく咲き誇る牡丹に重ねられる。
青い春と呼ばれる頃の、未熟な若者が一歩一歩進んでいく姿。
未熟な若者か……。
勢いを増した火球は、四方八方に激しく火花を広げてゆく。まるで、松の葉のように。
婚姻や出産、子供の成長……人生の転機を表している。
亜美さんとふたりで同じ旅路を歩めることになったのは、あたしにとって大きな転機だ。
とてもしあわせに思う。
まことさん……。
と、余計だったかな。
……いいえ。
これからも、共に歩んで呉れるかい?
……はい、勿論です。
うん……ありがとう。
……松葉の次は、柳。
うん。
火花の勢いは衰え、やや垂れ下がる。細長い葉が、しな垂れるように。
あぁ、言われてみれば確かに柳のようだね。
……。
ん、亜美さん?
……私達は今、どこに居るのでしょうか。
然うだな、あたしは松葉だと思う。
松葉?
まだまだ衰えてなんか、いないからね。
それは、何がでしょう。
体力、気力、活力、生きたいと言う気持ち、あとは、食欲?
……それだけ?
それから。
……ん。
……。
まことさん……。
……まだまだ、衰えるつもりはないよ。
……。
今夜も。
……今夜は、だめです。
……。
……だめ。
はい……。
……離れて?
うん……。
……。
亜美さんは、どこだと思う?
然うですね……私も、松葉だと思います。
ふふ、だろう?
同じだ。
……だからって。
まぁ、寝るまでに未だ時間はあるし。
まことさん。
あたしの、亜美さんに触れたいという気持ちが衰えるのはいつだろう。
……。
思っているよりも近いか、それとも。
……。
ん……?
……未だ、来なくて良いです。
来なくて?
……。
えと……。
……未だ、来ないで。
……。
……考えておきます。
何をだい……?
……寝る時になれば、分かります。
寝る時……。
……。
……うん、考えておいて。
……。
顔が……花火のように、きれいだ。
……なんですかそれ、譬えれば良いというものではありません。
おと、手厳しい……。
……。
ね、亜美さん。
……何ですか。
もう一本あるけれど、亜美さんもやってみないかい?
私は……不器用ですから、直ぐに落としてしまうと思います。
なんの、亜美さんはあたしよりも長く持たせることが出来るんじゃないかな。
……どうして?
丁寧だろう? 何事に置いても。
……。
どうだろう、やってみないかい?
折角、子供らが……まぁ、残りものだとは思うが、持って来て呉れたのだから。
……ねぇ、まことさん。
ん、なんだい?
……。
亜美さん?
どうした?
……先に、逝かないで下さいね。
え?
……。
亜美さん……。
……ごめんなさい、私、何を言っているのでしょうね。
いや……。
……少し、感傷的になっているのかも知れません。
然ういうこともあるさ……今はもう、晩夏だ。
短い夏が終わって、実りの秋を迎え……そしてまた、長い冬がやって来る。
そんなことを思う頃に、この花火だろう? 感傷的になってしまうのも、無理からぬことだよ。
……幾つになっても、感傷的になってしまうものなのですね。
年齢など、関係ないさ。
幾つになろうとも、老いが深まろうとも、ひとのこは屹度、感傷的になるだろう。
……。
まぁ、勿論、ならぬ者も居るだろうが。
……まことさんは、どうですか?
あたしかい?
はい。
あたしは、なる者かな。
現に、今、なっているところだ。
……然うだったのですか。
あぁ、然うだったんだ。
……ん。
今年の夏も、終わるけれど……今年もまた、亜美さんと過ごせて良かった。
……それは、感傷的になっていると言えるのですか。
言える……夏が終わってしまえば、また来年まで、夏の亜美さんが見られなくなるのだから。
……夏の私なんて。
春夏秋冬……それぞれ違って、それぞれとても良い。
……もぅ、何を言ってるのですか。
ん、あれ、伝わり難かったかな。
……難かったです。
はは……。
……。
どうする?
……やってみます。
ん……じゃあ、はい。
……ありがとうございます。
火を点けるよ……良いかい?
……はい、お願いします。
6日
絵文に拍手ログの5と6を載せました。
と言うか、拍手のお礼を変更したのが9年前で時が止まりました。
新しいものにするにあたって何かご希望がありましたら……と思ったのですが、
カプだと完全固定派なので推しカプしか書けません、すみません。
今月中に交換出来たら良いなぁ。
……どうだろ。
ん……ちょっと待って。
うん……待ってる。
……汚れはちゃんと落ちているようだったから、あとは柔らかい布で。
優しく……?
……傷が、付いてしまわないように。
……。
……。
……流石、メル。
ううん……。
……あたしも、そんな風に拭かれたいな。
もぅ、何を言っているの……。
……へへ。
たまに、拭いてあげてるじゃない……。
……うん、然うだった。
……。
気持ち良いんだ……メルに拭いてもらうと。
……ユゥ。
はぁい……。
……。
……どうかな。
ん……。
……もう、良い?
うん……ちゃんと拭き取れたと思う。
……。
……。
……きれいに、
……なった?
わぁ……。
……。
なってる、きれいになってるよ、メル!
うん、なってるね。
あぁ、良かった。
やった! ぴかぴかだ!
定期的にお手入れをしてあげれば、黒くなりにくいみたいだから。
同じようにすれば良いんだよね?
ひとりで、出来る?
手伝ってもらってもいい?
ん、じゃあその時は言ってね。
うん、言う!
はぁ、本当に良かった。
すごいな、すごいな。
ふふ。
ね、メル。
なに、ユゥ。
あの黒いの、本当は錆じゃなかったんだよね。
酸化ではなく、硫化だったから。
銀は本来、錆びにくい金属で、特殊な条件下でなければ錆びないみたい。
でも、先生は錆って言ってたよね。
なんでだろ。
硫化も酸化も説明したところで、どうせ、覚えないから。
だったら、まとめて「黒錆」と呼んだ方が良い。
え?
……お師匠さんが、どうせ錆みたいなもんだろって。
あぁ……。
違うと言ったところでどうせ覚えない、であるならば、時間が無駄になるようなことはしない。
それで、放っておいたら定着してしまって……面倒だから、そのままにしているみたい。
酸化や硫化の違いなんて、お師匠さんだけでなく、気にしないひとは気にしないから。
先生の呆れた顔が、目に浮かんだ。
……。
いや、冷たい目かな。
……一瞬?
へ?
浮かんだのは、一瞬?
い、一瞬、だよ。
……然う。
で、でも、あたしも黒錆って言って呉れた方が分かりやすいから、師匠と同じかも。
酸化と硫化の違い、知りたいのなら説明するけど。
え、今?
ユゥが、聞きたいのなら。
い、今は、良いかな。
今日は鍛錬と、お勉強もしたし。
今は?
む、難しいよね?
ううん、難しくないわ。
う、その顔は難しい……。
大丈夫、難しくないから。
ね、ユゥ。
……う。
う?
……かわいい、どうしよう。
聞いて呉れる?
あ、や……。
や?
そ、それは、また今度聞く!
今度?
う、うん、今度。
ちゃんと聞くから。
本当に?
ほ、本当だよ。
ふぅん。
約束、する。
……。
守る、ちゃんと。
ふふ……ん、分かった。
はぁ、良かった。
ユゥ?
な、なに。
今度、ちゃんと聞いてね?
うん、聞くよ。
ん。
ねぇ、メル。
なぁに、ユゥ。
銀貨、きれいだね。
思ってた以上だった。
ん、きれいね。
だけどさ、ここに大きな傷が付いてて、もう少し丁寧に持ってて呉れたら良かったのになって。
細かいのは、仕方ないのかも知れないけど……師匠って、ほんとに雑なんだよなぁ。
……私も、気になっていたの。
メル?
……この傷。
うん。
恐らく、お師匠さんが原因ではないと思う。
え。
お師匠さんの手に渡る前に付いた傷……そんな気がするの。
じゃあ、師匠のせいじゃない?
うん……多分。
でも、どうして然う思うの?
……何か、鋭いもので切り付けられたような。
鋭いもの……?
剣……刀……或いは、短刀……。
……刃物?
うん……。
……料理用の。
ううん……お料理用のでは、こんな傷は付かない。
だとしたら……ジュピターの腰のものは?
あれなら良く切れる、鉄だって切れるよ。
違うと思う……あの刀だと、完全に切れてしまうから。
銀は、鉄に比べて柔らかい金属なの。
そっか……それじゃあ、簡単に切れちゃうな。
……。
……なんか、いわくつき?
かも、知れない……。
……。
……この銀貨が流通していた頃は、金貨もだけど、時に切断して使われていたようなの。
確か、貨幣が足りなくなった時に切って使うんだよね……?
然う……供給量が常に、安定していたわけではなかったから。
特に、少額の貨幣は足りなくなることが多かったみたい。
場合によっては、銅貨も。
偽造はだめなのに、切るのは良かったんだね。
切っても本物には変わりない、偽物にはなりえないから。
この傷……切ろうとしたんじゃないかな。
切ろうとして、やっぱり止めたとかさ。
半分、四分の一と、切り方は決まっているの。
だけど。
半分、四分の一には見えない?
……。
……お守りに、なる?
考えようによっては……若しかしたら、お師匠さんを守って呉れたものかも知れないし。
……そんなの、師匠は取っておかないと思うんだ。
……。
先生が関わってたりしないかな。
そしたら、
お師匠さん、それなら取っておく……?
……いや、やっぱり取っておかないかも。
……。
……。
……どうして、呉れたんだろ。
お師匠さんのことだから、あまり深く考えてない可能性が……。
ある、それは大いにある。
……。
どうしようかな、これ。
折角、ぴかぴかになったけど……うーん。
……お師匠さんに聞いてみる?
聞いても無駄だと思う、絶対に憶えてないから。
じゃあ……先生は?
先生?
若しかしたら、知っているかも知れない。
話して呉れるかな。
分からないけど、聞いてみるだけなら。
知らないなら知らないって、はっきり言われるだろうし。
……。
……。
……とりあえず。
とりあえず?
きれいになって、良かった。
……。
うん、良かった良かった。
……ん、然うだね。
よし、とりあえずしまっておこう。
もう、しまってしまうの?
うん、出しておくと汚れちゃうし。
そんなすぐには……。
……。
……?
ユゥ……?
メル。
な、なに。
絶対、傷なんて付けさせないから。
え……?
良し、しまっとこう。
ユゥ……。
あ、でも、どこにしまったか忘れちゃうかも。
私が、憶えておくわ。
メルが?
うん。
へへ、ありがとう。
心強いや。
どこにしまうつもりなの?
えとね。
……引き出しの奥?
うん……だめかな。
ううん、だめじゃないわ。
ん。
待って、そのままじゃなくて。
うん?
この袋に。
袋?
少しでも硫化を防げるように。
これ、メルが?
……ん。
ありがとう、メル。
だけど完全には防げないから、時々は出してお手入れをしてあげてね。
うん、分かった。
その時はメルを呼ぶね。
うん、呼んで。
へへ。
ふふ。
ん、これで良し。
じゃあ、しまおう。
……。
銀貨は、机の引き出しの奥、憶えた。
……ん、私も。
5日
……ん。
……。
なんだ……どした?
……まだ、いたの。
居ちゃ、悪いか……?
……わるい。
然うか……じゃあもう暫しの間、居ようか。
……せまい。
そんなにきつくはしてないが?
……いいから、ゆるめて。
聞けない。
……。
緩めたら、お前……。
ん……やめて。
すり抜けて、出て行くつもりだろう……だから、聞かないよ。
……きょうは、かえってくる。
だとしても……まだ、時間はあるだろう?
……。
それに……若しかしたら、帰ってこないかも知れない。
……つくづく。
つくづく?
……やっかいね、ジュピターといういきものは。
厄介なくらいで、丁度良い……特に、お前にはさ。
……。
……もう暫くしたら、帰るよ。
はぁ……。
……最近、あまり寝てなくてさ。
張り切って、色々作るからよ。
……楽しいんだ、仕方がないだろ。
取って置きのお茶まで、「がらくた」にしたものね……。
……怒ってるのか。
いいえ……。
……「取って置き」を、新しいのにしたくてさ。
ふぅん……。
……久しぶりだろう?
然うね。
実はさ、もうほとんど出来ているんだ。
聞いてない。
近いうち、持ってくるよ。
楽しみにしてて呉れ。
……。
気に入らないか……あの茶葉、気に入ってたもんな。
別に、なくなるわけじゃないわ。
……。
飲もうと思えば、いつでも飲めるでしょう。
……ま、そりゃ然うだ。
ひとりでも、
ひとりでも飲めるが、ふたりの方が美味い。
なんせ、然ういう風に作ったからな。
……腕、緩めて。
やだよ。
……。
……今日は、ちゃんと帰るよ。
然うして欲しいものね。
……帰りたくないけど、な。
……。
一緒に暮らせていればなぁ。
……冗談じゃないわ。
ちび達は、一緒に暮らしたいみたいだけどな。
……私とあの子を一緒にしないで。
してないさ、初めから。
……。
なぁ、思い出せたと思うか?
……メルは、思い出せたでしょうね。
だよなぁ、うちのちびは無理だよなぁ。
あの時は、ただひたすら、メルに向かってにこにこにこにこしてるだけで。
……対照的だったわね、うちの子と。
いや、あれは似たようなものだったかも知れない。
ただ、にこにこしてるだけの、な。
……。
あたし達は「水」の中で無理矢理、頭の中に詰め込まれた。
それが良かったのかは、あいつらを見ていると分かるよ。
……どちら?
言わない、言わなくても分かってるだろうから。
……。
……願わくば、ちび達も。
その為には、生きる術を。
どんなことがあろうとも、生き抜く力を。
使命なんかの為に、命を投げ出さない意志を。
……くだらない玩具にされようとも、な。
思い出して、何を思うのかしらね。
自分達の出逢いを、か?
そりゃ、良かったって思うんじゃないのか?
……ふ。
あたし達は憶えているのに、あいつらは憶えてない。
そんなの、残念過ぎるだろう?
……憶えている方が残念だわ、私にしてみれば。
あ?
……然うかも知れない、と思っただけよ。
はは、だろ?
……。
な、忘れないでいて呉れてありがとうな。
……は?
言いたくなった。
……然う言うところよ。
お、惚れ直したかい?
腹が立つ。
お、と。
……本当に、出逢った頃から。
あたしは、出逢った頃から、お前に惚れ直してばかりだよ。
……。
ぞくぞくしっぱなしだ。
……物好き。
皆と同じじゃ、面白くない。
……は。
物好きがあたし以外にも居たら、そいつはお前を狙ったかも知れない。
若しも、そんなことになっていたら……まぁ、壁の一枚や二枚は飛ばしていただろうな。
……想像に難くないわね。
ははは、だろう。
すっかり、忘れて。
……は?
実際飛ばして呉れたわよ、短気を起こしてね。
……お前が関わったことなら憶えているのに、それは憶えてないぞ。
でしょうね。
酒精でも、間違って摂ったか?
まぁ、そんなところ。
……相手は、青い星の?
然う。
お蔭で星間問題になるところだった。
と言っても、壁を吹っ飛ばしたくらいだろう?
青い星側の、ね。
……そいつ、メルにべたべたと触らなかったか。
触った。
だからだ、そいつが全面的に悪い。
あれだろ、手以外にも触ったんだろ。
まぁ、背中とか、腰とか。
完全に、そいつが悪い。
本当、ばかなのよね。
あくまでも、交流上での行為に過ぎないと言うのに。
そんなもん知るか、交流だろうと外交だろうがなんだろうが触って良い理由にはならない。
ましてや、マーキュリーは四守護神のひとりだぞ。遊女じゃない。
然うね、だから。
だから?
己の手でと思っていたのに、それなのにあなたが暴れて呉れたから。
……。
本当、残念だったわ。
……因みに、どうやって?
暫く腹を下して、躰が弱る薬を。
食中毒に見せかけて。
……実は、盛ったんじゃないか?
さぁ?
その顔は盛ったな。
会談後、原因不明の腹下しに暫くの間襲われていたらしいと。
四守護神のひとりの機嫌を損ねて壁を吹っ飛ばされたり、不幸だったとしか言えないわね。
……。
なんでも、四守護神のひとりに粗相をしたとかで身分を剥奪されたらしいわ。
本当に不幸よね。ま、因果応報だけれど。
……憶えていなくて良かったかも知れない。
あなたが目を覚ますのには時間を要した。
……そんなに酷かったのか。
ええ、然うよ。
誰が仕組んで呉れたのかは、結局、判明することはなかったのだけれど。
……あたしが摂取したのは、本当に酒精だったのか。
……。
メル。
……メルじゃない。
マーキュリー。
……ただの毒よ。
ただの、毒?
……その成分が、上手く、あなたの箍を外して呉れた。
なんでそんなものを……無能か。
……だから処分されたの、口封じの為に。
……。
これで、分かった?
……良く分かった。
話したら、喉が乾いたわ。
お茶でも飲むかい?
もう、「取って置き」ではないが。
……早く、淹れて。
淹れている間に、何処かに行かないで呉れ。
何処に行くと言うの、此処は私の部屋だと言うのに。
然うだけど。
行くとしたら、あなたの方よ。
お茶を淹れたら、帰って。
もう少し、寝かせて欲しい。
帰って、
頼むよ。
……。
帰ると、色々考えてしまうんだ。
次は何を作るかって、さ。
ばかね。
然うなんだ。
ちび達の喜ぶ顔が見たい、なんてな。
……。
不良品のあたしが、そんな気持ちを持つなんてさ。
……ユゥ。
……。
……早くして。
応……早くするよ。
……。
じゃあ、淹れたら声をかける。
それまで、此処で待っていて呉れ。
……思い出せなくても。
ん?
その香りや、味は憶えているのでしょうね。
……どうだかな。
だから、私達だけの「取って置き」ではなくした。
……怒っているのか。
いいえ……軽くなったわ。
……直ぐに、重くしてやる。
やめて。
はは……。
……。
なぁ……メルに対してはそろそろ、「がらくた」から「良いもの」にするか。
……私は、最初からそのつもりだったのだけれど。
相手があたしなら、それで良かったさ。
あたしはもう、いやとっくに、頭ではメルに全く敵わないからな。
が、相手がお前となると……まだまだ、だろう。
……負けず嫌いなのよ。
負けず嫌い?
ジュピターと、同じで。
……お前も、か?
私を、誰だと思っているの?
あたしの愛しいマーキュリー。
あたしの愛しい、は、余計。
じゃあ、あたしの愛しいメル。
ユゥ。
なんだい、メル。
ばか。
お。
私は、誰にも負けないわ。
知ってるよ。
なら、聞かないで。
4日
……うぅ。
え、と……。
今日も、「がらくた」……。
あの、ユゥ?
師匠、すごいにやにやしてた……思い出すだけでも、すっごく、むかむかする。
売り言葉に、買い言葉だったと思うの。
ユゥは相手がお師匠さんだと、少し……大分、むきになってしまうところがあるから。
……だって、師匠が。
どんなに煽られても、冷静に……落ち着いて、対処しないと。
落ち着いてさえいれば、今のユゥなら問題なく、「良いもの」と交換出来る筈だから。
しようとしたんだ。
しようと、したんだけど……うー。
お師匠さんはユゥのことを誰よりも分かってる。
だけどね、その逆のことも言えると思うの。
……逆のことって?
ユゥも、お師匠さんのことを分かっている。
私よりも、ずっと。
……先生の方が、分かってると思う。
あのふたりは長い時間をずっと、ふたりで生きてきて……お互いが、特別だから。
……むぅぅ。
煽られても、短気を起こさないで?
若しも、起こしそうになったら、
心の中で六つ、ゆっくりと数を数える。
ん。
……分かってるんだ。
うん。
分かってるんだけど……むかぁぁぁぁぁって、しちゃうんだ。
……私も。
ん……メル。
……私も、先生に対してはつまらない意地を張ってしまうから。
……。
分かっているのに……思うように、ならない。
……うん、全然ならない。
でも。
このままじゃ、だめなんだ……いつまで経っても、師匠に追いつけない。
追いつけなきゃ、追い越すことも出来ない、ずぅっと出来ない。
……。
ねぇ、メル……今日の師匠みたいのも、青い星には居るんだよね。
……うん、居ると思う。
むかっとするかな。
……意外に、しないかも。
しない、かな……でも、なんで然う思うの?
お師匠さん以上のひとは、なかなか居ないような気がするの。
師匠以上のひと?
おおらかなユゥを、むかっとさせられるひと。
……おおらか?
ユゥは心がゆったりとしていて、細かいことはあまり気にしない……とてもおおらかなひとだと思う。
へへ、然うかなぁ。
でも、なかなか居ないとは思うけど、全く居ないわけではないと思うから。
うん、もっと練習する。
どんなに師匠に煽られたとしても、むかっとしないように。
うん。
メルも、先生に意地を張らないように、ね。
……。
あ、だけど、青い星には先生以上のひとは居ないかな。
……あのひとは。
うん?
……お師匠さんと違って、性格が悪いから。
う、ううん?
……然う言った意味では居ないかも知れない、けど。
メ、メル?
ううん、なんでもない。
そ、然う?
うん、然うなの。
そ、そっか?
私も、どんなに挑発されようとも、自分の心を制御出来るように、冷静で居られるように。
先生と、もっと、練習しないと。
う、うん、がんばろう、ね。
……。
ね、ねぇ、メル。
なぁに、ユゥ。
し、師匠は、おおらか?
それとも、おおらかじゃない?
……。
メル……?
……とても、おおらかだと思う。
む。
……あの先生と長い時間を過ごせるひとなんて、過ごしたいと思えるひとなんて、屹度他に居ない。
師匠とあたし、どっちがおおらか?
……。
師匠?
……ユゥ、
あたし?
……負けず嫌い。
へ?
ふふ。
え、あれ?
同じくらい。
お、同じくらい?
ユゥも、お師匠さんも、同じくらいおおらかだと思う。
えー。
ふふふ。
うー。
ところで、ユゥ。
……なに。
今日の「がらくた」は?
今日の?
なんだった?
えとね……これ。
これは……若しかして、お芋?
うん、甘薯を蒸かして作った甘味。
師匠、今日も張り切って作ってた。
……。
メル、好きだよね?
……うん、好き。
今日も、ふたりで食べよ。
……ん。
メルのは、なに?
私のは……これ。
これは……煎った黒豆?
……多分、お豆のお茶だと思う。
豆のお茶……先生?
ううん……ゆうべ、お師匠さんが持って来たの。
師匠が?
その時に、豆のお茶だって。
先生と話していたのを聞いたの。
……。
明日は、これにしようって。
私は、ふたりが飲むお茶だと思っていたのだけど。
もー!
きゃ。
勝手にぷらっと居なくなったと思ったら、やっぱり!
言って呉れれば、あたしだってメルと!
あ、あの、お豆は、このまま食べても美味しいって言っていたけど……。
あれ、でも、帰ってきたな。
……先生が、追い返したから。
はは、なんだ、ふられたんだ。
お豆……お茶にして、飲む?
うーん、お茶にしようか。
甘い黒豆だから、メル、気に入るかも。
淹れ方は。
大丈夫、知ってるよ。
あたしに任せて。
あの、教わっても良い?
ん、もちろん。
ありがとう。
どーいたしまして!
よし、今日は甘薯の甘味と黒豆茶で復習だ。
……ね、ユゥ。
んー?
銀の錆の落とし方だけど。
あ、どうだった?
合ってるって。
ほんと!?
ん、本当。
やった!
だから。
うん、やってみよう。
いつ、やろっか。
それ、なんだけど。
うんうん。
……お茶を飲みながらでは、だめ?
もちろん、
……。
良いに決まってる。
……ん。
よし、まずはお茶を淹れよう。
メル、黒豆茶はね。
うん。
お茶を淹れた後でも、豆は食べることが出来るんだ。
そのまま食べてもほんのり甘いけど、糖をふったらもっと甘くなって美味しいんだよ。
ふふ、然うなのね。
3日
……ね、メル。
ん……。
師匠が作った甘味、美味しい?
……うん、美味しい。
そっか……然うだよね。
ユゥが淹れて呉れたこのお茶も美味しいわ。
うん……ありがと。
……だけど。
ん?
ねぇ、ユゥ。
なに?
……このお茶、初めてよね?
……。
初めて、淹れて呉れたお茶よね……?
うん……然うだよ。
……然う、よね。
ね、メル……このお茶のこと、なんだけどさ。
……少し、懐かしい気がするの。
懐かしい……?
……香りも、味も。
……。
初めてではないような、そんな気がするの。
……そっか。
おかしいよね……初めての筈なのに。
……ううん、おかしくないよ。
……。
あたしが淹れるお茶は、何種類かあるけど……このお茶を淹れたことは、一度もないから。
私達の家にも、この茶葉はないわ。
そもそも私達の家にある茶葉は、どれもお師匠さんが持ってきて呉れたもので、ユゥが一度は淹れて呉れたもの。
若しかしたら先生が、とも思ったけど……あのひとが茶葉を隠し持ってるなんて、やっぱり考え難い。
……。
然うなると、お師匠さんしか居ないのだけど……。
……やっぱり、メルだ。
え……?
このお茶は……師匠の、取っておきなんだ。
お師匠さんの?
今、思い出した。
……。
このお茶は、師匠と先生がふたりだけで飲む、取っておきのもの。
とても大切なお茶だからって……あたしは、一度しか飲ませてもらったことがないんだ。
……一度しか。
だから、ずっと忘れてたんだけど……。
……私も、一度だけ。
メルも、一度だけ……?
……うん、一度しかないわ。
その時、あたしと一緒だった?
……ユゥと?
いつ飲んだかは憶えていないし、思い出せないんだ。
ただ、一度だけ飲ませたことがあるって師匠が。
……ちょっと待って。
うん。
……。
……。
……思い出した。
いつ……?
私がこのお茶を初めて飲んだのは……ユゥと、初めて出逢った日。
あたしと……?
お師匠さんと先生、それからユゥと私で……だからユゥも、その時に。
と言うことは……師匠が、あたしを選んで連れてきた日?
……。
メル?
……私には、ユゥと出逢う前の記憶がほとんどない、それはいつか話したよね。
うん、憶えてるよ。
私の記憶は、ユゥと出逢った日から始まってる。
だから、先生と出逢った頃のことは憶えていないの。
あるのは、「水」の記憶だけなんだよね。
確か……「羊水」、だっけ。
……。
……あたしもぼんやりと憶えているんだ、その音。
私達は、その中で造られるから。
……別に憶えていなくても良いんだけどな、そんなの。
先生と、ふたりで。
……。
どう暮らしていたのか、どんなお勉強をしていたのかも、まるで憶えていない。
言葉の覚えは悪く、感情は凍り付いているかのように動かず、目には生気が宿らず、ただただ、人形(ひとかた)のままで。
……メル。
そんなだったから……始まりの記憶も、ぼんやりとしていて、はっきりとは憶えていなくて。
だから……今まで、思い出すことはなかった。
……。
ね……本当に飲んでしまっても良いの?
うん、良いと思う。「がらくた」として、交換したのだから。
若しもだめだったら、取り上げられてたと思うし……そもそも、初めから出さないと思う。
……。
……うん、やっぱり懐かしい感じがする。
少しずつ、思い出してきた……。
……どんな?
お師匠さんは、とても機嫌が良くて。鼻歌を歌いながら、自分で淹れたお茶を飲んでいて。
先生は?
先生はお師匠さんに淹れてもらったお茶を飲みながら、私達を見て……ううん、観察してた。
飲み終わったら、薄く笑いながらお師匠さんにお代わりを要求してたと思う。
あたしは?
ユゥはずっと、にこにこしてて……私だけを、真っ直ぐに見てた。
きっと、その時はもうメルのことが好きだったんだ。
……ユゥね。
うん。
……最初は、飲み方が分からなかったみたいで。
飲み方……。
……然うよね、だって初めてのお茶、初めての世界なんだもの。
……。
先生がまず言葉で教えて、それからお師匠さんが飲む動きを見せて……ユゥは真似をするんだけど、何度もこぼしてしまって。
……。
だけど、お師匠さんも先生も、怒らないで笑っていて。
その笑顔は、私にも向けられて……私は、なんとなく居たたまれなくて、お茶を一口飲んだの。
メルはもう、飲むことが出来たんだね。
うん、一応……けど、最初はユゥと同じように出来なかったと思う。
メルにも先生と師匠が教えたのかな。
ううん……その時はまだ、先生の傍にお師匠さんは居なかったから。
先生は言わないけれど、私も何度もこぼしたんだと思う。
覚えが、本当に悪かったみたいだから。
……そっか。
あの時に飲んだお茶は……間違いなく、このお茶。
……あたしは結局、飲めたんだよね?
うん……上手に飲み込むことが出来たユゥは、ますますにこにこしていて。
美味しかったか? と、お師匠さんに言われて……然う、先生に頭を撫でられたことが、特に嬉しそうだった。
あ、あー。
……笑うユゥの眼差しが、とてもあたたかくて。
私も、ユゥのように笑いたかったのだけど……どうして良いのか、分からなくて。
んー……。
そんなだから、忘れていたのかも。
……メルは、笑おうとしてたと思う。
え……?
そんな気がする。
……。
メルのこと、じっと見てたから。
……ユゥ。
うん……やっぱり、師匠が作った甘味は美味しいな。
……ユゥが作って呉れる甘味だって、とても美味しいわ。
ありがとう、メル。
私は、ユゥが作って呉れるのが一番好き。
メルが然う言って呉れるから、あたしはめげずに、そして楽しく頑張れる。
……。
今は、師匠に……何一つ、敵わないけど。
……ひとつずつ。
……。
ふたりで……ひとつずつ。
……うん、ふたりでがんばろ。
ん……。
……。
……。
ね、メル。
……なに?
師匠はどうして今、このお茶を飲ませて呉れたんだろう。
大切だって、言ってたのに。
……。
先生が言ったのかなぁ。
先生は、言わないと思う。
あくまでも、お師匠さんの判断で。
分かんないなぁ……あれだけ、先生とふたりで飲む為のお茶だって言っていたのに。
……思い出す為、かしら。
思い出す?
……四人が、揃った時のことを。
……。
本当のところは、聞いてみないと分からないけど……。
……聞いても、どうせ教えて呉れないだろうな。
……。
でもまぁ、いっか。
良いの?
うん、良いんだ。
……ふふ。
ん、なに?
ううん、なんでもない。
ほんとに?
ん、本当に。
じゃ、いっか。
ふふ。
あ、また。
ね、それよりも。
話、逸らした。
きれいな貝殻のことは憶えてる?
かいがら……?
七つの色をした……若しかたら、光の反射で然う見えただけかも知れないけど。
かいがらって、なに?
……貝殻、知らない?
うん、知らない。
青い星の生き物で、
食べられる?
……貝殻は、食べられない。
然うなんだ……。
だけど、その身なら。
み?
場合によっては毒を持っていることもあるけど、それに気を付ければ。
食べられる。
ん。
ね、美味しいのかな。
美味しいものと、然うでないものがあるみたい。
そっか、食べてみたいな。出来れば、美味しいの。
貝だけじゃない、肉も、魚も。
……。
えと、かいがら? だっけ?
誰のだろう? 先生のかな。
……先生だけでなく、お師匠さんも持っていたと思う。
師匠も?
……七色で、本当にきれいだったの。
ふぅん、なないろかぁ。
……。
憶えてないから見てみたいな、なないろのかいがら。
……私も、もう一度見てみたい。
言ってみる?
……見せて呉れるかな。
見せてもらえなかったら、青い星に行った時に見つけよう。
ふたりで、さ。
……。
ね?
……うん。
……。
……。
ね、お茶も甘味も美味しいね。
……ん、ユゥとふたりだから。
あたしと、ふたりだから?
だから……とても、美味しい。
2日
…………「がらくた」。
ユゥ……。
「がらくた」ひとつに、持ってたの全部……。
が、がらくたではないわ。
練習する為に「がらくた」に見立てただけであって、本当は美味しいお茶の葉だから。
美味しいお茶の葉っぱ、だけど、練習では「がらくた」だった……。
そもそも、お茶の葉を「がらくた」に見立てるなんて良くないわ。
次は、違うものにするべきだと
手元にあるのは、「がらくた」だけ……あたし、「すっからかん」。
きょ、今日の先生は、ただの悪徳商人だったから。
お師匠さんとは、上手に出来たでしょう? ね?
師匠が、青い星には、今日の先生みたいのが、ごまんと居るって……。
ご、ごまんと居るかも知れないけど、でも、今日の先生は少しやりすぎだと思うの。
居るんだ……。
全く手加減なしで、途中から……ううん、最初から楽しんでいて、まるで本物の悪徳商人のように。
幾ら、性格が悪いと言えど…。
……。
ねぇ見て、ユゥ。
……なにを?
私の手元。
……。
私も、ほとんど残らなかったの。
先生に、取られてしまって。
……でも、ちゃんとしたものと交換出来たよ。
それは、私が先生の性格をユゥよりは把握しているからで……。
……。
そ、それに、ちゃんとしたものと言っても、交換出来たのはたったひとつだけで。
それ以外は、「がらくた」と……?
……アタシハ、「ガラクタ」、ヒトツダケ。
ユ、ユゥ。
センセイ、アンナニ、ニコニコ、シテタノニ……。
か、片言になってるわ、ユゥ。
……ソレハ、ゼンブ、アタシヲ、ダマスタメ。
あれは騙す為と言うより、楽しんでいただけだから。
と言っても、騙すのが楽しいのではなくて、ユゥの反応を見るのが……。
……。
……本物の悪徳商人が、悪辣だとしても。
ユゥ相手に、あんな弄ぶかのように……ただでさえ、ユゥは先生に弱いのに。
……青い星、怖い。
え。
ひとのこは、欲に、塗れてる……先生が、言ってた。
あ、あぁ。
だから、あらゆるものを、毟り取ろうする……青い星、ひとりじゃ行けない……怖い。
あ、あのね、ユゥ。
これを教訓にして、次はなるべく騙されないようにすれば良いと思うの。
……教訓?
然う、今日は失敗してしまったけれど、次は
……多分、無理だと思う。
ううん、そんなことない。
……次もまた、「すっからかん」になると思う。
次もまた、「すっからかん」になってしまったとしても。
それでも、全く同じにならないようにすれば良いの。
……「すっからかん」になるのは、同じなのに?
その過程。
……かてい?
何度も試行錯誤を重ねて、最後に正しい解を求めることが出来れば。
……できるかな。
私と繰り返し練習をすれば、騙されないようにきっとなる。
ううん、私がするわ。
……メルが。
今の私では、どう考えても力が足りていないから、先生を本気にすることさえ出来ない。
だけど諦めずに考えて、何度でも試して、少しずつでも適切な方法と結果を得られるよう努めるから。
……。
だから、ね?
今日の失敗を次に活かせるように、私とどこが悪かったのか考えましょう?
……メル。
ね。
うん、メル。
うん。
早速だけど今日のあたし、何が悪かった?
先生の言葉をそのまま全部、鵜呑みにしたところ。
……う。
あからさまに怪しいのに、全く疑いもせずに、先生の言うがままにほいほいと交換してしまったところ。
……うぅ。
予め聞いておいた相場をすっかり忘れて、先生に鼻の下を伸ばしていたところ。
……メル、怒ってる?
怒ってない。
……ほんとに?
本当に、怒ってない。
……目が、笑ってないよ。
なぁに?
……なんでもない。
まず、あれを先生だと思わないで。
あれは、悪徳商人。先生の顔をした、ただの、悪徳商人。
う、うん。
あれは然う、ユゥのことを手の平でころころと転がして楽しむ、ただの悪辣な存在。
邪悪と言っても、間違いじゃないわ。
い、言い過ぎのような。
いいえ、全く言い過ぎじゃない。
そ、然う……?
然う。
悪徳商人とはそれくらいの存在なの。
そ、そっか。
なんせ、ひとのこひとりの人生をも滅茶苦茶にしてしまうくらいなのだから。
命すら、取られかねない。
そ、そんな?
然う、そんな。
……青い星、すごく怖い。
兎に角、次は先生と思わないで。
で、でも、次も悪徳かどうか……若しかしたら、師匠がやるかもって。
その時は、お師匠さんの顔を被った悪徳商人だと思えば良いの。
師匠の顔を被った……。
お師匠さんは、どちらかと言うと嘘を吐くのは苦手だから。
表情や声色に気を付けて、
胡散臭い。
……。
師匠の場合、全部、胡散臭い。
今日も胡散臭かった。
今日は、心配になるくらい商いに向いてなさそうな商人だったけど。
メルににやにやしてた、ずっとにやにやしてた、あまつさえ、交換なしでメルにものをあげようとしてた。
あれはきっと、メルを油断させようとしてたんだ。
油断させて、どうするの?
決まってる、貨幣の代わりにメルを連れて帰るんだ。
……ひと浚いのような?
然う、それ。
貨幣じゃなくて、ひとのこと交換するやつ。
……ひと買い。
ないとは、言えないだろ?
……確かに、両方あり得る。
つまり、師匠も悪徳商人だったのかも知れない。
であるならば、交換に応じるようちゃんと交渉して良かったのね。
うん、良かった。
流石、メル。師匠なんかには騙されない。
……多分、違うと思うけど。
メルがちゃんと交換するよう言った時、師匠は残念そうな顔をしてた。
もう胡散臭さしかないから、次も気を付けてね。
うん、気を付けるわ。
ひと浚い、若しくはひと買いだったら大変だものね。
うん!
……ユゥの言う通り、然ういうことも十分にあり得る。頭に入れておかないと。
ね、メル。
ん、なぁに?
この葉っぱでお茶を淹れたら飲む?
……「がらくた」ではなく?
うん、もう「がらくた」じゃない。
……だったら、飲みたい。
分かった、淹れるね。
ね、これも一緒に。
ん?
お茶と、一緒に。
あぁ。
はんぶんこにしましょう?
うん、しよう。
ん。
それさ、師匠が作ったんだよ。
お師匠さんが?
うん。
早くからなんか作ってると思ったけど、それだったんだ。
……ね、こっちの「がらくた」は?
それも師匠が作ったの。
……。
もー、なんだかなぁ。
師匠が作った「豆の甘味」、それが良いものなんだもんなぁ。
……ねぇ、ユゥ。
なぁに、メル。
良いものと、ユゥは交換したと思う。
良いもの?
この甘味と良く合う、お茶の葉と。
……あ。
ね?
うん、とっても良いものだ!
ふふ。
一緒に飲もう、メル。
うん、ユゥ。
待ってて。
ん、ありがとう。
ん!
……。
んふふ~。
……お茶の葉を「がらくた」に、どうしてかと思っていたけれど。
メルとお茶~~美味しいお茶~~。
……。
楽しいお茶の時間~~「がらくた」じゃない~~。
……先生、ううん、若しかしたらふたりで。
メル、何か言った?
ううん、何も。
ユゥが楽しそうに歌っているから、聞いていたの。
はは、そっか。
ん、然うなの。
もうちょっと待っててね。
うん。
ふふ~~。
……まだまだ、私達では敵わない。
1日
まだ、持ってたんだな。
悪い?
いんや、お前らしいなと。
きれいにしてあるところが、本当にお前らしい。
汚いのは好きではないの。
あたしはきれいだから問題ないな。
どうだか。
まだ取っておくつもりなのか、これ。
いいえ。
じゃあ、ちび達にやるのか?
丁度、練習を始めたところだしさ。
そのつもりで出したのだけれど、帰ってこないから。
それと、与えるのはあくまでもうちの子にだけ。
この様子じゃあ、今夜は帰ってこないな。
うん、良いことだ。
あなたは、帰って欲しいのだけれど。
折角だし、お前の部屋の寝台を今夜の寝床にする。
帰って。
あたしが今、のこのこと帰ったら無粋だろ?
外で寝れば良いでしょう。
大丈夫、あなたなら出来るわ。
お、然うか、然うだよな。
じゃあ、然うするか。
ええ、是非とも然うして。
でも、しない。
今夜はお前と同じ寝台で眠ると心に決めて、此処に来たからな。
放り出してあげても良いのだけれど。
まぁ、然う言うなって。
久しぶりだろう?
一週間ぶりかしら。
うん、十分に久しぶりだ。
しかし、本当にきれいにしてあるのな。
全く、久しぶりじゃない。
一週間は、久しぶりだ。
どこが。
これ、磨いたのか?
いや、お前のことだから
ジュピター。
今夜は帰らない、良いだろ?
はい、決まり。
良くないし、勝手に決めないで。
それにしたって、どれもこれもぴかぴかだな。
与えるのなら、価値があるものの方が良いでしょう。
無価値なものを与えたところで、何の役にも立たない。
お前が与えるものに、無価値なものなんてないよ。
それは、あなたが勝手に価値を見出すから。
貝殻だって、然うだ。
……。
ちゃんと取ってあるよ、お前と揃いだから。
捨てれば良いのに。
捨てるわけない。
失くしてしまえば良かったのに。
ずっと、失くさない。ちびにも、やらない。
あれはあたしにとって、お守りのようなものだからな。
……然うやって、価値を付加して。
にしても、これに価値なんてあるのか? そもそも、まだ使えるか?
新しいのに切り替わったんじゃなかったっけか?
手垢がつくから、勝手に触らないで呉れるかしら?
安心して呉れ、さっき良ぉく洗った。
触らないで?
応、分かった。
今はもう、貨幣としての価値はないわ。
だろう?
あたしの記憶は間違いではなかったな。
けれど。
あ?
これは、金貨なの。
きんか?
って、金の硬貨ってことだろう?
銅から造られていたら、金貨とは言わないわね。
けど、それがどうした?
やっぱり、覚えていないのね。
あー?
金は、それだけで価値があるの。
場合によっては、貨幣よりも価値が安定することだってある。
今では、取引にも使われているわ。
王が代替わりしてもか?
ええ、然うよ。
なんなら。
お……。
……あの頃よりも、価値が高まっているわ。
へぇ……然うなのか。
ええ、然うなの……だからもう、金貨は造られていないの。
造られていない……?
代わりに、紙で造られた貨幣……紙幣が出てきたわ。
紙の貨幣か……なるほど、それなら硬貨よりも造るのが容易そうだな。
なんせ、紙に印刷するだけなんだろうから。
これも、印刷技術が進んだから出来ること。
手書きじゃ、幾らなんでもやってらんないだろ。
同じものが一枚もないとなったら、信頼性もないわね。
無理矢理、付加させるかも知れないけれど。
ま、貨幣よりも金貨、いや、金の方が価値が高いって言うなら……然うなって、然るべきだな。
しかし、紙か……偽造、されてそうだ。
ええ、されているでしょうね……今の印刷技術なら。
ま、硬貨でもされていたんだ……何を材料にしたって同じだろう。
材料は同じでも、技術が進めば……また、違うわ。
と、言うと?
偽造防止の技術……だけど、ひとのこがそれを手にするのはもう少し先でしょうね。
へぇ……先だとしても、出来るのか?
……出来るんじゃない?
お前だったら、直ぐに出来そうだ……。
……私を誰だと思っているの?
あたしの愛しい、マーキュリー……然う、思ってる。
……あたしの愛しい、は、余計ね。
間違っては、いない……だろ。
……いいえ、間違っているわ。
うん、間違ってないな……。
……間違いだらけだわ、ずっと。
金貨、か……今じゃ、そんなに価値があるのか。
……だから、これ一枚あれば。
ちび達が、困らない。
……さっきから。
ん……?
どうして、あなたの子が含まれているのかしら……?
あいつらはふたつでひとつだからな……あたし達のように。
は……。
……と。
まぁ、良いわ。
……とは言え、メルは兎も角、あいつにはその価値は分からない。
今は、ね。
……。
だから、触らないで。
……硬貨には、触ってないが。
ジュピター。
分かった、今は触らない。
今は、な。
寝る時は、外で。
布の一枚くらいなら、貸してあげても良いわ。
ありがとう、だけど必要ない。
あたしはお前の寝台で、お前を抱いて寝るから。
このやりとり、いい加減飽きたわ。
然うか、あたしは飽きないけどな。
はぁ。
ははは。
ところで。
は?
あなたも持っていた筈だけど。
何を。
金貨。
知ってると思うが、全部使った。
お前に贈り物をする為に、な。
ばかね。
青い星の貨幣なんて、持っていたって仕方ない。
であるならば、お前の為に使った方が良い。
あ、そ。
けどまぁ、一枚ぐらいは取っておけば良かったな。
……。
ま、金貨は取ってないが、他のものなら遺したし。
それで、
過去形。
あぁ?
まだでしょう、勝手に終わらせないで。
然ういうつもりじゃあ、なかったが……でもまぁ然うだな、済まない。
……。
な、マーキュリー。
……だから、触らないで。
実は、一枚も残してないわけじゃないんだよ。
……は?
まぁ、金貨は一枚も残ってないが。
……銅貨?
いや、銀のが一枚だけ。
……銀貨を。
あいつに呉れてやった。
不思議そうな顔をして見てたっけな。
……錆びていそうね。
はっは、その通りだよ。
放っておいたら、いつの間にか錆びてやがった。
忘れてたんでしょう、どうせ。
まぁ、な。
此度、あいつらに練習させるってことで思い出したんだ。
……。
うん?
……けどまぁ、それも悪くないわ。
あん、何が?
汚れているんでしょう、その銀貨。
汚くはないぞ、ただ少し黒くなってるだけで。
少し、ね。
ま、きれいにするだろ。
ふたりで。
いい加減。
あたしは、いい加減なくらいで丁度良いんだ。
迷惑。
はは、は?
……。
……もう、触っても良いのかい?
だめ。
……さっきは、
あなたからは、だめよ。
……じゃ、もう少し待とうか。
……。
なぁ。
……何。
練習、付き合ってやろう。
その方が、良いだろうから。
……あなたにしては、まともなことを言うわね。
甘やかし、ではないだろう?
……ええ、然うね。
お前は、詐欺商人の役だな。
青い星にはごまんと居るからな、然ういう奴らが。
あなたは、商いの才覚がひとつもない商人の役ね。
ただ、喧しいだけの。
はは、なかなか楽しそうだ。
……。
ん……マーキュリー?
……ジュピター。
応……。
……寝るなら、床で。
……。
喉が乾いたわ、温かいお茶を淹れて。
……応、任せろ。
どうしてにやけているの?
あたしの今夜の寝床が正式に決まったからだよ。
あ、然う……それは、良かったわね。
布の一枚くらいなら、貸してあげるわ。